東アジア文化から見た現代に語られる 湖山長者(3)

東アジア文化から見た現代に語られる
湖山長者(3)
小野菜都美
古田恵理(指導教員・豊田 久)
このテーマは、2007 年と 2008 年に継いで、今回が 3
次の 2008 年度は、『因幡民談記』にこの湖山長者が
回目の調査になる。まず、簡単に今までにおこなった調
創建したといわれるこの摩尼寺について、江戸時代に覚
査を説明したい。初回の 2007 年度は、鳥取地域で有名
深和尚が土地の古老の話を集めて書いた鳥取県立図書
な湖山長者の伝説とはどういうものかを述べた。この話
館蔵『因州 摩尼寺縁起』を読み、それを紹介した。こ
は、江戸時代に書かれた『因幡民談記』(卷之第9・名
の縁起の前半部分によると産見長者(湖山長者と考えら
所之部)には、次のようにある。
れている)の娘である女の子が、8 歳の頃に行方不明と
湖山長者は、ある年、村中の者を集め、1日で田植え
なり、やがてこの子がこの喜見山の臨む日本海から龍女
を全部終えてしまおうと考えた。ところが、少し植え残
となって現れ、次いで湖山池で神龍となり、やがて男の
しがあるうちに太陽は西に沈もうとしていた。長者は、
体となって帝釈天の身となり、喜見山の立岩の上に立っ
金の団扇を取り出して、夕日に向かって三度招いた。す
て次のように述べた。「就中五障非器ノ女人ヲシテ往詣
ると、日が三段ばかり戻ってきて、田植えを全部終わら
安養兜率セシメン、是我ガ本願ナリ、是レ故ニ我レ先ツ
せることができたのだ。しかし、その傲慢さの故に、そ
女身及龍蓄の形ヲ現ス」。
の田んぼは池になってしまった。それが今の湖山池であ
つまり「特にすべての女人の身を済うことは、わたし
る、と述べている。また、そこには、湖山池の東方、鳥
の本願である。故にわたしは先に女の子の身を現し、更
取地域を包むようにそびえたつ山々の一つ、喜見山にあ
に龍女の形を現したのである」と述べている。
る摩尼寺はこの湖山長者が創建したとあった。
この日を招いた長者について、柳田国男氏らは、もと
もとこの地方における太陽、すなわち日に仕える宗教の
代表的人物であり、日の出を拝み、そして日読みの機能
(暦、即ち、農時を計るため東方から出る日を調べる)
をもつ者ではなかったかと述べている。また、この日と
関係して、喜見山に登る途中にある日を導く「鶏山」の
伝説についても、『因幡民談記』(卷之第9・名所之部)
のこの部分にある、「鶏山」と「扶桑樹」についての話
(『摩尼寺縁起』 傍線部が帝釈天のその言葉の部分)
から、東アジアの太陽神話に出てくる有名な、東方にあ
る日の昇る聖樹・扶桑樹の話と共に述べた。これらの話
は日(太陽)が中心になっていた。
(『因州
摩尼寺縁起』 傍線部が帝釈天のその言葉の
部分)
↓
ここで、帝釈天がすべての女性の身を救うことは、
「私
の本願」だと述べているように、特に女性を救うことが
強調されている。このことは、この摩尼寺縁起の後半部
分で、円仁慈覚大師が開いたこの山が、特に女性を救い
たい心から、「凡伝教大師比叡山ヲ闢キ、弘法大師高野
山ヲ建テ、共ニ女人ノ登渉ヲ禁ズ、然ルニ慈覺大師此山
ヲ開キ女人ノ来詣ヲ許ス、……以テ平等ノ慈悲ニ帰セシ
(右側(矢印の所)が聖樹・扶桑樹に掛かる日(太陽)
。
漢代・紀元前、湖南省長沙市出土)
ム」とある。
つまり「伝教大師は比叡山を開き、弘法大師は高野山
を建て、共に女性の登渉を禁じたが、慈覺大師はこの山
− 49 −
2005
年度 地域文化調査成果報告書
2010 年度 地域文化調査成果報告書
を開いて、女性の参詣を許し、障りのあるという女性を
するなかれ、男を生むとも喜歓するなかれ。』また曰く、
救って平等の慈悲に帰せしめた」とあり、この山が女人
『男は侯に封ぜられ、女は妃と作る、看よ女は却って門
禁制ではないことが強調されている。すべての女性を救
楯を作す』と。その人心、羨慕することかくのごとし」
