アンペアの王冠

Vol.7 No.9 2011
2011年9月号
Journal of Industry-Academia-Government Collaboration
http://sangakukan.jp/journal/
鈴木 章 北海道大学名誉教授
人生を決めた2冊の本
特集
深化する産学官連携と
イノベーションの課題
教員ひとり当たりの共同研究日本一
東京農工大学の産学官連携
新連載 第1回 実学に強く、
オープンな学風が後押し
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CONTENTS
● 巻頭言 パラダイム転換と大学の教育・研究・社会貢献
入戸野 修 4
● インタビュー
鈴木 章 北海道大学名誉教授
人生を決めた2冊の本
松尾 義之 5
特集
深化する産学官連携と
イノベーションの課題
イノベーションシステム
● 日本にテクノロジー・ベンチャーを育てる国家戦略を
瀬戸 篤 16
ライフイノベーション
● バイオベンチャーの明日
谷田 清一 21
● ライフイノベーション創出に必要な産学官協働の在り方
飯田 香緒里 25
● 座談会・中国のバイオ研究
地方政府も相次いでバイオのハイテクパーク 連携して日本の発展に結び付ける道も
沖村 憲樹・塚本 芳昭・湯元 昇・菊池 文彦 29
共同研究・イノベーションの場
● 大阪大学・共同研究講座 産学官連携「第4の潮流」に向けて
後藤 芳一 36
「共同研究講座」等の実務と運用
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特集
深化する産学官連携とイノベーションの課題
ベンチャー
● 新概念の材料「スライドリングマテリアル」の事業展開
原 豊 44
● 地震観測データから速報などのシステムを開発
堀内 茂木 47
『博士』のキャリアパス
● 小さな努力の積み重ねが世界を動かす
仲佐 昭彦 49
国際産学連携・留学促進
● 日中交流史上最大のイベントに注目
―「第2回日中大学フェア&フォーラム」東京で開催
52
企業の大学活用戦略
●「美しい」環境関連製品で、第2事業の柱
宇津野 嘉彦 55
● ナメコ野生菌株から空調栽培適合菌株を選抜する DNA マーカーの開発
木村 栄一・千葉 直樹 56
● 連載 東京農工大学の産学官連携
第1回 実学に強く、オープンな学風が後押し
普後 一 58
● 産学官エッセイ
「災害の被害を最小限に」情報システム開発に挑む留学生
● 編集後記 高畑 裕美 61
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●産学官連携ジャーナル
入戸野 修
(にっとの・おさむ)
福島大学 学長
◆パラダイム転換と大学の教育・研究・社会貢献
変化の時代は競争の時代でもある。競争の時代だからこそ、国立大学法人は教
育・研究・社会貢献でバランスの取れた運営により、社会の変化や危機に適応し、
地域社会および産業界と積極的に連携している。また、大学は、高等教育研究機
関として、ステークホルダーに対して適切な社会的責任(SR:Social Resposibility)を果たす務めがある。
震災・原発事故直後、福島大学は、今大学は何をすべきかと考え、まず避難住
民の受入れ対応を開始した。次いで、大災害を受け個々の教員にパラダイムの転
換が起こっていることを意識し、各教員の研究心・探究心・支援心が湧いている
ことを信じて、非常時にもかかわらず震災総合支援プロジェクト(調査研究)の
実施を呼び掛けた。災害時に生起するさまざまな現場の状況把握は、その後の復
興に資する肝要な要素だからである。そして、調査分析に基づき被災地の将来的
推移を見通し、復旧・復興を長期間継続的に支援するとともに、既存概念にとら
われない新しい「知」の創造と復興を担う人材の育成を目指したいと、学内組織
の「うつくしまふくしま未来支援センター」を設立した。
実際に、プロジェクトの実施および災害支援に関わるシンポジウム開催などを
通じて、地域の放射線量の計測、児童・生徒を含めた避難住民に対するボランティ
ア活動状況、農畜産品の牛乳や野菜類の出荷停止、放射性物質の混入で生産活動
ができない多数の企業の存在等の現状と課題を認識した。それらの被害実態を科
学的に分析し、対象とする課題を整理するとともに、具体策の実施に向けて検討
し、できることから活動している。
センターの目的を達成するために、福島大学は、福島県、関係自治体、経済団
体はじめ他大学、他機関とも密接な連携協力を図りながら活動している。今後は、
現存の環境関連分野、地域政策、教育・心理学・福祉関連分野に加えて、新たに
放射線関連、エネルギー関連分野の専門家等を招聘(しょうへい)し、災害に強
い災害科学の実践拠点として、長期に渡る復興支援体制の確立を目指す。福島大
学は、これまで、人文社会科学系学域と理工学系学域の融合した分野の知財を活
かした連携活動を展開してきた。その実績の上に、このたびの震災・原発事故の
実体験と調査結果を積極的に活用し地域社会の復興に向けた課題の解決に取り組
む。また、そうした支援活動に学生が直接参画することで、現実を直視し、前向
き志向で、専門分野の枠を超えた俯瞰力と思考力を備え、困難な問題にも果敢に
挑戦する、実践的な問題解決力を習得した人材の育成に役立てたいと考えている。
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インタビュー 鈴木 章 北海道大学名誉教授
人生を決めた2冊の本
1930 年北海道むかわ町生まれ。54 年
北海道大学理学部化学科卒業、60 年北
海道大学大学院理学研究科博士課程(化
学専攻)修了、理学博士。61 年北海道
大学工学部合成化学工学科助教授、63
年米国パデュー大学博士研究員、73 年
北海道大学工学部応用化学科教授、88
年英国ウェールズ大学招へい教授、94
年北海道大学を定年退官、名誉教授。
2010 年「有機合成におけるパラジウム
触媒クロスカップリング」でノーベル化
学賞を受賞。
2010 年 12 月、ノーベル化学賞を受賞した鈴木章北海道大学名誉教授。人生を決めた2冊の本、師との出会い、もの
をつくり出す有機化学の魅力、研究のポイント、若い世代に伝えたいことなどを語る。
ブラウン先生との出会い
―まず、研究に絡んだお話をお聞きしたいと思います。世界的にも広く使われてい
る鈴木カップリングですが、この研究を進められる中で、「これで大成功だ」といっ
た区切りのような出来事はあったのでしょうか。
鈴木 このクロスカップリング、鈴木カップリングというのは、僕らがやっ
た仕事のうちのほんの一部でしかないんです。もともとは、ハーバート・
C・ブラウン先生の研究から始まっています。1979 年にノーベル賞をも
らった大先生だけど、僕がパデュー大学の彼のもとに留学したのは 1963
年から 65 年で、先生がノーベル賞をもらうだいぶ前です。でもその受賞
理由となるヒドロホウ素化(hydroboration)反応はすでに見つけられて
いました。
ヒドロホウ素化という反応は、エチレンやプロピレンなど炭素二重結合
(C = C)を持った化合物に、ホウ素(B)を付加する反応です。結果と
聞き手・本文構成:
松尾 義之
株式会社白日社 編集長/
科学ジャーナリスト
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して炭素とホウ素の CB 結合を持った有機ホウ素化合物がで
きます。有機ホウ素化合物をつくる方法はほかにもあったけ
れど、ブラウン先生のヒドロホウ素化反応は非常に簡単で、
反応も非常に特異的に起こるという、まさに大発見だったの
です。これでノーベル賞となった。
僕がアメリカに行った 1963 年当時のブラウン研究室に
は、先生のもとで勉強したいという若者が世界中から集まっ
ていて、たぶん 30 人以上はいたと思います。彼らとコーヒー
ブレイクの時などにいろいろと話をしました。化学以外の話
もしたけれども、化学の話に絞れば、このヒドロホウ素化と
いう反応は非常に面白いが、できる有機ホウ素化合物の CB
結合が非常に安定だから、有機合成にはあまり使えないので
はないか、という考えの人が多数でした。
ところが僕は違った。次のような理由で、有機合成に使え
るのではないかと考えたのです。有機合成に使う物質に、有
機金属化合物というのがあります。一番有名なのがグリ
ニャール試薬。グリニャールさんというのはフランスの化学
者で、1912 年にノーベル賞をもらっています。グリニャール試薬は有機
金属化合物の代表選手みたいなもので炭素とマグネシウムが結合した化合
物です。有機金属化合物にはそのほかに、根岸さん(根岸英一パデュー大
学特別教授)やほかの人がやっている有機亜鉛化合物とか、有機アルミニ
ウム化合物とか、有機リチウム化合物とか、いろいろあります。そういう
化合物は非常に活性が高く、反応が起きやすい。例えば反応に使う溶媒の
中に水が入っていると、いっぺんに分解してしまう。これは欠点です。し
かし、有機ホウ素化合物は反応性が弱いので、水があっても全然反応しな
い。溶媒の中の水不純物といった程度ではなく、水そのものの中でも分解
しないくらい反応性が低いのです。そういう優れた特徴がある。しかし、
有機ホウ素化合物は、パデュー大学の研究者仲間が言っていたように、安
定な化合物だから有機合成には使えないというのが大方の意見だったので
す。有機ホウ素化合物を使った合成研究は、その当時ほとんどやられてい
なかった。世界を見れば少しはありましたが、日本では皆無だったのです。
僕は、分解しないという長所を生かして、有機ホウ素化合物を使った新
しい有機合成の研究をしたいと考えました。1965 年にアメリカから北海
道大学に戻り、この研究をスタートさせたのです。これが僕の研究の発端
です。
詳しいことは言わないけれど、研究の中からいろいろな新事実も見つけ、
有機ホウ素化合物が有機合成に実際によく使えることが明らかになったの
です。論文もかなり出しました。こうした中での研究の1つとして、有機
ホウ素化合物と有機ハロゲン化合物のクロスカップリングというテーマが
あったのです。
それまでの研究で、有機金属化合物と有機ハロゲン化合物のクロスカッ
プリングはありました。しかし、ホウ素というのは金属ではなくて、メタ
ロイドといって金属と非金属との間みたいなものです。だから、ほかの有
機金属のように反応しやすくはないんです。
初めは、ほかの人もいろいろやったけれど、なかなか反応しなかった。
しかし、いろいろ工夫をすると、反応することが分かってきたのです。僕
らは、有機ホウ素化合物に塩基を加えました。有機ホウ素化合物ですから、
有機基とホウ素が結合しますが、塩基を加えると、この有機基の反応性が
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増すことが予想されるからです。
そういうことで、僕らは有機のホウ素化合物と有機のハロゲン化合物の
反応に塩基を加え、パラジウムのような遷移金属触媒を使ったのです。今
度のノーベル賞は、ヘックさん(リチャード・フレッド・ヘック デラウェ
ア大学名誉教授)のはちょっと違うけど、パラジウムを使ったクロスカッ
プリングになっている。彼の仕事も、パラジウムを使って新種ボンドをつ
くるという点では、同じなのですね。
研究の本当のポイント
鈴木 根岸さんは有機の亜鉛化合物を使い、僕は有機のホウ素化合物を
使った、ということになっていますが、ホウ素以外の場合は、塩基を加え
なくても反応は進むのです。しかしホウ素の場合は、塩基を加えないとい
けない。これが大きな違いです。正確に言うと、それを発見したのが、僕
らの研究のポイントなのです。つまり、塩基の添加というのは、われわれ
の反応では必要不可欠なんだけど、有機化合物の中には塩基によって分解
してしまうものもあるわけです。例えばエステルというのは、塩基を入れ
ると加水分解してしまう。それから、ケトンとかアルデヒドに塩基を加え
ると、別の副反応を起こしてしまう可能性がある。だから、実際にやる時
は注意しないといけない。しかし、これも今日は詳しくはお話ししません
が、注意してやれば大丈夫なのです。塩基にどんなものを使うか、溶媒に
何を使うかによって、そういうことが全く心配なくできるのです。そうい
うことはきちんと見つけてあるわけですね。
この間のノーベル賞授賞式の際は、こうした内容は全然聞かれなかった
し、受賞講演といっても 30 分だから、大したことは話せなかった。でも、
正しく言うと、われわれの発見で一番大事なことは、塩基を使うというこ
と、それを見つけたことなのです。
――塩基を使うと反応性が増すという論理のもとに実験をやったら、実際にそういう
反応がよく進んだのですね。
鈴木 化学が分かっている人はすぐに理解できるんだけれど、それには理
由があるのです。水素の場合だったら、水素が3つ結合して BH3 という
物質になる。これがボランという一番簡単な水に相当する化合物です。有
機物の場合、有機基はふつう R で書きますけど、R3B と付きます。R の一
番簡単なのはメチル基(CH3)で、この CH3 が3つ付いて、トリメチル
ホウ素というのが一番簡単な有機ホウ素化合物です。R は3つ付くのが普
通ですが、4つ付くこともある。そうすると、BR4となるわけです。
これについての研究は、ノルウェーのホーランドという化学者のグルー
プが進めていました。おととしノルウェーに行ったとき、彼と 30 年ぶり
かで、オスロで再会しました。彼は髪が白くなり、僕は毛がなくなってい
るけど、互いにあまり変わってないなぁと話したんですよ。
彼らの研究で、先ほど言ったトリメチルホウ素の場合、メチル基がマイ
ナスの性質、負の電荷(チャージ)を持つことが分かりました。ある単位
でいうと、3価の場合はマイナス4くらいで、4価になるとマイナス 22
くらいにもなるんです。つまり、4価のアルキル基は3価のアルキル基の
5.5 倍もの負の電荷を持っている。そういうことを報告している 1973 年
の彼の論文があるのです。
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そのことも考え合わせると、やっぱり R3B に Na アルコキシドなどの塩
基を加えてやるのがよいと推定できるのです。エタノールでもいい。エタ
ノールはエチル基(C2H5)に OH が付いたものだけど、このエタノール
の中に金属 Na を入れてやる。すると、水素が発生し、エチル− O − Na
というのができる。ここで、エチル− O というのが塩基なんです。こう
してR3Bに塩基を加えると、4配位になり、R のアニオン性(陰イオン性)
が増してくるはずです。以上が僕の考え、推理だった。そして実際にやっ
たらできたのです。
だから、決してヤマ勘でやったわけじゃないのです。バックグラウンド
があるんです。有機化学というと、部外者の人は、いろいろな物を混ぜて、
圧力と温度を上げると何か反応が起こってくる、と考えるかもしれません
が、そんなことは絶対にないのです。きちんとバックグラウンドがあるわ
けです。それを覚えないといい結果は出ない。ヤマ勘でやってもダメで、
それはサイエンスじゃないのですね。
――なるほど。うまく塩基を加えると、反応性が増えて……、というやり方は、推定
通りだったのですね。
鈴木 そういうことです。
化学反応における金属の役割
――もう1つ、研究に関係することをお聞きしたいと思います。それは、化学反応に
おける金属とは、どんなイメージなのかという点です。先生は、長い間、たくさんの
有機化学反応を見てこられました。その中で、ホウ素だとか、あるいはいろいろな金
属を扱ってこられたと思います。そうすると、先生の中で、金属というのはどんなイ
メージになっているのだろうか、ふと知りたくなったのです。
鈴木 有機化学反応においては、金属というのは不思議な存在ですね。グ
リニャール反応にしても、とても面白い。マグネシウムは2価だから、R
が2つ付いた R2Mg というのもありますし、それから、RMg に、Br(臭素)
とか I(ヨウ素)といったハロゲンがついたものもある。これらはどうやっ
てつくるかというと、アルキルハロゲン化合物を使うのです。例えば臭化
アルキル(R − Br)というのがあって、これは液体です。
このとき、溶媒としてエーテルを加えてやる。つまり、エーテルに臭化
アルキルを入れると、液体同士だからよく混ざる。ここに固体の金属マグ
ネシウムを入れてやるのです。温度は室温ですが、やがてぷくぷくと泡が
出てきて、だんだん温かくなる。エチルエーテルの沸点は 34.5℃だから
簡単に沸騰するわけです。初めて見たらびっくりするよね。固体と液体を
混ぜると、熱が出て水素の泡が出るんだから。それを発見したのがグリ
ニャールさんです。
有機金属化合物として最初に合成されたのは、ジエチル亜鉛です。つま
り、有機金属化合物は、昔からあることはあったんだけれど、有機合成に
使えるものを最初に発見したのがグリニャールさんだったのです。
――なぜ金属はそんなに反応性が高いのですか。化学反応にとって、金属というのは
どんな存在なのでしょうか。
鈴木 それは、金属が自由電子をたくさん持っているからです。反応といっ
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ても無機反応も有機反応もあるけれど、電子が反応に関与することが多い
のです。そして金属といってもいろいろあるので、異なる化学反応を引き
起こすわけです。
――個々の金属によって、反応性も微妙に違うわけですか。
鈴木 違います。金属でも、触媒として使われる場合と、反応そのものに
使われる場合と、いろいろある。ところで、金属で一番安定だと考えられ
ている金も、最近では触媒として使われるようです。話を聞いて、僕は本
当にびっくりしました。金というのは一番安定な金属だから、何千年も昔
の王様の王冠なんかも腐らないで残っている。それほど安定な金属が、最
近では触媒として使えるというのです。自分でやったわけではないけど、
どうも本当らしいです。
研究費に苦労することはなかった
――ところで、先生は研究を続けられてきて、科学研究費補助金(科研費)やそのほ
かの助成金をお受けになったと思うのですが、
「あのときにあのお金が入ったから助
かった」といった例はありましたか。
鈴木 幸いなことに、僕は科研費がほぼ毎年当たっていました。それから、
校費が1講座いくらと文部省で決まって入ってきました。七帝大と新設大
学では額が違うし、今年はここの工事をやるとか図書費とか、大学の事情
で天引きされ、実際に手元に入るのは違いましたが、ともかくベースとし
て校費が入っていました。それにプラス科研費です。
そのほか、企業からも寄附をもらいました。企業の場合、委託金という
のと奨学寄附金というのがあります。委託金というのは、この研究やって
くださいと企業が頼む研究。頼んだことに対して研究費を出してくれる。
僕はそれは受けなかった。奨学寄附金しか受けなかった。奨学寄附金とい
うのは、どんな研究をやってもいいのです、このお金を先生のところに寄
附するので、目的なしにどんな研究をやっても結構です、というものです。
だから、自分で考えたことに研究費を使えたわけです。
このように、研究費の面では、僕はラッキーだったと思います。科研費
だって審査は厳しい中で通りましたから。
――でも、研究にはお金がかかるわけですね。
鈴木 かかるけれども、節約する方法があるのです。われわれの場合、反
応ですから、反応量を少なくする。多くしたらお金はかかるし、量を少な
くするとお金はかからない。量を 10 分の1にすれば、研究費だって 10
分の1で済むわけです。それができるから、よかったのです。われわれの
ような合成の場合、試薬は結構高いのです。例えばパラジウムなんていう
のは高い。白金より高く、白金は金より高いですから。
鈴木カップリングにパラジウムは不要 !?
