身体心理療法における間接的身心技法の構造 【特集 身体志向心理療法のさまざまなアプローチ】 身体心理療法における間接的身心技法の構造 葛西 俊治 1) Ⅰ.はじめに 体心理症状の存在に衝撃を受けた精神科医の 神経症と筋肉の鎧 A. ローエン (Alexander Lowen, 1910-2008) 西欧における身体心理療法 (body oriented は、そうした体験に基づいて「生体エネルギー psychotherapy, body psychotherapy) は、 法 bioenergetics」と呼ぶアプローチを展開し 精 神 分 析 を 創 始 し た S. フ ロ イ ド (Sigmund ていった。ローエンによる著作が精力的に翻訳 Freud,1856-1939) の 弟 子 の 一 人、W. ラ イ ヒ されたこともあり、国内ではバイオエナジェ (Wilhelm Reich, 1897-1957) に よ る ベ ジ ト ・ ティックスがしばしば言及されるに至ってい セラピー (vegeto therapy) にさかのぼる。も る。 1) ともと神経症の治療のために開発された精神 * ライヒの系譜にある身体心理療法の経緯などに 分析では、欲動の心的エネルギーであるリビ ついては葛西 (2006, 2013) 2)3)を参照のこと。 ドー (libido) が自由に行き来できずに停留する 心身一如という言葉は身体と心理面が切り ことによって神経症および神経症的症状が発生 離せないひとまとまりであることを指し示す すると捉えていた。ライヒはリビドーの停留や ように、西欧における身体心理療法の展開は 固着とは心理のみならず身心両面における現象 結果的にマッサージやその他の身体療法とそ であることを見いだし、慢性的な筋緊張が身体 うした身体技法によってもたらされる心理療 に組み込まれ「筋肉の鎧 muscular armor」を 法的な効果を位置づける礎石となった。たと 造り出すと考えた。例えば、不安や恐怖にさ えば、アレクサンダー ・ テクニック (Alexader らされると呼吸を止めることによって感じる Technique) や フ ェ ル デ ン ク ラ イ ス・ メ ソ ド ことを停止することがあるが、ライヒはそうし (Feldekrais method) などの身体心理的技法、 た身体反応がたとえば胸や喉や口などの呼吸経 ロルフィング (Rolfing) などの身体技法は本来 路に沿った慢性的な筋緊張や姿勢の硬化とな は身体的アプローチであるが、その中に何らか り「ヨロイ」のように実体化するという身心過 の心理療法的効果を伴うアプローチとして認識 程を想定した。そのため、ライヒの系譜にある されるようになった。身体療法と身体心理療法 身体心理療法では筋肉の固着をほぐすための とはしばしば近しい関係にあるけれども、身体 マッサージと呼吸の改善に関するアプローチが 療法における心理療法的効果とはあくまでも付 組み込まれた。なお、ライヒはリビドーという 随的に発生する間接的な効果として位置づけら 性的エネルギーに基づく汎性論的な考え方を徹 れる。 底し、性的エネルギーを抑圧する文化政治体制 なお、最近、日本形成外科学会と日本腰痛学 への批判から共産主義 ・ 社会主義に傾倒して精 会が、腰痛の発症や慢性化には心理的ストレス 神分析の本流から逸脱していった。その後、ラ が関わっており、画像検査などでも原因が特定 イヒのセラピーを受けて自らの神経症的な身 できない腰痛が大半を占めるというガイドライ 1)札幌学院大学人文学部臨床心理学科 −1− 臨床心理学研究 50 - 2 Ⅱ.身体心理的課題における間接性 ンを発表した。主要な理由とされた「心理的ス 竹内レッスンと腕のぶら下げ トレス」については、より正確には、仕事や作 業における慢性的な腰痛喚起姿勢とそうせざる 西欧に始まる身体心理療法に筆者がふれた を得ない社会的文化的要因および本人の性向や のはライヒの系譜に属する D. ボアデラのセッ 価値観などの心理的側面、さらには、身体に関 ション ( バイオシンセシス biosynthesis) のみ する誤解や誤った習慣などによる身体使用の誤 で あ り、 身 体 心 理 的 ア プ ロ ー チ (body-mind りなど、より正確に関連要因を記述すべきと思 approach) として傾倒したのは主に竹内敏晴に われる。しかし、それらはいずれも「こころ」 よる「竹内レッスン」の場であった。「からだ 「心理」といった言葉で総括されてしまう側面 とことばのレッスン」とも記される竹内レッス もあることは否めない。いずれにしても、両学 ンは、野口三千三が戦後につくり出した野口体 会によって「心理的ストレス」とされた部分は、 操を取り入れながらも、人と人とが真にまみえ おおむね本稿で扱う身体心理療法の範囲にある る「呼びかけのレッスン」「砂浜の出会い」な 要因と考えられることから、身体心理療法のア どのように関係的で実存的な関わりを進めると プローチをそうした医療領域へと展開する際に ころにその本質がある。なお、 「からだとことば」 は、なぜ身体心理的アプローチとその身心技法 とは、身体と言葉とは一続きであることを意図 によって身心変容の効果が得られるかについ していて、ことばで人に話しかける行為がから て、理論的説明が必要とされる。本研究は、そ だのあり方という現象そのものと一体的である うしたあらたな展開の可能性をも視野に入れ、 ことを伝えようとしている。竹内敏晴は病気の 身体心理療法の身心技法の一つをテーマとして ため幼少時に聴力を失いかつて人との関わりに 取り上げている。 深い疎外を感じていたこと、そうした中で他者 なお、ここでいう身体心理療法とは、暫定的 との真実の関わりを渇望していたことを筆者に に「身体心理的技法を用いて導かれる認知行動 語ったことがある。演出家として活動を始めた 変容 (cognitive behavior modification) に基づ 竹内は、しかし、演技の世界のみには飽き足ら く心理療法」と定義されるアプローチを指して ず、 「本当に関わること」という重い命題を「こ いる。また、認知行動変容とは認知行動療法と とばとからだ」という「一つの系の二つの極」 いう特定のアプローチに限定されない多様な方 を「ことばとからだのレッスン」を通じて追求 法によってもたらされる身心の変容、行動並び していった。 に心理面の変容を意味している。本稿で扱う「間 さて、その竹内レッスンでは導入として「腕 接的身心技法 indirect body-mind technique」 のぶら下がり」あるいは「腕のぶら下げ」と呼 はこれまで特に焦点化されていない事柄である ぶレッスンを行うことがある。二人一組になり、 が、ライヒによる身体心理療法を超えて、21 一人が両腕を脱力して立ち、相方がその片腕を 世紀の新たな身体心理療法を考えていく際には ゆっくりと高く持ち上げてから放すという簡単 あらためて検討すべき重要な事柄と考えてい な内容である。しかし、相方によって腕が持ち る。以下では、まず身体心理的アプローチに見 上げられていくとき、無意識のうちに「持ち上 られる間接性のテーマにふれ、さらにシステム げを手伝う」「持ち上げに抵抗する」という現 ズ・アプローチ (systems approach) と結びつ 象が起きたり、持ち上げられた腕が放されても けて議論を行うことにする。 「放された腕が落下せず空中に停留する」といっ た現象が頻発する。レッスンの参加者は驚き呆 れ、ときには笑い出すという展開へ至る。筆者 −2− 身体心理療法における間接的身心技法の構造 自身も持ち上げられて空中で放されたはずの腕 社会的な上下関係と結びついており、いわゆる がそのまま空中に停留している事実を目の当た 一般人はおおむね「かしこまっているべき」こ りにして愕然としたことがあった。 とになる。もう一つは、立位で両腕を脱力して その後、筆者は「放された腕が落下しない」 いると両腕は身体の真横に位置するのではな 現象の理由を求めて「腕のぶら下げ」課題を実 く、腕が肩から垂れ下がることにより身体のや 験的に研究してきた ( 葛西 ,1996) 。その結果、 や斜め前にぶら下がり、手が大腿部に触れるよ おおむね 7-8 割の被験者は当初、腕の持ち上げ うな状態となる。このため、歩こうとすると手 に対して何らかの筋緊張を誘発して無意識のう が脚にぶつかりなかなか歩きにくい。そうした ちに「持ち上げを手伝う」 「持ち上げに抵抗する」 歩き方を日常場面で試してみると周りの人たち 4) 「頭上で放されても落下しない」「相方が腕を掴 に奇異な目で見られるか、失笑のような反応が もうとした途端に、自覚のないまま腕が相手の 起きる。そうしたことにならないようにするた 方に寄っていく」などの反応が頻発することを めには、手が大腿部にぶつからないようにして 見いだした。なお、同様の実験をロシア・モス 歩く必要がある。肩をつり上げるか肘をやや曲 クワ大学心理学科でも行ったがほとんど同様な げ上げるなどによって腕を持ち上げて大腿部と 結果であった ( 葛西・Zaluchyonova,1996) 5)。 腕との間に空間を作り出すような動作が必要と そのため、当然視されている腕の脱力が実は想 なり、これも肩や腕の筋緊張を必要とする。さ 像以上に困難であり、「腕の脱力は簡単にでき らに、日常の仕事では両腕を頻繁に動作させる ないのが一般的」という結論に至ることになっ 必要があるため、脱力していると即座に対応で た。リラクセイション (relaxation) ないし脱力 きないことも多い。脱力した状態の腕の位置は は、巷ではしばしばリラクゼーションと呼ばれ 通常の業務の腕のあるべき位置とはそれなりに て身体心理的な指導やサービスが行われている ずれている可能性が高いため、脱力状態から動 が、リラクセイションが原理的に困難な課題で 作状態への移行には移行時間と腕の位置の調整 あるという身体心理学的理解から出発している という余分な作業が必要となる。そのため、脱 ものは必ずしも多くはない。 力と動作態勢との間に時間的な余裕がない場合 は、 腕の脱力状態に入っていることによって動 腕の脱力と身体の脱社会化 作効率が下がってしまう可能性も考えられる。 両腕の脱力には肩や腕の筋緊張の解放を必要 そうした諸事情により、腕をやや吊り上げてお とするが、そうした身体制御そのものが必ずし くという準備態勢を定常的に維持する必要が生 も容易ではないことと同時に、次のような社会 まれる。腕の脱力へと容易に移行しない理由と 的な事情と動作に関わる状況によっても「腕の しては、こうした社会的要因と動作上の要因が 脱力」は困難なものとなる。一つは、両腕を脱 関わっているため、日常的には両腕を脱力しな 力すると「慎みのないだらしない姿勢」となる いでいることが当たり前であって、脱力してい ため、上司や目上の者などの前では避けるべき る状態の方が例外的といえる。 姿勢であり、他者からのそうした社会的なまな 「腕のぶら下げ」課題の研究を行っていた当 ざしへの警戒が無意識のうちに筋緊張をつくり 時、こうした事柄に気がつくことを通じて、腕 出すことである。社会的には目下の者は目上の の緊張による肩凝りの多くは「一日中、肩や腕 者の前では「かしこまっている」ことが暗黙の をやや吊り上げている」ために起こること、す うちに求められており、脱力する側なのかかし なわち、「肩凝りになるための練習をしている」 こまっている側なのかといった姿勢のあり方が ために肩凝りになることが分かってきた。肩や −3− 臨床心理学研究 50 - 2 腕のわずかな筋緊張であったとしても、起きて られる。それを実現するための態度や心構えと 生活している間中ずーっと腕や肩を持ち上げて しては「しないこと」「しないでいようすら思 いれば肩凝りになるのが道理であって、肩凝り わないでいること」といったように、「しない」 にならない方が不自然だとすら言える。つまり、 という命題そのものを再帰的に否定し続けなけ 脱力という筋肉課題は、筋緊張の解放という身 ればならない。このように、「腕の脱力」とい 体レベルの要素だけではなく、社会的に忌避さ う課題を実現するためには、その課題そのもの れる姿勢に陥らないような社会的理由や、また、 に直接的に向き合っては実現できないという構 歩きづらさなどの動作上の理由によって影響さ 造があることが明らかとなってきた。脱力課題 れることになる。つまり、 肩凝りに陥る身体と を実現するために力を抜こうとするといった直 いうものは、社会的な価値観が身体のあり方に 接的なアプローチでは問題が解決しないどころ 組み込まれた状態であり、腕の脱力をしない方 かかえって状況が悪化するのだが、以下ではそ 向に「社会化された身体」であること、そのため、 うした悪循環への対応の例として森田神経質と 「腕の脱力」課題に取り組むためには、その一 呼ばれる身心状況とそれを乗り越えるための森 つの方法として、社会化された身体を脱却する 田療法の内容についてふれておくことにする。 「身体の脱社会化」といった観点が必要となる。 筆者はその後、身体に肉化された社会、あるい 森田療法における精神交互作用 は身体の社会化によってもたらされた緊張状態 精 神 科 医、 森 田 正 馬 ( も り た ま さ た け、 に基づく姿勢や動きを解きほぐすという意味で 1874-1938) が提唱した森田療法 8) とは、森田 という造語を用いて脱力の実践 神経症と呼ばれる神経症、すなわち身心の異常 を行っていた。そうした流れの中で筆者が裸体・ や不調を過剰に気にする傾向である「ヒポコ 白塗り・剃髪の暗黒舞踏に出会い、その後、舞 ンドリー性の精神基調」(hypochondriasis: 心 踏手として 25 年ほどの間踊ってきたのは「身 気症 ) に対する独自の治療方法を指す。心気症 体の脱社会化への方法としての舞踏」だったと は広義には強迫神経症 ( 強迫性障害 obsessive- も言え、「社会体操」という観点に端を発した compulsive disorder) とも関連するので、例え 一つの必然だったとも言える。 ば何度手を洗っても気になり何度でも手洗いを さて、ここであらためて「腕の脱力」課題に 繰り返すとか、家に施錠したけれども心配で何 おける対処方法に戻ることにする。葛西 (1994) 度も戻っては窓やドアの点検を繰り返して遅刻 「社会体操」 6) の「腕の脱力における心理学方略」という し続けるとか、文字を書こうとすると手や指が 論文では、腕の脱力をしたいのならば、腕の脱 震えて書けないが文字ではない線ならば描くこ 力をしようとしないことという視点が提起され とはできる書痙といった症状なども含まれてく ていた。さらには、腕の脱力をしようとしない る。 など、そういうことすら意識することがないよ 病院への通院形式ではない本来の森田療法 うにすること、といった程度にまで、「腕の脱 では、食事 ・ 洗面 ・ トイレ以外は病院の個室 力」という課題の枠組みそのものから離脱ない で床に入ったまま過ごす「絶対臥褥(がじょ し超越することが必要となることが示唆され く)期」の後、軽作業期・作業期・社会生活準 た。ちなみに、筋肉ならびに筋繊維は収縮する 備期という過程によって進められる。そうした 機能しかなく、 自らを能動的に弛緩させるため 中で、主訴となっていた問題が改善されて社会 の機能はない。そのため、脱力や筋肉の弛緩に 復帰へ至るという治療内容である。森田療法は は筋肉を賦活しない状態を実現することが求め 対人恐怖などの社会不安障害、パニックなどの 7) −4− 身体心理療法における間接的身心技法の構造 不安障害や強迫神経症の治療方法として海外で なわち、実験者が提起した「腕のぶら下げ」課 も知られ、近年は特に認知行動療法 (cognitive 題に被験者は誠実に取り組み「何とか腕の力を behavior therapy) の発展とともに、両者の類 抜こうとする」という目的志向的な反応そのも 似性と森田療法の独自性の観点からあらためて のが、結果的に森田神経質的な反応になってし 関心が高まっている治療法でもある。森田療法 まっているといえる。 における独自性は次のような用語と理解方法に ところで、数は多くはないが「腕のぶら下げ」 みることができる。すなわち、a) ある事柄に対 実験で緊張反応を示さなかった被験者に、極め して過度に注意が集中するとその事柄への感覚 て特異な反応を示した被験者がいた。特に「相 がより敏感になりそうした感覚が固着されるこ 手によって持ち上げられている腕は自分の腕で とを「精神交互作用」で呼んで把握しているこ ない」という認識に立って対処していた者がい と、b)「~せねばならない」「~でなくてはい た。彼らの多くは、腕を心理的に自分から切り けない」という思いと現実の自分との矛盾にと 離しているため、腕が持ち上げられたり放され らわれる「思想の矛盾」に囚われていること、c) たりしても特に緊張することはなかったと報告 人には元々良く生きたい、認められた、健康で した。これは明らかにリラクセイションとは無 いたいといったように、人としてのあり方の向 縁のあり方であるが、結果的に「とらわれ」の 上への意志すなわち「生の欲望」があるという 状態からは離脱している。ただし「あるがまま」 こと、d) 森田療法では感情のあり方に焦点を という自然服従ではなく、いわば「心理的切断」 あて論理や思考には重きをおかないという「感 といった特異な心理的操作によって、結果的に 情の法則」を唱えていること、そして最終的に 「とらわれ」状態からは脱しているとはいえる。 は、e)「とらわれ」の状態から「あるがまま」 そうした反応はしかし自己を超越しているので という自然服従の態度へと至ること、である。 はなく自己の身体を捨て去るという放棄の状態 つまり、食事やトイレなどの最小限の寝起きを に近い。ちなみに、虐待やドメスティック ・ バ 除いて絶対臥褥の状態で過ごすことによって、 イオレンスの被害者達が、それ以上に虐待され 物事に拘泥している「はからい」の状態から次 たり殴られたりしないために、自らの意志と身 第に「あるがまま」の状態へと至り、それによっ 体を放棄して身体がただの物体であるかのよう て神経症の症状から離脱することを目指すのが にして自身から切り離すことがある。そうした 森田療法の骨子である。 身心の解離 (dissociation) に近い状態であると 「腕のぶら下げ」実験における腕の緊張反応 も考えられる。 を森田療法の理論から眺めると、緊張反応を示 さて、森田療法ではたとえば「気にならない す者の方が多数派だったという実験結果から推 ようすればするほどもっと気になる」といった 測して、いわゆるヒポコンデリー基調とは限ら 悪循環の中で神経症が進展すると捉えるが、そ れないだろう多くの人が実は森田療法で指摘す の解決のためには、しかし、論理的な思考など る a) 精神交互作用、b) 思想の矛盾、c) 生の欲望、 による挑戦は精神交互作用に基づく悪循環をさ のどれかの状態に囚われていると考えることが らに強めるだけだと森田は看破して、絶対臥褥 できる。実際、森田療法が示した基本的な観点 状態という身心のリセットを療法として取り入 は神経症の人に限らず人として共通にもつ本質 れた。これは「腕の脱力」課題においては「腕 的な反応傾向としても位置づけられており、そ の力を抜くためにはそうした課題そのものを意 の点では「腕のぶら下げ」課題に失敗する多く 識しない」といったようなある種の「超越」が の被験者のあり方とも合致する内容である。す 必要だったのと同様に、森田療法では神経症に −5− 臨床心理学研究 50 - 2 そのものには直接向かい合わないという意味で 槌で釘を打つ」動作がある。釘を打ち付けよう の「超越」的なアプローチとなっている。とこ とするとき、 意識は金槌や釘へと向いている ろでそうした「超越」という言葉から哲学的な ( 焦点的覚知 ) のに対して、金槌を支えている 響きを除いてみると、「腕の脱力」及び「森田 肘や肩などはおおむね無意識 ( 副次的覚知 ) の 神経質」における神経症症状に対して、どちら 状態にある。覚知されている部位と副次化され の場合も問題への直接的な関与を避けて間接的 て無意識ないし無自覚な部位とによって「金槌 なアプローチになっていることが見てとれる。 で釘を打つ」動作が構成されている。つまり、 以下では、「超越」という言葉を「間接化」あ 何らかの目的のために行われる動作には、目的 るいは「間接性」という言葉に言い換え、そう に関わる対象や部位などが意識化されて焦点的 した間接的な対応や対処について検討を加えて 覚知の対象となるだけではなく、そうした動作 いく。 が実現されるための基礎となる下部構造たとえ ば肘や肩はそれほど自覚されず、無意識のうち Ⅲ.間接性と「暗黙知」構造 に、つまり副次的覚知の状態にあって当該動作 焦点的覚知と副次的覚知 を実現するために働く。ポラニーが唱えた暗 「暗黙知 tacit knowledge」とはハンガリー 黙知の概念は元々は、閾値下知覚 (subliminal 出身の科学哲学者マイケル ・ ポラニー (Michael perception) などのように、意識の焦点化を受 Polanyi, 1891-1976) が 提 唱 し た 概 念 で あ る けず自覚されないままに参照されている知識や ( ポランニーとも表記される ) 9)10)11)12)。 知覚を想定していたが、意識 vs 無意識という 暗 黙 知 の 基 本 的 な 意 味 は「 人 は 言 葉 で 語 る 対比の自然な拡張として焦点的覚知と副次的覚 以上に潜在的に物事を知っていること」であ 知という対比が生み出されてきたといえる。ポ り、いわゆる潜在的知覚 (tacit perception) に ラニーの焦点的覚知と副次的覚知という対比 関わるものである。しかし、ポラニーの理解 は、身体動作を意識・無意識や自覚・無自覚と はそうしたレベルに留まらず、1) 焦点的覚知 いった心理的側面から位置づけており、身体心 (focal awareness) と 副 次 的 覚 知 (subsidiary 理的アプローチにおいてあらためて注目すべき awareness) の対比を明確化して、動作におけ 観点といえる。以下に示すように、身体心理的 る注意対象と無意識化される部位の存在を示し アプローチを暗黙知構造から捉えることによっ たこと、2) そうした両者によって全体としての て、そこに身体制御に関する「間接性」ないし「間 動作が実現されるが、二つの事柄や部位は相互 接化」のテーマを明確に見いだすことができる。 に連接していながら異なる機能をもつという相 互関係にあること、そして、3) このように位相 システムとしての身心症状 的に異なる二つの対象の関係に基づいて今日の ポラニーによる暗黙知構造は上の (3) に示 システムズ・アプローチ (systems approach) し た よ う に 今 日 の シ ス テ ム ズ・ ア プ ロ ー チ の基本を提唱したこと、と捉えられる。ここで (systems approach) の先駆的な指摘ともなっ は、暗黙知からの展開となる「焦点的覚知と副 ているので、特に身体心理的アプローチにおけ 次的覚知」を中心にして身体心理療法の技法の る身心症状と結びつけてその基本的な点にふれ 中にそうした構造が存在することを示し、そ ておく ( 詳細については、葛西 2013 を参照の れを「暗黙知構造 tacit knowledge structure」 こと )。様々な身心症状があるが例えば「不安」 と呼ぶことにする。 を取り上げてみると、a) 何らかの出来事があっ ポラニーが示している例としてたとえば「金 て強い不安を感じた、b) ドキドキして ( 交感神 −6− 身体心理療法における間接的身心技法の構造 経の興奮 ) 手に汗をかいた、c) そうした身心状 赤面を見せないように日焼けし過ぎて周りから 態の中で失策をしてしまった、といったような 逆に注視される状態を作り出すなどは誤った 展開があると、不安 (a) とそれに結びつく身体 「はからい」であり、身心症状と対処方法にお 状態 (b) とが一つの相互連関の構造を構成して、 ける悪循環の例といえる。身心症状を改善すべ そうした身心状態が失策という忌避すべき事柄 く本人によって試みられる逆効果の「はからい」 (c) と結びつくことによって、d)「失敗したら を含めて、身心症状システムは自らの構造をさ どうしよう」という予期不安が起きる。このよ らに強化し、外部からの様々な刺激に対しても うに a,b,c,d の事柄が全体として一連の身心反 システムの挙動が維持され、身心症状とそれを 応の構造を形作りそれが身心症状として表れて 生み出すシステムそのものが安定的に再生産さ くることから、身心症状を「一つのシステム」 れていく。システムとは外部からの影響によっ として考えることができる。すると、身心症状 て完全には左右されずそのシステム独自の平衡 に介入して何らかの変容をもたらす身体心理療 状態 ( ホメオスタシス homeostasis) を保とう 法とは、抽象的に述べれば、身心症状というシ するダイナミックな構造をもつといえる。した ステムの作動の変更や改変に関わるアプローチ がって、身体心理療法などのアプローチとは、 となる。そうしたシステムの基本的特徴として そうしたシステム化した身心状態のあり方を改 は、1) システムはそれに関わる要素によって構 変させたりシステムその自体への介入の試みと 成された「閉じた」構造であり、システムの内 して位置づけることができる。このように身心 部にある様々な要素の相互関係によって作動す 症状を「一つのシステム」として把握しポラニー ること、2) システムはそのようにしてシステム の暗黙知構造および「間接化」に関わる心理療 そのものを維持するとともに、その作動を再生 法的枠組みを取り入れることによって、身体心 産し続けること、すなわち、システムには自己 理療法は身心症状というシステムの変容に取り 生成 ( オートポイエーシス autopoiesis) 機能が 組むアプローチとしてあらためて位置づけられ あること、3) システムは外部との接触の中で る。 何らかの影響を受けるが、外部とは一体ではな く独立性を維持していること、などが挙げられ 身体心理的アプローチにおける副次的覚知 る。なお、ここでは身体システムと心理システ 焦点的覚知と副次的覚知とは動作などに関わ ムという二つのシステムのカップリング ( 接合 ) る意識と無意識のあり方を示す術語である。こ とデカップリング ( 接合の分離 ) といった詳細 れを閾値 ( いき値、しきい値 threshold) という な議論は行わず概略的な位置づけのみを示して 心理学用語を用いて言い換えるならば、「釘を いる。 打つこと」に意識が向いているとき ( 焦点的覚 森田神経質の身心症状は、こうしたシステム 知 )、意識の焦点からは遠い肘や肩などの感覚 論的な見方に基づけば間違いなく「身心症状シ は「意識化されるに至らない程度にまで感覚の ステム」であり、それが自らのシステムを再生 閾値が上がっているために、意識にのぼらない 産し続けるだけではなく、ポジティブ・フィー 状態」( 副次的覚知 ) と言うことができる。感 ドバックによって身心症状をさらに悪循環させ 覚として得られているけれども、ある強さ ( 閾 る働きを備えていることもみてとれる。たとえ 値 ) になっていないために意識の対象にならな ば、赤面している自分を恥じたりそうした自分 いものは、まさに暗黙知として潜在的に知られ を見られたくないことを過剰に意識することに ている状態といえる。そうした状態に関わる心 よって、たとえば強迫神経症的な反応が進む。 理学的概念として「注意 attention」という機 −7− 臨床心理学研究 50 - 2 能が取り上げられる。関連する心理学研究はお わせて、精神科ディケアの来所者に対して身体 およそ次の三つのテーマ、1) 選択的注意、2) 心理療法的アプローチを導入している。しかし、 処理容量または心的資源、3) 持続的注意 ( ビ 外から眺めるだけでは単にダンスをしていたり ジランス vigilance)、である。選択的注意とは 遊んでいるようにしか見えないらしく、ダンス 「カクテル ・ パーティ現象」の例のように、大 セラピーの構造と方略を認識できないようであ 勢が話している中から特定の人の声を選択して る。その理由の一つが、プログラムのエクササ 聞き取る能力など、意識の志向性と選択性に関 イズを進める際に、外から眺めているだけでは わる機能である。また、人は一度に多くのこと 把握されず体験している本人にも容易に自覚さ に注意を集中することができず注意という資源 れない、意識化と無意識化に関わる暗黙知構造 の容量や分配には限界があること、また、レー を取り入れていることにある。 ダー画面を長時間注視し続けるといった持続的 注意能力 ( ビジランス ) にも限界があることは リラクセイションにおける副次的覚知 産業心理学などのテーマとなっている。なお、 たとえばリラクセイションをテーマとしてい H.S. サリヴァン (Harry Stack Sullivan, 1892- る場合、参加者に横たわって ( 仰臥位 ) もらい、 1949) 13) は、統合失調症者の傾向として「選 その片腕を持ち上げて揺らしたり、あるいは 択的不注意 selective inattention」という傾向 足を少し持ち上げて揺らしたりする ( 野口体操 があることを指摘しているように、注意が固着 の「ねにょろ」なども含む ) 簡単な技法がある。 することや注意が向かないことは精神疾患な 精神科ディケアでは参加者の中には警戒してい どの要素として重要であり、学習障害や発達 たりあるいは対人恐怖的だったり、腕や脚の緊 障害が注意という資源に関わる (ADHD: 注意 張がとれないままのことが多いため、いくつか 欠 陥 多 動 障 害 attention deficit hyperactivity の手順を経て腕や脚のリラクセイションの実現 disorder) 問題を含むことが知られている。 を試みている。ところで、そうした際の最悪の このように注意という事柄が心理学の研究対 言葉掛けが「もっと力を抜いて下さい」という 象になってきているが、非注意ないし無注意と 台詞であることは、精神交互作用による筋緊張 でも呼ぶべき事柄を明確に理解に組み込んだポ の悪循環作用が働き出すのですぐに分かる。こ ラニーの暗黙知は、注意 vs 無注意の対比を身 うした誤った言葉掛けは身体心理療法の基本に 体心理的アプローチにおいて扱う基盤を提供し ついて無知であることを露呈するだけではな ている。焦点的覚知と副次的覚知、この両者か く、全くの逆効果でしかないことはすでに示し ら構成される暗黙知構造とは、注意に関する直 た通りである。したがって、リラクセイション 接性と間接性の対比を心理学的に把握したもの のプログラムではたとえば次のような「間接的」 といえる。以下では、こうした概念を用いて実 な方法を用いることになる。 際の身体心理的アプローチならびに身体心理療 たとえば、腕の脱力のために行われるレッス 法における技法との関係について述べる。 ンでは、相手の腕を揺らすために相手の手首を 筆者は 1999 年から精神科デイケアにて「リ つかむ。その場合、持つ方も持たれる方も両者 ラクセイション」及び「ダンスセラピー」の の焦点的覚知はつかまれている手首に向かって プログラムを担当して今日に至っている。現在 いる。すると、意識された手首のあたりには、 では、ダンスセラピー ( 正確にはダンスムーブ 精神交互作用によって筋緊張が誘導されるのが メント ・ セラピー dance/movement therapy、 自然な展開となる。そのため、ディケア参加者 D/MT と略記 ) とリラクセイションとを組み合 の腕をそのまま揺らし始めるのでは、手首や腕 −8− 身体心理療法における間接的身心技法の構造 や肩などにかえって緊張が走る。そのため、筆 側の膝の揺れによって相手の足と下半身、そし 者が暗黙裏に試みるのは相手の手首をもって相 て全身が穏やかに揺らぎ始めていく推移は相手 手の手首を揺らすことではなく、とりあえずは にはおおむね副次的覚知のままとなる。そのた 意識されていない ( 副次的覚知状態にある ) 相 め「他人によって揺らされている」というさせ 手の肘や肩などを、手首の動きを通じて間接的 られ感とそれへの抵抗が起こりづらく、自らの に揺らしたり働きかけることにある。そのため 身体が自然に安らいでいく感覚として受け止め には微細な振動を与えることや、仰臥位などの られるためである。なお、こうしたプロセスに 場合は掴んでいる腕の肘を床に降ろすなどの細 ついて相手に説明することはないこと、および、 かな技術的な側面があるがここでは省略する。 この方法は自我境界が緩い統合失調症者などに 初学者にも簡単にできる「足のゆらし」( 余 は用いないこととを明記しておく。リラクセイ 計な緊張反応を避けるため主に同性同士で行 ションとはお題目を唱えることではなく、実際 う ) では、焦点的覚知と副次的覚知の対比が分 に身心が弛緩して安らいだ状態に在るという事 かりやすいので以下に例示する。仰向けに横た 実に至ることだが、こうした手技的な関わりに わっている相手の片足を少し持ち上げて、その おいては暗黙知構造に基づくアプローチが極め 足の下に胡座や正座している自分の膝を滑り込 て有効であることを確認してきている。ただし、 ませる。そして、相手のアキレス腱からふくら こうした身心技法の詳細を傍から見て見抜くこ はぎの部分を自分の膝上から太股の部分に載せ とは難しく、一定の訓練が必要なことは言うま る。相手の足首を上から軽くつかんで左右に揺 でもない。 らす…。多くの場合、相手は掴まれている足首 筆者の身体心理的アプローチでは、ダンス 部分を意識 ( 焦点的覚知 ) して、しばしば足全 ムーブメント ・ セラピーで用いられるダンスや 体に緊張が生まれて固くなったりあるいはこち 様々な動きなど運動強度のやや強めのレッスン らの揺らす動きに同調して手伝う動きが起こ を体験してもらってから、その次の段階でこう る。これは、「腕のぶら下げ」課題で起きた反 した「リラクセイション」レッスンへと進むこ 応とほとんど同様な社会的な緊張反応である。 とが多い。すると、対人緊張が強く精神安定剤 そうした状態で揺らしていても、こちら側の焦 や睡眠導入剤を必要としていたりあるいは人前 点的覚知が相手にも伝わり緊張状態は必ずしも に出たり人前で横になることに強い不安と緊張 改善されない。そこで、相手に最近のことなど を示す人が、横たわった他のメンバー達の中で について話をさせ始めつつ、相手の足首が載っ ふいに眠りに落ちることがある。リラクセイ ている自身の膝・太股を少しずつ揺らし始め、 ションに限らず、焦点的覚知と副次的覚知を切 相手の足首を掴んでいるこちらの手の動きを静 り替えたり推移させることによって、意識と無 めていき相手の足の揺れと同調させていく。最 意識のあり方そのものへと影響を与え、半睡眠 終的には焦点的覚知が不可能なほど相手の足の を含む穏やかな変性意識状態へと誘うことが可 揺れとこちらの手を一体化させていく。 能となる。なお、こうした意識の切り替えはど こうした展開を穏やかに進めていると、多く ちらかと言えば後にふれるエリクソン催眠にお の場合、相手の身心が緩み、状況によってはふ ける誘導の基本ともされている。 と寝入っていくほど安らぐことがある。その一 また、特に眠りに陥ることがなくても、こう つの理由が、最初は相手の足を揺らしているた した状態では A. マスロー めに向けられていた相手の焦点的覚知が徐々に 動機説の「安全欲求 safety need」がほぼ充足 緩んでいくことにある。それとともに、こちら されていること、また、相手に足や腕を委ねて −9− 14) が唱えた五段階 臨床心理学研究 50 - 2 いるという身体接触そのものがマスローの「所 こうした身体心理的アプローチを行う場合は、 属と愛の欲求 belongingness and love need」 自らのあり方から権威性を取り去り専制的だっ と呼ばれる心の通い合う暖かい関係によって担 たり搾取的な要素をどのようにして無化するか われることによって、フロイドが理想としたで というセラピーを行う側の課題と資質が極めて あろう無意識が活発化した状態での自由連想的 重要となる。これに関しては、心理カウンセ な語りが自然に発生することにもなる。これま リングの基礎を作りあげたカール ・ ロジャーズ での経験では、様々な声がけの工夫や働きかけ (1902-1987) 16) が示したしたクライエントへ などによってその場が安全で安心であるときは の「共感的理解 empathic understanding」と 身心が安らぎ、様々な「はからい」も一時的に 「無条件の肯定的顧慮 unconditional positive 棚上げ状態になる。そうした状態は森田療法の regard」、そして自らのあり方についての「自 絶対臥褥期にはほど遠いにしても、それに連な 己一致 congruence」という基本的態度が必須 るような身心症状の緩和が得られていると考え であることを指摘しておきたい。なお、身体心 られる。なお、無意識が活性化した身心状態が 理療法では身心技法に関する枠組みをクライエ しばしば「退行 regression」と呼ばれることが ントに了解してもらう必要があるため、必ずし あるが、上に述べたリラクセイションの状態に もロジャーが示した非指示的アプローチ (non- は自己防衛の要素はなく「心の通い合う暖かい directive approach) とはならず、少なくとも 関係」が基本となっているため、心理的防衛機 セッションの場面構成については指示的とな 制 (defense mechanism) という意味での「退 る。 行」という用語は避けるべきであり、ただ「ま どろみ」とか「安らぎ」などと呼ぶ方がふさわ ダンスムーブメント ・ セラピーにおける しい。 副次的覚知 ところで、マスローの安全欲求には、場面に リラクセイションへの誘導のみならず、動き ついての「予測可能性 predictability」と「制 を取り入れたダンスムーブメント ・ セラピーの 御可能性 controllability」とが必要とされてい 際にも暗黙知構造による意識・無意識の対比状 る。つまり、自分に次に何が起きるかがある程 態を用いることがある。例えば、人がそばにい 度予測できること、また、状況がどのように推 ると不安に感じたり、あるいは触れたり触れら 移するかを自分の意志に従ってある程度制御で れたりすることに不安や抵抗がある場合などで きることによって、安全で安心な場とは、その は、ダンスセラピーという呼び名そのものが作 場が指導者などによって専横されない自己決定 り出す「ダンスだから相手と関わり、場合によっ 的な場として選択の余地があること、さらにそ ては相手に触れたり手をつないだりすることが うした状態が保証されるためには何らかの権限 ある」といった予見や理解を利用することで、 分与が行われているという状況である。そのた 必要に応じて触れたり触れられたりが起きると め、セッションの場は D. マクレガー (Douglas いう相互理解が重要となる。これは、ダンスセ が説いた「Y 理論的 ラピーという場面における役割取得といったさ McRegor,1906-1964) 15) リーダーシップ」による組織管理形態ないし関 さやかな社会的圧力を利用しているけれども、 係性、すなわち、マスローの五段階動機説の上 そうした暗黙の社会的要請は場面の基礎構造を 位の動機群「所属と愛への欲求、自尊欲求、自 位置づけるものに留まる。そうした共通理解に 己実現欲求」への働きかけを前提としてセッ 両者が歩み寄ることによって、身体心理療法と ションが営まれることが要請される。このため、 してのダンスセラピーのプロセスが初めて可能 − 10 − 身体心理療法における間接的身心技法の構造 となるのであって、権威的に指示や指令をする 点的覚知と副次的覚知に基づく暗黙知構造を見 ことは身体心理療法というセラピーのアプロー いだすこともできるため、上に述べたアプロー チではなく、単なる強権的な管理に過ぎない。 