巻頭言 本学の紀要第四号をお届けする。本学が観光系単科大学として開学して 6 年。 発刊こそ少し遅れたが、年 1 回のペースでの紀要刊行が定着し、喜ばしいかぎ りである。ウェブ上での発表形式もなじんでしまえば違和感はなく、むしろ多 くの方に読んでいただくには便利な方法だと感じている。 本号の構成は第二号と同じように<観光分野>と<観光以外の専門分野>に 分け、前者に 4 本、後者に 6 本の論文が掲載されている。いずれも労作ばかり である。執筆者はこれまでどちらかと言うと同じ人たちに固定されがちだった が、新たに本学の教員になられた若い気鋭の方が積極的に加わってくれたのが うれしい。 顧みれば、本学は観光を経済活動の一部ではなく、文化遺産や自然、人間、 健康あるいは福祉などの広い意味での文化にかかわる活動として捉える、いわ ゆる「観光文化学」をコンセプトに生まれた。教員もさまざまな分野から集ま り、互いに刺激しあい、研究と教育を続けてきた。本学に来る前は観光とあま りかかわりがなかった先生方も近年、ご自身の研究をベースに果敢に観光研究 に取り組まれるようになり、その成果が出始めている。 代表的な成果の一つが、前号に続いて本号の冒頭に掲載されている「(続)観 光研究の主要概念―“Key Concepts in Tourist Studies”抄訳」である。前号と 併せてツーリズムに関する 40 項目の諸概念が紹介されている。各概念の解説を 読むと、海外では日本の観光研究の枠では捉えきれない広がりと深みがあるこ とが如実にわかる。ぜひ本として出版したいものである。同時にこのような世 界的な視野から観光を研究し、それを日本に普及させていくことが「観光文化 学」を標榜する本学の主要な使命ではないかと、この力作論文を読みながら考 えた。 神戸夙川学院大学 学長 吉島 一彦 紀要第四号 目次 <観光分野> 1. 「 (続)観光研究の主要概念-“Key Concepts in Tourist Studies”抄訳」 澤山明宏、小槻文洋、戴智軻、河本大地、高根沢均、原一樹、伊多波宗周、田中祥司 2. 「日本の観光立国戦略に対する中国側の評価―政治・経済視点からの考察―」 戴智軻 3. 「イタリアにおける観光社会学の展開-A. Savelli 著“Sociologia del turismo”より抄訳」 高根沢均 4. 「 (研究ノート)観光と哲学―問題群整理と課題抽出」 原 一樹 <観光以外の専門分野> 1. 「現代における勢力均衡の有効性について」 澤山明宏 2. 「東日本大震災 疋田浩一 被災企業の現状 水産加工業を中心としたヒアリングレポート」 3. 「ケチュア語の現状―地域差、変容、教育」 蝦名大助 4. 「柿本人麻呂の漢文受容と独自な漢字表現をめぐって―『万葉集』第 2382 番歌をきっかけに」 劉争 5. 「プルードンはどのような意味で社会主義者か―サン=シモン主義からの影響と二つのプルードン的理 念―」 伊多波宗周 6. 「 (研究ノート)ドゥルーズ&ガタリ資本主義論に関する覚書―先行研究整理と課題抽出」 原 一樹 (続)観光研究の主要概念 -“Key Concepts in Tourist Studies”抄訳 神戸夙川学院大学観光文化学部教授 神戸夙川学院大学観光文化学部准教授 神戸夙川学院大学観光文化学部准教授 神戸夙川学院大学観光文化学部准教授 神戸夙川学院大学観光文化学部准教授 神戸夙川学院大学観光文化学部准教授 神戸夙川学院大学観光文化学部講師 神戸夙川学院大学観光文化学部講師 澤山明宏 小槻文洋 戴 智軻 高根沢均 河本大地 原 一樹 伊多波宗周 田中祥司 1.はじめに 【目次】 本 稿 は Key Concepts in Tourist Studies 1.はじめに 2.抄訳(原著登場順) ( Melanie Smith, Nicola Macleod, Margaret 〔真正性〕 Hart Robertson, SAGE, 2010)の抄訳である。原 〔バックパッキング〕 著はツーリズムに関する諸概念や様々なツーリズ 〔ビジネス・ツーリズム〕 ム形態に関する 40 項目の解説から成り、最新の 〔危機管理〕 研究動向をうかがうための読書案内等も付随する 〔デスティネーション・マネジメント〕 有益な書物である。今回は小槻・原・伊多波(2012) 〔ツーリズムの経済的側面〕 では訳出しなかった項目から 22 項目を訳出した。 最近、英語圏では Key Concept シリーズ(注1) 〔経験経済〕 〔フェスティバル・イベント・ツーリズム〕 の一環として、ツーリズム研究に関わる用語・手 〔ガストロノミック・ツーリズム〕 法を解説したペーパーバックの刊行が相次いでい 〔ゲイ・ツーリズム〕 る。今回訳出した本を出版した SAGE 社は別途、 〔ツーリズムの地理学〕 Key Concepts in Tourism Research (David 〔ヘリテージ・ツーリズム〕 Botterill & Vincent Platenkamp, SAGE, 2012)、 〔成熟世代のツーリズム〕 を刊行しているし、palgrave macmillan 社は、 〔ツーリズム計画〕 Key concepts in Tourism (Loykie Lomine & 〔都市・地域再生〕 James Edmunds, 2007)、を出版している。また、 〔自己と他者〕 Routledge 社は Routledge Key Guide シリーズの 〔セックス・ツーリズム〕 一冊として、Tourism: The Key Concepts (Peter 〔観光社会学〕 Robinson ed., Routledge, 2012)を刊行した(注2)。 〔スペシャル・インタレスト・ツーリズム〕 日本語でも、たとえば山下晋司編『観光学キー 〔スポーツ・アドベンチャー・ツーリズム〕 ワード』(有斐閣双書(Keyword series)、2011) 〔ツーリストの眼差し〕 をはじめ、キーワードを軸に解説した本はいくつ 〔都市観光〕 かあるが、原著のように多数の領域に目配りした 1 類書は依然少ない。本書の有用性に鑑みて、前回・ ツーリズムにおけるオーセンティシティとは、真 今回の訳出をもとに、今後出版に向けて作業を進 正とみなされる文化的行事・産物・経験を発展さ めたいと考えている。 せ、また消費する際に、ツーリストとホストが認 識する価値として定義しうる。 なお、今回も、前回同様に各項目に一人ずつ担 当者を決め、基本的に各項目担当者が責任を負っ て訳出を行った。各項目の翻訳担当者は各項目の オーセンティシティに関する議論は、ツーリズ 末尾に記載している。各担当者の原稿の取りまと ム研究の文献でよく目にするテーマであり、アメ め・書式統一については原・小槻が、本稿全体の リカの人類学者ディーン・マキャネルが 1976 年 訳文のチェックは高根沢・小槻が行い、必要な補 に『ザ・ツーリスト』 [The Tourist (1976)](訳注1) 足・改訳、用語・人名等の表記統一(注3)は小槻が を出版して大きな影響を与えて以来、ツーリズム 担当した。 による社会的・文化的インパクトの探求にとって 中心的なテーマであった。ツーリズム産業の影響 力が拡大し続け、旅行が格段に容易なものとなり、 (注1)学生向けにさまざまなディシプリンの重 要トピックを解説するシリーズとして設定され 訪問先の選択の幅が広がり続ける状況にあって、 ており、SAGE 社、Palgrave 社ともに同名のシ 文化のオーセンティシティに対するツーリズム・ リーズがある。日本でいえば、有斐閣双書キー インパクトの議論はいよいよ喫緊の度合いを増し ワードのシリーズ、世界思想社の「学ぶ人のた てきた。これらの議論の焦点は、以下の点に関す めに」のシリーズに相当する。 るオーセンティシティに対して、ツーリズムがど (注2)Lominé & Edmunds 2007 は 318 項目に のように影響を及ぼしたかというところにある。 ついて共著者が学部生向けに解説している。一 方、Robinson ed. 2012 は編著者を含む 36 名の ・場所と文化に関するツーリストの経験 研究者の分担執筆により、100 項目を学部生・ ・ホスト自身の文化 大学院生向けに解説している。なお、隣接分野 ・ホスト-ゲスト関係の性質 の余暇・レジャー研究でも、Key Concepts in ・ツーリスト(必ずしも限定する必要はないが) Leisure Studies (David E. Harris, SAGE, によって消費される文化的な物および行事の 2004) 、 Key concepts in Leisure (Jonathan 生成 Sutherland & Diane Canwell, 2009)などの刊 ツーリズムおよび観光客の存在は、生産者と消 行が相次いでいることも指摘しておく。 ( 注 3 ) た と え ば The Tourist の 著 者 Dean 費者双方を堕落させていくような、つまらない商 MacCanell は、マッカネル、マキャーネルなど 品化されたイベントやプロダクトおよび経験に置 と表記されてきたが、本稿ではマキャネルで統 き換えることで、真正で本物の文化を喪失させて 一している。 しまうと考えられている。もちろん、なにが“真 正”で“本物”であり、 “正真正銘”なのかという 【小槻】 問題については、これらの言葉が相対的な用語で 2.抄訳(原著登場順) あり、世界中の文化において共有されているもの ではないため、定義づけることは困難である。結 【真正性(Authenticity)】 果的に、ツーリズム研究の文献においては、オー センティシティとそのツーリズムとの関係につい 2 研究にとって中核をなしている。 て、次の3つの観点が提示されている。 『ザ・ツーリスト』[The Tourist (1976)]にお 1.客観的オーセンティシティ・・・外部から立 いて、ディーン・マキャネルは、オーセンティシ 証された真実 ティ概念とは前近代的または原始的な社会の特徴 2.構築主義的オーセンティシティ・・・オーセ であり、近代の観光客は失われた無垢なるものを ンティシティの創発的な形態 求める巡礼をしているのだ、と述べる。我々現代 3.実存的オーセンティシティ・・・個人自身の 人の生活は、祖先が経験してきた真正なる経験や 経験を考慮した真実性へのアプローチ 関係性から自分自身を遠ざけてきたのだ。したが (Cohen, 1988; Jamal and Hill, 2002; Wang, って、単純に自らの生活を営む代わりに、ヘリテ 1999) ージ・ツーリズム産業によって創り出された、他 者の生活や時間に基づく経験とプロダクトを、 1)客観的オーセンティシティは、真正の観光経 我々はますます消費するようになってきている。 験と観光商品が存在し、またそれを検証すること したがって、 は可能であるが、しかし現在の社会においてそれ らを見出すことはおそらく容易なことではない、 労働関係、歴史、自然等の近代化は、これらを伝 とする。そして、我々が真正の材料とみなすもの 統的な出自から切り離し、文化的産物や文化的経 から土着の職人によって製作されたものであるこ 験に変容させる。 ・・産業人は、かつて「自らのも とや、我々が真正の文化の伝統的な表現と認識す の」と呼んでいた、仕事台、近隣、町、家族に愛 る行事や儀式であることが重視される。このオー 着を失いつつあり、同時に、他者の「実生活」に センティシティ概念は、真正であるというサイン 興味を抱き始めている。(『ザ・ツーリスト を見分けられる人々にとって、それが真正の観光 近代社会の構造分析』 ・D.マキァーネル著/安村克 経験を提供する本物の対象物であるかどうか、と 己ほか訳・学文社・2012・p110) 高度 いう点に焦点を当てている。コーエンは、このコ ンテクストにおける“オーセンティシティ”とい オーセンティシティは、本質的には、産業化さ う用語の起源について、専門家が厳密な基準を用 れた西欧における近代的な概念である(Cohen、 いて対象の真正性を検証している博物館の世界に 1988: 373)。18 世紀のロマン主義運動は、科学の 求 め た Trilling (1972) を 引 用 し て い る (Cohen, 勝利と産業革命によって引き起こされた無垢の消 1998: 374)。博物館に展示されたオブジェクトと、 失を嘆き、自然と前近代を、真正性で純粋な文化 とりわけそれらオブジェクトについて与えられた の源泉とみなした。マキャネル(1976)は、“初 情報は、一般的に真正であり綿密に調査されたも 期”の人里離れたコミュニティがオーセンティシ のと訪問者から認識される。もちろん、博物館お ティの概念を持たず、結果として自分たちのプラ よび博物館の学芸員の客観性と権威というものは、 イバシーを守るための“表舞台と舞台裏”のシス いまや額面通りに受け取ることはできず、博物館 テムが未発達であったとする。訪問者がやってく は、彼らを支援する社会の産物、すなわち過去と るようになると、その共同体は、真正な文化の提 現在の力関係を反映して選ばれた宝物の館とみな 示を求めるゲストの欲求を満足させるための計画 されている(Bennett, 1995; Macdonald and Fyfe, されたイベントを用意し、 “演じられたオーセンテ 1996)。しかしながら、対象物や歴史的な出来事に ィシティ”に勤しむ。一方で、本当の生活は純粋 ついて客観的な事実を知ることができるという考 なままに保たれるのである。舞台裏の世界は、し えは、未だに科学者や人類学者および考古学者の たがって冒険的で独立心の強い旅行者にとって聖 3 杯となるが、彼らは外部のものとして決して入り おり、また観光産業とメディアおよびその他の利 込むことはできない、とマキャネルは考える。反 害関係者たちが、 「実在」の魅力的なバージョンを 対に、ブーアスティンはその著作(1964)におい 創り出す力は相当なものである。実際に、ジョン・ て、ツーリストは意図的に“擬似イベント”と表 アーリは、ポスト・ツーリストについて語る中で、 面的な経験を求めているのであり、ツーリズム産 彼らが舞台化されたオーセンティシティを活発に 業の非オーセンティシティに対しては彼ら自身に 満喫する一方で、それが楽しむべきゲームである 責任があるのだ、とする。 ことに気づいてもいる、と述べている(Urry, 1990/ リアリティ 2)構築主義的オーセンティシティでは、 現実 2002)(ポスト・ツーリズムの項参照)。 (reality)とは捉えにくい実体ではなく、むしろ 3)実存的オーセンティシティは、個人がそれぞ 構築された現象である、とされる。現実とは、個 れ自身の内部で真実(truth)であるという実感を 人的世界観と外部の社会的、文化的および政治的 創り出している、とする(Hughes, 1995; Wang, な要素によって影響された、我々自身の意識のな 1999)。日々の生活の大変さゆえに、我々は自分 かで生成されるものである。この見解は、真正で の本当の姿――仕事と責任感に抑圧されている、 あるという概念が、静的ではなく時間とともに浮 もっと単純で遊び好きで自然な自分――を見失っ かび上がってくるものであり、相対的で交渉され ているのではないか、と不安になる。観光の典型 たものであるとする。構築主義的オーセンティシ 的行動とは、制約からのリラックスと解放であり、 ティは、個人の意識の中だけで形成されるもので 感覚的な娯楽を基盤とするより単純で気軽なあり はなく、共同体の中で創造され共有されるもので ふれた行為を含む。したがって、観光自身は、堕 も あ る 。『 創 ら れ た 伝 統 』[ The Invention of 落した商業化的影響を及ぼすものとみなされうる Tradition (1983)] と題する著作の中で、ホ 一方で、真正かつ自然な状態に至る方法となるこ ブズボウムとレンジャーは、一見したところ古代 とも可能なのだ。客観的な立場よりもむしろ活発 のものと思われる伝統が、どのように現代的な目 な参加者として関与する観光客は、この実存的オ 的(観光を含む)のために創り上げられ、いかに ーセンティシティという感覚をより経験しようと 素早く共同体や国民の伝統の一部として受け入れ する傾向がある。オオイ(2002)は、ツアーガイ られたかを探求した。イギリスの戴冠式や、ウェ ドのような文化的仲介者が存在せず、観光客が自 ールズおよびスコットランドのハイランドに対す 分自身を地域社会の一員であり文化を身体的に経 るロマンティックなイメージ、および国家の象徴 験していると感じるような場合、こうした傾向が (例えば国旗や国歌など)は、すべてが意図的に、 発生しやすいと指摘した。ある文化の範疇で(そ そして愛国心と忠誠心、あるいは従属心を称揚す れにしたがって)ふるまうことを実感すること、 るためにかなり最近になって創り出されたもので たとえば踊りの形態に合わせて創造的に身体を適 あるが、いまだに共同体と訪問者の認識において 応させるような行為は、実存的オーセンティシテ は真正であるとみなされているのである ィという感覚を創造することである。 (訳注1) (Hobsbawm and Ranger, 1983)。 日常生活のなかでこのような実存的オーセンテ 観光産業とその関連メディアは、訪問者に提示 ィシティを経験する機会や場所はあまり多くはな される商品の一部としてのオーセンティシティを く、そのためにそうした開放感を提供する環境は 構築するビジネスに関与している。こうした「実 次第に高く評価されるようになった。したがって、 在」のバージョンは、ツーリストによって休日の キャンプやハイキングのような田舎と密接な関連 経験のパッケージとして受容されるようになって を生み出す観光の活動は、それらが個人に対して、 4 【推薦図書】 Boorstin, D. (1964) The Image: A Guide to Pseudo Events in America. New York: Harper & Row. 自らを試し本質的な存在として再発見する機会を 与えるがゆえに人気があるといえる。これらの観 光客は、彼らが直面している場や対象よりも、む しろ自分たち自身のなかにオーセンティシティを Cohen, C. (1988) ‘Authenticity and commoditization in tourism’, Annals of Tourism Research, 15:371-86. 求めているのである。ワン(1999)は、観光の娯 楽的環境においてより真実味を帯び、互いに結び Jamal, T. and Hill, S. (2002) ‘The home and the world: (post)touristic space of (in)authenticity’, in G. Dann (ed.), The Tourist as Metaphor of the Social World. Wallingford: CABI. pp.77-107. ついていく緊密な家族関係においても、実存的オ ーセンティシティが経験されうる、と述べる。ま た一方で、その他の関係性も同じく真正たりうる。 すなわち、同じ目的を共有する集団と共にいると MacCannel, D. (1976) The Tourist: A New Theory of the Leisure Class. London: MacMillan. いう経験は、場所やイベントが二次的な重要性と なる巡礼や人生儀礼と同種のものである。 Wang, N. (1999) ‘Rethinking authenticity in tourism experience’, Annals of Tourism Research, 26 (2): 349-70. このように、オーセンティシティとは、複合的 で社会的に構築された概念であり、ツーリズムに (訳注1)The Tourist は昨年日本語訳が出版さ 適用される場合には問題が多く、また感情的に強 れた。ディーン・マキァーネル、安村克己、須藤 く訴えかけるものになる。ポスト・ツーリストは、 廣、高橋雄一郎、堀野正人、遠藤英樹、寺岡伸悟(訳) 流行おくれの概念となったオーセンティシティに 『ザ・ツーリスト ―高度近代社会の構造分析 』 無 意 識 で あ る 、 と 言 わ れ て き た ( Urry, 学 文 社 、 2012 年 8 月 。 こ れ は 1999 年 版 、 1990/2002)。しかしながら、オーセンティックで MacCannell (1999) The Tourist :A New Theory 本物の経験に基盤を置くエコツーリズムとスペシ of the Leisure Class, University of California ャル・インタレスト・ツーリズムのプロダクトお Press の翻訳である。 よびそのビジネスの幅広さは、この概念がいまだ (訳注2)E・ホブズボウム、T・レンジャー編、 に消費者にとって魅力的であることを示唆してい 前川啓治・梶原景昭他訳『創られた伝統』 (文化人 る。 類学叢書)紀伊國屋書店、1992 年 【高根沢】 【関連項目】ヘリテージ・ツーリズム、ポスト- ツーリズム、ツーリストの眼差し 【バックパッキング(Backpacking)】 【読書案内】 「バックパッキング」とは個人或いは少人数のグ Eric Cohen (1988)と Boorstin(1964)の著作と ループが行う独立した旅行であり、少ない手荷物 同様に、ディーン・マキャネルの独創的な著作で を持って行うことが多い、気ままなそして低価格 ある The Tourist (1976)は、オーセンティシティ な旅行のことである。 に関する研究にとって有意義なスタート地点であ る。より近年の研究では、上述で大まかにのべた バックパッキングは、まさしく独立旅行の本質 論 題 に つ い て 総 合 的 な 概 要 を ま と め た Wang を示すものである。無限な柔軟さがあり、通常の (1999)と Jamal & Hill (2002)の著作がみられる。 観光とは異なるタイプの交通手段や宿泊施設を利 用する。バックパッカーは多くの場合「アンチツ 5 ーリスト」として神秘化されてきた。とはいえ、 一般的に、バックパッカーの主流を占めるのが若 ゴアが典型だが、バックパッカーが前人未到の秘 者と学生とされてきたが、中年の危機に瀕し、バ 境やエキゾチックな目的地として最初に“探検” ックパッキングから生活の新たな視点や意味を見 した場所では、彼らがパッケージ旅行やタイムシ 出そうとする中高年の愛好者も増え続けている。 ェア旅行の先頭にたってきた。バックパッカーが リ チ ャ ー ド と ウ ィ ル ソ ン ( Richards and 最初に確認されたのは、ヒッピーや薬物文化が横 Wilson :2004)は、バックパッキングの目的が 行する 20 世紀 60 年代、70 年代だが、上述の視点 放浪を経験することにあると捉え、それは現代社 から考えると、その源流はむしろシルクロードの 会の疎外に対する反応だと指摘している。たとえ 大半までさかのぼることができる。しかし、コー ば、ハンナムとアテルジェビク(Hannam and エン(Cohen:2003)が描いているように、今日 Ateljevic:2007)の著作で、一部の研究者は、バッ のバックパッカーの旅は限られた旅行予算やIT クパッキングを通して、多様なアイデンティティ による結果であり、バックパッカーは非制度化さ を表現し、新たな自由を求めようとする中年女性 れたツーリストの典型となっている。またプログ の才能を論じた。バックパッキングはまた自己成 (Plog:1974)が言うように、彼らは「他者中心 長の形式とも考えられている。リチャードとウィ 的」探検者である。 (「自己と他者」を参照)。イン ルソンは、青年期におけるこのような長距離旅行 ターネットでバックパッカーに関するウェブペー は主にユニークな経験を集め、自己同一性物語を ジをすばやく検索すれば、ある特定の特徴を見出 作り上げ、リスクや冒険の要素を楽しむ目的によ すことができる。すなわち、彼らは低コストで気 るものだと示唆している。 軽な旅を楽しみたい旅行者であると同時に、チャ 最近の刊行物では、バックパッカーと彼らがさ ンスさえあれば世界を見回り、ありとあらゆるも まざまな目的地で作った居住地との間の関係の細 のを体験してみたい勇敢な旅行者でもある。その 部を調査した。リチャーズとウィルソンは、 「グロ 集団には、大学の進学を境とする、いわゆる「ギ ーバルな放浪者」がほとんどの観光客よりも物理 ャップ・イヤー」を迎える学生から、定年退職し 的・文化的障壁を容易に超越することができると た人、あるいはストレスに満ちた仕事や生活から 示唆している。しかしながら、旅の目的が「リア ただ単に息抜きしたい人までさまざまな人が含ま ル」と「真実」な場所や人を経験するところにあ れている。 るにもかかわらず、バックパッカーは他のバック バックパッカー・ツーリズムについての最近の パッカーとの交友関係にとどまり、地元の人でさ 記述の多くは、主に次のような質問に対する回答 え簡単に見つからない地理的社会的な異種文化圏 に基づいた研究によるものである。 を作り上げるだけで終わる場合が多い。リチャー ドとウィルソンによると、これらの異種文化圏は ・どうして人々はバックパッカーになるだろうか。 1960 年代からバックパッカーや旅行者によって ・彼らはどこを目的地に選ぶだろうか。 構築され、旅の過酷な真実から一時の休憩や「燃 ・彼らはどのように旅をするだろうか。 料補給」の場として利用されてきた。その利用内 ・時間とともにバックパッカーの経験はどのよう 容は、熱いシャワー、なじみのある食べ物(洋食) 、 インターネット利用、最新映画の鑑賞などに及ぶ。 に変わるだろうか。 それは、また自らの経験を他の旅行者と共有し、 ・バックパッキングは彼らのその後の生活にどの 自分の位置づけを「冒険者」と確認する場でもあ ようなインパクトを与えるだろうか。 る。 「異種文化」が度を過ぎ、かえって数多くのバ 6 ギャップパッキングやフラッシュパッキングの ックパッカーから敬遠されるようになったバンコ ように、今日のバックパッキングはさまざまなパ クのカオサンロードは、その一例である。 インターネットとIT技術の普及による情報の ターンに分かれている。前者に関しては、中等教 流動性の拡大、移動コストの低廉化(学生向けの 育を終えた卒業生が大学に入るまでの期間を利用 チケットや割引鉄道パスなどが原動力だとよく指 し行うもので、増加の一途をたどる。一方、後者 摘される)、及び代替的宿泊施設(ホテル、キャン は前者とは根本的に違う。フラッシュパッキング プサイト、コミュニティとボランティアツーリズ の実行者はボボス(Bobous)すなわち、ブルジョ ム)のネットワーク化はバックパッキングの世界 アの放浪者であり、iPod やデジタルカメラや PDA においてそれほど重要だと考えられていなかった など現代的な虚飾を持ち歩きながら、放浪者のラ が、21 世紀に入って、その重要性が急激に増える イフスタイルを取り入れる人たちのことを指す。 ことになる。組織化された旅行と比較すると、バ 人類学者や『ナショナル・ジオグラフィック』誌 ックパッキングは旅に費やす期間がより長く、複 と契約を交わしたプロのカメラマンのように、彼 数の観光名所を旅程に取り入れる。旅程自体が体 らはギャップパッカーや伝統的なバックパッカー 験のメジャーな部分を構成している点を見れば、 とは根本的に違う特殊な存在である。彼らは旅す バックパッカーの旅はむしろ終点を目指すもので ることを生計とし、遠方にいる人間を観察し、そ はない。これは、旅はある目的地に到達するため の観察結果を投稿することで、自分の研究を他人 の必要な手段だとするパッケージツーリズムと対 の勉強に寄与させたり、またはそこから利益を得 照的になっている。結果として、バックパッカー たりしている。フラッシュパッカーは旅こそ上品 は既定の路線について周到に準備作業を進め、関 にこなすが、観察を行うために現地ではとてつも 連情報を詳細に集めている。しかし、どこ、なに ない質素な生活を送る。写真家の中でも、このよ を見学し、道中何をすべきかなどは、他のバック うなフラッシュパッキングを取り入れる人がいる。 パッカーの口コミに頼る場合が非常に多い。バッ たとえばアフリカで活躍している写真家、サバス クパッカーの多くは自分のことを独立的で自由な ティオ・サルガド氏はアフリカ大陸が直面してい 人間だと考えているようだが、むしろ前人がよく る危機的な状況を世界に発信し、警告した。 通った道を自ら進んで選ぶ傾向がある。なぜかと 新植民地主義ツーリズムのように、バックパッ いうと、かれらは他のバックパッカーからアドバ キングをめぐって議論を呼ぶものもある。そこで イスをもらったり、専らバックパッカーの聖典と は、パワーダイナミックスはあくまで比較的裕福 される『ロンリープラネットガイド』という書籍 な中高年(たまたまきわめて若い人がいるとして に頼ったりしているから、である。 も)の旅行者に味方している。バックパッキング バックパッカーは他者や異文化との交流を積極 がツーリズムのより倫理的かつ持続可能な形式の 的に行う人たちだと想像されているが、コーエン 一つだと提示されているにもかかわらず、ホスト (2003)によると、実際に、バックパッカーは彼 ―ゲストの関係構築は依然として困難に満ちてい らと同様の人に接することを求め、現地の人より る。現実、特に大きな団体(たとえば、兵役が終 も他のバックパッカーとの交流により多く時間を わった後、数多くのイスライル人のバックパッカ 使う。コーエンは別の著作でタイの例を取り上げ、 ーがよく団体で旅にでる)になると、バックパッ バックパッカーが地元住民、とりわけ地元商品の カーの行動は団体観光客のそれとの区別がそれほ 高級化に興味のある人たちに、拒絶される可能性 ど劇的なものではない。ゴアで行われるバックパ もあると指摘する。 ッカーのレイブパーティや、タイで行われる満月 7 パーティを考えると、証拠は簡単に見つかるであ 慣習でもあるとロジャース(2003)は指摘してい ろう。とはいっても、中国の若者がこのよう西側 る。それが現代に復活し、ビジネス・ツーリズム の習慣を取り入れはじめているのは、バックパッ は過去 10 年から 15 年の間に急成長し、1990 年 キングにおける西側の支配的状況がすでに変化し 代以後、会議施設には巨額の投資が行われている。 ていることを示唆している。 過去 10 年間、ビジネス・ツーリズムへの支出は 53 パーセント増加したと推定され、英国の場合、 【読書案内】 ビジネス旅行者は 2000 年代初めまでに余暇旅行 この領域における影響力のある研究は、エリック 者を上回り、旅行者の全支出額の 3 分の1までを コーエンが行った(2003; 2008)ものである。リチャ 成 す に 至 っ て い る 。( Business Tourism ードとウェイルソン(2004)、ハンナムとアテルジ Partnership, 2005) デヴィッドソンとコープ(2002: 3)は、ビジネ ェビク(2007).の著作など、最近、関連の出版物も ス旅行を「旅行者の就職またはビジネス上の目的 増えている。 に関係したすべての旅行」と記し、またIMEX (2006)は「集会、会議、展示会、ビジネス・イ 【推薦図書】 Cohen,E. (2003) ‘Backpacking,diversity and change' , Journal of Tourism and Cultural Change ,1 (2): 95-110. ベント、褒賞旅行、コーポレート・ホスピタリテ ィに毎年参加する数百万人のグループのための供 給活動」をビジネス・ツーリズムとして定義して Cohen , E. (2008) ‘ Death of a backpacker: incidental but not random' , Journal of Tourism and Cultural Change,6 (3): 202-28. いる。しかしながら、 「ビジネス・ツーリズム」と いう用語についてはいくつかの論議があり、多く Hannam , K.and Ateljevic , I.(eds) (2007) Backpacker Tourism: Concepts and Profiles. の研究者、実務家はビジネスとツーリズムはまっ たく相反するものであると見ている(例えば、ツ Clevedon:Channel View ーリズムは仕事の息抜きというように伝統的に余 Richards and Wilson (2004) The Global Nomad: Backpacker Travel in Theory and Practice. Clevedon: Channel View. 暇活動と見られてきた) 。今日も仕事の時間と余暇 の時間を区別することがむずかしい場合があり、 結局両者の組み合わせが一層広まっている。例え 【戴】 ば、多くのビジネス用ホテルはゲストのためにゴ ルフコースや浴場を準備し、また多くのレジャー 【 ビ ジ ネ ス ・ ツ ー リ ズ ム ( Business Tourism)】 用ホテルは会議用の施設やインターネット接続を 提供している。デヴィッドソンとコープ(2002) ビジネス・ツーリズムは就職あるいは商業目的の は、ビジネス・ツーリズムはより自然発生的な形 旅行を行う人々の旅行や宿泊を意味する。集会、 の仕事であり、グループで実施されることが多い セミナー、会議、展示会、見本市、コーポレート・ とし(例:コーポレート・ホスピタリティ、見本 ホスピタリティを含む。 市、会議、報奨旅行など)、出張旅行とビジネス・ ツーリズムを区別している。また、スウォブルッ クとホーナー(2001)は、出張旅行は人々を一つ ビジネス・ツーリズム、コンファレンス・ツー の場所から別の場所へ移動させるものでありなが リズムは主に過去 50 年に展開してきた近代的な ら、必ずしもツーリズムを含むものではないと示 現象であるが、集会、政治、商業や公益のための 唆している(例:一日で終わる集会、会議、セミ 旅行はローマ時代かそれ以前にさかのぼる古代の 8 非常に異なった性格を持っており、この違いを十 ナーなど)。 分理解する必要がある。それぞれの事業は類似し 出張旅行とビジネス・ツーリズムの主な活動は た宿泊施設のニーズやテクノロジー上の要求を抱 次の通りである。 えているかもしれないが、それぞれが異なる方法 ・個人の出張旅行(例:選ばれた土地での仕事 と異なる業者によって運営される必要がある。例 えば、コンファレンス・ツーリズムは余暇の要素 の遂行のための旅行) や社交会のような面を持つことが多いが、報奨旅 ・集会(例:会議、ワークショップ、セミナー、 行は従業員への褒賞としての旅行であれば、ほと 年次総会、新商品の発表など) ・展示会(例:見本市、物品店など) んど余暇のためのものである。一方、ビジネス目 ・褒賞旅行(例:好成績を収めた従業員への褒 的の集会ではそれ以上のサービスは求められない。 Business Tourism Partnership(2005)はビジネ 賞として提供される旅行) ・コーポレート・ホスピタリティ(例:重要顧 ス・ツーリズムの主要な特徴は、それが他の形式 客や VIP に親密感を抱かせるためのぜいたくな のツーリズムよりも高い品質と高い成果のものに 娯楽旅行など) なることであると示している。ビジネス・ツーリ ズムは、季節に関係ないがゆえに年中を通しての デヴィッドソンとコープ(2002)より 受注機会を作ることができるという理由もあって、 スウォブルックとホーナー(2001)は、出張旅 他のツーリズムよりも持続可能であると言える。 行とビジネス・ツーリズムについて 15 のカテゴリ また、関係業界の投資を促しインフラを改善させ ーを明確にした。すなわち研修コース、就職のた ていくかもしれないという意味で触媒的な働きも めの短期間の移住、学生・教師の交換、マーケッ できる。出張旅行者の多くは楽しめた出張先に余 トまたは消費者への商品の受け渡し、所属基地か 暇のために家族や友人たちと戻って来やすい。 ら離れる軍事活動、慈善奉仕活動、外交活動、さ 以上から、ビジネス・ツーリズムは高度に収益 らに通勤も加えている。スウォブルックとホーナ 力のある魅力的な分野である。しかし、同時に想 ーはこれらのカテゴリーをさらに下位区分するこ 像以上に競争が激しく最高品質の施設やサービス とにより、この分野の複雑さを示している。ビジ の必要は途方もなく大きいということでもある。 ネス・ツーリズムのマネジメントもまた非常に複 ビジネス・ツーリズムはグローバルな規模で増加 雑であり、複数の異なるセクターを包括するもの しつつある一方で、ヨーロッパの都市や観光地は、 であるが、そこには単に交通手段や宿泊施設の提 より良質の施設を提供できる北米、オーストラリ 供者だけでなく、出張旅行エージェント、展示会 アと激しく競っている。例えば、MPI(Meeting 社、イベント運営会社、ケータリング・サービス Professionals International)の 2006 年の調査で 業者などの専門家の仲介業者も含まれるのである。 は、ヨーロッパはアジアからの観光客の高まる関 「 Meetings ( 集 会 )、 Incentives ( 褒 賞 )、 心に十分対応できていないと指摘しているが、そ Conferences(会議)、Exhibitions(展示会)」を れはヨーロッパ諸国の多くが急成長しているマー 要約した MICE という言葉も出張旅行とビジネ ケットに向けた適切なサービスとインフラを持っ ス・ツーリズムの分野で頻繁に使われるが、多く ていないからである。特に中央および東ヨーロッ のプロの間で常に好んで使われるものではない パに当てはまることであり、エコノミック・イン (Devidson & Cope 2002)。ラドキン(2006)に テリジェンス・ユニット(Economic Intelligence よれば、MICE に従属する個々の事業はそれぞれ Unit(EIU) )の 2004 年の広範な調査によれば、 9 上位 20 に入るヨーロッパの都市はウィーン、チュ に目的地を慎重に選ぶことになるだろう。競争の ーリッヒ、ジュネーブ、コペンハーゲン、ストッ 激化と旅行者の要求水準の高まりはビジネス・ツ クホルムだけである。EIU はビジネスおよび会議 ーリズムの旅行地にも運営者にも大きな課題を与 目的に使用される世界のベスト及びワースト都市 える。既存および新興の目的地の両方にとって現 について調査を行なった。その際に、安定性、ヘ 実的な難題である。 【澤山】 ルスケア、文化、環境、インフラと費用という 5 つの大きなカテゴリーを選んでいる。最も重要な 項目は、良質のホテルの利用可能性、食品と飲料 【関連項目】スペシャル・インタレスト・ツーリ の質、公共交通機関およびタクシーの効率性、空 ズム 港への距離、気候、そして一日あたりの費用であ る。この結果、カナダ、アメリカ、オーストラリ 【読書案内】 アの都市だけが上位 10 を占めてしまった。ただし、 この分野の最良の教科書の例として、Swarbrooke アメリカの諸都市はテロへの不安とそれに対する and Horner(2001)と Davidson and Cope(2002) 厳しい安全対策のために、ビジネス市場で近年は の 2 つを挙げる。