GS`D - 名古屋大学 大学院国際開発研究科

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ニ ユー ズ レタ ー
NO.5
名古屋大 学大 学院 国際開発研究科
発行 0464-8601 名古屋市千種区不老町
て
1998.11.1
052〉 789--4953
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21世
紀 へ の 展 望 を
!
大学院国際開発研究科長
国際開発研究科
中 條
直
樹
(GSID)は ,「 ニ ュー ズ レ タ ーNo.4」
に研究科棟増築 の工 事 中 の写真 を掲載 し, この 4月 か らの
供用開始 をお伝 え したが,予 定通 りにそ の工 事 も終了 し
,
格段 に改善 され た研 究・ 教育条件 の もと,新 たな気持 ちを
も って教職員,院 生諸君 も活動 を精力 的 に開始 した。
本号 で は,増 築部分 を中心 に研究科棟 を紹介 した い。 ま
ず,
8Fの “多 目的 オーデ ィ トリア ム"で あ る。収容 人 員
は約 100名 で あ るが,ス ター ト以来 ,新 入 生 ガ イ ダ ンス
,
DFW公 開 セ ミナ ー グ
ローバ ル時代 の コ ミュニ テ ィ開発 :課 題 と展 望 」),OFW
事前研修 と,ま さに多 目的 に利用 されて い る。 AV機 器 を
研究科棟増築記念式典 ,OFW・
(「
備 え,学 会 の発表会場 ,講 演会場 と しての利用価値 もか な
り高 く,今 後 も積極 的 な利用 を期待 して い る。 次 に 7Fの
“第 二 言語情報処理室 "で は,30台 の コ ンピュー タを設 置
し,院 生諸君 の利 用 に開放 して いるが,諸 般 の事情 か ら利
用時間制 限をせ ざ るを 得 ず ,若 千 の 不 便 を掛 けて い る。
300名 余 の院生 ,研 究生 が今後 ます ます コンピュー タをデー
タ処理等 に活用 す る事態 に対処 す る方策 も考 えねばな らな
い。
次 に 4Fの “第 二 情報資料室 "の 整備 を挙げてお きたい。
増築完成 した研究科棟
この資料室 に は開発・ 協力・ 文化 に関わ る基本文献 が備わ っ
の展示会 を開催 したが, この催 しは新 間 に も紹介 され,多
て い るが, これ らの収集 には教官 の協 力 は もとよ り,資 料
くの入場者 を数 え,好 評 の うちに終了 した。 た びた び教官
室 ス タッフの努力 によ るところが多 い。 さ らに院生 の要求
と院生 が集 い,あ るい は専攻毎 の集会 が持 たれて い るよ う
に誠実 に対応す るス タ ッフの姿勢 もあ り,利 用者 も着実 に
で あ り,整 備 した意 義 も理解 され たよ うに思 う。
増加 してお り,そ れ に伴 い夜 間開館 を含 む不1用 時間 の延長
博士課程・ 修士課程院生 の研究室 も大 幅 に改善 されて い
を望 む声 があ る こと も承知 しているが,現 状 で はなか なか
る。 これ まです じ詰 め状態 で あた のが,研 究室 にふ さわ し
要望 には答 え られ そ うにな い。
い体裁 を整 え る ことが可能 とな り,平 常 の利用率 も高 く
lFに は,本 学 において もきわめて ユ ニ ー クな “プ レゼ
ンテ ー シ ョンル ーム"が 整 備 され て い る。 これ は,各 種
収集資料 の展示 0紹 介 を 目的 と しつつ,構 成員 の懇親 を は
,
す ぐれた博士論 文 ,修 士論文 が次 々 と誕生 す る ことを願 っ
て い る。
本年 もOFWを GSIDは 実施 す る。 これ まで タイ, フ ィ
か ることを意 図 して の利用 に供 す る施設 であ る。 すで に博
リピン, イ ン ドネ シアの順 に 2カ 年 づつ研修を実施 したが
士課程在籍院生 が主 と して中国本土 で収集 した「 中国年画」
本 年 は 4年 の 間 隔 を お いて ,GSID発 足 直後 に第 1回 の
,
OFWを 実施 した タイに戻 る ことになる。 タイ北 東部 のチェ
ンライを拠点 と して の20日 間弱 の調査 で あ るが,実 施 に当
た り,様 々な工夫 が凝 らされ,可 能 な限 り永 続 的 に OFW
人院生 も海外 へ 出か けて い る。従来論文 のための調査 で海
が継続 で きるよ う, ます ます の ご理 解 と暖 か い ご助力 をお
ルヘ の ヴォラ ンテ ィア と しての参加 な どが特筆 す べ き事 例
願 い した い。 もう一 つ の研修 ,DFWも 昨年 に 弓│き 続 き
で あ ろ う。 また海外 の研究機関 へ の留学 が急増 し, アメ リ
愛知県足助 町 を中心 に今秋 に実施 す るべ く,準 備 を整 えて
カ,イ ギ リス,あ るいはイ ン ドネ シアヘ 出立 して い る。彼
い る。 留 学 生 が 学 生 総 数 の ほぼ40パ ー セ ン トを 占 め る
らの多 くが所期 の 目的を達成 し,事 故 もな く無事 に研究成
