これは多摩美術大学が管理する修了生の論文および

これは多摩美術大学が管理する修了生の論文および
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写真芸術における「本」
記述的な写真と物語性のある写真との比較
カトリン・パウル
まえがき
「決定的瞬間」1と、「この様であった」2という2つの表現は、写真芸術に
おける2つの重要な哲学を最も短い言い方で表している。しかしこの哲学は
同時に写真へのまなざしを覆ってしまった。
しかしながら、この論文においてこれらの哲学を明確にするのではなく、
この規則から自身を解放することを試み、写真芸術に重要な貢献をした写真
家達と、その作品について考察したい。その写真家達とは、今日もなお若い
写真家達にとって独自のイメージ発見の基準となっているような作家達のこ
とである。
この写真芸術における2つの異なる見解を、ここに提示する私の作品にお
いて研究し、討論の対象としたい。そしてさらにそこから芸術上の、また写
真芸術における私自身の見解を跡づけていきたいと思う。
考察を始めるにあたり、まず傍注を加えておく。
国民的芸術考察という観念があまりに私を困惑させるので、まず始めに、
私の見解の根はやはり依然として西洋思想にあるということを確認しておか
なければならない。この考察の中ではもっぱら西洋の表象概念と取り組み、
またアメリカとヨーロッパの写真家と哲学者のみを対象とする。
しかし次のことも同時に指摘しておきたい。
確かにある国で起こる政治的事件は、その国に生きる写真家を含む芸術家
にとって、視覚的な仕事をする上で、自分自身の位置づけをする上で、また
ひとつの態度を決める上で重要な要因となる。また、政治的、または個人的
のいずれかの見解を取った社会観察がさらにその要因の一部を成す。さらに
これはマスメディアと芸術的見解に反映する。しかしながら、全ての芸術的
見解が自動的に政治的見解と関連するわけではない。それゆえ今日通例とな
っている、内容的にしろ形式的にしろ、作家の出生地を共通のテーマとし、
基盤とする「同国人展」なる実践を私は的はずれなものとみなしている。
しかし、これは単にこの論文を始めるにあたっての傍注である。
1
2
Deroulix
Roland Barthes ロラン・バルト
1.写真芸術における二つの見解
物語性のある「本」と記述的単独写真
この論文では第一に、本という形式に基礎づけられた作品制作をしている
写真家について考察する。ここでの私の主張は、彼らの作品は単独の写真よ
り映画的もしくは文学的なイメージに近いということだ。そしてこの形式は
あるいは見ることよりも物語ることへのさらなる接近を示しているのではな
いかということである。画像と共にある散文。本形式の写真は、私にとって
映画と小説の間にある仲介物であるように思われる。なぜなら、それはしば
しばその両メディアからの要素を同様に内包しているからである。と言うよ
りはむしろ、その2つのメディアによって覆い尽くせない隙間が埋められる
のではないかと考える。
第二に、記述的な単独写真を重要なものとする立場を考察する。その際、
テーマを「デュッセルドルフ派」にしぼろうと思う。
表現方法としての本は、様々な点において映画に接近する。写真史の中で
最も新しい現象である、誇張された「記録的サイズの壁画症候群」という形
でギャラリーの白い壁に掛けられているパネル写真よりも、本はさらに映画
に接近する。ここで問題とする「本」とは、作品概要にのみ役立つカタログ
を意味するのではなく、ある写真家の独立したひとつの作品とみなされるよ
うなものである。本の内密性の中で作家はシリーズ性のある、あるいは(ま
たは)物語性を持った仕事をすることができる。そこでは作家が決定した写
真の順序によって、見るという行為に動きが与えられる。写真の順序は観賞
者がページをめくることによって多少変えられはするものの、速度、リズム、
読む方向それ自体は前もって規定されている。同様にあるページにおいては
そこに止まることにより瞬間的にではあっても静止状態が生じうる。作家は
写真の順序によって情趣と雰囲気を創り出す。読解性の形式は隠されてはい
ても明らかに作家によって規定されている。それぞれの写真は互いに関連し
合い、相互関係によってはじめて作家が提示しようとする「世界の像」が生
み出される。「…なぜならここでひとつのテーマを全てのページに展開する
ために、またアンソロジー的で装飾的な画像選択の可能性以上の読解方法と
理解水準を観賞者の手に届くものとするために、悠然と連続がの手法が取り
入れられているので…」3
恐らくこの写真形式は最も文学的に理解、分析されうるものであり、視覚
的な解釈に対しては不確定であるように見える。本形式の作品に専念する写
真家達は自身の生きる世界を“物語る”。
3
Ulrich Keller ウルリヒ・ケラー, Sander und die Porträtphotographie, How You look at it,
P.24 Thomas Weski の引用
この様な方法で本形式の作品を仕上げた初期の作家の1人にドイツ人写真
家 August Sander アウグスト・ザンダーがいる。1910年以来、彼はポ
ートレートによってワイマール共和国のあらゆる職業、階級、生活領域の一
断面を浮き彫りにする構想を持っていた。その本
(ドイツ
語原題 Anlitz der Zeit)は、1929年 Kurt Wolff クルト・ヴォルフによ
って出版された。この Sander による社会表現方法はナチスにより拒否され、
それゆえ彼は、既に
の中に抱いていた構想による大作を仕
上げることができなかった。1934年、現存していた
と
その印刷用の版は破壊された。
Sander の写真は被写体の明確な描写を出発点とする即物的な写真である。
