メディア・リテラシー教育の展開に関する研究(中間報告) 情報教育部情報教育研修課 研究の概要 静岡県では平成 13 年2月に発表した「魅力ある教育づくり 21 世紀初頭プラン〜意味ある 人づくりをめざして〜」の中で、児童生徒のメディア・リテラシーの育成をとりあげ、公立 学校におけるメディア・リテラシー教育の実施率 100%を目標として掲げた。そして、その 内容は平成 14 年9月に発表した「静岡県教育計画『人づくり』2010 プラン」にも受け継が れている。「魅力ある教育づくり 21 世紀初頭プラン」では、メディア・リテラシー教育の推 進に関する総合的な検討を行うことが示されており、その一環として、県内の学校でのメデ ィア・リテラシー教育の推進に資することを目的に、メディア・リテラシー教育の在り方に ついての研究を行うこととした。 静岡県教育委員会の、メディア・リテラシー教育研究委員会と共同で、2年計画で研究を 進めているが、初年度である平成 14 年度は、特に、各実践協力校・指定校での研究の立ち上 がりを支援することができるようにすることも考慮して、以下の点に重点をおいて研究を進 めた。 ○各校の要望にも対応しながら、普及啓発のための具体的方策を検討し、教師向けの説明 資料等としてまとめる。 ○各協力校・指定校における授業実践を考察し、実践事例として収集するとともに、発生 しやすい問題点を整理し、改善の方向性を探る。 目 Ⅰ 次 研究の背景 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 95 1 メディア・リテラシー教育をめぐる状況 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 95 2 静岡県における取組 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 97 Ⅱ 研究の目的 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 97 Ⅲ 研究の方法 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 97 Ⅳ 研究の内容 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 97 1 普及啓発のための具体的方策の検討 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 98 (1) メディア・リテラシーとは何か ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 98 (2) メディア・リテラシー教育と情報教育 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・101 (3) 私たちは何を始めればよいのか ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・103 2 各協力校・指定校における授業実践の考察 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・104 (1) 良い授業にはきっかけがある ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・105 (2) 部分的な取組のむずかしさ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・107 (3) 情報教育との関係 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・107 (4) 児童生徒の感想から ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・108 3 カナダでの視察から ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・109 (1) 日本が追いかけなければならないこと ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・109 (2) 日本でもすぐにできること ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・110 Ⅵ 研究のまとめ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・110 メディア・リテラシー教育の展開に関する研究(中間報告) 情報教育部情報教育研修課 Ⅰ 研究の背景 1 メディア・リテラシー教育をめぐる状況 静岡県では平成 13 年2月に発表した「魅力ある教育づくり 21 世紀初頭プラン〜意味ある人 づくりをめざして〜」の中で、児童生徒のメディア・リテラシーの育成をとりあげ、公立学校 におけるメディア・リテラシー教育の実施率 100%を目標として掲げた。そして、その内容は 平成 14 年9月に発表した「静岡県教育計画『人づくり』2010 プラン」にも受け継がれている。 メディア・リテラシーとは、旧郵政省の「放送分野における青少年とメディア・リテラシー に関する調査研究会」の報告によれば、 「『メディア社会における生きる力』であり、 『①メディ アを主体的に読み解く能力。』『②メディアにアクセスし、活用する能力。』『③メディアを通じ てコミュニケーションを創造する能力。特に、情報の読み手との相互作用的(インタラクティ ブ)コミュニケーション能力。』の3要素からなる複合的な能力である。」とされる。(資料1) 現代の社会は「高度情報化社会」であるとはよく言われるところであるが、情報はメディア を介さなければ伝達はもちろん表現すらできないことを考えると、現代の社会は、メディアが 政治、経済、文化などあらゆる社会のあり様や、個人の意思決定にまで大きな影響をもつ「メ ディア社会」でもあることが分かる。その様な社会にあって、社会の構成員としての役割を果 たし、かつ自己実現をしていくには、メディア・リテラシーは欠くことのできない「生きる力」 なのである。 情報を伝達するメディアに対する人々の反応は、すでに古代ギリシャの文献に見ることがで きるが、現在のメディア・リテラシーに通ずる対応としては、1930 年代にナチスドイツが映像 メディアを宣伝戦略に活用した際に、ローマ法王庁が大衆操作の危険性を警告したことが始ま りであるとされる。その後、メディア機器やマスメディアの発達に応じてメディア・リテラシ ーやその教育の必要性についての認識が高まっていく。1960 年代に入るとメディア研究や Cultural Studies の研究成果が出始め、メディア・リテラシーについての理論的な裏付けがで き始める。1970 年代にはテレビの青少年への影響が社会的な問題となり、狭義ではあるがメデ ィア・リテラシーに対する一般市民の関心が高まり、日本の「FCT 市民のメディアフォーラム (発足時は「子どもとテレビの会」)」なども含め、現在も活動を続ける市民団体のいくつかが 活動を始めている。そして、1980 年代に入ると北欧諸国やカナダなどで学校教育での取組が始 まり、1990 年代中には先進各国の多くで学校教育への導入が進んでいる。わが国では、1970 年代までは欧米諸国と似たような発現があり、先に述べた FCT 市民のメディアフォーラムなど はカナダのメディア・リテラシー教育推進の中心的役割を果たした AML(Association for Media Literacy)に先駆けて設立されている。