GSIDで は,DFWの 整備 も急 務 で あ り, プ ロ ジ ェ ク ト室
果 を携 えて帰 国す る日を待 ちた い。
,
外,特 に発 展途上 国 に滞在 す る例 は,多 数 あ ったが,最 近
で はカ ンボ ジアの選挙監視団へ の参加,ま た コー トジボアー
の在 り方 も検討 しなければな らな い。解決 す べ き問題 が 山
修士課程 ,或 い は博士課程 を修了 し,専 門 的知識 を有す
積 して い るが,地 道 に着実 に解決 の道 を探 って いか ざるを
る人 材 と して我 が国 で, また母国 に帰国 した留学生 とと も
得 な い。
に,そ れぞれ の専 門 を生 か して活躍 す ることが GSIDの 将
諸外国 か らの留学生 は着実 に増加 して い るが,一 方 日本
来 を明 るい もの とす る ことを確信 して い る。
大学 院国 際開発研究科 は,研 究科棟増築記念 講 演 会 を 5
夫前 国際開発研究科長 ◆現上智大学教授 が ,『 これ か らの
月27日 (水 )に 同棟増築部分 に新設 された「多 目的 オーデ ィ
国 際協力』 と題 し,ODA予 算 の削減 に伴 う今 後 の協 力 の
トリア ム」 (8F)に お いて,関 係者 100余 名 の 出席 を 得 て
あ り方 と本研究科 と院生 へ の期待 を込 めて熱弁 を振 るわれ
盛大 に開催 しま した。
,
参加者 は熱心 に聞 き入 って い ま した。
大学 院国際開発研究科 は,1991年 4月 に設置 され た国立
講演会終了後 ,懇 親会 が,増 築部分 に新設 の「 プ レゼ ン
で は最初 の国 際開発・ 協力系大学 院 で あ り,い わ ゆ る国立
テ ー シ ョンルーム」 (lF)に お いて 行 わ れ ま した。 同会
7大 学 で は,本 学 にのみ に設 置 された独立研究科 で す。 本
場 で展示 されて い る「 中国年画」 を鑑 賞 しつつ,木 下英彦
研究科 は他 の国際開発・ 協力系大学 院 の リー ダ ー と して の
本学施設部長 の音頭 で乾 杯 し,各 国 か らの留学生 も交 え
役割 が期待 されて います。本研究科 で は,1994年 12月 に 1
和 やか に懇談 す る風景 が見 られ ま した。
,
期工 事 が完了 し,今 回 の増築 によ り,当 初 の計 画通 り,約
6,300m2の 研究科棟 が完 成 い た しま した。
式典 は,中 條研究科長 の式辞 に続 き,本 学 の最 初 の独立
研究科 と して の設 置 か ら研 究科 棟 の完成 に至 るまで 尽力 さ
キ ャンパ ス 0ク リー ンの 実施
去 る 6月 15日
(月
)に ,名 古屋大学 キ ャ ンパ ス・ ク リー
れ ま した加 藤延夫本学前総長 の挨拶 が あ り,そ の後松尾稔
ン・ ウ ィー クの一 貫 と して,国 際開発研究科 キ ャ ンパ ス・
総長代理 山下興亜副総長 か ら祝辞 が述 べ られ ま した。
ク リー ンを実施 した。
引 き続 き行 われた講演会 で は,本 学 名誉教授小川英次元
これ に伴 い,各 研究室等 に清掃用具 が常備 され る ことと
国 際開発研究科長 。現 中京大学教授 が,『 技 術 移 転 とア ジ
な り,教 官 は各研究室 を,学 生 は各居室 。学生 ラウ ンジの
アの諸国 ―「技術」移転 か ら「技 術能力」移転 へ』 と題 し
清掃 ,整 理整 頓 を実施 し,事 務 は国際開発研究科棟周囲 の
最近 の我 国 の金融事情 にまで及 ぶ大変熱 の こもった講演 を
雑草 の除去 , ゴ ミの片付 け等 に汗 を流 し, キ ャ ンパ ス・ ク
巧 み な話術 で行 われ ま した。 引 き続 き本学 名誉教授 森蔦昭
リー ン・ ウィー クに参加 した。
,
│■
:輻
一珀
「中 国 年 画 展」 追 想
国際 コ ミュニケー シ ョン専攻研究生
川
瀬
千
春
中国 の人 々に とって,旧 暦 のお正 月 (春 節 )は 一年 で最
大 の お まつ りで あ る。年末 になれ ば,街 には赤 や金 の装飾
が 目立 つ。
年画 は,明 くる年 の招福厄除,財 貨 の獲得 ,立 身 出世
,
そ して一人 っ子政策 が開始 され るまで は多子 な どとあ らゆ
る願 いを込 め,そ の上新年 の室 内装飾 を もかねて,年 末 に
室 内や門扉 に貼付 され る絵画 であ る。一旦貼付 した ら風化
にまかせて剥 が され る ことはな く,翌 年末 には,ま た同 じ
願 い を込 めて新 しい ものに貼 り替 え られ る。 その起源 は漢
代 に まで遡 ることがで き,宋 代 には年 末 の市場 に並 ぶ よ う
にな った。 さ らに印刷 技術 や輸送手段 の発達 によ って,各
余」 と題 され た年画 のモチー フに は,よ く肥 え た子 供 が
地 に年画 の生産地 が形成 され,民 衆 間 には明代以降 に普及
蓮 の上 で鯉 (魚 )を 抱 いて い る様 が描 かれて い るが,「 蓮 J
