調 査 航空機産業の現在・過去・未来 ∼前編∼

調 査
航空機産業の現在・過去・未来
1. はじめに
∼前編∼
ル・ダグラスがボーイングに吸収され、現在では
旧ソ連のメーカーを除くと、中・大型旅客機メー
自動車産業に代表されるように、東海地域は日
カーは、ボーイングと欧州共同体であるエアバス
本のものづくり産業の集積地である。これはよく
の2社に収斂した。エアバスは、当初こそ信頼性
知られていることであるが、実は航空機産業も東
の乏しさなどから受注の伸び悩みが続いていたが、
海地域の集積度が高い。
現在ではボーイングを上回る受注を集めるほどに
航空機産業は今、景気の回復に伴う旅行客の増
成長した(図表1)。この中・大型旅客機市場で
加から旅客機需要が増加していることに加え、
しのぎを削る両社(図表2)について概観する。
2008 年に就航予定の次世代旅客機であるボーイ
a.ボーイング
ング「B 787」、2007 年に就航予定のエアバス
アメリカにある世界最大の航空宇宙防衛企業で、
「A 380」の生産が本格化し、活況を呈している。
2005 年の売上高は約6.3 兆円にものぼる。1997 年
特に、「B787」は、構造重量比で日本の分担率
にマクドネル・ダグラス社を買収したため、アメ
は35 %、しかも、主翼を始めとする重要部位を担
リカにおける唯一の中・大型旅客機メーカーであ
当しているなど日本の存在感は大きい。
る。機種のラインアップは、エアバスの追随を許
また、頭打ちとなっていた防衛需要においても、
さないほど充実している(図表3)。
「C-1」輸送機の後継機「C-X」、ロッキード
第二次世界大戦時には、B-17 やB-29 で大型
「P-3C」対潜哨戒機の後継機「P-X」(両機と
爆撃機メーカーとしての地位を確立したボーイン
もに国産機)の開発が進んでいる。これは、両機
グであったが、民間旅客機では、ダグラス社の旅
合わせて開発費3,450 億円の一大プロジェクトで
客機に押されていた。当時はプロペラ旅客機が主
ある。
流の航空機産業にあって、ボーイングはいち早く
このように、活況を呈している航空機産業につ
ジェット旅客機の開発を進め、1958 年にボーイン
いて前編、後編に分けて調査する。前編では旅客
グ社としては初のジェット旅客機であるB707 が
機市場の動向および日本の航空機産業の歴史と現
誕生した。B707 は、従来のプロペラ機の2倍の
状について見ていく。
速度・乗客数を誇るものであった。一方、ダグラ
2. 世界の航空機メーカーの
最近の動き
図表1 中・大型機旅客機における受注シェアの推移 (単位:%)
100
90
80
旅客機市場を、100 席超の中・大型旅客機市場
70
と100 席未満の小型機市場に分け、それぞれの市
60
場について、航空機メーカーの最近の動きを見て
50
いく。
(1)中・大型機市場
古くはコンベア、ロッキード、マクドネル・ダ
グラスなども中・大型旅客機を生産していたが、
1 9 6 5 年にコンベアが生産を終了、1 9 8 3 年に
はロッキードも生産を終了、1997 年にはマクドネ
40
30
20
10
0
1955 60
65
ボーイング
70
75
エアバス
80
85
90
95
00
05
(年)
その他
出所:財団法人 日本航空機開発協会「航空機材の推移と現状」
航空機産業の現在・過去・未来
17
ス社もやや遅れてジェット旅客機DC-8を開発、
B777の技術をふんだんに盛り込んだ最新鋭シリー
生産した。両社によるこの初ジェット旅客機の旅
ズ、- 6 0 0 , - 7 0 0 , - 8 0 0 , - 9 0 0 の3世代に進化して
客機市場における戦いは、優れた翼の設計など
いった。ちなみに、ANAが2006 年1月にセント
技術的蓄積に勝るボーイングに軍配が上がった。
レア-台北間に就航させた「金シャチ号」は、B
B 707 は、1991 年に生産中止となるまでの33 年
737-700 が使われている。
ボーイング737 の次に開発したのが「ジャンボ」
間に1,010 機製造された一方、DC-8は556 機と
B707 の半分であった。このB707 の成功で、ボー
の愛称でお馴染みのB747 である。最大座席数は
イングは業界のリーディングカンパニーとなっただ
500 席以上とそれまでの航空機の2倍以上も大き
けでなく、航空会社からの信頼も得ることとなった。
い巨大航空機であり、客室に通路が2本ある「ワ
その後、中・短距離用であるB727 が開発され
イドボディ」の最初の旅客機でもある。この旅客
た。この旅客機も23 年間で累計1,831 機生産され
機が開発されたきっかけは、航空会社の機体大型
るほどのベストセラー機となった。次に開発され
化への要求であった。この要求に対し、アメリカ
たのは、それよりさらに小型のB737 である。こ
空軍の大型軍用輸送機の設計提案に敗れたボー
れは、ダグラス社が先にスタートさせた小型ジェッ
イングが、その計画や技術を転用して開発したの
ト旅客機DC-9の成功を受けて開発されたもので
がB747 である。当時はそこまで大きな機体にニー
ある。B737 は、当初の売れ行きは芳しくなかっ
ズがあるのかと懐疑的な声があったが、結果とし
たものの、航空会社の要望などを受けて改良し、
て2005 年末で累計1,428 機もの受注を集めたベス
能力向上に努めた結果、2005 年末で累計6,099 機
トセラー機となった。このB747 の登場で、航空
もの受注を集める大ベストセラー機となった。B
運賃も低下、誰もが気軽にフライトを楽しむこと
737 は最初のシリーズである-100 , -200、エンジン
ができるようになった。また、ライバル機がひしめ
やコクピットを改良した-300 , -400 , -500、そして、
く旅客機市場の中で、500 席を超えるような超大
図表2 ボーイング、エアバスの航続距離と標準座席数
18,000
ボーイング
A350
エアバス
16,000
B787
A380
A340
14,000 A318
B717
A319
航
A320
1
2
,
0
0
0
続
距
離
B707
︵
km 10,000
︶
B767
B777
B747
A330
8,000
B720
B757
A310
B737
6,000
A321
4,000
B727
A300
2,000
100
200
300
400
標準座席数(席)
出所:イカロス出版「旅客機年鑑 2006-2007」より共立総合研究所作成
18