一方、会議に焦点を合わせた ヨーロッパ勢に負けつつあることも指摘されてい Rogers(2003)のように、ビジネス・ツーリズムの る(USA TODAY, 2006)。さらに国際会議協会 特定の側面に焦点を合わせた新刊も出てきている。 ( International Convention ビジネス・ツーリズムは急成長中で絶えず変化し Association(ICCA))の 2007 年の研究によれば、 ているツーリズム部門であり、これらの本の内容 トップ5の国はアメリカ、ドイツ、スペイン、イ はすぐに時代遅れになるかもしれない。国際会議 ギリス、フランス、トップ 5 の都市はウィーン、 協会の統計(www.icca.world.com)など、最新の ベルリン、シンガポール、パリ、バルセロナであ 統計を参照すべきである。【小槻】 Congress and ったことも付け加えておきたい。 ビジネス・ツーリズムに関わる将来の主要成長 【推薦図書】 Davidson, R. and Cope, B. (2002) Business Travel: Conference, Incentive Travels, Exhibitions, Corporate Hospitality and Corporate Travel. New Jersey: Prentice Hall. マーケットはアジア、特に中国とインドで成り立 つ公算が大きい。MICE 専門見本市(EIBTM)の 2004 年の調査では、女性と高齢グループの旅行者 Rogers, T. (2003) Conferences and Conventions: A Global Industry. Oxford: Butterworth-Heinemann. の増加も期待される。ラドキン(2006)は、受入 れ地は身体障害者へのもてなしも準備しておく必 要があると指摘している。また、ビジネス・ツー ならない。例えば、地球規模の気候変動は、燃料 Swarbrooke, J. and Horner, S. (2001) Business Travel and Tourism. Oxford: Butterworth-Heinemann. コストを押し上げることは避けられず、出張旅行 【澤山】 リズムはいくつかの外部要素にも対応しなければ の範囲と内容に影響するだろう。各企業も、どの 【危機管理(Crisis Management)】 出張が重要か、出張ではなく新技術の利用(例: テレビ会議など)で足りるか、より慎重に選択し なければならなくなるだろう。世界規模で広がっ ツーリズム産業における危機管理とは観光目的地 ているテロの海外旅行への多大の影響を考えるな や観光産業が、自然に或いは人為的に発生する突 ら、企業も従業員の最大限の安全を確保するため 発的な災害や災難に対応する手段または方法のこ 10 とである クナー(2001)は危機と災害の区別を指摘し、観光 地の管理者の多くはコントロール能力が極めて欠 ここ数年、数多くの目的地において自然的政治 如しているため、災害による壊滅的な影響に備え 的災害が増えることによって、観光産業における ることがまずできないとしたうえで、周到なプラ 危機管理は必要な一環となった。フォークナー ンや管理体制は危機を回避することに寄与できる 〔Faulkner (2001:135)〕 が述べたように、 「地球 と示唆する。 の隅々に散在する観光目的地がその国の歴史のど こかの段階でひとつまたは複数の形の災害を確実 アクタスとガンル〔Aktas and Gunlu (2005)〕 に経験することになるだろう。」ビジネスおよびマ は災害や管理の失策が危機につながる仕組みを ネジメントの諸研究において、危機管理は既存の 次のように指摘する。 研究領域として四十年近くの歴史を誇っている。 しかし、90 年代の後半になって、ツーリズムの研 引き金となる事件:危機は予期せぬ事件の結果 究者と業界関係者はようやく公の場でそれを取り として、または事件の流れが短期間で悪化し、 上げ、業界の慣行としてのガイドラインの作成に 明らかな変化を引き起こす可能性があるものと 取り掛かった。規模から言うと、今日の観光業は して、既存構造あるいは危機に見舞われた観光 すでに石油産業についで世界二位の地位に着いた 地の生き残りへの挑戦となる。 〔WTTC,2008a〕にもかかわらず、危機にはも っとも脆弱なもののひとつである。観光地の評判 脅威とダメージ:危機の引き金とされる事件が やイメージは危機によって打撃を受け、その影響 もたらす衝撃は極めて重大である。短期的なダ が何年も続くことになる。 メージを一瞬に経験することが、パニックを引 危機は組織的、産業的、地域的、国家的及び国 き起こし、直接に影響を受けた諸領域における 際的レベルで起きる。あるところで起きる一回限 コントロールを失わせ、観光地の効果的な機能 りの事故(たとえば爆弾や拉致など)でも観光地 に脅威をもたらす可能性がある。 ないし国家全体に何年も影響を与え続ける。ハリ ケーンや大津波などのような災害は、地域全体に 行動の必要性:長期的な影響を避けるために、 影響をもたらす。地域や国家規模の事件はその後 中枢部門と業界関係者の協力の下で、緊急かつ の観光産業全体に長期間の影響を及ぼす。 (たとえ 専門的な措置をとる必要がある。 ばニューヨークで起きた 9.11 事件)。SARS、鳥イ ンフルエンザ(H5N1) 、口蹄疫など空気感染の病 気はもとより、感染症の多くは国境を簡単に越え 危機が発生する可能性は、気候変化の影響やグロ ることができ、一つの地域あるいは国にとどめる ーバルなテロリズムの増加によって増え続けてい ことはではない。(たとえば、2003 年に、SARS る。一般的に予測不可能とされる経済の衰退や政 が中国からカナダに飛び火したのは国際旅行によ 治的不安定も観光産業に大きな打撃を与える。観 るものであり、また 2009 年に新型インフルエン 光産業が直面する挑戦は、起こりうる危機または ザ(A/H1N1)(訳注1)がメキシコからほかの国まで広 起きた危機を対処するだけでなく、いつでも危機 まった。) に備え、且つ適切に処理できる体制を如何に構築 これまでの数年間、多くのツーリズム学者や研 するかというところにある。したがって、いかな 究者は危機のカテゴリー化作業を試みた。フォー る危機にも対応できる危機管理体制を構築し、ス 11 タッフを訓練することがおそらく必要不可欠であ に深刻な影響を与える可能性がある。例えば、 ろう。 1994 年にスウェーデンとエストニアをつなぐフ ェリーが沈没した事故で、1000 人近くの人が命を 観光産業に打撃を与えうる危機は次のようもの があると考えられる。 失った。言うまでもなく、9.11 事件で航空産業が ・テロリズム 受けた壊滅的な影響は、何ヶ月間ないし数年間も ・病気 続いていた。一般的にテロリズム、戦争、社会的 ・食中毒 不安定、長期的衝突などを含む政治的脅威は、そ ・感染病 の他の危機よりも持続的で深刻な影響を観光地に ・政治的動乱(例えば暴動、騒乱) 与える〔Ataks and Gunlu ,2005〕。観光者を拉 ・自然災害(例えば地震、ハリケーン、火災、火 致することは、エジプト、カシミール、しいて言 えばトルコ(例えばアララト山の近くで起きたド 山噴火) ・犯罪 イツ人観光客拉致事件)においても普通な政治的 ・拉致 行為と化している。南アフリカ政府は犯罪の増加 ・戦争 によって観光者の数が減ることに苦労している。 2010 年当該国で開催される予定のサッカーワー 近年起きた最悪な自然災害は、例えば 2005 年に ルドカップの治安も心配されている。 アメリカを襲ったハリケーンカトリーナ、2005 年 危機による影響は多種多様であり、何年間も継 にパキスタンで起きた大地震、2004 年と 2005 年 続するものもあれば、短期間で収束するものもあ にインド洋で連続して起きた津波などがある。一 る。それは主に世界や公衆に向けて関連ニュース 方、9.11 以降、グローバルなテロリズムも急増し を発信するメディアの種類にかかわる問題である。 ている。例えば、インドネシア・バリ島で 2002 ほとんどの国において、メディアのセンセーショ 年に起きた爆弾テロ事件と 2005 年に起きた同時 ナリズムや各種のバイアスがはびこっており、そ 爆弾テロ事件、2002 年にケニヤ・モンバサ近郊で れによって誇張した事実が伝達され、パニックや 起きた爆弾テロ事件、2005 年のロンドンにおける 混乱が引き起こされる結果となる。 連続爆弾テロ事件などである。このような偶発的 な事件はエジプトやイスラエルのような観光地で 危機による典型的な影響 常態化する傾向が現れている。保健の危機もツー ・ビジネスの倒産 リズムに悪影響を及ぼす。例えば 2001 年にイギ ・主要な仕事が失われる リスで爆発的に流行した口蹄疫、2002 年と 2003 ・観光客は金銭を失い、休日が台無しになる 年に蔓延した SARS、2005 年にアジアで流行した ・甚大な影響がさまざまな領域や観光地の魅力 鳥インフルエンザ(H5N1)、2009 年にメキシコ に及ぶ で起きた新型インフルエンザ(A/H1N1)、いまだ ・環境が深刻な打撃を受ける に歯止めがかからないアフリカでの HIV 感染の ・地元の人または観光客が負傷、あるいは殺害 拡大などである。たとえそれがひとつまたは二つ される。 のホテルだけで起きたものだとしても、食中毒の ・観光客が恐怖を感じ観光地から遠ざかる。 発生も(例えばドミニカ共和国で起きている事件) ・イメージが受けるダメージが長期化する 観光地の評判を落とす恐れがある。まれではある が、旅客機の墜落といった大きな交通災害は観光 12 危機管理は失敗しがちなので、グローバルなガイ 定期刊行物でも関連の文章が見つけられる。実用 ドラインが用意されていた。危機に備える際、問 的なガイドラインを提供する工業志向の刊行物に 題のひとつとされているのは、災害や攻撃の発生 も参考となるものがある。例えば PATA(2003) する可能性が低くても、その影響が極めて高い点 Crisis - It won't happen to us! である。危機管理の計画は保険掛けに似ていると (www.pata.org/patasite/fileadmin/docs/general/ ころがある。即ち高価ではあるが使用するチャン CrisisJune07.pdf) スはめったにない。かといって、かけておかない 【推薦図書】 Glaesser,D. (2006) Crisis Management in the Tourism Industry. Oxford: ButterworthHeinemann. と無謀だと思われる。危機が発生する際、迅速且 つ緊急な対応措置をとる必要がある。災害が起き てからプランなどを用意する時間的な余裕がない からである。パタ〔PATA (2003) 〕は、危険な兆 Laws, E., Prideaux, B. and Chon, K. (eds) (2006) Crisis Management in Tourism. Wallingford: CABI. 候をどのように早期察知し、危機が発生したら如 何にしてその影響を低減させる方法を学習するの Proff, C. and Hosie, P. (eds) (2009) Crisis Management in the Tourism Industr: Beating the Odds? Aldershot: Ashgate. は、観光地がたどるべきプロセスであると指摘し ている。スタッフは危機処理と対応方法について の訓練を受けなければならない。例えば、PR、即 (訳注1)原文は‘swine flu’。国立感染症研究 ちメディアを管理し、公衆を宥めるのは特に重要 所は「パンデミック(H1N1)2009」と呼んでいるが で、その対応は迅速さと積極性を要する。回復期 (国立感染症研究所「パンデミック(H1N1)200 も難しいものであり、仕事に復帰するまでスタッ 9」、http://idsc.nih.go.jp/disease/swine_influenza フはサポートや自信回復を必要とする。 /)、ここでは厚生労働省の表記に従った(厚生労 総じて言えば、危機による影響及びその後の管 働省「新型インフルエンザに関する Q&A」 (http: 理は危機発生の突発性や重大さにかかわる。とは //www.mhlw.go.jp/bunya/kenkou/kekkaku-kans いえ、多くの観光地政府や業界人はすでに即時反 enshou04/02.html)。 応の重要性、メディアに対する入念な管理の必要 【戴】 性及び関係者総動員の重要性と、危機を経験した ことのある他の観光地から根気強く学習すること 【デスティネーション・マネジメント (Destination Management)」 のメリットに気づいた。今日、業界人に有用なガ イドラインや出版物が多数用意されているため、 ツーリズムにおける危機管理は日々改善されてい デスティネーション・マネジメントとは、一般的 る。 には目的地のマネジメント組織によって行われる、 観光目的地における観光計画の策定およびマネジ 【関連項目】ツーリズム計画 メントと調整の過程を意味する。 【読書案内】 デスティネーション(目的地)とは、訪問者の休 近年、関連書籍が多数出版されている。例えば、 日経験の多くが行われる場所である。それは大抵 グラエサー( Glaesser 2006) の著作、ローズ の場合、訪問者が滞在し、観光活動の多くを実践 (Laws)らが編集した事例集、プロッフとホッシ する場所である。端的に言えば、目的地とは海岸 イ(Proff and Hosie 2009)の著作。ツーリズムの リゾートや都市中心部、または自然保護区という 13 ・ 補助的サービス:観光案内、銀行、その他 ことになるが、一方で目的地は地理的規模および 行政管理の範囲によってさまざまに区分され、そ れゆえに定義することが困難である。スミスは、 これらのコア構成要素の多様性は、目的地に関与 観光の目的地を識別するうえで役に立つ一連の基 する利害関係者の幅広さを示唆しており、結果的 準を提示した(S. L. J. Smith 1995:199)。これら に、デスティネーション・マネジメントは、ホス の基準は、識別を可能とする一連の特徴を必要と ト共同体や観光産業、公共部門、または観光客自 する。すなわち、十分な観光インフラストラクチ 身のいずれのものであれ、確実にこれらすべての ャー、一つ以上の共同体や観光資源をサポートす 関心が満たされることを求められているのである。 る地域、既存の観光資源の存在感や人気の高い観 また、その質について一貫した水準を確保するた 光資源を発達させる可能性、観光計画の策定およ めに介入することも求められており、インパクト びマーケティング組織をサポートする能力、そし のマネジメントとデスティネーション・マネジメ て最後に、大規模な人口拠点へのアクセスの容易 ントは、競合関係にあり続けることになる。 デスティネーション・マネジメントは、目的地 さ、である。 それ自体と同様に、国家レベルから地方(州・県) 目的地は、デヴィッドソンとメイトランドが指 摘するように、観光産業にとって極めて重要であ を経て市町村レベルにいたるまで、様々な段階で る。 機能し得るデスティネーション・マネジメント組 織(Destination Management Organization 以下、 目的地は、訪問意欲を刺激し動機づけるがゆえ DMO)によって取り組まれるようになりつつある。 に、関心をひきつける焦点であり、ツーリスト・ DMO の具体的な例としては、Tourism Australia プロダクトの大部分が生産される場所である。結 (国営組織) 、Ibiza Travel(地方組織)、Brighton 果として、観光産業の多くはこうした目的地にお and Hove Visitor and Convention Bureau(市営 かれ、その影響のほとんどがその場所で経験され 組織)などが挙げられる。DMO は、政府のツー ることになる。 (Davidson and Maitland, 1997:3) リズム部局や民間組織、または官民合同協働体制 にもなりうるので、その構造という観点において したがって、観光目的地は、訪問者および現地の は多様なものとなる。世界観光機関によって最近 共同体と観光インフラストラクチャーにとってホ 行われた DMO に関する世界規模での調査による ストであり、およびこれらの間の相互作用は、正 と、国家レベルでは、ほとんどの場合 DMO は政 負の一連の影響をもたらしうる。こうした影響の 府省庁または政府に報告義務のある機関であり、 可能性があるからこそ、慎重なデスティネーショ 地方(州・県)レベルでは、地方・現地の行政機 ン・マネジメントが必要なのである。 関または責任のある機関であることが多かった。 目的地の特性をより詳細に検証していくと、以 しかし、市レベルとなると、DMO は官民協働体 下に挙げる“4 つの A”(4As)として時折言及さ 制となる傾向がより強いということが分かった。 れるような、いくつかのコア構成要素を含む傾向 明らかに、これらの構造のいずれもが、デスティ がみられる(Page et al., 2001:245)。 ネーション・マネジメントについて非常に異なる 組織哲学をもっている。またこの世界観光機関に ・ アトラクション:自然、文化、またはイベント よる DMO 調査が、デスティネーション・マネジ ・ アメニティ:ホテル、レストラン、お店、ツア メントとプロモーションに最も有効な組織は官民 ーガイド 協働のものである、という点を強く認めている点 ・ アクセス:交通の基盤設備 14 は興味深い(WTO, 2004b)。 びイメージの評価、明確なブランドの展開、主要 リッチーとクラウチによると、DMO は、目的 マーケット内での目的地の地位の確立、ロゴおよ 地のマネジメントとプロモーションのために実施 びプロモーション広報活動の展開、新しい経験の するべき9つの中核的な任務があるという 展 開 と 価 格 設 定 の 特 定 、 を 含 む ( Ritchie and (Ritchie and Crouch, 2003)。これらの任務は、 Crouch, 2003:189)。デスティネーション・マーケ 内部的な任務と外部的な任務として定義される。 ティングの詳細について関心のある読者は、パイ 内部的な任務は、組織の構築と運営、予算管理、 クの Destination Marketing(Pike, 2008)を参 コミュニティとの関係、および広報からなり、一 照されたい。 方で外部的任務とは、ビジター・サービスとマネ ビジター・マネジメントもまた、デスティネー ジメント、マーケティング調査、および資本管理 ション・マネジメントの鍵となる要素である。こ である。 れは、訪問前と訪問中、および訪問後におけるビ DMO に必要とされる内部的任務に関して、多 ジ タ ー 経 験 の マ ネ ジ メ ン ト を 含 む ( Shackley, くは純粋に運営的なものであるが、もっとも特徴 2004)。訪問前は、コールセンターや観光案内所、 的な点は、メンバーおよびコミュニティとの関係 近年増えているインターネットの利用によって、 に対する責任である。DMO のメンバーは、地元 観光案内と予約サービスを提供することが重要で のツーリズム産業の利害関係者として同定された ある(e-tourism を参照) 。目的地では、目的地内 人々であり、年会費の見返りとして、DMO の支 での訪問者の流れを促すようデザインした適切な 援で恩恵を得ることができる人々である。これら 標識とインタープリテーション、および価格設定 の恩恵は、ネットワークを広げ、自らの能力を高 の戦略によって、ビジター経験をマネジメントす める機会も含まれる。メンバーとの仕事と同様に、 る必要がある。また実施されるビジター・マネジ DMO は、DMO の仕事に対する注目度を高め、か メントのアプローチは、目的地自身の性質に依存 つその地域コミュニティ内におけるツーリズムの することになるだろう。たとえば、大勢の訪問者 重要性について人々を教育することを通じて、よ を惹きつける繊細な歴史的あるいは自然的な環境 り広いコミュニティとの連携を図らなければなら は、ハイシーズンに異なる価格設定を行い、私的 ない。こうした意識喚起は、住民に“その日だけ な交通手段によるアクセスを規制し、時間制限の の観光客”となってもらい、自分の地域の魅力を ある入場券を設定し、訪問者の行動が目的地にど 発見してもらう、というようなかたちをとること のように影響を及ぼしうるかを説明するビジタ も可能である。 ー・インタープリテーションを行うことでその場 リッチーとクラウチが特定した外部的な任務と 所への訪問者の数を制限する、といったアプロー は、マーケティングとビジター・マネジメント、 チを好むだろう。ヴェニス・カード(訳注 1)やブダ および資源管理といった、DMO の労力のほとん ペスト・カードといったデスティネーション・ス どが注入される分野にある。 マートカードは、アトラクションや公共交通機関 マーケティングは、競争力を持ち続けたいと望 と駐車場に対する訪問者の前払いを可能にし、訪 むあらゆる目的地にとって不可欠な活動であり、 問者の流れの管理と訪問者とのその後の関係の維 ツーリズムにおけるマーケティングはしばしば単 持を容易にすることで、ますます重要なビジタ なるプロモーション活動とみなされがちであるが、 ー・マネジメントのツールとして用いられるよう 成功するデスティネーション・マーケティングと になっている。 資源管理とは、人工的、自然的、および文化的 は、主要マーケットの特定と目的地への関心およ 15 WTO (2004) World Tourism Organization Survey of Destination Management Organisations. Madrid: UNWTO な環境に対する DMO の責任を意味する。すでに 上記で規定したように、ツーリズムによってもた らされる影響の多くは、自然環境における汚染や 侵食や種の減少であれ、市街中心における歴史的 (訳注1)イタリア、ヴェネツィア観光で販売さ 建造物の損傷やインフラへの過剰負荷であれ、ま れている主要観光サービスの割引特典カー たは社会文化的景観における宗教や価値体系、芸 ド 。 http://www.hellovenezia.com/index.php?opt 術・工芸などへの影響であれ、その目的地自身に ion=com_content&view=article&id=173&Itemid おいて生じるのである。これらの問題に焦点を当 =153&lang=en てるために目的地において実施される対策は、環 【高根沢】 境影響評価(EIAs)と、環境許容限界(LACs) の設定とゾーニングによる目的地の具体的な許容 【ツーリズムの経済的側面(Economics of Tourism)】 限界の創設を含む(これらの対策に関しては、持 続可能なツーリズムの項目を参照のこと)。 ツーリズムは地球規模で成長し続けているため、 そのツーリズムが依存する資源を保護し、多様な ツーリズムの経済的側面とは、ツーリズムがグロ ーバル経済、各国経済、各地域経済に対して行う 次元で関与する利害関係者の必要と期待を管理し、 価値ある観光経験(visitor experience)を保証す るために、目的地のマネジメントはますます重要 貢献を指す。所得、雇用、輸出などが含まれる。 世 界 旅 行 産 業 会 議 ( The World Travel and になってきている。 Tourism Council:WTTC)の 2008 年の報告書は、 グローバルな経済活動と雇用へのツーリズムへの 【関連項目】e-ツーリズム、持続可能なツーリズ 寄与は今後 10 年間増加を続けるだろうと推計し ム、都市ツーリズム た。旅行産業(Travel and Tourism)(訳注1)は多数 の経済領域に寄与している。たとえば、 【読書案内】 デスティネーション・マネジメントの分野につい 国民総生産(GDP):2008 年、GDP への寄与 てさらに詳しく知るうえで、パパテオドロウ著 “ Managing Tourism Destinations ” (Papatheodorou, 2007)は有意義であろう。世 は旅行者受入国で平均 10%前後であった。 雇用:2008 年、就業者の約 11 分の 1 がツーリ ズム分野で雇用されていた。 界 観 光 機 関 に よ る “ Practical Guide to 輸出:2008 年、諸外国からの旅行者及びツーリ Destination Management”も、タイトルの示す ズム財からの輸出収入は輸出総額の 11%を生み 如く、実践的な内容の良書である。 だした。 【推薦図書】 Papatheodorou, A. (ed.) (2007) Managing Tourism Destinations. Cheltenham: Edward Elgar. が続くと見込まれる。このように、ツーリズムは Pike, S. (2008) Destination Marketing. London: Butterworth-Heinemann. 担うだろう。 Ritchie, J. R. B. and Crouch, G. I. (2003) The Competitive Destination. Wallingford: CABI. 済学」と呼ぶ。ツーリズムのマクロ経済学研究は これらの統計値は少なくとも 2018 年までは増加 今後長年にわたり世界経済において主要な役割を 経済全体に焦点を合わせる経済学を「マクロ経 16 経済成長、国際収支、雇用、支出に集中する傾向 ある。例えば、経済的漏損をもたらす外国品を輸 がある。ツーリズムはこれらの領域すべてに大き 入するかわりに、 (例えば、供給を増やす農耕・漁 く寄与するので、大半の政府には魅力的な政策手 獲方法を開発することで)自国品の生産を増やす 段と思えよう。だが、ツーリズムの貢献は、環境 試みをしても良い。ツーリズムの類型もまた、経 と社会に及ぼすコストと比較して検討すべきであ 済的漏出の規模に影響するだろう。例えば、諸経 る。政府はツーリズムが外貨――特に、米ドル、 費すべて込みのパッケージ旅行は、収入の大半が ユーロ、英ポンドのように従来から強い通貨―― 外国ツアーオペレーターやホテルチェーンに還流 を稼ぐ力に惹かれる。その外貨は国際収支、つま してしまい、目的地にとってよくない場合が多い。 り一定期間(通常一年)の他国との貿易と金融取 カリブ海地域や南太平洋地域などの小島嶼国では 引の収支をプラスに導く。ツーリズムは GDP、す 域内協力を強化し、地域外から財や労働力を輸入 なわち一定期間に一国経済が生産する財とサービ するのではなく、互いに財や労働力を供給するよ スの総市場価値に寄与しうる。雇用もさまざまな う合意することもできるだろう。 レベルで――常勤で季節に左右されないのが理想 ツーリズムへの支出を他の国民支出から分離す だが――創出される。ツーリズムは(たとえば、 るのは困難なため、現在、多くの国はツーリズム・ 外国企業からの)投資を誘致するのにも役立つ。 サ テ ラ イ ト ・ ア カ ウ ン ト ( Tourism Satellite 初期支出の増加がより多くの国民所得の増加に結 Accounts:TSA)(訳注1)を編纂している。TSA を びつくという収入乗数効果も促せる。 用いる国々はますます増えており、一国のツーリ しかし、政府の経済発展アプローチにも、ツー ズムの経済的重要性を計測する方法として推奨さ リズムのマクロ経済的な便益を計算する研究方法 れるようになっている。TSA の手法は世界貿易機 にもいくつかの問題が伴っている。開発途上国や 関(World Trade Organization, WTO)や国連、 相対的に産業がほとんどない国(例:小島嶼国) OECD、ユーロスタット(訳注:欧州連合(EU) はツーリズムを経済的に非常に魅力あるものと見 の統計担当部局)にも認められている。TSA は、 がちで、ツーリズムへの高い依存を招く場合もあ 広範な経済活動に対するツーリズムの価値を明ら る。ツーリズムへの依存度が高い国では、ツーリ かにするために、ツーリズムに関する諸調査を用 ズムの GDP への寄与率が 50%かそれ以上になり いる。たとえば、諸調査からの訪問旅行客の支出 うる(例:カリブ諸島、南太平洋の島国など)。こ データ、国民経済計算からの産業データなどがあ れは、もし何かの要因(自然災害やテロなど)で る(Tribe 2005)。TSA は、ツーリズム部門の規 その国のツーリズム産業が突然だめになれば、リ 模、ツーリズム需要の性質、ツーリズム部門にお スクを伴う状態である。また、ツーリズムのため ける供給の実態、GDP や雇用へのツーリズムの直 の専門知識などを外国から輸入する場合、人々が 接的寄与を測る正確な基準を提供する。サテライ 帝国主義体制や外国の支配を受けていると感じて、 ト勘定は、各国の国民所得計算を再編成し、ツー 社会的文化的な問題を引き起こす可能性もある。 リズムの一国経済への寄与度を特定する。サテラ (かつて植民地化された歴史を持つ国には微妙な イト勘定方法の長所は現存する経済データを利用 問題である) 。このような事情から、多くの国は外 し、国民所得計算体系にツーリズムを組み込む点 国からの投資や労働力の流入を制限しようとして である。逆に短所は、国民経済計算からツーリズ いる。 ムの活動を取り出すのに必要な情報が、しばしば ツーリズムに依存した国は他の経済部門を強化 不完全だったり、収集に一貫性がなかったりする し、ツーリズム産業とより強く関係付ける必要が 点である。また、国より下のレベルや、ツーリズ 17 ム活動の下位区分にサテライト勘定方式を適用す の給料の支払いに使われる。従業員たちはその金 るのは、さらに難しくなる。 で自分のために地元の産品を買い、さらにその金 2008 年に公開された、世界旅行産業会議 WTTC が他のものに使用される。経済学ではこのような (原著参考文献1) のある研究報告 支出の循環を、直接支出、間接支出、誘発支出(訳 は、世界で最も一般的 な、TSA データの収集方法をわかりやすく述べて 注3) いる。需要面では、旅行産業支出から発生する最 の人がツーリズム産業で直接働いており、建築業 終需要の GDP 総額に占める割合を旅行産業活動 などツーリズムを支える産業で雇用されている人 の基本指標とする。供給面では、 「ツーリズム消費」 もいるからだ。理論的には金は一国経済の中で無 を構成する需要(個人、外国人訪問者、ビジネス、 限に循環するはずだが、いずれは輸入商品や外国 個々の政府の旅行産業への支出額)の合計から各 人の労働などに使われて別の国へ漏出する。外国 支出の輸入額を差し引いて「ツーリズム GDP」を の資本、経営、労働力に過度に依存しない形で、 算出する。また、 「ツーリズム総需要」 (「ツーリズ 自国のツーリズム産業を形成するよう努めるに越 ム消費」に旅行産業への政府総支出、旅行産業に したことはない。さもなければ漏れが多くなり経 おける資本形成、訪問旅行者以外の輸出額を加え 済効果はわずかになる。 に分ける。同じ用語は雇用にも使える。多く たもの)から各支出の輸入部分を差し引いて「ツ ツーリズムにおけるミクロ経済学は、企業、消 ーリズム経済 GDP」を算出する。GDP に占める 費者の行動、市場価格の決定に関心を持つ。ツー 旅行産業の割合にどれほどの付加価値が寄与して リズムは主にお互いに顧客獲得を争う多国籍企業 いるか特定するために、上記の WTTC 研究報告で に占められている。そのマーケットは、航空会社、 は、各産業の産出額をツーリズム需要の構成要素 ホテル、代理店などの非常に大きなチェーンが多 と関連付ける投入・産出アプローチを用いている。 数ある一方、他方に無数の小さなニッチの旅行業 いまだにデータの欠落があることや、旅行産業 者があり、ひどく二極化しているので有名である。 と他の産業とを比較する包括的な投入・産出モデ マクロ経済環境はこれらの事業の成功に相当大き ルをこのアプローチが用意しているわけでないこ く影響する(世界規模の景気後退がいくつかの企 とは知られている。TSA の手法は改良され続けて 業の倒産を招くように) 。旅行業者やホテルは町中 いるが、TSA はツーリズムの直接的な影響しか計 でも、インターネットの中でもきわめて激しく競 測しない場合が多く、間接的、誘発的な影響を計 争している。価格弾力性がきわめて高く、旅行業 測するには乗数分析を用いる場合が多い。ツーリ 者は競争と消費者の需要に柔軟に対応できる。し ズム収支は、外国人旅行者からの受取額(例:宿 かし、これによって代理店は倒産や敵対的買収の 泊、食事、ショッピング、交通、娯楽など)から 危険にさらされることもある。他の多くの要素も 当該国居住者の外国での支出額を差し引いて算定 ツーリズム需要に影響する。例えば、可処分所得、 する場合が多い。もちろん、すべての受取額を集 生活の中での旅行の優先度、マーケティングや広 計することも、そうした計算で正確を期すことも 告への反応、そしてファッションやトレンドの変 難しい。ツーリズムの乗数効果はいくつかの方法 化などである。価格は人々の旅行行動やパターン で計算できるが、手順は複雑である。乗数効果は を決める主因である。それゆえに最近の格安航空 所得、雇用、販売、産出で計算できる。経済で支 会社の成長(と衰退)が見られる。近年、ツーリ 出が循環する、貨幣の循環の様子を計測する。例 ズムは、とくに航空旅行で相対的に安価になった えば、旅行者が訪問地のホテル、店、レストラン が、地球温暖化、気候変動そして経済不況の影響 に直接金を支払うと、その金は管理費や各従業員 により、燃料コストと税金の引き上げを強いられ 18 ている。自然災害や増加するテロは多くの目的地 本は、Tribe の The Economics of Tourism である。 に破壊的な経済的影響を与えている。 また、ツーリズムの諸影響のなかに、経済的な影 理想を言えば、ツーリズムによる利益は社会の 響も必ず含まれるので、ツーリズムの諸影響に関 最貧層に還元されるべきであり、政府の金庫や外 する本も参考になろう。たとえば、Puczkó と Rátz 国人投資家のポケットにとどまるべきではない。 の The Impacts of Tourism: An Introduction.や、 現実には、ツーリズムによる所得はツーリズムの Mason の Tourism Impacts, Planning and 発展や、環境および地域社会のプログラムに再投 Management が挙げられる。世界観光機関(WTO) 資されるとはかぎらず、社会経済的な利益は最大 と世界旅行産業会議(WTTC)のウェブサイトで 化されていない。これは政府の姿勢とツーリズム も、有用な経済統計や各国・各地域に関する報告 に対する優先度に大きく依存している。ツーリズ 書を提供している。 ムは自己増殖すると考えるのが常識だが(「店を建 てたら客はやって来る」というフレーズのように)、 このように信じてきた多くの政府は、ひとたびツ ーリズム産業に影響する危機(例:景気後退、テ ロ、環境破壊、戦争)が起きると、経済的に窮地 【推薦図書】 Mason, P. (2003) Tourism Impacts, Planning and Management. Oxford: ButterworthHeineman. Puczkó, L. and Rátz, T. (2002) The Impacts of Tourism: An Introduction. Hämeenlinnna: Häme Plytechinic. に追い込まれているのに気づくのだ。 ツーリズムの経済的側面には、国の規模、経済 力、ツーリズムの発展度合い(マスかニッチか)、 訪問者の支出の規模と集中度、そして季節性など Tribe, J. (2005) The Economics of Recreation, Leisure and Tourism. Oxford: ButterworthHeinemann. 多くの要素が影響を与える。多くの国は気候(寒 冷、暗い冬、ハリケーンや雨季、集中的な熱波な (原著参考文献) ど)のために、一年を通じて旅行客を引き付ける 1. WTTC (World Travel and Tourism Counci ことはできず、また常時雇用を維持することはで l) (2008b) ‘Simulated satellite accounting res きない。また、ツーリズム開発が国の一部に集中 earch: methodology and documentation’ Marc し、他の地域が相対的に低開発になってしまうこ h,www.wttc.org/bin/pdf/orignal_pdf_file/2008_m とも頻繁にみられる。ツーリズムを多様化し、可 ethodology.pdf (accessed 15 October 2008) 能な範囲で経済的利益を広げる手立てが必要であ のページは現在リンク切れで参照できないが、WT る。他方、ツーリズムの発展を維持するには環境 TCのウェブサイトのResearch > Economic Imp 面でも文化面でも脆弱すぎる地域がある。そうし act Research > Methodologyのページで概要を た地域では、経済的利益を常に最優先すべきでは 把握できる。(http://www.wttc.org/research/econ ない。全般的に言えば、ツーリズムの環境および omic-impact-research/methodology/) こ 社会に関わる影響は、経済的影響と不可分に結び ついている。このことは政府も民間の開発業者も (訳注1)本稿では Travel & Tourism に「旅行産 同等に認識しておく必要がある。 業」の訳をあてた。WTTC 世界旅行産業会議の経 【澤山/小槻】 済影響研究では、Travel & Tourism を「旅行者 (traveler)が、1 年未満の期間、彼らの通常の環境 【読書案内】 の外で旅行する際に行う活動に関連する。そうし ツーリズムの経済的側面についての最も総合的な た旅行(trips)の全ての側面に関係する経済活動が 19 本研究では計測される」と定義している。 いう概念は、Pine and Gilmore(1998 1999)によっ ‘Key Definitions’ http://www.wttc.org/site_m て提唱された。彼らによれば、それは経済発展に edia/uploads/downloads/Key_Definitions_-_Eco おける 4 番目の時代に当たる。これまで経済は、 nomic_Impact_Research_2012.doc コモディティを抽出する農業経済から製品を製造 する商品経済へ、商品経済からサービスを提供す (訳注2)訳語は、香川眞編『観光学大辞典』木 るサービス経済へ、そしてサービス経済から経験 楽舎、2007 年の見出し語(同書 542-01、p.151) を演出する経験経済へと移行してきたという。 