第65巻第4号掲載論文

 『法学』投稿論文
緊急人道支援のディレンマに関する一考察
ソマリア・ボスニア・ルワンダにおける武力紛争の事例を中心に
博士課程後期1年 上 野 友 也
目 次
序
第一章 緊急人道支援のディレンマに関する議論
第一節 主要な先行研究
第二節 先行研究の問題点
第三節 新たな分析枠組の提示
第二章 緊急人道支援のディレンマに関する事例の考察
第一節 事例の選別
第二節 緊急人道支援のディレンマのメカニズム
一、「紛争当事者による人道支援の戦争への転用」
二、「被災者による人道援助物資への依存」
第三節 緊急人道支援のディレンマの緩和策
結論
序
『エヴェヌモン(LÉvénement du Jeudi)』誌の「思想」欄を担当している編集者・哲学博士フィ
リップ・プティ(Philippe Petit)と、国境なき医師団(Médecins sans frontières; MSF)の元理事で
あるロニー・ブローマン(Rony Brauman)は、ブローマンが長年従事してきた人道支援活動に関
する対談を行った。以下の対話は、武力紛争における緊急人道支援のディレンマ(以下、単に
1 についてプティが質問し、ブローマンが回答した場面である
「緊急人道支援のディレンマという)
2。
問 人道援助の活動家は、悲劇を免れる ことができるでしょうか。ボスニア での戦争を長期化させてい
ると人道支援が非難されたことを、あ なたは知らないはずはないでしょ う。やはりこれは考慮されるべ
きです。そうは思われませんか。
答 人道支援は、確 かにこのディ レンマから 逃れられま せんが、人道支援 分野が誤解 されないよ うに、
ディレンマに関してさらに説明を 加えましょう。今世紀初めの人道諸条 約をめぐる議論において、戦争
は最も短いものだと、軍人は反論を 提起してきました。武力紛争に余計 な手段を一つ投入すれば、それ
だけ武力紛争を長引かせることになるという反論です。
このディレンマを解決するうまい方法はありません。むしろ、人道支援の構造的な矛盾として、
この事実を捉える必要があります。現実のものとしてこの矛盾を見なければ、無分別あるいは日
和見主義によって、あなた方は誤りを犯すことになるでしょう。戦争の全体構造のなかに、人道
援助が必然的に組み込まれている。このことはこの上なく自明のことです。しかし、だからと
いって、被災地に関与してはいけない理由になるでしょうか。
国連難民高等弁務官事務所(Office of the United Nations High Commissioner for Refugees, 以下、
「UNHCR」という)は、1997年に公表した『世界難民白書』において、緊急人道支援の
ディレンマについて以下のように報告している。
ごく最近まで、人道援助のマイナス の側面を論じることは無意味なこ とであり、道義的に許されない
とさえ考えられてきた。人道援助を 動かす理念と、被害者を生み出す側 の理念とが、あまりにもかけ離
れているからである。しかし、戦争が激化して長期化し、人道機関が紛争に深く関わるようになると、援
1.
「緊急人道支援のディレンマ」という言葉は、国際人道機関の関係者や国際人道支援の研究者の中で一般的
に用いら れているのだが、その言葉の明確な定義は存在していない。例えば、ブローマンは、緊急人道支
援活動に携わる NGO は、国家から財政的に自立して活動するのが望ましいが、実際には、国家からの資
金援助な しでは活動できないというディレンマを、緊急人道支援のディレンマの一つとして取り上げてい
るのだが、これは、緊急人道支援に固有の問題とは言い難い( Rony Brauman, and Philippe Petit, Humanitaire,
le dilemme : entretien avec Philippe Petit, Conversations pour demain ; [no 1], Paris: Editions Textuel, 1996, pp. 2930)。本稿においては、後述するように、緊急人道支援活動によって武力紛争を激化・長期化させる場合の
みを、緊急人道支援のディレンマの対象として扱った。
2.
Ibid., p. 40. 高橋武智訳『人道援助、そのジレンマ:
「国境なき医師団」の経験から』
、産業図書、2000年、43、44
頁における邦訳を修正した。
助活動を取り巻く環境が次第に悪 化して、人道機関職員が責任を全うす ることは、だんだんと難しく危
険なものになってきた3。
冷戦終結後に生じた多くの武力紛争では、直接的な暴力行為の犠牲者4 だけでなく、紛争当事者
に扇動されたジェノサイド行為や、武力紛争に伴う飢餓や伝染病による犠牲者も多く、無数の非
戦闘員が死亡し、あるいは被害を被った結果、緊急人道支援のさらなる拡大をもたらした。国際
人道機関5 が、世界各地で支援を待つ難民や避難民6 のために、食糧や住居などを提供し、安全な
場所に保護し、病気を治療するといった援助や保護を機能とする緊急人道支援7 を大規模に実施
し、多くの人命の救済に成功したことはよく知られている。しかし、UNHCR が指摘するよう
に、緊急人道支援の持つ否定的な側面は、これまでほとんど議論されてこなかった。緊急人道支
援の拡大に伴い、国際人道機関の関係者や国際人道支援の研究者を初めとする人々が、武力紛争
をかえって激化させ、長期化させる結果をもたらすのではないかと指摘するようになってきたの
である8。本稿の議論の対象となる緊急人道支援のディレンマとは、人命の救助という短期的な目
3.
UNHCR (Office of the United Nations High Commissioner for Refugees), The State of the World's Refugees, 1997-98
: A Humanitarian Agenda, Oxford, England ; New York: Oxford University Press, 1997, pp. 47-48. 国連難民高等弁
務 官事務所編訳『世界 難民白書 199 7/98:人道行動 の課題』、読売新聞 社、1997年、46、
47頁における邦訳を修正した。
4.
本稿では 、「犠牲者」という用語は、戦争によって死亡した非戦闘員を指すものとして用い、一方、「被災
者」という用語は、戦争によって何らかの被害を被った非戦闘員を指すものとして使用したい。一般的に、
「被災者」という言葉は、自然災害による被害者を想像しがちであるが、
「罹災者」という言葉とは異なり、
本来そのような狭い意味で用いられる言葉ではない。なお、
「被害者」という言葉は、この両者を含む言葉
として用いた。
5.
本稿にお いて、「国際人道機関」という用語は、以下の三種類の国際的な人道支援機関を指すものとする。
第 一は、国際連 合によ って設置 された人 道機関で あり、国連難 民高等弁 務官事 務所(Office of the United
Nations High Commissioner for Refugees; UNHCR)、国連児童基金(United Nations Children's Fund; UNICEF)、
世界食糧計画(World Food Programme; WFP)、国連パレスチナ難民救済事業機関(United Nations Relief and
Works Agency for Palestine Refugees in the Near East; UNRWA)などが代表的なものである。第二は、赤十字
運動 を国際的に展開している人道機関であり、具体的に は、赤十字国際委員会(International Committee of
the Red Cross; ICRC)と 国 際 赤 十字・ 新月 社 連 盟(International Federation of Red Cross and Red Crescent
Movement; IFRC)であ る。そ し て、第 三 は、人道 支 援 を 実 施し て い る 非 政府 組 織(non-governmental
organizations)(以下、「人道 NGO」という)であり、例えば、国境なき医師団( Médecins Sans Frontières
-Doctors Without Borders; MSF)、オクスファム(Oxfam)、ケア(Cooperative for American Relief Everywhere;
CARE)などがこれに当たる。
6.
「難民(refugees)」という用語は、1951年に採択された「難民の地位に関する条約」第一条において定
義されており、1969年に採択された OAU 条約、1984年に中米諸国を中心に採択された「難民に
関するカ タルヘナ宣言」においては難民として保護される対象が拡大された。本稿では、武力紛争に伴い
国境を越 えて難を逃れた非戦闘員を「難民」と呼び、国内に逃れた非戦闘員を「避難民」と呼ぶこととす
る。なお、「(国内)避難民( internally displaced person)」という用語には、国際法上明確な規定がないが、
以 下 の 文 献 を参 考 に し た。Roberta Cohen, and Francis Mading Deng, Masses in Flight : the Global Crisis of
Internal Displacement, Washington, D.C.: Brookings Institution Press, 1998; Roberta Cohen, and Francis M. Deng,
eds., The Forsaken People : Case Studies of the Internally Displaced, Washington, D.C.: Brookings Institution Press,
1998.
標を達成するために、紛争の解決という長期的な目標の達成を犠牲にするという国際人道機関が
抱えているディレンマを意味するものとする。
これまでの緊急人道支援のディレンマに関する議論では、多くの論者がこのようなディレンマ
の事実を指摘し、あるいは、ディレンマの軽減策や回避策を挙げているが、これらを系統立てて
議論している者は少ないと思われる。その論者の中でも、この緊急人道支援のディレンマをいく
つかのパタンに分類し、体系的に議論しているのは、メアリ・B・アンダースン(Mary B.
9 とジョン・プレンダーガスト(
Anderson)
John Prendergast)10 の二人であり、この二人を人道支援
分野の代表的な論者として挙げることができる。しかし、この両者とも、国際人道機関のもつ
11 という二つの特徴を十分に踏まえた議論を展開してお
「非暴力性」とその活動のもつ「急務性」
7.
「緊急人道支援」とは、自然災害や武力紛争などの緊急事態が発生し、被災者の救済が直ちに必要な場合に
実施され る人道支援を指す。緊急事態ではない場合に実施される人道支援は、緊急人道支援とは呼ばれな
い。これ には、例えば、開発途上国などでの伝染病に対する予防接種や、エイズの蔓延を阻止するための
医 療 技術 支 援な どが 挙 げら れ る。なお、「緊 急 人道 支援」の 機 能は 以 下の 二 点で ある。第 一 は、援助
( assistance/aid)であり 、食糧、水、毛布、医療物資や住居などの物資を、被災者に提供することなどであ
る。第二は、保護( protection)であり、これには、避難所における、暴力や人権侵害から難民や避難民を
保護し、安全な地域へ避難させたり、難民を本国へ帰還させ、再定住を支援することがある。
8.
緊急人道支援のディレンマに関する代表的な議論には、以下のようなものがある。 Mary
B.
Anderson,
"Development and the Prevention on Humanitarian Emergencies," in Thomas George Weiss and Larry Minear, eds.,
Humanitarianism Across Borders : Sustaining Civilians in Times of War, Boulder, Colo.: Lynne Rienner, 1993, pp. 2337; Mary B. Anderson, and Peter J. Woodrow, Rising from the Ashes : Development Strategies in Times of Disaster,
Boulder: Lynne Rienner Publishers, 1998; Mary B. Anderson, Do No Harm : How Aid Can Support Peace-or War,
Boulder, Colo.: Lynne Rienner Publishers, 1999;Alex de Waal, Famine Crimes : Politics & the Disaster Relief
Industry in Africa, African issues, London: African Rights, 1997; Joanna Macrae, and Anthony B. Zwi, War and
Hunger : Rethinking International Responses to Complex Emergencies, London ; Atlantic Highlands, N.J.: Zed Books
in association with Save the Children Fund (UK), 1994; Joanna Macrae, "The Death of Humanitarianism - An
Anatomy of the Attack," Disasters, Vol. 22, No. 4 (1998), pp. 309-317; John Prendergast, and Center of Concern
(Washington D.C.), Front-Line Diplomacy : Humanitarian Aid and Conflict in Africa, Boulder, Colo.: L. Rienner,
1996. 緊急人道支援に関する近年の代表的な文献としては、以下のようなものがある。 Kevin M. Cahill, ed.,
A Framework for Survival : Health, Human Rights, and Humanitarian Assistance in Conflicts and Disasters, Rev. and
updat ed., New York: Routledge, 1999; Jennifer Leaning, et al., eds., Humanitarian Crises : the Medical and Public
Health Response, Cambridge, Mass.: Harvard University Press, 1999; Kimberly A. Maynard, Healing Communities in
Conflict : International Assistance in Complex Emergencies, New York: Columbia University Press, 1999; Jonathan
Moore, ed., Hard Choices : Moral Dilemmas in Humanitarian Intervention, Lanham, Md.: Rowman & Littlefield,
1998; Thomas G. Weiss, and Cindy Collins, Humanitarian Challenges and Intervention : World Politics and the
Dilemmas of Help, Dilemmas in world politics, Boulder, Colo.: Westview Press, 2000.
9.
ア ン ダ ー ス ン は、開 発援 助 や 人 道 援 助の 評 価 を、主 に 行 っ てい る 開 発 行 動 に対 す る 協 同 事 業(the
Collaborative for Deverlopment Action, Inc.)の代表であり、人道援助分野のコンサルトであるだけでなく、開
発経済学 者として、アメリカ国際開発局、世界銀行、国連人口基金、女性のための国連開発基金で相談役
を務めている。
10.
