女性医師を妻に持つ男性医師の手記 はじめに 私は3歳11カ月の長女と

女性医師を
女性医師を妻に持つ男性医師の
男性医師の手記
はじめに
私は3歳11カ月の長女と2歳3カ月の次女、2人の女の子の父親です。私は次女が生まれた日か
ら1年8カ月間、育児休業をしました。私の職業は医師。麻酔科医を経て、育児休業前は救急科医と
して、救急外来と集中治療室で働いていました。日中の業務はもちろん当直もこなし、今後も定年す
るまで医師として働き続けるだろうと思っていました。私の妻も同じく医師で、産婦人科医。もちろ
ん当直もあり、長女が生まれる前までは私と同じく仕事中心の生活でした。そんな私達も長女が産ま
れた後、妻は仕事をセーブし、長女を保育園に預けつつ、平日3日のみ病院に勤務したり、研究室に
行く生活に切り替えました。私はといえば、家にいる時は家事や育児を手伝いましたが、やはり仕事
中心の生活で、仕事を早く切り上げてまで育児、家事はしていませんでした。
育児休業を
育児休業を考えたきっかけ
育児休業を考えたきっかけは、妻がアメリカの大学院に合格したこと、そして、妻が次女を妊娠し
たことでした。妻は以前からアメリカの大学院への留学希望があり、長女を妊娠中体調が悪い中も留
学に向けて勉強していました。そんな妻を見ていたので、妻が留学することに全く反対はなく、当初
は妻が留学中、私が仕事をセーブし、長女を日本で育てようと思っていました。ただ心配だったのは
家族がバラバラに暮らすことで私達家族は今後うまくやっていけるのかということでした。そんな時
に妻が次女を妊娠していることがわかりました。留学と出産、どちらも成し遂げることに私達夫婦に
異論はありませんでした。残る問題は産まれたての次女と長女の世話を誰がするのかということでし
た。そして、私が育児休業を取り、家族みんなで渡米することを決意しました。
育児休業を
育児休業を決意した
決意した際
した際の心境
育児休業を決意した最大の理由は妻のため、家族のためでした。もちろん私自身のためにはどうか
も考えました。
やはり最大の心配は仕事のことでした。
休業しても自分の知識や技術は維持できるか、
復帰後仕事についていけるか、今後の医師人生に不利益を生じないか、そして、同僚医師からどう思
われるか考えると不安でした。更に、育児・家事に関しては、英語が不自由な私がアメリカで育児・
家事をすることができるのか、育児ノイローゼにならないか心配でした。そんな中でも最終的に育児
休業を取ろうと思えたのは、今まで働いてきたという自信であり、その自信が仕事に関する不安を和
らげてくれました。また、家事・育児に関しては、世の中のお母さん達が普通にやっていることだか
ら私にもできるだろうと考えることにしました。
育児休業を
育児休業を取るにあたって
育児休業を取るにあたって、最大に緊張した瞬間は上司、同僚に育児休業をとりたい旨を伝えた時
でした。私が育児休業すれば迷惑がかかることは目に見えていましたし、育児休業することを正直理
解してもらえないと思っていたからでした。朝から晩まで働き、有給も取らない医師の世界で、仕事
を休むことは私自身も後ろめたいと感じていましたし、男性医師が身近で育児休業を取ったという例
もなく、男性=外で仕事、女性=家事・育児を主体的にするという感覚の根強い日本社会で、医師で
あり、男性であり、各々の家庭で仕事中心に生活している父である上司、同僚が育児休業を取ること
に理解を示してくれるか非常に不安でした。でも、その不安は予想外にも的外れでした。上司は育児
休業収得に協力してくれ、同僚も私の決意を尊重してくれました。上司、同僚に育児休業希望を伝え
たのが育児休業開始の8か月前でした。
育児休業の
育児休業の始まり
私の育児休業は次女が産まれた日から始まりました。妻は次女出産後6日目に退院し、12日目に
は大学院の授業が始まるため単身で渡米しました。私と子供2人は私の実家に引っ越し、次女が約1
ヶ月半になった時渡米しました。育児休業始まりの時期は今までの生活から一転、家庭中心の生活に
変わり、更にアメリカでの生活も始まり、何もかもが新鮮で、ある意味楽しい時期でした。アメリカ
の家は広く、家のすぐ隣は湖と森で、リスが走り回っており、なんとも自然にあふれた環境でした。
育児に関しては、次女の世話(おむつ交換、ミルクをあげること、沐浴)は少なからず長女の時もして
いたので自然にでき、次女の日々の変化(ミルクを飲む量やお通じの回数など)に一喜一憂していまし
た。また、長女は2歳前のちょうどかわいい盛りで、長女の表情やしぐさを間近で見ることができた
のも楽しいことでした。長女は私にぴったりで、そこがまたかわいいのですが、困ったことにどこに
でも付いてくるのでプライベートがまったくありませんでした。一番抵抗感があったのはトイレをし
ている時に横で見られていることでした。こうやって子供達と1日中関わっていると日に日に絆が自
然と深まっていき、私が守るべきものであるという意識がさらに深まっていきました。
育児休業中の
育児休業中の生活
育児休業中の1日は次女にミルクをあげ、おむつを交換することに始まり、そして、終わりました。
私の育児休業中の目標は①3食ちゃんと作る、②規則正しい生活を子供達にさせる、③部屋はきれい
にする、④子供達といっぱい遊ぶでした。今まで夫婦共働きで満足に子供の世話をできていなかった
ので、一般的な家庭がしているようなことはしてあげたいという思いがありました。一番自信がなか
