第 8章 - 日本国際問題研究所 軍縮・不拡散促進センター

第8章
中東における大量破壊兵器不拡散問題
−「9.11事件」後の変化の考察−
堀
部
純
子
はじめに
冷戦終結後、中東における大量破壊兵器の問題は、国際秩序の変化、米国による世界秩序
再構築の過程における中東への関与、更には湾岸戦争後にイラクの大量破壊兵器開発計画が
発覚したことなどにより、グローバルな問題として扱われるようになった。また、グローバ
リゼーションの加速とも相俟って大量破壊兵器およびその運搬手段としてのミサイルの入手
先がグローバルに拡大したことに加え、大量破壊兵器拡散防止への国際的な枠組み強化の過
程で、中東地域における拡散状況の深刻さがクローズアップされてきた。
大量破壊兵器の拡散は中東に限った問題ではないが、特にこの地域において拡散が著しい
のはなぜか、またその拡散防止に困難を伴うのはなぜかという問いに答えることは、問題解
決において不可欠であるように思われる。
他の地域と比較して中東地域で大量破壊兵器が著しく拡散傾向にあるのには、第一に既に大
量破壊兵器が広く拡散してしまっているという実情がある。既存の拡散が新たな拡散を呼ぶと
いう軍拡競争の構造が既に出来上がっており、域内諸国間に存在する通常兵器分野における大
幅な軍事格差という要素も加わり、大量破壊兵器が地域の軍拡における最終的な矛先となって
きたとい う側面 もある 1 。 第二に、 この地 域の紛 争 構造が複 雑かつ 多層的 で あるため に、安 全
保障環境が慢性的に不安定であり、域内諸国は、大量破壊兵器の保有によって自国の存続を図
ろうとする極めて高い動機を有していることが挙げられる。第三に、域内諸国間の地域覇権を
巡るゲームのなかで、大量破壊兵器や弾道ミサイルを保有していること、またそれらを独自に
生産できる技術基盤を持っていることが国力やプレステージの主要な源泉となると認識して
いる指導者が多いことも挙げられる。上述したような特徴のいくらかは他地域でも見られるが、
中東地域では、これら三つの要素が混在し、密接に絡み合っているがゆえ、大量破壊兵器が著
しい拡散傾向にあると考えられる。
こうした複雑な背景を持つ中東における大量破壊兵器拡散問題に対し、冷戦終結後、国際
Anthony H. Cordesman, “Current Trends in Arms Sales in the Middle East Arms Control,”
Shai Feldman and Ariel Levite (eds.) Arms Control and the New Middle East Security
1
Environment , (Boulder: Westview, 1994), pp.38-39.
121
的な枠組みによる拡散防止努力が行なわれてきたが、それには多くの困難を伴ってきた。大
量破壊兵器の開発や保有の強い動機を持つといわれるいくつかの国々は、核不拡散条約
( NPT)、 化 学 兵 器 禁 止 条 約 ( CWC)、 生 物 ・ 毒 素 兵 器 禁 止 条 約 ( BWC) と い っ た 主 な 不 拡
散関連条約に参加しておらず、関連する兵器の保有が確実視されている。不拡散関連条約の
締約国でありながら、それらの条約に違反している、または条約を遵守しているか疑わしい
国々も存在し、条約の対象となる兵器の開発や取得に対する強い意思を有しているのではな
いかと懸念されている。
こ う し た な か 、 2001年 9月 に 米 国 で 同 時 多 発 テ ロ ( 以 下 9.11事 件 ) が 発 生 し た 。 こ れ を 契
機として、大量破壊兵器の脅威、ならびに「ならず者国家」と大量破壊兵器テロの結びつき
か ら 生 ず る 脅 威 を 強 調 す る 政 策 を 米 国 が 打 ち 出 し た 2 こ と に よ り 、「 な ら ず 者 国 家 」 や テ ロ 支
援国家に指定される国を他より多く抱える中東地域の大量破壊兵器問題は新たな局面を迎え
た 。「 テ ロ と の 戦 い 」と し て 行 わ れ た ア フ ガ ニ ス タ ン 攻 撃 、大 量 破 壊 兵 器 廃 棄 の 拒 否 を 理 由 に
先制攻撃が行われたイラク戦争は、大量破壊兵器を保有する、あるいは開発を企図している
と言われる、中東地域の主な国々であるイラン、リビア、シリアおよびイスラエルの大量破
壊兵器に関する姿勢にいかなる変化をもたらしただろうか。
本 稿 で は 、 ま ず 、 そ れ ら 4つ の 国 を 取 り 上 げ 、 そ れ ぞ れ の 大 量 破 壊 兵 器 関 連 活 動 の 現 状 と
背 景 ・ 理 由 を 概 観 す る 。 続 い て 、 そ れ ぞ れ の 国 の 大 量 破 壊 兵 器 に 関 す る 政 策 に つ い て 、 9.11
事件後にどのような変化がみられるか、また、大量破壊兵器を保有する「ならず者国家」が
もたらす脅威への対処として武力が行使されたイラク戦争がいかなる影響を与えつつあるか
を 考 察 す る 。最 後 に 、上 述 し た 中 東 に お け る 大 量 破 壊 兵 器 拡 散 の 傾 向 の 理 由 等 を 念 頭 に 、9.11
事 件 後 の そ れ ら 4つ の 国 の 大 量 破 壊 兵 器 に 関 す る 政 策 の 変 化 を 踏 ま え 、 中 東 に お け る 大 量 破
壊兵器の拡散防止、さらには廃絶の方向性を模索する。
1.
