近代的身体 - 21世紀スポーツ文化研究所

「<21世紀の身体>を考える」
──「近代的身体」からの離脱と移動──
稲垣正浩(日本体育大学大学院教授)
I.問題の所在
21世紀の初頭を生きるわたしたちは、いま、いかなる<身体>と向き合い、折り合いをつ
けようとしているのか。わたしたちは、いま、大きな岐路に立たされている。それは、ひとく
ちに言ってしまえば、近代的身体からの離脱と移動1)という課題の前に立たされている、と
いうことである。つまり、わたしたちが生まれ育ち、気づいたときには身についてしまってい
る近代的身体と、どのように向き合い、どのように折り合いをつけ、どのようにしてそこから
の離脱と移動をしようとしているのか、という問題である。
この問題を考えるための、筆者の視座をまず明確にしておく。その視座の一つは、「身体は
文化である」2)というものである。すなわち、わたしたちの身体は、それぞれの時代や社会
(あるいは、階層・階級)や地域(気候風土)によって「形成された」、あるいは「生みださ
れた」ひとつの文化である、という考え方である。この考え方に立てば、大きく分けて、つぎ
の三つの立場からの分析が可能になってくる。一つ目は、時代によって変化する身体、すなわ
ち、歴史的身体3)、二つ目は、社会やその社会の階層・階級によって育まれる身体、すなわ
ち、社会的身体4)、三つ目は、地域によって形成される身体、すなわち、気候風土的身体5)、
である。これらの三つの条件が微妙に組み合わされることによって、わたしたちが、いま、生
きている身体が成立している。もちろん、この他にもいくつもの条件がわたしたちの身体を形
成しているのであるが、それらについては、とりあえず、ここでは考えないこととする。
そこで、わたしが本稿で問題として取り上げる身体は、21世紀という時代(現代、あるい
は、後近代)の、資本主義社会の中間階層(中流階級)の、日本という気候風土を生きる人び
とのものである。つまり、現代の日本人のスタンダードの身体が、まずは、歴史的身体として
どのような問題情況に置かれているのか、ということを明らかにすることである。つづいて、
それらの問題情況から離脱し、移動するための考え方(思想・哲学的根拠)について若干の私
見を提示することである。
もう一度、最初にもどって、その問題仮説を整理しておけば以下のようになろう。それは、
わたしたち現代社会に生きる日本人が陥ってしまった歴史的身体の隘路、すなわち、近代的身
体とはどのような身体のことを意味するのか、そして、その近代的身体からいかにして離脱し
ようとしているのか、そして、どこに移動しようとしているのか、その論理(思想・哲学的根
拠)を明確にする、というところにある。
II.歴史的身体としての近代的身体
1.太古の身体からの離脱
わたしたちの身体は時代とともに変化する。それを、ひとまず、歴史的身体として位置づけ
ておくことにしよう。たとえば、太古の時代の、野生の動物であったころのヒトの身体と、直
立二足歩行を可能としたヒトの身体とはまるで変化してしまったことは、よく知られていると
おりである。人間は立ち上がることによって手の自由を獲得し、手先の器用さとともに脳の発
達を促すことになる。やがて、火をわがものとし、道具を用い、祈ることをはじめた人間の身
体もまた大きく変化したであろうことも想像に難くない。火を用いて食べ物を調理したり、石
を加工して多くの道具を工夫し、それを用いる文化的な生活に入った人間の身体は、加速度的
に変化していく。やがて、祈りの所作が大きくなるにしたがって舞い踊り、憑依する身体をも
獲得していく。あるいは、素手で闘う人間から武器を用いて闘う人間へと。このようにして、
ヒトの身体はつぎつぎに脱皮し、進化していく。すなわち、人間の身体は、みずからの創意工
夫による文化の進展とともに変化する、文化的な所産でもあるのである。
2.生業形態によって形成される身体
つぎの段階に入れば、生業形態による人間の身体の変化ということが起る。狩猟、採集、漁
労、農耕、などの生業形態の細分化によって人間の身体は生業的適応・馴化をはたしていく。
つまり、それぞれの生業形態に適した身体を形成していく。さらに、新たな生業形態が生まれ
たり、細分化されたりすると、そのつど、それぞれの生業形態に適する身体が誕生することに
なる。こうして、人間の身体は、限りなく細分化され、必要に応じて特化されていく。
細かな点は省くが、たとえば、中世の身分制6)の徹底した社会に生きる人間の身体は、そ
れぞれの身分や職業によって、みごとに細分化され、特化されていた。農民には農民としての
身体が、職人にはそれぞれの職種に応じた身体が、そして、商人には商人の身体が、それぞれ
に特化されていた。なかでも、戦うことを引き受ける階級であった武士階級にあっては、戦う
ための身体が意図的・計画的に形成された。つまり、日頃から武術を身につけるための鍛練が
行われるようになった。そこには、師匠と弟子という特別の契約関係が取り結ばれ、師匠の意
図・計画にもとづいて稽古が行われるようになる。いわゆる近代的な教育システムの萌芽をそ
こにみることができる。つまり、道場という一つの制度のもとで教え、教えられる、あるいは、
反復稽古する、ということがはじまる。しかも、武術は武士階級の必須の教養として身につけ
なければならない義務ともなったのである。このようにして産まれる身体こそが、近代的身体
の先がけとなった。この事実は特筆に値する。
3.近代的身体の登場
なぜなら、近代に入ると、どの国も近代国民国家をめざすようになり、同時に「国民皆兵制」
をしき、国民全体に戦うことを義務化したからである。日本では、「富国強兵」策7)の名の
もとに、学校の義務教育をとおして、「強い兵士」と「よく働く労働者」の育成がはかられた。
そのためには、国民全体の身体を指揮命令にしたがって一糸乱れずに動く身体に作り替える必
要があった。その第一着手が「体操」8)であった。指揮官の号令一つで、みんなが揃って同
