第39回日本死の臨床研究会 年次大会自分らしく逝くために

申請テーマ:第 39 回日本死の臨床研究会
年次大会
申請者:西村幸祐
第 39 回 日 本 死 の 臨 床 研 究 会 年 次 大 会 大 会 長
(岐阜県厚生農業協同組合連合会
岐北厚生病院緩和ケアセンター長)
助成対象年度:2015 年度前期
提出年月日:2016 年(平成 28 年)1 月 10 日
1.はじめに
このたび、2015 年(平成 27 年)10 月 11 日(日)~12 日(月・祝)に岐阜市の長良川
国際会議場・都ホテルにて第 39 回日本死の臨床研究会年次大会を開催するにあたり、貴
財団からの助成をいただくことが許可されたので開催の概要の報告をいたします。
本研究会は、死の臨床において患者とその家族に対して真の援助の道を全人的立場より
研究していくことを目的に、1977 年に創立されました。高齢社会と多死社会、様々な災害
や事件、多様化する価値観を背景とし、
「死」については「臨床」という医療・看護・介護
の現場に限らず、近年はあらゆる死について様々な思索・議論が広くされています。また、
終末期の過ごし方としての在宅医療・ケアに関しては近年目覚ましい発展がみられる一方
で地域に根差したうえでの均てん化が熟成しているとは言えない状況も認められます。
このような時代の流れと関心を汲み取り、今回の年次大会テーマを「自分らしく逝くため
に~清流の国 岐阜で語ろう~」といたしました。今回は、立場を交換して、参加者の方が
自らの死を考え、どのような人生の終生期を迎えたいか語り、耳を傾けることに焦点を当て
ました。その語りの中から、いかに援助の道を模索していくかということについて、新たな
視点を得ることを目的としました。
当日は 3200 名を超える参加者があり、各会場とも座席の確保が困難で立ち見が出るほど
の盛況でありました。参加者は、医療・介護福祉関係者、研究者、市民ボランティアなど様々
な立場の方々が全国から集まってくださいました。
2.企画の内容と感想
2 日間にわたり、6 会場で死の臨床に関係する様々な企画が開催されました。その中で助
成をいただいたのは以下の 2 つのプログラムです。
① パネルディスカッション1「終末期患者を支える地域医療~私を変えた失敗と学び~」
第 1 日目(10 月 11 日)第 3 会場(大会議室 1)において開催。
本パネルディスカッションは、吉村学氏(宮崎大学)と石口房子氏(広島県地域包括ケア
推進センター)の御二方の司会で 4 名のディスカッサントで開催されました。
1 人目の小笠原文雄氏は、岐阜市内で開業されている内科医で、早くから地域での在宅ホ
スピスを展開されています。「在宅医療 26 年 多職種連携の大切さ-若かりし頃のにがい
経験を通して」と題して、在宅医療を始められたころの、失敗を紹介されました。4 名の患
者さんの事例から学んだこととして、ただただ傾聴するだけでなく「鬼手仏心」の位置と実
践が必要であること・家族をユニットとしてケア・情報を提供するする大切さ・多職種の連
携・積極的に介入していくタイミングの大切さを挙げられた。多くの患者さん、特に独居の
方を最後まで在宅で看取られている実績を示され、岐阜県における在宅ホスピスの先進性
についてもこの分野のリーダーとしての考えを紹介された。
2 人目の入学佳宏氏は地域包括支援センターに勤務するケアマネージャーで、「寄り添う
ことが許されたものかどうかを自問する日々」と題して、がん終末期のケアマネージングの
失敗から学んだことを紹介された。ケアマネージングの自信がついてきたころにがんの終
末期の患者さんを担当することになり、病状の急速な変化や家族の動揺、かかりつけ医との
連携の浅さなどが露呈したことから、大いに反省され、医療側との連携や、求められる処理
のスピードなど新たな地域連携の深まりを推進されたことが紹介された。しっかりしたマ
ネージメントは依頼者との信頼関係を深めることができることの再自覚と、多職種スタッ
フのそれぞれの専門性を尊重する大切さを語られました。
3 人目の宇都宮宏子氏は、在宅看護・退院調整を経験したうえで、ご自分のオフィスを持
たれた看護師で、
「いまさらどう生きたいと聞かれても何もできないだろう!」と題して、
