中国都市部における育児ネットワークと育児分担について ―上海市徐匯区の事例からー キーワード:都市部、育児支援、育児ネットワーク、育児分担、家政婦、社区 九州大学大学院人間環境学府 教育システム専攻 翁 文静 序章 第一章では、中国都市部における育児事情を理解するた 1、問題関心と目的 めの前提として必要な基本的政策、特に計画出産政策 中国都市部における育児ネットワークと育児分担の について説明した。また、育児支援制度及び法律・規定 実態を明らかにすることが本論の目的である。本論は親 の中で本論の内容に密接にかかわる最も重要な制度や条 族間の役割分担、家政婦などの外部者を含む育児ネット 例・規定をまとめた。さらに、本調査の調査対象である ワークの形成、 社区¹などの有料サービスの利用などの実 上海市在住の保護者や家政婦らの構成に深く関わる戸籍 氏 名 制度について説明した。 態を把握することを試みた。 2、先行研究 計画出産政策にいて、成立の背景と変化及び 4 つの問 育児ネットワーク、育児支援・分担の実態に関する先 題点(高齢化、男女比のアンバランス、「黒孩子」²、過 行研究を整理した結果、中国都市部において、親族によ 保護)について説明を行った。出産・育児支援制度を主 る子育て支援は未だに機能していること、父親が積極的 に「出産休暇・産前産後の休暇規定」及び「都市部にお に子育てに関わることと、家事や育児に家政婦を活用す ける出産育児保険」を分け、それぞれまとめた。戸籍制 ること、大きな親族ネットワークの中で子どもは育って 度については、中国及び上海市の戸籍制度の背景、成立 おり、親族ネットワークの中には、親も埋め込まれてい のプロセス、緩和などをまとめた。 ることが確認された。 しかし、両親を含め親族間の具体的な役割分担につい 子どもの育児をめぐって、様々な個人や団体が子ども のケアワークを提供して、 その育ちをサポートしており、 ての研究は殆ど行われていない。また、家事・育児の担 そのうち重要な役割を果たしているカテゴリーとして、 い手としての家政婦の利用実態についての研究は尐ない。 親族ネットワーク(母親、父親、親族) 、家事労働者、施 さらに、都市部における育児支援の新しい動向、例えば 設(主に社区の早期教育センター)を取り上げ、それぞ 社区による育児支援などについて言及されていない。そ れ以下の第 2 章、第 3 章、第 4 章に分けてまとめた。 こで、本論では、まず、両親、親族を含み、家庭におい て、誰がどのように家事や育児を担っているか、それを 可能にする条件や背景はどのようなものなのかを明らか 第二章 親族ネットワークによる育児支援 にした。また、都市部における最新の育児支援の動向、 第二章では、第一節で、乳幼児を持つ保護者の語りか 特に家政婦の雇用や社区の支援などについて考察した。 ら、 祖父母を含む親族の役割及びそれを可能とする条件、 3、調査の方法と概要 とりわけ居住関係について考える。第二節、第三節で、 方法:施設(A 病院及び社区の早期教育センター)に通 乳幼児を持つ母親及び父親の役割についてそれぞれ検討 う親子の観察及び 0-3 歳児を持つ保護者や施設 の職員に対するインタビュー調査を行った。 した。 第一節では、祖父母(親族)による育児支援の特徴は 調査地域・機関:上海市徐匯区徐家匯(シージャーホゥエ 第 1 に、親族たちが協力して積極的に子育てに関わって イ)街道において、2008 年 8 月 31 日~9 月 22 日 いることである。第 2 に、育児に関しては父方・母方両 及び 2009 年 9 月 30 日~12 月 13 日に調査を行っ 方の親族が参加していることである。第 3 に、三世帯が た。 同居、または近居している割合が高いことである。興味 深いのが外地人らは不利な住居条件を克服し、「住み込 み同居」という形をとることで、親族ネットワークをフ 第一章 中国都市部における育児支援の背景 ル活用していることである。 第二節では、自由業、専業主婦、正規雇用、それぞれ は「育児の援助」というレベルにも達していないとも言 の就業形態に従事する母親の子育てを考察した。自由職 えよう。むしろ多忙な父親は子どもの遊び相手と位置付 の母親の場合、24 時間住み込みの家政婦に子どもの日常 けられているのかもしれない。 の世話を任せ、自ら子どもの知育・教育などの世話をす る様子が見られた。