隠された職業病 - 俺は人間だあ

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ム遍書書員傘
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H韓二硫化炭素中癖症被災者交流の記録
国さ &~~~ 園
ー レ ー ヨ ン 工 場 二 琉 化 炭 素 中 毒 に み る=
近代社会、人工的な産物がきらびやかに人間を着飾らせる 。
人々がこの近代社会をまとう限り、化学産業での悲劇は続いてい
くのであろうか 。
生産工程は我々の目からたとえ消え去っても、もしかしたら第 三
世界へと押しやられ、人権もないところで同じ様なことが再現し
つつあるのかも知れない 。
日本で起こ った 二十 年 前 の こ と が 、 ま さ に 今 日 の 韓 国 の 一工場
で二百八十 二名もの 二硫 化 炭 素 中 毒 症 の 発 生 を お こ し た 。 この教
訓はそこにある 。
そして立ち上がった労働者、支援者は、国を動かし改善の糸口
をやっと見いだして闘っている 。
闘 い で は す で に 日 本 の 状 況 を は る か に 超 え て い る 。 知る限りの
緯国での C S2訴訟は勝訴している 。 こ れ も そ の 闘 い の 高 揚 は ﹁ 労
働者の人権﹂を守る立場の医学者、弁護士、労働運動家、その他 ・
の多くの支援者の連帯の結果である 。
日本においては、化学繊維業界と労働省はかばいあい、企業城
下町︵会社村社会︶では﹁声﹂を上げることが出来ない、労働者
を守るべき労働組合でさえ取り上げない、 二硫 化 炭 素 中 毒 症 。 こ
れは声をあげないかぎり、人為的に抹殺される職業病だと思う 。
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海ひとつ越えれば日本。釜山
の活気は我々の生活波長にピッ
タリ 。特に屋台は最高だった 。
宮部氏も桑原氏も海外は初めて 、今回の旅
は被災者交流の前 、釜山 、慶州の観光も楽し
んだ 。(写真左から桑原 、平田、岡田 、宮部、
千葉 、北岡あや 、長谷川 、 ガイド嬢 )
( 釜山
タワーにて)
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慶州での宿泊先コーロンホテルでは 、ゆっ くりと
した時間を過ごした 。
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慶州•仏国寺 。 秋の晴天に思いっきり観光を楽しんだ 。 (ここで
は、団員の迷い子も出た 。
広い庭内である)
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今年は韓国の米も長雨で不作の様子。 日本の片田舎と錯覚しそう
な田園を歩く 。
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桑原氏(写真左端)の 8m
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ビデオは絶えず目新しいもの
へと回り続けた 。 古 墳 公 園
(慶州)にて
東大門(ソウル市)
に行こうとバスに乗っ
たものの 、方向が違
うらしく乗換えるべ
きと同乗の客らは言
う。結局乗換えろと
いわれた街でぶらつ
いているうち、焼肉
のにおいでふらっと
入った料理屋でのタ
食 。 なんと 1人 9
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円で豪華なご馳走が
食べられた 。
慶州駅でセマウル号に
てソウルヘ発つ前も、駅
前の朝市で蜜柑などを買
った 。朝早くから夜遅く
まで彼女達は慟き続けて
いる 。我々も少し見習わ
なくてはと思ったりもす
る。
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重症CS2中毒患者の見舞い
重症Cぶ患者 。痰 が
喉につまると奥さんが
手慣れた手付きで吸引
される 。彼らの生活を
破壊した企業への怒り
があらたにわきあがる 。
初代の八代中央クリニ ッ
クの婦長として 、Cぶ の 患
者さんとのつき合いは長い
が、「こんな重症な患者さ
んは初めて」という 。
「体の具合はどうですか」
と平田看護婦。 ここではプ
ロの視線で観察していた 。
この訪問で宮部さん「ひ
どか 、こんな患者さんが今
でもおるというのに驚いた」
と一言。病室から出てきた
一行は 、 しばらく沈黙して
いた 。
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日韓CS2被 災 者 交 流
口
交 で で 見 ッん 。
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者わしたさだよ
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被 。杖 な く は で
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今後とも交流して
いきましょうと日韓
の Cふ 被 災 者 が 堅 い
握手。
2月 の 予 備 調 査 に も 多 く の
被災者がかけつけてくれた 。
今回の訪問時にも同じ顔ぶれ
もあり 、懐 し か った。 この時
は國宗直子弁護士の詳細な聞
きとりもあ った。
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粟
源進労働組合に聞く
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現在、源進レーヨン
をとりまく政治的課題
は多い 。工場閉鎖後の
労慟者の雇用問題、職
業病専門病院の設立な
どを含めた総合的基金
" をつくれと、提案して
ム
政府にせまっている 。
闘争支援労慟者が会
議室に座り込んで何や
ら話し合っていた 。
我々は事務所に
て、この組合の最
近の慟きを闘争ビ
ラの記事を追って
の説明を聞く 。
民主化というの
はうわべだけで、
最近デモヘの弾圧
が起きている 。長
期の逮捕は少なく、
籠の中に入れ、市
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k、 20kと 1
人ずつ降ろし 、結
果的にデモを解散
させる方式のよう
だ。
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恋品唸森苓
多象:
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圏 賣
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韓国交流スナ ップ
はじめに
興人八代、緯国源進レーヨン ニ硫化炭素被害者
•
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啓吉
宗男
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直子
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桑原繁雄
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との交流に寄せて⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮平田
医学的側面から見た源進レーヨンの二硫化炭素
•
進
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北岡秀郎
岡田
清水
國宗
中毒の問題⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮樺島
•法律家から見た 二硫化炭素中毒
源進レーヨン C S2中 毒 事 件 を 尋 ね て ⋮
患者の治療、救済は急務
•
﹁万国の労働者、団結せよ﹂⋮⋮⋮⋮⋮
輯国訪問は私の人生の 一里塚を
•
確かめるもの
︳
ルポルタージュ韓国 一
対馬海峡の向こう側⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮
百韓二硫化炭素被災者交流に参加して ︳
労働者の方に驚き、八代での闘争が思い
•
浮かんだ
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聖
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•緯国の
CS
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患
者 をみて、怒りと不安が
こみ上げた⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮
•再び源進工場を訪ねて……………………
•気になる隣国の出来事、情報の交流が
大切と痛感⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮
●輯国で日本を考える
圏
一 章 二 硫 化炭素中毒症の歴史
宮部章夫
千葉昌秋
長谷川博
北岡あや
二章 翰 国 の 現 状 ⋮ ⋮ ⋮ ⋮ ⋮ ⋮ ⋮ ⋮ ⋮ ⋮ ⋮ ⋮ ⋮ ⋮ ⋮ ⋮ ⋮ ⋮ ⋮
被害者 ・ 支 援 者 の 交 流 ⋮ ⋮ ⋮ ⋮ ⋮
三 章 八 代 と 輯 国 の CS2
四章現在の日本のレーヨン工場においては⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮
m全国では⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮
②熊本では⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮
③八代興国人絹とはどんな会社か
④興人八代健康調査
あとがき
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70 6
96
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36
35
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はじめに
年公式認定からすでに 二八 一人もの 二硫化炭 素中毒症認定を数
える 。現在源進レーヨン 工場跡地の 一部に職 業病専門病院をつ
一方の日本においては、闘う労働組合がないため 一部の会社
くれと運動化して政府にせま ってもいる 。
私たちが生活する中、 C S2を は じ め と し て あ ら ゆ る 毒 を 媒
被災者の救済が進んでいない 。行 政 、 企 業 、 組
において C S2
﹁
C S2被災者を救え﹂と自らの 声を出す必要がある 。 この闘い
介︵原料や触媒︶とした産物が近代化された身の回りにあふれ
世界の単位でみると、そのような危険因子をかかえている生
は、まだこれから起こるであろう開発途上国への﹁赤信号﹂の
合の複雑巧妙な楔を切りとり、はやく日本のレーヨン労働者が
産現場の労働者は推定で二千万人近くいるという 。その中でも
合図になるはずだ 。
ている 。
レーヨン工場の 二硫化炭素中毒症というのは、わずかの 一角に
すぎない 。
八代の 二硫化炭素中毒症一号の方は 三十歳で発病し 一九六 三
年 三月三十 三歳で死亡︵死後認定︶され以後今日までの 三十年
間に 三十八名の 二硫化炭素中毒症認定者がでている 。 国内で
は 一九九 一年から C S2シンポジュームが開催され、日本の C
S2を扱う職場の労働者への喚起が大々的に行なわれはじめた 。
しかし未だ大氷山は海に隠れていて姿を現していないようだ 。
今回私たちが交流した韓国源進レーヨンでは、仲間が倒れた
原因が職業病と判明すると、自分たちの納得いくまで交渉し、
労使双方の合意で大学へ依頼して労働者全員と退職者を含めた
一五五 二名の検診をおこない、工場での C S2曝露指数、 二次
検診では最新機器の M R I ︵
核磁気共鳴断層撮影 ︶や神経伝導
速度測定などを利用、世界︵最大かつ最新の︶規模での検診ま
一九八九
で行なわせ、韓国独自の認定手段、健康管理手段を作製させて
いる ° ︱ つの工場で (
-九八 一年 一件を例外とし︶
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各分野の「二硫化炭素中毒」についての思い
興人八代‘韓国源進レーヨン
宗
男
病院に疑怪やしい患者がいると聞いていたが︶力不足で調査に
行けなかった 。
資本家というのは金さえ儲ければ よ いと 言 われているので、
そのうちアジア、アフリカ、南米でも問題になるのではなかろ
うかと思う 。そのときは、ぜひ皆さん力になってほしい。
*民医連二 日本民主医療機関連合会のことその掲げる綱領の一
平
最 近 、 韓 国 源 進 レ ー ヨ ン 労 働 者 二八 二
熊本ではの項に掲載。
つに ﹁
労働者の立場にたつ﹂とある 。論文の 一部は資料の②
O
一口でいえばこの中毒症は水俣病の患者よりもずっ
クでも 二硫化炭素中毒症患者は治療を続
現在くわみず病院、八代中央クリニ ッ
tこ
中毒と認定されていると聞い
名が C S2
菊陽病院名営院長
二硫化炭素被害 者との交流に寄せて
けているが、
と症状は重い 。今回訪問した長谷 川君に よれば﹁源進の患者は
医療は無料で受けられるにしても、生活全体が保障されてはい
ない﹂と聞いた 。八代の患者は生活も保障されている 。病気は
長期間になり全治することはないので、生活の保障がされなけ
れば患者 一家は大変だろう 。
私が日本で最初に脳血管障害型の C S2中 毒 を 発 見 し 、 その
一般家
とき民医連の皆さんはその研究発表に大変喜んだが、私は優れ
た臨床家では決してない 。民医連で は病気というのは、
庭で発生するか、もし﹁そうでない時﹂は 、生産点で発生する
ものだと教えられている 。
わたしの発見はこれを守 っただけのことである 。
C S2中毒を発見した当時は宮崎県も疑ったのだが︵某精神
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各分野の
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硫化炭素
中毒
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医学的側面 から 見た源進レー ヨン
樺島啓
吉
五十 一歳の男性 。二 十五歳のときに入社 。十四年間働く 。ニ
硫化炭素現場を離れて八年後に脳卒中発作をおこす 。わたしが
診たときには、右側に強い運動機能障害、四肢末梢性感覚障害、
記名力障 害 、多幸症がみられていました 。
この 2例は労災に認定されています 。
四十九歳の女性 。二 十九歳のときに入社 。三 十 二歳のときに
手、足のしびれ、神経痛、頭痛、意識障害発作が見られていま
衰弱状態、いらいら、不眠が見られていますが、労災に認定さ
す 。十六年間働く。私が診たときは四肢末梢性感覚障害、神経
を診る機会がありました 。そのときの紹
二十五日にかけて源進レーヨンの労働者
一九九 一年十一月 二十 三日から十一月
菊陽病院院長
の二硫化炭素中 縣 の問題
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れていませんでした 。
改善する例があります 。脳血管性障害が少ないほど、改善する
中毒症であることから、困難な 一面があります 。しかし、この
三十年間の経験からみますと、進行する例、症状が固定する例、
慢性 二硫化炭素中毒症に関する治療は、この病気が全身性の
硫化炭素中毒症に似ています 。
えられます 。八代の経験からすると 二十年ほど前にみられた ニ
多いことなど、日本より高濃度の曝露に晒されていたものと考
ていること、多くの人が中毒症状を呈していること 。重症者が
は 一年から十 一年、平均九・五年でした 。一 九 九 一 年 現 在 労 災
認定患者は百十人に及んでいます 。比較的短期間で中毒に罹っ
ただし、十 一人のうち四人が認定者です 。曝露から発病まで
慢性 二硫化炭素中毒症だと考えられます 。
に軽い人を診たと思われますが、それでも十 三人中に十 一人が
以上が私が診た特徴ある症例です 。私が診た範囲では、割り
介をしながら私なりの考えを述べます 。
一九六六年日本の東洋レーヨンからの
機械が送られました 。時すでに八代では、脳血管障害型の慢性
二硫化炭素中毒症の認定がなされています 。その情報は源進に
は伝えられていません 。
しかし、大きな運動になったのはサダン医院の医者が問題に
してからです 。私が訪れたときにサダン医院では重症の患者さ
んが入院していました 。その人は高度の脳障害があり、意志疎
通出来ない状況でした 。工場の近くで多くの患者さんを診たかっ
たのですが、時間の都合で十 三人しか診ることができませんで
した 。幾つか紹介します 。
五十 三歳の男性 。二 十九歳のときに入社 。三 十六歳に高血圧、
言語障害 、下肢の運動障害 が起こり、次第に進行 。私が診察し
たときは高血圧、パーキンソン症候群、構音障害、運動障害、
記名力障 害 、情意障 害が見られていました 。
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各分野の「二硫化炭素中毒」についての思 い
ことが多いと思われます 。確かに、脳循環改善剤や脳代謝改善
剤、精神安定剤などがそれぞれの症状に効果があることがあり
ます 。薬物療法以上に身体的なリハビリテーション︵運動療法、
低周波などの物理療法︶やグル ープでお互いに支え合うことも
大切です 。特に、身近に支えてくれる医療機関や 仲間があるこ
とは、患者さん方に大きな励みになっています 。
源進においても、労働者が皆で支えあい、安心して相談でき
る所を近くに作ることが大切であります 。障害があっても、自
分にあった﹁生きがい﹂を見つけることが、そんな環境作りが
必要です。
1
2
そのために韓国と日本の労働者がしつかりと手を結ぶことが
今、求められているのではないでしょうか 。日本が、何の情報
も知らせることなく機械を韓国に出した責任としても、私たち
は精一杯の協力をしなければならないと思います 。労働者を使
い捨てしない世界を作るためにも 。
ガスが濃厚な職場では CS2を吸入しないようなマスクはあるものの 、装藩し
ての作業は至難のわざだ
各分野の「二硫化炭素中毒」についての思い
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法律家から見た二硫化炭素中毒
國 直宗子
一度は行かなけれ
幸い私の滞在した 三泊四日は暖かい日が
ウルの寒さは覚悟しろと脅されていたが、
今年の 二月、ソウルを訪れた 。冬のソ
はじめに
弁護士
源進 レーヨンCS2中毒事 件を 尋ねて
ソウル S 京 都 \ 八 代 を つ な ぐ 旅
続いた 。
韓国は、私にとって、この 二年ほどの間、
熊本のCS2訴訟
私は、弁護士として、熊本県八代市の興人八代工場の慢性 二
硫化炭素中毒症の事件に取り組んでいる 。労災認定を拒否され
た加来 一則さんという労働者の療養補償不支給処分の取消しを
求める行政訴訟である 。
つまり、国が﹁加来さんについては現行の認定基準では 二硫
化炭素中毒とは言えないから療養費は出せない 。﹂ と 言 ってい
るのに対して、﹁加来さんも 二硫 化 炭 素 中 毒 に 間 違 い な い か ら
療養費を出しなさい 。
﹂と 言 って起こした裁判である。
二硫化炭素とは?
レーヨン製造には、原料のパルプをドロドロに溶かすための
温では無色透明で芳香臭を持つ液体で、比重は水より重く、水
有機溶剤として、必ず 二硫化炭素が使われる。二硫 化炭素は常
一九九 一年、韓国全土に反政府運動が巻き起こった 。当時、
に溶けにくい 。常温での揮発性が極めて高い 。 この C S2ガス
ばならない国と思い続けていた国である 。
新聞で、その運動の発端がレーヨン工場の 二硫化炭素 (CS2
)
が曲者なのである 。
一OOOPPMで爆発する 。 レー
ばしば一時的な意識障害でぶっ倒れる 。高濃度の曝露では精神
す れ ば メ チ ャ メ チ ャ 高 濃 度 で は 死 ぬ 。 ガス職場での労働者はし
ヨ ン 工 場 で の 引 火 事 故 な ど 日 常 茶 飯 で あ る 。 人間がこれを吸引
C S2ガスはアブナイ!
中毒症被害者の救済をめぐる闘争であることを知った 。
二硫化炭素中毒症に罹患した労働者の支援の波が韓国全土に
波及し、いろんな職場での労働運動に発展していったのだと言
つ
、 この日本で C S2中毒の問題にかかわってきた 一人として、
隣の国で何が起きているのか無関心ではいられなかった 。
障害や神経症状などを主症状とする急性 ・亜急性の中毒症にな
る。
比較的低濃度でも長期の被曝で血管障害をもたらす慢性中毒
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各分野の 「
二硫化炭素 中毒」について の思い
症を引き起こす 。慢性であれば症状は軽かろうと思われるかも
韓国で唯 一のレーヨン工場だと聞いている 。
韓国で最初に C S2中毒が発見されたのは 一九八 一年の一例 。
しかしこれは労働者には知らされなかった 。本格的に労働災害
しれないがとんでもない 。血管障害が引きおこす脳梗塞、高血
圧、多発神経炎、心臓病、腎臓病などの多彩な症状は日々患者
︵韓国では産業災害、略して産災という︶として取り上げられ
年四人が産災として認定され、以降毎年認定は増えていったが、
るのは、韓国に民主化の波が押し寄せ始めた一九八七年 。 この
を殺していく 。
私の取り組んでいる事件の原告である加来さんも、こんな危
ない C S2ガスの充満した職場で働いていたのである 。
厳しい認定基準による切り捨ても生じていた 。
一九六四年、日本で初めて慢性 二硫化炭素中毒症で労災認定
定を受けるまでは葬儀はやらないと宣 言した 。 これを支える労
人の労働者が死亡した 。産災認定申請中だった 。遺族は産災認
一九九 一年一月五日、金奉喚︵キム・ボンファン︶という 一
を受けたのは、興人八代工場の 二人の労働者だった 。その認定
働者や支援者は会社の正門前に遺体を安置し、それを取り囲ん
ベールに包まれたC S2中毒
を勝ち取るについては全国に勇名を馳せた伝説的大闘争があ っ
で座り込んだ 。 この闘争は 二二 七日間におよび、韓国全土を巻
︱ 工場稼働 ︶ 存 在 し た
ところが日本に 一六工場︵現在 ︱
亡
。
︶
レーヨン工場では、八代以外には長い間 一人も被害者も出なかっ
会社は責任を認めて遺族への補償を約束し、この運動によって
五月にもなれば遺体は腐敗し悪臭を放つ 。その五月、ようやく
き込み、国会をも揺り動かした 。 いかにソウルが寒いとはいえ、
た。以来、八代では現在までに認定患者 三八人︵うち 二ニ 人死
一 九七五年にやっと福島県の工場で被害が報告され、京都
た。
ての産災の認定数は、私がソウルを訪れた時点で、すでに 二二
多くの被害者に救済の道が開かれた 。韓国での CS2中毒とし
の宇治のユニチカでの最初の労災認定はさらに遅れて 一九八五
年だ った。 これまで、全国で 三工場 六十人の認定が数えられて
一 工場 ニニ 八である 。
八を数えていた 。
しかし、金奉喚については事実上の補償を確約させたにもか
れてしまった 。
たずの認定基準の見直しを始めた 。 日本の方がはるかに立ち遅
学調査に基づいて、韓国政府は日本の基準をまねただけの役立
的疫学調査も実施された 。 日本では経験のない調査だ 。 この疫
翌 一九九 二年、労使の合意に基づいてソウル大学による本格
いる 。た った三工場、た った六十人である 。ほかの工場には被
害者は本当 にいなか った の か ? 日 本 の レ ー ヨ ン 工 場 の 被 害 の
実 態は厚いベールに包まれている 。
韓国全土を揺るがした金奉喚闘争
韓国の一九九 一年の英雄伝説の舞台になったのは、ソウル郊
ウォンジン︶レーヨンである 。
外 渓金︵ビクム︶市にある源進 ︵
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各分野の 「
二硫化炭素中毒」について の思い
日本の加来さんと同じである 。金奉喚の認定をめぐる争いは法
かわらず、現行認定基準に該当 しないと産災認定は拒否された 。
交流も行 った。重症患者が入院する病院へも案内してもらった 。
被害者や被害者家族の団体や産災問題に取り組む市民団体との
労働組合の幹部たちに会って、労働現場や運動の話を聞いた 。
私は韓国で初めて話には聞いていた重症の患者さんの様子を目
日本の知られている重症患者はすでにほとんどが死亡しており、
廷に持ち込まれた 。
使われていたのは日本の機械
れない話がある 。源進レーヨンは 一九五九年に創業、当時日本
私たちの質問に対して口々に症状のひどさを訴えられていた 。
態だった 。話が出来る患者さんや、付き添いの家族の人達は、
の当たりにした 。最も重症と思われる患者さんは植物人間の状
から老巧化した機械を導入して六七年から稼働開始した 。機械
救われたのは、工場労働者の仲間たちが、とても明る<元気な
この源進レーヨンの話で、日本人としてどうしても避けて通
と技術を輸出したのは東洋レーヨンである 。
間で問題にな っていた 。天下の東レは当然このことを知 ってい
たはずだ 。だが、設備導入に際して東レからは、 C S2の有害
されている者もいる 。けれど彼らには、これまでの困難を乗り
題では未解決の部分を多く残したままだし、産災の認定を拒否
ことだった 。
性に関する情報や安全性に関する技術は何らもたらされなかっ
越えてきた自信のようなものが窺えた 。﹁頑張れば何とかなる﹂
一九五九年といえば八代ではすでに C S2ガ ス の こ と が 労 使
た。源進の労働者たちはまったく無防備のまま、 CS2ガスに
彼らの笑顔はそう言っているようだった 。
韓国の ﹁赤ひけ﹂ 先生たち
産災の認定を多く認めさせてきたとは 言え、まだまだ補償問
長年さらされることになったのである 。
この話を日本の現場に引きつけて考えるともうひとつ別の問
一番収穫に
なったのは、労働者の救済のために働いているお医者さんとの
今度のソウルの旅で、私にとって一番印象的で、
日本の労働者に影響を与えなかったのだろうか?東レには本当
題も見えてくる 。東レでは C S2中毒は 一例 も 報 告 さ れ て い な
い。少なくとも韓国で ニニ 八人の産災患者を生みだした機械は、
に 一人の C S2中毒患者もいないのだろうか ?