にならった。この項目説明で、國玉は「…ヨーロ サービスとモノとが明らかに異なるのと同様に、 ッパでは、観光面の経済活動を統計的に把握する 経験経済ではサービスとは全く異なる経済価値が提 際に国民経済計算の概念に依拠することにより、 供される。今日私たちは、この 4 番目の経済で提供 世界的に共通概念で統計的に把握することが決ま されるものは何か、特定し説明できるだろう。なぜ っている。このような国民経済計算の付属勘定(サ なら消費者のニーズが明らかに経験に移行し、それ テライト勘定)の形で観光統計を把握するものが に伴ってあらゆる企業が消費者にとって魅力的な経 TSA(Tourism Satellite Account)である。」と説 験を演出できるような商品を企画したり、プロモー 明している。 シ ョ ン を 展 開 し た り し て い る か ら だ (Pine and Gilmore, 1998:97)。 (訳注3)マクロ経済学の教科書等の乗数プロセ 彼らはバースデーケーキを事例として経験経済 スの説明をみると、波及、派生、第 1 次、第 2 次、 を説明している。農業経済では、両親は地元でと 第 3 次といった用語が使われているが、原文の れた食材を利用して子供にバースデーケーキを作 ‘direct , indirect, induced’の逐語訳を当てた。 り、商品経済では、共働きで忙しい母親はケーキ 【小槻】 屋でバースデーケーキを買う。サービス経済では、 バースデーケーキの配達をケーキ屋へ依頼する。 【経験経済(Experience Economy)】 そして経験経済では、両親に代わってレストラン やアミューズメント施設がバースデーケーキも含 経験経済とは、サービスを提供するというサービ めて子供の記憶に残る経験を演出する(Pine and ス経済の時代から消費者の記憶に残る経験を演出 Gilmore, 1998)。 するという経済価値が移行された新たな経済を意 消費者にとっては、経験のみが価値あるもので 味する。経験経済では、消費者本人が経験し記憶 ある(Pine and Gilmore, 1998)。Pine and Gilmore に残せるものにお金と時間を使う、つまり経験を (1998 1999)によれば、航空会社から銀行やショッ 買うということが重視される。 ピングモールまであらゆる企業は、消費者にとっ て魅力的で且つ消費者と企業との関係性を高める ツーリズム産業はこれまでツーリストに経験を 経験を演出することが可能なのだという。また彼 提供することで対価を得るというビジネスモデル らは、経験を演出したいと考える企業に有用な経 で成長してきたが、近年では製造業、サービス業、 験を演出するための方法を提唱している。最初に 流通業等を含めたあらゆる業界においていかに経 経験を①顧客参加度(積極的参加‐受動的参加)と 験を演出するかが重要な課題となってきている。 ②顧客と経験の関係性(経験に吸収されている‐ つまり、経験価値が重視されるという新たな経済 経験に投入されている)という 2 つの軸で考えるこ の時代に入ったと言うことができる。経験経済と とが重要であるという。顧客参加度の受動的参加 20 とはクラシックコンサートの聴衆のように自らそ ストはツーリズムに対して感情的で感覚的な反応 れに関与しないことを指し、積極的参加とはスキ を楽しみたいと考えるため、受動的な参加よりも ーを楽しむことのように自ら関与することを意味 積極的に参加できるアトラクションを好む傾向あ する。また顧客と経験の関係性における経験に吸 る。2008 年 2 月にロンドンに誕生した「ロンドン・ 収されている状態とは、家のテレビで映画を見て ブリッジ・エクスペリエンス」というアトラクシ いる状態を指し、投入されている状態とは、映画 ョンは、驚愕の特殊効果やアニメーションそして 館での 3D やサラウンドの効果によってあたかも 俳優が演じることによって、かつてのロンドン・ その世界に入り込んで経験の一部になっている、 ブリッジを疑似体験できるように様々な経験が演 つまり顧客が没頭している状態を指す。4 つの領 出されている。しかしそれは単に経験を中心とし 域の中で最も魅力的で記憶に残る経験が、経験に た演出をしている新たな施設ではない。つまり、 投入された状態で且つ積極的参加の状況である。 最も伝統的なアトラクションである博物館が「経 次に彼らは経験を演出するために欠かせないいく 験を演出する施設」へと変貌している(Richard つかの具体的な原則を提案している。具体的には、 2001:62)。1990 年代に流行した新たな博物館学と 演出したいと考える経験に沿ったテーマを付与す 呼ばれるこれまでにない展示や説明を用いて、こ ること、消費者が経験の本質を確認できるポジテ れまでとは違った社会史や集団経験を重視するこ ィブな手がかりを見せること、状況を思い出すこ とで、博物館自体の改革や来館者に対する新たな とができる思い出の品を提供すること、最後に五 価値提供が始まった(Hrat Robertson 2006)。つま 感に訴えかけることである(Pine and Gilmore り、博物館は五感に訴えかける参加型の展示施設 1998)。 を提供し、それによって来館者が経験に投入され 旅行会社、宿泊施設、飲食業といったツーリズ た状態となりその経験は思い出となる。もはや博 ム産業に携わる企業は、当然ながら経験経済の考 物館は基本的なものを学ぶ教育施設ではなく、洞 え方を受け入れている。またツーリスト個々人に 察欲求に導かれた経験を演出するツーリズム産業 とって忘れられない思い出を演出できるように努 として位置づけられるだろう。 力 し て い る ( 例 え ば 、 SIT ツ ー リ ズ ム ) 。 ま た 観光地 Lofgren(2003)は、経験経済では、ツーリズム、流 経験経済をより進化させた要因の一つとして、 通、建築、イベント、エンターテイメント、伝統、 多くの大学生や大学院生がイベント業界に就職し メディアは同じ考えの下で統合されると主張する。 ていることが挙げられる。多くの観光地では、コ Pine and Gilmore(1998 1999)によると経験経済 ンサートホールや市街地、公園、広場といった様々 のパイオニアとされるウォルト・ディズニーは、 な場所を使いながら経験やイベントを演出してき 1950 年代から経験を演出することをビジネスと た(Richard 2001b)。ロンドンのトラファルガー広 してきたが、一方で次に示す事例のようにツーリ 場では様々なイベント、コンサート、フェスティ ズム産業において経験経済の本当の意味での重要 バルが開催され、またエジンバラでは、伝統的歴 さが認識され出したのはここ 10 年ほどである。 史文化をプロモーションするためのフェスティバ ルやイベントが一年を通して開催されている。 ツーリスト向けアトラクション 専門旅行業者 教育や景観にこだわることよりもいかに経験を 演出できるかということが、ツーリスト向けアト 地中海のビーチを観光地としたいわゆるパッケ ラクションには重要となってきた。つまりツーリ ージ旅行が存在する一方で、SIT(Special Interest 21 Tour) と呼ばれるツアーを企画している専門旅行 狭い考えでは、ツーリズムの面白みの一つである 業者が増えている。その専門旅行業者は、秘境の 偶然の出来事や出会いというものの重要性を見失 地を訪れるツアー、絶滅危惧種の動物を観察する う危険性があるという。偶然の出来事や出会いは ツアー、部族の村を訪問するツアーといったユニ 当然ながら無料であるが、そのツーリズムにおい ークな経験を演出したツアーを企画し、ツーリス て最も記憶に残るものになることも多々ある。ま ト個々のニーズに応えている。ただそのようなツ たツーリストにとって魅力ある経験は個々人によ アーはツーリストが新たな経験を感じることがで って異なるということ、つまり同じ経験は存在し きるように慎重に企画されなければならない。そ ないということを再認識しなければならない。ツ のようなマネジメント課題がある一方で、SIT を ーリズムに対する期待、観光地に対する知識、そ 主催する専門旅行業者は経験を演出することでツ して経験に対する興味はツーリスト個々によって ーリストから支持され、そのビジネスは年々拡大 異なる。そのため、経験をどのように知覚するの している。 かも当然ながら変わってくる。実際、経験という ものは、ツーリストとともに創り上げられるもの なのだ。 観光マーケティング 観光マーケティングに関して、これまでツーリ ストに訴求してきた歴史文化遺産や景観だけでは 【関連項目】 なく、その土地ならではの経験を五感で感じられ フェスティバル・イベント・ツーリズム、スペシ ることをツーリストに訴求するキャンペーン広告 ャル・インタレスト・ツーリズム が多くみられる。イギリスの観光協会であるビジ ット・イングランドは、イギリスの観光地イメー 【読書案内】 ジ構築のためのブランディングの観点から、スト 例えば、Boswijk(2007)は、多くのビジネスケース ランド街に経験の概念を持ち込んだ。その中には が取り上げられており、ツーリズム・マネジメン イギリスを感じさせる 3 つの経験が計画されてい トを研究する学生にとって参考になるであろう。 る。具体的には、「本物の経験」(過去とのつなが 【推薦図書】 Boswijk, A., Thijssen, T. and Peelen, E.(2007) The Experience Economy: A New Perspective. Harlow: Person Education. りと一体感) 、 「わくわくする経験」 (社会活動や冒 険)、 「贅沢な経験」 (ラグジュアリー、リラクゼー ション、娯楽)である(Hayes and MacLeod 2007; VisitEngland 2004)。興味深いことに、最近、ビ Pine, B.J. and Gilmore, J.H.(1999) The Experience Economy. Cambridge, MA: Harvard University Press. ジット・イングランドはエンジョイ・イングラン ドに名称が変更となった。つまりこの変更には、 Prentice, R.(2001) “Experiential cultural tourism: museums and the marketing of the new romanticism of evoked authenticity”, Museum Management and Curatorship, 19 (1): 5-26. イギリスにおける観光の楽しみ方を受動的参加型 から積極的参加型へと変更するという意味が込め られている。 この 20 年間の中で経験という概念は、ツーリズ Richards, G.(2001) “The experience industry and the creation of attraction”, in G.Richards(ed.), Cultural Attraction and European Tourism. Wallingford: CABI.pp.55-69. ムの分野において最も注目された概念の一つであ り、経験を演出する人材がこの産業で以前より多 く働くようになった。しかし、Richard(2001b)に よれば、購入された経験だけに価値があるという Feifer, M.(1985) Going Places: The Ways of the 22 Tourist from Imperial Roma to the Present Day.London: Macmillan. Adams (1986)は、祭典とツーリズムが永きにわ たる相互利益の歴史をもつと述べている。ツーリ Rojek, C.(1993) Ways of Escape: Modern Transformations in Leisure and Travel.London: Macmillan. ズムを盛り上げようという明確な意図のもとにマ ス・ツーリズムが急成長した戦後になって、祭典 Urry, J.(1990) The Tourist Gaze: Leisure and Travel in Contemporary Societies.London: Sage. の数も急増した。Picard and Robinson (2006: 2) は次のような考えを述べている。 「祭典は、社会的 な祝典の「伝統的な」瞬間としてであれ、綿密な 【田中】 準備に基づいて構築されたイベントとしてであれ、 ツーリストが欲する「商品」の増加途上のストッ 【フェスティバル・イベント・ツーリズム (Festivals and Events Tourism)】 クの一部に数え入れられている」。Rolfe (1992)は、 イギリスのアート・フェスティバルの半数以上が 1980 年代に始まったものであること、そのように フェスティバル・イベント・ツーリズムは、音楽、 急増したのは、少なくとも部分的には、多くの観 ダンス、ガストロノミー、芸術、スポーツといっ 光都市において増加傾向にあったツーリズムに照 た伝統的もしくは現代的な文化の祝典への参加を 準が当てられたがためであること明らかにしてい 含むツーリズムである。そのようなイベントは、 る。こんにち、多くのフェスティバルが、主には 一度限りのものもあれば、毎年同じ頃に行なわれ 地元の共同体のために行なわれるのにもかかわら るものもあり、また、一日のものもあれば、数日 ず、ツーリストを引きつけることにも成功してお 間にわたって開催されるものもある。 り、ツーリストの聴衆を見込んで多くの新しいフ ェスティバルが創られているのである。1960 年代 祭典(訳注1)は、数千年にわたって文化事象であ 終盤以来、新しく創られたフェスティバルの数は、 りつづけてきたもので、伝統的には、宗教、文化 著しく増加している(Picard and Robinson, あるいは農業に関する暦上の特定時を祝うことと 2006)。多くのフェスティバルの狙いは、その地 結びついていた。祭典の多くは、何よりもまず、 域のイメージを向上させることや、 「地図に載るほ 儀礼的行動を含む宗教上の祝典であった。古代ギ どに有名にすること」である。しかしながら、 リシャにおいて、祭典は、神々が礼賛され、戦勝 Hughes (2000)は、そうと狙ったわけではないの と豊作が祈られる行事だった。ヨーロッパ中世後 にツーリストを引きつけてしまったフェスティバ 期において、祭典はより世俗的な性格のものにな ルが数多くあることに注意を促している。フェス り、宗教的なものではなく、人間の功績を祝うよ ティバルは、明らかに、ある国の観光の目的地と うになってきた。Picard and Robinson (2006)は、 して定評のある地域への訪問をさらに集中させる 18 世紀から 19 世紀にかけてのグランド・ツアー し、それゆえ、フェスティバルの組織者の多くは、 において、祭典が「外国の」街や田舎の景色に活 ツーリストを引きつけることを目論んでプログラ 気を与えていたことを示唆している。祭典は、し ムを組む。Kirschenblatt-Gimblett (1998)は、フ ばしば、その土地の文化や伝統を認めるための手 ェスティバルこそツーリストが目的地とふれあい、 段を供し、共同体が自らの文化的アイデンティテ ィを推進するための好機を提供するだろう。また、 地元の芸術家を支援し、奨励すること、高品質の その土地の感覚を経験するための理想的な方法で あるという考えを述べている。また、Zeppel and Hall (1992: 49)は、次のように述べている。 芸術活動を集中して行なえる期間を提供するのに も役立つ。 23 フェスティバル、カーニバル、コミュニティー・ (1965)は、カーニバルを、観客と参加者を日常生 フェアーは、活気を増し、目的地のツーリストに 活の呪縛から解放する、刺激的で、快楽主義的で、 対する魅力を向上させる。フェスティバルは、ダ 奔放な快楽に身を委ねるものとして描いている。 ンス、演劇、喜劇、映画、音楽、芸術、工芸、民 多くのツーリストは、スペクタクルを楽しみ、日 族的で地域固有の文化遺産、宗教的伝統、歴史的 常生活の仮面から自らを解放するために、カーニ 重要時、スポーツ・イベント、料理とワイン、季 バルを経験したいと思っている。ブラジルのリ 節の行事、農産物といったものを賛美・祝賀する オ・カーニバル、カリブ海のトリニダード・カー ために行なわれる。人がフェスティバルに参加す ニバル、ロンドンのノッティングヒル・カーニバ る理由は主として、賛美・祝賀されているモノや ルなどが例である。 Miles (1997)はカーニバルやフェスティバルの イベント、遺産、伝統に特別の関心を持っている 「多声的」性質を叙述し、それが多様な視点とエ からである。 スニシティーの表現を示す理想的なフォーラムで さらに、ツーリズムは中断していた祭典やイベン あると述べた。この考えは、とりわけ南アジアの トを復活させるのに役立つことさえある。たとえ メラ・フェスティバルに当てはまる。 「メラ」とい ば、ヴェネツィア・カーニバルは 1769 年に中断 う言葉は、 「集会」を意味するサンスクリット語に していたが、伝統的には2月に行なわれていたと 起源をもち、インド亜大陸の多種多様な地域イベ いう季節の問題に取り組むなどして、1980 年に地 ントを言い表すため用いられている。メラに含ま 元共同体とツーリストのフェスティバルとして復 れる文化活動は数も種類も多く、 (なかでも)音楽、 活した。 ダンス、ファッション、料理、そして時おり映画 フェスティバルは、数多くの種類の形態をとり が含まれる。メラは、インドにおける小規模の地 うるが、以下のようなものが最も一般的なもので 域に根ざしたイベントから、西洋諸国における南 ある。近年、人気がどんどん高まっているイベン アジア系移民文化の国民的祝典へと徐々に発展し トもここに含んだ。 た。カリブ海のカーニバルと同様に、メラは、南 アジア系移民に関わる「色彩豊かな」ものすべて ・ カーニバル を象徴するようになってきており、増加する白人 ・ アート・フェスティバル(たとえば、ダンス やツーリストの聴衆に向けて文化を見せる場へと 変化してきている(Carnegie and Smith, 2006)。 や劇) ・ ミュージック・フェスティバル いくつかのゲイ・イベント(たとえば、サンフラ ・ フード&ワイン・フェスティバル ンシスコ、シドニー、ロンドンなどの都市におけ ・ サーカス るゲイ・メルディグラ)もまた、ゲイおよび主流 ・ スポーツ・イベント マーケット双方で人気を増している(ゲイ・ツー ・ 巨大イベント(たとえば、オリンピック) リズムの項を参照)。 ミュージック・フェスティバル、とりわけ、イ ・ 文化イベント(たとえば、欧州文化都市) ギリスのグラストンベリーのようなポップスおよ カーニバルは、伝統的には、ヨーロッパ帝国主義、 びロック・フェスティバルは、若者の聴衆に人気 植民地化、奴隷制度といった圧制的文脈から生ま がある。WOMAD(World of Music, Arts and れてきたものであるが(Alleyne-Dettmers, 1996)、 Dance)は、世界中のさまざまな国や文化の音楽、 それは徐々におめでたいものになった。Bakhtin アート、ダンスを一堂に集め、賛美・祝賀するこ 24 とを志している。それは、1982 年の始まり以来、 共同体の発展において主要な役割を果たすことが 多くの国で行なわれてきている。ミュンヘン・ビ できる。というのも、フェスティバルは他の形式 ール祭り(オクトバーフェスト)のようなフード の文化に比べ、社会的な意味で包摂的な傾向にあ &ドリンク・フェスティバルも常に多くの人々を り、フェスティバルの演出家によっても地域住民 引きつけるが、最近はワイン・フェスティバルが、 によっても、同じように、文化的多様性とアイデ それを凌ぐとは言わないまでも同等の人気を博し ンティティの表現として見られることが多いから ている。ミュージック・フェスティバルがいくら だ。フェスティバルは、地域と住民の真髄 かグローバル化される傾向にある(すなわち、主 (quintessence)になりうる。Quinn (2005)は、 に世界的に知られたアーティストを呼ぶ)のに対 地域再生の文脈において、フェスティバルの利点 し、フード&ドリンク・フェスティバルは、ツー の概略を述べている。そこには、文化の民主化に リストに地元の製品を展示し、売りこむのに役立 貢献する、多様性を賛美する、共同体を活気づけ、 ちうる。宗教上の祭典にはツーリストを引きつけ 力を与える、生活の質を向上させる、などが含ま るだけの面白さがあるが、その儀式の重要性を理 れる。 解していなかったり、適切に振る舞えなかったり しかしながら、フェスティバルは通常、一時的 するツーリストの存在によって宗教的・精神的重 で、はかなく消え去る経験であり、繰り返し行な 要さが損なわれることがないよう注意が必要であ われるのでなければ、文化的連続性を維持し、支 る。サーカスは、各地をまわってのショーだった えることはできない。それゆえに、フェスティバ り、目的地の永続的な目玉だったりする。近年の ルは、理想的には毎年開催なのである。もう一つ サーカスのうち、最も人気で、壮大なものの一つ の問題は、フェスティバルが次第に「国際的」に が、シルク・ド・ソレイユである。それは、カナ なると、ルーツや特定地域への結びつきを失いが ダで生まれたが、際立って質の高い多文化的スペ ちな点である。小さな共同体のフェスティバルは、 クタクルを提供している。アーティストは、さま 巨大イベントよりも、地元の人々にとって魅力的 ざまな国の出身で、彼らの専門職の最高峰を代表 なものとして描写される傾向にあるが、それは一 している。スポーツ・イベントも人気を増してい 般に、ツーリストを引きつけることはできず、そ るもので、文化活動を含んでいるものもある。た れゆえ、長期的に見れば、地元における莫大な資 とえば、現在のオリンピックは、同時に文化五輪 金提供でもないかぎりは、商業的に成功するのは (Cultural Olympiad)を開催することを求めら 難しい。さらに、オーセンティシティの欠如、芸 れる。サッカーのワールドカップは、もう一つの 術家としての良心を曲げざるをえないこと、文化 巨大イベントであり、注目を集めるイベントなだ の矮小化などの問題点がある。フェスティバルや けに、開催地になりたがるところが多い。 イベントのマネジメントにおける問題の一部を以 下のように要約することができる。 フェスティバルやイベントは、活力、活気、自 発性に満ちている。それらはしばしば、多くの場 ・ 誰がフェスティバルやイベントの所有権をも 所で開かれるもので、どこに住む人々にも、ツー リストがたくさん集まる地域にも、いわば、持っ つかは重要である。 (すなわち、地元の人々な てくることができる。プログラムは、固定的なも のか、公共部門なのか、営利企業なのか) ・ 巨大イベントはしばしば莫大な負債を遺すが、 のではなく、柔軟であり、その地方の環境、共同 地元への利益は極小である。 体、文化に適応させることができる。社会文化的 ・ フェスティバルの社会的・文化的・教育的目 影響の観点からすると、フェスティバルは、地域 25 フェスティバルやイベントのマネジメントに関す る本は近年いくつか出版されている。たとえば、 Allen 他の Festivals and Special Event ・ 長期継続的基盤(すなわち、毎年開催)への 一貫した資金提供や後援を確保することが難 Management で、これは既に第四版に達している。 しい。 Ali-Knight 他の International Perspectives of Festivals and Events: Paradigms of Analysis は ・ フェスティバルは大きく分けて、共同体志向 のものと、ツーリスト志向のものがあるが、 多種多様な事例を提供してくれる。より社会学的、 これらは必ずしも両立する方向性ではない。 人類学的アプローチなら、Picard and Robinson の Festivals, Tourism and Social Change: ・ フェスティバルの活動は、国際的、ツーリズ ム志向的、商業的になりすぎると、地域的ル Remarking Worlds がある。IFEA(国際フェステ ーツや地域的関心を失う可能性がある。 ィバル・イベント協会)の仕事を参照するのも有 ・ 民族的あるいはマイノリティのイベント(す 益である(www.ifea.com)。 なわち、カーニバル、ゲイ・プライド、メラ) は、それらの集団のニーズや文化の埒外にあ 【推薦図書】 Ali-Knight, J., Robertson, N., Fyall, A. and Ladkin, A.(2008) International Perspectives of Festivals and Events: Paradigms of Analysis. Oxford: Butterworth-Heinemann. ったり、それらに無神経だったりする代行業 や訪問者によって奪い取られてしまう (appropriate)可能性がある。 Allen, J., McDonnell, I., O’Toole, W. and Harris, R.(2008) Festivals and Special Event Management. Chichester: John Wiley & Sons. ・ フェスティバルやイベントの目的地が、一年 のうちの特定の時期だけ際立って混雑する可 能性があり、結果、地元住民や、場合によっ Picard, D. and Robinson, M. (eds) (2006) Festivals, Tourism and Social Change: Remarking Worlds. Clevedon: Channel View. ては訪問客まで逃げてしまう可能性がある。 Quinn (2005)は、フェスティバルが地方や地元住 民に積極的な利益を提供するのに成功するには、 (訳注1)festival を日本語の語感にしたがい、古 しっかりとした調査とより包括的なマネジメント くからのものは「祭典」、本文で展開されるように、 が必要であると述べている。誰のフェスティバル 20 世紀後半になって急増したものは「フェスティ なのかという論点は、大きくなってきた広告業界、 バル」と訳し分けた。また、両者を包括している 政治的・財政的支援体制、ツーリズム開発といっ 場合は基本的に「祭典」とした。 たものへの欲望、欲求によって複雑化している。 【伊多波】 けれど、逆説的だが、これらのものこそ、多くの 【ガストロノミック・ツーリズム (Gastronomic Tourism)】 フェスティバルやイベントが将来的に存続するた めの鍵になっていることが多いのだ。 ガストロノミック・ツーリズムは、主にある国や 【関連項目】 アート・ツーリズム、遺産ツーリズム、ガストロ 地域に固有の料理に対する関心によって動機付け ノミック・ツーリズム、先住民ツーリズム られた目的地訪問の形態であり、また飲食物の試 食やその生産過程に関する勉強、それらに関連す る製品の購入、および料理教室への参加も含まれ 【読書案内】 26 うる。(*訳注 1) ある目的地は、特徴的で高品質な料理を持つとこ ろであることが多い。そうした地域には、フラン 古来そもそも観光客や旅行者は常に自宅とは異な スやイタリアなど伝統的な目的地だけではなく、 る場所で食事をしてきたのだ、ということを考え タイやインドなど、より異国的な料理を提供する れば、ガストロノミック・ツーリズムは決して新 発展途上国も含まれる。ワイン・ツーリズムの場 しい概念ではない。しかし、国民的な食や郷土料 合、フランスやイタリア、スペイン、ドイツ、ポ 理をさらに深く学び、ある特定の食事や飲料を試 ルトガルといったヨーロッパの目的地は、南アフ 食し、それらを購入したり料理教室を楽しんだり、 リカやオーストラリア、チリ、ニュージーランド といった“明確な”動機によって旅をすることは、 といったいわゆる“新世界”ワイン生産国との大 比較的近年の傾向である。ハルとミッチェルは、 きな競合に直面している。ワイン・ツーリズムは、 食事とワインとツーリズムの組み合わせは、最初 ガストロノミック・ツーリズムの一部であり、ワ のレストランが登場する 19 世紀初頭から人気が イン畑やワイナリー、ワイン祭り、ワインのショ あったとするが(訳注 2)、それは伝統的に高価なも ー、ワイン博物館、はたまたワイン温泉(例えば のであり、一部のエリートに限定されていた(Hall フランスのコーダリーやスペインのエル・シェー & Mitchell, 2005a)。最初のワイン街道は 1920 年 ゴにある“ワインの街” )までもが含まれうる。 代後半にドイツで発達し、旅行しながら一つの地 料理におけるグローバリズムと融合(例えばオ 域のなかでさまざまな産物を楽しむという観光を ーストラリアにおけるヨーロッパ的味わいとアジ 促進した。第二次世界大戦がヨーロッパで勃発し ア的味わいの結合)は、地域固有の伝統料理に生 娯楽旅行は一時的な中断を余儀なくされたが、配 じた多くの変化を意味してきた。人々の移住は、 給制が終了したときには、食料に対する情熱がふ 世界の大都市において料理の幅を広げることとな たたび復活した。1960 年代以降、ワインと食に対 ったが、それはまた、国民的または地域的な食文 する関心は、料理本の出版とテレビによる料理番 化の固有性を覆い尽くすファーストフードの台頭 組の放映の増加とともに成長していった。1970 年 (例えばマクドナルドのような)を許すことにも 代になるまで本格的なツーリズムには至らなかっ なった。しかし、ハルとミッチェルは、経済的か たが、異なる料理を味わい学ぶという考えを人々 つ文化的なグローバリズムとは、料理の変容と混 は受容するようになっていた。また西欧社会にお 交という進行中のプロセスにおける第三段階であ ける女性の役割の変化は、料理が、女性にとって る、とする(Hall & Mitchell, 2005a)。1400 年代 の強制的家事というよりも、むしろ両方のジェン 後半から 1800 年代にかけてのヨーロッパの重商 ダーにとっての娯楽的活動へと変化したことを意 主義は、世界各地から船積みされた新しい食材を 味した。著名な料理人は多くの信奉者を持つよう ヨーロッパへもたらすこととなった。さらに、17 になり、たくさんの観光客が好みの料理人のレス 世紀から 20 世紀にかけての大規模な移民活動は、 トランで食事をするか、彼らが賞賛した地域を訪 植民地へのヨーロッパ移民や戦後の移民、1960 年 れるためだけに旅をするようになる。ガストロノ 代の植民地解放、および近年の移民(例えば中欧 ミック・ツーリズムはいまだに少数派であること および東欧の移民)などを含み、そのすべてが料 は確かであるが、しかしながら社会階層のある部 理の変化と発展へと貢献したのである。国民的ま 分は、料理に関する知識と食の嗜好に執着する傾 たは地域的なアイデンティティと料理は未だに強 向を持っているといえよう。 い関係を保っているが、一方で、グローバルとロ ーカルの混交を通じて創造されうる興味深い融合 ガストロノミック・ツーリズムにとって人気の 27 ・ガストロノミック/カリナリー・ツーリスト: もまた、徐々に受容されつつある。 食事やワインを生み出した文化的背景やその景 食は、観光プロモーションにおいて重要な地域 標識である。地域の気候条件と文化および歴史が、 観のような幅広い対象に関心をもつ観光客 その地で作られる食の特徴を形成する。しばしば ・キュイジーヌ・ツーリスト: (さまざまな)国や 料理が文化ツーリズムやヘリテージ・ツーリズム 地域の特徴的な料理そのものに関心をもつ観光 の一部であるといわれるのはこのためである。地 客 域と料理の結びつきは、明確な、もしくは“特徴 的”な地域や国の食事に基づいたプロモーション ガストロノミック・ツーリストは、ほとんどの SIT の取り組みなど、観光の分野においてさまざまな (Special Interest Tourism)の観光客と同様に、 方法で活用されてきた。食はまた、例えばトレイ 平均よりも裕福で教養が高い傾向をもち、子供を ルのような観光形態のなかで、地域や国々につい 連れずに旅行を行う人々であり、たいてい AB(ア てツーリストへ説明するための手段としても用い ッパー/ミドルクラス)または CI(ロワーミドル られてきた(Hjalager and Richards、2002)。 クラス)である。ハルおよび共著者らの調査では、 ワイン・ツーリズムはだいたい短期滞在(3-4 日) 地域に対するガストロノミック・ツーリズムの インパクトと恩恵は、食品関係の製品に対する需 であり、季節的な観光ではなく、30-50 代の子供 要増加やブランド使用料の創設、生産者と供給者 を持たないカップルがグループで旅をする傾向が の販売情報、訪問者と住民の教育の機会、地方お あるとされている。その動機は、ワインの試飲と よび地域の雇用創造、地域への滞在期間の長期化、 購入、日帰り旅行を楽しむ、社交を楽しむ、ワイ より幅広い消費の分配、そして知的財産の保護を ンについて学ぶ、リラックス、および景観を楽し 含む。特に最後に挙げた課題は、多くの生産者が む、などである。 その生産物の独自性を維持しようと努力している ハルとミッチェルは、ガストロノミック・ツー ため、グローバル市場において重要性を増しつつ リストとみなすことができるのは国際観光客の ある。したがって、特定のブランドネームやラベ 3%に過ぎないと述べるが(Hall and Mitchell, ルの使用を保護するために、新しい法律や規制が 2005a)、Enteleca Research & Consultancy の提 必要とされている(例:フランスのシャンパンや 示する観光客分析は、食を第二の動機とし、した ハンガリーのトカイなど)。 がって食料生産者および供給者のターゲットとな ガストロノミック・ツーリストは、国や地域特 りうるツーリストがさらに多く存在することを示 有の生産物の試食に対して熱心に取り組む(その 唆している(Enteleca Research & Consultancy, 点で、海外で自国の料理を求めるマス・ツーリス 2000)。 トやパッケージ旅行の観光客とは異なる)。あらゆ る観光客が少なくとも 1 日 3 回の食事をするが、 ・フード・ツーリスト:6-8% それを休日の主たる目的として考慮する者は少数 ・食に関心を持って購入する人々:30-33% 派に過ぎない。ハルとミッチェルは、ガストロノ ・情報が届いていない人々:15-17% ミック・ツーリストを次の3つに類型化した(Hall ・関心の弱い人々:22-24% and Mitchell, 2005a)。 ・関心のない人々:17-28% この研究は、調査対象の約半分にとって食が重 ・グルメ・ツーリスト:高価かつ高評価のレスト 要な意味を持つと結論している。 “フード・ツーリ ランやワイナリーを訪問する観光客 28 スト”は非常に熱心なグループであり、旅先の郷 素化されてしまう(例:辛みを抑えたタイ料理)。 土料理は彼らの目的地選択にとって重要な役割を スローフード運動は、ファーストフードとファー 果たす。 “食に関心を持って購入する人々”にとっ ストライフ、地域的な伝統食の消失、そして日頃 て、食は彼らの休日の満足に貢献するものであり、 口にする食材の由来と味わい、およびその選択が 彼らは機会があれば郷土料理を試食する。 “情報が 世界の他の地域に与える影響について人々が無関 届いていない人々”は食が休日の楽しみを増進す 心になりつつあることへの抵抗として、1989 年に ると信じているが、彼らが郷土料理を食べること 設立された(Slow Food Movement, 2008)。多く は稀である。“関心の弱い人々”と“関心のない の観光客は国際料理やファーストフードの予測可 人々”は、郷土料理を試そうという点について、 能性と“安全性”を好むが、ガストロノミック・ あまり、もしくはまったく無関心がない。 ツーリストは間違いなくそうではない。国民的ま 19 か国で 500 以上の観光ビジネスを展開する たは地域的、郷土的な料理の豊かさ、多様性およ NPO 団体インターナショナル・カリナリー・ツー び品質が、旅をする際の彼らの主たる動機なので リズム協会の会長エリック・ウルフは、観光客の ある。 半分以上(53%)が伝統的な料理を食べることを “非常に重要な”または“重要な”休暇の一部と 【関連項目】文化ツーリズム、ヘリテージ・ツー み な し て い る と い う デ ー タ を 、 World Travel リズム、SIT(Special Interest Tourism) Market Research がどのように明らかにしたかに ついて述べている。イギリス人については、その 【読書案内】 86%が海外にいるときには現地の食事を楽しみ、 近年、このテーマに関しては単著よりも雑誌や本 ホテルやリゾートでの食事をやめて地元のレスト の一部の章として多くの文章が書かれているが、 ランを試している、と述べている。これは、ガス Hjarager トロノミック・ツーリズムに対する潜在的な需要 Gastronomy ” と Hall et al. “ Food Tourism が、これまで考えられてきたよりもかなり高くな around the World: Development, Management りうるということを示唆している。 and Markets”、そしてBoniface“Tasting Tourism: and Richard “ Tourism and 近年、ライフスタイルの変化といったいくつか Travelling for Food and Drink”は未だに一読の の要素が、ガストロノミック・ツーリズムの発展 価値がある。観光余暇教育協会(Association for に影響を与えている。多くの人々がより健康的な Tourism and Leisure Education)はガストロノミ 食事を食べるようになり、ヴェジタリアンや特別 ック・ツーリズムに関する特別部会を持っている 食に切り替え、ホテルやレストランは対応を迫ら (彼らの調査や出版物、会議等について れている。たいていの場合、資本主義的労働形態 は、www.atlas-euro.orgを参照)。 とは、伝統的な長時間のランチがほとんどの労働 者にとって選択肢とはならないことを意味してお 【推薦図書】 Boniface, P. (2003) Tasting Tourism; Travelling for Food and Drink. Aldershot: Ashgate. り、したがってファーストフードやスナック菓子 への食のシフトが増加する。