うことが私の本願であるとする帝釈天の言葉と同じよ
と述べてある。この言葉は、その美しさゆえに玄宗に寵
うに、女性に対する重視の姿勢がここでも目立っている
愛された楊貴妃を称えたものである。
このことから、摩尼寺縁起の前半の主役となるこの女
のである。
の子は、後に水の神と考えられる龍女や神龍となるので
あるが、楊貴妃に例えられた美しい少女とされたことが
分かる。この美少女の姿は、江戸時代に作られた石像と
なって、喜見山の頂上近く聖地とされる立岩の傍らに今
も存在している。
(帝釈天が立って、「特に女性を救うことが私の本願で
ある」と言ったとする、喜見山の頂上近くにある立岩)
この帝釈天が立ち、帝釈天の住む須弥山に見たてられ
た喜見山の聖地・立岩は、外来の宗教である仏教と習合
する以前、古く、もともとこの地の本来の神が依りつく、
或は神そのものの「磐座」(いわくら)であったのでは
(中国の楊貴妃に例えられた、美しき少女の石像)
ないかと思われる。これらの話は、鳥取の平野部から見
て太陽の昇る東方の山々のうち、その日を招いた湖山長
摩尼寺縁起には、帝釈天は「女人を救うことが私の本
者の伝説や太陽伝説が遺る喜見山において、その立岩に
願である」と述べられていた。そして再び縁起の後半部
昇る日の神と、立岩に立つ龍女即ち水の神の合体による
分によると円仁慈覺大師は中国に行って帰ってきた後、
農事における稲魂を生み出す話ではないかと思われる
全国への布教の最中、偶然この地を訪れた。そして喜見
ことを、稲の生産力の根源であるこの喜見山にある「日」
山を見るとその峰が蓮華の八葉を現し、奇樹・霊草が多
と「水」のワンセットになって述べられる名所(鶏山と
くあり、山の下には日本海が広がって洋々たる水を湛え
瀑布)や、その伝説などから前回には述べた。
ていることを知った。そこで慈覺大師は日本海に臨むこ
この摩尼寺縁起の前半は、湖山長者の女の子が日本海
の山を開いたのであるが、縁起には先のように大師が女
から現れた龍女になった話が中心になっていた。海から
性を救うことを旨としたといい、古くから現在に至るま
現れた龍女は神龍となるように水の神だと思われる。
で喜見山には女性の参詣が多かったと述べられている。
この女の子について、縁起には、「面貌端正、白膚脂
このように縁起の前半部分、美しさが楊貴妃に例えられ
ノ如シ、国人之ヲ見聞スル者之ヲ賞歎セザルハナシ、長
た湖山長者の女の子や、その女の子が龍女となる話とと
者歓喜シテ之ヲ鐘愛スル事尤モ甚シ、……産子門扉ヲ作
もに、縁起には二度にわたって女性に対する強調が特に
ルヲ悦ブ」とあり、つまり「面貌端正(美少女)にして、
目立っている。
白い肌は脂の如くであった。国人はこれを見聞する者、
そしてまた、この聖域とされる立岩のまわりを中心と
これを賞讃せざる者はなかった、……産子、門扉を作す
して、女性の仏として民衆に親しまれてきた観音菩薩の
を悦んだ」と書いてあった。
石像が多く置いてある。
これは、中国・唐代の陳鴻が著した『長恨歌伝』によ
ると、「当時の謡詠に云へる有り、『女を生むとも悲酸
2 -−
−- 50
地域と文化資産―ものづくりと文化行政
東アジア文化から見た現代に語られる湖山長者(3)
(帝釈天が立った立岩の下にある観音菩薩の
石像群)
(手の水瓶から、赤ん坊に乳をたらす「悲母観音」、狩
野芳崖作)
さらに女性としての観音菩薩は中国のテレビドラマ
「孫悟空」でもよく登場するが、妖怪に苦しむ孫悟空を
助ける観音は必ず水瓶を手に持っている。この水瓶の水
は聖なる水であり、無限の繁茂力の源泉となる水であり、
宇宙における豊穣力の根源を示していると考えられて
いる。このように女性と目される観音は豊穣の神であり、
万物を育てる水の神でもあった。
「水」は水田稲作にとって、「日」(太陽)と共に、
(喜見山の登り路にある観音菩薩の石像群)
最も重要なものである。
