個人・共同研究発表要旨 - 日本マス・コミュニケーション学会

5.2013 年度秋季研究発表会:個人・共同研究発表要旨、ワークショップ・テー
マの要旨
個人・共同研究発表要旨
発表要旨は、発表者からいただいた原文をそのまま掲載しております。
企画委員会委員長
小林 直毅
<A会場>
中国のテレビ業界の多チャンネル化に関する研究
沈
霄虹(上智大学大学院
院生)
【キーワード】中国の放送システム、中国テレビにおける多チャンネル化、擬似情報社会
【研究の目的】
中国では、90 年代から、放送政策と技術の発達によってテレビのチャンネル数が急速に
増加。チャンネルだけではなく、中国全国の放送の構造にも大きな変化が起きた。
本研究は、中国における唯一の国家レベルのテレビ局である中央テレビ局(以下、CCTV)
と中国で最初に誕生した地方テレビ局である上海テレビ局の多チャンネル化のケーススタ
ディーに関する(量的)結果に基づいて、中国の多チャンネル化のより深い意義を探り出
したい。つまり、中国の多チャンネル化の構造的特徴と政府、テレビ局、視聴者に対する
影響及び欧米、日本など先進国との本質的な相違点を考察し、中国における多チャンネル
化と情報化社会の関係を論じたい。
【研究の方法】
本研究は筆者が 2011 年、上智大学に提出した修士論文「中国の地方テレビにおける多チ
ャンネル化―上海テレビ局を中心に―」をベースにし、文献調査を主な研究方法とする。
具体的な調査方法と結果は以下のとおりである。
①
『毎週広播電視報』
(1977~2010 年)など、中国の実際の番組のガイドのチャンネル
調査によって、CCTV と上海テレビ局のチャンネル数の変化のプロセスを明らかにした。
②
SARFT(中国放送行政機関)の放送規範に関する文書(2000 年~2010 年)、
『中国広播
-15-
電視年鑑 2011』、
『上海広播電視志』などの内容によって、中国の多チャンネル化の構造の
特徴をまとめた。すなわち、90 年代以後、衛星とケーブルテレビシステムのドッキングで、
都市部ではケーブルの安価な利用料金を払えば、国内の 60 以上のチャンネルが見られる。
その中では、CCTV の 17 チャンネル、地元テレビ局のチャンネルと全国の各省の一つの衛
星チャンネルを含んでいる。
③
上海テレビ局の担当者(4 人)と上海大学研究者(3 人)のヒアリング調査の結果(2010
年 8 月 16 日~9 月 5 日)に基づき、多チャンネル化が、政府、テレビ局、視聴者に与えた
プラスとマイナスの影響をまとめた。
【得られた知見】
①
多チャンネル化の影響
まず、政府にとって、テレビの多チャンネル化は、様々なチャンネルを通じて、政策の
伝達力が高まり、国民が多様な情報を求めるニーズ対して、ある程度満足させた。同時に、
多チャンネル化の発展によって、地方に対する監督管理の力が弱くなり、中央と地方の対
立は以前より強まった。
テレビ局にとって、多チャンネル化は発展するチャンスであり、特に地方テレビ局は一
つのチャンネル(衛星 CH)が全国に放送することができ、CCTV の全国独占放送時代を
終えた。その一方、80 年代から、政府から寄付金などは一切もらえないにもかかわらず、
放送行政の番組内容に対する規制はかなり多く、たくさんのチャンネルができても、番組
の内容は限られている。
視聴者にとって、テレビのチャンネル数と番組の内容は以前より増え、特に地方テレビ
局のチャンネルや、規模が小さい地域テレビ局は地元ニュースや情報などを活性化する傾
向も見られる。しかし、多様な社会、政治関係のニュース情報が少なく、番組の内容は娯
楽化へ進んでいる傾向は明らかである。
②
欧米、日本など先進国との相違点
中国のテレビの多チャンネル化の大きな背景は 1978 年の改革開放政策と 90 年代からの
放送システム改革である。78 年以降、政治制度は大きく変わっていないままで、経済シス
テムは計画経済から市場経済へ移行した。このようなプロセスの中、放送システム改革の
中で最も中核的なのは、放送局が政府部門から、政府の事業体としての企業化運営という
形になったことである。言い換えれば、政府と党の指導の下での商業運営を行ったことで
ある。
つまり、中国のテレビの放送は開始してから、政府と党の代弁者であると位置付けられ
た。さらに以上の背景の下で、当然なから、テレビの多チャンネル化も諸先進国の理念と
は違う。中国では技術の発達によって、多チャンネル化へと進んでいるが、政治制度によ
り、その本質はあくまで政府と党の指導の下での“多様な情報”の提供と考えられる。
③
中国のテレビ業界の多チャンネル化と情報化社会。
-16-
90 年代から 2000 年にかけて、政府の政策、電信技術の発達、情報インフラの完成によ
って、中国はテレビの多チャンネル化、インターネット、IPTV などを各都市に普及させ、
本格的に、多メディア・多チャンネル時代に突入した。特に普及率が最も高いテレビの多
チャンネル化は“情報化社会”を促進する一つの要因とも言える。しかし、前述したよう
に、技術の発達によって、テレビ業界の多チャンネル構造が築かれたが、政府によるニュ
ース報道、番組の内容に対する多くの規制の下で、
内容的には多様性であるとは言えない。
つまり、技術的に欧米とほぼ同じレベルにあるが、政府の規制などにより情報内容の多様
性には限界があり、「擬似情報化社会」が形成されているとも考察できる。
中国におけるアニメの「走出去」戦略に関する一考察
―日中共同制作を中心に―
王
梓安(北海道大学大学院
院生)
【キーワード】放送、文化産業、「走出去」(対外進出)、日中共同制作
【研究の目的】
中国政府は 1980 年代から人気を博した日本アニメを文化侵略と位置づけていた。2006
年から海外アニメの放送はゴールデンタイムから排除し、海外のアニメ番組の放送も禁止
された。しかし、2009 年に日中共同で制作されたアニメ『最強武将伝三国演義』は中国国
営中央テレビとテレビ東京で放送され話題になった。また、今年4月にテレビ東京と中国
テレビ局が共同制作したアニメ『トレインヒーロー』も日本で放送され、映画版も間もな
く放映予定である。こうした動きの背後には中国メディア産業の「走出去」
(対外進出)戦
略がある。本研究の目的は、中国文化の対外進出戦略を確認した上で、日中におけるアニ
メの共同制作の実態と受容に焦点をあて、以下の三点を調査分析することにある。一、日
中のアニメ共同制作に至る経緯を明らかにする。二、日中共同制作はどのような内容のア
ニメを作り、いかなる産業モデルを作り上げているのかを明らかにする。三、日本側は中
国アニメの対外進出についていかなる認識を持ち、中国メディアと市場に何を求めるかを
明らかにする。
中国では、国産アニメを育成する政策として 2004 年から各都市のテレビ局は子供チャン
ネルやアニメ専門チャンネルの設立を開始した。アニメを放送する一般チャンネルが加わ
ると 1000 を超える(2010 年)。17 時から 21 時に海外アニメ放送を禁止した後、事実上ア
ニメ専門チャンネルを含めて海外アニメはほとんど放送されていない。また、多くのテレ
ビ局の傘下にアニメ制作会社が置かれ国産アニメを作り始めたが、本来自由な発想が必要
なアニメ制作は放送検閲の存在で、
「自主規制」を余儀なくされ市場原理が十分に働いてい
ない。一方、中国では海賊版の横行によって日本のメディア業界は正当な利益が得られて
-17-
いない。国内市場が縮小する日本のアニメ業界にとって拡大する中国アニメ市場での利益
確保は重要な課題だが、規制が強化される中国市場とどのように付き合うのが大きな問題
となっている。近年文化強国戦略を打ち出した中国を、日中共同制作を重点に置き見るこ
とで、中国アニメを含むメディア産業の対外進出の問題点をより客観的に探ることができる。
【研究の方法】
研究の方法として三つが挙げられる。まず、前提となる日中共同制作に至る経緯につい
て中国と日本の文献と政策資料を用いて明らかにする。次に、今までの日中共同制作の内
容と受容状況を視聴や調査によって論じることである。そして、日本の放送局への取材を
もとにして、いま進行中の中国テレビ局とのアニメ共同制作『トレインヒーロー』を事例
調査として日本側の中国メディア産業の対外進出に対する認識とこれからの関係構築の方
向性を明らかにする。
【得られた知見】
①国産アニメの振興を図る中国では、アニメの生産量は急激に増えている。それに伴って
質の向上が求められているのである。そのため、中国政府は海外メディアとの共同制作を
奨励している。それは国産アニメの海外への輸出と放送·放映を目的としたものだ。少子化
が進む日本のメディア業界は拡大する中国市場に期待感を抱きながら、海賊版への対応な
どに苦しんできた。共同制作を通して、制限される中国の放送市場に出回るリスクを軽減
するだけでなく、関連ビジネスにも参入しやすくなった。
②日中共同制作は中国のアニメ政策の変化によって変わりつつある。最初に日本側は資金、
題材企画からアニメ制作まで主導権を握り、中国側は制作に協力して中国語版にするのが
主な役割だった。その結果として、中国当局の審査が通過できず中国市場で公開できない
ケースがあった。近年、オリジナリティーを求める中国国産アニメ産業政策の下で、中国
メディアは資金の投入、アニメの企画制作を担当し、日本メディアは放送ルートの提供と
関連商品の開発を主に担当するようになった。内容的には中国のメディア審査に強く配慮
する傾向が見えるようになったのだ。例えば『トレインヒーロー』は中国高速鉄道の宣伝
映像が入れこまれているそのことに、視聴者から批判的な声も上がっている。また、題材
やストーリの展開を中国側に任せることにより、日本アニメとの類似性が依然としてなく
ならない。共同制作のマイナスの影響も否定できないのである。
③中国のメディア市場に進出したい日本アニメ業界は、中国アニメの対外進出のニーズに
応える意欲が強い。しかし、日中メディアの連携や交流はビジネスのノーハウにとらえら
れると、共同制作における文化的意味は決して十分に発揮することはできない。日中双方
にとって放送ルートを確保する上で、どのようにして日中共同制作の質を保ちながら、ア
ニメ放送を通じてお互いの視聴者への文化的理解を深めるかという課題が残る。
-18-
コント番組から見る女性イメージ
―ザ・ドリフターズを事例に―
石田 万実(同志社大学大学院
院生)
【キーワード】バラエティ番組、お笑い、コント、女装、メディアとジェンダー
【研究の目的】
本研究は、コント番組における女性の登場人物に注目し、その表象から笑いの中にどの
ようなメッセージが含まれているのか、そこで「女装」はどのような役割を果たしている
のか、を明らかにすることを目的とする。
テレビ放送開始以来、日本では絶えずお笑い番組が放送されてきた。しかし、お笑い番
組の内容分析を行った研究は少なく、お笑い番組で人がどのように表現されてきたのかを
明らかにする必要があるといえる。
お笑い芸人には圧倒的に男性が多いため、お笑い番組では女装によって異性を演じる様
子がしばしば見られる。そこで、本研究はお笑い番組の中でも、女装を利用した笑いが多
く見られるコント番組に焦点を当て、コント番組において、女装はどのような意味を持つ
のか、また、女装に限らず、女性はどのように表現されているのか、ジェンダー研究の視
点を取り入れ、分析を行った。
【研究の方法】
本研究では、
「ザ・ドリフターズ」
(以下、ドリフターズ)が出演した番組、
『8 時だョ!
全員集合』と『ドリフ大爆笑』の DVD 本編に収録されたコントを研究対象とし、内容分
析を行った。
内容分析ではまず、研究対象すべての登場人物を性別、演者、職業、異性装の有無など
の項目を作成し、表にまとめることで、ドリフターズのコント全体の傾向を把握した。
そのうえで、家庭を舞台としたコントと仕事を描いたコントを中心に、女装で演じられ
る登場人物と、女性が演じる女性登場人物が現れるコントについて、セリフや動作、衣装
などを記録し、考察することで、メッセージ分析を行った。
【得られた知見】
分析の結果、ドリフターズのコントに登場する女装による登場人物、女性が演じる登場
人物にはいくつかの特徴がみられた。
登場人物全体をみると、労働力人口の女性比率は現実よりも低くなっていることがわか
った。また、女装による登場人物は家庭を舞台とするコントに登場する傾向があり、仕事
をしている場合は、より「女らしい」職に就いている設定にされていた。
登場人物の表象に注目すると、家庭を舞台とするコントにおいて、女装による登場人物
は、「女らしさ」、「母親らしさ」のステレオタイプを利用して、「頼れる母」や「たくまし
い母」を演じ、母親や妻を家族のために生きる人物としていた。一方で、家族に「尽くす
-19-
妻」を誇張して演じることで、妻の役割を風刺しているコントもあった。ただし、風刺の
対象となるのは「妻」であり、幼い子供がいる「母」は戯画化されていなかった。女性が
演じる妻や母は「女らしさ」のステレオタイプが当てはまらない人物であり、夫が「女ら
しくない」ことを批判することで、そのような人物を否定的に描いていた。
登場人物の仕事を描いたコントにおいては、女装による登場人物、女性が演じる登場人
物ともに、仕事を通して「女らしさ」を強調するものや、男性と比べて仕事ができないな
ど、仕事をする女性を否定的に描いたコントが目立った。
以上より、ドリフターズのコント番組は、ジェンダーに関する当時の価値観や秩序に沿
ったメッセージを笑いとともに生産し、視聴者に伝えていた傾向があるといえる。女装に
注目すると、女装は「女らしさ」
「母親らしさ」のステレオタイプを男性が演じることによ
って笑いをおこすために利用されるため、その登場人物表象の多くは、放送当時期待され
ていた「女らしさ」「母親らしさ」を描いたものであった。一方で、「女性に期待される役
割の風刺」は、女性が女性を演じるのではなく、男性が女装をすることによって、はじめ
て可能となっていたといえる。
テレビドラマにおける戦争描写と戦時の女性表象
―日本の NHK 朝の連続テレビ小説を例に―
黄
馨儀(同志社大学大学院
院生)
【キーワード】NHK 朝の連続テレビ小説、戦争の記憶、女性表象、テレビドラマ研究
【研究の目的】
NHK 朝の連続テレビ小説(以下、朝ドラと略する)は 1961 年から 50 年以上にわたり日
本の公共放送の NHK により放送されてきたテレビドラマシリーズである。現在まで既に
88 作が放送されており、大河ドラマとともに日本の「共通文化を育てる物語」と呼ばれ、
(鶴見 1991)
、国民的番組として位置づけられる。朝ドラは従来、女性の生涯をテーマに
展開し、その多くの作品では明治、大正、昭和を時代背景とし、
「戦争」を語るものも多数
存在している。この傾向に注目し、朝ドラの中で戦争はどのように語られ、戦時下の女性
像は如何なるものなのかについて問いかけ、戦争の記憶及びメディアと女性研究の視点か
ら答えを炙り出す。
【研究の方法】
研究方法として、まず朝ドラの作品背景に基づき、戦争について語る作品の割合を数量
的にまとめた上、代表性のある作品を 10 年おきに選択する。分析対象となるのは、1966
年の『おはなはん』、1976 年の『雲のじゅうたん』
、1983 年の『おしん』、1997 年の『あぐ
り』、2006 年の『純情きらり』及び 2011 年の『おひさま』と『カーネーション』である。
-20-
これらの作品に対し、映像・テクスト分析を応用し、女性の生涯を通じて描かれている戦
争、ヒロインの戦争観を焦点に分析を行う。
【得られた知見】
研究結果として、まず、戦争の語り方から見ると、朝ドラの中で描かれているのは女性
の「銃後の守り」といった女性の戦争体験に集中している。各作品の共通項として、米軍
の B29 爆撃機による東京大空襲、8 月 15 日の終戦を宣告する昭和天皇の「玉音放送」など
の描き方の一致が目立つ。次に、各作品のヒロインの立場を好戦的・反戦的に分け、分析
した結果、多くのヒロインは反戦の立場にあったことがわかった。特に 70 年代と 80 年代
のヒロインの「戦争への嫌悪」は焦点化される。時系列的に見れば、各作品のヒロインの
反戦の立場が一貫しているが、2011 年の『おひさま』はほかの作品と比べて、異質な存在
である。さらに、加納(2010)の雑誌分析を取り上げ、朝ドラの中で描かれている戦時女
性の表象を戦時中の雑誌『青年』、『日本婦人』と比較した結果、両者の類似性は明らかで
ある。つまり、戦後・現代日本における「戦争」を伝えるメディアとして、朝ドラは戦時
中と戦後の連続性を持たせる一つの重要な装置であることが指摘できる。なお、朝ドラの
戦争描写は、日本本土に限られ、女性(庶民)の受難史として描かれているが、戦争責任
について触れてなかった。日本の共通文化を育てる物語として、歴史を語り、国民国家を
創出するメカニズムとしての朝ドラの役割を検討しなければならない。戦後・現代日本にお
ける戦争の認識を議論する際に、朝ドラの戦争描写は極めて重要な課題であると考えられる。
<B 会場>
テレビ番組遠隔視聴サービスをめぐる裁判例の日米比較
城所 岩生(国際大学)
【キーワード】米ソニー判決、クラブキャッツアイ判決(カラオケ法理)、まねき TV 事件
最高裁判決、ロクラク II 事件最高裁判決、米ケーブルビジョン判決
【研究の目的および方法】
