ぶれっしんぐ あんた、見たところ新米の冒険者みたいだが

タイトル:シェフ・ジール
著者
:ぶれっしんぐ
あんた、見たところ新米の冒険者みたいだが、ギランは初めてかい? 装備を見りゃわかる
さ。これでも冒険者生活は長いんでね。その疲れきった顔からすると、狩りから帰ってきて腹
が空いているようだな。
え、露店で串焼きを買うつもりだったって? そいつはいただけないな。いいか、冒険者に
とって一番大切なのは、日々の鍛錬でも武具の調達でもなく、食事だ。どんな屈強な戦士でも
飢えには勝てないし、碌な物を食わなきゃ身体を維持できない。健啖であることも、優れた冒
険者の素養の一つさ。
人や物が集まるギランだから、飯を出してくれる店も星の数ほどあるが、俺のお勧めは「ビ
ストロ・トレジール」だな。貴族御用達の老舗でもなければ、ジョナスのような名物コックが
いる評判店でもない。民家に紛れてひっそり建っている、古い石造りの店さ。
店は狭いし店主は無愛想、おまけに酒は臭くてクソ不味い。だが料理はすこぶる美味い。特
に肉料理は格別さ。
なにせ狩場直送の、新鮮な肉を使っているんだからな。放牧地で飼育された畜肉とは、肉の
締まりも旨味も段違いさ。スパイスのチョイスも塩加減も申し分ない。日々戦いに身をおく連
中の舌がどんな味を求めているかを熟知した味付けだ。まさに、冒険者のためにあるような店、
てわけだ。インナドリルの夏野菜を使ったクランロットのファルスは、食通の間でも絶賛され
る逸品さ。
。
おいおい、口の端から涎が垂れてるぞ。時間があるなら、これから一緒にどうだい? ミー
トパイでよけりゃ奢ってやるぜ。
(一)
「え? もうオーダーストップ?」
「そうなのー。ごめんねー」
憮然とする若い冒険者に、エプソン姿の女ドワーフが間延びした口調で詫びた。
「そりゃねえぜエリン、こっちはまだ全然食い足りないってのによ」
「それってスースのもも肉ローストを三皿平らげた人が言う台詞じゃないよねー。マスターが
もうお終いって言ってるから、しょうがないんだよー」
若い冒険者は、カウンターの向こう側で仏頂面をぶら下げたまま黙々と作業に勤しむ店主ジ
ールに目をやる。いかなる抗弁であっても、この寡黙で無愛想な店主には、暖簾に腕押しだ。
「ちぇ、あの朴念仁め」
「言っちゃダメだよー、聞こえてるってー」
エリンの言葉を肯定したかのように、ジールがじろりと若い冒険者を一瞥する。彼は気まず
さを誤魔化すように、四皿目の肉料理に勢い良く食らいついた。
ほかの客たち一人一人に、エリンは同じ文言を述べて回っている。いずれも店主の気質を熟
知する常連客ばかりである。普段より早い店仕舞いを、皆すんなりと受け入れた。
この店の下等な酒を注文する物好きなどいるはずもなく、食事を済ませた客たちは早々に席
を立つ。ウィンドスースのロースト四皿分を胃袋に収めた若い冒険者も、物欲しげな表情を張
り付かせたまま、カウンターに代金を置いて店を出た。ある者は美味い酒を求めて酒場へ、あ
る者は今日の寝床へと、客たちは三々五々夜のギランに散っていった。
客の引けた店内をエリンはせかせかと動き回り、手際よく片付けをこなす。清掃と皿洗いが
すっかり終わるまでに、一時間もかからなかった。
「マスター、終わったよー」
「ああ、もう上がっていいぞ」
「はいはーい。明日はお休みだよねー?」
エリンの問いに、ジールは無言で頷く。店で働き始めて四年になるが、定休日以外に年一回、
ジールが店を閉める理由を、エリンは未だに知らない。
「じゃあ先に上がるねー。お疲れ様ー」
問い質したい気持ちと言葉を飲み込み、エリンは挨拶を残して店を出た。
どんな理由にせよ、休みは休みだ。ジールがその理由を語らない以上、あれこれ詮索するの
