工業経営研究学会『グローバリゼーション研究』Voi.6 No.1 2010 年 9 月刊行 中国における縫製工場の生産革新 : 台 湾 系 企 業 と 日 系 企 業 の ケ ー ス ·ス タ デ ィ Production Reform of Sewing Factories in China : C a s e St u d i e s o f Ta i w a n e s e a n d J a p a n e s e A ff i l i a t e d F i r m s 台 湾 ·東 海 大 学 劉仁傑 Tu n g h a i U n i v e r s i t y ( Ta i w a n ) L i u R e n - J y e Ⅰ はじめに 2008年 の 後 半 よ り 米 国 発 の 経 済 失 速 を 受 け 、 経 済 情 勢 は 世 界 恐 慌 の 再来さえ取り沙汰されている。こうしたきわめて不確実性の高い環境 のなか、グローバリゼーションやモノづくり経営をより本質的に見直 すべき時期にきているのかもしれない。 過 去 20年 間 を 振 返 る と 、 ア ジ ア 地 域 の 経 済 発 展 は 順 調 に 伸 び 、 政 治 の 側 面 で も 相 対 的 に 安 定 し 、各 国 間 の 経 済 交 流 が 活 発 に 行 わ れ て き た 。 こうした活気に満ちているアジアの中で、工業化のレベルが異なる日 本、台湾、中国とベトナムにおけるモノづくり経営は、今、まさに雁 行理論や国際的水平分業という従来の枠組みから脱して、新しい枠組 みに変わろうとしており、今後どのように展開していくのか興味深い ところである。 特に世界最大の生産基地である中国に異変が見られつつあり、大き な 波 紋 を 呼 ん で い る 。中 国 で は 、十 数 年 来 の 2 桁 の 経 済 発 展 に 伴 っ て 、 この数年間、賃上げが進み、福利厚生を含む新規労働法が実行され、 そ の 結 果 、生 産 コ ス ト は 平 均 的 に 約 4 割 増 に ま で 大 き く 積 み 上 げ ら れ て い る 。 そ れ と も 関 連 す る が 、 広 東 省 や 上 海 市 は 2008年 前 半 、 よ り 高 度 な 産 業 構 造 へ の 転 換 と そ れ に 伴 う 労 働 集 約 型 産 業 か ら 資 本 ·技 術 集 約 型産業への転換という「ダブル転換」政策を打ち出している。 こうした背景を受け、輸出志向や労働集約志向が強い珠江デルタの 外資系企業では、閉鎖、他の地域への生産シフト、或いは生き残るた め の 生 産 革 新 1を 余 儀 な く さ れ て い る 。こ れ と 同 時 に 、ベ ト ナ ム は 2007 年 1 月 の W T O( 世 界 貿 易 機 関 )加 盟 に よ り 、中 国 へ の 一 極 集 中 に 伴 う リ ス ク を 分 散 さ せ る 有 力 な 候 補 地 と 見 な さ れ 、そ の 評 価 が 上 昇 し て い る 。 例 え ば 、2002 年 以 降 、 中 国 に お け る 台 湾 系 製 靴 企 業 で は 生 産 革 新 を 進 め て い る 企 業 は 数 多 く あ る ( Liu and Lin, 2007) 。 1 1 工業経営研究学会『グローバリゼーション研究』Voi.6 No.1 2010 年 9 月刊行 本稿では激しい環境変化に伴って行われている中国における労働集 約的伝統産業の代表と言われる縫製工場の生産革新に焦点を当てる。 その革新にはベトナムなど他の地域への生産シフトに対抗する意味が 内 在 さ れ て い る 。ま ず 、縫 製 工 場 に お け る 生 産 革 新 を 理 論 的 に 検 討 し 、 分 析 の た め の 枠 組 を ま と め る 。次 に 、中 国 と ベ ト ナ ム の 現 状 を ふ ま え 、 台 湾 系 企 業 と 日 系 企 業 の ケ ー ス ·ス タ デ ィ を 行 な い 、そ の 中 身 を よ り 深 く見ていく。最後に、本稿で明らかにしたことに基づいて結論をまと める。 Ⅱ 縫製工場における生産革新 1.縫 製 工 場 の 発 展 縫製工場はアパレル、靴、革製品、自動車内装部品などのメーカー の中に多く見られる。縫製工場とは作業者を集めミシンを中心とする 機械を使い、分業による流れ作業をして、生産するところである。ミ シンの進化は見られるが、労働者を極端に減らすまでの自動化は進ん でいない。このため、今日まで依然として労働集約的な作業形態が維 持されている。 その一方、市場環境に適応するための生産方式の進化が日本で著し く行われている。縫製工場における生産方式の発展を近代生産の発展 と同じく大きく三つの段階に分けることが出来る。 第一段階は手作り生産であり、一人の職人が全工程の縫製を行って いる方法である。今でも街の小さな仕立屋やテーラーはこのやり方で ある。 第二段階は大量生産の段階であり、バンドルシステムやコンベア- システムといわれるロットで流す方法である。作業者はひとまとめの 量の仕事を受取り、その分量の仕事が終ると、ひとまとめにして次の 工程の作業者に渡す。このシステムでは、中間の仕掛在庫が増加する が、作業者の能率は前後工程の作業者の能率の影響を受けない、とい うメリットがある。このため、作業者一人一人の出来高を比較的容易 に掴むことができ、給与形態を出来高払いにしている縫製工場などで は、このシステムを採用している例が多い。このように、職人による 手作り生産から大量生産に発展するきっかけはテーラーの科学的管理 法であると思われる。 2 工業経営研究学会『グローバリゼーション研究』Voi.6 No.1 2010 年 9 月刊行 第三段階はトヨタ生産方式の影響を受けたトヨタ・ソーイング・シ ス テ ム ( To yota Sewing System, 以 下 TSS と 略 称 す る ) で あ り 、 多 品 種 少量生産に対応するための縫製システムの変革であるといえよう。 TSS は 顧 客 ニ ー ズ を 迅 速 に 捉 え 、 少 量 生 産 に も 対 応 す る こ と が で き 、 「 一 枚 流 し 」、「 立 ち ミ シ ン 」 に よ る 品 質 と 効 率 性 を 重 視 し た 仕 組 み を 持つ生産方式である。 変革する年代は異なっているが、近代工業の代表と見られる自動車 工業の影響を受け、縫製工場の発展プロセスはかなり類似していると 見 ら れ る 。 ( Womack, Jones, & Roos,1990) 日 本 の 縫 製 工 場 に お け る TSS の 導 入 と 普 及 は 1984 年 頃 か ら 始 ま り 、 1990 年 前 後 に 頂 点 に 達 し て い る と 見 ら れ て い る 2。 1985 年 秋 の プ ラ ザ 合意による急激な円高が進行していた環境下、海外シフトを回避する 方法としても効果的であり、期待されていた。 あるジョギングシューズの事例によれば、表1のような革新的な成 果 が 出 ら れ た 。 1 9 8 3 年 4 月 か ら 19 84 年 11 月 ま で の 革 新 を 見 る と 、 ロ ット生産から一足流しまでに成功するためには、ミシンの立ち作業を 導入されていること、ミシン配置を工夫したこと、また多能工化と多 能工持ちのための教育訓練などが大きなポイトである。立ちミシンへ 移行するための設備改善を行ったが、お金よりも作業員による提案に 負 う 方 が 重 要 だ と 見 ら れ る 。( 工 場 管 理 、 1 9 8 5 、 p p . 1 1 4 - 1 1 7 ) 表 1 縫 製 ラ イ ン に お け る TSS の 導 入 成 果 TSS実 行 の 前 TSS実 行 後 作業員の人数 34 28 縫製のリードタイム 20日 40分 仕掛品(足) 15,000 生 産 効 率 ( 足 / 1 人 ·日 ) 23.5 100 35.7 出 所 : 工 場 管 理 ( 1 9 85 、 p .116 ) の 内 容 に よ り 筆 者 作 成 。 TSS は 日 本 に お け る 縫 製 工 場 の 付 加 価 値 を 高 め る 方 法 で あ り 、 生 き 残 り の 製 造 戦 略 で も あ っ た 。 当 時 、 成 功 の 物 語 と し て 、 TSS の 名 は 日 2 筆 者 の 聞 き 取 り 調 査 。1 9 9 0 年 1 1 月 に 鳥 取 県 に あ る 日 本 靴 製 造 企 業 、2 0 0 9 年 7 月に中国福建省にある日系アパレル企業などを含んでいる。 3 工業経営研究学会『グローバリゼーション研究』Voi.6 No.1 2010 年 9 月刊行 本 国 内 に と ど ま ら ず 、 海 外 に も 広 く 知 ら れ て い た 。 (工 場 管 理 、 1985、 1991) 2.生 産 革 新 の 意 味 と 分 析 の 枠 組 生産革新とは生産活動における様々なプロセスで改革を行い、生産 性 向 上 、品 質 管 理 の 向 上 な ど の 効 果 を 得 る た め の 活 動 を 言 う 。従 っ て 、 異なる時代において生産革新の意味が異なることもあり得る。生産シ ステムの発展の歴史はそれを物語っているのかもしれない。 実際には、大量生産から多品種少量生産に発展して行くのは、トヨ タ生産方式を代表とする日本型生産システムの普及が大きな要因とな っ て い る 。 Womack, Jones, & Roos ( 1990) の 自 動 車 産 業 を 対 象 と す る 研究では、多品種少量生産の代表としてトヨタ生産方式をリーン生産 システムと呼び、この生産革新の風潮はいまだに続いている。 こうした風潮の下では、リーン生産システムという名称の日本型生 産システムの学習ブームがグローバルになっていることが大きな特徴 で あ る 。 90 年 代 後 半 は 日 本 の 不 況 の 影 響 を 受 け 、 そ の 学 習 ブ ー ム は 一 時的に落ちたこともあったが、インターネット型バブル崩壊後、製造 へ の 回 帰 の 動 き も あ り 、 2000 年 以 降 は 再 び 盛 ん に な っ て い る 。 リ ー ン 生産システムをベースにして日本型生産システムをあらゆる所へ適用 して行くかと思われていたが、その反面、批判や論争も起こっている (Berggren , 1993)。 従 っ て 、 目 的 に よ っ て は , ト ヨ タ 生 産 方 式 と リ ー ン 生産システムとの違いを厳密に区別する場合もあるが、生産革新とそ れを導入することとは殆ど同じであると考えられている。 海外工場での生産革新の効果として生産効率や柔軟性の向上が広く 認められている。しかし、海外の日系企業においてもこうした生産方 式を全ての企業が導入するとは言えない状態であるし、現地企業や他 の外資系企業では積極的にそれを勉強して取り入れるとしても必ずし も効果が得られるとは言い切れないことも事実である。こうした生産 革新の状況を分析する際、生産革新の成否を問うことに止まるのでは なく、より広く考えなければならないと思う。とりわけプロセスとし ての外的作業形態(ハードな側面)と主なインプットとしての内的労 働条件(ソフトな側面)とを取り上げる必要がある。 海外拠点における生産革新は多品種少量生産の必要性を認識した上 で、仕掛り在庫を極端に削減して、リードタイムを短縮するための手 法として実施することにより生き残りを図ることである。本稿は環境 の激しい変化に対して、縫製工場は人的資源システムを工夫して生産 4 工業経営研究学会『グローバリゼーション研究』Voi.6 No.1 2010 年 9 月刊行 革新を行うべきであるという分析枠組を持っている。ここで実証研究 をおこなうために、次の四つの仮説を立てることとしよう。 (1) 外 的 作 業 形 態 に は 、一 個 流 し の 作 業 、後 工 程 引 き 取 り の ス ト ア管理方式が挙げられる。 (2) 内的労働条件には多工程持ちを可能とする熟練と熟練の形 成 シ ス テ ム 、定 着 率 な ど が そ れ を 計 る 指 標 と し て 示 さ れ て い る。 (3) 外的作業形態と内的労働条件とは相互に影響し合う上で生 産方式が進化する。 (4) 現 地 の 労 働 条 件 が 異 な る た め 、縫 製 工 場 の 場 合 、日 本 の TSS とは必ずしも一致するとは言えない。 Ⅲ ケ ー ス ·ス タ デ ィ 1. 生 産 拠 点 と し て の 立 地 と 背 景 縫製工場は各産業のクラスターとして中国各地に散在している。外 資系工場に限ってみれば、靴の場合には珠江デルタと福建省が挙げら れ、アパレルの場合には珠江デルタと福建省の外に、浙江省の嘉興と 寧 波 な ど に も 多 く あ る 。輸 出 向 け の 縫 製 工 場 の 生 産 革 新 を 考 え る 場 合 、 その背景として以下の 2 点に注目すべきであると思われる。 