テレビ番組クラウド視聴サービスに対して、日本では 2011 年の 2 件の最高裁判決によっ
て著作権侵害が認められたが、米国ではニューヨークの連邦高裁が著作権侵害を否認した。
このため日米の裁判例を比較しつつ米国法から得られる日本法への示唆について提言する。
【得られた知見】
1.米ソニー判決
映画会社がビデオテープレコーダー(VTR)
「ベーターマックス」を売り出した米国ソニ
ーを著作権侵害で訴えた。著作権を侵害する録画行為を行うのはユーザーだが、違法録画
-21-
を可能にする機械を開発・販売したソニーの間接侵害責任を主張した。間接侵害責任は著
作権侵害行為を自ら直接行うわけではないが、①直接侵害者の侵害行為を助長・促進した
場合
②直接侵害を管理・監督できる立場にある者が侵害行為を黙認し、それによって利
益を得た場合
に米判例で認められている。米連邦最高裁は 1984 年、
「VTR は商業的にか
なりの非侵害使用が可能なので、ソニーは間接侵害責任を負わない」
とする判決を下した。
2.クラブ・キャッツアイ判決
日本では間接侵害者に対して、侵害行為を止めさせる差し止め請求が認められるかどう
かが明確でない。このため最高裁は 1988 年、使用料を払わずに楽曲を利用しているカラオ
ケ店の店主の直接侵害責任を認める判決を下した。歌唱=侵害しているのは顧客だが、①
客の歌唱を管理し、②営業上の利益増大を意図した
ことを条件に演奏の主体であるとし
て店主に責任を負わせた。これが「カラオケ法理」とよばれ、侵害行為の主体でない者を、
「著作権法上の規律の観点」から規範的に主体と認定して、侵害責任を課す法理となった。
3.ロクラク II 判決
ベンチャー企業がインターネット通信機能を有するハードディスクレコーダーを用いて、
日本のテレビ番組を海外など遠隔地から視聴可能にするサービスを提供した。NHK ほかテ
レビ局の複製権侵害の訴えに対して、最高裁は 2011 年、番組複製の主体はユーザでなく、
事業者であるとして、侵害責任を認めた。
4.まねき TV 判決
ロクラク II 同様の遠隔視聴サービスを提供したベンチャー企業を NHK ほかテレビ局が
公衆送信権侵害で訴えた。最高裁は 2011 年、1対1の関係にあっても事業者側からみれば
ユーザは不特定なので、公衆にあたり、公衆送信権を侵害するとした。
5.米ケーブルビジョン判決
米ケーブルテレビ大手のケーブルビジョンは加入者が録画機を購入しないでも、ケーブ
ルテレビの番組をケーブルビジョン社にある中央のハードディスクに録画できるサービス
を提供した。テレビ局や映画スタジオは番組の複製権および公の実演権を侵害していると
して訴えた。ニューヨークの連邦高裁は複製の主体はユーザであるとして、複製権侵害を
否認した。日本の公衆送信権にあたる「公の実演権」侵害についても公の実演にはあたら
ないとして侵害を否認した。
6.米国法から得られる日本法への示唆
日本では間接侵害者に対して侵害行為の差し止めを請求できるかが明確でないため、カ
ラオケ法理以来、直接侵害者を広く捉えてきた。この問題について検討した文化庁の作業
部会は、12 年 1 月、間接侵害も差し止め請求の対象とすることを明記した上で、対象とす
べき間接行為者の類型を三つに限定。これをもとに 12 年に関係者ヒヤリングを行ったが、
権利者からの反対が多く、ここ 10 年来の懸案も暗礁に乗り上げてしまった。米国法から得
られる日本法への示唆として、立法府には間接侵害の差止請求対象を明確にする法改正案
-22-
の方向で間接侵害責任を導入すること
裁判所には、事業者から見て不特定または多数の
ユーザにサービスを提供している場合でも、ユーザから見て私的領域内で著作物が利用さ
れるようなサービスや、個々のユーザが他の不特定または多数のユーザにファイルを送信
しているわけではないサービスについては、事業者が「公衆送信行為」をしていると見な
さないことを提言したい。
*この研究発表は、発表者のやむを得ない事情によって 2013 年度春季研究発表会における
発表が中止されたものです(企画委員会)。
日中における国際報道の比較研究
―「尖閣諸島衝突事件」に関する新聞報道を中心に―
丁
偉偉(同志社大学大学院
院生)
【キーワード】国際報道、積極的公正中立主義、ナショナリズム、日中領土問題、メディア
リテラシー
【研究の目的】
本研究は、2010 年 9 月 7 日に発生した尖閣諸島(中国名:釣魚島)沖日中船舶衝突事件
(以下:尖閣諸島衝突事件)における日本と中国の国際報道を検証するものである。
研究の目的は、①「尖閣諸島衝突事件」に関する日中新聞報道を分析することで、同問
題に関する両国新聞報道の相違点と問題点を提示し、②当事件に関する中国のテレビ報道
と合わせ検討し、中国メディアの国際報道の特徴と問題点を検証することにある。また、
③尖閣諸島衝突事件のような国際事件におけるメディア報道の限界とその原因も考察対象
とする。さらに、④領土問題をはじめ、様々な国際紛争の解決に資するために、領土問題
に対する両国および両国メディアによる相互認識枠組の重要性から、グローバル化社会に
おける「メディアの積極的公正中立主義」
(渡辺武達の造語)と「メディアリテラシー」の
必要性を検討し、紛争解決に資する国際報道のあり方について考察することである。
【研究の方法】
修士論文においてすでに、
「尖閣諸島衝突事件」における日中の新聞記事の内容分析(定
性分析)を行っており、今回はそれを基点に、中国のテレビ番組の映像分析により、中国
のメディア報道の特徴と問題点をさらに深く考察した。
具体的な分析対象は、日中の新聞三紙(日本:『朝日新聞』、『読売新聞』、
『産経新聞』;
中国:
『人民日報』、
『南方日報』、
『南方都市報』)、中国のテレビ放送番組(CCTV〓中国
中央テレビ)の『新聞聯播』)で、選択基準は思想的、政治的スタンスの相対化の容易さで
ある。
分析期間は、事件が発生した 2010 年 9 月 7 日から、中国側船舶の船長釈放翌日 9 月 26
-23-
日までの 20 日間とした。事件の発生以降、日中両国のメディアを通した関係はいっそう険
悪になったが、25 日に中国の船長が釈放されたことで、破局が避けられたのだが、これは
両国関係の暫定的安定にすぎず、報道のあり方についての根本問題はなんら解決されてい
ないことは今日の両国関係をみれば明らかである。
資料の収集については、中国側については主としてインターネットを利用して、新聞記
事とテレビ番組を入手した。
『人民日報』記事の収集では、同志社大学図書館に所蔵された
同期間の発行紙上の「尖閣諸島衝突事件」に関連する記事と、
『人民日報』電子版で検索し
た記事を比較したところ、新聞の紙面と記事内容が一致することは確認できている。また、
『南方日報』と『南方都市報』の記事はインターネットで収集し、後ほど国立国会図書館
(関西館)で確認を行ったところ、紙媒体版と電子版の記事が一致することも確認できた。
日本側の新聞資料は選択各新聞社のデータベースを利用して収集した。
【得られた知見】
分析の結果として、まず、
「尖閣諸島衝突事件」に関する日中の新聞報道は、両者ともに
当事件に対する解釈の曖昧さ、見出しと内容の乖離という共通点をもち、さらに報道の速
報性、記事本数、記事の選択基準、基本認識に大きな違いがあることが明白となった。こ
れらの相違点は日中両政府の当事件における最初の認識とメディア環境の相違、用語選択
に慎重さが足りないなどの点にも見られるが、より重要なのは、新聞による国際報道が政
府の「情報管理」(政府による情報提供)によって左右されているにあると推察され、「尖
閣諸島衝突事件」がもたらす日中関係への悪影響の懸念と、事件の解決を求めようとする
意志は見られるものの、それらのことは「国益」思考のクローズアップに伴い、記事の過剰
なナショナリズム表現に埋もれ、外へは出てきにくい構造がある。
また、中国のテレビ番組の映像分析によって明らかになったのは、当事件に関する報道
は中国政府の指導によって、強い国家イメージが形成される表現が選ばれ、新聞報道との
同一性・類似性が見られた。紙媒体は総じて、ニュースネタとしてテレビ媒体に二次利用
されており、紙媒体の報道内容がテレビ報道に先行していることがわかった。そのことか
ら、国際報道についての中国のテレビ媒体と紙媒体の情報内容がともに中国共産党の指導
によって統一されていることも検証できた。
本研究ではそれらの検討をベースに尖閣諸島衝突事件と報道を再考察し、より深く歴史
の検証に耐えられる報道のあり方について、「メディアの積極的公正中立主義」
(渡辺武達
の造語)と「メディアリテラシー」向上の重要性を具体的事例によって指摘した。同時に、
国際問題をよりよく解決していくために、尖閣諸島問題を日中間における領土問題や外交
問題として認めたうえで、
「歴史認識」や「経済問題」、
「両国民の意識」とも併せ、両国間
の冷静な相互認識の必要性と国家/政府とメディア側と一般民衆がともに参加、協同議論
ができるような国際報道検証の仕組みについても提言する。
-24-
憲法記念日の言説分析
高木 智章(慶應義塾大学大学院
院生)
【キーワード】憲法記念日、日本国憲法、ジャーナリズム
【研究の目的】
戦後日本政治において、ジャーナリズム、特に新聞メディアは、日本国憲法にいかなる
価値や意味を付与してきたのか、その歴史的変遷を明らかにすることが本研究の一番の目
的である。新聞メディアの憲法観、または護憲/改憲の立場やそのあり様は、決して固定
化されたものではなく、日本政治の置かれた時代的背景に大きな影響を受けて、その論調
に変化が見られるものである。ジャーナリズムの憲法論議を歴史的に捉えることでその全
体像を明らかにすることを本研究は目指す。
戦後日本政治における新聞メディアの憲法に関する言論の流れを把握するにあたって、
毎年5月3日の憲法記念日の新聞メディアの憲法に関する言論を分析する。憲法記念日は、
その時代の政治的な状況を色濃く反映しながら、憲法に関する言論が掲載されているから
である。1947 年の憲法施行から 2013 年現在に至るまで、その各々の記念日における日本
政治の時代的文脈・背景を踏まえつつ、記事の言説分析を行う。
日本国憲法は、民主主義(国民主権)・基本的人権の尊重・平和主義という 3 つの大きな
理念を尊重する法規であるが、憲法記念日における憲法に関する言論は、時代の文脈に大
きな影響を受けながら展開され、諸価値の確認と意味付けがなされてきた。特に、憲法の
「平和主義」に関しては、戦後日本政治で長年、改憲/護憲をめぐる論争が続いてきた要
因となる点であり、冷戦体制が終結した以降にあっては、新聞メディア間においても、そ
の意味づけが多様化し、それに伴い憲法記念日における憲法論にも影響を与えている。
「平
和主義」をめぐるジャーナリズムの憲法の言論のあり様、その変化を分析の中心軸にしな
がら言説分析を展開する。
【研究の方法】
研究対象とする新聞メディアは、憲法記念日に積極的に憲法についての言論を掲載して
いる『読売新聞』と『朝日新聞』、その社説を研究の対象とする。また、冷戦体制が終結し
た 1990 年代より、
『読売新聞』は独自の「憲法改正私案」(94 年、2000 年、2004 年)を、
『朝
日新聞』も憲法に関する提言報道の記事(95 年、2007 年)を、憲法記念日に掲載しており、
それらも新聞メディア上における憲法論議を考える上で重要なものであるため、研究の対
象とする。
新聞メディア上の憲法に関する言論を分析する上で、戦後日本政治の国内・国外的文脈
を把握することは重要である。特に、憲法の「平和主義」に関わる論考に関しては、日本
の主権回復・再軍備をきっかけに9条問題が論争の対象となったり、冷戦終結後、湾岸戦
争を機に国際貢献と憲法の問題が論じられたりするなど、テクスト生産の文脈を把握した
-25-
上でないと、憲法記念日において新聞メディアが発信する憲法観を把握することはできな
い。そのような点に注意を払いつつ、憲法記念日における新聞メディアの憲法論議の言説
分析を進める。
【得られた知見】
本研究で分析対象とした『朝日新聞』
『読売新聞』は、現在では前者が護憲、後者が改憲
の立場を明確にしているが、歴史的にその憲法に関する言論を見ると、時代的文脈の影響
を受けながら、憲法に対する見解や護憲/改憲の立場のあり様に変化が見られることが明
らかとなった。
憲法が施行されてまもない頃は、両紙ともに、憲法の掲げる先進的な価値観を受け入れ
理想的なものとして捉える傾向があった。しかし、いわゆる「逆コース」を契機に、特に
共産主義に対する見解の違いから、まず憲法が尊重する「自由」をめぐって両者の憲法観
に開きが出る。さらに主権回復と再軍備を契機に、朝日は復古的な体制の再登場の懸念か
ら護憲、読売は憲法と軍備保有の現実との差異をはっきりと改める必要性を説き改憲の立
場をとるようになる。しかし、読売は 50 年代後半〜80 年代にかけては、自衛隊の存在を
憲法解釈で容認し、解釈改憲の擁護としての護憲の姿勢をとるようになり、その当時の朝
日の立場と似通った立場になる。冷戦体制が終焉し、湾岸戦争が勃発すると、読売は経済
大国としての国際貢献の必要性を説き、その観点からの改憲を提言する一方で、朝日は非
軍事による国際貢献を説き、憲法の理念を積極的に世界に広める形の国際貢献、つまり積
極的な護憲を提言する。9.11 テロ以降は、アメリカとの同盟関係が問題となり、読売は集
団的自衛権の容認も含めた改憲論を提示し、朝日はアフガン・イラク戦争をまえに憲法精
神の擁護として護憲を主張することとなる。
以上のような形で、本研究はジャーナリズムの憲法論議を歴史的に分析することで、憲
法観の変遷や護憲/改憲のあり様の多様性を、知見として得られることが期待できる。そ
の年の憲法記念日の置かれた国内・国外的コンテクストの分析も研究に組み入れることで、
戦後日本政治におけるジャーナリズムの憲法論議の全体像を捉え提示することが可能とな
った。
-26-
レイプ言説のパラダイムシフト
―米国誌『Ms.』を中心として―
栗木 千恵子(中部大学)
【キーワード】ウーマンリブ、デート・レイプ、
『Ms』、ライフストーリー、レイプ言説
【研究の目的】
本研究の目的は、米国誌『Ms.』を中心としたフェミニスト・メディアが、1980 年代に
レイプに関する問題に果たした役割を明らかにすることである。
【研究の方法】
本研究においてはフェミニスト・メディアを女性たちの視点に焦点を定めたメディアと
位置づけ、女性たちの「声」を結集し、ウーマンリブの象徴的存在でもあった米国初の本
格的フェミニスト・メディア(月刊誌)
『Ms.』の 1972 年から 84 年の休刊(事実上の廃刊)
までのすべての号をリサーチした。また 1970 年代から 80 年代においてリブのオピニオン・
リーダーだったシンジケート・コラムニスト、エレン・グッドマンのコラムや後年の彼女
への取材、82 年から 84 年のボストン留学期間中に毎日購読したニューヨークタイムズ紙、
ボストングローブ紙の掲載記事や論調、そのほかの主要メディアの報道などが本研究の下
敷きとなっている。当時全米のトップニュースとなったギャング・レイプ事件を現地で取
材し、関係者の証言、地元住民の声などを論文に記載した。91 年ピューリッツアー賞を受
賞した、レイプ被害者が初めて実名で取材に応じた記事を書いたた記者を現地で取材した。
その後ジャーナリズムと女性を創設以来のテーマとする米国の女性ジャーナリストの年次
大会に出席し、レイプおよびウーマンリブ、『Ms.』、ジャーナリズムなどについて参加者
と意見を交換した。レイプについて、米国の女性誌一般について、ウーマンリブなどにつ
いては膨大な先行研究から代表的な書籍や論文を参考にした。
【得られた知見】
『Ms.』の特徴は創刊者グロリア・スタイナムをはじめとする編集者と読者との間の女同
士の強い絆である。同誌は女性たちが自らの体験を語ったライフストーリーを数多く掲載
したことにより、フリーダンが看破した「個人的なことは政治的なこと」を実践し、女性
たちが人知れず悩んでいた問題を明らかにして、その解決を広く社会に訴えた。同誌は米
国の主要メディアとして初めて 1970 年代にドメスティック・バイオレンス(1976 年 8 月号)
を取り上げ、77 年 11 月号でセクシュアル・ハラスメントに関する特集記事を掲載した。
同誌の論調は一貫して女性への差別がこれらの問題の根底にあるというものであった。
女性の側に落ち度があるとされ泣き寝入りする場合が多かったレイプに関しては 1975
年に初の本格的な告発の書スーザン・ブラウンミラー著『レイプ・踏みにじられた意思』
が出版され、世間の冷笑のなか、レイプ被害者たちが自らの体験を語り合う初めての会合
がニューヨークで開かれて、徐々に各地へ広がっていった。78 年から 79 年には「安全な
-27-
夜を取り戻せ」という女性たちの運動が盛んになったが、全米レベルの運動には至らなか
った。
1983 年全米のトップニュースとなったギャング・レイプがボストン郊外で起き、大きな
論議を巻き起こした。
『Ms.』もこの事件を大きく取り上げた。
『Ms.』の主張はレイプは暴
力行為であり、非は一貫してレイプした男性の側にあるという点で際立っていた。公判で
は起訴された実行犯 4 人全員に有罪判決が言い渡され、
「潮の流れが変わった」と女性たち