彼のポートレートシリーズはそれに加え、比較観賞を可能にする。「それは
社会的典型の肖像の記録を並列したものと読めるだろう。」4
Sander は、撮影する人々と直接的な人間関係を結び、明らかに場面設定
をし全体図を構成する。それによって観賞者も画面の中に引き込まれる。
「Sander の写真がほとんど演出され、抜群にしつらえられたものだったと
いうことは、記録写真が理論的に見て操作されたものであり得、それゆえ真
実だけを語るものではないということは今日では明白なことだ。」5
しかしながら August Sander は、たとえそれが彼にとって全体的にはシリー
ズと考えられていたとしても、ひとつひとつのポートレートを単独の写真と
してもとらえていた。それは制作方法においても、見方においてもそうであ
った。
Walker Evans ウォーカー・エヴァンスは1931年、Lincoln Kirstein リ
ンカーン・カーステインによって編集された雑誌
に、個人
的なものとして読む写真芸術についての宣言書“ The Reappearance of
Photography”を書いた。それは新しく出版された写真集のうち、とりわけ
Atget、Renger-Patzsch そして Sander についての批評だった。
Walker Evans にとって August Sander の
にはその芸術的
見解が明白に顕れていた。そして彼は Sander のコンセプトに、彼自身が写
真芸術に求める主張を再確認した。「それは社会の断面図であり、臨床手段
である。そしてそれは、なぜ他の、いわゆる進歩した社会が研究され、記録
されないのかと文化的に自問するには十分な必然性を持っている。」6
Walker Evans は1930年中期に着手した彼の計画「アメリカの歴史的現
代の批判的肖像、明らかに華々しくなく同時に衝撃的なほど現実的」に、大
判のカメラと小型カメラで撮影した写真をスケッチのように挿入した。Evans
は彼の主張に到達するため、画面の創造に卓越した瞬間を重視する純粋主義
4
Thomas Weski トーマス・ヴェスキー, „Gegen Kratzen und Kritzeln auf der Platte“ How You
look at it, Fotografien des 20.Jahrhunderts, Oktagon 2000, P.23
5
Walter Koschatzky ヴァルター・コシャツキー, Die Kunst der Photographie, Salzburg/Wien
1984, P. 300
6
Walker Evans, „The Reapparence of Photography“ Unclassified. A Waalker Evans
Anthology.Selections from the Walker Evans Archive, New York 2000
の写真家達に反し、一部では彼の写真の画面を大幅に切り取った。彼は自分
の写真素材を自由に処理できる原材料と考えていた。「彼の撮影活動は批判
的念校の段階ではじめてその完全な意味を獲得した。」7
Walker Evans の
は1938年に出版された写真史
上初の芸術的本である。
「Evans は完璧な単独写真のプレゼンテーションに興味があったのではなく、
写真エッセーとなるその配列に興味があったのだ。」8
Evans は Lincoln Kirstein と共に、その本
をニュー
ヨーク・モダン・アート・ミュージアムの展覧会のために構成した。そこで
彼らは Sergej Eisenstein セルゲイ・アイゼンシュタインと、Dsiga Wertow ジ
ガ・ヴェルトフの映画モンタージュ技法に準拠した。写真の序列が最も大き
い関心を呼んだ。
はじめて選択、序列、レイアウトの支配が写真家のものとなる。「写真芸
術において、自己解釈、自己編集…が統合された作品観点として写真の第三
の次元となり得る。」9
技術的に完璧につくられた単独写真より大きく文学的なものへ接近したこ
とは、Walker Evans によって書かれた、彼自身が観賞者に要求する内容の当
書の帯広告にも確認される。「前もって与えられた順列の中に描写を観察する
こと」10
Walker Evans が
の中で扱ったテーマは多面的であ
る。大衆における個人の意味、有色人種住民たちの役割、女性の役割、男女
の関係、人間の新しい社会的変動性、貧富の対極性。表現対象に値しないと
誤認されているものが Evans の写真のテーマとなる。「今日の見解を映し出
す写真は歴史的な記録と理解され得るが、それぞれの時代が時代形成をして
いく上で現実のものとなった近代大衆社会の分析において、その順列はあら
ゆるあとに続く世代にひとつの基礎を与える。この、時代に左右されない普
遍性と、絶え間なく起こる魅惑の非凡な才能は、目に見える世界の徴候を美
的法則のみに支配された自律した画像に形作る Evans の能力にある。」11
本
の撮影をするために、1955∼56年にかけてアメリ
カ横断旅行をしたスイス人写真家 Robert Frank ロバート・フランクも、写
真芸術における Evans の見解を分け合っている。この本は彼のアメリカ横断
旅行の結果ではあるが、旅行写真記ではない。「僕はどこかに、そしてどこ
にでもあることの話をしている。それを見つけるのは簡単だったが、選択し
たり、解釈するのは簡単ではない。僕のプロジェクトは社会学的、歴史学的、
7
Ulrich Keller, „Walker Evans American Photographs – Eine transatlantische
Kulturkritik“ Walker Evans. Amerika. Bilder aus der Depression, München 1990, P. 71.
