解説 電子顕微鏡室ってどんなとこ? 今 井 崇 人 Takahito IMAI 理工学部物質化学科 実験助手 Laboratory Assistant, Department of Materials Chemistry りも小さなものをその装置で観察することはできま 1.はじめに せんが,装置の倍率を上げることは理論的に可能だ 2010 年 1 月より電子顕微鏡室に実験助手として からです.このような無意味な倍率を無効倍率とい 着任しました今井崇人です.私は龍谷大学の物質化 うそうです.このことを踏まえて上であえて倍率で 学科の卒業生で,某分析会社にて透過型電子顕微鏡 話をされる方もおられます.分解能よりも倍率で話 (TEM : Transmission Electron Microscope)の試料作 をした方が理解を得やすいようです. 製から観察・分析を業務としていました.その後, 肉眼の分解能よりも小さなものを観察するために ご縁がありまして龍谷大学のお世話になることとな 古くから可視光を用いた顕微鏡,いわゆる光学顕微 りました. 鏡が用いられてきました.その歴史は古く数百年の 今回の理工ジャーナルでは,電子顕微鏡について 歴史があります.しかしながら,どのような高精度 少し解説をさせていただいた上で,実際に龍谷大学 の装置を用いても,光源波長の半分より小さなもの の電子顕微鏡室がどのような施設であるかを紹介さ を観察することは理論上不可能です.そのため,可 せていただきたいと思います. 視光を用いる光学顕微鏡では約 100 nm が理論上の 分解能と言われています. 2.光学顕微鏡 100 nm よりも小さなものを観察するためには可 個体差が比較的大きいのですが,人間の肉眼にお 視光よりも波長の短い光源が必要でした.それはジ ける分解能はおおよそ 100∼300 μ m といわれてい ョセフ・ジョン・トムソンによる電子の発見とド・ ます. ブロイによる電子の波動性の発見まで待つこととな ここで分解能という言葉が出てきましたので,分 解能について解説をします.分解能というのは,2 つの点を 2 つの点として認識できる最短の距離を表 ります. 3.電子顕微鏡(EM : Electron Microscope) す指標であり,顕微鏡を評価する指標の一つです. EM は 1930 年代の前半にベルリン工科大学のエ よく,顕微鏡の性能を倍率で表したりしますが,厳 ルンスト・ルスカらによって開発をされました.こ 密には正しくありません.これは,装置の分解能よ のとき開発された EM は TEM です.EM には大き ― 11 ― く分けて TEM と走査型電子顕微鏡(SEM : Scan- ソードルミネッセンス,吸収電流や特性 X 線など ning Electron Microscope)の 2 種があります.SEM から像を取得することが可能です. は 1930 年代の後半にマンフレート・フォン・アル また,特性 X 線を用いて元素分析を行うことも デンヌにより開発されました.これらの EM の登 可能です.元素分析は検出器によりエネルギー分散 場によりナノスケールの研究開発がこの後,飛躍的 型 X 線分析(EDS : Energy Dispersive x-ray Spectros- に進むこととなります. copy)と波長分散型 X 線分析(WDS : Wave-length 近年では多くの大学や企業などの研究機関に何ら Dispersive x-ray Spectrometer)の 2 種があります. かの EM が導入されています.これらのほとんど WDS を主目的とした SEM を電子プローブマイク は SEM であり,TEM は SEM ほど普及していませ ロアナライ ザ (EPMA : Electron Probe MicroAna- ん.その理由の一つとしては価格が考えられます. lyzer)と呼ぶことがありますが,EDS が付いた SEM SEM は 卓 上 タ イ プ の 簡 易 な も の か ら 電 界 放 出 も EPMA と呼ぶことがあります. (FE : Field Emission)タイプのものまで,おおよ 一般的に EM は電子の直進性を確保するため, そ,数百万から数千万円です.