債権各論PDF

民法Ⅳ
民法Ⅳ(債権各論)レジュメ
2006 年度
【目次】
Ⅰ
序論
1ある角度からの「私法再入門」
(1)私法(民法)規範の機能、
(2)規範の構造
2債権法(各論)の位置
債権総論
債権各論
各種の債権発生原因 →
債権契約・法定債権(事務管理・不当利得・不法行為)
↑
民法総則法律行為
3債権の意義・社会的機能
4債権法の法源
民法・民事特別法・当事者の意思
Ⅱ
法定債権1ー不法行為ー
1不法行為制度の意義・機能
2一般不法行為の成立要件
故意・過失
権利の侵害(違法性)
損害の発生
責任能力
3不法行為の効果
様々な効果
金銭賠償の原則
4特殊な不法行為
責任無能力者を監督すべき者の責任
使用者責任
土地工作物責任
5補論ー不法行為特殊問題
自動車事故責任
製造物責任
生活妨害・公害の責任
専門家責任
-1-
Ⅲ
契約
1契約序説
2契約総論
契約の成立一般
契約の有効性
契約の解釈
契約の効力
第三者のためにする契約
契約の解除
3契約各論(典型契約を中心として)
①贈与(無償契約の典型として)
②売買(有償契約の典型として)
③消費貸借
金銭消費貸借
信用供与型の非典型契約
④賃貸借(不動産賃貸借を中心として)
⑤労務提供型の諸契約
雇用
請負
委任
寄託
⑥和解など
Ⅳ
法定債権2ー事務管理・不当利得ー
1事務管理
事務管理の意義
事務管理の要件
事務管理の効果
準事務管理
2不当利得
不当利得の意義
不当利得の要件(不当利得類型論)
不当利得の効果
特殊な不当利得
-2-
考えてみよう
ー要件事実論入門ー
民法規範がどのように機能しているか、理解できているであろうか。それを確かめるた
めに、次の設例課題に挑戦してみてほしい。加えて、民事法教育の在り方に関わり、最近、
しばしば話題とされている「要件事実論」につき考え、改めて実体法と手続との関係を考
えてもらいたい。なお、「要件事実(・事実認定)論」は、「法曹養成に特化した専門教
育」をおこなう「法科大学院」において、実務基礎教育の一つとして、学ぶこととされて
いる科目である。
【設例課題】
絵画・版画を愛する資産家Yは、友人Aから画商Xの画廊にピカソの版画が展示されて
いることを教えられた。かねがねピカソの作品を手に入れたいと思っていたYは、本物か
どうかの判断、価格交渉につきやや自信がないので、その購入方について一切をAに委ね
た。Aは、2003年2月はじめ、Xから「事情があって急ぎ売りたい。代金は相場で2
00万円ほどだが半値程度で売ってもよい」との説明を受け、交渉の結果これを80万円
で買うことにする旨の契約をXとの間で結んだ。その際、代金の支払い、版画の引渡は2
003年2月末とすることとされた。Yは、何度か取引のある別の画商Bにこの話をした
ところ、本物がそんな値段で取引されるはずがない、騙されたのではないかなどと言われ
た。Aに相談すると、あまりに条件のよい話であるからあるいはそうかもしれないとの返
事だったので、Yは約束の代金80万円を支払う気がなくなった。たしかに、ピカソと読
めなくはない署名、限定番号61/100の記載があり、「ピカソの作になる『道化師』
の本物であることを証明する。1960年にバルセロナのラフィカ・アトリエにより10
0部限定版で印刷され、ピカソが署名したものである」旨の記載のある保証書付きではあ
ったが、もしよくできた模造品だとするとたかだか10万円ほどの価値のものであるにす
ぎない。Xは、Yに対し代金80万円を支払うよう求める。Yは、もちろんこれに応じた
くない。
キーワード :
売買契約、代理、代金支払請求権、錯誤、詐欺、無効・取消
訴訟物、請求の趣旨、請求原因、事実の認否、抗弁、再抗弁
まず、実体法である民法規範は、これこれの要件が充たされればこれこれの法的効果(権
利の発生・障害・消滅)が生ずると規定している。たとえば、民法555条は、
「売買は、
当事者の一方がある財産権を移転することを約し相手方がこれに対して代金を支払うこと
を約することによって、その効力を生ずる」と規定することによって、一方当事者(売主)
が相手方に対して財産権を移転することを約し、相手方当事者(買主)がその代金を払う
ことを約したときは、売主には売買代金請求権、買主には財産権移転請求権が生ずるとし
ている。民法99条1項は、「代理人がその権限内において本人のためにすることを示し
てした意思表示は、本人に対して直接にその効力を生ずる」と規定している。また、民法
95条は、「意思表示は、法律行為の要素に錯誤があったときは無効とする。ただし、表
意者に重大な過失があったときは、表意者は、自らその無効を主張することができない」
と規定している。
これまでの大学の民法講義においては、一般に、たとえば錯誤についていえば、錯誤制
-3-
度の趣旨からはじめ、錯誤にはどんな場合があるか、法律行為の要素とはなにか、動機の
錯誤において意思の欠缺ということがいえるか、動機の錯誤により法律行為が無効とされ
るためには動機が相手方に示されていることが必要であるか、錯誤による無効と社会的妥
当性に欠けるなどによる無効とは同じかなどを丁寧に論じてきたといってよかろう(これ
らの論点が重要なものでありそれなりの時間をかけて説明する必要のあることがらである
ことはいうまでもない)。そこで、錯誤をめぐる設例問題においても、主として解釈論に
おける論点を考察するよう問題が作られており、思い違いがそもそもあったのか、重大な
過失があったとの評価の根拠となる事実・事情の側面については争いがないことを前提と
してきたといってよい。しかし、実際の訴訟においては、法律的な争点とともにあるいは
もっぱら、事実・事情の存否が争点となることにも留意しなければならない。
つまり、設例の場合、80万円の売買代金を支払うべきであると考えるXは、訴訟にお
いて、売買代金請求権を根拠づける「請求原因」として、①2003年2月はじめ該版画
につき80万円で売買する契約をAとの間で締結したこと(法律行為)、②その際、Aが
Yのためにすることを示したこと(顕名)、③この契約締結に先だってYはAに対し、売
買につき代理権を授与したこと(代理権)を主張する。これらの主張がなされなければ、
Xの請求は「主張自体失当」として棄却されることとなる。なお、契約が無効ではないこ
と、代金債務について履行期が到来していることや買主が未だ弁済していないことについ
ては、Xとして主張・立証することを要しない。
これに対して、Yは、そもそも売買契約は成立していないと抗うことが考えられる。
「請
求原因事実についての認否」にかかり、Yによりこのような主張がなされると、Xにおい
て、契約の成立につき立証しなければならないことになり、裁判官に契約は成立している
との心証を得させることができるだけの証拠(署名押印された契約書など物証、契約締結
時立ち会った者による証言など)を示すことができなかった場合には、代金請求は棄却さ
れてしまうことになる(なお、売買契約の成否について、Yにおいて争っても無駄だと考
える場合には、訴訟上の争点とはならず、Xは立証を要しない。立証もしくは証明責任に
ついては→Sup2参照)。顕名、代理権の発生原因事実についても、その存否につき契
約の成否と同様に考えることができる。
さらに、Yは、仮に契約が成立していたとしても、代理人Aにおいて、① 偽物を本物
と思い違えた(あるいは、本物としてはずいぶん安く買い得であると考え、そのことをX
にも示しつつ買うことにしたのであるが、実は本物ではなかった)のであり(意思表示に
錯誤あること)、②この錯誤は法律行為の要素に関するものであって、売買契約は無効で
あると主張して、代金の支払いを拒もうとするであろう。これは、Xの請求原因事実と両
立するが請求を排斥する事実の主張であって、「抗弁」(錯誤無効の抗弁)といわれる。
こうしたYの主張に対して、Xは、該版画はそもそも偽物ではない、Aには思い違いな
どなかった、あるいは動機がXに対し表示されてはいなかったなどと争うことが考えられ
る。「抗弁事実についての認否」にかかる主張である。この点についてはYに立証責任が
あり、これに成功しないと請求は認容されてしまうことになる。
しかし、Xとしては、加えて、仮に法律行為の要素に錯誤があったとしても、これこれ
の事情(規範的要件における評価根拠事実)があってAには思い違いをしたにつき重大な
過失があったのだからYにおいて錯誤無効の主張をすることはできないと主張することが
-4-
考えられる。これは、Yの抗弁事実とは両立するが抗弁を排斥する主張であって「再抗弁」
と位置づけられる。この再抗弁に対しては、そんな事情はないとの「再抗弁事実の認否」
の主張に加え、重大な過失があったとはいえないとの評価を導く(再抗弁事実とは両立す
る)事実についての主張が「再々抗弁」としてなされうるのである(なお、この設例の場
合には、錯誤抗弁とならんで、Yにより詐欺抗弁の主張がされることも考えられる。この
場合には、Yとしては、XがAに対して偽物を本物と信じさせようと欺罔行為をしたこと、
Aはこれによって本物と思い違いし買う旨の意思表示をしたこと、Yにおいてその意思表
示を取り消したこと、したがって該売買契約は無効であり、Xの売買代金支払請求には応
ずる必要がないと主張することになる)。
訴訟物=売買代金請求権
請求原因
抗弁
契約の成立
錯誤
代理権・顕名
555 条・99 条
再抗弁
重大な過失につき
評価根拠事実
95 条本文
再々抗弁
重大な過失につき
評価障害事実
95 条但書
95 条但書
・101 条 1 項
詐欺
・96 条・101 条 1 項
・120 条・121 条
・123 条
実務的な観点から民法規範を学ぶ場合、このように、典型的な紛争事例を素材として、
実体法規範・制度を、紛争当事者間の訴訟における攻撃・防御主張の構造と結びつけ、主
張・立証責任の分配とかかわらせながら、立体的に機能的に学ぶことが必要である。こう
した学習によってこそ(司法研修所におけるより実務的な学習と相まって)、法律家とし
て必要とされる、当事者の利益をめぐる生の主張・事象のなかから、要件的に必要とされ
る事実を紡ぎ出し(法的にレリバントな事実を取り出し)構成し、生の利益主張を、権利
が存在する・しないとの法的主張に構成していく(訴訟遂行に不可欠な)力を養うことが
できるのである。裁定的解決にあたる裁判官のことを考えると、要件事実学習は、訴訟に
おける当事者主義のもと、紛争当事者の協力を得て争点を明確に整理し、迅速に適切な手
順で民事訴訟を運営してゆくための理論・技法を涵養することに関わる。
また、こうした理論・技法は、法律家が顧客とやりとりする場面でも、法廷外において
相手当事者と話し合いをする場面でも、議論すべき論点そしてその位階・序列を指し示す
のであって、法律家として当然に必要とされるもの、ひいては一般市民・企業にとっても
どのような行動をすればよいか(たとえば、代金を支払った場合には領収書を一定期間と
っておく、重要な契約の締結においては契約書を作成する必要があるなど)を指し示すも
のとして承知しておくことがのぞまれるものといえるのである。
-5-
Ⅱ
法定債権1
1
不法行為
第1節 序説
0 契約に基づく債権関係←→法定債権関係
1 不法行為の意義と機能
(1)意義
私たちの周りには、ある人のわざとやった行為や不注意でした行為によって他の人の生
命・身体や財産に損害が生ずるということがみられる。たとえば、①A運送会社の運転手
Bがスピードを出しすぎていたためにカーブを曲がりきれず歩行者Pをはねて死亡させ、
さらにQ所有の家の軒先にとびこんで大破させてしまった、②スナックで酒を飲んでいた
Cがちょっとしたことで相客Rと口論になり殴って大怪我をさせてしまった、③主婦Dが
コンロに油の入った鍋をかけたまま台所を離れたため火災となりS所有の隣家に延焼して
しまったというようにである。このような場合に、加害者側AないしDは、損害を蒙った
PないしSなどに対し損害を賠償すべき責任を負うこととなる。このような責任を民事責
任というが、こうした責任を生ぜしめる不法な他人の権利ないし利益に対する侵害行為を
不法行為という。
(2)民事責任と刑事責任−不法行為制度の機能
Q 交通事故の被害者であるXは、事故はYの不注意によるものであるとしてYに対し
損害賠償を求める。Yは、業務上過失致傷罪を罪名とする刑事事件の裁判でYに過失はな
かったとして無罪判決がでているのであるからそのような求めには応じられないという。
どう考えたらよいか。
ところで、右の事例における加害者BないしDは、あわせて、それぞれ業務上過失傷害
罪・致死罪(刑211条)、傷害罪(同204条 )、失火罪(同116条)を犯したもの
として、定められた刑罰を科せられることがありうる。このように、不法行為によって、
加害行為者に民事責任が生ずる場合には、同時に、刑事責任が成立することが多い。
しかし、刑事責任は、国家と市民の関係で、当該行為者のなした保護法益侵害行為の反
社会性に着目し、応報ないし予防の見地から行為者を処罰する制度であるのに対して、民
事責任は、私人相互の関係で、被害者側に生じた損害の公平・妥当な処理・分配(すなわ
ち、主として、一定の場合に、相当と考えられる範囲で、損害を加害者側に転嫁して被害
者の救済)を図る制度であるとみられる。なお、被害者救済の制度として、不法行為の他
に、債務不履行(契約責任の人的・時的拡大も)、損失補償、保険、見舞金、社会保障な
ど、それぞれ私的セクター・公的セクターに属するの種々の制度があることに留意したい。
もっとも、近時、民事責任の事故抑止的機能、制裁的機能(さらには、機能局面を異に
するが、権利生成的機能)を無視すべきでないという主張もなされてきている。
【附論ー同一事案の刑事的・民事的扱い】
刑事責任と民事責任とはその機能を異にし、また別個の裁判所により異なる裁判手続に
よって審理される(なお、戦前には公訴の中で私人が損害賠償請求を求めることができる
-6-
附帯私訴という制度があった)から、同一の事案について、刑事責任と民事責任とでその
成否につき判断が異なることもおこりうる(最判昭和34・11・26民集13巻12号
1573頁参照)。
2 過失責任の原則・自己責任の原則
(1)過失責任の原則
近代法は、諸個人の活動の自由を保障しようとするが、そのためには、契約は自由であ
ることを認める(契約自由の原則の採用)裏面で、いかなる行為をすると不法行為責任を
負わされることになるかについての予測ないし計算を市民に可能ならしめることが必要と
される。この要請をみたすのが、過失責任の原則であって、人は、普通に要求される注意
を払ってさえいれば(すなわち、過失なければ)自由に活動しうるのであり、その間にた
またま他人に損害を与えたとしても不測の賠償責任を負わされることはないということを
その内容とする(「結果責任主義から過失責任主義へ」)
。
(2)自己責任の原則
また、右に述べたことから、人は自己の行為についてのみ責任を負い、他人の行為の結
果について責任を負わされることはないという、自己責任の原則が導かれる。したがって、
一見他人責任と思われる責任無能力者の監督者の責任(714条)、使用者責任(715
条)も、責任負担者が相当の注意を払っていれば免責されるようになっており、(実際に
は免責はほとんど認められていないにせよ、形式的には)自己責任として構成されている。
3 過失責任の原則の修正
過失責任の原則は、その後の資本主義の発展に大いに貢献したのであったが、高度な科
学技術に基づく危険な機械や企業設備をもつ鉱・工業や、危険な高速度交通機関がめぎま
しい発達をとげるにともないこの原則に対して批判がなされるに至る。
なぜなら、これらは、従来の意味での過失がなくともある程度まで必然的に損害を発生
せしめるものであり、また、この種の加害行為においては、過失の立証は被害者にとって
必ずしも容易ではない。しかし、このような加害者と被害者との間には立場の互換性がほ
とんどなく、被害者に損害が生じている他方で、加害者は危険な事業活動により利益を得
ていることもあわせ考えると、過失がない(あるいは立証できない)からといって、被害
者の損害を放置することは妥当でないとみられるに至るからである。こうして、(過失に
ついての立証責任を加害者に負わせることとする中間的責任という考え方を経て、)過失
なくとも加害行為者に民事責任を負わせるべきであるとする無過失責任論およびこれに基
づく特別法が登場することになるのである(無過失責任主義の成立ー鉱業109条以下、
独禁25条、原賠3条、大気汚染25条他)
。こうした無過失責任論における帰責根拠は、
おもに、加害者が他人に損害を及ぼすおそれのある危険な行為をしたということ(危険責
任)、加害者がその行為によって利益を得ていること(報償責任−「利益のあるところに
損失も帰せしむべし」
)の二点に求められている。
こうした中間責任・無過失責任という考え方からなる不法行為制度の展開にとっては、
損害賠償責任保険制度や賠償基金制度の展開が不可欠の前提となる。なぜなら、これらに
よって被害者の救済が確実なものとなるだけでなく、企業者において、たとえば保険契約
-7-
を結びあらかじめ保険料を支払っておきさえすれば、損害が生じ賠償せざるをえなくなっ
たとしても保険者から保険金が支払われることになるのでこれまでと同様に資本計算が可
能な条件のもと事業活動を展開することができる(原価計算において保険料をコストと計
上することによって当該の財貨・役務のエンドユーザーにまで損失拡散できることとな
る)からである。
もっとも、以上みたことから明らかなように無過失責任論の中心はいわゆる企業責任で
あって、人の日常生活をめぐって生ずる、互いに加害者・被害者のいずれの立場にもなり
うる(立場の互換性ある)当事者間の不法行為類型についてはなお、過失責任の原則が維
持されているこというまでもない。
【附論ー中間責任立法・無過失責任立法の例】
①自動車損害賠償保障法3条(趣旨)
運行供用者は、自動車の運行によって他人の生命・身体を害したときは、自己と運
転者に過失なかりしこと、第三者の故意・過失がありしこと、自動車に構造上の欠陥
・機能の障害が存在せざりしことを証明し得ない限り、損害賠償責任を負う。
②特許法103条
他人の特許権又は専用実施権を侵害した者は、その侵害の行為について過失があっ
たものと推定する
③大気汚染防止法25条1項(趣旨)
工場又は事業場における事業活動に伴う健康被害物質の大気中への排出により人の
生命又は身体を害したときは事業者は賠償責任を負う
④原子力損害の賠償に関する法律(趣旨)
原子炉の運転などにより原子力損害を与えたときは原子力事業者は無過失責任を負
う。ただし、その損害が異常に巨大な天災地変又は社会的動乱によって生じたときは
この限りでない。
⑤私的独占の禁止及び公正取引の確保に関する法律25条
「私的独占若しくは不当な取引制限をし、又は不公正な取引方法を用いた事業者は、
被害者に対し、損害賠償の責に任ずる。事業者は、故意又は過失がなかったことを証
明して前項に規定する責任を免れることはできない」 などなど
【附論ーわが国の不法行為法の規定のしかた】
①不法行為の一般的規定と、民法・民事特別法の特殊的規定
②一般条項としての709条(すべての不法行為に妥当する一般的規定をもつ法制)
(←→個別の不法行為類型を複数もつ法制)
→
類型化の必要(故意不法行為・過失不法行為、違法性についての類型....)
対比
仏民1382条
faute によって他人に損害を生じさせた者はそれを賠償する義務を負う
独民823条1項
故意または過失により他人の生命、身体、健康、自由、所有権またはその他の権
-8-
利を違法に侵害した者は、これによって生じた損害を賠償する義務を負う
同2項
他人の保護を目的とする法律に違反した者も前項と同様である。
・・・
826条
善良の風俗に反する方法をもって故意に他人に損害を加えた者は、その他人に対
し損害賠償義務を負う。
などなど
英米法
trespass to person(assault-暴行未遂, battery-暴行)
trespass to land(土地に対する直接侵害)
nuisance(土地利用に対する妨害)
negligence(不注意により損害を蒙らしめること)
product liability, professional liability
defamation(名誉毀損)
などなど(望月・英米法133頁以下)
第2節 一般的不法行為(←→特殊的不法行為)の成立要件
不法行為責任が生ずるための一般的な成立要件として、通説は、①行為者に故意または
過失があること(故意・過失)、②他人の権利または法律上保護される利益に対する侵害
があること(権利侵害=違法性)、③当該行為と因果関係のある損害が発生したこと(因
果関係ある損害の発生−以上、709条)、そして④行為者に責任能力あること(責任能
力−712・713条)の4つを挙げている。
もっとも、④の主張・立証責任は加害者の側にあるから、(要件事実論的に厳密にいえ
ば)むしろ責任能力は不法行為の成立を阻却する要件というべきである(
「消極的要件」
といういい方もなされている)。
以下①ないし④につき、簡単に分説しておくこととしたい。
1 故意・過失
Q Xは、小春日和のある日正午前に、鎖につないで甲犬を連れて公園を散歩していた
ところ、飼主Yが鎖を解いて遊ばせていた乙犬が激しく吠えながら駆け寄り甲犬にとびか
かろうとしたので、とっさに甲犬を庇おうと抱きあげようとした。その際、いずれの犬か
に噛みつかれ、手首近くに約1か月にわたる10回の通院治療を要する咬傷を負った。X
は、誠意をみせようとしないYに対し、人が集う公園で飼犬を放して遊ばせたためこうい
うことになったのだから、治療費1万4千円、通院に要したタクシー代1万6千円、通院
そして前腕部に残った数センチの傷痕にかかる慰謝料200万円、弁護士費用50万円と
して総額253万円を弁償してほしいと訴えを起こした。Yは、咬んだのは甲犬である、
そもそもXが甲犬を抱きあげようとしなければ傷を負うことはなかった、請求額は法外で
あって話にならないと反論する。双方の主張を法的にどうみたらよいであろうか。
(1)自己の行為
人が他人の蒙った損害について不法行為責任を負うのは、原則として、
それが自己の行為に基づいて生じた場合に限られる。幼児をだまして物を盗んでこさせる
など他人を手足としてなした行為も自己の行為といえる。
-9-
ここで行為とは、「人の意識ある挙動」あるいは「意思にもとづく人間の動作」であっ
て 、「作為 」(=積極的な行動)であることが普通であるが、有毒アルコールを飲料とし
て販売した者が販売先に対し危険予防の処置をとらなかった(大阪控判大正7・2・15
新聞1386号20頁)、置き石による電車の脱線転覆事故について自らは置き石をしな
かったが事前に仲間と話し合いを行った者が置き石の存在を知りながらそれを除去するな
どの措置をしなかった(最判昭和62・1・22民集41巻1号17頁)という場合のご
とく、「不作為」による不法行為の成立が認められることもある。不作為による不法行為
が成立するためには、法令の定め・先行行為などに基づき一定の作為を命ずる義務(作為
義務)が存在し、その義務に反して不作為であったことを要することに留意しなければな
らない。
(2)故意・過失
(イ)故意 故意とは、一般的に、他人の(特定のだれかである必要はないー概括的故意)
権利ないし利益の侵害という結果の発生を意図し、あるいは、その発生すべきことを認識
ないしは予見し、かつこれを認容(もしくは容認)しながら行為する、という心理状態と
解されてきた(我妻、加藤)。しかし、過失の理解(漫然と行為をしたという心理状態で
はなく注意義務違反と解する)との関わりで、違法な結果を認識しながら行為にでること
ととらえるものもある(澤井、四宮、吉村)
。
故意があるというためには違法性の認識を必要とするかについては争いがある。かつて
の通説は、これを不要(結果の発生の認識で足りる)としていたが(我妻)、近時におい
てこれを必要とするという説が支配的となっているとみられる(加藤、幾代=徳本、四宮
など)。判例は、必ずしも明確ではないが必要説に立つといえよう−大判明治41・7・
8民録14輯847頁、大判昭和8・4・1新聞3548号16頁など)
。
(ロ)過失
従来の通説によれば、過失とは、自己の行為により他人(ここでも、特定の
だれかである必要はない)の権利ないし利益の侵害という結果の発生することを認識ない
し予見すべきであるのに、不注意のためにその結果の発生を認識ないし予見しないで漫然
とその行為をするという心理状態であると定義されてきた(もっとも、こうした心理状態
にあったかは行為から判断するよりほかない)。これに対し、判例は、一般に、権利ない
し利益の侵害という結果を回避すべき「注意=行為」義務に違反するということをもって
過失としている。最近の有力説は、判例同様、過失を注意義務違反ととらえるようになっ
てきている。
過失を一つの心理状態と解する従来の通説は結果の予見可能性を過失の中心的な内容と
みる傾きをもつとみられる。しかし、過失を注意義務違反とみる判例・最近の有力説の立
場においては、予見可能性(予見義務→研究調査義務、問診義務)・回避可能性(回避義
務→操業中止義務、回収義務)をあわせ視野に入れる(二元的基準)あるいはむしろ後者
を中心的な内容とみるということがみられる(予見可能性があれば足りるとする説もない
ではないが)。問題は、とくに、注意をすれば不都合な結果の発生を予見することが可能
である場合に常に回避すべき(予見できた以上取り止めるべきである)といえるかである。
被侵害利益が生命や健康という利益である場合には予見し得た以上結果の発生を回避すべ
きである、他方、医療行為など危険性を帯びるが社会的に有用な活動に関しては、回避義
務違反があるかを考慮に入れるといった類型的処理の必要性が説かれている。
- 10 -
ところで、通説・判例は、過失の認定のために行為者に要求きれる注意義務を、「当該
の種類の行為について当該の職業・地位・立場等に属する通常人ないし合理人が同様の状
況下で払うことを期待される程度の注意をなす義務」(善良なる管理者の注意義務)とし
ている。すなわち、不法行為の成立要件としての過失は、具体的な行為者その人の注意能
力を基準とする具体的軽過失ではなくて、抽象的軽過失とされている(過失の客観化)の
である。もっとも、具体的軽過失と解する説もないではない(柳沢)。
(ハ)過失の具体的ありよう=過失の類型論
①過失における注意義務のレヴェル・内容を決定する基準についての諸提案
a結果発生の蓋然性(危険性)、被侵害利益の重大性、これらと注意義務を課すことに
より犠牲となる利益との比較衡量
b当事者の互換可能性、加害行為の危険性、結果の重大性、行為の社会的有用性や防止
措置の難易
②事故(加害行為)類型にそった注意義務のカタログ
→加藤80頁以下
たとえば「学校事故における教師の責任」における諸注意義務
過失=安全配慮義務
計画
用具選択・事前点検
教課等指導助言
立会・監視
救助態勢・救護措置
事故報告
【重要判例】
①大判大正5・12・22民録22輯2474頁
硫酸や銅の製錬を業とするYが工場から出る硫煙により付近の農家の農作物に害を与え
たので、被害者ⅩらがYに損害賠償を求めたという事案につき、
「化学工業に従事する会社其他の者が其目的たる事業に因りて生ずることあるべき損害を
予防するが為め、右事業の性質に従ひ相当なる設備を施したる以上は、偶々他人に損害を
被らしめたるも之を以て不法行為者として其の損害賠償の責に任ぜしむることを得ざるも
のとす。何となれば斯る場合に在りては右工業に従事する者に民法第七百九条に所謂故意
又は過失ありと云ふことを得ざればなり」。
(→差戻後の大阪控訴院判決でY有責)
②最判昭和36・2・16民集15巻2号244頁
Y(国)の経営する病院に入院中A医師により梅毒にかかっていたが当時陰性期間中で
あった職業的給血者Bの血液を輸血されて梅毒に感染したⅩが、病気のために被った損害
はAが採血にあたり守るべき注意義務を尽くさなかったことによるものであるとして、A
の使用者であるYを相手に、損害賠償を求めたという事案について、
「(いやしくも人の生命及び健康を管理すべき業務に従事する者は、その業務の性質に照
らし、危険防止のために実験上必要とされる最善の注意義務を要求されるところ)給血者
がいわゆる職業的給血者で、血清反応陰性の検査証明書を持参し、健康診断および血液検
査を経たことを証する血液斡旋所の会員証を所持していた場合でも、同人が医師から問わ
- 11 -
れないためその後梅毒感染の危険のあったことを言わなかったにすぎないような場合、医
師が、単に『身体は丈夫か』と尋ねただけで、梅毒感染の危険の有無を推知するに足る問
診をせずに同人から採血して患者に輸血し、その患者に給血者の罹患していた梅毒を感染
させるに至ったときは、同医師は右患者の梅毒感染につき過失の責を免れない」。
(ニ)故意と過失との区別 刑法では、原則として故意行為だけを罰し、過失ある行為は
罰しないとされているため、故意と過失との限界設定が重要であるのに対し、不法行為の
成立のためには故意あるいは過失のいずれかがあれば足りるから、ここでは故意か過失か
の区別はさほど必要ではないともいえる。
しかし、第一に、債権侵害のごとく故意の場合に限って不法行為が認められるような加
害行為類型が考えられ、第二に、故意か過失か(さらには過失の程度)によって、損害賠
償の範囲、認容される損害賠償額(とりわけ慰籍料額)、過失相殺の程度の点で差異がで
てきうるなど、故意・過失の区別の実益はそれなりにあるのである。そして、この区別の
基準は、右にみたように、行為者が権利ないし利益の侵害という結果の発生を認容して当
該行為をしたかどうかにある。
もっとも、不法行為を故意不法行為と過失不法行為との二類型に分けて要件・効果を別
個に論じようとする説も有力に説かれている。
(ホ)故意・過失の立証責任 故意・過失の立証責任は、原則として、原告となる被害者
側が負担する。しかし、これをつらぬくと被害者の保護にかけるおそれがあるため、判例
は、被害者が、加害者側に過失のあることを推測させる事実(状況事実、あるいは加害行
為により損害が発生したこと)を証明したときは、立証責任は加害者側に移り、加害者の
方で過失のないことを立証しえない場合には、裁判所が過失を認定しても事実認定の法則
に反することはないとしている(大判大正9・4・8民録16輯481頁)。これを「過
失の一応の推定」という。きらに、この点についての立法による解決方法として、立証責
任の転換があり、714条・715条の責任にその例をみることができる。これらの場合
には、反対に、被告の方に、故意・過失はなかったという立証責任が負わされているので
ある。
【附論ー一般的不法行為の要件事実論的整理】
1概説
訴訟物
XのYに対する不法行為に基づく損害賠償請求権
請求原因
1Xが一定の権利又は法律上保護される利益を有すること(権利主張)
2請求原因1の右権利又は保護利益に対するYの(加害)行為
※3Yに請求原因2について故意があること、又はYに請求原因2について過失を基
礎づける事実
4Xに損害が発生したこと及びその数額
5請求原因2と4に因果関係(事実的因果関係・相当因果関係)あること
2具体例(YによるX所有土地の不法占拠にかかる損害賠償請求の場合)
- 12 -
訴訟物
XのYに対する不法行為に基づく損害賠償請求権
請求原因
1Xは本件土地を所有すること
2Yは本件土地に材木を置いて占有すること、及びその占有開始の日
3請求原因2の日以降の本件土地の賃料相当額が月額金10万円であること
※注Yが故意又は少なくとも過失によりXの土地の使用収益を妨げ、Xに賃料相当額
の損害を与えていることとい事実は当然のこととして省略されることが多いとい
われる(『9訂民事判決起案の手引き』事実摘示記載例集13頁注③)。
以上につき、大江忠『要件事実民法(中)債権』565頁以下
加藤=細野『要件事実の考え方と実務』229頁以下
(3)重過失
「軽過失」という概念と対比して、「重過失」という概念が用いられる。重過失とは、
著しく注意を欠いたことをいう。失火ノ責任ニ関スル法律(失火法)は、失火者に故意ま
たは重過失がある場合に限り、損害賠償責任を負わせている。
(4)補論ー違法性要件との関連
不法行為における過失は、右にみたごとく、心理状態とされつつも抽象的過失とされ、
あるいは行為義務違反とされることにより客観化されている(過失の客観化)。他方、後
にみるように、相関関係説によれば、違法性判断に際して、加害行為者の主観的態様が考
慮に入れられている。このように、過失・違法性両要件の理論的そして実際的な接近ない
し融合がみられるのであるが、かような事情を前提に、近時、これらを一元化して捉えよ
うとする学説(一元説)
があらわれている。
一元説としては、新過失論、新受忍限度論、新違法性論がある。まず新過失論は、違法
性概念は不法行為による保護の範囲を拡張する機能を有していたが、これが果たされた今
日ではその役割を終えたのであり、また裁判例も責任の成否を決するにあたり違法性を問
題にしていないのであって、不法行為の要件は「過失」(=客観的な結果回避義務違反)
に尽きるとする。そして、その存否を判断するための因子としては、①被告の行為から生
ずる損害発生の危険の程度ないし蓋然性の大きさ、②被侵害利益の重大さ、③損害回避義
務を負わせることによって犠牲にされる利益の三つがあげられ、これらが相関的に衡量さ
れて存否が決せらるべきものとされる(いわゆる違法性阻却は「過失の阻却」と考えるー
平井)。また、新受忍限度論は、被侵害利益の性質・種類、加害行為の態様(損害回避措
置など加害者側の諸要因、地域性などの諸因子)の相関衡量の結果、損害が受忍限度を越
えていれば(予見可能性がなくとも過失が認められ)不法行為責任が成立すると説く(淡
路)。さらに、新違法性論は、不法行為法の目的ないし機能は損害の公平な分配というこ
とにあるから、公平という限りは、加害者側の事情(その主たるものは故意過失である)
と被害者側の事情(その主たるものは権利侵害である)とを比較衡量して、賠償の可否範
囲を定めなければならないのであって、この事情を同一の土俵すなわち次元(=「違法性」)
において考量しなければならないとしている(前田)
。
しかし、このような一元論に対しては、(故意・過失を主観的要件、違法性を客観的要
件として峻別して位置づけることはできないとしても)不法行為の成否の判断作用におけ
- 13 -
る一つの手掛りとして、ないしはそこでの思考の便宜のために、「故意・過失」と「権利
侵害」という二つの側面の一応の区分けはあってもよい、さらには「過失」要件のなかで
責任の枠づけをする方向は妥当なものと思われるが、被侵害利益の側面から責任の成立を
限界づけるための概念として違法性(行為不法ではなく結果不法)もなお一定の有用性を
もっているといった二元説を維持する考え方もなお根強く存在しており、一元説が支配的
な学説になるところまでに至っていないのである(
「不法行為法学の混迷」
)。
- 14 -
課題
1 学生Yは、冬の休暇に運送業を営むX社でトラックを運転し歳暮を配達するアルバ
イトをしていた。超繁忙期であり休んでもらっては困るといわれて休むこともできず、2
週間余にわたり連日朝8時からよる夜9時ころまで働きずくめであった。ある日の夜8時
過ぎ、配達の仕事を終え事業所への帰路、仕事の疲れもあって不注意にも路上駐車中のA
社のタクシー車に接触するという事故を起こしてしまった。X社は、A社に対して損害賠
償をしたうえで、Yに対して、X社のトラックの修理代などについての損害賠償を求め、
A社へ言われるままに損害賠償をしたことにかかり求償をする。Yとしては、事故につい
ては食事するために駐車禁止の場所に止めていたタクシー運転手Bにも落度があるはずな
のにいわれるままに弁償するなんておかしい、アルバイト料をいくらももらっていないの
に莫大な請求をしてくるものだと狼狽して、Yの友人であり法学部に通うあなたに助言を
求めている。どのようにアドバイスしてあげたらよいか。
2 学生Yは、アルバイトで貯めた金を頭金にローンを組んでやっと手に入れた甲自動
車をコンビニエンス・ストアーの前にエンジンキーをつけたまま駐車させて買物中、店前
にたむろしていた高校生Aらに盗まれた。Yとしてはキーレスエントリーの鍵を操作しド
アを閉めたつもりであったが、閉まっていなかったからであった。Aは、無免許で、数キ
ロ走ったところで歩行者X1をはね大腿骨骨折等の傷害を負わせ、さらに数百メートル走
ったところで路上に違法駐車をしていたX2所有の乙自動車にぶつけ大破させてしまっ
た。なお、X1は、数ヶ月入通院後いったん職場に復帰したが、ほどなく大腿部痛を生じ
再び入院し手術を受け、さらに数ヶ月の入院・自宅療養の後職場に復帰した。この大腿部
痛は、事故による傷害と体力の衰退のために、子どもの頃に罹患した骨髄炎が再発したこ
とによるものであった。X1、X2は、それぞれYを相手に損害賠償を求める。こうした
請求に対してYは応じたくない。法的争点はどのようなことになるであろうか。
3 介護サービスを業とするA社は、車椅子の製造販売をするB社から、補助モーター
付き介助用車椅子数十台を購入し、希望する顧客に賃貸している。脳梗塞の後遺症によっ
て介護を必要とするようになってすでに数年になる67歳のCは、その妻Dを介して、A
社からこれまでの手動式の車椅子に替え、そのうちの一台を借り受けた。賃借して数日後
のある日、DがCを車椅子に乗せて散歩をさせていたところ、その使用法について十分な
説明を受けていなかったこともあって、下り段差のあるところでつまづき思わずスイッチ
バーをにぎってしまったため、車椅子が思わぬ方向に走り出し、運悪く車輪の一つが側溝
に落ち、転倒してしまった。このとき、Cは、頭を強く打ち、病院に運ばれ救急治療を受
けたが一週間も経たずに死亡した。なお、B社製のこの型の車椅子については、これまで
新聞等において、同種の事故例が報道されている。
こうした事情の下、Cの妻であるDは、こんな車椅子を使わなければ夫を死なせなくて
すんだのにと悔い、悲しみ、つまづいたくらいで暴走するような車椅子を作ったB社、こ
の車椅子の便利さだけを強調し、危険性につき説明をしなかったA社に対してしかるべき
弁償をしてもらいたいと考え、C・D間の一人息子Eの長女で法科大学院生のFにどうし
たらよいか相談にのってくれるよう頼むこととした。Eとしては、DとA社・B社との各
法律関係をどう考えたらよいであろうか。
- 15 -
2 加害行為の違法性(権利又は法律上保護される利益の侵害)
Q 学校法人Zが設置する私立大学を2年前に卒業した女性Xは、3学年に在学中の9
月半ば、受講していた講義の担当教授Yが授業中に「合宿で学びをより深めよう」と呼び
かけたのに応じて、他の受講者10数名とともに、任意参加の合宿に参加した。Xは、宿
泊先の旅館で、夕食後ゼミを始めるためにYを呼びに部屋を訪れたところ、Yに突然抱き
つかれ、胸や下半身を触られた。教育熱心で学生の人気も高かったYにはかねてよりこの
手の噂があったものの、Zとして、具体的な訴えがなかったこともあって、Yに何らの注
意も与えていなかったという事情が認められる。辱められたと思いいたく傷ついたが密か
に耐えてきたXは、セクシャル・ハラスメントに関する報道をしばしば見聞きするに及ん
で、合宿中のいまわしいできごとについて黙っていてはいけないと、弁護士Aに相談し、
YおよびZを相手に損害賠償を求めることを決意した。Aになったつもりで、Xの請求は
法的にどのように構成されるべきか、Y・Zにおいてどのような主張をしてくることが予
想されるか、考えてみよう。
(1)権利侵害から違法性へ
平成16年改正前の民法709条は、「故意又ハ過失ニ
因リテ他人ノ権利ヲ侵害シタル者ハ之ニ因リテ生シタル損害ヲ賠償スル責ニ任ス」と規定
していた。権利侵害を不法行為の成立要件の一つとして規定していたのである。そして、
初期の判例は、権利侵害をかなり厳格に解していた。その代表的な例が「雲右衛門浪曲レ
コード事件」である(大判大正3・7・4刑録20輯1360頁)。すなわち、雲右衛門
に吹き込ませた浪曲のレコードの製造販売をしている会社がこのレコードを権限なくして
複製し売り出した者に対して著作権侵害を理由に損害賠償を求めたという事件につき、大
審院は、浪曲には著作権は成立しないから、権利侵害があるとはいえず、したがって不法
行為は成立しえないとしたのであった。しかし、この結果はいかにも法感覚にあわず(こ
の判決自身これを自覚している )、「権利侵害」という要件につき狭きに失するのではな
いかという疑問がなげかけられることとなったのであるが、その後大正の末になって、大
審院も、「老舗」の利益に対する侵害が問題とされた「大学湯事件」において、不法行為
があるというためには、法律観念上その侵害に対し不法行為に基づく救済を与える必要が
ある利益に対する(法規違反の行為による)侵害があればよいとして、右の見解を改めた
のであった。
学説においても、右のごとき判例理論の展開を契機とし、法制史的・比較法的研究をふ
まえて「権利侵害」要件を緩和(すなわち、保護される利益を拡大)する方向で、違法性
理論が説かれ、通説的な地位を占めるにいたる。この説によれば、709条の「権利の侵
害」は違法な行為の代表的なもの(「 違法性の徴表」)であるにすぎず、違法性こそ「権
利侵害」に代わるべき不法行為の成立要件であって、この違法性の存否は、被侵害利益の
種類・性質と侵害行為の態様(これは、従来、刑罰法規違反、取柿法規違反、権利濫用も
含む公序良俗違反の三つに分類され説明されてきた)との相関関係から判断されるべきも
のであるというのである(
「相関関係説」
)。すなわち、被侵害利益が強固なものであれば、
侵害行為の不法性が小さくても加害に違法性があることになるが、被侵害利益があまり強
固なものでない場合には、侵害行為の不法性が大きくなければ加害に違法性がないことに
- 16 -
なるとされるのである。そして、違法性を成立要件とする立法例もみられるにいたってい
る(国賠1条1項ー「国又は公共団体の公権力の行使に当る公務員が、その職務を行うに
ついて、故意又は過失によって違法に他人に損害を加えたときは、国又は公共団体が、こ
れを賠償する責に任ずる」)。現在でも、「権利侵害」の要件を「違法性」におきかえて説
明する必要はなく、権利なる概念を緩やかに解しさえすれば被害者保護に欠けるところは
ないとする説(「権利拡大説」)がなお存在するが、「違法性」の方が種々の利益衡量を可
能とし、その意味で弾力的・流動的で具体的妥当性を求める不法行為の目的によりよく適
合するということで、判例および多くの学説により違法性説が支持されているといってよ
い。
こうした判例・学説の展開をふまえ、この度の改正によって、民法709条は、「故意
又は過失によって他人の権利又は法律上保護される利益を侵害した者は、これによって生
じた損害を賠償する責任を負う」と定めるに至った。
【重要判例】
①大判大正14・11・28民集4巻670頁
Ⅹの先代AはY1から建物を賃借し、大学湯という老舗の代金として950円を支払っ
て同じ名称で湯屋を営んでいた。右賃貸借が合意解除によって終了すると、Y1はⅩの老
舗売却を妨げ、右建物を造作道具つきでY2に賃貸し、Ⅹは老舗を失うにいたったので、
Y1・Y2に対して不法行為を理由に、損害賠償を求めたという事案につき、
「民法七〇九条は故意又は過失に因りて法規違反の行為に出で以て他人を侵害したる者は
之に因りて生じたる損害を賠償する責に任ずと云うが如き広汎なる意味に外ならず。共の
侵害の対象は、・・・法律観念上其の侵害に対し不法行為に基く救済を与うることを必要
とすと思惟する一の利益なることあるべし」
。
(2)被侵害利益の種類・性質からみた不法行為の類型
(イ)物権的なもの
①所有権
いわば絶対的な権利であって、その侵害は原則として違法性を帯びる。
②占有権
この侵害については198条∼201条に特別の規定がある。
③用益物権 地上権・永小作権・地役権・入会権の侵害については、所有権の侵害の場
合に準じて考えることができる。
④担保物権 とくに抵当権について問題が生ずるのであるが、担保的機能を侵害する行
為は不法行為たりうる。
⑤特別法上の物権 鉱業権、採石権、漁業権といった特別法上の物権の侵害も用益物権
の侵害の場合に準じて扱ってよい。水利権や温泉利用権など、いわゆる慣習法上の物権に
ついても同様に考えられる。
⑥知的財産権
著作権(出版権・著作隣接権を含む)および工業所有権(特許権・商標
権・意匠権等)などは、無形的な利益に対する排他的支配権であって、その侵害は一般に
違法性を帯びる。これらの権利の侵害については、民法の一般的不法行為によっては十分
な保護がえられないから、その要件、救済の方法につき、特別な保護規定が用意されてい
る(特許100条・101条、著作112条・113条など)。
- 17 -
(ロ)債権的なもの
①債権
ⅰ)債務者による侵害の場合
この場合、債務不履行責任(415条)に加え
て、不法行為責任も生じうるかが、いわゆる請求権競合問題として論じられている。
ⅱ)第三者による侵害の場合
かつては、債権は相対権であって、債務者以外の第三者
に対しては、なんら請求しえないとして、第三者の債権侵害は認められなかった。しかし、
その後、権利の不可侵性から、第三者の債権侵害によって不法行為の成立しうることが認
められるにいたった。第三者による債権侵害の態様については、一般に債権の帰属の侵害
の場合(たとえば、債権者でない者が債権の準占有者として弁済を受けたといった場合な
ど)、目的たる給付の侵害の場合(たとえば、出演契約における債務者たる出漁者を監禁
してその履行を不能にした場合など)などが挙げられている。しかし、この場合には、債
権侵害が自由競争の範囲内の合法的な手段で行われるならば(たとえば、二重売買の場合
を想起せよ)、違法性があるとはいえないといわれる。すなわち、第三者による債権侵害
の場合には、常に不法行為が成立するとはいえないのであって、債権侵害が法規違反ない
し公序良俗違反のような不法な手段によって行われた場合に限り、違法性が認められ不法
行為が成立する。債権侵害にあっては、故意行為でなければ不法行為は成立しないなどの
見解が示されていることに注意しなければならない。
②営業権
営業権侵害についても、不法行為が成立しうることは、さきの大学湯事件判
決に徴しても、明らかであるが、ここでも、とりわけ取引活動の自由との関係で、侵害行
為の態様がとくに顧慮されねばならない。具体的には不正競業、ボイコットなどが問題と
なる。
【重要論点】
たとえば、個人タクシーの運転手Aが、運転を誤り電柱に衝突し、乗客Bに怪我をさせ
た場合に、BはAに対し、運送契約上の債務不履行責任を追及しうるとともに、不法行為
責任を問うこともできるやに思われる。ところで、これら両責任の間には、①過失の立証
責任について、前者ではこれを加害者が負い、後者では被害者が負担する、②前者に基づ
く請求権は、原則として、10年の消滅時効にかかるのに対し、後者に基づく請求権は3
年の消滅時効にかかる(ただし、商522条・595条等参照)、③前者において、加害
者(債務者)の着任を軽減する規定が少なからずみられる(民659条、商578条・5
95条等。ただし、失火1条参照)、など要件・効果において相違がある。そこで、債務
不履行責任と不法行為責任の要件をともに充たす場合について、前者のみが通用されると
解する(法条競合説)か、両者が適用されると解する(請求権競合説−従来の通説・判例
(最判昭和38・11・5民集17巻11号1510頁など))かが問題とされている。
さらに、近時、両請求権は観念的に競合するだけで、実質的には一個の請求権しか存在せ
ず、その属性は競合する請求権の各々の法的性質から合理的に取捨選択する(請求権二重
構造説)、両責任規範の共同の法効果として一個の実体的請求権が生じ、その属性は、両
法規の総体によって、原則として債権者側に最も有利なように、統一的に定まる(属性規
範統合説)、構成要件および法的効果につき、履行行為と内的関連を有する行為による侵
害については契約責任法により(人格権侵害またはこれに準ずる場合については格別の考
慮が払われる)、そうでない行為(逸脱有為)による侵害については請求権者に有利な方
- 18 -
を通用してゆく(仝規範統合説)といった説が現れている(吉村良一「不法行為法(第3
版)285頁以下の図参照)
。
【重要判例】
①最判昭和38・11・5民集17巻11号1510頁
Aが海軍呉工廠跡の金属類発掘の許可を得たのでX会社が資金を出して発掘し、利益を
配分することとなった。運送会社Yは、発掘品をXから預かり貨物受取証を発行していた
が、A・X間のいざこざから、Aから発送しないように申し入れられていた。その後、Y
の係員Bは、Xからの電話を誤解し受取証を回収することもなく保管品をAに引き渡して
しまった。そこで、Xが、Yに対し一次的に債務不履行に基づき、二次的に不法行為に基
づき損害賠償を求めた事案につき、
「運送取扱人ないし運送人の責任に関し、運送取扱契約ないし運送契約上の債務不履行に
基づく賠償請求権と不法行為に基づく賠償請求権との競合を認めうることは、大審院判例
(大正一四年(オ)第九五四号、同一五年二月二三日判決、民集五巻一〇八頁)の趣旨と
するとおりであって、当裁判所もこれを認容するものである。それゆえ論旨は理由がない。
・・・右請求権の競合が認められるには、運送取扱人ないし運送人の側に過失あるをもっ
て足り、必ずしも故意又は重過失の存することを要するものではない。・・・原判決がこ
の点において上告会社呉支店係員に過失の責があるとし、これによつて生じたかかる事態
は運送品の取扱上通常予想される事態ではなく、且つ契約本来の目的範囲を著しく逸脱す
るものであるから、債務不履行に止まらず、右係員の過失に基づく不法行為上の損害賠償
請求権の発生をも認めうるとした判断は、首肯することができる」
。
(ハ)人格権的なもの
710条は、財産権の侵害のほかに、身体・自由・名誉の侵害
が不法行為になることを明らかにしている。しかし、これらは例示と考えられており、貞
操・氏名・肖像・夫婦関係・親子関係・プライバシー・健全な生活環境等々に関わる人格
的利益への侵害も不法行為となりうるとされている。
【重要判例】
①最判昭和54・3・30民集33巻2号3030頁
妻X1、未成年の子X2らが、夫Aと情交関係を持ち同棲しているYに対して、X1に
おいては貞操を求める権利、X2らにおいてはAとの共同生活により享受すべき監護、教
育や愛情という利益を侵害したとして慰謝料の賠償を求めたという事案につき、
「夫婦の一方の配偶者と肉体関係を持つた第三者は、故意又は過失がある限り、右配偶者
を誘惑するなどして肉体関係を持つに至らせたかどうか、両名の関係が自然の愛情によつ
て生じたかどうかにかかわらず、他方の配偶者の夫又は妻としての権利を侵害し、その行
為は違法性を帯び、右他方の配偶者の被つた精神上の苦痛を慰謝すべき義務があるという
べきである。(・・・妻及び未成年の子のある男性と肉体関係を持つた女性が妻子のもと
を去つた右男性と同棲するに至つた結果、その子が日常生活において父親から愛情を注が
れ、その監護、教育を受けることができなくなつたとしても、その女性が害意をもつて父
親の子に対する監護等を積極的に阻止するなど特段の事情のない限り、右女性の行為は未
成年の子に対して不法行為を構成するものではないと解するのが相当である。けだし、父
- 19 -
親がその未成年の子に対し愛情を注ぎ、監護、教育を行うことは、他の女性と同棲するか
どうかにかかわりなく、父親自らの意思によつて行うことができるのであるから、他の女
性との同棲の結果、未成年の子が事実上父親の愛情、監護、教育を受けることができず、
そのため不利益を被つたとしても、そのことと右女性の行為との間には相当因果関係がな
いものといわなければならないからである)
」。
② 大判大正10・6・28民録27輯1260頁(自由・名誉)
某村某字のある区に住むXが、群費・村費の補助を得ての道路開設にかかり、道路敷地
の提供を拒んだために結局右補助は取り消され道路の開設ができなくなった。これにかか
り、憤慨した区民Yらが中心となって開かれた区民集会においてなされた、X家を区民と
して扱わない、村中の祭典に参加させない、字共有財産に関係させないなどの決議ほかに
よって、Xは数多の区民から共同絶交されるという状態におかれた。そこで、XはYらを
相手に慰謝料の支払いを求めたという事案につき、
「Y等ハ其部落民中数多の者と共同し同一部落の一人なるXに対し・・・絶交すべき決議
を為して之を通告し尚・・・区内の人はXと同一の歩調を執る者と交際することを禁ずる
旨の申合規約を設け・・・水車業者・・・に対しXの米麦の搗摺(とうよう)を為す可か
らず若し其依頼に応ずるに於てはXと同様に組外ずれにする旨を通知し以て数月間右絶交
の決議を実行したるものにして・・・Xに対し交際上所論の如き各自の自由意思に基き行
動したるに非ずして其部落民中数多の者と協力同盟して絶交し以てXの社交上活動し得べ
き自由を妨げ且X社交上より擯斥(ひんせき)搗摺して其社会より享くべき声価を受くる
ことを得ざるに至らしめたるものと謂う可く其行為は即ち故意を以てXの自由及び名誉を
害したるものにして外ならざるを以て民法第七百九条及び第七百十条の規定に依り不法行
為を構成しY等は其責に任じ之が為めにXの受けたる精神上の損害を賠償することを要す
るは当然なり」。
③最判昭和56・4・14民集35巻3号620頁(名誉・プライバシー)
A会社から解雇されたXが地位保全仮処分を申請した事件において、Aの弁護士Bは弁
護士法23条の2第1項に基づいて所属弁護士会を通じてY市にXの前科と犯罪歴を照会
した。A会社の幹部らが中央労働委員会および裁判所の構内等で事件関係者や傍聴人の前
でYの報告を公表した。そこで、Xは、Yが照会に応じたことで名誉・プライバシーなど
が侵されたとして、損害賠償請求をしたという事案につき、
「前科及び犯罪経歴(以下「前科等」という。)は人の名誉、信用に直接にかかわる事項
であり、前科等のある者もこれをみだりに公開されないという法律上の保護に値する利益
を有するのであつて、市区町村長が、本来選挙資格の調査のために作成保管する犯罪人名
簿に記載されている前科等をみだりに漏えいしてはならないことはいうまでもないところ
である。前科等の有無が訴訟等の重要な争点となつていて、市区町村長に照会して回答を
得るのでなければ他に立証方法がないような場合には、裁判所から前科等の照会を受けた
市区町村長は、これに応じて前科等につき回答をすることができるのであり、同様な場合
に弁護士法二三条の二に基づく照会に応じて報告することも許されないわけのものではな
いが、その取扱いには格別の慎重さが要求されるものといわなければならない。本件にお
いて、原審の適法に確定したところによれば、京都弁護士会が訴外猪野愈弁護士の申出に
より京都市伏見区役所に照会し、同市中京区長に回付された被上告人の前科等の照会文書
- 20 -
には、照会を必要とする事由としては、右照会文書に添付されていた猪野弁護士の照会申
出書に「中央労働委員会、京都地方裁判所に提出するため」とあつたにすぎないというの
であり、このような場合に、市区町村長が漫然と弁護士会の照会に応じ、犯罪の種類、軽
重を問わず、前科等のすべてを報告することは、公権力の違法な行使にあたると解するの
が相当である」。
④最判昭和47・6・27民集26巻5号1067頁(日照・通風の利益)
世田谷区砧町に住んでいたXは、隣地所有者Yが建築基準法所定の容積率に反し、しか
も無届けでした建築によって日照や通風の利益を甚だしく損なわれ、健康を害され、やむ
なく不利な価格で土地家屋を売却し、転居した。Xが、Yに対して、土地家屋の値下がり、
精神的損害にかかる賠償請求をしたという事案につき、
「居宅の日照、通風は、快適で健康な生活に必要な生活利益であり、それが他人の土地の
上方空間を横切ってもたらされるものであっても、法的な保護の対象にならないものでは
なく、加害者が権利の濫用にわたる行為により日照、通風を妨害したような場合には、被
害者のために、不法行為に基づく損害賠償の請求を認めるのが相当である。もとより、所
論のように、日照、通風の妨害は、従来与えられていた日光や風を妨害者の土地利用の結
果さえぎったという消極的な性質のものであるから、騒音、煤煙、臭気等の放散、流入に
よる積極的な生活妨害とはその性質を異にするものである。しかし、日照、通風の妨害も、
土地の利用権者がその利用地に建物を建築してみずから日照、通風を享受する反面におい
て、従来、隣人が享受していた日照、通風をさえぎるものであって、土地利用権の行使が
隣人に生活妨害を与えるという点においては、騒音の放散等と大差がなく、被害者の保護
に差異を認める理由はないというべきである。・・・南側家屋の建築が北側家屋の日照、
通風を妨げた場合は、もとより、それだけでただちに不法行為が成立するものではない。
しかし、すべて権利の行使は、その態様ないし結果において、社会観念上妥当と認められ
る範囲内でのみこれをなすことを要するのであって、
権利者の行為が社会的妥当性を欠き、
これによつて生じた損害が、社会生活上一般的に被害者において忍容するを相当とする程
度を越えたと認められるときは、その権利の行使は、社会観念上妥当な範囲を逸脱したも
のというべく、いわゆる権利の濫用にわたるものであって、違法性を帯び、不法行為の責
任を生ぜしめるものといわなければならない。・・・建築基準法違反がただちにXに対し
違法なものとなるといえないが、Yの前示行為は、社会観念上妥当な権利行使としての範
囲を逸脱し、権利の濫用として違法性を帯びるに至つたものと解するのが相当である。か
くて、Yは、不法行為の責任を免れず、Xに対し、よって生じた損害を賠償すべき義務が
ある」
。
⑤最判昭和63・2・16民集42巻2号27頁(氏名人格権)
Y(NHK)がテレビ放送のニュース番組において在日韓国人であるXの氏名を朝鮮語
読みではなく日本語読みによって呼称したということにかかり、XがYを相手に謝罪、謝
罪文の放送及び新聞紙上への掲載ならびに慰藉料(1円)の支払を求めたという事案につ
き、
「氏名は、社会的にみれば、個人を他人から識別し特定する機能を有するものであるが、
同時に、その個人からみれば、人が個人として尊重される基礎であり、その個人の人格の
象徴であつて、人格権の一内容を構成ずるものというべきであるから、人は、他人からそ
- 21 -
の氏名を正確に呼称されることについて、不法行為法上の保護を受けうる人格的な利益を
有するものというべきである。しかしながら、氏名を正確に呼称される利益は、氏名を他
人に冒用されない権利・利益と異なり、その性質上不法行為法上の利益として必ずしも十
分に強固なものとはいえないから、他人に不正確な呼称をされたからといつて、直ちに不
法行為が成立するというべきではない。すなわち、当該他人の不正確な呼称をする動機、
その不正確な呼称の態様、呼称する者と呼称される者との個人的・社会的な関係などによ
つて、呼称される者が不正確な呼称によって受ける不利益の有無・程度には差異があるの
が通常であり、しかも、我が国の場合、漢字によつて表記された氏名を正確に呼称するこ
とは、漢字の日本語音が複数存在しているため、必ずしも容易ではなく、不正確に呼称す
ることも少なくないことなどを考えると、不正確な呼称が明らかな蔑称である場合はとも
かくとして、不正確に呼称したすべての行為が違法性のあるものとして不法行為を構成す
るというべきではなく、むしろ、不正確に呼称した行為であっても、当該個人の明示的な
意思に反してことさらに不正確な呼称をしたか、又は害意をもつて不正確な呼称をしたな
どの特段の事情がない限り、違法性のない行為として容認されるものというべきである。
更に、外国人の氏名の呼称について考えるに、外国人の氏名の民族語音を日本語的な発音
によって正確に再現することは通常極めて困難であり、たとえば漢字によって表記される
著名な外国人の氏名を各放送局が個別にあえて右のような民族語音による方法によつて呼
称しようとすれば、社会に複数の呼称が生じて、氏名の社会的な側面である個人の識別機
能が損なわれかねないから、社会的にある程度氏名の知れた外国人の氏名をテレビ放送な
どにおいて呼称する場合には、民族語音によらない慣用的な方法が存在し、かつ、右の慣
用的な方法が社会一般の認識として是認されたものであるときには、氏名の有する社会的
な側面を重視し、我が国における大部分の視聴者の理解を容易にする目的で、右の慣用的
な方法によって呼称することは、たとえ当該個人の明示的な意思に反したとしても、違法
性のない行為として容認されるものというべきである。・・・これを本件についてみるに、
・・・在日韓国人の氏名を民族語読みによらず日本語読みで呼称する慣用的な方法は、右
当時(昭和50年)においては我が国の社会一般の認識として是認されていたものという
ことができる。そうすると、被上告人が上告人の氏名を慣用的な方法である日本語読みに
よつて呼称した右行為には違法性がな(い)
。」
。
⑥最判平成12・2・29民集54巻2号582頁(人格権)
Y病院の医師Aが、「エホバの証人」の信者でありいかなる場合でも輸血を拒否すると
いう固い信念を有していたAに対して輸血をしない限り救うことはできないと判断して輸
血をしたところ、退院後輸血の事実を知ったB(訴訟提起後Aは死亡してXが相続して訴
訟を承継した)がYを相手に損害賠償を求めたという事案につき、
「A医師らが、Bの肝臓の腫瘍を摘出するために、医療水準に従った相当な手術をしよう
とすることは、人の生命及び健康を管理すべき業務に従事する者として当然のことである
ということができる。しかし、患者が、輸血を受けることは自己の宗教上の信念に反する
として、輸血を伴う医療行為を拒否するとの明確な意思を有している場合、このような意
思決定をする権利は、人格権の一内容として尊重されなければならない。そして、Bが、
宗教上の信念からいかなる場合にも輸血を受けることは拒否するとの固い意思を有してお
り、輸血を伴わない手術を受けることができると期待してYに入院したことをA医師らが
- 22 -
知っていたなど本件の事実関係の下では、A医師らは、手術の際に輸血以外には救命手段
がない事態が生ずる可能性を否定し難いと判断した場合には、Bに対し、Yとしてはその
ような事態に至ったときには輸血するとの方針を採っていることを説明して、Yへの入院
を継続した上、A医師らの下で本件手術を受けるか否かをみさえ自身の意思決定にゆだね
るべきであったと解するのが相当である。
ところが、A医師らは、本件手術に至るまでの約一か月の間に、手術の際に輸血を必要
とする事態が生ずる可能性があることを認識したにもかかわらず、Bに対してYが採用し
ていた右方針を説明せず、B及びYらに対して輸血する可能性があることを告げないまま
本件手術を施行し、右方針に従って輸血をしたのである。そうすると、本件においては、
A医師らは、右説明を怠ったことにより、Bが輸血を伴う可能性のあった本件手術を受け
るか否かについて意思決定をする権利を奪ったものといわざるを得ず、この点において同
人の人格権を侵害したものとして、同人がこれによって被った精神的苦痛を慰謝すべき責
任を負うものというべきである。そして、また、Yは、A医師らの使用者として、Bに対
し民法715条に基づく不法行為責任を負うものといわなければならない」
。
⑦ 参考
記事「国立のマンション訴訟、住民側の敗訴が確定
最高裁判決」
2006 年 03 月 30 日 20 時 28 分
東京都国立市の「大学通り」沿いの14階建てマンション(高さ約44メートル)をめ
ぐり、地元の住民が「景観が壊された」と建築主の「明和地所」
(渋谷区)などを相手に、
上層部の撤去などを求めた訴訟の上告審判決が30日、あった。最高裁第一小法廷(甲斐
中辰夫裁判長)は、「良好な景観の恩恵を受ける利益(景観利益)は法的保護に値する」
とする初めての判断を示した。だが、今回の場合は「利益への違法な侵害はない」として、
住民側の上告を棄却。住民側の敗訴が確定した。
第一小法廷は、都市の景観について「歴史的、文化的環境を形作り、豊かな生活を構成
する場合には客観的な価値がある」と指摘。憲法の幸福追求権をベースに地域住民には「景
観利益」があると認め、各地の景観被害をめぐって住民が裁判で回復を求める道を開いた。
一方で、利益が違法に侵害されたと言うためには、「侵害行為が法令や公序良俗に反し
たり、権利の乱用に当たるなど、社会的に認められた行為としての相当性を欠く程度のも
のでなければならない」と、実際の被害救済にはやや高いハードルを設ける内容となった。
舞台の「大学通り」については、整備された歴史的な経緯や、街路樹と建物の高さの調
和などから「景観利益がある」と判断。だが市には当時、高さなどを規制する条例はなく、
建物自体に法令違反もないため、「容積と高さを除けば、調和を乱すような点はない」と
して、景観利益の侵害はないと結論づけた。
原告住民の石原一子さん(81)は「撤去が認められず残念だ」とする一方、景観利益
という考え方が認められたことは「7年間の努力が認められた」と喜んだ。
明和地所は「当方の主張が認められた。入居者に心配と迷惑をかけたが、今後は、安心
して生活してもらえる」との談話を出した。
この訴訟では、一審・東京地裁判決が「地権者の景観利益を侵害する」として、通りに
面した棟の20メートルを超える部分(7階以上)の撤去を命じたが、二審で覆された。
二審は「景観利益」も認めなかった。
- 23 -
(3)違法性阻却事由
侵害行為と被侵害利益とから考えて、通常は、違法性のある場合
でありながら、侵害行為を正当視すべきなんらかの事由があるために、違法性がないとさ
れることがある。こうした事由を違法性阻却事由とよぶ。民法は、違法性阻却事由として、
正当防衛(720条1項本文)、緊急避難(720条2項)の二つを規定しているが、被
害者の承諾、正当業務行為なども違法性を阻却することがあるといわれる。違法性阻却事
由の立証責任は、被告たる加害者が負う。違法性阻却は、損害賠償請求に対する抗弁の一
つと位置づけられるのである。
なお、行政上の特許ないし許可は、私法上の違法性を当然に阻却するものではないこと
に注意すべきである。
【重要判例】
最判昭和37・2・27判時民集16巻2号407頁(鬼ごっこ事件)
Yの子A(小学2年生)は友達と「鬼ごっこ」をしていた際、X(小学1年生)がそば
に立っていたので追っ手から逃れるために自分を背負って走るようにXに頼んだところ、
XはAを背負ったまま転倒し負傷した。そこで、Xは、Aの監督義務者であるYを相手に
民法714条に基づき損害賠償を求めたという事案につき、
「自己の行為の責任を弁識するに足りる知能を備えない児童が『鬼ごっこ』なる一般に
容認される遊戯中に前示の事情の下に他人に加えた傷害行為は、特段の事情が認められな
い限り、該行為の違法性を阻却すべき事由あるものと解するのが相当である」。
(←→最判昭和43・2・9判時510号38頁(インディアンごっこ事件))
「加害者福島美夫(当時八才、小学二年生)と矢田川明の両名がいずれも手製の弓(古
竹を割り、これに紐を張つて作製した長さ約五〇センチメートルのもの。)と矢(よもぎ
の枯茎の先端を削つて作製した長さ約五〇センチメートルのものでその先端は削られてい
るもの。)を携えて、被上告人(当時六才)他三名の児童らと屋外において戦争ごつこま
たはインデイアンごっこという遊戯をし、右六名が二派に分れて美夫、矢田川の両名が所
携の弓矢をもってその余の者を追いかけることとし、被上告人他一名は美夫に追われてご
み箱かげに身を寄せていたが、美夫がそのほゞ四メートル手前から被上告人に向かってつ
て弓に矢をつがえて放つたところそのうちの一本の矢があやまつて被上告人の左眼に当
り、これにより被上告人の左眼は失明するに至った、というのであるから、美夫の右行為
は、遊戯中の行為であるからといってもその行為の態様、なかんずく本件の如く重大な結
果を発生するおそれがあることなどからみて社会的に是認されるものということはできな
い。従つて、これと同旨の判断のもとに、美夫の本件行為について違法性がないとはいえ
ないとした原審の判断は正当」
②最判昭和41・6・23民集20巻5号1118頁
Yは、自己の発行する甲新聞に、国政選挙に立候補し落選したⅩにつき、立候補にあた
って経歴詐称の疑いがあり警察が捜査している、殺人の前科があり大赦仮出所で昭和28
年の選挙にかろうじて被選挙権を得たばかりであるなどの記事を掲載した。Ⅹは、この記
事により名誉および信用が毀損されたとして、Yに対し、慰謝料の支払いとともに、名誉
回復の処分として謝罪文掲載を求めて、本訴を提起。本判決は、次のように判示して、請
求を棄却した原判決の判断を正当であるとした。
- 24 -
「民事上の不法行為たる名誉毀損については、その行為が公共の利害に関する事実に係
りもっぱら公益を図る目的に出た場合には、摘示された事実が真実であることが証明され
たときは、右行為には違法性がなく、不法行為は成立しないものと解するのが相当であり、
もし右事実が真実であることが証明されなくても、その行為者においてその事実を真実と
信ずるについて相当の理由があるときには、右行為には故意もしくは過失がなく、結局、
不法行為は成立しないものと解するのが相当である」
。
3 損害の発生・因果関係
(1)損害の発生
七〇九条によれば、損害の発生も不法行為の成立要件とされている。
すなわち、わが民法においては、英米法における名目的損害賠償、懲罰的損害賠償のごと
き制度は認められておらず、違法行為があっても、被害者に現実的な損害が生じていない
以上不法行為は成立しない。
ここで損害とは、
「問題の加害行為の作用を受けた結果として現に存在する利益状態と、
当該加害行為がなかったと仮定したならば存在したであろう利益状態との差である」とさ
れる(差額説ー最判昭和39・1・28民集18巻1号226頁参照)。具体的には、当
該主体について生じた財産的な利益状態、財産以外の利益状態に生じたマイナスを、金銭
に換算し積み上げていくことによって把握される(損害=金銭説・現実損害説→個別損害
積上方式)。なお、これに対して、(とりわけ人身損害にかかわり)侵害された法益の価
値喪失(たとえば不利益な事実)そのものを損害ととらえる有力説(損害=事実説・実体
的価値説。損害をこう把握したのち、裁判所が裁量により金銭評価)がある。
損害について、伝統的には以下のごとき分類がなされている。
(イ)財産的損害
財産的損害とは、当該主体について生じた財産的・経済的な不利益状
態(損失)をいう。これについては、さらに、人的損害(人間の身体に対して加えられた
損害)・物的損害(身体以外の物に対して加えられた損害)、積極的損害(たとえば、所
有物の滅失、治療費の支出など、既存財産の減少)
・消極的損害(得べかりし利益の喪失、
逸失利益)という分類がなされている。
(ロ)非財産的損害ないし精神的損害
非財産的ないし精神的損害とは、加害行為によっ
て被害者主体が感じた苦痛、不快感のごとく、人の精神の安定状態が損なわれたことをい
う。これについての賠償金は一般に慰謝料とよばれている。
【附論ー損害概念】
すでに述べたように、損害論(「損害」の本質)をめぐって、「損害=金銭説」(現実損
害説)と「損害=事実説」(実体的価値説)との間に対立がある。前者は、損害を財産的
損害(これをさらに積極的損害・消極的損害)と非財産的損害に分類し、各損害項目を金
銭的に評価して積み上げ、算出される額をもって損害(身体侵害によって現実に生じた金
銭的な被害)ととらえる。これに対し、後者は、人の死傷、物の滅失・毀損それ自体を損
害とみる(この論者によれば、その金銭評価は裁判所の裁量によるものとされ、裁判所に
おいて用いられている評価の準則が被侵害利益にそって類型的に示されるー平井『債権各
論Ⅱ
不法行為』138 頁以下を参照)。判例は「損害=金銭説」に立つものと解されてい
る(最判昭和42・11・10民集21巻9号2352頁は、労働能力の喪失・減退にも
- 25 -
かかわらず損害が発生しなかった場合には、それを理由とする賠償請求ができないことい
うまでもないとする。なお、被害者が年少者や専業主婦の場合の逸失利益の判断にみられ
るように損害を規範的にとらえることもしている点には留意すべきである。もっとも、最
判昭和56・12・22民集35巻9号1350頁は、かりに身体的機能の一部を喪失し
たこと自体を損害と観念できるとしても、それが軽微で収入減が認められない場合には、
損害の発生も認められない旨判示し、「損害=事実説」への理解を示していると評されて
いる)
。
(2)加害行為と損害との間の因果関係
被害者に生じた損害を不法行為を理由として加
害者に転嫁するためには、加害行為と損害の発生との間に因果関係の存在することが必要
とされている。
この因果関係については、従来、相当因果関係説が通説であり、判例もこれを採用して
いる(大判大正15・5・22民集5巻386頁)。これによれば、709条の因果関係
は、相当因果関係であって、これがあるとされるのは、第一に、その行為がなければその
損害が生じなかったであろうと認められ(事実的因果関係の存在)、かつ、第二に、その
ような行為があれば通常はそのような損害が生じるであろうと認められる場合である。そ
して、相当因果関係を表わす416条が不法行為にも類推適用されるというのである。
債務不履行における損害賠償の範囲を定める416条を、債務不履行の場合とは異なり
当事者間での具体的債権関係の存在を前提としえない不法行為に適用しうるかは問題であ
るが、事実としての因果関係の連鎖は際限なく連続しひろがってゆく可能性があるから
(「風が吹けば桶屋がもうかる」)、事実関係の連鎖に対して法的評価を加えて、一定のし
ぼりをかけ、そのしぼられた範囲内にあるものについてだけ不法行為の成立を認め、賠償
義務を負わせることが妥当であると考えられるため、しぼりをかける基準として「相当因
果関係」という概念が用いられていると考えられるのである。
近時は、加害行為と損害の発生との間の因果関係(事実的因果関係)ではなく、どこま
で賠償させるべきかを論ずるにかかり、(因果関係という概念から離れ)「保護範囲」「危
険範囲 」、「帰責範囲」といった概念が提唱されつつある。相当因果関係という概念によ
って、因果関係の存否、賠償範囲の確定、賠償額の算定という三つの異質な問題が論じら
れてしまっていたという理論的反省に立つものである。
損害の発生、因果関係の存在については、被害者たる原告が立証責任を負う。
【附論ー事実的因果関係の立証】
事実的因果関係が存在するかは、Yの行為とⅩに生じた損害との間に「あれなければこ
れなし」という条件関係が存在するかによって判断される(ただし、「事実的因果関係が
並行重複する場合」「
・ 原因複合の場合」「
・ 仮定的因果関係を伴う場合」と「因果関係中
断の場合」については、注意が必要である)。この点についての立証責任は、被害者が負
担するが、公害・薬害・医療事故などにおいては、事実的因果関係それ自体があまり明瞭
でなく、これらの場合に、証明を厳格に要求すると、被害者救済が事実上不可能になって
し享つので(因果関係に関する資料は多く被告が独占するなどの事情も考慮して)、立証
責任の軽減が図られている(蓋然性説、間接反証説、危険領域説などー最判昭和50・1
- 26 -
0・24民集29巻9号1417頁、新潟地判昭和46・9・29判時642号96頁な
どを参照)。
【重要判例】
①大判大正15・5・22民集5巻386頁
Xの汽船富貴丸は、Yの汽船と衝突し沈没した。Xは、事故はY汽船船長の過失にでた
ものとして、船価の高騰がピークに達した大正6年の船価をもとに180万円余(そして
事故後4年間の傭船料)の損害賠償を求めたという事案につき、
「
不法行為ニ因リ物ヲ滅失又ハ毀損セラレタル者ハ現実ノ損害ニ対スル賠償ヲ請求スル
コトヲ得ルノ外其ノ物ヲ使用収益スルコトヲ得サルニ因リテ生スヘキ損害ノ賠償ヲ請求ス
ルコトヲ得ヘキモノナレハ被害者ハ現実損害ニ対スル賠償ヲ受ケタルカ為不法行為微リセ
ハ取得スルコトヲ得ヘカリシ利益ノ喪失ニ対スル損害賠償ノ請求権ヲ失フヘキモノニ非ス
ト雖物ノ滅失毀損ニ対スル現実ノ損害ハ物ノ滅失毀損シタル当時ノ価格ニ依リテ之ヲ定ム
ルコトヲ要シ且其ノ価格ハ交換価格ニ依リテ定マルヘキモノトス然リ而シテ物ノ交換価格
ハ通常其ノ物ノ使用収益ヲ為シ得ヘキ価値ニ対応スルモノニシテ其ノ物ノ通常ノ使用価格
ヲ包含スルモノト謂フヘク換言スレハ現在及将来ニ於テ其ノ通常ノ使用収益ニ因ル利益ヲ
得ヘキコトカ其ノ物ノ現在ノ価格ヲ為スモノト謂ハサルヘカラス故ニ被害者カ滅失毀損当
時ニ於ケル物ノ価格ヲ標準トシテ定メラレタル賠償ヲ得タルトキハ其ノ被害者ハ将来其ノ
物ニ付通常ノ使用収益ヲ為シ得ヘキ利益ニ対スル賠償ヲモ得タルモノト謂フヘク更ニ斯ル
賠償ヲ請求スルコトヲ得ス加害者カ賠償金ノ支払ヲ遅延シタル場合ニ付唯被害当時ヨリ賠
償ヲ受クル迄ノ間ニ於ケル法定利息ヲ請求スルコトヲ得ルニ過キサルモノトス之ニ反シテ
被害者カ其ノ独特ノ技能特別ナル施設其ノ他其ノ物ノ特殊ノ使用収益ニ因リ異常ノ利益ヲ
得ヘカリシ特別ノ事情アル場合ニ於テ不法行為ニ因リ使用収益ヲ妨ケラレ為ニ其ノ得ヘカ
リシ利益ヲ失ヒタルトキハ不法行為ト損害トノ間ニ相当因果関係存スル限リ該利益喪失ニ
対スル被害者ノ賠償請求権ヲ認メサルヘカラス蓋不法行為ニ因リテ生スル損害ハ自然的因
果関係ヨリ論スルトキハ通常生シ得ヘキモノナルト特別ノ事情ニ因リテ生シタルモノナル
トヲ問ハス又予見シ若ハ予見シ得ヘカリシモノナルト否トヲ論セス加害者ハ一切ノ損害ニ
付責ニ任スヘキモノト謂ハサルヲ得スト雖其ノ責任ノ範囲広キニ過キ加害者ヲシテ無限ノ
負担ニ服セシムルニ至リ吾人ノ共同生活ニ適セス共同生活ノ関係ニ於テ其ノ行為ノ結果ニ
対スル加害者ノ責任ヲ問フニ当リテハ加害者ヲシテ一般的ニ観察シテ相当ト認メ得ル範囲
ニ於テノミ其ノ責ニ任セシメ其ノ以外ニ於テ責任ヲ負ハシメサルヲ以テ法理ニ合シ民法第
七百九条以下ノ規定ノ精神ニ適シタルモノト解スヘキモノナレハナリ然リ而シテ民法第四
百十六条ノ規定ハ共同生活ノ関係ニ於テ人ノ行為ト其ノ結果トノ間ニ存スル相当因果関係
ノ範囲ヲ明ニシタルモノニ過キスシテ独リ債務不履行ノ場合ニノミ限定セラルヘキモノニ
非サルヲ以テ不法行為ニ基ク損害賠償ノ範囲ヲ定ムルニ付テモ同条ノ規定ヲ類推シテ其ノ
因果律ヲ定ムヘキモノトス而シテ物ノ通常ノ使用収益ニ因リテ得ヘキ利益ノ喪失ハ不法行
為ニ因リテ通常生スヘキ損害ヲ包含スルモノナレハ被害者カ物ノ特殊ノ使用収益ニ因リ得
ヘカリシ利益ヲ失ヒタリトシテ之カ賠償ヲ請求スルニハ民法第四百十六条第二項ノ規定ニ
準拠シ不法行為ノ当時ニ於テ将来斯ル利益ヲ確実ニ得ヘキコトヲ予見シ又ハ予見シ得ヘカ
リシ特別ノ事情アリシコトヲ主張シ且立証スルコトヲ要スルモノト謂ハサルヲ得ス」
- 27 -
②最判昭和38・9・26民集17巻8号1040頁
運転手Aがガソリンを使って自動三輪車のクラッチを修理洗滌中、ガソリン罐に引火し
ろうばいしたAがそれを投げ出したところ、その罐がAのそばにいたBに当たって作業服
が燃え上り、Bが大やけどをし、死に至ったので、遺族ⅩがAの使用者Yに損害賠償を求
めた事案につき、
「自動車運転手Aがガソリンを使用して自動三輪車のクラッチを洗滌するに際し、その作
業を助けるためAの傍近くから電灯を照射しているBがいる等判示の事情の存する場合に
おいては、Aが、自己の過失によりガソリンの入っている罐に引火炎上させ狼狽して、こ
れを投げすてたときは右炎上したガソリン罐がBにあたりその衣服を炎上させBに火傷を
負わせて死にいたらしめるであろうことを予見しうるものであるから、Aの前記クラッチ
洗滌行為とBの死亡との間には相当因果関係が存すると解すべきである」
。
③最判昭和48・6・7民集27巻6号682頁
Ⅹは,本件不動産を担保に銀行から融資を受け東京への事業進出を考えていたところ、
Yが右不動産につき被保全権利を欠くにもかかわらず処分禁止の仮処分を執行したためこ
れを担保に供することができず、融資銀行に対する信用を失墜し、東京進出は一頓挫を来
たし,計画実現が5カ月遅延したことにかかり、得べかりし営業利益を失い、信用失墜や
精神的苦痛を被ったとして、Yを相手に損害賠償を求めたという事案につき、
「(原審が、Ⅹ主張の損害は特別損害であるから、Ⅹが右不動産を東京進出のため担保に
供する予定であったなどの事実をYが具体的に了知しまたは了知しうべかりし状況にあっ
たことが必要であるがこれを認めるに足りる証拠がないとして請求を容れなかったので、
Xが不法行為者は少なくとも加害行為と損害との間に相当因果関係が認められる限り,そ
の損害について予見が可能であろうとなかろうとすべてその責任を負うと主張したのに対
し)不法行為による損害賠償についても、民法416条が類推適用され特別の事情によっ
て生じた損害については、加害者において,右事情を予見しまたは予見することを得べか
りしときにかぎり、これを賠償する責を負うものと解すべきであることは、判例の趣旨と
するところであり(大審院大正15年5月22日判決・民集5巻386頁(富貴丸事件)
・・・)、いまだただちにこれを変更する要をみない。」
裁判官大隅健一郎の反対意見
「(一)多数意見は、不法行為による損害賠償についても民法四一六条が類推適用され、
特別の事情によつて生じた損害については、加害者において、右事情を予見しまたは予見
することをうべかりしときにかぎり、これを賠償すべき責を負うべきものと解し、かよう
な立場から、本件において上告人の主張する財産上および精神上の損害は、すべて、被上
告人の本件仮処分の執行によつて通常生ずべき損害にあたらず、特別の事情によつて生じ
たものと解すべきであり、かつ、被上告人において右事情の存在を予見しまたは予見しう
べかりし状況にあつたものとは認められない、として上告人の請求を排斥した原判決を是
認しているが、私は、不法行為による損害賠償につき民法四一六条が類推適用されるとす
る見解そのものに賛成することができなく、したがつて、かかる見解に立つて原判決を支
持する多数意見には同調することができないのである。
(二) わが民法は、債務不履行による損害賠償の範囲については同法四一六条の規定を
設けているが、不法行為による損害賠償の範囲についてはなんらの規定もおいていない。
- 28 -
そこで、右の四一六条の規定を不法行為の場合にも類推適用すべきものと解するのが、従
来の判例および学説における通説であり、本判決における多数意見もこれに従うものにほ
かならない。
民法四一六条によると、債務者がその債務の本旨に従つた履行をしない場合において債
権者が請求することをうべき損害賠償の範囲は、原則としてその債務不履行によつて通常
生ずべき損害に限られるが、特別の事情により生じた損害であつても、当事者がその事情
を予見しまたは予見することをうべかりしときは、これにも及ぶものとされている。そし
て、従来の多数の見解は、債務不履行による損害賠償の範囲はいわゆる相当因果関係によ
つて定められるべきであり、右の民法四一六条の規定はあたかもその相当因果関係の内容
を定めたものであるとするのである。しかし、この規定がある以上、解釈上は、債務不履
行による損害賠償の範囲はもつぱら同条によつて定まるのであるから、この場合、同条の
ほかに相当因果関係の概念をもち込むことは、右の規定の合理性を説明する手段としてな
らばとにかく、解釈上は必要のないことといわなければならない。
(三) 債務不履行に関する右の民法四一六条の規定を不法行為による損害賠償につき類
推適用すべきものとする見解には、種々の点で疑問があるのを免れない。
債務不履行の場合には、当事者は合理的な計算に基づいて締結された契約によりはじめ