から高く評価された。この事件はレイプを被害者の恥ずべき落ち度とする風潮から告発す
べき犯罪という認識へと大きく変化させる契機となった。しかしレイプ言説の変化は緩慢
で、その後も凶悪なレイプ事件は全米に大きな衝撃を与えた。しかし 88 年にレイプされた
女性が主要メディアで初めて実名で取材に応じた連載記事が、91 年にピュリッツアー賞を
受賞した影響は無視できないものであった。記事を読んだ女性たちが自身のレイプ体験の
残酷さ、辛さとその後の長年にわたる深刻な影響を率直に綴った多くの手紙が新聞社に届
いたのである。レイプに関しては現在でも女性を責める風潮が完全に払拭されたとは言い
切れないが、
「語りがたきこと」を公表した勇気ある女性たちの証言で「潮の流れ」が強化
され、『Ms.』 もその一翼を担ったのである。
1982 年 9 月号で『Ms.』は全国誌として初めてデート・レイプを取り上げた後、初の全
米規模の大規模なデート・レイプに関する実態調査を各地の大学で実施した。その特徴は
詳細な自由記述であった。調査結果は 88 年に刊行され、従来のレイプ神話を覆した。それ
以前はレイプは見知らぬ男性によって起こされると考えられていたのである。調査に協力
した男女大学生のライフストーリーの集積が、「名前のない問題」に名前を与え、『Ms.』
はその中心的な役割を果たしたのである。
<C 会場>
中国のポータルサイト・ニュースの情報源の多様性の検証
―新浪網の温州高速鉄道事故報道を事例に―
于
海春(早稲田大学大学院
院生)
【キーワード】中国メディア、ポータルサイト・ニュース、情報源、内容分析
【研究の目的】
本研究の目的は、内容分析の手法を用いて新浪網ニュース(http://news.sina.com.cn)の
情報源を分析することで、中国のポータルサイトニュースの情報源の多様性を検証するこ
とである。
ポータルサイト・ニュースとは、総合ポータルサイトがオンラインで提供したニュース
-28-
コンテンツの総称である。中国では、ポータルサイト・ニュースを通じてニュースを受容
するという形態が一般化している。英国のオフコムの調査データによると、中国において
は、全国情報の 75%、地域情報の 55%をインターネットから入手している。また、インタ
ーネットを通じたニュース受容においては、ポータルサイト・ニュースの利用率が 85.7%
で、一番高い。このように、中国では、ポータルサイトニュースは大衆のニュースを受容
するための重要なルーツである。
ポータルサイト・ニュースの特徴は、すべての記事がオリジナルではなく、他の情報源
から転載されたものであるという点である。中国のインターネット情報管理政策によって、
ポータルサイト企業はニュースの独自取材が認められず、提供しているコンテンツが多数
の伝統メディアと他のニュースサイトからの情報を転載したものである。つまり、ポータ
ルサイトニュースのコンテンツの特徴は情報源の特性によって規定される。
ポータルサイトニュースは、一般的に情報の多様性を持っていると思われる。先行研究
において、ポータルサイトニュースは多様なマスメディアの報道を均等に反映した「鏡」
であるという見方がある。マスメディア報道の分析をするのに、ポータルサイトニュース
を用いた研究成果さえもある。しかし一方、インターネット上の情報分布は均等的ではな
く、ベキ法則(Power Law)に従う説もある。つまり、インターネット上の多くの情報はご
く一部の情報源に集中しており、情報の流れは一部の核心の情報源に決められることであ
る。インターネットが民主主義をもたらす可能性を巡る議論が続いている中、オンライン
上の情報源はいったい多様性をもつものなのか、それともごく一部の情報源に集中したも
のなのかを検証する必要がある。しかし、今までの先行研究において、オンライン・ニュ
ースの情報源の多様性を実証したなものはまだない。
そこで、本研究は内容分析の方法で、ポータルサイトニュースは情報源の多様性を持っ
ているのか、それとも一部の情報源に集中しているのかを検証した。また、もし一部の情
報源に集中しているなら、どのような情報源が核心的な情報源であるのかを考察した。
【研究の方法】
本論では、ポータルサイトニュースの情報源の特性を明らかにすることを目的で、温州
高速鉄道事故に関する報道の情報源分析を行った。分析の方法は以下の通りである。
サンプルの抽出方法。①研究対象。中国ポータルサイト・ニュース企業の最大手である
新浪網ニュースを研究対象として選択した。②研究事例。2011 年に中国で発生した温州高
速鉄道事故報道を研究事例にした。その理由は事件の影響力が大きいこと、中央レベルの
権力に関わる事件であること、発生地域が北京、上海、広州ではないことと分析可能なデ
ータが存在したことという四つである。③期間。事件の発生日 2011 年7月 23 日から 2011
年8月 22 日までの一ヶ月の間を分析期間とした。④サンプリング。分析期間内のテクスト
ベースのニュース 1021 本の全数である。⑤分析単位。記事を分析単位とした。
内容分析では三つのカテゴリーを用いた。①メディアの属性。情報源の属性によって、
-29-
ウェブサイト、新聞、その他という三つに分類した。②地域。新聞を核心の発行地域をも
とに、全国、北京、上海、広州、事故発生地域(浙江省)、その他の六つに分類した。③メ
ディアの位置づけ。新聞を「機関紙」と「商業紙」の二つに分類した。
【得られた知見】
内容分析の結果、ポータルサイト・ニュースの情報源は集中性を持っている。情報はご
く一部の核心的な情報源に集中している。第一に、国家通信社の公式サイトである新華網
と中国新聞網は集中度が一番高い情報源である。第二に、情報源は北京に集中しているこ
とが顕著である。第三に、新聞の情報源は商業紙に集中している。
以上から、ポータルサイト・ニュースは多くの情報源からの情報を得たとはいえ、情報
源が多様性を持っているとは言いがたい。情報源は、官製メデイアの国家通信社と北京の
商業紙新聞に集中している。結論から導かれたインプリケーションとして、ポータルサイ
ト・ニュースの情報源の集中性から、共産党と政府は核心の情報源をコントロールするこ
とで、情報の管理と規制を効率的に実行できる可能性が高いことが提示できる。
地域紙がない大都会の「情報過疎」に関する実践的考察
―目黒区の防災問題を新聞に代わり取材・発信する活動から見えるもの―
上出 義樹(上智大学大学院
院生)
【キーワード】地域メディア、大都会、情報過疎、コミュニティ、ハイパーローカル
【研究の目的】
東京で発行する全国紙には都内版があるが、よほど重要なニュースでない限り、特
定の地域の問題が詳報されることは少ない。地方紙や地域紙が地元の市町村の行政問
題などを詳しく報じる他県の住民に比べ、東京都民は地域の問題について、ある意味
で「情報過疎」の環境に置かれている。
一方、米国などでは新聞経営の悪化で有力紙が消滅した州やマチで、発行部数は少ない
ものの、徹底した地域密着の「ハイパーローカル(超地域)」メディアなどが登場。ビジネ
ス上の成否はさまざまだが、地方政治の監視や文化の向上などに貢献してきた地方紙に代
わる試みとして注目されている。
本発表は、何十万人もの人口がある区でも地域紙がない大都会の「情報過疎」に関する
研究である。この問題について、発表者(上出)が在住する東京都目黒区の震災対策など
地域の重要なニュースを、
新聞に代わり実際に取材・発信する取り組みを通じて検証する。
また、地方のメディア環境などと比較しながら、インターネットを含めたメディアと大都
会の地域コミュニティーとの関係なども考察する。
併せて、大手紙やテレビなど既存の主流メディアが地域報道で果たすべき社会的な役割
-30-
や問題点などにも光を当て、人々にとって本来、最も身近であるはずの地域や地域情報と
どう向き合うかの議論を深める一助としたい。
【研究の方法】
本研究は、目黒区とその隣接区である世田谷、渋谷、杉並など、いわゆる東京の山の手
地区を主な対象エリアとし、2013 年 4 月から着手した。研究はまだ継続中であり、今回は
中間発表となる。
研究の主要な柱は、目黒区駒場を拠点に渋谷・目黒の地域情報を発信するウェブサイト
「渋谷 WEST」との連携による取材活動と、それを通した地域コミュニティの観察である。
併せて、山の手地区のほか、東京の下町地区や他府県を含めたさまざまな地域メディア及
び住民組織の関係者らに対する聞き取りや資料調査などを行った。
具体的な研究の方法・内容は主に以下のようなものである。
①目黒区の地域ニュースの取材では、人命にかかわる非常に重要な事柄でありながら、
行政や町内会組織などの取り組みが意外に進んでいない防災問題などを取り上げ、目黒区
議会の全政党・会派への震災対策に関するアンケート調査も行った。
②地域メディア関連では、都内 23 区では数少ない地域新聞である「世田谷新聞」やネッ
トメディアの「下北沢経済新聞」などへの聞き取りのほか、東京・日比谷の「地域紙図書
館」で全国の主要な地域紙の閲覧と関連資料の調査などを行った。
③地域コミュニティの比較考察のため、同じ東京でも山の手地区に比べ人間関係が濃密
な下町地区の住民組織や雑誌メディアの関係者らに聞き取り調査した。
④「ハイパーローカル」に関する欧米や日本国内の現状・課題は主に文献から情報を得
たが、地域コミュニティの問題などともに一部、研究者への聞き取りも行った。
⑤大手メディアが地域報道で果たす役割や、地域密着報道の可能性と限界を考察するた
め、文献・資料調査と併せ、東京新聞や全国紙、NHK などの担当記者や編集者から聞き取
り調査した。
【得られた知見】
①先行研究などで既に知られていることだが、東京都民は大阪府民などと同様、他の道
府県の住民に比べ、自分が暮らす地域への帰属意識や愛着度が総じて弱い。都民にとって
現在の居住地は単に「寝に帰るところ」
「たまたま住んでいる場所」との意識が強いことが、
聞き取り調査などであらためて確認された。
②とくに、下町に比べ人間関係が希薄な山の手地区では地元の日常的な問題に対する関
心が低く、地域紙が育つ条件を見出すのは難しい。発行部数が約 5 千部の月刊「世田谷新
聞」の経営者への聞き取りでは、人口が 80 万人台の世田谷区で、購読の対象となる「コア
な区民」は、わずか 1 割の「8 万人」しかいないという数字が示された。
③一方、目黒区では、地域への関心が比較的強い住民から、同区の重要な問題が全国紙
でほとんど詳報されないことに対する不満、あるいは「あきらめ」の反応が見られた。そ
-31-
んな中で今回、地域の震災対策の実情や問題点などを検証取材し、ウェブサイト「渋谷
WEST」で発信した「目黒区の防災問題まるわかり」は、一定数の区民から、
「新聞はあそ
こまで書いてくれない」などとの肯定的評価を受けた。
④新聞だけでなくネットメディアも、特定の地域の問題を深掘りすることはほとんどな
い。一定レベルの取材スキルと手間を要し、ビジネスとして成り立ち難いからである。こ
うしたメディア環境のもとで、地域の問題に関心が強い区民にとっては、情報化社会の言
葉とは裏腹に、大都会の「情報過疎」と呼ぶべき現象が見られることが考察された。ただ、
メディア全体としては「情報過多」の問題も指摘されており、マスメディアの役割を含め、
さまざまな角度から情報化社会の意味やあり方を問い直す作業が求められている。
被災地におけるネット選挙解禁の影響
―2013 参議院議員選挙の事例から―
後藤 心平(東北大学大学院
院生)
【キーワード】ネット選挙、メディアリテラシー、情報リテラシー、デジタルデバイド
【研究の目的】
2013 年 7 月 21 日に投開票が行われる参議院議員選挙では、日本の選挙史上初のインタ
ーネットによる選挙運動(以下、
「ネット選挙」という)が解禁され、候補者や有権者が選
挙期間中、メールやウェブサイト、ブログ、SNS などで自由に意見を表明できるようにな
った。政治の重要な転換点と言っても過言ではないこの“ネット選挙解禁”で、
「民主政治
は進化する」
(2013、北川)とも言われる。また、東日本大震災の影響で地元を離れている
被災有権者にとっては、
「投票先を判断する十分な情報を手に入れることができる」
( 2013、
河村)という期待もある。そこで、本研究では、
「情報を発信する側である政党や候補者が
どのようなネット選挙運動を展開したのか」、「被災有権者がネット上の選挙情報を活用で
きたのか否か」という二つの大きなテーマを軸に調査し、被災地におけるネット選挙解禁
の影響(成果、課題を含め)を明らかにする。
【研究の方法】
ⅰ.福島県から仙台市の仮設住宅に避難し生活を送る被災者、宮城県石巻市から石巻市外の
宮城県内の仮設住宅に避難し生活を送る被災者を対象に、「7 月 21 日に投開票される参議
院議員選挙の情報の入手」に関し、以下についてインタビュー調査した。
①
ネットを利用して選挙情報にアクセスしたか
以下、ネットで選挙情報にアクセスした人へ
②
どんな機器を使ってネットにアクセスしたのか
③
ネットから得た選挙情報とその他の媒体から得た選挙情報を比較すると
-32-
④
ネット上の選挙情報は投票行動に影響したのか
以下、ネット上の選挙情報にアクセスしなかった人へ
⑤
なぜ利用しなかったのか
⑥
何で選挙情報を得たのか
ⅱ.宮城県内の参議院議員候補者を対象に、ネット選挙の展開状況をインタビュー調査した。
【得られた知見】
現在(2013 年 7 月 12 日)も調査中のため、これまで得られた主な内容を以下のように
ランダムに示す。
ⅰ.被災者へのインタビューから
・仮設住宅は復興住宅建設までのつなぎであるため、インターネット回線を引いていない
人が多い
・回線が引かれている仮設住宅でも、パソコンなどネットにアクセスするためのツールを
持っていない人が多い
・ネット選挙解禁の前段階と言ってよい 2012 年 12 月の衆院選選挙公報ネット公開解禁は
「地元を離れた被災者のために」という背景があったにもかかわらず、行政は被災者の
ネット環境の整備に力を入れていない
・ネット上の選挙情報より候補者から直接聞いた情報のほうが信頼できるという声があっ
た
・ネットを使ったことがない
ⅱ.候補者へのインタビューから
・双方向性やリアルタイム性といったネットのメリットを活かすことが出来ていない
・「政策の訴え」というより、毎日の活動日誌にとどまっている
・ネットを使いこなす能力の高いスタッフがいないため、どのように情報発信すればよい
かわからない
・ネットでは有権者の顔が見えないため、こちらの訴えが伝わっているのかピントこない
ので、直接会って話すことに時間を費やしている
・以前より若い有権者の反応が増えている
以上のように、現在までに被災有権者、候補者からネット選挙に対してポジティブな回
答はほとんど得られていない。調査は選挙戦終了後まで続くためネット選挙の成果につい
てはここで示すことはできないが、インタビュー調査から明らかになったことを飛躍して
いることを承知の上であえて述べるならば、国はネット等の ICT を政策に取り入れるなら
ば、国民に対するメディアリテラシー(情報リテラシー等を含む)教育の充実は図ること
が急務である。研究結果の全容については、選挙後までに得られたインタビューへの回答
を含めた上で分析し、最終的にネット選挙解禁の影響を明らかにしたい。
-33-
新聞で語られた東日本大震災における「フクシマ」と「ふくしま」
小林 宏朗(立教大学)
【キーワード】新聞、東日本大震災、ニュースディスコース分析、
「フクシマ」、
「ふくしま」
【研究の目的】
本研究では、2011 年 3 月 11 日に発生した東日本大震災(以下、大震災)の被災地の一
つである福島県が、代表的な全国紙である『読売新聞』
『朝日新聞』と、大震災で被災した
地域の地方紙である『河北新報』『福島民報』(以下、
『読売』『朝日』『河北』
『福島民報』)
4 紙の新聞で、どのように語られたかを考察する。現在、福島県を語る際に「フクシマ」
というカタカタ表記が、漢字表記の福島と共に使用されている。こうした差異はどこから
生じるのであろうか。本研究では福島県をめぐる言葉の差異を分析するため、電子メディ
アが一時機能停止した大震災当初より、活字メディアとしての特徴を活かし、精力的に情
報発信していた新聞を分析対象とする。日本全体を意識した情報発信をする全国紙と、各
地方に根差した情報発信を心がける地方紙という、視点の差異が前提とされる二種の新聞
を分析することで、全国紙/地方紙という二項対立に回収されがちな「福島」をめぐる新聞
間の共時的・通時的な相互作用を描写することが、本研究の目的である。
【研究の方法】
本研究では、ニュースストーリーを様々なサブテーマ、あるいはトピックを連結する 1
つのテーマを中心に持つ構造物ととらえ、そのテーマを構成するサブテーマで使用されて
いる用語のレトリックを解体していく、Zhongdang Pan と Gerald M. Kosicki のニュースデ
ィスコース分析を援用する。震災が報道され始めた 3 月 12 日から 1 年間を分析期間とする。
各紙のデータベースで「フクシマ」と「ふくしま」という表現を含む記事をキーワード検
索し、分析対象として抽出した。
【得られた知見】
分析の結果、各紙の社説や俳句、投稿欄などにおいて、
「福島」は多様なレトリックで語
られていることが分かった。当初は福島第一原子力発電所で生じている問題として認識さ
