(労働者運動資料室)にお話を伺った。 した。編集に携わった佐藤礼次さん イヌとからすとうずらとペンと 弾圧の時代に自然に親しみ 生き抜いた社会主義者の素顔 山川菊栄 ・山川均写真集 だ っ た の で「 こ れ が 最 後 の 集 ま 会主義者が弾圧を受けていた時代 の3人揃った写真もあります。社 もあります。菊栄・均と息子振作 残したらまずいだろうという写真 入獄・出獄記念といった、記録に ん 自 身 の 写 真 も た く さ ん あ る し、 撮ったのかは分かりません。均さ て い る 感 じ で す ね。 だ け ど 誰 が 佐藤 均さんが撮ったわけでは なく、意識して撮ってもらい残し いですね。 生が写真で追えるというのは珍し はいえ、この時代を生きた人の一 ―均さんが写真が趣味だったと 今回の写真集を刊行したのです。 におさめました。それをベースに を選んで、かながわ女性センター 果的には、オリジナルに近いもの くの写真をどうしようとなり、結 作業でした。そこで4000枚近 していたので、分類自体が困難な じ資料を使って思索と文筆活動を に搬入しました。共に暮らし、同 のは法政大学大原社会問題研究所 かながわ女性センターに、均のも 料の整理にあたり、菊栄のものは 佐藤 私は山川菊栄記念会の世 話人として2人の残した膨大な資 山川菊栄 と 山川均 り」という覚悟の写真が多いの えっ! コメに黒い虫が? 消費生活アドバイザー 太田 しげ子 販売店は「お米は生ものです。商 消費生活専門相談員 昭和生まれで今よりずっと虫に囲 品購入後長時間経過し、保管状況に た。このことと、コクゾウムシにつ ま れ て? 育 っ た 世 代 は、 米 の 虫 な ところが今は米に虫がいると、消 い て の 説 明 で、 相 談 者 は 米 の 返 品、 よるお米のトラブルに関しては交 費者相談となるのです。最近寄せら 取り換えについて対応されないこと ど 珍 し く も 何 と も な く、「 洗 え ば 浮 れた相談を紹介し、季節柄、米の保 に納得しました。 換・返品に応じておりません」とい 管などについてあらためて考えてみ いてくるから捨てて炊けばいい」ぐ 関東大震災後の4年間で8回 ましょう。 う注意書きを商品につけていまし 引っ越しをしている。当時社会 らいの感覚ではないでしょうか。 じ ゃ な い か な。 3 人 と も 病 弱 で、 主義者には家を貸さない。わか なることを見越して、うずらの が、文筆業では食べていけなく 小さな黒い虫がゾロゾロいた。米に を 食 べ よ う と 思 い 開 封 し た と こ ろ、 5カ月前にスーパーで購入した米 * コ ク ゾ ウ ム シ ⋮ 体 長 2 ∼ 3・5 ミ リ、光沢のある黒褐色の長卵形の体。 も卵が混入する機会となります。 注意が必要です。自動精米機の利用 無農薬や低農薬のお米は、さらに しかも社会主義者だから「今撮っ る と 追 い 出 さ れ た。 そ こ で 鎌 れた記録とも言えるんですね。 飼育を行うために藤沢・弥勒寺 虫が入っているのを見たのは初めて ■相談事例 佐藤 均・菊栄の周辺にいた社 会主義者たちの記録とも言えま に広い土地を借りた。そこで2 だったので驚いたが、気分もすごく 倉・稲村个崎に自宅を新築した す。それぞれが自分たちの学習会 人とも亡くなっています。 らとペンと』の由来は弥勒寺で ―題名『イヌとからすとうず できないといわれた。自分の責任で なので、販売店に申し出たら返品は ・約3週間で食べきれない場合は ・できるだけ早く食べる。 ︿対策﹀ いて、均さんが堺利彦に問い合わ 悪くなった。開封してわかったこと せた返事の手紙も残っています。 冷蔵庫に保管する。 はないと思うので返品か、取り換え ・夏場は2キログラム単位で購入 佐藤 畑を耕し、うずらを飼 育して卵を売って生計を立て 米袋の中に入っていたのはコクゾ をしてほしい。 た構成になっていますね。 