から債権債務の関係において結合されているのであるから、債務者がその債務の履行を怠
つた場合に債権者に生ずる損害について予見可能性を問題とすることには、それなりに意
味があるのみならず、もし債権者が債務不履行の場合に通常生ずべき損害の賠償を受ける
だけでは満足できないならば、特別の事情を予見する債権者は、債務不履行の発生に先立
つてあらかじめこれを債務者に通知して、将来にそなえる途もあるわけである。これに反
して、多くの場合全く無関係な者の間で突発する不法行為にあつては、故意による場合は
とにかく、過失による場合には、予見可能性ということはほとんど問題となりえない。た
とえば、自動車の運転者が運転を誤つて人をひき倒した場合に、被害者の収入や家庭の状
況などを予見しまたは予見しうべきであつたというがごときことは、実際上ありうるはず
がないのである。その結果、民法四一六条を不法行為による損害賠償の場合に類推適用す
るときは、立証上の困難のため、被害者が特別の事情によつて生じた損害の賠償を求める
ことは至難とならざるをえない。そこで、この不都合を回避しようとすれば、公平の見地
からみて加害者において賠償するのが相当と認められる損害については、特別の事情によ
つて生じた損害を通常生ずべき損害と擬制し、あるいは予見しまたは予見しうべきでなか
つたものを予見可能であつたと擬制することとならざるをえないのである。そうであると
するならば、むしろ、不法行為の場合においては、各場合の具体的事情に応じて実損害を
探求し、損害賠償制度の基本理念である公平の観念に照らして加害者に賠償させるのが相
当と認められる損害については、通常生ずべきものであると特別の事情によつて生じたも
のであると、また予見可能なものであると否とを問わず、すべて賠償責任を認めるのが妥
当であるといわなければならない。不法行為の場合には、無関係な者に損害が加えられる
ものであることからいつて、債務不履行の場合よりも広く被害者に損害の回復を認める理
由があるともいえるのである。このように考えると、民法が債務不履行について四一六条
の規定を設けながら、これを不法行為の場合に準用していないのは、それだけの理由があ
つてのことといわざるをえないのであつて、この規定を不法行為について類推適用するこ
- 29 -
ともまた否定されなければならないのである。
(四) 以上のように、不法行為による損害賠償については、民法四一六条は類推適用さ
れないものと考える。ところで、不法行為による損害賠償責任が認められるためには、行
為と損害との間に、その行為がなかつたならば当該損害は生じなかつたであろうという関
係が存しなければならないが、かような事実的な因果の連鎖は際限のないものであるから、
法律上の問題としては、右のような事実的因果関係の存在を前提としながら、そのうちど
の範囲の損害を行為者に賠償させるのが妥当かという考慮が必要とされる。これがいわゆ
る法律上の因果関係の問題であるが、従来法律上の因果関係の問題として論じられていた
ものの中には、過失の問題、賠償額の算定(いかなる価格によるべきか、その価格の算定
は何時を基準とすべきか)の問題など、本来因果関係の範疇の外にある問題が混入してい
ることを注意しなければならない。また、行為との間に事実的因果関係のある損害につき
どこまで行為者に賠償させるのが妥当かということは、いうまでもなく価値判断の問題で
あつて、事実として確定されるものではない。それは、各個の事件ごとに、その事実関係
の中から、不法行為制度の基本理念である公平の観念に照らして導かれるべきものであつ
て、不法行為における損害賠償責任の正しい限界づけは、個々の判例の中から類型的に帰
納されえても、一般的な公式によつて定められるべきものではないのである。
右のような見解に対しては、当然、不法行為による損害賠償の範囲の認定につき裁判官
の恣意が入り込むのを許すことになり、法的安定を害するとの批判が予想される。しかし
ながら、不法行為による損害賠償につき民法四一六条の規定を類推適用しても、ある損害
が通常生ずべき損害であるか、特別の事情によつて生じた損害であるかの限界は必ずしも
明らかでなく、これを区別することは実際上困難な場合が少なくなく、そのことは予見可
能性の存否についても同様であつて、結局は、公平の観念に照らして行為者にその損害を
賠償させるのが妥当かどうかの判断が先行し、それを前提として民法四一六条の規定の解
釈上の操作がなされることになるのである。それゆえ、民法四一六条を類推適用したから
といつて、必ずしも、不法行為による損害賠償の範囲が明確になり、法的安定が確保され
るとはいいがたく、むしろ、現在のような複雑な社会において生起する不法行為による損
害賠償請求事件においては、右の規定を類推適用するときは、被害者の救済を困難ならし
めるおそれのあることの方が留意されなければならないと思う。
なお、以上述べたところは財産的損害の賠償についてであつて、慰藉料については、裁
判所が、諸般の事情を斟酌して、自由裁量により決することをうるものと考える。
(五) 以上述べたところによれば、不法行為による損害賠償についても民法四一六条を
類推適用すべきものとし、上告人の主張する損害はすべて特別の事情によつて生じた損害
と解すべきであり、かつ、被上告人には右の事情につき予見可能性がなかつたものとして
上告人の請求を排斥した原判決には、法律の解釈適用を誤つた違法があり、破棄を免れな
いとともに、前述のような見地から上告人の請求につきあらためて認定判断する必要があ
るので、本件を原審裁判所に差し戻すべきものと考える。」
④最判昭和50・10・24民集29巻9号1417 7 頁(東大ルンバール事件)
化膿性髄膜炎で東大病院に入院していた X は、A医師らの治療を受け快方に向かって
いたが、なお症状が残っていたのでAによりルンバールによるペニシリンの髄腔内注入を
受けたところ、ショック症状を呈し、右半身不全麻痺知能障害などの後遺症を残すにいた
- 30 -
った。そこで、Ⅹは、国Yに対して損害賠償を求めたところ、Yが髄膜炎の再燃がⅩの症
状の原因であると主張したという事案につき、
「因果関係の立証は、一点の疑義も許されない自然科学的証明ではなく、経験則に照らし
て全証拠を総合検討し、特定の事実が特定の結果発生を招来した関係を是認しうる高度の
蓋然性を証明することであり、その判定は,通常人が疑を差し挟まない程度に真実性の確
信を持ちうるものであることを必要とし,かつそれで足りる。」
⑤新潟地判昭和46・9・29下民集22巻9・10号1頁
阿賀野川流域の、川魚を多食する住民の間に、昭和39年頃から有機水銀中毒症の思考
が多数あらわれた。被害者Ⅹたちは、水銀の発生源はYの鹿瀬工場にあるとして、Yに対
し賠償を求めたという事案について、
「化学公害事件においては、被害者に射し自然科学的な解明までを求めることは不法行
為制度の根幹をなしている衡平の見地からして相当でなく、因果関係論上問題となる①被
害者疾患の特性とその原因物質、②原因物質が被害者に到達する経路(汚染経路)につい
ては、その情況証拠の積み重ねにより、関係諸料学との関連においても矛盾なく説明がで
きれば、法的因果関係の面ではその証明があったものと解すべきであり、右程度の①、②
の立証がなされて汚染源の追求がいわば企業の門前にまで到達した場合、③加害企業にお
ける原因物質の排出については、むしろ企業側において、自己の工場が汚染瀕になり得な
い所以を証明しない限り、その存在を事実上推認され、その結果すべての法的因果関係が
立証されたものと解すべきである」
。
4 責任能力
加害者行為者に、行為によってなんらかの法的責任が生ずることを認識できるだけの判
断・精神能力(加害行為が道徳上不正であるということを弁識できるだけの能力では足り
ない)がなければ、加害者行為者は責任を免れるものとされている。
その根拠として、かつては、過失責任の原則のいわば論理的前提であるとされていた。
つまり、故意・過失においては自己の行為の結果を予見し回避するためには一定の判断能
力がなくてはならないと考えられるからである。しかし、過失につき抽象的過失と解する
とすれば、平均人よりも判断能力の劣る者にも平均的な注意をすることが求められるので
あるから、責任能力あることが過失故意・過失の当然の前提になっているわけではないと
もいえる。そこで、むしろ、責任能力制度は、客観的過失責任主義のもとで、著しく判断
能力の低い一定の者にづいて免責を認めるという政策に基づく制度であると考える説が近
時有力となっている。
民法は、責任無能力による免責を、未成年者(712条)と精神上の障害のある者(7
13条)につき規定している。
(1)未成年者
未成年者は、他人に損害を加えた場合において、その行為の責任を弁識
するに足るべき知能を具えなかったときは、不法行為責任を負わないものとされる。未成
年者の責任能力の有無は、必ずしも年齢などを基準に画一的に決められるのではなく、個
人ごとに、当該行為の種類・性質によって判断されることになるが、裁判例においては、
ほぼ一二歳位が一応の基準と考えられている(大判大正4・5・12民録21輯692頁
ー少年店員豊太郎事件11歳11ヶ月、大判大正6・4・30民録23輯715頁ー光清
- 31 -
撃つぞ事件12歳2ヶ月)。責任能力の有無の判断は、被害者への賠償資力の確保(使用
者責任・監督義務者の責任の成否)と関わりがあるとされるが、この点で、最近、裁判所
が比較的緩やかに責任能力のある未成年者の責任とその監督者の責任の併存を認めている
ことに留意したい(最判昭和49・3・22民集28巻2号347頁)。賠償資力の確保
のために責任能力がありとする年齢を上げる要は必ずしもないのである。
(2)精神上の障害のある者 たとえば、精神病者、知恵おくれの者、泥酔者、薬物中毒
者などの加害行為においてみられうることであるが、加害行為者が、精神上の障害によっ
て自己の行為の責任を弁識する能力を欠く状態にある間に他人に損害を加えたときには、
不法行為責任を負わないとされる。
なお、一時的に責任を弁識する能力を欠く状態にあった者も本条の通用を受けるが、故
意または過失によって一時その状態を招いた者は、不法行為責任を免れない(713条但
書)。
責任能力についての立証責任は、すでに述べたように、その不存在を主張する者が負う
とされている。責任能力のないことが損害賠償請求に対する抗弁の一つと位置づけられる
のである。
責任無能力者のなした行為については、後述するように、監督義務者・代理監督者の責
任が生じうる(714条)。
なお、責任が成立することにかかり、責任能力を問わない場合もあることに留意したい。
たとえば、土地工作物責任(717条)において所有者は責任能力がないからといって免
責されることを得ない。
- 32 -
Q
(1)まず,教授Yの責任であるが,X・Y間には契約関係はないから,問題となるのは,
不法行為責任である。その成立要件として,故意・過失,違法性(権利侵害),損害の発
生が挙げられる(民法 709 条。なお,不法行為の成立要件について学説上いわゆる主観的
要件・客観的要件一元説が存在することにつき,さしあたり,藤岡ほか「
(有斐閣Sシリ
ーズ)民法Ⅳ(第2版)」260 頁以下,吉村良一『不法行為法(第2版)
』76 頁以下,加藤
雅信『新民法体系Ⅴ』190 頁以下など参照)
。
なお,本設問の場合に,加害者の責任能力(民法 713 条)はとくに論ずる必要がないが,
留意すべきは,責任能力は厳密には責任阻却要件というべきであって,加害者が不法行為
をなした当時責任を弁識するに足りる判断能力を持たなかったことを主張・立証して責任
を免れうるものとされているということである。
(2)本設問において,被害者Xとしては,いつ,どこで,加害者Yが,教育上の支配従
属関係を背景として,Xの身体に触れるなどすることによって,(性的決定の自由を損な
ったとまではいえないにせよ)意に反して身体に触れられないという人格的利益(精神的
自由・身体的自由)さらには期待した良好な環境の中で教育を受ける利益などを侵害し,
これによりXに不快感,恐怖感,あるいは屈辱感などの精神的苦痛を被らしめたのである
から,Yには相当の慰謝料・弁護士費用につき賠償義務がある,と主張することになろう。
こうした加害行為をきっかけとする心的外傷後ストレス傷害(PTSD)も最近話題とされ
ていること周知のごとくである。なお,PTSD を認定し賠償請求を認容した事例として,
東京地判平成 13・11・30(判時 1796 号 121 頁)がある。
(3)これに対し,Yは,まず「事実認否」のレベルで,X主張のごとき接触行為はして
いないと反論することが考えられる。一般に,セクシャル・ハラスメントにおいては「密
室性」ということがいわれ,事実の存否の判断は,当事者尋問による原・被告の陳述によ
るしかない場合が少なくない。本設問の場合においても証明責任を負うXにとって裁判所
に問題の「事実」があったとの心証を抱かせるのはなかなかに難しい。裁判所としては,
X・Yの供述内容の信用性を,一般通常人の合理的行動に関する経験則,とりわけ主張の
一貫性など供述態度・日常の行動(たとえば「加害者」が日常的に性的言動をしていたか,
「被害者」が「加害者」に個人的恨みを抱いていたかなど)などに照らし検討し,判断す
ることになろう(セクシャル・ハラスメントの場合については水谷・前掲書 272 頁,より
一般的には伊藤滋夫「事実認定の基礎」39 頁以下を参照されたい)。設問中に示されるY
にはかねてよりこの手の噂があったということ,とりわけ問題の「事実」があったとされ
る時点前後のX・Yの行動(たとえば,XがYを呼びにいったがなかなか戻ってこなかっ
た,XのYに対する姿勢がよそよそしくなった,Xがなんらかの打ち明け話をひとにして
いたなど)についての他の受講者の証言などが決めてとされよう。
(4)ついで,仮にX主張のようなハラスメントがなされたとしても自分には別途言い分
があるとして,Yからなされることが予想される反論につき考えてみよう。すなわち,短
期消滅時効の抗弁である。不法行為に基づく損害賠償請求権は,被害者またはその法定代
理人が損害および加害者を知った時から3年経過すると時効によって消滅するものとされ
ている(民法 724 条前段)。この短期消滅時効が設けられている趣旨としては,不法行為
では3年も経つと成立要件の証明・損害額の算定が困難となり,また被害者の被害感情も
- 33 -
薄らいでくるであろうということが挙げられるが,起算点を,不法行為時(不法行為によ
る損害賠償請求権の発生時)ではなく,(被害者またはその法定代理人が損害および加害
者を知らずに賠償請求が事実上不可能な間に賠償請求権の消滅時効が進行するのは被害者
にとって酷であることに鑑み)被害者などがこれらの事実を知った時としていることもあ
わせ留意すべきである。
本設問の場合,Xは,大学3年に在学中の9月半ばに生じた事件にかかり卒業後(留年
は考えない)2年ほどが経過して後の時点において,加害者Yに対し不法行為に基づき賠
償請求をしているのであって,3年の時効が完成しているようにみえるから,Yによって
該消滅時効の援用がされることが考えられるのである。
消滅時効の要件は,時効の完成と当事者による援用とである。まず,前者であるが,民
法 724 条前段の3年の時効について,起算点は,被害者またはその法定代理人が損害およ
び加害者を知った時とされる。厳密にいうと初日不算入の原則(民法 140 条)がここでも
適用されるから,知ったときが午前0時でない限りその翌日から起算され(最判昭和 57
年 10 月 19 日民集 36 巻 10 号 2163 頁),3年後の応答日の前日の終了によって時効が完成
する。そこで,本設問の場合,事件の起こった日の翌日から起算して,3年が経過してい
れば時効が完成していることになるのである。もっとも,実際には3年という期間は短い
ものであるから,起算点については,これが被害者またはその法定代理人が損害および加
害者を知った時としている趣旨に即して,被害者救済のための柔軟な解釈をすべきものと
されている。具体的には,「知った時」につき,加害者に対する賠償請求が事実上可能な
状況のもとにその可能な程度に知った時を意味するといった判断がなされている(最判昭
和 48 年 11 月 16 日民集 27 巻 10 号 1374 頁)。継続的不法行為について,一つの不法行為
とみて不法行為が終わった時に時効が進行するといった解釈がなされてもいる(鉱業法
115 条2項参照)。
そこで,セクシャル・ハラスメントにかかる本設問の場合,被害者Xが加害者Y教授の
講義を履修している間に訴えを提起するなどの法的手段にでることが期待できるかが問題
とされてよいかもしれない。
Xにおいて損害賠償請求権行使が事実上可能となった時点は,
早くとも当該講義の履修の終わる3年生の終了時点という考え方ができないかである。こ
の点につき参考となりうる先例としては,下級審判決例であるが,ある宗教団体の元信者
がその名誉会長に対して損害賠償を求めたという事案において,宗教団体の呪縛による権
利行使の不能性の主張が排斥され時効が完成しており,時効の援用が信義則に反し権利濫
用に当たるともいえないとされた東京高裁平成 11 年7月 22 日判決がある(判タ 1017 号
166 頁)。被害者が告発する決意を固め加害者に抗議の手紙を送付したという事実に着眼
し,その時点までには宗教団体による呪縛が取り除かれ,自由に自己の権利を行使しうる
状況になったのであるから,その後に消滅時効に必要な期間が経過し,これによって完成
したと事実認定されている。権利行使の不能性に鑑み時効の起算点を加害行為がなされた
時点以降に下げることによって時効の抗弁を遮断することができるかについて,設問文章
だけから判断することはなかなかに難しいといえようか。講義の参加者数がどれほどかな
ど教員の権力的地位のありよう,学内にセクシャルハラスメント防止委員会,人事委員会
といった相談窓口が設けられているかなどをも顧慮して判断すべき問題といえる。
なお,時効の主張に対しては一般的には時効の中断が問題となりうるが(時効の抗弁に
- 34 -
対する再抗弁),本設問の場合は,中断事由は見あたらない。
時効の効果が生ずるためには,時効が完成したことに加えて,当事者が援用することが
求められている(民法 145 条)。この点については,実体法説と訴訟法説との対立など学
説上の争いがあるが,判例は,通説同様,当事者の援用を停止条件として時効の効果,こ
の場合は損害賠償請求権の消滅という効果が生ずると解しているとみられる(最判昭和 61
年3月 17 日民集 40 巻2号 420 頁。なお,時効の要件事実については,遠藤ほか編「民法
注解・財産法1巻」145 条山崎執筆参照)
。
- 35 -
第3節 不法行為の効果
1 不法行為の救済方法
(1)金銭賠償の原則
不法行為の被害者を救済する方法としては、①損害を金銭で計算ないし評価して、金銭
によって損害の填補をはかるという方法(金銭賠償)、②加害者の費用で、当該不法行為
がなかったならば有したはずの状態に復原させるという方法(原状回復)、③不法行為が
継続・反覆している場合に、これを将来に向かって止めさせる、または損害の発生を防止
するために必要な措置をとらせるという方法(差止)が考えられる。
しかし、わが民法は、原状回復に多額の費用を要するときは、加害者に酷な結果となる
こと、被害者も金銭賠償を便宜とするのがふつうであることから、原則として金銭賠償の
方法によることとしている(722条1項・417条)。
金銭賠償の場合の支払方法としては、賠償金額を一括して支払う方法(一時金賠償方式)
と一定期間ごとに支払う方法(定期金賠償方式)とがある(後者によるものとして、大判
大正5・9・16民録22輯1796頁、神戸地裁尼崎支判昭和36・3・28交通民集
36年度164頁)。実務においては圧倒的に多くの場合に、履行確保措置について配慮
する必要がなく紛争の一回的解決に資するというメリットをもつ前者の方法がとられてい
るが(最判昭和62・2・6判時1232号100頁は、被害者が一時金賠償を求めてい
る場合について定期金賠償を命ずることはできないという考え方を示している)、後者に
は付添看護費用・逸失利益につき合理的賠償額の支払を命ずることができる、長期にわた
り被害者もしくはその遺族の生活の保障ができるなどメリットがないではない。
なお、定期金賠償を命じた判決について、口頭弁論終結後に生じた著しい事情の変更を
理由とする判決の変更を求める訴えの制度がある(民事訴訟法117条)
。
(2)原状回復
現在、例外的に原状回復が認められる場合としては、次の場合がある。
(イ)名誉・信用等の毀損の場合 これらの場合については、裁判所は被害者の請求に
より、損害賠償に代えまたはこれとともに、名誉・信用を回復するに必要な処分・措置を
命じうる、とされている(723条、不正競争1条ノ2第3項、著作115条以下、特許
106条他)。名誉・信用を回復するに適当なあるいは必要な処分や措置とは、一般に、
いわゆる謝罪広告や取消広告である。なお、被告(加害者)に謝罪広告や取消広告を判決
で命じることは、憲法19条の保障する良心の自由を侵害するものではないか、は議論の
分かれるところであるが、判例は、これを否定に解している(最判昭和31・7・4民集
10巻7号785頁)
。
(ロ)鉱害賠償の場合
鉱害の賠償については、金銭賠償を原則とするが、賠償金額に
比して著しく多額の費用を要しないで原状の回復をすることができるときは、被害者は原
状の回復を請求することができ、賠償義務者の申立があった場合で裁判所が適当であると
認めるときは金銭賠償に代えて原状の回復を命ずることができる、とされている(鉱業1
11条2項・3項)
。
(3)差止請求
加害行為が将来にわたり持続される可能性が強い場合には、すでに生じた損害の賠償の
みでは被害者の救済には十分でなく、かかる侵害行為を将来に向かって停止せしめること
- 36 -
が必要となる。
侵害される法益が所有権その他の物権、鉱業権・漁業権などの準物権である場合には、
物権的請求権が、現実に発動することになる。著作権・特許権など無体財産権が侵害され、
あるいは侵害されるおそれがある場合については、特別法により、侵害の停止または予防
を求める差止請求権が認められている(著作112条・113条、特許100条他。さら
に不正競争1条、商20条、21条も参照)
。
これらに対し氏名権・肖像権・名誉・プライバシーなど各種の人格権の侵害の場合、煤
煙、臭気、騒音、汚水などを排出することによる周囲の生活環境、人々の健康への侵害(い
わゆる公害)の場合については、必ずしも明文の根拠規定をみいだしえないのであるが、
解釈上、人格権その他に基づく妨害排除ないし予防請求権(差止請求権)という構成(判
例としては、大阪高判昭和50・2・27判時797号26頁、神戸地尼崎支決昭和48
・5・11判時702号18頁、最判昭和61・6・11民集40巻4号872頁ー北方
ジャーナル事件など参照)、あるいは不法行為自体の効果としての差止請求権という構成
(判例としては、最判昭和39・1・16民集18巻2号2頁、名古屋地判昭和47・1
0・19判時683号22頁など参照)をもって、継続的加害状態を除去するための(あ
るいは、侵害が生ずるおそれが明瞭に存在する場合にはそれを予防するための)差止請求
が認められている。被侵害利益が何かによって両構成を適宜に用いてゆくという二元的構
成をとる説もある。なお、とりわけ、後者については、差止請求のための要件は損害賠償
請求のための要件よりも厳格であると解すべきかについて争いがある(最判平成7・7・
7民集49巻7号2599頁ー国道43号線公害事件参照)。また 、「公共性」などとの
関わりで(損害賠償が認められても)差止めが認められないことも少なくない。
【重要判例】
最判平成7・7・7民集49巻7号2599頁
大阪市・神戸市間の国道 43 号線の周辺居住者Ⅹらは、自動車の騒音・振動、大気汚染
を理由に道路の設置者である国と阪神高速道路公団を相手に、人格権・環境権に基づき一
定基準値を超える騒音と二酸化炭素の居住敷地内への侵入の差止め(と損害賠償)を求め
たという事案について、
「原審は、その認定に係る騒音等がほぼ一日中沿道の生活空間に流入するという侵害行為
により、そこに居住する上告人らは、騒音により睡眠妨害、会話、電話による通話、家族
の団らん、テレビ・ラジオの聴取等に対する妨害及びこれらの悪循環による精神的苦痛を
受け、また、本件道路端から二〇メートル以内に居住する上告人らは、排気ガス中の浮遊
粒子状物質により洗濯物の汚れを始め有形無形の負荷を受けているが、他方、本件道路が
主として産業物資流通のための地域間交通に相当の寄与をしており、自動車保有台数の増
加と貨物及び旅客輸送における自動車輸送の分担率の上昇に伴い、その寄与の程度は高ま
っているなどの事実を適法に確定した上、本件道路の近隣に居住する上告人らが現に受け、
将来も受ける蓋然性の高い被害の内容が日常生活における妨害にとどまるのに対し、本件
道路がその沿道の住民や企業に対してのみならず、地域間交通や産業経済活動に対してそ
の内容及び量においてかけがえのない多大な便益を提供しているなどの事情を考慮して、
上告人らの求める差止めを認容すべき違法性があるとはいえないと判断したものというこ
とができる。
- 37 -
道路等の施設の周辺住民からその供用の差止めが求められた場合に差止請求を認容すべ
き違法性があるかどうかを判断するにつき考慮すべき要素は、周辺住民から損害の賠償が
求められた場合に賠償請求を認容すべき違法性があるかどうかを判断するにつき考慮すべ
き要素とほぼ共通するのであるが、施設の供用の差止めと金銭による賠償という請求内容
の相違に対応して、違法性の判断において各要素の重要性をどの程度のものとして考慮す
るかにはおのずから相違があるから、右両場合の違法性の有無の判断に差異が生じること
があっても不合理とはいえない。このような見地に立ってみると、原審の右判断は、正当
として是認することができ、その過程に所論の違法はない。」(なお、損害賠償請求につ
いては認容されているー最判平成7・7・7民集49巻7号1870頁)
2 金銭賠償
(1)損害賠償請求権者をめぐるいくつかの問題
(イ)請求権の主体たる資格
①自然人
まず、胎児に関する特則についてみておくと、721条は、胎児は不法行為
に基づく損害賠償請求権については既に生まれたものとみなすと規定している。すでに生
まれている子との均衡を考慮して、権利能力の始期に関する原則(1条ノ3)に対する例
外を設けたものである。たとえば、胎児である間に交通事故で父を失った者は、子として
の固有の慰謝料請求権を取得しうる(相続に関する886条も参照)。母が有害な薬品の
投与を受け胎児自身が各種の障害を被った場合についても、固有の損害賠償請求権を取得
する。
ついで死者についてである。生命侵害(とりわけ即死の場合を念頭においてみよう)の
場合には、遺族が損害賠償請求をすることになるがその法律構成をどのように考えればよ
いであろうか。一つの考え方は、まず被害者自身に損害賠償請求権が生じ、それが近親者
に相続されるとみる(相続説)。他の考え方は、死亡によって生じる損害賠償請求権は被
害者本人の死亡によってはじめて生ずるのであるが、(即死の場合はもちろん受傷後死亡
の場合も含めて)そのときには本人は権利の主体たり得ないのであって、ここでは相続を
考えることはできない(相続されるとすると「死前に死あり、死後に死あり」という論理
矛盾にいたる)として、この場合について、近親者に被害者の死亡による固有の損害賠償
請求を認めることとする(固有損害説)
。判例は、後述するように、前説に立っており(財
産的損害については、大判大正15・2・16民集5巻150頁、精神的損害については、
最判昭和42・11・1民集21巻9号2249頁ー意思表明相続説から当然相続説へ判
例変更)この説の方が賠償額が多くなる、賠償額の計算が容易であるなどとしてこれに賛
成する学説も少なくない。しかし、学説においては、近時、固有損害説が有力説となって
きている。相続説に対して、論理的問題性のほか、立法者意思との乖離、逆相続の不合理、
「笑う相続人」の問題などが批判点として指摘されている。
また、死者の名誉が毀損された場合についてどのような法的保護をすべきかについても
争いがある。ドイツ法のように死者の死後の人格権の存続を認め近親者が損害賠償請求権
を代位行使すると考える説があるが、近親者らの死者への敬愛追慕の情という人格的利益
の侵害として保護するのが判決例であり(大阪地判平成1・12・27判時1341号5
3頁など)、有力な学説でもある。
- 38 -
【重要判例】
大判昭和7・10・6民集11巻2023頁(阪神電鉄事件)
A は、電柱を運搬中 Y 社の運転手の過失により電車に轢かれ死亡した。A には内縁の
妻 X1 があり、事故時 X2 を懐胎していた。A の父 B が親族縁者を代表して Y 社と示談を
し1000円を受け取り、以後いかなる請求もしないと約した。X2 の出生後、X1 と X2
が、扶養料と慰謝料の賠償を求めて訴えを提起したという事案について、
「X2 ハ右BカYト和解ノ交渉ヲ為シタル際未タ出生セス X1 ノ胎内ニ在リタルモノニシ
テ民法ハ胎児ハ損害賠償請求権ニ付キ既ニ生レタルモノト看做シタルモ右ハ胎児カ不法行
為ノアリタル後生キテ生レタル場合ニ不法行為ニ因ル損害賠償請求権ノ取得ニ付キテハ出
生ノ時ニ遡リテ権利能力アリタルモノト看做サルヘシト云フニ止マリ胎児ニ対シ此ノ請求
権ヲ出生前ニ於テ処分シ得ヘキ能力ヲ与ヘントスルノ主旨ニアラサルノミナラス仮令此ノ
如キ能力ヲ有シタルモノトスルモ我民法上出生以前ニ其ノ処分行為ヲ代行スヘキ機関ニ関
スル規定ナキヲ以テ前示 B ノ交渉ハ之ヲ以テ X2 ヲ代理シテ為シタル有効ナル処分ト認ム
ルニ由ナク又仮ニ原判決ノ趣旨ニシテ B カ親族ノ X1 等ヲ代理シ又ハ自ラ将来出生スヘキ
X2 ノ為ニ叙上ノ和解契約ヲ為シタルコトヲ認メタルニアリト解スルモ被上告人ハ X2 ノ
出生後同人ノ為ニ B ノ為シタル処置ニ付キ X2 ニ於テ契約ノ利益ヲ享受スル意思ノ表示セ
ラレタル事実ヲ主張セス原審モ亦此ノ如キ事実ヲ認定セサリシモノナルヲ以テ B ノ為シ
タル前記和解契約ハ上告人 X2 ニ対シテハ何等ノ効力ナキモノト云ハサルヘカラス仍テ上
告人 X2 カ A ノ死亡当時既ニ出生シ居リタリトセハ A ノ死亡ニ因リ損害賠償請求権ヲ取
得シ得ヘキ地位ニ在リタルヤ否ニ付キ審究スルニ上告人 X1 ハ A ノ内縁ノ妻ニシテ旦 A
ハ本件事故ニ因リ死亡シ X2 ヲ私生子トシテ認知シタルモノニアラサレハ X2 ハ遂ニ A ノ
子トシテノ地位ヲ取得スルニ由ナカリシ者ナルヲ以テ同人ノ身分ハ民法第七百十一条列挙
ノ何レノ場合ニモ該当セサルカ故ニ同条ニ基ク上告人 X2 ノ慰藉料請求ハ之ヲ是認シ得サ
ルモノナリト雖上告人ノ主張スル如ク X1 ニシテ果シテ A ノ内縁ノ妻トシテ同人ト同棲シ
タル者ニシテ上告人 X2 ハ其ノ間ニ生マレタル者ナリトセハ X2 ハ尠クモ A ノ収入ニ依リ
生計ヲ維持スルヲ得可カリシ者ニシテ X2 ハ A ノ死亡ニ因リ如上ノ利益ヲ喪失シタルモノ
ト云フヲ得可シ而シテ民法第七百九条ニ依ル損害賠償ハ厳密ナル意味ニ於テハ権利ト云フ
ヲ得サルモ法律上保護セラルヘキ利益ニ該ルモノノ侵害アリ其ノ侵害ニ対シ不法行為ニ基
ク救済ヲ与フルヲ正当トスヘキ場合ニ於テハ之ヲ請求スルヲ得ルモノニシテ(大正十四年
十一月二十八日言渡当院同年(オ)第六二五号判決参照)X2 カ A ノ生存ニ因リ有シタル
右利益ハ民法第七百九条ニ依リ保護ヲ受ク可キ利益ナリト認ムルヲ相当トスルノミナラス
他人ヲ傷害シタル場合ニ於テ其ノ者ニ妻子或ハ之ト同視スヘキ関係ニ在ル者ノ存シ如上行
為ノ結果此等ノ者ノ利益ヲ侵害スヘキコトアルハ当然之ヲ予想スヘキモノナルヲ以テ本件
ニ於テ被上告人ハ其ノ被用者カ A ヲ傷害シタルカ為上告人 X2 ノ利益ヲ侵害シタルニ因リ
上告人ノ被ル可キ損害ヲ賠償スヘキ義務アルコト多言ヲ要セスシテ明ナルカ故ニ若被上告
人ニシテ A ノ死亡ニ付キ其ノ責ヲ負フ可キモノトセハ原審ハ尠クトモ財産上ノ利益ノ損
失ニ関スル上告人 X2 ノ請求ハ之ヲ容認ス可カリシモノト謂ハサル可カラス然ラハ原審カ
上告人 X1 ノ請求並慰藉料三千円ニ対スル X2 ノ請求ヲ排斥シタルハ結局正当ニシテ右説
示ニ反スル上告人ノ所論ハ之ヲ採用スヘカラサルモノナリト雖原審カ上告人 X2 ノ二千六
百三十五円三十四銭ノ請求ヲ棄却シタルハ失当タルヲ免レサルヲ以テ原判決ハ此ノ部分ニ
- 39 -
付キ破毀セラル可キモノトス」
②法人(権利能力なき社団・財団)
法人も権利能力を有するから損害賠償請求権の主
体たりうるこというまでもない。法人は、なるほど精神苦痛を被るとは考えられないが、
名誉、信用が害された場合などに、慰謝料請求権が認められてよいとされている(最判昭
和39・1・28民集18巻1号136頁)
。
(ロ)間接被害者など
不法行為によってある人の生命・身体・財産などが侵害された場合に、そのものの使用
者あるいは家族など、被害者と一定の社会的関係にある人にも損害が生じるということが
ある。これらの者にも損害賠償請求をすることが認められるべきであろうか。
①企業損害 まず、不法行為の直接の被害者の死亡あるいは負傷により、その勤務先の
企業が、売上げが減るなど、何らかの固有の財産的損害を被ることがある。この場合に企
業は加害者に対して損害の賠償を求めることができるであろうか(いわゆる間接被害者論
のうち「企業損害」の問題。なお、被害者の不就労にもかかわらず支払った給与や被害者
治療費等で企業が支払った額などは、被害者の被った損害が企業に反射したものであって
(不真正第三者損害)、賠償者代位の規定(四二二条)の類推通用、弁済者代位規定(四
九九・五〇〇条)の類推通用などによって、加害者に直接請求しうるという点については
争いはない)。この点につき、かつては、企業に生じた損害と加害行為との間に相当因果
関係があれば賠償請求しうるものと解されていたが、今日では、直接の被害者と企業とが
実質上同一主体とみられる場合、加害者に被害者を死亡(あるいは負傷)させることによ
って企業に営業上の損害を与えようという故意がある場合などを除き、原則としてかよう
な賠償請求は認められないと考えられている(最判昭和43・11・15民集22巻12
号2614頁参照)
。
②近親者
不法行為によってある人の生命・身体が害された場合において、被害者の父
母、配偶者、子など近親者が治療費を支出し、付添看護のために休業するあるいはみずか
ら精神的苦痛を受けるなどの損害を被ることがある。ここでは、さきにみた被害者死亡の
場合に相続構成あるいは固有損害構成で考えた(被害者自身の逸失利益、被害者自身の精
神的苦痛などにかかる)損害とは異なる損害についての、近親者自身の賠償請求が問題と
なる。
まず、治療費・付添看護費について、判例には、被害者自身の損害としての賠償請求を
認めるものがある一方で(最判昭和46・6・29民集25巻4号650頁)、出捐した
近親者自身が賠償請求することを認めるものもある(大判昭和12・2・12民集16巻
46頁)。学説もこの考え方を支持する者が多い。しかし、近親者の支出が扶養義務によ
る場合に限ってこれを認めるとする説もある。
ついで、精神的損害については、民法711条は、被害者死亡の場合に限り、しかも被
害者の父母、配偶者、子に対してのみ固有の慰謝料請求権を認めている。しかし、判例に
は、10歳の女児の容貌が著しく傷つけられたという事案につき、「子の死亡したときに
も比肩しうべき精神的苦痛を受けた」として母親の慰謝料請求を民法709・710条に
基づき認容している(最判33・8・5民集12巻12号1901頁)。また、本条の類
- 40 -
推適用により、被害者の夫の妹に固有慰謝料請求権を認めた判例がある(最判昭和49・
12・17民集28巻10号2040頁)。
【重要判例】
①最判昭和43・11・15民集22巻12号2614頁。
Yは、スクーターを運転中、薬種業を営む有限会社Xの唯一の取締役であり唯一の薬剤
師でもあるAに衝突し負傷させた。そこで、Xは、Aの負傷により年間12万円の得べか
りし利益を失ったとして、Yに損害賠償を請求したという事案について、
「Aは、もと個人でA薬局という商号のもとに薬種業を営んでいたのを、・・・納税上個
人企業による経営は不利であるということから、昭和三三年一〇月一日有限会社形態の被
上告会社(X)を設立し、以後これを経営したものであるが、社員はAとその妻Bの両名
だけで、Aが唯一の取締役であると同時に、法律上当然に被上告会社(X)を代表する取
締役であつて、Bは名目上の社員であるにとどまり、取締役ではなく、被上告会社(X)
にはA以外に薬剤師はおらず、被上告会社(X)は、いわば形式上有限会社という法形態
をとつたにとどまる、実質上A個人の営業であつて、Aを離れて被上告会社(X)の存続
は考えることができず、被上告会社(X)にとつて、同人は余人をもつて代えることので
きない不可欠の存在である、というのである。すなわち、これを約言すれば、被上告会社
(X)は法人とは名ばかりの、俗にいう個人会社であり、その実権は従前同様A個人に集
中して、同人には被上告会社(X)の機関としての代替性がなく、経済的に同人と被上告
会社(X)とは一体をなす関係にあるものと認められるのであつて、かかる原審認定の事
実関係のもとにおいては、原審が、上告人(Y)のAに対する加害行為と同人の受傷によ
る被上告会社(X)の利益の逸失との間に相当因果関係の存することを認め、形式上間接
の被害者たる被上告会社(X)の本訴請求を認容しうべきものとした判断は、正当である。」
②最判33・8・5民集12巻12号1901頁
X2 の長女である X1(事故時10歳)は、Y1 の被用者 Y2 の運転するオート三輪車に
衝突され負傷し、顔面にひどい瘢痕が残った。そこで、X1・X2 は、Y1・Y2 を相手に慰
謝料を請求したという事案について、
「被上告人 X1 は、上告人の本件不法行為により顔面に傷害を受けた結果、判示のような
外傷後遺症の症状となり果ては医療によつて除去しえない著明な瘢痕を遺すにいたり、た
めに同女の容貌は著しい影響を受け、他面その母親である被上告人 X2 は、夫を戦争で失
い、爾来自らの内職のみによつて右 X1 外一児を養育しているのであり、右不法行為によ
り精神上多大の苦痛を受けたというのである。ところで、民法七〇九条、七一〇条の各規
定と対比してみると、所論民法七一一条が生命を害された者の近親者の慰藉料請求につき
明文をもつて規定しているとの一事をもつて、直ちに生命侵害以外の場合はいかなる事情
があつてもその近親者の慰藉料請求権がすべて否定されていると解しなければならないも
のではなく、むしろ、前記のような原審認定の事実関係によれば、被上告人 X2 はその子
の死亡したときにも比肩しうべき精神上の苦痛を受けたと認められるのであつて、かかる
民法七一一条所定の場合に類する本件においては、同被上告人は、同法七〇九条、七一〇
条に基いて、自己の権利として慰藉料を請求しうるものと解するのが相当である。
」
③最判昭和49・12・17民集28巻10号2040頁
- 41 -
AはYの運転するオートバイにはねられて死亡した。そこで、Aの夫 X2、子らととも
に、X2 の 妹 X1(Aの義妹)も慰謝料につき賠償請求をしたという事案につき、
「不法行為による生命侵害があつた場合、被害者の父母、配偶者及び子が加害者に対し直
接に固有の慰藉料を請求しうることは、民法七一一条が明文をもつて認めるところである
が、右規定はこれを限定的に解すべきものでなく、文言上同条に該当しない者であつても、
被害者との間に同条所定の者と実質的に同視しうべき身分関係が存し、被害者の死亡によ
り甚大な精神的苦痛を受けた者は、同条の類推適用により、加害者に対し直接に固有の慰
藉料を請求しうるものと解するのが、相当である。本件において、原審が適法に確定した
ところによれば、被上告人 X1 は、A の夫である被上告人 X2 の実妹であり、原審の口頭
弁論終結当時四六年に達していたが、幼児期に罹患した脊髄等カリエスの後遺症により跛
行顕著な身体障害等級二号の身体障害者であるため、長年にわたり A と同居し、同女の
庇護のもとに生活を維持し、将来もその継続が期待されていたところ、同女の突然の死亡
により甚大な精神的苦痛を受けたというのであるから、被上告人 X1 は、民法七一一条の
類推適用により、上告人 Y に対し慰藉料を請求しうるものと解するのが、相当である。
」
(2)損害賠償の範囲と損害の算定(損害額)
(イ)序
説
不法行為者は、加害行為と事実的因果関係に立つ損害のうち、彼に賠償
義務を負わせることが妥当であると考えられる範囲について、賠償義務を負担することと
される。
判例でもある相当因果関係説によれば、右の範囲は、通常生ずべき損害かどうかによっ
て第一次的にきめられ、特別事情による損害は、予見可能性がある場合にのみ賠償の対象
となるとされるのである(416条の類推適用ー大判大正15・5・22民集5巻386
頁、最判昭和48・6・7民集27巻6号681頁、最判昭和49・4・25民集28巻
3号447頁)。
しかし、近時は、不法行為においては当事者間に契約関係のような一定の関係がないか
ら予見可能性を決め手にすることは当を得ないこと、類推適用説をとる判例においても予
見可能性は実際上範囲確定基準として働いていないこと、相当因果関係説は完全賠償主義
をとるドイツからの学説継受によるものであるが(adaequate Kausalitaet)かかる主義をと
っていない日本法においてはこう考えることの必然性がないことなどを理由として、むし
ろ民法416条にとらわれることなく具体的事情に即し不法行為制度の本旨、より厳密に
は各不法行為類型における法的保護の目的、にかんがみて被告に賠償きせることを相当と
する全損害を賠償の範囲とするのが妥当であるとする説が有力である(最判昭和48・6
・7民集27巻6号681頁の反対意見も参照)。範囲画定基準として、たとえば、義務
射程説は、意思的不法行為については事実的因果関係にある損害は、加害者の意図した結
果と著しく食い違った結果が実現された場合を別として、すべて保護範囲に含まれ、過失
不法行為についてはある損害が被侵害利益の重大さと加害行為の危険性・社会的有用性と
によって定まる加害者の損害回避義務の射程範囲内にあれば該損害は保護範囲に含まれる
と説いている。また、危険性関連(危険範囲)説は、損害を第一次損害(加害行為から第
一次的に生ずる損害で学説のいう権利侵害に相応すると説明される)とこれを起点として
- 42 -
生ずる後続損害とに分け(たとえば自動車事故の場合、被害者の身体の負傷は前者であり、
入院費用の支出・得べかりし利益の喪失などは後者である)、前者については、義務射程
説と同様に、加害者に故意・過失があれば賠償さるべきものとする(第一次損害は、不法
行為の成立要件の問題であるとみている )。これに対し、(損害賠償の範囲が問題となる
とみられる)後者については、前者との間に危険性関連がある(後者が前者によってもた
らされた特別の危険の実現である)と評しうるものは損害賠償の対象となるとする。そし
て、後続損害の発生が偶然的な場合(第一次損害と後続損害の間に、自然的ないし社会的
事象・第三者の行為・被害者の特異体質や異常才能が介在する場合)および後続損害の発
生につき被害者の危険な行為が介在している場合など若干の特殊な場合を除いて、第一次
損害と後続損害の間の危険性関連を肯定して差し支えないと説いている(なお、この説を
とるもののうちに、416条の規定の内容に危険性関連の内容を盛り込むことができるか
ら、これを不法行為法に導入してよいとみるものがある)。
この点をめぐり、故意と過失の場合で分けて考えるべきか、確定基準をどう立てるべき
かなどについて、議論はなお対立状況にあるといってよく、個別の事案について問題とな
る損害につき加害行為者に責任を負わせるべきかの結論が異なることも少なくないであろ
う。しかし、いずれにしても、損害の公平な分配の観点(政策的な見地)から、加害行為
により生じた損害(事実的因果関係にある損害)のうち一定の範囲の(すなわち相当因果
関係もしくは法的因果関係、あるいは保護範囲にある)ものを、しかるべく金銭評価して
加害者に金銭により賠償させることになるのである。
【重要判例】
①大判大正15・5・22民集5巻386頁(前出)
Xの汽船富貴丸は、Yの汽船と衝突し沈没した。Xは、事故はY汽船船長の過失にでた
ものとして、船価の高騰がピークに達した大正6年の船価をもとに180万円余(そして
事故後4年間の傭船料)の損害賠償を求めたという事案につき、
「不法行為ニ因リテ生スル損害ハ自然的因果関係ヨリ論スルトキハ通常生シ得ヘキモノナ
ルト特別ノ事情ニ因リテ生シタルモノナルトヲ問ハス又予見シ若ハ予見シ得ヘカリシモノ
ナルト否トヲ論セス加害者ハ一切ノ損害ニ付責ニ任スヘキモノト謂ハサルヲ得スト雖其ノ
責任ノ範囲広キニ過キ加害者ヲシテ無限ノ負担ニ服セシムルニ至リ吾人ノ共同生活ニ適セ
ス共同生活ノ関係ニ於テ其ノ行為ノ結果ニ対スル加害者ノ責任ヲ問フニ当リテハ加害者ヲ
シテ一般的ニ観察シテ相当ト認メ得ル範囲ニ於テノミ其ノ責ニ任セシメ其ノ以外ニ於テ責
任ヲ負ハシメサルヲ以テ法理ニ合シ民法第七百九条以下ノ規定ノ精神ニ適シタルモノト解
スヘキモノナレハナリ然リ而シテ民法第四百十六条ノ規定ハ共同生活ノ関係ニ於テ人ノ行
為ト其ノ結果トノ間ニ存スル相当因果関係ノ範囲ヲ明ニシタルモノニ過キスシテ独リ債務
不履行ノ場合ニノミ限定セラルヘキモノニ非サルヲ以テ不法行為ニ基ク損害賠償ノ範囲ヲ
定ムルニ付テモ同条ノ規定ヲ類推シテ其ノ因果律ヲ定ムヘキモノトス而シテ物ノ通常ノ使
用収益ニ因リテ得ヘキ利益ノ喪失ハ不法行為ニ因リテ通常生スヘキ損害ヲ包含スルモノナ
レハ被害者カ物ノ特殊ノ使用収益ニ因リ得ヘカリシ利益ヲ失ヒタリトシテ之カ賠償ヲ請求
スルニハ民法第四百十六条第二項ノ規定ニ準拠シ不法行為ノ当時ニ於テ将来斯ル利益ヲ確
実ニ得ヘキコトヲ予見シ又ハ予見シ得ヘカリシ特別ノ事情アリシコトヲ主張シ且立証スル
- 43 -
コトヲ要スルモノト謂ハサルヲ得ス」
②最判昭和48・6・7民集27巻6号681頁(前出)
Ⅹは,本件不動産を担保に銀行から融資を受け東京への事業進出を考えていたところ、
Yが右不動産につき被保全権利を欠くにもかかわらず処分禁止の仮処分を執行したためこ
れを担保に供することができず、融資銀行に対する信用を失墜し、東京進出は一頓挫を来
たし,計画実現が5カ月遅延したことにかかり、得べかりし営業利益を失い、信用失墜や
精神的苦痛を被ったとして、Yを相手に損害賠償を求めたという事案につき、
「(原審が、Ⅹ主張の損害は特別損害であるから、Ⅹが右不動産を東京進出のため担保に
供する予定であったなどの事実をYが具体的に了知しまたは了知しうべかりし状況にあっ
たことが必要であるがこれを認めるに足りる証拠がないとして請求を容れなかったので、
Xが不法行為者は少なくとも加害行為と損害との間に相当因果関係が認められる限り,そ
の損害について予見が可能であろうとなかろうとすべてその責任を負うと主張したのに対
し)不法行為による損害賠償についても、民法416条が類推適用され特別の事情によっ
て生じた損害については、加害者において,右事情を予見しまたは予見することを得べか
りしときにかぎり、これを賠償する責を負うものと解すべきであることは、判例の趣旨と
するところであり(大審院大正15年5月22日判決・民集5巻386頁(富貴丸事件)
・・・)、いまだただちにこれを変更する要をみない。」
(ロ)具体例
それでは、具体的にはどのように考えられているかを、主として判例によりながら、み
ておくことにしよう。(実務的な観点で有用な文献として、ここで参照されるべきは、川
井=宮原=小川編『注解交通損害賠償法(新版)1・2・3』、損害賠償算定基準研究会
『注解交通損害賠償算定基準 実務上の争点と理論 上・下(三訂版)』
、である)。
①物ないし財産権に関する財産的損害
ⅰ)物の滅失(ないし修理不能)の場合 通常はその物の交換価値が賠償されるべき
頻である。交換価値認定の基準時については、判例(大判大正15・5・22民集5巻3
388頁)・通説は、原則として、不法行為時であるとしている。
ⅱ)物の毀損の場合
一般に修理費用、および修理期間中の使用収益不能による逸失
利益もしくは右期間中の代物の賃料が賠償額と考えられる。
ⅲ)物の不法占有・占拠の場合 通常は、当該物の貨料相当額が賠償さるべき額であ
る。
ⅳ)所有権以外の財産権の侵害の場合 右に準じて考えればよいが、とくに特許権、
実用新案権等の侵害の場合については、損害額について推定規定がおかれている(特許1
02条、実用新案29条他)
。
参考 特許法102条1項
「特許権者又は専用実施権者が故意又は過失により自己の特許権又は専用実施権を侵害
した者に対しその侵害により自己が受けた損害の賠償を請求する場合において、その者が
その侵害の行為を組成した物を譲渡したときは、その譲渡した物の数量(以下この項にお
いて「譲渡数量」という。)に、特許権者又は専用実施権者がその侵害の行為がなければ
販売することができた物の単位数量当たりの利益の額を乗じて得た額を、特許権者又は専
- 44 -
用実施権者の実施の能力に応じた額を超えない限度において、特許権者又は専用実施権者
が受けた損害の額とすることができる。ただし、譲渡数量の全部又は一部に相当する数量
を特許権者又は専用実施権者が販売することができないとする事情があるときは、当該事
情に相当する数量に応じた額を控除するものとする。
」
【重要論点】
損害賠償額算定の基準時について、判例及び従来の通説は、原則として不法行為の時を
基準に損害額を算定すべきであるとする。そして、不法行為後に目的物の価格が騰首した
場合あるいは既に締結されていた契約により売却利得が生ずることが予定きれていた場合
には、特別事情による損害として、予見可能性があれば賠償額のなかに入ってくるものと
する(大連判大正15・5・22民集5巻386頁ー富貴丸事件・前出。ただし、騰貴価
格による利益を確実に取得したであろうと予想されることが必要である旨を述べる最判昭
和37・11・16民集16巻11号2280頁も参照)。しかし、物価の上昇を常態と
する現代社合では原則として口頭弁論終結時を基準とすべきであるとの説、裁判官が予見
可能性のみならず口頭弁論終結時までの一切の事情を考慮して決めるべきであるとの説な
ども有力に説かれている。
②生命・身体に関する財産的損害
ⅰ)死亡の場合 死亡するまでの治療費、葬儀費用、墓碑建立費、弁護士費用など(積
極的損害)に加えて、生きていたら得ることができたであろう利益(すなわち死者の逸失
利益=消極的損害)が賠償されるべき損害である(判例においては、これらの損害項目を
積み上げ、さらに慰謝料を加えて、賠償額を決めるという方式が採られているー既にみた
ように、かような考え方ー「損害=金銭説」・現実損害説ーに対しては、収入の多寡によ
って個人差の生ずることのないよう定型化すべきであるとする定額化説、損害を生命侵害
として一個の損害と観念したうえ積極損害・消極損害・慰謝料を該損害の評価算定の参考
資料とみて各費目の総和を以て損害額とする「損害=事実説」が対立している。下級審に
は、これに立脚する労働能力喪失説を採るものが少なくないといわれる)。とくに実務上
問題となるのは、蓋然的・評価的な面をもたざるをえない逸失利益であるが、その算定は、
一般に次のごとくなされる。すなわち、得べかりし年間収入に平均就労可能年数を基礎に
推認される稼働可能年数(67歳までの年数。なお、高齢者の場合については、67歳ま
での年数と平均余命年数の2分の1のいずれか長期の方)を乗じて総収入推定額を出し、
これから本人の生活費相当額を減じて純収益額を算出する。現実損害説に立つ判例も、幼
児や専業主婦の場合、早死の場合(最判平成8・4・25民集50巻5号1221頁)な
どにおいては、評価的に賠償されるべき額を算定しているといわざるをえない。
なお、現実には、定期金賠償方式にではなく一時金賠償方式による場合、一定時期ごと
に取得されるべき収入額を一時に支払わせるのであるから、右の純収益額から中間利息を
控除した額が賠償額とされる。中間利息の控除には、ホフマン式計算法あるいはライプニ
ッツ式計算法が用いられている。
【参考】
ホフマン式計算法
単式
X = A ÷(1 + nr)
複式
X = a ÷(1 + r)+ a ÷(1 + 2r)+
- 45 -
+ a ÷(1 + nr)
ライプニッツ式計算法単式
複式
X = A ÷(1+r)n(乗)
X = a ÷(1 + r)+ a ÷(1 + r)2 +
a = 名目額、n= 年数、r = 利率(5 %
具体例(複式による)
5年
10 年
15 年
+ a ÷(1 + r)n
大きすぎないかという説あり)
20 年 25 年
30 年
50 年
ホフマン係数
4.364 7.945 10.98 13.62
15.94
18.03
24.70
ライプニッツ係数
4.329 7.722 10.38 12.46
14.09
15.37
18.26
なお、判例・通説は、即死の場合も含めて、死亡した被害者本人が死亡それ自体に基づ
く損害賠償請求権を取得し、遺族がこれを相続により承継すると構成するが(最判昭和3
9・6・24民集18巻5号874頁他)、近時、遺族が、死者に対する加害行為がなさ
れた結果、固有のとりわけ扶養請求権の侵害による、損害賠償請求権を取得するとの反対
説(固有損害説)が有力に説かれつつある。この点は、すでに論じたところである。
ⅱ)傷害の場合 治療費用、通院介護費用などの積極的損害、治療中の休業による、
あるいは後遺障害による労働能力の喪失(「労働能力喪失率表」参照)による逸失利益な
どが、一般に、賠償されるべき損害と考えられる。
③ 精神的損害
性質上金銭で計量しえない態様の損害であって、被害の程度、被害者
の職業や地位、その財産状態や年齢等諸般の事情を考慮して、裁判官が裁量によって判断
すべきものとされている。交通事故による死亡や傷害の場合においては、実務上、認容金
額の基準化、定額化の傾向がみられる。なお、精神的損害の無形的な性質ゆえに、慰謝料
のうちには、種々の要素の損害が入りこみやすく、立証・算定困難な財産的損害の要素を
も含めて、全体として賠償額の調整ないし補完的機能を果たしているといわれている(さ
らに、抑制的機能・制裁的機能を認めようとする説もある)。また、生命侵害の場合に、
遺族に近親者が死亡したことによる固有の慰謝料請求権が認められうることは711条の
規定するところであるが(なお、最判昭和33・8・5民集12巻12号1901頁、昭
和49・12・17民集28巻10号2040頁参照)、死亡した被害者本人の慰謝料請
求権が遺族に相続されるかは、その一身専属性とかかわって争いがある。判例は、かつて、
本人の生前における請求権行使の意思表明があれば通常の金銭債権となって相続される
(意思表明相続説ー「残念残念」は慰謝料請求権の行使につき意思表明に当たるが、「助
けてくれ」では表明があったとはいえない)としていたが、現在では、右の意思表明の有
無にかかわらず、当然相続されるとしている(最判昭和42・11・1民集21巻9号2
249頁)。現在の通説は、むしろ、死亡した被害者本人の慰謝料請求権の相続性を否定
している(相続否定説=固有損害説)
。
なお、損害が生じたことは認められるが、損害の性質上その額を証明することが極めて
困難なときは、裁判所は、口頭弁論の全趣旨および証拠調べの結果に基づき、相当な損害
額を認定することができるとされていることに留意したい(民事訴訟法248条)
。
【重要判例】
①最判昭和49・7・19民集28巻5号872頁
幼女(七歳)が自動車事故で死亡したため、その両親が相続人として右幼女の逸失利益
に対する損害賠償を求めた事案につき、
- 46 -
「事故により死亡した女子の妻として専ら家事に従事する期間における逸失利益について
は、その算定が困難であるときは、平均的労働不能年令に達するまで女子雇用労働者の平
均賃金に相当する収益を挙げるものとして算定するのが適当である」。
②最判昭和53・10・20民集32巻7号1500頁
10歳の女児がタクシーにはねられて死亡した。そこで両親がタクシー会社、運転者他
を相手どって逸失利益他の賠償を求めたという事案について、
「一、原審が採用した所論ライプニッツ式計算法は、交通事故の被害者の将来得べかりし
利益を事故当時の現在価額に換算するための中間利息控除の方法として不合理なものとは
いえない。
二、交通事故により死亡した幼児の損害賠償債権を相続した者が一方で幼児の養育費の
支出を必要としなくなった場合においても、右養育費と幼児の将来得べかりし収入との間
には前者を後者から損益相殺の法理又はその類推通用により控除すべき損失と利得との同
質性がなく、したがって、幼児の財産上の損害賠償額の算定にあたりその将来得べかりし
収入額から養育費を控除すべきものではないと解するのが相当である。」
③最判平成8・5・31民集50巻6号1323頁
A は、平成2年4月自動二輪車を運転して走行中、Y が貨物自動車を運転してガソリン
スタンド敷地から自動二輪車の走行車線に進入したため、衝突を回避しようと急制動し転
倒し骨折し、治療を受けた結果膝痛、手骨変形等の後遺症を残して症状が固定したが、同
年12月別の交通事故によって死亡した。A の相続人 X らが、本件後遺障害による損害
として A が高校を卒業して就職した場合のその後の10年間についての労働能力の一部
喪失を理由とする逸失利益の賠償を求めたという事案につき、
「二 交通事故の被害者が事故に起因する後遺障害のために労働能力の一部を喪失した場
合における財産上の損害の額を算定するに当たっては、その後に被害者が死亡したとして
も、交通事故の時点で、その死亡の原因となる具体的事由が存在し、近い将来における死
亡が客観的に予測されていたなどの特段の事情がない限り、右死亡の事実は就労可能期間
の算定上考慮すべきものではないと解するのが相当である(最高裁平成五年(オ)第五二
七号同八年四月二五日第一小法廷判決・民集五〇巻五号登載予定参照)。
右のように解すべきことは、被害者の死亡が病気、事故、自殺、天災等のいかなる事由
に基づくものか、死亡につき不法行為等に基づく責任を負担すべき第三者が存在するかど
うか、交通事故と死亡との間に相当因果関係ないし条件関係が存在するかどうかといった
事情によって異なるものではない。本件のように被害者が第二の交通事故によって死亡し
た場合、それが第三者の不法行為によるものであっても、右第三者の負担すべき賠償額は
最初の交通事故に基づく後遺障害により低下した被害者の労働能力を前提として算定すべ
きものであるから、前記のように解することによって初めて、被害者ないしその遺族が、
前後二つの交通事故により被害者の被った全損害についての賠償を受けることが可能とな
るのである。
三
また、交通事故の被害者が事故に起因する後遺障害のために労働能力の一部を喪失し
た後に死亡した場合、労働能力の一部喪失による財産上の損害の額の算定に当たっては、
交通事故と被害者の死亡との間に相当因果関係があって死亡による損害の賠償をも請求で
きる場合に限り、死亡後の生活費を控除することができると解するのが相当である。けだ
- 47 -
し、交通事故と死亡との間の相当因果関係が認められない場合には、被害者が死亡により
生活費の支出を必要としなくなったことは、損害の原因と同一原因により生じたものとい
うことができず、両者は損益相殺の法理又はその類推適用により控除すべき損失と利得と
の関係にないからである。
四
これを本件についてみるに、前記事実関係によれば、A は、本件後遺障害により労働
能力の一部を喪失し、これによる損害を被っていたところ、別件交通事故による A の死
亡については、前記の特段の事情があるとは認められず、また、本件交通事故との間の相
当因果関係も認められない。したがって、右労働能力喪失による財産上の損害額の算定に
当たっては、別件交通事故による A の死亡の事実を就労可能期間の算定上考慮すべきで
はなく、また、A の死亡後の生活費を控除することもできない。
」
④最判昭和42・11・1民集21巻9号2249頁
AはY会社の運転手Bの運転する貨物自動車に追突され重傷を負い、10数日後に、慰
謝料請求について特段の意思表示をすることもなく、死亡した。そこで、A の妹 X が、A
の相続人の一人としてAの受傷による慰謝料60万円の請求権の4分の1を相続によって
取得したとして、Yに15万円の支払を訴求したという事案について、
「不法行為による慰謝料請求権は、被害者が生前に請求の意思を表明しなくても、相続の
対象となる」
。
(3)損害賠価額の調整
(イ)損益相殺
不法行為の被害者が、他面においてその不法行為によりなんらかの利益を得てもいる
(も
ちろん被害者がこれを望んだわけではないが)という場合には、損害額からその利得額を
控除した額が現実に賠償されるべき額となる。これを損益相殺という。たとえば、死者の
逸失利益の算定にあたっては、死者が生きていれば要したであろう生活費が控除されるこ
ととなる。実務において、生活費控除をすることを就労可能期間の分に限っていること、
控除率は、被害者が一家の支柱である場合とそうでない場合、被扶養者の数などで異なる
が3割ないし5割とされること、年金が逸失利益とされる場合には就労可能期間経過後の
分についても生活費控除をしていることなどには留意したい。損害=事実説に立っても、
法律構成・理由付けはともかく、こうした控除をなすべきものとされる点は異ならない。
しかし、生命保険契約に基づく保険金、香典・見舞金、年少者の死亡の場合の養育費、
所得税などの税金額などは、判例によれば、控除さるべきでないとされる(後二者につい
ては、反対説もある)。なお、損害保険給付の場合や第三者行為災害にかかる労災保険給
付の場合などにおいては、給付の限度で被害者の損害賠償請求権につき代位が生ずるから
(商662条、労災3条の4第1項)、損益相殺したのと同じこととなる(被害者・加害
者・給付機関の間における「重複填補の調整」という問題)
。
(ロ)過失相殺
損害の発生または拡大につき、被害者に過失があった場合には、裁判所は、損害賠償の
額を定めるにあたって、これを斟酌できる(722条2項)。これを過失相殺というが、
かような場合には、生じた損害全部を加害者に転嫁しうるとすることは公平でないという
趣旨に出るものである。
- 48 -
ここにいわゆる過失は、不法行為の成立要件としての過失のように厳格なものでなくて
よく、損害の発生または拡大につき、被害者に、被害者の受けた実損害額から公平の観念
に基づいて減縮したものを賠償額とすることが妥当視されるような、不注意があれば足り
る(判例タイムズ別冊「民事交通訴訟における過失相殺率等の認定基準」参照)。それゆ
え、過失が斟酌されるためには、被害者に責任能力があることは必要でなく、単に事理を
弁識するに足りる能力が具わっていれば足りるとされる
(最判昭和39・6・24民集
18巻5号854頁)
。
また、被害者個人の過失のみでなく、被害者たる幼児の監督義務者(父母・家事使用人)、
被害者の被用者などの過失も斟酌されることがある (いわゆる「被害者側の過失」
)。
なお、被害者の素因(特異体質、特異な性格、既往症など)もあって損害が発生もしく
は拡大したという場合について、過失相殺規定を類推適用して責任の減縮を認める判例が
ある(心因的要因に関する最判昭和63・4・21民集42巻4号243頁、既往症に関
する最判平成4・6・25民集46巻4号400頁など)。これに対しては、そもそもこ
うした減責を認めるべきではないとするもの、この問題を自然力が加巧した場合と同様に
原因競合の場合とみて割合的因果関係ないし寄与度の認定により減責すべきであるとする
ものなどがある)。
【重要判例】
①最判昭和42・6・27民集21巻6号1507頁
X1・X2 夫妻の長女Aは保育園に登園途中Y1会社の被用運転手 Y2 の運転するダンプ
カーに轢かれて死亡した。この事故の一因として保母Bが引いていたAの手を誤って離し
てしまったという事情が認められる。X1・X2 の損害賠償請求に対して Y1・Y2 がBの右
過失を斟酌すべきであると抗弁したという事案について、
「民法722条2項に定める被害者の過失とは単に被害者本人の過失のみでなく、ひろく
被害者側の過失をも包含すると解すべきではあるが、本件のように被害者本人が幼児であ
る場合において、右にいう被害者側の過失とは、例えば被害者に対する監督者である父母
ないしはその被用者である家事使用人などのように、被害者と身分上ないしは生活関係上
一体をなすとみられるような関係にある者の過失をいうものと解するを相当とし所論のよ
うに両親より幼児の監護を委託された者の被用者のような被害者と一体をなすとはみられ
ない者の過失はこれに含まれないものと解すべきである」。
②最判平成4・6・25民集46巻4号400頁
自動車の追突事故によって頭部に打撲傷害を受けた A が、多様な精神障害を呈した後
に呼吸麻痺を直接の原因として死亡したので、その相続人 X らが加害車両の運転者 Y1、
運行供用者 Y2 らを相手に損害賠償を求めたところ、Y1 らが、A の死亡は事故による傷
害だけではなく事故前に罹患した一酸化炭素中毒も原因となっていると主張したという事
案につき、
「1被害者に対する加害行為と被害者のり患していた疾患とがともに原因となって損害が
発生した場合において、当該疾患の態様、程度などに照らし、加害者に損害の全部を賠償
させるのが公平を失するときは、裁判所は、損害賠償の額を定めるに当たり、民法722
条2項の過失相殺の規定を類推適用して、被害者の当該疾患をしんしゃくすることができ
- 49 -
るものと解するのが相当である。けだし、このような場合においてもなお、被害者に生じ
た損害の全部を加害者に賠償させるのは、損害の公平な分担を図る損害賠償法の理念に反
するものといわなければならないからである。
2これを本件についてみるに、原審の確定した事実関係の概要は、次のとおりである。
A・・・は、本件事故前の昭和52年10月25日早朝、タクシー内でエンジンをかけた
まま仮眠中、一酸化炭素中毒にかかり、意識もうろう状態で内野病院に入院し、翌日意識
が戻り、11月7日に退院して直ちにタクシーの運転業務に従事したが、右一酸化炭素中
毒の程度は必ずしも軽微なものではなかった。・・・A は、本件事故によって頭部打撲傷
を負い、その後次のとおりの経過をたどって死亡するに至った。(1)A は、本件事故直
後、意識が比較的はっきりしており、被上告人 Y1 や臨場した警察宮の質問に対して不十
分ながらも対応していた。動作には精神症状に問題のあることをうかがわせるような不自
然な点がみられたが、これといった外傷もなく、A から頭部の痛み等の訴えもなかった。
しかし、A は、ほどなく記憶喪失に陥り、一人で自宅に戻れなくなったため、長男が引取
りに出向いた。(2)A は、その後、自宅療養を続けていたところ、煙草を2本同時に吸
おうとするなど奇異な振舞いを示すこともあって、同月30日、B 外科病院に入院し、頭
部外傷、外傷性項部痛症と診断されたが、精神症状の存在を理由に精神病院への転院を指
示された。(3)A は、12月7日、C 病院精神科で診察を受け、痴呆様行動、理解力欠
如、失見当識、記銘力障害、言語さてつ症等の多様な精神障害が生じていると診断され、
同月16日、右病院に入院し、以後、同病院で治療を受けたが、症状が改善しないまま、
昭和55年12月29日、呼吸麻痺を直接の原因として死亡した。・・・A の前記精神障
害は、頭部打撲傷等の頭部外傷及び一酸化炭素中毒のそれぞれの症状に共通しているとこ
ろ、昭和54年6月ころのCTスキャナーによる脳室の撮影では、A の脳室全体の拡大(脳
の萎縮)がみられ、これは頭部外傷を理由とするだけでは説明が困難である。A は、本件
事故により頭部、頸部及び脳に対し相当に強い衝撃を受け、これが一酸化炭素中毒による
脳内の損傷に悪影響を負荷し、本件事故による頭部打撲傷と一酸化炭素中毒とが併存競合
することによって、一たんは潜在化ないし消失していた一酸化炭素中毒における各種の精
神的症状が本件事故による頭部打撲傷を引金に顕在発現して長期にわたり持続し、次第に
増悪し、ついに死亡したと推認するのが相当である。
3原審の右認定は、原判決挙示の証拠関係に照らして首肯するに足り、これによれば、
本件事故後、石造が前記精神障害を呈して死亡するに至ったのは、本件事故による頭部打
撲傷のほか、本件事故前にり患した一酸化炭素中毒もその原因となっていたことが明らか
である。そして、原審は、前記事実関係の下において、A に生じた損害につき、右一酸化
炭素中毒の態様、程度その他の諸般の事情をしんしゃくし、損害の50パーセントを減額
するのが相当であるとしているのであって、その判断は、前示したところに照らし、正当
として是認することができる。原判決に所論の違法はなく、論旨は採用することができな
い。」
③最判平成12・3・24民集54巻3号1155頁
会社 Y の社員であった A の父母 X らが、A が過酷な労働によって疲労困憊しそれが誘
引となってうつ病に罹患し、自殺するに至ったということにかかり、Y を相手に民法71
5条に基づき損害賠償を求めたところ、Y が A にはうつ病親和性ないし病前性格があり
- 50 -
これが損害の発生およびその拡大に寄与したと主張したという事案につき、
「企業等に雇用される労働者の性格が多様のものであることはいうまでもないところ、あ
る業務に従事する特定の労働者の性格が同種の業務に従事する労働者の個性の多様さとし
て通常想定される範囲を外れるものでない限り、その性格及びこれに基づく業務遂行の態
様等が業務の過重負担に起因して当該労働者に生じた損害の発生又は拡大に寄与したとし
ても、そのような事態は使用者として予想すべきものということができる。しかも、使用
者又はこれに代わって労働者に対し業務上の指揮監督を行う者は、各労働者がその従事す
べき業務に適するか否かを判断して、その配置先、遂行すべき業務の内容等を定めるので
あり、その際に、各労働者の性格をも考慮することができるのである。したがって、労働
者の性格が前記の範囲を外れるものでない場合には、裁判所は、業務の負担が過重である
ことを原因とする損害賠償請求において使用者の賠償すべき額を決定するに当たり、その
性格及びこれに基づく業務遂行の態様等を、心因的要因としてしんしゃくすることはでき
ないというべきである。
これを本件について見ると、A の性格は、一般の社会人の中にしばしば見られるものの
一つであって、A の上司である B らは、A の従事する業務との関係で、その性格を積極
的に評価していたというのである。そうすると、A の性格は、同種の業務に従事する労働
者の個性の多様さとして通常想定される範囲を外れるものであったと認めることはできな
いから、一審被告 Y の賠償すべき額を決定するに当たり、A の前記のような性格及びこ
れに基づく業務遂行の態様等をしんしゃくすることはできないというべきである。この点
に関する原審の前記判断には、法令の解釈適用を誤った違法がある。」
(4)損害賠償請求権の特殊性
損害賠償請求権は、いうまでもなく、債権であるが、不法行為によって生じたものであ
るために、いくつかの点で一般の債権とは異なる扱いがなされている。
(イ)胎児に関する特則
この点については、既に述べたところを参照されたい。
(ロ)賠償義務者からの相殺の禁止
民法509条は、不法行為に基づ〈損害賠償債務の債務者が、被害者に対する自己の債
権で右債務と相殺することを禁じている。不法行為の被害者のために損害を現実に填補さ
せるためと、自力救済または復讐的不法行為の誘発を防止する趣旨であるとされる。
(ハ)損害賠償請求権の相続性
被害者本人が死亡したこと(ないし死期が早まったこと)により取得すると考えられる
損害賠償請求権(とりわけ、逸失利益および精禅的損害に基づく)は遺族に相続されると
解すべきかについては、既にふれたように、相続肯定説・否定説の間で争いがある。
(ニ)損害賠償請求権の消滅時効・除斥期間
不法行為に基づく損害賠償請求権は、速やかに処理をしないと要件の証明・損害額の算
定が困難となり、また、被害者の感情も沈静するであろう長年月の経過後に事を荒立てさ
せるのは妥当でないことなどを趣旨として、被害者またはその法定代理人が損害(の発生)
および加害者を知った時から3年、また行為の時から20年の期間制限に服せしめられて
いる(724条)。
- 51 -
3年の消滅時効の起算点については、(一般人を基準とした)訴え提起の可能性を顧慮
して判断される。たとえば、水俣病裁判においては、病気の原因が工場の廃液にあるとの
厚生省見解が官報に掲載された日とされている(熊本地判昭和48・3・20判時696
号15頁)。不法占拠、騒音・振動など新たな侵害と損害の発生が繰り返される型の継続
的不法行為については、各損害につきその時々に時効が進行するとされる(大判昭和15
・12・14民集19巻2325頁)。なお、不法行為者側による消滅時効の援用が信義
則に反しあるいは権利の濫用とされることのありうることにも留意したい。
20年の期間は、
規定文言上消滅時効期間のようにみえるが(起草者はそう考えていた)、
除斥期間と解するのが判例であり(最判平成元・12・21民集43巻2号2209頁)
、
通説である。
【重要判例】
①最判昭和49・6・28民集28巻5号666頁
Ⅹが所有し A が運転する普通乗用車と Y が所有し B が運転するマイクロバスが衝突し
た。この事故は、A および B 双方の過失に基づくものであって、その過失割合は、前者
が20パーセント、後者が80パーセントであった。X が車の破損によって被った損害に
つき賠償請求したのに対して、Y が同じく車の破損によって被った損害に基づく賠償請求
権をもってする相殺の抗弁を主張したという事案について、
「双方の過失に基因する同一交通事故によって生じた物的損害に基づく損害賠償債権相互
間においても、相殺は許されない」
。
②最判昭和42・7・18民集21巻6号1559頁
Ⅹは、昭和28年12月4日、Yの子と遊戯中に Y が所有・保管する硫酸入りかめに
つきあたり、破損したかめから流れ出た硫酸により足に火傷をおった。この火傷自体はそ
の後治癒したが、その後遺症として関節部に硬直をきたし歩行が困難となったため、昭和
36年6月頃、手術を受けた。そこで、X は、昭和37年7月3日 Y に対して、この手
術にかかる治療費の賠償を求めたという事案につき、
「(被害者が不法行為に基づ〈損害の発生を知った以上、その損害と牽連一体をなす損害
であって当時においてその発生を予見することが可能であったものとして、民法724条
所定の時効は前記損害の発生を知った時から進行を始めるものと解すべきではあるが)不
法行為によって受傷した被害者が、その受傷について、相当期間経過後に、受傷当時には
医学的に通常予想しえなかった治療が必要となり、右治療のため費用を支出することを余
儀なくされるにいたった等原審認定の事実関係のもとにおいては、後日その治療を受ける
までは、右治療に要した費用について民法724条の消滅時効は進行しない。」
③最判昭和48・11・16民集27巻10号1374頁
X は、昭和17年1・2月頃軍機保護法違反で逮捕され警察署に留置され、取調の際 Y
らによって拷問をうけ被害を受けた。X は、取調当時から Y の姓は知っていたが名は知
らなかった。釈放後、Y を探し求め、昭和23年頃 Y が秋田県内にいるらしいことを、
また同26年頃その名が「吉二郎」なることを知るに至り、さらに同36年11月頃 Y
の東京の住所をようやく知るに至った。そこで、同37年3月 X が Y に不法行為に基づ
く損害賠償を求めたのに対し、Y がⅩの請求権は時効によって消滅していると主張したと
- 52 -
いう事案につき、
「民法724条にいう『加害者ヲ知リタル時』とは、同条で時効の起算点に関する特別を
設けた趣旨に鑑みれば、加害者に対する損害賠償請求が事実上可能な状況のもとに、その
可能な程度にこれを知った時を意味するものと解するのが相当であり、被害者が不法行為
の当時加害者の住所氏名を的確に知らず、しかも当時の状況においてこれに対する賠償請
求権を行使することが事実上不可能な場合においては、その状況が止み、被害者が加害者
の住所氏名を確認したとき、始めて『加害者ヲ知リタル時』にあたるものというべきであ
る」と判示し、時効の抗弁を排斥した原審の判断を正当であるとした。
④最判平成10・6・12民集52巻4号1087頁
予防接種ワクチン事件
生後5か月に予防接種を受け、これが原因で重度の心身障害者となった X1 (接種の7
日後にけいれん等を発症し、その後、高度の精神障害、知能障害等を有する状態にあって、
本件一審判決後 X1 は禁治産宣告を受け、X2 が後見人になるという事情がある)が、接
種時から22年経過後に、国(Y)に対し、国家賠償法1条、安全配慮義務違反などに基
づいて損害賠償を求めたという事案につき、
「1 民法七二四条後段の規定は、不法行為による損害賠償請求権の除斥期間を定めたも
のであり、不法行為による損害賠償を求める訴えが除斥期間の経過後に提起された場合に
は、裁判所は、当事者からの主張がなくても、除斥期間の経過により右請求権が消滅した
ものと判断すべきであるから、除斥期間の主張が信義則違反又は権利濫用であるという主
張は、主張自体失当であると解すべきである(最高裁昭和59年(オ)第1477号平成
元年12月21日第1小法廷判決・民集43巻12号2209頁参照)。
2
ところで、民法一五八条は、時効の期間満了前6箇月内において未成年者又は禁治産
者が法定代理人を有しなかったときは、その者が能力者となり又は法定代理人が就職した
時から六箇月内は時効は完成しない旨を規定しているところ、その趣旨は、無能力者は法
定代理人を有しない場合には時効中断の措置を執ることができないのであるから、無能力
者が法定代理人を有しないにもかかわらず時効の完成を認めるのは無能力者に酷であると
して、これを保護するところにあると解される。
これに対し、民法724条後段の規定・・・を字義どおりに解すれば、不法行為の被害
者が不法行為の時から20年を経過する前六箇月内において心神喪失の常況にあるのに後
見人を有しない場合には、右20年が経過する前に右不法行為による損害賠償請求権を行
使することができないまま、右請求権が消滅することとなる。しかし、これによれば、そ
の心身喪失の常況が当該不法行為に起因する場合であっても、被害者は、およそ権利行使
が不可能であるのに、単に20年が経過したということのみをもって一切の権利行使が許
されないこととなる反面、心身喪失の原因を与えた加害者は、20年の経過によって損害
賠償義務を免れる結果となり、著しく正義・公平の理念に反するものといわざるを得ない。
そうすると、少なくとも右のような場合にあっては、当該被害者を保護する必要があるこ
とは、前記時効の場合と同様であり、その限度で民法724条後段の効果を制限すること
は条理にもかなうというべきである。
したがって、不法行為の被害者が不法行為の時から20年を経過する前6箇月内におい
て右不法行為を原因として心神喪失の常況にあるのに法定代理人を有しなかった場合にお
いて、その後当該被害者が禁治産宣告を受け、後見人に就職した者がその時から6箇月内
- 53 -
に右損害賠償請求権を行使したなど特段の事情があるときは、民法158条の法意に照ら
し、同法724条後段の効果は生じないものと解するのが相当である。」
3
これを本件についてみると、原審の確定した事実は、上告人 X1 は、本件接種の7日
後にけいれん等を発症し、その後、高度の精神障害、知能障害等を有する状態にあり、か
つ、右の各症状はいずれも本件接種を原因とするものであったというのであるから、不法
行為の時から20年を経過する前6箇月内においても、本件接種を原因とする心神喪失の
常況にあったというべきである。そして、本件訴訟が提起された後、上告人 X1 が昭和5
9年10月19日に禁治産宣告を受け、その後見人に就職した上告人 X2 が、A 弁護士ら
に本件の訴訟委任をし、同年11月1日にその旨の訴訟委任状を原審に提出することによ
って、上告人 X1 の本件損害賠償請求権を行使したのであるから、本件においては前記特
段の事情があるものというべきであり、民法724条後段の規定にかかわらず、右損害賠
償請求権が消滅したということはできない。
」(両親 X2・X3 も請求したが、724条所定
の期間が経過しているものとして、請求は棄却されている)
第4節 特殊的不法行為
民法およびいくつかの特別法には、不法行為の成立要件・効果について、いくつかの特
則がみられる。
1 責任無能力者を監督する者の責任
(1)序説
責任無能力者が他人に損害を加えた場合には、責任無能力者の監督義務者、あるいはこ
れに代わって責任無能力者を監督する者(代理監督者)が、被害者に対し損害賠償義務を
負うものとされる(714条1項、2項)。
ここで監督義務者とは、未成年者については、親権者または後見人などであり、心神喪
失者については、後見人または保護義務者(精神衛生20条∼30条)などである。代理
監督者とは、子供をある程度継続して預っている者、保母、教員、精神病院の職員など、
法律または契約によって、責任無能力者の監督を委託されたものである(もっとも、施設
・事業体が監督を託されている場合、施設・事業体ないし事業主が代理監督者であるとす
るのが近時の有力説である)
。
(2)成立要件
その第一は、(取引的不法行為の場合をも含め責任無能力者の行為が、責任能力の点を
除いて、不法行為の一般的成立要件をみたしていることである。第二は、監督者が、監督
義務を怠らなかったことを証明しえないことである(消極的要件。なお、715条1項但
書後段参照)。このように監督を怠ったという過失の有無については挙証責任が転換され
ているので、監督者の責任は、いわゆる中間責任である(しかも、この立証は容易に認め
られないのが実際である)。なお、親権者や後見人のごとく無能力者の生活全般にわたっ
て監督義務を負っている場合と、学校の教員のごとく特定の生活関係について監督義務が
あるにすぎない場合とでは責任の範囲は異なる。
(3)効果
右の要件を具備した場合に、監督者は損害賠償義務を被害者に対して負うことになる
(監
- 54 -
督義務者と代理監督者との責任の併存も生じうる)。ところで本条により監督者が責任を
負うのは、未成年者等が712条・722条によって免責される場合に限られるのである
が、この点については、責任能力ある本人とその監督者との責任の併存を認めるべきでは
ないのかという立法論的な批判がある。このことに関連して、判例には、監督上の過失と
責任能力ある本人の行為との間に因果関係が認められる場合には、本人と並んで、監督者
も709条に基づく賠償責任を負うとするものがあることに留意したい。
【重要判例】
①最判昭和49・3・22民集28巻2号347頁
15歳の少年 Y1 は、小遣い銭欲しさに新開代の集金をしていた友人Aを殺害した。そ
こで、Aの母親Ⅹが Y1 およびその両親 Y2・Y3 を相手にAの逸失利益他の賠償を求めた
という事案について、
「未成年者が責任能力を有する場合であっても監督義務者の義務違反と当該未成年者の不
法行為によって生じた結果との間に相当因果関係を認めうるときは、監督義務者につき民
法709条に基づく不法行為が成立するものと解するのが相当であって、民法714条の
規定が右解釈の妨げとなるものではない。そして、上告人 Y2・Y3 の Y1 に対する監督義