れていた放射能の放出問題が、他県にまで及んでいることが報じられることで、
国民の「食」
の問題、他県の農産物への風評被害として扱われるようになると、放射能という「見えな
い恐怖」が、
「目に見える不安」へと変化していく。放射能の他県への拡散により『福島民
報』以外の 3 紙は、福島県に他県にはない意味を付与していく。こうして、大震災の元凶
である大地震という天災の被災地として語られる際は、
「福島県」という漢字表記が使用さ
れるのに対し、原発事故や風評被害といった「人災」、過去の原発事故や世界各国の事故へ
の反応と関連して語られる際に、「フクシマ」というカタカナ表記が使用されていった。
他紙による「フクシマ」という意味づけに対し、
『福島民報』は「ふくしま」というひら
がな表記で、
「古里」としての福島県を呼称することで対抗していく。こうした文脈の中で
-34-
「オールいわき」
「オール福島」といった、他県との差異化を図るスローガンが使用されて
いった。その一方で、『福島民報』はチェルノブイリ原発事故のように、「福島」という地
名が重大な原発事故の代名詞となり、福島県にまで「フクシマ」という負のイメージが付
与されることを恐れ、福島第一原発から「福島」という単語をとれないかと提案している。
『河北』は原発事故によって、汚染した「フクシマ」を内包する「トウホク」として一
緒くたに語られることで、世界から東北全体が忌避され、イメージダウンしていることを
危惧している。『福島民報』が想定する「古里」が福島県であるのに対し、『河北』が想定
する「古里」は「東北」であり、いかに「フクシマ」という負のイメージを切り離して「福
島」を「東北」へと回収し、「東北」を一つの共同体として保持するかを模索していた。
『福島民報』以外の 3 紙でも「ふくしま」表記は散見されたが、それらは地方の活動名
や施設名等であり、克服すべき原発事故や風評被害はあくまで「フクシマ」表記で語られ
ていた。しかし、過去の原発事故や被爆体験としての「ヒロシマ・ナガサキ」等、事故の
状況変化とともに「フクシマ」と並置して語られる用語が変化していくことで、3 紙にお
いて使用される「フクシマ」表記の中で、忌避すべき事象としての「フクシマ」の意味と、
克服し再生へと向かうための「ふくしま」的な意味が混在していった。一方、各紙の読者
投稿では『福島民報』と同様に、当初から破局的事象としての「フクシマ」と、連帯と再
生の象徴としての「ふくしま」が区別されていた。
以上のように、各紙が想定する「福島」は、震災の状況変化や各紙の立場によって、そ
のレトリックは流動的に変化していった。
「福島」を通して、各紙の思惑による名づけと意
味づけのせめぎ合いを描き出したことが、本研究の成果である。
<D 会場>
メディアテクノロジーに媒介された声
―クルーナー歌手 Rudy Vallée の実践を事例に―
福永 健一(関西大学大学院
院生)
【キーワード】ラジオ、声、クルーナー唱法、アメリカ
【研究の目的】
本研究は、メディアテクノロジーに媒介された「声」についての考察をおこなうもので
ある。ここでは声を発することを、発話であれ歌唱であれ「パフォーマンス」としてとら
え、マイクロフォンといったメディアテクノロジーに向かって声を発する行為者(送り手)
の思想と実践を描き出す。また、その声をとりまくオーディエンスや社会的状況の言説を
参照する事で、メディアに媒介された声がもつ意味について考察する。抑揚や声質といっ
-35-
た、声の非言語的な側面に着目することで、メディアへと声を発する主体の行為がいかに
して歴史的に涵養されてきたのか、その「習慣」の一端を明らかにすることがねらいであ
る。
本発表では、1920 年代後半から 1930 年代前半のアメリカ合衆国において、とりわけ女
性に人気を誇った、クルーナー歌手でありラジオ番組の司会者でもあった Rudy Vallée に着
目する。クルーナー唱法(crooning)とは、マイクロフォンに向かって優しく、ささやくよう
に歌う歌唱法であり、メディアテクノロジーを用いた人為的な歌唱テクニックの例として
知られている。Vallée の、声の行為者としての思想および実践と、その「声」を取り巻く
イメージの言説について取りあげる。
【研究の方法】
Rudy Vallée および当時のメディア、社会、オーディエンス等については、一次資料およ
び二次資料を検討し、歴史社会学的に当時の状況について敷衍した。メディアに媒介され
た声の考察については、発話あるいは歌唱する声の主体のパフォーマンス的な側面に着目
し考察する。抑揚や声質といった、
「声」の聴覚的な側面を浮き彫りにすることで、声がメ
ディアに媒介される事で涵養されてきた「習慣」の一端を明らかにする。
【得られた知見】
①まず Rudy Vallée の「声」を支える社会的、メディア産業的コンテクストについて以下
のことが明らかとなった。クルーナー唱法についての言及は、マイクロフォンというテク
ノロジーに依存した歌唱法という見方が多数を占めており、1920 年代後半のアメリカにお
いて、なぜ Rudy Vallée の「ささやくような声」が歓待され、また批判を浴びたのかという
事実については不明な点が多かった。Vallée は歌手として、またはラジオ番組司会者とし
て国民的人気を得ている。当時の社会的状況は世界大恐慌期であり、またラジオの黄金時
代の幕開けの時期でもあった。特筆すべき点は、ラジオ産業、音楽産業、映画産業が重層
的に関わり、明確に Vallée を女性向けのスターとしてイメージ構築していたということで
ある。
②次に、クルーナー唱法における Rudy Vallée の声のイメージについて、以下のことが明
らかになった。アリソン・マクラケンによるクルーナーに関する先行研究では、Vallée の
声に対する評価は、男性と女性で異なっていたとされる。クルーニング唱法における Vallée
の声は、女性たちにとっては「優しい(soft)」、
「心安らぐ(soothing)」声であった一方で、男
性にとっては「男らしくなく」、「真正な歌唱ではない」とされていた。Vallée の声のイメ
ージの語られ方は、1910 年代後半から 1920 年代中頃に人気を誇った映画スターRudolph
Valentino とも類似する点が多い。両者はおなじく非男性的、または中性的なスターである
といわれている。注目すべきは、Valentino はサイレント映画のスターであり、当時の観衆
が彼の声を聞くことはなかったはずであるが、当時のオーディエンスは、メディアに媒介
された Vallée の声から、Valentino のようなスターを想起していたということである。この
-36-
ことから、声が身体的特徴を指標的に指し示し、またそのパーソナリティを象徴的に指し
示していると考える事ができる。
③最後に、ラジオ司会者としての Rudy Vallée の声のイメージについて以下のことが明ら
かとなった。Vallée の声のイメージは、主にクルーナー唱法という歌唱についての評価で
あり、ラジオ司会における Vallée の声については深い知見は得られていなかったが、ラジ
オ司会者としての Vallée の声は、恐慌という時代の不安を和らげる「感傷的な(sentimental)」
声として機能していたことが明らかとなった。このことは Vallée 本人が恐慌という社会的
状況を鑑み、意識的にそのように声を発していたことを認めている。
以上のように、クルーナー唱法はマイクロフォンといったテクノロジーによって可能と
なったという事実だけでなく、そのような声を求める「女性」の存在があり、恐慌といっ
た「社会的状況」の存在も重要な要因であった。さらに、Rudy Vallée の声のイメージの語
られ方および、マイクロフォンの前で声をパフォーマンスする行為者としての Vallée の思
想と実践を明らかにした。Vallée の出現以降、マイクロフォンに依存した弱々しく女々し
い「真正ではない」声は、徐々に市民権を得てゆく。このように、あるパフォーマーの声
の実践に着目することで、メディアに媒介された声の行為者の、
「声の習慣」の一端が明ら
かとなった。
台湾バラエティ番組罰ゲームの受容
―小中学生調査を中心に―
楊
仲軒(関西大学大学院
院生)
【キーワード】子ども、台湾、バラエティ番組、罰ゲーム
【研究の目的】
本研究では、子どものバラエティ番組の罰ゲームに対する見方が、年齢によってどのよ
うに変化するかについて研究することを目的とする。子どもはバラエティ番組の罰ゲーム
描写に影響され、悪影響があるといった言説が多く語られている。だか、罰ゲームを視聴
した子どもは一律に悪影響を受けているとは断言できない。子どもたちはさまざまな見方
でバラティ番組の罰ゲームを受容していると考えられる。本研究は、子どもがどのような
見方で罰ゲームを受容しているのか。そしてその見方は、子どもの年齢の変化によってど
のように変化するのかを、それらの問題意識に対して実証的に明らかにすることが目的で
ある。
【研究の方法】
本研究では、2011 年 9 月に、台湾台中市にある小中学校の児童・生徒 1000 人を対象に
集合調査法でアンケート調査を実施した。問題設定は、バラエティの罰ゲームを視聴して
-37-
快感を抱く不快感を抱くかという「快・不快」軸と、善いことと肯定するか、悪いことと
批判するかの「善・悪」軸を設けた。これら二つの軸をクロスさせ四つの類型を設定した。
四つの類型は、
「快×善=素直型」(罰を受けた人のリアクションを笑う見方)、
「快感×悪
=遊戯型」
(罰ゲームを悪いこととして認識しているが、快感を抱く見方)、
「不快×悪=批
判型」(批判的目線で否定する見方)、「不快×善=妥協型」(不快感をもつが、自分なりの
解釈で受け入れる見方)である。これらの見方の割合が年齢別に――年齢低(小 5、小 6)、
年齢中(中 1、中 2)、年齢高(中 3)――どのように変化するかを分析した。
【得られた知見】
調査の結果、以下のことが明らかになった。
①年齢低グループは、素直型が最も多かった(50.0%)。続いて、遊戯型 37.7%、批判型 11.7%、
妥協型 1.0%であった。
②年齢中グループでは、遊戯型が最も多かった(53.4%)。続いて、素直型 30.6%、批判型 12.3%、
妥協型 3.7%であった。
③年齢高グループの集計結果は、遊戯型が最も多かった(40.5%)。続いて、批判型 28.3%、素
直型 23.7%、妥協型 7.5%であった。
④素直型は、年齢が高くなるにつれて減少した(50.0%→30.6%→23.7%)であった、これに対
し、批判型(11.7%→12.3%→28.3%)と妥協型(1.0%→3.7%→7.5%)は同じく年齢が高くなるほ
ど増加した。
⑤遊戯型は年齢中で高まったが、年齢高になってまた減少する傾向がみられた(37.7%→
53.4%→40.5%)。その結果から、年齢中の子どもは、罰ゲームを「悪」として認識してい
るが、まだ罰ゲームから快感を抱くため、バラエティ番組の罰ゲームに最も影響されや
すい年齢層と考えられる。遊戯型が年齢中から減少する傾向が見られたことに対し、批
判型は年齢中から増加する傾向が見られ、年齢中グループにおいて子どもの罰ゲームに
対するする感覚が快感から不快感に変わる傾向があると考えられる。
⑥批判型は、年齢低グループ(批判 11.7%、素直 50.0%)と年齢中グループ(批判 12.3%、素直
30.6%)では素直型より少ないが、年齢高において批判型の比率は素直型を超る(批判 28.3%、
素直 23.7%)。このことは年齢の増加とともに、家庭や学校教育で罰ゲームについての悪
影響に関する言説を学習し、罰ゲームに対する評価が善から悪に変化すると考えられる。
さらに、同調査では、いじめの接触度が高い者は罰ゲーム対して不快を感じる傾向があ
り、子どもは年齢が高くなるほど、いじめの接触機会も増え、そのために快から不快に
なるといえる。
以上、子どもはバラエティ番組の罰ゲームに対して、一律の見方ではなく、さまざまな
見方で受容しているし、年齢の変化ともに見方が変化することが明らかになつた。
-38-
アメリカのテレビドラマにおけるマダム・バタフライ
―The Courtship of Eddie’s Father を例に―
俣野 裕美(同志社大学大学院
院生)
【キーワード】アメリカのテレビドラマ、日本人女性、マダム・バタフライ、表象、差別
【研究の目的】
アジア系女性は歴史的に欧米の人々の注意を引き付けてきた。古くは小説や旅行記など
にその姿が文章や写真などによって描かれ、後に映画などの映像メディアにも登場するよ
うになった。侮蔑的、好意的なイメージに関わらず、アジア系女性は白人女性とは異質な
人物として人々の興味を集め、その表象は学術的な研究対象になってきた。
本研究ではアジア系女性の表象研究で扱われることが少ない、アメリカのテレビドラマ
に焦点を当て、日本人女性が主要な役を演じた初期のドラマの一つ(Hamamoto 1994)と
される、The Courtship of Eddie’s Father (1969-1972 年 ABC)を取り上げた。作中の日本人
ハウス・キーパー、ミセス・リビングストン(Miyoshi Umeki)の表象を考察する。
【研究の方法】
理論的枠組みはグラムシのヘゲモニー論を用いる。彼は、支配者集団は物理的な力では
なく、知識人等を利用した道徳的、文化的、イデオロギー的指導を行うことによって、自
集団に対する人々からの合意を取り付けようとすると主張した。ホール(1997)も彼の理論
を応用し、表象は支配集団が人々からの合意を得るためにせめぎ合いを行う場であるとし
た。つまり、表象には支配者側がその利益のために、人種との関係で肯定したい内容が含
まれており、それについて同意の形成を目指す機能があると考えられる。本研究はこうし
たヘゲモニー理論を基盤とする。
メディア作品の分析は、時に主観性が指摘され(藤田 2009; 藤田・岡井 2009)、客観性の
担保が重要な課題となる。そのため、本研究ではミセス・リビングストンが登場する場面
の会話を全て文字に書き起こした。その資料を元に、他の登場人物とのやり取りで繰り返
されるパターンから、彼女の表象を分析した。本作のシーズンは 1~3 まで存在するが、3
は現在 DVD、VHS が未発売のため、関連書籍で内容を確認した。
【得られた知見】
分析の結果、ミセス・リビングストンは白人男性のために自己犠牲をするマダム・バタ
フライ像を踏襲していることが分かった。本作品は、妻を亡くした雑誌編集者のトムと息
子のエディ(両者は白人)との日常生活や、彼らが新しい妻、母親にふさわしい女性を探
す様子を描くコメディードラマである。ミセス・リビングストンは彼らの家でハウス・キ
ーパーとして働き、三人は協力して日常で起こる様々な問題を解決する。彼女はハウス・
キーパーでありながら、事実上の二人の妻、母として機能している(Kim 2004)。トムとエ
ディはミセス・リビングストンという実質上の妻、母を持ちながら新しい女性を探し、手
-39-
に入れる自由を持つ。対するミセス・リビングストンは、彼らの自由を維持するために、
妻、母としての立場を状況に応じていつでも手放し、場合によっては自身の意志を顧みず
にその立場を堅持しようとする、自己犠牲的な人物として描かれていた。自殺という要素
は存在しないが、このように自らを犠牲にすることで白人男性の優位が確立される日本人
女性表象には、19 世紀後半から小説や舞台に何度も登場したマダム・バタフライ像の踏襲
が見られる。
しかし、彼女は通常のマダム・バタフライの構造とは異なる。通常のマダム・バタフラ
イは、必ず戻ると約束したピンカートンを愚直に信じて待ち続け、彼はアメリカで白人女
性と結婚した後に日本に戻り、子供の引き取りを要求する。そしてマダム・バタフライは、
彼の傲慢で身勝手な行為によって自己犠牲(自殺)をする(Marchetti 1993)。つまり、身勝
手な白人男性によって愚かな日本人女性が自己犠牲を強いられるのである。一方、このド
ラマでは、白人の傲慢さや身勝手さは全く描かれない。ミセス・リビングストンはトムと
エディの自由の危機的状況を判断し、自発的に自己を犠牲にするのである。
Madame Butterfly のストーリー変遷の歴史を辿ると、ピンカートンの傲慢さが徐々に和
らげられ、騙されたことに気付かない愚かなマダム・バタフライの理性水準が上げられた
ことで、感動的な物語が作られたという(満谷 1994)。こうした変化がミセス・リビングス
トンのマダム・バタフライ像にも起こったと考えられる。このドラマが放送された 1960
年代後半は、公民権運動やフェミニズム運動の高まりで、白人中心主義への批判や差別の
撤廃、女性の権利や平等が訴えられた。このような社会的風潮の中、白人であるトムとエ
ディは差別的で傲慢な人物であってはならないし、また日本人女性であるミセス・リビン
グストンも自己犠牲を強いられるだけの判断力のない存在であってはならない。白人男性
の傲慢さに強いられた愚かな日本人女性の犠牲という構図は、アメリカ社会の不正や不平
等を露呈することになり、支配者集団は好まない。そのため、白人の傲慢さは完全に抜け
落ち、ミセス・リビングストンは、自身の判断力で自己犠牲をするようになった。白人男
性の身勝手さを経ず、自発的に判断した自己犠牲を通して彼らの優位性を確立する彼女の