しかし、大学等でメディアや Cultural Studies が研究 旧郵政省 (現総務省) 「放送分野における青少年とメディア・リテラシーに関する調査研究会報告書」(平成12年6月)より抜粋 http://www.soumu.go.jp/joho̲tsusin/policyreports/japanese/group/housou/00621z01.html#s602 (アンダーラインは資料作成者による追記) −はじめに− 青少年と放送の関係については、我が国における放送の開始以降、何度となく議論されてきたテーマ である。しかしながら、今日、放送のデジタル化やインターネットの普及による情報源の多様化、共働 き世帯の増加やテレビ受像機の複数所有等、青少年と放送を囲む状況に変化が生じてきており、また、 情報化時代に生きる我々現代人は、メディアから隔離された生活はもはや考えられないことから、メデ ィアときちんと向き合い、賢く利用していくことの重要性が高まってきている。 〜中略〜 言うまでもなく、「放送」とは視聴者が存在してはじめて成立するものであり、放送事業者や番組制 作者のみにより培われるものではない。批判的な視聴者 (critical audience) の目に晒されることによ り、我が国放送文化の発展、ひいては、健全な民主主義の発達が期待できるのである。 このような放送事業者と視聴者の間の健全な緊張関係を醸成するためには、視聴者が自らのメディア リテラシーを向上させ、「主体的な視聴者」(active audience)となることが重要である。「青少年と放 送に関する調査研究会」においても、視聴者、特に心身ともに成長過程にあり感受性に富む青少年のメ ディア・リテラシーの向上が提言の 1 つに挙げられている。 〜中略〜 メディア・リテラシーとは、メディアとの関わりが不可欠なメディア社会における「生きる力」であ り、多様な価値観を持つ人々から成り立つ民主社会を健全に発展させるために不可欠なものである。本 報告書では、メディア・リテラシーの向上に関する全体的な方向性についての考察を示したが、これで 議論が完結するというものではなく、また、メディア・リテラシーとはメディアの質の向上と相まって 効を奏するものである。これを契機に、市民団体やメディア機関等、幅広い関係者により、我が国にお けるメディア・リテラシーに関する取組や議論が、今後より一層活性化することを強く期待するもので ある。 (3)メディア・リテラシーの構成要素 メディア・リテラシーの定義については、様々な定義が提唱されているところであるが、本調査研究 会では、メディア・リテラシーとは「メディア社会における生きる力」であるという視点から出発し、 具体的には次の要素からなる複合的な能力であると考えた。なお、以下の①〜③はそれぞれの重要度を 示すものではなく、これらは相互補完的なものであり、これらが有機的に結合したものこそがメディア・ リテラシーであると理解される。 ①メディアを主体的に読み解く能力。 ア 情報を伝達するメディアそれぞれの特質を理解する能力 イ メディアから発信される情報について、社会的文脈で批判的(クリティカル)に分析・評価・吟味 し、能動的に選択する能力。 ②メディアにアクセスし、活用する能力。 メディア(機器)を選択、操作し、能動的に活用する能力。 ③メディアを通じてコミュニケーションを創造する能力。特に、情報の読み手との相互作用的(インタ ラクティブ)コミュニケーション能力。 資料1 メディア・リテラシーの定義 分野としての広がりを見せなかったこと、 「社会主義的」とも評される経済体制の中でマスメデ ィアや電話事業などが保護かつ規制されてきたことなどがあって、その後の進展は欧米諸国ほ どには進まなかった。しかし、1990 年代の後半に入り、インターネットや携帯電話などの更に 新しいメディアの登場やバブル経済の崩壊に端を発する経済体制の転換などに促される形で、 狭義的には新しいメディアの青少年への影響をコントロールしたいというねらいを持って、広 義的には開かれた文化を担う主体的で多様な感性の育成のために、メディア・リテラシーとい う言葉がにわかに注目を浴びるようになってきている。具体的には、FCT のような市民団体や 教育団体の活動の広がり、大学等の研究機関のプロジェクト、マスメディア自身による読者、 視聴者のメディア・リテラシーを高めるプログラム、先にあげた旧郵政省の研究会など、様々な 分野での動きが見られている。 2 静岡県における取組 前述のような状況にあって、静岡県教育委員会が、「公立学校におけるメディア・リテラシ ー教育の実施率 100%」を宣言したことは、わが国においては画期的なこととして注目に値す る。学校での取組が量的に比較的進んでいるのは愛知県、長野県、神奈川県、東京都、北海道 などであるが、教育委員会の対応を見ると、東京都の諮問機関が平成 13 年度末に学校でのメデ ィア・リテラシー教育を進めるべきであるとの報告を行い、長野県教育委員会が県内民放のメ ディア・リテラシー関連番組の後援を行っている程度で、具体的な取組を都道府県レベルの教 育委員会で表明しているところはまだほかにない。 しかしながら、静岡県も必ずしも学校現場や市民団体が活発な活動を見せてきているわけで はない。1990 年代の初めに静岡大学教育学部附属静岡小学校の鈴木功一教諭の行った先駆的な 実践はあるものの、近年においては清水市や浜松市の小学校、藤枝市の中学校、そして静岡市 中央公民館の市民講座などの数例が報告されているだけである。 それだけに、「21 世紀初頭プラン」の中に併記された「県教育委員会においても、学校にお ける情報教育を支援するため、メディア・リテラシー教育の在り方について総合的な検討を進 めます。」の文言をいかに実行していくかが今後の進展の鍵を握ることになる。この「総合的 な検討」としては、平成 13 年度には、教育委員会の情報化推進委員会に専門部会として「メデ ィア・リテラシー教育部会」を置き、平成 14 年度からは2年計画で「静岡県メディア・リテラ シー教育研究委員会」を発足させ、県内 12 校の研究実践協力校・指定校とともに研究を進めて いるところである。 Ⅱ 研究の目的 「魅力ある教育づくり 21 世紀初頭プラン」で示された、メディア・リテラシー教育の推進に 関する総合的な検討の一環として、メディア・リテラシー教育の在り方について研究し、県内 の学校でのメディア・リテラシー教育の推進に資する。 そのために、メディアを主体的に読み解く能力、メディアの資質を理解してアクセスし活用 する能力、メディアを通じコミュニケーションする能力などを児童生徒に育成する方法につい て研究し、県内の各学校に提示できるようにする。 Ⅲ 研究の方法 静岡県教育委員会の、メディア・リテラシー教育研究委員会と共同で、2年計画で研究を進 める。また、静岡県総合教育センター情報教育部と、静岡県教育委員会高校教育課・義務教育 課・養護教育課が行っている情報教育開発推進事業の中学校部会でもメディア・リテラシーに 関する教材開発を行っているので、そちらからの資料・情報の提供も受ける。 2年間の研究の中では、以下の3点を中心に研究を進める。 ○メディア・リテラシー教育研究委員会の実践協力校・指定校(小、中、高、養、各3校) にテーマ例を示し、各校の実情に応じた実践的な研究への取組を依頼する。 ○実践例等のメディア・リテラシー教育に関する資料を収集、考察し、まとめて提示できる ようにする。これは、直接的には協力各校への支援を目的に行うが、広くは、普及啓発の ために必要な方策を探る研究の一環とする。 ○各校の実践的な研究の成果をまとめ、メディア・リテラシー教育の在り方について提言す る。 初年度である平成 14 年度は、特に、各協力校での研究の立ち上がりを支援することができる ようにすることも考慮して、以下の点に重点を置いて研究を進める。 ○各校の要望にも対応しながら、普及啓発のための具体的方策を検討し、教師向けの説明資 料等としてまとめる。 ○各協力校・指定校における授業実践を考察し、実践事例として収集するとともに、発生し やすい問題点を整理し、改善の方向性を探る。 Ⅳ 研究の内容 1 普及啓発のための具体的方策の検討 各協力校・指定校が研究を始めてまず問題として抱えるのが、 「メディア・リテラシーとは何 か。」ということと、 「具体的に何をすればよいのか。」ということを学校内で先生方に理解して いただくということであった。また、後述する授業実践の考察から浮かび上がってくるのが、 「メディア・リテラシー教育と情報教育は何が違うのか。」ということであった。そこで、これ らについて考察し、資料や講義という形で各協力校・指定校に提示した。 (1) メディア・リテラシーとは何か 「メディア・リテラシーとは何か?」ということについ ては、定義や考え方など広く見た見方と、事例を挙げるこ とで具体的に理解できる資料とを提示した。 ア メディア・リテラシーの考え方 メディア・リテラシーの定義については、各方面でそれ ぞれの定義が行われていて、これといった定説はないが、 先に挙げた、旧郵政省の「放送分野における青少年とメデ ィア・リテラシーに関する調査研究会報告書」が現在わが 国で広く認められた最大公約数であると見てよいだろう。 この報告書の定義を採用し、各協力校・指定校には資料と して提示した。 また、この報告書にも述べられていることであるが、メ ディア・リテラシー教育の先には「民主主義を育てる」と いう大命題がある。ある学校から、「メディア・リテラシ 図1 ゴールにしたいこと ー教育のゴールにしたいこと」を示してほしいという要望が出されたが、まさにこのことであ る。これを踏まえていれば、様々な場面に出会ったときに、メディア・リテラシー教育的な取 扱いができやすくなる。逆にこれが押さえられていないと、メディアの活用能力にのみ目が向 きがちになる。そこで、「メディア・リテラシー教育のゴールにしたいこと」として、具体的 には、教育基本法の前文に示された人間像や、高校「公民」の目標に示された社会人像を示し、 それらがメディア・リテラシーなしには達成し得ないことを示した。(図1) 一方、メディア・リテラシー教育が、社会や教育の中でどのように位置付けられるかを知るこ とも、メディア・リテラシー教育を始めようとするときには大切なことである。そこで、歴史的 な流れの中での世界と日本の動き、近年メディア・リテラシー教育が注目されてきている背景 などを以下のようにまとめた。(資料2) 1 メディア・リテラシーを巡る世界的な流れ 年代 メディアそのものへの意識 メディアと人間との主体的関係を意識 B.C. (ギリシャ) プラトンの「書くこと」批判 4〜5C (W‑J・オング「声の文化と文字の文化」) 文字が「ニューメディア」だった頃、このメディアがこれまでの話す、聞くとは違ったメディアと して批判されている。人類がメディアというものを意識していた証拠である。 (ドイツ) ヒトラーが映像メディアを活用 (イギリス) 大衆文化の台頭 →(バチカン、イギリス)大衆操作への危惧 (印刷技術の発達→出版物の低価格化) 1930 年 →古典を守るためには、批判的(critical) 代 に見る眼が必要 (イギリス・カナダ) 社会が大衆文化を受容 →「高級な」大衆文化を志向させるには、批 判的(critical)に見る眼が必要 Cultural Studies の出現 文化には高級も低級もない →(左記とは別のねらいで)メディアを学 ぶことの必要感 マクルーハン「メディアはメッセージ」 メディアは無色透明の乗り物ではないとい うこと、どのメディアに載るかによって、 メッセージの色が変わる 1970 年 TV の性描写、暴力シーン等への危機感 (カナダ)アメリカ文化流入への危機感 アメリカの失敗 代 (カナダ)AML設立(1978) (イギリス)教育の民主化傾向 1980 年 (カナダ)コミュニケーションメディアの研 マスターマン「メディアは再構成」 究(広大な土地に少ない人口) (カナダ)オンタリオ州カリキュラム(1987) 代 (イギリス)ナショナルカリキュラム(1988) ※この表では二つの流れが意識されている。左は単なるメディアの意識、人々の意識はまずはここか ら入る、メディアというものの存在に人々が気づく段階である。そして、右はメディア・リテラシ ーの目的でもある民主社会、主体的なかかわりというものを意識した流れである。 1960 年 代 2 日本の現状 (1977)FCT 市民のメディアフォーラム(発足時は「子どもとテレビの会」) (1988)静大附属静岡小学校での実践事例(SBS が協力、ニュース取材現場見学、ほかの局のニュースと比較) ※これらは上の表の右の流れを汲んでいる表れである。 ※日本にはイギリスやカナダのような背景がない。社会主義的とも言われる経済的な成功をしていたので。 (1998.2)バタフライナイフ事件 (1999.1)伝言ダイヤル放置凍死事件 (2000.4)京都メル友殺人事件 (1999〜)NHK・民放連共同企画「子どもとテレビ」 (2001.3)静岡県「魅力ある教育づくり 21 世紀初頭プラン」 ※これらは対処療法的な発現である。上の表の左の流れである。 (1996〜)メディアリテラシー研究会、メディアリテラシー教育研究会 (2000)メルプロジェクト(愛知、実践事例) (2000)放送分野における青少年とメディア・リテラシーに関する調査研究会(旧郵政省) (2001)清水市立興津小学校(ニュース番組作り)、浜松市立曳馬小学校(ニュースの構成内容を比較)、藤 枝市立広幡中学校(メディアとジェンダー)での実践事例 ※表の右側の流れへの気付きが見られる。数は少ない。 3 メディア・リテラシーをめぐって 〜今、何が始まろうとしているのか〜 ○テレビ局が... NHK・民放連共同企画「子どもとテレビ」 NHK「体験!メディアの ABC」 Mel プロジェクト「民放連プロジェクト」2002 年は宮城、長野、愛知、福岡で その他、メディア・リテラシー(番組)への取組(NHK:放送体験クラブ、TBS:テレビ局探検) などが行なわれている。 ○民間団体が... FCT 市民のメディアフォーラム、市民とメディア研究会「あくせす」(名古屋)、アニメイトの会(静岡) ○教育関係では... メディアリテラシー教育研究会、メルプロジェクト ○行政は... 長野県:「民放連プロジェクト」の後援 東京都:東京都青少年問題協議会答申 「メディア社会の進展と青少年施策のあり方」02.03.26 静岡県:メディア・リテラシー教育研究委員会発足 02.05.08 4 今、なぜ、メディア・リテラシーなのか ○表面的には... 様々なメディアの発達が、私達の生活に影響を与えている。 →象徴的なできごとは、「バタフライナイフ事件」「出会い系サイト事件」 保護者・教育関係者・一般市民の反応: これは大変だ、何とかしなくちゃ。子どもを守る、自分を守る。 メディアの反応: これは大変だ、何とかしなくちゃ。このままでは悪者になってしまう。 行政の反応: これは大変だ、何とかしなくちゃ。メディアに規制を掛けて市民を守る姿勢を見せなくては。いやいや、そ れだけではダメだ。メディア産業が衰退しないような手も打たなければ。 「情報モラル」より「メディア・リテラシー」の方がなんとなく分かりやすいのに... ○実は... 本来のメディア・リテラシー教育の根底にあるのは「民主主義」を支える力を育てるということであるはず。 メディア社会を「生きる力」としてのメディア・リテラシーを身につけた市民が、メディアの発達の中でよ りよい社会を作っていける。 資料2 イ メディア・リテラシーを巡る動き 具体的な事例 「教師は何を学べば良いのか?」