ベルギーのユダヤ人 - Shalom Messianic Ekklesia

イスラエルの回復のために祈りましょう
ベルギーのユダヤ人
人口:40,000 人
高級なレースや一流のチョコレートで有名なベルギーには、4世紀という早い時期から、すでにユダ
ヤ人が住んでいた。今日では、ベルギーのほとんどのユダヤ人は首都のブリュッセル、あるいはアントワ
ープで暮らしている。
特にアントワープのユダヤ人共同体は、自らの伝統にプライドをもち、また繁栄している。多くのユダ
ヤ人が直接的に、あるいは間接的に携わっているダイヤモンド産業が、彼らに豊かさをもたらしてきた。
こうした状況もまた、彼らを団結させているのである。ユダヤ人と異邦人との関係は一般にうまくいってい
る。非ユダヤ系のベルギー人も、ユダヤ人がこの国の豊かさに寄与してきたということを評価している。
ブリュッセルという町は、素晴らしい食文化と緑豊かな公園で知られている。現地のユダヤ人は、革
製品、織物、衣類などを扱う産業で働いており、彼らはシオン主義者で、フランス語を話す。一方、正統
派ユダヤ教徒でイディッシュ語を話すユダヤ人がほとんどの、アントワープよりも、ブリュッセルのユダヤ
人の方が世俗的である。
ところが、ベルギーのユダヤ人の歴史は、多くの苦難を物語っている。14 世紀の中ごろ、ユダヤ人は
ヨーロッパ中にはびこる黒死病の原因だという罪を着せられ、多くの人がベルギーから追放され、また殺
されてしまった。しかし、フランス革命の時(1789-1799 年)ユダヤ人への待遇がよくなり、ベルギー社会
全体に受け入れられるようになったので、18 世紀の終わりごろには、セファルディ系(スペイン出身)とア
シュケナジ系(ドイツあるいは東欧出身)のユダヤ人が続々と移住してきた。その大半が、ブリュッセルか
アントワープに定住するようになったのである。19 世紀初期のナポレオン治世下では、ユダヤ人のため
の社団が組織化され、今日の共同体構造にまだその名残りがある。19 世紀から 20 世紀にわたって、ア
ントワープのダイヤモンド産業の成長とともに、東ヨーロッパからベルギーへのユダヤ人移住者は増え続
けた。
第二次世界大戦以前には、10 万人のユダヤ人がベルギーで生活していた。その多くは新世界への
渡航を希望する、中欧や東欧からの難民であった。アメリカにうまく逃げ切った人もいるが、ナチス・ドイ
ツが攻めてきた 1940 年5月 10 日当時、ベルギーにとどめられた人もたくさんいた。ナチスが支配した4
年間、一部のベルギー人の協力で、25,500 人のユダヤ人が、メヘレンにある通過収容所から絶滅収容
所へと強制輸送されていった。輸送されたユダヤ人のほとんどは帰らぬ人となり、ホロコーストでブリュッ
セルのユダヤ人の約半数が犠牲となったのである。戦時中、カトリック教会とベルギー王室は、ベルギー
のユダヤ人を守ろうとしていた。ベルギーでは、ナチスを支持した者はいたものの、第二次大戦中のユ
ダヤ人に対する扱いに関しては誇りをもつことができる、というのが、ベルギーのユダヤ人の間における
一般的な認識である。
今日のベルギーのユダヤ人共同体は、ホロコーストの時、ナチスに協力してしまった人に対してだけ
は、一切の赦免を許さないという。ユダヤ人はホロコーストであまりにも苦しめられたので、赦免や忘却な
どもってのほか、というのが一般的な意見なのである。
ベルギーでは、ユダヤ人と非ユダヤ人は比較的に友好な関係にある一方、右翼国家主義の政党を
支持するベルギー人も増えつつある。アントワープのダイヤモンド貿易ビルの隣のシナゴーグが爆撃さ
れた時、安全措置が強化されるようになった。
い か く
1997 年以来、数人の著名なダイヤモンド売買業者に対して、政府が、摘発や威嚇戦略を強化してき
たので、人々の心に不安が増してきた。多くのユダヤ人は、将来何が起こるのかと、情勢に注目しており、
中には、ベルギーから出ようと考えている人もいる。
祈りの課題
✡ユダヤ人が自分のメシアとは誰かという啓示を受け、そしてメシアを受け入れることができるように。
✡反ユダヤ主義と、ユダヤ人に恐れを抱かせる戦略が収まるように。
✡クリスチャンが、ユダヤ人と非ユダヤ人との間の和解、和平と信頼を築く仲介者となるように。そして自
国のユダヤ人を守ることができるように。
✡彼らのメシアである、イェシュア(イエス)についての真理を拒むようにさせる、欺き、思い上がり、間違
った安心感、自己満足の霊に立ち向かって。
✡主がもっと、彼らの間に働き人を起こしてくださるように。
✡主が、ベルギーのユダヤ人が歴史の中のすべての迫害者や、彼らに苦しみを与えた者を許せるよう、
恵みを注いでくださるように。
✡彼らがホロコーストで負った心の傷を、主が癒やしてくださるように。