冷戦後のアメリカ対外政策とウィルソン主義 -民主・共和両党に貫かれる

冷戦後のアメリカ対外政策と
ウィルソン主義
-民主・共和両党に貫かれる外交理念-
教養学部
現代社会専修 国際関係論専攻
05LL103
(論文指導
高尾
碧
草 野 大 希)
冷戦後のアメリカ対外政策とウィルソン主義
5
【要 旨】
近年、アメリカのブッシュ(子)政権は、2001 年のテロ事件以降、アフガニスタンやイ
ラクに対して軍事攻撃を行ってきた。とくにイラク戦争では、イラクにある大量破壊兵器の廃
棄とイラク国民の弾圧を行うフセインを追放して「民主化」をはかるという目的のもと戦争を
開始している。
こうした武力行使を伴ってまで「民主化」という他国の政治体制の変革をめざすアメリカの
姿勢と、なぜアメリカはこれほどまでに他国の民主主義に拘るのか。その背景や要因を冷戦後
のクリントン政権とブッシュ政権期の事例を対象に、探るのが本論文の目的である。そして、
それを行う上で重要になるのが「ウィルソン主義(Wilsonianism)」である。
「民主化」と「国際協調主義」を兼ね備えているものをウィルソン主義と定義したとき、ク
リントン政権の政策には「民主化」と、完全ではないが「国際協調主義」(例えば、コソボ紛
争では安保理決議なしに行動したものの NATO 内での協調を達成した)を重視する側面が強
い。他方、G・W・ブッシュ政権には「国際協調主義」には疑問があるが(イラク戦争におけ
る単独行動など)、
「民主化」を追求するという点でウィルソン主義の要素を含む。このように
考えると、冷戦後のアメリカ外交で、ウィルソン主義の理念に近いのはブッシュよりもクリン
トン外交ということになろう。
しかし、ウィルソンはこの通説的ウィルソン主義(「民主化」と「国際協調主義」を進める
ことにより国際秩序構築を目指す)を常に実践していたわけではない。ウィルソン政権は「民
主化」は行うものの、他国との関与の仕方は第一次世界大戦参戦時のような「国際協調主義」
だけでなく、メキシコ介入にみられる「単独行動主義」をとることがあった。この点を考慮す
ると、ウィルソン主義には「民主化」に加え、「国際協調主義」と「単独行動主義」の二面性
が内包されており、その二面性を伴ったウィルソン主義が冷戦後のアメリカの対外政策にまで
影響を与え続けていると解釈できるのではないか。
ウィルソン主義の理念である「民主化」を大義とした対外行動はクリントン・ブッシュ政権
両者において、共通して見受けられる。また、冷戦後のアメリカ外交には、ウィルソンの対外
関与における二面性「国際協調主義」と「単独行動主義」が存在している。クリントン政権に
おいては、国際協調主義が強調されており、他方ブッシュ政権では単独行動主義が顕著であり、
二面性の内の一方がより強く顕在化したものとして理解できる。すなわち、ウィルソン主義の
「民主化」、そして「国際協調主義」・「単独行動主義」の二面性は、冷戦後アメリカの対外政
策に至るまで影響を与えており、今日まで受け継がれているといえるというのが本論文の主張
である。
国
6
際
目
政
治
次
はじめに............................................................................................................. 8
第1章
アメリカとウィルソン主義 ............................................................... 10
第1節
ウィルソン主義とは何か ............................................................................. 10
第2節
アメリカ民主主義の歴史.............................................................................. 13
第3節
アメリカ対外政策と民主主義 ...................................................................... 14
第 1 項 アメリカ対外政策の類型........................................................................................ 14
第 2 項 政党と対外政策の関係 ........................................................................................... 15
第 3 項 国外における民主主義推進 .................................................................................... 16
第2章
クリントン政権の対外政策................................................................ 17
第1節
民主党の対外政策 ........................................................................................ 17
第2節
クリントン政権の対外政策 .......................................................................... 17
第3節
クリントン政権の国際問題への対応 ........................................................... 20
第 1 項 ソマリア紛争 .......................................................................................................... 20
第 2 項 ボスニア紛争 .......................................................................................................... 21
第 3 項 コソボ紛争.............................................................................................................. 22
第4節
第3章
クリントン政権におけるウィルソン主義 .................................................... 22
G・W・ブッシュ政権の対外政策..................................................... 24
第1節
G・H・ブッシュ政権の対外政策 ............................................................... 24
第2節
G・W・ブッシュ政権の対外政策 ............................................................... 24
第1項 G・W・ブッシュ政権とネオコン.......................................................................... 24
第 2 項 9.11 テロ事件の衝撃............................................................................................... 25
第 3 項 単独行動主義とブッシュ・ドクトリン .................................................................. 26
第3節
ブッシュ政権の紛争への対応 ...................................................................... 28
第 1 項 アフガニスタン戦争 ............................................................................................... 28
冷戦後のアメリカ対外政策とウィルソン主義
7
第 2 項 イラク戦争 ............................................................................................................. 28
第4節
結
ブッシュ政権におけるウィルソン主義 ........................................................29
論 .............................................................................................................. 31
参考文献・資料 ................................................................................................ 34
<英語文献> ..............................................................................................................34
<邦語文献> ..............................................................................................................34
<インターネット資料> ............................................................................................35
国
8
際
政
治
はじめに
近年、とりわけ 2001 年 9 月 11 日の世界貿易センタービルなどへの同時多発テロ以降、アメ
リカのブッシュ(子)政権はアフガニスタンやイラクに対して、国連の安全保障理事会やNA
TOなどの国際組織を通じた制裁ではなく、自衛権の行使として軍事攻撃を行ってきた。また
ブッシュ政権は、イラン・イラク・北朝鮮を「悪の枢軸」と名指しで非難し、京都議定書の批
准を拒否するなど、複数の諸国が利害の調整を行うことで積み重ねられてきた冷戦後の国際関
係の多国間協調の流れに反し単独行動主義を強めている。このように、一見すると、近年のア
メリカは自国の国益の追求本位でなりふりかまわず行動しているようにみえる。
しかし、イラク戦争では、石油などのエネルギー資源といったアメリカの国益が背景にある
ことも指摘されてはいるが、イラクにある大量破壊兵器の廃棄とイラク国民の弾圧を行うフセ
インを追放して民主化をはかるという目的のもと戦争を開始している。もともと、イラクの大
量破壊兵器の廃棄は、国連安全保障理事会が求めていたことでもある。結果的にイラクには大
量破壊兵器は存在しなかったが、大量破壊兵器の拡散防止それ自体は今日の国際社会全体の利
益になっている。また、イラク国民を独裁者の圧政から解放し、自由と民主主義をイラクの人々
が享受するという目的は、イラクの人々の利益を完全に踏みにじるものではないだろう。こう
した点に着目すると、イラク戦争は純粋にアメリカの国家利益だけを追求した戦争とも言い切
れない複雑な側面があると思われるのである。
とくに本論文が対象としたいのは、武力行使を伴ってまで民主化という他国の政治体制の変
革をめざすアメリカの姿勢である。後述するように、この姿勢は現在のブッシュ政権にだけ限
られるものではなかった。その前任者であるクリントン政権も民主主義の実現を目的とした武
力介入(人道的介入)を行っているのである。なぜアメリカはこれほどまでに他国の民主主義
に拘るのか。その背景には一体どんな要因が存在しているのか。その要因を探るのが本論文の
主目的である。
それを行う上で重要になるのが「ウィルソン主義」である。自由と民主主義という理念のも
とヨーロッパからの独立をはたしたアメリカ合衆国は、他国に対しても民主主義を推進し、民
主主義と自由の供給者として世界秩序のルールや規範の形成に大きな影響力を発揮してきた。
とりわけ、国際連盟の創設への貢献で有名な、民主党のウッドロー・ウィルソン大統領による
民主主義の推進は「民族自決」の概念を広め、その後の世界に大きな影響を与えた。ウィルソ
ン大統領は、立憲民主制の国家同士は互いの正統性を認識し、集団安全保障や自由な経済交流
を通じて平和を維持するという理念に基づき世界の民主化を推進した。このウィルソン外交の
特徴から、対外政策において民主主義の拡大を推進し、国際協調主義に則る外交理念をウィル
ソン主義(Wilsonianism)と呼ぶようになった。
アメリカの民主・共和両党のうち、ウィルソン主義を体現しているのは民主党であるとの認
識が一般的には強いであろう。ウィルソン自身が民主党の大統領であったこともあり、民主党
冷戦後のアメリカ対外政策とウィルソン主義
9
は国際組織を重視した国際主義 1・国際協調主義を外交の柱とする、現代におけるウィルソン
主義の「正当な継承者」とのイメージがある。他方、共和党の対外政策は民主党とは対照的に
単独行動・一国主義的だとみなされており、国際協調を重んじるウィルソンの考えとは距離が
あるといわれている。しかし、実際にはどうか。確かに、国際協調主義の重視という点では、
民主・共和両党の対外政策には違いがある。しかし、少なくとも、ウィルソン主義の核心であ
る民主主義の「輸出」を推進するという点で両者は共通しているように思われる。
「民主化」と「国際協調主義」を兼ね備えているものをウィルソン主義と定義したとき、
冷戦後のアメリカ対外政策は次のように性格づけられるであろう。クリントン政権の政策には
「民主化」と、完全ではないが「国際協調主義」(例えば、コソボ紛争では安保理決議なしに
行動したものの NATO 内での協調を達成した)を重視する側面が強い。他方、G・W・ブッ
シュ政権には「国際協調主義」には疑問があるが(イラク戦争における単独行動など)、
「民主
化」を追求するという点でウィルソン主義の要素を含む。このように考えると、冷戦後のアメ
リカ外交で、ウィルソン主義の理念に近いのはブッシュよりもクリントン外交ということにな
ろう。
ただし、本論文の主張は、もう少し複雑である。本論文は、しばしばウィルソン主義の定義
に含まれる「国際協調主義」を、ウィルソン自身が常に実践していたわけではなかったという
事実に着目するからである。つまり、ウィルソン自身が行ったメキシコ介入や第一次世界大戦、
すなわち民主主義のための武力行使は、完全に国際協調主義に則ったわけではなかったのであ
る。その意味で、民主化を推進する際に見られる強引さ(単独的)は、冷戦後のブッシュ政権
のみならず、ウィルソン自身にも見出されるのである。この点を考慮すると、ウィルソン主義
には「民主化」に加え、「国際協調主義」と「単独行動主義」の二面性が内包されており、そ
の二面性を伴ったウィルソン主義が冷戦後のアメリカの対外政策にまで影響を与え続けてい
ると解釈できるのではないか。クリントン政権とブッシュ政権の対外政策の相違は、この二面
性の一方が顕在化したどうかに求められ、それらはいずれもウィルソン外交に含まれていたも
のではないか。これが本論文の主張である。
論文の構成は次の通りである。第 1 章「アメリカとウィルソン主義」では、ウィルソン主義
の定義やウィルソン主義の背後にあるアメリカ民主主義の歴史を考察する。第 2 章「クリント
ン政権の対外政策」、第 3 章「G・W・ブッシュ政権の対外政策」では事例分析を行い、冷戦
後のアメリカの対外政策に具体的にどのようにウィルソン主義が影響しているのかを解明す
る。冷戦後に頻発した所謂「地域・民族紛争」にクリントン政権はどのように関与したのか、
9・11同時多発テロを受けたブッシュ政権はアフガニスタンやイラクにどのような論理で攻
撃を行ったのか、またそれらに貫かれるウィルソン主義の理念はどのようなものかに着目した
い。
本論文における国際主義とは、第 1 章 3 節1項における多角主義(多国間主義)に基づく国際主
義のことを指す。
1
国
10
第1章
第1節
際
政
治
アメリカとウィルソン主義
ウィルソン主義とは何か
ウィルソン主義(Wilsonianism)とは、立憲民主制の国家同士は互いの正統性を認識し、民
主制度を国際社会に広めることで、集団安全保障や自由な経済交流を通じて平和を達成できる
とした、アメリカ合衆国の第 28 代大統領ウィルソン(Thomas Woodrow Wilson)の外交政策
上の理念である。
政治学者であり、民主党員であるウィルソンは、国家の政治体制が戦争か平和かという選択
に決定的であり、独裁国家や軍事国家は戦争をもたらし、民主国家は平和をもたらすと考えた。
アメリカが、それ以前の中立を破り、第一次世界大戦に参戦した際には、「民主主義のために
世界を平和にする必要がある」と表明し、参戦を正当化した。ウィルソンは、民主国家からな
る社会には平和な秩序がつくられると考え、自由貿易の促進と社会経済の変革が国家にポジテ
ィブな影響を与え、平和的なルールに基づく国家間関係や、国家の繁栄を促進する。また、国
際法と協調からなる国家に国際組織は平和を促進し、国際社会の組織を強固にし、国家の近代
化・市民化をもたらすとし「民主化」や「国際協調」によって国際社会に新たな秩序を構築し
ようと試みたのである。
ウィルソン主義はウィルソンによって新たに提唱されたものというよりはむしろ、従来から
のアメリカ外交の伝統に基づくものである。民族自決を強調した点から、
「モンロー主義 2のグ
ローバル化」とウィルソン自身が語っている。また、ウィルソンは自由民主主義的政府を世界
に普及させることが、アメリカの安全保障上の利益を担保すると考えた 3。民主主義の促進は、
現代に至るまでアメリカ対外政策上の目標である。
このように、自由で公平な国際経済体制、民主主義、民族自決、平和のための国際組織創設
など、アメリカの価値観や原則に基づき、新たな国際秩序構築にアメリカが積極的に関与すべ
きと考えた。このウィルソン主義は「(リベラル的)国際主義」ともよばれる 4。アメリカの外
交において、孤立主義と並び伝統の1つである 5。
このウィルソン主義が、国際政治の舞台において一目置かれるようになったのは、第一次世
界大戦前後である。ウィルソンは参戦の目的を、「世界を民主主義にとって安全な場所にする
ため」だと国民に説明し、アメリカの「使命」の強調や様々な理想的目標を掲げたため、「使
モンロー主義とは、1823 年にモンロー大統領が宣言した外交原則のことで、西半球における植民
地化の禁止や欧州諸国による西半球への不介入など、合衆国のみならずアメリカ大陸をヨーロッパ
から隔離し、相互不干渉を唱えた。松田武『現代アメリカの外交~歴史的展開と地域との諸関係~』
(ミネルヴァ書房、2005 年)、45 頁。
3 Tony Smith, “Wilsonianism,” in Alexander DeConde, et al., eds., Encyclopedia of American
Foreign Policy, Vol.3 (Charles Scribner’s Sons,2002), pp.617-20
4 Tony Smith, America’s Mission The United States and the Worldwide Struggle for Democracy
in the Twentieth Century (Princeton University Press, 1994), p.85.