し定着 した。 こ う した年画貼付 の習慣 は, と くに農村部 で
は,連 続 を意 味す る「連」 と同音 であ り,「 魚 」 は 「 余 」
は現 在 も欠 くことので きな い 旧正 月 の風習 とな って い る。
と同音 で あ る。 つ ま リー年 中余裕 が あ ります よ うに, とい
中国社会 に定着 した年画貼付 の習慣 は,我 が国 で は,昨
う願 いが込 め られて い る。 また子供 その ものが,幸 福 や子
今愛好家 の間 で は注 目 されて い るが, まだ「年画」 と聞 い
宝 の イメー ジを もつ モ チー フで あ る。 この よ うに民衆 間 に
て,「 年賀」 が想起 され る場合 が多 いよ うで あ る。 今 回展
普及 した年画 は,一 つ のメ ッセー ジを,お 正 月 とい う時期
示 の機会 を得 て,私 の意図 した ところは,一 つ には,年 画
に広 範囲 の人 々に同時 に伝 え ることので きる視覚 的 な情報
とい う民衆 間 に息 づ く絵画 を紹介 す ることであ った。 そ こ
伝達 メデ ィア といえ る。
で,中 国各地 の年画産地 の特色 を もつ年画 を一堂 に展示 し
,
そ して,今 回 の年画展 で,最 も伝 えたか ったの は,近 現
代 中国社会 に展 開 され た,戦 闘,革 命 な どの動 きの中 で
た。
,
中国社会 で は,民 衆 の工 芸 とされ,芸 術 の範疇 に入 れ ら
民衆 の素朴 な願 いを込 めて貼付 されて きた年画 とは異 な る
れず,近 代 に至 るまで年 画 は顧 み られ る ことはなか った。
意義 の年 画 が制作 されて いた ことで あ る。 つ ま り,年 画 の
しか し,今 回展示 した清代 の天津楊柳青年画 に代表 され る
情報伝達 メデ ィア と して の機能 に着 目 した為政者 によって
よ うに,そ の精緻 で華 やかな描画 ま,見 飽 きることのない
年画 はプ ロパ ガ ンダの道具 ともされ たので あ る。展示 品 の
美術作品 の風格 が充 分 にそなわ って い る。
展示 目的 の二 つ 目 は,年 画 の有 す る視覚 的 な情報伝達 メ
デ ィアと しての機能 を紹 介す ることで あ った。年画 の画面
,
「 プ ロパ ガ ンダ年画」 と題 した年画 には,為 政 者 の 意 図 や
当時 の世相 が表 れ,民 衆 の願 いを描 出 した伝統年画 とは異
な り,中 国 の政治 が うごめ いて いた。
か らは,吉 祥 モ チー フを指す名詞 と同音異義 の漢字 により
そ う した ものの顕著 な例 であ る文化大革命期 の年画 に関
様 々なメ ッセー ジが発 せ られて い る。 た とえ ば,「 連 年 有
して,い くつか質 問 や感想 を寄 せて いただ い た。文革期 に
,
は,年 画 は四 つ の古 い悪 (古 い思想 ,古 い文化,古 い風俗
,
古 い習慣 )の 一 つ とされ,そ れ までの年 画及 び制作者 は破
壊 の対象 とな って しま った。戦火 を くぐり,幸 いに も無事
で あ った清代以前 の年画 も版木 も,再 び人 災 に遭 い,そ の
多 くが散逸 して しま った。 ところが,文 革期 の指導者達 は
,
年画 を破壊 す る一 方 で,毛 沢東 を モ チ ー フと し,革 命 の ス
ロー ガ ンを朱 筆 して挿入 した年画 を盛 ん に制作 した。年画
は完全 な プ ロパ ガ ンダの手段 とな ったので あ る。
年画 の蒐集 は,1993年 以来行 って きた。上記 の 目的を持 っ
て蒐集 に当 た って きた ので,全 国各地 の, さまざまな年代
の年画 のみな らず,そ の制作道具 ,版 木 な ど も展示 で きる
よ うに努 めた。前述 したよ うに, もともと年画 は,中 国 で
は一年毎 に更新 され保存 の対象 で はな い上 に,戦 争 や文革
の一般 の方 に も興味 を持 って ご覧 いただ けた よ うで あ る。
を経過 し, と くに古 い もの を蒐集 す るの は困難 で あ った。
この場 を借 りて お越 しいただ い たす べ ての方 にお礼 申 し上
しか し「 中国年画展」 で は,時 間 的 に も地理 的 に も幅広 い
げます。 そ して,良 好 な展示条 件 を いただ き, また展 示設
展示 がで きた と考 えて い る。
営 に当た り ご協 力 いた だ いた諸先生方並 びに本研究科事務
展示時間 の制 限 が多 く,参 観者 に は ご迷惑 をおか け した
思 う。 しか しなが ら,100人 余 りの記 帳 を いた だ き,学 外
局 の皆様 に心 よ り感謝 申 し上 げます。 また,学 外 の寺門氏
毛利氏 に心 よ りお礼 申 し上 げます。
特集記事 :国 際協力 の現場 か ら
この夏 , 日本 の国 際 協力関係者 の間 に一 つの衝撃 が走 っ
た。 国連 タ ジキ ス タ ン監視 団 の秋野豊 。前筑波大学助教授
3分 のバ ンガ ロー は,ヤ モ リとの共存 さえ い とわ な けれ ば
の射殺事件 であ る。 国情不安定 な中 で,人 々の平和 な生 活
