「許されざるもの」 ―僕と新宿梁山泊との、著作権を巡る裁判について

「許されざるもの」
―僕と新宿梁山泊との、著作権を巡る裁判について―
「原告から請求の放棄がありました」
裁判長から唐突に告げられ、僕はしばらくぽかんとしていた。「請求の放棄」
という意味がわからなかったのだ。
「終わったんですよ、勝ったんですよ、チョンさん」と、柳原敏夫弁護士に
声をかけられても、狐につままれたような気分だった。
つまりは、「原告の新宿梁山泊が、被告鄭義信氏の主張を無条件で全面的に
認める意思表示をしたため、事件は被告鄭氏の無条件の全面的勝訴の内容で幕
を閉じた」ということであったけれど、あまりにあっけない裁判の終了に、た
だただ呆然とするしかなかった。そして、呆然とした状態から醒めると、怒り
がふつふつと湧いてきた。
(そんじゃ、昨年6月に上演差止を求めて提訴して以来10ヶ月、その時間
と労力はなんだったの?請求を放棄して、全面的に白旗を上げるぐらいなら
ば、初めから提訴しなければよかったんじゃないの……あのさ、裁判は金も
かかるんだぞ!)。
そもそも、今回の裁判は狐につままれたようなことが多すぎた。詳しい経過
は後の平田オリザ氏の報告(初出、「せりふの時代」2008年夏号)に任せ
るけれど、裁判は都合、二度にわたって行なわれ、最初の裁判は、僕が原告で
あった。新宿梁山泊からの一方的な上演通達(突然、僕のなんの了解も得ずに、
公演のチラシが送られてきたのだ)に対して、「公演差し止めの仮処分申請」
を起こしたのだ。そして、審理の結果、僕の主張は全面的に認められた。
しかし、新宿梁山泊側は「和解」
(「上演を中止するということで和解」)と
いう言葉を楯に、あたかも自分たちが裁判に勝利したかのようにホームページ
やマスコミ等で喧伝を始めた。それに対して、僕は沈黙を守ってきた。裁判の
結果がすべてであり、僕の著作権が守られた以上、何も語る必要はないと思っ
ていたからだ。ところが、その裁判が終わった一ヵ月後、新宿梁山泊は僕が新
宿梁山泊時代に書いた作品の「上演権は自分たちにある」と僕を訴え、今度は
僕が被告となったのだ。
しかし、二度目の裁判初日、のっけから新宿梁山泊側の弁護士は著作権も上
演権も、僕にあることを認めた。上演権が僕にあることを認めたならば、新宿
梁山泊側が提訴した理由はまったく消滅してしまう。にもかかわらず、その矛
盾をあっさりと認めてしまったのだ。これには、僕もいささか驚いた。
(それじゃ、なんのために、訴えたの?)
新宿梁山泊の矛盾した主張は、その後も続き、ある時は、僕の作品は「「パ
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クリ」「盗作」であるから、上演許可は必要ない」(そんな作品を、なぜ上演し
たがるの?)、ある時は、「共同作品であり、鄭義信はただの筆記者にしかすぎ
ない」(俳優が勝手に喋った言葉を書きとめただけだそうなんです、僕は……
事実なら、とっても楽チンですね)と、ころころ主張を変えてきた。裁判所か
ら、「主張をまとめるように」と提言されるほどであったけれども、ついに最
後まで彼らの主張は迷走を続けたままだった。
そのようなお粗末な原告でありながらも、裁判長は被告である僕に、しきり
と和解をすすめた。(これは今回の裁判で初めて知ったのだが、和解になると、
裁判調書を書かなくてすむということで、裁判所はできるだけ和解にもってい
こうとするらしい)。「全面的勝利で和解なら、どうですか」「勝ちすぎは、よ
くないですよ、あなた」……等々、裁判長は僕をしきりにかき口説いた。僕自
身もいろいろと悩んだが、今回の裁判ではきちんと結果を出すことにした。前
回の裁判で、和解を受け入れたがために、余計な誤解を生んでしまった。それ
がゆえに、今回はきっちり判決を受け取り、関係者各位に報告しようと決めた
のだ。
審理が終結し判決が出るまで、ずいぶん時間を要すると考えていた。しかし、
今年、四月月十八日、第六回目の期日(五回目の弁論準備手続)で、
「請求の
放棄」をいきなり告げられ、裁判は唐突に幕を閉じたのだ。
九年間在籍した劇団と劇団員に深い愛着もあり、そのため、退団する際、
「ひと言断ってもらえば、上演を許します」と述べたことが、後に裁判に繋が
るなどとは、想像すらしなかった。しかし、新宿梁山泊は「ひと言も断ること
なく」、これまで延々と無断上演、無断公演を繰り返してきた。そして、それ
を隠蔽するために、一度たりとも僕に招待状はおろかチラシ、案内を送っては
こなかった。新宿梁山泊の目にあまる無法さに我慢できず、ついには覚書を交
わしたけれども、それすらも平気で破られてしまった。これほど著作者を踏み
にじっておきながら、新宿梁山泊は無断上演、無断改変に関して、なんの反省
もなく、僕がこれ以上、上演を許可しないという通達を送ると、恫喝まがいの
手紙まで寄こしたのだ。
(そして、最終手段は僕の了解を得ずに、一方的にチラシを送りつけてきた
というわけだ)。
今回、請求の放棄をした新宿梁山泊は裁判終了後、マスコミ報道各社に、
「事
実上の和解である」と、なおも喧伝していたけれど、裁判結果は彼らの主張が
まるきり嘘であることを雄弁に物語っている。彼らは自分たちで提訴しておき
ながら、具体的な判決が出ることを怖れ、すべてを投げ出していったのだ。そ
のあまりにも身勝手で、あまりにも無責任な行為に、ただただ呆れるほかない。
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けれども、今回の裁判は、そもそもの出発地点から、理不尽な裁判であったの
だ。彼らはなんの確たる根拠もなく、ただ「ひと言断ってもらえば」という僕
の言質でもって、僕から僕の作品を奪おうとしたのだ。
今回の裁判は、正直、
(なぜ、この裁判は行なわれているのだろうか)とい
う疑問が続いたけれども、少なくとも著作者の当然の権利は認められたことと
思う。著作者に無断で上演が許されるわけはなく、ましてや、心血を注いだ作
品を、自分たちの都合でずたずたに切り裂くような無断改変が、決して許され
るわけがない。
今回の裁判が、著作権を考える一助となれば、ありがたい。著作物は誰のお
もちゃでもない。著作者が必死で育ててきた子どもである。我が子を守るため
に、時に僕たちは声を上げなければならないのだ。
最後になりましたが、今回の裁判を支えてくださった平田オリザ氏をはじめ、
日本劇作家協会の皆様方、金寿美氏、西岡琢也氏をはじめ日本シナリオ作家協
会の皆様方、柳原敏夫弁護士、そして、メールや手紙、電話で励ましてくださ
った皆様方に、紙上からでありますが、心から深い感謝を申しあげます。
「ありがとうございました」
鄭 義信
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