第一に、現地環境の激しい変化に耐えていくことであり、多品種少 量や短納期に対応できる柔軟性がその焦点である。 第二に、生産シフトを回避しようとする努力であり、特に能率の向 上によってコストの競争力を高めることである。 実は、多くの企業が中国以外の生産拠点や委託先を模索しているよ うに見られている。その際、ベトナムが最も有力な候補に上げられて いる。いわゆる中国プラスワンとしての存在である。しかし、日経ビ ジ ネ ス (2008)で は 、 低 コ ス ト を 求 め て ベ ト ナ ム に 進 出 し た 企 業 が 壁 に 突き当たっており、 「 人 件 費 上 昇 や 人 手 不 足 、外 資 優 遇 税 制 の 撤 廃 な ど に 直 面 」、「 中 国 に 次 ぐ 進 出 先 」 な ど と ベ ト ナ ム に 注 目 を 集 め た が 、 中 国と同じ道をたどりつつあるという見出しを付けた分析がなされてい 5 工業経営研究学会『グローバリゼーション研究』Voi.6 No.1 2010 年 9 月刊行 る。 中国の広州市とベトナムのホーチミン市はいずれもそれぞれの国で 最初に外国資本を積極的に誘致した、いわゆる沿海の都市であり、そ の国の代表ともいえる地域である。広州市とホーチミン市の労働コス ト を 日 本 貿 易 振 興 機 構 の 調 査 ( 表 2) で 見 て み よ う 。 エ ン ジ ニ ア と 中 間管理職にはそれほど差が見られない。しかし、生産拠点を意思決定 する際に最も注目するワーカーや法定最低賃金については、その格差 が著しく大きく出ている。要するにワーカーの賃金ではベトナムに優 位 性 が あ る こ と は 明 ら か で あ る ( 三 浦 有 史 ,2008) 。 表2 職種別の賃金水準 米ドル 広州市 ホーチミン市 ワーカー 134-446 122-216 エンジニア 282-604 329-453 中間管理職 612-912 681-1,690 法定最低賃金 99 44 出 所 : 日 本 貿 易 振 興 機 構 ( 2007) 、 月 給 ベ ー ス 、 2006 年 11 月 調 査 他方、表 3 でまとめた法定最低賃金の変化は上向きの傾向にあるこ とを物語っている。ホーチミンやハノイという一区のみならず、ダナ ン、ハイフォンなどの地方都市まで及んでいることが注目されるべき 事情である。最近の激しい変化によれば、ベトナムにおけるワーカー の賃金での優位性は薄くなってくるかもしれない。 表 3 法定最低賃金の変化 ベトナム万ドン 年 1999 2006 2008 2009 一 区 (ハ ノ イ 、 ホ ー チ ミ ン ) 63 87 100 120 二 区 (ダ ナ ン 、 ハ イ フ ォ ン ) 56 79 90 108 出 所 : 筆 者 の 調 査 ( 年 平 均 値 、 2009 年 は 1 月 現 在 ) こうした背景の中、本稿は台湾系企業A社の広州工場とベトナム工 場 、 及 び 日 系 企 業 G 社 ( 福 建 工 場 ) を ケ ー ス ·ス タ デ ィ の 対 象 と し た 。 6 工業経営研究学会『グローバリゼーション研究』Voi.6 No.1 2010 年 9 月刊行 以下、その設立の経緯、現状、環境変化への対応、及び生産革新のあ り方などについて、現地でのインタビューを中心に整理し、最後にⅡ 章で提示した枠組みに沿って討論する 2.台 湾 系 企 業 A 社 3 A 社 は 1 9 8 4 年 に 台 湾 の 南 投 県 で 設 立 し 、日 本 や 欧 米 ブ ラ ン ド の ス ポ ー ツ シ ュ ー ズ の 委 託 生 産 を 行 っ て い る 。 そ の 後 、 1991 年 に 中 国 広 州 市 西 隣 の 南 海 市 に 広 州 工 場 、1995 年 に ベ ト ナ ム の ホ ー チ ミ ン 市 近 郊 に あ るピンズオン省にベトナム工場を設立した。また、生産拡大や生産シ フ ト に 応 じ て 、2 0 0 4 年 に ベ ト ナ ム 第 二 工 場 、2 0 0 8 年 に イ ン ド ネ シ ア 工 場を追加した。委託されているブランドの中には日本のアシックス社 が約 5 割を占めている。 2008 年 12 月 現 在 、 A 社 は 22,000 名 の 従 業 員 を 持 ち 、 二 つ の ブ ラ ン ド別の事業部に分けられている。本稿ではアシックスの委託生産を受 け て い る 広 州 工 場 と ベ ト ナ ム 工 場 と を 含 む 第 1 事 業 部 を ケ ー ス ·ス タ ディの対象とし、両工場の発展プロセスと生産革新を中心にしてまと めようとする。 (1)広州工場 A 社 は 設 立 当 時 か ら 、 ア シ ッ ク ス 社 と 深 い 関 係 を 持 っ て い る 。 1991 年に広州工場で量産を開始してからアシックスの主力工場の一つとし て 成 長 し て き た 。最 盛 期 に は 約 5,000 名 の 従 業 員 を 持 ち 、月 に 40 万 足 以 上 の シ ュ ー ズ を 開 発 ·生 産 し て い た 。 ま た 、 ア シ ッ ク ス の 中 国 事 務 所 も広州市に置き、開発センターはA社広州工場の敷地内に設立してい る。 2004 年 に は こ う し た ア シ ッ ク ス と の 連 携 の 勢 い を 生 か し て 生 産 革 新 を行い、品質と納期という面の評価でアシックスブランドの委託先 5 社の中での最優秀工場となった。その後、広州工場内部での工場長交 代の人事があり、中国現地の環境変化にも影響されて、生産革新が後 退させられた。このため、アシックスの発展を追いかけられず、ベト ナムへの生産シフトが一気に増えることになった。ベトナムにおいて 3 こ の 研 究 は A 社 を 継 続 的 に 見 学 し 記 録 し た も の で あ る 。主 な 訪 問 時 点 は 1992 年 8 月 に 台 湾 本 社 と 広 州 工 場 、 1999 年 8 月 に ベ ト ナ ム 工 場 、 2009 年 1 月に台湾本社、広州工場とベトナム工場。 7 工業経営研究学会『グローバリゼーション研究』Voi.6 No.1 2010 年 9 月刊行 は、新設の第2工場を第2事業部として分離し、アシックス以外の大 手ブランドをそちらに移転した。ベトナム工場はアシックスの要望に 応 じ て 月 産 5 0 万 足 に ま で 発 展 し て き た 。同 時 に 、2 0 0 7 - 8 年 に お け る ベ トナム工場での生産革新は著しい成果を収めている。 