離婚の実態研究調査

2 つの離婚率で見る離婚の実態
離婚率を調べてみると、同じ離婚率という用語で 2 種類の指標が使われていることに気づく。一
つは、人口 1000 人当たりの離婚件数で、国民生活白書や国際比較などで使われている。つまり、公
式の統計数字になるのだろうが、日本のそれは 2002 年で 2.30 であり、確かに 1991 年あたりから急
激に伸びてはいるものの、国際的に見ると 62 カ国中 22 位であり、格別高いわけではない。翌 2003
年からは 4 年続けて下がっているので、離婚率も世界と肩を並べるようになって一段落していると
いう見方もできよう(図 1)。
離婚率を競っても仕方ないが、総務庁統計局「世界の統計 2005」によると、2.70 を超えるとトッ
プ 10 に入る。日本がトップ 10 に入る可能性だが、予測する上で一つの指針となるのが景気変動と
の相関だ。離婚は景気の先行指標であるという指摘はしばしばされるところである。確かに「実質
GDP の傾向線からの乖離」としての景気のグラフは、見事に「離婚件数の傾向線からの乖離」とし
ての離婚のグラフを追っている。前述のように離婚率は 2003 年から 4 年続けて低下しているのだが、
このときも景気は離婚を追った。離婚が減ると、景気は良くなるのである(図 2)。
ここまではっきりとした相関を示すと、離婚原因として経済問題があることを考えざるをえない。
けれど、離婚申立ての動機のトップは「性格が合わない」ことで、アンケート結果からは経済問題の
存在を感じ取りにくい。極めて微妙な心理を、択一式の設問で捉えようとすることの難しさがここに
ある。
そこで、司法統計年報に基づく慰謝料の額から離婚にアプローチしてみると、調停で離婚した夫婦の
うち慰謝料の支払いや財産分与が行われたのはおよそ 6 割で、その平均額は 380 万円程度だったら
しい。慰謝料がゼロだった 4 割を母数に入れると、どういう数字になるのだろう。“お金などどうで
もいいから、とにかく別れたかった”というケースもあろうが、“慰謝料も払えないような経済状態だ
ったから別れた”というケースも少なくないだろう。とにかく、このまま、離婚率が下がり続けてほ
しいものだ。
人口 1000 人当たりの離婚件数としての離婚率は、見てきたように他と比較したり、傾向を分析し
たりしないと、数字の意味をつかみにくい。これに対して、もう一つの離婚率はその数字を知っただ
けでなんらかの反応をすることができる。その年の婚姻件数を分母に、そして離婚件数を分子にして
導き出すのである。要するに、その年に何組が結婚して、何組が別れたかを計る(図 3)。
こちらのほうの離婚率を見ると、日本も世界並みになったにすぎないなどと言っていられない気も
する。グラフのようにまさに右肩上がりで、2000 年に始めて 30 台を超えたと思ったら、2004 年に
は一気に 37.6%にもなった。つまり、3 組に 1 組以上である。しかし、これには数字のマジックがあ
る。街を行く夫婦が平均して 3 組に 1 組離婚するわけではない。若年層の離婚率が飛び抜けて高い
のだ。グラフのように、19 歳以下の女性では約 60%にもなり、20~24 歳女性でも 40%を超える。
24 歳以下の層の高い離婚率に、全体が引っ張られているのである(次ぺ―ジ図 4)。
なぜ、ここまで高いのか。極めて明快な原因が一つある。厚生労働省「人口動態調査特殊報告」
(2002
年)によると「第一子の出生数のうち結婚期間が妊娠期間より短い出生割合」、いわゆる「できちゃ
った婚」の割合は、15~19 歳で 81.7%、20~24 歳で 58.3%にもなる。むろん、「できちゃった婚」
で世帯を持ってそのまま長く婚姻関係を続ける夫婦も多かろうが、妊娠に背中を押されての結婚に、
見切り発車的要素がないとは言えまい。なんとかなるつもりが、なんとかならないことは、結婚ばか
りではない。
結婚する 4 組に 1 組は再婚
離婚に対する社会の許容度は高まっている。電通総研の「世界価値観調査 2005」国内結果レポー
トによれば、離婚を認められるとした層は 1995 年にはまだ 47.2%だったが、2000 年には 50%を超
えて 54.8%になり、そして 2005 年には 60.2%に達した。特に女性の側に離婚を肯定する層が多く、
内閣府の「国民生活選好度調査」(2005 年)を見ると、離婚肯定割合から否定割合を引いた差は 25 歳
以上すべての年代で 30%ポイントを超えている。もはや、離婚は特殊なことではない。
とはいえ、離婚の結果が母子家庭となると、暮らしていくのはけっして楽ではないようだ。厚生労
働省の「国民生活基礎調査」(2003 年)によれば、母子世帯の平均年収は 1997 年の 229 万円から 2002
年には 212 万円とさらに下がっている。一般世帯の平均年収はおよそ 600 万円で、高齢者世帯でも
