第8章 歴史書 モーセの後を継いだヨシュアは、「約束 の地」で新しい国

第8章 歴史書
モーセの後を継いだヨシュアは、
「約束
の地」で新しい国づくりを始めた。その
しし
後の指導者たちは 12 人の士師、預言者、
祭司、王たちであった。
以下、ヨシュア記からエステル記までの9
エリコの陥落
書を概観しよう。
キーワード
ヨシュア記、士師記、ルツ記、サムエル記、列王記、預言者エリア、
歴代誌、エズラ記、ネヘミヤ記、エステル記、まとめ
メンデルスゾーン作曲「エリヤ」鑑賞
1, ヨシュア記
ヨシュアはモーセの後をつぎ、民を「約束の地」
・カナン、今のイス
なんこうふらく
ようさい
ラエルに導いた。最初の難関は難攻不落の要塞エリコを通過すること
だった。
しし
2, 士師記
しし
イスラエルを率いた指導者たちの中から、12人の士師の物語が集め
かっとう
られている。パレスチナを征服したとき、先住民族との葛藤があった。
遊牧民だったイスラエルは、先住民に農耕技術を学び平和な時代をす
ごし we
た(1)
。そこで農耕文化と結びついた土着宗教との混交が生じ、神へ
みんぞくそんぼう
の信仰がゆらぎ、民族存亡の危機をまねいた(2)
。民は苦しみの中で
悔い改め、神の名を呼んだ(3)
。すると神は民を助けるために「士師」
を立て、民の危機を救った(4)。
「士師記」は 12 人の士師たちをこの
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第 10 章 歴史書
(1)から(4)までの循環法によって記している。 3, ルツ記
約束の地カナンに住むようになって間
ききん
もない頃、ベツレヘムは飢饉に見舞われ
た。
主人公ナオミは夫と隣国モアブに移住
した。そこで2人の息子が成人し土地の
落ち穂拾い・ミレー
娘と結婚した。オルパとルツである。
な
ところが、ナオミは夫を亡くし、つづいて2人の息子も失ってしまっ
よめ
た。ナオミは年若い2人の嫁に言った。あなたがたは再婚の機会もあ
ろう。ここで別れそれぞれ新しい道を歩きましょう。オルパは去って
いった。しかしルツは義母ナオミと道を共にすると言った。こうして
ナオミは息子嫁のルツと共に、夫の故郷ベツレヘムに悲しみの帰還を
ひ
した。さて、刈り入れ後の畑で落ち穂を拾うルツの姿に惹かれた地主
のボアズが結婚を申し込み、ルツと結婚することになった。その子孫
からダビデが生まれ、ずっと後になってイエスが生まれるという話で
ある。ルツは異邦の国モアブの人であるが、イエスの先祖の1人となっ
た。ルツ記は4章の短い物語であるが、ミレーが描いた「落ち穂拾い」
と共によく知られている。
聖書の中で数少ない女性主人公の書である。
きわ
また、ルツは、貧困の極みからイエスの先祖になるという、聖書の中
なぐさめ
はげ
のシンデレラストーリーとしても、多くの人を慰め、励ましている。
4, サムエル記 上・下
物語はサムエルの誕生から始まる。ハンナは年
をとって子がなかった。ハンナの切なる願いが聞
かれ、サムエルが生まれた。そのときの「ハンナ
へ
サムエルの少年時代
の歌」(2 章)はながい時を経て、クリスマスの
「マリヤの賛歌」(ルカ 1:46 ∼ 55)の原型になっている。
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第 10 章 歴史書
ししょう
サムエルは幼時から師匠エリのもとに預けられ預言者としての教育
を受けた。
預言者となったサムエルは、王制を求める民の要求に反対した。
(8:
ちょうへい ちょうよう ちょうぜい
6)王制の本質は徴兵、徴用、徴税である。王制となれば、民の自主性
や独立性は失われると、憂国の預言をした。しかし、時代の流れはサ
ムエルの預言とは反対の方向へと向かった。預言者サムエルは意に反
にんしょくしき
していたが、サウルに油を注いで王の任職式を行った。
こうしてサウルはイスラエルの初代の王となった。ところが、サウ
ルは王位につくとまもなく精神が不安定になった。悪夢にうなされ
さいぎしん
ひそ
猜疑心に苦しんだ。身内の者を殺害するほどになった。サムエルは密
かに次代の王としてダビデに油を注いで任命する。ダビデの物語が後
に続く。
5, 列王記 上・下
ソロモン王の子どもたちによって、国は南北朝にわかれた。本書は
じせき
南北両王国の事績である。ダビデの晩年とソロモンの治世から始め、
北王国イスラエルと南王国ユダの分裂時代を経て、アッシリアによる
北王国滅亡と、バビロンによる南王国ユダの滅亡までを範囲とする。
なかでもソロモン王は知恵と富に恵まれた伝説的な存在として描か
れている。ソロモンは外国の女を妻とし、異教の神々を持ち込んだ。預