出会いだ った。
私たちは、ソウル市内の 二 つの診療所を案内してもら った。
療所で、労働者の健康問題に専門的に取り組んでいた 。診療所
最初に行った九老︵クロ︶医院は労働者街のど真ん中にある診
ソウルでの私の毎日は、たくさんの人へのインタビューで明
内には労働者の健康保健研究室と産業衛生のエキスパートを擁
人々との出会い
け暮れた 。会社に黙 ってこっそり源進の工場敷地内に入り込み、
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冒m
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各分野の 「
二硫化炭素中毒」について の思い
していた 。
というわけで、最後にようやく、金奉喚事件に取り組む弁護
定基準の見直しも、ヤン先生抜きでは考えられない 。私たちが
C S2中毒の臨床の権威である 。だ か ら 、 韓 国 政 府 が 進 め る 認
所で、ここの梁吉承︵ヤン・ギルスン︶医師は、早い時期から
わかってきた 。聞いてみれば、なんだ、日本のシステムとあま
キム弁護士の話でやっと法システムや、金奉喚の裁判の論点が
の弁護士たちだった 。中心は金漢柱︵キム ・ハンジュ︶弁護士 。
金奉喚事件を担当していたのは、市民合同法律事務所の若手
士の所にたどり着いた 。
聖水医院を訪れた時も、新しい認定基準をできるだけ労働者を
り変わりない 。裁判の論点も同じである 。私のストレスはスル
次に訪れた聖水︵サンス︶医院もやはり労働者のための診療
広く救済できるようにと、奮闘の真っ最中だった 。
スルと解消されていった 。
もし日本でも採用されれば、わが加来さんは問題なく認定とな
る。少し興奮していた私は、出会うお医者さんごとに矢継ぎ早
聞いた 。後日、キム弁護士は全面勝訴したその判決文を日本語
り、病気はガスのせいか、そうでないか 。三 月に判決予定だと
新しい認定基準 。ようやく韓国でまとまりかけている基準が、
に医学的な質問をするものだから、私たちを案内してくれてい
の訳をつけて送ってくれた 。 この判決の理論はそのまま熊本で
金奉喚事件の争点は彼の病気と C S2ガ ス の 因 果 関 係 。 つま
たP先生は、ニャニャしながら、﹁国宗さんは医者になるつも
も使えそうだ 。これに対し、国側は上告したが、韓国の最高裁
か ったのだが、実を言えば、話を聞けば聞くほどだんだんスト
開明部分をいろいろ残してはいるが、それはお医者さんたちの
熊本の裁判もそろそろ着地地点が見えてきた 。医学的には未
三点をつないで
勝ったのだ!
である大法院は、この十月、国側の上告を棄却した 。金奉喚は
りですか 。
﹂と度々私を冷やかした 。
市民合同法律事務所で
私は、労働者や被害者の話を聞き、そしてお医者さんたちに
レスが増していった 。法制度がわからないのだ 。法的にどこが
今後の研究に期待するとして 、とにかく被害を受けた労働者は
も貴重な話をたくさん聞けて、そのこと自体はとてもありがた
問題になるのかうまくつかめないままに、たくさんの情報が頭
京都の宇治のユニチカでは、現在 ま でに七人が労災認定され、
救済されなければならない 。
p先生がどう言って冷やかそうが、私の頭はまぎれもなく弁
うち五人がユニチカを相手に損害賠償を求める裁判を進めてい
る。
の中でうず巻き、完全にパニック!
護士の頭だった 。法制度の話を聞かなければ、この混沌から抜
けられそうになかった 。
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各分野の「二硫化炭素中毒」 についての思い
ソウルでは、つい最近工場が操業停止したと聞いた 。止めら
れた機械にビスコース︵繊維の原料となるもの ︶がからみつい
て、もう使えないかもしれないということだ 。会社との民事賠
償問題を残している被害者も多いのにこれからどうなるのだろ
う?源進レーヨン労働組合は、この状況の中、労働者の権利
を守るためにきっと悪戦苦闘しているだろう 。あの笑顔は健在
だろうか?
八代と、京都と、ソウル 。 この三点を結びながら、まだベー
ルの奥深くに隠されている被害の実態を思う。
弁護士の私に何が出来るか?学び合うことがまだまだあり
そうな気がする 。今回私の財産となったたくさんの人々との出
会いを、もっとしっかりしたものにしていきたい 。協同の作業
もできるかもしれない 。両手いっぱいに読めもしないハングル
の文献を抱えて、そんなことを考えながら、次のソウル行きの
ことを考えている 。
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各分野の「二硫化炭素中毒」 についての思い
患者の治療・救済は急務
水
﹁万国の労働者、団結せよ﹂
青
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と考えられます 。
今回韓国の C S2中毒症患者さんとの交流会がもたれました 。
韓国の患者さん方の症状 ・病状は、かなり重いと聞きました 。
また同じレーヨン製造機械は、東南アジア諸国にも輸出されて
います 。たくさんの C S2中 毒 患 者 が 隠 さ れ て い る と 推 測 さ れ
ます 。
がて 三年になります 。 この間 二人の患者
`さん方を診察するようになってや
患 者 の 治 療 ・ 救 済 は 急 務 で す 。そ の 運 動 の 中 か ら 再 び 患 者 を
ています 。 これは我々の責任です 。
うのが現代日本の ︱つの姿です 。日本は今、そういう国になっ
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「機械•技術と共にCS 中毒症患者をも輸出している」とい
さんが亡くなりました 。死亡の原因は大
出さないための保障とは、いったい何なのか、それを探しだし
あり、現在労働者の検診活動にも力を入れてい ます。︶
けて通院治療していました 。八代は工場も多く労働者の街でも
それまでは熊本市内のくわみず病院へ遠路 、 一時間くらいか
求をもとに 三年前に開設されています 。
の会が長年にわたり、我々の治療機関が近所に欲しいという要
︵編者注勾八代中央クリニックは、二硫化炭素中毒症被災者
められています 。
現地日本そして八代で、労働者の団結の力を示すことが強く求
じられます 。
﹁万国の労働者、団結せよ﹂クラシックなこの言葉が新鮮に感
創りあげることが必要です 。
腸 癌 と ` 屡 喘 息 重 積 発 作 で す 。C S2
慢性 二硫化炭素中毒症 (CS2中毒症︶
八代中央クリニ ック院長
﹄
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中毒症の症状としてこれまでは精神・神経科的側面が注目され
てきましたが、この間の経験では、多くの内科的な疾患が合併
していることを知りました 。
胆石は約 三五%にみられます 。大 腸 ポ リ ー プ は 約 三0 %に
みられます 。胃切除を受けている人、就業中、喘息様の発作が
あった人も少なくありません 。糖代謝異常の合併は、良く知ら
れています 。
冠動脈疾患もみられます 。 バ イ パ ス 手 術 を 受 け た 人 、 血 管
造影で広範な冠動脈閉塞が認められた患者さん、狭心症発作 ・
徐脈発作をおこす患者さんもいます 。腎不全で透析の準備をし
ている方もいます 。
CS2曝露の量、濃度、期間など種々の要因が重なっていろ
いろな疾病を引き起こすというのが CS2中 毒 症 の 大 き な 特 徴
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各分野の「二硫化炭素中毒」についての思い
岡田
韓国訪問は私の人生の
一里塚を確かめるもの
C S2被害者交流訪韓団団長
今回の韓国訪問は、私の人生の 一里塚
ひとつひとつを考え、確かめるものでし
tこ°
取り戻して職場に帰ってくるまでほ っておかれる 。工場に迷い
込む鳩や雀はポトンと落ちてくる 。そんな中で働いていました 。
それが私には見えなか ったのでした 。
見ていたのには違いないのですが、どういう意味なのか、い
一生懸命働けば良いという考えでしたから、
わば階級的には見ていなかったのです 。
とにかく当時は、
工場の日勤、前夜勤、後夜勤という三交替制を利用して、クリー
ニング取次ぎ、古着や畳表、ござの行商もしていました 。
後には八代市内の松馬場通りに薪炭の店をかまえるまでにな
りました。
商売も順調になっていた頃、 二女が生まれました 。ところが、
私の人生六十年のなかには、苦しみ悩
んだいくつかの時期がありました 。 なか
その子は 一歳になった時小児麻痺にかかり障害を持つ身になっ
この子の治療のために役に立つと思われることは何でもやっ
いたのです 。
てしまいました 。当時、全国的に小児麻痺が大流行をきたして
でも最も悩んだ時期、その時期私はちょうどある在日韓国人の
一間を借りて生活していました 。
その韓国人の 一族は力を合わせて働き、異国の地でミシン販
売店を営みながら、貸家を持つまでに成功していました 。そん
てみ ました 。金のことを考える余裕もありませんでした 。
妻は看病にかかりきりになり、私は勤めながらの商売でした
な姿に私は勇気づけられたものでした 。
その韓国人が生まれ育った韓国という国、そして、そこに住
から、早晩やっていけなくなってしまいました 。店を閉じた時
は多額の借金を背負い、私の給料のほとんどはこの返済に当て
んでいる人々の人間性に触れてみたいという気持ちを長く持っ
ていました 。その希望がこの度実現したのです 。
どうやって生きていけばいいのか、生きる展望を失ったまま
なければなりませんでした 。
力だけでつくる﹂という考えでした 。 ですから興人八代工場の
私は創価学会に入信し、この活動を必死にやれば何かつかめる
私は 二十歳で結婚しましたが、当時は﹁家族の幸福は自らの
職場のひどい実態、そこで苦しんでいる労働者の姿は見えませ
のではないかと思いました 。
八代では少しは認められる程になっていきましたが、生活の
んでした 。なにしろ当時の興人八代は﹁人間以外には住めない﹂
と 言わ れ る ほ ど 労 働 者 は ガ ス に や ら れ て バ タ バ タ 倒 れ 、 意 識 を
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各分野の 「
二硫化炭素中毒」
に ついて の思い
苦しみも子どもの病気も少しもよくなりませんでした。
ちょうどその頃、日本では石炭から石油へと高度経済成長に
ともなうエネルギーの転換の時期にあたっていました 。興人で
もボイラーの石炭が石油へとって変えられ、それにともなって
十 二人の仲間が配置転換されることになりました 。合理化攻勢
の始まりでした 。
私はこのあと大合理化・人員整理が来るのではないか、職場
るように、繰り返し繰り返し読みました 。読みながら自分の職
場の実態が頭の中に浮かんでは消えました 。
このとき自分が働いている職場を初めて正確に﹁見る﹂こと
が出来たような気がしました 。
そして、この時の合理 化 は職場の労働者の反撃も強く、とう
とう会社に撤回させることが出来ました 。 ﹁闘 え ば 権 利 は 守 れ
る﹂﹁闘 って守るもの﹂だということがこの職場闘争を通じて
この時に私が熱心に働いたことを職場の仲間は評価してくれ
私の確信に育 っていきました 。
を見て創価学会の幹部にそのことを話しました 。しかしその幹
て、私を次第に職場の労働者の先頭に押し出してくれるように
の仕事は増え、人減らしは進むという気がしましたので、機会
部は﹁御本尊を拝んでおれば守られる﹂というだけで具体的な
一九六一年のある日、私の属する組の組長だった松村芳松さ
なりました 。
このようなことがあってから私は創価学会から少しずつ離れ
んが、ガス中毒で倒れ ました 。私は彼のことは同じ組で 一緒に
指導もなく、真剣に考える様子も示してくれませんでした 。
ていきました 。ただ創価学会には疑問を持ったものの、代わり
仕事をしていたのですからよく知 っていました 。当然いかにガ
毒ということは知っていても知らないふりをします 。職場の怒
スの多い職場で働いているかも知 っていました 。会社はガス中
の何かを見付けることもなかったのです 。
私が人生観を変えるき っかけともな ったものは 一冊の小さな
パンフレ ットでした 。
何かと親近感を持っていたのです 。 この主人に私の気持ちを話
を経営していました 。私と似たような境遇だったこともあり、
した 。そこの主人は元十條製紙に勤務していた方で、この食堂
になりました 。労働者と組合はこの闘いの中で質的に高まった
れる﹂というス ローガンが職場と労働組合全体に浸透する闘い
こしました 。 この闘いは﹁労働者の命と権利は闘ってこそ守ら
さんはガス中毒だ ﹂と主張し 、会社に補償を要求して闘いを起
松村
職場闘争委員長をしていた私は、職場の仲間とともに ﹁
りは相当なものでした 。
したのです 。 この主人はじっと私の話を聞いていましたが、別
と言えると思い ます 。もちろん私自身も多いに 、しかも否応な
その頃、近所に小さな食堂があって、私も時々利用していま
安保と 三池
﹂
れ際にパンフレ ットをそ っと渡してくれました 。﹁
しに学んだものでした 。
と題した冊子でした 。
私は初めて出会った﹁労働者の立場にたった冊子 ﹂をむさぽ
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各分野の 「
二硫化炭素中毒」につ いての思 い
一九六四年﹁慢性 二硫化炭素中毒症の闘い﹂を組合の
私たちの組合︵紙パ興人労組八代支部︶はこのような闘いを
経験し、
課題として掲げ本格的な闘いに乗り出したのでした 。
この時私は、職場の仲間の強い要請で支部長の大役を仰せ付
定﹂はその後の日韓の経済的、政治的結び付きを強固なものに
しました 。
韓国・源進レーヨンには東レの古い機械が輸出されて使用さ
れた結果、多数の 二硫化炭素中毒症患者が発生していますが、
もしかしたら何らかの関連があるのかも知れないと思っていま
今回の韓国訪問は私にとっては、ただ機会があって参加した
けられていました 。決してバリバリの組合活動家というわけで
れる﹂ということを信条として精 一杯がんばっていました 。私
というものではなく、長い人生のひとつの節目を確認させるも
す。
が支部長の役に付いた時、組合は会社の分裂攻撃を受けてわず
のでもあったのです 。
もなかったのですが、﹁働く人々の幸せは労働者の団結で守ら
か六十人の少数組合となっていました。分裂したほうの組合は
ンの工場に到着し、駐車場に乗り入れた時、工場長らしい人が
十月十五日、 P教授の案内で現在閉鎖されている源進レーヨ
しかし少数組合であっても﹁命を守る闘いに壁はない ・命壁
出てきて立ち入りを止めました。しばらくみんなの間に緊張が
千人を越えていました 。
なし﹂という考え方に立ち職場では組合を越えて闘っていきま
走りましたが P教授の説得で無事組合の建物の中に入りことが
あちこちの壁には﹁工場閉鎖絶対反対﹂と大書きしたスロー
出来ました 。
した 。
さらに職場以外では、興人が拡散させる C S2やH2
S、C o
ガスなどの公害で被害を受けている地域の住民との共闘を重視
うことにしていました 。当時政治的にも最も重要課題とされて
しと伝わってきます 。各種の集会のポスターが雰囲気を盛り上
組合の部屋に入ると労働者が必死に闘っていることがひしひ
ガンがありました 。
いた﹁日輯会談反対﹂の闘いに参加していったのもこのような
げています 。机の上には大型の機関紙が高く積み上げられてい
しました 。このような闘いを全県、全国の課題と結びつけて闘
方針からでした 。熊本市の花畑公園で開かれた﹁日韓会談反対.
