SYDきらめきメッセージ 全国コンクール

SYDきらめきメッセージ
全国コンクール
報告書
SYDきらめきメッセージ
全国コンクール
SYD(公益財団法人修養団)では、創立75周年の
1981年(昭和56年度)に蓮沼門三論賞、1982
年より「蓮沼門三社会教育奨励賞」を創設し、多く
の優れた活動を実践する個人、グループ・団体を
顕彰して社会教育活動の発展に多大な足跡を残し
て参りました。創立100周年の2006年(平成17
年度)より、「SYDボランティア奨励賞」を開始し、青
少年のボランティア活動の伸展に大きく貢献してお
ります。このような業績を踏まえ、本年度創立110
周年を記念し、青少年の「勇気」、「元気」、「やる
気」を育み、社会性を育てるための『きらめきメッセ
ージ全国コンクール』を実施しました。
SYDきらめきメッセージ
全国コンクール
目 次
1.はじめに
2.メモリーフォト
3.受賞者(作品)
SYDきらめきメッセージ全国コンクール 91
理事長ご挨拶
贈 呈 式
理事長ご挨拶
本日は「SYD全国青少年ボランティア・フェスティバル」に本当に多くの方々に
ご参加いただき誠にありがとうございます。
今日こうして、SYD全国青少年フェスティバルの一環として第1回「SYDきら
めきメッセージ全国コンクール」を開催できますことを大変に嬉しく思っております。
私ども公益財団法人修養団は来る2月11日に創立110周年を迎えることとなり、明
日には皇太子殿下、雅子妃殿下においでいただき記念大会を開催することになってお
ります。その修養団創立110年を記念して「SYDきらめきメッセージ全国コンクー
ル」を企画し、文部科学省の後援をいただき、全国各地で開催されたSYD活動参加
者の皆さんを中心に、全国の高等学校・中学校に「自分がキラキラと輝いた時の体験」
や「困難や苦難を乗り越えた時の体験」などを書いて頂いて応募して下さるようにお
願いをいたしました。
当初はどのくらいの人が応募して下さるか分からずに大変心配をしたのですが、多
くの皆さんのご協力により、なんと3千以上の作品が集まりました。応募してくださ
った多くの皆さんに改めて厚く御礼を申し上げます。さて、3千もの作品が集まった
のは大変に嬉しいことでしたが、その審査に当たっては大いに苦労をいたしました。
数が多いのはともかくとして、その内容は皆さんそれぞれの「きらめき体験」や「ブ
レイクスルー体験」が率直に語られており、どのように選考したらよいのかとても悩
まされました。
コンクールですので選ばないわけにはいきませんので、選考基準となっていた「多
くの人々に勇気、元気、やる気そして感動を与えてくれるもの」を各部門から慎重に
選ばしていただき、その結果、4部門から選考された12名に加えて、本事業の特色
を活かし、いじめや不登校、心の病気を乗り越えた特別枠4名を加え、今日これから
ここで発表をしていただく16名の方々に決定させていただいた次第です。
これから発表してくださる16名の方々は今胸がドキドキしていらっしゃることだ
と思いますが、この発表は決して弁論大会ではなく、皆さんの体験を率直にお話して
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全国コンクール
いただくことが本来の趣旨ですので、ぜひリラックスして素晴らしい体験をお話しし
ていただきたいと思います。
発表してくださる16名の皆さんの「きらめきメッセージ」をみな様と共に、お聞
きするのを楽しみにして、私のご挨拶とさせていただきます。
平成28年2月6日
公益財団法人修養団
理事長 御手洗 康
92 SYDきらめきメッセージ全国コンクール 実 施 概 要
平成27年度SYD創立110周年記念事業
SYDきらめきメッセージ全国コンクール
実
施
要
項
1.事業の趣旨ねらい
今日、変化の激しい社会状況の中で、現代の青少年は「ひきこもり」や「いじめ」
など様々な課題を抱えており、その対応を図ることは極めて重要なこととなってい
る。そこで、小学生から青年までの勇気や感動を与えてくれるきらめき体験談を全
国的に募り、選ばれた各部門の優秀者が輝いた体験談を青少年たちの前で発表する。
このことにより、体験談は同世代への大きな励ましのメッセージとなり、“勇気”
“元気”“やる気”を与え、社会性を育てるなど青少年の健全育成に寄与する。
2.募集と選考
1)募集
SYD事業参加者をはじめ、全国の小学校・中学校・高等学校、都道府
県教育委員会、社会教育団体、青少年団体(約18000カ所)に広く募集し
た。結果、下記のとおりの応募があった。
応募数
2)選考
小学生
中学生
高校生
青年(25歳まで)
計
752
862
1276
202
3092
部門別に3名を決定。さらにSYDらしさ特色として、心の病気、いじ
めや引きこもりを乗り越えた作品を加え、16名を選考した。
3.全国コンクール審査の観点及び方法 (SYDらしさ、メッセージコンクールである)
1)発表者の順序・配慮
・発表は低年齢の部門から低年齢順に原則として発表する。
・発表者が精神疾患など人前で発表できないような人でも、ビデオ等で対応す
るなどして参加できるよう配慮する。
・発表時間は、小学生3分程度、中学生以上は4分から5分まで。
※発表者の時間の経過をボードで知らせる(1分前、終了の2回)
2)審査の観点
登壇から降壇までの発表者の全身から伝わるメッセージを審査員の感性によ
り10点満点で採点する。
(低年齢者に配慮し、たどたどしくても一生懸命さなど
メッセージが伝わってくるものも評価)
SYDきらめきメッセージ全国コンクール 93
SYDきらめきメッセージ
全国コンクール
全国コンクールは平成28年2月6日(土)SYDホールを会場に実施した。
(1)メッセージは、きらめき、ブレイクスルー、自分の中の奇跡などの体験談で
ある
(2)メッセージは、ささやかな出来事であっても、ほのぼのとしたもの、心が温
かくなるものである
(3)メッセージは、困難や挫折をのり越え、同世代への大きな励ましになるもの
である
(4)メッセージは、青少年に“勇気”“元気”“やる気”、そして感動を与えてく
れるものである
3)審査委員会
審査委員により以下の賞を決定する
☆文部科学大臣賞1点 ☆理事長賞1点 ☆優秀賞3点 ☆きらめき賞等数点
・文部科学大臣賞は各部門最高得点者の中から審査し決定
・理事長賞は最もSYDにふさわしいものを理事長が選考し決定
・優秀賞は部門に関係なく高得点者を優先して審査し決定
・きらめき賞は発表者全員を表彰
4.審査委員
委員長:御手洗
康(SYD理事長)
明石 要一(千葉敬愛短期大学学長)
安仁屋 聡(民間放送執行役員)
石田 博嗣(特別養護老人ホーム介護課係長)
梶山 優子(前JAL国際線客室乗務員)
古賀 克彦(北九州市立小学校校長)
宝井 琴柑(女流講談師)
田中 浩史(跡見学園女子大学教授/元NHKチーフアナウンサー)
山崎 一紀(SYD専務理事)
青木 富造(SYD理事・青年部部長)
5.発表者(氏名、学年または年齢のみ)
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☆小学生の部
⑴小田智裕(小2) ⑵福野亜美(小5) ⑶山﨑蒼空(小5)
☆中学生の部
⑴竹下彩花(中1) ⑵吉里武留(中2) ⑶佐夛優妃(中3)
☆高校生の部
⑴伊吹美奈(高1) ⑵今川瑞穂(高1) ⑶新城和真(高2)
⑷末永和也(高2) ⑸平田宗一郎(高2)