加えて、チェーン・ Hall, C.M., Sharples, L., Mitchell, R., Macionis, N. and Cambourne, B. (eds) (2003) Food Tourism around the World: Development, Management and Markets. Oxford: Butterworth-Heinemann. ホテルやレストラン、カフェは、地域的な特色を もつ食ではなく、標準化またはグローバル化され た食を提供する傾向がある。また観光目的地での メニューは、しばしば観光客の味覚に合わせて簡 Hjalager, A. and Richards, G. (2002) Tourism 29 and Gastronomy. London: Routledge 界では、 「ゲイケーション(gaycation)」という用語 が、GBLT 文化に特徴的な内容を含む休暇をさし (訳注1)本書では、飲食に関わる観光形態を包 て普通に使われるようになった。国際ゲイ・レス 括的にガストロノミック・ツーリズムとしている ビアン旅行協会(IGLTA: International Gay and が、他で使用されるフード・ツーリズムとほぼ同 Lesbian Travel Association)は、世界中のさまざ 義とみなしうる。またその関心の程度や方向性に まな観光地で、年 1 回の世界会議と年 4 回のシン 応じて、「グルメ(美食)・ツーリズム」や「カリ ポジウムを開催している。各シンポジウムには、 ナリー(料理) ・ツーリズム」等に細分化されるこ ゲイやレスビアンのマーケットを専門にする旅行 ともある(C. Michael Hall, Food Tourism around 会社や旅行出版社の代表者が集まり、その数は the World, Butterworth and Heinemann, 2003, 100 名を超える(www.iglta.org)。しかし、こう pp.9-22)。 した LGBT の旅行を、ツーリズム理論家の側は、 非常に注意深く「巧みに」扱いがちで、直接ゲイ (訳注 2)一般的にレストランの起源については、 の顧客を対象にする方法を提案したのはごくわず 18 世紀中頃のパリで、グランド・ツアーに赴く英 かである。同じことがおそらくレジャー産業全体 国貴族を対象にブーランジェの提供した強壮スー に当てはまる。つかまえるべき最も有望な分野の プであるとされ、18 世紀後半にはすでに自由に食 ひとつだとは認めても、おそらくは、異性愛者か 事を提供する場所として普及していた(ジャン= ら反発が起きる可能性を恐れて、彼らの宣伝が同 フランスワ・ルヴェル著、福永淑子・鈴木晶訳、 性愛者の受け手だけに向けて設計されていること 『美食の歴史 を、あからさまには認めない(認めるとしても、 ヨーロッパにおける味覚の変遷』、 ごくまれである)。 筑摩書房、1989 年、209-213 頁)。 しかし、とくに男性の同性愛者は、旅行頻度も 【高根沢】 支出金額も多く、可処分所得も最も多いのだ―― 【ゲイ・ツーリズム(Gay Tourism)】 とはいえ、女性同性愛者(レスビアン)や両性愛 者、性転換者はそれほどでもない。彼らはこの中 ゲイ・ツーリズム(LGBT(訳注1)、つまりレスビ 心的な市場のなかで依然として周辺的だ――。 アン・ゲイ・両性愛者・トランスジェンダー・ツ 2000 年 の Tourism Intelligence International ーリズムと呼ぶこともある)は、こうした集団に report(国際ツーリズム情報報告)によれば、国 訴求する商品や活動を開発すること、彼らが安心 際観光者の 10%は同性愛者(ゲイ、レスビアン) してゲイであることを隠さずにいられる、安全で であり、世界中で 7 億人を超えていた。同性愛者 思いやりのある観光地を創り出すことが目的であ 向けの市場は今後も成長が見込まれている。今後 る。 も LGBT の人々を他の人々と同様に扱う動きが続 くだろうからだ(Guaracino2007)。同性愛者は感 多くの観光地(destination)が、いわゆる「ピン 性の優れた消費者で、自分達の特有な購買選好を ク色のポンド、ドル」を引き寄せる便益について 理解し、他とは異なる価値を提供する売り手や観 認識を深めつつある。都市の「ゲイ指標」を開発 光地に旅行資金を使う。 した Florida(2002)によると、経済発展やビジネス だが、どの観光地やアトラクションがゲイ観光 成長の度合いとゲイ住民の多さには、密接な関係 者に現在人気なのか、考えておく価値があるし、 があり、それは観光部門にもあてはまる。観光業 同様にまた全くゲイに思いやりのないのはどこな 30 のかも、記録しておくべきだろう。というのも、 でも世界でも、多くの都市にゲイ地区があり、夜 LGBTツーリズムが、多数の場所で行われている の経済活動が盛んだ。日中のレジャーや小売りは とは全く言えないからだ。イスラム教国の大半で いうまでもない。イギリスやヨーロッパの海岸町 は、公然とゲイとして振る舞うのは違法となる恐 も、新たなイメージやアイデンティティを確立す れがある。多くのアフリカ諸国では、最近あらた る手段のひとつとして、盛んにゲイ・ツーリズム に同性愛禁止法が導入された(たとえば、ザンジ を宣伝している。たとえば、ブライトン、ブラッ バルでは 2004 年)。カリブ諸国の大半もゲイに優 クプール、ボーンマス、などは、すべて、国内や しい国々ではない。アムネスティ・インターナシ 地元の旅行業者からゲイの観光地として宣伝され ョナルは、かつて、ジャマイカを「ぞっとするほ てきた。スペインのシッチェスは、長年、ゲイの どの同性愛嫌悪にかかっている」と記述した。リ 観光地として有名で、カナリア諸島の一部も同様 ゾート・チェーンのサンダル社には、かつて同性 だ。最近は、ゲイ・クルーズ、ゲイ・スキー週間、 のカップルの宿泊を認めない方針があり、2004 年 ゲイ温泉など、新しい商品が多数出現している。 にはじめて撤廃された。また、よく知られた話だ ゲイ・パレードやゲイ・エンターテインメント が、ゲイ・クルーズはケイマン諸島などカリブ諸 は、 「コスモポリタン」な都市の多くの魅力のひと 島のいくつかで接岸を禁止されていた。英国でさ つである。たとえば、シカゴは、ゲイ地区である え、同性のカップルの宿泊を禁じる権利がホテル ハルステッド通りの商品価値を十分に利用してい にあるか、2005 年にまだ政府で議論していた。し る。同様にラス・パルマス・デ・グラン・カナリ かし、2006 年には差別禁止法が成立した。皮肉な アは、地元の謝肉祭のドラッグ・クイーン(男性 こ と に 、 同 じ 頃 、「 ビ ジ ッ ト ・ ブ リ テ ン 」 同性愛者の女装)コンテストを利用してきた。ゲ (www.visitbritain.co.uk)では、ゲイ・ツーリズム イだけでなく、通常の観光客もひきつけるゲイ文 を盛んに宣伝していた。 「我々には、誇るべきゲイ 化イベントとして最も重要な例は、ゲイ・パレー の歴史、最先端の文化とファッション、きらびや ドか、謝肉祭イベントのマルディ・グラである。 かな都市とドキドキするほどのナイトライフがあ 当初、こうしたイベントは大きく政治問題化され るのです。いざカムアウト(同性愛者であること た。こうしたイベントに伴う行進は今でも政治問 を明らかに)して、ブリテンへいらっしゃい!(訳 題化されがちだ。こうしたイベントは、ゲイ・コ 注2) ミュニティが連帯し、自分たちのアイデンティテ 」。 多くの大都市はゲイに優しいとの評判がある。 ィや権利を公けに表現し主張する場であった。し サンフランシスコ、シドニー、ロンドン、マドリ かし、多くの場合、それに続くにぎやかなお祝い ード、ニューヨーク、アムステルダム、そして、 は、何よりも公共のパーティと化していった。そ リオやブエノスアイレスなど南米の都市も次第に して残念なことに、しばしば、公共空間からの「ゲ 有名になりつつある。リオのカーニバルは、着飾 イの排除」(de-gaying)やゲイ集団の更なる疎外感 って真実の自分を表現できる理想的な機会である。 の助長につながっていった(Smit 2003)。 ブエノスアイレスは、国際ゲイ・レスビアンサッ 「ゲイ路線でいく」という決定は、どんな観光 カー協会の 2007 年の世界選手権大会の会場に選 リゾートにとっても、軽いものではない。とくに、 ばれた。理由は、同性愛への寛容さである。イン やり方があからさますぎれば、他の顧客グループ グランド北部のマンチェスターには、有名なゲイ からすぐに避けられてしまうからだ。たとえば、 地区(gay village)があり、マンチェスターのナイト スペインのシッチェスや、イギリスのブライトン ライフの中心的な存在になっている。ヨーロッパ はゲイ観光地として有名になったが、 (子ども連れ 31 の家族など) 「伝統的な」ビーチ観光者を呼び込め くあるため、つまり、家族や仕事、宗教的な規制 なくなったかもしれない。しかし、逆の効果が出 によって普段は表すことのできない「他者」とな て、さらに多くの観光者を集めることもありうる。 るためである。観光地という「目立たない」領域 たとえば、多くの女性はゲイ・イベントに参加す は、LGBT 観光者を日々の生活から解放し、さま るとき、通常のイベントに参加するときよりも「安 ざまな可能性を探求できる領域をひろげる 心」だと感じるようだ。異性愛者の男性に迫られ (Turner 1987)。そこでは、もうひとつの「許容 るという恐怖を感じなくてすむからである。 できる」自己のイメージを探求できるのだ。しか 観光マーケットの伝統的な宣伝・広告では、白 し、ゲイ・ツーリズムの意味や認識について研究 人異性愛者のヨーロッパ人男性の支配的な視点か すべき領域は多く残されている。ゲイ・ツーリズ ら「観光者のまなざし」が導かれていた。それと ムとセックス・ツーリズムの境界の不明瞭さも、 同様に、LGBT ツーリズムのマーケティングは、 研究すべき領域のひとつである。ゲイ・ツーリズ 白人同性愛者のヨーロッパ人男性の視点に支配さ ムとセックス・ツーリズムはしばしば同義とされ れ が ち で あ る 。 こ の 点 は 、 Watt & Markwell るが、その様な考え方は役に立たないし、不要な (2006)など、LGBT ツーリズムの地平を描き出 偏見をさらに助長するだけである。 そうとした多くの研究者が指摘してきた。白人男 性の支配的な見方に向かうこの傾向は、ゲイ・ツ 【関連項目】アイデンティティ、セックス・ツー ーリズム、ゲイ・パレードやプライド・フェステ リズム ィバルと呼ばれる祭 (訳注3) に関わるウェブページ や広告物(本、パンフレット、トラベルガイドな 【読書案内】 ど)に反映されている。つまり、年齢やジェンダ ツーリズムにおける、他の多くのタブー的話題と ー、国籍や肌の色のせいで、特定の同性愛者の集 同様に、同性愛者(ゲイやレズビアン)の旅行に 団は、いまなお排除され周辺化されているという 特化したウェブサイトを参照する方がよい場合が ことだ。 多い。しかし、Waitt & Markwell の Clift ほか、 多くの主流な著作が現れつつある。Hughes の著 「ゲイケーション」 (ゲイ休暇、ゲイ観光地)は 作も同性愛ツーリズムに焦点を当てている。 ゲイに対する思いやりの度合い、既存のアトラク ションへの近さ、そして友人からの勧めによって 【推薦図書】 Clift, S., Luongo, M. and Callister, C. eds (2002) Gay Tourism; Culture, Identity and Sex. London: Copntinuum Books. 決定される。旅行の好みに関する質問に答えた調 査対象者は、オンラインの(ネットでの)情報が、 旅行を計画するときに不可欠だと答えている。基 本的にインターネットやネットワーク化があって、 多くの人が「押入れからカムアウトする」ことが Hughes, H. L. (2006) Pink Tourism: Holidays of Gay Men and Lesbians. Wallingford: CABI Waitt, G. and Markewell, K. (2006) Gay Tourism; Culture and Context. New York: Haworth. でき、21 世紀の私たちが目にしている性的な革命 を生みだしたからである。 ゲイの人々が、特定の観光地にいかなければな らないのはなぜか、またゲイに合わせた施設やサ (訳注1)原著はGLBTと表記しているが、本訳 ービスを使わなければならないのはなぜか、疑問 では、日本で一般的なLGBTを用いた。順番も をもつかもしれない。多くの LGBT 観光者が休暇 LGBTの順番に変更している。LGBTについては、 という「逃げ場」を必要とするのは、 「自分」らし NHK福祉ポータル「ハートネット」内の解説ペー 32 ジ(http://www.nhk.or.jp/heart-net/themes/lgbt/) することのできる系統地理学。土地がどう使われ が参考になる。 るべきか、価値づけられるべきかを決める、景観 (訳注2)原文は‘…isn’t it time you came out … 評価。海辺のリゾートなどの観光地や、観光地の to Britain!’で came out が「同性愛者であること ライフサイクル、訪問パターンをみる、ツーリズ を明らかにする」と「ブリテンに来る」の掛け言 ム地理学。ツーリズム景観をコントロールする枠 葉になっている。 組みや機構を認識する、構造主義者の解釈。エキ (訳注3)LGBT の文化を祝うイベント。同性婚 ゾチックなものとしての観光地の構築や、その景 などの権利を主張する場ともなっている。 観中で「他者」として生きる人々を検討する、ポ 【小槻】 スト・コロニアル地理学(self and other の項を参 照)。 Hall and Tucker (2004)によると、植民地的な思 【 ツ ー リ ズ ム の 地 理 学 ( Geography of Tourism)】 考と言説は、現代のツーリズムにおいて全く終わ っていない。特にそれが顕著なのは、多くのヨー ツーリズムの地理学とは、通常、ツーリズムに ロッパ人が帝国主義を懐かしんだり理想化したり おける消費・供給・需要・交通を扱う、自然地理 する様子である。今も西洋のツーリストは、建築 学および文化地理学のことを指す。 や食、言語、一般的な文化が自分たちにとって親 しみやすいところや、かつての植民地へ、場合に ツーリズムの地理学は、位置・場所・空間、人間 よっては国の歴史のより「栄えある」時代へと流 的・文化的特徴、人々の動きやモビリティに関わ れていくことがよくある。余暇における英米の市 るたくさんのキー・テーマをもっている。ある位 場は、英語が広く話されているところへと動く傾 置から別の位置へと人々を運んできた交通手段も 向がいまだにある。かれらの母語でコミュニケー 含まれる。ツーリズムの地理学は、出発する国か ションを取れることが、余暇に必須な部分とされ ら目的地となる国へのツーリズムのフロー(流れ) ている。同じことが、スペイン(やスペイン語) も扱う。ツーリズムのフローは、伝統的に西洋の とラテンアメリカ・カリブ諸国との関係や、フラ 先進国から低開発国へのフローが扱われてきたよ ンス語とかつての植民地(その筆頭の例がモロッ うに、経済的・政治的要因に大きく影響されうる。 コ)との関係にも言えるだろう。 だから、ツーリズムのグローバル化や文化の標準 しかし、ツーリズムの地理学、特に経済・政治 化に関わる議論は地理学と密接に関わっており、 地理学は、常に書き換えられている。ツーリズム ツーリズムは環境を画一化したり場所の感覚を破 は、ヨーロッパ人の好みやトレンドに過去 60 年間 壊したりするとよく言われる。 支配されてきていても、交通体系の進化にしたが Aitchison, MacLeod and Shaw (2000)は、レジ い遠くへ遠くへと動いてきた。ツーリストはいま ャーとツーリズムの地理学を議論している。そこ や中国やインドなどの国々からやってくるし、消 では、以下のような、さまざまな地理学的言説を 費者のトレンドやパターンは実にさまざまになっ 含む提案がなされている。地域的範域を地図化し ている。消費の文化地理学や、「場所を消費する」 同じ位置に多角的な意味づけをする植民地地理学。 ことは、ジェンダーや年齢、社会的な立場、体力、 国民国家を囲う物理的境界を創り出したり、誰も コミュニケーション能力、宗教、国籍などに部分 (たとえば女性、少数民族、同性愛者)が自由に 的に影響されている。ツーリズムの地理学は、ツ アクセスすることはできない空間を創り出したり ーリズムの類型に定義づけられたり、その逆があ 33 ツーリズムの地理学は、空間や場所にも大変関 ったりもする。だから我々はツーリズムを地理的 なパッケージに分けて捉える傾向がある。それは、 心をもつ。そこには、標準化やグローバル化につ 都市、農村、沿岸、島嶼、国内、国際や、新たな いての関心事が含まれる。その結果、ジオツーリ ツーリズムの地理学の主導者である Hall and ズムとして知られる、比較的新しいツーリズム形 Page(2005)による「娯楽の周辺地域(pleasure 態が生まれてきた。ジオツーリズムは、場所の地 periphery)」である。気候もツーリストの動きに 理的特徴、例えばその場所の文化、環境、遺産や、 かなり影響する。北欧などの寒い地域に住む人々 住民の幸せ(well-being)を、維持し、さらに増 は、休暇期間に南の暖かい地域に引き寄せられる 進させるツーリズムである。ジオツーリズムは、 傾向がある。 持続可能なツーリズムやエコツーリズム、ヘリテ 気候変動は、ツーリズム消費の地理学に大きく ージ・ツーリズム、文化ツーリズムと結びつく、 影響するファクターである。2004 年にアジアで発 スペシャル・インタレスト・ツーリズムの一形態 生した津波(訳者注:スマトラ島沖地震に伴うイ である。そこには文化的関心と環境面の関心の両 ンド洋津波)で最も被害の大きかった地域では、 方が、コミュニティや個々の経済および生活様式 観光産業がうけた大打撃から復興するのに時間を に影響を及ぼすローカル・インパクト・ツーリズ 要した。台風や季節風、ハリケーン、森林火災、 ムと同様に含まれている。ジオツーリズムは、景 極端な気温にさらされすぎることは、ツーリズム 観とそのユニークな特性を保護するジオコンサベ にとって深刻なマイナスとなる。政治的・宗教的 ーション(geoconservation)を促進しそれに資す な事件もツーリズム消費の物理的パターンを変化 る手法のひとつとなり得る。ビジターの関心は、 させる(危機管理の項を参照)。9.11 の攻撃後、米 景観の美的価値の鑑賞を超えて、その場所(site) 国はツーリズムのランキングのトップに戻るのに の理解・保護・保全に焦点が当てられることが望 時間を要した。バルカン半島の国々、イラク、イ ましい。 ラン、アフガニスタンは事実上、ツーリズムの潜 ジオツーリズムの定義は、その初期の段階であ 在的な地理的対象としては拭い去られている(た る 1990 年代には、「レクリエーション地質学 だしバルカン半島の国々だけは、おずおずとした (recreational geology)」 (Hose, 2005)の一形態 形ながらもツーリズム分野に戻って来つつある)。 を提供する、地質・地形に関わる場所(site)や、 パレスチナ、レバノン、イスラエルも、概して同 いわゆる「ジオサイト」の訪問およびインタープ じような目にあっている。経済成長も地理的な移 リテーションと密接に結びついていた。しかし、 動に大きな変化を生むことがある。かつて目的地 ジオツーリズムの概念は、近年広がってきたよう として高額すぎるとみられていた英国や米国が景 だ。米国旅行業協会(Travel Industry Association 気後退に見舞われると、英国や米国には自然に観 of America)と雑誌「ナショナル・ジオグラフィ 光客が集まった。また、ドバイとアラブ首長国連 ッ ク ・ ト ラ ベ ラ ー ( National Geographic 邦は、かつてのラスベガスがそうだったように、 Traveler)」による 2002 年の報告書でもとりあげ 大半の人々に経済的に手が届かないと思われてい られた。この報告書によると、ナショナル・ジオ た「華麗な」場所が、今や選ばれたリゾートのリ グ ラ フ ィ ッ ク の 編 集 主 任 で あ る Jonathan B. ストで首位を占める例である。ユーロ圏は現在の Tourtellot と彼の妻 Sally Bensusen が、1997 年 ところ非常に高値で取引され生き残っているが、 に、エコツーリズムや持続可能なツーリズムより それは中国人や日本人のツーリズム増大のおかげ も包括的な用語や概念を求める声に応じて作った である。 用語である。ジオツーリズムは、持続可能なツー 34 リズムの概念と、目的地が将来世代のために保護 Association of America) (2002)は、ジオツーリ されるべきだという考えを統合し、同時に場所 ズムに引きつけられる正しい姿勢を示す旅行者の (locale)の特徴を増進・保護できるようにするも 種 類 に 関 す る 、「 ジ オ ツ ー リ ズ ム 研 究 ( the のである。ジオツーリズムは、エコツーリズムの Geotourism Study)」と呼ばれる研究に着手した。 理念も採用している。ツーリズムの収入を保全の この研究では、過去 3 年間に少なくとも 1 回旅行 促進に使えるというものである。これには、自然 した 1 億 5 千 4 百万人の米国人から、8 つの旅行 環境だけでなく歴史や文化も含まれる(National 者セグメント(あるいはプロファイル)を見いだ Geographic, 2008)。 した。その結果からは、少なくとも 5500 万人の ジオツーリズムは、ある場所(location)の顕著 米国人が「サステイナブル・ツーリスト」あるい な特徴に焦点を当て、その地理的特徴や場所の感 は「ジオツーリスト」に分類される。上位 3 つの 覚を保持することを目標としている。歴史的建造 セグメントは、以下の通りであった。 物、伝統的・現代的な文化、景観、料理、美術工 ・ジオ見識者(geo-savvys)(1630 万人の成人旅 芸、地域の植物相・動物相など、すべての場所 行者) (place)が含まれる。開発によってこの、場所の 感覚が増進され、グローバル化され標準化された ・ 都 市 的 な 垢 抜 け た 人 ( urban sophisticates ) 施設(例:チェーン展開のホテル、ファスト・フ (2120 万人) ー ド の レ ス ト ラ ン ) や 一 般 的 建 築 ( generic ・よき市民(good citizens)(1760 万人) architecture)は規制されるべきだ。このことは、 ビジターや地元住民の利益になるはずだ。ジオツ 3 つのグループとも、世界の意識が高い周囲の ーリズムのねらいは、ツーリズム収入がツーリス 影響を受けている。また、かれらは生態的・文化 トの見に来るものを保護するための地域のインセ 的環境を保護・保存するのを支援し、本物の旅行 ンティブになったり、 「男はそれぞれが愛するもの 経験を得るに十分な旅を求めるだろう。さらに、 を殺す(each man kills the things he loves)」と 他のセグメントとして識別された 1 億人近くの米 いう典型的パターンを後追いしなかったりという、 国人旅行者も、その方向に動くことができる。 好循環の促進にある。ジオツーリズムは、持続可 ジオツーリズムは、単に既存概念(持続可能な 能性の原則を、観光地の開発・マネジメントへの ツーリズム、エコツーリズム、文化ツーリズム) 統合的・長期的アプローチの形で取り込むことに の融合あるいは再包装であると言える。しかし、 な る 。 ナ シ ョ ナ ル ・ ジ オ グ ラ フ ィ ッ ク ( The 美しくユニークな景観の保全や、地域文化の継続 National Geographic) (2008)では、ジオツーリ 性と本物らしさに興味を持つ旅行者の数は増え続 ズムの主な特徴が要約され、かつ 13 の原則に基づ けている。ジオツーリズムのラベルは、そうした く「ジオツーリズム憲章(Geotourism Charter) 旅行者に対する訴求力を持っている。 が 創 ら れ て い る (www.nationalgeographic.com/ travel/sustainable/about_geotourism.html を 参 【関連項目】危機管理(crisis management)、マ 照)。米国、カナダ、オーストラリア、ノルウェー、 チュアー・ツーリズム(mature tourism)、モビ イラン、ネパール、エクアドル、コスタリカ、ギ リティ、新植民地主義 リシャなど、多くの国々がジオツーリズムの開 【読書案内】 発・推進を始めている。 Boniface 米 国 旅 行 業 協 会 ( The Travel Industry 35 and Cooper に よ る Worldwide Destinations: The Geography of Travel and た。ヘウィソンは、遺産の“娯楽”化を目的とす Tourism、および Michael Hall の著作(たとえば る歴史的事実の明白な加工について懸念を表明し Hall and Page, The Geography of Tourism and たが(Hewison, 1987)、一方でアーリをはじめと Recreation: Environment, Place and Space)は する他の研究者は、(公的または私的な)教育 読む価値がある。Jackson and Hudman による education と“娯楽 entertainment”を組み合わ Geography of Travel and Tourism の最新版も有 せた“エデュテイメント edutainment”というア 用である。 イディアを全面的に受け入れている(Urry, 1990 /2002)。ヘリテージ・ツーリズムは、一般的に 【推薦図書】 Boniface, B. and Cooper, C. (2004) Worldwide Destinations: The Geography of Travel and Tourism. Oxford: Butterworth-Heinemann. 後者の概念に依拠しており、そうした状況に陥る Hall, C.M. and Page, S.J. (2005) The Geography of Tourism and Recreation: Environment, Place and Space, 3rd edn. London: Routledge. ことがある。 ことを良しとしない博物館や遺跡でさえも、不十 分な公的資金援助のゆえに、そうせざるを得ない ヘリテージ・ツーリズムに関する伝統的な観方 は、本質的に活用的なものであった。ラーカムは、 Jackson, R.H. and Hudman, L.E. (2002) Geography of Travel and Tourism. New York: Delmar Learning. よび Exploitation(活用)の概念をそれぞれ次の 【河本】 ように区別している(Larkham, 1995:86)。 【 ヘ リ テ ー ジ ・ ツ ー リ ズ ム ( Heritage Tourism)】 ・保存:重要な文化的意味を持つ場所や遺物の形 Preservation(保存)と Conservation(保全)お 態をほとんど変更せずに保存する。 ・保全:歴史的建造物や場所を現代的な使用に適 した状態にするための修復処置という概 ヘリテージ・ツーリズムとは、歴史的な資源、 念を含む。 建築物や遺物、および伝統や共同体のライフスタ ・活用:特に観光および余暇という観点から遺産 イルなど無形の文化に焦点を当てたツーリズムで としての場所の価値を認め、既存および ある。 新しい場所の開発を含む。 グラハムは、“過去”、“歴史”、および“遺産”と とはいえ、観光や訪問は不可避なものであり、そ いう言葉を区別している(Graham et al. , 2000)。 れどころか喜ばしい発展であるとして受け入れら 過去とは、すでに起きた物事すべてを意味し、一 れるようになりつつある。保全のための余分な収 方で歴史とは、現在の歴史家が過去の選ばれた側 入を創出することが可能となり、遺産資源がより 面を説明しようという試みのことである。また本 高い関心と宣伝を享受し、先住民族が注目を集め、 質的に、遺産とは、過去の現代的な活用であり、 その伝統までもがツーリストの興味対象となるこ 解釈と表現の両方を含んでいる。しかしながら、 とで復活し得る(例:踊りや工芸など)。適切な方 遺産の概念は、遺産産業の成長とともに、商業化 法で遺産景観の保全を図る必要性に対して認識が または商品化と結びくようになってきた。結果と 高まり、常に道具や技術は改善されている。 して、過去または歴史は、遺産という形態におい 遺産は多様な側面を備えており、歴史的な遺物 て、娯楽の源泉として悪用されまたは歪曲される から歴史的建造物、歴史的景観、および過去の人々 べきか、というところまで論争が及ぶこととなっ の物語まで多岐にわたる。遺産資源は、以下のも 36 スコによって指定された、世界のきわめて独特な のを包含しうる。 文化および自然の遺産である。リースクとファイ アルは、世界遺産“ブランド”の過剰な露出が頻 ・モニュメントや歴史的建造物、考古学遺跡など、 発しており、多くの場所で飽和状態に向かいつつ 構築された遺産資源 ある、としている(Leask & Fyall, 2006)。現在、 ・国定公園や景観、海岸線および洞窟など、自然 ほぼ間違いなく、コントロールの難しいマス・ヘ の遺産資源 リテージ・ツーリズムの形態が形成されている。 ・教会堂や大聖堂、神殿、モスク、シナゴーグや、 ユネスコは、世界遺産が可能な限りの人々に公開 巡礼路や巡礼都市など、宗教的な遺産資源 ・高山や工場、工業景観など、工業的な遺産資源 されるよう便宜を図るべきと規定しているが、多 ・著名な作家の家や故郷の街など、文学的な遺産 くの主要な遺産資源では、訪問者の受容と資産の 保全のバランスが困難になりつつあることが判明 資源 している。このプロセスは、地元の共同体が景観 ・芸術家にインスピレーションを与えた景観や環 の一部を成している場合、明らかに複雑なものと 境など、芸術的な遺産資源 なる(例:歴史的都市や文化的景観など)。結果と ・伝統的な祝祭や行事、踊りや民族博物館など、 して、それぞれの世界遺産は、保全と訪問者およ 文化的な遺産資源 び地域的な課題に対する方針を概括したマネジメ このように遺産資源は幅広い類型を持つため、ヘ ント・プランの策定を求められている。世界遺産 リテージ・ツーリズムのマネジメントは複雑なプ の多様性は、マネジメント・プランの大幅な標準 ロセスになる。中心となる課題は、保全とビジタ 化が困難であることを意味し、またマネジメン ー・マネジメントのバランスを取ることである。 ト・プランは、それぞれの遺産の固有の特性や独 保全は、遺産をある程度適応させることを認める 自の性質に対処することを目指さなければならな が、広範囲に及ぶ訪問や観光の発展に対して遺産 い。世界遺産リストに登録されていない遺産物件 が常に開放的であるとは限らない。複合的な都市 の運命は、所有者のマネジメント哲学と財政的状 環境(例:歴史的な都市)における観光のマネジ 況に大きく依存しているが、概して彼らは遺産を メントは、明らかに単体の遺産地域の場合よりも 保護し発展させるためにさらなる努力をしている。 統合的なアプローチを必要とする。意思決定の政 世界遺産リストと同じように、幾つかが失われ 策と計画は、より広範な都市開発のコンテクスト てしまった過去の世界七不思議に代わって、新た に基づいて統合される必要があり、また都市計画 な世界七不思議のリストを選ぶプロジェクトも行 の担当と観光開発者、保存専門家および地域住民 われた。これぞと思う物件についてオンラインで のあいだにある、それぞれの利害関係の競合に対 の公開投票が行われ、2007 年の投票結果では、文 処しなければならない。歴史的な都市は、生きて 化的な物件について以下の 7 つが選ばれた。 活動している共同体の居住する場であり、訪問者 の利便を図る観光産業や遺産産業によって化石化 ・チチェン・イッツァ(メキシコ) され、生きた博物館とされるような、単なる歴史 ・コロッセオ(イタリア) 的資源とみなすべきではない。 ・マチュピチュ(ペルー) ・コルコバードのキリスト像(ブラジル) いくつかの世界的な遺産資源、とりわけユネス コの世界遺産や歴史的な都市において、観光客数 ・万里の長城(中国) は懸念の対象となりつつある。世界遺産は、ユネ ・ペトラ(ヨルダン) 37 しかしながら、遺産が無視されたり不適切な保 ・タージ・マハル(インド) 護の状態におかれたりしているのは、先住民族や ユネスコの前理事長フェデリコ・メイヤー・ザラ 部族集団ばかりではない。サミュエルは、遺産が、 ゴザを主審査員として、2011 年までに自然に関す その時々の社会の価値観や大衆の嗜好を映し出す る世界 7 不思議も選出されることになっている ことで、時代の支配的美意識を反映する傾向があ る、とする(Samuel, 1994)。これは、支配的美 (*訳注1) (www.new7wonders.com 参照)。 ユネスコはまた、無形文化遺産を保護する条約 意識が本質的に偏見かつエリート主義であり、白 も策定した。この決定は、部分的には、グローバ 人・中流階級の男性ヨーロッパ人の主観が伝統的 リズムの文化的影響と独自の伝統および言語の消 に反映されてきた、ということを意味する。社会 失に対する懸念と、および多くの非西欧諸国にお におけるマイノリティとエスニック・グループの ける無形の遺産の重要性に対する認知度の上昇に 遺産を価値づけるための尽力は、ポストモダン的 依拠している。条約は、無形文化遺産が特に以下 な思考と文化主義の影響ゆえに過ぎない。一般社 の分野に認められることを述べている。 会の歴史ですら、伝統的には王室や軍事的な出来 事の歴史によって片隅に追いやられてきたし、男 性の歴史は常に女性の歴史よりも集中して探求さ ・無形文化遺産の伝達手段としての言語を含む、 れてきた。しかし、遺産保全や博物館は、より広 口承による伝統および表現 ・芸能(伝統音楽や舞踊、演劇など) 範囲の人々の遺産について焦点を当てるようにな ・社会的慣習、儀礼および祭礼行事 りつつある。ポストモダン的な歴史の多元化とそ ・自然および万物に関する知識および慣習 の解釈および表現は、産業的、農業的、および民 ・伝統的な工芸技術 衆的な遺産を高く評価する方向へ進んでいる。資 金は限定的であり、支援するべき、または表現す ブラウンは、先住民族がしばしばその伝統に対し るべきものについての決断は未だになされていな て秘密主義をとるため、無形遺産の保護がいかに いが、そのプロセスはより民主的なものになりつ 複雑なものになりうるかを述べている(Brown, つある。 2003)。多くの先住民族集団は、彼らの文化遺産 遺産のインタープリテーションの性質について が優勢な外部の人々によって私物化されることを も、興味深い議論が行われている。理論家たちの 恐れており、そのため情報を公開することに対し 幾人かは、遺産が過去を健全化したり栄光を加え て乗り気ではない。先住民族と部族集団は、その たり、または和らげる傾向がある、としている。 伝統と文化、そして遺産を守ることに関して、彼 例えば、スワーブルックは、多くの博物館におい ら自身の独自の問題を抱えている。伝統的に彼ら て、対立や論争を避けるための慎重な試みとして、 は、開発側が賞賛するような特別な景観のなかで “ソフトな”遺産に焦点を当てる傾向がある、と 生活してきた。加えて、工業的、運輸的、および 指摘した(Swarbrooke, 2000)。訪問者の多くは 観光的な開発が、彼らの遺産をさらに侵食するよ その余暇のなかでショックや恐怖を受けるよりも うに脅かしている。住民は観光客の興味関心に対 娯楽を望んでいるため、観光の分野ではこの傾向 応して慣習を変えたり、観光客の行動様式に影響 は一般的といえる。ショーテンは、訪問者は歴史 されたりするため、過剰な訪問者は、先住文化に 的な現実という厳然たる事実よりも経験を探求し 対する文化変容やその恒久的変化を引き起こす可 ている、とする(Schouten, 1995)。しかしながら、 能性がある。 ティルデンは、遺産のインタープリテーションと 38 は人々を刺激し、衝撃を与え、その心を動かすこ Heritage Tourism がある。いくつかの本では、世 とを目的とするべきだ、と論じている(Tilden, 界遺産のような“遺産”に関わる要素に焦点を当 1977)。タンブリッジとアッシュワースおよびレ てている(Leask & Fyall 著 Managing World ノンとフォーレイは、 “暗い”または“不快な”遺 Heritage Sites 参 照 。 国 際 的 な Journal of 産の概念と、まさにその本質から微妙な扱いを要 Heritage Studies および Journal of Heritage し、さまざまな論議の対象となり、感情に訴えか Tourim も参照の価値あり)。 け、時には衝撃的でもある虐殺の遺産について、 綿 密 な 分 析 を 提 示 し て い る Tunbridge & 【推薦図書】 Boyd, S. and Timothy, D. (2002) Heritage Tourism. London: Prentice-Hall. Ashworth(1996)と Lennon & Foley(2000)。 遺産は、ツーリズムの目的にとって多様な利用 Graham, B. Ashworth, G.J., Tunbridge, J.E. (2000) A Geography of Heritage: Power, Culture and Economy. London: Arnold が可能である。その例の一つは、演技者が雇われ て、よく衣装をまとって過去を再創造または再現 Leask, A. and Fyall, A. (eds.) (2006) Managing World Heritage Sites. Oxford: Butterworth-Heinemann. する“生きた遺産=リビング・ヘリテージ”であ る。歴史家や保存専門家たちからこうした遺産の 形態について“歴史的な正確性”を懸念する声が 聞かれるが、これらは徐々に一般化しつつあり、 また一般市民も参加することすらできる。例えば、 戦いの再現は、ヨーロッパの多くの人々にとって (訳注 1)2011 年に選出された新世界 7 不思議の 自然物件は以下の通り。アマゾン川と熱帯雨林(ボ リビア、ブラジル、コロンビア、エクアドル、フ 趣味となっている。 