観音菩薩の起源はペルシアにおける豊穣の女神であ
るなどと考えられているが、この観音が手に持っている
蓮華の蕾や、水瓶は女性のシンボルであり、母体・子宮
を象徴しており、また母性を象徴していると考えられて
いる。そして女としての母性とは同時に万物を育てるシ
ンボルであろう。
つまり観音像の美しさ、優しさはそういった女性への
憧れを移したものだと思われている。以下の図は日本画
で有名な「悲母観音」であるが、観音が手の水瓶から乳
を垂らしていて、それを胎盤の中にいる赤ん坊が顔を向
け、口をあけて飲んでいるという構図である。
(中国のテレビドラマ『西遊記』より、観音と孫悟空 )
そして下の写真が喜見山の摩尼寺にある水瓶を手に
もつ観音菩薩の像である。喜見山は水道が通っておらず、
現在でも摩尼川の水源をそのまま飲み水として使用し
ており、参拝客へ向け下の茶屋の表にもその水を飲める
ようにしてあった。そしてそこにある立て看板によると
その水は昔、長寿など不思議な力があるともいわれてい
3 -−
−- 51
2005
年度 地域文化調査成果報告書
2010 年度 地域文化調査成果報告書
たようである。またこの摩尼川の水は、周辺の農民にと
って水田に引かれる命の水でもあった。
そうすると、仏教と習合する前、古く喜見山の聖地・
立岩を磐座とする神、そして楊貴妃の美しさにたとえら
れた女の子や、それが姿を変えた龍女、そして先に述べ
たように帝釈天が「すべての女人を救うことは私の本願
である。ゆえに私は女の子の身を現し、さらに龍女の形
を現した」とか、円仁慈覚大師がこの山を開いて女人を
救って平等の慈悲に帰せしめ、そのため伝教大師が開い
た比叡山や弘法大師が開いた高野山と異なり女人禁制
ではなかったということを挙げたが、喜見山において、
このような女性重視の力は、いったいどこから流れ出て
いたのであろうか。
その女性重視の力の源泉は、どこにあったのか。
それは、帝釈天としと入ってきた仏教と習合する以前、
もともとこの地において、古く、聖なる場所とされる立
岩に依りついていた神、この喜見山の神の神霊から発し
たものでないかと思われる。つまり、上記で述べたよう
に、帝釈天は特にすべての女性を救うために、「或ハ童
女ノ身ヲ現ハシ、或ハ龍女ノ身ヲ現ハシ、今猶天帝ノ身
ヲ現ハス」とあり、彼はもと童女・龍女の身を現したと
(摩尼寺で水の神を象徴する水瓶を手に持つ観音菩薩
像)
いう。
よって、帝釈天が、身を現したというこの日本の神、
即ち、もともとの、この地の、この山の国津神が女性の
このように観音菩薩の信仰が喜見山には覆いかぶさ
童女・龍女ということになる。
っているのである。喜見山は、昔から鳥取の地域におい
この龍女は、日本海と通ずるという喜見山の立岩の南
て、ただ一つの因幡の国の民衆が豊穣を願うところであ
面の崖にある「洞穴」から現れ、その南面が後に立岩の
ったといわれている。
ご神体を祭る摩尼寺における「奥の院」となっており、
摩尼寺縁起にいうこの「洞穴」
、
「俗に穴谷と号す」とい
う「穴谷」がご神体であったと思われる。この「穴谷」
に南面して江戸時代まで建築物があったとされている。
摩尼寺の和尚さんの話では、この「穴谷」からその上の
立岩の全てが摩尼寺のもともとのご神体ではなかった
かとおっしゃっていた。この龍女はその「洞穴」から現
れて立岩の上で帝釈天となったのである。この「穴」や
「谷」とは、やはり女性をあらわしている。谷の神、
「谷
神」とは、中国でも天地、万物を生み出す女性を象徴し
ている。また「谷風」とは、この「谷」も、農事が始ま
り、穀物を生みだす春風を意味していたのである。今で
も中国語では穀物を谷物と書いている。
(摩尼川の流れ。摩尼寺縁起に「瀑布あり、飛流漲落、
見る人俗塵を洗う」とある)
4 -−
−- 52
地域と文化資産―ものづくりと文化行政
東アジア文化から見た現代に語られる湖山長者(3)