2 0 0 8 年 現 在 、広 州 工 場 と ベ ト ナ ム 工 場 は そ れ ぞ れ 約 2 , 8 0 0 名 と 6 , 2 0 0 名 の 従 業 員 を 有 し て い る 。 2004 年 か ら 2008 年 ま で の 五 年 間 に 行 わ れ た中国からベトナムへの生産シフト及び両工場における生産革新につ いてはとても興味深く、その内容についてのインタビューを行った。 広 州 工 場 の 生 産 革 新 は 台 湾 系 製 靴 企 業 で の 生 産 革 新 ブ ー ム ( Liu and Lin, 2007) の 影 響 を 受 け て 行 わ れ た 。 靴 の 製 造 は 大 き く 裁 断 、 縫 製 と 成型に分けることができる。生産革新とは、トヨタ生産方式の流れ生 産をモデルとし、後工程の需要分のみを提供することである。具体的 に言えば、裁断と縫製との間の在庫(縫製準備倉庫)や縫製と成型と の間の在庫(アッパ倉庫)を無くすこと、また、裁断、縫製と成型の 三つの製造プロセス内部での一足流しを徹底するため、従業員を多工 程 持 ち に し た り 、 生 産 ラ イ ン を よ り 短 縮 し た り す る こ と で あ る 、 2004 年には、既にモデルラインを造って、二つの中間在庫を無くすことに 成功し、プロセスでの一足流しをするため、品質の教育と共に多能工 の 訓 練 を 行 う 段 階 に な っ た 。 し か し な が ら 、 2005-6 年 に は そ れ を 継 続 して行うことをしなかった。原因は次の3つにあると思われる。 第 1 に、工場長の交代で新工場長が生産革新の意味を深く理解して いないことであった。そのため、多能工の訓練を注視しないのみなら ず、生産を維持するためには在庫が必要であること、増産するために は縫製作業を外部委託するべきであると主張していた。 第 2 に 、 2005 年 か ら 著 し い 経 営 環 境 の 変 化 を 受 け 、 従 業 員 の 定 着 率 が 悪 く な っ た こ と 。 2005 年 以 後 、 月 に 約 6-8% の 従 業 員 が 辞 め て 行 っ たため、生産革新を行える人的条件には追い付けなかった。アシック スの増産要望に応ずるため、一部の作業に対しては出来高給などが採 用されるようになり、より短い視点で工場管理を行うようになってし まった。 第3に、中国よりもベトナムのほうが良いと考えたこと。同じ製品 を ベ ト ナ ム に 移 転 す れ ば 約 6% 利 益 増 と い う 計 算 が 実 証 さ れ 、 生 産 革 8 工業経営研究学会『グローバリゼーション研究』Voi.6 No.1 2010 年 9 月刊行 新よりも生産シフトのほうがベターだというような雰囲気になってい た。 生産革新の失敗の証として、生産力の低下だけではなく、品質の問 題が出たり、納期遅れが原因で航空便を使って出荷しなければならな くなったりしていた。その結果、広州工場は設立後初めて赤字工場に な り 、 し か も 2006-7 年 の 2 年 間 、 連 続 し た 。 2008 年 に 工 場 長 が 再 交 代 に な り 、ベ ト ナ ム 工 場 に お け る 生 産 革 新 の 成 功 の 影 響 を 受 け て 生 産 革 新 を 再 び 取 り 入 れ 始 め て い る 。 2008 年 後 半 からは、外注先の整理、多能工認定制度の実施などを行い、徐々に元 の 勢 い を 取 り 戻 り つ つ あ り 、 採 算 も ぎ り ぎ り 行 け そ う で あ る 。 2009 年 1 月 現 在 、 工 場 の ト ッ プ は 、「 昨 年 秋 以 後 の 不 況 は 従 業 員 の 安 定 に は 有 利になるが、広州というような場所では規模の拡大を講ずることは非 現 実 で あ る 。今 後 は バ ラ ン ス の 取 れ る 2 5 万 足 生 産 体 制 を 取 り 込 み 、ベ トナム工場に負けない生産革新をやって行きたい」と言い、生産革新 の実施を決心し、その効果を確信している。 (2)ベトナム工場 ベ ト ナ ム 工 場 は 1 9 9 5 年 に 設 立 し 、長 期 に 渡 っ て 欧 米 の あ る 有 名 な ブ ラ ン ド の 委 託 生 産 を し て い た 。2004 年 に 既 存 事 業 を 新 工 場 へ 移 転 し て から、ベトナム工場は広州工場で開発された新製品を受けて試作から 量産まで行うようになり、アシックスの主力工場となっている。 2007 年 1 月 か ら の A 社 ベ ト ナ ム 工 場 に お け る 生 産 革 新 は 台 湾 製 靴 業 界 で も 数 少 な い 、 良 く 知 ら れ て い る 成 功 例 で あ る ( 劉 、 2 0 0 8 )。 台 湾 本 社もベトナム工場が連続3年間最も利益を出している工場と言い、リ ーン生産方式が順調に導入されるのがその主な原因だと認識している。 工場トップ自身は本社の経営者から日本へ派遣され、日本語を勉強 したことがあり、トヨタ生産方式の本もかなり読んでいた。同業他社 の 実 践 事 例 を 見 学 し た こ と も あ り 、2006 年 頃 に は 必 ず 自 分 の 工 場 で も 実 践 で き る と 信 じ 、 2007 年 1 月 か ら 毎 月 1 回 ( 1 日 か 2 日 間 程 度 ) 専 門家による指導と講義を受け、本格的に取り入れている。 まずトヨタ生産方式の思想を全工場に浸透するため、教育を2つの レベルで行った。課長クラス以上(国際スタッフと現地幹部と合わせ 9 工業経営研究学会『グローバリゼーション研究』Voi.6 No.1 2010 年 9 月刊行 て 約 1 0 0 名 )に は 台 湾 の 専 門 家 に よ っ て 行 い 、意 識 革 命 、7 つ の 無 駄 、 5S、流れ生産、人的資源管理などトヨタ生産方式の基本を体系的に 教 え た 。 生 産 ラ イ ン の 監 督 者 (組 長 や 班 長 )に 対 し て は C I D 部 (継 続 改 善 部 ) の 幹 部 に よ っ て 、 実 際 に 使 わ れ る ラ イ ン ·バ ラ ン ス ·シ ー ト や 多 能 工・多工程持ちのあり方などを教え込んだ。 