8
Thomas Weski, „Gegen Kratzen und Kritzeln auf der Platte“ How You look at it
Fotografien des 20.Jahrhunderts, Oktagon 2000, P.27
9
Ulrich Keller, Walker Evans P. 61
10
Belinda Rathbone, Walker Evans. A Biography. New York 1995, P.166
11
Thomas Weski, „Gegen Kratzen und Kritzeln auf der Platte“ How You look at it,
Fotografien des 20.Jahrhunderts, Oktagon 2000, P.28
それともなければ美学的な応用の機会を見つけるかもしれない。」12
1958年にフランスで、そして1959年にアメリカで出版された本
はアメリカのインテリ層の間で衝撃を呼び起こした。アメリ
カ社会に向けられた、感情豊かでありながらも批判的で、ヨーロッパ的なあ
りのままのまなざしだけではなく、とりわけ過激な Robert Frank の個人的
写真言語が批評の対象となった。
彼は自然光のみを使用し、白黒で、そこで生き、暮らしている、ありのま
まの姿のアメリカ人を肖像にした。それは、技術的に完璧な写真芸術の支配
的手法に反するものであった。人間に対する興味がこの作品を決定する。
Frank の
は、ものと人を、観察者と出来事を融合し、それに
よりはじめて写真言語によってある国を提示した。一国を残すところなく。
ここでもまた複合的な語りの構造が文学的なものを想起させる。Robert Frank
が、写真の中で到達した視覚的な語りをさらに強化するために後に映画に転
向したのは必然的なことであるように思える。
アメリカ発行版の序文で Jack Kerouac ジャック・ケルア
クが次の文の中で的確に述べている。「そして私は Robert Frank に告げる。
『君には目がある。』作品の卓越した特徴、つまり過激な視線の主観化。」13
過激な視線の主観化。写真芸術における新たな時代の始まりである。
語りながら世界を経験する。これは Diane Arbus ダイアン・アーバス、
Garry Winogrand ゲイリー・ウィノグラント、 Lee Friedlander リー・フ
リードレンダーに挙げられる、個人的ドキュメンタリー作家達の流派と様式
に発展した。彼らはもはや古典的な意味で記録するのではなく、非因習的に
表現された個人的視点を提示する。これらの作家たちは私的視点ではなく、
個人的視点を際立たせた。しかし、それは後になってようやく明確になるの
だが、写真芸術上の一見解としての私的視点の見地にすでに礎石を置いてい
た。
個人的視点の最も有名な代弁者に Nan Goldin ナン・ゴールディンが挙げ
られるであろう。
Nan Goldin は自分自身の人生を写真の中に書き記す。
Nan Goldin による
は彼女のきわめて個
人的な視覚的日記である。
1987年ドイツ初版のこの本により Nan Goldin は、ベッヒャー・クラ
スの厳格で形式的な画像観念から自由になろうとしていた若いドイツの写真
家達の間に解放のため息をもたらした。彼らにとって Robert Frank や August
Sander の偉業は、自身を関連させるにはほど遠いものと映っていたし、ド
イツ人作家 Michael Schmidt ミヒャエル・シュミットの写真はまだ意識にの
ぼっていなかったのである。
この本
は、Nan Goldin を取り巻く人々
の人生物語である。その人々とは、彼女が自分の新しい家族として選んだ友
12
Robert Frank, グッゲンハイム奨学金の為の志願書から
Thomas Weski, „Gegen Kratzen und Kritzeln auf der Platte“
Fotografien des 20.Jahrhunderts, Oktagon 2000, P.31
13
How You look at it,
人達である。そこでは価値の新定義が行われ、家族、友情は新たな意味を授
けられ、伝統的家族の肖像は背を向けられる。
それはものを見、語る、個人的で私的なまなざしであり、そしてそれは、
人間関係を明示するのであり、分析的に観察するのではない。「私の写真は
関係から生まれるのであって、観察からではない。」14そのようにして Nan
Goldin は我々がその画像を通して読むことのできる世界を我々に示すのだ。
ひとつの世界、生きられている、「世界の体験」が中心となっている世界で
ある。ここでは愛、セックス、死、幼年時代、そして裏切りが、しばしば容
赦なく、痛々しく語られる。しかし常に役者/被写体に対する尊敬心を伴う。
写真の配列によって雰囲気を創り出すため、そしてある友人グループの生命
観を目に見えるものとするために、一枚一枚の写真はその影を潜める。 Nan
Goldin は
に新しい写真を加えるか、写真
の配列を加えることで常に変更されながら次々と映し出されるスライド上映
によってさらにこれを強めていく。それによって単独の写真は否定され、映
画への物語的接近は明らかになる。“伝統的な”画廊環境での展示の際も物
