母体胸腹水で搬送された Cushing 症候群合併妊娠の 1 例

青森臨産婦誌
症 例
母体胸腹水で搬送された Cushing 症候群合併妊娠の 1 例
弘前大学医学部産科婦人科
重 藤 龍比古・湯 沢 映・木 村 秀 崇
田 中 幹 二・尾 崎 浩 士・水 沼 英 樹
A case of pregnancy with Cushing syndrome accompanied by the
maternal pleural and ascitic fluid.
Tatsuhiko SHIGETO, Ei YUZAWA, Hidetaka KIMURA
Kanji TANAKA, Takashi OZAKI, Hideki MIZUNUMA
Department of Obstetrics and Gynecology, Hirosaki University Graduate School of Medicine
娩を予定していたため,入院を含めた早めの
は じ め に
帰省を勧められ,当地の総合病院を受診し
今回われわれは,妊娠初期に原因不明の母
た。移動直前に近医内科にて心エコーが施行
体 胸 腹 水 で 搬 送 に な り,後 の 検 査 に て
されたが,軽度心拡大あるも心機能正常との
Cushing 症候群と診断された 1 例を経験した
ことで帰省となった。
ので報告する。
前医での経過:2007 年 11 月,妊娠 13 週 0 日
に前医を初診した。体重は 56 kg とさらに増
症 例
加していた。呼吸苦があり,酸素 6 L/min を
マスクで投与し SpO2 98% の状態であった。
32 歳,主婦
胸部 X 線写真で胸水貯留(図 1)と心拡大
妊娠分娩歴:2 妊 1 産(1 回の子宮外妊娠,1
(CTR 55%)が認められた。安静時に呼吸苦
回の自然分娩)。
月経歴:初経 11 歳,月経周期は 30 日型で整
はほとんどないものの,軽度の労作で呼吸困
順。
難を訴え,NYHA Ⅲ度の状態であった。心エ
既往歴:特記事項なし。
家族歴:母が心筋症で通院中。
主訴:呼吸困難,下腿浮腫。
現病歴:2007 年 6 月,妊娠する 3 か月前より
下腿の浮腫を自覚していた。2007 年 9 月に無
月経を主訴とし近医を受診し,妊娠 6 週と診
断された。非妊時体重は 47 kg であったが,
妊娠 11 週で 50 kg,12 週で 54 kg と急速に増
加した。妊娠 12 週に浮腫の改善目的に柴苓
湯を処方されていた。妊娠 12 週の妊婦健診
時に血圧が上昇し(140/90 mmHg),肝酵素の
上昇も認めた。息切れもあったが,里帰り分
図 1 前医受診時の胸部 X 線写真
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第 22 巻第 2 号,2007 年
表 1 入院時の血液検査所見
WBC
Neut
Lymph
Mono
Eo
Baso
Hb
Plt
尖弁の異常は指摘されなかった。翌日,呼吸
状態,循環状態ともに落ち着いていたため,
▲ 13200/μL
88%
9%
2.5%
0.2%
0.2%
13.6g/dL
17.6×104/μL
尿 比重
pH
蛋白定性
糖定性
ケトン体
TP
▼ 5.8 g/dL
Alb
▼ 3.7 g/dL
Na
144 mEq/L
K
▼ 2.8 mEq/L
Cl
104 mEq/L
BUN
11 mg/dl
CRE
0.8 mg/dl
UA
2.8 mg/dl
T-bil
0.7 mg/dl
1.015 CK
▲ 431 mg/dl
7.5 LDH
65 U/dl
(+) AST
▲ 55 U/dl
(++) ALT
▲ 106 U/dl
(−) γ-GTP
▲ 355 U/dl
ChE
117 U/dl
ALP
195 U/dl
AMY
88 U/dl
CRP
0.03 mg/dl
GLU
122 mg/dl
ICU を退室し産科病棟へ移動し,自己免疫疾
患や内分泌疾患の検索を行った。
病棟到着後,
呼吸状態は落ち着いていたが,
乏尿となり点滴にてカリウムを補充しながら
利尿剤(furosemide)を使用し尿量を確保し
た。心不全は継続し,BNP(脳性ナトリウム
利尿ペプチド)は 2,354 pg/ml(基準値:18.4
以下)と非常に高値であった。また,食後の
血糖が 200 mg を超えるようになり,スライ
ディングスケールによるインスリンの投与を
開始した。HbA1c は 6.2% と軽度上昇してい
た。入院後 2 日目より,点滴刺入部,採血に
広範囲の皮下出血を認めるようになった。ま
た,皮膚は非薄化しており,前腕,上腕部に
褐色の皮疹が出現していた。凝固系の異常を
疑ったが,フィブリノーゲンが 183 mg/dl と
コーでは心嚢液の貯留も認められた。また腹
低下,
FDP が 7.0μg/dl と軽度上昇していた他
水の貯留も認められ,原因検索,母体管理目
は正常であった。また,抗核抗体等の自己抗
的に同日中に当科へ救急搬送となった。循環
体は検出されず,補体も正常値であり自己免
動態が不安定であることが予想されたため,
疫疾患は否定された。
ICU への入院となった。
内分泌学的検査では,FT3 が 1.48 pg/ml,
入院時現症:身長 153 cm,体重 56 kg,体温
FT4 が 0.75 ng/ml と低下しており甲状腺機能
36.8 ℃,血圧 140/90 mmHg,脈拍 65 bpm,下
は低下していたが,TSH は 0.09 mU/L と低値
腿浮腫(++),顔面部に座瘡を認めた。腹部
であった。LH,FSH は感出限度以下,PRL は
