ジェローム・フランクの正義論‐裁判制度批判からの分析‐

ジェローム・フランクの正義論‐裁判制度批判からの分析‐
目次
序論
第 1 章 フランクの裁判制度批判
第 2 章 裁判制度に対する評価
第 3 章 フランクの法理論
第4章
結論
久保文明研究会4年
市丸裕和
序論
アメリカの陪審制度は、市民が市民を裁くという点で非常に民主的であるが、一方で法律
の素人である陪審が裁判当事者の運命を決するという点で問題とされることがしばしばあ
り、実際に諸外国では陪審制度を改廃した国も少なくないi。アメリカでも陪審制度の問題
点を指摘する学者もいるが、
その中でもジェローム・フランク
(Frank, Jerome 1889∼1957)
は批判の辛辣さゆえに突出した存在である。ここでフランクについて紹介する。
フランクは 1889 年、ニューヨークで生まれた。彼の父親は弁護士であり、その家系はユ
ダヤ系の移民であった。フランクはシカゴ大学ロー・スクールを最高の成績で卒業すると、
当地で企業金融専門の弁護士事務所に入社した。弁護士業の傍ら、彼はシカゴ北部の
Winnetka で評議員としてシカゴの交通システムの効率化を任されたり、食品会社の法務と
して働いたりした。1928 年にフランクはニューヨークへ移ると、大恐慌と破産法の改正で
全米でも指折りの会社更生の弁護士として一躍、脚光を浴びるようになった。1930 年に
は”Law and modern mind”(邦題『法と現代精神』
)を出版し、一躍、脚光を浴びるように
なった。この論文でフランクは、法とは論理的でも予測可能性を備えているわけでもなく、
裁判官の個性と先入観によって支配されており、また、法の絶対性への信頼についてについ
て、
フロイト心理学を用いることで子供が絶対的な父権性を求めるのと同じであるという独
自の理論を展開したii。”Law and modern mind”は当時の法曹界に多大な影響を与えると同
時に、フランクの知名度を大いに高めた。実際にフランクはこの功績が認められて、New
School for Social Research から講師として、Yale Law School からは研究員として招かれ
た。しかし、彼の学者生活は長く続かなかった。というのも 1932 年の大統領選挙でルーズ
ベルトが当選したことで、後の最高裁判事である Felix Frankfurter の仲介もあり、フラン
クはニュー・ディールに参加することになったからである。彼に与えられた地位は農業調整
局(Agricultural Adjustment Administration)の法務であった。彼はそこで農業生産者と
消費者の保護を両立すべく努力した。その後一度はワシントンを離れるが、1937 年からは
証券取引委員会(Securities and Exchange Commission)の委員として再びワシントンに
戻り、行政職に従事することになった。そして 1941 年に第 2 巡回地区連邦控訴裁判事に就
任した。フランクはそこで生産性のある思い切った判決文を書くなどして、最高裁にも市民
の自由と刑事訴訟の分野で大きな影響を与えた。例えば 1954 年の Fitzgerald v. Pan
American World Airways 事件の判決は、航空会社の人種差別を禁止するもので、後の
Brown 判決に布石になったと言われているiii。そして、1957 年に逝去するまでその職務を
全うした。
次にフランクに関する研究をいくつか紹介する。現在、フランクの研究は数多くなされて
いるが、その多くは上述した”Law and modern mind”に関する研究である。例えば W.
Rumble の”American legal realism”はアメリカにおける法リアリズムの流れの中でフラン
クの位置付けを明らかにするものである。分析手法は”Law and modern mind”を主な対象
にとり、法リアリズムの中で特に事実懐疑主義(fact-skepticism)という流れに着目し、その
第一人者としてのフランクの姿を明らかにしている。
テーマや分析対象としてはオーソドッ
クスなフランク研究と言える。また、西村克彦の『法心理学に関する再度の覚え書き』は、
フランクが法学の中に心理学を持ち込んで独自の理論を展開したことに注目した著である。
この本では”Law and modern mind”を心理学的側面から分析し、フランクがどのような心
理学的潮流から影響を受けたかについて述べているが、
なぜフロイト心理学の影響を強く受
けたのかという点まで研究がなされていないことが論文の評価を下げる点である。”Law
and modern mind”を研究対象としない論文として、R.J.Glennon の”The iconoclast as
reformer”を挙げることができる。この本はフランクの生涯を振り返りつつ、人生の局面に
おいてフランクがどのような決断を下し、
いかなる哲学を持って行動していたかを述べた上
で、フランクの法思想がアメリカの法曹界に与えた影響を明らかにするものである。この本
はフランクの一貫した哲学について述べているわけではないが、
私が論文の構想を練る上で
非常に参考になった。
上で挙げたようなフランク研究では、法リアリストとして位置付けるのが一般的である。
法リアリストとは法の静的構造よりも動的構造の強調であり、論理的完結態としてよりも、
成長発展してゆく過程のうちに法を捉え、確立した秩序を維持するよりも、むしろ社会に生
起する多くの要請の利害の対立を摩擦なく調整してゆくところに、
法の機能を見出してゆく
立場であるiv。このような思想がうまれた背景には 20 世紀初頭の資本主義経済の発展に伴
う社会構造の変化がある。
社会構造の変化は既存の法体系では想定されなかった社会現象を
生み、それらは当然のことであるが既存の法体系では処理しきれなかった。このようにして
社会の要求と法との間に深いギャップが生じ、
法律家には社会的変化に即して法の社会化と
実際的見地に立った法学の再構成が求められていた。
さらにプラグマティズムの哲学的思想
が法リアリストの誕生を後押しした。
プラグマティズムの思想とは理論や概念が真理である
とされるのは、われわれの生存に役立つからであり、このような有用性という実践的効果こ
そを真理かどうかを判定する基準とする考え方である。また、人間の生存は常に流動するも
のであるから永久に変わることにない普遍的妥当性をもつ真理というものは存在しない。
し
たがって現時点において真理と考えられるものも絶対的なものではなく、
近似的なものであ
り、状況の変動とともに新たな真理が生み出されるべきであると考えるv。法リアリストは
このような背景の下に生まれたため、彼らの態度は法の変動を重視し、法の解釈から神学性
を排除してゆくものであった。
法リアリストの代表的な存在はオリバー・ホウムズ(Holmes, Oliver W.)である。彼は法
を絶対視する自然法を地に足のついていない願望に過ぎないとし、
真理は思想の自由な市場
での競争によって経験的に知りうるにとどまるという相対主義の立場を取った。また、法を
固定した過去のものと考えず、実定法という技術的体系も決して静的なものではなく、裁判
所によって将来実現されうることの予測可能性なのであると考えた。
ホウムズは論文の中で
「裁判所が実際に行うであろうことの予言、まさにそれだけのことが、私が法と呼ぶもので
あるvi」と述べている。判例や成文法はホウムズの言う予言を引き出すための資料に他なら
ず、法そのものではない。公理や演繹よりもまず判決が存在し、それに理由付けを行うのが
裁判官の仕事である。彼は著書”The Common Law”の中で「法の生命は論理ではなく経験
であったvii」と述べているが、この言葉が「判決、先にありき」という考えを象徴的に表し
ている。
フランクはこの流れを継承していると言われる。つまりプラグマティズムの思想に立ち、
法の流動性を強調し法の現象の事実的側面を明らかにしようとする点で伝統的法学を激し