それに対して TEM 装置内は真空環境下にあります.これは SEM も は数千万から数億円もします.中には超高圧電顕と TEM も同じです.そのために観察対象となる試料 呼ばれる,顕微鏡のために建物が一つ必要なものも が真空中でガスを放出しないように,乾燥などの工 あります.また,試料作製の困難さなどの画像取得 夫が必要となる場合がほとんどです.また,試料に までの技術的な難易度や,実際に得られた結果解析 対して電子を照射し続けるので,試料に導電性が必 の難しさなども一因であると考えられます.また, 要となります. SEM でも TEM でも FE タイプは非常に高性能です 最近では低真空環境下での観察が行える低真空 が,電子線源が数百万と非常に高価で敷居を高くす SEM や試料自体は大気圧下のままで観察を行える る要因となっています. SEM も出てきています. それでは SEM や TEM で具体的にどのようなこ とができるのかを紹介したいと思います. 5.TEM TEM は試料に対して数百 kV から数 MV の加速 4.SEM 電圧により加速された電子線を極めて薄く調整され SEM は試料に対して数百 V から数十 kV により た試料に照射し,試料を透過した電子を観察しま 加速された電子線を数 nm から 100 nm 程度に細く す.しかしながら,肉眼では電子を見ることはでき 絞って照射し,試料と電子との相互作用により放出 ないので蛍光板,銀塩フィルムイメージングプレー される 2 次電子を検出して明暗として表示します. トや電荷結合素子(CCD : Charge coupled Device) この動作を走査することにより表示装置に画像を表 を用いて像を観察します. 示します.SEM はこのように検出器により得られ TEM は単に像を得るための装置ではなく結晶学 た情報を明暗として表示するためモノクロ画像とな 的情報を得ることが可能です.これは電子回折と呼 ります. ばれる現象ですが,もともと TEM は電子の波動性 ちなみに,2 次電子は試料の極表面から発生した を利用して得られた回折をフーリエ変換することに 2 次電子しか放出されないため,表面の情報を知る より結像しています.そのため,結晶構造を反映し のに適しています.そのため,SEM は表面の凹凸 た像が得られます.その上,数Å(オングストロー 情報を得るのに適しています.2 次電子以外にもオ ム)という非常に小さい分解能を有するため,格子 プションの検出器を用いることにより反射電子,カ 像や高分解能像と呼ばれる原子オーダーでの像観察 ― 12 ― が可能です.ここで注意が必要なことがあります. それは,TEM では電子線と試料を構成する原子が もつ電子との相互作用により像を得ます.そのた め,厳密には,原子そのものを見ているわけではあ りません. TEM も試料と電子の相互作用を利用しています ので,SEM と同じように,特性 X 線が発生してい ます.そのため,検出器を付ければ SEM と同じよ うに元素分析が可能となります.現状では構造上の 問題で EDS しか取り付けることはできませんが試 料が非常に薄いことと数 nm まで絞った電子線を用 図1 JSM-T 330 A(JEOL 社製 EDS 検出器付) いることによりナノオーダーでの元素分析が可能で す.また走査透過電子顕 微 鏡 ( STEM : Scanning Transmission Electron Microscope)と併用すること により特定部位の分析や元素マッピングも可能で す. その他にも結晶性に依存せず原子番号や密度差を 明暗に表示する高角度散乱暗視野(HAADF : HighAngle Annular Dark Field)や結合状態など電子状態 をスペクトルとして得られる電子エネルギー損失分 光法(EELS : Electron Energy Loss Spectroscopy)な どがオプションとして存在しています. 図2 最近では球面収差補正装置が登場し,近年伸び悩 JSM-5200(JEOL 社製) んでいた分解能が大幅に向上しました.これにより 一原子列からの元素分析が可能となりました. 龍谷大学の電子顕微鏡室で最古参の SEM です. ここまでは大まかに装置の説明をしましたが,い よいよ龍谷大学の電子顕微鏡室の紹介をします. EDS 検出器を用いた元素分析が可能です.