イラク復興の現状と今後 - 一般財団法人日本エネルギー経済研究所

 平 成
年 度 日 本 自 転 車 振 興 会 補 助 事 業
﹁イラク復興支援のための経済産業基盤等に関する調査﹂報告書
18
平成18年度日本自転車振興会補助事業
「イラク復興支援のための経済産業基盤等に関する調査」報告書
イラク復興の現状と今後
イ ラク 復 興 の現 状 と 今 後
平成
年
19
月
3
イラク復興の現状と今後
発行所 財団法人 日本エネルギー経済研究所 中東研究センター
(http://jime.ieej.or.jp)
〒104-0054
東京都中央区勝どき一丁目13番1号イヌイビル・カチドキ10階
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財団法人 日本エネルギー経済研究所中東研究センター
平成18年度日本自転車振興会補助事業
「イラク復興支援のための経済産業基盤等に関する調査」報告書
平成19年 3月
財団法人 日本エネルギー経済研究所
中東研究センター
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はじめに
本稿は、日本自転車振興会の補助を受けて実施した「イラク復興支援のための経済産業
基盤調査等補助事業」の一環として、安定化への努力が続くイラク国内の状況を治安、政
治、経済面から分析し、当面の行方を占ったものである。調査の実施に当たっては、極力、
資料やデータに基づいて実証的な分析を行うよう心がけ、これまでにない成果が上がった
と自負している。
本稿の執筆に当たっては、日本エネルギー経済研究所中東研究センターのイラク・中東
総括グループを中心に、外部専門家を加えた研究班を組織し、参加者の専門分野を活かす
態勢を整えた。各参加者の執筆分担は以下の通りである。
第1章
治安の現状と行方
当センター研究理事
立花
亨
第2章
政治的安定化の行方
当センター研究員
吉岡
明子
第3章
イラク経済復興の状況
当センター研究主幹
大先
一正
第4章
依然として活況を呈している2006年の中東プロジェクト市場とイラク
当センター外部研究員
小副川
イラク情勢の現状を理解するうえで、本稿が参考に供しうれば幸甚である。
平成 19 年3月
財団法人日本エネルギー経済研究所
理事長
内
藤
正
久
琢
目
第1章
治安の現状と行方
次
·············································· 1
はじめに ······································································ 1
1.使用データとその処理······················································· 1
2.戦争開始後の3つの時期····················································· 3
3.テロ増加の要因 ···························································· 7
4.結論 ····································································· 11
第2章
政治的安定化の行方 ··········································· 15
1.移行政治プロセスの満了と「民主化」の結果·································· 15
2.二度の国民議会選挙の結果とその分析········································ 16
3.憲法草案の作成とその国民投票·············································· 24
4.エスニック・アイデンティティ表出の背景···································· 26
5.政治的安定化に向けて······················································ 32
第3章
イラク経済復興の現状 ········································ 37
はじめに ····································································· 37
1.マクロ経済の動向·························································· 37
2.基幹産業の動向 ··························································· 47
3.国際社会の復興支援························································ 58
4.今後の取組み方向·························································· 64
第4章
依然として活況を呈している
2006 年の中東プロジェクト市場とイラク ·················· 69
1.はじめに ································································· 69
2.発注国別動向:UAE、カタル、サウジアラビアの3ヶ国で全体の7割弱 ··········· 69
3.分野別動向:「石油・ガス」と「インフラ」が中心····························· 74
4.受注国別動向:ML(multilateral)受注が中心································ 77
5.イラクの動向 ····························································· 81
6.結びに代えて:イラクの動向に関する若干の考察······························ 89
第1章
治安の現状と行方
第 1 章 治安の現状と行方
はじめに
2003 年 3 月の軍事行動開始から 3 週間を経ずにフセイン政権(当時)が崩壊し、米国の「力に
よる中東民主化」の起爆剤となるはずだったイラクは、開戦から 4 年を経て内戦状態に突入してし
まっており、安定化への目途は立っていない。治安の悪化は様々な形で裏づけることができるが、
例えば各種の報道に基づき、広い意味で今回の対イラク軍事行動に起因するイラク国内の民間
人死者数を集計している「イラク・ボディ・カウント」(IBC: Iraq Body Count)によると、2007 年 3 月
28 日現在、その数は 6 万 17(最低値)~6 万 5,880 人(最高値)に達した1。軍事行動のみならず
その後のイラク国内安定化努力においても中核的役割を担ってきた米軍も同日現在、死者 3,191
人(ほかに身元が確認されていない死者 86 人)、負傷者 2 万 3,924 人を出すに至っており2、ブッ
シュ政権は国内でイラクからの早期撤退を求める圧力に晒されている。
ただ、以上の計数はイラク国内での治安の悪化を物語ってはいるものの、そうした状態がいか
なる要因に基づいて発生し、また今後イラク情勢がどういった方向をたどるかについては、直接的
な分析の材料を提供しているわけではない。そこで以下では、治安状態と密接な関わりをもつテ
ロに注目し、テロの発生やその要因を実証的に分析することにより、イラクにおける治安状態の行
方を考えてみたい。
1.使用データとその処理
現在進行中の出来事ということもあり、テロの発生を中心とするイラク国内の治安の状態を客観
的に把握するのは必ずしも容易ではない。まして悲劇と直結するという報道価値の大きさを有つ
がゆえに、テロに関する情報は吟味が必要である。けれどもだからといってそれは、イラク国内の
治安状況に関し、実証分析の試みを放棄する決定的な理由とはならない。
現時点において入手に困難がなく、データ収集基準の公表やその更新速度(原則として毎月)と
いった点から、この分野でおそらく最も使いやすい資料は米国の「テロ予防国民追悼研究所」
(MIPT: National Memorial Institute for the Prevention of Terrorism)が「ランド研究所」(RAND
Corporation)、「米国土防衛省」(DHS: Department of Homeland Security)等と協力して作成しウェブ
サイトを通じて提供している「テロリズム情報ベース」(TKB: Terrorism Knowledge Base)といえよう3。
TKB は新聞等の公開情報を基に、世界中のテロに関するデータを収集しこれを発生日、発生
地(国・都市)、実行主体、標的、死者・負傷者数といった観点から分類整理のうえ提供しているが、
問題点もある。第一は、提供されるデータが、そのままの形ではコンピュータによる処理の対象と
することができない点である4。第二は、とりわけ「標的」の分類に関し、おそらくは複数存在すると
思われる分類者の間で、分類基準の統一が完璧にはなされていない点である。例えばイラク国内
のテロでも、民間人を乗せたバスへの攻撃を「交通機関」に対するテロに分類した例が存在する
一方、同様の事件を「民間人」を標的としたテロに分類した例もあった。ちなみに 2003 年 3 月以降
-1-
のイラクの場合、標的は「政府関係」「軍」「警察」「外交官」「教育関係」「NGO」「報道関係」「宗教
関係」「民間人」「公益事業」「商業関係」「空港」「交通機関」「通信関係」「テロ集団」「その他」の
16 項目に限られる5。
以上の問題に対し、本稿では次のように対処した。第一の点については、TKB の資料からここ
での分析に必要と思われる部分を抽出し、表計算ソフト(Excel)に入力し直すことによって、自ら
の視点で分類・集計が可能なデータに変換した。第二の点については、分類項目を統合して 6 つ
に減らすことで、分類基準の不統一による影響を吸収しうるようにした。具体的には以下の通りで
ある。
本稿で採用した分類項目
「政府」
TKB による分類項目
「政府」
「軍・警察」
「軍」「警察」
「外交官等」
「外交官」「NGO」「報道関係」
「民間人」
「教育関係」「宗教関係」「民間人」「商業関係」「交通機関」「その
他」
「経済基盤」
「その他」
「公益事業」「空港」「通信関係」
「テロ集団」+(分類未記入分)
注:(1)「NGO」「報道関係」については、そうと認識した上で標的にしたと思われる例が多いため、
「民間人」ではなく「外交官」と同じ分類とした。もっとも「NGO」はともかく「報道関係」につ
いては、イラク人ジャーナリストやイラク国内の報道機関も含まれている。
(2)TKB の分類による「その他」は、旧フセイン政権関係者や駐留米軍への協力者(通訳等)、
復興事業請負業者等を標的としたテロといえるため、「民間人」の項目にまとめた。
-2-
2.戦争開始後の 3 つの時期
(1)時期区分とその特徴
図 1—1 イラクにおける米兵死者数とテロ発生数の推移(2003 年 3 月~2007 年 1 月)
図 1—1 はイラク戦争が始まった 2003 年 3 月~2007 年 1 月の期間を対象に、この軍事行動に伴
う米兵の死者数とイラク国内におけるテロ発生数の推移をまとめたものである。2 本の折れ線それぞ
れの推移と両線の相対的な関係から、対象となった期間は 3 つの時期に分けることができる。
第Ⅰ期:2003 年 3 月~2005 年 1 月(23 カ月)
第Ⅱ期:2005 年 2 月~2006 年 1 月(12 カ月)
第Ⅲ期:2006 年 2 月~2007 年 1 月(12 カ月)
[第 I 期]
第 I 期は自らの支配下でイラクの民主化を実現しようとした米国が、次第に明確な形をとるに至
ったイラク国内の反米・反占領闘争に手を焼き、そうした方針を転換してイラク人自身による統治
の確立を急いだ時期である。しかしながらそうした過程では、スンナ派を中心とするフセイン政権
残党勢力の掃討を目的に 2 度の大規模な軍事作戦が首都の西方に位置するファルージャ等を
舞台に行われ(2004 年 4 月及び 11 月6)、敵の殲滅とその際の自軍の損耗極小化を優先してイラ
ク一般国民の犠牲には頓着しない米軍の姿勢が浮き彫りとなったことから、逆にイラク国内の反
-3-
米・反占領闘争には確乎たる基盤が整備されていった。
かかる状況の中で米国は、イラク人口の 60%を占めるにもかかわらずフセイン政権下では政治
経済的に冷遇され、同政権の崩壊をもたらした今回の軍事行動を歓迎する傾向が強いシーア派
を前面に押し出す政策に転換した。そして同派を中核とする暫定政府を樹立させ、これに主権を
移譲するに至る(2004 年 6 月)。以後イラク国内ではテロの発生数や米兵の死者数が一段と高い
水準へと向かっていくが(図 1—1)、これは主権を移譲されたイラク暫定政府の下で 2005 年 1 月の
移行国民議会選挙が実施されることとなり、シーア派主導下でイラクの権力が再編されてしまうこ
とへの強い反発が存在したことを意味しよう。
図 1—2 3 つの時期における米兵死者数の推移とその傾向線
[第 II 期]
とはいえスンナ派の主要勢力が選挙への参加を拒否する中、移行国民議会選挙はひとまず成
功裡に終了し、イラク国内ではこの選挙を通じて政治的勝者としての立場を正当化されたシーア
派が一層の勢いを得ていく。スンナ派を中心とした勢力は自らの政策の再検討を余儀なくされ、
選挙の翌月(2005 年 2 月)からイラク国内では、それ以前の状態からすると一種の凪ともいえるよう
な状況が出来した。もっとも、水準が低下したとはいえこの時期にも、テロ発生数や米兵死者数は
増加の方向にあった点を無視することはできない(図 1—2)。これがここでいう第 II 期である。
[第 III 期]
状況を一変させたのは、2006 年 2 月にバグダード北方に位置するサッマッラーでシーア派聖廟
がイラク・アル・カーイダによって攻撃された事件であった7。この爆破事件を機にイラク国内では
-4-
報復とみられるスンナ派宗教施設への攻撃が相次ぐようになり、それが再びシーア派の報復を招
いて、情勢は一気に緊迫の度を強めた。当然のことながらテロは、それによる犠牲者数を増加さ
せると同時に、民間人を標的とする傾向を顕著なものとしていく。
この第 III 期は、駐留米兵の死者数が前の 2 つの時期に比べてその水準を下げる一方(図 1—1)、
テロによる死者数は急増するという特徴から始まった。外部の敵(米軍)以上に、内部の敵(他の
宗派や民族等)が憎しみの対象として意識された時期だといえよう。いうまでもなくこうした環境は、
内戦の培養基にほかならない。
内戦状況への対応として米国は、2007 年 1 月にブッシュ大統領が新たなイラク政策を発表し、
首都を中心に 2 万を超す米軍戦闘部隊を増派することで、情勢の安定化に自ら主導的役割を担
う意向を表明した。だが実際上はこれに先立つ 2006 年の秋から、駐留米軍はすでにそうした役
割を果たしつつあった。事実、それに伴って米兵死者数は再びその水準を上昇させており、逆に
テロの発生数は 2006 年 2~7 月から大きくその水準を低下させている(図 1—1)。問題はこうした
変化が、イラク情勢の安定化をもたらすものなのかどうかである。
(2)治安悪化の内実
表 1—1 は 3 つの時期区分にしたがって、イラクで発生したテロの全体像をまとめたものである。
それによると 2003 年 3 月~2007 年 1 月の 47 カ月の間に、イラク国内で発生したテロは 7,556 件、
それによる死者は 1 万 9,300 人、負傷者は 3 万 1,395 人に及ぶ。また発生したテロのうち自爆に
よるものは 585 件を数え、死者 5,573 人、負傷者 1 万 2,239 人をもたらした。
表 1—1 イラクにおけるテロとそれによる死傷者(2003 年 3 月~2007 年 1 月)
第 II 期と第 III 期が 12 カ月、第 I 期がほぼ 2 倍の 23 カ月だが、全体の発生件数でみると第 I
期(1,351 件)から第 II 期(2,212 件)、そして第 III 期(3,993 件)へとテロは増加の一途をたどって
おり、とりわけ第 II 期以降の治安の悪化は明らかである。
しかし自爆テロに関する限り、こうした傾向は当てはまらない。実際、第 I 期に 113 件だった自爆
テロは、第 II 期になると 283 件へと増加するものの、第 III 期には 189 件へと減少している。2005
年 2 月~2006 年 1 月の第 II 期は、移行国民議会選挙(2005 年 1 月)の実施を阻止することを共
通目標としていた複数の武装勢力側の戦略が失敗に終わり、そうした勢力の間のまとまりが崩れ
-5-
ていった時期であり、アル・カーイダ系をはじめ外部から流入した過激な聖戦主義勢力が、自らの
存在を印象づけるとともに情勢の流動化を図って自爆テロを多用した時期であったのかもしれな
い。
他方、社会的な不安や恐怖を増幅させる手段という意味で、自爆テロの有用性は変わってい
ない。発生件数では全体の 7.7%にすぎない自爆テロは、死者数では同 28.9%、負傷者数では同
39.0%を占めるに至っているが、このテロの特徴は「テロ 1 件当たりの死傷者数」によって一層明確
となる。通常のテロの場合、1 回の攻撃で死に追いやることのできる人数は平均 2.6 人、負傷させ
ることのできる人数は同 4.2 人だが、自爆テロの場合はそれぞれ同 9.5 人、20.9 人へと計数が跳
ね上がる。これらの単純な比較によっても、自爆テロは死者数で 3.7 倍、負傷者数で 5.0 倍の威力
を有していることになろう。もっとも自爆の志願者は無尽蔵とはいえず、その意味では通常のテロ
以上に実行する側の内部的な制約に左右される性格を有している。であるとすれば、効果的であ
るにもかかわらず、テロの全てが自爆によるものとはならない理由も明らかであろう。
そして同時にまた、時の経過とともにイラクにおける自爆テロの効率が低下している事実は注目
されていい。表によると、全体としてみれば「テロ 1 件当たりの死傷者数」は第 I~III 期を通じ死者
数で 0.4 人(最大 2.8 人〔第 II 期〕→最低 2.4 人〔第 III 期〕)、負傷者数で 0.3 人(最大 4.3 人〔第
I 及び第 II 期〕→最低 4.0 人〔第 III 期〕)の変化にとどまっているのに対し、自爆テロの殺傷力は
第 I 期から第 III 期にかけて明らかな低下ぶりを示している(死者数:11.0 人〔第 I 期〕→8.5 人〔第
III 期〕;負傷者数 26.9 人〔第 I 期〕→19.5 人〔第 III 期〕)。殺傷力の強さというテロとしての効率ゆ
えに、対抗措置がとられるためといえよう。
このようにみてくると、イラクにおける治安の悪化は個々のテロが高度化してそれによる被害が
拡大したというよりは、むしろテロの増加がその本質というべきことがわかる。以下では発生地と標
的を手がかりに、そうしたテロの増加について考えていく。
-6-
3.テロ増加の要因
(1)発生地からみたテロの増加
表 1—2 都市別にみたテロの発生
表 1—2 は、これまでテロの発生が多かった 8 つの都市を中心に、イラク国内におけるテロの状
況をまとめたものである。8 都市で発生したテロを合計すると全体の 70%前後に達しているが(第 I
期 69.1%、第 II 期 74.8%、第 III 期 68.4%)、テロの発生地としては首都のバグダードが突出しており、
第 I 期~第 III 期を通じた全 7,556 件の 40.2%、3,041 件は同市で発生している。これに次ぐのは
北部の都市キルクークだが、そこでは全体の 7.6%、572 件のテロが発生しているにすぎず、個々
の都市を思考の単位とするのであれば、イラクにおける治安問題の帰趨は首都でのテロをいかに
-7-
抑え込むかにかかっているといってよい。テロによる死者数に注目しても、やはりバグダードの地
位は突出しており、全 1 万 9,300 人中 44.5%、8,581 人がそこで発生している。
とはいえ思考の範囲をやや拡大した場合、イラクにおけるテロでは①バグダードと、②主要 8 都
市以外の地域(「その他」)に注目することが不可欠となってこよう。この点を浮き彫りにしているの
が、表中の[前期比増減率・寄与度]の部分である。まず、第 I 期から第 II 期にかけて件数で 63.7%
増となったテロは死者数を 80.1%増加させたが、いずれにおいてもそうした増加に大きく寄与した
のは「バグダード」と「その他」であった。
(*)
うち
うち
①+②
(①+②)/(*)
「バグダード」①
「その他」②
63.7(件数増加率)
39.5
10.4
49.9
78.3
80.1(死者数増加率)
35.4
38.3
73.7
92.0
また、同様に第 II 期から第 III 期にかけての増加率(件数 80.5%、死者数 56.0%)の内訳をみても、
「バグダード」と「その他」の影響は多大であり、両地域におけるテロの特徴が探られねばならな
い。
(*)
うち
うち
①+②
(①+②)/(*)
「バグダード」①
「その他」②
80.5(件数増加率)
29.4
31.8
61.2
76.0
56.0(死者数増加率)
38.4
9.6
48.0
85.7
すでに述べたように全体としてみればイラクではこれまで、1 件のテロによる殺傷力が急激に上
昇した事実はなく、テロ攻撃に高度化の跡はみられない。この点は都市別の「テロ 1 件当たり死者
数」から読みとることができる。確かに「バグダード」と「その他」が全期を通じて高い水準にあること
は事実だが、他の都市と比較してその水準が突出しているわけではない。実際「バアクーバ」の第
I 期などは、「その他」の第 II 期と並んで最高値(4.5)を記録している。
だとすれば「バグダード」や「その他」の地域では、テロ自体が増加したと考えるのが自然であろ
う。事実、別の「1 日当たりテロ発生数」を比較してみると、すでに第 I 期から高い水準にあった両
地域は第 II 期、第 III 期と進むにつれ、さらに他地域との差を広げていることがわかる。そしてそれ
に伴い、「1 日当たり死者数」においても「バグダード」と「その他」は他地域を大きく凌駕し現在に
至っている。
-8-
(2)標的からみたテロの増加
表 1—3 標的別にみたテロ
-9-
表 1—3 はテロの標的に注目し、これまでに発生したテロの状況をまとめている。この表からいえ
ることは次の通りである。
第一に、テロは「政府」「軍・警察」「民間人」を三大標的としており、それらを合わせた構成比は
件数で 83.3%(第 I 期)~93.7%(第 III 期)、死者数で 94.4%(第 I 期)~96.9%(第 III 期)となった。
ただ、これら 3 標的のうち「政府」に向けられるテロは次第に発生件数面で比重を低下させ(第 I
期 26.8%→第 II 期 21.7%→第 III 期 11.7%)、「軍・警察」が第 II 期以降 40%前後を記録する中(←
第 I 期 22.1%)、「民間人」への攻撃がとりわけ第 III 期に至って増加する傾向を示している(第 I 期
34.4%、第 II 期 27.7%→第 III 期 42.1%)。
「軍・警察」への攻撃は、その内訳からいってほぼ警察関係者への攻撃と同視しうる状況にある。
同関係者には圧倒的にシーア派が多いイラクの現状に加え、2006 年 2 月のシーア派聖廟爆破事
件を契機とする第 III 期においてはスンナとシーアの宗派間抗争色が強まっていることからすれば、
これは内戦の構図にほかなるまい。
なお死者数の構成比は、全体としてみれば発生件数以上の三大標的集中度を示す一方、そう
した標的間のテロ対処力の差を浮き彫りにしている。「政府」や「軍・警察」はテロを回避し、また標
的となってしまった際の損害を限定する能力を高めてきているが、同様の能力を「民間人」に期待
することは難しい。そのため第 I 期から第 III 期にかけ、「政府」と「軍・警察」が 10%幅を超えて構成
比を低下させているのに対し、逆に「民間人」は構成比を倍増させざるをえなかった。テロ対処力
の差は、内戦状況を一層際立たせているといえよう。
「政府」
20.9%→ 6.4%(△14.4% )
「軍・警察」 42.6%→28.6%(△14.0% )
「民間人」
31.0%→61.9%(+30.8% )
第二に、[テロ 1 件当たり死者数]に注目すると、第 I 期では三大標的のうち「軍・警察」が 4.9 人
と「政府」(2.0 人)、「民間人」(2.3 人)の 2 倍以上となっていた。だが以後、第 III 期に向けて計数
を低下させる前 2 者に対し(「軍・警察」同 2.8→1.7、「政府」第 II 期 1.4→第 III 期 1.3)、「民間人」
は第 II 期に 4.5 人に上昇した後、第 III 期も 3.6 人と高い水準を保っている。これはテロ対処に国
家の物理的強制力を使用することが可能な「政府」「軍・警察」と、そうした手段を持たない「民間
人」の違いを反映した結果にほかなるまい。
とはいえ都市別と同様、標的別のテロ発生状況に最も大きな影響を与えているのは、テロ自体
の増加といった事実である。三大標的のなかでも「軍・警察」と「民間人」の[1 日当たりテロ発生
数]は、次のような増加ぶりを示している。
「軍・警察」
第Ⅰ期 0.4→第Ⅱ期 2.4→第Ⅲ期 4.4
「民間人」
第Ⅰ期 0.7→第Ⅱ期 1.7→第Ⅲ期 4.6
- 10 -
当然こうした 2 つの標的においては、「1 日当たり死者数」の増加がみられている。しかしながら
[1 日当たりテロ発生数]ではそれほどの違いはないにもかかわらず、すでに指摘したテロ対処力
の差によって、当該 2 標的の[1 日当たり死者数]の差は次第に拡大してきている。
「軍・警察」 第Ⅰ期 2.1→第Ⅱ期 6.9→第Ⅲ期 7.6
「民間人」
第Ⅰ期 1.6→第Ⅱ期 7.5→第Ⅲ期 16.4
標的別にみた場合、テロ攻撃への対処としては、何より民間及び軍・警察関係の施設と人をい
かにして効果的に防衛するかが問われる状況である。
4.結論
以上では 2003 年 3 月~2007 年 1 月にイラク国内で発生したテロについて、いくつかの視点か
らその特徴を実証的に探ってきた。その結果をまとめると、次の通りである。
‹
テロは政治を中心とするイラク国内の他の情勢と無関係に発生し激化してきたわけではなく、
むしろそれとの強い関連を示してきている。なかでもイラク人の犠牲を厭わず米軍が反米勢
力の殲滅を優先した 2004 年 4 月のファルージャ掃討作戦や、シーア派権力に途を拓いた
2004 年 6 月アラウィ暫定政府の樹立は、重要な転換点となった。最近の内戦色の強まりも、
2006 年 2 月のシーア派聖廟爆破事件を契機としている。
‹
内戦色を強めたイラク国内では死者の数が増え続けているが、これは個々のテロが威力を
強めたことによるのではなく、テロ自体が増えたための現象である。1 回の自爆テロによる死
傷者数の減少にみられるように米軍やイラク政府の対策も漸次進歩してきたが、それ以上に
手段の高度化を上回る速度でテロが量的、空間的に拡散していることが大きいであろう。
‹
とりわけ表 1—2 中の「バグダード」と「その他」において治安の悪化は顕著であり([1 日当たり
テロ発生数]および[1 日当たり死者数])、テロは首都で頻発する一方で地方の小都市に拡
散するという背反的な傾向を明らかにしつつある。
‹
他方でテロの標的としては「軍・警察」と「民間人」の構成比が上昇しており、ここにきてこれ
に「政府」を加えた三大標的には、全てのテロの 9 割以上が集中するようになっている。
こうした現状には、いかなる対処が求められるであろうか。第一にイラク国内情勢とテロの連動
の点だが、政治的意図を持った暴力はある意味でテロの本質であり、これを完全に絶ち切ること
は困難であろう。ただ、中長期を見据えた地道な取り組みによって、イラク人の間に駐留米軍やイ
- 11 -
ラク政府の信頼を高めていく努力は必要不可欠である。それによって米軍やイラク政府は、強い
反発や敵意の中でイラクの人々がテロを容認する気運、を弱めていくことができる。けれども逆か
らいえば、この面では短期的に即効性のある対処は期待できない。
第二に、現在のテロに関し、地域的には「バグダード」「その他」、標的としては「軍・警察」「民間
人」「政府」への集中が明らかとなった点である。もっとも「バグダード」と「その他」で発生したテロ
を標的別に整理した表 1—4 によれば、いずれの地域においても「テロ 1 件当たり死者数」はおお
むね低下傾向にあり、テロへの防衛力が強化された様子が窺える。この点はなかんずく「その他」
の計数で確認することができ、そこでは「民間人」を狙ったテロもその威力を第 II 期の 6.7 人から
第 III には 3.1 人へと落としている点が注目される。人口が密集し一度に多くの民間人を巻き込む
ことのできるバグダードとの違いが、この面には反映されていよう。
他方で全体の傾向と同様、両地域の治安の悪化は「1 日当たりテロ発生数」の増加を受けたも
のであり、これはとくに「民間人」を標的としたテロで顕著となっている。第 II 期から第 III 期にかけ
て当該計数は、「バグダード」で 3 倍(0.7→2.1)、「その他」で 2.7 倍を示し(0.6→1.6)、「1 日当た
りテロ死者数」を引き上げている。「バグダード」では 9.4 人、「その他」では 5.1 人が日ごとに命を
落としている計算である。
仮に、武装勢力側の組織的な努力等によりテロの威力が増し、それがイラク国内の治安の悪化
を招いているとすれば、米国やイラク政府の対処はむしろ相対的には容易でなかったか。実際そ
の場合は、そうした組織とその潜伏場所の探索に持てる資源を注ぎ込む一方、テロの威力を強化
した技術や物資、その流入経路の特定を図るという対応策がみえている。とはいえ今回のイラクの
ように個々のテロの威力が落ちる中、それでもなおテロ自体は増えていくという構図は、統一的な
戦略の下にテロが実行されているというより、既存秩序の崩壊に起因する生命・財産への危機感
や先がみえない不安と絶望、近親者に向けられた暴力への怨念といった極限的意識の状況にあ
って、人々が正常な感覚を麻痺させ、テロという暴力的言語に情念の表出を委ねつつあることを
意味してはいまいか。そうであるとすれば、これはまさに血で血を洗う内戦の基盤的心理であり、
問題の解決には多大の時間と費用が必要となろう。
質的、量的に十分な物理的強制力8を投入して暴力を抑えることが短期的には不可欠になるが、
現在のイラクでこれが達成されるためには 50 万の戦闘部隊が必要とされる9。泥沼化してしまった
イラク情勢の現状に加え、国連の承認を得ずに米国が対イラク軍事度行動を開始した経緯から、
他国に協力を呼びかけたとしてもこの水準の兵力を集めることは現実的に困難であり、その意味
ではイラク情勢を短期的に安定化させる選択は捨てざるをえないであろう。
結局のところ、フセイン強権体制の崩壊によって生じた政治社会秩序の崩壊は、イラク人自ら
がこれに代わる秩序を生み出しうるまでは続くとみておくべきであろう。その過程はある意味で、内
戦の徹底とそれによる新たな国内政治均衡の構築を含まざるをえないのではないか。米国の力
による民主化策によって出現した「フセイン後のイラク」は、20 世紀に至るまで欧州で恐れられてき
た民衆の情念に基づく統治という民主主義の伝統的本質を解き放ってしまった可能性がある。
- 12 -
1
<iraqbodycount.net/database/>(閲覧 2007.3.29)。ここで集計の対象となっている民間人死者
は、米軍をはじめとする多国籍軍の軍事行動による死者はもちろん、武装組織による攻撃や犯
罪行為による死者も含んでいる。
2
<www.globalsecurity.org/military/ops/iraq_casualties.htm>(閲覧 2007.3.29)。
3
同資料について詳しくは、<www.tkb.org/AboutTKB.jsp>。
4
ウェブサイトが提供する分析道具が存在することは事実だが、必ずしも十分なものとはいえない
(<www.tkb.org/AnalyticalTools.jsp>)。
5
他に TKB が使用している標的の項目としては、「中絶関係」「水・食料供給」「海運」「観光」「不
明」の 5 つがある(<www.tkb.org/Glossary.jsp>)。
6
イラク・ボディ・カウントによると、空爆を含む米軍の攻撃により 4 月 5〜30 日の間にファルージャ
では 572〜616 人の民間人が犠牲となった。移行国民議会選挙を控えた 11 月の掃討作戦でも
同市では、イラク人 87 人が死亡している
(<iraqbodycount.net/database/bodycount_date_down_all.php?ts=1175312394>(閲覧 2007.3.31))。
7
2 月 22 日に発生したこの事件それ自体による死傷者は記録されておらず、その意味では多分
に象徴性な事件であった。またイラク・アル・カーイダの狙いもその点にあったのであろう。
8
ひとまずの成功に終わったコソボ紛争の強制的収束過程が必要とした投入兵力の水準は、紛
争地人口の 2%であった(James Dobbins, et al, America's Role in Nation-Building (Santa
Monica: RAND, 2003).)。
9
イラクの人口 2,600 万×2%=52 万。
- 13 -
表 1—4 テロの標的からみた「バグダード」及び「その他」地域
- 14 -
第2章
政治的安定化の行方
第 2 章 政治的安定化の行方
1.移行政治プロセスの満了と「民主化」の結果
2003 年 3 月のイラク戦争による旧フセイン政権の崩壊という劇的な形で、イラクは新たな政治体
制の構築を直面することになった。しかし、戦後の占領統治を主導した米国が明確な統治プランを
持っていなかったために、戦後統治は迷走を極めた。CPA(連合国暫定当局)は、2003 年 7 月にイ
ラク人の代表組織として、亡命政治家を中心に 25 名からなる統治評議会を発足させたものの、正
統性の確保に失敗し、また反米武装勢力の攻撃も次第に増加していったことから、2003 年 11 月、
従来の政策を変更して占領統治体制終了を前倒しすることを統治評議会と合意した。
この合意に基づき、イラク暫定政府に主権が移譲されてから恒久憲法の公布を経て正式政権の
樹立に至るまでの政治プロセスを定めた「移行期間のためのイラク国家施政法」(基本法)が、2004
年 3 月 8 日に成立する。そしてこのスケジュールに従い、新憲法の起草・承認や二度の国民議会
選挙が執り行われ、2006 年 5 月の正式政権の発足をもって一連の「民主化」プロセスは終了を迎え
た。
<戦後の移行政治プロセスの流れ>
¾
2004 年 3 月:基本法制定
¾
2004 年 6 月:暫定政府組閣、主権移譲
¾
2004 年 8 月:国民大会議開催、諮問評議会議員選出
¾
2005 年 1 月:制憲議会選挙
¾
2005 年 5 月:移行政府組閣