KR I REPORT2007
500
600
型機はB747 しかないため、ボーイングにとっては
の開発費用が高騰したためである。このような巨
ドル箱の機体でもある。しかし、このB 7 4 7 での
額の開発費などを1社で負担するのは非常にリス
超大型機市場での独占状態は、エアバスA380
クが高い。そのため、現在は国際共同開発が一般
の開発、生産で崩れていく可能性が高い。そのた
化している。
め、B747-400 の後継機としてB747-8 を開発中
次に開発されたのがB767-300 とB747-400 の
輸送力の差を埋めるためのB777 である。これも
である。
B 747 の次にB 757、B 767 が開発された。こ
のうちB767 は、国際共同開発されたもので、開
発分担比は、アメリカ70 %、日本15 %、イタリ
COL
コラム
UMN
「ジャンボ」の愛称でおなじみのB747。空港で
ア15 %である。ただし、国際共同開発とはいえ、
日本とイタリアはほとんど下請けと変わらなかっ
ジャンボ旅客機はどのくらい大きいのか
その巨体を目にすることも多い。では実際どのくら
い大きいのだろうか。最新型であるB747- 400で見
た。しかし、このB767 開発への参加が日本の航
てみると
空技術の飛躍へのきっかけとなった。
全長・・・70.7m (鉄道車両3両半)
ちなみに、国際共同開発は1970 年代から増加
してきたが、これは、オイルショックによる原材
料費の高騰、性能向上や経済性向上のための開発
費の増加、高度なシステムの開発費の増加、年を
全幅・・・64.4m (鉄道車両3両)
全高・・・19.4m (5階建てビル相当)
胴体幅・・6.49m (2車線相当)
主翼面積・・・541.2m2 (約164坪)
燃料容量・・・216,000
(乗用車4,320台分)
最大離陸重量・・・395t (アフリカゾウ79頭)
追うごとに厳しくなる安全対策などで年々新型機
図表3 ボーイング生産民間旅客機ラインアップ
飛行機名
B707
B717
B727
B737
B747
B757
B767
B777
B787
-100
-200
-100,-200
-300
-400
-500
-600
-700
-800
-900
-100
-200B
SR
SP
-300
-400
-400D
-400ER
-8
-200
-300
-200
-300
-400ER
-200
-300
-200LR
-300ER
最大巡航速度
966
811
974
922
マッハ0.82
マッハ0.85
マッハ0.86
マッハ0.80
マッハ0.80
マッハ0.84
マッハ0.85
(単位:最大巡航速度km/h、最大航続距離km)
最大航続距離
最大座席数
開発着手年
初就航年
生産機数
9,265
2,648
3,300
3,350
3,009
3,629
2,815
5,648
6,037
5,444
5,083
10,193
12,760
10,193
12,356
12,408
11,186-13,445
4,170
14,260
14,816
7,278
6,000-6,417
9,250-9,415
9,547-11,250
10,370-10,450
14,315
11,025
17,446
14,595
15,742
198
117
131
189
136
149
188
132
132
148
184
189
528
528
584
331
584
416
594
416
450
239
279
255
290
375
440
550
301
365
223
1954年
1995年
1960年
1965年
1965年
1981年
1986年
1987年
1995年
1993年
1994年
1997年
1966年
1958年
1999年
1964年
1967年
1968年
1984年
1988年
1990年
1998年
1998年
1998年
2001年
1970年
1,010
149
1,831
1972年
1973年
1980年
1985年
1988年
2000年
1973年
1976年
1983年
1989年
1991年
2002年
33
45
77
446
19
6
1979年
1996年
1978年
1983年
1997年
1990年
1995年
2000年
2000年
2004年
1983年
1999年
1982年
1986年
2001年
1995年
1998年
2006年
2004年
2008年
914
55
244
610
37
449
59
1,125
1,113
486
389
59
700
921
52
565
28
出所:イカロス出版「旅客機年鑑 2006−2007」より共立総合研究所作成
航空機産業の現在・過去・未来
19
国際共同開発され、日本は21 %の開発分担比と
ができ、燃費に優れているほか、耐久性も高いた
なった。そして、2008 年就航を目指し、現在生
め、より機内圧力を地上と同じくらいに設定でき、
産されているB 787 では、日本の開発分担比は
乗客もより快適なフライトを楽しむことができる。
35 %まで上昇、しかも海外企業では初めて主翼を
このB787 は、既に500 機を超える受注を集めて
担当するなど重要部位を任されている。これは、
おり、大ベストセラー機となる可能性が高い。
B767、B777 の生産で培った技術などが高く評
b.エアバス
価されたことによるものである。B787 で注目さ
かつてヨーロッパは航空機大国であったが、第二
れるのは、複合材を多用したことにある。ここで
次世界大戦による国土や産業の荒廃で、航空機産
使用される複合材は、炭素繊維とプラスチックを
業は大きなダメージを受けた。世界で初めて定期
組み合わせた「炭素繊維強化プラスチック(CF
運行に用いられたジェット旅客機「コメット」を開
R P)」であり、機体重量比50 %も使用されている。
発したイギリスのデハビランド社など、技術レベ
このCFRP の特 徴は、比重が軽い上に非常に強
ルは高かったものの、次々と航空機を開発、生産
度が高い。そのため、CFR P を多用したB 787
していくほどの資金力はなかった。そのため、民
は軽くて強いため、従来より高い高度を飛ぶこと
間旅客機市場は、アメリカ企業に席捲され、その
シェアは9割を占めるまでに至った。そのアメリ
カ航空機産業に対抗するためにもヨーロッパ各国
が一致団結していこうということで1 9 7 0 年にア
エロスパシラル社(フランス)とDASA社(ドイ
ツ)の2社による共同出資で設立されたのがエ