歴史を 感じさせる緑色 CRT モニタですが,画像取得用 PC にライブ画像を白黒表示させることも可能です. 6.電子顕微鏡室の電子顕微鏡 次に紹介するのは図 2 左側の JSM-5200 です.こ 龍谷大学の顕微鏡室は理工学部の施設であり,運 の機種も緑色 CRT です.この機種が入門用 SEM 営委員会と専門委員会からなります.理工学部の学 となっていますので,学部生が最初に使う機種とな 生で研究室に所属している学生は,講習を受けた ります.図 2 右側の装置は画像解析装置です.PC 98 後,使用することが可能です.現状,電子顕微鏡室 によるソフトなので CUI です.最近の Windows な には SEM が 4 台あり,TEM は 2 台あります.す どの GUI 環境しか使ったことがない人にはカルチ べての SEM には反射電子の検出器が付いていま ャーショックかもしれません. す.また,すべての TEM には STEM が付いてい ます. 図 3 の JSM-5410 は,前の 2 機種とは異なり,白 黒 CRT モニタの機種です.この装置にも EDS 検 最初に紹介するのは図 1 の JSM-T 330 A です. 出器による元素分析が可能です.また,EDS 制御 ― 13 ― の PC が WindowsPC になっています.この機種の 特徴として元素マッピングを取得することが可能で す. 図 4 の JSM-6301 F はほかの 3 機種の SEM とは 異なり FE 電子銃を電子線源に持つ SEM です.熱 電子銃はタングステンなどの金属フィラメントに電 流を流し,ジュール熱によって十分に加熱されると エジソン効果により電子が放出されます.それに対 して FE 電子銃は非常に鋭利な単結晶 W などに電 圧を印加しトンネル効果やショットキー効果により 電子を放出させます.FE 電子銃のメリットとして, 電流量が低い,輝度は非常に高い,電子線を極めて 小さく絞れる,エネルギー分解能が高いという点が 挙げられます.簡単に言うと熱電子銃の SEM より も分解能が良い上に明るく見やすい像が得られると 図3 JSM-5410(JEOL 社製 図4 図5 JEM-3000 F(JEOL 社製 図6 JEM-2100(JEOL 社製 EDS 検出器付) EDS 検出器付) JSM-6301 F(JEOL 社製) ― 14 ― EELS 検出器付) いうことです.数十 nm の観察を行う場合は FESEM 影響を受けずに微細な凹凸を強調する観察方法で がお勧めです. す.研磨による面出しの試料に適しています.起伏 図 5 の JEM-3000 F は加速電圧が 300 kV の FE に富んだ部位の観察には適しません.右下の図も反 電子銃タイプの TEM です.龍谷大学が所有する最 射電子像の 1 種である Compositional Image(組成 も分解能の良い顕微鏡です.その分解能は約 1.2Å 像)です.表面の起伏状態に影響されず,構成する です.また EDS 検出器によるナノオーダーでの元 原子の平均原子番号に依存したコントラストで観察 素分析が可能です. することができます. 図 6 の JEM-2100 は龍谷大学の電子顕微鏡室では 図 7 の写真は,二次電子像でははっきりとわから 最も新しい EM です.最近の EM は SEM,TEM 問 ない情報を,反射電子像を用いることにより明確な わずに PC 操作が主流となっており,その例に漏れ 情報にしています.特に組成像では視野内に構成元 ずこの TEM も PC によって操作をする PC-TEM と 素の異なるドメインがあることを示しています.し なっています.この装置の最大の特徴は EELS の かしながら,組成像では構成元素の違いがあること 測定と CCD による画像の取得です.残念ながら は認識できますが,具体的な構成元素は特定できま EELS の検出器と CCD が兼用のため電子回折はフ せん. 具体的に試料を構成する元素を特定するには特性 ィルムによる撮影となります. X 線を用いた EDS 分析が有用です.特に元素マッ 7.