地域 のため, マ ラ リア対策 が必 須 とな る。 日没後 の外出で
を希 求 し奔走 し続 け る人 々が増 えて きて い る。本研究科 に
携帯用蚊取 り線 香 ケ ースを持 ち歩 い たわた しは,周 囲 か ら
お いて も,海 外 に赴 き国際協力 の現場 で活躍 す る人 々が数
奇異 の 目でみ られて い たが,徐 々 に誰 もがそ の効用 に納得
多 くいる。 国連機 関 の一員 と して,あ るい は NGOの 一 員
す るよ うになつ て い った。
と して, さ らに は外務省派遣 の調査員 と して な ど形態 はさ
まざまで あ る。 今 回 の ニ ューズ レターで は,そ の よ うな 中
か らお二人 の体験談 を ご紹介 しよ うと思 う。
まず,博 士前期課 程 2年 生 の安藤 由香里 さん の, コー ト
非常 に快適 であ った。 タブー は名古屋 に負 けず湿度 が高 い
,
UNHCRの 研修第一 日目は,現 在遂行 されて い る 自発 的
難民帰還 プ ロ グ ラムの コ ンボ イ
(ト ラックの連 隊)に 付 き
添 って コー トジボ ヮール と リベ リアの国境 まで難民 を送 り
ジボアール にお け る難民 キ ャ ンプでの体験談 で あ る。 彼女
届 け, リベ リア側 の ス タ ッフに 引 き継 ぐこ とで あ った。
UNHCRの リベ リア側 ス タ ッフと リベ リア警察 ,入 国管理
の体験 は,若 者 に難民 キ ャ ンプの活動 を体験 して も らお う
官 が 自国民 の帰還 を待 ち構えて い る。難民 たちの様子 は淡 々
とい う,国 連難民高等弁務官事務所 の企画 に参加 した もの
と して いて,帰 還 に伴 う感情 を見 て取 る事 は困難 で あ る。
で あ る。高等弁務 官 で あ る緒 方 貞 子 さん の 名 を と って
この地方 は,雨 季 のため前 日の降 雨量 によ って,道 路 の状
,
「 キ ャ ンプ・ サ ダ コ」 と呼 ばれて お り, これ まで の 6年 間
態 が左 右 され るため, リベ リアメ リー ラ ン ド州 プ リボー ヘ
に51人 の 日本 の若者 が参加 して いる。安 藤 さん は, 日本 の
の第一 回 目の難民帰還 に付 き添 って いた 日に は,道 路 が泥
子 ど も達 が描 いた絵 を も って行 き,難 民 キ ャ ンプの子 ど も
沼 と化 して いて トラ ックが泥 に はま った状態 の まま 3時 間
達 に ミニ展覧会 を行 った。 また,難 民 キ ャ ンプの子 ど も達
立 ち往生 とい う状態 も経験 した。
が描 いた絵 を今 度 は 日本 で紹介 し,絵 を媒体 に した交流 を
タブーで の 日常業務 は, 自発 的難民帰還 のための登録作
業 で,い つ, ど こへ,何 人 で行 きた いか の希望 を難 民登録
行 った。
次 に ご紹介 す るの は,博 士後期課程 3年 生 の野 田真里 さ
カー ドに基 づ き調査 し,書 類 の作成 を行 う。 自分 の年齢 を
んの,カ ンボ ジア にお ける選挙監視員 と して の体験談 で あ
知 らない人 が多 く,時 に は 自分 の子 ど もの名前 を知 らない
る。 この選挙監視 に は,世 界各国 か ら500人 の 選 挙 監 視 員
親 に直面 す る こと もあ った。登録以外 で は,UNHCRが 焦
が参加 し, 日本 か らも32人 が 派遣 され た。 国連 カ ンボ ジア
点 を当てて い る 3つ の枠①老年者②一 人身 の女性③ 障害 を
(UNTAC)に
よ る総選 挙 か ら 5年 , 彼 は再
持 つ人 の 自立支援 プ ロ グラムを普及 させ るために,村 々 を
び総選挙 を行 うカ ンボ ジアの選挙監視員 に志 願 し,公 正 か
まわ り知 らせ て い くこと も行 った。 その際 に村長 や学校 の
つ公平 な選挙 が行 われ るよ うに と現地 に向 か った。
先生 に依頼 して子 ど もたちを集 めて,絵 画 を描 いた り,即
暫定統治機構
コー トジボ ワー ル 難民 キ ャンプ研修
「キ ャンプ・ サダ コJに 参加 して
国 際協力専攻
M2
安
藤
由香里
1998年 7月 21日 コー トジボヮール最西端 の タブー難民 キ ャ
ンプに首都 ア ビジ ャ ンか ら向 か った。 トヨ タラ ン ドクル ー
ザ ーで約 6時 間,大 西洋 が眼前 に広 が った時 はその美 しさ
に し ば し感 動 して し ま っ た 。 国 連 難 民 高 等 弁 務 官
(UNHCR)タ
ブー事務所 で一 通 りの 挨 拶 を 終 え,一 ケ月
滞在 す るための宿探 しに向か ったのだが,事 務 所 か ら徒歩
席折 り紙教室 を開 いた りも した。物資 が不足 して いるため
,
は じめて ク レヨンや画 用紙 を手 にす る子 ど もたちが多 く
,
大騒 ぎを しなが ら絵 を描 く姿 が非常 にE日 象 的で あ る。
「草 の根民主主義 の胎動
― カンボ ジア選 挙監視報告」
