総領事から見た魅力のイスタンブール

総領事から見た魅力のイスタンブール
2014(平成 26)年 11 月末日
2 年 2 か月のイスタンブール
魅惑の都市イスタンブールに着任して早くも 2 年 2 か月。
日本からの注目度も高い都市として、
行事数、来客数などから見ても、その忙しさが半端ではないこともありますが、都市と人の動き
が驚くほど大きく速いことも相俟って、当地において歳月の過ぎ去ることの何と速いことか。
日々、驚愕しています。
世界各地には多くの魅力溢れる都市や地域があります。同じ地中海地域をとってみても、ローマ
があり、ギリシャの島々など枚挙に暇がありません。そうした中、多くの人を惹き付けるこの街
の魅力はどこにあるのでしょうか。2 年ちょっとですが、国籍を問わず多くの方々とお目にかか
り、様々なご意見を拝聴し、自分自身でも歩き回った経験を纏めるには、皆様への近況ご挨拶を
兼ね、適切な時期かなと思い立ちました。
具体的には、
(1)魅力溢れる楽しさのワンストップ、(2)歴史を味合う楽しみ、
(3)最大の
財産は人、
(4)美しい東雲、を掲載します。
(1)魅力溢れる楽しさのワンストップ
街と人こそがイスタンブールの魅力
あるところを訪問したいとするとき、多く見られる観光要因としては、自然景観、歴史的文化財、
歴史街道、食の豊かさとうまさ、買い物の多様性と楽しさ、日本語の通用性、安全さなどでしょ
うか。自然景観の良さは、例えば、秋のカナダの広大な紅葉風景、食の豊かさなら多様なアジア
料理、買い物だとパリ、ミラノ、ローマ、ロンドンなど、候補地は他にいくらでもあります。そ
れでは、他の都市にはないイスタンブールの魅力とは何でしょうか。それは、懐の深い歴史が織
り成す多様な魅力スポットとこうした魅力をここイスタンブールですべて楽しめること、それに、
驚くほど活力に溢れ、しかもスーパー親日感を抱く人々との出会いと彼ら彼女らから得られる無
限のエネルギー、でしょうか。リピーターが多いのには理由がありますね。
何でも楽しめるワンストップの魅力
単に買い物などではなく、例えば、お若い方だとご自分が必ずしも経験していない、輝く高度成
長期と国家としての高揚感をつぶさに見て感じることが出来るのは大きな楽しみです。ここは動
きがうんとある街であると共に、歴史もたっぷりとあって、あらゆることがここで見られるとい
う、面白さのワンストップ、でしょうか。この街に佇み歩き回ると、混沌としつつもうねりがあ
り、歴史を前に進めていく強い期待感を抱かせてくれる、海も緑の小高い丘もあり多様なお買い
物スポットもあり、食事も美味しくて波が輝く海峡沿いの屋外のカフェとレストランで時間を過
ごす楽しみがある、一言で言えば、アドベンチャリズム、ワクワクする体験に富む街、イスタン
ブールと言えましょうか。
食事だけを取っても、高級料理から大衆料理まで、トルコ料理から各国料理まで多様な味わい。
例えば、エジプシャン(スパイス)バザールで手に入るお値頃感のあるキャビアやからすみ、定
評あるすずき料理に加えて、金角湾に面した老舗料理店で季節限定にて味わえる鰯のぶどう葉巻
き(8 月下旬にかけ脂がのったイワシの料理)の蕩けるうまさ、秋から冬にかけて焼いても揚げ
ても楽しめるめざし大の鰯、冬場の深い黒海海底から捕れる大きな絶品のイボカレイ、コンスタ
ンチノープルを扼したルメリ・ヒサル近くの洒落たサンデーブランチのお店、人出が途切れない
ボスポラス海峡に面した夜の絶景レストラン、5 万人を超える在留ウイグル人に親しまれる、う
どんを彷彿とさせるウイグル麺や独特のピラフ料理を味わえる本場ウイグル料理や、勿論、ケバ
ブ、キョフテ専門料理店巡り、顔を突っ込んで独特なマントゥ(餃子)を食べていると知り合い
のトルコ人に「おい、お前、ここで食べてるのか。よく知ってるなあ。」と肩を叩かれるコーカ
サス料理など。多少のサービスの荒さなど気にならない、ざわつく店内の、飾り気のない味の楽
しみでしょうか。
買い物としては、オスマン伝統のなめし技術とデザインを活かし、中東各国で引っ張りだこの皮
革製品、イランでさえ垂涎のトルコ製ドレスやハンドバック、スイスのチューリヒに暮らすトル
