子どもの怒り感情に関する研究

子どもの怒り感情に関する研究
―母親の特性及び子どものパーソナリティの視点から―
キーワード:子ども,怒り感情,母親の感情特性,樹木画
人間共生システム専攻
増岡 怜那
Ⅰ. 問題と目的
現代の子どもの問題として、不快感情の対処能力の低
Leo ,1983)
。子どもに対して侵入的にならずに、心理的
側面に接近できる方法として適している。
下とそれらの感情を曖昧なものとしてしか体験できない
以上より、子どもの感情は母親の感情特性に影響を受
こと(河野,2005)があげられる。感情とは「内的また
けると仮定し、子どもの「怒り感情」と母親の感情特性
は外的な刺激によって引き起こされる、全体的な心身の
の関係を検討することを目的とする。また、
「怒り感情」
状態のこと(Ciompi,1997)
」である。感情を曖昧なもの
を子どものパーソナリティの側面から理解し、子どもの
としてしか体験できないということは、心身の状態もま
パーソナリティと母親の感情特性の関連について検討す
た曖昧なものになっていると思われ、子どもたちは「怒
る。
り」を自分の感情として体験できていないことが考えら
れる。このように、子どもが「怒り」を感じた時にそれ
を表せないことは、人格形成や精神的健康に重篤な影響
Ⅱ. 研究1 母親の感情特性と子どもの怒り感情の関連
を及ぼす(Winnicott,1960)。情緒発達及び人格形成に
―質問紙調査と投映的調査法からの検討―
重要な時期である就学前の子ども(Wallon,1952;遠
藤,2002)の時期に、適した言葉を与えられなかったネ
1.対象:幼稚園・保育園に子どもを通わせている母親と、
ガティブな感情は、感じてはいけないものとして子ども
母親により調査協力の得られた年長児(幼稚園 21 名、
に認識されるようになる(大河原,2002)
。その結果、怒
保育園 4 名)
。
るべき場面でも怒りを抑制する「怒れない子ども」
(北
2.方法:
添,2002)や、自分自身の気持ちに気づけない状態(滝
口,2005)になることが指摘されている。
母親(120 名):多面的感情状態尺度短縮版(寺崎
ら,1992)40 項目、4 件法(Table 1)
。
「抑うつ・不安」
このように、子どもの「怒り」は、人間の発達過程に
「敵意」「倦怠」「活動的快」「非活動的快」「親和」「集
おいてとても重要なテーマである。
これまで子どもの
「怒
中」
「驚愕」の8因子について、クラスター分析により群
り」研究は、小学生以上を対象とした「攻撃性」の研究
分けを行った。
や、母親の養育態度やパーソナリティが幼児の「攻撃行
子ども(母親により調査の協力が得られた 25 名)
:調
動」に及ぼす影響に関する研究は多い。しかし、いずれ
査者が予備調査により作成した、怒り喚起場面(Table 2)
も両者の一側面を述べており、母親と子どもを関連づけ
の刺激図を状況が分かるように説明を加えて呈示し、不
て検討した研究は少ない。
快場面での主人公の表情を表情カード(Figure 1)より
Fairbairn(1952)は、ひとが「怒り」にどう対処す
選択させた。全 4 場面について同様の手続きで回答を求
るのかは、対象関係とその人自身のパーソナリティの問
めた。
題であると述べており、他者との関係と、個人のパーソ
3.調査手続き:
ナリティの問題は密接に関係している。このことから本
研究では子どもの「怒り」について、子どもにとって重
要な他者である母親の感情特性と、子ども自身のパーソ
ナリティの二つの観点から検討する。
子どものパーソナリティを知る手段として、本研究で
は樹木画法を用いることとする。樹木画はパーソナリテ
ィ理解の一助として活用されており(Bolander,1977)、
ま た 、 子 ど も に も 実 施 可 能 な 描 画 法 で あ る ( Di
母親:園を通じて質問紙を配布し、一週間後に回収し
た。
子ども:使用頻度の低い一室にて、個別面接の形式で
調査した。調査を開始する前に、ラポールを充分にとる
よう配慮し、対象児が自由に回答しやすいように留意し