ランス領ギアナ、ガイアナ、ペルー、スリナム、 概して、ヘリテージ・ツーリズムは、世界の主 要な成長産業の一つとなりつつあり、結果として、 より多くの人々が過去の保全とインタープリテー ベネズエラ)、ハロン湾(ベトナム)、イグアスの 滝(アルゼンチン、ブラジル)、済州島(韓国)、 コモド島(インドネシア)、プエルト・プリンセサ ションに関心を持つようになったといえよう。し 地底河川(フィリピン) 、テーブルマウンテン(オ かしながら、その伝統的なプロセスと慣習は、遺 ーストラリア)。 産の多様性を認め、人々とその文化の幅広さを包 【高根沢】 含するような、より民主的なものへと徐々に置き 換えられつつある。 【成熟世代のツーリズム(Mature Tourism) 】 【関連項目】文化ツーリズム、ダーク・ツーリズ 一般に成熟世代或いは老年世代のツーリズムとは、 ム、先住民ツーリズム、アーバン・ツーリズム 絶え間なく増大しつつある西洋先進国の 55 歳以 上のベビーブーマー世代やボボス世代のツーリス 【読書案内】 トを指す。 文化ツーリズム(該当項目参照)に関する無数の 本に加えて、遺産研究とヘリテージ・マネージメ 国連(2002)によれば 2050 年までに 60 歳以上 ント、および近年にはヘリテージ・ツーリズムに 人口が 5 分の 1 となり、2150 年までにこの割合が 関する本が多数出版されている。例えば、Graham 3 分の 1 に高まることが予測されている。20 世紀 et al 著 A Geography of Heritage: Power, の後半を通し先進国の平均寿命は 20 歳延び、地球 Culture and Economy や Boyd & Timothy 著 全体での人間の寿命は現在の 66 歳に達した。勿論、 39 国により違いはあるが、ツーリズム活動を産み出 ツーリストとしてのみ捉えたりする傾向にあった しているほとんどの主要国家の国民の寿命は平均 からである。この憲章の起草者は、シニア世代の 以上である。 ツーリズムが他の同世代の人々との友情やロマン 55 歳以上の多くは既にリタイアしている場合 ティックな関係に繋がる機会や、新たな経験や反 が多いわけだが、特に西洋先進国においては、旅 省をもたらす機会を与えうるものだと示唆し、結 行がリタイア後の経験の不可欠な一部であること 果として目的意識が養われると考えている。起草 がますます一般的となってきている。先行世代と 者はまた、在宅中のシニア世代を取り巻きうる身 比べ、ベビーブーマー世代(ヨーロッパや合衆国 体的苦痛、迫り来る死、低下する社会的地位とい で第二次世界大戦直後に生まれた世代)やボボス った感情からの逃走をツーリズムが与えうるかも (半ばボヘミアン、半ばブルジョア的な人々)は しれないと宣言する。 長生きし、より長く活動的であり続け、より多く Moscardo(2006)は合衆国とオーストラリアの の可処分所得を持っている。この理由により、55 研究を利用しつつ、これらの国家における成熟世 歳以上のツーリストを記述する為に用いられる一 代のツーリストの現在の大きな需要や旅行に関す 般的な言葉は“成熟世代のツーリズム”や“第三 る嗜好性を示している。しかしながら彼女は、こ 世代のツーリズム”となる傾向にあるだろう。こ の特定のセグメントのウォンツやニーズを他の世 れらの言葉は 60 歳以上に対し一般的に用いられ 代集団のそれと差異化することは困難だと言う。 る“白髪のツーリスト”や“シニア世代ツーリス Dann(2001)は、シニア世代はより若いツーリ ト”よりも耳あたりの良いものであるだろうから スト達とは異なる活動(他の旅行者との社交、文 だ。経済社会的な研究によれば、男女を問わず 50 化的歴史的目的地の訪問、ガイド付きツアーへの 歳を超えた人は誰でも一生で最高の収益率を誇る 参加)に参加する傾向にあると示唆する。彼らは 時期にある。というのも彼(彼女)らはローンを あまり発展していない地域に郷愁を誘う質を求め 払い終わっていたり、 (親世代であれ子供世代であ たり、身体的にハンディがある場合は特別なケア れ)扶養家族に対する主要な金銭負担を支払い終 サービスや方策を求めたりする。しかしながら、 わっていたりする可能性があるからである。こう 成熟世代のツーリスト達は全くもって同質的なツ して、彼(彼女)らは自己裁量で使えるより多く ー リストであ るわけでは ない。 Cleaver et al. の収入と旅行する為の独立及び自由を持つことと (1999)による要因分析の結果によれば、シニア なるのだ。故に成熟世代のツーリストは、旅行関 世代のツーリストを旅行動機で分類すると以下の 連消費者のうちでも最も数が多く、最も収益が期 7 つとなることがわかった。 (相対的な大きさの順 待できる集団である。 に並べると)以下である。 世界観光機関(WTO)による 1996 年の“シニ ア世代のツーリズムに関するレシフェ憲章”はシ ・郷愁を求める者 ニア世代或いは成熟世代のツーリズムと生活の質 ・友人関係を求める者 との間に明白な関係を打ち立てた最初の文書であ ・学習者 る。この宣言はまた、このような関係を検証する ・逃避者 調査を要請した。というのもそれ以前の研究は、 ・思考者 リタイア世代を単にオフシーズンに旅行できる、 ・ステイタスを求める者 可処分所得を持つニッチ市場としてのみ捉えたり、 ・身体的運動を求める者 この増加しつつある人口部門を単に別のタイプの 40 ・ 家族や友人と時間を過ごすこと、ルーチンワ シニア世代の旅行者達が潜在的には他の市場セグ メントと同程度に多様性を持つ点に注意する為に、 ークからの解放、常に関心のあった場所を訪 この論文は参照に値する。しかし、幾つかの共通 問することによって動機づけられている 特徴が同定されうる。Horneman et al.(2002)は高 ・ 利用可能な医療施設や個人的援助の機会、旅 年齢の旅行者達をプロフィール分けする研究を進 行中の健康保険に関する心強い情報を探す め、成熟世代のツーリストについて以下を結論づ けた。 このグループの為の商品を開発する際には、健康 即ち、成熟世代のツーリストは、 面での補助や身体的負担の格付け、気候状況など、 年齢に比例して重要となる諸側面が巧みに計算に ・目的地により長く留まる 入れられねばならない。しかし、高年齢の人々の ・計画により長い時間をかける 旅行を限界づけたり制限したりする幾つかの要素 ・より頻繁に友人や親戚を訪ねる があることが認識されてきたのも事実である。こ れらには以下のものが含まれる。 他の研究によると、成熟した旅行者はパッケージ ツアー、特に長距離バスやクルーズに乗るオプシ ・安全性に関する問題 ョンツアーを好む傾向にある。温暖な場所への長 ・健康に関する問題 距離ドライブもまた人気がある。成熟世代のツー ・利用可能な時間 リストはますます活発になりつつある傾向にもあ ・コスト る(Moscardo,2006)。2002 年、オーストラリア ・家族に対する責任 の“ツーリズム・クイーンランド”は彼らが“白 ・適切なオプションに関する情報の不足 髪の”、或いは“シニア世代の”と称するツーリズ (Moscardo,2006) ムについて若干の調査を実施した。彼らはシニア 成熟世代や第三世代のツーリズムが持つ他の意 世代について以下を結論づけたのだった。 味は、例えば“3 つのS”(Sun-Sea-Sand ・ 全体として(76%)、旅行は一般的健康や幸福 太陽 を維持する為に重要だと感じられている。 ―海―砂)から成るリゾートを見ることで見出さ ・ 若年層よりも高い割合で、可処分所得を旅行 れる。このタイプのリゾートは地中海地域におい て十分に成熟を遂げてきたもので、Butler(1980) に費やす が有名な「ツーリズム・ライフサイクル」論文で ・ 慎重に予算を組み、旅行中はお金の価値につ 言及したものである。これらの成熟したリゾート いて意識的である傾向にある 地は 40 年以上の活動を経て、旅行経験の豊富なツ ・ 一般的に若い旅行者よりも休日のプランニン ーリストにとってのアピールポイントが小さくな グに長い時間をかける ・ 若い世代よりも旅行情報を多く消費する ってしまったほどの標準化を遂げており、今や再 ・ 若い世代よりもオフシーズンに旅行する傾向 生の為の政策やプログラムを考えねばならない。 興味深いことに、その為の一つの主要な方法が成 にある 熟世代のツーリストを呼び込むことなのだ。とい ・ お気に入りのツアーガイドを利用したり、過 去の旅行経験に基づき休日の在り方を選んだ うのも彼らはオフシーズンに訪問することができ、 りするなど、若い世代よりもブランドへの忠 恐らくはセカンドホームをそこに買う可能性も持 誠心を示す傾向にある っているからである。 41 Dann, G. M. S. (2001) ‘ Senior tourism and quality of life’, Journal of Hospitality and Leisure Marketing, 9(1/2): 5-19 第三世代のツーリズムはITとの親近性を指示 するものとしても用いられうる。ツーリストは近 代世界の第三の革命、即ちITとインターネット Horneman, L., Carter, R. W., Wei, S. and Ruys, H. (2002) ‘Profiling the senior traveler: an Australian perspective’, Journal of Travel Research, 41: 23-37 のおかげで市場を制御することとなった。つまり 市場が供給主導型の産業から需要主導型のビジネ スに変化しているのである。ITとインターネッ Moscardo, G.(2006)‘Third-age tourism’, in D. Buhalis and C. Costa (eds), New Tourism Consumers, Products and Industry: Present and Future Issues. Oxford: ButterworthHeinemann. pp.30-9. トはマス型のパッケージツアーから個人による “ダイナミックパッケージ”への突然の変化をも たらした。 “ダイナミックパッケージ”は消費者自 身により組み立てられるが、しばしばそこには新 たなオンライン上の会社の手助けが介在している。 これらの会社は消費者ニーズに関する専門的知識 【原】 【ツーリズム計画(Planning Tourism)】 によって顧客のロイヤリティを作り上げていくの である。ITとインターネットはまた、インター 計画とは、ツーリズムの正の影響を最大化し負の ネットブログを通した「口コミ」広告という新た 影響を最小化すべく、ツーリズムを管理・統合的 な現象をも生み出した。成熟世代のツーリストに に発展させることを指す。 よるインターネット利用に関する Cho(2002)の研 究に従うと、インターネットを利用する成熟世代 ツーリズムは、多くの国にとって魅力的な開発 の旅行者は利用しない層と比べ、相対的に若く、 の選択肢のひとつである。ツーリズムが重要な経 相対的に高い年収を持ち、相対的に高い教育レベ 済的便益をもたらすからだ(参照:ツーリズムの ルを持つ。また、仕事を持つ者の方が持たない者 経済的側面) 。しかし、政府がツーリズムを容易な よりもインターネットを使う傾向にあるという点 成長への近道と認識し、経済的な考慮が社会や環 も結果として指摘されている。 境への配慮に影を落としたり、より重要視された りすることもしばしばである。ただ、この場合、 【読書案内】 負の影響が目的地(目的地)に負の影響をもたら 1999 年、Pearce と Singh の編集による雑誌 すなら、訪れる人が途絶えたり、ツーリズムに依 “Travel Recreation Research”が特集を組んだ。 それ以来多くの雑誌論文が“成熟世代”、 “シニア”、 存するようになって何らかの危機が観光目的地を 破壊してしまったりする(参照:危機管理)。 “白髪の”、“第三世代”に関するツーリズムを扱 ツーリズムの負の影響のうち、典型的なものを ってきている。 (特に Greham Dann の諸論文を参 いくつかをみてみよう。 照のこと。)ここでも論及した Moscardo(2006)の 経済 論文も有益なものである。 ・ 経済がツーリズムに依存しすぎる ・ ツーリズムをコントロールする外国の運営・投 資家が多すぎる 【推薦論文】 Cleaver, M., Muller, T. E., Ruys, H. F. M. and Wei, S.(1999) ‘Tourism Product development for the senior market, based on travel-motive research’, Tourism Recreation Research, 24 (1): 5-11 ・ ツーリズムが新たな形の帝国主義や植民地主 義に感じられる ・ ツーリズムが強調されすぎて、他の産業がない がしろにされる 42 ・ 地元の人々にとって不安定で不十分な雇用条 件ができあがる ・ 発展 環境 ・ 停滞 ・ 植生が損なわれる ・ 衰退あるいは活性化 ・ 整理 (訳注1) ・ 生態的な撹乱 ・ 水質汚染 以来このモデルは何度も参照されてきたが、そ ・ 大気汚染 れでも依然として多くの目的地が過去の過ちから ・ 建築汚染 学ぶ事ができずに、同じサイクルに陥っている。 ・ 廃棄物汚染の問題 しかし最近は、ほとんどの目的地は、ツーリズム ・ 考古学遺跡や歴史的遺跡の損傷 を持続的に発展させるためにはツーリズム計画が ・ 混雑 不可欠だと認めている(参照:持続可能なツーリ ・ 土地利用の問題 ズム)。これは、いわゆるマスタープランの形をと 社会文化 ることが多い。5 年から 7 年間の計画で、段階や ・ 文化衝突や相互の文化への誤解 局面を分けて、一連の手段やガイドラインを定め ・ 地元の人々が搾取されていると感じる ている場合が多い。民間のコンサルタントが、国 際機関や政府機関と協力して執筆するのがふつう ・ 施設が混雑し、「ツーリスト租界」ができる である。プランニングチームの典型的な顔ぶれは ・ ツーリズムによる社会問題の深刻化 次のような構成になる。 ・ デモンストレーション効果(地元の人々が観光 者の行動をまねる) ・ 結果的な社会的紐帯の侵食 中核メンバー ・ 文化が商業化されすぎ、真正性が失われる ・ ツーリズム開発プランナー ・ ツーリズム経済 マス・ツーリズムが始まったころは、事前の計画 ・ ツーリズム交通/インフラプランナー がほとんどないまま、開発がおこなわれがちだっ ・ マーケティング専門家 た。つまり、観光地(目的地)は、長期的な影響 追加メンバー を考慮せずに、たんに需要に応じてランダムに場 ・ 環境専門家 当たり的なやり方で開発されたということだ。そ ・ 考古学者/社会学者 の地域や住民の経済、環境、社会、文化的なニー ・ 人的資源専門家 ズはほとんど考慮されず、負の影響が生み出され、 ・ ホテル専門家 ついには多くの目的地が停滞、衰退し、訪問者に ・ エンジニア は魅力的でなくなった。こうしたパターンはツー ・ 建築家/デザイナー リズムの避けようのない一部だと Plog (1974)は 示唆している。Butler (1980)のツーリズムのライ 計画はすべてのレベルで行われうる。Inskeep フサイクルモデルは、目的地の潜在的な運命を描 (1991,1994)は、異なるレベルでは計画の優先度が くのに頻繁に利用されている。 異なることを示した。国際的計画や地域計画では、 国を横断するマーケティングやツアーや交通のコ ・ 探究 ーディネーションが焦点になる。国レベルの計画 ・ 関与 ではツーリズムと他の経済部門との調整(コーデ 43 ィネーション)が問題になる。地方レベルの計画 ・ 異文化交流 はより詳細になり、環境や経済、社会文化などに ・ 女性解放の機会 焦点が当てられる。 しかし、マスタープランは一国、あるいはある どのようなアプローチとプロセスを選ぶかが重要 国の一地方について適用されるのが普通である。 だろう。さまざまな開発アプローチが、伝統的に 自然資源(たとえば、海、山脈、滝など)を共有 物理的、あるいは経済的な計画に焦点を当ててい する国々での国際レベルの計画や、 (カリブ海、南 たが、社会的、文化的要素も、より重要とはいか 太平洋など)地域計画はいくつかあるしれないが、 なくても、同様に重要視されてきている。それぞ それぞれの国で別々に計画がつくられるのが慣例 れの目的地ごとに、ツーリズム開発の主目標を確 だろう。 (国によって)規模、地理、資源、政治構 立する必要がある。たとえば、経済的な便益を最 造、社会構造、文化伝統が異なるからである。そ 大化する、環境を拡大する、地元住民の生活の質 の国が先進国か途上国か、内陸国や島国か、政治 を改善する、訪問者の満足を確実にする。目的地 的に安定しているか、不安定か、などによって異 のイメージを改善する、などがある。主なステー なるアプローチが必要になるだろう。地域的計画 クホルダー(利害関係者)を特定し、意見を聞く必要 や一国内の地方の計画をつくる場合、目的地の種 がある。たとえば、公共部門、民間部門、ボラン 類(臨海、都市、農村、山岳、温泉など)によっ タリー部門、そして地元住民や観光客(visiter)であ て違いが生じる。 る。公共部門の agency は、ツーリズム開発が管理 もし、ツーリズムが適正に計画されれば、次の され、倫理的であると保証するために民間部門の agency を管理する必要がある。開発が始まる前に、 ような好ましい影響がつくりだせる。 金融資源が保障される必要がある。時間軸は現実 経済 的なものとし、影響評価や研究の形(環境影響評 ・ 雇用の創出 価や、地元住民や訪問者からのフィードバックな ・ 外貨の獲得 ど)で開発を継続的に監視すべきである。 Inskeep(1994)には、国レベルや地方レベルのツ ・ 生活水準の向上 ・ 他の経済部門の拡大 ーリズム計画のチェックリストが提供されている。 環境 そこには、開発の目標や、ツーリズムによって、 あるいはそれを通じて何を達成すべきかを特定す ・ 自然地域の保全 ることが含まれている。フィージビリティ分析を ・ 歴史的・文化的サイトの保全 実施し、環境面やインフラ開発面での提案を行う ・ 地元地域の“クリーンアップ”の誘因 必要が明確である。ツーリズムの適切な形態や規 ・ 地元の環境の向上 模も特定すべきだ。既存のもの、未開発のものを ・ 地元のインフラの改善 問わず、観光者向けアトラクション、サービス、 ・ 地元の人々の環境的配慮意識の向上 施設について、それらがどのように改善・開発で 社会文化 きるか、強調すべきである。経済、環境、社会へ ・ 文化遺産の保全への刺激 のツーリズムの影響も、便益を最大化し損害を最 ・ 伝統や慣習の再活性化 小化できるように考慮する必要がある。需要が存 ・ 文化施設の発展 在し、開発計画の種類と互換性があると保証する ・ 文化的な誇りの更新 ためには、市場調査と市場予測もまた重要である。 44 最後に、すべての計画は実施段階全体を通して、 モニター・評価すべきで、モニタリングと評価は 同時進行でおこなうのが理想的である。 不幸にも、多くの要因がツーリズム計画に影響 しうる。倫理的で持続的な計画が作成されたとし ても、その計画が実施できる、実施されることを ・ 「グローバル」な計 画づくり ・ 「ローカル」な計画 づくり ・ 均質的 ・ 多様性の考慮 ・ 国境 ・ 多層レベル ・ 計画と実施のギャッ プ ・ 計画に統合された実 施 必ずしも意味しない。政府は計画を実施する手段 逐次的な計画づくりでは、開発を常に再検討、監 を持たないかもしれないし、腐敗しているかもし 視するが、これによってプロセスはお金も時間も れない。開発は法律によって十分規制されていな 余計にかかることになり、多くの目的地が負担で いかもしれない。コンサルタントや民間部門のエ きない。しかし、多くのプランナーは、ツーリズ ージェントが非倫理的に行動し、プロジェクトか ムで何が達成可能であるか、達成すべきか、より ら手を引くかもしれない。コミュニティが開発に 現実的で注意深くなり始めている。新しい計画づ 抵抗し、協力を得られないかもしれない。訪問者 くりのパラダイムも考えられつつある。すべての が目的地の扱いを誤るかもしれない。自然災害や 目的地に有効な唯一の計画づくりのパラダイムが テロなどの危機がいつ何時襲うかもしれない。 あるのではない。異なる国、文脈に合わせて計画 また、マスタープランが多くの目的地にとって が採用されなければならない。計画づくりは、よ 計画の理想的な形態ではないという懸念もある。5 り広い政治的、社会文化的な変化の中に統合され -7 年の計画は柔軟性を欠き、計画を立案したコ るべきだ。利害関係者の権力構造や優先課題の順 ンサルタントとその計画を実施する人が違うこと 位(アジェンダ)に気付く必要があり、 (たとえば が普通だからだ。そこで、計画づくりの「第三の 地元のコミュニティや訪問者についての)新しい 道」や逐次的な計画づくりなどの、別の形態の計 社会的文化的なリテラシーの理解が求められてい 画づくりが関心を集めている。Burns(2004)はツ る。完璧な目的地などこの世に存在しないが、注 ーリズム計画でも第三の道がありうると示唆して 意深い計画づくりによって、開発者が倫理的かつ いる。それは、政治的、社会的に特定され、部門 持続可能なツーリズムを創り出すことに近付ける 横断的、部門内部の、何が実際に達成できるか現 のは確かである。 実的で、問題や影響が生じた際にはそれらの解決 に取り組み、誰が受益者かを正確に考え、経済的、 【関連項目】危機管理、ツーリズムの経済、倫理 社会的文化的多様性を考慮するものだ。逐次的な 的ツーリズム、持続可能なツーリズム 計画づくりは、目的地でのツーリズムの発展、そ の影響、地元の人々や訪問者の経験に対応するこ 【読書案内】 とを目的としている。次の表に、マスタープラン ツ ー リ ズ ム 計 画 づ く り に は 、 Edgell(2007) 、 と逐次的計画の違いをまとめた。 マスタープランづくり 逐次的な計画づくり ・ 厳格で柔軟性がない ・ 統合的なアプローチ ・ 専門家としてのプラ ンナー ・ ファシリテータとし てのプランナー ・ トップダウン ・ ボトムアップ Mason(2003) な ど 多 数 の 良 書 が あ る 。 Var & Gunn(2002)やInskeepのどの著作も依然として重 要である。国や地域のツーリズム計画づくりに活 発に関与しているので、以下の機関のウェブサイ ト も 参 照 に 値 す る 。 世 界 観 光 機 関 ( WTO ) (www.worldtourism.org)、世界旅行産業会議(WT TC) (www.wttc.org)、 太平洋アジア観光協会 45 ( Pacific Asia Travel Association や再興(Renaissance) (生まれ変わる)と同義と ) (www.pata.org) みなされ、必然的に開始時点での衰退 (de-genaration)も意味する。イギリスの文化・ 【推薦図書】 Edgell, D. (2007) Tourism Policy and Planning: Yesterday, Today and Tomorrow. Oxford: Butterworth- Heinemann. メディア・スポーツ省は、再生を、 「居住地域、商 Mason, P. (2003) Toursim Impacts, Planning and Management. Oxford: Butterworth-Heinemann. よい方向に変身させること」と定義している。こ 業地域、空き地であれ――それまで物理的、社会 的、及び経済的な衰退症状を見せてきた場所を、 の定義が強調しているのは、再生の概念は主に産 業衰退後に再開発される地域に適用するもので、 Var, T. and Gunn, C. (eds) (2002) Toursim Planning: Basics, Concepts and Cases, London: Routledge. 産業の発展途上にある地域に実際には用いないと いう点である。つまり、再生は、欧米を中心とし (訳注1)バトラーの観光地の発展サイクルにお た先進諸国(例えばヨーロッパ、アメリカ、カナ ける 6 段階について、山上徹は、①予備的段階、 ダ、オセアニア)で注目されてきたと言える。 ②地域連累段階、③発展段階、④整理統合段階、 しかし近年では、香港、東京、ハノイ、クアラ ⑤停滞段階、⑥衰退段階の訳語を当てている(山 ルンプール、バンコクなどアジアの都市を含む全 上徹「バトラーの観光地発展サイクル」香川眞編 ての都市の経済的、環境的、及び社会的な開発プ 『観光学大辞典』木楽舎、2007 年、p.114)。他方、 ログラムにも、再生という用語が使われる場合が 奥本勝彦はラムズドンの著作の翻訳書で「仮説的 増えてきた。再生という用語は、都市における新 観光客地のライフ・サイクル(ママ)」の図に、探究、 たな文化的創造的地区、ウォーターフロントやエ 関与、発展、整理、景気停滞、衰退・リニューア ンターテイメント地区等にも言及するようだ。 ルの訳語をあてている(レス・ラムズドン、奥本 再生とは、さまざまな手段(土地開発、営業開 勝彦訳『観光のマーケティング』多賀出版、2004 発、小売店開発、芸術振興等)を用いて対象地域 年、p.251)。今回は奥本の訳を主に踏襲した。 全体の価値を高め、衰退した市街地やリゾート地 【小槻】 を再活性化することを目的とするプロセスだと説 明される場合が多い。都市の再生戦略は、当初は 主に、戦後の都市の衰退や、特に都心部の荒廃を 【都市・地域再生(Regeneration)】 招いた格差、貧困、犯罪、失業者の増加の対策と 再生とは、経済的、環境的、及び社会的に衰退 して発達した。1970 年代から 1980 年代における した都市・地域の再開発を指す。再生には、一般 産業の空洞化とそれに続く世界的な経済の再構築 的に文化的アトラクションやイベントのようにツ を契機に、米国や西ヨーロッパの多くの都市で都 ーリストを誘致したり、将来的な投資や開発を誘 市再生戦略が発展した。また以前はツーリズムの 発するとされる大規模プロジェクトも含まれる。 目的地として考えられていなかった都市や都市内 の地区にツーリストを誘致する手段として、都市 再生を用いることが次第に多くなってきた。 近年、とくに経済的、産業的に著しい衰退を経 Maitland(2007:25)は次のように述べている。 験した国々において、都市・地域再生が政策課題 上、ますます目立つようになっている。再生 今やツーリズム、レジャー、文化活動は、先進国 (regeneration)という言葉は、多くの場合、再 の都市を経済的に立ちゆかせるには当然必要なも 活性化(Revitalisation)(新たな命を吹き込む) のとみなされ、再生や経済成長のための戦略にお 46 先進的な事例がみられる。これらの都市の多くは、 いても明らかに重要な要素とみられている。 きっかけとなる大規模な最重要プロジェクト(オ ツーリズムにおいて再生の概念がたびたび応用 リンピック、 「欧州文化首都」指定、大規模な博物 されてきたのは、Butler(1980)のライフサイクル 館、美術館、国際会議場)を手始めに、一連のイ モデルの諸段階(訳注1)を進んできた海辺リゾート ニシアティブを段階的に積み重ねてきた。そうし である。ヨーロッパの伝統的なリゾート地で、 た‘旗艦’プロジェクトがその都市を観光地図に 1950 年以降の産業の空洞化や消費者ニーズの変 載るほどに有名にし、観光客をひきつける。都市 化による衰退や停滞を経験しなかったところはほ 再生や観光者の誘致に用いられることの多い文化 とんどない。結果的に、周辺環境の劣化や景気の アトラクション、会場、イベントは下記の通りで 低迷はもちろん、ツーリストの不満や悪いイメー ある。 ジが生まれてしまった。Agarwal (2002)は、バト ラーのライフサイクルモデルを批判的に分析し、 ・ ‘旗艦’プロジェクト(例えば、万国博覧会、オ リゾート開発における停滞期後の戦略を理解する リンピック、ミレミアム・ドーム(訳注2)) には、むしろリストラクチャリング(事業再構築) 理論のほうが役立つと示唆している。彼女によれ ・文化と芸術の特別区の開発 ・美術館、ギャラリー、劇場、国際会議場 ば、リストラクチャリング理論をツーリズムに応 ・ウォーターフロント、ドックヤードの開発 用すれば、リゾート地に将来の再生という点でど ・フェスティバル、特別イベント のような経済的選択肢があるか理解しやすくなる。 したがって、衰退に対抗しやすくするために、環 ・ショッピングモール、郊外型の駐車場付き大型 ショッピングセンター 境やサービス品質の向上、商品の多様化、特化、 ・レストラン、バー、ナイトクラブ、カフェ ポジショニングの再検討などの戦略を採用するこ ・テーマパーク ともできる。これらの戦略を組み合わせたり、目 的地の性質や特性に応じて最もふさわしいアプロ 地域再生が一夜にして起こらないのは明らかだ。 ーチをリゾート地が選んだりする場合もあろう。 それは段階的なプロセスである。美学的に見て美 Bull(2001)は、ツーリズムが衰退したリゾートで しさで劣る、かつての産業都市の多くは、観光開 は、それまでとは異なる開発や多様化の選択肢を 発を再生戦略として考える前にすべきことが多数 考えるのがよいと提案している。また、イギリス あることを認めなければならない。すでに経済成 の海辺リゾートを分析した Walton(2000)は、海辺 長やその可能性を示さなくなった都市に、企業は リゾート自身の回復力と改革の能力を強調するが、 ツーリズムが再生の万能薬だとは必ずしも歓迎し 投資しない。同様に、観光者は大きな魅力があり、 インフラ設備が整備された観光地しか訪れない。 ない。確かに、必ずしもツーリズムが再生の中心 まず、特に産業が衰退している地域では、地域経 に考えられるとは限らない――おそらくツーリズ 済を多角化・強化する必要がある。Florida(2002) ムは、長期的な経済再開発とイメージ向上の過程 が提唱するように、仕事はサービス産業やクリエ が生むありがたい副産物に過ぎないのだ。 イティブ産業で創出できるだろうが、そのために は、政府による新興企業への支援やそもそもの企 多くの面白く刺激的なプロジェクトがアメリカ 業家精神を促す訓練が必要だろう。 で進行中であるし、さらにバルセロナ、ビルバオ、 ツーリズムを振興しようとするなら、ランドマ グラスゴー、リバプール、ロッテルダム、リスボ ークとなるビルや‘巨大イベント’が都心部にな ンといったヨーロッパの都市で、都市再生の最も 47 い場合は特に、交通や宿泊などの新たなインフラ 光者の嗜好は明らかに変化しており、より多くの 開発が必要になる。またツーリストの滞在期間や 観光者がショッピングモール、テーマパーク、複 支出を増やす機会も必要となる。たとえばビルバ 合レジャー施設など、外界から隔てられた飛び地 オも、都市再生とツーリズム開発の初期段階では (enclavic bubble)での「ハイパーリアル」な経 苦労した。グッゲンハイム博物館の明らかな「成 験の興奮に惹きつけられている。これはツーリズ 功」にもかかわらず、観光者が一度このアトラク ムの「遊び心」の一部である(Rojek 1993)。それ ションを訪れてしまえば、それ以外に見たりした ゆえ、このような空間の開発は、どうやらポスト りするものがほとんどなかったからだ。たとえ買 モダンの都市計画の顕著な特徴であり、したがっ い物(ツーリズムの主要な動機の一つである)や て都市再生に内在する一部であるようだ。 夜の繁華街(evening economy) (訳注3) 再生が成功した場合は、次のような恩恵がもた にしか関わ らされる。 らないものでも、より小さな補助的なアトラクシ ョンが必要だろう。しかし、活気を作り出すのは、 離れた場所、それも地元の人たちも頻繁に訪れな 経済・社会的便益 環境的便益 い場合は特に難しい。例えば、公共交通の増便、 ・ 雇用創出 確実なタクシーサービス、ホテルとアトラクショ ンの関係強化など、さまざまな誘因が必要であろ ・ 教育・研修プログラ ムの充実 ・ 土地と公共スペース の向上 う。 ・ インフラ整備 ・ 美化清掃の充実 ・ 宅地開発 ・ 大気汚染・水質汚染 の改善 トも観光者を誘致するが、それらは一時的なもの ・ 安心・安全の強化 ・ 緑化事業の拡大 で、その影響は常設のアトラクションや象徴的な ・ 余暇活動の充実 建物ほど長くは継続しない。とはいえ、オリンピ ックや欧州文化都市を誘致するためには、イベン ・ 文化的プロジェクト の開催 ・ 公共物と公衆芸術の 充実 ト後の遺産の再利用について詳細な戦略を示すこ ・ 観光収入の増加 とが求められている。バルセロナはこの遺産を見 ・ 内外におけるイメー ジ向上 フェスティバルやイベントなど短期間のイベン 事に管理してきた都市の一例で、以前オリンピッ ・ 産業又はとり残され た地区の改善 ・ 文化保護 クが行われた場所で継続して新しいアトラクショ 上記のような恩恵がある一方で、再生に際して注 ンが実施されている。近年、観光地同士の競争が 意深くマネジメントされなければ問題を引き起こ 厳しくなり、また消費者の志向が多様化する中に すこともある。下層住宅地において高級化が起こ おいて、観光地は過去の栄光にすがっている余裕 れば、その地区の生活費が上昇し、地域住民が住 はない。観光地はアトラクションの開発と(再) 居を手放さざるをえないこともあるだろう。また ブランディングの取り組みにおいて常に創造的、 観光地としての注目度を高め都市イメージを向上 革新的であり続けなければならない。先行研究に させるために巨大イベントが頻繁に使われるが、 おいても、観光地における再生と開発にはより創 多額の借金、利用価値のない建造物、退去させら 造的な取り組みが必要だと指摘されている。例え れたりとり残されたりした人々の存在など負の遺 ば、Richard and Wilson(2007)は、経験に基づい 産を生むこともしばしばである。成功したされる た創造的空間、創造的光景、創造的ツーリズムの プロジェクトの多くは、別の都市で模倣されるこ 開発促進を提唱している。ポストモダンツーリス とが多々ある(ビルバオの成功の後、多くの都市 トあるいは「ポスト・ツーリスト」と呼ばれる観 はビルバオのゲッゲンハイム美術館のような美術 48 館を自らの都市にも建設しようとした)。しかし、 【関連項目】都市ツーリズム 地域住民やツーリストの反応を決めるのは、その 都市ごとの状況や文化であろう。模倣した計画が、 【読書案内】 オリジナルな構想の成功に匹敵することはまれで 都市・地域再生に関する文献は多くあるものの、 ある。観光地開発における一般化あるいは均質化 ツーリズムに焦点を当てたものはそれほど多くな の問題も存在する。ある種の開発が非常にグロー い。例外は、Smith (2007)である。都市ツーリズ バル化し、どこででも成立してしまう問題である ム(別項参照)に関する文献も参照するとよい。 (ウォーターフロントの開発、ショッピングモー 都市・地域再生についても主要テーマ、副次的テ ル、複合エンターテイメント等)。もし世界中の観 ーマとして扱っていることが多い。 光地が同じに見え始めたら、旅行する理由などあ 【推薦図書】 Hallyar, B., Griffin, T. and Edwards, D.(eds) (2008) City Spaces-Tourist Places: Urban Tourism Precincts. Oxford: Butterworth-Heinemann. るだろうか? Smith(2007)では、都市再生戦略のケーススタ ディを用いて、どうしたら大損害をもたらす失敗 を未然に防げるかを示している。例えば、開発と Maitland, R. and Newman, P.(eds) (2008) World Tourism Cities. London: Routledge. デザインに対する創造的アプローチの選択が増え ていること、再生プロジェクトにおけるカリスマ Smith, M. K. (ed) (2007) Tourism, Culture and Regeneration. Wallingford: CABI. 的で強力なリーダーシップが出現していること、 公共性のある取り組みが商業的な取り組みを称賛 【田中/小槻】 していること、大規模なスポーツ・イベントの文 脈で長期的な成果が計画されるようになったこと、 国際開発や観光プロジェクトとともに地域問題が (訳注1)本稿「ツーリズム計画」の訳注1を参 照。 優先されるようになっていること、文化計画とコ ミュニティ計画を統合したアプローチが実践され (訳注2)2000 年に大規模展示会の会場として開 るようになっていること等である。かつて、文化 業したロンドン南東部グリニッジ半島にある世界 とツーリズムは、経済的、社会的な問題が解決さ れた後の再生計画の飾りとして考えられてきたが、 状況は変化し、より統合的なアプローチが採用さ れている証拠がある。確かに、文化とツーリズム 最大のドーム。口語で the Dome。現在は、複合 施設 The O2 となっている。 ( 訳 注 3 ) カ ー デ ィ フ 市 議 会 の 報 告 ‘ Draft 開発は都市・地域再生の触媒となりえる。他に全 Cardiff ’s Night Time Economy. ’ く見込みがないと思えるほど衰退してしまった都 County Council of the City and County of Cardiff, June 市に新たなレベルの希望をもたらすこともある。 2011)は night time economy (NTE)は「午後 6 時 旗艦プロジェクト、イベント、フェスティバル、 から午前 6 時の間に行われ、さまざまな余暇活動 革新的で象徴的な建築、文化と創造的アトラクシ (パブ、クラブ、映画、小売、劇場、カフェ、レ ョンの開発はすべて、都市の注目度を高め独自の ストランなど)とそれらを支える公共サービス(交 ブランドづけの機会を作るのに役立つ。より重要 通、警察、道路清掃など)を含む」としている。 なのは、それらが経済を強化し、社会的結合を高 また、オーストラリア首都特別行政区計画土地局 めるのに役立ちうることである。 の研究報告は、過去 20 年間の間に多くの都市で night time economy (NTE)g を再生戦略の一つと 49 みなし、 「文化計画」や「創造都市」と結びつけて メージおよび権力と密接なつながりをもつ(アイ きたとし、それをホスピタリティ産業やエンター デンティティおよびセックス・ツーリズムの項を テインメント産業と基本的に関わり、レストラン、 参照)。現在、プラスのパブリック・イメージ(あ パブ、ナイトクラブ、映画館、カジノ、音楽堂、 るいは、ゴッフマン (1959) で言うところの「外 劇場、ライセンス制クラブなどをその場とすると 面」)と権力は、富、それも供給不足の富の一形態 している。なお、同報告書は、evening economy と と捉えられている。