そして、専業主婦の母親では時給制 の家政婦、親族ネットワークなど可能な育児ネットワー 第三章 家政婦の利用 クを柔軟に活用するとともに、子どもの知育・教育など 第三章では、まず、家政婦業の発展の背景や概念など の世話を重視する様子が伺えた。また、多くの正規雇用 について概観し、そして、子育てに関わる家政婦の利用 の母親が忙しいにも関わらず、直接あるいは間接的に子 実態について考察したい。 どもの知育・教育などの世話をしていることも明らかに 本章の第一節では、まず家政婦の定義を以下の通り説 した。母親の知育・教育の項目別で見てみると、 「勉強を 明した。 「家政服務員(家政婦)国家職業標準」によると、 教える」母親が最も多く、知育・教育の内容は主に、 「絵 家政婦とは顧客の要望に従い、各家庭において家事全般 本の読み聞かせ」 、 「英語を含めた文字教育」 、 「音楽」な を担当し、児童、老人、病院の世話をし、家庭の様々な どである。また、活字メディアや映像メディアのほか、 事務に携わる人員である。そして、家政婦業の誕生・発 知育玩具や教育材料など(図 1、2 参照)も母親が教育・ 展の背景は「1、格差による家政婦業の誕生・発展 2、家 知育を行う重要な教材の一つになっているもわかった。 庭構造の変化による家政婦の需要 3、共働き及び多忙に ここで注意すべきなのは、 これらの教育材料の内容は 「生 よる家政婦業の需要」であるとまとめた。また、家政婦 活習慣・社会的マナーの養成」以外に、中国小学校の関 業の問題を、1 家政婦業を管理する専門の政府部門は現 連学科(国語・算数)の指導要綱を参考にした学習内容 時点ではまだ存在していないこと、2、家政婦が社会保険 もあることである。 特に哈哈故事大王児童早期教育機 (パ 制度に加入することができない上で、出勤時間、給料の ソコン学習機及びソフト)の場合、「識字」、「英会話」、 基準、休息・休暇、社会保障などに関する法律規定もな 「音楽」はもちろん、 「拼音(中国語の発音記号) 」 、 「単 く、労災事故の際にも法律に規定された労災に当たらな 語・フレーズ」 、 「算数」 、 「詩」 、 「科学」 、 「地理」などの いこと、3、過労状態の家政婦の増加、にまとめた。 内容も多く含まれる。筆者は中国都市部の家庭で行われ 第二節では子育てに関する家政婦を「一般家事労働 るこのような教育を「家庭教育の幼児園化傾向」もしく 者」 、 「月嫂 yue sao」、「育児嫂 yue er sao」、「育嬰師 は「家庭教育の小学校傾向」と名づけたい。 yu ying shi」と「家事・育児全般担当する家政婦」と分類 図 1 こどもちゃれんじ 図 2 早期教育機 した上で、本調査における家政婦の利用の特徴について まとめた(表 1 参照) 。 表 1 家政婦の種類 種類 仕事内容 給料 一般家事 労働者 主に家事を担 当する家政婦 7 元 ~ なし 15 元 (1H か ら) 家事・育児 全般担当 する家政 婦 大人も子ども も世話をし、家 事・育児全般を する家政婦 相 談 に なし よる 月嫂 出産後の一か 月に母子の世 話をする専門 の家政婦 3000~ 各会社の基準 5000 元 に従い、初級、 (月給) 中級、高級の 三レベル 第三節では父親たちの育児参加の仕方は大きく 3 種類 にわけ 1、家事や育児全般に積極的に関わるタイプ(2 人) 、2、ある程度関わるタイプ(4 人) 、3、子育てに関 わらないタイプ(9 人)とし、それぞれの父親に対する 他の親族からの認識、評価についても言及した。その結 果、父親の育児参加の仕方によって、親族たちによる父 親への異なる要望は見られなかった。 全体を見てみると、 父親の育児参加に対する要望は二通りある。12 人のイン フォーマントが「父親の育児参加に対する要望はない」 と答え、3 人だけが「子どもと遊んでほしい」と希望し た。男性の家事能力が高く、父親が母親と対等に近いケ ア役割を果たしている父親の姿は見られず、父親の役割 資格 育児嫂 育嬰師 尐し大きくな った子どもの 世話をする家 政婦 同上 0-3 歳の子ど もおよびその 母親の教育に 当たる専門職 3400~ 8000 元 同上 の通りである。 「金芒果」 は乳幼児の早期教育を行う個人 経営の会社であり、病院部と社区部に分かれる。病院部 では 3 カ月~1 歳児及びその保護者らを対象とする早期 教育授業を設け、 赤ちゃんの月齢に合わせた発達支援 (運 国家資格(初 級、中級、高 級) 上海市徐匯区徐家匯(シージャーホゥエイ)街道の育児期 にある家庭では、柔軟に一般家事労働と子育てに関わる 家政婦を利用している。