God With Us Part 4: The Life and Writings of Solomon Direction and Drift - Proverbs Message 5 – Lady Folly Proverbs 1-9 る。愚かの始まりは、愚かさの芽と罪の本質である自己主張であ る。訓練、教訓、模範、訂正、そして、神を信頼し、御子とその真 実を受け入れることを通しての再生の奇跡がなければ、思慮のない 者から愚かな者、そして嘲笑者へと進展する可能性が高い。「知恵 婦人」は、その訓練に従う人を祝福し、持ち上げてくれる厳しい教 師である。対照的に、「愚か婦人」には、その誘惑にのって来る 人々を喜びと自由へと導く意図はなく、奴隷と死へと繋げる。 神は我らと共に パート4:ソロモンの生涯と執筆 方向とさ迷い-箴言 第五メッセージ-愚か婦人(愚かを擬人化した名称) 箴言1-9章 はじめに 箴言の1-9章では、父親から息子に宛てて、若くて未熟な人間か ら成熟した人間へと賢明に移行するようにという切実な警告を読ん だ。その過程で、息子は愚かに漂う危険が警告される。知恵婦人 (いのちのための神の真の原則の擬人化)の声に耳を傾けて、その助言に従 うように、若者に呼びかけている。同時に、愚か婦人(神の道から迷い 出るよう試みる声の擬人化)が若い男を魅了して、彼女のところに来て料 理を楽むよう呼びかける。若い男の人生には闘いがある。彼は若々 しい未経験者から知恵に向かって進むであろうか?それとも、愚か に向かって誘惑され、最終的には公然と神の道を嘲笑する者となる でしょうか?冒頭においての父と息子の討論は、賢明な名言の書 (10-31章)が始まる前に、9章において、二人の女性の最終的な 訴えで締めくくられた。 愚か婦人とは誰か? 箴言に登場する「愚か婦人」は実在人物ではない。むしろ、人間の 状態に、固有の共通の行動に影響を与える欺瞞的原則の本体であ 愚かさの三つの段階 「愚かさは子供心に繋がれている」・・・(箴言22:15) すべての幼児は、生まれつき思慮がなく、判断力と理解力に欠けて いる。箴言は、それを愚かな者の症状であると言っている。愚かさ の種は、人類に根差し、出生時に刷り込まれている。それらは、自 己中心な欲望、感覚、誘惑の変種、現代の文化的価値観のシミュレ ーションや活性化によって発芽し成長するように促される。指導し 訂正してくださる神の知恵(両親、先生、コーチ、恩師、聖書的知恵、文学、 健全な友人関係、等による)に注意を払わなければ、誰もが愚か者へと成 長し、更に悪化し、あざける者となる。 1.思慮の無い者(ナイーブ): 思慮のない、されやすい、漫然、自覚なしに誘惑に夢中になる。 「思慮のない者たちよ、あなたがたは、いつまで思慮のないことを 好むのか。・・・(1:22) 思慮のない者の不従順はおのれを殺し、愚かな者の安楽はおのれを 滅ぼす。(1:32) 思慮のない者はすべてのことを信じる・・・(14:15) 出生以来、知恵と愚か者の両者が愚か者を追い求める。純朴な者 は、知恵に耳を傾け、分別を学び、無数のスキルで成長しなければ ならない。また、愚かの声が反対の方向へと呼んでいるときでさえ も、信仰と道徳において神の道を追い求めなければならない。 例:子どもは見知らぬ人に魅了され、お菓子につられて近寄らない よう教えられなければならない。青少年は、友人や異性との夜の密 会に加わるための誘いに魅せられてはならないということを教える 必要がある。 もし、「思慮のない者」が知恵に向かって動かなければ、次の段階 に漂流してしまうでしょう・・・ 思慮のない者は愚かなことを自分のものとする・・・(14:18) 2.愚か者:へブル人への手紙の中に、3か所愚か者を描写する 箇所がある: ケシル‐鈍く愚かな人‐選択によって頑固な人。 