プレンダーガストは、メアリランド大学・ 国際開発紛争処理センタ(the University of Maryland's Center for
International Development and Conflict Management)の客員研究員であり、ワシントンにあるコンサーンセン
タ( the Center of Concern)における「アフリカの角」地域のプロジェクトディレクターである。
-3-
らず、後述するように、この二つの特徴は、緊急人道支援のディレンマを分類し、緊急人道支援
のディレンマの解消策を検討する上で、不可欠な要素なのである。
本稿では、緊急人道支援のディレンマを、「紛争当事者による人道支援の戦争への転用」と「被
災者による人道援助物資への依存」という二つのカテゴリーに分けたい。この二つのカテゴリー
は、前に挙げた「非暴力性」、「急務性」という二つの特徴とそれぞれ深い関連を持っている。す
なわち、前者は、国際人道機関の「非暴力性」に関連し、国際人道機関が、紛争当事者による援
助物資の転用という事態に対して、抵抗するための暴力手段を有していない結果、発生するディ
レンマである。後者は、緊急人道支援の「急務性」と関連し、国際人道機関が、被災地の復興や
その後の社会・経済開発を視野に入れず、応急措置として援助物資を大量に配布することで、戦
争の被災者が援助物資に依存し、武力紛争の長期化をもたらすディレンマである。本稿では、こ
の二つのカテゴリーを用いて、緊急人道支援のディレンマがどのようなメカニズムで発生し、あ
るいは、国際人道機関がどのようにディレンマの発生を抑止し、ディレンマを軽減できたのかを
考察したい。
ところで、緊急人道支援のディレンマが広く認識され、議論されるにつれ、このような緊急人
道支援のディレンマに関する議論が、国際人道主義の拡大と発展に否定的な効果をもたらすので
はないかと危惧する論者も現れるようになった12。このような論者は、緊急人道支援が戦争に与
える効果は微々たるものにもかかわらず、国際社会がこのようなディレンマを実態よりも深刻な
問題として認識することで、これまで培ってきた国際人道主義の評価を損ない、その結果、国際
人道機関の活動を支える国家や一般市民からの支持や援助の減損をもたらす危険を指摘している。
確かに、ニコラス・ストックトン(Nicholas Stockton)を初めとする論者が明らかにしているよう
に、緊急人道支援が戦争に与える悪影響は実質上大きいものではないし13、戦争の激化や長期化
の主たる要因が、緊急人道支援ではない以上、論理上その効果が小さいものであることは明らか
である14。しかし、国際人道機関の職員が抱える苦悩は、どの程度、緊急人道支援が戦争を激化・
長期化させているのかという点にではなく、人命を救助する行為が、同時に戦争の激化・長期化
をもたらす危険を有するという点にあるのではなかろうか。
非営利を目的とする国際人道機関による援助活動が、これまでに多くの戦争被災者を救済した
ことは高く評価されるべきことであるが、その成果をもって、戦争を激化・長期化させるという
否定的側面を相殺できるだろうか。国際人道機関が、緊急人道支援のディレンマを回避し、ある
いは解消する方法を検討せず、その活動の成果ばかりを強調すれば、ブローマンが対談で語った
ように、
「無分別」あるいは「日和見主義」に陥ることになるかもしれない。この点について、ブ
ローマンは、さらに以下のように述べている。「人々を救助し、人々の苦悩を軽減するよう励む行
為こそ、変わらず基本的に重要なのです(中略)。人道支援が、戦争を長期化させるという背徳的
な効果を有するという事実を認識することは、成し遂げるべき行動の基準、実施されるべき調整、
維持すべき援助の水準に関して、納得のいくまで自問する機会を少なくとも与えてくれます15」。
つまり、ブローマンなどの論者の指摘を鑑みれば、緊急人道支援が武力紛争にもたらす否定的効
「急務性」
11. 「非暴力性」とは、暴力手段に訴えないで人道支援を行う国際人道機関の活動のもつ特徴であり、
とは、国 際人道機関が人道上の緊急事態に迅速に対処して援助活動を実施し、このような緊急事態が沈静
化した場合には、速やかに援助活動を停止する緊急人道支援の特徴である。
-4-
果が微少であろうと、そのことで、国際人道機関は免罪されるわけでなく、被災者の苦悩を軽減
するべく、緊急人道支援の目的や手段を再検討する必要性が常にあるということであろう。近年、
国際人道機関が新しい緊急人道支援のあり方を模索するようになった背景には、このような緊急
人道支援のディレンマの問題があるのである。
本稿の狙いは、武力紛争に伴う緊急人道支援のディレンマのメカニズムを解明し、このディレ
ンマの回避策や解消策を提示することにある。以下、初めに、このディレンマに関する主要な論
者であるアンダースンやプレンダーガストの見解を概観し、次に、このようなディレンマに関す
る議論が十分に究明してこなかった緊急人道支援の特質とディレンマとの関係を踏まえ、本稿で
は二つのカテゴリーを新たな分析枠組として示したい。最後に、ソマリア、ボスニア、ルワンダ
内戦を事例として挙げ、この分析枠組を利用して、ディレンマ発生のメカニズムとそのプロセス
を考察し、さらにディレンマの回避策や解消策を取り上げたい。
12.
ジョウアンナ ・マクレイ(Joanna Macrae)は、昨今の人道主義への批判のうち一部の批判が、人道援助の
効率 性・妥当性を改善するよう要求し た従来の人道システム(humanitarian system)への批判の域を超え、
国 際 人 道機 関 が長 年 培 って き た 公平( impartiality)や中 立(neutrality)とい っ た 人道 主 義 の価 値 基準
( humanitarian values)への批判に変質したと指摘している。すなわち、マクレイによれば、後者の批判は、
人 道システムをいかに 改善するべきかとい う議論ではなく、人道 システムは改善に値 するものかどうか、
その存在意義を問い直す議論だというのである(Joanna Macrae, "The Death of Humanitarianism - An Anatomy
of the Attack," pp. 309-317)。また、オクスファムに所属しているストックトンは、人道システムへのいくつ
か の批判に対して反論し、伝統的 な人道主義の価値基準を擁 護している(Nicholas Stockton, "In Defense of
Humanitarianism," Disasters, Vol. 22, No. 4 (1998), pp. 352-360)。両者は、緊急人道支援のディレンマの問題よ
りも、伝 統的な人道主義の価値基準が廃れることを危惧しており、それゆえ、アンダースンなどの緊急人
道支援の ディレンマを指摘する論者に対してまでも批判的である。しかしながら、このような緊急人道支
援のディ レンマを解消する方法を模索している論者の中には、従来の人道主義の価値基準を発展的に継承
する必要 性を説き、国際人道機関の新たな行動規範を提案している者もおり、緊急人道支援のディレンマ
の解 消策と人道主義の価値観の保護 とは相容れない関係とまでは言 えないだろう。例えば、国際赤十字・
新月社連盟を初めとする国際人道機関が共同で策定した行動原則がある。以下の資料を参考のこと。IFRC
(International Federation of Red Cross and Red Crescent Movement), Code of Conduct for the International Red
Cross and Red Crescent Movement and Non-Governmental Organizations (NGOs) in Disaster Relief, Geneva:
International Red Cross and Red Crescent Movement, 1994. なお、国 際人道主 義におけ る中立と は、人種や民
族、宗教 やイデオロギーなどを理由として、被害者を差別して支援しないということである。言い換えれ
ば、党派性がないということである。一方、公平とは緊急人道支援を最も必要としている人々を優先して、
支援する ということである。つまり、紛争当事者のためではなく、戦争の被害者が必要としているものを
提供する ために活動することを意味している。このような国際人道主義における価値基準に関しては、以
下 の も の を 参考 に し た。Hans Haug, et al., Humanity for all : the International Red Cross and Red Crescent
Movement, Berne: P. Haupt, 1993, pp. 455-468.
13.
ス トックトンは、人道援 助が戦争に与える 影響の弱さを、事例を 挙げながら明らか にしている。例えば、
アフガニ スタンでは、人道援助の全体の額が、年間1億2000万ドルであったが、これに対して、紛争
当事者が 利益を上げていると考えられる麻薬生産では、末端価格で150億ドルにもなり、規模の上から
いうと、人 道援助が戦争に与える影響は大きくない。国際人道機関の多くが、1996年にルワンダでの
緊急人道 支援を停止したにもかかわらず、ルワンダ周辺での戦争が拡大したことを挙げ、緊急人道支援が
戦争に与える効果は微細であることを明らかにしている(Nicholas Stockton, "In Defense of Humanitarianism,"
pp. 355-356)。
-5-
第一章 緊急人道支援のディレンマに関する議論
本章では、緊急人道支援のディレンマを扱った議論を取り上げ、その議論におけるいくつかの
問題点を指摘し、本稿における分析枠組を提示したい。初めに、緊急人道支援のディレンマを対
象とした主要な研究として、アンダースンやプレンダーガストの主張を挙げ、次に、このような
従来の研究のもつ問題点を指摘し、従来の研究では十分に扱われてこなかった緊急人道支援の
「非暴力性」、「急務性」という二つの特性を踏まえ、緊急人道支援のディレンマを「紛争当事者に
よる人道支援の戦争への転用」と「被災者による人道援助物資への依存」の二つのカテゴリーに
区別する新たな分類を提示したい。
第一節 主要な先行研究
「序」ですでに言及したように、国際人道機関や研究者による緊急人道支援のディレンマに関す
る研究は多数ある。本節では、アンダースンとプレンダーガストの議論を紹介し、本稿で扱う緊
急人道支援のディレンマがいかなるものなのかを概観したい。
最初に、アンダースンが論じている緊急人道支援のディレンマについて検討する。ある社会に
は、分離派(dividers)と統合派(connecters)16 と呼ばれる二つの主体が存在している17 。平和な
社会においては、分離派による社会の分断を制御できるほどに、統合派の力が十分に強く、一方、
国家の内部で紛争が生じ、それが武力紛争へと激化している場合、統合派の力が十分ではなく、
分離派による行動を制御できない状況にある。このような分離派の行動を制限し、社会の亀裂を
表面化させない能力を、アンダースンは「地元の平和達成能力(local capacity for peace)」と呼び、
14.
緊急人道 支援は、戦争を激化・長期化させる「主要」な要因ではない。緊急人道支援が戦争の激化・長期
化の主要 な要因だと仮定すると、緊急人道支援が戦争の激化と被災者の増加をもたらし、被災者の増加は
緊急人道 支援の拡大につながり、この緊急人道支援の拡大は再び戦争の激化と被災者の増加を生むことに
なる。し かし、実際にはそのような事態はありえず、この仮定に誤謬がある。確かに、被災者数と緊急人
道支援の 規模には強い因果関係があるが、戦争の激化・長期化をもたらす要因は、緊急人道支援のほかに
も紛争当事者間の権力闘争、民族・宗教・イデオロギーなどのアイデンティティをめぐる対立、経済格差、
環境破壊などが挙げられ、緊急人道支援が戦争に与える効果はそれらに比べそれほど大きくはない。
15.
Rony Brauman, and Philippe Petit, Humanitaire, le dilemme : entretien avec Philippe Petit, p. 41. 高橋武智、前掲書、
16.
アンダー スンは、統合派を支えるシステムと制度として、人々に連帯の機会を与え、連帯に必要な利益や
45頁における邦訳を修正した。
情報を提供する市場やインフラストラクチャーを挙げている。統合派の態度と行動とは、寛容、受容、愛、
他者への 賞賛といった価値観や、戦争中であってもこのような価値観を保持し続ける人々の行動を指して
いる。分離派を支えるシステムと制度として、軍隊、兵器の生産と分配、戦争プロパガンダ装置といった、
実際に戦 争の牽引役となる組織やシステムだけでなく、歴史的あるいは伝統的に人々を分断し、緊張が生
じる原因となったシステムや制度も挙げられている。これには、教育、医療、就業などでの差別や不平等、
宗教の相 違、都市と農村などの地域格差が含まれる。分離派の態度と行動として、暴力、脅迫、拷問や強
制移住などの行為だけでなく、アンダースンはそのような行動で強まった相互不信感を挙げている(Mary
B. Anderson, Do No Harm : How Aid Can Support Peace-or War, pp. 23-28, 31-32)。
17.