☆青年の部
⑴宮里初奈(19歳) ⑵谷野
晃(19歳) ⑶石原桃子(21歳)
⑷川上
杏(21歳)
竜(21歳) ⑸山口
94 SYDきらめきメッセージ全国コンクール 文部科学大臣賞
文部科学大臣賞
無心の自分
山口
杏(神奈川県・大学3年)
大学1年。ずっと憧れていた数学の教員になりたいという強い志で、教職コースに進んだ。誰
よりも努力して、数学も、ボランティアも、教職を目指しての活発な活動にも参加しようと思っ
ていた。ボランティア活動は数学と同じくらい好きで毎週土日が全部なくなるくらい色々な活動
に参加してきた。さっそく、大学での活動の1つである教育支援ボランティアの依頼を受け、あ
る高校生の登校支援を始めた。駅に集合して途中まで電車で一緒に通学するという生活を続けた。
勉強が苦手な訳でもなく、友だちが出来ない訳でもなく、ただ気力が湧かないという理由だけで
学校に行けなくなってしまった…。この気持ちは私にはまだ理解が難しかった。
一方で、私の数学の実力は全く足りなかった。自信と夢が全部崩れ落ちるようだった。仲間が
自分より熱心なのに自分は何もする気が起きない。今よりさらに差が付いてしまうことが怖くな
った。学校を休みがちになり、友達から「大丈夫?」と連絡が来る。本当は何も大丈夫ではない
のに「大丈夫だよ」と布団の中で返した。甘えだと思った。贅沢な怠惰だと思った。無気力なん
てただの言い訳じゃないのか? こんなに辛いのに、責めているのは同じ自分。自分のことが大
嫌いになった。なぜこのような状態になっているのか自分でも分からなくて、あなたは病気だ、
と誰かにはっきり言って欲しかった。「なんで?何が怖い?」と自問を繰り返した。
誰もいなそうな時間を見計らい、先生に会いに行った。このモヤモヤを少しでも分かってくれ
るかと思っていた。無気力で身体が動かないこと、自分の実力が無さ過ぎて活動について行けな
くなってしまったことなど、全部話した。
「なんで?わからない。」
いろいろと質問されたが、自分でも何もわからないことを涙目になりながら話した。休学届けの
提出には殆ど抵抗を感じなかった。休学中は出来るだけ何も考えないようにしようと思った。
それから、毎日アルバイトをすることにした。続けるうちに自分にとっての大きな居場所にな
った。自分自身の行動は周囲の人にとって意味を持つことに気が付いた。朝のシフトにも入れて
もらい、責任感が無気力に勝利した。
こうして、活動できる時間が増え、休学期間中に思う存分好きなことを精一杯やろうと決めた。
きた中学生、高校生のリーダーを務め、そのチームで炊き出しや清掃を行った。活動をする中で
さまざまな人たちとの出会いがあった。価値観の多様さ、信念の強さを感じることができ、それ
らが自分を成長させてくれる実感があった。自分より年下の人たちが、懸命に何も恐れることな
く、チャレンジしていく姿を見て、自分が気にしていたこと、怖かったことがどこかに飛んでい
った。人目も、評価も気にすることなく、知識も権威も何もいらない。無心にボランティアをし
ている時の自分は、どんな姿をしていても好きになれるような気がした。
今ならあの高校生の気持ちも理解ができ、教室で習うことよりも大切なことに気付くことがで
きた。この1年間のことを人は無駄な時間だった、と言うかもしれない。だが私は、この1年間
という壁を乗り越え、確実に強くなれた。だから今の私がここにいる。休学期間が終わり、今ま
での自分とお別れをした。もし、あの頃の自分にもう一度会えるなら こう伝えたい。
「よく生きてきてくれた。ありがとう」と。
SYDきらめきメッセージ全国コンクール 95
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夏休みの期間で東日本大震災仮設住宅訪問のボランティアに参加した。ボランティアに集まって
SYD理事長賞
SYD理事長賞
大きな広い心を持っている
佐夛 優妃(千葉県・中学校3年)
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全国コンクール
フィリピンで過ごした1週間は言葉では表現することができないくらい濃いものとなった。
私が想像していた「フィリピン」とは全く違った。夜の12時を過ぎているのにもかかわらず裸
足で路上を駆けまわる子ども、周りには必ずゴミが散らばっている。衝撃しかなかった。
まず、2日目のナボタスに行く途中ではバスの外にいるスラムに住んでいる人が、私たちをと
ても不思議そうに見てくる。そして、手で「何かちょうだい」とジェスチャーをしてきた。子ど
もは破れた服を着ている子もいれば裸の子もいた。ゴミで溢れかえっていて、とても不衛生な環
境で生活している。ナボタスの保育園ではみんな私たちのところにかけて寄ってくる。子どもた
ちの笑顔が宝石よりも光り輝いていた。こんな心の底から笑っている子どもを見るのは何年ぶり
だろうと思った。私たち日本人が「あたりまえ」と思っていることすべてがここフィリピンでは
最高の幸せでした。
3日目は市内小学校を訪問した。みんな私たちを歓迎してくれていて、フィリピンと日本の旗
を振っていた。障害を持っている子もたくさんいたが、一生懸命になってダンスを披露している、
心を一つにして発表している姿に感動した。4日目はスモーキーマウンテンを訪問した。そこは
ゴミの山だ。独特の匂いもする。私たちはゴミ山の中のある家に行ったが、そこは日本の家より
も何倍も狭く、すぐに壊れてしまいそうだった。しかし、そこにも笑顔があった。どんなに苦し
い状況でもフィリピンの人々は笑顔を忘れない。私はそう感じた。
5日目の子どもたちとの遠足は忘れられない思い出となった。私と一緒に回った子は、4日目
に訪問した学校であげた支援バッグを幸せそうに動物園にまで持ってきてくれていた。私はとて
も嬉しかった。お菓子やアイスを買ってあげると、必ず最初に「優妃が食べて」と言ってきてく
れる、その子たちは十分なお金も食べ物もないはずなのに人に自らの分のものをあげることがで
きる。そのような思いやりの心が育っている。自分も見習わなければならないと思った。お昼に
なるとジョリビーのお弁当をみんなで食べた。しかしその子たちは半分だけ残す。「なんで残す
の?」と聞くと「これは今日の夜ご飯のために取っておくの」と、小さな声でつぶやいた。日本
では考えられないことだ。
その子たちとの会話で印象に残っていることがある。私は「フィリピンの子の自慢できるとこ
ろはある?」と尋ねた。その子は「フィリピンの人たちは笑顔を大切にしている。みんなとても
温かいの。私は貧しい暮らしをしているけど、フィリピンに生まれてよかった。私はフィリピン
が大好き」と言った。私よりも年下なのに自分の国の誇れるところを堂々と語っている。私は圧
倒された。その子たちは私と一つや二つしか年が変わらないのに私よりも大きなものを持ってい
る。それは広い心。私はその子たちと接していく中で、前まで忘れかけていた人間の本当の優し
さを思い出すことができた。その子たちの笑顔は私を励まし幸せにしてくれた。私は愛で満たさ
れていた。
6日目はマザーテレサの施設を訪問した。そこで一人のシスターに出会った。シスターは自分
の人生すべてを人のために差し上げている。なんて素晴らしい人なのだろう。私も困っている人
や貧しい人のために生きるシスターのようになりたいという思いが強くなった。
たしかにフィリピンより日本のほうが経済や交通などが発達している。しかし何かが足りない。