その 2 種類の家政婦は雇い主と の関係も異なるように見える。一般家事労働と雇い主の 関係は単純雇用関係であるのに対して、子育てに関わる 家政婦は子どもへの世話の提供者として重要な役割を果 たし、中には、家族の一員と見なされている家政婦もい る。 第三章の最後に、家政婦へのインタビュー及び観察デ ータを用いて、家政婦自身の事情や仕事に関する悩みに ついて見てみた。 家政婦の間に以下の共通点が見られた。 まず彼女らは正規雇用の仕事に就けない事情があるため、 直接あるいは間接的に経済的な理由でやむなく家政婦に なっている。また子ども思いである。 動、言語、五感などの発達を含む)や健康指導を行う。 (授業の流れ:出席を取り―人形を使い、保護者たちに 「赤ちゃん体操」を教え―視力カードで赤ちゃんの視力 を鍛え―「動作訓練」を行い―「声や音に従い頭を動か す訓練」-リズム感覚を養うため、音楽に合わせ踊らせ た。 ) 一方、社区の施設(社区部)では 1-3 歳児及びその 保護者らを対象とし、乳幼児の発達支援及びよい生活や 習慣の養成を目的とした早期教育授業を行う(授業の流 れ: 「Say Hello」を参加者に聞かせ、あいさつを交わし ―会話能力を向上させるため、マイクで子どもに自分の 名前などを言わせ―「食べ物や果物を分かち合う訓練」 -乳幼児体操-「安静ゲーム」 、音楽を聞かせ、乳幼児を 落ち着かせた) 。 第三節では、金芒果における早期教育について説明し、 その利用者にとって金芒果の果たす役割及び課題につい て考察を行った。まず、金芒果における早期教育の特徴 は、早期からの潜在能力開発をうたって子どもに意図的 に働きかけ、幼尐期のうちからできる限り高度な成果を 第四章 社区における育児支援 第四章の第一節ではまず、「社区」「早期教育」³など の概念を説明し、そして社区に依拠する早期教育サービ スネットワークの背景を①0-3 歳児の保育・教育を受け る場としての社区、②祖父母が孫の面倒を見ることがで きない親たちへの支援としての社区、③先進国の影響、 にまとめた。 第二節では社区の責任者及び早期教育センターの教 師へのインタビューや早期教育センターの授業の観察を 通して、徐匯区の徐家匯街道における育児支援実態を明 らかにした。 徐匯区の徐家匯街道における育児支援を 「徐 家匯人口・計画出産事務室(以下事務室と書く)の主催 する育児支援」と「事務室と金芒果幼児成長機構(以下 金芒果と書く)の共同育児支援」に分け、それぞれ紹介 した。まず、 「事務室の主催する育児支援」は 1、幼児園 と連携する育児支援(「親子教育基地」⁴ の成立など)、 2、A 婦人科病院の資源を利用した育児支援(母嬰健康 サロンなど)、3、居民委員会及び社区衛生サービスセン ターと連携する育児支援(室外親子活動⁵ など)などに 分けそれぞれ説明を行った。そして、「事務室と金芒果 (金色のマンゴー)の共同育児支援」に関しては、以下 上げさせようとする「科学的な」早期教育であり、幼児 園と異なり、自由な雰囲気の中で、保護者とのコミュニ ケーションを重視しながら、親子に対する「良い生活習 慣や性格の養成」を目的とする早期教育である。 そして、金芒果幼児成長機構の役割は主に以下の 2 点 である。 ①子ども同士の交流及び遊びの場としての金芒果 中国では 3 歳以下の子どもは普段行く場所がなく、子 ども同士の遊ぶ場所も極めて尐ない。そのため、交流・ 遊びの場としての早期教育センターが出現した。その背 景には一人っ子政策の実行及び 0-3 歳の子どもを扱う 施設の欠如などがあると思われる。 ②家庭内教育の一環としての金芒果幼児成長機構 金芒果幼児成長機構での活動・学習は、参加者の各家 庭までに延長され、大人が子どもに対する行う家庭内教 育の一つの内容にもなっている。 また、金芒果の課題について、「親の育児への主体的 関わりの欠如」及び「経費不足」などが指摘されている。 本調査において、保護者たちは自ら何かを企画したりす ることなく、社区や街道(政府)に管理され、社区や街 道の活動を待ち、参加するという受け身的な存在である ことも伺われた。 「経費不足」とは、例えば、資金不足に よる設備の欠如、教師の専門知識の問題に加え、子ども 都市社区の建設を推進することに関する意見」2000 年 が自由に遊ぶスペースが確保できないなどである。 11 月より) 。 