エウィール‐堕落していて、変質で不合理な人。ナバル‐頑固な野 獣や動物のような人。(例:アビガイルの夫のナバルは、名前通りの人であっ た-第一サムエル25章)一般的に、愚か者には、知恵や理解のための飢 えは無い。彼らが間違っていると想像することも不可能である。彼 らの心は、神にも神の真理にも閉ざされているからである。私たち の愚かさは、人生におけるあらゆる類の行動や問題に現れる。 愚かな人の道は、自分の目に正しく見える、しかし知恵ある者は勧 めをいれる。愚かな人は、すぐに怒りをあらわす、しかし賢い人 は、はずかしめをも気にとめない。(12:15,16) 知恵はその家を建て、愚かさは自分の手でそれをこわす。 (14:1) 自分の心を頼む者は愚かである・・・(28:26) 争いに関係しないことは人の誉である、すべて愚かな者は怒り争 う。(20:3) 3.あざける者:知恵や修正を侮る者。愚か者は今や傲慢な敵、 煩わしい人、また、それらに信者を作る者となっている。通常、嘲 笑者は、誇りと毒性を持ち、指導者に同意しなかったり、尊重しな いとき、争いを起こす。(6:19) 「彼はあざける者をあざけり、へりくだる者に恵みを与えられ る。」(3:34)[この箴言は新約聖書のヤコブの手紙4:6と 第一ペテロ5:5において繰り返されている。] あざける者を責めるな、おそらく彼はあなたを憎むであろう。知恵 ある者を責めよ、彼はあなたを愛する。(9:8) 知恵ある子は父の教訓をきく、あざける者は、懲しめをきかない。 (13:1) あざける者は戒められることを好まない、また知恵ある者に近づか ない。(15:12) 愚か婦人の目的は、思慮のない人(理解のない人)を捕え、時がた つにつれ、徐々に嘲笑者(積極的かつ声に出して知恵に反対する 者)に仕立て上げることである。これは生活の中に潜在する愚かな 種を真剣に扱う必要のある一つの理由である。愚かさは、命を奪う まで転移し続ける癌である。今日のあなたの人生から根絶される必 要のある愚かさの側面は無いでしょうか?知恵を呼び求めましょ う。神様が与えてくださいます。 愚かさの兆候 愚かな道を歩んでいるということを知るためには、どうすればよい でしょうか?愚かさが現れる多くの兆候や生活領域(言葉、富、働き、 家族、道徳、等)がありますが、最も重要な兆候は次の通りです: 1.主を恐れないことを選択すること。 彼らは知識を憎み、主を恐れることを選ばず、(1:29) もし、「主を恐れる(畏敬の念を持つ)ことが知恵の始まり」であ るならば、愚かさの始まりは、主を恐れない道をを選択することで ある。誰かが神、または神のみことばに「NO」 と言い始める瞬間か ら、その人は愚かな道を歩み始めている。使徒パウロがローマの 人々あてに書いた言葉はそのことを意味している。 なぜなら、彼らは神を知っていながら、神としてあがめず、感謝も せず、かえってその思いはむなしくなり、その無知な心は暗くなっ たからである。彼らは自ら知者と称しながら、愚かになり、 (ローマ人への手紙1:21,22) 無知な者は愚かなことを喜び、さとき者はまっすぐに歩む。 (15:21) 成功した若者たちが夜中にウォッカの助けを借りて彼らの 成功を祝うパーティーを開くコマーシャルがテレビで流れた。メッ セージは明確であった:友達とウォッカを飲みながら夜明かしをす れば、解放感と幸せに満たされるというメッセージであった。他の 広告が、文化的に人気があり、神のみ言に反する見識を受け入れさ せようと誘惑して来る。テレビの画面から愚か婦人が呼びかける声 が聞こえますか? 2.賢明な助言を無視する。 誰かが一度、神に背を向けたとき、神の声を代弁しようとする人々 の声が聞こえなくなる。 