ということもいくつかの学校から提示の要望が出されたこ とである。そこで、授業等、日常の学校での活動の中で、メディア・リテラシーがかかわる児 童生徒の表れに気づくことができるために必要なことを、8点に渡って示し、具体的な事例を 使って説明できるようにした。 (ア) 現代の社会はメディア社会である。(政治、経済、文化から個人の意思決定にまでメディア が深くかかわっている) 例) 「小泉首相の肉声を聞いたことがありますか?」→間接民主主義はメディアがなければ成 り立たない。 (イ) 情報はメディアがなければ伝達はもちろん表現もできない。 例)「アルカイダの首領の名前を知っていますか。隣町の町長の名前を知っていますか。」→ マスメディアに載ったものは知っているがそうでないものは知らない。 「ピースパックを知っていますか?」→最近アフガニスタンへの支援が注目されています が、日本のガールスカウトは 10 年程前から独自にアフガニスタンの子供たちを支援して います。特に大きく報じられていないので皆さん知 りませんが... (ウ) メディアが伝えるのは客観的な真実か? 例)「巨人−中日戦の翌日は・・・?」→「スポーツ報 知」と「中日スポーツ」の記事を比べて見ましょう。 (エ) 映像や音楽にも「文法」がある。 例)「この人だぁれ?」(図2)→白い房のついた赤い 帽子を見ると、だれもがサンタクロースだと言う。 「サンタの服はなぜ赤い?」→あの赤は米国の某飲 図2 この人だあれ? 料メーカーの赤。サンタクロース=赤い服というのもメディアが作り出した「文法」なん ですね。 (オ) メディア情報の発信者は悪意に満ちているのか? 例) 「子供の運動会を撮ったことありますか?」→「お父さんビデオ」は、運動会の運営の記 録には使えません。自分の子どものアップばかり。決して運動会を客観的にとらえたわけ ではありません。でも、それでいいんですよね。発信者には意図があります。その意図と、 受信側の自分の意図が違うかもしれないという可能性を承知しておくことが必要。 (カ) フレームの外側に目を向ける。 例)「何が伝えられなかったのか?」→メディアが伝えていないものは何かということを考え ることで、客観的な姿勢になれる。自分の眼でさえ見ていないものがある。 (キ) 従順な消費者から、賢い市民へ 例)「メディア社会を生きる力とは」→「よりよき社会人」でも「民主主義を支える人」でも よい。メディア社会ではいずれを実現するにもメディアに対峙する様々な能力が必要。そ れが主体的に生きるということです。 (ク) 情報教育とメディア・リテラシー教育は違う 例)※次項で メディアとかかわる体験は社会生活の随所にあり、具体的な事例をメディア・リテラシーと の関係をとらえて説明されれば、容易に理解される。 (2) メディア・リテラシー教育と情報教育 詳細は後述するが、協力校・指定校の授業実践の中から見えてきたのが、 「情報教育」と「メ ディア・リテラシー教育」の関係をどうするかということである。 「情報教育」と「メディア・ リテラシー教育」は密接な関係にあるが、必ずしも同じものではない。また、いずれも新しい 概念で、それぞれのとらえ方も人によって異なるため、ましてやそれらの関係となると、千差 万別である。研究サイドでも、 「情報教育」を独立させた概念が我が国独特のものであることも あって、これらの関係を明確に示したものは見当たらない。 「情報教育とメディア・リテラシー教育はどう違うのか?」 「自分の行った授業は情報教育と してとらえれば良いのか、それともメディア・リテラシー教育としてとらえれば良いのか?」 「メディア・リテラシー教育は情報教育の一部なのではないのか?」 「情報教育はメディア・リ テラシー教育に含まれるのではないか?」等々、ちょうど時期を同じくして「情報教育」の実 践に本格的に取りかかった学校も多く、このような疑問も多い。しかし、逆に見ると、 「情報教 育」と「メディア・リテラシー教育」には重なる部分も数多くあるので、この違いのちょっと したポイントが理解できれば、取組の進み方も大きいと考えられる。研究者の立場もまちまち である中、結論を出すには至っていないが、現在明らかになっている部分をまとめて提示した。 (資料3、4、5) 「情報教育の実践と学校の情報化〜新『情報教育に関する手引』〜」文部科学省 2002 より http://www.mext.go.jp/a̲menu/shotou/zyouhou/020706.htm 第2章 初等中等教育における情報教育の考え方 第1節 情報教育の位置付け 2.情報教育の目標 初等中等教育における情報教育では,「情報活用能力」の育成を目標としている。「情報化の進展に対応 した初等中等教育における情報教育の推進等に関する調査研究協力者会議」において分類された「情報活用 能力」は次の3要素から構成されている。 ① 情報活用の実践力 課題や目的に応じて情報手段を適切に活用することを含めて,必要な情報を主体的に収集・判断・表現・ 処理・創造し,受け手の状況などを踏まえて発信・伝達できる能力 ② 情報の科学的な理解 情報活用の基礎となる情報手段の特性の理解と,情報を適切に扱ったり,自らの情報活用を評価・改善 するための基礎的な理論や方法の理解 ③ 情報社会に参画する態度 社会生活の中で情報や情報技術が果たしている役割や及ぼしている影響を理解し,情報モラルの必要性 や情報に対する責任について考え,望ましい情報社会の創造に参画しようとする態度 なお,実際の学習活動では,情報手段を具体的に活用する体験が必要であり,必要な程度の基本操作の習 得にも配慮する必要がある。 資料3 情報教育の目標 情報教育 ねらい メディア・リテラシー教育 (1)情報活用の実践力 ①メディアを主体的に読み解く能力 (2)情報の科学的な理解 ②メディアにアクセスし、活用する能力 (3)情報社会に参画する態度 ③メディアを通じてコミュニケーションを創造す る能力 「高度情報通信社会」 背景 情報の範囲 視座 「メディアに支えられた民主社会」 情報機器が発達し、情報の価値が高まり、 メディアが(政治、経済、文化、・・・、個人の意思 情報の量が増大している社会 決定などに)大きな影響をもつ社会 「必要な情報を・・・」 「メディアから発信される情報について・・・」 客観的 客観的・主観的 分析的 批判的(critical) 科学的な理解に基づく・・・ 社会的文脈で・・・ 技術的、工学的 社会的、文化的、経済的、芸術的 情報の質 情報の作り手の意図 資料4 情報教育とメディア・リテラシー教育の比較 メディア・リテラシーの構成要素 メディアを主体的に読み解く メディアにアクセスし メディアを通じて 活用する コミュニケーションを創造する 「メディアから発信される情報に 「メディア(機器)を選択、 「情報の読み手との相互作用的 ついて、(社会的文脈で批判的に)分 操作し、能動的に活用」で コミュニケーション」ができる 情 析・評価・吟味し、能動的に選択」 きる 報 できる 活 用 「情報手段を適切に活用」できる 「情報手段を適切に活用」 できる の 実 「必要な情報を主体的に収集・判 「必要な情報を(主体的に) 「受け手の状況などを踏まえて 収集・判断・表現・処理・ 発信・伝達」できる 践 断・表現・処理・創造」できる 創造し,(受け手の状況など 力 を踏まえて)発信・伝達」で きる 情 報 活 用 能 力 「情報を伝達するメディアそれぞ れの特質を理解」できる (上段:メディア・ 「メディアから発信される情報に リテラシー的記述) 科 ついて、社会的文脈で批判的に分 学 析・評価・吟味」できる 的 「情報活用の基礎となる情報手段 理 の特性の理解」ができる 解 「情報を適切に扱ったり,自らの情 (下段:情報教育的記述) 報活用を評価・改善するための基礎 的な理論や方法の理解」ができる 「メディアから発信される情報に ついて、(社会的文脈で批判的に)分 参 析・評価・吟味し、能動的に選択」 画 できる す 「社会生活の中で情報や情報技術 る が果たしている役割や及ぼしてい 態 る影響を理解」できる 度 「情報モラルの必要性や情報に対 する責任について考え,望ましい情 報社会の創造に参画しようとする」 資料5 「情報活用の基礎となる情報手 段の特性の理解」ができる 「情報を適切に扱ったり,自ら の情報活用を評価・改善するた めの基礎的な理論や方法の理 解」ができる 「メディアを通じてコミュニケ ーションを創造する」ことがで きる 「社会生活の中で情報や情報技 術が果たしている役割や及ぼし ている影響を理解」できる 「望ましい情報社会の創造に参 画しようとする」 情報教育とメディア・リテラシー教育の重なり (3) 私たちは何を始めればよいのか 授業に取り組む際に、実践例を参考にするのと同時に、取り組む学級学年や児童生徒の実態 に合わせて、取り組み方に工夫をすることは大切なことである。