った料理は本やインターネットを活用して作り、子供達と遊ぶ時間を十分とり、規則正しい生活をさ
せるために毎日同じリズムで生活するよう心がけました。ただ、実際にやってみると家事と育児を両
立すること自体が大変なことであることがわかりました。子供達は私が家事をしていても集中させて
くれず、私はおんぶや抱っこ、下手するとおんぶに抱っこしながら家事をしました。世の中の育児・
家事を両立しているお母さん達はつくづく偉いと思いました。
育児休業中のうつ
育児休業中のうつ状態
のうつ状態
育児休業を始めて育児・家事に追われていましたが、自分の今後のことを考え、子供達が寝ている
合間に英語の勉強をしたり、論文を書いたりしました。睡眠時間を削って、自分の時間を捻出しまし
たが、思うように勉強ははかどらず、次第にそんな状態に焦りを覚えるようになりました。育児休業
を始めて4カ月頃から私は精神的に不安定な状態になってしまいました。その原因は一言でいえば自
分に自信が持てなくなってしまったからでした。仕事をしていた時は医師として人のため、社会のた
めに貢献し、家庭でも一家を養っているという自負が少なからずあり、それらがある意味自分に対す
る自信を生んでいたのかも知れません。しかし、休業・渡米し家で家事・育児に追われている自分を
ふと振り返った時、自分の社会的価値に不安を感じるようになりました。専業主夫で英語も不自由な
自分には社会に貢献できるものは何もなく、勉強も思うようにはかどらないため自分が成長している
という実感もなく、自分に自信が持てなくなりました。加えて、育児本や育児ブログを読むと頑張っ
ているはずの育児も不十分に感じられ、
純粋に育児を楽しめていない自分が人間的に小さく感じられ、
自信をさらに持てなくなってしまいました。また、抱っこの仕方が悪かったのと抱っこのしすぎで急
性腰痛症とドゥケルバン病(腱鞘炎)になり、心身共に辛くなってしまいました。そんな私をみた妻
は私が家事・育児から離れることができる時間を作るようにしてくれましたが、育児休業中のうつ状
態は約5カ月続き、一月に一回落ち込んでは這い上がることを繰り返していました。
うつ状態
うつ状態からの
状態からの解放
からの解放
そんな私にも転機が訪れました。一つは妻の大学院カラキュラムの一環として実務研修があり、2
ヶ月間スイスに住んだこと、もう一つはスイスからアメリカに戻った後子供達をデイケアセンターに
日中預けることになったことでした。公園に行くにも、買い物に行くにも車が必要な車社会のアメリ
カから日本と同じく歩いて公園にも買い物にも行くことができるスイスの環境は大変便利で、私にと
って家事・育児がしやすい環境でした。更に観光地だけあって景色がきれいで外出するのも楽しく、
観光客に慣れているためフランス語がしゃべれなくても人は親切で、生活する上で精神的にゆとりを
持つことができました。次女を前抱っこし、長女をベビーカーに乗せ、平日日中は時にお弁当持参で
公園や湖に出かけ、ダウンタウンで買い物をしました。また、休日のたびに家族でスイス国内やフラ
ンスを旅行しました。スイスからアメリカに戻った後次女はちょうど 1 歳になり、子供達を日中デイ
ケアセンターに預けることにしました。子供達は最初新しい環境に戸惑い、送っていっても私や妻に
しがみついていましたが、私よりずっとたくましく、いつの間にかデイケアセンターでの生活を楽し
んでいました。私はと言えば、妻が大学院で勉強している姿を見て、私もいつか留学したいと思うよ
うになり、TOFLE の勉強をすべく、日中子供達をデイケアセンターに送った後は大学付属の語学学
校に通いました。宿題があったり、試験があったりで忙しくはなりましたが、短期的な目標とそれを
こなしていく達成感があり、逆に精神的には落ち着きました。また、子供達を預けている間に出来る
だけ家事も済ませるようにしたため、子供達にもゆとりを持って接することができるようになりまし
た。
育児休業を
育児休業を終えて
1年8カ月の育児休業は私の単身日本帰国で終わりを迎えました。私の勤務していた病院の育児休
業規則では子供が 1 歳になった歳の年度末までしか育児休業をとれなかったため、妻の大学院卒業ま
でアメリカにいることはできませんでした。アメリカでの生活にも慣れた子供達は妻と一緒にアメリ
カに残ることになりました。1年8カ月間家族といつも一緒にいた私は帰国した後想像以上に家族み
んなと離れて暮らすことに寂しさを感じました。そして、帰国後11日目より救急科医として仕事に
復帰しました。
最後に
最後に
私の育児休業は楽しいことばかりではありませんでした。しかし、育児休業を終えて今言えること
は育児休業をして良かったなということです。休業して医師という仕事が自分にとって生きがいであ
ることに改めて気づき、自分の仕事が好きであることを再確認できました。また、逆に医師でない自
分の社会的価値や仕事以外に興味があることは何かを見つめなおす機会にもなりました。更に子供を
育てる大切さも再認識することができました。子供が頼ることができるのは親である私や妻しかいな
いことを実感することができましたし、子供と四六時中一緒にいることができるのも長い人生のひと
時で、子供はこれからどんどん親から離れていってしまうと思うと、この時期は今しかなく、これま
た長い仕事人生の1年や2年を子供中心に送ったとしても結果的には人生豊かになるのではないかと
思いました。私は現在育児休業をとる前と違って、自然と家事・育児ができるようになり、正真正銘
の「イクメン」になりました。