く批判する考え方に立っているとされる。実際にフランクはその評判に違わず、法的権利、
義務は裁判所による強制が働いてこそ実体をなすものと考えているので、
彼の法理論では裁
判所は正義を実行する重要な機関であると言える。その点、最終的な評決が下される裁判に
は大きな責任が伴うが、フランクは現在の制度が効果的に働いているとは考えていない。彼
は”Courts on trial”(邦題『裁かれる裁判所』
)や”Not guilty”(同『無罪』
)で陪審制度を
批判しているが、
彼が法リアリストであるなら何らかの実践すべき正義に基づいて批判がな
されているはずである。というのは、彼が論文中で正義という言葉を多用しているからであ
る。本論文ではフランクの著作、主に”Courts on trial”と”Not guilty”に見られる裁判制度
批判を分析することで、フランクがいかなる正義観に基づいていたかを明らかにする。
本論文は既存のフランク研究に新たな方法論を提案するものである。
既存の研究は上述の
ように”Law and modern mind”を分析し、フランクの法理論を明らかにするものが多い。
その点、私の論文は”Law and modern mind”に重点を置かないこと、法理論について分析
するのではなくその基盤となる哲学について分析することにおいてオリジナリティがある
と言えるだろう。
また、フランクが活躍した時期はニュー・ディールというアメリカ政治の一大転換期であ
る。その時代に彼は行政官として、ニュー・ディールの一翼を担い、裁判官となった後には
公民権運動の前兆となる判決を出した。このようにアメリカ政治が 1900 年代中盤にリベラ
ルの方向へ大きく変動しているときに、フランクはその姿を現している。その意味で、フラ
ンクの影響は部分的であるとしても、彼を研究することはニュー・ディールの一側面を捉え
ることであり、アメリカ政治研究として意味があると思われる。
第 1 章 フランクの裁判制度批判
第 1 章ではフランクの陪審制度批判について述べる。ここでは主にフランクの著作のう
ち、”Courts on trial”と”Not guilty”を中心に取り上げ、フランクが現行の裁判制度に対し
ていかなる考えを持っていたかを明らかにする。
フランクの裁判制度批判は裁判過程に関するものと、
陪審制度に関するものに分けられる。
まず、裁判過程に関するものであるが、現行の裁判では真実に基づいて判決が下されていな
いという批判がなされている。フランクは事実審理の方法について「真実主義」と「闘争主
義」に分け、現行の裁判所では「闘争主義」に基づいて裁判が行われていると述べているviii。
「真実主義」とは訴訟の両当事者がその立場に関わらず、真実を発見するために裁判を行う
ことを言い、したがって仮に自分に不利な証拠であっても真実の発見に必要不可欠ならば、
その証拠を公開することになる。一方、
「闘争主義」とは訴訟の両当事者が自身の勝訴のた
めに裁判を行うことを言い、したがって自分に不利な証拠は隠すようになる。
この点、
「真実主義」と「闘争主義」は一致するという見解もある。すなわち、裁判所の
事実発見の最良の方法は、訴訟の両当事者が正反対の立場に立つことであり、これによって
重要な事実が発見されずに判決が下されることは考えられないという見解である。
実際には
どうだろうか。
裁判所の事実認定は陪審あるいは事実審裁判官によって訴訟の両当事者が準
備する証拠、証人を頼りに行われている。両当事者は自分に有利な証拠や証言を使って訴訟
に勝利しようとするのが現実である。その際、弁護士や検察官が相手に有利になる証拠を見
つけたら、それを法廷に持ち出すであろうか。
これは刑事裁判において特に問題となる。なぜなら、刑罰は人の所有権にではなく、個人
の身体や自由に直接影響を与えるものだからである。
「検察官は有罪者の処罰を確保するの
と同じく、無罪者を釈放すべき重大な義務を負っている」ixというのが原則である。アメリ
カ法曹協会の倫理典範には以下のような文言がある。
「公訴に従事する法律家の第 1 の義務
は、有罪とすることではなく、正義が行われるように監視することである。被告人の無罪と
立証することができる事実を隠蔽しまたはかかる証人を秘匿することは、
強く非難すべきこ
とである」xと。しかし、全ての検察官がこの原則に従っているのだろうか。また、他方で
弁護士も自分に対して有利、不利に関わらず全ての証拠を提出しているだろうか。実際には
そうではないと言うのが妥当であろう。
具体的にどのくらいの割合で証拠の隠蔽がなされて
いるかはわからないが、フランクは著書”Not Guilty”でいくつかの具体例を挙げている。そ
れでもフランクは被疑者の無実を十分に証明するような手がかりを調査する努力を怠る検
察官を、サム・ホッブスの言葉を借りて「職業病」xiと称してはいるが、決してこのような
検察官を強く非難しているわけではない。
フランクが問題にしているのは、裁判が事実を争うものではなくなっていることである。
確かに裁判は闘争を出発点するものである。すなわち法の存在しない未開社会において、争
いが解決せず原状回復を欲した場合には、自力救済が唯一の手段であり、それは相手の権利
侵害を伴うものであった。それが問題とされるようになり、平和的に示談で解決することを
志向した。
こうして闘争のルールが整備され、
現在の裁判制度に至るのである。
したがって、
裁判制度が「闘争主義」でなされるのはやむを得ないことかもしれない。
では、
このように考えたとき、
今日の社会における裁判所の根本的な機能は何であろうか。
フランクはこの問いに対して「平和維持のための工夫xii」と回答している。すなわち特定の
紛争に対して特定の審判を下し、これにより秩序正しい解決をもたらし、社会の分裂をも起
こしかねない闘争を防止することが裁判所の機能である。その際に、審判が真実に基づいて
なされるべきであることは当然である。問題は今日、社会構造の複雑化によって真実の発見
が著しく難しくなっていることにある。(1)真実の発見が難しい、(2)裁判所で勝訴すること
が求められるという 2 つの条件の下で弁護士や検察官が取る行動は自ずと限られる。それ
はすなわち、勝訴のための行動に他ならず、裁判所の事実発見を助けるものではない。
この点に関してフランクが弁護士や検察官に対して批判しないのは、彼らの手法が「闘争
主義」の裁判において当然採用されるべきものであるからである。問題は前述のように、弁
護士や検察官に勝利のための手法をとらせる制度である。
このようにして事実に基づかない
判決がなされることが往々にして存在する。その多くは勝利のために証拠を隠蔽したり、承
認をでっち上げたりしたりして誤った事実認定を行ったものであるが、
それは事実が推測に
過ぎないということを前提にしているからである。
事実が推測に過ぎないということについ
ては第 3 章で詳しく述べるが、事実に基づかない判決はどのようなものであっても不正義
である。もちろん、検察官や弁護士が良識的であっても回避できない誤りある。例えば、証
人が悪意なく、誤った証言をしてしまうことも考えられる。目撃者はそのときに動揺し、正
確な情報を捉えることができなかったかもしれない。また、調査費用が十分でないために確
実な証拠が集められないこともありうる。しかしながら、裁判が「平和維持のための工夫」
であり、ある紛争に対して特定の解決策を提示するものであるならば、その事実を正確に把
握しなければならないのは当然のことであり、
誤った事実認定から導かれた判決はいかに法
規範の適用が正しくとも不正義である。
フランクはこの問題に対して根本的な解決策を示していない。というのも問題は「闘争主
義」を助長する制度のあり方であって、それを根本から覆すことは不可能だからである。し
かし、「闘争主義」の裁判制度を少しでも「真実主義」に近づけるための現実的な解決策を提
示している。
第 1 に開示手続きの徹底である。開示とは、審理開始前に訴訟当事者がその手中にある
証拠を相手方に対して示すことであり、
それを義務として徹底することで偽証による事実認