特に、メディア・リテラシー 教育への取組では、実践例もあまり多くなく、数ある実践例の中から自分の学級の実態にあっ たものを選んで応用してみるということもなかなか難しい。そこで、後述する、授業実践から のフィードバックを踏まえたうえで、授業への取組方を3段階に示した。(資料6) ① 随所にあるメディア・リテラシーを育てるチャンスに巡り合ったらそこで指導する。 「情報は、メディアがなければ伝達も表現もできない」から、授業のあらゆる場面でメディアが活用 されているはず。(教科書、資料、ビデオ、・・・そして、先生、学校・・・) 特に計画しなくてもよいから、メディア活用の場面をとらえて、メディア・リテラシーの育成に取り 組んでみる。教科のねらいと同じ方向になくてよい。 しかし、そのチャンスを見逃してしまったらどうしようもない。そこで、教師がメディア・リテラシー (教育) について理解することが必要。 ② メディア活用の場面をとらえて、メディア・リテラシーの育成を企画する。 ①を計画的に行う。教科のねらいを達成する活動の中で、メディア活用の場面をとらえて指導するほ か、メディア・リテラシーを育てることそのものをねらった授業もできる。 国語、社会、音楽、美術、保健、家庭 、総合的な学習の時間、道徳、学級活動では内容として組み込 めるはず。情報教育とも内容の関係は深い。 ③ メディア・リテラシーを育成することをねらいとした授業を行う。 メディア・リテラシーを育成する授業を、意図的に計画する。現在の指導要領のもとでは、総合的な 学習の時間や国語で可能。その他、道徳、特別活動などでもできるはず。 資料6 メディア・リテラシー教育への取組方 当初は資料6の①〜③が取組の段階を示すように考えていたが、協力校・指定校での授業実 践を見ると、むしろ①は先生方のスキルを多く要求される。したがって、②から始めて、ゆく ゆくは、学校の中で一人か二人、1年間の中で1回か2回③ができ、そのような経験を重ねる 中で全員が①ができるようになることをめざしていくことが現実的であろう。 2 各協力校・指定校における授業実践の考察 各協力校・指定校では次に示すような授業が展開された。(資料7) 小学3年 総合 小学5年 総合 小学5年 学級活動 小学6年 総合 小学6年 学級活動 中学1年 国語 中学1年 数学 中学1年 理科 中学1年 美術 中学1年 保健体育 中学1年 英語 便利なだけでないインターネットの特性を知ることで、よりよい使い方を考 える。 地元 CATV 局の協力を得て、テレビ局の内部を知り、自分たちも番組を作っ て発信する。 テレビ電子会議で紹介する学校のビデオを見比べることで、制作者の意図や 表現の仕方で伝わることが変わることや、すべてを伝えることはできないこ となどを学ぶ。 調べたことを学校の Web ページを使って発信する。 修学旅行での携帯電話使用の是非をめぐって、メディアとしての携帯電話の 特性や、携帯電話使用についての保護者や中学生の思いを基に、より良い使 い方を考える。 説明文を読み、筆者の意図を再伝達する活動を行う。その再伝達の説明を比 較する。 グラフ表現を一つのメディアととらえ、変化や対応のしかたを読み取るのに 適したグラフはどのようなグラフか、それぞれのグラフの特徴を考えて判断 する。 調べ学習に、図書、CD‑ROM 図鑑、Web ページを併用することで、メディアに よって表現の方法や内容に違いがあることを学ぶ。 光の条件と色の見え方の関係を観察する活動を通して、「もの」にはいろい ろな見え方があることを学ぶ。 体操の技の模範を、教師の師範、友達の模範、静止画像、ビデオ映像などに 求め、自分に適したメディアを選択して活用する。 Eメールの特性を考えながら、Eメールを使った英語のコミュニケーション 活動を行う。 中学1年 総合 中学2年 音楽 中学2年 技術・家庭 中学3年 社会 中学3年 総合 中学3年 学級活動 高校1年 高校1年 高校2年 高校2年 高校2年 高校2年 高校2年 高校3年 工業基礎 現代社会 現代社会 英語 英語実務 商品 マーケティング 現代社会 高校3年 選択 高校3年 高校3年 高校3年 養中学部 養準高1 聾高1 課題研究 商業デザイン 総合実践 総合 国語 情報処理コース 養準高1 総合 聾高2 情報処理コース メディアを活用した情報の収集の仕方を、プロから学ぶ。デジタルカメラを 取材に使う。 調べ学習に、CD‑ROM 教材や Web ページを用いて、違うメディアから必要な情 報を集める。 有害 Web ページについて見る側の責任を考える。 新聞記事から得た情報などを、社会的に分析・評価・吟味し、弱者の視点で 自らの問題としてとらえ、考える。 信頼される情報とはどういうものか、ホームページの作成をしながら考え る。 「卒業にあたって、わたしたちが残せるもの」というテーマで学年討論会を 行った。その導入時に、前年度の卒業記念ビデオとして残された映像を吟味 する活動を行った。 専門用語の表現方法の違いと認識の関係を考える。 新聞各紙の違いを比べる。編集者のねらいを読み取る。 同じ事象について各新聞社の記事を読み比べる。 映画の字幕と英語のせりふの比較をして、表現の違いを考える。 英字新聞の記事と日本語の記事の比較。 放送 CM について考える。 プロモーションの学習の中でメディアの重要性を学ぶ。 新聞レポートの作成を年間継続して行う。 新聞記者による講話。新聞作成。生徒に配布して互いに読み比べる。記者と して読み手に伝えたかったことが伝わっているかどうか評価。 ホームページ作成。 ポスターの作成。 広告実習。 聞く人が興味をもち、分かりやすい発表の仕方を学ぶ。 新聞社ごとの論説の違いを読み取る。 情報の作り手の行う情報の操作。 バリアフリーについて一般の社会の方に知っていただくために、福祉啓発 CM を作成する。その過程でテレビ CM についての理解をしたり CM 制作の手法も 学ぶ。 メディアの種類とその特徴。作り手の意図により情報は選ばれており、伝え られない情報もあることを理解する。 資料7 協力校・指定校で行われた授業 (1) 良い授業にはきっかけがある これらの中で、比較的うまくメディア・リテラシー教育に取り組めていると考えられる授業 にはそれぞれきっかけがある。 ア 送り手側に立てる科目 商業高校では、授業教科・科目そのものがメディアの送り手側について学ぶ性格を持ってお り、これまで受け手として生活してきた生徒が自動的に送り手の立場を学習する。その中には 商業活動としてのメディア活用の場面が多く含まれている。 商業デザインの授業でポスターの作成、総合実践の授業で広告実習、マーケティングの「プ ロモーション」の章でのメディアの重要性の学習、英語実務の授業で英字新聞の記事と日本語 の記事の比較、商品の授業で放送 CM について考えることなどが計画されていたが、今年度は計 画を立てることを中心に行ったので検証ができていない。