表象は、当時の「進歩的」なマダム・バタフライ像といえるだろう。
-40-
テレビ番組における炭鉱・産炭地の表象とその問題機制
―NHK アーカイブス学術利用トライアル研究から―
木村 至聖(甲南女子大学)
【キーワード】アーカイブ、炭鉱、産炭地、記憶、記録
【研究の目的】
2011 年に山本作兵衛の炭鉱記録画が世界記憶遺産に登録されたのは記憶に新しいが、今
世紀に入り西欧を中心に炭鉱の遺構が次々に世界遺産になるなど、炭鉱の記憶継承の取り
組みが加速している。こうした流れのなかで、炭鉱を対象とした数多くのテレビドキュメ
ンタリー番組もまた、貴重な記憶遺産といえる。従来、テレビ番組は一過性の性質を持っ
ていたが、そのなかで描かれる表象は視聴者の長年のテレビ視聴経験のなかで蓄積され、
一定の「記憶」を形成してきたと考えられるからである。
しかしながら、テレビ番組は制作者の何らかの意図に基づいて制作されたものである。
丹羽(2001)は、日本のドキュメンタリー番組の先駆けである「日本の素顔」の作り手た
ちの抱えてきた問題機制を探るなかで、草創期ドキュメンタリー番組が、
「公正中立」とい
う立場から、
「彼ら・彼女ら=異常民」へのまなざしを媒介として、「私たち=日本人」と
いう自己意識を形成していったことを明らかにしている。こうした番組の視聴経験によっ
て形成される記憶というものも、番組の用意した問題機制の影響と無関係ではないだろう。
「記憶」という対象はなかなか捉えがたいものだが、一方「記録」については、近年、
テレビ番組のアーカイブの保存と公開が進められつつあり、その経年的分析が可能となっ
た。そこで本研究では、戦後日本人の自己意識、集合的記憶に影響を与えたであろう炭鉱
イメージについて、
「記録」されたテレビ番組の側からアプローチする。ここではとくにテ
レビ番組のなかで、いかなる炭鉱や産炭地の表象が、いかに意味づけられてきたのかを経
年的に分析することを通して、石炭産業や産炭地をまなざすテレビ番組の問題機制とその
変遷について明らかにしていきたい。
【研究の方法】
本稿では、NHK で放送された、日本の産炭地やそこに生きる人々を描いたドキュメンタ
リー番組を分析対象とする。対象は、NHK アーカイブス学術利用・関西トライアルⅡに採
用された『テレビ番組における産炭地の表象とその変容に関する研究』に基づき、私が閲
覧した 146 の番組である。これらの番組を、石狩/釧路/常磐/山口/筑豊/三池/崎戸・
高島の 7 炭田ごとに、そして国の石炭政策の時期区分にポスト石炭政策期を加えた 7 期ご
とに分類し、この地域×時期のマトリックス上での番組の分布を調べた。
【得られた知見】
全体の傾向としてまずみえてくるのは、やはり多くの炭坑が密集していて、生産高の高
かった石狩、筑豊炭田の番組数の多さである。とくに、【スクラップ・アンド・ビルド期】
-41-
(1960~67)においては、番組の半数以上は筑豊炭田を舞台としており、テーマも筑豊に
おける失業や家庭崩壊、
炭鉱事故などの悲惨な状況を描くものであった。こうした偏りは、
人々から「忘れられている」
「社会問題」にフォーカスしようとする当時のドキュメンタリ
ーの自己規定によるものであったことが、番組の内容から推測できる。
しかしその後ドキュメンタリーは、どちらかといえば炭鉱における「社会問題」の方に
フォーカスしていき、そこに当てはまらない多くの取り組みや営みは「忘れられて」いっ
た。実際、
【縮小均衡期】
(1968~1972)および【石炭見直し期】
(1973~1981)には、合理
化の波が一段落したため炭田を舞台とした番組は減少し、産炭地の繁栄と衰退を回顧する
ようなノスタルジックなトーンの番組が基調となる。
ところが【需要に見合った生産体制期】
(1982~1988)には、1981 年の夕張新鉱事故に
より夕張をとりあげた番組が急増し、また 1986 年の高島炭鉱閉山も注目されて、いずれで
も地域社会の急速な崩壊が描かれている。ここにきてかつての「社会問題」としての炭鉱
のモチーフが繰り返されることとなったのである。
【構造調整及び段階的縮小期】(1990~
2002)は、引き続き石狩の諸炭鉱や九州の三池炭鉱といった大手の歴史ある炭鉱が閉山し
ていく時期であった。しかも戦後 50 年前後にあたるため、炭鉱の歴史の総括を行なう番組
が数多く制作されたが、その多くがかつての番組記録を元にした総括であったため、結局
「社会問題」としての炭鉱というテーマが再生産されたのである。
今日に続く【ポスト石炭政策期】(2003~)には、2006 年の夕張市の財政破綻、地域医
療の問題がやはり「社会問題」として注目された。しかしながら、最後の炭鉱であった太
平洋、池島のその後を描いた番組はほとんどない。また、2011 年の山本作兵衛の炭鉱記録
画の世界記憶遺産登録を受けた番組が複数放送されるなど、炭鉱はもはや完全に過去の「記
憶」として扱われていることがわかる。このように、石炭産業や産炭地をまなざすテレビ
番組の問題機制は、
「記憶化」と「社会問題化」という枠組みによって形づくられてきたと
いえるだろう。
-42-
<E 会場>
明治 30 年代における新聞スポーツジャーナリズム
―大阪毎日新聞の分析を通して―
綿貫 慶徳(上智大学)
【キーワード】新聞スポーツジャーナリズム、大阪毎日新聞、大日本武徳会、運動会、読者層
【研究の目的】
① 近代日本における新聞スポーツジャーナリズムの礎を築いた明治 30 年代の大阪毎日
新聞に注目し、従前に見過ごされてきたメディアイベント以外の新聞スポーツジャー
ナリズムの全体的な傾向と特色を浮き彫りにする。
② 上記の結果を手掛かりとして、新聞スポーツジャーナリズム受容層のひろがり、その
受容者に対する新聞スポーツジャーナリズムの機能を明らかにする。
【研究の方法】
明治 30 年1月 1 日付から明治 39 年 12 月 31 日付までの大阪毎日新聞(国立国会図書館
所蔵マイクロフィルム)を悉皆調査し、新聞スポーツジャーナリズムの全体的な傾向と特
色を体系的に示すために量的分析を実施した。また適宜、社史や当該期間の大阪毎日新聞
に関与した人物の手記・伝記、スポーツ専門等の雑誌を参照した。
量的分析については、
「(●)が付された見出し」
「大見出し」のなかでスポーツに関する
用語が認められる記事、見出しにスポーツに関する用語が認められなくてもスポーツのみ
を内容とした記事をそれぞれ抽出した。そこでまず当該記事を大項目、
「スポーツ関連団体
(大日本武徳会・日本体育会)」「社会スポーツ(含、上記団体以外の主催イベント)」「学
校スポーツ」
「運動会」
「体育行政」「アニマルスポーツ」「その他」に分類した。次に大項
目で分類した記事について、スポーツ関連団体の固有名、スポーツ種目等を中項目に分類
した。なお、大項目で複数のスポーツ種目に言及している場合については、中項目のそれ
ぞれのスポーツ種目に数を加えた。最後に中項目の記事について、
「事実情報」「事実・意
見情報」
「演説・コメント」
「戦評」
「よみもの」の記事スタイル別に分類し、それらを小項
目とした。
また、
「地方版」
「地方通信」
「小説」
「招魂祭」
「天長節」
「訂正記事」
「記事面指示」のな
かでスポーツを扱っている記事、軍隊のスポーツ演習、伝統芸能(舞踊、舞踏)、盤上遊戯
(囲碁、玉突等)については検討対象から除外した。さらに、これまで見過ごされてきた
新聞スポーツジャーナリズムの側面を明らかにする本発表のねらいに鑑み、10 カ年の総数
が 2500 あまりに昇り、せいぜい3桁にとどまる他のスポーツ種目(中項目)を圧倒してい
た相撲記事の存在ついては、従前のメディアスポーツ研究において断片的ではあるが度々
指摘されてきたことから、相撲記事を検討から除外した。
-43-
【得られた知見】
(研究目的①)
大項目の記事総数の結果をまとめると(以下、下1桁を切り捨てた値)、①スポーツ関連
団体(550)②社会スポーツ(510)③運動会(330)④学校スポーツ(290)⑤アニマルス
ポーツ(60)⑥体育行政(50)⑦その他(40)、「社会スポーツ」と「学校スポーツ」のス
ポーツ種目を合算したうえで、中項目の記事総数の上位5項目を列挙してみると。①大日
本武徳会(370)②運動会(300)③ボート(190)④自転車(180)⑤日本体育会(160)と
いう結果が得られた。
以上の結果は、従前の明治 30 年代のスポーツの普及・進展に関するスポーツ史研究の知
見に修正を迫るものであった。すなわち、明治 30 年代を迎えて欧米から摂取した近代スポ
ーツが定着・拡大していく動向が顕著に認められていくとするスポーツ史の通説の修正は、
そこで参照例とされてきたスポーツ種目たる野球(80)
、テニス(70)の値に裏打ちされる。
この知見は、近代スポーツが社会のエリートたる中・高等教育機関の在学生および卒業生
による専有物に過ぎなかった側面を物語るものであり、
(研究目的②)における知見に連な
るものであるが、大阪毎日新聞のスポーツジャーナリズムが社会のエリートを越えた人々
を受容層としていた実相を示唆するものである。
(研究目的②)
中項目の1位であった大日本武徳会は、武道奨励による国民の志気振作を目的として明
治 28 年に設立された京都を本拠とする半官半民団体で、その会員数は明治 30 年代中葉に
あって 60 万人を超えた。その記事内容は、武徳祭・演武大会の予定と結果、演舞場設立・
講習会の案内、支部の設置が主体で、記事スタイルは事実情報が大多数を占めるとともに
相対的に事実・意見情報が頻繁に認められた。明治 30 年代において陸上競技会とレクリエ
ーションが未分化な状況にあった中項目の2位である運動会の記事スタイルは、運動会の
告知に関する事実情報が大部分であった。中項目の全記事数で約3割を占めた両者には、
視覚的表象に訴える見出しに圏点が付された記事も頻繁に認められた。情報伝達の確たる
手段を保有していなかった両者を取り巻く会員や参加者に注目してみると、新聞読者層の
周縁に位置づけられていた軍人、農民、商人、女性といった人々が確認できる。そこから、
大阪毎日新聞のスポーツジャーナリズムは、これらの人々に向けた伝言板の機能を果たし
ていたことが明らかにされた。
-44-
大正期における地域事業としての蔵書施設の形成
新藤 雄介(東京大学大学院
院生)
【キーワード】寄付寄贈、文庫、簡易図書館、青年団、小学校
【研究の目的】
本発表の目的は、大正期における文庫と図書館という蔵書施設に着目し、当時の地域社
会における人々と書籍の関わりを明らかにすることにある。ここで取り上げる文庫とは、
小学校や青年団や処女会に備え付けられた図書館令によらない蔵書であり、図書館とは、
小学校の一室に設けられた簡易図書館である。この文庫には数百冊ほど、図書館には数千
冊ほど書籍が収められていた。
こうした文庫と図書館を蔵書数が少なく、専属の司書もおらず、独立した建物を持たな
い、取るに足らない貧弱な蔵書施設として切り捨ててしまうのであれば、その意味を十分
に汲み取ることはできていない。なぜならば、これらの蔵書施設は、大正期において地域
社会の人々の手によって設立された点にこそ、重要な意味があるからなのである。
つまり、この文庫や図書館の設置は、図書館行政に携わる人々によって執り行われたの
ではなく、主として小学校関係者や青年団といった地域社会の団体が中心となり、地域住
民の協力を得て行われたのである。それゆえ、文庫と図書館は、書籍の蔵書施設という枠
組みのみに留まっていたのではなく、地域社会の人々自身の手によって作り上げられたも
のなのである。
【研究の方法】
本報告では、文庫と図書館という蔵書施設の形成が、当時の文脈においてどのように行
われたのかという点を重視する。このことは、文庫と図書館が、行政の主導によって予算
が与えられ施設が作れらるのではなく、当時の地域社会の人々がどのように設立に協力し、
その施設と蔵書が形成したのかという実践に目を向けることであ。
そのために、まず文庫や図書館が設置されることになる小学校が、大正元年前後におい
てどのような場として認識され構想されていたのかを明らかにする。具体的には、
『帝国教
育』や『日本之小学教師』などの教育系雑誌に依りながら、文部省や小学教員たちによる
小学校の位置づけを確認する。次に、文庫と図書館の設置を具体的に地域を限定し、詳し
く見ていく。今回は、大正期の図書館の増加数・青年団の状況・地域社会の状態という点
から、当時の全国的な状況を通して見る事が可能な一例と考えられる埼玉県を取り上げる。
ここで主として使用する資料は、埼玉県立文書館に保管されている「埼玉県行政文書」
・
『埼
玉県教育会雑誌』
(後に『埼玉教育』)
・地方紙である。これらを通して、当時の文庫・図書
館と地域社会との関係を明らかにする。
-45-
【得られた知見】
大正 12 年の時点において、文庫について小学校に備え付けられたものが 101・青年団が
100・処女会が 17 であった。それぞれ、県内の小学校の 1/4、青年団の 1/4、処女会の 1/20
に設置された。また、図書館については、大正 14 年の時点において埼玉県内では 163 館が
存在し、そのうち住所が小学校となっている簡易図書館は 157 館であり、県内の小学校の
2/5 ほどに設置されていた。
こうした文庫と図書館の設置において重要な役割を果たしたのは、地域の住民からの金
銭的な寄付と書籍の寄贈であった。大正 12 年において、青年団の文庫では、団員負担が
743 円・寄付が 183 円・町村の補助が 390 円であり、小学校の文庫では、寄付が 1561 円・
児童醵出が 1069 円・町村補助が 1932 円であった。文庫の設置に際して、町村からの補助
費よりも、寄付や自己負担によって成り立っていた。
また、簡易図書館に関しては、設立に際して小学校教員が中心となり、寄付金と寄贈図
書の収集を地域住民に対して行った。記録の残っている大正 14 年に設立された北埼玉郡原
道村の村立原道図書館では、113 名から 372 円が寄付された。1 人から多い場合で 15 円、
少ない場合で 1 円が寄付され、約 4.7 世帯につき 1 世帯が寄付した。こうした寄付金以外
にも、図書の寄贈によって蔵書が形成されたのであった。
以上のように、大正期において文庫と図書館の設置に関して、その費用は人々の寄付に
よって成り立ち、寄付が困難な場合には書籍の寄贈が行われ蔵書が形成されたのであった。
本報告では、大正期において、蔵書施設を地域社会の人々が自ら作り上げたことを明らか
にする。
関東軍と満州国時期の最後の日本人経営中国語新聞について
―『康徳新聞』を中心に―
華
京碩(龍谷大学大学院
院生)
【キーワード】満州国、新聞、関東軍、新聞関与、『康徳新聞』
【研究の目的】
本研究は満州国最後の日本人経営中国語新聞の実態及び関東軍とのかかわりを明らかに
しようとするものである。具体的には満州国最後の中国語新聞『康徳新聞』を取り上げ、
それに関東軍はどう関与したかを究明する。
満州国成立後、関東軍は三回の新聞整理を行い、
「弘報新体制」を確立した。1942 年 1
月 22 日、弘報体制整備のための一環として『大同報』、『盛京時報』、『大北新報』など 11
社の日本人経営中国語新聞を統合して、
『康徳新聞』社を創設した。『康徳新聞』社は最初
各地の中国語新聞の統合するために創立した会社であった。正式的に新聞を発行するのは
-46-
1943 年 6 月 1 日のことであった。
『康徳新聞』は関東軍の新聞政策を体現する存在として、
満州国関東軍の宣伝体制下において重要な役割を果した。しかし、今までの満州国時期の
中国語新聞に関する先行研究では『大同報』、
『盛京時報』などの中国語新聞の研究が多く、
中でも内容分析が主であった。新聞の経営、統合、新聞人の実像についての研究は不十分
である。また、1940 年代以後の中国語新聞及び日本人新聞人の経営活動について、信頼性
の高い成果は極めて少ないのが現状である。
そこで、本研究は独自の調査を通じて、満州国時期の日本人経営中国語新聞の経営状態
を明らかにすると同時に、関東軍はどんな形で中国語新聞に影響を及ぼしたか、そして中
国語新聞経営に関わった日本人新聞人についても触れることにしたい。
【研究の方法】
本研究は『康徳新聞』新京版、奉天版、錦州版、ハルピン版のマイクロフィルム資料を
精査し、国会図書館憲政資料室所蔵の片倉文書、元『康徳新聞』社員高橋周司氏の手稿な
どを元に、『康徳新聞』の経営、報道実態及び関東軍との関係について述べる。
具体的に『康徳新聞』が発刊し始めた 1943 年 6 月 1 日から終戦日の 1945 年 8 月 15 日ま
での紙面内容を調べ、
『康徳新聞』の紙面内容を紹介する。そして、片倉文書の中の「在満
与論指導機関、機構統制案」、「満州国史原稿
各論第12編第 4 章
弘報」、「片倉衷供述
書」の 3 点を分析して、満州国時期の関東軍の新聞政策の変化について説明する。さらに、
高橋周司氏著の「康徳新聞社の終焉・歴程の人々」を調査し、関東軍と協力した『康徳新
聞』の日本人新聞人たちの結末についても明らかにする。
これら資料では、軍組織である関東軍の主導のもとで創設した新聞社は一般の新聞と大
きなちがいがあったことがわかる。そして、
『康徳新聞』の東亜同文書院出身者を主体とす
る日本人新聞人の実像も浮んでくる。