は野暮に思えた。気難しい店主との距離の取り方を心得ているのは、常連客ばかりではないの
だ。
エンドランスドアに下がっていた札を「準備中」にひっくり返し、エリンは翌日の休日に思
いを馳せながら、いそいそと路地の闇へと消えていった。
(二)
全ての竈の火が消えた厨房で、ジールは静かに包丁を研いでいた。刃に仄かな燐光を宿した
二挺の包丁は、肉を骨ごと両断する強靭さと、軽く引いただけで刃が食材に沈み込む鋭さを兼
ね備えた業物である。
研ぎ具合を入念に確かめながら、ジールは昔を思い出していた。
冒険者から料理人に転身すると、彼に告げた日のことを。
「本気か、ジール?」
「ああ、もう装備も買い手がついた」
ジールはそう答え、グラスを傾けた。
テーブルを挟んで向かいに座っているのは、話せる島時代からの付き合いの昔馴染みだった。
人と交わることが苦手なジールが心を許せる、ただ一人の男である。
「冒険者をやめて間者や衛兵になるなら分かるが、何でまた料理屋なんだ。隠居するような歳
でもないだろうに」
「腹を空かせた冒険者に飯を食わせるのは、そんなに卑しいことか?」
「そうじゃない。飯を作る仕事なんて、他の誰にでもできるってことさ。お前ほどの腕前と経
験がある冒険者には、そうそうなれるもんじゃない」
「買いかぶり過ぎだな」
一向に翻意を示さないジールに苛立った友は、グラスに半分ほど残った酒を一息で飲み干し、
やおら立ち上がった。
「武器を持って表に出ろ、ジール」
大剣を手に、友が立席を促す。
「足を洗うってのなら、好きにするがいいさ。ただ、最後に俺と勝負しろ」
「お前が勝ったら料理の道を諦めて、また戦いに明け暮れる日々、てわけか」
「そんな野暮なことは言わんさ。好きにしろと言っただろう。思えば、お前とは特訓はしたこ
とはあったが、本気でやり合ったことは一度も無かったからな」
「未練は残したくない、ということか」
「そんなところだ。先に行っているぞ」
友の最後のわがままに溜息をつきつつも、ジールは二本の短剣を手に取り、友を追って店を
出た。
左手の古傷が発する疼痛が、ジールを追憶から引き戻した。雨にならなければよいが、と思
った。
友が店を訪れたことは、ただの一度も無い。あばら屋に毛が生えたようなこの店を見たら、
彼はどんな感想を述べるだろう。
開店資金を捻出するため、装備やアイテムをあらかた処分したが、使い慣れたダガーだけは
どうしても手放せなかった。短剣のまま手元に置かず包丁に仕立て直したのは、冒険者として
の自分と訣別するため、そして、自分を冒険の世界に引きとめようとした友を忘れないためで
あった。
丁寧にサラシで巻いた包丁を腰のホルダーに挿し、前掛け姿に外套を羽織っただけの格好で、
ジールは裏口から戸外へ出た。頭上に広がる漆黒の空には、煌々と蒼い満月が懸っていた。夜
明けまではまだ間があるとはいえ、ぐずぐずしてはいられない。
往来が途絶えた夜の路地を抜け、ゲートキーパーを利用してジールはアデンへと飛んだ。目
的地はさらに先、アデンの北に広がる火炎の沼だ。
(三)
現地に到着すると、枯れた樹の前に黒ずくめの男が腕組みをして立っていた。
「随分とゆっくりだな。やっこさん、もうじきやって来るぜ」
「確かなんだろうな」
「おいおい、俺が今までにガセネタを掴ませたことなんてあったか?」
ジールは沈黙でそれを否定した。
情報屋の男は、両手を広げて話を続けた。
「手紙でも説明しただろう? ここ数日間のマグマの活性化とそれに伴う気温上昇、大気中の
硫黄濃度の変化。あらゆる指標が、ローズドレイクの飛来が確実なことを示唆してる、てな」
ローズドレイク。
特定の条件が揃った時にのみ、火炎の沼に姿を現す翼竜である。その希少性と肉が美味であ