じ動作ができるようにすること、これが「体操」の大きな目的の一つであった。ついで、集団
行進訓練が行われるようになり、ここでも、同じ命令で同じ歩行・行進ができる身体に作り替
えることが、大きな目標となった。とりわけ、「ナンバ歩き」9)から「逆捻り歩行」10)
への転換が、学校教育をとおして行われることになった。この問題は、前近代までの日本人の
歩行法を切り捨て、まったく新しいヨーロッパ式(フランス軍隊の方式が移入された)の歩行
に移行するということが、近代国民国家建設という名のもとで行われたという、きわめて重大
な問題を含んでいることを忘れてはならないだろう。
4.「体操」によって規律・訓練化される身体
こうして、軍事訓練の予備教育としての学校での「体操」や「集団行進訓練」は、のちの兵
士となるための基礎教育として役立ったばかりではなく、大工場で働く組織的な労働者の身体
をつくる上でも大いに役立ったのである。こうして、日本近代は、近代国民国家を立ち上げる
という大命題のもとで、国民の身体を「近代的身体」へと作り替えることに全力を傾けたので
ある。
ここに登場したのが、規律・訓練の行き届いた、命令どおりに動く、画一化・均一化された
身体、すなわち、「近代的身体」の一つの典型なのである。そのもっとも顕著な例が、「ラジ
オ体操」11)する身体である。「ラジオ体操」は、いまでも、日本人であればだれでもでき
る教養の一つとなっている。全国の学校体育の授業の準備体操のほとんどは「ラジオ体操」に
はじまる。この昭和のはじめに国民の健康の保持・増進を目的に考案された国産の体操12)
は、いまや、すべての日本人の身体のなかにもれなく記憶されている。このようにして形成さ
れた身体は、日本に特有の「上意下達」的な組織を形成する上でもきわめて効果的に機能して
いる、と言ってよい。
5.近代スポーツによって秩序化される身体
日本の「近代的身体」の形成は、ヨーロッパから移入された「スポーツ」によっても果たさ
れた。日本へのスポーツの移入には三つの経路が考えられている。一つは、横浜・神戸の外国
人居留地13)に住む外国人との接触をとおして、もう一つは、リーランド14)の指導を受
けた体操伝習所15)の卒業生たちをとおして、最後の一つは、主にイギリスに留学した日本
の上流階級の人びとの子弟たち16)によって、である。ヨーロッパ産のスポーツは、法治国
家を標榜する日本近代のエリートたちに、「ルール」や、それを守る「フェア・プレイ」とい
うものが、スポーツを享受するためのみならず、社会生活を送る上でも、きわめて重要なもの
であるということを教える絶好の教材としての役割をはたした。スポーツのルールを守ること
は社会生活の法律を守ることと同義であるとして。こうして、ヨーロッパ産の近代スポーツは
熱烈に歓迎され、やがて、日本に独特の学校スポーツ17)の隆盛をもたらすことになった。
その典型的なものに、高校野球18)や六大学野球19)がある。いまでも、日本のスポーツ
の母体は、社会のクラブではなくて、学校のクラブ活動であり、大学の体育会であることは注
目すべきことであろう。そして、ここでも、先生(監督、コーチ)や上級生の命令には絶対服
従するという「体育会」系の一種の美徳が、いまも、生きている。
6.医学的・科学的身体観の形成
日本人の「近代的身体」観を形成する上で、もっとも大きな役割を果たしたのは医学的身体
観、あるいは、科学的身体観であった。それは、まさに、日本の近代である明治時代にヨーロ
ッパから移入された西洋医学であり、ヨーロッパの科学であった。言ってしまえば、ヨーロッ
パ的身体観ともいうべきものである。西洋医学がわれわれ日本人に提示した身体観は、身体を
「モノ」(物体・物質)としてとらえる考え方であった。そして、すべての病変を原因と結果
の因果関係で説明するものであった。もっと言ってしまえば、その発想の根源にあるものは、
解剖学的身体(=死体)であり、近代的主体の理性によってコントロールされる身体であった。
別の言い方をすれば、精神に奉仕する身体であり、視覚でとらえられる身体である。つまり、
科学的明証性の高い身体観が、科学神話とともに日本人の間に浸透していった。そして、科学
的に証明できない身体観は、少なくとも公共の場からは抑圧、隠蔽、排除される結果となった。
このようにして、近代的身体観が強く前面にでてくればくるほど、その分、日本の伝統的な、
神秘的な身体観は、非科学的であるという理由で、抑圧、隠蔽、排除された。しかしながら、
この前近代的身体観は、公的な場から秘匿されたところでいまも熱心な支持者を集めているこ
とも、隠然たる事実である。つまり、建前は科学的身体観(すなわち、近代的身体観)、本音
は神秘的身体観(前近代的身体観)、という不思議なバランスのもとで二つの身体観が現在も
なお温存されているのである。
7.メディアに振り回される身体
その一方では、メディアの驚異的な進展に伴い、わたしたちの身体観はメディア情報に振り
回されている。かつて、マクルーハン(Herbert Marshall McLuhan 1911 ~1980)がテレビ時
代の到来を見届けて、人びとの意識は大きく変化すると説き、人と人とのコミュニケーション
のとり方が「冷たい」関係になる、と予言したことがある。その指摘はほぼ的中したと言って
よいだろう。いまや、そのテレビ時代を通過してインターネット時代に入っている。人と人と
のコミュニケーションのとり方は、さらに冷却し、わたしたち自身の予見をはるかに超える新
展開をみせつつある。
おまけに、メディアの実態はますます複雑怪奇で錯綜してきており、そこを流れる情報のも
つメッセージ性もますますワンサイド化し、インパクトの強いものになりつつある。しかしな
がら、メディア自体は、身体観についての確たる思想・哲学的な根拠をもつこともなく、とお
りいっぺんの科学的根拠さえ確認されればタレ流し状態である。あとは、ひたすら資本の論理