イランにおける大量破壊兵器問題の動向
( 1)
現状、背景・理由
イ ラ ン は 、 NPT、 CWC、 BWCと い っ た 主 要 な 不 拡 散 関 連 条 約 の 締 約 国 で あ る が 、 核 ・ 化
2
例 え ば 、 John R. Bolton, “The New Strategic Framework: A Response to 21 st Century Threat,”
U.S. Foreign Policy Agenda: An Electronic Journal of the U.S. Department of State, Vol.7, No.2
(July 2002), p.5参 照 。
122
学・生 物・毒 素 、す べ て の 開 発 計 画 の 存 在 を 疑 わ れ て お り 3 、そ れ ぞ れ の 条 約 の 遵 守 が 疑 わ し
い と す る 見 方 が あ る 。 最 も 懸 念 さ れ る 核 開 発 疑 惑 問 題 に つ い て は 、 2002年 8月 に ナ タ ン ズ
( Natanz) に 建 設 中 の ウ ラ ン 濃 縮 施 設 と ア ラ ッ ク ( Arak) の 重 水 製 造 工 場 が 顕 在 化 し た こ
と を 契 機 と し て 、核 燃 料 サ イ ク ル 計 画 の 公 表 4 、秘 密 裏 に ウ ラ ン を 兵 器 級 に 濃 縮 す る な ど 、核
兵 器 開 発 を 示 唆 す る 事 実 が 次 々 と 明 る み に な っ た 5 。イ ラ ン は 、す べ て の 核 活 動 は 純 粋 に 平 和
利用を目的としたものであると一貫して主張し、疑惑を否定し続けてきたが、前述の具体的
な 証 拠 の 提 示 、 国 際 的 な 政 治 圧 力 、 さ ら に は 、 英 ・ 仏 ・ 独 3外 相 に よ る 交 渉 6 な ど の 結 果 、 ウ
ラ ン 濃 縮 計 画 と 再 処 理 計 画 を 自 主 的 に 中 止 す る こ と を 宣 言 し 、2003年 12月 に は 国 際 原 子 力 機
関 ( IAEA) の 保 障 措 置 協 定 の 追 加 議 定 書 に 署 名 し た 。 追 加 議 定 書 の 保 障 措 置 が 実 施 さ れ れ
ば、核兵器開発の強い意思を有しているとの疑念を持たれている国にこれが適応される初め
てのテストケースとなる。
イ ラ ン の 大 量 破 壊 兵 器 の 開 発 ま た は 保 有 の 動 機 は 多 様 で あ る 7 。核 兵 器 に 関 し て い え ば 、そ
の 開 発 計 画 は 、 シ ャ ー ( Muhammad Reza Shah) の 時 代 か ら 始 ま っ た と 言 わ れ て お り 、 地
域覇権の獲得を欲するイランにとって、高度な兵器開発技術や大量破壊兵器そのものを有し
て い る こ と は 、権 力 の 源 と 映 っ た 8 。革 命 後 の 政 権 に お い て も 、地 域 覇 権 に 対 す る 野 心 は 基 本
的には変化していない。イランの指導者にとって、自国民が国家像として描く地域覇権国と
してのイランと現実とのギャップを埋めるうえでも、ハイテク兵器の入手が困難であったこ
Kori N. Schake and Judith S. Yaphe, “The Strategic Implications of a Nuclear-Armed Iran,”
McNair Paper , National Defense University, No. 64,( 2001) , pp.9-11を 参 照 。
3
4
2003 年 2 月 9 日 、 ハ タ ミ 大 統 領 の 発 表 に よ る 。 Paul Kerr, “Iran Mining Uranium, Greatly
Expanding Nuclear Facilities,” Arms Control Today , March 2003, <http://www.armscontrol.org/
act/2003_03/iran_mar03.asp>.
5
例 え ば 、イ ラ ン が 中 国 か ら 2ト ン の ウ ラ ン を 1991年 に IAEAに 未 申 告 で 輸 入 し て い た こ と や テ ヘ ラ ン
近 郊 に あ る カ ラ イ 電 気 会 社 で 高 濃 縮 ウ ラ ン が 検 出 さ れ た こ と が 、IAEAの 調 査 で 明 ら か に な っ た 。Joby
Warrick, “U.N. Nuclear Agency Says Iran Breached Agreements,” Washington Post , 7 June 2003,
<http://www.washingtonpost.com>,『 毎 日 新 聞 』 2003年 9月 25日 。
6
2003年 10月 21日 に 、イ ラ ン 政 府 と 英・仏・独 3外 相 は 、共 同 宣 言 で 、イ ラ ン が 追 加 議 定 書 に 署 名 し 、
批准手続きを始めること、ならびにすべてのウラン濃縮および処理活動を自発的に一時停止すること
などと引き替えに、平和利用のための核燃料や核関連の最新技術のイランへの提供について合意した
こ と を 発 表 し た 。『 読 売 新 聞 』 2003年 10月 22日 。
7
イ ラ ン の 大 量 破 壊 兵 器 保 有 の 動 機 は 、 Kori N. Schake and Judith S. Yaphe, “The Strategic
Implications of a Nuclear-Armed Iran,” McNair Paper , National Defense University, No. 64,
(2001)に 詳 し い 。
8
Kori N. Schake and Judith S. Yaphe, “The Strategic Implications of a Nuclear-Armed Iran,”
pp.10-11を 参 照 。
123
とに鑑みれば、大量破壊兵器の取得は有効な代替手段であったといえよう。イランは、周辺
を 核 保 有 国 に 囲 ま れ て い る こ と か ら も 、核 兵 器 を 開 発 す る 動 機 が あ る と み ら れ て い る 。ま た 、
地政学的見地から厳しい安全保障環境に置かれていると感じており、大量破壊兵器を自助手
段のための軍事オプションとする動機も高い。
( 2)
イラク戦争の影響
2003年 後 半 以 降 、イ ラ ン が 核 兵 器 開 発 疑 惑 問 題 に 対 し 、態 度 を 軟 化 さ せ て き た 理 由 を 、米