鈴木 これもたくさん使うとなったら大変だけれど、実は、鈴木カップリ
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ングは、パラジウム触媒でなくてもいいのです。ノーベル賞
ではパラジウム触媒と書いているけど、鈴木カップリングは、
触媒は必要なんだけど、パラジウムでなくてもいいんです。
ニッケルでもいいし、最近は京都大学で鉄を使う方法も考案
されました。今の段階では、僕の感じではやっぱりパラジウ
ムがベストだと思いますけどね。
ちょっとしたエピソードがあります。2003 年だったか、
現在はアメリカにいるけど当時は英国のケンブリッジにいた
研究者が、
「鈴木カップリングはパラジウム触媒がなくても
起こる」という論文を出したのです。僕はこれは面白いと思
いました。鈴木カップリングでは、量は少なくてもいいんだ
けれども、とにかく高価なパラジウムを使わねばならないか
らです。
もう1つ問題なのは、反応が終わった後に、パラジウムが
不純物として混ざり込んでいて、それを分けるのが大変だっ
たことです。よく企業の人に、いい分ける方法がないですか
と聞かれていました。最近はもう、いろんなフィルターを使っ
て、ほぼ完全に除けるようになりましたが、昔はそういう問
題点があったわけですね。
ですから、高価なパラジウムを使わないで済み、不純物の
問題もなくなるので「面白い!」と思ったのです。でも、しばらくして、
本人が「あの論文は間違いだった」と取り下げてしまった。どうして間違っ
たかというと、こういうことなのです。
鈴木カップリングはさっき言ったように、塩基が必要です。彼は塩基と
して炭酸ソーダを使ったのですが、その中に少量のパラジウムが不純物と
して混じり込んでいたのでした。それが触媒作用をしていたことが分かっ
た。そこで、塩基を非常にきれいにして、パラジウムを完全に除くと、やっ
ぱり反応しなかったのです。少量あると反応するので、一体どのぐらいの
パラジウムがあったら反応するかを調べたら、ppm とか ppb とかのオー
ダーだった。そういう論文を 2005 年かに出しています。
こういう論文を読むと、どんな反応でも ppb とか ppm のオーダーの触
媒の存在で起こると思ってしまう人もいるけれど、それは違う。やっぱり
反応の種類によって起こりやすいものと起こりにくいものとがあって、起
こりにくいものは多く必要になるんです。
――パラジウムがぐるぐるサイクルで回っていくから、ほんのわずかでよいわけです
ね。
鈴木 触媒ですからね。よく知ってるね。何か見たの。
「ハイドロボレーション」と
「テキストブック・オブ・オーガニック・ケミストリー」
――先生の場合、研究チームが素晴らしかったという面もあるのですか。
鈴木 僕はアイデアなどは出すけれど、実際に実験をやるのは助手の人と
か学生です。だから彼らがいなかったら研究は進まなかった。僕が今度ノー
ベル賞もらったといっても、これは代表としてもらったのであって、共同
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研究者がいるわけですね。例えば宮浦憲夫さんは非常に優秀な男で僕をサ
ポートしてくれたし、彼以外にも 100 名くらいはいると思います。
――北海道大学の有機合成の伝統みたいなものも関係ありますか。
鈴木 日本の有機化学の伝統というのは、北海道大学(北大)に限らず天
然物化学にあるんですよ。天然物の構造を決めるのが、日本の有機化学で
一番強かった分野で、今でも強い。
僕が理学部の博士論文で研究したのは、ある天然物の合成についてです。
ところがそれは、非常に難しい天然物で、たぶんいまでも合成されていな
いと思う。そこで、そのモデル物質の合成を研究したのです。
だけど、僕はさっき言ったように、グリニャール試薬とか、あるいはブ
レイズ試薬という亜鉛化合物を使って研究していたこともある。亜鉛はマ
グネシウムより反応が弱いとか、反応に使いやすいとか、やはり一長一短
がある。だけど、学生時代から有機金属というのは非常に面白いと思って
いたのです。
僕は、理学部では天然物合成の仕事をやって理学博士号をもらい、
1961 年に助教授として工学部に移った。その時の教授は僕に、
「君、何やっ
てもいいよ」と言われた。天然物の化学でもいいと言われるのです。だけ
ど、工学部で天然物というのはやっぱりやりにくい。その当時、例えば京
都大学の工学部では天然物を研究していた先生がたくさんいたけど、あれ
は例外でした。
僕がやりたいと思ったのは、新しい有機反応を見つける仕事です。その
ころ、ドイツでエチレンからアセトアルデヒドをつくるヘキスト・ワッカー
法という反応が見つかって、これが非常に面白い反応で、僕はそれを研究
したいと思ったのです。そこでまず文献調査をして、どんな研究がすでに
なされているか、何がまだなされていないか、詳しく調べました。自分の
考えだけでやって、あとで同じ仕事が 50 年も 60 年も前にすでに発表さ
れていた、といった愚かなことにならないためです。
そんな時に、札幌の丸善書店に行ったら、赤と黒のツートンカラーの妙
に目立つ本が化学の棚に並んでいたのです。化学や物理の本というのは、
真っ黒かグリーンの濃いやつとか、そんな色がほとんどでしょう。その中
で、赤と黒は非常に目立つ。手に取ったら、ハーバート・C・ブラウン先
生が書かれた『ハイドロボレーション』という、さっき言った本だったん
です。
面白そうだったので、買って、うちに帰って、夕食が終わってから読み
出したんだよ。普通は専門書で徹夜することはあまりないんだけれども、
それは唯一、僕が徹夜して読んだ本なんです。そんなことで面白いと思っ
て、心変わりしたんです。ヒドロホウ素化(ハイドロボレーション)の仕
事をやりたいと思い、ブラウン先生に手紙を書いたのです。
ブラウン先生は、アメリカのパデュー大学にいた。シカゴから 120km
ぐらい南のインディアナ州にある大学です。今だったらメールですぐに連
絡できますが、航空便の時代です。札幌から東京、東京からアメリカなの
で、片道1週間かかる。向こうからすぐ返事を書いたとしても合わせて2
週間かかる。のんびりしていたね。何度かやり取りがあって、ブラウン先
生からすぐに来いと言われ、パデュー大学に行くことになったのです。
1963 年のことです。
――札幌丸善で、ブラウン先生の本が、鈴木先生をアメリカに招いていたわけですね。
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鈴木 僕は、2冊の本が僕の一生を変えたと思っているんです。1冊目は
ブラウン先生の本。もう一冊は、アメリカのハーバード大学のフィーザー
先生の書かれた『テキストブック・オブ・オーガニック・ケミストリー』
という本です。
僕は中学校・高等学校のとき数学が好きで、理学部の数学科へ行きたい
と思っていたんです。昔の北海道大学の入試は、理類と文類と水産類の3
つに分かれていました。理類には、僕らのときは薬学はなかったけれども、
理学部、工学部、医学部、農学部がすべて理類でした。水産類というのは
函館にあって、これは別にとっていました。僕は、初め数学をやろうと思っ
たので、理類に入った。教養課程を1年半勉強してから、自分の進む専門
を決めるのですが、僕はもうその時点で、フィーザー先生の英語の教科書
を何度も読んでいて、数学から気持ちが変わっていたのです。
この教科書は原書で 5,000∼6,000 円したと思いますが、昭和 24 年と
いうのは終戦からまだ4年しか経っておらず、学生がこんな高価な教科書
を買うことはできませんでした。そこでフィーザー先生が日本の丸善に手
紙を出して、廉価版を丸善でつくったらどうだと提案し、いわゆる海賊版
じゃなくて、正規の本として日本で印刷・出版されたのです。
――ずばり「有機化学の教科書」だったわけですね。
鈴木 ええ、この本はすごく面白かった。もちろん訳本なんかないし、大
学に入ってすぐで英語の知識もそれほどない中で、字引を開きながら読ん
でいったのですが、とても面白かった。
1回読むたびに印をつけて、「正」の字になったら5回になるでしょう。
そうして、なんと 33 まで書いた記憶があるんだ。33 回は読んだんですよ。
――すごい。
鈴木 そのころは、どの反応ならだいたい本のどのあたりの、右ページに
あるか左ページにあるか、分かりました。この本のおかげで有機化学が好
きになって、数学はやめたのです。フィーザー先生の『テキストブック・
オブ・オーガニック・ケミストリー』とブラウン先生の『ハイドロボレー
ション』を読まなかったら、僕は化学なんかやっていなかった。だからノー
ベル賞もなかったと思います。
――でも、数学をやって、フィールズ賞をもらわれていたかもしれませんね。
鈴木 いやいや、フィールズ賞はもっと難しいですよ。
有機合成は物づくりそのもの
生まれ変わっても同じ仕事をしたい
――19 世紀にはもう、有機合成や合成化学は終わった、やることはもうないと思わ
れた、という話を聞いたことがあります。
鈴木 それは知りませんが、研究すべきテーマは、なおたくさんあります。
例えば植物の炭酸同化では、炭酸ガスから糖をはじめとしていろんな有機
物がつくられています。しかもその反応条件は、完全に中性に近く、室温
に近い。エネルギーは太陽エネルギーを使っている。このような条件で、
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これだけ多様な化合物を合成するのは、まだ人間の力では無理なのですね。
そんな反応って、まだまだたくさんあるのです。
鈴木カップリングだって、今、いろいろな改良が進んでいます。例えば
最近、アメリカの MIT(マサチューセッツ工科大学)のフーさんとかブッ
フワルドさんとかは、触媒のほかにリガンドというのをいろいろ使い出し
て、非常に反応しやすくしようとしています。
それから、すでに述べたように、高いパラジウムのかわりにニッケルを
使うとか鉄を使うとか。あるいは、今は、ケースバイケースで反応条件を
最適化しないといけないけれど、オールマイティーの条件は存在するのか
どうか、まだ分からないことはたくさんあるわけです。
ですから、19 世紀で化学が終わったと言うのは、それは化学を知らな
い人が言うこと、勉強したことがない人が言うだけの話です。
――実は物理の結晶学なども 19 世紀かなり進んで、もう終わったと言われたような
のですが、時々こういうことを言う人が現れるのはどうしてだろう、と思うのです。
鈴木 勉強していない人が、よくそういうことを言うんじゃないかと思い
ますよ。
――もし、今、先生が 25 歳で、この世界に入ったばかりだとしたら、これから攻め
てやろうと思われる研究テーマは何ですか。
鈴木 僕はやっぱり有機合成をやりたいと思うね。有機合成というのは、
今言ったようにまだまだ先があるし、しかも有機合成というのは、物をつ
くるサイエンスだからね。物をつくるサイエンスという点では、サイエン
スの中でも化学がその最たるもので、しかもその化学の中でも、有機合成、
有機化学が一番なのです。生物も物をつくりますけれども、われわれの有
機合成は、人間の知恵でもって物をつくるという、際立った特徴がありま
す。僕は生まれ変わっても、今と同じ仕事をしたいと思っています。
僕が定年のころは、東京大学(東大)と東京工業大学(東工大)の定年
が 60 歳で、ほかの旧制帝国大学が 63 歳、それ以外が 65 歳でした。定
年は各大学の教授会で決めていて、東大と東工大は、定年になっても企業
の研究所長とかになれるから 60 歳に決めたのかもしれない
けど、だんだん難しくなって 65 歳に変えた。北大も変える
のかと思ったら、63 歳のままです。ただ、アメリカでは、
研究費さえ集められれば定年はないんですね。
――70 歳でも 75 歳でも正教授はいますね。
鈴木 ブラウン先生は 92 歳で亡くなったけれど、ずっと研
究室を持っていました。研究者を集めてポスドクを雇えれば、
研究はできるわけです。僕は、少なくとも 70 歳までは研究
をやりたかったなと思うのです。
今でもその点だけは残念です。
それ以外は、北大、札幌という環境には満足しています。
気候的にもいいし、ユニバーシティーだから、各学部に化学
系の研究者が結構いる。有機系の人も結構いるから、僕のと
ころに外国人のお客さんが来ると、回覧を回して「興味ある
人は出てください」といえば、きちんと来てくれるし、向こ
うからも僕らに案内がある。それに、同業の有機系の人が年
に何回か会って酒を飲むとか、そういうコミュニケーション
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もあるしね。キャンパスが同じというメリットは大きいです。
キャンパスが離れたところにあったら、一緒にやれといってもちょっと
できない。北大はキャンパスが同じだから、歩けばすぐ行ける。あれが一
番いいですね。水産学部だけは函館に分かれているけど、それ以外は全部
一緒のところにありますから。
――あの広大な敷地は、やっぱり財産ですね。札幌のあんな便利な場所に、広い1つ
の大学があるのは貴重です。
鈴木 駅とか、時計台とか、昔はみんな農学校の土地だった。駅前の植物
園も大学ですね。
私(JST 松本)、有機化学を勉強して修士まで出たんですが、その当時、人名反応の
本を持っていました。そこに書かれていた鈴木カップリングの先生に直接お会いでき
るなんて、感激しています。
鈴木 人名反応、鈴木カップリングなんて聞くと、初めはすごく恥ずかし
かったんだ。実は、最初に鈴木カップリングって言い出したのは、ブラウ
ン先生だったんです。2002 年に英語で本を書いてアメリカで出版したの
ですが、ブラウン先生もちょっと関係があって、題目を「Organic Synthesis Using Organoboron Compounds」にしていたら、ブラウン先生が、
この名前は長くてだめだという。そこで、どんな名前がいいか聞くと、鈴
木カップリングがいいというのですよ。僕はシャイな日本人だから、賛成
できないと言ったんだけど、
「そんなことない」って言うんです。このほ
うがダイレクトですごいという。それは確かにそうなんですね。もし Organic Synthesis Using Organoboron Compounds なんていっていたら、研
究文献などもなかなか全部出てこないでしょう。
――舌かんじゃいますよね。
鈴木 その点でもブラウン先生の命名に感謝しているんです。このごろは
あまり恥ずかしいと思わなくなったけど、初めはちょっと格好悪かったん
ですよ。ターム(術語)は非常に大事だと思います。ブラウン先生は本も
たくさん書いているから、よく分かっているんですね。
「今の豊かな日本を築いたのは、100 年以上に
わたる教育、科学、技術への投資です」
――日本の科学政策に何かご注文があったらお聞かせください。
鈴木 明治政府は、今から 100 年以上前に何を目指したのか、というこ
とですね。
当時の日本は科学や技術を育てて、それに基づいて生きていかないといけ
ないと認識し、理科教育を含めた教育を大事に育ててきた。後の政府も全部
それを継続し、場合によっては愚かにも軍事費に膨大な額をつぎ込んだ時代
もあったけど、教育、科学、技術の進歩への投資は、ずっと続けてきたので
す。それが、2000 年以降はほぼ毎年のようにノーベル賞受賞者が生まれる
ようになった理由なのです。韓国や中国も一生懸命やっていますし、優秀な
人もたくさんいると思いますが、すぐに日本のようになれないのは、やっぱ
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り長い歴史的バックグラウンドが違うんだと思います。しかし、これらの国
からも近い将来ノーベル賞受賞者が必ず出ると思います。
科学、技術、教育は大事にしないと駄目です。今、考えなしに予算を切っ
たりしていますが、今までせっかく 100 年以上もかけて日本人が投資し
てきた成果が、無駄になってしまうのは実にもったいない。
――広い意味の経費がかかっている。時間の積分と言ったほうが分かりやすいと思い
ます。
鈴木 そうです、そのことを大事にしてもらわないといけない。
資源のない日本は、
科学と技術を推進していくしかない
――最後に、若い世代や学生にメッセージをいただけますか。
鈴木 日本のような資源のない国で、これから生き続けていくためには、
やっぱりサイエンスとかテクノロジーが非常に大事なのです。なぜかとい
うと、それらによって付加価値の高いものをつくり、ほかでできないもの
をつくって、しかもそれを非常によいものにして、それをつくれない国の
人たちに喜んで使ってもらう。そういうものをつくり出すことが、唯一、
日本のような国がやらねばいかんことなのです。
日本のような資源のない国はサイエンスとテクノロジーを進歩させなけ
ればならない。そのために、みんなにしっかり勉強してもらうということ
なんです。
それから、自分の仕事というのは、研究もそうですが、研究だけじゃな
くていろんな仕事があるわけで、そこではオリジナリティーのある仕事が
大切だということです。人の物まねはだめです。皆さんの仕事にしたって、
オリジナリティーのある仕事じゃないと、いけないと思います。
世界を飛び回る忙しさ
――北海道から次なるノーベル賞が続々と出るでしょう。
鈴木 北海道とかはあまり関係ないし、たまたま僕が当たったというだけ
ですよ。僕はスーパーサイエンティストでも何でもない。非常にラッキー
なサイエンティストではあってもね。
――でも、北海道の人はすごくうれしく誇りに感じていると思います。
鈴木 僕はそばが好きでそば屋によく行くんだけど、新聞を見ながら、膝
つきながら食べるんです。ところが最近行ったら「先生おめでとう」って
全然知らないおばちゃんたちに言われてしまった。「いやあ、そば屋にも
おちおち行けないな」と言ったんですよ。
いま、すごく忙しいんだよね。国内外の講演や国際会議が立て続けに入っ
ています。だから、80 のじいさんも、おちおちくつろげないのですよ。
――世界を飛び回る先生のご健康をお祈りします。ありがとうございました。
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特集 深化する産学官連携とイノベーションの課題
日本にテクノロジー・ベンチャーを育てる国家戦略を
優れた技術を持ちながら、日本はなぜ産業化に結び付くことが少ないのか。成功事例で
ある 2000 馬力級単座戦闘機・陸軍四式戦『疾風』の実用化(1944 年)の分析を通
じて、テクノロジー・ベンチャー育成のための方策を提案する。
1.日米理工系大学比較
理工系テクノロジーに特化した日米の大学として、1881 年設立の国立
大学法人東京工業大学(東工大)と、1861 年設立の米国 Massachusetts
瀬戸 篤
Institute of Technology(MIT) は、共に数学に秀でた学生を集める大学とし
(せと・あつし)
て世界に名高い。だが両校の予算を比較すると、大学総予算では MIT は
国立大学法人 小樽商科大学ビジ
ネススクール 教授/北大博士
(農学)
東工大の 3.59 倍だが、研究予算では 7.65 倍に拡大する。その原因は、
MIT 研究予算の 68%が連邦政府各省からの直接投入のため公的研究資金
格差が 14.48 倍にも達するからだ。
MIT リエゾンオフィスでの入手資料によると、MIT に投入される連邦
政府予算のうち、DOE(エネルギー省・核兵器開発含む)、DOD(国防総
省)
、LL(リンカーン国防研究所)の合計が 27%だ。さらに、バイオテ
クノロジー分野で NIH(国立衛生研究所)が単独で 27%と突出している。
つ ま り、750 億 円 の 大 学 研
図表1 東工大・MIT 予算比較(2004)
究予算のうち4分の1が軍事
研究、4分の1がバイオテク
ノロジー研究に集中投下され
る。
100 円/$
東工大
大学総予算
MIT
MIT/ 東工大
362 億円 1,300 億円
(政府運営交付金(2004 年以降、毎年1%減) 223 億円
大学研究予算(公的+民間+寄付基金)
3.59
98 億円
750 億円
7.65
(うち公的研究資金再掲*)
33 億円
478 億円
14.48
2.レーダーとロボット
(うち民間研究資金再掲)
18 億円
120 億円
6.67
次に、大学での基礎研究が
*政府研究資金:東工大=文科省科学研究費補助金、MIT =連邦政府各省予算計
基となって技術イノベーショ
ンが実用化された実例として
〈レーダー〉と〈ロボット〉
を取り上げる。
〈レーダー〉 第二次世界大
戦の帰趨(きすう)を決定し
たレーダーのコアテクノロ
ジ ー は、1925 27 年 に 東 北
帝国大学が開発した抜群の指
向性を持つ「八木アンテナ」
および「波長 10 センチマイ
クロ波発振管=マグネトロ
図表2 MIT 研究予算内訳(2004)
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特集 深化する産学官連携とイノベーションの課題
ン」であるが、当時その用途は不明なまま欧米学会に発表され終わりとなっ
た。
1940 年英国空軍は、波長 10 メートル級の陸上設置型防空レーダーを
自力開発して対独航空戦に勝利すると同時に、同年英国バーミンガム大学
で発明した(と称する)「波長 10 センチ英国製マグネトロン」と「八木
アンテナ」を組み合わせた新型レーダーを米国に無条件一括技術供与した。
これを受けて米国は、大統領令に基づき MIT に結集した電子工学エンジ
ニア 4,000 人の力で、艦船搭載型の高度・方位計測可能な「2次元 360
度レーダー」を完成して、米国海軍全艦隊に実戦配備した。1944 年6月
のマリアナ沖海戦では、このレーダーと同時に開発された VT 信管(微弱
電波発信型近接信管)により、日本連合艦隊の航空機と艦隊は壊滅した。
その結果、日本海軍は再起不能となり、サイパン島は陥落して B-29 によ
る本土空襲が始まった。
〈ロボット〉
水素爆発を起こして原子炉建屋が破壊
されメルトダウンすら生じた福島第一原発に米国製ロ
ボ ッ ト が 投 入 さ れ た。 同 ロ ボ ッ ト は、MIT 発 ベ ン
チャーが国防総省に納入した軍事ロボットだ。イン
ターネット版『朝日.COM』の平成 23 年3月 26 日付
け記事は、①米アイロボット社は、米軍がアフガニス
タンなどで爆発物探知などの実戦投入済みロボット2
種4台と社員6人を福島第一原発に3月 26 日までに
派 遣 し た ② 同 社 は、 マ サ チ ュ ー セ ッ ツ 工 科 大 学
(MIT)発ベンチャーで、自動掃除ロボット「ルンバ」
のメーカーとして有名だ、と報じた。
http://www.robonable.jp/news/2011/04/17packbot.html
さらに4月 22 日付け同記事は国産ロボットの投入
を、
「国産原発用ロボットの開発は過去に2度あった。
1度目は 1979 年の米スリーマイル島原発事故の後
83 年に始まった点検用の極限作業ロボットプロジェ
クトで、90 年までに約 200 億円を投入したが打ち切
られた。2度目は 99 年の茨城県の東海村 JCO 臨界事
故の後に、事故用で数十億円使ったが原子炉では事故
は起きないと1年で終了した」と報じた。そして、今
回投入される千葉工業大学と東北大学が開発した国産
ロボット「クインス」は、2009 年のロボカップレス
http://www.robonable.jp/news/2011/03/30irs.html
図表3 上)米国製ロボット、下)国産ロボット
キュー世界大会で米国製を圧倒し、日本原子力研究開
発機構研究所での放射線耐久試験にも合格済みという。にもかかわらず投
入が遅れた理由については、①実戦経験がないと信用されない ②遠距離
操作に必要な強い電波使用が今回〈特別〉に認められた、ためと解説する。
以上をまとめると、「レーダー」は日本の大学で基本要素が生まれたが、
用途は不明であった。英国はこれらをまとめ上げ実用レーダーを開発し、
米国が同技術移転を受けて国家プロジェクトとして高性能レーダーを完成
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特集 深化する産学官連携とイノベーションの課題
させた。そして日本は科学技術戦略の不在により敗れた。今日の原発事故
現場におけるロボット投入でも同じ敗北が繰り返されているとすれば、歴
史から学ばず失敗を繰り返す日本的悲劇だ。
3.実用化プロセスの確立
しかしながら、わが国の技術イノベーション実用化で成功事例も存在す
る。その代表例が、1941 年 12 月試作発注、43 年3月試作1号機完成、
44 年4月制式化(=実用化)された 2000 馬力級単座戦闘機・陸軍四式
戦『疾風』だ。同機は、敗戦後の 1946 年米軍が米国本土に同機を持ち込
みテストした結果、「日本軍機最良にして世界最速のプロペラ戦闘機 *1」
との評価を得た傑作機であった。
同機エンジン『誉』と機体を設計・開発・製造した中島飛行機 *2 出身
* 1:R.J.Francillon. Japanese Aircraft of the Pacific
War . Naval Institute Press,
1987, pp. 230-237.