ます 。
会議室では若い労働者の真剣な話し合いが行われています 。
県民集会﹂に参加し、 二硫化炭素中毒症認定第一号患者である
奥野末雄氏の夫人と壇上に立ち共闘の訴えをしました 。 この時
私には 二十九年前に必死に闘った興人での慢性 二硫化炭素中
私たちはここで組合幹部から工場の現状と闘いについて話を
毒症の闘いの時と重ね合わさって見えました 。
は集会の名で支援の﹁特別決議﹂が採択されています 。
この日韓会談では﹁日韓基本条約﹂と﹁財産請求権・経済協
力協定﹂その他付属協定が締結されました 。 この﹁経済協力協
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各分野の「二硫化炭素 中毒」について の思い
聞きました 。
その中で印象的だったことのひとつに﹁ 一回十万枚の大型新
聞を街頭で配布している﹂というのがありました 。十万枚とい
う規模の大きさに驚きました 。
私は韓国の仲間の闘いを日本に待ち帰る思いを込めてポスター
三枚と新聞をいただきました 。
次に源進レーヨン被災者が入院している病院に患者を見舞い
ました 。 ベ ッドに横たわる患者を見て、その悲惨な姿にかつて
。
味わったことのない怒りが込みあげて仕方がありませんでした
入院している十人近くの患者のほとんどが気管切開をしてヒ
ィヒイいって苦しんでおり、そのベ ッドの横で必死に看病して
いる夫人と子どもたちをみた時、涙がこみあげて仕方がありま
私は患者の様子を見てこれまでの経験から相当濃度の高い職
せんでした 。
場で被災したに違いないと予想しました 。
その後の被災者との交流のなかでは双方の交流を今後も行い
たいものだと強く考えました 。
私が今回の韓国訪問で強く感じたことは、自分の人生六十年
をかけて取り組んできた 二硫化炭素中毒症問題はいまだ緒につ
いたばかりだ、ということです 。
。
p教授は私に 言 いました 。﹁岡田さん、台湾に行こう 。二 硫
化炭素中毒症で苦しんでいる労働者がいるようだから﹂と
しかし、私は即答を避けました 。それは発生の地ともいえる
八代での取り組みが遅れているからです 。即答は避けたものの、
国内外で自分の病気が 二硫化炭素中毒症とも知らず苦しみまた
死亡している労働者がいることを考えるとたまらない気持ちに
なります 。
幸いにして、八代でも新たな体制で 二硫化炭素中毒症問題に
取り組む動きが始まりました 。
最後に私の人生の背骨となったのは 二硫化炭素中毒症問題の
取り組みでした 。その取り組みのなかで労働者の苦しみの真の
根源を知ることができました 。
同時にそのことを自らの生活と労働のなかに位置づけ苦しむ
労働者と共に闘う以外にないことも知りました 。
そのことを強固なものにさせていただいたのは熊本県民医連
の平田宗男先生と故樺島春雄先生でした 。私は運動にいきづま っ
た時はたえず樺島先生宅を訪問し悩みを訴えました 。
ところが樺島先生は﹁岡田さんあなたは労働者でしょう 。苦
しみの根源は体で知っているはずだ 。学習しなさい﹂と指導し
ていただきました 。
その指導を今後とも私の生き方の中心にすえていきたいと考
えます 。
私も人生の一里塚をめざして頑張る決意です 。
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北岡秀郎
少しでも車間に隙間があれば割り込む。そ
知れない。
車だけでも先へ行きたいと思うのは人情かも
こうも渋滞が続けば、人々は何とか自分の
まってしまっているようだ。
要するに許容範囲を超えて人がソウルに集
都市﹂となってしまった。
ルポ・ライター
対馬悔峡の向こう側
. ヽ ソウルの車
ソウルの街はいつもスモッグにかすみ、想
像を絶する交通渋滞が続いている。
韓国の首都・ソ占ルには同国・四00 0万
人余の人口のうち四分の一の一 00 0万人余
りが集中し、ひしめいている。
もそのような劃酌はない。やはり﹁急・﹂﹁急
.﹂﹁急.﹂を連発する。
足を踏ん張り、両手で必死にしがみついて
いるばかりで回りの風景を楽しむどころでは
ない。運良く座席に座った連中は立ち上がる
ことが出来ない。
ソウルでバスに乗るのは心身ともに充実し
ている瞬間に限る。でなければ車内事故が心
配だ。
話によるとソウルだけで交通事故による死
者が一日十人を越えるそうだ。十分に納得で
きる交通事情である。
ガイドを務めるお嬢さんが出勤前にホテル
まで忘れ物を届けてくれた。自家用車だった
ので﹁あなたも運転するときにはソウル・ス
﹁私の運転はおとなしいですよ。フフフ・
れをさせまいとして前の車との間をつめる。
急ハンドル、急プレーキ、急発進と、およそ
.﹂と言ってはいたが、車の傷から相当のカ
そのため地下鉄、高速道路建設と様々な対
策がなされている。それらはそれらで満員に
﹁急﹂のつくすべての運転はソウルのドライ
タイルの運転ですか﹂と聞いてみた。
なっている。しかし、そんなもので消化しき
バーの右に出るものは、世界中探してもいな
ソウルの車は恐ろしい。
れない圧倒的多数は車にたよって一般道路に
路線バスに乗った。
ミカゼと見た。
本来バスは老人や子どもなど、みずから運
いのではないかと思われる。
し、それは慢性化し、三0分で行けるはずの
乗り入れる。結果として大渋滞を引き起こ
距離に二時間も三時間もかかる事態が日常化
物であろう。自家用車に比べ、多少なりとも
転出来ない交通弱者も乗ることが前提の乗り
今やソウルの街は、タイ・バンコック、フ
あとなしい運転をするのかと思ったが、少し
している。
ィリピン・マニラと並ぶ世界で有数の﹁渋滞
2
3
二
、 なぜ韓国か
レーヨンなどを製造している興人・八代エ
場で、二硫化炭素 (CS2) の中毒による職
閉鎖されてしまった源進レーヨン工場現在跡地に C
S2
専門病院をつくれと要求している
業病が発生していることは随分前から知られ
ていた。
私も知ってはいたが自分が直接に関わるこ
とになるとは思わなかった。
長年、水俣病被害者のたたかいを支援する
組織に身を置いていたことから、とても余裕
そうこうしているうちに韓国ソウル郊外に
ある源進︵ウォンジン︶レーヨンという国策
会社でも大量のCS2中毒患者が出ているこ
とがわかった。しかも、そこで使用されてい
る機械類は、かって日本で使用されていたも
のを運び込んだものだという。
題に関心を持ったし、韓国・源進レーヨンか
このことから我々も大いに韓国の CS2問
ところがこの二硫化炭素中毒症被害者の一
らも、何度か、関係者が日本に来たり、招い
がなかったと言い訳している。
人が、労災の﹁業務外処分﹂に反対して裁判
そのようなことで八代・興人と韓国・源進
たりした。
結成されたのだが、参加した弁護士はすべて
レーヨンの被害者等の交流が始まったのであ
を起こすことになった。そのために弁護団が
が水俣病訴訟弁護団の若手弁護士であった。
これら韓国CS2問題の最初の情報はやは
る
。
々な催しや闘いの手伝いなどをしているうち
りレーヨン工場でCS2被害者の救済問題を
そんなことから何かと身近な存在となり、様
に、自分にとってやはりこの問題もほってお
抱えている京都の関係者からだったと思う。
開かれた第二回二硫化炭素中毒症全国シンポ
になったのは、一九九二年︱二月に八代市で
我々が本格的に被害者の訪韓を考えるよう
けない問題となっていった。
そのうちに被害者の一部とも顔馴染がで
き、次第に入り込んでしまっていた。
もともと公害と労災はきわめて近い関係に
表を招いたおりであった。このときのシンポ
ジウムに韓国・源進レーヨンから被害者の代
原則として工場の塀の中で起これば労災だ
には源進レーヨン被害者の P女史と P教授が
ある。
が、塀を越えると公害となる。兄弟みたいな
通訳として参加した。
彼等にはシンポジウムで特別発言を求める
ものだからどちらかを理解していると解りが
早い。
4
2
ある。
代市内の小さな店で杯を酌み交わしたもので
もらった。シンボの終った日は夜遅くまで八
だけでなく様々な人たちと交流の場を持って
思える。それは一般の国民の中にあるいわゆ
の国以上に微妙な問題をはらんでいるように
配の結果、日本との関係において他のアジア
とくに韓国は、日本の長い非道な植民地支
泊し、阿蘇などを回って熊本空港から帰国す
あった。それは次第に強くなり、熊本市で一
に﹂という声が上がったのは当然のことでも
状況の中で、参加を希望するだれもがこの問
状態にあることに変わりはなく、このような
統領が誕生はしたが、南北の分断国家で緊張
さらに政権交代があって、非軍人の民選大
る﹁反日感情﹂である。
る一行を見送ったときにはすでに固い約束に
これらの交流の末に﹁今度は日本から韓国
なっていた。
題での調査・交流が自由に行なえるのかどう
.
_
か、そのことについても一抹の不安があっ
人たちに﹁疎まれる﹂こともないわけではな
取り調査が出来たばかりでなく、関係してい
源進レーヨンの労働者や患者に会い、聞き
ただ、我々が出会ったこれらの人たちは、
2
5
た。そこで比較的諸外国の状況に明るい熊本
カ連帯委員会︶のメンバーを中心に、弁護士
AALA ︵アジア・アフリカ・ラテンアメリ
我々がまず最初に考えたことは、我々がイ
を含む少人数での予備調査を行なうことにし
三
、 予備調査団の派遣
メージするような調査・交流が韓国の国情の
た。これは九三年二月に三泊四日で行なわれ
結論からいえばこの予備調査は大成功であ
tこ。
中で可能なのかどうか、この点であった。
我々はアジアを中心に、かなりの国で公害
関係の調査・交、活動をやって来た経験を持
してもらったのであった。
かった。例えば、ある被害者との交流が警察
る病院・診療所、関係している法律家などと
いわば被害者側の人たちである。そうでない
った。
官の監視のもとで行なわれたこともあった
十分とはいえないまでも、心置きなく交流す
人たちはどうなのか。これはできるかぎりの
っている。その中のある種の国では政権側の
し、銃の恐怖を感じたこともないわけではな
ることが出来た。それだけではなく大歓迎を
て再度訪問したいと心から思った。
ヽ
゜
>
我々はこの時点でぜひ熊本の被害者を連れ
源進 C
S2認定者には障害、等級に対する不満が多い
(予備調査、被災者への聞きとり)
情報収集と予備調査の感触に頼るしかない。
我々は、出来ることなら韓国内で頑張ってい
る関係者のためにも面倒な問題は引き起こし
たくない。
そのことも考えて予備調査団のメンバー
は、一切の公式の場での発言は帰国後も控え
てきた。
今回の被害者派遣の準備過程でも様々な情
報があった。それは必ずしも我々にとって有
利なものだけではなかったのである。
被害者交流にこの時期を選んだ理由のひと
つである。
もう︱つは、代表の派遣に関して、国内の
︱つの方法はビザが不要な大田エキスボの開
的に色付けされることを避けるためであっ
これはそれらの団体名によって代表団が政治
一切の組織・団体の支援や関与を排した。
催されている時期の訪韓であろう。我々はそ
た。これは代表に加わるメンバーと、その出
なんとしてもトラプルを避ける方法、その
う思った。
身組織に若干の混乱を引き起こした。多分こ
のような方式に不慣れなためであっただろう
が、私はこの点では妥協しなかった。国際間
2
6
では言い訳は通用しない。我々の得た情報は
そのことを伝えていた。
四、割り込み通訳の ﹁誤訳﹂
日本の中では学校教育においても社会的な
場においても、かって日本が長年にわたって
朝鮮半島を植民地にし、言語に絶する非道を
行なったことについてほとんど触れられてい
ない。その結果若い人の中ではこれらのこと
がほとんど知られていないのが現実である。
反対に韓国内においては学校教育の中でもし
っかりと教えられているし、両親の時代の出
来事であるから、家庭においても伝えられて
J
一次闘争、二次闘争など源進労組で詳細な話を聞いた
Cふ訴訟の法律家とも交流し、韓国での訴訟について
の情報を得た
いる。
このことは韓国に限った事ではない。
こんな出来事があった。
慶州の駅前に露店が並んでいた。このよう
な店を冷やかすのが好きな連中は列車の待ち
時間を利用して早速でかけてみた。
あるメンバーが柿を売っている老婆を見付
けて値段を聞いた。
すると傍から若い女性が割り込んで来て
﹁一山で一千ウォンと言っている﹂と伝える。
メンバーはその値で買ったのだが、私にはど
うしても老婆は﹁五百ウォン﹂と言っている
2
8日に熊本で
従軍慰安婦の生きさまをの﹁声なき挽歌﹂︵南基成
リアルに描いた韓国の社会・演出︶が二十八日、煎本
派劇団ノリペ・ハントゥレ市手取本町の手取カトリッ
に思えたのである。
我々が日本人とみてあえて﹁誤訳﹂したよう
でも高いとは思わない。しかし、かの女性は
我々の感覚では一千ウォン︵約︱四0円
︶
い。また当然みずから在日韓国人らに意識的
から直接植民地支配を体験したわけではな
ん、私自身は第二次世界大戦の末期の生れだ
めたいような気持ちさえしていた。もちろ
配層﹂だけの問
か。単純に﹁支
対処してきたの
したのか。少な
くとも戦後どう
私はそれでも溝わないと思った。どの国に
スパみ蓑で逮捕、戴中で
l
-
教会信徒会館ホールで上
演される。二十七日から福
岡、墾忠なと全国士 都
市
で開かれる国内初の巡回公
慎の一環で、主催者の﹁声
なき酔欧﹂輝本公演欝委
員会︵四宮朝子代表︶は
﹁従軍慰安婦問題を考える
きっかけにしてほしい﹂と
話している。
﹁声なき挽歌﹂は.ノリ
ペ・ハントゥレが︳森箪慰
安婦らの証言なとを基に脚
本をまとめた。慰安婦とし
て迪制違行され、載後来日
し、晩年、﹁故郷に戻りた
い﹂と韓国に帰国したが、
ただ問題の本質は、そのような個人的なレ
この項の冒頭に書いたように、国としての
亡くなった女性スニの一生
を韓国の伝統的な音楽や踊
りを交えて描いている。今
春から韓国各地で上演され
て高い評価を得てアメリ
カでも公演している。
我々の先輩たちがこの民族にした仕打。そ
ベルを越えたところにある民族対民族の問題
それだけでなく、長年の朝鮮の植民地支配の
られないものも
れだけでなく、現在でも日本国内で彼等が受
だ。植民地支配を企み実行したのは当時の支
被害とその後にも及ぶ後遺症に対し、国民の
もある﹁旅行者値段﹂だと思えば良い。
けている民族差別。それらを多少とも知って
配層をなしていた者たちであろう。それはそ
側の反省と関心も必要なものがあるのではな
ある。
いるものとしては、この程度の事は何万分の
うとしても、一国民としてそれらにどう対処
言える。
題として片付け
私はこの国に足を踏み込んだときから後ろ
韓国の劇団
に差別したこともない。それは自信をもって
ようにしか聞こえなかった。
「声なき挽歌」公演
一の仕返しにも当たらないはずだ。
2
7
従軍慰安婦の生きざま描く
た。もちろん個人的な私自身の気持ちの問題
そのようなことを考えさせる出来事であっ
要する。これは長年水俣病被害者と付き合っ
を生むかということについては十分な注意を
非日常のもとに置かれた場合どのような結果
な苦痛を背負って行動している。海外という
えない。しかし、実は日常的な行動にも大変
る
。
食べながら最新情報を交換しあったのであ
い、ソウルの巷で雪濃湯︵ソルロンタン︶を
その夜、受入側の責任者であるP教授と会
だのである。
国鉄ご自慢のセマウル号でソウルに乗り込ん
いのか。
ではある。
てきた私の経験から率直な気持ちであった。
には事前の診察を含め入念な健康度のチェッ
そのため八代中央クリニックの清水進医師
源進レーヨンをめぐる情勢は緊迫の度を加え
その印象は、二月の予備調査の段階に比べ
五
、 被害者調在団の派遣
九三年一 0月︱︱日、八人からなる代表団
ていたし、社会的・政治的なそれも好転して
題
rスあで
ラる
イか
の韓
ド日
あで
しの
話通
の共
との
合話
い題
Jと
災て
被し
者話
し合
とし
てつ
が
何
今た
問
クをお願いしたのである。その結果O Kは取
ソウルではなく釜山に向けて飛んだのも、
はついに福岡空港を韓国・釜山へ向けて出発
されている宮部章夫、桑原繁雄の二人の被害
初めての海外でいきなり交流では緊張もある
れたがいくつかの注意点を指導してもらっ
者。認定はされていないが、やはり長年同エ
だろうという配慮と、再び海外に行く機会も
した。この中には長年興人八代工場で働き、
場で働き、かつ労組支部長として CS2被 害
ないのではないかということから若干の観光
た。看護婦の同行もその︱つであった。
者の救済問題にとりくみ、その後、医療機関
も取り入れた結果である。これは結果的には
すでに二硫化炭素中毒症患者として労災認定
に転じ、最近退職したばかりの岡田聖氏が団
よかったと思っている。
もとより、韓国の場合は地理的に近いこと
長として加わった。さらに被害者の渡航をサ
ポートするために、 CS2被害者を扱って来
カルチャーショックは少ないと思っていた
や、人種的にはほとんど同じということから
あとは前回の予備調査に参加したAALA
が、やはり一日・ニ日の慣れは必要だったよ
た看護婦の平田由美子嬢が参加した。
のメンバーばかりである。ちょうど良い構成
釜山一泊、慶州一泊と抜けるような秋空の
うだ。
CS2 中毒患者、なかんずく慢性期のそれ
もとでワンポイント観光を楽しんだ後、韓国
だと思った。
は、一見したところではほとんど病人には見
2
8
いるとは言い難いものであった。
従軍慰安婦問題などでは最近は韓国の側か
らかなり積極的に被害を訴える姿勢がみえ
る。しかし、この労災問題は、高度経済成長
に邁進する韓国としては触れられたくない問
題であろう。加えて同工場の労働組合は戦闘
的で知られる全労協の拠点組合である。情報
交換の結果はそのことを再度認識させられる
厳しいものだった。サポートしたAALAの
違ってくるし︵これはメーターの場合も違
う︶、二台のタクシーが二倍以上違うことも
珍しくなく高いほうに回った場合は割り切れ
ない気持ちになる。しかも、面白いことに時
々相乗り客が出現する。これは別に遠回りす
るわけでもないから具体的な損害は生じない
のだが、気持ちとしては損したような気にな
る
。
﹁外人﹂を乗せるのは面倒なのかよく乗車
﹂﹁急・・﹂で突っ走る。
拒否をされる。乗れば乗ったで例の﹁急・﹂
﹁
急
このように書けばソウルのタクシー・ドラ
.
.