次に、モデルラインを設置し、一足流しによるより短縮したプロセ スを達成すれば、効率はどれほど高められるかを実際に見せる一方、 発 想 の 転 換 と そ れ に 伴 う 多 能 工 や チ ー ム ワ ー ク が 必 要 な こ と を 、毎 週 、 報告会を設けてモデルラインの組長に報告してもらった。その後、モ デルラインを増やし続け、約半年間で全工場に広げた。それに合わせ て、生産計画によって生産を平準化する方法、資材供給の仕方及び裁 断、縫製と成型との生産工程間のストア管理方式なども順調に改革し て行った。また、多能工化が大きな決め手と見られ、多能工認定制度 を 作 り 、 基 本 給 の 10% 程 度 の 手 当 て を 決 め る こ と に よ り 、 従 業 員 に 多 能 工 へ 挑 戦 し よ う と い う ム ー ド を 作 り 上 げ た 。 2007 年 末 、 現 場 の 従 業 員に対する多能工の比率は 3 割の目標を達成した。 2 0 0 7 年 の 後 半 に な っ て 、平 均 1 5 % の 生 産 性 ア ッ プ が 得 ら れ た 。一 方 、 段 取 替 え の 適 応 、材 料 の 品 質 、設 備 の 故 障 、開 発 ·試 作 の 未 解 決 点 な ど 、 ロット生産ではあまり注意されていないような問題が多く出され、そ の対応に取り組むようになってきた。報告会で報告される内容も徐々 に変化してきた。 2 0 0 9 年 1 月 現 在 、6 , 2 0 0 名 の 従 業 員 に 対 し て 国 際 ス タ ッ フ は 約 7 5 名 で 、 内 訳 は 台 湾 人 8 名 、 日 本 人 1 名 、 フ ィ リ ピ ン 人 1 名 、 中 国 人 約 65 名 で あ る 4。 生 産 革 新 を 行 う 前 の 2006 年 及 び 1 年 目 と 2 年 目 の 成 果 を 表 4 のようにまとめることができる。生産性、品質、納期や製造リー ドタイムが大きく改善されるに至った。また、生産革新の基礎と見ら れ る 多 能 工 率 の 増 加 は 最 も 顕 著 で あ る 。特 に 2 0 0 8 年 夏 頃 、台 湾 系 企 業 の 離 職 率 は 従 来 の 3% か ら 一 気 に 8% ま で 伸 び て い た が 、 当 工 場 は 約 5-6% で 抑 え る こ と が 出 来 た 。工 場 長 は「 ト ヨ タ 方 式 の 導 入 で わ れ わ れ は 2 0 0 8 年 の 激 し い 環 境 変 化 を 乗 り 越 え る こ と が で き た 」と 語 っ て く れ 4 中 国 か ら ベ ト ナ ム へ 生 産 シ フ ト を 行 っ た 際 、台 湾 系 企 業 は 中 国 拠 点 で 育 った中国人幹部を国際スタッフとしてベトナムへ数多く連れて行く。こ のようなやり方は他の外資系企業にはあまり見られないようで、その背 景と影響について国際経営における新しい研究課題になると思う。 10 工業経営研究学会『グローバリゼーション研究』Voi.6 No.1 2010 年 9 月刊行 た。 表 4 ベトナム工場の生産革新の成果 年 2006 2007 2008 0.205 0.246 0.273 5% 30.3% 49.6% 市場賠償率 0.07% 0.061% 0.045% 納期達成率 85% 94.8% 95.7% 42 10 7.5 評価尺度 生 産 性 (足 /1 人 ・ 1 時 間 ) 多能工率 製 造 リ ー ト タ イ ム (時 間 ) 出 所 : 会 社 の 資 料 に 基 づ き 筆 者 作 成 ( 2009 年 1 月 現 在 ) 工場長によれば、過去 3 年間、中国では多くの工場を閉鎖したが、 ベトナムにシフトしたのはその一部だけであり、供給者でもある委託 先が減少する背景の中で、今回の経済危機による消費の落ち込みがこ の業界へ与える影響は相対的には大きくないと言えよう。生産革新は ブランド企業からの要求ではなく、自社の能力向上につなぐことに大 きな意味がある。 「 消 費 価 格 の 値 上 が り は あ ま り 期 待 で き な い が 、生 産 革新は短期的に利益を確保することができ、長期的にはブランド企業 と の 連 携 に よ り 、よ り 付 加 価 値 の 高 い 製 品 を 開 発 ·製 造 し て い く こ と が 期待できる」と工場長は信じている。 3.日 系 企 業 G 社 5 G 社 は 1993 年 に 福 建 省 の 西 南 に あ る 経 済 特 区 ア モ イ 市 に 台 湾 企 業 と 合 弁 で 設 立 し た 。 中 国 投 資 の 摸 索 期 を 終 え 、 96 年 に 日 本 か ら の 100% 出 資 と な り 、 2004 年 に は ア モ イ 市 の 発 展 の 要 望 に 応 じ て 西 へ 約 80 キ ロ メ ー タ 離 れ た 漳 浦 市 の 新 工 場 へ 移 転 し た 。G 社 は レ イ ン ウ ェ ア ー ·ア ウ ト ド ア ウ ェ ア ー の 企 画 開 発 ·製 造 を 行 い 、 1 9 9 8 年 よ り G O R E - T E X の 指 定 工 場 の 認 定 を 受 け て い る 。2 0 0 7 年 現 在 G O R E - T E X 認 定 の 主 力 工 場 に ま で 成 長 し て お り 、売 上 高 に 対 す る G O R E - T E X の シ ェ ア は 約 5 5 % で 5 こ の 研 究 は 2009 年 7 月 20 日 に 福 建 工 場 現 地 の 訪 問 基 づ い た も の で あ り 、 インタビューの対象は日本本社の社長、現地の日本人トップ、日本人顧 問、中国人副総経理や工場長を含む。 11 工業経営研究学会『グローバリゼーション研究』Voi.6 No.1 2010 年 9 月刊行 ある。 G 社 の 日 本 本 社 は 北 陸 に あ り 、レ イ ン ウ ェ ア ー ·ア ウ ト ド ア ウ ェ ア ー の商品を安定して提供するため、長年、自社工場と海外の委託工場な ど と の ネ ッ ト ワ ー ク 作 り に 力 を 注 い で い る 。 唯 一 100% 出 資 の 海 外 拠 点である G 社以外、広東、ベトナム、カンボジアなどに三つ委託工場 をもっており、何れも台湾系工場である。 2009 年 7 月 現 在 、 G 社 は 410 名 の 従 業 員 を 持 ち 、 日 本 人 の 現 地 ト ッ プは月に約 2 週間滞在され、通常の工場運営は中国人副総経理と工場 長 に よ っ て 運 営 さ れ て い る 。