のエンジニアたちは、戦後の混乱と失業期を経てト
ヨタ・日産(プリンス)・ホンダ・スバルなど自動
車産業界に転じ、戦後の後進エンジニアを指導する
とともに、1960 年代以降彼らが開発指導した『日
産プリンス・スカイライン GTR』『メキシコ GP ホ
ンダ F1』は 1950-60 年代の国内外レースを席巻
し、今日のわが国自動車王国の基盤を作った。
『疾風』
に代表される戦前戦中のわが国航空機開発プロセス
を概観すると、開発に当たって以下の〈3ステップ〉
を踏んでいた。
http://ja.wikipedia.org/wiki/
図表4 1944 年4月『疾風』公開時公式写真
ステップ①競争試作 ……計画する仕様提示の下、競合メーカー2社程度に
〈試作機2機単位〉の十分な試作開発費を与え、双方から社内テストデー
タを軍に提出させる
ステップ②プロトタイプの決定と量産試作発注 ……発注者である軍は、会
社提出データを細部にわたり検討した上で採用機を決定し、直ちに実験隊
に配備するための〈実験・量産試作機 10 機単位〉を発注し、受領後に軍
実験隊テストパイロットが各種テスト・改良点を洗い出す
ステップ③量産命令 ……軍は制式機としての名称を決定したのち、
〈量産
*2:1917 年 に 中 島 知 久 平・
元海軍機関大尉が海軍をスピン
アウトして個人創業したテクノ
ロジー・ベンチャー。陸軍主力
戦闘機『隼』
『疾風』を産み、
また海軍主力戦闘機『零戦』に
搭載されたエンジン『栄』の開
発メーカーとして知られる。
1945 年までに三菱重工をしの
ぐ世界最大級の航空機メーカー
へと発展したが、戦後の混乱と
会社分割を経て富士重工業へと
統合継承。
機 100 機単位〉をステップ②と同じ会社に発注し、場合によっては協力
量産会社を指定。
注目すべきはステップ②だ。軍は、開発メーカーに十分な開発資金を与
えて完成した試作機を、〈実験・量産試作機〉として 10 機単位で発注購
入し、これを軍施設でテストパイロットによりあらゆる面でテストし、性
能吟味、改善箇所、実用配備課題をメーカー側へ正確にフィードバックし
た。これらのデータを基に、メーカーは直ちに設計改良と製造方法確立を
急ぎ、絶えることなく量産試作機として軍に納入し、やがて制式機(実用
機)として前線に送られた。つまり、ライバル民間企業間の熾烈(しれつ)
な開発競争と国の適切な資金注入・評価システムがバランスよく組み合わ
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された技術イノベーション実用化の頂点に『疾風』があり、そこで蓄積さ
れた開発技術とノウハウは戦後の自動車産業発展へと引き継がれた。
4.テクノロジー・ベンチャー育成に向けて
現在、国内大企業は国内大学との共同研究・産学連携を好み、技術を買
う意志と仕組みに欠けると言われるが、図表5はその構造をモデル化した
ものだ。
図表5は、技術移転のステップが進展して技術が成熟化すればするほど
大企業の受け入れが困難化することを示している。ステップⅠ(共同開発)
は、社内稟議上それほどの困難さはない。ステップⅡ(VB[ベンチャー
ビジネス]増資)への協力となると、新事業担当役員が承認しても社内の
財務部門での事前了解が難しくなる。そして、最後の ステップⅢ(技術移
転)が大きな壁となる。たとえ生産担当役員が渋々了解しても、工場で実
際にこうした技術を受け入れる部門は〈実績の無さ〉と〈量産コストの問
題〉から断固拒絶する。つまり、納期・品質・価格の不明なテクノロジー・
ベンチャーの開発技術は大企業の採用に至らず、結果的にわが国テクノロ
ジー・ベンチャーの開発出口が無くなり、十分な投資も集まらず、育たな
いという悪循環に陥る。
他方、大企業側の視点に立つと、わが国企業にとって〈官公需受注〉が
重要だ。いったん大企業が政府
受注を確定した場合、必ず部品
試作と納入発注が地方の中小企
業に発注されるので地方振興に
も絶大な波及効果が期待される。
図表6は、ステップⅢ で大学
発ベンチャーが開発した技術の
実験・量産試作品に対する〈政
府受注〉によって、新技術はむ
しろポジティブに大企業に受け
入れられる状況を示している。
図表5 従来の大学発ベンチャーと大企業の連携構造
大学発 VB
ステップⅠ(共同開発)
ステップⅡ(VB 増資)
ステップⅢ(技術移転)
企業稟議者 社内担当部署
◎研究担当役員 → ○技術研究所
○新事業担当役員 → △CFO・財務部
△生産担当役員 → ×工場購買部
図表6 新たな大学発ベンチャーと大企業の連携構造
大学発 VB
ステップⅠ(共同開発)
ステップⅡ(VB 増資)
ステップⅢ(政府受注)
企業稟議者 社内担当部署
◎研究担当役員 → ○技術研究所
○新事業担当役員 → △CFO・財務部
○官公需担当役員 → ◎連携商社・営業部
政府受注は、技術開発投資と無
関係な官公需担当役員、そして連携する商社や官公需営業部隊を巻き込む。
もともとの技術は大学発ベンチャーとの共同研究に由来するので、当該企
業は共同特許保有者として事実上の独占入札が可能だし、大学発ベン
チャー単独なら政府銀行借入によって単独受注も可能となる。その結果、
テクノロジー・ベンチャーの収益性は劇的に改善し、VC(ベンチャーキャ
ピタル)からの民間直接投資も活発化し、国内大企業へのベンチャー
M&A 増加が期待される。
5.結論
1.の日米大学格差、2.のレーダーとロボット実用化問題、3.の数
少ない実用化成功事例を謙虚に学べば、米国・中国では当然である技術イ
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特集 深化する産学官連携とイノベーションの課題
ノベーション実用化を促すテクノロジー・ベンチャー育成のための国家戦
略が不可欠だ。そこで、本論における結論として、
『大学発等テクノロジー・
ベンチャーが開発した実験・量産試作品に対する政府責任発注』を提案す
る。それは次の2ステップを踏む。
ステップA 政府は、政府助成によって大学発等テクノロジー・ベンチャー
が試作し、当初の目的とスペックを達成したものについては(例:原発作
業ロボット、新型光発電システム、新型燃料電池など)、量産試作 10 機
単位を開発ベンチャーや大手企業に主観的評価を行わず機械的に発注する。
ステップB 政府は、量産試作の成功品を政府一般調達対象に組み込み、
100 機単位で購入して海上保安庁・警察・自衛隊・原子力施設などに実配
備し、現場で徹底的な運用・検証を行い、その問題点や改善案を製造元に
フィードバックして、製品の完成度を見ながら段階的に追加発注する。
上の ステップA・Bで、製造者責任を問わず政府責任で改善改良を行
うことが肝要だ。
テクノロジー・ベンチャーから大企業への迅速な技術移転を政府が下支
えすることはもはや国家的課題である。MIT で開発された軍事ロボット
を開発製造する大学発ベンチャーが安価なお掃除ロボットを市場投入した
ように、環境・介護・防災など低コスト高品質が求められる一般市場への
民製品投入も可能になる。一母親が未熟児を産めば公的予算と優れた病院
が必要なように、税金を投入する大学がテクノロジー・ベンチャーを産め
ば、政府は国家として未熟児たるテクノロジー・ベンチャーを大切に育て、
それらが市場で使われる次世代技術となるまで支援する親心が欠かせな
い。少子高齢化する我が国がこれからも科学技術立国として存続し続ける
ために。
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特集 深化する産学官連携とイノベーションの課題
バイオベンチャーの明日
欧米とわが国のバイオベンチャーの動向、取り巻く環境の変化を分かりやすく解説する
とともに、わが国でバイオベンチャーが活躍できるようになるための条件を指摘する。
近ごろ、バイオベンチャーについて考えさせられることが多い。起業ブー
ムは去ったが、バイオベンチャーに薬のリードを求める声は高まる一方の
ように感じられ、存在意義はむしろ増しているといえそうだ。もとより企
業経営について門外漢も甚だしい筆者だが、イノベーションの鍵を握るバ
イオベンチャーについて、素人なりの視点から稿を起こしてみようと思う。
谷田 清一
(たにだ・せいいち)
財団法人 京都高度技術研究所
産学連携事業部
医工薬産学公連携支援グループ
プロジェクトディレクター
◆バイオベンチャーの誕生とその背景
アスピリンとともに幕を開けた近代製薬産業は、自前主義の堅固な研究
開発体制を築き、巨額の資金を投入して新しい低分子医薬品を次々と生み
出してきた。これに伴って市場は右肩上がりに成長を遂げた。この分野に
大きな転換期が訪れたのは、1973 年に遺伝子組み換え技術が誕生して直
後のことだ。この技術が起爆剤となって、生体由来の機能性高分子やその
改変体を有効成分とするバイオ医薬品の開発が実現し、バイオベンチャー
時代が幕を開けたのだ。先駆けとなるジェネンテック社(米国)が創業し
たのが 1976 年。その後、米国を中心にバイオベンチャーが続々と誕生し、
バイオ医薬品市場の急成長をもたらした。そこに集う研究者の中からは、
ノーベル賞に輝く成果を挙げた者まで現れ、基礎と応用が連続した関係に
あることを印象付けた。
*1:Nature Japan Focus,
June 30, 2011.
*2:日経バイオ年鑑 2011
ここに興味深いデータがある(図1)。売上
高を指標に低分子医薬品とバイオ医薬品の起源
をたどったものだ。低分子医薬品が製薬企業起
源、バイオ医薬品がバイオベンチャー起源と
くっきり色分けされる。前者の成長が鈍化しつ
つあるのに対して、後者の成長はまだまだ伸び
盛りといえそうだ。バイオベンチャーがバイオ
医薬品分野をけん引していることを如実に示す
データだ。ちなみに、2008 年の世界の医薬品
売上高ランキングでトップテン入りを果たした
医薬品は、「低分子」と「バイオ」で5品目ず
つと、両者互角の様相を呈している *1。
国 内 バ イ オ 医 薬 品 市 場 の 成 長 も 著 し い。
2006 年 に 総 額 4,500 億 円 程 度 だ っ た の が
2010 年には 7,700 億円に達している *2。ただ、
図1 世界の医薬品売上額の推移
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特集 深化する産学官連携とイノベーションの課題
日本発のバイオ医薬品が非常に少ないことも見落としてはならない。国内
の製薬企業の多くが、この成長市場において苦戦を強いられているのだ。
現在、バイオ医薬品市場をけん引しているのは抗体医薬品だが、上市され
ている 20 数品目のうち、日本発がたった1品目というところに苦戦のほ
どがうかがえる。強い低分子医薬品指向と成功体験に寄り掛かったブロッ
クバスター戦略が裏目に出たと分析することもできるが、そればかりでは
ないだろう。製薬大手がトレンドをつかみきれなかったことに加えて、バ
イオベンチャーを育む環境が整っていなかったことも苦戦の遠因となって
いるに違いない。
◆新薬開発事情とバイオベンチャー
日本の製薬産業の国際的な評価は高い。2008 年度の世界売上高上位
100 品目を開発国別に眺めると、新薬開発能力を保有する国は 10 カ国程
度に限られ、その中で日本は英国に次ぐ第3位。頭ひとつというところだ。
首位を独走しているのは米国だが、日本は善戦してきたといってよいだろ
う。ただ、ここにきて日本の新薬創出力に陰りが見えてきたとささやかれ、
このままだと英国を追い越すどころか、今の地位を保つことすら難しくな
ると、その衰えを懸念する声が聞こえてくる。
新薬開発は、20 年以上も前から日・米・欧の三極で平行して進めるの
が常識となっている。ただ、国内の承認審査が他国に比べて長い期間を要
することから、海外開発に比べて新薬承認に数年の遅れが生じるため、海
外で先行発売されるのが通例だ。ドラッグ・ラグの解消が叫ばれる昨今だ
が、その解消には時間がかかりそうなのが気掛かりだ。
もう1つ気になることがある。メガファーマを筆頭に外資系製薬企業の
ほとんどが日本での研究開発を断念し、研究拠点を次々と上海などへ移転
していることだ。これを、日本にはもはや市場的価値しか残されていない
と見るべきなのだろうか。確かに 2009 年の世界市場の 11.1%*3 を占める
ので、それなりの規模といえるかもしれないが、研究開発拠点としての魅
*3:IMS World Review
2010
力が失われてしまったのだとすれば、「モノづくりニッポン」としては危
機的状況といわざるをえないだろう。
この動きに呼応するように、数年前からは、国内製薬大手による海外へ
の投資が目立つ。欧米のバイオベンチャーや中堅製薬企業の買収がそれだ。
2007 年以降に大手6社が買収に投入した資金総額は 2.2 兆円に達し、さ
らに1兆円を超す大型の買収計画が進行している。欧米の製薬企業が
M&A によって急激に肥大化し、メガファーマと呼ばれるようになったこ
とを思えば、20 年遅れの動きといってもいいかもしれない。しかし見方
を変えれば、世界に通用するバイオベンチャーが国内に存在しないことを
物語っているともいえそうだ。
このような動きが生まれる背景には、世界的に製薬企業の新薬創出力が
限界に達していることがある。米国食品医薬品局(FDA)の新薬承認件数
をみれば、2004 年以降、バイオベンチャー起源の新薬が製薬企業のそれ
を上回っている。基盤となる特許を軸に自己完結型の研究開発が進められ
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特集 深化する産学官連携とイノベーションの課題
てきたこの世界にも、新しい波が押し寄せているのは確かだ。
◆バイオベンチャーを取り巻く国内事情
ベンチャー先進国の米国では上場バイオベンチャーが 350 社を超える
といわれている。一方、国内では、経済産業省による大学発ベンチャー
1000 社計画発表直後の 2002 年に総数 334 社だったのが、2006 年に
586 社に達し、これをピークに減少傾向が続いていて、2009 年には 558
社となった *4。現在、上場を果たしているのは 20 社程度にとどまり、上
場後も株価が低迷して、資金調達の厳しい状況が続いている。起業件数も、
投資環境も欧米に大きく水をあけられているのが現状だ。ちなみに、558
*4:財団法人バイオインダス
トリー協会.2009 年バイオベ
ン チ ャ ー 統 計 調 査 報 告 書.
2010.
社をカテゴリー別にみると、トップスリーは医薬品(68 社)、試薬(34 社)、
診断薬(33 社)だ。トップが 68 社というのは意外に少ないと思えるが、
どうだろう。
薬づくりを目指す国内バイオベンチャーの多くは、非臨床試験段階をク
リアする力を付けつつあるものの、第一相試験を終えて第二相試験段階で
ライセンスアウトの交渉に臨む欧米バイオベンチャーとの力の差は歴然と
している。アカデミア発の医薬品シーズが製薬企業へ技術移転されること
がまれなのも、シーズの価値の見極めが不十分なところへ持ってきて、移
転のタイミングへの理解と関心が不足しているからではないだろうか。
ごく最近、オープンイノベーションに軸足を置いた大型の産学連携の試
みが発表された。京都大学のメディカルイノベーションセンターの新事業
がそれだ。これなどはバイオベンチャーが本来担うべき領域を大学と製薬
企業が連携して埋める役割を果たす可能性があり、筆者はこの点にも注目
している。なお、この事業については、本誌の本年5月号の記事に詳し
い *5。
◆バイオベンチャーを支える人材
バイオベンチャーがなぜこの国に育ちにくいのだろうか。そもそも手本
*5:寺西豊;早乙女周子;室
田浩司;成宮周.創薬における
オープンイノベーション∼京都
大学医学研究科メディカルイノ
ベーションセンターの取り組み
∼.産学官連携ジャーナル.
Vol.7, No.5, 2011. p. 29-34.
となるバイオベンチャーが存在しないところへもってきて、資金調達が極
めて難しい状況が続いており、投資を促す仕組みづくりも後手に回ってい
る。その背後で、失敗を許さないこの国の風土が拍車を掛けているといえ
そうだ。バイオベンチャー先進諸国の人々とのメンタリティーの違いを強
調する向きもあるが、し過ぎると出口の見えない悲観論に陥ってしまう。
ともかく、人材の裾野を広げる努力を怠るべきではない。
アントレプレナーシップの旺盛な人材の多寡が、バイオベンチャーの件
数に反映していると見ることもできる。この種の人材には、分析的で緻密
なイメージよりも、子供が何かをたくらんで面白がるイメージが近いよう
に思える。既存の価値にとらわれない自由な視点と柔軟な発想、飽くこと
のない好奇心と失敗を恐れない楽天性、思い付きへの強いこだわり、試し
てみたくてたまらない冒険心、人を驚かせて楽しむ遊び心、そして何より
も若さだ。それも精神的な。
そこに分析的な緻密さが加わり、受け入れる環境が整わなければならな
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特集 深化する産学官連携とイノベーションの課題
いわけだが、人と人との関係性も見逃してはならないだろう。主要な発明
のほとんどは、相補的な能力を持つ人材同士の連携によってもたらされた
といわれているが、バイオベンチャー先進国を眺めていると、なるほどと
いう気がしてくる。志を同じくする数名の仲間が協働して創業し、仲間同
士が「個と個の積」としてお互いにお互いを刺激し、相補し、相乗的に機
能を果たした末に成功を手にした事例が多いのだ。一方で、形を整えただ
けで十分な活動がなされないまま解散に追い込まれた大学発バイオベン
チャーを間近に見たことのある筆者は、形にとらわれすぎて人材への思慮
を欠いた組織の脆弱(ぜいじゃく)さを思い知らされた。
◆結びにかえて
バイオベンチャーについて、いくつか視点を変えながら眺めてきたが、
希望は見える。この国のバイオベンチャーからも、臨床試験の成績に基づ
いて製薬企業への導出を目指す動きがようやく現れてきたからだ。
欧米では、バイオ医薬品の研究開発を支える裾野産業までが一体となっ
た企業の集積が進み、クラスター化する傾向が著しいが、この国では、残
念ながらまだまだ掛け声の域をでないようだ。
バイオ医薬品の将来はどうだろうか。現在、この分野をけん引している
抗体医薬品の開発競争は 10 年後に頭打ちになるといわれている。それに
続くバイオ医薬品として期待を集めているのが次世代型ワクチンと核酸医
薬品だ *6。これらの開発競争は始まったばかりだが、期待値の大きさから、
抗体医薬品後のバイオ医薬品市場を支えるだろうと予測されている。見方
を変えれば、バイオベンチャーの活躍の場の広がりを示す予測ともいえる。
*6:Christian Elze. 日本の医
薬品研究開発−現状と将来展
望.医学のあゆみ.Vol. 234,
No. 9, 2010. p. 831-835.