【得られた知見】
まず、『康徳新聞』はどんな新聞であったかの点である。『康徳新聞』社は関東軍主導の
第三次新聞整理の産物であり、最初は各地の中国語新聞を統括するために作られた組織で
あった。1943 年、『康徳新聞』は旧『大同報』の社屋と機械を接収し、新聞紙の販売も始
める。すなわち、
『康徳新聞』は新聞社管理と情報宣伝の二つの側面を持つ特殊法人であっ
た。この新聞の経営及び編集職は旧『盛京時報』の日本人が主で、組織構成も一般の新聞
社と大きく異なり、新聞社より政府機関の性質が強かった。
次に、『康得新聞』の経営および紙面内容についてである。『康徳新聞』は新京の本社以
外、満州国内で 19 ヶ所、日本で 2 ヶ所、中国他の地域で2ヶ所、あわせて 23 ヶ所の支局
及び二つの通信局を創設した。25ヶ所の中、通信局を除く支局は新聞紙販売及び取材活
動の拠点として使われる以外、関東軍の現地情報収集の場にもなった。満州国の後期、関
東軍は満州国通信社と『康徳新聞』社の二本の柱で現地の新聞に対するコントロール体制
を構築した。しかし、紙面づくりに、具体的に関与した形跡は見当たらなかった。たとえ
-47-
ば、
『康徳新聞』の紙面について、調べて見た限りでは基本的に『康徳新聞』になる前の新
聞紙面のままであった。
第三は、満州国後期の新聞政策に関与した主要人物について新事実をつかむことができ
た。満州事変後、関東軍では片倉衷氏を中心に与論工作が始めった。関東軍はいったん新
聞経営に着手したが、不調で終わった。その後、与論指導機関の創設に力を入れると同時
に、特に中国語新聞を経営する日本人新聞人を重用した。満州国後期には、その傾向はい
っそう鮮明になり、弘報新体制の下に、菊池貞二、染谷保蔵、大石智郎など『盛京時報』
出身の日本人新聞人が頭角を現し、終戦まで関東軍の与論指導体制の中核を担った。
五百木良三と『日本及日本人』
石川 徳幸(日本大学)
【キーワード】メディア史、日本及日本人、五百木良三(飄亭) 、政教社
【研究の目的】
本研究の目的は、五百木良三(1871~1937)が政教社の社長に就任してから死去するまで
に行った言論活動を詳らかにするとともに、当該時期の政教社の雑誌『日本及日本人』に
ついて、メディアとしていかなる性格を有していたのかを歴史的に位置付けることにある。
五百木良三に関する先行研究は評伝がいくつかあるものの、その言論活動について実証的
に検証した研究は管見の限り見られない。
政教社に関する先行研究は、主として民友社とともに「欧化と国粋」の問題を論じた明
治中期を射程とするものが多い。しかし、政教社の名を冠した出版活動は戦後まで続くに
もかかわらず、昭和期の政教社の言論を主題とした研究は殆どみられない。具体的に言え
ば、大正 13 年以降の政教社に言及した研究は僅少な状態にある。
周知のとおり、
『日本及日本人』は政教社の雑誌『日本人』に、新聞『日本』を連決辞職
した社員が合流して生まれた雑誌である。『日本及日本人』は、『日本人』から巻号を継承
して、明治 40 年 1 月に第 450 号から発行された。その後、政教社は大正 9 年に創刊した『女
性日本人』の不振で経営上の問題を抱えることになる。経営の建て直しが図られる中、大
正 12 年に関東大震災に遭い、『日本及日本人』は休刊を余儀なくされることとなった。そ
の後、再建策をめぐって政教社内で対立が起こり、三宅雪嶺や中野正剛が政教社を抜けて
新たに『我観』を創刊し、残った同人で『日本及日本人』を復刊することになるのである。
政教社に関するここまでの経緯は、よく知られている事実である。しかし、これ以後の
政教社に言及した研究は、管見の限りにおいて僅かしかない。それは、政教社の設立時の
メンバーの殆どは明治 30 年代までには『日本人』を離れており、第 3 次『日本人』以降は
三宅雪嶺が中心となってまとめるのであるが、その三宅雪嶺が政教社を去ったことで同誌
-48-
の思想史上の位置づけに一区画が設けられてきたためで、以後の同誌は考察の対象から除
外されてきたのである。そのためか、大正 13 年以後の政教社および『日本及日本人』は、
思想史研究のみならずメディア史研究の上でも閑却されてきた嫌いがある。また、大正期
の雑誌界といえば 13 年に発刊された講談社の『キング』に代表されるように、大衆誌の勃
興に大きな特徴があるため、メディア史研究の中では『日本及日本人』のような小規模で
政論・評論中心の旧態とした雑誌は等閑視されてきたといえる。しかし、『日本及日本人』
が昭和初期に掲載した国体明徴運動に関するキャンペーンなどは当時の言論界に鑑みても
特徴的なものであり、メディア史研究として一考の余地がある。
本報告の分析においては、これらのキャンペーンを率いた人物である五百木良三に注目
する。五百木良三は明治 36 年に日本新聞社の編集長の職を辞した後、長らく浪人の立場か
ら政治活動に従事し、昭和 4 年に政教社の社長となり『日本及日本人』を主宰した。とく
に、昭和 10 年 4 月から昭和 12 年 5 月までは毎号「主張」欄において時局を論じており、
名実ともに当該時期の『日本及日本人』の顔となっている。
以上の関心のもと、本報告では『日本及日本人』における五百木良三の言論活動につい
て一考察を加える。
【研究の方法】
史料実証主義に基づいた歴史学の手法を採用する。分析対象は『日本及日本人』の創刊
号から五百木良三が死去して追悼号が出された昭和 12 年 8 月号までとし、この他に『日本
及日本人』以外に五百木良三が他誌に寄稿した論説を蒐集して分析に加えた。
【得られた知見】
昭和 4 年に政教社の社長となる五百木良三は、
『日本及日本人』に 50 編近くの論考を掲
載し、とくに昭和 10 年 4 月から昭和 12 年に死去するまでの間は、時局に関する論説を掲
載し続けた。同誌において五百木良三は、政論を書く場合は本名の「五百木良三」を、文
芸関係の記事には「飄亭」の名義を用いた。ただし、文芸関係の記事においても「国体観
念と俳句」(昭和 11 年 2 月号)のように政治的な主張を含むものもみられる。その政治的立
場は自由主義や国際主義に抗するもので、国家主義ないし民族主義的な論調を展開してい
た。戦前期のジャーナリズムに関する研究には、教訓的な意味合いから軍部や政府に抗し
た言論を取り上げるものも多い。それらの研究の意義は認めつつも、一方で軍部や政府を
鞭撻した言論についても、十分に検討する必要がある。昭和 10 年代に排外的なナショナリ
ズムの思潮が瀰漫した経緯を考察する意味でも、戦前の国家主義的言説の論理を解き明か
す必要があるのである。五百木良三の言論活動について実証的に検証した研究はこれまで
になく、本報告が当該分野において一定の成果をもたらしえるものと自負している。
-49-
<F 会場>
ミャンマー軍政時代におけるインターネット技術の役割
―2009 年の医療ミス問題をめぐる世論形成―
テッテッヌティー(東京外国語大学大学院
院生)
【キーワード】ミャンマー、インターネット、世論、統制、ディアスポラ
【研究の目的】
ミャンマーは 1988 年に民主化を求める大規模なデモが起き、国軍のクーデターによって
軍事独裁体制となり、その期間は 2011 年 4 月まで約 23 年間 にも及んだ。軍事政権時代
には国営メディアである新聞、ラジオ、テレビは、軍政の正当性のみを報道した。さらに、
民営の活字メディアに対して「出版検閲制度」を強化し、国内のあらゆる出版物において
検閲を行い、民主化要求と行政批判は最も厳重な取り締まりの対象であった。したがって
多くの国民は、ディアスポラによる海外ラジオ放送(英国 BBC 局のビルマ語版、アメリカ
VOA 局のビルマ語版)を通じて、軍政批判の意見や経済、教育などに関する情報を受けて
いた。それを基に「噂」、
「口コミ」などミャンマーに存在する情報伝達方法を活用し、個々
のコミュニティー内において意思表明が行われていたが、 世論といった段階には中々至ら
なかった。その背景には、言論に関する厳重な制度的統制のみならず、社会的地位への敬
意や経済資本をめぐる上下関係への重視など、ミャンマー 社会の慣習に基づいた自粛性も
存在していた。要するに、軍事政権時代は政治のみならず、日常生活に関わることですら、
問題提起を行わないといった「制度的統制と内面的統制」が存在していたといえる。
2000 年 以 降 か ら イ ン タ ー ネ ッ ト を 介 し た コ ミ ュ ニ ケ ー シ ョ ン (Computer-Mediated
Communication、以降 CMC)が世論形成に影響を及ぼすようになり、この点はメディア研究
の中で指摘されている。ミャンマーでは、2003 年からインターネットカフェがオープンさ
れ、一般人向けにインターネット技術が導入された。ただし、ミャンマーのインターネッ
ト普及率は 2010 年時点で 0.8%にすぎず、それも主要都市に集中しており、大衆に浸透し
ていない。そのような状況の中、本研究ではミャンマーでいかに世論 が形成され、インタ
ーネット技術がどのような役割を果たしたのかを考察する。具体的には 2009 年ヤンゴン市
内で起きた医療ミス問題を取り上げ、インターネット空間(以下ネット空間)における書
き込みやコメントを中心に分析し、活字メディア(週刊新聞)の動きも考察した上で、世
論形成のプロセスについて論じる。
【研究の方法】
研究対象としては、ミャンマー国内から配信しているインターネットフォーラム・サイ
ト(2006 年開設)
、週刊新聞社によるニュースウェブサイト(2009 年開設)、海外にいるミ
ャンマー人たちによって配信されている SNS サイト(2006 年開設)、情報ウェブサイト
-50-
(2006 年開設)
、個人のブログ(2007 年開設)等を扱い、書き込み内容やコメントを分析
した。さらに、ミャンマー社会において主要な活字メディアである週刊新聞を資料とし、
記事の内容について分析を行った。また、ヤンゴン市内中間層の 20 代から 50 代、計 24
名にインタビュー調査を行った。ミャンマーブロガー組織 MBS(Myanmar Blogger Society)
が行うシンポジムと講演会(2010 年)に参加し、ブロガーたち(8 名)にもインタビュー
し、講演会で発表された内容も調査資料として取り扱っている。
【得られた知見】
本研究で注目する事例は、2009 年にヤンゴン市内の民営病院で起きた医療ミス問題に対
するネット空間の書き込みと週刊新聞の記事である。ミャンマーにおけるインターネット
技術の導入は、言論統制をすり抜ける一つのコミュニケーションツールを獲得したともい
える。重要な点は、ネット空間における書き込みと週刊新聞における記事が相互に作用し、
情報の連鎖が生じ、さらには噂を通じて爆発的に世論が広まり、行政に影響を及ぼすこと
となった。この事例は軍事政権末期おいて、公共問題に関わる唯一の「議論」であった。
事例分析を通して以下の 3 点が指摘できる。第一にミャンマー社会における「制度的統制
と内面的統制」を破った点である。ネット空間の書き込みでは、医者等といった社会的に
敬意を払われてきた人々への批判が見られた。それは匿名性といったネットの特徴が医療
ミスで死亡した少女に対する同情心と合体することで、書き込みによる批評を促進し、多
くの人を「議論」に動員させた。第二にネット空間の「議論」ではディアスポラが参加す
るができ、オピニオンリーダー的役割を果たしながら建設的な批評へ導くことで世論を形
成した。 第三に、現在ミャンマーは政治体制が代わり、かなり民主化が進むが、実際はそ
れ以前から公共問題に関する世論が行政に影響を及ぼした事例があり、これが、社会的民
主化の前兆現象と捉えることもできる。
中国チベット族・ウイグル族のインターネット利用とアイデンティティ形成
金
雪(慶應義塾大学)
【研究の目的】
本章の目的は、
「中国少数民族のアイデンティティ再形成におけるメディアの役割に関す
る調査研究」の一環として、チベット族・ウイグル族のメディア利用に着目し、彼(女)ら
の日常的生活中にてのインターネット利用とアイデンティティとの関係を明らかにする試
みであった。
【研究の方法】
2011 年 2 月から 2012 年 7 月まで、チベット・ウイグル族身分証を用いる、北京に居住
しているチベット族 8 名と中央民族大学のウイグル族在学生 8 名を対象に、インタビュー
-51-
調査を行った。対象者構成として、チベット族 2 名と、ウイグル族 2 名は、北京出身であ
り、その他の対象者は、それぞれの自治区の出身である。また、チベット族対象者は個別
のインタビューを行い、ウイグル族大学生たちには、個人のインタビューが拒否され、グ
ループインタビュを行った。したがって、本稿では以下のように三つの課題を設定した。
第一は、北京在住の少数民族の人々にとって、
「中国人」意識と「民族意識」のどちらが強
いか(アイデンティティの問題)。第二は、これらの人々のメディア利用はどれなのか(イ
ンターネット利用を意識しながら設定した問いである)。第三は、そうしたメディア利用と
アイデンティティとの関連はあるのか。また、研究課題によって、調査項目を設定し、分
析を行った。
【得られた知見】
結果として、まずは、
「中国人」意識と「自民族」意識については、チベット族・ウイグ
ル族どのインタビュー対象者も「中国人」意識より自民族意識(アイデンティティ)が強
いことが分かった。とくに、ウイグル族は、民族(集団)意識が強く、「我々」と「彼ら」
という境界線を引く傾向が強いと見られる。
次に、メディア利用に関しては、チベット族やウイグル族は、伝統メディアよりインタ
ーネットの利用頻度が高く、ネットを通じて主に自治区にいる家族や友人とのコミュニケ
ーションを行っていることか明らかになりました。チベット族の回答者の中には、今の自
治区生活を変えることを望んでいる同時に、隣国(ブータン)への憧れを抱いていた。また、
チベット自治区では海外の衛星放送やネットを利用して海外のニュースに接触しているこ
とが明らかになった。他方、ウイグル族はインターネットを利用して海外ニュースを読ん
でいないことがわかった。
最後に、メディア利用とアイデンティティとの関連について、自民族意識の強さとイン
ターネット利用とは関連していることが明らかになった。ウイグル族の場合、出身の新疆
自治区から離れ、中央民族大学という環境(他民族との共同生活)で、
「我々」ウイグル族
意識を支えるものとしてインターネットを利用していることが考えられる。民族アイデン
ティティは、宗教と日常生活でのメディア利用と関連していると考えられる。チベット族
とウイグル族はいずれも、出身地の人々との交流の際にネットを利用することを強調して
いた。その他の知見として、インターネットを通した政治参加に関しては、両民族の回答
者とも批判的かつ否定的チベット族の中には、海外の民族団体のネット上の政治活動に関
して、国際世論を通じてチベット自治区の生活環境が改善できると考える人もいた。しか
し、この人もチベットの独立とチベット族の宗教活動を政治に利用することには否定的で
あった。とくに、自民族の政治エリートたちの海外での活動が、ウイグル族の「テロリス
ト」、「騒乱分子」など否定的なイメージ形成の要因の一つである(WG さん)」、との考え
を持っていた。
-52-
「高度経済成長期」の日中両国の社会における<ミドルクラス>の実態・イメージ・意識
―階層階級研究とメディア研究を理論的・実証的につなげた比較社会学の試み―
周
倩(東京大学大学院
院生)
【キーワード】<ミドルクラス>、実態、イメージ、意識、日中比較
【研究の目的】
戦後のアジアでは、1950 年代半ば以降の日本、1980 年代半ば以降のアジア NIEs とタイ、
マレーシアや、2000 年前後からの中国とインドで見られるように、<ミドルクラス>に関
する議論は絶えず続いてきた。アジアの国々が<ミドルクラス>を語る際、その時間的・
社会的・政治的背景と客観的な諸条件が異なってはいるが、<ミドルクラス>の出現と成
長は、社会構造の発展と政治システムの転換にとって重要な要素だと認識されている。1990
年代後半、
「東アジア共同体」構想の提起とともに、研究者の視線は<ミドルクラス>にい
っそう注がれるようになった。政治学者は<ミドルクラス>が東アジアの政治に民主化を
もたらすと信じている。経済学者は<ミドルクラス>と「アジア共同市場」を結びつけて
いる。文化学者は「ジャパナイゼーション」や「韓流」、「華流」といった文化のフロー現
象を例に、その発生が<ミドルクラス>の類似した文化的特徴と重なりあうと説明してい
る。多くの研究者はアジアにおける<ミドルクラス>の出現と成長が、「東アジア共同体」
の形成を加速すると期待を込めながら論じてきた。しかし、「<ミドルクラス>とは何か」
という定義やその中身に関しては、諸研究者はその内容を吟味した上で議論しているとは
言いがたい。
本研究は、まさに「<ミドルクラス>とは何か」という根本的な問題から出発したもの
である。既存の<ミドルクラス>の概念を再考しようとする意図の下で、本研究は<ミド
ルクラス>が生まれた時代も違えば、国家体制も異なっているが、似かよったものが多く
存在していると思われる日中両国に注目する。
【研究の方法】
従来の階層階級研究における<ミドルクラス>の定義と判別方法を考察し、<ミドルク