コー トジボ ヮ ール で は UNHCRの パ ー トナ ー と して い
国 際開発専攻
D3
野
田
真
里
くつ か の国際組織 が活動 を して い る。 自発的難民帰還 の輸
筆者 は去 る 7月 17日 か ら8月 1日 , 日本国政府 の 派 遣 で
送 を行 って い るのは GTZ(ド イ ツの 国 際協 力 機 関 )と 国
(JIOG)の 一 員 と して , カ ンボ ジア王 国
議会選挙 の監視業務 に携 わ った。 GSID関 係 者 と して は私
の他 に,浜 田 さん (GSID, 国 際 開 発専 攻 D3)と OBの
際赤十字
(ICRC)で ,GTZは 職業訓1練 校 の運 営 も行 って
い る。 ADRA(教 育 関連 NGO)は タブー地 域 の 初 等 , 中
国 際選挙監視 団
等教育 を担 当 してお り,難 民 と地 元 の人 々の区別 な く無償
四本健二 さん (名 古屋経済大学助教授 )も 参加 した。 この
で 教 育 を 受 け られ る シ ス テ ム が 確 立 し て い る 。
3人 のカ ンボ ジア との繋 が りは深 く,私 は NGOで ,浜 田
International Rescue Committee(IRC)は コ ミュ ニ テ ィ
さん と四本 さん は」ICAの 専 F5家 と して 関 わ って きている。
を中心 と した小規模金融 を行 って お り, リベ リア ヘ の帰還
こ うした個人 レベ ルの繋 が りに加 えて,GSIDが 王 立 プ ノ
後 も シ ス テ ム が 継 続 され る よ う に 取 り組 ん で い た 。
ンペ ン大学 と学術協定 を結 び,GSIDと カ ンボ ジア との 関
ANADER(コ
係 は密 であ る。
ー トジボ ヮー ル農業省 の機 関 )は ,稲 作 と
キ ャッサバ の栽培 に取 り組 んでお り,大 半 の難民 の生活 を
今回 は国際社会 か ら500名 うち 日本 か ら32名 が選 挙 監視
支 えて い るの はこうした米 とキ ャッサバ の収穫 によ る もの
要 員 と して派遣 され, 自由で公正 な選挙 の実現 の ため に
で あ る。 CARITAS(社 会 関連 NGO)は 幼 稚 園 を運 営 し
カ ンボジア王国政府 な らびに NGO, カ ンボ ジアの 人 々 と
てお り,8:00-14:00ま で,2-5歳 の難民 を受 け入 れ て
共 に汗 を流 して きた。 今回 の選挙 は1993年 の国連 カ ンボ ジ
い る。 幼稚 園 の昼食 は世界 食 糧 計 画
(WFP)か
ら支 給 さ
,
ア暫定統治機構
(UNTAC)に
よ る選 挙 とは全 く違 う性 格
を持 つ重要 な選挙 で あ った。 とい うの は,今 回 の選挙 はカ
れ る コー ン ミール な どで まか なわれて いた。
医療 サ ー ビス は,緊 急 の場合 と 1歳 以下 の子 ど もそ して
ンボ ジア人 自 らの手 によ る初 めて の選挙 とい うことで カ ン
出産 に対 して は無償で行われ るが,そ の他 は 5割 の 自己負
ボ ジアが民主主義 を定 着 させて い く上 で の大切 な第一歩 で
担 で あ る。 タブー周辺地域 には150の 村 が あ り, 32の 小 規
あ った。 また,昨 年 7月 の政変 によ って 国際社会 か ら孤 立
模 医療施設 を タブーが統括 して いる。 タブーで の最大 の間
したが,今 回, カ ンボ ジアが「 自由で公正」 な選挙を行 い
題 は,水 の供給 が6:00-8:00に 限 られて い る事 で あ る。
国際社会 がそれ を認 め る ことは,援 助再 開 ,
水不足 に伴 う下痢 が′
とヽ
配 されて い る。 マ ラ リア も深刻 で
等 ,対 外 的 に も重要 な意 味 を持 つ もので あ る。 日本 チ ーム
蚊帳 が5,000CFA(約 1,250円
は良 い とは言 えない。 また,家 族計画 に力 が入 れ られてお
はプノ ンヘ ン市 , タケオ州, カ ンダール州,プ レイベ ン州
スバ イ リエ ン州 に展 開,筆 者 はプ レイベ ン州 のカ ンポ ン ト
り,病 院 には二 つの ポス ターが貼 られて い る。 一 つ は,子
ラバ エ ク郡 にて,投 開票 を見守 った。
,
)で 売 られて い るが普 及 状 態
,
ASEAN加 盟
,
ど もが少 な く微笑 んで い る家族 ,他 は,子 ど もが多 く涙 を
筆者 の監視活動 を通 じての,今 回 の選挙 の評価 であるが
流 して い る家 族 であ る。 このポス ター は字 が読 めない人 に
先ず第 1に ,住 民参加型民主主義 へ の第 一 歩 であ った とお
もわか りやす い配慮 が されて い る。
おむね肯定 的 に見 て い る。私 が関 わ った投 開票所 の ス タッ
,
1ケ 月 の滞在期間を通 して,非 常 に貴重 な経験 をす る事
フは一 様 に国際選挙監視員 の プ レゼ ンスの重要性 を評価 し
がで き,現 在 のわた しが行 うべ きことが少 し明確 にな った