さらに深読みすれば、低分子医薬品を指向するケミカルベンチャーにも新
たな活躍の場が約束されている、と読み解くこともできるだろう。
ともかくもイノベーションの機会を逸することのないように、国を挙げ
てバイオベンチャー支援の仕組みづくりを急がなければならない。日本で
生まれたバイオベンチャーが世界の薬づくりに新たな1ページを加える日
が訪れることを願って、この稿を閉じる。
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特集 深化する産学官連携とイノベーションの課題
ライフイノベーション創出に必要な産学官協働の在り方
政治的リーダーシップ、政策決定力、専門人材、産学官のパートナーシップ(情報共有
システム)、知的財産戦略――これらが不足していることが、わが国の医療イノベーショ
ン推進の障壁になっているのではないか。大学・研究機関や医療産業だけでなく、社会
システム、法基盤まで視点を広げて課題を抽出し、解決に向けた処方箋を提案する。
飯田 香緒里
(いいだ・かおり)
東京医科歯科大学 研究・産学連
携推進機構 准教授、産学連携推
進本部 産学連携研究センター長
◆ライフイノベーション推進の障壁とは
わが国は少子高齢化の進展に伴い、世界に先んじて、がんやアルツハイ
マー等の加齢に関連した疾病の増加に直面することが予測されており、従
来の枠組みを超えた予防・診断・治療法の開発が急務である。このような
中、ヒトゲノム解読後遺伝子を用いた個別化医療、あるいは iPS 細胞研究
を含む再生医療の実現に向けた新たな価値創造と、ライフサイエンス分野
における技術革新は確実に進みつつある。これらの成果が新しい医薬品・
医療機器、治療法として社会還元される期待は大きく、また経済基盤の立
て直しという観点からも重要視されている。もちろん、わが国が国際社会
の一員として、また医療先進国としてグローバルヘルスを積極的に推進す
る責務もある。
このような時代の要請を背景に、2011 年6月4日早稲田大学戸山キャ
ンパスにおいて、文理融合シンポジウム「グローバルヘルスと知財戦略:
障壁から投資誘因・活用へ−医療技術実用化オープンイノベーション促進
のための法基盤整備の新展開−」(主催:早稲田大学重点領域研究機構知
的財産拠点形成研究所/共催:東京医科歯科大学産学連携推進本部・ワシ
ントン大学ロースクール先端知的財産研究センター他、写真1)が開催さ
れた。
このシンポジウムにおいて、わが国の医療産業および政治・経済・社会
システムをみると、政治的リーダーシップや政策決定力の不足、専門人材
の不足、産学官のパートナーシップ(情報共有シス
テム)の不足、知的財産戦略不足等の課題があり、
それらが医療イノベーション推進の障壁となってい
るとの報告・議論がなされた。わが国発の医薬品、
医療機器、再生医療を世界に発信し、医療分野がわ
が国の経済成長を担う新たな成長産業へ育成するた
めには、産学官一体となって研究開発戦略を立てた
上で、真の意味での産学官連携協働体制を構築する
ことが急がれる――こうした課題がこのシンポジウ
ムで浮き彫りになったのである。
医療イノベーション創出に向け、本稿では大学・
公的機関等のいわゆるアカデミアの優れた研究力や
写真1 シンポジウムの様子
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特集 深化する産学官連携とイノベーションの課題
アイデアや英知を活用しきれていない点、また、それらの活用方法につい
ての理解が施策側に不足している点に焦点を当て、これらをわが国の医療
イノベーション推進の障壁と位置付け、以下考えを述べていきたい。
◆医療イノベーションの障壁∼医療研究現場の視点から
革新的な予防・診断・治療法として掲げられる再生医療技術の研究や、
個別化医療を見据えた遺伝子研究等については、わが国の大学・研究機関
においても活発に取り組まれ、治療や診断の進歩に資する先端的医療技術
が次々と創出され、学術的進歩の観点からは着実な進歩がみられている。
にもかかわらず、それら研究成果の臨床応用、産業界への技術移転といっ
た実用化が欧米諸国に比べて大きく遅れている。
この理由について、トランスレーショナルリサーチ、および、いわゆる
オーダーメイド医療と言われる個別化医療のそれぞれについて整理すると
ともに、医療研究現場の視点から、研究推進基盤整備に向けた課題を検討
する。
〈トランスレーショナルリサーチについて〉
新しい医療を開発するためには、研究と臨床をつなぐ橋渡し研究、いわ
ゆるトランスレーショナルリサーチが重要となる。しかし、新しい医療は
単純に基礎研究と臨床研究を統合して結実するものではなく、また、研究
活動の延長として臨床応用に結実するというものでもない。筆者が所属す
る東京医科歯科大学の過去の実績を見ても、大学が独自で創出した先端的
医療技術が、企業に技術移転され事業化に結実する成功率は低く、大学発
の技術が臨床応用に発展するケースの多くは、研究開始時から密接な産学
協働体制が敷かれた共同研究がベースとなっている。
そこで、新しい医療の実現に必要なプロジェクトとして推進する上で必
要となる戦略・実施計画・実施体制について、以下提案したい。
●戦略
従来のトップダウン方式の公募型プロジェクト研究から脱却する必要が
あるのではないだろうか。昨今の大型の産学官連携プロジェクトは、国が
社会情勢等を踏まえてテーマを決定し産学が参入するものが大多数を占め
る。このように社会ニーズに合わせて産学が研究開発に取り組む必要性は
もちろんある。しかしながら、国際競争に打ち勝つ斬新なイノベーション
創出戦略を考えるとき、あらかじめ定められた目標、テーマの枠から革新
的な発想は成し得ない。また、医療分野の研究は他分野に比して、投じら
れる研究費、時間、労力は莫大(ばくだい)であるため、テーマ設定には
必要性、妥当性、実現可能性を慎重に検討する必要がある。この点、臨床
現場を併せ持つ医療系アカデミアは、明確な実用化・ゴールイメージを持っ
ているため、戦略の決定場面で最も重視すべきものである。
●実施計画
iPS 細胞をはじめとした再生医療や、人工臓器などの先端的医療の実現
を考えるに、研究開発工程は非常に複雑である。さらに、実用化プロセス
としては、前臨床試験や臨床試験を経て安全性や有効性の確認を得られた
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特集 深化する産学官連携とイノベーションの課題
ものだけが実用化できる。
わが国発の安全性、有効性の高い新規医療を最短で実現するには、プロ
ジェクトの一連のタスクを分析し、その所要期間を見積もり、最短かつ最
小の投資を可能にする、いわゆるクリティカルパス法の導入等を検討する
必要があろう。事前にプロジェクト工程を確認することで、開発の障害と
なる規制等に対しても先回りした対応を採ることが可能となる。さらに言
うなら、新規医療であればあるほど、行政による安全性や有効性の審査が
難航し時間がかかる傾向がある。研究計画段階から関係省庁等と情報共有
することで、新規医療の早期実現へ備えていくことも重要な戦術である。
●実施体制
人材・費用・モノ・情報をそろえる大規模な整備が必要となる。特に、
基礎研究、臨床研究、薬剤を担う医療人材はもちろん、医療情報、統計、
生命倫理、知的財産管理(特許や契約)、薬事、レギュラトリーサイエン
スをそれぞれ担う人材を配置する必要がある。さらには、このような臨床
開発をトータルコーディネートする専門人材も必要であり、当該人材の育
成を産学官が関係する大学院設置等を通じ、新たな職種の1つとし確立し、
それがビジネスとして成り立てば、医療イノベーションを支える重要な産
業の1つとして成長する可能性もある。
〈個別化医療について〉
個別化医療について、特にその研究を支えるためのバイオバンク設立の
動きを中心として課題の検証をする。
個別化医療は、オーダーメイド医療とも言われ―通常の遺伝子配列と
異なる遺伝子配列があると、多くの人に効く薬が効かないまたは副作用が
生じるといったような―個人の遺伝的背景に合わせて、投薬や治療を行
うものである。これは、個人に適した医療の実現、病気の重症化の回避、
さらには国の医療費削減に資するものであることから、世界的にも着実に
推進が図られている。
個別化医療の実現には、まず個人の遺伝的差異を見いだすために、膨大
な数の遺伝子データを収集することが必要となる。またデータを有効かつ
効率的に解析するため、高性能なシステムの開発・改良も必要となる。し
かし、このような大規模な遺伝子データの解析には、医療機器の開発を含
めて産学が一体となって取り組む必要性が大きいにもかかわらず、遺伝子
情報を扱うときのルールや研究基盤が不足している。
この点、昨今の大学や公的研究所においては、患者から採取されたヒト
のサンプル(細胞、遺伝子、組織等)について、研究用として品質管理を
実施して、不特定多数の研究者に分譲するという、バイオバンクの設立が
急速に進められている。個別化医療の実現を目指す研究者にとって、研究
材料の効率的かつ効果的な収集や利用に資する点でバイオバンクの活用メ
リットは大きく、さらに何度も採取する必要がないという点で倫理的メ
リットも大きい。
しかしながら、現状はバイオバンクを有効的に活用できる環境となって
いない。すなわち現在のヒトゲノム・遺伝子解析研究に関する倫理指針で
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特集 深化する産学官連携とイノベーションの課題
は、①バイオバンクから提供されるサンプルは個人が特定できないように
「連結不可能匿名化」されていて個別化医療に必要となる連結情報がない
②バンク利用者がアカデミアに限定される――等の制限が設けられてい
る。新たな医療産業の構築に多大な貢献をもたらす可能性があるバンクが、
これでは機能し得ない。
この点、現在、当該指針についての見直しが進められているが、産学の
研究開発現場が期待するバイオバンク――研究開発のインフラの整備とし
て、バイオバンクに求められる機能は何か、研究者が必要とするサンプル
に付帯すべき情報は何か――を十分理解した上で、各種ルールを作る必要
がある。サンプルを提供した患者の貢献や、研究者が患者を救いたい一心
で積んできた研さんを無駄にしないためにも、当該指針含め研究に関わる
各種ルールは、科学的、倫理的に適正な研究活動を担保する内容であるこ
とが重要である。現場を深く理解したうえで、かつ、研究開発の推進を前
提にしたルールづくりであることは言うまでもない。
◆実質的な産学官協働関係構築に向けて
2004 年の国立大学法人化後、大学発の特許が数多く出されている。産
業界が求める特許は、技術的な強みに加えて権利としても強いものである。
医療系の特許は一特許のもたらす効果や影響力が大きい分、高値で取り引
きされることが多い。しかしながらビジネスをしないアカデミアがそのよ
うな売れる特許を生み出すことは極めて困難である。従って、産業に資す
る特許は大学単独ではなく、産学共同でつくり上げ
る工夫が必要となる。単なる役割分担で成り立つバ
トンパスのような産学連携ではなく、真の意味での
産学官協働体制を構築することが重要ではないだろ
うか。
2010 年6月に設置された、医学系大学産学連携
ネットワーク協議会(通称 medU-net;幹事大学:
東京医科歯科大学)では、医療イノベーション推進
にむけ、全国の医療系アカデミアの産学連携機能強
化はもちろん、機能的な産学官連携体制の構築を目
指し、産学官による対話と連携による課題解決に取
り組んでいる(図1)。このような中立的な機関に
よる、産学官の橋渡し的な役割は、今後ますます重
図1 医学系大学産学連携ネットワーク協議会(medU-net)
組織体制
要になってくるものと考えている。
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特集 深化する産学官連携とイノベーションの課題
座談会・中国のバイオ研究
地方政府も相次いでバイオのハイテクパーク
連携して日本の発展に結び付ける道も
中国が科学技術政策を強力に推し進
めている。研究人材養成に加え、研
究・産業を集積させるハイテクパー
沖村 憲樹
(おきむら・かずき)
独立行政法人 科学技術振興機構
顧問、中国総合研究センター
上席フェロー
クが各地にできている。特に力を入
塚本 芳昭
(つかもと・よしあき)
一般財団法人 バイオインダスト
リー協会 専務理事
れている分野の1つがバイオ分野。
中国科学院の 97 の研究所のうち3
分の1は同分野である。同国バイオ
産業の視察団のメンバーのほか同国
の事業に詳しい方も加え、躍進する
湯元 昇
(ゆもと・のぼる)
独立行政法人 産業技術総合研究
所 理事、ライフサイエンス分野
研究統括 特許生物寄託センター
長
中国バイオ産業とわが国の取るべき
司会・進行
菊池 文彦
方策などについて話し合った。
(きくち・ふみひこ)
独立行政法人 科学技術振興機構
イノベーション推進本部 産学連
携展開部長
菊池 製薬企業を中心とする民間企業の方々、産業技術総合研究所(AIST)
や科学技術振興機構(JST)の合わせて 20 人ほどが中国を訪問し、同国
のバイオ研究や同産業について勉強してきました。具体的には、第5回中
国工業生物技術発展フォーラム、日中生物フォーラムへの参加、中国科学
院生物技術局との意見交換、さらに中国のバイオ企業を視察しました。本
日はこの視察団メンバーのほか、中国の事情に詳しい方も加え、同国のバ
イオ研究の現状とわが国への影響などについて意見交換をしたいと思いま
す。
沖村 文部科学省と中国科学院の幹部が毎年1回会合を持っていて、昨年
その席上で科学院生物局長の張さんから要請されたことが今回のミッショ
ンのきっかけです。科学院は非常に大きな組織で、97 の研究所、100 以
上の国家重点実験室があり、5、6万人のスタッフがいます。今回行って
みてよく分かったことですが、この科学院は基礎研究から産学連携、応用
研究までを一貫してやっています。つまり中国の産業政策をにらんだ科学
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産学官連携ジャーナル Vol.7 No.9 2011
特集 深化する産学官連携とイノベーションの課題
技術戦略を遂行する強力な機関です。日本にはそれ
に対応する機関ができていません。5年前に JST の
中に中国総合研究センターをつくり、以来精力的に
中国の大学、経済特区、技術移転などの調査を重ね
てきております。と同時に、中国の研究論文を年間
10 万本、日本語にしてデータベース化し、企業や
学界に提供しています。日本の大学の研究、個別の
企業の技術はまだ中国に勝っているところもかなり
ありますが、大学の現状、サイエンスパークなどを
総合的に考えると日本は中国にもう抜かれ、その差
第5回中国工業生物技術発展フォーラムの模様
が開きつつあるというのが、6年間勉強してきた私
の認識です。ここに至った1番の理由は、中国の科学技術を最も重視する
という政治の姿勢です。
◆国の経済の1つの柱
菊池 塚本さんは視察してどんな印象を持ちましたか。
塚本 産業界にも「アジアの活力を日本の発展に結び付けていく必要があ
る」という問題意識がここ2年ぐらい高まってきています。ですから、製
薬企業さんにもお声を掛け参加させていただきました。私自身は青島で開
かれた日中生物フォーラムしか参加していないのですが、ハイテクパーク
3カ所も訪問させていただいた私どもの部長たちと議論してみても、中国
のバイオに関する熱意が極めて高いことが分かります。2009 年に天津で
開催された「バイオエコ 2009」に招聘(しょうへい)され講演しましたが、
印象的だったのは副総理が会場に来られて、2020 年に向けてバイオ産業
を振興し、中国経済の1つの柱にするという方針を語られたことです。今
回の同フォーラムでは、中国科学院の張局長が中国のシーズ、取り組みに
ついて熱心な説明をされました。日中の協力によってバイオ産業の発展に
大きく貢献することができそうだと感じました。
菊池 湯元さんは今回の出張にはご参加いただけなかったのですが、AIST
国際部の方々のお話では AIST も中国との連携にいろいろと取り組まれて
いるようですね。
湯元 AIST はここ1年ほどアジア展開を重要視しております。インドの
バイオテクノロジー庁、インドネシアの技術評価応用庁とそれぞれ組んで
プロジェクトを進めていますし、今年4月には、中国の上海交通大学に設
置した連携ラボの開所式が行われました。同大学内にあるこのラボに日本
企業も入ってもらっていて日中の産学官連携拠点になっています。バイオ・
製薬の分野で中国がインドやインドネシアと異なる点は、米国などの優秀
なラボに留学していた優秀な研究者を国に戻して研究していることでしょ
うか。そういう意味ではキャッチアップ的な部分はまだあります。上海交
通大学でも少し感じましたし、今回の視察団参加者もそういう感想を持っ
ています。
上海には欧米の大手製薬企業が進出しています。日本企業が中国の研究
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特集 深化する産学官連携とイノベーションの課題
者にアプローチしていくと、そこで向こうの政府機関が出て
【視察報告① 第5回中国工業生物技術発
くるので、日本企業側にも日本の政府系機関がついていく方
展フォーラム(2011 年5月 25 日、中国山
がやりやすいといった思いがあるようです。その辺にもわれ
東省青島市)】
われの役割があるのかなと感じているところです。
米国ボーイング社、オランダのロイヤル・
ダッチ・シェルグループ、フランスのトタ
ルグループ、デンマークのノボザイムズ社
◆約 40 のバイオハイテクパーク
など欧米企業関係者、日本の視察団、中国
沖村 中国の科学技術発展計画の中でバイオは最重要テーマ
側を合わせ 300 人以上が参加した。テーマ
です。ファンドも重点的に大学のバイオを支援しています。
は「工業生物技術イノベーションを急げ、
ハイテクパークは研究の分野によって 10 種類あります。総
持続的な経済発展を目指せ」で、生物技術
合的なハイテクパークのほかに、ソフト産業のハイテクパー
の産業化、産学連携の強化、日本・米国・
欧州への技術移転の推進が狙い。開会日の
クとか、大学ハイテクパークとか、いろいろあるんですが、
午後、
「日中生物フォーラム」が開催された。
バイオハイテクパークが約 40 もあります。張局長は科学院
国家開発銀行評議二局・劉勇所長の「開
の 97 の研究所の3分の1はバイオ研究をやっていると言っ
発性金融が生物産業の発展を支える」と題
ています。すごい勢いでバイオ研究が進んでいます。今回、
青島、新郷、湖州、蘇州を回ってバイオパークを見ましたが、
とした発表は興味深いものだった。開発性
金融とは、銀行の融資先企業を政府の意向
と調和させ一体化させること。投資計画を
従来のバイオパークのリストに載っているのは青島のみ。と
立て、社会発展に重要な領域に戦略的に集
いうことは、国の計画以外にも各地方政府、各都市がどんど
中投資し、成熟した企業になるまで育てる。
んバイオパークをつくっているということなんですね。大き
銀行は情報提供、制度設計、財務担保、市
いバイオパークには世界の超優良企業のほとんどが立地して
場開拓、政府との連携調整などさまざまな
面で投資先企業をサポートする。その結果、
います、日本の企業は少ないですが。
同行の 2010 年の不良債権率は 0.68%であ
塚本 私は今回行って、中国のバイオ産業の将来像と今やっ
り、連続 23 年間1%以内。投資の純利益
ている活動が合致しているなと感じました。バイオの研究の
は 353 億 元(1 元 / 約 13 円) に 達 し た。
成果が現れる分野は3つ―「医療・医薬」「食糧・農業」、
また、国家開発銀行は中国科学院と共同で
それから、バイオ燃料、排水処理などの「環境・エネルギー」
―です。膨大な人口を抱えている一方で、20 年、30 年先
「政府、産業、大学、研究機関、金融」を
一体化するイノベーション連合体の構築を
続けている。
を考えると高齢化という問題があります。国民の生活レベル
の向上に合わせて医療を充実させていくことに非常に大きなプライオリ
ティが置かれています。食糧・農業問題は言うまでもありません。また、
経済発展のためエネルギー源が必要だという感覚は切実なものだと感じま
した。日本では考えられないようなスケールでバイオ燃料に取り組んでい
ます。国の発展の過程で、今言った3つの分野でバイオの貢献が期待され
ているんです。これら3つの分野で日本は世界的なテクノロジーを持って
いますが、日本の国内でテクノロジーの成果を生かしていくことが難しい
面もあります。特に燃料は、資源調達が日本国内だけでは難しいわけです。
ですから、バイオの主要な3分野を考えても、日本と中国が R&D に加え
産業レベルで連携する意義は大きいと思います。
◆バイオ医薬に力
菊池 これまで国策あるいは国づくりというような観点での話でしたが、
研究開発のテーマとしてはいかがでしたか。中国の得意分野というものを
感じましたか。
湯元 そうですね、やはりバイオ医薬に非常に力を入れていると感じまし
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特集 深化する産学官連携とイノベーションの課題
た。欧米の製薬業界で今後伸びると見られている分野です。
【視察報告② 河南省新郷市】
この分野では日本は非常に遅れていますから、10 年後は中
鄭州から車で1時間程度。人口はおよそ
国に追い越されてしまうのではないかという危機感を持ちま
560 万人である。炭鉱、電力、水資源が豊
した。
富で工業を中心に繊維、食品、製紙、建築
菊池 バイオ医薬というのはかなり専門的な用語だと思いま
材料、エネルギーの5つの伝統産業を有す
る。市は科学技術の発展を非常に重視し、
すが、これはどのようなイメージで理解するといいですか。
科学技術、教育担当の楊書廷副市長は河南
湯元 関節リウマチ等の治療薬のレミケードなどの抗体医
師範大学の教授も兼任しており、化学の専
薬、タンパク質の医薬品、さらに DNA、核酸類といったよ
門家である。3つの重点企業を訪問した。
うなものも含めてバイオ医薬と言っています。特定のがんに
これらの企業は血液製剤、ワクチン、分子
効くアバスチン、ハーセプチンといったものが既に使われて
診断キットの生産や漢方薬、抗生物質の製
造を中心に拡大しており、新郷市のバイオ
います。これまでは高分子で扱いにくい、あるいは、製造コ
産業の支えとなっている。これらの企業は
ストが高いということで敬遠されてきましたが、副作用が少
外資系もあれば、上海や北京の企業と共同
ないといったことから今後の医療・医薬の中心になると言わ
出資で作った企業もある。いずれも設立当
れているわけです。日本は低分子化合物からこの分野に転換
するのが少し遅れていると指摘されています。
時に安価な土地を提供し、融資の金利は地
方政府が負担している。税金の減免など政
府からの政策・制度の恩恵を受けたが、現
沖村 日本のハイテク輸出の特徴は航空機と医薬品が欧米に
在、市の中堅企業に成長し、地方の財源と
比べて異常に少ないことです。医薬品については、基礎研究
なり、雇用創出にもつながっている。
はレベルが高いけれども、いろいろな制度的な障害があって、
なかなか薬にならない。この問題は昔から言われていますが、解決されて
いません。ところが韓国や中国は、そこのところを非常に合理的にやって
いて、しかも今度は基礎研究も強くなっている。応用を薬の方に持ってい
くところについて何の障害もない。大規模な大学病院には何百人という先
生がいる。桁違いな規模です。
塚本 その通りです。これまで世界で売れた薬のトップ 50 の中の 10 は
日本企業オリジンです。かなりの割合です。それが今後もずっと続くかど
うかの瀬戸際です。中国のシーズを活用して日本の製薬企業が実用化を目
指すという方法もあるのかなと思います。中国のシーズはアカデミアで
あったり、バイオベンチャーであったりします。中国のバイオベンチャー
にはアメリカから帰ってきた人たちがいます。ご承知のように日本では臨
床試験がなかなか進まない。起源が近い韓国とか中国と日本、そういうア
ジアで共同の臨床試験を進めて、その結果を承認に生かすといった Win
Win の連携ができるのではないかと思っています。
◆優秀人材を海外に出して戻す
湯元 最も基礎レベルの論文レベルで見ると、日本は中国よりまだいいと
思うんですけれども、次の臨床研究、ランセットとかニューイングランド・
ジャーナル・オブ・メディシンみたいなところになると、もう中国に抜か
れているんですね。中国では先ほどもお話があったような大規模病院に政
府や自治体が絡むと、同じような症例のサンプリングが非常に楽にできる。
中国は肝臓疾患が非常に多いんです。鍼治療によって肝炎ウイルスが蔓延
し、それに伴う肝臓繊維化というのが国としての非常に大きな問題になっ
ています。上海交通大学の連携ラボは、肝臓の繊維化のマーカーの実証に
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特集 深化する産学官連携とイノベーションの課題
日本の検査会社と三位一体で取り組んでいます。肝炎患者に
【視察報告③ 蘇州市呉中区】
ついて繊維化の進行度でステージを分けますが、それぞれの
蘇州は上海に近い地の利があり、中国の
ステージの大量のサンプルが短期間に集まってくる。それが
改革開放初期からサイエンスパークが数多
本当にマーカーとして使えるかどうかの評価も非常に短期間
く建設されている。現在蘇州サイエンス
でできる。ところが、日本でやっていると、サンプルを集め