国のイラクに対する武力行使の影響のみに帰するのはやや単純すぎるかもしれない。たしか
に、イランの指導者たちは、アフガニスタンのタリバン政権およびイラクのフセイン
( Saddam Hussein) 政 権 崩 壊 、 な ら び に 米 国 の 圧 倒 的 な 軍 事 力 を 目 の 当 た り に し 、 次 は 我
が身と感じただろう。そうしたなかで、核兵器開発を示唆する証拠が次々と提示され、イラ
ンは窮地に立たされた。さらに、日本や欧州諸国など、政治的・経済的見地から極めて重要
な国々との関係悪化および経済的損失が懸念された。とはいえ、これまで、反米姿勢を国内
影響力維持のための道具としてきたイランの保守派にとって、米国の圧力の前に屈すること
は、体制基盤の弱体化に直結してしまう。こうしたイランが抱えたジレンマを克服するうえ
で 、 英 ・ 仏 ・ 独 3外 相 の イ ラ ン 訪 問 が 果 た し た 役 割 は 大 き い 。 米 国 の 圧 力 に 屈 し た の で は な
く 、 欧 州 の 3ヵ 国 と 取 引 し 、 追 加 議 定 書 の 受 諾 と 引 き 替 え に 平 和 利 用 の た め の 原 子 力 技 術 へ
のアクセスという巨利を得た点を国内向けに強調することにより、保守派は体面を保ち、体
制基盤を急激に弱体化させることなく急場を凌ぐことができた。
追加議定書に署名したことで、イランが核兵器を秘密裏に開発することは極めて困難にな
っ た が 、イ ラ ン が 核 兵 器 開 発 の 意 思 を 放 棄 し た か ど う か は 不 明 で あ る 9 。原 子 力 の 平 和 利 用 と
い う 名 の 下 に 、イ ラ ン が 核 兵 器 開 発 に 必 要 な 核 物 質 や 技 術 な ど を 獲 得 し 、そ の 後 NPTを 脱 退
し て 核 兵 器 国 と な る こ と へ の 懸 念 も あ る 10 。 9.11事 件 後 、 タ リ バ ン 政 権 の ア フ ガ ニ ス タ ン 、
9
イ ラ ン が 核 兵 器 開 発 の 意 思 を 放 棄 し て い な い と い う 見 方 に 関 し て は 以 下 を 参 照 。Robert J. Einhorn,
“Curbing Nuclear Proliferation in the Middle East,” Arms Control Today , March 2004,
<http://www.armscontrol.org/act/2004_3/Einhorn.asp>; Michael Eisenstadt’s comments in “The
Crisis with Iran and the IAEA: A Luncheon with Geoffrey Kemp, Michael Eisenstadt, David
Program Brief , Nixon Center, Vol.9, No.22, (2003),
<http://www.nixoncenter.org/publications/Program%20Briefs/PBrief%202003/vol9no22Iran-IAEA.
pdf>.
Albright,
10
and
Dimitri
K.
Simes,”
こ う し た 問 題 へ の 対 処 と し て 、NPTの 脱 退 を 違 法 化 す べ き と い う 主 張 に は 、Samuel R. Berger and
Flynt Leverett, “Let’s get serious about nuclear proliferation: America needs to lead,”
124
サダム政権のイラクが崩壊し、米国の影響力がイラン周辺に急激に増大したことにより、イ
ランを取り巻く安全保障環境は大きく様変わりし、更に厳しいものとなった。イランの大量
破壊兵器の開発あるいは保有の意思を低減、さらには除去するには、米国との関係改善を含
めた同国を取り巻く安全保障環境の改善、イラク戦争後の極めて不安定な状況にある中東地
域に「力の空白」を作り出さないこと、さらにはイランが締約国となっている不拡散関連条
約 の 不 遵 守 に 対 し て 明 白 な 罰 が 与 え ら れ る 仕 組 み の 構 築 、な ど が 行 わ れ る こ と が 必 要 で あ る 。
さらに、追加議定書の署名により、自国内で核物質を製造しての核兵器開発が困難になった
も の の 、「 闇 市 場 」を 核 物 質 の 入 手 先 と す る な ど 、イ ラ ン が 核 兵 器 開 発 方 法 を 巧 妙 化 さ せ る 可
能性がないわけではない。また、追加議定書の保障措置は、核兵器製造に不可欠な核物質が
国内で不正に製造されるのを防ぐには極めて有効であるが、核兵器の器となる部品が秘密裏
に製造されるのを探知することはできないので、関連する技術やノウハウの流出の防止が引
き続き重要となる。
一方で、イランは、自国が主張するように、その核関連活動が真に平和利用を目的とした
も の で あ る な ら 、 IAEAや 国 際 社 会 に 対 し 、 活 動 の 透 明 性 を 高 め る 努 力 を 真 摯 に 行 な わ な け
ればならない。
2.
リビアにおける大量破壊兵器問題の動向
( 1)
現状、背景・理由
リ ビ ア は 、2003年 12月 に 、同 国 に お け る す べ て の 大 量 破 壊 兵 器 の 開 発 計 画 を 廃 棄 す る 決 定
をしたこと、ならびに廃棄の検証について、国際機関による査察を受け入れることに米・英
両 国 と の 間 で 合 意 し た こ と な ど を 発 表 し た 11 。 こ れ に よ り 、 リ ビ ア は 、 政 権 交 代 を 伴 わ ず に
大量破壊兵器廃棄を受け入れた最初のモデル・ケースとなった。核兵器については、リビア
は、核兵器開発に資するウラン濃縮装置など、核燃料サイクル計画の存在を認め、遠心分離
機を秘密裏に入手していたことを明らかにした。化学兵器については、相当量のマスタード
ガ ス な ど の 保 有 が 明 ら か に さ れ 12 、CWCへ の 加 盟 と す べ て の 化 学 兵 器 関 連 兵 器 や 貯 蔵 物 を 廃
International Herald Tribune , 3 March 2004が あ る 。
11
「 外 務 報 道 官 談 話 : リ ビ ア に 対 す る 化 学 兵 器 禁 止 条 約 ( CWC ) の 発 効 に つ い て 」 外 務 省
<http://www.mofa.go.jp/mofaj/press/danwa/16/dga_0205.html> 2003年 2月 26日 ア ク セ ス 。