2、「黒孩子」(ヘイハイズ)とは計画外の出産人口で、 戸籍に登録されない子どもを指す。 終章 終章では中国都市部における育児ネットワークと育 3、中国での「早期教育」とは、社会全体が取り組む「資 質教育」のなかの、 「最も初期段階の教育」という位 児分担の特徴、問題点および今後の課題につて考えてみ 置づけである。日本で「早期教育」というときの「通 た。中国都市部における育児ネットワークと育児分担の 常の教育よりも早め早めに先取りして行う教育」 (よ 特徴は、主に 1、近居・同居に基づく親族による協力的 りふさわしい中国語に「超前教育」がある)という意 子育ての実現、2、父親の育児不参加、3、家政婦の積極 味合いではなく、あくまでも「早期からの教育を」と 的活用、4、祖父母、親(主に母親) 、家政婦による育児 いうことである。 ネットワークの形成、5、育児における分業(日常世話 の親族・家政婦、知育・教育する母親、仕事をする父親) 、 6、社区(金芒果)の役割である。 また、中国都市部における育児ネットワークと育児分 4、某幼児園が優良な資源(教師と施設)を活用し、定期 的に講座を開き、授業参観や親子活動を行う。 5、 0 歳から 3 歳未満までの子どもとその両親・祖父母が、 週末や週日の開催日に幼児園あるいは地域のセンタ 担の問題点を「隔代教育⁶ への懸念」及び「高騰した育 ーに集まって、専門家からの健康指導、育児指導を受 児費用」に分けそれぞれ見てみた。 けたり、親子で自由に遊んだり、一緒にさまざまな活 最後に、今後の課題を述べた。本研究のフィールド― 徐匯区の徐家匯街道は比較的に裕福な地域であるため、 家事・育児を担う家政婦の利用率が高く、育児費用の問 動を行うものである。 6、隔代教育とは祖父母が孫と一緒に生活し、孫の教育に 対して、一定あるいは主要な責任を果たすことである。 題はあまり見られない。しかし、上海市内の一般的な地 域、あるいは比較的な貧しい地域における育児ネットワ 参考文献 ークと育児分担の実態、特徴は徐家匯街道とは異なると ・荒井良雄 2008『中国都市の生活空間―社会構造・ジ 考えられる。一般地域・貧しい地域でも家事・育児を分 担する家政婦はよく利用されているのか。子どもの養 育・教育費用への負担、悩みなどはないのか。上海市の 異なる地域における育児ネットワークと育児分担の実態 の違いが見られるならば、その背景は何だろうか。それ らの疑問を検証するのは今後の課題である。 また、本調査は徐家匯街道の早期教育センターおよび ェンダー・高齢者』ナカニシヤ出版 ・落合恵美子/山根真里/宮坂靖子 編 2007『アジアの 家族とジェンダー』勁草書房 ・黄姗、陈小萍 2007 「隔代教育研究综述」 普教研究 MODERN EDUCATION SCIENCE 2007 年第 2 期 ・王峥2005「上海以社区为基础的 0— 3 岁儿童服务机构的运行 走向研究 」网络出版投稿人 华东师范大学 A 病院に通う保護者らにインタビュー、観察を行ったも ・小林文人、末本誠、呉遵民 2003『当代社区教育新視 のであるため、これらの施設を利用していない同街道に 野―社区教育理論与実践的国際比較』 上海世紀出版 住む 0-3 歳児を持つ家庭での育児実態を明らかにして 集団・上海教育出版社 いない。 その場合、 「自宅育児」 、 「私立早期教育センター ・鄭楊 2003「中国都市部の親族ネットワークと国家政策 に通う」 、 「早めに幼児園などに入園する」などの可能性 ―3 都市における育児の実態調査から―」家族社会学 が考えられる。それぞれの育児実態、特徴はどのような 研究』14(2) :88-98 日本家族社会学会 ものであるか。社区の早期教育センターおよび A 病院を ・ベネッセコーポレーション 2006『幼児の生活アンケー 利用しない理由とは何か。社区の早期教育センター、私 ト報告書・東アジア 5 都市調査―幼児をもつ保護者を 立の早期教育センターおよび幼児園で行う早期教育の違 対象に』 (株)ベネッセコーポレーション いは何か。こうした検討事項も今後の課題として残され ている。 ・徐安琪・張亮 2008「父親参与:社会態度、個体経験和 実際貢献」『性別与家庭調研報告』上海社会科学院出 版社:37-58 注 1、社区とは、一定の地域範囲内に居住している人々によ って結成される社会共同体である( 「民政部が全国で
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