パークだけで 4,000 以上の日本企業が進出
している。まさに日本の第2工場と言って
るだけでも何年もかかってしまいます。
も過言ではない。呉中区は蘇州の中心部か
菊池 果たして中国とか韓国で薬がオーケーになったら日本
ら高速道路で1時間かかる区である。呉中
でも承認されるんですか。
区の大半は太湖に突き刺さっている半島に
塚本 いや、今すぐはならないですよ。
ある。かつては穀物、野菜、果物、お茶、魚、
沖村 ならない。その辺の規制の問題はあります。そこは一
家畜、養蚕すべてを自給していた。中国文
化大革命さえここには及ばず、古い建物が
生懸命やらないと。
そのまま残っている。ここは本当の世外桃
塚本 だから、長期的にどういうふうな規制体系をやってい
園であった。高速道路が開通したおかげで、
くのかということも含めて総合的に議論をしていかないとい
経済活動が活発になって、バイオ産業、特
に実験動物の飼育、製薬などを中心に成長
けません。
沖村 外国から帰った人が中心となってやっているという話
してきた。蘇州薬明康徳新薬開発有限公司
はその1つである。この会社は 10 年前に
が湯元さんからも塚本さんからも出ましたが、外に出して、
中国の回帰政策によって留米中心の留学生
優秀な人に帰ってきてもらう大還流政策は中国の根本的な政
たちにより設立された。2007 年にはすでに
策です。毎年 20 万人が海外に出ています。学生・研究者を
従業員 3,700 人の企業に育った。同年には
海外に出すプログラムも、逆に呼び返すプログラムもたくさ
ニューヨーク株式市場に上場した。2008 年
には米国の同種企業を買収している。現在、
んあります。政府が持っているし、地方政府にも各大学にも
世界の同業種で最も ISO(国際標準機構)の
あります。ちなみに、中国の大学 2,300 のうち、「211 プロ
認証標準の取得数の多い企業になり、アジ
グラム」 という計画で重点化しようとしているのが 112 大
ア最大の臨床前の安全評価センターの1つ
学。さらに超一流大学にしようという「985 プログラム」
となった。
の目標は 39 大学。この大学のうちの7割の学長が今や 50
(米山春子:JST 中国総合研究センター
フェロー)
代の欧米帰り、日本も含めてですけれども。だから、10 年
も経たないうちに中国は世界とコネクションを持った最先端の研究者の大
学集団になります。
◆科学技術担当の副市長
菊池 今回日本からの一行をケアしていただいた中国科学院の馬先生に、
科学院が海外から中国人研究者を招くということに関連してお話を伺った
ところ、地方政府においては、単なる学術的な業績のみならず技術を持っ
ている人、さらに海外の大学教授経験者みたいな人だったら非常に優遇さ
れるというお話がありました。地方政府の取り組みをどうご覧になりまし
たか。
沖村 非常に積極的ですね。今回、各地で地方政府のトップの人が出てき
てくれましたが、名刺交換をすると、科学技術担当副市長が必ずいるんで
す、どの市にも。その中の1人の方が次の市長だと言っていましたけれど
も、日本では全くないですね。中央政府ばかりではなくて地方政府も科学
技術を最重視し、サイエンスパークをどんどんつくっているわけです。科
学技術についての力の入れ方が全く違います。
塚本 日本と両極端ですね。
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特集 深化する産学官連携とイノベーションの課題
沖村 全て科学技術政策は中国に学べと言っているんです。
湯元 地域と科学技術の問題を考えるとき、この地域に科学技術のこうい
うものがあるから企業が寄ってくる、という図式があると思いますし、中
国などは何もないところからそれをつくっているわけです。わが国では、
今回の大震災でも地域の一極集中のもろさが表れていますが、各地域が科
学技術拠点をつくり、互いに競争することが重要だと思います。
沖村 日本ではこれまで地方自治体がそれなりに科学技術会議をつくっ
て、研究機関も持って、科学技術政策を延々とやってきたんです。工業試
験所が指導し、農林水産省の農業試験場が指導し、レベルアップするとい
う体系になってきた。ところが、今、地方財政が圧迫していて、3割ぐら
い科学技術の予算が落ちています、ここ 10 年ぐらいで。地方の試験研究
機関に1番影響が出ています。
◆大学の将来像を中国に学ぶ
塚本 地域の政策もそうですが、日本の大学がどう変わっていくかも中国
に学ぶことが多いです。清華大学はもちろんアカデミアは充実しているし、
アカデミアから生まれてくるものを産業化に結び付けるインキュベーショ
ンシステムが整備され、そこに欧米系のトップ企業が研究所を持ち共同で
開発をして、それを世に出していくというシステムがあります。日本より
はるかに先を進んでいます。日本の大学は単なるアリバイづくりの産学連
携から脱して、国の将来を考えて、本当に産業の芽を産む産学連携という
モードに変わらなければなりません。一方で、日本の産業界もシーズをい
かにより早く世に出していくかというモードに入る必要があります。中国
や韓国は産学連携をやって産業の芽をどんどん育てていく。中国の大学か
らベンチャーなども出てきていますから、その活力を日本も利用できるよ
うにすれば日本の企業も伸びる。そうした Win Win の経済発展が重要な
のではないでしょうか。
沖村 大賛成ですね。中国の大学ではサイエンスパークのほかに、校弁企
業という大学直属の子会社があります。1番大きいのは北京大学の方正と
いう企業で、購買力平価でいうと今年あたりは2兆円の売り上げです。そ
の収益は大学に還元される。中国の大学は3分の1ぐらいが民間からのお
金ですね。日本は全くそういう体質になっていない。
湯元 上海交通大学の 115 周年記念の催しで、晩
餐会に大学出身者で成功した企業の人がたくさん招
かれていた。そういう人は多額の寄附を大学にする
わけです。大学は名誉学位みたいなものを与える。
そうしたことがシステムのようになっている。
菊池 ここまで、中国訪問や中国機関との連携業務
の中で得たご経験をもとに、最近の中国のバイオ産
業および産学連携の研究開発活動に関する知見を中
心にお話しいただきました。
それらをまとめますと、中国では、バイオ産業の
建設中の湖州南太湖生物(医薬)産業パークの完成模型を見学
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特集 深化する産学官連携とイノベーションの課題
関連では、医療・医薬分野、食糧・農業分野、環境・エネルギーの研究開
発を積極的に推進し、かつ外国企業との国際的な産学連携が進みつつある
こと、国際的な産学連携の触媒役として、海外で研究活動を経験した多く
の中国人研究者による人脈が大きな力を発揮していること、研究開発を推
進するハイテクパークが中央政府以外にも地方政府のイニシアチブの下で
非常に多くつくられており、その中で外国企業の誘致が進んでいること、
また中央政府のみならず地方政府においても科学技術駆動型の社会をつく
る努力をしていることなどの特長が挙げられると思います。
JST は文部科学省管轄の独立行政法人として、特に私どもの部門では、
大学の責務の1つである「知」の社会還元への支援を基本として、これま
で産学連携活動を支援してきました。今後は、さらに大学の知を活用した
企業のオープンイノベーションが促進され産業が活性化されるように、ま
た大学にとっては産学連携活動が研究活動・人材育成に良い刺激となるよ
うに、技術移転のシーズ候補としての大学の知を企業に紹介する場や産学
連携の共同研究を資金的な支援の仕組みの整備に国際的な視点をも含め、
強化していくことが課題と思っております。
本日はどうもありがとうございました。
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特集 深化する産学官連携とイノベーションの課題
大阪大学・共同研究講座
産学官連携「第4の潮流」に向けて
大阪大学の「共同研究講座」制度は、企業が年間3千万円程度を負担して学内に研究室
を設ける。企業が自社のニーズと人材を学内に持ち込み、大学からも研究者を充てて学
内で共同で研究する。現在 28 講座に達し、総額は年間8億円を超えている。大阪大学
自前の事業として、本学が受ける共同研究費の2割強を担っており、財政制約下での大
学の活力維持の先例になる。制度は東京大学他にも広がっており、今年7月には東大と
ともにシンポジウムを開いて運営のノウハウを公表した。同様の取り組みが他の大学・
企業に広がることを期待している。
後藤 芳一
◆経緯と制度の概要
大阪大学(以下、阪大)の「共同研究講座」制度は、2006 年に設けら
れた。前年度に文部科学省から採択された「スーパー産学官連携本部」整
備事業の提案に盛り込んだものを、翌年度から実行した。それに先立つ
2000 年には、組織的研究連携契約の制度を始めた。組織的な産学官連携
への取り組みを、段階的に深めてきた **1。
「共同研究講座」制度の概要は、図1のとおりである。①共同研究の対象:
企業が事業化を目指すテーマ *1 ②設置の期間:規定では「2∼10 年」
として長期を含む複数年を確保している *2 ③事業規模:企業が3年間に
0.8∼1億円程度を負担する *3 ④実施場所:学内の居室を充てて、講座
や研究室を設ける *4 ⑤組織・人員の体制:企業側は2∼3名から数名の
研究者を学内に派遣して常駐させる、阪大側は、引き受ける責任者の教員
のほか、若手研究者を充てる *5 **2。
これまでに 31 の講座が開設され、現在 28 講座が活動している(図2)。
事業費の合計は年間8億円余りになっている。
◆制度の位置付け
従前の制度と対比しつつ、「共同研究講座」の位置付けを整理する。タ
テ軸に研究開発の段階(フェーズ)をとり、事業化に近いところ(応用)
を上、基礎を下とする。ヨコ軸に実施体制をとり、単独(自前)で行うも
のを左、広く連携するほど右とする(図3)。伝統的に行われてきた「大
学内研究」「企業内研究(所)」「寄附講座」「共同研究」は、図のような位
置になる **3。それぞれの組織内で単独で行う「大学内研究」
と「企業内研究(所)」に対して、産学連携を行う方法と
して、これまで「寄附講座」と「共同研究」が広く活用さ
れてきた。しかるに、産学の連携が比較的密接に行われる
とされる「共同研究」においても、実質的には企業が示す
ニーズを受けて、大学側で研究を分担実施するという性格
が強い。名称ほどには「共同」とは言えない現状にあった。
それらに比べて「共同研究講座」は、企業側の研究者が
学内に常駐して自ら研究を行うことを通じて、より実質的
(ごとう・よしかず)
大阪大学 大学院 工学研究科
教授、産学連携本部 副本部長
*1:自社の研究所で行う研究
との役割分担・連携を考えなが
ら、企業側が持ち込む。
*2:実際には契約期間は3年
程度であることが多い、終了時
には継続されることが多く、こ
れまでの継続率は 83%(契約
期間の終了が延べ 18 件あった
うち 15 件が継続)。
*3:1社年間3千万円程度に
なる。
*4:実験室や居室を設けるの
で、一般の研究室と同じような
形態になる。
*5:責任者の教員は教授であ
ることが多い、学部や修士課程
の学生を配属する場合もある。
図1 「共同研究講座」制度概要
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特集 深化する産学官連携とイノベーションの課題
な連携を行っている。
「共同研究講座」の成果は、企業内研究にフィードバッ
クする(図3①)
、共同研究講座の中で新たな研究課題を発見するなどして、
次のステージへと研究を深掘りする(図3②)
、市場に直結する成果が生ま
、大きい応用分野につながり、ナ
れて直接に事業として展開する(図3③)
ショナルプロジェクトとしての研究開発の機会に結び付く(図3④)など
が出口になる。
◆理念と取り組みの流れ
(1)大阪大学の産学官連携の理念
大阪大学における産学官連携への取り組みは、 Industry on Campus を
理念としている。具体的には「キャンパスに社会の卓越した力を導入して
教育・研究力を強化し、キャンパスの卓越した力を社会に直結させる」と
いうことである **4。一般に行われている産学官連携と比べると、大阪大
学の産学官連携をめぐる理念には、次のような特徴がある。
第1は、
「大学の教育・研究力の強化」を目的としている *6、第2は、
「あ
る時点をみた時に、どれだけ(質的・量的)の研究人材が学内にいるかによっ
て大学の教育・研究力が決まる」という考え方をとる、第3は、それらの
結果として「産業界から大学に人を集める」ことを必須と考えている *7。
(2)取り組みの流れ
こうした理念のもとで、大阪大学における産学官連携をめぐる制度の品
ぞろえは、より深い連携ができるように、漸進的に深掘り・拡充してきた。
大阪大学 共同研究講座 一覧
*6:結果的には同じ効果が生
まれるものの「大学の知見を産
業競争力に活用する」ことを一
義的な目的としていない。
*7:産学官連携は一般に、大学
から人を派遣する交流、双方向
の交流、企業からの資金提供、
企業と大学が役割分担して実施
などを含めて総称され、奨励さ
れてきた。それに対し、本学に
おける一連の取り組みにおいて
は、目的に合わせて、はるかに
厳しく焦点を絞っている。
2011 年 7 月現在
開設部局
大学院工学研究科
共 同 研 究 講 座
ダイキン(フッ素化学)共同研究講座
マイクロ波化学共同研究講座
大阪大学コマツ共同研究講座(建機等イノベーション講座)
大阪大学−住友金属(鉄鋼元素循環工学)共同研究講座
大阪大学日新製鋼(鉄鋼表面フロンティア)共同研究講座
三井造船(プラズマ応用工学)共同研究講座
新日鐵(溶接・接合)共同研究講座
三菱電機生産コンバージング・テクノロジー共同研究講座
セキュアデザイン共同研究講座
パナソニック(ディスプレイ材料)共同研究講座
溶接保全共同研究講座
三井造船・船舶ハイブリッド推進システム共同研究講座
Hitz バイオマス開発共同研究講座
大阪ガス(エクセルギーデザイン)共同研究講座
ネオス(分離濃縮システム)共同研究講座
「創 ・ 蓄 ・ 省エネデバイス生産技術」 共同研究講座
NEXCO 西日本 高速道路学共同研究講座
大学院医学系研究科
疾患分子情報解析学(和光純薬工業)共同研究講座
癌免疫学(大塚製薬)共同研究講座
ロボティクス&デザイン看工融合(パナソニック)共同研究講座
接合科学研究所
東洋炭素(先進カーボデザイン)共同研究部門
富士電機パワーデバイス・スマート接合共同研究部門
日立造船 先進溶接技術共同研究部門
産学連携本部
クリングルファーマ再生創薬共同研究部門
ピアス(皮膚再生技術)共同研究部門
脳神経制御外科学(帝人ファーマ)共同研究部門
超高圧電子顕微鏡センター 電子光学基礎研究共同研究部門
サイバーメディアセンター ドコモ(コミュニケーション構造解析)共同研究部門
設置期間
2006/6/1 ∼ 2012/3/31
2006/7/1 ∼ 2012/3/31
2006/7/1 ∼ 2012/3/31
2007/5/15 ∼ 2015/3/31
2007/6/1 ∼ 2013/3/31
2007/7/1 ∼ 2012/3/31
2007/10/1 ∼ 2013/9/30
2008/4/1 ∼ 2014/3/31
2008/5/1 ∼ 2012/3/31
2008/6/1 ∼ 2012/3/31
2008/10/1 ∼ 2011/9/30
2009/10/1 ∼ 2013/3/31
2010/1/1 ∼ 2012/3/31
2010/4/1 ∼ 2013/3/31
2010/7/1 ∼ 2013/3/31
2011/4/1 ∼ 2014/3/31
2011/7/1 ∼ 2014/3/31
2008/4/1 ∼ 2013/3/31
2009/7/1 ∼ 2014/6/30
2010/4/1 ∼ 2013/3/31
2008/10/1 ∼ 2011/9/30
2010/7/1 ∼ 2012/6/30
2011/1/1 ∼ 2013/3/31
2007/7/1 ∼ 2013/3/31
2009/4/1 ∼ 2012/3/31
2010/7/1 ∼ 2013/3/31
2008/1/1 ∼ 2012/6/30
2009/10/1 ∼ 2012/3/31
図2 大阪大学 共同研究講座一覧
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特集 深化する産学官連携とイノベーションの課題
既述のとおり、「組織的研究連携契約制度」
→「共同研究講座」と進めたのに続いて、
2011 年度には新たに「協働研究所」と「協
働ユニット」の制度を追加した。両者は、
企業の研究組織(あるいはその一部)を学
内に誘致(協働研究所)
、学内・産業界の
研究者を集めた研究グループを学内に設け
る(協働ユニット)、という方法によって
より本格的な連携を始めている。前者では
企業の自主研究も可能としており、企業の
研究機能の相当な部分を学内に誘致する取
り組みを補完している。
これらの制度を進める場として、2011
年6月に「テクノアライアンス棟」
(文部
図3 「共同研究講座」の位置付け(概念図)
科学省予算(31 億円)
、9階建、1万1千
平米)が完成した。すでに供用を始めており、2フロアを押さえて本格的
な研究を行う企業、学内に共同研究講座を設けていた企業が広い面積を利
用するために移動(転入)したなどの事例が生まれており、当初の予定を
上回る4フロア余りがこうして活用されている。
◆「共同研究講座」の産学官連携における意義
(1)産学官連携の今日的ニーズへの対応
経済や競争のグローバル化、市場や消費構造の変化、技術進歩の速さ・
技術の高度専門化、それに伴う研究開発費の高騰、経営資源の制約、それ
らを背景に速さ・高度化・効率の同時達成などの要請が増している。さら
に金融危機、震災も加わって経済の激変が断続的に生じ、自前主義の限界
が一層明らかになった。こうした変化が、産学官連携への期待を高めると
ともに、真の有効な方法を求めている。そうした背景のもと、共同研究等
の伝統的手法だけでは対応できなくなっており、より踏み込んだ連携に
よって成果を生む「共同研究講座」は、産学官連携が時代の要請に応える
ための新たな手法を提供しているという意義がある **3。
(2)イノベーションの場の創出
「共同研究講座」では、企業と大学の踏み込んだ連携と制度の柔軟な運
用とが相まって、研究開発の手法、研究開発管理、研究開発から事業化へ
の接続などの方法について、実践的な取り組みがなされている。例えば、
実務で広範な利用と課題がありつつ大学での研究が手薄な分野で、企業の
研究者が大学に常駐し大学の研究資源を活用して自ら研究している(例:
金属材料)
、大学に持ち込んだ社内の技術課題について、複数の講座を組
み合わせて研究を進めて要請に応えている(例:化学材料)
、研究開発の
進捗に合わせて、毎年のように実施体制を組み替え、最適な方法で進めて
いる(例:化学プロセス)、他分野の川下メーカと大学内で接点ができ、
商品化を進めている(例:バイオ化学)などである。これらはイノベーショ
ンの新しい方法として、また、それらの方法を生む場として寄与しつつあ
ると考えられる。
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特集 深化する産学官連携とイノベーションの課題
(3)大学の外部資金獲得への
寄与
大阪大学における「共同研究」
からの収入は、2006 年度を境
に、増加傾向が止まり頭打ちに
なった(図4)。一方、同年度
から始まった「共同研究講座」
からの収入は順調に伸びてお
り、直近(2009 年)では、共
同研究全体の収入の 22%を占
めるに至っている。企業経営を
取りまく厳しい環境や、成果の
出る事業を峻別(しゅんべつ)
して投資する傾向のもと、共同
研究の収入は今後、過去のよう
な単純な増加を期待できない。
図4 大阪大学の共同研究資金に占める共同研究講座の割合
こうした状況のもとで、「共同
研究講座」は大学の外部資金確
保策として有力な手法と考えられる。よりマクロ的には、国をはじめとし
た公的財源も制約が強くなりつつある。引き続き政策的な理解と支援が必
須であるものの、大学側としての自助努力も必要であり、「共同研究講座」
は、新たな資金確保策として有効と考えられる。
(4)社会的課題に対応するイノベーション
(社会的)課題解決型のイノベーションが求められており、
それがまたイノベーションの新たな機会を生む。大学が社会
的ニーズに対応する場合、大学自身の鋭い感度によってニー
ズを定義する(「社会的ニーズ→大学」というモデル)役割
が大切で、それに適する分野がある(例:医学、理学など)
一方、社会システムに織り込んで実施する必要がある分野
(例:工学、経済、経営)では、市場や産業経済の求める境
界条件と調和させる機能が不可欠である。そうした分野では、
「社会的ニーズ→企業→大学」というモデルが有効と考えら
れる。こうした過程を通じて「共同研究講座」は、課題解決
型イノベーションにとっても有力な対応方法になると考えら
**5 **6
れる(図5)
。
図5 ニーズ経路
◆産学官連携、4つ目の潮流に向けて
近代科学が普及した明治維新以降において、わが国の産学
**7 **8
官連携には3つの潮流があった(図6)
。第1の潮流は、
「官のための産学官連携(明治維新期)
」である。殖産興業
を目指す国の政策のもとで、官学や官営工場を設けて経済発
展に努めた *8。第2は、
「産業のための産学官連携(高度成
長期)
」である。産業発展を目指して企業と大学が密接に連
携した *9。第3は、
「米国モデルの移植(1980 年代後半以降)
」
図6 産学官連携の、3つの潮流
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特集 深化する産学官連携とイノベーションの課題
である。大学発ベンチャー、知財重視など *10 である。
これらのいずれもが現在も底流として存在する(例えば、産
学官連携を論じる場合に、3つのモデルのいずれかあるいはそ
の一部を組み合せたものを念頭に論じられることが多い)一方
で、そのいずれもが、現在と今後のわが国に適するモデルとは
言えない。実践を通じた検証を経つつ、今後に向けてわが国自
ら確立する必要がある。大阪大学「共同研究講座」は、その先
例として寄与する可能性がある。制度の運営を通じて得た知見
を図7に示す。
こうした社会的課題や経営環境の多くは、各地の大学や企業
図7 真に有効な連携(「第4」の潮流)
必要性と要件
に共通すると思われ、すでに東京大学「社会連携講座」など同
様の問題意識に基づく制度の設置が始まっている。先に手掛け
*8:特に帝大系大学は、発足
てきた本学としては、その経験を他の大学や産業界に紹介して、取り組み
時から国の政策を体現する役割
が広がることに努めている。制度のあり方については、各大学の性格や経
を担ったところから、大学の敷
居の高さにつながる。
営資源、地域の産業構造などを織り込みつつ、それぞれに特徴のある制度
になることが自然と考えている。
*9:大学紛争時に「癒着」と
して批判的なゆり戻しがあっ
なお本論は、著者個人の文責によるものであり、所属機関の見解を代表
た。現在でも産業界との間合い
は折々に論点になる。
するものではない。
●参考文献
**1:馬場章夫.地域に生き世界に伸びる 大阪大学の Industry on Campus に
ついて 共同研究講座の活動を中心として.第 2 回大阪大学共同研究講座
シンポジウム Industry on Campus −オープンイノベーションの新たな形
前刷集.2010.12.10, p.7-14.
**2:大阪大学産学連携本部.
“共同研究講座”
,
(オンライン)入手先〈http://
www.uic.osaka-u.ac.jp/rules/cooperation.html〉
,
(参照 2011-08-26)
.
**3:後藤芳一.共同研究講座の意義と特徴−産学官連携「第 4 の潮流」に向
けて−.第 2 回大阪大学共同研究講座シンポジウム Industry on Campus
−オープンイノベーションの新たな形 前刷集.2010.12.10, p.15-25.
**4:馬場章夫.阪大の産学連携活動 Industry on Campus とテクノアライアン
ス棟.東京大学・大阪大学先進的産学官連携シンポジウム(第 3 回 大阪
大学共同研究講座シンポジウム)前刷集.2011.07.26, p.43-48.
**5:中尾政之.社会連携講座の制度設計とその効果 . 東京大学・大阪大学先進
的産学官連携シンポジウム(第 3 回 大阪大学共同研究講座シンポジウム)
前刷集.2011.07.26, p.49-54.
**6:後藤芳一.社会的ニーズから産業を創る 産学連携を新しい視点で切り拓
く−日本的・東洋的な知恵が発想のカギに−.アズワン「WIN WING」.
vol.15, Top Interview, 2011, p.2-6.
**7:後藤芳一.大阪大学“共同研究講座”−産学官連携「第 4 の潮流」に向
けて−.東京大学・大阪大学先進的産学官連携シンポジウム(第 3 回 大
阪大学共同研究講座シンポジウム)前刷集.2011.07.26, p.55-67.
**8:後藤芳一.
“第 2 回中小企業産学官連携推進フォーラム[平成 19 年 6 月
16 日 於国立京都国際会館]「地域と中小企業に届く産学官連携」”,中
小企業基盤整備機構 中小企業産学官連携推進フォーラム,
(オンライン)
入 手 先〈http://www.smrj.go.jp/venture/sangakukan/033343.html〉,
(参
照 2011-08-26).