イバーは悪人ぞろいのように思えるかも知れ
ないが決してそのようなことはない。むしろ
逆で親切である。
一度は我々のタクシーが案内の車にはぐれ
てしまって往生したことがある。運転手は乏
しい知識を駆使する我々のために散々探し回
ってくれた。もちろん割り増し料金もなし
に。乗せた以上は責任をもって送り届けるの
で行くか﹂との交渉がはじまる。双方合意で
クシー・ドライバーのようだ。機関銃のよう
概して親切でおしゃべりなのがソウルのタ
2
9
メンバーは、交流を成功させるために、かな
り神経をとがらすことになった。
六
、 タクシーの値段
代表が八人ということになると移動にはど
うしてもタクシーを使わざるを得ない。
案内のP教授の車の後ろから、二台のタク
ターの数字が料金である。遠距離だとこれは
シーで追い掛ける形になる。よくわからない
のはタクシーの値段の決め方である。日本で
まずない。
きる値段であれば﹁レッツ・ゴー﹂となる。
に勢いよく話し掛けるドライバーによく出会
がドライバー気質なのか。
から交渉を始めなければならない。倒すこと
この値段は市内走行と市外に出る場合とは
メーター制でなければ﹁目的地までいくら
で話が付けばあとは日本のそれと同じくメー
この国では先ずメーターを倒すのかどうか
的に倒しスタンバイとなる。
は黙って乗り込めば運転手はメーターを自動
源進レーヨンの閉鎖に伴う雇用問題、職業病問題解決
へ向けて宣伝ビラがここで作られる
った。全く通じないのに...。
ないか﹂と真剣に問うた。﹁劇的な改善例は
公害でも労災でも共通の問題として﹁起こ
ない﹂と答えざるを得なかった。
い﹁高級﹂タクシーが増えたそうだ。これは
してからでは遅い﹂という点がある。源進レ
最近はソウル・オリンピックを機会に黄色
車輛も良いし、運転もスマートで外人向けだ
ーヨンにおける機械類が日本から持ち込まれ
ったようだ。現地の経営者にも知識が乏しか
そうだ。ただし料金も何倍かすると聞いて一
日本のバス・電車派は普通のタクシーだっ
ったのか、知っていてもほっかぶりをして操
たとき、中毒症防止の技術指導は十分でなか
てあまり乗りたくない。普通のタクシーと言
業を続けたのか。我が国も密接に関わる問題
度も使ったことはない。
えど、日本のそれよりはるかに安いが、バス
であり、今後もっと解明されなければならな
い。場合によっては機械を売り払った日本の
ヽ゜
東洋レーヨンの責任も惹起されるかもしれな
被害者たちとの交流は工場の近くにある事
'>
務所で二日間行なわれた。
合間をぬって、重症患者が入院している病
院の建設、療養のための基金の設立、労働者
敷地の一角に CS2中毒患者のための総合病
棄し土地建物を売却する方針という。労組は
﹁ひどい﹂とひとこと言ったのみ。衝撃の深
き涙を浮かべて声もなかった。しばらくして
が、初めて訪れた興A の被害者は出てきたと
二度目の我々は入院室に入るのを遠慮した
程の工場の組織についても話が弾んだ。
症状を紹介し、相手の症状を質問し、同じエ
二日目の交流では全員が発言した。互いの
る。とうとうP教授がバテてしまった。
3
0
•電車に比べるとやはり何十倍も高いのだ。
七、被害者どうしの交流が実現
十一月十四•十五日はもっばらソウルで現
地被害者や労働者との交流にあてた。
再び訪れた源進レーヨンは六月に工場閉鎖
のための職場の確保を政府に要求していた。
さがうかがわれた。自分たちの仲間としてと
院も見舞った。
中でも病院建設と治療に関する専門的な知識
らえた結果であったのだろう。これこそが被
が発表され閑散としていた。会社は経営を放
を求めていた。﹁慢性化したCS2患者に対
害者どうしの連帯の気持ちである。
友好が深まるのに比例して通訳の量は増え
する的確な治療で症状が改善した例が日本に
源進の被災者はとても重症である。キリスト教病院へ
の見霙いで、日本側被災者の目には涙が浮かんだ。
した甲斐があった。このナレーションには熊
けた﹁スライド構成﹂は喜んでくれた。苦労
ン入りの﹁興人八代の CS2中毒症﹂と名付
我々が苦労して作った韓国語のナレーショ
の﹁音︵言葉ではない︶﹂が出たらこのスラ
か、それが難しいのだ。何度も練習して、こ
ーションのどこでスライドを送ったらいいの
難しい。何しろ全く知らない言葉なのでナレ
出来上がったスライドを上映するのがまた
うだ。機械類を見たかったがこれは諦めざる
た。組合事務所に限って入講を了解させたよ
どう説得したのか、 P教授の勝利に終っ
今後の問題
さて、いうまでもなく交流の実現はそれが
ヽ
合わせ、前回の予備調査の結果の精査と入念
最終の目的ではない。今後双方がこれらの成
八
んな気持ちがよぎった。
た。やはり工場内に入るのは無理か。瞬間そ
本にいる韓国人 K氏が協力してくれた。
を得なかった。
これらの交流を含め我々が予定したすべての
計画を実現することができた。これは移動時
な事前準備の成果、加えて現地の受入側の献
果を糧として被害者救済の運動を発展させる
間や手段の研究を含めた詳細な現地との打ち
身的な協力によるものと思っている。対外国
我々が帰国したわずか一週間後、源進レー
ことに本来の目的がある。
ではなかなか出来ないという経験を持ってい
ヨン労働者の集会・デモ行進に大きな弾圧が
の調査・交流で百%の計画消化は民間どうし
る。今回は例外的にうまくいったと自負して
あり多数の拘束者と手配者を出したという二
ュースが飛び込んできた。源進レーヨンの闘
いる。
もちろん偶然も作用している。予備調査の
いも正念場にかかると同時に厳しさを増した
我々としても関心をもって見守っていく。
おりは工場の門を入るのに﹁止められてもし
工場がうるさいからという。今回は工場が閉
興人・八代の事件では、熊本地方裁判所で
ようだ。
鎖されていることもあって難なく突破でき
開かれている﹁労災認定拒否﹂の取消を求め
ゃべるな﹂といわれていた。外人とわかると
た。と思ったら、入ると同時に工場長なるも
る行政訴訟も終盤を迎えている。
今後、多数の未認定患者の存在にどう取り
のが現われた。 P教授と工場長が互いに真っ
赤になって双方機関銃の如くやりあってい
3
1
イド、と丸暗記するほかなかったのだから。
日韓の Cふ被災者同士の握手とお土産の交換
組むか、これが我々熊本の関係者にかけられ
た大きな宿題である。
源進レーヨンの場合、被害者が発生してい
九
、 韓国屋台事情︵夜店を含む︶
最近日本では﹁屋台﹂ の復権が取り沙汰さ
他のレーヨン工場にも共通している。そのこ
決定的に異なる。同時に、このことは日本の
ている。この点が現在の興人・八代の場合と
の。広場を仕切って各種の屋台を配置したも
している。ビルのワン・フロアーを使ったも
昔かよいつめた頃のそれとはかなり趣を異に
もっとも、 その﹁屋台﹂なるものは我々が
れている。
とから、我が国には他にも多くのレーヨンエ
の。大きな倉庫を改造したものなどで、背広
る工場の労組が被害者を抱え込んでたたかっ
場が存在しているにもかかわらず CS2患者
姿の人々が出入りしている。
どうもこれらは大学祭の出店のニセ屋台を
はほとんど表に出されていない。
そういう中で、だれがどう被害者にアプロ
て医療機関の課題とするだけでなく、労働者
や、表通りから少し外れた裏通りに裸電球を
やはり屋台というのは、川っぷちの土手
思いだしてしまう。
の健康を守る課題として、地域の労働者が組
ぶら下げて、すでに一杯引っ掛けたオヤジが
ちのノスタルジーのなせる技か。
韓国のそれは全く様相が違っている。
韓国ではなんとギャル様御用達の感があ
3
2
ーチし組織化していくのか。医療の問題とし
織の枠を越えて取り組んでいく体制が出来な
クダを巻き、オデンのコンニャクを片手にさ
作業服のまま汚れた手拭でよだれを拭きつつ
今回の交流の中で韓国だけではなく、台湾
らに焼酎をなめている、というようなものが
いだろうか。私は今そのように考えている。
にも同種の工場で同じCS2 被害者が存在し
正しい屋台のあり方というような気がする。
生活密着型である。
日本では、伝統的なそれはオジサマ専用の
ただ日本の場合、なくてはならないほど生
る。オープンスタイルの屋台で、まるでファ
感があった。
活に密着しているものではない。オジサマた
ては観光資源にもなっているという。
のに比べると不思議なものだ。ところによっ
それにしても、ひところ寂れる一方だった
ていることがわかった。中国・上海での存在
も取り沙汰されている。
これらと日本との直接•間接の関わりがあ
るのか、ないのか。
我々の取り組みは今始まったばかりの感を
深くしているのである。
屋台でたらふく食べた後は、ここでデザートの果物を
仕入れた
︵ズルズル︶、ホントホントー︵ムシャムシ
ストフードの店と同じように、ウソウソー
する気は全くないらしい。なくす方向の様子
しかし、どうやら韓国政府は観光用に宣伝
果物屋、蛹の佃煮屋などなど。意外なことに
何かわからない餅の煮込み屋、ぜんざい屋、
だ。西瓜屋、お好み焼屋、芋カリントウ屋、
キムチ屋はない。これは自家製造・自家消費
だ
。
韓国の誇る観光地・慶州の夜の論争。
ャ︶、ヤダー︵パクパク︶と言いながら食べ
ているかどうか、全く言葉が通じないからわ
が正当なのだ︵たぶん︶。
たのである。
みながらほとんどの食べ物屋で試食を行なっ
大変な活気だ。人が多い。人込みに紛れ込
分人を引き付けている。
屋、おもちゃ屋、何でもあってそれぞれが十
宣伝しながら売る海賊版音楽テープ屋、雑貨
のはリアカーに付けたスピーカーでガンガン
食べ物ばかりでなく、洋服屋、鞄屋、多い
釜山から付いてきたガイド嬢が﹁おそれ多
くも伝統の街•慶州には屋台はない」と主張
﹁そんなはずはない﹂、 と我々は主張し
する。
た
。
﹁ないものはない 1。
﹂
﹁ないはずはない!。﹂
﹁案内はしないからネッ!﹂
﹁かってに行くからネッ!﹂
釜山、慶州、ソウルと滞在したすべての街
仮説は十分に実証された。
確かめられる。百キロを越すスピードで突っ
に屋台があり、すべての街で食べ歩いた。う
では、ものは試し。仮説は実証することで
走るタクシーに命を託して夜の街に出てみ
まくて安かった。
が、たしかにそういう面はある。
語呂がいいからよく言われるのだと思う
ある。
韓国は近くて遠い国などと言われることが
十
、 おわりに
た。あった、あった。
まるで祭の夜店のようにごった返してい
る。さっそく食べ物の店を渡り歩く。
小型トラックに幌を掛けた移動容易型屋台
?ではカニとカキを売っている。リアカー式
小型コンロ付き屋台の焼栗の店が出ている。
持ち運ぴ据付け型まんじゅう屋がある。ラー
メン屋、うどん屋、これらは車付き箱形屋台
3
3
からないが、雰囲気としてはそうなのだ。
カニを売る経トラの兄ちゃん。勿論我々は試食した
例えば、戦前は別としても、一般観光客が
大量に行き始めたのはここ数年、オリンピッ
ク前後からではないか。
それ以前は何と観光客の九十%が男性客で
あったという。それもほとんどは企業の団体
旅行という。
戦時中、従軍慰安婦として朝鮮を初めアジ
ア各地で女性を調達したあげく、戦後の高度
経済成長を支えた﹁企業戦士﹂の慰安婦を求
めて再び韓国に進出したのか。
韓国でキーセン・パーティーがやり玉に上
ここまで書いてきてフト、日本の国内にお
それを許す現地の政権があったことは、韓
見されていないのだ。源進レーヨンで二百八
ーヨン工場では、まだ一人も CS2患者が発
ただの一人の患者も出さなかったのだろう
ヽ占〇
カ
たたかいは日本の国内において、もっと強
められなければならないようだ。我々自身が
先に指摘した連中の思想に一部取りつかれて
いるのかも知れない。
3
4
げられると台湾、フィリピン、タイと次々に
アジアに進出した。その多くは....。
慰安婦調達の思想とどれだけ変わったとい
うのだろうか。
源進レーヨンの機械類が日本で使われてい
CS2中毒を多発させる機械であったこと
いてもやはり働く人々を人間として尊重しな
た中古品であったことは間違いない。
も十分わかっていたはずだ。それを平気で韓
い思想があることに気付いた。
国の人たちにとって不幸な出来事ではあった
十二人の患者を作り出した機械が、日本では
そうだ。韓国に機械を持ち込んだ日本のレ
カS≫ o
段低くみる思想が含まれていないか。
国に持ち込む思想の中に、アジアの人々を一
慶州観光は丁度奈良をまわっている気分
I
I
I
I
I
I
I
I
I
I
I
I
I
I
I
I
I
I
I
I
I
I
I
I
I
I
II
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
日韓二硫化炭素被災者交流に参加して
労働者の方に驚き、ハ代
での闘争が思い浮かんた
興人八代C S2
被災者
き、いかに不安全、不衛生の中で働かせ
美子看護婦︵元八代中央クリニック婦長︶
いうことです。しかしこの不安は平田由
に同行していただいたことで安心しまし
られていたかが考えられます。
入院被災者を訪問して、重症被災者の
りませんでした 。八代にも末認定被災者
うほど﹁彼等の身﹂が思いやられてたま
を企画 (1日に 1回必ず自宅に電話する
ての参加でした 。しかし今回の交流ツア ー
もうひとつは病身の妻を家に 1人残し
tこ°
がまだまだ多数いることと、早く治療し
等︶していただいた方々の励ましで参 加
多いことと、これが C S2被 災 者 か と 思
交流ツアーに参加して、計画 ・立案・
なければとの思いを強く感じてい ます
。
桑原繁雄
介助して頂いた方々、又現地での P先生
る医療機関に恵まれすぎて 、怠けている
ましたが、輯国に行って本当によかった
このような不安をもっての参加であり
することができました。
幸い私たちの回りには治療を受けられ
のではないか、自分の病気は主治医の指
3
5
のエネルギーとご指導に厚く御礼申し上
倒産、 CS2被 災 者 続 出 と 、 話 は 聞 い
導に従って自分の健康状態をよく把握し
.
.
.
.
痰でむせぶと 、付き っきりの奥さんが吸引
する 。慣れた手付きだが 、家にいる子供達は
どうして暮らしているのだろうか 。
げます。
ていましたが、交流してあまりにも酷さ
て、病気に負けずに頑張っていかなけれ
今回の交流ツアーの参加については、
宮部章
2被災者
興 人 八 代C S
怒りと不安がこみ上げた
韓国のCS2患者をみて、
ばと感じさせられた交流でした 。
に驚きました。
源進レーヨン工場に着いて、労働者が
闘っている姿を拝見して、身の引き締ま
る感じになりました 。私たちも闘った合
理化、分裂反対等などが瞼に浮かんで来
ました 。
組合事務所で色々話を聞くうちに、日
国に安全を無視して売りつけ、安全面の
本の資本が使用しなくなった機械を、韓
指導をしていなかった事に腹が立ちます。
又、倒産反対闘争の戦いの中で C S2
認定者が 二百八十余人認めさせた力に驚
ての参加でいつどんなことがおこるかと
いくつかの不安をもっての参加でした 。
それは、 C S2中毒症という病気を負っ
夫
日韓二硫化炭素被災者交流に参加して
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とひしひしと感じます 。
なく自らの怒りを表面にあらわし、運動
交流ツアーを企画し、日本に帰るまで
にしてゆく決意を固めました 。
なか、労働者は、そこで勇敢に闘ってい
面倒をみていただいた方々に心から御礼
源進レーヨン工場に到着し工場閉鎖の
るのを見て新めて興人八代工場での闘い
申しあげます 。
千葉昌秋
熊本 A A L A事務局
訪ねて
再び源進工場を
が走馬燈のように脳裏をかけめぐってい
ました 。
そして 一番 の 目 的 で あ っ た C S2中毒
症患者との交流では、それが当然のこと
ですが私たちと同じ症状をもって苦しん
でいることです 。また、十人近くの患者
ウォンジン
十 一月十四日、私たちは源進レーヨン
3
6
が入院している病院に見舞いに訪問しま
した 。そこで見た患者の姿は悲惨そのも
しているそうだ 。もらった紙面には、警
工場の門をくぐった 。今 年 二月の訪問か
何もかもガランとした中で、源進労働
官の弾圧を受ける源進労働者の生々しい
のでした 。 ほとんどの患者が気管切開し
今回の交流ツアーで再度、 C S2中毒
組合の事務所は熱気にあふれていた 。奥
写真が載せられていた 。
ら 二回目である 。しかし、あの時の労働
症の悲惨さ、残酷さを感じると同時に私
の部屋で 二十人ほどの若い男女の活動家
七月 二十日に学者 ・宗教家 ・知識人に
て﹁ひいひい﹂と苦しんでいる姿でした 。
も含めて、このような体にした資本家の
が、車座にな って打合せをしている 。写
よる支援対策委員会が発足 。韓国政府 i
組合幹部の話では機関紙を十万部 ︵
隔週
怒りがこみ上げて仕方がありませんでし
真を撮 ってもかまわないと 言われた 。正
労働部 ・財務部との交渉が始まった 。今
者の姿は全く見えない 。会社が六月にエ
tこ°
面の壁い っぱいに深紅の組合旗が貼られ、
のところ政府は責任回避の 言動に終始し、
この姿をみて新ためて怒りと不安を強く
今回の交流ツアーで学んだことを日本で
かん高い 声 が飛び交っていた 。 やがて彼
個別に涙金をちらつかせる 一方で、労働
ヒール
一回︶発行して、ソウル市民にア 。
の患者家族と、元興人八代工場労働者に
らは宣伝物をかかえて表に出ていった 。
場の閉鎖を決めたからだ 。
伝え、今までのような人まかせの活動で
感じました 。
広示は「ガードマン 誓備の時間帯が …」 工 場
閉鎖のあとは解体を待つばかりだ 。
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日韓二硫化炭素被災者交流に参加して
している 。 ﹁この私も、政府から告発を
者を業務妨害などの理由で告発しようと
を強制連行 。九人が負瘍したとの情報も
催涙弾やこん棒で弾圧を加え、五十五人
会 に二千人が参加 。 これに武装警官隊が
はかなり神経を使 ったが、事故も全くな
相手に交流するとあ って、今回のツア ー
政府の監視の目が光 っている闘争 中の
四月末から五月にかけて四回も火災が発
ンストを実施している最中に、工場では
これに対して組合は、”敷 地内に CS2
専
ウォン︶で負債を弁済する考えらしい 。
カ ー に売却し、予想される収入 (
+七億
会社は十四万坪の工場敷地を土地ブロー
山 や慶 州 の街と自然を楽しんだ 。街角の
韓国は秋たけなわだった 。私たちは釜
している 。
と 思 う 。 現地の方々の協力と支援に感謝
く、ほぽ期待したとおりの成功を収めた
述べた 。
受けています﹂と、その幹部は笑った 。
ある 。
生したと聞いた 。またつい最近、十月 二
門の総合病院を建設せょ“”医療に 必要
屋台を食べ歩き、おでんや焼き栗、キム
組合が工場閉鎖に反対して、抗議のハ
十 三 日には、ソウルの中 心 街 で 開 い た 集
な基金をつくれ“”源進労働者の今後の
チうどんと韓国の”味“を満喫した 。慶
落の人と片 言 で話し合い仲良しになった 。
生活保障体制を確立せょ“などを強く要
﹁この 一! ニカ月のたたかいが最も重
日本にはもうとっくの昔になくなってし
州ではホテルのそばの農村に立寄り、部
要 。多くの困難はあるががんばります﹂ 。
まった美しい自然が韓国の農村にふんだ
んにあった 。
明るい声が私たちに返 ってきた 。
この後、私たちは患者家族会の事務所
を訪ねた 。見覚えのある部屋で、熊本か
ら持参した八代典人 C S2中 毒 の ス ラ イ
ドを上映した 。 テープに輯国語で説明を
入れたので大変喜 ばれた 。
十五日の帰国ぎりぎりまで家族会の皆
さんと交流 。岡田団長をはじめ、桑原さ
ん
、 宮 部さんが質問に熱心に答えていた 。
看護婦の平田さんも専門の立場で意見を
3
7
求してたたか っている 。
昔、東京にいて帰国したという雑貨屋さん 、田んぼ道
で会 ったオ ジさんに連れられての交流。
日韓二硫化炭素被災者交流に参加して
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気になる隣国の出来事、
情韓の交流が大切と痛感
の工場の多くの労働者に読まれ﹁職業病
は隠されるもの﹂という常識を払拭して
まずは正確な翻訳者
もらいたいと思う ︵
の出現を願う︶ 。
また法律関係には日本で出来た法律そ
の時は、他の外国と非常に異なって、人
韓国訪問は 三度目になる 。最初の訪問
医師、被災者から猛反発をくらいボイコ ッ
認定基準﹂が使用されると、
日本の C S2
く 。源進関係では﹁悪法と呼ばれている
博
や風景は日本と似ているのに、どことな
トされるほどであり、我々日本側では
長谷川
くわみず病院放射線技師
く近寄り難い雰囲気があり、地下鉄に乗っ
﹁それほどきびしい内容なのか﹂と逆認
のものがいくつかに流用されていると聞
たときの押され方からも強い反日感情を
識するのである 。 日 本 の 法 律 を よ り 良 く
になるのだ 。
することが隣国を間接的にはげますこと
感じていた 。
、 三回と訪問し話し合うなかで、
二回
やはり同じ民族だなと感じるようにな っ
今回の被害者交流では、外見では分か
ことに気づいた 。 ほとんど未知の 言葉で
かそのまま日本語の単語になってしまう
りながら眺め、発音 してみたら、いくつ
調査班の調査結果﹂をハングル辞 書をく
より預かった﹁ソウル大学保健大学疫学
交流は双方が励まし励まされるもので
の現場に立ち会いが出来て幸運だった 。
ではおおいにはげまされそうである ︶そ
定は日本が先輩なのに後輩の韓国に運動
帯の糸が結ばれた 。
︵ 職業病としての認
らない悩みが双方から出され、
同時に東南アジアやアフリカ諸国の問
少ない生存時間をこねくりはじめている 。
に興味を示し、残り少ない脳味噌と残り
てきた 。今回、源進被災者家族会事務所
あるが、特に漢字まじりの論文はそのま
ある 。今度は彼らが八代へくることにな
一本の連
ま 意味が取れてしまう 。 この疫学調査を
るかもしれない 。その時にまた手助けで
題にも興味を残しながら 。
はじめ、組合側の資料、関係機関のこと
きるようにと、私は分からないハングル
交流のさいごには 、日韓被災者 、支援者が全員揃 って記念撮
影。
がらなど全てが C S2被 災 者 が い る は ず
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、
→
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日韓二硫化炭素被災者交流に参加して
韓国は二度目である 。前回は寒い時だっ
私はこういう場に出くわすたびに﹁徴
兵の国・韓国﹂を思い知らされ、﹁平和っ
ていったい⋮⋮﹂といちいち考え込むの
であった。
それにしても韓国の食事は、毎回が発
見と感激と驚きの連続であった 。
まずは、何を頼んでも出てくる盛りだ
恐怖の道路横断、ゾクゾクするほど活
が来るのを胸踊らせて待ち望んでいた 。
今回の企画に飛びついた私は、この日
的なことにこれはお替わり自由。それを
のオンパレードなのだ 。それに何と良心
たムルキムチといったさまざまなキムチ
メにモヤシ、水面に大根のぷかぷか浮い
くさんのキムチ 。白菜にキュウリにスル
気に満ちた市場、プルコギから滴る肉汁、
よいことに皆﹁キムチチョセヨー ・︵キム
tこ°
路地の屋台で食いついたおでんにラーメ
チ下さい︶﹂を連発するのである 。
今回、特に私が気に入ったのはビビン
ン。次々と前回の訪輯が鮮やかに思い起
こされ、もう心は韓国に飛んでいくので
た石の丼に熱々のご飯が盛ってあり、そ
バである 。ボールのようなでっかい焼い
とか﹁思いやり予算がどうだ﹂とか言っ
ある 。
待ちに待った十月十 一日、大学を一週
せてある 。その上に生卵の黄身がプコン
の上にモヤシ、キュウリの千切り、人参、
街中ではアーミー服を着た軍人たちが
と乗っており、眺めるだけで楽しくなっ
ていた私もウーンと唸って口を閉じてし
釜山空港に降り立った私は、軍用機が
ブーツをカッカツ響かせており︵最近こ
てくる 。食べるときは、とうがらし味噌
間ブッチして多少心を痛めながら私たち
ズラッと物々しく並んでいるのには腰を
の手の人をキャンパスでよく見かける︶、
をたっぷりブチ込みスプーンでこの芸術
わらび、春菊、大根、牛肉が彩りよく乗
抜かしてしまった 。こういう日本人にとっ
釜山の公園ではたくさんの徴兵らしい青
品を﹁親のカタキ﹂とばかり混ぜ狂うの
まうのである 。
て非日常の場に﹁当然です﹂という感じ
年軍人が休んでいた。
は韓国に飛んだ 。
ておられると、普段﹁自衛隊はどうだ﹂
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日韓二硫化炭素被災者交流に参加して
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゜
ラーメン、お好み焼、おでんの屋台が立
宝庫﹂と言っても過言ではない。うどん、
繰り出す。私にとって韓国の街は﹁食の
好奇心旺盛な私たちは、毎晩夜の街へ
た。﹁最後の手段﹂という言葉に、国や
うのは最後の手段なのだ﹂というのがあっ
が、行政は認めようとしない。裁判とい
監督署、国の労働省と交渉を続けてきた