パートナーは「大切な相手」 night time economy を区別する論者もいるが、 と呼ばれるが、そのことは同時に、自分とパート night は「午後 6 時から午前 6 時の時間を指す」 ナー以外の人々は特別大切でないということを含 と し て い る 。( ‘ Planning for Canberra’s 意しているとも言える。自分らしさを強調するた night-time economies’ Research paper ACT めに、 「大切な相手」を非常に強く欲する人もいる Planning and Land Authority, April 2011. のだ。もちろん、他方で、自らの行動を他者に認 ) めてもらうことを求めず、自足する人もいる。 【小槻】 大部分のアイデンティティは、他者との関係の 【自己と他者(Self and Other) 】 中で構築されており、そのことの哲学的な基礎は、 自己と他者についての実存主義理論に見出すこと 自己と他者という概念は、各々の個人的アイデン ができる(たとえば、ジャン=ポール・サルトル)。 ティティと、そのような意味での自己が、どのよ エドワード・サイードは、この考えをコロニアル うにして、ある程度は他者との関係によって形成 研究およびポスト・コロニアル研究へと分かりや されているかを示す概念である。この概念は、ツ すい仕方で拡張した。サイードの仕事は、次のこ ーリズムと密接な関係がある。というのも、多く とを調査しようとするツーリズム研究に多大な影 のツーリズム経験において旅行者は他者と関わる 響を与えてきた。すなわち、西洋と東洋の関係、 ことになり、ホスト共同体や旅行者仲間との関係 ヨーロッパの文化や権力の支配、合理的・科学的 の中で自己を再定義しうるからである。 な学識により知らされ、それゆえ東洋人の従属に ついての適当な正当化言説を供給する「この支配」、 そして「我々」と「彼ら」 、あるいは「自己」と「他 ウィリアム・シェイクスピアは、 「この世界はす べてこれ一つの舞台。人間は男女を問わずこれ役 者」の差別的二項対立論といったものである。 (訳注1) 者にすぎぬ」 という名言を遺した。[アメリ (Smith, 2003: 3) カの社会学者]アーヴィング・ゴッフマンは、講 自己と他者の概念および、身体の可動性、景色 義録『日常生活における自己呈示』 [Presentation の変化、異文化や風習に直面することによってア of Self in Everyday Life (1959)] イデンティティが変わっていくというモビリティ (訳注2) において、 シェイクスピアに従いつつ、社会についてのドラ の概念は、ツーリズムの観念にとって基本的なも マツルギーの手法を採用し、社会的アイデンティ のである。旅行するとは、自己発見の旅へと出る ティ、社会的役割、パフォーマンス、オーディエ ことである。すなわち、他者との対比と再確認を ンス、相互作用を説明した。ドラマツルギー理論 通じた自己発見である。観光リゾートが発見、強 は、個人のアイデンティティが安定的な実体では 化、成熟、衰退あるいは再生というライフサイク なく、他者と交流することで絶えず作り直される ルをもつのと同じように(Butler, 2006)、ツーリ ものであることを示すものだ。 ストも、 「他者性」の異なる諸局面を通じて、また、 「異なる」場所、空間、段階における、異なる旅 社会的アイデンティティ、あるいは自己は、イ 50 行の同伴者や、年齢や金銭的状況に応じて違って ことであるし、やがてプログによって詳説され、 くる「他者」との関わりの中で、進歩するのだ。 観光の目的地と関連づけられたものである[Plog 「他者」もまたツーリストのイメージの投影に (1974)]。この二人の著者は、こんにち消費者心理 とって基本的なものであり、これもまた、リゾー 学として知られているものの土台の一部分を造っ トの成熟度や、引きつけられ、ターゲットにされ たのだ。Cohen (1972)の「制度化された」ツーリ るツーリストのタイプに依拠している。 「他者」は、 ストは、旅行を組み立てるにあたり、観光産業に そこに存在する地政学的権力構造(新植民地主義 強く依存するがゆえにこう呼ばれるのだが(個人 の項を参照)や、目的地の社会がどの程度まで西 的マス・ツーリストと組織的マス・ツーリスト)、 欧の「文明」の枠組みに適合しているかによって、 この「制度化された」ツーリストは、Plog (1974) 重要と見なされたり、そう見なされなかったりす のサイコセントリックおよびミディオセントリッ るだろう。 ク(訳注3)のカテゴリーに分類され、安全、親近感、 他の諸概念(セックス・ツーリズムやゲイ・ツ 心地よさを提供する、評価の定まった目的地に向 ーリズム)において、 「他者」は、慣れ親しんだ環 かう傾向にある。これらのツーリストの存在が、 境から離れ、異国にいるツーリストによって選ば かなりの部分、世界中にあふれている観光産業に れた仮面(persona)として探究されてきた。ツー よる(地元の一般の人々、すなわち「他者」を締 リストは一時的に普段のアイデンティティを置き め出した)オールインクルーシブ・リゾート開発 去りにし、ファンタジーの世界へと移行するのだ。 の原因となった。反対に、コーエン言うところの Krippendorf (1987: 33)は、この概念を次のように 「制度化されていない」ツーリスト、「放浪者」、 表現している。 そして「探検者」 (プログのアロセントリック)は、 土地の人々と交流することのできる、あまり知ら ツーリストはあらゆる束縛から解放されている。 れていない場所で、真正の経験を探し求めるのだ。 好きなように着飾り、食し、金を使い、お祭り騒 このタイプのツーリストにとって、人間に関する ぎを楽しめばいい。 「楽しく過ごせ」イデオロギー 要素こそが旅の楽しみの本質である。 「アロセント と「明日私たちはまたいなくなる」という態度が、 リック」の典型像は、バックパッカーである。 その基調である。 若く独身で勝手気ままな頃にバックパッカーを し、 「不便さを楽しむ」傾向にあった「アロセント 「演出されたオーセンティシティ」は、ツーリス リック」な人々も、ひとたび親になり家庭をもつ トへの「受けを狙った」観光リゾートを叙述する と、新しい社会的地位、つまり子どもや配偶者の ためにマキャネル[MacCanell (1976)]が造った 結果としての「自己」のせいで、ツーリズムの嗜 概念であるが、この語は、自らの感情の探究や自 好も以前より保守的でミディオセントリックなも 己発見のために旅に出るというよりも、群衆受け のになるだろう。彼らはかつて訪れた場所を再訪 を狙うツーリストの側を叙述するのにも使用可能 するだろうが、目的地というのは何度も訪問され である。日常生活からの身体的移動(旅行)や文 ればその分だけ、地元の人に「他者」であるツー 化的類似性(更には優越感)の欠如によって経験 リストのニーズにあった形の「受け狙い」が必要 される「距離」によって、人々は社会における交 だと考えさせるようになる。それゆえ、目的地は、 流の習慣を変化させるのだ。 標準化され、 (サイコセントリックやミディオセン これは、多くの点で、コーエンが「旅行者」と トリックの観点からすると) 「安心できる」ものと 「ツーリスト」の違いを述べる中で叙述し、ツー なり、結果、別種の訪問者、すなわち「演者」 リストの四類型[Cohen (1972)]として要約した 51 (performer)ではなく「観衆」(audience)を引きつ 眼差し けることになる。 【読書案内】 マーケティングのプログラムを設計するとき、 専門家は、どのようにして消費者を引き込めばい Manuel Castelles の三部作の第二部、The Power いかを確定するために、消費者の嗜好やライフス of Identity を強く推薦する。エドワード・サイー タイルの分析表、さらには、ターゲット集団がど ドの「他者」についての著作、たとえば『オリエ の程度まで「演技者」(player)なのか、それとも「観 ンタリズム』は、ツーリズムにもしばしば当ては 衆」(audience)なのかという分析をも利用する。 められる。 観光の目的地は、先導者、あるいは追随者として 理解される。ロンドン、ニューヨーク、パリ、ロ 【推薦図書】 Castelles, M. (1997) The Power of Identity. Oxford: Blackwell ーマ、ベルリンといった目的地は、 「他者」に自ら を売り込むためにすべきことはほとんどないのだ Cohen, E. (1972) ‘Toward a sociology of international tourism’, Social Research, 39: 164-82 が、さほど主流ではない観光地 (attraction)では 観光産業を発展させるためにはるかに頑張らねば Krippendorf, J. (1987) The Holiday Makers. Oxford: Heinemann. ならない。観光リゾートは、好意的なものにせよ、 否定的なものにせよ、ロールモデルとどの程度一 Said, E.W. (1978) Orientalism. London: Routledge & Kegan Paul.(エドワード・W. サ イード、今沢紀子訳『オリエンタリズム』平凡 社、1986 年;平凡社ライブラリー(上・下)、 1993 年) 体のものとして捉えられているかどうかにも左右 される。したがって、 (ダライ・ラマという人物に よって代表されるところの)チベットと中国の状 況は、2008 年の北京オリンピックの「魅力」全体 に影響を与えた。近年の豪華観光複合ビル群の開 業、たとえばドバイ・アトランティック・ホテル (訳注1) 『お気に召すまま』第 2 幕第 7 場におけ の開業は、経済危機の時代にあって、休日のライ るジェークイズの台詞。これまでに、阿部知二 フスタイルを選ぶための動機として「他者」をま 訳(1939 年、1974 年(改訳) [岩波文庫])、福 ねようとする欲望の絶好の事例である。そこでは、 田恆存訳(1963 年[新潮社シェイクスピア全集 ドン・ペリニヨンをテラスで嗜むハリウッドスタ 9])、小田島雄志訳(1983 年[白水社シェイク ーを、 「こうだったら」と思う訪問者を鼓舞するた スピア全集] )、木下順二訳(1988 年[講談社シ めに売り物にしているのだ。マーケターたちは、 ェイクスピア 5])、柴田稔彦訳(1989 年[大修館 メディアに登場するスターに代表されるように、 シェイクスピア双書] )石川実訳(2002 年、慶応 自己の広く知られた投影像を利用し、商品を買っ 大学出版会) 、松岡和子訳(2007 年[筑摩書房 てもらおうとしており、これは、旅行業において シェイクスピア全集 15])などがあるが、ここ 常に大きな効果のある方策である。この「他者」 では小田島訳を引用した。 (ウィリアム・シェイ との「同一化」は、マーケティングおよび販売促 クスピア、小田島雄志訳『お気に召すまま』 (白 進にとって基本的なもので、観光産業において幾 水 U ブックス:21、シェイクスピア全集)白水 世紀にもわたって効果的に用いられてきたのだ。 社、1983 年、p.74。 (訳注2)E.ゴッフマン, 石黒 毅訳『行為と演技 【関連項目】 ―日常生活における自己呈示』 (ゴッフマンの アイデンティティ、新植民地主義、ツーリストの 社会学 1) 誠信書房、1974 年 52 は、ツーリズム研究の中で周辺的な、ほぼタブー (訳注3)サイコセントリック(psychocentric) およびミディオセントリック(mediocentric)、 の問題として扱われてきた。セックス・ツーリズ そして数行後に登場するアロセントリック ムの現象そのものは、1970 年代から研究者、とく (allocentric)は、観光の目的地を選ぶ際の心 に文化人類学者には認知されていた。しかし、調 理的要因を分析する際にプログが用いたカテゴ 査にもとづく研究がおこなわれるようになったの リーで、サイコセントリックは冒険を好まない は(たとえば、Cohen 1982)、1980 年代に入って 特質、アロセントリックは冒険を好む特質、ミ からで、主要な教科書が出版されるようになった ディオセントリックは、その中間である。 のは、1990 年代末か 2000 年代初頭である(たと えば、Bauer and McKercher 2003; Carter and 【伊多波】 Clift 2000; Ryan and Hall 2001)。セックス・ツ 【セックス・ツーリズム(Sex Tourism)】 ーリズムの明確な定義がなく、制度的な活動団体 もないために、セックス・ツーリズムに関する統 セックス・ツーリズムとは、 「他者」との性交の追 計は不足しているが、数百億ドル規模の国際産業 求が唯一の目的、あるいは目的の一部である旅行 だと推定される。セックス・ツーリズムのマーケ である。その「他者」は社会、人種、民族の異な ティングは、インターネットでは、よりあからさ る人々であるのが普通である。 ま に な っ て い る 。 Sly Traveler (http;//slyguide.com)というサイトでは、どの セックスは、日常生活の単調な存在から逃避し、 国を訪れるべきか、その国の主な魅力はなにか(た 新しい刺激的なアイデンティティを身につけよう とえば、赤線、クラブ、バー、ライブセックスシ とする探究である。その点で、セックスは音楽か ョー、エスコートサービスなど)、案内に簡単にア ら観光に至るレジャー産業の背後や、あらゆる形 クセスできる。他のセックス・ツーリストの話や 態のビジュアルアートにある主たる動機になりう ブログも読むことができる。セックス・ツーリズ る。性は売れる。西洋および北の先進国では特に ムの目的地として目立つのは、アムステルダム、 そうだ。おそらく、我々の住む社会では、今なお、 バンコク、リオデジャネイロ、香港、ロサンゼル 男性の視点が女性の視点より優先され、それゆえ ス、ティフアナなどである。 に愛の行為の肉体的な側面が感情的な満足よりも セックス・ツーリズムの現象は蔓延している。 強調されるからだ。女性がセックス・ツーリズム でも、その秘密性ゆえに、セックス・ツーリズム に対する男性の態度を身につけているので、支配 は知らぬ間に野放しに拡大しがちで、途上国地域 的な白人男性の見方なるものはもはや存在せず、 では特にそうした状況がよく見られる。セック むしろ性行為に対する支配的な先進国の見方が存 ス・ツーリズムは、自発的でも搾取的でもありう 在するのだ、と主張することもできるかもしれな るし、商業的でも非商業的でもありうる(Ryan い。セックス、そして、より重要なことだが、セ 2000)。しかし、それは先進国で大きな懸念をひ ックスの取引には、ある種の権力関係と価値判断 きおこしうる。地元の先住民の女性や男性は、豊 が伴う。その売買春行為が違法だろうと、合法だ かで権力を持つ西欧の観光者の要求に従属させら ろうと、そこには、ミクロレベルの個々の行為を れがちである。Hall(1992, 74)の言葉通り、 「売 はるかに超えた、その地域や住民に対するマクロ 春婦と客の性的な関係は、東南アジア諸国の先進 レベルの経済的、政治的態度が反映される。 国への従属の鏡像である」。貧困にあえぐ村人は、 家族が将来確実に生きていく手段として、若い子 だが、比較的最近まで、セックス・ツーリズム 53 どもをセックス・ツーリズム産業に売るように勧 の女性観光者がガンビア、カリブ諸国、インドな められることがよくある。セックス・ツーリズム どを訪れるのは、ますます普通になっている。 が「他者化」の過程の一部であることは間違いな Sanchez Taylor と O’Donell Davidson (1998)は、 い(自己と他者を参照) 。その過程で、地元の人々 女性観光者の要求に応える成人男性売春夫は、男 は、ツーリストのまなざしを受ける、異国風の魅 性の客に奉仕する女性売春婦に比べて、はるかに 惑的で官能的な対象として描かれ(売られ)る。 脆弱さが少ないと指摘する。男性の場合、経済的 Sanchez Taylor(1998)は、セックス・ツーリス 状況が女性よりもひどくなく、肉体的にも傷つき トの態度に隠れた人種差別意識を指摘する。セッ にくいからだ。また、女性は、ストリップクラブ クス・ツーリストは、魅惑的で官能的な黒人女性 やセックスショー、外国人の相手と出会うための (男性)という人種差別的な固定観念を持ち続け 企画ツアーなど、性産業の構造を利用しないのが ており、それは、カリブ海諸国などの目的地でと 一般的だ。女性の旅は、 「恋愛ツーリズム」と呼ば くに顕著だという。 れる場合もある。一時的なパートナーは売春夫で セックス・ツーリズムが想起させるのは、年老 はなく「護衛役」と呼ばれる。事実を偽る表現だ いて体型もくずれた男性達が、自国にはなかった が、これは、女性は男性ほど性的に肉食的でない、 り、タブーだったり、日常の人格では背徳的だっ との社会的な認識を明らかに示している。 たり、経済的に不可能だったりする、安っぽい性 セックス・ツーリズムは、地理的には、南洋は 的快楽を求めて、途上国へと旅しているという、 「自然の価値」、東洋は「異国趣味」によって導か ややみすぼらしいイメージである。ツーリズムに れる。太陽と熱暑が意味する「自然さ」と「快楽 おける白人の男性異性愛者の支配的な見方、ツー 主義」という記号は、世界中のマーケティングや リズムの想像力や地理学については、多くが書か メディアによって一貫して積み上げられ続けてい れている。しかし、経済格差の縮小、女性の経済 る。自国のジェンダー関係の困難さなど、第 1 世 的自立や同性愛の拡大が引き起こした、1960 年代 界の都市生活における日々のストレスを回避する 以来の変化は、ほとんど議論されていない。近年 ことが、観光者をセックスへの夢想に向かわせる。 のセックス・ツーリズムの状況では、従属関係は 異なる道徳観や(しばしば喜んで奉仕する)性の ジェンダーよりも富や地位にもとづくようだ。 「シ 奴隷と描かれる女性をもつ東洋と異国の魅惑的な ュガー・マミー」と呼ばれる女性異性愛者のセッ 「他者」は、旅行史のはるか昔にさかのぼれる固 クス・ツーリズムが人気を増し、同性愛者の「ピ 定観念である。追加で必要なのは、買春が安いと ンク色のドル」ツーリズムがツーリズム産業にと いう固定観念である。 って極めて重要になり、小児性愛が多くの第三世 離婚や、日常生活の「自己」からの解放という 界諸国で憂慮すべき現実となっている。しかし、 考え方は、男女、異性愛者と同性愛者を問わず、 ゲイ・ツーリズムとセックス・ツーリズムを同一 セックス・ツーリズムに流れ込んだ人々にみられ 視せぬよう注意しなければならない。両者は、全 る正当化の一貫した不変の特徴である。研究者が く意味が異なるからだ。 (タイのように)ゲイ・ツ 一貫して見いだしているのは、男女を問わず理想 ーリズムの「安全」な目的地として有名になった 的な出会いを求めていることだ。これは明らかに、 目的地もある。だが、ゲイに優しい目的地を探す 自宅でのジェンダー関係の欲求不満から生じてい ことは、性的な動機を必ずしも意味しない(ゲイ・ る。しかし、女性と男性のセックス・ツーリズム ツーリズム参照)。 は、根本的に違う現象かもしれない。女性は、自 宅では見いだせない親切や献身的な愛に対価を支 今では、セックス・ツーリズムを理由に、西欧 54 【読書案内】 払うのに対して、男性は、ドキドキする「余計な しがらみのない」冒険を求める場合が多い。だが、 セックス・ツーリズムに関する、主流の教科書 どちらも明らかに逃避の一種で、どちらのジェン や詳細な研究書の数は増えつつある。たとえば、 ダーも、日常的な存在の枠組みから逸脱した全く 推薦文献に挙げた図書がある。 異なる人格を選んでいる。成人男女のセックス・ 【推薦図書】 Bauer, T. G. and MacKercher, B. (2003) Sex and Tourism; Journeys of Romance, Love, and Lust. New York: Haworth. ツーリズムは、動機は異なるが、どちらも、訪問 先のコミュニティとの連帯や社会的責任が全く欠 けている点で同様に破壊的である。 セックス・ツーリズムには深刻な健康上の影響 Carter, S. and Clift, S. eds (2000) Tourism and Sex: Culture, Commerce and Coercion. London: Cassell. がある。エイズが蔓延する国もある。重要な法的 な影響もある。特に低年齢の子どもたちに対する Ryan, C. and Hall, C. M. (2001) Sex Tourism: Marginal People and Liminalities. London: Routledge. ものだ。ブラジルやエクアドルなど、ラテンアメ リカ諸国の多くは、児童性交の違反者に対する厳 格で徹底的な摘発運動を始めているが、問題の規 模の大きさを示している。女性が家事労働の約束 ( 訳 注 1 ) 原 文 は End Child Prostitution, や西欧諸国の公文書でだまされて家族から引き離 Pornography and Trafficking の略語としている され外国に連れ出され、秘密の売春組織のため、 が、参照先の国際 ECPAT のホームページでは、 違法に人身売買される。これも、女性が直面する End Child Prostitution Child Pornography and 危険のもうひとつの大きな原因である。女性の出 Trafficking of Children for Sextual Purposes と 身国では、そうした違法な人身売買は、野放しに 表 記 さ れ て い る 。 同 時 に 、 The International されていることが多く、政府が黙認している場合 Campaign to End Child Prostitution in Asian さえある(大きな送金収入源の代表だからだ)。ど Tourism の略語でもあり、 「アジア観光における児 んな目的地でも、セックス・ツーリズムを重要な 童買春根絶国際キャンペーン」の翻訳が外務省の ドライバーにする、あるいはそうなることを暗に 文書にみられる。 認めた地元の人々は社会的、文化的に大きな代償 【小槻】 を払うことになる。しかし、西欧諸国はすすんで 代償を支払おうとしているようだ。国際エクパッ ト運動(訳注1) (ECPAT 【観光社会学(Sociology of Tourism)】 www.ecpat.netを参照)は 1990 年代初期から数々の重要な問題に対する啓 観光社会学は、諸類型としてのツーリストと、一 発運動を活発に行ってきた。こうした運動は弱い 般的なツーリズムシステムの構造化・機能・結果 集団を守るために必要だが、セックス・ツーリズ との関係を研究するものである。 ムが非常に古くからあるのも悲しいが紛れもない 事実だ。観光者に支払う金があり、地元の人々に 観光社会学は長年にわたり重要な学術研究領域で 売るものがある限り、セックス・ツーリズムの現 あり続けてきた。Cohen(1996)は以下の諸領域が 象は近い将来に衰退することはなさそうである。 社会学的探究の関心となると示唆する。 【関連項目】新植民地主義、自己と他者 ・ツーリズムの結果とインパクト ・ツーリズムシステムの構造と機能 55 ・ツーリストと地域住民との関係 である。構造主義の批判者達は現象学に向かう傾 ・ツーリスト 向にあるが、現象学とは重要な社会学的パラダイ ムとして出現したものである。現象学の焦点は、 観光社会学は社会現象としてのツーリズム研究に 個人としての我々がいかに自らの周囲の世界を解 関わり、そこにはツーリストのモチベーションや 釈しそれに意味を与えるかという点にあり、固定 動機、それが目的地や目的地に住む住民に与える され確固としたものとして存在する意味は殆どな 影響も含まれる。観光人類学はツーリズムにおけ いと見なされる。現象学は非科学的で主観的であ る個人的経験に焦点を合わせるが、観光社会学は ると批判されてきた。しかし間違いなく現象学は、 これらを基礎として一般化を試みる。故に、観光 人間存在が知覚するのに合わせた形での世界をよ 社会学において我々は以下の事柄について語りう り良く反映するものではある。 ることとなる。即ち、ホスピタリティの商業化を 然しながらこの点が特にツーリズムという分野 伴う現在の消費者動向と両立する近代的レジャー における研究をより複雑化させもする。ツーリズ 活動としてのツーリズム一般、民主主義的旅行或 ムの経済的環境的次元は量的に測定されうるが、 いは近代的巡礼としてのツーリズム、根本的な文 文化的社会的次元はより質的なものである。例え 化的テーマの表現としてのツーリズム ば、ツーリズムの社会的文化的インパクトを測定 (Graburn1983)、文化変容プロセスとしてのツ し監視することは明らかに困難である。文化とは ーリズム、更には新植民地杉主義としてのレジャ ダイナミックなもので、ツーリズムとは無関係に ー活動。観光社会学はツーリストの動機や役割、 時と共に変化するものである。まず、他の社会的 関係を分析すると同時に、諸制度やツーリズムの 経済的発展によるインパクトと、ツーリズムの発 制度化のインパクトについても研究する。観光社 展によるインパクトとを区別することが難しい。 会学はツーリズムやツーリストの諸類型、ツーリ 次に、往々にして触れることのできない社会的文 ズムやツーリストの諸様式、ホストやゲストとな 化的インパクトを測定できる信頼に足る道具はほ る人々の余暇活動への影響、及びホストやゲスト とんど存在していない。しかし、社会学者(加え の持つ願望に関わる。観光人類学が文化表象や消 て人類学者)が一定期間にわたる社会的文化的変 費の個人的諸側面に注目するのに対し、観光社会 化の現象を調査してきた点は注意されるべきであ 学は文化表象の一般化された観念(ステレオタイ る。しかしこの調査は、複雑で時間のかかるプロ プ)や文化消費の一般化された観念(マーケティ セスである。 観光社会学の初期研究は、ツーリズムとは日常 ング、広告全般やお土産)に注目する。 Holden(2005)は社会学的思考や方法論の持つ 生活の単調さや平凡さ、大変さからの思慮浅き逃 伝統的な主な柱を要約しているが、その中には構 走主義であるとする考え方に焦点を置いた(例 造主義も含まれる。構造主義とは社会構造やそれ Boorstin1964)。Dann と Cohen(1996)はいかにア がいかに我々の行動に影響を及ぼすかを分析する ノミー(社会的コントロールや規制の欠如に由来 ものだ。この考え方の中の主な学問潮流として機 する個人的孤立や不安を意味する)がツーリズム 能主義があり、それに従うと、社会とは社会的諸 を産み出す社会に広く認められるかを描いている。 制度(ツーリズムも含まれる)が安定性と堅固さ このことは一般的な無規範性や無意味性の存在を とを産み出すのに重要な役割を果たす複雑系と見 反映しており、これらが旅行動機における主要な なされる。また、対立理論とは機能主義の孕む合 「プッシュ要因」として作用しているのである。 意を拒否し、代わりに社会的分断を探究するもの (Dann,1977)Sharpley(2002)もまた、いかにし 56 て疎外(仕事からの、コミュニティからの、自然 や情報の移動、ヴァーチャリティと身体的移動を からの疎外)がツーリズムにおける外部からの動 通しての様々なモビリティは「社会としての社会 機要因となってきたかについて述べている。しか 的なもの」を「モビリティとしての社会的なもの」 しながら Dann(1977)は、多くのツーリストは「自 へと物質的に再構築しつつある。 己の強化」もまた求めている点に注目する。つま これは定義上、公的・私的、法的、家族的、ジ り、各個人は彼らが選ぶ目的地や、旅行すること ェンダー的、宗教的なものに関係する他の全ての で彼らが示す豊かさを通して社会的承認を得よう 社会における意味論や象徴的表象へと参照する、 とするのである。 クロスカルチュラルな一つの社会学である。これ のちに MacCannell (1976)は、日常生活に欠如 らが質的に我々の進歩を構造化し、生、即ち我々 している真正性を探究するツーリストもいる点を の「モビリティ」を通して流れるものである。 (「モ 示唆している。ツーリズムが文化やライフスタイ ビリティ」の項目を見よ。 )我々は観光社会学を通 ルを商業化し商品化することにより目的地の真正 じて、北半球の人間が南半球へと移動するのは単 性を破壊しうる点についての懸念も表明されてき に気候により影響されているのみならず、暖かく た。しかし幾つかのケースにおいては、ツーリズ 開かれた(故により公的な)環境により恵与され ムは文化を保護し再活性化する手助けもできる。 た家族や共同体に関する諸々の容易に見て取れる Urry (1990/2002)によるツーリストの眼差しとい 諸価値によっても影響を受けていることを知る。 う考え方は、観光社会学の中でかなり影響力を持 この価値には道徳的、性的規範の知覚しうる弛緩 つに至ったものだが、それはツーリストが場所や 性も含まれるのである。 (「セックス・ツーリズム」 人々を見るやり方、及びこれらの風景の選択が観 の項を見よ。)我々はまた観光社会学により、(社 光産業により組織され監督されるやり方に焦点を 会的家族的責任の配分を理由として)女性よりも 合わせるものである。 男性の方が旅行することを知るし、近代的都市に 更に最近の社会学的研究はモビリティという主 おける単身生活やIT時代におけるリアルな対面 題に注目してきている。これには新技術、コミュ コミュニケーションの欠如を反映する形で、単身 ニケーション、メディアの影響が含まれる(例 旅行者が増加しつつある傾向にあることをも知る。 Urry1990/2002)。(新たな)観光社会学は、広い 更に我々は観光社会学から以下のことも知りう 意味で、消費パターンや社会的ヒエラルキーの変 る。即ち、消費者傾向はインターネット革命によ 化、マスメディアを通じての視覚的表象がいかに りもはや単に国家や地域共同体によって誘導され 消費者を特定の目的地に引き寄せたり引き離した るものではなく、厳密な地理的社会的境界を逃れ りするかに注目している(2009 年の豚インフルエ るに至ったことである。また我々はインターネッ ンザの時にメキシコが一例である) 。テレビやイン トのおかげでツーリズムがもはや供給主導型では ターネットを通した情報の移動性に関する革命的 ないことも知る。消費者は今やより多くの情報を 変化により消費者集団や共同体が変化してきたの 管理し、似たような好みを持つ人々と出会う為に と同様に、旅行やレジャーに関わるブランドや、 自らの休日経験を組織立てることができる。我々 より重要なことには消費者のライフスタイルもま はまたツーリストの類型化やカテゴリー分類が今 た変化してきた。Urry (1990/ 2002: 2)はこれらを やより流動的となりつつあるラディカルな変化も 以下のように定義する。 理解する。観光社会学はグローバル化された社会 「社会的」なるものを再形成しつつある物質的変 において、ツーリストの眼差しの多様性を産み出 容。特に、多様な感覚や想像上の旅行、イメージ した(Urry1990/2002)。身体的なもの、想像的な 57 Origins and Development. Bingley: Emerald Group Publishing. もの、ヴァーチャルなもの、自発的なもの、強制 されたものなど、無数のモビリティが存在してい Holden, A. (2005) Tourism Studies and the Social Sciences. London: Routledge. る。故に、ツーリズム経験の諸類型やツーリスト の諸類型を定義し一般化することはますます困難 【原】 となっている。観光社会学はますます消費者心理 により影響を受けつつあり、消費者心理はと言え 【スペシャル・インタレスト・ツーリズム (特別な関心にもとづくツーリズム) (Special Interest Tourism:SIT)】 ば、マスメディアに影響されるのである。 最新の社会学的研究の中には(カルチュラルス タディーズと結び付き) 、社会的排除と周縁化に注 目するものもあり、これはツーリストと地域住民 スペシャル・インタレスト・ツーリズムは、特別 の双方に適用されうる。社会的排除や周縁化は年 な関心を実践する、あるいは楽しむことを基本的 齢、ジェンダー、人種、セクシュアリティ、階級 な動機とする旅行と定義される。通常とは違う趣 に依拠されうる。Urry(1995)はツーリズムの権利 味、活動、テーマ、目的地が含まれ、ニッチなマ を健康と福祉を強化しうる市民権の一形式として ーケットに訴求する傾向がある。 描いているが、この増大しつつあるレジャー活動 が全ての者にアクセス可能となるにはまだ長い道 「スペシャル・インタレスト・ツーリズム」とい のりが必要である。 う用語は、伝統的に、少数の非常に熱心な訪問者 をひきつける活動に焦点をあてたツーリズムの諸 【関連項目】観光人類学、真正性、モビリティ、 形態に使われてきた。ごく少数の人がやっている ツーリストの眼差し 比較的変わった趣味や活動などである。Daglas ほ か(2001:3)は、スペシャル・インタレスト・ツー 【読書案内】 リズムはマス・ツーリズムに代わるものオールタ Eric Cohen, Dean MacCannell, John Urry の仕 ナティブだとしている。それは、 「個人や集団が表 事が観光社会学の中心である。主要テーマに関す 明した特定の関心によって動機づけられた、カス る概観と要約を提供するより全般的な幾つかのテ タマイズされた余暇、レクリエーションの経験の キストも参照に値する。例えば以下の書物である。 Apostolopoulos et al.による“The Sociology of Tourism: Theoretical and 提供であり、スペシャル・インタレスト・ツーリ ストは、特定の関心やニーズを満足させる商品や Empirical サービスに関わることを選ぶ。したがって、SIT Investigations ” 、 Holden Tourism に よ る は明確な特別な特定の理由で行われるツーリズム “Studies and the Social Sciences”、Dann & である。」彼らによると、スペシャル・インタレス Liebman-Parrinello によ る “ The Sociology of ト・ツーリストは、おもに、搾取的でない、真正 Tourism: European Origins and Development” な経験を探している。 スペシャル・インタレスト・ツーリズムの代わ 【推薦図書】 Apostlopoulos, Y., Leivadi, S. and Yiannakis, A. (eds) (1996) The Sociology of Tourism: Theoretical and Empirical Investigations. London: Routledge. りに、 「ニッチ・ツーリズム」の用語がつかわれる 場合もある(Novelli 2005)。Robinson は著書の まえがきで、ニッチ・ツーリズムを次のように説 明している。 Dann. G. and Liebman-Parrinello, G. (eds) (2009) The Sociology of Tourism: European 58 個人の好みや慣行/練習がコーディネート、パッ ケージ化されて売られる想像の経済。野鳥観察者、 農場/、キャンプ、ワイン/美食、スポーツ、祭 りやイベント、美術工芸 ゴルファー、系図学者、鉄道マニアのウォンツや 都会 願望は、今は購入できるものとなった。まさに想 像の及ぶ限りのあらゆる要求を今や満たすことが ビジネス、会議、展覧会、スポーツ、ャラリー、 芸術 できる。 その他 写真、小規模クルーズ、ボランティア、ダーク、 若者、交通 Novellli(2005)によれば、ニッチ商品の発達は、ツ ーリズム産業がより利益の高い新規市場を捉えよ うとする、より広い構造的な多様化のプロセスの マクロニッチとミクロニッチの区別は、特にマー 一部である。観光者は経験を積み、要求が厳しく、 ケティングやセグメンテーションの目的では重要 年に数回旅に出るようになっているので、標準化 である。スペシャル・インタレスト・ツーリズム されない、変わった商品がますます必要になって やニッチ・ツーリズムは特定の類型の観光者を惹 いる。よく知られた予測可能な環境で行われるマ きつける場合が多いように見受けられ、ミクロニ ス・ツーリズムとは異なり、ニッチ・ツーリズム ッチの間には非常に明確な差異がある。その好例 やスペシャル・インタレスト・ツーリズムは、変 は、ヘルス・ウェルネス・ツーリズムで、少なく わり続ける市場の要求を満たすために新しい目的 とも 6 つのミクロニッチに分割できる。 地や活動に頼る。皮膚ガンの恐れから日光浴休暇 が衰退したことは、伝統的な海岸での休暇でさえ、 スペシャル・インタレスト・アクティビティ(ウ ォーター・スポーツやダイビング)や、小旅行(遺 跡や地元の村へ)の機会を含んでいることを意味 している。しかし、ニッチ・ツーリズムと呼ぶこ とができるのは、特別な関心が観光者の第一の動 機である休暇のみだろう。 Novellli(2005)は、ニッチ・ツーリズムは、たと ヘルス・ウェル ネス・ツーリズ ムのマクロニ ッチ 典型的な活動 典型的な客 温泉ツーリズ ム 医学的・鉱水に よる癒し 健康問題を持 つ高齢者 ホーリスティ ック・ツーリズ ム 静養所での体、 中 年 の 専 門 心、精神の治療 職・重役 スピリチュア ル・ツーリズム 巡礼、アシュラ ム、瞑想所 主に 30 歳以上 のバックパッ カー ヨガ・ツーリズ ム 静養所でのア ーサナ(ポー ズ)と瞑想 主に 40 歳以上 の女性専門職 医療ツーリズ ム 手術、整形手術 西洋人、40 歳 以上、主に女性 美容ツーリズ ム マッサージ、美 顔、温泉やホテ ルでの静養 女性、25 歳以 上、専門職・重 役 えば、文化ツーリズム、環境ツーリズム、田舎ツ ーリズム、都市ツーリズムなど、多数のマクロニ ッチに分割できるとし、それらがさらにサブセッ トないしミクロニッチに分割できるとする。次の 表に例を示した。 文化 遺産、先住民、宗教、教育、genealogy 環境 自然と野生動物、エコツーリズム、冒険、山岳、 ジオツーリズム、沿海 田舎 59 ここでも、たとえば持病のある高齢者の要求にこ なニーズがある。オペレーターは、身体不自由な たえる、医学的に有効な歴史的温泉と、余暇や美 費人々が利用可能で、客を支援できる訓練された 容の観光者を集める多目的な娯楽用の温泉とは区 スタッフを用意しているホテルや輸送手段を組織 別できるし、区別しなければならない。スペシャ する必要があるだろう。同性愛者の客は、同性愛 ル・インタレスト・ツーリズムやニッチ・ツーリ 者に好意的なホテルや温泉、クルーズ、エンンタ ズムに与えられるラベルは注意深く考慮し、正し ーテインメント会場を好むだろう。高齢の客は、 いマーケットを対象にしなければならない。