て い た。個人的 には投 開票 の プ ロセ スだ けを見 れば,カ ン
よ うな気 がす る。
ボ ジア人 はほば完璧 に手順 に沿 って や って お り,何 の問題
も無 い様 であ った。
投票 。開票 が終 わ った後 は,立 場 の違 いを超 えて, 自 ら
ン氏 は次 のよ うに述 べ て い る。「 今何 の選 挙 は パ ー フ ェ ク
の手 で選挙 を成 し遂 げた喜 びに満 ち溢 れて いた。特 に,行
トで ないか もしれ ない。 しか し,次 の選挙 ,そ の次 の選挙
(CEC),投 票 所 委 員 会 (PSC)の メ
ンバ ー は普通 の住民 で あ った ことは特筆 に価す る。有権者
と一 歩ず つ 自由で公正 な選挙 を実現 して い くしか ない」 と
言 った。確 か に,投 開票 の プ ロセ ス,そ してそれ以 前 のプ
の意識 も高 く,投 票率 は軒並 み90%を 超 え,95%に 迫 る投
ロセ スにお いて も様 々な問題 が あ った ことは確 かで あ る。
票所 も少 な くなか った。少 な くと も私 が見 た投票所 。開票
しか しそれ らは選 挙結果全体 を覆す ほどの大 きな問題であっ
所 で は,今 回 の投開票 にかん して不満を言 うもの はいなか っ
た とは考 え に くい。各政党 はいたず らに政争 には しらず
た。 とはいえ,様 々な問題 や 限界 が あ った こと も確 かで あ
今 回 の選挙結果 を受 け入 れ,国 会 の場 で論 戦 を戦 わせて
る。言 うまで もな く,国 際選挙監視 員 が展開 したの は ご く
カ ンボ ジアの民主主義 を成熟 させ て い くべ きで はないだ ろ
一 部 の地域 に限 られ, しか も期 間的 に も投 開票 の数 日と限
うか。 それが,草 の根 で今回 の選挙 を担 ったカ ンボ ジアの
られ た もので あ った。確 か に, これ を も って今回 の選 挙全
国民 ,そ して国際社会 に対 す る信頼 を勝 ち取 る道であろう。
政村選挙管理委員会
,
,
体 が本 当 に「 自由 で公正 」 で あ ったかを判 断す るには限界
また,市 民社会 ,国 際社会 は今 回 の選挙 の成果 と問題点
が あ る。実 際,日 本 チ ームが展開 した地 域 で も,「 無 言 の
を踏 まえ,今 後 のカ ンボ ジアの民主 化 と発展 のため にその
圧力」 には じま り,選 挙結果 へ の ク レー ム,狙 撃事 件等 の
動 向 を注 視 しつつ,必 要 な支援 を行 って い くのが良 いので
問題 も生 じた。
まいか。
はプ
最後 に,国 家選挙管理委員会 の委 員長 を勤 めたチ ェ ンポ
ホヮン
シュー リン :中 華人民共和国
上海水産大学 :教 授
科学研究部長
研究課題 :国 際海洋法 の研究
[外 国人研究員]
ス ミ トラ
間 :平 成 10年 10月 1日 ∼平成 11年 3月 31日
期
シー ウォ ン :タ イ王 国
ジ ョン
ヨン
ウ ック :大 韓民国
チ ュ ラロ ンコ ン大学 :副 学長
韓 国中央大学 :教 授
研究課題 :タ イ国 の地域開発 ―チェ ンライ県 のケース・
研究課題 :日 本企業 の国際化過程 に関す る研究 一段 階
ス タデ ィー
的 な技術移転 に焦点 を 当 てて 一
間 :平 成 10年 4月 1日 ∼平成 10年 6月 30日
期
ジュ リア
カネヤ ス
ク ミ :ブ ラ ジル連邦共和 国
ジ ョアキ ン・ ナ ブ コ研究所本部
情報統合部 :部 長研
究員
期
[国 内研 究員]
[国 内研究員]
小西
研究課題 :イ ンター ネ ッ ト上 の デ ー ターベ ースの構築
間 :平 成 10年 10月 1日 ∼平成 11年 3月 31日
歩
研究課題
と展 開
期
レン
ア ジア開発銀行 :上 席教育専 門官
移行経済下 にお け る教育部 P5援 助 :高 等教
育改革 に向 けて
間 :平 成 10年 4月 1日 ∼平成 10年 6月 30日
シヤオ :中 華人民共和国
期
間
岡田
尚美
平成 10年 4月 1日 ∼平成 10年 6月 30日
国際開発高等研究機構事業部 :次 長
復旦大学 国際政治系 :準 教授
研究課題
プ ロジェ ク ト・ サ イ クル・ マ ネ ジメ ン ト
研究課題 :開 発 と民主化
期
間
平成 10年 7月 1日 ∼平成 10年 10月 30日
城戸
康彰
期
間 :平 成 10年 4月 1日 ∼平成 10年 8月 31日
レクー タイ
パ イサ ン :タ イ王 国
チ ュ ラ ロ ンコ ン大学経済学部 :準 教授
研究課題 :タ イ国 の農村総合開発 ―チェ ンライ県 のケ ー
研究課題
経営 の グ ローバ ル化 と国際人材育成
期
間
平成 10年 11月 1日 ∼平成 11年 3月 31日
時田
邦浩
ス・ ス タデ ィー
期
間 :平 成 10年 7月 1日 ∼平成 10年 9月 30日
コズ ロ フ
ユ リー
ワ シ リエ ヴ ィチ :ロ シア連邦
サ ンク ト・ ペ テル ブル グ国立大学東洋学部 日本語 :助
期