に支配されていく。つまり、こんにちの身体観は、メディアを流れる情報量に比例して、自由
自在に、いかようにも操作され、変化するといってよい20)。
8.ファッション化する身体
こうした現実を受けて、ファッションとしての身体もまたきわめて流動的である。肥満に対
する偏見が少なくなる一方で、美しい身体、すなわち、バランスのとれたプロポーションを維
持することは一種のステイタス・シンボルと化し、ボディ・ケアに余念がない人びとも増えつ
づけている。身体のセクシュアリティもますます曖昧化・混沌化する一方で、徹底したエロテ
ィシズムの露出や、シックな装いの中に身を包みこむファッションもまた健在である。かと思
えば、ボディのここかしこにピアスを埋め込んだり、あるいは、タトゥーを彫り込んだり、と
いった身体加工も盛んである。こうした身体加工は、最後の自然と言われるみずからの身体に
手を加える最終的な「文化」の一つであり、主体の在り処を求めつつ、主体を崩壊させる行為
でもある。つまり、近代的主体を見失ってしまった若者たちの近代的身体への反逆ともいえる
奇妙な現象ではある。
このように、近代的身体は近代国民国家建設のために不可欠な理念として登場した歴史的身
体だったのである。そして、近代的身体は、もはや、一つの歴史的役割を果たし、次第にその
影がうすくなり、つぎの身体へと変身しつつある、というのが現状であろう。その方向性は「近
代的身体」から「後近代的身体」21)へというベクトルである。
III.近代的身体が排除してきた「もう一つの身体」
1.「もう一つの身体」の問題系
日本において、近代的身体が大きな説得力をもったのは、ヨーロッパ近代のもたらした科学
的合理性であった。つまり、身体を科学的に説明する論理的整合性にあった。したがって、科
学的に説明のできない身体は、単なる「迷信」である、として排除されることになった。その
結果、日本の近代をとおして抑圧され、排除されていった「もう一つの身体」があった。この
「もう一つの身体」の問題系について、ここでは少しく考えてみることにしたい。
いささか抽象的な表現ではあるが、ここでいう「もう一つの身体」を思いつくまま列挙して
みると、以下のようになろうか。眼に見えない身体、感ずる身体、触覚がとらえる身体(触れ
ることによって立ち現れる身体)22)、イメージのなかの身体、観照する身体、霊魂のやど
る身体、本能的身体、欲情する身体、無意識の身体、憑依する身体、恍惚の身体(エクスター
ズする身体)23)、脱自・脱存する身体、神がかりする身体、霊能者の身体、神と一体化す
る身体24)、自然と一体化する身体25)、幽体離脱する身体、性を逸脱する身体、直観的
身体(知的直観、行為的直観)26)、勘のはたらく身体、障害者の身体、死体、病気の身体、
血のかよう身体、生命のやどる身体、などなど。
つぎには、これらの身体について、具体的な例を挙げて考えてみることにしよう。
それには、日本の相撲の力士の身体が面白そうである。なぜなら、江戸時代の、すなわち、
前近代の力士の身体と、明治以後の近代の力士の身体とでは、おのずからそのもつ意味が変化
しているからである。そして、その力士の身体が、21世紀に入ってまた大きく変化しつつあ
るように見えるからである。では、いったい、力士の身体が、歴史の進展とともに、なぜ、ど
のように変化したというのであろうか。
2.前近代の力士の身体
前近代までの力士の身体には、さまざまな意味が付与されていた。たとえば、巨大な身体で
ある、超肥満の身体である、容貌魁偉である、ただ、それだけで力士は尊敬され、信仰の対象
にもなった。なぜなら、そのような力士の存在そのものが神仏に近いもの、と考えられていた
からである。たとえば、金剛力士27)を見れば明らかであろう。だから、前近代までの力士
は、ただ相撲をとるだけではなかった。むしろ、実際に相撲をとるのは一年のうちほんのわず
かな日数でしかなく、あとのほとんどは縁起をかつぐ祭祀儀礼を執り行うことにあった。それ
は、たとえば、赤ん坊を抱く、という所作ごとである。力士の身体は人間わざではない神がか
り的な異能を帯したものと考えられており、生命力がみなぎっていると考えられていたので、
生まれたばかりの赤ん坊を抱いてもらうことによって、力士の身体に宿るさまざまな能力が乗
りうつり、丈夫な子どもに育つ、と信じられていたのである。あるいは、病人を見舞ったり(病
気治癒祈願)、手形28)をつくって配ってあるいたり(お守り、魔よけ)、家を建てる地鎮
祭では四股を踏んで大地の悪霊を鎮めたり、火事場に立って焼きだされた人びとを激励したり、
と忙しく立ち働いたのである29)。これらの力士は、場合によっては、相撲をとることさえ
行わず、ただ、土俵入をみせるだけ、ということもあった。「一年を10日で暮らすいい男」
という江戸時代の川柳でよく知られているように、たしかに、力士が土俵の上に立つのは一年
に十日間にすぎなかった時代もあった。前近代までの力士の身体は、このようにきわめて神秘
的で多面的・多要素的に考えられていたのである。
3.近代の力士の身体
それが、近代(明治)に入ると、興行としての相撲がメインとなり、その他の所作ごと(儀
礼)は余技となり、次第に衰退していった。なぜなら、それは近代の科学的合理主義の立場か
らすれば、力士の秘める神秘的な身体は単なる「迷信」にすぎない、からである。さらに、相
撲興行の勝敗によってのみ番付の地位が変化するとなれば、それはもはやヨーロッパから移入
された近代スポーツと同じように、勝利至上主義の考え方が相撲の世界にも強くはたらくこと
になる。そこには、ひいき筋や谷町によるパトロン制度や、古くからの慣習やしきたり、礼儀・
作法などは次第に薄れていき、最小必要限のものだけが残り、それ以上に稽古やトレーニング
が重視されることになる。こうして、力士の身体もまた、勝つための身体に比重が移っていく。
たとえ、人間ばなれをした容貌魁偉な、神がかり的な身体をもっていたとしても、勝たなくて