つま 医療温泉を訪問したいと思うかもしれないが、そ り、ミクロニッチや非常にスペシャル・インタレ の場合は、資格を持ったスタッフによって、適切 スト・ツーリズムを求める人数は比較的少ないだ に世話されなければならない。 商品の性格や観光者の動機の観点から、スペシ ろうが、質や価格は高い傾向がある。 それでもスペシャル・インタレスト・ツーリス ャル・インタレスト・ツーリズムは、受動的(舞 トには、共通する特徴がある。この種のツーリズ 台、スポーツ観戦)、能動的(冒険的スポーツ、ダ ムは比較的高価な傾向がある(少なくとも大衆向 イビング)、体験的(テーマパーク、宇宙ツーリズ けのパッケージ休暇の費用の 2 倍はする)ので、 ム)、創造的(ダンス、絵画、写真)、知的(言語 特定の市場は排除できる。学生、バックパッカー、 学習、遺産ツーリズム)、くつろぎ(ウェルネス・ 低収入の観光者は、エコツーリズムや文化ツーリ ツーリズム、野鳥観察)等に類型化できる。Weiler ズム、冒険ツーリズムのある種の形態は購入でき & Hall(1992:201)は、「スペシャル・インタレス るかもしれないが、そうした旅行は独立して組織 ト・ツーリストは、個人的、個人間の環境から逃 する必要があるかもしれない。スペシャル・イン 避するよりも、個人的、個人間の利益やチャンス タレスト・ツーリストは、中年で、子どもを連れ を得ることに、より関心があるようだ。」と述べて ずに旅行する傾向がある(例外として、ある種の いる。つまり、スペシャル・インタレスト・ツー 形態の自然体験や野生動物ツーリズムがあるかも リズムは、逃避や気晴らしというより、能動的な しれない)。というのも、スペシャル・インタレス 自己啓発や新たな体験を得ることに関わるものな ト・ツーリズムの多くの形態は、子どもには適さ のだ。 (温泉、アート、スポーツなど)楽しく健康 ないか、興味を引かないからだ。観光者が単独で によい活動でも、より健康な体に鍛えたり、創造 旅行するのも一般的だ。多くのスペシャル・イン 的で生き生きとした心を育てるといった、教育的、 タレスト・ホリデーを楽しむのは、関心が特殊な あるいは自己啓発的な側面のどちらかが存在する ために一緒に旅をする仲間を見つけるのが難しい のが普通である。 人の場合が多い。そのため、この部門では、単独 スペシャル・インタレスト・ツーリズムが盛ん 旅行者のための施設を提供することが不可欠であ になり主流になるにつれて、以前のニッチな活動 る。特別な関心に焦点を合わせた一人旅は、同じ は、マス・ツーリズムの性格を帯びるようになる。 ような関心を持つ、旅行中の人々と出会う理想的 都市での文化ツーリズムや野生動物サファリ、雪 な方法である。 上スポーツが好例である。結果的に、ツアーオペ スペシャル・インタレスト・ツーリストは、他 レーターは、商品開発やパッケージ化、ラベル付 にも特別なニーズがあるかもしれない。たとえば、 けにおいて、より革新的にならなければならない。 もし、身体が不自由であったり、同性愛者であっ つまり、活動は基本的に同じでも、注目の仕方を たり、高齢であったり、 (メディカル・ツーリスト 変えれば、違うマーケットに訴えかけられる可能 のように)健康上の問題があったりすれば、特別 性がある。たとえば、サファリは、今では次のよ 60 てだけでなく、観光者にとっても重大なリスクが うに互いに区別されている。 ありうる。宗教ツーリズムは観光者の行動に関し ・ 新婚旅行・挙式サファリ て特に慎重に管理すべきであり、ダーク・ツーリ ・ 写真撮影・絵画サファリ ズムや論争のある遺産へのツーリズムでは注意深 ・ カヌー漕ぎサファリ い解説が必要である。多くのスペシャル・インタ ・ 熱気球サファリ レスト・ツアー・オペレーターはマス・オペレー ・ 冒険サファリ ターよりもツーリズムの影響をよく知っており、 ・ ブッシュ・スキル・サファリ 大半のスペシャル・インタレスト・ツーリストは、 ・ ゴルフ・サファリ マス・ツーリストよりも、彼らの注意や指導を受 ・ キッズ・サファリ け容れる。しかし、スペシャル・インタレスト・ ・ 美食サファリ ツーリズムが拡大し、より多くのマクロニッチ、 ミクロニッチがつくられれば、さらに注意深い管 理が必要になるということを意味するのだろう。 クルーズ・ツーリズムにも同じことがあてはま る。伝統的には、主流と考えられる傾向があった (たとえば、観光研究機関は、必ずしもクルーズ 【関連項目】アート・ツーリズム、文化ツーリズ をスペシャル・インタレスト・ツーリズムの一形 ム、ダーク・ツーリズム、エコツーリズム、美食 態に含めてきたわけではない)が、今では、特別 ツーリズム、ヘルス・ウェルネス・ツーリズム、 な活動(舞台、アート、ダンス、料理)、特別な施 ヘリテージ・ツーリズム、先住民ツーリズム、宗 設、(温泉、カジノ、美食)、特別なマーケット向 教ツーリズム けの世話(同性愛(ゲイとレスビアン)、身体障害 者、子どもなど)、風変わりなテーマ(殺人ミステ 【読書案内】 リー、謝肉祭)を提供するかもしれない。マーケ スペシャル・インタレスト・ツーリズムのさまざ ットがより多様化し、新たな商品をより受け容れ まな形態については無数の書籍がある。これらに やすくなったということだ。 ついては、上記の参照の箇所に言及した。スペシ Douglas ほか(2001)によると、スペシャル・イ ャル・インタレスト・ツーリズムやニッチ・ツー ンタレスト・ツーリズムは、マス・ツーリズムよ リズムの概念についての優れた概説もいくつかあ り持続的で倫理的な傾向がある。その理由は、集 る。たとえば、Weiler と Hall、Douglas ほか、 団の規模が小さい事(典型的には 10-15 人)、客の Novelli がである。主流な観光の学術誌にも、スペ 教育が高く、経験がよりあるという事実や、 (たと シャル・インタレスト・ツーリズムやニッチ・ツ えば、エコツーリズムや先住民ツーリズムのよう ーリズムのさまざまな形態についての論文が掲載 に)真正な環境・文化体験が旅行の主目的である されている。 という事実によるのだろう。しかし、同時に、ス ペシャル・インタレスト・ツーリズムは、ツーリ ズムの限界を、新たな未開の目的地へと(実に、 宇宙旅行へも!)さらにさらに押し広げており、 (冒険スポーツのように)インパクトの高い活動 【推薦図書】 Douglas, N., Douglas, N. and Derrett, R. (2001) Special Interest Tourism; London: Wiley & Sons. Novelli, M. (ed.) (2005) Niche Tourism; Contemporary Issues, Trends and Cases. Oxford: Butterworth- Heinemann. も提供している。もし、たとえば、野生動物観光 や冒険ツーリズムの管理が悪ければ、地元にとっ Weiler, B. and Hall, C. M. (1992) Special 61 Interest Tourism. London: Belhaven Press 行うものである。もちろん、スポーツ・ツーリズ ムの 3 つのカテゴリー――積極的、受動的、懐古 【小槻】 的――はひとつの旅の中で重なることも多い。 【スポーツ・アドベンチャー・ツーリズム (Sports and Adventure Tourism)】 多くのスポーツには、行われている国と行われ ていない国があることを指摘しておくのは重要だ。 (たとえば、サッカーは概ねどの国でも人気だが、 スポーツ・アドベンチャー・ツーリズムは、通常 クリケットはそうではない。ある種の武道は主に 住んでいるところを離れて、積極的にあるいは受 アジアで行われているが、ヨーロッパではあまり 動的に、あるいは懐古的にスポーツおよびスポー 知られていない。)これが観光者がスポーツを知っ ツに関連した活動を行うことである。 ているかやスポーツに参加するか観戦するかの傾 向に影響する。 休日を活動的に過ごすことの健康上の効果が認識 De Knop(2006)はスポーツ休暇には2タイプ されるにつれて、スポーツ・アドベンチャー・ツ があると述べている。すなわち単一スポーツ休暇 ーリズムは成長しつつあるようだ。Ritchie(2005) (例:スキー、ゴルフ)と複数スポーツ休暇(例: によれば、スポーツは工業国の GDP の 1%から フィットネス合宿や野外の冒険環境で行う)であ 2%を成し、さらにイギリスなどの国では旅行の る。スキーは冬季スポーツの中で最も人気があり、 20%がスポーツ参加に直接関連している。何かの ヨーロッパの休暇市場の 20%を占める。ゴルフの ついでにスポーツに参加する場合(休暇中にスポ 人気も高まっている。アマチュアやセミプロのス ーツ活動を行うような場合)は 50%にも達しうる。 ポーツマンの数は男女ともに少ないが、多くの旅 サッカーのワールドカップやオリンピックのよう 行者はスポーツ関連の趣味をもち、参加するため なスポーツ・イベントにひかれてスポーツ観戦の には喜んで旅行する。このような旅行は他の活動 ための休暇にも人気が高まっている。いくつかの と組み合わされることもあるが(例:ビジネス・ 目的地(オーストラリアのメルボルンなど)はイ ツーリズムはゴルフとパッケージされることも多 ベント開催の成功によって、世界的なスポーツ都 く、ビーチ・ツーリズムはウォーター・スポーツ 市という定評を確立している。 とパッケージされる)、スポーツが主目的になるこ Standeven and De Knop (1999: 12) はスポー ともある(雪上スポーツなど)。水泳、フィットネ ス・クラス、テニスなどのスポーツは、単純に旅 ツ・ツーリズムを次の通り定義している。 行先でできるから行われ、旅行の主たる動機とし 無計画あるいは組織的な方法で、非商業的、あ ては機能しない。このような事例は副次的なスポ るいは企業/商業的な理由のために行われる、あ ーツ・ツーリズムを構成する。 らゆる形の積極的・受動的なスポーツへの関与で オリンピックやサッカーのワールドカップのよ あって、家や仕事の場所から離れて旅行すること うな大型のスポーツ・イベントは開催地に大きな を含意する。 影響を与え、国際的な観光目的地としての認知度 を高め、さらに開催地の再生をもたらしスポーツ Gibson(2002)は、カテゴリーを追加し、懐古的 の人気を高めることができる(2002 年のワールド スポーツ・ツーリズムを提唱する。これは、スポ カップ本大会は日本、韓国、アジア諸国でのサッ ーツの殿堂や博物館の訪問や有名なスポーツ競技 カーの人気を高めるために開かれた)。オリンピッ 場のツアー、スポーツ専門家と過ごすスポーツを クでは毎回新しいスポーツ種目が含まれる。2008 テーマにした休暇(クルーズやリゾート)などを 62 年には自転車モトクロス(BMX)競技が加わり、 Delpy(1998)はスポーツ・ツーリストの主な 2012 年のロンドン・オリンピックではスケートボ 旅行の動機として、楽しむこと、現実を忘れるこ ードがデビューするかもしれない(訳注1)。また、 と、リラックス、健康とフィットネス、ストレス 近年、身体障害者の参加にも力が入れられ、パラ 解消、スリル追求、学習への挑戦、家族の結束と リンピックの対象者も増えている(第1回大会は 娯楽などを挙げている。 1960 年ローマで開催された) (訳注2) 。ゲイ・ゲー 今日多くの先進国の人々が治療よりも予防的な ムも 1982 年サンフランシスコで始まり、その後 ヘルスケアにいそしむように促され、ますます積 アメリカの諸都市、シドニー、アムステルダムで 極的になっているため、スポーツ・ツーリズム市 開かれている。たしかに大型スポーツ・イベント 場も拡大しつつある。スカンディナビア半島発の は観光目的地に好ましい影響を与えてイメージも ノルディック・ウォーキングが広まっているよう よくするものであるが、後になって債務処理や遊 に、毎日スポーツを行うようになり、それが多く 休施設を残すという問題も抱えている。Ritchie の休暇やホテルのパッケージに含まれている。比 (2005) は、代替策として小規模スポーツ・イベン 較的高齢の人が以前よりも長く体を動かし続けら トの開発を論じ、このような小規模イベントが既 れるようになり、一層スポーツに参加しようとし 存の会場やインフラを利用し、誘致する旅行者の ている。さらに人々がより冒険を好み、新しい、 数は減っても、地元の参加者は増えるからだとし よりエキサイティングな活動を試みたいと思うよ ている。 うになっている。このためにアドベンチャー・ツ Robinson and Gammon (2004) はスポーツ・ツ ーリズムが成長している。アドベンチャー・ツー リズムには次のようなものが含まれる。 ーリストの定義に「ハード」な定義と「ソフト」 な定義があるとする。 ハードな定義:スポーツ・ツーリストのハード ・ バックパック旅行 な定義には、競技参加目的あるいは観戦目的でス ・ オリエンテーリング ポーツの試合に参加する人々が含まれる。 ハー ・ ブッシュウォーキング(ハイキング) ド・スポーツ・ツーリストは、日頃の慣れ親しん ・ カヤック だ環境とは異なる場所を訪れたり宿泊したりして、 ・ サイクリング 自ら参加するにせよ、観戦するにせよ、試合を行 ・ ロック・クライミング うスポーツのために旅行をする人のことである。 ・ クロスカントリー・スキー この場合、スポーツが旅行の主たる動機であり、 ・ ヨット オリンピックやワールドカップなどのスポーツ・ ・ カヌー イベントへの参加、観戦も含むことになる。イベ ・ スキューバダイビング ントに試合が伴うことが区分の要点である。 ・ フィッシング ソフトな定義:スポーツ・ツーリストのソフト ・ シーカヤック な定義には、例えば、スキーやサイクリングなど ・ ハングライダー 特に選んだスポーツに主として活動的なリクリエ ・ スカイダイビング ーションとして参加するために、日頃の慣れ親し ・ 熱気球飛行 んだ環境とは異なる場所を訪れたり宿泊したりす ・ ヨット る人をいう。体を動かすリクリエーションという ・ スノーシュー ことが区分の要点である。 ・ トレッキング 63 ・ マウンテンバイク これらのスポーツをやる人は当然、平均年齢よ ・ ラフティング り若い人らしい。動機の多くは危険と興奮による ・ 登山 アドレナリン放出を楽しむことと結びついている Shepard and Evans(2005)は「ハード」アド ようである。総じてアドベンチャー・ツーリスト ベンチャー・ツーリズムと「ソフト」アドベンチ は他のスポーツ・ツーリストに比べて若くなる傾 ャー・ツーリズムに区別している。 「ソフト」なア 向がある(25 歳から 40 歳)。普通、女性よりも男 ドベンチャーはリスクが非常に低く、一定レベル 性の方が多い(これはほとんどのスポーツ・ツー の体力があれば誰でもできるものを意味し、 「ハー リズムに言える)。ところが、Adventure Travel ド」なアドベンチャーは経験と一定レベル以上の Society (2008) は、驚くべきことに典型的なアド 適性、そしてリスクや想定外の状況に対応する能 ベンチャー・トラベラーは、おそらく 47 歳から 力と意欲を必要とするものである。しかしながら、 49 歳くらいのある女性であると言う。 いずれのアドベンチャー・ツーリズムも動機の多 結局、ライフスタイルが変化し、より多くの人 くは、興奮、刺激、未経験のこと、そしてリスク が長く活動的でありたいと望むにつれてスポー であると言えるようだ。Swarbrooke et al.(2003) ツ・ツーリズムは成長しつつあるらしい。遠く離 はアドベンチャーの核心を、危険とリスク、挑戦、 れた美しい風景の地に行く、よりエキサイティン 未経験のこと、興奮と刺激、現実逃避、探検、没 グで冒険的なスポーツを追い求めていることも明 入そして忘れ難い経験としている。 らかになっている。このためにスポーツ休暇のア ただし、いくつかの「ハード」なアドベンチャ クティヴな部分と、自然に恵まれた環境の中で休 ー・スポーツは他のものよりもリスクが高く「危 暇を過ごすことによるリラックスと安らかさが結 険なスポーツ」 (extreme sports)と呼ぶべきもの び付くようになっている。体をあまり動かさずあ である。次のようなものが例として挙げられる。 るいは冒険好きでないツーリストも、スポーツ・ イベントの観戦者として、あるいは「郷愁に酔う」 ・ バックカントリー・スキー/スノーボード 魅力ある場所への訪問者として、スポーツを楽し ・ バンジージャンプ むことができる。この事情から国際社会、国内い ・ サーフィン ずれにあってもスポーツの重要性が際立っている。 ・ ストーム・チェイシング 【澤山】 ・ 氷山クライミング ・ 氷海ダイビング 【関連項目】スペシャル・インタレスト・ツーリ ・ 深海ダイビング ズム ・ 激流ラフティング ・ スカイダイビング 【読書案内】 ・ ベース・ジャンピング(低位置パラシュート降 スポーツ・ツーリズムに焦点をおいた本は多く、 Hudson の Sports and Adventure Tourism のよう 下) ・ カイト・サーフィン に、アドベンチャー・ツーリズムを含める本もあ ・ クリフ・ジャンピング る 。 Hinch and Higham の Sports Tourism ・ 危険なモータースポーツ Development や Ritchie and Adair の Sports ・ パラグライダー Tourism: Interrelationships, Impacts and Issues 64 のように、スポーツ・ツーリズムに主眼をおいた 覚的本性を強調する。つまり、ツーリスト達が視 本もある。 覚的イメージを探し求め消費するやり方と、観光 産業がこの消費を組織化し方向づける諸手段につ いてである。基本的レベルでは、ツーリズムの視 【推薦図書】 Hinch, T. and Higham, J. (2003) Sports Tourism Development. Clevedon: Channel View. 覚的性質は読者にとって驚きをもたらすものでは ないだろう。ツーリスト達は写真を撮り、彼らが Hudson, S. (2008) Sports and Adventure Tourism. New York: Haworth Press. 訪問した場所の絵葉書を購入し、列車では窓側の 席を予約し、眺めを堪能する為に高層建築に上る。 Ritchie, B. and Adair, D. (eds) (2004) Sports Tourism: Interrelationships, Impacts and Issues. Clevedon: Channel View. ―実際、“風景を見ること(観光)”とはツーリズ ムと同義であるし、その端緒よりそうであり続け てきた。アーリによるツーリストの眼差しという (訳注1)2012 年ロンドン・オリンピックでは、 概念で興味深い点は、単にツーリスト達が様々な 野球とソフトボールを実施競技から除外され、入 光景を見ることを好むということの明示のみなら れ替えによりスケートボードを含む 5 競技からの ず、彼らが消費する光景がますます影響力を持ち 新規採用が審議されたが、実際には新規採用はな つつある観光産業により選択され、構築され、ス かった。原著は 2010 年の出版のため事実と齟齬 テージとして管理され、監督されているというこ がある。 とを明らかにする点にある。ツーリスト達の眼差 しを方向づけるために特別に創られる施設や構造 (訳注2)当初は半身不随者が対象だったが、現 の様々な事例の中には、海辺のリゾートにある楽 在までに半身不随者以外にも対象が広げられ、障 しみの為の桟橋や散歩道、ホテルのバルコニーや 害の種類・部位・程度でクラス分けされている。 テラス、国立公園内にある眺望ポイントに加え、 競技種目も拡充されてきた。 ガイドブックや絵葉書、ウェブサイトや旅行プロ 【小槻】 グラムを産み出す、ツーリズム関連の広大なメデ ィアも含まれる。 【ツーリストの眼差し(Tourist Gaze)】 アーリが言うには、ツーリストの眼差しの構築 は新しい現象ではない。19 世紀に、学問的・科学 ツーリストの眼差しとは、ツーリストが場所や 的な旅が景勝地へのツーリズムに席を譲った時、 人々を見るやり方やこれらの光景の選択が観光産 初期のヨーロッパ人のツーリスト達はイラスト付 業により方向付けられ組織化されているという観 きのガイドブックに描かれた眺めを経験し収集す 念を指す。 ることに躍起になったし、多くの者は自らのスケ ッチブックへとそれらの眺めを描き入れたのであ 1990 年、社会学者ジョン・アーリは後に観光研 った。 究で極めて影響力の高いテキストとなる『観光の 美的にものを見るやり方というのは、あたかも 眼差し』という書物を出版する。アーリは 1960 見物者がギャラリーにいるかのように、世界をフ 年代にフランスの理論家ジャック・ラカンとミシ レームの中の写真の連続体として眺めるというこ ェル・フーコーにより展開された“眼差し”とい とである。美的な眼差しは、休日向けのパンフレ う概念を取り上げ、それをツーリズム分野に応用 ットやテレビ番組やウェブサイトにおいて見出さ する。自らの仕事の中でアーリはツーリズムの視 れる構築されたイメージの周囲に組織される我々 65 現代人のツーリストの眼差しを先取りするものだ 野原が決定的な戦いや出来事の場所であったこ った。これらのイメージは見物人に何を見るべき とを示唆する案内板) かを、そして重要なことに、何を避けるべきかを 教えるものである。アーリが言うように、ツーリ 以上からわかるように、自然環境や人工的環境と ストの眼差しは大抵の場合「ごみ、病、動物の死 同じ程度に人々もまた眼差しの対象となりうるが、 体、貧困、汚水、強奪」のイメージを含むことは 彼らが注意を引く為には何らかの「他者」の意味 ない。(Urry 1990/ 2002: 129)ツーリストの眼差 を具現化していなければならない。ツーリストに しにふさわしいと見なされる光景はツーリスト自 とって「他者」であるというこの性質は、知覚さ 身の写真を通して絶え間なく再生産される。そし れた真正性や異国趣味に由来する。―例えば、ツ てこれらの写真がツーリストの家族や友人の間を ーリストは地域住民が色彩豊かなコスチュームを 再循環するのである。アーリはツーリストの眼差 着ていたり、伝統的儀式を行っていたりするのを しの構築や、まさにツーリズムそのものの発展に 見たいと思う。 ツーリストの眼差しは、見られる対象の性質に 関する写真の重要性を認める。―写真とツーリズ ムは“お互いから出現し、お互いを強化する”。 適した様々な社会的文脈の中で経験されうる。ア (1990/2002:129) ーリは、個人的で孤独な眺めを「ロマン主義的眼 アーリは特色ある“ツーリストの眼差し”を産 差し」と称する。この場合、人が一人で観照して み出す基本的条件を並べている。誰かが何かをツ いる時にのみ、藝術作品や孤独な山岳風景への適 ーリストの眼差しを伴って眺める為には、まずは 切な評価が生じるとされる。多様、アーリが「集 通常の日常経験だと見なされるものと、非日常だ 合的眼差し」と名付けるものは、経験に仲間の見 と見なされるものとの間に区別が存在していなけ 物者という群衆が付け加わる光景や出来事のこと ればならない。ツーリストの眼差しの潜在的対象 である。例えばテーマパークや、ロンドンのノッ は家で経験されるものとは異なるものでなければ ティングヒル・カーニバルなどのイベントがこれ ならない。それらの対象とは、以下である。 にあたる。 ツーリズムがグローバル化するにつれ、眼差し の対象となる事物の幅も広がる。例えば、ダーク・ ・ユニークな対象(エッフェル塔、グランドキャ ツーリズムに関する場所、遠く離れた風景や危険 ニオン) な目的地も全て最近は人気のあるものとなってき ・典型的な英国の農村やフランスのシャトーとい た。世界におけるより多くの場所がツーリズムの った、特定のツーリズムに関する“記号” 目的地となるのと同様に、観光産業は「目くるめ ・馴染み深い事象の見たことのない側面(歴史的 くグローバル秩序の中でそれぞれの場所が自らの 共同体の生活に関する博物館の展示) ・普通ではない文脈のもとで見られる、生活の日 場所をモニターし、変容させ、最大化することを 常的側面(ツーリストとは異なる政治体制下で 助けるようなシステマティックで標準化された評 地域住民が日常的仕事をこなしているのを眺め 価手続き」を発展させている。 (Urry1990/2002: るツーリスト達) 142)更に、経済的政治的変化が世界人口のより多 くの人々に旅行という活動を開こうとしているの ・普通ではない視覚的背景の中でなされる日常的 につれ、眼差しを持つ者も多様化している。2002 仕事(買い物、食事、水泳) ・一見すると日常的対象が実は非日常的なもので 年に刊行された『観光の眼差し』第 2 版において、 あることを示す記号(例えば、普通の見た目の アーリはこれらのグローバルな変化を認め、1990 66 年版が引き起こした幾つかの批判にも言及する。 おけるツーリストの実践にインパクトを与えう これらの批判の多くは、視覚的なものを重視する るかを検討する。 ことによって、ツーリズムにとって極めて重要な 『家族の眼差し』(M. Haldrup and J. Larsen (2003) Tourist Studies) 他の 4 つの感覚が否定されているとする考え方に 関するものであった。曰く、ツーリズムが場所の この論文はツーリストの眼差しを取り上げ、 視覚的領有に関するものであるのと同程度に、ツ それをツーリストの写真に関わる実践に応用す ーリズムは身体的実践や匂いを嗅ぐことや、聴く る。たとえ写真が場所の視覚的消費を可能とす こと、触れること、味わうことに関するものだと るとしても、多くの写真が寧ろ物質的世界より いうことである。アーリは、 「視覚的なものの圧倒 も活動する家族を記録する故に、写真は社会的 的な支配」 (1990/2002:149)を改めて主張する 関係を産み出すことに大きな役割を果たしもす ことで、現代のグローバルなツーリズム経験を伝 ると著者達は主張する。 えるには単一のツーリストの眼差しでは余りに単 がますますモバイルな存在になりつつあるのにつ 『お互いの眼差し』(D.Maoz(2006) Annals of Tourism Research) れ、視覚、聴覚、触覚、嗅覚、味覚を通してより この論文は地域住民に注がれるツーリストの 多く世界を経験していることを認め、ツーリスト 眼差しという考え方を探究し、同時に、現地に の眼差しがますます身体化され偏在するものとな 住む人々もツーリストを見る際のやり方を形作 っていると言う。恐らく、我々の日常生活のあら るようなツーリストに関する独自のステレオタ ゆる側面へのツーリストの眼差しの普及とは以下 イプな観念を持つ故に、眼差しが相互的なもの のことを意味するだろう。即ち、 「ツーリストの眼 であるという考え方をも探究する。 純過ぎるとし、議論を補填する。しかし彼は我々 差しが単にあらゆる場所にある故に、或いはある 『フードをまなざすこと:ツーリズムアトラク ションとしてのヒップホップ』 (P. Xie, Osumare and A. Ibrahim (2007), Tourism Management) 意味では別にどこにも存在しない故に、<ツーリ ズム>それ自体の効果的研究は存在しえない」と いうことである。(1990/2002:145) アメリカ合衆国におけるヒップホップに関す 以上述べたような批判にもかかわらず、アーリ るツーリズムという出現しつつある現象を探究 の『ツーリストの眼差し』は参照せざるをえない することで、この論文はヒップホップが一連の 3 影響力を持つ仕事であり続けている。この点は以 つのツーリストの眼差しにより見られることを 下に示す、眼差しの概念を用いさらに発展させて 示す。それらは以下の 3 つである。―最初の眼 いる最近の雑誌論文の存在からも見て取れる。 差し(興味関心や覗き趣味に関連) 、大衆的眼差 し(文化形式が商業化されグローバル化される 『<ザ・ビーチ>、眼差しとフィルムツーリズ ム』(L. Law, T. Bunnell and C. Ong (2007) Tourist Studies) 時)、最後に真正性のある眼差し(スペシャル・ インタレスト・ツーリズムとしてヒップホップ が探求される場合) 映画『ビーチ』(同じ題名の Alex Garland に よる書籍が原作)を用いつつ、この論文はフィ 【関連項目】真正性、ポスト・ツーリズム ルムツーリズムにおけるツーリストの眼差しの 役割を探究し、映画視聴者が自らのビーチを探 【読書案内】 究する時にいかにこのような眼差しが目的地に 明らかに、 『ツーリストの眼差し』の 1990 年版と 67 2002 年版は読者に推薦されるべきである。読者は を推進するための戦略の必要性を提案している。 またアーリに仕事に関する引き続いて生じた以下 また多くの都市や街はツーリストに様々な魅力的 の幾つかの議論にも関心を持つかもしれない。例 なものを提供している(例えばビジネスで訪れた えば“Tourist Studies”に掲載された MacCannell ツーリストが文化観光をする。文化観光を目的に の“Tourist agency”や、同じく“Tourist Studies” 来たツーリストがショッピングをする)。都市ツー に掲載された Franklin の“The Tourist Gaze and リズムはツーリズム全体の中でも最も大きくかつ beyond: an interview with John Urry”である。 重要なツーリズム形態の一つであるといえる。ま た都市ツーリズムをマネジメントすることは非常 に難しいと言われているが、多くの都市や街はツ 【推薦図書】 Franklin, A. (2001) ‘ The Tourist Gaze and beyond: an interview with John Urry ’ , Tourist Studies, 1(2): 115-31. ーリストに訪れてもらうために様々な努力をして いる。かつての産業都市でさえも、観光地として の再生を目的とし、新たなイメージ戦略を展開し MacCannell, D.(2001)‘Tourist Agency’, Tourist Studies, 1: 2-37. ている。 都市ツーリズムには次のようなものが含まれて Urry, J.(1990/2002) The Tourist Gaze: Leisure and Travel in Contemporary Societies, London: Sage. いる。 【原】 ・観光(伝統的建造物、考古学博物館、建築) ・ミュージアム、ギャラリー 【都市ツーリズム(Urban Tourism)】 ・劇場、コンサート、ダンス ・研修 都市ツーリズムとは、ツーリズム、ショッピング、 ・ショッピング ビジネス、エンターテイメントを目的として都市 ・フェスティバル、イベント や街を訪問することを指す。 ・会議、ビジネスミーティング ・外食、カフェ、バー、ナイトクラブ 都市ツーリズムは、比較的古いツーリズム形態 ・友人、親戚訪問 の一つであるが、1950 年代から 1980 年代にかけ て都市を訪れるツーリズムから沿岸、農村、山間 Judd and Fainstein(1999)は、多くの都市が計画 部を訪れるツーリズムへと移行してきた経緯があ 的に観光者向け地区を創出しツーリストを呼び込 る。つまり、都市ツーリズムは新たなツーリズム もうとしていると論じた。この観光者向け地区を、 形態ではなく、再び見直されたツーリズム形態と Judd(1999)は「ツーリストバブル」と呼び、また いえるであろう。ツーリストにとって都市部はこ Hannigan(1998)は「都市娯楽地区」と呼んでいる。 れまでも魅力的な観光地であったが、ツーリズム これらには、例えば、芸術祭、ミュージアム、バ が大きな経済効果をもたらすことが認識され出し ー・レストラン、シネマ、カジノ、ショッピング たのはつい最近のことである。ツーリストにとっ 地区、エンターテイメント地区等、典型的かつあ て都市は非常に魅力的な場所であるということを りふれたアトラクションが含まれる。Hallyar et 最 初 に 提 唱 し た の は Greg Ashworth で あ る al.(2008)は、多くの都市には、同じようなアトラ (Ashworth and Tunbridge, 1990)。Hoffman ら クションや活動がツーリズム関連サービスととも (2003)は、ほとんど全ての都市は都市ツーリズム 集積する地区があり、これらの地区は空間的、社 の可能性を持っていることから、都市ツーリズム 68 会的、文化的、経済的に一定のアイデンティティ ・文化首都(ブタペスト、プラハ、ウィーン) を持つと論じた。それらの地区を「ツーリズム区 ・歴史文化遺産都市(ヴェニス、オクッスフォー 域」と呼んだ。具体的には、ビジネス地区、歴史 ド、クラクフ) 文化遺産地区、あるいはショッピングエリアを指 ・芸術都市(フィレンツェ、マドリード) す。近年、都市における文化地区あるいは創造地 ・創造都市(ヘルシンキ、バルセロナ) 区に関する多くの研究成果がみられる(Law 2002; ・産業都市(グラスゴー、ビルバオ) Montgomery 2003 2004)。その研究対象となるよ ・スポーツ都市(メルボルン、カーディフ) うな都市は、ツーリストにとって非常に魅力的な ・フェスティバル都市(リオ、ニューオリンズ) 施設と質の高いサービスを兼ね備えている。これ ・未来都市(ドバイ、東京) らの都市の多くは、歴史文化遺産やその都市なら 国際都市 ではの芸術を持ち合わせている一方で、飲食店や エンターテイメントにも力を入れている。またツ 国際都市とは Soja(2000)のような理論家がポス ーリスト用の飲食店やエンターテイメントは、住 トメトロポリタンと呼んでいるものに該当する。 民の日常生活とも密接に関係している。例えば、 ポストメトロポリタンでは経済、政治、文化が多 Shaw(2007)によれば、多くのツーリストは、エス 様であり、また境界というものもほとんど存在し ノスケープと呼ばれる地区や海外からの移民が構 ない。そこでの景色は複合的なものであり、様々 築したチャイナタウン、ギリシャタウン、リトル な建築物が重なりあい、成功した都市を象徴して イタリア、カルチェラタンと呼ばれる地区に魅力 いる。また新しいものと歴史的なものとが混在し を感じるという。しかしながら、このような形態 ている。Flusty(2004)はそのような都市を「地球 で現地の人々の文化を消費するようないわゆる商 上のあらゆる場所が存在する場所」と呼んでいる。 業主義、のぞき見主義に対する批判的な意見も存 国際都市の代表としてはロサンゼルスがあげられ 在する。また Maitland(2007)によれば、都市ツー る。 リズムを目的としたツーリストの多くはこれまで 首都 観光地とされてきた場所を訪れることが珍しくな ってきているという。つまり、ツーリストは観光 近年、首都の重要性に注目した研究が多くみら 用に人工的に開発されたものを求めているのでは れる(Maitland and Ritchie 2009)。首都は政治、 なく、その土地ならでの本質的な経験を求めてい 経済、行政、文化の中心であるとともにその国の る。またこのことは、少なくとも地元住民にとっ 象徴的な存在であるため、ツーリズムの目的地と て喜ばしいことであろう。 して非常に魅力的な場所である。ツーリズム研究 都市や町を訪問したいというツーリストの動機 においては、首都にもかかわらずなぜ他の国内の を分類することは容易ではないが、一般的に都市 都市よりもツーリストの人数や認知度が見劣りす ツーリズムを推進している都市は、他の競合する るのかということについて多くの研究蓄積がある。 都市よりもツーリストにとって魅力的な点をプロ 例えば、マドリッドとバルセロナ、キャンベラと モーションすることで差別化を図っている。都市 シドニー、アンカラとイスタンブールがあげられ ツーリズムは次のように分類可能である。 る。 文化首都 ・国際都市(ロンドン、ニューヨーク) 文化首都にはツーリストにとって魅力的な歴史 ・首都(アンカラ、ブカレスト) 69 文化遺産や芸術アトラクションが多く存在する。 近年、多くの産業都市は都市再生の取組みによ また景観が非常に美しいという特徴がある。一方 り観光地へと変化してきた。ビルバオ、グラスゴ で、世界中からツーリストが訪れるため非常に混 ー、リバプール、ロッテルダムに代表されるヨー 雑するという課題が存在する。 ロッパの都市はオリンピック、主要なミュージア ムイベント、ギャラリー、国際会議等、大規模プ ロジェクトをきっかけとして都市再生が政策課題 歴史文化遺産都市 ツーリズムにおける歴史文化遺産都市という概 として着手され、その後ガイドブックに掲載され 念は Ashworth and Tunbridge(1990)によって提 ることでツーリストにとっての目的地になってき 唱されて以降、一般的に用いられるようになった。 た。 歴史文化遺産都市にはツーリストにとって魅力的 な 歴 史 文 化 遺 産 が 多 く 存 在 す る 。 Graham ら スポーツ都市 (2000)は、歴史文化遺産都市の開発に当たっては、 スポーツ都市とは主要なスポーツ・イベント(オ 歴史文化遺産を中心としてその周辺地域に新たな リンピック、サッカーワールドカップ)の開催地 開発が行われることが特徴であると指摘している。 を契機として発展してきた都市、又は継続的にス ポーツ大会やイベントが実施されることによって 発展してきた都市を意味する。 芸術都市 例えばメルボルンは、世界の都市の中で最も発 芸術都市には多くのギャラリーやミュージアム があり、またそれらを集めた芸術地区が存在する。 展したスポーツ都市といわれている。なぜなら 例えば、ウィーンには博物館地区、ベルリンには 数々の主要なスポーツ・イベントの開催地として 博物館島がある。フィレンツェやローマのように 成功するとともに、現在も継続的にそれらが行わ 多くの芸術都市は、貴重な歴史的コレクションで れているからである。 も有名である。またニューヨークのように世界的 フェスティバル都市 に有名なコレクションを所有していたり、パリの フェスティバル都市では、世界的に有名な恒例 ように国家的コレクションを所有している芸術都 のイベントが毎年行われている。例えばブラジル 市もある。 のリオのカーニバル、スコットランドのエジンバ ラフェスティバルがあげられる。 創造都市 Richard Florida(2002)によれば多くの都市は創 未来都市 造都市として称されるという。創造都市とは芸術 や文化を代表するというよりも、革新的あるいは 未来都市は常に最新且つハイテクという特徴を 先進的なビジネス都市を意味する。創造都市は寛 持つ。その特徴には先進的な建築物やユニークな 容、才能、技術という 3 つのキーワードを持ち合 アトラクションも含まれている。例えば、現在、 わせる必要がある。