ラス>をめぐる問題状況を十分に把握することから本研究を開始した。そこで、メディア
研究と階層階級研究の「ミッシング・リンク」を確認した上で、実態・イメージ・認識と
いう三つのレベルから成り立つ独自の「<ミドルクラス>の理解模型」を提示し、従来の
研究が重視してこなかったメディアのイメージにメスを入れた。
具体的には、日本では 1955 年から 1973 年の『読売新聞』と『朝日新聞』
、中国では 2001
年以降の『人民日報』と『南方週末』に現れた<ミドルクラス>に関する記事を拾い上げ
比較し、質的・量的に分析することで、<ミドルクラス>のイメージのあり方と形成要因
を検討した。
-53-
その後、再び「<ミドルクラス>の理解模型」に戻り、実態・イメージ・認識のそれぞ
れの様相と相互の関連を説明しながら、<ミドルクラス>の概念を問い直した。
【得られた知見】
まず、<ミドルクラス>のイメージに関する分析の結果によると、日中両国のメディア
が政府や学術界などの影響を受けつつも、独自の<ミドルクラス>のイメージを形成して
いることが明らかになった。日中両国の共通点として、①強い政策志向、②ローカル言語
での<ミドルクラス>概念の使い分けの発生、③「ニュー・ミドルクラス」の偏重、④消
費財の重視、⑤表現に見られる男女差の存在、⑥欧米へのまなざし、⑦<ミドルクラス>
のメディア・イメージに見られたヘゲモニーなど、が存在する。相違点として、①学歴へ
の言及の有無、②管理職・インテリ・政府の役人への言及度、③「主婦」という表現の有
無、④「平均」
(日本)と「裕福」
(中国)といった具体的な修飾語の違い、が発見された。
本研究では、主として共通した特徴が生まれた理由(<ミドルクラス>のモデルが外部に
存在していること、メディアが政策に誘導されていること、階層階級理解をめぐる学術界
の状況を反映していることなど)にウェイトが置かれながらも、日中が置かれた文化的・
時代的な違いから、<ミドルクラス>イメージに微妙な違いが生まれていることを説明し
ている。
次に、従来の階層階級研究では、
(学歴や収入などの)客観的属性と、
(階層帰属意識など
の)主観的特徴とが扱われていながら、個人を媒介とするメディア、特にそこで形成されて
いるイメージが考察の対象とされてこなかった。従来のメディア研究では<ミドルクラス>
が扱われることは稀である。ところが、本研究は客観的属性と主観的特徴とを媒介するイメ
ージの重要性を強調している。研究結果によると、国家体制の違いや時代的な差異にそれほ
ど影響されず、<ミドルクラス>というものは実態・イメージ・認識によって構成されたも
のである。そのうち、イメージは、国家の「イデオロギー装置」としてのメディアをはじめ、
様々な言説によって重層的に決定されるものであり、また歴史的・社会的に構築される政治
的・経済的・文化的カテゴリーでもある。さらに、複雑な力学の下に生成されてきた虚構と
実態が混在し、政治性と戦略性を帯びた一つのイデオロギーともみなされる。したがって、
<ミドルクラス>を理解するには、イメージに関する分析が不可欠である。
-54-
世界 13 か国におけるグローバルジャーナリズムのオーディエンス調査分析
―誰が、何を、何のために視聴しているのか―
○鈴木 弘貴(十文字学園女子大学)
○綿井 雅康(十文字学園女子大学)
【キーワード】グローバルジャーナリズム、グローバルオーディエンス、受け手アンケート
調査
【研究の目的】
本研究の目的は、事実上の国際言語である英語を放送言語とし、1 国に留まらないトラ
ンスナショナルな視点による報道を志向する放送ジャーナリズムである「グローバルジャ
ーナリズム」を、
「誰が、何を、何のために視聴しているのか」という点について、明らか
にすることである。
【研究の方法】
インターネット調査会社のマクロミル社およびその海外提携会社(Toluna)を利用し、
以下の方法による WEB アンケートを行った。
1.調査対象国(カッコ内は調査に使用した言語)
ベルギー(オランダ語、フランス語)、エジプト(アラビア語)、ブラジル(ポルトガ
ル語)、ロシア(ロシア語)
、ドイツ(ドイツ語)、オーストラリア(英語)、カナダ(英
語)、南アフリカ(英語)、インド(英語)、フィリピン(英語)、日本(日本語)
、トル
コ(トルコ語)、アルゼンチン(スペイン語)
2.調査期間
2012 年 3 月 23 日―4 月 24 日
3.調査対象者
20 歳以上の男女を対象に、BBC World News(BBCWN=英)、CNN International(CNNI=
米)、 Channel News Asia(CNA=シンガポール)、Al-Jazeera English(AJE=カタール)、
Euronews(EN=仏)、そして NHK World(NHKW=日本)の計6局の放送とその Web Site
(WS)に対し、「過去1か月以内に、月に 1 度以上、2 つ以上のメディアの放送また
は WS にアクセスした者(同一局の放送と Web 双方へのアクセスは 1 つとカウント)」
を調査対象(以下、これを「グローバルオーディエンス」と呼ぶ)とし、各国とも有
効回答 75 サンプル以上を収集した。回答者はすべてマクロミルおよび Toluna に登録
されている各国の「会員パネラー」である。
4.調査項目
調査項目は発表者が日本語と英語で作成し、その他の言語への翻訳は英語版をもとに
マクロミル社に委託した。
調査内容は、アクセス頻度、自己認識・属性、各局に対する評価など多岐にわたるが、
-55-
今回の調査項目で特徴的な点は、複数のグローバルジャーナリズムにアクセスしてい
るオーディエンスを対象に、2011 年以降で世界的に注目されたと思われる具体的な事
象を7つ取り上げ、それぞれのニュースについて、これらグローバルジャーナリズム
を当該事象に関する情報ソースとしたか否かおよびその理由について尋ねているこ
とである。調査対象とした事象は、事象の発生時期・発生地・性質の面から特定の偏
りを持たないよう配慮し、以下の 7 事象を選択した。①アラブの春(2011年1月
以降。チュニジア・エジプトの政変。カダフィ大佐の死亡)②日本における地震と原
発事故(2011年3月)③イギリス王子結婚式(2011年4月)④タイの大洪水とそ
の世界的な経済活動への影響(2011年7‐10月)⑤北朝鮮キムジョンイル総書
記死去(2011年12月)⑥アメリカ大統領選挙共和党候補者指名競争(2012年
1月以降)⑦EU によるギリシャ債務問題救済策合意(2012年2月)
【得られた知見】
今回の調査結果から得られた知見は、以下の通り。
1.
「グローバルオーディエンス」は、男性がやや多く、20 代から 40 代が 8 割以上を占め、
7 割が大卒以上の学歴を持つ。2.調査対象 6 局の中で、もっともよく見られている放送
および WS は、CNNI と BBCWN で、両者へのアクセス頻度は拮抗しており、3 番目が EN
であった。CNNI と BBCWN に匹敵するグローバルな取材・放送体制を持つ AJE は、例え
ば放送においては、CNNI と BBCWN の半分程度のアクセス頻度しかない。3.
「グローバ
ルオーディエンス」は、ニュースとなった事象によって、選択的にこれらグローバルなニ
ュースソースを使い分けている。たとえば、
「アラブの春」では AJE が、
「イギリス王子結
婚式」では BBCWN が、
「アメリカ大統領選挙共和党候補者指名競争」では CNNI が、
「EU
によるギリシャ債務問題救済策合意」では EN が、それぞれ他の事象に比してアクセス数
を伸ばしていた。4.
「グローバルオーディエンス」の中でも、特に国際情報の必要度が高
いグループは、1 つの事象に対し、複数の局にアクセスする傾向があることが分かった。
5.「グローバルオーディエンス」は、調査対象となった 7 つのニュース事象に関し、「情
報入手のための最重要メディア」が「国内メディア」であったと答える者は全事象とも 3
割未満であり、5 割以上が、これら 6 局のいずれかを最重要ソースとみなしていた。6.
グローバルジャーナリズムをニュースソースとして選択する最大の理由は、
「速報性」であ
る。
発表に際しては、こうした知見を得るに至った分析の詳細と、その理由や意味するとこ
ろなどについても触れたいと考えている。
-56-
ワークショップ
ワークショップ1
臨時災害局からコミュニティ放送への移行における課題と展望
司
会
者:松浦 さと子(龍谷大学)
問題提起者:金山 智子(情報科学芸術大学院大学)
討
論
者:日比 野純一(京都大学大学院
院生)
(企画:松浦さと子会員)
【キーワード】東日本大震災、臨時災害局、コミュニティ放送、復興 FM、コミュニティラ
ジオ
コミュニティFMラジオは自然災害の緊急時に最も有効なメディアの一つである。その
ため復旧・復興を通じて、ラジオの活用を重要視する自治体は大災害後に急増する。これ
までも阪神淡路大震災をはじめとする各地の地震・台風・豪雨などの自然災害時にその重
要性が強調されてきた。2011 年 3 月 11 日に発生した東日本大震災後の被災地でも、自治
体が総務省に臨時災害放送局の免許を申請し、異例の速さで次々に開局、総数は 29 局とこ
れまでの最多となり、災害時のラジオの必要性を再認識させた。しかも余震情報やライフ
ライン復旧などの情報伝達で地域の信頼を得るのみならず、活動が長期に亘った結果、家
族や友人を失った人々を励まし、離散したコミュニティを再生させるべく、つながりやコ
ミュニケーションを育む放送や催し等、様々に活動を広げている。こうした活動はテレビ
ドラマやドキュメンタリー映画でも多くの人々が知るところとなり、臨時災害局がかつて
予定されていた情報伝達機能のみならず、復興に向けたコミュニティ再生において多様な
役割を担うことを再認識させた。そしてその後、持続的な収益の目処には不安を抱きつつ
も、臨時災害局の性格を脱し、復興を支える恒常的なコミュニティーFMへ移行する準備
を進める局が増えている。
これらの局には、かつてない支援や助成も行われ、被災直後から震災体験を持つ神戸市
や新潟県長岡市のコミュニティ放送局関係者が機器・設備の設営やラジオ受信機の配布に
入ったことが知られている。さらには東北近隣各地のコミュニティーFMの支援、サイマ
ル放送や日本コミュニティ放送協会(JCBA)所属の放送局、さまざまな NGO や既存放送
局、また共同募金や日本財団、企業からの助成がなされたことも異例であった。ボランテ
ィアも多数かけつけ、支援番組やネットワークも形成され、多くは被災地を感激させた。
-57-
しかし、被災地の FM 局にとってサポートや行政の理解は十分とはいえなかったばかりか、
現場への想像力が不足し、迷惑や負担、圧力になったものさえあった。
「災害とコミュニティラジオ―地域を越えたコミュニティメディアの支援システム構築
をめざして」研究グループ(代表
金山智子)(1)は、東日本大震災の被災四県(岩手、
宮城、福島、茨城)のコミュニティ FM と臨時災害 FM、合計 32 局を対象に 2011 年 4 月か
ら 2013 年 6 月までにインタビュー調査を実施し、震災復興で活動するコミュニティFM局
が抱える課題、被災地のコミュニティFM局への支援状況、災害復興時のメディアを支え
るメディアおよび社会的ネットワークについてこれまで調査・分析・検討を行ってきた。
本ワークショップ(2)では、その調査結果から析出した、臨時災害放送局が抱える課題
、コミュニティFMラジオ局や NPO/NGO などの連帯における問題と可能性、地域を越え
た支援の枠組みづくりの方策などについて議論を行う。
当日は、まず研究グループを代表して金山智子が問題提起を行い、次いでこの調査グル
ープのひとりで FM わぃわぃの日比野純一が東北被災地の臨時災害局支援の実践の立場か
ら討論を行う。日比野は、現在、災害時のコミュニティラジオのあり方についてインドネ
シアをはじめ海外にアドバイス・指導を行っている。
(1) トヨタ財団 2011 年度研究助成『災害とコミュニティラジオ-地域を超えたコミュ
ニティメディアの支援システム構築をめざして』
(研究代表者
ンバー
金山智子)調査メ
宗田勝也(龍谷大学)、日比野純一(京都大学)、松浦さと子(龍谷大学)
、
松浦哲郎(大妻女子大学)
(2) 本ワークショップは、一部、2012 年度科学研究費助成事業様(基盤研究(B))
「日
本型コミュニティ放送の成立条件と持続可能な運営の規定要因」を活用する。
ワークショップ2
テレビ視聴の現在値
―「テレビ 60 年調査」より―
司
会
者:渡辺 久哲(上智大学)
問題提起者:木村 義子(日本放送協会)
討
論
者:濱野 智史(日本技芸リサーチャー)
(企画:放送研究部会)
【キーワード】テレビ、テレビ 60 年、インターネット、視聴者、世論調査
テレビ放送が完全デジタル化し、スマートテレビや4Kや8Kといった新しいテレビが
次世代のテレビとして脚光を浴びる一方、動画やSNSなど新しいインターネットサービ
-58-
スが若者たちを魅了し、彼らの一部からは、もはやテレビは不要であるという声も聞こえ
てきている。インターネットが生活に浸透していく中で、テレビは、今後、どんなメディ
アとして、視聴者に受け入れられ、利用されていくのだろうか。
放送開始から 60 年、還暦を迎えたテレビというメディアは、ある意味、岐路に立ってお
り、従来の“テレビ”という概念そのものが、この 10 年の間に大きく変化する転換期を迎
えているといえるだろう。
本ワークショップの目的は、一つはそうした岐路に立つテレビの未来を展望する上で、
世論調査データに立ち返り、現在の多様化する視聴者像を具体的に提示し、改めてテレビ
視聴の“現在値”を、討論者・会場の参加者ともに読み解くことである。さらに、もう一
つの目的は、テレビは今後どうなっていくのか、多様化する視聴者に向けて、どんな放送
サービスを展開していくべきなのか、議論することにある。
提示するデータは、NHK放送文化研究所が、昨年 11 月に実施した全国世論調査
「テ
レビ 60 年調査」の調査結果を主に用いる。(当研究所では、1982 年「テレビ 30 年調査」
から 10 年ごとに全国世論調査を実施してきた。
「テレビ 60 年調査」では、時系列変化をみ
る個人面接法調査と、そうした変化の背景や新しい視聴スタイルを分析するための
配付
回収法の2つの調査を実施した)
「テレビ 60 年調査」では、デジタル録画機やインターネットの普及によって、この 10
年で特に見られるようになった“カスタマイズ視聴”という新しい視聴スタイルに注目し
て分析を行った。
“カスタマイズ視聴”とは、録画再生やテレビ番組をネットの動画で見る
など、テレビ局の編成にとらわれず、自分の好きな時に好きなように、自分本位でテレビ
番組を見る視聴スタイルで、調査の結果、録画再生視聴とテレビ番組動画視聴のいずれか
を週1日以上日常的に行う“カスタマイズ視聴者”は国民全体の 45%まで広がり、16 歳~
29 歳では 62%と若年層ほどこうした視聴スタイルが浸透しつつあることがわかった。ただ
し若年層(16~29 歳)では、リアルタイム視聴者は全体の 77%で、全体に比べてリアルタ
イム視聴が少なく、また、リアルタイム視聴も“カスタマイズ視聴”のいずれもしない人
が 12%とおよそ 1 割存在していた。
ワークショップでは、このように、若年層の中でもテレビ視聴が複層化していることか
ら、視聴者を視聴態様やテレビに対する意識によってタイプ分けする分析を行い、さらに
現在の視聴者がどのようにテレビと向き合っているのかを構造的に示して問題提起をした
い。例えば、インターネットやテレビなどメディア利用の実態に加え、テレビを情緒的メ
ディアとして利用しているか、それとも情報を得る手段として利用しているか(視聴ジャ
ンルによる分類)、テレビの楽しさや興味を感じているのかいないのか、また、どんなメデ
ィアからどんな満足(効用)を得ているのか、など様々な視聴タイプでの視聴者像の分類
を試みる。またそうしたデータを起点とし、会場の参加者も交えて、テレビ視聴の“現在
値”と今後の課題について忌憚ない議論をしていきたい。
-59-
ワークショップ3
日本型ジャーナリズム・スクール認証制度の可能性
―米国 ACEJMC 調査の知見から―
司
会
者:藤田 真文(法政大学)
問題提起者:金山
勉(立命館大学)
(企画:藤田真文会員)
【キーワード】ジャーナリスト教育、ジャーナリズム・スクール、認証制度、米国 ACEJMC
⑴ワークショップの目的
ジャーナリスト教育のために一定基準の教学カリキュラムを学部・大学院をレベルで整
備し、教学目標、教育実践、教育環境、教学の質担保などについて、なんらかの機関が総
合的に認証するジャーナリズム・スクール(以下 J スクール)制度は、米国が中心となり
世界的な広がりを見せている。一方、日本においては、たびたび J スクールの必要性につ
いて議論されながらも、制度化には至っていない。本研究ワークショップの司会者・問題
提起者は、2012 年度高橋信三記念放送文化振興基金の助成により、米国の J スクール教育
にかかわる特定学問分野の教学プログラム認証・評価を統括する「米国ジャーナリズム教
育認証評議会(ACEJMC)」のあり方に注目し、日本のJスクール教育の立ち位置を再確認
するとともに、教育の質保証を視野に入れて研究会を積み重ね、その上で米国における関