間 :平 成 10年 7月 1日 ∼平成 11年 3月 31日
国際協 力事業 団国際総合研究所 :国 際協力
専門員
研究課題
農村地域開発 と技術協力
期
平成 10年 4月 1日 ∼平成 10年 6月 30日
間
柴 田佳代子
教授
研究課題 :日 本語動詞 のアスペ ク ト研究
産能大学経営情報学部 :教 授
世界銀行 :情 報 マ ネ ジメ ン トスペ シ ャ リス
ト
研究課題
開発 のための ジェ ンダー知識 管理 システム
期
平成 10年 7月 1日 ∼平成 10年 9月 30日
間
阿部
義章
:
研究課題
期
間
小幡
俊弘
:
:
:
研究課題
期
間
小林
誠
:
:
:
研究課題
期
間
坂元
茂樹
研究課題
期
間
大野
盛雄
研究課題
期
間
磯田
厚子
研究課題
:
:
:
:
:
:
:
:
:
:
早稲 田大学 :教 授
山田
順一
経済成長 と平等 に関す る研 究
究員
平成 10年 10月 1日 ∼平成 10年 12月 31日
研究課題
日本 の国際協カ ーODAを 中心 と して 一
国際協力事業 団 :客 員専 門員
期
間
平成 10年 7月 1日 ∼平成 10年 9月 30日
富岡
仁
名古屋経済大学 :教 授
途上 国 にお ける教育援助
平成 11年 1月 1日 ∼平成 11年 3月 31日
研究課題
国際環境法
立命館大学 国際関係学部 :助 教授
期
間
平成 10年 10月 1日 ∼平成 10年 12月 31日
中西
洋
法政大学社会学部 :教 授
グ ローバ リゼ ー シ ョ ンによる国民 。国家 の
衰退 と再生
研究課題
共 同性 の比較 ;日 本・ ア ジア・ ョー ロ ッパ
平成 10年 4月 1日 ∼平成 10年 9月 30日
期
平成 11年 1月 1日 ∼平成 11年 3月 31日
関西大学法学部 :教 授
奏
人権条約 の解釈及 び適 用 に関す る諸 問題
間
喜美恵
研究課題
平成 10年 10月 1日 ∼平成 10年 12月 31日
中近東文化 セ ンター :理 事
愛知淑徳大学文学部 :教 授
日本語 コ ミュニ ケ ー シ ョンにお ける待遇 表
現 と人 間関係
期
間
富本
幾文
平成 10年 4月 1日 ∼平成 10年 6月 30日
国際協力事業団 :客 員専 門員
西 ア ジア地域研究 の構築 を 目指 して 一農村
研究課題
日本 の国 際協カ ーODAを 中心 と して 一
地域 の社会 。文化 のフ ィール ドヮークよ リー
期
平成10年 7月 1日 ∼平成 10年 9月 30日
平成 11年 1月 1日 ∼平成 11年 3月 31日
秦
女子栄養大学栄養学部 :助 教授
間
喜美恵
研究課題
NGOの 国際協カ フ ロ ジェ ク トの評 価 方 法
愛知淑徳大学文学部
:教 授
日本語 の待遇表現 にお け る丁 寧度 の数量化
の試 み
に関す る研究
期
海外経済協力基金開発援助 研究所 :主 任研
間 :平 成 10年 10月 1日 ∼平成 11年 3月 31日
間 :平 成 10年 4月 1日 ∼平成 10年 6月 30日
Instructors:Java_Based
Authoring
TOOIs
(」 _
BAT)"
最新
国際開発研究科発行 の印刷物
殷 蛾 「 日本語 と韓 国語 の オ ノマ トペ に 関 して 一 反 復 形
李
式 を 中心 に 一」
Karunaratne HETTIGE VON,
開発・ 文 化 叢 書 25
中 国 にお け る郷 鎮 工 業 の展 開 と環 境 問題
Sri Lanka:ノヽ Disaggregated Analysis by Factor
開発 。文 化 叢 書 26
lncolYles"
Universalizing Basic Education in lndOnesia
Pei_Yen
開 発 。文 化 叢 書 27
LIN,
“Development
Of
Japan_NIalaysia
Foreign Direct lnvestment and lntra― Industry
比 較 語 彙 研 究 の試 み 2
Trade"
開 発 。文 化 叢 書 28
大平
ジ ェ ンダ ー研 究 の現 在
岡J「 国連 の新 たな開発援助戦 略 とそ の実 施 にお け る
問題点 ―現地化 と常駐代表制度 の強化 を 中心 と して 一」
開 発・ 文 化 叢 書 29
杉 山悦 子 「途 上 国 の 地 域 開発 と多国 籍 企 業 一 メキ シ ヨ の
転 換 期 の 日本 の 国 際協 力
『 マ キ ラ ドー ラ』で の実態調 査 を蹄 まえて 一J
『 国 際 開発 研 究 フ ォー ラム 』 10
田中英 式「 日系企 業 の技術移転 に関す る研 究 ―台 湾 所 在 の
江崎光 男・ 孫林「 中国経済 の成長会計分析 (198195年
)
加 藤久和 。市村雅―「東 ア ジア におけ る酸 性 雨 モ ニ タ リ ン
グの課題 と展望 ― ヨー ロ ッパ の経験 か ら学 ぶ」
Aya OKADA,
“IncOme lnequality in
日系企 業 におけ るス ピンア ウ ト、及 び下 請 企 業 へ の技
術指導 に重点 を置 いて 一J