アンダー スンは、国家間紛争を念頭においた議論を展開しておらず、国際的な軍事支援が、ある国家の戦
争 遂行能力を増大させ た場合、この分析枠組 においてどのように 扱うべきなのかとい う問題が残される。
なお、ア ンダースンは、社会の構成員のすべてが、統合派か分離派のいずれかに属しているのか、どちら
にも属さない構成員が存在するのかを明らかにしていない。
-6-
分離派が社会を分断し、戦争を遂行する能力である「戦争遂行能力(capacity for war)」と対比さ
せている18 。
アンダースンは、以上の見解に立って、国際人道機関は、分離派と戦争遂行能力を強めるため
の支援を行うのではなく、統合派と地元の平和達成能力を高めるための支援を行うべきだと主張
する19。緊急人道支援の主たる目的は、戦争の被害者を救助することであるので、従来の国際人
道機関の職員は、武力紛争の被災者にのみ注目しがちであった。アンダースンは、このような認
識から、共同体に内在する紛争解決処理システムを機能させるための緊急人道支援も必要である
と主張しているのである。それでは、アンダースンはどのような緊急人道支援が、どのように戦
争を激化・長期化させると論じているのだろうか。
アンダースンは、人道機関が物資の供給を通じて武力紛争に与える悪影響を五つのカテゴリー
に分類している。その五つとは、盗難(Theft)、市場への影響( Aid Affects Markets)、分配の影響
(Distributional Impacts)、支援の代用効果(Substitution Effects of Aid)、人物や行動に対する援助の
正統化(Aid Legitimizes People and Actions)である。以下、それぞれについて、簡単に述べていき
たい。
第一は、盗難であり、紛争当事者や武装集団などが、援助物資を盗み、それを戦争遂行のため
に利用する場合である。具体的には、紛争当事者などが、盗んだ食糧、毛布、車両や通信装置な
どを軍事物資に転用し、あるいは、換金して必要な装備の購入に充当することである20。
第二は、市場への影響と呼ばれるものであり、一部の人々に利益を供与し、このような利益を
得ている人々が、戦争の継続を期待し、戦争の解決を阻止する危険性である。例えば、国際人道
機関は、被災地で活動するために、ホテルや事務所などを借用し、その賃料を支払うだけでなく、
通訳、運転手、看護職員などの現地職員に賃金を支払い、そればかりか、援助物資の輸送や管理、
職員の安全の確保のために雇用した護衛に、援助物資の一部を渡すことがある。このような一部
の利益享受者が、利益を継続して得るために戦争の激化・長期化に荷担することがある21 。
第三は、分配の影響であり、これは、緊急人道支援が、被災者の所属している集団間に利益の
格差をもたらし、その格差をめぐる集団間の緊張を促進することである。例えば、国際人道機関
が、宗教、民族、性別などを理由として、ある集団にだけ援助物資を提供し、他の集団には提供
しない場合、援助のあり方に関する集団間の深刻な対立を引き起こす危険がある。とくに、戦争
の被害を被りやすい少数民族などのマイノリティに対する物資の援助は、コミュニティの多数派
と少数派との対立がある場合、この対立を促進する危険をもつ22 。
第四は、支援の代用効果と呼ばれるものである。紛争当事者は、戦争を遂行する上で、資源
(食糧、避難所、安全性、保健サービスなど)を必要とするのだが、国際人道機関が、そのうちの
大部分を提供した場合、紛争当事者は、自己の責任を軍隊の統制のみに限定し、市民生活の問題
18.
Ibid., pp. 23-35.
19.
Ibid., p. 33.
20.
Ibid., p. 39.
21.
Ibid., pp. 42-44.
22.
Ibid., pp. 46-47.
-7-
に無関心になることがある。すなわち、支援の代用効果とは、紛争当事者が戦争の遂行に専心で
きるような状況を、緊急人道支援がもたらすことである23。
第五に、人物や行動に対する援助の正統化が挙げられている。これは、国際人道機関が、緊急
人道支援を行う場合、紛争当事者や武装集団などの権威を実質上認め、援助計画の立案や実行へ
の紛争当事者らの介入を許すことである。国際人道機関は、被災地で活動する場合、紛争当事者
の決定した規則や命令に従わなければならない場合がある。例えば、輸出入関税などの税金や車
両使用料などの料金を取り立てる権限を紛争当事者に認め、あるいは、被災地に出入りする許可
を紛争当事者に求める場合がある。そればかりか、国際人道機関が、援助物資の品目や援助の実
施方法に関して、紛争当事者との交渉を必要とする場合、戦争の被災者よりも、紛争当事者の利
益を反映した緊急人道支援を行わなければならない状況になることもある24。
アンダースンと同様に、緊急人道支援が戦争を激化・長期化させる危険性を指摘し、そのパタ
ンを分類しているのは、プレンダーガストである。プレンダーガストは、「アフリカの角」におけ
る緊急人道支援が、戦争を激化・長期化させた事例を研究し、そのパタンを三つに分けている。
それは、援助が戦争の道具として直接用いられる場合、援助が間接的に紛争のダイナミクスに統
合される場合、援助が戦争や不安定をもたらしている原因を悪化させる場合である25。以下、こ
の三つについて簡単に見てみよう。
第一に、緊急人道支援が直接的に戦争を激化させる場合として、「アクセスの操作
(manipulation of access)」、「人口移動の操作( manipulation of population movements)」及び「横流し
(diversion)」の三つのパタンが挙げられている26 。「アクセスの操作」とは、アンダースンの挙げ
た「人物や行動に対する援助の正統化」のパタンに類似するもので、紛争当事者が、政治・軍事
上の目的を果たすために、国際人道機関の被災地への出入りを制限したり、国際人道機関の装備
や職員を攻撃したりすることである。このようなアクセスの操作だけでは、緊急人道支援は戦争
を激化・長期化させることはないのだが、このような状況下で、国際人道機関が紛争当事者と被
災地へのアクセスを得るための交渉をする場合、紛争当事者が、国際人道機関にそのアクセスを
許可する代償として、通行料や関税などを要求し、国際人道機関による援助物資の一部が、紛争
当事者に渡ってしまうことがある。「人口移動の操作」とは、紛争当事者が住民を強制移住させ、
そこで国際人道機関に緊急人道支援を行わせ、その避難所を軍事基地として利用することである
27
。このような軍事基地としての難民キャンプには、非戦闘員を徴兵し戦力を補給する役割や、
敵対勢力からの軍事行動を抑制する効果などがある。「横流し」とは、紛争当事者などが、本来な
23.
Ibid., pp. 49-50.
24.
Ibid., pp. 50-51.
25.
John Prendergast, Front-Line Diplomacy, p. 17.
26.
Ibid., pp. 18-25.
27.
小泉康一 は、避難所が軍事基地として利用され、難民が戦士として徴兵されている状況を「難民・戦士社
会」と呼んでいる(小泉康一『「難民」とは何か』、三一書房、1998年、91−93頁)。これと関連し
て、難民キャンプにおける暴力問題を扱った文献があり、これを参考のこと(Sarah Kenyon Lischer, Refugee
Involvement in Political Violence : Quantitative Evidence from 1987-1998, New Issues in Refugee Research : Working
Paper No.26, Office of the United Nations High Commissioner for Refugees, 2000)。
-8-
らば戦争の被災者に届けられるべき物資を盗むなどして、直接消費し、あるいは取引や交易を通
じて換金して軍事資金を捻出することである 。
第二に、緊急人道支援が、間接的に武力紛争に使われる場合として、二つのパタンが挙げられ
ている28。一つは、援助物資が戦争を遂行するための間接的な資源となる場合であるが、プレン
ダーガストは十一もの場合を挙げている。例えば、紛争当事者が援助物資の配給地において援助
物資に対する税金を被災者に課して収入を得たり、援助物資が輸入された場合、輸入税や関税を
援助物資に課して、国際人道機関から利益を引き出したりすることなどである。国際人道機関が
現地で活動するために必要な居住空間・事務所や車両の使用料、現地職員を雇用する際に生じる
賃金なども例として挙げられている。もう一つは、援助物資とは別に、国際人道機関の職員や所
有する財産などが、紛争当事者によって利用される場合である。例えば、国際人道機関によって
訓練を受けた現地の医療職員が、軍医として紛争当事者に徴兵されたり、紛争当事者が、国際人
道機関から借りた車両などの物品を返却しない場合などが挙げられている。
第三に、緊急人道支援が戦争の原因を悪化させる場合として、プレンダーガストは「敵対する
集団間の競争と緊張の助長(aid increases competition)」、「権威構造や権力バランスへの影響( aid
affects authority structures and power balances)」及び「現地の人々がもつべき責任感の喪失(aid can
replace local responsibilities)」の三つを挙げている 29。第一に、緊急人道支援の結果、敵対する集団
間に利益の格差が生じた場合、緊急人道支援が「敵対する集団間の競争と緊張」を助長すること
がある。すでに述べたように、この点については、アンダースンも指摘している。第二に、緊急
人道支援は、紛争当事者の権威構造や権力バランスに様々な影響を与えることがある。緊急人道
支援が外部の人間によって行われる場合、被災地の事情を理解しないで援助が行われることがあ
り、緊急人道支援が、被災地の伝統的な権威や社会構造、社会を復興させる能力を破壊する可能
性をもっている。また、紛争当事者が、国際人道機関に自らの正統性を認めさせ、援助物資を権
力基盤の強化のために利用する場合がある。例えば、紛争当事者は、国際人道機関から援助物資
を配給する権限を得て、その支持者と反対者との間に、配給する物資に格差を付けたり、多くの
人々が援助に依存した状態を作り出したりすることによって権力の維持を試みることがある。第
三に、
「現地の人々がもつべき責任感の喪失」と呼ばれるものは、アンダースンが「支援の代用効
果」として挙げていたものと同様のものである。
第二節 先行研究の問題点
これまで見てきたように、アンダースンやプレンダーガストは、戦争を激化させたり、長期化
させる緊急人道支援をいくつかのパタンに分類しているのだが、以下に示すように、両者の議論
には問題点が少なくとも三つある。以下、これらの点について見てみよう。
初めに、アンダースンやプレンダーガストが、考察の対象から外してしまった緊急人道支援の
ディレンマの存在を明らかにしたい。第一に、両者とも、緊急人道支援における保護活動が、戦
争の激化・長期化をもたらす場合をほとんど考察していない。アンダースンは、緊急人道支援の
中でも援助活動が引き起こす弊害を指摘しているが、保護活動がもたらす問題には言及していな
28.
Ibid., pp. 26-27.
29.
Ibid., pp. 28-36.
-9-
い。プレンダーガストは、保護活動が緊急人道支援のディレンマをもたらす場合として、難民や
避難民キャンプが軍事基地として転用される場合を挙げているのだが、保護活動による弊害はそ
れだけに限られない。例えば、紛争当事者がジェノサイドを目的として戦争をしている場合、国
際人道機関がそのジェノサイドの対象である被災者を安全な場所に保護しようとすると、紛争当
事者は、この人道支援を戦争に対する妨害活動であると見なすことがあり、その結果、このよう
な保護活動が、紛争当事者間の緊張を促進する結果をもたらすことがある。
第二に、両者とも、国際人道機関が、被災者のニーズを超えて援助物資を提供した場合に生じ
るディレンマの存在を議論していない。アンダースンは、「市場への影響」によって戦争から利益
を挙げた「一部の人々」が、武力紛争の解決よりも継続を望むことがあると指摘したが、「多くの
被災者」が援助物資に依存する結果、戦争の長期化をもたらす場合を検討していない。戦争の最
中にもかかわらず、国際人道機関が提供する物資やサービスによって生活水準が向上した被災者
は、援助物資に依存しながら戦争の継続を望み、紛争当事者による武力紛争を支持、協力、参加
する危険が強まる。例えば、援助物資が必要以上に提供され、多くの被災者が援助物資に依存す
れば、現地の農業生産や商業活動が停滞し、このことで生じた失業者が収入を得るために、民兵
や護衛になるなどして武力紛争に関与する事態が生じることがある。また、援助物資に依存した
難民が本国に帰還せず、和平達成後の制憲選挙などの実施が遅れて、紛争解決の障害になること
もある。
次に、アンダースンやプレンダーガストは、緊急人道支援のディレンマのパタンを挙げている
のだが、どのような基準でこのパタンを導き、この類型が緊急人道支援のディレンマを分析し、
あるいは解消する上で、どのように有効であるのかを明らかにしていない。プレンダーガストは
分類方法に言及していないのだが、紛争当事者が緊急人道支援を戦争に転用する場合を、直接的
な場合と間接的な場合の二つのパタンに分類し、緊急人道支援が紛争当事者間の緊張を促進した
り、権力構造を強化したりする場合を、最後のパタンとして挙げていることは容易に推測できる。
しかし、プレンダーガストは、このような分類が、緊急人道支援のディレンマを分析する上で、
どれほど有効な手段であるのかをまったく明らかにしておらず、さらには、緊急人道支援のディ
レンマを解消する方法と関連づけることもできていない。
アンダースンの分類は、プレンダーガストの分類とは異なり、緊急人道支援のディレンマを解
消する方法と関連づけられている。例えば、アンダースンは、第一のパタンである「盗難」の軽
減策として、配給に関する情報を強盗に与えないために、国際人道機関に対し、輸送の経路と日
時を不規則にし、同じ場所で二度以上物資の配給を行わないよう薦めている30。確かに、アン
ダースンの分類は、緊急人道支援のディレンマを解消する上で有益な方法であると評価できるか
もしれないが、アンダースンは、どのような基準を用いて五つの類型を導いたのかを明らかにし
ておらず、思いついたパタンをただ列挙したという印象を受けるのである。
これまで、プレンダーガストとアンダースンによるディレンマの類型方法について考察したの
だが、明確な基準で類型が導かれたとはいえない。緊急人道支援のディレンマの類型を挙げる場
30.
Mary B. Anderson, Do No Harm : How Aid Can Support Peace-or War, p. 30.