5 孤立主義については本論文の第 1 章 3 節 1 項を参照のこと。
2
冷戦後のアメリカ対外政策とウィルソン主義
11
命感外交」や「理想主義外交」と呼ばれた 6。
ウィルソンは、
「政府の有する正当な権力はすべて被治者の同意に由来する」という原則と、
自由主義・民主主義的な世界秩序の形成を接合させた外交方針 7を示した。1918 年の一般教書
演説では、第一次世界大戦の戦後処理と戦後世界の構築に関した 14 か条原則を提示し、自由
で公平な国際経済体制、民主主義、民族自決、平和のための国際組織の創設などを主張した。
そこでは、民族自決の権利や政治的独立との版図の統一を相互に保障することを目的とする規
約と、それに基づく諸国民の一般的連合を形成することの重要性が強調された。そして、アメ
リカの外交目標は、自決や自由の拡大とアメリカを中心とする自由主義的で民主主義的な国際
秩序の形成とにあるというウィルソン外交コンセンサスなるものが形成された 8。
しかし、ここでの「民主主義」は欧米の文化的・歴史的経験を反映した特殊な民主主義でも
ある点には注意が必要である。欧米人が自明のものとしている自由主義的な立場からの民主主
義の理解は普遍的なものとは限らないからである。また、アメリカの民主主義には「国民民主
制」という「国境」があるとの見方もある。アメリカは「主権」の絶対性への信念は現在にお
いても強固なものであり、国連などの国際機関でアメリカの意思が通らないと、しばしば分担
金の支払いを拒否し、「単独行動」に走るのはそのためである 9。
「民主主義」という概念は、一般的にトニー・スミスの以下の定義のように「普通選挙権に
基づいて自由に組織された複数の政党が、政治的権力の実効中心の支配権をめぐって争う自由
選挙を行う形態」と定義されることが多い。つまり、民主主義とは、各国の国内政治を構成す
る原則や制度のことであり、国際関係とは関わりがないはずである。しかし、ウィルソンには
こうした個人と国内の諸関係と国家間関係を支配すべき道義は共通であるとの認識があった。
ウィルソンは、国内ばかりでなく対外政策でも自決の原則を掲げることに違和感を覚えなかっ
た。これはアメリカが、「『被治者の同意による政府』を理念として掲げ誕生した国家であり、
またこのことが道義的に正しいとすれば、アメリカは他国にも同じ原則を求めなければならず、
自決権によって人々は民主主義を選び、アメリカを模範とした政治体制を作ろうとするだろう。
アメリカ自身にとってよい原則を他国にも適用させることになれば、最終的にはアメリカに友
好的な国家が誕生するはずである」と考えていたためであり、ウィルソンの外交は以上のよう
な論理に基づいて展開された 10。
また、ヘンリー・キッシンジャーが『外交』で行なったウィルソン主義の分析によれば、
「人間は本質的に平等であり、世界は根本的には協調的であるというアメリカ人に信念がウ
ィルソンの世界秩序構想の基礎にあった。そこから民主主義国は、その定義上平和的であり、
(民族)自決を認められた人々は戦争に訴える必要も、他の人々を抑圧する必要もなくなる、
6
久保文明・砂田一郎・松岡泰・森脇俊雅『アメリカ政治』
(有斐閣、2006 年)
、265 頁。
西崎文子「アメリカ『国際主義』の系譜――ウィルソン外交の遺産――」
『思想』945 号(2003 年)、
173 頁。
7
8
同論文、184 頁。
9
油井大三郎『好戦の共和国アメリカ~戦争の記憶をたどる~』(岩波新書、2008 年)、244-8 頁。
西崎、前掲論文、174 頁。
10
12
国
際
政
治
という考え方が導かれた。……アメリカの視点から見れば、戦争をつくるのは民族自決ではな
く、その欠如であった。力の均衡が失われたから戦争が起こるのではなく、力の均衡が戦争を
つくるのであった」 11。
藤原も示しているように 12、国際関係を力と力の関係ではなく理念を実現すべき空間として
とらえるウィルソン流のアメリカ外交の伝統は今なお続いており、冷戦が終結した後に行われ
た介入は、湾岸戦争、ユーゴ内戦への介入、ソマリア紛争への介入など人権と民主主義の尊重
という理念によって正当化されている。
このように、ウィルソン主義の中核にあるのは、民主化や国際協調を通じた秩序構築を目指
す外交理念である。だが、ウィルソンの行った外交政策は、常に一貫して行われていたわけで
はない。とくに、民主化は常に国際協調によって追求されたわけではなかった。
民主化をめざすウィルソンの外交としては、次の例が挙げられる。まず、民主制を共和制、
すなわち反王制と等価と考える観点から、清を倒した中華民国や、ロマノフ王朝を倒したロシ
アに対しては、他の国に先立ってこれを承認している。これとは逆に、ロシア臨時政権を倒し
樹立されたソヴィエト政権やメキシコ自由主義政権を倒した軍事政権に対しては敵対した。ロ
シアに対しては、第一次大戦の連合国の一員として英仏日などとともにシベリア出兵を行い革
命に干渉した。またメキシコでは、「非民主的」なウエルタ政権をアメリカは軍事介入によっ
て打倒した 13。とりわけ、アメリカが自らの「勢力圏」と考える中南米国家メキシコへの介入
では、事後的に一部のラテンアメリカ諸国を関与させるという国際協調主義への配慮が見られ
たが、政権打倒のための軍事力行使はあくまでもアメリカによって一方的、単独的に行なわれ
た。アメリカが介入したことは、(被介入国の)国民自らが自治をおこなう民主的自治の原則
を逸脱しているはずである。実際、介入されたメキシコでは激しい反米運動が起こった。だが、
アメリカは、自らの手で民主化を行えないメキシコの人々に代わってアメリカが民主化を行っ
たと考えられ原則違反とはみなさなかったのである 14。ウィルソンは、ウエルタ政権の承認を
拒否した後、「わたしが、善良な人物を選ぶ方法を南アメリカ共和国に教えてあげよう」と語
ったが 15、そこにはウィルソンの単独主義あるいは権威主義的傾向がはっきりと看取されるの
Henry Kissinger, Diplomacy (Simon & Schuster, 1994), pp.52-53.