に﹁私たちは三十年間、地方の労働基準
のだが、その中で特に印象に残った言葉
と思う。
を﹁正しい﹂と言える強い人になりたい
てくると思う。その上で、﹁正しいこと﹂
実か、見極める﹁目﹂がとても重要になっ
会を見るときに、何が正しいか、何が真
複雑で矛盾が見えにくくなった今の社
も一緒だった。そのため労働組合の実態
ち並ぶ。裸電球のオレンジ色の光りの中
企業の態度、それに対する岡田さんたち
である。真っ赤に染まってぐちゃぐちゃ
つ
、 果たして日本は豊かなのだろうか。国
で奇麗なおねえちゃんたちがズルズル麺
の怒りが含まれているように思えた。国
今、大学に戻ってきて、また手のつけ
や職業病に対する国の態度、裁判を起こ
をすすっているのを見ると本当に愉快だ。
の企業本位の政策、利潤追求の企業の経
に破壊された芸術品、これがとてつもな
路地の角ではおばちゃんたちが山のよう
られない厄介な好奇心がむくむくと沸き
家とは誰のためにあるのか。
に果物を積んでいるし、トラックの荷台
営のもとで、いつも苦しまされている労
起こり、﹁次はどこへ行こうか﹂と世界
した過程など話してもらう機会があった
で蟹と蠣を売る兄ちゃん、揚げたての韓
働者。日本の繊維関係の労働組合は労使
地図を広げて、胸膨らませる日々を送っ
<旨いのである。
国風ドーナツを売るおっちゃん、と、も
協調で労働者の立場を守って闘わない中
ているのである。
流し強く感じたことなのだ。
これが韓国に行って、いろんな人と交
う辺りは旨そうな臭いとエネルギッシュ
また源進レーヨンの﹁職業病﹂に対す
で、労働者の健康と権利を守って真正面
く、ありとあらゆるものを食べまくる
る労働組合の運動のエネルギーには非常
な売り声でいっぱいなのだ。もちろん私
︵夕食はしつかり済んでおる︶。帰国後体
に驚いた。私は今回、実際にこの人たち
から闘っている人がここにもいた。
重計の上でため息をつくことになるとい
に会って話せた、ということでまた一っ
たちはこの雰囲気だけで満足する訳はな
うのに⋮⋮。しかし毎晩毎晩ほんとによ
の権利のための闘いを知り、感じること
日本に帰ってきてよく考え込んでしま
ができた。
く食った。まった<⋮⋮。
今回は CS2患者の交流旅行というこ
とで、岡田さんや、桑原さん、宮部さん
4
0
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n
資
料
編
C S2腐食のガスは 混沌として
人の心にぽっかりと空洞を生む
妻との語らいを奪い我が子との接触を拒み
人間としての暮らしを拒絶させ
あげくに命さえ奪う
C S2腐食の見えざる煙は現代社会の構造をもあらわす
腐食された労働者は﹁腐食?﹂それをも知らず
﹁関わらぬ﹂と自らも腐食された現代に取り込まれている
C S2腐食のガスは人が呼吸し血管に取り込まれ
人体をジワリジワリと蝕み続けているのだ
呼吸をやめても身体の腐食は継続する
だから微力な労働者よ注意しなさいと
混沌として混沌として忘れさられぬように注意しなさいと
私たちは赤信号を送るのだ
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→
資料編
二硫化炭素中毒症の歴史
①ソウル大学疫学調査より
二硫 化 炭 素 中 毒 症 の 歴 史 的 背 景 や C
S2に よ る 健 康 障 害 な ど 分 か り や す く ま
この体系的目的を列挙するなら以下の通
り゜
︿
1﹀ 闊源進レーヨン勤務の職員に、現
在の医学技術で許される最高の精密検査
を全員について検査する 。ただし費用節
約のため 一次検診において﹁必要﹂と医
師が判断した対象者に限って高額につく
二次検診を実施する 。
︿
2﹀ 固源進レーヨン全職員の健康状態
を把握すること
露による健康阻害と自然史︵生活歴︶の
とめてある 。︶
第 1節 研 究 背 景
把握、これによる職業病判定基準の設定
︿
3﹀ C S2、 そ の 他 有 害 物 質 に よ る 曝
本疫学的研究は源進レーヨンの産業安
︿ ﹀作業有害要因の調査/健康を阻害
4
と基礎資料として活用をはかること 。
ら 二十一日までの間、労使合意によって
するものとの相関関係を確認し職業病判
全 保 健 委 員 会 (-九九 一年六月十九日か
研究を指定機関としてソウル大学校保健
定においても予防戦略として開発し、こ
れを活用すること 。
大学院疫学教室にて推進することになっ
tこ°
︿
5﹀低 濃 度C S2の 長 期 曝 露 時 の 健 康
影 響 の 評 価 を 前 向 き に 研 究 (Prospecti,
ve Cohort Study) し 基 礎 資 料 と し
て活用すること。
6﹀ 勤労者の健康の維持、増進におけ
第2節 研 究 目 的
本 疫 学 研 究 の 二硫 化 炭 素 中 毒 症 は C
S2暴 露 群 を ︵ 暴 露 し て い な い ︶ 対 象 群
と比較して、 二硫化炭素中毒症の対策を
る具体的提案と指標を提示し、労使双方
︿
体系的客観的事実を得る目的で行なう 。
の福祉および就業に役立てること 。
︿
7﹀ 本研究資料は国内類似産業の勤労
者において、保健管理に活用し、国際的
にも活用可能であること
CS2歴 史 的 考 察 ︵ ソ ウ ル 大 疫 学 調 査
第I
I章第1説︶
C S2 ︵二硫 化 炭 素 ︶ は ド イ ツ の 科 学
者 ラ ン パ デ イ ウ ス (Lampadius) が
一七九六年﹁加熱した黄鐵鑽と木炭を混
合して生成、これが液状になることを発
見したのが最初の化合物である 。
﹂
そ れ か ら 一 八 0 二年 デ ゾ マ ス (Deso
mas) とクレメント (Clement) は 硫 黄
と木炭を加熱して C S2を得た 。 この C
った CS
2
の歴史は、
S2は 優 秀 な 触 媒 作 用 が あ り 工 業 に 広 く
利用されることにな った。
編者注~ここから始ま
(
その恩恵と同時にその後 二0 0年近くも害毒
を世界の労働者の周りにふりまいてきた歴史
でもある︶
4
2
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1
資料編
大疫学調査第I
I章第2説
︶
患者の症例が詳細に記述されている 。
経障害、椎体外路系障害など C S2中毒
の学者によって精神病的障害 、多発性神
レリイ (
Quarelli、 一九 三四 ︶、その他
ドが C S2中毒2例の報告も行なってい
る。しかし実際にはこの時期の論文の発
された 。同年カルフォルニアの医師バー
ソンにより急性 C S2中毒3例の報告が
養院 o
fA
l 鰹馳 U CSz 中毒叶叫ユ考慮司 ~17 症例暑 t:}早吐セ <t o
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-を ユ 平 せ
象看 t
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l 研 究 嘗 時 年 齢 を 46-99,<f 笠e
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f oJ 晉斗研究緒景暑更約せ ~oJ 衰 JoJ
二硫化炭素中毒症の歴史的考察︵ソウル
一八五 0年 代 に は 幾 人 か の 医 師 が C
S2曝露によって異常な神経性疾患ある
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]晉 斗 研 究 セ 1958年平日 1
9
7
3
年叫スl熊 本 大 學 ● 學 郷 軸 鰹 精 騎 科 哀 熊 本 保
表5年前にも中毒例もありこれは工場側
可能性 01~t:te 鮎三強胃さぼl t
:
}
.
アメリカにおいての 具体例は、一八九
霧嘱障碍斗 l
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]会 せ 症 欣 o
]叫 セ 運 由 叶 A
l t:}~ 病名 ~~CSz 中毒息看 7} 麒鯵濯
いは精神病患者になったことを観察して
毛 17 名斗症例暑 1974 年叶輯告叶 ~Al 曝露 7} 中鰤毛引症欣 of 道行毛 t:};,j 斗
の保安行為のため情報としては公表され
其螢中村.厭田そを 1
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4年 前 叶 輯 告 毛 息 例 暑 包 含 a
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l同 一 工 湯o
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f 襄見
二年、ニューヨーク大学医学部のピーター
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息 例 輯 告 叶 依 叶 ● 露 国 注t
t
~->!'·ゞ~I;"'•
、こ o
し
~.d!7 f
!
記述によると 一八五六年にデルペ ッヘ
(Delpech) による二十四例の C S2中毒
患者の報告があり、動物実験でも証明さ
れている 。 一八五六年には C S2による
4
3
神経症患者八0名の報告などと続く 。
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•.
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J晉 そ
を 工 場 叶A 操稟'
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Y晉 旦 "
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5例 セ 入 院 . 2 例セ外末せ c:t~c:t.
01.劉
16名 斗 男 子 斗 1
名斗女子豆毛
1
5名 o
J1
972年叫スl産 災 判 定 量 世 吐 叶
そ の 後 英 国 の ブ ル ー ス (Bruce、一
八八四年︶とフォアマン (Foreman、
S.
2.
94
長期問叶ぶ~:.::t-.A/J'
榊 厚 号o
f 依吋 CS2 鵬 血 管 病 症 oJせ
~Ol7t 欝童噌キ ~tt~
一八八六年︶は C S2
慢性中毒例を報告
9セ 血 管 慶 化 斗 多 馨 せ せ な 咽 せ
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している 。 ド イ ツ の ロ ウ デ ン ハ イ マ ー
哀
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暑叫を長せ印象 oJ 注 ~4
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~~i::te 瞬明 oJ
e オ斗
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(Laudenheimer) は 一八 九 九 年 ゴ ム 硬
化工場においての精神病者の五0名の中
毒例を報告 。 一九0 0年代はじめに英国
での中毒例はゴム硬化作業での集団発生
1
0
が多いが、やがて終結にむかい 一九 ︱
︱
年までは散発的に報告されている 。 これ
と叶企業偏斗研究者傭
欣.,
危重せ騨鯉精騎庫碍フ}襲生
-</~
計q
らを深刻な問題としてに取り扱ったのは
一九 三0年代になってからである 。 ラン
クレテイ (Rancletti、
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ッ。~c;••
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資料編
ミルトン等の急性 CS2中 毒 例 や 、 日 本
ていないという。その後一九︱四年のハ
精神神経障害が発生し問題となりはじめ
年限︵職歴︶が長期化した人の中で重い
印象を与えたが、勤労者が高齢化し勤労
N U ..,.
最初の C S2中 毒 報 告 は 三 宅 に よ り 一 九
皐
尋 .
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. .皐
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鴫
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尋
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叫
平
鴫
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た。長期間微量 CS2曝 露 に よ っ て 血 管
書
.
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c
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.尋
鼻
.
.
.
.
.
.
.
.
'7鑑 鋼 叫 彎 ● 的 ` ● 稟 的 . . . . .
二七年に行なわれ、この間、第二次世界
変化など多様な障害を誘発した。
一九六七年立津、神原によって脳血管
疾病患者例の報告を確認、その後中村、
大戦後から開発途上国へ C S2工場の拡
また C S2対 策 へ の 変 遷 に つ い て も
原田らは一九七四年、前記症状を含む同
散がおこなわれている事実をあげている。
﹁業界では、幾度か変遷過程を経て、多分
一工場において十七名の症例を報告、こ
る﹂とした。また﹁循環障害症状を理由
野の専門研究者らは共同で対策案を研究
件の改善を行ない、保護具使用、勤労者
とする病名で、慢性二硫化炭素中毒症患
の中で﹁曝露が中断しても症状は進行す
を交代制にするなどして、 CS2曝露を
者が誤診される可能性がある点を強調し
し
、 C S2
発生を積極的に抑制し換気条
短縮し、その結果、急性あるいは亜急性
この研究は一九五八年から一九七三年
ている﹂。
毒の多様な症状が出現しはじめた。たと
まで熊本大学医学部神経精神科と熊本保
中毒例の発生は減少し、代わって慢性中
えば多発神経炎、神経衰弱状態、軽症は
養院の合同調査研究で二硫化炭素中毒症
と考えられる十七症例についての報告で
CSa 中 事
不全型中毒、頭痛、倦怠感、記憶力低下、
ある。十五例は入院し、 2例は外来で診
*
不眠症、喘息、中枢神経学的状態、腎症、
高血圧症、特異性症状などなどが現われ
B
•
ている。このうち十五名は一九七二年ま
で労災認定されている。表に詳しい⋮、
など国外の論文を詳細にあげ思索されて
3
ることになる﹂と慢性型への移行を指摘
している。
いる。
彎
一九六0年代の八代の﹁慢性二硫化炭
素中毒症﹂の例に至ると⋮⋮。
一九六0年代中毒問題は終止符をうった
.
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1
1
1
1
1
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1
1
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1
1
1
資料編
最後の検診結果のまとめでは韓国での
ばらしいまとめとなっている。
策、予防への提言がなされているなどす
人権意識と結びついているような気がする
蛍光眼底検査での年齢標準化異常率(% )
*異常:微細動脈瘤が存在
CS2 による労働者の
*異常:伝導速度異常
(編者注 ~この章では
神 経 伝導 速 度 検 査 上 年 齢 標 準 化 異 常 率 (% )
二硫化炭素中毒症の形を作り上げ、具体
編注 *対象群に比べCふ曝露群は圧倒的に異常が高く、多発脳梗塞が診断
基準に入るのも頷ける
が、こうなると次の広がりは、第三世界へ
*異常:小虚血または小梗塞
被害は、 CS2発 見 の 地 ヨ ー ロ ッ パ か ら 、 ア
smallischemiaori
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n (p<0.05)
と考えるのが常識かもしれない
︶
。
なお調査結果の一部をここに掲載する。
編者注 こ労 働 者 の 置 か れ た 状 況 を 詳 細 に 検
討されていて、まだ CS2患 者 が 公 に な っ て
いない多くの日本のレーヨン工場に働く労
働者にこの論文が日本語訳で読まれること
を切望する。間違いのない全文訳が出るに
違いない。それに期待している。
② 韓国での C S2認定まで
源進レーヨンでは、日本の東洋レーヨ
ンの 中古機械を一九六四年に購入し据え
付けた。
そのころ、日本から運んできた機械を
据え付けに来たという日本人技術者と一
緒に酒を飲んだ際に﹁将来、きっとおお
きな問題がおこる﹂とつぶやいたという。
それでも韓国側の技術者はそれが何のこ
とか気にとめずにいた。その後労働者が
一人、二人と倒れていき、遥か二十年も
4
5
女(
5
)
0
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0
2
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) 女(
1
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) 男(
4
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検査項目
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) 女(
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) 男(
神経伝導速度
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対象群
低曝露群
高曝露群
対象群
低曝露群
高曝露群
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低曝露群
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)
検査項目
異常率
対象群
メリカヘわたり、日本へ、それから韓国へ
と拡大していく様相が非常にわかりやすい 。
脳 核 磁 気 共 鳴 断 層 撮 影 の 年 齢 標 準 化 異 常 率 (%)
資料編
1
1
1
1
1
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1
1
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1
1
'
経てやっと CS2が 原 因 物 質 で あ る こ と
職業病ということで騒ぎだしたのはさ
たために﹁日本から持ってきたこの機械
るにも拘らず情報が全く知らされなかっ
硫化炭素中毒症が職業病だと認定してい
日本では一九六四年八代ではじめてニ
疑い、韓国全土に知れ渡る﹁職業病闘争
多発している病気も職業病ではないかと
た事件である。これがきっかけで源進で
の少年労働者が水銀を扱う工場で死亡し
MyonMoon) と い う 十 五 歳
ン(
Song,
らにこの後の一九八八年ムン.ソンミョ
は使ってはいけない。捨ててしまえ﹂と
たかまり﹂と発展した。
が分かった。
いう対策を韓国側でとることが出来なかっ
発生工程に蓋がされていなかったという
八 代 興 国 人 絹 と 源 進 の 違 い は ﹁ CS2
点﹂が症状発生期間の短縮につながって
たのだ。
︵九三年十月の訪問時、当時を知る生存
いるのではないだろうか。
九三年二月の予備調査で集まって頂い
者が韓国側で一名生存しているはずだと
一九九一年のことであるが一年勤務し
た被災者十数人に等級について聞いてみ
関係者は答えているが聞き取りは出来な
た労働者でも症状が出た人もある。紡糸
かった︶
一九八一年、韓国で最初の二硫化炭素
た。ほとんどが八から十一等級であった。
以前には現場で CS2を 吸 っ て 倒 れ 死
﹁等級に不満か?﹂と問うと﹁勿論不
︵糸つむぎ︶工程を担当していて現在は
医師︶で日本に留学し、職業病である頚
亡した急性中毒例もある。倒れた仲間を
満である。 CS2患 者 と し て 今 は 皆 が 納
初代源進被災者家族会の会長は十一等級、
肩腕症にたまたま関係していたため職業
助けにいって三人連続で死亡したり、糸
得出来るような基準が整っていない。医
中毒症を発見した医師は国立医療院の医
病だと︵確信はさほどなかったようだが︶
をまくパックが絡みスパークで爆発事故
学的というより外見上重かったら四等級
認定されている。
診断したのが輯国における CS2を 原 因
を お こ す こ と も あ る 。 ま た 平 均 5 ppm
加減さである﹂と大きな不満が渦巻いて
師︵労働者側というよりむしろ政府側の
物質と判断した最初のことである。しか
以下では発病しないとなっているが、 C
S2は重いため長時間低姿勢の状態では
いる。
であり、軽く見えたら十等級といういい
現会長は五等級である。
降この職業病をずっと会社も政府も隠ペ
それも満足な解答でない。
しこれは本人以外知らされなかった。以
いしてきたのである。
4
6
どの工程での認定者が多いか比較表を説
明する P先生 (93年 2月
)
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
'
資料編
なお CS2認 定 と 障 害 等 級 の 関 係 は 全
く別個である。
この件で弁護士に聴取した。︵詳細は 2
章②に登場する︶
CS2の等級を決定するものは会社側
でありこれは日本の制度と異なる︵日本
では行政が等級を決定し保険から費用が
でる︶。現在の補償は会社︵源進︶と被
害者の協定に沿って行われている。一般
的には国家が職業病と認定して保険支払
をおこない、その額が不足していると思
うとき民事訴訟を起こしている。
源進レーヨンの場合だけ例外的に行政
的に行政訴訟をしないで﹁会社と被害者
塁」
悶具国
ノで共日
で製日産の
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質問する寺前鴫•=22 日、衆院決
算委員会
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寺内 な労来進こ
程 な 化 Iら ン き 東 進
呻生
しでど炭ヨ操ト
曝露職場の勤労者においての健康管理に
一、臨床的神経学的診察
血清サイロ
二、筋電図、特に数箇所の神経に対し
ては伝導速度検査
三、診断による付加検診
①心理的検査
②少なくとも年一回
以下の検診項目を推奨している。
Ii 乳崖 !t ヽ日 i 厄屠: ~I 息!!;
る さ 六 /1~ 皮 が 炭 す 酸 原 始 て レ ン
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く蒻乱
醤
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亥閣
閃
重
朝鮮の出来事が日本の国
会で追及された
4
7
南朝鮮で大量CS2中毒
で
H本のプラントが原因か
民事等級を争う裁判では、法院は裁判
の協定﹂に沿って行われている。これに
単純判定 (CS2中 毒 か 否 か ︶ と 等 級 判
所が指定した医師が決定している。労働
関しては賠償額は最高のレベルであり、
定 (-I十四級︶があり現在王に等級決
会社相手に民事訴訟を起こすことになる。
部︵労働省︶では医療費、休業補償など
束が守られていないで、労働部︵労働省︶
世界保健機構 (WHo) の専門委員会
定に対する不満が多い。
サイドの医師が判定するのが最近一般的
では慢性二硫化炭素での影響で早期に出
を決定しているが、一般的には労働部、
になっている。これらに対しても労働側
現するものの要因を考慮して、 CS2の
これらの等級判定も一九九一年より約
は不満をもち行政訴訟に踏み切っている。
命
硫たは
化レ南
歪
農
衆院決算委
寺前議員追及
たお素所にとキ防界シ準
施
°こ に 見 つ し 偉 毒 ‘ ユ 局 こ な
なつがいま
マ事プ長れど
ついみてしすス業ルはにナ
ててらはた歪ク所方‘た乗
いのれ ~0
もに式換いめ
く定れ退まう国指の気しま
←饗期ば職た指の導導に‘し
と健‘時‘導検す入つ石た
の康二に健す定るをい岡°
ペ診硫ー康るのこ関て労
ま断化定診こもと係プ働
しを炭の断との‘業ツ甚
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
資料編
P96表 60による)
1
2
3
FA(+)
FA ( 一 ) 眼 底 検 査 で 十
FA ( ? ) 眼 底 検 査 で +
4
眼底検査で+
1
.