*10:わが国に直接適用するこ
とにはなじまない部分もあっ
た。結果として、現在、見直し
の 機 運(例:TLO の 改 廃) に
ある。
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特集 深化する産学官連携とイノベーションの課題
「共同研究講座」等の実務と運用
−「先進的産学官連携シンポジウム・パネルディスカッション」から
「共同研究講座」等を大学や企業に普及させることを目指して、7月に「先進的産学官連携シンポジウム」
を開いた。パネルディスカッションでは、独立行政法人科学技術振興機構小原満穂理事から支援策の説明
の後、同講座等の立ち上げから運営について議論した。大阪大学(阪大)は最初に「共同研究講座」を設け、
馬場教授はそれを中心になって進めた。中尾教授は同様に、東京大学の「社会連携講座」を最初から立ち
上げてきた。議論の要点を紹介する *11。
【パ ネ リ ス ト】池田 貴城 文部科学省 科学技術・学術政策局 産業連携・地域支援課長
能見 利彦 経済産業省 産業技術環境局 大学連携推進課 産学官連携推進研究官
小原 満穂 独立行政法人 科学技術振興機構 理事
村上 存 東京大学 大学院 工学系研究科 機械工学専攻 教授
江嶋 聞夫 コマツ 執行役員 研究本部長
中澤 慶久 Hitz バイオマス開発共同研究講座 招へい教授
足達 健二 ダイキン(フッ素化学)共同研究講座 招へい教授
中尾 政之 東京大学 大学院 工学系研究科 機械工学専攻 教授
馬場 章夫 大阪大学 大学院 工学研究科長、大学院 工学研究科 教授
【コーディネーター】後藤 芳一 大阪大学 産学連携本部 副本部長、大学院 工学研究科 教授
*11:「共同研究講座」等とは、
大阪大学「共同研究講座」制度
と同様の趣旨で設けられた制度
を総称した。
「制度開始の背景」と「テーマの設定」はどうか。
・文部科学省(文科省)の「スーパー産学官連携本部」整備事業に提案したのが
契機。入ったお金を自由に使える「寄附講座」が便利だが、阪大では作りにくかっ
た。期間と予算を決める制約はあるが「共同研究」なら現実的であり、寄附講
座に近い形を考えた。(馬場)
・文科省の産学官連携本部を強化する事業に阪大が知恵を絞って提案した。各大
学が実情に合わせて知恵を出し、きっかけとして使えるよう柔軟性ある施策が
必要と考える。(池田)
・企業ニーズでテーマを作るのと、先生の面白い研究にわれわれが「それにフッ
素を入れては」と持ちかけるのと。われわれのニーズを放置して先生が面白がっ
てフッ素をやった時、予想外のイノベーションを生む。(足達)
・当社の阪大、東大の講座は、1つのテーマありきでは始めていない。個別テーマ
を決める際は企業側に技術分野別と大学別責任者がいて、大学の先生と3者で毎
年、新規・継続課題にローリングをかける。一昨年、中尾先生
はじめ大勢で海外へ。鉱山現場を見て大学の先生に体感しても
らい、そこで感じた事で課題設定など盛り上げる。
(江嶋)
・テーマ作りに、“Industry on Campus”が反映している。テー
マを決めて始めると限られた連携になるが、
「共同研究講座」
等は企業が大学に飛び込み次々テーマを生み出す面白い試み。
産学官連携はテーマを生み出すところで苦労するので、この
仕組みは役立つ。(能見)
共同研究講座の「運営」「複数企業」講座の運営はどうか。
・共同研究講座の中身はさまざま。企業から来る人の人件費は企
先進的産学官連携シンポジウム・パネルディスカッ
ションの様子
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特集 深化する産学官連携とイノベーションの課題
業が負担、それ抜きで平均1講座年間3千万円、3年で1億円。テクノアライア
ンス棟は6月稼働。協働研究所は人も組織も資金も大きい。契約書で縛らず相談
で進める。企業の設置希望を自動的に受けるのでなく、相互信頼で進める。
(馬場)
・会社間に仕切りを設け、共有部分と個別企業部分を分けた。契約は甲乙に一本
化できなかったので「いずれかの乙」
「すべての乙」とした。契約で注意し、
重要特許が出なかったこともあり問題なかった。費用負担は少し大きい2社と
残る4社。まとめて運営し「A 社のテーマは A 社のお金」でなく大目に見ても
らった。
「機械でデザインをやりたい」がまずあり、大学から声を掛けた。同
業は混ざらぬよう、途中参加は契約変更が大変なのでしなかった。(村上)
「企業側のメリット」はどうか。①お付き合いの要素 ②大学の対外
発表で迷惑などはないか。投資効果を得ているか。
・付き合いと感じたことはない。発表される迷惑はあるが、事前に特許を取る等
で対処。特許を 30 件以上出し、非常に価値があると思えるのもあり効果は十分。
(足達)
・自社の研究を補いたい部分が増え、大学の先生方を活用したい。投資とは性格
が違う、非常に大きなプラスと感じている。(会場から:糟谷 正 新日鐵(溶接・
接合)共同研究講座 特任教授)
・本業でない分野は社内人材が限られ、
新分野の事業化は大学に頼らざるを得ない。
非常に利益がある。勝手に発表されることは無くなり、随分改善した。
(中澤)
・全く付き合いではない。企業対大学、組織対組織になったのでその意識はなく、
成果を上げようと必死。今までの成果を考えると、費用対効果ははっきりある。
一方、産業界で多くのお金を使う中、
「学」に投資するのも社会貢献。その意
味でも効果「あり」と思う。発表は企業から止められず、世に出る前に発表さ
れると非常に困る。社名を出さない、表現を変える、時期をずらすなどお願いし、
互いに決めて行えば問題ない。論文賞を得る成果も出た。(江嶋)
・その場合どちらが強いか。中尾先生の講演で「企業に支配されない」とあり、一
方、お金を出すスポンサーは企業。中尾先生は、コマツさんの講座ですね。
(後藤)
・大学が強いのです(笑)
。発表は止められない。ただ、有効なバケットの形状
は絶対出さない、バケットでなく「平板を押すとこういう力が出る」と一般的
に表現。全然問題ない。発表前に特許が必要な
らば早目に企業から出して頂ければよい。もと
もと薬学や医学と違い、工学の特許は利益に直
結しないことも多く、TLO も引き受けないこと
が多い。(中尾)
大学内の「運営管理体制」「産学連携本部」
の役割はどうか。
・始めたのは工学部、本部設置前に社会連携室を
設けて全部お世話している。28 講座あるうち7
∼8割が工学部案件。多様な講座が 20 あり、あ
らゆる要求が来る。初め1、2人だったが、今
は非常勤3人でやっとの状況。産連本部は窓口
として事務的に受けて実務は部局が担当。
(馬場)
・東大の社会連携講座の担当は研究推進部であり、
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特集 深化する産学官連携とイノベーションの課題
産連本部ではない。ハンコを押すのは研究科長。担当の先生が続けられなくなっ
ても、契約は研究科長なので誰かを充てる。
「この課題ならば彼がいい」という知
識は、産学連携本部ではなく部局にある。東大で作る時、阪大を参考にした。従
来の共同研究契約に講座の項を加えて1週間で設計できた。全学でなく、工学の
現場から始めたのが良かった。阪大は時間を要したと思う。前例があったのでわ
れわれは簡単にできた。他の大学が始めるときはもっと早くできるのでは。
(中尾)
・東大と阪大の微妙な違いも参考になれば。企業が働き掛けて地元大学で作られ
るのもどうか。(後藤)
・制度設計する際、社会連携講座の契約の雛形があるのでコピーをお送りする。
名前が一緒で嫌なら変えればよい。(中尾)
・われわれの講座は国土交通省主導で設けた。同省からの調査費で産連本部が枠
組みを調べ役立った、あとはわれわれが進めている。
(会場から:梅田直哉 三
井造船・船舶ハイブリッド推進システム共同研究講座准教授)
・契約の雛形を産連本部が作り、企業と調整する際どこを譲れるか示してくれた。
知財出願も本部に相談。それ以外の研究・教育活動に本部は関係なく、最初と
最後に関係する。(村上)
・企業はやれればよい。役立つテーマの設定、現実現場を理解するエンジニアを
育成できれば、共同研究でも講座開設でもいい。(江嶋)
・大きな大学は部局が巨大なので産連本部が全体を取りまとめるのは難しかろう
が、小規模な大学や単科大学では機能するようになっている。各大学が実情に
応じて最適な形にすればよい。(池田)
産学共同は景気に影響されやすく国の支援も期限がある。
「長く続け
る」工夫は。「第4の潮流」とは。
・たまたま寄附講座の企業が不調で継続が危ぶまれた。途中で切れたら、複数年
で雇った特任の若い先生の給料を誰が払うか、不可抗力なので専攻が引き受け
る。3年契約でも払うのは年度ごと、次年度払えないことも。その保険は考え
なければならない。(中尾)
・共同研究講座で心配したことはない。パっと立ち上がる事はなく半年くらい掛
けてよく相談、その過程で企業側もよく理解してくれる。(馬場)
・国の支援には期限があるので工夫してほしい。スタートアップとしてうまく活
用していただくことが大事。今年度始めたリサーチ・アドミニストレー
ター配置は公募中で、5大学程度を支援。支援終了後も継続して配置し
ていけるかどうかも条件にしている。(池田)
*12:本文(大阪大学・共同研
究講座 産学官連携「第4の潮
流」に向けて)参照
■「先進的産学官連携シンポジウム(第3
回大阪大学共同研究講座シンポジウム)」
の概要
・科研費→ JST → NEDO に順次出すなど。継続は企業が鍵で、役に立つ
かを見てくる。産学官連携に本腰入れる企業が 2004 年ごろから特に増
えた。オープンイノベーション室、CTO(最高技術責任者)直下の産連
担当部長の設置など、実質の連携へ進みつつある。(能見)
・グローバル化、競争激化、金融や震災による激変などの変化で、産学官
連携への要請も変化。過去 100 年余の3つの流れ *12 では応えられず、
独自のモデルを創る必要がある。企業が社会を支える役割を担う例が増
え、公共は官の専管でなく、企業が社会要請を経済に織り込む役割は増
している。その意識に基づく課題を大学に持ち込んで解けば、イノベー
ション機会の創出と同時に社会課題に対応できる。
「共同研究講座」等は、
その意味でも産学官連携の新しい潮流を創る先例になりうる。(後藤)
(当日の発言を要約/文責:後藤)
平成 23 年7月 26 日(火)(於:東京国際
フォーラム(東京・有楽町))
⑴ 主催:東京大学 大学院 工学系研究科、
大阪大学 大学院 工学研究科
⑵ 協力:大阪大学 産学連携本部
⑶ 後援:文部科学省、経済産業省、国土
交通省、(独)科学技術振興機構、(独)
産業技術総合研究所、(独)新エネル
ギー・産業技術総合開発機構、
(独)中
小企業基盤整備機構、かながわサイエ
ンスパーク、京都リサーチパーク
⑷ 事務局:大阪大学 大学院 工学研究科
社会連携室
出席者:148 名(23 都道府県、大学、独
立行政法人、行政・支援機関、企業ほか)
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特集 深化する産学官連携とイノベーションの課題
新概念の材料「スライドリングマテリアル」の事業展開
高分子材料の架橋に関する新しいコンセプトの技術を基にした東大発ベンチャー。開発
が進み、自動車用コーティングなどの本格的な事業化が始まった。
◆ SRM 技術:架橋点が動く新しい高分子材料
アドバンスト・ソフトマテリアルズ株式会社(以下 ASM)は、2000 年
に東京大学から発表された高分子の技術、スライドリングマテリアル(以
下 SRM)を実用化するために 2005 年3月に設立された。いわゆる大学
原 豊
(はら・ゆたか)
発ベンチャーである。
スライドリングマテリアルというのは、高分子材料の架橋に関する「新
アドバンスト・ソフトマテリア
ルズ株式会社 代表取締役社長
しいコンセプト」の技術である。架橋とは、高分子の鎖のところどこ
ろを化学結合などで結合し、3次元のネットワーク構造を作るもので、
架橋をすることで強い材料が得られ、ゴムや接着剤や塗料などの分野
で使われる汎用的な技術である。通常の架橋高分子では、架橋は化学
結合によって高分子の鎖同士をつなぐことが多く、架橋点は高分子の
鎖の特定の位置に固定される。
SRM はその架橋点を自由に動かす技術である。まず、高分子の鎖
を複数の環状の分子に貫通させ、高分子の両端に環状分子が抜けない
ような大きめの分子をつけて分子のネックレスのような複合体(超分
子)を作り、さらにその分子ネックレスの環状分子同士を架橋させる
(図1)。高分子の鎖同士は環状の分子を介して間接的に架橋されて
図1 スライドリングマテリアル(超
分子ネットワーク)の模式図
いるが、環状分子は高分子に沿って自由にスライドするので、結果「架
橋点が動く」架橋高分子が実現できる。この架橋点が分子の滑車のよ
うに機能して材料の特性に大きな変化をもたらすのである。
架橋点が動くと何がよいのか? 図2⒜に示したように、従来の固
定された架橋点を持つ材料を引っ張ると架橋間隔の短い高分子鎖がぴ
んと張った状態になり、力が集中してそこから破断してしまう。一方、
SRM の場合は、図2⒝に見られるように架橋間隔が短いところがあっ
たとしても、架橋点が滑るので均質に力が分散され、よく伸びて強い
材料が得られる。さらにこの架橋点が動く状態は、分子ネックレスと
他の高分子を架橋することでも実現でき、その組み合わせを考えると
発展性が極めて大きい技術である。
◆大学の成果から実用材料に向けての開発
ASM を設立した当初は、主にバイオマテリアル・医療材料への応
用を中心に事業化を目指した。SRM 材は力学的な特性が皮膚や血管
などの柔らかい組織に類似していて、しかも生体との親和性が高いと
図2 ⒜通常の架橋と⒝スライドリ
ングマテリアル(超分子ネッ
トワーク)の架橋
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特集 深化する産学官連携とイノベーションの課題
いう特性が得られていたためである。現在でも、ある大手医療機器メーカー
と SRM の特性を活かした製品に向けて共同開発を進めている。医療機器
への応用は可能性は大きいものの、国の許認可等が必要で時間と費用がか
かり、今は時間的な優先順位として一般の工業材料の展開を先に置いてい
る。
一般工業材料への応用で初期のころからの大きなテーマとなったのが日
産自動車、東京大学とともに開発を進めている自動車用の耐傷性のソフト
コーティングである。自動車の外装において傷をつきにくくすることは大
きな課題であるが、ソフトコーティングは傷をつきにくくするために塗膜
を硬くするのではなく、傷を受け流すように柔らかくした塗装である。こ
のソフトコーティング材の成分として SRM を使えば、柔らかくてコシの
ある塗膜を形成することができて、耐傷性や他の特性の向上につながる。
自動車への応用は現在も開発中であるが、昨年に NEC 社製の携帯電話の
塗装に使用されている。
他にも、独立行政法人新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)
事業の誘電型アクチュエータなどいくつかの共同開発を進めているが、そ
のような開発の中で SRM の性質をコントロールするノウハウが蓄積され
てきた。その1つの成果として、従来にない特性を持つ粘弾性材料、セル
ム
TM
エラストマーシリーズを今年の6月からリリースした(図3)。
セルム TM エラストマーは、非常に柔らかいにもかかわらず、へた
りがほとんどない材料である。さらに低周波数の機械的な振動から
高周波数の音のような振動まで吸収するような特性を持つ。ゴムの
専門家からは、特にへたりがほとんどなくてこれほど柔らかい材料
は今までにないものとの評価をいただいている。
SRM を実用化するのに、材料を安定的に供給できるかは大きな
要素である。ASM では、現在は外部に生産を依頼し安定した製造
を確保する方針で、住友精化株式会社と宇部興産株式会社に量産を
受託いただいている。この2社とは包括提携契約を締結して、材料
の生産だけでなく、用途開発やマーケティングなどで関係を強化し
図3 セルム TM エラストマー
ている。
◆大学発ベンチャーとしてのメリットと課題
ここまで、SRM の技術概要と開発の経緯を述べてきたが、大学発ベン
チャーとしてのメリットや課題について触れる。メリットであるが、まず
は大学からの技術的・科学的なサポートが得られ、基礎研究と実用開発の
相補的な関係が作れることは大きい。また、顧客の候補企業や開発パート
ナーとのコンタクトにおいて大学との関係は重要である。特に最初の段階
では、東京大学伊藤研究室からの学会発表や論文発表から共同開発の話が
始まるケースが多かった。塗料やアクチュエータもそのケースである。
ASM 側から特定の企業に紹介をしたいという時なども、研究室だけでな
く、産学連携本部や株式会社東京大学 TLO、株式会社東京大学エッジキャ
ピタル(UTEC)などの大学に関連したルートを通じてアプローチさせて
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特集 深化する産学官連携とイノベーションの課題
いただけた。大学のネットワークは特に大手の企業とのコンタクトにおい
ては有効である。それから資金。東京大学の場合は、UTEC 社というベン
チャーキャピタルが存在し、弊社の筆頭株主になっている。さらに UTEC
社と関連の深いベンチャーキャピタルや機関投資家からの出資も受けてい
て、資金面においては ASM 設立前から UTEC 社の役割に負うところが大
きい。
一方、事業を進める上での課題は、大学発という要素もあるが、材料と
いう技術分野に関わる要素も大きい。まず時間がかかること。最初に大学
での研究成果としてのシーズがあり、そこから塗料やアクチュエータなど
の用途を特定して共同開発が進み、さらに自社商品であるセルム TM エラ
ストマーが確立されたが、そこまでにかなりの時間を要した。新材料の開
発の場合は、ある程度の材料設計はするものの、実際には材料サンプルを
作ってやってみないと所定の性能が出るかは分からず、量産の開発も必要
で、そのプロセスに時間がかかる。ASM のゴールは、大学のシーズを基
に用途を開発して量産を確立し、SRM 技術がさまざまな分野に使われて
世の中に役立たせることであるが、時間との競争は材料ベンチャーにとっ
ての大きな課題である。会社としても、早く事業を立ち上げて、収益を上
げていきたいという思いは強いものの、材料が相手で想定通りに進まない
ことがままある。
もう1つはコスト。大学の研究室では新しい物質の合成とその特性を追
求していくが、その段階ではコストはそれほど意識されない。それを実用
的なレベルまで下げていくのはベンチャーにとっての課題だが、ASM の
場合は製造委託のパートナーシップ(住友精化・宇部興産)と ASM に中
途で参画した人材によるところが大きい。さらに、材料の場合はコスト低
減における量産の効果が大きいが、立ち上げの最初は量が出にくく、コス
ト高になりがちである。先々の広がりを見据えての価格設定ももう1つの
課題である。
SRM の発明の生い立ちは、大阪大学大学院の原田明教授のグループで
ベースになる分子ネックレスが合成され、東京大学において、分子ネック
レスの環状分子の密度を低くして架橋点が自由に動ける材料として見いだ
されたものである。高分子材料において応用の広い基盤技術になりうるも
のであり、実際にも具体的な応用が見いだされている。さらにさまざまな
用途に活かされ、既存の材料とも複合されていくと事業の発展性は大きい。
課題はあるが、日本発の SRM 技術がここにもあそこにも使われていると
いうような状態を目指していきたい。
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特集 深化する産学官連携とイノベーションの課題
地震観測データから速報などのシステムを開発
気象庁による緊急地震速報の運用が開始され、大きな揺れが到着する前に防災対策を行
うことにより、地震被害の大幅な軽減が期待される。株式会社ホームサイスモメータ(本
社・茨城県つくば市)は地震観測データを自動的に解析するためのノウハウを有するユ
ニークなベンチャー企業である。代表取締役の堀内茂木氏は、独立行政法人防災科学技
術研究所で、緊急地震速報のための即時自動解析システムや、地震観測網データ自動処
理システムの開発に従事してきた。この開発で得られた専門的ノウハウを民間で活用し、
社会に貢献すべく、平成 19 年8月に同社を設立した。同社は、地震観測データを用い
た各種機器の自動制御に必要なソフトウエアを開発している。
堀内 茂木
(ほりうち・しげき)
◆地震波とノイズを正確に区別
【独立行政法人防災科学技術研究所で従事してきた研究】
気象庁と共同で、緊急地震速報システムの開発を行なった。「着未着法」
という手法を開発し、緊急地震速報で発表される 99%の震源がほぼ正確
に決定できるようになった。
株式会社ホームサイスモメータ
代表取締役/独立行政法人 防災
科学技術研究所 研究参事
【ホームサイスモメータの核の技術】
地震波を自動的に分析する技術で、1つは、地震波と、雷とか人工的ノ
イズとの波形の特徴の違いから、両者を正確に区別するシステム、2つ目
は、P 波と S 波の到着時刻を自動的に読み取るシステムである。自動読み
取りの研究は、多くの研究者により 1970 年代から行われているが、良い
方法が見つかっていない。弊社が開発したのは、地震の専門家のノウハウ
を組み込んだ手法である。これは、コンピュータ将棋の開発手法に近く、
従来の手法に比べ精度が大幅に高まった。
【ホームサイスモメータの主な事業内容】
主な事業内容は3つ。1つは地震防災コンサルティングである。2つ目
は地震観測データの自動読み取りシステムの開発で、大学等からの受注が
ある。3つ目は緊急地震速報端末に組み込むソフトウエアの開発と販売で
ある。弊社で開発するソフトウエアは特殊で、内容が高度なためライバル
企業はいない。
◆揺れの飽和
【東日本大震災以後】
今回の地震では、大きな揺れの 30 秒∼2分前に緊急地震速報が発表さ
れた。しかし、緊急地震速報による予測震度は、関東地方等で、観測震度
に比べ2程度も小さく見積もられた。これは、大変大きな過小評価だった。
この原因は、地震発生直後の気象庁によるマグニチュードが小さかった
からである。マグニチュードには、いわゆる飽和の問題があることが古く
から指摘されている。地震の規模が大きくなると、断層面は広くなる。し
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産学官連携ジャーナル Vol.7 No.9 2011
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特集 深化する産学官連携とイノベーションの課題