藤原帰一『デモクラシーの帝国―アメリカ・戦争・現代世界―』
(岩波書店、2002 年)、42 頁。
13 メキシコでは、1910 年に開始されたメキシコ革命によってディアス独裁政権が崩壊し、民主的
な選挙を経てマデロ政権が誕生していた。ところがメキシコの民主化は、1913 年にウエルタ将軍
がマデロ政権を暴力的に転覆させ、メキシコに独裁政権を復活させようとしたことにより後退する
こととなった。ウィルソン大統領は大半のラテン・アメリカ諸国と同じく、立憲主義ないし民主主
義に基づかないで樹立された政府は容認しないとの立場を表明し、ウエルタ政権を承認しなかった。
その後 1914 年 4 月、アメリカ軍はメキシコに軍事介入し、ウエルタを政権から追放した。草野大
希「20 世紀初頭の西半球におけるアメリカ介入政策と秩序形成-複雑システム理論による国際政治
分析の試み―」(上智大学博士論文、2006 年度)第 11 章、224-28 頁。
14 同論文、234-49 頁。
15 イギリスのティレル(Sir William Tyrrell)外務次官がウィルソン大統領にアメリカのメキシコ
政策の説明を求めた際に発せられた有名な発言である。Burton J. Hendrick, The Life and Letters
of Walter H. Page, Vol. I(New York: Doubleday, Page and Company, 1922), p.204; 草野、前掲論
文、226 頁。
11
12
冷戦後のアメリカ対外政策とウィルソン主義
13
である 16。
このように、通説では民主主義を国際社会に広め国際協調によって世界平和の達成を目指す
ものがウィルソン主義だと定義されることが多い
17。だが、本論文では、14
か条の原則に代
表される「民主主義の推進」と「国際協調主義」に基づく外交理念と、メキシコへの介入など
に見られる「単独行動主義」の両方の側面を併せもつものが「ウィルソン主義」であると考え
る。
第2節
アメリカ民主主義の歴史
冷戦後の国際関係において、民主主義は統治形態のさまざまな可能性の中で歴史的な勝利を
収めたかのように見える。アメリカがなぜ民主主義を推進するのかを考えるには、まずアメリ
カの国の成り立ちを考える必要がある。
アメリカは、その建国自体が民主主義の実現に等しかったといえる。1776 年のアメリカ独
立以来、圧制と不正に満ちたヨーロッパの国々から自らを引き離し、封建的な思想や制度・差
別で固まった階級社会との決別を決意し、新大陸で別天地を築こうとする考えは、大西洋を渡
った移民に共有された。また、アメリカは、世界中から移民を受け入れる多民族国家であり、
さまざまな人種、民族、宗教、生活様式、言語の異なる人々から成る国である。アメリカ人は、
先住民のインディアンを除き大半が移住者という形で、「アメリカ人」になったものとその子
孫である。彼らは、人種的・文化的な統一性を欠いていたため、自然に「アメリカ人」になっ
たわけではなく、人為的・選択的・意識的に1つの国民となり、文明を築かなければならなか
った。
アメリカ人は、個人として、社会として成功の夢を抱きそれを実現させるために、成功のた
めの機会が全ての人に開かれている社会を目指した 18。こうした民主主義の精神のもと、人々
は、アメリカの歴史・風土・地理的環境が育んできた自由、平等、個人主義、機会の均等民主
主義などの共通の価値に同化していくことで、共通の価値をもつ「アメリカ人」なるものを形
成していった 19。
その後、国際連盟が創設されると、国際連盟の誕生が国際社会を組織化しようとするウィル
ソンの理念の勝利であるという解釈が生まれた 20。しかし、ウィルソンの外交理念は、アメリ
16
ウィルソンの外交では多くの理念が語られたが、それはアメリカが強調する理念を常に他の利害
に優先させるものではなかった点も指摘しておきたい。たとえば、メキシコ介入では、民主主義の
実現に加え、アメリカの石油権益を脅かすウエルタを排除するというアメリカの国家利害も同時に
追求されていた。つまり、ウィルソンの外交にも、アメリカの利害にかなう場合には普遍的な原則
ですら修正されうるという二重の基準が存在していたのである。草野、前掲論文、230-33 頁。
;松
田、前掲書、202 頁。
17 Tony Smith, “Wilsonianism,” in Alexander DeConde, et al., eds., Encyclopedia of American
Foreign Policy, Vol.3 (Charles Scribner’s Sons,2002), pp.617-20;松田、前掲書、202 頁。
18 斉藤眞『アメリカとは何か』
(平凡社、1995 年)、20 頁。
19 長谷川雄一、高杉忠明編『新版
現代の国際政治―冷戦後の日本外交を考える視角』
(ミネルヴ
ァ書房、2006 年)、56 頁。
20 西崎、前掲論文、180 頁。
国
14
際
政
治
カの外交政策に大きな影響を与えたものの、それが直接適用されたわけではなかった。ベルサ
イユ条約そのものは、上院での批准が否決され、アメリカは国際連盟に加盟できなかった。そ
して 1920 年代から 30 年代にかけては孤立主義がアメリカを支配したのである。やがて、1941
年の真珠湾事件をきっかけに、第二次世界大戦への参戦を経て、アメリカはウィルソン主義を
継承した国際連合構想を実現させた。
第3節
アメリカ対外政策と民主主義
第1項
アメリカ対外政策の類型
アメリカの対外政策の方向性はいくつかの次元で類型化することができる。山本吉宣による
と①孤立主義‐国際主義、②現実主義-リベラリズム、③単独主義-多角主義の三つの次元で類
型化できる 21。
リベラル[タイプⅠ]
非関与(孤立主義)
現実主義(圧倒的な力、非脆弱性)[タイプⅡ]
リベラル(制度リベラル)[タイプⅢ]
多角
現実主義(同盟)[タイプⅣ]
関与
リベラル(価値リベラル)[タイプⅤ]
帝国論
単独
(ネオコン)
現実主義(「遠隔からのバランサー」,覇権)
[タイプ
Ⅵ]
図1アメリカの対外政策の類型
まず、孤立主義と国際主義という2つの軸がある。孤立主義とは基本的な関与をしないとい
うものである。アメリカは、独立によって新体制と獲得したが、これを外からの脅威、旧体制
による腐敗的な影響力から守らなければならなかった。当時、弱小新興国であったアメリカに
とっての国策の基本は、ヨーロッパ諸国からアメリカを隔離・孤立させて、アメリカ大陸に「ア
メリカ」を拡大・膨張させることに他ならず、孤立主義はアメリカがその独立をいかに確保し
ていくかという権力政治的発想に基づくものであった。孤立主義の公の声明とも言うべきモン
山本吉宣『
「帝国」の国際政治学~冷戦後の国際システムとアメリカ~』
(東信堂、2006 年)、16-22
頁。
21
冷戦後のアメリカ対外政策とウィルソン主義
15
ローの教書(1823 年)には、ヨーロッパにおける神聖同盟に象徴される専制主義から、アメ
リカ大陸における共和・民主主義を守るという発想がその根底に存在していた 22。他方、国際
主義とは、なんらかの形で(例えば同盟なり国際連盟・連合)国際的な関与を行うというもの
である。
第 2 の軸として、国際主義には、多角的に国際制度をつくりそれを利用して関与を行うもの
と、単独で関与を行うものがある。多角的といった場合、国際連合のような包括的な制度や、
地域的な制度の枠組みを通じた関与がある。単独関与の場合、純粋にアメリカだけで行動する
ものに加え、アメリカが主となり既存の制度に関わりのない数カ国で行動するということもあ
る。
第 3 の軸は、軍事面や国家間対立を重視するリアリズムか、国家間の調和と協力の可能性を
追求するリベラリズムかという区分である。(例えばリアリズムであっても力の均衡を考える
ものと覇権を考えるものがあるように、リアリズム・リベラリズムともにさまざまな種類のも
のが存在していることには注意を要する。)本論文における国際主義は、国際主義は、ウィル
ソンの自由主義的国際秩序構想から始まり、共通の安全保障、経済的・政治的・社会的諸問題
を解決していくため、国際的協調への努力と国家の関与の理論であり、国際組織や、多国間貿
易・通貨政策、社会問題への取り組みなど最大限の国際協調を達成することである。山本の類
型ではタイプⅢの多角的でリベラルな国際主義のことを「国際主義」として考える。
第2項
政党と対外政策の関係
アメリカ合衆国の政治は民主党・共和党の 2 大政党制によって特徴づけられる。1850 年代
に共和党が設立されて以来、第 3 の政党はあるものの、2大政党が政権獲得を目指して競合す
ることが常態化している。この 2 大政党には、ヨーロッパの政党にみられるようなイデオロギ
ー的な性質は強くなく、両党には価値観や政策上の違いは明確ではない。国内・外交政策問わ
ず、政治的には自由主義、経済的には資本主義生産様式・市場経済の維持という大きな合意の
もと政策決定をする点は両者に共通である。また、伝統的にアメリカの政党は党規律が弱く、
「政策形成」政党というよりも、選挙での勝利を目指す「選挙」政党としての性格が強い。
伝統的に、民主・共和両党には対外政策に関しての特徴は以下の通りである。民主党は、西
側諸国との協調、自由貿易に基づく通商の拡大、共産主義圏に対する柔軟な外交、国連への支
持を重視する立場をとることが多く、国際主義的であるといえる。一方、共和党は孤立主義を
重視する傾向がある。また、各政党とも合衆国内の地域によっても対外政策に対する考え方に
相違があり、有賀貞によると、東部と太平洋岸の民主党は国際主義的性格が強く、南部の民主
党は対外援助等の問題に関して孤立主義的であると中西部の民主党と東部及び太平洋岸の共
和党はやや国際主義的、中西部の共和党はかなり孤立主義的傾向が強いことが明らかとなった
23。
さらに、冷戦終結後の民主・共和両党の外交問題への関与のあり方を見ると、民主党のクリ
22
23
斉藤、前掲書、37-39 頁
松田、前掲書、78-9 頁。
国
16
際
政
治
ントン政権はどちらかといえば、リベラルな国際主義的な外交を追及し、グローバリゼーショ
ンの推進、国連などの国際機関重視の政策を推進してきた。国際的な相互依存が進む環境にお
いてアメリカがその理想を導き、促進することの重要性を強調した。
これに対し、ブッシュ政権は第 41 代も、第 43 代もどちらかといえば保守的な国際主義外交
(単独的国際主義)を追及し、アメリカの安全保障と国益を重視した。G・W・ブッシュ大統
領は、国際主義路線を支持しているが、必要とあればアメリカが一方的な外交に出ることを厭
わない立場を打ち出している 24。
第3項
国外における民主主義推進
アメリカは民主主義やリベラルな体制を拡張しようとし、時には武力を行使しようとする。
そこには、リベラルな価値そのものを拡大しようとすることもあり、また民主主義の平和 25の
ように間接的にアメリカの安全保障に結びつく要因もある。
アメリカが主権国家としての基盤を固めるのに伴いアメリカ自体が民主主義推進活動に大