0
0
.
5
0
.
5
0
.
5
FA(+):蛍 光 眼 底 検 査 に て 両 眼 中 一 眼 に 単 一 ま た は 多 発 微 細 動 脈 瘤 を 認 め た と き 。
眼 底 検 査 ( + )=fundoscopy(+):両 眼 中 一 眼 に 異 常 ( 微 細 動 脈 瘤 ) を 認 め た と き 。
従症状
1) 腎 臓 障 害
尿検査にて
i
替血廿 異 常 尿 蛋 白 廿 1
.
0
・男子
女 子 女 子 で は 月 経 終 了 後 1週 間 を 経 過 の こ と
血清検査
(労働部職業病注意限界
選別限界適用)
B UN>25 ま た は ク リ ア チ ニ ン >2.0
B UN20-25 ま た は ク リ ア チ ニ ン 1
.
7
2
.
0
1
.
0
0
.
5
2) 肝 臓 障 害
肝機能検査
1
.
0
S G OT50以 上 S G PTSO以 上
3) 造 血 系 障 害
血色素贅、 W B C、 血 小 板 の う ち ( 異 常 値 ) が 2個
0
.
5
以上あるものを障害ありとする 。
労働部選別限界(男 1
2.
0未 満 、 女 1
0
.
5未 満 )
労働部 注意限界(男 1
2
.
0以 上 1
3
.
0未 満 、 女 1
0
.
5以 上 1
2
.
0未満)
4) 感 牝 神 経 性 難 聴
純音聴力検査
(労働部職業病認定基準)
*3000HZ以 上 で 50dB以 上 は 聴 力 損 失 が あ る が 、 4分 法 に お い て
40dB以 上 の 聴 力 損 失 を 示 し た 場 合 に は 異 な る 原 因 と す る 。 0.
5
心 筋 梗塞
注)最後の数字は症状の点数化である 。
4
8
05
1O
5) 血 管 障 害 に 起 因 す る 心 臓 障 害
マスター・テスト(負荷試験)
E K Gに て : 陳 旧 性 心 筋 梗 塞 /
/それぞれの異常を点数とする 。
キシン測定
92年 現 在 (ソ ウ ル 大 学 大 学 院 疫 学 調 査 資 料
主症状
1) 中 枢 神 経 機 能 障 害
MRI ( 核 磁 気 共 鳴 断 陪 装 骰 ) 検 査 に て 判 別
1 脳血管の:小虚血または梗塞
1
.
0
2
:そ の 他 の 所 見
0
.
0
2) 多 発 性 末 梢 神 経 病 変 N C V ( 神 経 伝 甜 速 度 ) 検 査 に て 判 別
1
:明 確 で あ る
1
.
0
2
:疑 い あ り
0
.
5
3
:所 見 な し
0
.
0
3) 網 膜 病 変
一次 的 蛍光眼底検査所見を基準とし、眼底検査所見を反映させる 。
③血圧測定
④ 心電図
⑤眼底撮影
⑥曝露水準/血清脂
質検査
⑦必要時に脳波検査
これらの検査は入職前に
ておこない。個人の基準値
を押さえておき、早期に異
常を発見するために定期的
に実施すること。これによっ
てCS2曝 露 の 関 連 が 示 唆
される。後略︵ソウル大学
大学院保健学科疫学調査
p26、 2
7より︶
これまでの日韓の慢性二
硫化炭素の経過において、
職場を退職してのちにも
﹁症状は進行する﹂という
ことが結論づけれている。
このため、その後の継続し
た健康調査が必要とされて
いる。
韓 国 労 慟 部 に お け る C釦 職 業 病 労 災 認 定 基 準 / 項 目 別 逼 用 基 準
11
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
11
資料編
c
s,
中毒 に 一 家 の 主 人 が
-罹患する と家族ま で犠牲者となる
韓国の現状
二硫化炭素中毒症患者を
支えるもの
①︵韓国︶﹁労働者の健康と安全﹂研究所
B こ目的
この組織のめざすものは、労災事故と
職業病を根絶することである 。 我々は
﹁産業界が労働者の健康と安全を保障す
ることを築き上げてゆくよう﹂探求する。
我々は実際の労働現場を調査研究し、健
康に対し重大な危険にさらされることや、
それらを労働者自身の行動で健康を守る
ように助言すること︵啓蒙活動を行う︶ 。
これらすべての行動は、﹁労働者の生
命を守っていく﹂ことをめざしている 。
労 働 者 へ の 出 版 ・ 教 育 ・調査 ・︵
労
働災害︶啓蒙活動をおこなっている 。
執行委員会事務所には 4 つのセクショ
C[構成と会員
韓国での労働環境は非常に悪く、一日
ンがあり教育、広報、調査研究、相談活
A こ建設された課程は⋮ ⋮
に平均7人がこの環境で労働災害事故で
イ︶教育活動は実務知識︵職場環境改
動に分かれる。
それにも拘らず政府と雇用主は、工業
善、健康診断、工程利用有害物質
命を落としている。
化による国家残存と経済発展の名のもと
要因︶に関して専門家を対象とし
ロ︶広報活動は労働と健康という雑誌
に、このような劣悪な労働条件を無視し
改善せよという声が﹂まわりからあがり
を発行、スライド、各種パンフを
た教育をおこなう 。
はじめた 。 これらを基礎として一九八八
発行し出版事業をとおして労働災
てやってきた 。 それで﹁これらの悪行を
年に結成された 。
害、職業病の深刻さを知らせ、労
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資料編
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働組合の産業安全活動に活用出来
るように作成する 。
ハ︶調査研究については、作業環境、
工程での実態、労働者の健康状態
を明らかにする 。また労働者の健
康調査に関する法律制度を研究し
解決のための対応を提起するため
の研究などを行う 。
二︶相談活動は、労災職業病に関する
災害の認定、教育について相談活
動をおこなう 。
また九 一年源進レーヨン事件に対し、
本格的に労働者の労働災害、職業病の主
体的な解決意志を支援し、対策もおこなっ
ていく 。
以上の 4項目の具体的内容で活動して
いる 。
この組織は百人以上のメンバーにより
構成され医療人︵医師、看護婦、薬剤師、
韓医、理学療法士等︶、法律家、それに
労働カウンセラたちがいる。組織の常勤
は六名である 。
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資料編
九 一年の源進レーヨンとの関わりは……
いての思い二国宗直子に詳しい︶
その ︱つは九 一年韓国全土に職業病に
•
源進レーヨンでキム・ボンファンさん
対する警告を騒然と起こした当のキム・
にかかる訴訟で遺された夫人による提訴
の事件がおこったときから、ともかく連
最近の労働災害の特徴は……
である 。もう ︱つはコワンチョンヨン氏
ボンファン氏︵高血圧による脳出血死︶
一九九 二年政府は労働者の声を無視し
︵精神分裂病による自殺︶でこれも遺族
絡をとりながらやってきた 。
た労働法での政策をとってきた。それに
による提訴だ 。
•
対し不当なやり方を撤回せよと働きかけ
てきた 。例えば工場で指を切断しても労
キム・ボンファン氏の場合
にした 。このような政府のやり方に抗議
明確な死因が判明しなかった 。所見は冠
キム氏は死亡 4、5日後の剖検のため
•
し、やっと治療が受けられるようになっ
状動脈硬化による高血圧、腎糸球体の硬
5
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働災害としての治療を受けられないよう
た。︵同所発行リーフと九 三年 二月の予
化、もう ︱つは他の医師が生前診察した
人、会社推薦3人︶が問題について調査
普通、 6人の医師︵構成は労組推薦3
所見で手足のしびれ、 言語障害があった 。
備調査より︶
② CS2関連訴訟弁護士に聞く
﹁
C S2中毒と断定出来ず、他の原因によ
している 。が、会社側の医師は彼の場合
一九九 三年2月の予備調査で 二件の C
S2関連訴訟を抱える市民弁護士事務所
る死亡ではないか﹂という意見を出した 。
料が不足していたが、はっきり C S2に
の若手弁護士︵中心は金漢柱弁護士︶に
C S2に関しては 二 つの事件︵遺族補
曝露していることは証明された 。動脈硬
裁判の進行で C S2の結論を得るには資
償金支給請求否決処分取消︶を扱ってい
化や腎の異常は C S2によるとすること
聞いた 。
た。︵各分野の﹁ 二硫 化 炭 素 中 毒 ﹂ に つ
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資料編
減らして会社側は記録していた 。
が驚くべきことに正しい値の十分の 一に
であるがニ︱ I五
一 ppmとして、それ
0ppmが異常ラインといわれていたの
のであるが 。
てきた 。だがいずれ露呈することになる
この間政府は労働者の労災隠しをおこなっ
働者に対する配慮がま ったくみられず、
一九七0年に宗教界や保健界に労働者
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注意すべきことは、勤務から発病まで
の訴えがなされた 。それでいくらか救済
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の件、もうひとつは精神に異常をきたし
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とは﹁国民的呼びかけでお金を出し合 っ
て救済機関を作ることであった 。
八六年 三月設立した準備機関では当時
のお金で数千万円の資金でクリニックを
作ろうということになった 。 この資金は
一部の篤志家ではなく、この付近の住民
が出資し公的法人でやろうということに
な った。そこでは理事会の下に運営委員
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また今回訪問中の十月十 三日、キムボ
ワン氏の上告己最高裁でも勝訴が確定し
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④医療機関紹介
九老医院︵訪問九 三年 二月十九日︶
▼九老医院のなりたち
会をつくり運営にあたるということであ
る。そのような背景で設立されたのが九
韓国は一九六0年経済成長の目的を掲
げて輸出︵国の金儲け︶に力点をおき、
この所在地は ︱
二 0 0万人いるソウル
老医院である 。
考えなかった 。それゆえ無理矢理の生産
市の漢河を渡 った東南部分に位置し、戦
労働者の健康や労働災害での補償問題を
と成果のみの追求を全面に押し出して労
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労慟法改正と源人特別法の促進のための行動が連日行なわれている(ウォンジン新聞より)
5
3
④
資料編
1
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1
康﹂研究所で四年間代表をつとめた 。 現
をもつようになった 。以前は﹁労働と健
一九八六年より﹁職業病問題﹂に関心
九 三年 二月十九日 ︶
梁医師に聞く ︵
▼聖水︵サンス ︶病院
を背負っている 。
診療所ながら付近の労働者や住民の期待
前よりの工業地帯でもあ った。小規模の
いた 。
﹂
た大多数の人が神経痛だと診断をされて
めは脳梅毒ではないかと疑っていた 。ま
正確なところであろう 。そのため、はじ
S2が 漏 れ る 職 場 と 判 明 し た と い う の が
に も か か わ ら ず 、 何 か の き っか け で C
内科医師が原因が分からないとしている
は、まさに偶然といえるのではないか 。
かれたのである 。最初の認定のきっかけ
も職歴に合わせ国立医療院で診断書が書
をして結成した 。
は看病にきた家族などにアジテーション
S2問題が社会的に公にな った 。 この会
進レーヨン被害者家族会が結成され、 C
集団検診を行った 。 これがき っかけで源
四十五人と外部の 三人の合計四十八人の
梁
国宗~ 「その後の他の労働者への波及は」
八八年ソウルオリンピ ックが開催され
をするようになって今日に 至っ ている 。
この闘争の結果、診療機関を作り検診
﹁同年、彼等の周りの工程の労働者
在は職業病研究所と産業病の病院を作ろ
国宗~ 「源進レーヨンとの関わりはいつ
i
うと努力している 。
国宗
﹁認定 一号患者、ホンヨンピュト
る国宗直子弁護士との 一問 一答である 。
以下は熊本で C S2訴訟に関わ ってい
相当詳しい医師である 。
の代表医師の 一人でもあり、源進問題に
外局長をしている 。認定委員会労働者側
あ った。その治療費の請求のため陳情書
た。症状は手足の麻痺と疼痛が主症状で
C S2曝露歴は十 二年か ら十 六 年 で あ っ
そのうち 二人は死亡した 。この四人とも
者が入院してきた 。四人は当時四十代で、
一九八八年五月、 二硫化炭素中毒症の患
梁
ルを持ってそれを政府に認めさせた 。
準を取り決めた 。その中で自分達でルー
なか った。それで六人の 医師が必要な基
時まで政府は 具体的救済基準を持 ってい
ちらの運動に好意をよせてくれた 。その
とで解決をみた 。当時ある国会議員はこ
けて政府への圧力とした 。そのようなこ
S2
被害者家族が妨 害 す る ぞ と 脅 し を か
たが、この聖火行進の時、この行進を C
氏について聞きたい﹂
を出した 。C T検査で脳動脈異常などの
その後会社側 三人、被害者側 三人の診
からか﹂
梁
所見があり、それで四人は C S2認定を
断で判定を行 ってきたのであるが、それ
人道王義実践 医師の 会 の企画局長と対
定されたが、他の労働者には知らされて
受け、これで会社は 一人六0 0万ウォン
が九 一年十 一月に発表された 一
C S2中
﹁その時の症状はどうだ ったか 。
﹂
﹁一九八 一年第 一号として最初に認
i
。
~ 「源進レーヨンと関係を持ったのは
いなか った。
﹂
︵ この金額は翌年分の治療
で合意した 。
毒の判定基準に反発 一して、同月には労
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国宗
費にしかな らない ︶
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った 偶然に
梁~「手足の麻痺などがあ
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資料編
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社斗叶.
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九老医院職業病対策室の職業病啓蒙パンフより
5
5
働者側の医師も判定会へ不参加となった﹂
2
中毒が一九八九年公式認定
国宗~「公式認定から今日まで治療方法
CS
は変わったか﹂
梁~「
となったというのは長い間のミスであっ
た。実際には一九八一年ということだ。
この間の治療というのは、その場しのぎ
で、頭痛や片頭痛︵片側疼痛︶などには、
鎮痛剤を飲ませていた。
最初述べた四人のうち一人は精神に異
常をきたし、一人はサジも握れず、大小
便も一人で出来なかった。それで精神状
態が不安定ですぐ怒り、家族たちを殴り
つけるなどの症状までいっていた。
あとの二人は精神的には安定していた
が、近い距離も歩くことが出来なかった。
それで鎮痛剤を投与していた。その後今
日まで二人の患者は通院されている。症
状は当時と比べると改善してきたが、両
足両手の疼痛は依然強い。﹂
﹂
国宗~「これからの認定基準はどうなる
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梁~ ﹁最新の認定基準諮問委員会の案で
ま
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1
資料編
を使用︶
う方針としたが、この中の腎糸球体硬化
の ︱つが認められるなら認定しようとい
硬化症、 3) ︵脳血管︶ / 脳 梗 塞 の う ち
であるから 1) 微細動脈瘤、 2) 糸球体
と組み合わせるのか﹂
国宗~「高血圧を認定基準とするには何
た
︶
十月訪問時 二八 二名と五四名も増えてい
︵実際 二月訪問時 ニニ 八名の認定患者が
るであろう 。
2) 末梢神経麻痺
は他の疾患でも出るため、これから追加
梁~「その組み合わせは多い 末梢神経
ないため、これは残された 。
産業保健協会では、﹁網膜の微細動脈
資料が認められない限り認定されないこ
炎、精神障 害 、大脳の梗塞ではない中枢
l) 多発性脳梗塞︵これは M R I
瘤、腎臓の糸球体硬化症、脳血管障害な
生検︶の検査は苦
とにな った。糸球体 ︵
神経障害、網膜微細動脈瘤でない視神経
S2中毒と認定することになった 。
この 二 つを基準としたもので、 C
ど単独で現れても C S2と 認 め よ ﹂ と 主
痛を与える検査であり、医療人としてこ
とである 。 一脳梗塞の八 0 % は 原 因 が 判
れたことがあるなら認定しようというこ
ると主張するが、しかし C S2に曝露さ
府側は網膜微細動脈瘤は糖尿病でも現れ
ならないのではないかとして闘った 。政
体硬化症のうち ︱つでも認定しなければ
になったのだが、網膜微細動脈瘤、糸球
梁~「九一年十 一月に韓国でもその基準
二%は原因不明であり、あやふやなもの
たのも発展である 。 だから高血圧の九
とである 。 加 え て い う な ら 高 血 圧 も C
S2の影響であるという認定の道を開い
でも認定しようということは画期的なこ
以上のように、このなかで 二 つを単独
によ って診断に 差異があるため、それ単
独では認める条件とならなか った。
また末梢神経を検査する機械と検査者
いう結論になる 。
めにも継続した疫学調査が必要であると
い症状については、今後明らかにするた
それで C S2の影 響 で あ る と 断 定 出 来 な
うのがある 。それから手足が痛い人の診
よ って高血圧になるのは 一般の 三倍とい
立 った。 この調査の中では C S2曝露に
これまで日本の認定基準が来るまでソ
。
張した 。
炎など、このような基準での組み合わせ
国宗~「日本では二 つ以上ないといけな
明する 。それ以外を C S2を 原 因 と し た
をC S2で も 認 め る と い う の は 大 き な 成
源進レーヨンではいい条件がそろ って
である 。
の主張をおろした 。また手足の神経症は、
それのみでは認められなか った。
ものとして認めよう 一と一昨日︵九 三年
果である 。 このような内容で政府より認
いた 。会社側の医師が断固として立上り
いのだが﹂
二月十八日のこと ︶ の諮問会で、それも
定基準が発表されるとこれから韓国では
基準を持 ってやろう 一という権限があ っ
一
断は M R Iで明らかにされている 。
ウル大学大学院保健学部の疫学調査が役
合意した 。
三、四0人が新しい認定患者と認められ
多発神経炎は四0%しか原因が判明し
5
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資料編
たから問題の前進が可能であった。もし
問が飛び興味がヴ
イジュアルな面に
国際的な交流に
権限がなかったなら、 CS2問 題 は 未 解
命努力しようとする弁護士と、その問題
は言葉の翻訳だけ
反映される事を感
に非常に詳しい専門部の裁判所では問題
では、文化背景も
決に終わったろうし、だからこれは弁護
はすぐ解決するのに似ている。そうでな
異なるため聞いた
じた。
ければ社会世論を作ったり、上級判断を
ものを想像で自国
士と裁判所の関係で例えれば、二生懸
待つなどしていたら、この問題は解決し
う。そこで文書や、
に当てはめてしま
﹁日本は後者だろう﹂
住の知人にお願いしてハングルで吹き込
日本から持ち寄ったスライドは熊本在
と被害者家族会での交流
元のシナリオは残
スライド係りの手
部が要求されたが、
をくれと労組の幹
0東 締 の ふ さ ん ・
9 9 9 9 9ヽ
l
+︱二年から二年をかけーヨンの入っているものの方が
の粗い変り織りVで、混紡率が
厖ね、最後に残ったものが^目
ふきんは大きさも大字で、い
0 ーセント、レーヨン 3
綿7
0.