定を防ぐことができる。アメリカでは事前に証拠の公開が義務付けられていない。したがっ
て、相手から突然新しい証拠や証人を出されることになり、その証拠や証人に対する疑問や
質問は即席でなされることになる。事実認定を正確に行うのであれば、証拠や証人の信憑性
は慎重に吟味されなければならないが、
この制度はその点で事実認定の精度を下げていると
考えられる。
したがってフランクは事実認定の精度を上げるためにこのような解決策を提示
している。
第 2 に裁判官による証人尋問および証人の召喚である。これにより、訴訟当事者が相手
側にとって有利な証拠を隠蔽しようとしても、裁判官が発見することも考えられる。もちろ
ん、訴訟当事者の一方が証拠を隠蔽しているときは、その相手側がそれに気付き指摘すべき
である。しかし、訴訟当事者とはいえ常に相手の戦略に気付くとは限らない。そこで裁判官
からも質問できるようにすることで事実認定の精度を上げようとするものである。
もちろん、
これで全ての証拠が包み隠さずに公開されるとは限らないし、
悪意ある証人の嘘に気付かな
いこともありうるだろう。しかし、訴訟当事者による質問だけでなく、裁判官による質問と
いうフィルターを増やすことで効果があると考えられるし、
事実認定の精度を上げることは
あっても下げることはないだろう。
第 3 に証拠を収集し、裁判所に提出する公平な第三者機関の設置である。これも当事者
が見逃したり、獲得できなかったりする証拠を探し出すための機関である。実際にイギリス
の離婚裁判所においては王代訴人(King’s Proctor)がいずれの当事者からも提出されていな
い馴れ合いを立証するための証拠を提出している。また、アメリカでも証券取引委員会が公
的資金で証拠を収集し、裁判所に提出した例があるxiii。これは裁判の「闘争主義」を覆すも
のではない。訴訟の両当事者は自身で集めた証拠を提出できるし、第三者期間が提出した証
拠の信憑性も争える。これならば「闘争主義」のメリットを維持したまま、事実認定の精度
を高めることができるだろう。
第 4 に民事訴訟に関する「検察官」の設置であるxiv。
「検察官」に対して訴えが持ち込ま
れると、「検察官」はまず事件を示談に持ち込むか、紛争を仲裁することについて当事者を合
意させるよう試みる。
そしてこれが失敗した場合に争いが裁判の場に持ち込まれるという制
度である。ただ、「検察官」の利用は任意であり、強制されるものでない。これは特に低所得
者を援助する制度である。弁護士を雇い、大量の証拠を収集するには多額の費用がかかる。
にもかかわらず、
現行の制度では刑事事件以外には低所得者に裁判を受ける権利を保障する
制度は存在しない。これにより、裁判費用が限られて証拠を発見できないということや、そ
もそも裁判を受けられないという事態を回避し、法の下の平等を補完することができる。
次にフランクの陪審制度に関する批判についてであるが、
その前に陪審が裁判で果たす役
割について述べる。州によって多様の差異はあるものの、アメリカでは陪審による評決を訴
訟当事者が求めた場合、判決が一般評決という形になるのが一般的である。一般評決とは、
何ら特別な事実認定なしに、いずれの当事者が優位であるかを宣言するだけの評決であるxv。
陪審はいかなる事実認定をしたかについては答申しないし、
評決に関して質問を受けること
もなく、単に審議の結果を述べるのみである。
裁判官の権限は陪審の審議前に、
陪審に対して適用すべき法規範を説示する事に限られる。
陪審はいかなる事実認定をしたかについて説明を求められないので、
裁判官が説示した法規
範が正しく適用されたかどうかについても知る由もない。さらに、陪審の審議は非公開であ
り、審議室の中でどのような議論が交わされ、いかにして結論に至ったかについて陪審以外
は知ることができない。その意味で陪審はまさに当該裁判の全てを決する存在なのである。
したがって陪審の選定は非常にデリケートなものになる。
陪審の選出手続きは陪審候補者名簿の作成、陪審義務の免除、当事者による忌避の段階を
経る。まず陪審候補者名簿の作成であるが、通常、選挙人名簿や運転免許証名簿などをもと
に陪審候補者名簿が作成され、
その中からコンピュータによって一定の人数が無作為に抽出
される。その後、陪審義務の免除の段階に入る。
陪審義務の免除には欠格(disqualification)
、自動的免除(automatic exemption)、免除
(excuse)の 3 種類があるxvi。第 1 の欠格者とは例えば英語の能力が十分でない者や、精神も
しくは身体の病気のために陪審の責務を十分に果たせない者、1 年以上の懲役を科しうる犯
罪を実行したことにつき起訴、あるいは有罪の判決を受けた者などである。第 2 の自動的
免除は公務員や聖職者、警察官などある種の職業に就いているものに対する免除である。こ
のような職業を免除の対象とするのは、
その職業に就いている者が他の陪審に対して極めて
大きな影響を与えたり、
判決に対して職業的な偏見を持っていたりすることに考慮したから
である。第 3 の免除とは個人的な事情による免除である。陪審に対する補償は決して十分
な額ではなく、
そのため経済的に恵まれていない者にとって陪審の義務が負担になる場合な
どは免除の対象になる。
続いて当事者による忌避の段階に入るが、この段階はさらに理由付忌避(challenge for
cause)と専断的忌避あるいは無条件忌避(peremptory challenge)に分けられる。陪審選出手
続きの最終段階で予備審問(voir dire)が行われる。これは陪審候補者に対して、訴訟当事
者や証人との関係の有無や、当事者や事件に対する偏見の有無を確認するものである。予備
審問の後で当事者は、その候補者が公正な判断を下せない理由を裁判官に示し、納得させる
ことができたらその陪審候補者を拒否できる。これを理由付忌避という。また、これ以外に
一定数の陪審候補者を拒否することができる。これを専断的、あるいは無条件忌避という。
陪審候補者の不公正さを立証することは容易ではない。
したがってそのような陪審候補者を
排除できなかったが故の結果には納得できないだろう。しかし専断的忌避によって、仮に真
に公正であったとしても当事者にとって公正に見えない陪審に裁かれることがなくなる。
こ
のような点で、専断的忌避は当事者にとっての裁判の信頼性を高めることに貢献している。
このようにして選出された陪審の前で審理が行われ、
裁判官から適用すべき法規範の説示を
受けた後、一般評決に至るのである。したがって、陪審裁判において陪審は決定的な役割を
果たし、それだけに機能不全があると批判が集まりやすいのである。
以下にフランクの陪審制度批判について述べる。第 1 に陪審は、通常偏見と先入観に支
配され、証人や訴訟当事者に感情的に反応することである。陪審は訴訟の素人である。まさ
にその点こそが陪審制度の最大のメリットとされているのであるが、
それが両刃の剣でもあ
る。陪審は審理の素人であるが故に審理することに慣れておらず、冷静な判断をすることが
難しい。そして結果的に感情や先入観に支配されやすくなる。
第 2 に、陪審は弁護士の外見や性格及びその法的技術に影響されやすいことである。こ
れも陪審が素人であるということによるものである。
前述のように
「闘争主義」
の裁判では、
勝訴のために弁護士や検察官は陪審を見方にしようと様々な手法で迫ってくる。
そしてその
弁論が時には真実でなかったり、あるいは真実だとしても過剰に演出されていたりする。裁
判の玄人であれば見抜ける「罠」であっても、素人であれば見抜けないことが多いというの
が現実であろう。
第 3 に陪審は、裁判官の法に関する説示を十分に理解できないことである。前述のよう
に陪審は全ての証拠の提出が終わり、
審理に入る前に裁判官から適用すべき法規範の説示を
受ける。そして通常のプロセスだと、陪審は事実認定を行い、認定された事実に対して説示
された法規範を適用し、評決に至る。裁判官、弁護士、検察官などの法律の専門家は特別な