きな影響を与えるようになる。アメリカの軍事介入と強制的な政治体制の移植は 1899 年のキ
ューバに対するものから始まり、20 世紀初頭までにハイチ・ドミニカ・メキシコなどラテン・
アメリカ諸国の民主化が行われた。ウィルソンが国際政治の舞台に立つようになると、人権や
民主主義という価値に重きを置く対外政策が、ますます重視されるようになった。第二次世界
大戦後は、西ドイツや日本・イタリアなどの非民主主義国において、アメリカは各国の体制を
民主的な体制へと転換させた。その後、ウィルソン外交の概念をもっとも明確に継承したのは
アメリカの冷戦外交であった。自決の原則と反共産主義が結びつき、被治者の意見を反映しな
い政府から人々を解放するという思考様式が、共産党の「抑圧」を受けていると判断された地
域にあてはめられることになった。
その後、主権国家主導の民主主義推進に新しい様相を加えることになったのは、20 世紀の
最後の 4 半世紀である。これは①民主化の第三の波が 1975~2000 年に著しく発展し民主主義
国が世界を席巻した、②アメリカの軍事的優位性が圧倒的になった、③グローバリゼーション
の深化などがその理由としてあげられる 26。
ウィルソン外交理念である民主主義の伝播は、カーターやレーガン、クリントンなど歴代の
政権に影響を及ぼし、ジョージ・W・ブッシュ政権に至るまでアメリカの目標の1つであり続
けている。また 21 世紀に入ってから、民主主義推進はとりわけ大きな進展をみせ、2001 年の
9.11 テロ発生、アフガニスタンへの侵攻、2003 年のイラク戦争が勃発した際には、自由と民
主主義が戦争における大義とされた。
24
浅川公紀『アメリカ外交の政治過程』
(勁草書房、2007 年)、239 頁。
「民主主義の平和」:第 3 章 4 節参照
26 猪口孝ほか編『アメリカによる民主主義の推進―なぜその理念にこだわるのか―』
(ミネルヴァ書
房、2006 年)
、i-iii 頁。
25
冷戦後のアメリカ対外政策とウィルソン主義
第2章
第1節
17
クリントン政権の対外政策
民主党の対外政策
アメリカ政党の特徴は建国から現在までのほぼ 2 世紀もの間、民主党と共和党の 2 大政党制
を基本としていることである。この 2 大政党は、人種的、経済的、階層的に多少の差異がある
ものの、主張の違いはさほどない。民主党は、ベトナム戦争時には、党派を超えたイデオロギ
ー的な反戦派が形成されていた。それに比べ現在のイラク戦争では、イデオロギーではなく党
派間の対立が目立つ。民主党の外交政策を歴史的に辿ってみると、ポール・ニッチェ、フラン
クリン・ルーズベルト、トルーマン、ケネディの系譜である民主党の オールドスクールの政
策がある。これは、Muscularな外交政策と言われる、必要とあらば力の行使も躊躇しない民
主党の外交政策を指す 27。例えば、公民権運動の影響からリベラルな政治家とのイメージがあ
るケネディは、大統領選におけるニクソンとの戦いにおいて、外交政策では反共タカ派を打ち
出した
この潮流は、60 年代後半から 80 年代初めに民主党内で完全に否定される。具体的には 72
年の大統領選挙でサウスダコタ州出身のジョージ・マクガバンが、 反戦・平和を掲げて共産
勢力とのある種の共存とベトナムからの撤退を打ち出したことである。民主党のリベラル派は
ベトナム戦争の継続に反対した。そして 1980 年代のレーガン政権期において、中東や中米の
外交、国防政策をめぐり共和党との対立が生じた 28。
その後、湾岸戦争には民主党議員の多くが反対票を投じており、条件反射的に武力行使に反
対する、安全保障政策ではあまり信用ならない党という印象を与える時期もあったが、冷戦終
結後は、クリントン政権による国際主義的な外交が展開され、人権や国連を重視した政策が展
開された 29。2000 年の大統領選では、
「価値の安全保障観」を掲げ、武力介入にも積極的とみ
られる姿勢さえ見られた。しかし、2001 年の9・11テロ事件でこの流れは決定的に覆り、
民主党内に残っていた反戦・平和主義的価値観が再浮上する。対照的に、共和党内では価値に
基づいた強硬主義が勢いを増していく。とはいえ、2004 年の大統領選時には9・11テロ事
件の余韻が強く、民主党内でも反戦・反ブッシュ・反イラクを正面から唱える戦う用意はなく、
対テロ戦争を訴えたブッシュが勝利した。
第2節
クリントン政権の対外政策
アメリカ合衆国第 42 代大統領であるクリントンは、リベラル派と中道派に分裂した当時の
民主党にとって、様々な利益団体との関係を悪化させることなく、それらの要求を調整できる
27
『アメリカ外交の諸潮流~リベラルから保守まで~』
(http://www2.jiia.or.jp/report/kouenkai/071112-american_f_p.html)
28 浅川、前掲書、235-238 頁。
29 同上。
18
国
際
政
治
最適なリーダーであった 30。クリントン政権発足時の外交問題に関する認識は、伝統的な民主
党リベラルであり、民主主義や人権などのアメリカ的価値や制度を普遍的なものとし、これを
世界に普及させアメリカの影響力を維持する国際主義的な考えに基づくものであった。G・
H・ブッシュ政権が国内問題を軽視していると批判し、大統領に上り詰めたクリントンは、ブ
ッシュ政権と一線を画するためにリベラル色の強い政策を打ち出した。大統領就任当初、クリ
ントンは外交が不得意分野であったため、国内での支持基盤を増強・拡大することを優先し、
外交政策への取り組みは慎重だった。
政策決定において、大統領のリーダーシップ能力の媒体となるのは、外交政策決定機構であ
る。下の、図 1-1 はロジャー・ヒルズマンの外交政策決定モデルである 31。大統領も人間であ
り、一人が効果的に管理できる人数は限られており、必然的に部下に権限を委譲しなければな
らない。大統領から権限委譲される補佐官のなかで、最も影響力をもつのは、国務長官、国防
長官、国家安全保障担当大臣である。レーガン、G・H・ブッシュ政権と 12 年間の共和党政
権の後を継いだクリントン政権は、外交政策でカーター時代の人材に多くを依存しなければな
らなかった。ウォーレン・クリストファー国務長官もアンソニー・レイク国家安全保障問題担
当大統領補佐官も、ウィリアム・ペリー国防副長官もカーター政権経験者である 32。
30
「21 世紀への架け橋」在日米国大使館ホームページ、
http://japan.usembassy.gov/tj-main.html
31 浅川、前掲書、9 頁
32 村田晃嗣『アメリカ外交~苦悩と希望』
(講談社、2005 年)
、188 頁。
冷戦後のアメリカ対外政策とウィルソン主義
19
クリントンは内政と外交の関係を不可分のものであるとみなし、20 世紀のアメリカ外交の
原型を形作ったとされるウィルソン大統領の継承者である。ウィルソン主義の継承者として、
クリントンは国内秩序の安定、そして、そのための民主化や人権の促進を重要視した。これは
国内秩序と国際秩序の安全性確保が密接に関連しており、アメリカが超国籍的な経済活動を推
進していくためには、国際秩序の安定・維持のための国内秩序の安定は不可欠なものであると
考えたからである。
人権や民主主義を唱導するウィルソン主義者であると同時に、クリントンは経済再建を第一
課題に掲げ国内の発展を重視した。クリントン政権は、民主主義推進を米国の国力伸張のため
の道具とみなし、
「民主主義拡大」を選択した。これは理想主義的(idealism)な理由だ
けでなく、民主主義の推進が国際システム内部でのアメリカの国家安全保障上の目的・経済的
目的を支える柱となると考えたためである。
第 49 回国連総会でのクリントンの発言にも民主主義の推進の発言がある。
「民主主義のための連合―これはアメリカにとって有益なものである。つまり、民主主義国
はより安定的であり、より戦争に走りにくい。民主主義は市民社会を育成する。人々が祖国を
逃れるのではなく祖国を建設するための経済的機会を、民主主義国は提供する。われわれがこ
の激変の時代を敵ではなく味方にしようとするに際して、民主主義の建設を援助しようとする
われわれの努力は、われわれをより安全でより繁栄し、より成功にみちたものにするであろ
う。」
第 49 回国連総会での発言(1994/9/26) 33
また、冷戦後の唯一の超大国アメリカは民主主義と市場経済を世界中に拡大すべきであり、
それが現実に実現困難であってもその国を封じ込めるのでなく、国際社会に取り込んでいくよ
うな対処をすべきであるという「関与と拡大(engagement and enlargement)」政策である。
これは、アンソニー・レイク(Anthony Lake) が、クリントン政権の国家安全保障担当大
統領補佐官であった 1993 年 9 月 21 日、ジョンズ・ホプキンス大学高等国際関係研究所で行
った「『封じ込め』から『拡大』へ」という演説においても述べられている。
「アメリカは冷戦期を通じて、市場経済、民主主義国家に対する世界的な脅威を封じ込めて
きた。現在我々は、殊に特別な重要性を有する地域において、この体制を拡大することを模索
しなければならない。『封じ込め』戦略の次に来るものは、世界の市場経済、民主主義共同体
の範囲を広げていく『拡大』の戦略であるべきなのである」 34。
レイクは、「拡大戦略」が今後のアメリカ対外政策を規定していく一大方針であることを明
33
ジョセフ・S・ナイ・ジュニア〔著〕
(田中明彦・村田晃嗣〔訳〕)
『国際紛争~理論と歴史~(原
書第6版)
』(有斐閣、2007 年)、63 頁。
34 阿南東也『ポスト冷戦期のアメリカ外交~残された「超大国」のゆくえ~』
(東信堂、1999 年)、
126 頁。
国
20
際
政
治
らかにした。ここで、拡大戦略とは、「市場民主主義国家共同体拡大戦略」と言うべきもので
ある 35。拡大戦略の内容は、①北米大陸、欧州、日本などすでに民主主義体制が確立している
地域を拡大の中核に位置づけ、②ロシア、西半球、アジア、アフリカなどの市場経済・民主主
義への萌芽が育ちつつある地域の成長を全面的に支援する、③イラン、イラクなどの市場経済
化、民主化に逆行する「反動国家」の影響力を最小化する④市場経済・民主主義を定着させる
手段としての人道援助を重視する、の4つの柱からなるというものである 36。
この 4 つの柱をもとに、クリントン政権下では、対外政策が展開された。以下、ソマリア紛
争、ボスニア紛争、コソボ紛争について考えたい。
第3節
クリントン政権の国際問題への対応
第1項
ソマリア紛争
ソマリア紛争への対処は、元来、内政専念を公言していたクリントンにとって対外政策上の
懸案となった。アメリカによるソマリアでのPKOへの関与は 92 年8月国連安保理決議 751
に基づき援助物資空輸に参加したことに端を発する。ソマリアで飢えに苦しむ子どもたちを救
うためのソマリアでの国連平和維持軍派兵は、前G・H・ブッシュ政権に始まった政策だった
が、アメリカが人権・民主主義を支援していく象徴となる事象であった。ソマリアの人々を救