アバスである。後にCASA社(スペイン)、B
Ae社(イギリス)も参加、4カ国体制となった。
そして、2000 年にはアエロスパシラル・マトラ社、
ボーイングB777
COL
コラム
UMN
航空機はなぜ飛ぶのか
小型旅客機でも最大離陸重量は200t 以上、ジャンボ機
空気に流れをつくること。スピードを上げていけば、それだ
は400t 近くにもなる。このような重い物体がなぜ飛ぶのか。
け空気抵抗は大きくなっていく。しかし、上向きの空気の力
さらになぜ飛 び続 けることが出 来 るのか。 航 空 機 が恐 い人
を得るためには、単にスピードを速くするだけでは足りない。
にはそのことが不安で仕方ないだろうし、日常航空機に乗っ
そこで重 要 なのは主 翼 の形 。 旅 客 機 の主 翼 を横 から見 ると、
ている人でも不思議に感じることであろう。航空機が飛ぶ
上面はふくらんでいる一方、下面はほぼ平らとなっているこ
鍵は「空気」にある。
とから、上面に沿って流れる空気は下面より速くなる。その
普段は意識していないが、空気には圧力「気圧」がある。
2
1気圧においては、1m あたり約10t もの圧力がかかってい
り、下面での気圧が高くなる。そのため、揚力が発生し、航
る。 ジ ャ ン ボ 機 の 主 翼 は541.2m2 であるため、そこには約
空機は無事飛び上がることが出来るのである。
5,412t もの気圧がかかっていることとなる。一方、ジャン
また、なぜ航空機は飛び続けることが出来るのか。これに
ボ機の最大離陸重量は395t 。よって、主翼にかかっている
は4つの力が働いている。機体を上空に持ち上げる「揚力」、
気圧のうち、7%程度の気圧を上手に使えば、ジャンボ機は
機体を地面に引っぱる「重力」、機体を前進させる「推力」、
飛ぶことができる。
機体を後方に引っ張る「抗力」だ。この4つの力を上手くコ
どのように上手く使っているのかというと、まずは滑走で
20
ため、滑走の際、主翼に受ける気圧は、上面の気圧が低くな
KR I REPORT2007
ントロールすることによって、航空機は飛行できるのである。
DASA社、CASA社が合併し、EADS社が設
採用である。FBWは、パイロットが操作する操
立された。エアバスはEADS社の100 %子会社
縦桿の動きを電気信号に変換し、翼や舵をコンピ
である。
ューター制御する仕組みであり、サイドスティック
エアバス初の旅客機であり、世界初の双発ワイ
は従来の操縦桿に変わる新たな形の操縦桿で、そ
ドボディ機でもあるA300 は、1969 年に開発が決
の形はゲーム機のコントローラーのようである。こ
定、1974 年に就航した。しかし、エアバス初の旅
のA320 は、A319 やA321 などのファミリー化の
客機であることから信頼性に乏しく、なかなか売
成功もあり、ファミリー全体で4,283 機もの受注
れなかった。そのため、フランス、ドイツ両国政
を集め、エアバス飛躍の原動力となった。その後
府からの援助で会社が成り立っていた。航空機は
もA330、A340 で成功を収めたエアバスが、つ
信頼性が非常に求められるため、新興の航空機メー
いに超大型機市場に参入することになった。A380
カーの旅客機は敬遠されがちである。そのため、新
である。A380 は、総2階建ての超大型機で総エ
規に完成機メーカーとして成功するには、長期的
コノミークラスだと800 席もの座席数を誇る巨大
スパンと政府の強力なバックアップが不可欠であ
機で、もちろんB747 を抜いて世界一となる。当
ると言えよう。
初は2006 年後半にも就航が開始となる予定であっ
ちなみに、エアバスの企業文化は、革新性、創
たが、納入スケジュールが遅れに遅れているため、
造性、自由な発想である。仮に既存旅客機と同じ
ような旅客機を生産しても、信頼性がないためボー
イングなどには対抗できない。世界市場に参入し、
競争に打ち勝つためには、既存旅客機にはない付
加価値を付けないとだめだということがその背景
にある。そのエアバスの信念が表れたのがA320
である。
A 320 で特筆すべきものは、民間機初のフラ
イ・バイワイヤ−(FBW)とサイドスティックの
エアバス A380
写真提供:エアバス社
図表4 エアバス生産民間旅客機ラインアップ
飛行機名
A300
最大巡航速度
B2
B4
-600
-600R
A340
A350
A380
890
マッハ0.84
マッハ0.82
マッハ0.82
マッハ0.82
マッハ0.82
A310
A320
A319
A318
A321
A330
917
-300
-200
-200
-300
-500
-600
マッハ0.86
マッハ0.86
マッハ0.86
マッハ0.89
(単位:最大巡航速度km/h、最大航続距離km)
最大航続距離
最大座席数
開発着手年
初就航年
3,430
4,914
6,820-6,949
7,505-7,690
7,963-8,056
4,900
3,360
2,780
4,350
8,635-8,785
11,950
14,800
13,350
16,050
13,900
16,298
15,000
345
1969年
1974年
生産機数
249
375
1980年
1984年
208
280
177
134
107
200
440
253
303
353
313
380
258
555
1978年
1984年
1993年
1999年
1989年
1987年
1995年
1987年
1984年
1988年
1996年
2003年
1994年
1994年
1998年
1993年
255
1,453
776
28
289
177
201
239
1997年
1997年
2005年
2000年
2003年
2002年
2010年
2007年
21
52
出所:イカロス出版「旅客機年鑑 2006−2007」より共立総合研究所作成
航空機産業の現在・過去・未来
21
現在はオプション含め200 機程度の受注があるも
1986 年に経営不振で苦しんでいた小型機メーカー、
のの先行き不透明感が漂っている。そのため、A
カナディア社(カナダ)を買収、航空分野へ参入
380 の巨体が空を舞う日はまだしばらくかかりそ
した。その後、1989 年にはショート・ブラザーズ
うだ。ちなみに、A380 の生産にも日本メーカー
社(北アイルランド)、1990 年にリアジェット社
が参加しているが、あくまで下請けとしての参加で
(アメリカ)、1992 年にデハビランド・カナダ社