かんこく
言者は王に向かって神の戒めに従うように勧告した。
このような初期の預言者の中からエリヤをくわしく取り上げようと
思う。 預言者エリヤ
そうわ
エリヤ物語は列王紀上 17 章から列王記下 2 章まで、六つの挿話から
なっている。時代は出エジプトの民が約束の地カナンを取得して間も
ない頃。そもそも遊牧の民であったイスラエルが、豊かなカナンに移
かてい
住して農耕民族へと自ら変革をしていく過程にあった。イスラエルは
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せっしゅ
先住民カナン人に農耕技術を学びその文化を摂取
しながら、農耕民族化した。
そこでバアル神を奉じるカナン宗教と出会った。
ほうじょう
バアル宗教の根本は「豊穣」である。農民は、土
に種をまく。そこに生命が生まれ、実を結ぶ。そ
のように生命の誕生を喜び、豊穣を祝う。バアル
宗教の多神教とイスラエルの唯一神との出会いと
混交の形跡は、たとえば別名を「エル・バアル」
と呼んだ勇者ギデオン(士師 7:1)などある。
「エ
ル」は唯一神の神名である。「バアル」はバアル神
の名である。他にバアル・ベリテ(士師 8:33)な
預言者エリヤ
ど多数見られる。
イスラエルの危機、バアル宗教による弾圧
ききん
イスラエルは二つの危機を経験した。一つは激しい飢饉である。も
おうひ
う一つはアハズ王が異国から迎えた王妃イゼベルがバアル神を導入し
たて
たことである。王妃イゼベルは王の権力を盾にして、イスラエルの預
言者集団にバアル神への改宗をせまって迫害弾圧し、預言者を多数殺
した。そのとき、王家の祭司オバデヤは預言者たちを 50 人ずつほら穴
に隠して100人の預言者を救った(列王紀上 18:4)
。それほど激しい弾
ぼくめつ
圧であった。バアル預言者たちからの迫害弾圧、撲滅運動という試練
くっ
の中で、バアル神に屈するか、創造神に立ち返り、民族の復興をなし
しょうてん
うるか。エリヤの預言者としての活動はここに焦点があった。
預言者エリヤはいきなりアハブ王の前に現れて、神の厳しい審判を
告げる。そのため <
彼は王の迫害を受ける身となった。迫害を逃れたエリヤはヨルダンの
川の東、ケリト川のほとりに身を隠し、そこで 3 年 6 ケ月、カラスが
やしな
運んでくるパンと肉で養われた。この話は、
「空の鳥、野の花を見よ」
という教えの背景をなしている。また、
「人はパンだけで生きるもので
はなく、神の口から出る一つ一つの言で生きるものである」というイ
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エスのことばに結びついている。
カルメル山での戦い
アハブ王はひでりの責任をエリヤに問うた。しかし、その責任はア
ハブ王とその一族のバアル礼拝にあると言って、エリヤはアハブ王を
きゅうだん
糾弾している。この問題の決着をつけるためにカルメル山でバアル神
と唯一神ヤーウェの対決を提案する。イゼベルの陣営にいる 450 人の
バアルの預言者と 400 人のアシェラの預言者、そしてイスラエルのす
べての人がカルメル山に集合した。エリヤは全ての民に向かって言っ
た。
「あなたたちはいつまでどっちつかずに迷っているのか。もし主が
神であるなら、主に従え。もしバアルが神であるなら、バアルに従え」
せま
と決断を迫った。ついに、一人になったエリヤは 850 人のバアルとア
シェラの預言者と対決した。この戦いは、祭壇にささげた犠牲の牛に
くだ
「火を下して焼きつくす神が真実の神である」とのエリヤの提案によっ
て行われた(18:24)
。
バアルの神は一日待っても火をもって答えなかったが、エリヤの神
は火をもって答えた。エリヤはこの戦いに勝利したのである。エリヤ
はバアルの預言者をことごとく捕らえて殺した。このような皆殺しは
ざんこく
残酷である。これは、偶像神の根絶を要求する神の意志によるもので
あった。こうして神はエリヤをつかわして民族的危難からイスラエル
を回復したのである。
れきだいし
6, 歴代志 上・下
前記「列王記」とほとんど同時代の王についての列伝である。しか
し両者の歴史観は同じではない。本書は「歴代志的歴史観」と呼ばれ、
以下エズラ記、ネヘミヤ記、エステル記に流れている。
せいは
新しく興ったハビロンの帝国制覇によってイスラエルは滅ぼされ、
国の主だった人たちは強制連行された。それから 50 年の時を経て、バ
ビロンを倒したペルシアによって、イスラエルは解放された。この歴
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史観は、捕囚中でうまれた。もしくは捕囚からの解放後の思想と言え
