第 13 号 - 京都学園大学

書館のカウンターに毎日立って、来館する(あ
るいは来館しない)地域の子どもたちや大人た
ちとの関係に誠実に応えていれば、この地域で
図書館が何をすべきかがわかってくるはずで
大切なことは「まともな考え方ができる図書
す。自分で考え判断できる人間になるよう勉強
館員でいれること」です。
してください。
公共図書館はあこがれの公務員の世界です
自治体の図書館施策はその自治体内の各地域
が、公務員の職場には随分くだらない人たちが
の図書館(現場)から創っていくものです。だ
大勢います。上司に従っとけば楽なので言われ
から地域の図書館がしっかりしたサービスをで
たとおりにテキトーにさぼりながら仕事をし、
きないとだめなのです。
公務員という立場をいいことに市民や利用者に
みなさんは学校で勉強しながら常に自分が公
規則や秩序を押しつける。そんな思考停止のプ
共図書館で働くようになったらどんなサービス
チ権力者がたくさんいます。あなたたちは、そ
をしようか色々と考えてみてください。そして
んなくだらない社会人にならないように、まっ
人間や組織や自分についても興味を持って勉強
とうに生きる勉強をしてください。まっとうに
してください。思想書や心理学の本以外のビジ
仕事をしていれば、いい図書館員になり、いい
ネス書の中にもいいのがありますよ。いろんな
図書館サービスを実践できます。「これからの
本を読んでください。本以外でも家族や友達や
図書館はビジネス支援だ、レファレンス機能の
先生からもたくさん学べるはずです。
充実だ、子育て支援だ」といって流行の理論に
振り回されるのは無意味です。自分が勤める図
(えぐち・ひろし 大阪府箕面市立西南図書館館長)
〈第 13 号 目次〉
ニューヨーク風景 撮影・速水暁子
ニューズレター第13 号
(2006.10)
私の大学図書館就労記
中 山 七 重
3月の月末から9月の初旬、桜咲く季節から
そんなこんなで今は、派遣社員として立命館
秋の気配が見え始める季節になり、気が付けば
大学 BKC メディアライブラリーのカウンター
もう5ヶ月ほど図書館の仕事に関わっているこ
で利用者の方と身近に接しているわけですが、
とになります。私は今でこそ大学図書館のカウ
簡単にこの図書館のことを紹介したいと思いま
ンターでの仕事に関わることができています
す。このメディアライブラリー、立命館大学び
が、この仕事に就けたのはもうすぐ卒業すると
わこ・くさつキャンパス内にあるアクロスウィ
いうまさにギリギリでの就職でした。
ングと呼ばれる建物の2F~6Fに位置し(と
私が就職活動を始めたのは、3回生の 10 月
は言っても、それぞれのフロア全てを占めては
頃。その頃からリクナビや毎ナビに登録し始め、
いませんが)、主に経済学・経営学の分野を中
企業の会社説明会に参加したのは2月が初めて
心として約 38 万冊所蔵されています。図書館
でした。それから何社かの説明会や試験などに
に赴いた初日、案内をしていただき図書館を回
取り組んではみたものの、ほぼ惨敗。筆記試験
っていて迷路みたいだと思っていたのが、今で
やグループディスカッションには受かっても、
は懐かしいです。開館時間は曜日などによって
最後の最後、面接で泣きを見ることがほとんど
違いますが、開講期の平日は午前9時から午後
でした。今思うと、当時の私は何がしたいのか、
10 時まで開館しており、また1日2,3千人
どんな風になっていきたいのかという具体的な
の利用が、試験期になると5千人を越えること
目標がなかったのだと思います。どうにか受か
も珍しくはありません。今年の7月中旬から下
ったところもありましたが、いざその職場を経
旬にかけて、初めての試験期でてんてこ舞にな
験してみてもどうも自分には向いているように
っていたのは、新しい記憶です。