本 稿 で は G O R E - T E X の 委 託 生 産 を ケ ー ス ·ス タ デ ィ の 対 象 と し 、そ の 発 展 プ ロ セ ス と 生 産 革 新 を 中 心 に し て ま と めて行く。 (1)生産方式の発展と現地適応 G 社の設立はこれまで日本国内の工場で蓄積された技術を伝承して 行き、また、より複雑で先端の製品を製造できるような設備投資をし て行くことが目的である。長い間、他の委託工場と形成しているネッ トワークにおける中心的存在であり、最先端の製品を造っていると自 負している。 縫製工場の管理に長く携わっており、G 社のトップを経験した、現 在は定年退職した日本人顧問は日本における縫製工場の生産方式の発 展と G 社の適応の経過を語ってくれた。 「 1990 年 前 後 、 つ ま り 日 本 に お け る バ ブ ル の 最 盛 期 、 日 本 通 産 省 の 支援金を受け、縫製関連業界は縫製工程のレベルアップを図ったこと がある。産学プロジェクトを勧めたり、縫製の自動化に関する研究会 を 開 催 し た り し て い た が 、 残 念 な が ら 良 い 結 果 は 出 て い な い 。」 「当時、アイシン精機によって自動車部品業界の縫製工場に普及さ れ た TSS は 日 本 の 先 進 工 場 の 主 流 に な っ て い る 。 顧 客 ニ ー ズ を 迅 速 に 捉え、少量生産にも対応することができることは大きなメリットであ るが、 「 一 枚 流 し 」、 「 立 ち ミ シ ン 」に よ る 品 質 と 効 率 性 を 重 視 し た 仕 組 み は 、 中 国 で は 設 立 当 初 か ら 受 け 入 れ ら れ て い な い 。」 確 か に 現 場 を 案 内 し て く れ た 際 、 TSS の 発 想 は 見 受 け ら れ ず 、 生 産 革新を行っていない台湾系企業の縫製工場とそれほど変わらない。基 12 工業経営研究学会『グローバリゼーション研究』Voi.6 No.1 2010 年 9 月刊行 本 的 に は 、 素 材 を 裁 断 し た り 加 工 し た り す る 部 品 を 造 る 初 工 程 ( A )、 ユ ニ ッ ト ま で 縫 製 す る 中 間 工 程 ( B) 及 び 最 終 工 程 の 流 れ ラ イ ン ( C) に分けられる。工程間には数日間の在庫を持つのみならず、最終工程 の 流 れ ラ イ ン に も 仕 掛 品 が 多 く 見 ら れ る 。基 本 的 に は A B C - ロ ッ ト と い う 方 式 で 生 産 し て い る よ う に 思 わ れ る 。2 0 0 8 年 ま で の デ ー タ に よ れ ば 、 製造リードタイムは平均 7 日間である。 同 顧 問 は 日 本 企 業 の TSS を 経 験 し て お り 、 そ の メ リ ッ ト を 承 知 し て いたが、次の 4 つの問題点があると指摘した。つまり①立ち作業をさ せなければいけないこと、②段取替えに時間がかかりすぎること、③ 作業員の能力が高く要求されること、➃設備の投資と保全が要求され ることである。当時、現地には適応できないという判断で、より昔の 機能別生産方式を採用したわけである。 また、現地の幹部によれば、現地の従業員が消極的で、生産効率の 向上やリードタームの短縮には無関心である。また、彼らは近年リー ン方式による生産革新を聞いたり勉強したりすることもあったが、 2008 年 ま で は 製 造 工 程 が 複 雑 で あ り 、 特 殊 な 工 程 が 内 在 さ れ て い る GORE-TEX 製 品 へ の 適 応 に つ い て は む し ろ 懐 疑 的 で あ っ た 。 (2)生産革新の摸索 2009 年 前 半 、現 地 の 中 国 人 副 総 経 理 と 工 場 長 を 中 心 と し て 生 産 革 新 会 議 を 作 り 、生 産 革 新 へ の 模 索 を 始 め て い る 。そ の 二 人 の 話 に よ れ ば 、 2つの背景があったそうである。 一 つ は 2 0 0 8 年 以 降 、利 益 率 が 明 ら か に 低 下 し て い る こ と で あ る 。こ の 工 場 は 、G O R E - T E X の 主 力 工 場 に な っ て い る と 共 に 、2 0 0 7 年 ま で は 安定的な利益率を出していた。しかし、最近は僅かな利益しか得られ ず 、他 の 委 託 工 場 と の 価 格 競 争 に 負 け て い る 。 「 こ の ま ま い け ば 、生 き 残れないに違いない」と副総経理が社内に呼びかけ、危機感を訴えて いる。 も う 一 つ は G O R E - T E X の 働 き か け に よ り 、台 湾 靴 業 界 の 生 産 革 新 の 影 響 を 受 け て い る こ と で あ る 。 GORE-TEX( ホ ン コ ン ) に よ れ ば 、 中 国とベトナムの靴製造のメーカーには勝ち組と負け組とがはっきりし 13 工業経営研究学会『グローバリゼーション研究』Voi.6 No.1 2010 年 9 月刊行 て お り 、 そ の 決 め 手 は リ ー ン シ ス テ ム に よ る 生 産 革 新 だ と 言 い 切 る 6。 GORE-TEX の 紹 介 で こ れ ま で に 靴 業 界 指 導 で 実 績 を 持 つ 専 門 家 が 指 導 に来て、大きな刺激を受けたそうである。 G 社の生産革新は始まったばかりである。生産革新会議の内容によ れば、3 段階で3年間の計画を持っている。進行中の第 1 段階と今後 の予定をまとめてみる。 第 1 段階には、後工程のための生産という思想に従って、ロット生 産をやめ、作業員を多工程持ちにし、縫製工程内の在庫を減らすのみ な ら ず 、 ABC 工 程 間 の 在 庫 を 1 日 以 内 に す る こ と で あ る 。 そ れ は リ ー ン生産システムに向う第 1 歩として位置付けされている。その具体的 な進め方には、スケジュールによる作業指示の改革、多能工育成の強 化、工程の継続的改善があげられる。 現 在 、 進 行 中 で は あ る が 、 ABC 工 程 間 の 在 庫 が 確 か に 減 り 、 縫 製 ラ インにおけるプロセスのバランスも良くなってきている。製造リード タイムは 7 日から 4 日にまで減っているし、納期の改善は明らかであ る。これに対して、生産効率の改善は未だ明確には出ていない状態で ある。 