訓練を受けているのに対し、陪審は法律に対して素人である。素人たる陪審が常に正しく法
規範を適用すると期待するのは、あまりにも楽観的過ぎる。さらに、陪審はいかなる事実認
定をしたかや、どのように法規範を適用したかについて説明を求められないので、法規範を
無視して採決する権能さえ有している。つまり、そもそも法規範を無視して陪審が考える善
悪に従って評決がなされることもあり得る。その意味で「陪審の作る法(jury-made law)」xvii
が裁判所で形成されるのである。しかし、フランクは陪審が説示された法規範を無視したか
らといって、彼らを責めることはしない。彼が問題にしているのはやはり制度である。法規
範の意味を理解するには特別な訓練を必要とする。
たまたま選出された通常の人である陪審
が裁判官の説示を聞いただけで、
その言葉の意味を真に理解できると期待することはできな
い。法規範を理解できないとすれば、陪審が採用する判断基準は非常に個人的な価値観にな
らざるを得ないであろう。
第 4 に陪審は時間と費用を浪費する制度である。陪審制度は陪審に日当を支払うだけで
なく、彼らの生活を拘束し、生産活動を停止させる。また、裁判官による法規範の説示が全
ての証拠の提出後に行われるため、
審理中は証拠や証言を規範に照らして考慮することがで
きず、効率が悪い。しかし、コストの面では後年に若干の改善が見られる。1970 年代には
陪審の人数を減らすことが合憲になり、より少ない人数で審理が行われるようになったxviii。
フランクは以上のような問題点を指摘した上で、
陪審制度の廃止が不可能であることに鑑
み、現実的な解決策を提示している。
第 1 に特別評決である。特別評決とは陪審による最終的な事柄についての事実認定であ
り、最終的な判決は陪審により認定された事実に対して裁判官が法規範を適用するxix。これ
により、裁判官が法規範を適用するため、陪審が説示された法規範を理解できず陪審が法規
範を無視するということはなくなる。少なくとも「陪審の作る法(jury-made law)」によっ
て事件が裁かれることは回避できる。また、陪審が事実認定に優れているというなら、陪審
による事実認定はそのままであるから長所は維持される。
第 2 に一般評決を維持しつつ、陪審による一般評決に対する質問事項に回答させること
である。その回答から仮に不公正な手段によって評決に至ったと考えられるときは、再審理
を要請できるようにする。
これによりどのようにして一般評決に至ったかを知ることができ、
閉鎖的な陪審室に風穴を開けることができる。また、陪審にとっては一般評決と異なり、後
で追及を受けることになるので説示された法規範に則って評決を出す努力を試みるであろ
う。
もしくは陪審室の評議を記録し裁判官がこれを調査することで同様の効果が考えられる。
第 3 に特別陪審の設置である。特別陪審とは事件がある特定の職業に関連する場合にお
いては、その職業に従事する人々から陪審をつけることであるxx。特別陪審を設置すると、
彼らは争われている事柄について十分理解したうえで考察することができるので、
通常の人
にはわかりづらい事件の時には特に有効であろう。ただし、これには陪審選定に関わる合憲
性の問題を含んでいる。
第 4 に陪審のための訓練である。これは、全市民に陪審のための訓練講座を開き、試験
に合格した者以外は陪審になれないとする制度である。これが採用されれば、陪審裁判が今
よりは訴訟当事者にとって危険の少ないものになると考えられる。ただし、これにも合憲性
も問題がある。
フランクは以上のような解決策を提示し、
陪審制度が少しでも改善されることを望んでい
るが、彼の真の見解は陪審制度の廃止である。彼は陪審制度の改革案を提示した後で以下の
ように述べている。
「これらすべての改革が採用されれば、陪審裁判も、今よりは、訴訟当
事者にとって危険の少ないものとなろう。だが、私は、それでもなお、よく訓練された誠実
な事実審裁判官が陪審をつけずに行う審理に比べれば、
遥かに望ましくないと考えるもので
ある。
」xxiと。彼が陪審制度の廃止を前面に主張しないのは憲法の改正が事実上不可能であ
ることと、陪審制度のメリットがある程度信じられているからであろう。その点で、フラン
クの改革案は非常に現実に即したものであると言える。
第2章 裁判制度に対する評価
陪審制度に関する研究はフランク以外にも数多くなされている。
多くは陪審制度を否定的
に捉えたものであるが、
そのような批判に晒されながらも陪審制度が今日まで維持されてき
たのは、それに何らかのメリットがあるからであろう。以下、陪審制度に関して一般的に述
べられる利点と欠点を論じる。
これは先に論じたフランクの陪審制度批判と異同を明確にす
るためであり、
比較することによってフランクの独自性や強調するポイントを浮き彫りにす
る。
まずは利点についてであるが、主に次の 2 点が指摘される。第 1 は国民が司法に参加す
ることが民主主義的な性格に合致することである。
陪審制度がアメリカに導入されたのは植
民地時代のことである。植民地時代のアメリカでは、イギリスから派遣された官吏がイギリ
ス本国の政策に反する者などを抑圧する手段として裁判を利用することが少なからずあっ
た。
例えばイギリスは植民地民のイギリス政策に対する反対活動や独立運動の機運をそぐた
め、
海事裁判所や副海事裁判所を設置して植民地民の陪審裁判を受ける権利を否定しようと
したxxii。そのような状況下で陪審裁判は当時の植民地民にとって個人の権利を守るために
必要不可欠なシステムであった。
その意味でアメリカの陪審制度は単に入植によって持ち込
まれたものではなく、勝ち取られたものである。
陪審制度は合衆国憲法に引き継がれ、1776 年の独立宣言の中にはイギリス国王によって
「多くの事件において陪審による裁判の利益を奪」ったとあるxxiii。そして独立戦争を通じ
て、アメリカの独立とともに陪審裁判を受ける権利が確立された。合衆国憲法では第 3 条 2
節 3 項xxiv、及び修正第 6 条xxv、修正第 7 条xxviでそれぞれ陪審裁判に関する規定がなされて
いる。そしてその後も陪審制度が持続されたのは、政府権力の無制約の行使に対する恐れが
あったからであり、それから市民を守る必要があったからである。というのもアメリカでは
裁判官は政治的に任命されるからであるxxvii。したがって司法は完全に独立しているとは言
い難いが、陪審制度を採用することによって裁判官の政治的な圧力を回避し、司法の独立に
貢献している。また、市民が裁判に直接参加することによって評決に社会的な正義が反映さ
れやすいとも言われている。アメリカで特にこの考えが根強いのは、伝統的に権力不信の文
化があるからであろう。
「適切な説示が与えられ、その任務について教えられた十二人の陪
審は一人の裁判官の判断よりもましである」という言葉がこれを象徴しているxxviii。陪審と
裁判官でどちらが真に正義に資するかは分からないが、
社会的なあるいは一般的な見解を反
映するのは一般市民から選出された陪審であるという考えには肯ける。
第 2 に教育的観点である。すなわち、市民は陪審を体験することで司法や法、さらには
民主主義について学ぶことができるという考えである。
トクヴィルはこの点を強調して以下
のように述べている。
「陪審は、人民の判断力を形成し、知能を拡充するために信じがたい
ほど貢献する。
私の見解によれば、
この点にこそ最大の長所がある。
無料で常時開設の学校、
そこで陪審は、おのおの自己の権利についてみずから学び、上層階級の中でも最高の教育を
うけ最も見識のある人々と日々接し、法を実際的な方法で教わり、弁護士の努力、判事の意
見、当事者の熱情さえもが、法を自分に理解できるものにしてくれる。そのように陪審を考
えるべきである。
」xxixと。
ただし、この見解にはフランクが痛烈に批判している。このような政治教育のために訴訟
当事者がリスクを負うべきではないというものである。すなわち、陪審裁判には様々な批判
が存在するが、
その批判が真実ならばこの政治教育は訴訟当事者の犠牲の下に成り立ってい