ありボーイングのような国際共同開発とはなって
(カナダ)を買収、急速に規模を拡大させていき、
いない。ボーイングと激しい競争を続けるエアバ
2005 年には民間航空機部門で、エアバス、ボー
スのラインアップは図表4 のとおりである。
イングに次ぐ3番目の売上を占めるまでに至った。
(2)小型機市場
ボンバルディアの旅客機ラインアップは、ジェット
前述のように、中・大型機市場はボーイングと
機が 5 0 席クラスのCRJ10 0 、2 0 0 、4 4 0 、7 0 席
エアバスの2社に収斂されていった。それと同様
クラスのCRJ 7 0 0 、 その発 展 型 で 9 0 席 クラス
に、BAEシステムズ(イギリス)、フェアチャイ
のCRJ 9 0 0 。 プロペラ機 では、4 0 席 クラスの
ルド(アメリカ)、ドルニエ(ドイツ)、フォッカー
DHC-8Q 200、その大型発展型で5 6 席クラス
(オランダ)などのメーカーによる小型機市場にお
のDHC- 8Q3 0 0 、さらに大型の7 8 席クラスの
いても、現在ではボンバルディア(カナダ)とエ
DHC -8Q400 がある(図表7)。その他にも、太
ンブラエル(ブラジル)の2社に収斂されつつあ
平洋を横断できるビジネスジェット機として、グ
る(図表5)
。小型機市場で注目されるのは、ジェット
ローバル・エクスプレスなども生産している。
これほどまでに急成長を遂げた理由の一つに、
旅客機の拡大である。中・大型機市場では1950 年
代からジェット旅客機時代に突入したが、小型機
スノーモービルや鉄道車両で培った技術や生産管
市場では長らくプロペラ機時代が続いた。その理
理方式などを航空機生産にも適用したことが挙げ
由としては主に短距離ユースの小型機では、プロ
られる。ボンバルディアの生産は、吸収したメー
ペラ機の方が経済性に優れていたからである。短
距離の場合、離陸・上昇後の水平飛行が短いため、
図表5 小型旅客機における受注シェアの推移
(単位:%)
100
プロペラ機より高い高度で飛行するジェット機で
90
は経済性が悪い。しかし、技術の進歩で短距離
80
ユースでも経済的なジェットエンジンが開発され、
70
1990年代以降、小型機市場においてもジェット旅客
機が主流となっていった(図表6)。そのような小
60
型ジェット機市場において、急成長を遂げ、市場
50
を寡占したボンバルディアとエンブラエルについて
40
概観する。
30
a.ボンバルディア
カナダに本社があるボンバルディアは、スノー
モービルメーカーとして1942 年に設立された。そ
10
して、スノーモービルの生産を核としながらも、事
0
業の多角化を進め、1970 年代には鉄道車両に進
出、小型軍用トラックの生産も始めた。そして、
22
20
KR I REPORT2007
1950 55
60
65
ボンバルディア
70
75
80
エンブラエル
85
90
95
その他
出所:財団法人 日本航空機開発協会「航空機材の推移と現状」
00
05
(年)
カーが得意とする技術や部位に特化することで、
出資し設立された国営企業であった。エンブラエ
効率性を高めているほか、ボンバルディア独自の
ル設立の背景には、ブラジルは広大な国土、かつ
生産方式であるボンバルディア生産方式を導入し、
アマゾンの密林が広がるという地理的要件のため、
生産性も上げている。そのため、低コストで生産
航空輸送が発達したが、その航空機は輸入に頼ら
が可能であるし、エアラインからの要望にきめ細
ざるを得なかったということがある。エンブラエル
かく対応できることに加え、ハイペースで新型機
は、ブラジル空軍の航空技術研究所の研究者を中
の開発もできるのである。ちなみに、ボンバルディ
心に軍用機や民間機を開発した。民間機は当初は
アは三菱重工業と関係が深く、Dash8-Q400、C
ライセンス生産であったが、そのうち自主開発を
RJ700/900、グローバル・エクスプレスについて
始めた。それが、20 席クラスのプロペラ機EMB-
は、三菱重工業がリスク・シェアリング・パートナ
110 バンデランテであり、30 席クラスのEMB-
ーとして開発から生産まで協力している。
120 ブラジリアである。両機合わせて600 機以上
b.エンブラエル
も生産されるベストセラー機となった。このよう
エンブラエルは、1969 年にブラジル政府が89 %
図表6 小型旅客機におけるプロペラ機、ジェット機受注シェアの推移 (単位:%)
100
に、技術面などでは着実にレベルアップしていっ
たが、杜撰な経営が続き、赤字が続いていた。そ
のため、1994 年に民営化され再スタートした。
90
民営化後は、リストラを進め経営改善に努めた
80
ほか、国営時代から開発していた、50 席クラスの
ジェット機ERJ145 を販売した。さらにこのER
70
J145 を短縮したERJ135、ERJ140 を開発、生
60
産した。このERJ145 シリーズは、3機あわせて
50
1,000 機弱の受注を集めるほどのベストセラー機
40
となっている。さらに、より大型な78 席クラスの
エンブラエル170、その延長型である80 席クラス
30
のエンブラエル 1 7 5 、それよりもさらに大型の
20
100 席クラスのエンブラエル190、その延長型で
10
0
110 席クラスのエンブラエル195 を開発、生産し
1950 55 60
プロペラ機
65
70
75
80 85
90
95 00
05(年)
(図表8)、今では民間航空機部門で4番目の売
上高を占める企業までに成長した(図表9)。
ジェット機
出所:財団法人 日本航空機開発協会「航空機材の推移と現状」
この成長の理由としては、航空機産業を輸出産
図表7 ボンバルディア生産民間旅客機ラインアップ
飛行機名
CRJ100/200/440
CRJ700
CRJ900
DHC-6-300
DHC-7
DHC-8 Q100/200
DHC-8 Q300
DHC-8 Q400
(単位:最大巡航速度km/h、最大航続距離km)
最大巡航速度
最大航続距離
最大座席数
開発着手年
初就航年
生産機数
860
876
881
338
444
491-556
532
667
3,045
3,121
2,774
1,198
1,915
1,889
1,557
2,518
44-50
70
90
20
54
39
56
78
1989年
1997年
2000年
1964年
1972年
1980年
1986年
1996年
1992年
2001年
2003年