チは身体心理技法としてはそれほど新しいもの さて、たとえば簡単なステップの練習 (「開 でもない。 いて閉じて開いて蹴る」など ) をするという展 ダンスムーブメント・セラピーは、第一次世 開を用意して、そこに暗黙知構造を導入するこ 界大戦後、アメリカの精神科閉鎖病棟で始ま とによって不安や対人恐怖的な傾向の緩和を試 り、ダンスセラピーの母とも呼ばれる M. チェ みることができる。たとえば、ステップの練習 イス (Marian Chace, 1896-1970) によって「コ という足の動作へと焦点的覚知を向けつつ、動 ミュニケーションとしてのダンス dance for きのタイミングの中で、手の接触への閾値が高 communication」という位置づけの元に確立 まった状態、つまり、手が触れたりすることへ されてきたという歴史がある。当時の主な対象 の警戒心や感覚が意識化されづらくなった状態 者は精神分裂病の患者 ( 統合失調症者 ) であっ で、相手の手にふれる、手を重ねる、手を載せ たため、すでに触れた H.S. サリヴァンによる る、手を掴んでもらうなどの動作が、相手の副 「対人関係論としての精神医学」という立場の 次的覚知の状態で可能となる。つまり、実際に 影響を強く受けている。今日までの広範囲に及 は手の接触などが起きているにも関わらず、一 ぶダンスムーブメント ・ セラピーの効果の報告 生懸命に集中して足でステップを踏んでいる参 にも関わらず、ダンスや動きが認知心理的変容 加者には、手の接触による不安や抵抗が強くか をもたらす身体心理療法としてなぜ効果がある き立てられないという変化が起きる。傍目から かについては、これまで必ずしも十分に提示さ もその場は「ステップの練習」の場として認識 れてきていないが、上述の身体心理的アプロー され、手の接触が副次的覚知の状態にあるため チにおける暗黙知構造は、その解明の一つの端 である。一見偶発的な手の接触に対する心理的 緒となると考えられる。 閾値が高まることにより、精神交互作用による ちなみに、催眠療法の世界を一変させ、ブ 不安の悪循環が起こりにくくなっている。 リーフ ・ セラピー ( 短期間心理療法 ) や問題解 こうした「ダンスのステップ」を外部から見 決志向心理療法などのアプローチの基礎をもた ると単なるダンスの練習にしか見えないにも関 らした M. エリクソン (Milton Erickson, 1901- わらず、そうしたステップの練習によって、相 1980) 手に触れることや人との関わりに対する不安や の利用が随所に見られる。例えば、末期ガンの 恐怖心が軽減されていく。手に触れられるなど ため薬によって痛みが軽減されない患者に対し の接触の回数と慣れによる効果も考えられる て、「ドアの向こう側に虎がいる」と患者を怯 が、それだけでは参加者の身心変容の度合は説 えさせて、怯えていたときは痛みを感じないこ 明できない。一般的にダンスの指導によって不 とを自覚させたという事例がある。「空腹の虎 安状態が解消されるわけではないことから、ダ が隣の部屋にいてこの部屋に入ってきたら…」 ンスという枠組を身体心理療法を導入するため ということに焦点化覚知を向けさせることで、 の場として用いて、そこに意識と身体に関わる 身体の痛みを副次化させて痛みに対する心理的 暗黙知構造に基づく身心技法を導入することに な閾値を上げさせ ( 無注意状態 )、結果的に痛 よって主要な効果が得られているといえる。な みを感じていない時間をつくり出したと考えら お、領域は異なるが、古武術研究家の甲野善紀 れる。これは痛みを副次的覚知状態へと移行さ による身体操作術や合気道などの中に、焦 せる方向で暗黙知構造を用いた例であるが、ド 17) − 11 − 18)19) による治療事例にも暗黙知構造 臨床心理学研究 50 - 2 アの向こうにいる虎という話を受け入れさせ恐 社会」の三つのシステムの構造としてあらため 怖させるという暗示ないし催眠の効果が前提に て捉え直す必要があるといえる。ちなみに、精 なっていることは言うまでもない。こうした例 神科医で統合失調症の専門家・花村誠一 20) は では、暗黙知構造による身心症状に対する「間 「神経・身体・心理・社会」という四つのシス 接化」効果が見られるが、エリクソン催眠の独 テムのカップリングとデカップリングの観点か 自性そのものが間接的な暗示による催眠誘導に ら統合失調症の症状分類を行っている。 ある。従来は権威的で指示的な方法で催眠誘導 と こ ろ で、 第 二 次 世 界 大 戦 中、 ウ ィ ー ン を行い症状に対して直接的な暗示を与えていた 大 学 教 授 で 精 神 科 医 の V. フ ラ ン ク ル (1905- が、そうした旧来の催眠療法とは明らかに異な 1997) は、悪名高いアウシュビッツ強制収容所 る点である。なお、暗黙知構造に基づく間接化 に送られ悲惨な体験を強いられた。強制収容 効果はエリクソン催眠を構成する様々な要素の 所で生き残ったフランクルは戦後、「生きる意 一つに過ぎず、エリクソン催眠の全貌を把握す 味」に焦点をあてた実存的な「ロゴセラピー るためには少なくともシステムズ・アプローチ logotherapy」を展開し、「身体・心理・社会・ に基づく身心症状の変容という立場からあらた 実存」という四つの要素に基づいて実存的空虚 めて探求する必要があるといえる。 からの離脱をテーマにして精神療法を行った。 フランクルは著書の中で「幸福の追求は幸福を おわりに 妨げる」21)と述べ、求める対象へ直接向かう ポラニーによる暗黙知の研究から得られた ことの問題点を指摘している。幸福は本人の 「焦点的覚知・副次的覚知」という意識・無意 様々な選択と人生行路の結果としてあり幸福そ 識の対比を、 身体心理技法の要素の中に見いだ のものを求めることはできないという論調は、 しそれを「暗黙知構造」と呼んで検討を行っ 本稿の「間接性」のテーマと重なり合う。さらに、 た。意識・無意識は心理的機能であるが、身体 アレクサンダー・テクニックを創始した F.M. ア として存在している人間は自らの身体について レクサンダー (1869-1955) は、身体的問題を も様々な仕方で意識化・無意識化を行っている 解決するために、それに至るために必要な身体 ため、暗黙知構造が身心技法の基本の一つとし 心理的過程を飛び越えて結果のみを求めること て機能することになる。そして「腕の脱力」や を「エンド・ゲイニング end-gaining」 22) と 「リラクセイション」「ダンスムーブメント ・ セ 呼び、結果の先取りとして警戒している。フラ ラピー」などの実践例において、副次的覚知に ンクルは実存的に「直接に得られないこと」に よる間接的アプローチの状況が指摘された。本 ついて語り、アレクサンダーは身体的に「直接 稿ではシステムズ・アプローチそのものには十 に得られないこと」について語っているといえ 分に触れていないが、身心症状が身体システム る。そうした間接性ということが本稿のテーマ と心理システムという二つのシステムの関係性 であったが、身体心理療法における枠組みを超 によって構成されると考えられため、両者の えて暗黙知構造がそうしたテーマにも適用可能 カップリング ( 接合 ) とデカップリング ( 分離 ) かどうかは今後の検討課題といえよう。 というシステムズ・アプローチの考え方を導入 することによって、身心状態への介入と変容を 位置づけることが今後のテーマである。ただし、 身心のあり方には社会文化的要素が強く影響し ていることから、社会性を加えて「身体・心理・ − 12 − 身体心理療法における間接的身心技法の構造 参考文献 1)A. ローエン『バイオエナジェティックス 原理と実践』菅靖彦・国永史子訳、春秋社 1994 2) 葛西俊治「身体心理療法の基本原理とボディラーニング・セラピーの視点」札幌学院大学人文学会紀要第 80 号 ,85-141, 2006 3) 葛西俊治「身体心理療法の現状とシステムズ ・ アプローチとしての展開」札幌学院大学人文学会紀要第 93 号、 59-82, 2013 4) 葛西俊治 " 腕の脱力の困難さについての再確認 " 催眠学研究 , Vol.41, No.1-2, 34-40, 1996 5) 葛西俊治 and E.A. Zaluchyonova " 腕の脱力の困難さに関する実験的研究 " 人間性心理学研究、Vol.14,No.2, 195-202, 1996 6) 葛西俊治「腕のぶら下げから社会体操へ」人間性心理学研究第 8 号 ,21-26, 1990 7) 葛西俊治「腕の脱力における心理学的方略」人間性心理学研究 , 212-219, Vol.12, No.2, 1994 8) 森田正馬『新版神経質の本態と療法』白揚社 , 2004 9) M. ポラニー『暗黙知の次元――言語から非言語へ』佐藤敬三訳、紀伊國屋書店 1980 10) M. ポラニー『個人的知識――脱批判哲学をめざして』長尾史郎訳、ハーベスト社 1985 11) 佐藤光『マイケル ・ ポランニー「暗黙知」と自由の哲学』講談社 2010 12) 葛西俊治「暗黙知」:『人間性心理学ハンドブック』日本人間性心理学会編、創元社 2012 13) H.S. サリヴァン『精神医学は対人関係論である』みすず書房 2002 14) A. マスロー『完全なる人間 : 魂のめざすもの』上田吉一訳、誠信書房 1964 15) D. マクレガー『企業の人間的側面―統合と自己統制による経営』産能大学出版部 1970 16 ) 久能徹 他『ロジャーズを読む』岩崎学術出版社 1997 17) 甲野善紀「身体操作術」Uplink DVD collection,2006 18) J.K. ゼイク編『ミルトン・エリクソンの心理療法セミナー』宮田敬一訳、星和書店 1984 19) W. オハンロン & A. ヘクサム「アンコモン ・ ケースブック」亀田ブックサービス 1997 20) 河本英夫、L. チオンピ、花村誠一、W. ブランケンブルグ『複雑系の科学と現代思想―精神医学』青土社、 1998 21) V. フランクル著『意味への意思』山田邦男監訳、春秋社 2002 22) W. バーロウ『アレクサンダー・テクニーク : 姿勢が変わる・からだが変わる・生き方が変わる』伊東博訳、 誠信書房 1989 The structure of indirect body-mind techniques in body psychotherapy Toshiharu KASAI − 13 − 臨床心理学研究 50 - 2 【特集 身体志向心理療法のさまざまなアプローチ】 野口晴哉の療法―その身体志向心理療法としての側面 平山 満紀 1) 要約 野口整体の創始者、野口晴哉(1911 ~ 1976)は再評価が進んでいるが、身心と人間関係の全体を 見通すその療法のうち、現状では身体療法の側面に注目が偏りがちである。本稿は野口の心理療法 の側面への理解を進めることを目的にし、野口の著作や講演録、野口の直弟子が伝える実践と生前 の姿についての語りにより、その側面の特徴を描写する。野口は徹底した経験主義者で身心を一瞬 一瞬五感と直観で捉えていた。野口の観察によると、心理状態の多くは身体状態の反映であり、身 体的アプローチで変えられる面が多い。本稿ではその具体例を多数紹介する。野口は身心の徹底し た観察から「体癖」と呼ぶ非常に情報量の豊富なタイプ論を導き、それに基づいて心理療法をおこ なった。性エネルギーの動きを看取してその停滞を解消することですぐれた効果をあげ、潜在意識 への働きかけが卓抜していたのも特徴である。身体と心理の全体を捉えることで野口は胎児からター ミナル期の人にまで効果の高い療法を行い得た。 はるちか 野口整体の創始者、野口晴哉(1911 ~ 1976) 姿勢で、アレンジを加えず語り伝えようとさ の生命観と療法は、近年再評価が進んでいる。 れる方である。また筆者はかなりの不調から、 野口は身体療法と心理療法を分けることをせ 五十嵐氏の「操法」と呼ばれる身心療法 ず、人間を常に身心の関わり合う全体として捉 受けて回復し、他の人達の回復にも接してきた。 えていた。またそれは比類ない人間観察力に支 野口の心理療法の側面を取り上げ再評価するこ えられていた。しかし直弟子達を含め余人がそ とは、筆者の能力をはるかに超える課題ではあ の水準の観察力をもつことは至難なため、今日 るが、その一片を描写して心理療法界の参考と、 の再評価においても、取り上げられる側面はき 今後の研究のたたき台を供せられればと願う。 1) を わめて限られているように見える。より理解、 実践の容易な他の療法とミックスしたり、野口 の知見の一部だけを摂取して自分流にアレンジ 生きた人の全体を五感と勘でとらえる 野口晴哉は徹底した経験主義者で、現実から する療法家も少なくない。特に、心理指導と呼 離れて理論を組み立てることは全くしない。生 ばれる心理療法や、身心を関わりあう全体とし きている人の一瞬一瞬の動きの全体を、細部に て捉える方法は、身体療法に比べて、知見を固 至るまで捉える観察眼、身体に触れて捉える並 定化させ伝承させることが難しいため、再評価 はずれて敏感な手を初めとし、五感と直観でと から取り残され、現代の野口整体は身体療法に らえていた。そのような卓越した観察が、野口 重点が寄りがちだと言える。 のすべての人間理解の基盤にある。 筆者は、野口晴哉の直弟子の五十嵐恭一氏に それは「大人が借金をすると、顔につやがな 師事して野口整体を学んできたが、五十嵐氏は くなって乾いてくる」「子供に絶えず指示で強 野口晴哉の指導や操法について「如是我聞」の 制している母親は、首が右に曲がって鼻の先が 1)明治大学 − 14 − 野口晴哉の療法―その身体志向心理療法としての側面 冷たく、腰が硬張っている」2) 「外股で、歩幅 関心が薄い五十嵐氏の特性を、一言も交わす前 の狭い、後に力がかかり勝ちな歩き方は、男 から勘でとらえて、関心の幅を広げようとした なら家庭で奥さんに圧迫されている人です」 のだろうか。また野口はこのように、人の中に 3) というような、心理状態と身体状態の全体―そ 残っていつまでもリフレインするような言葉の れはつねに人間関係の文脈の中で捉えられてい かけかたの達人だったようだ。 る―への鋭く詳細な観察である。 野口は「人の外側は内部のすべてを表現して いる」と捉える。人は言うことやすることに は「お化粧」をするなどいろいろと操作をする 心理、精神状態の多くの部分は身体状態の 反映である 野口晴哉は述べている。 「言ったことや行なっ ので、外側と言っても言葉や行為をそのまま受 たことよりは、その基にある心、その心を造り け取ることはしない。操作しきれずに人が表現 出す前の体の状況を、もっと重きを置いて観な してしまっている、ふとした表情やしぐさや身 ければならない。大人は理屈や知識で動いてい 体状態を看取するのである。講習会の最中、参 るように錯覚するが、身体の要求で動いている。 加者の一人がトイレに行きたいとふと思った時 イライラしている時には、何にイライラしてい 野口と目が合って、「どうぞ」と言われたとか、 るのかと考えるより前に、身体の状況はどうな ふと夕飯を何にしようと考えた人が「そんなに のかを見るべきだ。」6) 心理状態は身体状態の反映で作られ、身体状 気になりますか」と言われたなどの逸話も多い。 どのような外側だと内部はどうであるか、野 態を変えることで変えられる場合が非常に多い 口が明確に徴候を指摘している事柄も多いが、 と見るのである。その具体的内容は、現代の心 「なんとなく」という勘が重要だと野口は述べ ている。 4) 例えば新婚夫婦の性交渉がうまく 理療法家も関心のあるところだろうと筆者は思 い、以下にいくつか紹介したい。 いったかどうかを顔だけで見分け「当人達がか 人は心理的ショックを受けると、身体がさま くしていても、輝かしい顔つきになる。男は逞 ざまな面で委縮することは誰もが体験からわか しさが現われ、女は愛らしさに包まれる」と述 る。その変化をより詳細に捉えることになる べ、これは具体的徴候というよりかなり直観に が、骨盤が下がり、尾骨が縮まり、右腿が短く 近いと言える。また「インポテンツの人々は前 なり、アキレス腱が縮む。鳩尾が硬くなって息 屈の姿勢をとりやすく、収縮動作が遅く、尻が が浅くなり、頭部第二と呼ばれる頭頂の左右二 下がっている」等特徴を挙げつつも、結婚相手 つの点が過敏になる。こういった身体状態が続 の性が正常かどうかは「気で感ずる」ものであ く間は、心理的ショックや不安が続いてしまう り「理屈をこねていると判らなくなる」と述べ、 のである。つまり身体状態がこのようだと、人 動物は知識 は不安の材料をわざわざ見つけて、当人の意識 がなくても勘で、生きるのに必要なことはすべ としてはそれが理由で不安になるように思って てしてしまう。人間にも本来同水準の勘はある しまう。 結局は勘が重要だとしている。 5) はずで、野口はそれが人並みはずれて冴えてい 逆に、身体状態を変えることで心理状態も変 た。五十嵐氏は、十代で弟子入りした日に、野 えられる面が多い。鳩尾は吐気法という呼吸法 口師にかけられた第一声を今でも思い出すと語 でゆるめる。頭部第二には手を当てて「愉 気」 られる。それは「就職するときには僕に言って する7)。尾骨にも愉気をするとゆるんでくる。 ね。いろんな会社に知り合いがいるから、斡旋 骨盤が下がったり右腿が委縮して短くなってい するからね。」だったという。世俗の仕事への るのには、軽いショックで動かすなどの操法を ゆ − 15 − き 臨床心理学研究 50 - 2 する。アキレス腱にも愉気が効果をもつが、3・ る。どの椎骨の動きが悪くて飛び出ている、ど 11 の後避難所で喜ばれた足湯も、縮んだアキ の堆骨が下がって下の堆骨にくっついているな レス腱をゆるめる、同様の効果をもつ。身体状 どの状態と、心理的傾向との関わりも詳細に把 態が変われば、不安の材料は変わらなくても不 握している。また一側線が硬直すると、喜怒哀 安は霧消するのである。 楽の何の感情が生じているのか自分でもわから 全般的に、身体の硬直という状態は、心の動 ず表情も曖昧になり、さらに硬直すると失感情 きを鈍らせて停滞させ、特に背中の硬直は呼吸 症的になって自己存在の希薄感につきまとわれ を浅くするので見通しは短期的に視野も狭く る。こういう人の一側線をゆるめると、感情の なってしまう。野口は身体の緊張と弛緩につい 豊かさを取り戻すのである。 て詳細な観察をしているが 、硬直は弛緩でき 頭部の状態も脳神経に対し直接的な影響があ ない状態で、弛緩できないと本当の意味での緊 る。頭部の観察と調整法は東洋医学の伝統には 張もできない。呼吸の吐くことと弛緩、吸うこ 無く、野口の非常に独自な研究・発見のひとつ とと緊張は連動しているので、硬直を弛緩させ である。頭蓋骨は頭が疲れると広がって下垂す るのに呼吸も活用する。 るが、その状態が続くと頭の疲労がぬけなくな 8) 上肢(手や腕)の状態も心理状態への影響が る。頭皮が張りついているかブヨブヨだと神経 大きい 。上肢の硬直は、脳の疲労や滞りから 症になり睡眠異常にもなる。これには首のつけ も、ペンで長時間書くなど手腕の使用からも起 根の頭部第五と呼ばれる箇所に愉気すると、過 こるが、指がむくんで動きが悪い、掌に硬直が 度の張りは緩む。何かをしようと思っても行動 ある、手首が広がって太くなり動きが悪い、肘 できない人も頭皮がブヨブヨである。頭部を軽 が硬く冷えている、腕のつけ根が硬いなどがあ くトントンと叩くとひきしまりやすい。頭部第 ると、心理的に委縮し、頭の回転が悪くなって 三と呼ぶ頭頂部が盛り上がっている状態は感情 心の柔軟性を失い、こだわりが強く陰気になる。 を抑圧してしまい、ここに愉気をすると感情が ほとんどの鬱は、腕の慢性的な硬直による疲労 解ける。脳神経の疲れは頭頂部の左右の頭部第 をとると治ってくる。掌の硬直に愉気をしてゆ 二への愉気が効果が大きい。 9) るめ、指をひっぱって伸ばすだけで、心がゆる 股関節や足や脚の状態も、心理状態には影響 んで涙を出し、すっかり心が軽くなる人もいる。 が大きい。股関節に歪みがあると、大腿骨など 手首は(前後の動きに比べて動きが悪くなりや 下肢全体がねじれたり歪んだりし、立ち歩くと すい)左右に振る、肘には肘湯をするなどして 常に脳には異常を知らせる情報が伝達される。 硬直をゆるめると、発想が柔軟になり心理的に それが心理的疲労や心理的不快感として感じら も非常に楽になる。手首と腰椎も関連が強いの れる。他の身体状態の異常も同様だが、脳が異 だが、手首の動きが悪いと腰椎の動きも悪くな 常情報の処理で余分に働いているので疲労し、 り、頑固になり、決断ができず、考えたことを 理由のない心理的疲労や不快を抱く状態になっ 行動に移しにくくなる。腰椎の柔軟性も手首を ていて、理由はその後に見つけて心理的問題を 柔軟にすることで取り戻すことができる。 作るのである。股関節の狂いは放っておくと難 野口は背骨の観察も非常に微細におこない、 産など生殖機能の問題につながるが、また感情 頸椎から腰椎までとその左右の一側とを、三本 が安定せず爆発するヒステリー状態をも起こし の指ですうっと触れていくことにより、その人 やすい。股関節の歪みも愉気で調整できる。 の身心状態について百以上の特徴を捉えたと聞 空気が乾燥するとイライラしやすくなり、そ く。堆骨の左右二側と三側の特徴も触れて捉え んな時に水を少しずつ飲んで身体の潤いを保つ − 16 − 野口晴哉の療法―その身体志向心理療法としての側面 と感情が落ちつく。風邪で高熱がでると神経は (そのため一つの体癖類型の中 れている。11) 非常に安まるし、熱が下がると共にねっとりし にも細かな下部類型が含まれる。) た汗が出て神経疲労物質が捨てられ、精神的に も苦悩が軽くなる。 体癖とは身心の何に注目したタイプ論かをご く簡単に説明しよう。 自殺願望も、独特の身体状態と結びついてい ①内外の刺激に対し、その人のどの臓器―頭脳、 ると野口は見つけている。それは足の第 5 指が 消化器、呼吸器、泌尿器、生殖器の5つに分 第 4 指の上に重なるような形に固定した状態 類している―が最もよく反応するかに注目し で、片方の足がこのような場合は、自殺という ている。例えば同じ地震のショックを受けて 考えが時々頭をよぎり、両方の足がこのように も、「これからを考えると頭が空回りして苦 なると、自殺したい思いが頭を去らなくなると しい」「ショックで吐き続けている」「息苦し いう。第 5 指のつけ根に愉気をすると第 5 指 くて喘息の発作がでてしまった」「尿が出な はゆるみ、指は重ならなくなり、自殺願望も消 くなってむくむ」などの違った反応がある。 えるという。 (生殖器型はショックには強い)この反応の このようにみると、心理的問題であっても身 偏りにより、頭脳型、消化器型などの分類が 体的アプローチも行ってこそ、効果的に解決で できる。 きると思える。筆者自身や野口整体を通じて関 ②エネルギーが身心のどんな作用に使われるか わった人達の経験からも、職場、夫婦、家庭 ―頭脳、感情、行動、闘争、本能―の5つの の問題などでいわゆる「心を病む」人は、身体 作用に注目している。理知的に考えるのが得 的に異常を抱えて疲弊し、視野狭窄になり発想 意な人、理屈や損得が苦手で感情や好き嫌い の自在さを失っていることが多く、身体的アプ で動く人、行動が先にあり考えが後からつい ローチでそれを改善させればおのずと解法を見 てくる人、勝ち負けに非常にこだわる人、直 いだせることも多い。 観ですべて把握する人がいる。 ③身体の運動がどのように偏るか―上下運動、 体癖の観察と体癖に応じたはたらきかけ 左右運動、前後運動、ねじれ運動、開閉運動 心理学の領域には人のタイプ論があり、ガレ のどれが濃く表れるか―に注目している。同 ノスの四分類、ユングの二分類、クレッチマー じ歩くにしても、ぴょこぴょこ頭を上下させ の肥満型、細長型、闘士型、シェルドンの内胚 て歩く、左右に身体をゆすって歩く、前のめ 葉型、中胚葉型、外胚葉型などが論じられてい りになって歩く、身体をねじりながらやくざ るが、いずれも現実の人間に適用するには大雑 のように歩くなどがあり、開閉運動ではしゃ 把すぎる分類ではないだろうか。野口晴哉は、 がむと楽で落ちつく人と、しゃがめなくて尻 、 もちをついてしまう人がいる。上下型、左右 微細な身心観察を一時期は組織をあげて 10) 膨大な人数にわたりおこない、「体癖」という 型、前後型、ねじれ型、閉型・開型と分類が 独自のタイプ論を展開した。これは心理的タイ できる。この基には体型、体構造の違いがあ プと身体的タイプが重なっている点でクレッチ り、たとえば左右運動が大きい人は、立姿勢 マーと共通するが、指摘されている特徴の情報 で重心が左右どちらかの足に大きく偏ってい 量はクレッチマーの一万倍以上ではないかと筆 るし、ねじれ運動が大きい人は、立姿勢で一 者は思う。もとは数百のタイプに野口は分類し 方の足の重心がつま先寄り、他方が踵寄りに たが、他の人達が把握できなかったため大きく なっている。野口は組織的に体癖研究を行っ 括り直し、最終的に 12 のタイプにしたと言わ ていた時期には、これらを実測できる体量配 − 17 − 臨床心理学研究 50 - 2 分計を開発し、バイオリズムなど詳細に研究 発散しないと机に向かえない、また賑やかな喫 していた。 茶店などでこそ勉強に集中できる第 5 種、きち んと片づけなければ集中できない第 6 種などと ①②③の 5 類型は、刺激を、①で挙げた各 感性が異なる。第 1 種の先生が第 5 種の子に 臓器で受け止められるタイプ(頭脳なら、頭が 運動を辞めさせて勉強をさせ、子供はイライラ 回転して解決法を考えられるなど)と、臓器へ して勉強ができず先生に叱られる、ということ の負担になってしまうタイプ(頭脳なら、頭が は非常によく起こっているだろう。 12) 空回りするうちに胃が疲れて具合が悪くなるな 心理指導も、体癖により異なる人の感受性に ど)とでさらに二分できるので、計 10 類型と 添い、一言一言の言い方まで変えると、効果が なる。加えて、多種多様な反応が過敏に出る過 大きい。第 1 種、第 2 種は大脳で考えた通り 敏型と、ほとんど何の反応も出さない遅鈍型が が実現しやすいので、考えを変える、価値観を あり、合わせて 12 種となる。 くつがえす、という方法の指導が通用する。第 身心観察の経験から帰納的に導き出された結 3 種は理論や損得には非常に疎く、感情や好き 果として、①②③は重なって現れ、さらにそれ 嫌いで動く。第 4 種は人に責めてもらいたい らは特徴的な体型とも重なる。一例を挙げると ようなマゾヒズム的傾向があって、人が責めて ①の消化器型は、②の感情型で③の左右型であ くれないと自分で自分を責める。人に痛めつけ り、そのうち内外の刺激をこの臓器で受け止め られたり押さえつけられたりすると快感がある てエネルギーを発散できるタイプを、第 3 種体 ので、エネルギーが鬱滞している時には厳しく 癖と呼んでいる。このタイプは、嬉しいと言っ 叱ってあげると発散できる。第 5 種は利害に敏 ては食べ、悲しいと言っては食べ(その結果太 く合理的で、じっとしていられずそわそわしが りぎみの人が多く)、消化器は丈夫で、喜怒哀 ちなタイプである。不安が行動の原動力で、安 楽の感情が豊かで、身体の重心の左右の偏りが 心すると元気がなくなってしまう。だから第 5 大きいので左右運動が大きくなる。体型はいわ 種の人には不安や煩悶の材料をぽっと与えるほ ゆるぽっちゃり型である。 うが、力を発揮できる。第 6 種はヒステリー的 体癖は他にも 5 つの腰椎の形状や性能、特定 身体症状や行動を起こしやすいタイプで、周囲 の不調への陥りやすさ、食べ物の好みなど非常 の者は振り回されることがあるが、無意識の目 に多くの事柄との関連が把握されている。今日、 的を自他が認めるとこのヒステリーはケロッと 体量配分計と各種心理調査と統計処理を組み合 治る。第 7 種は勝とう、第 8 種は負けまいと わせて再調査をおこなうならば、野口の着目し する闘争型で、こういうタイプに「してはいけ た事柄についてより客観性の高い研究が展開で ない」と言うと却って反発する。「しましょう き、学問的意義は非常に大きいだろう。 よ」と誘う。時々第7、第8種の子には「お母 野口晴哉は、人は体癖により感受性も欲求も さんは負けたわ」などと言うと非常に自信がつ 方向が異なるので、教育でも大人の人間関係に く。「まだ誰それより下手だ」などと言うと競 おいても体癖に適した働きかけをするべきだと 争心に火が点いて力を発揮でき、「人と比べる 主張した。まず、親や教育者は子どもの体癖 な、自分は自分」などと指導すると力を出せな をふまえて育てるべきで、そうしないと子供が いタイプなのである。第 9 種は直観力にすぐれ 自分自身の感受性や欲求を否定されることにな 非常に体力や集中力がありしかも持続する。 「な る。集中して勉強するにも、机に向かいさえす ぜそうなのか」が自分で納得できないと考え続 れば勉強できる第 1 種、運動してエネルギーを ける。このタイプの心理指導には鬱滞や凝固を − 18 − 野口晴哉の療法―その身体志向心理療法としての側面 見て、そのエネルギーをどのように噴出させる はエネルギー調整のためでもあるのだ。性エネ かが重要になる。第 10 種はおおらかで自分の ルギーが鬱滞すると身体も緩まなくなり、陰気 懐に他者らを抱え込み世話をするタイプだが、 でイライラし、鬱滞が進むと身体を毀すように 世話や看病の対象を得ると俄然力を発揮し、不 なる。14) 思春期には性エネルギーが高まるが生殖器が 調もいつしか消えてしまう。 体癖により、心に響く言葉、力が発揮できる 未熟なため、性エネルギーが生殖器で使われに 方法はこのように大きく異なる。人の体癖を見 くく思想や感情や行動に転換されやすい。それ 抜くのも、一瞬一瞬体癖に応じた対応をするの を「あれはいけない」「これはいけない」と禁 も、非常に困難なことだが、科学が志向しがち じると、いっそう圧縮され、一気に爆発しかね な普遍性とは逆方向の現実の多様な人間には、 ない。容姿上の小さなことにこだわったりする 本来そのように理解し接するべきなのだ。 のも、性エネルギーがそちらに転換されている からで、野口はそういう子には「つけ黒子が魅 性エネルギーとその動きの根源的重要性 力的に見えるように、君には異性の目も集まり 野口晴哉は「心を或る方向に過敏に動かして やすい」というように劣等感を除き、性エネル いるのは性の問題である」と重視した。性的な ギーを現実の人間関係の方に向けさせる指導を 話題が現在以上に語りにくかった時代に、身心 した。「思春期の問題で一番むずかしいことは、 の問題の裏に性関係の葛藤や性エネルギーの鬱 生理的に成長している性をどのような方向に、 滞があることを見抜き、時代の性道徳を尊重し どのように分散させるか」15) であると言い、 つつ調整や指導をした。野口の、本質を見る洞 こまやかな観察、対処をしている。思春期には 察力や時代状況に潰されない柔軟性は、驚くも 生殖器の成長、性意識の成長を促すことが重要 のだと思う。つい近年香山リカは、精神科を訪 だと野口は強調していた。 れる相談者が、実は深刻な性の問題を抱えてい 妊娠出産機能をそなえる女性は、その機能が るのに、精神科医がそれを見逃し別の問題とし 正常なら性エネルギーが充実し、男性のように て話してきた事が非常に多いと指摘している。 エネルギー不足に陥ることはない。また性エネ 13) 日本では心理療法の現場でも同様だと思わ ルギーの影響は、女性の身心には広い範囲に直 れる。セックスレス大国と言われ、性的な問題 接及ぶ。性エネルギー過剰で頭に回ることで、 を抱えて誰にも相談できない人が溢れている日 暖かさを欠いた形式的な理屈ばかり言うように 本で、精神科治療も心理療法も、性エネルギー なり、性エネルギーが鳩尾に集まると喜怒哀楽 への着眼を野口から摂取し、性の問題を適切に が激しくなってむかっ腹をたてたりする。性エ 捉えられるようになるのを期待する。 ネルギーが嫉妬などに流れ込むと際限がない。 野口は指で詳細に読んでいったが、性エネル 多産だった時代に比べて、女性が妊娠出産授乳 ギーは仙堆部で生まれ、脊椎の一側を伝って上 で莫大な性エネルギーを使うとことが少なく 昇しさまざまなエネルギーに転換される。人の なった戦後は、性エネルギー余り現象が起き、 「勢い」や自発性は性エネルギーの表れであり、 身心にいろいろな形で表れると野口は見てい このエネルギーが充実していることは生きる上 る。女性の性エネルギーが過剰で発散の機会が で非常に重要である。希望、空想、決断の原動 ない場合は、ガミガミ、イライラしたり身体症 力も性エネルギーである。だがこれが過剰にな 状を作ったりすることに使うよりは、敢えて老 ると喧嘩、言い過ぎ、やり過ぎなどの反応にな いを促進させ、エネルギーを減らす花月操法と る。生殖を目的とするのでない性が行うのも人 いう技術も使う。これも多年にわたる多くの経 − 19 − 臨床心理学研究 50 - 2 験例から、更年期の不調をきわめて軽減できる から 6 歳までの教育を重視した。 など望ましい効果が大きいとわかっている。 同じ言葉も、意識に入れるか潜在意識に入れ 男性の性エネルギーは仙堆から頭に昇華し るかで、逆の結果になると野口は言う。無痛分 て、それがまた腰に帰る流れがある。男性は性 娩でも「痛くない」を意識に入れると、逆に「そ エネルギーが不足して病むことが多く、肛門を んなはずはない」と反発する意識が生じ、痛み 締めるなどの方法で、高める工夫が重要であ が気になって余計強く感じられるが、潜在意識 る。男性の性エネルギーを高め、生殖器の力を に入れると本当に痛くなくなるという。良い暗 上げることは男性のすべての面で、好循環のス 示よりも悪い暗示の方が潜在意識には入りやす イッチを入れることになる。例えば男性の鬱は く、 「元気そうですね」より「顔色悪そうですね」 性欲低下の症状が出ると言われているが、むし の方が入ってしまう。それを利用して、良い暗 ろ性エネルギー低下がこの現象の本質だと考え 示に一点の不安を入れると効果が強くなる、と られ、性エネルギーを高めることで鬱も解消す いう巧みな技を生みだしている。無痛分娩も、 ることが多い。 「全然痛まないで産める」ではなく「最後の 2 16) 生命はみな自己調整力、自己治癒力を発揮し て、あらゆる困難を乗り越えようと努める。人 分間だけが痛い」と言う方が、痛みがなくなる のである。 の心理的問題の解決も根本的には自己調整力、 意識の抵抗をすりぬけて、良い種を潜在意識 自己治癒力の発揮でなされるのだろうが、その に投げ入れる技術に、野口は類ない冴えを見せ 力の源には性エネルギーがある。困難に出会っ ているが、それは言葉の使い方、語り方、身体 て乗り越えることにわくわくするか、困難の前 コミュニケーションとしての声や間の技法であ で尻込みし、困難を避けようとだけ発想するか る。「~しなさい」は抵抗を呼ぶが、「~したら の違いも、性エネルギーの多寡による。 いいよね」「~しようね」は入る言い方だ。「お 前は横着だよ」ではなく「横着ったらありゃし 潜在意識教育 ない」と、「お前」「あなた」を使わずに本人目 十代の頃野口晴哉は、古神道や道教、ヒンドゥ 線の言葉を使うと入るのである。「割に正直だ 教神秘思想、西洋心理学などが混淆する療術界 な」「頑張り屋なんだ」などはすっと潜在意識 に深く学び、刺針術、幽体離脱、不動金縛り、 に入る。大きい声は意識の反発を招くので、小 催眠術などの技法にも熟達したという。その人 さい声で何気なく言う。左側から話すとより潜 体実験などの発想に人間への冒涜を感じて多く 在意識に入りやすい。「はい」などと返事をさ の部分を捨てたが、潜在意識の重要性は、終生 せたり、すぐに実行に移させるのは、意識に入っ 太い針を体に刺しても痛 てしまうので、返事はさせず忘れさせるのがよ いと思わなければ出血せず、自分は体が弱いと い。身体の操法も、呼吸を吐き終えて吸う前の 思えば本当に弱くなる。身心の病のうちで潜在 間隙におこなうと効果があるが、言葉をかける 意識が作るものは 99%にのぼると観察し、悪 タイミングも、虚の状態に何気なく言うのが、 い暗示を受けて持てる力を発揮しない人が多い 一生懸命力説するよりもはるかに入っていくの ことを嘆息した。悪い暗示から脱却させ潜在意 である。療法家のこのようなコミュニケーショ 識に良い種をまくことで、病から回復させてい ン技法は、相談者の身体を常に捉えてこそ可能 く心理指導をし、教育においても潜在意識教育 だろう。 主張し続けてた。 17) を説いていった。特にものごころがつく以前で、 体験のすべてが潜在意識に入っていく、胎児期 − 20 − 野口晴哉の療法―その身体志向心理療法としての側面 野口晴哉の身心療法 野口が実際に身体に触れて操法をするのは、 野口晴哉は、産まれる前に始まり臨終期にい 一人につき 30 秒から 1 分程度と非常に短か たる、すべてのライフステージにおける身心に かったそうだ。最も効果的なピンポイントを発 関心を払い、働きかけた。一般の心理療法の対 見し密度濃く働きかけたのである。その中で言 象になれる人達にも、上述したように心理療法 葉もかけていく。「ここは胃のはたらきを増や ではなかなか届かない側面から効果的な療法を す処だ」と言いながら身体を押さえると、黙っ おこなえていたと言える。さらに、言語コミュ て押さえるよりも治りが早いという。押さえら ニケーションを中心とする一般の心理療法の対 れて「痛い、これは何だろう」と疑念を抱くと 象とならない、胎児、乳児、幼児、周産期の女 ころに「胃が働く処だ」というと、胃が働くこ 性や、身体疾患の病者、ターミナル期の人らに とが潜在意識に入るのだろうと野口はいう。 「癌 ついても、繊細な身体の観察と配慮によってこ ではないか?」という人に「癌ではない」と言 そ可能な、身心療法をおこなった。ターミナル うと潜在意識に余計「癌」が入ってしまうので、 ケアでも独自の身心観察にもとづき、最後の成 骨盤を押さえながら「ああ、骨盤がまがってい 長の機会としての死(キュブラー・ロス)にお るな」などと言って、癌の疑念をなくしてしま いて人を成長にいざなった。亡くなる時に霊が う。 会いに来る人もいたらしく、野口がしばしば昏 野口は身心を相即的な、そして移り変わる全 倒したという様子も、周囲の人にも目撃されて 体ととらえ、瞬間芸的に働きかける。より正確 いる。野口の人間理解は、死によって終わる人 にいうと、野口がとらえているのは「身体」や 間、ではなかった。 「心」よりも先だって動いている、ふと気がする、 野口の身心療法の方法をその卓越性のままに やる気がでてきた、気が向かないなどの、「気」 特徴を描くことは、筆者の理解力を超えると痛 の動きである。気をとらえて、気で働きかけた 感するが、以下さらに2、3点を簡単に指摘し と言える。本稿でその特徴を述べてきた療法も、 て若干でもそれに近づきたい。まず、持ち込ま 野口は気の提握としておこなっていた。私達も れる相談事への野口の解答を見ても、野口がい 気への感性を高めれば、野口の療法への理解も かに当人の身心と家族関係やほかの人間関係な より進むだろう。 ど、その人と周囲の全体を見通しているかが印 註 象的である。「40 代女性が暗闇が怖い」という 相談には、性の要求ひいては死の要求が未発達 1) 操法とは相談者の身心を観察し、愉気その他で働 きかける、いわゆる治療だが、野口は治療という なためで、生殖器の発達を図るのがよく、潜在 語は相談者の依頼心を強めて自然治癒力を低下さ 意識の問題ではないと見る。「子どもが虫を怖 がる」という相談には、当たり散らした母親の 顔から受けた恐怖が、虫の顔から潜在意識で連 想されると見て、母親と虫の連想を断ち切って 実際に恐怖を無くした。 18) また野口は喘息の 子供の見ている前でその母親を叱ったり、重病 の人に養子の面倒をみさせたりして病んでる余 せると考えて使わず、この語を使っている。 