はなんの価値もなくなる。第一に、土俵入りだけをみせて相撲をとらないという力士の存在が
否定される。これは、相撲の近代化にともなう一つの大きな特徴でもある。こうして、ただひ
たすら相撲の強い力士だけが価値をもちはじめる。前近代のように、強いだけでは横綱になれ
ない29)、という制度も姿を消していく。
4.相撲の国際化
このような勝利至上主義の傾向にさらにはずみをつけたのは、横綱審議委員会なる制度が設
けられ、力士の勝率だけが重視されるようになってからのことである。一見、わかりやすくな
ったかにみえるが、しかし、相撲のもつ前近代的な神秘性や、横綱という地位に期待された品
格のようなものは次第に遠ざけられ、徐々に形骸化の方向をたどっている。とりわけ、大勢の
外国人力士が幕内で活躍するようになってから顕著である。横綱になるための条件もまた、む
かしのように「心技体」の三つの要素の完成度を重んずる、ということはなくなってしまった。
こうして、外国人力士のなかから横綱が誕生するようになり30)、古くからの日本的なしき
たりや制度もなし崩し的に崩壊しつつある。日本の相撲は、いまもなお、古くからの伝統的な
様式を多く保存しているが、その内容はますます空洞化の方向に向かっている、といわざるを
得ない。このことは、相撲の「近代化」の進展と同時に、相撲が「国際化」するという、大き
な流れのなかで生ずる一つの宿命のようなものである。すなわち、日本に古来の土着的な文化
性が「近代化」とともに徐々に排除され、ついには、「国際化」の波にさらわれ、グローバル・
スタンダードに飲み込まれるという現象がいま起きている現実である。
5.科学化する力士の身体
こうなると、力士の身体もまた、これまでのように稽古をとおして鍛えるという発想に加え
て、科学的トレーニング法が採り入れられていく。土俵での稽古が終わってから、近くのトレ
ーニング・ジムに通ってそれぞれのトレーニング・メニューをこなすという力士が年々増えつ
づけているという。こうして、食事、睡眠、稽古、ウェイト・トレーニング、休養、イメージ・
トレーニング、等々にいたるまで、すべて「科学」の力によって管理する方向に向かっていく。
こうして、勝つための身体が徹底して追究されることになる。身長があって、体重があって、
筋力をつければ必ず勝てる、そういう力士が一つの理想として掲げられるようになる。だから、
力士はますます大型化し、小兵力士の活躍する姿は減少していく。むかしのように「小よく大
を制する」という相撲の醍醐味を楽しむ風情は、次第に影をひそめていく。こうして、力士の
身体に潜むとされる前近代的な「神秘性」についての観念はますます薄れていき、見るからに
強そうな身体だけが重宝されるようになる。これを身体の「透明化」と呼ぶ人もいる。すなわ
ち、生身の身体の「ロボット化」である。
6.太極拳にみる神秘的な身体
その一方で、中国から伝来した太極拳に、日本の中高年の人たちはもとより、若者たちも強
い関心を示しはじめていること31)にも注意を向ける必要があろう。中高齢者たちは健康法
として、若者たちは新しいスポーツとして楽しんでいるようであるが、どうも、それだけでは
なさそうである。それは、太極拳のなかに秘められている身体の神秘性が、現代人のこころを
惹きつけているのではないか、と筆者は考えている32)。現代の名人と目される李自力33)
の表演をみると、ますます、そう思う。かれの表演は、いまや、まさに「行雲流水」34)の
境地に達している。かれの身体からは、自己という主体はどこかに消え失せ、存在そのものを、
まったき他者にゆだねてしまったかのように、まるで、自然現象をみているような「行雲流水」
そのものになりきっている。それでいてエネルギーが全身に充満していて力動感があり、かつ、
自由自在で柔らかく、なによりも美しい。この美しさがどのようにして引き出されてくるのか、
多くの太極拳愛好者たちが惹かれていく理由がここにある、と筆者もまた同じ愛好者の一人と
して考えている。こうした身体もまた、近代的身体によって抑圧、排除されて行った「もう一
つの身体」なのである。つまり、現代の科学をもってしても説明のできない身体なのである。
だからこそ、21世紀の現代にあっては「新しい」のかもしれない。
7.能面と身体
もう一つの話題を提供しておきたい。それは、日本の伝統芸能の一つである能を舞う能楽師
の身体である。あるいは、能面をつけた身体、と言ってもよい。あるいはまた、能面を制作す
る面打ち師の身体、と言ってもよい。能面と身体との関係は、ある意味では表裏一体となって
いて、一人の人間の身体をまったく別の次元の身体に変化させてしまう、そういう働きがそこ
には存在する。つまり、一人の人間の身体から大きく逸脱した「もう一つの身体」へと持ち去
られてしまうのである。そのことは、実際に能面を顔に着けてみるとよくわかる。能面を顔に
つけたときから、わたしと能面との関係があやしく揺れ動きはじめるのである。自分の顔は自
分では見ることができない。それと同じように、能面を着けた人には自分の能面を見ることは
できない。しかし、その能面を見る人の表情を知ることはできる。その表情をとおして能面を
着けた自分の身体に変化が生まれる。次第しだいに能面の身体になっていく。あるいは、能面
と身体が一体化していく。そして、ついには能面はわたしの身体となってしまう。あるいは、
身体が能面になってしまう。この関係のもっとも深いところで一体化する身体が能楽師のそれ
であろう。つまり、自他の境界がなくなっていく身体がそこに現われる。このような身体もま
た、近代的身体が忌避し、抑圧、隠蔽、排除してきた「もう一つの身体」なのである。
8.能面を制作する身体
この能面を制作する面打ち師の身体もまた不思議な身体である。わたしの知人である面打ち
師柏木裕美35)は、面を打っていることを忘れてしまうほど集中すると、あとは「眼が考え