語的雰囲気を創り出すため、写真に順序が与えられなければならない。「Nan
Goldin の作品は、叙情詩と
の間を、映画と文学の、そして芸術
的写真とスナップ写真の間を揺れ動いている。」15 この作品の一枚一枚の写
真は、部分的に構成的、技術的に見れば全くの弱さを露呈し、およそ強さを
持った単独写真ではない。この作品の強さは、我々の中に余韻を残す彼女の
詩情にあるのだ。
過激な視線の主観化に対する反動または同時に発展形として、あまりに個
人的な視点から離れ、再び取られる対象物へ興味を向けたいという方向性が
現れた−
である。1975年、William Jenkins ウィリア
ム・ジェンキンズによって開催された展覧会
において、
観賞者にはまるで同一の立場であるかのように映った二種類の傾向が要約さ
れた。
一方は、記録的な性格を持つ写真技術の発祥に根ざすドキュメンタリー的
写真、もう一方は20世紀の芸術的実践にその根を持つ芸術的写真である。
この種別は写真家の根本的に異なる立場と制作方法を強調するために重要で
ある。これは
展のカタログの導入部で、William Jenkins
による John Scott の引用でうまく言い表されている。「…これは芸術による
世界についての声明ではなく、世界による芸術についての声明である。」
この様にして写真芸術の中で、世界より芸術により一層取り組む区分と、
その反対の区分が生まれ、しかしながら表面的にいえばもっともなことに、
その両方は画像から見れば似たものになり得るものであった。この
の方向性の一つ、つまり芸術により一層関心のあった傾向のな
かにドイツ人写真家夫妻、Bernd Becher ベルント・ベッヒャーと、
Hilla Becher
ヒラ・ベッヒャーも数えられる。
彼らの、経済的または政治的理由で処分決定に見舞われた工業施設の記録
14
15
Nan Goldin, Die Ballade der sexuellen Abhängigkeit. Zweitausendeins 1987 P.6
Nan Goldin, Die Ballade der sexuellen Abhängigkeit. Zweitausendeins 1987 帯広告から
写真は、中立的で即物的なシリーズであり、新しい“コンセプトを持った客
観性”を基に制作された。そして同時に、形式的に類型的に配列された、単
独写真群の比較観賞をうまく可能にした。長期計画の写真プロジェクトであ
る。そこでは第一に美学的問題が中心となっている。そしてまた、彼らの作
品は芸術史的、記録的史料の機能を果たし得るかのようである。
デュッセルドルフ芸術アカデミーで教鞭を執っていた Bernd Becher のも
とで芸術市場で大変注目を集めたベッヒャー・クラスと呼ばれるグループが
生まれる。
アメリカではおよそ1950年頃から写真芸術は美術館へ受け入れられる
べく、その価値を認められている。そこでは美術館や文化機関において写真
芸術にのみ与えられた区画を備えている。しかしながらドイツおよびヨーロ
ッパではこの様な美術館からの受入はおよそ1985年になってようやく始
まる。つまりアメリカに35年の遅れをとっていることになる。そして自分
の作品を持って美術館のホールへは入れるのは、まさにこのベッヒャー・ク
ラスの若い写真家達だったのだ。彼らの写真は大判のカラー写真で、そのテ
ーマは絵画のジャンルでもよくある肖像、風景、街、そして紀行写真である。
コンセプトを持った客観性によって「目立たない日常の形の史料集が築か
れた。彼らは可視物の力を信頼し、そして自らをも問題化する。」16
この、公的機関によって同時代の写真芸術における一つの潮流のみに与え
られた評価は、今日も猶そうであるように、ヨーロッパの、特にドイツの写
真芸術の認識を一つの対極に導いた。
ドイツ戦後派写真家の中にもう1人重要な、しかしあまり注目されなかっ
た独学写真家 Michael Schmidt ミヒャエル・シュミットがいる。彼はその
訳註 1
本
の中で、1984∼87年の陰鬱で不安な西ベルリンの
心象風景を撮った。破壊された壁を通してのぼやけた眺め、威嚇的な印象を
持つ植物、不安に表現されたフォーカスポイントが、重苦しい
のムードを創り出す。これらの写真を通して同時に、当時の西ベルリンにお
けるドイツ社会の政治状況が。言うなればおそらく西ドイツ全体のために問
題提起された。それははっきりと定義することのできなかった、しかしなが
らそこら中に灰色の膜のように覆いかぶさっていた、とりとめのない不快感
であった。ベッヒャー夫妻の場合と異なり、ここでは形式言語の連続性は重
要視されていない。「とりわけ独創的な写真の像をドキュメンタリースタイ
ルで創造すべく、一環として用いられる、現実を機会とした主観的視点を通
し、連続する芸術的筆跡の継続と認識となる。」17 ここでは、芸術的言明が
現実の描写であるべきではないということではなく、自身の言明の出発点と
して利用される目に見えるものが重要視されている。
16
Heinz Liesbrock, „Das schwierige Sichtbare - Perspektiven des Wirklichen in der Fotografie
und der Malerei“, How You look at it, Fotografien des 20.Jahrhunderts, Oktagon 2000, P.40