2) 野口 (1966).144 頁 3) 野口 (1968 → 2002).209 頁 4) 野口『全生』1950 年 10 月号 巻頭言 5) 野口 (1968 → 2002). 第 6 章 6) 野口 (1966) 7) 愉気とは他者の身体に手を当て、または手をかざ 裕もなくして治してしまうというように、人間 して手から息を吐くようにしてそこに集注するこ 関係に働きかけて身心状態を変えることも柔軟 とで、人間の最も原始的、本源的な治療法だと野 に発想している。 口は言っている。気を輸送するという意味で、輸 気法と表記していた時期もある。自分の身体に手 − 21 − 臨床心理学研究 50 - 2 を当てるのは、野口は区分して行気法と呼ぶ。 8) 野口 (1974)(1977a) 9) 以下の細かい項目については、参考文献に挙げた 著作のほか、『月刊全生』、私家版の講義ノ―ト等 に拠っている。ひとつひとつ典拠を挙げることは 煩雑さを考えて省略したい。 10) 野口(1968 → 2002).105 頁 11) 野口 (1977a)(1977b) ほか 12) 野口 (1966)(1970)(1982) 13) 香山リカ (2008) 14) 野口(1977a)ほか 15) 野口 (1966).232 頁 16) 野口の没後に目立つようになった現象であるた め、それへの対処については五十嵐氏の経験によっ ている。 17) 野口 (1966) 18) 野口 (1966) 参考文献 香山リカ(2008).『セックスがこわい 精神科で語られる愛と性の話』. 筑摩書房 野口晴哉(1966).『潜在意識教育』. 全生社 野口晴哉(1968 → 2002).『整体入門』. ちくま文庫 野口晴哉(1970).『躾の時期』全生社 野口晴哉(1974).『体運動の構造 第一巻』. 全生社 野口晴哉(1977a).『体運動の構造 第二巻』. 全生社 野口晴哉(1977b).『体癖Ⅰ』. 全生社 野口晴哉(1977c).『体癖Ⅱ』. 全生社 野口晴哉(1982).『思春期』. 全生社 野口晴哉(1993).『女である時期』. 全生社 『月刊全生』. 全生社 − 22 − 野口晴哉の療法―その身体志向心理療法としての側面 Therapy of NOGUCHI Haruchika – Its side of body-oriented psychotherapy Mitsunori HIRAYAMA Abstract NOGUCHI Haruchika(1911-1976),a founder of Noguchi Seitai,becomes evaluated again recently,but only its side of body therapy out of the wholistic therapy holding body,mind and relationship,is often focused.In order to understand its side of psychotherapy,we describe his notion and practice,consulting his writings or records of lectures,and the memory told by a Noguchi Seitai therapist who was a student of NOGUCHI.NOGUCHI was a sheer empiricist,with extraordinarily sensitive senses,grasped any persons’ body and mind from instant to instant. He observed that most of the states of mind are the reflection of the states of body,so they can be changed through body therapy.NOGUCHI’s another contribution is the type theory called TAIHEKI,which includes incomparatively much information on body and mind among other psychological type theories.NOGUCHI was also excellent in catching how one’s sexual energy moves,and in influencing to one’s subconsciousness.NOGUCHI grasped the whole body,mind and relationship,therefore he could practice body-psycho therapy quite effectively,to the persons of all life stages,from unborn babies to the persons in their terminal. − 23 − 臨床心理学研究 50 - 2 【特集 身体志向心理療法のさまざまなアプローチ】 充実感のある生き方に近づくために -身心修養アプローチの工夫- 藤原 桂舟 1) 要約 1 症状は出ていないが、生き方の悩みを主症状とする人たちには、どのようなアプロー チが有効か。それを模索していって、東洋的な身心修養アプローチを取り入れるよう になった。 2 それは、知的訓練と身体訓練のふたつを中心とした自己修養のシステムである。上記 のような生き方に悩む人たちには、治療という枠組よりも、自己修練、身心修養とい う枠組の方がより有効と思われる。 3 生き方の悩みに直面したとき、原因を探してよく思考して解決していくというあたま モードでの自力解決アプローチもあるが、身心修養アプローチでは、からだモードで 身を整えていく訓練を積み重ねていく。すると、自分の有り様に気づき、悩みが流れ去っ ていくという解決が湧き起こってくる。この 2 つは相補的なものである。 4 昔の身心修養は、賢人が、各々の悟りや気づきを実生活に活かし、生き方を向上させ るための訓練法として伝えてきたものである。自己の生き方を向上させる方法が分か らないという人たちには、有効なものと思われる。 筆者は、鍼灸院を営む鍼灸師であるが、大学 生き方が上書き更新されていないので、生きる では臨床心理学を学んだため、臨床的に有効な 上での充実感をもちにくいままの方もいる。 心理療法の探求は、筆者にとって重要なテーマ そのようなケースを、ひとつあげる。 のひとつである。 日常の治療では、心理療法を基盤において、 A 子さん 38 歳 野口整体、鍼灸治療、食事療法など、身心両面 X - 2 年に離婚。 X 年、再婚。 にわたるアプローチを行ってきたが、数年前か ドクターによる診断名 摂食障害、境界性人格 ら、私にとって重要なひとつのテーマが現れて 障害、双極性障害(そううつ病) きた。 それは、クライエントに、いかにして、充実 B 子さん 50 歳 感のある生き方を身につけてもらうかというこ X - 10 年に離婚。X 年、再婚。 とである。 病気の既往歴はないが、離婚したのは前夫に 生き方の悩み自体が身心症状の原因となって かってにカードを使われて、多額の借金を背 いる方もいるし、症状がなくなっても、本人の 負ったため。 1)鍼灸院すばるα 院長 − 24 − 充実感のある生き方に近づくために A 子さんは筆者のクライエントであり、半年 どほどに、またはギリギリで無症状のまま、時 ほど、さまざまな治療を行ってきた。 間が経ってゆくと、更に困難は増す。 B 子さんは知人であってクライエントではな B 子さんの苦しい状態は、おそらく、彼女が い。数年に一度、顔を合せる程度である。 自分の生き方を上書き更新するまで続くのでは どちらも、同じ年に再婚したのだが、A 子さ なかろうか。 んは、再婚によって、充実感をもてる生活に、 ゆっくりと切り替わっていった。再婚当初は、 不安発作やパニックが起こるなどトラブルや苦 労もあったが、夫の適切な協力により自力で乗 生き方を更新するための<身心修養>ア プローチ このように生き方の悩みが中心テーマのクラ り越えてゆかれた。 イエントに対して、どのようなアプローチが有 一方、B 子さんは、再婚したとき、「前の結 効なのか。これが、近年の筆者の課題であり、 婚は失敗だった。この 10 年間、そればかり考 まだ試行錯誤の途中なのだが、現在、筆者の中 えてきた。今度は失敗したくない」と強い思い では次のような考えとアプローチが形成されつ で言い、「自分は負け組だ」とも、よく語って つある。 いた。 多額の借金を返済するため、10 年間ずっと ●生き方の悩みを解決するには、治療という枠 組では対処が難しい。 働いてきて苦労したのはわかるが、結婚の成功、 失敗という観点からのかたい思い込みを本人が はっきり言うと、これは治療ではない。こち 持ち続けていることが気がかりだったし、その らが治療者というスタンスに立つとうまく行き 上、再婚するまでの 10 年のうち、あいそを尽 にくくなる。だから、同じ悩みに取り組んだ先 かして別れたはずの前夫とヨリを戻していた期 達、同僚というスタンスで接する事が基本的な 間が 3 年あったと聞くと、更に、こちらの心配 枠組である。 は大きくなった。 また、B 子さんのように、目立った症状が出 ない人も多いように思われる。本人は、自分は これはひとつの例だが、このようなケースを 何かおかしいと感じてはいるのだが、目立った みていて、筆者は、生き方の上書き更新という 症状が出ないため、従来の臨床心理学のアプ ことの重要性に思い至ったのである。もちろん、 ローチや投薬では対処が難しい。 生き方の変化は、心理療法の大きなテーマなの だが、昨今の心理療法は、医学的な治療に組み ●このような人たちには、知的訓練と身体訓練 込まれ過ぎていて(それも重要だが)、クライ とを行なう<身心修養>アプローチが有効と エントの生き方の成長をケアするという観点が 思われる。 軽くなってきているように、筆者には感じられ 身心修養アプローチとは、昔の賢人が道を求 る。 めて来る者に行なった修行システムを参考にし 実際、日本社会の貧困化など社会の変動とと ている。それは、書を読むや討論するなどの知 もに、B 子さんのように、症状を発現してはい 的訓練と並行して、身体訓練を重視し、この二 ないが、生き方の悩みを持つ方は、増加してき つの方法を並行して行なっていた。例えば、儒 ているように思われる。 教では聖人の言葉を学ぶと同時に静坐を行な 症状を発現してくれれば、返ってこちらは治 う。仏教では、経典の読誦と座禅を行ない、道 療として取り組めるからありがたいのだが、ほ 教でも坐忘という修行を行なう。 − 25 − 臨床心理学研究 50 - 2 座禅も坐忘も、ともに広義の静坐という身体 そのほうが実際的と思われる。 訓練であり、ここで、昔の賢者は、知的訓練と 同じウェイトで、身体訓練を重視していたこと 3 知的理解が、腑に落ちる体験を経て、から がわかる。これは、知的認識をからだに溶け込 だに溶け込んだ知恵となるには、身体の修練 ませ、実生活に活かせる知恵とするためには、 が必要。身体志向心理療法は、そのプロセス 身体訓練が必要と理解していたためだろう。 をたすけ、加速する知見を提供してくれるだ ろう。 このような、「修養と身体訓練」の関係は、 現代の心理学では身体志向心理療法というジャ 知識・見識・胆識ということばがあるように、 ンルに入るように思われる。昔の方法だけでな 知識をいかにして胆識としてゆくか。からだに く、現代の身体志向心理療法の知見も合せて工 溶け込んだ知恵とは胆識であり、これを実際生 夫して行けば、そこには、症状を治すだけでな 活で用いるところから、その人の生き方は現実 く、身心の変容のための多様な可能性が開かれ 的に変化してゆく。 ているだろう。 臨床心理学が、クライエントの変化をメイン そうして筆者は、身体志向心理療法に、次の テーマにするのならば、知識をあたまレベルで ことを期待している。 の理解で終わらせずに、いかにして、からだに 染みこませるかは、とても重要な観点ではない 1 症状を治すことではなく、生き方を上書き か。 更新する手段として、また生き方を向上させ 次に、身心修養アプローチを、筆者がどのよ ていく手段として、身体志向心理療法のアプ うな形で実践しているかについて述べる。 ローチは、一般的な心理療法が適応しにくい 人たちに有効だろう。なぜならば、元々、身 心変容技法として作られていったものだか 身心修養アプローチの事例 筆者は身心修養アプローチとして、クライエ ントに活元運動 2) や気功、呼吸法などをして ら。 いただく事が多い。 2 身体志向心理療法のアプローチは、いきい それを訓練していると、身心にさまざまな変 きとした人生を送るためのヒントや気づき、 化と成長が起こってくる。よく起こることを、 洞察を修練者に与えてくれるだろう。 いくつか説明する。 このことについては、例えば、チクセントミ 1 原始的な身体感覚がよみがえってくる。 ハイ(アメリカの心理学者)は、 「何が人生を生 こちらは、 「体の声を聞えるようになりましょ きるに値するものとするか」という問いから出 う」という言い方で、それを後押しする。 発して、有名なフロー体験の理論を発表した。 1) とても興味深い理論なのだが、やはり西洋で 生まれただけに、からだよりもあたまに重点を 置きすぎているように、筆者には思われる。比 33 歳女性のケース うつで休職した方が よいとドクターに言われて来院 身体治療と同時に、活元運動 や 1 曲ダンス 較すると、東洋的な<身心修養>アプローチは、 (好きな曲を 1 曲かけ、その間、ムチャクチャ いわゆる身心一如で、身体訓練を知的な訓練と ダンスをする)を自宅でやってもらった。その 同じウェイトで扱っている点が異なっており、 結果、休職しないで経過したと同時に、からだ − 26 − 充実感のある生き方に近づくために の声を感じ取る感覚が大きく成長した。また、 なかったが、何か、赤ちゃんに伝わった気がし これをきっかけに、瞑想やヨーガ、整体などに たので、お母さんにも語りかけのしかたを教え、 興味をもち、自分で続けることにした。 帰っていただいた。 1 年半くらいあとに彼女が助産院で出産され すると、翌日、彼女から電話があり、「自分 たとき、それまで仰向けの姿勢だったのが、突 でも 2 - 3 回やってみたが、けさから頭が下 然、四つん這いとなり、文字通り、赤ちゃんを に行っているような気がする。今から病院で診 産み落とされた。出産の翌日、連絡があり、骨 てもらってくる」ということだった。そうして、 盤調整のためにうかがったのだが、子供を生ん 診察してもらったところ、正常な位置に戻って だ後の、満ち足りた気が部屋中に充満していた いた。医師から、どんな事をされたんですか、 のが、印象的だった。 と聞かれ、返答に困ったと笑っていた。 2 自分の知的理解とは異なる世界を体感でき このお母さんは、その後、お腹の赤ちゃんに る。自分の思い込みが、身体感覚によって打 語りかけることの意味が今までとは違う次元で ち破られる。 わかったらしく、 「おはよ、起きてたら、お腹蹴っ 自分の理解できる世界は、自分の考えている てみて」などと、自分でいろいろなコミュニケー 枠組の範囲内でのことで、それを越えた自分の ションを工夫され、妊娠中のお腹の中での子育 知らない世界があるんだな、とわかる。 てをとてもうまくされていった。その結果、と ても元気のいい赤ちゃんを出産された。 逆子の治療 元気の良さは、お腹の中での子育てをうまく 野口整体で行なう逆子の治療は、お母さんの された赤ちゃんの特徴である。他にも、好き嫌 お腹に手を置き、お腹の赤ちゃんに語りかける いがはっきりしていて、育てやすい。免疫力が というものである。早ければその場で子供がぐ 活発。親やひとに対して基本的な安心感を持っ るっと正常な位置に戻る。 ている、などがある。 実際に野口晴哉は、この方法で逆子を何人も 母親のほうも、「あんな体験をして子供との 治した。中にはことばが通じないユダヤ人の赤 深いつながりを心から感じた」と言われた。 ちゃんもいた。 筆者も、この方法で、今まで 10 人弱の子供 筆者も、その様子を見ていて、逆子の治療は を治した経験があるが、はじめてこの方法を試 お母さんにも参加してもらう方がベターだと気 したときの事を述べる。 づいた。野口のこの逆子治療は、愉気 3) がで きる人ならば、ほぼできるものであるので、以 お母さんは、今まで整体や心理療法をしたこ 後は、お母さんにこの方法を教えて、お母さん とのある方だったので、筆者の治療がどんなも にもやってもらうことが普通となった。 のかは知っていたが、こちらが彼女のお腹に手 また、「赤ちゃん、聞える? 聞えたら、お を置き、「おーい、赤ちゃん、きこえる? 君 なか、蹴ってみて」などというコミュニケーショ はね、向きが逆なんだよ。そのままじゃ、君も ンをした上で、「向きが逆だよ」と語りかけて お母さんも困るよ」と言いながら、気を送り始 愉気をする方が、お母さんも安心するし、治療 めたとき、「えっ、本気ですか」と言い、あき 成績もアップした。 れた顔をしていた。 3 - 4 分それをおこなうと、その場では動か このような体験をしたお母さんは、胎児は親 − 27 − 臨床心理学研究 50 - 2 の声を聞いている、という知的な理解だけでな 初心者が 20 分ほど瞑想(座禅でもヨーガ式 く、本当にコミュニケーションできるんだと感 でもよいのだが)をしてみると、疲れたという 動され、 「いのちというものは不思議だな」、 「分 感覚を持つ。これは心理的ではなく、実際に身 からないことが、いっぱいあるんだな」という 体が疲れるのである。なぜならば、同じ姿勢を 気持ちになられるようである。 続けることによって、アイソメトリックな筋肉 これが、もっと強くなってくると、 運動をしているからである。座禅も静坐も気功 のタントウ功も、同じくアイソメトリックな瞑 3 知的理解が、腑に落ちる体験を経て、から 想法である。 だに染みこんだ知恵となる。身体訓練は、そ のプロセスをたすける。 C 男さんは、からだのあちこちに力みから来 る強いコリをかかえていたので、本人には、 「自 腑に落ちて、からだに染みこんで、はじめて 分のラクな座り方、呼吸の仕方を発見して下さ 身心の変容が起こるのである。 い」という指示をあたえて、家でもやって下さ このとき、クライエントには、知的理解だけ いと伝えた。 では起こらない、大いなる気づきが訪れる。 しばらくすると、少しずつ、なんとなく身体 井筒俊彦や河合隼雄がよく語った、「存在が 感覚が感じ取れるようになってきて、「呼吸は、 花している。存在が私している」 4) というよ 3 カウントで吸って、5 カウントで吐くのがラ うな認識体験も、知的に理解するだけではなく、 クです」と言って来たので、実際に座ってもら 身についた知恵として実生活に活かせるように うと、かなり力が向けた状態を継続することが ならなければ、単なる知識で終わってしまう。 出来るようになっていた。 身体の修練によってこそ、それをからだに染み 一般的に言って、からだの状態が変わってく こんだ知恵とすることができるのだ。 ると、心の状態も変わってきていることが多い。 そうなったとき、それは心理療法というより 実際、この頃の C 男さんは、うつ状態から脱 も、クライエントにとっては、ひとつの悟り、 しつつあった。自分のラクな状態を発見すると 大いなる気づきといえるものだろう。 いうことを試しているうちに、自然に自分の考 え方や仕事に対する態度が変化していったよう アトピーとうつが治った C 男さん 36 歳 だった。 職せざるを得なくなり、その後、自宅で療養し C 男さんは、自分の身体感覚が感じ取れるよ ていたが、当院に治療に来られたとき、C 男さ うになっていることがわかったので、次の段階 んの体調は最悪で、体が衰弱しており、うつ状 として、活元会に来てもらうことにした。 態であった。退職して間もなかったし、ショッ 当院で行なっている活元会は、みんなで活元 クもあったものと思われる。抗うつ剤も処方さ 運動をしたあと、二人一組でお互いに活元操法 れていたが、効果はなかった。 5) C 男さんは、強いアトピーのため、会社を退 を行ないあう。 また彼は、自分で試した食事療法の後遺症で、 あまりものが食べられなくなり、1 日 1 食かせ C 男さんは、はじめて活元会に来られた後、 いぜい 2 食となっていた。 急にお腹が空き、久しぶりに食事が喉を通った、 C 男さんには、最初、座って呼吸法をすると と言われた。 いう瞑想から始めてもらった。 それから 2 ヵ月ほどしたとき、急に腹痛が起 − 28 − 充実感のある生き方に近づくために こった。医者に行くと、お腹の風邪だろうと言 が生き方に反映されいく。 われ、整腸剤だけ出された。それも飲まないで あたまモードの自力解決アプローチに疲れた いると、ゲリが 3 日ほど続いた。 時は、からだモードに移して、このようなアプ ゲリが終わって、ある時ふと鏡を見ると、顔 ローチも、有効ではないだろうか。 の肌が白くキレイになっており、アトピーがい つもの 20%程度におさまっていた。 「あ、治った」と思うと同時に、何故か分か 身心修養アプローチのポイント 上記のように様々な方法が身心修養アプロー らなかったので、うれしさよりもビックリした チとして使える。ここでは触れなかったが、ダ そうである。 ンス、舞踊、書道、武道、そうじなど、用い方 によってはとても有効だろう。また、念仏、声 また、この少し前、故郷に帰ると、後輩が相 明など、発声を伴うものも良い。 談したいことがあると言ってきた。いつもは、 筆者が昔の伝統的な訓練方法を自ら体験して あいつには、こう言ってやろうと考えてから会 みて、身心変容という観点から、ポイントとし うのだが、今回は活元運動のように何も考えな て考えるのは、次の 2 点である。 いで会った。すると、話の途中から、ふと言い 1 動と静のミックスされた身体訓練 たいことが心に湧き起こってきたので、その事 2 何かをイメージしながら、また集中して考 を話したのだが、後輩からはいつも以上に感謝 えながらの身体運動 された。 1 について これらの出来事は、彼にとって、何か今まで 例えば、座禅と経行(きんひん)。一炷の間 知らなかったことを考え始める体験となった。 座禅した後、修行者は僧堂の周囲をしばらく歩 このように元気を取り戻す流れに入っていく きまわる。これは、からだのコリをとったり、 と、良いことの循環が続いてくる。仕事の方も、 眠気を払うためと説明するものもあるが、より 友人が一緒にやろうと声をかけてくれ、スムー 本質的には、静的瞑想法と動的身体運動のバラ ズに決まっていった。 ンスをとるためである。 そのほうが、瞑想法のみ行なうよりも、修行 このような事例を間近にみていると、昔のひ 者の身心が整っていくし、その結果、身心変容 とが伝えてくれている身心修養アプローチは、 のプロセスが進むからである。 自分の身と心を整えることなんだな、と感じる。 そうしてそれは、自分の悩みを流し去り、自分 2 について の生き方を向上させていってくれる。 例えば、五体投地やスーフィダンス。神仏の 悩みや問題が出現したとき、現代人は、まず イメージを描きながら、身体運動を繰り返し行 自分の力や能力で悩みを解決することを考え なっていくという修行形態である。 る。それはそれでいいのだが、あれが悪い、こ また、比叡山には好相行というものがあり、 れが悪いと原因を探すのではなく、そのような これは 1 日 3000 回の五体投地を仏の姿が見え 時、まず身を整えるということを身体訓練とし るまで続けるというものである。何日も続けて てやっていく。身が整ってくれば、自然と悩み いくうちに、修行僧が、疲労困憊して、立ち上 は流れ去っていく。または、身が整っていくこ がってはドサッと崩れるように倒れていく。 とによって、さまざまな気づきが生まれ、それ このような過酷な修行を何の為に続けるの − 29 − 臨床心理学研究 50 - 2 か。 だから、充実した生き方が見つかりにくく それは、自分の考え方や世界観を変容し、死 なっている。 と再生に通じるプロセスを経て、身心変容を進 からだを整えることから始まる身心修養アプ めていくためである。 ローチは、自分の生き方、自分のありようを向 それを行なうために、人によっては、ここま 上させる洞察を大いにもたらしてくれる、貴重 で過酷な行が必要となるのかも知れない。 なシステムである。 註 筆者は、このような身心修養方法を、身を整 えるという観点から現代人向けに復興させるこ 1)ミハイル・チクセントミハイ 「フロー体験」 YouTube に講演記録がある。 とを思い描いている。 http://www.youtube.com/watch?v=_BsNC6- この小論のケースで述べたように、うまく 行った時、それは、自己の身心を整え、生き方 を成長させてくれる気づきを豊富にもたらして くれるものとなるからだ。 自分の人生をいかにして充実したものとする かは、昔も今も、切実で重要なテーマだ。そう して、現代人は、あたまで考えてさまざまな事 kMwA 2)野口晴哉がまとめた自己健康法。気功では自発 動功といい、自然に体が動き出す運動法である。 3)気を送ることを野口整体では、愉気という。 4)井筒俊彦「意識と本質」 河合隼雄「日本の精 神性と宗教」 5)指圧やあんま的な身体接触や愉気をとおして、 を解決するという一面的な教育を受けているた め、からだの知恵を失いつつあるのではなかろ うか。 − 30 − 相手の身心のケアをすること。 意識革命について:前史・枠取り・中軸 【論文】 意識革命について:その 1 實川 幹朗 1) 前史・枠取り・中軸 要約 近代の心の有り様を支配し、したがって近現代の社会生活全般に大きな影響と制約を及 ぼしている新しい考え方が、西欧十九世紀の半ばに成立した。 これを < 意識革命 > と名 付ける。 それ以前には、心は無意識で働くのが当たり前であった。 しかし、この大転換 によって、人は誰でも正常で明らかな意識を持つと期待され、社会生活の全般もこの基 準に沿って再構築されはじめた。 この転換を理論と実践で代弁するのが、臨床心理学で ある。本論では < 意識革命 > のうち、二つの流派を論ずる。 中軸をなす < 意識一色流 > では、宇宙のすべてが意識と考えられた。 過激な排他主義で革命的な動きの際立つ < 排 他実証派 > は、経験的知識の源を「感覚与件」に限定した。 いずれも、我われの知識が 意識の事実を越えられないと考える点で共通し、物質科学までを含め、学問における意 識の根源性を言い立てていた。 索引用語:意識革命 正常 意識一色流 排他実証派 論理実証主義 はじめに 私たちのいま携わる臨床心理学が西欧の十九 こ の 大 転 換 の 名 が、 < 意 識 革 命 > で あ 世紀に産まれたのは、偶然ではない。この文化 る。 推 測 も た や す く、「 科 学 革 命 (Scientific の潮が、 この折りにまみえ、言い換えれば「時 Revolution)」をもじった名付けとなっている。 代精神」が集団心理を操り、かくも特殊な形 それは、 十七世紀西欧におけるコペルニクス、 の心の科学と技術とを産み出した。しかもこの ガリレイ、ニュートンらの、天文学と物理学を 時代には、 臨床のみならず心理学一般が、新た 中心とした学問の革新のことであった1)。近代 な方法論的自覚の許で組み上げられたのであっ 臨床心理学の祖とされるメスメルの登場に百年 た。しかもこの出来事の意味は、 一つの新しい あまりも先立つ変化である。その時代にはまだ 「科学」の誕生に留まらなかった。心理学への 無かった近代世界へのもう一つの道程を、 これ 絶大な期待は、 この学こそがすべての学を基礎 にあやかって考えてみたい。メスメルからさら 付けるとの妄想を産んだ − あらゆる学問が、 に百年を経た、十九世紀末に登場するフロイト 最終的には心理学に還元されるとさえ、多くの までの間に、ふたたび「革命」の名に恥じぬ激 人が見込んだのである。 しさで、 新たな変化が起こったのである。 1)姫路獨協大学 − 31 − 臨床心理学研究 50 - 2 十九世紀の半ばには、 古いものはすべて間 発するのが、 極めて希だったからに過ぎない。 違いか見当違いで、自分たちの新しい方法だ この事実そのものが、 < 意識革命 > の珍しさと けが学問的、科学的な真理に導くと信ずる人 新しさを照らし出すのである。とは言え、 詳し たちが、 数多く排出した。いかにも「革命」の い跡付けは、 それだけで大仕事となる。ここで 名に値する変化ではなかろうか。同じことを、 はごくかい摘んでなぞるだけとしよう。 十七世紀の「革命家」たちも口にしていた。た まず古代では、 プラトーンのイデア説が、 よ だし、 十九世紀の新しい「革命」の根底には、 い例を掲げてくれる。彼の哲学では、 イデアこ < 意識という想念 > が据えられていたのである。 そがもっとも明らかで、 この世での知識を与え るのもこれなのだ。だが、 人はイデアを意識し 革命前史 ているのだろうか。彼によれば、 イデアを思い ほんとうにそんな転換が起こったのか、 と訝 出すことが認識を成立させる。イデアそのもの しく思われるかもしれない。また、 たかだか はこの世にないので、 我われは忘れている。し 百数十年前という歴史的な新しさにも、 疑い かし、 すっかり忘却しきっているのではない。 が生じやすいであろう。 - 意識は人間に なぜなら、 これに似たもの、 例えば不完全な三 必須で、 これが明らかでこそ健康でいられ、 社 角形とか特殊なブチの犬を見て、 完全なる三角 会生活も成り立つのではないか。なるほどメス 形や、 犬そのものなるイデアを思い出すからで メルは意識と無意識の境を跨いだらしいが、 そ ある。イデアはそれまで、無意識の記憶に留まっ れは彼の特殊な疑似科学によるのだ。 - だ ていたことになる。 が、 このような常識こそ、 < 意識革命 > の成果 なのである。 認識ができたからには、 イデアの働きがあっ たに違いない。しかしイデアそのものは、 ここ 我 わ れ は、 明 ら か な は ず の 意 識 の 内 実 を、 まで来てもまだ、 無意識に留まっているのであ はっきり示すことができない。意識は「明ら る。人びとは昔から、 この世の様ざまなもの かな謎」なのであった。このような不安定な信 ごとについて論じてきた。だがプラトーンの師 念が、 人類の長い歴史を貫くとは考えにくいで ソークラテースの登場までは、 イデアについて はないか。特殊な状況における一時的な流行と 議論することがなかったらしいのである。もの 見た方がすっきりするのである。過去を振り返 ごとの認識におけるイデアの働きが、 無意識に れば、 この「革命」新しさ、 珍しさはすぐに明 留まってこそ、 こうした事態は起こりうる。こ らかとなる。とくに新しい資料は要らない。思 の仕組みの解明は、 ソークラテースとプラトー 想史をかじったほどの人なら誰でも知るあたり ンの天才に負うしかなかった。したがってプラ を、 ちょっと見直すだけで充分である。 トーン哲学は、 ある種の無意識の解明なのであ すると、 著名な思想のほとんどが、 じつは無 意識の心の仕組みの解明を中軸に据えた仕事 る - 少なくともプラトーンはそう考えてい たことになる。 だったと知れるであろう。人の営みのほとん こうした角度で分析すれば、 他にも多くの無 どは無意識のうちに行なわれる。だから、 こ 意識の思想家を古代に見出すのに、 難しさはな れを解明してはじめて研究になるとの前提が、 かろう。だが、 ここでは大胆に千年あまりを飛 思想史には長く、 しかし必ずしもまったく無 び越し、 すぐに中世に移る。スコラ哲学を代 意識にではなく、 置かれていたのである。こ 表するトーマース・アクィーナース (Thomas, の前提が気付かれなかったのは、 これまでの Aquinas 1225-74) は、 人がキリスト教の神を 研究において、 意識・無意識の枠組みで問いを 認識する可能性を認めていた。だがその際、「表 − 32 − 意識革命について:前史・枠取り・中軸 4 4 4 4 象 (phantasmata)」を用いることはできないと だが、 それでも理性のくびきを逃れた無意識の したのであった。 性欲が、 感じられないままに、 親から子へと伝 4 神の本質はいかなる表象を通しても見られえないし、 またいかなる被造的な可知的形象を通しても、見ら 2) れえない。 < 意識革命 > の構図では、 この「表象」こそ が意識の中核を担う、 もっとも明らかなもの 一つになる。その正体は、 じっさいのところ 極めて不明確なのだが、 古代から今に至るま でおおむね、 五感を通じて与えられた材料を 用い、 心のなかに何かの姿を思い浮かべたも の、 とされている。また、 経験による知識の 基盤とされるのが通例で、心のすべてを「表象」 と見做す人さえいる。我われの意識には必ずこ れが伴うと、 < 意識革命 > 以降は、 ほとんどの 人が考えてきた。トーマースではその役割が、 神の認識という人間の最重要事に届かないので ある。 4 4 4 4 「被造的な可知的形象」とは、 神によって造 4 4 4 られた 姿、 すなわち神自から以外の姿を指す。 後半ではしたがって、「神自からを見るには神 自からを見るしかない」と言われているのであ る。要するに、 意識がもし明らかだとしても、 偉大な神の前では何の役にも立たない。ところ が、 意識が及ばないのは、 相手が偉すぎるから かと言えば、 そうでもないのである。最も「低 俗」なところにさえ、 意識は届かないのだ。 4 わってゆくという。欲望と感覚には、 無意識と なる場合がはっきりと認められている。しかも これが、 無意識のままに、 子孫へと遺伝する。 人間の堕落の根源、 トーマースからすればもっ とも唾棄すべきものに対してさえ、 意識は無力 なのである。相手が立派でも卑しくても、 肝心 なところで意識は役立たない。フロイトらの説 が少しも新しくはないと、 ここから知られるの も面白かろう。 近代に入れば、 ルネサンスは無意識に満ちて いた。だが、 説明に手間取るので、 ここでは省 く。十七世紀に至ればデカルトが、 たしかに 意識の明証に大きな信頼を置いた。スコラ哲 学に反抗した彼が、 < 意識革命 > の先駆者なの は間違いない。しかし、 この先取りこそ、 彼 の偉大さなのである。デカルトの死と踵を接 して産まれたライプニッツ (Leibniz, Gottfried Wilhelm 1646-1716) が、「 微 細 表 象 (petites perceptions)」という名で、 無意識の重要性を 論じたことは有名である。彼は人間のみなら ず、 また生き物にも限らず、 あらゆるものご と、 すなわち「モナド」に、 これを認めた。意 識は心の高度な作用ではあるが、 世界のごく一 部を覆うに過ぎない。もっとも、 詳しく読め ば、 デカルト哲学にも無意識の作用が認められ るのだが、 ここでは触れないでおく。 原罪を子供に伝えるところの性欲は現実に感じられ る性欲ではない。なぜなら、神的力によって或る者 ライプニッツの死と、 これもほぼ入れ替わ り で 産 ま れ た ヒ ュ ー ム (Hume, David 1711- にたいして生殖の行為において何らの反秩序的な性 1776) になると、 意識の役割はかなり高まる。 欲も感じないという恵みが与えられたと仮定して 心の働きとは、 感覚に与えられた印象に始ま も、やはり子供に原罪は伝えられるであろうから。 むしろこの性欲は、感覚的欲求が原初の正義の絆に よって理性の下に包みこまれていないかぎり、習慣 (habitus) という仕方で見出される性欲であると解し なければならない。そして、このような性欲は万人 3) において等しく見出されるのである。 り、 その残存が観念となって、 連想により離合 集散することだという。自然の秩序の認識や倫 理的判断といった「高度な精神作用」も例外で はない。「不信心者」として悪名高いだけのこ とはあり、 理性が姿を消してしまうのである。 観念は、 互いの類似性や時空間的な接近によっ どうやら「不感症」が奨励されているらしい。 て連合する。我われが因果性と呼ぶものも、 こ − 33 − 臨床心理学研究 50 - 2 の一種に過ぎない。我われの、「高度」とされ る思考も、 神に由来する深遠な理性などによる わけではない。 さてところが、 これらの思考の仕組みは意識 されているのだろうか - そんなはずはな い。なるほど印象や、 そこから形成される観念 は、 多くの場合に意識に上っている。だが、 そ れらの相互関係、 連想の仕組みとなれば、 意識 されてはいない。なぜならこれらは、 ヒューム が思考実験や観察を苦心して行ない、 立論の筋 道を工夫したうえ、 新説として世に問うたもの だからである。それまで、 この仕組みに気付い た人はいなかったことになっている。彼は、 人 4 4 4 4 4 4 4 4 間の根幹を支える無意識の観念連合を研究した のである。 ヒ ュ ー ム の 影 響 を 受 け た カ ン ト (Kant, Immanuel 1724-1804) は、 やはり感覚経験か ら出発し、 構想力、 悟性・理性が認識を組み上 げる様を描いた。のちにも述べるが、 この精密 な分析は、 やはり凡人には意識できない。だか らこそ、 カントの業績となりえたのである。 彼の流れを引く「ドイツ観念論」の大成者 ヘーゲル (Hegel, G. W. Friedrich 1770-1831) なら、 意識の役割はさらに小さい。彼にとっ て、 世 界 史 は 理 性 の 論 理 的 な 展 開 だ が、 有 と 無 と の 弁 証 法 の 根 源 に、 意 識 は あ り え な < 意識革命 > の枠取り 革命の過激と意外 あらゆる学問が、 最終的には心理学に還元さ れる - 心理学がこの大いなる地位を言い立 て得たのは、「意識に基づく学」との自覚から であった。この時代になってからは意識が、 他 の何よりも明晰で、 人間が完全に知りうる唯一 のものとされた故である。完全な知識に基づけ ば、 学問は確かな歩みを得られるに違いない。 意識の明証説が、 時代の衣装を纏って、 主役に 躍り出たのであった。科学的な「真理」とは人 4 く過激な思想である。 かつてメスメルは、 物質と無意識とに信頼を 置いていた。なぜなら動物磁気とは、 心理作用 と生命作用を合わせ持つ物質だったからであ る。意識の役割は、 主に学問としての証明にあ り、 相対的に小さなものだった。これに対し、 次のフロイトの言葉は、< 意識革命 > への承認 と進んでの協力を、 はっきり表明している。 この研究の出発点をなすのは、どんな説明も記述も 受け付けない、意識という並らぶものない事実であ る。意識を語る場合でも、己れの経験から直かに、 4) 何のことなのかを知っているものである。 い。それはようやく人間に至って、 自己意識 (Selbstbewußtsein) として成立するが、 範囲が 狭く、 真理からほど遠い。そのうえ、 しばしば 暴走して、 フランス革命の恐怖政治のような惨 状に導く。理性の「狡知 (List)」は、 浅く愚か な意識を操りつつ、 自己を実現してゆくのだ。 彼を受け継いだマルクスにおいて、 民衆の意識 が指導と改造の対象でしかなかったのも、 頷け るところである。 大急ぎで二千年あまりを見た。ここから、 そ の後の二百年足らずに移る。我われの常識は、 この短く、 はかない基礎の上に乗っているので ある。 4 間の心理に他ならないこととなった。果てしな 意識が、 そして意識こそが、 最高の「並らぶ ものない事実」だと、述べられている。この表 現が充分な自覚とともに書かれたことは、 添え られた行動主義批判の註からも分かる。「アメ リカでの行動主義のごとき極端な方向では、こ の基本的事実を無視して心理学を築くことがで きると考えている」と、 嘆いて見せたのである。 フロイトが意識を信頼したと聞けば、 意外に思 われるかもしれない。