務の懈怠と Y1 による A 殺害の結果との間に相当因果関係を肯定した原審判断は、その適
法に確定した事実関係に照らし正当として是認できる。原判決に所論の違法はなく、論旨
は、採用することができない。」
(これは以下の上告理由に対するものである。「原判決は判決に影響を及ぼすこと明らか
な法令の違背がある。一、原判決は「控訴人ら(上告人ら、以下同様)はいずれも子供ら
に対し基本的な生活態度のしつけをすることを怠っていたこと」「Y1 の右非行性に気がつ
きながらこれに対する適切な教化、指導を怠っていたこと」(Y1
「
が)小遣銭を貰うこと
ができなくなっていたこと」の諸事実を認定の上、「民法第714条は、未成年者が責任
能力者である場合、監督義務者の義務違反と未成年者の行為によって生じた結果との間に
相当因果関係の存するときは右未成年者の不法行為責任とともに監督義務者についても一
般の不法行為責任の成立することを排除するものではないと解される」とし、「控訴人ら
の Y1 に対する監督義務の懈怠と A の死亡の結果との間における因果関係はこれを否定で
きない」として、上告人らの責任を肯定した。二、わが民法は、個人責任の原理のうえに
民法第709条以下の不法行為責任の規定をもうけているが、未成年者に責任能力が欠落
している場合に、民法第714条はその監督義務者に補充的な責任を負わせる。すなわち、
民法第714条が監督義務者の賠償責任を、未成年者が責任を負わない場合に限ったこと
の理由として、民法修正案理由書は、「前二条の規定に依りて無能力者が自ら不法行為の
責に任ずべきときは監督義務者は固より賠償の責任を負うべき理由なきにより本条前段の
規定に依り監督義務者が責任を負ふべき場合を限定せり」という。換言すると、「責任無
能力の制度は、主体的責任を規範侵害の具体的な行為主体性にそくしてとらえるための不
可欠な構成なのであるが、そこに一つの矛盾をつくりだす。なぜなら、それによって加害
者の権利主体性は守られても被害者の権利主体性は、守られないことになる(被害者に発
生した損害は転嫁の相手方を失う)からである。この矛盾を解決するため、不法行為責任
の世界では加害者の責任無能力を保護者の責任能力によって補充させる制度として民法第
714条の規定がもうけられたのである」(川村泰啓著「商品交換法の体系」上、100
- 55 -
頁)。三、そうだとすると、原判決が説示するが如き解釈すなわち未成年者に責任能力が
ある場合に、監督義務者も並列して責任を負担するとする解釈は成立する余地はない。な
ぜなら、民法第714条は、個人主義的過失責任の形態をとっているけれども、その過失
は、当該違法行為自体についての過失ではなく、一般に監督を怠ることを意味し、しかも
監督義務者の過失は、損害の遠いかつ間接の原因にしか過ぎないからである。四、しかる
に、原判決は監督義務者たる上告人らの義務違反と未成年者たる一郎の行為により生じた
結果との因果関係のみを云々して、当該違法行為自体についての上告人らの過失を論ずる
ことなく、上告人らに民法第709条の一般の不法行為責任を肯定したのは、法律の解釈
に違背した違法な判決である。
」)
②最判平成7・1・24民集49巻1号25頁
Yら4名の子A(満10歳2月)、B(満9歳11月)がCの所有する倉庫に入り込み、
多数のブックマッチが詰められた段ボール箱を発見してこれを取り出し、その場にあった
プラスチック製の容器内に、その場にあった新聞紙をちぎって入れ、これに右マッチで火
をつけて遊んでいた際、容器の底部が熱で融けて火がダンボール箱等に燃え移ったため火
災が発生し、本件建物が全焼した。X・C間の店舗総合保険普通保険契約に基づき本件火
災を保険事故とする保険金の支払をCにした保険会社X(被上告人)が、A・Bの監督義
務者であるYら(上告人)に対し、同人らは民法714条1項に基づき、それぞれCに対
して本件倉庫が焼失したことによりCが被った損害を賠償すべき義務があるところ、Xは、
CのYらに対する損害賠償請求権を代位取得したと主張して、右保険金相当額の損害賠償
を請求したという事案について、
「原審は、前記事実関係を前提として上告人らの責任を判断するに当たり、本件が失火で
あることにかんがみ、
失火ノ責任ニ関スル法律と民法714条の適用について検討した上、
本件のように責任を弁識する能力のない未成年者の行為により火災が発生した場合におい
ては、右未成年者の事理弁識能力を前提として、その行為態様を客観的に考察し、同人に
重大な過失に相当するものがあると認められるときは、失火ノ責任ニ関スル法律に規定す
る失火者に重大な過失があるときに該当するものとして、右未成年者の監督義務者は民法
714条1項に基づく不法行為責任を負うと解するのが相当であるとし、前記事実関係の
下においては、本件火災を発生させた悟及び健太の行為には右にいう重大な過失に相当す
るものがあり、監督義務者であるYらが民法714条1項ただし書にいうその監督を怠ら
なかったものとはいえないとして、被上告人の請求の一部を認容した。しかしながら、原
審の右判断は是認することができない。その理由は、次のとおりである。民法714条1
項は、責任を弁識する能力のない未成年者が他人に損害を加えた場合、未成年者の監督義
務者は、その監督を怠らなかったとき、すなわち監督について過失がなかったときを除き、
損害を賠償すべき義務があるとしているが、右規定の趣旨は、責任を弁識する能力のない
未成年者の行為については過失に相当するものの有無を考慮することができず、そのため
不法行為の責任を負う者がなければ被害者の救済に欠けるところから、その監督義務者に
損害の賠償を義務づけるとともに、監督義務者に過失がなかったときはその責任を免れさ
せることとしたものである。ところで、失火ノ責任ニ関スル法律は、失火による損害賠償
責任を失火者に重大な過失がある場合に限定しているのであって、この両者の趣旨を併せ
考えれば、責任を弁識する能力のない未成年者の行為により火災が発生した場合において
- 56 -
は、民法714条1項に基づき、未成年者の監督義務者が右火災による損害を賠償すべき
義務を負うが、右監督義務者に未成年者の監督について重大な過失がなかったときは、こ
れを免れるものと解するのが相当というべきであり、未成年者の行為の態様のごときは、
これを監督義務者の責任の有無の判断に際して斟酌することは格別として、これについて
未成年者自身に重大な過失に相当するものがあるかどうかを考慮するのは相当でない。そ
うすると、YらにA又はBの監督について重大な過失がなかったか否かを判断することな
くXの請求を認容した原審の判断には、法令の解釈適用を誤った違法があり、その違法は
原判決の結論に影響することが明らかである。論旨は理由があり、原判決中、Xら敗訴の
部分は破棄を免れない。そして、本件については、右の点につき更に審理を尽くさせる必
要があるから、これを原審に差し戻すのが相当である。」
2 他人を使用する者の責任
(1)序説
ある事業を営むために他人(被用者)を使用する者(使用者)は、被用者が事業の執行
につき第三者に加えた不法行為について賠賃任を負う(715条1項)。工場長、現場監
督者など、使用者と被用者との間にあって、使用者に代わって事業の監督をする者(代理
監督者)も同様の責任を負う(715条2項)。このような責任(使用者責任)は、使用
者にとって被用者の行為は自己の行為の一部ないし延長であることから認められるが、報
償責任・危険責任などの考え方から導かれるものである。責任の性質については、(被用
者のなした不法行為の)代位責任とみるもの、自己責任(企業責任あるいは選任監督につ
いての責任)とみるものに分かれる。使用者が損害賠償をした場合の求償権についてどう
考えたらよいなどに関わる問題である。
(2)成立要件
(イ)使用=被用関係
成立要件の第一は、
使用者責任が問題となる者と直接の加害行為者との間に「事業」
のために他人を使用する関係(使用=被用関係)が存在することである。ここに事業とは、
広く仕事というくらいの意味であって、営利的・非営利的、継続的・一時的であるを問わ
ない。使用関係は、雇傭契約関係であることが典型であるが、有償の契約関係でなくとも
よく、また有効な契約関係によるものであることも要しない。しかし、実質的な指揮命令
の関係が存在しなければならないから、弁護士や医師の依頼者は、原則として、これらの
者の不法行為に関して使用者責任を負うものとはされない(大判昭和2・6・15民集6
巻403頁参照)。
(ロ)事業執行関連性
第二の要件は、被用者がその事業の執行につき損害を第三者に与えたことである(事業
執行関連性)。すなわち、①問題の加害行為が使用者の業務の範囲に含まれるか、もしく
はこれに関連すること、および②その事業のなかで当該被用者の職務の範囲に含まれるか、
もしくはこれと関連することを要するのである。そして、判例によれば、この要件を充足
しているかは、取引的不法行為の場合、事実的不法行為の場合を問わず、外形的ないし客
観的に判断すべきであるとされる。これに対し、学説は、外形に対する相手方保護という
取引の安全を考える必要のない事実的不法行為について「外形理論」を用いることは妥当
- 57 -
でないと批判し、また、(取引的不法行為の場合をも含めて 、)行為の外形という抽象的
な基準ではなく、より実質的な基準を示そうとしている。
(ハ)被用者の加害行為自体についての不法行為成立要件充足
第三は、直接の加害者たる被用者の行為が、責任能力をも含めて、それ自体で不法行為
の成立要件を充たしていることである(被用者の過失や責任能力を要しないとの説がない
ではない)。
(ニ)消極的要件
成立要件の第四は、使用者(および代理監督者)が、被用者の選任および事業の監督に
つき相当の注意をなしたこと、または、相当の注意をなすも損害を生ずべかりしことを、
立証しえないことである。この点の立証責任は使用者側が負っているのであるから、使用
者(および代理監督者)の責任は、いわゆる中間責任である(ここでも、実際にはこの立
証はほとんど認められていない)。
(3)効果
右の成立要件が充たされると、使用者および代理監督者は、被害者たる第三緒計媚媚義
務を負うことになる。本条による使用者および代理監督者の責任と709条による被用者
の責任とは、不真正連帯の関係に立つとされる(大判昭和12・6・30民集16巻12
85頁)。
なお、715条3項は、使用者または代理監督者が被害者に賠償したときは、被用者に
対し求償権を行使することを妨げないとしている。しかし、被用者がその地位・立場を濫
用して私利を図ったり私用を足す意図で行動した場面で第三者に損害を与えたという場合
は別として、報償責任ないし企業責任という見地からみて、企業活動に附随して生ずるこ
の種の損失を当然かつ全面的に被用者に負担させるのは妥当でない(国賠1条2項参照)
。
そこで、求償権の行使を合理的な範囲に制限しようとする試みがみられる(権利過失相
殺説、軽過失求償不可説等)。判例にも、信義則により求償権の制限をするものがある。
これに付随して、被用者が被害者に賠償した場合の求償(いわゆる逆求償)の問題があ
る。
【重要論点】
①事業執行関連性 事業執行関連性につき、いわゆる外形理論を批判しより実質的な基
準を示そうとする説には、次のようなものがある。たとえば、①形式上職務行為そのもの
の実現たる場合のみならず、ある企業に雇れたためにその職務の性質上通常なす危険のあ
る行為をなした場合という基準をあげるもの、②取引行為では行為の外形に対する信頼が
考慮に入ってくるのに対して、事実行為の場合には、もっぱら客観的に使用者の支配領域
内(あるいは、職務の性質上通常なす危険の範囲内)のことがらか否かで決すると説くも
の(二元的理解)、③加害行為が被用者たる地位にあることから通常予見しうるものであ
るか否か、加害行為と被用者の本来の職務との近接性・遠隔性、加害の道具の状況、加害
行為の場所的状況、被害者の善意ないし無過失など種々の要因を総合して評価する必要が
あるとするもの、などである
②取引的不法行為における表見代理との競合関係 取引的不法行為において、使用者責
任が取引の相手方の信頼保護という機能を営むようになってくると(最判昭和42・4・
20民集21巻3号697頁参照)、類似した機能をもつ表見代理との競合関係が問題と
- 58 -
なってくる。
まず、両者の異同であるが、要件の点では、前者にあっては、「事業ノ執行ニ付キ」な
された行為が対象となるが、「外形理論」によれば、被害者の善意・軽過失が要件とされ
るのに対し、後者にあっては、「権限アリト信スヘキ正当ノ事由」のあることすなわち相
手方の善意・無過失が要件とされている。効果の点では、前者では損害賠償、後者では取
引行為が有効となるという違いがあるが、金銭債権を目的とする契約のごとき場合には、
過失相殺の問題を除いて、両者の差はあまり大きくないとみられる。こうしたことを前提
として、学説には、取引行為について、715条と110条の両立を認める考え方に対し
て、(少なくとも原則的には)もっぱら表見代理法理を適用ないし類推適用して、相手方
たる被害者の保護を図るべきであるとの有力な主張もみられる。
③不真正連帯債務 不真正連帯債務は、複数の債務者が同一内容の給付について全部の
履行をしなければならない義務を負い、一債務者の弁済によって他の者も債務を免れる点
で連帯債務と似ているが、債務者間に主観的共同関係がなく、弁済を除いて債務者の一人
に生じた事由が他の債務者に効力を及ぼさない点でこれと異なる(434条∼440条参
照)。
【重要判例】
①大連判大正15・10・13民集5巻785頁
Y1会社の株券発行等の事務を担当する庶務課長Aが、株券を偽造したうえ、自己の利
益を図るため米穀取引所取引員であるⅩに証拠金代用としてこれを交付して取引を委託し
たが、取引は損失に帰した。Aが無資力であったため株式の時価相当額の損害を被ったと
してⅩがY1会社およびこれに代わって監督すべきY2に対して賠償を求めたという事案
について、
「原判決ノ確定シタル事實ニ依レハ被上告會社Y1ノ被用者Aハ同會社ノ庶務課長トシテ
同會社ノ株券發行等ノ事務ニ從事中自己ノ金融ヲ圖ルカ爲擅ニ其ノ保管ニ係ル同會社ノ株
券用紙及印章竝社長印ヲ會社外ニ搬出使用シ且株主ノ氏名ヲ冐書シ其ノ印章ヲ僞造押捺シ
テ同會社優先株式一株五十圓十株券二枚ヲ僞造シ之ヲ大阪米穀取引所取引員タル上告人X
ニ證據金代用トシテ交付行使シ上告人ヲ欺罔シ定期米取引ノ委託ヲ爲シタルトコロ其ノ取
引ノ結果損失ニ歸シAノ無資力ト相俟チテXニ一千五百六十圓ノ損失ヲ生セシムルニ至リ
タルモノナリト云フニ在リ之ニ對シ原判決ハAノ使用者タルY1及之ニ代リテ其ノ事業ヲ
監督スル被上告人Y2カ民法第七百十五條ノ規定ニ依リ損害賠償ノ責ニ任スルニハ被用者
Aカ其ノ事業ノ執行ニ付Xニ加ヘタル損害即其ノ事業ノ範圍ニ屬スル行爲又ハ之ト關聯シ
テ一體ヲ爲シ不可分ノ關係ニアル行爲ヨリ生シタル損害ニ限ルヘキコト同條ノ解釋上疑ヲ
容レサル所ニシテ本件ノ如ク本來株券ヲ發行スヘキ場合ニ非サルニ拘ラス被用者カ其ノ地
位ヲ濫用シ株券ヲ僞造シ因テ以テ他人ニ損害ヲ被ラシメタル場合ハ之ニ屬セサルコト勿論
ナリトシテY1等ニ對スルXノ本訴請求ヲ排斥シタルモノナリ而シテ當院從來ノ判例ニ依
レハ民法第七百十五條ニ所謂被用者カ使用者ノ事業ノ執行ニ付第三者ニ加ヘタル損害トハ
被用者ノ行爲カ使用者ノ事業ノ範圍ニ屬シ而モ其ノ事業ノ執行トシテ爲スヘキ事項ノ現存
セル場合ニ被用者カ其ノ執行ヲ爲スニ因リテ生シタル損害ヲ指摘シ從テ被用者カ使用者ノ
事業ノ執行トシテ何等爲スヘキコト現存セサルニ拘ラス自己ノ目的ノ爲其ノ地位ヲ濫用シ
- 59 -
テ擅ニ爲シタル行爲ニ因リ第三者ニ損害ヲ加ヘタルトキハ縱令其ノ行爲カ外形上使用者ノ
事業執行ト異ル所ナシトスルモ使用者ヲシテ賠償ノ責ニ任セシムヘキニ非スト爲シタルモ
ノニシテ原院モ亦右ノ當院從來ノ判例ノ趣旨ヲ踏襲シテ判決ヲ爲シタルモノニ外ナラス然
レトモ本件ノ如ク被用者カ使用者タル株式會社ノ庶務課長トシテ株券發行ノ事務ヲ擔當シ
且株券用紙及印顆ヲ保管シ何時ニテモ自由ニ株券發行ノ事務ヲ處理スヘキ地位ニ置カレタ
ル場合ニ在リテハ縱令其ノ者カ地位ヲ濫用シ株券ヲ發行シタリトスルモ要スルニ不當ニ事
業ヲ執行シタルモノニ外ナラスシテ其ノ事業ノ執行ニ關スル行爲タルコトヲ失ハサルモノ
ナレハ民法第七百十五條ニ所謂「事業ノ執行ニ付」ナル文詞ハ叙上説明ノ如ク之ヲ廣義ニ
解釋スルヲ至當トスヘク當院從來ノ判例ノ如ク嚴格ナル制限的解釋ヲ採リ使用者ノ事業ノ
執行トシテ具體的ニ爲スヘキ事項ノ現存セサル場合ニ於ケル被用者ノ行爲ニ付テハ總テ使
用者ニ於テ全然責任ナシト爲スカ如キハ同條立法ノ精神ニ鑑ミ且一般取引ノ通念ニ照シ狹
隘ニ失スルモノト謂ハサルヘカラス蓋シ本件ノ如キ場合ニ於テハY1及之ニ代リテ其ノ事
業ヲ監督スルY2ハ其ノ庶務課長タル者ノ選任ヲ嚴ニスルハ勿論絶エス其ノ行動ヲ監視シ
其ノ者カ職務上ノ地位ヲ濫用シテ不正ニ株券ヲ發行シ他人ニ損害ヲ及ホスノ危險ヲ豫防ス
ルノ責ニ任スヘキハ當然ニシテY1等カ注意ヲ怠リ爲ニ被用者ヲシテ其ノ地位ヲ濫用シテ
株券ヲ發行スルコトヲ得セシメ他人ヲシテ損害ヲ被ラシメタリトセハY1等ハ其ノ責ヲ辭
スルコトヲ得サルハ論ヲ俟タサレハナリ然ラハ原審カ株券發行ノ必要アル場合ニ非サルノ
故ヲ以テ本件Aノ株券ヲ僞造シテ行使シタルニ因リ被リタルXノ損害ハY1及Y2ニ於テ
之ヲ賠償スルノ責ナシト判示セルハ違法ニシテ本論旨ハ理由アリ」
②最判昭和42・11・2民集21巻9号2278頁
金融に苦慮していたⅩは、手形割引の斡旋をするとの手形ブローカーAの甘言にのり、
Y銀行の支店長Bに対し融通手形を振り出した。Y銀行の内規・慣行によれば、Ⅹのよう
なはじめての客からの依頼による割引の斡旋に応ずることはできないことになっていた
が、Bも割引金を預金してもらえるものと考え、Ⅹおよび子会社 C と通謀して C の裏書
をさせて、Aに右手形を交付した。ところが、右手形はAに詐取され、流通におかれるこ
ととなり、その結果、Ⅹは、その取得者から支払の呈示を受け、手形金等の支払を余儀な
くされ、損害を被るところとなった。そこでⅩがYに対し右損害の賠償を求めたという事
案について、
「被用者のなした取引行為が、その行為の外形からみて、使用者の事業の範囲内に属する
ものと認められる場合においても、その行為が被用者の職務権限内において適法に行なわ
れたものでなく、かつ、その行為の相手方が右の事情を知りながら、または、少なくとも
重大な過失により右の事情を知らないで、当該取引をしたと認められるときは、その行為
にもとづく損害は民法715条にいわゆる「被用者カ其事業ノ執行ニ付キ第三者ニ加ヘタ
ル損害」とはいえず、したがつてその取引の相手方である被害者は使用者に対してその損
害の賠償を請求することができないものと解するのが相当である。
ところで、原判決の確定したところによれば、昭和30年12月22日、当時上告銀行
Yの某支店長であつたBと被上告人Xとの間で行なわれた本件の取引は、YがみずからX
に対し資金の貸付ないし手形の割引をするというのではなくして、右Bが、Xの依頼によ
り、第三者たるある会社が同じく第三者たるその取引銀行に対してもつている手形割引の
枠を利用して、X振出の本件手形を割引いてもらうことの斡旋を引き受け、そのために右
- 60 -
手形を預かつたというのであり、しかも右Bは、Yの内規、慣行に反して右取引をなし、
これにつき支店長代理にも相談せず、本店にも報告しなかつたというのであるから、右取
引におけるBの行為は、Yの某支店長としての職務権限内において適法に行なわれたもの
とは到底いえないのみならず、出資の受入、預り金及び金利等の取締等に関する法律3条、
九条にも違反する疑いのある行為であるといわなければならない。
また、原判決は、Xは右Bから、Yがみずから手形割引をするのではなくして、第三者
による手形割引の斡旋をするにすぎないことを告げられながら、これを承諾してX振出の
本件手形を交付したものであること、右手形はいずれも融通手形にすぎなかつたところ、
Xおよびその子会社であるAの関係者と右Bとが通謀して、右Aに裏書をさせ商業手形と
しての体裁をそなえさせたこと、Xは本件の取引より以前にはY某支店とは全く取引関係
がなく、かつ、右手形はその額面合計額が金3、000万円にも達する高額のものであっ
たにかかわらず、Yは、右取引につき、右Bから約定書の差し入れ、担保物の提供等は全
然要求されなかつたこと、さらに右取引については、Xの常務取締役(経理部長)であつ
たC、その経理課長であったDが直接右Bと折衝していること、をそれぞれ認定している。
これらの事実を総合して考察し、ことにその職務上金融取引につき相当の知識と経験とを
有するものと推認されるXの常務取締役(経理部長)および経理課長が直接右取引に関与
していることを考えると、本件の取引に当たっては、その相手方たるXの側においても、
右取引におけるBの行為がYの某支店長としての職務権限を逸脱して行なわれたものであ
ることを知っていたか、または、重大な過失によりこれを知らなかったものと認めるべき
ではないか、との疑問が生ずるのを禁じえない。
そして、もし右の点を肯定的に認定することができるとするならば、かりに本件の取引
行為が外形上Yの事業の範囲内の行為に属するものと認められるとしても、なおXは、右
Bの使用者たるYに対して、本件取引行為にもとづく損害の賠償を請求することができな
いものといわざるをえない。
しかるに、原判決は、右の点について確認することなく、たやすくYにつきXに対する
前記損害賠償請求権の存在を認め、これにもとづいてXの本訴請求を認容したものである
から、原判決は民法715条の解釈適用を誤り、ひいては審理を尽くさない違法をおかし
たものといわなければならない。したがつて、原判決のこの点に関する違法を主張する論
旨は理由があり、その余の論旨について判断するまでもなく、原判決は破棄を免れない。
そして、Xの右損害賠償請求権の存否を確定するためには、なお事実審理を必要とするか
ら、本件を原審たる大阪高等裁判所に差し戻すのが相当である。」
④最判昭和39・2・4民集18巻2号252頁
自動車販売会社Y1の販売契約係員Y2は、Y1所有のジープを会社に無断で運転して
帰宅途中運転を誤りAをはね飛ばし死亡させた。そこで、Aの妻ⅩらがY1そしてY2に
対し損害賠償を求めたという事案について、
「原判決及びその引用にかかる第一審判決において認定せられた事実によれば、上告会社
Y2は、自動車、その部品及び附属品の販売、車体の製作並びにその取付を営業目的とす
る会社であり、上告人Y1は、Y2の被用者でその販売課に勤務していたこと、右Y1は、
本件事故当日の午後5時頃Y2の勤務を終えて退社し、和歌山市内で映画見物をした後帰
宅すべく国鉄和歌山市駅に赴いたが、最終列車に乗り遅れたため一旦Y2に引き返し、Y
- 61 -
2所有の本件ウイルスジープ普通自動車を引き出して、これを運転しつつ帰宅する途中で
本件追突事故を惹起したものであること、Y1は、平素Y2に通勤するには国鉄を利用し
て居り、販売契約係として自動車購入の勧誘並びに販売契約締結の業務を担当し、右業務
執行のため他の同係員8名と共に前記ジープを運転してこれに当つていたこと、Y2にお
いては、ジープは会社業務の為に使用する場合であっても上司の許可を得なければならず、
私用に使うことは禁止されていたことが、いずれも、認められるというのである。このよ
うな事実関係の下においては、Y1の本件事故当夜における右ジープの運行は、会社業務
の適正な執行行為ではなく、主観的には同上告人の私用を弁ずる為であったというべきで
あるから、Y2の内規に違反してなされた行為ではあるが、民法715条に規定する「事
業ノ執行ニ付キ」というのは、必ずしも被用者がその担当する業務を適正に執行する場合
だけを指すのでなく、広く被用者の行為の外形を捉えて客観的に観察したとき、使用者の
事業の態様、規模等からしてそれが被用者の職務行為の範囲内に属するものと認められる
場合で足りるものと解すべきであるとし、この見地よりすれば、Y1の前記行為は、結局、
その職務の範囲内の行為と認められ、その結果惹起された本件事故による損害はY2の事
業の執行について生じたものと解するのが相当であるから、被用者であるY1の本件不法
行為につき使用者であるY2がその責任を負担すべきものであるとした原審の判断は、正
当である。論旨は、要するに、原判示に添わない事実或は独自の法律的見解を主張し、こ
れに拠つて原判決を非難するものであつて、採るを得ない。
」
⑤最判昭和51・7・8民集30巻7号689頁
石油等の輸送・販売を営むⅩ社の運転手Yが、業務上タンクローリーを運転中、A所有
車に追突した。示談のうえAに7万円余を賠償したⅩは、その全額についての求償を求め、
合わせて、タンクローリーの破損にかかる損害33万円余の賠償をも求めたという事案に
ついて、
「使用者が、その事業の執行につきなされた被用者の加害行為により、直接損害を被り又
は使用者としての損害賠償責任を負担したことに基づき損害を被つた場合には、使用者は、
その事業の性格、規模、施設の状況、被用者の業務の内容、労働条件、勤務態度、加害行
為の態様、加害行為の予防若しくは損失の分散についての使用者の配慮の程度その他諸般
の事情に照らし、損害の公平な分担という見地から信義則上相当と認められる限度におい
て、被用者に対し右損害の賠償又は求償の請求をすることができるものと解すべきである。
原審の適法に確定したところによると、(1)上告人Xは、石炭、石油、プロパンガス
等の輸送及び販売を業とする資本金800万円の株式会社であって、従業員約50名を擁
し、タンクローリー、小型貨物自動車等の業務用車両を20台近く保有していたが、経費
節減のため、右車両につき対人賠償責任保険にのみ加入し、対物賠償責任保険及び車両保
険には加入していなかった、(2)被上告人Yは、主として小型貨物自動車の運転業務に
従事し、タンクローリーには特命により臨時的に乗務するにすぎず、本件事故当時、Yは、
重油をほぼ満載したタンクローリーを運転して交通の渋滞しはじめた国道上を進行中、車
間距離不保持及び前方注視不十分等の過失により、急停車した先行車に追突したものであ
る、(3)本件事故当時、Yは月額約4万5000円の給与を支給され、その勤務成績は
普通以上であった、というのであり、右事実関係のもとにおいては、Xがその直接被った
損害及び被害者に対する損害賠償義務の履行により被った損害のうちYに対して賠償及び
- 62 -
求償を請求しうる範囲は、信義則上右損害額の4分の1を限度とすべきであ」る。
(4)民法715条の責任と類似な制度
715条の責任と類似する責任を規定するものとして、44条・716条、国家賠償法
1条などがある。
(イ)民法44条
法人は理事その他の代理人がその職務を行うにつき他人に加えた損害を賠償する責任を
負うとされている。44条1項の法人の責任については、715条の使用者責任における
がごとき、免責規定が存在しないが、後者にあっても、実際上これによる免責はほとんど
認められていないから、両者は、実質的にはほとんど同じ責任と考えられる。
(ロ)民法716条
請負人が第三者に加えた損害につき、注文者は、原則として、責任を負わないが(71
6条本文)、注文または指図に付き注文者に過失があった場合には、責任を負うものとさ
れる(716条但書)。判例は、本条の責任を715条の責任と同列にとらえている。こ
の点、学説は、本条但書は、指図上の過失と損害との間に相当因果関係があれば注文者は
709条の責任を負うということを規定したにすぎない、ととらえている)
。
(ハ)国家賠償法1条
国または公共団体の「公権力の行使に当たる」公務員が、その職務を行うについて、故
意または過失によって違法に他人に損害を加えたときは、(該公務員を選任・監督する、
あるいは給与その他の費用を負担する)国または公共団体が賠償責任を負うものとされる。
公権力的職務執行にかかる加害行為について適用されるから、たとえば公立学校の教育に
ついては国家賠償法1条の適用があるが、公立病院における医療過誤については民法71
5条によるものとされる。
民法715条の使用者責任と異なるのは、免責規定がないこと、国または公共団体の求
償権は、当該公務員に故意または重過失のあったときに限られるとの明文規定があること、
被害者は、当該公務員に対してはその個人としての責任を追及しえないと解されているこ
と(最判昭和30・4・19民集9巻5号534頁)の三点である。
【重要判例】
最判昭和62・2・6判時1232号100頁
中学校の水泳の授業で、数歩助走してスタート台にあがって飛び込む方法の指導を受け
プールに飛び込み、プール底に頭を激突させ甚大な傷害を負ったXが学校設置者たる市Y
を相手に損害賠償請求をしたという事案について、
「国家賠償法一条一項にいう「公権力の行使」には、公立学校における教師の教育活動も
含まれるものと解するのが相当であり、これと同旨の原審の判断は、正当として是認する
ことができる。原判決に所論の違法はなく、論旨は採用することができない。・・・
学校の教師は、学校における教育活動により生ずるおそれのある危険から生徒を保護す
べき義務を負っており、危険を伴う技術を指導する場合には、事故の発生を防止するため
に十分な措置を講じるべき注意義務があることはいうまでもない。本件についてこれをみ
るに、所論の点に関する原審の事実認定は、原判決挙示の証拠関係に照らして首肯するこ
- 63 -
とができ、右の事実関係によれば、A教諭は、中学校三年生の体育の授業として、プール
において飛び込みの指導をしていた際、スタート台上に静止した状態で頭から飛び込む方
法の練習では、水中深く入ってしまう者、空中での姿勢が整わない者など未熟な生徒が多
く、その原因は足のけりが弱いことにあると判断し、次の段階として、生徒に対し、二、
三歩助走をしてスタート台脇のプールの縁から飛び込む方法を一、二回させたのち、更に
二、三歩助走をしてスタート台に上がってから飛び込む方法を指導したものであり、被上
告人Xは、右指導に従い最後の方法を練習中にプールの底に頭部を激突させる事故に遭遇
したものであるところ、助走して飛び込む方法、ことに助走してスタート台にあがってか
ら行う方法は、踏み切りに際してのタイミングの取り方及び踏み切る位置の設定が難しく、
踏み切る角度を誤った場合には、極端に高く上がって身体の平衡を失い、空中での身体の
制御が不可能となり、水中深く進入しやすくなるのであって、このことは、飛び込みの指
導にあたるA教諭にとって十分予見しうるところであったというのであるから、スタート
台上に静止した状態で飛び込む方法についてさえ未熟な者の多い生徒に対して右の飛び込
み方法をさせることは、極めて危険であるから、原判示のような措置、配慮をすべきであ
ったのに、それをしなかった点において、A教諭には注意義務違反があったといわなけれ
ばならない。もっとも、同教諭は、生徒に対して、自信のない者はスタート台を使う必要
はない旨を告げているが、生徒が新しい技術を習得する過程にある中学校三年生であり、
右の飛び込み方法に伴う危険性を十分理解していたとは考えられないので、右のように告
げたからといって、注意義務を尽くしたことにはならないというべきである。したがって、
右と同旨に帰する原審の判断は、正当として是認することができる。原判決に所論の違法
はなく、論旨は採用することができない。」
3 瑕疵ある土地の工作物等の占有者または所有者の責任
(1)序説
土地の工作物の設置または保有に瑕疵があり、そのために他人に損害を生ぜしめたとき
は、第一次的には工作物の占有者が賠償の責任を負う。しかし、占有者が損害の発生を防
止するに必要な注意をしたことを立証して免責される場合には、第二次的に、その工作物
の所有者が賠償の責任を負う(717条1項本文・但書)。これを土地工作物責任という。
(2)成立要件
(イ)工作物
要件の第一は、損害が土地の工作物から生ずることである。ここに土地の工作物とは、
家屋、塀、電柱、遊動円棒、井戸、堤防、ゲレンデ・ゴルフコースなど、土地に接着・定
着して人工的に作りあげられたものをいうが、坑口付近に設置された炭車の捲上機、踏切
道の軌道施設全体、さらには、メッキ工場の濾過装置・製麺機など工場内に設置された機
械・設備も土地工作物にあたるとされ、広く解されていることに注意したい。
(ロ)設置・保存の瑕疵、瑕疵に因る損害の発生
要件の第二は、損害が、土地工作物の設置または保存の瑕疵によることである。瑕疵が
あるとは、その物が通常備えているべき(とくに安全性に関する)性状や設備を欠いてい
ることであって、それが当初から存在する場合が設置の瑕疵であり、事後に生じた場合が
保有の瑕疵である。瑕疵は、故意・過失によって生じたものであることを要しない。取締
- 64 -
規定に従っていたからといって、必ずしも瑕疵がないとはいえない。瑕疵の存在について
は被害者側がその立証責任を負う(もっとも、事故の発生自体から事実上推定される)。
また、瑕疵と損害発生との間には因果関係がなければならない。被害者または第三者の
行為や自然力が原因競合した場合でも本条の責任は成立する(この場合、過失相殺、第三
者への求償、責任の軽減がそれぞれ問題となりうる)。まったく予想を絶するような豪雨
など不可抗力のために損害が発生したとみられる場合には、現実に工作物に瑕疵があって
も、責任は成立しない。
(3)効果
既にみたように、第一次的には占有者が責任を負う(占有者が所有者と同一人であると
きは、
所有者が第一次的に責任を負う。この場合には免責事由がないこというまでもない)。
ここで占有者とは、工作物の賃借人など、それを事実上支配しその瑕疵を修補して損害の
発生を防止しうる関係にある者をいう。
しかし、占有者が、免責事由を立証しえた場合には責任を免れ(したがって、占有者の
責任は、いわゆる中間責任である)、第二次的に所有者が責任を負うこととなる(所有者
の責任は無過失責任である)。工作物の所有者が第三者にこれを譲渡し所有権を移転した
がまだ登記名義を残していた場合において、登記を経由していない譲受人が工作物責任を
負うことになることについては異論がない。しかし、この場合において登記名義人も責任
を負うかについては、見解の対立があるが、積極説が有力であるといってよい。
なお、工作物を築造した請負人、工作物の前所有者など、他に損害の原因につき責に任
ずべき者があるときは、損害賠償をした占有者あるいは所有者は、その者に求償すること
ができる(717条3項)。
【重要論点】
①「瑕疵」のとらえ方
「瑕疵」のとらえ方については、見解の対立がある。通説は、
717条の責任を無過失責任(占有者については中間責任)ととらえ、「瑕疵」を工作物
が本来備えるべき性状・設備を欠いていることと解している(「客観説」)。これに対し、
近時、「瑕疵」とは、工作物それ自体の性状において欠陥がある場合(性状瑕疵)はもち
ろん、危険防止のための措置についての不備ないし欠陥ある場合(人的瑕疵)をも含み、
つまるところ設置・保有者が負うべき安全確保(損害回避)義務の違反のことであるとす
る説(義務違反説)が有力に説かれている。
②工作物の瑕疵に基づく火災と失火責任法の適用 工作物の瑕疵から火災が発生した場
合には、民法717条によるべきか、失火ノ責任に関スル法律によるべきかという問題が
生ずる。これについては、①民法717条優先適用説、②失火責任法優先適用説、③工作
物の設置保存の瑕疵が占有者・所有者の重大な過失による場合に責任があるとの説(失火
責任法はめこみ説)、④直接火災部分については民法717条を適用し、延焼部分につい
ては、失火責任法を適用ないし717条にはめこむべきであるとする説(直接間接区別説)
などが対立している。このうち④説が判例・学説上有力であるとみられるが(なお、71
4条・715条に関しても同様の問題がある)、なお流動的である。
【重要判例】
- 65 -
①最判平成2・11・6判時1407号67頁
液化石油消費設備の高圧ゴムホースの亀裂からガスが噴出して発火したということにか
かる損害賠償が求められたという事案について、
「原審が適法に確定したところによれば、(一)
本件ガス消費設備は、本件建物の外壁
に沿って集合装置を取り付け、ここにガスボンベを設置し、ボンベのバルブから本件高圧
ゴムホースで導管に、導管でベーパーライザーに、それぞれ接続するという構造のもので
あって、一体としてその機能を果たすものである、(二)
導管は、下端を地中に埋め、
上端を本件建物の軒下に固定した鉄製パイプ、本件建物の外壁及び本件建物に隣接する作
業場建物の外壁にそれぞれ金具で固定されていた、(三)
ベーパーライザーは、本件建
物内玄関前に打たれたコンクリート上に置かれ、コンクリート面にビスを埋め込んで固定
されていた、(四)
本件高圧ゴムホースは、ねじと充てん剤で接続されているもので比
較的容易に着脱することができるものではあるが、一年から数年程度の期間にわたり導管
との接合を同一にしたまま使用されるものである、というのである。右の事実関係のもと
においては、本件ガス消費設備はそれ自体一体として民法七一七条一項にいう土地の工作
物に当たり、本件高圧ゴムホースはその一部をなすものとした原審の判断は、正当として
是認することができ、原判決に所論の違法はない。論旨は、独自の見解に立って原判決を
論難するものにすぎず、採用することができない。
・・・
本件ガス消費設備は、上告人が所有するもので被上告人会社に無償で貸与していたもの
であり、専ら上告人がその保守、管理及び操作を行うことが合意され、上告人の従業員は
バスボンベ取替えのため定期的に集合装置の設置してある場所に出入りし、被上告人らも
このことをあらかじめ許諾していたとの原審の認定は、原判決挙示の証拠関係に照らし、
首肯することができる。原審は、右事実関係のもとにおいて、上告人は、保守、管理及び
操作に関しては本件ガス消費設備に対し直接的、具体的な支配を及ぼしていたから、民法
七一七条一項に規定する占有者に当たるとしたものであって、右判断は正当として是認す
ることができる。原判決に所論の違法はなく、論旨は、原審の専権に属する証拠の取捨判
断、事実の認定を非難するか、又は独自の見解に立って原判決を論難するものにすぎず、
採用することができない。」
②最判昭和46・4・23民集25巻3号351頁
Ⅹ夫婦の長女A(3歳)が、Y電鉄の、警手の配置もなく、遮断機や警報機などの保安
設備も設置されていない踏切で、電車に衝突し、死亡した。そこでⅩ夫婦がYに対して損
害賠償を求めたという事案につき、
「列車運行のための専用軌道と道路との交差するところに設けられる踏切道は、本来列車
運行の確保と道路交通の安全とを調整するために存するものであるから、必要な保安のた
めの施設が設けられてはじめて踏切道の機能を果たすことができるものというべく、した
がつて、土地の工作物たる踏切道の軌道施設は、保安設備と併せ一体としてこれを考察す
べきであり、もしあるべき保安設備を欠く場合には、土地の工作物たる軌道施設の設置に
瑕疵があるものとして、民法717条所定の帰責原因となるものといわなければならない。
この点の原審の判断に所論の法令違背はなく、論旨は採用することができない。・・・踏
切道における軌道施設に保安設備を欠くことをもつて、工作物としての軌道施設の設置に
瑕疵があるというべきか否かは、当該踏切道における見通しの良否、交通量、列車回数等
- 66 -
の具体的状況を基礎として、前示のような踏切道設置の趣旨を充たすに足りる状況にある
かどうかという観点から、定められなければならない。そして、保安設備を欠くことによ
り、その踏切道における列車運行の確保と道路交通の安全との調整が全うされず、列車と
横断しようとする人車との接触による事故を生ずる危険が少くない状況にあるとすれば、
踏切道における軌道施設として本来具えるべき設備を欠き、踏切道としての機能が果され
ていないものというべきであるから、かかる軌道設備には、設置上の瑕疵があるものとい
わなければならない。これを本件について見るに、原審(第一審判決引用部分を含む。)
の適法に確定した諸事情、とくに、本件踏切を横断しようとする者から上り電車を見通し
うる距離は、踏切の北側で50メートル、南側で80メートルで、所定の速度で踏切を通
過しようとする上り電車の運転者が踏切上にある歩行者を最遠距離において発見しただち
に急停車の措置をとつても、電車が停止するのは踏切をこえる地点になるという見通しの
悪さのため、横断中の歩行者との接触の危険はきわめて大きく、現に本件事故までにも数
度に及ぶ電車と通行人との接触事故があったことと、本件事故当時における1日の踏切の
交通量(後記踏切道保安設備設置標準に従つた換算交通量)は700人程度、1日の列車
回数は504回であったことに徴すると、本件踏切の通行はけっして安全なものというこ
とはできず、少なくとも警報機を設置するのでなければ踏切道としての本来の機能を全う
しうる状況にあったものとはなしえないものと認め、本件踏切に警報機の保安設備を欠い
ていたことをもつて、上告会社所有の土地工作物の設置に瑕疵があったものとした原審の
判断は、正当ということができる。所論は、運輸省鉄道監督局長通達(昭和29年4月2
7日鉄監第384号および同号の2)で定められた地方鉄道軌道及び専用鉄道の踏切道保
安設備設置標準に従つて保安設備を設ければ、社会通念上不都合のないものとして、民法
上の瑕疵の存在は否定されるべきであるというが、右設置標準は行政指導監督上の一応の
標準として必要な最低限度を示したものであることが明らかであるから、右基準によれば
本件踏切道には保安設備を要しないとの一事をもつて、踏切道における軌道施設の設置に
瑕疵がなかつたものとして民法717条による土地工作物所有者の賠償責任が否定さるべ
きことにはならない。
」
(4)土地工作物責任に類似ないしは関連する責任
(イ)民法717条2項
竹木の栽植または支持に瑕疵ある場合には、竹木の占有者または所有者は、土地工作物
責任と同様の責任を負う。
(ロ)国家賠償法2条
公の営造物の設置または管理に瑕疵があり、そのために他人に損害が生じたとき(たと
えば、道路の騒音・振動・排気ガスが問題とされる場合ー最判平成7・7・7民集49巻
7号1870頁ーのように、被害者は営造物の利用者にとどまらない)は、その設置者・
管理者もしくは費用負担者たる国または公共団体は、その賠償をすべき責任を負う。「公
の営造物」とは、公の目的に供される有体物や設備のことであり、道路、河川、橋梁、官
公庁舎、公立学校の施設などが主な物である。河川、海岸などで人工の手が加えられてい
ない自然公物も公の営造物に当たると解されている。また、動産もこれに含まれるとされ
る(福岡高判昭和37・3・19判タ130号100頁ー刑務所の洗濯脱水機、大阪高判
- 67 -
昭和62・11・27判時1275号62頁ー警察官の拳銃など)から「土地の工作物」
より範囲が広い。国家賠償法2条は、民法717条に対して特別法の関係に立つものとさ
れるが、公の営造物につき民法717条の規定が適用された例もないではない(東京高判
昭和46・4・27高民集24巻158頁ー国鉄の踏切)。
営造物の瑕疵とは、通常有すべき安全性を欠いていることであって、民法717条と同
義と考えてよい。もっとも、瑕疵を国または公共団体の安全確保義務・損害回避義務違反
ととらえる少数説もある(この点は、土地工作物責任にかかり既に述べたところである)
。
瑕疵ある場合としては、営造物が物理的・外形的な欠陥・不備によって危害を生ぜしめる
危険がある場合(性状の瑕疵)のほか、これが目的に沿って供用されるにあたり危害を生
ぜしめるという危険性をもつ場合(機能上の瑕疵)もある。客観的な性状の瑕疵に加えて
人の行為・予見可能性が合わせ考慮されるということもあろう(国賠1条・2条が統合適
用されるという場面ーたとえば、落石や土砂崩れの場合通行止めをしなかった以上道路に
瑕疵があったとする最判昭和45・8・28民集24巻9号1268頁参照)。瑕疵の有
無は、問題とされる営造物の構造・用法・場所的環境・利用状況など諸般の事情を総合判
断するしかない(最判昭和53・7・4民集32巻5号809頁参照)。この点でとくに
問題とされるのは、水害の事例である。大東水害訴訟についての判例においては、河川管
理の特質をふまえて、ここで通常有すべき安全性は、「同種・同規模の河川の管理の一般
水準及び社会通念に照らして是認しうる安全性」を備えているかであって、改修の充分に
はなされていない河川にあっては、財政的、技術的、社会的な制約があり、「改修、整備
の過程に対応するいわば過渡的な安全性で足りる」という考え方を示している(最判昭和
59・1・26民集38巻2号53頁)。こうしたとらえ方は、国または公共団体の責任
はないとの結論に結びつきやすい(最判平成2・12・13民集44巻9号1186頁、
最判平成8・7・12民集50巻7号1477頁など)。なお、河川管理を他の営造物の
管理と質的に異なるものととらえてよいかについては、学説には批判するものがある。
民法717条1項但書に対応する免責規定がここには存在しないことに留意したい。
【重要判例】
最判昭和56・12・16民集(大阪空港訴訟ー過去の損害賠償請求の部分)
大阪国際空港周辺の住民Xらが、航空機の騒音等を理由に、国Yに対し(夜間の航空機
の離発着の差止めと、
)損害賠償とを求めたという事案につき、
「国家賠償法二条一項の営造物の設置又は管理の瑕疵とは、営造物が有すべき安全性を欠
いている状態をいうのであるが、そこにいう安全性の欠如、すなわち、他人に危害を及ぼ
す危険性のある状態とは、ひとり当該営造物を構成する物的施設自体に存する物理的、外
形的な欠陥ないし不備によつて一般的に右のような危害を生ぜしめる危険性がある場合の
みならず、その営造物が供用目的に沿つて利用されることとの関連において危害を生ぜし
める危険性がある場合をも含み、また、その危害は、営造物の利用者に対してのみならず、
利用者以外の第三者に対するそれをも含むものと解すべきである。すなわち、当該営造物
の利用の態様及び程度が一定の限度にとどまる限りにおいてはその施設に危害を生ぜしめ
る危険性がなくても、これを超える利用によつて危害を生ぜしめる危険性がある状況にあ
る場合には、そのような利用に供される限りにおいて右営造物の設置、管理には瑕疵があ
- 68 -
るというを妨げず、したがつて、右営造物の設置・管理者において、かかる危険性がある
にもかかわらず、これにつき特段の措置を講ずることなく、また、適切な制限を加えない
ままこれを利用に供し、その結果利用者又は第三者に対して現実に危害を生ぜしめたとき
は、それが右設置・管理者の予測しえない事由によるものでない限り、国家賠償法二条一
項の規定による責任を免れることができないと解されるのである。
本件についてこれをみるのに、本件において被上告人らが主張し、かつ、原審が認定し
た本件空港の設置、管理の瑕疵は、右空港の施設自体がもつ物理的・外形的欠陥ではなく、
また、それが空港利用者に対して危害を生ぜしめているというのでもなくて、本件空港に
多数のジェット機を含む航空機が離着陸するに際して発生する騒音等が被上告人ら周辺住
民に被害を生ぜしめているという点にあるのであるが、利用者以外の第三者に対する危害
もまた右瑕疵のうちに含まれること、営造物がその供用目的に沿つて利用されている状況
のもとにおいてこれから危害が生ずるような場合もこれに含まれることは前示のとおりで
あるから、本件空港に離着陸する航空機の騒音等による周辺住民の被害の発生を右空港の
設置、管理の瑕疵の概念に含ましめたこと自体に所論の違法があるものということはでき
ない。そして、原審の適法に確定したところによれば、本件空港は第一種空港として大量
の航空機の離着陸を予定して設置されたものであるにもかかわらず、その面積はこのよう
な機能を果たすべき空港としては狭隘であり、しかも多数の住民の居住する地域にきわめ
て近接しているなど、立地条件が劣悪であつて、これに多数のジェット機を含む航空機が
離着陸することにより周辺住民に騒音等による甚大な影響を与えることは避け難い状況に
あり、しかも本件空港の設置・管理者たる国は右被害の発生を防止するのに十分な措置を
講じないまま右空港をジェット機を含む大量の航空機の離着陸に継続的に使用させてき
た、というのである。そうすると、のちに上告理由第四点の一ないし四について判示する
とおり右供用の違法性が肯定される限り、国家賠償法二条一項の規定の解釈に関しさきに
判示したところに照らし、右事実関係のもとにおいて本件空港の設置、管理に瑕疵がある
ものと認めた原審の判断は正当というべきである。
」(差止めについては却下)
(ハ)民法718条
動物の所有者など自己のためにする意思をもってこれを占有するもの(動物占有者)や
保管者(賃借人、受寄者、運送者など)は、動物が他人に加えた損害につき、賠償責任を
負うべきものとされる。飼主の許可を得て犬を散歩させる者、飼育係の従業員など占有補
助者は、保管者にあたらず本条による責任を負わないというのが判例である(最判昭和3
7・2・1民集16巻2号143頁。ただし、民法709条の責任は成立しうる)。ただ
し、動物の種類および性質にしたがって相当の注意をしたことを証明すれば、責任を免れ
る。
保管者が責任を負うべき場合において、占有者の責任はどうなるかについては、占有者
は不適当な保管者を選んだときにのみ709条責任を負う、両者は重複して責任を負うが
動物の種類・性質等に従いその保管者を船員・監督したことを立証できれば免責されると
する説(最判昭和40・9・24民集19巻6号1668頁参照)
。
なお、人が動物をけしかけた場合においては、けしかけた者が709条の責任を負うも
のと解されているが、718条において責任が加重されていることに鑑みると、けしかけ
- 69 -
た者が動物占有者・保管者でもある場合は両条が競合的に適用になると考える説もある。
【重要判例】
最判昭和58・4・1判時1083号83頁
自転車に乗って通行中の男児(7歳)Xがダックスフント系の犬が近づいたため操縦を
誤り道路に沿って流れる川に転落し眼球に傷害を受け失明したので、飼主Yに損害賠償を
求めたという事案について、
「所論の点に関する原審の事実認定は、原判決挙示の証拠関係に照らして首肯するに足り、
右事実関係のもとにおいて、7歳の児童にはどのような種類の犬であってもこれを怖がる
者があり、犬が飼主の手を離れれば本件のような事故の発生することは予測できないこと
ではないとして、上告人に民法718条所定の損害賠償責任があるものとした原審の判断
は、正当として是認することができる。」(本件犬の動作と被上告人の損害との間に因果
関係の存在を肯認した原判決には民法718条1項の解釈適用を誤った違法があり、右違
法は判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、論旨は理由があり、原判決は破棄を免
れない、との反対意見が付されている)。
なお、本件原審は、(1)被上告人Xは、昭和54年6月16日午後4時ころ、某地先
の舗装道路上を・・・自転車で通行中、自転車もろとも道路に沿って左側を流れる椎原川
の護岸壁から転落し、左眼球破裂等の傷害を受けて左眼を失明した、(2)Xは、事故当
時小学2年生(7歳)で、当日近所の同級生の一人と各自の自転車に乗って遊んでいた、
(3)Xが乗っていた自転車は、以前から乗っていた子供用自転車が小さくなったため、
事故の約10日前に買い替えてもらったばかりで、車長約1・4メートル、サドルの高さ
約0・75メートル、ハンドルの高さ約0・9メートルで、Xの身体にはやや大きめで、
ペダルに十分足が届かなかったものの、当日まで転倒等の事故を起こしたことはなかった、
(4)本件犬は、Yが愛玩用に飼っていた体長約40センチメートル、体高約20センチ
メートルのダックスフント系雄犬で、上告人は、通常は庭に鎖でつないでいたのを、当日
運動をさせるつもりで首輪から鎖を外したため、犬は一旦Y方前の幅員約3メートルの前
記道路の中央付近まで走り出た、(5)たまたまXが右道路の中央より某川寄りを右自転
車に乗って通りかかり、犬との距離が約8・5メートルになったころ、右のとおり走り出
た犬は吠えることなく歩いて川の方に寄りながら2メートル程Xの方に近付いたので、X
は道路の端に寄って通り抜けるため、ハンドルを左に切った際、操縦を誤り前記のように
某川に自転車もろとも転落した、(6)Xが転落したころ、本件犬は右転落地点道路上か
ら前方3ないし4メートルの道路中央よりやや左寄りに佇立しており、Xが運転を誤らな
ければ、本件犬の左側を通り抜けて走行することは可能であった、(7)Xは、日頃から
犬嫌いであった、というのである。右事実関係に基づき、原判決は、(イ)飼主Yの手を
放れた犬がXに近付いたこと(ロ)普段から犬嫌いであったXが近付いて来る犬に一瞬ひ
るんだこと(ハ)Xが身体に比してやや大きめの自転車の操縦に十分慣れていなかったこ
と、の三者が相俟って本件事故発生の原因をなしたものと認めるのが相当である、との判
断を示していた。
4 共同不法行為
- 70 -
(1)序説
不法行為者が複数存在し、その関連共同する行為によって、第三者に損害を与えること
を共同不法行為という。被害者は、各加害者のいずれに対しても共同行為と「相当因果関
係に立つ」(賠償させるべき範囲にある)全損害の賠償を求めることができるもの(連帯
責任・全部責任)とされる。共同不法行為は、通常、狭義の共同不法行為、加害者不明の
場合そして教唆・幇助に分けて説明される。
(2)各類型の成立要件
(イ)狭義の共同不法行為(719条1項前段)
数人で共同してある者を殴打する場合がこの典型例であって、その成立要件の第一は、
各人の行為がそれぞれ独立に一般不法行為の成立要件を充たしているということである
(最判昭和43・4・23民集22巻4号964頁)。とりわけ問題とされる因果関係に
ついても、これを要するとするのが従来の通説であるが、近時の有力説は、(こう解した
のでは719条の存在意義が失われるとして)共同行為と損害との間に因果関係があれば
足り、各人の行為と損害との間に必ずしも因果関係がなくてもよいとしている(判例とし
ては、大判昭和9・10・5民集13巻1874頁参照)。
成立要件の第二は、行為者間の関連共同性である。数人が共同する意思(少なくとも、
他人の行為を利用し、他方自己の行為が他方に利用されるのを認容する意思)をもって行
動した結果として他人に損害を加えた場合(主観的関連共同の場合)は問題がない。これ
に対し、単に社会的に一体とみられるにすぎない(行為者の共謀はもとより共同の認識も
ない)場合(客観的関連共同の場合)については、これでも足りるとするのが判例(大判
大正2・4・26民録19輯281頁、同大正3・10・29民録20輯834頁、最判
昭和43・4・23前掲)であり、従来の通説でもある。しかし、(これではなぜ各人の
行為と相当因果関係がない損害についてまで責任を負わされているのか説明できないと
し)何らかの意思的根拠すなわち主観的共同を必要とするとの説(主観的共同説)も有力
であり(なお、この説にあっては、本条1項後段を広く適用もしくは類推適用して必要に
応じた被害者救済を図ろうとする)
、また「強い関連共同性」がある場合(すなわち、「共
同する意思」といった主観的要素が認められる場合さらには客観的にみて損害発生の原因
行為に強い一体性が認められる場合など)には、共同行為と結果との間に因果関係がある
以上、責任を免れないが、「弱い関連共同性」しかない場合には、(719条1項後段が
適用され)各人の行為と結果との間に因果関係がないことを立証すれば責任を免れること
ができるなどとする説(類型説−津地四日市支判昭和47・7・24判時672号30頁
参照)もある。
(ロ)加害者不明の場合(719条1項後段)
共同行為者中、直接の加害者が不明の場合(いわゆる択一的競合の場合)に関する。よ
りひろく寄与度が不明の場合もこれに含める説がある(大阪地判平成3・3・29判時1
383号22頁ー西淀川公害訴訟=弱い関連共同性しかない行為に本条1項後段を適用)
が、この場合は類推適用であるとみるべきであるとの説がある。
要件の第一は、本条1項後段により責任を負うべき複数の者は、共同行為者といえなけ
ればならないということである。共同行為者とは、第一項前段と異なり、直接の加害行為
について共同するものではなく、加害の危険ある行為あるいは直接加害行為の前提となる
- 71 -
集団行為について共同する者をいうという(行為者間に客観的関連共同性あるいは物理的
・時間的近接性を必要とする)のが判例そして従来の通説である。しかし、近時は、当該
権利侵害を惹起する危険性を含んでいる行為をした者とする説、さらには、同一の損害惹
起に関与する全ての者にまで拡げる説があらわれている。第二は、共同行為者のなかのい
ずれかによって損害が惹起されたことである。第三は、各共同行為者について、因果関係
以外の不法行為の成立要件が充足されていることである。
なお、共同行為者は、因果関係が存しない旨立証することによって免責されうるという
のが有力説である。つまり、本条1項後段は、因果関係を推定する旨の規定と解するので
ある。もっとも、この点について、因果関係を擬制する規定であるが、因果関係が存在し
ない旨立証できた場合には共同行為者に当たらないから免責されると説くものもある。
(ハ)教唆・幇助(719条2項)
他人をそそのかせて不法行為をする意思を決定させた者(教唆者)および不法行為の補
助的行為をした者(幇助者)は、共同不法行為者とみなされる。
(2)共同不法行為の効果
(イ)賠償の範囲
各共同行為者は、共同行為と相当因果関係に立つ(義務射程あるいは保護範囲にある)
全損害について賠償すべき責任を負う(大判大正14・10・23民集4巻640頁)。
なお、「特別損害」については、予見可能性を有する者のみが賠償責任を負う(大判昭和
3・3・17民集17巻2465頁)
、というのが判例・通説である。
(ロ)責任の連帯性
各共同行為者の責任は、かつての判例によれば、連帯債務の関係に立つとされる(大判
大正3・10・29民録20輯834頁)。しかし、学説は、各賠償債務は不真正連帯債
務の関係に立つのであって、434条以下の規定の適用はここでは認められないとしてお
り、近時これに従うと評しうる最高裁判例もみられる(最判昭和48・2・16民集27
巻1号99頁)。なお、求償請求に関わり、共同不法行為者の一部の者に対する免責の場
合について、連帯債務における免除の絶対的効力を定めた民法437条の規定は適用され
ず、他の共同不法行為者に対して当然に免除の効力が及ぶものではないとしつつも、被害
者が、他共同不法行為者の債務をも免除する意思を有していると認められるときは、その
者に対しても免除の効力が及ぶとした判例がある(最判平成10・9・10民集52巻6
号1494頁)ことに留意したい。
以上の点につき、近時の有力説は、
(ハ)共同不法行為者間の求償
共同不法行為者の一人が被害者に損害の全部または一部を弁済した場合には、本来負担
すべき責任の割合(寄与度)に応じて(442条も参照)、他の共同不法行為者に求償す
ることができる(最判昭和41・11・18民集20巻9号1886頁)
(3)競合的不法行為
たとえば第一次事故により重傷を負ったものが第二事故により死亡した場合、交通事故
により負傷した者が医師の過誤により死亡した場合(最判平成13・3・13民集55巻
2号328頁)、国の製造承認を受け製薬会社の製造した医薬品の副作用を被った場合の
- 72 -
ように、一個不可分の損害を生じさせた行為者が複数存在するが、主観的共同関連性がな
いのみならず客観的関連共同性も弱く(あるいは関連共同性がない)、加害行為自体が異
時的な関係に立つといった場合について、関与した複数の加害者に不真正連帯にて損害全
額の責任を認め、もし加害行為と損害との事実的因果関係の有無あるいはその及ぶ範囲を
明らかにできたときには減免責を認めるという考え方がある。競合的不法行為(あるいは
広義の共同不法行為)という共同不法行為類型を認めようというのである。
しかし、客観的関連共同性で足りるとの説に立つ場合には、不真正連帯・全額賠償責任
という結論を肯定するためにこうした特別の類型を立てることは必ずしも必要でないとい
うことになろう。
※
行為共同型
主観的牽連共同性(計画参加・実行行為参加・教唆幇助)
強い関連共同性
加害者不明型
択一的関係あり(弱い関連共同性すらなくてさしつかえない)
弱い関連共同性あり
寄与度不明型
弱い関連共同性あり
なし→709条
(大村『基本民法Ⅱ』254頁参照)
(4)共同不法行為と過失相殺
(競合的不法行為も含めて)共同不法行為が成立する場合において、被害者にも損害の
発生・拡大について過失があるときには、どのようにこれを斟酌すればよいかが問題とな
る。この点については二つの考え方がある。一つは、各加害者を全体的にとらえ過失相殺
をするもので、各共同不法行為者の過失割合を合算して加害者全体の過失割合を算定し、
他方被害者の過失割合を考え、これを基礎として過失相殺をするという考え方である(最
判平成15・7・11民集57巻7号815頁)。もう一つは、各不法行為者と被害者と
の過失割合を斟酌することにし、他の加害行為者と被害者の過失割合を考慮すべきでない
とするという考え方である(最判平成13・3・13民集55巻2号328頁)。後者に
おいては、共同不法行為者間に共通する部分のみが不真正連帯債務ということになり、そ
の余の部分は単独責任になると考えられる。
【重要判例】
①最判昭和43・4・23民集22巻4号964頁
ⅩらがY(国)の経営するアルコール工場からの廃水に含まれる多量の窒素により農作
物に被害を受けたとして賠償を求めたのに対し、Yが、右損害は工場廃水だけが原因では
ないと争ったという事案について、
「共同行為者各自の行為が客観的に関連し共同して流水を汚染し違法に損害を加えた場合
において、各自の行為がそれぞれ独立に不法行為の要件を備えるときは、各自が、右違法
な加害行為と相当因果関係にある全損害について、その賠償の責に任ずべきである」。
「共同行為者各自の行為が客観的に関連し共同して違法に損害を加えた場合において、各
自の行為がそれぞれ独立に不法行為の要件を備えるときは、各自が右違法な加害行為と相
- 73 -
当因果関係にある損害についてその賠償の責に任ずべきであり、この理は、本件のごとき
流水汚染により惹起された損害の賠償についても、同様であると解するのが相当である。
これを本件についていえば、原判示の本件工場廃水を山王川に放出した上告人Yは、右廃
水放出により惹起された損害のうち、右廃水放出と相当因果関係の範囲内にある全損害に
ついて、その賠償の責に任ずべきである。ところで、原審の確定するところによれば、山
王川には自然の湧水も流入し水がとだえたことはなく、昭和三三年の旱害対策として多く
の井戸が掘られたが、山王川の流域においてはその数が極めて少ないことが認められるか
ら、Xの放出した本件工場廃水がなくても山王川から灌漑用水をとることができなかつた
わけではないというのであり、また、山王川の流水が本件廃水のみならず所論の都市下水
等によつても汚染されていたことは推測されるが、原判示の曝気槽設備のなかつた昭和三
三年までは、山王川の流水により稀釈される直前の本件工場廃水は、右流水の約一五倍の
全窒素を含有していたと推測され、山王川の流水は右廃水のために水稲耕作の最大許容量
をはるかに超過する窒素濃度を帯びていたというのである。そして、原審は、右の事実お
よび原審認定の本件における事実関係のもとにおいては、本件工場廃水の山王川への放出
がなければ、原判示の減収(損害)は発生しなかった筈であり、右減収の直接の原因は本
件廃水の放出にあるとして、右廃水放出と損害発生との間に相当因果関係が存する旨判断
しているのであって、原審の挙示する証拠によれば、原審の右認定および判断は、これを
是認することができる。所論は、ひっきょう、原審の前記認定を非難し、右認定にそわな
い事実を前提として原判決を非難するに帰し、採用することができない。
同第二点について。
原審の確定するところによれば、原判示の本件工場廃水は多量の窒素を含み、これが水
量の少ない山王川に排出されるときは、右山王川の流水は水稲耕作の窒素許容量をはるか
に超える窒素濃度を有することになり、ために右流水を水稲耕作の灌漑用水として利用す
るにつき有害かつ不適当になるというのである。そして、原審は、右の事実および原審認
定の本件における事実関係のもとにおいては、本件工場廃水の放出は、少なくとも本件の
昭和三三年のように降雨量の少ない年においては、違法性を帯びるにいたる旨判断してい
るのであって、原審の右認定および判断は、挙示の証拠により、これを是認することがで
きる。所論は、原判決を正解せず、原審の前記認定にそわない事実を前提として原判決を
非難するに帰し、採用することができない。
同第三点(1)について。
記録によれば、甲四二号証として原審に提出された書証が、井戸掘負担金を証明する資
料でないことは、論旨指摘のとおりである。しかし、記録によれば、原審は、所論の井戸
掘負担金の額を認定する証拠として、被上告人X本人尋問の結果を引用しているところ、
右によれば、井戸掘負担金額の内訳が原判決添付目録井戸掘負担金欄記載のとおりである
とする原審の認定を是認することができる。それ故、所論は、原判決の結論に影響を及ぼ
すものではなく、採用のかぎりではない。
同第三点(2)について。
原審の確定するところによれば、本件工場廃水の流入する直前の山王川の流水は通常の
窒素施肥量にやや近い窒素を含有していたにすぎないが、活性汚泥法による曝気槽の設置
された昭和三四年以降においても、右廃水の流入後における流水は、水稲耕作における窒
- 74 -
素の最大許容量をはるかにこえる窒素濃度を帯びていたというのであり、また、同三四年
頃、YとXらとの間で、本件工場廃水の排出方法について原判示の約定が成立したが、そ
の後においても山王川の窒素濃度が減少せず、灌漑用水として十分に利用することができ
ない状態にあったので、Xらは、同三四年七月から同三六年五月までの間に、原判示の深
井戸四本を掘つたというのであって、原審の挙示する証拠によれば、右の認定は、これを
是認することができる。そして、原審は、右の事実によれば、山王川の流水を水稲耕作に
使用するためには、Xらとしては、本件工場廃水により汚染された流水を稀釈する等して
これを浄化し、流水の窒素含有量を水稲耕作に支障のない量にまで引き下げる必要があつ
たのであり、前記深井戸四本による井戸水注入は汚染された流水の水質浄化のための一方
法であるから、右深井戸四本の井戸掘に要した費用と、本件工場廃水放出との間には相当
因果関係が存する旨、判断しているものと解せられ、原審の右判断は、前記の事実関係の
もとにおいては、正当としてこれを是認することができる。所論の実質は、ひつきよう、
原審の前記認定を非難し、右認定にそわない事実を前提として、原判決を非難するに帰す
るものであって、採用することができない。
」
②津地裁四日市支判昭和47・7・24判時672号30頁
コンビナートの近隣に居住する住民Xらが、これを形成する工場群中Y1ら6社(この
うち3社には強い結合関係がある)の排出する硫黄酸化物を含む煤煙によって呼吸器疾患
に罹患したとして、Yらに損害賠償請求をしたという事案について、
「四 共同不法行為 前記二および三で検討したように、被告六社の工場のばい煙が全体
として磯津地区の主たる汚染源になっていることが認められ、また、右大気汚染により原
告らが閉そく性肺疾患に罹患し、症状が増悪したことが認められた。
ところで、共同不法行為が成立するには、各人の行為がそれぞれ不法行為の要件をそな
えていることおよび行為者の間に関連共同性があることが必要である。
2 共同不法行為の因果関係
各人の行為が不法行為の要件をそなえていなければならないから、各人に故意、過失、
責任能力があり、違法性が問題にされなければならない。
また、七一九条一項前段の狭義の共同不法行為の場合には、各人の行為と結果発生との
間に因果関係のあることが必要である。
ところで、右因果関係については、各人の行為がそれだけでは結果を発生させない場合
においても、他の行為と合して結果を発生させ、かつ、当該行為がなかったならば、結果
が発生しなかったであろうと認められればたり、当該行為のみで結果が発生しうることを
要しないと解すべきである。けだし、当該行為のみで結果発生の可能性があることを要す
るとし、しかも、共同不法行為債務を不真正連帯債務であるとするときは、七〇九条のほ
かに七一九条をもうけた意味が失われるからである。
そして、共同不法行為の被害者において、加害者間に関連共同性のあることおよび、共
同行為によって結果が発生したことを立証すれば、加害者各人の行為と結果発生との間の
因果関係が法律上推定され、加害者において各人の行為と結果の発生との間に因果関係が
存在しないことを立証しない限り責を免れないと解する。この理は、同条一項後段によれ
ば、行為者各人の行為と結果の発生との間の因果関係が不明であるときでも、共同行為者
全員が連帯債務を負うとされているのであるから、これを訴訟上の観点からみれば、被害
- 75 -
者は、一般に(加害者不明か否かを問わず)共同行為者の連帯債務の履行を請求するとき
には、行為者各人の行為と結果の発生との間の因果関係まで主張立証する必要はないとい
うことになる、と解されるからである。
被告らは、それぞれ各自のばい煙が到達しないか、または、到達量が微量であって結果
の発生との間に因果関係がないと主張するが、右免責の抗弁については後記五においてあ
らためて検討する。
3
関連共同性
イ
弱い関連共同性
(一)共同不法行為における各行為者の行為の間の関連共同性については、客観的関連共
同性をもってたりる、と解されている。
そして、右客観的関連共同の内容は、結果の発生に対して社会通念上全体として一個の
行為と認められる程度の一体性があることが必要であり、かつ、これをもってたりると解
すべきである。本件の場合には、前認定のように、磯津地区に近接して被告ら六社の工場
が順次隣接し合って旧海軍燃料廠跡を中心に集団的に立地し、しかも、時をだいたい同じ
くして操業を開始し、操業を継続しているのであるから、右の客観的関連共同性を有する
と認めるのが相当である。このような客観的関連共同性は、コンビナートの場合、その構
成員であることによって通常これを認めうるものであるが、必ずしもコンビナート構成員
に限定されるものではないと解される。
(二)前記のように共同不法行為における各人の行為は、それだけでは結果を発生させな
いが、他の行為と相合してはじめて結果を発生させたと認められる場合においても、その
成立を妨げないと解すべきであるが、このような場合は、いわば、特別事情による結果の
発生であるから、他の原因行為の存在およびこれと合して結果を発生させるであろうこと
を予見し、または、予見しえたことを要すると解すべきである。これを本件についてみれ
ば、被告ら工場は前記のとおり互いに隣接し合って所在し、かつ、コンビナート関連工場
として操業しているのであるから、他の被告ら工場の操業の内容や規模の概略は認識可能
であり、これらが自社と同様重油を燃焼するなどして、いおう酸化物等のばい煙を排出し
ていることは当然予見可能であり、かつ、前認定のような磯津地区と被告ら工場との間の
位置、距離関係、四日市市における年間最多風向等の気象条件からして、自社の右ばい煙
が他社のばい煙と合して右原告居住地に到達し、後記第三の一・1のばい煙の人体に対す
る影響の予見可能性と相まって、右地区住民に被害を発生せしめるであろうことの予見可
能性があったと認められるのである。
ロ
強い関連共同性
ところで、被告ら工場の間に右に述べたような関連共同性をこえ、より緊密な一体性が
認められるときは、たとえ、当該工場のばい煙が少量で、それ自体としては結果の発生と
の間に因果関係が存在しないと認められるような場合においても、結果に対して責任を免
れないことがあると解される。前認定のように被告Y1、Y2、Y3各工場の間には、特
に、緊密な結合関係がみられる。
すなわち、被告三社は一貫した生産技術体系の各部門を分担し、被告Y1は、前記のと
おりナフサを分解して石油化学の基礎製品であるエチレン等を製造し、被告Y2、同Y2
は、これら基礎製品を自社の原料として供給を受け、二次製品たる塩化ビニールや2エチ
- 76 -
ルヘキサノール等を製造し、なかんずく、これら製造工程に不可欠な蒸気を自ら生産する
ことなく、被告Y1からそれぞれ相当量供給を受け、または、受けていた。このほか、被
告Y3から被告Y1およびY2へ、被告Y2から被告Y3へ、それぞれ製品・原料が送ら
れていることも前記のとおりである。そして、これら製品・原料および蒸気の受け渡しの
多くは、パイプによってなされ、当該被告以外の者から供給を受けることが、技術的・経
済的に不可能または著るしく困難であり、一社の操業の変更は、他社との関連を考えない
では行ない得ないほど機能的技術的経済的に緊密な結合関係を有する。このように、右被
告三社工場は、密接不可分に他の生産活動を利用し合いながら、それぞれその操業を行な
い、これに伴ってばい煙を排出しているのであって、右被告三社間には強い関連共同性が
認められるのみならず、同社らの間には前記のような設立の経緯ならびに資本的な関連も
認められるのであって、これらの点からすると、右被告三社は、自社ばい煙の排出が少量
で、それのみでは結果の発生との間に因果関係が認められない場合にも、他社のばい煙の
排出との関係で、結果に対する責任を免れないものと解するのが相当である。
4
被告らの反論について
イ
被告Y1らは、共同不法行為の要件として各自の行為が独立して不法行為の要件を備
える必要があり、それぞれ民法七〇九条の要件を充足するものでなければならないと主張
するが、その趣旨が、各人の行為がそれだけで結果を発生させる場合に限るのであれは、
その採用し難いことは前記のとおりである。
ロ
被告Y2らは、被告ら工場の煙突は各方面に散在し、その高さ等も異なるのであるか
ら、ばい煙が複合して磯津地区に到達することはない旨主張するが、右主張が、被告らの
ばい煙が相合して磯津地区へ到達する必要があるとの趣旨であれば、その理由がないこと
は明らかである。けだし、ある時にはA工場のばい煙が汚染の原因になり、他の時にはB
工場のばい煙が原因となり、これらの汚染が集積して損害が発生しても共同不法行為たる
を妨げないからである。
ハ
被告Y3らは、自社以外の被告ら工場のばい煙の発生到達および原告らの疾病の因果
関係等いずれも予見不可能であり、自社のばい煙も微量であるから、他と合して結果を発
生させることの予見可能性はなかった旨主張する。このうち、Xらの疾患に関する予見可
能性については、過失の項で検討するが、汚染に関する予見可能性については、前記のよ
うに他工場の操業の内容や規模の概略、地理的関係、気象条件等からすれば、これを肯認
することができ、この場合、各社工場のばい煙の排出量や到達量の詳細まで予見可能性と
して要求されるものではないと解すべきである。また、被告Y2、同Y3については、被
告Y1のばい煙がその他の被告ら工場のばい煙と合して結果を発生させるであろうことの
予見可能性が認められる以上、右被告ら主張も理由がない。
ニ
被告Y1らは、共同不法行為の関連共同性は、不法行為における関連共同性であるべ
きであり、正当な業務において関連があるとしても、共同不法行為を構成しない旨主張す
る。
しかし、本件の不法行為であるばい煙の排出行為は、被告ら工場の操業にずい伴してそ
の必然の結果としてもたらされるものであるから、右ばい煙の排出の関連共同性を検討す
るのに操業上の結合関係をみなければならないことは、むしろ当然であるというべきであ
る。
- 77 -
ホ
被告Y3は、被告ら工場間の原料製品等の需給関係は通常の売買にすぎないものであ
るところ、ある企業がその生産過程において、いおう酸化物を排出し、それが不法行為を
構成するとしても、そのようにして生産された製品やエネルギーを購入したというだけで
はーその不法行為に直接関与したり、または、その不法行為を助長する目的で購入したと
いうような特殊な事情がない限りーその企業の不法行為も共同したことにはならないと主
張する。しかし、コンビナートにおける企業の結合関係、特に、本件の場合のY1・Y2
・Y3三社間の関係は、前記一および四の4で詳細に検討したように、単なる原料等の売
買関係をもって目すべきものではなく、石油化学工業という、いわば一つの生産体系のな
かにおいて、各自、他社の生産活動を自社のために利用し合う関係であり、原料等のパイ
プによる授受は、その不可分関係の一環と解すべきものである。被告Y3の右主張は、そ
の前提において適切ではない。
五
Y1ら各自のばい煙と結果との間の因果関係不存在の主張についてー以下省略」
③最判昭和41・11・18民集20巻9号1886頁
タクシー会社X1の被用者X2の運転するタクシー車とYの運転する自動車とが衝突事
故を起こし(過失割合はX2・Yそれぞれ2対8)、タクシーの乗客Aが負傷したという
事故にかかり、Aに賠償したX1がYに賠償額の8割の求償を求めたという事案につき、
「原審が確定した事実によれば「昭和三四年一月二九日午後一〇時頃、本件事故現場にお
いて、被上告会社の被用者(タクシー運転手)である被上告人X2の運転する自動車(タ
クシー)と上告人Yの運転する自動車とが衝突事故を起した。右事故は、被上告人X2と
上告人Yの過失によつて惹起されたものであり、これにより右タクシーの乗客Aは胸部、
頭部打撲傷等の傷害を受けた。被上告会社X1は、Aに対し、右事故による損害を賠償し
た。」というのである。
右事実関係のもとにおいては、被上告会社X1と上告人Y及び
被上告人X2らは、Aに対して、各自、Aが蒙つた全損害を賠償する義務を負うものとい
うべきであり、また、右債務の弁済をした被上告会社X1は、上告人Yに対し、上告人Y
と被上告人X2との過失の割合にしたがつて定められるべき上告人Yの負担部分について
求償権を行使することができるものと解するのが相当である。したがつて、この点に関す
る原審の判断は結論において正当であり、原判決に所論の違法はない。」
④最判平成10・9・10民集52巻6号1494頁
自動車販売業者Yの被用者Aは他の自動車販売業者Xと結託して(責任割合は6対4と
される)、X名義で信販会社Bに対する架空のオートローンを組み、Bに損害を加えた。
BはXに対し別件訴訟を提起したが、訴訟上の和解によりXがBに2000万円を払うこ
ととし、その余の請求を放棄するとした。そこで、右和解金を支払ったXが、(Aの行為
とXの行為は、Bに対する関係で共同不法行為を構成し、Yも、Bに対し民法715条1
項の使用者責任を負うとして)、Yに求償請求したという事案について、
「Yに対する求償金額の算定に関する原審の右判断は是認することができない。その理由
は、次のとおりである。1甲と乙が共同の不法行為により他人に損害を加えた場合におい
て、甲が乙との責任割合に従って定められるべき自己の負担部分を超えて被害者に損害を
賠償したときは、甲は、乙の負担部分について求償することができる・・・。2・・・こ
の場合、甲と乙が負担する損害賠償債務は、いわゆる不真正連帯債務であるから、甲と被
- 78 -
害者との間で訴訟上の和解が成立し、請求額の一部につき和解金が支払われるとともに、
和解調書中に「被害者はその余の請求を放棄する」旨の条項が設けられ、被害者が甲に対
し残債務を免除したと解し得るときでも、連帯債務における免除の絶対的効力を定めた民
法四三七条の規定は適用されず、乙に対して当然に免除の効力が及ぶものではない(最高
裁昭和四三年(オ)第四三一号同四八年二月一六日第二小法廷判決・民集二七巻一号九九
頁、最高裁平成四年(オ)第一八一四号同六年一一月二四日第一小法廷判決・裁判集民事
一七三号四三一頁参照)。しかし、被害者が、右訴訟上の和解に際し、乙の残債務をも免
除する意思を有していると認められるときは、乙に対しても残債務の免除の効力が及ぶも
のというべきである。そして、この場合には、乙はもはや被害者から残債務を訴求される
可能性はないのであるから、甲の乙に対する求償金額は、確定した損害額である右訴訟上
の和解における甲の支払額を基準とし、双方の責任割合に従いその負担部分を定めて、こ
れを算定するのが相当であると解される。3以上の理は、本件のように、被用者Aがその
使用者(被上告人Y)の事業の執行につき第三者(上告人X)との共同の不法行為により
他人に損害を加えた場合において、右第三者が、自己と被用者との責任割合に従って定め
られるべき自己の負担部分を超えて被害者に損害を賠償し、被用者の負担部分について使
用者に対し求償する場合においても異なるところはない(前掲昭和六三年七月一日第二小
法廷判決参照)。4これを本件について見ると、本件和解調書の記載からはBの意思は明
確ではないものの、記録によれば、Bは、被上告人Yに対して裁判上又は裁判外で残債務
の履行を請求した形跡もなく(ちなみに、本件和解時においては、既に右残債権について
消滅時効期間が経過していた。)、かえって、上告人Xが被上告人Yに対してAの負担部
分につき求償金の支払を求める本件訴訟の提起に協力する姿勢を示していた等の事情がう
かがわれないではない。そうすると、Bとしては、本件和解により被上告人Yとの関係も
含めて全面的に紛争の解決を図る意向であり、本件和解において被上告人Yの残債務をも
免除する意思を有していたと解する余地が十分にある。したがって、本件和解に際し、B
が被上告人Yに対しても残債務を免除する意思を有していたか否かについて審理判断する
ことなく、上告人Xの被上告人Yに対する求償金額を算定した原審の判断には、法令の解
釈適用の誤り、審理不尽の違法があるというべきである。5そして、仮に、本件和解にお
ける上告人Xの支払額二〇〇〇万円を基準とし、原審の確定した前記責任割合に基づき算
定した場合には、本件共同不法行為における上告人Xの負担部分は八〇〇万円となる。し
たがって、上告人Xは被上告人Yに対し、その支払額のうち一二〇〇万円の求償をするこ
とができ、右の違法はこの範囲で原判決の結論に影響を及ぼすことが明らかである。この
点をいう論旨は理由がある(なお、上告人Xは、当審において、不服申立ての範囲を一二
〇〇万円の求償金請求に関する部分に限定している。
)」
⑤最判平成13・3・13民集55巻2号328頁
X1・X2の長男AはB社の従業員Cの運転する自動車に接触、転倒し、救急車でY病
院に搬送され、医師Dの診察を受けたところ、Dは(実は脳内出血をしていたのに)軽微
な事故と考え傷の消毒などの手当をしただけでAを帰宅させた。ところが、同夜、Aは高
熱・けいれんなどの症状を呈し、救急車でE病院に搬送されたが死亡した。そこで、X1
らはYに対して損害賠償を求めたという事案について、
「3・・・原審の確定した事実関係によれば,本件交通事故により,Aは放置すれば死亡
- 79 -
するに至る傷害を負ったものの,事故後搬入された被上告人Y病院において,Aに対し通
常期待されるべき適切な経過観察がされるなどして脳内出血が早期に発見され適切な治療
が施されていれば,高度の蓋然性をもってAを救命できたということができるから,本件
交通事故と本件医療事故とのいずれもが,Aの死亡という不可分の一個の結果を招来し,
この結果について相当因果関係を有する関係にある。したがって,本件交通事故における
運転行為と本件医療事故における医療行為とは民法719条所定の共同不法行為に当たる
から,各不法行為者は被害者の被った損害の全額について連帯して責任を負うべきもので