訳註 1
ドイツ語で「休戦」の意
17
Thomas Weski, „Gegen Kratzen und Kritzeln auf der Platte“, How You look at it,
Fotografien des 20.Jahrhunderts, Oktagon 2000, P.35
この様にして写真芸術における二つの極端な形式が直面する。それらは、
一方は小型カメラ、他方は大判カメラと、使用されるカメラの大きさによっ
ても定義づけられる。─ 本の形にその理想的な対応を見いだす“完璧では
ない”、主観的、直接的な写真と、コンセプトアートにその出発点を持つ客
体化された写真様式。それは“ベッヒャー・クラス”から、記録的なサイズ
にまで引き延ばされたものまでを含める、完璧に仕上げられたパネル写真で
あり、その展示環境はギャラリーか美術館の白い壁のみにあり得るようなも
のである。この、“読む”と“見る”の対極化は今日でも行われている。─
本形式の写真は読まれなければならず、大判のパネル写真は見られなければ
ならない。─ 「写真はその発展上の長い間、手の中に収まる小さいものだ
った。写真はそのディテールの豊かさと視覚的圧縮によって特徴づけられ、
だからこそ我々がとりわけ見ることによって知覚する絵画とは異なり、その
写真を読む準備のできている観賞者が…」18
恐らくここで、70年代から80年代にかけて出版された写真芸術につい
ての著書について述べることが重要であろう。それらの著書は部分的に全く
相反する論争を展開し、“写真界”を、いや芸術界までをも、写真芸術の持
つ価値についての見解において新たな陣営に分割したのだった。
Vilem Flusser ヴィレム・フルッサーの
、
20
Roland Barthes ロラン・バルトの Die helle Kammer 、そして Susann Sonntag
スーザン・ゾンタークの Über Photography21。
写真のデジタル化の発達によっていくつかの論点は部分的にその意味を失
ってしまっているものの、私はこの3冊の著書を写真芸術についての論争に
重要な寄与をしたと考えている。
18
Heinz Liesbrock, „Das schwierige Sichtbare - Perspektiven des Wirklichen in der Fotografie
und der Malerei“, How You look at it, Fotografien des 20.Jahrhunderts, Oktagon 2000, P.49
19
Vilem Flusser, Für einen Philosophie der Fotografie ある写真芸術の哲学のために, 初版
1983, Verlag Europan Photography, Göttingen
20
Roland Barthes, Die helle Kammer 明るい部屋, 原題 La chambre claire, 初版 1980, ドイ
ツ初版 1985 Suhrkamp Verlag, Frankfurt am Main
21
Susann Sonntags, Über Photography 写真芸術について, 原題 On Photography 1979? 正
確な初版年不明
2.私自身の制作活動における問題提起
写真制作において、私は主観的写真とインスタレーション的な表現形式の
両方に取り組んでいる。本形式の写真は私にとって最も重要な表現形態の一
つとなった。
私は作品制作上いくつもの観点を追っていく。
第一に、特に写真とその知覚に関する画像の形式的観点との取り組みがあ
る。
「現実の生活」の知覚過程を突きとめ、それを写真の知覚メカニズムの模
倣を通して写し取り、その際、知覚者の立場を極端化することに挑戦する。
形式はその表現によって内容を保護、あるいは対比させなければならない。
私がテーマとして扱うのは常に社会的事象、社会構造である。権力構造、暴
力、男女間の権力分布、自己と他者の交流、私事と公共の出来事。家族、学
校、職場という機関(制度)は、政治的、イデオロギー的な権力構造によっ
て社会を反映しているが、かつ、最も早くそのシステムの弱点を露呈する。
私はこういった構造を、作品を通して示し、私が選択した可視的な表現形式
を通して疑問を投げかけたいと考えている。少なくとも、作品を見た人々が
彼等自身の立場から考え直すきっかけを与えたいのである。
ある一枚の肖像写真は、何を成し遂げられるのだろうか。ある一枚の肖像
写真は、一体どこまでそこに写し出された人物から何か普遍的なものを引き
出すことができるだろうか。一枚の肖像写真は普遍的な人物像を表現できる
のか、あるいは写し出された表装にのみ留まるのか。一枚の肖像写真は解説
無くして、一体一人の人間についてどれだけ多くの事を語れるだろうか。社
会的状況についてか、一人の人間についてか。そこに写し出された人間の住
む社会、置かれた状況、事情について、一定のところまでは絵そのものから
答えが得られるだろう。しかしそこから浮かび上がる人物像は、その絵のみ
によって伝えられるものだろうか。
以上が、大学で始まった私の研究課題であり、それは今日でも制作活動に
おける実際の問題提起である。
3.私自身の制作活動における「本」