彼の名からすぐに無意識 を連想するのは、 この人物へのこれまでの評価 から、 致し方がない。しかし、 研究の組み立て において彼が信頼したのは、 何よりも意識なの であり、 精神分析とは、 意識の上に構築される − 34 − 意識革命について:前史・枠取り・中軸 理論なのである。 れる。「革命」と呼ぶにふさわしい、 意識賛歌 私どもの療法は、無意識的なものを意識的なものに 変えることによって効果をあらわし、この変換をな しとげうるかぎりにおいてだけ効果をあげるのです。 ・・・ ノイローゼは、まさしく一種の無知、すなわち知っ ではなかろうか。 広い流域と三本の支流 ところがこの大胆な説は、必ずしもすべてが ているべきはずの心的な過程を知らないでいること フロイトの独創ではなかった。大筋で見るかぎ の結果だということになります。それは、悪徳すら り精神分析は、十九世紀半ば頃からの革命的な 無知にもとづくという、あの有名なソクラテスの説 5) に非常に似ているといってもよいようです。 フロイトの研究が出発するのは、 意識からで あった。だが、この文章からは、 意識がまた治 療の終着点でもあったと知れるのである。精神 分析が効果を上げるのは「無意識を意識に変え る」ことによるのだ。もし無意識を意識に変え て病まいが治らなくても、 けっしてこの方法が 誤っているのではない - 意識化がまだ足り ないだけなのだ。無意識の底は深いから「終わ りなき分析」に導かれるとしても、 この原則が 譲られることは決してない6)。 しかも、 意識の効用が、ただ病まいが治る以 上だということも分かる。心の病まいは、「一 種の無知」の結果とされたからである。無意識 意識尊重の流れのうちに、目立って浮かび上 がった教説の一つに過ぎない。< 意識革命 > の 広がりを考えるうえでは、 この点が重要となる。 真理に加え、健康と善をも意識に託すのは、な るほど徹底である。それが可能だったのは、< 意識革命 > の流域の幅広さゆえである。この事 情をリード (Reed, E.) は、その画期的な心理学 史で次のように書いている。 1880 年代に批判の的になったハックスリ、ティン ダル、クリフォードといった「唯物論者」はみな、 ある種の現象主義者だったのであり、唯物論者など では全くなかった。これは驚くべきことだが、真実 である。実証主義に刺激を受けて、さまざまな汎現 象主義が活気を取り戻した。・・・ 理論も関心も異なる さまざまな思想家たちは、すべての科学の基礎にな を意識にもたらすのは、すなわち知識を得るこ る基本的な「データ」は感覚であると考える点では とだと、フロイトは言っている。意識と知識と 皆一致していた。 7) が、 ここで重ねられているのである。 - す 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 知識の無いことつまり無知は、悪徳の起源にも なっている。 「知っているべきはずの心的な過程」がある のだ。我われは、 いずこよりか、ある種の知識 4 名前を挙げられた三人はいずれも、 キリスト 4 ると、治癒をもたらすのは知識なのだ。加えて、 4 の義務を負わされたことになる。この義務を果 たさないでいる結果が、 病まいと悪徳なのだ。 だから意識は、 悪徳を滅ぼし善をもたらす力で もある。 かつてメスメルは、 無意識の心的力を備えた 動物磁気で、 患者を治療した。その方法は、 フ ロイトに言わせれば「無知と悪徳」の吹き込み となる。無意識と意識の立場が、 真っ逆さまに なったのである。すなわち、 健康と善、そして 教会をはじめとする保守的な人びとから、「唯物 論者 (materialist)」として非難されていたので ある。生物学者のハクスリー(Huxley, Thomas Henry 1825-1895 年)は、「ダーウィンの番犬」 を自称して一世を風靡し、 進化論の啓蒙に努め ていた。著名な物理学者ティンダル (Tyndall, John 1820-1893) は、 キリスト教を批判し「唯 物論」に肩入れした廉で、「悪名」も高い。ク リフォード (Clifford, W. Kingdon1845-1879) は数学者で、 宗教的な権威は自然科学に比べて 信用度が低いと公言していた。「批判の的」だっ たのは、 彼らが進歩派を自任し、 時代の先端を 行く旗振り人だったからである。 それらの源なる真理が、そろって意識に見出さ − 35 − 英国科学協会の総会におけるティンダルの 臨床心理学研究 50 - 2 「ベルファスト演説」は、自然科学の万能を信 以降、現代の「意識」に連なる枠組みの提唱、 ずる科学主義を公然と言い立て、話題となった。 考察はかなりの数に上る。しかしながら、この 多くの科学者からの熱烈な支持の反面、倫理的 流れが滝となり、奔流となって学問の根幹を洗 に危険として、激しい攻撃も受けたのである。 うのは、あくまで十九世紀半ば以降のことであ けれどもティンダルの思想は、心をただの物質 る。 に還元する、 といったものではなかった。 以下では、この流れに棹を差した人びとの代 我われの聴き、見、触れ、味わい、嗅ぐすべては、 ただ我われ自からの変化に過ぎないのだと言わざる を得ず、これを越えては毛筋ほども進めない。我わ れの外側に、我われの印象 (impressions) に応ずる 何かが実在するというのは、事実ではなく、推論で 表を挙げつつ、革命の有り様を素描してみる。 < 意識革命 > の流れは、三本の支流に分けられ る。すべてを意識で塗り潰す流れ、意識に不可 欠な役割を与えつつも限界を設定する流れ、意 識を植え付けることで無意識の支配を企てる流 れ、 の三本である。それぞれを < 意識一色流 >、 8) ある。 非難を受けた「唯物論」の中身とは、 我われ の知る物体を、ここでは「印象」と呼ばれる意 識の事実から説明するする企てだったのであ る。独我論の匂いもするが、「我われ」との表 現があるから、 そうとも言い切れない。要する に、 感覚を基礎とする意識の明証性に最大の信 頼を置くこと - これは間違いない。すなわ ち < 意識革命 > の基本が語られているのである。 精神分析もまた、 その汎性欲説から、 保守的 < 意識棲み分け流 >、< 意識植え付け流 > と呼 び分けることにする。< 意識棲み分け流 > はさ らに、その意識の外側への構えから、< 排他実 証派 > と < 認識批判派 > に分けられる。 < 意識一色流 > − 「心理主義」という中軸 心理学者ヴントの哲学 まずは、< 意識一色流 > である。この名付け な人びとの非難を浴びていた。しかしフロイト が、 意識の < ひといろ > に染めることなのは、 は、 思想的には、 決して孤立していなかったの すぐに知れよう。加えて、< いっしき > を「意 である。汎性欲説そのものがすでに当時の流行 識流」にも掛けてある。ここに括った人びとの であったし、 あまつさえ、 ここに示した意識中 描く世界では、「意識の流れ」が、宇宙の仕組 心主義において、彼は当時の進歩派の人びと みの根底に横たわる。必ずしも皆がこの言葉を と、 完全に歩調を合わせていた。科学史家の 用うのではないが、そうした発想の共有がこの ゲイが、 フロイトの徹底した科学者振りを描き 支流の特徴をなしているのである。 出している 。したがって、 少なくとも研究の 代表者として適任なのは、臨床心理学/心理 出発点と治療原理とに関するかぎり、科学者た 療法と並らぶ、そしてしばしば対立するもう一 ちから強い批判を浴びることはなかったのであ つの心理学の流れ、すなわち実験心理学の創 る。 始者とされるヴィルヘルム・ヴント (Wundt, 9) メスメルの動物磁気を否定したラヴォワジエ Wilhelm 1832-1920) に違いない。彼から続く らの委員会の裁定は、感覚に決定権を与える理 内観主義心理学は、行動主義による挫折まで、 論を用いた。この事件はその点で、 < 意識革命 アカデミックな実験心理学の王道であった。ヴ > の先駆けとして、重要な位置づけを担ってい ントの心理学を支えた基本思想は、これまでき る。さらに遡って先駆けを捜せば、デカルト、 ちんと紹介されることが少なかった。しかし、 ロックといった、十七世紀の「科学革命」の同 科学的実験によって意識を探求できる、 さらに 時代人たちに、 たしかに行き当たる。十七世紀 は科学的実験を意識で基礎づけられるという彼 − 36 − 意識革命について:前史・枠取り・中軸 の哲学こそ、 < 意識革命 > をもっとも純化した た文体なので、要点を分かりやすく言い直して 形で示すものである。 みよう。 − 認識とは、客観を知ることを言 ヴントの考えでは、 認識は、経験によると思 う。ところが客観とは、意識の内容のことだ。 考によるとを問わず、すべてが意識に含まれる したがって、客観を支配する論理の法則も、意 「表象 (Vortsellung)」から成るという。「表象」 識の法則に他ならない。表象の動きを研究する とは、 先に述べたとおり、 説明の難しいもので 心理学こそが、 これらを解明するのだ。意識の ある。意識の流れのうちに様ざまな姿が浮かん 明証説に沿いつつ、経験から論理までを呑み込 では消え、互いに係わりあう様を指すらしい。 むこの構想は、批判者たちから「心理主義」と < 思い浮かべ > としたほうが、 分かりやすいか 形容されることになる。なるほど、 そう言われ もしれない。 て仕方のないところであろう。 表象は、ともあれ感覚から生ずる。だからヴ ただし、 ヴントが独我論の誘惑に屈したと考 ントは、精密な実験で感覚要素を取り出そうと えては、 行き過ぎである。「内観」を重視した したのであった。そして経験とは、 感覚から作 とはいえ、 彼はけっして「個人の内側」を探究 られる表象の内容に他ならないという。そう したのではない。経験主義の徹底を図っていた だとすれば、 全宇宙についての我われの知識と ヴントは、個人ないし自我という考えそのもの は、 意識の内部についての記述に過ぎないこと も、表象から構成されると考えていた。つま になる。つまり、意識から独立した対象・客観 り、 意識が個人を構成する。意識が、 自から構 が「意識の外界」に存在するとの説は、根拠の 成したたものに専属するはずはない。したがっ ない思い込みに過ぎない。 - 先ほどの、 物 て、 このときの意識に、 所有者はいないことに 理学者ティンダルの説とまったく同じなのであ なる。すべての源なる、 誰のでもない、ただひ る。トーマースを思い返せば、「表象」の役割 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 たすらの「意識」なのである。 知識は意識から生成し、これ以外に根拠はな が比べものにならないくらい大きいのに驚く。 一方、論理的な思考はどうして産まれるのか。 4 い。「外界の客観」は、 学問の礎となりえない。 それは複数の表象の結合による、変化の形式の 不毛な形而上学に陥るのは、 そうした不可能事 ことだ。思考とは、 意識流に漂う各項の相互関 を追求するからだ。意識の流れの内側だけで、 係なのであり、それが正しいかどうかも、やは 内容的にも形式的にも、宇宙の材料は出尽くし り意識の内側の事情で決まる。「外界の客観的 となる。したがって、この有り様を研究する心 な事情」に、合うかどうかではない。誰も見た 理学こそが、すべての学問の基礎となるのだ。 ことも触れたこともないものへの照合は、 実行 - このような大風呂敷を広げられ、 かつこ 不可能なのだ。これらをヴントは、 次のように れが大方の支持を受けたことは、 < 意識革命 > 言い表わした。 の勢いを印象づけるに足る事実であろう。 論理的思考はいまや認識機能と別物でなく、むしろ この機能の直接的な働きそのものなのだから、心理 学からは、もとをただせば客観に他ならないそうし た意識の内容が、つまりは表象こそが、論理的思考 哲学者ブレンターノの心理学 < 意識一色流 > のもう一人の立て役者は、ヴ ントとほぼ同時に、 心理学を哲学の方法として のもともとの内容でなければならず、したがって論 提唱したフランツ・ブレンターノ (Brentano, 理的思考の流れとは、心理学からすれば、表象の動 Franz 1838-1917) である。彼は名講義で鳴ら きの一部なのだということが直ちに明らかとなる。 10) 「直ちに明らか」のはずが、 かなり込み入っ し、人気役者並みの評判をとるウィーン大学教 授であった。フロイトも彼の講義を聴いて、理 − 37 − 臨床心理学研究 50 - 2 論構成に影響を受けている。 意識の「明らかな謎」振りが顔を出している。 ブレンターノは「先入観を倒せ」の標語のも ブレンターノがさらにヴントと違うの 、どうしても疑いようのない事実の記述 は、 こ れ ら の 意 識 が 外 部 へ と、「 志 向 性 から学問を始めると言い立てた。ここで「明証 (Intentionalität)」により関係するところであ (Evidenz)」として見出されたのがやはり「表象」 る。意識が自からの外のものごとを「対象」と だったが、ヴントとは異なり、それに心の「行 して抱きつつ、人間に内在すると言ってもよい。 と 11) ない (Akt)」が加えられる。表象の有り様を記 述するのが「記述心理学」で、表象を作り出す「行 ない」の分析が「作用心理学」となる。表象と 行ないが意識の事実で、これ以上に明白で確実 に知られるものは何もないとされる。 あらゆる心の現象は、 中世のスコラ哲学者たちが 対象の志向的 ( ないし心的 ) 内在と名付けたものを 特徴とする。ここでは、 やや紛らわしい言い方だが、 内容への関係とか、 対象 ( 現実性と解すべきでない ) への向かい方、 あるいは内在的対象性とでも呼んで もっとも、 これらがなぜ、 どのように明らか なのかとの説明は、 ブレンターノの著作にまっ たく見当たらない。彼は、 先入観を捨てれば分 かるのだと声高に叫び、 心の働きは対象と融 おきたい。・・・ 表象の内では何かが表象され、 判断の 内では何かが認められるか捨てられ、 愛の内では愛 され、 憎しみの内では憎まれ、 欲の内では欲される など。 合して区別できないとする論者、 例えばスコッ トランド常識学派のハミルトン (Hamilton, W. 1788-1856) などを非難する 12)。なるほどこれ は、 ある意味で筋の通ったことである。なぜな ら、 説明の前提となりつつ、 あらゆる説明を拒 むものこそ「明証」の名に値するのだから。デ カルトの「我思う」も、 まさにそうであった。 これらの「明証」を与えるのが「内知覚 (innere Wahrnehmung)」と呼ばれる、 特殊な見取り 方である。ところがブレンターノによれば、 こ れは少しも特殊な状態ではない。誰にでも備 わっており、 それどころか、本来なら、 これだ けが「知覚」の名に値するとまで言うのである 。 13) じっさいのところは、 自からの「表象」や心 の「行ない」などを、 疑いなく明らかに見出せ る人の数が、 さほど多いとも思われない。私自 から振り返ってみても、 ハミルトンと同じよう に、 知覚の相手と心の働きとは区別ができない。 しかし、 繰り返しそう言われれば、 表象や働き が見取れるような気もしてくる - この種の 議論は、 言った者勝ちである。上座部仏教など で用いられるヴィパッサナ瞑想のようなことを すれば、 現われてくるのであろうが。ここにも 14) ヴントは、 意識の内側だけですべてを語ろう とした。しかし、 我われの暮らしは、 いつも外 側のものごとと付き合い、 望んだり恐れたりし ているものである。志向性の発想の取り柄は、 こうした我われの実感を捨てずに、 かつ意識の 明証性に信頼を置き続けられるところにある。 「内在 (Inexistenz)」と言うからには、「外界」 があって当たり前かもしれない。だが、意識と 4 4 4 4 独立した「外界」について、ブレンターノは存 否を一切語らない。これもまた、筋の通った構 えである。なぜなら彼の立場なら、そうしたも のは、 語ることはおろか、考えることさえでき ないのだから。もし考えれば、その瞬間に志向 的な意識が、すなわち「外界」との関係を備え 4 4 4 4 つつも内在的な意識が、ありありと立ち現われ てしまう − はずだ。するともはや、「外界 の独立」は形容矛盾でしかない。考えられない ものを語るのは、 もっと馬鹿げている。「外界」 とは、 「内部から志向されたもの」のことなのだ。 このようにしてブレンターノは、「外界」を 必須の要因と認めつつ、それでも意識の内部で 完結する心理学かつ哲学を構想したのである。 世界は、 意識そのものではない。だが、 世界と は意識の対象のことだから、 意識さえ調べれば − 38 − 意識革命について:前史・枠取り・中軸 すべてが分かるのだ。ある種の綱渡り的妙技と ス (Lipps, Theodor 1851-1914) も、意識の明 言えるかもしれない。 証への信頼と、独立した「外界」を認めない点 ブレンターノの思想も意識の内部で完結する から、< 意識一色流 > に含めてよい。ヴントとは、 志向性と心の「行ない」の他に、感覚の要素主 義を採らない点でも違いがある。それでもやは り、「心理主義」の仲間として、批判に曝され たのであった。 では同類となっている。 4 4 自然科学は実在 の感覚的な現象の合法則性を認識し ているのである。つまり、 実在の合法則性を認識す 4 4 るとはいえ、感覚的な現象という言葉 があってはじ めて実在が捉えられる。このため自然科学には、 実 在自からとは、 実在そのものとは何かとの問いに、 関わるところがない。 ブレンターノの末流と「無意識発見」伝説 これに反し心理学は、 唯一の直接に体験されうるも えは広く受け容れられた。いや、 批判はむし している。この実在とは、 意識のことである。 「心理主義」批判にも拘わらず、志向性の考 の、したがって真の本質を把握し得る実在を対象と ろ、 十九世紀の後半から半世紀以上、様ざまな 哲学説に及ぼし続けたその影響力の強さを示し ていたのである。例えばフッセルル (Husserl, Edmund 1859-1938) は、意識の明証を基いに 存在論を語る「現象学」の運動を起こした。彼 も、 教えを受けたブレンターノを批判的に語る のだが、 世界のすべてを意識から組み立てるそ の企ては、 まったくの師匠譲りである。「事柄 そのものへ」との標語も、 師のそれ焼き直しな のは見やすいところであろう。 フッセルルは、 意識を通してものごとの「本 質」に迫ると言い立てる。だから現象学は、「認 識論」でなく、「存在論」なのだ。その方法はまず、 我われのふつうに知るものごと、世の中すべて を「括弧に入れ」、判断を停止する。そうすると、 世のものごとの内容がすべて、意識の事実とし て現われてくるという。ブレンターノの「内知 覚」とほぼ同じだが、フッセルルでは普段はこ れが忘れられており、「現象学的還元」という 特別な心構えでのみ意識される。すると、 明証 性を伴う意識が基盤として「存在」を担い、 外 部の対象 ( ないし「ノエマ」) を組み立ててゆ く有り様が現われるとされる。この成り行きの 解明こそが、 ものごとの「存在」全体の秘密を 解き明かすはずなのだ。 とは言え、 フッセルルの論敵であったマイノ ング (Meinong, Alexius 1853-1920) やリップ 15) これはリップスの記述である。ここで「心理 学」を「現象学」に置き換えてしまえば、 フッ セルルのものでないと断言できる人が、 どれほ どいるのだろうか。対立し論争していても、 考 え方に必ずしも大差はないという「法則」が、 ここからも見て取れよう。 志向性の考えはまた、ハイデゲル (Heidegger, Martin 1889-1976)、 ヤ ス ペ ル ス (Jaspers, Karl 1883-1969)、 サ ル ト ル (Sartre, JeanPaul 1905-1980) らに刺激を与え、「実存主義」 に組み込まれた。これらの思想が二十世紀半ば 過ぎまで、西欧哲学の主立った一角を担ったの は、記憶に新しいところである。 「 意 識 流 」 と 言 え ば、 ジ ェ イ ム ズ (James, William 1842-1910) と ベ ル ク ソ ン (Bergson, Henri 1859-1941) を外すわけには行かない。 系譜からすれば、 ここまでに挙げた人びとと は少しずれる。だが、彼らもやはり、宇宙全 体を意識の経験や像として扱う特徴は共有し ている。意識と無意識が必ずしも峻別されな いので、< 意識革命 > の時代にあっては異色の 面もあるのだが、彼らに影響を受けたプルー スト (Proust, Marcel 1871-1922) とジョイス (Joyce, James, 1882-1941) が、「意識の流れ」 から描かれる世界を小説に具体化したことは、 よく知られている。西田幾多郎 (1870-1945) も、 ここに加えてよかろう。次の < 排他実証派 > の − 39 − 臨床心理学研究 50 - 2 ところで述べるマッハも、本人に関する限り、 認められる。彼らの新しい無意識は、< 意識一 間違いなくここに入っている。< 意識一色流 > 色流 > の作り出した新しい意識との対比を考え の仲間は、こんなにたくさんいるのである。 ながら形成されてきた。 これゆえに、それまで さて、< 革命 > の響きは、 意外なところから 論じられてきたものとは違った性格を帯びざ も聞こえてくる。「フロイトが無意識を発見し るを得なかったのである。その限りではたしか た」との伝説がある。歴史始まって以来、 心と に、のちに述べるような新しい芽ばえも認めら いえば意識のことだったと、 この物語は語り出 れる。無意識を現代に通ずる形に整備したのが、 す。 フロイトがその底をえぐり出し、 心につい < 意識一色流 > に刺激された近代臨床心理学な てのまったく新しい眺めをもたらしたことに のであった。こうした因縁からも、< 意識一色 なっている。彼こそが、別の「革命」の担い手だっ 流 > には、< 意識革命 > の中軸の位置づけが似 たとの俗説である。今もまだ時折り語られるこ あうであろう。 の誤った見解は、フロイトの「公式の」伝記作 者ジョウンズ (Jones, Ernest 1879-1958) の広 めたものであった 。 16) エレンベルゲルは、 無意識の心理学の歴史を あぶり出し、 フロイトの新しさがごくわずかな ことを示した。 精神分析など力動精神医学の用 いた概念の大部分は、もう、ロマン主義の精神 科医たちが先取りしていた 17)。だがそのエレ ンベルゲルも、 十八世紀以前の無意識には、 ほ とんど考察を及ぼせなかった。こうした誤りに は、 しかし、 それなりの理由がある。近代の臨 床心理学が歴史上はじめて無意識を扱ったかに 見えたのは、当時あまりに意気盛んであった < 意識一色流 > への対比からなのである。正しく は、むしろ意識ですべてを塗り潰す思想こそが 新しく、この時代に急激に起こったのであった。 ところが、この事実を忘れさせるくらいの勢い が、 その頃の < 意識一色流 > にはあった、 とい うことである。 < 意識一色流 > に対比されてこそ、精神分析 は際立った。 とは言えそれは、意識に始まり意 識を目指す方法なのであった。「無意識」の一 点では異なるものの、 精神分析とは、< 意識一 色流 > に対立するどころか、紙一重の立ち位置 を占める仲間に他ならない。フロイトやその流 れの独創性は、この意味から、 さらに薄まらざ るを得ないのである。 ただし、 フロイトらの無意識にも、 新しさは < 意識棲み分け流 > の強面分派 − < 排他実証派 > の急進と限界 論理実証主義の棲み分け 次は、もう少し込み入った流派を語ろう。こ こでは意識に、はっきり限界が設けられる。 た だし、その持ち場の内では、際限なく腕を振る わせる。全面制覇は目指さず、縄張りを仕切る ことで、かえって意識の特権を確かなものにす る構えである。これを < 意識棲み分け流 > と名 付ける。 もし < 意識革命 > が、< 意識一色流 > の奮闘 だけで終わったなら、心と意識に関心を集中す る特異な流れが一つできただけ、と見かけらる かもしれない。しかし、この変革が「コップの なかの革命」でなかったことは、ブレンターノ の教鞭を取ったウィーンから、半世紀ほど遅れ て、もう一つの著名な支流の流れ出たことから 知れる。論理実証主義である。この思想は、の ちに述べる急進的な排他主義から、< 意識棲み 分け流 > のうちでも < 排他実証派 > として分類 する。 論理実証主義はマッハ (Mach, Ernst 18381916) や、初期のウィトゲンシュタイン、ラッ セ ル (Russel, Bertrand A. W. 1872-1970) ら の影響下にあり、シュリック (Schlick, Moritz 1882-1936)、 ノ イ ラ ー ト (Neurath, Otto 1882-1945)、 カ ル ナ ッ プ (Carnap, Rudolf − 40 − 意識革命について:前史・枠取り・中軸 1891-1970)、 エ ヤ ー (Ayer, Alfred J. 1910- ていた。まず、論理的な真理と経験的な真理を 1989) らを有力な担い手とする、これも思想運 峻別する。 つまり、真理の「分析性」と「総合 動と呼んでよい流れである。ライヒェンバッハ 性」とが、原理において互いに独立と見做され、 (Reichenbach, Hans 1891-1953)、 ヘ ン ペ ル またどんな場合にも区別できると考えられた。 (Hempel, Carl G. 1905-97) も思想的にはこの 仲間である。 さてここで、実証面 ( 総合性 ) の基本となる 明証を保持するのが、意識に与えられる感覚な この運動は、初期には「マッハ協会」を名乗っ ていた。この著名な物理学者の思想の影響力の 強さが伺われる。彼はブレンターノと同い年で、 つまりヴントとも同世代となる。思想的にも < 意識一色流 > に属することは、次のような表現 から知られるとおりである。 のだ。あらゆる認識はここからのみ始まる、と 言い立てられた。 現象界を超越する実在の知識があると主張する形而 上学者を攻撃する方法の一つは、どんな前提から彼 の命題が導き出されるかを問うことである。彼もま た他の人達と同様に、彼の感覚の明証から出発せね 赤、緑、温、寒、等々、これらはすべて何と呼んで もいいが ・・・ さらにわれわれの関心を惹き得るもの は、これらの要素間の関数的相互依存関係 ( 数学的 な意味における ) である。要素間のこの関係を物と 18) 呼びたければ呼んでいい。 ばならないのではなかろうか。もしそうなら、そこ から超越的実在の概念に導く、どんな確かな推論法 があるのだろう。経験的な前提からは何事でも、超 経験的な何物かの性質についてなら、いやその存在 についてすら、正しい推論はできないないのである。 19) ここでも、人間の感覚を越えた実在は否定さ 意識の明証性への信頼の強さは、< 意識一色 れている。では、宇宙は何で出来ているのか 流 > と異なるところがない。我われは、感覚に − もちろん、物体で構成されている。 ところ 基づく意識を超えては進めないのだ。確信の強 が、その「物」とはすなわち、感覚のある種の さが、「形而上学者」への攻撃となって現われ 数学的秩序のことなのだ。宇宙のものごとすべ ている。しかし感覚は、そのままでは知識とし ては、意識の内にある。数学を前面に出したこ て単純すぎる。 より高度な認識、知的な理解に とを除けば、先に引いたヴントの言い立てと、 至りたいなら、感覚に留まってはいられない。 ほとんど重なっていることが分かるであろう。 そのため、感覚を前提とした推論を用いる。別 この気持ちのよい一元論は、古い形而上学への の縄張りを持つ二つが、それぞれの持ち場で絶 強硬な拒否姿勢と相俟って、強い魅力を放って 対的な真理を与えつつ、結合されるのである。 いた。 意識を材料とする推論だから、その結果も意識 心理学者なら、意識を持ち上げても不思議は を超えるところには至れない。したがって、意 ないかもしれない。だが、マッハは有力な物理 識を越えた実在を論ずる「形而上学者」は誤っ 学者であった。< 意識革命 > の勢いが、物質を ている。 とは言え、推論を行なう論理そのもの 研究する立場でも心を、とくに意識を採り上げ はどこにあるのか - そこから意識の限界が ざるを得ない雰囲気を醸していたことが分か 決められるのである。 る。マッハの思想の全体は、論理実証主義に納 現 代 論 理 学 は こ の 頃、 フ レ ー ゲ (Frege, まるものではないが、この主義への橋渡しとし Gottlob 1848-1925) の仕事を嚆矢に急激な発 て働いたことは確かである。 展を見せた。ただし、論理とは筋道の形式だか 論理実証主義は、言葉のとおり二つの部分か ら、経験から来る知識の内容について、何も語 らなる。すなわち「論理+実証」で、記号論理 らない。そこで意味論、つまり言葉・記号と対 学と実証主義との、棲み分け的な結合を目指し 象との係わり方の考察が、重要な課題となって − 41 − 臨床心理学研究 50 - 2 強かった。理由の一つに、彼らの基準での検証 いたのである 20)。 ヴントにとってなら、論理もまた意識経験の に耐えない言い立てを「無意味」とする、切捨 構造から形成される。 すなわち、表象の振る舞 御免の強面 [ こわもて ] 振りがあった。論理実 いから帰納される法則に他ならない。 ヒューム 証主義は、「統一科学」の理想を掲げていた。 の懐疑論にも繋がるところである。だが、フレー 彼らの方法であらゆる科学を連結し、宇宙のす ゲも論理実証主義者も、確実な知識を求めてい べてを同じ原理で説明しようと謀ったのであ た。 論理は、数学と同様、必然性を備えねばな る。意識の限界を認めるので、< 意識一色流 > らない。だから、論理を経験からの帰納に委ね に比べて謙虚にも見えよう。 だが、論理と合わ るわけには行かない。論理実証主義はフレーゲ せて得られる領分は、やはり全宇宙へと拡大し、 に従い、論理については「心理主義」を激しく その外側には「無意味」が広がるだけなのだ。 拒否した。計算問題「5+7 =」の正しい値が、 論理実証主義は、強引さの点でも < 意識一色 答案の平均値ではあり得ない。 だから論理も数 流 > と歩調が合っている。 西欧の思想界を覆っていた「形而上学的混乱」 学も、心理によっては左右されず、さりとて物 理でもない、独自の領域で成り立つと考えられ を、彼らは、実証と論理だけで放逐できると考 たのである。 えていた。論理実証主義とその亜流を、< 意識 意識による認識はこうして、確実性を期待さ 棲み分け流 > のうちでも < 排他実証派 > として れる一方、一定の縛りが設けられた。論理学と 分類するのは、これ故である。新参者のくせに、 実証主義の棲み分けによる「限定的絶対権」の 異分子を一切認めない傍若無人だから、伝統を 保証こそ、論理実証主義を支える仕掛けである。 重んずる哲学者たちの反感を買って当たり前で 心理でも物理でもないとは、しかし、どのよう あろう。たしかに、革命的で過激な挑戦となっ な性格であろうか。 これについては、またのち ている。 4 4 4 論理実証主義は、確実性という価値観に強く ほど考えることとする。 偏する思想であった。実証の側面では、意識の 「感覚与件」の排他主義と挫折 うちでも「感覚」に出番が与えられ、確実かつ 論理実証主義で意識の働きは、< 意識一色流 単純な要素的事実とされた。経験の内容につい > に比べれば制限を受けている。 しかし裏を返 てなら、意識の根源性は揺るがない。 < 意識革 せば、論理からの独立が、意識に権限を与えて 命 > の性格がはっきりと出ているし、要素主義 もいる。我われの生きた経験のうちには、疑い という点からも、論理実証主義とヴントとの距 なく確かなものが、たしかに有るのだ。いかに 離は、意外に近いのである。そして、両者の共 単純でも、絶対に確実な知識なら、至宝として 有する「革命的」変化が、もう一つある。 扱うべきだ。それを公理として前提に置けば、 感覚が、「データ」として扱われたことであ 確実で異論の挟めない学問ができるに違いな る。活力・影響力は、古代以来、感覚の重要な い。ここには、十七世紀の科学革命で手本とさ 特性であった。 先に引いたトーマースが、「感 れた、幾何学的秩序の残響が聞こえる。 デカル 覚的欲求」を理性の「正義の絆」で抑え込もう トの思想も共有するところである。 としたのは、感覚のこの力を怖れたからである。 論理実証主義に対しては、新時代の哲学とし それは人に、罪の根源を伝達さえするのであっ ての歓迎が多く寄せられた。 ロジャーズも賛同 た。 ところが、新しい時代の感覚は、「感覚与 者の一人で、彼の理論にはこの主義からの強い 件 (sense data)」と呼ばれるほどに、自から作 。 だが、反発・攻撃もまた 用する「力」をすっかり奪われてしまった。言 影響が見られる 21) − 42 − 意識革命について:前史・枠取り・中軸 い換えれば、人間を脅かす怪しい力だったもの 4 4 4 4 4 4 理の前提に組み込むための表記法は用意できな が、人の持ちものとなり、論理的判断力にとっ かった。ヴェルトハイメル (Wertheimer, Max ての「可処分所得」へと化けたのである。< 意 1880-1943) らのゲシュタルト心理学者は、仮 識革命 > に至ってはじめて可能となった、決定 にそうしたものを取り出せたとしても、経験全 的な変化である。感覚はいまや、確実かつ不可 体は組み立てるには、この要素以外のものが必 欠ではあれ、飼いならされて、「処理」される 要なことを見出した。ゲーデル (Gödel, Kurt のをただ待つ「羊」のようなものに過ぎない。 1906-1978) の 1931 年に発表した不完全性定 まぎれもない < 革命 > の響きが、このあたり 理が、経験に言及する場合の論理の証明力の限 からも聞こえる。かつてメスメルは、学問にお 界を示した影響も大きかった 22)。こうした経 いてなら意識を重要視した。だが動物磁気、す 緯から、論理実証主義には近ごろ、破綻した哲 なわち無意識の物質の根源的な力を信頼したの 学の代表の感さえある。 もまた、彼なのであった。 無力な「データ」と けれども、この強引な説を多くのすぐれた学 論理の形式のみからすべてが組み上がれば、古 者が、また心理療法家さえが、まじめに考えた い意味での物質性の中核が、姿を消したことに という事実は、何かを示すのではなかろうか。 なる。論理実証主義は、なるほど意識を、とく それが < 意識革命 > の勢いであり、< 意識とい に感覚を尊重する素振りは示した。 だが廂を貸 う想念 > の力強さなのである。論理実証主義と せば、母屋を取られる場合もある。「データ」 実存哲学とは、同時代に勢いを得ながら対照的 となった「感覚」は、もはや名前だけのそれで な色合いを帯び、敵対するとさえ捉えられてき あり、かつての「唯物論」の、キリスト教の立 た。その両者がやはり、意識への信頼の点では、 場からは非難に値する生々しい欲望や誘惑の力 意見を共有する。ラッセルも初期にはブレン を、すべて喪失している。 トーマースたちの精 ターノから影響を受けていたくらいである 。 23) この思想の系譜に物理学の絡む点は、< 排他 神主義の理想が、図らずも、名目上の「唯物論」 実証派 > が強面振りを採れた理由の一つに挙げ によって達成されてしまったのである。 論理実証主義の攻撃した「形而上学」とは、 得るであろう。相対性理論への道を拓いたとさ たしかに、スコラ哲学の流れを汲む思想のこと れるマッハはもちろん、シュリックとカルナッ であった。 しかし仲の悪さは、必ずしも立場の プも物理学の研究から哲学に転じた。ウィトゲ 遠さを意味しない。 この新しい革命思想は、トー ンシュタインは機械工学の研究を進めるなかか マースたち正統の形而上学の目指したことを、 ら、数学基礎論と論理学への関心をはぐくんだ ほんの少し違ったやり方で実現できると踏んで のであった。この時代には、物理学の成果を掲 いたのである。同胞がいなくなれば、相続分は げれば人びとがひれ伏すことさえ、不思議とは 増えるというものであろう。 思われなかった。この名残りは、今にまで及ん この急進思想は、しかし、あっけない挫折で でいる。 終わった。 はじめこそ華々しかったこの運動 ニュートンの主著の題名『自然哲学の数学的 の舞台で意識に振られた役、つまり「感覚与 原理』に掲げられたとおり、物理学はかつて哲 件」は、まぎれもなくヒロインであった。 だが 学の一部であった。変化が起こったのは、よう いまや、近代哲学で随一とも言うべき悪名とと やく十九世紀になってからである。高等教育機 もに語られるのを常とする。後期のウィトゲン 関での専門家養成体制の確立などに伴い、物理 シュタインやクワイン (Quine, Willard van O. 学は、ラヴォワジエらの開いた「新化学」の道 1908-2000) らの示したとおり、感覚要素を論 と刺激しあいつつ、「自然科学」を独立領域と − 43 − 臨床心理学研究 50 - 2 して形成しはじめた。この新しい学問分野は、 12 ブレンターノ / Brentano 1874 p.126-7 古い「迷信」や「空論」との訣別を宣言し、新 13 同 p.128 しく確実な学問として地歩を固めようと謀って いた。世の中もまた、それを認めるのに傾いた のである。この新たで強固な砦から、故郷の哲 学へと凱旋の動きが起こっても、さほど意外と は言えまい。この余波を受けて誕生した新時代 の学問が心理学だったとは、いまさら繰り返す までもなく、なおさら意外ではない。 なにしろ、 14 同 p.124-5 15 リップス / Lipps, 1909 p.1 強調は原著者 16 ジョウンズ / Jones 1954 17 エレンベルゲル / Ellenberger 1970 例えば訳書 上巻 p.366 下巻 p.27 83 564 など 18 マッハ / Mach 1926 訳書 pp.387-8 19 エヤー / Ayer 1936 訳書 p. 6 20 フレーゲ / Frege 1962 錬金術師ニュートンの示すとおり、物理学はも 21 ロジャーズ / Rogers 1959 訳書 p.269 ここに ともと、心と魂に強い関心を抱く学問だったの は、論理実証主義から影響を受けたことがはっき り述べられている。 意識の事実をそのまま受け止 である。 めるのを第一とする彼の理論は、内容的にもこの 主義との繋がりを感じさせる。 22 ゲーデル / Gödel 2006 不完全性定理は、述語 註 論理では自然数を含む命題のすべての証明はでき 1 イ ギ リ ス の 科 学 史 家 バ タ ー フ ィ ー ル ド ないことを示した。正しくても証明のできない命 (Butterfield, Herbert) が 提 唱 し た。 こ の「 革 命 」 題がある。したがって、たとえ確実な要素的事実 が、 今の世に直結する自然科学の先駆的業績を大 が得られたにせよ、そこから経験的事実のすべて 量に産み出した。さらに、 これらのうちに、自然 と人間をめぐる近代的な思考法の誕生を見る。た いへん有名だが、様ざまな論争も巻き起こしてき を導くことは、論理学ではできないことになる。 23 ブレンターノの表象説は具体的な対象全体の思 た概念でもある。クーンはこの変化にまったく 新 た な 解 釈 を 導 入 し た し、 シ ェ イ ピ ン (Shapin, Steven 1996) のように、「革命」と言えるような 変化は無かったとの説もある。科学革命の評価は しかし、この書の課題ではない。 2 ト ー マ ー ス・ ア ク ィ ー ナ ー ス / Thomas, Aquinas 1265-73 第二 - 二部 第百七十五問 第四 項 訳書 23 p.113 3 同 第二 - 一部 第八十二問 第四項 / 訳書 12 p.262 い浮かべなので、感覚与件とは異なるが、まさに 心理的関係である。ラッセルはブレンターノの志 向性を、言葉の意味の解明に利用した。