USG を行ったが,胎児は週数相当の発育で,
正常であった。副腎系のホルモンでは,アド
両側付属器にも異常を認めなかった。腹腔内
レナリン,ノルアドレナリンが低下,レニン
に軽度の腹水の貯留を認めた。
は 0.9 ng/dl,アルドステロンは 4.8 ng/dl と妊
入院時一般検査:血算にて好中球優位の白血
婦としては低値であったが,血中コルチゾー
球増加がみられた。また低蛋白血症,低カリ
ルが 31.2μg/dl と高値,尿中コルチゾールは
ウム血症,AST,ALT,γ-GTP の上昇,CK
894μg/day と正常上限の 10 倍の値であっ
の上昇が見られた。尿検査では,
尿蛋白
(+)
,
た。これに対して ACTH は 0.5 pg/dl 未満と
尿糖(++)であった(表 1)
。心電図では低カ
抑制されており,
再度行った腹部 USG にて右
リウム血症によると思われる T 波の平坦化
腎の上方,肝下面背側に径 3 × 2 cm の low
が見られた。
echoic mass を認め(図 2)
,この段階で右副腎
入院後の経過:USG による精査では,下大静
腫瘍による Cushing 症候群との診断となっ
脈の拡張,うっ血肝が認められ,うっ血性心
た。確認のために MRI も行い,
同様に右副腎
不全の診断となった。肝酵素の上昇はうっ血
腫瘍との診断を得た。
肝によるものと思われた。その他,心嚢液の
妊娠 14 週 0 日に内分泌内科へ転科した。ア
貯留による軽度拡張障害,心筋肥厚も認めら
ルブミンの投与,利尿剤の使用により心不全
れたが,wall motion は正常で,大動脈弁や三
を改善させ,妊娠 15 週 1 日,全身麻酔下に当
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(73)
青森臨産婦誌
表 2 Cushing 症候群の臨床症状
コルチゾールの過剰分泌により以下の症候のいくつかが見られる。
1 .満月様顔貌
2 .中心性肥満(buffalo humpも含む)
3 .高血圧
4 .月経異常
5 .赤紫色の皮膚進展線条
6 .皮下溢血
7 .座瘡
8 .多毛
9 .筋力低下
10.浮腫
11.糖尿病
12.骨粗鬆症(若年・中年)
13.色素沈着
14.精神異常
15.発育遅延(小児の場合)
16.皮膚萎縮
図 2 腹部超音波所見
肝の背側にφ 2×3 cm の腫瘍が認められる.
院泌尿器科による腹腔鏡下右副腎摘除術施行
87∼95%
82∼96%
76∼91%
53∼80%
63∼76%
43∼62%
43∼62%
40∼60%
40∼59%
33∼51%
29∼50%
27∼37%
15∼34%
17∼30%
1∼8%
78%
が施行された(手術時間 2 時間 20 分,出血量
少 量)。摘 出 さ れ た 組 織 は adenocortical
認められると報告されている。心不全による
adenoma と良性の副腎腫瘍であった。術後
母体死亡も報告1-3)されている。また,早産率
はコルチゾール補充療法として,ハイドロコ
が 50∼60%,新生児死亡率が 9∼25%,IUGR
ルチゾン 20∼30 mg/day を連日投与した。
が 13% と報告1-3)されている。
妊娠 16 週に性器出血を認め絨毛膜下血腫
一方,妊娠中に診断され分娩前に手術が施
の診断となるも,その後血腫は縮小した。以
行された例では,平均分娩週数が 37 週で,約
後の厳重な妊娠管理が必要であると思われた
半数が経腟分娩可能であったとの報告5)もあ
が,
家族のサポートの関係から転居を希望し,
る。しかし,Cushing 症候群は妊娠高血圧症
妊娠 17 週で他院に紹介となった。
候群と類似の症状を示すほか,体型異常,抑
うつ等の精神異常も特異的な所見とは言え
考 察
ず,鑑別診断は困難なことが多い。血圧コン
Cushing 症候群は,特徴的な臨床症状によ
トロール不良にて termination となった後も
り診断されることが多い疾患である。表 2 に
血圧が低下せず,内分泌学的精査の結果,
Cushing 症候群の臨床症状とその発現率を挙
Cushing 症候群と診断される例も少なくな
げた。本症例では,高血圧,皮下溢血,座瘡,
い。
浮腫,糖尿病,皮膚萎縮がみられた。また,
Cushing 症候群の原因疾患に副腎腫瘍が占
診断確定後に再度問診を行ったところ,以前
める割合は,非妊娠女性で 15% であるが,
と比べ顔が丸くなったこと(満月様顔貌)
,腹
Cushing 症候群合併妊娠では 50% 以上と高率
部に脂肪が付いてきたこと(中心性肥満)
,力
であることが報告されている1,3)。下垂体性
が入りにくくなったこと(筋力低下)が明ら
Cushing 症候群(Cushing 病)ではゴナドトロ
かになった。
ピンの分泌障害による排卵障害が起きやすい
Cushing 症候群では,その内分泌環境から
のに比べ,
副腎腫瘍による Cushing 症候群(狭
無月経や不妊の原因となることが多く,妊娠
義の Cushing 症候群)では,ACTH の分泌は
に合併することはきわめてまれである。その
抑制されるが排卵機能はある程度維持されて
周産期予後は一般的に不良1-4)であり,母体高
いることが多いのが原因と思われる。本症例
血圧は 60∼90% に,
耐糖能異常は 25∼50% に
でも月経周期の乱れはなく,排卵機能は障害
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第 22 巻第 2 号,2007 年
153-156, 1998.