副総経理は今後リーンシステムの思想の理解によって、次のような 努力が不可欠だと強調している。すなわち多能工育成をさらに強化す ること、縫製ラインの中のバランスを一層改善すること、試作や原材 料の管理などの源流の問題の改善をこれまで以上に要求すること、ま たこれらの努力を重ね合わせた結果として定着率や欠勤率を改善して いくことである。このため、多能工育成と能率向上に対する奨励金の システムの導入も検討しているそうである。 当初、立ちミシンは中国には一般的に受け入れられないため、日本 の TSS を 導 入 す る こ と を 見 合 わ せ た 。 し か し 、 台 湾 系 靴 メ ー カ ー の 事 例の刺激を受け、座り作業にもかなり改善の余地があると信じ始めて い る 。中 国 人 副 総 経 理 と 工 場 長 は 日 本 本 社 か ら の 信 頼 を 受 け 、 「3年間 で 縫 製 ラ イ ン の 一 枚 流 し 、 ABC 工 程 間 に お け る 2 時 間 の ス ト ア 管 理 、 1 日の製造リートタイムというリーンシステムになりたい」と前向き 6 GORE-TEX( ホ ン コ ン ) 靴 業 界 担 当 者 Steven Yu の イ ン タ ビ ュ ー ( 2009 年 6 月 2 4 日 )。 14 工業経営研究学会『グローバリゼーション研究』Voi.6 No.1 2010 年 9 月刊行 の姿勢を見せながら語っている。 4.討 論 台 湾 系 企 業 A 社 も 日 系 企 業 G 社 も 100% 出 資 の 生 産 拠 点 を 造 っ て 海 外進出を行い、経営環境の変化に応じてその前後に生産革新を進めて いる。そして、中国工場における生産革新を余儀なくされた背景も同 様であり、中国における縫製工場の生産革新は生き残りのための決め 手だといえるだろう。Ⅱ章で理論的にまとめた縫製工場の生産革新を 分析するための枠組に沿って、若干のディスカッションを行う。 (1)外 的 作 業 形 態 一 個 流 し の 作 業 7 、後 工 程 引 き 取 り の ス ト ア 管 理 方 式 が 革 新 的 な 縫 製 工場における作業形態であり、生産革新のハードウェアであることは 明らかである。また、2 社 3 工場の実践によれば、こうした外的作業 形 態 を 実 行 す る こ と に よ り 、縫 製 工 程 前 後 の 在 庫 や 縫 製 工 程( ラ イ ン ) 内の仕掛りを削減することができ、リードタイムを短縮することがで きるのは明確なことであろう。各工場における生産革新の深さを表す ると思われる生産効率の向上については、A社のベトナム工場のみは 実証されている。これに対して、A社の広州工場と G 社はそこまでは 進んでいない。工場トップが生産革新の必要性を理解して堅持するこ と、ハードな側面だけに留まらず、ソフトな側面である内的労働条件 を整えながら継続的に実行して行くことが相互に関係していることは 明確である。 (2)内 的 労 働 条 件 工程内一個流しと工程間のストア管理を支えるためには安定した多 能工が必要となる。つまり、多工程持ちを可能とする熟練とこの熟練 の形成システム、定着率などが内的労働条件として要求されている。 台湾系企業A社のベトナム工場は多能工認定システムを導入し、多能 工 率 を 高 め 、 生 産 効 率 を 向 上 し て い る 。 こ の 効 率 向 上 に よ り 、 2008 年 発ベトナムでの労働者不足による定着率の悪化を受け止めることがで きた。この影響を受けて、A社の広州工場そして日系企業 G 社も類似 な 人 事 労 務 シ ス テ ム を 採 り 始 め て い る 。そ の 成 果 を 見 守 る 必 要 が あ る 。 7 縫製工場の場合、一足或いは一枚の意味を含む。 15 工業経営研究学会『グローバリゼーション研究』Voi.6 No.1 2010 年 9 月刊行 賃金面と福利厚生面に関しては、現地の法律を順守する両社には顕 著な差異は見られない。生産革新を行う前の定着率は現地の平均的な レベルであった。台湾系企業A社のベトナム工場はユニークな多能工 認証システムを採用し、個人に手当てを支給することによってその熟 練を維持して行こうとしている。それが内的労働条件を支える有効な 人的資源管理システムになりそうである。 (3)外 的 作 業 形 態 と 内 的 労 働 条 件 と の 相 互 作 用 最も成功しているA社のベトナム工場によれば、次のようなプロセ スが明らかである。 ①体系的な教育によってTPSの思想と手法を教 え込むのみならず、外的作業形態というハードな側面の有効性をモデ ルラインによって実証すること。 ②モデルラインを支えるソフトな側 面に着目し、多能工育成やチームワークを励むための多能工認定制度 を実行することによってモデルラインを全工場に展開すること。 ③段 取 替 え の 適 応 、 材 料 の 品 質 、 設 備 の 故 障 、 開 発 ·試 作 な ど の 問 題 を 見 え る化して、積極に取り組むことなどである。 要するに、外的作業形態と内的労働条件とが次第に深く相互に作用 しつつあることがそのプロセスに反映している。工程内一個流しと工 程間のストア管理という作業形態は不良がその場で発見され、すぐに 手直しすることを可能にするため、従業員の意識と技能の向上を生ん だ り 、そ の 発 生 源 や 徹 底 的 な 解 決 策 を 考 え た り す る よ う に な っ て い る 。 生産革新の進化はハードな側面からソフトな側面へ、さらに学習を踏 まえて問題解決にまで発展していく仕組みになっている。 (4)現 地 の 適 応 現地の条件が異なるため、外的作業形態と内的労働条件の形成が必 ずしも一致するとは言えないだろう。縫製工場の場合、立ち作業を行 わ な く て も 実 行 で き る と い う 点 で 、 日 本 の TSS と は 外 的 作 業 形 態 で 異 なっている。また、技能の差に関する手当ての割合からすれば、技能 に対する評価も直ちに給料体系に反映した方が良いという現地のあり 方 も 、 日 本 の TSS で は あ ま り 見 ら れ な い よ う で あ る 。 Ⅳ 結論 16 工業経営研究学会『グローバリゼーション研究』Voi.6 No.1 2010 年 9 月刊行 世界最大の生産基地である中国は十数年間、2桁の経済発展に伴っ て 、新 規 労 働 法 の 実 施 や 産 業 構 造 転 換 の 政 策 策 定 ま で 発 展 し た 。