それは人と関わることであったり、思いやり、私たちが今こうして平和に幸せに生きられている
ことへの感謝。いろいろな部分につながってくる。フィリピンのスラムに住んでいる人たちは粗
末な家に住んでいる。しかし、お互いを理解し合い支えあいながら生きている。私は今回ボラン
ティアをさせてもらって貴重な体験をし、五感が刺激され成長することができた。ここで終わり
ではない。フィリピンで学んだ多くのことを私はこれからも伝えていく。少しのことからでいい。
私たちにできることはたくさんある。いつか「世界中の人たちが心から笑い、幸せに暮らせるよ
うに」私はこれからも行動し続ける。
96 SYDきらめきメッセージ全国コンクール 優秀賞
優秀賞
ボランティアとは何だろう
福野 亜美(福井県・小学校5年)
ボランティアとはなんだろう。私は今年多くのボランティアに参加し、多くのことを学ぶこと
がでた。
夏休みにはボランティア体験講座に参加した。1回目は、目の不自由な方のお話を聞き、伴走
ボランティアの体験をした。最初はとてもむずかしく、コーンにぶつかったりした。しかし、曲
がる時には「5m先曲がります」。直前で「右90度」等と言うように、どのように伝えたらいい
のかアドバイスをもらい、息を合わせて走ることができた時はとてもうれしかった。
2回目は、車いす体験と高齢者疑似体験をした。私が自分で車いすを走らせようとすると、行
きたい方向ではない所に行ってしまったり、ほんの少しの坂道や段差もあがることができなかっ
たりと、とても大変でした。高齢者疑似体験では、何気ない動作が、年をとるとこんなに大変な
のかとおどろいた。目の不自由な方も車いすで生活している方も、少しの工夫で私たちと同じよ
うな生活をしていることが分かった。ただ、困ることはあるとお聞きしたので、私は、それはし
ょうがいがあってもなくても同じだと思った。私は、困っている人に出会ったら優しく声をかけ
られる人になりたい、とその時思った。
秋には、東日本大震災被災地交流事業に参加した。ふだん考えることのないことを、改めて真
けんに考えた。多くの人が亡くなってしまったことを、日本中の人が悲しいと思っている。それ
なのに、つらい心をみんなに伝え、忘れられないようにがんばっている人もいる。その方たちか
ら直接お話を聞くことができた。心を打たれた。生きていることがありがたく思えた。
宮城県の大川小学校や閖上中学校を見学した。あまりの悲惨な状況に声も出なかった。みんな
と仲良く学校へ行き、楽しく住んでいるこの町が、いっしゅんで津波にのみこまれてしまったら
私はどうなるだろうと考えた。しかし、私には想像できなかったのだ。生きていることがありが
たい。生きていることがすばらしい。がんばろう。そのような思いで、私は福島県に向かった。
聞いてくれている人たちもいて、とても感動した。
ボランティアにもいろいろな形がある。困っている人に優しく声をかけ、お手伝いをするのも
ボランティア。しょうがいを知ることもボランティア。そして、今回被災地を訪問して、被災地
で見てきたこと、学んだこと、感じたことを多くの人に伝えることもボランティアだと思った。
私に何ができるか、まだまだ考え中だが、その時その時を一生けん命に生き、できることを自分
らしく、精一杯続けていきたい。
SYDきらめきメッセージ全国コンクール 97
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仮設住宅で生活人たちに、心をこめて、一生けんめい歌を歌った。手話もした。涙を流しながら
優秀賞
優秀賞
ボランティア活動を通して感じたこと
新城 和真(沖縄県・高校2年)
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私は今までボランティアとは掃除するだけでなにも感じないものと思っていたのですが、1人の友だち
がSYDの全国青年ボランティアで福島に行き、帰ってきたら性格がまるで別人になっていました。
「食べ
物は残すな、好き嫌いするな」と言うようになりました。なんで…。変わったきっかけとなったボランテ
ィアに私も参加してみようと思いました。
そして私も変わってしまいました。ボランティア活動では主に3つの大きな活動を行いました。1つ目
は東日本大震災被災地の仮設住宅に行き“炊き出し”をし、私たちの村は焼きそばを作りました。住民の
方々は「来てくれたありがとう」や「おいしかったよ」と笑顔で言ってくれました。本当なら私が励まさ
ないといけないのに、逆に元気をもらいました。私はその時、人はどんな目にあっても前に進んでいく力が
あると思いました。2つ目は福島の特別養護老人ホームを訪問しました。私は、はじめ老人の方々と何を
話せばいいのかが分からず、緊張していましたが、おばあちゃんから話してくれて本当にうれしかったで
す。 “世界が一つになるまで”と“我が美しき故郷よ”
、そして自分たちの村歌を歌いました。すると、
歌っている途中で泣く人がとても多くいました。私はそれを見て、とっても感動してくれていると思い、
やって良かったと思いました。
3つ目は、フィリピンのストリートチルドレンと呼ばれる子どもたちについて青木さんからビデオなど
でのその現状を教えてもらいました。私はストリートチルドレンという言葉は知っていましたが、詳しく
は知ろうとしてませんでした。まず見たのが、1人路上で寝ている子どもの写真でした。とても細くぐっ
たりしていました。私はその写真を見て体の中から何か湧き出てくるのを感じました。赤信号で止まって
いる車に物乞いをしている子どもたちやマザーテレサの施設に集まってくる人々…。私は少しでもお金を
あげてやりたいと思ったのですが…。私は持っているから分けられるけど、今日食べれるかわからない時
に分けられることができるのかな? とかいろいろと考えました。
次にスカベンジャーというゴミ山に住んでゴミを拾って生活している人たちの写真を見せられました。
とても臭い匂いの中もくもくとゴミを拾い、靴も履いていないのに歩きまわり、家族のために頑張ってい
る子どもたち…。私はそれを見ると体からとても激しく何かが湧き出てくるようになって、何とも言えな
い気持ちになりました。SYDの活動でご飯を配っているのに、一口二口しか口にしないで親や家族のみん
なにあげるという子ども、本当ならすべて食べてしまいたいはずなのに、みんなにあげたい、親にあげた
いと考える。なんて心のきれいな子どもたちだろうと思いました。匂いがうつるからと近づかなかったり、
今日食べられるかわからないのに、私たちにたくさんの料理を出してくれたり…と。私はこんなにも人の
心は優しくなれるものかと思いました。私は今までの自分はいったい何をしてきたのだろうと思いました。
コンビニの弁当や親の作った料理の中に嫌いなものがあると平気で残すし、親が何か言えば反抗したりし
ていて…、今までの16年間を悔やみ、人間として恥ずかしくなりました。言葉は少し乱暴になりますが、
あんなところに生まれているのに親を恨まず、むしろ大切に思って少しの食べ物を分け合うなんて、とて
も素晴らしくってすごいことだと思いました。
私は本当の幸せってなんだろうと思いました。平和な毎日に退屈して学校でも居眠りばかりの自分、そ
して世界に貧しい人々がいるのに関心すらなかった今までの自分。それに比べて食べ物はないし毎日大変
な思いをしているのに関わらず元気を人に与えられる仮設住宅に住んでいる人々、つらいリハビリや食事