1989年、私は最初の本を制作した。それは主観的な、白黒のニューヨ
ーク旅行日記で、70x100cm という大変取り扱いにくい大きさで、観賞者に
ほぼ体ごと見ることを要求する。1ページにつき9枚までの写真が配列され、
そのページのほとんどに対して見開きの反対ページには、ページ一杯の大き
さに一枚の写真が配置されている。
この本全体は、Ernst Bloch エルンスト・ブロッホのテキストを伴う写真、
セルフポートレート、そして Majakovski マヤコフスキーのテキストが添え
られた3部構成となっており、そのため部分的にのみテキストを読ませると
いうものだった。写真は、リズムと絵の反復という、自ら課した厳しい規則
に則り選んだが、それが偶然であるように見えるよう配慮した。挿入したテ
キストはニューヨーク旅行中に読んでいた本から抜粋した。この最初の本形
式の作品は、私にとってなじみのなかった大都市の陰鬱な、部分的にはユー
モアに満ちた観察と共にあった、当時の私の感情の反映であった。プロジェ
クト全体はファインダー付の小さいカメラと、レフレックスカメラによって
実現された。撮影中は作品の最終的な形となる本について意識していなかっ
た。本にするというアイデアは、旅行中に撮った膨大な量の写真と、旅行中
に読んだ本をその双方に公平な形で一つに収めたいという欲求から、ドイツ
へ帰国したあとで生まれたものである。テキストを写真と共に本にするとい
うのはそれがはじめてのことであった。
ニューヨーク旅行日記のあとに生まれ、現在でもまだ私にとって意味を持
つ第二の本は、1993年の
である。
この本は、第三帝国時代に強制収容所だった、ブーヘンヴァルト訳註 2 の追
悼記念所を訪れたあとに生まれた。私は米軍による解放時のカラー史料を、
白黒、カラーの両方で複写し、それを記念所で撮影した白黒写真とともに使
用した。この本ではアセテートフィルム、半透明のトレーシングペーパーと、
通常のコピー用紙の3種類の素材を結びつけた。この本は両方向から同じよ
うに読めるように作られている。そして両方の開始ページにあるディテール
写真から、ゆっくりと全体写真へとめくっていくようになっており、同時に
何枚かのページは幾度も繰り返されるので大変映画的な効果を持っている。
JATABU もまた旅行日記である。1995年、私は3ヶ月間日本に滞在し
た。ニューヨーク旅行日記と同様、この本も計画していたものではなく、莫
大な量の写真をそれに相当する形にしたいという要求から始まったものであ
訳註 2
Buchenwald: 旧東ドイツ、ワイマール近郊にあり、1945年までナチスの強制収容
所が置かれた。
る。
訳註 3
一つの肖像として構想し、生まれたのは本
である。ロンドンとニ
ューヨークに住む若い日本人達のポートレートを撮影した。
それはまた、私が行きたいと思っている国を、なぜこの若者達は後にした
のだろうという問題提起から生まれたものでもある。この肖像写真は、自分
の故郷を異郷に見つけた人々の親密な印象画である。この本はまた、漫画、
寿司バーの到来により視覚的に“日本化”した両都市も映し出している。筋
のある物語を語ることなしに、この本は大変物語的な印象を与える。
ここでも私はカラーと白黒の両方を取り入れた。カラー写真はレフレック
スカメラと小さなコンパクトカメラで撮影され、白黒写真には古いポラロイ
ドカメラが使用された。ポートレートのみからなる白黒写真は3部に分割さ
れ、肖像、場所、撮られる者の所持品を写し出したカラー写真の物語性を繰
り返し中断する。この本
において再認識できる特定の場所に私は何の意
味も与えていない。
制作後、私の東京滞在が始まった。
私は東京滞在中も引き続き上に述べた写真芸術と画像に対する問題に取り
組んでいる。
私が目標にしていたのは「日本社会における女性」を撮るという、大きな、
全てを包括する作業であった。そこで私が問題にしていたのは民族学的な類
型ではなく、時間と場所を包括した普遍性だ。
しかし私が早い段階で認識しなければならなかったのは、日本社会がグル
ープごとに定義されており、個々のグループの交じり合いはほとんどあり得
ない、と言うことであった。この認識に基づいて、私はすべてを包括する作
業とは反対の立場をとることに決め、女性の様々なグループを本という形式
で表現する作業に切り替えた。後に、これらの日本女性に関する私の作品の
すべてをインスタレーションという形で展示し、そこでそれぞれの作品群を
組み合わせたいと考えている。
作品の一部では、マスメデイアに登場する女性像、とりわけ社会通念であ
る美の構造、ロリータとして表現される女性、家族の中における女性の役割、
そして、世代による女性像の変化に焦点をあてている。もうひとつは、彼女
らの生活、考え方や目標について私が話をすることのできた、少なくとも共
通の話題を見つけることのできた「本当の」女性のポートレートである。メ
ディアに登場する女性像と対比される、あるいはその女性像を擁護する肖像
写真はこのようにして撮られた。そして、私が街を歩き回って出会い、撮影
した、つまり旅行者としての目で見た女性達のポートレートもその一部を構
成している。私は絵の表装の後ろに隠されたものに行き着くこと、「女性の
アイデンティティー」に対してある一定の評価に行き着くことを目指した。
訳註 3
Wo: ドイツ語で「どこ」の意。英語の where に相当する。