ることになる。ともあれ、陪審制度が停止された日本では、裁判所は縁遠い存在であり、通
常に生活していて司法や民主主義を実践的に学ぶ機会は皆無と言っていい。その点、メリッ
トとデメリットのどちらが大きいかはわからないが、
このようなメリットがあることは間違
いない。
その他に賛否両論はあるものの、以下のような擁護論も存在する。第 1 に陪審は裁判官
よりも事実認定に巧みであるという考え方である。すなわち、裁判官が一人であるのに対し
て、陪審は人数も多く社会の各階級を網羅していて、さらに議論を行うのだから一人の裁判
官よりも事実認定で誤る可能性が低いというのである。
事実認定の正確さについては事実が
推測に過ぎず、真実であるか否かについて確かめられない以上、どちらが優れているかはわ
からない。ともあれ、このような擁護論があるのも事実である。
第 2 に立法者としての陪審を評価する考えである。この見解は法規範がしばしば不正義
を助長するという考えを前提にする。
そして陪審は一般評決を通じて賢明にもそれらの法規
範を無に帰すというものである。すなわち法と正義は常に一致するとは限らず、それが衝突
したときに陪審が調整役として登場し正義を実践する。
確かに事態によってはこのようなこ
ともありうるだろう。しかし、この見解には立法府との兼ね合いやそもそも「法の支配」に
反する点で民主主義的ではないという根本的な問題を含んでいることは明らかであり、
説得
力のある擁護論とは考えられない。
次に欠点について述べる。第 1 に司法権の独立に関する問題である。陪審制度は司法の
分野にも民主主義的な性格を帯びさせるものであるが、
その反作用として司法権の独立が侵
され、人民裁判に陥る危険性があるということである。司法権は立法府とは異なり一般的な
多数決主義を採用しないのが原則である。たとえ多数派が反対していても、憲法が保障する
ところの国民の権利を保護することが司法の使命だからである。
特にマイノリティの権利が
問題とされるときに司法は重要な役割を果たす。実際に、公民権運動では裁判所が改革の旗
手になった。
公民権運動に関する訴訟は憲法解釈を争う問題であるため陪審裁判が行われる
ことはないが、多数派と少数派が陪審裁判で争うと、その事実に関わらず多数派が必ず勝利
するということが陪審制度では考えられる。その点、陪審制度が国民の多数意見に従った裁
判であるなら、それは究極的な意味において人民裁判に他ならない。
第 2 に陪審の能力に対する疑問である。陪審制度が導入された時代とは異なり、今日で
は急速な社会変動の中で専門的な訴訟が増加し、
陪審にとって事実理解が困難になっている。
例えば、O.J.シンプソン事件xxxでは DNA 鑑定の信憑性が1つの重要な争点になったが、複
雑な専門用語が飛び交う中で一般市民である陪審がそれを容易に理解できたとは考え難い。
他にも事実関係の審理において高度の技術が証拠として法廷に出されることは、
枚挙に暇が
ない。また、社会構造の複雑化にともない法律も一層専門化、高度化していて、陪審が裁判
官の説示を十分に理解できていないという指摘も存在する。
陪審は争われている事件に関し
て、事実認定を行い、認定された事実に対して適切な法規範を適用し、評決を導くことが使
命であるが、事実の認定も法規範の適用も不安定であり、これでは信頼に足る評決を望むほ
うが無謀であるという見解である。
第 3 にコストに関する問題である。すなわち、陪審制度は時間的、経済的コストを浪費
するシステムであるという見解であり、第 1 章で述べたフランクの陪審制度批判と重なる
ものである。しかし、この見解には疑問を持たざるを得ない。確かに陪審制度は経済的にコ
ストのかかるシステムである。前述のように陪審に日当を支払うだけでなく、彼らの生活を
拘束し、生産活動を停止させるからである。しかし、時間的に必ずしもコストがかかるとは
言えない。
なぜなら私たちは日本の裁判官制による裁判が以下に時間のかかるものかを知っ
ているからである。日本の裁判に時間がかかることと、裁判官制を採用していることとの間
にどのくらいの相関関係があるのかはわからないが、
陪審制度が相対的に時間がかかるシス
テムだとは必ずしも言えないのではないだろうか。
第 4 に陪審の選出過程に関する問題である。前述のとおり、アメリカの陪審制度では当
事者に対し陪審の選出に関して理由付忌避に加え一定数の専断的忌避が認められているxxxi。
これは裁判の信頼性を高めるためのシステムであるが、これが問題を引き起こしている。と
いうのも表面上は公正な判断を下せない陪審候補者を拒否するためということになってい
るが、
実際には相手に有利な判断をすると思われる陪審候補者を排除することに使われてい
るからである。これ自体はやむを得ないことかもしれないが、容易に人種問題と結びつくの
で問題となる。
アメリカの裁判では陪審の人種構成によって評決が左右されると考えられて
いる。例えば、前出のシンプソン事件では刑事裁判で無罪評決、民事裁判で有責評決が出さ
れたが、
刑事陪審ではアフリカ系が 9 人、
民事陪審では白人が 9 人という構成であったxxxii。
また、ロス暴動の引き金になった裁判では陪審の構成は白人 10 人、ヒスパニック 1 人、ア
ジア系 1 人であった。この結果は偶然であり、陪審の人種構成と評決に因果関係がないと
いう見方もできる。しかし、実際に人種によって考え方が違うという考えが支配的であり、
弁護士などの訴訟当事者は陪審の選出に際して最も神経を使う部分とされている。
シンプソ
ン事件の評決後には新聞などメディアを中心に評決と人種との関係について騒がれた。
有罪、
無罪についての考え方と人種の間の相関関係については本論文のテーマにするところでは
ないので、これ以上の論述は避けるが、現実として自分側に有利な陪審を集めるために、専
断的忌避が主に人種において差別的に用いられている。
第 3 章 フランクの法理論
本章ではフランクがいかなるものを法と考え、
そしていかなるものを法の目的と考えてい
たかについて述べる。
そのためにフランクがどのようにして伝統的法学に挑戦したかを分析
する。なお、本章で裁判所のあり方について論じる部分が多々あるが、それは陪審裁判では
なく、裁判官による裁判を想定している。
フランクは法リアリストとして、伝統的法学の正統理論に挑戦した。伝統的法学では司法
過程は、事件の事実に法規範を適用して判決を得る過程であるとされている。フランクはこ
れを R(legal rule)×F(facts of case)=D(court’s decision)という数式に表して説明
しているxxxiii。すなわち、判決(D)は R と F との所産であり、R と F が確定すれば D は
自ずと明らかになるという見解である。F は訴訟の両当事者間に存在し、両者の主張のうち
に自ずと表れる。一方、R は判例の形をとっている。先例の事件と当面の事件が同じなら、
必然的に判決は同じであり、これによって法は確定性と安定性を得る。ここでは裁判官の裁
量が入る余地がないため、
「人の支配」ではなく、完全な「法の支配」が達成されるという
のが伝統的法学の考え方である。
フランクはこの理論に対して全面的に反対している。まず R についてであるが、法規範
の安定性は妄想であると述べている。フランクはフロイト的な思考を用いて、法の安定性、
絶対性を信じるのは子供が父親の絶対性を信じるのと同じであり、
確実性に対する欲求が法
をあたかも絶対的であるかのように見せていると述べている。実際に同じ事件であっても、
連邦裁判所と州裁判所の判決が異なることは稀有な例ではない。
これは法が絶対的でないこ
とを示している。つまり、実際には司法過程において裁判官の裁量が入る余地があるという
ことになる。
そうであるならば、
法的安定性は幻想であり、
実際には存在しないことになる。
同じ事件でさえ異なった判決が出るのだから、
類似の事件では判決がより大きく左右すると
考えられ、判例法の安定性はより信じがたいものになる。
では、裁判官の裁量とはいかなるものであろうか。フランクは裁判官の結論が先にあり、
