南極観測開始前の犬ソリ訓練 安藤久男 私が南極観測隊の第10次隊に参加して約 90 日間の内陸調査を行ったのは 1969 年 11 月 1 日か ら 1970 年 1 月 29 日にかけてである。この調査は私が南極に興味を持ってから10年余り経ってか らのことである。すなわち 1956 年初頭、西掘栄三郎さんが札幌に来られ、極地研究家の加納一郎 さんを始めとする北大の極地関係の人々に第 3 回地球観測年南極観測についての話をされた。これ に関連し、 これから始まる日本の南極観測隊で犬ソリを使いたいので協力して欲しいと要請された。 これを受けて犬ソリセットを作るべく北海道大学極地研究グループが設立された。このグループは 極地を目指す山岳部の学生と、これを支える人々、動物学の教授犬飼哲夫さん、低温科学研究所の 楠宏さん、理学部の木崎甲子郎さんなどからなっていた。奇しくも楠さんは13年後の第10次南 極観測隊の隊長であり、木崎さんは第 4 次隊で内陸調査をされ「1937 年山脈」と呼ばれていた内 陸山脈を確認し「ヤマト山脈」と命名された隊の地質担当者であった。 前述した北海道大学極地研究グループは発足と同時に南極での内陸調査の文献を読み始め内陸調 査の計画、設営、犬ソリについての研究を開始した。これらの結果は極研時報と名づけられた会報 に順次発表された。この時報は 1956 年 3 月に第1号が、同年 11 月の第 5 号までほとんど隔月に刊 行された。さらに特別号として極地文献目録が発行された。 グループの研究の対象となった論文のほとんどは低温科学研究所の楠さんから提供された Polar Record という極地専門学術雑誌である。とくに、Reece,A による ノルウエー、イギリス、スエ ーデン三国合同南極探検 の科学報告やソリ犬や橇についての論文、さらに橇旅行の分析などで内 陸旅行や犬ソリセットを製作するのにおおいに役立った。また、Stefansson,V の著作 Arctic Manual は極地における生活や設営についてよき参考書であった。 さらに、実務としてソリ犬の収集・訓練と犬ソリの制作という仕事がグループに与えられた。 北海道やカラフト、さらにシベリア東部の人々によりソリ犬として飼育されていたカラフト犬がソ リ犬に適していると犬飼さんは判断され、北海道に生息するカラフト犬の情報を集められ、道内に 991頭のカラフト犬が飼育されていることが判明した。これらから南極で使用するソリ犬に適し た約49頭が選ばれ、稚内でソリ犬としての訓練を受けることとなった。探検を志した若者にとっ て犬ソリで極地の雪原を走ることはひとつの夢であったため、ソリ犬の訓練はグループの若手が受 け持った。 ソリを製作するという仕事がソリ犬の訓練と同時にわれわれの前に現れた。雪原を走る犬ソリの 姿は知っていたが、犬ソリがどのような構造をしているのか、その細部はどうなっているのかとい うことは何も知らなかった。これらの事を知ることが先決であった。当時すでに発表されていた南 極探検の記録を探し、最後に入手したのが前述したノルウエー、イギリス、スウエーデン三国合同 南極探検隊のソリについての報告である。1949から52年にかけての同隊で使用したソリの詳 しいデータが雑誌ポーラー・レコードに掲載されていた。われわれがその後製作した何台かのソリ はいずれもこのソリから派生した改良型である。1956年3月札幌の馬橇屋で試作ソリ第一号が 出来上がった。この試作ソリは三国隊のオリジナルより犬の体力などから考えて少し小型になって いる。また、ソリの滑走面の材質等は北大低温科学研究所の藤岡敏夫さん、木下誠一さん等により 検討され、制作に反映された。 稚内市の好意により設定された訓練所は稚内のノシャップ岬から南に伸びる標高百メートル程の 丘陵地にあって、昭和31年3月に設営された。現在は稚内公園として観光地になっているが、当 時は日本海からオホーツク海に抜ける寒風の通り道となる無人の丘陵地であった。極地を想定して 1 _ _ _ イヌソリ訓練所の片屋根式犬小屋 の場所である。極地でのソリ犬は野外の雪の中で寝るのが普通である。しかし、集まったカラフト 犬は厳しい風雪に耐えて生きてきた犬ではなかった。いわば町の中でみられる飼い犬とたいして違 わなかった。このため、犬の生活条件を統一するため、まず簡単な犬小屋を作った(写真参照) 。小 屋は高さ1メートルの片屋根式である。この小屋には壁がなく、風通しもよく犬たちの気候順化に 役立った。その上カラフト犬について何も知らないわれわれにとって、犬の習性をよく観察するこ とができた。われわれも丘陵地に板張りの飯場を建て、ここで生活した。 今今まで飼い犬としてリヤカーを引いていたのに、チームを組んで犬ソリを引かせるようにするこ とは大仕事である。本能的にソリを引くという習性は持っていたが、必ずしも前に向かって進むと は限らない。それぞれが思いのままに走るのである。最初は先導犬にロープをつけて人間が先頭を 切って走らなければならなかった。つまり先導人間が必要であった。訓練地の丘陵地から海岸まで の斜面を犬ソリの先導人間として走るのは大変であった。 まじめに先に進む犬、 怠けて座り込む犬、 犬同士で喧嘩を始めるなどさまざまな習性を持った犬の集まりである。ソリを引く犬の数は最初は 5頭で走り、集団で走ることに慣れだしたら頭数を増やした。最終的には9頭で走った。ソリ犬の 訓練はカラフトから引き上げてきた後藤直太郎さんが選任調教師として犬とわれわれグループの学 生を指導してくれた。このため、カラフト犬に対する号令もギリヤーク族やオロッコ族のトウ(前 進) 、ブライ(止れ) 、カイ(右) 、チョイ(左)を用いた。しかし、カラフト犬の知能程度が低いせ いか、これらの号令すべてを聞き分けなかった。ただ、トウだけは判ったようだ。 このようにして、犬のチームワークの養成等の基礎訓練が終わるとソリ犬の頭数を増やし、訓練 の距離を延ばしていった。この段階ではソリの上に荷物を積まず、調子を見て人間が飛び乗る程度 であった。春のザラメ雪の平地では人間を7人乗せて走ったこともあった。4月上旬に雪上訓練が 終わった。 2 新入りカラフト犬の仔犬、左よりタロ、ジロ、サブロと世話をする安藤 訓練の後半には3頭の兄弟カラフト犬の仔犬が持ち込まれた。この犬は仔犬であったため、他の 成犬と違い訓練には参加しなかったが、特に、われわれはこれら兄弟イヌをかわいがった。名前は、 タロー、ジロー、サブローである(写真参照) 。この若いカラフト犬2頭が無人の昭和基地で越冬し、 生き残った。 稚内での北大極地研究グループによる犬ソリ訓練は1956年5月で終わった。 この文章は2006年11月に日本極地振興会により発行された 南極観測隊 の中の安藤 久男による 犬ソリ訓練 を基に2009年10月26日著者により加筆されたものである。 3
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