志向性を 「ついて性 (aboutness)」と翻訳し、意味の内実を なす言葉と対象との関係を、これで置き換えよう としたのである。固有名詞は人物など個物を指し 示すが、一般名詞、形容詞などは枠組みを指し示す。 個物と枠組みとは異なる存在領域にあって、前者 への指示が心理的な指示関係となる。そして、こ れとは別の関係で示される後者の領域こそが、論 理と命題の意味を構成するのだという。心理と論 4 フロイト / Freud, 1940a 訳書p .326 理を区別するために凝らされた工夫だが、いずれ 5 フロイト 1916-7 訳書 pp.352-3 の存在領域も志向性の明証に依拠して設定されて 6 フロイト 1937 いる。( 飯田 1987 pp.156-165) 7 リード / Reed, Edward E. 1997 訳書 p.224 8 ティンダル / Tyndall 1874 9 ゲイ / Gay, Peter 1987 10 ヴント / Wundt 1919 1.Bd. p.16 11 "Nieder mit den Vorurteilen" この標語は、 彼 の著作のあちこちに散見するが、 遺作となった "Versuch über die Erkenntnis"(1925) では、 目次 の冒頭に掲げられている。 − 44 − 意識革命について:前史・枠取り・中軸 文献 Ayer, Alfred Jules / エヤー "Language, Truth and Logic" 1936 London : Victor Gollancz 吉田夏彦訳「言語・真理・論理」1955 岩波書店 Brentano, Franz / ブレンターノ "Psychologie vom empirischen Standpunkt" 1. 2. 3. (ed. Kraus, Oskar) 1924.1955.1968, Hamburg: Felix Meiner, Philosophische Bibliothek(org. 1874 1911 1928) Brentano, Franz / ブレンターノ (ed. Kastil, A.) "Versuch über die Erkenntnis" 1 9 2 5 , Felix Meiner, Philosophische Bibliothek 194 Carnap, Rudolf / カルナップ "Der logische Aufbau der Welt : Scheinprobleme in der Philosophie : das Fremdpsychische und der Realismusstreit" 1961 Hamburg : F. Meiner, org. 1928. Berlin : Weltkreis-Verlag Ellenberger, Henri F. エ レ ン ベ ル ゲ ル "The Discovery of the Unconscious - The History and Evolution of Dynamic Psychiatry" 1970 Basic Books「無意識の発見」上下 木村敏 中井久 夫 他訳 弘文堂 1980 Frege, Gottlob/ フレーゲ "Funktion, Begriff, Bedeutung : fünf logische Studien" 1962 Göttingen : Vandenhoeck & Ruprecht; herausgegeben und eingeleitet von Günther Patzig.- 3. durchgesehene Aufl. Freud, Sigmund/ フロイト "Vorlesungen zur Einführung in die Psychoanalyse" 1916-7 "Gesammelte Werke"11. Frankfurt am Main : Fisher Verlag 懸田克躬訳「精神分析入門」1966 昭和 41.8 中 央公論社『世界の名著』49 Freud, Sigmund/ フロイト Die endliche und die unendliche Analyse org. 1937 小此木啓吾訳 終わりある分析と終わりなき分析 1969『フロイト著作集』6 pp.49-58 人文書院 Freud, Sigmund/ フ ロ イ ト Abriss der Psychoanalyse 1940 "Gesammelte Werke"17. Frankfurt am Main : Fisher Verlag, pp. 63-138 「精神分析概説」小此木啓吾訳 昭和 44 日本教文社 『フロイド選集』15 pp.306-408 Gillispie, Charles Coulston/ ギリスピー "The Edge of Objectivity - An Essay in the History of Scientific Ideas" 1960 Princeton University Press 島尾・永康訳「科学思想の歴史」1965 み すず書房 Gödel, Kurt/ ゲーデル 林晋 , 八杉満利子訳、解説「不完全性定理」2006 岩波書店 org. 1931 Hempel, Carl G.'Aspects of Scientific Explanation" 1965, New York, The Free Press Jones, Ernest/ ジョウンズ "The Life and Works of Sigmund Freud" 1-3 1954 London : Hogarth Press Mach, Ernst/ マ ッ ハ "Erkenntnis und Irrtum : Skizzen zur Psychologie der Forschung" org. 1905 Leipzig : Johann Ambrosius Barth 1976, unveränderter reprografischer Nachdruck der 5., mit der 4. übereinstimmenden Aufl., Leipzig 1926. Darmstadt : Wissenschaftliche Buchgesellschaft 井上章訳「認識と誤謬」(抄訳)1973 中央公論社『世界の名著』65「現 代の科学1」pp. 379-420 Quine, Willard van Orman / クワイン "Word and Object" 1960 Cambridge, Massachusetts : The M. I. T. Press − 45 − 臨床心理学研究 50 - 2 Reed, Edward E./ リード "From Soul to Mind : The Emergence of Psychology, from Erasmus Darwin to William James" 1997 Yale University Press「魂から心へ」村田純一他 2000 青 土社 Russel, Bertrand/ ラ ッ セ ル "Our Knowledge of the External World as a Field for Scientific Method in Philosophy" 1914 Open Court「外部世界はいかにして知られうるか」石本新訳 昭和 46 年 中央公論社『世界の名著』58 pp.81-304 Shapin, Steven / シェイピン "The scientific revolution" 1996 University of Chicago press 川田 勝訳「『科学革命』とは何だったのか ― 新しい歴史観の試み」1998 白水社 Wittgenstein , Ludwig/ ウィトゲンシュタイン "Philiosophische Untersuchungen" Basil Blackwell 1968 Wittgenstein , Ludwig/ ウ ィ ト ゲ ン シ ュ タ イ ン "Über Gewißheit" 1970 Frankfurt am Main : Suhrkamp Verlag Wundt, Wilhelm/ ヴ ン ト "Logik : eine Untersuchung der Prinzipien der Erkenntnis und der Methoden wissenschaftlicher Forschung" 1.Bd. "Allgemeine Logik und Erkenntnistheorie" 2.Bd. "Logik der exakten Wissenschaften" 3.Bd. "Logik der Geisteswissenschaften" 1919 Stuttgart : F. Enke,4. neubearbeitete Aufl. 3巻構成(初版は 1880-1883 Stuttgart : F. Enke 2巻構成 1.Bd. "Erkenntnisslehre" 2.Bd. "Logik der Geisteswissenschaften" ) Wundt, Wilhelm/ ヴント "Grundzüge der physiologischen Psychologie" 7. Aufl. 1923 Leipzig : A. Kroner 村上 陽一郎「近代科学と聖俗革命」1976 新曜社 渡辺 正雄「科学者とキリスト教 ガリレイから現代まで」 1987 講談社 − 46 − 意識革命について:前史・枠取り・中軸 On the Consciousness Revolution (1) - the prehistory, the schema, and the axis - ZITUKAWA Mikirou (Himeji-Dokkyo University) Abstract The Consciousness Revolution denotes a great change in the schema of the Western psyche in the middle of 19th century. It brings large influences and limitations to our modern social and cultural life. Before this change, it was quite natural to our psyche to operate in unconscious state. But, after this revolution, all the people are expected to have a normal, clear consciousness, and the whole of the social life has begun to be restructured along this standard. It is the clinical psychology with its theories and practices that represents this large conversion. This article discusses two sects thereof. "The Consciousness Univocalist" does the axis, and insists that all of the universe are not different from our consciousness. "The Exclusive Positivist" is a sect that stands out because of its revolutionary movement of an extreme exclusionism. It limited the source of our experiential knowledge to the "sense data". Both insist that the fact that exists in our consciousness cannot be exceeded and that the consciousness is fundamental to every research including the natural science. Key words : Consciousness Revolution, normal, Consciousness Univocalist, Exclusive Positivist, logical positivism − 47 − 臨床心理学研究 50 - 2 【論文】 意識革命について:その2 實川 幹朗 1) 弁え・植え付けと臨床心理学 要約 < 意識革命 > のうち、< 意識棲み分け流 > の分派で少し控えめな < 認識批判派 > と、無 意識への侵略と征服を目指す < 意識植え付け流 > とを採り上げる。 こんにちの臨床心理 学は、直接には後者から流れ出している。二つの流派とも、無意識を論ずるが、 「無意識」 の性格と扱い方から、世界観はかなり異なっている。 < 認識批判派 > では、< 白 > 無意 識と名付けた理知的な無意識が、フロイトらに先立って「発見」されていた。 これは古 代以来の理性・知性尊重の仕来たりに沿い、キリスト教の正統に適うものである。臨床 心理学の取り扱う無意識には、その対照的な性格から < 黒 > 無意識の名を与えた。 < 意 識植え付け流 > は、この「非理知的」な無意識を尊重せず、理知性の仲間をなす新しい 「意識」で置き換えようとする。植民地主義にも通ずるこの構えは、近代の自然科学もま た共有している。 索引用語:意識革命 意識棲み分け流 認識批判派 意識植え付け流 < 白 > 無意識 < 黒 > 無意識 科学主義 < 意識棲み分け流 > の弁え分派 − < 認識批判派 > の < 白 > 無意識 の趣きを丹念に磨いた。< 認識批判派 > はこの 哲学を直接、間接に参照しつつ、意識の棲み処 を確定しようと試みたのであった。したがって カント哲学の復興と < 認識批判派 > の成立 過激な排他主義を掲げた論理実証主義の属す る < 意識棲み分け流 > には、しかしもう一つ、 少し控えめな分派がある。 < 認識批判派 > がそ れである。「認識批判」とは、限りある人間の 知恵には必ず認識できない領域が残る、との論 証である。世界を意識で一色に塗り潰すことへ の批判も、ここには含まれている。十八世紀 の後半にカント (Kant, Immanuel 1724-1804) は、画期的な「批判哲学」三部作によって、こ この派は発生が、先の < 排他実証派 > より、時 期的には早い。 それでいて、目立たないとはい え、近ごろでも命脈を保っている。 意識を「批判」するとは言え、全面否定では ない。カントも意識は、経験的な認識の出発点 として、大いに重視していたのである。彼の立 場からすれば、物質からなる宇宙についての知 識は、感性への与件に始まる我われの心の「現 象」以外には求め得ない。経験についての知識 は必ず意識に基づく。 けれども、我われが知り 1)姫路獨協大学 − 48 − 意識革命について:弁え・植え付けと臨床心理学 うるのはこの「現象」に過ぎず、本体とは異な ては、ある程度の成功を収めたのである。この る仮姿のみとなる。 したがって、ものごとの本 時代には、カント哲学の最大の功績が、ニュー 体をなす「ものそのもの (Ding an sich)」は不 トン力学の哲学的基礎付けとさえ考えられたく 可知なのだ。 もしその認識を、意識に基づいて らいなのだから。 語れば必らず誤る − これが認識批判であっ た。 「批判哲学」で、論理と自然科学的な因果法 則が絶対に確かとされるのは、独特な内閉的理 批判されたとはいえ、そして「ものそのもの」 論からである。外界にあるらしく見かけられる とは無関係ながら、< 認識批判派 > では、論理 物体の秩序は、まことは感覚からの心の「現象」 と自然科学的な因果法則が、心の「現象」の範 の秩序なのだ。 ところがこの秩序を与えるのは、 囲でなら絶対に確実とされた。ここにもやはり、 理知性の一部をなす「悟性 (Verstand)」に他な 確実性への偏執と、それを可能にするであろう 1) らない 。さて、合理性、合法則性を判断する 意識への信頼が、はっきりと見て取れる。意識 のは悟性だ。 その悟性が自から法則を作ってい を批判しつつも、やはり < 意識革命 > の一派な るのだから、製作と認識の自作自演が、悟性に のである。 より行なわれていることになる。したがって、 西欧の哲学界はこの頃、十九世紀の前半に圧 身の程を弁え、「ものそのもの」を知ろうとな 倒的な影響力を振るったヘーゲル (Hegel, G. どしないかぎり、法則には誤りの出ようがない。 W. Friedrich 1770-1831) に飽き、カントへの こうした論法でカントは、自然科学の確実性の 回帰をあちこちで試みていた。ファイヒンゲ 基礎づけをはかっていたのである。 ル (Vaihinger, Hans 1852-1933)、リッケルト 物質からなる自然に対する理知性の優位と支 (Rickert, Heinrich 1863-1936)、カッシーレル 配こそが基礎付けの軸だと、言ってよかろう。 (Cassierer, Ernst 1874-1945) らによる「新カ 語られたのは人間の理知性なので、自然認識に ント派」の運動はまとまって目に付くが、それ 関する人間中心主義でもある。 論理実証主義の に留まらず、この大哲学者の影は狭い意味での 「感覚与件」は、感覚からかつての怪しさを剥 哲学を超え、ほとんどの学問分野を広く横切っ ぎ取り、飼いならされた「羊」としたものであっ ていた。ヘーゲル主義はと言えば、マルクスに た。 すでにカントにおいて、その準備は九分通 受け継がれ、政治・社会運動となってゆく。こ り出来上がっていたのである。 キリスト教プロテスタント倫理の現世主義、 の「東側」の世界において意識の役割は小さ く、「西側」の < 意識革命 > が大いに批判を受 合理主義に馴染むこの思想は、産業革命の進展 ける。だが、 これについて詳しく触れるゆとり とともに力を増していた機械論とも、よく符合 はない。 した。「時計のように」が座右の銘だったカン 自然科学の領域としての確立と拡大などか トは、プロテスタント倫理を普遍的な「人間 ら、哲学はかつての諸学の王の地位を追われ、 性」と見做したのであった。 普遍的なら、あた 特殊な専門分野となりつつあった。縄張りは縮 かも教会の時計塔が人びとの生活を仕切ったよ 小し、流行とも言うべき「空疎な形而上学」と うに、全世界に、すべての分野に適用すべきで の批判をさえ、甘受していた。 ここで振り返れ あろう。心理学にもこの力は及び、ヴントにも ば、カントはかつて「諸学問の基礎付け」役を フロイトにも、カントへの言及が見られる。 ユ 目論んでいたのであった。 ヘーゲルに比べ自然 ングの理論もまた、カントから強く影響を受け 科学への親和性の高いカントに帰れば、哲学は つつ形成されたのであった。 その地位を保てるかに思われた。 そしてこの企 − 49 − 論理実証主義にかかれば、古い哲学の権威な 臨床心理学研究 50 - 2 ど、張り子の虎のはずだった。けれども、論理 績のあと、生理心理学の研究に進み、この分野 実証主義の絶対視した「分析性」と「総合性」 の初期に重要な足跡を残したのである。十一歳 の区別は、カントに由来するのである。< 排他 年下のヴントは、彼の許で数年間、助手を務め 実証派 > の発想にもやはり、かの哲学者の影が た人物であった。 差していた。< 意識棲み分け流 > の形成全体に、 ヘルムホルツの心理学研究は、近ごろの常識 カントの学説が少なからず手本として働いてい からすれば、大胆な転進と見えよう。しかし彼 たことになる。そして < 認識批判派 > こそ、カ にとって心理とは、物理と別の分野ではなかっ ント哲学の直系なのである。 た。物理学の根底は感覚による経験だと、ヘル 哲学が、かつての栄光を失うまいと足掻きつ ムホルツもまた考えていたのである。物理学と つ掴んだものこそ、< 意識という想念 > であっ は、最終的には、まさに物質的な過程から生成 た。 正体はともかく、この「藁」は、差し当た する感覚の学に他ならない。 物理法則もまた、 り期待に応える手掛かりを与えたのである。 こ 心理学と同じく表象の秩序に他ならず、原理的 の時代に圧倒的であった物理学の自信の一端 には二つの領域が、心理学のもとに統合される が、やはり意識の確実性の想定から滲み出てい 2) との立場であった 。彼の物理学は、「ものそ た。物理学に、錬金術の延長の怪しげで涜神的 のもの」の学ではない。すでにエネルギー保存 な「魔術」ではないとの保証を与えたのが、他 則 (「力の保存」) の論文でさえ、カントの強い でもない - 論理法則とこれに基づく因果律 影響下で書かれていたのである3)。 が絶対に確実との、カントの証明であった。 魔女狩りの終焉から百数十年が過ぎたとは言 え、物質などという怪しげなものにまじめに向 < 白 > 無意識の「発見」 ここまでならヘルムホルツも、弟子であった き合えば、キリスト教の保守派はすぐさま「唯 ヴントに驚くほど似ている。< 認識批判派 > の 物論者」と非難する。 政治的な力も大きい彼 意識への信頼は、< 意識一色流 > にも増して絶 らだから、かつて異端宣告を受け幽閉の憂き 大である。だが、次のところで、師弟には違い 目に遭ったロジャー・ベイコン (Bacon, Roger が出てくる。ヘルムホルツによれば、我われの 1214-94) と似たことにもなりかねなかった。 日ごろの暮らしでも、感覚に始まる心理的経験 さて、保守派にとっての大事は非物質的な精神 のうちで、物理学の実験と同じことが行なわれ である。ここで、物理法則が理知性そのものに ているというのである。そうでなければ我われ 他ならないとの証明は、物理学者には盤石の盾 の経験は、ただの音や、色や、触感の洪水であ となった。 そうなると、物理学もカント哲学に ろう。 周りの状況を正しく知覚し、適切に行動 恩返しをしたくなるであろう。 物理学に絡んで ができるのは、すでに非常に高度な表象形成と < 認識批判派 > の誕生したことが、この事情の 判断の行なわれている証拠なのだ。 しかしその 勘案で理解しやすくなる。 過程を、我われは知っているだろうか − そ < 意識革命 > を支援したばかりか、先頭に立っ んなことはない。 ヘルムホルツの説には、驚い た一人と言える物理学者マッハは、けっして特 た人が多かったのである。 すなわち、その過程 異ではなかった。彼より十数歳年上のヘルム は無意識で進んでいる - これが有名な「無 ホルツ (Helmholtz, Hermann L. F. von 1821- 意識の推論 (unbewußte Schlüsse)」説である 94) は、いまなお物理学の根底をなす法則の一 4) 。 つエネルギー保存則をまとめ、十九世紀を代表 高名な物理学者が、ちょうどフロイトの産ま する学者の一人であった。ところが彼はこの業 れたころに、もう「無意識」を口にしていた。 − 50 − 意識革命について:弁え・植え付けと臨床心理学 けれどもこの「無意識」には、フロイトら臨床 てくる。論理と数とを、経験から独立の絶対に 心理学のものと大幅に異なるところがある。ヘ 確実な何かと考えるのは、プラトーン主義の流 ルムホルツの無意識は、無知どころか、科学的 れに他ならない。 イデアとは、理知性の捉える 認識をさえ形成する。意識の及ばないところに、 非物質的な観念だから、まさに心理的な対象な 理知的な働きが語られているのである。物理学 のであった。 フレーゲやラッセルらによって「心 など勉強したことのない子供でも、ものごとを 理でない」とされたのは、一つには、 「感覚与件」 正しく知覚するのは、この働きが生得的だから との区別を際立たせるためであった。 ラッセル だ。 我われは皆、無意識の物理学者なのだ。 そ は次のように書いている。 して、この思想の起源もカントに求められるの である。 カント哲学では、感性への与件や認識の内容 は、たしかに意識される。けれども、推論と判 断を形成する心の仕組みの方は、ほとんどが我 われの意識の外にある。物理学などの法則は、 自から作っているにせよ、凡人にとっては苦労 して発見するしかない − やはり無意識の働 きが隠れているのである。なるほど、カントそ ある哲学者たちは、数学の対象が明らかに主観はで ないから、物的な経験にもとづくべきだと論じた。 別の哲学者たちは、数学の対象は明らかに物的でな いから、主観的な心理なのだと論じた。いずれの側も、 その否定に関して正しく、積極的な主張では誤って いた。対するフレーゲは、双方の否定を受け入れつつ、 心理でも物理でもない論理学の世界を認めて、先の 二つとは異なる第三の主張を発見した功績を担って 5) いる。 の人は「無意識」という言葉を用いない。しか し、悟性が無意識に働くのでなければ、彼の哲 学を知るのに、誰も額に皺して勉強する必要は なかろう。ヘルムホルツは「批判哲学」の枠組 みに沿いつつ、心の現象の規範としての物理学 と生理心理学を、やはり苦労しながら追求した のであった。 カントやヘルムホルツの扱った無意識を、こ こでは < 白 > 無意識と呼ぶことにする。フロイ トらの、無知と病まいの本になる無意識と区別 するためである。そちらの方は < 黒 > 無意識と 名付けよう。< 白 > 無意識は、たしかに意識を 越えている。 だから、フロイトら臨床心理学者 から「無意識の発見者」の名を奪うには充分で あが、本性においては < 黒 > 無意識に対立し、 理知性の系譜を引いている。つまり、< 白 > 無 意識は、真理と善の源となる < 意識という想念 > に、本性上は重なるものなのである。< 白 > と < 黒 > の使い分けは、言うまでもなく、物理 学の祖先たる「魔術」に因んでいる。 < 排他実証派 > の掲げた論理の意識からの独 立性も、< 白 > 無意識の言い立て見れば、掴め 分析と総合との峻別は、論理実証主義の屋台 骨であった。 それを考えれば、論理と感覚との 距離を極大にしておかねばならない事情は分か る。 だが、内容に沿って見れば、数と論理の扱 われる第三の領域とは、カントとヘルムホルツ の研究した無意識の心理機制に他ならない。 こ れは要するに、名付けの問題なのである。 < 認識批判派 > は、改めて次のように定義で きる − ある限界内での意識の確実性と、こ れに基づく優越的地位を信ずる < 意識棲み分け 流 > の一派で、合理的な < 白 > 無意識に依存し、 かつ意識の外側に認識のできない「ものそのも の」の領域を認める一派である、と。 < 白 > 無意識は、事実上、< 排他実証派 > に も認められる。 したがって < 意識棲み分け流 > は、< 白 > 無意識を共通の特徴とするのである。 言い換えれば、経験を超えた理知性を何より確 実とする信頼が、この流れを特徴づけている。 なるほど、フレーゲに始まる近代論理学は、ア リストテレースの体系を二千年ぶりに塗り替え た。 その成果が、今の世の電算機にも用いられ ている。 けれども、理知性を絶対に確実とする − 51 − 臨床心理学研究 50 - 2 構えに関するかぎり、けっして斬新でも独創的 でもない。 古代ギリシア以来の理知性への信頼 と、これを受けたキリスト教神学によるその絶 対化が、新たな装いで甦ったに過ぎないのであ る。 < 意識棲み分け流 > では、これと並んで、経 験に係わる意識にも別の確実性が認められる。 確実性の柱が二本で、この流れを仕切っている ことになる。 とは言え、二本にすれば堅固にな るとは限らないだろう。 意識の備える確実性は、 かつて怪しかった感覚を毒抜きし、「羊」に変 えて「データ」としたものであった。 順序から すれば、< 白 > 無意識が意識に近いのではない 。 古代からある理知の無意識に似せて、新しい 意識が拵えられたのである。両者の本性は、限 りなく近い。 それでも、二本立てに拵えたので、 確実性への執着と追求が、よりはっきり認めら れる得はあった。そしてこの構えこそ、< 意識 革命 > 全般の推進力なのである。 で表わし、図 (picture) を「表象 (Vorstellung)」と 呼 ぶ。・・・ 心 に 描 く こ と (mental presentation) に ついて、ポンプの中で水が上がるのを自然の真空嫌 いのせいにしたアリストテレース派と、ピュイ・ド・ ドーム山に登って大気圧の問題を解く提案をしたパ スカルとを比べてみよう。前者では、説明の用語が 物理的な像 (image) にはまらない。だが後者なら、 像はくっきりとして、 気圧計の上がり下がりが、二 6) つの拮抗する圧力の変化から描けるのである。 「表象 (Vorstellung)」が、ヴントとブレンター ノにとっても、 意識の最重要成分だったこと は、繰り返すまでもあるまい。この「唯物論者」 は、「観念論者」のカントと同じく、 物理学を 心に描かれる図式に基づく判断だと考えてい た。けっして物体そのものの備える性質ではな いのだ。それにも拘わらず、保守派の攻撃は激 しかった - 人びとの記憶にこの演説を、今 に至るまで留めさせる作用も結果したのだが。 もっともティンダルは、体の生理的な働き重 視の発言も行なった。 原理的には、生理学もま た「表象」の学に他ならず、心理学に吸収され < 白 > 無意識の広がり るはずなのだが、なるほどここには、保守派を る物理学者のティンダルが、「ベルファスト講 物質的、肉体的な言葉で語られるところの重視 ヘルムホルツ、マッハと同じく意識を重視す 演」を行なったのは、ヘルムホルツの「力の 保存」論文の発表された 1847 年から二十七年 後、1874 年であった。< 意識革命 > への支持 は、物理学の世界にしっかり浸透を続けていた のである。先に述べたとおりこの講演は、倫理 的に危険な「唯物論」として激しい攻撃を受 けた。 だが、保守派の激しい抵抗にあっても、 革命はまだ意気軒高であった。 ティンダルはブ レンターノにも影響を与えた J. S. ミル (Mill, John Stuart 1806-73) に従い、そしてヘルム ホルツを引きつつ、こう述べた。 物理学の概念形成に欠かせないある特性 ・・・ それは 筋の通った図解で心に示せる (picture before the mind) ことである。ドイツ人は図解すること (the act of picturing) を「表象する (vorstellen)」の語 刺激する要因がある。 意識の直接研究ではなく、 なので、< 意識一色流 > に比べれば「外界」の 物質への信頼度は高いと言える。意識の外側へ の配慮が垣間見られるので、 ティンダルもひと まず < 認識批判派 > に分類できよう。 明らかな意識を中心とした心の「現象」への 信頼を、「唯物論」として攻撃するのは、リー ドも言うとおり、筋違いである。< 白 > 無意識 は理知性の延長で、感覚は毒抜きされている。 しかし、何にせよ新しい動きには抵抗が出やす いし、< 認識批判派 > では感覚の「羊」化が、 < 排他実証派 > ほどには徹底しなかったのも事 実である。そして < 意識革命 > の支持者の全体 が、少なくとも意識的には、理知的な精神主義 を「古くさい形而上学」と見做してこれとの対 決に傾き、その古い仕来たりと自からとの縁の 深さには、気付いていなかったのである。 − 52 − 意識革命について:弁え・植え付けと臨床心理学 < 意識革命 > への支持は、自然科学のみから ないかもしれない。強いて言うなら、ここでは ではない。社会科学者もこのあたりに座を占め 理性に加え感覚も < 白 > 無意識に繰り込まれた ていた。社会学の草創期の二人、コント (Comte, のであろう。 だが、どう呼ぼうとも、最も明ら Isidore A. M. F. 1798-1857) と ス ペ ン サ ー かで最終的な拠り所となる心の有り様だとの点 (Spencer, Herbert 1820-1903) は、 や は り 感 には違いがない。 これが < 意識革命 > の核心で 覚を出発点に取る確かな知識の可能性を論じて ある。 いた。実証主義を主唱したコントこそ、この変 化をまさに「革命」と捉えた人物である。 心の、社会への広がりについては、半世紀あ まり遅れたデュルケム (Durkheim, Émil 1858- 人間の知性の成熟期を示す根本的革命とは、本来い かなる分野についても決定の不可能な、いわゆる「原 因」を追求することをやめ、その代わりに「法則」、 すなわち観察された諸現象間の恒常的関係のみを追 7) 求することにある。 1917) も、その頃に最高潮を迎えようとしてい た個人主義に抗しつつ、次のように言い立てた。 歴史の各時代の文明を構成する知的および道徳的財 の総体はその集合体の意識を座とするのであって、 10) 個人の意識を座とするのではない。 「原因」とは、事柄そのものが成り立つため の必要にして充分な条件で、辿ってゆけば、世 界の創造者に行き着く。 しかし、そんなことを 議論してみても、人間であるかぎり、成果は望 めない。 だから、不可能なことは諦めて、人間 として確かに知りうることにのみ、学問の方向 を限ろうとの提案である。それが「法則」であ り、言い換えれば「観察された諸現象間の恒常 的関係」に他ならないという。 「原因」の追求は斥けられたものの、その存 在までは否定されていない。 手を出すな、との 戒めであり、カントの「批判哲学」と軌を一に した言い立てである。先に挙げた物理学者たち の誰よりも早く、コントは < 認識批判派 > の立 場を確立していた。彼はここからさらに、「見 えない星についての天文学は無い」 8) との勇 み足にまで進むから、切り捨ての味では、< 排 他実証派 > に少し接近する。それも感覚への強 い信頼の為せる業であった。 ただしコントは、個人を対象とする心理学が 学問の基礎になるとは、考えていなかった。感 覚に基づく現象の観察は社会的に行なわれ、人 類の「共通理性 (la raison commune)」が法則 を判断するというのである9)。社会的、集団 的な広がりを備えてる感覚と理性とは、意識な この最後の論点は、「意識」についての了解 を揺るがせる。文明の総体こそが意識の座だと いうのだが、我われの一人一人は誰も、それを 正確に知ることがない。 そうだとすれば、この 「意識」は、むしろ < 白 > 無意識に近いのでは ないか。「意識」と「無意識」の用語法そのも のが、この綻びから再編に向かう可能性さえあ る。 それでも、< 意識革命 > の議論には、いささ かの差し障りもない。意識がどこにあるにせ よ、これに対する強固な信頼は十九世紀半ばか ら二十世紀初頭にかけて、各界の学者たちから 口々に語られ、議論の前提に用いられていた − それで充分である。今どきの我われの「意 識」の語感からは多少の隔たりがある、という 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 に過ぎない。何か明らかなものが人間の手許に 現われたという期待感を伴う学問的・社会的変 化 − これが < 意識革命 > の実相なのである。 そのことが、このあたりの事情から、微妙に読 み取れる。 < 意識植え付け流 > − < 黒 > 無意識の征服 限られた意識の勢いと自信 のであろうか - その呼び方は、ふさわしく − 53 − 最後に挙げる < 意識植え付け流 > は、< 意識 臨床心理学研究 50 - 2 革命 > のうちで、無意識をいちばんはっきり と認める流れである。そのかぎりで、< 意識革 命 > としては不徹底とも見かけられよう。 じっ さい、ここに属する近代臨床心理学は「無意識 を発見した」と称し、あたかも「意識の時代の 終焉」を用意するかの如き教宣を張った。 けれ 実験家の精神が形而上学者やスコラ哲学者のそれと 違うのは、謙虚さ (modestie) の点においてである。 ・・・ 実験家が人間の傲慢さを結果として減らしてゆく のは、第一原因も、ものごとの客観的現実も永遠に 隠され、知りうるのは関係 (des relations) のみとい 11) うことを日々証明し、人間に教えることによる。 ども、意識の役割への自信と信頼が、この派ほ 形而上学に別れを告げる実証精神は、ここで ど大きいところは他にない。 真理と善と、そし も解決不可能な問いへの諦めを表明していた。 て健康までもが、ここでは意識に独占されるか 諦めは、否定とは異なる。 < 認識批判派 > と同 らであり、発見された < 黒 > 無意識は、征服さ じく、隠された何らかの深い真実を認めつつも、 れるためにこそある。 これに手を伸ばす動きは批判するのである。こ 理論の実践、実地に与えた影響の最も大き かった支流も、< 意識植え付け流 > である。勇 の諦めに支えられつつ、手に入る確実性へと向 かうのも、< 認識批判派 > 譲りである。なるほど、 ましい押し出しでは < 排他実証派 > に劣らず、 「謙虚」さが伺われよう。 だが、形而上学と分 しかもここでは、研究の成果やその応用が世の 類される「旧弊」の切り捨ては、「現象」を認 営みに具体化した余勢を駆って、イデオロギー 識する意識の確実性への、絶対の自信の為せる としての普及も強力であった。また、これまで 業であった。< 意識革命 > の一派たる所以であ 挙げた流派と同じく、革命はここでも、自然科 る。 学との共同で推進された。 したがって、無知と やはり意識こそが、真理の源なのだ。「数学 病まいのもとになる無意識も、臨床心理学の専 の真理は意識的かつ絶対的だが、それは存立の 売ではない。 理想的条件がいずれも意識され、絶対的な仕方 自然科学者として < 意識革命 > に加わったの で知られるからである」 − こう彼は、ヴン は、物理学者のみではない。クロード・ベル 「絶 トよりもさらに強い心理主義を表明した 12)。 ナ ー ル (Bernard, Claude 1813-1878) は、 生 対的な真理」とは、意識において完結すること 物学、医学、生理学に計画的な実験を基軸とす なのだ。 ヴントなら、表象の関係には曖昧さが避けら る方法を導入し、仮説演繹法の思想を確立した。 影響力は各界に及び、死去に際してはフランス れないと考えていた。 フレーゲらは、数学と論 政府が、学者に対する初の国葬をもって遇した 理の曖昧さを嫌う点でベルナールに与したが、 ほどの大立者である。いまも読み継がれる著書 確実性を預けるほどには、意識を信頼できな 『実験医学序説』(1865) を、出版直後から絶賛 かった。 ベルナールの立場では、意識あってこ したのがパストゥール (Pasteur, Louis 1822- その数学である。さらにベルナールによれば、 1895) であった。生化学、細菌学などにわたる 自分自身の感覚や行為も、これへの意識が備わ 彼の歴史的業績は、ベルナールの方法論を実践 るからには、数学と同様の確実性をもって知ら に移した結果に他ならない。その思想こそ、< れているのだ。彼の意識への信頼は、その版図 意識植え付け流 > だったのである。 の広大さから、フレーゲの論理への信頼をさえ 『実験医学序説』の前書きには、先に引いた、 上回っていたと言えよう。 二十年ほど早いコントの記述に見まがうばかり の「革命宣言」が記されている。 − 54 − 意識革命について:弁え・植え付けと臨床心理学 意識が物質を侵略する 宙へと伸びている。 「絶対的な真理」が意識の内部に宿っている。 ベルナールには、感覚への疑いを含んだ構え そこがいかに狭くとも、真理と確実の質は確保 が認められる。物質・肉体への不信であり、こ されたのだ。 そうなると、「虚偽と不確実」に れは古代ギリシアからキリスト教の習いに受け 対しては、当たりが厳しくなる。 真理が意識に 継がれた、精神的な理知主義に他ならない。 < 結びついたので、無意識は非真理に重ならざる 意識一色流 > なら、我われの知る物質は、すべ を得ない。 ここでベルナールは、自然現象を研 て意識のうちに抱え込まれていた。 < 認識批判 究すれば意識を越えた領域が、つまり無意識が 派 > でも、この点は同じである。だからこそ「唯 問題になると言うのである。すなわち < 黒 > 無 物論」との非難も浴びせられたのであった。 と 意識が、登場する。 ころがベルナールは、物質と意識を対立関係に 体の支点といえば、足の感覚する大地なのに、精神 の支点は、知られたものつまり真理であり、すなわ ち精神の意識する原理なのである。・・・ 自然現象を推 論する場合に ・・・ 正しいか間違いかを知る基準が無 いのは、繰り返すが、その原理が無意識 (inconscient) 置き、後者に優位を与えている。 さらに、実験 科学によって、その優位をできる限り強める提 案を行なったのである。意識は世界を塗りつぶ さず、限られた領域を占めるだけなのに、それ でも圧倒的な信頼と優位を勝ち得ている。 だからであり、このため感覚に訴えねばならないか 13) らである。 そこからは、感覚が直ちに真理を掌る意識と なるのかも問われ、これはまた別の問題に繋が 意識からは、真理という「支点」が、精神に 提供されるのだ。意識への非常に強い信頼が表 明されている。これに対し、物質の作り出す自 然現象には、真理の基準が欠けている。 なぜだ 4 4 4 4 4 4 ろうか - それは、原理が無意識だからなの だ。実験の必要を説くのは、自然現象を感覚に もたらせば、その仕組みを意識できると考える からである。 ここでベルナールが、自然の仕組みをただ「知 らない」と述べずに、「無意識」と表現したの は、けっして言葉の綾に留まらない。 彼の研究 対象は生物の体、組織、そして人体であり、そ こを基盤に、実験科学の方法を論じているので ある。「自然」とは、まず第一に自からの体で あり、これが日々働いていることに疑いはない 。 しかし、その仕組み、原理、法則は、日々を 暮らす自分自身の精神にまで達していない。 だ から、無意識なのである。しかもこれは、知識 を阻む < 黒 > 無意識である。この種の好ましか らざる無意識の起源は物質に、つまり体と、こ れの接する大地にあるのだ。彼にとって、物質 の典型は自からの体であり、そこから大地、宇 る。 この点について、いまは措こう。それでも 感覚は意識され得るし、意識されるかぎりは、 確実な真理とされたのである。しかも、これを 通してのみ、自然現象の原理は認識にもたらせ るのだ。 心が意識一色で塗り潰されることはない。心 の内でも意識にはっきりと限界が画されるとこ ろは、< 意識棲み分け流 > と同じである。だが、 そこに < 黒 > 無意識はなかった。< 認識批判派 > なら、意識は自からにあらかじめ ( ア・プリ オリに ) 与えられた範囲を越えては、けっして 進めなかった。 分からないことに手を付けない 身の程の弁えが、備わっていたのである。< 排 他実証派 > なら、明らかな意識とその仲間の < 白 > 無意識のみが研究対象で、その外には何も 無いと考えていた。それらに引き換え、ここ < 意識植え付け流 > では、意識が権限において一 歩を進めている。意識に現われていない人の体 そのものという、カントならしり込みしたに違 いないところへと、意識が踏み入るのである。 すなわちこの流派の意識には、かつてのタブー の少なくとも一部分が、取り払われている。禁 − 55 − 臨床心理学研究 50 - 2 じられた領域に踏み込む自信とは、意識への「革 命的」信頼の別名に他ならない。 意識は、無知の源なる無意識を認めつつ、そ れに対峙する。 < 黒 > 無意識への対処法は、意 識への絶大な信頼から、自づと導かれる - 無意識を意識に変えればよいのだ。 ここには、 我われはそれを渾沌、沸き立つ興奮に満ちた釜と呼 びます。それは身体的なるものの方へ向かう末端の ところが開いていて、そこで本能欲求を内に取り込 み、本能欲求はそのなかで精神的表現を見出すのだ と想像しますが、しかしどんな基体 ( 担い手 ) のなか 14) でかを言うことはできません。 意識拡張のための「前線」が構えられている これはフロイトが晩年に、ベルナールの先の著 。 < 意識植え付け流 > との名付けは、無意識に 作から半世紀以上も遅れて、『続精神分析入門』 意識を植え付けて領土の拡張を謀る支流に与え (1932) に記した文章である。添えられた図の たものである。 最上部には「知覚−意識系 (W-Bw)」があり、 物質的な無意識には毅然として対決し、意識 その下には「自我 (Ich)」が控える。これらが にもたらしてこそ学問は成り立つ。 自然を感覚 人間の理知性の座である。「自我」は、それ自 に現わすため工夫される様ざまな実験は、その 身はほとんどが無意識とされるが、その本性は 先に、物質とは対立する、理知的な意識を見込 外界の「現実」に沿い、合理的判断によって自 んでいた。意識を基盤に、人間中心主義と精神 己保存を図ることにある 15)。つまり、フロイ 主義が打ち立てられるのである。 トの「自我」は大部分が、< 白 > 無意識からな るのである。 「文化事業」としての侵略と支配 さて「自我」は、知覚に由来する意識を活用 フロイトをはじめとする近代臨床心理学の諸 しつつ、合理的な活動を行うとされる。 ここで 派も、ここに分類される。ただし気をつけるべ も < 白 > 無意識は、上部の意識と繋がりが深い。 きは、その「後進性」である。ベルナールはフ ( その起源がどこに求められるにせよ。 ) これに ロイトより四十歳以上も年上で、『実験医学序 対し、下部の体からは、渾沌と興奮を紡ぎ出す 説』出版の年に、フロイトは九歳であった。フ 本能の欲望が入り込んでくる。 < 黒 > 無意識は ロイトの最初のまとまった著作『ヒステリー研 このように、< 白 > 無意識とは別の性格と働き 究』が出たのは 1893 年だから、ベルナールの を備える。「エス」には、言葉と論理が通用し 死後すでに十五年を経ていた。< 白 > 無意識は ない。「自我」の担う理知性が、そこでは挫折 もちろんのこと、< 黒 > 無意識でさえ、正統の するのである。 自然科学のなかで、少なく見積もっても一世代 は先んじて、研究課題となっていたのである。 トーマースの無意識の原罪による性欲論から数 えれば、五百年を超える歴史がある。 したがって、臨床心理学による「無意識の発 見」はけっして、意識中心の合理的な科学研究 の妥当性を揺るがす事件ではなかった。無意識 の本拠である「エス」についての、次のフロ イトの記述を、下部が開いて体へと繋がる有名 な図を参照しつつ読むとき、ベルナールやトー だがフロイトも、ベルナールと同じく、この 挫折に甘んじようとはしない。 現に精神分析療法の意図は、自我を強め、自我を超 自我から独立せしめ、自我の知覚分野を拡大して自 我の組織を完成し、その結果自我が、エスの新しい 部分を獲得し得るということにあるのですから。エ スのあったところ、そこから自我は生ずるでありま しょう。 それはたとえばゾイデル海の干拓のような文化事業 16) なのであります。 マースとの重なりは、驚くに値するのだろうか。 『続精神分析入門』第十一講の末尾の、やは りしばしば引かれるこの文章には、< 意識植え − 56 − 意識革命について:弁え・植え付けと臨床心理学 付け流 > の「フロンティア精神」とでも言うべ して語る 17)。意識で確かめてもまだ安心する きものが、遺憾なく現われている。「自我の知 のは早い、というわけである。ちょっと見には、 4 覚分野を拡大」するとは、「自我」にとって意 4 4 識の 使い勝手をよくすることである。それが、 「自我の組織を完成」することになる。その「自 我」の生ずる場所は、かつて「エスのあったと ころ」なのだ。「エスの新しい部分を獲得」とは、 言葉を換えれば、< 黒 > 無意識への、意識と < 白 > 無意識による侵略と支配である。それが「文 意識への絶対的な信頼が揺らいでいるかのごと くだが、そうではない。 自然科学者の到達した一般命題ないし拠って立つ原 理はどこまでも、かりそめでしかない。それは、全 てを知るほどの確実さの得られない、込み入った関 係を描くからである。科学者が無意識で、精神が十 全でないから、原理は不確実となる (son principe 化事業」として、精神分析の目標に据えられて est incertain, puisqu'il est inconscient et non いる。 adéquat à l'esprit)。 18) オランダのゾイデル海干拓は、十九世紀から 二十世紀にかけての西欧技術を代表する、歴史 的な大土木工事であった。その成功の決定打こ そ、当時の先端技術である大規模な蒸気機関を 用いての排水作業に他ならなかった。まさに、 水蒸気の「沸き立つ釜」の力を人間の操作に従 わせ、人間はこの力を利用して自然の領分を、 さらにもぎ取ったのである。 科学者が「謙虚」たるべき理由は、肉体・物質・ 自然が相手なら、無意識が避けられず、それが 精神を、つまりここでは意識を、曇らせるから なのである。その解決策として工夫されたのが 「対抗検査」で、無意識を意識にもたらす役割 を担う。「無意識の真理に携わるかぎり、実験 者の理性は対抗検査を求める」とベルナールは 表現した 19)。 彼の「謙虚」は、けっして「自然」 には向かわない。それが無意識たるかぎり、理 野望は拷問で 高度な科学・技術を使いこなすには、明晰な 意識がなにより必要だ - こう思う人が、た くさん出てきた。 それが < 意識革命 > の時代で ある。ベルナールもフロイトも、そう確信して いた。 さらに加えて彼らは、意識を無意識へと 踏み込ませ、操作し、支配することを目指し た。 これが < 意識植え付け流 > たる所以である。 物質科学も心理学も、等しくこの流れを汲んで いた。 実験や観察の事実を有りのままに認めるのは もちろんだが、そこに留ってはいられない。こ の流派の科学者は、もう一歩、意地悪になる 必要がある。ベルナールは「対抗検査 (contreépreuve)」の必要性を繰り返した。すなわち、 ある条件下で仮説に有利な結果が出ても、さら に疑い、当の条件を取り去れば結果も消滅する ことを確かめよ、というのである。彼はこれを、 科学者の「謙虚」を具体化し、独断への戒めと 知性による検査の要求を突きつけるのである。 意識が、人間の理知性と結んで、あるいはほ とんど同一視されつつ、無意識の物質に立ち向 かっている。フロイトは、精神分析が「終わ りなき」ものだと認めた 20)。意識による < 黒 > 無意識の征服は、たやすく達成できないどころ か、むしろ、永久に不可能なのだ。だからといっ て、理想の旗はけっして降ろさない。意識にも たらしても症状が消失しないなら、それはまだ 意識化が足りず、まだ無意識の仕組みが隠れて いるからに過ぎない - 意識の力そのものの 限界ではないのだ。 半世紀前のベルナールも、 まったく同じことを言っていたのである。 なるほど天地万有についての絶対的な決定性 (déterminisme) への到達は、永久に叶うまい。・・・ しかし、実験的方法の助けにより非決定性を減少さ せ抑圧する (refouler) ことで、決定性の領土を拡げ てこそ、人間の知的征服は成る。人間の野望を満た すにはこれしかないはずで、人間が発展し、その力 − 57 − 臨床心理学研究 50 - 2 を自然へと拡張してゆくのも、これによるからであ 21) る。 > も、論理の独立を言い張り、意識に限界を設 けた。したがって、この流儀が単独で支配権を ベルナールもフロイトも、理知性への信頼と、 こわもて 物質的な「自然」に対する強面振りを誇る。 あ たかも、キリスト教における肉体 = 欲望から の誘惑への拒否と、理知的な精神の支配を思わ せる。物質から立ち上がる、感覚といういかが わしきものを疑い続け、実験・観察によって締 め上げ白状させて、意識にもたらす。この拡張・ 発展の営みは、完成不可能だからこそ、未来永 劫続くのだ。「自然を拷問にかける」というフ ランシス・ベイコンの精神が引き継がれ、< 意 識植え付け流 > に結実したのである。 実証主義時代の科学者の「謙虚」とはすなわ ち、「現象」世界についての、決定論の信念の 表明に他ならない。意識された内容に、誤りは あり得ないということである。心理療法家に とってなら、意識から病まいは起こりえないと の信念になる。 ともに意識と精神の絶対性に帰 依し、物質の < 黒 > 無意識には騙されるな、と の戒めである。高らかな人間中心主義と拡張主 義とが、少なくとも十九世紀の半ばから二十世 紀前半にかけ、一世紀近くに渡りほとんど形を 変えずに持続していたことは、これで分かる 。 22) 振るえた時期はない。けれども、はっきりした 立場を叩き台としてこそ、より洗練された形態 が現われ得たのである。< 意識一色流 > が押し 立てた意識の明証説と、学問と認識における根 源性の思想とは、すべての流派に共有されてい る。 ただし < 意識一色流 > は、批判を受けつつも 劣勢に甘んじなかった。ことに哲学の専門領域 でなら、二十世紀の半ば過ぎまで、むしろ主流 の地位を保っていた。なるほど < 白 > 無意識の 発見は、思想史的には重要に違いない。だが、 日ごろの生きざまを振り返れば、どれほどたや すい振る舞いでも細部まですべて意識できない ことくらい、すぐに気付くはずではないか。意 4 4 識という「絶対に確かなもの」を、己れの手近 4 に見出した感動と安心が、これに気付けない状 況を作り上げたのである。< 白 > 無意識をわざ わざ「発見」しなければならないほどの注意欠 損こそ、< 意識一色流 > の力の発露であった。 この「手近で確か」への信頼と安心は、その ままそっくり近ごろの「唯物論」にも見出せる。 この思想の起源は古いが、やはり十九世紀半ば 以降は今風の装いを纏いつつ、自然科学者たち を有力な担い手として、強力な思潮を形成して いる。リードももしかすると気付いていたよう < 意識革命 > 三流・二派の見晴らし 近代臨床心理学/心理療法の誕生とあい前後 しつつ起こった < 意識革命 > の輪郭は、ほぼこ のようである。まとめに代え、いま挙げた三流・ 二派の互いの立ち位置を、おおまかに述べなお しておこう。 < 意識一色流 > が中軸になるのは、この流れ が最も素直に、< 意識革命 > の方向を指し示す からであった。もちろん「意識がすべて」では 素直すぎ、すぐに欠陥が露呈する。< 認識批判 派 > が、 「無意識の推論」などの < 白 > 無意識を、 この流儀の登場とほぼ同時期に「発見」したの は、その一例である。少し遅れて < 排他実証派 に、< 意識一色流 > と「唯物論」とは真反対の ようで、通じ合う − いや、じつは同じ一元 論の「名前替え」なのである。 < 意識棲み分け流 > の二派は < 白 > 無意識を 認め、意識万能ではない点で共通する。「古い」 形而上学への批判はいずれも激しく、< 意識一 色流 > に劣らないが、二派それぞれに、意識の 外側に何を見出すのかで、方向が少しだけ違う。 < 認識批判派 > は形而上学の不毛を、認識不 可能な領域にまで探究を進めた点に見出す。 「も のそのもの」とか、神 ( ユダヤ = キリスト教の ) による創造とかは、たしかに大切だ。けれど − 58 − 意識革命について:弁え・植え付けと臨床心理学 も、意識が及ばないからには、残念ながら学問 ば無敵と考えられたのである。 では扱えない。< 白 > 無意識さえここには届か 自戒の余地がないのだから、批判は外敵に向 ず、下手に手を出せば薮蛇になると、自戒を込 かった。計画の完成は先になろうが、実現のた めての批判である。とは言え、その謙遜の下地 めには何を措いてもまず「非真理」の撲滅を願 には、宗教の次元での確信があった。 学問とは う − ただし、己れの定めた基準から。敵は 異なるが、いやむしろ異なるが故に、学問の沈 差し当たり伝統的な哲学で、自からは最新の「科 黙を裏付けたのである。意識を超えたものでも、 学哲学」を任じていた。だが、< 排他実証派 > 例えば無意識のイデアや表象を超えた神の啓示 のこうした構えは、まるで異端審問のようでは など、他の道筋から知っているという、< 意識 ないか。 むしろ、古い神の理知性の復活が見て 革命 > 以前からの古い自信の残存が、ここには 取れるのである。 ある。 我われの < うぶすな > では、「神」はこれほ < 排他実証派 > では、確かな意識の外側にも どの容赦の無さを発揮しない。ときに凄まじく う一つ、絶対的な必然を備えた論理の王国が控 祟りもするが、 「捨てる神あれば拾う神あり」で、 えている。これは < 白 > 無意識の一種なので、 裁きは時宜に応じ、機を得て変わる。二分法に 意識では変えようがないけれど、努力すれば証 ものごとを掛け、外れた側を徹底的に、永遠に 明できると考えられた。証明ができれば、結果 無みする構えは、西欧の仕来たりの一面をはっ は意識に現われるはずだ。意識と互いに支え合 きり示し、その意味で保守的と言える。 う類いの無意識が想定されたのである。これが、 さて、おしまいの < 意識植え付け流 > は、い 確かな「感覚データ」としての意識と合わされ かほどか慇懃無礼である。< 認識批判派 > と同 ば、宇宙全体が組み上がると期待された。 様に、己れの限界を知っている。ただ限界を知 < 認識批判派 > の恐れて手控えた領域をあっ りつつ、知るが故にこれを超えようと足掻いて、 さり切り捨てたかの如くだが、そう決めつける < 排他実証派 > ばりに、自戒はしない。不可能 のは早い。 < 排他実証派 > は、人間の理知性へ と知りつつ、拡張の手を緩めないのである。 の絶対的な信頼を、二方面から進めたのである。 4 4 4 無意識に対峙する < 意識植え付け流 > は、そ 意識とその仲間とが、すべてを組み上げる。と れを認めない < 意識一色流 > と、ある意味で対 ころで、すべてがここで組まれるからには、こ 照的ですらある。 フロイトらはこれに対抗して、 4 4 の計画に入らないものは無い。「無いもの」に 「無意識の発見」を成し遂げたのであった。だ かかずらうのが形而上学で、だから「無意味」 が、< 意識植え付け流 > の < 黒 > 無意識は、征 なのだ。この派では、「存在」のすべてが己れ 服するためにこそある。もしも勝利の日が来る の手の内にあるかの如くで、「全知全能」の神 なら、無意識は消滅する - 不可能とはいえ、 によく似てはいないか。 これを目指すのである。そうだとすれば、< 植 すなわち < 排他実証派 > は、かの領域を切り え付け流 > の飽くなき進軍の目標には、< 一色 捨てたのではなく、ちょっと細工して見かけを 流 > の幻の旗が揺らめいている。あるいは、 「自 変えたうえ、己れの領分に取り込んだつもり 我」の < 白 > 無意識と力を合わせ、< 排他実証 だったのである。論理を心理でないと言い張っ 派 > のついに為しえなかった理想郷を、今も目 たのには、トーマースにおける神の認識と同じ 指している。無意識を認めるとは言え、< 意識 く、人間の計らいを超えさせたかった節もあ 革命 > の心意気は、この < 意識植え付け流 > に る。 そうなれば、もう完全無欠で、意識そのも こそ結集されているのである。 のに限界はあっても、< 白 > 無意識と合わされ − 59 − 実現不可能な理想の役割を述べた、カントの 臨床心理学研究 50 - 2 説が思い出される。例えば、ストア派の賢者の 体と対立関係にあるとまでは、言ってよかろう。 ような理想は、「原像 (Urbild)」として判断や 少なくともこの点は、西欧思想の正統派、主流が 共通して認めるところである。物質と精神の境目 行動の手本・規範となる。理想は、客観的な実 を曖昧にしたり、物質を優位に立たせることは「唯 在を取りえないが、それでも理性の働きに欠か 物論」として厳しく糾弾されたからである。した せないという。ただし、もしこの世の現象とし がってメスメルの思想は異端、反主流の要素を含 ての実現を図れば、障害に阻まれて苦しむばか りか、必然的な挫折から、理想の中身までを疑 われるという 23)。< 意識植え付け流 > の理想の んでいる。 ここでは、二つの言葉を繋いだ表記を用い、ど の文脈にも当てはまりやすくした。ただし、 これ 高さと重要さにも、この時代のカントの影の濃 では朱子学が連想されるし、また思想史で頻繁に さが伺われる。ただしこの流儀が、後半の戒め 用いられる二つの言葉を明示的に残すことも考え を守れているとは思えないのである。 たが、 表記が煩わしくなる。また、「理知的」とい う言い方には、 かなり馴染みもある。したがって ともあれ、近代の臨床心理学/心理療法の基 この書では、 複合語に組み入れる場合や、文脈か 本は、この < 意識植え付け流 > に沿っている。 ら片方がふさわしい場合を除き、以後も「理知性」 またベルナールの理想は、現代の自然科学研究 にまで引き継がれているし、科学教育はいまも、 基本的にはこの線に沿って行なわれている。そ の効果の及ぶ範囲は、ただ科学知識の獲得には 留まらないはずである。 で一貫させる。 2 ヘルムホルツ / Helmholtz 1862 3 ヘルムホルツ 1966 1847 年の原著への 1881 年 の補注 訳書 p.277 4 ヘルムホルツ 1911 3.Bd pp.28-9 5 ラッセル / Russel(1914) 訳書 p.267 6 ティンダル / Tyndall, 1874 p.57 7 コント / Comte, 1844 p.10/ 訳書 p.156 註 1「理知性」という表記について説明する。「理性」 と「知性」を縮約した言葉である。これは古代ギ リシア哲学の影響下に、主にスコラ哲学のなかで 形成され、近代西欧哲学にも引き継がれる、 ある 考えを指す。ラテン語なら「理性」は ratio、「知 性 」 は intellectus と 表 記 さ れ る。 西 欧 近 代 語 で は、 英 語 が reason/understanding、 ド イ ツ 語 は Vernunft/Verstand、 フ ラ ン ス 語 な ら raison/ entendement などとなる。おおむね「知性」は本 質を見抜く高度な直観力、「理性」は合理的な思考 力と言ってよかろう。 カント以降は、 両者の性格が入れ替わる傾きが ある。また、 一方が他方を包摂するとの理解も多 く見られ、しばしば互いに交換可能な仕方でも用 いられる。「知性」は「感覚 (sensus)」の、「理性」 は「欲望 (cupiditas ないし concupiscentia また appetitus sensitivus など )」の対語となる傾向も 8 同 p.12/ 訳書 p.157 9 同 p.26/ 訳書 p.182 10 デュルケム / Durkheim, 1924 訳書 p.94 11 ベルナール / Bernard, 1865 前書き 12 同 1-2-1 13 同 1-2-5 14 フロイト / Freud, org. 1932 訳書 p.111 15 フロイト org. 1911 16 フロイト org. 1932 訳書 p.120 17 ベルナール / 1865 1-2-8 18 同 1-2-5 19 同 1-2-6 20 フロイト org. 1937 21 ベルナール / 2-2-9 22 植民地主義の最盛期と大規模戦争の時代がこれ に重なるのは、偶然ではあるまい。 23 カント / Kant, 1781-3 A569-570/B597-8 こ あるが、これらも確定したものではない。 用法は多様で、正確かつ簡潔な定義は私の手に 余るが、両者ともに精神の働きとされ、物質、肉 − 60 − の理想の「原像」が、ユングの「元型 (Archetypus)」 に通ずることは、容易に見て取れるであろう。 意識革命について:弁え・植え付けと臨床心理学 文献 Bernard, Claude / クロード・ベルナール "Introduction à l'étude de la médecine expérimentale" 1865 Paris : J.-B. Bailliere et fils, Project Gutenberg http://www.gutenberg.org/ files/16234/16234-8.txt Comte, Isidore A. M. F. / コント "Discours sur l'esprit positif" 1844 La classiques des sciences sociales http://membres.lycos.fr/clotilde/etexts/index.htm 実証精神論 霧生和男訳 1970 中 央公論社『世界の名著』36 Durkheim, Émil / デ ュ ル ケ ム "Sociologie et Philosophie" 1924 Félix Alcan Biboliothèque de philosophie contemporaine 佐々木交賢訳「社会学と哲学」1985 恒星社厚生閣 Ellenberger, Henri F. エ レ ン ベ ル ゲ ル "The Discovery of the Unconscious - The History and Evolution of Dynamic Psychiatry" 1970 Basic Books「無意識の発見」上下 木村敏 中井久 夫 他訳 弘文堂 1980 Freud, Sigmund/ フロイト "Vorlesungen zur Einführung in die Psychoanalyse" 1916-7 "Gesammelte Werke"11. Frankfurt am Main : Fisher Verlag 懸田克躬訳「精神分析入門」1966 昭和 41.8 中 央公論社『世界の名著』49 Freud, Sigmund/ フロイト Die endliche und die unendliche Analyse org. 1937 小此木啓吾訳 終わりある分析と終わりなき分析 1969『フロイト著作集』6 pp.49-58 人文書院 Freud, Sigmund/ フ ロ イ ト Abriss der Psychoanalyse 1940 "Gesammelte Werke"17. Frankfurt am Main : Fisher Verlag, pp. 63-138 「精神分析概説」小此木啓吾訳 昭和 44 日本教文社 『フロイド選集』15 pp.306-408 Helmholtz, Hermann L. F. von/ ヘ ル ム ホ ル ツ "Handbuch der physiologischen Optik", 3. Auflage 1909-1911/ergänzt und herausgegeben in Gemeinschaft mit A. Gullstrand und J. von Kries von W. NagelHamburg : L. Voss, 1-3 (1. Auflage 1856-66 Leipzig : Voss) Helmholtz, Hermann L. F. von/ ヘルムホルツ Über die Erhaltung der Kraft : eine physikalische Abhandlung, 1966 Bruxelles : Culture et Civilisation, Reproduction of 1847 edition, Druck und Verlag von G. Reimer, Berlin, 高林武彦訳 力の保存についての物理学的論述 昭和 48 年 中央公論社 『世界の名著』65 pp.231-283 Helmholtz, Hermann L. F. von/ ヘルムホルツ Über das Verhältnis der Naturwissenschaften zur Gesamtheit der Wissenschaft, 1862 Akademische Festrede, gehalten zu Heidelberg biem Antritt des Prorektrats 1862 三好助三郎訳「自然科学とは何か」昭和 30 年 大学書林 Jones, Ernest/ ジョウンズ "The Life and Works of Sigmund Freud" 1-3 1954 London : Hogarth Press Kant, Immanuel/ カント "Kritik der reinen Vernunft" 1781 1.Auflage(A) 1783 2.Auflage(B)「純 粋理性批判」 Reed, Edward E./ リード "From Soul to Mind : The Emergence of Psychology, from Erasmus Darwin to William James" 1997 Yale University Press「魂から心へ」村田純一他 2000 青 土社 Russel, Bertrand/ ラ ッ セ ル "Our Knowledge of the External World as a Field for Scientific Method in Philosophy" 1914 Open Court「外部世界はいかにして知られうるか」石本新訳 − 61 − 臨床心理学研究 50 - 2 昭和 46 年 中央公論社『世界の名著』58 pp.81-304 Shapin, Steven / シェイピン "The scientific revolution" 1996 University of Chicago press 川田 勝訳「『科学革命』とは何だったのか ― 新しい歴史観の試み」1998 白水社 Tyndall, John/ テ ィ ン ダ ル "Address Delivered Before the British Association Assembled at Belfast", with Additions (The Belfast Address ) 1874 London: Longmans, Green, and Co.Victorian Overview Science and Technology On the Consciousness Revolution (2) - Discretion, Colonisation, and the Clinical Psychology - ZITUKAWA Mikirou (Himeji-Dokkyo University) Abstract The critical party of the niche theory and the colonial theory in the Consciousness Revolution are discussed. The critical party has some discretion with recognition of the limit in our understanding. On the other hand, the colonial theory aims at invasion into and conquest of the unconsciousness. The modern clinical psychology belongs to the latter. The critical party discovered a type of rational and intellectual unconsciousness i.e. the <white> unconsciousness. This function derives from the ancient tradition of intelligence, in accordance with the orthodox Christian faith. The clinical psychology fights against the <black> unconsciousness regarded as the origin of ignorance and disease. As Freud says, the colonial theory tries to change the <black> unconsciousness into the consciousness which is a new partner of the old intelligence. This activity is found common to the modern natural sciences, following Claude Bernard's thesis. Key words : Consciousness Revolution/niche theory/critical party/colonial theory/ <white> unconsciousness/<black> unconsciousness/scienticism − 62 − 【大会報告】 第 48 回 日本臨床心理学会 東京大会報告 2012 年 8 月 25 日 ( 土 ) - 26 日(日) 帝京科学大学 千住キャンパス 第 1 日 8/25 旭地域における震災被害への精神保健支援 -出来たこと、出来なかったこと- 東日本大震災において、千葉県北東部に位置す <発 題> 害による死者や住家被害など多大であった。東 竹之下 雅代(ウィメンズカウンセリング京都) 北地方と異なり、ライフラインや行政機構、家 赤須 知明 (総合病院旭中央病院) 族機能などの生活機能は比較的速やかに復旧し 手林 佳正 (西八王子カウンセリングルーム た。このため、最低限の生活が早い段階で回復 前 NICCO「公益社団法人 日本国際民間協力会」 した。 心理学専門家・スーパーバイザー) このような背景の中で、旭中央病院神経精神科 <司 会> の機能回復、地域の基幹病院としての「心のケ 藤本 豊 (東京都立中部総合精神保健福祉セ アチーム」の活動、地域生活支援センターを中 ンター) 心とした地域精神保健活動の 3 局面から活動報 震災とこころのケア 赤須 知明 る旭市では、沿岸部の一部地区を中心に津波被 告を行った。 フェミニストカウンセラーによる被災地支援 竹之下 雅代 震災発生半年後から 2012 年度にわたり、内閣 津波で壊滅した街で創った、避難所と仮設住宅 での被災者「心理社会ケア」の 1 年 府による被災地への相談員派遣事業の一環とし 手林 佳正 て、相談や相談員への支援に携わっている報告 国際 NGO の災害支援チームという立場で、陸 を行った。 前 高 田 市 に 滞 在 し て、 心 理 士・PSW・Ns・ 過酷なトラウマ体験、震災前からあったが抱え OT・PT らで「リラクゼーション→達成感のあ きれなくなった悩み、終わらない放射能問題、 る作業療法→血圧測定と近況聞きだし、座談」 孤独・孤立の悩みなど相談内容は多様である。 という、被災地型デイケアとでも呼ぶべき心理 また、平時に解消されていないジェンダー差別 社会ケアの活動を創り、当初は避難所で、のち の問題は、非常時に顕在化したため、被災者の には仮設住宅集会室で、隔週に約 1 0か月間、 声は今後の防災・復興における男女共同参画推 実施した。 進にいかされる。 うつや PTSD とスクリーニングされる被災者の 比率は高いにもかかわらず、文化的に情緒表出 が抑制されることを踏まえた、西欧型とは異な る被災者精神保健支援策を創ることが必要と考 − 63 − 臨床心理学研究 50 - 2 えた。 健福祉との前向きの関わりを探った。 第 2 日 8/26 子どもの人権を守る視点からの教育支援 地域における臨床心理の現状と課題 ― 教育・福祉・医療の連携の課題 ― 菅野 聖子 <発 題> 不登校の背景に虐待や親の精神障害による養育 佐藤 和喜雄 (日臨心 HV 小委員会、福祉会 困難などの課題がある場合,教育・福祉・医療 菩提樹) 機関の連携が必要となる。その際他領域をつな 菅野 聖子 (那珂市教育支援センター) ぐコーディネーターが不在である現場の実状を 髙島 眞澄 (社会福祉法人光風会、NPO 茨 報告した。 城県精神障害地域ケアー研究会) 文部科学省によるスクールソーシャルワーカー 谷奥 克己 (インクルーシヴ協会 和音堂) の配置は一部に留まる実状を踏まえ,地域にお 竹之下 雅代(ウィメンズカウンセリング京都) 百田 功 (浅香山病院 デイケア室) いて各領域の専門職者がどう機能しているか (例:教師,保健師,精神保健福祉士),相互研 滝野 功久(京都橘大学 健康科学部心理学科) 修する場の設定など実践課題を提示した。 <司 会> 栗原 毅 (世田谷区北沢総合支所 デイケア) 精神障害者の地域生活支援と課題 -ショートステイを活かす- 髙島 眞澄 ヒアリング・ヴォイシズはどんな働きをするのか 光風会は、「家族依存からの脱却」「生活訓練の 佐藤和喜雄・藤本豊・鈴木宗夫 場所の不足」「地域生活の『質』の提示」課題 1.きこえる声に生活をかき乱され、通常の精 を踏まえ、精神障害者のショートステイ「協働 神科医療を受けている人が、HV の方法・理 宿『空(COO)』」を展開した。 念と仲間を知り、声への対処を身につけ、よ 利用者は、「金銭のやり繰り」「仲間との協働生 り自分らしい生き方を見つける。 活」等々、課題を各自設定し繰り返し利用体験 2.精神医療保健福祉職の従事者や家族が「体 を積み重ねている。 験中心的方法・理念」に立って声の理解に努 障害者が地域の中で生活(くらし)を立てる際 めることにより、聴声者が自分の情緒的-社 に、物理的空間の設定や援助・支援のあり方等、 会的な問題を探り、対処して、よりよい自己 実現を図るのを助け得る。しかしそれは「病 「空 (COO)」の具体的活用から見えてきた支援 課題を提起した。 気―治療」概念との葛藤を体験させる。 3.聴声が常態的な体験者のうち、約 2/3 は精 神科医を訪れてない。HV は彼らの体験と対 障害のある児童生徒の就学先決定の仕組みを考 処から肯定的な人生再構築への示唆を得てい える 谷奥 克己 る。 「障害者の権利条約」では、日本の分離教育を 上記3側面を踏まえて、HV 発展と精神医療保 「インクルーシヴ(障害のあるなしで学ぶ場を − 64 − 分けない)教育」を原則とするように日本に求 OST 方式による自由な発題と対話 めています。2010 年 8 月、新しい障害者基本 ー「地域における臨床心理の現状と課題」から 法が施行され、「障害の有無によって分け隔て 出発して られることのない共生社会の実現」という内容 滝野 功久 が前文に掲げられましたが、具体的な「地域の 午前中の各領域での発表を受けて、午後はそれ 学校への学籍一元化」(障害の有無にかかわら を元に生かしながら、OST ( オープン・スペー ず、すべての就学予定者に小学校の就学通知を ス・テクノロジー)を使って、参加者が自由に だす)の就学先決定の仕組みを提案しました。 話したい議題を提起し、自由にグループをつく り、それを記録としてまとめるという作業をし た。OSTの説明と質疑応答に多くの時間を費 フェミニストカウンセリングの実践 やし、話し合いは短く限られたワークであった 竹之下 雅代 が、全員が何らかのグループに参加し、また最 フェミニストカウンセリングが、地域で特にド 後の全体会でも思わぬ貴重な発言などが出て来 メスティックバイオレンス(パートナーからの るなどして、有意義な体験ができた。 暴力)被害者支援の現場で果たしている役割と 実践の報告をした。 個人カウンセリング、グループトレーニング、 法的な場での代弁擁護活動を始め、特に被害女 性と子どもを対象に行っているグループワーク について紹介し、今後の支援の課題(公的支援 の限界、中長期的支援の模索、子どもへのケア、 「発達障害」の診断、依存症の問題など)を共 有した。 大会に参加して 編集委員より OST(オープン・スペース・テクノロジー) ワークショップの感想 編集委員 藤原 桂舟 昔からワークショップは好きで、いろいろな ものに参加してきた。 