わたしは呼んだが、あなたがたは聞くことを拒み、手を伸べたが、 顧みる者はなく、かえって、あなたがたはわたしのすべての勧めを 捨て、わたしの戒めを受けなかったので、 (1:24,25;17:10) 愚かな道を行く人は、知恵の声を代弁する人々との関係を断ち切り 始めるのが一般的である。そして、次のステップは明らかである: 3.間違った群れと歩み始める。 愚か者は、神とその知恵を拒否する決断を肯定する人たちに囲まれ るようになる。そして、その人は愚か者(又は、反対意見に忠実な者た ち)の仲間となる。 知恵ある者とともに歩む者は知恵を得る。愚かな者の友とな る者は害をうける。(13:20) 4.魅力的で楽しみながら愚かさを求める。 愚かさへの衰退の最終的な徴候は、人生は愚かでであるという決着 をつけ、そのことを宣伝すらするようになる。 愚かさの結果 常に、愚か婦人は、より良い、より満足のいく生活を約束する。し かし、いつも徐々に死にへと導いている。 1.自己破壊的な行動。 彼らは自分の血を待ち伏せし、自分の命を伏してねらうのだ。 (1:18) わたしを失う者は自分の命をそこなう、すべてわたしを憎む者は死 を愛する者である」。(8:36) 2.更に有害な行動に捕らわれる 悪しき者は自分のとがに捕えられ、自分の罪のなわにつながれる。 (5:22) 3.「死」 しかしその人は、死の影がそこにあることを知らず、彼女の 客は陰府の深みにおることを知らない。(9:18) 今までに行なった最も悲しい葬儀の一つは、薬物過多で死亡した青 年のためのものであった。事の始まりは、少しずつ徐々に始まっ た。青年は、スポーツチームに所属した。間もなく、あるパーティ ーに招かれた。他のアスリートたちが、青年の精神を高めるために マリワナを勧めた。青年は受け入れた。そして間もなく、青年は気 分を高めようと、より重い薬物を提供されるようになった。そして ヘロイン中毒となった。青年は拘置所にいる間に薬物デトックスも 同時に行ない、事は正しい方向へ動いているかのように伺えた。青 年は、壊れた人生をイエス様に向けることさえしました。しかし、 釈放の後、ヘロインで誘惑した古い「友人」に遭遇した。青年は再 び受け入れ…過剰摂取し…亡くなった。病院で、青年の傍らで泣き 崩れる両親と遺体は、私の人生の中で最も悲愴な瞬間の一つであっ た。前途多望の、才能ある、ハンサムな若者がいた。愚か婦人の声 に従ったために命を失った。 知恵対愚かのライバル決戦 9章は、箴言の本題に入る前の、父から息子への最後の訴えであ る。知恵婦人と愚か婦人の両者の声が若者の注意と献身を勝ち取る ための決戦が始まる。若者は、どちらの声に耳を傾け、どちらの道 を歩むかという選択をしなければならない。 知恵は自分の家を建て、その七つの柱を立て、獣をほふり、酒を混 ぜ合わせて、ふるまいを備え、はしためをつかわして、町の高い所 で呼ばわり言わせた、「思慮のない者よ、ここに来れ」と。また、 知恵のない者に言う、「来て、わたしのパンを食べ、わたしの混ぜ 合わせた酒をのみ、思慮のないわざを捨てて命を得、悟りの道を歩 め」と。(9:1-6) 愚かな女は、騒がしく、みだらで、恥を知らない。彼女はその家の 戸口に座し、町の高い所にある座にすわり、道を急ぐ行き来の人を 招いて言う、「思慮のない者よ、ここに来れ」と。また知恵のない 人に向かってこれに言う、「盗んだ水は甘く、ひそかに食べるパン はうまい」と。しかしその人は、死の影がそこにあることを知ら ず、彼女の客は陰府の深みにおることを知らない。(9:13-18) 以下の表は、知恵と愚か者の訴えを比較している。 知恵婦人 愚か婦人 1.知恵(尊厳ある)。 1.規律・知識のない。 2.7つの柱を用いて家を建てる。 2.彼女の家の扉に座る。 3.優雅な食事を準備する。 3.