の制限があったり、認知症と戦ってるのにとっても元気で見ず知らずの今日会ったばかりの私たちに気を
つかったり、一緒に泣いたり笑ったりする老人ホームの人々。私はいったいどちらが本当の幸せなんだろ
うと思いました。
私はこのボランティア活動を通して平気で食べ物を残すことは、道路で寝ている人々を見て見ぬふりを
して通り過ぎていく人と同じだと思いました。私はこのボランティア活動がなければ一生気づけなかった
と思います。本当に参加して良かったです。これからもボランティア活動をして、1人でも多くの人たち
に元気になってもらえるよう頑張っていこうと思います。
98 SYDきらめきメッセージ全国コンクール 優秀賞
優秀賞
壁ドン
平田 宗一郎(長野県・高校2年)
中学三年の秋、私は何にも変えがたい、貴重な体験をしました。
当時、生徒会長だった私は、一か月後の文化祭に向けて忙しい毎日を送っていました。「文化
祭は生徒会の集大成だから、絶対成功させてやる!」そう意気込んでいた私でしたが、自分の思
っているように仕事をしてくれない仲間に対して、段々不満を持つようになりました。私はただ、
みんなで文化祭を創り上げたいだけなのに、どうして上手くいかないのだろう。空回りするばか
りで孤立していきました。
授業にも出られなくなるほど、自分の心をコントロールできなくなったとき、先生が仲間と向
き合って話をする機会を設けてくれました。「今回こそ、自分の気持ちをみんなに伝える」と決
心して挑んだのですが、皆の前に立って話し始めると自己を否定するような言葉しか出てきませ
ん。こんな話をするはずではないと頭では理解しているのに、きちんと伝えることができない。
だんだん私の感情は自分への怒りに変わっていき、やりきれない想いがあふれて、その感情を後
ろの壁板にぶつけました。それが衝撃で壊れたことにも気付かず、私は泣き崩れ、とても長い時
間、狂ったかのように泣き笑いをくり返しました。
今考えると、このことは、私にとって初めての大きな挫折でした。
そして、私はさらにどうすればよいか分からなくなりました。「あんな姿を見てどう思ったの
だろう、もうみんなといつも通り接することができない…」。翌日は学校に行ける状態ではなか
ったけれど、家族や先生方に励まされ、勇気を出して登校しました。
すると、思いもよらず、沢山の友人が私を待っていてくれたのです。“私はこんなにも多くの
人たちに支えられている”そう実感しました。考えてみると、この何週間は忙しさを理由に、周
りの人たちへの“思いやりの精神”を失っていました。それを取り戻してくれたのは、友人や先
生方でした。
それからの日々、文化祭が終わる最後の瞬間まで、私たちは認め合い、励まし合いながら全力
で駆け抜けました。全てが終わった後、みんなが私を胴上げしてくれたことは、一生忘れません。
こうして私はみんなに支えられて壁を乗り越え、そして“感謝の気持ちを持ち続けることの大
切さ”を学びました。この経験は、その後の私を形成する礎となり、SYDの福島やフィリピン
でのボランティア活動に繋がっています。また高校で、同志と共にボランティアクラブを設立し、
自分たちに出来ることは何かを考え、微力ながら募金などの活動を行っています。
私はいつも“ありがとう!”という言葉を胸において過ごしています。これからもこの気持ち
を大切にして“よろこびの種”を、身近な人たちから、そして私と関わる全ての人たちに、まい
ていきたいと思います。
私にとっての『壁ドンストーリー』。あの時壊した壁板は、仲間からメッセージが書き込まれ、
今も私の部屋に置かれています。
SYDきらめきメッセージ全国コンクール 99
SYDきらめきメッセージ
全国コンクール
今までのことが全て報われた瞬間でした。
きらめき賞
きらめき賞
わすれないキャンプ
小田
智裕(広島県・小学校2年)
ぼくは、今年2回目のキャンプに行きました。このキャンプに来ている人はみんな知らない人
たちでした。はじめはどきどきしてあまり話ができませんでした。でも、みんなであそんでいる
うちに、だんだんぼくたちはなかよくなりました。
その中にキャンプのリーダーがいました。リーダーはとてもやさしくて、ないている子がいる
とはげましたり、「大じょうぶ!」と声をかけたりしていました。またリーダーはりょう理の作
り方や野さいの切り方も教えてくれました。
ぼくは、そんなリーダーになりたいと思いました。そして「思いやり」の大切さも学びました。
自分のことだけではなく、人のことも考えて行どうできる人になりたいと思いました。
ぼくは、また大きくなったときにこのキャンプに行って、リーダーがしてくれたように下の学
年の子にやさしくしてあげたいと思いました。
この夏、たくさんお友だちと出会い、いろいろな経験をすることができました。ばくはキャンプで学ん
だ 思いやりの心を、ぜったいぜったい忘れません。
キャンプの楽しさと協力の大切さ
山﨑
蒼空(滋賀県・小学校5年)
SYDきらめきメッセージ
全国コンクール
私はこのキャンプが2回目です。最初は2回目だからかん単だと思っていました。でもみんなで協力し
ないと何もできないことをこの4日間で学びました。
1日目は、テント張りです。重い鉄やシートをみんなで運び、組み立てました。みんなで作ったテント
で寝ると気持ちが少し落ち着きました。協力したからだと思います。
2日目は、水遊び、カレーライス作り、きもだめしをしました。水遊びは厚かったのでとても気持ちが
良くて暑さがふきとびました。カレーライス作りは班の人を助け合って、落ち葉や小枝を集めて、火かげ
んをうちわで調せつして作りました。カレーライスのほうは、とろとろであたたかくとってもおいしくで
きました。けれど、ライスのほうは香りはとてもよかったのですが、すごくかたくて少しこげていて生の
ところも少々ありました。でも、カレーライスと重なり合いとてもおいしくできました。たぶん、今まで
食べた中で1番おいしいと思いました。そのとき、
「みんなで作ったからこんなにおいしくできたのかな。
」
と思いました。
きもだめしのときは、最初は「どんなのかな。
」とドキドキしていたけれど、夜にこんな山道を通っての、
きもだめしははじめてなのでとても怖かったです。でもそんなとき村長が「大丈夫?」と声をかけてくれ
たので、少し勇気をもらいました。その時に「声をかけることはとても大切だな。
」と思いました。
3日目は、水遊び、やきそば作り、キャンプファイヤーをしました。やきそばはこうたいごうたいには
しを動かして作りました。ソースとそばがからみ合ってとってもおいしくできました。キャンプファイヤ
ーでは前日から班のみんなで練習をした村歌と歌いました。少しまちがえたけど、上手くに歌ったりおど
ったりできたので、うれしかったです。チョコラテ、ファイヤーダンスもすごく楽しかったです。
4日目は、テントのかたづけとお別れサイン会をしました。別れはとてもさみしいけれど、来年もまた
行きたいなと思いました。
4日間で学んだことは、協力と助け合うこと、チームワークは大切だということです。次、6年生にな
り、村長になった時には、班をまとめて、みんなも自分も「最高のキャンプだった。
」と思えるよう、がん
ばりたいです。
100 SYDきらめきメッセージ全国コンクール きらめき賞
きらめき賞
キャンドルのつどい
竹下
彩花(福岡県・中学校1年)
私はこのキャンプにとても軽い気持ちで参加しました。しかし、今回のキャンプは思ったより
きつく、ともたいへんでした。