若松孝司「 カ リブ海地 域 にお け る1980年 代 以 降 の 地 域 統 合
“Effects Of stabilization and Strtlctural
再興 に関す る一 考察」
Adiustrllent on EducatiOn in Kenya:The Role of
the State in NIanaging Economic Austerity"
MasatOshi SUGIURA and Saeko KOMORI,
“CALL
NIaterial Authoring Environment fOr Langtlage
*出 版物 に関す るお問 い合 わせ先
Tel(052)789-5080 Fax(052)789-4951
メぎ平 岡│
学 術 交 流 協 定
H104.30
辞職
チ ョウー サ ン ウイ ン 助手 (愛 知学 院大学 へ )
本研究科 と王立 プノ ンペ ン大学及 び同大学教育学部 との
H10.616
学術交流協定 を平成 10年 1月 9日 に,高 麗大学校国 際大 学
院 との学術交流協定 を平成 10年 1月 22日 に,イ ース ト・ ア
櫻井
の時期 を乗 り越 えて,カ ンボ ジア王国 の高等教育機 関 と し
辞職
廣里
辞職
谷村
助手 (国 際開発高等教育機構 へ)
光浩
H10.9.1
て,中 心 的存在 と して発展 し,国 際援助機 関 や NGOの 支
助教授 (ア ジア開発銀行教育専 門官 へ)
恭史
H10.7.12
王立 プノ ンペ ン大学及 び同大学教育学部 は,幾 多 の苦難
教授 (助 教授 か ら)
龍彦
H10.6.30
ング リア大学 開発学部 との学術交流協定 を平成 10年 4月 20
日に締結 しま した ので,お 知 らせ します。
昇任
採用
杉山
助手 (国 際開発専攻 Dl,実 地 研 修 担 当
悦子
援 に支 え られ,一 層 の高等教育機 関・ 高等教育 開発 を 目指
助手 )
H10.9.1
して い ます。
高麗大学校 国際大学 院 は,韓 国 の国 際化 を支援 し,世 界
採用
スーザ ン メア リー テナ ン ト 助手 (宮 崎国際大学 か
市場 の開拓 に役立 つ地域 。通商専 門家 を養成 す る ことを 目
的 と し,韓 国 に関心 を持 つ 外国人 に対 して韓国 の言語 。文
ら、論文執筆担 当助手 )
H10.101
化・ 歴史等 を体 系 的 に紹介 して い ます。
イース ト・ ア ング リア大学 開発学部 は,イ ギ リスで第 一
転任
大塚
H1010.1
採用
級 の発展途上 国 の開発 に関 わ る研 究 を行 ってい る有数 の研
久保 田
くの教官 は海 外開発 グル ー プの メ ンバ ー と
H10.10 1
究科 とな り,多
して様 々な開発 プ ロジ ェク トに参加 し,そ れ らを今後 の プ
桃木
教授 (広 島大学教育研究 セ ンターか ら)
豊
講 師 (日 本銀行 か ら)
隆
採用
厚子
助教授 (奈 良女子大学、大 阪外 国語大学
ロジ ェク トに フィー ドバ ックす る役害1を 果 た して い ます。
非常勤講 師)
協力教官 の変更
え夕│‖ │″ :の 1人 事:異 1動
〔
教
官〕
H10.3.31
潮木
守一
H103.31
重松
H10.4.1
伸司
飯田
H10.4.1
大平
H10.4.1
高橋
H10.4.1
中條
教授 (二 重県立 看護大学 へ)
辞職
和則
助手 (勉 学 のため)
昇任
早川員一郎
H10.4.1
教授 (武 蔵野女子大学 へ)
辞職
H10.3.31
林田
停年
教授 (東 北 大学法学部 へ)
秀敏
H10.4.1
杉浦
ら
山田
悦夫教授 か ら
千田
純一教授 ヘ
竹内
信仁教授 か ら
大橋
勇雄教授 ヘ
飯田
穆教授 か ら
牧戸
孝郎教授 ヘ
皆川
正教授 か ら
高桑
宗右 ヱ門教授 ヘ
加藤
鉦治教授 か ら
的場
正美教授 ヘ
佐分
晴夫教授 か ら
定形
衛教授 ヘ
小坂
光一教授 か ら
奥田
智樹助教授 ヘ
杉浦
正 利助教授 か ら 成 田
克史助教授 ヘ
柴田
庄一教授 か ら
内田
綾子助教授 ヘ
中條
直樹教授 か ら
笠井
直美講 師 ヘ
ピー ター
B.ハ ー イ教授 か ら
有川貫太郎教授 ヘ
配置換
教授 (言 語文化部 へ )
藤原 雅憲助教授か ら 浜田 義孝助教授 ヘ
採用
岡1 助手 (紀 要 出版物担 当)
公明
直樹
教授 (言 語 文化部 か ら)
教授 (研 究科長再任 )
配置換
正利
転
任
奥谷
教授 (助 教授 か ら)
配 置換
直樹
「 事 務官」
H10.4.1
昇任
H10.4.1∼ 11.3.31 併任
中條
H10.4.1か
助教授 (言 語文化部 か ら)
明稔 (岡 崎国立共 同研 究 機 構
か ら)
H10.
H10.
H10.
H10.
H10.
4.1
4.1
4.1
4.1
4.1
配置換
佐田
隆昭 (工 学部 用度掛 か ら)
配 置換
西村
伸一 (共 通教育室 か ら)
配 置換
出口
秀典 (総 務部 国際交流課 へ)
配 置換
伊藤
秀典 (農 学部教務学生掛 へ)
配置換
倉橋
克夫 (工 学部管理掛 へ)