1966年
1978年
1984年
1989年
2000年
930
235
38
844
113
395
219
105
タイプ
ジェット機
プロペラ機
出所:イカロス出版「旅客機年鑑 2006−2007」より共立総合研究所作成
航空機産業の現在・過去・未来
23
業に育て上げたいというブラジル政府の強力な後
空機製造が開始されたのは、1910 年代半ばから
押しもあったが、常に顧客の要望を吸い上げ、機
である。航空機の将来性に着目し、外国製航空機
体の開発、生産に生かすというエンブラエルの経
を輸入していた陸海軍が、本格的に航空機の調達
営姿勢も成功に繋がった。エアラインの要望にき
を始めようと考え、国産化の方針を打ち出したた
め細かく対応することで、その信頼を得てきたこ
めである。1917 年に中島知久平が日本最初の航空
とが急伸の要因である。ちなみに、エンブラエル
機メーカーである「飛行機研究所」を設立、1918
は川崎重工業と関係が深く、エンブラエル
年には川西清兵衛が経営に参画し「日本飛行機製
170/175、エンブラエル190/195 については、川
作所」へと改名した。同じ年、川崎重工業が航空
崎重工業がリスク・シェアリング・パートナーと
機部門を当時の兵庫工場に新設、1922 年には今
して開発から生産まで協力している。
の岐阜工場がある各務原に分工場を設置した。ま
た、三菱は1919 年に外国エンジンの国産化に成
3. 日本の航空機産業の歴史
功し、その後1 9 2 1 年には機体製造に進出した。
(1)黎明期
ちなみに、日本飛行機製作所に参画していた川
1903 年にライト兄弟がプロペラ航空機で初飛行
西清兵衛は、経営方針の違いから日本飛行機製作
に成功し、ここから航空機時代が幕を開けた。日
所から手を引き、1920 年に川西機械製作所飛行
本でも飛行機の研究が盛んになっていったが、航
機部を立ち上げる。その際、日本飛行機製作所は、
空機の生産となると、外国製航空機を手本にして
三井物産から出資を受け「中島飛行機製作所」
試作する段階でしかなかった。日本で本格的に航
に改名した。1920 年には愛知時計電機も航空機
図表8 エンブラエル生産民間旅客機ラインアップ
(単位:最大巡航速度km/h、最大航続距離km)
飛行機名
最大巡航速度
最大航続距離
最大座席数
開発着手年
初就航年
生産機数
ERJ135/140/145
170/175
190/195
EMB-110バンデランテ
EMB-120ブラジリア
マッハ0.78
マッハ0.82
マッハ0.82
418
504
3,000
3,148
3,148
1,850
1,575
37-50
78-86
104-110
22
30
1989年
1999年
1999年
1999年
2004年
849
106
12
272
352
1979年
1973年
1985年
タイプ
ジェット機
プロペラ機
出所:イカロス出版「旅客機年鑑 2006−2007」より共立総合研究所作成
図表9 民間航空機売上高ランキング
企業
部門
Airbus
Boeing
Bombardier
Embraer
Cessna
Gulfstream
Raytheon
Dassault Business
ATR
EADS
BAE Systems
Fairchild Dornier
Airbus
Mcdonnel Douglas
Al(R)
Saab
(80% EADS 20%BAE Systems)
Commercial Airplanes
Aerospace
Civil
(Textron)
General Dynamics(Aerospace)
Aircraft
Aircraft(Falcon)
(50% EADS 50%Finmecanica)
Airbus
Commercial Aerospace
Commercial Aircraft
ATR/Avro/Jetstream
Regional Aircraft
出所:財団法人 日本航空機開発協会「航空機産業の現状」
24
KR I REPORT2007
(単位:百万ドル)
国名
France
USA
Canada
Brazil
USA
USA
USA
France
France
UK
Germany
France
USA
France
Sweden
2005年
ランク
売上高
1
2
3
4
5
6
7
8
9
27,275
22,651
8,087
3,805
3,480
3,433
2,856
2,052
542
2000年
ランク
売上高
1
3
8
4
7
6
9
31,171
7,112
2,794
4,343
3,029
3,220
2,280
2
5
10
13,692
4,340
629
1995年
ランク
売上高
1
4
12
6
8
5
9
13,900
2,400
243
1,300
1,000
2,000
800
10
2
3
7
11
690
9,500
3,900
1,200
475
カ、ソ連、ドイツ、イギリスに次ぐ規模であった。
の生産を始めた。
(2)発展期
(3)戦後
日本で独自技術が確立しだしたのは、1935 年
第二次世界大戦時には、日本の航空機技術は
頃である。当時緊迫してきた世界情勢の中で、外
世界のトップ水準にあった。しかし、敗戦に伴い、
国技術に頼った航空機ではだめだという思いが軍
航空機メーカーの技術データや資料が焼却処分さ
に急速に高まってきたためである。航空機メーカー
れたことに加え、GHQが航空機の研究開発、生
の血のにじむような努力もあって、日本の航空技
産を禁止する航空禁止政策を実施した。そのため、
術は急速に発達した。第二次世界大戦時には、勇
日本の航空機産業は壊滅し、多くの優秀な技術者
名を馳せた三菱「零式艦上戦闘機(零戦)」の他
は自動車産業など他産業に職を求めていった。こ
にも三菱「一式陸上攻撃機」、川崎重工「三式戦
の航空禁止政策は7年間にもおよび、日本の航空
闘 機 飛 燕 」、 中 島 飛 行 機 「 一 式 戦 闘 機 隼 」
機産業に大きな痛手となった。その間、航空機は
「四式戦闘機 疾風」、川西航空機「紫電改」「二
式飛行艇」、愛知時計電機「九九式艦上爆撃機」
などの名機が生産され、連合国を大いに苦しめた。
ジェット時代に突入、日本の航空機産業は完全に
出遅れたのである。
1952 年のサンフランシスコ講和条約の締結を機
戦前、戦中の航空機産業は、1930 年の生産機数
に航空禁止政策が解除され、日本の航空機産業は、
は年間400 機程度であったものが、1940 年には年