そうだとすると、この童女・龍女という女神は、どの
ような和名で古く人々に呼ばれていたのだろうか。この
湖山長者の伝説を三回調べてきたが、古い神の名前と思
われるものは、一つしかない。それが、摩尼寺縁起に出
てくる「産見」である。
調べてみると、産見の「産(うぶ)」は、「うむ(産)の義」、
「産むに通ず、多くは接頭語として用いられる」などとあ
る。そして産見の「見(み)」についてであるが、「み」の
音には、神・霊、水、海、蛇などの意味があり、「み」を
「見」で表すものに古く、「山津見(山の神)」、「綿津見(海
の神)」、「月夜見(月の神)」などがあることがわかった。
つまり、「見」は、「霊・神の意味で『山つみ』
『わたつみ』
など、複合語として用いられる」という説明が、この場
(立岩の南面下五十メートルぐらいの崖、ここに「穴谷」
合最も適しているように思われる(大槻文彦・大槻清彦
とよばれる洞穴がある)
『新編大言海』、上代語辞典編集委員会『時代別国語大
辞典・上代編』
、中村幸彦他編『古語大辞典』 など)。
そうすると、昔からこの鳥取の地域において因幡の国
で唯一の農民の豊作祈願のところといわれる、この喜見
山の立岩にもともと依りつく女神はまた、その霊力によ
って「産見(うぶみ)の神」、「産(うぶ)の神」と呼ばれたの
ではないであろうか。
その神はつまり、ものを産み出す霊力をもった神であ
るといえる。そうすると、この湖山長者の伝説に出てく
る古い神の童女・龍女は、この鳥取の地域で、因幡の国
において唯一の五穀豊穣を祈るというこの喜見山の聖
地・立岩に依りついた女神であり古く山の神・水の神・
岩の神という大地の神として、鳥取地域における地母神
的な豊穣をもたらす、また、鳥取地域の万物を産み出し
(龍女が現れたというその「穴谷」、海や死後の黄泉の世
てくる「産見の神」であった可能性が強いのである。
推論であるが、この女神は古くその霊力によって人々
界にもつながる)
に産見の神と呼ばれ、後に唐の楊貴妃にたとえられる大
つまり、この話の中心となる、この立岩に依りついた
変美しい少女の姿をしていたとされており、そして、そ
本来の神は、童女・龍女という女性の神霊、女神であっ
の美しい女神の姿は今でも日本海に近い立岩のそばに
た。だからこそ、女性強調の考えがこの喜見山をおおっ
立って、静かに鳥取の地を見下ろしているのである。
ていると思われる。帝釈天は、美しい少女の姿をした童
湖山長者の伝説を 3 回に渡って調べるうち、私たちは
女・龍女という女神が姿を変えたものであり、彼自身の
日を招いた話と結んだ湖山池から、太陽の昇る鳥取の東
中に、女性の要素が色濃く入りこんでいると思われる。
の山々のうち、湖山長者建立説や太陽伝説が遺る喜見山
そうだとすると、女性と目され、ものを産みだす母性を
にゆき着いた。そしてそこからこの喜見山の頂上近くに
表す観音信仰がこの山をおおっているのも同じように
ある聖地・立岩にたどり着き、そしてそれに依りつく女
納得できるのである。
性の神即ち童女・龍女という女神、そしてまた、その霊
しかも、この童女・龍女も観音菩薩もまた、同じくも
のを産み出し豊かな豊穣をもたらす「水の神」と考えら
力からものを産み出す「産見の神」にゆき着いたのであ
る。
れていたのである。このように、この喜見山の頂上近く
にある、聖域とされるこの立岩の神、喜見山の神は女性
今から思えばそれはまるで美しい少女の姿をしたこ
であった。そう考えることによって、女性原理が色濃く
の女神に招かれ、導かれたかのようであり、わたしたち
表れるこの山の特徴が、そのなぞが解決されるであろう。
は不思議に思う。
5 -−
−- 53
2005
年度 地域文化調査成果報告書
2010 年度 地域文化調査成果報告書
<参考文献(前回までのほか)>
唐・陳鴻『長恨歌伝』806 年頃(龍威秘書)
覺深『因州 摩尼寺縁起』1683 年