その結論にふさわしい論理付けをしていると述べている。つまり、裁判官は事実に対して適
切な法規範を適用し、論理的に判決を導くのではなく、実際には論理的思考よりもむしろ勘
やひらめきによって結論に至っていると言うのである。
裁判官が意識するか否かには関わら
ず、必然的に裁判官の価値観などの個人的要因が判決を決定する。そして裁判官は認定され
た事実に適用された既存の法規範の論理的帰結として説明するために判決意見を書くが、
そ
れは既に到達した結論の理屈付け、合理化に過ぎない。結論に都合のよい先例が事後的に選
択され、援用される。
フランクはさらに進んで裁判官は法を作ると述べている。すなわち、ある裁判所がある訴
訟について判決するとき、時としてその判決に理由を付すことがある。それは一定の事実が
認定されると一定の法律効果が発生するといった形で述べられ、それが一般化される。次に
類似した事件が起きると、裁判所は一般化された先例を採用する。このようにして裁判所は
規範を発展させてゆくが、このような判例規範は当初において、裁判官の個人的な価値観を
反映するものである。したがって、たとえ判例規範が社会的に望ましい結果をもたらしてい
たとしても、それは結局において公序(public policy)に関する裁判官の確信または直感にま
で遡り得るものであり、その意味で立法的なものであるxxxiv。確かに、一般的に先例に従う
慣習が裁判官にあるため法的安定性は担保されるように感じられるが、
どの先例や法規範を
適用するかは裁判官の恣意であるため、やはり不確実なものである。ただし、これは決して
裁判官に対する否定的な見解ではない。むしろ形式主義を否定するもの、すなわち法は機械
であり、
裁判官は単なる機械の操縦者であることを否定するものとして肯定的に考えられて
いる。以上のような検討でフランクは伝統的法学の法的安定性を否定している。
次に F についてであるが、そもそも F すなわち事実は推測に過ぎないとフランクは述べ
ている。裁判所は当事者の行為をありのままに確定することはできない。当事者の行為は、
証言や証拠の形で法廷に持ち込まれるが、証人が証言をする場合、3 つの障害が考えられる。
第 1 は証人の観察能力に関するものである。証人が過去の事実を誤って観察したかもし
れない。人間の観察は誤りやすいものであるし、また先入観に左右されるものでもある。さ
らに精神状態によって、観察結果が異なることもあろう。例えば刑事事件で証人が被害者で
ある場合、
その証人が加害者の顔や容姿を正確に観察できるほどに冷静であるという保証は
ない。むしろ動揺して正確に観察できないことのほうが多いだろう。しかも、彼の観察能力
が正確であったか否かを証明することは不可能である。
第 2 に証人の記憶の問題である。仮に第 1 の障害、すなわち観察について何ら誤りがな
いものとして、彼がその記憶を正確に保ち続けている保証は何もない。人間の記憶が不正確
であることは言うまでもない。断片的な記憶を無意識に再構成して、真実とは異なる記憶を
持つことも考えられる。さらに、証言をするときには事件後一定期間が経っており、その記
憶は事件直後よりも信用が置けないものになる。
第 3 は報告の問題である。前の 2 つの問題を越えたとしても、証人が法廷で自分の記憶
を正確に伝えられるかは疑問が残る。すなわち、正確な証言がなされるなら証人と陪審ある
いは事実審裁判官が同じイメージを共有しなければならないが、実際には非常に難しい。自
分の意図しないイメージを相手に植え付けることもあり得るし、
証言台で緊張してうまく話
せないことも考えられる。しかも事実を認定するのは陪審あるいは事実審裁判官である。し
たがって、実際に起こった事実は事実認定までに 2 度ブラックボックスを通過することに
なる。つまり、陪審あるいは事実審裁判官は証人の証人であるのだ。事実は客観的なもので
はない。本来、R×F=D の F は OF
(objective fact)
であるべきだが、
実際には SF(subjective
fact)となっているxxxv。
事実は裁判官が考えるところのものである。そして裁判官が考えるところのものは、証人
が証言する際に裁判官が見たり聞いたりすることによって左右される。しかも、裁判官が見
たり聞いたりする証拠や証言は、事実に争いがある場合は相対立することが通常である。そ
の際、どの証拠あるいは証言を採用するかは裁判官の裁量次第である。その意味で裁判所は
事実を作ることができるし、実際に事実は裁判所によって作られている。したがって F を
変化させることができるため当然、D も可変的であり、法的安定性は認められないという
のがフランクの見解である。
では、なぜフランクが彼の法理論において裁判所の役割を重視するのであろうか。これは
「法とは何か」という命題と重なって重要である。この点、法を(1)法令、(2)法準則、
(3)法律学の基礎原理として受け入れられる原理の一般体系とする見解もあるxxxvi。しか
し、フランクはより現実に着目する。法が制定されたときより、法が強制力を持って個人に
影響を与えるときにこそ、法は法としての役割を果たすのである。個人にとっては裁判所で
判決が下されたときに、法的権利を得たり失ったりするのであり、法規範は一定の事実が立
証されなければ活動しないし、判決を生み出すこともない。以上のような理由でフランクは
裁判官が下す判決それ自体を法として捉えている。
たとえ裁判官が法規範と一致しない判決
を下したとしても、その判決は現に実行力を持つ限り法である。
裁判所の判決を法と見なさないのは法律家の擬制に過ぎない。
フランクが裁判所の役割を
重視する理由はまさにこの点にある。すなわち、フランクは判決も法に含まれると考えてお
り、裁判所はその判決を下す機関である。そしてその判決は個人に大きな影響を与える。し
たがってフランクの理論において裁判所は非常に重要な役割を担うことになる。
フランクにとって法とは裁判所の判決を含む概念であるが、
それでは彼はいかなるものを
法の目的として想定していたのだろうか。
個々の法律に目的があるように法にも目的がある
と考えるのが妥当であろう。
もちろん中には相対立する法律が含まれることもあるだろうが、
全体として特定の価値を志向していると考えられる。
その意味で社会的な目的とも言い換え
ることができるかもしれない。フランクは法の目的について明言はしていない。しかし、彼
は法の目的として、正義を想定していたと考えるのが妥当であろう。以下にそれを確信する
に足る理由を述べる。まず、彼は論文の中で何度も正義という言葉を使っている。例えば、
彼が法と考える裁判所の判決を想定して以下のように述べている。
「事実審裁判所がある事
件について判決するに当たり、事実に関して誤りを犯し、誤って認定された事実に対して正
確な法規範、すなわち、もし認定された事実が実際と合致していたとすれば当然適用しなく
てはならない法規範を適用する場合を考えてみよ。かような場合には、裁判所が客観的事実
と合致する事実に不正確な法規範を適用する場合と、
全く同様の不正義が結果するのである。
換言すれば、間違った事実に「正しい」法規範を適用することは、
「間違った」法規範を適
用するのと同じく正義に反する。
」xxxviiと。すなわち、誤った判決は例えば「善」という概
念に反するのではなく、
「正義」そのものに反するのである。ここで彼があえて「正義」と
いう概念を持ち出したのは、
彼が法の目的として正義を想定しているからではないだろうか。
また、
別の場面では法そのものではないが法的擬制は正義のために作られていることは明
言しているxxxviii。さらに、確信を得るものとして以下のように述べている。
「自己の持つ権
能の正確と自分自身の偏見及び弱点とについて、
能う限り完全な知識をもった誠実な十分訓
練された事実審裁判官こそ、正義の最上の保証となる。」xxxixと。裁判官は法たる判決を導
く存在である。そして前述のような性質を持つ裁判官は正義に資する。となれば、裁判官が