機体やエンジンのオーバーホールや機器の修理作
間4,800 機、1944 年には年間約25,000 機にまで拡
業、軍用機のライセンス生産を手がけるようになっ
大した。最盛期にはメーカーが12 社、エンジンメ
た(図表10)。これを通じ、航空技術の吸収はで
ーカーが7社、関連産業を含めた従業員数は約
きたものの産業としてはまだまだ小さいものであっ
100 万人にものぼったと推測され、これはアメリ
た。また、防衛需要だけでは、安定した需要は見
込めるものの、成長はあまり見込めないため、航
COL
コラム
UMN
空機産業の発達のためには、民間機市場への参入
航空機の翼の形
第二次世界大戦中の航空機など、昔の航空機の
が必要不可欠との考えが広がっていった。1957年に
は財団法人輸送機設計研究協会が設立され、戦
主翼は直線であった。しかし、現在の旅客機を見て
みると、主翼の角度が後方になっている後退翼となっ
ている。プロペラ機時代には、最も速い機体でも時
速600km程 度 であったため、 直 線 翼 でも問 題 は
COL
コラム
UMN
エンジンの位置
なかった。しかし、ジェット機になると、最高速度
今日では、主翼の下にエンジンが吊り下げられて
は音速に近づき、そしてそれを超すようになってき
いるのが一般的であるが、なぜそうなったのか。そ
た。航空機が音速に近づくと、空気抵抗が急増して
れはアメリカ軍の要請に対するボーイング社の回答
くるため、何とかこの空気抵抗を減らせないかと考
である。アメリカ初のジェット爆撃機の開発におい
えられて作られたのが後退翼である。この後退翼は、
て、アメリカ陸軍航空軍は、エンジンを乗員と爆弾
構造や強度の面で直線翼よりも難しいことや、低速
倉から離すことを要求した。そうすると、エンジン
域では 失速しやすいといった欠点もあるが、今日で
場所は主翼ということになるが、プロペラ機のよう
は対策が発見されて、一般化してきたのである。そ
に主翼にエンジンを直接取り付けると、被弾でエン
の他にも空気抵抗を減らす翼として主翼が斜め前に
ジン火災がおこった場合、主翼に致命的なダメージ
伸びる前進翼というのもある。これは、機体が不安
を与える可能性が高くなる。そのため、ボーイング
定になるものの、機動性が高まるため、戦闘機に採
社は、支柱によってエンジンを主翼に吊り下げる方
用されている。
法を考えたのである。
航空機産業の現在・過去・未来
25
後初の民間旅客機であるYS-11 の開発がスター
定され、1973 年に生産中止となった。生産機数
トした。1959 年には特殊法人日本航空機製造株
の累計は182 機であった。1982 年には特殊法人日
式会社が設立され、財団法人輸送機設計研究協
本航空機製造株式会社は解散した。その後、国産
会は解散した。日本初の民間旅客機とあって、そ
旅客機計画は生まれてくるものの、生産までには
の開発は難航続きであったが、1962 年に初飛行、
至っていない。ちなみに、戦後、国産開発・生産
1965 年に就航した。しかし、「YS-11 は技術的
機体(試作機含む)は27 機になるが、そのうちヘ
には成功であったが、経営的には失敗だった」と
リコプターが5機、軍用機が15 機、民間旅客機
言われているように、実績のない旅客機であるこ
(ビジネス機含む)が5機、その他2機である(図
とでの販売の苦戦、半官半民会社での経営手法の
表 11)。民間旅客機は、YS-11 の他には三菱重
まずさから赤字が続き、1971 年に生産中止が決
工業「MU-2」「MU-300」、富士重工業「FA200」「FA-300」のビジネス機4機である。しか
し、これらのビジネス機も、YS-11 と同じく販
売面で苦戦、予定を下回る実績となり撤退してし
まった。
4. 日本の航空機産業の現状
前述のように、戦後の日本の航空機産業は主に
ライセンス生産や機体のオーバーホールなどで産
業規模を徐々に伸ばしていくとともに航空機製造
YS−11
図表10 日本でライセンス生産された主な航空機(2006年12月現在)
納入開始
機種
種別
用途
技術提携先
製造会社
生産機数
1953年
ベル47
B-45
(T-34)
F-86F
T-33A
L-19
S-55
(H-19)
P2V-7
F-104J/DJ
V-107
S-62
ベル204B
(HU-1B)
S-61
(HSS-2)
ヒューズ369
(OH-6)
F-4EJ
HU-1H
F-15J/DJ
P-3C
AH-1S
CH-47J
SH/UH-60J
UH-1J
MCH-101
AH-64D
小型ヘリコプター
単発プロペラ機
ジェット機
ジェット機
単発プロペラ機
大型ヘリコプター
大型ピストン機
ジェット機
大型ヘリコプター
大型ヘリコプター
中型ヘリコプター
大型ヘリコプター
小型ヘリコプター
ジェット機
中型ヘリコプター
ジェット機
大型ターボプロップ機
中型ヘリコプター
大型ヘリコプター
大型ヘリコプター
中型ヘリコプター
中型ヘリコプター
大型ヘリコプター
汎用
初等練習機
戦闘機
ジェット練習機
連絡機
汎用
対潜哨戒機
戦闘機
汎用
汎用
汎用
汎用
汎用
戦闘機
汎用
戦闘機
対潜哨戒機
対戦車用
汎用
汎用
汎用
汎用
戦闘用
Bell
Beech Aircraft
North American
Lockheed
Cessna
Sikorsky
Lockheed
Lockheed
Boeing Helicopters
Sikorsky
Bell
Sikorsky
Mcdonnel Douglas
Mcdonnel Douglas
Bell
Mcdonnel Douglas
Lockheed
Bell
Boeing Helicopters
Sikorsky
Bell
Agusta Westland
Boeing
川崎重工業
富士重工業
三菱重工業
川崎重工業
富士重工業
三菱重工業
川崎重工業
三菱重工業
川崎重工業
三菱重工業
富士重工業
三菱重工業
川崎重工業
三菱重工業
富士重工業
三菱重工業
川崎重工業
富士重工業
川崎重工業
三菱重工業
富士重工業
川崎重工業
富士重工業
236
162
300
210
22
46
48
230
160
27
127
184
397
140
133
199
98
89
79
196
106
1
3
1954年
1956年
1956年
1957年
1958年
1959年
1962年
1962年
1962年
1963年
1964年
1968年
1972年
1973年
1981年
1982年
1983年
1986年