^
ハ
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ーセントのものでした。
ろんな大きさのふきんを作っ
昭和一
て日束紡と﹁ふきん作り﹂の共やわらかく‘しかも丈夫で吸水
て
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O人の主婦に約半年間使っ
5センチの大きさで、これを
さ7
0センチ、長
が選んだものは幅4
ていただきました。この方たち
同研究をいたしました。性もわるくなさそうだ、という
0
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の お 招 き で 、 ア メ リ カ を 見 て ま そ こ で 私 ど も は 、 綿1
もとにして今の寸法をきめまし
私はその年にアメリカ国務省ことがわかりました 。
0、レーヨン 7
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カ の 家 庭 で 評 判 の い い ふ き ん は ー ヨ ン5
0、綿5
わ り ま し た 。 そ の と き 、 ア メ リ ン ト 、 綿7
0レーヨン3
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るとき、ケパがつかないように
さらに、 nップを拭いたりす
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o.ハーセントの 5菰の混
どれか知りたいと思い‘ワシンーヨン l
2種作りました。
な ど 六 都 市 の デ パ ー ト で よ く 売 り 方 の 布 地 を4
てから、火の中を通し、ケバ焼
するのも大事で、布で織り上っ
トン、ボストン、ニューヨーク紡率で、ふきんにむきそうな織
のを 1
7稼えらぴ‘これでそ
ました。
(S)
して、このふきんが売り出され
紡と暮しの手帖の共同研究品と
こうして昭和一二十五年、日東
きをいたしました。
れているふきんを買ってつぎつ次にこの中から水気をよく吸
ぎ日本に送っておきました 。 う も
帰って、その大丑のふきんをれぞれお皿を五十枚ずつ‘拭い
分析したところ‘ほとんどが‘ては洗い‘拭いては洗いして、
ました。した。
綿 に 、 レ ー ヨ ン が 混 紡 さ れ て い 最 後 ま で 丈 夫 だ っ た の が8菰で
使ってみると‘純綿より、レこうして、テストにテストを
5
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ないだろう。
国宗
話しに付け加えて
目で見えて同時に
う手法が大切であ
耳に聞こえるとい
八代と韓国のCS2被害
ることを学んだ。
んで頂いた。﹁徹夜した﹂という吹き替
念ながら日本語で
1枚 袋入 り
36叩Pl 送 料 175円
3枚 箱 入 り
lOOOPJ 送 料360円
6枚 箱 入 り
1900円 送 料 360円
お申し込みは郵便捩笞でご送金下さい。
者支援者の交流
さっそくこのス
えについては、視聴者こそ小数ながら、
の説明であった。
•十月十四日/工場の労組との交流のあ ライドのシナリオ
たいへんな反響を呼び、スライド中も質
● 定 価 (消費税込)
身近なレーヨン製品(「くらしの手帳」 9
3年 4
6号より)
••••
•••
資料編
I
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I
•十月十五日/昨日に続き源進被害者家
族会事務所にいく 。
この日は、帰国の日なので午前中の交
一人
流であるが結構内容の深い意見交流が出
来た 。
日韓の患者 ・支援者総数 二十名、
その後も倒れ、症状はひどい 。
•日本からの二人も自分で経過を紹介し
た
製 造 課 に 十 五 年 勤 務 /二 十
宮 部 二C S2
年間ビスコースを使う作業をしてきた 。
国側も訴えは類似している 。特に重症者
患者紹介が一通りされたが日本側も韓
もひどくなっている 。
雨の時、頭痛が特にひどい 。体のしびれ
十五年すぎてしびれが出現した 。現在、
それでガス中毒をおこした 。三 十四年間
は写真中央こソンノベイキョニス氏で奥
桑原 公云社に 三十五年間、勤務した 。十
ずつ自己紹介をおこなったのち双方から
さんが側にいつも付き添っているが、彼
五年目、組合が闘争時、民医連で健診し
5
8
勤務したが、入社 二十年すぎて頭痛、 ニ
女が代弁するには、源進の工場には、四
たとき平田宗男医師より﹁ C S2にやら
皆の視線がくいいるようにコルセ ット
9
3年 1
0月 1
5日、 日韓
の問答が始まった 。
年しか勤務しておらず、この間四回倒れ
れている﹂と診断された 。
れたが、コルセ ットは巻いている﹂とい
で杖が放せなかった 。今年は杖なしで来
倒れてしばらくは起きられず、昨年ま
ている 。特に記憶力が悪く、足、手の麻
痺が強く、食事も不自由である 。何年入
社かと聞かれても分からない 。
実際は 一九 七 八 年 入 社 で そ の 四 年 後
めに訪問、︵電車の? ︶ 切符をとろうと
に凝集される 。﹁そういえば杖をついて
いながら服を脱いで見せる 。
して 二時間ほど意識不明に陥 ったが、運
おられたな﹂と思ってか、昨秋の八代で
一 度目は親戚の葬式のた
に倒れている 。
ばれた病院で回復し、詳しい検査もうけ
のCS2シンポジウムに来られた源進レー
ヨン被害者の Pさんは頷いている 。
ずに同日帰宅してしまった 。
二度目はテレビ鑑賞中に倒れている 。
CS2
被災者交流会にて
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1
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1
資料編
桑原 ﹁認定をうけた人についての労災保
•年金制度 に ついて
いて知りたい/例えばリハビリのプログ
る医療をされているか、具体的内容につ
て頂きたい﹂という切実な要求が出され
来れば早急に治療報告書を FA Xで送っ
する情報の交換を行なっていきたい 。出
鎖され、その跡地は 1 4万坪の土地を土
なお源進レーヨンでは、現在工場は閉
ている 。
ラム/成果などを是非送 ってほしい 。
障はあるのか﹂
八代C S2に関しては 三十 八 名 の 中 で
民医連での成果、レポートなどの資料が
源進 ﹁日本でいう厚生年金のような年金
制度は作られて数年しかたっていない﹂
あれば是非手に入れたい 。
C S2性の高血圧症の治療に関しても、
p教授 ﹁私立学校での年金制度は出来て
いるが、政府のやる国民年金については
韓国 側 で手に入れにくい薬剤もある 。
ろうとしている 。 これに対し労 働者
、 C
S2被災者は、この中の 5万坪の土地に
地ブ ロー カに任 せ てアパ ート や団 地を作
まだ不十分で、正確にいうなら医療保健
しか出来ていない 。
﹂
それらのデータを、韓国で手に入るもの
︵二硫化炭素中毒症の ︶職 業 病 専 門 病 院
かなりな具体例を手に入れたい 。
桑原 ﹁日本では労災と厚生年金の 2本建
で近いものがあるか検討したいのだろう
を作れと要求している 。
公聴会資料集﹁源進レーヨン職業病問
◎現在政府への提案している内容
﹁この旅に来るまでは、この問題から
題と雇用安定のための解決策提 言 は無茶
•岡田聖団長結語
てになっている﹂
•病気症状についての意見交換
手を引いてしまおうかと思ったが、考え
な の か ? ﹂ ︵ 源 進 レ ー ヨンのすべての
源進 ﹁頭から音がするような感じです﹂
直して、もう一度 CS2を 世 界 に も 広 げ
宮部 ﹁人に会うのが億劫です 。
源進 ﹁同じです﹂
問題の正しい解決のための対策協議会発
行 より︶次頁の表にあり 。
ることを考えさせられた﹂ 。
求
•源進労組&患者家族会の訪問団への要
同時に﹁ほとんどの患者が眠れない﹂
源進 ﹁
C S2の み を 扱 う 病 院 は 日 本 に あ
るのか﹂
日本 ﹁労災病院はあるが、 C S2のみの
﹁今会社はなくな ったが源進の労働組
したい 。 こちらの情報も送り続けるので 、
病院は無い﹂
•日本への要求
今後日本との 二硫化炭素中毒症治療に関
合は財団法人のような性格をもって継続
源進 ﹁日本ではどのような C S2に対す
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資料編
(
単位WON:円の約 1
/7)
源進問題を解決するための基金について
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,
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0
0
特別基金疫学調査費用
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0
0
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0
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専門病院関連
病院は総合病院クラス
専門病院運営費
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0X3,000名 X30年
銀行利子の充当 2
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臨時健康診断費用 (
3
0年分)
民事補償金( 一 人平均 5
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0X7
5
0人)
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0,
0
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0
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0
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5
,
0
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,
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0
0
,
0
0
0
合計 6
O専門病院規模など
1案 :病 院 規 模
医 師 数 5- 7 (診療科)
診療数
病床
5
0人
1日 2
8
0床
総予算
3
,
5
0
0
,
0
0
0,
000W
総予算
5
,
9
0
0
,
0
0
0
,
0
0
0
W
2案:同(総合病院クラス)
医 師 数1
0-15
診療数
1日 250人
病床数
1
0
0床
この病院での治療プログラムについて
日本からの情報が欲しいということであ
り、病院建設の中実に具体的に盛り込ま
6
0
れる可能性あり 。
対策協議会側の示す障害等級の保償額一覧 1級 1億
ウォンから 1
4級 1千万ウォンまで (
1
4
2
8
.
5万 円 か ら
1
4
2
.
8万円)
リハビリ手法や 二硫化炭素中毒症に有
ス116丑 65, 384,616せス1ll3~16,923,078せ
刈7
廿5
8
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6
1
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5
3
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母 I
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0
0
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0
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効な︵治療経過︶論文などあれば送って
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ほしい 。 ︵もしございましたら、熊本 A
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A L A事務局までお知らせください︶
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試 吟o
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資料編
•源進レ
ー
ヨンとは
源進レーヨンは 一九五九年︵昭和 三十
この間
四年︶興斡化繊株式会社として韓国唯 一
の人絹糸製造工場として発足 。
財源不足、オイルショック、経営未熟
硫化炭素中毒症認定者を出し 一九九 三年
付した 。
八、九月に公募 ︵
オークション︶入札に
い有力会社も手を引いていった︶
ファン闘争など労働争議が拡大するに従
意契約を行った 。 ︵しかし *キム ・ボン
が流れ、業界の実力ある会社と昨秋に随
その時八月十 二、二十 二日二度の入札
七月十日に工場閉鎖という経過をたどる 。
とな っている 。
︵参考ソウル大学保健大学院疫学調査
資料を参考にした 。︶
•工場閉鎖課程と現在の要求
工場閉鎖のきっかけは九 三年 四 月 三十
などによって経営難に陥り、政府は、経
三年前より売却問題が本格 化 したが払
の見解だ 。四回目の火事では労組員が火
営管理者の交代を行なわせた 。
一 九七六
傷を負った 。あの当時は委員長 一人で我々
日から五月九日の十日間に四件の火事が
九0年に第 一次 不 況 、 こ の 頃 繊 維 業
の要求を聞いてくれとハンガ ーストライ
い下げのとき国会議員 ‘銀行、経済界を
て運営されてきた 。
一 九八 一年 七 月 職
界の大手引き受けを検討、翌年九 一年 一
キをしていた、その最中に火事が起こ っ
年闊源進レーヨンとなり 一九七九年五月
業病判定がなされた 。 一九八八年からの
月五日キムボンファン氏の死去に伴う
た 。 それで五月九日の最後の火事では
工場内より出た 。 この原因は不明である。
労働運動の高揚と相まって、源進レーヨ
争議が発生、 三、四、五月と闘争は続き
﹁
C S2中毒症もだが火災に対する安全対
巻き込む大きな疑獄事件が起こり売却で
ン勤労者による職業病として療養申請が
このため︵引き受けについて︶経営問題
で手が出なくな った。その後九0年七月
策をせよ﹂と申し入れた 。
に不渡りを発生 。 このため産業銀行の指
側も妥協し 一九九 一年政府へ陳情書を提
に立てた売却計画を翌九 一年九月に白紙
すると 1週間後休業方針が出された 。
放火ではなく施設の老巧化に伴う火事と
出し、国会の真相究明調査団に職業病実
に戻した 。それで産業銀行の直接の方針
政府の経済担当主席が閉鎖という方針を
きなくなった 。
態調査を行なうようにした 。
一 九九 一年
で:他の会社が引き受けることに条件を
検討し決定してしまったのである 。
定管理下に移行され、数名の社長によっ
現 在 数 名 の 死 亡 者 を 含 め て 一四九名を
付加した 。
労者は 一九九 一年十 一月 ︱
︱ 五0名へと
︱
年以内に施設導入を行い C S2中 毒 を︱
出
その内容は﹁条件 三五四億ウォン/
り産業銀行や政党にいき訴えた 。しかし
は、対政府行動をはじめ、翌六月九日よ
多 数 続 出 。 被災者、労組の要求に会社
職業病と認定 一九八 三年 一七四五名の勤
減少、その後、ソウル大学の疫学調査に
さないように改善すること﹂として昨年
それで六月八日に閉鎖を聞いた労働者
よる独自の認定墓準作成により多数の 二
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1I
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資料編
それぞれが責任逃れをして回答を避けて
いる 。
七月十日には会社の﹁廃止広告﹂を新
聞に出した 。 この廃止広告の前六月 二十
日に従業員労組、元従業員‘患者など 一
体になって非常対策委員会を作ったとい
うのが経過である 。
現在解雇された職員の雇用問題と職業
病救済︵病院設立など︶要求で行動をく
6
2
んでいる 。
源 追 判0
1品 株 式 會 社
訪問時ミョンドンで開催予定の集会の
準備でたいへんだと労組員が話していた
が 結 局 そ の 十 月 二十 三日の﹁源進問題
解決要求集会﹂では五十五人の労働者が
検束され、何人か氏名手配されていると
いうニュ ー スが飛びこんできた 。
操業停止した源進。工場を取材中のルポライター・北岡秀郎氏
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資料編
されているものもある 。
今、工場では換気条件や基準 (10p
pm) を下げているため初期の急性中毒
たH2
s ︵硫化水素
︶ も同時に存在する 。
て多くの労働者が現場で倒れている 。ま
スに残留し気化して工場内に充満、かつ
した企業、 C S2 回収装置のない企業が
︵十六工場︶この中には企業秘密と回答
各企業に対し行った調査の資料がある 。
日本で C S2を使用しているといわれる
朝日新聞熊本支局が 一九八 三年十月に
の労働者
② モルモットにされたある企業
一九六四年八
この製造過程にある C S2
液がビスコー
代で初めて職業病として認められた慢性
この調査時点で半数以上にものぼってい
る。
現在の日本のレーヨン エ
場においては
微 塁C S2
曝露による中 毒 症についての
旭 化 成の場合玉晒査の時点でレーヨン
ダー液に浸し C S2 ︵
二 硫化炭素︶液と
レーヨンの製法はバルプをカセイソー
で現在十 一あり規模は急速に減少の傾向
がレーヨンであり、この製造工場は日本
うに源進に中古機械を輸出したとされる
ないのは何故だろうか 。 ルポでもあるよ
二人の認定者がいるのに比べて大幅に少
ても六十人、源進レーヨン 1工場で 二八
定者のいる工場はわずか 3工場、あわせ
し か し 先 に あ げ た 工 場 の う ち C S2認
このように生産行程、規模もあまりか
当時ここでは認定者が続出 。
が直接 C S2 に関わる職場で働いていた 。
ニ八t、従業員八 三七人のなかで四四人
を月 三OOOt、一日の C S2使用料は
の興人八代の製品はレーヨンステーブル
用量は 二O t、従業員九 二0人のうち七
0人が C S2 関連工場で働く、 一方当時
① レーヨン工場での C S2の発生
︵全国では
ごくわれわれの身の回りにある繊維の
問題が 三十年前よりクローズアップされ
反応させ、ドロドロに溶解した状態のビ
東洋レーヨンでは C S2認 定 は ゼ ロ で あ
る。同じ機械を使 ってこのような結果に
わらないのに片方に 一人もいないのは不
のような症状はなくなり、
うち、自然の綿などからとれる繊維と別
スコースを微小なノズルから吹き出させ
何故なるのだろうか 。もしかしたら日本
思議である 。平田宗男医師の 当時の述懐
一日七 O tを製造、 C S2使
ている 。 ・
れを集めよりあわせて 一本の糸とする 。
人はよ っぽど強靭な肉体をも っているの
のなかでも、宮崎での精神病様患者の存
糸を製造、
に化学的人工的に製造されるものの代表
ノズルのかわり小さな隙間を通すとセロ
だろうか 。きっと﹁無いことにしよう﹂
在を感じておられた 。また幾人かの宮崎
て、希硫酸を通過させて凝固させる 。 こ
にある 。
ファン紙が出来る 。
と隠ぺいされているに違いない 。
油こしなどもレーヨン 一0 0%と表示
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資料編
の開業医も知人に漏らしている。
ほんとうに二硫化炭素中毒患者はいな
いのであろうか。
192ぢ
もし知ら
庫から潤へと
•
は
9
心X
事1300E
定9
1
3
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P
l
――
矢吹紀人 ~
-
1$9114-8?66&-056-6 C0095
九 三 年 十 月 ︵ 行 政 訴 訟 ︶ 八 代 CS2訴
”.基剛U甘賓によるU“災認
俸りよられてい2そあろう
ニ“化広素ダ人を噸わせ絨け
会礼が反年にわな,て労圃令たちに
鍵康を誓ィ‘"た**の出町であっな
U しつづけてきた
#nガスと知りながら
大企稟ユニチカ心
いいようがない o
大企業ユニチカが
ロしつづけた職業
病を告発する闘ぃ
企哀氾耳をしか
これはもはや
いのちへの証言
矢吹紀人
紐 “ 饂 帽 濾
如 只 劃 加l
!
l
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!
J
U
匹輯●
訟を傍聴した、その時被告側の参考人は
日本での CS2中 毒 研 究 の 権 威 、 元 大 阪
大学教授G氏、いろいろな論文について
原告側弁護士との間で詳細なやりとりが
あったが、ある論文の研究対象はどこか
と聞かれ宮崎﹁旭化成﹂であると明白に
述べている。
CS2患 者 は い な い は ず な の に 二 硫 化
炭素中毒症の病像を研究しているのであ
る。おかしなことである。ここでは原爆
の治療といつわって原爆の効果を医学的
にサンプルを集めたあの ABCC ︵研究︶
と同様、旭化成の労働者は治療や救済と
はほど遠いモルモットにされているので
はなかろうか。
③ユニチカ宇治工場の場合
﹁いのちの証言﹂︿大企業ユニチカが
隠し続けた職業病を告発する闘い﹀発行、
6
4
化● I¥ンドブック I
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I年廠
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l菖●
7ジポゥ I
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全園のレーヨン工場
9イワヽ?レー.