12
『 産 経 新 聞 』 2003年 12月 21日 。
125
棄 す る こ と を 約 束 し た 13 。 生 物 兵 器 に つ い て は 、 リ ビ ア は 過 去 に 開 発 用 の 機 材 を 購 入 し 、 開
発 能 力 の 獲 得 を 企 図 し て い た こ と を 認 め た 14 。
リ ビ ア の 核 開 発 は 、 1980年 代 初 め に 開 始 さ れ た 。 2000年 に は 、「 闇 市 場 」 か ら ウ ラ ン 濃 縮
用 の 遠 心 分 離 機 な ど の 機 器 が 調 達 さ れ 、2003年 末 ま で 開 発 は 継 続 さ れ た 。こ の 間 に 、ウ ラ ン
濃縮のほか、少量のプルトニウム抽出などを行ったが、核兵器製造に十分な量を得る段階に
は 至 ら な か っ た 15 。
リビアは、大量破壊兵器開発計画の放棄を決定するまで、それらの兵器を中東、アフリカ
両地域における影響力拡大の道具として開発しようとした、またはイスラエルの核兵器への
対 抗 と し て 考 え て い た 公 算 が 高 い 16 。
( 2)
イラク戦争の影響
リビアが大量破壊兵器開発計画の放棄を決定した理由は、放棄の見返りとして期待される経
済制裁の解除、国際的孤立からの脱却、米英両国との関係改善、ならびにイラク戦争の影響
などであった。イラク戦争の影響については、その評価は定着していないものの、それが直
接の契機ではなかったとしても、リビアが最終的な決定を行なううえで、全く影響がなかっ
た と は 考 え に く い 17 。 米 国 に よ る イ ラ ク 攻 撃 、 か つ て は ア ラ ブ の 英 雄 と さ れ た フ セ イ ン 大 統
領の悲惨な姿での拘束、さらには大量破壊兵器の放棄に関して米・英両国と交渉中に、リビ
ア が 密 輸 し よ う と し た 遠 心 分 離 機 の 部 品 が 拡 散 安 全 保 障 イ ニ シ ア テ ィ ブ ( PSI) に よ っ て 押
収されたことなどが、政策決定過程でその決定を後押しした、あるいはある一定の影響を及
ぼしたと考えるのは間違いではないだろう。
リビアによる大量破壊兵器廃棄の決定の理由もさることながら、その重要な教訓は、大量
13
リ ビ ア は 、2004年 1月 6日 に CWCへ の 加 入 書 を 国 連 事 務 総 長 に 寄 託 し 、同 年 2月 5日 に CWCが リ ビ ア
に対して発効した。
14
『 産 経 新 聞 』 2003年 12月 21日 。
15
『 毎 日 新 聞 』 2004年 2月 21日 。
“Libya
Overview,”
Nuclear
Threat
Initiative,
July
2003,
<http://www.nti.org/
e_research/e1_libya_1.html>: John Eldridge, “Reassessing Libya,” Jane’s Nuclear, Biological,
16
and Chemical Defence , 23 December 2003,
security/news/nbcd/nbcd031223_1_n.shtml>.
17
<http://www.janes.com/security/international_
リ ビ ア が 大 量 破 壊 兵 器 放 棄 に つ い て 、イ ラ ク 戦 争 開 始 以 前 か ら 米 国 と 交 渉 を 始 め て い た 経 緯 に つ い
て は 、Flynt Leverett, “Why Libya Gave Up on the Bomb,” The New York Times , 23 January 2004,
<http://www.nytimes.com>を 参 照 。
126
破壊兵器放棄の対価が保証されれば、大量破壊兵器の保有の強い意志を持った国による兵器
の放棄がありうるという事例が示されたことである。また、それは体制転換(レジーム・チ
ェンジ)無くして可能であった。リビアのケースでは、体制保証、経済制裁の解除、対米関
係の正常化、対リビア投資の促進、国際社会への復帰といった、大量破壊兵器廃棄の対価が
提示され、対象となる兵器の廃棄が完全な形で実施された場合には、対価が払われることが
期待される。大量破壊兵器の廃棄を交渉カードとして悪用するのは好ましくないが、リビア
の よ う に 、主 な 不 拡 散 関 連 条 約 に 加 入 し 、廃 棄 の 検 証 に 積 極 的 に 協 力 す る な ど の 姿 勢 を 見 せ 、
大量破壊兵器を完全に放棄したことを検証可能な方法で実証する国には、対価を払うことは
間違った方向性ではないだろう。
リビアのケースを不拡散レジームという観点からみると、リビアは核開発に関して、開発の
意思を有してはいるものの、財政的・技術的な問題から、その開発計画はほとんど進展して
い な い と 見 ら れ て い た が 、原 子 力 供 給 国 グ ル ー プ( NSG)な ど に よ る 輸 出 管 理 に も か か わ ら
ず、遠心分離機の入手が可能であったことが明らかになった。また、核物質使用まで、そう
し た 機 材 の 輸 入 に つ い て 申 告 義 務 が な い と い う IAEAの 包 括 的 保 障 措 置 協 定 の 盲 点 を つ い て
おり、追加議定書の未署名国に批准を促す必要性を再認識させることとなった。さらに、リ
ビア向けの遠心分離機の部品がイタリア及びドイツ当局によって大量に押収されたことは、
大 量 破 壊 兵 器 の 拡 散 を 水 際 で 阻 止 す る と い う 、 拡 散 安 全 保 障 イ ニ シ ア テ ィ ブ ( PSI) が 順 調
に進んでいることを示した。また、核関連物資や技術の入手経路解明の過程で、パキスタン
の カ ー ン ( Khan) 研 究 所 を 中 心 と し た 供 給 ネ ッ ト ワ ー ク や 「 闇 市 場 」 の 存 在 が 明 る み に な
り、リビアの大量破壊兵器放棄により、これまで暗闇に包まれていたアンダーグラウンドの
拡散網が明るみとなった。これらは、大量破壊兵器の廃棄をいかに検証するか、また、再び
開発へと後戻りできないことをいかに保証するか、さらには核兵器の廃棄の検証を専門とし
な い IAEAが い か な る 役 割 を 果 た す こ と が で き る か と い っ た 問 題 、 な ら び に 明 る み に な っ て
きた「闇市場」などの闇ルートからの核関連技術や物資の流出をいかに効果的に防止してい
くべきかという問題などを提起した。
3.