思えず、辞退してしまうことも。このように3
このような環境の下、上記にも書いた通り私
回生終わりから4回生にかけて就職活動をして
はカウンターの仕事に就いていますが、この図
きましたが、そんな中、時には自分は駄目な人
書館は午前9時~午後 10 時までの開館となっ
間なのではないかと後ろ向きに考えて落ち込ん
ているため、カウンターは定時と時差、各3人
でしまうこともしばしありました。今でこそ思
ずつの2交代制になっており、この定時と時差
い出として語ることができますが、当時は本当
では業務が多少違うところもあります。
に苦しかったり辛かったりした時期でした。け
定時はまず開館作業をし、開館した後は1人
れど、友人に励まされたり励ましたり、時には
をカウンターに残し、あとの2人が他館から取
就職活動を休んだりと、余裕を持ち気持ちを落
寄せ依頼された資料を書架に探しに行きます。
ち着けることで、どうにか活動できました。
他館から取寄せ依頼、と言うのは、立命館大学
そして、運命の4回生3月。まもなく卒業間
にはびわこくさつキャンパス以外にも衣笠キ
近というところでふと手にした就職情報誌(無
ャンパスや立命館アジア太平洋大学などが、ま
料)を見てみると、そこには派遣社員として大
たキャンパス内に複数の図書館があるところ
学図書館で働けるという、ほぼ諦めていた司書
もあり、それぞれから資料の取寄せをすること
への道が開かれていたのです。私は早速登録会
ができるのです(「学内相互利用」と呼んでい
に参加し登録を終えてみたものの、すぐに決ま
ます)。この取寄せはネットで手軽に手続きす
るわけではないということだったので、再び他
ることができるのですが、このようにその館が
の就職先も探していました。けれどそれから1
所蔵しているものだけではなく(いくつか条件
週間ほどで連絡をいただき、今の大学図書館で
のある館もありますが)他館の資料も手軽に利
勤めさせていただくことができるとの通知をい
用することができるため、立命館大学図書館全
ただいたのです。卒業式まで後1週間以内とい
体を一つの大学図書館として受けとってもい
う、まさにギリギリのときでした。
いのではないかと思います。これらは毎日学
内便と言う便に乗せられてそれぞれの図書館
たりよく分かっていなかったりすると、いくつ
へと届けられるのですが(カウンターでは「物
かキーワードを入力してみてもヒット件数が膨
流」と呼び、もちろんメディアライブラリーに
大にあるため絞りにくく、良さそうなものをお
も届けられます)、その便が昼くらいに来るた
薦めしてもそれが絶対に該当するかの自信はな
め、朝のうちに資料を探しに行かなければなり
く、最終的には利用者に決めてもらうしかない
ません。そして書架に資料を探しに行くのです
のが苦しいところです。
が、どこか他の書架に紛れているのか、見つか
また何度も記述していますが、カウンターで
らないこともあり、そんなときは他の請求記号
はただ利用者が来られたときだけ対応している
の場所を探したり、他のメンバーの目で見ても
だけではなく、書類の整理や見当たらない資料
らうこともあります。そしてカウンターに着い
を探しに行ったりと、やらなければならないこ
て利用者に対応しつつもそれらを発送処理し、
とは他にもあります。今私が主にしているのは、
昼の学内便に乗せます。そして学内便が来た昼
書類の整理と、長期延滞者への督促の電話です。
以降は他館から送られてきた資料(取寄をかけ
データを見てみると、2,3百日延滞している
た資料以外にも、メディアライブラリー所蔵の
利用者もいれば、千日延滞している利用者もお
資料が他館で返却されたものも送られてきま
り、電話をかけても繋がらないことや、どうに
す/返送資料)の受け取りをし、利用者が来ら
か返却していただく約束を取り付けても予定の