かし、断層面の別々の地域から到来する地震波は、上向きに揺れたり、下
向きに揺れたりするため、お互いに打ち消し合う。この効果のため、地震
の規模が大きくなっても、揺れは大きくならず、飽和する。
東日本大震災では、当初推定された気象庁マグニチュードは 7.9 だった
が、2日後に、9.0 に修正された。同様に、2004 年のスマトラ島沖地震
の当初のマグニチュードは 8.0 だったが、後で 9.0 に修正された。マグニ
チュードが1違うと地震のエネルギーは 32 倍違うので、7.9 と 9.0 とで
は大きな違いがある。マグニチュードの過小評価が原因で、東日本大震災
では、津波の波高予測が実測値に比べ一桁近く小さくなり、被害を拡大さ
せた。スマトラ島沖地震では、死者が 23 万人にもなった。津波警報には、
巨大津波が来襲する時に限り、それを過小評価するという極めて深刻な問
題が存在する。今回の地震発生の前から、この問題は指摘されていたが、
具体的な解決方法は開発されていなかった。
◆震源域を推計
私は、独立行政法人防災科学技術研究所で、
「巨大地震に対応した高精
度リアルタイム地震動情報の伝達システムの構築」という科学研究費プロ
ジェクトの代表者だった。地震の発生前に、良いシステムを作
ることはできなかったが、今回の地震発生後、実際に観測され
たデータを用いて、巨大地震の震源域拡大をリアルタイムで推
定する新しい手法を開発した。
用いたデータは、多くの観測点で1秒ごとに計算される震度
と、緊急地震速報による震源とマグニチュードである。緊急地
震速報から計算される震度に比べ震度が大きい観測点がある場
合、断層はその観測点の近傍(きんぼう)まで伸びているとし
て、震度の大きさから断層までの距離を求め、それを地図上に
投影する、という方法である。この方法だと、1秒ごとに、断
層が拡大する様子を求めることができる。
図1は、東日本大震災の地震発生から3分後の結果だが、図
2の地震の震源分布から推定される震源域の広がりと良く一致 図1 東日本大震災の観測データを用いて得
られた震源域のリアルタイム推定結果
している。地震発生直後に震源域が求められると、マグニチュー
ドも推定でき、津波の波高を正確に予測することができると思
われる。また、東海地震が発生中であることが分かれば、多く
の防災対策をすることができる。特に、巨大地震の場合は、大
部分の地域で、大きな揺れの数十秒∼2分前に緊急地震速報が
出るので、被害を大幅に少なくできると思われる。
現在、この巨大地震対応システムの普及を目指し、他の企業
と共同で開発を進めている。間もなくこの製品の発売が開始さ
れる予定である。システムを導入した企業や学校等では、将来、
東海地震等が発生した場合に、各従業員や先生のパソコンに、
震源が広がっていく様子が出力されるので、被害をもたらす地
震が発生したことを瞬時に理解できるはずである。停電する場
合もあるので、携帯端末に表示することも考えている。
図2 震源分布から推定される東日本大震災
の震源域
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特集 深化する産学官連携とイノベーションの課題
小さな努力の積み重ねが世界を動かす
研究開発型のベンチャー企業で、博士号取得者は存分に力を発揮できるのではないか。
経験に基づくキャリアパス論。
仲佐 昭彦
(なかさ・あきひこ)
株式会社 塚田メディカル・
リサーチ 企画開発室 室長
私は、博士号取得後、大手企業社員からポスドクへ、そして、中小企業社員とキャ
リアを重ねてきた。現在の医療機器開発・製造の企業では、新しい製品の開発お
よび既製品の改良、評価試験、ISO 関係業務、薬事関係業務などに従事している。
世間一般の価値観では、働く規模はどんどん小さくなり、知名度も小さく、世界
の動きから遠いところで研究しているかのように見えるかもしれない。しかし、
私にとっては逆で、キャリアを重ねる度に任される仕事の重要性、社会貢献度が
高く、世界を動かすような仕事に従事するようになってきた。
浅間リサーチエクステンションセンター(AREC)理事・事務局長の岡田基幸
氏に勧められ、就職難の昨今、ポスドクや学位取得者が元気になれるよう、応援
の意味を込めて本稿を執筆した。
◆義父の末期がんを見て医療に関心
私が勤めている株式会社塚田メディカル・リサーチは、戦国武将の真田幸村ゆ
かりの地である長野県上田市真田町にある。上田腎
臓クリニック(長野県上田市)の塚田修院長が 25
年前につくったベンチャー型の企業(図1)であり、
泌尿器科、麻酔科関連の医療機器開発・製造・販売
を事業の柱にしている。弊社は、科学技術庁長官賞
(平成 10 年)、日本麻酔科学会社会賞(平成 17 年)
などを受賞したほか、経済産業省の平成 21 年の元
気なモノ作り中小企業 300 社に選ばれている。医
工連携の一例としては、信州大学繊維学部、株式会
社ジェー・ピー・イー(長野県上田市)と連携して
研究開発した「立上りトレーニング機『楽トレ君』」
図1 塚田メディカル・リサーチのネットワーク
などがある(写真1)。
現在の職に就くようになった背景、経過は次のようなもので
ある。
大学では材料化学を専攻し、将来、研究者として生きて行く
ことを夢見て、博士課程に進んだ。しかし、自分の実力は自分
自身がよく分かるもので、海外留学も諦め、大手企業(研究職)
に就職した。そこを2年ほどで辞め、ポスドクとして大学の研
究員生活を送っていた。医療関係の仕事に接することはほとん
どなかったが、義理の父が末期がんで苦しむ姿を目の当たりに
し、博士号を取得しても病気で苦しむ人の前では無力だった経
験が、私の研究者としての価値観に大きな影響を与えた。それ
写真1 立上りトレーニング機「楽トレ君」の外観
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特集 深化する産学官連携とイノベーションの課題
から、いつかは社会的貢献度の高い医療現場に関わる仕事をしてみたいと興味を
持ち始め、2009 年に弊社に入社した。
◆医療機器開発、販売、医療施設が連携
代表取締役社長の塚田修(普段「塚田先生」と
呼んでいるので、以下、そう表記させていただく)
は、バイタリティーに溢れ、医師、経営者、また
時には工学系研究者として幅広く活躍している。
「医工連携」の先駆者であり、「患者の QOL 向上」
「医療現場の負担軽減」「地域発展」へ熱い想いを
注いでいる。
弊社の主な製品は泌尿器科、麻酔科関連のディ
スポーザブル製品(図2)である。これらは世界
でもオンリーワンの製品であり、特に、シリコー
ンバルーンの縮む力を利用して薬液を長時間安定
図2 塚田メディカル・リサーチの代表製品群
的 に 投 与 で き る「疼 痛 管 理 用 持 続 注 入 器」 は
1989 年に世界で初めて開発された製品だ。また、
「DIB キャップ」は、患者が使
用する医療用尿道カテーテル用のふたとして他の製品には見られない独自の形状
で、片手で簡単にふたの開閉ができるなど操作性に優れている。
弊社の大きな特徴は図1に示すように、塚田メディカル・リサーチ(医療機器
製造工場)、ディヴインターナショナル(医療機器の販売会社)、上田腎臓クリニッ
ク(医療施設)が三位一体で運営されていること。現場で何が必要なのかを病院
のスタッフに直接聞き、現場をすぐに見ることができることが強みだ。そして、
現場のニーズを工場で試作し、すぐに現場での評価を受ける。試作と現場での評
価を繰り返し、洗練された製品を、販売会社が他の医療施設に売り込んでいくと
いうシンプルかつスピーディーな流れが出来上がっている。
私自身の役回りは、塚田先生から現場の意見を聞き、現場が求めているニーズ
に合った試作品の開発および改良、そして、大学研究機関における基礎研究等、
「医
工連携」をさらに深く進めることである。
◆成功を支えた「現場をよく見る」こと
社員数が数万人の大手民間企業に所属していた時とは大変異なり、自分でこな
す仕事の量、責任の重さ、行動および発言の影響力が大変大きく、緊張感を持ち
つつ、やりがいのある毎日を過ごしている。弊社が、小さいながらも今日まで存
続し社会貢献してきたことには、
「モノづくりの原点」の影響が大きいと思われる。
〈塚田メディカル・リサーチのモノづくりの原点〉
①同じ手術はするな(塚田先生の師の言葉)
これは同じ手術はせずに、もっといい手術はできないか、もっといい治療法はな
いか、常に考えろという意味。
②医者が決められたことをやるのは当たり前。それ以上の何か、良い方法を考える
現状に満足することなく、
「より良いものをつくりたい」という考え方が大事とい
う意味。
②ニーズは常に現場にある
われわれは、売れる商品を作っているのではなく、現場が必要とする喜ばれる商
品を作っているのだから、現場をよく見ることが大事という意味。
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特集 深化する産学官連携とイノベーションの課題
この3つの考え方、特に③の「現場をよく見る」が、成功を支えてきた秘訣(ひ
けつ)ではないかと考えている。
◆固定観念を捨て、大学・研究機関以外にも目を向けよ
現在は、学位取得者にとって就職氷河期と言っても過言ではない。少子化で学
生の数が減っていくのに伴い、大学・研究機関のポストも今後、減っていく一方
である。将来を考えて、不安を抱いている「博士」も大勢いるのではないだろうか。
現在の社会情勢を考えると、今まで通りの働き方、ポジションを獲得するのは大
変困難である。
では、どうすればいいのか。固定観念を捨ててみてはどうだろうか。研究機関
という狭い世界にいると、視野が狭くなりがちだが、
「どこで仕事するのかでは
なく、そこでどんな仕事をするのか」と視点を変えることである。私自身、社員
数数万人規模の大手民間企業から社員数 20 名程度の会社に移っても、毎日やり
がいを持って、世界レベルの大企業を競争相手に仕事をしている。博士課程、ま
たはポスドクとして修業されていた経験(研究の進め方、考え方等)を生かして、
他分野に飛び込んでみることを勧めたい。日本国内には、世界マーケットで対等
に戦える中小企業がたくさんあると思う。
塚田先生がよく話される言葉に「何をしたいのか、そのためには何をすればい
いのか、そのためには何が必要なのか」という言葉がある。先を考えると不安に
なることもあるかもしれないが、目の前にあることに集中し、何をしたいのか、
何をすべきか、いま一度、考えてみてはどうだろうか。
そして、考え方を変えつつ、1行でも1ページでもいいから活字にし、その都度、
結果を残し、積み重ねていくことが大事だ。小さな努力が積み重なっていき、そ
の場、その場では何がつながっていくのか見えないかもしれないが、後で振り返
ると全てがつながって、自分の財産となっていく。
私自身、今がまさにその状態で、ナノ、表面科学、高分子、医療と全てがつながっ
ている。そして、何よりも、出会った人たちとの関係がつながり、今の仕事がスムー
ズに進んでいる。他人が真似できないモノの見方が出来るようになった。
私が従事している仕事の中で、現在、大手医療機器メーカーと化学療法用持続
注入器に関する仕事が進行中で、私が手掛けた製品が、まさに今、世の中に出た
ところである。この仕事が今までの私のキャリアの結晶と言っても過言ではない。
この持続注入器は、化学療法を必要とされる多くの患者の治療および QOL 向上
に役立つ製品で、全国の大学病院、がんセンター等から高い評価を頂いている。
前述したように、博士号取得後、義理の父の病気に接し、医療に興味を持ち始
めたが、まさか、自分が「がん治療分野」の化学療法に関わることになるとは夢
にも思わなかった。運命的なものを感じており、小さな努力の積み重ねの結晶で
あるこの製品が、今後、日本だけでなく、世界を動かす製品につながっていくこ
とを期待している。
最後に、私の夢は幾つかあるが、今の 30 代の研究者、特に学位取得後、就職
に迷われている研究者が元気になれるような場を作ってみたいと考えている。い
つか、今日までの日本の科学技術を支えてきた先輩方を超えて、日本の未来、技
術を安心して任せてもらえるような研究者、技術者が日本国内に、特に地域の中
小企業で活躍できる社会になることを心から願っている。
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特集 深化する産学官連携とイノベーションの課題
日中交流史上最大のイベントに注目
―「第2回日中大学フェア&フォーラム」東京で開催
世界経済に大きな影響力を持つ日本と中国の間の交流や協力の重要性が
高まっており、特に両国の大学間の連携が重要な役割を果たすことが期待
されている。
こうした中、10 月9∼11 日、清華大学、北京大学、上海交通大学など
中国の約 50 の有名大学関係者が東京で一堂に会し、日本の大学(約 50
大学)、企業と交流・討議する企画「日中大学フェア&フォーラム」(略称
F&F)が開かれる *1。主催は科学技術振興機構(JST)中国総合研究センター、
日本学術振興会、日本学生支援機構、中国留学服務中心。
*1:http://sino-japan.univff.
com/
今回開かれる「F&F」は、昨年1月に開かれたものに続いて2回目。主
眼は「大学交流・研究交流」「産学連携」「人材交流・留学
促進」の3つだ。
F&F の概要は次の通りである。
●フェア
開催日:10 月9日(日)∼10 日(月、祝日)
会 場:サンシャインシティ(東京・池袋)
〈展示コーナー〉
ブース展示……日中合わせて 100 大学、中国科学院、
理化学研究所および4主催機関
実機の展示……宇宙航空研究開発機構の「はやぶさ」、
産業技術総合研究所のアザラシ型ロボット「パロ」の展
示を行うほか、電機、電子、化学業界等の日本を代表す
る企業の先端技術展示(製品、模型等)
〈講演〉
9日、 10 日の2日間、
「産学連携シンポジウム」と題し
て4部構成の講演会を行う
中国独特の社会経済的背景の下で進められる産学連
携、地域連携、イノベーション促進活動や人材活用方策
から、中国の大学と外国企業の連携事例紹介まで。さら
に、中国のイノベーションをけん引する産学連携の仕組
みなどを紹介。
そのほかに
・「中国の大学院を目指せ」
・加藤嘉一氏「日中若者が築く新しい日中関係の姿」
―など
フェア出展大学
日本側(50 音順)
愛知大学、愛知工業大学、青山学院大学、秋
田大学、岩手大学、愛媛大学、桜美林大学、
大分大学、大阪大学、お茶の水女子大学、学
習院大学、関西大学、関西学院大学、九州大
学、九州工業大学、京都大学、慶應義塾大学、
工学院大学、高知工科大学、神戸大学、島根
大学、首都大学東京、上智大学、創価大学、
東京大学、東京工業大学、東京電機大学、東
京農工大学、東京理科大学、東北大学、同志
社大学、千葉大学、中央大学、中部大学、筑
波大学、東海大学、徳島大学、名古屋大学、
名古屋工業大学、奈良先端科学技術大学院大
学、新潟大学、一橋大学、広島大学、北陸先
端科学技術大学院大学、北海道大学、宮崎大
学、山形大学、横浜国立大学、立命館大学、
早稲田大学
中国側
白求恩医科大学、北華大学、北京大学、北京
語言大学、重慶大学、大連理工大学、電子科
技大学、東北大学、東北電力大学、東北林業
大学、東北師範大学、東華大学、東南大学、
甘粛連合大学、広東工業大学、ハルビン工業
大学、杭州師範大学、黒龍江濱才学院、華北
電力大学、華東師範大学、華中科技大学、華
中師範大学、湖南文理学院、吉林大学、江南
大学、遼寧大学、清華大学、四川大学、上海
中医薬大学、上海交通大学、首都経済貿易大
学、社会科学院大学院、天津外国語大学、同
済大学、西安交通大学、西安文理学院、西北
工業大学、西北農林科技大学、西北政法大学、
西南財経大学、武漢理工大学、アモイ大学、
楡林学院、鄭州大学、中国地質大学、中国海
洋大学、中国科学院大学院、マカオ大学
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特集 深化する産学官連携とイノベーションの課題
〈プレゼンコーナー〉
・「わが大学・機関のここに注目してほしい」日中 100 の大学をはじめ、
出展している全ての大学・機関が自らの“売り”をアピール
・双方向の「留学の概要」声明会と中国人留学生の体験談
〈イベントコーナー〉
・中国の全ての企業の基礎データを網羅した Wang Fang データのデモ。
1年間無料アクセスのパスワードを提供
・在日の中国人留学生を対象にした「日本企業就職セミナー」と、中国
から海外への留学生を呼び戻す「海亀計画」を推進している機関であ
る留学者創業園がその取り組みを紹介する「中国起業のお誘い」コー
ナー
・日中産学連携の成功体験発表会
・豪華賞品抽選会など
〈相談・交流コーナー〉
・「あなたの仕事が見つかるかもしれません!」中国人留学生の日本企
業就職について
・大学間協定等の検討・締結のための相談会、交流会
●フォーラム
開催日:10 月 11 日(火)
会場:サンケイプラザ(東京・大手町)
午前は基調講演、午後はパネルディスカッション。日中の大学、産業界
等のトップレベルの方々に講演者、パネリストになっていただき、両国の
大学の新たな動きや今後の展開に関する発表、討論を行う。講演は日本語・
中国語(同時通訳)で行う。
◆中国産学連携の仕組みが体験できる
中国の大学は産学官連携に極めて熱心で、ほとんどの大学で欧米企業、
中国国内の企業との連携が進んでいる。一部の日本企業とも連携を行って
いるが、なお不十分。中国の大学は日本の企業および大学との連携を切望
している。
今回の「F&F」は、沿海部だけでなく中部、西部、東北部を含めた中国
全土の著名大学 50 校が、連携の考え方、連携を希望する分野、研究者、
研究体制、大学パーク、校弁企業等について日本側に説明し、日本企業と
の連携を促進する場とする。
特に、97 の研究所を擁し中国の科学技術をけん引する中国科学院と科
学技術部、教育部、また年間約2兆円の売り上げを誇る北京大学発ベン
チャー企業「方正」、サイエンスパークを率いる中関村がそれぞれ成功の
取り組みを説明し、日本企業に連携を呼び掛けることが注目される。
日本の各大学も産学官連携について展示、説明を行い、日本企業との連
携を促進する場とする。
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特集 深化する産学官連携とイノベーションの課題
◆中国への留学を知る絶好のチャンス
中国は現在、年間 20 万人の留学生を海外に出し、28 万人の留学生を
受け入れている留学政策先進国である。その一環として、中国政府はわが
国からの一層の留学生受け入れを希望している。現在、中国へ留学生を1
番多く送り出しているのは韓国で、その数は6万 5,000 人。2位は米国
だが、同国は今後3年間で 10 万人の留学生を派遣する協定を中国と結ん
でいる。米国が中国との関係を重視している表れである。
一方、日本から中国への留学生は1万 6,000 人にとどまっている。日
本の学生がキャリアパスを考える上で、中国への留学が極めて重要になっ
てきている。現在学費免除の条件で積極的に日本からの留学生を受け入れ
ている大学が多い。中国への留学には多様な形(短期、長期、奨学金制度、
企業人の育成、企業の要望に対応するカリキュラムなど)があることも
F&F で紹介される。
◆グローバル人材育成で日中に大きな格差
日本の大学関係者は、大学の国際化とグローバル人材の育成への関心が
高い。米国で博士号を取る中国人の数は年間 4,500 人、日本は 250 人で
中国の 20 分の1にとどまっている。世界に飛び出す中国の頭脳と国内に
とどまる日本の頭脳は対照的である。
中国の大学で取った単位、資格などは欧米でも認められるようになって
いる。教育部の情報によれば、学部レベルで 428 の共同運営が、大学院
レベルでは 154 の共同運営が行われているが、日本との共同運営は学科
レベルでの6校に過ぎない。中国のユニークな人材活用方法の全てが、こ
の会場で分かる。
(独立行政法人 科学技術振興機構 中国総合研究センター)
〈事務局〉
独立行政法人
科学技術振興機構
中国総合研究センター
電話:03-5214-7556
FAX:03-5214-7558
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特集 深化する産学官連携とイノベーションの課題
「美しい」環境関連製品で、第2事業の柱
変化の激しい産業構造。企業は、将来の事業の柱をどう築いていくのか。大学等の先
端技術を取り入れて、いわば第2創業に挑戦するのも1つの方法だ。
――菊川工業株式会社(東京都墨田区)は建築用内外装工事の設計、部材製作か
ら施工まで手掛けています。創業は昭和8年ですね。
宇津野 当社は千葉県白井市に主工場を置き、資本金1億円、従業員 150
人、年間売り上げは 44 億円です。デザイン性を重視しており、フジテレ
ビ本社の球体外装(写真1)、銀座かいわいの有名なブランドビル外装な
どを手掛けてきました。
――第2創業として小型風力、水力発電システムやソーラー建材システム開発に
宇津野 嘉彦
(うつの・よしひこ)
菊川工業株式会社
代表取締役社長
取り組んでいます。きっかけは何ですか。
宇津野 東京都墨田区の「すみだ産学官連携クラブ」でマルチ風車の開発
に参加したことが契機です。
――その後、大学などとの連携を進めたわけですね。
宇津野 まず、ベンチャー企業の株式会社シグナスミルからの依頼で垂直
軸式風車の羽のプレス成型を担当しました。その後、NPO 法人ミクロネシ
ア振興協会から頼まれ、ミクロネシア・テレコム向け小型風車を3台試作
しました。平成 18 年から千葉県産業振興センターの専門家派遣制度を活
用し(翌年には千葉県新エネルギー技術実用化支援補助金の認可を受け)
、
東京大学工学系研究科河内啓二教授と風車翼形状に関する共同研究を
行い、特許を出願しました。平成 20 年からは、さらに同センターの
高度研究開発助成事業を活用し、協和工業株式会社、モーターソリュ
ーション株式会社、東京理科大学と組んで多極式発電機の開発に乗り
出し、風車の他、小型水力発電にも適用可能な発電機(製品名「エス
カルゴ」
)を開発しました(特許を出願)
。平成 21 年度から経済産業
省のサポーティングインダストリー事業で、ファイバーレーザーアー
クを使ったハイブリッド型薄板溶接技術の開発にも取り組んでいます。
――この分野の事業展開は進んでいますか。
宇津野 ソーラー関連では平成 21 年から経済産業省ものづくり中小企
業試作開発等支援事業の認可を受け、東京理科大学真鍋恒
博教授の指導を得てビル外装用のソーラー建材などの開発
をスタートし、これまで培ってきたデザイン力を背景に「美
しさ」をコンセプトにした環境関連製品の開発、販売を本
格化しました(写真2)
。また発電機「エスカルゴ」は 3 キ
ロボルトアンペアで 120 万円程度で近く売り出します。
写真1 フジテレビ本社の球体展望室
(上空より撮影)
――展望は?