がんの脊椎転移によって麻痺をきたした患者さんとの出会いから、変えることのできない
現実に苦しむ患者さんから逃げ出さないで寄り添い続ける力を培ってこられたことが述べ
られました。そして、その語る場、を大切にすることで沢山のやさしさも多くの患者さんか
らいただいたことが紹介された。加えて、臨床の現場での意思決定支援の大切さとそのシス
テムづくりの取り組みが示されました。
最後の野崎加世子氏は訪問看護ステーションに勤務し地域での指導的な役割を果たして
いらっしゃる看護師です。22 年の訪問看護の経験の中で、初期の活動の中ではその重要性
が認識されず、連携がうまくいかなかった厳しい経験を語られました。それでも訪問看護し
ての活動を続けてこられた理由は、やはり患者さん、そしてご家族から沢山のことを学ぶこ
とができたからと述べられました。一人の患者さんのつらい経験から、患者さんとしてと同
時に、一人の生活者として支援していくことを学んだといわれました。訪問看護師として何
かをしなければならない、ということをまずは傍らにおいて寄り添ってお話に耳を傾ける
ことから始めるようにしていると述べられました。
このパネルディスカッションでは、どんなエキスパートであっても、様々なうまくいかな
かった経験をされていらっしゃり、むしろそこから多くのことをいかに学んだかというと
ころが重要である、ということを再認識することができました。如何に自分らしく逝くか、
ということを支えるにあたっては、多くの気まずい経験があってこそ対応の深さ広さが得
られるのでしょう。無理に失敗する必要はないのですが、振り返り、そして仲間と分かち合
い続ける態度が重要である、と感じました。
② シンポジウム1「自分らしい逝き方」」
第 1 日目(10 月 11 日)第 4 会場(国際会議室)において開催。
本シンポジウムはまさに本大会のテーマの中心となる企画として位置づけられ、全国か
ら岐阜に集まった 8 名のシンポジストが、
「自分らしい逝き方」について在宅医療従事者か
らの発表も含めそれぞれの思いを自由に語られました。8 名のうち 3 名は指定演者(馬淵淳
氏、寺山心一翁氏、大井裕子氏。各 20 分の発表)、5 名が公募で選ばれた演者(沼田靖子氏、
田中夏江氏、岡崎正典氏、井上実穂氏、末永和之氏。各 10 分の発表)で構成されました。
全体で、140 分という長いシンポジウムでありましたが、会場から聴衆があふれ、相当数の
方に、直接フロアに座っていただかざるを得ないほどの盛況ぶりでした。とはいえ非常に熱
心にシンポジスト一人一人の発言に耳を澄まされ、感動し、笑い、拍手を送られました。司
会は清水千世氏(坪井病院)と大会長である筆者が務めました。
馬淵淳氏は、元大日本帝国海軍で零式艦上戦闘機(いわゆるゼロ戦)に毎日搭乗し、米軍と
闘ったパイロットでありました。毎日千葉の飛行場を飛び立っていくときには「生きる死ぬ
を考える」余裕などなく、とにかくやるしかない、という精神状況であったといいます。膵
臓がんとの闘いも含め 86 年の激動の人生を過ごしてきた馬淵氏の発言には平和を生き戦争
体験のない参加者には簡単に理解できない心境が込められていたように思いました。しか
し、死への向かい方として、抗いがたい宿命の中でがむしゃらに与えられた時間を生きると
いうことを体現した馬淵氏の生き方を垣間見せていただいたことで、それを反芻し、時に応
じては生き死にを思索し続けることができると感じました。
馬渕氏は、体調を考慮しご自分の発表の後は会場の盛大な拍手の中退出されました。
その後、7 名のシンポジストはそれぞれの立場から「自分らしい逝き方」を述べられまし
た。
寺山心一翁氏は、腎がんの末期と診断されたのちから生還を果たされ、広く心をテーマと
した講演活動などされていらっしゃる方で、チェロの演奏を交えて発表された。死を受け入
れた時に意識が変わった、と語られた。
「深くこの生を愛すべし」と主張され、
「逝かされて
いる」自分を意識することが必要であると述べられた。
大井裕子氏は外科を修練された後ホスピス医としての経験を積まれた方で、今まで出会っ
た患者さんの逝きざまから学んだことを述べられた。「その人らしさ」を日々考えるチャン
スを与えられていることに感謝しつつ、患者さんとともに考えていくこと、苦しむ患者さん