れたときにすぐにお渡しできるよう、所定の場
期日を過ぎても返却されていないままのときも
所へ保管しておきます。定時の主な仕事はこの
あり、悪戦苦闘です。もしも資料をなくされて
物流とカウンターでの利用者への対応になる
いたり、すでに返却したと言われたときは、弁
のですが、送る資料も送られてくる資料も多い
済やクレームなど所定の手続きをご案内しなけ
ため、朝も昼もこの物流でほぼ時間を使ってし
ればいけません。
まいます。
このように、図書館はただ座って利用者に資
時差の仕事は、まずは受け入れをした雑誌を
料の貸出・返却をするだけではなく、様々なこ
チェックし、それぞれの雑誌に受け入れ印を押
とをしなければなりません。勤めてから約5ヶ
したり付録の装備をしたりと雑誌に様々な装備
月、資料の貸出・返却はもちろんのこと、書架
をします。そしてそれらを雑誌コーナーに配架
の位置、その他手続きなど基本的なことは覚え
した後、図書の修理やその時々にすること(利
ましたが、まだまだ覚えなければならないこと
用者が分かりやすいようテプラで工夫する、不
はたくさんあります。公共図書館の方はあまり
明本を探しに行く、など)をし、引き継ぎを受
分かりませんが、少なくとも大学図書館ではデ
けた後、定時と交代しカウンターに着きます。
ータベースを利用する機会がなかなかに多く、
そして利用者への対応をしつつも書類の整理
それぞれのデータベースの使い方も覚えていか
や、不明本の調査を行ない、時間になると閉館
なければなりません。また、利用者も一律と言
作業をし、1日が終わります。
うわけではないので、臨機応変さも求められま
定時・時差ともにあるカウンターでの利用
す。司書としての経験はもちろんのこと、人生
者への対応ですが、資料の貸出・返却を始め、
経験もまだまだ未熟な私にとっては、右往左往、
OPAC などを利用して利用者の希望されてい
日々勉強の毎日です。分からなければ隣の先輩
る資料を探し出したり、他大学への資料取寄せ
に目で助けを求め、助けられている毎日です。
や文献複写の依頼を受け付けたり、データベー
それでも最初に比べれば少しは良くなっただろ
スの基本的な使用法を説明したりと様々あり
うと高をくくりつつも、ことある毎に落ち込ん
ます。たとえば OPAC での資料検索だと、利
でしまったりすることもありますが、利用者か
用者が希望しているものをキーワードとして入
らの「ありがとう」の一言でまた舞い上がった
力し検索していくのですが、これがなかなか上
りと、本当に忙しい毎日です。少しでもこの「あ
手くいきません。利用者の方がある程度タイト
りがとう」を増やしていけるよう、今日もまた
ルを分かっていたり明確なものがあればすんな
1日がんばっていきたいと思います。
りとご案内できるのですが、おぼろげな形だっ
(なかやま・ななえ 2006 年卒業)
ニューズレター第13 号
(2006.10)
文学と対峙する時
上 村 倫 行
人間は本来的に自由であり、自己が自己自身
現実的と言っていいのかも知れないが、しかし
であるのは、意識が本来的にもつ志向性による。
どこか観念的である。
――高橋和巳「文学の責任」
高橋和巳の最後の著書『わが解体』のなかで、
次のような一文がある。
1 言葉
言葉について考えてみる。
さて、それにしても学問とは、一体、何
いくつもの言葉が織りなす会話という意思伝
なのか?(*1)
達方法は時としてその言葉の力を発揮すること
なく、少しも伝わらずにいることの方が多く感
このように静かに述懐している。このむき出
じられる。それは、夜空に燦然と輝き続ける星座
しの疑問符はおそらく、世間への問いというよ
の継続性とは違い、儚く散ってゆく花火の一瞬
りむしろ高橋和巳自身が自己へ問いかけた、高
のようだ。しかし、それが言葉の持つ本来の姿な