導く判決は正義のためのものと言えるだろう。以上の検討から、フランクは法を判決を含め
た概念として想定し、その法の目的は正義であると考えられる。
第4章
結論
フランクの見解では裁判所は「平和維持のための工夫」であり、そこでは裁判官によって
正義を実現するための法たる判決が導かれる。もし彼が考える正義が実現されているなら、
裁判制度に対して批判することは考えられないが、実際には第 1 章で述べたように痛烈な
批判を加えている。したがって、彼が想定するところの正義は実現されていないと考えるべ
きであろう。以下、彼の裁判制度批判及び彼が提示する解決策の背景にあるものを分析する
ことで彼の正義観を明らかにする。もちろん、彼が想定していた正義は 1 つとは限らない
し、その全てを窺い知ることは不可能である。したがってここではフランクが最も優先して
いたと考えられる正義の中身について論じる。
フランクの裁判制度批判と他の批判を比較すると、
彼の批判はそもそも裁判が真実を見つ
け出すものではない、つまり「闘争主義」の裁判が行われているという点を指摘している点
で特徴的である。彼がこれを問題と考えるのは、真実とは異なることが事実として認定され
る危険性があるからである。すなわち、事実とは推測に過ぎないため法廷で真実と異なるも
のを作り上げることが可能になっている。フランクが論じているように、事実認定を誤って
しまえばいかに正しい法規範を適用したとしても、判決は正義に反する。制度的欠陥から生
じる事実認定の誤りによって正義が実践されないのであれば、
いかに民主主義の基本的権利
として裁判を受ける権利が保障されていたとしても、
実際にはその恩恵を授かることにはな
らず、したがってその民主主義は機能不全に陥っていると言える。もちろん事実は推測であ
るから、事実認定を誤り真実と異なることもあろう。しかし、
「闘争主義」の裁判制度は真
実と異なる事実認定をある意味で肯定するものであるから、
それは究極的には民主主義を機
能不全に陥れるシステムであると言わざるを得ない。
フランクの陪審制度批判については、他の批判と大きな違いはない。あえて言うならフラ
ンクの方がより陪審の一般評決の不安定さを危惧している点が際立つくらいである。
すなわ
ち、第 4 のコストという実務的な批判を別にすると、フランクの陪審制度批判は陪審の能
力に関するものばかりである。フランクがこれを問題にするのは、
「闘争主義」の裁判を問
題にするのと同じ理由であると考えられる。すなわち、陪審は事実認定においても法規範の
適用においても信頼が置けない。これを数式で表すと、R×F=D であるべきものが R’×F
=D’となったり R×F’=D’’となったりする。R’×F’=D’’’になることも往々にしてあるだろ
う。これでは正義が実践されているとは言えず、裁判を受ける権利を真に享受しているとは
言い難い。
次にフランクの陪審制度への改革案を分析する。
ここでは陪審が何ら答申もなしに評決を
出すことが問題になっている。すなわち、フランクの解決策の多くは陪審に説明義務を負わ
せるものである。
特別評決は一般評決では闇に包まれていた陪審の事実認定を白日に晒すも
のである。すなわち、一般評決では陪審は評決に関して一切の答申を行わないため、どのよ
うな事実認定を行い、どの法規範を適用したかについて知ることができなかったが、特別評
決では陪審は事実認定までしか行わず、
裁判官が法規範を適用するため陪審がいかなる事実
認定をしたかが明白となる。また、陪審に対して一般評決について答申させることや陪審の
評議を記録することも同様の効果があると考えられる。
陪審の評議室が公開されなければならないのは、非公開が非民主主義的だからである。民
主主義では原則としておおよそ全ての公的な決定は公開でなされなければならないもので
ある。立法府では議会の審議は傍聴することができるし、委員会などの審理でも議事録が取
られている。行政府は国防などデリケートな部分に関しては非公開にならざるを得ないが、
情報は基本的に公開されるものである。
特に今日では情報公開への圧力が高まっていること
もあり、様々な分野で情報公開が進んでいる。司法部も同じく公開されている。裁判は傍聴
できるように公開されているし、判決文も文書として公開され、容易に入手できる。国家の
諸機関がこのように情報を公開するのは、それが民主主義の原則だからである。
その点、陪審の評議室は依然として非公開である。確かにその中での決定は立法府の決定
などと比べると影響力の小さいものかもしれない。しかしたとえ影響力が小さくても、陪審
の決定は公権力も発動を伴うものであり、それに影響力の大小は関係ないはずである。この
点で現行の陪審制度は民主主義と合致しない。また、訴訟当事者であっても知りうるのは評
議の結果のみであり、評議室でいかなる事実認定がなされ、どのように法規範が適用された
のかという自分自身に大いに関係があることについて知ることができず、
基本的な権利であ
る知る権利を有さないことになる。
以上のように、フランクの裁判制度批判とそれに対する改革案について分析してきたが、
そこからフランクの民主主義に対する信奉を感じることができる。
民主主義と一口に言って
も広い概念であるが、
フランクは現行の裁判制度が貧者にとって不利であることについて言
及することがしばしばあるだけでなく、自由放任主義を批判する論述も見られるため、弱者
保護なども考慮した比較的平等を重視する民主主義であると言えるだろうxl。これにはフラ
ンク自身がユダヤ系として多少の差別を被ってきたことも関係しているかもしれないxli。と
もあれ平等を重視する民主主義を哲学として持っているという点で、ニュー・ディールの思
想と重なると言えるだろう。この点、Glennon もいくつかのフランクの判決意見を取り上
げ、彼の哲学とニュー・ディールの提案が類似していると分析しているxlii。
ただし、前述したようにフランクの正義は画一的なものではない。実際にフランクは以下
のように述べている。
「最近、正義の女神は、少年と成人とで取り扱いを別にしようとして、
彼女の目かくしの下からのぞき始めた。彼女はもちろん、時のこのことを非難される。とい
うのも、もはや彼女は不偏不党ではないからである。しかし、やがては彼女が 2 人の人間
を同様に扱わないということが彼女の崇拝者の自慢となる日がおそらく来るであろう。
さも
なければ、正義は人工的ないし擬制的な「法の下における平等」
、つまり冷酷な「算術的」
平等をもたらすに終わるであろう。
(中略)正義の精神は、親切の精神を伴わなければ、非
常に割り切った冷淡なものになるxliii」と。
フランクはニュー・ディール前のアメリカを見てこのように論述したのではないだろうか。
機会の平等は形だけ存在しているが、結果に対して何ら保障がない。ユダヤ系であるフラン
クは結果の平等どころか、実際には機会の平等も与えられていないことを知っている。ニュ
ー・ディールになると以前よりは平等が重視されるようになり、フランクの正義観と近いも
のになった。しかしそれでも十分ではない。アメリカの民主主義には依然として、不平等が
存在する。そして、その不平等こそが民主主義を危険に陥れる可能性を含んでいる。建国以
来、原則として自由放任主義で成功してきたが、大恐慌で挫折を経験し、機会の平等を謳う
だけでは解消することが出来ない不平等をもたらした。
不平等がアメリカの民主主義に決定
的なダメージをないように、より結果の平等を重視する必要がある。フランクの想定する正
義は 1 つではないだろうが、より結果の平等を重視した、親切の精神をもつ民主主義こそ
が、フランクが最優先する正義であったと言えるのではないだろうか。
具体的にはイギリスなど。日本も 1928 年に陪審制が導入されたが、1943 年に停止され現
在に至っている。
ii Glennon, R.J. “The iconoclast as reformer” p. 22.
iii Glennon, R.J. 前掲書 p. 139.
i
iv伊藤正巳、木下毅『アメリカ法入門(第
3 版)
』
(日本評論社、2000)pp. 225.
