英米文学教材研究 不思議の国のアリス-ルイス・キャロルについて 専攻:教育心理 氏名:和久田 「不思議の国のアリス」を選んだ理由 不思議の国のアリスは授業でも紹介されたよう、古くから何度も映画化されるほど人気 な作品である。ディズニー映画は勿論、最近ではハリウッドスターであるジョニー・ディ ップがいかれた帽子屋を演じたことでも話題となった。それほどまでに、 「不思議の国のア リス」は有名なのである。そのように、幼い頃から触れる機会も多い一方で、恐怖さえ感 じる不思議な雰囲気にいつまでたっても慣れない、新鮮な味わいがそこにある。また、ア リスにある好奇心と勇気に共感したり、憧れたりする人も多いのではないだろうか。 そんな「不思議の国のアリス」だが、映画ではなく、原作を知っている人は数少ないの ではないだろうか。そこに秘められた思い、謎が今もなお知らないままに読まれている場 合が多い。 「不思議の国のアリス」はどのような想いで、誰のために、何のために、描かれ たのだろうか。親しみのあり、有名な作品だからこそ、そこにある様々な背景を知りたい と思った。 順を追って、 「不思議の国のアリス」について考えてみよう。 作者/ルイス・キャロルの生涯 1832 チェシャ州ダーズバリで英国国教会の牧師である父チャールズ・ドッジソンと母フ ランシス・ジェーンの間に長男として生まれる(11 人姉弟の③番目)。父の名前と 母の姓をとって、チャールズ・ラトウィジと命名される。 1851 オックスフォード大学クライスト・チャーチ・カレッジに入学。この 2 日後に母親 が死去してしまう。 1854 首席で卒業。特別研究生として大学に残り、図書館司書補と数学の個人教師の業務 を開始する。 1862 7 月 4 日、リデル家の三姉妹(ロリーナ、アリス、イーディス)と共にボートでの 遠出。アリスを主人公とした即興のお話を披露する。アリスの願いで、この話を本 にすると約束した。 「地下の国のアリス」の執筆を開始する。 1863 リデル家と不仲になっていく。 1864 「地下の国のアリス」をアリスに送る。 1865 「地下の国のアリス」が「不思議の国のアリス」として出版される。 1867 ヴィクトリア女王が「不思議の国のアリス」を絶賛し、次回作を所望。「鏡の国の アリス」の執筆を開始する。ロシア旅行により、短編「ブルーノの復習」を書き 上げ、 「シルヴィーとブルーノ」の原型を完成させる。 1868 父親が死去。 「鏡の国のアリス」をマクミラン社へ送る。 1871 「鏡の国のアリス」が出版される。 1878 「シルヴィーとブラーノ」の執筆を開始する。翌年には「スナーク狩り」も出版す る。 1883 「詞、そして理性か」という詩集を出版。心霊現象研究会に入会する。 1893 「シルヴィーとブルーノ完結編」が出版される。 1897 子どもだけの礼拝で説教を行う。 「不思議の国のアリス」と「鏡の国のアリス」の 改訂。この版がキャロル生前の最後の版となる。 1897 1 月 14 日、66 歳の誕生日を目前に死去。インフルエンザにより肺炎を併発して 亡くなってしまった。生前より出版予定であった「落日三度」が出版された。 児童文学としての「不思議の国のアリス」 ルイス・キャロルの生涯で記されたように、「不思議の国のアリス」は「地下の国のアリ ス」として本来は書かれたものであった。 1862 年 7 月 4 日、ルイス・キャロルはロビンソン・ダックスワードと共にリドル各寮長 の 3 人の娘、ロリーナ(当時 13 歳) 、アリス(当時 10 歳)、イーディス(当時 8 歳)を誘 って、クライスト・チャーチ・メドウの横のふぉりー・ブリッジから上流のゴッド須藤ま でテムズ川を漕ぎ上っていくボートでの遠出に出かける。キャロルは 3 人の娘からお話を せがまれ、即興でアリスを主人公にしたお話を語り始めた。帰り際に、アリスは「児湯の お話を本に書いて」とせがみ、アリスへのプレゼントとして「地下の国のアリス」は書か れ始めた。 