様々なグループに属する女性の社会的分類を、私の作品に反映するように
試みたのだが、そのことによって、作品のそれぞれの部分はメディア写真に
よるまた別の関係をも体験させるものとなった。それによって私は形式上の
違いを明らかにし、それぞれのグループに相応した固有の写真の見方を発展
させたいと考えた。
という本の中で私は、東京の景観の中に去年突然出現し
たあるグループの人生観を写し出そうと思った。茶色に日焼けした、足の長
い、金髪で青い目の日本の少女たちは底の異常に厚い靴を履いて、数人で、
あるいは集団でよろめきながら渋谷の街を闊歩している。年齢は 13 歳から
19 歳くらい、好きな色はピンク、水色、そしてシルバー。彼女達はシブヤ・
ガールズ、もしくはガングロと呼ばれている。
は私がこれまでに撮った写真の中でも「20 世紀末の日本
社会における日本女性の肖像」というテーマに最も直接的な関連を持つ写真
作品である。
純粋な肖像写真を本という形で表現することは、常に説明的になるギリギ
リの所をかすっていくのであるが、それによって私はこの少女の集団に対し
て感じた私の驚きを表現しようとした。私はこの驚きを視覚的に表現するた
めに、本の中で、強力な形式上のエレメントとして「二重視線」をくり返し
用いた。驚いて「もう一度よく見る」と、その対象を切り取った映像に瞬間
的なずれが生じる。それはまばたきする間の、ほとんど気がつかない程度の
変化であるが、それを「二重視線」と定義する。至近距離で撮影された同じ
状況下の二枚の写真は、本の中で見開きの 2 ページに配置されている。この
見開きのページは
という作品を構成する表現形式上、非常
に重要である。
去年の春頃、このシブヤ・ガールズが突然登場し、彼女たちがこの街の景
観にいかに溶け込んでいるのかという、現時点での彼女らの出現に魅了され
たのである。私の第一印象では彼女達は「セクシー・パンク」で、彼女らの
出現によって社会を挑発し、混乱させたいのだと思った。もう一度考えなお
した時に、彼女達がその出現によって社会を挑発したいのだろうとする推測
は消えた。私は次に、彼女達はその高い消費要求を満たすために「サラリー
マン」に対して魅力的に振る舞おうとしているのだろうと推測した。
白い髪、大きすぎる白い口、白と銀色で塗られた目の周りの化粧、まるで
「写真のネガ」のような姿。この少女達は何を表しているのだろうか。
彼女らの存在は日本社会の産物なのか。それとも、日本社会に対するプロ
テストなのか。挑発的な服装や挑発的な行動から何か政治的自覚といったも
のを実際読み取ることができるだろうか。日本語の一人称として、男性、そ
れも男の中の男、だけが使用する「俺」という言葉を使用し、男性ものの浴
衣(甚平)を着る。少女達の集団はそれによって何を表しているのか。彼女
達の行動は何を目的にしているのか。これは女性解放を求める、あるいは自
由を求める声なのか。
彼女達と話をし、彼女らについて情報を得るにつれて、少女達が基本的に
非常に保守的な女性であり、日本の社会における彼女らの立場についてすっ
かり自覚しているのだと確信するようになった。彼女達の多くが、放埒でい
られるのは今しかない、友達と羽目をはずして、自分のことだけを考えてい
られるのは今しかない、と思っているのだ。というのは、遅くとも何年かの
うちに日本の女性は結婚相手と二人の子供、それから家事に縛り付けられる
ようになり、この三つのことに忙しくならざるを得ないからだ。例えば、教
育を受けて他の道を行く、と言った可能性は、彼女らの目指すところではな
いらしい。一体「他の道」はないのだろうか。
シブヤ・ガールズは「ただ自分のためだけに」あの独特の服装やメーク、
それから行動様式を選んだのだと、私はますますそう思うようになっている。
自分と友達に気に入られたいと思い、集団力学的な美的感覚を持つ少女達は、
最終的には自分のことだけを考え、外界に対してその存在認識をなんら求め
ない。「女ともだち」が何よりクールな関係であり、一番高い厚底靴を履い
て、髪を真っ白に染め、できるだけ短かいスカートをはくのは、男性の目を
引き付けるためでなく、他の少女達から一目置かれる、他の少女達から尊敬
を得るためな
のである。
これは異性のパートナーにアピールするための、求愛行動ではない。女と
もだち、あるいは他のシブヤ・ガールズの驚嘆と賞賛のまなざしを得るため
なのである。
自分で自分を気に入る。快楽主義的なまでに自分達を祝い、自分自身の中
に観察者としての自己と、それを写す鏡を発見した少女達の集団なのだ。
しかしながら、なぜ私の作品の中に登場したこの少女達に対して人々はこ
れほどまでに強烈な反応を示したのだろうか。その反応はともかく驚きから、
仮借ない批評にいたるまで、実に様々なものだった。
少女達の写真はそれを見る人にどんな効果を及ぼすだろうか。
何人かの人は私の作品に対してほとんど身体的な嫌悪感を示した。その反
応は時に、非常に激しく、むしろ攻撃的と言ってもよいくらいだった。多く
の人が「注視するのははばかられる、見たくない、気分が悪くなる」という
反応を示した。それは実際、戦争の悲惨な報道写真を見せられているかのよ
うな反応であり、豊かな色彩に溢れた少女達のポートレートを見ている人の
反応とは思われなかった。
私が日本の恥部を見た上、それを芸術作品を通して表現しようとすること