連機関の調査を実施した。まず、ACEJMC 本部では、認証評価組織のあり方、認証評価を
実施する際の予算確保、認証制度の信頼度を維持し、安定的に運営する方法などについて
インタビュー調査を行った。他方、アリゾナ州立大学ウォルター・クロンカイト J スクー
ル、州立カンサス大学ウィリアム・ホワイトJスクールなどを訪問し、J スクールの教育
理念・特徴について聞き取りを行った。これらの調査結果を踏まえながら、参加者ととも
に日本での J スクール認証制度の可能性について考えていきたい。
⑵調査の概要
第1回調査:2013 年 2 月 21 日から 26 日までアリゾナ州立大学ウォルター・クロンカイ
ト・スクールとワシントン州立大学エド・マロー・スクール・オブ・コミュニケーション
において、インタビュー調査と講義・演習の参与観察を実施した。アリゾナ州立大学が
ACEJMC の認証を受けているのに対し、ワシントン州立大学は全米で高く評価されるプロ
グラムを持っていながら認証を受けていない。両校の聞き取りから、Jスクール教学の取
り組みと認証評価にかかわる多面的な価値判断を明らかにした。
第2回調査:2013 年 6 月 28 日に州立カンザス大学(ローレンス校)のウィリアム・ホ
ワイトJスクール内にオフィスを持つ ACEJMC 本部を訪問し、認証の可否を左右する9つ
-60-
の評価基準の詳細な判断システムなどについてエグゼクティブ・ディレクターのスーザ
ン・ショー教授に対する聞き取り調査を行った。
⑶調査からの知見
ⅰ.ACEJMC 本部(州立カンザス大学ウィリアム・ホワイト・スクール内)
ACEJMC の一番の課題は、認証にかかわる作業チームを申請大学に派遣する際、適切な
訪問・査察チームを派遣することである。J スクール認証制度の必要性については常に議
論になるが、認証を受けた各Jスクールにおいて、①書いて伝える力を徹底的に養う、そ
して②それぞれの局面で適切な質問をすることができる力を身につける、という二つの大
命題を達成するだけでも大きな意義があるという。
ⅱ.アリゾナ州立大学ウォルター・クロンカイト・スクール
①インターネット時代における ACEJMC 認定条件の変化……認定条件自体を変える必
要はない。ただ大学視察の際、カリキュラムが今日のマルチ・メディア状況に対応したも
のになっているかは重要なポイントである。②米国ジャーナリズム・スクール制度におけ
る学部と大学院の位置づけ……修士課程のほうが教育レベルは高度だが、学部においても
教育目標や使命は基本的に変わらない。
ⅲ.ワシントン州立大学エド・マロー・スクール
①ACEJMC による認証を受けない理由……ACEJMC のカリキュラムの基準では、専門教
育が 40 単位とされている。マルチ・メディア時代に 40 単位では不十分である。また、
ACEJMC の認証評価に割く労力は莫大であり利益に見合わない。②米国ジャーナリズム・
スクール制度における学部と大学院の位置づけ……学部を卒業して直接にメディア企業に
就職する。小規模のメディアで働くなら修士号は必要ないが、より上位の組織でステップ
アップした職を得たいなら修士号をとるべきだ。
⑷中間的結論
①「米国ジャーナリズム教育認証評議会(ACEJMC)」の認証制度は長年の歴史の中で制
度として確立されており、周到な査察体制が組まれている。
②ACEJMC の理念については、メディア業界と大学の間で価値を共有できている。しか
し、インターネットの発達によって、ジャーナリズム・スクールの教育内容はマルチ・メ
ディア対応をかなり意識することが求められている。
③米国ジャーナリズム・スクールでは学部出身者でも、メディア現場で即戦力として就
業できる力を着けることを教育目標にしている。修士課程は、学部でジャーナリズムを専
攻してこなかったものに、短期間でそれと同等の教育を施すという位置づけである。
-61-
ワークショップ4
視聴者主権のテレビ番組評価法
司
会
者:渡辺 武達(同志社大学)
問題提起者:小玉 美意子(武蔵大学)
討
論
者:津田 正夫(立命館大学)
(企画:理論研究部会)
【キーワード】アクセス権、視聴者主権、テレビ番組、番組評価法
テレビと原爆は 20 世紀の世界にもっとも大きな影響を与えた発明だという見方がある。
しかし後者のマイナス的影響には計り知れないものがあるが、テレビは家庭に居ながらに
して世界に視野を広げることができる、しかしその使い方によっては大きな負の社会的影
響をもたらすものとして評価が分かれる。1953 年にスタートした日本のテレビの場合もそ
の例外ではない。
本ワークショップではテレビ番組の研究法、とりわけその評価法が①視聴率・質調査を
はじめ事業者が視聴者を顧客として見てきた伝統的視点から、②テレビ番組そのものの言
語社会学的・数理的分析の導入へと移行し、現在では③視聴者主権ともいうべき番組評価
法確立の試みへと進化してきている事実とその意味を検討する。視聴者は市場メカニズム
の中で、主として発信者であるメディア企業の「顧客」あるいは執権者による情報操作の
対象から離れ、自立・自律することが民主制の参加者として求められるからである。
これまでのテレビ研究には事業者や政治権力、広告業者等の活動に資するものがおおく、
ネットの汎用化も助けとなったパブリックジャーナリズム、パブリックアクセスの強化に
よってようやく視聴者主権が具体化してきた。そのことはメディアと情報の社会流通のあ
らゆるレベルで起きつつあり、事業者による視聴者の好みに合わせる番組作り手法も結局
その目的が「事業顧客」の拡大にあることをも明らかにしている。
武蔵大学総合研究所「武蔵メディアと社会(MMS)研究会」は 2009 年、
「QUAE (ク
アエ)プロジェクト:Quality(品質)、Usefulness(実用)、Amusement(娯楽)、Ethics(倫
理)の 4 つの軸でテレビ番組を採点する計画」を立ち上げ、視聴者目線のテレビ番組評価
法の確立に取り組み、このほどその成果の一部を上梓した(戸田桂太・小玉美意子監修、
山下玲子編著(2013)
『ユーザーからのテレビ通信簿』学文社)。本ワークショップではそ
の意味について主宰者の1人が問題提起し、長年、パブリックジャーナリズムを考察し、
実践してきた討論者(『ネット時代のパブリック・アクセス』の編者)を迎え、メディア社
会への市民主権原理の導入と現代社会の「メディア・アカウンタビリティと公表行為の自
由」およびメディア評価理論開発のいとぐちとしたい。
本ワークショップでは主として以下の項目についての議論を予定する。
-62-
①武蔵大学 QUAE (クアエ)の活動検証
②事業者目線から視聴者目線へのテレビ番組評価の変革
③ネット社会で期待される視聴者主権のメディアアクセス
④その他の関係事項
ワークショップ5
日本映画教育史のフロンティア
―イメージの過去・現在・未来―
司
会
者:長﨑 励朗(京都文教大学)
問題提起者:渡邉 大輔(日本大学芸術学部)
討
論
者:赤上 裕幸(防衛大学校)
(企画:メディア史研究部会)
【キーワード】メディア史、映画教育、映像圏、ポスト活字
本ワークショップでは、日本映画教育史について取り上げる。日本で映画教育が本格的
に導入されるようになったのは、1928 年に大阪毎日新聞社(大毎)が映画教育の推進を目
的として全日本活映教育研究会を発足して以降のことである。当時の大毎活動写真班主
務・水野新幸は低級な娯楽として一般に認識されていた「映画」ではなく、教育的文化的
使命を持つ映画については「活映」という用語をあてた。さらに水野は、活字が観念的な
人間ばかり生み出したことを批判し、具体的な映像によって知識を獲得する「活映文化」
の到来を期待していた。そこには、映画を「ポスト活字」メディアとして期待する視点が
含まれていた。映画は、1920 年代から 30 年代にかけてニューメディアの段階にあり、映
画教育の歴史は、メディア史の一領域としての側面のみならず、
「ニューメディア史」とし
ての側面もあわせ持つ。こうした点を鑑み、本ワークショップでは、映画教育史の考察を
軸にしつつ、映像メディアの現在さらには未来における可能性について議論を行う。
問題提起者の渡邉大輔は、博士論文「日本映画における児童観客の成立―戦前期の映画
教育運動との関わりから」
(日本大学大学院芸術学研究科、2011 年)を提出し、さらに『イ
メージの進行形』(人文書院、2012 年)の中では、スマートフォンや YouTube といったソ
ーシャル時代の映像文化に焦点を当て、日々刻々と変化するイメージの総体を捉えて、
「映
像圏」という新たな概念を提唱している。もちろん過去と現在がそのまま直結するわけで
はないが、
「電子書籍元年」が謳われ、電子ブックなど情報機器の教育利用が叫ばれる現在
のメディア状況を考慮に入れた時に、映画教育史の考察はメディア史研究においても新た
な視座を与えてくれるのではなかろうか。
-63-
討論者の赤上裕幸は、博士論文「日本映画教育史における「次に来るメディア」の知識
社会学的研究」
(京都大学大学院教育学研究科、2011 年)を改稿する形で、
『ポスト活字の
考古学』
(柏書房、2013 年)を出版した。赤上は、鶴見俊輔『期待と回想』
(朝日文庫、二
〇〇八年)の議論を参考にしつつ、
「期待のメディア史」というアプローチを採用した。そ
れによって、当時の人々が映画という最先端のメディアに抱いた期待感、あるいは活字文
化の行き詰りに対して抱いた不安や焦燥にスポットライトを当てた。
『ポスト活字の考古学』
には、東洋初のロボットである「学天則」を完成させた西村真琴や、戦前に『子供の科学』
を創刊して、戦後は火星の土地を売るという奇抜なアイディアを実行に移した原田三夫な
どの少し変わったメディアに関連する言説も多数登場する。
まずは、映像の現在進行形の事象に関心を寄せる渡邉と、映画史のなかの未来に注目する
赤上によって、メディア史に取り組む方法論についても議論しつつ、これらのアプローチ
が他のメディア史研究においても有効なのかどうか、ワークショップの参加者も含めて議
論を深めていきたい。
なお、映画教育の先駆者である水野新幸が 1933 年に製作した論文フィルム『非常時日本』
(東京裁判でも証拠資料として上映された)については、実際の映像を見ることができる
ので、映像資料も用いつつ、映像教育の可能性(不可能性)にも触れる予定である。
ワークショップ6
安倍政権のメディア戦略と日本のジャーナリズム
―自民党・TBS取材拒否問題などを手がかりに―
司
会
者:藤森
問題提起者:音
研(専修大学)
好宏(上智大学)
(企画:ジャーナリズム研究・教育部会)
【キーワード】権力監視、メディア戦略、取材拒否
(1)ワークショップの目的
民主社会において報道機関は、政治権力の監視という社会的役割を担っていることは言
うまでもない。それゆえに時の政治権力は、報道機関に対して懐柔策を取る一方で、政権
への批判的な言説がなされた場合には、時として強行姿勢を取ったり、政治的なプレッシ
ャーをかけるなどして、その批判的な言説を封じ込めようとするものである。
2013 年 12 月の総選挙によって 2 度目の首相の座に着いた安倍総理は、最近の歴代総理
には見られなかった形で積極的なメディア対応を行っている。一方で、総理自らが、日本
の大手メディアの幹部やニュースキャスターなどのオピニオンに影響力を持つ人物と、個
-64-
別に懇談を行っているとされる。
安倍政権は、このような積極的なメディア懐柔策を行う一方で、政府や与党に対する批
判的な言説に対しては、厳しい態度で臨む姿勢を強く示している。2013 年 6 月末に放送し
たTBSのニュース内容が偏向しているとして、政権与党である自民党は、TBSに対し
て取材拒否を行うに至った。この報道に対する政府・自民党の強い反応は、参議院議員選
挙が近いという環境下で起こったものではあったが、その積極的なメディア戦略は、近年
の政権のなかでも、注目に値するものと言えよう。
では、はたして、安倍政権のメディア戦略の特質とはどのようなものなのか。
本ワークショップでは、安倍政権のメディア戦略とそれに対する日本の大手メディアの対
応を、具体的データと関係者の発言などから立体的に整理し、報告する。その上で、今日
の日本の政治権力とメディアとの関係性、そして、報道機関に課せられている環境監視機
能がどのような状況に置かれているのかを論議したい。
(2)調査の概要
2013 年 12 月に首相となった安倍総理は、積極的なメディア戦略、メディア対応を行っ
ていることで知られる。連日、新聞に掲載される「首相動静」など、公開されたデータを
整理する限りにおいても、大手メディア幹部との接触は歴代総理のそれとは異なっている
ことが明らかである。それらのデータや、報道資料をもとにした調査データなどから、安
倍政権が進めるメディア戦略の整理を行う。
他方において、2013 年 6 月のTBSテレビの国会報道に対する政府・自民党の反応は、
これまでにない強いものであった。自民党のTBSに対する取材拒否にいたる過程を振り
返るとともに、この一連の自民党とTBSとの対立劇に対する他の大手メディアの反応、
その対応を整理する。これにより、安倍政権のメディア戦略と、それに向き合う日本の大
手メディアの姿を示していく。
(3)調査からの知見
2013 年 7 月の参議院選にあたっての報道で、メディアに登場する安倍政権に対する批判
的言説や、政権を揺るがすような致命的な批判が、極めて少ないことがしばしば指摘され
た。安倍政権側は、政府批判の言説の少なさを、政府の進める政策が有権者に支持されて
いるからであり、その帰結が参議院選での政府与党の勝利につながったとするが、懐柔策
とも言えるメディアへの積極的な接近と、政権批判を行うメディアに対する強圧的姿勢と
いう安倍政権のメディア戦略が、一定の効果をもたらしたことは確かであろう。特に、T
BS取材拒否問題で見られたように、報道機関どうしの連携によって、権力監視を行うと
いう姿勢が生まれにくい状況をもたらしてはいまいか。
(4)中間的結論
安倍政権は、最近の政権のなかでは、特にメディア戦略に積極的であり、政権側からす
れば、一定の成果を上げていると見ている。他方において、公権力の監視という報道機関
-65-
本来の役割がより活発になされるためには、日本のメディアはどうあるべきかは、多くの
議論が必要ではないか。
ワークショップ7
初音ミクは〈新しい天使〉か
―ベンヤミン『複製技術時代の芸術作品』のアクチュアリティ―
司
会
者:辻
問題提起者:遠藤
討
論
大介(大阪大学)
薫(学習院大学)
者:谷口 文和(京都精華大学)
(企画:企画委員会)
【キーワード】ベンヤミン、初音ミク、メタ複製技術時代、歴史、新しい天使
最近、古典的文献を「古くさい」と切って捨ててはばからない風潮が見られる。
しかしそれはあまりに軽はずみな見方である。
過去を軽んずることは、現在に目を閉じることと同じである。
なぜなら、
〈現在〉とは、いまこの瞬間に突如として現れたものではない。その背後には
そこに至るまでのプロセスがあり、その前には、これから続く未来へのプロセスがある。
現在とは、遠ざかっていく過去とまだ見ぬ未来のはかないはざまに過ぎない。まさに、ベ
ンヤミンの愛したクレーの「新しい天使」と同じく、われわれは過去の堆積をわずかな手
がかりとして未来へ吹き送られていくのである。いってみれば、われわれが未来をのぞく
媒体は「過去」しかないのである。
また他方、古典を参照することを、「権威主義」と感じる人もいるようだ。
たしかに、
「虎の威」を借りて議論をする人はいる。こうした戦略は一種の詐術である。
欺されてはならない。
だが同時に、真正の古典は、それが創造された時代、まさに眼前の「権威主義」を撃つ
言葉であった。だからこそそれは、光り輝くインスピレーションの集積でもある。
ベンヤミンは、ショック作用を引き起こす異化のための方法論として、
「引用」と「蒐集」
を挙げている。つまり、まさに彼は、
「引用」や「蒐集」を、他者の威光へのただ乗りとし
てではなく、むしろ、もとの文脈を解体し、新たな可能性を発見する行為として見いだし
ていたのである。
だから、彼自身の思想が「古典」となった現代、自分の言葉がバラバラに引きちぎられ、
〈初音ミク〉と remix されることをも、ベンヤミンは笑って受け入れてくれるかもしれない。
だが改めて考えてみると、「引用」と「蒐集」に没頭し、「遊戯」をたたえるベンヤミン
は、どこか、現代のオタクの風貌を漂わせている。ベンヤミンの文章が同時代人の言葉と
して聞こえてくる。
-66-
それも理由のないことではない。
鋭い社会観察眼は、時代に囚われない、普遍的な社会のダイナミズムを見抜く。
ベンヤミンが生きていたのは「複製技術時代」であったが、彼のまなざしは「メタ複製
技術時代」の現代までも見通している。だから彼の議論が、複製技術時代よりもむしろメ
タ複製技術時代を的確に捉えていることもある。
ベンヤミンは、古典である以上に、現在形(アクチュアル)な同時代人でもあるのであ
る。
本ワークショップは、遠藤が最近上梓した『廃墟で歌う天使』を下敷きに、ベンヤミン
の『複製技術時代の芸術作品』、『歴史哲学テーゼ』から、初音ミクなどに代表される現代
のメディア状況を照射することにより、時間・空間を超えるメディア論の視座を提示しよ
うとするものである。
-67-