¾
2005 年 8 月:憲法草案を議会承認
¾
2005 年 10 月:憲法草案の国民投票
¾
2005 年 12 月:国民議会選挙
¾
2006 年 5 月:正式政権発足
しかし、こうした一連の政治プロセスは、イラクに安定的な民主主義をもたらしてはいない。例え
ば、憲法起草を行うための 2005 年 1 月の制憲国民議会選挙では、新たな政治システムの中で権
力を得ることを目指したシーア派、クルドの積極姿勢が目立った一方、スンナ派住民が多い西部で
は極端に投票率が低いという問題が発生した。これは、米国主導の政治プロセスに参加すること自
体を忌避したことや、スンナ派社会を代表していると認識される有力政党が出馬していなかったこと、
西部では選挙直前まで米軍の掃討作戦が行われ多くの住民が被害に遭ったり避難を余儀なくさ
れたりして投票に行けなかったことなどに起因すると考えられる。選挙結果は必然的に、シーア派
宗教勢力を中心とする統一イラク連合(140 議席)とクルド二大政党が中心となって形成したクルド
同盟(75 議席)の大勝という結果を導き、2 党だけで議席の 78%を占める結果となった。憲法起草に
圧倒的な優位を占めることが可能になった両党は、スンナ派の意向をほとんど排除したまま憲法起
- 15 -
草、国民投票に至り、国内に亀裂をもたらす結果を導いた。正式政権発足後の 2006 年 9 月に、1
年間かけて憲法改正のための再交渉を行うことが決まったが、この問題に対する統一イラク連合、
クルド同盟の動きは極めて鈍い。
2005 年 12 月に行われた 2 度目の国民議会選挙では、地域別の投票率不均衡は是正された。
それを受けて、その後発足した正式政権にはシーア派、クルド、スンナ派の主な政党が閣僚を輩
出することが可能になった。マーリキ首相を首班とする新政府は、2006 年 6 月に国民融和を目指し
て国家和解計画を打ち出している。現状の問題点を認識したうえでの望ましい方向性を示している
と言えるが、イラク国内の状況同様、議会や政府内部においても民族・宗派間の亀裂に沿って分
極化が進み、意思の統一を図ることが非常に困難になっている現状では、ほとんど実効性をもたな
いままである。
イラク国民による選挙を経て発足した国民議会だが、その内部では妥協と協調を模索する動き
が鈍く、一定の政策へ議論を集約する事が非常に難しくなっている。何よりも、治安状況に改善が
見られず、テロ事件が連日のように発生する現状は、そもそも安定的な民主主義の前提条件を欠
いていると言わざるを得ないが、とりわけ宗派間での暴力の応酬に歯止めがかからないことが、議
会や政府内部の協調を一層難しくしているという問題を生み出している。
以下で詳述するように、「民主化」を目指した一連のプロセスにおいて、宗派や民族といった単
位ごとにエスニック集団が政治化され、社会の分極化が進行したことが、政治の安定化を欠く最大
の要因になったと結論づけることができよう。イラクの主要政党の多くは、特定のエスニック集団の
利益を代表するために形成され、かつそのエスニック集団からの支持に全面的に依存しているとい
う特徴から、エスニック政党であると位置づけることができる。そしてこうしたエスニック政党は、支持
基盤を特定のエスニック集団に依存するがために、社会を構成する他のエスニック集団間の利害
調整に尽力することにインセンティブをもたず、それゆえ国家レベルでの妥協の成立が非常に難し
くなる1。今後の安定化に向けては、イラク国内勢力がいかに妥協と協調を図ることができるかが非
常に重要となる。
以下では、二度の国民議会選挙と、憲法草案の国民投票を取り上げ、その動向を分析した上で、
何がエスニック集団の政治化をもたらしたのかを検討し、今後の安定化への方向性を探ることとし
たい。
2.二度の国民議会選挙の結果とその分析
政治プロセスにおいて、イラク国民の民意が最も顕著に反映された出来事が二度の議会選挙で
あった。まず、2005 年 1 月 30 日に実施された最初の国民議会選挙の結果は、下記の通りである。
•
統一イラク連合(シーア派)
¾
•
140 議席、407 万 5295 票
クルド同盟(クルド)
¾
75 議席、217 万 5551 票
- 16 -
•
イラク・リスト(アラブ世俗派)
¾
•
イラク人たち(アラブ世俗派)
¾
•
1 議席、3 万 6795 票
国民ラーフィダイン・リスト(アッシリア)
¾
•
2 議席、4 万 3205 票
民主国民同盟(スンナ派)
¾
•
2 議席、6 万 292 票
イスラミック・アマル(シーア派)
¾
•
2 議席、6 万 9920 票
クルド・イスラーム集団(クルド)
¾
•
3 議席、6 万 9938 票
人民連合(アラブ世俗派)
¾
•
3 議席、6 万 9938 票
独立国民エリート集団(シーア派)
¾
•
5 議席、15 万 680 票
イラク・トルコマン戦線(トルコマン)
¾
•
40 議席、116 万 8943 票
1 議席、3 万 3255 票
和解解放団体(スンナ派)
¾
1 議席、3 万 796 票
統一イラク連合 (140)
クルド同盟 (75)
イラク・リスト (40)
イラク人たち (5)
イラク・トルコマン戦線 (3)
独立国民エリート集団 (3)
人民連合 (2)
クルド・イスラーム集団 (2)
イスラミック・アマル (2)
民主国民同盟 (1)
国民ラーフィダイン・リスト (1)
和解解放団体 (1)
( ()内は議席数
)内は議席数
出所:イラク独立選挙管理委員会ホームページ(http://www.ieciraq.org/)
図表 2-1:議席数グラフ(1 月)
- 17 -
Slaymania
Irbil
Dohok
Tamim
Salah Din
Ninawa
Diyala
Anbar
Babil
Karbala
Najaf
Qadisiya
Wasit
Maysan
Dhi Qar
Muthanna
Basra
Baghdad
統一イラク連合
クルド同盟リスト
イラク・リスト
イラク人たち
イラク・トルコマン戦線
独立国民エリート集団
その他
0%
20%
40%
60%
80%
出所:イラク独立選挙管理委員会ホームページ(http://www.ieciraq.org/)
図表 2-2:リスト別・県別得票数(1 月)
次に、以下が 2005 年 12 月 15 日に実施された国民議会選挙の結果である。
•
統一イラク連合(シーア派)
¾
•
クルド同盟(クルド)
¾
•
11 議席、49 万 9963 票
クルド・イスラーム同盟(クルド)
¾
•
25 議席、97 万 7325 票
国民対話イラク戦線(スンナ派)
¾
•
44 議席、184 万 216 票
国民イラク・リスト(世俗派)
¾
•
53 議席、264 万 2172 票
イラク合意戦線(スンナ派)
¾
•
128 議席、502 万 1137 票
5 議席、15 万 7688 票
和解解放団体(スンナ派)
- 18 -
100%
¾
•
リサーリーユーン(ムクタダー・サドル派)
¾
•
1 議席、4 万 7263 票
イラク国家のためのミサール・アルーシーのリスト(スンナ派)
¾
•
1 議席、8 万 7993 票
ラーフィダイン・リスト(アッシリア人)
¾
•
2 議席、14 万 5028 票
イラク・トルコマン戦線(トルコマン)
¾
•
3 議席、12 万 9847 票
1 議席、3 万 2245 票
改革・発展のためのヤジーディー運動(ヤジーディー教徒)
¾
1 議席、2 万 1908 票
統一イラク連合 (5,021,137)
クルド同盟 (2,642,172)
イラク合意戦線 (1,840,216)
イラク国民リスト (977,325)
イラク国民対話戦線 (499,963)
クルド・イスラー ム同盟 (157,688)
リサー リーユ ーン (145,028)
和解解放団体 (129,847)
イラク・トルコマン戦線 (87,993)
ラー フィダイン・リスト (47,263)
イラク国家のためのミサー ル・アルー シーのリスト (32,245)
(
)内は得票数
改革・発展のためのヤジーデ ィー 運動 (21,908)
出所:イラク独立選挙管理委員会ホームページ(http://www.ieciraq.org/)
図表 2-3:議席数グラフ(12 月)
二度の選挙を比較して特徴的であったこととして、投票率の上昇が挙げられる。1 月の選挙では、
投票総数は 855 万 571 票(うち有効投票数は 845 万 6266 票)、及び投票率は 58%であったが、12
月には投票総数は 1239 万 6631 票(うち有効投票数は 1219 万 1133 票)まで増加し、投票率は 76%
を超えた。さらに、投票率を県別に見た場合、最も投票率が低い県でも 65%前後となっており、1 月
の選挙で顕著であった、特定の地域の政治参加が極端に少ないというアンバランスな構造は解消
された。
- 19 -
Slaymania
Irbil
Dohok
Tamim
Salah Din
Ninawa
Diyala
Anbar
Babil
Karbala
統一イラク連合
クルド同盟
イラク合意戦線
イラク国民リスト
イラク国民対話戦線
クルド・イスラーム同盟
その他
Najaf
Qadisiya
Wasit
Maysan
Dhi Qar
Muthanna
Basra
Baghdad
0%
20%
40%
60%
80%
100%
出所:イラク独立選挙管理委員会ホームページ(http://www.ieciraq.org/)
図表 2-4:リスト別・県別得票数(12 月)
Slaymania
(単位:1000票)
Irbil
Dohok
Tamim
Salah Din
Ninawa
Diyala
Anbar
Babil
Karbala
2005年12月
2005年1月
Najaf
Qadisiya
Wasit
Maysan
Dhi Qar
Muthanna
Basra
Baghdad
0
500
1000
1500
2000
2500
出所:イラク独立選挙管理委員会ホームページ(http://www.ieciraq.org/)
図表 2-5:投票数の推移
- 20 -
3000
しかし、政治プロセスが国民全体を巻き込んだことにより、12 月の選挙でより一層明確になったこ
とは、イラク国内の民族・宗派主義傾向であった。
最大政党の統一イラク連合は、イラク・イスラーム革命最高評議会(SCIRI)、ダアワ党、ムクタダ
ー・サドル師を支持するサドル派などを中心とするシーア派宗教政党連合である。1 月の選挙では
全国を一区とする比例代表制が取られたことにより、選挙に参加しなかったスンナ派の議席が極端
に少なく、その分、シーア派、クルドの議席が人口比以上に反映されたという特徴があった。12 月
は選挙法の改正により、275 議中 230 議席が人口比に応じて各県に割り当てられたため(残りの 45
議席は小党への補償議席、及び前回と同じ全国区比例代表制で配分)、統一イラク連合は前回選
挙よりも 12 議席減らし、議席数は過半数を割り込んだ。しかし、得票数という観点からは、約 100 万
票の増加であり、シーア派住民の多い南部の各県ではいずれも 65%以上の得票率という圧倒的な
強さを維持した。
Slaymania
(単位:1000票)
Irbil
Dohok
Tamim
Salah Din
Ninawa
Diyala
Anbar
Babil
2005年12月
2005年1月
Karbala
Najaf
Qadisiya
Wasit
Maysan
Dhi Qar
Muthanna
Basra
Baghdad
0
200
400
600
800
1000
1200
1400
1600
出所:イラク独立選挙管理委員会ホームページ(http://www.ieciraq.org/)
図表 2-6:統一イラク連合得票数の推移
続いて第 2 党となったクルド同盟は、長年のライバルであったクルド愛国同盟(PUK: Patriotic
Union of Kurdistan)とクルド民主党(KDP: Kurdistan Democratic Party)の 2 政党が中心となって形
成された政党連合である。両党は 2004 年 12 月 1 日、翌月の議会選挙に向けて統一候補者リスト
を作成して「クルド同盟」として合同で選挙に臨むことに合意し、新イラク国家の中でクルドの立場
- 21 -
を強化することを確認した。クルド自治区を掌握してきたこの 2 大政党の協力関係によって、クルド
住民の支持はほぼ一本化されたと言って良い。12 月の選挙では、クルディスタン自治区を構成し
てきた北部 3 県では 90%以上を得票し、圧倒的な強さを誇った。クルドが併合を望んでいるキルク
ークが位置するタミーム県でも、53%の票を獲得している。
Slaymania
Irbil
Dohok
Tamim
Salah Din
Ninawa
Diyala
Anbar
Babil
2005年12月
2005年1月
Karbala
Najaf
Qadisiya
Wasit
Maysan
Dhi Qar
Muthanna
Basra
(単位:1000票)
Baghdad
0
100
200
300
400
500
600
700
800
出所:イラク独立選挙管理委員会ホームページ(http://www.ieciraq.org/)
図表 2-7:クルド同盟得票数の推移
統一イラク連合は、2005 年 5 月から約半年間、政権与党として移行政府を率いてきたが、治安
の回復や経済復興などにおいて目立った実績が上げられず、当初、12 月の選挙では票が伸び悩
むのではないかと見られていた。しかし、有権者は、政権担当能力よりも自分たちの利益の代弁者
を確保する事の方が重要と見なした模様である。
逆に、米国の後押しを受けて世俗主義を打ち出し、イラク全国で幅広く得票することを狙ってい
たアラウィ元首相の国民イラク・リストは、1 月の 141 万票(12 月に新たに国民イラク・リストに参加し
た「イラク人たち」、「人民連合」、「民主独立同盟」の票を含む)から 98 万票へと 3 割も票を減らし、
惨敗した。特に、投票者数が増えた中西部のスンナ派地域では票を伸ばしたものの、シーア派が
多い南部各県では得票数が軒並み半減しており、統一イラク連合に対する批判票を取り込むとい
う戦略は完全に失敗に終わった。
- 22 -
同党の敗退は、世俗派ブランドだけでは選挙には勝てないというイラクの現状を物語っていよう。
同様に、リベラル派の票を狙って統一イラク連合から離脱したアフマド・チャラビ副首相(当時)、ラ
イス・クッバ前首相報道官、バフルルウルーム石油相(当時)らの各リストは、いずれも無議席に終
わった。また、国民イラク・リストは民族・宗派が混在するバグダードでも大きく票を減らしており、旧
バアス党員を抱える同リストの支持基盤が、新たに登場した後述の「スンナ派政党」によって切り崩
されたと見ることもできる。バグダードでは、国民イラク・リストの得票が 35 万票であったのに対して、
イラク合意戦線が 56 万票を獲得した。
Slaymania
Irbil
Dohok
Tamim
Salah Din
Ninawa
Diyala
Anbar
Babil
2005年12月
2005年1月
Karbala
Najaf
Qadisiya
Wasit
Maysan
Dhi Qar
Muthanna
Basra
(単位:1000票)
Baghdad
0
100
200
300
400
500
600
出所:イラク独立選挙管理委員会ホームページ(http://www.ieciraq.org/)
図表 2-8:国民イラク・リスト得票数の推移
議席を獲得したスンナ派リストは 4 つで、合計 59 議席を確保し、シーア派に次ぐ勢力に躍り出た。
しかし、クルドと異なり小党乱立傾向にあるスンナ派の各リストは、その立場を一本化させる動きを
見せていない。4 リストの中で最大勢力に躍り出たのが、イラク・イスラーム党、イラク民衆会議、イラ
ク国民対話会議の 3 党からなる「イラク合意戦線」である。184 万票を獲得し、統一イラク連合、クル
ド同盟に次ぐ第 3 位の政党として、連立政権入りを果たした。イラク合意戦線はスンナ派が集中す
る中西部を支持基盤とし、アンバール県で県全体の票の 74%(43 万票)を集めた他、ディヤラ、サラ
ハディン、ニネバの各県でもそれぞれ 30 – 40%を得票した。
- 23 -
Slaymania
(単位:1000票)
Irbil
Dohok
Tamim
Salah Din
Ninawa
Diyala
Anbar
Babil
Karbala
Najaf
イラク国民対話戦線
イラク合意戦線
Qadisiya
Wasit
Maysan
Dhi Qar
Muthanna
Basra
Baghdad
0
100
200
300
400
500
600
出所:イラク独立選挙管理委員会ホームページ(http://www.ieciraq.org/)
図表 2-9:イラク合意戦線、イラク国民対話戦線得票数
3.憲法草案の作成とその国民投票
移行プロセスにおいて、選挙と並んで広くイラク国民が参加した重要な出来事として、新憲法草
案の国民投票が挙げられる。しかし、この国民投票の結果もまた、エスニック集団毎の立場の違い
が色濃く反映されるものとなった。
基本法が定めたスケジュールによると、憲法草案は 2005 年 1 月の選挙後、2005 年 8 月 15 日ま
でに起草されることになっていた。しかし、1 月の選挙後、選挙結果の判明や組閣交渉に時間がか
かったことから、かなり短い日程での起草作業を余儀なくされた。交渉の場面において、各派の対
立を解く十分な時間がなかったことは、交渉のプロセスをより複雑化させる一因となった。
新憲法の起草を担当する憲法起草委員会(国民議会の下部組織)は、2005 年 5 月初旬に新政
府が発足した後、同月下旬に議員 55 名によって発足した。しかしその後、国民議会にほとんど議
席を持たないスンナ派メンバーを憲法起草委員会に追加するに当たって、その人数、選出方法、
権限等を巡って紛糾が続き、ようやく、15 名のスンナ派委員(55 名の国会議員メンバーと同資格)、
及び 10 名のアドバイザーが選出され、議会に承認されたのは、6 月末になってからだった。つまり、
憲法内容の実質審議が行われたのは 7 月以降ということになる。しかも、7 月 19 日にはスンナ派の
委員 1 名が武装勢力の襲撃により殺害され、それを受けて他のスンナ派委員がセキュリティの強化
を求めて一時的に審議をボイコットするなど、話し合いは必ずしも順調に進んだわけではない。
- 24 -
常識的に考えれば、70 名以上のメンバーで憲法内容を討議し、1 カ月半で細部まで合意に至る
ことができるとは考えにくい。しかし、政治プロセスの進展を印象づけたい米国が、7 月 28 日にラム
ズフェルド国防長官(当時)をイラクに派遣するなど、強い圧力を働かせた結果、タイムスケジュー
ル通りの草案起草が第一目標となっていった。ハムーディ憲法起草委員会委員長は、8 月初旬の
時点で、草案内容の「90%はすでに合意に達している」と述べていたが、連邦制やイスラームの扱
い等、各派の意見が割れる重要な問題は数多く残されていた。
例えば、イラクの正式名称は「イラク共和国」だが、シーア派の統一イラク連合はこれを「イラク・イ
スラーム共和国」または「イラク連邦イスラーム共和国」とすることを求めた。クルド連合は「イラク連
邦共和国」と、国名からイスラームを外すことを求め、一方、スンナ派の委員は現在の国名を支持
するなど、国家のアイデンティティに対する見解の違いが顕著であった。同様の問題として、基本
法では、「イラクは多民族からなる国家であり、イラクのアラブ人はアラブ共同体(ウンマ)の一部」と
記されていたが、この点について、クルドからは現状維持、あるいは文章全体を削除することを求
める声が出た一方、スンナ派委員は「イラクはアラブ国家である」との、よりアラブ・ナショナリスト色
の強い表現を求めた。
このように、国家の根幹に関わる問題で各派の溝が依然として埋まらない中、8月に入ってから
は、話し合いの中心は憲法起草委員会から各政党党首間のトップ会談へと移り、大統領宅などで
集中的な論議が行われた。しかし、結局、8月15日の期限に間に合わせることはできず、1週間期
限が延長された。さらに、そして22日に草案が議会に上程された後も、連邦制に関する記述を大
幅に削除するなど、交渉と修正が続けられていたが、結局、各派が納得できる妥協点を見つけら
れないまま交渉は打ち切られ、8月28日に統一イラク連合とクルド同盟による強行採決を経て、国
民議会の承認を得たことにより、一応の決着を見た。各派の意見を幅広く取り入れること目標に始
まった憲法起草作業だったが、時間的な制約の中、最終的には議会に多数の議席を持つクルド
勢力とシーア派宗教勢力の意向が強く反映され、スンナ派、世俗派にとっては大きな不満の残る
草案となった。
交渉は一旦終了したものの、スンナ派の反対によって草案が否決され、政治プロセスが足踏み
してしまうという事態を恐れた米国は、ハリルザード駐イラク大使を仲介役とし、引き続き水面下で
各派との交渉を続けた。9月18日には再度の議会承認を経て、「修正草案」が完成したものの、抜
本的な変更には至らず、交渉は10月15日の国民投票直前まで続けられた。その結果、反対派の
一角をなしていたイラク・イスラーム党が賛成に転じるという変化があったが、スンナ派住民全般の
支持が得られるという結果には至らず、国民投票の結果は、議会選挙同様、エスニック集団ごとに
支持と不支持が鮮明に分かれる結果となった。
10 月 15 日に行われた国民投票の投票率は 63%で、およそ 980 万人が投票所に足を運んだ。1
月の選挙で圧倒的に投票が少なかったスンナ派地域でも投票率が比較的高かった模様である。
恒久憲法草案の国民投票においては、有権者の過半数の賛成に加え、3 つ以上の県で有権者の
3 分の 2 以上が反対しないことが採択の条件とされていた。これは、10 年以上にわたり築いてきた
自治が新憲法によって脅かされることを恐れたクルド政党が提示した案であり、北部 3 県を押さえる
- 25 -
クルド政党が反対するいかなる憲法草案も採択されないことを意味した。結果的に、恒久憲法の起
草段階でクルドの要望はほぼ反映されたためにこの「拒否権」が発動されることはなかったが、草
案内容への反対が強かったスンナ派にとって、このルールは彼らが利用し得る拒否権として、国民
投票の際に期待を集め、投票率の向上に繋がったと考えられる。しかし、国民投票の結果は、反
対票が 3 分の 2 まで達したのはアンバール県とサラハディン県の 2 県に留まった。そのため、スン
ナ派住民の不満を残したまま、新憲法草案は可決される結果となった。
Slaymania
Irbil
Dohok
Tamim
Salah Din
Ninawa
Diyala
Anbar
Babil
Karbala
Najaf
Qadisiya
Wasit
賛成
反対
Maysan
Dhi Qar
Muthanna
Basra
Baghdad
0%
20%
40%
60%
80%
100%
出所:イラク独立選挙管理委員会ホームページ(http://www.ieciraq.org/)
図表 2-10:国民投票の県別投票結果
これまで見てきたように、国民議会選挙並びに憲法草案の交渉及び国民投票においては、それ
ぞれのエスニック集団間の利害対立が表面化し、社会の亀裂を鮮明化する結果となった。こうした
エスニック・ラインに沿った分節化とエスニック・アイデンティティの明確化はいかに醸成されたのか、
そしてエスニック集団の利益が国家の利益に優先するという戦後の政治状況がなぜ出現したのか
を、以下で検討したい。
4.エスニック・アイデンティティ表出の背景
4.1 「国家の理念」の希薄さ
まず一つ目は、イラクが国家として成立した時から生じていたといえる「国家の理念」を巡る問題
- 26 -
である。ブザンは国家が成立するための 3 要素として、領土や人口といった「国家の物理的基盤
(the physical base of the state)」、法制度や官僚組織などの「国家の制度(the institutional
expression of the state)」と並んで、政治的アイデンティティを決定する「国家の理念(the idea of
state)」を挙げている。この「理念」は、3 つの要素のうちもっとも曖昧なものであるが、最も中心的な
要素であり、国民を国家へと結び付ける力を持つものである2。
人工的に形成され、かつ多数のエスニック集団を国内に含むゆえに、イラクは建国以来、常にそ
の「国家の理念」の構築に悩まされてきた。スンナ派及びシーア派アラブ人の、特に中流階層を中
心として、統一され独立した、近代的かつ比較的世俗的な、アラブ世界の一部としてのイラクという
国家像が一定程度共有されてはいたが、そうした国家像はイラク国民全体に包括的に受け入れら
れてきたわけではない。
イラクのように、国家の中に複数の nation3が存在する multination-state の場合、ブザンは「連邦
型国家」と「帝国型国家」という 2 つのモデルに分類されるとしている。「連邦型国家」は連邦制とい
う政治的枠組みを有するのみならず、国家が人工的な「理念」を押しつけることをせず、複数の
nation を内包して存在する。こうした国家には国民統合を導く原理が存在しないため、例えば規模
の経済といった、国家として存続することを正当化する何らかの合理的な理由が必要であり、また、
そうした国家は必然的に分離主義などを導きやすい。一方「帝国型国家」は、政治指導者が自らの
利益に沿うよう定義づけた「理念」を、政府機構という「制度」の力によって強制し、国民統合を図る。
その場合、そうした強制力を人々に行使することにより、理念よりも恐怖が統合の源泉となり、そこで
はもはや、政府自体が国家そのものへと変貌する4。
治安組織が社会の隅々にまで張り巡らされていた戦前のイラクは、ここで言う「帝国型国家」に当
てはまっていたと言えるだろう。国民統合をはかるべく打ち出された「理念」は、「制度」による強制
力によって支えられていた。従って、イラク戦争による旧政権の崩壊は、イラク国家の「制度」の崩
壊であると同時に、「制度」によって支えられた「理念」の消滅でもあった。戦後の政治プロセスは、
「制度」を再構築する過程であったが、イラク国民を統合し得るような明確な「理念」は、依然として
存在していない。その結果、イラクは「帝国型国家」から、「連邦型国家」に移行し、エスニック集団
のアイデンティティの表出がなされる結果になったと考えられる。
4.2 旧政権時代の宗派間の亀裂
エスニック・アイデンティティの表出とそれに伴う社会の分極化がイラク社会においてこれほど露
わになったことはかつてなかったが、その素地は旧政権時代、特に 1980 年代以降に徐々に蓄積さ
れてきたものでもあったことも指摘できる。
なお、そもそもイラク国家の成立の時点でスンナ派偏重、シーア派排除という問題が発生したの
は、スンナ派の 4 大法学派の一つであるハナフィー派を公式の法学派とするオスマン帝国治下で、
軍人であれ文民であれ、シーア派は登用されえなかったという宗派差別が存在したことに起因する。
その後、イラク国軍はオスマン期の公職構造を引き継ぎ、国軍拡大に際してスンナ派三角地帯出
身者が多く起用された。軍を中心として成立した共和制革命以後の政権構造においても、国軍拡
- 27 -
大の際の部族的・地縁的関係に基づく人事登用パターンが踏襲され、それがそのまま政治の舞台
にも表出していった5。
バアス党政権は、1970 年代までは南部の貧困問題を経済的問題と捉え、石油の富の分配によ
って政権への忠誠をつなぎ止めようとしてきた。しかし 1980 年代半ば以降、イラン・イラク戦争の長
期化と原油価格の低迷によって、分配すべき富自体が希少なものになっていくと、そうした政策は
転換せざるを得なくなる。さらに、イラン革命の高揚に並行してイスラーム主義組織の活動が活発
化すると、有力なシーア派ウラマーを親族ごと国外追放ないし処刑し、彼らに対して「ペルシャ人」
との名付けを行うことで、宗派的差異を民族的差異に転化し、排除の論理を強めていった6。戦時
ナショナリズムの高揚も手伝って、25 万人以上のシーア派住民が「イランの手先」としてイランに追
放された他、イランに支援を仰ぐ裏切り者と位置づけられたクルドに対する大規模な迫害が反バア
ス党者にまで黙認されていった7。
1991 年に発生した全国的な民衆蜂起の際には、政権は従来の「宗派差ではなく地域差」という
南部地方に対する認識を名実共に覆し、シーア派の存在そのものを否定するようなスローガンを
掲げて戦車隊を南部に送り込んだ。その後の国際社会から孤立を余儀なくされた環境において、
フセイン体制こそが宗派対立・民族対立の混乱から救っているのだという教宣政策をとり、スンナ派
に対しては、フセイン体制の安定をスンナ派の安全と同義として捉えさせ、シーア派に対しては、
宗派集団が総体として政府による熾烈な鎮圧行動の対象となる可能性を示唆し続けた8。このよう
に、表面化することは少なくとも、旧政権時代にすでにエスニック集団間の亀裂が蓄積されていた
と言える。
4.3 CPA と亡命政党による戦後統治
イラク戦争後の占領統治を行っていた CPA においては、イラク社会の多元性への認識はあって
も、イラクを統一した国家として維持していくために、なんらかの国家アイデンティティの構築が必要
との認識はまるでなかったと言って良い。新イラク国家を形成し、主権を移譲するにあたって CPA
が何より重視していたことは、打倒した旧バアス党政権を復活させないこと、そしてシーア派の支持
をつなぎ止めることの 2 点であった。
イラク戦争の大義名分であった独裁政権の排除は、戦争後も重要な政策であり続けた。旧政権
打倒のために立ち上がったイラク国民を見捨てたと言われた 1991 年の民衆蜂起と同じ失敗を繰り
返さないという決意のもと、CPA は、旧軍・治安機関の解体、各政府関連機関における上位 3 ラン
クまでの旧バアス党員の一律排除を定めた「脱バアス党化政策」を打ち出した。しかし、旧バアス党
の中核をスンナ派が占めていたことから、この政策は容易に「脱スンナ派政策」へと変遷し得るもの
であった。とりわけ、この政策を実行する機関である脱バアス党化委員会の運営が 2003 年 11 月に
シーア派主導の統治評議会に引き継がれると、その傾向はより一層強まっていった9。
加えて、人口の過半数を占める最大のエスニック集団であったシーア派の協力は CPA には必要
不可欠であり、統治評議会の発足においても、暫定政府の組閣においても、CPA は常にシーア派
が過半数を占めるよう形成することに気を配った。ブレマー文民行政官は、政治プロセスへのシーア
- 28 -
派指導者の参加を取り付けるにあたって、イギリスへの協力を拒否してスンナ派に政権中枢を牛耳
られた建国時の失敗を繰り返すべきではないとの説得を行い、シーア派の優位を約束した10。必然
的に、統治評議会も暫定政府も、過半数のシーア派に合わせてスンナ派、クルド、トルクメン、キリス
ト教徒などを、人口比に沿うように配置するという形で形成されることになり、政界におけるエスニック
集団の明確化と政治化を決定づける格好となった。
加えて、CPA がこうしたエスニック集団のバランスやシーア派の優位に腐心し続けた要因の一部
には、CPA にとってのイラク側パートナーの多くが亡命政治家であったことも関係していよう。ブレ
マー自身、1 年間のイラク滞在中に各地を訪問し、多くのイラク人と意見交換をした結果、一般市民
の間では、統治評議会のメンバーほどエスニック集団間の亀裂が顕著ではないことに気付いたと
述べている11。亡命政治家らは、旧政権下における反体制活動の結果、その弾圧を最も苛烈な形
で経験したイラク人と言える。その彼らが見せる旧政権関係者やスンナ派に対する敵対感情は、
CPA が戦後統治を行う上で、不用意な脱バアス党化政策や旧軍解体といった政策を導き、一般ス
ンナ派住民をも疎外させる結果を生んだと言えよう。
4.4 クルドの独立志向と他のエスニック集団への影響
戦後の統治において、イラク国家の一体性を保持し続ける上で大きな困難となったものは、クル
ド問題であった。クルディスタン地域は湾岸戦争後、中央政権の一切の関与を排した自治区を 10
年以上にわたって築き上げてきた。特に若年層の間ではクルド語しか話せない者も少なくない。イ
ラク戦後、連邦制という枠組みのもとでイラク国家に復帰したものの、その要求はもはや広範な地
方自治にとどまらず、すでに独立そのものになっている。
2005 年 1 月の選挙の際、クルディスタン地域では NGO によってイラク国内への残留か独立かを
尋ねるアンケート調査が行われたが、その際回答者の 98%がクルディスタン地域の独立を求め、翌
月、この NGO は、独立の賛否を問う住民投票の実施を求める 150 万人の請願書を国連、欧州議
会などに提出した。また、その後の憲法起草交渉においても、クルド政党は、クルディスタン地域は
8 年間はイラクの一部に留まるが、その後分離・独立する権利を持つとの条項を憲法草案に盛り込
むことを求めた(後に撤回)。
クルドの指導者らは、国際情勢から鑑みて早急な独立達成は現実的ではないことを認識してい
る。しかし、少なくともこれまで自治区において獲得してきた権限や自由を死守する構えを崩してお
らず、将来的な独立を視野に入れていることにはかわりない。クルドとしてのエスニック・アイデンテ
ィティはこれまでの歴史の中で培われてきたものであり、イラク戦後の政治的環境の変化によって
生まれたものではない。政治環境の変化は、それを中央政界において表面化させたに過ぎない。
しかし、こうしたクルドの明確なエスニック・アイデンティティの表出は、他のエスニック集団に対し
て少なからぬ影響を与えている。とりわけ、SCIRI の指導者アブドゥルアジーズ・ハキーム師は 2005
年の夏頃から、シーア派住民が圧倒的多数を占める南部 9 県を束ね、南部にもクルドと同様の「地
域」を形成することを支持者に訴え始めた。旧政権下においては、南部の石油の富が地元に十分
還元されていないとの不満はあっても、シーア派地域がまとまって自治区を形成しようとする動きは
- 29 -
なく、こうした主張はイラク国家内における「クルディスタン地域」の先例に触発された、戦後の新し
い傾向と言える。
ただし、「南部地域」の形成は SCIRI が所属する統一イラク連合の中でも共通認識となっている
わけではない。ムクタダー・サドル師率いるサドル派の一派は、イラクにおける連邦制の導入に難
色を示し、こうした「南部地域」の形成にも否定的である他、ファディーラ党やダアワ党など他の政
党も、「南部地域」形成への積極的な支持は見せていない。SCIRI が熱心に「南部地域」の形成を
呼びかける背景には、SCIRI が抱える民兵・バドル旅団を「地域」の治安組織部隊へと昇華させるこ
とで存続させようとする意図や、シーア派内部の権力抗争の影響もあると見られる。南部では、ムク
タダー・サドル師の私兵・マフディ軍とバドル旅団との衝突が度々発生している。SCIRI は、2005 年
1 月に行われた地方議会選挙において、バグダード及び南部 4 県で勝利を収めており、その組織
力を生かして「南部地域」の形成に主導権を握ることで、その権力基盤の確立を目論んでいると考
えられる。
現段階では、シーア派社会全体が「地域」形成に向かっているとは言えないが、クルドの先例が