1991年
1993年
2006年
2006年
出所:社団法人 日本航空宇宙工業会「航空宇宙産業データベース」
26
KR I REPORT2007
技術を習得していった。航空機関連の生産高を見
図表12 航空機関連生産高の需要別推移
(単位:
10億円)
1,200
ると、1971 年度には 1,100 億円しかなかったが、
2006 年度には1 兆1,300 億円と35 年間で10 倍にま
で成長した。しかし、自動車関連産業の生産高が
1,000
約30 兆円であることと比べると、まだまだその規
模は小さい。航空機関連の生産高を防衛需要と民
800
間需要で分けて見てみると、1980 年代までは8割
近くが防衛需要であった。しかし、1990 年代以
600
降、B 767、777、787 の国際共同開発に参画し
たこともあり、民間需要が大幅に増加し、おおよ
そ5割程度のシェアにまでになっている(図表12)。
400
冷戦の終結や厳しい国家財政の中、今後防衛需要
が増加していく可能性は低く、日本の航空機産業
200
の発展には、民間需要をいかに増やしていくかに
かかっていると言える。
2 0 05年の世界各国の航空宇宙産業の売上高
を見ると、トップはアメリカで1,548 億ドル(約
0
1
97
1
75
80
防衛需要
85
90
95
民間需要
00
05
(年度)
出所:社団法人 日本航空宇宙工業会「日本の航空機工業(資料集)」
図表11 国産機開発・生産状況(2006年12月現在)
納入開始
機種
種別
用途
開発/製造
生産機数
1953年
KAL
KAT
LM-1
LM-2
T-1
KH-4
YS-11
MU-2
FA-200
PS-1
P-2J
C-1
T-2
US-1
FA-300
F-1
T-3
MU-300
BK117
T-4
T-5
XF-2
205B
OH-1
MH-2000
F-2
T-7
プロペラ機
プロペラ機
プロペラ機
プロペラ機
ジェット機
ヘリコプター
ターボプロップ機
ターボプロップ機
プロペラ機
ターボプロップ機
ターボプロップ機
ジェット機
ジェット機
ターボプロップ機
プロペラ機
ジェット機
プロペラ機
ジェット機
ヘリコプター
ジェット機
ターボプロップ機
ジェット機
ヘリコプター
ヘリコプター
ヘリコプター
ジェット機
ターボプロップ機
連絡練習機
連絡練習機
連絡練習機
連絡練習機
練習機
汎用機
輸送機
ビジネス機
軽飛行機
対潜飛行艇
対潜哨戒機
輸送機
高等練習機
救難飛行艇
ビジネス機
支援戦闘機
初等練習機
ビジネス機
多用途ヘリコプター
中等練習機
初等練習機
支援戦闘機
多用途ヘリコプター
観測ヘリコプター
多用途ヘリコプター
支援戦闘機
初等練習機
川崎重工業
川崎重工業
富士重工業
富士重工業
富士重工業
川崎重工業
日本航空機製造
三菱重工業
富士重工業
新明和工業
川崎重工業
日本航空機製造/川崎重工業
三菱重工業
新明和工業
富士重工業
三菱重工業
富士重工業
三菱重工業
川崎重工業
川崎重工業
富士重工業
三菱重工業
富士重工業
川崎重工業
三菱重工業
三菱重工業
富士重工業
4
2
27
66
66
203
182
765
299
23
83
31
96
20
47
77
50
103
544
212
36
4
2
22
7
68
43
1954年
1956年
1958年
1960年
1962年
1964年
1966年
1967年
1968年
1969年
1970年
1971年
1974年
1975年
1977年
1977年
1980年
1982年
1985年
1988年
1995年
1995年
1997年
1999年
2000年
2002年
出所:社団法人 日本航空宇宙工業会「航空宇宙産業データベース」
航空機産業の現在・過去・未来
27
18.6 兆円)、次いでイギリスが383億ドル(約4.6兆
重工業、川崎重工業、富士重工業、新明和工業、
円)、フランスが352 億ドル(約4. 2 兆円)である。
日本飛行機(川崎重工業の100 %子会社)の5
日本は116 億ドル(約1.4兆円)とその規模は見劣
社。エンジンメーカーでは石川島播磨重工業があ
りする。また、対GDP比率で見てみると、トッ
る。日本の航空機機体メーカー主要3社(三菱重
プはイギリス、フランスの1.7 %、次いでアメリカ
工業、川崎重工業、富士重工業)の航空宇宙部
の1.2 %である。日本はわずか0.3%であり、成
門売上高の推移をみると、売上高に格差はあるも
長を続けているとはいえ日本の航空機産業の規
のの、このところ各社とも増加傾向が続いている。
模は世界的に見るとまだまだ小さい(図表13)。
全体の売上高に占める各社の航空宇宙部門売上高
この違いは、民間旅客機を生産しているかどうか
の割合を見てみると、三菱重工業と川崎重工業は
である。アメリカはもちろんだがカナダはボンバル
15 %強、富士重工業は5%強となっている(図
ディアの成長が大きくカナダ航空機産業に寄与し
表14)。このように、日本の航空機機体メーカー
ている。イギリス、フランス、ドイツにはエアバス
にとって、航空機製造は有力な1部門であるが、
の工場がある。しかし、日本では機体の一部は製
ボーイングやエアバスなどからの発注に大きな影
造しているものの、完成機としての民間旅客機は
響を受けるため、メーカーとしては慎重な経営と
製造していない。そのため、さらなる航空機産業
なってしまう。そのことが、日本の航空機産業の
の成長のためには、国産旅客機の開発・生産が望
足枷となっているとも言える。
また、世界の航空宇宙防衛企業売上高で見てみ
まれる。
日本の航空機メーカーは、機体メーカーで三菱
図表13 世界各国の航空宇宙産業売上高と対GDP比率(2005年)
1.8
1,800
1.7
1.7
ると、日本企業で一番売上高が多い三菱重工業で
図表14 3大航空機メーカーの航空宇宙部門売上高
および総売上に占める割合の推移
25
600
1.6
1,548
1,500
1.4
500
20
1.2
1.2
1.1
航
空 900
宇
宙
売
上
高
︵
億
米 600
ド
ル
︶
対
G
D
1.0 P
比
︵
%
0.8 ︶
0.8
0.6
383
300
航 400
空
宇
宙
部
門 300
売
上
高
︵
10
億 200
円
︶
航
空
15 宇
宙
部
門
売
上
高
10 比
率
︵
%
︶
0.4
352
231
5
100
0.3
0.2
119
116
0.0
0
ア
メ
リ
カ
生産高
イ
ギ
リ
ス
フ