うという人道的観点と、ソマリアの無政府状態を放置することが共産圏の拡大へとつながると
いう観点からソマリアへの派兵は正当化され、それ展開された 37。
1993 年に国連に多国籍軍の一員としてソマリア内戦に介入した。人道目的による武力行使
(=人道的介入)の最初の例である。1993 年 10 月 3 日、モガディシュ市街においてアイディ
ード派との戦闘で 16 名もの多数の死傷者を出した。このソマリア事件を契機に、アメリカ国
内ではソマリアからの撤退の声が高まり、クリントンは翌年 3 月までにアメリカ軍のソマリア
撤退を決定した。そして結局、アメリカ軍主導であった国連のソマリア活動そのものも失敗に
終わった。
クリントン政権のソマリア政策は失策であったとの印象が一般的であるが、PKOの側面に
限定した場合、無政府状態によって生じていた市民の中の飢饉状況は供給確保によって相当程
度の改善が見られたため必ずしも失敗とは言えない。元来ソマリアの市民を危機的状況から救
うことが主要目的であり、そのためには根本原因である無政府状態を解消しなければならない
という純粋な「人道的介入」であったはずにも拘らず、ある時点から目的の順位が逆転してし
まいアイディード逮捕と治安維持が前面に押し出された。それぞれの目的を達成するために採
りうる手段が相容れないものであったためソマリアの治安維持が中途半端になってしまい、失
敗との印象をもたらしたのであった。
積極的多国間主義は、ソマリア事件以来大きく後退した。平和維持活動は、アメリカの外交
35
36
37
菅英輝『アメリカの世界戦略~戦争はどう利用されるのか』(中公新書、2008 年)、101 頁。
阿南、前掲書、126-27 頁。
松田、前掲書、208 頁。
冷戦後のアメリカ対外政策とウィルソン主義
21
または防衛政策の中心を占めるものではなくなり、人権・民主主義を掲げて世界中に介入する
という政策は控えることとなった。そして、アメリカの無関心は国際社会の無関心を呼び、そ
の後のルワンダやブルンジでの内戦は国際社会に見放され多くの犠牲者が生じる結果となっ
た。
第2項
ボスニア紛争
ソマリア紛争後、アメリカが国外における紛争介入に消極的にはなったが、すべての介入を
停止したわけではない。ユーゴスラビア解体に伴う紛争には、アメリカは躊躇しながらも介入
することを選択した。
ボスニア紛争は、ユーゴスラビアから独立した ボスニア・ヘルツェゴビナで 1992 年から
1995 年まで続いた 内戦である。ボスニア紛争が発生している間、アメリカでは大統領選挙が
進行し、クリントン候補はブッシュ(G・H・ブッシュ)現職大統領の「民族浄化(ethnic
cleansing)」に対する無行動を攻撃し、紛争当事民族集団の紛争鎮静化を強いるためセルビア
人勢力への限定的空爆、全紛争当事民族への武器輸出解除も含めた強硬手段を採るよう訴えて
いた。
クリントンは政権に就くも 93 年のソマリア紛争への介入の経験から、当初は、ボスニア
紛争はヨーロッパの問題であるとし米軍による介入には消極的であった。しかし、95 年にス
レブレニッツで虐殺が発生すると、ついにクリントン政権は介入を決意する。
ボスニア紛争への介入に際しては、オルブライト国連大使(当時)の影響が大きい。オル
ブライトは人道問題や人権問題に強い関心を抱いており、アメリカが不介入を続けることは国
内外のワシントンの指導力に影響を与えることを強調した 38。アメリカはボスニアのセルビア
人勢力の軍事拠点を空爆する際に、NATO軍を指揮し、空爆の 3 分の 2 を米軍が実行した。
空爆は成功し、アメリカはボスニアでの危機を収拾する外交交渉で中心的役割を果たすととも
に、NATOを介してアメリカの軍事力をヨーロッパ諸国に見せつけヨーロッパの安全にとっ
てNATOが不可欠であることをEU諸国に示した。
その後、1995 年 11 月にオハイオ州デイトンでアメリカとムスリム系・クロアチア系・セル
ビア系の 3 勢力の首脳とで会議が開催された。この会議では、ボスニアの 2 分割を基本原則と
する包括的和平協定が合意(デイトン合意)された。クリントンは和平協定合意後、翌週の演
説において、アメリカがボスニアの和平へ参加したことの価値について語っている。
「アメリカの役割は戦争することではなく、ボスニアの人々のため、(彼ら自身の)平和協
定を確実なものにすることである。……罪のない市民、とりわけ子どもたちの殺害を止めさせ、
中欧を安定化させる機会がある。……アメリカは世界中の何十億人もの人々の理念を具体化し
た国である。建国者たちが述べたように、アメリカは生命と自由と幸福を追求する国である。
……われわれは、平和の維持や民主主義の普及、無類の繁栄と冷戦の勝利をもたらした。」 39
38
菅、前掲書、110-3 頁。
CNN ホームページ-Transcript of President Clinton’s speech on Bosnia-Nov.27,1995
(http://edition.cnn.com/US/9511/bosnia_speech/speech.html)
39
国
22
第3項
際
政
治
コソボ紛争
クリントン政権は 2 期目に入って、ヘゲモニー維持の方法として、不安定な世界情勢に対処
するためにその強大な軍事力を活用した。
ユーゴスラビアは、セルビア人、クロアチア人、スロベニア人、ボスニア人、イスラム教徒、
アルバニア系コソボ人の間で民族的・宗教的に分かれていた 1 つの国家であった。冷戦後崩壊
の一途をたどり、ヨーロッパ諸国が秩序回復に失敗した後、この問題に米国が関与することと
なった。先のブッシュ政権は当初、紛争に関与することを拒否したが、クリントン政権はヨー
ロッパの同盟諸国に促され、ようやく関与に同意した。1999 年、セルビア人によるコソボ人
虐殺が発生する、アメリカはNATOによるセルビア空爆を 3 ヶ月間にわたって行い和解を実
現させた。
コソボ紛争が発生したとき、アメリカがコソボ紛争の解決に指導力を発揮すれば、ヨーロッ
パはNATO政策に関するワシントンの要請を進んで受け入れることになると政権は考えた。
国防省や国家安全保障会議はボスニア紛争に続いてコソボにも軍事介入することには消極的
であったが、オルブライトは「アメリカの指導力およびNATOの妥当性と有効性の重要なテ
ストケース」だとして大統領を説得した。クリントンもオルブライトの見解を支持し 99 年 3
月にNATOはコソボの空爆 40を開始した。コソボ空爆作戦を通じてアメリカの軍事力の必要
性をヨーロッパの同盟諸国に再認識させることとなった 41。EUをNATOにつなぎとめてお
くため、NATOの存在意義を強化する戦略を打ち出した。その1つはNATOの東方拡大で
あり、もうひとつはコソボ空爆であった。クリストファー国務長官らが、NATOがコソボ紛
争を解決できなければNATO拡大を正当化できないと考えたためである。クリントンは、政
権 2 期目の 1997 年以降ヘゲモニー維持の方法として、緊張した世界情勢を前に自国の強大な
軍事力を活用し始めた。コソボへの空爆は、アメリカが独自の判断で行う価値の外交に「人道
的介入」という新しい正当化を与えた。アメリカにとってNATOは、国連よりも動かしやす
いため、人権・民主化のための介入主体として新たな役割を担うこととなった。また、NAT
Oの東方拡大により新興民主主義国が加わることによって、機構内での相対的なアメリカの力
はさらに増すこととなった 42。
第4節
クリントン政権におけるウィルソン主義
クリントン政権は発足当初から、
「積極的多国間主義」のもと、国連重視の政策を展開する。
「積極的多国間主義」、ネオ・リベラルな国際主義の観点から、国連の平和維持活動に積極的
な姿勢をみせた。「平和のためのパートナーシップ」を主張し、軍事予算の大幅削減をすすめ
40
この空爆は中国・ロシアの拒否権発動の懸念から、国連安保理決議がないまま「自己委任」とい
う形で実行された。渡辺、2008、259 頁。
41 同書、121-2 頁。
42 松田、前掲書、209 頁。
冷戦後のアメリカ対外政策とウィルソン主義
23
るとともに、国連の平和維持活動への参加などの、多国間協力の強化を進めていった。これに
はクリントン政権期に盛んに唱えられた、
「民主的平和論(Democratic Peace)」の影響がある。
民主的平和論とは、民主主義は対立を話し合いや選挙で解決するシステムであり、戦争を抑制
し、民主国家同士は戦争を避ける傾向にあるというものである 43。民主的平和論を受けて、冷
戦後の世界における安全保障は、単に軍事バランスが安定しておりアメリカが優位であること
では足りず、他の国々が民主的で、アメリカの価値観を共有していることが重要だと考えられ
た。
冷戦終結後、ソ連の崩壊を受け、アメリカの軍事的優位は明らかであったが、クリントン政
権の対外政策がその優位に頼った介入や単独行動に走ることは少なかった。いったん軍事行動
を起こしてしまえば、アメリカは多くの国に頼らなくとも戦争を戦えることが次第に明白にな
った。ユーゴスラビアで内戦が始まった当初、EUも国連も実効的な解決策を与えることは出
来なかった。その後、内戦はNATOの空爆によってはじめて収束し、そしてNATOのなか
の実戦部隊は圧倒的に米軍によって占められていた 44。だがクリントン政権期のアメリカはこ
うした圧倒的な軍事力を背景とした単独行動よりも、むしろ世界各地における国際協調を優先
した。それぞれの地域に力の均衡をつくることを対外政策に目的とし、その目的を達成するた
めに必要な限度で地域紛争関与も行われた。
アメリカ合衆国は時として単独で行動する場合もあるが、対外政策の方針は多国間での関与
に向いている。また、アメリカは紛争が発生する以前に芽を摘み取る国連予防外交という新し
い構想を模索する。クリントンは、中ロのような非民主主義的な大国相手にはウィルソニアン
の関与政策で望んだが、一時は「冷戦の勝者」と呼ばれた同盟国の日本には、国益中心主義で
向き合った。
このように、クリントン政権の外交は、第 1 期では、リベラルな国際主義に基づくものであ
った。しかし、第 2 期において、ソマリア紛争での失敗から、政権内で、軍事力や武力行使に
裏づけられた政策でなければ効果を挙げることは出来ないとの認識が深まった 45。民主主義と
人権を支援はするが、貿易が米国の安全保障の最優先とされた。1990 年代中頃以降、中国で
は経済成長が進みビジネスチャンスが増加した。このことにより、アメリカは人権問題をめぐ
り中国の態度を硬化させ国際的に孤立させるよりも、国際社会に中国を積極的に取り込み、対
外開放を進めるほうが民主化の促進や人権問題解決によい結果をもたらすという方針で政策
が進められた。
クリントン政権の対外政策において、民主主義の推進と、ソマリア紛争やボスニア紛争で見
られたような国際協調を目指すウィルソン主義の理念は読み取ることができる。だが、ウィル
ソン自身もそうであったように、理念の追求だけでなく、国益も視野に入れた政策が展開され
た。クリントン政権の8年間は国際協調を原則としながらも、単独行動と多国間協調の間を揺