反 面 、 外資系企業の引き揚げや閉鎖、ベトナムへの生産シフトも余儀なくさ れている。そのうち、伝統産業の代表と言われる縫製工場には、中国 で生き残るためにも高付加価値へ事業を転換するためにも、生産革新 がきわめて重要な戦略として重要視されつつあるように見られる。 本稿の理論的実証的研究によれば、①生産革新の外的作業形態(ハ ードな側面)を造るのは相対的に容易であること、②更に一層、普及 する際には、熟練の形成システムと定着率を含む内的労働条件(ソフ トな側面)を取り上げる必要があり、ますます難しくなること、そし て、③学習と問題解決を踏まえ、外的作業形態と内的労働条件とが相 互作用する上で生産方式を進化するのはきわめて重要でかつ困難であ る こ と 、 ④ 海 外 の 縫 製 工 場 に お け る 生 産 革 新 と 日 本 の TSSと は 異 な っ ていることなどは明らかである。本稿で明らかにされたことに基づい て 、次 の よ う な 生 産 革 新 の 仕 組 み( 図 1)を 提 案 す る こ と が で き る か も しれない。 図 1 生産革新の実践的仕組み 出所:筆者作成。ハードな知識、ソフトな知識や学習による問 題解決能力にはそうしたレベルの人材の確保が意味され る。 第一は、意識革命が生産革新の始まりであり、この前提を踏まえて 生 産 革 新 を 行 う 組 織 を モ デ ル ラ イ ン 段 階 、 普 及 ·制 度 化 段 階 、 革 新 的 な 学習型組織段階という 3 段階に分けることが出来る。次に、この 3 段 階の着目する焦点や成功の決め手として、それぞれハードな知識、ソ フトな知識及び学習による問題解決の能力、つまりそしたレベルの人 才の確保が挙げられる。最後に、このモデルは生産革新への実践の深 17 工業経営研究学会『グローバリゼーション研究』Voi.6 No.1 2010 年 9 月刊行 さ や 優 れ( C 型 →B 型 →A 型 )を 表 現 す る こ と が で き 、ハ ー ド な 知 識 創 造とソフトな知識創造とが相互に作用し合う程度として示される。初 期段階の C 型企業から B 型、A 型へと進化して行くように、企業で実 行される程度を理論的に見ることができるのみならず、実行企業が自 己確認のフレームワークとして活用できるという実践的な意味も持っ ているように見られる。 もちろん、本稿で残される課題も少なくない。例えば、3 段階に要 求されるハードな知識、ソフトな知識及び学習による問題解決の能力 をより明確にすること、それぞれの知識創造の仕組みをより明確する こと、 「 進 ま ず に 後 退 す る 」と ま で 言 わ れ て い る よ う に 、現 地 の 労 働 事 情があるため、B 型企業のままで留まることができるかどうかなどが 挙げられる。こうしたことを今後の課題としたいと思う。 参考文献 Berggren,Christian (1993) Alternatives to Lean Production: Wo r k O r g a n i z a t i o n i n t h e S w e d i s h A u t o I n d u s t r y, I i r P r. ( 丸 山 恵 也 ·黒 川 文 子 訳 、 1997『 ボ ル ボ の 実 験 ─ リ ー ン 生 産 方 式 の オ ル タ ナ テ ィ ブ 』 中央経済社。) 工 場 管 理( 1985) 「 ト ヨ タ 生 産 方 式 の 広 が り:縫 製 部 門 で ト ヨ タ 生 産 方 式 に よ り 2 倍 の 生 産 性 を 達 成 し た 丸 恵 化 学 」『 工 場 管 理 』 Vo l . 3 1 N o . 5 , 11 4 - 1 1 7 ペ ー ジ 。 工 場 管 理( 1991) 「 現 場 の た め の 人 材 教 育:多 能 工 を 育 て る 縫 製 業 の 生 産の仕組みと風土づくり」 『 工 場 管 理 』Vo l . 3 7 N o . 1 0 , 5 6 - 6 1 ペ ー ジ 。 劉 仁 傑 ( 2 0 0 8 )「 精 實 變 革 : 台 商 製 鞋 業 春 來 了 」 台 北 『 経 済 日 報 』 2 0 0 8 年 7 月 2 4 日 A 1 2 版 。( 中 国 語 ) 劉 仁 傑( 2009) 「 中 国 か ら ベ ト ナ ム へ の 生 産 シ フ ト と 生 産 革 新 」野 村 重 信 ·那 須 野 公 人 編 『 ア ジ ア 地 域 の も の づ く り 経 営 』 学 文 社 、 2 - 2 1 ペ ージ。 L i u R e n - J y e a n d L i n M a n - L( i 2 0 0 7 )“ T h e N e w T r e n d o f t h e L e a n P r o d u c t i o n S y s t e m : A C a s e o f N i k e ’s M a i n S u p p l i e r i n Ta i w a n a n d M a i n l a n d C h i n a , ” 『 工 業 経 営 研 究 』 Vo l . 2 1 , p p . 2 0 2 - 2 0 7 . 三 浦 有 史 (2008)「 対 ベ ト ナ ム 直 接 投 資 の 課 題 と 展 望 」 『 環 太 平 洋 ビ ジ ネ ス 情 報 』 Vol.8 No.28、 108-122 ペ ー ジ 。 日 本 貿 易 振 興 機 構 ( 2007) 「 ア ジ ア 主 要 30都 市 ・ 地 域 の 投 資 関 連 コ ス ト 比 較 」 『 ジ ェ ト ロ セ ン サ ー 』 2007年 4 月 号 。 18 工業経営研究学会『グローバリゼーション研究』Voi.6 No.1 2010 年 9 月刊行 日 経 ビ ジ ネ ス ( 2008) 「 リ ア ル ベ ト ナ ム : 35% 賃 上 げ の 大 逆 風 」 『 日 経 ビ ジ ネ ス 』 2008年 12月 15日 号 。 Wo m a c k , J . P. , D . T. J o n e s a n d D . R o o s ( 1 9 9 0 ) T h e M a c h i n e t h a t C h a n g e d t h e Wo r l d . M a c m i l l a n , N e w Yo r k . 19
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