シリアにおける大量破壊兵器問題の動向
( 1)
現状、背景・理由
シリアは、化学兵器保有疑惑およびその運搬手段であるミサイルの保有問題に加え、その
127
盛 ん な テ ロ 支 援 活 動 が 問 題 視 さ れ て い る 18 。 上 述 の イ ラ ン や リ ビ ア と は 対 照 的 に 、 米 国 お よ
び英国による大量破壊兵器放棄についての要求に対して、シリアは化学兵器の保有を否定し
ながらも、イスラエルの脅威から自国を防衛するために大量破壊兵器を保有する権利を有し
ており、イスラエルが核兵器の廃棄に同意した場合にのみ、大量破壊兵器廃棄の取引に応じ
る と 主 張 し て い る 19 。 核 兵 器 に つ い て は 、 米 国 お よ び イ ス ラ エ ル は 、 シ リ ア が 開 発 の 意 思 を
有 し て い る と み て い る が 20 、 核 兵 器 開 発 計 画 を 保 有 し て い る か 否 か は 定 か で は な い 。 し か し
ながら、シリアは、自国が核兵器を保有しようとすれば、イスラエルがいかなる反応を示す
か を 十 分 に 認 識 し て い る と 考 え ら れ 、 核 兵 器 の 保 有 を 試 み る 可 能 性 は 低 い と 見 ら れ る 21 。
シ リ ア は 、1970年 代 に 化 学 兵 器 製 造 お よ び 関 連 物 資 の 援 助 を 受 け 、現 在 は 化 学 兵 器 製 造 能
力 を 有 し 、 神 経 剤 で あ る サ リ ン を 貯 蔵 し て い る と 言 わ れ て い る 22 。 シ リ ア は 、 化 学 兵 器 保 有
の 疑 惑 を 否 定 し て い る が 、2004年 2月 現 在 、CWCに 署 名 し て い な い 。さ ら に 、化 学 兵 器 の 開
発と平行して弾道ミサイルの開発にも力を注いできており、イスラエルの大部分を射程に収
め る 移 動 式 の 弾 道 ミ サ イ ル を 保 有 し て い る と み ら れ て い る 23 。 イ ス ラ エ ル と の 軍 事 ギ ャ ッ プ
を縮小したいシリアにとって、化学弾道を搭載することができるとされる弾道ミサイルはそ
のギャップを埋めるうえで主要な役割を果たす。
シリアが大量破壊兵器を保有する動機は、核兵器を含めたイスラエルからの軍事的脅威、
18
例 え ば 、 John Bolton, Under Secretary for Arms Control and International Security, “Syria’s
Weapons of Mass Destruction and Missile Development Programs,” Testimony Before the House
International Relations Committee, Subcommittee on the Middle East and Central Asia,
Washington D.C., 16 September 2003<http://www.state.gov/t/us/rm/24135.htm>.
19
Benedict Brogan, “Syria declares right to weapons,” Washington Times , 6 January 2004.
20
ジ ョ ン ・ボ ル ト ン 国 務 次 官( 軍 備 管 理 ・国 際 安 全 保 障 担 当 )は 、シ リ ア が 、核 兵 器 開 発 に 応 用 可 能
な 汎 用 技 術 を 国 際 原 子 力 機 関( IAEA)の 技 術 協 力 プ ロ グ ラ ム を 通 し て 獲 得 を 試 み て い る こ と に 言 及 し
て い る 。 John Bolton, Under Secretary for Arms Control and International Security, “Syria’s
Weapons of Mass Destruction and Missile Development Programs,” Testimony Before the House
International Relations Committee, Subcommittee on the Middle East and Central Asia,
Washington D.C., 16 September 2003 <http://www.state.gov/t/us/rm/24135.htm>を 参 照 。
21
シ リ ア は 核 兵 器 を 獲 得 す れ ば 、イ ス ラ エ ル が 如 何 な る 反 応 を す る か 認 識 し て お り 、イ ス ラ エ ル に と
って受け入れ難い被害をもたらすことのできる化学兵器弾頭を搭載したミサイルで十分であると考え
て い る と す る 見 方 に は 以 下 を 参 照 。 Patrick Clawson, “Nuclear Proliferation in the Middle East:
Who is Next After Iran?” The Nonproliferation Education Policy Center, April 2003, p.7,
<http://www.npec-web.org/projects/clawson.pdf>.
22
“Syria Overview,” Nuclear Threat Initiative, September 2003, <http://www.nti.org>を 参 照 。
23
Ibid.
128
さ ら に そ の 洗 練 さ れ た 通 常 兵 器 能 力 へ の 対 抗 で あ る 24 。 シ リ ア は 、 冷 戦 期 か ら 、 東 ア ラ ブ 地
域における覇権の獲得を外交政策の目標に掲げ、ソ連の軍事援助を受け、イスラエルに対し
て は 、「 戦 略 的 均 衡 」政 策 を 採 用 し 、軍 備 増 強 に 努 め て き た 25 。ソ 連 崩 壊 後 は 、湾 岸 戦 争 で 米
国を支持するなど、巧みな外交戦術を展開し、地域覇権の獲得という一貫した外交目標を追
及 し て き た 。2000年 6月 に 、ハ ー フ ィ ズ・ア ル = ア サ ド( Hafiz al-Asad)前 大 統 領 が 死 去 し 、
二 男 バ ッ シ ャ ー ル・ア ル = ア サ ド( Bashar al-Asad)が 大 統 領 職 を 踏 襲 し た が 、B.ア サ ド は 、
東アラブ地域における覇権の獲得、ならびに対イスラエル強硬路線を含めた外交政策を継承
し て お り 、大 量 破 壊 兵 器 に 関 す る 政 策 に つ い て も 、前 大 統 領 時 代 と 大 き な 変 化 は み ら れ な い 。
( 2)
イラク戦争の影響
イ ラ ク 戦 争 で バ グ ダ ッ ド が 陥 落 し た 2003年 4月 、 米 国 は 、 テ ロ 支 援 お よ び 大 量 破 壊 兵 器 の
保有についてシリアに対する非難を高めた。それへの反応として、非難をそらすため、シリ
アは、中東非核兵器地帯の設置を提案した。また、リビアが大量破壊兵器開発計画の廃棄を
決 定 し 、自 国 の 大 量 破 壊 兵 器 に 対 す る 国 際 社 会 の 非 難 が 高 ま る の を 懸 念 し た シ リ ア は 、12月
末には再び中東を大量破壊兵器の非保有地域とする決議案を国連安保理で審議するよう提案
した。こうした方策をとることにより、シリアは自国の大量破壊兵器廃棄はあくまでもイス
ラエルの核廃棄と引き替えであるとの強いメッセージを送った。
イラク戦争後、シリアは、米国および親米諸国に包囲され、地政学的に極めて不安定な状
況に置かれることとなった。さらに、最大かつ最も身近な脅威であり、過去に四度に渡って
干 戈 を 交 え た イ ス ラ エ ル と の 関 係 は 改 善 す る ど こ ろ か 、悪 化 の 一 途 を 辿 っ て お り 、2003年 10
月 に は 1982年 以 来 初 め て シ リ ア 領 土 が イ ス ラ エ ル に よ り 攻 撃 さ れ た 。
米・英両国は、大量破壊兵器を放棄するようシリアに要求していると言われるが、このよう
なシリアの置かれた安全保障環境に鑑みれば、シリアが自発的に大量破壊兵器を放棄すると
は考えにくい。シリアにとって、最大の敵であるイスラエルの核兵器が見過ごされたまま、
対象となる条約に加入していない化学兵器の放棄を強要されるのは不合理と映るであろう。
24
Ibid.