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労災認定者数
●8璽縞
1
4人
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
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資料編
合の問題﹂など今のレーヨン工場全体に
こと﹁職制の圧力﹂と﹁闘わない労働組
労災職業病をおおい隠そうとしていた 。
﹂
中央病院での医師の対応などが積極的に
いない﹂﹁会社病院こ︶こではユニチカ
が 二硫化炭素中毒症について知らされて
中でも述べられているが﹁現場の労働者
症認定闘争の具体的な記録がある 。 この
のユニチカ宇治工場での 二硫化炭素中毒
吹紀人︶一九八八年8月初版こには京都
京都労災職業病対策連絡会議︵著者矢
のだ、と記されている 。
二硫化炭素中毒症はまさに隠されていた
というくだりがある 。会社は知っていた。
ることを知っとったというわけや⋮⋮﹂
ずっと前から 二硫化炭素ガスで中毒にな
の図書館にあるということは⋮⋮会社は
前まで載っていたという 。 ﹁これが会社
典というべき文献にユニチカの人間の名
化学協会︶﹂この 二硫 化 炭 素 中 毒 症 の 原
ン 工 業 の 労 働 衛 生 (-九五四年日本繊維
この本 (p40) に﹁ビスコースレイヨ
④二硫化炭素中毒症の救済には
周りの協力な支援が必要
6
5
共通している。一九八 二年十 二月、当時
熊本県民医連の岡田聖部長︵職業病担当︶
が全国のレーヨン工場に症例は必ずある
はずだとレーヨン工場所在地の民医連に
られ、体が動かず、口もきけないという
二硫化炭素中毒症では、ガスで脳をや
この時﹁ 二硫化炭素中毒症の症状の患
症状がやたらと多い 。軽症でも﹁人に会
片っ端から電話を入れた 。
者はいないか﹂と京都民医連の上京病院
京都の場合、上京病院の吉中丈史医師
うのが億劫である﹂ということで、周り
も書かれている 。もし一本の電話がなかっ
らが 二硫化炭素中毒症の学習会講師で飛
に電話いれをしたのがきっかけとなって
たら依然 一人も 二硫化炭素中毒症はこの
び回ったりしながら、労災認定までの苦
の協力が絶対必要である 。
ユニチカ宇治工場には存在しなかったで
労は多かったようだ 。
源進レ,_ヨン
上京病院
吉中丈史医師
工場名
゜
(
似顔絵
)
ここの C S2
患者が発見されている経過
あろう 。まだわずか十年前のことだ 。
二硫化炭素中毒症認定数
最新
300
250
200
~150
100
50
1
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資料編
検査入院をした 。なぜなら健康保険組合
二人の患者について保険を一切使わずに
分抜粋﹀ 二硫化炭素中毒症の疑いのある
前記いのちへの証言 p54から以下部
︿
とった 。
︵一九八五年︶十月に 二人 の 認 定 を か ち
してあの熊本からの電話から 三年後の
監督署に対し 二名の労災認定を申請、そ
宇治の地に芽生えさせた闘いを日本中に
のいのちを守りたい 。私たちの願いを、
せてきた 。 タンポポの種よ、飛べ 。人間
して行動し、闘いという大きな花を咲か
はこんでいけ 。と
﹁あれほどひどいのに認定されないな
模に似合わずに導入されている 。吉中医
I ︵核磁気共鳴断層撮影装置︶が病院規
その後会社側も C S2ガ ス に よ る 労 災
部C Tスキャン撮影、蛍光眼底検査、腎
ら、どうせおれたちは無理だと思わせる
師は、これで撮った C S2患者の脳を、
を通して、会社に動きが漏れないように 。
機能検査、脳循環測定⋮⋮など 二硫化炭
ためだ﹂とあとに認定申請に続こうとす
﹁これは日本で初めて撮られた C S2にや
に三人を申請 。三 人の労働者のうち 一人
素中毒であることを判定するために必要
る出足をくじく手法と考察している 。 日
られた脳の M R I写真だろう﹂と脳血管
十月には熊本から樺島医師たちが来て
この闘いをバ ックア ップした上京病院
なあらゆる検査が実施され、結果は 二人
本企業社会のおぞましさをみるようだ 。
がやられ萎縮した脳や多発脳梗塞の写 真
が業務外とされた 。 それには政治的配慮
ともに微細血管瘤が認められ、また脳血
またユニチカは認定されても企業の責任
を普通の脳と比較しながら提示した 。患
熊本と宇治の運動を密にする懇談も行わ
管障害に基づくと思われる構音障害があ
をとらないため 1987年7月3日京都
者にと って有益でこのような何億とする
︵︱-三 床 ︶には 一九 八 七 年 最 新 の M R
り、ほぽ間違いなく 二硫化炭素中毒症と
地裁に 二硫化炭素ガス中毒への損害賠償
医療機器が高価であるにもかかわらず無
があ ったとしている 。
判定された 。と記され、それからは周り
請求が日本で初めて提訴されている 。
れた 。上京病院に入院しての検査は、頭
をどう組織し患者を守って職業病認定に
企業の枠を超えて支援にまわり、
輪も大きくなって多くの周りの労働者も
ス発行、守る会結成、などを経て支援の
た 。 そして小さな小さな芽を出した 。 一
6年前、タンポポの種は宇治に舞い降り
ポにな って宇治に飛んできた /
/熊本で開いた労災認定の闘いがタンポ
ヽこ o
し
t
そしてこの本の最後にはこう記されて
交流ツアーを大々的に組んで訪問し交流
一カ月後の十 一月中旬にソウルで C S2
対連 ︶ では﹁八代の患者源進訪問﹂より
被災者支援組織 ︵
京都職
ユニチカ C S2
せない現代の武器になるともいう 。 この
は、認定闘争や労働者の健康管理に欠か
理をしてでも、自力で持つということ
持 っていくかと模索が続いたようだ 。
四年京都職業病対策連絡会議が設立され、
人が一人を呼び、人々が集まった 。連帯
一九八
その後市民集会、労基署交渉、ニュー
一九八五年 一月 二十 三 旦昂都南労働基準
6
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資料編
している 。
これからタンポポの種は日本のレーヨ
ン工場にかぎらず世界中に飛んで根づく
ことだろう 。
②熊本では
① 平田医師の論文
一九 六 七 年 平 田 宗 男 医 師 の 研 究 論 文
判定には大学は慎重でありすぎる 。大学
は労働者の味方でも資本家の味方でもな
い、所詮中立だという考え方が支配的で
ある 。 この考え方は 、現代の権力者が資
杢盃階級だから、診断が困難な労災、職
業病では多くの場合労働者に不利な結果
となる 。 つまり正しい診断が妨げられる
ことになる 。
C S2中毒労災認定のたたかいの当初、
わたくしの中毒説は熊大でも問題にされ
うる症状は限られているのに、その症状
ず、わたしは動揺していた 。人体が現し
慢性 二硫化炭素中毒の 2症例﹂を発表/
をおこす原因はいろいろあるので、労働
6
7
﹁興国人絹八代工場における血管障害型
日本ではじめての血管障害型慢性 二硫化
場にたつ観点をしつかりも っていないと、
者階級の立場つまり弁償法的唯物論の立
﹁おわり﹂の項での民医連と平田宗男氏
会的側面が探求さるべき主要なものとな
激化した階級対立の現代では、むしろ社
物学的側面から探求することも大切だが、
代の具体的人間である 。疾病を人体の生
的な人間でなく、激化した階級対立の時
わたしたちが日常接する患者は、抽象
りえない 。
は ︱つであり、所詮中立ということはあ
正しい科学的診断はでき難くなる 。真理
力を求むべきであるが、労災、職業病の
には限界がある 。大学には出来るだけ協
でも階級闘争が激化している今日、大学
わたくしは心から感謝しているが、それ
室は C S2中毒問題に対し好意的であり、
公正な動きをしめした熊本大学精神科教
一
水俣病、 三井 三池 一酸 化 炭 素 中 毒 で
てみよう 。
の人となりが見られる記述部分を紹介し
炭素中毒患者を報告した 。 このなかの
「
興人八代の Cふ 患 者 発
掘と診療の変遷」
1
9
6
0年代には熊本保養
0年代にはくわみず
院 、8
病 院 、そして Cぶ 被 災 者
のた っての願い で9
1年 1
1
月2
8日地元八代 に中央ク
リニ ックとい う名称で開
院した 。
資料編
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
る。社会科学の階級性を否定する人はい
ないが、自然科学の一分野である医学の
階級性を否定する人は多い 。 これはおか
しい 。中世期にガリレオの地動説が、教
i
︱九八0 二 三 /四 二O │
原田正純、*樺島啓吉、大山繁、杉村謙、
•
津嘉山毅
四 二六、臨床脳波 。慢性 二硫化炭素中
② C S2に 関 す る 熊 本 県 民 主 医
療機関連合会と熊本大学の研究
毒 ︵ 血 管 障 害 型 ︶ の CT'Scanと 脳 波
論 。八代興人における慢性 二硫化炭素
・*樺島啓吉?七 一/ 一九八 二、七医学評
所見
以下は熊本県民医連、熊本大学、の C
論文発表 ﹀
︿
S2関連研究である 。
・*平田宗男は宍国人絹八代工場におけ
会からどんな仕打ちを受けたか思い浮か
べるといい 。時の支配階級は自分たちに
中毒症の現状
第 三五回九州精神神経
、 一九八 二、
一五
・*平田宗男;樺島啓吉;岡田聖 i-O I
就任記念論文集
症例~一九六七、十 一王丸勇名誉教授
る血管障害型慢性 二硫化炭素中毒の 2
都合のよい世界観を人民におしつけてく
るし、大衆はその影響を受ける 。
三井 三池の一酸化炭素中毒患者の症状
をどう把握するか、現在激しく論争され
学会︵熊本︶ 。慢性 二硫 化 炭 素 中 毒 症
の社会医学
i
六 一 ェ九ー ︱
一 、一九八 二、
原田正純、中村清史、立津政順、河
野浩介、津嘉山毅、*樺島啓吉、*平田宗
・*樺島啓吉
•
︱九七四、七六、 二四三
ているが、これは方法論の問題が具体的
に検討されているわけであり、わたしは
男二東家暁
i
精神神経科領域における医学の階級性の
ーニ七 三、精神神経学雑誌
慢性 二硫化炭素中毒の臨床的研究
i
ル視感度
そ の 他 研 究 業 績 集 ﹁ 芳 和 会 4 0年学
︵*印は民医連所属︶
学会 。慢性 二硫化炭素中毒のスペクト
•
久冨木原澳ほか~ 一九九 一、日本色覚
二、労働と健康 。興人八代のとりくみ
問題として追求している。
この探求こそ全日本民主医療機関連合
浩介、津嘉山毅、*樺島啓吉
原田正純、中村清史、立津政順、河野
一 、臨床脳波、
丁丁六/四 二七ー四 三
•
である 。わたしは不十分な臨床医学的知
慢性 二硫化炭素の中毒の脳波
会︵略称民医連︶の重要な任務の一っ
識しかもたなか ったが、今回報告の 2症
︱九七四
例を C S2中 毒 と 診 断 し え た の は 、 階 級
的観点を貫く民医連に所属する熊本保養
九九 .︶においての
杉村謙、原田正純;樺島啓吉、立津政 術活動のあゆみ﹂
•
一
︳︱
一
︵
懸賞論文では、水俣協立眼科の久冨木原
男~ 一九八〇 旦二 / ―二四五ー ―二
いる﹂との論文報告を行なっている 。
硫化炭素中毒では視神経機能が低下して
箕/藤 原 明 /柏 木 勇 蔵 は ﹁ 慢 性 二
順、井上越、大山繁、東家暁、*平田宗
五三脳と神経 。慢性 二硫化炭素中毒症
院に勤めていたからに過ぎない 。一
患者の立場に立つ医療を実際に実践し、
所見
のCT'Scan
このように平田医師は、労働者の立場、
熊本で多くの後継者を育てている 。
6
8
1
1
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1
1
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1
1
1
1
1
資料編
③ハ代興国人絹とはどんな
会社か
した 。結局これに
よる土地投機失敗
により戦後最大の
倒産をまねくこと
一九七五年︵昭
になる 。
八代興国人絹は資本金千八百万円で 一
和五0年︶八月更
①岡田メモより
九 三七年︵昭和十 二年
︶ 二月設立、十 二
年︵昭和五四年︶
生手続き︵倒産︶
一九五 三 ︵昭和 二八
八月更生手続き認
月操業開始、一九五0年︵昭和二五年︶
は 一五0倍に暴騰、
一九五七年 ︵
昭和 三
開始し、 一九七九
年︶七月まで続き、
可決定、資本金 二
らなかった 。
﹂と社長は述べていた 。レー
現在会社更生法
0億円の会社とな
る。
企業、行政の責任指摘
熊本全国シンポでアピール
︻八代︼第二回二硫化炭素 ン工場労働者の生命と健康をれていないが、それだけでは
(CS2) 中毒症全国シンポ 守るため立ち上がることを呼ない。八代から飛んだタ ンポ
ジウムニ日目の十三日、熊本 びかけ、企業責任と放置してポの種は全国に広がり根づこ
県八代市のグランドホテルで きた行政の賣任を指摘するアうとしている﹂と基調報告。
全体会議が開かれ、日本で初 ピ ー ル を 採 択 し ま し た 。 南 朝 鮮 の 被 害 労 働 者 が ﹁ 日
,
めてCS2中毒症労災認定を
会議では、渡辺伸子シ ンポ 本 の 東 陽 レ ー ヨ ン か らC S
現を求めて奮闘する﹂とのメ
.
ッセージをよせました。
的労働にふさわしい環境の実
国の行政賣任も大きい。人間
労働者の安全衛生を所管する
日本共産党の有働正治参議
院議員は﹁企業はもちろん、
田宗男医師も八十三歳の高齢
をおして発言し会場からさか
んな拍手を受けました。
報告され、最初の患者の発見
に尽力した熊本県民医連の平
工場労働者のたたかいなども
月問題の裁判をしてい
る弁護団、労働者を守らない
﹁連合﹂系の組合のなかで﹁全
労連﹂の支援のもとで認定を
かち取っているユニチカ宇治
c
告をしました。
者がいるのは確実﹂と特別報
かち取った興人八代工場のあ ジウム事務局長が、 CS2がの危険性や職業病のことも知
る地に日本各地と南朝鮮から すべてのレーヨン工場で使わらされずに輸入された中古機
百七十九人が参加して成功し れていることを示して﹁日本械で百七十六人もの認定患者
たことを確認。世界のレーヨ では三工場六十人しか認定さがでてるが、もっと多くの患
悲惨な職業病をなくそうと開かれた第 2回二硫化炭素中毒症
六月からの朝鮮戦争は前月比較でスフ糸
二年︶には資本金 三0億の大会社と成長。
ヨンステーベル︵スフ綿︶主力朝鮮戦争
の適用のなか、大
﹁月に 1億の利益で、もうけすぎてたま
では米軍の衣料や背嚢の材料になったと
六四年︵昭和 三九
合理化で現在 一九
その後の不況で 一九五八年︵昭和 三三
年︶十 二月の五分
もいわれている 。
年︶は、八代紡績工場閉鎖で ︱
二 五四人
の一の職員数 。労
働強化甚だしい 。
の首切りで乗り切った 。
一九六 二年に中央執行委員長、佐伯支
部長などを首切りし労働戦線を分裂させ、
一九六四年︵昭和 三九年︶十 二月、日本
列島改造論にのっかりハウス事業を開始
全国シンポ=
13日、熊本県八代市
6
9
CS2中毒
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
資料編
S) による近隣
さらに硫化水素 (H2
への悪臭公害の問題がある。
そこでは、農作物が枯れたり、金属物の
腐食、悪臭で食事がのどを通らない 。吐
7
き気や喘息の訴えもおおい 。
まさに労働者を労災で天国へ送り、勝
者者
月定亡
年一
紡糸係となっている 。 この職場に昭和 二
0年代︵興国人絹の急速需要による生産
規模拡大という最悪な労働条件下、 C
S2ガスが職場全体をおおっていた時期︶
に働いた労働者が、生存者で 二三0名い
る。この中に多数の潜在患者がいるもの
と予想される 。
④興人ハ代健康調査
︿時期﹀
一九八 四年十 一月 I八五年 三月二五力
月間
︿対象﹀
一九四五年から六0年代前半にかけて
興人へ入社したレーヨン製造所︵硫溶室
紡糸室︶で働いた労働者 三0四名
︿方法﹀
熊本県民医連各院所より職員のベ 一九
二名が﹁興人慢性二硫 化炭素中毒症被災
者の会﹂と協力して 一軒 一軒訪問してこ
の健康調査で聞き取りをした 。
︿健康診断﹀
並行して行われ十五名検診中 三名がく
7
0
手な都合で首きりをおこない、近隣住民
1
9
5
8年 1
2
5
4人削減
1
9
7
6年 5
0人消滅
1
9
7
7年 3
8人削減
2
7人削減
1
9
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3年 2
0
4人
3
0
0
0t 8
0
0人
3
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0
0t 6
1
7人
3
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0
0t 5
3
0
0
0t 2
1
0人
5
0人
3
0
0
0t 1
1
9
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4年
1
9
6
8年
1
9
7
0年
1
9
8
2年
1
9
8
4年
19『~1 196ll 196~1196ll1
9
6
ll
1
9
7
1I
1
9
7
11
1
9
7
:I
1
9
7
il
1
9
7
11
1
9
7
il
1
9
7
:
認死
I
197rl97~I1
9
8
:
I1
9
8
!
l
1
9
8
r
1
11r 8名の認定あり)
(注:その後現在まで
:
f
にたいしても公害をもたらしている 。
員
職
月産
年
1
9
8
4
4
8
.
6
レーヨン製造工程の中で C S2ガスが
人員削減にみる歴史(八代のみ)
3
7
.
9
%、 平 均
年から
年まで二硫化炭素中毒症患者と認定された人の死亡率は
歳、発症より死亡までの平均年月 年 。
死亡年齢
1
9
6
4
特に発散する職場は硫浴係︵ニーダー係︶、
レーヨン製造所を指標として体制を比較
二硫化炭素中毒症認定状況
11
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
資料編
わみず病院での精密検査を行なった。こ
の三名は労災申請準備中︵当時︶。
まとめでは問診をとった 三︱︱︱名 中不
備を除く 二0 二名の対象者の 三五項目 の
自 覚 症 状 を ま と め た 。 この中で﹁物忘れ
四九•五%、イライラ 三 八 % 、 か ら す 曲
りがする 三二% 、目がかすむ 三二% 、疲れ
1
0
易い 三一% 、手足がしびれる 三一% など
C S2特 有 の 症 状 の 自 覚 症 状 が 訴 え ら れ
味が分からない
回りが見えない
気の遠くなる発作
食物がつかえる
喘息の症状がある
排尿障害
言葉が は っきりしない
臭いがわからない
言葉が 出にくい
指先がきかない
転び易い
抑制がなくなる
めまい•たちくらみ
ふるえる
耳が遠い
動悸•息切れ
何もしたくない
性欲減退
耳なりりがする
筋肉がぴ<ぴくする
頭がおもい
集中力がない
頭がぼんやりする
頭痛がある
手足が冷える
不眠
神経痛
体がだるい
胃•腸症状
手足がしびれる
疲れ易い
目がかすむ
からす曲りがする
イライラする
物忘れをする
〈自覚症状〉
ている 。
99
88
6
゜
7
1
このような﹁健康調査﹂のまとめをも
2
0
とに臨床的医学的研究を継続し﹁認定基
4
9
50%
3
23
2
3
13
13
03
0
2
9
2
82
7
2
6
2
42
4
2
32
3
っr
フ1
2
0
1
9
1
71
71
61
61
61
51
5
1
41
31
31
21
1
3
0
準﹂をかえさせる諸活動をおこなうこと
が提起されている 。
興人健康調査 (
8
4.
1
1
8
5
.3)
対象 :1
945-65レーヨン製造所 に在職した労働者
4
0
1
1
1
1
1
1
1
1
1
H1I
資料編
CS2
最近の年表
c
s
迅 代 出張健診
1
9
8
1 (S56)
2/15
1
9
8
3 (S5
8
)
10/27 八代で 2
7人CS
2
集団検診
1
9
8
4 (S5
9
)
2/27 中央労働保険診査会 CS
2
中毒症申請棄却
0人目の C
S
2認定
9/7 H氏 3
1
2/2
3 参議院社会労働委員会にて橋本敦議員「 CS
2
中毒問題を取り上げる 。
くわみず病院通院中の T氏八代労基暑より 3
2人目 CS
2
患者認定
1
9
8
5 (S6
0
)
2/23 ユニチカ CS
2
中毒患者を支援する会結成に岡田参加
10/16 はじめてユニチカで C
S
2認定
1
9
8
9 (HOl)
1/10 加来ー則 CS
2
行政訴訟口頭弁論開始
1
1/0
8 CS
2
行政訴訟,裁判所(八代)工場調査
1
9
9
1 (H03)
裁判と健康.環境を考える八代の集い
7/08 CS
2
1
4
0名
9/19 二硫化炭素中毒問題全国実行委員会
10/13 二硫化炭素中毒症全国シンポジュウム岡山 .倉敷
1
9
9
2 (H04)
10/12 二硫化炭素中毒症全国シンポジューム熊本.八代
1
9
9
3 (H05)
2/22
「南朝鮮で大量 CS
2
中毒、日本のプラントが原因か
衆議院決算委員会で寺前巌議員追求
CS2
シンポジューム
第 1回
1
9
9
1年 1
0月 1
3日:倉敷
クラレの所在地にて、これまで職業病として 1人も認定されていない工場からも参加 。
市民など合わせて 2
0
0名のシンポジュームとして成功
第 2回
1
9
9
2年 1
0月 12-13日:八代
韓国 2、京都 2
1
, 倉敷 6、水の輪(レーヨン工場労働者) 6人など参加
合 計1
7
9名が参加/八代の他企業の問題も出された 。
世界のレーヨン工場労働者の健康をまもるためたちあがろう 。企業責任を放置してきた行
政責任を追求しようとアピール採択
備考 *この間の死亡調査をもとに本格的疫学調査を行なう準備が進められている 。
*近隣では台湾のレーヨン工場でも職業病が発生していると未確認の情報あり 。 緊急
な調査と支援が必要と思われる 。
7
2
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
資料編
/9
と ご‘がで き
りがとうございました 。これからも 二硫
際しましては暖かいカンパ、御支援をあ
えりリハビリに励まれています 。訪問に
韓国での交流を終え、ふだんの日常にか
来ました 。八代からの C S2患 者 さ ん も
事務局は、あせっていましたがやっと出
いました 。報告集を早く出さなければと、
っていることを海外へ知らせる活動を行っ
連帯活動の中で国内へ、また日本でおこ
国で起こ ったことを熊本A A L Aは国際
省しつつ、日本の国で起こったこと、外
韓国へもたらされなかったことなどを反
の活動とは 玉過去の C S2問 題 の 情 報 が
アフリカ・ラテンアメリカ連帯委員会︶
今回サポートした AALA ︵アジア
︿
付記﹀
化炭素中毒闘争支援にご協力をお願い致
ていきます 。
早いもので訪韓から 2カ月経 ってしま
します 。また資料のハングル文字の日本
訳は全くの素人がやっています 。大意訳
だと思って読んで頂ければ幸いです。
7
3
く
CS2日韓交流〉
0 一次調査
団長/展宗直子
oCふ被災者交流団
団長/ 岡 田 聖
被災者代表/桑原繁雄•宮部章夫
介護/平田由美子
O 事務局/千葉昌秋
0
コーデイネーター/北岡秀郎
0 文集編集/長谷川博
日輯二硫化炭素中毒症被災者交流の記録
隠された職業病
発行
熊 本AALA連帯委員会
熊本市神水 11
4
4
1
くわみず病院放射線科内
FAX 3
8
1
1
7
7
9
印刷かもめ印刷
電話 (
0
9
6)2
7
9
3
4
4
0
.
.
,
.
,
/
労働者は例えれば一本の木である
そこに妻がいて子どもがいて葉が繁っていて
それぞれに毎年、花を咲かせる
もしその幹が枯れるなら枝も枯れる
そして葉も枯れ花も咲かない
労働者の人権とはこの幹を守り
枝や、咲くであろう花を守ることに深くつながっている
社会や会社が正しく一つ一つの木を育てていくように
吸い上げた毒で幹が腐らないようにと
わたしたちは願っている