存在する以上、他のエスニック集団の中から、同様に強力な権力を有する地域機構を組織し、エス
ニック集団の利益を確保しようとする動きが出てきたとき、それを封じることは論理的に難しく、クル
ディスタン地域の存在は、エスニック・ラインに沿った分極化を加速化する一因となっている。
4.5 治安の悪化とエスニック紛争
シーア派やスンナ派という宗派差が政治的なエスニック集団として動員され、議会選挙における
エスニック政党の集票力が強化された要因として、戦後の治安情勢の悪化の影響も大きい。
2003 年に行われたイラク戦争自体は、米軍を中心とする多国籍軍の圧倒的な勝利によって、短
期間に終結したが、一夜にして消え去ったと思われた旧フセイン政権の治安機関のメンバーや、
旧バアス党員などは、その後、イラク西部を中心に、ゲリラ戦を展開し始めた。しかし、ラムズフェル
ド国防長官のもと、より少ない兵力による効率的な戦争を進めてきた米軍は、こうしたゲリラ攻撃に
対し、迅速な対応を欠いた。通常は民間人の中に紛れているというゲリラ組織の特徴は、米軍にと
ってはイラク人の中の誰が敵であるかの判別が非常に難しいことを意味する。米軍兵士は自らの身
を守る必要性から武器の使用基準が緩くなりがちであり、一般市民の間にも、米軍の攻撃による被
害の拡大は避けられず、その結果として市民の間にも反米感情が広がり、こうした武装勢力に支持
が集まりやすくなるという、悪循環に陥ったことが指摘される。
さらに、イラク戦争後 1 年以上にわたって国境管理が放棄されていたことは、国外からのイスラー
ム過激派テロ組織のイラク流入を許す結果となった。彼らの目的は、イラクを混乱に陥れ、米国に
よるイラクの民主化や安定化を失敗させることに他ならない。そのため、過激派勢力は米軍のみな
らず、国連組織や各国の外交官、NGO 組織などに対する無差別攻撃を繰り返していった。とりわ
け彼らが標的としたのが、彼らに背教者と見なすシーア派住民である。それはシーア派への攻撃を
聖戦と捉えるイデオロギー的な理由に留まらず、シーア派住民を標的にすることによって、彼らから
の報復攻撃を招き、イラクを内戦に陥れようという戦術的理由にも起因していた。
- 30 -
こうした攻撃に対して、シスターニ師を中心とする宗教指導者は、信徒に対し、報復攻撃を行わ
ないよう、自制を呼び掛け続けた。それは、報復攻撃を行って混乱を招くことは得策ではなく、政治
プロセスの日程通りに選挙を実施すれば、数の力で勝るシーア派が権力の中枢を握ることができる
という見通しがあったためである。そして、2005 年 1 月に行われた選挙の結果、統一イラク連合が
第一党となったことで、同党すなわちシーア派が、その後の憲法草案の交渉などにおける有利な
立場を確保することに成功した。しかしそれは、シーア派勢力の伸張に対するスンナ派武装勢力
の危機感を高める結果にもなり、スンナ派による攻撃は依然として継続した。
一方、統一イラク連合の一角をなす SCIRI が内相ポストを得たことによって、警察・軍などの治安
機関に SCIRI の私兵であるバドル旅団等の民兵組織が大量流入したと見られている。その結果、
身分は国家治安機関に所属する一方、忠誠心は民兵組織のままという兵士らが、スンナ派を標的
に無差別な襲撃・拘束・私刑等を行うに至り、米軍対反米武装勢力という構図に、宗派間対立とい
う新たな構図が持ち込まれることとなった。とりわけ 2006 年 2 月に発生したサーマッラー聖者廟爆
破事件後は、暴力の応酬に歯止めがかからず、民間人の死者数が急増する事態に至っている。
このように、宗派を理由とする無差別な暴力が日常化する一方、国家が十分な警察機能を国民
に提供できないという状況下で、一般市民が自らの安全のために所属するエスニック集団への傾
斜をより深めていったことは想像に難くない。シーア派やスンナ派といった、本来は宗教的なグル
ープであったエスニック集団が、紛争の過程の中で、集団として実体化、固定化され、政治化され
ていったのである。
(人)
2500
2000
1500
1000
500
0
7月
10月
2003年
1月
4月
2004年
7月
10月
1月
4月
7月
10月
2005年
1月
4月
2006年
出所:イラク独立選挙管理委員会ホームページ(http://www.ieciraq.org/)
図表 2-11:民間人死者数の推移
- 31 -
7月
10月
イラク戦後の約 3 年間の間に、移行政治プロセスを通して新たな国家建設が試みられてきたが、
それはまた、イラク国家の分極的傾向がこれまでになく顕在化していく過程でもあった。その要因
の一部は、多様なエスニック集団を内包する国家であったが故に国家統合アイデンティティを形成
することが困難であり、とりわけ旧政権が経済的余裕を失った 1980 年代以降は、強権的手法で国
内を束ねる過程でエスニック間の亀裂が蓄積されていったことに求められる。
しかし、戦後のイラクにおいてエスニック政治が導かれた要因は、むしろ戦後の政治過程にその
多くを見いだすことができよう。新たなイラク国家を統合する理念が存在しない中、CPA と亡命政党
が主導した戦後体制の構築において、初めて政治の場でエスニック集団が明示的な存在として扱
われたことは、エスニック集団の政治化を促す大きなきっかけになったと言って良い。さらに、クルド
のエスニック・アイデンティティがイラク戦後の時点ですでに確立化され、イラクの新国家建設の途
上でその独立志向が露わにされたことは、シーア派政党にも「南部地域」形成を求める動きを触発
し、連邦制の導入自体に国内のコンセンサスが存在しない中で混乱を引き起こす要因となってい
る。
こうしたエスニック・ラインに沿った亀裂が、戦後の政界を主導した亡命政党にとりわけ顕著であっ
たことに加え、一般社会もまた、治安の悪化、特に宗派を理由とした暴力の応酬が続いたことで、エ
スニック集団への傾斜とその政治化が進むこととなった。その結果が、議会選挙におけるエスニック
政党の集票力の強化であり、民族・宗派間の亀裂が表面化するという選挙結果であったと言える。
5.政治的安定化に向けて
2006 年 5 月に発足したマーリキ政権は、6 月 25 日に国民融和のための「和解と国民対話計画」
を打ち出した。提案された計画は「機構」と「原則及び必要とされる政策」の 2 部で構成されており、
前段の「機構」では、計画推進に中核的な役割を果たす最高国民委員会(三権の代表者、担当国
務大臣、国会議員代表者、宗教・部族代表者で構成)の設立と下部機構として県別・テーマ別の
委員会や宗教指導者・部族長の会議を設けること等が定められている。後段の「原則及び必要とさ
れる政策」は 24 項目で構成されており、重大犯罪に関与していない武装勢力兵士の恩赦、旧バア
ス党員の公職追放の見直し、民兵・武装集団問題の解決が取り上げられている。
<和解と国民対話計画文書>
イラク国民の団結を確かなものとし、挙国一致の基礎を築き、国を構成する様々な要素間の
友愛と調和の雰囲気を醸成し、テロや行政の腐敗などが互いの信頼にもたらした悪影響に対
処し、あらゆるイラク人がその権利と義務において平等であり、宗派や人種、政治党派によって
区別されることの無い祖国イラクへの忠誠心を広げ、様々な挑戦に対抗する広範な国民戦線
を築き上げ、イラクの再建と国民の安逸を実現し、完全なる意志と主権を取り戻すため、また我
らが親愛なるイラクに地域と国際社会における指導的立場を取り戻すため、これらすべてのた
めに、「和解と国民対話のイニシアチブ」をここに発表する。このイニシアチブは「機構」と「原則
および必要とされる政策」の2部から成る。
- 32 -
機構
•
「和解と国民対話計画のための国民委員会」を名称とする最高国民委員会を組織する。委
員会メンバーは、三権の代表者および国民対話担当国務大臣および政治諸派・無所属議
員を含む議会リストの代表者および宗教権威と部族の代表者とする。
•
最高国民委員会によって各県に下部委員会が組織され、和解を全土に拡大する任務を担
う。
•
文化・広報および和解プロセスの進行状況の監督と評価、関心の喚起を行う現場委員会を
組織する。
•
様々な社会階層に向けた会議を開催する。
1. 和解プロセスを神への信仰の一部とみなして支援し、それに相応しいファトワー(宗教的見
解)を発布するための宗教指導者会議。
2. 流血の事態に対抗し、テロや腐敗を一掃するための名誉憲章を発布する部族長会議。
3. 国家を支え、政治プロセスを守り、テロと腐敗に対抗し、またそれらを謳った国民憲章を発
布するための政治諸派による会議など。
4. また和解と国民対話という目標達成のための意識向上と啓蒙の活動・会合・キャンペーン
などをあらゆる市民団体に呼びかける。
原則および必要とされる政策
1. 諸勢力間の信頼と安心を取り戻し、あるいは深めるため、また情報の中立性のため、政治
プロセスに参加する政治諸勢力側および政府側から出される理にかなった政治的発言に
ついては、これを取り入れること。
2. 政治プロセスに参加する諸勢力と政府の持つ見解や様々に異なる政治的立場に対処す
るに当たっては、誠実な国民対話に拠って立つこと。
3. 国が抱えている諸問題を解決し、「身体的抹消」という現象に対処し、この危険な現象をコ
ントロールするために努力を払うにあたっては、憲法と法律に則り、合法的にこれを行うこ
と。
4. 政府に参加している政治諸勢力は、テロリストやサッダーム・フセインの信奉者に対し、明
確に反対の立場を採ること。
5. テロ行為や戦争犯罪、人道に反する罪に手を染めていない囚人には恩赦を出し、出来う
る限り早急に冤罪者の釈放に必要な委員会を組織すること。恩赦を望むものは暴力を批
判し、選挙によって選ばれた国民政府を支持し、人権侵害を禁じた法を遵守せねばならな
い。
6.
刑務所改革に取り組み、拷問の責任者を処罰し、国内外の関連団体が刑務所を訪問し、
囚人の状況を視察すること。
7.
軍事作戦によって民間人の人権が侵害されることを防ぐメカニズムを作るため、多国籍軍
との協議を可能にすること。
- 33 -
8.
解体された部局、特に経済に関する部局の公務員の問題を解決し、彼らの経験を活用す
ること。
9.
憲法に記載された条項に従ってのバアス党排除手続きの見直しと、排除に技術的・法的
形態を与えるため、法律と司法に基づいた措置を採らせること。
10. 公共サービス、特に気温の高い地域における公共サービス改善のために、早急な措置を
とること。
11. 国連およびアラブ連盟と協調しつつ、国民融和のためのカイロ会議から生まれた準備委
員会を活性化し、また、バグダード平和イニシアチブを活性化すること。
12. アラブ・イスラーム地域をバランスの取れた方向へと導くことが出来るよう、イラク政府として
働きかけを強め、諸国の政府、特にテロを支援し、あるいはテロを黙認している諸国の政
府に対し、イラク国内の情勢と歩調を合わせ、国民融和のプロセスに賛成の立場をとらせ
る働きかけをすること。
13. 多国籍軍の撤退を準備するための、イラクの統治を担える軍隊の早急かつ真剣な育成を
行うこと。
14. 国防省と内務省に所属する軍隊および他の軍隊を技術的・愛国的基礎に基づいて育成
する件について、早急かつ真剣に見直しを行うこと。なぜなら多国籍軍が撤退するには、
それらの軍隊がイラクの統治を担い、治安事項の委譲を受けねばならないからである。
15. 前体制の犠牲者に支援と補償を与える法令を活性化させ、またイラク全土で公共サービス
の行き届いていない地域に生活状況改善の可能性を提供すること。
16. 犯罪歴がなく、憲法に従ったイラクの再建を望むあらゆるイラク市民や団体の参加を妨げ
る一線を廃止すること。
17. テロ・軍事作戦・暴力による損害を受けた人々に補償を与えること。
18. 司法の役割と犯罪者の処罰を活性化すること。また犯罪や前体制の指導的立場にあった
人々、テロリスト、殺人・誘拐を行う犯罪者グループなどへの対処において、司法を唯一の
権威とすること。
19. 軍隊を、覇権を競い合っている政治勢力の影響下に置かないこと、また軍隊を政治問題
に介入させないこと。民兵や非合法の武装集団の問題を解決し、政治・経済・治安面から
対処すること。
20. イラクとイラク人を侵害するイスラーム強硬派のテロ集団やテロ分子に対する見解と立場を
統一すること。
21. 被害を受けたイラクのあらゆる地域に対する大規模な再建キャンペーンを開始すること。失
業問題に対処すること。
22. 選挙によって生み出された議会・憲法・挙国一致政府こそ、イラク国民の意思を代表する
唯一合法的な機関として、主権や多国籍軍の存在の問題に対処すること。
23. 避難民を出身地域に戻すこと。政府と治安機関が彼らの帰還の安全を確保し、破壊分子
やテロリストから保護し、彼らの受けた損害を補償すること。人々を脅迫や強制から保護す
- 34 -
るために断固たる治安政策に依拠すること。
24. 司法が発する令状なしの急襲や拘束を行わず、令状に則って拘束や捜査を行うこと。また、
それらは推測ではなく確実な情報に基づいて、人権に反しないように行われなければなら
ない。軍事作戦は公式な命令によって行われること。
この和解内容に特徴的なことは、武装勢力への恩赦(政策 5)、刑務所における拷問禁止(政策
6)、脱バアス党化政策の見直し(政策 9)、旧体制指導層への私刑禁止(政策 18)、治安機関への
民兵の影響力排除(政策 19)など、主にスンナ派政党・住民が問題視してきたことに対する対策が
広く盛り込まれている事である。こうした点からすると、マーリキ首相は現在のイラク政府及び政府
機構が抱える問題を認識していると言えるが、それを実行に移すことができるかどうかはまた別の
問題であり、政権発足からすでに半年以上が経っているが、目立った成果は挙げられていない。
私刑や民兵の問題など、いずれもイラクの安定化のためには不可欠な問題であり、米軍からの
自立を目指す上でも避けては通れない。しかし、宗派間暴力の応酬が続く中で、スンナ派、シーア
派のいずれも暴力の被害者としての意識が高まっているのが実状であり、マーリキ首相にとっては
足下のシーア派諸政党の説得は容易ではない。前述したように、主としてエスニック政党で構成さ
れる現在のイラク政界においては、各党がその支持基盤を特定のエスニック集団だけに依拠して
いるため、複数のエスニック集団間で合意形成や、妥協、協調を行うインセンティブが小さいという
問題を抱えている。
国連の発表によると、2006 年夏以降は、平均で 1 日当たり 100 人がテロや爆発事件の犠牲にな
っている12。こうした危機的状況において、イラク国内から政治的安定化に向かう動きが活発化す
ることが考えにくいという現実を考慮するならば、その分、国際社会が果たさなければならない役割
が大きいと言えるだろう。10 万以上の兵力を駐留させている米国の対イラク政策の重要性は言うま
でもないが、反米感情が広がる中では、米国の対イラク政策はしばしば歓迎されざる外圧として受
け止められるという問題がある。加えて、イラク国内の「親米派」政治家が選挙の度に影響力を縮小
させられてきた結果、米国政府とイラク政府のパイプも細くなりつつある。日本も含めた国際社会が
足並みを揃えて、経済的支援のみならず、各派の間の信頼関係醸成と協調に向けたインセンティ
ブの提示といった、政治的支援を提供することが、もっとも求められているのではないだろうか。
以上
1
2
3
4
5
6
Donald Horowitz, Ethnic Groups in Conflict, Berkeley: University of California Press, 1985,
pp.297-298.
Barry Buzan, People, States, and Fear: The National Security Problem in International Relations,
Wheatsheaf Books Ltd, 1983, p.40, 44.
ここでの nation とは、同じ文化的遺産あるいは民族的遺産を共有し、通常同じところに住んでい
る大人数の集団と定義される[ibid, p.45]。
ibid, p.48, 54.
前掲書、37, 45 ページ。
前掲書、246-251 ページ。
- 35 -
7
Issam al-Khafaji, “War as a Vehicle for the Rise and Demise of a State-Controlled Society. The
Case of Ba’athist Iraq.” War, Institutions, and Social Change in the Middle East, University of
California Press, 2000, pp.277-283.
前掲書、329 ページ。
9
Paul Bremer, My Year in Iraq, New York: Simon & Svhuster, 2006, p.260, 341.
10
ibid, p.81, 88.
11
ibid, p.379.
12
国連イラク支援ミッション・ホームページ(http://www.uniraq.org/)
8
- 36 -
第3章
イラク経済復興の現状
第 3 章 イラク経済復興の現状
はじめに
2003 年 4 月の旧フセイン政権崩壊後、4 年近くが経過しているが、イラクの治安情勢、政治情勢
は混迷の度を深めており、先行きの不透明感が高まっている。その影響を受け、イラク経済の「要」
である石油産業の戦後復興は停滞状態にあり、原油生産量が未だに戦前水準を数十万 b/d 下回
る 200 万 b/d 前後に留まるなど、イラク全体の戦後経済復興が足踏み状態にあることを象徴してい
る。
しかし、イラクは世界第 4 位にランクされる 1150 億バーレルの豊富な石油資源を有しており、加
えて古代メソポタミア文明を育んだチグリス、ユーフラテス両大河がもたらす水資源に恵まれ、推定
人口 2800 万人と中東地域では有数の人口大国でもある。このため、将来の経済発展のポテンシャ
リティは高いことは明らかであり、今後、宗派や民族間の対立関係が克服され、治安回復が実現さ
れれば、石油産業の発展を軸とする「第 2 のサウジアラビア」を目指す道が開かれる可能性は大き
い。
本稿では、イラクの戦後経済復興について、1.マクロ経済、2.基幹産業、3.国際社会の復興支援
の面から実態を調査し、4.今後の取組み方向について考察する。
1.マクロ経済の動向
(1)石油生産の動向
イラク石油産業は、輸出収入の 95%以上を稼ぎ出すとともに、イラク政府の歳入の約 90%をもたら
し、イラク経済の活力の源泉となっている。このため、米・英両国政府は、イラク戦争後の経済復興
においても、イラク石油産業が主要な資金調達源となること期待し、2003 年 3 月のイラク戦争の開
戦に際して、いち早く米・英軍をイラクの南部と北部に広がる油田地帯に展開し、戦乱による油井
や石油パイプライン等の石油関連設備に被害が及ぶことを最小限にとどめるようにした。また、開
戦に先立っては、米英系国際石油会社やエンジニアリング会社を動員して、イラクの石油関連設
備の早期復旧や稼動開始に向けての準備を進めていた。
イラク戦争の本格的戦闘が短期間で終了したこともあり、石油関連設備が受けた直接的な被害
は軽微であったが、終戦直後の混乱期に暴徒により計器や資材等が略奪され、石油生産は一時
マヒ状態に陥った。しかし、米国の復興支援が早期に開始され、4 月下旬にはイラク南部のルメイラ
油田の石油・ガス分離装置が作動するようになり、原油生産とペルシア湾岸の石油ターミナル経由
の輸出が再開され、現在に至っている。
一方、イラク北部でも、キルクーク油田の生産が戦後間もなく再開され、地中海湾岸のトルコの
港町ジェイハンに向けた総延長 600 マイルの石油パイプラインが稼動を開始した。しかし、この石
油パイプラインは、スンナ派主導の武装テロ勢力や地元不満部族による破壊攻撃を繰り返し受け
る様になり、2004 年 12 月に稼動を停止した。その後も、爆破された箇所の復旧作業が完了すると、
新たな破壊工作が行なわれて稼動が停止する状況が繰り返されており、基本的に稼動停止状態
- 37 -
が続いている。パイプライン輸送の弱点として、1 か所でも流れが止まると、全系統が稼動停止に追
い込まれる。最近も 2 月 15 日午後に一旦、稼動が開始され、19 万バーレルの原油がトルコのジェ
イハンにある原油輸出基地に輸送されたが、翌 16 日早朝には稼動停止に追いこまれている1。
この様な状況から、戦争後のイラクの石油生産は、戦後当初は順調に回復し、2004 年初頭には
戦前レベルの 250 万 b/d の水準に近付いたが、その後は石油パイプラインを中心に石油関連施設
への破壊工作や石油産業関連者へのテロ攻撃が活発化したため、減産を余儀なくされた。現在、
トルコ向け石油パイプラインが稼動を停止していることからイラク北部のキルクーク油田等の石油生
産能力の過半は遊休化しており、イラク石油産業はイラク南部のルメイラ油田等で生産される石油
をペルシア湾岸経由で輸出する不安定な片肺操業を余儀なくされている。
このため、本年 1 月には、石油輸出ターミナルのあるペルシア湾岸一帯の悪天候や深刻化する
電力事情、その他の技術的な問題に災いされ、イラクの石油輸出量は最近 1 年来の最低水準であ
る 129 万 b/d にまで低下し2、石油生産量もイラク南部では 150 万 b/d、イラク北部では 17 万 b/d、
計 167 万 b/d にまで減少した3。
(出所)SIGIR 四半期報告 2007.1.30
図 3-1 イラクの地域別石油生産の推移(単位:百万 b/d)
(2)マクロ経済の動向
イラク経済は 1980 年代の長引いたイラン・イラク戦争により大きな痛手を受けていたが、1990 年 8
月のイラク軍のクウェート侵攻後に発動された国連経済制裁により、石油輸出の道を閉ざされ、更
なる打撃を受け、長期にわたる低迷を余儀なくされ。しかし、1996 年 12 月に人道的な見地に基づ
く国連「石油・食料交換計画(Oil for Food Program)」が開始され、厳しい条件付きではあるが、石
油輸出の再開の道が開かれたことから緩やかな経済復興が実現された。この結果、1990 年代中頃
には、イラク国民の一人当たり GDP は 500 ドルを下回っていたが、イラク戦争前には 1000 ドル台を
回復していた。
その後、イラク経済は 2003 年のイラク戦争による石油減産により、国内総生産(GDP)▲30%減と
- 38 -
いう大幅なマイナス成長を記録したが、2004 年には石油生産の回復と国際石油市場における石油
価格の高騰という追い風を受けて 46.5%成長を実現し、V 字型経済回復を実現した。2005 年も引き
続き高い経済成長が期待されたが、治安悪化に伴いに石油生産が低迷したことから 3.7%という低
い経済成長率に留まった。2006 年に入っても、石油生産の伸び悩みが続いていたため、2006 年 7
月に発表された IMF の経済審査報告では 4%程度の足踏み状態が想定されていた。これに対し、
英国経済調査機関 EIU は 2007 年 1 月の報告において、2006 年のイラクの経済成長は、IMF 見
通しを下回る 2.4%の低成長に留まったと推定している4。
イラク経済の中長期的な成長見通しに関し、IMF は先述した経済審査報告の中で、石油生産が
現状の 200 万 b/d 水準から 2007 年 240 万 b/d、2008 年 270 万 b/d と増加し、その後も順調な増
産が期待できるとの前提の下で 2007~2009 年に掛けては 10%以上、その後もそれに近い経済成
長が期待できると見込んでいる。ただ、イラク石油産業を巡る事業環境は、必ずしも楽観できる状
態になく、英国経済調査機関 EIU はイラクの石油生産は当面、横ばい状態を余儀なくされ、非石
油産業部門の成長も制約が多いため、2007 年及び 2008 年も 3%以下の低成長を余儀なくされるの
ではないかと予測している。
表 3-1 イラク経済の動向
<出所>IMF 経済審査報告 2006.7
(3)財政状況
国連経済制裁の下でストップしていたイラクの石油輸出は、1996 年 12 月に国連石油・食料交換
計画の下で再開されたが、石油輸出収入は全て国連管理下に置かれ、イラク政府の歳入は含ま
れなかった。このため、イラク中央銀行がイラク戦争後に発表した資料によると 1996 年から 2001 年
に至るまでの期間におけるイラク政府の平均歳入は 4 億 4 千万ドルに留まり、歳出規模も 6 億 4 千
万ドルと極めて小額であった。
この間、イラク政府は、歳入拡大に向けて自動車などの耐久消費財を含めた国有資産の民間売
- 39 -
却やガソリンなどの政府公定価格の引上げ、富裕層に対する徴兵免除金の増額などの処置を講じ
ていたが、一方では、原油・石油製品の密輸に加え、国連石油・食料交換計画の下での石油輸出
や食料品・医薬品等の輸入に際し、上乗せ料金や手数料等を不正に徴収することで収入を得て
いた。これらの不正収入の全貌は明らかでないが、米国会計検査院は 2002 年までの 5 年間に旧フ
セイン政権が密輸で得た不正収入を約 57 億ドル、原油販売の上乗せ料金や手数料等で得た収
入を約 44 億ドル、両者を合わせた総額は約 110 億ドルと見積もっている5。
この結果、旧フセイン政権は平均すると年間 20 億ドルを上回る不正収入を得ていたことになり、
この不正収入を原資に国民の経済的な不満の沈静化を図るとともに、政治的な支配体制の強化
に利用していた。イラク戦争後、不正収入の一部である 14 億 5 千万ドルはイラク開発基金(IDF)に
組み込まれたが、相当額が反政府武装テロ勢力の資金源に流れたと見られている。
イラク戦争後、戦後占領統治に当たっていたブレマー文民代表の率いる連合国暫定当局
(CPA)は 2004 年 6 月に解散し、アラウィ首相の率いるイラク暫定政権に主権を委譲した。これによ
り、財政運営もイラク政府が担うことになったが、2004 年のイラク政府の財政収支は旧フセイン時代
からの不明朗な財政体質を残したまま、戦後復興に関わる財政需要が拡大したため、15.2 兆イラ
ク・ディナールを上回る赤字を計上した。これに対して、2005 年には国際石油市場における油価高
騰の恩恵を受けて、石油輸出収入が前年の 25.3 兆イラク・ディナールから 33.9 兆イラク・ディナー
ルへと 30%以上の大幅な増加となったことに加え、米国を中心とする国際社会からの支援による贈
与が増えたため、5.0 兆イラク・ディナールの黒字を計上することとなった。
2006 年に関しては、油価高騰による石油輸出収入の増大というプラス要因は引き続き期待でき
るものの、公的部門の雇用拡大や賃金・年金の引上げなどにより、新たな財政需要が増加している
ため、財政悪化は避けられないと考えられた。このため、IMF は石油製品に対する価格補助金の
削減や年金支給基準の適正化等による財政歳出の削減努力を強く勧告しており、2006 年 7 月時
点では 4.2 兆イラク・ディナール程度の赤字でとどまるのではないか見込まれた。
現在のイラク政府の財政を考える際には、先ず歳入の約 90%を占めている石油輸出収入の動向
が最大の注目点となる。イラクの石油生産量は、2004 年から 2006 年に掛けて 200 万 b/d 前後に
低迷しているが、幸い油価高騰という追い風を受け、石油輸出収入は順調に増えており、2006 年
には 43.3 兆ディナールに達すると見込まれた。財政安定化の観点からは、歳入面での石油依存
度の過度の上昇は油価下落のリスクを高めるとの見方も可能であるが、現在のイラク経済にとって
は、石油輸出収入の増大を図り、戦後経済復興に活用する視点がより重要と考えられる。
2 点目には、賃金・年金等の支出額が 2004 年の 4.5 兆ディナールから 2005 年 9.3 ディナール、
さらに 2006 年には 12.9 兆ディナールに増加すると見通されたことに注目する必要がある。確かに
治安回復を急ぐ必要からイラク軍や警察といった治安部門の増強が喫緊の課題とされ、必要と考
えられるが、それに加えて各政治勢力が各省庁や国営企業等を自派の勢力下に置き、雇用機会
の増大等を通じて影響力を高めようとしている点が指摘されている。また、現在のイラク政府には、
国民の支持を高め、政権基盤を固めるため、賃金や年金の支給額を増額しようとする傾向があり、
その是正を IMF から勧告されている。マーリキ政権には、現在の混乱した政治的、経済的環境の
- 40 -
下で、どの様に財政規律を維持しつつ、難局の打開に取り組んでいくのかが問われている。
3 点目には、石油製品の輸入等に要する石油関連支出が、年間約 5 兆イラク・ディナール、ドル
換算では 25~30 億ドル程度で推移し、重い財政負担となっていることに注目する必要がある。イラ
クでは旧フセイン政権時代から財政補助により、石油製品価格が低価格に設定されてきた。このた
め、省石油・省エネルギーに向けての価格インセンティブが機能しない一方、治安悪化などにより
精油所の稼働率が低下し、生産量が減少しているため、20 万 b/d 程度の石油製品輸入が不可欠
となっている。大産油国であるイラクが、国内の石油製品需要をまかなうため、大量の輸入を継続し
ていることは大きな矛盾であり、解決が求められている。
4 点目には、経済復興事業の遅れによる投資実績の減少傾向である。イラク政府は戦後復興事
業の推進のため、多額の復興投資予算を計上しているが、治安悪化や行政機関の機能不全など
により復興事業の多くが先送りされ、実績未達を繰り返している。2006 年予算においても、2004 年
及び 2005 年の 8 兆イラク・ディナール台から 18.2 兆イラク・ディナール以上に倍増させる積極予算
を組んだ。しかしながら、例えば、石油省のケースでは、原油生産量の戦前水準への復帰や石油
製品不足に対応するため、積極的な予算を組んでいるが、治安問題等から外国のエンジニアリン
グ会社等が応札を見送ったため、予算消化が出来な状況が報道されている。この様な状況から、
ジャブル財務相は本年 2 月中旬に 2006 年に各省庁に割りあてられた復興投資を含む総予算の内、
約 90 億ドル(約 12 イラク・ディナール)が使い残され、2007 年予算に繰り延べられることになると述
べている6。
- 41 -
表 3-2 イラク政府の財政見通し
(単位:10 億イラク・ディナール)
2004 年
石油輸出収入
2005 年
2006 年見通
25,326
33,905
43,326
160
495
449
1,109
2,264
4,319
歳入計
26,595
36,664
48,094
賃金・年金
4,532
9,282
12,871
非石油支出
11,018
13,058
15,241
5,612
5,212
5,806
移転支出
14,085
6,232
8,618
利子支払
369
86
626
クウェート侵攻賠償金
1,304
1,730
2,166
復興投資
8,324
8,953
18,224
税金
その他
石油関連支出
予備費
990
歳出計
45,246
44,552
64,543
外国贈与
3,425
12,904
12,233
-15,226
5,016
-4,216
最終過不足
<出所>IMF 経済審査報告 2006.7
本年 2 月 14 日付けの米国大使館の発表資料によると、イラク国民議会は 2 月 8 日に総額は 400
億ドルを超える 2007 年予算を承認しており、復興事業投資に 100 億ドル以上が計上された。特に
重点施策となっている石油関連設備の早期復旧の課題を抱えた石油省と地域実態に沿った木目
細かな事業推進が強く求められることになった地域政府及び県政府に対し、それぞれ 24 億ドルの
予算が割当てられた。
この他、首都バクダードの治安回復作戦を支えるため、治安体制強化に向けての予算に対前年
比 35%増の 73 億ドルが計上されており、さらに民兵組織の非武装化対策として 1.5 億ドルが予算
計上された7。なお、国会における予算審議においては、大統領や閣僚、国会議員に対する報酬
額の水準が大きな争点とされたと伝えられている8。
(4)対外債務及び戦争賠償金
旧フセイン政権は、1980 年代のイラン・イラク戦争時の戦費調達などのため、対外債務を積上げ
ており、同政権の残した「負の遺産」の一つとなっている。2006 年 4 月に米国議会調査局がまとめ
た報告による債務総額は約 1250 億ドルであり、イラクの GDP の約 4 倍に達した9。イラク戦争後、
米国はイラク復興支援のため、債務削減を債権国に訴えたが、イラクは石油資源国であり、時間を
- 42 -
掛ければ債務支払いは可能との見方があり、軍事債権を中心に多額の債権を有するフランスやロ
シアが難色を示した。
交渉は難航したが、最終的に 2004 年 11 月に先進国 19 国で構成する「パリクラブ」は、対イラク
債権を三段階で 80%削減することで合意した。その内容は、先ず第 1 段階として 30%削減を行い、
2005 年末の IMF のスタンドバイ協定の承認時に 30%削減、ついで 3 年後、あるいはそれ以降の協
定終了時に残り 20%を削減するというものであり、債務返済は 2011 年 6 月から開始され、2038 年 1
月に完了することとされた。
一方、サウジアラビアやクウェート等の湾岸産油国が中心になっている「非パリクラブ」は、イラク
正式政府が昨年 5 月に樹立されたことを受け、現在、本格的な削減交渉を進めている。また、一般
商業債務については、借換債の発行や一部支払いといった対応策で削減交渉が進捗している。
IMF は 2005 年 7 月時点の報告において、削減交渉全体が順調に進めば、イラクの債務残高は
2010 年までに 341 億ドル程度にまで削減可能であり、GDP に対する比率は 56.6%に低下し、イラク
経済にとって対応可能なレベルに落ち着くものとの見方を表明している、
表 3-3 イラクの対外債務
2004
2004
2005
2006
2007
2008
2009
2010
削減前 削減後
第 2 段階、第 3 段階の債務削減がなかった場合
パリ・クラブ
36.6
23.8
25.0
26.3
27.6
28.8
29.9
30.6
非パリ・クラブ
76.4
53.5
56.2
59.0
61.9
64.7
67.1
68.6
61.4
43.0
45.1
47.4
49.8
52.0
53.9
55.2
0.6
0.9
0.9
1.0
1.3
1.7
2.4
3.4
債務総額
113.6
78.2
82.1
86.3
90.8
95.2
99.4
102.6
同(対 GDP)
444.9
306.2
279.8
221.2
200.9
185.3
179.6
170.1
0.0
0.0
0.0
0.0
0.7
1.6
2.7
うち公的債務
多国間債務
債務返済額
-
第 2 段階、第 3 段階の債務削減があった場合
債務総額
113.6
78.2
51.1
53.5
56.3
31.0
32.9
34.1
同(対 GDP)
444.9
306.2
174.3
137.2
124.6
60.3
59.4
56.6
0.0
0.0
0.0
0.0
0.6
0.8
1.1
債務返済額
-
出所:Staff Report for the 2005 Article Ⅳ Consultation, IMF, 2005.07.08.