橋和巳永遠のテーマだったのではないだろう
のかも知れない。確かに言葉の持つ力は強い。い
か。この言葉は、学問、つまり高橋和巳が晩年
や、言葉は強く弱い。たった一言ではじまりもあ
に身を置いていた大学という組織だけでなく、
れば終わりもあり、励ましにもなれば凶器にも
高橋和巳が一生涯司った文学というジャンルで
なる。考え尽くした言葉をいくつ連ねても伝わ
も言えることだろう。
らない時もある。会話による言葉は一瞬である。
そして、高橋和巳は文学について、
言葉についてもう少し考えてみる。
いくつもの言葉が奏でる文章という意思伝達
文学は、過去の運命の嘆きや美化では
方法はつねに継続性を保っている。たとえば文
なく、むしろ、未来にむけての自己自身
学、とりわけ小説というジャンルから考えた時、
の運命化である。(*2)
それは言葉が奏でる文章によって構築されたも
のであり、文章は書き手が無数の言葉から選択
と述べている。私も、文学は未来、つまり時
し、並べたもので、それは無からはじまる膨大
代の先をゆかねばならないと思う。それは現在
なパズルである。しかし、読み手である私たち
と未来をつなぐ細く不確かなものでありなが
読者は、その文章のどこまでを咀嚼、理解し、
ら、しかし何か時代の成りゆきに危惧するよう
何をどう受け取っているのだろうか。文学に完
な、たとえ小説という表現方法が虚構であった
成はあるのだろうか?もし仮に文学に完成され
としても、虚構のなかで現実と対峙する、それ
た形が存在すると考えた時、それはどの時点で
が文学の役わりではないか、と考えるのである。
完成されるのだろう。そもそも文学は可能なの
そして時代と文学は不可分の関係にある。高橋
だろうか。
和巳は戦後という時代に生き、戦後という時代
言葉、とりわけ文学についてもう少し深く考
と人間を描き、戦後という時代に死んだ。ただ、
えてみる。 こうして“戦後”あるいは“時代”と言ってし
まえば簡単だろう。しかしこの“戦後”とはあ
2 高橋和巳
る種特別な時代であり、一つの転換期であった。
混沌としていた戦後という時代に、文学と政
治に対峙した人物の一人に高橋和巳(1931 ー
3 戦後文学 1971)がいる。類い稀な筆力。博覧強記の高
戦後文学とは「「戦後」という日本の近代史
橋和巳から紡ぎ出される文章は、完璧なまでに
の一時代に書かれた文学の総体を意味するので
論理性を保っている。小説の内容は戦後という
あり、具体的にいうと、1945 年から 1990
時代に大きく影響を受けた作品が多く、それは
年代前半までの約 50 年間を「戦後」という言
葉が使われた「戦後時代」とし、その間に書か
く人間であり(*11)」、それと同時に様々な問題
れた文学が「戦後文学」ということになる(*3)」。
と対峙した主人公の物語でもある。高橋和巳の
その文学の多くは時代に密着していた。それは
本質は「戦後の思想に対する批判とともに、時
つまり、政治が文学に内在していたといえる
代の精神のなかで、無残な宿命を負って敗北し
。戦前のプロレタリア文学の系譜は、戦後、
(*4)
ていく人間のエゴイズムを徹底して描かなけれ
左翼文学として名前が変化する。戦後の文学は
ばならぬという使命感のようなものが本来的な
「新憲法の制定によって、言論・思想の自由な
体質としてあった(*12)」。作品のなかで主人
どが保障されたこと(*5)
」で、にわかに活気
公は生命の彩りを放射しながら、しかしその敗
づき、その後「戦後派」と呼ばれるものが起こ
北の宿命はゆっくりと崩壊してゆく。
る。しかし「新世代の作家」と呼ばれる新人作
『悲の器』の主人公・正木典膳は、某国立大
家の登場によって文壇は大きく変わる。石原慎
学教授で世界的な刑法学者。妻・静枝を喉頭癌
太郎である。石原慎太郎(*6)は 1955 年に『太