私が今回1番心に残ったことは、キャンドルのつどいでした。班付きリーダーのぽんずが「こ
の班の人たちは、今回100人を超える抽選に当たって、今70人をこえるキャンパーがいる中でこ
の7人が一緒の村になれたんよ。これっちきせきよね。たくさんのきせきが重なってこの村に私
もなれたんよね。やけど私この村で本当に良かったよ。ありがとう。
」と言ってくれました。こ
れを聞いて、少し、すこしだけ涙が出そうになりました。
ぽんずは、来年から警察の事務の仕事に就くそうです。なので、来年かからは忙しくてキャン
プに来ることができなくなって、これが最後かもしれません。一番この村を見て、一番近くで支
えてくれて、一番大変だったと思います。別れるのはとてもさびしいし、悲しいけれどまたどこ
かで、きせきで会えたらいいなと思いました。たったこの3泊4日でのキャンプ、この少しの時
間でこんな気持ちになるとは少しも思っていませんでした。この出合いに、きせきにありがとう
と言いたいです。
次に、家族からの手紙をわたされました。家では最近家族と面と向かって話すことが少なかっ
たので、なんだか嬉しく、恥ずかしく、そして不思議な気持ちになりました。手紙には普段聞い
たことのない、私に対しての気持ちがつづってありました。
私は2年生の弟と年長の妹がいます。大きくなってできた兄弟だったので、私にとっては急に
できた兄弟でありました。長い間、1人っ子だった私はその兄弟が最初、母や父と私だけの世界
に入ってきた、知らない生物でもあって、正直嫌いでした。もちろんわたしたりしないといけな
いもの、がまんしないといけないことも増えて、複雑な気持ちでもありました。
「ち
そのことに対して、母からごめんねって書いてあって、忘れてたその気持ちを思い出して、
ゃんと、私のこと、見とってくれたんやな。私の気持ち気付いてくれとったんやな。私愛されて、
です。
SYDきらめきメッセージ全国コンクール 101
SYDきらめきメッセージ
全国コンクール
愛されて育ってきたんだな。
」と思いました。これから話しにくいことは手紙で伝えていきたい
きらめき賞
きらめき賞
東日本大震災被災地で学んだこと
吉里
武留(千葉県・中学校2年)
3.11。2011年のあの日。僕は福島県の下あたりの茨城県にいました。その場所では震度6弱
から6強あたりで、福島県と同じくらいの震度でした。そのくらいの震度なのでもちろん被害は
受けました。停電になり、地面は割れていました。しかし、福島など東北は津波が来ただけで家
などすべてなくなっていて、現地で見て改めて津波の恐ろしさを実感しました。
震災の日、避難所になっている学校へ行くととても不便に感じました。テレビで東北は大変そ
うだと聞いていたけれど、きっと自分たちの地域と同じように何週間かでもとどおりになると思
いましたが、実際は違いました。初めて被災地を生で見たのは小学6年のとき。その時は人がど
こにいなくて、車も家もなく、本当に何もなくて、何も言葉が出ませんでした。
それからまた2年がたち、今度は見るだけでなくボランティをする側として東北へ行った。現
地へ着いて辺りを見まわしてみた。まだ家が流されたあとがあり、震災の前よりも静かなんだな
と思いました。しかし、がれきなどもきれいになっていたり、いくつか新しい家も並んでいて、
少しずつ復興に向けて進んできているんだと感じました。
被災地の朝市に行って見ると人がたくさんいてとてもにぎやかで活気がありました。その中に
入ってみると売っていう人はみんな笑顔で朝市に来ている人はみんな楽しそうでした。きっと震
災で被災してつらいのに、なぜずっと笑顔なのだろう、なぜ先が見えないのに粘り強く頑張れる
のだろうと考えていました。いつになったらこの人たちが不自由なく暮らせるのだろうか。いつ
になったら震災の前くらいに直すことができるのだろうか、そんなことを考えていると自分もつ
らくなりました。
そして、自分は炊き出しをする仮設住宅へと向かった。そこではとにかく自分のできることを
しようと思い、たくさんの人に喜んでもらえるように頑張りました。僕は人と話したり声をかけ
たりするのは苦手だったので、器に盛って渡すという作業をすることにしました。作業をしてい
る途中、ここに住んでいる方にカレーを渡すと、その方が「ありがとうね。
」と言ってくれまし
た。その一言で、僕はここにきてボランティアをすることができて良かった、と心の中で思いま
SYDきらめきメッセージ
全国コンクール
した。
最後にはカレーやお菓子を一軒一軒まわって配るとき、少しの住民の人とお話をしました。そ
の人はその時「こんなボランティアの人が来てくれてうれしいよ。こういうボランティアをいつ
も楽しみにしているんだよ。また来てくれたらいいなぁ。
」と話してくれました。自分もなんか
うれしくなりました。僕は「ありがとうございます。ここに来れるときはぜひ来たいです」と返
事をしました。
今回のボランティアで、また何年たっても完全には復興できていないということを実感しまし
た。でも反対に、先が見えない中でも被災地の方々は前を向いて生きていて、とても心を打たれ
ました。今後もボランティアなどに積極的に参加して、少しでも被災地の人のために役にたちた
いと思っています。外国にも貧困や災害で困っている人たちがいます。僕たちは簡単に外国へは
いけません。なのでお店など募金活動をしているところに寄付をして、1人でも多くの人を助け
たいです。
102 SYDきらめきメッセージ全国コンクール きらめき賞
きらめき賞
すてきなナース
伊吹
美奈(滋賀県・高校1年)
あなたの夢は自分のための夢ですか。それとも他の誰かを想った夢ですか。私は自分のためと思ってい
たこの夢をかなえたい理由が、今回の講演を通して、夢がかなえば、誰か他の人の役に立ちたいと強く思
いました。
今日までの私はなりたいという気持ちが曖昧かつ明確でないまま、なんとなく看護師になりたいと言っ
ていました。その時の気持ちを正直に話すと、文系よりも理系のほうが少し得意で、単純にこの仕事に就
くことができれば、安定した収入を生涯得られ、そして社会の中で必要とされる存在として生きていける
と思ったからです。ある先生にはこんな不純な動機では無理だと否定され、また他の人には性格的に向い
ていても、後々しんどくならないかと心配されました。
しかし、今回のSYDの講演を聞いて全く異なる理由を持つようになりました。一つ目は私たちが当た
り前と思っていることを貧しい国の人々は夢と語り、一日一日を大切に生きて、小さな幸せに笑みをこぼ
している光景に胸を打たれ、私に何ができることはないかと思ったからです。二つ目は、豊かな日本に比
べ、貧しい地域にはこんなにも医療の手が回っていないことを写真や映像を見せてもらい、現実的なもの
として理解させられたからです。
マザーテレサはこう言います。カルカッタへ来て私たちと同じように生涯をかけて貧しい人たちのため
に活動したいというお気持ちがあるのなら、それはあなたの国で行うべきです。あなたの国には貧しい人
や困った人がいないのですが。あなたの隣人をまず助けなさい。あなたのそばであなたの助けを待ってい
る人がいるはずですよ。こう言われた日本人女性のように私は日本での仕事や地位をすべて捨ててまで、
カルカッタという異国の地へ旅立つという決断は、今もそしてこの先もできるかと言われれば自負があり
ません。高校生だからこそ、その言葉の重みが分かる気がします。しかし、貧しい人々や困った人々を助