注:非パリ・クラブがパリ・クラブと同額の債務削減に応じた場合
旧フセイン政権が引き起した湾岸危機及び湾岸戦争に関する被害者への賠償金支払いも、イラ
ク政府にとって大きな負担となっている。旧フセイン政権は、湾岸戦争後に国連安全保障理事会
決議 687 を受け入れ、被害者への賠償金支払うことを受諾しており、国連賠償委員会(UNCC)は
- 43 -
2005 年 7 月までに総額 3530 億ドルの賠償要求を審査し、約 525 億ドルの支払い義務を確定して
いる。
賠償金の支払い原資は、イラクの石油輸出収入から賄われることになっており、1996 年 12 月の
国連石油・食料交換計画の開始当初は石油輸出収入の 30%が賠償基金に払い込まれ、その後、
2000 年の安保理決議 1330 によって 25%に引下げられた後、更に 2003 年 5 月の安保理決議 1483
により 5%に引下げられている。
国連賠償委員会(UNCC)の発表によると、本年 2 月までに賠償金約 218 億ドルが支払われたが、
なお約 306 億ドルの支払い義務が残っている10。支払い対象国には、サウジアラビアやトルコ等も
含まれているが、支払い義務額の 80%以上はクウェート向けである。このため、イラク政府はイラク国
民もクウェート国民と同様に旧フセイン政権の暴政による被害者であったことや石油輸出収入の 5%
という賠償金原資の負担が過重であるとして、クウェート政府に対して賠償額の軽減を求めている。
これに対し、クウェート政府は国連賠償委員会(UNCC)に対し、円滑な賠償金の支払いを要請す
るとの立場を明らかにしており、「賠償額の減額には同意しない。賠償問題は国連の所管である」と
述べ、イラク政府の要請に否定的な見解を示している11。
(5)インフレ問題
イラク経済は石油輸出収入の堅調な増加に支えられ、マクロ的なキャシュ・フローの面では大き
な不均衡に直面していない。しかし、イラク国民は経済環境の悪化に悩まされており、昨年来の急
激な消費者物価の急騰はその要因の一つとなっている。今回の急激な消費者物価上昇の直接の
切っ掛けは、イラク政府によるガソリンや灯油等の石油製品の公式販売価格の引き上げにある。イ
ラク政府は IMF から石油製品に対する価格補助金の大幅削減を勧告されており、このため、例え
ば 2005 年 9 月時点では 1 リッター当り 20 イラク・ディナールであったレギュラー・ガソリン価格が、
2005 年 12 月に 100 イラク・ディナールに引上げられ、2006 年末には 200 イラク・ディナールへと最
終的に 10 倍に引き上げられることとされた。
大幅な価格引上げに対する反対運動が盛り上がったこともあり、実施時期等の若干の変更は行
なわれたが、基本的に計画通りに石油製品の価格の引き上げが実施されている。このため、燃料
費や関連する交通費などの分野の物価が急騰し、全体として 2006 年末には対前年比約 70%の上
昇となったと伝えられている。また、英国経済調査機関 EIU は 2006 年平均では 52%の上昇と推定
しており、2005 年の 32%を大きく上回った。ただ、今回の石油価格の引き上げは基本的に政府補
助金の削減に伴う一過性のものであり、今後、石油製品価格の引上げが、物価上昇に与える影響
は薄まっていくと考えられる。
一方、イラク中央銀行は政策金利を 2006 年初めの 8%から年末までに段階的に 20%に引き上げ、
インフレ傾向の沈静化に努めている12。ただ、イラク中央銀行による現在の高金利政策については、
イラク経済復興に必要な投資活動の抑制要因となる恐れがあるとの批判がなされている。また、イ
ラク中央銀行が金利引き上げによってイラク・ディナール高への期待感が高まる中、IMF の勧告に
沿ってイラク・ディナール高に向けて積極的な市場介入をおこなったため、1 ドル=1470 イラク・ディ
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ナール台で安定的に推移していたイラク・ディナールは昨年 11 月以降、急上昇し、2007 年 2 月末
現在、1 ドル=1290 イラク・ディナール弱で取引されている。現在、イラクの旺盛な国内需要の多くは、
外国からの輸入でまかなわれているため、イラク・ディナール高は物価上昇を冷やす効果があるが、
外国資本のイラクへの投資を阻害するとの見方もなされている。
いずれにせよ、インフレ傾向の沈静化を目指して実施されているイラク中央銀行の高金利政策や
イラク・ディナール高への誘導が、イラク経済の基礎的条件を無視し、必要以上に長期にわたり継続
されるようであれば、イラクの戦後経済復興への取組みにマイナス効果をもたらす恐れが強い13。
<出所>米国務省「イラク週報」 2007.2.28
図 3-2 イラク・ディナールの為替相場の推移
ところで、石油製品価格の引き上げ要素を除いても、30~35%前後の消費者物価上昇があった
とされており、その点に関して、二つの構造的な要因が指摘されている。一つは、石油輸出収入の
増加をバックに公的部門の賃金・年金等の支給額が増加する一方、多国籍軍の駐留を支える事
業や復興支援事業などに関連する現金収入の流れがあり、イラク国民の購買力が増大している点
である。もう一つは、治安悪化により円滑な生産活動や流通活動が阻害され、市場に対する商品
やサービスの供給量が減少している点であり、現在のイラクでは、消費者が身の危険を侵して市場
に行っても、買いたい商品、受けたいサービスを手に入れるのが困難となっており、結果的に需要
超過現象がビルト・インされ、消費者物価の高騰に繋がっている。
シェビビ中央銀行総裁は、需要超過が恒常化し、大きなインフレ・ギャップがある限り、金融政策
による対応ではインフレ問題の根本的な解決は難しいと指摘している。やはり、今後の基本方向と
しては、治安回復を実現し、次いで生産活動、流通活動の活発化による供給力の増大に務め、イ
ンフレ・ギャップの解消を図る必要がある。
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(6)失業問題
旧フセイン政権時代には、行政機関やイラク軍、国営企業等の公的部門が大きな雇用機会を提
供していたが、イラク戦争直後に連合国暫定当局(CPA)がイラク軍を解体し、加えて旧バース党党
員の公職追放を実施したため、一挙に数十万人が職を失うこととなった。加えて、戦後の経済混乱
の中で、民間部門の雇用機会も減少したため、総労働力人口約 700 万人と推定されているイラク
の労働市場に失業者が溢れ、失業率が上昇した
イラクにおける失業率の把握は、人口が集中している都市部の治安が悪く、雇用形態が不安定
化していることや原油・石油製品等の密輸・闇取引を中心に地下経済の活動が活発化しているた
め、正確な把握は困難とされている。ただ、米国ブルッキングズ研究所は継続的にイラクの失業率
の推計値を発表しており、そのデーターによると 2003 年 6 月の推定失業率は 50~60%であり、その
後、若干、改善されたが、治安悪化を背景に戦後経済復興が足踏み状態にあるため、昨年 12 月
現在でも失業率は 25%~40%程度と推定している。治安悪化により生産活動や経済活動が阻害さ
れ、雇用問題に繋がっている実態について、2 月 16 日付けの Azzaman 紙は、イラク北部の中心都
市モスールにおいて、治安問題から石油製品の供給が不足し、このため工場や輸送会社が操業
停止に追い込まれており、多数の労働者が解雇されている状況を伝えている14。
表 3-4 失業率の推移
2003 年 6 月
50~60%
12 月
45~55%
2004 年 6 月
30~40%
12 月
28~40%
2005 年 6 月
27~40%
12 月
25~40%
2006 年 6 月
25~40%
12 月
25~40%
(出所)ブルッキングズ研究所「Iraq Index」2007.3.1
イラクは急速な人口増加という構造的な問題も抱えている。1970 年頃には 900 万人前後であっ
た人口が 30 年間で約 3 倍に増加しており、現在では 2800 万人前後と推定されている。また、14
歳以下が 40%を占めるという典型的なピラミッド型の人口構成になっており、若年層を中心に労働
力の供給圧力は年々高まる方向にある。このため、他の中東諸国と同様に適切な雇用機会の創
出が、イラク社会にとっても極めて重要な課題となっている。
イラク政府もこの問題の重要性を十分認識しており、一昨年発表された「経済発展計画」では、
観光業、旅行業、農業といった労働集約的な産業を政策的に振興し、雇用機会を増大させる方針
が示されている。また、最近では外国資本を誘致し、雇用機会の拡大を図るため、新外資法が制
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定されており、加えて住宅補助金制度を強化して住宅建設を活発化させ、雇用増を図るといった
政策も検討されている。
(7)厳しい国民生活
イラク政府は本年 2 月中旬に国連開発計画(UNDP)の支援を得て実施されたイラクの国民生活
に関する報告を発表し、国民の 3 分の 1 は貧困ライン以下で生活しており、5%は極度の貧困状態
にあることを明らかにした。地域的にはイラク南部の貧困が中部や北部に比べてより深刻であり、農
村部は都市部に比べて貧困者の割合が約 3 倍高いことを報告している。また、イラク国民が健康、
教育、住居等の生活インフラの面でも大幅な不足に悩まされている点も指摘している15。
一方、治安情勢の悪化から首都バクダード等の混住地域では、街区別の宗派浄化の動きが激
しくなっており、より多くの人々が住み慣れた住居から追い出される様になっている16。国連推定に
よれば、イラク国内及びシリアやヨルダン等の国外で避難民生活を送っているイラク人は、それぞ
れ約 200 万人規模に達しており、多くは住宅不足や子弟の教育問題などの様々な生活難に直面
している17。今日でもこの数は毎月数万人規模で増えているといわれており、国際社会の支援強化
が改めて求められる状況となっている。
2.基幹産業の動向
(1)石油上流部門
(有望な石油資源)
イラクは南部及び北部の油田地帯を中心に豊富な石油資源を有しており、確認埋蔵量はサウジ
アラビア、カナダ、イランに次ぐ世界第 4 位の 1150 億バーレルとなっている。ただ、他の産油国と異
なり、1980 年代以降、本格的な探鉱・開発活動がなされておらず、広大な未探鉱・未開発鉱区が
残されている。
元イラク国営石油会社(INOC)副総裁のシャフィク博士によれば、イラク国内の約 530 の有望な
地層の内、実際に探鉱されたのは 115 地層のみであり、その中から 80 地層で油田が発見されてい
る。今後、手付かずのままの 415 地層において、現在の進歩した探鉱・開発技術を駆使すれば、イ
ラクの石油確認埋蔵量は更に 2150 億バーレル程度増加するとされている18。また、イラクの石油資
源の賦在状況は良好であり、探鉱・開発コストは 1 バーレル当たり 1 ドル程度、生産コストは 1 バー
レル当たり 1~1.5 ドル程度であり、他の湾岸産油国に比較しても、低コストの石油生産が可能と見
られている。
更に、石油輸送に関しても、現在は実質的に停止状態にあるトルコ向けの石油パイプラインや同
じく休止中のシリア向け石油パイプラインの運転が再開されれば、直接、地中海東岸に石油を送り
出せることになり、他の湾岸産油国に比べると地理的な優位性も兼ね備えているとされている19。
イラクの石油資源が、賦在条件、開発条件、輸送条件に恵まれていることを踏まえ、シャハリスタ
ーニ石油相は昨年 10 月のオーストラリア訪問中の記者会見で、「生産量を 5 年間で 500 万 b/d ま
で倍増したい。その際には 150 億ドルから 200 億ドル程度の開発資金が必要になる」と述べ、国際
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石油会社の資金協力を得て、石油生産を増大させる意向を表明している。イラク政府はこれまでも
国際石油会社との協力関係を重視する姿勢を示しており、既に国際石油会社 30 社以上との間で
技術協力などに関する覚書を調印している。
(石油関連設備の警備問題)
イラクにおける石油資源開発の可能性が極めて高いが、現在のイラク石油産業には、当面の課
題として石油関連施設に対する破壊工作や毎年、多数の犠牲者を出している石油産業の業務に
携わる人々に対するテロ攻撃20をどの様に防止するかという警備上の問題を抱えている。
2006 年 5 月に樹立されたマーリキ政権の下で石油行政を担うことになったシャハリスターニ石油
相は、就任直後にトルコ向け石油パイプラインの本格稼動の再開と警備体制の抜本的な強化を宣
言したが、間もなく反政府武装テロ勢力の破壊工作により稼動停止に追い込まれている。この様な
経緯の中で、イラク石油省のアッサム・ジハード報道官は、本年 2 月の記者会見で「2006 年中に石
油関連施設に 159 回の大規模な攻撃が行われ、その内、116 回は石油パイプラインに対するもの
であった」と語り、「攻撃されたパイプラインの多くは、イラ北部の石油製油所や石油輸出ターミナル
向けのものであった」と付け加えた。同報道官はこれらの攻撃により、40 万 b/d に達する石油輸出
機会を奪われており、1 年間に 62 億ドルの損失を蒙ったと述べている21。
トルコ向け石油パイプラインのルート沿いには、反政府色の強いスンナ派部族が住んでおり、パ
イプライン警備が困難な点は否めない。ただ、イラク経済の命綱となっている石油輸出収入を確保
し、経済復興を財政的に支えていくためには、このパイプラインの運転再開が戦略的に欠かせな
い課題となっている。昨年 7 月の IMF 経済審査報告は、イラク経済の堅調な成長を見込んでいる
が、その見通しを実現させるためには、前提条件である石油増産を実現する必要があり、トルコ向
け石油パイプラインの運転再開の可否が最大の鍵となっている。
(新石油法案を巡る動き)
当面の警備対策の強化に加え、将来のイラク石油産業の骨格を定める新石油法の制定も重要
な課題となっている。同法の制定は、「石油の富」をイラク国民に分配する方式を定めるとともに、イ
ラク中央政府と地方政府が油田の開発・管理権限をどの様に分け合うのかを定めるものであるため、
イラク国内の政治勢力が重大な関心を抱いている。また、イラクの石油資源の開発に国際石油会
社がどの様に関わるのかを定めるものであるため、国民の資源ナショナリズムを刺激する点も含ん
でおり、極めて微妙な課題を抱えている。
このため、マーリキ政権は 2006 年末までの新石油法案の策定を約束していたが、サーリフ副首
相を議長とするエネルギー評議会での検討作業は長引き、特に新規油田の開発権限を巡るイラク
中央政府とクルド地域政府との間の協議が難航し、先行きが危ぶまれる時期があった。しかし、最
終的に 2 月中旬にエネルギー評議会での妥協が成立して内閣に新石油法案が提出され、次いで
2 月 26 日に閣議で承認され、イラク国民議会に上程されることになった。マーリキ首相は閣議承認
後の記者会見において、「法案は国益に基づいており、イラク国民の全ての構成員の団結を促す
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であろう」と述べた22。また、エネルギー評議会議長のサーリフ副首相は、「政治指導者は石油法及
び関連法規について本年 5 月末までの施行を約束している。大変、厳しく、困難が想定されるスケ
ジュールであるが、わが国の経済的、政治的要請は我々に課題への挑戦を求めている」と述べ、
決意を示した23。
法案によれば、最大関心事とされる石油収入は、イラク中央銀行に開設されるイラク中央政府の
「石油収入基金」に繰り入れられた後、人口比に応じてイラク全土の 18 県に配分される。イラク南部
の油田地帯を押さえるシーア派やイラク北部の石油資源に対する支配権強化に努めているクルド
人が、イラク中央部の石油資源の乏しい地域を地盤とする少数派のスンナ派に譲歩した形となって
いる。細目を定める石油収入配分法案が未だ最終決着していない点は、懸念材料であるが、基本
的な方向性が示されたことは評価される。
(出所) BBC
図 3-3 イラクの油田と主な石油関連設備
国際石油会社との資源開発交渉や初期契約の締結は、石油省や「新イラク国営石油会社
(INOC: Iraq Oil Company)」に加えて、地方政府も行なうことが可能とされた。ただ、どの契約にお
いても「連邦石油・ガス評議会(FCOG: Federal Council of Oil and Gas)が拒否しない限りにおいて
有効」との一項目が含まれることとされ、初期契約は締結後、30 日以内に連邦石油・ガス評議会
(FCOG)に提出して、審査を受けることになった。
連邦石油・ガス評議会(FCOG)は、初期契約の受領後、60 日以内に石油法に基づく審査を行う
こととされ、その際、必要があれば専門家で構成される「独立顧問委員会」の勧告を受けることにな
っている。連邦石油・ガス評議会(FCOG)の判断は、出席委員の 3 分の 2 以上の賛成によって決
定されることとされ、初期契約が拒否された場合には、再交渉を行い、修正後の初期契約を同評
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議会に再度、提出し、再審査を受けることになる。クルド人はクルド地域内の石油資源開発や石油
収入の管理などについて独自性を主張していたが、新イラク国営石油会社(INOC)の取締役会や
連邦石油・ガス評議会(FCOG)にクルド地域政府の代表者が参加するため、権利確保が可能とな
ったことから最終的に妥協した。
イラク戦争後、クルド地域政府は新石油法の制定を待たず、先行的にノールウェーの石油会社
DNO との間のタウケ油田開発プロジェクトに関する生産物分与契約(PSA)など、これまでに 5 件の
石油資源開発プロジェクトを契約している。クルド地域政府のハウラミ石油相は、これらの契約につ
いて、今後、独立顧問委員会と協議して制定される新石油法の規定にマッチさせると述べている。
ただ、これらの開発契約は、基本的に新石油法案の契約モデルには含まれていない生産物分与
契約(PSA)の考え方に基づいており、プロフィット・オイルの取り分等の点で外資優遇色が強いとさ
れているため、国際石油会社が再交渉の要請にどの様に応ずるのかは明らかでない。
なお、DNO 社はタウケ油田の石油生産を本年第 1 四半期末までに開始し、第 2 四半期中に 1.4
万 b/d のフル生産を実現したいとしている。同油田で生産される原油の輸送は、既存のトルコ向け
石油パイプラインの利用を前提にしているため、イラク石油省の輸出許可が、生産開始の前提条
件となっている24。
また、ハウラミ・クルド地域政府石油相は、現在も地域内の石油資源開発について国際石油会
社と交渉を行っているが、少なくとも今後数カ月については、新たな契約締結は差し控えると述べ
ている。また、現在、検討中のクルド地域政府の石油法については、イラク中央政府の石油法及び
関連法規と整合性のあるものに修正し、イラク国民議会での審議状況を踏まえてクルド地域議会に
上程すると述べている25。
表 3-5 クルド地域政府の進める石油資源開発プロジェクト
企 業
油田等
状
況
Genel Enerji(トルコ)
Addax(カナダ)
タクタク油田
2004.1 生産物分与契約(PSA)締結
2005.5 掘削開始
DNO(ノルウェー)
タウケ油田
(トルコ国境付近)
Heritage Oil(カナダ)
Eagle Group(クルド)
タクタク油田隣接地区
2004.6 生産物分与契約締結
2005.11 試掘開始
2006.6 公表:出油(5 千 b/d)、可採埋
蔵量 1 億 bbl
2007.第 1 四半期(計画) 生産開始(5
万 b/d)
2005.9 覚書(MOU)締結
2006.1 地質調査実施
Sterling Energy(英国)
クルド地区
2006.2 探鉱契約
Western Oil Sands(カナダ)
Petoil(トルコ)
Oil Search(PNG)他
ザクロス褶曲帯
Bina Bawi 探鉱権益(50%)
2006.5 探鉱・生産物分与契約締結
2006.6 権益保有 Petoil Oil 子会社に
Oil Search 20%参入。他に Hawler
Energy( 米 40 % ), Calibre Energy
(米 10%)が参加
(出所) 猪原渉「イラク:クルド地域政府が石油法案発表」2006.9.20 他
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ところで、旧フセイン政権は国連経済制裁時代に、米英両国主導の経済封鎖を切り崩すため、
国連安全保障理事会常任理事国であるフランス、ロシア、中国の国際石油会社に対して、生産物
分与契約(PSA)に基づく有利な契約条件を提示し、新たな石油資源開発プロジェクトの実現を目
指した。この結果、1997 年にロシアのルーク・オイルが西クルナ油田、中国石油天然気集団
(CNPC)がアフダブ油田の権益をそれぞれ獲得したが、長引いた国連経済制裁により事業の着手
が遅れたため、痺れを切らした旧フセイン政権は一方的に契約破棄を宣言していた。現在、ロシア、
中国側は、これらの旧体制の遺産とも言えるプロジェクトの再開をイラク政府に働きかけており、新
石油法の制定後に再交渉されることになると考えられる26。
イラク石油産業への国際石油会社の進出の枠組みを定める契約形態のあり方は、外資への警
戒感の強いイラク国民の感情を刺激する可能性の高いテーマであり、慎重な対応が必要とされて
きた。例えば、イラク石油産業労働組合の指導者ハサン・ジュマ氏は本年 2 月にイラク南部の石油
産業の中心都市バスラで開催された石油関係者の大会において、現在、イラク政府が検討してい
る新石油法案は、国際石油会社にイラクの石油部門の門戸を過度に開放するものであり、「石油
産業に働く者の希望とは釣り合いが取れておらず、辻褄があっていない」と述べた27。この様な国
民感情に配慮し、閣議決定された新石油法案には、当初案には含まれていた生産物分与契約
(PSA)とバイ・バック契約が契約モデルから削除され、開発・生産契約、サービス契約、探鉱リスク
契約の 3 つが契約モデルとされた。
この点に関し、イラク石油産業のテクノクラートを代表するシャフィク博士は、国際石油会社は利潤
目的で動くため、イラクの国益とは必ずしも一致するものではないが、新石油法案に含まれなかった
生産物分与契約(PSA)は、必ずしも否定されるべきものではないとしている28。ただ、国際石油会社
の技術面、経営管理面での協力を仰ぎつつも、主導権をイラク側に確保することは必要であり、この
ため、1987 年に解体されたイラク国営石油会社(INOC)を再建し、イラクの石油産業に関わる経営
資源を有効に活用する体制を構築することが重要としている。また、イラクの現状を踏まえると、当面
は徒に新たな石油資源の探鉱・開発を急ぐことなく、先ず既存油田の生産回復や生産能力の増強
に努め、イラク復興に必要な石油輸出収入を確実に獲得することに力点を置くべきとしている29
30
。
イラク石油産業の直接支配を目論んだ旧フセイン政権による 1987 年の旧イラク国営石油会社
(INOC)の解体後は、イラク石油省がイラク南部石油会社やイラク北部石油会社等の国内の石油
事業会社を直接、管理してきたが、新石油法制定後は、石油省は石油政策の立案や事業監督等
の石油行政に専念することとされた。一方、新イラク国営石油会社(INOC)が地方毎に設立される
事業子会社を束ねる持ち株会社として設立され、他の産油国における国営石油会社のように経営
の独立性を確保しつつ、イラクの石油産業全体の運営に当ることになった。経営方針を決定する
取締役会メンバーは、中央政府、地域政府、生産県などの代表者で構成されることとされている。
(2)石油下流部門
イラクの石油精製設備は、イラン・イラク戦争等の度重なる戦乱による被害を蒙り、また国連経済
制裁により資機材の調達や新技術導入が困難となったため、長期間にわたって満足な運転管理
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や補修等が出来ない状況に置かれ、老朽化や陳腐化に悩まされていた。また、今回のイラク戦争
そのものによる被害は軽微であったが、戦後の混乱期に事業運営に必要な様々な資機材等が略
奪され、更にその後は反政府武装テロ勢力が、精油所やその関連設備に加えて、石油製品の流
通経路等も攻撃の標的とする様になり、円滑な事業運営が困難な状況に追い込まれた。
この様な状況から現在の精油所の稼働率は 50%程度にまで低下しており、イラク国内の石油製
品の生産能力は大きく減殺されている。加えて石油製品の流通についても、様々な障害が生じて
おり、国民生活の必需品であり、同時に生産・経済活動の基礎資材でもあるガソリンや灯油などの
石油製品の円滑な供給が困難となっている。
表 3-6 イラクの精油所の公称能力(2006 年 1 月現在) (単位:万 b/d)
バイジ製油所
ドーラ製油所
バスラ製油所
その他6製油所
計
29
10
12.6(当初 17)
8.7
60.3
<出所>Arab Oil & Gas Directory 2006
一方、石油製品需要に関しては、イラク戦争後、連合国暫定当局(CPA)が輸入品への課税を
5%に引き下げるなど、経済自由化政策の推進を指向したため31、自動車の輸入が急増し、イラク国
内での普及が急速に進んだ。一方、石油製品の価格は政策的に低位に据え置かれてきたため、
価格効果に基づく省エネルギー・インセンティブが機能せず、石油製品需要の増大に拍車がかか
った。この結果、イラクでは石油製品の不足状態が激化しており、首都バクダード市内のガソリン・
スタンドには給油を待つ車の列が延々と連なる状態が恒常化している。
イラク政府は、深刻な石油製品不足に対処するため、国内需要量の約半分に相当する 20 万
b/d 程度の石油製品をトルコやクウェートなどの周辺国から輸入しているが、輸送ルートの安全性
の確保や行政上の不手際等の問題により必ずしも円滑な供給が確保されてはいない。また、最近
では新たな政策として民間資本による石油製品の自由化を認める法律が制定されたが、実施に向
けた必要な行政的な対応が遅れているとの報道がなされている。
石油製品の不足や石油製品流通の混乱が激化する中で、石油製品の闇市場への流出や周辺
国への密輸といった問題が生まれている。イラク国内の石油製品価格は、政府の財政援助により
低位に設定されてきたため、市場の需給実態を反映していない。このため、国内のヤミ市場に流す
ことや国外に密輸することによって不正利益を得ることが可能になっている。周辺国から輸入され
た石油製品についても、財政補助金の支給を受けた上で国外に持ち出され、不正利益を生み出
しているとされている。この様な動きの中で、組織暴力団や密輸集団が暗躍するようになっており、
不正利益の一部は、反政府武装テロ勢力の資金源となっているとの報告もなされている。
イラク政府はこれら不正取引や腐敗の撲滅を重要な課題として取り上げているが、国内の宗派、
民族間対立の激化により治安が悪化する状況から十分な成果を挙げていない。ただ、IMF の勧告
に基づき、石油製品価格の引き上げが実施されているため、今後の方向としては密輸や闇市場で
の取引の旨味が減少し、これら一連の不正取引が下火になることが期待されている。
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石油製品価格の引上げには、財政再建や密輸・闇市場対策とともに省エネルギーの促進という
効果も期待されている。旧フセイン政権時代にはイラク全土で 150 万台程度の自動車しかなかった
が、イラク戦争後は治安悪化や公共輸送システムの崩壊という要因もあり、350 万台程度まで増え
てきている。このため、燃費効率のよい車を輸入することが重要になっており、燃費が悪い旧式中
古車の輸入禁止といった措置が取られている。
(3)電力部門
昨年第 4 四半期のイラク全土のピーク電力需要は推定 812 万 kW であったが、これに対し、平均
ピーク電力供給実績は 426 万 kW であり、イラク政府が 2006 年 12 月までの達成目標としていた
600 万 kW32の 70%強に留まっている。ガソリンや灯油等の石油製品と同様に電力の供給不足も顕
著であり、各地で停電が長時間化しており、イラクの国民生活の向上や円滑な産業・経済活動を阻
害する深刻な問題になっている。
(出所)SIGIR4 半期報告 2007.1.30
図 3-4 電力供給と需要の推移
実際の電力需給状況に関し、イラク全土では昨年 12 月末最終週において一日当たりの停電時
間は 12 時間であったが、首都バクダードでは 17.5 時間となっている。旧フセイン政権時代の首都
バクダードは、特権的な扱いを受けていたため、イラク戦争直前の時期、首都以外の地域が一日
当たり 18~20 時間の停電を余儀なくされていた状況においても、あまり停電に悩まされることはな
かった。これに対し、現在では首都向けの優先供給の特権が否定され、加えて反政府武装テロ勢
力が首都の不安定化を狙ってバクダード向けの高圧送電線への破壊工作を強化しているため、状
況が他地域よりも悪化している。本年 2 月初めにも、イラク北部のバイジの発電所からバクダードに
向う高圧送電線の鉄塔が一度に 5 基以上も倒されたため、バクダードは全停電に見舞われた。こ
- 53 -
の様なことから、バクダード市民の中に長時間化する停電に対する苛立ちが高まっており、マーリ
キ政権に対する不満が高まる大きな原因の一つとなっている。
ところで、電力供給面では、石油産業の場合と同様にイラク戦争以前から電力設備の荒廃が進
んでいた上、戦後は全国的に吹き荒れた略奪の嵐の中で多くの資機材が奪われ、その後は反政
府武装テロ勢力による高圧送電線等への攻撃が繰り返されている点が指摘される。また、治安悪
化に伴う生産・経済活動の混乱から天然ガスや燃料油等の発電用燃料の供給が量的にも、質的
にも不足しており、本来の発電能力を生かしきれていないことがある。また、資機材全般の供給が
滞りがちなため、送電・配電設備についても、十分な補修が出来ず、本来の設備能力を有効に活
用出来ないことも問題となっている。
一方、電力需要面では、イラク戦争直後の 1 日当りの電力需要量が約 1 億 kWh であったのに対
し、現在では約 2 倍に急増していることが注目される。需要急増の背景には、イラク戦争後に巨額
のドル資金が流入し、かつ経済自由化政策が推進されたため、電力を大量に消費する大型家電
やエアコン等が大量に輸入され、普及が急速に進んだことがある。また、1kWh 当りの電力料金単
価が円換算 30 銭程度というコストを無視した低い水準に設定されているため、消費者に節電を促
すインセンティブが機能していないことも指摘されている。このため、電気料金の引き上げの必要
性が指摘されているが、不安定な電力供給の実態や治安問題からメーター検針や料金徴収業務
が困難な地域も多いため、今の所、具体的な取組みがなされておらず、問題解決への道筋は明ら
かにされていない。
一方、恒常化する電力危機に対応するため、富裕層をはじめ、多くのイラク国民はガソリン・エン
ジン等を用いた自家発電を利用する様になっており、石油製品不足や都市の環境悪化に拍車を
掛けている。米国は電力の安定供給の重要性を良く認識しており、イラク戦争後、電力部門に 42.4
億ドルの資金支援を行い、発電能力等の増強計画を推進しているが、少なくともこれまでの所、大
きな成果を挙げていない。なお、日本政府は本年 1 月に首都バクダード向けの発電を行なってい
るアル・ムザイブ火力発電所の改修計画に関する借款供与の文書の交換を行なっている。
(4)輸送部門
(港湾)
イラクの国土面積は 43.7 万 km2 であり、イラン・トルコ、シリア、ヨルダン、サウジアラビア、クウェー
トの 6 か国と総延長 3650km の国境線を共有するが、海に面する海岸線は、ペルシア湾岸のわずか
58km に限られている。このため、港湾に適した地点は少なく、現在、外洋を航海する大型船が自由
に出入りできる深海港はウンム・カスル港の 1 港だけである。このため、米国政府はイラク戦争開戦と
ともに米国の港湾管理会社及びエンジニアリング会社に同港の港湾施設の復旧作業及び航路浚渫
を発注し、イラク戦後統治の開始に備え、2003 年 6 月には同港の稼動を再開させている。
その後も米国は IRRF 基金 45 百万ドルを投じてウンム・カスル港の整備事業を推進している。こ
の結果、イラク戦争直後に稼動していた桟橋は 1 基のみであったが、現在では 16 基が稼動してお
り、その他港湾施設の増強や治安対策用警備壁の建設も推進されている。なお、日本政府もウン
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ム・カスル港の整備計画を支援することとし、本年 1 月に借款供与に関する文書を交換している。
(航空)
イラク航空はかって中東有数の名門航空会社であったが、イラク軍によるクウェート侵攻後の国
連経済制裁により、国際便の運行を禁じられた。イラク戦争後に国連経済制裁が解除されたことを
受け、国際便の復活に向けての準備が進められ、2004 年 9 月、バグダードとヨルダンの首都アンマ