手が勝手に動く」と言う。この世界は、ものづくりの名人と呼ばれる人たちが等しく到達する
境地でもある。つまり、制作する人と制作される作品との間の区別がなくなっていくのである。
自他の境界がほとんどなくなってしまう。この関係を哲学の分野では「ポイエーシス」
(poiesis, Herstellung)と呼んでいる。制作する人は、最初は制作の意図をしっかりともっ
ているけれども、ある段階からは、制作されつつある作品からある種の情報が制作する人に支
配的に影響するようになり、ついには、制作者は制作されつつある作品によって制作させられ
る関係に逆転する、というのである。ここでは自他の区別がなくなるどころか、自他の立場が
逆転してしまう、というのである。これが「ポイエーシス」と呼ばれる概念なのである。面打
ち師の柏木さんにこのことを話すと「わたしはそんなことは知りません。ただ、ひたすら面を
打っていたら、いつのまにか作らされている、そういう状態に入っていく、それは事実です」
と言う。こういう身体もまた、近代的身体の背後に押し込められてきた「もう一つの身体」な
のである。
9.「もう一つの身体」の歴史性
こうした身体は、坐禅をしたり、瞑想したりすることによって開かれてくる身体とも通底す
るものがある。あるいは、ある特定の<場>に移動し、そこに身をおくことによって初めて開
かれてくる身体や、そこからさらに、あるなにかを直観する身体、そしてさらに、あるなにか
を観照する身体、というようなものもまた、近代的身体が片隅に追いやってしまった「もう一
つの身体」なのである。
このような近代的身体が排除した「もう一つの身体」は、言ってしまえば、科学的に検証・
証明することのできない身体なのである。つまり、近代的身体が合理的身体だとすれば、「も
う一つの身体」は非合理的身体なのである。しかし、わたしたちの身体には、この合理的身体
と非合理的身体の両方が内在している、という事実を忘れてはならない。近代という時代は、
わたしたちの身体の半分を価値のあるものとして「過剰に」評価し、残りの半分を価値のない
ものとして抑圧し、隠蔽し、排除する、ということを行ってきたのである。いま、わたしたち
は21世紀という、まったく新しい、未知の時代に突入している。わたしはまた、別の意味で
36)、近代から脱けだし「後近代」に向けて動きはじめた時代、というように21世紀とい
う時代をとらえようとしている。
IV.「脱自する身体」の思想・哲学的根拠
1.ハイデガーとバタイユの「脱自」
以上、述べてきた「もう一つの身体」は、筆者のことばに置き換えると「わたしの身体がわ
たしの身体であってわたしの身体ではなくなる」、そういう事態を迎える身体のことである。
これを哲学のことばに置き換えると「脱自する身体」ということになる。「脱自」とは、ハイ
デガー(Martin Heidegger 1889 ~1976)のいう「エクスターゼ」(Ekstase )であり、バタ
イユ(Georges Bataille 1897 ~1962)のいう「エクスターズ」(extase)である。この二人
のいう「脱自」は、厳密に言えば、かなりの違いがある。しかし、近代的主体の「外」にはみ
出してしまう「自己」(「内なる他者」)というものの存在を認めようではないか、という点
では共通する。
デカルト(Rene Descartes 1596 ~1650)以後のヨーロッパの形而上学が説いた近代的主体
の論理は、人間の理性に絶対的な「信」を置くものであって、人間はあくまでも理性によって
コントロールされる存在であり、最終的にはヘーゲル( Georg Wilhelm Friedrich Hegel 1770
~1831)の言う「絶対知」に到達するものだ、と考えられてきた。ところが、ハイデガーはこ
うした近代的主体の論理の矛盾点を明らかにし(「脱自」する人間の存在様態の指摘)、この
考え方に大きな「風穴」を空けたのである37)。そして、その論理をさらに深く追究し、自
己の「内的体験」(「恍惚体験」=extase)をもとにして、ヘーゲルの「絶対知」に対して「非
-知」(Le non savoir )を定置し、そこを起点にしてみずからの思想・哲学を展開したのが
バタイユである。こうして、近代的主体の論理の一角が崩れはじめる。
2.ハイデガーの「脱自する身体」
ハイデガーは『存在と時間』のなかで、過去・現在・未来という時間性(Zeitlichkeit)の
なかに自由自在に拡散していく人間の意識の在りようを論じ、現存在(=人間)とは時間性の
なかに拡散していくものだ、と論じた。この考え方は、少なくとも、デカルトのテーゼである
「われ思う、故にわれ在り」の伝統を引き継ぎつつ、その「思う」は、同時に「時間性」のな
かに拡散してしまうものなのだ、ということを明らかにした点で哲学史の上ではきわめてエポ
ック・メーキングなできごとであった37)。つまり、近代的主体の「外」にはみ出す自己と
いうものの存在を明らかにし、存在論の根本問題として提起したのである。これが、じつは、
近代的身体が抑圧・隠蔽・排除してきた「もう一つの身体」の存在様態、すなわち、「脱自す
る身体」の存在を正当化するための思想・哲学的根拠がここにある。筆者が「わたしの身体が
わたしの身体であってわたしの身体ではなくなる」事態の存在を主張する根拠の一つが、ハイ
デガーのこの「脱自」なのである。こうして、ハイデガーは近代的論理の矛盾と限界を明らか
にし、いくつもの新しい哲学・思想の潮流をつくり出したのである。
3.バタイユの「脱自する身体」
その一つが、サルトル(Jean-Paul Sartre 1905 ~1980)によって展開された実存哲学であ
り、もう一つは、メルロ・ポンティ(Maurice Merleau-Ponty 1908~1961)によって展開され
た現象学である。そして、最後の一つは、ヘーゲルやハイデガーの哲学を徹底的に批判するこ
とによって生まれたバタイユの「脱自」(extase=恍惚)の思想・哲学である。このバタイユ