る。帰還した民が、祖国再建にとりかかるにあたって、民族の歴史を
回顧し、
「ダビデ王」の繁栄を再現したいと願った。
ダビデの系統こそが歴史を担っていく正統と考えられた。ダビデに
つらなるものは正しく、それ以外のものが排除されていく。列王記は
預言者の立場から将来を夢見て、現在の問題を厳しく裁く。これに対
して歴代志は祭司の立場から、過去の栄光を復活させようとする正統
主義的また保守主義的傾向が見られる。
一例を挙げると、ダビデは政権についてまもなく人妻バト・シェバと
通じて、その夫ナタンを前線で死亡させて、バト・シェバを奪い取っ
た。いわゆる「バト・シェバ事件」を起こした。預言者ナタンはダビ
ざんげ
デの罪を指摘し、叱責する。ダビデは神に懺悔して、その罪を赦され
た。
(サムエル記下 11、12 章)。ところが、歴代志はこの話を削除して
いる。正統主義的立場からこの記事は好ましくないのである。
このように、預言者的歴史観に立つ列王記と、祭司的歴史観に立つ歴
代志と両方を並置して編集している所に、聖書の特色がある。異なる
ものを排除せずに、共存させ、相互批判から学ぶものを提供している。
7, エズラ記
エズラは捕囚から解放された帰還民の指導者として祖国再建に尽力
した学者であり、祭司である。彼は紀元前 538 年、ペルシャ王キュロ
スによって、解放された。祖国に帰還した民は名簿によると第1次帰
還者だけで4万 2360 人とある。これは成人した男子の数なので、その
妻子をいれると少なくとも4倍はいたと考えられる。
ところが、捕囚の 50 年のあいだに、祖国にはすでに多くの移民達が
住み着いており、彼らは先住権を主張した。帰還民とのトラブルは現
在のパレスチナ問題まで糸をひいている。
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8, ネヘミヤ記
ネヘミヤは捕囚民の一人、彼はペルシャ王の給仕役をしていた。上
記のエズラと協力して祖国再建に尽力し、エルサレム神殿の再建をな
しとげた。新しい神殿の献堂式のときの様子は次のように記されてい
る。
総督ネヘミヤと、祭司であり書記官であるエズラは、律法の説明に
当たったレビ人と共に、民全員に言った。
「今日は、あなたたちの神、
主にささげられた聖なる日だ。嘆いたり、泣いたりしてはならない。」
民は皆、律法の言葉を聞いて泣いていた。彼らは更に言った。
「行って
そな
良い肉を食べ、甘い飲み物を飲みなさい。その備えのない者には、そ
れを分け与えてやりなさい。今日は、我らの主にささげられた聖なる
日だ。悲しんではならない。主を喜び祝うことこそ、あなたたちの力
みなもと
の源である。」
(ネヘミヤ記 8:9∼10)
9, エステル記
女性を主人公にした捕囚文学。バビロンの捕囚民
のなかから王の側室が選ばれることになった。その
なかから選ばれたエステルの話である。エステルは
捕囚民の同胞の地位向上に多大の貢献をした。 エステル
まとめ
神話の部で語られた楽園喪失は、その後、楽園回復のテーマとなっ
た。歴史の部で「約束の地」を目ざすというキーワードで展開された。
アブラハムは地縁・血縁社会を離れ、神との契約に基づく新しいコ
ミュニティを目ざして旅立ち、約束の地イスラエルに向かった。その
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子孫は3代目のヤコブのときに、約束の地を離れエジプトの奴隷に身
を落とした。約 400 年の時を経てモーセは民を導き出し、
「約束の地」
を目ざした。モーセの後を継いだヨシュアが民を約束の地に導き、新
しい国づくりを始めた。
「十戒」は、その基本理念をあらわしている。
イスラエルは、200 年ほど「部族連合」の形をとった。しかし、人々
は「王国」を求めた。こうしてイスラエル王国が誕生し、サウル王、ダ
ビデ王、ソロモン王ら3人によって最盛期を迎えた。しかし、ソロモ
ンの子たちは南王国ユダと北王国イスラエルに国を分裂させた。その
くっ
後、バビロンの帝国支配に屈し、4000 人の技術者、知識人が捕虜に引
かれた。それから 50 年に及ぶバビロン捕囚を体験しなければならな
かった。
こうした歴史に流れている精神は、
人を頼らないで神を信じること。
神からの力によって生きていくことである。けれども預言者たちの警
告は聞かれることなく、国は滅ほざれたのである。失われた楽園は、ふ
たたび求める目標となる。
「約束の地」、すなわち新約聖書でいう「神
の国」の到来はイエスの登場を待たねばならない。
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