Curtis R. Ryan, “Syrian Arab Republic,” David E. Long and Bernard Reich (eds.) The
Government and Politics of the Middle East and North Africa , (Boulder: Westview, 2002),
25
p.243、 青 山 弘 之 「 シ リ ア : 新 時 代 の 到 来 と 対 イ ス ラ エ ル 政 策 の 今 後 」『 イ ス ラ エ ル 内 政 に 関 す る 多
角 的 研 究 』 平 成 13年 度 外 務 省 委 託 研 究 報 告 書 ( 日 本 国 際 問 題 研 究 所 、 2002年 ) 94− 107頁 な ど を 参
照。
129
シリアの安全保障上の懸念が少しでも緩和されるような措置が米国、またはイスラエルによ
って取られない限り、政治的圧力だけではシリアは大量破壊兵器を放棄する可能性は低いと
思 わ れ る 。 そ の よ う な 措 置 が と ら れ る た め に は 、 シ リ ア は ヒ ズ ボ ラ ( Hizballah) や パ レ ス
チナ過激派によるイスラエルに対する武力攻撃への支援を止めなければならないことはもち
ろんである。
4.
イスラエルにおける大量破壊兵器問題の動向
( 1)
現状、背景・理由
イ ス ラ エ ル は 、100か ら 200の 核 兵 器 を 保 有 し て い る と み ら れ 26 、中 東 地 域 に お け る 唯 一 の
核兵器国であるというのは、いまや「公然の秘密」である。イスラエルは、一貫して核兵器
の 保 有 を 否 定 も 肯 定 も し な い と い う 意 図 的 な「 あ い ま い 政 策 」を 採 用 し て お り 、NPTに も 加
入 し て い な い 。近 年 の 動 き と し て は 、1998年 頃 に 核 戦 略 の 見 直 し が 行 わ れ た と い わ れ 、2002
年 ま で に 、ド ル フ ィ ン 級 の 潜 水 艦 に 配 備 す る 通 常 弾 頭 用 の ハ プ ー ン( Harpoon)
・ミ サ イ ル が 、
核 弾 頭 搭 載 可 能 な よ う に 改 良 さ れ た 27 。 こ れ に よ り 、 イ ス ラ エ ル は 核 兵 器 に よ る 「 第 二 撃 能
力 」 を 強 化 し た と い わ れ る 28 。 こ う し た 決 定 の 背 景 に は 、 周 辺 敵 対 国 が 自 国 の 領 土 に 達 す る
弾道ミサイルを取得し始めたことにより、イスラエルの地上核戦力の脆弱性が露呈したこと
にあった。その脆弱性を補完することを目的として、弾道ミサイル防衛システムの導入や核
の ト ラ イ ア ド 、 つ ま り 陸 ・ 海 ・ 空 か ら の 核 攻 撃 能 力 を 獲 得 す る こ と が 追 求 さ れ た 29 。
化 学 兵 器 に 関 し て は 、 1993年 に CWCに 署 名 を し た も の の 未 批 准 で あ り 、 生 物 ・ 毒 素 兵 器
に つ い て は 、BWCに 署 名 し て い な い 。こ れ ら の 兵 器 の 開 発 計 画 の 存 在 や 保 有 に 関 し て は 、明
らかになっていない。
イ ス ラ エ ル の 核 兵 器 開 発 計 画 は 、1950年 代 に 開 始 さ れ た 。イ ス ラ エ ル が 核 兵 器 を 保 有 す る
動機は、同国が置かれた安全保障環境と、それが持つ、周辺を敵対するアラブ諸国に囲まれ
26
“Table of Global Nuclear Weapons Stockpiles, 1945-2002,” Natural Resources Defense
Council,< http://www.nrdc.org/nuclear/nudb/datab19.asp>を 参 照 。
Walter Pincus, “Israel Has Sub-Based Atomic Arms Capability,” Washington Post , 15 June
2002, p. A1; “Israel Ups Ante With Subs,” Los Angeles Times , 14 October 2003, p.12.
27
Michael Barletta and Christina Ellington, “Israel’s Nuclear Posture Review,” CNS Issue Brief
on WMD in the Middle East , Center for Nonproliferation Studies, December 1998,
<http://cns.miis.edu/research/wmdme/israelnc.htm>.