ン及びシリアの首都ダマスカスを結ぶ国際便の運行が開始された。その後、首都バグダードとイラ
ク南部のバスラや北部のモスールを結ぶ国内便も立ち上げられている。
民間飛行便の再開にともなって、バクダード国際空港の管制塔やターミナル等の改修工事が米
国の支援を受けて推進されている。ただ、同空港への離着陸に際しては、反政府武装テロ勢力に
よる対空砲火の恐れがあるため、空港上空の狭い範囲でのラセン状の離着陸を余儀なくされてい
るほか、同空港からバクダードの中心地までの道路は、スンナ派武装テロ勢力が支配している地域
を通過するため、テロ攻撃を受ける危険性が高く、「ロケット砲弾通り」と称される程に危険に満ちて
おり、同空港の利用拡大に向けの障害となっている。
一方、イラク北部では、クルド地域政府がアルビールとスレイマニアの 2 都市において、国際空
港を建設し、周辺国や欧州諸国との航空便を開設し、その拡充に努めている。クルド地域はクルド
人民兵組織「ペシュメルガ」が厳重な警戒体制を構築していることから治安が良好である。このため、
クルド地域政府は「クルド地域はイラクへの玄関」をキャッチ・フレーズにして積極的な外資誘致を
推進しており、昨年秋にはアルビールとスレイマニアにおいて国際空港の開港を踏まえ、内外数百
社の企業が参加する国際見本市を開催した。
(鉄道)
イラクの鉄道網は、20 世紀初頭のドイツの“3B”政策の下でベルリン-ビザンチン-バクダード
間を結ぶ国際路線の一環として建設が計画され、第一次大戦前に一部の区間で工事が開始され
た。第 1 次大戦後も、鉄道網の建設は国家建設の重要な柱に位置つけられており、特に 1970 年
代から 1980 年代初頭に掛けては増大した石油輸出収入に支えられて積極的な路線建設が進めら
れ、イラクは「中東一の鉄道王国」と言われていた。しかし、その後はイラン・イラク戦争等の戦乱に
よる被害や財政破綻から満足な補修や改修等が出来なくなり、イラク戦争直後に稼動可能であっ
た機関車は 25 両のみであった。
イラク戦争後、米国政府はイラク鉄道網の復旧のため、IRRF 資金約 2 億ドルを拠出し、列車運
行管理システム(CBTC: Communication-Based Train Control System)の構築やバクダード中央駅
などの駅舎改修、機関車の修理等を支援している。この結果、運行可能な機関車数は昨年末には
125 両にまで増加しているが、治安悪化が列車運行を困難なものとしており、昨年 11 月には首都
バクダード市内のドーラ駅においてイラク公共鉄道(IRR: Iraq Republic Railway)職員が脅迫によっ
て駅舎を追い出され、資機材が略奪される事件が起きている。
この様な治安悪化により、2004 年 11 月のイラク運輸省の発表ではイラクの鉄道網の稼働率は
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10%ということであった。また、最近では民間調査機関 EIU が稼働率 3%といった推定を発表している。
現在、特に問題になっているのは、首都バクダードとウンム・カスル港を結ぶ鉄道幹線が、2006 年
2 月以降、稼働していない点である。物流の大動脈であるべき、イラク鉄道網が機能不全状態にあ
ることは、イラク復興を妨げる大きな要因となっている。
<出所>SIGIR 報告 2007.1.30
図 3-5 イラク鉄道網と駅舎改修状況
(道路)
旧バース党政権は鉄道網と同様に 1970 年代から 1980 年代初頭にかけて道路網の整備にも力
を入れており、首都バクダードを中心にした主要幹線道路やチグリス、ユーフラテス両大河を跨ぐ
橋梁の建設が積極的に進められた。しかし、その後は十分な補修や改修がされない時期が長く続
いた。
これに対し、米国政府は戦後の占領統治や復興事業の推進に道路整備が欠かせないことを踏ま
え、援助資金を投入して幹線道路や橋梁の復旧工事、農村部の道路改修に取り組んできている。た
だ、治安悪化やアスファルト・燃料油等の不足から工事が遅延する状況が見られる様になっている。
また、工事完成後も、場所によっては、治安悪化から道路走行が危険となっていることが頭の痛い問
題となっている。例えば、以前はヨルダンとイラクを結ぶ幹線道路がイラクの重要な貿易ルートであり、
復興支援事業の物資も運ばれていたが、イラク西部のアンバール県などの治安悪化から、現在では
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あまり利用されなくなっており、クウェートやトルコからの搬入ルートが主役となっている。
なお、日本政府は本年 1 月にイラク南部のサマーワ地域における橋梁や道路の整備計画に円
借款を供与する文書をイラク政府と交換している。
(5)通信部門
旧フセイン政権による情報統制政策の影響もあり、イラクの通信インフラの整備は遅れていたが、
戦後、米国政府はイラク復興の重要な柱に通信機能の充実を取り上げ、近代的な電話交換機の
設置や省庁間を結ぶネット・ワークの整備、光ファイバー網の建設などを支援してきた。この結果、
固定電話の普及件数は、イラク戦争前の 83 万件から本年年初には 105 万件に増加している。
一方、携帯電話はイラク戦争前にはイラク北部の一部の地域でのみ利用されており、普及件数
は 8 万件程度に過ぎなかったが、戦後の短い期間内に驚異的な普及を実現し、本年年初の利用
者数は 871 万件に達している。イラク人口は約 2800 万人であることから平均的には、国民 3.2 人に
1 人は携帯電話を使用しており、少なくとも 1 世帯に 1 台は携帯電話がある計算になる。米国政府
は携帯電話の普及に向けても支援を行ったが、この成長の原動力は、事業認可を与えられた民間
事業者 3 社の経営努力にあり、米国のイラクにおける経済自由化政策の貴重な成功例と評価され
ている。
また、インターネットについては、国営インターネット・サービス会社(State Company for Internet
Service)がサービスを提供しており、23 万件の利用者が契約を結んでいると推定されている。携帯
電話の契約数に比べると、インターネットの契約件数はまだ少ないが、多くのイラク人は、インター
ネット・カフェーやホテルでインターネットを利用しており、実際の利用者は契約件数を大きく上回
っているものと見られている。
<出所>SIGIR 報告 2007.1.30
図 3-6 電話・インターネットの普及状況
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(6)農業部門
農業部門は、イラクの GDP の約 1 割を占めており、石油部門の約 2/3 に次いで第 2 位の重要な
産業部門である。しかし、近年のイラクの農業生産は不振であり、年間穀物必要量約 700 万トンの
約半分しか生産できず、毎年、豪州や米国などから小麦や米などの穀物が大量に輸入されている。
イラク農業の歴史的な経緯を振り返ると、イラク建国直後の王政時代には、イラク南部ではチグリス、
ユーフラテス両大河の河川水を利用した伝統的な灌漑農業が盛んであり、イラク北部では中東地
域では珍しい豊富な降雨量に支えられた天水農業が営まれており、むしろ食料輸出国であった。
しかし、1958 年に王政を打倒した革命政権が稚拙な農地改革を強行しようとしたため、伝統的な
農地の保有形態や管理体制が崩壊し、イラク農業の生命線である灌漑施設の管理体制が機能不
全に陥った。この結果、農村社会の荒廃が進み、困窮した農民の多くが首都バクダード等の都市
スラム街に流出したため、農業生産力が減退した。また、1970 年代以降は、増大した石油輸出収
入を背景に社会主義的な経済政策の下で工業化に力点が置かれ、農産物需要の増大は主に外
国からの輸入拡大によってまかなう政策が推進されたため、イラクは食料輸入国としての性格を強
めた。
1990 年代前半は、国連経済制裁の影響により農産物輸入が困難となり、イラク国内の農産物価
格が上昇したため、イラク農民の増産意欲が向上し、農産物生産量が回復する兆しが見えた時期
もあった。しかし、1996 年 12 月に開始された国連石油・食料交換計画の下で安価な輸入食料品が
輸入されるようになり、加えてイラク政府の「公共配給制度(PDS: Public Distribution System)」を通
じて輸入食料品が行き渡るようになったため、イラク農業は価格競争力を失って生産減に追い込ま
れ、食糧自給率の低下に拍車を掛けた。さらに、イラク戦争前の 1999 年から 2001 年にかけての 3
年連続の大旱魃はイラク農業に大きな打撃を与えた。
イラク戦争後、米国政府は米国海外支援庁(USAID)や米国農業省などを通じ、穀物生産や畜
産業に関する技術指導や経営管理技法の訓練及び灌漑設備の改修などを推進し、イラク農業の
再建を支えている。一般にこの分野の支援事業は農村部中心であり、相対的に治安状態は良好
であるが、それでも治安問題により、支援事業の実施が困難な地域があり、軽微とはいえ治安関連
コストが嵩む傾向が出ている。
また、イラク農業の再生のためには、従来の国家統制経済型の農業経営ではなく、農民の自主
性を生かし、地域実態にマッチした農業経営を行なうことが必要であるが、そのためには農民の意
識改革や市場経済原則に基づく農産物の流通インフラ等の構築が必要であり、息の長い取組み
が必要とされている。なお、日本政府はイラク農村部の灌漑事業を支援するために円借款を供与
することとし、本年 1 月にイラク政府と文書を交換している。
3.国際社会の復興支援
(1)国際的な復興支援体制
国連と世銀は 2003 年 10 月、通信、電力、水道などの主要 14 分野のインフラ復興に今後 3 年
間で 356 億ドルが必要との報告を取りまとめた。一方、連合国暫定当局(CPA)は、石油産業や治
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安改善等の他の分野の復興に 194 億ドルが必要と報告しており、両者を合わせると 550 億ドルが
必要とされた33。
この見積りは治安情勢が悪化し、イラク政府の行政機構が機能不全に陥っている時期に短期間
の内にまとめられたため、過小評価を懸念する関係者も多かったが、この数字を踏まえ、10 月下旬
にマドリッドで「イラク復興支援国会議」が開かれた。同会議では、米国が 203 億ドルの支援を表明
し、日本は 50 億ドルの支援を表明した。この他、世界銀行が 30~50 億ドル、IMF(国際通貨基金)
が 25~42.5 億ドル、EU が共同体予算から 2004 年末までに 7 億ユーロ・2007 年末までに 13 億ユ
ーロ、湾岸諸国が輸出信用等を含み約 28 億ドルの支援を表明しており、全体では総額 330 億ドル
の支援が約束された。
マドリッド会議には、全世界から 73 カ国、国際機関 20 団体、NGO13 団体が出席したが、泥沼化
の様相を見せる治安問題への不安、イラクの早期主権回復の必要性、あるいは援助資金運用に
際しての透明性の必要性を強調する意見も強く、米国主導の復興支援に必ずしも積極的でないフ
ランス、ロシア、ドイツ等は最後まで支援表明を行なわなかった。この結果、約束された支援総額は、
必要推定額の約 6 割という水準に留まったが、国連と世界銀行が別個に管理する「イラク復興信託
基金(IRFFI:International Reconstruction Fund Facility for Iraq)」が設立されることになり、国際社
会としてのイラク復興支援の枠組みが決定された。
(2)わが国のイラク復興支援
わが国のイラク復興支援としては、陸上自衛隊が 2004 年 1 月から 2006 年 7 月までの間、10 次
にわたって「イラク復興支援群」延べ人数約 5500 人をイラク南部のムサンナ県サマーワに派遣し、
人道復興支援活動(給水支援、医療支援、学校道路等の復旧・整備)を行った。また、現在では、
航空自衛隊が 200 名体制でクウェートを拠点に首都バクダードやイラク北部のアルビールに向けて
の国連や多国籍軍の人員・物資の空輸支援活動にあたっており、海上自衛隊はテロ掃討作戦の
一環として、インド洋に展開する米英軍艦船などに燃料や水を補給する活動を継続している。
経済支援としては、日本政府は 2003 年 10 月に「当面の支援」として 15 億ドルの無償資金の拠
出を決定するとともに、主に経済・社会インフラ整備に係る「中期的な復興ニーズ」に関し、基本的
に円借款により最大 35 億ドルの支援を実施することを約束した34。
無償資金は、電力、教育、水・衛生、保健、雇用等のイラク国民の生活基盤の再建及び治安改善
を重点においた支援に向けられるものであり、既に全額の支出先が決定されており、これまでに
様々な事業が推進され、実を結びつつある。また、日本政府は本年 2 月 23 日に追加的支援策とし
て、イラクに対して 1 億 450 万ドルの緊急無償資金協力を実施する方針が決定した。内訳としては、
①病院整備などの基礎的な生活部分 7360 万ドル、②警察支援などの治安関連 2300 万ドル、③医
療・電力分野などの人材育成関連 790 万ドルが柱となっており、スンナ派やクルド人地域も含め、イ
ラク全土に偏りなく配分できる様に配慮していく方針が示された35
36
。
有償資金である借款供与は、経済・社会インフラの整備に関する計画に向けられるものであり、
「港湾整備計画(ウンム・カスル港)」、「潅漑セクターローン(排水ポンプの供与等)」、「アル・ムサイ
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ブ火力発電所改修計画(バクダード向け電力供給)」、「サマーワ橋梁・道路建設計画」を実施する
ため、総額約 800 億円を限度とする円借款を供与することが決定され、本年 1 月 10 日にイラクの
首都バクダードにおいてジャブル財務相と山口大使の間で書簡の交換が行なわれた37。
上記の計画に加え、日本政府は昨年 12 月初めにイラクに対し「原油輸出施設復旧計画(バスラ
近郊のパイプライン・海上出荷設備)」及び「電力セクター復興計画(変電用資機材の供与等)」を
実施するために約 826 億円を限度とする円借款供与をすることとし、その旨をイラク側に通報した
38
。
この様なわが国のイラク支援政策に関し、本年 2 月に訪日したチェーニー米副大統領は、首相
官邸での安部首相との会談で「イラクとアフガニスタンでの貢献に感謝する」と謝意を表明した。ま
た、それに先立って米軍横須賀基地に停泊中の原子力空母キティーホーク艦内での演説でも「日
本国民への感謝」を強調したと伝えられている。テロとの戦いが長引く中、日米同盟関係の一層の
強化が求められており、米国側の期待の高まりが示されているが、米国の中東政策にどの様に関
与していくのかが改めて問われつつある39。
(3)米国の復興支援
ブッシュ大統領は 2 月 5 日に 2008 会計年度(2007 年 10 月~2008 年 9 月)の予算教書を発表
し、米軍のイラクやアフガニスタン駐留経費として 2448 億ドルの予算要求を行なった。これにより、
2001 年以降の対テロ戦争への支出は、約 8000 億ドルに膨らみ、現在の物価水準で換算した第 1
次世界大戦やベトナム戦争の戦費約 6000 億ドルを超えることになった40。
この様な戦費負担とは別に、米国政府は旧フセイン政権崩壊直後の 2003 年 4 月に緊急の人道
支援と再建努力への支援のため、「イラク救済・復興基金(IRRF:Iraq Relief and Recostruction
Fund)」に 1 次基金 25 億ドルを拠出し、次いで同年 11 月に 2 次基金 184 億ドルを拠出している。
2 次基金は、イラク占領統治開始後に重要関心事項として浮上してきた治安確保とインフラ復興の
2 つの課題に直接的に応えるために拠出されることとなった。なお、イラク救済・復興基金(IRRF)は、
ブッシュ大統領の強い要請により、借款供与の形式を取らず、全額、無償資金とされ、かつ米国大
統領が直接管理する基金とされた。
米国政府のイラク経済復興支援の中心はこのイラク救済・復興基金(IRRF)が担うことになったが、
この他にも国防総省が所管する戦争直後に実施された石油施設復旧事業 8 億ドル、イラク治安軍
の訓練・装備に係る「イラク治安軍基金(ISFF: Iraq Security Forces Fund)」84 億ドル、「司令官緊
急対応プログラム」16 億ドルなどがあり、2006 年 6 月現在の米国議会調査局の資料によると、米国
のイラク復興支援総額は 341 億ドルとなっている41。
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表 3-7 米国のイラク支援総額
(出所)米国議会調査局報告「イラク:復興支援の最近の状況」2006.6
米国のイラク経済復興支援の主役を務める「イラク救済・復興基金(IRRF)」の 2 次基金 184 億ド
ルについては、2006 年 10 月末まで全額使途が決定され、同 12 月末までに約 80%が支払済みとな
っている。計画開始時に部門別の予算額が決められていたが、悪化する治安情勢への対応やイラ
ク民主化計画の進捗に伴う国政選挙等への支援、また地方政府の行政能力の強化などのニーズ
の変化に応じた使途変更が行なわれた。
この様な経緯を踏まえ、ボーウェン・イラク復興特別監査官(SIGIR:Special Inspector General for
Iraq Reconstuction)は 7 部門の最終的な予算配分や事業達成状況につき、本年 1 月末に次の通
りに報告している42。
(1)治安・司法:イラク軍・警察及び司法機関の強化・充実に向けてのニーズが高まり、当初予算
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45.6 億ドルが 63.1 億ドルへと 30%近く増額された。
(2)電気:当初、発電能力増強に重点が置かれ、55.6 億ドルの予算が付けられたが、42.4 億ドル
に削減され、昨年末の発電能力は 426 万 kW と戦前水準を下回ることになった。
(3)水道:当初予算 43.3 億ドルが 21.3 億ドルに削られ、大規模水処理施設、ポンプ場、ダム、農
村部の水道施設などの計画が見送られた。
(4)石油・天然ガス:当初予算 18.9 億ドルが 17.2 億ドルに減額された。石油収入による設備改修
等が、テロ攻撃や運転・管理等の拙さから昨年第 4 四半期の石油生産量は 217 万 b/d と戦前
水準を下回った。
(5)保健:当初予算 7.93 億ドルは 8.2 億ドルに増額されたが、力点が置かれた保健センター建
設は業者の不手際や監視体制の不備から順調に進んでいない。また、バスラ小児病院建設
は工期が遅れ、大幅な予算超過を余儀なくされている。
(6)運輸・通信:当初予算 8.7 億ドルは 8 億ドルに減額されたが、イラク企業がより低コストで工事
が出来ることが分かり、事業発注が効率化された。
(7)経済・社会発展:選挙実施や雇用機会の創出、経済開発の促進などの必要性が高まったた
め、民主化プログラムに 10 億ドル、民間部門活性化に 6.6 億ドルの予算が付けられ、当初予
算 4.33 億ドルは 22.1 億ドルに増額された。
(出所)SIGIR4 半期報告 2007.1.30
図 3-7 イラク救済・復興基金(IRRF)の分野別内訳
また、ボーウェン・イラク復興特別監査官は、2006 年のイラク救済・復興基金(IRRF)の支援活動
の実施状況に関して次の様な点を指摘している。
(1)テロ攻撃に対するインフラ設備の脆弱性
高圧送電線に対する攻撃が繰り返し行なわれ、電力事情が悪化しており、イラク北部の石油
パイプラインも同様の理由で殆ど稼動していない。また、破壊された設備の修復を担当するチー
ムが、テロの脅威に晒され、現場に行けず、作業が出来ないことがよくある。インフラ分野に対す
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る治安強化が喫緊の課題となっており、イラク治安組織内部の物流や運営・管理体制の強化が
求められている。
(2)イラク政府の復興プロジェクトに関する課題
2007 年に 100 億ドル相当の公共事業予算が計上される方向にあるが、イラク中央政府及び地
方政府の業務執行能力の制約から円滑な消化には相当な努力が必要である。また、完了した
復興支援事業の管理・運営に向け、イラク側の能力向上が必要である。
(3)米国政府機関内の協力関係
復興支援に携わる米国機関間の調整が不十分である。特に 2007 年にはイラク側に管理責任
を移すケースが増えるため、新たな対応が課題となる。ただ、新たに任命される経済移行調整官
が米国機関間及びイラク側との調整に当ることに期待している。
(4)国際社会の支援強化
イラク復興に向けての国際社会の支援は本格していない。現在、検討中の「イラク・コンパクト」
に期待しているが、この仕組みが所期の成果を挙げるためには、国際社会がより積極的にイラク
復興に参画することが必要である43。
ボーウェン特別監察官は、イラクでの復興支援事業が順調に進んでいないことを最も熟知しう
る立場にあり、かつ米国のイラク経済復興支援の大黒柱であった第 2 次基金の支出は、既に全
て決定済みの上、追加的な予算措置は期待薄であるため、報告は苦渋に満ちた内容となって
いる。
(4)イラク・コンパクト策定を巡る動向
米国主導のこれまでのイラク経済復興支援が転換期を迎える中、イラク政府と国連は 2006 年 7
月、「イラク・コンパクト(International Compact with Iraq)」策定に向けた取組を開始するとの声明を
発表した。イラク・コンパクトは、イラクと国際社会の新たなパートナーシップの構築を目的とするも
のとされ、イラク側が平和で民主的な国家を目指す取組みを約束し、これに対し国際社会は支援
のあり方を明らかにするために作成されることとされた。
日本政府はこの声明に対し、イラク政府が政策目標を示す一方、国際社会はその目標実現に
向けて支援を約束することが想定されているとの認識を示し、イラク人による国造りを積極的かつ継
続的に支援する方針を明らかにしている。また、イラク・コンパクトの準備グループに積極的に参画
していくため、調整担当としてイラク復興調整担当大使を充てることを明らかにした44。
その後、米英両国政府を始めとする各国政府が積極的な支持の声明を発表する中、2006 年 9
月にアブダビ、10 月にはクウェートで準備会合が開催されており、具体的なテーマとして国際社会
のイラク支援の軸となる「イラク復興信託基金(IRFFI)」をどの様に再編成するのか等についての検
討が進められている45。
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4.今後の取組み方向
(1)現状認識
ボーウェン特別監察官の監査報告に示されている様に、米国のイラク政策が経済復興支援の面
でも手詰まりに陥る中、日本政府は本年 2 月にイラクに対して病院整備等のため、緊急無償資金
協力を実施する方針を決定した。一方、前述した通り、イラク政府は「イラク・コンパクト」という新た
な枠組みの下で、国際社会の経済支援を改めて要請する方針を明らかにしている。これらの一連
の動きは、イラクの経済復興への取組みが、2003 年 10 月にマドリッドで開催されたイラク復興支援
国会議の開催時点の状況にまで戻っているのではないかと感じさせる。
更には、イラク政府が「イラク・コンパクト」への取組み開始の声明の中で、「経済復興には政治、
治安面での課題克服が前提」との認識を示す一方、本年 2 月に米国情報機関の報告書「イラク安
定の見通し」が、イラクの治安及び政治情勢について、深刻な混乱状態に陥る恐れがあることを警
告していることは、イラクの経済復興の前提条件が以前よりも悪化しているのではないかとの危惧を
持たせる状況が生じている。
このような状況の下で、ブッシュ大統領が 2007 年 1 月に新イラク政策を発表し、治安改善を目指
して 2 万人以上の米軍増派を発表するとともに、「米国の関与に際限がない訳ではない」と述べ、イ
ラク側の自助努力を強く求める姿勢を示し、同時にイラク全土の治安権限を本年 11 月までにイラク
側に委譲する目標も示していることは、いよいよイラク人自身が治安回復や政治の安定、更には戦
後復興の面で主役を務めるべきという本来の姿が現れてきていると考えることが出来る。
(2)イラク人の取組み方向
イラクの現状の悲惨さは否定し難く、またイラク戦争後に深まった宗派、民族間の亀裂を修復す
ることは容易ではないと思われる。しかし、歴史的に初めて自由に発言し、行動する権利を得たイ
ラクの人々が、それぞれの立場から「イラク人」としてのアイデンティティを確認するために要した犠
牲の多いプロセスであったと考えることが出来れば、新たな展開が期待できる。
その場合、イラクの人々には、波乱の多かったこれまでの「イラクの歴史」を通じて育まれてきた
国民意識を再確認し、宗派や民族の垣根を克服する取組みが求められる。次いで、国民和解を実
現し、治安の確保、政治の安定、経済復興の推進という好循環サイクルの連鎖の構築に向けての
取り組みを開始することが求められる。
これらの取組みが困難なことは言うまでもないが、宗派、民族間の利害対立が原因で難航してい
た新石油法案が、シーア派、スンナ派、クルド人の間での合意が成立し、2 月 26 日に閣議で最終
承認されたことは心強い材料となっている。マーリキ首相は、新石油法案の閣議承認を受け、「新
石油法は国造りの重要な土台。イラク社会の統合に役立つ」と述べているが、宗派や民族の垣根
の克服に向けて、具体的成果を積上げていくことが出来れば、国民和解の実現を出発点とする好
循環サイクルの構築も夢ではないと考えられる。
また、現在のイラク社会に蔓延する腐敗体質や社会秩序の乱れ、組織間の連携の悪さなどがイ
ラクの戦後経済復興の大きな障害とされているが、これらの問題も、国民和解の実現を通じて治安
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回復が実現され、イラクの人々が暴力やテロの脅威から開放され、自由な発言や行動が保障され
るようになれば、自浄作用が働き、自ずと解決されて行くものと期待される。
(3)国際社会とわが国の取組み方向
イラク政府は現在、検討中の「イラク・コンパクト」に加え、2 月末に「イラク安定化国際会議」をバ
グダードで開催することを発表し、政治面でも国際社会がイラク支援に取り組みことを求める姿勢を
明らかにしている。この国際会議には、米国がテロ支援国家としているイランやシリアも招かれてお
り、米国政府の外国政策の転換を意味するのかという点に関心が集まっているが、イラク政府自身
はあくまでも「治安と安定の実現に努めている挙国一致政府に政治的な支柱を与えること」を望む
との立場を強調している。
New York Times 紙は、数カ月前からイラク政府は米国政府に対し、国際会議の開催を要請して
きたが、ブッシュ政権は新石油法案の策定等の重要な国内案件の解決が優先事項として応じてこ
なかったと報じている46。この経緯からも、会議開催に向けてのイラク政府のイニシアティブデ、熱
意が明らかにされている。
国際社会には、イラクの現状に対する危機意識がバネとなっているイラク側の積極的な外交姿
勢に応える必要がある。このためわが国としては、外交の基本方針である「平和の構築への貢献」
の実現を目指し、イラク及び米国の両国を中心に各国との意思疎通や協力関係の一層の強化に
努めていくことが必要となっている。
以上
1
Dowjones “Iraq briefly resumes Kirkuk oil exports to Ceyhan” 2007.2.16
Dowjones “Iraq South crude oil exports up 1.75M b/d in February” 2007.2.9
3
Dowjones “Iraq Feb oil exports up 1.69M b/d in February” 2007.2.15
4
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Azzman “Ministers failed to spend up to 50% of allocations last year” 2007.2.14
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10
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11
中東調査会かわら版「クウェート:対イラク賠償請求問題」2005.6.29
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13
Iraq directory “The effects of raising interest rates on Iraqi dinar” 2007.16
14
AZZAMAN “Transport workers strike over fuel shortages” 2007.2.16
15
BBC “One in three Iraqi in poverty” 2007.2.18
16
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18
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2
- 65 -
19
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Azzaman “Iraqi oil exports still below pre-war level” 2007.1.22
21
Azzman “Attacks on oil installations cost billion dollars” 2007.2.20
22
BBC “Iraq cabinet approves new oil law” 2007.2.26
23
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24
DJ “DNO CEO sees first Kurdistan oil production by end-1Q” 2007.2.14
25
吉岡明子「イラク:新石油・ガス法案における油田開発契約とクルド地域政府の対応」中東研セ
ンター2007.3.2
26
Khalaeji Times “China oil officials due in Baghdad for Ahdab talks”2007.3.5
27
Dowjones “Iraq calls off key seminar on oil law schedule” 2007.2.10
28
IRAQ directory “Investment still a risk with Iraq oil law” 2007.2.28
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Tariq Shafiq “Oil industry implications of Iraq’s constitutional articles” MEES 2006.6.5
30
Dowjones “Technocrats urge Iraq Govt don’t sign oil PSAs over security” 2007.2.22
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35
日経新聞「政府が 1 億 450 万ドル イラクに無償援助」2007.2.24
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外務省「イラクに対する人道復興支援のための緊急無償資金協力につい」2002.2.24
37
外務省「イラクに対する円借款の供与について」2007.1.10
38
外務省「イラクに対する円借款の供与について(事前通報))2006.12.11
39
日経新聞「日米、世界戦略にズレ」2007.2.24
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41
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42
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43
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44
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45
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20
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える影響に関する調査」2006.3
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7.