けるためにできることは、そんなに遠くを目を凝らして見つめなくても、私たちの身近でも行えるという
ことをマザーテレサは教えてくれました。
私の身近でも困った人はいるとお思います。私にとって身近な人であり、お世話に立っているお母さん、
そんなお母さんが誇りに思える存在になり、日本で困っている人を医療の面からサポートしたいと強く思
ました。
医療技術は年を経るごとに進化しています。そんな医療の手が世界中の人々を包み込めるくらい大きけ
ればもっと多くの人が健康に毎日を過ごすことができるでしょう。今ならはっきり言えます。私の夢は遠
くばかり見つめるだけの看護師ではなく、目の前のことに人一倍気を遣い、最善を尽くせる素敵な看護師
になりたいです。
SYDきらめきメッセージ全国コンクール 103
SYDきらめきメッセージ
全国コンクール
いました。テレサは看護師ではありません。しかし、テレサの生き方は医療の面でも大切なことだと思い
きらめき賞
きらめき賞
めんどくさいなんて言わない
今川
瑞穂(愛媛県・高校1年)
「めんどくさい!」私の口癖はいつもこれです。歩くことは面倒くさい、学校へ行くことは面
倒くさい。最悪、生きることさえ面倒くさいなどと心の中でずっと思っていたり、ふと口に出し
たりしていました。私は基本、誰かのために行動するのではなく、自分のためにしか行動してい
ませんでした。そして自分のためなのに、誰かのためと偽って「よい子」のふりをしていました。
今日、SYDの方が来られて私の学校で講演するまでは、少なくともこんな風に毎日を過ごして
いました。
私が今日の講演で一番心に残ったのは、「ストリートチルドレン」でした。正直、初めて知っ
た言葉でした。私は子どもの頃からずっと誰かに守られ、それはそれは幸せに過ごしていたと思
います。しかしアジアの貧困の中で育つ子どもたちは、私とは全く反対と言っていい程、違う生
活を送っていました。写真と映像を見て驚きを隠せず、つい「わっ」と小さく声が出てしまいま
した。車の窓をたたく子どもたち、道の端で横になっている子どもたち。私には考えられないく
らいかけ離れた生活で、「住んでいる場所が違うだけでこんなにも差があるんだ」と心が痛みま
した。お金がない、食べるものがない、必死に生活している人がいるのに私ときたらどうでしょ
う。「生きることが面倒だ」と思っていたのです。こんな私の考えは今では恥ずかしくて情けな
くて、今私がストリートチルドレンの子どもたちと会話することになったら目も合わせられない
でしょう。だけど、ストリートチルドレンから映像が切り替わり、ゴミ山で暮らす子どもたちの
写真が大きくスクリーンに映し出されると、私の目が釘付けになりました。それは、子どもたち
の笑顔だったのです。どんなに苦しい状況でしょう。どんなに厳しい環境でしょう。ゴミを漁り
ながら真剣な表情で使えそうなものを拾っていく姿を見て、私は強く心を打たれました。
こんなに必死になって生きようとしている人たちがいる。与えられた環境で明るく笑顔で精一
杯暮らしている子どもたちがいる。そう思うだけで、今までの私の考えはガラガラと崩れ落ち、
全く支えがなくなったように感じました。私がいつも面倒だといっていることは、貧困の中で暮
らす子どもたちにとって幸せなことが多いと知り、自分の殻に閉じこもった私の姿が、とてもち
っぽけで情けないと本気で思いました。「もう、めんどくさいなんて言えない。
」と、心の中で何
SYDきらめきメッセージ
全国コンクール
度もつぶやく私がいました。小さなことでもいい、私も子どもたちの手助けがしたい。SYDの
方が言っていたように、私ができる周りのことにも真剣に取り組みたい。今までの私とは全く違
う思いが、次から次へとあふれるように湧き出してくるのが不思議です。
私ははじめに書いた通り、「自分のため」に、「誰かのため」と偽って行動することが最善だと
思っていました。誰かに否定されても、一生このやり方で生きていくつもりでした。しかし、今
日のSYDの方の講演で「変えよう」、いや、「変えなければならない」と感じました。「誰か」
の助けを必要としている人がいる。お腹いっぱい食べることが夢、学校へ行くことが夢だという
子どもたちがいる。その「誰か」の中に、私は立候補したいと思います。今の私に似合わなくて
もかまいません。どんなことにも積極的に行動し、いつか現地に行って、子どもたちと触れあい
たい、笑顔で語り合いたい。今の私は素直にそう思っています。人の笑顔に触れて、子どもたち
と一緒に、私も生きていることを実感したい。そして将来は、未来を担う子どもたちの夢を叶え
る支えになりたいと、今強く思っています。
104 SYDきらめきメッセージ全国コンクール きらめき賞
きらめき賞
私のブレイクスルー
末永
和也(山口県・高校2年)
理由もなくイライラして自己嫌悪に陥る毎日…、そんな私を救ってくれたのは異国で出会った
子どもたちでした。
フィリピンでのボランティア活動に参加したのは昨年8月。実を言うと、初めは「ボランティ
ア」という言葉に少しむず痒さを感じていました。その理由は明らかで、「自分を変えたい」と
いう自分本位な目的を秘めた私の脳裏を、
「偽善」という言葉が刺激していたからです。そして、
その罪悪感はフィリピンの現実を知るほどに大きくなっていきました。
高層マンションやオフィスビルが立ち並ぶ観光都市の傍らに、貧困層の住居がひしめき合い、
どこからともなく物乞いの子どもたちがやってくる。コンビニエンスストアでは、おなかを空か
せた少女がガラスに張り付き、訴えかけるような目でこちらを見ている。スモーキーマウンテン
と呼ばれる悪臭漂うごみ山では、素手で子どもたちがごみを漁っている。ありとあらゆる物に満
たされながらも、つまらない悩みに縛られている自分とは次元が違う、凄まじい現実がそこにあ
りました。そんな子どもたちと交流する中で、ある一つのことに気付かされます。不幸であるは
ずの彼らは、私たちと言葉を交わすごとに愛くるしい笑顔を浮かべ、その笑顔が私たちにも広が
っている。人との繋がりに喜びを感じ、常に仲間や家族を気遣っている彼らは、物には満たされ
ていなくても豊かな心で満たされていたのです。
しかし、そんな彼らの心に触れるほどに、ますます膨らむ私の罪悪感。そんな中、スタッフの
方の一言が私の沈んだ気持ちを払拭させてくれました。「ボランティアは、半分は他人のため、
半分は自分のため」……私たちとの交流が彼らに喜びを与え、彼らの笑顔が私たちに喜びをもた
らしているように、ボランティアは常に一方通行である必要はない。妙にしっくりときた言葉の
意味に気付いたとき、こぼれ落ちそうな涙とは裏腹に充実した気持ちで満たされていきました。
これが私のブレイクスルー。
私はこの体験を通して二つの大切なことを学びました。一つは、「幸せは自分の心が決める」
ということ。幸せは与えられたり作り出せるものではなく、気付き感じること。道端の小さなタ
が私を幸せにも不幸にもするのです。そしてもう一つは、「ボランティア精神とは、人の苦しみ
や喜びを自分のものとして感じる心」だということ。苦しみや喜びを共有する心、そういった想
いは必ず相手に伝わって、そこから何かが動き出す。たった一人の小さな笑顔が、笑顔の連鎖を
生むように…。
今、私の部屋に飾られた一枚の写真。写真の中の素敵な笑顔を見つめながら、大切なことを教
えてくれた彼ら一人一人を思い出すとき、童謡詩人・金子みすゞさんの「私と小鳥と鈴と」とい
う詩の一節を、いつも思い浮かべます。
みんなちがって、みんないい!