28
29
池 田 明 史「 中 東 に お け る 大 量 破 壊 兵 器 の 拡 散 状 況 と 不 拡 散 努 力 」納 屋 政 嗣 、梅 本 哲 也 編『 大 量 破 壊
兵 器 不 拡 散 の 国 際 政 治 学 』 有 信 堂 、 2000年 、 258頁 。
130
ているという脅威認識である。その国土は極めて狭く、人的、経済的にも周辺のアラブ諸国
に比べて量的に著しく劣っている。また、通常兵器についても、質的には優勢な兵器能力を
有 す る が 、 量 的 に は 圧 倒 的 に 劣 っ て い る 30 。 さ ら に 、 そ の 国 土 の 狭 さ ゆ え 、「 戦 略 的 縦 深 性 」
が欠如しており、自国領土において戦闘が展開されれば、勝利できたとしても、その被害は
甚大なものとなるであろう。核兵器は、イスラエルにとって、敵対国による自国への侵攻を
抑止するための手段であり、また、自国を存亡の危機から守るための最終兵器でもある。
( 2)
イラク戦争の影響
イラク戦争後、イスラエルの大量破壊兵器に関する政策に明白な変化があったか否かは定か
ではない。イラクおよびリビアの大量破壊兵器からの脅威がほぼなくなり、イランの核兵器開
発の可能性が低減された一方で、ロードマップが提示された後の中東和平プロセスも頓挫して
おり、イスラエルが核兵器を必要とする理由や状況が完全になくなったわけではない。
しかしながら、リビアの大量破壊兵器開発計画放棄の決定がイスラエルに与えたインパク
ト は 非 常 に 大 き か っ た 。米 国 が 、大 量 破 壊 兵 器 問 題 で 強 圧 的 な 姿 勢 を 取 っ て い る 国 の 多 く が 、
中東のアラブ諸国であることから、米国の恣意的な判断による、大量破壊兵器の保有が許さ
れる国、許されない国があるというダブル・スタンダードを浮き彫りにする結果となり、米
国と「特別な関係」にあるイスラエルの核兵器保有に非難が集中した。こうした非難の高ま
りをイスラエルは深刻に受け止め、政権内部で、リビアの決定がもたらした中東大量破壊兵
器問題の肯定的な転換にイスラエルはいかに貢献すべきかという議論が始まったと言われる
31 。 こ れ は 、 イ ス ラ エ ル が 、 自 国 の 大 量 破 壊 兵 器 も 含 め た 中 東 の 大 量 破 壊 兵 器 問 題 と い か に
向き合い対処するかという、政策再考の岐路に立たされているといっても過言ではない。中
東地域全体の大量破壊兵器の拡散防止や軍縮に資するような政策転換が行なわれることが期
待される。
5.
今後の課題
9.11事 件 後 、 中 東 に お け る 大 量 破 壊 兵 器 拡 散 問 題 は 、 米 国 が 中 心 と な り 、 い わ ゆ る 「 な ら
30
Dore Gold, “Evaluating the Threat to Israel in an Era of Change,” Shai Feldman and Ariel
Levite (eds.), Arms Control and the New Middle East Security Environment (Boulder: Westview
Press, 1994), pp.95-108.
George Perkovich and Avner Cohen, “Devaluing Arab WMDs; Iraq, Iran, Libya…who’s next?”
The Washington Times , 19 January 2004, A19.
31
131
ず者国家」に焦点を当て、リストアップされた国々が優先度の高い順に個別的に対処されて
きている。大量破壊兵器のなかでも、特に、核兵器開発を企図する「ならず者国家」の優先
順位は高い。その優先順位は、米国とリストアップされたそれぞれの国との二国間関係の現
状、または米国のそれらの国々に対する脅威認識などが反映され、また問題対処の厳しさの
度合いにもそれらが反映されているように思われる。
こ う し た 9.11事 件 後 の 中 東 に お け る 大 量 破 壊 兵 器 拡 散 問 題 へ の 対 応 の 変 化 を 受 け 、 大 量 破
壊 兵 器 の 開 発 や 保 有 に 関 心 を 持 つ い く つ か の 中 東 諸 国 は 、自 国 の 大 量 破 壊 兵 器 問 題 に つ い て 、
これまでと違った対応を見せ始めつつある。リビアの大量破壊兵器開発計画の廃棄宣言は、
そうした変化の最たるものとして捉えられるであろうし、イランの追加議定書の署名や関連
して取られた信頼醸成措置も、これまでのイランの態度とは大きく違ったのもであった。
一方で、保有を疑われる化学兵器を理由に、自国への武力行使の可能性が取り沙汰されな
がらも、頑なに疑惑を否定する、あるいは、これまで同様の主張を繰り返すシリアのような
国 も あ る 。イ ス ラ エ ル に つ い て は 、核 兵 器 に 関 す る 政 策 に 具 体 的 な 変 化 は み ら れ な い も の の 、
イラク戦争後にみられたリビアやイランの変化を受け、中東地域における大量破壊兵器問題
を解決することにより、自国の安全を高めていくことも視野に入れた議論が起こりつつある
と言われる。
( 1)
個別的アプローチ
上 述 の よ う に 、 9.11事 件 後 、 中 東 に お け る 大 量 破 壊 兵 器 拡 散 の 問 題 へ の 対 応 は 、 米 国 に よ
る個別的な対処の様相が強いものであった。その際、軍事的・政治的両方の圧力を利用し、
大量破壊兵器を強制的に廃棄させる、あるいは不拡散関連条約の遵守を強要するなどしてい
る。対処における優先順位やリストの対象国が米国の政治色を強く反映したものであるとの
印 象 か ら 、こ う し た ア プ ロ ー チ に は 批 判 的 な 声 も 多 い 。し か し な が ら 、「 な ら ず 者 国 家 」や 大
量破壊兵器の拡散が強く懸念される国々に対しては、個別的なアプローチは、短期的視野に
立てば、適切なやり方であるように思われる。それには、大きく分けて二つの理由がある。
第一に、拡散懸念国のおかれた地政学的環境、国内政治体制が大量破壊兵器を取得または保
有しようとする動機に深く関係しており、そうしたそれぞれの国の動機や背景を考慮したア
プローチが必要であると考えられるためである。第二に、グローバルな不拡散体制は、既に
ある一定の程度まで強化されたにもかかわらず、いわゆる「拡散の強い決意を有した国」
( determined proliferators) ま た は 「 強 い 決 意 を も っ て だ ま そ う と す る 国 」( determined