EIU “Country Risk Service: Iraq at a glance 2007-08” 2007.1
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12. United States Government Accountability Office “Securing, Stabilizing, and Rebuilding Iraq”
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13. National Intelligence Estimate “Prospects for Iraq's Stability: A Challenging Road Ahead”
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14. Special Inspector General for Iraq Reconstruction “The 12th Quarterly Report” 2007.1.30
15. The Brookings Institute “Iraq Index” 2007.2.5
16. US Department of State “Iraq Weekly Status Report” 2007.2.7
17. Anthony H. Cordesman “Reconstruction in Iraq: The Uncertain Way Ahead” CSIS 2007.2.7
18. The Republic of Iraq / UNDP “Unsatisfied Basic Needs Mapping and Living Standards in Iraq”
2007
- 67 -
第4章 依然として活況を
呈している 2006 年の
中東プロジェクト市場とイラク
第4章 依然として活況を呈している 2006 年の中東プロジェクト市場とイラク
1.はじめに
2006 年の中東プロジェクト市場の成約総額は 1210 億ドルとなり、前年の 1422 億ドルと比較し
て 14.9%減となった(図表 1 参照)1。この背景には、①発注国別動向で見た場合の、中東プロジェ
クト市場における主役の 1 ヶ国カタルの発注総額の大幅な落ち込み(2005 年:453 億ドル→2006
年:239 億ドル)や、(2)分野別動向で見た場合の、2004 年から 2005 年にかけて大幅な伸び率
(493%)を示した2、航空機需要を中心とする「運輸機器」の成約高の大幅な落ち込み(2005 年:
330 億ドル→2006 年:104 億ドル)、などがあった。しかしながら、カタルによる航空機発注の落ち
込みは 2005 年の単年度発注に伴うものであり、米国の受注総額も落ち込んだとはいえ 2004 年受
注総額を上回っている。更に、2006 年の中東プロジェクト市場の成約総額は 2004 年の成約総額
の約 2 倍となっていることから、長期的に見ると油価の高騰に伴って、中東プロジェクト市場はな
お活況を呈している状態にあると言えよう。
本報告では最初に、発注国別・分野別・受注国別の動向をみていくことで、2006 年における中
東プロジェクト市場の概要を述べることにしたい。その上で、イラクのプロジェクト市場に焦点を当
て、同国の過去の状況との比較を通じて今後の展望を行うことにする。
(億ドル)
1,800
1,600
1,400
1,200
1,000
800
600
400
200
0
80年
81年
82年
83年
84年
85年
86年
87年
88年
89年
90年
91年
92年
93年
94年
95年
96年
97年
98年
99年
00年
01年
02年
03年
04年
05年
国防分野
29
41
21
56
53
84
15
25
103
21
59
33
29
60
67
9
25
9
68
38
94
11
6
9
23
191
06年
3
国防分野以外の成約高
525
754
499
400
311
228
159
141
140
234
253
271
294
253
315
247
436
335
307
213
330
420
236
627
688
1422
1210
出所:MEED 各号。一部、日本経済新聞。
注:このグラフのみ、国防分野の成約高を含む。
図表 1:中東市場プロジェクト契約総額
2.発注国別動向:UAE、カタル、サウジアラビアの 3 ヶ国で全体の 7 割弱
2006 年の中東プロジェクト市場の主役も、前年に引き続き湾岸産油国であった。UAE、カタル、
サウジアラビアの上位 3 ヶ国で中東プロジェクト市場の成約総額全体の 65.3%を占め、発注総額は
それぞれ 312 億ドル、239 億ドル、238 億ドルに上った(図表 2 参照)。2005 年時点ではカタル、
UAE 、サウジアラビアの順でそれぞれ 453 億ドル、346 億ドル、221 億ドルであり、カタルの発注
総額の落ち込みが目立つ結果となっているが、この背景には第一に、2005 年における同国の「石
油・ガス」分野における成約高 206 億ドルが3、2006 年には 93 億ドルまで減少したことがあった(付
表 1 参照)。また、カタル航空が発注した航空機関連契約が 2005 年の 155 億ドルから4、2006 年
- 69 -
には 57 億ドルまで減少したことがあった。なお、2006 年におけるその他の発注総額上位国はイラ
ンが 113 億ドル、オマーンが 70 億ドル、クウェートが 66 億ドルとなっている。
こうした上位 6 ヶ国に共通の特徴は言うまでもないことであるが、何れも「石油・ガス」分野の成
約高が、その他 12 ヶ国各々における同分野の成約高を上回っていることにある。上位 6 ヶ国の
「石油・ガス」分野の成約高は、最も少なかったオマーンで 29 億ドル、最も多かったサウジアラビア
で 136 億ドルに達した。しかしながら、「石油・ガス」分野の成約高に関してはこのサウジアラビアの
数値でさえ、2005 年に最大であったカタルの 206 億ドルには及ばず、その分「インフラ」や「運輸
機器」、「公共サービス」といった分野におけるプロジェクトが活発になっている。以下、上位 3 ヶ国
とイランについて、各国毎の概況を述べていくことにする。
図表 2:発注国別成約高
UAE
カタル
前年比
伸び率
(単位:100 万ドル)
2006 年
前年比
構成比
寄与度
2000 年
2001 年
2002 年
2003 年
2004 年
2005 年
2006 年
5,775.2
20,428.2
4,593.7
31,208.1
16,854.5
34,600.5
31,178.7
-9.9
25.8
-2.4
751.7
2,390.1
732.7
10,712.0
13,706.8
45,279.6
23,940.4
-47.1
19.8
-15.0
サウジアラビア
4,513.1
3,209.9
2,344.4
4,041.8
7,235.3
22,071.2
23,816.0
7.9
19.7
1.2
イラン
7,412.0
4,804.7
3,514.7
5,821.5
3,250.6
11,110.5
11,340.5
2.1
9.4
0.2
707.2
489.3
1,123.3
1,378.6
2,243.2
3,841.6
7,002.5
82.3
5.8
2.2
1,207.6
1,545.7
714.8
935.8
2,720.9
9,997.4
6,636.4
-33.6
5.5
-2.4
123.5
90.0
75.0
414.3
10,209.5
1,340.5
5,498.0
310.1
4.5
2.9
オマーン
クウェート
イラク
アルジェリア
1,814.6
3,342.5
2,459.9
2,830.0
3,676.4
4,053.8
4,742.0
17.0
3.9
0.5
バハレーン
183.3
1,067.3
454.7
577.3
1,048.6
900.1
1,228.8
36.5
1.0
0.2
リビア
589.0
164.0
3,657.0
628.0
1,967.0
1,967.8
1,109.6
-43.6
0.9
-0.6
産油国計
23,077.2
37,531.7
19,670.2
58,547.4
62,912.8
135,163.1
116,492.9
-13.8
96.3
-13.1
エジプト
1,697.9
1,638.8
2,617.0
1,366.9
1,688.4
1,871.5
1,676.1
-10.4
1.4
-0.1
4.1
50.0
164.8
11.3
483.7
2,551.0
894.7
-64.9
0.7
-1.2
250.4
268.5
27.8
169.6
187.1
526.7
845.0
60.4
0.7
0.2
103.0
95.5
649.0
117.0
246.7
80.5
569.5
607.5
0.5
0.3
1,299.2
881.1
4.8
327.2
636.1
1,444.8
230.0
-84.1
0.2
-0.9
イエメン
シリア
チュニジア
モロッコ
スーダン
0.0
0.0
114.0
1,524.0
2,256.6
193.5
119.4
-38.3
0.1
-0.1
レバノン
120.4
77.9
78.4
171.9
103.0
212.0
85.5
-59.7
0.1
-0.1
ヨルダン
非産油国計
合計
53.5
164.4
169.8
396.0
254.7
120.2
50.0
-58.4
0.0
0.0
9,877.8
3,451.9
3,880.6
4,083.9
5,856.3
7,000.2
4,470.2
-36.1
3.7
-1.8
32,955.0
40,983.6
23,550.8
62,631.3
68,769.1
142,163.4
120,963.1
-14.9
100.0
-14.9
出所:MEED 各号。一部、日本経済新聞。
注:国防分野を除く。2001 年以降のイスラエル、2002 年以降のトルコは、MEED 誌の集計から除外。
(1)UAE:観光立国としての整備が加速
2006 年における UAE の発注総額は、前年比 9.9%減の 311 億 7870 万ドルであった。発注総額
の内訳を見ると、「インフラ」分野が 154 億ドル 8460 万ドルとなっており、2 位の「石油・ガス」分野
- 70 -
の 39 億 4200 万ドルを大きく引き離していることが分かる。
「インフラ」分野に関しては、ドバイを中心とする総合土地開発プロジェクトが進行中である。国
内の大手ディベロッパーである Emaar や Nakheel、ETA Star などが中心となって、海岸埋め立て
や郊外の土地整備に始まり、電力や上下水道、道路の整備を行い、ホテルや別荘地、商業施設
(特にショッピング・モール)やオフィス・ビル、娯楽施設、住宅などの建設を行う、総合的な土地開
発プロジェクトである。ジュメイラ・レイク・タワーズ、インターナショナル・シティー、ドバイ・マリーナ、
ドバイ・スポーツ・シティー、パーム・ジュメイラなどがその代表例であり、前年からの継続プロジェク
トとなっている。
こうした総合土地開発プロジェクトは、ビジネス拠点や観光地としてのドバイの価値を高める目
的を持っているものであるが、その際に重要となるのが交通インフラの整備である。ドバイの道路・
交通局は Garhoud Bridge における横断歩道橋の建設(1 億 950 万ドル)5、Sufouh 道路の改良(総
額 1 億 1700 万ドル)6、Arabian Ranches ラウンドアバウトの改良(1 億 1100 万ドル)7、シェイク・ザ
イド高速道路上におけるインターチェンジの建設(1 億 2600 万ドル)8、Ittihad 道路の改良(2 億
2600 万ドル)9、といったプロジェクトを発注した。道路・交通局はまた、2005 年 5 月に三菱商事、
三菱重工業、大林組、鹿島建設、トルコの Yapi Merkezi の 5 社から成るコンソーシアムが 34 億ド
ルで受注した、ドバイ国際空港と市内を結ぶ全自動無人運転鉄道システムの建設に対する 11 億
1200 万ドルのオプションを発注した10。
ドバイにおいてはまた、国際空港における第 3 ターミナルの新設に伴う案件が発注されたりして
いるが、他方でアブダビ国際空港においては、新滑走路の建設や管制システムの充実に関する
案件が動き出している11。なお、2012 年までに 169 機の機体保有を目標としているエミレーツ航空
(ドバイ政府が運営)は、2005 年に 62 機(内オプション 10 機)を購入したのであるが12、今年は貨
物機であるボーイング 747-8F シリーズ 10 機の購入(発注額 28 億ドル)に留まった13。
このように、ドバイを中心として総合土地開発プロジェクトが活発であった結果、UAE における
「インフラ」、「運輸機器」、「商業」、「観光」の 4 分野を合わせた成約高は 216 億 4420 万ドルとなり、
同国の発注総額の 69.4%を占めることになった。なお、「観光」分野について言えば、ドバイはゴル
フ場建設に力を入れており、タイガー・ウッズが自らの手による初のゴルフ場の設計地として同地
を選び、チャンピオンシップ・ゴルフ・コースの建設が進行している。同コースの内、最初の 2 コー
スの建設に関しては地元の Khansaheb Civil Engineering が 4300 万ドルで受注した14。
成約高第 2 位の「石油・ガス」分野については、Hyundai Heavy Industries が受注した、アブダ
ビ沖 150 キロに位置するウンム・シャイフ海上油田に対するガス再注入に関する発注額が 16 億ド
ルと一番大きく15、独 Linde が受注した、ルワイスにある Borouge の石油化学工場の拡張工事の発
注額が 13 億ドルで次いでいる16。なお、この 2 つ以外の「石油・ガス」分野における各プロジェクト
の発注額は全て 10 億ドル以下となっている。
「運輸機器」分野の動向についてはドバイの箇所で触れたので、「公共サービス」分野について
述べると、成約高は 31 億 5300 万ドルであり、前年の 2 億 4500 万ドルから大きく躍進した17。同分
- 71 -
野の中では、公共施設建設・拡充プロジェクトの発注総額が 11 億 4300 万ドルと最も多く、地元の
Al-Habtoor Engineering Enterprises が 1 億 900 万ドルで受注したアブダビ国立展示場の拡張工
事や18、Saudi Oger が 4 億 800 万ドルで受注した UAE 大学のキャンパス建設工事などが19、主だ
った発注プロジェクトである。また、上下水道の整備に関係するプロジェクトの発注総額は 8 億
2200 万ドル、電気・ガス供給の整備に関するプロジェクトの発注総額は 3 億 5400 万ドルとなって
いる。前者に関しては地元の Palm Water が 5 億 5000 万ドルで受注したジュベル・アリにおける浄
水場と下水処理場の建設が20、後者に関してはアテネに本社がある Consolidated Contractors
International Company とインドの Punj Llyod が、それぞれ 1 億 2000 万ドルと 1400 万ドルで受注
した、ガス供給設備のアップグレードに関する 1 億 3400 万ドル相当の案件が21、それぞれ発注額
の点で最も大きいものである。
(2)カタル:LNG プロジェクトと航空機需要が依然リード
2006 年におけるカタルの発注総額は、前年比 47.1%減の 239 億 4040 万ドルとなった。発注総
額の内訳を見ると、「石油・ガス」分野が 93 億 3200 万ドル、「運輸機器」分野が 57 億 3800 万ドル
となっている。
「石油・ガス」分野の中では、ガス関連部門の発注総額が 57 億 8000 万ドルとなった。その中で
目立っている天然ガス関連プロジェクトの中では、千代田化工と仏 Technip の合弁が RasGas III
より 15 億ドルで受注した、Khaleej Gas Development 第 2 フェーズの発注額が最も大きい22。同国
のアッティーヤ工業エネルギー相が 11 月に来日した際に、「カタルは 2010 年までに LNG 生産能
力を 7700 万 t/y とし、世界最大の輸出国となる」と改めて言明したように23、引き続き LNG の生産
能力向上に重点的に取り組んでいることが分かる。なお、同国は石油化学工業の発展にも力を
入れており、成約総額は 9 億 6000 万ドルとなった。その中では、独 Uhde と米 Chicago Bridge &
Iron が Qatar Fertiliser Company (Qafco)から 6 億 5000 万ドルで受注した、Qafco 5 の建設が発
注額の点で最大となっている24。
「運輸機器」分野で中心となったのは、カタル航空における航空機関連契約であり、同国にお
ける発注総額の 23.6%に相当する 56 億 5000 万ドルを占めた。カタル航空は 9 月 11 日、米ボーイ
ング社と 49 億ドルで、20 機の 777 型シリーズを購入する契約を結んだ25。同航空はまた、米 GE
Aviation と 7 億 5000 万ドルで、777 型シリーズのエンジンである GE 90 エンジンを 40 台購入する
契約を結ぶなど26、前年の発注総額 155 億ドルからの落ち込みを見せつつも、依然活発な発注
を行っている。なお、「運輸機器」分野における航空機関連以外の契約は全て船舶の発注に関す
るものであり、Qatar Navigation は韓国 Dae Sun Shipping & Engineering Company にコンテナ船 3
隻を 7200 万ドルで発注した27。
ところで、「運輸機器」部門で圧倒的な航空機関連契約を反映して、成約高第 3 位(37 億 9000
万ドル)の「インフラ」分野で目立っているのが空港関連の整備プロジェクトであり、発注総額は 17
億 9500 万ドルに達した。この中には、大成建設とトルコ TAV の合弁 Sky Oryx が 3 月に、8 億 700
- 72 -
万ドルで受注した新ドーハ国際空港の設計・建設案件が含まれている28。新ドーハ国際空港に関
するプロジェクトに関してはその後 5 月に、更に 3 億ドル相当の発注がなされ、地元 Construction
Development Company と竹中工務店の合弁が Emiri ターミナルの建設を 2 億 4600 万ドルで受注
し、アテネを本社とする Consolidated Contractors International Company が管制塔の建設を 4600
万ドルで受注した29。なお、2005 年に 1 億 700 万ドルの成約高があった「観光」部門は30、カタル
航空による航空機の活発な発注にも拘らず、発注がゼロとなった。
(3)サウジアラビア:石油開発、石油化学プロジェクトが依然リード
2006 年におけるサウジアラビアの発注総額は、前年比 7.9%増の 238 億 1600 万ドルであった。
発注総額の内訳を見ると、「石油・ガス」分野が 136 億 1090 万ドルを占め、2 位の「公共サービス」
分野の 38 億 2600 万ドルを大きく引き離している状態となっている。
サウジアラビアの発注総額の約 57%を占めている「石油・ガス」分野であるが、その独占度合い
は前年の約 75%から低下している。しかしながら、同分野が同国における発注プロジェクトの「牽引
車」であることに変わりなく、その中で石油の開発・生産に関するプロジェクト数が 19 と最も多く、
発注総額は 70 億 1700 万ドルである。この中で、成約額から超大型案件と言えるものが、クライス
陸上油田における原油生産能力の拡大計画に伴う契約であり、4 月と 9 月の分を合わせると発注
総額は 42 億ドルに達する。4 月に、伊 Snamprogetti は同計画に伴う施設の建設や海水処理施設
の拡張を 17 億ドルで、他方で加 SNC Lavalin は伊 Saipem と共に水注入ポンプ施設の建設を 4
億ドルで、それぞれ Saudi Aramco から受注した31。その後 9 月初旬に、Saudi Aramco は同油田の
増産計画に関して 2 件のターン・キー契約を結んでおり、伊 Snamprogetti は 13 億ドルでガス・石
油 分 離 施 設 の 建 設 を 受 注 し 、 他 方 で 米 Foster Wheeler と 韓 国 Hyundai Engineering &
Construction Company の合弁が 8 億ドルでガス処理施設の建設を受注した32。
「石油・ガス」分野において、石油の開発・生産に次ぐ成約数と成約総額を記録したのが石油
化学関連のプロジェクトであり、15 件で発注総額 45 億 7700 万ドルとなった。この中で、成約額か
ら大型案件と言えるものが、ジュバイルにおけるエタノール・ブタン工場の建設であり、米 Kellog
Brown & Root と米 Fluor Corporation が 12 億ドルで Saudi Kayan Petrochemical Company から受
注 した 33 。 ま た、 Saudi Aramco と 住 友化学 の 合弁 であ る Rabigh Refining & Petrochemical
Company は、7 億ドルで U&O (utilities and offsites) 設備の建設を、英国に本社のある Foster
Wheeler Energy に発注した34。
成約高第 2 位(38 億 2600 万ドル)の「公共サービス」分野で目立っているのが、病院や学校な
どの公共施設の建設・拡充に伴うプロジェクトであり、12 件で成約総額 13 億 5100 万ドルに達した。
地元 Mansouri Contracting が保険省から 4 億ドルで受注した、193 のクリニック建設35、地元
Fouzan Trading & General Construction Company が高等教育省から 2 億ドルで受注した、イマー
ム・ムハンマド・ビン・サウード・イスラーム大学の拡張などが、主だった案件である36。なお、メディ
ナにおける預言者モスクの外装変更工事については、Saudi Binladin Group が 1400 万ドルで受
- 73 -
注した37。その他、「公共サービス」分野の中では、上下水道の整備が発注総額 4 億 2800 万ドル、
電気・ガス供給網の整備が発注総額 4 億 4700 万ドルとなっている。
(4)イラン:石油関連プロジェクトが主流
2006 年におけるイランの発注総額は、前年比 2.1%増の 113 億 4050 万ドルとなった。発注総額
の内訳を見ると、「石油・ガス」分野が 79 億 6650 万ドルとなり、2 位の「インフラ」分野の 24 億ドル
を大きく引き離していることが分かる。
イランの発注総額の約 70%を占めている「石油・ガス」分野において、成約額が目立って大きい
プロジェクトは以下の 2 つである。中国 Sinopec と、地元 Oil Design & Construction Company 及
び Sazeh Consult から成るコンソーシアムは、Arak 精製所の精製能力と生産性の向上に関する案
件を、National Iranian Oil Refining & Distribution Company から 27 億ドルで受注した38。また、
Pars Oil & Gas Company は、イラン革命防衛隊関連の Khatam ul-Anbia (Ghorb)に、South Pars
のフェーズ 15 と 16 の開発を 23 億ドルで発注した39。なお、その他の「石油・ガス」分野のプロジェ
クトは石油やガスの開発と生産、精製に関わるものが圧倒的多数である中で、唯一の石油化学に
関 す る プ ロ ジ ェ ク ト は 、 地 元 の Petrochemical Industries Design & Engineering Company
(PIDEC)が 3 億ドルで Shiraz Fertiliser Compamy(SFC)から受注した、同社の工場の生産能力向
上 に 関 す る も の で あ る 。 イ ラ ン の 石 油 化 学 部 門 に お い て は 、 2006 年 の 3 月 に Asghar
Ebrahimi-Asl が National Petrochemical Company 総裁に就任して以来、プロジェクトの中止や延
期が相次ぎ、上記の SFC プロジェクトは年末近くに Gholamhossein Nejabat が新総裁に就任して
からの初契約となった40。
「インフラ」分野の成約高 24 億ドルは全て、テヘランの地下鉄網拡充に関するものである。
Teheran Urban & Suburban Railway Company は、6 号線の建設に関して地元の Mostazafan &
Janbazan Foundation に、7 号線の建設に関して Khatam ul-Anbia (Ghorb)に、それぞれ 12 億ド
ルで発注した。
成約高第 3 位の「通信」分野におけるプロジェクトは全て、イランにおける初の民間 GSM(Global
System for Mobile Communications)オペレーターである Iran Cell のネットワーク拡張に伴うもので
あり、発注総額は 6 億ドルとなった。フィンランド Nokia と、地元のゼネコン Fars、Takfan から成るコ
ンソーシアムがテヘランと東部のホラーサーン地域を担当し、中国 Huawei と地元のゼネコン Iran
Communications Industries のコンソーシアムが北部のタブリーズと西部のホラーサーンを含む地
域を担当することになっている。また、スウェーデン Ericsson と地元のゼネコン Satas のコンソーシ
アムがイスファハーン地域を担当し、仏 Alcatel と地元のゼネコン Elmatco、Kamcar から成るコンソ
ーシアムがファルス県の担当とされている41。
3.分野別動向:「石油・ガス」と「インフラ」が中心
分野別に見ると、2006 年の中東プロジェクト市場は「石油・ガス」と「インフラ」が併せて全体の
- 74 -
65.8%を占め、この 2 分野がプロジェクト市場を牽引したと言える(図表 3 参照)。更に、「公共サー
ビス」と「運輸機器」、「電力・水」部門を加えた上位 5 分野の成約総額は 90.4%を占めているが、こ
こでは成約高が圧倒的な上位 2 分野の動向を紹介する。
図表 3:分野別成約高
石油・ガス
インフラ
公共サービ
ス
運輸機器
電力・水
鉱工業
商業
観光
通信
農業
金融保険
その他
合計
2000 年
2001 年
2002 年
2003 年
2004 年
11,775.0
3,024.9
8,032.1
1,438.3
13,299.7
1,785.8
10,609.3
3,754.9
24,782.3
13,202.1
1,583.0
2,498.7
2,179.3
967.4
4,633.8
3,470.3
5,081.2
2,991.5
285.1
181.8
4,552.1
0.0
10.1
0.0
32,955.0
18,917.0
4,930.9
864.1
815.3
1,069.3
2,403.4
0.0
14.5
0.0
40,983.6
412.1
2,861.6
864.2
470.6
439.0
1,222.1
16.4
0.0
0.0
23,550.8
33,057.0
10,718.0
1,947.0
570.0
88.0
919.7
0.0
0.0
0.0
62,631.3
5,657.6
6,529.3
3,491.5
3,566.2
1,591.3
1,237.7
0.0
7.3
4,070.0
68,769.1
(単位:100 万ドル)
2006 年
前年比
構成比
寄与度
38.1
-12.9
27.7
12.9
46,122.3
33,450.6
前年比
伸び率
-28.5
121.4
3,019.0
10,711.8
254.8
8.9
5.4
33,023.0
14,003.5
3,514.0
2,230.1
6,426.0
342.5
31.8
0.0
0.0
142,163.4
10,388.0
8,540.0
5,153.6
2,603.0
2,483.1
1,510.7
0.0
0.0
0.0
120,963.1
-68.5
-39.0
46.7
16.7
-61.4
341.1
-100.0
0.0
0.0
-14.9
8.6
7.1
4.3
2.2
2.1
1.2
0.0
0.0
0.0
100.0
-15.9
-3.8
1.2
0.3
-2.8
0.8
0.0
0.0
0.0
-14.9
2005 年
2006 年
64,463.0
15,110.5
出所:MEED 各号。一部、日本経済新聞。
注:国防分野を除く。
(1)「石油・ガス」分野のプロジェクト総額は全体の 40%
「石油・ガス」分野の成約高は前年比 28.5%減の 461 億 2230 万ドルとなり、プロジェクト市場全
体の 38.1%を占めた。その内容を分類すると、サウジアラビアやクウェートを中心とする石油関連プ
ロジェクトが 232 億ドル、カタルを筆頭に、アルジェリアやイランなどで行われているガス関連プロ
ジェクトが 131 億ドル、成約額の半分弱(46 億ドル)を占めているサウジアラビアを中心とする石油
化学関連プロジェクトが 97 億ドルとなった(図表 4 参照)。
図表 4:石油・ガス分野の内訳
(単位:億ドル)
石油
ガス
開 発 ・ 生 産
精
製
貯 蔵 ・ 輸 送
168.8
43.4
20.0
34.3
77.7
19.2
合計
232.2
131.2
石油化学
-
-
-
96.9
出所:MEED 各号。一部、日本経済新聞。
石油関連プロジェクトに関しては、クウェートがサウジアラビアと並んで成約数では目立っている
ものの、案件そのものは小規模なものが大部分を占めている。クウェートにおいて成約額が最大
のものは、Kuwait National Petroleum Company から日本鋼管と伊 ATB Riva Calzoni や伊 GE
Nuovo Pigonoe、伊 Belleli が 6 億ドルで受注した 40 基のリアクターである42。
- 75 -
ガス関連プロジェクトに関しては、前述のカタル以外に、アルジェリアやイランにおいても大型の
天然ガス・プロジェクトが進行中である。アルジェリアにおいては、Skikda における 450 万 t/y の新
たな天然ガス・トレインの建設に対し、米 Kelogg Brown & Root と日揮の合弁が国営の Sonatrach
から 10 億ドルで受注している43。他方でイランにおいては、Kharg における天然ガス・プラントの建
設に関して、地元 Iritec がイタリアにおける子会社である Irasco と共に、Iran Offshore Oil
Company から 12 億ドルで受注している44。
石油化学関連プロジェクトに関しては、既述の UAE(13 億ドル)やサウジアラビア(12 億ドル)と
ほぼ同額の案件が、クウェートやオマーンにも存在する。クウェートの Shuaiba 工業地帯における
芳香剤プラントの建設に対し、Kuwait Aromatics Company は、伊 Technimont と韓国 SK
Engineering & Construction のコンソーシアムに 12 億 4000 万ドルで発注した45。また、オマーン
の Sohar における芳香剤コンビナートの建設に対し、韓国 LG International と韓国 GS Engineering
& Construction のコンソーシアムが、Aromatics Oman からターン・キー契約において 12 億ドルで
受注している46。この結果、上記 4 件の案件の成約額を合わせると総計 49 億 4000 万ドルに達し、
石油化学関連プロジェクトの総額(96 億 9000 万ドル)の半分強を占める結果となった。
(2)「インフラ」分野:ドバイにおける国土開発計画がリード
「インフラ」分野の成約高は前年比 121.4%増の 334 億 5060 万ドルとなり、プロジェクト市場全体
の 27.7%を占めた。その内容を分類すると、UAE、特にドバイで盛んな総合土地開発プロジェクト
が 199 億ドルと「インフラ」分野の成約高の 6 割を占め、鉄道・地下鉄網の整備プロジェクトの 46
億ドルや、空港整備関連プロジェクトの 41 億ドルを大きく引き離している。
ドバイの総合土地開発プロジェクトについては既述の通りであるが、後述のイラクのスレイマニア
におけるケースを除くと、成約額で最大のものはオマーンの首都マスカットの北西 100 キロにおける
Blue City(Al-Madinat al-Zarqau)の開発である。ホテル、ゴルフ場、住宅、商業・観光・教育・スポ
ーツ施設などの建設を行う同計画が完了すると、25 万人が居住し、年間 200 万人の観光客が訪問
し、そしてオマーン人に対して 5 万人分の雇用を創出することが見込まれている。ギリシャ Aktor とト
ルコ Enka の合弁が、Sawadi Investment & Tourism Company から 19 億ドルで受注した47。
鉄道・地下鉄網の整備プロジェクトに関しては、既述のイラン(24 億ドル)や UAE(11 億 1200 万
ドル)のケースが成約額において大きいものであるが、成約件数が 6 件の同プロジェクトにおいて
アルジェリアが 3 件を占めている。首都アルジェに関係するものとしては、独 Siemens や仏 Vinci、
スペイン Construcciones y Auxiliar de Ferrocarriles (CAF)のコンソーシアムが、Enterprises
Metro d’Alger から 4 億 7300 万ドルで受注した地下鉄 1 号線の建設(ターン・キー契約)と48、仏
Alstom 率いるコンソーシアムが、Enterprises Metro d’Alger から 3 億 2000 万ドルで受注した路面
電車の東部路線の建設(ターン・キー契約)である49。残る 1 件は、アルジェリア国鉄からスペイン
の Obrascon Huarte Lain が 2 億 9600 万ドルで受注した、北東部の Annaba・Ramdane Djamel 間