た。4 場面の呈示順はランダムに行った。
命名した。各群の特徴として、
『否定感情高群』は感情が
揺らぎやすく、
『快感情高群』の母親は、肯定的な快感情
が高いことから、子どもの快感情にも気付きやすい可能
性が考えられる。
『感情低群』の母親は、どの感情におい
ても低く、
「倦怠」が高いことから、疲労感が強く、全体
的にエネルギーが低い状態にあることが考えられる。
Figure 1 表情カード
驚愕
Table1 多面感情状態尺度短縮版
抑うつ・不安
不安な
非活動的快
悩んでいる
敵意
倦怠
ゆっくりした
自信がない
くよくよした
のどかな
のんきな
敵意のある
親和
いとおしい
うらんだ
好きな
攻撃的な
むっとした
愛らしい
すてきな
集中
親和
恋しい
憎らしい
だるい
集中
クラスタ1
クラスタ2
クラスタ3
倦怠
丁重な
Figure 2 各クラスターの感情プロフィール
Table 3 各クラスターでの各変数の平均と標準偏差
慎重な
つまらない
退屈な
丁寧な
注意深い
抑うつ・不安
思慮深い
敵意
驚愕
驚いた
元気いっぱいの
はつらつとした
びくりとした
動揺した
陽気な
はっとした
倦怠
活動的快
非活動的快
Table2 怒りの喚起場面
場面1作った物を壊される場面
場面2自律欲求を阻害される場面
場面3不等な扱いを受けた場面
場面4約束をやぶられる場面
第一クラスター 第二クラスター 第三クラスター
3.21
2.39
2.42
( .55)
びっくりした
気力に満ちた
活動的快
非活動的快
疲れた
活気のある
敵意
おっとりした
気がかりな
無気力な
活動的快
のんびりした
抑うつ・不安
1.5
1
0.5
0
-0.5
-1
親和
集中
驚愕
( .42)
F 値
群間比較
26.30
1>2,3**
26.58
1>2,3**
34.12
1>3>2**
31.79
2>1,3**
( .61)
2.52
1.83
1.88
( .65)
( .44)
( .40)
2.81
2.01
2.34
( .46)
( .36)
( .38)
2.94
3.65
2.82
( .46)
( .36)
( .57)
2.9
3.13
3.13
( .60)
( .65)
( .49)
3.35
3.59
2.96
( .42)
( .31)
( .46)
3.01
2.74
2.45
( .46)
( .58)
( .37)
3.16
2.67
1.86
( .39)
( .55)
( .41)
( )内は標準偏差
6.26
2>3*
25.86
2>1>3*
14.86
1>2>3*
89.54
1>2>3**
*p<.05,**p<.01
母親の感情特性と子どもの「怒り感情」との関連
4.結果
母親の感情特性
クラスター分析(Ward 法)により、3つのクラスタ
ーが得られた。クラスターの特徴を見るため、各変数に
対象児 25 名を、母親のクラスターに従って分類し、
各群の子どもの「怒り」選択を Table 4 に示した。いず
れの群も場面1で「怒り」を選択した。このことから、
場面1は一般的な「怒り」と考えられる。
ついて、平均0の標準得点に変換した上でクラスターの
各群の「怒り」の特徴として、『否定感情高群』の対
平均を求めたプロフィールを Figure 2 に示した。クラス
象児は、不等な扱いを受ける場面(場面3)で怒りを選
ターを独立変数、多面感情状態尺度の各下位尺度を従属
択し、
『感情低群』の対象児は自律を阻害された場面(場
変数とする分散分析および、Tukey のHSD検定による
面2)
、約束を破られた場面(場面4)において「怒り」
多重比較を行い、群間の有意さが見られた(Table 3)
。
を選択し、
『快感情高群』の対象児は、いずれの場面にお
第 1 クラスター(34 名)は、
「抑うつ・不安」
「敵意」
「倦怠」などの否定的な感情が、快感情よりも高かった
ため『否定感情高群』
、第 2 クラスター(34 名)は快感
情のみが高く『快感情高群』
、第 3 クラスター(52 名)
は、すべての感情において低かったため『感情低群』と
いて「怒り」を選択することが少ない傾向にあった。