コ人凄腕美人キュレーターが粋に着こなす黒の革ジャケット、イタリア人手練れバイヤーがスパ
イスバザールのとある店の天井近くの小部屋で唸る絶品スカーフ、イタリアとスペインを凌駕す
るエキストラ・バージン・オリーブオイル、卸し問屋エリアに踏み込むと内外の通を唸らせ、各
国人が足繁く通う、グランドバザールのきらびやかな貴金属ストリート(金銀、宝石などオリジ
ナルデザインの一品)、中央アジアなど広大なトルコ語族の風土を反映した手織りの毛織物や小
物を取り扱い、何か月でも注文の品を待ちつつ、注文の多い客の要望につぶさに応じる店主と蘊
蓄を共有する、グランドバザールのモスク近くの小さな専門店、シリアに負けない本格自然手作
りで、日本でも高い評価がある、月桂樹エキス入りの驚くほどまろやかなオリーブオイル石鹸や
アルガンオイル入り石鹸、濡れた身体に数滴で肌に優しく広がる全身用オリーブオイルは乾燥肌
の人を喜ばせ、地中海内陸のウスパルタ産バラの化粧水はうっとりとする香り。この街イスタン
ブールは、一見さんの楽しみと玄人のおもしろみをあわせて味わえる奥深さを持っています。
しかも、トルコには日本学講座(ボアジチ=ボスポラス大学)のみならず日本語教員養成課程(チ
ャナッカレ=ダーダネルス 3 月 18 日大学)さえあり、多くのトルコ人学生が日本に留学しトル
コ国内で広く活躍しています。日本語とトルコ語の親和性が強いことも相俟って、流暢な日本語
を話すガイドさんや通訳者は数知れず、近年の日本企業のイスタンブール進出を背景として、滞
在経験が長くてしかもトルコ経験が深い日本人通訳の活躍振りには目覚ましいものがあります。
ここでは場所によっては日本語がかなり通用します。これは大変大事な安心材料です。エジプシ
ャンバザールの雑踏を歩いていると、
「よおっ、社長、寄ってけ。
」と声をかけられ、素通りして
また戻ってくると、
「へえ、会長、お戻りやす。
」とまた声かけがあり、知らぬ間に社長から会長
に出世する有様です。面白いですね。外交官も形無しです。
(2)歴史を味合う楽しみ
広大な歴史の集大成
この街はよく言われますように、東西南北の架け橋とされます。地理的な要因は歴史を生み出す
原動力の一つですが、そうした原動力の今ひとつはそこに住む人々と彼らが織り成す歴史そのも
のであり、そられが魅惑的な街を生み出します。私が幾度も市内を歩いたローマも歴史豊かな古
都ですが、東のローマと言われたこの街はその地理的な位置づけからもっと複雑な歴史を持って
います。ローマもポエニ戦争、ゲルマン民族の侵入など興亡の歴史を持っています。ところが、
イスタンブールにおける歴史の重なりはそれどころではありません。後背地としての小アジア
(アナトリア)を含めると、ヒッタイト帝国、ビザンチウム帝国、東ローマ帝国、オスマン帝国、
現代トルコ共和国と、アジア大陸を東から西へ、西から東へと繰り広げられた民族の生きた歴史
の証です。トルコ部族の発祥の地から中央アジア、ペルシャを通過して小アジアに至った長い歴
史を振り返るだけで、私達日本人の史観から欠落している大アジア大陸民族史を垣間見られます。
トルコ語族の最大で最後の拠点がここトルコですし、イスタンブールです。
敬虔な人々が集う街イスタンブールの色合いと魅力
中東にはダマスカスに見られますように美しい古都がありますし、どの古都にも輻湊する歴史が
醸し出す雰囲気があります。その重なり合った歴史の複雑さと多様さが格別な街、それがイスタ
ンブールの魅力の原因の一つです。色で言いますと、過去の歴史が映し出す、濃淡のあるセピア
色の風景に、躍進著しい現代のイスタンブール人の自信に満ちた目差しが放つオレンジ色の輝き、
でしょうか。何と言いましょうか、街全体が輝いているのです。写真に撮ってこれほどきれいな
街も珍しいでしょう。
更に掘り下げると、人々の溌剌とした輝き、碧いボスポラス海峡とマルマラ海に反射する強い光、
鮮やかな建物の色と逆に落着いたモスクの色合いなど、つまり、ちまたを賑わす暴力的な原理主
義者などとはほど遠い、敬虔で物静かなイスラム教徒の心が集うモスクを中心に、人々の有り余