れ動いた 8 年間であったといえよう。
43
44
油井、前掲書、ⅲ頁。
藤原、前掲書、199-222 頁。
45
西崎文子、『アメリカ外交とは何か~歴史の中の自画像~』
(岩波新書、2004 年)、174 頁。
国
24
第3章
第1節
際
政
治
G・W・ブッシュ政権の対外政策
G・H・ブッシュ政権の対外政策
共和党は、対外的にはネオコン(新保守主義)に見られるような武力を用いた民主化も辞さ
ないような介入主義をとる。冷戦期には戦略防衛構想など積極的な軍拡を行い、また冷戦後に
は介入主義の立場をとり湾岸戦争やアフガニスタン侵攻、イラク戦争を起こし参戦した。レー
ガン政権からネオコン勢力が一定の主導権を握り始めたことも外交政策に影響を与えている。
レーガン政権では、民族主義や自決、そして自由は普遍的な価値であり平和の必要条件である
とし、ウィルソン外交のレトリックが感じ取れた 46。
またG・W・ブッシュ大統領の父親である、ジョージ・H・ブッシュにもウィルソン主義の
要素が鑑みられる。1988 年の大統領選挙で、レーガン政権の副大統領であったジョージ・H・
ブッシュは当選した。ブッシュは北京の連絡事務所長や国連大使、CIA長官を歴任し、外交
には長けていた。大統領とその側近グループは実務的には有能であったが、ビジョンとは無縁
であり、理念を重視するウィルソニアンとはこの点では、ほど遠かった 47。ブッシュは、中国
やソ連といった大国には自制的であったが、パナマなどの小国に対しては軍事介入した。その
後湾岸戦争が迫り来る中、ブッシュは「新世界秩序」を提唱し、侵略の阻止、大国間の協調、
国連の枠組みが重視された。この点は、国際協調を重視するウィルソン主義が表れている。
その後、ソマリア紛争への米軍派遣をG・H・ブッシュ政権は決定する。国連軍の先頭に立
ち、飢餓に苦しむ国民へ定期的な食糧輸送を可能にするために国連平和維持軍への派兵を行っ
た。このソマリアへの派兵は、クリントン政権に引き継がれた後、失敗に終わったが、外国に
おいて人権を重視した外交政策として象徴的なものとなった。
第2節
第1項
G・W・ブッシュ政権の対外政策
G・W・ブッシュ政権とネオコン
ブッシュ(G・W・Bush:この項以降ブッシュとはG・W・ブッシュ大統領のことを指す)
は 2001 年 1 月に第 43 代大統領に就任した。
ブッシュ政権において、第 2 章の図 1-1の同心円の中心部分を形成するのは、コンドリーザ・
ライス国家安全保障担当大統領補佐官、ディック・チェイニー副大統領、コリン・パウエル国
務長官、そしてドナルド・ラムズフェルド国防長官であった。
ブッシュ政権を考察する上で重要なのは、いわゆる「ネオコン」と呼ばれる勢力である。
元来、道義外交を展開する「国際主義」はウィルソンに象徴されるように、民主党などのリ
ベラルの立場であったのに対して、1980 年代の保守化を通じて保守の中にも国際主義を標榜
46
47
西崎、前掲論文、183 頁。
村田、前掲書、177-78 頁。
冷戦後のアメリカ対外政策とウィルソン主義
するグループが台頭してきた
25
48。これら「ネオコン(新保守主義) 49」と呼ばれ、ブッシュ政
権の政策に影響を与えた。ブッシュ政権における新保守主義者派としては、チェイニー副大統
領やウォルフォウィッツ国防副長官やリチャード・パール国防政策委員会長などがいる。こう
したネオコンの支持者は、湾岸戦争時にはフセイン政権の打倒をすべきとの見解を持っていた
ため、9.11 テロ事件後においてもイラク攻撃を熱心に推奨した 50。
ブッシュが大統領に就任した当時、アメリカのエネルギー政策は重大な局面を迎えていた。
クリントン政権後半の 1998 年に、アメリカは史上初めて石油消費の半分以上を輸入で賄うよ
うになり、その後も石油の輸入量は増加している 51。中東に埋蔵されている石油資源がアメリ
カのヘゲモニー維持にとって重要であり、アメリカ政府の行動に多大な影響を与えるため、湾
岸地域からの石油の安定的供給の確保は不可欠である。そのためには、①サウジアラビアの政
情安定②フセイン政権を打倒しイラクに親米政権を樹立すること③イランへの圧力の強化な
らびに親米政権を樹立することの3点が課題となった。例えば、2002 年チェイニーはイラク
の石油資源を大量破壊兵器の問題が中東の親米政権にとっての脅威であり、この脅威を除去す
ることが政権の重大な関心事だと述べた。アメリカの亜ネルギー政策と、ネオコンの思想が結
びつき、ブッシュ政権期のアメリカ外交政策、とりわけ中東への対外政策の方針は決定された。
第2項
9.11 テロ事件の衝撃
ブッシュ政権の外交を考えるにあったって、大きな契機となったのは、2001 年 9 月 11 日の
世界貿易センタービルをはじめとした同時多発テロ事件である。これは、北米で 4 機の旅客機
がハイジャックされ、2 機はニューヨークの世界貿易センタービルに、1 機はワシントンの国
防総省に激突し、残りの 1 機はペンシルバニア州の山林に墜落するという史上最大規模のテロ
のことである。ハイジャックした航空機を自爆の武器として大量殺傷を狙うという新しいタイ
プのテロであった。
米国は、本土に対する外国からの攻撃としては米国史上最大の被害を被った。ブッシュ政
権の外交政策は、このテロの発生により大きく変化することとなった。
2001 年の 9.11 テロ以後アメリカは、アフガニスタンのタリバン政権やイラクのサダム・フ
セイン政権を崩壊に導き、民主化支援を進めてきた。ブッシュ大統領は民主主義の拡大がテロ
との戦いに勝利する鍵となり、世界に平和をもたらすと考えた。
ネオコンに見られる「国際主義」は第 1 章 3 節 1 項の図 1 にある国際主義のうち、タイプⅤ(リ
ベラルな単独主義―覇権的リベラリスト)とタイプⅥ(リアリズム的単独主義)が合わさったもの
であり、時に「帝国論」と呼ばれるものである。山本、前掲書、38 頁。
49 新保守主義者は本来、民主党に属していて、トルーマンやケネディを支持していたが、ベトナム
戦争後民主党が軍縮・軍備管理的外交を支持したためそれに幻滅し、1970 年代から共和党タカ派
のレーガンを支持するに至った。軍事力によってソ連に対抗すると同時に、アメリカの使命を強調
する点が特徴である。軍事力によりアメリカの壮大な使命を実現しようとした点は、ウィルソン主
義に共通するものがあるといえる。久保、前掲書、280 頁
50 油井、前掲書、226 頁。
51 菅、前掲書、145 頁。
48
26
国
際
政
治
「アメリカは、『なぜ彼ら(テロリスト)はわれわれを憎むのか』と問いている。彼らが憎
むのは、今この議場にあるもの、すなわち民主的に選ばれた政府である。彼らの指導者は、自
らを指導者の地位につけた者である。彼らは、われわれの自由、つまり宗教の自由、言論の自
由、選挙、集会の自由、そして異なる意見を述べる自由を憎む……これはアメリカだけの敵で
はない。また、アメリカの自由だけが脅かされているのでもない。これは世界の戦いであり、
文明の戦いである。進歩と多元主義と寛容と自由を信奉するすべての人間の戦いである。」
アメリカ上下両院合同議会での大統領演説(2001/9/20) 52
「わが国の自由が生き残るためには、他国でも自由が成功することが、ますます重要になっ
ている。この世界での平和への最良の希望は、世界全体に自由を拡大することである。アメリ
カの死活的利益とわれわれの最も深い信念は、今や一致している。……この世界で専制を終焉
させるという究極の目的を持って、全ての国と文化で民主主義的な運動と制度が成長するよう
求め支援することこそ、アメリカの政策である。」
2 度目の大統領就任演説(2005 年) 53
9.11 後の新しい時代においてはテロ組織アルカイダの壊滅が中東政策の最優先目標となっ
た。2つ目の目標は大量破壊兵器の拡散の阻止である。アメリカの世界戦略の中核を中東政策
が占め、テロ組織壊滅と、大量破壊兵器の拡散防止、さらにイスラエルの安全保障と石油の確
保が中東政策の4つの目標となった。
第3項
単独行動主義とブッシュ・ドクトリン
冷戦後、クリントン政権においては諸外国や国連などとの国際協調を成したが、ブッシュ政
権が誕生し、9.11 テロが発生すると単独行動主義を強めた。単独行動主義は戦争を防止するた
めに戦う権利があり、それはアメリカのみに与えられているというブッシュ・ドクトリンから
読み取られる。ジョージ・W・ブッシュは大量破壊兵器を保有する敵への先制攻撃を正当化し、
他国の追随を許さない軍事力の優位を堅持して中東での民主主義を促進するという方針を「ア
メリカの国家安全戦略」で表明した。
「米国は長年にわたり、国家安全保障に対する十分な脅威に対しては先制攻撃を行う選択肢
を保持してきた。脅威が大きいほど、行動を取らないことのリスクは大きく、また敵の攻撃の
時間と場所が不確かであっても、自衛のために先制攻撃を行う論拠が強まる。敵によるそのよ
うな敵対行為を未然に防ぐために、米国は必要ならば先制的に行動する。米国は、新たな脅威
に対する先制攻撃として、米国は必ず軍事力を使用するわけではない。また、国家が侵略の口
実として先制攻撃を利用すべきではない。しかしながら、文明社会の敵が公然と、積極的に、
President Bush Addresses the Nation Washington Post ホームページ
(http://www.washingtonpost.com/wp-srv/nation/specials/attacked/transcripts/bushaddress_092
001.html)
53 ナイ、前掲書、63 頁。
52
冷戦後のアメリカ対外政策とウィルソン主義
27
世界で最も破壊力の大きい技術を追求する時代にあって、米国は危険が増大するのを何もせず
に見ているわけにはいかない。」 54
ブッシュ外交の特異性はブッシュ・ドクトリンとして知られる先制攻撃論(予防戦争)にあ
る。このブッシュ・ドクトリンは 2001 年 9 月 11 日のテロ後に表明されたものである。アメリ
カは、9.11 テロ事件を、93 年のワールド・トレード・センター爆破事件、98 年のケニアとタ
ンザニアのアメリカ大使館へのテロ攻撃など、一貫してアメリカを狙う一連のテロ攻撃の延長
にあり偶発的に発生したものではないとし、アメリカは先制攻撃を行う用意があることを表明
した。イラク戦争はこの先制攻撃論のいわば実践である。
ブッシュ大統領を囲む人々は、アルカイダのような反米テロ組織の出現の原因として、中東
における民主主義の欠如を挙げる。非民主的な体制が偏向した教育によってテロリストを生み
出している。また経済の自由化や発展を妨げてテロの温床となる貧困の原因をつくっていると
の認識からの民主化構想である。2002 年 12 月 11 日、リチャード・ハース米国国務省政策企
画部長はその構想を次のように語った。
「アラブは深刻な問題に直面しており、こうした問題は、より柔軟かつ民主的な政治制度の
みで対処できる。イスラム教徒は、民主主義の欠如をアメリカのせいにすることは出来ない。
しかし一方、アメリカが世界で果たす役割は大きく、イスラム世界全体で民主主義を促進する