Table 4 各クラスターの怒りを選択した場面と人数
否定感情高群快感情高群
感情低群
場面1
4
2
2
5
場面2
4
場面3
4
場面4
全場面で怒りを選
しない
4
Table 5 に示した。
右の特徴のうち、子どもによく見られるとされる特徴
(浮いているような木、幹の強調)は参考までに解釈の
対象とした。
『否定感情高群』の樹木画は、①サイズと位置から、
母親などの女性性による強い影響があり、内向的で受動
的であり、理性より感情の方が優位である。②幹の特徴
から、感情表出を避ける傾向にあり、感情に関して否定
5.考察
『否定感情高群』の母親は、否定的な感情が高く、感
情が不安定であることが推測される。この母親の子ども
は、場面3の結果から、不等な扱いや攻撃されるといっ
た不快な感情を向けられると、怒りで反応することが確
認された。しかし、母親の「親和」もある程度の値が確
認されたため、約束が破られたり、自律を阻害されたと
しても怒りを選択しないことが示唆された。
『快感情高群』の母親は、全体的に肯定的な感情が高
く、否定的な感情をあまり感じない。この母親をもつ子
どもは、攻撃されることでやや怒りを選択するが、その
他の場面では怒りを選択しなかった。このような子ども
の反応は、母親の快感情が強いことによって、子どもは
怒りを選択しないことが示された。
『感情低群』の母親は、
「親和」が低いことから母子の
基本的な信頼関係が弱い可能性が考えられる。当群はど
の感情においても低い値を示しているため、母子の相互
性も低いことが推測される。以上のことから、場面2で
怒りを選択した理由について、自分でできることに手を
出されることに対して怒りを選択したと考えられる。ま
た、場面4で怒りを選択していることについて、母親の
親和の低さが影響し、母親との信頼関係が弱いと思われ
る子どもは、楽しみにしていた約束が守られなかったこ
とを許すことができずに、
怒りを選択したと考えられる。
的で、情緒の不均衡が特徴と言える。③その他の特徴か
ら、当群は付属物が目立ち、アピール性が高く、自分の
能力だけでは不安になることが予測される。
『快感情高群』の樹木は、①サイズと位置から、母親
などの女性性による影響が強く、
内向的で受動的であり、
理性より感情の方が優位であることが分かる。②枠を地
面にしていることから、当群は不安や不安定感が見られ
る。③樹冠から、漠然とした混乱や安定感の弱さがある
ようである。④幹の様子から、外からの刺激から身を守
ろうとしていることが窺える。
『感情低群』の樹木画は、①サイズと位置から、実際
的で現実的な物事を重視し、安定を求め、受動的になり
やすい。②左右対称から、不安定感が強いため、安定を
求めるのに強迫的になり、自分の感情を抑圧して知性化
しようとする心的機制を用いる傾向が示される。
以上のことから、
『否定感情群』と『快感情高群』の
対象児は、母親の影響が大きく、感情が優位であること
が共通の特徴として得られた。しかし、
『否定感情群』に
おいて、感情優位であるが、感情表出に関して葛藤を抱
いているようで、感情を上手く伝えられないことが考え
られる。同じく感情が優位である『快感情高群』は、不
安や不安定感が高いため、刺激から身を守ることで安定
しようとしていることが考えられる。一方『感情低群』
は、他群と特徴が異なり、現実的で感情を抑圧し、知性
化することで感情を感じないようにしていることが考え
られる。以上より、母親が『否定的感情高群』の対象児
Ⅲ.研究2
理解
パーソナリティによる子どもの怒り感情の
―樹木画による検討―
は『感情表出回避群』
、母親が『快感情高群』の対象児は
『不安刺激防衛群』
、母親が『感情低群』の対象児は『知
性化群』となる。
1. 対象:研究1の対象児
2. 方法:枠付けによる樹木画法を実施
3. 調査手続き:研究1で得られたグループごとに、樹
木画に共通の特徴を大学院生5名により抽出し、グ
ループにみられる特徴について解釈した。
4. 結果と考察
研究1の各クラスターに見られた樹木画の特徴を
Ⅳ. 総合考察
各群においてパーソナリティの違いが得られたが、い