ラ
ン
ス
ド
イ
ツ
カ
ナ
ダ
日
本
GDP割合
出所:社団法人 日本航空宇宙工業会「航空宇宙産業データベース」
28
KR I REPORT2007
0
0
2000 2001 2002 2003 2004 2005 2006(年度)
三菱重工業
川崎重工業
富士重工業
三菱重工業
川崎重工業
富士重工業
(注)縦棒がそれぞれの企業の航空宇宙部門売上高、折れ線グラフが航空宇
宙部門売上高比率
出所:財団法人 日本航空機開発協会「航空機産業の現状」および各社決算短信
も21 位である(図表15)。その次が石川島播磨重
ラエルの2社に収斂され、それぞれ熾烈な争いが
工業の32 位、川崎重工業の35 位、富士重工業が
続く中、日本の航空機産業規模はまだ世界レベル
57 位と続く。三菱重工業の2006年度の航空・宇
には至っていないものの着実に成長している。さ
宙部門売上高は4,950億円にも上っているが、そ
らなる飛躍を遂げるため、YS-11 以来の民間旅客
れでも世界のトップとは1桁違うのである。
機の開発も着々と行われている。後編では、日本
以上のように、旅客機メーカーの動向と日本の
の航空機産業の防衛需要、民間需要の動向とその
航空機産業の歴史と現状を見てきた。旅客機メー
将来を概観し、航空機産業の集積地である東海地
カーは、中・大型機市場はボーイングとエアバス
域の現状について報告する。
の2社に、小型機市場はボンバルディアとエンブ
図表15 航空宇宙防衛企業 売上高ランキング
企業
国
Boeing
EADS
Lockheed Martin
Northrop Grumann
BAE systems
Raytheon
General Dynamics
United Technologies
General Electric
Finmecanica
Honeywell international
Thales
L-3 Communications
Rolls-Royce
Safran
Bombardier
Textron
Goodrich
Alcatel
Dassault Aviation
三菱重工業
ITT Industries
Embraer
石川島播磨重工業
川崎重工業
富士重工業
松下電器産業
USA
Netherlands
USA
USA
UK
USA
USA
USA
USA
Italy
USA
France
USA
UK
France
Canada
USA
USA
France
France
日本
USA
Brazil
日本
日本
日本
日本
(単位:百万ドル)
2005年
2000年
1995年
ランク
ランク
ランク
ランク
ランク
ランク
1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
11
12
13
14
15
16
17
18
19
20
21
22
23
32
35
57
66
54,845
42,500
37,213
30,679
28,023
23,437
20,975
16,479
11,904
11,491
10,497
10,274
9,444
8,952
8,422
8,087
6,361
5,396
4,780
4,261
4,050
3,933
3,805
2,402
1,998
743
657
1
3
2
9
4
5
17
6
7
22
8
13
32
11
14
10
16
18
19
20
15
27
21
28
29
54
79
51,407
23,336
23,977
7,782
19,661
15,443
3,674
12,358
10,779
2,619
9,988
5,977
1,910
6,890
5,204
7,112
4,394
3,674
3,496
3,212
4,841
2,109
2,925
2,076
2,035
608
350
2
19,515
1
10
8
9
21,960
6,818
8,884
7,370
6
11
18
14
12
9,117
6,098
3,922
5,084
5,976
19
22
24
20
38
21
26
17
31
92
35
28
63
3,772
3,333
2,745
3,471
1,150
3,417
2,324
4,062
1,559
243
1,412
1,975
587
出所:財団法人 日本航空機開発協会「航空機産業の現状」
参考文献
杉浦一機「ものがたり日本の航空技術」平凡社
前間孝則「国産旅客機が世界の空を飛ぶ日」講談社
前間孝則「日本はなぜ旅客機をつくれないのか」草思社
クライヴ・アービング[著]手島尚[訳]「ボーイング
747 を創った男たち」講談社
「旅客機年鑑2006-2007」イカロス出版
シンポジウム「日本の技術史をみる眼」第25回実行委員会
「中部の飛行機づくり∼誕生からの歩み∼ 講演報告資料集」
中部産業遺産研究会
(2007.4.27)
共立総合研究所 調査部 河村宏明
航空機産業の現在・過去・未来
29
図表16 航空宇宙産業の主なM&A
アメリカ
ボーイング
ボーイング
ヒューズ
ヘリコプター
ロックウェル
マクドネル・
ダグラス
衛星通信
ヒューズ
(衛星運用)
ヒューズ
防衛
防衛
ゼネラル・
ダイナミックス
ガルフストリーム
ゼネラル・
ダイナミックス
ゼネラル・エレクトリック
(航空宇宙機器)
ロケット
ICBM
軍用機戦術ミサイル
ロッキード
ロッキード・マーチン
マーチン・
マリエッタ
ロラール
(防衛エレクトロニクス)
レイセオン
レイセオン
ビーチエアクラフト
BAe(ビジネス機)
ノースロップ・
グラマン
グラマン
リットン
ノースロップ
ウェスチングハウス
ヨーロッパ
エアロスパシアル
(フランス)
アエロスパシアル・
マトラ
マトラ・エスパス
(フランス)
ダイムラー・ベンツ・
エアロスペース(ドイツ)
DASA
クライスラー
航空宇宙部門
CASA
(スペイン)
EADS
マトラ・マルコーニ・
スペース
BAe
(イギリス)
BAeシステムズ
GEC・マルコーニ
(イタリア)
ダッソー・
アビエーション
ダッソー・アビエーション
(フランス)
トムソンCSF
(フランス)
アルカテル・
エスパス
トムソン-CSF
アルカテル・
スペ−ス
タレス
アルカテル・
アレニア・スペース
アレニア・アエロス
パツィオ(イタリア)
アエロマッキ
(イタリア)
フィンメカニカ
(イタリア)
出所:社団法人 日本航空宇宙工業会「航空宇宙産業データーベース」
30
KR I REPORT2007
フィンメカニカ