特集 白馬議会だより100号記念

白馬議会だより 100号 平成24年4月27日 23
白馬村議会だより
100号によせて
第 回冬季五輪開催
都市決定を振り返る
見ると、競技
会場地白馬村
が果たした役
割の大きさが
見 え て き ま す。
日 仏 開 催 のJ
IFAS 映 画
祭であり、昭
白馬村議会だよりを輝く情
季オリンピック招致成功を見
長のもとで冬
決 定 前 の 1 月 、バ ー ミ ン ガ
第17号 平成3年10月15日発行
全員協議会で 何度も協議を
重ね、同年9月 日付ユート
ピア第1号として発刊に踏み
切ったと思います。
以降歴代の議員の 皆様のご
努 力 に よ り、 今 回 発 行 誌 が 第
100号とお聞きし大変嬉し
く、また、今思えば村民に親し
年横沢村
に喜ばしく思います。
報誌に立派に育て上げて、1
和
白馬村議会だより、第10
今後も村民に親しまれ、喜
吹雪で大荒れの天候も 当日は
0号、誠 に お め で と う ご ざ い
カ、フランススキー本部を置
しました。
力になったことだろうと確信
リンピック招致成功に大きな
たもので、4ヶ月後の冬季オ
か っ て 絶 大 な自 信 を与 え ら れ
る 演 出 は、招 致 の 実 現 に 向
天恵 を 頂 い た 大 自 然 の 妙 な
た。
アルプスの全景が広がりまし
も着々と進み、バックには北
マ を 展 開 、シ ャ ン ツ エ の 工 事
の八 方 尾 根 は白 銀 の大パ ノ ラ
に降り立つと、スキーメッカ
えた一行が、名木山歓迎会場
ヘリコプターによる視察を終
次 第 に 晴 れ 上 が り、 紺 碧 の 空
て疑いません。
偉大な貢献をしたものと信じ
を見事にこなし、村の発展に
に徹し、支え合い大イベント
民こぞってボランティア精神
は、代々優れた首長のもと村
シー市と対等に渡り合えたの
人口9千人の 村ながらアヌ
大きな弾みをつけました。
バーミンガム長野招致決定に
村 民 挙 げ て 盛 り 上 げ、翌 月
祭りに併せ、開催都市決定に
が れ、 平 成 3 年 の 5 月 塩 の 道
月西沢村長就任と共に引き継
相 互 開 催 に 合意。平成2年
くアヌシー市と提携して「冒
ムIOC競 技 会 場 地 評 定 委 員
申し上げます。
この度、1991年6月
で、ソルトレークシ
のもと、吉村県知事の案内で
据えると同時に、国際的地歩
年 の と き、 議 会 の 内 容 を 広
く村民に良く知っていただく
日 第 回IOC総 会 で、第
回 冬 季 五 輪 開 催 都 市「シ
テ ィ ー オ ブ 長野」決定 へ の 思
い出のテーマをいただきまし
た。
勝利 の 瞬 間 の 歓 喜 と 全 身 が
名の投票結果は、
震えるような感動でした。I
OC委員
対
烈 を 極 め ま し た。 投 票 結 果 を
県や国をあげて招致運動は熾
吉村午良招致委員長のもと、
日 本 は 正 に バ ブ ル 期 に あ り、
た。当時は世界経済も好調で
ティーと僅小差での勝利でし
は
過半数決定まで5回目の投票
88
た め に、 議 会 報 を 発 行 す る こ
とになりました。
97
42
険 と ス ポ ー ツ 映 画 映 像 祭 」を
00号発刊にいたりました。
10
んでいただける議会報誌にな
61
ます。
ま れ る 議 会 報 に な っ て、 本 当
武田 豊
18 15
会の視察の際は、前日からの
第1号 昭和62年9月15日発行
を固めるべく西洋文化のメッ
平成3年議長
15
偉業に心から敬意とお慶 びを
矢口 幸利
るよう願っております。
昭和62年副議長
私が副議長職であった昭和
18
46
62