来年度の研究に期待したい。 イ 地元 CATV の協力を得て 第三セクタの CATV 局の協力が得られ、児童の作品が配信されることになり、いくつかの計画 が進んだ。ニュース番組の内容の比較から、発信する側の思いに気付いた児童が、番組制作者 に直接作り手の思いを聞いたり、自分達の番組制作にあたって、CATV の番組制作者からアドバ イスをもらったりした。その中で「キャッチコピーが大切。」などの映像表現技法の存在をも 教えられる。自分達の番組を CATV で配信し、互いに評価し合うとともに、プロの眼から見た評 価ももらう。 ウ NIE への取り組みの実績があり新聞メディアを読み解くことに教師が慣れている。 NIE も、ゴールは違うものの、同じメディアを扱った活動であり、メディアについての理解 については共通するところも多い。そのため、教師の側に取り組みやすさがあったものと考え られる。また、教師の側が新聞というものを教材化することに慣れており、授業のイメージを 膨らめやすく、それだけ深く考える授業を構想できる。 選択として位置付けた「情報」の授業で、新聞記者の講話から始まって、自分たちで作った 新聞を読み比べて、記者として伝えたかったことがどのように伝わっているかを考える授業。 新聞各紙の違い、編集者のねらいについて読み取る授業が展開された。生徒からは、「新聞に よって『見出し』などの表現の仕方が違うことが分かった。」「記事には、記者の気持ちが入 ることが分かった。」「多くの情報の中で一部しか、新聞には載せられないことが分かった。」 など、新聞というメディアの特質をとらえた感想が寄せられている。 エ テレビ会議システムを使った他校交流がすでに行われている。 テレビ会議システムを使った他校交流で使われるビデオ映像は、プライベートではあるが一 つの番組である。そのことに気付き、教材として取り上げている。テレビ会議で紹介する学校 のビデオを見比べることで、制作者の意図や表現の仕方で伝わることが変わることや、すべて を伝えることはできないことなどを学んだ。「同じものでも、紹介の仕方で別のものと思える ことがある。」「紹介する人によって、伝えたいものが違う。」「一つのものですべてを伝え ることができない。」などの感想が児童から寄せられているが、これは相手から見ても同じこ とである。また、基本的にはマスメディアでも同じであることも学習できる。 オ これまでの活動の中で映像作品制作の実績があり、教師にそのノウハウがある。 これまでに総合的な学習の時間の試行等で、映像作品制作の実績があり、教師にそのノウハ ウがあることで、映像作成の教材化に教師が抵抗なく進んでいけた。また、これまでの経験か ら映像を教材としてみる目が教師に育っており、福祉啓発 CM という、テレビで「公共広告機構」 が行っているような CM 作りという教材が取り上げられた。送り手の立場に立つことで、情報を 発信することに興味や関心を持つことができただけでなく、テレビの CM、広告というメディア を通して流される情報の特徴を理解し、情報の送り手である企業や広告主の意図に基づいて作 り出されるメディアとしての CM、広告の仕組みの一端を理解させることができた。 ア、イは、たまたま良い条件が整っていた事例である。ウ〜オは主に教師の側にレディネス があった事例である。このように、何らかの条件が整っていると、良い活動は生まれやすい。 何らかの形で類似した好条件がそろえられれば、活発な活動を支援しやすくなるということだ ろう。ただし、メディア・リテラシーにかかわる活動は、特別な条件の下で生み出されるので はなく、日常生活の至る所に見つけることができるはずである。したがって、こういった好条 件は、良い活動を「生み出した」のではなく、見つけやすくしただけだとも考えられる。だと ...... .... すれば、好条件がそろうと活動が見つけやすくなるが、条件が良くなくても、活動が生まれに .. くくなるわけではないだろう。 (2) 部分的な取組のむずかしさ 「また、授業案の作成に当たっては、本時の目標はメディア・リテラシーの育成を中心にし たものでなくてもよいとし、学習活動の一部にメディア・リテラシー教育の目標に迫る活動が 盛り込まれていればよいとしたのである。これは、そうすることにより、どの教員も日常的に 意識して取り組むことができて、いろいろな教科の授業の中で繰り返しメディア・リテラシーに ついて触れることにより、子供も自然に身に付けることになるのではないかと考えたからであ る。」という姿勢で各教科での授業に臨んだ学校があったように、授業の一部を使ってメディ ア・リテラシーの内容を扱う授業が全体に広がると着実な指導が期待できる。今年の実践でも、 調べ学習の中で書籍や Web サイトを比較してみる授業や、各新聞社の記事を読み比べてみる授 業など、簡単には「へぇ、ちがうんだねぇ」ということを感じる程度の授業も含めて幾つかの 実践が見られた。 「各教科の目標を達成するための授業の途中で、メディア・リテラシーを必要 とする場面がないかどうかをピックアップした。」という中学校もある。特に、「比較」という ことを本来の教科のねらいとは別のところで行う授業は、メディア・リテラシーの基礎的な部 分を育てる活動として取り入れられそうである。 しかし、教科の授業のねらいとは別のところでの指導は、気軽に取り組めるようにも思える のだが、実践の数としてはそれほど多くない。実は、この指導にはかなりの教師の力量が要求 されるのではないだろうか。教科の内容と、メディア・リテラシーの両方をうまく組み合わせ て、あるいは同時に進めるというのはなかなか大変である。教科の方はともかく、メディア・ リテラシー教育にこれから取り組もうとしている教師にとっては、実はかえって大変なのでは ないだろうか。このあたりは、次年度以降確認していきたいところである。 (3) 情報教育との関係 先にも取り上げた情報教育との関係に苦労している姿がいくつもある。 例えば、メディアを「情報媒体」と表現している例がある。直訳としては問題ないが、ニュ アンスが異なる。「情報媒体」では、あくまでも「情報」という「もの」を運ぶ道具であるが、 メディアという言葉は、その媒体を操作する人間を感じさせる語感を持って使いたい。 「メディア」でなく「情報」に対する判断能力をつけようとしている例もある。「情報の内 容、情報の伝え方を学ぶ」「情報の影響力について考える」などという言い方をする場合には、 学ぶ対象が「メディア」でなく「情報」になっていると考えて良いだろう。「情報が効率よく、 正しく伝わるためにどうしたらよいか」という表現も見られたが、そもそも前提が違うだろう。 「情報は必ずしも正しくは伝わらない」というのがメディアの特性である。メディア・リテラ シーを学んだ生徒からは、「分かりやすくと、正確に」は違うという感想も出るくらいである。 また、旧郵政省のメディア・リテラシーの構成要素の中に記された「メディアを読み解く」を 「情報を読み解く」に置き換えている例も幾つもある。 これらの表現は、特別に意識して使われたものではないとは思うが、このように、「情報」 と「メディア」が区別なく扱われているところに、情報教育としては成り立っているのに、そ れがメディア・リテラシー教育にまで踏み込んでいけない原因があるように見える。 自分のねらった情報をいかにうまく捕まえるかという学習では、情報を批判的に見るという 態度は育たない。そこには比較、考察という活動が必要である。メディアによってどう違うか という、メディアが情報の質に与える影響を考える活動が必要である。「情報」に対する「工 学的な」アプローチと、「メディア」に対する「社会文脈的な」アプローチがこれらを分ける 鍵であろう。 