宇津野 販売の実績は年8千万円程度で、まだ売り上げ全
体に占める割合は微々たるものですが、自然エネルギー利
用への追い風もあるので、ゆくゆくは事業の第2の柱を目
指しています。
写真2 太陽電池一体型外装システム
「Sustaina(サステナ)」
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産学官連携ジャーナル Vol.7 No.9 2011
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ナメコ野生菌株から空調栽培適合菌株を
選抜する DNA マーカーの開発
近年のナメコ栽培は、原木を使用した自然栽培からオガ粉菌床を用いる空調栽培に推移
してきた。このため、自然栽培特有の風味豊かなナメコが市場から消えつつある。そこ
で、ナメコ野生菌株の中から空調栽培に適合した菌株を効率的に選抜する目的で、
DNA マーカー(DNA の目印)を利用した選抜技術を開発することにより、空調栽培
条件下においても自然栽培と同等の風味を有した良食味性ナメコ新品種の開発を目指す。
共著
◆研究の背景
キノコの人工栽培の歴史は古く、江戸時代中期にはすでにシイタケの原木
栽培が行われており、昭和 40 年代後半からはオガ粉を使用したエノキタケ
やナメコなどの菌床栽培が本格化し、現在では年間 46 万トン、生産額で
2,500 億円(2009 年)産業までに躍進した。キノコはこれまで旬を代表す
る食材であったが、近年では周年栽培で安定的に供給されるようになったこ
とで、以前のような旬を味わう食材から、四季を通じて食することのできる
健康食品として捉えられるようになり、人気は高まる傾向にある。しかし、
ナメコの消費に関しては、94 年の価格急落以降2万 4,000 トン前後で頭打
ち状態が続いている。原因としては、食味性を無視した生産者サイドでの生
産性のみを優先させた選抜育種の繰り返しの結果であり、今後の消費拡大の
ためには、消費者目線からの新たな品種開発が求められている。
木村 栄一
(きむら・えいいち)
株式会社キノックス 常務取締役
◆研究の意義
ナメコ栽培は原木を使用した自然栽培からオガ粉菌床を用いる空調栽培 千葉 直樹
に推移してきたため、現在では市場の 90%以上が原木用の自然栽培品種 (ちば・なおき)
に比べ傘色が淡白で食味性の劣る空調栽培用品種で占有されている。ナメ 宮城県農業・園芸総合研究所
バイオテクノロジー開発部 遺伝
コの生産量は漸増傾向にあるが、消費は頭打ち状態であることから、消費 子工学チームリーダー、副主任研
拡大のためには良食味性品種の開発が求められている。そこで、自然環境 究員
で生育している野生株の中から良食味性かつ空調栽培に適した菌株の選抜
が必要となるが、膨大な野生株の中から空調栽培に適した菌株を選抜する
のは容易なことではない。
株式会社キノックス(宮城県仙台市青葉区)は、国内のナメコ種菌の約
80%を生産しており、特に性能の低下(劣化)が問題視されるキノコ種
菌において、菌株の長期性能維持技術を駆使してさまざまなキノコの育種
を実施している。農産物であるキノコ類は、他の農産物と同様に品種登録
により育成した品種に対して育成者権を取得することができ、これまでに
7種類のキノコについて 22 品種を登録し、市場で流通している。
DNA 鑑定による品種同定は、今では登録品種の育成者を保護する技術
として広く普及しており、これまでのキノコ種菌の開発技術に新たな遺伝
子解析等のバイオテクノロジー手法を導入する目的で、平成 16 年度以降、
宮城県農業・園芸総合研究所(宮城県名取市)とキノックスは共同研究で
キノコ分野におけるバイオテクノロジー技術について開発を行い、生理特
性上の問題・課題の解決に向けて共同で取り組んできた。これまでにナメ
コ、シイタケ、エリンギ、マイタケ、ブナシメジ等の品種を同定するため
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の独自 DNA マーカーを開発している。このような技術背景から、ナメコ
のトップメーカーの責務としてナメコの潜在需要を引き出すためにも、食
味性良好な新たな品種を効率良く開発するための遺伝子レベルでの選抜技
術を開発することとした。キノコの育種は、これまで 10 年を要すると言
われてきたが、DNA によるマーカーアシスト選抜技術を開発することに
より、スクリーニング栽培に投下される多大な労力や時間ならびに設備を
大幅に省略し、短期間にしかも効率的なキノコの品種開発に貢献すること
ができる。
研究のポイント
DNA 鑑定は、DNA 配列の違いを目印(マーカー化)として、遺伝的な差違を識別する技術である。これまでの共同研
究により、菌床空調栽培に適した菌株集団は、ミトコンドリア内リボソーマル RNA 遺伝子 V4領域に特異的な 26 塩基
の挿入配列を有することが確認されてきた(図1)。今回、これらの知見を応用し、宮城県農業・園芸総合研究所がこの
V4領域の挿入配列を DNA マーカー化した後、キノックスが同 DNA マーカーを用いて収集した野生株 67 菌株のマー
カーアシスト選抜を行い、選抜した菌株を用いて空調栽培試験を実施することで実用性の可否を検証した。
ミトコンドリア遺伝子の解析結果から、26 塩基の挿入配列を持つ遺伝子型を (
L Long)型、欠失がある遺伝子型を S
(Short)
型とした。収集した野生 67 菌株中 L 型は 36 株(54%)
、S 型は 31 株(46%)であった。同時に実施したナメコの同属別
種株の調査においては、Pholiota elegans はS型、Pholiota heterocilita はL型であった。よって、近縁種を含むナメコの仲
間は、大きく2つのグループに分かれることが判明した。これまでキノックスで開発した空調栽培品種 N006、N007、
N008、N009、N123、N127 は全て L 型であった。選抜した L
型菌株について 90 日の空調栽培試験を行ったところ、83%の
確率で子実体(きのこ)が発生し、空調栽培に適合する菌株
であることが確認された。従来の育種方法では、収集した野
生 67 菌株を全て栽培試験で評価し、選抜しなければならない。
一方、マーカーアシスト選抜の場合、栽培試験は約半分の L
型の菌株数で同等の結果を得ることができる。
現在、マーカー選抜株は形状や食味性を含めて評価し、5
菌株を新たな育種のための候補株として選定している。今回
採用したミトコンドリア遺伝子内 V4領域は、ナメコの空調
栽培適合品種の選抜マーカーとして有用であったことから、
今後もナメコの育種において、V4領域によるマーカーアシ
スト選抜技術を積極的に利用することとなろう。
図1 ミトコンドリア V4 ドメインの塩基配列解析の結果
◆将来の展望
今回の研究成果で選抜した5菌株の野生優良株を育種母本とし(写真
1)、従来の空調栽培用に開発された品種との交配を行うことで、濃傘色
で良食味性ナメコ新品種を開発し、2013 年を出願目標に品種登録を実施
したいと考えている。なお、さらに適正品種の選抜効率を高めるための重
要形質(色や食味等)に関連したアシストマーカーの開発、ならびにミト
コンドリア遺伝子の DNA 変異配列と空調栽培適合性との関連について
は、今後の研究で追求していく予定である。
これまでとは異なる風味豊かな良食味性のナメ
コ新品種の市場投入により、量販店での販売と差
別化を図って産地直売等の市場外流通を主体とし
た商品販売が可能となることで、頭打ち状態となっ
ている現在のナメコ市況(2万 6,000 トン)を活
性化し、潜在需要の 3 万トン台の消費が期待され
る。
写真1 選抜した有望ナメコ菌株(一部)
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連載 東京農工大学の産学官連携
第1回
実学に強く、オープンな学風が後押し
常に全国トップクラスの教員1人当たり共同研究実績、3割を超える外部資金比率、6
大学のみのスーパー産学官連携本部への採択、共同研究・受託研究を実施した教員比率
41%。東京農工大学の産学官連携活動の水準の高さを示す指標には事欠かない。その
原動力や背景には何があるのか? 第1回目は、長きに渡る実学の伝統と先を見通した
産学官連携活動の経緯に焦点を当てる。
◆ 140 年近い歴史と実学の伝統
東京農工大学(農工大)は、産業の基幹である農学と工学を中心とし、
その融合分野も含めた教育研究分野を備えた大学として、140 年に近い
歴史と伝統を有する。近年、中規模ながら産学官連携で実績を上げている
特色ある大学として取り上げられることが多いが、実学を志向し、全学を
挙げて社会的諸課題に正面から向き合ってきた成果の表れである。
本学は、主に教員が属する研究組織として農学研究院、工学研究院と、
学生諸君が属する農学府・農学部、工学府・工学部、生物システム応用科
学府の3教育組織を有している。教員は約 420 人、職員は約 150 人、学
生数は学部生約 4,000 人、大学院生約 2,000 人という中規模の国立大学
法人である。東京都下に農学系の府中キャンパス(府中市)
、工学系の小
金井キャンパス(小金井市)を持つ。
農学部と工学部のルーツは、明治7(1874)年に設置された内務省の
農事修学場と蚕業試験掛にたどりつく。生糸は当時の日本の輸出品の中心
である。以来、急速に進む近代化の中で何度も形や名前を変えて発展して
きた。蚕業試験掛は後に農商務省蚕病試験場に転じるが、その跡地は現在
の帝国ホテル(東京都千代田区)である。
昭和 10(1935)年に東京帝国大学農学部実科が独立し、東京高等農林
学校として現在の府中キャンパスに、昭和 15(1940)年には東京高等蚕
糸学校が現在の小金井キャンパスに移転した。この2校が、戦後の昭和
24(1949)年に新制大学として統合され、農学部と繊維学部で構成する
東京農工大学が誕生した。なお、繊維学部は昭和 37(1962)年に工学部
と改称した。
平成 16(2004)年に他の国立大学とともに国立大学法人化され、本学
は全国でも類を見ない特徴的な研究基軸大学として歩みを続けている。
普後 一
(ふご・はじめ)
東京農工大学 理事
副学長(学術 ・ 研究担当)
◆「自発的」「先手」の産学官連携
産学官連携については、その言葉が一般的になる以前から本学は自発的
に推進してきた。常に将来を見据え、先行して行動し、中規模大学だけに
多くの大学のモデルになろうという意識を持ってきた。
産学官連携活動の契機となったのは、昭和 63 年小金井キャンパスでの
「共同研究開発センター」の設置である。企業との共同研究において専用
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の研究空間があることの意味は非常に大きい。設置当初から活発な利用が
進み、平成9年には床面積を 1,130 平方メートルから 2,000 平方メート
ルに増築したが、すぐに利用希望で満杯となった。平成 10 年からは、A
研究と呼ばれる 200 万円以上(当時、後に 300 万円以上)の大型共同研
究の実施が同センター入居の条件になったほどだった。
こうした状況は教員に対して競争原理が良い方向に働いた。平成 10 年
は「大学等技術移転促進法(TLO 法)」が施行された日本の産学官連携の「元
年」に当たるが、本学では既にA研究 44 件を含む 80 件の共同研究を実
施するに至っていた。伝統や研究空間に加え、教員個々人の研究の水準と
意識の高さ、それらを後押しする雰囲気が醸成されていたことが大きかっ
たと考えている。
平成 16 年には府中キャンパスにも共同研究開発センターのサテライト
を設けている。
◆スーパー産学官連携本部整備事業採択と外部からの高評価
平成 13 年には承認 TLO(技術移転機関)となる農工大ティー・エル・
オー株式会社が設立された。出資(5万円以上)した教職員は 150 人を
超えた。産学官連携のスタープレーヤーを含む全学的な支持が、同社を設
立以来 10 年連続の最終黒字に押し上げた基盤である。
平成 15 年度には文部科学省の大学知的財産本部整備事業が始まり、翌
年度の国立大学法人化に伴い特許を始めとする知的財産の機関管理に移行
した。共同研究開発センターは産官学連携・知的財産センターと名称を変
え、企業等の勤務経験を持つ専門人材が加わり、充実した組織に発展した。
知的財産に関しては、法人化直後の大量の発明届出と特許出願の時期を
経て、ここ数年は年 140∼150 件の発明届出、100 件程度の特許出願で
安定している。このうちおおむね6割が企業等との共同出願である。
法人化後の共同研究の規模は、年間 200 件、総額6億円を超える水準
に達した。こうした実績が知られるようになり、平成 17 年度に経済産業
省の「企業から見た共同研究しやすい大学の調査」で全国2位(国立大学
法人としては1位)になったほか、日本経済新聞等の調査で研究力や成果
発信力においてトップクラスの評価を得た。
組織的かつ柔軟で迅速な活動を継続し、平成 17 年度には、東京大学、
京都大学、大阪大学等に並んで全国6大学の「スーパー産学官連携本部」
に選ばれた。
◆国際社会と地域社会への両面展開
平成 20 年度ごろからは文部科学省の戦略展開事業もあって、国際的な
産学連携活動を戦略的に推進している。海外リエゾン拠点や国際展示会、
専門機関等を活用し、国際的な共同研究・受託研究の拡大に力を注いでい
る。さらにここ数年、事務職員を対象に、連携する英国ブライトン大学で
の研修を含む、国際的な産学官連携業務研修を実施している。規模は毎年
2人から3人程度である。契約業務支援や企業等とのリエゾン活動等、高
度な業務推進力を身に付けさせる狙いがある。事務職員を主体的かつ専門
的な産学官連携活動に組み入れてきたことも農工大の大きな強みであろう。
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一方、地域連携活動も充実化が進んで
いる。平成 21 年には地域中核産学官連
携拠点である「広域多摩イノベーション
システム」に首都大学東京、電気通信大
学とともに中核大学として参加し、調整
機関の TAMA 協会(首都圏産業活性化
協会)と連携し、シーズ・ニーズのマッ
チング活動、合同イベント等を手掛けて
きた。
地域連携の側面からは、中小企業、ベ
ンチャー企業との連携は柱である。中小
企業との共同研究については、受入金額
で全国3位(2億 1,200 万円、21 年度)、
教員1人当たり共同研究費ではダントツ
の1位(50 万円、同)である(図1、2)。
ベンチャー企業支援については、平成
15 年に小金井キャンパス内にインキュ
ベーション施設(床面積約 1,000 平方
メートル)が開設された。起業前の支援
活動も実施しており、これまでに「農工
大発ベンチャー」は 32 社を数える。
平成 20 年には、隣接地に東京都、小
金井市と協力して、独立行政法人中小企
業基盤整備機構が運営するインキュベー
ション施設「農工大・多摩小金井ベン
チャーポート」が設置された。同一キャ
ンパス内に、2つのインキュベーション
施設が並ぶのはなかなか壮観である。ベ
ンチャーポートは、農工大発以外の地域
企業も含め、事業段階がより進展した企
業を対象としている。立地にも優れ、常
にほぼ満室の人気ぶりである。
その他
1,042
7%
授業料等
3,446
22%
運営費交付金
6,368
40%
外部資金
4,927
31%
図1 外部資金の円グラフ
図2 教員1人当たり共同研究費、件数の表(他大学との比較)
◆まとめ
研究は、社会全体のニーズに対応した形である場合もあり、基礎的な研
究も多い。本学の研究アクティビティーは、基礎も応用も非常に高いと評
価されてきている。農学、工学、農・工融合領域に多くの研究者と教育者
が活躍しており、それが高い評価として、産学官連携の推進力にもなって
いる。本学は、ますます世界展開していく活力にあふれている。
平成 21 年度の経済産業省の補助金交付により、高収量健康果樹管理技
術開発のための省エネ型先進植物工場施設が農学部キャンパスに設置され
た(平成 23 年完成)。この施設は、ブルーベリー栽培のための植物工場
としてユニークなものであるが、この施設を利用した各種の共同研究の募
集も計画されており、大いに活用していただきたいと願っている。
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産学官エッセイ
「災害の被害を最小限に」
情報システム開発に挑む留学生
奈良先端科学技術大学院大学にフィリピンから留学している学生が留学生仲間と共に洪
水情報共有システムの開発に取り組んでいる。このシステムに「Bayanihan(バヤニハ
ン)
」という名前を付けている。人々が力を合わせ、困難に立ち向かっていく精神が
Bayanihan。日本語の「絆」に近いニュアンスを持っているという。
フィリピンの気候は年間を通して気温・湿度の高い熱帯モンスーン型だ。
一年は乾期・暑期・雨期の3つに分けられ、雨期の降雨量は1時間に 480
ミリにも達する。台風の通り道でもあり、台風シーズンになると首都マニ 高畑 裕美
ラでさえ市内に度々水があふれだす。2009 年には台風による大規模な洪 (たかはた・ひろみ)
水で 1,000 人近くが亡くなった。奈良先端科学技術大学院大学(以下、 奈良先端科学技術大学院大学
先端科学技術研究推進センター
奈良先端大)に在学する同国からの留学生、ラモン・メヒアさんは、留学 産学官連携コーディネーター
直前にこの台風の直撃を受け、洪水の惨事を目の当たりにした。
プログラム開発の仕事をしていたメヒアさんは今、ロボット工学、メディ
ア設計学、ソフトウエア工学などを学ぶ留学生仲間とともに「洪水情報共
有システム」の開発を進めている。
◆リアルタイムと信頼度を追求
前述のマニラの大洪水の時、被災地周辺には救援に行きたいという人や、
余力のある人がたくさんいたが、「皆、情報がなくて動けないというもど
かしさを感じていた」とメヒアさんは言う。一人ひとりの小さな善意と「知」
を結集すれば、被害状況の把握や救助、復興に役立てる技術ができるはず
―そう考えたのだ。
洪水などの災害情報共有システムというのは、インターネット上で市民
等から寄せられる多くの情報を整理し、誰でも利用できる被災地情報とし
て提供するものである。現在、大災害時にはケニア発のオープンソース災
害マネジメントアプリケーション「ウシャヒディ(Ushahidi:スワヒリ語
で目撃者の意)」が活躍している。これは不特定多数の情報を集約し、
Google が提供している地図上にマッピングしていくという仕組みだ(図
1)。ハイチでの大地震、メキシコ湾の原油流出などの際も、
ウシャヒディを用いた情報収集の仕組みが構築された。東
日本大震災においても sinsai.info というサイトが開設さ
れ、今も「ライフラインの状態」「被災地」「交通機関」「物
資関連」「災害支援センター・避難所」「救援要請」など各
情報が復興に役立っている。しかし管理人によって運営さ
れるこれらサイトは、大災害直後の大量の情報を処理しき
れず、反映されるのは1週間後になるという課題があった。
メヒアさんらは、自動で情報抽出・分類・反映を行うこ
図1 Ushahidi(ウシャヒディ)をベースにした
とで、リアルタイム性を追及することにした。ポイントは
情報集積およびマッピングの例
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自動抽出や分類をスムーズにするための「定型文」を用意
したことである。例えば情報提供者がサイトを開くと、「水
かさは膝まで」「水かさは腰まで」「水かさは胸まで」など
の定型文とコメント入力欄が用意されている。この定型文
から現在の状況を選択し、必要に応じてコメントを添えて
送信する。定型文を用いることで受信サーバでの情報抽出
と分類はかなり容易になる。また、GPS を搭載した携帯電
図2 Bayanihan(バヤニハン)サイトの例
話やパソコンなら災害位置は特定できるが、GPS 非搭載型
左 入力する携帯電話の Web 画面
も想定し、地名やランドマーク名称のデータベースを作成、 右 集められた情報により地図上に洪水の様
子が映し出さている。
投稿者が選択できるようにした。このようにあらゆる情報
機器から円滑に被害状況と地点情報などを収集可能にし、その分類と反映
がリアルタイムで動作するシステムを構築した(図2)。
もう1つ重要なポイントは情報の信頼性を保障することにある。災害の
現場では心理的な動揺や混乱から情報を誇張して伝えることが多い。そこ
で「非常時における動揺は大きく、信頼性が低いケースが多い」というこ
とを大前提とし、その代わり個々の情報や情報提供者に「信頼度」情報を
付与し、信頼度の高い情報が残りやすい仕組みに工夫した。例えば救急隊
員や警察官からの情報は「高信頼」という情報を付与させると、分析時に
集められた情報の信頼性を早期に安定させることができる。このような仕
組みで自律的でありながら信頼性の高い情報集約を目指せると考えている。
◆大学の研究テーマコンテストを活用
奈良先端大にはユニークな制度がある。
「プロジェクト型研究」という
もので、学生から自主的な研究テーマを募り、優秀な提案に対して研究資
金を提供するものである。メヒアさんらは、同コンテストで資金を獲得し
て、このプロジェクトを進めている。
メヒアさんらは、開発を目指しているシステムに「バヤニハン(Bayanihan)
」という名前を付けている。困難に直面した時、人々が力を合わせ
立ち向かっていく精神がフィリピン語でバヤニハン。日本語の「絆」に近
いニュアンスを持つという。
「バヤニハン」はまだ試作段階であり、解決すべき技術課題も多い。現実
の大災害に対応するためには、多数の要求に対して迅速かつ
安定した処理ができるようにすることが重要である。複数の
情報の類似度や矛盾等を信頼度に反映させる仕組みや、地形
情報を水位推測に利用するなど情報の信頼度をより向上させ
るような仕組みも検討する必要がある。洪水発生の予測や警
報発令まで行えるようなシステムが最終的な目標であり、具
体的なシミュレーションにも取り組んでいる(図3)
。
フィリピンと日本、マニラと奈良、奈良先端大とメヒア
さんら留学生グループ……。非常時に自分より被害の大き
い人を気遣う思いやり。国や文化が違っても変わりはない
絆に支えられた「誰かを助けたい」という小さな一言が、 図3 Bayanihan(バヤニハン)によって各地の水
位が地図上にマッピングしたデモの例。濃い
被害を最小限に抑える大きな知になるのかもしれない。
赤色は水位が高く、青色は水位が低いことを
示している。
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iPS 細胞の実力が
試される
★米国 NIH 所長の F.S. コリンズ博士は、近著で iPS 細胞に触れ「2006 年の山中
の論文を読んで真の革命と呼ぶにふさわしい科学の進歩を実感した」と語ってい
る。その iPS 細胞が相変わらず騒がしい。まず驚かされたのは iPS 細胞でも拒絶
反応が起きるという論文。免疫が自己の異常として他者を見分けるシステムだと
すれば、樹立の過程で何らかの自己の異常が起きたということなのだろうか。そ
れよりはるかに衝撃的だったのは、山中博士らが発表した Glis1 遺伝子。iPS 細
胞の樹立効率を飛躍的に高め、発がんリスクを軽減し、均一性を保ち、初期化し
た細胞に限って増殖を促す。まさに「魔法の遺伝子」だ。ここから、実用化への
流れが一挙に加速するに違いない。産学官連携の真の実力が試されるのは、いよ
いよこれからだ。
(編集委員・谷田 清一)
★9月 11 日は東日本大震災から半年、米同時多発テロ 10 周年である。あらた
めて天災と人災の違いを考えるよい機会であろう。100%天災の東日本大震災も、
福島第一原発事故などは無原則に人災として扱われている。巨額の補償金を国民
は当たり前と思っている。しかし、そもそも誰がつくった人災なのだろう。原発
安全神話をつくったのは科学者・技術者ではなく、実は「市民による民主政治」
である。議論の土俵をつくることができず、「事故は絶対に起きない」という禁
じ手を使ってしまった。よく似た虚構が「東海地震」だ。予知できるとみんな信
じ込んでいるが、99%不可能。科学はそこまで進歩していない。天災は駄目で
も人災は避けられる。「安心」神話が引き起こした失敗(=人災)の教訓を次に
活かさねばならない。
(編集委員・松尾 義之)
イノベーションの
壁を越える
★原子力発電所の事故は、わが国の科学コミュニケーションが抱える課題だけで
なく、イノベーションの壁も浮き彫りにした。30 億円かけて原発用ロボットを
開発しても、放置されて使い物にならない。研究はうまくいったのに肝心の危機
管理が機能しない状況は、“技術力で勝っても事業で負ける”というわが国の脆
弱(ぜいじゃく)なイノベーションシステムの一断面である。原子炉建屋に投入
された国産ロボットの生みの親、小 栄次氏の「“想定”は仕様書」という主張(8
月号)は目からウロコだった。イノベーションの歯車を回す一歩は「正しく恐れ
る」こと、つまり、オペレーターが日々、原発用ロボットの操縦を訓練しておく
こと。そして、その前段として、原発用ロボット生産がビジネスになるようにす
ること。そのヒントが今号の特集にある。
(編集長・登坂 和洋)
2011年9月15日発行
編集・発行:
独立行政法人 科学技術振興機構(JST)
イノベーション推進本部 産学連携展開部
産学連携担当
PRINT
ISSN 2186−2621
ONLINE ISSN 1880−4128
編集責任者:
高橋 富男 東北大学 高度イノベーション博士
産学官連携ジャーナル(月刊)
2011年9月号
Copyright ©2005 JST. All Rights Reserved.
問合せ先:
JST産学連携担当 菊地、登坂
〒102-8666
東京都千代田区四番町5 3
TEL :(03)5214 7993
FAX :(03)5214 8399
人財育成センター
シニアエキスパート
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天災と人災の
教訓
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http://sangakukan.jp/journal/
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MOT
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