ある。本件のようにそれぞれ独立して成立する複数の不法行為が順次競合した共同不法行
為においても別異に解する理由はないから,被害者との関係においては,各不法行為者の
結果発生に対する寄与の割合をもって被害者の被った損害の額を案分し,各不法行為者に
おいて責任を負うべき損害額を限定することは許されないと解するのが相当である。けだ
し,共同不法行為によって被害者の被った損害は,各不法行為者の行為のいずれとの関係
でも相当因果関係に立つものとして,各不法行為者はその全額を負担すべきものであり,
各不法行為者が賠償すべき損害額を案分,限定することは連帯関係を免除することとなり,
共同不法行為者のいずれからも全額の損害賠償を受けられるとしている民法719条の明
文に反し,これにより被害者保護を図る同条の趣旨を没却することとなり,損害の負担に
ついて公平の理念に反することとなるからである。したがって原審の判断には,法令の解
釈適用を誤った違法があり,
この違法は原判決の結論に影響を及ぼすことが明らかである。
論旨は理由がある。
4
本件は,本件交通事故と本件医療事故という加害者及び侵害行為を異にする二つの不
法行為が順次競合した共同不法行為であり,各不法行為については加害者及び被害者の過
失の内容も別異の性質を有するものである。ところで,過失相殺は不法行為により生じた
損害について加害者と被害者との間においてそれぞれの過失の割合を基準にして相対的な
負担の公平を図る制度であるから,本件のような共同不法行為においても,過失相殺は各
不法行為の加害者と被害者との間の過失の割合に応じてすべきものであり,他の不法行為
者と被害者との間における過失の割合をしん酌して過失相殺をすることは許されない。
本件において被上告人Yの負担すべき損害額は,Aの死亡による上告人X1らの損害の
全額(弁護士費用を除く。)である4078万8076円につき被害者側の過失を1割と
して過失相殺による減額をした3670万9268円から上告補助参加人B社から葬儀費
用として支払を受けた50万円を控除し,これに弁護士費用相当額180万円を加算した
3800万9268円となる。したがって,上告人X1ら各自の請求できる損害額は,こ
の2分の1である1900万4634円となる。
5
以上によれば,上告人X1らの本件請求は,各自1900万4634円及びうち18
10万4634円に対する本件医療事故の後である昭和63年9月14日から支払済みま
で民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があり,その余は
理由がないから棄却すべきである。したがって,これと異なる原判決は,主文第1項のと
おり変更するのが相当である。」
5 その他
以上の他、特別法の定める、主要な特殊的不法行為として、自動車損害賠償保障法3条
- 80 -
の責任(運行供用者責任)、製造物責任法の責任、鉱業法109条の責任、水質汚濁防止
法19条の責任、大気汚染防止法25条の責任、原子力損害の賠償に関する法律3条の責
任、独占禁止法25条の責任等がある。
補論 いくつかの事故類型
1
自動車事故責任
(1)問題状況
自動車事故は、戦後の急速な経済復興、モ−タリゼ−ションの展開とともに急増し、昭
和45年には交通事故死亡者数1万6千人余、負傷者数98万1千人余とピ−クに達し、
その後一時減少傾向を示したものの再び増加傾向に転じ、ここのところ、死亡者数は1万
人を、負傷者数は80万人を超える状態が続いている。交通事故による損害については、
それが運転者に過失に基づくものであれば被害者は民法709条・同715条によって、
運転者あるいはその使用者に対し損害賠償を求めることができる。しかし、これだけでは
とくに人身事故被害者の救済にとって十分でないと考えられ、はやくも昭和30年に自動
車損害賠償保障法(自賠法)が制定された。自賠法は、人身損害を不可避的にもたらす危
険性を帯びている自動車を保有し利用する者に厳格な責任(自動車運行供用者責任)を負
わせ、損害賠償義務の履行の確保の手段として強制責任保険制度(自動車損害賠償責任保
険)を導入することとしたのである。
(2)運行供用者責任の内容
すなわち、自賠法は、自己のために自動車を運行の用に供する者は、その運行によって
他人の生命又は身体を害したときには、これによって生じた損害を賠償する責任を負うも
のとしている。この責任を免れることができるのは、①自己及び運転者が自動車の運行に
関し注意を怠らなかったこと、②被害者又は運転者以外の第三者に故意又は過失があった
こと、③自動車に構造上の欠陥又は機能の障害がなかったことの3点すべてを自ら証明で
きた場合に限られるのであり、こうした証明はなかなか認められないから、自動車運行供
用者は、無過失責任といってよいほどの厳しい責任を負わされているのである(自賠法3
条。なお、同一事故によって生じた物的損害については専ら民法によって扱われる)。
損害賠償義務を負うのは、自己のために自動車を運行の用に供する者である。判例は、
運行供用者であるかどうかを、自動車の運行に支配を及ぼしているか(運行支配)、自動
車の運行から利益を挙げているか(運行利益)の2つの基準によって判断している。所有
者など自動車を正当な権限に基づいて使用する者は、ふつう運行供用者である。下請運送
業者所有の貨物自動車を運転手付きで借り上げ定期路線の貨物運送にあたらせていた元請
運送業者はこの自動車の運行供用者である。自動車修理業者が修理のために預かった自動
- 81 -
車についてその被用者が無断で運転して事故を起こしたという場合、修理業者が運行供用
者とされることがある。未成年の子の個人的使用に供されている車であっても父親が購入
資金、維持管理費用を負担しているような場合には父親が運行供用者である。泥棒運転さ
れた自動車についてはふつう泥棒運転者が運行供用者であるが、保有者が鍵をはずさない
で路上に放置していたところ盗られたというような場合には盗まれた者が運行供用者とし
ての責任を負うべきものとされた例もある。
自動車運行供用者責任が生ずるためには、まず、人身損害が自動車の運行によるもので
なくてはならない(運行起因性)。運行には車両に構造上設備されている固有の装置を目
的にしたがって操作使用することも含まれるのであって、道路上の走行に限られない。ま
た、人身損害は、運行供用者および運転者を除く「他人」に生じたものでなければならな
い(他人性)。この点で、夫の運転する自動車に同乗中の妻も「他人」であるとされた裁
判例は、注目される。
自賠法は、右にみた責任成立要件以外については民法の規定を適用するとするから(自
賠法4条)、死傷による損害賠償の範囲、過失相殺の有無などについては、不法行為の一
般則による。
なお、死傷事故を起こしたのが他人のために自動車の運転またはその補助をする者(自
賠法上の「運転者」)である場合に、運転者は民法709条に基づき責任を負うことがあ
りうる。もっとも、この運転者の賠償責任も自賠法の強制保険によってカバーされること
に留意したい。
(3)自賠責保険制度
自賠法は、損害賠償請求権を確実にするために、自動車損害賠償責任保険(もしくは責
任共済)の契約を結んでいるものでなければ運行の用に供してはならないとしている(強
制保険の導入−自賠法5条以下・54条の2以下)。また、政府は、自動車の保有者が明
かでないため被害者が自賠法3条による損害賠償をすることができないときは、被害者の
請求により、政令の定める限度においてであるが、損害を填補することとしている(政府
の自動車損害賠償保障事業−自賠法71条以下)。
2
製造物責任
(1)問題状況
ブレーキ装置の欠陥による自動車事故で大怪我をする、テレビなど家庭電気製品が発火
し火災が発生する、食品に混入した有害な物質によりあるいは医薬品の副作用により健康
被害が生ずるといったように、私たちが日常的に消費・使用している製品に安全性に欠け
る欠陥があり、これによって生命・身体・財産に大きな被害が生ずるということが深刻な
問題と意識されて久しい。こうした場合には、製品の製造・流通・販売の過程に関与した
者、とりわけ製造者に責任を負わせて、製品の安全性を信頼して消費・使用して被害を被
った者(とりわけ消費者被害者)の救済をはかるべきではないかと考えられる。
製品事故の被害の救済のためには、まず債務不履行責任、瑕疵担保責任、品質保証責任
など契約に基づく責任が考えられる。債務不履行責任の場合でいえば、被害者は債務者の
履行が不完全であった(製品に欠陥が存在する)こと、それによって損害が生じているこ
とを証明すれば、その賠償を求めることができる。債務者の過失を証明する必要はない。
- 82 -
しかし、被害者と相手方との間に契約関係がなければならないから、製品を製造し流通に
置いた製造者に責任を負わせることに理論的な困難がある。製品を購入した者の家族が製
品の欠陥により被った損害につき契約責任を主張する場合も同様である。また、一般不法
行為による場合には、被害者は契約関係のない相手方に対しても賠償請求することができ
るが、欠陥が生じたことにつき製造者に過失があったことを主張・証明しなければならな
いという問題がある。消費者である被害者にとって、製品の設計から流通に置くまでの過
程において、製造者にこれこれの注意義務の懈怠があったということを証明することはき
わめて難しいのである。なるほどこれまでの裁判例では過失を抽象化・高度化しあるいは
過失を事実上推定するなどして被害者の救済が図られてきたのではあるが(スモン薬害訴
訟、テレビ発火事件訴訟など)、法理論的にもまた被害者救済の観点から実際的にもこれ
では十分でないとして立法の必要が強く意識され、昭和40年代後半から、外国における
判例・立法動向も参考にして、種々の検討・立法提案がなされてきたところ、平成6年に
ようやく「製造物責任法」が成立し、平成7年7月1日から施行されている。
(2)製造物責任法に基づく責任
製造物責任法により、責任を負うことのありうる者(責任主体)は、製造業者等である
とされる。すなわち、製造物を業として製造・加工・輸入した者(製造業者)、他人が製
造・加工・輸入した物に自ら製造業者であると氏名等の表示をした者または製造業者と誤
認させるような表示をした者、製造・加工・輸入または販売にかかる形態などからみて製
造物の実質的な製造業者と認めることのできる氏名等の表示をした者である(製造物責任
法2条3項・3条)。したがって、販売業者など流通に関わる業者は、契約責任・一般不
法行為責任を負うことがありえても、本法の責任を負うことはない。
この法律は、「製造物」に「欠陥」がありそれによって損害が生じた場合に責任(製造
物責任)が生ずるものとしている(同法3条)。責任の対象は製造物であり、製造または
加工された動産と定義されている(同法2条1項)。動産であるから、電気等のエネルギ
ー、コンピュータのソフトウェア、医療など物の販売を伴わないサービス(役務)は、製
造物にはあたらない。不動産も製造物とはいえないが、建物に組み込まれた動産は製造物
に含まれる。動産であっても、製造・加工されたといえない物は、本法にいう製造物では
ない。この点につき、農林水産物にどれほど手が加えられたら加工されたといえるかなど
判断の難しい場合がある。また欠陥については、当該製造物が通常有すべき安全性を欠い
ていることと定義されている(同法2条2項)。その判断にあたっては、当該製造物の特
性、その通常予見される使用形態、その製造業者等が当該製造物を引き渡した時期その他
の事情を考慮するものと定められている。欠陥の種類として、一般に、設計上の欠陥、製
造上の欠陥、指示・警告上の欠陥などが挙げられる。こうして、被害者は、製造業者など
の故意過失ではなく、製造物に欠陥があること(そして右欠陥と因果関係にたつ損害が発
生したこと)を証明することによって、損害賠償を求めうることとなったのである(過失
責任の原則の変更)
。
なお、製造物責任法は、製造物の欠陥によって損害が生じた場合においても、製造業者
等は次のいずれかの事由を証明することによって責任を免れうるものとしている。免責事
由の第一は、引き渡した時における科学または技術に関する知見によっては欠陥があるこ
とを認識することができなかったことであって、開発危険の抗弁とよばれる。第二は、当
- 83 -
該製造物が他の製造物の部品または原材料として使用された場合において、その欠陥がも
っぱら他の製造物(完成品)の製造業者が行った設計に関する指示に従ったことにより生
じ、かつその欠陥が生じたことにつき過失がない(指示に従う場合に事故の製造物に欠陥
が生じる結果になることを認識できなかった)ことであって、部品製造業者の抗弁とよば
れる。この場合に、免責抗弁として、さらに過失相殺の抗弁など不法行為の一般原則が問
題となることはいうまでもない(同法6条)
。
損害賠償されるべき範囲については、なんら特別の基準が定められていないから、従来
の一般原則によるといってよい(同法6条)。すなわち、製造物の欠陥と相当因果関係に
たつ損害を賠償すべきこととなる。もっとも、損害が欠陥製造物自体についてのみ生じた
ときには、製造物責任は生じないとされていることに留意しなければならない。製造物の
欠陥に因り人の生命・身体または他の財産に損害(拡大損害とよばれる)が生じた場合に、
欠陥製造物自体の損害があればそれも含めて製造物責任が問題となるのである。外国に例
のみられるいわゆる懲罰的損害賠償は認められておらず、物的損害の賠償に関する免責額
も設定されていない。
製造物責任については、被害者またはその法定代理人が損害および損害賠償義務者を知
った時から3年の消滅時効、製造者が当該製造物を引き渡した時から10年の除斥期間に
かかるものとされている(同法5条1項)。
3
専門家責任
(1)問題状況
高度に分業化、科学技術化、都市化、情報化、社会秩序の法化などのすすんだきわめて
複雑なわれわれの社会においては、医師・弁護士・公認会計士・建築士など典型的には○
○士とよばれるさまざまな専門家が、その専門的な知識・情報・技術・経験などに信頼を
寄せる顧客に対して、種々の専門的サービス(役務)を提供している。こうした専門家が
依頼された業務をおこなうにあたり、過誤によって、人的損害・物的損害のみならずいわ
ゆる純粋経済損害をも含めた損害を顧客さらには第三者に与えてしまうことが生じてく
る。そこでまた、専門家に対してこうした損害の賠償を求める訴訟も数多く提起されるに
至っている。その背景としては、専門家のよる役務の提供にかかわる事故の発生が増加し
たこと
(社会経済の変化の中で顧客が専門家からの役務の提供を受ける機会が増したこと、
顧客から迅速な執務が求められること、知識・技術の進歩が著しく要求される執務水準を
維持することが専門家にとっても難しいことなどによる)、顧客の専門家に対する意識、
自らに損害が生じた場合の救済にかかる権利実現についての意識が変化したこと、顧客の
側の法利用に関わり専門家責任追及を容易にする種々の理論的・制度的状況の展開(たと
えば、立証責任軽減理論の展開、賠償責任保険制度の普及など)があることなどが挙げら
れる。
(2)債務不履行責任と不法行為責任
専門家の職務上の過誤により損害を被るのは、たとえば、医師が給血者に十分な問診を
しないで採血し患者に輸血したところ患者がこれにより梅毒に罹患した、弁護士が受任し
ている事件について控訴手続をなすべきところうっかりして控訴期間を徒過し控訴できな
くなってしまったという場合におけるように、主に当該専門家と委任もしくは準委任契約
- 84 -
関係のある顧客(クライアント)である。こうした場合、顧客(患者・委任者)としては、
生じた損害につき、医師(場合によっては当該医師の属する病院を設置する医療法人・地
方公共団体・国など)・弁護士に対し、医療契約・訴訟委任契約上の債務不履行責任(民
法415条)を追求しうるとともに、不法行為責任(民法709条。場合によって715
条)を問うこともできるように思われる。なお、不法行為責任の成立要件についてはすで
にみたので(本章2および3)、債務不履行責任の成立要件のみにつきここで簡単にふれ
ておくと、債務の本旨に従った債務の履行がないこと(債務不履行の態様として、一般に
履行遅滞・履行不能・不完全履行の3つがあると整理されているが、専門家の責任におい
てはとくに債務の履行は一応なされたが不完全である場合すなわち不完全履行が問題とな
る)、債務者の責に帰すべき事由に基づく(債務者の故意・過失または信義則上これと同
視すべき事由たとえば履行補助者に過失がある)こと、債務不履行が違法であること、債
務不履行と因果関係ある損害が生じていることである。
ところで、これら両責任は、一般論として、過失の立証責任、賠償請求権の期間制限(消
滅時効・除斥期間)、責任軽減規定の存否など要件・効果において違いがあるので、両者
の関係をどう考えるかが問題となる(請求権競合・非競合問題)。判例は、債務不履行・
不法行為の要件をともに充たす以上債務不履行に基づく請求権と不法行為に基づく請求権
とがともに生ずると考えている(請求権競合説)が、学説においては、判例を支持するも
の、こうした場合には債務不履行規定のみが適用されるとするもの(法条競合説)、両規
範から統一的に定まる実質的には一個の実体的請求権が生ずるにすぎないとするものなど
の間に争いがある(なお、請求権競合・非競合問題は、タクシーの運転手の運転上の過誤
により乗客が負傷した場合、借家人が失火して借家を焼失させてしまった場合などにも生
ずるものであって、専門家の責任に固有な問題というわけではない)。
(3)専門家責任の特質
専門家の(債務不履行責任もしくは不法行為責任として構成される)民事責任の一般的
特質につきここで詳しく述べることはできないが、とくに債務不履行責任を念頭にその一
端を示すと次のようになろう。すなわち、専門家と顧客との間には、専門家が顧客のため
に専門的な役務を提供することを内容とする契約関係がある。これは、一般に委任契約も
しくは準委任契約ととらえられているものであるが、医療契約・弁護契約・設計工事管理
契約等々、その役務利用にかかわりとりわけ顧客当事者はなにを期待しうべきかに即した
個別的な契約理解をしてゆかざるをえない。いずれにせよ、専門家は、免許・資格に基づ
いて業として専門的役務を提供するについて、十分な人格・知識・技術・経験を持つもの
と信頼を寄せ、自己の利益をよりよく実現してくれるはずであるという期待をもって契約
関係に入った顧客のために、善良なる管理者の注意を以て(民法644条)、すなわち少
なくとも当該専門家に標準的に期待されている注意義務、さらには特にその当の専門家に
依頼・委嘱した場合には個別その信頼に即応する注意義務を尽くして、契約の趣旨にそっ
た給付をなすべき義務を負う。ここにおける債務は、一般的には「なす債務」であり、し
かも債務者がある結果を実現することを義務づけられるという「結果債務」ではなく、あ
る目標に向かって適切な行為をするよう義務づけられるという「手段債務」であるとみる
べき場合が少なくない。また、ここで契約の趣旨に基づく給付というときに注意すべきは、
専門家にかなりの裁量が認められていることである。すなわち、予め顧客から示された具
- 85 -
体的に明確に決められている給付をなせば足りるというのでないということである。つま
り、専門家は、専門的立場からする独自の判断に基づいて、顧客の利益の実現をはかるに
あたり、顧客に対して必要に即した説明を施し同意を得つつ、当該状況に適したもっとも
顧客にとって利益な方法をとるべきであるが、同時に、顧客のためになにをなしてもよい
というのではなく個々の職能法の定める職の社会的使命規定、職責規定、当該役務に関す
る法・制度の理念にそって執務すべきであって、公正に公共的利益をも慮りつつことにあ
たらなければならないのである(専門家にあっては、広く、「専門職能倫理」ということ
が強く意識される)。これが、とりわけ、素人という属性をもつ顧客に対しての説明・助
言義務などとして具体的に顕れるのである。そしてまた、職務の社会性・公共性、執務の
公正性の要請が、顧客外の第三者に対する不法行為責任を根拠づけうることにもなるので
ある。専門家は、こうした義務に違反し、顧客、さらには第三者に(純粋経済損害をも含
めた)損害を被らしめた場合に、職務上の過誤(マル・プラクティス)にかかる損害賠償
責任を負うことになるのである。
(4)医療過誤責任
ここでは、専門家責任のなかでも中心をなす、医療過誤にかかわる責任について概観し
ておくこととしよう。
(a)責任主体
医療にかかわる場所で、医療行為を受ける患者顧客を被害者として、診断・検査・治療
・予後判定など医療の全過程において生ずる人身事故(医療事故)のうち、医師(あるい
は看護婦などその補助者)が診療行為をするにあたり患者に対して当然に払うべき職務上
の注意義務を怠ったために生じたもの(医療過誤)については、患者(またはその遺族)
は債務不履行もしくは不法行為に基づき(病状の増悪といった身体の侵害あるいは生命侵
害などにかかわる財産的損害、さらにはこれらに伴うあるいは適切な医療をしてもらえる
という期待が損なわれるなどによる精神的損害など)損害の賠償を求めることができる。
この場合に損害賠償責任を負うのはだれかということであるが、まず、債務不履行責任
については、いうまでもなく責任主体と被害者顧客との間に診療契約関係が存在すること
が前提となるので、医師・看護婦などの職務上の過誤による損害を賠償すべき義務ある者
は、患者と契約を締結した個人開業医あるいは病院・診療所の設置者である医療法人・地
方自治体・国などである。ついで、不法行為責任については、まず、民法709条により
当該職務上の過誤をなした医師(個人開業医・勤務医)、看護婦などが責任を負う。しか
し、右に加えて、加害行為をした当該医師、看護婦などを雇用する個人開業医、病院・診
療所を設置する医療法人・地方自治体・国なども、民法715条により責任(使用者責任)
を負うことがありうる。また、医師・医療法人・自治体・国などが、民法709・717
条に基づき、医師などのなした医療過誤を介さないで、(たとえば、院内感染の場合によ
うに病院管理上の瑕疵、あるいは物的設備の瑕疵あることにかかり)独自責任を問われる
こともありうる。さらには、他の医師・医療法人などあるいは用いた医薬品を製造した製
薬会社などとともに、民法719条による共同不法行為責任を負うこともありうる。
(b)医療過誤責任における問題点
医師などの責任が生ずるかにあって問題の中心は、当該医師などがなした当該損害を発
生させた医療行為に債務の不完全な履行であったということあるいは損害の発生につき予
- 86 -
見し回避すべき注意義務を怠った(過失がある)ということがいえるか、問題とされる損
害が不完全なあるいは不注意な医療行為によって生じたものといえるかということであ
る。
まず、前者であるが、ここでは、とくに医師などの職務上の過失に着眼して、いくつか
過誤事例を示すにとどめたい。
①診断の段階における過誤 ⅰ血液反応陰性の検査証明書を持参し血液斡旋所の会員証
を所持している給血者から、こうした場合には問診を省略するという医療慣行に従って、
梅毒感染の危険の有無につき十分な問診を施さず採血し梅毒に感染した血液を患者に輸血
したため梅毒に感染させてしまった場合、ⅱインフルエンザ予防接種を実施する医師が、
適切な問診を尽くさなかったため、接種対象者の異常な身体的条件・体質的素因を認識す
ることができず禁忌すべき者の識別判断を誤って接種したため肺炎に罹患していたのに接
種を受けた者が接種の翌日死亡してしまった場合、ⅲ糖尿病の診断にあたって、血糖検査
・糖負荷検査をおこなわないでいきなり血糖降下能力の高い薬剤を経口投与したため患者
に脳障害が生じた場合などにおいて、過失ありとされる。
②施術の段階における過誤 ⅰ看護婦が主治医の処方箋によって患者に注射をするにあ
たり標示紙を確認しなかったためブドウ糖液と誤信して劇薬を静脈注射した結果患者を死
亡させた場合、ⅱ腰部神経痛の患者が臀部に注射を受けたところ注射部位が適切でなかっ
たために腓骨神経麻痺が生じた場合、ⅲ麻酔薬の皮下注射による全身麻酔にあたって副作
用防止のための前投薬の投与がなく、呼吸抑制などの病状を呈した場合に対する緊急用治
療器具の整備が十分でなく、熟練看護婦を介助させなかったため麻酔状態の観察が十分で
なかったことにより患者が窒息死した場合、ⅳ逆子の場合において児頭娩出が中程度以上
困難なのに鉗子分娩を適用せずにファイト・スメリー法を強行したことによって生まれた
子に分娩麻痺の障害が生じた場合、ⅴ子宮筋腫の手術に際し腹腔内にガーゼを遺留したた
めガーゼのまわりに増殖した結締組織によって腫瘍ができ他医師がこれを剥離するにあた
り腸壁損傷が生じた場合、ⅵ医師が化膿性髄膜炎で入院し重篤状態を脱し快方に向かいつ
つあった患者に、副作用を避けるためには避けるべき食事直後に、いやがる患者を看護婦
らに押さえつけさせてルンバール(腰椎穿刺による髄液採取とペニシリンの髄腔内注入)
の施術をし、そのショックによる脳内出血により患者に痙攣性不全麻痺、知能障害などが
生じた場合、ⅶやがては失明にいたる可能性の大きい糖尿病性網膜症の唯一の治療法とし
て硝子体手術をするに先だって、医師が、手術をするについて「この手術は失明しないた
めにやるもので心配はない。私に任せておきなさい」などの説明をしただけで、その危険
性については一切説明しないで、患者の承諾を得ていた(インフォームド・コンセントが
あったとはいいえない)ところ、手術に際しての網膜からの出血により失明するにいたっ
たという場合(「説明義務」違反と失明との間に相当因果関係はないとして、慰謝料のみ
の賠償が認められた)などにおいて、過失ありとされている。
過失については、一般論
としては、輸血梅毒事件判決において示されているように、「いやしくも人の生命及び健
康を管理すべき業務(医業)に従事する者は、その業務の性質に照らし、危険防止のため
に実験上必要とされる最善の注意義務」の懈怠があったかによって判断されることになる
のであるが、具体的な事案における過失の存否の判断は、医療水準、地域性、専門性、緊
急性などとの関係で、必ずしも容易でないことに留意しなければならない。
- 87 -
☆未熟児網膜症事件ー最高裁判所平成7年6月9日判決民集49巻6号1499頁
昭和49年12月に未熟児として生まれたXがYの設置する病院に入院し酸素投与を受けた。12
月末と翌3月末に眼底検査を受けたが異常なしとされた。しかし4月はじめの検査で異常ありとされ別
の病院で網膜症と診断された。Xは、Yに対し、不十分な
検査のために未熟児網膜症の治療法である
光凝固法を受ける機会を失ったのは債務不履行であるとして損害賠償請求をした。なお、光凝固法の治
療基準について一応の統一的指針が与えられたのは厚生省研究班の報告が医学雑誌に掲載された昭和5
0年8月であった。
最高裁は、
「ある新規の治療法に関する知見が当該医療機関と類似の特性を備えた医療機関に相当程
度普及しており、当該医療機関において右知見を有することを期待することが相当と認められる場合に
は、特段の事情が存しない限り、右知見は右医療機関にとっての医療水準というべきである」などと判
示して、Xが治療を受けた当時において光凝固法は有効な治療法として確立されていなかったとしてY
に当時の医療水準を前提とした注意義務違反があるとはいえないとした原審判断には診療契約に基づき
医療機関に要求される医療水準についての解釈適用を誤った違法があるとして、破棄差戻した。
ついで後者について簡単にふれておくと、医療行為が高度な専門性をもち、密室でおこ
なわれ、医療相互間の閉鎖性などがあって、公害の場合と同じように、立証の点で被害者
側にとって大きな負担となるが、裁判所は、「訴訟上の因果関係の立証は・・・経験則に
照らして全証拠を総合検討し特定の事実が特定の結果発生を招来した関係を是認しうる高
度の蓋然性を証明することである」
(前掲最判昭和50年10月24日)とし、たとえば、
注射のあとが化膿したという事実につき注射液が不良であったか注射器の消毒が不完全で
あったということが立証できればそのどちらかであることが厳密に立証できなくとも因果
関係ありとし(選択的認定)、医師の側の不手際と被害の発生とが時間的に接近していれ
ば反証なき限り因果関係を認めてよい(事実上の推定)などとしている。
4
生活妨害・公害の責任
(1)問題状況
今日、近隣の音響、振動、粉塵、煤煙、臭気、日照・通風妨害、電波妨害などによって、
個人の健康で快適な生活環境が損なわれるということは少なくない。とりわけ、産業が発
達しさらには生産力の飛躍的拡大・重化学工業化などが展開するなかで、事業活動にとも
なう大気汚染、水質汚濁、騒音、振動などによって、かなり広範囲の人々の健康、快適な
生活、財産に甚大な被害を与えることが起こってくる。かようなことは、足尾銅山鉱毒事
件、別子銅山煙害事件などのようにすでに明治期からあったのではあるが、昭和30年あ
たりから高度経済成長が進むなかで事態は深刻さを増してゆき、公害とよばれて大きな社
会的問題となってきた。そして昭和40年代半ばに入ると、イタイイタイ病・新潟水俣病
・熊本水俣病・四日市ぜんそく訴訟をはじめとする公害訴訟が提起されるにいたった。こ
うしたことを契機に、健康、生活環境上の被害を被った被害者の私法的救済にかかわる法
理論が展開し、また公害健康被害補償法などの行政上の救済、さらには被害予防のための
各種行政的規制がなされていったのである(公害法さらには環境法制の展開)
。ここでは、
公害の私法的救済につき、特徴的な点をいくつかみておくこととしたい。
(2)損害賠償による救済
- 88 -
事業活動にともなう大気汚染、水質汚濁、騒音、振動などによって健康または生活環境
を害された被害者は、まず、不法行為、とりわけ民法709条、に基づいて、公害発生源
である右の事業活動をおこなう者(株式会社など法人であることが一般的である)に対し
て損害賠償を求めることができる(なお、公害が公権力の行使ととらえることのできる原
因行為に基づく場合、公の営造物の設置管理の瑕疵に基づく場合には、国家賠償法1条・
2条により、国または公共団体が賠償責任を負うことがある)。しかし、不法行為の成立
要件をめぐって、考えなければならない固有の問題点がいくつかある。
第一は、違法性の点である。まず、公害の被侵害利益について、財産権や営業といった
ものの侵害もありうるが、なんといってもその中心にあるのは健康・生活利益などの人格
的利益である。なお、これを、「環境権」(良き環境を享受しかつこれを支配しうる権利)
という概念をもって把握しようとする理論的な動きもあるが、判例上定着するにいたって
はいない。ついで、利益侵害があれば直ちに違法と評価してよいかについても問題がある。
人は共同生活をしておりお互いが影響しあっているのであるから、他人によって快適な生
活利益を享受できるという利益が損なわれたとしても、一定の限度を超えない限り各人は
それを忍ぶことが期待される(なお、人格的利益の中心をなす生命・身体侵害の場合は別
に考えるべきである)。つまり、生活妨害が社会生活上受忍すべき限度を超えた場合に、
かような利益侵害に違法性があるとみることになる。受忍限度を超えているかの判断にお
いては、被侵害利益の性質、侵害行為の態様、関連する行政法上の規制の有無、地域の性
格、当該行為と被害者の居住との先後関係、侵害行為の継続性の有無などの要素が総合勘
案されることになる(最判昭和56年12月16日民集35巻10号1369頁ー大阪国
際空港事件判決参照)
。
つぎは、過失要件についてである。まず、過失の意義について、判例は、予見可能性を
前提とする結果回避義務(善良なる管理者の注意をもってすれば予見可能な結果の発生を
防止すべき相当なもしくは最善の設備・措置を施すべき義務)の違反と考えてきたといっ
てよいのであるが(大判大正5年12月22日民録22輯2474頁ー大阪アルカリ事件
など)、とくに人の生命・身体の侵害のおそれがある場合については、相当な防止措置の
水準を高く認定するということを通して、過失の厳格化がはかられているといえよう。た
とえば、熊本水俣病事件判決は、科学工場が廃水を工場外に放流するにあたっては、常に
最高の知識と技術を用いて廃水中に危険物質混入の有無および動植物や人体に対する影響
の如何につき調査研究を尽くしてその安全を確認するとともに、万一有害であることが判
明し、あるいはまたその安全性に疑念を生じた場合には、直ちに操業を中止するなどして
必要最大限の防止措置を講じ、とくに地域住民の生命・健康に対する危害を未然に防止す
べき高度の注意義務を有する、と判示している(熊本地判昭和48年3月20日判時69
6号73頁)。ついで、過失の立証責任については、原則として被害者側がこれを負うも
のとされており、被害者が救済を受けるにつきかなりの負担となるのであるが、この点で、
(すでに述べたことではあるが)大気汚染防止法、水質汚濁防止法が無過失責任の考え方
を導入していることは注目にあたいする。すなわち、工場または事業場における事業活動
にともなう、健康被害物質の大気中への排出・有害物質の汚水または廃液に含まれた状態
での排出または地下への浸透により、人の生命または身体を害したときは、当該排出等に
かかる事業者は、これによって生じた損害を賠償する責任があるとしているのである。も
- 89 -
っとも、損害の発生に関して天災その他の不可抗力が競合したときは裁判所は損害賠償の
責任および額を定めるについてこれを斟酌することができるものとされてはいる(大気2
5条・25条の3、水質19条・20条の2。これらとならんで、原子力損害の賠償に関
する法律3条、油濁損害賠償保障法3条なども参照)
。
原因行為と健康・生活利益の侵害という損害との因果関係の存在という点にも問題があ
る。不法行為責任が成立するためには、被害者がこの因果関係が存在することを立証しな
ければならないのであるが、公害の場合にこれを文字通りに適用すると被害者に過大な負
担を強いることになり妥当でない。なぜなら、この場合においては、原因行為とその結果
である侵害との間に時間的・空間的隔たりが大きく、また侵害は医学的・科学的・自然的
な因果メカニズムによりもたらされるために、原因行為と侵害との間に一目瞭然な因果系
列があることは少なく、原因行為から侵害にいたる経路(たとえば、原因物質の生成→排
出→汚染経路→被害者の体内での作用→発症)を辿ることは必ずしも容易ではない(被害
発生機序の複雑性・解明困難性)、企業の秘密保持の要請などのため企業から直接的証拠
資料を得ることが著しく困難である、一般的に被害者はこれを分析・証明する専門的知識
・資力に欠ける、加害者と被害者との間に立場の互換性がない(加害者は事業者であり、
被害者は地域住民であって、互いが加害者になったり被害者になったりするということは
考えられない)といった事情があるからである。そこで、責任成立要件としての因果関係
の立証困難を緩和するために、かなりの程度の蓋然性を示す証明で十分であるとする説
(蓋
然性説)、因果関係の連鎖を構成する事実(間接事実)のうちいくつかが証明されたそれ
らから経験則上因果関係の存在が推知できる場合には他は推定され、加害者側が因果関係
の不存在を推定せしめる事実を証明しない限り因果関係は肯定されるとする説(間接反証
説)などが主張されあるいは用いられている。たとえば、判決例には、工場廃液による有
機水銀中毒事件において、化学公害事件においては、被害者に対し自然科学的な解明まで
を求めることは衡平の見地からして相当でなく、因果関係論上問題となる①被害者疾患の
特性とその原因物質、②原因物質が被害者に到達する経路、については、その状況証拠の
積み重ねにより、関係諸科学との関連においても矛盾なく説明ができれば(疫学的証明)
、
法的因果関係の面ではその証明があったものと解すべきであり、右程度の①②の立証がな
されて汚染源の追求がいわば企業の門前にまで到達した場合、③加害企業における原因物
質の排出については、むしろ企業側において、自己の工場が汚染源になりえないゆえんを
証明しない限り、その存在を事実上推認され、その結果すべての法的因果関係が立証され
たと解すべきである、と判示するものがある(新潟地判昭和46年9月29日下民集22
巻9・10号別冊1頁)
最後に、公害につき原因者が複数存在する場合についてみておこう。複数の企業が河川
に廃液を放流したこと、コンビナートで複数企業が大気中に排煙を出したことによって地
域住民の生命・身体が害されたという場合に、損害賠償をめぐりどのような特別な問題が
あるのであろうか。たとえば、コンビナートの近隣に居住する住民が、これを形成する工
場群中6社(このうち3社には強い結合関係がある)の排出する硫黄酸化物を含む煤煙に
よって呼吸器疾患に罹患したという場合を考えてみる。このような場合に、一般則によれ
ば、被害者は、各事業者に対して、それぞれの有害物質排出行為と現実に因果関係をもつ
損害に限って、あるいは全損害に対する各事業者の寄与割合に応じて分割的に、損害賠償
- 90 -
を求めることができるにとどまるかにみえる。しかし、民法719条1項は、数人が共同
の不法行為によって他人に損害を加えたとき(いわゆる、狭義の共同不法行為)は各自連
帯にて賠償する責任を負うものと規定している。これによれば、被害者は、共同行為と損
害との間に因果関係があり、各行為に関連共同性が認められれば、各行為と損害との間に
因果関係が認められない場合であっても、各行為者に対して、順次にあるいは同時に、損
害全額に達するまで任意の額につき賠償するよう求めることができることになる(この規
定については、各人の行為が民法709条の要件を備えている必要があるか、各行為に共
同関係があることが必要とされるが各行為者の間に主観的な共同が存在しなければならな
いのかそれとも客観的にみて共同していれば足りるのかなどについて争いがあるがここで
はこれ以上立ち入らない)。右のごとき事案を扱った津地方裁判所四日市支部は、狭義の
共同不法行為においては、各人の行為が不法行為の要件を備えていなければならず、各人
の行為と結果発生の間に因果関係のあることが必要であるが、当該行為のみで結果発生の
可能性があったことを要せず、また、共同行為(社会通念上全体として一個と評価できる
程度の一体性があれば足りる)によって結果が発生したことを立証すれば各人の行為と損
害との間の因果関係が推定される(各人の行為と損害との間に因果関係が存在しないこと
を証明しなければ責任を免れない)。それだけでは結果を発生させないないが他の原因行
為と相合してはじめて結果を発生させたと認められる場合において責任が成立するために
は他の行為の存在およびこれと合して結果を発生させるであろうことを予見しまたは予見
しえたことを要する。ただし、右3社(このうちの2社の煤煙排出量は少量であってそれ
のみでは結果の発生との間に因果関係があるとは認められない)のように、一貫した製造
技術工程を分担し、設備・装置・原材料や製品の交流があり、他社との関連を考えないで
は行いえないほど機能的技術的経済的な結合関係を有し、資本的な関連も認められる場合
には、「強い関連共同性」があるものとして、因果関係の認められない2社も、他の1社
の煤煙の排出との関係で、結果に対する責任を免れない(これに対し、
「弱い関連共同性」
しかない場合には、各人の行為と損害との間の因果関係が推定されるにとどまる。なお、
本判決に後続する下級審判決では、さらに、こうした場合には719条1項後段が適用さ
れ、結果発生について各人が寄与した限度についての立証を許し、立証できた者には減責
・免責が認められると考えているー大阪地判平成3年3月29日判時1383号22頁な
ど)、という考え方を示して、結論的に、6社各社が被害者に対して損害全額の賠償責任
を負うべきものとした(同支判昭和47年7月24日判時672号30頁)。なお、共同
不法行為者の間では、内部的なこととして、損害発生についての寄与度にしたがった分担、
求償が問題となる。
(3)差止請求による救済
生活妨害・公害という不法行為類型においては、加害行為が将来も継続される高い可能
性がある(継続的不法行為)ことがふつうである。この場合には過去に生じた損害の賠償
のみでは十分な救済とはならない。これに加えて、継続的加害状態を除去し、あるいは侵
害を予防するために差止請求を認める必要があるのである。しかし、民法不法行為規定に
はこれに関する定めが全く存在しない。そこで、まずどういう法律構成で差止めを認める
かであるが、これには原因行為によってなんらかの絶対権ないし排他的支配権が損なわれ
たとして差止めを認めようとする説(詳しくは、煤煙・騒音などの侵入を被害者の物権に
- 91 -
対する侵害とみて物権的請求権として差止めを認める説、生命・身体への侵害を人格権侵
害とみて人格権に基づく差止めを認める説、良き環境を享受しかつこれを支配しうる権利
としての環境権の侵害がなされたものとしてこれを基礎とする差止めを認める説に分かれ
る)と、不法行為の効果として差止めを認めようとする説がある。生命・身体などが害さ
れた場合には人格権に基づき、日照・通風妨害や会話妨害など生活利益が害された場合に
は不法行為の効果として、差止めを認めるという、二元的な法律構成も有力に説かれてい
る。ついで、どれほどの侵害があるときに差止めを認めるかであるが、生命・身体・健康
などが害された場合には被害の程度・侵害行為の態様を問わず認められるが、日照や騒音
など社会的に忍受すべき限度のあるものについては被害の程度・地域性・行政的規制基準
・防止装置設備の難易度・加害行為の公共性・環境アセスメントの実施などの手続的正当
性などを総合して判断すると説くもの、これらの区別をすることなく様々な要素を総合的
に考慮し受忍限度を超えているかどうかで判断すべきとするものとの間に対立がある。こ
こには、損害賠償の場合以上に、被害者保護の必要性と加害者の行為(当該事業活動)の
自由(さらにはその公共性・公益性)とをどう調整するかという難しい問題がある。
☆国道43号線公害事件ー最高裁平成7年7月7日民集49巻7号2599頁
大阪市・神戸市間の国道43号線の周辺居住者Xらは、自動車の騒音・振動、大気汚染を理由に道
路の設置者である国と阪神高速道路公団を相手に、人格権・環境権に基づき一定基準値を超える騒音と
二酸化炭素の居住敷地内への侵入の差止めと損害賠償を求めた。
最高裁は、
「道路等の施設の周辺住民からその供用の差止めが求められた場合に差止請求を認容すべ
き違法性があるかどうかを判断するにつき考慮すべき要素は、
・・・賠償請求を認容すべき違法性がある
かどうかを判断するにつき考慮すべき要素とほぼ共通するのであるが、施設の供用の差止めと金銭によ
る賠償という請求内容の相違に対応して、違法性の判断において各要素の重要性をどの程度のものとし
て考慮するかにはおのずから相違があるから、右両場合の違法性の有無の判断に差異が生ずることがあ
っても不合理とはいえない」と判示し、Xらが現に受け将来も受ける蓋然性の高い被害が日常生活にお
ける妨害にとどまるのに対し、本件道路がその沿道の住民や企業に対してのみならず、地域間交通や産
業経済活動に対してその内容及び量ににおいてかけがえのない多大な便益を提供しているなどの事情を
考慮してXらの求める差止めを認容すべき違法性があるとはいえないとした原判決の判断を、正当なも
のとして、維持した。
- 92 -
Ⅲ
契約
1契約序説
詳細資料(拙著『基本民法学Ⅱ』1992 年版 168 頁ー 176 頁
(第1章
補訂)
契約総論)
第1節 序説
1 契約の意義とその社会的機能
契約とは、当事者間における相対立する複数の意思表示の合致、すなわち合意を不可欠
の要素として成立する法律行為で、債権の発生を目的とするものである。広義における契
約には、所有権の移転、地上権の設定、抵当権の設定など、直接物権変動を目的とする物
権契約、婚姻、相続人の指定などを目的とする契約など、親族関係、相続関係の変動を生
ぜしめる身分契約(家族法上の契約)も含まれるが、「債権各論」における契約は、債権
・債務(ないし債権・債務関係)を生ぜしめる債権契約を意味する。
近代社会以前において財貨の生産・分配過程を支えていたのは、身分によって構成され
る関係であったが、近代社会においては、その生産・分配過程は、社会的分業の下で、商
品交換、すなわちその法的形態たる自由な独立した当事者間の契約によって媒介されるに
至る(「身分から契約へ」)。なかでも、原材料、生産物についての売買契約、人の労働力
の利用に関わる雇傭(労働)契約、他人の土地・建物の利用に関わる不動産賃貸借契約、
他人の貸幣の利用に関わる金銭消費貸借契約は、非常に重要な機能を営んでいる。
2 契約自由の原則とその修正→星野『民法』105頁以下参照
(1)近代市民社会においては、私有財産制を基礎として、各人の私的生活関係を個人の
自由な意思に委ね、国家がみだりにこれに干渉すべきではないと考えられた(私的自治・
の原則)。したがって、契約による法律関係の形成は、原則として各人の創意に委ねるべ
きであるとされる(契約自由の原則)
。
契約自由の原則は、具体的には、
①契約を締結するかしないかを外部から強制されない(契約締結の自由)
②契約を締結するにあたり、だれを相手に選んでもよい(相手方選択の自由)
③契約内容をどのように定めることもできる(契約内容決定の自由)
④契約は原則として合意のみで成立し、特定の方式を必要としない(方式の自由)
という4つの自由をその内容とする。
(2)ところで、なるほど、契約自由の原則は、近代社会の発展に大きく寄与したのであ
るが、資本主義の高度化(資本の集中・独占市場の形成)のなかで、契約当事者の間の対
等関係が崩れ、経済的強者と弱者との対立が著しくなり、これら(概して立場の互換性が
あるとはいえない)両者間の取引にあっては、契約自由の名の下で、(全社会的にいえば
適正でない財貨の分配が生ずるという傾きをもって)経済的弱者にとっての契約の事実上
の不自由が進行する。たとえば、本来、使用者と労働者とが対等な立場でなすことを前提
としている雇傭契約にあっては、往々にして、労働者が使用者の呈示する不利な労働条件
をのむことを余儀なくされる。一般消費者・利用者は、寡占化ないし独占化した企業との
間で、企業の側が妄的に決めた価格他の契約条件を無留保で包括的に承認して、日常生活
上不可欠な契約を結ばざるを得ない(附合あるいは附従契約)。これらにあっては、経済
的弱者は、契約関係に入るか入らないかの判断の自由をもつにすぎない。
- 93 -
こうして、今日、古典的な契約自由の原則をそのまま維持することはもはやできず、む
しろ、国家の立法・行政・司法による、契約への必要に応じた干渉が顕著にみられるよう
になったのである。
たとえば、①電気・ガス等の独占事業者など公共的ないし公益的職務にあたる者には、
公法的に申込に対する承諾義務を課されている(電気18条1項、ガス16条、医師19
条など)。テレビの利用者はNHKとの受信契約につき申込義務を負わされている(放送
32条)。②右の如く、契約締結が義務づけられている者にとって相手方選択の自由は制
限されることとなる。③企業者が作成した約款(普通契約約款)が用いられる保険契約、
運送賓約、電気・ガス供給契約等にあっては、その約款の作成・変更につき、行政庁によ
る許認可が必要とされている(保険1条・10条、道運12条、海運9条、電気19条、
ガス17条他)。④経済的強者・弱者間の契約にあっては、後者にとって不利な合意・特
約の拘束力が否定されているものがある(借地借家9条・30条等、労基13条、割賦4
条の3・5条他−片面的強行規定)。⑤また、とりわけ約款による契約、借地・借家契約
等においては、「黙示の意思表示」、「例文解釈」等といった契約解釈技術を用い、あるい
は、「信義則」、「権利の濫用」などの一般条項の運用によって、経済的劣位者の保護を図
る裁判例が顕著にみられる。⑥また、小作契約、建設請負契約、割賦販売契約、貸金契約
などについては、(書面の作成が必ずしも効力発生要件とされているわけではないが)所
定事項を記載した契約書面の作成(ないし、その交付)が義務づけられている(農地25
条1項、建設19条、割賦4条、貸金17条)。
もっとも、かように契約の自由に対する国家的干渉が前面に出てきているとはいえ、資
本主義社会が今日においてもなお、少なくとも基本において、経済的自由主義の立場を維
持していることとの関わりで、契約自由の原則は、今日なお、法的人格の独立・平等、私
的所有の絶対と並んで、私法秩序の根幹をなしていることを見失うことは許されない。
【重要論点1】
【約款による契約ーその拘束力と規制】
契約という形式を通して大量の財・サービスの供給をするという事業、たとえば保険業
・銀行業・運送業・倉業・割賦販売業・クレジット業・リース業など、を行うにあたって
は、事業者が個々の顧客との間で交渉(商議)を尽くして、場合によっては互いに譲歩し
あって歩み寄ったうえ契約を締結するという過程をふむことができず、予め定型化された
契約内容の存在を不可欠とする。約款とは、こうした財・サービスの供給のために締結さ
れる契約の内容とするために、一般的には事業者によって、定められた契約条項ないし契
約条項群をいう。ところで、契約の拘束力は契約当事者の意思に根拠づけられているので
あるが、約款による取引においては、顧客は、約款の内容を細部にわたってまで了知して
おらず、ときには約款の存在にさえ気付かないということがありうる。そこで、約款によ
る契約の拘束力が問題とされることとなる。この点につき、従来、約款を当該取引圏とい
う部分社会の自治法規とみる説(法規説)、約款そのものは企業の理念に担われた制度的
所産として国家法と個人契約の中間に位置づけられる潜在的規範性をもつところ、後続す
る個々の契約による指定ないし附合という主観的な承認によって個別的規範性を有するこ
とになるとする説(制度説)、約款により契約を締結する意思が推定される、あるいは、
約款によることが商慣習ないし商慣習法であるとする説(契約説)、約款には形成のされ
- 94 -
かた・法的規制の受け方からみて多様なものがあるから拘束力の根拠を一元的に説明する
ことはできないとする説(多元説)などが対立してきた。
最近においては、約款の拘束力は約款が契約内容として契約締結行為の一環として採用
されること(約款の契約内容への組入れ)に基づくということを前提としたうえで、約款
規制を意識し、顧客の約款に対する了知の機会を確保するための約款内容の開示の重要性
を強調するとともに約款内容に向けられた顧客の意思ないし期待を問題とするタイプの契
約説が有力に主張されつつあるといわれる。
3 契約と信義誠実の原則(信義則)
私法全般に妥当するとされる原理である信義誠実の原則(1条2項)は、ことに契約関
係において重要な機能を果たしている。すなわち、契約関係において、両当事者は、その
締結の準備段階からその終了、さらには清算段階に至るまで、相手方がもつであろう正当
な期待・信頼を裏切ることなく誠実にふるまうことが要求されるのである。
たとえば、①契約が、原始的不能により効力を生ずるに至らなかった場合に、契約締結
の準備段階から締結にいたる過程において過失のあった当事者は、これにより損害をこう
むった相手方に対し、その賠償をすべき義務を、信義則上、負うとされる(契約締結上の
過失)
。
②締結された契約の内容が不明確なときは、信義則により、契約を合理的に解釈しなけ
ればならない。
③契約締結当時、予見しえない、しかも当事者に帰責しえざる著しい事情の変更が生じ、
契約内容をそのまま維持することが合理的ではないと考えられる場合には、契約内容の改
訂、さらには契約の解除が認められる(事情変更の原則)。
④契約に基づく権利の行使、義務の履行も信義則に従ってなされなければならない。し
たがって、たとえば、深夜に債権を取り立てることは許されない。
⑤債務者が債務を履行するにあたって使用した者の故意・過失は、信義則上、債務者本
人のそれと同視され、債務者が、使用者のなした行為について、債務不履行責任を負わさ
れることがある(履行補助者の過失)
。
⑥また、賃貸借のごとく、とりわけ当事者間の信頼関係を基礎とする継続的契約におい
ては、なるほど一回の賃料の滞納など債務不履行があったとしても、それが軽微なもので
あって、当事者間の信頼関係を破壊すると認めるに足りない特段の事情がある場合におい
ては、解除は認められないとされる(信頼関係破壊理論)
といった次第である。このように、契約法は、信義則がいわば典型的に妥当する領域で
ある。
【重要論点2】
【契約締結上の過失論】
たとえば、売買において、その目的物である建物が契約締結の前夜に焼失していたとい
う場合には、右売買は原始的不能として無効となる。こうした場合に、無効な契約の締結
をしたことについて責に帰すべき事由が認められるときには、買主に、被った損害の賠償
を売主に求めることを認めるべきであろう。これが、「契約締結上の過失」の理論であっ
- 95 -
て、近時の学説は、この責任の法的根拠を信義則上の義務に求め、契約無効の場合ばかり
でなく、契約が準備交渉にとどまった場合、準備交渉において、相手方の身体等を害した
場合、信義則上の調査・説明義務を怠って契約を成立せしめた場合などへとその通用範囲
を拡大してきている。効果についても、損害賠償のみならず契約解除の可否も問題とされ
るに至っている(瀬川=内田『民法判例集債権各論(第2版)』4・5・6・7事件、星
野ほか『民法判例百選Ⅱ(第5版)』4事件、奥田ほか『判例講義民法Ⅱ』8事件、山田
ほか『基本判例民法』175事件参照)。
【重要論点3】
【事情変更の原則】
契約成立当時の基礎とされた客観的事情に著しい変更が生じた場合において、当事者が
その事情の変更を予見せずかつ予見し得なかったものであり、事情の変更が当事者の責め
に帰し得ない事由によるものであり、事情変更の結果当初の法律効果を維持することが著
しく信義則に反するという場合には、契約当事者は、契約の改訂、さらには契約の解除を
することができるとされる。これを事情変更の原則という。なお、予見可能性や帰責事由
の存否は、契約上の地位の譲渡があった場合であっても契約締結当時の契約当事者につい
て判断すべきものとされる(瀬川=内田8・9・10事件星野ほか44事件、奥田ほか6
4・65事件参照)
。
4 契約の種類
契約については、異なる観点から、いくつかの分類をすることができる。
(1)典型契約・非典型契約 民法典は、贈与以下和解にいたる13種類の契約を規定し
ている。これらは、取引社会に行われている典型的な契約を、当事者の合意内容を解釈し、
あるいは補充・補完する基準とするために、いわば純粋型として構成したものであって、
典型契約(あるいは有名契約)とよばれる。
これらは、内容に即して、①財産権の移転を目的とする契約(贈与、売買、交換)、②
物の利用を目的とする契約(消費貸借、使用貸借、賃貸借)、③労務の利用を目的とする
契約(雇傭、請負、委任、寄託)、④その他の契約(組合、終身定期金、和解)の4つに
大きく分類されている。
しかし、既述のごとく、契約内容の決定については、原則として、当事者の自由に委ね
られているから、これら以外の内容をもった契約も有効に存在しえ、事実大きな社会的意
義をもっているものもある。かような契約を非典型契約(あるいは無名契約)とよぶ。こ
れには医療契約、リース契約、出版契約、旅館宿泊契約、業務提携契約、情報提供契約、
出演契約、放送広告契約などがある。なお、典型契約の2以上の内容をもつ契約を混合契
約とよぶことがある。たとえば、売買的要素、請負的要素をあわせもつ製作物供給契約が
これである。非典型契約および混合契約については、その解釈にあたり、無理にいずれか
の典型契約に吸収したり、そのいくつかを結合して通用したり、いずれかを類推通用すべ
きではなく、当該契約における当事者の意図、取引慣行等を十分考慮して、実態に即した
契約解釈をなす必要がある。
(2)双務契約・片務契約 双務契約とは、当事者の双方が互いに対価的な意味を有する
債務を負担しあうことになる契約をいう。その典型は、売買、賃貸借、雇傭、請負などで
- 96 -
ある。双務契約から生ずる両債務の間には、成立・履行・存続について牽連関係があると
される。後二者は、それぞれ、同時履行の抗弁権(533条)、危険負担(五三四条以下)
の問題であって、後に格別にとりあげるから、ここでは成立における牽連関係についてふ
れておくにとどめる。成立における牽連性とは、一方の債務が原始的に履行不能であった
場合には他方債務が履行不能でなくとも契約は無効となり、一方当事者が契約を取り消し
た場合には、双方債務は、一括して無効となるといったことである。
これに対し、片務契約とは、贈与、消費貸借、使用貸借のごとく、(契約が成立した時
点で)当事者の一方のみに債務が生ずる契約である。
(3)有償契約・無償契約 契約当事者双方が、互いに対価的関係をなす経済的負担(出
捐)をしあう契約を有償契約といい、売買、賃貸借、雇傭、請負などがこれに属する。有
償契約には、性質がこれを許す限り、売買についての規定の準用があるものとされる(5
59条)。なお、双務契約はつねに有償契約であるといえるが、有償契約はつねに双務契
約であるとは限らない。有償かつ片務の契約として、たとえば、利息附消費貸借があげら
れる。
これに対し、贈与、使用貸借のごとく、当事者の一方のみが経済的出捐をする契約を無
償契約とよぶ。一般に、好意、謝意を背景にしてなされる無償契約においては、その拘束
力、担保責任・債務の履行にあたって要求される注意の程度等について、有償契約とは異
なる扱いがみられる(550条・551条・658条等参照)。
(4)要物契約・諾成契約 契約成立のために、当事者問の合意のみでは足らず、これに
加えて一方当事者による目的物の交付(相手方の受領)を必要とする契約を要物契約とい
う。民法典は、消費貸借(587条 )、使用貸借(593条 )、寄託(657条)の三つ
を要物契約としている。
これに対し、当事者の合意さえあれば成立する契約を諾成契約という。右に挙げた三つ
を除く他の典型契約は、すべて諾成契約と構成されている。
(5)一時的契約・継続的契約
贈与、売買など一回の給付で完了する契約を一時的(給
付)契約というのに対し、賃貸借、雇傭、寄託など契約期間中反復・継続する給付を目的
とする契約を継続的(給付)契約という。
継続的契約においては、ある期間にわたり契約関係が存続するので、当事者間に一時的
契約に比してより強い信頼関係が生ずるものとみられる。そこで、たとえば、債務不履行
があってもそれが当事者間の信頼関係を破壊するほどのものでないときには、解除は認め
られないとされる。また契約の解消について、その効果は、一時的契約におけるがごとく
遡及するものとしたのでは清算関係が複雑になるので、将来に向ってのみ生ずるものとさ
れている(解約告知ー620条・630条など)。
以上のほか、要式契約・不要式契約、有因契約・無因契約等の分類がなされている。
【参考 契約序説関係重要判例】
①大阪地判昭和42・6・12判時484号21頁(約款条項の効力)
航空会社Yの運送契約約款が、他の航空会社の約款が乗客を死亡させた際の責任最高額
を300万円としていたのに、わずか100万円としていたという場合において、航空事
故の被害者遺族XらがYに対しこれをはるかにこえる損害賠償請求をしたところ、Yが仮
りに責任があるとしても約款に規定する責任限度額一〇〇万円に限られると抗弁したとい
- 97 -
う事案について、「100万円の限度額が飛行機の乗客が死亡した場合に実際に発生する
であろうと予測され得る損害額に比して著しく低額であるのみならず企業の維持、育成と
いう点からみても必要な最少限の限度額とは言い得ないのであり、前述の被害者の救済と
企業の保護という二つの要請の妥当な調整という見地からみれば、承認さるべき合理性、
妥当性を有しないことは明らかであ」って、約款のかかる定めは民法九〇条により無効で
ある。
②最判昭和59・9・18判時1137号51頁・判タ542号200頁(契約交渉破
棄と信義則)
マンション販売業者Xは、歯医者Yと、入居交渉を積み重ね、Yの希望に即して設計変
更、工事手直しなどもしたのであるが、結局売買が不成立に終わったので、Yに対し、右
設計変更等にかかる損害の賠償を求めたという事案について、(原審が、契約締結に至ら
ない場合でも、当該契約の実現を目的とする右準備行為当事者間にすでに生じている契約
類似の信頼関係に基づく信義則上の責任として、相手方が該契約が有効に成立するものと
信じたことによって蒙った損害の賠償義務を認めるのが相当である(五割の過失相殺)と
したのを受けて)「原審の適法に確定した事実関係のもとにおいては、Yの契約準備段階
における信義則上の注意義務違反を理由とする損害賠償責任を肯定した原審の判断は、是
認することができ」る→瀬川=内田4事件、奥田ほか8事件、星野ほか4事件。
③大判昭和19・12・6民集23巻613頁(事情変更の原則)
Xは、昭和14年にY等からその共有地たる本件土地3筆を買い受け、手附金を交付。
ところが昭和15年に宅地建物等価格統制令が施行され土地売買価格について行政官庁の
認可が必要となったが、本件土地に関する区画整理事業が完成しないと評価は困難であり、
そのため履行期日までに売買価格の認可はおりなかった。そこで、Xが契約を解除し手附
金の返還を求めたという事案について、「契約締結後其の履行期迄の間に於て統制法令の
施行等に因り契約所定の代金額を以てしては所定の履行期に契約の履行を為すこと能わ
ず、其の後相当長期に亘り之が履行を延期せざるを得ざるに至りたるのみならず、契約は
結局失効するに至るやも知れざるが如き事態を生じたる場合に於て、当事者尚此の長期に
亘る不安定なる契約の拘束より免るることを得ずと解するが如きは信義の原則に反するも
のと謂うべく、従て斯かる場合に於ては当事者は其の一方的意思表示に依り契約を解除し
得るものと解するを相当とす」→瀬川=内田8事件、奥田ほか64事件。
④最判昭和28・9・25民集7巻9号979頁(信頼関係破壊法理)
宅地賃借人Yからその所有倉庫を賃借していたZが、倉庫焼失後、罹災都市借地借家臨
時処理法の規定によりその跡地部分の賃借権を譲り受けたが、右跡地坪数以内ならYの同
一借地上の他の場所を使用してもよいものと思い、Yとの合意のうえ、Yの賃借地部分に
一部またがって建物を建築したため、XはYが無断でZに転貸したとして、YおよびZに
建物収去、土地全部の明渡を求めた事案について、「賃借人が賃貸人の承諾なく第三者を
して賃借物の使用収益を為さしめた場合においても、賃借人の当該行為が賃貸人に対する
背信的行為と認めるに足らない特段の事情がある場合においては、同条の解除権は発生し
ないものと解するを相当とする。然らば、本件において、YがZに係争土地の使用を許し
た事情が前記原判示の通りである以上、Yの右行為を以て賃貸借関係を継続するに堪えな
い著しい背信的行為となすに足らないことはもちろんであるから、Xの同条に基く解除は
- 98 -
無効というの外はな〈、これと同趣旨に出でた原判決は相当であ」る→瀬川=内田52事
件。奥田ほか91事件。
第2節 契約の成立
1 概説
(1)原則
契約は、原則として、相対立する2個以上(普通は2個)の意思表示の合致
(合意)によって成立する。たとえば、AがBに対し「甲土地を1、000万円で買いた
い」といい、これに応じてBがAに「甲土地を1,000万円で売ろう」ということによ
り、A・B間に甲土地についての売買契約が成立する。ここで意思の合致があるというた
めには、2個以上の意思表示が、内容において客観的に一致しかつ一方当事者の意思表示
に結合して他方当事者が契約を成立させようとするという意味で主観的に一致することを
あわせ要するとされている。
契約は、このように相対立する意思表示の合致によって成立するが、時間的に先になさ
れた一方当事者の意思表示(冒頭の例では、Aの買うという意思表示)を申込、これを受
けて契約を成立せしめるべくなされた他方当事者の意思表示(冒頭の例では、Bの売ると
いう意思表示)を承諾とよぶ。すなわち、契約は、原則として、申込と承諾の合致によっ
て成立するのである。
なお、契約に際して契約内容の明確化、証拠手段の確保、事務処理の便宜などのために
契約書が作成される場合も少なくないが、当事者に契約書作成まで効果を生ぜしめないと
いう意思が認められるときは格別、原則として、契約書の作成は契約の成立の要件ではな
い。
(2)特殊な形態
もっとも、一方が契約の申込をした場合に、他方が(偶然にも)それ
に対応する内容をもつ申込を同じくなしていたということがありうる。これを交叉申込と
いうが、これによっても契約は成立するとされる。
また、申込者の意思表示または慣習によって、承諾の通知を必要としない場合には、承
諾の意思表示と認むべき事実のあったときに契約は成立するとされる(526条2項)。
これを意思実現による契約の成立という。
(3)要物契約の場合
なお、要物契約の場合には、契約の成立につき、意思表示の合致
のほかに、目的物の授受、引渡といった特別の要件が必要とされている。
2 申込
(1)申込の意義
申込とは、これに対する承諾と合致することによって契約を成立させ
ることを目的とする確定的意思表示である。
したがって、貸家札や求人広告のように、単に相手方に申込をさせようとする意思の通
知にすぎない「申込の誘引」とは異なる。
申込の誘引
(2)申込の効力
→
承諾期間の定めある申込
→
承諾
→
承諾期間の定めなき申込
→
承諾
申込は、意思表示の一般原則どおり、相手方に到達した時からその効
- 99 -
力を生ずる(97条1項)
。申込発信後到達までに申込者が死亡したり、能力を失っても、
申込者が反対の意思を表示し、または相手方がその事実を知りたる場合を除き、申込の効
力には影響がない(97条2項・525条)
。
申込の効力の第1は、その拘束力である。すなわち、まず、承諾期間を定めてなされた
申込は、撤回をすることができない(521条1項)。承諾期間を定めずになされた申込
は、相当な期間撤回することができない(524条)。ここで、相当な期間というのは、
申込と承諾との通信に要する期間に、
承諾者の調査検討に要する期間を加えたものである。
申込の第2の効力は、実質的効力ともいうべきその承諾適格である。すなわち、申込が
なされると、申込受領者は、これに対して、任意に承諾の意思表示をすることにより契約
を成立せしめうることになるが、申込の有するこのような効力を承諾適格という。この効
力は、承諾期間の定めのある申込の場合には、承諾期間の経過によって消滅する(521
条2項)。したがって、期間経過後に承諾の意思表示が到達した場合には、契約は成立し
ない。しかし、承諾が通常なら承諾期間内に到達するよう発信されたにもかかわらず、特
別の事情によって延着し、申込者がその事情を知り得べきときは、申込者はその旨を相手
方に通知しなければならず、もしこの通知を怠ると契約は成立したものとみなされる(5
22条)。承諾期間の定めなき申込の場合は、相当期間経過後において撤回されると、こ
の効力は消滅する。しかし、撤回なき限り、いつまでも承諾適格性が存続するというので
はなく、取引慣行と信義則とによって、かなりの期間が経過した後には、かかる効力は消
滅するものと解されている(商法508条の特則ー相当な期間内に承諾の通知を発しない
と申込は効力を失うとされるーに留意したい)。
3 承諾
承諾とは、申込に応じて、契約を成立せしめようとしてなされる意思表示である。承諾
が有効になされるためには、特定の申込に対し、その申込に対応する内容で、かつ申込が
承諾適格を有する間になされなければならない。したがって、遅延した承諾あるいは条件
を付し、もしくは、内容に変更を加、差承諾は、新たな申込とみなされる(523条・5
28条)。
承諾の効力発生時期については、契約の成立時期の問題にからんで、発信主義を重視す
る説と到達主義を重視する説との間に争いがある。
4 契約の成立時期
民法は、隔地者間になされる契約の成立時期を、承諾の意思表示の発信の時であるとし
ている(526条1項)。もっとも、上記したごとく、期間の定めある申込に対する承諾
の場合には、この期間内に承諾の通知が申込者に到達しないと、原則として、契約は有効
に成立しえないとされている(521条2項・522条)。
このように、承諾の意思表示の効力発生時期について、526条1項は、発信主義を採
用しているようにみえるが、この点につき一般規定として到達主義を採っている97条1
項との関係をどう解するかをめぐって、学説に争いがある。前者を後者に対する例外とみ
る説(発信主義)によれば、承諾の意思表示自体が発信の時に確定的に効力を生ずるとさ
れる。これに対し、到達主義を重視すべきであるとする説(到達主義)によれば、承諾の
意思表示は、やはり、到達の時に効力を生ずるとされる。
5 対話者間の契約の成立
- 100 -
民法の契約の成立に関する諸規定は、手紙やテレックスによる隔地者間の契約を前提と
しているといってよい。すなわち、対面し、あるいは電話による、対話者間の契約の締結
にあっては、まず、契約の申込は、話している間はいつでも撤回でき(524条は隔地者
になした申込の拘束力について定める)、対話の終了までに承諾がなされないと、申込だ
けを対話でした場合を除き、承諾適格を失うと解されている(商507条ー対話者間の申
込において被申込者が承諾をしないときには申込は効力を失うとするーに留意したい)。
また、通知の事故についての規定、発信と到達との間に時間的ずれのあることを前提とす
る規定等の通用を考えなくてよいことになる。
6 補論
(1)事実的契約関係論
契約を成立させる当事者の合意がなくとも一定の社会的事実関
係が存在するときには契約が有効に存在している場合と同様の法的効果を認めようとする
見解が主張されている。これが事実的契約関係論である。たとえば、電力・水道の供給受
領、交通機関・駐車場の利用、自動販売機による物品購入といった、社会的給付義務によ
る社会類型的な事実関係(他に、賃貸借関係満了後の利用など社会的接触関係に基づくも
の、労働契約が無効である場合の事実上の就労関係など共同関係への事実上の加入による
ものという2類型が示されている)が生じたときは、当事者が締約を明示に拒絶している
ときであっても、あるいは無能力者であっても、契約が有効に成立した場合と同様に扱お
うとするのである。
この理論は、かような事実関係の合理的かつ衡平な処理に資するということからこれを
支持する学説も有力であるが、契約は当事者の意思表示の合致からなるという基本的な考
え方に調和しない面があり、またかような法理を用いなくとも、黙示の承諾・意思実現に
よる契約の成立、不当利得、不法行為など既存の法理によって、妥当な解決を図ることが
できるということもあって批判的な学説も多く、必ずしも一般的な承認を得るにいたって
はいない。
(2)契約の競争締結
とりわけ売買や請負においては、相対的に最も有利な条件におい
て契約を締結するために、締約を希望する複数の相手方に競争させて、そのうち最も有利
な条件を申し出たものと契約を締結する方法がとられることがある。これには、競売と入
札とがある。
競売は、各競争者が他の競争者の申出条件を知りながら自己の申出を行うというもので、
せり下げ競売とせり上げ競売とがある。前者においては申出者価格提示が申込とみられ、
後者においては、競売の申出は申込の誘引にすぎないとされる。
入札にあっては、競争者が互いに他の競争者の条件を知ることができない。入札申出者
が入札を介して契約をなすことを表示し(公告)、競争者の入札に基づいて入札申出者が
落札決定をなし契約が締結される。入札の申出は、一般には、申込の誘引と解されている。
もっとも、入札申出者が契約条件を具体的に明示している場合にはこれを申込とみる余地
がある。なお、国および地方公共団体が行うものについては、入札を申込としている(合
計会計29条の3、地自234条3項)。
【重要論点4】
【発信主義と到達主義の差異】
- 101 -
両者は、以下の諸点につき、結論を異にする。第1に、申込の撤回はいつまでできるか
につき、発信主義を重視する説は、申込の撤回は、承諾発信前に相手方に到達しなければ
効力を生じないとするのに対し、到達主義を重視する説は、承諾が到達する以前に相手方
に到達すればよいとする。第2に、いったん発信した承諾を到達前に撤回しうるかについ
ては、前説は、これを消極に解するのに対し、後説は、これを積極に解する。第3に、承
諾不到達の場合の契約の成否につき、前説は、期間の定めのない申込に対する承諾の場合
には、不到達であっても契約は成立するとし、他方、後説は、承諾期間の定めの有無に拘
わらず、契約は成立せず、これが到達した場合に限り、承諾発信の時に遡って契約は有効
に成立したとするのである。前説がこれまでの通説であるといえるが、ことは、とりわけ、
承諾不到達の危険を申込者・承諾者のいずれに負担させるのが妥当であるのかの判断にか
かっているといえる。
【重要論点5】
【契約の成否についての事実認定】
契約の成立をめぐり実際に問題となるのは、むしろ、個々の取引に関し契約は成立して
いると認められるかということである。たとえば当事者の間に、売買目的物・代金など基
本的な事項について合意がみられる、買受証明書・売渡証明書が交付される、(仮)契約
書に署名捺印がされる、手付けがうたれるなどそれぞれ自体の具体的な展開がみられる場
合について、はたして売買契約が成立したとして各当事者が売買契約上の義務を履行すべ
きことになるのか、あるいはたかだか契約締結上の過失が問題とされるにとどまるか、と
いう問題である(判例として、たとえば不動産売買に関する大阪高判平成2・4・26判
夕725号162頁、消費貸借に関する静岡地判平成元・9・28金法1254号37頁
などを参照)
。
【重要論点6】
【契約成立についての到達主義の見直し】
承諾の撤回が承諾の到達前に到達するならば申込者に不利益を与えることはないから気
の進まなくなった承諾者に承諾の撤回を認めてもよいはずである、承諾の不到達のリスク
は今日の通信事情ではほとんど問題にならないなどから発信主義をとる必要はないではな
いかという議論がある。比較法的に見ても発信主義をとる例は少ない。最近の「電子消費
者契約及び電子承諾通知に関する民法の特例に関する法律」では電子取引につき到達主義
が採用されている。
【重要論点7】
【公正証書による契約】
契約にあたって公正証書が用いられることがある。公正証書とは、普通、公証人が公証
人法等の法令にしたがって法律行為その他私権に関する事実について作成した証書をいう
(公証人1条)。証書の作成については、一定の手続を履践し、法定の形式によることが
必要とされている(同26∼57条)。契約を結ぶにあたり私署証書ではなく公正証書に
よった場合のメリットとして、証拠力が高い(民事訴訟323条、公証人2条)、確定日
付としての効力をもつ(民法施行法5条)、執行認諾文言が入っている(債務者が直ちに
強制執行に服する旨の陳述が記載されている)場合には強制執行における債務名義となる
(民執22条5号−執行証書という)ことが挙げられる。
- 102 -
第3節 懸賞広告・優等懸賞広告
懸賞広告とは、たとえば紛失物を発見して持参するといった、ある特定の行為をした者
に対して、一定の報酬を与えようとする意思表示である。懸賞論文の募集にみられるごと
く、その行為に優劣があって、優等な行為をした者だけに報酬を与えようとするものを、
とくに優等懸賞広告という。
懸賞広告をした者は、指定した行為を完了する者がない間は、原則として前の広告と同
一の方法により、広告を撤回できる。しかし、広告中に撤回しないことを表示したり、指
定行為をなすべき期間を定めたときには、この限りでない(530条)。
広告者は指定行為を完了した者に対し、所定の報酬を与えなければならない(529条)。
かかる行為を完了した者が複数ある場合については、規定が設けられている(531条)
。
優等懸賞広告は、期間を定めて、これをなさなければならない。広告者は、広告中に定
めた判定者、広告中に定めがなければ広告者、による判定をしたうえで、優等者に所定の
報酬を与えなければならない。なお、応募者は、右の判定につき異議を述べることはでき
ないとされる(532条)。
第4節 契約の効力
1 概説
民法は、「契約ノ効力」と冠して、双務契約の特殊的効力としての同時履行の抗弁権・
危険負担、および第三者のためにする契約についての規定をおいているが、契約の中心的
効力は、何よりも、当事者の意図した債権・債務(関係)が生ずるということである。
当該契約によっていかなる債権・債務(関係)が生じたかを確定する(契約の解釈)に
あたっては、何よりもまず、当事者が合意したところによるべきであるが、その際、慣習、
任意規定たる債権総論および契約各論の諸規定、信義則ないし条理が、あわせ基準とされ
ることとなる(9条・92条・1条2項)。
【重要事項8】
【契約の解釈】
とりわけ契約に関し当事者の問で争いが生じた場合には、紛争解決を委ねられた裁判所
はこれを解決するにあたりまず当該契約の意味・内容がどのようなものであるのかを確定
(実は、必要とあらば、内容を補充し、さらには合理的に修正したり)しなければならな
い。これを、「契約の解釈」という。その際には、当事者の内心の効果意思(真意)の探
究ではなく、表示行為のもつ客観的な意味を明らかにすることを目標とすべきである(法
律行為の解釈における表示主義)とされている。解釈にあたり拠るべき基準としては、第
1に、
当事者が契約によって実現しようとしている経済的ないし社会的目的が挙げられる。
こうした目的に徽し契約の意味を客観的に判断すべきものとされるのである。また、当事
者がこれによる意思をもっていたと認められる場合には、当該契約に関わる慣習が契約内
容とされる。債権ないし債権契約に関する民法の定めの多くは任意規定といってよいが、
こうした規定は、当事者の意思が不分明である場合、当事者の意思が存在しない場合に、
解釈規定ないし補充規定として、契約解釈の基準とされる。さらに、信義誠実の原則も解
- 103 -
釈の基準として機能する(最判昭和32・7・5民集11巻7号1193頁参照)。信義
則について特に留意したいのは、これが補充的解釈基準として用いられるのみならず、た
とえば、不動産賃貸借にあたりきわめて短い存続期間が定められた場合にこれを地代据置
期間であるとしたり、契約書面で不動文字で書かれた条項のうち借主にとって不利なもの
につき例文として拘束力を認めないことにするなど、契約の修正的解釈に用いられてもい
るということである。→とくに実務家の観点から、滝澤孝臣「契約の解釈と裁判所の機能
(上)
、(中)、
(下)」NBL746号・749号・***号参照)
。
2 契約の有効要件
契約も法律行為の一種であるから、所期の効力を生ずるためには、法律行為の一般的有
効(効力)要件を充たしていなければならないこというまでもない。すなわち、契約が有
効であるためには、その内容が①実現可能なものであり、②確定しうるものであり、③適
法でありかつ社会的に妥当なものでなければならない(90条・91条)。また、契約を
組成する当事者の意思表示に欠缺・瑕疵等がある場合にも契約は所定の効力をもちえない
ことがありうる。たとえば、意思無能力者・制限行為能力者のなした契約(4条・9条・
12条など )、錯誤による契約(95条 )、詐欺・強迫による契約(96条)の場合がこ
れである。
【重要論点9】
【効力阻却要件ということ】
契約は意思の欠缺がある場合、意思無能力の場合などには、その内容に応じた効果は生
じないことになる。多くの学説は、これらの状況を契約がその効力を生ずるための要件で
あるとして有効要件と呼ぶ。しかし、これらは、効力阻却要件と呼ばれるのが正確で、契
約の成立を主張する者がすべての成立要件の具備の立証責任を負い、その立証が成功した
場合にはじめて、抗弁として契約の無効を主張する者がいずれかの効力阻却要件の存在の
立証責任を負うことになる(鈴木禄弥『民法総則講義2訂版』134頁)
。
3 同時履行の抗弁権
双務契約においては、当事者双方が互いに、対価的な意義を有する債務を負担する。こ
れら両債務は、そのなりたちからして、一方が存在するから他方も存在するという相互依
存の関係にある。これに関連して、以下の2つの、双務契約の特殊な効力が、とくに規定
されることになる。
その第1が、双方債務の履行上の牽連性に関わる同時履行の抗弁権である。すなわち、
双務契約の各当事者は、公平上、相手方が債務の履行を提供するまでは、自らの債務の履
行を拒むことができるとされる(533条)
。
(1)成立要件
同時履行の抗弁権が認められるための要件は、①両債務が同一の契約か
ら生じた、互いに対価たる関係にあるものであること(双務契約性=対価関係性)、②相
手方の債務が弁済期にあること、③相手方が債務の履行ないしその提供をしないこと、の
3つである。したがって、当事者間に異時履行の特約ある場合には、先履行義務者にとっ
て、相手債務の履行期が到来していない限り、同時履行の抗弁権は問題となりえない。
- 104 -
(2)効果
同時履行の抗弁権の本来的効力は、相手方が履行の提供をするまで自己の債
務の履行を拒むことができるということである。訴訟において、被告が同時履行の抗弁権
を行使した場合には、裁判所は、たとえば売買の目的物の引渡と引換に代金を支払えとい
うように、被告に原告の給付と引換に給付すべき旨を命ずる判決(引換給付判決)をする
こととなる(民執32条1項参照)
。
以上が、同時履行の抗弁権が行使されたことによる効力であるが、単にこれが存在する
だけでも、以下のような効力をもつ。すなわち、相手方は、同時履行の抗弁権の制約のあ
る債権を自働債権として相殺をすることはできない。相手方は、(抗弁権者の「債権を履
行しない意思が明確な場合」を別として(最判昭和41・3・22民集2巻3号468頁
参照)自らこの債務の履行を提供して同時履行の抗弁権を消滅させなければ、履行遅滞を
理由とする解除、損害賠償請求をなしえない。
【重要論点10】
【留置権との異同】
留置権と同時履行の抗弁権とは、いずれも公平の原則に基づくものであり、給付拒絶権
能をもち、訴至行使された場合には引換給付判決がなされるなど、共通点を有する。しか
し、①前者は物権として、後者は抗弁権としてそれぞれ構成されている、②前者について
は、代担保の提供による消滅請求が認められるのに、後者では認められていない、③前者
によって拒絶できる給付の内容は後者におけると異なり、他人の物の引渡に限られる、④
前者によって保護されるのは、物に関して生じた債権であるが、後者によって保護される
のは、原則として、双務契約に基づく反対債権である、⑤前者には、果実収取権、留置物
使用権、競売権などの権能が認められているが、後者には、かような機能は存しない、な
どの諸点において両者は相違する。
【重要論点11】
【同時履行関係の広がり】
双務契約に基づく、両当事者の中心的債務相互間以外の場合にも、同時履行の関係が認
められることがある。①まず、解除による原状回復義務相互間、負担附贈与における負担
と贈与との間、売主の担保責任としての解除による原状回復義務相互間などにおいては、
明文規定により、533条の準用があるとされる(546条・553条・571条・63
4条・692条など)
。②また、弁済と受取証書の交付、弁済と担保仮登記の抹消手続(最
判昭和43・3・7民集22巻3号509頁)、契約の無効・取消の場合の原状回復義務
相互間(最判昭和28・6・16民集7巻6号629頁ほか)、建物買取請求に関わる建
物の引渡・登記移転、土地の引渡義務と代金支払義務との間(最昭和35・9・20民集