- 10 -
合には、分類の基準を明らかにし、この類型がディレンマを分析する道具としてどれほど有用で
あるのかを明示しなければならない。
最後に、緊急人道支援から利益を上げて、戦争の激化・長期化をもたらしたのは誰なのか、こ
の点に関してアンダースンやプレンダーガストがどのように議論したのかを精査する必要がある。
プレンダーガストは、このような利益享受者を特定していないのだが、紛争当事者を念頭におい
た緊急人道支援のディレンマの議論を展開しており、紛争当事者が緊急人道支援を戦争に転用し
たと考えているようである。アンダースンは、分離派への支援を回避するべきだと述べており、
このことから、紛争当事者を初めとする分離派が戦争から利益を上げ、戦争の激化・長期化をも
たらしたと主張していることは明白である。ところが、前述したように、援助物資に依存し、そ
れで生計を立てている多くの人々は、自発的に避難所から帰還しようとせず、それが和平プロセ
スの障害となって戦争の長期化をもたらすことがあり、必ずしも、緊急人道支援のディレンマを
引き起こすのは、紛争当事者に限定できないのである。
第三節 新たな分析枠組の提示
これまで、アンダースンやプレンダーガストの議論のもつ問題点を取り上げてきたが、本節で
は、その問題点を克服するための新たな分析枠組を提示したい。本稿では、これまでの議論です
でに明白になった緊急人道支援のディレンマの二つのカテゴリー、すなわち、紛争当事者が緊急
人道支援を戦争に転用して戦争の激化・長期化させる場合と、多くの被災者が緊急人道支援に依
存して戦争の継続を期待する場合の二つのカテゴリーを、緊急人道支援のディレンマを分析する
枠組として提示し、このカテゴリーがディレンマを分析し、あるいはディレンマを解消する上で、
どれほど有用なカテゴリーであるのかを明らかにしたい。
この二つのカテゴリーは、戦争を激化・長期化させる利益享受者が、紛争当事者であるのか被
災者であるのかで分類したのだが、これは同時に、緊急人道支援のもつ「非暴力性」と「急務性」
という二つの特徴と深い関わりを持つものである。
第一に、
「紛争当事者による人道支援の戦争への転用」というカテゴリーと「非暴力性」との関
連を見てみよう。アンダースンが主張したように、国際人道機関は、平時の経済活動である農業
や畜産業などの生産活動を再生し、あるいは商取引を回復させるなどして統合派を支援し、分離
派が利益を上げている護衛や武器取引などの戦争経済を停滞させて、武力紛争の早期解決に寄与
できるかもしれない。しかし、援助計画を改善しても、緊急人道支援のディレンマを解消できな
い場合は多いのではなかろうか。例えば、分離派が戦闘を有利に展開する目的で、援助物資を盗
用した場合、国際人道機関の職員は、このような盗用を阻止できるだろうか。実際のところ、こ
のような盗用を回避する手段があるにしても、紛争当事者が国際人道機関の職員に武器を突きつ
けて、援助物資を要求した場合には、抵抗する手段を有しない人道機関の職員は、紛争当事者に
援助物資を引き渡すことになるだろう。このように紛争当事者が武力を用いて、緊急人道支援を
戦争に転用する場合、援助計画をいくら改善しても、戦争の激化・長期化をもたらす恐れがある。
すなわち、国際人道機関はこのような事態をあらかじめ想定して、転用を回避したり、転用に抵
抗したりするための代替手段を用いる必要がある31。
第二に、
「被災者による人道援助物資への依存」というカテゴリーと「急務性」との関係を見て
みよう。アンダースンは、緊急人道支援のディレンマを解消するためには統合派への支援と平和
- 11 -
達成能力の増進が必要だという立場を取っている32。アンダースンがこのように主張する背景に
は、緊急人道支援が、応急措置としての性格に止まり、中長期的な復興・開発支援を視野に入れ
られた支援ではないという実態がある。例えば、森林資源が脆弱な地域で、難民が発生して燃料
に用いる薪が大量に必要になった場合、緊急事態とはいえ残りわずかな森林を伐採し尽くてしま
うことは、緊急事態が収束した後の被災地の復興を遅らせる危険性があると言えよう33。緊急人
道支援のディレンマの問題に限定すれば、前にも述べたように、被災者が援助物資に依存し、紛
争の継続を望んで紛争当事者による武力紛争を支持、協力、参加する事態をもたらす危険がある。
このほかにも、例えば、国際人道機関が、難民キャンプにおいて十分な援助物資を提供すれば、
多くの住民の生命を維持し、死亡率の低下を実現できるかもしれないが、多くの難民が援助物資
に依存し本国へ帰還しようとしないかもしれない。このような場合、選挙人登録などの和平プロ
セスが遅れるなど、武力紛争の長期化をもたらす危険がある。すなわち、緊急人道支援はその後
の復興・開発支援まで考慮に入れなければ、武力紛争の長期化をもたらす場合がある。
これまでの議論で、二つのカテゴリーが、緊急人道支援のもつ二つの特徴である「非暴力性」、
「急務性」と深い関係があることがわかった。また、この二つのカテゴリーは、緊急人道支援を解
消する方法を考察する上でも、有用な分類法であることを明らかにしたい。
第一に、
「紛争当事者による人道支援の戦争への転用」というカテゴリーに該当するディレンマ
が生じた場合、国際人道機関は「非暴力性」を補完するために外部に暴力手段を委託する場合が
ある。この典型的な例として、人道的介入などとして派遣される介入軍に、救援活動の安全を確
保させることが挙げられる。このような場合、緊急人道支援のディレンマを解消するために、軍
隊の能力を活用することができる。一方、国際人道機関がその「非暴力性」を外部に委託しない
場合、あるいは委託できない場合には、国際人道機関は、紛争当事者に抵抗できないので、紛争
当事者が転用する前に被災者に物資が届けられるように、緊急人道支援のディレンマの回避策を
計画し、実施に移す必要がある。
第二に、
「被災者による人道援助物資への依存」というカテゴリーに該当するディレンマが生じ
た場合には、前に述べたように、復興・開発支援を視野にいれた緊急人道支援を実施する必要が
ある。とくに、経済社会状態を回復させることで、被災者が国際的な人道援助に依存しなくても、
生計を維持できる新たな緊急人道支援の方法が求められている。
31.
非暴力的な手段を用いて紛争当事者に対抗する方法には、緊急人道支援を一時停止して、紛争当事者が行っ
ている人 道支援の転用行為を、国際世論に告発するなどして、紛争当事者に圧力を加える方法がある。し
か し、このような人道支 援の一時停止は、紛争 当事者によるディレ ンマをいくらか緩 和できるとしても、
支援を必要とする被災者を犠牲にする危険があり、ディレンマの軽減策としては適していない。
32.
Mary B. Anderson, Do No Harm : How Aid Can Support Peace-or War, p. 33.
33.
このよう な緊急人道支援と復興・開発支援との齟齬は、緊急人道支援のディレンマの問題に限定できるも
ので はない。例えば、このような森林 保護と難民の関係について は、以下の文献を参考のこと。 UNHCR,
The State of the World's Refugees, 1995 : In Search of Solutions, London ; New York: Oxford University Press, 1995,
p. 164.
- 12 -
第二章 緊急人道支援のディレンマに関する事例の考察
これまで具体的な事例を挙げることなく、緊急人道支援のディレンマに関する代表的な議論を
取り上げ、本稿における分析枠組を提起したのだが、本章においては、ソマリア、ボスニア、ル
ワンダ内戦の三つの事例を取り上げて、それぞれの事例において、この分析枠組を用いて緊急人
道支援のディレンマが生じたメカニズムを明らかにし、さらに、国際人道機関がどのようなディ
レンマの回避策ないしは解消策を取ったのかを探ってみたい。
第一節 事例の選別
本稿では、事例を選別する上で、第一に年代が1990年代であり、第二に緊急人道支援の規
模が大きく、第三に人道危機の緊急性が高かったという三つの基準に拠った。
初めに、緊急人道支援のディレンマを考察する上で、どの年代の武力紛争を分析対象とするべ
きなのかという問題がある。国際人道機関の職員や研究者を初めとする論者が、このディレンマ
の問題を活発に議論するようになったのは、1990年代の辺りからである。この頃から武力紛
争の性質が変化し、緊急人道支援の方法にも影響が及んだ結果、緊急人道支援のディレンマが生
じやすい環境が現出した。1990年代の武力紛争の大半が、国家間戦争ではなく内戦であり、
その被害者の多くが非戦闘員であったので、緊急人道支援の規模は拡大し、国際人道機関の活動
にも変化を与えた。例えば、アフガニスタンやソマリアにおける内戦では、国際人道機関が被災
地で活動するために、非常に多くの紛争当事者と交渉し、紛争当事者が、緊急人道支援を政治
的・軍事的に利用できる機会を増加させた。また、ボスニアやルワンダでは、紛争当事者がジェ
ノサイドの一環として、一般市民を大量殺害しようとしたので、国際人道機関がこのような被災
者に緊急人道支援を実施した結果、前述したように、紛争当事者間の対立をより一層煽る結果と
なった。さらには、多くの国際人道機関が、前線近くの避難所にまで活動の範囲を拡大したので、
紛争当事者との軋轢が増し、緊急人道支援に従事する救済機関の職員が多数亡くなっている34。
このような危険な戦場では、国際人道機関の多くは、護衛などを雇用しなければ活動できず、そ
れだけ緊急人道支援のディレンマを深刻なものにする結果となった。以上のような武力紛争の性
質の変化と緊急人道支援の拡大を考慮に入れて、本稿では、緊急人道支援のディレンマが深刻化
した1990年代における武力紛争を分析対象としたい。
しかしながら、1990年代に戦われた武力紛争の数は非常に多く、すべての事例を本稿で対
象とするわけにはいかないので、事例をさらに選別する必要があった35。そこで、本稿では、数
34.
ジョーンズ・ホプキンス大学の難民・災害研究センタ(Center for Refugee and Disaster Studies)は、1985
年か ら98年の間に死亡した国連、ICR C、非政府組織の職員数を調査した( Mani Sheik, et al., "Deaths
among Humanitarian Workers," British Medical Journal, Vol. 321(2000), pp. 166-168)。これによると、この14
年間の間 に、375名の人道援助の従事者が亡くなり、そのうち人道 NGO は58名、国連人道機関は
177名、国連平和維持軍は88名、ICRC は52名の職員を失った。1980年代後半には年間10
名 前後であった死者の 数が徐々に増え、ピー ク時の1994年 には90名を超え ており、このことから、
人道機関職員が以前より危険な地域において活動を行っていることがわかる。国連の文民職員に関しては、
アナ ン国連事務総長による「国連職 員の安全と防衛」に関する報告 書を参考のこと(A/55/494, 18 October
2000)。
- 13 -
多くの緊急人道支援の中でも、とくに大規模に、緊急人道支援が行われた武力紛争を取り上げる
ことにしたい。
そこで問題となるのは、その緊急人道支援の規模を測定する方法である。本稿では、緊急人道
支援の規模を測定する基準として、赤十字国際委員会(International Committee of the Red Cross, 以
下、
「ICRC」という)の活動経費を採用することにした36。ICRC は、年次報告37 の中で、
物資提供と医療行為にかけた費用を、それぞれ各国別に報告している。表1では、ICRC が、
1991年から1998年までの緊急人道支援活動において、最も費用をかけた五カ国を挙げた。
表1を見ると、ICRC が最も援助物資を提供した上位五カ国の中に、ソマリア、旧ユーゴスラ
ヴィア、ルワンダがほぼ毎年入っていることがわかる。さらに、この三カ国がただ上位に位置す
るだけでなく、ICRC の全支援額の大半を占めており、とくに、1992年、1993年で
は、総支援額のうち8割以上がこの三カ国への支援であり、緊急人道支援のディレンマを明らか
にする上で、この三カ国を対象とせず議論することはできないだろう。
表 1:赤十字国際委員会の人道支援最大受入国
1991 1992 1993 1994 1995 1996 1997 1998
ソマリア
○
◎
◎
旧ユーゴスラヴィア
○
◎
◎
◎
◎
イラク
◎
○
イラン
◎
エチオピア
◎
ルワンダ
モザンビーク
タジキスタン
○
◎
◎
◎
◎
◎
○
◎
◎
◎
◎
◎
◎
◎
○
○
○
○
○
アンゴラ
◎
アフガニスタン
○
ロシア
○
◎
グルジア
○
コンゴ民主共和国
35.
○
◎
○
ライモ・ヴァウルネン( Raimo Väyrynen)は、1993年から95年にかけて問題となった28事例の人
道上の緊急事態( humanitarian emergencies)を取り上げている。すべての事例を扱うためには数理的な手法
を用いることができるかもしれないが、緊急人道支援のディレンマに関する事例研究はそれほど多くなく、
事 例を 数理化 でき るほど に議 論が成 熟し ている わけ でも ないの で、本稿 では少 数事 例研究 を行 いたい
( Raimo Väyrynen, The Age of Humanitarian Emergencies, Helsinki, Finland: United Nations University World
Institute for Development Economics Research, 1996, pp. 37-38 を参考のこと)。
36.
ICRC は、国連人道機関や人道 NGO とは異なり、各国の赤十字社・赤新月社と連携して活動するこ
とが多く 、深刻な武力紛争が発生して、国際的な人道支援が困難な場合であっても、現地の赤十字・赤新
月社を通じて資金・物資を支援することができるので、ICRC の活動経費の方が、他の機関の経費より
も緊急人道支援の規模を的確に測定できる指標だといえよう。さらに、ICRC は他の国際人道機関と異
なり、復 興・開発支援を原則として実施しておらず、緊急性を要する人道危機が収束すれば活動を停止す
るので、ICRC の活動経費の大半は緊急人道支援を目的にした費用と判断することができる。
37.