への批判的な態度もあった。外国人の私にはその資格がないとでも言うかの
ように。
人に見せてはならない何かを、私がよく考えもせずに示したことは浅はか
だと言って私に罪を擦り付けた人もいた。そのようなリアクションの後では、
「美術観賞の専門家」でさえも、写真にかかわり合うことができなかったと
いうのでなく、私が写した対象に対して嫌悪感をぬぐい去ることができなか
ったのである。
一方ではしかし、それと同じくらいの賞賛と感嘆があった。作品
に対するこれらの反応に私はひどく困惑した。純粋な写真作品がこ
のような過剰なまでの反応を呼び起こすことは、いかにして可能だったのか。
どこまでが私の成し遂げたことによるものなのか、どこまでが写された対象
によるものなのか。
私は、
という作品が、それに先行する
という作
品ほどには厳密な構成を持たないことを、写真上でも芸術的にも自覚してい
る。作品
で私はもっと皮肉な立場をとっていたのだ。
というタイトルの本は、広告宣伝、プリントメディア、マンガに
登場する女性像がどのように表現されているか、に焦点を当てている。看板
やビルボード、街の案内板に見ることのできる写真を、公共の場で人々が目
にするように、もう一度自分で撮りなおし、その表現を「引用」する。これ
らの再撮影された写真は、観光地やお祭りに来ていた「本物」の女性の写真
で補足されている。公共の肖像写真が個人の肖像写真と呼応する、あるいは
全くその逆を表現するように、肖像写真と撮影されたポスターを並べて掲載
した。それは多くの場合、唯一写真が持つ言葉によってのみ社会の劣悪な状
況を指摘する、皮肉な二枚の絵となった。
制服姿の女生徒の写真が使われている地下鉄での痴漢行為を防止するポスタ
ー、その一方で風俗嬢が女子高生の制服を着てサービスをするという宣伝看
板、といった二枚の写真の対比を例としてあげることができるだろう。この
対比でさらに重要な要素となっているのは、そこから生じている西欧におけ
る日本女性に対する型通りの偏見、つまり日本女性がセックスシンボルであ
るか伝統の象徴であるか、そのどちらかでしかない、という偏見である。
米なれど ちょっと紅さし 朝鏡 という、私の最も新しい作品では、7
0歳を超えた女性の肖像写真を扱っている。
の仕事に続い
て、日本女性のもう一方の側面を示したいと思ったからだ。女性と言うもの
に対してまだ別の考えを持っていたある世代、それは家族というカテゴリー
に従属し、個人としての要求を抑圧した「行儀のいい女性」という伝統的な
女性像を保持した世代である。
この全く異なった二つのグループの共通点は、しばしばメディアに登場す
る、という点である。シブヤ・ガールズと日本の老人は、それが例え全く違
う理由からにせよ、同じぐらい頻繁にメディアに登場している。この二つの
グループは世間一般の、政治的な意見を作るうえで最も有力な対象であるよ
うだ。そこで気がついたのは、老人達が政治的、一般的な関心となっている
だけでなく、彼等をある一定の製品の主要な購買対象とし、その製品を宣伝
するためにコマーシャルに起用することである。ここで宣伝されている商品
とは、彼等の年齢で必要とするであろう医薬品、医療機具などから、果ては
日用品、マクドナルドのようなファースト・フード・チェーン店にまで及ぶ。
これらのコマーシャルに登場するのは高年齢の人である。それとは対照的に
シブヤ・ガールズはほとんど宣伝には使われない。視覚的なインパクトはあ
っても購買力はないということだろうか。それともシブヤ・ガールズが宣伝
したのでは商品に良い印象を与えられないからだろうか。あるいはシブヤ・
ガールズは何にせよ、市場の法則とは異なった法則で買い物をするからなの
か。彼女達が登場するメディアとは、私には結局何をやっているのか良くわ
からないゲーム番組やトーク・ショウである。
米なれど ちょっと紅さし 朝鏡 は70才以上の女性たちのきわめて静
かな肖像から成っている。この本は1ページに必ず2枚のポートレートが配
列されており、見開きの状態で4枚の肖像が見える。大抵のページとページ
の間には、一枚の肖像だけを収めた半分の大きさのページが一枚挿入されて
いる。本をめくる際、絵が動きを持つような感覚が生じる。静的な写真が映
画のように“動き”はじめる。
4年の東京滞在において私の作品と制作方法はきわめて変化した。ほぼ本
の制作のみに専念している。以前は写真制作と並列して行っていたインスタ
レーションも、この期間に2度実現するのみに止まっている。
制作方法やその結果は、私の作品が“西洋”でそうであったように、過激
で攻撃的なものとはほど遠い。自分自身控えめになったといえるほどだ。
これは肯定できる変化か、それとも嘆くべきものか?この変化は何に起因
しているのだろうか?自分自身、日本では何も批判してはならない単なる客
人であるように感じているからか?それとも、私に本当の会話を許さず、誤
解をも理解させない、依然としてある言語の喪失のためか?それだからとい
って、私はその問題に反応しなくてもよいというのか?聞かず、話さず、そ
れゆえ見なくてもよいのか?
「20世紀日本社会における女性の肖像」というプロジェクトがまだ完結
していないので、私は引き続きポートレート写真に取り組んでいく。
しかしながら私は、観賞者が単なる消費者で終わらず、彼らにも見解を求
められるような、私の元来の制作方法に一層強く戻っていきたい。