14巻11号2227頁)などについては、解釈により、同時履行関係が認められている。
しかし、弁済と抵当権その他の登記手続の抹消の場合(大判明治36・3・18民録9輯
283頁)、敷金の返還義務と土地・建物の明渡義務の場合(最判昭和49・9・2民集
28巻6号1152頁→瀬川=内田11事件、奥田ほか66事件)については、認められ
ていない。
【重要論点12】
- 105 -
【不安の抗弁権】
一方の債務者が契約(異時履行の特約)により、先履行義務を負うこととされていても、
後履行義務者の財産状態が悪化し、その債務の履行期が到来しても履行を受けられないお
それがある場合に、なお先履行義務者に先履行させるのは公平に反する。そこで、かかる
場合には、当事者間に特約があればもちろんのこと、特約がなくとも、信義則上、先履行
義務者に同時履行の抗弁権を認め、あるいは、少なくとも、後履行義務者が担保の提供そ
の他給付が確実に行われることについて保証を与えるまで先履行を拒むことができるとす
る(また、継続的取引にあっては、後履行義務者が担保請求に応じない場合には契約を解
除することも認める)見解が有力に説かれている(東京地判昭58・3・3判時1087
号101頁、東京地判平成2・12・20判時1389号79頁→瀬川=内田13事件な
ど参照)。この履行拒絶権は、不安の抗弁権とよばれる。
4 危険負担
双務契約の特殊な効力の第2として、双方債務の存続上の牽連性に関わる危険負担の問
題がある。これは、たとえば家屋の売買において当該家屋が引渡前に地震により倒壊して
しまったというごとく、双務契約上の一方の債務が、契約成立後その履行以前に債務者の
責に帰すべからざる事由によって履行不能になり消滅した場合に、他方債務は、なお存続
するか、という問題である。
(1)危険負担の債権者主義 民法は、特定物に関する物権の設定または移転を目的とす
る契約において、目的物が債務者の責に帰すべからざる事由によって(不可抗力の場合お
よび第三者ないし債権者の責に帰すべき場合)滅失または毀損した場合には、その滅失ま
たは毀損は債権者の負担に帰するとしている(534条1項)。したがって、冒頭の例の
場合には、買主は代金全額の支払義務を免れない。すなわち、ここでは履行不能により消
滅した債務についての債権者が、債務消滅による危険(損失)を負担するとの、危険負担
についての債権者主義が採られている。
不特定物についての物権の設定または移転を目的とする契約の場合には、特定が生じた
ときから、同項が通用されるとする(同条2項)。また停止条件附の契約にあって、条件
の成否未定の間に滅失した場合には、534条の規定の通用はなく(535条1項)、毀
損した場合には、債権者の負担に帰するものとされている(同条2項)。
ところで、特定物に関する物権の設定・移転を目的とする契約における債権者主義は、
利益の存するところに損失も帰する、所有権者が危険を負担するといった考え方に由来す
るといわれるが、存続上の牽連性が否定されているのであって、今日その合理性は疑わし
いとされる。そこで、学説は、特定物の売買にあっても、二重譲渡がなされた場合、他人
の物の売買の場合には、債務者主義の原則に戻り、534条1項の適用はないとし、ある
いは、商事売買ないしは投機売買のみに同項の通用はあるとして、同項の通用の制限を試
みてきた。今日では、むしろ、売買一般につき、特約なき限り、目的物の引渡あるいは登
記のときに危険も移転するとする説が有力であるといってよい。また、取引実務において
も、債権者主義の不合理を回避するために、危険を引渡時に移転するものとする特約がひ
ろく認められる。もっとも、わが判例は、民法534条をそのとおり通用する立場をとっ
ているものとみられる(最判昭和24・5・31民集3巻6号226頁→瀬川=内田14
- 106 -
事件さらには15事件)。
(2)危険負担の債務者主義
しかし、民法は、物権以外の財産権の売買、賃貸借、雇傭、
請負等、534条・535条により債権者主義が通用される場合以外のすべての双務契約
については、当事者双方の責に帰すべからざる事由により履行不能となったときは、当該
債務の債務者は反対給付を受けえないとしている(536条1項)。すなわち、民法は、
危険負担につき、債務者主義を原則として採用したのである。そこで、たとえば、出演契
約において、出演当日交通が途絶して出演できなくなってしまった場合には、出演者は、
出演料を請求しえない(既に受けとっている場合は、不当利得として返還しなければなら
ない)こととなる。ロックアウトをした使用者は、それが正当な争議行為として是認され
る場合には、その期間中における対象労働者に対する賃金支払義務を免れる(最判昭和5
0・4・25民集29巻4号481頁)。
もっとも、請負契約において注文者がその第三者に仕事を完成させてしまった場合のご
とく、債権者の責に帰すべき事由により履行不能となった場合には、公平上当然のことと
して、債務者は反対給付を受ける権利を失わない(同条2項)。債権者が受領遅滞におち
いって後に当事者の責に帰すべからざる事由によって履行不能を生じた場合にも、債権者
が危険を負担する。ただし、債務者がその債務を免れたことにより利益をえた場合は、こ
れを債権者に償還すべきものとされる(同条2項但書ー請負契約にかかわる最判昭和52
・2・22民集31巻1号79頁参照)。
【重要論点13】
【危険負担と損害賠償請求権の帰趨】
債権者危険負担主義の下で、たとえば売買目的物を第三者が故意または過失によって滅
失せしめた場合に損害賠償請求権はどのように扱われることになるのだろうか。所有権が
なお債務者たる売主に残っている場合には、損害賠償請求権は売主に帰属するとみざるを
えないが、通説は、債権者たる買主は代償請求権に基づき右損害賠償請求権の移転を求め
ることができると説いている。判例にも、借主が建築し貸主に所有権を帰属せしめた建物
が焼失し債権者たる貸主が返還を受けることができなくなったという場合について、同一
の原因により債務者たる借主が履行の目的物の代償と考えられる利益(この場合具体的に
は保険金)を取得した場合には、公平の観念に基づき、債権者において債務者に対し右履
行不能により債権者が被った損害の限度においてその利益の償還を請求する権利を有する
と認めるのを相当とする、と説き代償請求権を認めるものがある(最判昭和41・12・
23民集20巻10号2211頁−民法536条2項但書の規定をこの法理のあらわれで
あると指摘する→瀬川=内田16事件)。
さらに、たとえば債務者たる売主が負担することになっていた運送費を免れたような場
合には、債権者たる買主はそうした利益の償還を求めることができる(利益償還請求権)
ものと説かれている(536条2項但書の類推適用)
。
【重要論点14】
【原状回復義務と危険負担】
たとえば、建物売買契約について、履行が済んで後に、契約が無効であったり、取り消
されたりし、あるいは解除された場合において、原状回復がなされる前に、右建物が買主
- 107 -
の責に帰すべからざる事由によって滅失してしまった場合に、売主は代金の返還をしなけ
ればならないのであろうか。この場面において危険負担は機能しないとするのが従来の学
説であるとみられるが、近時これを通用して双務性を確保すべきであるとする見解がむし
ろ有力に説かれている(不当利得についてのいわゆる類型論)。
【重要論点15】
【受領不能について債権者に帰責性なき場合の扱い】
たとえば、学校教育契約において、教育を受けるべきものが死亡した場合、住宅の増築
を請け負った建築業者が材料を買い加工し増築の作業にとりかかるばかりになっていたと
ころ該住宅が焼失してしまった場合、講演契約において開演直前に会場で火災が発生した
場合などにおいて、授業料請求権、請負代金請求権、講演謝礼請求権はどうなるのであろ
うか。これらの場合確かに債務者にとって履行不能となるが、学生・生徒・注文者の側に
ついて受領不能ともみることができる。これら債権者の帰責事由ある履行不能については
明文の規定があるが(536条2項)、受領不能の場合については規定がないから、その
処理が問題となる。受領不能につき債権者に帰責事由ある場合については、債務者は反対
給付を受けることができると考えてよいであろう(大判大正4・7・31民録2輯125
6頁)
。しかし、帰責事由が認められない場合については、債務者主義となるとするもの、
債務者によって弁済の提供がなされたか弁済の提供が無意味である場合には反対給付を受
けることができるとするもの、不能を生ずる原因が債権者・債務者のいずれの危険領域に
あったかを基準として区別するものなど見解の対立が存在する。
【参考 契約の効力関連重要判例】
①最判昭和34・5・14民集31巻5号609頁(同時履行の抗弁権の要件)
XがAにパチンコ機を売却しその引渡を完了したが、代金が一部しか支払われなかった
ので代金債務を引き受けたYに対し残代金の支払を請求したところ、Yが、Xによる右機
械の部品「あひる」の取りはずしによって履行の提供は継続していないとして、同時履行
の抗弁権を主張した事案について、「双務契約の当事者の一方は、相手方の履行の提供が
あっても、その提供が継続されないかぎり、同時履行の抗弁権を失うものではない」(た
だし、引渡がすでになされているので、Yの主張は認められない)
。
②大判明治44・12・11民録17輯772頁(同時履行の抗弁権の効力①)
売買契約の当事者Xは、相手方Yに対しいったん自己の債務の履行を提供して履行を求
めたがYが履行しなかったので、その後訴を提起して履行を求めたが、Xの右履行の提供
はその時点まで継続してはいなかったところ、Yが同時履行の抗弁権を主張したという事
案について、「双務契約当事者の一方が訴を以て単純に相手方の債務の履行を請求したる
場合に於て、相手方が同時履行の抗弁を提出したるときは、裁判所は、其請求を全部排斥
することなく双方債務の履行を引換にて相手方に其履行を命ずべきものとす」。
③最判昭和29・7・27民集8巻7号1455頁(同時履行の抗弁権の効力②)
建物等についての買主Xが所有権移転登記手続を求めたのに対し、売主Yが残代金の支
払がなかったから契約を解除したとの抗弁を主張したという事案について、「双方の給付
が同時履行の関係にある場合反対給付の提供をしないでした催告にもとづく契約解除は効
力を生じない」。
- 108 -
④最判昭和24・5・31民集3巻6号226頁(危険負担の債権者主義)
Yは、資金に窮しAに金融を依頼し、Yが自ら保管していたA所有の蚊取線香40梱を
買い受け、これを他に転売して金融を得ることにし、その代金支払のために約束手形を振
り出しAに交付したが、右線香はYが転売する前に空襲によって焼失してしまった。Aか
ら手形の裏書譲渡をうけたXがYを相手どって手形金の支払を求めたのに対し、「右蚊取
線香の売買は特定物の売買であること判文上明らかであるから、空襲によって右線香が滅
失したとしても売主の代金債権が消滅する理由がなく、従てこれにより本件手形の振出が
原因を欠くに至ったものとはいいえない」→瀬川=内田14事件。
民法Ⅳ
第6・7回
第5節 第三者のためにする契約
1 意義
たとえば、生命保険契約において、保険契約者が死亡した場合に、保険者が第三者に保
険金を支払うことを約する場合(商647条)のごとく、一方当事者(諾約者)が第三者
(受益者)に対して直接に債務を負担することを相手当事者(要約者)に約する契約を、
第三者のためにする契約という(537条)。第三者のためにする契約とはいっても、売
買、賃貸借、保険等々と並ぶ独立の契約ではなくて、これらの契約に基づく権利を第三者
に帰属せしめる附款として存在するものである。
ところで、第三者のためにする契約が締結されるにあたっては、実質的にみて二重の原
因関係がある。その1は、諾約者は(本来なら要約者に対してなすべき)出捐を第三者に
対してするわけであるからそれを正当ならしめる事情が諾約者・要約者間に存するはずで
あって(たとえば、冒頭の例の場合には要約者から諾約者に保険料の支払がなされる)
これら両者間のこうした原因関係を補償関係という。その2は、要約者が第三者に権利を
取得せしめるのを正当ならしめる事情が要約者と第三者との問に存するはずであって(た
とえば、要約者が第三者に債務を負っている)、これら両者間のこうした原因関係を対価
関係という。このうち、補償関係は、第三者のためにする契約の内容をなすものであり、
その欠缺・瑕疵などは契約の効力に影響を及ぼす。
2 要件・効果
(1)要件
第三者のためにする契約の成立要件の第1は、要約者・諾約者間に有効な契
約が成立することである。第2に、第三者に直接に権利を取得させる趣旨が契約の内容と
なっていることである。この趣旨を有するかは、契約解釈の問題であるが、その判断に困
難なものがある。
(2)効果
第三者のためにする契約の中心的効力は、第三者が諾約者に対して直接給付
を受ける権利を取得することである。この効力は、原則として、第三者が受益の意思表示
をすることを停止条件として発生するとされる(537条2項。その例外として、商64
8条・675条参照)。受益の意思表示がなされると、要約者・諾約者は、任意にこの権
利を変更・消滅せしめることはできないとされる(538条)。
要約者は、諾約者に対して、契約により定まった給付を第三者になすべきことを請求す
- 109 -
る権利をもつ。
諾約者は、要約者との契約から生ずる抗弁を有するときは、これを第三者に対して主張
することができる(539条)。また、第三者に対し人的抗弁事由を有するときは、それ
を主張しうるこというまでもない。
なお、第三者は、契約当事者ではないから、契約につき、取消権、諾約者の債務不履行
に基づく解除権をもたない。契約の相手方の善意・悪意、過失・無過失などが問題となる
場合には、要約者・諾約者に関して問題とされることとなる。
【重要論点15】
【電信送金契約】
甲地のAが同地のB銀行に、受取人を乙地のC方Ⅹと指定して電信送金を依頼し、その
旨をⅩに通知した。B銀行(仕向銀行)は電信為替取引契約を締結していたY銀行(被
仕向銀行)に送金の支払を委託した。Aの通知を受け取ったCはⅩに無断でY銀行に行き
右送金額を自己の口座に振り替えてしまった。Ⅹは、電信送金契約は第三者のためにする
契約でありY銀行に支払請求権をもつとして支払を訴求。最高裁は、「電信送金契約は、
特別の事情のないかぎり、第三者たる送金受取人のためにする契約であるとはいえず、被
仕向銀行は、右契約により、仕向銀行に対する関係においては、送金受取人に送金の支払
をする義務を負うが、送金受取人本人に対する関係においては、そのような義務を負うも
のではなく、単に仕向銀行の計算において送金の支払をなし得る権限を取得するにとどま
ると解すべきである」と、判示している(最判昭和43・12・5民集22巻13号28
96頁の事案→瀬川=内田18事件、奥田ほか67事件)。
【重要論点16】
【ファイナンスリースにおけるユーザーとサプライヤーの関係】
ファイナンスリース契約においては、一般に、リース目的物について瑕疵があってもリ
ース業者はユーザーに対して責任を負わない旨の特約がなされている。そして、判例は、
特段の事情なき限り、かような特約は有効であると解している。したがって、ユーザーは、
瑕疵について、サプライヤーに責任を追求せざるをえないのであるが、そのための法理と
して、ユーザーとサプライヤーの間に契約関係があるとみる、ユーザーがリース業者から
修理請求権等を譲渡されているとみる、リース契約を三当事者間の契約とみるなどが用い
られているが、リース業者とサプライヤーとの間に明示・黙示の第三者のためにする契約
条項が入っており、あるいはかかる商慣習があり、その限度においてサプライヤーとユー
ザーとの間に直接の権利義務関係があるとして問題の解決を図ろうとする見解が有力であ
る。
【重要論点17】
【第三者の保護効をともなう契約】
YはA鉄工所に永年不燃性の錆止めを供給してきたが、ある年、可燃性であることをA
に注意することなく、ベンジンを含む錆止めを提供した。Aの労務者が火気のあるところ
で右錆止めを利用したところ、引火爆発し、従業員Ⅹが火傷を負った。このような場合に、
Ⅹは、直接契約関係にはないYに対し、錆止めが可燃性であることを注意すべき義務の違
反を理由に、(Ⅹにとって消滅時効期間や過失の立証責任の点で不法行為責任よりも有利
- 110 -
といいうるが、免責特約の点で問題もある)契約上の損害賠償請求をなしうるものであろ
うか。このような問題が「第三者の保護効をともなう契約」あるいは「契約の第三者保護
効」の問題である。この理論の積極説によれば、契約当事者は、本来の給付義務の他、履
行にかかわって相手方の生命・身体・財産上の利益を侵害しないよう注意する義務(
「保
護義務」)を負っているが、この義務は、相手方のみならず、相手方に連なる一定範囲の
第三者との間にも機能するのであって、その義務違反によってかかる第三者(設例のⅩの
ごとき)に損害が生じた場合、右第三者に契約上の損害賠償請求権を認むべきである (契
約責任の主観的範囲の拡大 −
これに対して積極的債権侵害論、契約締結上の過失論な
どは客観的範囲の拡大に関わる)というのである。しかし、ドイツにおいて確立されたこ
の理論をわが法の下でも承認すべきかは、請求権競合の問題ともからむのであって、今後
とも検討課題であるといえる。
第6節 契約の解除
1 解除の意義と機能
(1)解除の意義
契約の解除とは、契約の一方当事者の意思表示によって、すでに有効
に成立している契約の効力を解消させて、その契約がいわばはじめから存在しなかったの
と同様の法的効果を生じさせることである。そもそも、契約がいったん有効に成立した以
上、当事者は約束を守るべきところ、一方的な破棄の意思表示によって契約の拘束から免
れうるためには、それなりの根拠がなければならない。すなわち、契約を解消しようとす
る当事者に解除権が存在しなければならないのであるが、この解除権は、法律規定によっ
て、あるいは、当事者の約定によって生ずる(540条)。前者を法定解除権といい、後
者を約定解除権という。
(2)解除の機能
法定解除権は、各種の契約について固有の原因に基づいて認められて
もいるが(たとえば、561条・570条・610∼612条・635条・641条・6
51条)、ここでとくに問題とするのは、他方当事者の債務不履行を要件とするものであ
る(541条以下)。この法定解除権は、とりわけ、双務契約において、相手方に債務不
履行があるときに、その強制的実現を図るより自分の債務を免れることの方が得策である
と考えられる場合に、大きな作用を営むものである(なお、片務契約においても解除が認
められることにつき、大判昭和8・4・8民集12巻561頁参照)。
これに対し、約定解除権は、あらかじめ将来の事情に適応すべく契約解除の可能性を残
しておく、法定解除権の要件や効果を修正・補充するなど、当事者が解除権につきこれを
留保した理由に応じた作用を営んでいる。以下においては、法定解除権を中心にみておく
ことにする(民法の解除に関する規定は、541条∼543条・545条3項を除けば、
約定解除にも通用される)。
なお、契約解除と類似な制度として、以下のごときがある。留意されたい。
①合意解除=契約がなかったのと同一状態をつくることを内容とする当事者問の合意を
いう。
②解除条件=法律行為の効果の消滅を、将来発生するかもしれない一定事実にかからし
める場合、この事実を解除条件という。
③失権約款=債務不履行があると、債権者の意思表示なしに、当然に契約の効力が失わ
- 111 -
れる旨の特約をいう。
④告知=継続的契約においては、「解除」によって、契約は将来に向かって消滅するも
のとされている(620条等)が、これを(解約)告知とよぶ。
⑤解約申入=期間の定めなき継続的契約を将来に向かって終了させる意思表示を解約申
入という。
2 法定解除権の発生要件
民法は、法定解除権が発生する一般的な場合として債務不履行をあげている。要素的債
務あるいは契約目的達成のために重要な附随的債務につき不履行があった場合には、一定
の要件の下で、解除権が発生するとされているのである。
(1)履行遅滞の場合
債務者が、履行期に、履行が可能であるにもかかわらず、その責
に帰すべき事由により(通説であるー543条参照。ただし、419条2項もあわせ参照)、
しかも違法に(たとえば同時履行の抗弁権を有する場合を考えよ)、履行ないしその提供
をしないときには、債権者は、(債務者があらかじめ履行を拒絶した場合も含めてー大判
大正11・11・25民集1巻684頁)相当な期間を定めて履行を催告し、それでもな
お履行がなされない場合に、契約を解除することができるとしている(541条)
。なお、
一部履行遅滞の場合は、契約目的、給付の可分・不可分、不履行の割合・程度などにより、
あるいは全部の、あるいは未履行部分のみの解除が認められる(最判昭和52・12・2
3判時879号73頁参照)
。
ここでいう催告とは、債務者の履行をうながす意思の通知である。催告は、債務の真実
の内容を示してなされることを要するが、示した債務の数量、額が実際よりも過大ないし
過少であっても、債務の同一性が認識できるほどのものであれば、催告として有効である
とされる(最判昭和29・3・26民集8巻3号736頁)。また、催告は、契約の性質、
取引慣行等の客観的事情によって定まる(債務者の病気・旅行などの主観的事情は考慮さ
れない)相当な期間をもってするものでなければならない(ちなみに、割賦五条参照)。
しかし、期間を定めないでなされた催告、不相当な催告期間をもってなされた催告も、全
く無効であるというのではなくて、
催告から契約解除までに相当な期間が経過していれば、
解除は有効とされる(最判昭和29・12・21民集8巻3号2211頁→瀬川=内田1
9事件参照)。また、催告期間中に債務者が履行拒絶の意思を明らかにした場合には、直
ちに解除ができるとされる(大判昭和7・7・7民集11巻1510頁)
。
なお、中元用のうちわの売買、演奏会のポスターの印刷の請負のように、契約の性質上
(絶対的定期行為)あるいは当事者の意思によって(相対的定期行為)、一定の履行期に
履行されなければその目的を達しえない契約、すなわち定期行為にあっては、その履行期
が経過したときは、この催告は不要とされている(542条)。継続的契約において信頼
関係を破壊するほどの債務不履行があった場合にも、無催告解除が認められることがある
(最判昭和27・4・25民集6巻4号451頁→瀬川=内田61事件、奥田ほか68事
件。さらに瀬川=内田59・60事件も)また、催告を不要とする特約も一般に、有効で
あるとされている(割販5条参照)
。
(2)履行不能の場合
債務者の責に帰すべき事由により履行が不能となったときは、催
告をすることなく、ただちに契約を解除することができる(543条)。給付しえない以
- 112 -
上、催告は無意味だからである。履行期に履行の不能なことが確実であれば、あえて履行
期の到来を待たずに解除しうる(大判大正15・11・25民集5巻763頁)。543
条は一部の履行不能でも解除権が生ずる旨規定しているが、給付が可分なものであるとき
にはその部分についてのみ解除をなしうるにすぎず、また不能な部分が極めて軽微なもの
であるときは、解除は許されない。
(3)不完全履行の場合
履行期に一応履行がなされたが、不完全なものであるという場
合を不完全履行というが、この場合に、なお追完が可能であれば、履行遅滞の場合に準じ
て、追完が不可能であるかこれをしても契約の目的を達しえないとき、すなわち追完不能
であれば、履行不能の場合に準じて解除をすることができる、と一般に解されている(し
かし、そもそも不完全履行なる概念をどうおさえるか、瑕疵担保責任との関係をどうみる
か等をめぐつて議論のあるところである)。
(4)債権者の受領遅滞の場合
債務者が、債務の本旨に従い、履行の提供をしたのに、
債権者が故なくこれを受領しない場合に、債務者は契約を解除しうるか。従来の通説およ
び判例は、受領遅滞による解除権の発生を認めない(最判昭和40・12・3民集19巻
9号2090頁)。しかし、近年の有力説は、債権者に受領すべき義務を認め、かかる場
合に、債務者は相当な期間を定めて受領を催告して解除しうるとしている。
3 解除権の行使
解除は、相手方に対する意思表示によってなされる(540条1項)。いったん解除の
意思表示をなした以上、これを撤回することはできないとされる(同条2項)。催告を要
する場合に、催告と同時に、催告期間内に履行がなされないことを停止条件とする解除の
意思表示がなされることもまれでないが、かような解除が有効であることについて異論は
ない。また、いうまでもなく、解除の意思表示については、意思表示に関する一般規定の
通用がある。
さらに、当事者の一方ないし双方が数人ある場合においては、解除は全員から、また全
員に対してのみ、これをなすことができるものとされる
(544条1項)。これを解除
権の不可分性という。
4 解除の効果
解除の効果として、民法は、各当事者はその相手方を原状に復せしむる義務を負うと規
定するが(545条1項)、具体的には、①当事者が契約により負担した債務の運命(債
務からの解放)ないし②かかる債務につき既になされた給付の処理(既履行給付の返還)
、
および③解除された当事者における損害賠償義務の発生(損害賠償)が、あわせて問題と
なる。
ところで、解除の効果については、理論上、直接効果説、間接効果説、折衷説の対立が
みられる。直接効果説は、解除によって、契約に基づくすべての効力は、遡及的に消滅す
るとし、この遡及効を中心に解除の効果を説明しようとする。これに対し、間接効果説は、
解除によっても契約は遡及的に消滅せず、ただ、当事者間に原状回復の債権債務関係(準
契約的返還請求権が発生する(未履行債務については、履行拒絶の抗弁権が生ずる)にと
どまるとし、解除の効果を原状回復義務を中心に説明しようとする。折衷説は、右後説と
- 113 -
同様、解除の遡及効を認めないが、未履行債務については、解除時に、債務が消滅する(非
遡及的消滅)と説く点で後説とも異なる。以上のうち、直接効果説が通説・判例(大判大
正6・12・27民録23輯2262頁、最判昭和28・12・18民集7巻12号14
46頁など→奥田ほか71事件参照)であるといえるが、近時、折衷説ないしこれに近い
説が有力に説かれつつある。
(1)未履行債務の扱い 未履行債務については、直接効果説によれば、契約時に遡って、
折衷説によれば解除時に、その債務は当然に消滅し、当該債務者は債務を免れるとされる。
これに対し、間接効果説によれば、当該債務は消滅せず、履行拒絶の(永久的)抗弁権が
債務者に認められるにすぎないとされる。この説に対しては、前の二説から、こう解する
と、債権は時効消滅まで存続することになり、実際上、その間これに対する担保があると
きはこれも消滅せず、また反対債権により相殺する可能性も生じ、また理論上も、自然債
務、抗弁権の永久性などが問題となる余地が生じ、適切でないとの批判がなされている。
(2)既履行給付の返還
既履行給付の返還については、直接効果説によれば、既履行債
務も遡及的に消滅するから、不当利得返還義務の特殊型態としての原状回復義務が生ずる
とされる。原状回復義務の内容・範囲であるが、まず給付された現物があればその物の返
還を、給付された物を費消したとき、あるいは、給付が労務その他無形のものであるとき
には、解除時(あるいは給付時)の価格の返還をしなければならない。受領した金銭を返
還する場合には、受領の時から利息をつけなければならない(545条2項)。これとの
関連で、金銭以外の物を受領したときでこれを利用して利益を受けていれば、その利益を
返還しなければならず(最判昭和51・2・13民集30巻1号1頁→奥田ほか73事
件)、目的物に果実が生じたときは、これも返還すべきであるとされる。すなわち、解除
にともなう返還義務の範囲は、不当利得の返還義務(703条)の範囲より広く、現存利
益の範囲に限定されてはいないのである。
これに対し、間接効果説ないし折衷説によれば、解除による債務の消滅は否定されるか
ら、理論上、原状回復義務の根拠を不当利得に求めることはできなくなる。そこで、たと
えば、有償・双務契約の対価的構造そのものにその根拠を求めるといった試みがなされる
こととなる。これら両説からなされる直接効果説への批判は、物の返還の場合に、所有権
が遡及的に復帰している以上、もはや不当利得は存しないのではないか(占有の不当利得
論への展開)、なぜ解除の場合、原状回復義務が現存利益より拡大されるのか理論的に明
白になしえない、といった点である。
ところで、原状回復義務があっても、545条1項但書により、第三者の権利を害する
ことはできないとされている。取引の安全のためである。ここで第三者とは、解除された
契約から生じていた法律効果を基礎として、解除までに新たな権利を取得した者をいう。
たとえば、給付の目的物または目的たる権利の譲受人・差押債権者、目的物についての抵
当権者、目的物の賃借人などがこれにあたる。解除により消滅する債権そのものの譲受人
・差押債権者は、第三者に該当しない。なお、第三者の善意・無過失は、要件とされない
が、保護されるためには第三者は対抗要件を具えていなければならないとされる(大判大
正10・5・17民録27輯928頁。なお、解除後の第三者については、本但書の問題
ではなく一般の対抗問題として処理されるー最判昭和35・11・29民集14巻13号
2869頁)。なお、この規定は、直接効果説によれば、第三者の利益を保護するため遡
- 114 -
及効を制限すべくとくに設けられた規定ということになるのに対し、間接効果説・折衷説
によれば、当然のことを定めた注意規定と性格づけられることとなる。
なお、解除の結果、契約の両当事者が相手方に原状回復義務を負う場合には、同時履行
の抗弁権に関する533条が準用される(546条)
。
(3)損害賠償
解除権の行使は損害賠償の請求を妨げない、とされる(545条3項)
。
この点につき、直接効果説は、契約上の効力の遡及的消滅と債務不履行に基づく損害賠償
は理論上両立しえないという難点を免れるため、契約が有効であった間に債務について生
じた損害も除去されないと本当に契約締結前の状態があるとはいえないから、損害賠償の
範囲で解除の遡及効が制限される(最判昭和28・12・18民集712号1446頁)
、
あるいはこの損害賠償は法政策上認められた法定責任である、と説かざるを得ない。これ
に対し、間接効果説あるいは折衷説にあっては、解除の遡及効を否定するから、債務不履
行責任としての同項の責任という構成に格別の難点は生じない。このことも、後二説が直
接効果説を批判する点である。
損害賠償の範囲、算定の基準時については、これを債務不履行責任とみるほとんどの学
説にあっては、416条の規定するところによることとなる(範囲は履行に代わる損害賠
償額から解除をした者が原状回復や債務の消滅によってえる利益を差し引いた残額とさ
れ、基準時は原則として解除時とされる)。しかし、解除の遡及効を強調して、賠償範囲
を信頼利益の賠償に限定する説もないではない。
5 解除権の消滅
解除権は、これにつき、民法がとくに定めた以下の二つの原因により消滅する。
第1に、解除権の行使につき期間の定めがないときは、相手方は、解除権を有する者に
対し相当な期間を定めてその期間内に解除をするか否か確答すべき旨を催告することがで
き、その期間内に解除の通知を受けないときは、解除権は消滅するとされる(547条)
。
相手方の不安定な地位を保護する趣旨にいでたものである。
第2に、解除権者が、自己の行為(故意)または過失によって著しく契約の目的物を毀
損し、もしくは返還しえなくなったとき、または、加工もしくは改造によってこれを他の
種類に変えたときにも、解除権は消滅するとされる(548条1項)。
そのほか、債務の本旨に通った履行または履行の提供、解除権の放棄、権利失効の原則
(最判昭和30・11・22民集9巻12号1781頁→瀬川=内田21事件)によって
も解除権は消滅する。また、解除権行使期間につき明文の定めがある場合に、当該期間が
徒過すると解除権は消滅する(564条・566条2項・637条など)。さらに、判例
は、解除権は、解除権発生事由が生じた時を起算点として、債権と同じく一〇年の消滅時
効(一六七条一項)にかかるとしている(大判大正6・11・14民録23輯956頁)
。
この場合、解除に基づく原状回復請求権については、解除の時から、さらに一〇年の時効
が進行するとしている(大判大正7・4・13民録24輯669頁)。これに対し学説に
は、本来の債務が時効消滅したのに解除権だけが残るのはおかしいから、解除権について
とくに消滅時効を考える余地はないとの説、解除権も消滅時効にかかるが、解除権の存続
中に原状回復等をも請求しなければならないとする説がある。
- 115 -
【重要論点18】
【付随的義務の違反と解除の可否】
判例は、「当事者の一方が契約をなした主なる目的の達成に必須的でない附随的義務の
履行を怠ったにすぎない場合には、特段の事情がないかぎり、相手方は、その義務の不履
行を理由として当該契約を解除することができない」とするが(最判昭和36・11・2
1民集15巻10号2507頁)、たとえば、土地の売買契約に、代金完済までは買主は
右土地上に建物等を築造しない旨の付随約款が付せられていたが買主がこれに違背したと
いう場合について、「該約款が契約綿結の目的に必要不可欠ではないが、その不履行が契
約目的達成に重大な影響があるときは、売主は約款の不履行を理由に売買契約を解除でき
る」としている(最判昭和43・2・23民集22巻2号281頁→奥田ほか69事件)
。
【重要論点19】
【密接する複数契約のうちの一契約の不履行と他の契約の解除の可否】
同一当事者間でリゾートマンション売買とスポーツ会員権契約とが密接に結びつけられ
たものとして締結されたが、スポーツクラブの施設として建設されることとなっていた室
内温水プールの完成が遅延し着工されない状態にある場合、買主は会員権契約のみならず
マンション売買契約をも解除し既払いの売買代金、入会預託金等の返還を求めることがで
きるであろうか。こうした事案につき、最高裁は、「同一当事者間の債権債務関係がその
形式は甲契約及び乙契約といった二個以上の契約からなる場合であっても、その目的とす
るところが相互に密接に関連付けられていて、社会通念上、甲契約又は乙契約のいずれか
が履行されるだけでは契約を締結した目的が全体として達成されないと認められる場合に
は、甲契約上の債務の不履行を理由に、その債権者が法定解除権の行使として甲契約と併
せて乙契約をも解除することができるものと解するのが相当である」、という考え方を示
し、結論的にも買主の請求を認容している(最判平成8・11・12民集50巻10号2
673頁→瀬川=内田20事件、星野ほか45事件、奥田ほか70事件)
。
【重要論点20】
【継続的契約における債務不履行と解除】
継続的契約の場合についても、判例(たとえば、最判昭和35・6・28民集14巻8
号1547頁)・通説は、(とりわけ借地・借家など「生存権的な継続的契約」について
は信頼関係破壊法理などの展開によりそのままではないとしても)民法541条(ないし
543条)の適用があるものと解しているが、これに対しては、民法628条、663条
2項などの趣旨を類推し、債務不履行によって個々の契約の基礎をなす信頼関係が破壊さ
れた場合に解約告知を認むべきであるとする適用否認説(これが催告を常に不要であると
しているわけではない)も有力である。
【参考 契約解除関連重要判例」
①大判大正14・2・19民集4巻64頁(逐次供給契約における全部解除の可否)
XはYに毛糸を売却し、4、5、6、7月の4回に分け、4分の1ずつを代金と引換え
に引き渡すこととし、4月分の引渡と代金の支払がなされたが、5月分以降についてはY
が受領しないとしてXは残部につき契約解除し損害賠償を求めたが、これに対しYはXが
引渡をしないので契約全部の解除を主張し既払代金の返還を反訴として求めたという事案
について、「売主力逐次供給契約ノ一部ヲ履行セサル場合二於テハ買主ハ其ノ履行アリタ
- 116 -
ル部分二付供給契約トシテ何等ノ利益ヲ有セサルトキニ限リ契約ノ全部ヲ解除スルコトヲ
得ルモノトス」。
②最判昭和27・4・25民集6巻4号451頁(信頼関係破壊法理)
Xから家屋を賃借したYは不在勝ちであり、妻は昼間はほとんど在宅せず、留守中の男
子が建具類を破壊しても放置し、建具類を燃料代りに焼却し、便所が使用不能になれば裏
口マンホールで用便し、室内も掃除せず塵芥の堆積するにまかせて不潔極まりない状態に
おいたため、Xが破損個所の修理方の催告および条件付解除の意思表示をし、これに基づ
き家屋明渡請求をしたのに対し、Yが催告期間が短かすぎるなどと主張した事案について、
「賃貸借は当事者相互の信頼関係を基礎とする継続的契約であるから、賃貸借の継続中に、
当事者の一方に、その義務に違反し信頼関係を裏切って、賃貸借関係の継続を著しく困難
ならしめるような不信行為のあった場合には、相手方は、民法第541条所定の催告を要
せず、賃貸借を将来に向って解除することができるものと解すべきである」→瀬川=内田
61事件、奥田ほか68事件。
③大判大正6・12・27民録23輯2262頁(契約解除の効果)
未登記建物の売買契約が解除された後に、これに居住していた買主Aの債権者Yが右建
物について競売申立をし、競落し、これを取り壊したので、売主XがYを相手に損害賠償
を求めたところ、Yが解除によって当然に物権が復帰するものではないから競落、取り壊
しは不法でないと主張したという事案について、「然れども、特定物を目的とする売買に
於いても即時に其所有権を移転する場合に於いては、共売買契約即ち所有権を移転するこ
とを約する意思表示に因り其目的たる所有権は契約と同時に買主に移転するものなるを以
て、その特定物を目的とする売買契約を解除したる場合に於いては、契約の解除は当事者
間に契約なかりしと同一の効果を生ぜしめ、換言すれば当事者間に成立したる権利関係を
消滅せしむるものなるが故に、売買契約解除当然の効果として買主は所有権取得したるこ
となきものと見傲さるべく、
所有権は当然売主に帰属するに至るものと解すべきものとす。
而して、契約解除後に於いて当事者が各自相手方をして原状に回復せしむるの義務は、解
除の効果を全うせしむる為に負担する債務なるを以て、此義務あるが為に売買契約解除後
特別なる所有権移転の意思表示なくんば売主に於いて其所有権を取得することなしと解す
べきものにあらず」
。
④最判昭和51・2・13民集30巻1号1頁
中古自動車販売業者Yから自動車を買い受けたXが代金全額を支払って引渡を受けこれ
を利用していたが、その1年後にA会社より留保所有権に基づき右自動車を引き揚げられ
てしまったので、民法561条に基づき契約を解除し、Yに対し既払代金の返還を求めた
という事案につき、「売買契約が解除された場合に、目的物の引渡を受けていた買主は、
原状回復義務の内容として、解除までの間目的物を使用したことによる利益を売主に返還
すべき義務を負うものであり、この理は、他人の権利の売買契約において、売主が目的物
の所有権を取得して買主に移転することができず、民法561条の規定により該契約が解
除された場合についても同様であると解すべきである」→瀬川=内田30事件、奥田ほか
73事件。
- 117 -
2 契約各論
詳細資料(拙著『基本民法学Ⅱ』1992 年版
206 頁∼ 291 頁
(第2章ー14章)
1
贈与
第1節 贈与の意義
贈与は、当事者の一方(贈与者)が、自己の財産権を、無償で、相手方(受贈者)に与
える、片務・無償・諾成の契約である(549条)
。
贈与は、親族間のほか特別の関係のある者の間で、あるいは社会公共に対して(たとえ
ば、宗教・教育・慈善団体への寄付として)、一般には、贈与者の受贈者に対する愛情、
好意、感謝等を伴って、あるいは交誼の維持をのぞんで、広く行われているが、有償行為
による財産権の移転が基本であるわれわれの社会で、その有する社会的意義はそれほど大
きいとはいいがたい。
第2節 贈与の成立
1 諾成契約性
わが民法は、贈与は、両当事者の無方式の合意(当事者の一方の自己の財産を無償で相手
方に与える意思の表示、相手方の受諾)のみによって有効に成立するとしている(ちなみ
に、諸外国の立法例においては、要式行為とされることが少なくないードイツ民法518
条、フランス民法931条など)。
なお、他人の物の贈与も、(異論はあるものの )、債権契約として有効であると解され
ている(最判昭和44・1・31判時552号50頁)。
2 書面によらぎる贈与
しかし、書面によらない贈与は、その履行が終わらないうちは、これを各当事者(とり
わけ贈与者)においてなんらの理由なしに自由に撤回することができるとされている(5
50条)
。この規定の趣旨は、贈与の意思を明確にするとともに、軽率な贈与をいましめ、
ひいては紛争の発生を防止することにあるといわれている。
ところで、ここでいう書面であるが、必ずしも贈与契約書でなくともよく、贈与者の贈
与意思が受贈者に対する関係において示されている書面であればよいとされる。
また、書面によらない贈与も、その履行が終わってしまえば、(その部分につき)もは
やこれを撤回することはできない。ここでいう履行は、贈与の意思を明確に表わす程度の
ものでよく、不動産の贈与の場合、引渡か登記の一方が済んでいれば、ここにいう履行は
終了していると認められる(もっとも、農地については、知事の許可があるまでは、引渡
後でも取り消しうるものとされているー最判昭和41・10・7民集20巻8号1597
頁)。動産の贈与の場合は、引渡があれば履行が終ったものとされる。
なお、書面による贈与にあっても、受贈者により贈与者に対する忘恩行為がなされたと
き、あるいは契約後贈与者の経済状態が著しく悪化したときには、贈与者は、未履行の場
合に限り(あるいは、履行後であっても)、信義則により、当該贈与を撤回できるという
考え方がある(新潟地判昭和46・11・12判時664号70頁、大阪地判平成元・4
・20判時1326号139頁など参照。さらに、受遺欠格に関する965条・891条
参照。なお、当該贈与を負担付贈与と認定したうえで、負担である義務の履行を怠るとき
は解除の規定を準用して契約を解除しうるものとした最判昭和53・2・17判夕360
- 118 -
号143頁→奥田ほか75事件がある)。
【重要論点16】
【550条の書面といえるかの判断】
書面性が争われた事案をいくつかみておこう。たとえば、売買契約書でも、他の証拠か
ら無償譲渡であることが証明されればそれでよく(大判大正3・12・25民録20輯1
178頁)、贈与者と受贈者の連名で県知事宛に提出した農地転用許可申請書も、本条の
「書面」にあたるとされる(最判昭和37・4・26民集16巻4号1002頁)。しか
し、部落への功労者に功労金を与えるために予算を計上したが、その議決をした村の議事
録は、
「書面」とはいえないとされた(大判昭和13・12・8民集17巻2299頁)
。
なお、比較的最近のものとして、贈与者が贈与目的物たる土地の前主に対し土地を受贈者
に譲渡したから所有権移転登記手続は同人になされたいという記載のある書面を司法書士
に依頼して作成させ前主に対して内容証明郵便で送付させていた場合につき、書面とみた
最高裁判例がある(最判昭和60・11・29民集39巻7号1719頁→瀬川=内田2
2事件・、星野ほか46事件)。
【重要論点17】
【履行が終わったということを要件事実論的に考えてみよう】
Xは、Yに対して贈与契約に基づき目的マンションの所有権移転登記をなすべき旨訴求
する。訴訟物は債権的登記請求権としての所有権移転登記請求権である。訴状において、
Xは、請求原因として、XとYとの間において贈与契約が締結されたと主張する。
これに対し、これに応じたくないYは、(請求原因事実の認否として贈与契約は締結さ
れてなどいないと抗うのに加えて、)「抗弁」として右贈与を取り消すと主張する。これ
を受けて、Xは、「再抗弁」として、①該贈与は書面による贈与であって、撤回すること
はできない、②仮に書面によらない贈与であるとしても、すでに引渡しが済んでおり履行
が終わっているから撤回はできないと主張する(大江忠『要件事実民法(中)』における
550条解説を参照)。最髙裁昭和40年3月26日判決(民集19巻2号526頁→瀬
川=内田23事件・奥田ほか74事件)のような考え方によれば、②の再抗弁を容れて、
Xの請求を認容するであろう。
【重要判例】
①
Aの相続人であるXらから問題の土地の所有権移転登記の抹消登記を求められたY
が、抗弁としてAからYに贈与がなされたと主張したのに対し、XらがAより相続した書
面によらない贈与の取消(撤回)権を再抗弁として主張したという事案について、「民法
550条が書面によらない贈与を取消しうるものとした趣旨は、贈与者が軽率に贈与する
ことを予防し、かつ、贈与の意思を明確にすることを期するためであるから、贈与が書面
によってされたといえるためには、贈与の意思表示自体が書面によつていることを必要と
しないことはもちろん、書面が贈与の当事者間で作成されたこと、又は書面に無償の趣旨
の文言が記載されていることも必要とせず、書面に贈与がされたことを確実に看取しうる
程度の記載があれば足りるものと解すべきである。これを本件についてみるに、原審の適
法に確定した事実によれば、Xらの被相続人である亡Aは、昭和42年4月3日Yに岡崎
- 119 -
市某町字某二番六宅地165・60平方メートルを贈与したが、前主であるBからまだ所
有権移転登記を経由していなかつたことから、Yに対し贈与に基づく所有権移転登記をす
ることができなかったため、同日のうちに、司法書士Cに依頼して、右土地をYに譲渡し
たからBからYに対し直接所有権移転登記をするよう求めたB宛ての内容証明郵便による
書面を作成し、これを差し出した、というのであり、右の書面は、単なる第三者に宛てた
書面ではなく、贈与の履行を目的として、亡Aに所有権移転登記義務を負うBに対し、中
間者である亡Aを省略して直接Yに所有権移転登記をすることについて、同意し、かつ、
指図した書面であって、その作成の動機・経緯、方式及び記載文言に照らして考えるなら
ば、贈与者である亡Aの慎重な意思決定に基づいて作成され、かつ、贈与の意思を確実に
看取しうる書面というのに欠けるところはなく、民法550条にいう書面に当たるものと
解するのが相当である。論旨は、右と異なる見解に基づき原判決の違法をいうか、又は原
審の認定にそわない事実を前提として原判決を非難するものにすぎず、採用することがで
きない。」
②大阪地判平成元・4・20判時1326号139頁・判タ705号177頁
Xが娘の夫であったYに修学のために贈与した金員につき、忘恩を理由として贈与を撤
回しその金員の返還を求めたという事案について「贈与が親族間の情誼関係に基づきなさ
れたにもかかわらず、右情誼関係が贈与者の責に帰すべき事由によらずして破綻消滅し、
右贈与の効果をそのまま維持存続させることが諸般の事情からみて信義則上不当と認めら
れる場合には、贈与の撤回ができると解するのが相当である。これを本件についてみるに、
前記贈与の基礎となっていた情誼関係が、Yの一方的な背信行為によって完全に破綻消滅
し、しかも、大学在学中の六年間にわたり贈与を受けていたYは、歯科医師試験に合格し、
Xの経済的援助が不要になるや否や、不貞の事実を明らかにしA(Xの娘)に対し離婚を
申し出て娘の幸福のためYの合格を待ち望んでいたXとの間の右情誼関係を破壊したもの
であることなど諸般の事情を考慮すれば、本件贈与の効力をそのまま存続せしめることは
信義則上認めることができず,Xに贈与の撤回権を与えるべきである。それゆえ、Yは現
存利益を不当に利得するものであって、本件で贈与された金員はいずれも生活費ないし学
費に費消されたものであるから、その全額が現存利益であると考えられるので、Yは、本
件贈与を受けた七五八万一〇〇〇円並びに撤回権行使の日の翌日である昭和六三年一〇月
二八日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を支払う義務を負う。
」
第3節 贈与の効力
贈与者は、債務の本旨に従って、目的たる財産権を受贈者に移転すべき義務を負う。す
なわち、目的物の引渡・登記の移転など受贈者に対抗要件を具備せしめるのに必要な行為
などをしなければならない。
贈与の目的たる物または権利に瑕疵または欠缺があっても、贈与者は、原則として、担
保責任を負わない。
有償契約におけると同じ責任を負わせることは妥当でないからである。
すなわち、贈与者が瑕疵または欠缺を知りながら受贈者に告げなかったときに限り、贈与
者は、受贈者において瑕疵または欠缺がないことを信頼したことによって生じた損害を賠
償する義務を負うにとどまるのである(551条1項)。
第4節 特殊な贈与
- 120 -
特殊な贈与として、定期贈与、負担附贈与、死因贈与がある。
(1)定期贈与
定期に一定の給付をなすべき贈与は定期贈与とよばれ、当事者の一方
の死亡によって失効するものとされている(552条)。存続期間の定めがあるなど特約
があればこれによるこというまでもない。
(2)負担付贈与
受贈者が、目的物を一定の目的のために使用するなど、贈与の価値
を減じあるいは制限する一定の給付を負担する贈与をいう。負担付贈与も無償契約である
が、負担の限度では実質的に有償契約と類似の関係が生ずるので、贈与者はその限度で担
保責任を負う(551条2項)。また、双務契約に関する規定が準用される(553条)
。
(3)死因贈与
贈与者の死亡によって効力を生ずる贈与を死因贈与という。契約である
点で、単独行為たる遺贈とは異なるが、ともに贈与者の死亡により効力を生ずる点におい
て共通しているので、死因贈与には、遺言能力・方式の規定などを除き(最判昭和32・
5・21民集11巻5号732頁参照)、遺贈に関する規定が準用される(554条)。
2
売買
第1節 売買の意義
売買は、当事者の一方(売主)が、財産権を相手方(買主)に移転することを約し、こ
れに対し、相手方が代金の支払を約する、有償・双務・諾成の契約である(555条)。
売買は、商品交換を基礎とする資本制社会において、財貨の生産・分配を媒介するもの
として、私法上の契約のうちでも最も頻繁に行われ、最も重要な機能を果たしている契約
であるといえる。
売買の目的となるのは、ひろく財産権であって、有体物(の所有権)のみならず、債権
や無体財産権もこれに含まれる。企業や営業が一体として売買の客体とされることもある。
将来生ずる財産権、他人の財産権の売買も有効に成立しうる。
売買も、原則的には、契約自由の原則のもとにおかれ、民法は、主として特定物売買を
念頭においた(したがって当事者、目的その他に応じて多様性を示す実際の売買取引に必
ずしも即応しない抽象的な)、任意規定をもつにとどまるが(なお商事売買については、
商法524条以下参照)、資本主義の高度化の中で、自由競争の維持・消費者保護など様
々な観点から、価格その他の取引内容、取引方法を規制し契約の自由を制限する特別法が
あらわれるにいたっている(たとえば、物価統制令、私的独占の禁止及び公正取引の確保
に関する法律、割賦販売法、宅地建物取引業法など)
。
なお、売買は有償契約の典型とされ、民法の売買に関する規定は、売買以外の有償契約
にも、契約の性質がこれを許す限りにおいて、準用される(559条)。たとえば、予約、
手附、契約費用の負担に関する規定は、すべての有償契約に準用されうる。他人の物の売
買における売主の義務を定めた規定は、交換、賃貸借、所有権、債権等の移転を内容とす
る和解に準用されうる。担保責任に関する規定は、雇傭、委任を除くその他の有償契約に
広く準用されうるが、各契約において特則も存在する(590条1項・634条∼640
条・666条)。
第2節 売買の成立
1 諾成契約
売買は、諾成契約とされており、特約なき限り、両当事者間に財産権移転と代金支払に
- 121 -
ついて意思の合致があれば成立する。
2 売買の予約
将来売買契約(本契約)を結ぶことを約する契約を、売買の予約という。これによって
当事者は、本契約の申込に対し承諾すべき義務を負うことになるが、この義務が双方に生
ずるものを双方の予約、一方のみに生ずるものを一方の予約という。民法がとくに規定す
るのは、後者についてであって、この場合には、承諾すべき義務を負う者(予約義務者)
の相手方(予約権利者)が、売買を完結する旨の意思表示をするだけで(予約義務者の承
諾なしに)本契約は効力を生ずるものとしている(556条1項)。予約権利者のかよう
な権利を、予約完結権という。この予約完結権は行便期間に定めがあるときは、期間終了
時に消滅するが、その定めがないときは、消滅時効(167条1項)にかかるまで存続す
ることになり、予約義務者を長年月にわたり不安定な地位におくことになる。そこで、予
約義務者に催告権を認め、相当期間をもって催告をしたが催告期間内に予約完結権が行使
されないときには、完結権は消滅するものとした
(556条2項)。
なお、売買の予約は、債権担保のために行われることが少なくない。
3 手付
手付とは、契約締結に際し、当事者の一方(一般には買主から相手方に対して交付され
る金銭(その他の有価物)であって、単なる代金の一部支払(内金)をこえた意味をあた
えられたものである。手付には、①契約の成立の証拠として交付される証約手付、②一方
が債務を履行しない場合の違約罰(違約金)あるいは損害賠償額の予定として交付される
違約手付、③約定解除権を留保する意思で交付される解約手付があるとされる。これらの
うちのいずれであるかは、当事者の意思解釈によらざるをえない。民法は、売買に際し手
付が交付されたときは、当事者の一方が履行に着手するまでは、買主は手付を放棄し(手
付流し)、売主はその倍額を償還して(手付倍戻し)契約を解除しうると規定し、手付を
解約手付と推定している(557条)
。
なお、手付が授受された以上、少なくとも契約成立の証拠としての効力はもちうるから、
ひとつの手付が右の一以上の効力を併せもつということもありうる。もっとも、一つの手
付が契約の拘束力を強めようとの趣旨で授受される違約手付であると同時に、拘束力を弱
める結果となる解約手付でもあると認めうるかについては争いがある。判例は肯定する
(最
判昭和24・10・4民集3巻10号437頁→瀬川=内田25事件、奥田ほか76事件、
星野ほか47事件)
。
解約手付についてとくに問題となるのは、履行に着手するまでは契約を解除しうるとさ
れていることとの関わりで履行の着手とはどういうことをさすのかである。この点につき
判例は、「債務の内容たる給付の実行に着手することすなわち客観的に外部から認識し得
るような形で履行行為の一部をなしまたは履行の提供をするために欠くことのできない前
提行為をしたことを指す」、と緩やかに解している(最大判昭和40・11・24民集1
9巻8号2019頁→瀬川=内田26事件、奥田ほか77事件)。着手の有無の判断に際
しては、当該行為の態様、債務の内容、履行期限が定められた趣旨・目的など諸般の事情
を総合勘案すべきものとされる(最判平成5・3・16民集47巻4号3005頁→星野
ほか48事件)。
4
売買の費用
- 122 -
目的物の評価、証書作成などに要する費用、すなわち売買契約に関する費用は、特約な
き限り、当事者双方が平分して負担すべきものとされる(558条)。もっとも、不動産
売買における移転登記のための費用など、債務の弁済の費用というべきものは、特約なき
限り、債務者(この例では、売主)が負担すべきものとされている(485条)
。しかし、
いずれについても特約ないし慣行により買主が全部負担する場合が多いといわれる。
【重要論点18】
【現実売買】
店頭での現金売買のごとく契約と同時に目的物と代金とを交換してしまう売買、すなわ
ち現実売買については、これが債権契約といえるか(物権契約というべきではないのか)
が争われたが、現在では、債権契約として、担保責任や完全履行責任の規定が通用されう
ると解する説が支配的である。
【重要論点19】
【履行の着手とは具体的にはどういうことをさすのか】
たとえば、他人の物の売買における売主が、他人からそれを取得し、買主に譲渡する前
提として売主名義に所有権移転登記をなしている場合には、買主は、もはや手付を放棄し
て解除をすることはできないとされる(前掲最判昭和40・11・24)。買主が履行期
前に契約面積確定のために自己の負担で土地の測量をし残代金の準備をし口頭の提供をし
た上で売主に対し履行の催告をした場合であっても、売主が移転先を探すために履行期を
1年9か月先としたという事情が認められ、測量・催告等は履行期までなお相当な期間が
ある時点でなされたことからして、未だ履行に着手したとはいえず売主の解除は許される
としたものがある(前掲最判平成5・3・16)。なお、自分の方は履行に着手していた
としても相手方が履行に着手していない限り解除権を行使しうるとされる(前掲最判昭和
40・11・24)
。
第3節 売買の効力
1 売主の義務
(1)財産権移転義務
売買契約が有効に成立すると、売主には、その目的である財産権
を買主に完全に移転し、かつ、買主がこの財産権を完全に行使しうるために必要な一切の
行為をなすべき義務が生ずる。たとえば、物の売主は、目的物を買主に引き渡し、対抗要
件が必要なものについては、
その具備への協力をしなければならない(177条など参照)。
農地の売買にあっては、知事への許可申請に協力をし(農地3条・5条参照)、賃借権の
売買にあっては、賃貸人の承諾(612条参照)を得なければならない。登記済証、債権
証書など売買の目的物が売主に属することを証明する証書がある場合には、これも買主に
交付しなければならない。なお、引渡までの目的物の保管義務、履行の時期・場所などに
ついては、特約なき限り、債権総則の定める一般則に従うべきことはいうまでもない(4
00条・412条・484条)。
なお、売買の目的物から生じた果実について、575条1項は(89条の規定にもかか
わらず)、売主は目的物の引渡の時まではこれを収取しうるものとしているが、これは、
反面で、買主は目的物の引渡を受けたときから代金の利息を支払えば足るとした同条2項
- 123 -
の規定と相侯って(果実を収取する利益と目的物を管理する費用との差額を代金の利息に
等しいとみて)、両当事者間の権利関係の簡便な処理を図ったものであるとされる。
(2)担保責任
(イ)概説
民法は、売買の目的について権利または物の瑕疵がある場合に、故意・過失
を問題としないで、売主に一定の責任を負わせている(560条∼572条)。これを売
主の担保責任という。その内容は以下のごとくである。なお、担保責任につき、これを売
主が負わない旨の特約は、公序良俗に反しない限り有効であるが、知りて告げざる事実お
よび自ら第三者のために設定しまたは譲り渡した権利については、免責されない(572
条)。
①権利に瑕疵ある場合の責任
買主が完全な財産権を取得しえない以下の各場合において、売主に担保責任が生ずる。
a)権利の全部が他人に属する場合
他人の権利を目的とする売買契約も有効であるが
(560条)、売主がそれを他人から取得して、買主に移転することができなかったとい
う場合には、買主は、善意・悪意を問わず、契約の解除をすることができる。善意の買主
は、損害賠償を請求することもできる。これら権利の行使については除斥期間の制限はな
い。
なお、善意の売主にも解除権が認められている(562条)。
b)権利の一部が他人に属する場合
買主は、善意・悪意を問わず、権利の不足部分に
相当する代金減額請求(一部解除)ができる(563条1項)。善意買主は、移転できる
部分だけであったなら買わなかったであろうという事情があれば、契約の全部を解除する
ことができる(同条2項)。善意買主には(代金減額請求あるいは契約解除とともに)損
害賠償請求も認められる(同条3項)。なお、これらの権利は、買主善意のときには事実
を知ったときから、
悪意のときには契約のときから1年内に行使しなければならない (5
64条 )。この期間は、判例(大判昭和10・11・9民集14巻1899頁など)・通
説により除斥期間と解されている。
c)数量不足または一部減失の場合
数量を指示してなした売買(数量指示売買。「当
事者において目的物の実際に有する数量を確保するために、その一定の面積、容積、重量、
員数、又は尺度があることを売主が契約において表示し、かつこの数量を基礎として代金
額が定められた場合をいうというのが判例であるー最判昭和43・8・20民集22巻8
号1692頁、最判平成13・11・22判時1772号49頁→瀬川=内田32・33
事件)において数量不足がある場合および物の一部が契約当時既に滅失していた場合にお
いては、売主は、善意の買主に対して、563条・564条の規定に準じて、担保責任を
負う(565条)。すなわち、善意の買主は、代金減額請求権および損害賠償請求権をも
つ。残余の権利のみでは契約の目的を達しえないときには、契約解除権が認められる。こ
れらの権利行使については、期間の制限がある。しかし、権利の一部が他人に属する場合
とは異なり、悪意の買主には、何らの権利も認められていない。なお、数量超過の場合に
つき、(代金を追加して支払うという当事者間の合意の存否を問わず)565条から直ち
に(すなわち類推適用によって)代金増額請求を認めることはできないと解する判例があ
る(最判平成13・11・27民集55巻6号1380頁→瀬川=内田34事件)
。
d)目的物につき用益権など占有を伴う第三者の権利による制限がある場合
- 124 -
売買の目
的物に第三者の、対抗力を有する、地上権、賃借権、質権などが存在すると、買主の使用
収益が害されることになる。かかる場合には、善意の買主に限り、常に損害賠償請求をな
すことが認められ、用益権等による制限があるために契約の目的を達することができない
ときには、契約の解除をなすことも併せ認められる(566条1項、2項後段)。また、
売買の目的たる不動産のために存すると称せられた地役権が存在しない場合には、目的物
の利益価値がそれだけ減少するわけであるから、売主は右と同様の責任を負うとされる
(同
条2項前段)。右のいずれにあっても、善意買主に認められる権利は、買主が事実を知っ
た時から1年内に行使しなければならない(同条3項)。
e)目的物に担保権による制限がある場合 売買の目的不動産に抵当権その他の担保権
が付着している場合に、当該担保権の実行によって買主が所有権を失ったときは、買主は、
その善意・悪意を問わず、契約を解除することができ、さらに損害賠償を求めることもで
き(567条1項、3項)、買主が、抵当権消滅請求などの方法により、出捐して所有権
を保存したときは、売主に対し、その出捐の償還および損害賠償を求めることができる(同
条2項、3項)。なお、本条は、広く担保権の対象となる権利の売買一般に通用されると
解されている。当事者間で、時価から被担保債権額を引いたものを代金額としているとき
は、本条の責任は生じないとみられる。
②物に隠れた瑕疵のある場合の責任(瑕疵担保責任)
売買の目的物に、買主が取引上一般に要求される程度の注意をもってしても発見できな
いような(大判昭和3・12・12民集7巻1072頁参照)なんらかの瑕疵(「隠レタ
ル瑕疵」)がある場合には、買主は、目的物に用益権等による制限がある場合と同様の担
保責任を売主に追及することができる(570条・566条)。ここで、瑕疵とは、売買
の目的物たる家屋が白蟻の被害でいたんでいた、交流130馬力の中古電動機が実際には
たかだか半分ほどの馬力しか示さないというように、売買の目的物とされたものが契約成
立時にすでに、通常有すべき品質・性能を備えないことをいう。具体的には当該契約の趣
旨にてらし、当該契約の行われた取引社会が前提としている程度の品質・性能を基準とし
て判断されることとなる。しかし、売主が一定の品質・性能を備えることを見本や広告に
より保証した場合には、その品質・性能を基準とする(大判大正15・5・24民集5巻
433頁参照)。かかる瑕疵がある場合には、善意の買主は、常に、損害賠償の請求をす
ることができる。瑕疵が、そのために契約の目的を達しえないほどの重大なものである場
合には、契約解除をすることも認められる。これらの権利行使についても瑕疵があること
を知ってから1年という期間の制限がある。なお、瑕疵担保による損害賠償請求権につい
て、除斥期間の定めがあっても民法167条の適用はあるとして、買主が売買目的物の引
渡しを受けた時を起算点とする10年の消滅時効期間が経過しているとした判例がある
(最判平成13・11・27民集55巻6号1311頁ー売買契約を結んでから21年後
の改築に際して売買目的土地の一部に道路位置指定があることを知った買主が損害賠償を
求めた事案に関する→瀬川=内田40事件)
。
(ロ)担保責任の性質・通用範囲
ところで、とりわけこの瑕疵担保責任をめぐって、担
保責任は特定物売買についてのみ通用されるのか、不特定物売買についても通用されうる
のか、について学説上争いがある。議論の対立点は、理論的には、瑕疵担保責任を法定責
任とみるか、債務不履行責任とみるかということに、また実際的には、不特定物売買にお
- 125 -
いて目的物に瑕疵があった場合に、①買主は完全履行(代物請求ないし瑕疵修補)請求権
をもつとすべきか、②買主は、一般の10年の消滅時効(167条1項)にかかるまで、
完全履行請求、損害賠償請求等をなしうるとみるべきか、③損害賠償の範囲について、履
行利益にも及ぶとみるべきか、信頼利益の賠償にとどまるとすべきか、といったことにあ
る。
従来の通説によれば、瑕疵担保責任は特定物売買にのみ適用があり、不特定物売買につ
いてはもっぱら債務不履行の一種である不完全履行責任が問題となるとされる。すなわち、
特定物売買にあっては、売主は、引渡の時の現状にて目的物を引き渡せば債務を履行した
ことになるので(400条・483条)、たとえ目的物に隠れた欠陥があったとしても、
(瑕疵あるがままの給付によって売主の債務は履行されたことになり)売主に債務不履行
責任は生じえないが (契約責任説は、かような理解を「特定物ドグマ」として批判する)
、
他方買主は瑕疵がないことを前提として定められた代金を払わなければならないという不
公正が生ずる。そこで、売買の有償契約たる性質にかんがみ、この不公平を是正し、両者
間の利益を調整するために、無過失の(原始的一部不能に対する)法定の責任として担保
責任がとくに認められているのである。ところが、不特定物売買にあっては、欠陥をもつ
物の給付がなされた場合には、未だ債務の本旨に適った履行がなされたとはいえないので、
もっぱら債務不履行が問題となるから570条の適用の必要はなく、またもしこれを適用
すると、買主に代物請求が認められないことになり、かえって不合理な結果となる、とい
うのである(法定責任説)。これに対して、瑕疵担保責任の性質を法定責任であるとしな
がらも、不特定物売買でも特定後あるいは買主の目的物受領後にはこれを特定物売買と同
視して差し支えないし、こう解さないと、特定物の売買と不特定物売買とで、瑕疵ある目
的物の売主の責任が、たとえばその存続期間などにつきあまりにもかけはなれてしまうこ
とになるとして、不特定物売買についても瑕疵担保責任の適用があるとの説が対立してい
る。判例も、買主が瑕疵の存在を認識した上で目的物を履行として認容して受領した(履
行認容事情が認められる)場合には、不特定物売買にあっても、瑕疵担保責任の適用があ
るとしているといってよかろう。
もっとも、以上の二説のうち、前説は、不特定物売買における買主の完全履行請求権な
どの債務不履行に基づく諸権利の行使期間を、信義則、あるいは566条3項の類推通用
によって、制限するのが妥当であるとするに至り、他方後説も、信義則あるいは取引上の
慣行から、買主に、特定後あるいは目的物受領後においても、完全履行請求権を認めるも
のもあって、右の両説の実質上の差異は小さくなってきているといえる。
ところが、近時、比較法的にみても特定物売買においても売主はやはり瑕疵なきものを
給付する義務を負うとみうること、民法起草者は担保責任を過失責任であると考えていた
こと(こうした理解については法定責任説からの批判がある)などを根拠に、瑕疵担保責
任を債務不履行責任の一態様ととらえる見解(契約責任説)が有力に説かれてきている。
これによれば、瑕疵担保の規定は、目的物に(危険移転の時に)瑕疵がある場合に関する
債務不履行責任の特則として、特定物売買、不特定物売買を問わず適用され、瑕疵担保に
規定なき点については、特定物売買の場合も債務不履行の一般則に従って処理されるべき
であるとされる。この説によれば、不特定物売買のみならず特定物売買にあっても可能な
限り完全履行請求権が認められ、不特定物売買においても、買主に認められる諸権利は、
- 126 -
566条3項の準用により1年内に行使しなければならないとされる。
右の問題に関連して、売主が担保責任として負担することあるべき損害賠償請求権の性
質、範囲をいかに解するかについても争いがある。法定責任説は、これを無過失責任とみ、
その範囲につき、買主が瑕疵がないと信頼したことから生じた損害(信頼利益)の賠償に
限られるとしている(売主に過失があれば、履行利益に及ぶとする説もある)。また、(売
主に過失があれば信頼利益の賠償が認められるが)
約定の代金額と瑕疵ある物としての
(相
場)価格との差額によって決定されるとするものもある(対価的制限説)。さらに、瑕疵
という契約成立前の危険の分配という観点から、担保責任としての損害賠償を代金減額的
なものとしてとらえる説(一般の損害については、民法415条の法理に服するとみる)
もある。
これに対し、近時の有力説たる契約責任説はこれを、無過失責任としつつ(もっともた
とえば、瑕疵惹起損害(拡大損害)あるいはより広く履行利益については、過失があるこ
とを要するとするものがあるが)、その範囲については、通常の債務不履行における損害
賠償と同じである(416条の原則による)とする。判例には、下級審のものながら、信
頼利益説によるものと、買主の負担した対価の範囲に限られるとする対価的制限説による
ものとがみられる(前者の例として、大阪高判昭和35・8・9高民集3巻5号513頁、
後者の例として、東京高判昭和23・7・19高民集1巻2号106頁)
。
2 買主の義務
買主は、代金を支払うべき義務を負う。代金額については約定によるこというまでもな
い。代金の支払時期については、目的物の引渡について期限を定めたときは、代金支払に
ついても同一の期限を定めたものとする(573条)との、代金支払場所については、目
的物の引渡の場所で支払うことを要する(574条)との特則がある。これらの点につき、
特約ないし拠るべき慣習のあるときには、これらに従うことはいうまでもない。なお、売
買の目的物につき権利を主張する者があり、買い受けた権利を失うおそれがある場合や、
買い受けた不動産につき担保権の登記がある場合については、代金の支払を拒むことがで
きるとされる(576条・577条)
。
買主に、目的物を受領する義務があるかは、債権者の受領義務の有無の問題の一環とし
て論じられてきたが、少なくとも買主については、これを積極に解するのが多数説である。
信義則に照らして、引取義務をみとめ、損害賠償請求を認容した判例がある(最判昭和4
6・12・16民集25巻9号1472頁→瀬川=内田=森田『民法判例集
担保物権・
債権総論』70事件、奥田ほか15事件、星野ほか9事件)。契約解除については、債務
者は供託等の措置をとりうるのであって、特段の事由が認められない以上、解除すること
はできないとした例がある(最判昭和40・12・3民集19巻5号2090頁→瀬川=
内田=森田71事件)
。
【重要論点20】
【担保責任規定と錯誤規定の関係】
売買の目的物に契約当時から権利または物の瑕疵があるときは、買主に法律行為の要素
の錯誤があるといえることが多い。そこで、担保責任と錯誤の規定の関係が問題となる。
判例は、古くから、このような場合には、担保責任の規定は排斥されるとしているが(最
- 127 -
判昭和33・6・14民集12巻9号1492頁→瀬川=内田38事件、奥田ほか81事
件、星野ほか52事件も)、学説の多くは、反対に、買主は担保責任のみを主張しうると
解している。
【重要論点21】
【瑕疵担保責任と債務不履行責任との差異】
瑕疵担保責任と債務不履行責任は、現行法上、次の諸点で内容を異にする。第1に、瑕
疵担保責任は無過失責任とされるのに対し、債務不履行責任は過失責任とされる。第2に、
前者では、後者とは異なり、代物請求、瑕疵修補請求がみとめられない。第3に、解除に
あたり、後者では、前者と異なり、相当期間をもってする催告が必要とされる。第4に、
前者では、権利行使について1年という短い期間制限が定められているのに対し、後者で
は、一般の10年の消滅時効による制限があるにすぎない。第5に、損害賠償の範囲につ
いて、前者では、一般に信頼利益の賠償、後者では、履行利益の賠償とされている。
【重要論点22】
【瑕疵担保責任と契約締結上の過失責任との関係】
法定責任説によれば、売主の担保責任が生ずる場合は、原始的(一部)不能が生じてい
るのであるから、担保責任と契約締結上の過失との関係がどうなるかが問題となるが、こ
れについては、①前者は契約が有効であることを、後者は契約が無効であることを各前提
するから、両者は競合しない、②売主の責に帰すべき事由がないときは前者、これがある
ときは後者が生ずるのであるから、両者は競合しない、③両者は競合しうる、など諸説が
存在する。
【重要論点23】
【品質保証】
電気製品等の売買においては、メーカーにより、商品に修補の範囲や期間等を記載した
品質保証書が添付されていることが一般的である。メーカーと消費者との間に売買契約関
係があるわけではないので、これを瑕疵担保責任(ないしは債務不履行責任)についての
特約とみることはできないが、これによって右両者間に直接の品質保証契約ないし履行担
保契約が結ばれているとみることができ、消費者は直接メーカーに瑕疵修補等を求めるこ
とができるのである。
また、このような保証書の交付がなされていない場合も含めて、瑕疵から拡大損害が生
じた場合に、消費者が、不法行為責任によりうることは勿論であるが、(立証責任、期間
制限などの点で消費者にとりより有利であると一般に考えられる)契約上(ないしは契約
類似)の責任をメーカーに対して問いうるものと解すべきではないか(債権者代位説、黙
示的保証説、ディーラー履行補助者説など)ということも問題とされている(→製造物責
任)。
【重要論点24】
【564条・566条3項の期間の性質・権利保存の方法】
判例は、これらの期間を除斥期間であると解している。そして権利保存につき、たとえ
ば、権利の一部が他人に属する場合の代金減額請求が564条所定の期間内に裁判外でな
されている場合について、請求はこれにより効力を生じ、訴えを提起せずしてこの期間を
経過しても減額による代金の返還請求権はこれにより消滅するものでないとしている(大
- 128 -
判昭和10・11・9民集14巻1899頁)。また、物に瑕疵ある場合における損害賠
償請求つき、566条3項所定の期間内に担保責任を問う意思を裁判外で明確に告げるこ
とで損害賠償請求権は保存される(裁判上の権利行使までの必要はない)という(最判平
成4・10・20民集46巻7号1129頁→瀬川=内田39事件)。この点、学説には
これでは早期に権利関係を確定しようとした立法趣旨が没却されるとして反対するものが
多い。これには、除斥期間内に訴えを提起すべきとする説、除斥期間内に訴えの提起をす
べきとしつつも停止・中断規定の類推適用を認める説、これらの期間を損害賠償請求権、
解除の結果生ずる原状回復請求権の短期消滅時効期間とする説などがある。
第4節 特殊な売買
特殊な売買として、買主が支払った代金および契約費用を売主が返還して契約を解除し
うる権能(買戻権)を留保した不動産売買(579条)、代金を何回かに分割して定期的
に支払う特約のついた割賦払約款附売買(割賦販売法参照)、見本と同一の種類・品質な
どを有することを売主が請け合う見本売買、目的物を試したうえで、買主の意に適ったら
買うという試味売買、一定の種類・品質を有する物を継続的に供給する継続供給契約、訪
問販売、通信販売、連鎖販売取引(マルチ商法)等の特殊売買(特定商取引に関する法律
参照)などがみられる。契約の効果などにつき、それぞれの個性をふまえた扱いがなされ
る。そのうちいくつかをここで概観しておくこととしたい。
1 買戻約款付(ないし解除権留保)売買
買戻約款付売買は、売買の予約、再売買の予約、代物弁済の予約、停止条件付代物弁済
等と並んで、一般的には、債権担保の目的で行われているが、民法は、買戻について、そ
の目的物を不動産に限定し、その特約は売買契約と同時にされることを要求し、買戻代金
は、買主の払った代金(すなわち融資額)および契約の費用をこえることができないとし
(以上、579条)、買戻の期間は10年をこえることができない(580条)としてい
るため、実際上多くは利用されてはいない。なお、近時、住宅供給公社のような公営企業
が宅地を分譲するにあたり、買主が一定期間内に住宅を建設しないときのことを慮り、買
戻特約が付せられることがみられる。
2 割賦売買
割賦販売法は、代金を2月以上の期間にわたり、かつ3回以上に分割して受領すること
を条件とする指定商品の販売について、業者に販売条件の表示と書面の交付を義務づけ
(3
条・4条)、営業所以外の場所で売買の申込をし、または売買契約を締結した者は所定の
起算日から8日以内であれば書面により申込の撤回または契約の解除をすることができる
とし(4条の3ークーリング・オフ)、賦払金の支払が滞っても20日以上の相当な期間
を定めて催告をしその期間内に履行されない場合でないと契約の解除等を求めえない
(5条)などとして割賦購入者の保護を図っている。
3 提携ローン販売・割賦購入あっせん
提携ローン販売・割賦購入あっせんは、第三者による消費者に対する信用供与を伴う売
買である、前者は、販売業者Aが、予め提携している金融機関ないしローン会社Cに購入
者Bを紹介し、みずからCのため連帯保証人となってBに購入代金相当額の融資をCから
受けさせて、これを代金に充当して商品をBに引き渡すというものである。Bは、右借入
- 129 -
金につき、Cに対し、一般には分割して、返済することになる。住宅や自動車の売買など
に用いられている。基本的な契約関係は、AとBとの間の売買契約、AとCとの間のロー
ン提携契約、BとCとの間の金銭消費貸借である。
後者は、購入者Bが販売業者Aから商品を購入するに際してAと提携関係にある信販会
社Cが代金を立替払いし、その立替金につきBがCに対して分割ないし一括して返済する
こととなる。これには、個別商品についてなされる個品割賦購入あっせんとCにより発行
されたクレジット・カードを示してBから商品を購入するのに利用される総合割賦購入あ
っせんとがある。基本的な契約関係は、AとBとの間の売買契約、AとCとの間の加盟店
契約、BとCとの立替払契約である。かような取引にあってしばしば問題となるのは、売
買についてたとえば錯誤がある、公序に反する、目的物に瑕疵があるなどその効力が問題
とされるときに、購入者は、売買契約にかかる抗弁を融資者の支払請求に対しても主張し
うるかということである。こうした問題につき、割賦販売法が「指定商品」の販売につき
販売業者に対して生じている事由をもって支払請求をする割賦販売業者に対して対抗する
ことができる(「抗弁の接続」)としている
(割賦30条の4)が、他の場合について
は、信義則などによって個別処理するよりほかない (最判平成2・2・20判時135
4号76頁、大阪地判平成2・8・6判時1382号107頁など参照)
。
【参考 売買関連重要判例】
①大連判大正13・9・24民集3巻440頁(売主の果実収取権)
ⅩがYらに甲土地を売り、履行期より3年遅れて所有権移転登記をなしたがYらが売買
代金を支払わないのでその支払を請求したのに対し、Yらが、その3年間Ⅹは甲土地をA
に小作せしめ小作料を受け取っていたが、これは民法190条によってYらに返還すべき
ものであるから、これと代金とを相殺すると抗弁した事案について、「売主は目的物の引
渡を遅滞したるときと雖も引渡を為す迄は果実を収取することを得べく、買主に於て其代
金の支払を遅滞したるときと雖も、目的物の引渡を受くる迄は利息の支払を為すことを要
せざるものとす」→瀬川=内田44事件、奥田ほか84事件、星野ほか55事件。
②最判昭和41・9・8民集20巻7号2225頁(債務不履行との関係)
ⅩとYとの間でA所有土地につき他人物の売買として契約がなされ代金22万円も支払
われ、その数日後YとA代理人と称するBとの間に右土地につき売買契約が結ばれたが、
Y・A間に契約の効力をめぐり争いが生じ、結局調停においてⅩがAから代金74万余円
で買い受けることとなったため、ⅩがYに対し損害賠償を求めたという事案について、
「他
人の権利を目的とする売買の売主が、その責に帰すべき事由によって、該権利を取得して
これを買主に移転することができない場合には、買主は、売主に対し、民法561条但書
の適用上、担保責任としての損害賠償の請求ができないときでも、なお債務不履行一般の
規定に従って、損害賠償の請求をすることができるものと解するのが相当である」。→瀬
川=内田29事件
③最判昭和49・9・4民集28巻6号269頁(他人の権利の売買と相続)
AはYの所有になる不動産につき、Ⅹからの借入の担保として代物弁済の予約をし、A
の債務不履行によりⅩは右代物弁済予約を完結し、所有権移転登記手続をなしたが、その
後Aが死亡しYらが相続人となって右不動産を占有しているので、ⅩがYらを相手に明渡
- 130 -
請求をしたという事案について、「他人の権利の売主をその権利者が相続し売主としての
履行義務を承継した場合でも、権利者は、信義則に反すると認められるような特別の事情
のないかぎり、右履行義務を拒否することができる(右の法理は、他人の権利を代物弁済
に供した債務者をその権利者が相続した場合においても、ひとしく妥当する)」。→28
事件、瀬川=内田28事件、奥田ほか79事件
④最判昭和57・1・21民集36巻1号72頁(数量指示売買における履行利益の賠
償)
Ⅹは、Yから代金1坪あたり2万円、地積が171坪あるということで342万円とし
て土地を購入したが、約11年経過して後これを実測すると約7坪の不足があることが判
明したので、Yに対し、数量不足がなければ得たであろう利益として該土地の現在の対価、
1坪あたり25万円で計算した損害賠償を求めたという事案について、「土地の売買契約
において、売買の対象である土地の面積が表示された場合でも、その表示が代金額決定の
基礎としてされたにとどまり売買契約の目的を達成するうえで特段の意味を有するもので
ないときは、売主は、当該土地が表示どおりの面積を有していたとすれば買主が得たであ
ろう利益について、その損害を賠償すべき責めを負わないものと解するのが相当である」
。
→瀬川=内田33事件、星野ほか51事件
⑤最判昭和41・4・14民集20巻4号649頁(土地の利用規制と瑕疵)
Yより建物を建てる目的で土地を買い受け、手付金として手形金30万円をYに交付し
たⅩが、その後右土地の大半が都市計画街路の境域内に入っていたことを知り、該売買契