約 300 万円。子育てサイクルのまっただ中での、この数字はかなり厳しいものがあるだろう。しか
も、事実上の母子家庭手当である児童扶養手当は、2008 年から、5 年以上受給している場合カット
される可能性が出てくる。
国の就業支援策の実行に期待したいが、「ステップ・ファミリー」というルートもある。子供を伴
った再婚による、血縁を前提としない親子関係、あるいは兄弟姉妹の関係である。ステップ・ファミ
リーの統計は見つからなかったが、結婚件数に占める再婚の割合は拡大している。厚生労働省の「人
口動態統計」によれば、1970 年に 11.1%、ほとんど 10 件に 1 件だった再婚の割合は、2003 年には
23.9%、つまり 4 件に 1 件へ。ごく当り前のことになりつつある(図 5)。
日本は諸外国と比べ事実婚の割合が極端に低く、未だに法律婚を前提に結婚が語られているが、さ
まざまな変化は遠からず、日本の結婚のあり方を根底から変えるかもしれない。
母子家庭からみる日本の格差社会
OECD レポートの衝撃、日本は貧困大国へ
格差の拡大に伴い、日本は本当に先進国なのかと問わざるをえないような状況が目立っている。
2006 年に OECD が公表した「対日経済審査報告書」がマスコミ等で大きく取り上げられたのもその
理由からだろう。
同書は、わが国の相対的貧困率が米国とほぼ肩を並べて、OECD 加盟諸国のなかでも群を抜く貧
困大国になったとしている。国民全体の所得分布から見て、年収が中央に位置する人の半分に満たな
い所得しか得ていない人の割合が、OECD 加盟諸国平均の 8.4%を大幅に上回って、13.5%に達した
のである。
とりわけ問題なのは、所得の再分配がまったくと言ってよいほど機能していないことだ。グローバ
ル化が進むということは、世界で最もコストの低い国と競争するということであり、労働力の柔軟性
を確保しようとすれば、どの国だって格差は拡大する。それを補って社会の安定を保つのが所得再分
配なのだが、日本は機能していないどころか、子どものある世帯の貧困率を見ると、逆に再分配後に
貧困率が上がってしまっている。所得移転が低所得層よりもむしろ高所得層に厚く、しかも低所得層
の税負担が重いからだ。
こうした、いわゆるセーフティネットの不在は最も社会的に弱い層を直撃する。二親世帯の貧困率
でも他の OECD 諸国に比べてけっして低いわけではないのだが、片親世帯となるとぐんと跳ね上が
って 60%近くなり、トップのトルコと肩を並べる。
片親世帯とはいっても、母子世帯が父子世帯の 7 倍を超えるから、実質的には母子世帯のことと
いってよいだろう。その母子世帯の年間所得を見ると、厚生労働省の国民生活基礎調査[平成 19 年
調査]では平均 236 万 6000 円。しかも、半数以上の 60.8%の世帯では 250 万円未満となっている。
2006 年の厚生労働省の全国母子世帯等調査結果によれば、本人名義の持ち家はわずかに 10.9%し
かなく、ということは前述の所得から家賃を捻出し、子どもを進学させている状況が浮かんでくる。
教育費の増加とともに、さらに状況は厳しくなっていく。
しかも、母子世帯の母親は実に 84.5%が働いている。つまりはワーキング・プア状態だ。非正規労
働が多く、臨時・パートと派遣社員を合わせた人数は 48.7%に上る(図 3)。今や日本の非正規労
は 3 人に 1 人とされるが、その数字を押し上げているがこれらの働く女性たちなのだ。
母親の貧困はそのまま子どもの貧困につながる。少子化時代の今日、将来の日本を支える子どもた
ちのためにも貧困の連鎖を断ち切りたいところだが、現在の日本は小さすぎる福祉国家になっており、
家庭に対する公的支出の対 GDP 比は 1%にも及ばない。OECD 加盟諸国では、米国とともに最底辺
のレベルだ。
しかも、2002 年からわが国の母子政策は公的扶助による支援から、就労を目指す自立支援に軸足
を移している。これに伴い、2008 年 4 月からは、18 歳以下の子どもを持つ母子世帯に所得に応じて
支給されている児童福祉手当てを削減するとしている。現在この政策は凍結となっているが、国の『扶
助より就労』という基本軸は変わっていない。
放っておけば貧困は確実に連鎖する。教育の機会均等など夢物語だ。福祉関連のランキングではこ
とごとくボトムを争うわが国だが、やはり教育への公的支出でも OECD 加盟諸国で最下位に近く、
私費負担が際立って重い。この重い私費負担は母子世帯にも”平等に”求められて、月収 19 万 7167
円の家計をさらに削る。
貧困から抜け出せない層が確実に増加し、長時間労働によって中流層も疲弊していく。自助努力だ
けでは補えない、決定的な格差社会をどう是正していけばいいのか。
少なくとも自らの将来に希望を見出せない社会は健全とはいえない。