伊藤、木下 前掲書 pp. 225-226.
O. W. Holmes, “The Path of the Law”, Harvard Law Review 457 (1897), in Collected
Legal Papers 167 (1920)
vii O. W. Holmes, “The Common Law” (〔1881〕Howe’s ed. 1967)
viii Frank, Jerome “Courts On Trial”
(フランク『裁かれる裁判所』
(弘文堂、1970)p. 130.)
ix Frank, Jerome “Not guilty”(フランク『無罪』
(日本評論社、1960)p. 18.)
x Frank
前掲書 p. 162.
xi Frank 前掲書 p. 163.
xii Frank 前掲 “Courts” p. 12.
xiii Frank 前掲書 p. 155-156.
xiv Frank 前掲書 p. 158.
xv Gifis, Steven H. “Barron’s Law Dictionary”(北脇敏一、山岡永知訳『アメリカ法辞典』
(学生援護会、1991) p. 362.)
xvi 勝田卓也「アメリカ合衆国における刑事陪審の人種構成について」
『早稲田法学会誌第
47 巻』
(1997)
xvii Frank 前掲書 p. 191.
xviii 1970 年代初めに合衆国最高裁判所は陪審の定数を 12 から 6 へ、また陪審が 12 人であ
るとき、評決の全員一致の原則を 9 人の多数決制に変更することを合憲とした。
(6 人によ
る刑事陪審の合憲性については Williams v. Florida, 399 U.S. 78(1970)、6 人による民事陪
臣の合憲性については Colgrove v. Battin, 413 U.S. 149(1973)、9 人の多数決制の合憲性に
ついては Johnson v. Louisiana, 406 U.S. 356(1972)においてそれぞれ合憲とされた。
)
xix Gifis 前掲書 p. 362.
xx Frank 前掲書 p. 227.
xxi Frank 前掲書 p. 230.
xxii 丸田隆「アメリカ陪審制度の理念と問題点」
『法律時報 64 巻 5 号』
(1992)
xxiii 「独立宣言」
『世界の名著 40 巻』(中央公論社、1980)234 頁
xxiv 第 3 条 2 節 3 項:弾劾事件を除いて、全ての犯罪の裁判は、陪審により行われるものと
する。
(後略)
xxv修正第 6 条:すべての刑事上の訴追において、被告人は、犯罪が行われた州、または、あ
らかじめ法律で定められる地域の公正な陪審によって迅速、かつ、公開の裁判を受ける権利
を有し、かつ、公訴事実の性質、および、原因を知らされ、自己に不利益な証人との対峙を
求め、
自己に有利な証人を得るための強制的な手続きをとり、
また、
被告人の防御のために、
弁護人の援助を受ける権利を有する。
xxvi修正第 7 条:コモン・ローによる訴訟において、訴額が 20 ドルを超える場合、陪審によ
る裁判を受ける権利は留保されるものとし、また、陪審によって認定された事実は、コモン・
ローの規則に従うことのほか、
合衆国のいかなる裁判所においても再審理されることはない。
xxvii 阿部斎・久保文明『現代アメリカの政治』
(放送大学教育振興会、1997)連邦裁判所判
事は大統領によって任命され、連邦上院議会の同意を必要とする。
xxviii 丸田・前掲
xxix Alexis de Tocqueville “Democracy in America”(アレクシス・ド・トクヴィル「アメリ
カにおけるデモクラシーについて」
『世界の名著 40 巻』
(中央公論社、1980)501 頁)
xxx 1994 年 6 月 12 日深夜、シンプソンの前妻ニコルが男友達のロナルド・ゴールドマンと
ともに、ロス・アンゼルスの高級住宅街にある自宅玄関先で惨殺された事件。ロス市警は前
夫のシンプソンを容疑者として断定し、事件から 5 日後に高速道路での追跡劇の後、逮捕
し、検察官は第 1 級殺人で起訴した。刑事裁判は約 9 ヶ月間に渡った末、陪審はシンプソ
ンに無罪評決を出した。
v
vi
第 1 章参照
平義克己「シンプソン事件」
『法学セミナー』509 号(1997)12 頁
xxxiii Frank 前掲書 p. 22.
xxxiv Frank 前掲書 p. 427.
xxxv Frank 前掲書 p. 36.
xxxvi Frank, Jerome “Law and modern mind”(フランク『法と現代精神』
(弘文堂、1976)
p. 101.)
xxxvii Frank 前掲 “Courts” p. 50.
xxxviii Frank 前掲書 p. 620.
xxxix Frank 前掲書 p. 669.
xl 自由放任主義への批判については Frank 前掲書 p. 148-149.
xli フランクは 1939 年にコロンビア地区の連邦控訴裁裁判官に任命されるはずだったが、
反ユダヤ教の圧力により F.ローズベルトは任命を見送り、そのためフランクは 2 年間任命
を待たねばならなかった。
(ユダヤとフランクに関しては Glennon 前掲 p. 30-31.)
xlii Glennon, R.J. 前掲書 p. 130-163.
xliii Frank 前掲書 p. 631-32.
xxxi
xxxii
〈参考文献〉
<1 次文献>
・ Jerome Frank, Barbara Frank “Not guilty”(ジェローム・フランク、バーバラ・フラ
ンク『無罪:36の誤判』
(日本評論社、1960.1)
)
・ Jerome Frank “Law and modern mind”(ジェローム・フランク『法と現代精神』
(弘
文堂、1974.6)
)
・ Jerome Frank “Courts on trial”(ジェローム・フランク『裁かれる裁判所』
(弘文堂、
1970)
)
<2 次文献>
・ Barbara Frank Kristein ,“A man’s reach” (Greenwood Press, 1977)
・ Julius Paul, “The legal realism of Jerome Frank : a study of fact – skepticism and
the judicial process” (The Hague,1959)
・ Mitehell Rosenberg, “Jerome Frank: jurist and philosopher” (New York, 1970)
・ Robert. J. Glennon “The Iconoclast as Reformer –Jerome Frank’s impact on
American law” (Cornell Univ. Press, 1985)
・ Walter E. Volkomer, “The passionate liberal : the political and legal ideas of Jerome
Frank” (The Hague,1970)
・ Wilfrid Rumble, ”American legal realism” (Cornell Univ. Press, 1968)
・ 伊藤正巳、木下毅『アメリカ法入門(第 3 版)
』
(日本評論社、2000)
・ 上野克裕「ジェローム・フランクの法理論と哲学」
『関西大学法学会誌第 22 号』
(関西
大学法学会、1977)
・ 北脇敏一、山岡永知訳『新版・対訳アメリカ合衆国憲法』
(国際書院、2002)
・ 木下毅『アメリカ法入門・総論』
(有斐閣、2000)
・ 平良『教材
アメリカ法入門』
(鳳舎、1984)
・ 西村克彦「法心理学に関する再度の覚え書き‐ジェローム・フランクの「法と現代精神」
から」
『青山法学論集 29(1)
』
(青山学院大学法学会、1987)
・ 奈賀泉児「ジェローム・フランクと公理論」
『明治大学大学院紀要法学編第 18 集』
(明
治大学大学院、1981)
・ 松坂佐一著「Jerome Frank の判決に対する裁判官の心理過程の分析について」
『名古
屋大学法政論集 175』
(名古屋大学法学部、1998.9)
・ 丸田隆『アメリカ陪審制度研究‐ジュリー・ナリフィケーションを中心に‐』
(法律文
化社、1988)
・ 丸田隆「アメリカ陪審制度の今日的意味」
『法社会学 42』
(日本法社会学会
1990)
有斐閣、