その後、周囲からの勧めがあり「地下の国のアリス」を加筆修正して出版してみようと キャロルは考え始め、精力的に加筆を始めた。「不思議の国のアリス」の原題「 Alice`s Adventures in Wonderland」の Adventures は「冒険」の意味ではなく「珍しい出来事」 「思いがけない出来事、体験」という意味で使用されているそうだ。 「地下の国のアリス」と「不思議の国のアリス」には様々な差異がある。その中でも、 最も大きな差異は「地下の国のアリス」では白ウサギの約束の相手である侯爵夫人とハー トの女王が同一人物であったが、 「不思議の国のアリス」では別人物として制定されている。 これは、当時の児童文学が何にでも教訓に沿っている事を皮肉っているのではないかと推 測されている。白ウサギが侯爵夫人のために急ぐ理由は、ハートの女王であり、それは絶 対的権力者であるという社会構図をキャロルは意図的に切り取ってしまったのではないだ ろうか。 「不思議の国のアリス」は児童文学とされているが、それまでの児童文学とは大きく異 なっている。それまでの児童文学は、教訓的かつ道徳的で、大人の考えている子どもらし い子どもに、子どもを型にはめて育て上げるのにふさわしい内容でなければならないと考 えられていたのだ。しかし、 「不思議の国のアリス」は教訓も含まず、道徳的でもなく、む しろそのような枠に収まらないものであった。キャロルが積極的に児童文学の枠を打ち破 ろうとして加筆したわけではないが、「不思議の国のアリス」は結果として新しい児童文学 の枠を作り出したと言える。 本の中の道徳や教訓にはもううんざり、といった子どもらしく、あどけない、あれとい う大人の期待にはうんざりした子どもの本心を満足させてくれるものとして、 「不思議の国 のアリス」は子どもにとってのエールとして受け入れられたのだ。 現実のアリス 「不思議の国のアリス」のモデルとなったのはアリス・プレザンス・リデルという実在 する少女であった。物語の中でのアリスも成長していくが、キャロルとアリスの関係も怒 涛のように変化していく。 「不思議の国のアリス」の出版時期と重なるように、キャロルとリデル家の関係の崩壊 が始まってしまったのだ。キャロルとリデル家の関係の絶頂時は 1863 年の 6 月までであっ た。キャロルとリデル家の関係悪化の原因はよく分かっていない。アリスの母親が他人を 見下げる傾向があったこと、あるいはボートでの遠出で娘たちを夜遅くまで引き留めてお いたことが原因なのかと憶測はあるが、真相は闇の中なのである ただ、キャロルがアリス(当時 11 歳)に結婚を申し込んだが、母親に断られたという噂 があったようである。1864 年の日記には、再びボートにリデルの娘たちを誘うが、リデル 夫人から「もう娘たちをボート遊びに誘ってはならない」とハッキリと断っているようで ある。この半年後に「地下の国のアリス」がアリスにおくられたのである。翌年、1865 年、 キャロルは再び 13 歳となったアリスに再会するが、「すっかり変わってしまった、よく変 わったとはとても言えない、おそらく大人への変化がおこっているのだろう」と日記に記 されている。 ↑アリス・リデル ↑リデル三姉妹 ルイス・キャロルとアリス・リデルが互いに夢中になっていた塩飽恵奈次官は、時系列 的に見て見ると実はとても短く、はかない夢のような時間であったのだ。 ルイス・キャロルはこの頃、写真にも熱中しており、アリス・リデルの写真を好んでよ く撮っていたという。しかし、アリス・リデルがレジナルド・ハーグリーヴスと結婚した 1880 年にキャロルは写真をやめてしまう。夢として、物語として語られるアリスへの憧れ を断ち切る行為なのではないかと考えられる。 アリス・リデルはキャロルばかりではなく、多くの男性を魅了した。ヴィクトリア女王 の一番下の息子レオポルド王子との交際もあった。周囲への反対もあり、結局アリスはレ ジナルド・ハーグリーヴスと結婚するが、その結婚式でアリスはレオポルドから送られた ブローチを着け、アリスの二番目の息子にレオポルドと名付ける。