ある授業案の中に、 「信頼される情報とはどのようなものでしょうか」という発問があった。 授業者は、その後に、「発信者がはっきりしていること。」「発信者が信頼が置けること。」 「発信された内容が間違いのないこと。」というやりとりを想定しているが、まさにその想定 のとおりである。情報の信頼性を決める要素の一つは「発信者が信頼が置けること。」なので ある。ここに目が向けられるようになることがメディア・リテラシー教育への入り口ではない だろうか。ほかにも、携帯電話の使い方、インターネットの使い方という授業があるが、「大 人たちにどう思われているか」「それはなぜか」などという視点が入ると、機器や情報そのも のの特性に留まらずに、携帯電話やインターネットの社会的位置とでも言えるようなことが意 識され、情報モラルの授業からメディア・リテラシーをも含んだ授業になると考えて良いだろ う。 先に挙げた資料(資料4)を活用して、今一歩メディア・リテラシー側に踏み出したい。 (4) 児童生徒の感想から 今年度は、メディア・リテラシーの観点を盛り込んで授業そのものを組み立ててみるという ところをまず優先したので、児童生徒の表れから授業内容を振り返るというところまではなか なか至らなかった。そんな中でも興味深い事例は寄せられた。資料8は、理科の調べ学習で使 った資料の比較を行った活動、資料9は同じ試合を撮ったテレビ番組と保護者のビデオを比較 した授業のそれぞれ生徒の感想である。 「ホームページ、図鑑、CD‑ROM 辞典などいろいろタンポポのことでも違うことを説明していました。」 「一つのことでもものによっていろいろな説明の方法があっておもしろいと思いました。一つをいろんな視 線で見ることがとても大切だと思いました。」 資料8 資料の比較の感想 「TV で見るのと、人が撮ったビデオで見るのでは、全然違うことがわかった。しかし、テレビで見る場合 のよさ、人が撮ったビデオのよさは全然違った。」 「色々な情報を私たちは得ているが、それがすべて正確なものというわけではなく、そのときだけの事実に ついて伝えられていることもある。マスコミはとても分かりやすいが、それはすべて正確ではないというこ とを覚えておかなければならない。」 「一つの出来事を伝える方法はいろいろあるが、その伝える方法の一つ一つには別々の聞き手の感じ方があ り、また目的があると思った。そして、場面、場面の使い方次第でそれも変わってくる。」 「マスコミはたくさんの人にその出来事についてわかりやすく伝えてくれる。でも、伝えられたこと全部が 正しいわけではなく、表面上のことだけ伝えてしまうこともあると思う。」 「テレビや新聞は、出来事の様子を分かりやすく伝えてはいるが、それは少なからず『加工された事実』を 伝えているのだと思った。」 「分かりやすくと正確に伝えるとでは違うことがわかった。」 資料9 ビデオの比較の感想 この子供たちは、初めてメディア・リテラシーにかかわる学習をした子供たちである。これ らを見ると、明らかに子供たちにはメディア・リテラシーを受け入れる感性が備わっている。 きちんとした学習の機会があれば、メディア・リテラシーを学ぶことのできる準備は、子供の 側にはもうできているのである。 前述したように、現在の社会はメディア社会なのだから、メディア・リテラシーを学習する 機会もたくさんある。あとは、その学習の機会を上手に子供たちの学習として成り立たせるこ とが指導者側にできるかどうかということだけである。児童生徒の質的変化から分析するとい うことを通して授業に対する評価を行うことで、より質の高い授業や教材のあり方を追求する こととともに、児童生徒により多くの機会を提供できるようにするにはどうしたらよいかとい うことを考えていくことも必要であろう。 3 カナダでの視察から 平成 14 年 10 月に、カナダのメディア・リテラシー教育を視察する機会を得た。その中から、 日本のメディア・リテラシー教育を進める上で見えてきたことを述べる。 ※視察の詳細は、静岡県メディア・リテラシー教育研究委員会の Web ページ参照 (1) 日本が追いかけなければならないこと ア Language Arts カナダでは、メディアを読み解く一つの基礎である「映像を読む」というような内容は、す でに 1970 年代に日本の国語に相当する「English Language Arts」の中に含まれており、州の 高校卒業資格試験の内容としても定着している。また、「English Language Arts」の「読む」 「書く」「話す」「聴く」という内容でも、文章そのものを「読み解く」という操作や、内容を クリティカルに吟味するという活動が多く含まれていた。 「Language」という単語を一般的には 「言語」と邦訳するが、少なくともカナダの教育の中では、音声や映像などを含め、メディア を通じて行き来するあらゆる形態の情報を扱う力を「Language Arts」として統合的に扱ってき ているのである。そして、その延長上にメディア・リテラシー教育は位置付いている。日本で は、こういった内容はしばらく扱われてこなかった。そして、最近になって、その一部を情報 教育という形で実施しようとしているが、制度としては、まだ始まったばかりである。 イ 普及啓発活動 今回の視察で訪問した学校は、教育委員会の紹介なので、メディア・リテラシー教育に熱心 な学校ばかりであった。しかし、必ずしもすべての学校が熱心に取り組んでいるわけではなさ そうである。カナダ各州のカリキュラムでは、ゴールは州が示すがそのゴールに到達するルー トは各教師が決める。その評価をするのは校長であり、校長の判断及び各教師の判断でメディ ア・リテラシー教育にどのように取り組むかが決まってくる。制度として整えてもそれがどの ように教育現場で実践されるかはまた別のことであり、実践を推進するためには、教師や校長、 そしてSchool Councilを構成する保護者も含めてメディア・リテラシー教育の大切さについて の意識を育てるということが、カナダでもまだまだ大切なことなのだろう。制度ができてしま うと日本では対応が異なると思うが、日本で大切さを訴える必要性はカナダ以上にある。 ウ 活動を支える市民団体 AML(Association for Media Literacy)という市民団体がオンタリオ州ではメディア・リテラ シー教育を大きく支えている。テキスト、ビデオ教材の作成や研修の開催にはなくてはならな い存在である。このような民間団体があるということは大変すばらしいことだが、逆に言うと AMLのサポートなしにはメディア・リテラシー教育が立ち行かなくなるということである。静岡 県では、この役割をだれが担うのだろうか。 エ 民主主義を守り、伝え、育てていく気風 カナダは、その複合的な文化形態から「文化のモザイク」と呼ばれる。カナダでは「自他の 違いを尊重する」ということがあらゆるところで浸透している社会であることを強く感じた。 そこにメディア・リテラシー教育の大きな基盤が築かれているのである。メディア・リテラシ ー教育の先には「民主主義を育てる」という大命題があるが、 「民主主義」を守り、伝え、育て ていくという気風がカナダでは感じられた。クリティカルに考えることを育てる教育 が 、 「English Language Arts」の授業ばかりでなく、いろいろなところで行われているのも、同じ 流れに位置するものであろう。こうした流れを見てみると、カナダでは、メディア・リテラシ ー教育が始まったというより、民主主義を守り、伝え、育てていこうとする下地の上に、 「English Language Arts」の教育や各教科、市民教育などがあり、それらが、メディア・リテラシーとい う共通の視点を持ったと表現するほうがふさわしい。日本ではそのような下地はとても弱い。 