作っている。犬を飼い、野鳥が ウ ム シ *で す。 米 に 産 み つ け ら れ た ・天日干しにする(味は落ちる)。 ︿虫が発生してしまったら﹀ ・唐辛子や虫除け剤を入れる。 する。 佐藤 山川菊栄記念会が編集し たので、菊栄の戦後の活動も紹介 遊 び に 来 た。 尾 長 や か ら す が、 コクゾウムシの卵が、長時間孵化に ・ふるいにかけて虫を取り除く。 ■アドバイス したかった。パートナーとして暮 均や菊栄の頭や肩に止まってい 適した温度に置かれたため生育した た。 一 方 で、 趣 味 の バ ラ 園 を らし、それぞれ文筆家として名を る写真が残っています。 ・数が少なければ冷蔵庫に入れて れた人も多い中、自然に親しみ カ月も放置しておけば、コクゾウム 間は虫の活動が活発になります。5 生育、増加を止める。洗えば虫が浮 残すべきだと考えました。2人の ながら悠然と生きぬくというの シが発生してもおかしくありませ ●消費者相談は契約問題に限りま 月くらいの期 生活を見ていくとびっくりします はすごいことですね。こうした ん。この季節でも、購入して3週間 せん。生活の中の「おや? あら?」 ちょうど4月から ものと思われます。 よ。それぞれが執筆に専念できる お二人の性格等も見える写真集 程度で食べきれば、まず通常の販売 などもお気軽にご相談ください。 ―「冬の時代」に転向させら 自分の部屋をもち、息子とお手伝 を見た後、論文を読むとさらに 店 の 米 は 心 配 な い で し ょ う( 卵 が いてくるので、取り除いて炊く。 いさんの部屋も別にある。借家で 深まるかもしれませんね。皆さ うことですが)。 も広い家が必要なんですね。夜は (聞き手・中村 ひろ子) あっても孵化前に食べてしまうとい 没とともに寝かせたといいます。 んにお勧めしましょう。 し合ったことも重要な側面として たのはこの2人だけ。互いに影響 なし、共に全集を出す思想家だっ ―菊栄さんの活動に焦点を当て の生活の様子だとか。 りしている。その折の参加者につ を組織していて、たまに合宿した ―逆にこの時代だからこそ残さ て残しておこう」と。 山川菊栄は、 女性会議(当時日本 婦人会議)発足時からの会員で、著書 『女性解放へ』などを通じ私たちをリー ドしてくれた。菊栄は 1912 年女子英 学塾を卒業すると、翻訳等をしながら 友愛会や平民新聞等と関係を持つなか で、1916 年山川均と結婚。 均は 19 歳の時、日本で初めて不敬 罪に問われた。その後は平民社で幸徳 秋水や堺利彦等と社会主義運動をすす めていた。均は度々検挙され、そうし た「冬の時代」を自給自足で乗り越え た。 戦 後、 社 会 党 の 運 動 に 関 わ る も、 病気がちなまま 58 年没。 菊栄は、 1916 年伊藤野枝との廃娼論 争、18 年平塚雷鳥と与謝野晶子との母 性保護論争、25 年労働組合女性部論争 などで、社会主義フェミニストとして 論陣をはり、カーペンター、ベーベル など欧米の文献を紹介。19 ∼ 41 年、 米労働省婦人局の統計調査を入手して 研究、戦中は『武家の女性』 『わが住む 村』等を執筆した。 戦後、菊栄は労働省初代婦人少年局 長となった。各県の婦人少年室長を全 員女性にしたことは画期的で、それに 応えた女性たちが続いた。しかし、す ぐに局長職を追われ、その後「婦人の こえ」で女性の啓発活動、 「婦人問題懇 話会」で調査・研究を続けた。 執筆時間だからと、幼い息子は日 10 1800円 + 税/同時代社刊 女性会議☎03︵3816︶1862 さん 佐藤 礼次 菊栄・均写真集』 (同時代社)を発刊 今年3月、山川菊栄記念会は『山川 イヌとからすとうずらとペンと 6 2016 年5月 25 日 第 1142 号(第三種郵便物認可)
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