米国の努力は、時には停滞したり不十分なものであった。イスラム世界各地において、中でも
アラブ世界において、米国は共和党・民主党問わずどの政権も、民主化を十分に優先してこな
かった。……米国は、米国より他の国々の方が失うものが大きいことを理解し、謙虚な態度で
臨まなければならない。イスラム諸国とその国民が、より開かれた民主的な発展へと移行する
に従い、われわれはそれを奨励し支援するだけでなく、最も直接的な影響を受ける人々の声に
耳を傾ける必要がある。……イスラム世界の民主化を促進する米国の論理は、利他的であると
ともに利己的なものである。イスラム教徒が多数を占める諸国の民主化が進むことは、そうし
た国々の住民の利益となるが、同時にそれは米国の利益にもなる」 55。
しかし、ブッシュ・ドクトリンにも限界があり、イラクが困難な状況に陥ったとき、ブッシ
ュ政権は自らが招いた混乱を国連に押し付けようとした 56
ブッシュ政権は、従来のどの政権よりも単独主義に走る傾向が強く、国連などとの多国間協
調を軽視し、同盟よりも「有志連合」アプローチを採用した。フランス革命以降「内政不干渉」
の原則確立により、侵略戦争は違法であり交戦権行使は自衛のために許されるという認識が定
着してきた今日の国際社会において、ブッシュ・ドクトリンは「内政不干渉」の原則の否定で
あり、具体的な損害がないにもかかわらず、先制攻撃を可能とした点は従来の国際法に対する
「米国の国家安全保障戦略 2002 年 9 月」、在日米国大使館ホームページ
<http://japan.usembassy.gov/j/p/tpj-j20030515d1.html>
55 リチャード・ハース「目標はイスラム世界の民主化:米国政府の優先順位の変化」
、在日米国大
使館ホームページ<http://japan.usembassy.gov/j/p/tpj-jp0289.html>
56 アーサー・シュレジンガー・ジュニア、藤田文子・藤田博司訳、
『アメリカ大統領と選挙』
(岩波
書店、2005 年)、19 頁。
54
国
28
際
政
治
挑戦であったと考えられる 57。
第3節
第1項
ブッシュ政権の紛争への対応
アフガニスタン戦争
前述した同時多発テロ事件を計画・実行したのは、アフガニスタンに拠点を構えるオサマ・
ビン・ラディン率いるイスラム過激派組織アルカイダだとブッシュ大統領は断定し、ブッシュ
はビン・ラディンの潜伏するアフガニスタンのタリバン政権に、彼の身柄の引渡しを要求した。
しかし、タリバン政権がこれを拒否したため、10 月に、ブッシュ政権はイギリスのブレア政
権とともにアフガニスタンへの武力攻撃を開始した。アメリカのハイテク兵器の前に、わずか
2 ヵ月後の 12 月にはアフガニスタンの首都カブールは陥落した。
テロの撲滅という目的とともに、アフガニスタン戦争では、圧政のもと苦しむアフガニスタ
ンの民衆を解放するため、タリバン政権の打倒と外からの関与が必要だという論理が展開され
た。
しかし、カブールが陥落した後も、アルカイダとの戦いが終わったわけではなく戦闘は続い
ており、テロの除去と安定した政権の確立は未だに達成されていない。
第2項
イラク戦争
2002 年1月の一般教書演説において、ブッシュはイラン・イラク、北朝鮮を「悪の枢軸」
として避難した。これら 3 国は、大量破壊兵器の保有が疑われている国々であるが、そのなか
でも、ブッシュが標的にしたのは、イラクであった。イラクは、サダム・フセイン政権の下、
湾岸戦争以降 12 年間で 17 もの国連安保理決議を無視し、国連査察団も追放していた 58。ここ
に、9.11 テロ事件によるアメリカ国民の安全保障へ関心の高まりが加わって、イラク問題へ
の対処が実現されることとなった。
2002 年にブッシュ政権は、全面的かつ自由なアクセスを伴う兵器査察を再開する国連総会
決議を求め、10 月には連邦議会において軍事力使用の承認を得た。そして、11 月には国連安
保理が安保理決議 1441 を採択した。これは、イラク国内において、禁止された武器の捜索を
無条件に行うことを国連査察官に与えたものである。しかし、2003 年 1 月、国連の査察団は
イラクに大量破壊兵器を発見できなかった。そして、ヨーロッパの多くの国々による米国のフ
セイン排除計画への反対があった。フランス、ロシア、ドイツが軍事力行使に反対し、イラク
に対する軍事力行使を承認する安保理決議は採択されなかった。そして、アメリカは、国連の
支持がないままイラク戦争開戦に踏み切った。
イラク戦争開戦にあたって国民に向けた 2003 月 3 月 19 日の演説のなかで、ブッシュは、
イラクにおける民主的国家建設へのアメリカの関与の必要性を述べている。
57
58
油井、前掲書、ⅲ頁。
村田、前掲書、222 頁。
冷戦後のアメリカ対外政策とウィルソン主義
29
「米国民と世界中の人々に理解してもらいたい。連合軍は罪のない民間人の犠牲を避けるた
め、あらゆる努力を払うことを。カリフォルニア州と同じ広さを持ち、 厳しい地形条件を有
する国での軍事作戦は、予想されるよりも長く困難なものとなるかもしれない。そして、イラ
ク国民による、自由で安定した統一国家の建設の支援には、われわれの継続した関与が求めら
れる」 59。
こうして、2003 年 3 月、アメリカが主体となり、イギリス、オーストラリアなどが加わり、
イラクへの侵攻が始まったのである。米英軍は、他の数カ国からの小規模部隊とともに、南か
らイラク侵攻を開始した。4 月に入り、首都バクダットを陥落させ、イラク占領に成功した。
その後、イラクの統治権をもつ暫定政府の確立を進めたが、アメリカをはじめとする連合軍兵
士への奇襲攻撃や暴力行為が後を絶たず混乱した状況が続いた。兵器査察チームによる査察が
行われたが、化学・生物兵器などの備蓄を見つけることは出来なかった。
アメリカは、第一次世界大戦ではウィルソン大統領の 14 か条の原則、第二次世界大戦では
ルーズヴェルトの大西洋宣言と、それぞれ戦後の理想主義的な青写真を描いてきた。しかし、
イラク戦争においてはテロリズムの撲滅というだけで、テロを防ぐ社会環境や世界経済をどう
作り出すかというビジョンを出していないとの指摘もある。イラクで戦争が終結した後も、戦
闘が続き、イラク国民のあいだに米軍の撤退を望む声が広がっていることは、このビジョンが
欠落していることの現れではないだろうか。さらに、ブッシュの単独主義的な行動は、アメリ
カ合衆国が自ら築いてきた国際機構や国際法秩序を破壊している。例えば国際刑事裁判所(I
CC)は、戦争やジェノサイドについての個人の刑事責任を国際社会が問おうとして設立され
たものであるが、アメリカが自国の兵隊を外国に裁かれたくないとしてそれに敵対することは、
自分たちがかつて行った戦争裁判を否定するものである。この点を、ブッシュは理解していな
いと批判されている。
イラク戦後、イラク人と、米兵の死者数の増加などのイラク情勢の泥沼化は、ブッシュ政権
の外交に大きな影響を与えた。2006 年の中間選挙では、共和党は民主党に大敗を記し、ブッ
シュ政権の外交は見直しを迫られたのである。
第4節
ブッシュ政権におけるウィルソン主義
ブッシュ政権は、彼の安全保障のアドバイザーであるライスが 2000 年の選挙キャンペーン
において、クリントン政権下のリベラルな多国間主義強調への抵抗として、共和党政権は伝統
的な大国関係のマネージメントと国益の追求を強調した外交への回帰を主張していたように、
伝統的リアリストのレトリックを活用していた。そのため、ブッシュ政権は共和党のリアリズ
ム政権との印象があり、国益より民主主義の理念を強調するウィルソン主義とはかけ離れてい
59「ブッシュ大統領、対イラク軍事作戦開始を発表」、在日米国大使館ホームページ
<http://japan.usembassy.gov/j/p/tpj-j20030320d3.html>
30
国
際
政
治
る印象がある 60。しかし、イラクと中東に民主主義をもたらすことが平和とアメリカの安全保
障にとって致命的であると主張しているように、リベラルなウィルソン主義の概念を包含して
いる。ブッシュ政権は、実際に国連などの国際機構を通さずに対外行動(単独行動主義)をと
ることも多い。この点は、「通説的」ウィルソンの国際協調とは、性質を異にしているが、本
論文におけるウィルソン主義の二面性がここにあらわれている。人道的介入論と制限主権論
(主権に対する人権の優位)、自由と民主主義の拡大、正義の戦争論(力は正義なり)とした
点で、「民主化」を進めるウィルソン主義の理念を受け継いでいるといえる。両者には他国に
おける民主主義推進という共通項はあるものの、相違点ももちろん存在している。
ウィルソンの外交は、アメリカの道義性に対する強い自信と、国際連盟時代の提唱に代表さ
れる国際協調主義とを併せ持つものであった。ウィルソンが、ラテン・アメリカやアジアに対
して独善的な態度ととったことは否定できないが、国際連盟の設立という目的のため、その独
善性は和らげられることも多かった 61。しかし、ブッシュ政権の外交は、単独行動主義を優位
において、「アメリカの正義」を振りかざした。国連や同盟国の反対を押し切って開戦された
イラク戦争は、それが顕著に現れた例である。ブッシュ政権は「有志連合」を募ることもあっ
たが、それはアメリカに従う意志がある国との「国際協調」であり、普遍的な国際秩序構築を
目指したウィルソンとは相違がある。
また、ブッシュ政権の外交には、ウィルソン主義の精神は受け継がれているものの、アメリ
カが自由と正義の擁護者であると述べるだけで、それ以上理念について語ろうとはしなかった。
ブッシュにとって自由や正義はアメリカの優越を主張する際の枕詞になっても、個別的利害を
超えてまでのアメリカの外交行動を規定すべき原則としてはとらえられていなかったためで
ある 62。ブッシュ政権は、ウィルソン主義的な理念を利益に従属させた。ブッシュは自由、民
主主義、文明という理念を強調したが、チェイニー副大統領と関連のある石油サービスのハリ
バートンやレーガン政権のシュルツ国務長官と関係が深いエンジニア会社のべクテルなどが
イラク復興事業を受注したことなど、理念の裏に個別的利益があることが明らかである。理念
追求が国際社会の共同作業であるということが認識されなければ、理念は戦争を正当化するた
めの形容詞に過ぎず、国際社会での共有は難しいだろう。ウィルソン自身も、一方で普遍的な
理念を語りながら、現実にはアメリカの国益を優先することもあり、諸外国から反発されるこ
とも多かった。ブッシュ政権のほうが、この傾向はより顕著であったが国家利益と理念との間
に矛盾が生じる点では共通している。
G. John Ikenberry, Thomas J. Knock, Anne-Marie Slaughter, Tony Smith, The Crisis of
American Foreign Policy: Wilsonianism in the Twenty-first Century (Princeton University
60
Press), p.6.