の路線改良事業である50。なお、首都アルジェにおいては大規模な道路整備プロジェクトも進め
- 76 -
られており、Agence National des Autooutes がスペイン Obrascon Huarte Lain 率いるコンソーシア
ムに 5 億 5500 万ドルで発注した環状 2 号線の建設事業は51、道路・橋梁関連プロジェクトにおい
て成約額が最大のものである。
4.受注国別動向:ML(multilateral)受注が中心
2006 年の受注国別動向を見ると、コンソーシアムを組成しての受注等、他国や他の企業と合同
で受注する傾向が続いている。そうした複数の国の企業コンソーシアムによる受注と、一社であっ
ても多国籍の資本による受注(以下、双方の受注ケースを「ML 受注」と表記)は前年比 31.5%減と
なったにも拘らず、その成約総額は 425 億 1800 万ドルと最も多く、全体の 35.1%を占めた(図表 5
参照)。特に、大型案件の多い「石油・ガス」分野や、「インフラ」分野では、ML 受注の割合が高く
なっており、これは日本企業を含む ML 受注にも当てはまる特色である。
単独受注では前年に引き続き、米国と韓国が上位を占めている。また、地元を含む中東企業
による単独受注、及び中東企業を含む ML 受注も増えてきており、前者は前年比 74.4%増の 329
億 9300 万ドルに達した。イランのように、発注総額 113 億ドルの内の 71 億ドル分を、ローカル・コ
ンテンツ法により地元企業が担っているケースもあるが、このような中東企業による受注額の伸び
は、同地域における経済発展にプラスの影響を与えるであろう。
ここでは最初に、日本企業を含む ML 受注と、日本企業の単独受注について説明する。次ぎに、
単独受注額が上位の米国と韓国の動向に加え、アフリカ進出などで何かと話題になっている中国
の受注動向を加えて、各国毎の動向を紹介する。
図表 5:受注国別成約高
前年比
伸び率
-31.5
2006 年
構成比
35.1
13,005.3
-38.2
10.8
-5.7
5,264.5
-40.9
4.4
-2.6
2000 年
2001 年
2002 年
2003 年
2004 年
2005 年
2006 年
11,270.2
22,488.5
9,682.6
29,123.6
24,981.3
62,103.8
42,518.0
米国
5,635.3
2,168.2
760.8
4,004.2
8,695.5
21,045.4
韓国
2,031.6
1,695.4
738.6
1,162.0
3,999.1
8,900.8
ML(多国籍企業、JVなど)
前年比
寄与度
-13.8
主要国(OECD)
ドイツ
967.7
3,073.4
548.8
3,203.7
2,127.8
2,850.8
4,347.0
52.5
3.6
1.1
イギリス
755.8
771.3
117.2
1,954.5
519.0
1,321.0
4,122.0
212.0
3.4
2.0
フランス
1,348.9
2,370.4
2,105.0
10,065.5
2,192.2
3,165.0
2,185.4
-31.0
1.8
-0.7
43.6
231.0
406.1
575.9
141.3
3,197.0
2,143.0
-33.0
1.8
-0.7
カナダ
オランダ
80.3
172.2
233.4
266.8
302.1
5,186.0
1,100.0
-78.8
0.9
-2.9
969.4
157.5
2,101.5
1,884.7
4,787.3
2,366.9
1,017.0
-57.0
0.8
-0.9
イタリア
1,649.2
2,353.7
1,373.5
1,860.0
1,729.1
4,749.0
952.0
-80.0
0.8
-2.7
スペイン
0.0
120.0
375.0
0.0
2,175.2
1,926.6
556.0
-71.1
0.5
-1.0
中国
586.5
634.0
525.0
1,279.0
1,736.8
2,357.0
1,813.7
-23.1
1.5
-0.4
インド
293.2
45.0
168.0
395.3
244.1
855.6
806.0
-5.8
0.7
0.0
中東諸国
4,966.9
3,186.0
3,395.4
4,460.4
9,332.4
18,921.2
32,993.0
74.4
27.3
9.9
その他
2,356.4
1,517.0
1,019.9
2,395.7
5,805.9
3,217.3
8,140.2
153.0
6.7
3.5
32,955.0
40,983.6
23,550.8
62,631.3
68,769.1
142,163.4
120,963.1
-14.9
100.0
-14.9
日本
主要国(非 OECD)
合計
出所:MEED 各号。一部、日本経済新聞。
注:国防分野を除く。
- 77 -
(1)日本企業関連の ML 受注:カタルにおける「石油・ガス」分野を中心に受注
ML 受注の成約総額 425 億 1800 万ドルの内、日本企業が関連した ML 受注の成約総額は 78
億 9300 万ドルとなり(付表 2 参照)、ML 受注全体の 18.6%を占めた52。ML 受注全体の伸び率が
前年比 31.5%減の中で、日本企業関連の ML 受注は前年比 65.1%減(2005 年:226 億ドル→2006
年:79 億ドル)となっており、欧米諸国の企業と中東諸国や韓国、中国、インドの企業による ML 受
注が、日本企業関連の ML 受注が減少した分の成約額を伸ばしている状況となっている。なお、
日本企業を除く ML 受注は UAE やサウジアラビア、カタルといった、「石油・ガス」分野や「インフ
ラ」分野に関連するプロジェクトが盛んな国家に集中している。
日本企業関連の ML 受注は 4 ヶ国で総計 11 件、カタルが 7 件(総額 61 億ドル)、アルジェリア
が 2 件(総額 11 億ドル)、クウェートが 1 件(総額 6 億ドル)、サウジアラビアが 1 件(総額 1 億ドル)
となっている。なお、2005 年における日本企業関連の ML 受注は 8 ヶ国で総計 18 件であり、カタ
ルが 4 件(総額 143 億ドル)、UAE が 3 件(総額 35 億ドル)、イランが 3 件(総額 5 億ドル)、クウェ
ートが 2 件(総額 1 億ドル)、サウジアラビアが 2 件(総額 19 億ドル)、イエメンが 2 件(総額 22 億
ドル)、バハレーンが 1 件(総額 1 億ドル)、アルジェリアが 1 件(総額 0.02 億ドル)であった。従っ
て、日本企業関連の ML 受注の相手国数と成約件数が共に減少している中で、成約件数の伸び
が見られた国はカタルとアルジェリアであるが、他方で成約額の伸びが見られた国はアルジェリア
とクウェートとなった。
カタルにおいては既述の RasGas III の LNG プロジェクト以外に、世界最大規模の液体燃料
(GTL)プロジェクトである Pearl GTL プロジェクトに、日本企業が関係している。千代田化工は
Hyundai Heavy Industries Company と、合成ガス製造工程に伴うプラントの建設を 17 億 5000 万ド
ルで、また東洋エンジニアリングは Hyundai Engineering & Construction Company と、液体燃料
合成工程に伴うプラントの建設を 14 億 8000 万ドルで、Royal Dutuh/Shell Group からそれぞれ受
注した53。カタルにおけるその他の日本企業関連の ML プロジェクトは、既述の新ドーハ国際空港
関連の案件 2 件と、下水整備関連の案件(仏 Degremont、丸紅、クウェート Mushrif Trading &
Contracting Company のコンソーシアムが、Qatari Diar Real Estate Investment Company から 2
億ドルで受注)54、送電線網整備関連の案件(丸紅と韓国 LS ケーブルが、水道・電力事業を手掛
ける公社からドーハ周辺の送電線敷設工事を 1 億ドルで受注)である55。また、アルジェリアやサ
ウジアラビア、クウェートにおけるプロジェクトに関して、既述のアルジェリアにおける LNG プロジェ
クト(10 億ドル)に次ぐ成約額であったのは、同じく既述のクウェートにおけるリアクター契約(6 億ド
ル)であり、残りのアルジェリア(原油タンカー建造プロジェクト)と56、サウジアラビア(石油精製施
設関連プロジェクト)は57、成約額がそれぞれ 1 億 2000 万ドルと 9000 万ドルとなっている。
日本企業関連の ML 受注 11 件を分野別に見ると、「石油・ガス」分野が 6 件(成約高 64 億 2000
万ドル、カタル 3 件、サウジアラビア、クウェート、アルジェリアで各 1 件)、空港整備関連プロジェク
トの「インフラ」分野が 2 件(成約高 10 億 5300 万ドル、共にカタル)、カタルにおける下水整備プロ
ジェクトの「公共サービス」分野が 1 件(成約高 2 億ドル)、アルジェリアにおけるタンカー建造プロ
- 78 -
ジェクトの「運輸機器」分野が 1 件(成約高 1 億 2000 万ドル)、カタルの送電線網整備関連プロジ
ェクトの「電力・水」分野が 1 件(成約高 1 億ドル)となる。なお、2005 年における日本企業関連の
ML 受注 18 件を分野別に見ると、「石油・ガス」分野が 12 件(成約高 186 億ドル、カタル 3 件、イ
ラン 3 件、サウジアラビア 2 件、イエメン 2 件、アルジェリアとイエメンで各 1 件)、「電力・水」分野
が 3 件(成約高 2 億ドル、クウェート、バハレーン、UAE で各 1 件)、「インフラ」分野が 1 件(成約
高 34 億ドル、UAE)、「公共サービス」分野が 1 件(成約高 3 億ドル、カタル)、「商業」分野が 1 件
(1 億ドル、UAE)であった。従って、受注件数が増えた分野は「インフラ」と「運輸機器」であり、受
注額が増えた分野は「運輸機器」分野だけとなった。
(2)日本企業による単独受注:UAE における「インフラ」分野を中心に受注
日本企業による単独受注は総額 10 億 1700 万ドルとなり、前年の 23 億 6690 万ドルと比較する
と 57.0%の減少となった。この減少率は、ドイツとイギリスを除く OECD 主要国の平均減少率 53.3%
を上回っており、また 2005 年における日本の対前年比減少率(50.6%)をも上回る結果となった。
日本企業単独による 8 件の受注件数の内、UAE における受注が 5 件(総額 7 億 2700 万ドル)、
を占め、他はカタルの 2 件(総額 1 億 7000 万ドル)とアルジェリアの 1 件(総額 1 億 2000 万ドル)
である。2005 年においてはサウジアラビアで 3 件(総額 20 億ドル)、UAE で 2 件(総額 2 億 4500
万ドル)、バハレーンで 2 件(総額 5790 万ドル)、エジプトで 1 件(総額 4400 万ドル)、クウェート
で 1 件(総額 2000 万ドル)であり、2006 年はアルジェリアとカタルで新規に受注した。成約額が目
立って大きいのは、清水建設が UAE で Nakheel から 5 億 4400 万ドルで受注した、パーム・ジュメ
イラにおける総合土地開発計画である58。その他の億単位の成約案件は、三菱商事がカタルで
水道・電力事業担当の公社から 1 億 3300 万ドルで受注した、ドーハ及び南郊外における送電線
敷設事業と59、伊藤忠商事がアルジェリアで Sonatrach から 1 億 2000 万ドルで受注した、Arzew
における LPG プラントの改良事業計画60、大成建設が UAE で Roads & Transport Authority から
1 億 1100 万ドルで受注した、道路改修事業である61。なお、カタルにおけるもう 1 つの受注プロジ
ェクトは、Qatar General Electricity & Water Company が酉島製作所に発注した、Salwa 工業地帯
などにおける上水道の整備事業である62。
日本企業の単独受注を分野別に見ると、UAE における国土開発プロジェクトや道路改修プロ
ジェクトである「インフラ」分野が 3 件(成約高 7 億 700 万ドル)、「石油・ガス」分野が 2 件(成約高
1 億 4000 万ドル、アルジェリアと UAE)、「公共サービス」分野が 1 件(成約高 3700 万ドル、カタル)、
「電力・水」分野が 1 件(成約高 1 億 3300 万ドル、カタル)、「運輸機器」分野が 1 件(成約高不明、
UAE)となっている。なお、2005 年においては「石油・ガス」分野が 5 件(成約高 20 億 2000 万ドル)、
「電力・水」分野が 3 件(成約高 1 億 190 万ドル)、「インフラ」分野が 1 件(成約高 2 億 4500 万ド
ル)となっており、この結果 2006 年においては「石油・ガス」分野の成約高が大幅に落ち込んだ一
方で、「インフラ」分野の成約高が伸びを示し、「公共サービス」分野と「運輸機器」分野で新たに
プロジェクトを受注した。
- 79 -
このように、前年に引き続き日本企業による受注は ML が主役となっているが、ML 受注、単独
受注共に成約額の減少割合が大きく、明るい話題には乏しい状況となっている。ML 受注にとっ
ての明るい話題はアルジェリアからの原油タンカー受注のみと言ってもよい状況であるが、アルジ
ェリアの「石油・ガス」分野の成約高は伸びており(2005 年:7 億 4080 万ドル→2006 年:14 億 8700
万ドル)、タンカーの受注は今後も見込まれるであろう。また、単独受注に関しては UAE における
「インフラ」分野の成約高が伸びており(2005 年:2 億 4500 万ドル→2006 年:7 億 700 万ドル)、総
合土地開発計画が盛んな同国における「インフラ」分野の伸び(2005 年:93 億 2620 万ドル→2006
年:154 億 8460 万ドル)や日本の土木建築技術の高さを考慮すると、同国からの発注が今後増え
る可能性は高いと思われる63。
(3)米国:湾岸諸国で「石油・ガス」と「運輸機器」を中心に受注
米国においても 2006 年の受注総額は減少しているが、日本における割合(57.0%)ほど減少の
幅は大きくない。中東プロジェクト市場の成約総額の 10.8%に相当する 130 億 5000 万ドルを受注
した米国は、サウジアラビア(8 件)、クウェート(5 件)、カタル(4 件)、ヨルダン(2 件)、バハレーン、
エジプト、UAE(各 1 件)の、計 22 件のプロジェクトを受注した。湾岸諸国を中心に受注した中で、
成約額が目立っているのは既述のカタル(49 億ドル)と UAE(28 億ドル)の航空機発注プロジェク
トである。分野別に見ると、「石油・ガス」分野が 14 件で最も多く、成約高は 35 億 3200 万ドルとな
った。「運輸機器」分野と「電力・水」分野の受注件数は共に 3 件であるが、前者は航空機発注プ
ロジェクトのお蔭で、その成約高が「石油・ガス」を大幅に上回る 84 億 5000 万ドルとなった。
(4)韓国:湾岸諸国で「石油・ガス」分野を中心に受注
前年比 40.9%減の 52 億 6450 万ドルを受注した韓国は、UAE で 7 件、サウジアラビアで 4 件、
クウェート、オマーン、カタル、レバノンで各 1 件の、計 15 件のプロジェクトを受注した。湾岸諸国
からのみ受注したのに近い状況の中で、成約額が目立っているのは、既述のアブダビのウンム・
シャイフ海上油田に対するガス再注入プロジェクト(16 億ドル)と、オマーンの Sohar における芳香
剤コンビナート建設プロジェクト(12 億ドル)である。分野別に見ると、「石油・ガス」分野と「運輸機
器」分野の成約件数が各 4 件であるが、前者は上記 2 件の大型プロジェクトを含んでいることもあ
って、成約高は 32 億 5200 万ドルに達している。なお、「運輸機器」分野は全て船舶関連の契約と
なっており、成約高は 6 億 4800 万ドルとなっている。
(5)中国:中東全域で中小規模なプロジェクトを受注
前年比 23.1 %減の 18 億 1370 万ドルを受注した中国は、UAE とイエメンで各 3 件、サウジアラビ
アで 2 件、カタル、イラン、シリア、エジプト、リビア、モロッコで各 1 件の、計 14 件のプロジェクトを受
注した。中東全域で広範に発注を受けているが、各プロジェクトの成約額は全て 5 億ドル以下であ
り、成約額が最大なのは Sinohydro が Qatari Diar Real Estate & Investment Company から 4 億
- 80 -
4000 万ドルで受注した、Lusail における総合土地開発プロジェクトである64。UAE においてはセメン
ト関連プロジェクト(2 億 8000 万ドル)65、総合土地開発プロジェクト(2 億 7200 万ドル)66、UMTS
(universal mobile telecommunications/high-speed)プロジェクト(成約額不明)を受注した67。
イエメンにおいてはサナア国際空港の拡張工事(1 億 1500 万ドル)68、Bajil のセメント工場の拡
張(1 億ドル)69、ハドラマウトのセメント工場におけるクリンカー・ラインの導入(成約額不明)、とい
った事業を受注した70。分野別の成約高を見ると、セメント関連プロジェクトの「鉱工業」分野が 7
億 1000 万ドル(UAE、イエメン、エジプト、サウジアラビアから計 5 件受注)、空港関連プロジェクト
や総合土地開発関連プロジェクトの「インフラ」分野が 8 億 2670 万ドル(UAE、カタル、イエメンか
ら計 3 件受注)で目立っている。その他、「石油・ガス」分野が 9700 万ドル(リビアとシリアで計 2 件
受注)、貨物船購入プロジェクトの「運輸機器」分野が 1 億 8000 万ドル(イランで 1 件受注)、成約
額不明の「通信」分野(サウジアラビア、モロッコ、クウェートで計 3 件受注)となっている。
5.イラクの動向
2006 年におけるイラクの発注総額は前年比 310.1%増の 54 億 9800 万ドルとなった。2004 年か
ら 2005 年にかけてのイラクの成約総額の減少率 86.9%に比べると71、回復傾向を見せているが、
2004 年の発注総額(102 億 950 万ドル)に比べると、半分強に過ぎない状態となっている。しかし
ながら、2004 年の発注総額は「米国政府」(CPA:連合国暫定当局、USACE:米国陸軍工兵隊、
USAID:米国国際開発庁)によるものが大部分を占めており、イラク移行政府の発足(2005 年 4
月)後、イラクのプロジェクト市場は発注総額を見る限り順調に推移しているように見える。
ここでは最初に、2006 年におけるイラクの発注総額の伸びを、他の産油国や中東諸国全体の
動向と比べた上で、同年におけるプロジェクト動向を受注国・分野別に概観する。その上で、今後
のイラクにおけるプロジェクト動向を考えていくことにする。
(1)2006 年の状況
イラクの伸び率である前年比 310.1%増という数字は、産油国と中東諸国全体の減少率を大幅
に上回るものとなっている。仮に、イラクの伸び率が産油国と同じく前年比 13.8%減であったならば、
同国の 2006 年における成約総額は 11 億 5510 万ドルとなり、産油国の中ではリビア(11 億 960
万ドル)とほぼ同額になった。同様に、イラクの伸び率が中東諸国全体と同じく前年比 14.9%減で
あったならば、同国の 2006 年における成約総額は 11 億 4080 万ドルとなることになる。以下、イラ
クが 2003 年に中東プロジェクト市場に復活してから、同様な方法で算出した見込み額と実際の成
約額の推移である(図表 6)。
- 81 -
図表 6:イラクにおける成約額及び見込み額
(単位:100 万ドル)
2003 年
2004 年
2005 年
2006 年
実際の成約額
414.3
10,209.5
1,340.5
5,498.0
見込み額(産油国の伸び率から算出)
223.2
445.4
21,930.0
1,155.1
見込み額(中東諸国の伸び率から算出)
199.4
454.9
21,103.0
1,140.8
出所:MEED 各号。一部、日本経済新聞。
注:国防分野を除く。
25,000.0
20,000.0
実際の成約額
15,000.0
見込み額(産油国の伸び率から
算出)
見込み額(中東諸国の伸び率か
ら算出)
10,000.0
5,000.0
0.0
2003年
2004年
2005年
2006年
この表から言えることは、2005 年には活況を呈した中東プロジェクト市場において、イラクの落
ち込みが目立つ結果となっているが、2006 年には市場全体が落ち込む中で、同国における成約
総額が見込み額を上回っているということである。なお、2006 年のイラクにおけるプロジェクト一覧
は(図表 7)の通りであり、この表から言えることは成約プロジェクトの 3 分の 2 が比較的治安の安
定しているクルド地域に関するものであり、また大型案件が全て同地区に関するものであるなど、
イラク全土でプロジェクトの発注が盛んに行われているわけではないということである。
- 82 -
図表 7:イラクにおけるプロジェクト一覧(2006 年)
プロジェクト概要
受注企業
クルマラにおける発電所の建設(クルド地区)
Mass Jordan Trading
Company(ヨルダン)
ドホーク近郊におけるセメント工場の建設(クルド地区)
Inekon Group(チェコ)
バイジ石油精製所における異性化装置の建設
Chemproject (チェコ)
スレイマニア県における住宅建設を中心とする総合的な
土地開発(クルド地区)
イルビルとドホーク、及びイブラヒーム・ハリールを結ぶ道
路の建設(クルド地区)
Anglo-Kurdistan(英)
Protek Proje(トルコ)
光ファイバー・ネットワークの敷設
Nortel (加)
発注企業
成約額
MEED 掲載
Electirity Ministry
250.0
2006.01.13
SJ Company Iraq
400.0
2006.01.20
28.0
2006.01.27
4,000.0
2006.11.17
800.0
2006.11.17
20.0
2006.11.24
North Refineries
Company
Kurdish Regional
Government
Kurdish Regional
Government
Telecommunications &
Post Ministry
出所:MEED 各号。
成約額の大きい順に各プロジェクトの内容を見ていくと、英国の Anglo-Kurdistan がクルド地域
政府から 40 億ドルで受注した、スレイマニア県における住宅建設を中心とする総合的な土地開
発プロジェクトは、5 都市に 2 万 5000 戸の住宅や、学校や病院の建設、その他のインフラ整備を
行うものである。他方で、トルコ Protek Proje は同じくクルド地域政府から、イルビルとドホーク、及
びイブラヒーム・ハリールを結ぶ道路建設工事を 8 億ドルで受注した。完成すれば、イルビルから
トルコ国境に近いザホまでの所要時間が、現行の 4 時間から 1.5 時間に短縮される見通しで、ト
ルコとの貿易量拡大が見込まれている72。
プラハに本社のある Inekon Group 率いるチェコスロバキアのコンソーシアムは、イルビルに本社
のある SJ Company Iraq から、ドホーク近郊におけるセメント工場の建設事業を、4 億ドルで受注し
た73。また、Mass Jordan Trading Company は、電力省から、イルビルを中心とする北部イラクの電
力事情の改善を目的とした、クルマラにおける発電所の建設事業(BOO 契約)を、2 億 5000 万ド
ルで受注した74。
以上、4 件のプロジェクト(発注総額 54 億 5000 万ドル)は全てクルド地域に関するものであり、
またイラクにおける発注総額の 99.1%を占めている。残り 2 つのプロジェクトの内、バイジ石油精製
所における異性化装置の建設に関しては、プラハに本社のある Chemoprojekt 率いるチェコスロ
バキアのコンソーシアムが、North Refineries Company から 2800 万ドルで受注した75。他方で、イ
ラク全土における光ファイバー・ネットワークの敷設に関しては、加 Nortel が通信・郵政省から
2000 万ドルで受注した76。
上記のプロジェクト概要から、イラクにおける 6 件のプロジェクトに関して受注国別の成約総額を
見ると、イギリスが 40 億ドル、トルコが 8 億ドル、チェコスロバキアが 2 件で 4 億 2800 万ドル、ヨル
ダンが 2 億 5000 万ドル、カナダが 2000 万ドルとなる。成約高を分野別に見ると、住宅建設を中心
とする総合的な土地開発及び道路建設の「インフラ」が 2 件で 48 億ドル、セメント工場建設に伴う
「鉱工業」が 4 億ドル、クルマラにおける発電所建設に伴う「電力・水」が 2 億 5000 万ドル、バイジ
製油所における異性化装置建設に伴う「石油・ガス」が 2800 万ドル、光ファイバー・ネットワークの
敷設に伴う「通信」が 2000 万ドルとなっている。従って、クルド地域における「インフラ」分野の成約
- 83 -
高が、イラクの発注総額の 87.3%を占めていることになり、同地域が比較的安定していることを考え
ると、今後の伸びが期待出来ると言えよう。
(2)イラン・イラク戦争後の状況
イラン・イラク戦争の停戦は 1988 年 8 月 20 日に発効し、イラクは戦後復興の道を歩み始めた。
しかしながら、同国は 1990 年 8 月 2 日にクウェートに侵攻して湾岸危機・湾岸戦争を招き、その後
は国連制裁の影響もあって復興プロジェクトは頓挫するに至った。そこで、1988 年下半期と 1989
年、1990 年上半期の 2 年間における、イラクによる発注プロジェクトの動向を見ることで、復興プロ
セスを概観することにする。
① 1988 年下半期
1988 年下半期におけるイラクの発注総額は、上半期の 1 億 7280 万ドルから大幅に急増し、21
億 6730 万ドル(プロジェクト件数:39 件)になった77。その中で、成約額が 1 億ドルを越えている超
大型案件と言えるものは以下の 6 件となる。西独 Mannesmann Anlagenbau が、Northern Oil
Company から 2 億 2500 万ドルで受注した、サッダーム・フセイン油田の開発78、ユーゴスラビア
Ingra が、農業・灌漑省国家ダム委員会から 2 億 800 万ドルで受注した、Bekme ダムに対するハイ
ドロ・メカニカル設備の供給79、伊 Gruppo Industrie Elettromeccaniche per Impianti all’Estero
(GIE)が、産業・軍事産業省から 1 億 8860 万ドルで受注した、シャマール発電所に対する出力
350 メガワットの蒸気発生器 4 基の供給80、仏 GTS Industries が、State Company for Oil Projects
から 1 億 5750 万ドルで受注した、イラク南北を結ぶ石油パイプラインの建設(総延長 570 キロ)81、
英 NEI Parsons が、産業・軍事産業省から 1 億 2750 万ドルで受注した、シャマール発電所に対す
る出力 350 メガワットの石油点火タービン発生器 4 基の供給82、ブラジル Massey Perkins が 1 億ド
ルで受注した、トラクターと収穫機の供給である83。このように、超大型の成約プロジェクト 6 件の内
2 件は、シャマール発電所に関係した案件と言える。
分野別に見ると、発電所やダムの建設・改良に関する「電力・水」の件数が 14 件と最も多く、成
約高は 7 億 220 万ドルとなった。その他、成約高に関して目立っているのは「石油・ガス」の 5 件で、
4 億 250 万ドルとなった。また、件数的には同じ 4 件である、政府系建物の修復や学校の建設を
中心とする「公共サービス」の成約高は 1450 万ドル、道路建設を中心とする「インフラ」の成約高
は 1210 万ドルであった。
受注国別に見ると、「農業」や「鉱工業」から「電力・水」、「公共サービス」、「石油」に至るまで、
幅広い分野で受注した旧宗主国のイギリスが 8 件(成約総額 2 億 3050 万ドル)、ダムや変電所建
設などの「電力・水」を中心に受注したユーゴスラビアが 5 件(成約総額 2 億 4200 万ドル)となって
いる。また、イタリアが 3 件(成約総額 1 億 9100 万ドル)、フランス(成約総額 1 億 5750 万ドル)と
ソ連(成約総額 2000 万ドル)が 2 件ずつとなっているが、戦争中多大な軍事援助を行った米国に
関しては、Soberay Machine & Equipment Company が、ナジャフにあるタイヤ工場に対する機械
- 84 -
の供給を 860 万ドルで受注したに留まった84。
ML 受注に関しては、ユーゴスラビア Energoprojekt と地元 Dijla Center for Studies & Designs
of Irrigation Projects の合弁が、Bekme ダム建設に伴うコンサルティング・サービスを 3000 万ドル
で受注した85。このように、単独受注・ML 受注共にユーゴスラビア企業の活動が目立っている。な
お、イラク企業による単独受注に関して言えば、「公共サービス」分野を中心に 6 件受注したが、
成約額の不明なものが多く、唯一判明しているのは半国営の Farouq Contracting Company が地
方政府省から 480 万ドルで受注した、バグダードにおける学校建設のみである86。
② 1989 年
1989 年におけるイラクの発注総額は上半期 19 億 4000 万ドル、下半期 20 億 5900 万ドルであ
り、総計で前年比 167%増の 39 億 9900 万ドル(プロジェクト件数 137 件)となった87。その中で、成
約額が 1 億ドルを超えている超大型案件の数は前年の 6 件から 9 件に増えた。また、成約額 2
億ドル以上の案件に限って言及すると、以下の 5 件となり、前年の 2 件から倍増した。地元
Mansour Contracting Company が、General Establishment for Iraqi Ports から 5 億 9000 万ドルで
受注した、ウンム・カスル港における 13 のバース建設を筆頭に88、伊 Snamprogetti が、産業・軍事
産業省肥料プロジェクト委員会から 3 億 2800 万ドルで受注した、窒素肥料工場の建設89、英
Babcock Energy が、産業・軍事産業省から 2 億 8800 万ドルで受注した、アンバール発電所に対
す る ボ イ ラ ー 及 び 付 属 設 備 の 供 給 、 伊 Gruppo Industrie Elettromeccaniche per Impianti
all’Elstero(GIE)が、同じく産業・軍事産業省から 2 億 8000 万ドルで受注した、アンバール発電所
に対する 300 メガワットのタービン 6 機の供給90、ブラジル Volkswagen do Brasil が、2 億ドルで受
注した、15000 台の Amazon 型乗用車及びスペア部品の供給である91。
分野別に見ると、発電所やダムの建設・改良に関する「電力・水」が 30 件で成約高は 13 億
6960 万ドルとなり、同年におけるイラクの成約総額の 30%強を占めるに至った。その中には、成約
額が 1 億ドル以上の超大型案件 9 件の中の 3 件が含まれている。他、成約件数が目立っている
分野は石油やガスの開発、精製、輸送、石油化学工業などを内容とする「石油・ガス」の 26 件で
あるが、比較的小規模な案件や成約額不明なことが多く、成約高は 3 億 1390 万ドルに留まってい
る。また、道路や鉄道、港湾などの建設を中心とする「インフラ」は 5 件で成約高は 6 億 6330 万ド
ルとなったが、既述のウンム・カスル港におけるバース建設を除くと、その他の案件は全て最高で
も成約額 4550 万ドルの比較的小規模なものになっている。なお、病院や下水処理施設の建設な
どの「公共サービス」は 12 件で成約高は 2 億 5160 万ドルとなっている。
受注国別に見ると、前年下半期と同じく幅広い分野で受注したイギリスと、「電力・水」分野に加
えて「通信」分野での受注が目立ったユーゴスラビアが、成約件数では共に 21 でトップを占め、成
約総額はそれぞれ 4 億 7910 万ドルと 5 億 1060 万ドルとなった。しかしながら、成約総額では前
述の 2 億ドル以上の超大型プロジェクトを 2 件受注したイタリアが、成約件数は 13 件で 8 億 3990
万ドルと、最も多い状態となっている。その他、米国は「鉱工業」や「石油・ガス」といった分野を中
- 85 -
心に 10 件受注したが、成約額が不明なものが多く、1520 万ドル分しか明らかにされていない状態
である。
日本企業による受注に関しては、石油の精製と石油化学に関するプロジェクトを各 2 件ずつ受
注した結果、「石油・ガス」分野における成約件数が 4 件で成約高は 3800 万ドルになったが、成
約額が判明しているのはムサイイブにおける製油所の貯蔵庫建設に伴う案件のみである92。ここ
では、前年下半期にイラクにおいて成約プロジェクトが見られなかった「通信」分野における、日
本企業の受注動向に注目してみたい。「通信」分野における 7 件の成約プロジェクト(成約高 9395
万ドル)の内、ユーゴスラビアの 3 件(成約総額 1875 万ドル)に次ぐ 2 件(成約総額 2020 万ドル)
の発注を日本企業は受けており、住友商事が 1130 万ドルで受注した通信設備のアップグレード
と93、三井物産が 890 万ドルで受注したサウジアラビアと結ぶ電話線の敷設である94。しかしなが
ら、「通信」分野における単独の成約額では仏 Alcatel CIT が 4700 万ドルで受注した、13 のデジ
タル式電話交換局の設置に関する案件が最大となっており95、また同案件はこの分野における成
約高の半分強を占める状態となっている。
