イナゴは食べたがバッタは食べない 第2話 カタツムリは食べたがナメクジ

イナゴは食べたがバッタは食べない
第2話 カタツムリは食べたがナメクジは食べない
瀬田康司
ぼくはひどい夜尿症であった。
「おねしょう」が幼年期を過ぎて少年期になっても続くの
を夜尿症というのだそうだ。母親が「いつまでたってもねしょんべんが治らへん。あかん
子や」とぼやくのを、確か小学校6年の時に聞いたと覚えている。気持ちよくおしっこを
しているのだけれどなかなかすっきりしない、次第に股間になま暖かさを感じて、目が覚
める、まさに「寝小便」の瞬間の記憶は鮮烈に残っている。ぼくのこれまでの人生での最
後の「おねしょう」は中学2年生の時だったと思う。
「おねしょう」は、大体、雨の多い時であった。布団を濡らしてしまっても乾かすこと
が出来ないので愚痴をこぼし続ける母-当たり前のことなのだけれど-にいらだちを覚え
させられたものである。したくてしたわけではないのだから。小学校高学年にもなると、
就寝前に水物を摂るのを控えるように心掛けることもしたし、就寝前に必ずトイレに立つ
ようにもした。
雨の天気が「おねしょう」を呼ぶ。因果関係のほどは分からない。しかし、雨の日は狭
い屋内では母親と顔を合わせる機会が多くなってしまい、必定、彼女の「勉強せぇ」
「偉い
人にならなあかん」などという諫め言葉を耳にする機会が増えることになる。すでに思春
期に入っていたぼくにとって、それらの言葉がいらだちを増加させるのであった。で、そ
の夜は、大抵、
「おねしょう」と相成った次第。
ところで、ぼくは、雨上がりの日、でんでんむしを捕まえては炭火で焼いて食べた。誰
かに教わったのだろう。やはり「天野屋」のおばさんだったのだろうか。でんでんむしを
捕まえた場所として脳裏に残っているのは母子寮の庭である。ヤツデの葉っぱだったか、
アジサイの葉っぱだったか。そのあたりは確かではない。まだ雨の露の光が残る大きな葉
っぱの上に白い色の殻のでんでんむしが這っている。それがぼくの狩猟獲物であった。「天
野屋」さんに隣接する小さな家で生活していたのは小学校4年生まで、我が家から徒歩で 5
分ほどの所にある母子寮に遊びに出かけたのもこの時までのことなので、でんでんむし狩
猟と炭焼きは 10 歳頃のことだと思う。
「でんでんむしはな、毒があるのがおるで、気ぃつけやなあかんで。殻の白いやつなら
ええでな」
。これは確か、
「天野屋のキミちゃん」の言葉。キミちゃんというのは「天野屋」
の娘さんで、教師をしていた母の教え子の一人、ぼくをとてもかわいがってくれていた。
イナゴは食べたがバッタは食べない
10 歳ほど年上であったのではないかと思う。じつは、わが国に棲息するマイマイは、その
ほとんどが毒を持っている。食用に適しているのは数種類とか。有毒か無毒かの見分けを
殻の色で言い当てる。じつに分かりやすい。幼い子どもでも分かる話である。
炭火で焼いたでんでんむしの味は、香ばしくて少し苦かったように記憶している。だか
らであろうか、次から次へと食べたいという代物ではなかった。一つだけで十分という思
いをして食べていたといった方がいいかも知れない。腹の足しにするのではなく、しかた
なく・・。大人から与えられるのではなく自分で狩りをしたというあたりが、今のぼくか
ら考えると不思議なのだが、もとを質せば、
「天野屋のおばさん」であろう、
「コウちゃん、
ねしょんべん治さなあかんで。これ食べな。治るで。」と、カタツムリの炭焼きを食べさせ
てくれた(小学校 3 年の時だったと、うろ覚え)のが、ぼくと食用カタツムリとの出会い
の始まりである。
雨上がりのカタツムリ狩りは、ナメクジとの出会いでもある。カタツムリがナメクジの
ヤドカリ品種だとは思ってはいなかったから、カタツムリを掴むことや手の甲を這わせる
ことは平気の平左であった。ナメクジはカタツムリの殻の退化した品種だとは知っていた
が(キミちゃんに教えられて)
、掴むことも手の甲を這わせることも、まったくあり得ない
ことだった。むしろ、ナメクジとの出会いの初印象がその後のぼくにとっての「ナメクジ
恐怖症」となり続けている。カタツムリが葉の裏にいないかどうかを確かめようと葉っぱ
を持ち上げた瞬間、ヌメッとした感触に襲われた。背筋に悪寒が走る。ゴキブリが姿を見
せると家中に響く声を挙げるのは妻、風呂場にナメクジが姿を見せると向こう三軒両隣に
響く声を挙げるのがぼく。同じマイマイなのになぁと思っても、いやなものはいやなのだ。
・・・11 歳の時新築の家に引っ越してからはカタツムリの炭焼きは食したことがない。
食したのは母親の愚痴ばかりであった。
でーんでーんむーしむし、かーたつむりぃー、おーまえのあたまは、どーこにあるぅー、
つーのだせ、やーりだせ、めだまーだせー♪
この歌にはぼくのゆがんだ「母親像」-もちろん、ゆがんでいるのは、ぼくの心なのだ
が-が込められている。だから、やるせなく切ない。
閑話休題:-
イナゴは食べたがバッタは食べない
「わー、えーっ、フランス料理ィ? わたしぃー、エスカルゴ、食べたーい。
」
「ああ、カタツムリね。
」
とたんに、2 人の間の会話が沈黙に転じてしまうこと請け合いである。エスカルゴがたと
え食用カタツムリという意味のフランス語 escargot であるにしても、それをカタツムリと
言い換えてしまえば、燃えた恋の炎が勢いよく消えてしまうのである。しかし、事実は、
カッコイイおフランスであっても、だっさーいニホンであっても、陸に住む巻き貝でエラ
呼吸ならぬ肺呼吸をするマイマイは、食用対象の生物であることに差はないのだ。フラン
スのエスカルゴはリンゴマイマイの仲間、ぶどう園で養殖されているとか、そして、いわ
ゆる「フランス料理」の代表選手にまで成長している。一方、我が日本ではカタツムリを
常食にする習慣は少なく、むしろ、漢方薬の扱い。ほらね、方やナイフとフォーク、ナプ
キン使用のカッコイイ、レストラン料理、方やこっそりコソコソ・・・。やはり燃えた恋
の炎がただちに消える宿命なのである。
フランスで生活をしたり旅をしたりするようになっても、一度もエスカルゴを進んで食
したことがない。食べたいとも思わない。だって、おねしょうはもうしないものねぇ。
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