今でもワークショップやファシリテーション には大きな関心を持っているので、今回積極的 に参加させていただいた。 現場からの報告~精神科デイケア 百田 功 精神医療における “ 地域移行支援 ” では、デイ ケアなどの社会復帰施設の充実は極めて重要で ある。こういった社会復帰施設では、多くは様々 な専門職種が働いており、そこでの心理職の役 割を考えた場合には、必然的に多職種協働のあ り方が大きなテーマの一つになってくる。 今回の報告では、従来の「連携」とはまた違っ たあり方として「協働」という言葉を提示し、 多職種が長時間、多人数で関わる場所の特長に ついても言及した。 説明で時間を取ってしまい、実際のディス カッションにあまり時間がとれないのは、残念 だったが、議論が熱を帯びてくるので、確か に、参加者の主体性を引きだすには有効だと感 じた。 しかし、時間不足で終わったため、このワー クによって、有効な方向性や提言はどのように 組みあげられて行くのかが、もうひとつよく分 からなかった。 ファシリテーターの滝野氏がまとめてくれる そうだから、期待している。 − 65 − 臨床心理学研究 50 - 2 二つの「こころのケア」から 体の、一長一短ある力にも遭遇したという。用 編集委員長 實川 幹朗 意したものを運ぶのでなく、現地に新しい枠を 印象に残ったのが、東日本大震災での「ここ 作って、あちらで中身を入れてもらう動きであ ろのケア」の報告のうち、竹之下雅代と手林佳 ろう。私は、東北の農村は知らないのだが、例 正のものであった。地震をはじめとする天災は えば信州には「茶飲み」の慣らわしが続き、午 「こころ」と同じく、人類のはじめ以来、我わ 後に目的もなく知り合いの主婦らが集う。この れとともにあった。しかし「こころのケア」は、 類いの土壌が形を変えて復活すれば、力になる 聞き慣れない。 「ケア」が、もし care だとすれば、 であろう。 あまりにありふれた英語である。そして、日本 後半は「地域医療を担う市保健師の地域活動 語としては聞いたことがない。大震災とこころ 自体を支える」方向に向かった点も併せ考える - 一つはあまりに親しく、もう一つも、恐 と、もとからの地域の力への「支援」だったと ろしいとは言えやはり周知されてきた事柄に絡 感ずる。それゆえ「外部支援者への依存」が見 め、この新しい表現の用いられた意義が、二つ えれば、撤収に向かうのであろう。もっとも、 「依 の発表から浮き立ってくるように思えた。 存」との言葉はあくまで援助者側のもので、あ まず、竹之下の『フェミニストカウンセラー ちらにしてみれば、自分たちの土壌に「ケア者」 による被災地支援』では、堅固な理論武装が先 を組み込もうと動いたのであろうが。 行している。震災に出会ってどんな活動しよう ストレス反応の多いなか、1/3 ほどはレジリ かではなく、出来上がって活動中のものを、こ アンス ( 回復能力 ) が高く、人類社会の継続を の機にも活かそうとした。その構えは予稿の 担った人たちではないかとの気付きも、興味深 「ジェンダーの視点があまりなかった東北地方 かった。苦しいときほど元気になる人もいる。 に、女性の人権というまなざしを拡げることに 「弱者」と決めつけ「上から」手を差し伸べる つながった」との言葉にも表われている。あち 構えの危険が思われ、人間のあり方の多様性と らにないものを、こちらで用意して持っていっ その尊重について、改めて考えさせられる。 たのである。 企画者の藤本は、「こころのケア」が「徐々 「ケア」する側が、される側に与える一方通 にフェードアウトしてきた」と記している。現 行の流れである。電話相談がほとんどだった点 地からの長期的な支援の要望に応えきれなかっ も、相手方の土壌には触れず、あらかじめ決め た、との立場である。しかしこの二つの報告か た特定の係わりに限る構えの表われであろう。 ら、また触れられなかった赤須の被災地の精神 震災の場だからこそ生じた訴えとか、いきなり 科への援助報告と併せ考えても、この種の活動 襲った身近な大量死ならではの特徴、東北とい は長期に継続する性質のものではあるまい。こ う土地柄から学んだことなどは語られなかった とに手林報告の活動は、新たな原理を持ち込ま し、質問しても答えが得られなかった。 ず、あちらが動き出せば撤収することが前提で 次に、手林の『津波で壊滅した街で創った、 あった。フェミニストカウンセリングは、これ 避難所と仮設住宅での被災者「心理社会ケア」 までにないものを定着させる狙いなので、継続 の 1 年』は、被災の現地に入り込み、地域に 性を狙うところがある。だが、現地との接触が 住み込んでの活動であった。「こころのケア」 希薄なら、非常事態の落ち着きとともに居所が を全面に立てず、趣味の会や血圧測定などから 無くなるのは無理もなかろう。 繋がりを作る。すると、参加者の中から熱意や 手林が、「こころのケア」を熱く語ったのは 特技を備えた人が現われてきた。また地域共同 外部の人だけだったと述べた。「ケア」の新し − 66 − さ、異質さの示された出来事と思う。異質なも との指摘が会場で出ていた。これも、フェミニ のを新しく組み入れての、旧弊からの脱皮が望 ストの活動が「援助」ではなく「ケア」だと示 ましい場合は、もちろん多かろう。ただそれは、 している。対するに手林報告は、古い地域と人 当事者たちの暮らしの流れから産み出されてこ びとの力を、新しい枠組みですくい上げる「援 そ生きてくるのではないか。この点はおそらく、 助」であった。そのなかに、体験してはじめて 臨床心理学や心理療法一般の位置付けにも通ず 感じられる発見があった。竹之下の予稿には「当 るところであろう。 事者ではない者がその関係性を築く方法を探し 竹之下報告では「ケア」という、まさに新し 続けています」とある。被災地における隔靴掻 い内容が実践されていた。ただし、報告のなか 痒感の自覚かと思う。今後にこれが進展すれば、 に新しい知見がなく、聴く方は面白みに欠けた。 手応えのある報告が聞けようと期待している。 「援助では、現地のやり方を変えてはいけない」 − 67 − 臨床心理学研究 50 - 2 【学会記事】 第 20 期運営委員会活動中間報告 於 : 平成24年度臨時総会(平成25年2月16日)にて報告 日本臨床心理学会運営委員長 酒木 保 はじめに 事務局長:酒木保。大会開催時期は、平成24 第20期日本臨床心理学会(以下、日臨心) 年8,9月中(東京)11月中(大連)となった。 運営委員会(以下、運営委)は、19名の運営 第1回運営委員会発足時の新体制役割分担 委員により、平成24年1月の第20期運営委 は、以下である。 員会第1回運営委員会会議から活動を開始し 運営委員会役割分担 た。 ・ 運営委員長:酒木保 なお、第19期日臨心運営委が、平成23年 ・ 副運営委員長:宮脇稔 10月30日以後、次期第一回運営委員会時に ・ 事務局長兼渉外担当:戸田游晏 於いて会務を引き継ぐまでの活動の概要は、以 ・ 会計担当者:小濱義久 下の通りである。 ・ CP 担当者:鈴木宗夫 ・CP紙173号 ( 第47回日本臨床心理学会 ・ HP 担当者:鈴木宗夫 大阪大会報告集 ) の発行(平成23年12月 ・ 編集委員会委員長:實川幹朗 14日)。 ・ 編集委員会委員:藤原桂舟,百田功,田中章人, ・第47回大会記録を主とする臨心研49-3 の準備。 野村一永 ・ 研修委員会委員長:菅野聖子 ・第20期運営委員会第1回会議の準備。 ・ 研修委員会委員:高島真澄,谷奥克己,宮脇稔, 運営委員会議事報告 ・ 日本心理学諸学会連合:酒木保,(代理:藤 栗原毅,酒井良輔 <第1回運営委員会> 本豊) 平成24年1月8・9日に開催された、第1 ・ 精神保健従事者団体懇談会:藤本豊,鈴木宗 回運営委では、前期より引き継いだ審議事項、 夫 すなわち、1)入会申込書様式の変更、2)学 ・ 日本学術会議:實川幹朗 会誌バックナンバーの電子化、および3)新体 ・ 心理師国家資格検討委員会委員長:藤本豊 制の役割分担、4)今後の運営委員会開催時機、 ・ HV 委員会委員長:佐藤和喜雄 5)議事録の作成方式の新手法、6)第48回 ・ HV 委員会委員:藤本豊 , 鈴木宗夫 大会開催概要、7)学会誌の2号体制化につい ・ 関東委員会委員長:栗原毅 て審議された。本年度の大会は、国内(東京) ・ ・ 関東委員会委員:関東メンバー 海外(大連)の2回開催が決定された。年に2 ・ 関西委員会委員長:百田功 度の大会、しかも一つは国際学会としての決行 ・ 関西委員会委員:関西メンバー という、二重の初の試みとなる。大連会場は比 ・ 暫定監事:渡邊三知雄,滝野功久 較民俗学会との協賛。総大会委員長:酒木保、 大会副委員長:藤本豊(東京会場担当)、大会 − 68 − <第2回運営委員会> 討の場において、随時報告・議論されたが、予 平成24年2月25日・26日に開催された、 第2回運営委では、1)大会運営における各運 定時間内には充分に検討できず、継続審議と なった。 営委員の役割、2)開催日程候補・スケジュー ル案、3)参加費、4)2つの大会の相互の位 なお、この第2回以後の運営委員会において 置付け等、主に大会関連議題が審議された。第 は、議事進行の新たな試みとして以下を試行し 48回大会委員長として酒木保が全体統括、以 ている。 下大連会場実行委員会分掌統括を酒木、実行委 一)「議案」を設ける。 員会を酒木・實川・宮脇・戸田で構成し、大会 二)議長を設ける。 事務局を宇部フロンティア大学に置く。東京会 三)書記の役割として議事を補佐する権限を設 場実行委員会分掌統括を藤本豊、実行委員会を ける。 有志に依って形成することが決定した。大会費 四)議事記録方式:議事進行と同時に議事録を の配分は、大連・東京各々の運営責任者が、双 確定する。:プロジェクタに議決事項を随時 方費用対効果への配慮とコスト削減に努めた概 掲示し総員確認。 算を提示し、協議を経た合意の上で行うことと 五)「議事録」と「討議・報告要録」二様式を なった。両会場相互の位置付けは、以下のよう 作成する。なお議事は全て録音記録に保存。 に決定した。「第48回日本臨床心理学会は、 六)休憩中の委員間懇談は、原則として議事録 大連・東京大会とし、内容的には一体的に運営 としては残さないが、予め議長の了承を経て、 する。中国大連大学との緊密な連携のもとにこ 内容を、議事の進行を妨げない程度に簡潔に れを開催する。」「正式名称を『第48回日本臨 報告できる。告知義務はないものとする。 床心理学会大連・東京大会』とする。東京での 七)決定事項の一事不再議:一)から六)の 大会については、(東京会場)、大連での大会に 手続きを経て審議された運営委員会における ついては、(大連会場)の表記を用いる。」その 決定は、「一事不再議」とする。運営委員は、 ほかの議案として、5)学会ロゴの作成、6) その決定を遵守し、以後の執行運営に当たる 通信会議の導入、7)会則第12条一部改訂、 べき責任を負うものとする。 8)メーリングリスト使用内規制定、9)Jー stage 登録について、10)日臨心編『臨床心 <第3回運営委員会> 理学』出版企画の各議題について審議された。 平成24年8月の東京会場開催時に約半時間 5)学会ロゴについては、作成の可否を次期総 の時程で行われ、大会費配分率等、主に大連会 会にて審議する。6)通信会議のメリット・デ 場開催企画詳細案が検討・合意された。 メリットを勘案し現状ではむしろデメリットが 大きいと判断され、対面会議およびメーリング <第4回運営委員会> リストによる運営が十分にできていない現状に 第4回運営委は平成24年12月1日・2日 鑑み、それら既存の仕組みの円滑な運用に努 に開催された。詳細は以下第四回運営委議事録 めることとなった。7)会則一部改訂につい (抜粋)の通りである。 ては、事実を明確化するための議案として提起 (零)各委員会等報告 された。次期総会にての審議とする。8)9) 1)編集委員会報告 : 實川、関連質問 : 鈴木・宮 10)については継続審議となった。また、 「運 営委員会のありかた」の検討が、両日の議案検 脇・藤本・佐藤 広報担当についての確認 :HP 制作・維持担 − 69 − 臨床心理学研究 50 - 2 当予算等も含めて、引き続き前向きに検討課題 とする。具体的な案を田中氏を含めて運営委員 (壱)第一号議案臨時総会開催方法について甲 から運営委員会に提案してもらう。HP は、事 案を採用する。 務局の所管とし、具体的な担当は鈴木氏とする。 甲案 : 2月の大連国際大会 ( 名称未定 ) プレセッ 2)研修委員会報告 : 菅野、関連質問 : 戸田・佐 ションの際に開催する。( 第四号議案と相互関 藤 連) 3)精従懇報告 : 鈴木、関連質問 : なし 開催は HP にて、プレセッションと併せて告知 4)ヒヤリングヴォイシス小委員会計画詳細 : する。 佐藤 議案の積み残しが生じないよう、総会後には行 5)事務局事業報告 : 戸田、 事を設定しない等の配慮を必須とする。 ①学会財産処分・移管報告、参照資料として (弐)第二号議案運営委員会メーリングリスト 事務局長より以下を提示した。 資料 : 旧事務所保管財産移管・処分経費一覧 運用ルールについて改訂丙案を採用する。 日本臨床心理学会財産移管・処分目録 改定丙案 : ルール作成グループを選任し、甲案 『臨床心理学研究』バックナンバー宇部フロ ンティア大学移管目録 をたたき台として新たなルール案を作り、ML に提案して意見を募り、最終的に、総員の合意 ②本年度総会反省報告 : 運営委員会 ML にて のちほどの報告となった。 をめざし、対面の運営委員会で決定する。ルー ル完成までの期間は、乙案により運営を遂行す ③執行部三役の役割を確認した。三役で相談 後、運営委員会 ML にて議題として提起す る。ルール作成担当者責任者を戸田、担当メン バーを實川・鈴木・栗原とする。 ることとなった。 ④渉外担当活動報告 : 運営委員会 ML にての (参)第三号議案運営委員会執行状況の会員へ の情報公開について ちほどの報告となった。 5-1)事務局事業報告関連質問一:宮脇委員 会員から情報公開の請求があった場合、事務局 提題:推進協の学会代表の選出について 長が運営委員会に逐次諮る。個別の事情に則し (1) 藤本氏を今期の推進協の代表とすること を多数決により採択した。 て、運営委員会で、公開の可否とその条件・方 法を審議し決定する。 (2) 酒木委員長の次回 (12 月 6 日の総会 ) へ (参ー付)第三号付帯議案:虚偽を含む報告(二 の参加が多数決により採択された。 5-2)事務局事業報告関連質問二:藤本委員 件)の問題点と今後の再発防止について 提題:事務局に届く会員メールへの対応経緯 一)第一件: この件は、別枠で会告として記す。 事務局長は、文書取りまとめの上、翌日 12 月 2 日の予定議事開始前に、対処代表例として、 二)第二件[内容詳細は、議案書資料参照] 事務局長が即時対応が必要と判断した 2 事例の 本件に関わり、宮脇運営副委員長より報告書 報告を行った。藤本委員より、それらとは異な が配布され、本付帯議案提出者實川委員との質 る 1 件についての概要報告と共に資料が配られ 疑が交わされた。宮脇運営副委員長は、本報告 た。この事例に関する事務局長見解と藤本報告 に伴う所信陳述の後、運営委員を辞すと表明し、 の相違点を踏まえた佐藤委員の事後処理案を、 議場を退席した。本件は、他の議案の審議が終 事務局長が了承した。 了後に、続く討論がなされたが、終了時間とな − 70 − り、継続審議となった。 4)メーリングリスト使用に関わる暫定留意事 項を、メーリングリスト議事の議事ルールと (四)第四号議案:次年度大会案(今年度大会(大 して漸次構築しつつある。これを受け、第四 連会場)延期に関わる事案) 回運営委員会において、新たなML使用申し 第49回大会は、大連大学にて、国際学会とし 合わせ事項の検討者会を事務局長を責任者と て開催する。時期は未定。 して発足した。 時期等詳細は、第五回運営委員会において検討 5)旧事務所保管の財産整理を完了した。 する。 平成24年7月20日、事務局長が、旧事 第四号付帯議案:平成25年2月の日中合同プ 務所に出張し、保管財産検分・目録作成し、 レセッション開催について 運営委員会MLにて、目録・現地写真公開。 平成24年度日本臨床心理学会臨時総会及び大 宇部フロンティア大学酒木研究室への学会 連大会プレセッションについて バックナンバー移管、大阪人間科学大学宮脇 第48回日本臨床心理学会大連東京大会(大連 研究室への全心協書類等移管、学会事務支援 会場)が延期したことに伴い、期日 ・ 内容等の センターへの学会保管用バックナンバー通巻 検討が行われた。 の移管、耕房輝への什器備品・消耗品類寄付、 (以上第四回運営委員会議事録より抜粋) 小濱氏への電子機器 (PC・fax 電話・プリンタ・ 各備品類 ) 寄贈等を、決定・合意した。運営 これら対面会議の間の期間の議事は、メーリ 委員による最終検分を、平成24年8月25 ングリスト上で行われた。 日19時より行い、学会誌等を各分散保管所 に向け発送した。 その他の事務局業務 当該事業の経費および処分品目、寄贈先等 新体制以降の事務局業務の主なものを挙げ については、学会財産処分報告書(目録)を る。 参照頂きたい。 1)小濱委員退任により、平成24年4月1 日より事務局長が会計担当を兼任することと 各委員会等報告続き なった。会計書類の一部は同年5月上旬に落 1)編集委員会 手、残りは同年7月20日に旧事務所(耕房 平成24年8月23日、協和印刷工業株式会 輝)にて検分の上落手した。これに伴い、郵 社担当者との打ち合わせ(編集委員長)。同 便振替口座振り出し局を事務局長居住地近隣 年9月29日に大阪市内にて、50-2号以 の兵庫県宝塚市山本郵便局に移動する手続き 降の責任編集者の選定等。その他の決定・確 を行った。 認事項についてはメール会議を行い、会議費 2)会員からの複数の意見申し入れに対し、事 節減に努めた。 務局長および当該事案の関連から編集委員長 2)精従懇参加 が対応した。 146回(平成23年11月)~152回(平 3)2年滞納会員への会費納入願い、今年度末 成24年12月)計7回、鈴木委員、藤本委 にて自然退会となった会員への復会願いを、 員が参加した。 電子メールおよび葉書にて送付し、当該会員 3)研修委員会 からの返信(退会方法問い合わせ等)へ事務 平成25年2月10日、東京にて、公開シン 局長が個別対応を行った。 ポジウムを企画している。 − 71 − 臨床心理学研究 50 - 2 4)HV小委員会 ショップを東京と大阪で開催を企画してい 平成25年秋の大会までに、2回のワーク る。 以上 会 告 第47回日本臨床心理学会大会において、運営 というML記事が正確であり、「公開されるのは当 委員会企画の中で菅野委員が発言した内容及び 然」との記述があっても、「知らせるべき」との記 これに関する機関誌の記述(下記)について討 述はなかったことを確認しましたので訂正します。 議を行った。 これらの内容は菅野委員の受け取りであり、 「一 委員」すなわち實川委員がメーリングリスト上 『臨床心理学研究』49巻2号の p. 44 一委員より、「編集委員会としての議論の経過 に記した内容ならびに当事者本人の受け取りと 等の情報は全て、『当時者手記の筆者が誰か』 は異なっていたという誤りを、菅野委員が認め、 の情報も含めて、運営委員会、さらには会員全 運営委員会として確認した。個人の文章を扱う 員に知らせるべき。」との意見が出されました。 際は、記載者の意図を確認する他、厳重に注意 する必要があることを委員間で共有した。また、 「今後の再発防止」については、第二号議案「運 『臨床心理学研究』49巻3号の p. 77 大会後、この発言内容はMLの記載通りではなく、 「編集委員会としての議論を行うのであれば、運営 営委員会メーリングリスト運用ルールについ て」の検討とも関連することを確認した。 委員会と会員に公開されるのは当然と考えます。」 平成23年度会計報告 日本臨床心理学会事務局 1)平成23年度決算案 収入について 平成 23 年度末現金資産合計は 957,951 円 [会費収入] 平成 23 年度会費は 272 名の会員 と な り ま す が、 債 務 と し て の「 前 受 金 」 が 数で予算化し、208 名の方から会費納入が 192,000 円 あ り、 立 替 金 の 未 払 い が 14,016 ありました。過年度会費については、2 年分 円、 負 担 金 の 未 払 い が 50,000 円、 預 り 金 が 未納の方が 15 名、平成 23 年度会費の未納 56,000 円あり、余剰金としては 645,935 円の の方が 41 名もおられ、年度当初の予算の約 繰越金を出すことができました。 43%しか回収できませんでした。 平成 24 年度に初めて大学生協学会支援セン [購読会費] 学会誌完納後払いという大学や機 ターに事務局を移し、学会運営を担っていただ 関があり、毎年のことですが、支払いが翌年 きましたが、スムーズに運営できたと思ってい 度に越してしまうところがあるため、過年度 ます。事務局経費も全体的に、予算より幾分か 購読会費と今年度購読会費を足してほぼ予算 安く上がりました。 通りです。退会、新入会の差し引きで、購読 − 72 − 会員は 3 機関増えています。 で、その保管費として 12 万円を計上してい [第 47 回大会収入] 今年度初めてプレセッ ます。全体的には予算内に収めることができ ションを大会前日に開催しました。プレセッ シ ョ ン の 参 加 人 数 は 52 名、 大 会 は 56 名、 ました。 [編集委員会活動費] 編集委員会は 1 回だけの 懇親会は 30 名で、実参加人数は 89 名、総 額 383,568 円の収入がありました。 [研修委員会収入] 研修会は行いませんでし 開催でしたので、予算の半額ですみました。 [第 47 回大会費用] 686,368 円の支出があり、 収支は学会からの持ち出しとして予算化して た。 いた 10 万円より少し 20 万円余オーバーし、 [地方委員会収入] 各委員会とも開催されませ んでした。 [雑誌収入] メテオインターゲート、NPO 医 学中央雑誌刊行会及び学術著作権協会からの 30 万円余の赤字となりました。 [研修委員会費用] 平成 23 年度は研修会が行 われませんでした。 [地方委員会活動費] 平成 23 年度は活動があ 文献許諾使用料、『臨床心理学研究』のバッ クナンバーの売上で、34,034 円になりまし りませんでした。 [小委員会活動費] 平成 23 年度は活動があり た。 ませんでした。 [印税 ] 『地域臨床心理学』、『幻聴の世界 ヒ [負担金] 日本心理学諸学会連合や精神保健従 アリング ・ ヴォイシズ』の印税が 33,510 円 事者団体懇談会(以下、精従懇)の活動につ ありました。 いての金銭的な負担ですが、精従懇からのh [雑収入] 荷物の預かり料が 24,000 円ありま 平成23年度分の請求が来なかったので、未 した。 払い金処理をしています。 支出について 内田基金からお借りした 113,000 円を戻 [臨心研印刷費] 今年度は計画通りの発行がで そうと計画していたのですが、年度内の返済 き、予算内に収まりました。 はできませんでした。そのため、387,000 万 [誌紙発送委託料] CP 紙・臨心研の発送は基 円のままになっています。来年度返済してい 本的には大学生協にお願いしていますが、一 ただければと思っています。 (小濱義久) 部、学会誌印刷先の協和印刷工業にもお願い し、安くあげることができました。 [運営委員会活動費] 当初予算になかった 2 月 2)平成24年度予算案 小濱義久委員の退任・退会(平成 24 年 3 月 運営委員会の開催により、宿泊費が予算より 31 日付)に伴い、事務局長戸田游晏が会計担 少しオーバーしましたが、全体的には予算の 当を引き継ぎました。戸田は会計資料の一部は 枠内に収まっています。 5 月上旬に落手致しました。しかし、平成 23 [事務局費] 大学生協に事務局を移し、管理手 年以前の資料は旧事務所(耕房輝)に保管され 数料は予算内に収まりました。決算書作成は ていましたため、7 月 20 日に旧事務所保管財 会計担当が行いましたので、経費は掛かりま 産移管のための財産整理を兼ねて上京し検分致 せんでした。IC レコーダーを購入し、消耗 しました。 ・ 備品費として計上してあります。また、こ 小濱委員は、決算案および上述決算報告書と れまで事務局で保管していた『臨床心理学研 ともに、予算案も作成頂いておりました。この 究』のバックナンバーや色々な荷物を耕房輝 小濱予算案・報告に基づき、いくつかの支出費 (旧事務局)に置かしていただいていますの 目追加の提案を戸田から諮り、また募りました − 73 − 臨床心理学研究 50 - 2 ところ、前運営委員長藤本豊氏及び幾人かの前 生じていたことも今回改めて了解するところで 期までに運営委員経歴の長い委員各位より、本 す。したがって今回、収入費目を新たな計算式 学会の現在の財務実状に合った予算案の見直し にて試算いたしました。予算案小濱原案からの への示唆を頂きました。 主要再編箇所を以下にまとめます。 また、本学会の財務状況に於て、収入は、購 読会員の会費収入によって支えられているとい <平成 24 年度予算案の主要再編箇所> う事実が明かです。このことから鑑みても、今 平成 24 年度会費収入予算の計算が、会員数 後運営委員会会務執行に関わる支出に関して 202 名に会費をかけたものとの小濱氏の報告書 は、極めて慎重に、支出目的と意義、その費用 にはありましたが、この 202 名の数値は平成 対効果を見定めていく必要があり、今期運営委 23 年度会費完納者数であり、この計算方式に 員各位の見識が改めて問われるものと考えま は疑問が見いだされます。よって、新たに過年 す。 度納入率の実績を参照しての計算式での試算を 予算案改変への考え方と、改変概要を以下に 行いました。その方式は以下です。 過年度 3 記します。 年間(平成 21、22、23 年度)の予算案・決算 小濱原案にては、1)収入を、「平成 24 年 4 報告から、本年度の納入率を試算します。 (注: 月 1 日時点での会員数 (202 名 )、購読会員数 従来すなわち少なくとも過去3年間は、会員数 (125 件)に会費を掛けたものを計上しました。」 に会費をかけあわせる、即ち 100%納入率とし 2)「過年度会費の未納額は集計したものを計 て計算されていました。ちなみに、学会支援セ 上しました。」3)「他は例年通りの額を計上し ンターに問い合せますと、この全額納入率を採 ました。」と説明されておりました。 用している学会は、当センターの顧客には殆ど この1)収入試算ですが、「4 月 1 日時点の ないとのことでした。) ただし、平成 21 年はど 会員数 202 名」との記載は、実際は、3 月 31 のような要因があったのか、極めて納入率が低 日切りでの前年度会費納入済みの会員数であ く(一般会員の当年度納入率 0.498%、同過年 り、全会員数ではありません。しかしながら、 度納入率 0.327%)、これを参照するには不適 過年度予算案に添えられた報告書(機関誌掲載) 切と考えられましたので、平成 22、23 年度 2 の過年度 3 年間の文言は、全て同一であり、こ 箇年の納入率の平均値(当年度で 0.88%、過 の試算方式が採用されていた可能性が高いもの 年度で 0.72%)を出し、これに小濱原案で算 と推測されます。 出されていた 100%納入率での会費収入を掛 そもそも、収入試算の計算式には、一定の方 けあわせ、以下のように修正致しました。当 式はなく、各組織・団体の実状に見合った収入 年 度 会 費 1616000 円 → 1432000 円 過 年 度 予測試算が用いられているとのこと、また全会 会費 328000 円→ 240000 円 (全心協荷物預 員数に会費を掛け合わせるという 100%納入に かり収入減額・研修委員会収入増額含め) 合計 て収入を計上する学術団体は少数である旨を学 3710935 円→ 3396935 円 会支援センター担当から助言頂きました。本学 上記試算法について、想定される疑義とし 会においてもそのような計算式すなわち、前年 て、全会員数に会費単価を掛け合わせた額では 度完納した会員数を<実質「会員数」>と見做 なく、なぜ疑義のある小濱原案への掛け合わ し(表記)してきたものと推測されます。これ せとなるのか、という点ではないかと考えま も一つの方式ではありますが、この試算に対し す。ちなみに、前者の計算方式に従いますと て、前運営委員長藤本氏以下からの疑義が既に 1825608 円となります。しかしながら、戸田 − 74 − が携わる以前の計算方式では、今回の小濱原案 および事務局長補佐人費用にかかる経費を含 方式が採用されていた可能性があります。それ む、事務局予備費として 15 万円計上してい は、ここ 3 年間の 会計報告書の該当箇所の記 ます。このほか新たに費目として事務局長執 述が同一であるからです。つまり、この計算方 務費を設けました。これは、従来の通信費の 式をとった方が、過去2年度の納入率により近 一部と予算書作成のためのPC作業事務事務 い実態的数値を表すのではないかとの判断があ 委託費を、事務局長会務のための近隣各所へ りました。 の交通費を含めて一括費目として計上したも この試算及び小濱原案に基づき、支出の部に のです。 おいては、平成 24 年 7 月 25 日期限までに提 [第 47 回大会費用 ] 第 48 回日本臨床心理学 出された各小委員会および新たな事業に関わる 会大連・東京大会については併せて 20 万円 予算要求額を差し引き、さらに小濱原案では計 の支出を見込んでいます。 上されていなかった、内田基金返済額 113000 [研修委員会費用] 研修委員長から提出された 円を差し引いたところ、予備費が、小濱原案 研修計画書ならびに予算案に基づき研修会経 257935 円から、140935 円となりました。 費として 7 万円計上いたしました。 なお、その他の支出費目につきましては、小 [地方委員会活動費] 地方委員会活動費とし 濱原案に基づく修正も含め、以下となります。 て、関東委員会から 1 万円の予算要求があり、 [臨心研印刷費] 1 号当たり 25 万円として、 2号分で 50 万円計上しました。 [誌紙発送委託料] 臨心研、クリニカルサイコ 関西委員会からは、ありませんでした。 [HV小委員会活動費] HV小委員会から活動 計画書ならびに予算案に基づき、3 万円計上 ロジスト、大会チラシなど大学生協や協和印 刷にお願いする分を印刷費、郵送費を合わせ いたしました。 [学会資格検討委員会費用 ] 新たな費目とし て 15 万円計上しました。 て、本学会認定資格検討委員会事業計画と予 [運営委員会活動費] 年 2 回の宿泊形式で運営 算要求に基づき、5 万円の費用を計上いたし 委員会を開催する計画で、昨年度とおおよそ ました。 同額としました。緊急時の予備として交通費 本年度は 2 度の大会の開催を期しており、予 を 1 回分プラスしてあります。 備費としては、些か余裕がないのではないかと [事務局費 ] 事務局費は、管理手数料が約 45 も思われます。ですので、本年度も内田基金の 万円、決算書・予算書作成費費目削除、財産 返済を見送るか、或いは、本会経費を完全独立 保管費が 5 万円 (8 月末で保管契約解除 ) な 採算としていただくか、運営委員会活動費の交 どで予算を計上しています。旧事務局の荷物 通費・宿泊費の削減が可能性として浮上してい の整理・処分に見込まれる本年度のみの費用 ることも念頭に、今期の会計業務を統括して参 および、監査の場に於て、小濱委員に代わる りたいと考えております。 (戸田游晏) 前期運営執行業務事情を説明頂く参考人招致 − 75 − 臨床心理学研究 50 - 2 監査意見 ⒈ 内田基金について 場合は、ガイドライン等のマニュアル化が構 今期、内田基金返却が果たせなかった。こ 築され、確実な申し送りがなされている。そ の内田基金とは、内田・クレペリン検査用紙 のため、方式そのものは年々巧みなものと 等に権益を持つ組織からの寄付で、かつては なっているが、前例を墨守して行われるので もっと大きな金額であった。(滝野) 詰まらなくなってきていると聞く。マニュア この基金を、できるだけ維持されるよう、返 ル化することの弊害がある。その点では、本 却可能な年度には、返却を行うことを申し合 学会の現状はむしろよいと言えるかもしれな わされてきている。予算案(小濱原案)には、 い。( 滝野 ) 計上されていないが、検討を願いたい。 4- 2)場設定について望むこと 昨年の大会でいちばん残念だったのは、会 ⒉ 印刷所変更による経費削減について 場が大講義を前提としている教室で、椅子が 印刷代節減がなされた。また、印刷の質も 固定であったこと。 向上している。編集委員を務めた立場から難 大会のあり方を見直すべきなら、いろいろ を言えば、協和印刷工業とは、メールでの指 な工夫・改善が不可欠。その一つとして取り 示等への対応が遅れることが少なくなかった 入れようとしたのがOSTであったが、場面 ( 渡邉 )。総体的には、印刷所の変更は、高く 設定からして全く不可能であった。椅子を動 評価できる。また、発送料も新たに印刷所へ かしたり、空間デザインができるように、会 の委託により節減できている。 場の状況をしっかり考えて、大会会場を選ん でほしい。場面設定は、心理臨床家の基本中 3. 事務局業務について の基本であるから、真剣にその諸条件に留意 昨年度、事務局を学生生協会事務支援セン がなされた会場選択を行うことを提案する。 ターに移転・委託し、事務局経費が節減でき ( 滝野 ) た。だが、事務局長の従事する様々なシャド 4- 3)情報宣伝についての課題 ウワーク的な労務については、支出費目を認 プレセッションは、一つ一つの内容が魅力 められ難い。個別の領収書等が出にくい支出 的だったので、あまり人が集まらなかったの もあり得る。経費として、一定の枠を設けて、 が残念だった。大会の情報宣伝について課題 事務局長経費として供与することを検討課題 がある。このままだと、組織がじり貧になっ とする。 てしまう。( 滝野 ) ⒋ 昨年度大会について 4- 4)参加者が少なかった原因 4 - 1)大会の意義と運営方針について 考えられるものに、日程 ( 大阪マラソンと 大会は、会員を増やし、規模を拡大する契 の重なり )、場所 ( 市内中心部からは少し不 機としての意義を持つ。過去の大会運営につ 便 )、天候 (2 日目は雨天へ下り坂 )、内容 ( 実 いては、反省点が多い。このたびの佐藤報告 質として魅力的な内容であったか否か、催し 等について、今後とも、文書で蓄積し残して の題目に本学会の特徴がよくもわるくも、顕 いく必要があるだろう。日本心理臨床学会の れ出ていた。これが、既存会員には危惧を、 − 76 − 外部の人には臆する感覚を齎したのではない また、懇親会の現況そのものの問題がある。 か )、情宣の方法 ( HPもあったが、紙媒体 初めて来る人からみると、仲間内でやってい に依存。手渡し等既存の人的交流に依存して る印象になる。新しい人が来ても、ぽつんと の配布形態。) などが上げられる。 なるのではないかと。新しい人が来てよかっ 4- 5)参加者増加についての情報宣伝反省点 たと思えるような懇親会とするべき。単に人 を踏まえての提案 数の予測をミスしたと捉えるのではなく、こ 広報・情報宣伝についての工夫に有効な経 の学会の人的交流に関しての問題として考え 費を費やすことが必要。郵送以外の方法も含 改善するべし。( 滝野 ) めて考えてもらいたい。(滝野) 昨年度の大会広報を手伝った立場から。 様々な研究会等 ( 有料も含む ) に出向いて、 責任者から時間を頂いて説明もし、手渡しで ⒌ 運営委員多選制限について [4 - 7)との関連意見 ] 多選制限は、議論の余地が大いにある。新し 配る等もしたが、ほとんど効果はなかった。 い人が積極的に運営に参画できるように、新し これまでより多く印刷し、多方面の機関にも い人たちの入会が促進されるような課題も含め 大部纏めて配送して配ってもらった。経費を て、考えていかねばならない。(滝野) かけたが、まったくと言ってよいほどに効果 がなかったと言える。これまでに試していな いものとしてネット上での広報がある。HP ⒍ 各委員会の活動について 今回の決算では、各々の委員会の活動が行 を核とし、ソーシャルネットワークの活用等、 われなかったとされている(小濱報告書)。 経費がかからない方法を試す価値がある。 (参 予算は、使わなかったら削られる可能性があ 考意見:實川参考人・戸田事務局長) る。 日臨心の活動を広く知ってもらうために 4- 6)本年秋の大連にての大会開催と今後の 展望 も、小委員活動は重要である。地方委員会 中国での大会開催は、今後、中国から来た が機能的に運営されれば、本学会の知名度を 人が、日本の臨床心理学会の実態に出会った 地道に拡げることが可能なはずである。機に ときの対応までを、視野にいれるべきではな 適ったシンポジウム等を開いていければよい いか。中国の人は、日本の臨床心理士のブラ のではないか。たとえば、亀口さんが主催し ンドが欲しい。それらの実情も踏まえないと た自閉症の研修会には、一般の人たちを含め いけない。もちろん、国家資格化の問題も含 50 人ぐらい集まった実績がある。(渡邉) む。(滝野) 4- 7)大会経費の赤字と懇親会の問題につい ⒎ 会議経費について 会議の方式には、マルチプルなやり方を工 て 前回大会実行委員長佐藤さんの反省点とし 夫することがよい。会議のやりかたそのもの て報告された赤字の大きなものは、懇親会費 を工夫する必要がある。それらを積極的に試 であった。懇親会では、人数の変更が効き難 行して、改善していくことが求められる。(滝 い。そのとき会計を担当 ( 渡邉 ) しており苦 野) 慮した。懇親会場側には、人数の増減に融通 議事録の記録にはたいへん手間がかかる。 が効きにくいことを踏まえ、今後、懇親会の どこの部分を残すかが問われ、或いは逐語録 赤字を減らす工夫が必要である ( 渡邉 )。 であると記録者が疲弊する。レコーダーから − 77 − 臨床心理学研究 50 - 2 起こした記録を出し、全員が目を通して、公 式の議事録となる。これが通常の作業だが、 ⒐ 監事の職域について 暫定とはいえ、監査対象の前年度の運営委 これを見直し、記録の残し方の工夫を今後も 員を務めた私(渡邉)が、監査を行っていい 考えていく余地があるだろう。(渡邉) ものかとの躊躇いがある。 一事不再議について、「蒸し返しは絶対だ 2011 年の運営委員会議事録(第 19 期第 7 回) め」と定めてしまうことはよくないと個人的 の確認事項に依ると、「監事は会計監査のみ には思う。もちろん、無条件にそうせよ、と とする。」とある。(渡邉) は言わない。グループで、互いに学び合うこ どのような経過でそう記載されたかは知りた とが重要である。(滝野) い。しかし、今日の一般常識からしても、業 務監査の必要は、認める。(滝野) ⒏ 19 期ML公開・非公開問題 20 期の課題として、監査のあり方を検討す 19 期のMLの内容に反映している、監査に ることも必要である。 以上 関わる事業内容について、監事は調査権を持 つ。一般論としては、監事が全ての事象・事 2012年7月7日 案について、調査権を持つことは了解してい る。しかし、19 期の問題については、申請 のある問題についてのみ監査する。理由は、 監事 滝野 功久 [ 署名・捺印 ] MLリストの利用に精通していなかったメン バーがあったと考えられるからだ。公務とし 監事 渡邉 三知雄 ての学会運営と私的感情等が未分化なかたち [ 署名・捺印 ] で吐露されていた場合がある。したがって、 昨年度のML公開に関しては、一般論では片 づけられないと考える。