SYDきらめきメッセージ全国コンクール 105
SYDきらめきメッセージ
全国コンクール
ンポポも、捉え方によっては可愛らしい草花にも雑草にもなるように、私の感じ方や捉え方一つ
きらめき賞
きらめき賞
魂を磨いていきたい
宮里
初奈(沖縄県・19 歳)
「私は自分の魂を磨いていきたい」
。生まれて初めてかもしれない、自分から手を挙げ、人前で発表した
とき、私はそう言いました。現在私は高校を卒業して高校の先生からのすすめで進路をサポートしてくれ
る場所を通して進路を考えています。現在の私になるまでの過去について高校入学前から遡ってみます。
小中学生のころの私はスポーツを活発にできない、言葉のキャッチボールや勉強の苦手な自分…。
「自分
は普通ではない。自分か嫌い」という思いが私を包んでいました。自分を変えたくて今までの顔見知りが
多い場所を離れ、遠くの知らない地域の高校に行きたいと思っていました。その気落ちを育ての親である
おばに伝えると、あなたは何をしたいのか明確なものを持っていない、と指摘され,家にいるよう諭され、
地元の普通科に進学しました。しかし、なかなか高校生活になじめず、毎日が精一杯でした。
5月のある日、私は高校にボランティア部があることを知り、少し手伝いたいという思いで初めて読み
聞かせに参加しました。私が小中学の頃、読み聞かせをしてくれる人たちが学校に来て、本の世界と当時
の私の身の周りにあることと結び付け、朗かな空間を創ってくれ楽しかったことを思いだし、私が今度は
朗かな空間を創るきっかけになれるかもしれない、と思うとときめいた気持になりました。そこから私は
ボランティア部の活動にちょくちょく参加するようになり、しばらくして入部届を出しました。そこでS
YDと出会ったのです。
SYDの福島でのボランティアに誘われたとき、私はなぜか全く迷うことなく参加を即決していました。
これが私の最初のブレイクスルーだったかもしれません。この活動への参加の誘いがあったから、学校で
重たい気持ちだった私を、フワッと澄んだ空気がつつみ、心が軽くなりました。参加してみて私は、はじ
めウキウキした気持ちがあり、中間で人間関係のバランスに気をつけ、終わりも同じでした。しかし上手
く自分を出すことが出来なかったため、次にあるボランティアフェスティバルで挽回しようと前向きにな
ることが出来ました。
そのボランティアフェスティバルで、生まれて初めてかもしれない、自分から手を挙げて自分の思って
いることを発表したのです。ボランティアやその他の活動をする中で私は「自分の魂を磨きたい」と。自分
を変えるために積極的に行動し、心を開き、自分を実施することの大切さをSYDでの体験が私に教えて
SYDきらめきメッセージ
全国コンクール
くれました。
自分から手を挙げようすることは、今までに無い経験で不安を振り払うように勇気をだしました。発表
する前日までは、このボランティアフェスティバルで少し張り切り過ぎたと反省し、部屋でなんとなく孤
独感に包まれていました。すると岩手県から参加の女子の2人組が会話の輪に自然と入れてくれて、3人
で歌を歌えたという奇跡が起きました。ドキドキしながらも温かい気持ちを体験し、私を自ら発表したい
という言気持ちにさせてくれたのかもしれません。
そうして発表した後は達成感の中にいました。このボランティアの終了後のお別れのとき、参加する前
の私は冷めた気持ちで泣けはしないと思っていました。しかし、周りに助けられたという思いがたくさん
あって、優しさや思いやりに涙が出ました。参加した仲間とともに泣いたとき、心がポカポカ温かくなり
ました。私はこれからも魂を磨きながら、私自身を本当に自信持って好きになり、ゆっくりと歩いて行き
たいと思います。
106 SYDきらめきメッセージ全国コンクール きらめき賞
きらめき賞
ずっと反抗期でした
谷野 晃(和歌山県・19 歳)
大変お恥ずかしいことですが、私は中学生の時から去年の 8 月頃まで約 7 年間ずっと反抗期で
した。いつも母に「うるさい、黙れ」などの暴言をはいていました。そんな私にいつもどんな時
でも母はずっと耐えて支えてくれました。
中学生の時の私は、虐められていました。学校に行きたくなく、休もうとしたり死んでしまお
うかとしたりもしました。そんな時、私にいつもいつも、「諦めるな、頑張れ、踏ん張れ。晃は
できるんやから。大丈夫。」と私を励まして支えてくれました。それにもかかわらず、そんなこ
とを知りながら、ずっとずっとその行為を面倒だと感じ、反抗していました。
私に一生懸命になっている母に親不孝な態度を取っている。そんな自分が嫌で嫌で、変えたい
とずっと思っていました。どうしたらいいか考えて考えてそれでも、どうしても自分を変えるこ
とができず悩んでいました。
そんな中、2015年の8月に母の提案で、青年ボランティアアクション in フィリピンに参加す
ることになりました。フィリピンではいろんなことを五感で感じ、学びました。フィリピンの貧
しい人たちは、物も何もないそんな状態にも関わらず、「私は今がとっても幸せだ。」と言ってい
ました。その理由を聞くと、「私には家族がいるから、あなたが来てくれたから。」と言っていま
した。そんな、言葉に胸を打たれました。自分は欲しいものがあれば、手に入り気に入らなけれ
ば捨てて、親には反抗して、何をしているんだろう。生きるって幸せってなんだろう、などと自
分を見つめ直すことができました。他にも胸があったかい感じの気持ちを知ったり、いろいろと
学びました。
フィリピンで、そのようなことを経験してから私は自分に素直になれるようになりました。そ
れから、今まで支えてくれた母には私にとって当たり前ではなかった、「ありがとう、ごめんな
さい」などの言葉を発することができました。
これから、このまま自分自身に素直になって反抗していた分、親孝行していきたいと思います。
石原
桃子(東京都・21 歳)
私がフィリピンで過ごした一週間は、フィリピンの人たちの温かさに包まれたものでした。私
が現地の人と触れ合って一番に感じたのは温かさです。訪問した先々で、本当に多くの方々がフ
ィリピンと日本の国旗を振って私たちを迎え入れてくれました。小学校や幼稚園で披露してくれ
た出し物は、何度も練習して、準備して、私たちが来ることをとても楽しみにしてくれたのだな
ということがひしひしと感じられました。私は今までこんなにも誰かに歓迎してもらったことが
なかったので、嬉しさで胸がいっぱいになりました。また、ある小学校でこんなことがありまし
た。プログラムが終了し、帰路に就く前にトイレに立ち寄った時のことです。トイレは小学校の
SYDきらめきメッセージ全国コンクール 107
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全国コンクール
何度も心を揺さぶられた一週間
きらめき賞
職員室にあり、私と数人が職員室の中で順番待ちをしていました。職員室には、先生方が後で食