の思想・哲学の系譜は、さらに、フロイト(Sigmund Freud 1856~1939)の「精神分析学」と
結びつくことによって補強され、こんにちのフランス現代思想となって大きく花開くことにな
る。この思想・哲学の系譜は、いずれも、近代的主体の「外」にあるもの(=「内なる自己」)
を主題とする。
バタイユは、みずからの「恍惚」体験をもとに、これをヘーゲルの「絶対知」の対極に位置
づけ、それを「非-知」と名づけて、そこを思想・哲学の出発点とした。つまり、近代的主体
の「外」をみずからの思想・哲学の出発点としたのである。すなわち、人間の本質規定を「脱
自する身体」に置いたのである。こうして、近代的主体の論理に真っ向から対立する姿勢を示
し、『無神学大全』なる著作群を公けにした38)。さきほどから繰り返し述べてきたように、
近代的身体が追いやった「もう一つの身体」や、筆者の主張する「わたしの身体がわたしの身
体であってわたしの身体ではなくなる」事態についての有力な思想・哲学的根拠はここにもあ
る。
4.西田幾多郎の『善の研究』
このような主張を展開したバタイユやハイデガーよりも少し前に、日本の西田幾多郎(1870
~1945)がいる。かれはみずからの坐禅修行の体験をもとにした独自の思想・哲学を探求して
おり、その最初の哲学書が『善の研究』(1912年)である。西田幾多郎が「絶対矛盾的自
己同一」という概念を提示するにいたる、その初期の哲学的思考がここに展開されている。さ
きに述べた「ポイエーシス」の概念も、じつは、西田幾多郎に言わせれば「絶対矛盾的自己同
一」ということになる。なぜなら、制作者がみずからの制作物によって制作させられる、とい
う逆転現象が同じ一人の人間のなかで起るのであるから。しかも、それと同じようなことが一
人の人間のなかでいくらでも起っているのだ、それでいて「自己同一」しているのが人間の人
間たる所以である、と西田は説く。ついでに述べておけば、西田は「一即多」「多即一」とい
う概念を提示しつつ、こういう現象の起る<場>こそが人間の真の存在(西田は「実在」とい
うことばを用いる)の根拠なのだ、と説く。最終的には、自己と他者とがなんらの区別もなく
「同一化」する<場>があり、そこでの経験こそが「純粋経験」であり、人間の「実在」の根
拠である、と説く。つまり、「ポイエーシス」の起る<場>であり、「純粋経験」の起る<場
>である。そこは、同時に、禅仏教の説く「悟り」の境地の広がる<場>でもある。
5.「純粋経験」「知的直観」「実在」の関係
ここでは、「脱自する身体」にかかわる西田の思考について、いま少し分け入ってみたいと
思う。すでに触れたように、西田の思考を理解する上で重要なキー概念となる「純粋経験」と
「実在」、それに加えて「知的直観」という三つのことばの概念について考えてみることにす
る。
西田の言う「純粋経験」とは、自他、主客の区別が生ずる以前の経験のことを意味する。西
田は、わたしたちがごく一般的にいう経験と呼ぶものと、かれの言う「純粋経験」とはまった
く別次元のこととして、峻別して用いている。しかも、この「純粋経験」の<場>こそが真の
「実在」である、と説く。
いささか込み入った議論ではあるが、整理してみると、以下のようになろう。
わたしたちが日常的にする経験、たとえば、朝目覚めて歯を磨き顔を洗い、食事をして、通
勤電車に乗る、というような経験は、いずれも日常的な経験である。それは、人間の意識がは
っきりしていて、それぞれの目的意識のもとで理性的にコントロールされて行われる日常経験
である。このような経験は人間の「実在」からは遠い経験だ、と西田は言う。このような日常
的な経験にあっては、意識や理性や意志というものが働いているので、主観と客観の間の、自
己と他者の間の区別が明確になっている。そうではない経験、つまり、意識も理性も意志も働
きはじめる以前の、主客や自他の区別が生まれる以前の、「直接経験」こそが、西田のいう「純
粋経験」だということである。そして、この「純粋経験」の<場>こそが「知的直観」の働く
<場>であり、「実在」の<場>である、ということなのである。
では、西田の言う「純粋経験」とはいかなるものなのか。慎重を期して、いささか長文に及
ぶが、西田自身の文章を引用しておく。
6.西田幾多郎の「知的直観」
「普通の知覚が単に受動的と考えられているように、知的直観もまた単に受動的観照の状態
と考えられている。しかし真の知的直観とは純粋経験における統一作用某者である、生命の捕
捉である、即ち技術の骨(こつ)の如き者、一層深くいえば美術の精神の如き者がそれである。
たとえば、画家の興来り筆自ら動くように複雑なる作用の背後に統一的或者が働いている。そ
の変化は無意識の変化ではない、一つの物の発展完成である。この一物の会得が知的直観であ
って、而もかかる直覚は独り高尚な芸術の場合のみではなく、すべて我々の熟練せる行動にお
いても見る所の極めて普通の現象である。普通の心理学は単に習慣であるとか、有機的作用で
あるとかいうであろうが、純粋経験説の立場より見れば、こは実に主客合一、知意融合の状態
である。物我相忘(ぼう)じ、物が我を動かすのでもなく、我が物を動かすのでもない、ただ
一の世界、一の光景あるのみである。知的直観といえば主観的作用のように聞こえるのである
が、その実は主客を超越した状態である、主客の対立はむしろこの統一に由りて成立するとい
ってよい、芸術の神来の如きものは皆この境に達するのである。また知的直観とは事実を離れ
たる抽象的一般性の直覚をいうのではない。画の精神は描かれたる個々の事物と異なれどもま
たこれを離れてあるのではない。かつていったように、真の一般と個性とは相反する者ではな
い、個性的限定に由りてかえって真の一般を現わすことができる、芸術家の精巧なる一刀一筆
は全体の真意を現わすがためである。」(『善の研究』、岩波文庫、P.53~54.)