ではやくに失った典膳は、家政婦・米山みきと
陽の季節』で「文學界」新人賞を受賞し、翌年、
二人不自由な暮らしをしていたのだが、友人で
芥川賞を受賞する。高橋和巳も同じ年に「文
ある最高裁判所判事・岡崎雄二郎の媒酌で、某
學界」に「貧者の舞(*7)」を投稿したのだが、
大学名誉教授・栗谷文蔵の令嬢・栗谷清子と再
第一次通過作品にも入らなかった。高橋和巳は
婚するはこびとなった。清子との婚約が成立し
石原慎太郎の『太陽の季節』を読み、衝撃を受
た時、みきから不法行為による損害賠償を請求
けた。その時受けた衝撃について高橋和巳は「投
され、スキャンダルとなる。新聞記事にはみき
稿について」というエッセイで当時の心情を告
の写真が掲載され「肉体をふみにじり、女ひと
白している。
りの運命をもてあそんだ人非人」と書かれた。
法をもって人を律することを己の学問的信念と
その衝撃は直叙形では言いにくいが、た
する典膳は逆に名誉毀損の訴えを起こして法の
とえて言えば、埴谷雄高の『死霊』の主人
戦いに挑む。
公三輪与志のような陰鬱な青年がわけの
わからぬことを考えながら散策している
私は名誉毀損の告訴をとりさげるつも
道を、颯爽たる新時代が轟音をたてる単
りはない。法に抵触する事実は断じて事実
車で駆けすぎるのを呆然と見送る、といっ
であり、中傷の内容いかんにかかわらず、
た情景にちかい。この人の登場と、それを
あきらかに名誉毀損した人物に対して、法
支持する世代や階層の隆起は、必然的に
律は私の味方である。この人間の現実にお
他の部分の陥没をもたらすだろうことを、
いて、私が最後の拠点とするのも、私の法
私は直感した。(*8)
律家としての名誉にかけて常に法である。
(『悲の器』第1章)
『太陽の季節』の軽快な文体はまさに颯爽と
駆け抜けていく単車のようだ。高橋和巳は、そ
法によって人を律する立場であるはずの典膳
の軽快な文章と、それを受け入れる世間に嫉妬
は、同時に二人の女性と関係を結ぶ。妻・静枝
していた。高橋和巳の文章は颯爽と駆け抜ける
と家政婦・米山みき。静枝を喉頭癌で亡くして
単車とは違い、むしろ「重戦車(*9)」のよう
からは、みきと令嬢・栗谷清子。一般的に考え
に重々しい。重戦車は7年後『悲の器』を引っ
て、同時に二人の女性と関係を結ぶことは人の
提げて世に登場する。
倫から外れた行為なのだが、しかし典膳に罪の
意識はない。
4 出発、そして終着
『悲の器』は昭和 37 年、第1回河出書房新
家政婦米山みきとの交情、婚約者との
社「文芸賞」長編部門を受賞し、高橋和巳の出
あいだの関係も、独身の、それぞれ独立
世作となった(*10)。「高橋和巳の小説の主人
人格者である婦人との合意のうえで結ば
公はたいていの場合、論理的に自己解体してゆ
れたものである。(『悲の器』第1章)
ニューズレター第13 号
(2006.10)
典膳には愛情の理念が欠落していた、とまで
『我が心は石にあらず』の主人公・信藤誠は
言ってしまうのは過ぎるだろうか。典膳は、あ
不均衡な愛と対峙した。重役昇進への道を拒否
たかも自分が絶対的な神であるかのような自信
して労働運動を指導し、その過程で萌芽した愛
に満ちあふれた気質の持ち主であるのだが、し
の心をはぐくみながら、しかし苦痛のなかで生
かし自分自身の歴史のなかで築き上げたものな
き抜いてゆく。高橋和巳は『我が心は石にあら
どは不安定で一瞬にして瓦解してしまい、この
ず』について、
世には絶対という概念が存在しないという<悲
しい>現実と、自分という<器>はものの見事
私たちの心の支えは、つねに愛と理想な
に崩れ去った。法学者の悲劇である。
のだが、それは多くの不幸な状況の中で
『悲の器』は法律と学問、愛と権力に纏われ
芽生え燃焼し、しかもともすれば崩れるの
た小説であるのだが、この小説の注目すべき点