から逃げないこと可能性を信じること」など、具体的な症例を挙げ、語られました。「緩和
ケアは街づくりである」という発言には、地域の中でじっくり活動してこられた大井氏の慧
眼を感じることができました。最後に自分の話をじっくりと聴いてほしい。どうか困ってい
る人のそばでその人の話を聴いてあげてほしい、という願いを語られた。
沼田靖子氏は病院に勤務する看護師で、働き盛りの患者さんの事例を紹介しながら、
「自
分らしく逝くこと」について述べられました。それは、役割を果たすことであり、しかし有
限な時間であればこそ仕事にけじめをつけながら生きること、そしてそのように自分も生
き(逝き)たいと述べられた。患者さんの味方になることを大切にして活動され、そしてご
自分が最期を迎えるにあたってもいつでも医療関係者には応援をしてほしいと願いを述べ
られました。
田中夏江氏は訪問看護師で 、ご自分の死別体験、訪問看護師としての看取りの経験を通し
て、多職種のチームの協力の大切さを強調されました。何もできないけれども、いつでもそ
ばにいるよ、あなたや家族のそばにいるよ、と思って活動している、と述べられ、一方で、
自分の最期には、見守り、介護者のしてくれる人々に何かを残して旅立ちたいと希望された。
正直な気持ちとして、死ぬことはとても怖いと語られ、それでもやはり最後は自宅で逝きた
いと願っておられ、だからこそ訪問看護師には新たな使命の自覚が必要であるのだ、と主張
された。
岡崎正典氏は緩和ケア科の医師で、特に心に残る事例の紹介を通して、ご自分の死を語られ
た。痛みつらさは 100%とれなくてもそこそこは取ってほしい。かかわってくれるスタッフ
に感謝して旅立ちたい。優しく接してほしいという希望を伝えられた。やはり死は怖い、と
も述べられ、恐れずに、そして天国の存在を確信したい、生き切ったという実感がほしい、
感謝して旅立ちたい、とおそらくは多くの方に共通する旅立ちを語られた。老衰で逝きたい
がそれが叶わないならがんで、叶うならば自宅で最期まで過ごしたい、ともとも付け加えら
れた。
井上実穂氏はがんセンターに勤務し、地域連携を担当する看護師で、
「自分らしい死」
「自分」
ということにこだわった発言でありました。その人らしさというのは言ってみれば後に残
された人が評価するもので、自分らしい死出の過程を瞬間瞬間感じながら経過するといっ
たことはたやすものではないと語られました。体(肉体)とは「から(殻)」であり死は「魂
が殻から離れていくこと」との考えを述べられたうえで、良い死・立派な死を強要しないで
ほしい、おおらかに見守ってほしい、死に方に良い悪いはない、死ぬ時ぐらい自由に死にた
いです、自然な営みとしてとらえてほしいと主張、あとは、死ぬ時は身体をきれいにしてほ
しい、と述べられました。厳しい覚悟を持って逃げないで活動されてきたであろう氏の今ま
でに思いを致すこととなった。
末永和之氏は施設ホスピス医から在宅ホスピスに向かわれた開業医で、法医解剖に始まっ
た医者人生からホスピスに至った経緯を語られました。多様な人の死を経験された氏であ
るからこそ、非常に説得力のあるお話でありました。曰く、援助に 100 点はない、心は“ゴ
ムまり”がいいです、まずは吸収してそれから反応する軟らかさ、心にゆとりを持ってほし
い、と援助する人々への要望として述べられた。一人一人にはいつのときにも存在の意味が
あると強く主張されたのが印象に残っています。
さて、本年次大会全体を通して改めて感じたことですが、「自分らしい逝き方」はきわめ
て多様であり、一つとして同じものはないということは間違いないと思います。ともすれば
タブーとされてしまう「死」について、温かなまなざしでお互いの率直な意見を立場を超え
て交換できたことは極めて貴重な経験であったと思われます。死に向かうことはやはり如
何に生きぬくかを考えることと表裏一体であるといことを再確認し、その援助について思
索することの意義を感じた研究会となったと思われます。また、在宅医療・ケアを含め、様々
なセッティングでの援助のあり方を多角的に、しかも情緒的なことも含め意見交換できた
ことは素晴らしい機会であったと思います。
謝辞
本申請をご許可いただき助成いただきました、公益社団法人
団に深謝申し上げます。
在宅医療助成勇美記念財