(県立図書館蔵)
小泉友賢『因幡民談記』1688 頃(因伯叢書)
安部恭庵『因幡志』1795 年(因伯叢書)
中村幸彦・岡見正雄・阪倉篤義『角川古語大辞典
第一
巻』角川書店 1892 年
中村喜実『喜見山摩尼寺縁起書』1912 年
大槻文彦・大槻清彦『新編 大言海』富山房 1956 年
田中新次郎『因幡の摩尼寺』鳥取民俗研究会 1958 年
松村明他編『国語辞典』旺文社 1960 年
石田端磨也『新・仏教辞典』誠信書房
1962 年
上代語辞典編集委員会『時代別国語大辞典 上代編』三
省堂 1967 年
直江広治『中国の民俗学』岩崎美術社
1967 年
鳥取地域で有名な、この湖山長者の伝説とは、『因幡
岩本裕『観音の表情』淡交社 1968 年
民談記』等に見られる日を招く話や、鶏山と共にそのほ
村松定孝「湖山長者物語」『日本伝説 100 選』秋田書店
ぼ真東に位置する立岩を日の昇る扶桑樹とする日(太
1972 年
陽)の神に関する話と、『摩尼寺縁起』にある帝釈天と
小学館国語辞典編集部『日本国語大辞典』
して立岩の上に立つ湖山長者の女の子であり龍女・神龍
小学館 1972 年
の伝説としての水の神に関する話とが、この二つの話が
湖南省博物館、中国科学院考古研究所『長沙馬王堆一号
聖地とされる「立岩」の上で合体しているが、湖山長者
漢墓』文物出版社 1974 年
の伝説とはこの二つの話のもともとの形が、別々に流れ
古田紹欽・金岡秀友・鎌田茂雄・藤井正雄監修『佛教大
出たものではないかと思われるのである。
(了)
事典』小学館 1988 年
中村元編 『図説佛語大辞典』東京書籍
1988 年
中村元・福永光司・田村芳朗・今野達編『岩波仏教辞典』
岩波書店 1989 年
日本美術院編『日本美術院百年史一巻上』
大塚功藝社 1989 年
大槻文彦・大槻清彦『新編大言海』冨山房
1990 年
瀬戸内寂聴『寂聴観音経―愛とは』中央公論社 1990 年
林巳奈夫『中国古玉の研究』吉川弘文館 1991 年
『日本歴史地名大系 32、鳥取県の地名』平凡社 1992 年
尾崎暢殃・森淳司・辰巳正明・多田一臣・烏谷知子編『萬
葉集辞典』武蔵野書院 1993 年
中田祝夫・和田利政・北原保雄『古語大辞典
コンパクト
版』小学館 1994 年
松村明『大辞泉』小学館 1995 年
金田一春彦・池田弥三郎『学研
6 -−
−- 54
国語大辞典
第二版』
地域と文化資産―ものづくりと文化行政
東アジア文化から見た現代に語られる湖山長者(3)
学習研究社
1998 年
新村出編『広辞苑第五版』岩波書店 1998 年
中村幸彦他編『古語大辞典』角川書店
1999 年
梅棹忠夫・金田一春彦・阪倉篤義・日野原重明
『日本語大辞典第二版』講談社 2000 年
田邉正利『鳥取の民話・神話・伝説・昔話』 2001 年
松村一男・渡辺和子編『太陽神話の研究』リトン社 2002
年
中国観音霊場会『観音教』中国観音霊場 2003 年
井上靖『楊貴妃伝』講談社 2004 年
前田富祺『日本語源大辞典』小学館 2005 年
松村明『大辞林 第三版』三省堂 2006 年
2007 年度 地域文化調査成果報告書
頼富本宏『初めての三十三所巡り』日本放送出版協会
(中国・水田稲作の古い遺構、浙江省河姆渡文化から見
2008 年
つかった生産力(特に稲)の根源・日(太陽)と月(水)
2008 年度 地域文化調査成果報告書
の祭祀を示すという図像)
梅原猛『梅原猛の授業 仏になろう』朝日新聞出版 2009
年
周秋良『観音故事与観音信仰研究』広東高等教育出版社
2009 年
白洲正子『十一面観音の旅』平凡社 2010 年
倉野憲司『古事記』岩波書店 2010 年
豊田久「東アジア文化から見た鳥取における「湖山長者」
の伝説について―中国資料を中心に―」
『地域学論集(鳥
取大学地域学部紀要)第 7 巻第 2 号』 2010 年
他
7 -−
−- 55