約を解除して右手形金等の支払をYに求めたという事案につき、「買主が原判示規模の居
宅(原判決理由参照)の敷地として使用する目的を表示して買い受けた土地の約八割の部
分が都市計画街路の境域内に存するため、たとえ買主が右居宅を建築しても、早晩、都市
計画事業の実施により、その全部または一部を撤去しなければならない場合において、右
計画街路の公示が、売買契約成立の10数年以前に、告示の形式でなされたものであるた
め、買主において買受土地中の前記部分が右計画街路の境域内に存することを知らなかっ
たことについて過失があるといえないときは、売買の目的物に隠れた瑕疵があると解する
のが相当である」。→瀬川=内田42事件
⑥最判平成3・4・2民集45巻4号349頁(建物および敷地賃借権売買における敷
地の欠陥)
Yから建物と敷地賃借権を買い受けたXが、その敷地の擁壁に水抜き穴が設けられてい
なかったため購入して1年余後台風の大雨で該擁壁に亀裂と傾斜が生じ危険な状態となっ
たことから建物を取り壊し、Yに対し瑕疵担保に基づく契約解除と損害賠償を求めたとい
う事案について、「建物とその敷地の賃借権とが売買の目的とされた場合において、右敷
地についてその賃貸人において修繕義務を負担すべき欠陥が右売買契約当時に存したこと
がその後に判明したとしても、右売買の目的物に隠れた瑕疵があるということはできない。
けだし、右の場合において、建物と共に売買の目的とされたものは、建物の敷地そのもの
ではなく、その賃借権であるところ、敷地の面積の不足、敷地に関する法的規制又は賃貸
借契約における使用方法の制限等の客観的事由によって賃借権が制約を受けて売買の目的
を達することができないときは、建物と共に売買の目的とされた賃借権に瑕疵があると解
する余地があるとしても、賃貸人の修繕義務の履行により補完されるべき敷地の欠陥につ
- 131 -
いては、賃貸人に対してその修繕を請求すべきものであって、右敷地の欠陥をもって賃貸
人に対する債権としての賃借権の欠陥ということはできないから、買主が、売買によって
取得した賃借人たる地位に基づいて、賃貸人に対して、右修繕義務の履行を請求し、ある
いは賃貸借の目的物に隠れた瑕疵があるとして瑕疵担保責任を追求することは格別、売買
の目的物に瑕疵があるということはできないのである。」
⑦最判昭和36・12・15民集15巻11号2852頁(不特定物売買と瑕疵担保規
定の適用の有無)
Yが、Ⅹから放送機械を買い受け、街頭宣伝放送に使用してきたが、音質不良等の故障
が続発し、数回修理をしてもらったが完全には修復せず、結局右契約を解除し代金を支払
わなかったので、Ⅹが代金の支払のために振り出されていた約束手形金の支払をYに求め
たという事案について、「不特定物の売買において給付されたものに瑕疵のあることが受
領後に発見された場合、買主がいわゆる瑕疵担保責任を問うなど、瑕疵の存在を認識した
上で右給付を履行として認容したと認められる事情が存しないかぎり、買主は取替ないし
追完の方法による完全履行の請求権を有し、また、その不完全な給付が売主の責に帰すべ
き事由に基づくときは、債務不履行の一場合として、損害賠償請求権および契約解除権を
も有するものと解すべきである」→瀬川=内田37事件、奥田ほか82事件、星野ほか5
3事件。さらに、商人間のパンティーストッキングの売買に関し瑕疵担保による履行利益
の賠償が問題とされた前掲最判平成4・10・20も参照→ 平成4年度重要判例解説民
法6事件。
3
交換
交換は、互いに金銭以外の財産権を移転しあうことを約する、双務・有償・諾成の契約
である(586条)。歴史的には、売買に先行するものであるが(物物交換)、今日にお
いては、その営む機能は極めて限られており、土地収用における換地、土地改良における
農地の交換分合などにその具体例をみうるにとどまる。
なお、両替は、相互に金銭を移転するものであるから、交換ではなく、一種の無名契約
である。
4
消費貸借
第1節 消費貸借の意義
消費貸借は、当事者の一方(借主)が、他方(貸主)から、一定の金銭その他の代替物
を借り受け、
これと同種・同等・同量の物を返還することを約する契約である(567条)。
他人の物を利用するための契約ということで使用貸借・賃貸借と共通するが、消費貸借の
借主は、目的物の所有権を取得し、これを消費したうえで、同種・同等・同量の別の物を
返還する点で、借りた同一物を返還する使用貸借・賃貸借とは異なる。
消費貸借の目的物は金銭に限られないが、今日もっとも広く行われているのは、金銭を
目的物とする金銭消費貸借である。これは、企業の資金調達のために、あるいは、大衆の
生計の不足の補いのために、頻繁に用いられ、重要な社会的機能を営んでいる。
金銭消費貸借については、とりわけ、暴利行為を排除し、適正な金利を維持するための、
あるいは、合理的な金利で金融を促進し資金を供給するための特別法が数多く存在する。
- 132 -
前者の例として、利息制限法、出資の受入、預り金及び金利等の取締等に関する法律(出
資法)などが、また後者の例として、質屋営業法、信用金庫法などがある。
第2節 消費貸借の成立
1 消費貸借の要物性
民法は、消費貸借の成立のためには単なる合意では足りず、借主が目的物を受け取るこ
とが必要であるとしている。
もっとも、この受取があったというためには、現実の授受がなされたと同一の利益が借
主に与えられればよいと緩やかに解されており、たとえば、金銭の貸借について預金通帳
とその引出のための印章の交付があれば、その時点で消費貸借契約は成立するとされてい
る(大判大正11・10・25民集1巻612頁)。なお、金銭に代えて約束手形が交付
された場合について、判例は、手形割引によって現実に金銭を取得したときに、額面額に
ついて契約が成立するとしている(大判大正14・9・24民集4巻470頁、最判昭和
39・7・7民集18巻6号1049頁)。
さらに、要物性を厳格に考えると、金銭が交付される以前に設定された抵当権、作成さ
れた公正証書の効力に疑問が生ずる。しかし、これらの効力を否定することは取引界の実
情にそわないので、判例は、前者については抵当権の附従性を緩和するという方法で(物
上保証人が抵当権設定登記の抹消などを求めた事案に関する、大判明治38・12・6民
録11輯2853頁)、後者についてはかかる公正証書は目的物授受の時に完成した消費
貸借に因る具体的債務を表示するものであるなどとして(債権者が公正証書に基づき強制
執行したところ、債務者が公正証書の無効を主張して右執行に対して異議の訴を提起した
事案に関する、大判昭和11・6・16民集15巻1125頁→瀬川=内田45事件)、
いずれもその有効性を認めている。すなわち、右のいずれにあっても、判例は、消費貸借
の要物性を維持しつつも、他の構成によって要物性を厳格に解することから生ずる不都合
を回避している。これを裏面からみれば、要物性の緩和が図られているということもでき
よう。
2 諾成的消費貸借の有効性
ところが、学説は、とくに利息付(すなわち有償の)消費貸借については、むしろ端的
に、当事者の合意のみにより成立する、非典型契約としての諾成的消費貸借の有効性を認
めようとしている(なお、判例としては最判昭和48・3・16金融法務683号25頁
参照)。とくに、たとえば利息付で融資するという貸主の約束を信じて借主がこれを資金
として事業の開始準備をしている場合などを考えると、貸主が相当の理由なしにこの約束
を反古にするということは許されるべきでないという意味で、借りたい貸そうという合意
に拘束力を認めない民法の規定は合理性がない以上、契約自由の原則からみてもかかる契
約の有効性は認めてよいこと、民法自身が要物契約には本来なじまないはずの予約を認め
ていること(589条)などがその理由とされる。こう解すれば、目的物交付前に設定さ
れた抵当権の有効性も無理なく説明できることになる。むしろ、587条は、無利息(す
なわち無償の)消費貸借のみに適用があるとする説さえある。
諾成的消費貸借においては、貸主は、契約の成立により目的物を交付すべき債務を負う。
他方借主もまた返還義務を負うが、
貸主が目的物を交付しないで返還を請求する場合には、
借主は、不受領の抗弁権を主張しうると解されている。しかし、貸主が目的物を交付する
- 133 -
まで借主の返還義務は生じないとする説も有力である。
3 消費貸借の予約
民法は、後日本契約たる消費貸借を締結すべき義務を生ずる消費貸借の予約を認めてい
る(589条)。実際には、借主となるべき者が予約上の権利者である場合(貸付予約)
が多いという。
消費貸借の予約は、本契約を締結するために、あらためて合意と目的物の交付が必要と
される点で、諾成的消費貸借とは異なるとするのが通説である。借主となるべき予約権利
者は、予約によって、消費貸借締結のための合意をなすことと目的物を交付することとを
相手方に請求しうべき権利を取得するのである(556条1項は準用されないと解され
る)。なお、予約は利息附消費貸借についてだけ認められるべきであるとの説、あるいは、
少なくとも無利息消費貸借の予約は、贈与の規定を類推適用して、書面によらざる限り、
一方が履行に着手するまではいつでも取り消す
(撤回する)
ことができるとする説な
どが有力に説かれている。
予約の後に当事者の一方が破産したときは、予約はその効力を失うとされる(589条)。
第3節 消費貸借の効力
1 貸主の義務
要物的消費貸借にあっては、契約成立時に既に目的物は交付ずみであるから、貸主は貸
すべき義務を負うことはない。この意味で、典型契約たる消費貸借は片務契約であるとさ
れるのである。
これに対し、諾成的消費貸借にあっては、貸主は貸すべき(目的物を交付すべき)義務
を負うことになる。この場合には双務契約なのである。
また、利息附(すなわち有償)の消費貸借にあって、目的物に瑕疵があるときには、貸
主は瑕疵のないものと取り換える義務を負う。さらに、瑕疵あることによって借主に損害
を与えたときは、その賠償をしなければならないとされる(590条1項)
。これに対し、
無利息(すなわち無償)の消費貸借にあっては、貸主が瑕疵を知っていながらこれを借主
に告げなかった場合に限り、貸主は右と同じ責任を負う(同条2項但書)
。
2 借主の義務
借主は、約定の返還の期日、その他契約が終了した時(この点については、後述ー第4
節)に、受け取った物と種類、品等、数量の同じ物を返還しなければならない。それが不
可能になったときは、その時における物の価額を償還すればよい(592条本文。ただし、
402条2項の場合はこの限りでない)。交付された目的物に瑕疵があった場合には、利
息附消費貸借については規定がないがこの場合も含めて、瑕疵ある物の価額によって返還
してもよい(590条2項本文)。返還の場所については、特約ないし拠るべき慣習なき
ときは、一般則(484条)に従う。
利息附消費貸借においては、借主は、利息を支払うべき義務を負う。利率につき特約な
き場合は、法定利率によることとなる
(404条、商513条1項・514条)
。
ところで、金銭を目的とする消費貸借上の利息については、利息制限法による制限が存
在する。同法は、元本が10万円未満の場合には年2割、10万円以上100万円未満の
場合には年1割8分、100万円以上の場合には年1割5分を、それぞれ超える利率によ
る利息の約定は、その超過部分につき無効とすると定めている(利息1条1項)。貸主が
- 134 -
受ける元本以外の金銭は名目のいかんを問わず利息とみなす他の規定をもって、利率制限
の潜脱を防いでいる(同法3条)。さらに、債務不履行の場合の賠償額の予定についても
右の各制限利率の1.46倍(平成11年改正前は2倍とされていた)を超えてはならな
いとしている(同法4条1項)。なお、制限を超えた利息、賠償予定額を任意に支払って
しまった場合には、その超過支払額について返還請求は許されないという同法の規定(同
法1条2項・4条2項)にもかかわらず、判例は、超過支払額の元本充当(最判昭和39
・11・18民集18巻9号1868頁)のみならず、不当利得に基づく返還請求をも認
めている(最昭和43・11・13民集22巻12号2526頁)
。
さらに、「出資の受入、預り金及び金利等の取締等に関する法律 」(出資法)は、日歩
30銭(年利109・5パーセント)を超える利率による利息を、刑罰をもって、規制し
ている。
【重要論点25】
【出資法・貸金業法による貸金業規制】
いわゆるサラ金問題を直接の契機として、貸金業を規制するために昭和58年に「出資
の受入れ、預り金及び金利等の取締等に関する法律の一部を改正する法律」、「貸金業の
規制等に関する法律」の2法が制定された。前者は、業として金銭の貸付けを行う場合の
処罰金利を、質屋の貸付けなど一定の場合を除き、平年で年利40・004パーセントに
引き下げた(なお、施行後3年は73・0パーセントなどの経過措置がとられた)。さら
に、商工ローン問題を契機に、平成11年の改正によって、現在では29.2パーセント
とされている。後者は、貸金業につき事前登録制を導入し、過剰貸付を禁じ、契約書等の
書面交付義務、店内における契約条件開示義務を課し、不当な債権取立てを抑えるなどし
て業務の規制を図り、加えて、行政庁の監督権限を整備した。なお、本法43条が、債務
者が利息制限法の制限を超える(しかし処罰金利を超えない)利息(「グレーゾーンの利
息」)を「任意」に支払った場合には、貸金業者が契約書面および受取証書の交付義務を
履行しているなど一定の要件の下(預金口座への振込による場合でも受取証書の交付を必
要とするというのが判例であるー最判平成11・1・21民集53巻1号98頁→星野ほ
か57事件)にではあるが、(前掲最高裁昭和43年11月13日判決の趣旨に反して)
その支払いを「有効な利息の債務の弁済とみなす」こととしていること(だからといって、
超過部分の金利の契約自体が無効であることに変わりはないのであるから、たとえばその
部分について、貸金業者が支払いを訴求することまでもできるというのでないこともちろ
んである)にはとくに留意したい。
第4節 消費貸借の終了
消費貸借は、継続的契約関係であって終了が問題となる。これは別の面からみると、借
主の返還債務についての弁済期の問題でもある。
1 返還時期の定めある場合
この場合には、約定の時期に消費貸借は終了し、借主は返還しなければならないことに
なる。履行遅滞、期限の利益の喪失などについては、一般則(412条・137条)に従
う。
- 135 -
借主は、期限前に返還をすることができるが利息附消費貸借にあっては、特約なき限り、
期限までの利息をつけなければならない(136条)
。
2 返還時期の定めなき場合
この場合には、貸主は相当の期間を定めて返還の催告(告知)をなしうる(591条1
項)。これにつき、判例は、返還時期の定めがないときは借主の返還債務は契約の成立と
同時に弁済期にあり、借主は貸主の返還請求に対し催告がなかったことを抗弁しうるにす
ぎず、これを主張しない限り貸主の請求の時から直ちに遅滞に陥るとしているが(大判昭
和5・6・4民集9巻595頁他)、学説は、これに反対して、むしろ貸主において催告
(告知)したことを主張・立証すべきであるとしている。
借主は、いつでも(告知をして)返還することができる。利息附消費貸借でも、その時
までの利息をつければよい。
第5節 準消費貸借
たとえば売買代金や延滞賃料を支払わずにこれを借金とするというように、消費貸借に
よらないで金銭その他の(代替)物を給付する義務を負っている者が、その物を消費貸借
の目的とすることを約したときは、
消費貸借はこれによって成立したものとみなされる
(5
88条)。これを準消費貸借という。既存債務が強行法規違反として無効であるときある
いは不存在であるときには、準消費貸借は効力を生じない(大判大正15・4・12民集
5巻271頁、最判昭和43・2・16民集22巻2号217頁)
。
準消費貸借は、その成立要件が異なるだけで、消費貸借としての効力は、普通の消費貸
借と異ならない。
【重要論点26】
【旧債務と新債務との関係】
準消費貸借がなされたときの旧債務と新債務との関係であるが、判例は、旧債務に伴な
う担保・保証、詐害行為取消権は原則として新債務においても存続し(最判昭和32・6
・24裁判集(民)222号438頁、同昭和50・7・17民集29巻6号1119頁)、
消滅時効については新債務の性質によるものと解している(大判昭和8・6・13頁)。
同時履行の抗弁権については、承継されるとするものと(大判昭和8・2・24民集12
巻265頁)承継されないとするもの
(大判大正5・5・30民録12輯1074頁)
とがある。学説も、一律に決するのでなく、事項ごとに判断すべきものとしている。
5
使用貸借
使用貸借とは、当事者の一方(使用借主) が、相手方(使用貸主)からある物を借り
受け、これを使用収益したのち返還することを約する片務・無償・要物の契約である(5
93条)。他人の物を利用するための契約である点で賃貸借、消費貸借と共通するが、無
償である(建物の貸借において、その固定資産税を借主が負担するということがあっても
これが対価の意味を持つものと認めるに足りる特段の事情のない限り当該貸借は使用貸借
と認められるー最判昭和41・10・27民集20巻8号1649頁)点で前者とは異な
り、借りた物自体を返還する点で後者とは異なる。今日なお、親族間であるいは交誼上そ
れなりに行われてはいるものの、あまり重要な機能を営んでいるとはいえない。
- 136 -
契約によって使用貸主は、目的物の使用収益を許容するという消極的義務および贈与者
におけると同様の担保責任を負うにとどまる(596条)。
他方、使用借主は、目的物の性質により定まる用法に従い目的物を使用収益しうるが、
通常の必要費を負担することになる(594条1項・595条)。使用貸主の承諾なくし
て、第三者に目的物の使用収益をさせることはできない(594条2項)
。
使用貸借は、期間の満了、目的に従った使用収益の終了、貸主の解約申入、借主の死亡、
当事者の合意解除、用法違反や無断で第三者に使用収益せしめたことに基づく解除(告知)
等によって終了する(597条・594条3項・599条)。契約終了時に、使用借主は、
目的物を使用貸主に返還しなければならない。
【重要論点27】
【社宅の貸借】
社宅の貸借において、使用料が非常に低額(あるいは無償)である場合に、これをどう
扱うか(とりわけ借地借家法の適用があるか)は問題とされている。社宅の貸与は現物賃
金の性格をもつことは否定できず(対価性の存在)、賃料収取のためではなく雇傭関係を
前提にしてこそ貸与されているという側面も無視しえないからである。それぞれの事案に
つき、問題とされる事項ごとに判断してゆかざるを得まい(判例としては、最判昭和28
・4・23民集7巻4号408頁、同昭和29・11・16民集8巻11号2047頁参
照)。
【重要論点28】
【親族間における使用貸借、その解約】
最高裁昭和42年11月24日判決(民集21巻9号2460頁)の事案により、使用
貸借をめぐる紛争の一端をみておくこととしたい。Y1は、父Aの所有する甲土地と母X
1の所有する乙地を返還の時期の定めなく無償で借り受けている。使用貸借は、昭和26
年頃に黙示的に成立したと認定されている。この貸借においては、Y1が甲・乙地上に建
物を所有し居住すること、Y1がAから経営を承継したY2会社の経営をなすこと、その
経営によって生じた収益から老年に達したA・Xを扶養しなお余力があれば兄弟X2らを
もその恩恵に浴させることなどが暗黙の前提とされた。ところが、昭和31、2年頃Aが
退隠し、Y1が名実ともに父業の采配を振ることとなった頃から兄弟間に軋轢が生じ、Y
1はA・X1に対する扶養をさしたる理由もなく廃し、X2らとも往来を断ち、相互仇敵
のように対立する状態となった。その間、Aは甲土地をX1・X2らに贈与している。X
1らは甲・乙地上に建物を所有するY1・Y2会社を相手に建物収去土地明渡を求めた。
原判決が請求を認容したのでY1らが上告。最高裁は、「使用貸借契約当事者間における
信頼関係は地を払うにいたり、本件使用貸借の貸主は借主たるY1・Y2会社に本件土地
を無償使用させておく理由がなくなってしまったこと等の事実関係のもとにおいては、民
法597条第2項但書の規定を類推し、使用貸主は使用借主に対し、使用貸借を解約する
ことができるとする原判決の判断を、正当として是認することができる」
、とした。
- 137 -
6
賃貸借
第1節 賃貸借の意義
賃貸借は、当事者の一方(賃貸人)が相手方(賃借人)にある物の使用収益をさせるこ
とを約し、相手方がこれに対して借賃を支払うことを約すことによって成立する双務・有
償・諾成の契約である(601条)。賃貸借は、自動車・建設機械、介護用機器、結婚衣
装、海外旅行用カバン、音楽CDなどのように動産を、あるいは、居住用アパート、店舗、
事務所、駐車場、資材置場、宅地などのように不動産を目的物として、広く行われている。
賃貸借は、一時的に使用すれば足り購入するまでもない、本当は購入して使用収益した
いがそのための資力がない、買うだけの資力はあるが借りた方が安くつき合理的であるな
どの理由で、利用されているのである。
賃貸借にもとづく借主の権利は実質的には物の使用収益を目的としているのに(物権で
はなく)債権として構成されていること、賃貸借は当事者間の信頼関係を基礎とする継続
的契約の典型であることにかかわり、賃貸借についてはいくつかきわだった法理の展開が
認められる。また、宅地・建物を目的とする不動産賃貸借については、生活ないし営業の
基盤にかかわることから、とりわけ賃借人の地位強化をはかるために、これらの不動産賃
貸借については、借地借家法、農地法といった、強行規定の性質をもつ特別法によって民
法の規定のかなりの部分が修正され、また契約の自由も大きく制限されている。こうした
ことから、民法の賃貸借に関する規定が、任意規定として、ほぼそのまま通用されるのは
動産賃貸借であることに留意したい。
【重要論点29】
【不動産賃借権の物権化】
他人の土地を宅地・農地として利用するためには、本来用いられることが予定されてい
た地上権・永小作権(物権的利用権)を設定してもらうことも考えられる。しかし、地主
と利用者の力関係から、ほとんどの場合、地主に有利な土地賃借権が設定されることとな
る。つまり、宅地・農地、加えて建物の利用は、もっぱら、目的物を利用させるという地
主・家主の「給付」を媒介とする債権的利用権によることとなる。そこで、利用者は、存
続期間・譲渡性(投下資本の回収に関わる)・第三者対抗力、さらには第三者によって利
用が妨げられた場合の救済などの諸点において、物権的保護が与えられる場合に比べて弱
い立場におかれることとなる。しかし、生活の基盤にかかわる利用権保護の観点から特別
法が制定されることによって、存続期間の長期化・更新の保障がはかられ、対抗力が容易
に具備されうることになり、賃借物に投下した資本の回収の途が開かれることとなり、さ
らには、判例によって、対抗力が備わった不動産賃借権にもとづく妨害排除請求が認めら
れてもいる。宅地・農地そして建物の賃貸借にかかわるこのような利用権強化の動きを指
して、不動産賃借権の物権化とよんでいる。
【重要論点30】
【店舗利用関係】
他人の建物の全部または一部を利用して店舗営業を行うという関係には、さまざまな態
様のものがある。すなわち、建物が店舗営業目的で賃貸借される場合から、当事者の間で
店舗営業活動に関するなんらかの契約(たとえば委任・雇用)にもとづきその一環として
- 138 -
場所の提供(建物利用)関係があるにすぎない場合にいたるまで種々のものがある。建物
の利用関係がいかなる法律的性質をもつものであるかは、解約・更新などの契約関係の終
了、建物所有者に対する利用権主張の可否などの問題(とくに借地借家法の適用の有無)
の扱いにつき大きな違いをもたらすものであるから、当該契約においてどのような文言が
用いられているかだけでなく、建物ないし場所の固定性・独立性など物的要素、営業活動
についての店舗利用者の側の営業の独立性の有無・程度など営業的要素、利用者が建物所
有者に支払うべき対価がどう定められたかという対価的要素などに着眼して、総合的に判
断すべきものとされている。
【重要論点31】
【ファイナンス・リース契約】
特定の機械・設備等を欲するユーザーからの申込みに基づき、リース会社が当該物件を
販売しているディーラーからこれを買い取って、ユーザーに貸し付け、一定期間ごとにリ
ース料を受け取る、という取引を「ファイナンス・リース取引」と呼ぶ。このうちリース
会社・ユーザー間の契約をリース契約というが、物を貸し与え対価を取るという意味で賃
貸借としての側面をもつものの、リース業者は売主に代金を支払うという形でユーザーに
金融的便宜を与えているという取引の金融的性格にかかわり、リース期間内における解約
の制限、リース業者の瑕疵担保責任の免除、不可抗力による物件の滅失・毀損の危険につ
いてのユーザー負担、債務不履行等によるリース料の即時弁済と物件の引揚げなど、一般
の賃貸借契約にはみられない特約条項がもり込まれている。そこでまた、目的物に瑕疵が
ある場合にサプライヤー(リース会社に対する売主)のユーザーに対する補修・代品との
引換えなどに関する責任をどう法的構成するか、といった問題も生ずるのである。
第2節 賃貸借の成立
賃貸借は、使用貸借と異なり、諾成・無方式の契約とされており、当事者間の合意のみ
によって成立する。賃貸借についても、契約成立にさいして手付けが授受される場合があ
る(559条・557条参照)。
無方式ではあるが、不動産とりわけ建物・宅地の賃貸借の場合には、たとえばアパート
の賃貸借を考えれば明らかなように、当事者の意思・契約関係の明確化などのために契約
書が作られるのが普通であるといえよう。なお、借地借家法による事業用借地権の設定を
目的とする賃貸借は、公正証書によってしなければならないとされている(借地借家法2
4条)。また、狭義の定期借地権を設定するにあたっては、契約の更新・建物の築造によ
る存続期間の延長がないなどの特約は、公正証書によるなど書面によってしなければなら
ないとされている(同22条)。定期建物賃貸借(いわゆる定期借家)についても、同様
に、契約の更新がない旨公正証書によるなど書面によって契約しなければならず、そうし
ないと普通の借家契約(いわゆる正当事由借家)として扱われることになる(借地借家法
38条1項)
。
農地法は、農地・採草放牧地の賃借権を設定するについては、農業委員会の許可を得な
ければならないとし、この許可を受けないでした賃貸借は効力を生じないとしている(農
地法3条1項・4項)。また、当事者は、借地権の存続期間、小作料の額・支払条件その
他契約内容を書面により明らかにしなければならないと定めている(同25条1項)。
- 139 -
被保佐人(12条1項9号)、権限の定めなき代理人(103条)など、処分の能力ま
たは権限のないものが賃貸借をする場合には、樹木の植栽などを目的とする山林のときは
10年、その他の土地のときは5年、建物のときは3年、動産のときは6カ月を超える、
長期の契約を結ぶことはできないものとされる(602条)。あまりに長期の賃貸借は、
処分行為と同じになるからである。こうした期間を超えないものは、短期賃貸借とよばれ
る。なお、右の期間は、土地については期間満了前1年内、建物については同じく3カ月
内、動産については同じく1カ月内に、更新をすることができるとされている。
賃貸借は、契約によって成立するのがほとんどであるこというまでもないが、取得時効
(163条。土地賃借権についてこれを認めた、最判昭和43・10・8民集2巻10号
2145頁)あるいは法律の定めによっても成立しうる(法定賃借権)。後者につき、た
とえば、仮登記担保法は、土地および建物が同一の所有者に属する場合において、土地に
ついて担保仮登記がなされたときは、その仮登記にもとづく本登記がされる場合につき、
その建物の所有を目的として土地の賃貸借がされたものとみなすとしている(10条)。
また、罹災都市借地借家臨時処理法は、罹災建物が滅失した当時における罹災借家人が、
その建物の敷地に借地権の存しない場合に、土地所有者に対して一定の期間内に建物所有
目的の賃借の申出をすることによって、所有者の正当な事由をもってする拒絶がないかぎ
り、他の者に優先して敷地賃借権を取得する(2条。さらに、借地借家法23条2項も参
照)。
第3節 賃貸借の存続期間・更新
1 民法の定め
(1)存続期間の定めがある場合
貸借当事者は、20年を超えない存続期間を定めることができる。貸ボートの場合のよ
うに30分というようなこともある。貸衣装やレンタ・カーの場合のように数時間ないし
数日というようなこともあろう。駐車場などは一時的なものもあれば1年というようなも
のもあろう。もし20年より長い期間を定めたときは、20年に短縮される(604条1
項)。したがって、たとえば資材置場や駐車場としての土地の賃貸借につき(建物所有の
ための土地賃貸借については後述)25年という期間が約定された場合、20年の賃貸借
がなされたものと扱われることとなる。存続期間の更新は認められるが、その期間も20
年を超えることはできない(同条2項。なお、短期賃貸借にかかわる603条も参照)。
存続期間の定めがある賃貸借は、存続期間の満了によって終了する。
(2)存続期間の定めがない場合
当事者が存続期間を定めなかった場合においては、賃貸借は、各当事者が解約申入れを
し、その後一定期間が経過するまで存続する。すなわち、土地については解約申入れの後
1年、建物ついては3カ月、貸席および動産については1日経過することによって、賃貸
借は終了する(617条)。なお、定められた存続期間が満了してのち、賃借人が使用・
収益を継続し、賃貸人がこれを知りながら異議を述べないときは、賃貸借は従前と同一の
条件で更新されたものと推定されるが(黙示の更新)、存続期間については定めなき賃貸
借と扱われる(619条)。つまり、黙示に更新された賃貸借も、当事者の解約申入れの
後一定期間が経過することによって終了する。
2 特別法の定め
- 140 -
(1)宅地賃貸借に関する特則
建物所有のための土地賃借権(建物所有のための地上権とあわせて、借地権という。
借地借家法2条1号)については、賃借人(地上権が設定されている場合とあわせて、借
地権者という。同条2号)保護(借主の安定的な権利の状態を確保する)の見地、さらに
は建物の維持存続をはかるという社会経済的見地から、片面的強行規定をもって(同9条
・16条・21条参照)、借地借家法(さらには、旧借地法)による賃借権保護がなされ
ている。なお、借地借家法が適用されるためには、建物所有を目的とするものでなければ
ならない。そこで、ゴルフ練習場・釣り掘・住宅展示場としての土地の賃貸借については
本法の適用はないと考えられる。また、選挙事務所用プレハブ建物・工場現場用仮設建物
の所有を目的とするなど、臨時設備その他一時使用のための借地権については、借地借家
法の存続期間(そして、建物買取請求権・借地条件変更等・定期借地権等)に関する規定
の適用はない(同25条)ことにも留意しなければならない。
借地借家法は、存続期間を30年あるいはこれ以上とし、多くの場合更新による存続保
障のはかられる普通借地(同3条以下)のほかに、存続期間が満了すれば更新されること
なく契約が終了する三つのタイプの(広義の)定期借地(狭義の定期借地・建物譲渡特約
付借地・事業用借地からなるー同22条∼24条)の制度を設けている。また、借地借家
法施行(平成4年8月1日)前に設定された借地、いわゆる既存借地の存続期間について
は旧借地法が適用される(同付則5条・6条・7条。厳密には、「なお従前の例による」
と表現される)。
(イ)普通借地の場合
①存続期間 借地借家法は、旧借地法の採用していた堅固建物所有を目的とする借地・
非堅固建物所有を目的とする借地という区別を廃止し、借地権の存続期間を一律に30年
あるいはそれ以上としている(借地借家法3条)。当事者の間で、たとえば20年という
定めをした場合には、借地権者に不利な特約として無効とされ、30年の存続期間の賃貸
借とされる(同9条)。期間が満了する以前に建物が滅失あるいは朽廃しても、借地権は
消滅しない(旧借地法2条1項但書参照)。
②更新
存続期間が満了しても、合意により契約を更新することができる(合意による
更新)。この場合、存続期間は、最初の更新にあっては更新の日から20年、2度目以降
の更新にあっては更新の日から10年である。もっとも、当事者がこれ以上長い期間を定
めることは妨げられない(借地借家法4条。同9条も参照)。また、借地権者が契約の更
新を請求したときには、建物が存在する場合にかぎり前契約と同一の内容をもって契約を
更新したものとみなされる(更新請求による更新)。ただし、地主(厳密には借地権設定
者)が、更新請求に対し、遅滞なく正当事由にもとづく有効な異議を述べた場合にはこの
かぎりでない。この正当事由は、地主および借地人(転貸借されている場合の転借地人も
含む)が土地を必要とする事情のほか、借地に関する従前の経過および土地の利用状況な
らびに地主が土地の明渡しの条件として、または土地の明渡しと引換えに借地権者に対し
て財産上の給付の申出をした場合におけるその申出(いわゆる立退料の申出)を考慮して、
その有無が判断される(借地借家法5条1項・6条)。さらに、存続期間が満了した後、
借地権者が土地の使用を継続する場合に、地主が正当事由をもって遅滞なく異議を述べな
いときにも、同様に契約は更新されたものとみなされる(使用継続による法定更新一借地
- 141 -
借家法5条2項・6条)。
《参考ー更新料》
更新にあたり、借地人から地主に(借地権価格の2ないし10パーセントという)更新
料が支払われることが少なくない。まず、合意更新の場合に、更新料の支払いが約される
ことがありうるこというまでもない。地主が更新を拒んでも正当事由がなく契約が更新さ
れるという場合には、更新料の支払いは必要がないとも考えられる。しかし、実際にはと
りわけ大都市とその周辺において更新料の授受がかなりの程度行われているようである
(もっとも、地主の請求があれば当然に借地人に更新料支払義務が生ずる旨の慣習法ない
し事実たる慣習があるかについては、判例・学説とも存在しないと考えているー最判昭和
51・10・1判時835号63頁)。更新料の性質については、賃料不足・権利金目減
り分の補充とみるもの、賃貸借契約の円満な継続のために支払われる対価(異議権放棄の
対価、借地権消滅の危険性消失の対価、訴訟回避の対価)とみるものなどがある。
なお、当事者間において更新料をめぐる紛争が生じ、調停の結果賃借人がそれまでに行
った無断増改築など不信行為を不問に付すことの解決料と更新料合わせて100万円の支
払い約束がなされたが、そのうちの半分は支払われたものの、残り半分が支払われなかっ
た場合について、債務不履行による解除を認めた判例がある(最判昭和59・4・20民
集38巻6号610頁)。
③地上建物の滅失と存続期間の延長
また、最初の存続期間の満了前に借地上建物が滅
失(自然的・人工的であると、借地権者の取壊しとを問わない)したときに、借地人が残
存期間を超えて存続すべき建物を再築した場合について、地主の承諾があれば、存続期間
は、承諾日または建物築造日のいずれか早い日から20年に延長される。残存期間がこれ
より長いとき、これより長い期間が定められたときはそれによる(借地借家法7条1項)
。
借地権者が地主に対し残存期間を超えて存続すべき建物を新たに築造する旨を通知した場
合において、地主が2カ月以内に異議を述べなかったときは承諾があったものとみなされ
る(承諾擬制一同7条2項)。承諾がなければ、本来の存続期間のままである。以上につ
き、転借地権の場合も同様である(同7条3項)。
更新後に建物が滅失したとき、借地権者が残存期間を超えて存続すべき建物を築造する
につき地主の承諾があれば、存続期間は、承諾日または建物築造日のいずれか早い日から
20年に延長される。やむをえない事情があるにもかかわらず、地主が承諾をしない場合
においては、裁判所は、(地主が賃貸借の解約の申入れをすることができない旨定めた場
合を除き)借地人の申立てにより承諾に代わる許可を与えることができるものとされてい
る。許可をする場合、延長すべき期間として借地借家法7条1項の期間と異なる期間を定
め、他の借地条件を変更し、財産上の給付を命ずることがありうる(借地借家法18条1
項・2項ーなお、こうした裁判手続きは、借地非訟事件手続きとよばれるが、同41条以
下に定めがある)。なお、借地契約の更新の後に建物が滅失したときには、借地人は賃貸
借の解約申入れ(ちなみに、地上権の場合にはその放棄)をすることができ、この場合に
は、借地権は申入れがあった日から3月で消滅することとなる(同8条1項・3項)。借
地権者が地主の同意を得ないで残存期間を超えて存続すべき建物を築造したときは、地主
- 142 -
は賃貸借解約の申入れ(地上権の場合にはその消滅請求)をすることができ、借地権は申
入れがあった日から3月で消滅することとなる(同8条2項・3項)。
(ロ)定期借地の場合
借地借家法は、すでに述べたように存続期間が満了すれば更新されることなく消滅する
3種類の借地権を認めている。
第1は、存続期間を50年以上とし、契約の更新および建物築造による期間の延長がな
く、加えて借地借家法13条の建物買取請求をしない旨を公正証書等書面によって特約し
た、狭義における定期借地権(一般定期借地権ともよばれる)である(同22条)
。
第2は、借地権を設定するときに、その設定後30年以上経過した日に借地上建物を地
主に相当の対価で譲渡する旨約した建物譲渡特約付借地権である(借地借家法23条1
項)。借地権としては普通借地でも狭義の定期借地権でもよい(事業用借地権に23条の
特約をつけることはできない)。これを設定するについては、書面によることは求められ
ていない(実際には、譲渡特約による借地権設定者の地位を保全するために、借地上建物
に所有権移転または移転請求権保全の仮登記がなされることが多いであろう)。この場合
の借地権消滅は、期間の満了によってではなく、譲渡特約を実行したことによる所有権の
移転によって所有者、すなわち賃貸人の地位と借地人の地位が同一人に帰するという、混
同の法理によるのである。
第3は、もっぱら事業の用に供する建物の所有を目的とし、かつ存続期間を10年以上
20年以下として、
公正証書をもって設定された事業用借地権である(借地借家法24条)。
事業用借地については、更新が認められないほか、建物再築による期間の延長に関する借
地借家法7条、建物買取請求に関する同法13条の適用はないものとされる。
(ハ)既存借地の場合
①存続期間 平成4年8月1日よりも前に設定された借地権、いわゆる既存借地権の存
続期間について、旧借地法(借地借家法の制定によって廃止された借地法)の適用がある。
旧借地法は、存続期間につき定めがない場合には、コンクリート造など堅固建物所有を目
的とする借地権については60年、木造など非堅固建物所有を目的とする借地権について
は30年とする。ただし、この期間満了前に借地上建物が朽廃(自然の推移により建物と
しての社会的経済的効用を失ったとみられる状態となること)すれば、これにより借地権
ほ消滅する(借地法2条1項)。堅固建物所有を目的とする借地につき30年以上の、非
堅固建物所有を目的とする借地につき20年以上の期間をもってする約定は、有効である
(同2条2項)。それぞれに充たない期間をもってする約定がなされた場合には、借地法
の許容する最短期間の約定がなされたとみる余地もあるのであるが、判例は、存続期間の
定めはなされなかったもの、
すなわち堅固建物所有を目的とする借地権については60年、
非堅固建物所有を目的とする借地権については30年と解している(同11条。最判昭和
44・11・26民集23巻11号2221頁)。
②更新
存続期間が満了しても合意により更新することができ、この場合の期間につい
ても堅固建物所有を目的とする借地権につき30年、非堅固建物所有を目的とする借地権
につき20年という最短期間の定めがなされている(借地法5条・11条)。また、期間
満了の場合に、借地権者が更新請求をしたときは建物が存在する場合にかぎり、前契約と
同一の条件をもって契約を更新したものとみなされる(更新請求による更新)。地主が、
- 143 -
みずから土地を必要とするなど、正当事由にもとづく有効な異議を遅滞なく述べたときは
このかぎりでない(同4条1項)。借地人が期間満了の後なお使用を継続する場合に、地
主が正当事由をもって異議を述べないときにも、同様の更新が生ずる(使用継続による更
新=法定更新ー同6条)。更新請求による更新・使用継続による更新のいずれにあっても、
存続期間は、堅固建物所有のための借地の場合ほ更新のときから30年、非堅固建物所有
のための借地の場合は同じく20年とされる(同4条3項・6条1項・5条1項)。これ
らの期間満了前に建物が朽廃したときは、借地権はこれにより消滅する(同4条3項・6
条1項・5条1項)
。
③地上建物の滅失と存続期間の延長
借地権の消滅前に建物が滅失した場合に、借地人
が残存期間を超えて存続すべき建物を築造するのに対して、地主が遅滞なく異議を述べな
かったときは、借地権は、建物滅失の日より起算して堅固の建物については30年、その
他の建物については20年存続する(残存期間がこれより長いときはそれによるー借地法
7条)
。
(2)建物賃貸借に関する特則
借地借家法は、建替え期間中の代替家屋の貸借のような一時使用の場合を除く(借地借
家法40条)建物賃貸借につき、片面的強行規定をもって(同30条・37条)、居住用
か営業用かを問わず、借家人が適正な条件のもとで借家の利用を継続できるよう法的保護
を与えている。なお、公営住宅については、公営住宅法およびこれにもとづく条例が優先
的に適用されるが、それに特別な定めがない場合には借地借家法が適用される(最判昭和
59・12・13民集38巻12号1411頁参照)
。
借地借家法は、建物賃貸借の存続期間について、まず、期間の定めがある場合には、当
事者が期間の満了の1年前から6月前までの間に相手方に対して更新をしない旨の通知
(更新拒絶の通知)をすることによって契約は終了する。ただし、家主(賃貸人)からの
更新をしない旨の通知は、家主および借家人(賃借人転貸借がされている場合の転借人を
含む)が建物を必要とする事情のほか、賃貸借に関する従前の経過、建物の利用状況およ
び建物の現況ならびに借地人に立退料を支払うなど、財産上の給付をする旨の申出を考慮
して正当の事由があると認められる場合でなければ、
これをすることができないとされる。
更新拒絶の通知または条件を変更しなければ更新をしない旨の通知をし、しかも更新拒絶
通知の場合これが正当の事由にもとづくものでなければ、法定更新が生ずる。法定更新が
生ずるというのは、期間については定めがないとされるほかは、従前の賃貸借と同一の条
件をもって契約を更新したものとみなされるということである(借地借家法26条1項・
28条)。正当事由にもとづく更新拒絶通知をした場合であっても、存続期間が満了した
後なお借家人が使用を継続する場合において、家主が遅滞なく異議を述べなかったときに
は法定更新が生ずる(同26条2項)
。
期間の定めのない場合(期間を1年末満とする賃貸借は、期間の定めがないものとみな
されるー借地借家法29条)には、家主により解約の申入れがなされたとき、解約申入れ
の日から6月が経過することにより契約は終了する、とされる(同27条1項)。この解
約申入れも、正当の事由があると認められる場合でなければこれをすることができないと
される(同28条)。使用継続による法定更新のありうること期間の定めのある借家の場
合と同様である(同27条2項)。なお、借家人からの解約申入れの場合は、正当事由に
- 144 -
よる制限はなく、申入れの後3月経過すると契約は終了する(617条1項2号)
。
なお、借地借家法施行以前に設定された建物賃借権(既存借家)に関する更新拒絶の通
知、解約申入れについては、「なお従前の例による」とされ、旧借家法関連規定(借家法
3条・1条の2・2条)が適用されることになっているが(借地借家法付則12条)、事
実上以上に述べたところと異ならない。
ところで、借家についても更新のないものがある。その一つは、定期建物賃貸借(いわ
ゆる定期借家)である(借地借家法38条)。この制度は、平成12年3月1日より施行
された「良質な賃貸住宅等の供給の促進に関する特別措置法」5条による借地借家法旧3
8条(同条は、賃貸人の不在期間の建物賃貸借につき定めていた)の改正によって導入さ
れたものである。これにより、期間の定めがある建物の賃貸借をする場合においては、公
正証書等の書面によって契約をするときにかぎり、契約の更新がないこととする旨を定め
ることができることになった。この定めをするにあたって、建物の賃貸人は、あらかじめ
賃借人に、更新がなく期間の満了により終了する旨を書面を交付して説明しなければなら
ない(説明がなされないと、いわゆる正当事由借家となる)。定期借家において、期間が
1年以上である場合には、賃貸人は、期間の満了の1年前から6月前までの間に賃貸人に
対し期間の満了により賃貸借が終了する旨の通知をしなければ、その終了を賃貸人に対抗
することができないものとされる(ただし、賃貸人が通知期間の経過後賃借人に対しその
旨を通知をした場合においては、その通知の日から6月を経過した後はこのかぎりでな
い)。なお、居住の用に供する(床面積が200平方メートル未満の)建物の定期賃貸借
において、転勤、療養、親族の介護その他のやむをえない事情により、賃借人が建物を自
己の生活の本拠として使用することが困難となったときは、賃借人は、賃貸借の解約の申
入れ(中途解約)をすることができる。この場合、賃貸借は、解約の申入れの日から1月
を経過することによって終了する。さらになお、この特別措置法5条の施行前にされた居
住の用に供する建物の賃貸借(賃貸人の不在期間の建物賃貸借を除く)の当事者が、その
賃貸借を合意により終了させ、引き続き新たに同一の建物を目的とする賃貸借をする場合
には、当分の間、改正後の借地借家法38条の規定は適用されない(同付則3条)
。
もう一つは、取壊し予定の建物の賃貸借であって、法令または契約により一定の期間を
経過した後に建物が取り壊されることが明らかな場合において、建物を取り壊すべき事由
を記載した書面によって建物取壊しの時に契約が終了する旨を特約しておけば、建物取壊
時に建物賃貸借は終了することとなるのである(借地借家法39条)。
(3)農地賃貸借に関する特則
農地または採草放牧地の賃貸借に関しては、農地法が期間の定めのある場合につき、
期間の満了の1年前から6月前までの間に相手方に対して更新をしない旨の通知をしない
ときは、従前と同一の条件でさらに賃貸借をしたものとみなしている(法定更新一農地法
19条)。また、原則として、知事の許可を受けなければ、更新しない旨の通知、解約申
入れ(さらには、解除、合意解除)をすることができないとして、農地賃借権の存続の保
障をはかっている(同20条)。
- 145 -
《参考ー土地の賃貸借についての適用法規》
駐車場・材料置場などとしての土地賃貸借→
民法
建物所有のための土地賃貸借
→
民法+借地借家法
農地・採草牧畜のため土地賃貸借
→
民法+農地法
【重要論点32】
【正当事由】
旧借地法は、「土地所有者が自ら土地を必要とする場合其の他正当の事由ある場合」に
かぎり、更新請求を拒絶しあるいは使用継続に対して異議を述べることができるものとし
ていた。そこで、地主に自己使用の必要性があればそれだけで更新拒絶が可能であるよう
にもみえたのであるが、判例・学説上・正当事由の存否は、賃貸人側および賃借人側双方
の土地利用の必要性(目的土地が居住または営業にとって必要か、移転が可能か費用がか
かるか、資力があるか、借地人により利用されているか、地主の土地利用計画に具体性が
あるかなど)を主たる要素とし、契約成立当時の事情、権利金支払いの有無、地代の程度、
地代の滞納・用法違反など背信行為の有無、建物の者朽度、借地期間の長短、さらには立
退料の提供の申出の有無・額(解約申入後・事実審の口頭弁論終結時までになされた立退
料の提供または増額の申出も参酌されるー最判平成3・3・22民集45巻3号293頁
(借家に関する)・最判平成6・10・25民集48巻7号1303頁)を補完的要素と
して、判断されるべきものとされてきたといってよい(なお、すでにみた普通借地につい
て更新にかかわり正当事由の存否が問題となるのは平成34年8月以降のことである)。
したがって、賃借人側の土地使用の必要性がたんに、高額な立退料が払われる、あるいは
土地の有効利用・都市再開発といった社会経済的要請があるということだけで正当事由が
備わるとは考えられていないことに注意すべきである。
【重要論点33】
【地上建物の賃借人の事情と正当事由】
借地上建物に借家人がいる場合・借家人の事情も正当事由の有無の判断にあたって顧慮
しなくてよいであろうか。
借地権が消滅すると右建物は収去されることになり、必然的に借家人も立ち退かなくて
はならないことになるから借家人の事情を顧慮すべきではないかという考え方もあるが・
判例は、借地契約が当初から建物賃借人の存在を容認したものであるとか実質上建物賃借
人を借地人と同一視することができるなど特段の事情がない場合には・顧慮することは許
されないとしている
(最判昭和58・1・20民集37巻1号1頁→瀬川=内田57事件、
奥田ほか90事件、星野ほか58事件)。問題とされるのは地主と借地人との間の借地関
係の存続の有無であるから、正当事由も契約の両当事者について論ぜられるべきであると
いうのである。そして正当事由ありということになる(借地上建物を賃貸している借地人
の土地使用の必要度は一般に低いとみられよう)と、借地人が建物買取請求権を行使すれ
ば所有者になった地主に対し引き続き借家人として家の使用をすることを主張できる(借
家権の対抗力)ものの、借地人が建物買取請求権を行使しない場合、借家人がこれを民法
423条により代位行使することは判例において認められていないので(最判昭和38・
4・23民集17巻3号536頁)、借家人は右建物から立ち退かなければならなくなる
- 146 -
のである。なお、学説には、この場合債権者代位権の転用を認めてよいとするものがある。
第4節 賃貸借の効力
1 賃貸人の義務
(1)使用収益をさせるべき義務
賃貸人は、契約の存続期間中、何よりも、賃借人に目的物の使用収益をさせるべき積極
的義務を負う(601条)。そのため、賃貸人は、目的物を賃借人に引き渡さなければな
らず、また(目的物の破損が不可抗力によって生じた場合も含めて)目的物の使用収益に
とって社会通念上必要な修繕をすべき義務を負う(606条1項)。修繕義務については、
とくに借家契約において、賃貸人の修繕義務を免除する旨の特約、修繕を賃借人の負担と
する旨の特約がなされることが少なくない。
建物の本体および本体の欠陥にもとづく屋根、
外壁、土台の重大な損傷については貸主が負い、その他は借主の負担とするといった分担
が特約されることもある(通常予想しうる程度の建物の破損の修繕を特約により借主に負
担させても旧借家法6条の趣旨に反しないとした、最判昭和29・6・25民集8巻6号
1224頁参照)。
第三者によって賃借人の使用収益が妨げられたときには、賃借人のためにこれを排除す
べき義務を負う。共同住宅のような場合、賃借人の一人の迷惑行為などによって他の賃借
人の契約日的に沿った利用が妨げられるときには、賃貸人は、妨害が他の賃借人に及ばな
いようにする義務がある。
目的物を第三者に二重に賃貸するなどし、賃借人がその者に対抗できないために賃借権
を失う場合には、履行不能としての責任を負うことがある。この点にかかわり、不動産の
賃貸人は、民法605条の登記をなすべき義務を負うかが問題となるが、特約なきかぎり
こうした義務を負うものではないと考えられている(後述)
。
(2)担保責任
目的物の全部または一部が他人に属する、賃貸目的物に取引上一般に要求される程度の
注意をもってしても発見できないような性能・品質上の欠陥があるなど、目的物に権利ま
たは物の瑕疵が存在する場合には、賃貸人は、売買売主のような担保責任を負う(559
条・561条以下)
。
(3)必要責・有益費償還義務
賃借人が目的物に必要費を投下している場合には、賃貸人は、ただちにこれを償還しな
ければならない(608条1項)。必要費というのは、物を保存・管理するために通常必
要な費用をいい、たとえば建物貸借の場合における屋根の葺替費用、土台取替費用がこれ
に当たる。また、有益費を支出したときは、契約終了のときに、費用の投下による価格の
増加が現存する場合にかぎり、(賃貸人の選択により)費やした金額または増加額を返
還しなければならない。この場合に、裁判所によって償還につき相当の期限を許与しても
らうことができる(608条2項)。有益費とは、物の利用・改良のために支出し、物の
客観的価値を増加させる費用をいい、たとえば店舗用建物賃貸の場合における模様替えの
ための費用、土地賃貸借の場合における盛土や石垣の築造、下水道の開設に要した費用が
これに当たる。賃借人に認められるこのような費用償還請求権は、貸主が目的物の返還を
受けたときから1年以内という期間の制限に服する(622条・600条)。なお、有益
- 147 -
費支出後賃貸人が交替した場合については、特段の事情なきかぎり、新賃貸人が有益費償
還義務を承継するとされる(最判昭和46・2・19民集25巻1号135頁)。
2 貸借人の義務
(1)賃料支払義務
賃借人の主要な義務は、賃料の支払いである。地代、家賃、レンタル料などとよばれる
賃料は、通常、金銭をもって支払われる。なお、農地の賃貸借にかかわる小作料について
は、原則として、定額しかも金銭によるべきものとされている(農地法21条・22条)
。
額・支払時期については約定によるが、後者につき約定なきときは、動産、建物および宅
地については毎月末払い、その他の土地については、毎年末払いとなる(614条)。
ところで、賃料額につき、民法は、収益を目的とする土地の貸借につき、賃借人が不可抗
力により借賃より少ない収益を得たとき、賃借人は、宅地の場合を除き、その収益に至る
まで借賃の減額を求めることができるとしている(609条。農地法24条も参照)。
さらに、借地借家法は、宅地賃貸借・建物賃貸借における地代(厳密には土地の借賃)・
家賃につき、増・減額請求権を認めている(借地借家法11条1項、32条1項)。すな
わち、土地・建物に対する租税その他の公課の増減により、土地・建物の価格の上昇もし
くは低下その他経済事情の変動によりまたは近傍類似の地代・家賃に比較して不相当とな
ったときは、契約の条件にかかわらず、当事者ほ、将来に向かって地代・家賃の増・減額
を請求できるものとしている(もっとも、一定の期間増額をしない旨の特約がある場合に
は、地主・家主は、増額請求できないものとしている)。額について協議が整わない場合
には、当事者はまず調停を申し立てなければならない(調停前置主義)。それでもまとま
らない場合にほ、裁判によって決められることになる。その間、請求を受けた側の当事者
は、自分が相当であると考える額を支払っていればよく、裁判が確定してのち、不足分(増
額請求の場合)もしくは超過分(減額請求の場合)について、年1割の利息を付して支払
いもしくは返還すべきものとされている(借地借家法11条2項・3項、32条2項・3
項)。なお、当事者間において地代・家賃の(自動)改定特約を定めていることがあるが、
こうした特約は合理性が認められる範囲で有効であると解されている。
これと同様に、農地法も、農作物の価格もしくは生産費の上昇もしくは低下その他経済
事情の変動によりまたは近隣類似の農地の小作料の額に比較して不相当となったときは、
当事者は、将来に向かって小作料の増・減額を請求できるものとしている
(農地法21条)。
《参考ー適正な地代額・家賃額の算定法》
新規に賃貸借契約を締結する場合、当事者は賃料(適正妥当な新規賃料)をどう考えた
らよいであろうか。また、地代や家賃の増額もしくは減額請求がされた場合において、適
正・妥当な額につき協議が行われるが、整わなかった場合には調停により決められ、これ
が不調に終わった場合には裁判によって決められることになる。この場合、どのような方
法により地代・家賃額(適正妥当な継続賃料)は算定されるのであろうか。算定方法とし
ては、積算方式(対象となる不動産について、評価時点における基礎価格に期待利回りを
乗じて得た額に必要諸経費を加算して求める)、賃貸事例比較方式(類似する多くの新規
の賃貸借の事例を集め、それらの実際の賃料に必要に応じた事情補正・時点修正などをし
て求める)、収益分析方式(一般の企業経営にもとづく総収益を分析して対象不動産が一
- 148 -
定期間に生み出すであろうと期待される純利益を求め、これに必要諸経費などを加算して
求める)、差額配分方式(積算法などにより求めた適正賃料と実際賃料との間に差額があ
る場合・その差額について契約内容、経緯などの諸事情を総合的に判断して、その差額の
うち貸主に帰属する部分を適正に判断して得た額を実際賃料に加減して求める)、スライ
ド方式(現行の賃料を定めた時点における純賃料に、その後の物価指数などにより算出さ
れる経済変動率を乗じて得た額に必要諸経費を加算して求める)などがあるが、実務上は、
いずれかの方法を絶対視するのではなく、複数の方式によって求めた額を総合的に検討し、
諸般の事情を考慮して当該事例について合理的な算定方式を発見すべきものとされている
といえる(総合判断方式一最判平成3・11・29金法1314号27頁など)。
(2)権利金・敷金等支払義務
とくに不動産賃貸借にあっては、特約により、あるいは慣習的に、権利金・敷金・保証
金などを支払うべきことが多い。そのいずれであるかについては、いかなる名目・表現を
用いているかだけでなく、金額、目的物の利用状況、当事者間の合意内容などにより、当
事者が授受した趣旨に照らし考えるしかない。ここでは、前二者についてみておくことに
する。
①権利金
権利金は、賃借権設定の対価、場所的利益に対する対価、賃料の一部の一括
前払い、あるいは賃借権譲渡・転貸についての承諾料等として支払われる金銭であるが、
判例は、原則として、賃貸人の権利金返還義務を認めない。契約が途中で終了した場合の
返還義務については、特約によるほか、権利金授受の趣旨に即して考えることになる。判
例において返還を認めた例の多くは、権利金が賃料の前払いや場所的利益の対価として交
付されている場合である(最判昭和43・6・27民集22巻6号1427頁→瀬川=内
田67事件)
。
②敷金
敷金は、賃貸人の賃借人に対する債権の担保のために、賃借人から賃貸人に差
し入れられる金銭である。被担保債権の中心はいうまでもなく賃料債権であるが、賃貸借
契約が終了した後目的物が返還されるまでの賃料相当損害金、目的物毀損にかかる損害賠
償金など、賃貸借の成立のときから賃貸借が終了して目的物を返還するまでの間に賃貸人
が取得しうべき債権を担保するものと解される。このことから、賃料の支払請求に対して、
賃借人が敷金を未払賃料に充当するよう求めることはできず、敷金返還義務と目的物返還
義務との間には同時履行の関係はないものとされる(最判昭和49・9・2民集28巻6
号1152頁→瀬川=内田11事件、奥田ほか66事件)。敷金については、賃貸借契約
が終了し目的物の返還(たとえば賃貸家屋の明渡し)が完了した時点で被担保債権を控除
し、残額があれば返還されるべきことになるのである。
ところで、敷金が授受されていたところ、当事者に変更が生じた場合に敷金に関する権
利義務関係は新しい当事者に承継されるであろうか。この点につき、まず、たとえば目的
物建物の所有権が移転し賃貸人が替わった(加えて、賃借権が新所有者に対抗できる)場
合について、判例は、新賃貸人が当然にこれを承継するとしている。すなわち、所有権移
転の時点で未払賃料債務があればこれに当然充当され、残額についてその権利義務関係が
新しい賃貸人に承継されるのである(大判昭和11・11・27民集15巻2110頁、
最判昭和44・7・17判タ239号153頁)。逆に、賃借権が譲渡されて賃貸人がこ
- 149 -
れを承諾したことにより旧賃借人が賃貸関係から離脱したときは、旧賃借人(すなわち敷
金交付者)が賃貸人との間で敷金をもって新賃借人の債務不担保とすることを約すなど、
特段の事情がないかぎり、敷金に関する権利義務関係は承継されることはなく、旧賃借人
が賃貸人に対して敷金の返還を請求することができるとされている(最判昭和53・12
・22民集32巻9号1768頁→瀬川=内田66事件、奥田ほか93事件、星野ほか6
1事件)。
《参考ー礼金・保証金・建設協力金とは》
居住用建物の貸借にかかわり、賃貸借契約時に賃料の1カ月分程度の比較的低額の金銭
が礼金という名目で授受されることがある。これは、契約の成立についての賃借人から賃
貸人に対するお礼とみられるものである。賃貸市場が借手市場になれば礼金の支払いが求
められないこともありうる。
また、店舗・事務所用建物の賃貸借にかかわり、質料の数十倍から不動産価格の何割か
に及ぶような高額の金銭が、保証金の名目で授受されることがある。契約終了時に無利息
で返還される約定の場合が多く、
(賃借人の債務の担保の機能も果たすが、これを超えて)
空室損料、賃貸人の建設資金の一部負担、運用益による実質的な賃料補填の意義をもつも
のとみられる。複数の意義をもった(いわばヌエ的性格の保証金)もある。新築建物の貸
借にあたっては、建設協力金名目で金銭の授受がなされることもある。実質は建物貸借と
密接に関連する貸金であるが、一部を償却して残りを毎年返還するというような約定がな
され、あるいは、契約終了が返還の事由とされていない場合などもある。
賃貸借にかかわり授受される種々の名目の一時金については、契約終了時さらには中途
解約時における返還義務の有無、償却の有無・範囲、契約当事者の交替にかかわる承継の
有無などが、そしてこれらにかかわる特約の有効性が問題となることが少なくない。その
法的性質は、個々の事案について、どのような文言が用いられているかだけによるのでは
なく、当事者問の合意内容、金額、別途交付されている一時金の有無・性質などを勘案し
て、判断されることとなる。
《参考ー敷金返還をめぐるトラブル》
「入居時に払った敷金を返してもらえない」というトラブルが多発しており、新聞にも
報じられている。全国各地の消費者センターにもち込まれる相談件数も少なくない(賃貸
住宅の敷金に関し全国の消費生活センターにもち込まれた相談件数は、97年5、606
件、98年6、126件、98年(1∼10月)4、584件)。内容としては、「賃貸
アパートの退去時に敷金が戻らない上、追加料金を請求された」、「賃貸マンションを退
去したが敷金から壁紙代を差引くといわれた。入居時新品でなかったのに納得がいかない」
といった退去時における敷金の返還に係るものが多いとのことである。論争の的は、賃貸
借契約における借主の「原状回復」義務の解釈である。苦情が増加した原因として、昨今
の消費者の清潔指向の高まりや専門のハウスクリーニング業の発展などが挙げられ、貸主
側が入居者の替わるたびに専門業者に依頼して室内を真新しくしようとする傾向が強まっ
ていることが指摘されている。当事者間で具体的にトラブルが生じてしまった場合、現に
支払われている敷金の返還ということであるから、ふつう、積極的に手をうたなければな
らないのは賃貸人ではなく賃借人の側ということになる。返還されてよいと考える賃借人
- 150 -
は、まず、地域の市民相談室、消費者相談センターあるいは借地借家人組合などにゆき、
相談にのってもらうなど情報を収集することになるであろう。こうした情報にもとづき相
手と交渉を重ね、それでもらちがあかなかった場合には、いよいよ、支払督促、少額訴訟、
あるいは民事調停といった手続きを利用するということになる(そのさいには、費用がか
かることも考慮に入れなければならない)。問題の中心は建物賃貸借終了時の原状回復の
費用負担のあり方であるが、トラブルの頻発を受けて、建設省住宅局は、民間賃貸住宅を
念頭に、「原状回復をめぐるトラブルとガイドライン」という指針を公にしている。これ
によれば、原状回復を「賃借人の居住、使用により発生した建物価値の減少のうち、賃借
人の故意・過失、善管注意義務違反、その他通常の使用を超えるような使用による損耗等
を復旧すること」と定義し、その費用ほ賃借人負担としている。また、いわゆる自然損耗、
通常の使用による損耗等の修繕費用は賃貸人負担としている。トラブルにつき、原状回復
義務について契約があればその内容にそった解決が原則であるとしつつも、条文が曖昧な
場合、契約締結時に問題がある場合には、このガイドラインを参考にしながら当事者間で
話し合ってほしい、という。なお、この問題に関する裁判例としては、川口簡判平成9・
2・18消費者法ニュース32号80頁、東京簡判平成9・3・19消費者法ニュース3
2号81頁、最判平成17・12・16(破棄差戻しー平成16年(受)第1573号
敷金返還請求事件ー賃借建物の通常の使用に伴い生ずる損耗について賃借人が原状回復義
務を負う旨の特約が成立していないとされた事例)がある。
最判平成17・12・16 (破棄差戻しー「理由
上告代理人岡本英子ほかの上告受
理申立て理由(ただし,排除されたものを除く。)について
1 原審の確定した事実関係の概要等は,次のとおりである。
(1) 被上告人は,地方住宅供給公社法に基づき設立された法人である。
(2)
第1審判決別紙物件目録記載の物件(以下「本件住宅」という。)が属する共同
住宅旭エルフ団地1棟(以下「本件共同住宅」という。)は,特定優良賃貸住宅の供給の
促進に関する法律(以下「法」という。)2条の認定を受けた供給計画に基づき建設され
た特定優良賃貸住宅であり,被上告人がこれを一括して借り上げ,各住宅部分を賃貸して
いる。
(3)
被上告人は,平成9年12月8日,本件共同住宅の入居説明会を開催した。同説
明会においては,参加者に対し,本件共同住宅の各住宅部分についての賃貸借契約書,補
修費用の負担基準等についての説明が記載された「すまいのしおり」と題する書面等が配
布され,約1時間半の時間をかけて,被上告人の担当者から,特定優良賃貸住宅や賃貸借
契約書の条項のうち重要なものについての説明等がされたほか,退去時の補修費用につい
て,賃貸借契約書の別紙「大阪府特定優良賃貸住宅and・youシステム住宅修繕費負
担区分表(一)」の「5.退去跡補修費等負担基準」(以下「本件負担区分表」という。)に
基づいて負担することになる旨の説明がされたが,本件負担区分表の個々の項目について
の説明はされなかった。
上告人は,自分の代わりに妻の母親を上記説明会に出席させた。同人は,被上告人の担
当者の説明等を最後まで聞き,配布された書類を全部持ち帰り,上告人に交付した。
(4)
上告人は,平成10年2月1日,被上告人との間で,本件住宅を賃料月額11万
- 151 -
7900円で賃借する旨の賃貸借契約を締結し(以下,この契約を「本件契約」,これに
係る契約書を「本件契約書」という 。),その引渡しを受ける一方,同日,被上告人に対
し,本件契約における敷金約定に基づき,敷金35万3700円(以下「本件敷金」とい
う。)を交付した。
なお,上告人は,本件契約を締結した際,本件負担区分表の内容を理解している旨を記
載した書面を提出している。
(5)
本件契約書22条2項は,賃借人が住宅を明け渡すときは,住宅内外に存する賃
借人又は同居者の所有するすべての物件を撤去してこれを原状に復するものとし,本件負
担区分表に基づき補修費用を被上告人の指示により負担しなければならない旨を定めてい
る(以下,この約定を「本件補修約定」という。)
。
(6)
本件負担区分表は,補修の対象物を記載する「項目」欄,当該対象物についての
補修を要する状況等(以下「要補修状況」という。)を記載する「基準になる状況」欄,
補修方法等を記載する「施工方法」欄及び補修費用の負担者を記載する「負担基準」欄か
ら成る一覧表によって補修費用の負担基準を定めている。このうち,「襖紙・障子紙」の
項目についての要補修状況は「汚損(手垢の汚れ,タバコの煤けなど生活することによる
変色を含む)・汚れ」,「各種床仕上材」の項目についての要補修状況は「生活することに
よる変色・汚損・破損と認められるもの」,「各種壁・天井等仕上材」の項目についての
要補修状況は「生活することによる変色・汚損・破損」というものであり,いずれも退去
者が補修費用を負担するものとしている。また,本件負担区分表には,「破損」とは「こ
われていたむこと。また,こわしていためること。」,「汚損」とは「よごれていること。
または,よごして傷つけること。」であるとの説明がされている。
(7)
上告人は,平成13年4月30日,本件契約を解約し,被上告人に対し,本件住
宅を明け渡した。被上告人は,上告人に対し,本件敷金から本件住宅の補修費用として通
常の使用に伴う損耗(以下「通常損耗」という。)についての補修費用を含む30万25
47円を差し引いた残額5万1153円を返還した。
2 本件は,上告人が,被上告人に対し,被上告人に差し入れていた本件敷金のうち未
返還分30万2547円及びこれに対する遅延損害金の支払を求める事案であり,争点と
なったのは,①
本件契約における本件補修約定は,上告人が本件住宅の通常損耗に係る
補修費用を負担する内容のものか,②
①が肯定される場合,本件補修約定のうち通常損
耗に係る補修費用を上告人が負担することを定める部分は,法3条6号,特定優良賃貸住
宅の供給の促進に関する法律施行規則13条等の趣旨に反して賃借人に不当な負担となる
賃貸条件を定めるものとして公序良俗に反する無効なものか,③
本件補修約定に基づき
上告人が負担すべき本件住宅の補修箇所及びその補修費用の額の諸点である。
3 原審は,前記事実関係の下において,上記2の①の点については,これを肯定し,
同②の点については,これを否定し,同③の点については,上告人が負担すべきものとし
て本件敷金から控除された補修費用に係る補修箇所は本件負担区分表に定める基準に合致
し,その補修費用の額も相当であるとして,上告人の請求を棄却すべきものとした。以上
の原審の判断のうち,同①の点に関する判断の概要は,次のとおりである。
(1)
賃借人が賃貸借契約終了により負担する賃借物件の原状回復義務には,特約のな
い限り,通常損耗に係るものは含まれず,その補修費用は,賃貸人が負担すべきであるが,
- 152 -
これと異なる特約を設けることは,契約自由の原則から認められる。
(2)
本件負担区分表は,本件契約書の一部を成すものであり,その内容は明確である
こと,本件負担区分表は,上記1(6)記載の補修の対象物について,通常損耗ということ
ができる損耗に係る補修費用も退去者が負担するものとしていること,上告人は,本件負
担区分表の内容を理解した旨の書面を提出して本件契約を締結していることなどからする
と,本件補修約定は,本件住宅の通常損耗に係る補修費用の一部について,本件負担区分
表に従って上告人が負担することを定めたものであり,上告人と被上告人との間には,こ
れを内容とする本件契約が成立している。
4
しかしながら,上記2の①の点に関する原審の上記判断のうち(2)は是認することが
できない。その理由は,次のとおりである。
(1)
賃借人は,賃貸借契約が終了した場合には,賃借物件を原状に回復して賃貸人に
返還する義務があるところ,賃貸借契約は,賃借人による賃借物件の使用とその対価とし
ての賃料の支払を内容とするものであり,賃借物件の損耗の発生は,賃貸借という契約の
本質上当然に予定されているものである。それゆえ,建物の賃貸借においては,賃借人が
社会通念上通常の使用をした場合に生ずる賃借物件の劣化又は価値の減少を意味する通常
損耗に係る投下資本の減価の回収は,通常,減価償却費や修繕費等の必要経費分を賃料の
中に含ませてその支払を受けることにより行われている。そうすると,建物の賃借人にそ
の賃貸借において生ずる通常損耗についての原状回復義務を負わせるのは,賃借人に予期
しない特別の負担を課すことになるから,賃借人に同義務が認められるためには,少なく
とも,賃借人が補修費用を負担することになる通常損耗の範囲が賃貸借契約書の条項自体
に具体的に明記されているか,仮に賃貸借契約書では明らかでない場合には,賃貸人が口
頭により説明し,賃借人がその旨を明確に認識し,それを合意の内容としたものと認めら
れるなど,その旨の特約(以下「通常損耗補修特約」という。)が明確に合意されている
ことが必要であると解するのが相当である。
(2)
これを本件についてみると,本件契約における原状回復に関する約定を定めてい
るのは本件契約書22条2項であるが,その内容は上記1(5)に記載のとおりであるとい
うのであり,同項自体において通常損耗補修特約の内容が具体的に明記されているという
ことはできない。また,同項において引用されている本件負担区分表についても,その内
容は上記1(6)に記載のとおりであるというのであり,要補修状況を記載した「基準にな
る状況」欄の文言自体からは,通常損耗を含む趣旨であることが一義的に明白であるとは
いえない。したがって,本件契約書には,通常損耗補修特約の成立が認められるために必
要なその内容を具体的に明記した条項はないといわざるを得ない。被上告人は,本件契約
を締結する前に,本件共同住宅の入居説明会を行っているが,その際の原状回復に関する
説明内容は上記1(3)に記載のとおりであったというのであるから,上記説明会において
も,通常損耗補修特約の内容を明らかにする説明はなかったといわざるを得ない。そうす
ると,上告人は,本件契約を締結するに当たり,通常損耗補修特約を認識し,これを合意
の内容としたものということはできないから,本件契約において通常損耗補修特約の合意
が成立しているということはできないというべきである。
(3) 以上によれば,原審の上記3(2)の判断には,判決に影響を及ぼすことが明らかな
法令の違反がある。論旨は,この趣旨をいうものとして理由があり,原判決は破棄を免れ
- 153 -
ない。そして,通常損耗に係るものを除く本件補修約定に基づく補修費用の額について更
に審理をさせるため,本件を原審に差し戻すこととする。)
(3)保管義務・用法遵守義務など
賃借人は、引き渡された目的物を、契約終了まで、善良なる管理者の注意をもって保管
しなければならない。賃借物が修繕を要する場合、目的物につき権利を主張する者がある
場合には、遅滞なくその旨を賃貸人に通知しなければならない(615条)。なお、賃貸
人が目的物の保存に必要な行為をしようとする場合、賃借人はこれを拒むことはできない
(保存必要行為忍受義務ー606条2項)。
目的物を乱暴に使用すること、借家人が火を失して目的建物を焼毀させてしまうことは、
保管義務違反に当たる。借家人が目的建物につき無断で増改築したり、改造・改装するこ
とも保管義務もしくは用法遵守義務に反する。契約または目的物の性質によって定まった
用法に従って目的物を使用収益しなければならない(616条・594条)。したがって、
もっぱら居住用として建物の貸借がなされたのに借家人が家主の承諾なくそこで営業をす
ること、木造建物所有のため宅地の貸借がなされたのに借地人がコンクリート造建物を建
てることは、用法遵守違反である。借家における近隣迷惑行為、特約に反するペット飼育
なども用法違反の例である。
なお、借地借家法は、宅地賃貸借につき、建物の種類・構造・規模・用途を制限する借
地条件がある場合において、法令による土地利用の規制の変更、付近の土地の利用状況の
変化その他の事情の変更により現に借地権を設定するにおいてはその借地条件と異なる建
物の所有を目的とすることが相当であるにもかかわらず、借地条件の変更について当事者
間での協議が整わないとき、裁判所は、当事者の申立てにより、その借地条件を変更する
ことができるものとしている(借地借家法17条1項)。また、増改築を制限する旨の借
地条件がある場合において、土地の通常の利用上相当とすべき増改築につき協議が整わな
いときには、借地権者の申立てにより、地主の承諾に代わる許可を与えることができるも
のとしている(同17条2項)。このような変更、代諾許可を与えるにあたって、裁判所
は、必要に応じて、他の借地条件を変更し、あるいは財産上の給付を命ずることがある(付
随的裁判一同17条3項)。この裁判をするにあたり、裁判所は、裁判する前に原則とし
て鑑定委員会の意見を聴かなければならず、裁判するには借地権の残存期間・土地の状況
・借地に関する従前の経過その他いっさいの事情を考慮しなければならないものとされる
(同17条4項・6項)。
賃借人は、賃貸人の同意なく、他人に目的物を使用収益させてはならない(612条。
後述)
。
(4〉 契約終了時における返還義務
契約終了のときには、目的物を賃貸人に返還すべきこというまでもない。
【重要論点34】
【サブリース契約】
サブリース契約というのは、建物につき賃借人がほかに転貸することを目的として所有
者から一括して賃借することを要素としてもつが、その基本は不動産業者と土地所有者と
- 154 -
の間の不動産運用にかかる事業受託契約であって、これに建物の設計・建築請負、建物賃
貸借が混合しているとみられる契約である。そこで、サブリース契約においては、①賃料
増加率を定めるなど賃貸人が安定的に賃料収入が得られることを保証(賃料保証)する条
項が定められている、 ②契約期間は、2年というようなことではなく、10∼20年と
いう長期間とされ、中途解約禁止条項が定められる場合も少なくない、③敷金額も、家賃
の数カ月分というのではなく建築費相当額といったようにかなり高額であって、担保のた
めというより地主に対する融資という面がある、④建物の建設請負と密接に関連している
場合が少なくないなどの点において、通常の建物賃貸借とは異なる特色をもっている。そ
こでこうした契約に借地借家法の適用があるか、とりわけ、バブル崩壊以降の賃料相場の
変動のもと、賃料保証を約した事業受託者(建物賃借人)からの、借地借家法32条の適
用もしくは類推適用による(さらには事情変更の原則による)地主に対する賃料減額請求
の当否、が問題とされ、下級審裁判所の判断も分かれていた。最近、最高裁は、サブリー
ス契約についても,借地借家法32条1項の規定が適用されるものとし、減額請求の当否
及び相当賃料額を判断するに当たっては,当事者が賃料額決定の要素とした事情その他諸
般の事情を総合的に考慮すべきであり,同契約において賃料額が決定されるに至った経緯
や賃料自動増額特約等が付されるに至った事情,とりわけ約定賃料額と当時の近傍同種の
建物の賃料相場との関係,賃借人の転貸事業における収支予測にかかわる事情,賃貸人の
敷金及び融資を受けた建築資金の返済の予定にかかわる事情等をも考慮すべきであると判
示した(最判平成15・10・21民集57巻9号1213)。
【重要論点35】
【借地非訟事件】
借地借家法は、借地条件の変更(17条1項)、増改築(17条2項)、更新後の建物
再築(18条)、借地権の譲渡・譲受(19条1項・3項、20条1項・2項)について
当事者者間において協議が整わず、あるいは地主の承諾がない場合において、当事者の申
立てを受けた裁判所が、当事者の陳述を聴き必要な証拠を提出させるほか、職権により調
査し探知した事実を基礎とし、事案を非公開にて審理し、諮問機関である鑑定委員会の意
見を聴き、事実審理が裁判をするに熟するにいたったと認めるとき審理を終結し終局の裁
判(決定)をすることとしている(41条以下)。すなわち、借地権の残存期間、建物の
状況、土地の状況、借地に関する従前の経過、土地を必要とする事情、借地権の譲渡を必
要とする事情といった一切の事情を考慮し、借地条件の変更をしあるいは再築・賃借権の
譲渡などの許可を与え、これとともに財産上の給付などの付随処分をし、または申立てを
棄却するのである。非訟事件の裁判に不服ある当事者は抗告が認められている。このよう
に、借地非訟事件手続きは、裁判所が職権主義を基調としながらも民事訴訟手続きほどに
は形式ばらない形で当事者双方のいい分を聴き、鑑定委員会の意見も聴いたうえで、裁量
的な判断により、比較的簡易・迅速に当事者の将来に向けての衡平妥当な借地関係を形成
する手続きといえる。
第5節 賃借権の譲渡・目的物の転貸
1 賃借権の譲渡
賃借権の譲渡は、賃借人(譲渡人)と譲受人との間の賃借権を譲渡する旨の契約である。
- 155 -
たとえば、営業の譲渡、借地上の建物の売買にともなって行われる(なお、借地人が小規
模で閉鎖的な有限会社において経営陣が交代した場合につき賃借権の譲渡に当たらないと
した判例があるー最判平成8・10・14民集50巻9号1431頁→瀬川=内田53事
件)。賃貸人の承諾を得て賃借権が譲渡されると、賃借人の権利義務はすべて譲受人(新
賃借人)に移転し、譲渡人(旧賃借人)は、賃貸借関係から離脱することになる。ここに
いう承諾は、賃貸人によって、譲渡の前後に承諾料を得てあるいはこれを得ずしてなされ
る、明示・黙示の意思表示(単独行為)であって、賃借人、譲受人のいずれに対してなさ
れてもよい。なお、賃貸人が承諾したことの主張・立証責任は、賃借人、譲受人の側が負
うものとされる。
譲受人が用益できる期間は、残りの期間であるのが原則である。譲受人は、譲渡人が負
っていたと同一内容で、譲渡後の賃料債務、保管義務、用法遵守義務などを賃貸人に対し
て負うこととなる。なお、すでにみたように、譲渡人が敷金を交付していた場合、特段の
事情なきかぎり、敷金関係が譲受人に承継されることはない。譲渡人が賃貸人に対して延
滞していた賃料債務や目的物を毀損したことによる損害賠償債務は、譲受人によって債務
引受がなされないかぎり、譲受人に承継されることはない。
2 目的物の転貸
賃貸人の承諾を得て賃貸借の目的物が転貸(又貸し)された場合には、賃借人(転貸人)
は従来の賃貸借関係にとどまり(この賃貸借を原賃貸借という)、賃借人と転借人との間
に、原賃貸借に対し従属性を有する賃貸借関係(無償であれば使用貸借関係)が生ずる。
転借人は、賃貸人と直接の契約関係にないのであるが、賃料支払義務、目的物保管義務、
賃貸借が終了したときの目的物返還義務を、賃貸人に対して直接に負うものとされている
(613条1項前段)。転借人が賃借人に賃料の前払いをしているときにも、その前払い
を理由として賃貸人に賃料の支払いを拒むことはできないものとされる(同条1項後段)
。
利益がとくに保護されているのである。逆に、転借人は、賃貸人に対して直接、修繕請求
などの権利を行使することはできない。613条1項のような規定が存しないからである。
原賃貸人と賃借人(すなわち転貸人)の権利義務関係は、転貸借によって影響を受ける
ことはないから、賃貸人は賃借人(転貸人)に対して権利を行使しうるこというまでもな
い(613条2項は、このことを注意的に規定している)。したがって、賃貸人からの契
約解除は、賃借人を相手になされることとなる。転借人の過失によって目的物が毀損した
場合に賃借人(転貸人)が責任を負うかについて、判例は肯定するが、承諾転貸の場合に
は賃借人に選任・監督上の過失がなければ賠償責任を負わないとの学説が有力である。
転借権は原賃貸借に基礎をおくものであるから、原貸主の承諾を得た転貸借の場合であ
っても、存続期間の満了や解約申入れによって賃借権が消滅すれば、転借権も消滅せざる