ずれの樹木画も共通して受動性が見られ、年齢相応の特
徴としてみることができる。環境からの刺激に受動的で
あるために、
どのようにして不快な体験を処理するのか、
各群の違いが明らかとなった。このように群間で相違が
Table 5 各群の対象児に見られた樹木画の特徴
母親が「否定的感情高群」 母親が「快感情高群」
中∼大
中程度
サイズ
二本の線で囲まれてお
り、閉じている
幹
地面はなく、宙に浮いて
いる印象をうける
樹冠と幹がセットになっ
ているような樹木の形態
は描けている
左に偏り
地面
形態
位置
その他
太陽や実などといった付
属物が目立つ。少し雑な
ストロークが見られる
母親が「感情低群」
中程度
幹は二本の線で囲まれ,
閉じているが幹の歪みな
どが目立つ
枠を地面にしている
幹は二本の線で描かれて
いるが、上か下、もしく
は両方が開いている
地面の記入はなし
樹冠と幹がセットになっ
ているような樹木が描け
ている
左に偏り
樹木は左右対称で、細部
にこだわっているものが
多い
下により気味
樹木が乱雑な印象を受け
る
見られたことから、母親の感情特性と子どもの怒り感情
域を出ないことは確かである。しかし、この点について
に関連があることがわかった。
は園の職員などの第三者による行動評定などで更に考察
研究1と研究2から、母親の感情特性と子どもの樹木
画により導き出されたパーソナリティは関連があること
が確認された。
を深めることができると思われる。
本研究では、母子を対象としていたため、サンプル量
が少なく、一般化できる結果とは言いがたい。また、対
『否定感情高群』の母親を持つ子どもは、母親などか
象が年長児に限定されており、どのような発達過程を経
ら強く影響を受けており、母親の否定的感情が強く不安
て、本研究の結果が得られたのかは明確にできない。さ
定であるのと同じように、子どもの感情に関して否定的
らに、対象児は発達過程の早期であり、今後の成長によ
で情緒も不安定であることが特徴である。これは、樹木
り変化が見られることは明らかである。今後どのように
画に見られた感情の表出を巡る葛藤から分かったことで
怒り感情が発達していくのかを予測することは難しい。
ある。相手の否定的な感情を気にして、自身の感情を表
このようなことから、今後はサンプルの範囲を広げ、横
出することに葛藤を抱くが、攻撃されたり、自分が侵害
断的で立体的な検討が今後の課題として残る。
されるようなときには、怒りを表すことがわかった。
『快感情高群』の母親は、全体的に肯定的な感情が高
く、否定的な感情をあまり感じない。その子どもは、内
主要引用文献
Ciompi,L. 1997
Die emotionalen Grundlagen des
向的で受動的である。また、理性より感情の方が優位で
Denkens. 山岸洋・野間俊一・菅原圭吾・松本雅
あり、不安や不安定感が見られた。この子どもは、不安
彦(訳)2005 基盤としての情動 フラクタル感
定であるが、母親の親和特性に支えられ、不等な扱いや
情論理の構想 学樹書院
攻撃性に対して、怒りで反応しないことがわかった。
Fairbairn 1952 山口泰司(訳)1992 人格の精神分
『感情低群』の母親は全ての感情特性が低いため、そ
の子どもは不安定感が強く、安定を求め、受動的になり
析学的研究 文化書房博文社
北添紀子 2002 怒れない子の問題点―理解と援助 児
童心理, 56, 29-33.
やすいことが示されていた。この子どもは他者に対して
信頼感が低く、不安感を怒りや知性化で対処しているよ
滝口俊子 2005 「よい子」を求める親 「よい子」にな
ろうとする子 児童心理, 59, 27-31.
うである。
以上のように、母親の感情特性によって、子どもが怒
りを選択する場面が異なることが示され、母親の感情特
性と子どもが怒りを体験する場面との関連が見られた。
Ⅴ.まとめと今後の課題
母親と子どもの関連を実証的に検討することができた。
しかし、調査から得られた結果であることから、推測の
Wallon, H. 1938 情意的関係−情動について 浜田寿
美男