べる軽食が用意されていました。すると、ある先生が私たちに「よかったら召し上がってくださ
い」とその軽食を勧めてくださったのです。結局お断りしたのですが、その優しさに胸を打たれ
ました。私たちを心からもてなそうとしてくれる姿勢がとても嬉しく思いました。
もちろんこの活動を通じて感じたのは嬉しさだけではありません。パヤタスで出会った女の子
たちとおしゃべりをする時間があったのですが、そこである女の子が私に「今、学校で日本につ
いて勉強しているんだけど、日本はお金持ちだからちょっと使ったものはすぐに捨てて新しいも
のに買い替えるんでしょ?」と尋ねてきました。私はこの質問にどう答えていいかわからず、答
えられませんでした。確かに日本ではみんながみんなこのようなことをしているわけではありま
せん。日本にも物を大切にしている人はたくさんいます。しかし、全く現実とかけ離れているか
というとそうではないと思います。使っているものが壊れたり傷ついたりすると、まだ使えると
しても捨ててしまうことは誰にでもあるのではないかと思います。フィリピン、特にパヤタスの
子どもたちにはゴミの問題というのは非常に身近で深刻です。毎日何トンというゴミが近所の山
に積み上げられ、それを集めて生計を立てている人が周りにたくさんいる。私がホームステイし
た家庭には、壁に手書きの3Rのポスターが飾られていました。私は日本で生活していて、恥ず
かしながらゴミを少なくすることを真剣に考えたことがありません。しかし、パヤタスでは13歳
14歳の女の子が深刻なゴミの問題と向き合っている。とても考えさせられる経験でした。
また、言葉が通じないことへのいらだちと言葉は通じないけど心が通じ合うという二つのこと
をマザーテレサの施設で経験しました。私が施設の中で交流させてもらったあるおじいさんは 、
耳は聞こえるけど声が出せない方でした。私の聞きづらい英語は通じず、タガログ語も話せない
のですがなんとか交流したい、会話したいと思い、持っていたタガログ語の指さし会話帳で試行
錯誤するも、おじいさんはずっと仏頂面で目が合うこともありませんでした。言葉が通じないた
めに触れ合うことができない。自分の無力さを痛感しました。ところが、このままでは帰れない
とそのまましばらくおじいさんの傍に居続け、フィリピンの有名な曲 Nandito Ako を歌うと、そ
れまで全く笑ってくれなかったおじいさんが、小さな声を出して私の方を向いて笑ってくれたの
です。何がおじいさんの心に響いたのかはわかりません。ほんの一時こっちを向いて笑ってくれ
た、ただそれだけのことなのですが、私はおじいさんと言葉は通じないけれど心が通い合ったよ
うな気がして涙が出そうになりました。そのあともやはり会話は出来なかったのですが、去り際
SYDきらめきメッセージ
全国コンクール
に握手をしてくれました。とても力強く温かい握手の感覚は今も手に残っています。
このボランティア活動を通じて、私がしたことは本当に微々たるものです。支援物資を配った
からといって根本的な解決にはつながりません。バスの中からフィリピンの街並みを見れば見る
ほど、経済的格差、ゴミの量、路上生活者が目に入り貧困という問題の大きさを痛感しました。
経済的な貧困を解決しようと思ったら、おそらく社会構造を根本から変えるような何かをしなけ
ればなりません。また、現状の貧困問題を解決できても新たに別の貧困層が出てくる可能性もあ
ります。しかし、微々たるものだからといって私たちが行ったことに意味がないわけではありま
せん。私は今回の活動中何度も歌った「世界が一つになるまで」の歌詞がとても心に響きました。
私は経済的な貧困を救うことなどできないし、フィリピンで出会った人たちがこれから先苦し
い思いをしても、助けてあげることも代わってあげることもできません。日本にいる私たちにも
辛くて苦しい時があります。だから、同じ時代に同じ空の下に生きる者として支えあって生きて
いこう。言葉も文化も環境も違うけど、世界が一つになるまでずっと手をつないでいよう。この
一週間を過ごして、そう強く感じました。
108 SYDきらめきメッセージ全国コンクール きらめき賞
きらめき賞
今ここにいる
川上
竜(三重県・21 歳)
私は去年の夏ごろまで大学生でした。三年生になり大学生活も折り返し、そろそろ進路のこと
も考えなければいけないそんな時期でした。でもまあ、このまま行けば無事卒業できるだろうと
大して何も考えないで日々を過ごしていました。
しかし、現実はそううまくいかないことを痛感させられました。家庭の経済状況の悪化、追い
討ちをかけるように奨学金の停止を受けたのです。残念ながら、大学に通うことができなくなり
ました。目の前が真っ暗になりました。少し前まで卒業という未来が見えていたのに何もなくな
った。いきなりのことに動揺した私はこの先どうなるのか、どうしたらいいのかという不安から
・
・
・
・
・
しばらくひきこもりのような無気力な生活を送りました。
そんな私にある人から連絡が来ました。日頃からお世話になっている修養団の板倉和也さんと
いう方からでした。板倉さんは「元気か、何かあれば聞くぞ」と私を気遣ってくれました。1人
で悩んでいた私にとって、心配してくれる人がいるということだけでもとても支えになりました。
また、板倉さんはこうも言いました。「何でもいい、やりたいことはないのか」と、それまでの
私は自分が何をすべきなのかと考えていました。何をしたら正解なのかと、当然そういうものは
そう簡単に見つかるわけがなく深みにはまっていたのです。
しかし、その言葉をきっかけに今自分は何がしたいのか何ができるのかそう考えるようになり
ました。そして、今一番気持ちが向くものはなんなのか考えた結果、これからも修養団の活動に
参加していきたい、そう思ったのです。そして今ここにいてここに立って話をしています。もし
私が何の問題も無く大学に通っていたとしたら、自分と真剣に向き合うことも無かったと思いま
すし、おそらくここに立つことは無かったと思います。そう考えると辛い思いはしましたが、今
回の経験というのはあながち悪いものでもないのかなとむしろ良かったじゃないかと、今ではそ
う思うことができます。
修養団というひとつ居場所があったこと、なにより板倉さんやたくさんのリーダーの仲間がい
たおかげで、私は今こうして前を向いていられます。本当に感謝してもしきれない思いです。そ
して、これからも仲間と一緒に色んな経験をしていきたいと思っています。その経験や出会いか
っかけになれる、そんな人になれたらいいなと思っています。
「VORTEX」によるチアリーディング
文部科学大臣賞は記念大会で贈呈されました
SYDきらめきメッセージ全国コンクール 109
SYDきらめきメッセージ
全国コンクール
らいろんなものを吸収していき、いつか私も自分がそうしてもらったように誰かの支えや良いき