132
cheaters) に は 、 そ う し た 既 存 の 体 制 で は 対 処 で き な い こ と が 度 々 指 摘 さ れ て い る か ら で あ
る 。グ ロ ー バ ル な 不 拡 散 体 制 を 幾 ら 強 化 し て も 、こ れ ら の 国 々 は 、制 度 の 編 み 目 を く ぐ っ て 、
違反や不遵守を試みる一方で、まじめに遵守している国の負担ばかりが増えるという不合理
さ も 指 摘 さ れ て い る 32 。
ただし、個別的アプローチには、米国の関与が不可欠であるがゆえ、米国の政治的意志や
恣意的な優先課題による影響を受けざるを得ないといった欠点があったり、また、その対応
において極端に一貫性がなかったり、対話や交渉といった外交手段よりも軍事的手段に訴え
る傾向が強くなったりすれば、個別的アプローチに対する国際的な支持は得られないばかり
か、対応する側の国々の不和を利用して、自国に有利な状況を作り出そうとする拡散国も出
てくるかもしれない。
( 2)
地域的アプローチ
上述のような個別的なアプローチが必要かつ有効である一方で、武力行使や武力による威
嚇をもって条約の遵守を強要させた場合などには、その効果や有効性は一時的なものである
ことは否定できない。中東地域の安全保障環境の改善や大量破壊兵器の取得・保有の動機の
低減または除去といった大量破壊兵器拡散問題の根底にある問題に対処しなければ、根本的
な問題解決とはなり得ない。さもなければ、隙あらば大量破壊兵器を取得せんとする国が出
てくることは過去の事例を見ても明らかである。
よって、個別的アプローチと平行して、長期的な効果を視野に入れた、中東における安全保
障 問 題 の 解 決 や 信 頼 醸 成 33 な ど を 包 括 的 に 含 め た 地 域 的 な ア プ ロ ー チ が 必 要 に な る 。 そ う し
たアプローチの一つとして、中東に非大量破壊兵器地帯を設置する提案がなされてきたが、
乗り越えなければならないさまざまなハードルやその数の多さから、具体的な進展は見られ
ていない。また、そうした提案は、大量破壊兵器の保有や開発の疑いを掛けられた国々が、
自国への非難をかわす道具として利用されてきた政治的な意味合いが強かった。しかしなが
ら、中東における大量破壊兵器の拡散防止および廃絶を実現しようとすれば、非大量破壊兵
Steven E. Miller, “Is the NPT System Slowly Dying? Seven Challenges to the Regime,” paper
presented for the Athens Conference on Nuclear Proliferation took place 30-31 May 2003, Athens,
32
Greece <http://bcsia.ksg.harvard.edu/BCSIA_content/documents/Miller _Athens.pdf>.
33
中 東 非 大 量 破 壊 兵 器 地 帯 の 設 置 は 、1995年 の NPT運 用 検 討・延 長 会 議 の「 中 東 に 関 す る 決 議 」や 全
会 一 致 で 採 択 さ れ た 1999年 の 国 連 総 会 決 議 で 求 め ら れ 、さ ら に 、2000年 NPT運 用 検 討 会 議 の 最 終 文 書
にもその早期創設を確保するための協力の呼びかけが盛り込まれた。
133
器地帯設置構想をより現実的なオプションに近づけていくのが考え得る最善策であろう。
( 3)
日本の役割
中東における大量破壊兵器拡散の問題は、昨今のグローバル化に鑑み、日本にとっても安
全 保 障 上 、深 刻 な 問 題 で あ る 。日 本 政 府 は 、こ れ ま で 、イ ラ ン に 対 し て は 、外 務 大 臣 レ ベ ル 、
政府高官レベルで、核やミサイルの拡散問題について懸念を表明し、協議を行うなどしてき
た。また、中東諸国に対して経済や開発援助も多く行っており、日本と中東諸国の関係は概
して良好な場合が多く、大量破壊兵器の拡散問題の解決に向けて日本が果たせる役割は大き
いと考えられる。こうした観点から、イランと行ってきたような二国間の不拡散協議をシリ
アのようなその他の拡散懸念国と行い、米・英主導の交渉と協調的に外交圧力をかけること
によって、問題解決努力の一翼を担うことができるだろう。さらに、日本は、経済および開
発援助というカードを使うことによって、大量破壊兵器の開発や保有を試みることが、決し
て国家の利益とならないということを明示する役割を果たすことができるであろう。シリア
のような経済規模の小さい国には、そうした交渉カードは、特に有効であろう。イスラエル
に 対 し て も 同 様 に 、 日 本 は そ の 軍 縮 政 策 の 大 き な 柱 で あ る 包 括 的 核 実 験 禁 止 条 約 ( CTBT)
の 批 准 、 な ら び に 、 CWCへ の 加 盟 、 BWCの 署 名 ・ 批 准 を 促 す と と も に 、 核 戦 力 の 増 強 に 資
するような軍備増強を控えるよう強く要請していくことが必要であろう。リビアによる大量
破壊兵器開発計画の放棄宣言後、イスラエル政権内部で、それがもたらした肯定的なモーメ
ンタムを意義ある方法で、中東全体の大量破壊兵器廃絶に生かすべく、いかに貢献すべきか
検討が行なわれていることに鑑み、日本のそうした要請は好機を逃さず行なわれなければな
らない。
さ ら に 、日 本 は 、NPTを 国 際 的 な 核 軍 縮 ・不 拡 散 を 実 現 す る う え で 重 要 視 し て い る 立 場 か
ら 、NPT運 用 検 討 会 議 等 で 繰 り 返 し 求 め ら れ て い る 中 東 の 非 大 量 破 壊 兵 器 地 帯 の 設 置 に 向 け 、
イニシアティブを発揮することができるであろう。手始めとして、その地帯の設置に向けた
対 話 を 始 め る た め の 地 域 フ ォ ー ラ ム 34 の 形 成 を 促 す こ と が 挙 げ ら れ よ う 。 対 話 を 前 進 さ せ る
には、中東和平プロセスの促進は不可欠であり、対話開始のためのイニシアティブと平行し
て、日本のそれへの貢献が引き続き求められるであろう。
34
中 東 地 域 に お い て 、安 全 保 障 問 題 を 扱 う 唯 一 の 多 国 間 協 議 の 場 で あ る 軍 備 管 理・地 域 安 保 プ ロ セ ス
( ACRS) が 1991年 に 始 ま っ た が 、 中 東 和 平 プ ロ セ ス の 頓 挫 に よ り 、 1995年 9月 以 降 開 催 さ れ て い な
い。
134