はなぜだろうか。/密室の愛情ではなく、
は何より、小説という虚構現実表現のなかで、
ともに社会的職務を担った男女の愛情と
法律と学問の実践を行ったところである。正木
その破綻をとおして、私は現代に生きるも
典膳の「現象学的刑法学」は高橋和巳が設定し
のの精神のあり方を考えてみようとした。
た架空の学問である。高橋和巳はある対談で
冷く硬直せず、しかも時の推移につれて
「ああいう学問は現実的には今のところ存在し
移り変わることのない心とは、どういう
ない(*13)」と語っていたという。「現象学的
ものか。(*21)
刑法学」はおそらくドイツの哲学者・E・フッ
サール(* 14) の現象学が基礎となっているの
と述べている。はじまりと終わりが必ず訪れ
だろう。しかし高橋和巳の学問的基盤は中国文
る愛の推移は、錯綜する人間関係のなかでまた
学である。また『悲の器』は法律を扱った小説
しても敗北の宿命へと終着する。
であるが、高橋和巳は『悲の器』を執筆するに
そして『わが解体』の著者でもあり主人公で
あたって法律関係の本を 100 冊も読んだとい
もある高橋和巳は、自己と対峙した。大学の解
う(*15)。文庫版『悲の器』の「解説」を書く
体、学問の解体、自己の解体。解体とはつまり、
宗左近は「高橋世界を論じようとすれば、人類
蘇生の逆説的弁証法であって、自己否定もまた
の精神史すべての再検討をせまられざるをえな
自己を否定することによって、自己を再認識す
いのです(*16)」と述べている。そして埴谷雄
ることである。解体も自己否定も言葉の表現方
高(*17) が「文芸賞」の選評で「戦後文学の
法は違うのだが、根本的な部分ではおそらく共
影響を最も正当に受けた全体小説の志向をもつ
通するものがあるのではないか。「無神論から
」と評したように、
『悲の器』はまさに「全
(*18)
自身の文学論を構築し、文学的実践から全共闘
体小説」なのである。
運動に参加するという現実の倫理に帰結した彼
高橋和巳は、昭和 37 年に発表した『悲の
の生は見事に論理的であった(*22)」。
器』で小説家としての地位を確立し、そして昭
高橋和巳にとって文学は自己との対峙であ
和 46 年『わが解体』に至るまでに数々の長編
り、また自己の立ち位置を客観的に踏まえた上
小説、評論等を量産し、世に送り出していった。
で表象された自己であった。
高橋和巳は、現実世界で起きた様々な問題や事
象(政治、歴史、宗教等)を題材にして小説を
5 文学と対峙する時
創作するのが常套手段であるのだが、しかし最
さて、私はこの限られた稿のなかで文学とい
終的には人間としての何か観念的な世界へと終
う漠然とした形態、あるいは様式、あるいは立
着する。高橋和巳は「観念というものが、単な
ち位置について、高橋和巳の直接的な言葉であ
る知性の記号ではなく、或る人間の内部に、暗
る評論から、あるいは『悲の器』という実践的
く、微妙に、あいまいに、いっそう繊細な生き
な言葉である小説から言葉を借りながら筆を
物のように存在しているのだということを感覚
進めてきたわけが、しかしこれらの文章は畢竟
(*19)」的に捉えた作家だった。たとえば『我
するに私の「印象批評」でしかなく、私の文章
が心は石にあらず』(*20)。
に根拠はあるのかも知れないが、無いのかも知
れない。フランスの哲学者・J = P・サルトル(*
(*7)北川荘平は『悲の器』以前の文体であるとして
23)は『文学とは何か』のなかで「読書は、方
「貧者の舞」を投稿したものであると推測してい
向づけられた創造だ(*24)」「小説的世界が最
大の密度を示すためには、読者がその世界を発
見するために行う開示――創造が、想像上の行
動への参加でもあらねばならない(*25)」と述
べている。これもまた私の一義的な解釈でしか