ICRC (International Committee of the Red Cross), Annual Report. 1991, Geneva: ICRC Publications, 1992, p. 122;
Annual Report. 1992, Geneva: ICRC Publications, 1993, p. 154; Annual Report. 1993, Geneva: ICRC Publications,
1994, p. 29; Annual Report. 1994, Geneva: ICRC Publications, 1995, p. 320; Annual Report. 1995, Geneva: ICRC
Publications, 1996, p. 340; Annual Report. 1996, Geneva: ICRC Publications, 1997, p. 345; Annual Report. 1997,
Geneva: ICRC Publications, 1998, p. 361; Annual Report. 1998, Geneva: ICRC Publications, 1999, p. 399.
- 14 -
表 1:赤十字国際委員会の人道支援最大受入国
1991 1992 1993 1994 1995 1996 1997 1998
スーダン
○
さらに、緊急人道支援の「典型」的な事例を選択する場合に考慮すべきなのは、人道危機の
「緊急性」である。緊急人道支援のディレンマとは、序で述べたように、国際人道機関が人命の救
助という短期的な目標の実現を図ると、紛争の解決という中・長期的な目標を実現できない場合
に生じるものであった。事例を選別する上で重要な要素は、国際人道機関の活動がなければ、大
規模な人命の損失を発生させるという人道危機の存在である。
それでは、どのように緊急人道支援の「緊急性」を測定するべきなのだろうか。本稿では、こ
の緊急性を的確に表現する指標として、死亡率を用いたい38。アメリカ疾病管理予防センタ
(Centers for Disease Control and Prevention; CDC)が調査した難民と避難民の粗死亡率(Crude
Mortality Rates)(1カ月間・1000人当たりの死者の概数)を表2、表3に挙げた39。開発途上
国の一般的な死亡率は、月/千人あたり0.9人から1.8人であり40 、その値と比べると、こ
の三つの武力紛争は甚大な人的被害をもたらしたことが明白である。
表 2:難民の推定粗死亡率 1990年−1994年
庇護国
出身国
1990 年 7 月
エチオピア
スーダン
粗死亡率
6.9
1991 年 6 月
エチオピア
ソマリア
14.0
1991 年 3 月− 5 月
トルコ
イラク
12.6
1991 年 3 月− 5 月
イラン
イラク
6.0
1992 年 3 月
ケニア
ソマリア
22.2
1992 年 3 月
ネパール
ブータン
9.0
1992 年 6 月
バングラデシュ
ミャンマー
4.8
1992 年 6 月
マラウィ
モザンビーク
3.5
1992 年 8 月
ジンバブエ
モザンビーク
10.5
1993 年 12 月
ルワンダ
ブルンジ
9.0
1994 年 6 月
タンザニア
ルワンダ
9.0
1994 年 7 月
ザイール
ルワンダ
59-94
表 3:避難民の推定粗死亡率 1990年−1996年
避難国
38.
1990 年 1 月− 12 月
リベリア
粗死亡率
7.1
1991 年 4 月− 1992 年 3 月
ソマリア(メルカ)
13.8
1992 年 4 月− 11 月
ソマリア(バイドア)
50.7
1992 年 4 月− 11 月
ソマリア(アフゴイ)
16.5
1992 年 4 月− 1993 年 3 月
スーダン(アイオッド)
23.0
武力紛争 の犠牲者とは、直接的な暴力による犠牲者だけでなく、武力紛争を起因とする飢餓や伝染病、水
質悪化に よる下痢症状などによる犠牲者も含まれるので、死亡率はこのような犠牲者のすべてを集計でき
る基準として優れていると考えられるのである。
39.
ア メリカ疾病管理予 防センタは、墓地の 調査、病院の記録、埋葬 の記録、コミュニティ からの報告制度、
人口調査 などの様々な情報源を通じて、粗死亡率を推定しており、武力紛争下の死亡率に関する他のデー
タより も信頼性が高く、本稿ではこのデータを採用した。 Michael J. Toole, "The Public-Health Consequences
of Inaction," in Kevin M. Cahill, ed., A Framework for Survival : Health, Human Rights, and Humanitarian
Assistance in Conflicts and Disasters, New York: Routledge, 1999, p. 16.
40.
CDC (Centers for Disease Control and Prevention), "Famine-Affected, Refugee and Displaced Populations :
Recommendations for Public Health Issues," Morbidity and Mortality Weekly Report, Vol. 41, No. RR-13 (1992).
- 15 -
表 3:避難民の推定粗死亡率 1990年−1996年
避難国
1992 年 4 月− 1993 年 3 月
スーダン(アコン)
1992 年 4 月− 1993 年 3 月
粗死亡率
13.7
ボスニア(ゼパ)
3.0
1993 年 4 月
ボスニア(サライェヴォ)
2.9
1995 年 5 月
アンゴラ(カフンホ)
24.9
1996 年 2 月
リベリア(ボン)
16.5
次節では、以上のような三つの基準によって選別したソマリア、ボスニア41、ルワンダの事例
を取り上げ、緊急人道支援のディレンマをさらに分析したい。
第二節 緊急人道支援のディレンマのメカニズム
本節では、「紛争当事者による人道支援の戦争への転用」と「被災者による人道援助物資への依
存」の二つのカテゴリーに分けて、緊急人道支援のディレンマのメカニズムを明らかにする。
一、
「紛争当事者による人道支援の戦争への転用」
「紛争当事者による人道支援の戦争への転用」のカテゴリーを、三つのパタンに分けて、以下論
じていきたい。第一のパタンは、「配給用物資の損失」であり、紛争当事者や武装勢力などが、被
災者のための救援物資を、戦争の遂行を目的とする軍事物資や戦争の資金源として転用する場合
である。転用の手段は、例えば、強盗や恐喝といった手段によるものや、法外な運搬料や護衛料
の徴収という形をとるものなど様々である。
第二のパタンは、「物資配給の妨害」であり、紛争当事者などの武装集団が、その敵対勢力の支
配下にある被災者への緊急人道支援を阻止し、紛争当事者間の対立を助長する場合である。例え
ば、攻勢側の紛争当事者が兵糧攻めを戦術として用いている場合、劣勢側への緊急人道支援を阻
止することがしばしばある42。このような場合、国際人道機関が活動を継続すれば、人道目的の
支援であれ、劣勢側に対する軍事支援と同様の効果をもたらすことになり、人命の救助と武力紛
争の早期解決という目標を同時に実現できず、緊急人道支援のディレンマが生じることになる。
第三のパタンは、「避難所の軍事化」であり、紛争当事者などの武装集団が、国際人道機関の設
置した避難所を軍事基地のように利用することである。例えば、このような避難所には、難民や
避難民が集結しているので、紛争当事者はそこで徴兵を行い、兵力の補給を図る場合がある。ま
た、反政府勢力が、国境沿いの難民キャンプを起点として本国への越境攻撃を企てたり、難民
キャンプにおける人道保護の必要性を国際社会に訴えて、本国からの報復攻撃を牽制したりする
ことがある。
この三つのパタンとも、紛争当事者が人道支援を戦争に転用した場合であるが、第一と第二の
パタンは、緊急人道支援の援助活動の側面に関連するものであり、この第三のパタンは、その保
護活動に関連するものである。また、第一のパタンと第二のパタンとは、紛争当事者が援助物資
を戦争遂行の推進力として用いるか、あるいは、戦争遂行の障害として見なすのかという点が異
41.
旧ユーゴ スラヴィアで戦われた戦争のうち、緊急人道支援がとくに必要であった戦争は、ボスニアとコソ
ヴォにお ける内戦であった。それゆえ、本稿ではスロヴェニア、クロアチアでの緊急人道支援に関して言
及しない 。また、コソヴォで生じたディレンマについては、研究がそれほど進んだとはいえない段階であ
るため、ここでは検討しない。
42.
劣勢側の 紛争当事者が、空港や港、その他の輸送上の拠点などで、攻勢側への緊急人道支援を阻止するこ
とも当然に考えられる。
- 16 -
なっている。以下、ソマリア、ボスニア、ルワンダ内戦において、それぞれのパタンがどのよう
に現れたのかを見てみよう。
初めに、
「紛争当事者による人道支援の戦争への転用」のカテゴリーの中でも、「配給用物資」
が軍事物資などに転用された第一のパタンを検討したい。
ソマリア内戦は、当時のシアッド・バレ政権に対してソマリア北部のイサーク氏族母体のソマ
リア国民運動(Somali National Movement; SNM)が反乱を起こしたことが契機となって、その後、
有力な氏族ハウィヤ(Hawiye)中心の統一ソマリア会議(United Somali Congress; USC)が反乱軍
に加勢して、ソマリア中部から首都モガディシオへ向けて蜂起した。1991年1月26日、バ
レは本拠地である南部へ軍隊と共に逃亡し、政権は崩壊した。十を越える武装勢力が権力を求め
て戦い、とくに農耕地域であった南部では、農作物が搾取され、穀物が供給されなくなった結果、
ソマリア各地で飢餓が発生した。このような事態に対して、国際的な救援活動が行われたのだが、
紛争当事者は援助物資を盗んで換金し、軍事資金を得ていた。治安が悪化する状況下で、国際人
道機関は援助物資を渡して護衛を雇用し、護衛は市場で武器を購入して、ますます武器がソマリ
ア国内に流通する結果となった。このような緊急人道支援により戦争の激化をもたらしたと言え
よう。
ソマリア問題・国連事務総長特別代表イスマット・キッタニ(Ismat Kittani)は、1992年
11月25日の国連安全保障理事会(以下、「国連安保理」という)の会合のために用意した報告
の中で、紛争当事者や武装集団によって援助物資のうち70%から80%が失われていると主張
し43、この数値が根拠となってアメリカ軍による人道的介入である「希望回復作戦(Operation
Restore Hope)」が実施された 44。しかし、多くの人道機関は、この数値が実態にそぐわないとの
理由から、この数値を認めておらず、例えば、ICRC は同機関が提供した食糧のうち約20%
(暴力的な略奪行為5%、盗難5%、輸送における横流し10%)が失われたに過ぎないと推測し
ている45。しかしながら、援助用の食糧が、紛争当事者や武装勢力の手元へ渡った事実は否定で
きず、具体的にはソマリアへの援助物資は、以下のような方法で流用された。例えば、ソマリア
赤新月社が挙げている一事例によれば、配給所に運ばれる食糧200袋のうち、護衛に100袋、
運転手に10袋、長老と配給所の監督者に50袋が流用され、残りの40袋が被災者に配給され
たに過ぎなかった46。また、ソマリア南部の都市バイドア(Baidoa)の検問所は、国際人道機関が
バイドアへ援助物資を搬入するたびに、一、二台分のトラックの積み荷を要求するのが通例であ
り、バイドアの飛行場では、国際人道機関が食糧の空輸を行う際、護衛が一回の飛行につき
600ドルを国際人道機関に要求したという例も報告されている47。
被災者のための援助物資は、これまで述べてきたような盗難や横流しだけでなく、護衛料の支
払いによっても損失を受けた。ICRC は、これまでの人道支援において、護衛を雇用したこと
43.
S/24859, 27 November 1992.
44.
Ibid.; Alex de Waal, Famine Crimes, pp. 183-184.
45.
African Rights, Somalia : Operation Restore Hope : A Preliminary Assessment, London: African Rights, 1993, p. 4.
46.
Mohamed Sahnoun, Somalia : the Missed Opportunities, Washington, D.C.: United States Institute of Peace Press,
1994, p. 2.
47.
Ibid., p. 3.
- 17 -
はなかったが48、ソマリアでは紛争当事者から活動への同意を得るのは難しく、護衛を雇わざる
を得なかった。ICRC は、ソマリア内戦が最も激化したときに、護衛を約1万5千人から約2
万人ほど雇用し、援助用の食糧の一部を護衛料として支給し49、この護衛の職に就いたのは、市
場で安い武器を手に入れたばかりの失業中の若者であり、このような若者は、護衛から報酬を得
た結果、戦前よりも収入を安定させ、しかも生活水準を向上させる結果となった50。また、多く
の国際人道機関の職員やジャーナリストが、ソマリアを訪れるたびに護衛を必要としたので、ソ
マリアでは、武器に対する需要が高まり、護衛料の高騰にもつながった51。
倉庫から盗まれたり、輸送中に強奪されたりした援助物資は、武装勢力の軍事食糧として利用
されただけでなく、商人を介して市場で売却された。武装勢力と商人は談合して、食糧を備蓄し、
わずかな食糧しか市場に放出しないことによって、穀物価格を高騰させ、武装勢力はその利益を
軍事資金に充当した52。
ルワンダ内戦では、ルワンダ政府軍とフツ族武装集団が、少数派のツチ族住民の大多数と政治
的に穏健な立場をとっていたフツ族を殺害した結果、1994年4月から7月までの間に、約
80万人の人々がジェノサイドの犠牲に遭ったと推測されている53 。その後、反政府勢力であっ
たルワンダ愛国戦線(Rwandese Patriotic Front; RPF)が首都キガリを占領したので、このような
ジェノサイドを指揮し荷担した多くの政府軍と武装勢力が、報復を恐れたフツ族の住民とともに、
愛国戦線の支配領域の外にあったルワンダ南西部や、ザイールやタンザニアなどの隣国へ逃亡し
た54。1994年末には、ブルンジに約28万人、ザイールに約125万人、タンザニアに約
63万、ウガンダに約9万7千人の難民が避難しており55 、そのうち、ジェノサイドに荷担した
旧政府関係者、旧政府軍や民兵などの数は約30万人に上った56。
タンザニアやザイールに避難した旧政府指導者や旧政府軍は、難民キャンプを管理し、国際人
道機関によって提供される援助物資の配給を行い、その一部を戦争遂行のための軍事物資や資金
源として流用した57。タンザニアでは、難民と共に旧政府軍や民兵などの紛争当事者が避難した
のち58 、旧政府の県・コミューンの指導者が、すぐに難民キャンプの管理体制を整備し、この地
方に逃れた難民を管理し、食糧分配の権限を掌握した59。難民キャンプの組織や援助計画の実施
48.