をえない(なお、普通借地・既存借地・借家の場合、転借人の使用の必要にかかる事情は、
借地人・借家人側の事情として考慮されるー借地借家法6条・28条)。もっとも、建物
の転貸借がなされている場合においては、建物の賃貸借が期間の満了または解約の申入れ
によって終了するときは、建物の賃貸人は、建物の賃借人にその旨の通知をしなければ、
その終了を転借人に対抗することができず、通知をしたときは、通知のなされた日から6
月を経過することによって終了するものとされている(借地借家法34条。本条は、片面
的強行規定とされるー同37条)。しかし、判例上、賃借権の放棄、原賃貸人・賃借人(転
- 156 -
貸人)間の合意解除がなされた場合、その効果は、転貸借が一時使用を目的にしていたに
すぎない場合、賃借人(転貸人)と転借人とが社会的実質的な観点からみて同一の実体を
もつ場合などは別であるが、原則として転借人に対抗できないものとされている(最判昭
和37・2・1裁判集民58号441頁など)。転貸人としては転貸借を維持していくべ
きであるし、原貸主も転貸借に承諾を与えた以上進んでこれを覆す行為にかかわることは
信義に反するからである。
3 無断譲渡・転貸
賃借権の譲渡、目的物の転貸が、賃貸人の承諾なくしてなされた場合には、賃貸人は、
賃貸借契約を解除することができるものとされる(612条2項)
。
もっとも、判例は、「信頼関係破壊法理」によって、解除を制限している。すなわち、
賃借人が賃貸人の承諾なく第三者をして賃貸目的物の使用板益をさせた場合であっても、
それが賃貸人に対する「背信的行為と認めるに足らない特段の事情がある場合」には、解
除権は生じないものとされる。たとえば、賃借人と譲受人・転借人との間に親族関係など
特殊な人的関係がある場合(最判昭和39・1・16民集18巻1号11頁など)、譲渡
・転貸がなされていても、個人営業者が税金対策のため法人成りしたにすぎず、目的物の
使用収益の状況が実質的に変わっていない場合(最判昭和39・11・19民集18巻9
号1900頁など)があげられる。なお、背信行為と認めるに足りない特段の事情につい
ての主張・立証責任は賃借人にある(最判昭和41・1・27民集20巻1号136頁)
。
特段の事情があるとして賃貸人の解除が認められない場合には、譲受人・転借人は、譲渡
・転貸をもって、賃貸人に対抗することができる(最判昭和40・6・18民集19巻4
号976頁)。賃借権譲渡の場合には、賃借人(譲渡人)は、承諾ある場合と同様に、契
約関係から離脱する、とするのが判例である(最判昭和45・12・11民集24巻13
号2015頁)が、学説には、賃借人に譲受人との併存責任を認めるべきであると説くも
のがみられる。
譲渡・転貸につき承諾がない場合においても、賃借人と譲受人・転借人との間では有効
に譲渡・転貸をなしうる。賃借人は承諾を得る義務を負うところ、これが得られなかった
場合には、担保責任を負うことになる(561条の準用ないし類推適用)。しかし、譲受
人・転借人は、(信頼関係を破壊しないとされる場合を除き)譲渡・転貸をもって賃貸人
に対抗できないのであって、譲受人・転借人の占有は賃貸人に対しては不適法なものとな
る。
4 借地借家法における承諾に代わる裁判など
建物所有のための賃貸借において、賃借人すなわち借地権者が借地上の建物を第三者に
譲渡しようとする場合において、その第三者が賃借権を取得し、または転借しても地主の
不利となるおそれがないにもかかわらず、地主が賃借権の譲渡または転貸を承諾しないと
きは、裁判所は、借地権者の申立てにより、借地権の残存期間・土地の状況・借地に関す
る従前の経過その他いっさいの事情を考慮して、地主の承諾に代わる許可の裁判をするこ
とができるものとしている。
このような代諾許可を与えるにあたって、裁判所は、裁判する前に原則として鑑定委員
会の意見を聴かなければならず、必要に応じて、他の借地条件を変更し、あるいは財産上
の給付を命ずることがありうること、借地条件の変更などの場合と同様である(借地借家
- 157 -
法19条1項・2項・6項)。また、右の申立てがあった場合において、地主がみずから
建物の譲渡および賃借権の譲渡または転貸を受ける旨の申立てをしたときは、裁判所は、
相当の対価を定めて、地主への建物および賃借権の譲渡または転貸を賃借人に命ずること
ができるものとされている(同19条3項)。借地人が土地に投下した資本の回収の途を
与えるためのものである。
また、借地法借家法は、第三者が借地上建物を取得した場合において、地主が借地権の
譲渡または転貸を承諾しないときは、右第三者は、地主に対して建物を時価で買いとるべ
きことを求めることができるものとしている(借地借家法14条)。こうした権利を建物
買取請求権というが、これは形成権であって、第三者の一方的意思表示のみで第三者と地
主との間に時価による建物売買契約が成立することになる。
【重要論点36】
【原賃貸借の賃料不払いによる解除と転借】
転借権は賃借人の賃借権を基礎として成立している。したがって、賃借権が契約解除に
よって消滅するときは、転借権も存在の根拠を失う。そこで、たとえば建物を目的とする
転貸借の場合に、原賃貸借が賃料不払いにより解除されると転借人も建物から退去しなけ
ればならなくなるが、転借人としては、こうした場合、転貸人に代わり賃料を弁済(第三
者弁済ー474条)して立退を免れることが考えられる。そこでさらに、転借人の利益を
考えると、承諾ある転貸借がなされている場合には、転借人にも催告をしたうえでなけれ
ば原賃貸人は原賃貸借を解除できないというべきではないか、という問題が生ずる。
しかし、判例は、一貫して、債務不履行解除の効果は転借人への催告なくしても転借人
に及ぶと解している(最判昭和45・12・24民集24巻13号2271頁など)。類
似のことが、地主と借地上の建物の借家人との間においても問題となりうる(最判昭和3
8・2・21民集17巻1号219頁など。期間満了による借地権の消滅の場合における
借地上建物賃借人の保護にかかる借地借家法35条もあわせ参照してほしい)。
【重要論点37】
【借地上建物を譲渡担保に供することは賃借権譲渡に当たるか】
借地人が、地主に断ることなく、担保目的で借地上建物の所有権を債権者に移転した場
合に、借地権の無断譲渡をしたことになるかは、譲渡担保をどう捉えるか(いわゆる所有
権的構成・担保的構成)にかかわっている。少なくとも地主との関係では建物所有権は譲
渡担保権者に移転すると考えると借地権の無断譲渡がなされたとみることができるから、
古い判決例には地主が契約解除できるとしたものもあった。しかし、最近の判例において
は、無断譲渡には当たらないとして、あるいは無断譲渡に当たるが、建物の使用は担保権
設定者のもとにとどめられ敷地の利用状況に変化はなく債務者が弁済をすれば物件を取り
戻すこともできるから、確定的に所有権移転がなされないかぎり信頼関係を破壊するもの
ではないとして、解除を認めないものが多い(最判昭和40・12・17民集19巻9号
2159頁など)。なお、譲渡担保権者が建物の引渡しを受けて使用収益している場合に
つき、解除を認めた判例がある(最判平成9・7・17民集51巻6号2882頁→瀬川
=内田54事件)。さらに、こうした場合、譲渡担保権者は、借地権譲渡許可申立てがで
- 158 -
きるかという問題もある(借地借家法20条参照)
。
第6節 賃借人の第三者に対する関係
1
賃貸借目的物の新所有者との関係
(1)民法の考え方
賃借権は、目的物に対する権利ではなく、特定の債務者に対して物の使用・収益をさせ
るよう求めることのできる債権である。そこで、賃貸人が目的物を譲渡(特定承継人へ所
有権を移転)した場合には、賃借人は、譲受人(新所有者)に対して、その物の使用収益
をさせるよう求めることはできない。賃借人は、新所有者の所有権にもとづく引渡・明渡
請求に対し、賃借権を根拠にこれを拒むことができないのである。すなわち、賃借権には
第三者に対する対抗力がないのが原則である(このことは、一般に、「売買は賃貸借を破
る」と表現される)。この場合、賃借人としては、賃貸人(旧所有者)に対し、債務不履
行(履行不能)責任を問うよりほかないのである(415条)。
なるほど、生活・営業の基盤にかかわる不動産賃貸借については、目的物の譲渡によっ
て使用収益ができなくなってしまうことは実際上の不便が少なくないとして、債権である
にもかかわらず例外的に登記することができるものとし、登記がなされたときは、爾後そ
の不動産につき物権を取得した者に対してもその効力を生ずるとされたのである(605
条)。しかし、判例(大判大正10・7・11民録27輯1378頁)そして通説は、賃
借権には登記請求権はないと解しており、賃貸人の協力がなければ賃借権につき登記をす
ることができないのであって、民法起草者の意図したとは異なり、本条による登記は実際
にはほとんど利用されていない。
(2)特別法による対抗力付与
ところで、賃借権が対抗力をもたないこととのかかわりで日露戦争後に社会問題となっ
たのが「地震売買」である。これは、宅地賃借権について、地価が騰貴するなかで、地主
が、賃借権に登記がなされていないことに目をつけて、地代値上げをしたい、応じないな
ら土地を売却すると値上げを迫り、賃借人がこれに応じない場合には、売却しあるいは売
却したことにして買受人から明渡しを求めるというものである。この売買が「地震売買」
とよばれるのは、地震のように突然やってくるものであり、これがなされると賃借人とし
て借地上建物の取壊しを余儀なくされるからである。こうした状況のもと、借地人保護と
いうより借地上建物の維持存続をはかるという目的ではあったが、賃貸人の協力がなくて
も宅地賃借権につき対抗力を取得できる途が開かれるにいたるのである(借地借家法によ
り廃止された、明治42年法律40号「建物保護二関スル法律」1条である)。その後、
建物保護に関する法律についての判例の展開がみられ、また借家法、農地法の制定によっ
て、賃借人保護の観点から、賃借権が簡易な方法で目的土地の新所有者に対する対抗力を
具備しうるものとなってきている。
なお、対抗力を具備しない賃借権の場合においても、権利濫用に当たるとし(最判昭和
38・5・24民集17巻5号639頁→瀬川=内田49事件、奥田ほか88事件、最判
昭和52・3・31金法824号3頁など)、あるいは新所有者が悪意者もしくは背信的
悪意者であるから借地権の対抗要件の欠缺を主張する利益を有しないとして、新所有者に
よる明渡請求が棄却されることはありうる。
- 159 -
(イ)借地借家法
①借地の場合
建物所有のための土地賃貸借につき、旧建物保護二関スル法律と同様に、
借地人がその土地のうえに登記されている建物を所有するときには、借地権につき登記が
なくとも、借地権を新土地所有者に対抗できるとしている(借地借家法10条1項)。借
地上の建物について、建物所有者たる借地権者が自己名義の保存登記をし、あるいは移転
登記を経由している場合がもっとも一般的であるが、判例(旧建物保護二関スル法律1条
についてのものである)によれば、借地権者が自己を所有者とした「表示の登記」ある建
物を所有するのでもよく(最判昭和50・2・13民集29巻2号83頁)、また、登記
における表示に当該建物の同一性を認識できる程度の軽微な相違があってもよいとされて
いる(最判昭和40・3・17民集19巻2号453頁)。しかし、借地権者以外の名義
で建物の登記がされている(たとえば子・妻など親族名義の登記、債権担保のために債権
者名義の登記がある)場合については、判例は対抗力を認めていない(最判昭和41・4
・27民集20巻4号870頁→瀬川=内田50事件、最判昭和47・6・22民集26
巻5号1051頁→奥田ほか89事件、最判平成1・2・7判時1319号102頁)。
学説の多くは、他人名義の登記であっても対抗力を認めて、借地人を保護すべきであると
している。
この場合、建物の滅失があったとしても、滅失後、借地権者がその建物を特定するため
に必要な事項、滅失があった日および建物を新たに築造する旨を土地のうえの見やすい場
所に掲示すれば(明認方法)、2年間は建物および建物登記がなくとも借地権の対抗力を
失わないとされる(借地借家法10条2項)
。
なお、本条は、借地借家法施行後に成立した、普通借地権、広義の定期借地権、一時使
用の借地権のいずれについても適用がある。既存借地については、本条1項は適用される
が、2項は適用されないものと明定されている(借地借家法附則8条)。
(ロ)建物賃貸借の場合
借地借家法は、建物賃借権について、その登記がなくても、建物の引渡しがあったとき
は、爾後その建物について物権を取得した者に対しても賃借権を対抗できるものとしてい
る(借地借家法31条)。建物の引渡しは、現実の引渡し、簡易の引渡し、指図による引
渡し(最判昭和61・11・18判時1221号32頁)のいずれであってもよい。しか
し、たとえば賃貸人が契約後しばらくの間賃借人のために預かっているなど、占有改定に
よる場合については、表札を賃借人のものに変えるなどしなければ対抗要件は備わらない
といった議論がある。
本条は、既存借家にも適用がある。
(ハ)農地法
農地および採草放牧地の賃借人は、借家の場合と同様に、農地の引渡しにより対抗力を
取得する(農地法18条)。
2 二重賃借人間の関係
目的物所有者が同じ物を二重に賃貸した場合については、判例・通説は、対抗要件を具
備した賃借人が優先するとしている。たとえば、賃借人が、目的土地上に建物をもってい
たが戦災にあい焼失してしまったところ、所有者(賃貸人)から右土地を賃借し建物を建
てた者に対し、罹災都市借地借家臨時処理法10条により対抗力をもつ賃借権(罹災地借
- 160 -
地権)にもとづき建物収去・土地明渡請求をしたという事案につき、裁判所は、第三者に
対抗できる借地権を有する者は、爾後その土地につき賃借権を取得し、これにより地上に
建物を建ててこれを使用する者に対し、直接その建物の収去、土地の明渡しを請求するこ
とができるとして、これを認容している(最判昭和28・12・18民集7巻12号15
15頁→瀬川=内田=森田109事件、奥田ほか5事件、星野ほか22事件)。
3 不法占拠者に対する関係
賃借人は、目的物を無権限で占有する者があり使用収益が妨げられたときには、賃貸人
に対してこれを排除するよう求めることができることはいうまでもない(賃借人に目的物
の使用収益をさせるべき賃貸人の義務に対応する)。しかし、物に対する権利と構成され
る地上権、永小作権の場合とは異なり、債権と構成される賃借権において、賃借人は、不
法占拠者に対して直接に妨害排除を求めることはできるであろうか。賃借人は、いかなる
根拠にもとづき、賃貸借目的物の明渡しや返還を求めることができるであろうか。
まず、すでに占有を始めていた賃借人に占有保持の訴え、占有回収の訴えによって、妨
害の停止、物の返還さらには損害賠償が認められることはいうまでもない。占有を妨げら
れるおそれがある場合には占有保全の訴えが認められる(197条以下)
。
ついで、判例は、賃借人は賃貸人が不法占拠者に対して所有権にもとづき有する妨害排
除請求権を、とくに債務者(すなわち賃貸人)の無資力を要件とすることなく、代位行使
できるとしている(423条。大判昭和4・12・16民集8巻944頁→奥田ほか19
事件、瀬川=内田=森田88事件、星野ほか12事件)。いわゆる債権者代位権の転用と
いう問題である。たとえば、建物所有者(賃貸人)から建物の2階全部を賃借した賃借人
が無断転貸を理由に契約を解除されたかつての賃借人に対して、2階の1室の明渡しを求
めたという事案について、最高裁は、賃借人が所有者に代位して不法占拠者に明渡しを求
める場合には、直接自己に対し明渡しをなすべきことを請求することができると判示して
いる(最判昭和29・9・24民集8巻9号1658頁)。
さらに、判例は、対抗力を有する不動産賃借権については、賃借権にもとづく妨害排除
請求を認めている。たとえば、所有者から土地を借り受け建物を所有していた賃借人が、
建物が戦災により焼失した後その焼跡に2棟の建物を建築所有してしまった不法占拠者を
相手に、建物収去土地明渡しを請求したという場合について、最高裁は、罹災都市借地借
家臨時処理法10条により第三者に対抗できる賃借権を有する者は、その土地に建物を有
する第三者に対し、右建物の収去、土地の明渡しを請求できるとしている(最判昭和30
・4・5民集9巻4号431頁。対抗要件を備えていない賃借権の場合についての、最判
昭和29・7・20民集8巻7号1408頁も参照)。民法605条、借地借家法10条
・31条、罹災都市借地借家臨時処理法10条などによって、第三者に対する「対抗力を
もつ賃借権はいわゆる物権的効力(排他性)を有」するということにもとづく推論である。
学説においては、これを支持する多数説のほか、対抗力を具備しうる賃借権(不動産賃借
権)については、不法占拠者との関係では対抗力を有しない場合にも賃借権にもとづく妨
害排除請求を認めてよいのではないかとする説(判例は対抗力が備わっていなくとも債権
者代位権の転用による保護は与えるのであるから、こうした迂路を経ず端的に賃借権にも
とづく妨害排除を認めるべきであるとみる)があり、むしろこれが有力となってきている。
なお、賃借人は、民法709条にもとづき、不法に使用収益を妨げる者に対して損害賠
- 161 -
償請求をすることも認められうる。
第5節 賃貸借の終了
1 終了原因
(1)存続期間の満了
存続期間の定めのある賃貸借は、(当初の期間であるにせよ、更新後の期間であるにせ
よ)存続期間の満了によって終了する。なお、更新・黙示の更新の制度があること、また、
借地借家法・農地法などにおいて、請求による更新・使用継続による更新の制度をとり、
あるいは更新拒絶の通知に知事の許可を必要とするなどして、存続期間の保障がはかられ
ていること、すでに述べたとおりである。
(2)存続期間の定めがない場合
当事者が存続期間を定めなかった場合においては、賃貸借は、各当事者が解約申入れを
し、その後一定期間が経過すると終了する(宅地貸借では一定の存続期間をもつものと扱
われる。すなわち、土地については解約申入れの後1年、建物ついては3カ月、貸席およ
び動産については1日経過することによって、賃貸借は終了する(617条)。定められ
た存続期間が満了した後、賃借人が使用・収益を継続し、賃貸人がこれを知りながら異議
を述べなかったことにより黙示に更新された賃貸借も、同様である(619条)。なお、
借地借家法において、家主より解約申入れがされた場合については解約申入れの日から6
月経過することにより終了するとされ、しかも正当事由による制限がされていること、農
地法において、解約申入れには知事の許可を要するとされていること、すでに述べたとお
りである。
(3)契約解除・合意解除
まず、契約解除であるが、賃貸借当事者に特約違反・法規違反、とりわけ賃借人に賃料
不払い、用法違反、保管義務違反、さらには賃借権の無断譲渡・転貸などがあるときは、
契約解除(約定解除・法定解除)が問題となる。もっとも、借地、借家契約においては、
すでにふれているように、いわゆる信頼関係破壊法理の展開がみられる。すなわち、とり
わけ賃借人に債務不履行があっても、それが借地契約において基礎をなす信頼関係を破壊
するにたりない特段の事情がある場合には、解除権は生じないという考え方である(たと
えば、最判昭和28・9・15民集7巻9号979頁参照)。また、賃借人の義務違反が
著しい背信行為とみられる場合には、賃貸人は催告なくして解除(告知)しうるとした判
例もある(最判昭和27・4・25民集6巻4号451頁→瀬川=内田61事件、奥田ほ
か68事件)。契約解除権が行使されると、賃貸借は将来に向かって解消するとされてい
る(620条)。
また、当事者間において、賃貸借が合意解除された場合も、契約は将来に向かって解消
される。とくに宅地賃貸借の場合には、借地権の存続期間を短縮するものであるから借地
人にとって不利な約定となるが、合意にさいして借地人が真実解約の意思を有していると
認めるに足りる合理的客観的理由があり、かつほかに右合意を不当とする事情が認められ
ないかぎり、借地法11条、借地借家法9条に違反して無効であるということはできない
(なお、適法な転貸借がなされている場合に合意解除を転借人に対抗できるかはすでに述
べたように別論である)。
なお、農地法においては、更新しない旨の通知・解約申入れの場合と同様、解除、合意
- 162 -
解除についても知事の許可を要するものとされている(農地法20条)。
(4)滅失・朽廃など履行不能
契約成立後に目的物が滅失・朽廃等によって使用不能になった場合には、その原因のい
かんを問わず、賃貸借の終了をもたらす(最判昭和42・6・22民集21巻6号146
8頁など参照)。この場合に、目的物滅失につき責任ある当事者、たとえば火を失して賃
借家屋を焼失せしめてしまったときの借家人は、相手当事者に対し損害賠償責任を負うこ
とになる。
賃借人の責に帰すべからざる事由によって目的物の一部が滅失した場合においては、賃
借人は、借賃減額を求めることができ、残部のみにては契約の目的を達しえないときは、
契約を解除することができる(611条)。
《参考ー罹災都市臨時処理法における借家についての特則》
「政令で定める火災・震災・風水害その他の災害」のため建物が滅失した場合において、
その建物(罹災建物)が滅失した当時における建物の借主(罹災借家人)は、その建物の
敷地またはその換地に借主以外の者により最初に築造された建物について、その完成前賃
借の申出をすることによって、他の者に優先して相当な借家条件で、その建物を賃借でき
るものとされている(罹災借家人の建物優先賃借権ー14条)。
(5)混同
たとえば土地の賃借人がその土地の所有権を取得するなど、賃貸人(賃貸借目的物の所
有者)と賃借人の地位が同一人に帰した場合には、混同の法理により賃借権は消滅する(5
20条)。ただし、賃借権が第三者の権利の目的である場合、たとえば賃借人が地上建物
を所有し、これに抵当権を設定しその効力が土地賃借権にも及んでいるといったときには、
賃借人が目的物の所有権を取得しても混同消滅しないものと考えられる(520条但書)
。
2 終了の効果
(1)目的物の返還
目的物の滅失による終了はべつとして、賃貸借終了時に賃借人が目的物を賃貸人に返還
すべき義務あることはすでに述べたとおりである。
(2)有益費の償還
賃借人が有益費を支出したときは、契約終了のときに、費用の投下による価格の増加が
現存する場合にかぎり、(賃貸人の選択により)費やした金額または増加額を返還しなけ
ればならないということについてもすでに述べた。
(3)造作買取請求権・建物買取請求権
建物賃借人(借家人)は、家主の同意を得て建物に付加した畳・建具その他の造作(借
家人の所有に属し、かつ建物の使用に客観的に便宜を与える物ー最判昭和29・3・11
民集8巻3号672頁)および家主から買い受けた造作については、期間満了、解約申入
れによる賃貸借の終了の場合に時価をもってこれを買いとることを家主に求めることがで
きる(借地借家法33条)。造作買取請求権を放棄する旨の特約は、旧借家法のもとでは
借家人に不利な特約としてなされなかったものと扱われたが(借家法6条)、借地借家法
のもとではかような特約は有効とされるにいたった(借地借家法37条参照)。
宅地賃借人(借地人)は、借地権の存続期間が満了ししかも更新が生じない場合には、
- 163 -
建物その他権原により土地に付属させた物の買取を地主に請求できる(借地借家法13条
1項)。建物買取請求権は形成権であって、借地人の一方的意思表示のみによって当該建
物についての時価による売買契約が成立することになる。この場合に、借地人であった者
は、同時履行の抗弁権または留置権によって、相手方が建物の代金を支払いをするまでは、
建物の引渡しを拒むことができる。借地権の存続期間が満了する前に地主の承諾を得ない
で存続期間を超えて存続すべき建物が再築された場合には、裁判所は、地主の請求により、
代金の全部または一部の支払いにつき相当な期限を地主に与えることがありうる(同13
条2項)。建物時価につき争いある場合には、裁判所が鑑定を経て価額を決定することに
なるが、現存するままの状態における建物自体の価格(取り壊したときの木材等動産の価
格ではない)に建物の存在する場所的環境をも参酌して決せられるべきものとされている
(最判昭和47・5・23判時673号42頁)。なお、狭義の定期借地については特約
により、事業用借地については法の定めによって建物買取請求権は認められない(同22
条・24条)。存続期間満了以外の終了の場合における建物買取請求の成否についてみて
おくと、まず、借地人の義務違反を理由とする解除によって借地権が消滅した場合には、
買取請求権は成立しないものと解されている(最判昭和58・3・24判時1095号1
02頁など)。この場合、借地人は、借地上建物を収去し土地を明け渡さなければならな
いことになる。合意解除の場合については、建物買取請求権を放棄しているとみられるか
どうかによって、買取請求を認めるべきか否かが判断される。破産による解約申入れによ
る終了の場合については建物買取請求ほ認められるというのが下級審判決例である。
(4)
敷金等
契約終了時における敷金の扱いについてもすでに述べた。
【重要論点38】
【信頼関係破壊法理】
賃貸借は信頼関係を基礎とする契約であるから、債務不履行などがあっても信頼関係を
破壊するにたりない特段の事情があるときは契約解除権は生じないというのは確定した判
例理論であり、学説もこれを支持している。たとえば、賃料の不払いがあっても過去18
年間賃料延滞はなく修繕費の償還をしていなかったという事情がある、無断増改築禁止特
約がある場合でも増改築が土地の通常の利用上相当である、個人営業をしていた賃借人が
企業組織にしたため形式的には賃借人が会社となり賃借権の無断譲渡となったが実質は以
前と変わっていないといった場合には、背信行為と認めるにたりない特段の事情があると
される。この点の主張・立証責任は賃借人が負うものとされる(最判昭和39・11・1
9民集18巻9号1900頁、最判昭和41・4・21民集20巻4号720頁→瀬川=
内田60事件、最判昭和40・9・21民集19巻6号1550頁など参照)。
【重要論点39】
【債務不履行解除と民法541条の適用の有無】
継続的契約の一つである賃貸借については、解除ではなく解約告知(期間の定めなき告
知)が問題になるのであって、民法541条の規定はそもそも適用されず、当事者の信頼
関係が破壊された場合にのみ解約告知することができると解する説があるが、判例そして
多くの学説は、民法541条を信義則ないし権利濫用法理の法理によって修正適用すべき
- 164 -
ものと考えているといえる。
【重要論点40】
【契約終了にあたっての返還請求権】
判例・通説は、賃貸人は契約の終了にあたり、賃貸借上の目的物返還請求権を有すると
ともに、所有権に基づく返還請求権をも有すると解している(請求権競合説−大判昭和1
2・7・10民集16巻277頁)。しかし、これには、前者しか主張しえないとする法
条競合説、この返還請求権は問題局面に応じて債権としての性格、物権としての性格をあ
わせもつとする説などが対立している(いわゆる請求権競合問題)。使用貸借、寄託等に
ついても同様の問題が生じうる(大判大正11・8・21民集1巻493頁参照)
。
【参考 賃貸借関連重要判例】
①最判昭和48・2・2民集27巻2号80頁(敷金の性質・敷金返還請求権の発生時
期・賃貸借終了後の所有権移転と敷金関係の帰趨)
Bは抵当権の設定された建物をAから期間3年の約定で賃借し、敷金として25万円を
支払った。右抵当権の実行により右建物を競落したY銀行が賃貸人の地位を承継して後間
もなく賃貸借は終了したが、Bは建物を明け渡さない。Yは右建物をCに売却し、敷金も
譲渡したのであるが、Bに貸金債権を有するⅩがBのYに対する敷金返還請求権を差し押
え、転付命令を得、Yに敷金の支払いを求めたという事案につき、「家屋賃貸借における
敷金は、賃貸借終了後家屋明渡義務履行までに生ずる賃料相当額の損害金債権その他賃貸
借契約により賃貸人が賃借人に対して取得する一切の債権を担保するものであり、敷金返
還請求権は、賃貸借終了後家屋明渡完了の時においてそれまでに生じた右被担保債権を控
除しなお残額がある場合に、その残額につき具体的に発生するものと解すべきである」。
「家屋の賃貸借終了後明渡前にその所有権が他に移転された場合には、敷金に関する権利
義務の関係は、旧所有者と新所有者との合意のみによっては、新所有者に承継されない」
。
②最判昭和53・12・22民集32巻9号1768頁(賃借人が替わった場合の敷金
関係の承継の有無)
AはYから宅地を敷金3000万円を支払って賃借したが、Aが国税を滞納したので、
X(国)がAのYに対する将来の敷金返還請求権を差し押えてその旨を通知した。その後
にBがAの右借地上の建物を競落し、借地権の譲渡を受けることになったが、1900万
円を敷金の追加として支払うことを合意し、借地権譲受につきYの承諾を得た。こうした
事情のもとでⅩがYに対し敷金を払うよう求めた事案につき、「賃借権が旧賃借人から新
賃借人に移転され賃貸人がこれを承諾したことにより旧賃借人が賃借関係から離脱した場
合においては、敷金交付者が賃貸人との間で敷金をもって新賃借人の債務不履行の担保と
することを約し、又は新賃借人に対して敷金返還請求権を譲渡するなど特段の事情のない
限り、敷金に関する敷金交付者の権利義務関係は新賃借人に承継されるものではない」→
瀬川=内田66事件、奥田ほか93事件、星野ほか61事件。
③大判昭和11・11・27民集15巻2110頁(賃貸人が替った場合の敷金関係の
承継の有無)
Yは、敷金4000円を差し入れ訴外Aから家屋を賃借し、浴場を経営していたが、右
家屋は、訴外B、そしてXに順次譲渡された。Yが賃料を支払わなかったので、Xが、右
家屋を訴外Cに譲渡したうえ、自分が賃貸人であった期間についての延滞賃料の支払を求
- 165 -
めて、本訴を提起したところ、Yが、Aに差しいれた敷金はBそしてXに引き継がれてお
り(2400余円)、Xが右家屋をCに譲渡した際延滞賃料に当然に充当されたと抗弁し
たという事案について、「借家法第1条の規定により建物の旧所有者と賃借人間の建物賃
貸借が右建物の所有権を取得したる新所有者に対し其の効力を有し新所有者と賃借人間に
右賃貸借依然存続する場合に於いて、右賃貸借に附従して賃借人が旧所有者に差し入れた
る敷金の現存する以上、右敷金は当然新所有者に引継がるるを常とし、他日新所有者と賃
借人問の賃貸借終了するときは、賃借人に賃料の延滞なき限り若は延滞賃料を控除したる
範囲に於いて、新所有者は賃借人に対し之が返還の義務を有すると解するを相当とす。従
いて若し新所有者にして特に敷金の差入を不用なりとし其の引継を拒否せんとする場合に
於ては、此の点に付新旧所有者及賃借人間にその旨の合意あることを要するや論無し」。
④最判昭和28・12・18民集7巻12号1515五頁(賃借権に基づく妨害排除請
求)
XがA所有の土地を賃借し、その上に建物を所有していたが、右建物は戦災にあい焼失
してしまったところ、Yが右土地を賃借し建物を建築した。そこで、XがYに対し罹災都
市借地借家臨時処理法10条により対抗力をもつ借地権に基づいて建物収去・土地明渡を
求めた事案について、「第三者に対抗できる借地権を有する者は、爾後その土地につき賃
借権を取得し、これにより地上に建物を建ててこれを使用する者に対し、直接その建物の
収去、土地の明渡を請求することができる」→瀬川=内田=森田109事件、奥田ほか5
事件、星野ほか22事件
⑤最判昭和29・9・24民集8巻9号1658頁(賃借権に基づく妨害排除請求)
建物所有者Aから2階全部を賃借したX(その後Aの承諾を得て参加人に賃借権を譲渡
している)が、無断転貸を理由に契約を解除されたかつての賃借人Yに対し、Aに代位し
2階の7坪余の室の明渡を求めたという事案につき、「建物の賃借人が、賃貸人たる建物
所有者に代位して、建物の不法占拠者に対しその明渡を請求する場合には、直接自己に対
して明渡をなすべきことを請求することができる」
。
⑥最判昭和30・4・5民集9巻4号432貝(賃借権に基づく妨害排除請求)
Aから土地を借り受け、同地上に建物を所有していたⅩが、右建物が戦災で焼失して後
その焼跡にXに無断で2棟の建物を建築所有してしまったYを相手に、建物収去土地明渡
を求めたという事案につき、「罹災都市借地借家臨時処理法第10条により第三者に対抗
できる賃借権を有する者は、その土地に建物を有する第三者(不法占拠者)に対し、右建
物の収去、土地の明渡を請求することができる」。
⑦最判昭和29・1・22民集8巻1号207頁(正当事由の判断)
Xは、Yに期限の定めなく賃貸していた家屋につき、1階部分2部屋で生活していたが、
全家族の住居のため家屋全部を自ら使用する必要があるとして、Yに解約を申し入れ、家
屋の明渡を求めたという事案について、
「借家法第1条ノ2にいわゆる『正当事由』とは、
賃貸借当事者双方の利害関係その他諸般の事情を考慮し、社会通念に照し妥当と認むべき
理由をいい、賃貸人が自ら使用することを必要とする一事により、直ちに『正当の事由』
があるとはいえない」
。
⑧最判昭和46・11・25民集25巻8号1343頁(正当事由の判断)
Xは、繁華街に建てた店舗を果実商Yに10数年にわたり賃貸していたが、建物が老朽
- 166 -
化したので取りこわして高層ビルを建築することを計画し、これを理由にYに対して更新
の拒絶(後、解約の申入に請求原因を変更)をし建物の明渡を求め、予備的に正当事由の
補強条件として300万円の立退料を支払うことと引換えに明渡を求めたという事案につ
いて、「賃貸人が賃借人に対して立退料として300万円もしくはこれと格段の相違のな
い一定の範囲内で裁判所の決定する金員を支払う旨の意思を表明し、かつその支払いと引
換えに店舗の明渡しを求めている場合に、右の解約申し入れにつき正当事由を具備したも
のとし、500万円の支払いと引換えに明渡請求を認容する原審の判断は正当である」→
瀬川=内田56事件
⑨最判昭和44・11・26民集23巻2号2221頁(借地法2条に反する存続期間
の定めがなされた場合の扱い)
Yは、AがXより賃借していた土地をXの承諾を得て期間3年の定めで転借し、そこに
建物を築造した。Xが賃借権の消滅を理由にYに建物収去・土地明渡を求めたという事案
につき、「いわゆる普通建物の所有を目的とする土地の賃貸借契約において期間を3年と
定めた場合には、右存続期間の約定は、借地法11条により、定めなかったものとみなさ
れ、右賃貸借の存続期間は、同法2条1項本文により、契約の時から30年と解すべきで
ある」
。
⑩最判昭和35・2・9民集14巻1号108頁(債務不履行解除と建物買取請求)
Aは、Yに土地を賃貸していたが、賃料不払を理由として契約を解除。Aから右土地の
所有権他を譲り受けたXがYを相手に建物収去土地明渡を求めたのに対し、Yが建物買取
を求めたという事案につき、
「借地人の債務不履行による土地賃貸借契約解除の場合には、
借地人は借地法第4条第2項による建物等買取請求権を有しない」
。
7
雇傭
第1節 雇傭の意義・成立
1 雇傭の意義
雇傭とは、当事者の一方(労務者)が労務に服し、相手方(使用者)がこれに対して報
酬(賃金)を支払うことを約する双務・有償・諾成の契約である(623条)。
他人の労働の利用に関わるこの契約は、頻繁に行われ、その有する社会的意義がすこぶ
る大きいことはいうまでもないが、今日、ほとんどの雇傭関係は、労働法(ここでは、と
りわけ労働基準法)の適用を受ける。民法623条以下の雇傭に関する規定は、特別法で
ある労働法によって大幅に修正され、労働法に定めのない事項、労働法の適用がない事項
(同居の親族のみを使用する事業、家事使用人については、労働基準法の適用がないー労
基116条2項)に適用されるにとどまり、ごく限られた存在意義しかもたなくなってい
る。
なお、労働関係紛争の解決のためには特別の手続が定められていることにも留意すべき
である(労働委員会ー労組19条)
。
2 雇傭の成立
雇傭は、諾成・不要式の契約である。なお、労働基準法は、未成年の親権者または後見
人が未成年者に代わって契約を締結することを禁じている(労基58条。労基法は、児童
- 167 -
が満15歳に達した日以後の最初の3月31日が終了するまでは使用してはならないとし
ているー労基56条)。また、契約締結にあたって賃金・労働時間など労働条件を明示す
べき義務を使用者に課している(労基15条)。
【重要論点41】
【労務提供型の諸契約】
他人の労務の利用を目的とする典型契約としては、雇傭の他、請負、委任、寄託がある。
請負は、仕事の完成を目的とする点で雇傭と異なる。委任は、受任者が相手の指揮・命令
の下にではなく自己の裁量で労務の提供をする点で雇傭と異なる。寄託は、提供する労務
が物の保管であるという点で特色がある。しかし、これらは理念型であって、実際上相互
の限界づけは必ずしも容易ではない。
【重要論点42】
【採用内定の法的意義】
大学卒業予定者が企業の求人募集に応募し採用試験に合格し、文書で採用内定通知を受
け、その後企業からの求めに応じて、学校卒業後は間違いなく入社すること、一定の取消
事由が生じた場合には採用内定を取り消されても異存がないことを記載した誓約書を提出
し、他方企業の側でも採用内定通知のほかは労働契約締結のための特別な意思表示をする
ことを予定していなかったという場合、企業のなした内定通知はどのような法的意義をも
つのであろうか。このような場合につき、企業からの求人募集は労働契約の申込の誘引に、
大学卒業予定者の応募は申込に、そして企業からの内定通知はこれに対する承諾に当たり、
採用内定者のその後の誓約書の提出とあいまって、企業と採用内定者間においては就労の
始期を大学措置業直後とし、それまでの間誓約書記載の取消事由による解約権を留保した
労働契約が成立したとする判例がある(最判昭和54・7・20民集33巻5号582
頁)。
第2節 雇傭の効力
1 使用者の義務
使用者は、労務者が労務に服したことに対して報酬を支払うべき義務を負う。その額に
ついては約定によるが、最低賃金法による制限がある(労基28条)。支払時期について
は、特約なき限り、約束の労務終了後に支払えばよい(624条)
。なお、労働基準法は、
賃金の支払方法の規制、入手確保のための規制その他をしている(労基24条・25条・
26条)。
さらに、使用者は、信義則上もしくは契約上、労務者の労務の過程において、その生命
・健康に危険を生じないよう配慮すべき義務(安全配慮義務)を負っている。また、特別
法によって、使用者(事業者)は、労働者の快適な職場環境の実現と労働条件の改善を通
じて労働者の安全と健康を確保しなければならないとされている(労基42条、労働安全
衛生法)。また、使用者は、業務上の負傷や疾病につき、補償責任を負うが、これにかか
わり労働者災害補償保険制度が用意されている(労基75条∼88条、労働者災害補償保
険法)
。
- 168 -
【重要論点43】
【安全配慮義務】
安全配慮義務に関する判例をいくつかみておくことにしよう。まず、リーディング・ケ
ースとして、最高裁昭和50・2・25判決は、自衛隊の車両整備工場内において自衛隊
員が轢死したにつき国の損害賠償責任が問われた事案に関し、国は、公務員に対し、国が
公務遂行のために設置すべき場所、施設若しくは器具等の設置管理又は公務員が国の指示
の下に遂行する公務の管理に当たって、公務員の生命及び健康等を危険から保護するよう
配慮すべき義務(安全配慮義務)を負うとした(民集29巻2号143頁ーこの場合の安
全配慮義務の具体的内容は、公務員の種類、地位及びこの義務が問題となる当該具体的状
況等によって異なる→瀬川=内田71事件、瀬川=内田=森田74事件、奥田ほか6事件、
星野ほか2事件)。安全配慮義務は 、「ある法律関係に基づいて特別な社会的接触関係に
入って当事者間において当該法律関係の付随義務として当事者の一方又は双方が相手方に
対して信義則上負う義務として一般的に認められる」というのである。最高裁昭和59・
4・10判決は、入社直後の従業員が高価品の置かれている社屋に宿直勤務していた夜強
殺されたにつき使用者の損害賠償責任が問われた事案に関し、雇用契約における使用者は、
労働者に対し、国が公務員に対して負うと同様の安全配慮義務を負うとした(民集38巻
6号557頁→瀬川=内田=森田76事件)。さらに、最高裁平成3・4・11判決は、
造船会社の社外工が造船所における騒音の被曝によつて騒音性難聴に罹患したにつき直接
雇用関係のない造船会社の責任が問われた事案に関し、会社の下請企業の労働者が社外工
として労務を提供するに当たり会社の管理する設備工具等を用い事実上会社の指揮監督を
受けており、作業内容も会社の従業員である本工と同じである場合には、会社は下請企業
労働者との間に特別な社会的接触の関係に入ったものであり、信義則上、これに対して安
全配慮義務を負うとした(判時1391号3頁→奥田ほか7事件)。なお、安全配慮義務
違反についての主張・立証責任は、義務違反を主張し損害賠償を求める側にあるとされる
(最判昭和56・2・16民集35巻1号56頁ー航空自衛隊のヘリコプター墜落事故に
関わる)。
2 労務者の義務
労務者は、使用者の指揮・命令の下に、善良なる管理者の注意をもって、誠実に労務に
服すべき義務を負う。その内容は、労働協約、就業規則、雇傭(労働)契約等によって定
められているが、労働時間その他労働基準法による重要な制限が存する。労務者は、使用
者の承諾なくして、第三者を自己の代わりに就労させることはできない(625条2項)
。
労務者の義務違反に対する懲戒その他の制裁が就業規則によって定められていることが
普通である。この義務違反に基づく損害賠償請求の担保のために身元保証がなされること
がある。この点につき、身元保証法が、その存続期間、責任の範囲、終了原因等に関し、
その内容が合理的なものたるよう定めている。
第3節 存続期間および終了原因
雇傭の存続期間につき、民法は、その最長期間を、一般は5年、商工業見習者について
は10年としている(626条1項)が、労働基準法は、労働者の自由が不当に拘束を受
けることを防止するため、原則としてこれを1年(高度の専門的知識等を有する労働者と
- 169 -
の間に締結される労働契約にあっては3年)としている(労基14条)。かように存続期
間の定めあるときは、雇傭は、期間の満了によって終了する。期間満了後、労務者がひき
つづき労務に服しており、使用者がそれを知って異議を述べないときは、期間の点を除き
(すなわち、期間の定めのないものとなる)同一条件でさらに雇傭したものと推定される
(629条1項)。なお、右の最長期間を超える期間をもってする契約については、当事
者の一方は右最長期間を経過した後いつでも、三カ月前に予告して、契約を解除すること
ができる(626条2項)。
期間の定めのないときには、各当事者はいつでも解約の申入をなすことができ、この場
合には申入後2週間が経過すると、契約は終了する(627条)。この点につき、労働基
準法は、解雇について予告期間は30日以上とし、解雇の時期、理由についても制約を加
えている(労基19条・20条)。判例も、一般条項を用いるなどして、使用者側からの
不当な解雇(解約の申入)を制限している(東京地判昭和31・9・24労民集7巻5号
957頁他多数)。
また、期間の定めの有無を問わず、各当事者は、やむを得ない事情があるときは、契約
を解除(告知)しうるとしている(628条)。その事由が当事者の一方の過失によって
生じたときは、相手方に対して損害賠償責任を負うものとされる(同条但書)。労働基準
法も、天災事変その他やむを得ない事由のために事業の継続が不可能となった場合または
労働者の責に帰すべき事由に基づく場合には、行政官庁の認定をうけて予告等を要しない、
即時解雇をすることを認めている
(労基20条1項但書・3項)
。
その他、使用者が破産したときの(労務者または破産管財人による)解約申入(631
条 )、当事者の義務違反に基づく解除(告知ー625条3項・541条)、労務者の死亡
等によって、契約は終了する。なお、解除の効果は遡及しないとされる(630条・62
0条)
。
8
請負
第2節 請負の意義・成立
1 請負の意義
請負とは、当事者の一方(請負人)がある仕事を完成することを約し、相手方(注文者)
がその仕事の結果に対して報酬を支払うことを約する双務・有償・諾成の契約である(6
32条)。
公共施設、建物の建設、船舶の建造などから、日用品の製作・修理などまで、広く行わ
れている契約である。ここでいう仕事には、理容、演奏、運送、清掃など無形の労働によ
ってなされる成果も含まれる。
なお、有形物の製作を依頼されたものが、自己の負担で材料を調達し、製作して後、そ
の物の所有権を相手に移転し、引き渡すという内容の契約を製作物供給契約とよぶが、こ
れは、売買と請負の性格をあわせもつので、売買と請負の規定のいずれを適用すべきかが
問題となる(具体的には、担保責任の行使期間、契約解除権の存否等の点で両者は異なる
から、実質的に論ずる意義のある問題である)。従来、代替物の製作供給の場合には売買
の規定の適用があり、不代替物の製作供給の場合には請負の規定の適用があると考えられ
てきたが、不代替物の製作供給に請負についての641条・634条・636条の規定も
- 170 -
適用されてよく、また代替物の製作供給に売買についての573条ないし575条の規定
も適用されてよいとする混合契約説も有力に説かれている。
ところで、請負の中でもとりわけ重要な建設請負については、建設業法が契約内容の適
正化、下請負人の保護を図り、紛争処理に関する規定(25条∼25条の24ー建設工事
紛争審査会による斡旋、調停、仲裁)ももっている。また、公共工事標準請負契約約款、
民間(日本建築学会・日本建築協会・日本建築家協会・全国建設業協会、建築業協会、日
本建築士会連合会、日本建築士事務所協会連合会の7会)連合協定工事請負契約約款など、
民法の規定の不備を補い、あるいは修正する約款が用いられている。営業運送についても、
商法569条以下の規定が適用され、道路運送法、海上運送法などによる規制がもうけら
れており、また普通契約約款の利用が広くみられる。こうして、民法の請負に関する規定
は、とくに、小規模な、あるいは日常的な請負にしか適用の余地がなくなってきていると
いえる。
2 請負の成立
請負は、諾成・不要式の契約とされている。なお建設業法は、一定の項目について書面
で契約内容を明示すべきことを要求しているが(建設19条)、書面の作成が成立要件と
されているわけではない。
第2節 請負の効力
1 請負人の義務
まず、請負人は、期日までに、仕事を完成すべき義務を負う。
物の完成の場合には、完成した物の引渡義務を負う。この場合、その所有権の帰属、そ
の移転の時期が問題となる。判例は、注文者が主たる材料を提供した場合には、完成時に
当然に注文者の所有に属し、請負人がこれを提供した場合には、請負代金債権保護の見地
から、原則として、完成時に目的物は一応請負人の所有に属し、注文者への引渡とともに、
目的物所有権は、注文者に移転すると解している。この場合には、請負人は、所有権を移
転すべき義務を負うことになる。もっとも、請負人が主たる材料を提供した場合において、
明示または黙示の合意があり、あるいは、代金の大部分が既に支払われているなど特殊な
事情があって、引渡しあるいは代金の完済がなされていなくても目的物の完成時に注文者
が所有権を取得することが認められる場合がある(最判昭和46・3・5判時628号4
8頁ー分譲住宅6棟の建設の請負において3棟についてはすでに異議なく分譲を受けた入
居者に引渡しを済ませており、請負代金についてはその全額につき支払のための手形を受
領しており、その際建築確認通知書を注文主に交付したなどの事実関係によれば6棟の建
物は完成と同時に注文主にその所有権を帰属させる旨の合意がなされており、完成と同時
に注文主の所有に帰したものであるとの原審の判断を正当であるとした→瀬川=内田72
事件、最判昭和44・9・12判時572号25頁)
。
以上のごとき判例の考え方に対して、学説の多数は、請負の性質および当事者の意思か
らして、原則として、完成と同時に注文者に移転するとしている。請負代金債権担保のた
めには、同時履行の抗弁権、留置権、先取特権などが用いられうる(533条・295条、
325条以下など)から、こう解してよいとするのである。
仕事が完成しない間に請負人の責に帰すべからざる事由により履行不能となった場合に
は危険負担の問題が生ずる。注文者の責に帰すべき事由により履行不能になったときは、
- 171 -
536条2項により請負人は報酬請求権を失わないが、債務を免れたことによって得た利
益を注文者に償還しなければならない(最判昭和52・2・22民集31巻1号79頁)
。
両当事者の責に帰すべからざる事由による場合は、請負人は、536条1項により、仕事
の完成義務を免れるとともに、報酬を請求することもできなくなる。また、仕事完成後引
渡前に、請負人の責に帰すべからざる事由によって目的物が滅失・毀損したときは、通常
履行は不能となったものと解されるが、この場合534条によるべきか536条によるべ
きか争いがあるが、後説が判例(大判明治35・12・18民録8輯11巻100頁参照)
・通説であるといってよい。以上につき、特約があればこれによるこというまでもない(ま
た、請負人の責に帰すべき事由によって履行が不能となった場合には債務不履行となるこ
というまでもない)
。
(2)瑕疵担保責任
請負人は、(材料の欠点によると仕事の不完全によるとを問わず)
目的物に瑕疵があるときは、過失なくとも(損害賠償については、過失を要するとの有力
説がある)担保責任を負うことになる(瑕疵が注文者の供した材料の性質、注文者の与え
た指図により生じたときはこの限りでないー636条)。その内容は、瑕疵の修補、瑕疵
の修補に代わるあるいはこれとともにする損害賠償請求、さらには、目的不到達の場合に
おける契約の解除(なお、土地の工作物請負については、解除権は認められていない)で
ある(634条・635条)。有力説は、代金減額請求権も認められるとする。担保責任
に基づく、これらの権利の行使については、原則として、仕事の目的物の引渡の時(引渡
を要しない場合には仕事の終了の時)から1年(土地の工作物請負の場合は5年ほか)と
いう除斥期間による制限がある(637条∼639条)。無形の仕事にも担保責任規定の
適用がありうるとされている。なお、担保責任を負わない旨の特約がなされていても、知
りて告げざりし事実については、請負人は免責されない(640条)。
2 注文者の義務
他方、注文者は、報酬を支払うべき義務を負う。その額、時期、支払場所については約
定による。時期につき定めなきときは、目的物の引渡を要する場合にはその時、それ以外
の場合には仕事の終了の時であるとされる(633条)。支払場所につき定めなきときは
484条による。
【重要論点44】
【請負人の責任の性質】
民法634条以下の規定する請負人の責任の性質であるが、通説は、民法559条の特
則であるとともに、債務不履行責任の特則でもあると解している。そして、目的物の完成
(の承認または引渡)を基準としてそれ以前においては債務不履行の一般原則により、そ
れ以後においては民法634条以下が適用されるとみている。これに対しては、請負人に
帰責事由あるときは一般債務不履行、これなきときは634条以下の規定する担保責任に
よるとの説、帰責事由の有無を問わず担保責任によるとの説などが対立している。
【重要論点45】
【下請負】
請負人は、特約または仕事の性質上自ら行わなければならない場合を除き、自分が請け
負った仕事の完成をさらに第三者に行わせることができる。これを下請負という。下請負
- 172 -
は、元請人と下請人との間の請負契約であるから、注文者と下請人との間には直接の権利
義務関係は生じない。
下請人の債務不履行については元請人が注文者に対して責任を負う。
注文者が契約を解除すると、下請契約も当然に失効するとされる。
なお、下請代金支払遅延等防止法は、下請事業者に製造委託又は修理委託をした親事業
者に対して、下請事業者の帰責理由がないのに下請事業者の給付の受領を拒むこと、下請
代金を支払期日の経過後支払わないこと、下請事業者の帰責理由がないのに下請代金の額
を減ずることなどをしてはならないと定めており、これらがなされた場合には、公正取引
委員会が給付を受領し、代金・遅延利息を支払い、すみやかに減じた額を支払うべきこと
などを勧告し、勧告に従わなかった場合にはその旨を公表するものとしている(同法4条
・7条)。
第3節 請負の終了
請負は、通常、仕事の完成によって終了する。その他、注文者が破産した場合の解除(6
42条)、債務不履行に基づく解除、担保責任に基づく解除、履行不能によっても終了す
る。
さらに、注文者にとって仕事が無意味、不必要となったにもかかわらず、その完成を注
文者に甘受させるのは妥当でないから、注文者は、仕事が完成しない間であれば(請負の
目的が可分であるときには未完成の部分についてだけー大判昭和7・4・30民集11巻
780頁)、いつでも損害を賠償して契約を解除することができるとされる(641条)
。
【参考 請負関連重要判例】
①大判昭和7・5・9民集11巻824頁(完成建物の所有権帰属①)
Y1は、請負人Aと家屋建築の請負契約を結び、Y2から材料を買い受け、Aに供給し
た。Aは、家屋が七分通りできあがったところでY1に引き渡したが、自己名義の保存登
記をしてⅩのために抵当権を設定した。Y1が右家屋の所有権をY2に譲渡し、Y2がこ
れを取り壊してその材料を第三者に売却したので、Xが抵当権侵害を理由にY1・Y2に
対し損害賠償を求めたという事案について、「請負人が建築材料の主要部分たる木材を供
して建物を築造したるときは其の建物は注文者に引渡を為す迄は請負人の所有に属する
も、注文者が該主要材料を供したるときは建物の所有権は其の竣工と同時に当然注文者に
帰属するものとす」
。
②大判大正3・12・26民録20輯1208頁(完成建物の所有権帰属②)
Xから家屋建築を請け負ったYは、自ら材料を提供して、家屋を完成させ、所有権確認
登記を経由した。XがYを相手に右確認登記の抹消請求をなしたという事案について、
「請
負人が自己の材料を以て注文者の土地に建物を築造したるときは、当事者問に別段の意思
表示なき限り其建物の所有権は請負人より、之が引渡を為したる時に於て始めて注文者に
移転するものとす」
。
③最判昭和46・3・5判時628号48頁(完成建物の所有権帰属③)
分譲住宅6棟の建設請負に関わり、請負人X社が注文者A社から本件建物を買い受け強
引に入居したYらに対し、所有権確認、建物明渡しなどを求めたという事案について、X
社が、別の3棟についてはすでに異議なく分譲を受けた入居者に引渡しを済ませており、
- 173 -
請負代金についてはその全額につき支払のための手形を受領しており、その際6棟につい
ての建築確認通知書をA社に交付したなどの原審の確定した事実関係のもとにおいては、
「確認通知書交付にあたり、本件各建物を含む六棟の建物につきその完成と同時にA社に
その所有権を帰属させる旨の合意がなされたものと認められ、したがって、本件建物はそ
の完成と同時にA社の所有に帰したものであるとする趣旨の原判決の認定・判断は、正当
として是認することができないものではない。」→瀬川=内田72事件
④最判平成5・10・19民集47巻8号5061頁(出来型部分の所有権帰属)
注文者Yと建設会社A社との間における建物建設請負契約において、Yは工事中契約を
解除することができ、その場合の工事の出来形部分は注文者の所有とする旨の条項があっ
たという場合において、A社から一括下請負をし(下請負契約には所有権帰属についての
約定はなかった)、すべての材料を支出したX社がYに対して少なくともA社の倒産時ま
での出来形部分(全体の25パーセント余)はXに所有権があるとして248条・704
条に基づく償金の支払いを求めたという事案について、「注文者と元請負人との間に、契
約が中途で解除された際の出来形部分の所有権は注文者に帰属する旨の約定がある場合
に、当該契約が中途で解除されたときは、元請負人から一括して当該工事を請け負った下
請負人が自ら材料を提供して出来形部分を築造したとしても、注文者と下請負人との間に
格別の合意があるなど特段の事情のない限り、当該出来形部分の所有権は注文者に帰属す
ると解するのが相当である。けだし、建物建築工事を元請負人から一括下請負の形で請け
負う下請契約は、その性質上元請契約の存在及び内容を前提とし、元請負人の債務を履行
することを目的とするものであるから、下請負人は、注文者との関係では、元請負人のい
わば履行補助者的立場に立つものにすぎず、注文者のためにする建物建築工事に関して、
元請負人と異なる権利関係を主張し得る立場にはないからである。」→瀬川=内田73事
件、奥田ほか97事件、星野ほか66事件
⑤最判昭和56・2・17判時996号61頁(工事内容可分の場合の解除)
Xは、Aに対する債権を保全するためにAのYに対する建売住宅の新築工事の報酬請求
権に対して仮差押えをし、後差押、取立命令を得て、Yに対し支払いを求めたところ、Y
がこれを拒んだので訴に及んだという事案について、「建物その他土地の工作物の工事請
負契約につき、工事全体が未完成の間に注文者が請負人の債務不履行を理由に右契約を解
除する場合において、工事内容が可分であり、しかも当事者が既施工部分の給付に関し利
益を有するときは、特段の事情のない限り、既施工部分については契約を解除することが
できず、ただ未施工部分について契約の一部解除をすることができるにすぎないものだと
解するのが相当である」(ー解除の不遡及ということによらない)→奥田ほか98事件。
9
委任
第1節 委任の意義と成立
委任とは、当事者の一方(委任者)が他方(受任者)に対して事務の処理を委託する契
約である。たとえば、所有する土地を有利に売却するために不動産業者に依頼する、不動
産登記申請手続きを司法書士に委託する、他人との間のトラブルを解決するためにそのい
っさいを弁護士に委ねるといった契約である。
民法は・委任につき、当事者の一方が「法律行為を為すこと」を相手方に委託し、相手
- 174 -
方がこれを承諾することによって成立し効力を生ずる契約と定めている(643条)。右
にあげた例は、いずれもそうしたものである。
ところで、社会においては、患者が医師に適切な医療行為をしてもらう、マンション管
理組合がビル管理会社に管理を委託する、顧客が公証人や行政書士などに契約書、届書の
作成を委託するというように、「法律行為に非ざる事務」の委託をする契約が行われてお
り、委任と区別して準委任とよばれる。しかし、委任に関する規定は、準委任に準用され
るものとされている(656条)から、委任を広く一定の事務処理の委託にかかわる契約
とみることができる。
委任は、自己の裁量のもとで労務の提供(すなわち委託された事務の処理)をするとい
う点で相手の指揮監督のもと労務の提供をする雇用とは異なり、「仕事の完成」を目的と
するものではないという点で請負とは異なるが、それぞれの間の区別は必ずしも容易では
ない。
民法は、受任者は特約なければ委任者に対し報酬を請求できないと定め、委任を原則と
して無償契約であるとしているが(648条)、今日の社会で重要な機能を営んでいるの
は、委任者が対価として報酬を支払うことを約する有償委任である。
また、委任は、一般に、委任者が受任者の人物・識見・能力を信頼してなされるもので
あるが、すでにあげた例にみられるように、受任者が、弁護士や医師など、それぞれの領
域・分野における専門的知識、情報、技術、経験を有する資格ある専門家であることもあ
る。専門家は、委託された事務を処理するにあたり、専門的立場からする独自の判断(専
門家としての裁量)にもとづいて、必要があれば顧客に説明をしつつ(説明義務)、もっ
とも顧客の利益になるやり方で(顧客に対する忠実義務)執務すべきものであるが、それ
ぞれの職能法や業務に関連する諸法の定めのもとにおかれており、顧客のためなら何をし
てもよいというのではなく、
公正に公共的利益のことをも慮って執務すべきものとされる。
委任は、諾成・不要式の契約である。なお、医師、公証人、司法書士などの場合のごと
く、正当な理由なくして受任を拒んではならないとされるものがある(医師19条、公証
人3条、司法書士21条など)。また、弁護士の場合については、事件の依頼を承諾しな
いときは依頼者にすみやかに通知しなければならないとされている(弁護士29条。
)。
《参考 任意後見契約》
平成11年に、高齢化社会の進展にともない成年後見制度が導入され、民法につき総則
の能力規定、親族の後見規定ほかの改正がされたが、これとともに特別法として「任意後
見契約に関する法律」が定められた(平成12年4月1日施行)。任意後見契約というの
は・委任者(本人)が、知的判断能力が低下していない段階において・受任者(任意後見
受任者)に、精神上の障害により事理弁識能力が不十分な状況において、自己の生活、療
養看護および財産の管理に関する事務の全部または一部を委託し、その事務に関する代理
権を付与する委任契約である。この契約は、公正証書による要式行為とされており、嘱託
または申請により登記されることとなっている(後見登記等に関する法律)。任意後見契
約が登記されている場合において・精神上の障害により事理弁識能力が不十分な状況にあ
るときは、家庭裁判所は、本人・配偶者・任意後見受任者等の請求により任意後見監督人
を選任する。任意後見契約は、この選任がなされたときから効力を生じ、任意後見人(任
- 175 -
意後見監督人が選任されてのちの任意後見契約の受任者をこうよぶ)は、任意後見監督人
の監督のもと・本人(任意後見委任者)の意思を専重し、その心身の状態および生活の状
況に配慮して、右委託にかかる事務の処理を行うこととなるのである。
【重要論点46】
【委任と代理】
たとえば不動産売買について信頼できる人に代理人になるよう頼むという場合に、依頼
者は「委任状」を交付するのが通例である。この場合、不動産の売買につき委任契約が締
結され、委任者から受任者に代理権が与えられているとみられる。しかし、委任において
ももっばら法律行為でない事務処理を内容とする場合には委任者から受任者への代理権授
与をともなわない。逆に、雇傭、請負、組合契約にかかわり・当事者問において代理権の
授受がなされることがありうる。また、代理権は、契約関係ではなく、法律の定めによっ
ても生じうること(法定代理の場合)に留意したい。代理を委任に付属した制度もしくは
委任の外部関係と捉えることは必ずしも適切ではないのである。
【重要論点47】
【意識を失った患者と病院との入院契約】
患者以外の者が病院に診療を求める場合がある。たとえば、①高熱を出した幼児が母親
により病院に運びこまれた場合、②意識を失った者が近所の人により病院に運びこまれた
場合、契約の成立をどのように考えたらよいであろうか。①の場合には、母親には法定代
理権があること(824条)、親権者は子に対して監護義務を負っていること(820条)
を前提に考えてみよう。あるいは、子を第三者と考え、母親と病院(厳密には個人開業医
もしくは病院設置者)との間の、第三者のためにする契約(537条)とみることも考え
られる。②の場合においては、長年病気がちの患者から何かあったらよろしくと頼まれて
いたというのでもないかぎり、委任を前提とする代理による契約締結は考えがたい。知人
による事務管理として知人と病院との問に第三者のためにする契約がなされたとみるか、
患者自身と病院の間に事務管理がなされたとみるかである。いずれにせよ、診療を求めた
者に診療報酬債務を負担する意思があるかが決め手になろう。
第2節 委任の効力
1 受任者の義務
委任契約が有効に成立した場合、受任者にはどのような義務が生ずるであろうか。受任
者は、委任契約の本旨に従い、善良なる管理者の注意をもって、委任された委任事務を処
理すべき義務を負うものとされる(644条)。
契約の本旨に従い、というのは、契約の目的、事務の性質に応じて合理的にということ
である。委任者の指図があったときには一応これに従うべきであるが.その指図が不適当
であると感じられる場合には、受任者としては委任者に指図の変更を求め、必要であれば
適宜の措置をとるべきものとされる。とくに、専門性の高い医師や弁護士などを受任者と
する委任にあっては、受任者の自由裁量の範囲は広くなる。
また、善良なる管理者の注意義務とは、一般に、行為者の職業や社会的地位、その有す
- 176 -
る知識・経験等に応じて当該行為をなすにあたり通常尽くすべく期待されている程度の抽
象的一般的な注意義務をいい、当該行為者の具体的な注意能力を前提とする「自己の財産
におけると同一の注意義務」(659条・918条など参照)と区別されるものである。
なお、委任者から報酬がまったく払われない、あるいはわずかしか払われない場合におい
ては、受任者の注意義務あるいは損害賠償額を軽減すべきであるという考え方があるが、
判例には、きわめて安い報酬をもらって診査に従事していた生命保険会社の嘱託医が、肺
疾患を発見できずに健康体だと報告して保険契約を締結させた結果、保険会社に多額の保
険金を払わせることとなったため損害賠償を求められたという事案について、「診査医た
る以上は、其の受くる報酬の多寡に拘わらず、診査医として委託せられたる事務に付き委
託の本旨に従い善良なる管理者の注意を以って処理する義務を負う」と判示するものがあ
る(大判大正10・4・23民録27輯757頁)
。
受任者は、原則として、自分で(履行補助者を用いうるこというまでもない)委任事務
を処理すべきものとされる(本人行為義務)。しかし、委任者の許諾を得た場合、あるい
は、やむをえない事由がある場合には、第三者に委託された事務の処理を委ねることがで
きるものとされる(復委任一復代理に関する104条参照)。さらに、附随的に、受任者
は、委任者の請求あるときはいつでも委任事務処里の状況を報告し、契約終了時に遅滞な
く顛末を報告すべき義務(645条)、事努処理にあたって受けとった物、収取した果実
を委任者に引き渡すべき義務(646条)、委任者に引き渡すべき金銭または委任者のた
めに用いるべき金銭を自己のために使ったときは使った金額に使った日以降の利息を加え
て支払うべき義務(647条)などを負う。
2 委任者の義務
ついで、委任者の義務を考えてみる。まず、報酬支払義務であるが、民法は、委任を原
則として無償契約であるとしている。そこで、委任者は、当事者間において報酬の支払い
につき明示もしくは黙示の合意あるときに、支払うべきこととなる(648条1項)。報
酬支払いの慣習がある場合についても同じように考えることができる。また、受任者が商
人である場合には、特約なくとも相当な報酬を支払わなければならないとされる(商法5
12条)。報酬額は、契約で定められることが普通であるが、別段の定めがなされなかっ
た場合には諸般の情況を斟酌して決めざるをえないことになろう。たとえば、弁護士報酬
額については、訴訟事件委任のいきさつ、事件の進行状況、難易の程度、訴額の程度、手
数の煩簡、訴訟期間の長短、事件終結当時のてんまつ(さらに所属弁護士会所定の報酬規
定ー2004年4月1日からは廃止されている)等を顧慮・斟酌し、適正妥当な報酬額を
判定しなければならないとされる(最判昭和37・2・1民集16巻2号157頁参照)
。
宅地建物取引業者の報酬については、建設大臣の定める報酬額を超えて報酬を受けとるこ
とはできないものとされる(宅地建物取引業法46条1項・2項)。支払時期について、
特約なき場合には、委任履行の後に、あるいは、期間をもって報酬を定めた場合には期間
終了の後に支払うべきものとされる(648条2項)。報酬に関してとくに問題とされる
のは、委任が中途で終了した場合である。受任者は、報酬支払いの特約ある場合、真に帰
すべからざる事由により履行の途中で委任が終了したときは、なした履行の割合に応じて
報酬を請求できるものとされている(648条3項)
。
- 177 -
また、委任者は、受任者に経済的損失をこうむらせないために、委任事務処理に必要な
費用を前払いすべき義務(649条)、受任者が支出した必要費および支出の日以後の利
息を償還すべき義務(650条1項)、受任者が事務処理上負担した債務を弁済し、ある
いは、担保を提供すべき義務(同条2項)、受任者が事務処理のために自己に過失なく損
害をこうむったときの損害賠償義務(同条3項)などを負うものとされる。
【重要論点48】
【医師の診療義務】
本文で述べたところを医師(個人開業医・病院設置者)と患者の間の契約において具体
的にみると、おおよそつぎのようになるであろう。医師は、医療の専門的水準に相応した
知識・技術・経験などをもつ者として、患者(もしくは家族など)に対する問診から始め、
必要な各種の検査を施し、診断を下し、診断にもとづいた治療行為を、みずからもしくは
看護師に指示して行う。すなわち、疾病の性質・状況に応じて、生活のあり方について変
更を指示し、薬剤を処方し、あるいは手術を施す。そのさい、診療行為はいわゆる医的侵
襲をともなうので、患者の自己決定の観点から、医師は、患者(もしくは家族)に対して、
検査・治療行為がどのような内容であるか、これによって当該の症状にどのような改善が
期待できるか、また副作用などいかなる危険性がともなうかといったことにつき患者側に
説明をし、患者側の承諾(インフォームド・コンセント)を求める必要があるとされる。
さらに、医師の専門性や医療設備のありようなどから必要があれば、説明のうえ患者を適
切な医師・医療機関へ転医・転送させなければならない(なお、医療には医師にとり支配
不可能要因が存在するから、医師として疾病の予防・軽減・除去に向けて適切な治療をし
なければならないものの、だからといって患者における治癒・完治という結果をつねに保
証するものとは考えられていない=手段債務性)。医師が果たすべき注意義務の程度につ
いては、「いやしくも人の生命および健康を管理すべき業務(医業)に従事する者は、そ
の業務に照らし、危険防止のために実験上必要とされる最善の注意義務」を負うものであ
り(最判昭和36・2・16民集15巻2号244頁 )、「医師としては、患者の病状に
十分注意しその治療方法の内容および程度等については診療当時の医学的知識にもとづき
その効果と副作用などすべての事情を考慮し、万全の注意を払って、その治療を実施しな
ければならない」と定式化されている(最判昭和44・2・6民集23巻2号195頁)
が、具体的な医療過誤訴訟における、当該医師が当該状況のもとで専門家として行うべき
診療行為を行ったといえるかの判断は、とりわけ医師の専門分野・医療機関の性質・地域
的特性などにより規定される医療水準、さらには当該医療行為の緊急性などとの関係で必
ずしも容易ではない(この点について、「光凝固法」が未熟児網膜症の治療法としていつ
確立したかを争点とするいくつもの裁判例、たとえば最判平成7・6・9民集49巻6号
1499頁、を参照)。医師は、さらに、付随的には、診療記録を作成すべき義務、診療
を通じて患者に関して知りえた事項について守秘すべき義務などを負うものと解されてい
る(なお、この契約については、「説明義務」などその独自性に着眼して、委任としてで
はなく、非典型契約の一つとしての医療契約と把捉すべきものとする考え方も有力に説か
れている)。
【重要論点49】
- 178 -
【不動産仲介と報酬】
報酬について実務上しばしば争われるのは、不動産買受人Yが、宅地建物取引業者Xに
土地を取得することの仲介依頼をするにあたり、買受契約がまとまったら取引価額の3パ
ーセントに当たる報酬を支払うことを約していたところ、Xの仲介によって間もなく契約
が成立にいたるべき段階において、Xを排除して相手Aとの間に直接契約を成立させてし
まったというような場合である。こうした事実関係のもとで、XがYに報酬の支払いを求
めたといった事案について、最高裁昭和45・10・12判決(民集24巻11号159
9頁)は、民法130条を適用し、つぎのように判示している。右買受「契約の成立時期
が業者の仲介活動の時期に近接しているのみならず、当時その仲介活動により買受人の希
望価額にあと僅かの差が残っているだけで間もなく買受契約が成立するに至る状態にあっ
たのであり、しかも、買受契約における買受価額が業者と買受人が下相談した価額を僅か
に上廻る等の事情のあるときは、買受人は、業者の仲介によって間もなく買受契約の成立
に至るべきことを熟知して故意にその仲介による契約の成立を妨げたものというべきであ
り、業者は、停止条件が成就したものとみなして、買受人に対し、約定報酬の請求をする
ことができる」。この問題については、買受契約の成立と仲介行為との問に相当因果関係
が認められる範囲において報酬請求が認められる、仲介契約の解除にかかわらず仲介によ
り買受契約が成立したとして報酬請求が認められる、民法638条3項の類推適用によっ
て報酬請求が認められるといった見解もある。
【重要論点50】
【弁護士報酬】
弁護士の受ける報酬については、これまで用いられてきた「報酬等基準規程」(日本弁
護士連合会会規に「報酬等基準規程」として基準額が定められていたが、報酬自由化の流
れの中で会としての報酬基準は廃止され、平成16年3月に「弁護士報酬ガイドブック」
が作成・配布されるにいたっているー同様の動きが司法書士、行政書士、税理士、公認会
計士、社会保険労務士においてもみられる)が参考になる。これによれば、報酬は、法律
相談料、書面による鑑定料、着手金、報酬金、手数料、顧問料、日当に種類分けされる。
このうち、着手金とは、事件等の性質上委任事務処理の結果に成功不成功があるものにつ
いて、その結果いかんにかかわらず受任時に受けるべき委任事務処理の対価である。報酬
金とは、事件等の性質上委任事務処理の結果に成功不成功があるものについて、その成功
の程度に応じて受ける委任事務処理の対価である。手数料とは、一回程度の手続または委
任事務処理で終了する事件等についての委任事務処理の対価である。日当とは、委任処理
のために事務所所在地を離れ移動によってその事件処理のために拘束されることの対価で
ある。弁護士は、受任するに当たり、これら報酬と、委任事務処理に要する実費等(収入
印紙代、交通通信費、宿泊料、保証金など)につき委任者に説明すべきものとされる。
第3節 委任の終了
1 委任の解除
委任は・委任事務の終了、委任事務の履行不能、期間の満了などの一般的終了原因によ
って終了するほか、民法の定める委任固有の終了原因によっても終了する。
まず、委任は、各当事者がいつでも任意に(なんら特別の理由がなくとも)解除(告知)
- 179 -
することができる(651条1項)。これは、委任が当事者問の信頼を基礎にしているこ
とにもとづくからであるとされる。もっとも、この場合、やむをえぬ事情があったときを
除き、当事者の一方が相手方にとって不利な時期に解除(告知)したときは、それによっ
て生じた損害を賠償しなければならないとされている(同条2項)。しかし、たとえば、
ある債務者が第三債務者に対する自己の債権の取立につき債権者に委任するとともに取立
報酬を債権者の債務者に対する既存債務の弁済に当てる旨の特約がなされている場合のよ
うに、受任者の利益をも目的とする委任については、原則として、本条の適用はないと解
されている(大判大正9・4・2民録26輯562頁)。なお、委任の解除には遡及効は
ない(652条・620条)
。
2 委任者・受任者の死亡・破産など
つぎに、委任は、委任者または受任者の死亡ないし破産により、さらに受任者が後見開
始の審判を受けたときに、終了する(653条)。委任は、当事者の個人的信頼に基礎を
おくものだからである。なお、弁護士による訴訟代理委任の場合、司法書士による登記代
理委任の場合には、本人(委任者)の死亡によって代理権は消滅しないものとされている
(民事訴訟法58条、不動産登記法17条1号)。
《参考 自己の死後の事務を含めた委任》
たとえば、委任者が受任者に対して自己の死後の入院費、葬式や法要費用の支払い、世
話になった者への謝礼金の支払いなどを依頼する旨の委任契約にあっては、委任者の死亡
によっても委任契約を終了させない旨の合意を包含するものと解されるというべく、民法
653条の法意がこうした合意の効力を否定するものとはいえない、とした判例がある
(最
判平成4・9・22判時1450号18頁・金法1358号55頁→奥田ほか100事
件、星野ほか68事件)。
3 委任終了にともなう通知義務・受任者の善処義務
ところで、委任終了の事由は、相手方に通知し、あるいほ相手方がこれを知ったときで
なければ、これをもって相手方に対抗できないものとされている(655条)。したがっ
て、たとえば委任者の死亡を知らずに受任者が事務処理をした場合、その事務処理が権限
なくなされたものと扱われることはないということである。
なお、契約終了の場合に、急迫の事情があるときは、受任者、その相続人または法定代
理人は、委任者、その相続人または法定代理人が委任事務を処理することができるにいた
るまで、必要な処分をしなくてはならない(654条)。委任終了後における受任者のこ
うした善処義務は、契約の余後的効力の一場合といってよいであろう。
【重要論点51】
【登記代理委任と解除】
不動産売買にかかわり、一人の司法書士が、売買契約当事者(登記権利者・義務者)双
方から、所有権移転登記につき嘱託を受けることが少なくない(いわゆる登記代理委任契
約)。こうした場合に、登記義務者すなわち売主から登記はしないことにする、預けた書
類を返してほしいといわれた司法書士は、委任者である登記義務者には民法651条の解
- 180 -
除権があるとして、求めに応じて登記必要書類を返還してしまってよいものであろうか。
一般に登記必要書類の授受と売買代金の支払いは同時に行われているのであるが、登記義
務者からの、書類返還請求に応じてしまったとき、買主(すなわち登記権利者)への登記
手続きが不可能となってしまい、買主として支払ってしまった代金を回収できないことが
起こりうるが、それでよいであろうか。登記権利者と司法書士、登記義務者と司法書士と
の間の委任契約は一つあるとみるべきか、二つあるとして相互の関係をどうみるべきかを
考えてみよう(最判昭和53・7・10民集32巻5号868頁参照→瀬川=内田78事
件)。
【参考 委任関連重要判例】
①大判大正10・4・23民録27輯767頁(報酬の多寡と注意義務の程度)
申込者一人につき1円という極めて安い報酬をもらって診査に従事していたX生命保険
会社の嘱託医Yが、申込者Aにつき比較的容易に診断しえたはずの肺疾患を発見できずに
健康体だと報告し、Xをして生命保険契約を締結させ、多額の保険金を支払わせたとして、
XがYに対して損害賠償を求めたという事案について、「Yが保険会社Xの診査医たる以
上は、其受くる報酬の多寡に拘わらず、診査医として委託せられたる事務に付き委託の本
旨に従い善良なる管理者の注意を以て処理する義務を負うものとす」(ー無償の場合は注
意義務あるいは賠償額を軽減すべきであるというのが多数説である)。
②最判昭和45・10・22民集24巻11号1599頁(委任者の直接契約と宅地建
物取引業者の報酬請求権)
Y は、宅地建物取引業者Ⅹに土地を更地として取得することの仲介依頼をするにあたり、
その取得契約の成立を停止条件として取引価額の三パーセントにあたる報酬を支払うこと
を約したが、Ⅹの仲介によって間もなく契約が成立に至るべき段階において、Ⅹを排除し
て A との間で直接契約を成立させてしまった。こうした事実関係の下で、Ⅹが Y に報酬
の支払いを求めたという事案について、「土地等の買受入が、その買受につき宅地建物取
引業者に仲介を依頼し、買受契約の成立を停止条件として一定額の報酬を支払う旨を約し
たのに、買受人が右業者を排除して直接売渡人との間に契約を成立させた場合において、
右契約の成立時期が業者の仲介活動の時期に近接しているのみならず、当時その仲介活動
により買受人の希望価額にあと僅かの差が残っているだけで間もなく買受契約が成立する
に至る状態にあったのであり、しかも、買受契約における買受価額が業者と買受人が下相
談した価額を僅かに上廻る等の事情のあるときは、買受人は、業者の仲介によって間もな
く買受契約の成立に至るべきことを熟知して故意にその仲介による契約の成立を妨げたも
のというべきであり、業者は、停止条件が成就したものとみなして、買受人に対し、約定
報酬の請求をすることができる」。
③最判昭和56・1・19民集35巻1号1頁(受任者の利益のためにも締結された委
任の解除)
賃貸建物所有者Aが不動産の管理業者Yに建物の管理を委任するとともに、事業資金と
して自由に利用することを許して建物賃借人が差し入れている保証金880万円の保管を
委ねた。それから10年余後に、賃料増額交渉をめぐるトラブルなどによりAは右委任契
約を解除し、Xに右保証金返還請求権を譲渡。XがYにその履行を求めたという事案につ
- 181 -
き、「受任者の利益のためにも委任がなされた場合であっても、受任者が著しく不誠実な
行動に出る等やむをえない事由があるときは、委任者において委任契約を解除することが
できるものと解すべきはもちろんであるが、さらに、かかるやむをえない事由がない場合
であっても、委任者が委任契約の解除権自体を放棄したものとは解されない事情があると
きは、該委任契約が受任者のためにもなされていることを理由として、委任者の意思に反
して事務処理を継続させることは、委任者の利益を阻害し委任契約の本旨に反することに
なるから、委任者は、民法651条に則り委任契約を解除することができ、ただ受任者が
これによって不利益を受けるときは、委任者から損害の賠償を受けることによってその不
利益を填補されれば足りるものと解するのが相当である」。
10 寄託
第1節 寄託の意義・成立
1 寄託の意義
寄託は、当事者の一方(受寄者)が、相手方(寄託者)のために、目的物(主として動
産)を保管する契約である(657条)。保管とは、受寄者の支配内で目的物の滅失・毀
損を防いで原状を維持・保全することであるから、単なる場所の貸借である、コインロッ
カー、貸金庫、駐車場の利用は寄託ではない。また、物の利用・改良といった積極的管理
行為を目的とする契約も委任であって寄託ではない。
民法は、寄託を原則として片務・無償の要物契約としているが、ここでも取引社会で重
要なのは、やはり保管料の支払を伴う有償寄託であり、倉庫業者への寄託(商597条以
下参照)などがその最も重要な例である。
なお、受寄者が二人以上の者から寄託を受けた同種・同等の物を保管し、同量の物を返
還すればよいとされる代替物の寄託を混蔵寄託という。金地金の保護預りなどにその例を
みることができる。
また、受寄者が受寄物を消費し、これと同種・同等・同量の物を返還することを約す寄
託を消費寄託といい、銀行預金契約はその典型である。これについては、ほぼ消費貸借と
同様の扱いを受けるものとされる
(666条)。
2 寄託の成立
寄託は、受寄者が目的物を受け取ることにより効力を生ずる要物契約とされている。し
かし、消費貸借におけると同様、ここでも、とりわけ有償寄託については、その予約のみ
ならず、諾成的寄託契約も認められてよいとされる。
第2節 寄託の効力
1 受寄者の義務