されていなかったと推察される。
Cushing 症候群は妊娠により症状が増悪す
4 )Lindsay JR, Jonklaas J, Oldfield EH, and Nieman
LK: Cushing’s syndrome during pregnancy :
Personal experience and review of the literature.
J Clin Endocrinol Metab, 90 : 3077-3088, 2005.
ることが多く,妊娠中に診断がついたものに
は,腫瘍摘出を行うことが望ましいとされて
いる5-9)。メチラポンなどの副腎皮質ホルモン
5 )山田ひとみ,宮本啓子,照屋 亮,馬場園哲也,
緒方真規子,岩崎直子,佐中真由美,神戸雅子,
伊藤悠基夫,小田桐恵美,岩本安彦:胎児仮死と
重症妊娠中毒症による緊急帝王切開術後に糖尿
病性ケトアシドーシスを起こした未治療クッシ
ング症候群の一例.糖尿病,44:757-760,2001.
合成阻害剤が有効であったとの報告4,10)もあ
るが,胎盤通過性があり胎児副腎機能を抑制
す る 可 能 性 が あ る こ と,副 腎 腫 瘍 に よ る
Cushing 症候群では内科的治療に反応しない
症例や,10∼20% に悪性腫瘍を認めることか
6 )Prico VE, Monichik JM, Prinz RA, Dejpmg S,
Chadwick DA, Lamberton RP : Management of
Cushing’s syndrome secondary to adrenal
adenoma during pregnancy. Surgery, 108 :
1072-1078, 1990.
ら,外科的治療を妊娠中に選択した報告が多
い。
結 語
7 )今井常男,船橋啓臣,妹尾久雄,高木 弘:妊娠
合併の副腎皮質腺腫によるクッシング症候群の
手術は Emergency である.内分泌学,14:19-23,
1997.
本症例は,心不全状態を呈してから精査が
なされ Cushing 症候群と診断されたが,高血
圧合併妊娠,もしくは妊娠高血圧症候群とし
て精査・加療される症例も決して少なくな
8 )Kamiya Y, Okada M, Yoneyama A, Jinnno Y,
Hibino T, Watanabe O, Kajiura S, Suzuki Y,
Iwata H, Kobayashi S : Surgical successful
treatment of Cushing’s syndrome in pregnant
patient complicated with severe cardiac
involvement. Endcrine J, 45 : 499-504, 1998.
い。あらためて高血圧合併妊娠の妊娠初期の
精査の重要性を認識させられた 1 例であっ
た。
文 献
9)
村山敬彦,馬場一憲,竹田 省,川真田明子,飯
原雅季,小原孝男,松田義雄:Cushing 症候群合
併妊娠の 1 症例.産婦実際,53:1417-1421,2004.
1 )Buescher MA, McClamrock HD, Asashi EY :
Cushing syndrome in pregnancy. Obstet
Gynecol, 79 : 130-137, 1992.
10)
Close CF, Mann MC, Watts JF, et al. :
ACTH-independent Cushing’s syndrome in
pregnancy with spontaneous resolution after
delivery : control of the hypercortisolism with
metyrapone. Clin Endocrinology (oxf)
, 39 :
375-379, 1993.
2 )Kamiya Y, et al. : Surgical successful treatment
of Cushing’s syndrome in a pregnant patient
complicated with severe cardiac involvement.
Endocr J, 45 : 499-504, 1992.
3 )Murakami S, Saitoh M, Kubo T, et al. : A case of
mid trimester intrauterine fetal death with
Cushing’s syndrome. J Obstet Gyecol Res, 24 :
― 7 ―
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