るエネルギーが周囲に放射され、イスタンブールとは、モスク毎に多くの人と活力を抱く小円周
体が数え切れないほど包含された大集合体、とでも言うのでしょうか。こうしたものが全体とし
て味わい深く輝き、私達を魅了するのでしょう。
モスク巡りの魅力
数多あるそのモスクを巡ることは、オスマン帝国の歴史をそのまま巡ることになります。イスラ
ム教徒による最後でしかも最長のイスラム帝国ですから、その活動域は北アフリカ、地中海沿岸
全域、中東、コーカサスを越え、モスクを建設しスルタンや帝国臣民に献上した歴史上の人物の
エピソードを次々と巡ることとなります。言わば、まあ、異教徒がオスマン帝国中枢の神社巡り
をするようなもので、広域な長い歴史を辿る面白さは喩えようもありません。ブルーモスクやス
レイマン大帝モスクだけではありません。髭の海賊アリー(オスマン帝国海軍の総帥)が建立し
た白黒のモスクも修復がなってかつての輝きを取り戻しています。同じく新装なった隣のハマム
も、予約制ですから静かに堪能できます。日々、恐ろしく楽しめるのです。しかも知識は驚くほ
ど増えます。この街に外国人観光客、特に個人客とリピーターが多いのも頷けます。
トルコ全体への観光客数は 4 千万人に迫ろうとしており、ここイスタンブールだともう 1 千万
人を超えています。ちなみに、13 億 2 千万人のフェイスブック利用者による世界50都市人気
ランキングをみますと、欧州ではパリ(第二位)とロンドン(第三位)に次いで第三位、世界で
は第七位です。この街には、多様な観光ニーズをあっさりと吸収できる懐の深さと広さがありま
す。
トルコ語族の保存と顕彰努力
イスタンブールにはトルコ文化保存協会のようなところがあり(トルコ文化貢献基金、と訳せま
しょうか)
、先日もトルコ諸語研究者顕彰会が CRR コンサートホールでありました。このコン
サートホールはバイオリストの五嶋みどりさんが演奏されたところです。日本からは故庄垣内
(しょうがいと)正弘京都大学名誉教授がウイグル語等チュルク語研究の功績を表彰されました。
庄垣内京大名誉教授は惜しくも今年 3 月に逝去されましたので、お弟子さんの菅原睦東京外国
語大学大学院准教授が代わりに出席され、同名誉教授の奥様のメッセージをトルコ語で代読され
ました。20 世紀初め、中央アジアとシルクロード、つまりトルコ人の土地たるトルキスタンに
赴いた、大谷光瑞(後の西本願寺第 22 代門主)による大谷探検隊を始めとし、日本の方々の貢
献も大きいのです。戦艦エルトゥールル号の和歌山串本沖沈没事件とイラン・イラク戦争時のト
ルコ航空特別機による邦人テヘラン脱出劇の間に、大谷光瑞によるトルコ投資事業、苦難に満ち
た新生トルコ共和国の経済発展に貢献した歴史がありました。
その際に同じく表彰されたキルギス人学者のご挨拶で、恥ずかしながら生まれて初めてキルギス
語を聞きました。私は英語とドイツ語しか使えませんから、現代トルコ語自体が手に届かないの
ですが(当地のお偉方からは、
「トルコ語と日本語は親戚言語だ。お前はまだトルコ語を話せな
いのか。簡単ではないか。
」と何時もにっこりと揶揄されています)
、同じトルコ語族とは言え、
ギルギス語はイントネーションなどは大きく異なり、まず理解できないのではないかと得心しま
した。こうしたトルコによるトルコ語諸語の言語文化保存努力も、中央アジア各国との紐帯交流
を支える、寄付寄進を中心とした無償の努力であり、こうした非営利行為はオスマン帝国時代以
来のワクフ(宗教寄進)活動を自家薬籠とし見事なものです。
言葉は民族の歴史の足跡です。イスタンブールにはオスマン帝国時代の文献収録庫があります。
オスマン帝国公用語はアラブ語とペルシャ語を取り入れた特殊な宮廷語「オスマン語」です。オ
スマン帝国は夥しい文書記録の総体と言っても良いほど、日本にも負けない文献国家でしたから、
その歴史を学ぶ、つまりアラブ地域を含めた中東全域の歴史を繙くためには、イスタンブールか
ら中東各地に出された行政文書を中心に読み込む必要があります。オスマン宮廷語を読み解くた
めにはアラブ語とペルシャ語の素養が要ります。我が国のお若いオスマン帝国史の専門家もこの