7.「知的直観」の働く<場>
ここに登場する知的直観とは「我々の純粋経験の状態を一層深く大きくした者にすぎない、
即ち意識体系の発展上における大なる統一の発現をいうのである。学者の新思想を得るのも、
道徳家の新動機を得るのも、美術家の新理想を得るのも、宗教家の新覚醒を得るのも凡てかか
る統一の発現に基づくのである(故に凡て神秘的直覚に基づくのである)」と、西田は説明し
ている。
このように、純粋経験こそが、そして、この純粋経験の発展形態である知的直観こそが、人
間の「実在」の根拠なのだ、と西田は説く。つまり、主客の区別も、自他の区別もなくなり、
「主客合一、知意融合の状態」「物我相忘(ぼう)じ、物が我を動かすのでもなく、我が物を
動かすのでもない、ただ一の世界、一の光景あるのみ」、それが純粋経験の<場>であり、知
的直観の働く<場>なのだ、と言う。
この西田の言う純粋経験や知的直観の働く<場>こそが、「脱自する身体」の立ち現れる<
場>なのである。そして、この<場>こそが真の「実在」なのだ、と。
繰り返しになるが、筆者のことばに置き換えれば、「わたしの身体がわたしの身体であって
わたしの身体ではなくなる」<場>ということになろう。この<場>こそが、坐禅をしたり、
瞑想したりするときの一つの到達点でもある。
V.まとめ
以上に述べてきたように、表現のニュアンスや、その思考のプロセスはそれぞれに異なるも
のの、ハイデガーの「Ekstase 」も、バタイユの「extase」も、西田の純粋経験の<場>も、
お互いに通底するところをもつ、あるいは、パラレルの思考であり、概念である、と言ってよ
いだろう。「脱自する身体」とは、このような思想・哲学に支えられて登場する、新たな概念
装置として筆者は考えようとしている。
そして、この「脱自する身体」のもとでの「大なる統一の発現」が、西田の先の引用にもあ
るように、学者も、道徳家も、美術家も、宗教家も共有するものだ、とすれば、筆者はここに
優れたスポーツマンもまた同じ地平に立つものとして加えておきたい。優れたスポーツマンも
また、西田のことばを借りれば、純粋経験そのものの探求者であり、知的直観の働く人であり、
西田の晩年のことばを借りれば「行為的直観」の働く人だ、ということになるからである。
すでに明らかにしてきたように、このような「脱自する身体」を抑圧、排除しようとしたも
のが理性を中心とする近代合理主義の考え方であり、いわゆる、近代論理なのであった。<2
1世紀の身体を考える>ということは、この近代論理の軛からいかにして脱けだし、この「脱
自する身体」、すなわち、「もう一つの身体」とどのように向き合い、折り合いをつけるのか、
そのための論理をどのように組み立てるのか、ということにあると筆者は考えている。
近代的身体は、近代という歴史的必然として求められ、形成された産物、すなわち、歴史的
身体なのであった。それは、神秘的で非合理的な身体と考えられてきた前近代的身体を、近代
合理主義という科学的・医学的合理性のフィルターをとおして濾過した結果として出現した身
体、すなわち、だれの眼にも明らかな合理的な身体だけが正当性を得ることとなった。それは、
理性によってコントロールされる身体、すなわち、理性に奉仕する身体、あるいは、近代的主
体に奉仕する身体、であった。そのような身体の行き着くさきは、「モノ」(物体、物質)と
しての身体そのものであった。つまり、科学や医学の対象としてとらえられる身体であった。
そこには、神秘性のかけらもない、純粋で、透明な身体が待っていた。
その結果、わたしたちは「もう一つの身体」をどこかに置き忘れてきてしまったのである。
その事例を、わたしたちは力士の身体をとおして、それが歴史的身体として、どのように変化
してきたのかを検証してみた。そこにみえてきた身体は、まさに、呪力を帯びた前近代的身体
から、勝利至上主義にはしる近代的身体へ、そして、さらに、相撲の国際化にともなう無色透
明な身体へ、と歴史的に変化する身体であった。
同時に、太極拳をする身体や能面を被る身体、あるいは、能面を制作する身体にみられるよ
うな「わたしの身体がわたしの身体であってわたしの身体ではなくなる」、そういう「脱自す
る身体」への興味・関心もまた、近年になって高まってきていることを確認した。しかも、こ
うした「脱自する身体」の思想・哲学的根拠もまた、このまとめの冒頭で述べたとおりである。
繰り返しになるが、わたしたちがいま直面している身体をめぐる事態は、近代的身体の「モ
ノ」化した身体からの離脱と移動ということである。そうして、真の「実在」に触れられる身
体、すなわち、「純粋経験」や「知的直観」が機能する「脱自する身体」、ここへの接近の方
途を考えるべきであろう。<21世紀の身体を考える>ということは、こういうことである、
と筆者は考えている。
〔注および主な参考文献〕
1)西谷修著『離脱と移動』、せりか書房、1997年。ブランショ、デュラス、レヴィナ
ス、バタイユの4人の哲学者を取り上げ、論評を加えた文献。この本全体から、近代的主体か
らの「離脱と移動」というテーマを読み取ることができる。
2)文化人類学の研究は「人間は文化である」というテーゼを承認する。なぜなら、人間は
文化を生みだすと同時に、その文化によって形成される生物であるから。だとすれば、同じ理
由で「身体は文化である」というテーゼが成立することになる。人間は身体をとおして文化を
生みだすと同時に、その文化によって身体が形成されるから、と。
3)ネアンデルタール人の身体とこんにちのわれわれの身体とを比較してみれば、一目瞭然
であろう。そして、その過程で、どのように身体が変化しつづけてきたかも、説明を要しない
であろう。
Time Travel, A journey through the history of humankind, Highlights of the Neandert
hal Museum, 2001.