電子顕微鏡の活用例 ピングでは構成元素の濃度が視覚的にわかるので違 紹介をしました装置を使って実際に観察した像や 分析例を紹介します. いを明確に表現することが可能です.図 8 は図 7 と 同じ試料かつ,同じ視野での元素マッピングの結果 図 7 の写真は石の断面 SEM 像です.3 種類の像 です.明確に構成元素が異なることがわかります. があります.すべて,同じ試料の同じ部位を同じ また,図 7 の組成像もこのことを反映していること SEM で観察したものです.左上の写真は 2 次電子 が分かります. 像で,いわゆる SEM 像です.凹凸情報や原子番号 この結果は元素マッピングでなくとも各部位の元 情報などを含み,導電不足による影響を最も受けや 素分析を行えばスペクトルとして構成元素を知るこ すい像です.右上の写真は反射電子像の 1 種である とができます.スペクトルとして情報を得る方が, Topographic Image(凹凸像)です.原子番号による 短時間で効率は良いです.しかしながらスペクトル MAG X100 ACCV 20kV WIDTH 1.32mm 上左:2 次電子像 上右:反射電子像(凹凸像) 下右:反射電子像(組成像) 図7 石の断面 SEM 像 図8 ― 15 ― 石の元素マッピング だけではある程度の知識がないとはっきりと判断す は図中左側の明視野と図中右側の暗視野がありま ることができない場合があります.そのようなとき す.特に暗視野の 1 種である HAADF では分析対 に視覚的に訴えることができるのは一つの強みにな 象となる個所を探し出すのに大変有効的な手法で ります. す. 図 9 はペプチド線維の TEM 像(左側)及び FESEM 像(右側)です.このペプチド線維は非常に 8.最後に 微小で約 20 nm 程度の太さです.TEM 観察時には 顕微鏡業界ではよく言われていることですが,良 コントラストをつけるために金属による電子染色を い写真を得るためには試料作製が 8 で撮影技術が 2 施しています.このような非常に微細な試料を観察 と言われています.どんなに撮影技術が高くとも, するには通常の SEM では困難であり,多くの場合 試料作製を満足に出来ていないと良い写真は取れな は TEM を用いて観察することになります.しかし いということです.非常に残念な話ですが,あの装 ながら FESEM のような高分解能を有する SEM の 置は性能が悪いという評価を聞く場合があります 場合は図 9 のように微小な線維をしっかりと確認す が,多くの場合は試料作製が十分でないことがほと ることが可能です.FESEM 像の場合は電子染色の んどです.特に,高度な観察手法を用いたり,高分 必要がありません.しかしながら,導電性確保のた 解能を要求したりする場合は,より高い完成度が求 めに数 nm から数十 nm 程度の金属コートが必要と められます. なる場合があります.図 9 の右側 SEM 像に粒子の 実際にうまく観察ができなかった場合には,一 ようなものが確認されますが,これは金属コートに 度,作製方法に問題が無かったのか検証することが 用いた Au です. 大切です.また,顕微鏡では観察方法や試料毎に適 図 10 はマイクログリッド貼り付けメッシュに した試料作製法が存在します.つまり,非常に多く Au をスパッタした試料の STEM 像です.STEM に の試料作製法が存在することになります.その上, 適合していない作製方法では満足な結果を得ること はできません. 試料作製の方法が良くわからない.うまく観察が できない.この様な場合には,気軽に相談してくだ さい.解決の糸口や,問題点についてアドバイスを できると思います. 龍谷大学には今回紹介しました装置があります. 図9 微小ペプチド線維 その他にも試料作製用の装置もあります.今まで使 用したことがない方もひょっとすると有効的な使い 方があるかもしれません.是非一度,電子顕微鏡室 に足を運んでみてください. 謝辞 理工ジャーナルの執筆に際し,データを提供いた だきました白神研究室および富崎研究室に感謝いた します. 図 10 金スパッタ粒子の STEM 像 ― 16 ―
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