帝国文書館に通われ研鑽されつつ、 トルコを広く歩き、生きたトルコ諸相を経験されておられ
ます。歴史と言語を通じた交流も大いに期待できます。
日本の発掘による文化遺跡財産「カマン」
そうした古の歴史はまた遺跡という形を取ります。トルコには多くの文化遺産があります。大成
建設が採算度外視状態で長年傾注され、昨年 10 月に開通したマルマライ・ボスポラス海峡横断
地下鉄の工事に際しても、多くの遺構遺産が発見されたことは記憶に新しいところです。発掘さ
れた埋没船は復元されて、見事な全容を海事博物館で示しています。発掘と言えば、イスタンブ
ールからは離れますが、日本の発掘隊が 30 年以上に亘り発掘を続け、日本の資金援助を得て素
晴らしい専用博物館と研究所まで併設されている古代遺跡サイトを司る考古学研究所が中央ア
ナトリアのカマンにあります。
アナトリア考古学研究所は、アンカラから東南部へ車で 2 時間程度のカマンの町の郊外にありま
す。このあたりは古代ペルシャからの通商路に当たり、この通商路に沿って遺跡が点在していま
す。数多の人と通商隊が通った通商路の跡は今でも遺跡の近くにあります。大村幸弘所長が発掘
調査を長年指導されており、トルコ人見学者も年々増えております他、トルコ人スタッフの育成
も弛みなく続けられています。この研究所の中庭には日本の篤志家によってサクラが植樹されて
おり、まだ小振りながらもきれいな花を咲かしています。研究所付属の日本庭園は見事なもので、
トルコ人新婚カップルが前撮りを楽しんでいるのはうれしい風景です。まさに、アナトリアの中
心部に再現され自然の中に取り込まれた日本庭園です。イスタンブール北部のサルエリ市にある
バルタリマンヌ日本庭園も、多くのトルコ人達に訪問されていますが、カマンの日本庭園も季節
毎の美しさを放っています。
大村所長は日本においても活動報告を定期的に実施されております。来年ですと 2 月 11 日と 12
日の両日に亘り三鷹市芸術文化センター「星のホール」にて行う予定です。2 月 11 日には、同
研究所の報告会として、2014 年度の活動、第 29 次カマン・カレホユック発掘調査、第 6 次ヤッ
スホユック発掘調査、第 6 次ビュクリュカレ発掘調査の報告が行われ、12 日には研究会として、
地中探査、分析等に関する研究結果が発表されます。数千年前に遡るアナトリアとアジアの歴史
をご堪能下さい。
(3)最大の財産は人
輝く街イスタンブール
私は 23 年前に初めてこの街を訪れました。その時のイスタンブール人の目は純朴で穏やかな、
でも諦念を感じさせるものでした。国内の政治経済は混沌とし、NATO の一員だけれども EU
には入れず、現代トルコ共和国成立の複雑な生い立ち事情を背景に中東との関係も深くない、と
いう諦めに似た感覚、それらが生み出す街の灰色的な雰囲気でしょうか。四半世紀後の今のイス
タンブール人たちの目の色は強く、輝き、先を見ています。先を見ている人たちの目は美しいも
のです。明らかにこの街には、希望を抱くトルコ人の皆様の活力が充ち満ちています。多分、明
治の先人達の目差しもこのように美しかったのでしょう。
最大の魅力はトルコの人々
私が毎日お目にかかるトルコの人々は、押し並べて、丁寧で礼儀正しく、明朗で快活な眼の表情
が感じられます。イスラム教徒として、トルコ人は外国の方を始めとしたお客さんへのおもてな
しを重視します。その中でも、日本人に対するホスピタリティーは群を抜いています。トルコの
方々は知日家レベルを一挙に超えて親日家になっています。こんな国と国民は世界に例がありま
せん。その超弩級の親日国家トルコが今や活力と自信に溢れ、最新技術大国であり古来の歴史を
大切に抱いているにっぽんと組んで歩もうとしています。トルコの方々との出会いこそ、実は、
他の観光地に希有な、温かくて最大の経験、財産なのです。だからこそ、多くの日本人が幾度も
何十年にもわたりトルコを訪れ、様々な文化行事を主催され、サクラを植樹されるのです。
私は仕事柄、公用車に国旗を立てて走ることもしばしばです。高速道路を用務先に向けて移動し