受寄者は、目的物を保管すべき義務を負うが、その際、有償寄託であれば、善良なる管
理者の注意をもってしなければならず、無償寄託であれば、自己の財産に対すると同一の
注意をもってすれば足りるとされる(659条)。受寄者は、寄託者の承諾なくして目的
物を使用し、あるいは第三者をして保管せしめることはできない(658条)。また、第
三者が受寄物につき権利を主張して受寄者に対して訴を提起し、あるいは差押え(仮差押
え、仮処分も含まれる)をなしたときは、遅滞なくその旨を寄託者に通知しなければなら
ない(660条)。また、契約が終了すれば、原則として保管をなすべき場所で寄託者に
返還しなければならない(664条)
。
- 182 -
2 寄託者の義務
寄託者は、必要費用の前払い、立替費用の償還、受寄者の負担した債務の弁済等、ほぼ
委任者が負うと同様の義務を負担することになる(665条による649条・650条の
準用)
。
さらに、寄託物の性質または瑕疵より生じた損害を受寄者に賠償する義務を負う。この
場合、寄託者が過失なくしてその性質または瑕疵を知らなかったとき、または、受寄者が
これらを知っていたときはこの限りでない(661条)。
特約がある場合には、受寄者に対し、保管の対価としての報酬を支払わなければならな
い(665条・648条)。なお、受寄者が商人である場合は、特約なくとも、相当な保
管料を請求することができる(商512条)
。
第3節 寄託の終了
保管期間の定めの有無にかかわらず、寄託者は、いつでも寄託物の返還を求めることが
できる(662条)。受寄者は、保管期間の定めなき場合は、無償寄託のときはいつにて
も(663条1項)、有償寄託のときは返還したい旨をあらかじめ寄託者に通知しその後
相当期間が経過した後に、受寄物の引取りを求めることができるとされている。期間の定
めがあっても、やむを得ない事情があるときには、期限前に返還することができる(66
3条2項)。
その他、期間の満了、目的物の滅失など契約終了についての一般原因によっても、寄託
契約は終了する。
11 組合
第1節 組合の意義・成立
組合契約とは、二人以上の当事者(組合員)が、有体財産、信用あるいは労務など、財
産的に価値あるものを出しあって、共同の事業を営むことを約する契約である。ここでい
う事業は、営利事業に限られず、公益あるいは単なる親睦を目的とするものであってもよ
い。民法上の組合の例としては、建設共同企業体
(ジョイント・ベンチャーー最判昭和
45・11・11民集24巻12号1854頁参照)
、会社を設立準備中の発起人組合(最
判昭和35・12・9民集14巻13号2994頁参照)、店舗の共同経営(東京高判昭
和51・5・27判時827号58頁参照→瀬川=内田83事件)などを挙げることがで
きる。
組合は、合意のみにより成立する、諾成・不要式の契約であるとされている(667条)。
もっとも、その内容が、目的事業を営むための団体を作ることにあるから、契約ではなく
て合同行為であるとみる説も有力である。いずれとみるにせよ、同時履行の抗弁権、危険
負担などの適用は大きく制限される(したがって、たとえば他に未履行の組合員がいるか
らといって出資義務の履行を拒むことはできず、ある組合員の出資義務が不可抗力で履行
不能となってもその者の出資が履行済みとなったり他の組合員の出資義務が消滅したりは
しない)と解されている。また、当事者の一人に無効・取消原因があっても、その当事者
に関する限りで無効となり、組合と取引をした第三者との関係では、右当事者は将来に向
かって組合を脱退できるにとどまると解されている。
なお、農業協同組合、信用組合など特別法により法人格を与えられた組合はここでいう
- 183 -
組合ではない。また、人の集団において、個々の構成員の人格が団体に埋没し社団性が強
い場合には、一定の要件がみたされると(最判昭和39・10・15民集18巻8号16
71頁)「権利能力なき社団」としての扱いを受けることにも留意したい。
第2節 組合の業務執行
まず、対内関係においては、組合の業務のうち、組合事業を営むにつき日々行うべき「常
務」は、各組合員が他の組合月の異議なき限り単独でこれを行うことができるが、その他
は、組合員の多数決によって執行する。組合契約によって一人ないし数名の業務執行者を
おいたときは、この者ないしこれらの者の多数決によって執行し、他の者は、業務および
組合財産の状況を検査することを得るにとどまる(670条・673条)
。
ついで、対外関係(組合代理)であるが、組合には法人のごとき代表機関が存しないか
ら、全組合員が共同して第三者と法律行為をなし、権利を取得し義務を負担するのが原則
である。しかし、これでは不便・不合理であるから、代理による法律行為を認める必要が
ある。まず、業務執行者が定められていない場合において、常務に関する事項については
各組合員は他の組合員を代表する権限を持ち、それ以外の行為については全組合員の過半
数において組合を代理する権限を有するとされる(最判昭和35・12・9民集14巻1
3号299四頁ー670条。ただし、通説は、各組合員が単独で代理することができるが、
一部の組合員が過半数の決定なしに代理したときは表見代理の適用があると説いている)
。
つぎに、業務執行者が定められている場合においては(一般にこの者に対して代理権が与
えられていると解される)、その者のなした代理行為の効果が組合員全員に対して及ぶ。
代理権限の範囲は組合契約によるが、内部的に代理権に制限を加えても、これをもって善
意・無過失の第三者には対抗できないとされる(最判昭和38・5・31民集17巻4号
600頁)。なお、組合代理をなすときには組合名だけの表示や組合名と肩書を付した代
表者名の表示で足りるとされる
(最判昭和36・7・31民15集5巻7号1982
頁)。
組合が訴訟をなすについて、代表者の定めある組合では組合に訴訟上の当事者能力があ
るものとされる(最判昭和37・2・18民集16巻12号2422頁)
。
第3節 組合の財産関係
まず、積極財産については、総組合員の共有に属すると規定されている(668条)。
しかし、組合財産は、共同事業の遂行のために存在するのであるから、一般の共有とは異
なり、持分処分の自由、組合解散前の財産分割請求は、制限ないし禁止されている(67
6条)。そこで、この共有は、理論上、共同目的により拘束を受けた一種の合有であると
いわれる。
組合の債務も、全組合員に合有的に帰属する。すなわち、組合の債務は、原則として損
失分担の割合(出資の価額によるー674条1項)に従って分割債務となるが、その実現
については、まず組合財産がそれにあてられ、なお不足がある場合には、各組合員個人の
財産が右の割合に応じてその満足にあてられることになる。組合の債権者が、その割合を
知らないときは平等の割合で執行することができる(675条)。
さらに、組合の事業により損益が生じた場合には、損失分担の割合により分配されるこ
ととなる(674条)
。
第4節 組合員の変動
- 184 -
組合員の変動のうち、加入については、規定がないが認められている。脱退については、
組合員の意思に基づく場合(任意脱退ー678条)とそうでない場合(組合員の死亡・破
産他の場合ー非任意脱退ー679条)とに分けて規定されている。前者につき、組合の存
続期間を定めないときは、原則としていつでも脱退でき、存続期間を定めたときでも、や
むを得ない事由があれば脱退できるとされる。(存続期間の定めの有無にかかわらず)や
むを得ない事由があっても任意の脱退を許さない旨の約定は公序良俗に反し無効であると
される(最判平成11・2・23民集53巻2号193頁→瀬川=内田85事件)脱退組
合員は、脱退時の組合財産の状況に従った金銭による払戻を受ける(681条)。
第5節 組合の解散・清算
組合は、目的たる事業の成功、その不能の確定、組合契約で定めた解散事由の発生、総
組合員の解散の合意その他の原因により解散する(682条・683条・684条)。
解散の後、財産関係の整理すなわち清算がなされる(685条∼688条)。
【参考 組合関連重要判例】
①大判昭和11・2・25民集15巻281頁(組合債務の帰属)
Aが組合契約によって帆船による漁業をすることを計画し、Yから木材を、Bから機械
類を供給させ、Cに帆船の建造を請け負わせた。Aは、個人名義でY・B・Cに債務を負
担したが、A・B・Cを組合員とする民法上の組合が成立したので、帆船の所有権は組合
に移され(登記簿上Aら名義)、AがYらに負っていた債務は組合が引き受けた。その後
B・Cから該債権の譲渡を受け、帆船についての全債権を有するにいたったYは、帆船の
上に抵当権の設定を受けた。帆船についての後順位抵当権者Xが、B・CのAに対する債
権について組合が債務引き受けをすればB・Cの債権はそれぞれ組合に対する負担部分に
つき混同によって消滅したはずであるとして、先順位抵当権者であるYを相手に、抵当権
不存在確認を求めたという事案について、「組合若は組合財産が法人格を有せざることは
固より所論の如し。然れども組合財産は特定の目的(組合の事業経営)の為めに各組合員
個人の他の財産(私有財産)と離れ別に一団を為して存する特別財産(目的財産)にして
其の結果此の目的の範囲に於ては或程度の独立性を有し組合員の私有財産と混同せらるる
ことなし・・。されば組合財産より生ずる果実若は組合の業務執行によりて取得さるる財
産の如きは総て組合財産中に帰属し直接組合員の分割所有となることなし。又之と同く組
合財産による債務・・・其の他他組合事業の経営によりて生ずる債務・・・は総て組合財
産によりて弁済せらるるを本筋とし組合員の私有財産より支弁せらるるは常態に非ず。此
は組合員の一人が債権者たる場合に於いても異るべき理由なきが故に例えば組合員の一人
が組合の為立替金ヲ為し若は組合に対する第三者の債権を譲受けたる如き場合に於ても其
の弁済は組合財産より為さるるものと云うべく此の場合に於ては債権者は其の立替えたる
金額若は譲受けたる債権の全額に付弁済を受け得ざるべからず。蓋し組合財産は各組合員
の共有なるが故に組合財産より弁済を受くるは即ち自己の共有財産中より之を受くるに外
ならずして従て債権全額の弁済を受くるも尚実質的利益としては受領額より自己の持分額
を控除したる残額を得るに過ぎず而して組合財産(積極部分)に対する持分と債務(消極
部分)の負担部分とは相対応するものなるが故に之を以て合理的の結果と做すべく若反之
初より負担部分を控除したる額のみの弁済を受くるものとせば実質上の利益は其の受けた
- 185 -
る額より更に其の額に対する自己の持分を控除したるものに過ぎず。従て其の組合員は計
算上不当に不利益を受くる結果となるべきが故なり。以上説示の如く組合財産が一の特別
財産として存する結果組合と組合員との間には相互に債権関係成立し得るものと云うべく
・・・而して此の場合債権者は当該組合員の持分(組合が債権者なる場合)又は負担部分
(組合員が債権者なる場合)を控除することなく全額に付て弁済を受け得るものと為さざ
るべからず。従て組合員が組合に対する債権を取得したる場合其の組合員の負担部分に付
債権者と債務者との混同を生じ債権消滅するものとなす所論は妥当なりと云い難く此の点
に関する原審の見解は相当なるを以て論旨は之を採用するに由なきものとす」
12 終身定期金
終身定期金とは、当事者の一方(定期金債務者)が、自己、相手方または第三者の死亡
に至るまで、定期的に金銭その他の代替物を相手方または第三者に給付することを約する
諾成・不要式の契約である。定期金の支払は、無償にてなされることも、贈与の負担とし
てなされることも、なんらかの反対給付に対してなされることもありうる。無償の場合に
は、550条の準用があるとされる。
雇傭されている企業との間の退職年金契約、郵便年金契約、生命保険事業の一還として
の年金保険などにその例をみることができる(もっとも、これらの場合には、その内容が
特別法や約款によって詳細に定められているから、民法の規定はほとんど機能していない
とされる)。さらに、扶養の問題を当事者の合意で処理する場合にも、この契約が用いら
れている。
終身定期金契約によって、定期金債務者に、定期金を支払うべき義務が生ずる。なお、
契約は、事情変更に基づく解除(告知)、定期金の元本を受け取っている定期金債務者の
債務不履行に基づく無催告の解除(告知)、あるいは、定期金が給付される旨定められて
いる者の死亡等によって、終了する(691条・693条)
。
13 和
解
第1節 和解の意義・成立
和解とは、当事者が互いに譲歩して、両者間に存在する争いを止めることを約する、諾
成・不要式の契約である(695条)。互いが自己の主張を若干はひっこめ、何らかの不
利益をこうむることを認めるという内容をもつという意味で、双務・有償の契約であると
いわれている。一方だけが譲歩するのは、ここでいう和解ではない。したがって、いわゆ
る示談も、互譲が含まれない場合には、和解類似の無名契約ということになる。
なお、和解の対象となる争いは、権利関係の存否、内容、範囲に関するものに限られず、
権利関係の不明確や権利実行の不安定等の場合も含まれるとされる(大阪高判昭和24・
11・25高民2巻3号309頁参照)。
裁判上の和解・調停も、公的機関が関与するものの、譲歩しあうという内容があれば、
民法の和解の性質を有する。これらの場合に、その合意の瑕疵を争いうるかについては、
見解の対立があるが、判例は、一貫して、無効や取消が認められうるとしている(最判昭
和33・6・14民集12巻9号1492頁)。
第2節 和解の効力
- 186 -
和解の効力は、和解の対象となった権利関係について、たとえそれが事実とは異なって
いたとしても、和解の内容に即した権利関係が当事者間に存することになるということで
ある。そこで、もし和解の成立後に反対の確証がでたとしても、和解によって確定された
権利関係は、これによってくつがえらない。また、争いの目的であった権利関係そのもの
につき錯誤があったとしても、95条の適用はなく、和解は無効とはならないのである。
これを和解の確定効という。
もっとも、和解の前提または基礎となっている事項に関する錯誤、あるいは和解におけ
る譲歩の手段とされた事項に関する錯誤がある場合には、95条の適用はありえ、また、
示談後に、予期し得ない再手術や後遺症により損害が増大した場合には、示談によって、
かかる損害についてまで損害賠償請求権を放棄した趣旨と解するのは、当事者の合理的意
思に合致するものとはいえないとされることがありうることに留意したい。和解前の法律
関係が公序良俗に反し無効である場合は、これを基礎として成立する和解も無効である
(最
判昭和46・4・9民集25巻3号264頁)。
なお、裁判上の和解・調停の場合には、その結果が調書に記載されると、確定判決と同
一の効力を有するものとされる(民執22条、民訴203条、民調16条・31条2項、
家審21条1項)。
【参考 和解関連重要判例】
①最判昭和33年6月14日民集12巻9号1492頁(和解と錯誤)
XはYに対し水飴代金債権他62万余円を訴求したが、第一審口頭弁論期日に40万円
の支払に代えて、Y所有の「特選金菊印苺ジャム」150箱をXに譲渡し、XはYにこれ
と引換えに5万円を支払うこと、Yが右代物弁済物件を引き渡したときは残額22万余円
の支払を免除するという内容の裁判上の和解が成立した。しかし、代物弁済の目的とされ
た物件は大部分がりんごやあんずのジャムで苺のは1、2割にすぎなかったので、Xが右
和解は無効であると主張し、訴訟が続行されたという事案について、「仮差押の目的とな
っているジャムが一定の品質を有することを前提として和解契約をなしたところ、右ジャ
ムが原判示の如き(原判決理由参照)粗悪品であったときは、右和解は要素に錯誤がある
ものとして無効であると解すべきである」→瀬川=内田38事件。
②最判昭和43年3月15日民集22巻3号587頁(示談後の後遺症損害)
Y運送会社の被用者Aの運転の誤りによって左腕骨折をしたBは、負傷の程度を治療約
100日を要する程の比較的軽微なものと考え、事故後9日目に賠償額を10万円とする
権利放棄条項の入った示談契約を結んだが、事故後1カ月以上たってからその負傷は当初
の予想よりはるかに重いものであることが判明し、再手術を余儀なくされるなどして結局
損害額は77万円を越えるものとなった。労災法12条に基づき40万円の保険給付をし
たX(国)が、同法20条に基づきYに求償したという事案について、「交通事故による
全損害を正確に把握し難い状況のもとにおいて、早急に、少額の賠償金をもって示談がさ
れた場合において、右示談によって被害者が放棄した損害賠償請求は、示談当時予想して
いた損害についてのみと解すべきであって、その当時予想できなかった後遺症等について
は、被害者は、後日その損害の賠償を請求することができる」→瀬川=内田87事件、奥
田ほか102事件。
- 187 -
Ⅳ
法定債権2
1 不当利得
第1節 序説
1 不当利得の意義
たとえば、AとBとが売買契約を締結し、これに基づきAが目的物をBに引き渡したが、
売買は無効であった(設例1)、あるいは、Aが所有する土地をBが自分の土地であると
誤信して使用した(設例2)というような場合には、いずれも、B(不当利得者)が、法
律上の正当な理由がないにもかかわらず(「法律上ノ原因ナクシテ」)、他人であるA(損
失者)の犠牲において(「他人ノ財産又ハ労務二因り 」)利得を得ている。Bのこのよう
な利得を不当利得という。
民法は、このような場合に、損失を被った者は、利得者に対して、一定の範囲で不当利
得の返還を求めることができるものとした(703条)。これが不当利得の制度である。
このように、不当利得は、法律の規定により債権たる利得返還請求権を生ぜしめるから、
事務管理・不法行為とならび、法定債権発生原因である。
ところで、従来、この制度は、「何人も、正当な理由なくして、他人の損失において利
得すべからず」との公平(衡平)の理念に基づくものと統一的にとらえられてきた(公平
説ーこうした理解は、不当利得法をいわば自然法のような「高位の法」であるとみる見方
に通ずる)。しかし、公平の理念に基づく制度であるということは否定しえないとしても、
公平の理念というのはあまりに包括的・抽象的であるから、不当利得の問題の解決にとっ
て、必ずしも明確な基準たりえない。そこで、近時、多種の不当利得の機能に即して、利
得の不当性の具体的基準を明らかにしてゆくという類型的思考)が展開されている(
「統
一的不当利得」から「類型的不当利得」へ)。すなわち、不当利得を、まずは大きく「給
付利得」と「侵害利得」との2類型に分かち、不当利得法は、前者においては、財貨移転
秩序に反する財貨(財産的価値)の移転(契約が無効であったり、解除されるなどした場
合のごとく、基礎的もしくは表見的な法律関係に基づきなされた財産的出捐)を清算ない
し矯正すべく機能し(冒頭の設例1の如き場合がこれにあたる)、後者においては、財貨
帰属(ないし割当て)秩序に反して非権利者のもとにある財貨(財産的価値)を正当な権
利者に取り戻してその財貨(財産的価値)の帰属を保護すべく機能する(冒頭の設例2の
如き場合がこれにあたる)とおさえたうえで、その不当性の基準を具体的に考察し、また
それに応じた効果を付与してゆこうとする(不当利得における類型論)のである。これら
給付利得・侵害利得以外の不当利得類型としては、他人の物の上に支出した必要費ないし
は有益費の償還請求にかかる費用利得、損失者が他人の債務を弁済した場合の本来の債務
者に対する求償請求にかかる求償利得、損失者が中間者との契約に基づき給付したものが、
中間者の対価未払いのまま第三者の利益となった場合にかかる転用物訴権型のものなどが
挙げられる(いかに類型化すべきであるかについて、二分類説、三分類説などの間に対立
があり、学説上必ずしも一致をみているわけではない→土田哲也「不当利得の類型的考察
方法」民法講座6所収、加藤雅信『新民法体系Ⅴ』2章・3章参照)。
2 不当利得の法律的性質
不当利得の効果として、利得者にその利得の返還義務が生ずるが、それは、法律行為に
基づくにせよ、全くの自然の事実によるにせよ、法律上の原因のない利得(不当な財貨(財
- 188 -
産的価値)の移動)が生じたという事実によって生ずるのである。したがって、不当利得
の法律要件としての性質は、
(人の精神作用に基づかない)事件であるとされる。
第2節 不当利得の一般的成立要件
不当利得の成立要件として、従来、①他人の財産または労務によって利益を受けたこと
(受益 )、②受益によって他人に損失を及ぼしたこと(損失 )、③受益と損失との間に因
果関係があること、④法律上の原因なきこと、の4つが挙げられてきた(703条)。以
下においては、これらのうち①、②、③を財産的利益(価値)の移動に関わる要件、④を
利得の不当性に関わる要件として大きく二つにわけてみておくことにしよう。
1 財産的利益の移動ー受益・損失・両者の因果関係
これらは、財産的利益(価値)の移動に関わる要件であって、不当利得が誰と誰との問
に(当事者確定)、また何について(対象財貨特定)成立するのかを明らかにするという
機能を有するとされる。
(1)受益
受益とは、一定の事実が生じたことにより、財産の総額が増加することであるが、その
事実により財産が積極的に増加すること(積極的増加)と、その事実がなければ当然に生
ずべき財産の減少を免れたこと(消極的増加)
とを含む。
受益は他人の財産または労務によることを要する。ここで他人の財産というのは、現に
他人に帰属しているもののみならず、当然に他人に帰属すべきものを含む。他人の財産に
よるとは、他人の財産の移転を受けることによるのが普通のことであるが、他人の財産権
の消滅によることもありうる。
利益を受ける方法には制限がない。法律行為によると事実行為によるとを問わない。こ
の場合、損失者あるいは利得者の一方の行為によることも、これら双方の行為によること
も、また第三者の行為が介入することによることもありうる。さらには、まったくの自然
的事実によって利得が生じた場合であっても不当利得の成立を妨げない。
(2)損失
不当利得は、個人間の利得と損失の衡平をはかる制度であるから、一方に法律上の原因
なき利得があっても、他方にこれに対応する損失がなければ不当利得とはならない。した
がって、たとえば鉄道の敷設によって沿線住民が利益を受けたとしても、これは反射的利
益にすぎず、このことによって敷設者に別段の損失は存しないから、不当利得法によって
両者の利益が調整されることとはならない。
ここでいう損失には、積極的に既存の財産が減少すること(積極的損失)と、増加する
はずであった財産の不増加(消極的損失)とが含まれる。とりわけ、後者については、た
とえばある者が他人の物を利用した場合、所有者にその物の利用可能性があったか否かを
問うことなく原則として使用料相当額の損失があるものとされるなど「損失」の擬制ない
し拡大がみとめられる。
なお、損失者は、一般に出捐者と一致するが、たとえば債務者が債権の準占有者に善意
で弁済したときはその債務は消滅するから(478条)損害者は真の債権者であるなど、
損失者が出捐者でないこともある。
(3)受益と損失との間の因果関係
不当利得が成立するためには、右にみた受益と損失との間に因果関係が存在することが
- 189 -
必要である。ここで必要とされる因果関係は、無限に拡大しうる自然的因果関係ではなく、
これを前提として不当利得制度の趣旨に即して限定的に解されるべき法的因果関係であ
る。
この因果関係は、もっぱら多数当事者間の不当利得関係において問題となるといってよ
い(二当事者間の不当利得関係においては、受益と損失は一個の財貨移転現象の楯の両面
であって、一個の事実が立証されることによって因果関係も含めた三要件が一挙に充足さ
れることが多い)。
判例は、かつて、受益と損失との間の因果関係の有無を「取引上ノ観念ニ従ヒ確認シ得
ラ」れる関係があるか否かにより決しようとした(大判明治44・5・24民録17輯3
30頁)が、その後まもなくこの見解を改め、受益と損失との間に「直接ノ因果関係」が
あることが必要であり、中間の事実、とりわけ第三者の独立なる行為が介入するときは不
当利得は成立しないとした(大判大正8・10・20民録25輯1890頁)。したがっ
て、たとえば中間者MがXから騙取した金銭でYの負担する債務を弁済したという場合
(金
銭騙取による第三者受益の事案)には、XからYへの不当利得返還請求は認められないと
された。しかし、他方で中間事実が介入する場合には常に不当利得が成立しないというの
では、あまりに硬直に過ぎ、結論の具体的妥当性を期し難い事案に直面して、「因果関係
の直接性」の緩和をはかってきた。すなわち、債務者Mが債権の準占有者Yに対し善意で
弁済した場合など、介入した第三者の行為が一面Xに損失を与えると同時に他面Yに利益
を与える場合には、「直接の因果関係」があるとし(大判大正7・12・7民録24輯2
310頁ほか)、介入した第三者Mの損失を与える行為と利益を与える行為とが別個のも
のであっても、Xの所有に属する物をもってYに利得を与えた場合にも、「直接の因果関
係」を認めている(大判大正9・5・12民録26輯652頁)。さらに、最近の判例に
は、XがMとの契約に基づいて給付したものがYの利益になったという場合(いわゆる転
用物訴権の事案)において「直接の因果関係」があるとしたものがある(最判昭和45・
7・16民集24巻7号909頁→瀬川=内田91事件、奥田ほか107事件)。
この点につき、かつての学説には、判例同様、「直接の因果関係」があることを要件と
するものがあった。これは、とりわけ金銭騙取による第三者受益の事案、転用物訴権の事
案について、
不当利得に基づく返還請求を認めないという実践的意図を含む主張であった。
しかし、その後、直接の因果関係を要求する判例理論は硬直に過ぎ、不合理な結果をもた
らすとして、これを批判し、「社会観念上の因果関係」があれば足りると説く学説がむし
ろ支配的になってきた。これによれば、同一の財貨へ財産的利益(価値)の移動として追
求しうる限り、換言すれば、Xの損失がYの利益に帰したと社会観念上認められる限り、
不当利得における因果関係は存在するとされるのである。なお、その結果、因果関係が極
めて広い範囲において認められることになるおそれがあるが、これは「法律上ノ原因」の
有無で調整されればよいとされる(かくして、「因果関係」要件は、かつて有していた当
事者確定機能、利得の不当性の理由づけ機能を失うこととなる)。金銭騙取による第三者
受益のケースに関する最近の判例に、この学説の影響を受けて、社会観念により因果関係
の存否を決しようとするものがあらわれている(最判昭和49・9・26民集28巻6号
1243頁→瀬川=内田89事件、奥田ほか106事件)。
(4)補論ー不当利得類型論
- 190 -
不当利得類型論にあっては、「受益」と「損失」については、給付による不当利得の場
合には基礎的ないし表見的法律関係に基づいて一方が財産的出硝をなし他方がそれを受領
したことで両者は一体的にとらえられ、侵害不当利得の場合には他人に属している財産を
無権限で利用すること自体が受益と損失を形成するのであって、いずれの場合についても
受益と損失とを抽象的に分解してとらえることをしない。したがってまた、かかる分解に
より必然化した両者間の直接の因果関係という構成も不当な受益の具体的規定(諸類型)
によって置きかえられるということになる。不当利得における当事者は各別の不当利得類
型において具体的に受益(および損失)が規定されることのうちにすでに確定されている
とみるのである。いずれにせよ、以上にみた三要件は、(財貨特定機能の他)あまり大き
な意味を持ってはいないと考えられている。
2 法律上の原因なきこと
「法律上ノ原因」がないとは、従来の通説によれば、公平の観点からみて、財産的利益
(価値)の移動をその当事者間において正当なものたらしめるだけの実質的理由がないと
いうことであって、その具体的基準は類型に即して明らかにさるべきものとされる。
(1)給付不当利得の場合
利得が損失者の意思に基づく給付行為による場合に、法律上の原因を欠くとは、出捐の
原因ないし目的を欠くことである。それには、(イ)売買の履行として目的物を交付した
が契約が無効であったなど、当初から原因を欠く場合(原因不存在 )、(ロ)結納を交付
したのに婚姻が成立しなかった(大判大正6・2・28民録23輯292頁参照→瀬川=
内田90事件)など、将来成立する目的のために給付がなされたが、その目的が不成立に
おわった場合(目的不到達)、(ハ)債権が消滅したのに債権者が債権証書を保有してい
るなど、出捐の当時存在した目的が後に消滅した場合(目的消滅)などがある。
(2)侵害不当利得などの場合
様々な場合を含み、(1)のごとく統一的にとらえられない。各場合につき、損失者の
負担において利得者に利得を保有させることが実質的に公平なものと認められるかを判断
するほかはないとされる。
(イ)人の行為によって利得が生ずる場合 ①利得者が他人の物を無権限で使用するごと
く、利得者の事実行為による場合、②他人(損失者)の動産を占有する者がこれを自己の
物として有償で処分し、相手方が即時取得してしまったなど、利得者の法律行為による場
合、③第三者が損失者の所有に属する飼料で利得者の家畜を飼育したごとく、第三者の行
為による場合、④利得者の家畜を自分のものと誤信して飼育するなど、利得者のために出
捐する意思のない損失者の行為による場合など、利得が人の行為によって生ずる場合には、
損失者の権利領域に対する「極めて広い意味における侵害」が存する。したがって、これ
らの場合には、「法律上ノ原因」の存否は、当該利得を生じさせたものがそのような行為
をする権限を有していたかに求めることができるとされる。
(ロ)利得が人の行為によるのではない場合 ①直接法律の規定による場合、たとえば、
添付、善意占有者の果実収取、時効取得等については、不当利得の成否は個々の法規定に
よる。②事件の事実的結果による場合、たとえば、養魚他の魚が他人の池に入ったという
ような場合には、利得と損失を生ずる背後の法律規定ないし法制度の趣旨に別して法律上
の原因の有無は決せられることになるとされる。
- 191 -
(3)補論ー不当利得類型論
不当利得類型論において「法律上ノ原因」を欠くとは、給付不当利得の場合には、当事
者間において財産的利益(価値)の移転(給付)を基礎づけるものとして前提された実体
的法律関係(これには、契約に基づく債権関係など民法の各分野から生ずるもののみなら
ず、商法、民事訴訟法、行政法他の領域にかかわるものもありうる)が存在しないこと(こ
れが法律関係の対抗可能性、
他の権利との優先劣後関係などにより決せられる場合もある)
であるとされる。
侵害不当利得の場合には、財産的利益(価値)の移転が財貨帰属秩序に客観的に抵触す
ることであるとされる(この場合、法律上の原因がないことについての立証責任は受益者
の側にあるとされる。他人の財貨からの利得は通常不当であるからである)
。
【重要論点】
【多数当事者間の不当利得】
一つの不当利得関係に三人以上の者が関与する場合がある(多数当事者間の不当利得な
いし三角関係的不当利得)。これについても種々の類型化が図られているが、その一つに
よれば、この場合には、①AC間、BC間の法律関係の絡みにおいてAからBに中間者C
を飛びこえて直接の給付がなされたのに、ABCのうちの二者の間に不当利得が生ずる場
合、②現実にはAからCへ、CからBへの二段の給付がなされたのに、AからBへの中間
者Cを飛びこえての直接の不当利得返還請求の問題が生ずる場合とがあるとされる。
前者の典型は、第三者のための契約の場合であって、AからBへの給付がなされても、
AC・BCの関係
(補償関係・対価関係)のいずれかあるいは双方が欠けているときに
はいずれか二者の間に不当利得の問題が生ずる。他に第三者の弁済の場合、債権の準占有
者への弁済の場合が挙げられている。
また後者には、本文でも触れた、騙取金による弁済の場合、転用物訴権の場合とがある
とされる。これら多数当事者間の不当利得の場合については、当該法律関係の法的構造の
分析を通していずれといずれとの間に法的に正当化しえない財産的利益の移動が生じてい
るかを考えていかざるをえない。しかし、たとえば転用物訴権の場合について諸説が対立
するなど、その判断は必ずしも常に容易であるとはいえない。
【重要論点・重要判例】
【騙取金による弁済と不当利得】
この問題については、最高裁昭和49年9月26日判決がある(民集28巻6号124
3頁)。公金7895万円余を横領したY(国)の農林事務官Aは、Xの経理課長らをそ
そのかしX振出名義の手形を作成させ、これによって銀行から金銭を借りるという方法で
Xから金銭を騙し取り、これを自分の金銭と混同させたり、両替したり、銀行に預けたり、
一部をつかって右横領の穴埋めをしたりした後、横領によってYに与えた損害の一部弁償
として国庫に納入した。こうした事実関係のもと、XはYに対して不当利得の返還請求を
したのであるが、最高裁は、「Aが、Xから崩取又は横領した金銭を、自己の金銭と混同
させ、両替し、銀行に預け入れ、又はその一部を他の目的のため費消したのちその費消し
た分を別途工面した金銭によって補填する等してから、これをもって自己のYに対する債
- 192 -
務の弁済にあてた場合でも、社会通念上Xの金銭でYの利益をはかったと認めるに足りる
連結があるときは、Xの損失とYの利得との間には、不当利得の成立に必要な因果関係が
あると解すべきであ」り、「AがXから騒取又は横領した金銭により自己の債権者Yに対
する債務を弁済した場合において、右弁済の受領につきYに悪意又は重大な過失があると
きは、Yの右金銭の取得は、Xに対する関係においては法律上の原因を欠き、不当利得と
なる」と判示している(→瀬川=内田89事件、奥田ほか106事件)。
【重要論点・重要判例】
【転用物訴権】
損失と利得との因果関係要件さらには法律上原因要件に関わり、X・A間の契約に基づ
くXの給付が契約外の第三者Yを受益させた場合に、XのYに対する不当利得返還請求権
が認められるかという問題がある。すなわち、「転用物訴権」は認められるべきかという
問題である。
まず、最高裁昭和45年7月16日判決(民集24巻7号909頁)がある。この判決は、
XがY所有のブルドーザを賃借人Mの依頼によって修理し、Mに対する修理代金債権を取
得したが、Mが無資力になってしまったためその回収ができなくなり、Yに対して不当利
得として修理代金相当額の返還を請求したという事案について、XがY所有のブルドーザ
をその賃借人Mの依頼により修理した場合において、その後Mが無資力となったため、同
人に対するXの修理代金債権の全部または一部が無価値であるときには、Yの利得とXの
損失との間には直接の因果関係があるとし、その限度において、XはYに対し右修理によ
る不当利得の返還を請求することができる(修理費用をMにおいて負担する旨の特約があ
ったとしても不当利得返還請求の妨げとはならない)とした(→瀬川=内田91事件、奥
田ほか107事件)。この判決に対しては、学説において、肯定的に評価する説も見られ
たが、因果関係の意味・債務者の無資力と実体上の権利の関係などにつき理解が不十分で
あり、結論的にも転用物訴権を広く認めすぎてはいないかと批判するものがあった。
重要判例①最判昭和45・7・16(民集24巻7号909頁)
「右のごとき上告人(X)の本訴請求の当否につき按ずるに、原判決引用の一審判決の認
定するところによれば、上告人(X)のした修理は本件ブルドーザーの自然損耗に対する
もので、被上告人(Y)はその所有者として右修理により利得を受けており、また、右修
理は訴外会社(M)の依頼によるもので、上告人は(X)同会社(M)に対し51万40
00円の修理代金債権を取得したが、同会社(M)は修理後間もなく倒産して、右債権の
回収はきわめて困難な状態となつたというのである。
これによると、本件ブルドーザーの修理は、一面において、上告人(X)にこれに要し
た財産および労務の提供に相当する損失を生ぜしめ、他面において、被上告人(Y)に右
に相当する利得を生ぜしめたもので、上告人(X)の損失と被上告人(Y)の利得との間
に直接の因果関係ありとすることができるのであつて、本件において、上告人(X)のし
た給付(修理)を受領した者が被上告人(Y)でなく訴外会社(M)であることは、右の
損失および利得の間に直接の因果関係を認めることの妨げとなるものではない。ただ、右
の修理は訴外会社(M)の依頼によるものであり、したがつて、上告人(X)は訴外会社
(M)に対して修理代金債権を取得するから、右修理により被上告人(Y)の受ける利得
- 193 -
はいちおう訴外会社(M)の財産に由来することとなり、上告人( X)は被上告人(Y)
に対し右利得の返還請求権を有しないのを原則とする(自然損耗に対する修理の場合を含
めて、その代金を訴外会社(M)において負担する旨の特約があるときは、同会社(M)
も被上告人(Y)に対して不当利得返還請求権を有しない)が、訴外会社(M)の無資力
のため、右修理代金債権の全部または一部が無価値であるときは、その限度において、被
上告人(Y)の受けた利得は上告人(X)の財産および労務に由来したものということが
でき、上告人(X)は、右修理(損失)により被上告人(Y)の受けた利得を、訴外会社
(M)に対する代金債権が無価値である限度において、不当利得として、被上告人(Y)
に返還を請求することができるものと解するのが相当である(修理費用を訴外会社(M)
において負担する旨の特約が同会社(M)と被上告人(Y)との間に存したとしても、上
告人(X)から被上告人(Y)に対する不当利得返還請求の妨げとなるものではない)。
しかるに原判決は、上告人(X)の右の訴旨を誤解し、また右の法理の適用を誤つたも
ので、審理不尽、理由不備の違法を免れず、論旨は理由あるに帰し、原判決を破棄すべき
であるが、本件において上告人(X)の訴外会社(M)に対する債権が実質的にいかなる
限度で価値を有するか、原審の確定しないところであるので、この点につきさらに審理さ
せるため、本件を原審に差し戻すべきものとする。
」
その後、最高裁平成7年9月19日判決(民集49巻8号2805頁)が転用物訴権の
認められるべき場合を限定的に解するにいたった。問題となった事実関係はこうである。
Yは所有する本件ビルを訴外Mに賃貸したが、この契約において、Mが権利金を支払わな
いことの代償として本件ビルに対する修繕その他の工事はすべてMの負担とする旨の特約
がなされていた。Xは、Mから本件ビルの改修・改装工事を5180万円で請け負い、工
事完成後ビルをMに引き渡した。その後まもなくMが無断転貸をしたため、Yは契約を解
除し、ビルの明け渡しを訴求したところ、勝訴が確定した。該請負代金のうち半分ほどし
か受けていないXは、Mが所在不明であり、回収不能の状況にあるので、Yに対して不当
利得に基づき残余代金相当額の支払いを求めた。こうした事案につき、最高裁は、「Xが
建物賃借人Mとの間の請負契約に基づき右建物の修繕工事をしたところ、その後Mが無資
力になったため、XのMに対する請負代金債権の全部又は一部が無価値である場合におい
て、右建物の所有者Yが法律上の原因なくして右修繕工事に要した財産及び労務の提供に
相当する利益を受けたということができるのは、YとMとの間の賃貸借契約を全体として
みて、Yが対価関係なしに右利益を受けたときに限られるものと解するのが相当である。
けだし、YがMとの間の賃貸借契約において何らかの形で右利益に相応する出捐ないし負
担をしたときは、Yの受けた右利益は法律上の原因に基づくものというべきであり、Xが
Yに対して右利益につき不当利得としてその返還を請求することができるとするのは、Y
に二重の負担を強いる結果となるからである」と判示し、請求を棄却した原審判決を維持
したのである(→瀬川=内田92事件、奥田ほか108事件、星野ほか70事件)
。
重要判例②最判平成7・9・19(民集49巻8号2805頁)
「X が建物賃借人 M との間の請負契約に基づき右建物の修繕工事をしたところ、その
後 M が無資力になったため、X の M に対する請負代金債権の全部又は一部が無価値であ
る場合において、右建物の所有者 Y が法律上の原因なくして右修繕工事に要した財産及
び労務の提供に相当する利益を受けたということができるのは、Y と M との間の賃貸借
- 194 -
契約を全体としてみて、Y が対価関係なしに右利益を受けたときに限られるものと解する
のが相当である。けだし、Y が M との間の賃貸借契約において何らかの形で右利益に相
応する出捐ないし負担をしたときは、Y の受けた右利益は法律上の原因に基づくものとい
うべきであり、X が Y に対して右利益につき不当利得としてその返還を請求することが
できるとするのは、Y に二重の負担を強いる結果となるからである。
前記一の2によれば、本件建物の所有者である被上告人(Y)が上告人(X)のした本
件工事により受けた利益は、本件建物を営業用建物として賃貸するに際し通常であれば賃
借人である M から得ることができた権利金の支払を免除したという負担に相応するもの
というべきであって、法律上の原因なくして受けたものということはできず、これは、前
記一の3のように本件賃貸借契約が M の債務不履行を理由に解除されたことによっても
異なるものではない。
そうすると、上告人(X)に損失が発生したことを認めるに足りないとした原審の判断
は相当ではないが、上告人(X)の不当利得返還請求を棄却すべきものとした原審の判断
は、結論において是認することができる。」
第3節 不当利得の効果
1 不当利得返還請求権の発生
不当利得の効果は、損失者から受益者に対し、利得返還請求権が発生することであるが
(703条・704条)、その内容・範囲については論ずべきことが少なくない。
2 返還義務の内容・範囲
不当利得の返還義務の範囲は、受益者が善意である場合と、悪意である場合とで異なる。
(1)善意の利得者の場合
まず、利得が法律上の原因を欠くことを知らない善意の利得者は、「其ノ利益ノ存ス
ル限度」(いわゆる現存利益の限度)において、利得を返還すれば足りるとされる(70
3条)。まず、利得が原物の形で現存すれば(たとえ毀損していても、それが利得者の責
に帰すべき事由によるのでない限り、そのままで)、それを返還すればよい(原物返還の
原則)。利得した原物が第三者の所有に帰したり、減失した場合に、利得者が代金や保険
金・損害賠償金など代償物を得ており、それが消費されないで残存していれば、その額を
返還すべきことになる。目的物を利得者が消費したり、自らの責に帰すべき事由によって
滅失した場合には、原則としてその価格を返還すべきこととなる。次に、利得の内容が労
務の利得である場合のように、その性質上、原物返還ができない場合については、価格償
還によらぎるを得ない。同様に、他人の物の利用利益による利得の場合には、客観的な使
用料相当額を返還すべきことになる。最後に、金銭による不当利得の場合であるが、同額
の通貨による(価値による)返還をすベきこととなる。利得した金銭を預金したり、自己
または他人の債務の弁済にあてたり、生活費にあてた場合(大判昭和7・10・26民集
11巻1920頁)には、利得は現存する。しかし、浪費した場合には、その金銭が手に
入らなかったらそうした消費はしなかったことが確実なら、利益は現存しないとされる。
なお、金銭による利得の場合には、現存すると推定される(大判昭和8・11・21民集
12巻2666頁など)。
(2)悪意の利得者の場合
- 195 -
つぎに、悪意の受益者、すなわち、法律上の原因を欠くことを知りながら利益を得た者
は、受けた利益の全部に、利息を付して返還しなければならない。利益が現存するかを問
わない。さらに、損失者に損害あるときは、その賠償の責任をも負うことになる(704
条)。悪意の利得者は、不法行為に近い責任を負わされるのである。なお、悪意について
の立証責任は、損失者の側が負うものとされる。
(3)補論ー不当利得類型論
不当利得類型論によれば、まず前提とされた基礎的ないし表見的法律関係に基づいて給
付された財産的利益の清算(巻き戻し)に関わる給付不当利得の場合については、基礎的
法律関係の属性(さらには清算の理由等)によって効果は決まるとされる。利得者は、
(果
実をも含め)給付されたもの自体(費消してしまったような場合にはその価額)を、その
善意・悪意にかかわらず、返還すべきであるが、たとえば、双務契約が無効であった場合
の清算については、清算関係それ自体も双務的なものと考え、目的物が減失したときは危
険負担の問題、原状回復義務相互間の同時履行の関係等を顧慮すべきものとされ、互いの
利用利益は相互に見合っているものとみて返還の必要がない(575条参照)と考えるべ
きものとされる。利得者の支出した費用の償還についても558・608条等によって扱
われるべきものとされる。かくして、この場合には703・704条の適用はないと端的
に主張するものもある。
これに対して、侵害不当利得の場合については、いわば物権的返還請求権とパラレルに
考えればよいとされる。すなわち、この場合、不当利得返還請求権は、原財貨の返還が不
可能になったときに時価相当額の返還請求権として生ずるのであるが、返還義務の範囲は、
703・704条により、利得者の善意・悪意によって異なるというのである。また、利
得者が心要費等を支出し、目的物を毀損しあるいは果実を収取した場合については189
ないし191条・196条によって処理されるべきものとされる。この際当事者の過責の
有無・程度を顧慮すべきであるとするものがある。
- 196 -
不当利得の効果
―
類型論からみた
―
Ⅰ給付利得の効果
典型的設例
給付の基礎となった法律関係(表見的法律関係たとえば契約)が何らかの理由で存在
しない場合
契約不成立、契約無効、解除など
1表見的法律関係の反映を考慮すべきである
受益者の善意・悪意で返還義務の範囲が異なるとする民法703条・704条をその
まま適用することには不都合がある
AとBとの間でAの所有する甲自動車の売買がなされ、引渡、代金の支払いもな
された。しかし売買は錯誤により無効であった。売主Aは受け取った代金をすべて
費消してしまった。 →
AからBに対する甲自動車の返還請求
AはBから強迫されて甲自動車をBに売った。Aにより売買契約は取り消された。
→
A・B間で清算
A・Bにつき704条の適用
それぞれの返還義務を抽象的・独立的に不当利得返還義務をとらえるのではなく、
表見的法律関係の清算であることに鑑み、その表見的法律関係を反映させる必要
しかし、表見的法律関係の内容をなす法規範がすべて反映されるとすると給付に原
因がないものとした否定的評価の意味がなくなってしまうので、法律上の原因を欠
くとされる理由などを顧慮しながら、(交換型の契約・利用型の契約・労務給付型
の契約・無償契約関係などと)個々の場合の清算に応じて細かく効果を考えること
が必要
2有償契約関係の清算
両当事者既履行の双務契約の不成立・無効・取消しの場合
703条・704条はそのままでは適用されるべきではない
基礎となった双務契約の対価的牽連関係が顧慮されるべきである
ただし詐欺・強迫の場合は侵害不当利得類似の処理をすべきであるとする説あ
り
①受益の返還
当初給付されたもの(現物)が返還されるべき受益である
(物権的請求権との競合は考えない、したがって同時履行の抗弁を免れるため
に物権的請求権の主張をすることは認めない ←→ 異説あり)
労務給付の場合は、最初から価格返還のみが問題となる。
630条、652条、620条(遡求効制限規定)の趣旨を類推して報酬が社
会的に相当な額で支払われている以上清算は不要と扱う
②危険負担・債務不履行
給付後の目的物の滅失・毀損
無効な売買契約に基づいて引き渡された家屋が焼失
- 197 -
買主の責めに帰すべき事由によらない場合
536条1項(債務者主義)
買主の過失による場合 返還義務の債務不履行として扱う
①説 価格返還に相当する損害賠償←→代金返還
②説 買主善意である場合、自己のためにすると同一の注意を尽くしてい
る限りで返還義務は消滅
相手方も消滅
一方が未履行
売主が先履行したが目的物が当事者の責に帰すべからざる事由により滅失した
場合
買主は価格返還義務を負う
←→ 反対説あり
履行期限を徒過しているなど買主に責任ある場合に限
り買主に価格返還義務を負わせる
(賃貸借の場合
有効な賃貸借の場合は、536条1項により賃貸人が危険負担するというこ
になっているが、無効などの場合についてもこれが反映される
従って、賃借人の過失による場合は現物返還義務の不履行による損害賠償と
して目的物の客観的価格相当額の返還)
③果実・使用利益
判例には、受領者が善意であれば189条を適用し返還義務なしとしている(大
判大14・1・20民集4巻1頁 建物売買の取消事例)
すべて返還の対象となるというのが有力説
ただし、売買については575条の類推との説あり
果実・使用利益と代金の利息は相互に返還義務を負わない
④利用型契約
目的物の返還とともに善意であっても使用利益の返還をすべきである
支払済み賃料は返還請求できる
なお、620条の趣旨を類推する説あり
⑤投下費用
目的物に受領者が必要費・有益費を投下した場合、利用型の契約にあっては、5
95条、608条の費用償還請求権の規定が類推適用される
交換型については、占有者の費用償還請求権に関する196条または留置権者の
費用償還請求権に関する299条の類推により利害の調整をする
3無償契約(とくに贈与)関係の清算
贈与契約の清算では、703条・704条がそのまま適用される
善意者は、浪費による利得消滅の抗弁ができる
善意者は、受領物の無償譲渡や滅失・毀損の場合利得が消滅したと主張できる
この点については反対説あり
侵害利益の場合と同様に無償譲渡では利得は消滅しないとする
自己のためにすると同一の注意義務を尽くしていないときは利得の消滅を主張
できないとする
- 198 -
4補
行使
①同時履行の関係
解除についての546条・533条
ただし詐欺・強迫をした相手方からの同時履行の抗弁の主張
は認めるべきではないとする学説あり
②行使期間制限
295条2項類推
時効 167条・短期消滅時効
取消権の場合
(取り消しかつ返還という説あり)
Ⅱ侵害利得の効果
典型的設例
他人の山林の伐採木を燃料として消費、あるいは第三者へ売却処分
1受益の返還
「失われた所有権」の保護の延長=価格返還
物権的返還請求権の行使の場合の付随的利害関係の調整規定である189条
以下の規定との整合性を考慮に入れる必要
←→ 現物返還が可能な場合(消費も処分もされない)→物権的請求権
2善意の受益者
①現存利益の返還
善意とは法律上の原因を欠くことを知っていた、過失で知らなかった
善意の主張立証責任は、受益者が負う
原因がないことを知った後利益を消滅させた場合には返還義務の範囲を減少させ
ない
②出費の節約
原則として利得の消滅は問題とならない
(出費の節約により利得は消滅していないと考えられる)
無償譲渡した場合も利得の消滅を認めない
受益の目的が金銭であったり、代価として金銭を受領した場合
こうした臨時収入がなかったらなければ支出しなかったような浪費をした場合
③売却代金についての問題点
返還すべきは現実の売却代金額か客観的価格であるか
判例は売却代金相当額であるとする(大判昭和12・7・3民集16巻108
9頁)
←→
反対説あり
AがX(製紙会社)からパルプを盗みだしYに売却し、さらにBがYから転
得し消費した場合において、XがYに対し不当利得の返還請求をしたという
事案
Yは、代金額を控除した額が受益であると主張したが認めれなかった
(物権的請求権に代わるものであるから)
④使用利益
使用料相当額の返還をする必要はない
- 199 -
189条1項
善意の占有者の果実収取とパラレル
この条文を、善意・有償取得者で善意取得が成立しない場合のみ果実返還免除
という異説あり
3悪意の受益者
①利益支払義務
利益の全額に利息(目的物消滅の時からではなく、受益の時から)を付して返還
すべきである
悪意占有者は取得・消費・毀損した果実の返還義務を負っていること(190
条1項)に対応
浪費による利得の消滅は認められない
②損害賠償
受けた利益と利息を返還してもなお損失者に損害が残るときはそれを賠償すべき
である
受益者に利得されたために目的物を転売できず得べかりし転売利益を失った
- 200 -
第4節 (給付)不当利得の特則
1 非債弁済
民法は、不当利得の特則として、広義における非債弁済と不法原因給付について定めて
いる。前者には、狭義の非債弁済のほかに、期限前の弁済、他人の債務の弁済とが含まれ
る。
(1)狭義の非債弁済
弁済者が、特定の債務の弁済として給付をしたが、実は、債務が存在しなかった場合に
おいては、弁済者が債務の不存在を知らずに弁済した場合に限って不当利得の返還を認め
ている。すなわち債務不存在を知りながら、任意に(任意でない弁済の場合には返還請求
は認められるー最判昭和40・12・21民集19巻9号2221頁など)弁済したよう
な者には(これを保護する必要がないから)、不当利得返還請求権は認められないのであ
る(705条)。
(2)期限前の弁済
この場合には、弁済それ自体は、法律上の原因を欠くものでなく、給付したものの返還
請求は問題とならない(706条本文)。しかし、期限前に弁済したことによって、債権
者に、たとえば中間利息のごとき利得が生ずることがある。そこで民法は(期限未到来を
知りつつあえて弁済した場合には、期限の利益の放棄とみうるから)、債務者が錯誤によ
って期限前の弁済をしたときに限り、かかる利得の返還を求めうることとした(706条
但書)
。
(3)他人の債務の弁済
他人の債務を自己の債務と誤信して弁済した場合は、第三者の弁済としての効力を生じ
ない(474条参照)。そこで、弁済者は不当利得の返還を求めうることとなる。しかし、
かかる場合であっても、債権者が善意で証書を毀滅し、担保を放棄し、または時効によっ
て債権を失ったとき、弁済者は、不当利得を理由に、給付したものの返還を求めることは
できないとされる(707条1項)。善意の債権者を保護するためである。こうして、弁
済者が不当利得返還請求権を失った場合は、債権は消滅し(大判明治44・11・17民
録17輯719頁参照)、債務者は債務を免れることになるから、弁済者は債務者に求償
権を行使することが認められている(707条2項)
。
なお、他人の債務と知ってなした弁済は、原則として、第三者の弁済となり債権は消滅
するから、弁済者と債権者との間に不当利得関係は生じない。弁済者と債務者との間で、
弁済による代位(499条・500条)ほかによる利害の調整が図られることとなる。
2 不法原因給付
たとえば、妾関係を維持するため、あるいは賭博に敗けて金を支払った場合には、なる
ほどいずれも契約に基づき給付をしたのであるが、かかる契約は公序良俗に反して無効で
あるから、法律上の原因を欠く給付となり、不当利得が成立しうるかにみえる。しかし、
このような場合に、これを認めると、みずから公序良俗違反の行為をしておきながらそれ
を主張して法の保護を受けることを許す結果となる。これは法の理念に反するから、民法
は、不法な原因に基づいて給付をした者は、その返還を請求することができないものとし
た(708条本文)
。
「不法」とは、公序良俗違反ということである。強行法規や取締法規に反しているから
- 201 -
といって、必ずしもここでいう「不法」にあたるとはいえない。その意味で、708条と
90条は表裏一体の関係に立つといわれる。動機が不法な場合でも、これを当事者が知っ
ているときには、不法の原因たりうる。
また、ここでいう「給付」であるが、出捐者の意思に基づくものであることを要し、し
かも受領者に事実上終局的な利益を与えるものでなくてはならない。したがって、たとえ
ば、裁判所の配当によってなされたようなときには、「給付」とはいえず、また公序良俗
に反する契約に基づく相手方の債権のために担保権を設定しても、いまだ「給付」がなさ
れたとはいえない。
不法な原因によって給付したものは、不当利得として返還請求することができないので
あるが、かかる場合には、さらに、不法行為に基づく損害賠償請求も、所有権に基づく返
還請求も、708条の類推通用により認められないというのが通説・判例(大連判明治3
6・12・22刑録9輯1843頁ほか、最大判昭和45・10・21民集25巻11号
1560頁ほか)である。
なお、不法原因が受益者にのみ存する場合(給付者と受益者の双方の不法性を比較して
受益者のそれが圧倒的に強い場合を指すと解するのが通説であるー最判昭和29・8・3
1民集8巻8号1557頁もかかる場合に返還を認める)には、返還請求が認められると
している(708条但書)。
【重要判例】
①最判昭和35・9・16民集14巻11号2209頁(
「不法」の判断)
Xが配給統制品であった藁工品の売買契約に基づいて給付した藁工品の返還を買主Yに
求めたという事案について、
「原判決は、統制法規に違反した売買契約に基づく給付が、民法七〇八条にいう不法原因
によるものかどうかは、その行為の実質によって、すなわちその統制違反の取引が当時の
国民生活並びに国民感情にいかなる影響を与えるかを考慮のうえ、決定すべきものである
とし、「本件売買の目的物は藁工品であるが、藁工品は米麦等の主食品のように当時にお
いても国民生活必需物資でなく、統制違反の事実によって、直接直ちに国民の生活に重大
な脅威を与えるものではなくまた国民感情に大きな悪影響を及ぼすものでもないから、藁
工品の統制違反は統制当時の社会情勢においても反道徳的な醜悪な行為としてひんしゅく
すべき程の反社会性を有する違反行為には該当しないと考えられる。従って、本件の取引
は統制法規に違反し無効ではあるが、該取引に基いて給付したものが不法原因によるもの
としてその返還を請求することができないものではない」と判示して、上告人の民法七〇
八条にもとづく抗弁を排斥したのは正当であって、所論はひっきょう右と反対の見解に依
って原判決を非難するに帰し、とることができない。
」
②最判昭和46・10・28民集25巻7号1069頁(
「給付」の意義)
X女は、Y男と親しくなり、妾関係を結ぶことを条件にA所有の建物の贈与を受ける旨
の契約を結び、右建物に転居した。その後、YがAから右建物の譲渡を受けその旨の登記
を経由したので、Xが所有権移転登記を求めたという事案について、
「原判決の確定したところによれば、上告人(X)は、東京銀座のバー某に勤めていた頃、
- 202 -
客としてきていた被上告人 Y と知り合い、昭和38年11月頃から情交関係を生ずるに
いたつたが、その前後頃から被上告人 Y より上告人 X に対し、自分が上告人(X)の面
倒を見てやる、本件建物はまだ被上告人 A の所有であるが、自分は同被上告人 A に金を
貸しており、右建物を取得したうえ上告人(X)に贈与するから、これに転住してもらい
たい等と原判示のようにいって、被上告人 Y と上告人(X)との間に、いわゆる妾関係継
続維持の合意がなされるとともに、その目的で本件建物につき贈与契約が成立し、上告人
(X)は昭和39年2月頃右建物に転居したところ、被上告人 Y において、昭和40年6
月7日被上告人 A から代物弁済として本件建物の所有権の譲渡を受け、同年7月15日
その所有権移転登記を経由したというのである。かような事実関係のもとにおいては、右
贈与は、民法708条にいう不法の原因に基づくものというべきである。
しかし、原判決によれば、本件建物は既登記のものであったことが窺われるのであるが、
本件においては、右贈与契約当時、上告人(X)は被上告人 Y から本件建物の引渡を受け
たことを認めうるにとどまり、被上告人 Y は、その後、本件建物の所有権を取得し、か
つ、自己のためその所有権移転登記を経由しながら、上告人(X)のための所有権移転登
記手続は履行しなかつたというのであるから、これをもつて民法708条にいう給付があ
つたと解するのは相当でないというべきである。贈与が有効な場合、特段の事情のないか
ぎり、所有権の移転のために登記を経ることを要しないことは、所論のとおりであるが、
贈与が不法の原因に基づくものであり、同条にいう給付があつたとして贈与者の返還請求
を拒みうるとするためには、本件のような既登記の建物にあっては、その占有の移転のみ
では足りず、所有権移転登記手続が履践されていることをも要するものと解するのが妥当
と認められるからである。原審が、右と同趣旨の見解のもとに、本件につき民法708条
の適用を否定した判断は、正当として是認することができる。したがって、論旨は採用す
るに足りない。」
③最判昭和45・10・21民集24巻11号1560頁(708条の類推適用など)
X男は、Y女と知り合い情交関係を結ぶようになり、本件建物を新築して未登記のまま
Yに贈与して引き渡し、居住させていたが、後に不仲となりYに対して建物の明渡請求を
なした。訴訟係属中にXが建物につき保存登記をなしたので、Yは、反訴として、所有権
移転登記手続を求めたという事案について、
「原判決によれば、原審は、被上告人(Y)は、別紙目録記載の建物(以下、本件建物と
いう。)を新築してその所有権を取得した後、昭和29年8月これを上告人(X)に贈与
し、当時未登記であつた右建物を同人に引き渡したが、右贈与は、被上告人(Y)がその
妾である上告人(X)との間に原判決判示のような不倫の関係を継続する目的で上告人(X)
に住居を与えその希望する理髪業を営ませるために行なつたもので、上告人(X)も被上
告人(Y)のかような意図を察知しながらその贈与を受けたものであるとの事実を認定し、
右贈与は公の秩序または善良の風俗に反するものとして無効であり、また、被上告人(Y)
が、右贈与の履行行為として、本件建物を上告人(X)に引き渡したことは、いわゆる不
法原因給付に当たると判断しているのである。原審の右事実認定は、原判決の挙示する証
拠関係に照らし、首肯できないものではなく、原審の認定した右事実関係のもとにおいて
は、右贈与は公序良俗に反し無効であり、また、右建物の引渡しは不法の原因に基づくも
のというのを相当とするのみならず、
本件贈与の目的である建物は未登記のものであって、
- 203 -
その引渡しにより贈与者の債務は履行を完了したものと解されるから、右引渡しが民法7
08条本文にいわゆる給付に当たる旨の原審の前示判断も、正当として是認することがで
きる。
そして、右のように、本件建物を目的としてなされた被上告人(Y)上告人(X)間の
右贈与が公序良俗に反し無効である場合には、本件建物の所有権は、右贈与によっては上
告人(X)に移転しないものと解すべきである。いわゆる物権行為の相対的無因性を前提
とする所論は、独自の見解であって、採用することができない。
しかしながら、前述のように右贈与が無効であり、したがって、右贈与による所有権の
移転は認められない場合であっても、被上告人(Y)がした該贈与に基づく履行行為が民
法708条本文にいわゆる不法原因給付に当たるときは、本件建物の所有権は上告人(X)
に帰属するにいたつたものと解するのが相当である。けだし、同条は、みずから反社会的
な行為をした者に対しては、その行為の結果の復旧を訴求することを許さない趣旨を規定
したものと認められるから、給付者は、不当利得に基づく返還請求をすることが許されな
いばかりでなく、目的物の所有権が自己にあることを理由として、給付した物の返還を請
求することも許されない筋合であるというべきである。かように、贈与者において給付し
た物の返還を請求できなくなつたときは、その反射的効果として、目的物の所有権は贈与
者の手を離れて受贈者に帰属するにいたつたものと解するのが、最も事柄の実質に適合し、
かつ、法律関係を明確ならしめる所以と考えられるからである。
ところで、原判決によれば、被上告人(Y)は、本件建物について昭和31年11月1
0日附で同人名義の所有権保存登記を経由したのであるが、右登記は、被上告人が本件建
物の所有権を有しないにもかかわらず、上告人(X)らに対する右建物の明渡請求訴訟を
自己に有利に導くため経由したもので、もともと実体関係に符合しない無効な登記といわ
なければならず、本件においては他にこれを有効と解すべき事情はない。そして、前述の
ように、不法原因給付の効果として本件未登記建物の所有権が上告人(X)に帰属したこ
とが認められる以上、上告人(X)が被上告人(Y)に対しその所有権に基づいて右所有
権保存登記の抹消登記手続を求めることは、不動産物権に関する法制の建前からいって許
されるものと解すべきであってこれを拒否すべき理由は何ら存しない。そうとすれば、本
件不動産の権利関係を実体に符合させるため、上告人(X)が右保存登記の抹消を得たう
え、改めて自己の名で保存登記手続をすることに代え、被上告人(Y)に対し所有権移転
登記手続を求める本件反訴請求は、正当として認容すべきものである。原判決が、本件贈
与は公序良俗に反するものとして無効であるから、右贈与が有効であることを前提とする
上告人(X)の反訴請求は失当である旨判示したのみで、右請求を棄却したのは違法であ
り、論旨は、理由があるに帰する。
」
→瀬川=内田97事件、奥田ほか111事件。
④最判昭和29・8・31民集8巻8号1557頁(受益者に比し給付した者の不法性
が極めて微弱な場合)
Xは、Yから密輸出入をすることによって大きな利益をあげることができる旨説かれ、
15万円を出資することを約したが、家族に反対されこれを思い止まり右約束の解消を申
し出た。しかし、Yは、その準備を進めたといつわって、Xから29万円を借り受けた。
Yが消費貸借契約上の債務を弁済しないので、Xがその支払を求めたという事案について、
「民法第708条は社会的妥当性を欠く行為を為し、その実現を望む者に助力を拒まん
- 204 -
とする私法の理想の要請を達せんとする民法第90条と並び社会的妥当性を欠く行為の結
果の復旧を望む者に助力を拒まんとする私法の理想の要請を達せんとする規定であるとい
われて居る。社会的妥当性を欠く行為の実現を防止せんとする場合はその適用の結果も大
体右妥当性に合致するであろうけれども、既に給付された物の返還請求を拒否する場合は
その適用の結果は却って妥当性に反する場合が非常に多いから、その適用については十分
の考慮を要するものである。本件は給付の原因たる行為の無効を主張して不当利得の返還
請求をするものではなく、消費貸借の有効を主張してその弁済を求めるものである。それ
故第一次においては民法90条の問題であるけれども、要物契約である関係上不法な動機
の為めの金銭の交付は既に完了してしまって居り、残るはその返還請求権だけであってこ
の請求は何等不法目的を実現せんとするものではない。それ故実質的には前記民法90条
に関する私法理想の要請の問題ではなく、同708条に関する該要請の問題であり、その
適用の結果は妥当性を欠く場合が多いのであって、この事を考慮に入れて考えなければな
らない。
本件において原審の認定した処によると、上告人(X)は一旦被上告人(Y)の密輸出
計画に賛同したけれども、後にこれを思い止まり被上告人(Y)に対して出資を拒絶した
処、被上告人(Y)から「既に密輸出の準備を進めたことでもあるから、せめて一航海の
経費として金15万円を貸与して貰いたい」と要請され、(一審判決では強制といって居
る)止むを得ず金15万円を貸与するに至ったのであつて、密輸出に対する出資ではなく
通常の貸借である。即ち利益の分配を受けるのでもなく、損失の分担もしないのであり、
又貸した金につき被上告人がこれを密輸出に使用する義務を負担したとか、密輸出に使用
することを貸借の要件としたとかいうものでもない(原審認定)。即ち密輸出に使用する
ことは契約の内容とされたわけではなく、上告人(X)は只密輸出の資金として使用され
るものと告げられながら貸与したというだけのことである。されば上告人(X)は被上告
人(Y)の要請により已むを得ず普通の貸金をしたに過ぎないもので、本訴請求が是認さ
れてももともと貸した金が返って来るだけで何等経済上利益を得るわけではない。しかる
に若し708条が適用されて請求が棄却されると丸々15万円の損失をしてしまうわけで
ある。これに対して被上告人(Y)を欺罔して15円を詐取し、これを遊蕩に費消して居
ながら(原審認定)民法90条、708条の適用を受けると右15万円の返還義務もなく
なり、甚しい不法不当の利得をすることになるであろう。此の場合上告人(X)の貸金の
経路において多少の不法的分子があつたとしても右法条を適用せず本訴請求を是認して弁
済を得させることと、右法条を適用して前記の如く上告人(X)の損失において被上告人
(Y)に不法な利得をさせることと、何れがより甚しく社会的妥当性に反するかは問う迄
もあるまい。考えなければならない処である。前記の如き事実であって見れば、上告人(X)
が本件貸金を為すに至った経路において多少の不法的分子があつたとしても、その不法的
分子は甚だ微弱なもので、これを被上告人(Y)の不法に比すれば問題にならぬ程度のも
のである。殆ど不法は被上告人(Y)の一方にあるといってもよい程のものであって、か
かる場合は既に交付された物の返還請求に関する限り民法第90条も第708条もその適
用なきものと解するを相当とする。しかるに原審が第708条の法理により上告人の請求
を棄却したのは法律の解釈適用を誤った違法あり、此違法は判決主文に影響を及ぼす可能
性あること勿論であるから、此点において原判決は破棄を免れない。
- 205 -
そして原審はなお、弁済期が既に到来したりや否、年一割の利息の約が現実に成立した
りやについて判断して居ないから(原審は借用証書にその記載のあることは判示して居る
けれども、これは真実右利息の契約が成立したりや否やの判断として書いたものではない
であろう)本件は原審に差戻すべきもの」である。→奥田ほか110事件、星野ほか73
事件。
- 206 -
2 事務管理
第1節 序説
1 事務管理の意義
たとえば、隣家の屋根がその家人の留守中に暴風雨で壊れたのをみつけて修繕してやる
というように、何らの権限も義務もないのにかかわらず、他人のために仕事をする(他人
の事務を管理する)ことを事務管理という(697条)。
なるほど、本来、人は、めいめい自己の事務を意に随って処理すべきであって、法律の
規定あるいは契約によりその権限ないし義務がある場合を別として、他人の事務を処理す
る必要がないばかりか、むやみに他人の事務を管理することは許されないのである。しか
し、われわれの社会生活においては、何らの権限も義務も存在しない場合に、なお他人の
事務に関与してこれを処理することが、社会連帯あるいは相互扶助の見地から是認され、
さらには好ましいこととみられることがあることもまた否定できないところである。
こうして、民法は、社会連帯あるいは相互扶助の理念に基づき、次節で述べるような一
定の要件を充たす場合に限って、他人の仕事の処理を適法行為と是認したうえで、一方で
は管理者に、それに要した費用につき償還請求することを認め、他方で、他人のためにそ
の管理を適切に継続することを義務づけることによって、管理者と本人(他人)との間の
利益の調整を図っている。これが、事務管理の制度である。
2 事務管理の法的性質
事務管理は、本人に費用償還義務、管理者に管理継続義務などを生ぜしめるが、これら
は法律上当然に生ずる効果であって、当事者の意思に基づいて生ずるのではない。管理者
が本人のためにする意思を有することを一の要件とするが、これは事務管理が相互扶助に
基づく制度であることから要求されているにすぎない。それゆえ、事務管理は、意思表示
あるいは法律行為ではなく、準法律行為の一種とされている。
第2節 事務管理の成立要件
1 他人の事務の管理を開始すること
(1)事務の管理
ここでいう事務とは、人の生活に必要な一切の仕事をいう。その内容は、人を救助する
といった事実行為たると、被救助者に対する治療を医師に頼むといった法律行為たるとを
問わない。また管理には、保存・利用・改良行為のみならず、処分行為も含まれる(大判
大正7・7・10民録24輯1432頁)。
(2)他人の事務
ここでいう他人には自然人のみならず法人も含まれる。この他人が誰であるかを知って
いる必要はない。ところで、事務には、他人の家屋の修繕のごとく性質上他人の事務とい
えるもの(客観的他人の事務)、自己の家屋の修繕のごとくその性質上管理者自身の事務
であるもの(客観的自己の事務)および、家屋修繕に要する材料の購入のごとく、その性
質からは他人の事務とも自己の事務ともいえないもの(中性の事務)とがある。
客観的他人の事務につき事務管理が成立しうることはいうまでもない。もっとも、通説
によれば、管理者がこれを自己の事務と誤認した場合には他人のためにする意思を欠くか
ら事務管理は成立しない。
客観的自己の事務については、たとえそれを他人の事務と誤信したとしても、事務管理
- 207 -
は成立しない。
中性の事務について、通説は、管理者がこれを他人のためにする意思をもってすれば他
人の事務(主観的他人の事務)になるとしている。しかし、「他人の事務」か否かは、そ
の行為の事実的または法律的結果の帰属に基づき客観的に決定されるべきであるとする反
対説がある(この説は、「他人のため」という要件についても、社会通念上、本人のため
になると認められることとして客観的にとらえている)。
2 他人のためにする意思があること
通説は、事務管理が成立するためには、管理者が他人の利益を図る意思をもって事務を
管理することを要するとしている。なお、他人のためにする意思は、自己のためにする意
思と併存しても差し支えない。したがって、たとえば、共有者の一人が各自の負担である
費用全部を支払うことは事務管理たりうるとされる。
3 法律上の義務のないこと
法律の規定により(たとえば親権者の場合がそうである)あるいは契約により(たとえ
ば受任者の場合がそうである)他人の事務を管理すべき権限ないし義務が存在する場合に
は、管理者と本人との関係は、その基礎をなす法律関係によって決せられるのであって、
事務管理は成立しない。公法上の義務ある場合も、原則として、同様である。
なお、管理者が、直接本人に対する義務はないが、第三者に対し義務を負う場合にも、
本人の事務を処理することそのものが第三者に対する義務の内容となっている場合を別と
して、事務管理は成立しうると解されている。
4 本人の意思ないし利益に反することが明らかでないこと
通説は、民法が管理の継続が本人のために不利なことまたは本人の意思に反することが
明らかな場合には管理を継続すべきではないとしている(700条但書)ことから、事務
の管理が最初から客観的にみて本人に不利であるかまたは本人の意思に反することが明ら
かな場合には、たとえ管理者が本人の利益を図る意思をもってしたとしても、事務管理は
成立しないとしている。ここで、本人のために不利であることまたは本人の意思に反する
ことが明らかでないとは、善良な管理者の注意を用いるも知りえないことをいう。もっと
も、本人の身体・名誉または財産に対する急迫の危害を免れしめるためになした事務管理
(緊急事務管理)の場合について、管理人が本人の意思に反することを知らないことが善
良なる管理者の注意義務に反していても、それが悪意または重大な過失に基づかない限り
は、その成立を認めうるとした下級審裁判例がある(新潟地判昭和33年3月17日下民
集9巻3号415頁)
。
なお、ここでいう本人の意思は公序良俗に反しないものでなければならないとされる。
そこで、自殺しようとするものを、その意思に反して、救助した場合には、事務管理が成
立することとなる。
また、本人の利益と意思に反する違法管理も、本人の追認がなされることによって、遡
及的に、事務管理となる。
第3節 事務管理の効果
1 対内的効力
(1)違法性阻却
- 208 -
事務管理が成立すると、まず、その管理行為は適法行為とされ、他人の支配領域への干
渉について違法性が阻却されることとなる。もっとも、この場合にも、管理者が善良なる
管理者としての注意を欠き管理の方法を誤ったために本人に損害を生ぜしめたときは、6
97条の義務違反として賠償責任(債務不履行責任)を負うことがありうるこというまで
もない。
(2)事務管理者の義務
事務管理者がいったん管理を開始すると、委任類似の法定債権関係が発生し、管理者は、
受任者に類似した義務を負うこととなる。
第1に、管理者は、管理にあたり、本人の意思を知りまたは知りうべきときはその意思
に従って、その他の場合には、事務の性質に従い最も本人の利益に通すべき方法によって
管理しなければならない(697条)。この際、管理者は、善良なる管理者の注意をもっ
て管理することを要すること(1)において述べたとおりである(644条参照)。もっ
とも、本人の身体・名誉または財産に対する急迫の危害を免れしめるためになした事務管
理(緊急事務管理)の場合には、管理者は、悪意または重大な過失あるときに限り損害賠
償の責任を負うにとどまる(698条)。第2に、管理者は、本人が既に知っている場合
を別として、管理を始めたことを遅滞なく本人に通知することを要する(699条)。第
3に、管理者は、管理を開始すると、本人、その相続人または法定代理人が管理できるよ
うになるまで、管理を継続しなければならない。ただし、管理の継続が本人の意思に反し、
または本人のために不利なことが明らかな場合にはこの限りでない(700条)
。第4に、
管理者は、委任の規定に従って、管理状況報告義務他のいわゆる計算義務を負う(701
条による、645条∼647条の準用)。
(3)本人の義務
本人は、事務管理者の支出した費用を償還すべき義務を負う。償還すべき範囲は、事務
管理が本人の意思に反しないときと反するときとで異なる。すなわち、前の場合において
は、本人は管理の時を基準として、管理者が支出した有益な費用を償還しなければならず、
本人のために有益な債務を負担したときは、管理者に代わって(第三者として)それを弁
済し、また、弁済期が到来していないときには相当の担保を供与しなければならないこと
になる。以上に対し、後の場合には、本人は、償還請求時を基準として、現に利益を受け
る限度においてのみ有益費用の償還および有益債務の弁済または担保供与の義務を負うと
される(702条)
。
事務管理者が管理のために自己に過失なくしてこうむった損害についての賠償義務、報
酬支払義務については、これを否定するのが通説である。しかし、前者については、本人
の有益費償還義務を広く認めることによって妥当な結果に近づく努力がなされている。
2 対外的効力
対外的効力というのは、事務管理として法律行為がなされた場合に、その法律効果は、
本人に帰属するかという問題である。
まず、管理者が、自己の名において法律行為をした場合には、その効果は管理者に帰属
する。したがって、管理者の負担した債務は、本人が引き受けない限り、本人は第三者と
して弁済すべき義務を管理者に対して負うだけである(702条2項による650条2項
の準用)。
- 209 -
ついで、管理者が本人の名で法律行為をした場合も、通説・判例は無権代理行為となる
にすぎないとする。すなわち、その効果は、表見代理の要件をそなえるとか、本人が追認
するのでない限り、当然には本人に帰属しないというのである。これに対しては、一定の
場合に、本人の黙示的追認を認め、あるいは追認義務を負わせようとする説、事務管理が
成立する場合にはそれに必要な限りで事務管理者に代理権を認めようとする説などが対立
している。
第4節 準事務管理
たとえば、他人の特許権を無断で行使し、あるいは、他人の物を自己の物として高価に
売却して利益をあげるなど、客観的他人の事務を自己のためにする意思をもって管理した
とき、および、事務管理が本人の意思または利益に反することが明らかなときには、事務
管理は成立しない。そこで、かような場合には、本人は、不法行為として損害を賠償し、
または不当利得として利得の返還を求めうるが、その範囲は、そのこうむった損害、損失
の限度においてである。しかも、その範囲についての立証は必ずしも容易ではない。
そこで、違法に他人の事務に干渉して自己の利益を図った者の方が、適法な事務管理者
よりも負担する責任が軽いのは公平でないとして、かような場合に、管理者の取得した全
収益の返還を求めうべく、また、管理者に計算義務を果たすべく、かかる干渉を事務管理
に準ずるもの(準事務管理)として、とりわけ管理者の義務について、事務管理の規定を
類推適用すべきであるとの説が存在する。しかし、これについては、不当利得・不法行為
における損失・損害の合理的な認定によって処理すべきであるとの説、他人が客観的他人
の事務を悪意または善意・有過失で自己のために管理した場合に、本人がその管理を自己
のためになされたものとみなすことができるとする説(介入権説)、悪意侵害者に対して
は侵害行為により取得した収益の引渡を請求することができるとする説(制裁説)なども
存在する。なお、準事務管理の適例といわれてきた他人の特許権等無体財産権の無断実施
については、侵害者が侵害行為によって受けた利益の額は権利者の受けた損害と推定する
という方法で立法的に解決されている(特許202条、著作権24条、商標38条等)。
【重要判例】
①最判昭和36・11・30民集15巻10号2629頁(本人の名をもってした法律
行為の効果)
BがAの建物をAの名でXに贈与する旨の意思表示をなした。Xが、事務管理者Bによ
り贈与がなされているものとして、所有権移転登記を求めた事案について、
「事務管理は、事務管理者と本人との間の法律関係を謂うのであつて、管理者が第三者と
なした法律行為の効果が本人に及ぶ関係は事務管理関係の問題ではない。従つて、事務管
理者が本人の名で第三者との間に法律行為をしても、その行為の効果は、当然には本人に
及ぶ筋合のものではなく、そのような効果の発生するためには、代理その他別個の法律関
係が伴うことを必要とするものである。原判決は右と同趣旨の下に、本件においては、右
別個の法律関係について何ら主張且つ立証するところがないことを理由として、上告人の
主張を斥けたのである。されば、原判決には所論の違法は認められない。」→奥田ほか1
03事件。
②大判大正7・12・19民録24輯2367頁(準事務管理)
- 210 -
X・Y共有の船舶をY名義に登録しておいたところ、Yが勝手に売却してしまったので、
Xは代金の半額をYに求めたという事案について、
「共有者ノ一人Yカ他ノ共有者Xノ同意ヲ得ルコトナク自己ノ持分ト共ニ擅ニ他ノ共有者
Xノ持分ヲ他ニ売却スルノ行為ハ不法行為ヲ組成スルモノナルコト言ヲ竢タサル所ナレト
モ他ノ共有者Xカ後日其売買行為ヲ承認シタルトキハ事務管理ノ法則ニ依リXハ民法第七
百一条第六百四十六条ノ規定ニ基キYカXノ持分ヲ売却シテ受取リタル代金ノ引渡ヲ請求
スルコトヲ得ルヤ明カナリ本件被上告人(X)ノ請求原因トスル所ハ被上告人(X)及上
告人(Y)共有ノ船舶ヲ便宜上上告人(Y)ノ所有名義ニ登録シ置キタル処上告人(Y)
ハ被上告人(X)ノ同意ヲ得ス擅(ほしいまま)ニ右船舶ヲ二千五百円ニテ売却シタルモ
被上告人(X)ハ後日ニ至リ之ヲ承認シタルヲ以テ右売買代金中被上告人(X)ノ権利ニ
属スル半額ノ支払ヲ請求スト云フニ在リテ即チ本件請求ハ被上告人(X)ノ持分ニ対シテ
ハ上告人(Y)ハ被上告人(X)ノ為メニ売却シタルコトヲ主張スルモノナルコトハ右請
求自体ニ依リ明カナリ而シテ原審ハ原判決ニ説示スル諸般ノ証拠ニ依リ右ノ主張事実ヲ認
メ之ニ対シテ叙上事務管理ノ規定ヲ適用シ持分二分ノ一ニ相当スル金額ヲ被上告人ニ支払
フヘキ旨判決シタルハ相当ニシテ論旨理由ナシ」→奥田ほか104事件。
- 211 -