ることから幻の食材とされ、世の美食家の垂涎の的となっている。
ジールの目的がこの竜肉であることは、多言を要しないだろう。
「あまり時間がない。急ごう」
モンスターに見つからないように慎重に、しかし迅疾に、二つの影は目的地を目指す。
十分ほど走ったところで情報屋が不意に立ち止まり、低めた声でただ一言発した。
「いたぞ」
視線の先には、小高い岩場に今まさに降り立たんとする翼竜の姿があった。名前の由来にな
っている鮮やかな朱の鱗が、溶岩が発する光を受けてぎらぎらと煌めいていた。
書物を読み込んで、急所は把握している。あとはそこへ刃を突き立てるだけだ。戦闘に時間
がかかり、徒にダメージを蓄積させると、それだけ肉の味が落ちる。最小限の攻撃で素早く竜
を屠り、新鮮なうちにその肉を切り出す必要がある。
料理は、戦いだ。
ホルダーから包丁を抜く。
「せいぜい気をつけてな」
情報屋の言葉に右手を小さく挙げて答え、ジールはサイレントステップを発動させて竜を目
指して駆け出した。手の中にある二挺の包丁は、料理を作ることに特化してはいるものの、短
剣だった頃の鋭い切れ味は損なわれていない。竜の生命を硬い鱗ごと切り裂くだけの殺傷能力
は十分に有している。
眼前に迫る竜の巨躯、その鱗に一本の矢が勢い良く突き刺さった。耳を聾する咆哮が、ジー
ルの鼓膜を苛んだ。
「そいつは俺の獲物だ。退いてもらおうか」
声に振り向くと、軽装のダークエルフが新たに矢を番えた弓を構えていた。鏃はジールに向
けられている。
ジールは鋭い視線を情報屋へ向けた。
「おっと、そんな目をするなよ。情報ってのは実体が無い代わりに、欲しがる奴にいくらだっ
て提供してやれる。どれだけ切り売りしようが俺の勝手だろう?」
悪びれもせず弁明すると、情報屋は素早くリコールの魔法を詠唱し、姿を消した。ジールは
怒りすら覚えない。あの情報屋の性根や行動原理は重々承知しているし、同じような状況だっ
て今までに何度も経験している。それでもあの男を頼らざるをえないのは、もたらされる獲物
の情報が有用で正確だからだ。
厄介な事態に発展しそうであれば、大人しく手を引くだけの分別は持ち合わせている。遺恨
を残してのちのち面倒事に巻き込まれるよりは、ずっと賢明だ。
しかし今回ばかりは少々勝手が違う。ローズドレイクは何年も待ち続けた獲物だ。このタイ
ミングを逃せば、次はいつその肉を手に入れる機会に巡り合えるか分からない。むざむざと引
き下がるわけにはいかないのだ。
背後から、咆哮が轟いた。
殺気を感じ、ジールは咄嗟に真横へ跳ぶ。
ジールが今しがた立っていたあたりの岩盤を、ローズドレイクの鋭い爪が抉った。
体勢を立て直し、包丁を構え直す。どちらを先に倒すか。考えるまでもない。ジールはダー
クエルフに向き直った。
「へえ、やる気ってわけか。上等だ」
立て続けに射掛けられる矢とローズドレイクの火炎を俊敏な動きでかわしながら、ジールは
ダークエルフを観察する。時折織り交ぜてくるスキルは覚醒職のそれだが、装備が追い付いて
いない。恐らくは装備資金を稼ぐために、どこぞの美食家からローズドレイクの肉を調達する
依頼を請け負ったのだろう。
ジールに矢が当たらないと見るや、ダークエルフは数本の矢をジールに向けてではなく、彼
の頭上へまとめて射放った。
降り注ぐ矢の雨と飛び散る石礫を巧みにかいくぐり、地面を滑るようにして一気に間合いを
詰める。スキルを出した直後で隙だらけのダークエルフに、躊躇なく包丁で斬りかかった。
強撃を受けたダークエルフは呆気無く地面に倒れ込む。手応えのなさに肩透かしを食ったジ
ールの眼前で、その身体が煙のように掻き消えた。
(――デコイッ?)