4)日本の中世の身分社会では、武士・農民・職人・商人の身体は明らかに異なっていたし、
歩き方もまた身分によって決まっていた、という。
5)生まれ育つ気候風土によって人間の身体がどれほど異なるものとなるか、もまた説明を
要しないであろう。皮膚の色も身長も皮下脂肪の蓄え方も、そして、汗腺の数も気候風土に規
定されることは、よく知られているとおりである。なお、日本の哲学者、和辻哲郎は、ハイデ
ガーの『存在と時間』に触発されて『風土』(1935)を著し、後世に大きな影響を与えた。
6)日本の中世は、一般的には、12世紀末から16世紀末までをいう。しかし、近世とい
う時代区分はヨーロッパには存在しないので、この近世(19世紀末まで)をふくめて、ここ
では中世と考えることとする。
7)明治政府(1868年にはじまる)の中心をなす政治課題。これをスローガンにかかげ、
殖産興業をとおして資本主義化をはかり、国を豊かにする=富国と、それにもとづく近代的軍
事力の強化をはかる=強兵とをめざした。
8)日本に最初に導入された体操は、軍隊にはフランス式、学校にはドイツ式であった。こ
れらの体操の源流をたどれば、ドイツ式の体操にゆきつく。
9)日本人の伝統的な歩行法。やや重心を下げた姿勢で、前に出した足の上に体重を乗せて
いく歩き方。腕は振らないで、ぶらりと下げたまま。上半身をほとんど動かさない歩行法。
10)腕を大きく振って、上半身(両腕)と下半身(両足)の動きが逆になる歩行法。日本
には近代になってヨーロッパから移入された。
11)ラジオの放送から流れる音楽・号令に合わせておこなう体操。1928年に、当時の
逓信省簡易保険局が国民の健康の保持・増進を目的にはじめた事業。
12)日本の体操は、フランスやドイツから移入されたのが最初であるが、つづいて、デン
マーク体操、スウェーデン体操などが移入された。しかし、ラジオ体操は、これらのヨーロッ
パから移入された体操をヒントにして、日本人が考案したものである。
13)外国の圧力に屈して鎖国を解いた日本は、「安政5カ国条約」にもとづき、横浜、長
崎、神戸、大阪、東京などに外国人が居住し、営業の自由を認めた地域のこと。1860年に
制度化した。ここに住む外国人たちが、当時の流行の最先端をいくスポーツをして楽しんでい
た。
14)G.A.Leland 1850 ~1924. アメリカ・アマースト大学出身の医師。当時の衛生学や医
学に裏づけられた体操の考え方を日本に紹介。身体測定をし、運動と発育・発達の関係に関心
をもたせるよう指導した。
15)1878年、日本人に適した体育法を開発することと体育教員養成を目的に、文部省
直轄の機関として設立。ここで養成された体育教員が全国に散って、日本の学校体育の基礎づ
くりがなされた。
16)19世紀末から20世紀初頭にかけて、上流階級の子弟たち、とりわけ、皇族、貴族、
資産家の子弟たちは、こぞってイギリスに留学し、新しい国づくりに役立つ知識の修得をめざ
した。そのついでに、当時、流行していた近代スポーツに興味を示し、それらを習い覚えて帰
国した。
17)日本のスポーツは学校をとおして普及していった。エリート養成の大学にはじまり、
師範学校、旧制中学、そして、小学校へと「上から下へ」と受容されていった。当時としては、
比較的広くつくられていた学校の運動場が、学校スポーツの普及に役立ったことも見逃せない。
18)1915年、新聞社が主催して、第一回全国中等学校優勝野球大会を開催。これが爆
発的な人気を博し、以後、年々、隆盛となり、こんにちもなお国民的イベントの一つとして人
気がある。
19)1925年に東京の有名大学のうち6大学が参画して結成した野球リーグ。それ以前
(1890年)から、個別に大学間で野球の試合がおこなわれ、人気を博していた。とくに、
早稲田と慶応の対校戦「早慶戦」は東京を二分する人気があった。
20)テレビ番組やコマーシャルに加えて、インターネット上にまで同じ情報が流れるよう
になると、それは、無意識のうちにわたしたちの知識として定着する。健康法や栄養食品は、
もはや、メディアの意のままである。
21)筆者は、スポーツ史を記述するための時代区分として、前近代・近代・後近代の三区
分法を用いている。そして、現代を近代から離脱し後近代へ移行しつつある時代ととらえてい
る。その意味で「後近代的身体」という概念を用いている。言ってしまえば、近代が排除して
きた「もう一つの身体」をもとりこんだ、すなわち、近代的身体と前近代的身体とを統合した
身体をイメージしている。
22)ジャン=リュック・ナンシー(Jean-Luc Nancy 1940 ~)の「パルタージュ」
(partage :
接触=分割/分有)の概念を想定している。
23)のちに詳しくふれるジョルジュ・バタイユの「エクスターズ」(extase)の概念を想
定している。
24)イエズス会のイグナチオ・デ・ロヨラの『霊操』のなかに展開されている神秘的な神
との合一体験を想定している。
25)日本の禅仏教で言うところの「悟り」の境地を想定している。
26)後段で詳しく触れるように、西田幾多郎の説く「知的直観」や「行為的直観」という
ものを想定している。
27)仏教の寺院の山門に立って、伽藍を守護する仁王像のこと。口を開けた阿形像と、口
を閉じた吽形像の二体が一対となって左右に安置されている。ともに勇猛・威嚇の相をとる。
28)手のひらに朱を塗って紙に押し付けてつくった色紙。これに力士のサインをしたもの。
29)江戸後期の力士に雷電為右衛門(1767~1825)という力士がいて、不世出の怪力で、
大関を16年間つとめ、大いに人気を博した。この力士は、江戸(現・東京)に火事が起ると
かならず火事の現場に立ち、焼け出された人たちを激励して歩いた、という。
30)かつて、アメリカ出身の、当時、大関だった力士が「外国人はいくら強くなっても横
綱にはしてもらえない」と発言して物議をかもしたことがある。それを聞いた当時のアメリカ
大統領が、日本相撲協会に異議申し立てをした、という情報が流れたことがある。その後、ま
もなく、一人のアメリカ出身の力士が横綱に昇進したとき、アメリカ大統領がお祝いの電話を
してきた、とニュースが報じた。
31)日本武術太極拳連盟に加盟・登録している会員数は100万人を超えているという。
それ以外の太極拳愛好者を含めるとその数は測り知れないという。
32)筆者は、太極拳の稽古をはじめて3年目に入る。理解が深まれば深まるほどに、その
奥行きの深さ、神秘性に感動するばかりである。
33)8年前に日本武術太極拳連盟に招聘され、ナショナル・チームのコーチを務めている。
昨年の11月に、中国武術代表団14名による表演が日本で行われたが、李自力の表演だけが
次元の違うものである、ということはだれの眼にも明らかであった。
34)太極拳の理想の一つ。もともとは、仏教用語。
35)柏木裕美(1950~)。檜の会主宰。ラジオ、テレビにも数多く出演。舞台用の「能面」
とともに飾り楽しむ「能面」の普及をめざす。また、「能面文化交流館」の設立をめざして活
動中。
36)現代という時代を、筆者はただ単に、物理的時間が21世紀に突入したという意味で
はなく、近代という時代の論理そのものが臨界点に達してしまい、もはや、近代論理では立ち
行かなくなってしまった時代として位置づけている。
37)木田元の著した一群のハイデガー研究は、一環してこのことを主張している。たとえ
ば、『ハイデガー』『ハイデガー「存在と時間」の構築』(以上、岩波現代文庫)、『ハイデ
ガーの思想』(岩波新書)、『哲学と反哲学』(岩波同時代ライブラリー)、ほか。
38)『内的体験』(1943年)、『有罪者』(1944年)、『ニーチェについて
ーー幸運への意志』(1945年)、などを書き残したが、残念ながらかれの構想その
ものは未完のまま終わっている。