ML 受注に関しては、「鉱工業」分野と「石油」分野で計 3 件となっている。その内、成約額が明
らかになっているのは、バグダードに本社のあ る Arab Company for Detergent Chemicals
(Aradet)から、ベルギーAbay と仏 Spie-Batignolles が 7500 万ドルで受注した、トリポリリン酸ナトリ
ウム工場の建設と96、State Enterprise for Iron and Steel(SEIS)から、西独 Mannesmann Demag
Huttentechnik や、英 Kloeckner INA Industrial Plants、スペイン Stein Hornos から成るコンソーシ
アムが 1 億 3600 万ドルで受注した、南部の Khor al-Zubair における主に石油産業用のパイプを
製造する工場の建設97、SEIS から、西独 Mannesmann Demag Huttentechnik と英 Kloeckner INA
Industrial Plants が受注した、油井掘削用のパイプ製造工場の建設である98。
③ 1990 年上半期
1990 年上半期のイラクの発注総額は前年比 77.4%減の 9 億 3480 万ドルとなり、下半期は湾岸
危機の影響から成約件数がゼロとなったので、同年における発注総額も同額となった99。成約額
が 1 億ドル以上の超大型案件は 1 件のみとなり、Australian Wheat Board が Grain Board of Iraq
に対して、150 万トンの小麦を 2 億 2600 万ドルで供給する案件である100。なお、成約額が 5000
万ドル以上の大型案件と言えるものは、西独 Siemens が Salahaddin State Establishment から 7570
万ドルで受注した、通信機器設備のライセンスに関するもの101、伊 Tecnimont が Technical Corps
for Special Projects から 7100 万ドルで受注した、クロルアルカリ工場の建設102、State Company
for Machinery & Equipment Maintenance が農業灌漑省から 6640 万ドルで受注した、ジャジーラ
東部における灌漑プロジェクトに伴う 28 のポンプ場の建設103、地元の Mansour Construction
Company が 6100 万ドルで受注した、船舶の建造及び修理用のドックの建設104、以上 4 件であ
る。
分野別に見ると、「鉱工業」分野が 10 件(成約高:1 億 1120 万ドル)を占めているが、既述の船
- 86 -
舶ドックの案件を別にす ると小規模 なものが多く 、1000 万ドル以上の案 件は三井物 産が
Electronic Industries Company から 2000 万ドルで受注した、テレビセット 5 万台の供給と105、仏
Merlin-Gerin が 1290 万ドルで受注した、発電所に対する電流開閉装置の製造工場の建設である
106
。「鉱工業」分野に次ぐ成約件数を持っているのは「電力・水」分野の 7 件(成約高:7210 万ド
ル)である。その中では、伊 SAE Sadelmi が 4520 万ドルで受注した変電所建設と107、トーメンが
2260 万ドルで受注したアンバール火力発電所の建設に関する案件が108、成約額の点で目立っ
ており、残り 5 件は最大でも成約額 250 万ドルに過ぎない案件となっている。「石油・ガス」分野に
関しては成約件数が 5 件(成約高:1 億 1220 万ドル)であり、その中で既述の伊 Tecnimont が 7100
万ドルで受注した、クロルアルカリ工場の建設案件の次に成約額が大きいのは、日商岩井が
3330 万ドルで受注した石油精製に伴う貯蔵タンクの装備品及び素材の供給である109。
受注国別では、イギリスが「電力・水」や、「石油・ガス」、「鉱工業」といった分野で計 7 件受注し、
成約総額は 2460 万ドルとなった。その中では、英 Weir Pumps と Johnson Pipes が地元の Farouq
Construction Company から 2000 万ドルで受注した、下水整備に関連する装備と配管の供給が、
成約額の点から目立っている110。1988 年と 1989 年において成約件数で目立っていたユーゴスラ
ビアは 3 件で、インドと同件数になったが、成約総額は 2470 万ドルとなり、インドの 1450 万ドルを
上回っているが、他方で日本の成約総額の 4260 万ドルを下回った。なお、ユーゴスラビアに関し
ては Invest-Import と Gosa の 2 社による、Iraq Railways Department から 2200 万ドルで受注した
鉄道車両の供給に関する案件が111、成約額の点で目立っている。また、イタリアは成約件数 2 件
であるが、既述の大型プロジェクトのお蔭で、国別の成約総額はイラクを除くと最大の 1 億 1620 万
ドルとなっている。
地元企業の受注は 8 件で成約総額は 2 億 3150 万ドルとなっているが、これは既述の State
Company for Machinery & Equipment Maintenance が 6640 万ドルで受注した灌漑プロジェクト関
連の契約や、地元の Mansour Construction Company が 6100 万ドルで受注したドックの建設に関
する契約といった、比較的大型の案件が多いためである。ML 受注に関しては、パキスタン
National Engineering Services が地元 Dijla Center for Studies & Designs of Irrigation Projects と
受注した、成約額不明のダム建設に伴う調査案件112、1 件のみとなった。
結果として、日本企業は 1988 年下半期から 1990 年上半期にかけて、イラクで計 8 件(成約総
額 1 億 80 万ドル)受注したのであるが、その内で成約額 1000 万ドル以上の受注プロジェクトにつ
いては 4 件であった(図表 8)。
- 87 -
図表 8:イラクにおける日本企業受注プロジェクト一覧(1988 年下半期~1990 年上半期)
(単位:100 万ドル)
プロジェクト概要
受注企業
発注企業
成約額
MEED 掲載
ABS 樹脂工場の建設
東洋エンジニアリング
Techcorp
不明
1989.02.03
ブタジエン工場の建設
東洋エンジニアリング、
日商岩井
Techcorp
不明
1989.03.31
ムサイイブにおける製油所の貯蔵
庫建設(111 ヵ所)
日商岩井、石井鉄工所
Techcorp
38.0
1989.05.12
通信設備のアップグレード
住友商事
不明
11.3
1989.08.25
原油蒸留設備の導入
三菱商事
Techcorp
不明
1989.09.15
サウジアラビアと結ぶ電話線の敷設
三井物産
Transport & Communications Ministry
8.9
1989.11.10
テレビセット 5 万台の供給
三井物産
Electronic Industries Company
20.0
1990.02.02
アンバール火力発電所の建設
トーメン
State Comission for Implementing Anbar TPS
22.6
1990.02.09
出所:MEED 各号。
(3)2005 年を中心としたイラク戦争後の動向
イラクが中東プロジェクト市場に復帰した 2003 年と、前年比 2364.3%増を記録した 2004 年にお
いては、プロジェクトの殆どが「米国政府」(CPA:連合国暫定当局、USACE:米国陸軍工兵隊、
USAID:米国国際開発庁)による発注であった結果、こうした米国発注プロジェクトはその殆どを米
国企業、及び米国企業と外国企業との合弁が受注する結果となった。2003 年においては成約総
額 4 億 1430 万ドル、17 件のプロジェクトの内、「米国政府」による発注は 12 件、3 億 3775 万ドル
に達した。なお、同年における米国企業以外の受注はクウェート企業が 2 社と、英国企業が 1 社と
なっている。2004 年においては成約総額 102 億 950 万ドル、22 件のプロジェクトの内、「米国政
府」による発注は 15 件、92 億 5300 万ドルとなった。なお、国連開発計画(UNDP)やイラクの石油
省、電力省などが行った発注プロジェクトに関しては、フィンランドやドイツ、中国やベルギーの企
業が受注した。なお、日本政府は 2003 年 10 月に開かれたイラク復興支援国際会合において、
米国に次ぐ 49 億ドル相当の資金援助を表明し、復興援助を行ってきたが、2004 年は無償資金協
力が中心であったため、プロジェクト市場には登場しなかった113。
このように、イラクにおける成約総額は 2003 年の 4 億ドルから 2004 年には 103 億ドルへと、一
気に膨らんだが、実際には武装勢力によるテロや米軍による掃討作戦が続くことから、プロジェク
トの多くは順調に進展していないと思われる。このような治安情勢を受けて、2005 年の成約件数
及び成約総額は一転して減少し、前年からの産油国や中東諸国の伸び率と同様であれば成約
総額が 200 億ドルを越えるはずのところ、5 件で 13 億 4050 万ドルとなった。分野別の成約高を見
ると、「電力」が 1 件で 9 億 3500 万ドル、「インフラ」が 1 件で 1350 万ドル、「石油・ガス」が 3 件で
3 億 9200 万ドルとなった。
- 88 -
図表 9:イラクにおけるプロジェクト一覧(2005 年)
(単位:100 万ドル)
プロジェクト概要
受注企業
モースル近郊におけるシャマル発電所
の建設(クルド地区)
Siemens(独), Ansaldo Energia(伊),
Energoprojekt(旧ユーゴ)
Hamrin 油田の開発
発注企業
成約額
MEED 掲載
Electirity Ministry
935.0
2005.03.11
OGI Group(加)
State Company for Oil
Projects
180.0
2005.04.01
機関車に搭載する列車制御システムの
供給
Mafeks International(米)
Iraqi Republics
Railways
13.5
2005.04.08
Rumaila 及び西 Qurna 油田の油彩採掘
Rasco Group(イラク)
South Oil Company
15.0
2005.05.13
Subha 及び Luhais 油田の増産
Petrel Resources(アイルランド)
State Company for Oil
Projects
197.0
2005.09.09
出所:MEED 各号。
「 電 力 」 分 野 は 独 Siemens 率 い る 、 伊 Ansaldo Energia と ベ オ グ ラ ー ド に 本 社 の あ る
Energoprojekt が電力省から受注した、モースル近郊における 1400 メガワットの発電能力を持つ
シャマル発電所の建設事業である114。「インフラ」分野は米 Mafeks International がイラク国鉄から
受注した、機関車に搭載する列車制御システムの供給である115。「石油・ガス」分野に関しては加
OGI Group が State Company for Oil Projects(SCOP)から 1 億 8000 万ドルで受注した、Hamrin
油田の開発と116、地元の Rasco Group が South Oil Company から 1500 万ドルで受注した、
Rumaila 及び西 Qurna 油田における油井掘削117、アイルランド Petrel Resources が SCOP から 1
億 9700 万ドルで受注した、イラク南部における Subha 及び Luhais 油田の増産、118以上が案件で
あった。
6.結びに代えて:イラクの動向に関する若干の考察
2006 年における中東プロジェクト市場が前年割れとなる中、イラクにおいては成約件数が 5 件
から 6 件へ、成約総額に至っては 13 億ドルから 55 億ドルへと、前年比 310%増を記録した。このよ
うに、イラクにおけるプロジェクト動向は一見したところ回復傾向にあると言えるが、その実態には
既述のように注意が必要である。
CPA からイラク暫定政府への統治権限の委譲(2004 年 6 月)や、国民議会選挙の実施(2005
年 1 月)と同議会の初会合(2005 年 3 月)、移行政府の発足(2005 年 4 月)といったプロセスを経
てイラクが主権を徐々に回復する過程で、発注主体も「米国政府」からイラクの政府関係機関や
企業に移っていった。しかしながら他方で、スンナ派地区やシーア派地区での治安悪化が進行し
た結果、相対的に安定しているクルド地区に関するプロジェクトが、2005 年においては 5 件中 1
件であったのに対し、2006 年においては 6 件中 4 件を占めるに至った。なお、2005 年においても
クルド地区でのプロジェクトは他 4 件と比べて成約額が圧倒的に多い発電所に関するもの(9 億
3500 万ドル)であったが、2006 年においては成約額が億単位のプロジェクトは全てクルド地区に
関するものとなった。
2005 年と 2006 年にクルド地区で行われたプロジェクトを概観してみると、発電所の建設に関す
- 89 -
る案件が 2 件、総合的な土地開発や道路の整備といった「インフラ」分野に関するものが 2 件、セ
メント工場の建設に関する案件が 1 件となっている。1988 年下半期から 1990 年上半期にかけて
の日本企業による受注動向から見ると、上記案件に関してイラクでの経験を有しているのは発電
所の建設のみであるが、日本企業は 2006 年の中東プロジェクト市場において「インフラ」分野に
関して単独で 3 件受注しており、クルド地区の相対的な安定が続くならば、今後の進出が見込ま
れよう。
また、2005 年に 3 件、2006 年に 1 件見られた石油関連プロジェクトや、2006 年に 1 件見られた
通信関連プロジェクトに関しても、イラン・イラク戦争後の時期において日本企業は経験を有して
おり、治安の安定次第ではあるが、今後の成約に期待が持てる領域と言えよう。なお、2005 年に
見られたイラク国鉄関連のプロジェクトであるが、日本の鉄道技術の高さを考えれば、この分野で
の成約も今後あり得ないことではないと思われるが、イラク国鉄の機関車は中国製であり、レール
が繋がっている唯一の隣国であるシリア国鉄の機関車も中国製と思われることには留意が必要で
あろう。
- 90 -
付表1:発注国別・分野別実績
(単位:100 万ドル)
農業
鉱工業
電力・水
インフラ
運輸機器
通信
商業
観光
公共サービス
石油・ガス
合計
アルジェリア
0.0
0.0
1,377.0
1,674.0
204.0
0.0
0.0
0.0
0.0
1,487.0
4,742.0
バハレーン
0.0
0.0
136.3
480.0
0.0
0.0
0.0
265.5
207.0
140.0
1,228.8
エジプト
0.0
226.8
326.0
79.3
220.0
0.0
0.0
5.0
0.0
819.0
1,676.1
イラン
0.0
0.0
194.0
2,400.0
180.0
600.0
0.0
0.0
0.0
7,966.5
11,340.5
イラク
0.0
400.0
250.0
4,800.0
0.0
20.0
0.0
0.0
0.0
28.0
5,498.0
ヨルダン
0.0
0.0
0.0
0.0
0.0
0.0
0.0
0.0
50.0
0.0
50.0
クウェート
0.0
319.0
911.1
234.0
70.0
0.0
275.0
0.0
419.6
4,407.7
6,636.4
レバノン
0.0
0.0
85.5
0.0
0.0
0.0
0.0
0.0
0.0
0.0
85.5
リビア
0.0
0.0
0.0
442.0
0.0
204.0
0.0
0.0
0.0
463.6
1,109.6
モロッコ
0.0
0.0
0.0
20.0
0.0
0.0
0.0
0.0
169.0
41.0
230.0
オマーン
0.0
10.3
237.0
2,635.0
0.0
32.8
41.0
1,100.0
73.8
2,872.6
7,002.5
カタル
0.0
922.0
1,197.0
3,790.0
5,738.0
0.0
200.0
0.0
2,761.4
9,332.0
23,940.4
サウジアラビア
0.0
1,454.0
2,508.1
1,151.0
780.0
250.0
102.0
134.0
3,826.0
13,610.9
23,816.0
スーダン
0.0
0.0
0.0
20.0
0.0
99.4
0.0
0.0
0.0
0.0
119.4
シリア
0.0
80.0
520.0
126.0
0.0
0.0
0.0
0.0
52.0
67.0
845.0
チュニジア
0.0
44.0
0.0
0.0
0.0
60.5
0.0
0.0
0.0
465.0
569.5
UAE
0.0
1,397.5
798.0
15,484.6
3,196.0
244.0
1,985.0
978.6
3,153.0
3,942.0
31,178.7
イエメン
0.0
300.0
0.0
114.7
0.0
0.0
0.0
0.0
0.0
480.0
894.7
合計
0.0
5,153.6
8,540.0
33,450.6
10,388.0
1,510.7
2,603.0
2,483.1
10,711.8
46,122.3
120,963.1
出所:MEED 各号。一部、日本経済新聞。
注:国防分野を除く。
付表2:発注国別・受注国別実績
(単位:100 万ドル)
日本
アルジェリア
ML(日本)
米国
イギリス
フランス
ドイツ
カナダ
韓国
中国
ML
合計
120.0
1,120.0
0.0
0.0
320.0
0.0
1,223.0
0.0
0.0
1,503.0
バハレーン
0.0
0.0
0.0
0.0
127.9
0.0
0.0
0.0
0.0
275.0
1,228.8
エジプト
0.0
0.0
0.0
0.0
480.0
25.0
0.0
0.0
100.0
446.0
1,676.1
イラン
0.0
0.0
0.0
0.0
0.0
0.0
0.0
0.0
180.0
4,032.5
11,340.5
イラク
0.0
0.0
0.0
4,000.0
0.0
0.0
20.0
0.0
0.0
0.0
5,498.0
ヨルダン
0.0
0.0
50.0
0.0
0.0
0.0
0.0
0.0
0.0
0.0
50.0
クウェート
0.0
600.0
342.3
67.0
0.0
70.0
0.0
69.0
0.0
3,314.1
6,636.4
レバノン
0.0
0.0
0.0
0.0
0.0
0.0
0.0
85.5
0.0
0.0
85.5
リビア
0.0
0.0
0.0
0.0
0.0
0.0
0.0
0.0
30.0
328.6
1,109.6
モロッコ
0.0
0.0
0.0
0.0
169.0
0.0
0.0
0.0
0.0
41.0
230.0
オマーン
0.0
0.0
0.0
0.0
170.0
0.0
0.0
1,200.0
0.0
3,451.3
7,002.5
170.0
6,083.0
5,940.0
0.0
200.0
1,820.0
700.0
72.0
440.0
2,996.0
23,940.4
サウジアラビア
0.0
90.0
3,873.0
55.0
54.0
402.0
0.0
1,232.0
230.0
10,746.5
23,816.0
スーダン
0.0
0.0
0.0
0.0
0.0
0.0
0.0
0.0
0.0
0.0
119.4
シリア
0.0
0.0
0.0
0.0
0.0
0.0
0.0
0.0
67.0
628.0
845.0
チュニジア
0.0
0.0
0.0
0.0
60.5
0.0
0.0
0.0
0.0
509.0
569.5
727.0
0.0
2,800.0
0.0
604.0
1,830.0
200.0
2,606.0
552.0
5,904.0
31,178.7
0.0
0.0
0.0
0.0
0.0
200.0
0.0
0.0
214.7
450.0
894.7
1,017.0
7,893.0
13,005.3
4,122.0
2,185.4
4,347.0
2,143.0
5,264.5
1,813.7
34,625.0
120,963.1
カタル
UAE
イエメン
合計
出所:MEED 各号。一部、日本経済新聞。
注:国防分野を除く。
- 91 -
4,742.0
1
MEED に掲載されたプロジェクトを筆者が集計した結果に基づく。但し、2005 年の一部には日
本経済新聞に掲載された情報も含んでいる。なお、国防分野はその性格上、契約締結が公表
されることは少ないため、本稿では図表 1 及び特記した際を除き、国防分野の成約を集計から
除外している。
2
吉岡 明子「第三次オイル・ブームに沸く 2005 年の中東プロジェクト市場」、『中東動向分析』、
2006 年 5 月 24 日、5 ページ。
3
吉岡 明子「第三次オイル・ブームに沸く 2005 年の中東プロジェクト市場」、『中東動向分析』、
2006 年 5 月 24 日、10 ページ。
4
吉岡 明子「第三次オイル・ブームに沸く 2005 年の中東プロジェクト市場」、『中東動向分析』、
2006 年 5 月 24 日、3 ページ。
5
MEED, 24 February 2006 and 22 September 2006.
6
MEED, 7 April 2006.
7
MEED, 23 June 2006.
8
MEED, 21 July 2006.
9
MEED, 22 December 2006.
10
MEED, 28 July 2006.
11
アブダビ国際空港における拡張工事が完成すると、許容旅客数は現在の 700 万人から 1300
万人に倍増することが予想されている(詳しくは、Huge Tomlinson, “Flying too high”, MEED,
19 January 2007, pp.4-6 を参照のこと)。
12
吉岡 明子「第三次オイル・ブームに沸く 2005 年の中東プロジェクト市場」、『中東動向分析』、
2006 年 5 月 24 日、4 ページ。
13
MEED, 13 October 2006.
14
MEED, 10 November 2006./なお、ドバイにおけるゴルフ場建設の現状に関して詳しく扱って
いるリポートとして、“Dubai at forefront of new global golf”, Middle East Online
(www.middle-east-online.com), 2 February 2007 がある。
15
MEED, 29 September 2006.
16
MEED, 1 December 2006.
17
吉岡 明子「第三次オイル・ブームに沸く 2005 年の中東プロジェクト市場」、『中東動向分析』、
2006 年 5 月 24 日、10 ページ。
18
MEED, 5 May 2006.
19
MEED, 8 December 2006.
20
MEED, 24 November 2006.
21
MEED, 5 May 2006.
22
MEED, 16 June 2006.
23
小山 恭彦「世界最大の LNG 輸出国をめざすカタル」、『中東動向分析』、2006 年 12 月 22 日、
2 ページ。
24
MEED, 22 September 2006.
25
MEED, 15 September 2006.
26
MEED, 29 September 2006.
27
MEED, 8 December 2006.
28
MEED, 17 March 2006.
29
MEED, 26 May 2006.
30
吉岡 明子「第三次オイル・ブームに沸く 2005 年の中東プロジェクト市場」、『中東動向分析』、
2006 年 5 月 24 日、10 ページ。
31
MEED, 28 April 2006.
32
MEED, 8 September 2006.
33
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MEED, 10 February 2006.
MEED, 24 February 2006.
MEED, 4 August 2006 年.
MEED, 22 September 2006.
MEED, 4 August 2006.
MEED, 7 July 2006.
MEED, 1 December 2006.
MEED, 21 April 2006.
MEED, 10 March 2006.
MEED, 13 January 2006.
MEED, 13 October 2006.
MEED, 21 July 2006.
MEED, 7 July 2006.
MEED, 6 January 2006.
MEED, 27 January 2006.
MEED, 23 June 2006
MEED, 3 March 2006.
MEED, 3 February 2006.
この受注金額及び構成比は、日本企業が参加したコンソーシアムの成約総額を示したもので
あり、日本企業の受注額を表しているわけではない。
MEED, 4 August 2006.
MEED, 17 February 2006.
日本経済新聞、2006 年 12 月 31 日。
MEED, 28 July 2006.
MEED, 26 May 2006.
MEED, 18 August 2006.
日本経済新聞、2006 年 12 月 31 日。
MEED, 12 May 2006.
MEED, 23 June 2006.
MEED, 7 July 2006.
以上、2005 年のデータに関しては吉岡 明子「第三次オイル・ブームに沸く 2005 年の中東プ
ロジェクト市場」、『中東動向分析』、2006 年 5 月 24 日、10 ページを参照した。
MEED, 24 March 2006.
MEED, 24 March 2006.
MEED, 14 July 2006.
MEED, 17 November 2006.
MEED, 3 March 2006.
MEED, 17 March 2006.
MEED, 16 June 2006.
吉岡 明子「第三次オイル・ブームに沸く 2005 年の中東プロジェクト市場」、『中東動向分析』、
2006 年 5 月 24 日、3 ページ。
MEED, 17 November 2006.
MEED, 20 January 2006.
MEED, 13 January 2006.
MEED, 27 January 2006.
MEED, 24 November 2006.
「上向きに転じた中東のプロジェクト動向」、『中東経済』、1989 年 4 月 28 日、29 ページ。なお、
- 93 -
同論文は 1988 年におけるイラクの発注総額を、前年比 16.4%増の 23 億 4010 万ドルと報告し
ている。
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MEED, 25 November 1988.
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MEED, 21 October 1988.
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MEED, 18 November 1988.
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MEED, 16 September 1988.
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MEED, 2 December 1988.
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MEED, 23 September 1988.
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MEED, 4 November 1988.
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MEED, 12 August 1988.
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「甦る中東プロジェクト市場」、『中東経済』、1990 年 8 月 17 日、17 ページ。
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MEED, 15 September 1989.
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MEED, 29 September 1989.
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MEED, 27 January 1989.
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MEED, 7 April 1989.
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MEED, 12 May 1989.
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MEED, 25 August 1989.
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MEED, 10 November 1989.
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MEED, 30 June 1989.
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MEED, 31 March 1989.
97
MEED, 29 December 1989.
98
MEED, 4 August 1989.
99
「1990 年の中東プロジェクト」、『中東経済』、1991 年 7 月 5 日、29 ページ。
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MEED, 6 April 1990.
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MEED, 9 February 1990.
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MEED, 26 January 1990.
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MEED, 1 June 1990.
104
MEED, 9 March 1990.
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MEED, 2 February 1990.
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MEED, 6 July 1990.
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MEED, 6 April 1990.
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MEED, 9 February 1990.
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MEED, 16 March 1990.
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MEED, 13 July 1990.
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MEED, 22 June 1990.
112
MEED, 27 April 1990.
113
2003 年と 2004 年のイラクにおける状況に関しては、吉岡 明子「2003 年の中東プロジェクト
動向---イラクが 13 年ぶりにプロジェクト市場に復帰」、『中東動向分析』、2004 年 5 月 21 日、
8~10 ページと、吉岡 明子「2004 年の中東プロジェクト市場---前年に引き続き 600 億ドルを
突破」、『中東動向分析』、2005 年 7 月 29 日、3 ページを参照した。
114
MEED, 11 March 2005.
115
MEED, 8 April 2005.
116
MEED, 1 April 2005.
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MEED, 13 May 2005.
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MEED, 9 September 2005.
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平 成
年 度 日 本 自 転 車 振 興 会 補 助 事 業
﹁イラク復興支援のための経済産業基盤等に関する調査﹂報告書
18
平成18年度日本自転車振興会補助事業
「イラク復興支援のための経済産業基盤等に関する調査」報告書
イラク復興の現状と今後
イ ラク 復 興 の現 状 と 今 後
平成
年
19
月
3
イラク復興の現状と今後
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平成18年度日本自転車振興会補助事業
「イラク復興支援のための経済産業基盤等に関する調査」報告書
平成19年 3月
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