また、レオポルド王子 も最初の娘にアリスと名付けたのだ。 アリス・リデルはシェイクスピアの演劇を思わせるような、小説のような人生を歩んだ。 それほどまでに彼女は魅力的で、その少女は今もなお、不思議の国で多くの人々を魅了し 続けている。 ↑キャロルが描いたアリス ↑キャロルが撮ったアリス(当時 18 歳) アリスの物語が生み出された場所 ルイス・キャロルはどのような自然に囲まれた中で、あのような不思議な話を思いつい たのだろう。その舞台を見ていきたい。 ① ルイス・キャロルの出生場所 チェシャ州ダーズバリ ロンドンから北へ約 3 時間ある場所で、歴史ある街である。現在ではルイス・キャロル の出生地としてアリスの面影が様々な場所に見られる。 ② キャロルの通ったオックスフォード大学 有名なイギリスの総合大学である。ハーバード大学、ケンブリッジ大学、スタンフォー ド大学と並ぶ、名門校の一つである。 ③ リデル姉妹と出掛けたアイシス川 ルイス・キャロルがリデル姉妹とボート遊びに行った川。ここでキャロルは「不思議の 国のアリス」の原案を思いつく。 授業を通しての感想 今回の授業では「不思議の国のアリス」「ピーターラビット」などの児童文学に加え、天 才児やサバン症、睡眠、美、などのドキュメンタリー番組を観た。リスニングが鍛えられ ると同時に英語特有の言い回しに触れる機会が多かった。 また、児童文学を学ぶ際には、ストーリーそのものに注目するばかりでなく、その物語 が作られる背景についても学ぶことが出来た。そのことによって得られたものは大きい。 今回レポートの題材にも取り上げられた「不思議の国のアリス」について考えてみる。 「不 思議の国のアリス」というのはストーリー的にアリスという少女の好奇心が様々な冒険を 引き起こしていく。好奇心に忠実で放漫な少女の姿は、教訓や道徳を必ず主張する従来の 児童文学とは違うものであった。子どもにとってはエールをくれる存在であり、同時に大 人にとっては忘れてしまった大切な何かを思い起こしてくれるようなものなのだ。 重要なのは、何故このような作品を描くことが出来たのか、ということである。文学作 品の作成要因を知る事は、その作品に対する忠実な理解を図るための根本となるのだ。 ルイス・キャロルは何故このようなストーリーを描くことが出来たのか。 それは、少女アリス・リデルの存在にあった。ルイス・キャロルはこのアリスに夢中で あった。それは結婚を申し込むほどに彼女に魅せられていたのだ。「不思議の国のアリス」 のモデルになったくらいだ、実際のアリスも好奇心旺盛でそれに対して忠実で、素直で、 目の前のものを受け入れ、楽しむ、そのような姿勢があったのだと考えられる。誰もがそ のような姿勢を持てるとは限らない。全てを楽しもう、と受け入れることは難しいのだ。 全てを楽しく、受け入れようと、常に好奇心にあふれるアリスの姿はとても美しくキャロ ルの目に映ったのだろう。その証拠として、キャロルは写真という趣味を持ち、アリスを 撮ることに熱中した。そして、アリスが他の男と結婚する時に、魅惑的な少女アリスと現 実の女性アリスはもう違うのだ、と断絶すべくキャロルは写真をやめた。 このように、 「不思議の国のアリス」のストーリーのみを知るのと、その背景にあった事 柄をみるのでは、大きく差が出てくる。様々な見解が広がり、より深く作品について考え ることが出来るのだ。また、当時の時代背景も見えてくる。 文学作品への深い理解は、当時の時代背景、作家の生き方、信念についても知ることに なる。それを教材として使うならば、その理解は絶対的に必要なものであると考える。き ちんとより多くを理解した上で、対象生徒に対し適切な文学作品を選び、その作品に込め られた思いを正しく生徒に届けるのが、作家に対する敬意ではないだろうか。
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