ないのだが、つまり、読書とは読み手によって
様々な解釈が存在し、読書は言うまでもなく読
者の自由な行為であるわけだから、作者によっ
て提示(=方向)された文章を、読者の「読書」
という行為によって完成(=創造)され、また
能動的に「参加」する、ということである。
文学とは非常に曖昧な学問である。根底に流
れる基本的な、あるいは第一義的に考えられる
要素すら無い。一体何が文学なのだろうか。無
から構築された小説が文学なのか。それとも小
説を分析したもの、あるいは分析する行為が文
学なのか。その場合どこまでの距離を範囲とし
て捉えた分析が必要なのか。「文学」
「作者」
「世
界」「読者」「文体」「歴史」「価値」(*26) と、
文化的な意味、つまり内在的な部分だけでなく、
外在的な部分を挙げてしまえば限りは無い。そ
の他にも、個人の思想/思考/情念を文章にし
たものも文学と呼ぶのか。よく解らない。また
私自身、どの立ち位置で文学を考えているのか
も解っていない。よく解らないまま、私は無責
任に筆を置く。
(かみむら・のりゆき 人間文化学部
文化コミュニケーション学科 4 回生)
註釈
る。(「長編小説の鬼」
『高橋和巳の青春とその時
代』編/小松左京 構想社 1980 年)
(*8)高橋和巳「投稿について」『高橋和巳作品集8』
河出書房新社 1972 年 (*9)北川荘平「長編小説の鬼」『高橋和巳の青春とそ
の時代』編/小松左京 構想社 1980 年
(*10)
『悲の器』については前回の「ニューズレター」
(2006 年3月 30 日 第 12 号)にも書いた
のだが、今回も『悲の器』を扱うため、便宜上
説明が必要となるので周辺事情と概要を記す。
(*11)海原猛「高橋和巳の文学と思想」
『高橋和巳作品
集6』月報1
(*12)太田代志朗『高橋和巳序説』林道舎 1998 年
(*13)宗左近「解説」『悲の器』高橋和巳 新潮文庫 1992 年
(*14)
[エドムント・フッサール](1859 − 1938)
ドイツの哲学者。はじめは数学、自然科学を学
ぶ。さらに論理学を研究し、その後「現象学」
と提唱する。
(*15)『高橋和巳の青春とその時代』編/小松左京 構想社 1980 年
(*16)宗左近「解説」
『悲の器』高橋和巳 新潮文庫 1992 年
(*17)
[埴谷雄高](1910 − 1997)小説家、評論家。
ロシア文学、特にドストエフスキーに強い影響
を受ける。宇宙存在を描く形而上小説『死霊』
を第9章まで発表するが、未完のまま逝去。
(*18)編/石本隆一『日本文芸鑑賞事典』ぎょうせい
(*19)秋山駿「解説」
『我が心は石にあらず』高橋和巳
新潮文庫 1980 年
(*20)雑誌「自由」に、1964 年 12 月から 1966
年6月にかけて連載された。
(*21)『我が心は石にあらず』(高橋和巳 新潮社 (*1)高橋和巳『わが解体』河出書房新社 1971 年
1974 年)の単行本の帯に書かれた「著者のこ
(*2)高橋和巳「文学の責任」『高橋和巳作品集8』
とば」からの引用。
河出書房新社 1972 年
(*3)川村湊『戦後文学を問う』岩波新書 1995 年
(*22)真継伸彦「全共闘運動と高橋和巳」
『高橋和巳論』
文和書房 1980 年
(*4)戦後文学を語る場合、それは逆に、いや、必然
(*23)
[ ジ ャ ン = ポ ー ル・ サ ル ト ル ](1905 −
的に外在的な時代の要素も視野に入れながら論
1980) フ ラ ン ス の 哲 学 者、 作 家。 サ ル ト ル
じなければならないということである。
が戦後に提唱した「実存主義」は世界中を席巻
(*5)編者代表/内田保男 石塚秀雄『カラーワイド
し、特にフランスでは絶大な影響力を持った。
新国語要覧』大修館書店 2000 年
(*6)
[石原慎太郎]