(滝野) − 78 − 平成23年度決算 自平成23年4月1日 至平成24年3月31日 収 入 摘 要 繰 り 越 し 平 成 23 年 度 会 費 過 年 度 会 費 平成23年度購読会費 過 年 度 購 読 会 費 4 7 回 大 会 収 入 研 修 委 員 会 収 入 地 方 委 員 会 収 入 小 委 員 会 収 入 雑 誌 売 上 印 税 利 息 広 告 料 雑 収 入 合 計 予 算 907,922 2,176,000 320,000 1,032,000 0 0 10,000 30,000 10,000 40,000 30,000 1,000 10,000 30,000 4,596,922 決 算 907,922 1,664,000 136,000 992,000 64,000 383,568 0 0 0 34,034 33,510 187 0 24,000 4,239,221 備 考 平成23年度末現金資産 内訳:1 現 郵 便 振 替 口 郵 便 貯 み ず ほ 銀 行 み ず ほ 銀 行 長 期 貸 付 合 金 座 金 1 2 金 計 7,907 447,600 341,444 0 0 105,000 957,951 内訳:2 会 費 立 未 預 前 受 金 替 金 払 金 り 金 192,000 14,016 50,000 56,000 次 年 度繰 越金 合 計 645,935 957,951 内田基金収支報告 平成23年度からの繰り越し 387,000円(定額預金) 平成24年度への繰り越し 387,000円(定額預金) 支 出 摘 要 臨 心 研 印 刷 費 誌 紙 発 送 委 託 料 運営委員会活動費 内訳 交 通 費 会 場 費 宿 泊 費 通 信 費 活 動 費 事 務 局 費 内訳 管 理 手 数 料 データ引継料 決算・ 予算 書 作 通 信 費 消耗・備品費 財 産 保 管 費 雑 費 編集委員会活動費 内訳 交 通 費 会 場 費 活 動 費 4 7 回 大 会 費 用 研 修 委 員 会 費 用 地方委員会活動費 小 委 員 会 活 動 費 振 込 料 負 担 金 学会誌電子データ化費 内 田 基 金 返 金 雑 費 予 備 費 次 年 度 繰 り 越 し 合 計 予 算 700,000 350,000 1,095,000 825,000 35,000 130,000 5,000 100,000 927,670 556,920 52,500 68,250 50,000 0 120,000 80,000 320,000 300,000 10,000 10,000 100,000 50,000 30,000 50,000 8,000 65,000 450,000 113,000 5,000 333,252 0 4,596,922 決 算 598,311 231,760 1,085,035 774,970 39,955 180,100 470 89,540 784,404 541,633 52,500 0 34,341 9,730 120,000 26,200 142,008 142,008 0 0 686,368 0 0 0 400 65,000 0 0 0 0 645,935 4,239,221 監査の結果、上記の通り相違ありません。 24年 7月 7日 監事 渡邊 三知雄 印 2011年 7月 7日 監事 滝野 功久 印 − 79 − 備 考 臨床心理学研究 50 - 2 平成24年度予算 自:平成24年4月1日 至:平成25年3月31日 収 入 摘 要 繰 り 越 し 平成24年度会費 過 年 度 会 費 平成24年度購読会 費 4 8 回 大 会 収 入 研修委員会収入 地方委員会収入 小 委 員 会 収 入 雑 誌 売 上 利 息 広 告 料 雑 収 入 印 税 合 計 予 算 645,935 1,432,000 240,000 1,000,000 0 20,000 0 0 40,000 1,000 10,000 14,000 30,000 3,432,935 支 摘 臨 心 研 印 刷 紙 誌 発 送 委 託 運 営 委 員 会 活 動 交 通 出 要 費 費 費 費 会 場 費 内訳 宿 泊 費 通 信 費 活 動 費 事 務 局 費 管 理 手 数 料 決算書・予算書作成 通 信 費 内訳 財 産 保 管 費 事 務 局 執 務 費 事 務 局 予 備 費 編 集 委 員 会 活 動 費 交 通 費 内訳 会 場 費 活 動 費 4 8 回 大 会 費 用 研 修 委 員 会 費 用 地 方 委 員 会 活 動 費 HV小委員会活動費 学会認定資格検討委員会 振 込 料 負 担 金 内 田 基 金 返 金 予 備 費 合 計 − 80 − 予 算 500,000 25万円×2 150,000 1,100,000 825,000 40,000 130,000 5,000 100,000 740,000 450,000 0 40,000 50,000 50,000 150,000 220,000 200,000 10,000 10,000 200,000 70,000 10,000 30,000 50,000 3,000 65,000 113,000 181,935 3,432,935 275000円×3回 15000円×2回+5000円×2回 5000円×13人×2回 精従懇・日心連交通費 10万円×2回 5千円×2回 校正など 本年は大会が2回 精従懇・日心連負担金 平成24年度 定期事務総会議事録 日時:平成24年8月25日13時より14時40分まで 会場:帝京科学大学2号館 2304・2305併合教室(東京都足立区) 議長:手林佳正 書記:栗原毅 出席会員数:(推定20名*) 委任状:無し *出席者数の確認を行わず。議事開始早々、宮脇運営副委員長の動議に続く議論が収束せず、 議案書掲載議案の審議にも混乱を来し、総会開催条件の確認等が看過された。 <動議>大連大会を比較民俗学会と「共 催」する、との記載について 総会時間を2時40分まで延長し、2号議 議事の冒頭、宮脇運営副委員長より、 「比較 となった。 民俗学会の機関誌に、大連大会を比較民俗学会 議論の結果、2号議案、5号議案は承認。 と日本臨床心理学会との共催で開催する、との 4号議案に関しては、意見が分かれたので採 記載があるが、「共催」とはしないと決めたは 決を行い、「学会認定資格検討委員会費」を ずである」との動議が出された。 のぞいて暫定予算として承認する、との申し 議論の結果、CP 紙174号の表現をふまえ 合わせとなった。 案、4号議案、5号議案についてのみの検討 て、比較民俗学会に訂正して頂くように、實川 委員からお願いしたい、と決定した。 検討できなかった案件に関しては、大連大会 <研修委員会活動報告>菅野委員より報告 で総会を行い、そこで検討する事となった。 <編集委員会活動報告>實川委員より報告 <議案の検討> 以上 動議により、審議時間が費やされたため、 − 81 − 臨床心理学研究 50 - 2 平成24年度臨時総会議事録 日時:平成25年 2 月 16 日(土)14 時より 18 時 45 分まで 会場:宇部フロンティア大学 B 106心理学実習室(山口県宇部市) 議長:三島瑞穂 書記:新保眞理(非会員) 出席会員総数:17 名 委任状総数:10 通 議決権行使書(認める)数:3 通 第一号議案 平成24年度(第 20 期)活動中 第(五)号議案 会則第13条改定案 間報告(運営委員会・各委員会・第 19 期残余 第 13 条(運営委員の決定、定数) 期を含む)賛成 30(委任状 10・議決権行使書 運営委員は本学会が、自主的に立候補し、同 3 含) 保留 0 <採択> 時に立候補理由を表明し、総会において運営 第三号議案 平成24年度(第 20 期 ) 活動計 委員の任務を遂行する意志を相互理解す 画案(運営委員会・各委員会・第 48 回大会 ) るため討論をつくしたのちに、決定される。 賛成 30(委任状 10・議決権行使書 3 含) 定数は特にこれを定めない。なお立候補表明 保留 0 <採択> は、総会に先んじる一定期間内に監事が選任 第四号議案 平成24年度(第 20 期)収支予 する選挙管理委員会宛てに、 文書で行う。 算案 賛成 28(委任状 9・議決権行使書 3 含) <現;第 13 条(運営委員の決定、定数)運営 反対 2 保留 2(委任状 1・議決権行使書 0 含) 委員は本学会員が、自主的に立候補し、同時 <採択> に立候補理由を表明し、総会において運営委 第七号議案 会則第12条改定案 員の任務を遂行する意志を相互理解するため 条文改定案 討論をつくしたのちに、決定される。なお、 第 12 条(運営委員)「運営委員は、会員を代 原則として、立候補表明は、総会に先じる一 表して本学会の事業運営の責任を負い、運営 定期間内に運営委員会が委任する選挙管理委 委員会を構成する。運営委員と監事は、学会 員会あて文書で行う。選挙管理委員会は、そ 運営全般への調査権を有する。」 れを機関誌、紙上で会員に周知徹底させる。 議場提出再改訂案 :「運営委員は、会員を代 表して本学会の事業運営の責任を負い、運営 定数は特にこれを定めない。> 広報手続き不備のため議案として認められな いとの意見多数により審議せず 委員会を構成する。運営委員と監事は、学会 運営についてのすべての情報を得ることがで 第(六)号議案 会則第14条追加案 き、担当者は運営委員から請求があれば開示 第 14 条(選挙管理委員)選挙管理委員 は、 他 しなければならない。」 の諸機関から独立した選挙管理委員会を構成 <現;第 12 条(運営委員)運営委員は、運営 し、選挙の実施に掛かる業務を行なう。選挙 委員会を構成し、本学会の事業運営の責任を 管理委員会は、 すべての会員が対等の立場か 負う。> 保留 16(委任状 6 含)+採択9(委 ら、 平等に選挙に臨めるよう計らわねばなら 任状4)<保留> ない。 − 82 − いとの意見多数により審議せず 【第 15 条以下を、一つずつ繰り下げ。】 広報手続き不備のため議案として認められな 第(八)号議案 会則第10章(第七号議案承 いとの意見多数により審議せず 認の場合には第11章)改訂案 第(七)号議案 会則追加案 新たに第10章 として、運営の情報公開第30条(運営の情 第 11 章 会則の変更 第 31 条(会則の変更)本学会の会則は、総会 報公開)の追加 において出席者の 3 分の 2 以上の賛成を得る 第 10 章 運営の情報公開 ことにより改定される。 第 30 条(運営の情報公開)運営委員会の会務 については、活動内容の逐次報告および議事 <現;第 10 章 会則の変更 第 29 条(会則の変更)本学会の会則は、総会に 決定後速やかに決定内容を会員に通知する。 おいて、その出席者の 3 分の 2 以上の賛成を 会員から情報公開の請求があった場合、事務 得なければ、改正をすることが出来ない。> 局長が運営委員会に逐次諮る。個別の事情に 広報手続き不備のため議案として認められな いとの意見多数により審議せず。 則して、運営委員会 で、公開の可否とその 条件・方法を審議し決定する。非公開とする 第六号議案 内容については、その理由を会員に告示する。 学会ロゴを作成並びに制定することの可否につ 【第 10 章 31 条以下を、一つずつ繰り下げ。】 広報手続き不備のため議案として認められな いて <保留>(総会時間終了のため) 第五回運営委員会議事録 日時:平成 25 年 2 月 17 日 15 時半~ 17 時半 会場:宇部フロンティア大学 B106 心理学実習室 議長:酒木保(補佐:戸田游晏) 書記:三島瑞穂 出席者:栗原、酒木、佐藤、菅野、鈴木、高島、田中、實川、戸田 欠席者(委任状宛先):酒井 ( 酒木委員長 )、藤本(菅野)、藤原(酒木委員長) 監事:滝野 陪席 ・ 傍聴会員:三島(大連国際学会担当)西田(発言者記録簿担当)財津 ( 会員 ) 来賓:宋協毅大連大学筆頭副学長 宋晗氏 1)「(仮称)第 49 回日本臨床心理学会大連国 際大会」企画検討 ・1 日目 午前: 大会名:第 49 回日本臨床心理学会大連国際大会 「東アジアの臨床心理学―交流の新時代」 自然災害と心理学=日本からの報告+中国から の報告 日程:平成 25 年 7 月 4 日 ( 往路 ) 午後: 5 日 ( 大会 1 日目 )、6日 ( 同 2 日目 ) ①日本の臨床心理の現状と課題(担当:酒木他・ 7 日 ( 帰路 ) 未定) − 83 − 臨床心理学研究 50 - 2 以下は素案;プラグマティックなものを/薬 害のシンポジウム、地域臨床心理学の本に沿っ 総会及び運営委員会は別日程で開催 たもの ( 研修委員会の東京シンポジウムの報告 時期:第一案:10 月 26 日、27 日 を含む ) /内観療法 ( 日本と中国の共通の課題 追ってメーリングリストで確認 を考える上でのテーマとして ) /精神障害への 場所:関西 対応について時系列で捉える(亀口)/心理療 内容:4 月 20 日、21 日の運営委員会で決定する 法の成り立ち/ユーザーの問題 ②中国の臨床心理の現状 2)大会広報 ③臨床心理学への取り組み 学会 HP に、大会専用ページ作成、あるいは、 以下は素案;デイケア、生活支援など、日本 大会専用 HP 作成とリンク設定 の実務的な部分を発信/ヒアリングヴォイシズ 日本語、中国語の両方の PDF を用いる。 の発表をお昼前に行い、比較民俗学の方からの 国際大会の広報として、会員外また国内外の 質問、意見、感想を受ける/日本の臨床心理に 人たちにできるだけ多く、この学際的国際交流 おける現状と課題/東京大会の報告/中国から の催しを知ってもらうためには、HP にての広 はロールシャッハなどの研究/宇部大会の報告 報、またフェイスブック、ツイッター(日本学 術会議も開設)等の SNS を活用する。 ・2 日目 大連国際大会の案内文の締め切りは 2013 年 比較民俗学シンポジウム 3 月 17 日 比較民俗学シンポジウムには、大連大学の関 係の先生にもご登壇いただく。 3)HP 作成 ・ 整備 ・ 更新の業者委託の検討 *国際学会としての留意事項の確認 HP のスパムに関する整備に関しては、有料の ≪宋先生より≫: ソフトを用いて対処する(担当:鈴木) 今の両国間の政治的な情勢に触れないで行 臨時総会で決まったことを公示する。 う。昨年 11 月に予定された内容で、中国では 問題なし。 − 84 − [ 三島瑞穂・記録 實川幹朗・修正 ] 所感的注釈: 議事録内の議案号数の不同およびこれに至る経緯と背景について 戸田游晏 この臨時総会においては、運営委員会提出議 正式な議場であるメーリングリスト会議に於い 案の一部の審議が行われないという事態が生 て審議され総会議案としての提出が承認された じ、ホームページ公示の議案書と議事録の議案 ものである。この議案提出までの手続きは、本 号数表記において、整序不同の記載を残すこと 学会会則を顧みる限り違背する箇所はないとの となった。 運営委員各位が共有する認識の下に進められ この事態に至る議場の経緯を以下に記す。 た。 ま ず、 総 会 期 日 1 週 間 前( 平 成 25 年 2 月 結論から言えば、吉田会員動議は、本学会会 10 日付)に本学会ホームページに掲載された 則文への一個人の恣意的解釈に基づく陳述にす 総会議案と議決権行使書(事務局長判断に依 ぎない。 り、今回初めて総会において設けた)について 会則17条2項には、「総会は総会議事に関 の質問に続き、ホームページを閲覧できない会 して2ヵ月以上の予告期間を置いて開催され 員においての情報格差を批判する動議が、運営 る。」とある。「総会議事に関し」た事項を、 「総 委員会構成員である菅野委員から出された。加 会議案号数」を含め果たしてどこまで具体的に えて、かつて永く運営委員を務めた吉田会員か 示しているのかは明記されていない。「総会議 ら、総会開催2ヶ月前の公示時において告知さ 事に関」する全ての事項を完璧に2ヶ月前の時 れなかった議案は無効であるとの旨が強く主張 点で告知できればまことに理想的であるが、現 された。 実的にはかなり高い要求水準ではないだろう これらの動議により、議長は、総会開催2ヶ か。さらに、第17条第6項の3の後半に、 「総 月前に公示された8月の定時総会での既決なら 会に議題を提案しようとする者は…(中略)… びに未決議案一覧に基づき、未決と公示され 総会時に議長団に提出する。」とある。「総会時」 ていた議案について、当時の議案号数に戻した とは、総会当日を意味すると考えるのが一般的 文言を総会議事録(議場のプロジェクタ上に文 な理解であろう。 書を掲示しつつ議事と同時進行で作成)に記載 ちなみに本議上において、吉田会員の要請に するように指示した。これに伴い、臨時総会議 応じて事務局長が会則の読み上げを行ったが、 案書記載議案第五号から第八号が審議から除外 その半ばで吉田会員が自らこれを遮り不規則発 された(第九号議案は時間切れにより保留とな 言を始め、事務局長は第6項まで読み進むこと る)。 ができなかった。 以上の成り行きについて筆者は、強い違和感 ところが問題は、この吉田意見に乗じるかた を感じざるをえない。 ちで、議案提出の説明責任を負うべき運営委員 まず第一に、2月10日に本学会ホームペー の中から吉田意見に追随する動きが生じたこと ジにおいて掲示された議案書は、運営委員会に である。菅野運営委員他から、議決権行使書を おいて平成24年12月25日から年明けの2 菅野運営委員らに委託した会員から情報格差へ 月9日までの約1か月半に渡り、運営委員会の の批判があったことが、運営委員の一部の間で − 85 − 臨床心理学研究 50 - 2 既に共有されていた趣旨の報告があり、事務局 裁」とは現況の多選運営委員による「民主集中 長の責任を質した。これに応じ、事務局長は以 制」の言い換えとなる可能性が看過されてはな 下を答弁した。(1)ホームページが本学会の らない。俯瞰的な見地での議論を、目先の手続 プライマリーな広報手段であるとの認識に基づ き論へと矮小化することが、遺憾ながら運営委 く措置である。(2)予算外支出となる臨時総 員会内の審議プロセスにおいて常態化している 会経費削減への次善の対応と認識している。情 ことは、事務局長を務める現在の経験からも否 報格差により議決権行使書を提出できなかった み難い。 会員にお詫び申し上げる。 本学会の運営執行 habitus(Bourdieu,P.)は、 このように吉田動議に続く議論の焦点は、議 成文化された会則条項よりも、その場に臨んで 案内容の検討ではなく、「会員への告知手続き」 声高に場を制圧した側の恣意的意図により導か の問題へとスライドされた。 れるといった特性を有する。この傾向を意識化 すなわち、年に一度開催される最高議決機関 し、情動的付和雷同へと流されることなく、自 において、会則に関する当該第五 ・ 六 ・ 七 ・ 八 らの臨床的感性に基づき言葉を発していくこと 号議案審議の重要性緊急性の是非に与る検討 の難しさを改めて銘記させられた。 が、制圧された。 総会議事においての事務局長の立場は、運営 吉田会員の議場発言の本意は、拝察するに、 委員会稟議を経た総会議案提出の責任者とし 議事様式の整いを訓として教示する趣ではあっ て、また議事参考人として、発言ならびに出席 たのだろうが、同氏主張が依拠する会則の読み 者からの質問に対しての答弁を行うことに限ら は牽強付会に類するものであり、妥当性に欠け れる。言うまでもなく総会議事は議長団が管掌 ていた。 し、事務局長は議事進行に与る責務の外部に置 しかしながら、議長は吉田会員の主張を受け かれている。 入れ、議場のみならず議案提出の説明責任を負 ゆえに、ここに記した戸田の所感は総会に出 う運営委員の多くがこれに追随したことによ 席した一会員としての感慨に基づく陳述であ り、本来正式な議案として見なされる余地が十 る。内容的に事務局長職責に関わる話題は避け 分にあった議案群が審議から外される結果と 得ないが、本誌既刊に連綿と掲載されてきた会 なったのである。 員の感想と同じ位相においての個人的所感を 吉田会員が併せて訴えた民主主義を独裁と対 綴った書き物として、忌憚なく語らせて頂いた。 置しての主張についても、本学会における「独 − 86 − 臨時総会の進め方についての随想 實川 幹朗 総会の手順につき、あとで気付いたことがあ て決定・告知するのはむしろ例外なのです。 ります。また、その意味するところを考えると、 会則に照らし、総会への議案提出について、 茫然自失の感があります。これについて、所感 不備はありませんでした。 を記します。去る2月の臨時総会において、私 それにも拘わらず、あたかも手続き上の不備 の提出した議案のすべてが、保留と審議拒否に があったかの如くに、私の議案は扱われてしま 遭いました。これに類したことはこれまでも度 いました。 び重なっていたので、そのときは「またか」く いったい、なぜこんなことが起こったので らいに思っておりました。 しょうか。 ところが、運営委員会のメーリングリストで、 事務局長からの指摘を見て驚きました。私の議 1 形式的に言えば、一義的な責任は議長にあ 案の流れた理由の一つが、会則の無視ないし曲 ります。 解にあったと、はじめて気付いたからです。ま 議長が、議事の決まりを理解し、誤った主張 ことに迂闊でした。 に左右されず粛々と進めれば、この事態には至 臨時総会に私は、四件の会則改定を提案致し りませんでした。手続きの不備を主張した会員 ました。うちはじめの三件は、すでに足掛け三 は、かつて長く運営委員を勤め、運営委員長の 年の長きにわたり、総会と運営委員会で議論し 地位にもあった方です。そうした方が勘違いを てきたものです。ところが一会員より、手続き されては、どうもいただけません。けれども、 に不備があるとの指摘が出ました。これに沿っ 人間に間違いは付きものです。言わば会員には、 て、私の議案のうち後半の三件が審議から外さ 総会で誤った主張を述べる権利があります。問 れ、審議されたのは最初の一件のみでした。 われるのは、これへの対処なのです。 その会員の言う手続きの不備とは、【総会の さらに議長は、不規則発言を制止すべきでし 二ヶ月前までに告示されていなかったから】と た。当該会員は、指名を待たずに次々と発言し いうものでした。しかしながら、会則はこれを ていました。なかには、事務局長の発言を遮り、 求めてはおりません。 途中で中断に追い込むものさえありました。こ 会則17条2項=「総会は総会議事に関して 2ヵ月以上の予告期間を置いて開催される」 うした不規則発言に対し、別の会員、当日はじ めて参加した一般会員から、発言の秩序を守る ようにとの要望が出たくらいです。 議案のすべてや、まして議案の番号まで確定 しかしじっさいには議長が、一会員の、誤解 せよとは、規定されていません。 に基づく不規則発言に惑わされ、誤った議事進 それどころか、議案は当日提出できるのです。 行を行なってしまいました。会員歴も浅い三島 第17条第6項の3=「総会に議題を提案しよ うとする者は原則として責任者の氏名、議題、 提案理由、要旨を総会時に議長団に提出する。」 議案は、総会時に提出するのが原則で、前もっ さんが、荒れ模様の臨時総会で議長を務めるの は、荷が重かったと思います。情状酌量の余地 はあるのです。 しかしながら、議長を引き受けるなら、せめ て会則のその部分だけでも頭に入れておくべき − 87 − 臨床心理学研究 50 - 2 であったと考えます。 返し、重大な会則違反と決定の無視がありまし 2 形式面から次に問われるべきは、事務局長 と運営委員長の責任です。 総会運営の責任は議長にあるにせよ、これは 学会運営の一部なので、下拵えは事務局と運営 委員がせねばならなりません。今回は違いまし たが、その場で急遽、議長が選出されることも あり得るはずです。そうした場合、準備不足に なりがちでしょう。 事務局長は会則の、せめて総会についてのと ころだけでも、事前にきちんと確かめておくべ きでした。運営委員会責任者としての運営委員 長も同じです。そして彼らから、議長への助言 があってよかったはずです。しかしじっさいに は両者とも、一会員の誤った主張に流されてし まいました。 なお次回からは、総会開始に先立ち、会則を 読み上げるべきでしょう。 今回は、途中でようやくこれが始まりました が、事務局長が最後まで読まないうちに、当該 会員の不規則発言が始まり、最後まで読み切れ ませんでした。議長は会員を制止すべきでした が、事務局長も職責の遂行が不十分でした *。 3 しかし、実質的に最も責任が重いのは、私 を含めた運営委員の全員です。 た。新米の運営委員である私が、それを指摘さ せていただきました。ですから、こんどもこう いうことがあると、予測すべきであったはずで す。それなのに私は、議案の中身に心を奪われ、 会則を忘れてしまっておりました。 さて、私の議案のうち、[ 第七号議案・会則 第12条改定案 ] のみは、ひとまず審議されま した。しかし、結果は<保留>でした。古参の 運営委員から、私の提案は【運営委員会の総意 になっていないから】と保留する意見が出て、 これに沿って決定したのです。 けれども、運営委員の総意でない議案は総会 を通過できないと、どこで決まっているので しょう。もしそうなら、一般会員は議案が出せ なくなります。あるいは、出せてもすべて<保 留>と、はじめから決まっています。私は運営 委員ですが、一会員でもあります。運営委員会 の総意とはならない議案を、出す権利があるは ずです。 なるほど運営委員が総会の当日、出し抜けに 試案を公表すれば、運営委員会としては当惑す るでしょうし、委員会軽視と言われて仕方があ りません。しかしながら私の議案は、相当期間 前から、メーリングリストで告示させていただ きました。その際、出すべきでないとの反論は 私は、自からが議案を提出していながら、会 ありませんでした。 則を熟知せず、自分の議案を守れなかったので つまり、私が一運営委員として議案を出すこ す。これは、私個人の損失ではありません。不 とは、運営委員の共通認識だったことになりま 当な総会運営による、会員と学会にとっての損 す。それが、総会議場で唐突に「総意でない」 失です。私を含めた運営委員が、これを止めら との、訳の分からない理由で葬られました。あ れませんでした。 たかも民主集中制を思わせる動きです。 他の運営委員の方々は、古参の「先輩」が多 く、十年、二十年、三十年、四十年と運営委員 を務めてきた方もいます。総会を十回、二十回 と経験されているわけです。そうした方々から、 4 ここまでは手続きの、形式上の問題でした が、実質上の問題を述べます。 これが最も重要です。その実質とは、手続き 総会運営についての正しい助言が出なかったの と形式に終始した議論のことです。つまり、 「実 は、驚くべきことと考えます。 質がない」という「実質」の恐ろしさです。 もっとも、これに驚いている私の見方が甘い 私の提案した四件のうち、はじめの三件は、 のは、隠しようもありません。これまでに繰り もう三年来の課題なのです。そのあいだ私の提 − 88 − 案はつねに、 「時期尚早」「議論を尽くしてから」 まことに恥ずかしいことです。 などの理由で先送りされてきました。先送りに 長年にわたり、同じ顔ぶれで学会運営をして なるだけで、運営委員会でも総会でも、実質的 いると、あたかも自分たちの気分で動かしてよ な議論は行なわれません。つまり、反対する明 い、それが正しいと思われてくるようです。そ 確な理由を示さないままの、事実上の「単なる して、その気分の中身とは、「今まで通りに何 反対」によって、いつも葬られているわけです。 となく」でしかない。私の数々の提案に、反対 今回もそうでした。形式論で、それも誤った のための反対はあれど、対案が示されたことは 形式論で排除する前に、議案の重要性を考えな ありません。 かったのは、何故なのか。それを考えれば、た 運営委員の多選制限を考える必要があるで とえ手続きに問題があったとしても、回避する 道が考えられるのです。実質を消去した問答無 用の排除、これこそ、精神障害者に対し行なわ れてきた、また、げんに行なわれている差別の 仕掛けではないのでしょうか。 いや、一度だけ、実質的な議論がありました。 それは、一昨年の総会においてです。そのとき 私は、個人発表を行なった「日臨心腐敗方程式」 と併せ、議会制民主主義と民主集中制の対比で しょう。監査意見にもあるとおりです。 とりあえず十年を越える方々は、これを機に、 皆さま辞めていただきたく思います。長年にわ たり運営委員を務めても学会運営には習熟しな いと、実例が証しています 「初心に帰って」は決まり文句ですが、 「人身」 一新を伴わない人心一新は、もう無理ではない かと考えます。 考えることを求めました。驚くべきことに、多 なお、繰り返し明らかになった教訓が、もう くの運営委員が、民主集中制に近い立場でした。 一つあります。 しかし、「会則を守るのが最低限」など、いく 【対面会議の危険性】です。 つかの指摘は理解をいただいたものと考えまし 筋の通らないことでも、声の大きい方に錯覚 た。 で引きずられてしまうこと。 また、「腐敗方程式」との表現への反発もあ これは、古代ギリシアよりこの方、民主主義 りましたので、私はこの発表を、『臨床心理学 の一大欠陥として言われ続けながら、ついに改 研究』の大会報告号には掲載しませんでした。 善できないでいる事柄です。それが我が学会に 真意が伝わればよいからです。しかしながら、 おいて、極まっております。 今から考えれば、これはたいへんな誤りでした。 今後も、この問題については、極めて慎重に 「腐敗」の実情はまったく改まらず、反省も行 進めてゆかねばと痛感致します。 なわれておりません。 本学会の運営に携わっておりますと、思いも かけないことによく出会います。「あり得ない」 と思われる反論は、予想できないだけに、効き 目があるものです。何であれ、突拍子もないほ ど、筋を通そうと努力している頭には、打撃と なります。運営委員会でもよくあることですが、 なかなか対処できません。臨時総会でもまさか、 会則の基本がここまで無みされるとは思いも寄 * 不規則発言のほうが勝つ本学会の伝統は、夏の総会 でも宮脇副委員長 ( 当時 ) の発言によって確認されて います。宮脇氏が、私の発言を遮っての発言を繰り 返しました。重要な説明の最中にこれが行なわれた ため、私が「黙れ、俺が発言している」と怒鳴った ところ、のちに一会員から「怒鳴り声が不愉快だった」 との指摘が運営委員会に寄せられました。その結果、 ( 発言を妨げた宮脇氏ではなく ) 私が、運営委員会で 追及を受けました。 らず、気持ちを乱してしまったのが実情です。 − 89 − 臨床心理学研究 50 - 2 『臨床心理学研究』投稿規定 1.『臨床心理学研究』には、臨床心理学とその 1 査読は研究者どうしの対等の立場から 関連分野における高質かつ多様な原稿を掲載 行う ( いわゆる「ピアレビュー」)。 する。類別は「論文」「資料」「評論」「大会 2 内容の独創性と豊かさを尊重する。 報告」「学会記事」「その他」とする。「論文」 3 主張の適否を評価するのではなく、 は、臨床心理学と関連分野における新たな知 論述の質を点検する。 見を、学術的に説得力のある記述により提示 4 専門分野の慣習に縛られず、大局的な したもので、理論研究、事例研究、総説など 見地を重視する。 にわたる。「資料」は、学術的水準において 5 学問の自由の観点から、政治的、経済的、 論文に準じ、前記に加え学説の紹介、臨床や 社会的な利害・影響は評価に含めない。 活動の記録、当事者手記などを含む。「評論」 5. 原稿は、原則として電子ファイルで提出す は、書評、論文評、大会評、提言など。「論文」、 るものとする。形式はテキストファイル、各 「資料」、「評論」は会員からの投稿と編集委 種ワープロファイル、リッチ テキストフォー 員会よりの依頼により構成する。投稿者は、 マット (RTF) 等で、ファイルの種別は問わな 投稿に際して原稿の類別を申請する。ただし、 いが、印刷技術上の制約で扱いの難しい場合 編集委員会の判断で類別を変更することがあ には、別形式での提出を求めることがある。 る。「大会報告」と「学会記事」( 委員会報告 (PDF の場合には、同内容のテキストファイ など ) と「その他」(事務連絡など ) については、 編集委員会からの依頼原稿とする。 ルを添えるのが望ましい。) テキストファイル ( 文字コード情報のみが 2. 投稿原稿は未発表のものに限り、投稿者は 含まれるファイル ) の場合、原稿中のルビ、 日本臨床心理学会会員に限る。使用言語は日 下線、上点、斜体、太字などの特殊書体、お 本語、または英語とする。ただし引用など部 よび特殊文字については、表記法を任意に定 分的な使用は、これ以外の言語についても認 義して指定する。( 丸囲み数字、ローマ数字 める。 などの機種依存文字についても同様で、直接 3. 投稿原稿の作成にあたってはヘルシンキ宣 に書き入れないよう留意する。) 例えば、 言に準拠し、心理学の立場からの十分な配慮 凡例 :[ ] 内はルビ、【 】内は太字、^2 は を行うものとする。 上付き文字の 2、é は e の鋭ア 4. 投稿論文については、別に定める査読要領 クセント、〈ss〉はエスツェット、{" u} に基づく査読意見を参考に、編集委員会が掲 は u ウムラウト、○ 5 は丸囲み数字の 5 載の採否を決定する。編集委員会は、採択、 修正採択、修正再審査、却下のいずれかの結 などと原稿のはじめに指定する。 6. 画像を入れる場合は、 JPEG 等汎用性のある 論を著者に通知し、査読意見を参考にその理 形式の別ファイルを添付すること。 由を明示する。再審査にあたっては、前回の 7. 論文と資料は、註と文献一覧を含め日本語 審査で却下と判定した者は、査読者となれな の場合は 20,000 字以内、英語の場合は 5,000 い。 語以内を原則とする。表題は日本文 ( 語 ) お なお、 投稿者と査読者は、 論文の採否が決 よび英文 ( 語 ) を記し、600 字以内の日本文、 するまで、 編集委員会を介した意見の交換を および 300 語程度の英文の要約を加える。 除き、当該論文に係わる接触を行なってはな 要約には研究の意図、目的、方法から結論ま らない。 でを含めることが望ましい。評論については その他の投稿原稿については、編集委員会 が論文に準ずる審査を行い、採否を決定する。 論文審査では、次の点にとくに留意する。 − 90 − 全体で 2,000 から 10,000 字を目安とする。 いずれにも牽引用語 (Key Words)5 語以内を 日本語または英語で添える。 8. 編集委員会は、文意を損なわない範囲で字 学 研 究 』 投 稿 専 用 ア ド レ ス (nichirinshin_ 句の修正、図表の体裁の改変等を行うことが できる。 [email protected]) に送付する。 12. 校正で極力、誤字、脱落の訂正のみに留め、 9. 投稿原稿の著者は、活動のうえでの主たる 新たな加筆は避ける。校正時の加筆で余分な 所属先がある場合には、著者名の後に明記す 費用が発生した場合には、原則として著者に る。著者名は本名を用いることを原則とする 請求する。また、加筆によって論文などの趣 が、筆名を使用したい場合には、本名ととも 旨が大幅に変わったと認められる場合には、 に筆名使用の理由を申請することとする。 掲載を取り止めることがある。 10. 文献の引用、参照の記述は以下を目安とす 13. 論文の著者には掲載誌 5 部を贈呈する。た る。 だし、別刷については著者の実費負担により (1) 論文の末尾に引用、参照文献の一覧を付 し、次項の要領で記述する。 行うものとする。 14. 掲載されたすべての原稿の著作権は日本臨 (2) 雑誌論文の場合は、著者名 ( 発行年 ). 論 床心理学会に帰属する。ただし、著者が『臨 文題名 . 雑誌名 . 巻 - 号 (pp. 最初の頁―最 床心理学研究』への掲載を明示したうえで再 後の頁 ). 発行所 . などと書く。単行本の場 合は、著者名 ( 発行年 ). 書名 . 発行所 . な 使用することを妨げない。 15. その他必要な事項は、編集委員会において どと書く。複数の著者による単行本の部分 決定する。 を指定する場合は、著者名 . 当該箇所の題 名 . 編者名 ( 発行年 ). 書籍の表題 .(pp. 最 付則 1 本規定は 2002 年 4 月 1 日より適用する。 初の頁―最後の頁 ). 発行所 . などと書く。 付則 2 本規定は 2004 年 9 月 16 日より一部改 訳本の場合は、原本を原語にて上記の様式 で書き、その後に ( 訳者 ( 発行年 ). 邦文書 正し適用する。 付則 3 本規定は 2010 年 8 月 1 日より一部改 籍表題 .) などと書く ( 全体を括弧で括る )。 (3) 引用、参照箇所を明示すべき場合は、本 正し適用する。 付則 4 本規定は 2012 年 6 月 23 日より一部改 文の註に前項の著者と発行年とを記し、必 要なら頁などを指定する。 正し適用する。 付則 5 本規定は 2012 年 9 月 20 日より一部改 11. 投稿原稿は電子メールにより、『臨床心理 − 91 − 正し適用する。 臨床心理学研究 50 - 2 編集方針のお報せと投稿の呼びかけ 会員各位 会員の皆さまに、本誌の編集方針のお報せと、投稿の呼びかけをさせていただきます。 学術雑誌として古い歴史を持つ『臨床心理学研究』ですが、掲載記事は長いあいだ、学 会大会の報告が中心となってきました。学術団体として、大会の開催が大切な行事なのは 言うまでもありません。しかし学会の機関誌は、大会の記録とはまた別の務めを帯びてい るはずです。 それは、論文を軸とした研究発表です。書評、論文評などの評論活動がこれに次ぎます。 いずれも、学術雑誌にふさわしく、深く考え、練り上げられたものでなければなりません。 学術大会でのシンポジウムなどを逐語的に収録すれば、頁は埋まります。そして、学会活 動の歴史的な記録となるでしょう。しかし、人力にも資金にも、限りがあります。どこに 比重をかけるか、考えねばなりません。 我われ編集委員会は、第 50 巻の刊行を期に機関誌の大会依存を改め、学術雑誌としての 独自性を強める方針をとっております。大会の報告は、活動記録としての意味あいを重んじ、 分量を減らしました。発表内容は予稿集により、すでに会員に届いているからです。その 代わり、論文かこれに準ずる形での原稿作成をお願いし、「大会特集」を組む予定です。口 頭発表とは異なる、書面での発表形式の特性を活かしたいと考えております。 会員の皆さまに、お願いです。 ただいままでのところ、研究報告や評論の投稿が不足気味です。編集委員会としては、例 えば今号の特集企画など、内容充実の努力はしておりますが、学会機関誌は会員の皆さま の投稿に支えられるのが本筋です。本学会ではかつて、研究活動そのものへの疑問が強い まこと 時期もありました。しかし、今は違います。会則の掲げる「真の臨床心理学」を極めるべく、 日ごろの活動、理論探究、実践経験のなかから質の高い研究を産み出し、形にして、ふるっ て投稿いただきたく存じます。 編集委員長 實川 幹朗 編集後記 「特集 身体志向心理療法のさまざまなアプローチ」は、従来の心理療法の枠組を越える部 分 を、各々が持っている。それは、筆者の方々が、人の身と心を支援することに対して、実際的 に取り組まれているからである。それを読み 取っていただけると、この号の編集者としては、 喜び、これに過ぎるものはない。 また、30 ページと 67 ページに用いたカットは、十数年前、当時中学生だったある女性が、 自らのこころの叫びとして描いたもので ある。その当時、彼女のセラピストをされており、彼 女からたくさんの絵を貰った一会員からの依頼により、掲載した。 また今号には、東京大会の参加の感想が編集委員により述べられている。時間不足のため、全 編集委員とはいかなかったが、発題者の熱誠に応えるものとして、感想をお返しするという企 画を行なってみた。発題者と学会員との意見の 交換となれば幸いである。 (編集担当 藤原桂舟) − 92 −
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