メディア・リテラシー教育を始めるにあたっては、学校や教師が、民主主義を支えるメディア の一つとしての立場を明らかにする覚悟を持つことが必要であろう。学校も児童生徒に情報を 伝えるメディアの一つである。メディア・リテラシーを育てるということは学校をクリティカ ルに見る眼を児童生徒に育てるということでもある。 (2) 日本でもすぐにできること アルバータ大学の Iveson 教授は、「こういう活動を組織的に立ち上げるには大変時間がかか るので、まず始めるということが大切である。」とおっしゃっておられた。実は、失礼な表現に はなるが、訪問した学校での実践内容はそれほど先進的なものではなかった。もちろん、長い 時間を経て定着しているものなので、簡単に真似できるものではないだろうが、その内容とし て扱っているものは、すでに日本でも紹介され、いくつか事例もあり、自分が授業でやること になったら、すぐにでも準備に取り掛かれるものばかりであった。むしろ、今年度から浜岡北 小学校が取り組もうとしている、ケーブルテレビを使ったメディア体験などはずっと進んだ実 践だと言えるかも知れない。そういう意味では、具体的な実践の用意はできている。 カナダでは、日本で言う「国語」の中に位置付けられての授業であったが、日本では公的な カリキュラムに位置付けられていない分だけ、扱える場面も多い。メディア・リテラシー教育 として大上段に構えるばかりでなく、社会科や芸術関連の教科そして「総合的な学習の時間」 など、メディアを活用する場面でそれに応じた指導というのもできるだろう。 そもそも、メディア・リテラシーは一つの教科に留まるような概念ではない。まず、具体的 な活動を始めて、その中から見えてくる必要なスキル、考え方を、必要な教科、場面で育てる ように拡大していくことができるのではないだろうか。まず、できることから始めて、だんだ ん活動を広げていくために必要なことは、教師、保護者、社会への啓発活動と、簡単に使える 教材の提供であろう。 Ⅵ 研究のまとめ たった1年の間であったが、各協力校・指定校にはずいぶんたくさんの実践を行っていただ いた。問題点もいろいろあるのは前項で述べたとおりであるが、実践を重ねることでその問題 点以上に各協力校・指定校での活動の質が高まっているように思う。問題を解決するために立 ち止まるということをせず、実践活動を進める中で問題を解決するような姿勢で臨みたい。そ の中で児童生徒の表れからメディアについてどのような「学び」が児童生徒に成立しているの か、また、メディア・リテラシーを身につけることでどのような「学び」が児童生徒に成立し ているのかを見極めることが求められるだろう。 来年度は、県下への提言に向けてより充実した実践の収集が求められる。メディア・リテラ シーにかかわる事象を見つけやすくする「実践のきっかけ」を提供するためには、計画段階か ら各研究指定校・協力校への支援が必要であろう。その支援内容そのものを「方策」として位 置付けられるようにしたい。一方、情報教育との関係については、すでに様々な実践の方向が 来年度の計画として各協力校・指定校からも示されているので、それらの中から新しい方策を 模索していきたい。 【参考文献等】 オンタリオ州教育省編 FCT 訳「メディア・リテラシー〜マスメディアを読み解く〜」リベルタ出版 1992 Barry Duncan 他「Mass Media and Popular Culture Ver.2」Harcourt Canada 1996 トロント市教育委員会「メディア・リテラシー授業入門」学事出版 1998 市川克美「これが 21 世紀の学力 だ〜メディアリテラシーの提言」明治図書 1999 菅谷明子「メディア・リテラシー〜世界の現場から〜(岩波新書 680) 」岩波書店 2000 藤川大祐「メディアリテラシー教育の実践事例集〜情報学習の新展開」学事出版 2000 森田英嗣編「メディア・リテラシー教育をつくる」アドバンテージサーバー2000 井上尚美/中村敦雄「メディア・リテラシーを育てる国語の授業(21 世紀型授業づくり 41)」 明治図書 2001 岡本薫「学校情報化のマネジメント」明治図書 2001 筑紫哲也「メディアの内と外 ―ジャーナリストと市民の壁を超えて(岩波ブックレット)」岩波書店 2001 「情報教育の実践と学校の情報化〜新『情報教育に関する手引』〜」文部科学省 2002 「NHK 学校放送テキスト小学校6年生」平成 14 年度1学期・2学期・3学期 猪瀬直樹「欲望のメディア(猪瀬直樹著作集7)」小学館 2002 柄本三代子「健康の語られ方」青弓社 2002 清川輝基「子どもとメディアの 新しい関係 を求めて」子どもとメディア研究会 2002 水越伸「新版デジタル・メディア社会」岩波書店 2002 山内祐平「メディア・リテラシーと民放連プロジェクトの取り組み」月間民放 2002.5 「授業づくりネットワーク」学事出版 2002.1、2002.4〜12 メディアリテラシー教育研究会 http://www.jugyo.jp/media/media.html 静岡県メディア・リテラシー教育研究委員会 メルプロジェクト http://www.shizuoka‑c.ed.jp/media/ http://mell.jp/ メディア・リテラシープロジェクト http://www.mlpj.org/ FCT 市民のメディアフォーラム NHK「体験!メディアの ABC」 オンタリオ州教育省 http://mlpj.org/fct/ http://www.nhk.or.jp/abc/ http://www.edu.gov.on.ca/eng/welcome.html トロント地区カトリック教育委員会 エドモントン地区教育委員会 西カナダ教育協定 http://www.tcdsb.org/ http://www.epsb.ca/index.shtml http://www.wcp.ca/ Association for Media Literacy Media Awareness Network http://www.aml.ca/ http://www.media‑awareness.ca/ Alberta Association for Media Awareness CHUM http://www.aama.ca/ http://www.chumlimited.com/ トロント地区教育委員会 http://www.tdsb.on.ca/ メディア指導力向上研修会 アルバータ大学教育学部 アルバータ州学習省 http://www.aml.ca/ http://www.ualberta.ca/ http://www.learning.gov.ab.ca/ 【研究組織】 メディア・リテラシー教育研究委員会研究顧問 静岡大学情報学部 助教授 堀 田 龍 也 メディア・リテラシー教育研究委員会研究協力委員 河津町立南小学校 教諭 平野昭彦 県立伊東商業高等学校 教諭 福木 浄 浜岡町立浜岡北小学校 教諭 山内憲司 県立静岡城北高等学校 教諭 増田 勇 浜北市立伎倍小学校 教諭 山下彰弘 県立掛川工業高等学校 教諭 鈴木憲明 大仁町立大仁中学校 教諭 土屋 康 県 立 沼 津 聾 学 校 教諭 山内雅之 浜岡町立浜岡中学校 教諭 森下 隆 県立中央養護学校 教諭 斉藤 浜北市立浜名中学校 教諭 鈴木 真 県立静岡南部養護学校 教諭 水口浩孝 研究担当所員 望 情報教育部長 小 栗 敬 之 情報教育研修課長 榛 葉 智 行 指導主事 唐 國 宏 章 指導主事 塩 崎 克 幸 指導主事 柴 田 昌 彦 指導主事 志茂野千香子 指導主事 飯 尾 照 彦 実習助手 清 水 佳 織
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