(1932〜)作家、東京都知事。
小説家として出発した身でありながら、言語が
与える影響が小説という虚構の世界ではなく、
実世界での言語の方が影響力があると考え、だ
1964 には「ノーベル文学賞」に選ばれたのだ
が、
「いかなる人間でも生きながら神格化される
には値しない」と言って辞退する。
(*24)J = P・サルトル『文学とは何か』訳/加藤周
一ほか 人文書院 1998 年
から現実の政治という世界へ身を投じてしまっ
(*25)同上
たのだろうか。私は石原慎太郎の著作を『太陽
(*26)石 井 洋 二 郎『 文 学 の 思 考 』 東 京 大 学 出 版 の季節』しか読んでいないので詳しくは解らない。
2000 年
ニューズレター第13 号
(2006.10)
今年度前半期では読み聞かせのイベントなど本
領を発揮したい場面にあまり恵まれず、少々残
念な形で経過しましたが、秋学期からは龍尾祭
を初めとして、より積極的にそうした機会の獲
得に努めていきたいと思っています。
(報告:尾崎)
4 月 20 日:亀岡ソロプチミストさんより支援
金贈呈式
単なる贈呈式出席だけではなく、代表出席の
中嶋伸が初挑戦ながら見事な紙芝居を披露し
てくれました。部員一同より感謝を。
4 月 23 日:お花見
既に散り始めた桜を眺めながら。
4 月 30 日:明智越え
エディテクメンバーも参加しての登山。暖か
くなってきた初々しい緑の景色と保津峡を眺
後 記
◆このような小さな冊子でも、編集作
業 に は そ れ な り の 神 経 を 使 う。巻
頭 言 を 誰 に お 願 い す る の か、構 成
は ど う か、何 よ り も 執 筆 を お 願 い
し て、ち ゃ ん と 出 来 て く る か は 執
筆 者 だ の み で あ る。そ こ に 編 集 者
と執筆者との間の緊張関係がある。
◆漫然と発行しているつもりはなく、
望、結構な人数での山越えで、エディテク外
司書課程が社会の中に根付いてい
の方々との交流にもなりました。
て、そ こ で 望 ま れ る 教 育 を 学 生 に
行って行くための交流に必要な冊
6 月 3 日:亀岡市立幼稚園四十周年記念バザー
参加
子 で あ る と い う 認 識 で あ る。そ の
た め に 卒 業 生 の 就 職 活 動 や、就 業
「牛乳パックのビックリ箱」工作ブースで参
体 験 な ど は、な る べ く 掲 載 し て 行
加。多くの子どもたちに遊びに来て貰いまし
き た い し、そ れ を ま た、学 生 に は
た。また工作ブースでの活動以外における子
読んで自らの糧にしてもらいたい
どもたちとのふれあいにも多く恵まれ、各部
と考えている。動いて行く時代と、
員共に充実した活動が出来ました。
6 月 25 日:新歓 兼 京都教育大児童文化研究
会「さわらび」さん人形劇鑑賞
今年度の龍尾祭で人形劇をやろうと目論んで
いたので、参考にさせて頂くために新入メン
それに対して格闘する司書課程周
辺の関係者たちの息づかいを感じ
取っていただければさいわいであ
る。後 世 か ら 見 る と そ れ が 歴 史 に
なるのだろう。
バーを含めて劇団「さわらび」さんの人形劇
の見学に行ってきました。劇終了後にお話を
伺わせて頂く機会を得て、また何より上演中
の子どもたちの楽しそうな様子も併せて俄然
燃えました。その後絵本作家展鑑賞、新人歓
迎会開催。沢山食べました。
夏休み中は殆どの部員が帰省、特別なイベント
もありませんでしたが、地味に龍尾祭に向けた
オリジナル人形劇の制作を開始。
京都学園大学司書課程 第13号 2006年10月1日
(年2回発行)
編集・発行 京都学園大学司書課程
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