49.
Alex de Waal, Famine Crimes, p. 169.
Andrew S. Natsios, "Humanitarian Relief Intervention in Somalia : The Economics of Chaos," in Walter S. Clarke and
Jeffrey Ira Herbst, eds., Learning from Somalia : the Lessons of Armed Humanitarian Intervention, Boulder, Colo.:
Westview Press, 1997, p. 84.
50.
Ibid., pp. 88-89.
51.
Alex de Waal, Famine Crimes, p. 170; Mohamed Sahnoun, Somalia : the Missed Opportunities, p. 38.
52.
Andrew S. Natsios, "Humanitarin Relief Intervention in Somalia" p. 83.
53.
UNHCR, The State of the World's Refugees, 2000 : Fifty Years of Humanitarian Action, Oxford, England ; New York:
Oxford University Press, 2000, p. 245.
54.
Ibid., pp. 246-247.
55.
Ibid., p. 250.
56.
Alex de Waal, Famine Crimes, p. 195.
57.
UNHCR, The State of the World's Refugees, 2000, pp. 250-251.
58.
Susanne Jaspars, The Rwandan Refugee Crisis : Initial Successes and Failures in Food Assistance, London: Relief and
Rehabilitation Network (Overseas Development Institute), 1994, p. 1.
- 18 -
60 が採用され、例えば、タンザニアの難
には、ルワンダの行政単位(県、コミューン、セクター)
民キャンプにもそのままの形で適用された。タンザニアのンガラ(Ngara)地方・ベナコ
(Benaco)の難民キャンプでは、コミューンの指導者が、支持者に食糧を与えて忠誠を誓わせ、食
糧を市場で売却し軍事資金を調達した61。
次に、
「紛争当事者による人道支援の戦争への転用」のカテゴリーの中でも、「物資の配給」が
紛争当事者などに妨害され、そのことが紛争当事者間の対立を助長した第二のパタンの例を見て
みよう。
ソマリア内戦では、1991年9月に、暫定大統領アリ・マハディ(Ali Mahdi)率いるアリ・
マハディ派と、これに敵対するモハメド・ファラハ・アイディード(Mohammed Farah Aideed)将
軍の率いるアイディード将軍派が、首都モガディシオの支配をめぐる戦闘を開始し、同年11月
17日、18日には、アイディード将軍派は、それまで攻勢であったアリ・マハディ派を市北部
に放逐し、モガディシオ南部を中心とした市の大半を支配した62。モガディシオ市などへの緊急
人道支援の多くは、モガディシオ空港と港を通じて輸入されたのだが、アイディード将軍派はこ
の輸送上の拠点を管理していたので63、支援物資を勢力拡大に利用することもできた。このよう
な事態に対して、国連平和維持軍による空港の管理を要求していたアリ・マハディ派は実力行使
に訴え、1992年11月25日、世界食糧計画(World Food Programme; WFP)がチャーターし
た輸送船を砲撃し、モガディシオ港への入港を阻止した64。国連を支持していたアリ・マハディ
派が、国連人道機関による援助物資の輸送を妨害したのは、この物資がアイディード将軍派の支
配地域に配布される物資であったからである65。国際人道機関が援助物資の荷下ろしを強行すれ
ば、アイディード将軍派の戦略上有利な展開となり、逆に、供給を停止すれば、緊急人道支援に
よって勢力を拡大したアイディード将軍派を押さえ込むアリ・マハディ派の戦略に叶うことに
なった。
ボスニア内戦では、国際人道機関による援助活動自体が、紛争各派の政治的な争点になった。
紛争当事者は敵に多くの援助物資が渡ることを妨げ、民族浄化をさらに促進するために、国際人
道機関が被災者の元に近づくことを拒否したり、援助物資の内容を制限することによって、戦略
上の理由から人道支援活動を妨害していた。
ボスニア内戦では、紛争当事者の一派であったセルビア人勢力が、孤立したムスリム居住地へ
の緊急人道支援を制限し、クロアチア人勢力もまた、ボスニア中央部にある被災地への立ち入り
を規制していた。1992年には、クロアチアの首都ザグレブ(Zagreb)からボスニアの首都サ
ライェヴォ(Sarajevo)への輸送に際して、UNHCR のトラックが90回もバリケードに行く
手を遮られ、そのたびに、UNHCR は現地の武装勢力などとの交渉を行わなければならなかっ
59.
Howard Adelman, and Astri Suhrke, Early Warning and Conflict Management, Steering Committee of the Joint
Evaluation of Emergency Assistance to Rwanda, 1996, paras 1-2; S/1994/1308, 18 November 1994, para 6.
60.
Susanne Jaspars, The Rwandan Refugee Crisis, p. 3.
61.
Ibid., p. 29.
62.
柴田久史『ソマリアで何が?』、岩波書店、1993年、50、51頁。
63.
同、前掲書、51頁。
64.
S/24859, 27 November 1992.
65.
Mohamed Sahnoun, Somalia : the Missed Opportunities, p. 37.
- 19 -
た。現地の UNHCR 職員は、戦争の期間の大半を、このような被災地へのアクセスのための交
渉に費やしたと述べている66。
UNHCR は、輸送車両への誤認攻撃といった惨事を回避するために、現地の紛争当事者に輸
送時間や輸送経路などの情報を事前に通知し、紛争当事者から通行証を得て、緊急人道支援を
行っていた。また、紛争当事者が援助物資の輸送には危険すぎると判断した場合、UNHCR に
その危険性を通知する取り決めになっていた。しかし、紛争当事者はこのような安全上の理由だ
けでなく、戦略上の理由から、敵に渡る物資があまりにも多いと国際人道機関を非難し、輸送車
両の通過を拒否することもあった。とくに、セルビア人勢力は孤立したムスリム居住地への出入
りを認めないことが多かった。このような事態に対して、UNHCR はすべての物品に関する詳
細な情報を、紛争当事者に報告し、活動の透明性を高めることで紛争当事者から信頼を得ようと
したが、信頼性を高めるどころか、援助物資の内容をめぐって紛争当事者間の敵対心をさらに煽
る結果となってしまった67。
ボスニア各派に配分される援助物資の割合は、被災者にとって必要な物資の規模ではなく、各
民族の人口比に応じて決定された。UNHCR が人口比に基づいて援助物資の割合を決定したの
は、緊急人道支援が民族間の対立を助長しないように配慮した結果であろう。しかし、武力紛争
の激化を避けるために、このような援助活動を実施した結果、人命の救済という点で問題を残し
たと言える。サライェヴォ、スレブレニッツァ(Srebrenica)などセルビア人勢力によって包囲さ
れていた都市に住むムスリム地域の方が、包囲しているセルビア人勢力よりも物資が必要であっ
た。しかし、人口比を基礎とした UNHCR による配分計画では、戦前のボスニアの人口のうち
約30%がセルビア人であったので、援助物資のうち約30%の食糧がセルビア人勢力に提供さ
れた。しかも、ほとんど戦争の影響を受けていなかったボスニア南部では、この地方に居住する
クロアチア人は、この地方の人口の約47%を占めており、この地域への援助物資のうち約
49%を受け取っていた68。すなわち、ボスニアでは、紛争当事者間の対立を回避するあまり、
被災者の必要に応じた緊急人道支援を実施できなかったと言えよう。
このように、UNHCR が支援を必要とする被災者には物資を十分に届けず、それほど物資を
必要としていない人々のところにまで物資を運んだのは、紛争当事者が政治的駆け引きによって
援助物資の割当量を決定し、それを UNHCR に強制したからである。セルビア人勢力は、
1994年冬にサライェヴォを包囲した上、電気とガスの供給を止め、セルビア人側に提供され
る薪と石炭の割り当てを50%まで上げなければ、ムスリム居住区への物資輸送を妨害すると
UNHCR に迫った。UNHCR はこのセルビア人勢力からの要求を拒否した結果、セルビア人
勢力の包囲下にあったムスリムは、UNHCR が提供する病院向けの燃料、水道用ポンプ、パン
などの援助物資を8カ月間にわたり受けられなかった。サライェヴォ地域でのセルビア人の人口
は全体の23%に過ぎなかったが、その後、UNHCR はセルビア人側の割当を38%まで増や
66.
67.
UNHCR, The State of the World's Refugees, 2000, p. 226.
Mark Cutts, The Humanitarian Operation in Bosnia, 1992-95 : Dilemmas of Negotiating Humanitarian Access, New
Issues in Refugee Research : Working Paper No.8, Office of the United Nations High Commissioner for Refugees,
1999, paras 62-63.
68.
Ibid., paras 68-69.
- 20 -
すことを受け容れた69。このような人口比に基づいた緊急人道支援やセルビア人勢力寄りの割当
量に対して、多数の被災者を抱え人道援助をより多く必要としているボスニア政府側は不満を漏
らし、紛争当事者間の対立を助長した。
最後に、
「紛争当事者による人道支援の戦争への転用」のカテゴリーの中のうち、「避難所」が
紛争当事者などに軍事基地として利用された第三のパタンを考察したい。
ボスニア内戦では、多数のムスリムが被災者としてサライェヴォなどの都市に避難したのだが、
このような都市の多くは、ボスニア政府軍の軍事拠点でもあった。それゆえ、セルビア人勢力は、
都市を包囲し、兵糧攻めで陥落させようとした。一方、劣勢側のボスニア政府軍は、この都市を
死守するために避難民を留まらせようとした。このように、避難民のための避難所は軍事基地と
なり、国際人道機関がここで緊急人道支援を行うことは、ボスニア政府軍の軍事目的に叶う一方、
セルビア人勢力の軍事目的には反するものであった。
1993年初め、ボスニア東部では、ムスリムの一部はセルビア人勢力による戦闘から逃れる
ために東部地方から別の地方へ避難したのだが、スレブレニッツァ、ゼパ(Zepa)、ゴラジュデ
(Gorazde)といった東部の都市にも、多くのムスリムが避難していた70 。例えば、もともとスレ
ブレニッツァの人口は6千人であったが、避難民が流入し、短期間で5万人以上に急増したとい
われている 。ボスニア政府軍がこれらの都市を防衛する一方、セルビア人勢力がその都市を包囲
するという状況が続いた。1993年3月19日、スレブレニッツァでは、国連保護軍(United
Nations Protection Force, 以下、
「UNPROFOR」という)によって護衛された国際人道機関の
輸送隊が、3カ月ぶりに街に入り、兵糧攻めで飢えた618名の子ども、女性、負傷者を乗せて、
ムスリム支配地域の都市ツズラ(Tuzla)へ搬送した。これに対して、現地のムスリム側の指導者
が、この救出活動はセルビア人の民族浄化を助けるものだとして、トラックの進行を阻止し、4
月1日には、スレブレニッツァのムスリム勢力は、一切、避難活動を認めないと発表した71。
緒方難民高等弁務官は、この避難活動について以下のように述べている。「ボスニア・ヘルツェ
ゴヴィナにおいて、難民や避難民の保護だけでなく、まだ移動していない人々を保護するという
ことが、UNHCR の保護活動の一つの特徴でした。人々を強制的に別の場所へ移動させること
が武力紛争の目的でもあったので、UNHCR は大きなディレンマに直面したのです。私たち
は、どれだけの人を引き留め、いつになったら、生命や自由への脅威が迫っているので避難でき
ると住民に告げられるでしょうか。もし、UNHCR が被災者の避難を助ければ、『民族浄化』
の共犯者とはならないでしょうか72 」。UNHCR は民族浄化の手助けをしていると非難されな
いために、実際に、レイプされたり、家族が殺害されたり、家が砲撃され、立ち退きを迫られた
りした戦争による被害の経験がある人々を、優先的に避難させることにした73。
69.
Ibid., paras 72-73.
70.
UNHCR, The State of the World's Refugees, 2000, p. 222.
71.
UNHCR, The State of the World's Refugees, 1993, New York: Penguin Books, 1993, p. 91.
72.
Sadako Ogata, "Refugees : A Humanitarian Strategy", Statement by Mrs. Sadako Ogata, United Nations High
Commissioner for Refugees at the Royal Institute for International Relations, Brussels, 25 November 1992.
73.
Mark Cutts, The Humanitarian Operation in Bosnia, 1992-95, para 82.