状況を把握したのと、肩口に鋭い衝撃が走ったのはほぼ同時だった。鎖骨のわずか下から、
血に濡れたオリカルキュムの矢が生えていた。
「こんな初歩的な手に引っかかるとはな。装備もまともに整えられないロートルは、大人しく
クッカブロの肉でも食ってな」
言葉とともに放たれた矢を辛うじて避けたが、脇腹の肉を持って行かれた。身を守る装甲の
無い肉体には、二本の矢がもたらすダメージは決して小さいものではない。
しかし、ジールは笑みを浮かべていた。それは年若い弓使いに手玉に取られている自分を嘲
ける笑みだった。
(本気を出すのは不本意なんだがな)
ダークエルフの弓から必殺の一撃が唸りを上げて放たれる。矢がジールに命中する直前、勝
利を確信したダークエルフの視界から、その姿が瞬時に消えた。
「なにっ?」
標的を見失い狼狽えるダークエルフの背後に、ジールが素早く回り込む。間髪を入れず、無
防備な背中に攻撃を撃ち込む。身体が硬直して指一つ動かせなくなったダークエルフの表情が
歪んだ。
「分身ってのは、こう使うんだ」
ジールは流れるようなステップを踏んだ。その動きに合わせて、実体を伴った分身が現れ、
ダークエルフをぐるりと取り囲む。
鋭く息を吐きだすと、ジールは渾身の力を込めて二挺の包丁の切っ先をダークエルフに二度、
三度と激しく突き立てた。それに呼応して、十体に増えた分身も一斉に同様の斬撃を繰り出す。
刃の嵐を四方八方から浴びせられてはひとたまりもない。鮮血をまき散らしながら、ダーク
エルフは突起だらけの岩の地面に倒れ伏した。
ジールは深く息を吐き出し、一息で肩から矢を引き抜いた。傷穴からどろりと赤黒い血が流
れ出す。止血を施したいところだが、猛り狂う翼竜を前にしている状況では、その時間すら惜
しい。
ジールは包丁を構え直し、剣のような牙をのぞかせて威嚇してくるローズドレイクに向き合
った。肩口から伝い落ちる血で滑り落ちないように、包丁の柄を握る手に力を込める。傷口か
ら発せられる痛みの信号は無視できるものではないが、何とかやれそうだ。
(待たせたな。ここからが本番だ)
踵が岩盤を蹴った。
(四)
同日の昼下がり。
アデン近郊の墓地の片隅で、ジールは一切れの肉をグリルパンで焼いていた。左手だけを器
用に使い、塩とスパイスとハーブを絶妙なタイミングで振り掛けて味をつけていく。
空は雲一つ無い快晴だった。雨に祟られなかった幸運を、ジールは密かに噛み締めた。
「ようやくこいつが手に入った。今までバッファローの肉ばかりですまなかったな」
焼きあがったローズドレイクの肉を、あらかじめ焚き火で熱しておいた鉄板に乗せる。特製
ソースと脂とが鉄板の上で弾け、食欲をそそる匂いが立ち上った。
持参したディオン産のビンテージワインの栓を開け、陶製のタンブラーに注ぎ、肉と一緒に
質素な造りの墓碑の前に置いた。墓碑には旧来の友の名が刻まれていた。
「極上のドレイクステーキだ。遠慮なく食え。俺の奢りだ」
冒険と戦いに殉じ、土中で静かに眠る友に、ジールは穏やかな口調で語りかけた。心底憎み
合っての別れでなかっただけに、その動向は常に気にしていた。友の訃報を耳にしたジールが、
場末の酒場で正体をなくすまでワインを呷っていた事実が、それを如実に表している。
「とうとう生きているうちに店に来なかったからな、お前は。素直じゃないやつだ」
それは俺も同じだが。
ジールはその言葉を飲み込み、右肩に巻いた包帯に手を添えた。
こんな傷を負ってまで獲物を仕留め、食べられることのない料理を墓前に捧げる行為に、一
体何の意味があるのか。ジール本人すら、明瞭な答えを導き出すことはできない。
最初で最後の決闘が終わった後、地面に大の字になったまま友が掛けてきた言葉が、今でも
耳の奥に残っている。
「どうせやるなら、大陸一の店を目指せ」
あるいは、友に訊きたいから、こうして命日に料理を供えているのかもしれない。自分の料
理の腕前がその域に達したかどうかを。
そよ吹く風が、森の奥からケルティルの合唱を運んできた。墓場でなければ、昼寝でもした
いところだ。
今日もこの世界のどこかで、冒険者たちが狩りや戦いに勤しんでいる。それが終われば、空
きっ腹を抱えながら飯を求めて街をうろつくことだろう。
その胃袋を満たしてやる料理人もまた、冒険者たちの戦いに参加しているといえる。戦うこ
とと食うこととは地続きなのだから。
「じゃあ、俺はそろそろ行く」
ジールは立ち上がり、ローズドレイクから切り出した頬肉を詰め込んだ保温箱を肩から提げ
た。
「常連客が待っているんでな」
仏頂面に、微かな笑みが浮かんだ。