甘い饗宴へ誘惑する。 4.ワインと肉を振る舞う。 4.内密に盗んだ水を振る舞う。 5.思慮の無い者全員を招く。 5.直ぐな道を歩む者全員を招く。 6.強さ・尊厳をもって招待する。 6.好色・お世辞をもって招待する 7.いのちを約束する。 7.結果(死)を隠す。 選択の結果は、冒険の終わりに必然的に束縛へと繋がるということ を愚か婦人が事前に知らせることは無い。愚かとは、神とその聖な る秩序を捨てて、神を滅ぼすことを試みた邪悪な存在から来る嘘を 擬人化したものである。(サタン、ルシファエルの堕落に関する詳細な説明は 下記のリンクを参照ください。愚かの起源を見ることが出来ます。) http://christianity.com theology/theological-fag/how-did-lucifer-fall-and-become-satan-11557519.html 愚かを避けるためにはどうすればよいしょうか? 創世記3:6では、人間が神とその愛情ある知恵とに疑惑を抱き、 蛇の偽の「知恵と自由」への招きに従う。これは聖書全体に記録さ れており、今日の人類の物語にまで継続する 人類のテーマであり、闘いである。では、愚かの道から脱出し、知 恵の道を歩むためにはどうすればよいのでしょうか。 1.謙虚 4.神の愛を信頼する 愚か婦人に従うことを選択する道は、私たちの目と鼻の先に転がっ ているということを認識しなければならない。なぜなら、それらは 最も自然に起こることであるからである。通る人の少ない道は知恵 の道である。日々、私たちが神のまっすぐな道の上に保たれるため には、神の力と恵みが必要であるということを謙虚に認めなければ ならないのです。古い賛美歌で歌われてい通り:私たちは、さ迷う ことを知っている。 愛する神から離れがちにある。主よ、私の心を 保ち、それを封印してください。 天の裁判所にそれを封印してくだ さい。 偽りがささやいてくる。神の道は、私たちにとって良いことではな く、自分が正しく真実と感じる我が道こそが良い道であると。私た ちの根底には、次の疑問が潜在する:神は本当に愛してくださって いるのか?私にとって最良を望んでおられるのか?神に対するあな たの愛が、心の内で確信した信念が固まれば固まる程、神の声(知 恵婦人の呼びかけ)に耳を傾け、自分の道を歩むことがより容易に なる。 2.識別 知恵婦人の声を聞き分け、どこへ導こうとしているかを見分けるこ とが出来るようにならなくてはならない。知恵婦人は人生のあらゆ る場面で信念がない人たちに呼びかける。同時に、投げつけられて くる厄介なメッセージを選別する強力なフィルターとなる神の真実 で心を満たさなければならない。新約聖書のへブル人への手紙に次 のように書かれてある: 堅い食物は、善悪を見わける感覚を実際に働かせて訓練され た成人のとるべきものである。(へブル人への手紙5:14) 3.知恵を求める 「最高の防御は良い攻撃」と頻繁に言われる。愚かなことを避ける 最善の方法は、全心で知恵を追求することである。人生のあらゆる 領域(職場、富の管理、人間関係、健康、趣味、教育、定年の計画、等々)に生き るためのスキルを教えてくれる教師や恩師恩師を求めましょう。 もし知識を呼び求め、悟りを得ようと、あなたの声をあげ、 銀を求めるように、これを求め、かくれた宝を尋ねるよう に、これを尋ねるならば、あなたは、主を恐れることを悟 り、神を知ることができるようになる。(2:3-5) 盗人が来るのは、盗んだり、殺したり、滅ぼしたりするためにほか ならない。わたしがきたのは、羊に命を得させ、豊かに得させるた めである。(ヨハネの福音書10:10)
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