- 21 -
ルワンダでは、首都キガリを占領した RPF が、新政権を樹立し、人道的介入を目的とするフ
ランス軍主体の多国籍軍が支配する南西部を除いたルワンダ全域を支配していた。一方、旧政府
軍は前に述べたように、タンザニアやザイールなどの難民キャンプを支配下におき、また、多国
籍軍の占領下にあったルワンダ南西部でも、避難民キャンプを管理していた。フランス軍主体の
多国籍軍が撤退した後、軍事化した避難民キャンプの閉鎖をめぐって、政府軍と反政府軍が対立
し、国際人道機関が対応に苦慮した。
ルワンダ旧政府関係者や旧政府軍は、ザイールやタンザニアの難民キャンプを軍事基地として
越境攻撃の起点とし、フランス軍主体の多国籍軍が管理したルワンダ南西部の「人道保護区
(Zone humanitaire s 柮 e)」においても、旧政府軍が避難民キャンプを基地として、そこから新政権
の転覆を謀ろうとした74。国際人道機関が、このような避難所で緊急人道支援を実施すれば、両
者の対立を助長することになり、一方、緊急人道支援を停止すれば、被災者の人命を危険にさら
す結果となり、緊急人道支援のディレンマが生じていたと言えよう。
フランス軍主体の多国籍軍が撤退した後、ルワンダ南西部には33カ所のキャンプが存在し、
約39万人の避難民が留まっていた75。1994年秋に、ルワンダ新政府は、反政府軍が避難所
を軍事基地として利用させないように、1994年12月までに必要があるならば武力を行使し
て、キャンプを閉鎖することを決定した。1994年12月、国際人道機関とルワンダ新政府は、
「帰還計画(Opération Retour)」を実施する予定であったが、避難民が帰還しようとせず、この計
画は1995年2月まで実施されなかった。1995年2月、国際人道機関とルワンダ新政府は、
キャンプの閉鎖プロセスを監視する統合活動センタ(Integrated Operation Centre)を設置し、また
このころから、国際人道機関は、食糧支援を徐々に減らし、避難民が本国へ自発的に帰還するこ
とを促し、避難民キャンプの閉鎖に向けた動きを加速させた76。統合活動センタは、このような
キャンプの中でもキベホ(Kibeho)キャンプには、避難民の約半数がおり、旧政府軍が避難民を
兵士として雇用し訓練している可能性が高く、ルワンダ本国への敵対行為の拠点となっていると
結論づけた77。
ところが、1995年4月18日に、ルワンダ新政府軍はキベホ・キャンプに二大隊を派遣し、
キャンプへの物資供給を強制的に停止した78。19日と20日には、避難民が投石し、武器を強
奪しようとしたため、新政府軍が応戦し十数名程度79 の避難民が殺された。20日以降、新政府
軍と旧政府軍との緊張が高まる中、両者の間で戦闘が行われ、ルワンダ新政府軍兵士が、難民の
群衆に発砲し、ロケット推進式手榴弾を用いた。また、武装した旧政府軍と民兵はこれに抵抗し
て、銃やなたで新政府軍兵士などを攻撃した結果、国連の調査によれば800人から1200人
ほどの被害者が出たという80。このように、ルワンダ南西部にあった避難民キャンプは旧政府軍
74.
UNHCR, The State of the World's Refugees, 2000, p. 254.
75.
Howard Adelman, and Astri Suhrke, Early Warning and Conflict Management, ch., 6.3, para 1.
76.
Ibid., para 4.
77.
Ibid., para 1.
78.
Ibid., para 6.
79.
国連の調査によっても正確な被害者の数を特定できず、その数値に幅がある。
80.
Ibid., para 7; S/1995/411, 23 May 1995.
- 22 -
の軍事基地となり、そこで一部の国際人道機関が緊急人道支援を続けたことで81、結果的に新政
府と旧政府の武力衝突を招いてしまった。
旧政府指導者や旧政府軍などが、ザイールの難民キャンプを支配していたことはすでに言及し
たが、UNHCR は、ザイールのモブツ大統領の特別警護隊からなる軍隊を編成し、経費と装備
を与え、難民キャンプの秩序維持に当たらせた82。ところが、モブツ大統領は、ルワンダ難民が
避難した北キブ・南キブ地方における民族対立を利用して、この地域のザイール反政府勢力を押
さえ込もうとして83、ルワンダ難民キャンプを中心とした多くのアフリカ中央部の諸国が国際的
な武力紛争に巻き込まれる結果となった。1995年始めには、フツ族武装勢力は、ザイールに
ある難民キャンプを、ルワンダ本国とザイールのツチ族社会を破壊する作戦の拠点とした。この
事態に対して、ツチ族主体のルワンダ新政府軍は、ツチ系ザイール人集団バニャムレンゲ
(Banyamulenge)及び反モブツ勢力と連携して、ザイール南北キブ州にある難民キャンプを攻撃し
た。さらに状況を複雑にしたのは、UNHCR が雇用したザイール兵が、反乱軍を制圧するため
にこの戦争に加わろうとしたことである84。この結果、ルワンダ新政府とそれに連携する勢力は、
UNHCR が難民よりもジェノサイドの首謀者やモブツ政権を支援していると非難し、一方、フ
ツ族過激派は、UNHCR がルワンダ難民をルワンダ本国に帰還させようとすると、ルワンダ政
府と共謀しているとの理由で UNHCR を批判した85。このように、ザイールに設置された難民
キャンプは軍事基地と化し、この地域の不安定要因となってしまった。
二、
「被災者による人道援助物資への依存」
次に「被災者による人道援助物資への依存」がもたらしたディレンマが、どのように生じたの
かを見てみよう。ここでは、三つの内戦のうちこの依存が最も顕著に見られたソマリアの事例を
見てみよう。
ソマリアでは、国際人道機関が援助物資を提供した結果、内戦が激化する前の穀物価格よりも
さらに価格が下落し、農業生産に従事していた多くの人々は生産意欲を削がれ、援助物資に依存
することになった。米国人道 NGO である CARE は、モガディシオ市内の穀物価格を調査し
て、国際的な人道支援が本格的に実施された1992年から、それまで高騰していた穀物価格が
下落し始め、1992年10月頃には飢餓が発生する前の穀物価格の水準に回復したことを明ら
かにしている86。同月、国連事務総長特別代表モハメド・サヌーン(Mohamed Sahnoun)は、この
ような経緯を踏まえ、国際的な食糧支援の停止を主張した。12月には、天候回復による農業生
81.
Alex de Waal, Famine Crimes, pp. 199-201.
82.
UNHCR, The State of the World's Refugees, 2000, pp. 254-255.
83.
Ibid., p. 255.
84.
Ibid., pp. 258-259.
85.
Ibid., p. 262.
86.
飢餓が発 生する前の穀物価格は、いずれも一キログラム当たり1000から2000ソマリアシリングで
あり、1 992年10月頃にその価格水準に回復した。このような穀物価格の下落は、一般市民の食糧事
情を改善させ、死亡率の低下をもたらした(CARE monetization programme, "Cereal Prices in South Mogadishu
(Somali shillings per kg)", quoted in African Rights, Somalia : Operation Restore Hope, p. 9)。
- 23 -
産の拡大が、農耕地帯の低地シェベル地方における食糧価格の下落につながり87、さらに国際人
道機関による援助物資が、10月以降も提供され価格下落に拍車をかけた。
このような状況にもかかわらず、1992年12月からの米軍主体の「希望回復作戦」によっ
て、
「無料」の輸入食糧がソマリア国内に流通し、ソマリアの農業生産競争力を低下させ、多くの
農民の反発を買う結果となった。穀物価格があまりにも低いので、農民は生産をやめ、余剰生産
物を腐敗させたまま放置し、また、農耕地帯で雇用されていた数万人の農業労働者の失業状態は
続き、多くの農民や農業労働者は人道援助物資に依存し、救援キャンプから出なかった88。この
ような人道援助物資の過剰な投下と、人道援助物資への依存構造は、戦争の早期解決よりも継続
を望む人々を増やす結果となり、戦争の長期化の一因となったと言えよう。
第三節 緊急人道支援のディレンマの緩和策
国際人道機関は、これまで論じてきた二種類の緊急人道支援のディレンマを緩和するべく、紛
争当事者や武装勢力に援助物資を利用させないようにするために、あるいは、被災者が援助物資
に依存しすぎないようにするために様々な手段を講じてきた。ここでは、初めに、紛争当事者に
人道支援が戦争に転用されないような援助の方法を探りたい。「非暴力性」を維持しながらディレ
ンマの回避策を工夫した場合と、「非暴力性」を外部に委託して人道的介入を要請し、これと協力
した場合に分け、取り上げたい。次に、被災者が援助物資に依存しすぎないように取られた援助
の方法を挙げ、以下、それぞれ具体的にどのように行われたのかを簡単に述べていきたい。
初めに、国際人道機関が「非暴力性」を維持して、緊急人道支援の方法を工夫し、紛争当事者
による人道支援の転用を回避しようとした場合を取り上げたい。
ソマリアでは、国際人道機関が食糧を有償で販売して、紛争当事者や武装勢力などによる強奪
89
とは、収入が少なく食糧が
や横流しを回避しようとした。食糧の有償販売(monetization plans)
購入できない人に対して、従来の無償援助を行い、それ以外の人々に対しては、市場を介して食
糧を売却する方法である。具体的には、穀物、豆類、調理用油を、ソマリア北部の港、ケニア、
ジブチにいたソマリア商人に売却し、商人はこの商品を盗難されないように、市場まで輸送する
責任を負うものであった。この方法によって、国際人道機関は、食糧庫から配給所までの輸送中
の横流しや強奪を解消することができ、武装勢力に行き渡る援助物資の割合を減少させることが
できた90。その一方で、武装勢力が蓄えていた援助物資の価値が下がったので、武装勢力はその
損失分を埋め合わせる目的で、それまで以上に援助物資を盗み、治安の悪化を招くという意図せ
ざる結果ももたらされた91。
87.
African Rights, Somalia : Operation Restore Hope, pp. 10-11.
88.
Ibid.
89.
食糧の有償販売に関しては、次の文献を参考のこと。 Frederick C. Cuny, and Richard B. Hill, Famine, Conflict,
and Response : A Basic Guide, West Hartford, Conn.: Kumarian Press, 1999, pp. 76-86.
90.
ソマリア 商人は、氏族に所属しており、仮に商品が盗難にあった場合であっても、その盗難を行った人が
所属する 氏族から、その補償を受けられたので、国際人道機関が援助物資を輸送・管理するよりもソマリ
ア人商人が行った方が、援助物資の目減りは少なかったと推測できる。
91.
Andrew S. Natsios, "Humanitarin Relief Intervention in Somalia : The Economics of Chaos," pp. 86-92.
- 24 -
ソマリアではまた、提供する物資を商品価値の高い米などの穀物から、より商品価値の低いソ
ルガムなどに変更し、盗難の危険性を減らす工夫も見られた。つまり、米、小麦などの商品価値
の高い食糧は、盗難の対象となり、市場で取り引きされやすく、一方、ソマリアの貧困層がおも
に食べるソルガムは、商品価値が低く、盗難のおそれが減るので、国際人道機関は、より商品価
値の低い物資を提供したのである92。
ソマリアの首都モガディシオ周辺では、地域の自助団体と国際人道機関が、炊き出しを行った。
袋詰めされた穀物は盗難されやすく売却も容易であるのに対し、調理された食事にはそのような
恐れがなかったので、これが実施された。ICRC と現地の女性団体が、モガディシオ市内で食
事を提供し、ピーク時には、900の配給所で、200万人を超える避難民に食事を提供した93。
次に、国際人道機関が「非暴力性」からくる脆弱性を補完する目的で、人道的介入を要請し、
あるいは介入軍などと協力して、緊急人道支援のディレンマを軽減した場合を取り上げたい。
ソマリア内戦において、国際人道機関やその関係者の中には、紛争当事者による援助物資の利
用や治安の悪化に対する処方箋として、人道的介入をアメリカや国連に要請した者もいた。国連
安保理が人道的介入の派遣を決定する前に、三つの国連人道機関と、CARE、オクスファム・
アメリカ、IRC(International Rescue Committee)という三つの人道 NGO が、記者会見を行
い、国際的な軍隊の派遣による治安の回復がない限り、ソマリアでの活動はできないと声明を出
した94。同日、アメリカ政府は、人道的介入の用意があると、国連安保理に通知しており、この
ことから、上記の記者会見が、アメリカ政府や国連安保理の人道的介入に関する政策決定に幾分
かの効果を及ぼしたと推定することも可能であろう。
このような人道的介入は、緊急人道支援のディレンマの解消に、次の点で役立ったと評価でき
よう。第一に、米軍主体の介入軍である統合タスクフォース(United Task Force, 以下、
「UNITAF」という)が援助物資の輸送に際して、国連人道機関の活動を護衛したことで、国
際人道機関によるソマリア人護衛への依存は弱まり、横流しをしていた輸送業者との関係を解消
することが可能となった。第二に、国際人道機関が、UNITAF の出動を要請して、武装集団
による物資の強盗を防いだこともあった。例えば、UNITAF がソマリアに派遣されて間もな
く、低地シェベル地方において、百人以上の武装集団が現れ、ある国際人道機関に食糧を要求し
たことがあったが、この時、この機関の職員は無線で、UNITAF 所属の米軍部隊に救助を要
請し、これに応じて、米軍のヘリコプターが出動したので、この武装集団は食糧を奪取せず逃亡
したという事件があった95。
しかし、その反面、人道的介入によるディレンマ解消の効果は、ソマリア内戦のケースでは、
限定的なものに留まったともいえるだろう。すなわち、武装集団が人道援助物資を戦争に利用し
ないようにするためには、多国籍軍が、武装解除を進め、治安を回復することが必要条件であっ
たが、UNITAF は、国際人道機関の活動を保護することはしたが、紛争当事者の武装解除ま
で踏み切ろうとしなかった。また、その後の第二次国連ソマリア活動(United Nations Somalia
92.