ておりますと、この日の丸に気づいた人たちがよってきてくれます。ホンダのオートバイを寄せ
て、タンクを叩きながら指を立ててオーケーと笑うライダー。日本、ニッポン(Japonya!)と
言いながら、車の運転中なのに両手を挙げてハンドルを叩きながら笑いかける若いドライバー達。
トラックの運転席からも手を振ってくる。ありがたいことです。私も窓から手を振って応じる、
こうした光景は私のこれまでの職業人生でも経験したことがありません。
トルコはオスマン帝国と断腸の思いで決別して新たな国民国家を苦難の上生み出したため、ある
意味で伝統が断絶しています。トルコの人々は、途切れることのない歴史と伝統を担いながら最
新技術を生み出し続ける日本に畏敬の念を抱いています。これに応えつつ、トルコの真の発展に
力を貸し、官民を挙げて両国が多くの国と地域で協力する、そうした共生協働関係を力強く進め
ている段階にあります。トルコの方々との出会いこそ、最大の財産になるのではないでしょうか。
トルコ人の友人からは、
「なぜ日本の高校や大学はイスタンブールに出てこないのか。ここには
フランス高校や大学、ドイツ高校など一杯あるが、みんな日本が大好きだから、トルコの学習要
領に沿いながらも、日本の規律や美意識や武道、伝統も教えるような学校があるなら、絶対そこ
に通うはずだ。
」といっているほどです。
目指すトルコ経済は「品格、品質のある成長」
先日も、トルコ政府の中で経済政策チームの舵取り総帥であるババジャン副首相のお話を聞きま
した。トルコはいま、明治時代の日本のように「普請中」(森鷗外)です。日本でいる戦後の高
度成長期にあります。ババジャン副首相、この方はこうした新生トルコの、若々しいトルコ人の
描く新トルコの設計図、青写真そのものです。今こそ構造改革、教育改革、法の支配の重要性を、
また、成長さえすれば良い、というのではなく、環境や生活の質などの面で外国に迷惑をかけず、
次世代に恥じない「成長の品格、品質」を強調されておりました。日本を含め多くの外国がこの
国に投資を続けているのも、その設計図の正しさを裏付けています。日本のトルコに対する投資
はもう第七位に浮上しています。
(4)最後に:美しい東雲
ボスポラス海峡の朝焼け
私が居住しております公邸はボスポラス海峡に架かる第二大橋を遠景に抱く丘の中腹にありま
すが、この日本企業連合が架けた第二大橋はボスポラス海峡の最も狭い地点にあります。幅は約
800m しかありません。だからこそ、古来、ペルシャの時代からアジア側からヨーロッパ側に向
かう渡河点でした。コンスタンチノープル攻城前にスルタンが速成したルメリ・ヒサル城壁もこ
の近くにあるのも理由があります。
公邸から眺める朝焼けは実に見事です。日本語には「東雲(しののめ)」という美しいイメージ
の表現があります。夜明けのことでもあり、明け方に東の空にたなびく雲のことでもあります。
公邸からは東のアジア側の山際、ここから昇る朝日を拝めます。年にほんの数回なのですが、雲
がまだ山際あたりに厚く、朝日が山際に浮かぶ前の数分だけ、このたなびく雲に熱い朝日が輝き、
山際を含む空一帯が赤オレンジ色一色に染まることがあります。2 年ちょっとの間に、この風景
を見ることが出来たのは数回だけでした。一枚だけその遠景を捉えることができましたので、次
の写真をご覧下さい。
世界には大変感動する風景が沢山あります。スイス東南部、標高 1800m のベースキャンプから
見る空の動きと色の見事さ、にっぽん各地の紅葉の美しさなど、数限りなくあります。ですが、
朝焼けの美しさとしてはここイスタンブールは掛け値なしにまさしく第一等です。多くのお客様
がホテルの客室から東の空を眺められ、朝日に輝くボスポラス海峡を堪能されます。時差のため
早くに目が覚める、そんなとき、ふと窓辺に佇み出会った朝焼けの美しさに魅入った方は沢山い
らっしゃいます。
イスタンブールの魅力は皆様がそれぞれに感じられるものです。イスタンブール再訪、再々訪は
必ずや報われます。トルコとトルコの人々との交流の一歩は皆様のわくわくする体験ですし、
21 世紀の友人を得られる得難い場となるでしょう。
在イスタンブール日本国総領事
福
田
啓
二