61 西崎、前掲書、217-8 頁。
62 西崎、前掲論文、18 頁。
冷戦後のアメリカ対外政策とウィルソン主義
31
結 論
立憲民主制の国家同士は互いの正統性を認識し集団安全保障や自由な経済交流を通じて平
和を維持するというウィルソンの外交理念は、自由や民主主義を重視するアメリカの建国以来、
現代まで続く価値観に基づいている。
ウィルソン主義は、彼以降のアメリカ政治に多大な影響を与えた。トニー・スミスはアメリ
カの使命感に焦点を当てた著作のなかで「アメリカ外交における一貫した伝統」として「アメ
リカの安全は民主主義の世界的な普及によって最もよく守られるという信念」を挙げている。
民主主義を安全保障の問題として位置づける考えは、ウィルソン大統領に始まり、レーガン、
クリントン、G・W・ブッシュ政権にも共通する認識である。
「民主主義」という理念を重視したウィルソンであったが、アメリカ外交は常に理想ばかり
を追い求めていたわけではなかった。ウィルソンによる「国際協調主義」の外交の流れに、当
時、アメリカの「非公式帝国」路線が合流し、同時に新世界秩序の創出や「民主主義の輸出」
のための戦争が肯定されるようになった。例えば、第一次世界大戦への参戦を主導する過程に
おいてウィルソンは「民主主義のために世界を安全にする」という論理で戦争を正当化した。
ウィルソンは外交では普遍的な理念を語りながら、現実にはアメリカ独自の利益を優先させる
ことも多く、諸外国からの反発にあっていた。彼が、自国のものであれ、他国のものであれ、
特殊な権益が人々を搾取することを阻止し、利他的な外交を追及すべきであるという信念を持
っていたのは事実である。だが、この普遍的な理念である「民主主義」はアメリカが構想した
「民主主義」であり、アメリカのナショナリズムを一体化した「国民民主制」という制約を持
っていた。それゆえ、「民主化」を要求される側からみれば、それはアメリカの国益追及のた
めの手段として受け止められ、強い批判を浴びたのであった 63。
通説的には、ウィルソン主義は「民主化」と「国際協調主義」を進めることにより国際秩序
構築を目指すものである。しかし、実際の政策面では、第 1 章 1 節で述べたように、ウィルソ
ン政権は「民主化」は行うものの、他国との関与の仕方は第一次世界大戦参戦時のような「国
際協調主義」だけでなく、メキシコ介入にみられる「単独行動主義」をとることがあった。こ
うした二面性は、ウィルソンの時代だけではない。
アメリカは、人権・民主化などウィルソン主義的な理念を世界に普及させており、アメリカ
と戦争との関係を説明するのに、理念的要素が重要であることは疑いがない。しかし、民主主
義の普及や人権侵害といった大義名分のみを理由に軍事力を行使するわけではなく、人道的関
心を補強する別の国益がない場合、軍事力の行使は回避することが多い。アメリカの安全保障
や経済的利益といった国益を得られる見込みがわずかな場合、軍事力行使をしてまでウィルソ
ン主義の追及をすることは非常に稀である。他方、軍事的安全保障の理由からアメリカが戦争
や軍事力の行使に踏みきった事例を探すことはさほど難しいことではなく、たとえば湾岸戦争
の場合、クウェート侵略を懸念したが、同時にエネルギー供給と湾岸地域の同盟国への脅威と
63
西崎、前掲書、218 頁。
32
国
際
政
治
いう懸念がアメリカの軍事力行使につながった。また、クリントン政権期の旧ユーゴスラビア
のボスニアとコソボの場合、ヨーロッパの同盟国とNATOが国益として絡んでいたため、軍
事介入へとつながった。他方、ソマリアの場合は、人道的関心以外の国益が乏しかったため、
米軍に犠牲者が発生したことが明らかになると、軍事介入を続けることはなかった。ソマリア
での悲惨な結果は、ルワンダでの国連の平和維持活動へのアメリカの支援を阻んでしまい、
1994 年の大虐殺を防ぐことが出来なかった 64。しかし、国連やNATOとの国際的な協調や、
「人道的介入」という新しい概念を提示したことから、「民主化」と「国際協調主義」のウィ
ルソン主義が、クリントン政権の対外政策に影響を及ぼしているといえるであろう。
ブッシュ政権においても、9.11 テロ事件後のアフガニスタンへの侵攻やイラク戦争において
「民主化」をその目的の一つに掲げている。イラク戦争は、イラクにある大量破壊兵器の根絶
とクルド人の弾圧を行うフセインを追放して「民主化」をはかるという目的のもと戦争が始ま
った。しかし、人道的側面のみからイラクに対し軍事力行使を行ったわけでなく、イラクを民
主国家に変え資本主義経済を根付かせ親米的な政権を樹立させ、イラクにある石油資源の確保
を容易にするという目的が民主化の背景にあるといわれている。イスラム世界を民主化する米
国の論理は、利他的であるとともに利己的なものである。すなわち、イスラム教徒が多数を占
める諸国の民主化が進むことは、そうした国々の住民の利益となるが、同時にそれは米国の利
益にもなるということである。またブッシュ政権は、国際協調よりも単独主義に走る傾向が強
く、国連などとの多国間協調を軽視し、同盟よりも「有志連合」アプローチを採用した。
このように、アメリカのウィルソン主義推進には、単に人道的観点や、政治制度によって定
められているのではなく、様々な要因が絡み合っていると考えられる。クリントン、ブッシュ
ともに民主化やウィルソン主義を進めるとしているが、結局はその背景にある国益を重視して
いる。民主主義は、確かにアメリカの追い求める理念であるが、まったく利益のない政策を取
るほどにアメリカ外交は利他的ではないのであろう。しかし、ウィルソン主義の理念である「民
主化」を大義とした対外行動はクリントン・ブッシュ政権両者において、共通して見受けられ
る。また、冷戦後のアメリカ外交には、ウィルソンの対外関与における二面性「国際協調主義」
と「単独行動主義」が存在している。クリントン政権においては、国際協調主義が強調されて
おり、他方ブッシュ政権では単独行動主義が顕著であり、二面性の内の一方がより強く顕在化
したものとして理解できる。すなわち、ウィルソン主義の「民主化」、そして「国際協調主義」・
「単独行動主義」の二面性は、冷戦後アメリカの対外政策に至るまで影響を与えており、今日
まで受け継がれているといえる。
また、現代の国際社会におけるウィルソン主義には課題も残されている。「米国主導の民主
主義推進」は、民主化を行った国において自由な選挙で選ばれた指導者が、言論の自由や報道
の自由、政治的反対の自由を抑圧し、憲法で保障された自由が達成されておらず不十分である
ことが問題であるとして指摘されている。「民主主義」はかつて非民主的であった国々でどれ
ほど有効に根付いているのだろうか。ファリード・ザガリアは「非自由主義的民主主義」とい
う現象に注意を喚起していたように、自由な選挙で選ばれた指導者が、言論の自由や報道の自
64
ジョセフ・S・ナイ、山岡洋一〔訳〕
『アメリカへの警告~21 世紀国際政治のパワー・ゲーム~』
(日本経済新聞社、2002 年)、245 頁。
33
冷戦後のアメリカ対外政策とウィルソン主義
由、政治的反対の自由を抑圧することを指している。民主主義は、特に第三世界では、必ずし
も憲法で保障された自由主義をもたらすとは限らないのである
65。さらに、2001
年の同時多
発テロ以降の対外軍事行動に対しては、民主政治が軍事介入を正当化するための飾り言葉にな
っているという批判もある。また、普通選挙制度の実施など「民主化」政策は行うものの、継
続した長期的な視野に立った民主体制の構築をしているかというと甚だ疑問がある。
さらに、民主党と共和党の政策の違いが鮮明でなくなってきており、中道に向かってきてい
ることも指摘できる。民主党がリベラルな国際主義の世界観を純粋に追求することがなくなっ
てきており、共和党も保守的あるいは現実的な国際主義を純粋に追及することはなくなってき
ている。両党ともリベラル・保守の国際主義の要素を取り入れた外交をおこなっていて、民主
主義と自由貿易を理想として追及し、アメリカの安全保障と国益を最優先課題にしている点で
は共通なのである 66。
国際社会において人権・民主主義の重要性が疑われなくなった今日、ウィルソン主義の理念
をもとに自由や民主主義を主張し対外政策を展開することは、以前よりも容易になってきてい
る。しかし、それを外交目標としていく場合には慎重な選択が求められる。普遍的な価値はも
ちろん重要だが、それのみで他に利益のない政策をとるほどアメリカは利他的ではない。普遍
性と個別のバランスをとることが今後の政策には不可欠であるのではないか。
65
66
シュレジンガー、前掲書、192 頁。
浅川、前掲書、240 頁。
国
34
際
政
治
参考文献・資料
<英語文献>
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Page and Company, 1922)
Ikenberry, G. John, Thomas J. Knock, Anne-Marie Slaughter, Tony Smith, The Crisis of
American Foreign Policy: Wilsonianism in the Twenty-first Century
(Princeton University Press, 2008)
Kissinger, Henry, Diplomacy (Simon & Schuster, 1994)
Smith, Tony, America’s Mission The United States and the Worldwide Struggle for
Democracy in the Twentieth Century(Princeton University Press,1994)
Smith, Tony, “Wilsonianism,” in Alexander DeConde, et al., eds., Encyclopedia of
American Foreign Policy, Vol.3 (Charles Scribner’s Sons,2002)
<邦語文献>
アーサー・シュレジンガー・ジュニア〔著〕、藤田文子・藤田博司訳、
『アメリカ大統領と選
挙』(岩波書店、2005 年)〔Arthur M. Schlesinger, Jr., War and the American
Presidency (W. W. Norton, 2004)〕
浅川公紀『アメリカ外交の政治過程』(勁草書房、2007 年)
阿南東也『ポスト冷戦期のアメリカ外交~残された「超大国」のゆくえ~』
(東信堂、1999
年)
猪口孝、マイケル・コックス、G・ジョン・アイケンベリー編『アメリカによる民主主義の
推進~なぜその理念にこだわるのか~』(ミネルヴァ書房、2006 年)〔Michael Cox,
G. John Ikenberry, Takashi Inoguchi, American Democracy Promotion:
Impulses Strategies and Impacts(Oxford University Press,2000)〕
菅英輝『アメリカの世界戦略~戦争はどう利用されるのか』(中公新書、2008 年)
草野大希「20 世紀初頭の西半球におけるアメリカ介入政策と秩序形成-複雑システム理論
による国際政治分析の試み―」(上智大学博士論文、2006 年度)
久保文明・砂田一郎・松岡泰・森脇俊雅『アメリカ政治』
(有斐閣、2006 年)
斉藤眞『アメリカとは何か』(平凡社、1995 年)
ジョセフ・S・ナイ・ジュニア〔著〕、山岡洋一〔訳〕、
『アメリカへの警告~21 世紀国際政
治のパワー・ゲーム~』
(日本経済新聞社、2003 年)〔Joseph S. Nye, Jr., The
Paradox of American Power (Oxford University Press,2002)〕
ジョセフ・S・ナイ・ジュニア〔著〕田中明彦・村田晃嗣〔訳〕『国際紛争~理論と歴史~
( 原 書 第 6版 )』( 有 斐閣 、 2007 年 )〔 Joseph S. Nye, Jr., Understanding
International Conflicts An Introduction to Theory and History,6th ed. 〕
冷戦後のアメリカ対外政策とウィルソン主義
35
西崎文子「アメリカ『国際主義』の系譜~ウィルソン外交の遺産~」
『思想』945 号(2003
年)
西崎文子『アメリカ外交とは何か~歴史の中の自画像~』
(岩波新書、2004 年)
長谷川雄一、高杉忠明編『新版
現代の国際政治―冷戦後の日本外交を考える視角』
(ミネル
ヴァ書房、2006 年)
藤原帰一『デモクラシーの帝国~アメリカ・戦争・現代世界~』(岩波新書、2002 年)
松田武『現代アメリカの外交~歴史的展開と地域との諸関係~』
(ミネルヴァ書房、2005 年)
村田晃嗣『アメリカ外交~苦悩と希望』(講談社現代新書、2005 年)
山本吉宣『「帝国」の国際政治学~冷戦後の国際システムとアメリカ~』
(東信堂、2006 年)
油井大三郎、『好戦の共和国アメリカ~戦争の記憶をたどる~』(岩波新書、2008 年)
<インターネット資料>
在日米国大使館ホームページ(http://japan.usembassy.gov/tj-main.html)
CNN ホームページ
(http://edition.cnn.com/US/9511/bosnia_speech/speech.html)
Washington Post ホームページ
(http://www.washingtonpost.com/wp-srv/nation/specials/attacked/transcripts/bushaddre
ss_092001.html)
37
冷戦後のアメリカ対外政策とウィルソン主義
あ
と
が
き
卒業論文は、民主主義とアメリカ政治にもともと興味があったということもあり、
おおまかなテーマは比較的早い段階で決めることが出来ました。しかし、「ウィルソ
ン主義」をテーマにしてみたものの、途中、様々なことを調べていくうちに当初の目
的とずれてしまい、論文の方向性がわからなくなることもあり大変でした。
また、知識があまりないにも拘わらず、アメリカ政治と民主主義推進の関係とい
う壮大なテーマ(?)に、果敢にも挑戦してしまったため、まとめていくのが困難で、
「なんでこんなテーマにしてしまったんだろう」と後悔することもしばしばありま
した。教訓として、「論文のテーマ選びは慎重に!」です。
それから、分析する対象によって文献の有無が全く異なるので、注意したほうが
いいと思います。私は、テーマが「アメリカ政治」なだけに、比較的たくさんの文献が
あって助かりました。けれども、文献がありすぎて逆にどれが自分の論文にあった
ものか見つけるのは大変でした。そして卒論では、英語の論文等に苦しめられまし
た。普段から、ゼミや授業でもっとしっかり英文を読んでおけばと反省しました。
また、私はのんびりした性格なので、論文の提出がいつも締め切り間際になって
しまって、先生には本当に迷惑をかけてばっかりでした。就活を夏ごろまでやって
いたので、卒論に本格的に取り組み始めたのが後期からになってしまい余裕があり
ませんでした。後輩のみなさんには長い夏休みを利用して、実際には執筆しなくて
も文献を探して読んでみることをおすすめします。
最後に、論文を指導していただいた草野先生をはじめ、永田先生、山本先生には 4
年間お世話になりありがとうございました。また、私が卒論を終わらせることが出
来たのは、家族の支えに加え、ゼミの皆さんやサークルの友人と、互いに励ましあっ
たり、アドバイスをし合えたからだと思います。本当にありがとうございました。
また、この文章を最後まで読んでくださった方、稚拙な文章ですが、参考にしてい
ただけると光栄です。
高 尾
碧