Ibid.
93.
Alex de Waal, Famine Crimes, p. 169.
94.
Ibid., p. 183.
95.
African Rights, Somalia : Operation Restore Hope, p. 5.
- 25 -
Operation; UNOSOMII)では、国連軍は、アイディード将軍派の武装解除に失敗し、結局、アイ
ディード将軍派と交戦状態に陥り、治安の回復には完全に失敗してしまった96。
ボスニア内戦初期には、緊急人道支援が紛争各派からの妨害にあって実施できない状況にあっ
たので、1992年6月5日に、国連安保理はサライェヴォ空港を機能させるための停戦協定を、
紛争当事者に同意させ、UNPROFOR は、サライェヴォ空港を統制下に置いた97。陸上輸送
での妨害を回避するために、UNPROFOR と UNHCR は協力して、軍の輸送機を利用し
た大規模な空輸作戦を実施した。具体的には、その規模は、1995年3月中旬の時点で、15
万500トン以上(食糧13万6000トン、医薬品1万4500トン)に上り、飛行回数は1
万2100回に達した。サライェヴォへの空輸作戦は、冷戦直後に生じたベルリン危機における
空輸に次ぐ規模であった98。このように、人道的介入によって緊急人道支援のディレンマをいく
らか回避することができたと言えよう。
しかし、UNPROFOR は空港からサライェヴォ市内までの安全を確保できず、セルビア人
勢力によって陸上輸送が妨害されていただけでなく、空輸活動にも支障が生じた。前にも述べた
ように、UNHCR などの国際人道機関が援助物資を陸上輸送する場合、紛争各派との交渉が必
要であったが、空輸に関しても同様だった。また、紛争当事者の中には、敵対勢力が空港を利用
しているという口実を使って輸送機を砲撃することがあった。270回以上の事件が発生し、
1992年9月3日には、輸送機が砲撃され4名の搭乗員が死亡した。この事件を受けた空輸作
戦の参加国は、紛争当事者からの安全面での保証が書面で確認されない限り、空輸を認めなかっ
た。このようなことがたびたび生じ、1995年には5カ月間も空輸活動が中断した99 。
また、UNPROFOR は、このような援助物資の輸送を行うだけでなく、緊急人道支援に
とって重要な避難民の保護をその任務とした。しかし、UNPROFOR がその任務を十全に遂
行できたとは言い難い。国連安保理は、ボスニア東部における戦闘の激化に伴って生じたムスリ
ムの避難民の安全を確保することを目的として、1993年4月、スレブレニッツァを「安全地
100
域(safe area)
」に指定し、UNPROFOR を展開させることを決定した 101。同年5月、この
安全地域は、サライェヴォ、ツズラ、ゼパ、ゴラジュデ、ビハチ(Bihac)を含めた6都市に拡大
された102。国連事務総長は、UNPROFOR がこのような任務を遂行するためには、3万4千
人の追加兵力が必要であると主張したが、国連安保理は7500人の追加しか認めなかったので、
UNPROFOR は、この安全地域の安全を十分に保障できなかった。また、従来の平和維持活
96.
この点に関しては以下の文献を参考にした。 John R. Bolton, "Wrong Turn in Somalia," Foreign Affairs, Vol. 73,
No. 1 (1994), pp. 56-66; Walter Clarke, and Jeffrey Herbst, "Somalia and the Future of Humanitarian Intervention,"
Foreign Affairs, Vol. 75, No. 2 (1996), pp. 70-85.
97.
UNHCR, The State of the World's Refugees, 2000, p. 220.
98.
UNHCR, The State of the World's Refugees, 1995, p. 126.
99.
Mark Cutts, The Humanitarian Operation in Bosnia, 1992-95, paras 90-91;UNHCR, The State of the World's
Refugees, 2000, pp. 227-228.
100. 安全地域の概念と安全地域が設定された事例に関しては、以下の箇所を参考のこと。 UNHCR, The State of
the World's Refugees, 1995, pp. 128-129.
101. S/RES/819(1993) , 16 April 1993.
102. S/RES/824(1993) , 6 May 1993; UNHCR, The State of the World's Refugees, 2000, pp. 222-223.
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動の原則を維持して、UNPROFOR は活動したので、軍隊を移動するときにも紛争当事者の
移動許可が必要であり、その許可が得られない場合、数カ月も軍隊が移動できないことがあった。
そのため、ゴラジュデやビハチでは、UNPROFOR の食糧が底をつき、UNHCR が
UNPROFOR に食糧支援をする有様であった103。セルビア人勢力がスレブレニッツァを陥落
させ、約7000名(そのほとんどがムスリムの少年や成人男性)を殺害したり104、セルビア人
支配地域での活動ができず、この地域で活動していた UNHCR や ICRC が、紛争当事者が
戦術として女性をレイプし、強制収容所を各地で設置したことを確認しており105、
UNPROFOR が治安維持に成功したとはいえない。
ルワンダでは、ジェノサイドが生じた1994年4月には、平和維持軍・国連ルワンダ支援団
(United Nations Assistance Mission for Rwanda; UNAMIR)が展開していたが106、ジェノサイドの混
乱の中、首相を護衛していたベルギー兵10名が殺傷され107、その規模は縮小された108。国連安
保理はこのジェノサイドに対して何ら手を打つことができなかった。
ジェノサイドが収束した後に、フランス軍を主体とした多国籍軍がルワンダ南西部で展開した
が、前にも述べたように、この地域に設置された避難民キャンプは旧政府軍の管理下にあり、新
政府と旧政府との対立を助長した。新政府軍がこの地域を支配する前に、国連憲章第七章に基づ
く武力行使容認決議を受けて、フランス軍が中心となってトルコ石作戦(Opération Turquoise)を
実施し、その地域に逃れた避難民を支援した。タンザニアやザイールと同様に、旧政府当局者や
軍人がこの安全地域に避難し、フランス軍は彼らの国外への避難を手伝うなど、中立性に欠いた
行動が目立ったという109。フランス軍による人道保護区の設置に対して、ルワンダ新政府は、フ
ランス軍が旧政府軍を支援しないようにと非難を繰り返した110。
旧政府や旧政府軍の指導者が、ザイールなどの難民キャンプを支配していたことはすでに言及
したが、UNHCR などの国際人道機関は、この難民キャンプでの治安を確保するために国際社
会が行動を取るべきだと主張した。緒方国連難民高等弁務官は、フランス語圏のアフリカ諸国と
カナダの警察・憲兵からなる多国籍軍を派遣し、アフリカ以外の諸国からの輸送支援と装備の供
与や財政支援を求めたが、加盟国の多くが、軍隊の展開にかかるコストを忌避して、この提案は
実現しなかった111。それゆえ、UNHCR は、ザイールのモブツ大統領の特別警護隊からなる軍
隊を編成し、経費と装備を与え、難民キャンプの秩序維持に当たらせたのだが112、前にも言及し
103. UNHCR, The State of the World's Refugees, 2000, p. 227.
104. Ibid., pp. 224-225.
105. Ibid., pp. 221-222.
106. S/RES/872(1993), 5 October 1993.
107. S/Prst/1994/16, 7 April 1994; SG/SM/5260, 8 April 1994.
108. S/RES/912(1994), 21 April 1994; 川端清隆・持田繁『PKO 新時代:国連安保理からの証言』、岩波書店、
1997年、147−153頁。
109. African Rights, Rwanda : Death, Despair, and Defiance, Rev. ed., London: African Rights, 1995, pp. 1150-1152.
110. 川端清隆・ 持田繁、前掲書、186,187頁。
111. UNHCR, The State of the World's Refugees, 2000, p. 254.
112. Ibid.
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たように、この軍隊はザイール内戦に参加したため、紛争各派が、UNHCR は中立な立場で活
動していないと非難される要因にもなった。
ルワンダにおける人道的介入は、ルワンダ国内で行われたトルコ石作戦が中立性を欠いた活動
であったと、ルワンダ新政府に批判されるなど、緊急人道支援のディレンマを解消するよりも拡
大したと言ってよい。また、その後、ザイール難民キャンプでは治安を回復するための国際的な
軍隊の派遣が見送られ、日本を含めた各国が独自の判断でキャンプでの援助のみを目的とした軍
隊を派遣するに留まった。その結果、UNHCR は治安維持のために現地のザイール兵に依存す
るほかなく、ルワンダ内戦から波及した地域紛争に巻き込まれることとなった。
最後に、被災者が援助物資に依存しすぎないように取られた援助の方法であるが、ソマリア内
戦ではその具体的な方法として、武力紛争の最中に、緊急人道支援と平行して復興支援が実施さ
れた。これは被災者に対する短期的な支援だけでは、根本的な救済策とは言えず、被災者が自立
できるような復興・開発支援を視野に入れた緊急人道支援が必要だという議論から生まれてきた
ものである。例えば、ケニアに逃れた難民を帰還させ、新たな難民の発生を予防するため、
UNHCR は、いくつかの NGO に資金を提供して、ソマリア南部において即効プロジェクト
(Quick Impact Projects; QIPs)を実施した 113。これは食糧支援にとどまらず、学校や診療所などの
社会基盤の整備、食糧自給のための農業と畜産の復興を目的にするものであった。このような緊
急人道支援と復興支援との連係によって、ソマリア内戦の場合、UNHCR は、難民を武力紛争
の最中であっても帰還させることに成功し、難民の援助物資への依存を弱めることができたと言
えよう114。
結論
これまで議論したところから、以下のことが明らかにできたといえよう。まず、緊急人道支援
のディレンマを、緊急人道支援のもつ「非暴力性」と「急務性」という特質に対応する「紛争当
事者による人道支援の戦争への転用」と「被災者による人道援助物資への依存」という二つのカ
テゴリーが、ディレンマを分析し、あるいはディレンマを解消する方法を探る上で有用であるこ
とを明らかにすることができた。
もっと詳しく述べれば、国際人道機関が「非暴力性」に起因する「紛争当事者による人道支援
の戦争への転用」を回避するために取りうる方法は、大きく分けて二つあった。第一に、国際人
道機関が、暴力行為に抵抗するために人道的介入などの国際部隊と共同で活動する場合である。
ソマリア、ボスニア、ルワンダの事例では、いずれの場合も、国連事務総長と国連安保理が、国
連憲章第七章に基づいて武力行使を伴う人道的介入を実施した。人道的介入として派遣された多
国籍軍は、国際人道機関の活動を円滑に行えるように治安を回復し、輸送手段を提供するなどし
て、緊急人道支援に貢献したと言えよう。第二に、国際人道機関が外部に自衛手段を委託しない
場合、あるいは、委託しようとしても国際社会に人道的介入を行う意志がない場合、緊急人道支
113. John Kirkby, et al., "Field Report : UNHCR's Cross Border Operations in Somalia : The Value of Quick Impact
Projects for Refugee Resettlement," Journal of Refugee Studies, Vol. 10, No. 2 (1997), pp. 181-198.
114. UNHCR, The State of the World's Refugees, 1993, p. 117.
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援の方法を改善して、緊急人道支援のディレンマをできるだけ回避する方法を取らなければなら
ない。一方、国際人道機関が「急務性」に起因する「被災者による人道援助物資への依存」を回
避するために取りうる方法として、復興・開発支援まで視野に含めた緊急人道支援の必要性を明
らかにできた。
これまで本稿では、武力紛争における緊急人道支援の発展のために、緊急人道支援のディレン
マの問題を指摘し、それを克服することを狙いとしてきたが、これと深い関わりのある人道的介
入の問題については、本稿では扱わなかった。ここでは、以下、その点を指摘するに止めたい。
緊急人道支援のディレンマを解消する手段として、人道的介入が果たした役割をさらに考察す
る必要があった。確かに、ボスニアでの空輸では大きな成果を上げ、人道的介入が緊急人道支援
のディレンマを克服する手段の一つとして判断することも可能であるが、ソマリアでは人道上の
緊急事態が収束してから米軍中心の多国籍軍が派遣され、ルワンダでも、人道的介入が遅れ、
ジェノサイドの回避に失敗した。それゆえ、人道的介入が緊急人道支援のディレンマを解消する
有効な手段と断言できない。
また、ボスニア内戦では、UNHCR と UNPROFOR が協力して人道支援を実施した結
果、国連の和平プロセスを支持していない紛争各派は、UNHCR の中立性に対する疑問を提起
し、ないしは UNHCR の活動を妨害することにもつながった。ルワンダでの支援活動でも、旧
政府軍側への人道支援が大規模に行われたことに対して、新政権が国際人道機関に疑念をもった
ということもあり、国際人道機関が多国籍軍と協力することで、新たなディレンマが生じるとい
う可能性も否定できない。緊急人道支援のディレンマを回避し、あるいは解消するために、国際
人道機関と介入軍が、どのように役割を分担し、あるいはどのような協力体制を構築すべきかを、
今後さらに検討する必要がある。
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