多くのクリエイティブクラス クエートはドバイを意識して未来都市を目指して と言われる人々は、創造都市に住んでいる。また いる。ツーリストは未来に対する空想を重ねあわ 創造都市の特徴としては自由度が高くそれ故、ボ せることで未来都市に魅力を感じる。 ヘミアン指標やゲイ指標が高くなる傾向がある。 上記で示した首都、文化都市、歴史文化遺産都 市の多くは、17 世紀から 18 世紀のグランド・ツ 産業都市 70 アーの目的地であった。一方で、ツーリストにと ・ 宿泊を促す、活気ある夕方の繁華街(evening って魅力的なイベント、国際会議、ショッピング、 economy)の必要 ナイトライフ、大規模なイベント(現代アートギ ・ 都市の特徴の維持あるいは場所の感覚の創造 ャラリー、ウォーターフロント再生等)によって ・ マーケティングとプロモーション(非常に競争 新しく観光地となった都市も存在する。ツーリス の激しい市場に独自の売り(USP)を作ること トを誘致するための都市間競争が厳しい一方で、 など) ツーリストが多く訪れすぎるためにデ・マーケテ ィングを実践している都市もある(例えば、ケン 一般的に都市ツーリズムは多様なツーリズム形 ブリッジ、ダブリン、ヴェニス)。格安航空会社の 態の一つであり、また最もマネジメントをするこ 増加に伴って、週末を利用して長期間旅行するツ とが難しいといわれている。都市を目的地とする ーリストが増加している。しかしこれまでの研究 ツーリストは個々の多様な動機を持っており、ま では、そのようなツーリストは一度訪れた都市を た多くの都市はある特定の時期にだけ非常に混雑 再度訪れることはほとんどないということが示さ するという現状がある。格安航空会社の増加に伴 れている。つまり、持続可能な観光にはなってい って、特にヨーロッパにおいて多くのツーリスト ない。ただ若者をターゲットとする観光地ではそ が週末を中心に長期の旅行をする傾向がある。こ のようなツーリストでも歓迎されるかもしれない。 の結果、小規模な歴史文化遺産地区において混雑 しかしながら、ヨーロッパの多くの都市では近年、 を引き起こしている。一方、都市ツーリズムを目 ツーリストとして若者をターゲットとすることに 的地とするツーリストが増加することは、都市再 は消極的である。なぜなら彼らは街中で泥酔した 生や世界に新しいイメージを発信することを通し り、地元の生活環境や住民に対する配慮が足りな て都市・地域再生を狙う旧来の産業都市にとって いからだ。クラクフ、プラハ、ブダペスト、タリ は絶好の機会であるといえるだろう。 ンのような中央ヨーロッパ、東ヨーロッパ、バル ト三国では、特にツーリストの若者にはうんざり 【関連項目】アート・ツーリズム、文化ツーリズ している。なぜならそれらの国々では、アルコー ム、ヘリテージ・ツーリズム、都市・地域再生 ルが他の国よりも安く、多くの若者がアルコール を目的に訪れた時期があったためである。 【文献案内】 都市地域に特有のマネジメント課題としては他 都市をテーマにした研究は非常に魅力的である に次のようなものがあげられる。 ため、都市研究や都市計画に関する多くの文献が 存在する。その中でも都市ツーリズムを扱った文 都市ツーリズム環境の主なマネジメント課題 献としては、Hoffman ら(2003)がある。 ・ 混雑 【推薦図書】 Hallyar, B., Griffin, T. and Edwards, D.(eds)(2008) City Spaces-Tourist Places: Urban Tourism Precincts.Oxford: Butterworth-Heinemann. ・ 環境保全と保護 ・ 交通問題(駐車場、歩行者専用道路化、汚染) ・ 中心市街に位置する、利用可能な宿泊施設の必 要 Hoffman, L.M., Fainstein, S.S. and Judd, D.R.(eds)(2003) Cities and Visitors.Oxford:Blackwell. ・ 地域住民とツーリストのニーズを同時にマネ ジメントすること ・ 訪問者管理と流動管理 Law, C.M.(2002) Urban Tourism: The Visitor 71 Economy the Growth of Large Cities.London: Continuum Books. Maitland, R. and Newman, P.(eds)(2008) World Tourism Cities.London: Routledge. Maitland, R. and Ritchie, B.(2009) City Tourism: National Capital Perspectives.Wallingford: CABI. 【田中】 72 日本の観光立国戦略に対する中国側の 評価―政治・経済視点からの考察― 神戸夙川学院大学観光文化学部准教授 戴 智軻 【目次】 形成させるところにあると指摘されている 1. はじめに 中で、日中両国の観光政策における相互補 2. 中国のアウトバンド観光 完の可能性があるかどうかも、この作業を 3. 日本の観光立国戦略及びその施策に対する評価 通じてある程度点検できるのではないかと 4. 中国の観光政策に対する反省―日本の観光立国戦 考えている。 以上の問題意識から、本稿では2003年以 略に基づいて 降中国で発表された日本の観光立国戦略に 5. 中国のアウトバンドと日本のインバンド-結びに ついての研究を中心に考察を加え、どうい 代えて う評価がなされているかを概観する上で、 中国側の研究の視座を明らかにしようと思 1.はじめに う。内容的に多岐にわたる研究から、おも 日本の観光立国戦略についての中国側の に経済的、政治的分野と関係のあるものを 評価を理解することには、次のようないく 選出し、日本の観光立国戦略に対する中国 つかの意味があると考えられる。まず、日 側の評価をポジティブとネガティブの両面 本の観光政策は中国人観光客の誘致を重要 に分けて整理する。特に観光立国戦略が中 目標のひとつと設定している以上、それに 国人観光客の誘致においてうまく機能して ついての中国側の評価を全面的に把握する いるかどうかについては、現実状況に照ら ことは、今後の軌道修正につながり、より し合わせながら、中国の識者たちが指摘す 効果的な政策制定に寄与できると考えられ る問題点をベースに筆者なりの再評価を試 る。次に、日本の観光立国政策が中国でも みようと思う。 注目され、研究対象のみならず目指す目標 の一つともなっているが、これについての 2.中国のアウトバンド観光 中国側の評価を精査することは、世界一の デスティネーションを目指して急成長する 中国の観光市場の今後の行方、及び関連政 ここ数年、グロバール・ツーリズムの今 策の形成を予測する上で、有力な手がかり 後を左右するだろうといわれる中国のアウ を提供できる。さらに、これまで競合関係 トバンド観光は世界中から熱い視線を集め にあるとされる東アジアの観光市場におい ている。世界の観光産業にとって、中国の て、各国の観光産業の持続的発展を支える アウトバンド観光は確実に牽引車になりつ 土台のひとつが、新たに共生共栄の関係を つある。世界観光機関(UNWTO)は1999 73 では実現できない」と断言した。 2 年発表した「UNWTOツーリズムビジョ ン』では、2020年の中国は世界に向けて旅 周知のように、中国のアウトバンド観光 行者1億人を出す「送出国No.4になる」と予 は決して歴史の長いものではない。観光を 測している。2010年の予測値は2005年に達 主な目的として旅行費用を自己負担とする 成され、直近に発表された「2012年中国ア 「海外観光旅行」は少なくとも政府指定の ウトバンド観光発展年度報告書」によると、 旅行会社によるツアーの解禁が始まった90 2011年のアウトバンド観光客数はすでに 年代より前にはごく小数の人に限るもので 7025万に上り、その規模はそれぞれアメリ あった。その主な理由は国家政策にある。 カの1.2倍、日本の3.5倍に達している。U 中国政府は長期間にわたり中国国民に対し NWTOの予測を大幅に超える勢いで、中 て、国内旅行のみを認め外国旅行を不許可 国は「近い将来、世界No.1の送出国になる とする内向きの観光政策を取っており、中 だろう」と中国の関係者が意気込んでいる。 国人の初期の海外旅行において、旅行先、 1 旅行目的、旅行条件などに多くの制約を加 えてきた。それらの制約は改革開放政策の 図1中国からの海外旅行者数(2003年~2011年:万人) 8000 7000 6000 5000 4000 3000 2000 1000 0 施行と拡大によって緩和されたが、アウト 7025 バンド観光を左右する最大の要因としての 5739 2885 3103 3452 4095 4584 4766 2020 国家の観光政策自体に修正を加えたのはご く最近のことである。 中国 改革開放初期の中国においては、外貨の 獲得や雇用の創出に寄与するインバンド観 光が何よりも重要視されていた。そのため に中国政府は「訪中外国人の受け入れ」を 最優先課題に挙げ、 「大いにインバンド観光 出所:『中国旅遊年鑑(2012)』による 一方、日本を始め観光産業に力を入れて を、積極的に国内観光を、適度にアウトバ いる国々も高い購買力を持つ中国観光客の ンド観光を発展させる」という政策方針を 到来を、経済の活性化につながる要素のひ 定めた。その後、稀に見る長期間の持続的 とつとして捉え、中国人の出境遊(海外旅 な経済発展を背景に、中国国民の可処分所 行)ブームに熱いエールを送り続けている。 得が急増し、余暇時間の増大などもあいま 前日本観光庁溝端宏長官は中国メディアの って、内外観光に対する需要も急速に高ま インタビューを受ける際、 「中国はアジアに った。いまや世界一の外貨準備高を誇る中 おける日本観光推進計画の最重要部分であ 国政府は観光政策におけるインバンド観光 る」と指摘し、 「年間3000万人の海外観光客 の順位を下げ、 「国内観光を全面的に、イン を受け入れる日本の計画は中国観光客なし バンド観光を積極的に、アウトバンドを規 範的に発展させる」と軌道修正したが、ア 1「中国アウトバウンド観光発展年度報告書 2012 年」http://travel.sohu.com/20120411/n34 0296999.shtml 2 「日本の『観光立国』離不開中国」 『広州 日報』2011 年 6 月 22 日 74 ウトバンド観光の発展をあくまで政府によ のなかで、政策的に国内観光、インバンド るコントロール下に置く姿勢には大きな変 観光とアウトバンド観光のどちらを優先す 化がなかった。その意味からいうと、中国 べきかは、言うまでもないことであろう。 の観光政策は「かつて日本政府が『テン・ しかし、経済的に豊かになった国民の海外 ミリオン』計画などを称し、日本人の海外 旅行への強烈な憧憬や需要はもはや政府の 旅行を重視し推進していたこととは大きく 意向だけでは抑えきれなくなっている。観 異なる政策である」3 という指摘は的を射た 光産業の構造転換が予想以上のスピードで 議論だと思われる。 突き進んでおり、その対応に追われている 中国政府は適切な政策制定に手こずってい アウトバンド観光の発展自体は依然とし るという印象さえ受ける。 て観光政策の三番目に位置づけられている いずれ産業構造の転換に見合う大胆な政 ものの、経済成長率をはるかに上回るアウ トバンド観光者の増加率からわかるように、 策調整を行わなければならないが、持続的 国家の方針と裏腹に、中国の観光業はすで 経済成長を維持するためには、国内観光、 にインバンド重視の「一方通行で内向き的 インバンド観光をこれからも観光政策の中 なもの」から、インバンドとアウトバンド 核に据えていく必要がある。観光立国戦略 の両方が急増するという大きな構造転換を を打ち出し、インバンド観光で徐々に成果 迎えている。 を上げ始めた日本に中国が注目する理由は、 確かに、社会的文化的側面から考えると、 まさに上述のジレンマを抱えているところ アウトバンド観光の発展は中国の経済発展 にある。国内観光とインバンド観光の規模 の優等生ぶりを世界の国々にアピールでき の拡大や質の向上を通して、観光産業全体 るだけでなく、観光客の送出によって受け の体質を増強し、できれば収支のバランス 入れ国との国民間の交流や理解の深化を増 を崩す恐れのある急激な構造転換を回避す 進し、自国の国家イメージの向上にもつな る。これこそ中国政府が観光産業の発展の がる。これによって、先進諸国で吹き荒ん ために描く理想的なシナリオとなるであろ だ「中国脅威論」がある程度払拭できれば、 う。 いわゆる「パブリック・ディプロマシー」 3.日本の観光立国戦略及びその施策 に対する評価 的な効果も期待できるといえよう。 しかし、リーマンショックに続き、ヨー ロッパの金融危機に端を発した世界の同時 不況の長期化が、30年以上にわたって持続 1)全体評価 してきた中国経済の高度成長にもかげを落 としたのは事実である。輸出主導から内需 2003年に当時の日本首相小泉純一郎は施 拡大へと経済構造の転換を図ることはむし 政方針演説で「2010年までに訪日外国人旅 ろ中国政府の最大の課題となっている。そ 行者数を1,000万人に増やす」ことを目標に 掲げ、 「観光立国」の理念を明確に打ち出し 3鈴木勝「グローバル・ツーリズムを左右す た。日本の観光立国戦略をめぐる中国側の る中国観光」 、『中国 21』p35-50 75 研究もこれをスタート地点とし、観光立国 きた結果、2000 年以降、韓国、中国、香港、 戦略を科学技術、情報技術、知的財産権な 台湾からの観光客が大幅に増え、 「アジアへ どと並べて、21世紀日本の新しい国家戦略 の回帰」を提唱する日本の観光立国戦略が システムの重要な一環と捉えている。中国 すでに実り始めたと評価されている。5 一方、 の識者たちは、日本政府が観光を含む一連 中国観光客の急増によって、日本国内に中 の立国戦略を打ち出すことで21世紀の経済 国語の話せる観光ガイドが不足する現象が 社会の発展方向及び戦略重点を明らかにし、 起きることに注目する研究者は、日本の観 その基本方針と政策体系を作り上げたとし、 光市場のアジアへの回帰を、日本向けの観 観光立国戦略は日本社会の更なる発展を推 光人材の育成や日本の労働市場への進出に 進する上では、「きわめて重大な意義を持 つながる好機と捉え、これは中国国内に顕 つ」と高く評価している。 著に現れている就職難を解決するチャンス 一方、外国観光客の誘致をメインとする だと主張する。具体的には、①中国側が日 日本の観光戦略はインバンド観光とアウト 本観光業のために中国語ガイドを養成する バンド観光の間の重大なアンバランスを解 と同時に、日本側も中国観光業のために日 消するところに主眼が置かれていると指摘 本語ガイドを養成し、中国国際観光業のサ する意見も多い。バブル経済崩壊後、長年 ービスの向上を促進する。②中国観光客向 にわたって経済停滞を強いられる日本が、 けのビザの発給要件が緩和される中で、看 インバンド観光を中心とする国際観光産業 護領域における外国人看護士の受け入れな の発展に注力する狙いは、関連需要を効果 どの事例を参考に、時機を見て日本の労働 的に拡大させるだけでなく、サービス貿易 市場を積極的に開拓する、などがあげられ の収支、とりわけ観光業における収支不均 ている。 6 衡を改善し、産業構造の調整を図り、輸出 に頼ってきた外向型経済モデルの移行を促 (2)ネガティブな評価 進し、日本経済の新たな飛躍を実現しよう 中国人観光客の誘致を観光戦略の前面に とするところにあると分析されている。 4 押し出しているにもかかわらず、観光ビザ の取得制限においては、日本政府は段階的 2)中国と関連のある部分についての評価 緩和というかなり慎重な政策を採っている。 (1)ポジティブな評価 中国を含むアジア諸国の観光客の誘致 を観光戦略の中心に据えることが中国では 非常的に好意的に受け止められている。北 東アジアに重点を置いて市場開発を行って 5 同注4 6凌強「日本観光立国戦略及中国応対策略」 4凌強「浅析日本観光立国戦略與対華旅遊市 『経済與管理』、2005 年 9 月号 p107-109 場開放」『現代日本経済』 、2006 年第 2 号、 p41-47 76 年 2000年 2004年 2007年 2009年7月 2010年7月 2011年7月 2011年9月 2012年7月 光客の重要性を強調し、ビザ発給における 中国人を対象とした訪日観光ビザ見直しの経緯 ビザーの種類 対象地域 対象者及び発給要件 団体観光ビザーを発給開始 北京、上海、広東 団体観光ビザー発給地域を 北京、上海、広東、 拡大 江蘇、山東、遼寧、 天津 団体観光ビザー 中国全土(制限あ り) 個人観光ビザを発給開始 「十分な経済力のある 者」と同行する家族 個人観光ビザの発給地域を 中国全土 一定の「職業上の地 拡大 位」及び「経済力」を 有する者」と同行する 家族 個人観光客に対するマルチ 沖縄を訪問する中国人 ビザの発給開始 個人観光ビザ(シングル) 「一定の経済力を有す 発給要件の追加緩和 る者」とその家族 中国人個人観光客に対する 被災地3県(岩手、宮 数次ビザの発給 城、福島)を訪問する 中国人 更なる制限緩和を求めている。 3)政策以外のネガティブな評価 (1)受け入れ環境の不備 観光立国が国策として打ち出された以上、 出所:国土交通省資料などによって作成 http://www.npu.go.jp/policy/policy04/pdf/20120705/shiryo4.pdf それを実現するための環境を整える必要が あるが、現段階の日本にはそれを阻害する ビザの発給に見られる「出し渋り」は、 要因が複数あると指摘する意見が見られる。 中国観光業界だけでなく、日本の観光立国 主に指摘されている点は次のようなもので 戦略を好意的に受け止めている中国の識者 ある。 の間でも大きな不満を引き起こしている。 「『ようこそ、日本へ』としきりに言う反面、 ① 政治:頻繁に行われる政権交代は観光政 自国の門戸を遅遅として開放しようとしな 策の一貫性に影響を与える恐れがある。 い日本はどうして中国観光客を誘致できる 一方、歴史認識問題などをめぐる一部の だろうか」との指摘があるように、来日中 政治家の無神経な言動はしばしば中国 国人観光客が少ない理由は、 「不法残留」な を含むアジア諸国の国民感情を傷つけ、 どを恐れる日本政府からの人為的制限にあ 日本に対する親近感や評価を下げる。国 るとされている。一方、中国側の業界では、 民感情が国際観光や国際交流を促進す 職種、年収制限などビザの取得要件をめぐ るための前提であるとされている以上、 って、日本側の主管部門の判断にゆだねら 嫌日や反日感情が高まれば、日本の観光 れるところが多く、決して透明とはいえな 立国戦略がよって立つ基礎を失う危険 い部分がある現状 7 に対しても不満の声が 性がある。 上がり、日本の観光市場にとっての中国観 ② 企業:本国の観光資源を生かし、外国観 光客を誘致する点において、先進国に比 べ日本の観光関連企業は大きな遅れを 2010 年 7 月 1 日より中国人の 個人観光ビザの発給条件を従来の年収 25 万元(約 327 万円)から年収 6 万元(約 79 万円)にまで引き下げた。前観光庁長官溝 畑宏氏は前出中国「広州日報」のインタビ ューを受けたときに、公式に明らにしてい ないが、実際、中国人観光客向けのビザを 発給する際、それよりも低い判断基準を設 けているとし、中国の銀行が発行するゴー ルドカードさえ持っていればクリアできる と打ち明けた。『広州日報』、2011 年 6 月 22 日 7日本政府は とっている。8 本国の観光資源を整合し、 日本の特色を引き立たせるブランドを 作り、観光における競争力と魅力をレベ ルアップさせるのは、日本観光企業がこ れから研究を深め、努力を重ねていくべ き重要課題である。 8薛芹「浅析日本観光立国政策」 『甘粛農業』、 2005 年第 8 号、p100-102 77 ③ 国民:海外観光客の誘致に日本政府や一 という認識自体は、過去の事実に基づいて 部の企業が積極的な態度を示している 形成された部分があるため、決してすべて のに対して、地方や民間はやや後ろ向き が的外れなものとはいえない。ただ、観光 な姿勢を見せている。その理由は日本の が両国民間のコミュニケーションや理解を 閉鎖的な社会と国民意識にある。日本人 促進し、結果的には平和をもたらす効果も は大和民族を世界中もっとも優秀な民 あるというポジティブな視点が欠落してい 族と自認し、特にアジア諸国、諸民族を るのが、多少遺憾である。 明らかに軽視し、排斥的感情を持ってい (2)ソフトパワーの伸張に対する警戒 る。外国人観光客の増加が治安悪化につ ながると決め付け、受け入れに消極な日 本人は決して少数とはいえない。この種 日本の観光立国戦略に対する中国側の評 の排他的な感情は必ずといっていいほ 価の中で、もうひとつ注目すべき視点は、 どインバンド観光の発展を阻害する要 観光を通して自国の文化を宣伝するという 因となる。観光立国戦略は国民全体の支 日本のソフトパワーの伸張に対する警戒感 持を得られず、政策レベルにとどまって である。 康徳瑰氏は観光立国戦略を日本が意識に いれば、看板倒れする可能性がある。 ④ コスト:観光コストが高いことが観光業 推進する広報外交(Public Diplomacy)の の発展にマイナス影響をもたらす。中国 一環として捉えている。90年代から日本の 人観光客にとって、消費水準の高さにお 広報外交は戦後「平和国家」というイメー いて世界一二位を争う日本は依然とし ジの造成と経済の振興に寄与するという実 て敷居の高い観光目的地である。コスト 用的なものから、政治大国の実現のために パフォーマンスからいうと、東南アジア 貢献するという拡張路線へと大きく舵を切 や近隣の韓国などが日本よりも良い選 ったと康氏は指摘する。日本政府が広報の 択である。特に自然観光資源などにおい 対象を最初のアメリカと東南アジアから、 て近似性を持つ韓国と比べると、日本の 中国を含むその他の国に拡大させているこ 観光市場は少なくとも価格優勢を持ち とに警戒を呼びかける康氏は、2003年以降 合わせていない。 に打ち出された観光立国戦略を「観光外交」 と位置づけ、中国人観光客のビザ取得要件 上述のように、政策制定と政策施行にわ の緩和などの措置の背後には、経済効果を けてみれば、日本の観光立国戦略をめぐる 狙うだけでなく、観光による交流を通して 中国識者の評価は必ずしも一致していない。 日本に対する中国民衆の反日感情を薄め、 後者に関する議論には若干ステレオタイプ 経済利益の獲得以外に、政治的意図もある 的で感情的なものも差し挟まれているが、 と分析している。 9 観光は互いの国民感情、しいて言えば両国 一方、柴亜林氏の議論はより過激的であ の政治環境との間に密接な関係があり、そ 9康徳瑰「日本公共外交的特点」 、『日本学 れによって大きく左右される可能性がある 刊』、2011 年第1号、p40-51 78 る。柴氏は日本の観光立国戦略を分析する 向上にも機能できる。この点においてはお 際、経済と政治の両面からその真意を探る そらく議論の余地がないと思う。ただし、 必要があると主張する。 10 上述の議論の前提は、日本がすでに「平和 柴氏は2003年4月に公開された「観光立 国家」の「仮面」を剥がそうとしている、 国懇談会報告書」にソフトパワーの向上と というところにある。即ち日本が推進しよ いう文言が盛り込まれたことを取り上げ、 うとするパブリック・ディプロマシーの目 日本政府が観光立国戦略に極めて高い政治 標が一見「対日イメージの向上」に設定さ 的意義を付与し、観光立国を政治大国への れているように見えるが、日本に対して周 まい進に必要なルートとして考えていると 辺諸国が持つべき警戒心を弱めるところに 指摘する。彼は、日本の観光立国戦略が目 その「本心」がある、という理解となって 指すもうひとつの目標はソフトパワーの向 いる。これらの議論に通底するのは、日本 上にあり、その真意を決して看過できない に対する根強い不信であり、そこから観光 と強調する。日本政府が唱えた観光立国戦 立国戦略への強い警戒や抵抗もはっきりと 略には、日本をアジアにおける国際会議の 読み取れる。 最大主催地とするという基本目標が含まれ 4.中国の観光政策に対する反省―日 本の観光立国戦略に基づいて ている。それに注目する柴氏は、次のよう に分析を加えた。 「言うまでもなく、日本政 府はこのような方式を通して国際社会とよ り緊密な関係を築き上げ、またそれによっ 2009年11月、中国国務院常務委員会議で て世界に影響を与えようとしている」。「観 は「観光産業の発展を加速化せよ」との公 光立国戦略の実施を通して、 (いわゆる) 『普 文書が可決された。観光産業を国民経済の 通国家』への転換を目指す日本はソフトパ 戦略的支柱産業と格上げし、いよいよ中国 ワーを増大させ、 (国際社会における)発言 観光戦略の全面構築に乗り出した。それに 力と影響力を高めようとしている。アジア 乗じて、日本の観光立国戦略及びその効果 太平洋地域における日本の主導権を拡大し、 に注目する一部の中国の識者は、日本をモ 当該地域ないし世界での地位を向上させる デルにして中国観光産業の更なる発展を図 ことによって、地域政治及び安全保障にお るべきだと政府に対してさまざまな助言を ける主導権を獲得する思惑は、観光立国戦 行った。その内容を概観すると、主に次の 略のなかでも読み取れる。」 いくつかの点に集約できる。 ソフトパワーの定義についてはここで改 ① 日本の観光立国推進基本法や観光業法 めて贅言するつもりはない。観光促進は両 国国民間のコミュニケーションを活発化さ の改正などに見習い、中国独自の観光法 せるだけでなく、外国観光客に能動的に働 や業界法律を制定し、中国観光産業の秩 きかけることによって、自国のイメージの 序ある健康的発展を増進する。 ② 関連省庁を跨る観光立国推進本部を参 10柴亜林「日本観光立国戦略評析」 『現代日 考に、交通運輸、ビジネス、農業、環境 本経済』、2008 年第 6 号、 79 などの中央省庁間の連携や協力の円滑 のコントロールをさらに拡大させる必要が 化を図るため、現存の観光局よりも上位 あると訴えている。 しかし、中国の観光産業は日本が打ち出 の国家観光委員会を設置し、国家の観光 発展戦略の実施を組織行政のレベルか した諸策をそのまま導入すれば、日本と同 ら保障する。 様の成功が保証されるだろうか。あるいは、 日本の観光立国戦略が「経済効果の最大化」 ③ 観光産業への財政予算を増やし、観光企 につながるとの認識は果たして十全なもの 業への税収優遇を実施する。 といえるだろうか。これらの問いに対して ④ 観光の振興に寄与する人材の育成に力 は、上述の提言は必ずしも円満な答えを出 を入れる。 していない。 ⑤ 国民レジャー観光計画を制定し、観光を 観光産業の規模を拡大させることによっ 消費行動の一環として国民の日常生活 に定着させ、レジャー観光への社会全体 て、経済効果を最大限に追求するという従 の参加を最大限に促進する。 来の視点に立ってなされた提言が議論の主 流を占める中で、経済の活性化、雇用の機 ⑥ 観光旅行の容易化及び円滑化を図るた め、休暇に関する制度の改善や休暇の取 会の増大をはじめとする経済利益を過度に 得を促進すると同時に、祝祭日の調整な 重視してきた結果、中国の観光発展にはす どで観光旅行の需要の特定の時季への でに重大な欠陥を露呈していると少数では 集中を緩和する措置を導入する。 あるが、警鐘を鳴らす意見も現れている。 異議を呈する論者は日本の観光立国戦略を これらの提言はほぼ日本の観光立国戦略 移植する前に、観光産業ないしレジャー産 を全面的に踏襲する内容となっており、決 業が国民生活の中で果たすべき根本的な役 して新鮮味のあるものとはいえない。裏を 割を再検討し、中国の観光産業の性格的な 返して言えば、これは中国の識者の間で日 欠陥を見直すべきだと主張し、特に戦略の 本の観光立国戦略及び諸施策がそれだけ高 明確化→政策のバックアップ→産業規模の く評価された証でもある。指摘しておきた 拡大→経済効果の増大という単線的な思考 いのは、日本の観光立国戦略及び諸施策を 様式を修正し、人文的な要素をより重視す 中国に全面的に移植すべきと主張する論者 る上で、複眼的な視角を持って戦略を再構 が、経済利益の獲得こそが観光産業の発展 築することこそ、中国の観光産業の持続的 が目指す至上目標であるという従来の視点 な発展につながるものだと強調する。 に固執している点である。彼らにとっては、 国家の公権力、すなわち政府による事細か 1.国民の角度からレジャー産業を再考すべ な行政指導や国家政策による強力なバック き アップを、観光産業の持続的発展を実現す るうえで最重要なファクターと認識してお 前述のように、中国観光産業の発展は決 り、そのために、トップダウン式の行政指 して歴史の長いものではない。王艶平氏は 導をさらに強化し、観光産業に対する国家 先進諸国に比べて、観光産業やレジャー産 80 業についての中国の関連研究はあくまで入 むやみに助長し、観光資源の乱開発に歯止 門段階にとどまっていると指摘した上で、 めがかからないという深刻な状態を作りだ 国民の立場、即ち人間の立場に立ち返って すと識者が鋭く指摘する。 レジャー産業の発展を見直すべきだと強調 たとえば、石美玉氏は経済利益至上をモ する。 11 王氏はレジャー産業と経済効果の ットとする中国の観光業界は観光資源の過 相互関係のみを重視する論調は、レジャー 度開発という結果を招き、消費者の利益や と労働があくまでコインの両面であるとい 地域及び地域住民の利益を度外視するやり う定理的な概念設定を徹底否定するもので 方は、観光地に多大なマイナス影響をもた あると論断し、この種の議論は、あくまで らし、観光産業の持続的な発展を台無しに も産業と政府の結託、及び学識者のそれへ する危険性が高まっていると指摘し、その の妥協追従の結果だと皮肉る。 結果、政策制定及び実施過程において「国 労働と同様に、レジャーの享受権は人間 家VS地域・住民」という異なる利益主体間 として最も重要な権益のひとつであると強 の矛盾と衝突をうまく調整できない現実が 調する王氏は、政府がレジャーや観光を産 生まれつつあると警告する。 12 業としての発展を推進する前に、まず国民 石氏らの議論によると、中国の観光政策 のレジャーを享受する権益を保障する必要 が目指す目標は「政府の利益のみ」という があると指摘する。政府が国民を「豊かで きわめて単一的ものである。特定時期の政 非功利的なレジャーを享受できる人間」に 治と経済状況に合わせて制定した現段階の する努力を怠ってはいけないと主張する王 観光産業の発展政策は、地域の住民に恩恵 氏は、政府には利益至上という産業的視点 をもたらすどころか、地域住民のより高次 からレジャー享受という人間の基本権利の 的な生存と発展の需要を満たすという観光 重視という根本的な視点転換が必要である 発展の根本的な目的と背馳するもので、国 と促した。 民の社会的文化的需要、福利厚生に対する 需要を犠牲にする危険性が否定出来ないと 2.地域や住民の利益を重視する調整型の政 する。 策制定 その上で、組織構造戦略、供給発展戦略 及び需要発展戦略などが含まれる日本の観 地域や住民への利益還元を唱える日本の 光立国戦略はシステマティックなものであ 観光立国戦略と比較した結果、中央・地方 り、観光業の発展を促す諸要素を包括的に 政府の経済収益を何よりも強調する中国の カバーしていると評価する石氏は、歴史の 観光発展政策に、本来地域と住民の利益向 新しい発展時期を迎えようとしている今日、 上の実現という必要不可欠な視点が欠如し 経済、政治だけでなく、社会、文化などの ており、結果的には観光業界の営利主義を 12 石美玉「日本観光立国戦略的効果評価及 11王艶平「対国民休閑文化価値的認識及其 び啓示」『東北亜論壇』、2009 年第 6 号 権益属性的探討」、 『自然弁証法研究』 、2004 年第 2 号 81 側面からも検討を加え、異なる利益主体の び地方政府を、地域住民をはじめとする他 訴求に事細かに目を配り、その需要を満た の利益主体の対角に置くという分析の枠組 し、科学的で実行可能な観光政策を制定す みには今までない斬新さが見られる。これ る必要があると政府及び政策制定者に呼び らの議論はマスツーリズムの弊害を批判し、 かける。 環境保護や地域文化の保全などの視角から 展開されるものが多いため、 「持続可能の観 中国政府は国家経済発展を推進する資金 光」を提唱する国際的潮流に通ずる視点も 調達の手段として、インバウンド観光振興 少なくない。しかし、現代中国が抱えてい を図り、国際水準ホテルの新増設、交通網 る問題のすべての根源は、急速に拡大する の充実、観光資源の活発な開発に努め、観 市場経済、硬直した権威主義的政治体制及 光客を誘致するためのインフラ建設に多大 び方向が定まらぬ、発展途上の市民社会の な資金を投入し、ハード面の改善に注力し 三者間の葛藤や矛盾にあると考えられよう。 てきた。一方、これまで中国の観光、旅行 観光政策も他の国家主導の政策と同様に、 の進展を阻害する要因としてしばしば指摘 上述の葛藤や矛盾を解消するために、これ されているのは、観光インフラにおけるソ から大きな転換を迫られることになる。そ フト面である「安全性と治安」、「健康と衛 の意味からいうと、批判論者にとっては、 生」「渡航制限」などである。 13 比較対象とされる日本の観光立国戦略はむ ハード面の改善にしても、ソフト面の不 しろ「市民の権利を前面に出し、国家の譲 足にしても、そのいずれも国家政策による 歩を引き出す」、観光業の利益配分における 結果であり、 「政府」と深くかかわる領域で 「民進国退」の構図を作り出すための材料 ある。これまでの中国観光産業の発展は国 として使う意味合いがあるといえよう。 家が主導するもので、その政策のバックア これらの批判的な意見は果たして今後中 ップによって実現できたといっても決して 国の観光政策に反映されるだろうか。2013 過言ではない。その意味からいうと、国家 年 2 月に中国国務院が発表した「国民観光 主導の姿勢を全面的に押し出している日本 レジャー綱要」は、国民の利益や権利を強 の観光立国政策に高い共鳴を覚え、それを 調、確保する意味において、少なからぬ前 中国にも移植すべきだという議論は、これ 進を見せている。2020 年までに労働者の有 まで政策助言者として自認してきた「御用 給休暇制度を基本的に導入し、国民が観光 識者」の自然なリアクションと考えられる。 やレジャーに費やす時間を確保することを ただ、注目すべきは、決して主流ではな 強調する同綱要は、事業団体に対する監督 いものの、 「全面移植論」と同時に現れてい を強化し、労働者の休暇取得権に法的支援 る、利益配分における政府の独占的立場に を提供すると宣言する。14 それだけでなく、 対する批判的な議論である。特に、国家及 年末までに公布される予定の「観光法」も 13鈴木勝「グローバル・ツーリズムを左右 14「国民旅遊休閑綱要(2013-2020 年)」 http://www.gov.cn/zwgk/2013-02/18/conte nt_2333544.htm する中国観光」、『中国 21』p35-50 82 中国観光業の更なる発展に強力な法的保障 図2ビジットジャパン事業開始以降の中国語圏からの訪日 客数の推移(2003年~2011年) と提供するものと位置づけられている。日 本の観光立国戦略を強く意識する中国の観 1600000 光発展はもしかすると今後恣意的な解釈に 1400000 1200000 よって左右される部分が減少し、少しずつ 法治への転換も期待できるだろう。 5.中国のアウトバンドと日本のイン バンド-結びに代えて 1000000 中国 800000 台湾 600000 香港 400000 シンガポール 200000 0 2003 2004 2005 2006 2007 2008 2009 2010 2011 中国メディアの報道によると、2012 年の 出所:JNTO「国際観光白書 2012」等より作成 中国人の海外旅行者はすでに 8000 万人を 図32012年中国語圏からの訪日客数の推移(1月~12月) 越え、世界三位となり、世界観光市場への 貢献度も7%を超えた。しかし、震災を除 250000 き、ここ数年好調に推移してきた中国人訪 200000 日客は 12 年 9 月を境目に大幅に下落してい 150000 中国 台湾 る。いうまでもなく、これは日本政府が尖 100000 香港 閣諸島を国有化したことに対する中国の反 シンガポール 50000 発である。特に 9 月以降見られる団体客の 0 急激な減少は領土紛争による中国国内のナ 1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月 ショナリズムの高揚、日本に対する国民感 情の悪化に起因する側面がある。一方、こ 出所:日本政府観光局(JNTO)資料より作成 れはアウトバンド観光が依然として政府の コントロール下にあり、その意向によって 日本において中国のアウトバンド観光に 如何にでも左右できることをも端的に示し ついての研究は近年活発化している。しか ている。 15 し、その研究関心のほとんどは、中国人観 光客の購買行動、観光パターン、プラン設 定、宿泊需要などに向けられており、即ち 15 例えば、人民日報の系列紙『環球時報 (電子版)』は 12 年 7 月 14 日付けで中国 国家安全政策委員会の趙昌会研究員に対す るインタビューを掲載し、日本政府が尖閣 諸島問題で引き続き挑発的な行動を取るな らば、中国政府は日本への報復措置をとる べきだと主張した。趙氏は観光立国を目指 す日本は中国を重点市場と位置づけ、中国 人観光客の呼び込みに力を入れていること を言及し、中国政府が旅行先を適度に調整 すれば、日本の小売業にも打撃を加えるこ ともできる」と指摘したうえで、中国国内 マーケティング論的な視点からのアプロー チが主流を占めている。観光行動を誘発し、 において日本の観光地のプロモーションを 制限し、旅行会社を誘導し、日本への旅行 客を減少させることが日本への牽制にもつ ながると提案した。趙昌会「日本を制裁す る切り札が中国にある」 、『環球網·評論』 http://opinion.huanqiu.com/1152/2012-07/ 2912931.html 83 観光意欲を左右する最大の要因とされる意 回復とは程遠い状況である。その現状を見 思決定プロセスについての研究は決して十 れば、観光はあくまで送出国と受け入れ国 分とはいえない。言い換えれば、主として の友好と平和の上に成り立っているものだ 西側諸国で発展を遂げ、観光先進諸国です と改めて実感する。しかし、われわれは でに伝統と見られるデスティネーション・ 1967 年の国際観光年におけるスローガン チョイスモデルは果たして中国の現実を理 ―「観光は平和へのパスポート」という言 解するうえで有用なものかどうかという問 葉が語る観光の真意を忘れてはならない。 いに対して、いまだに満足できる答えが出 前述のように、中国人識者は日本の観光立 されていない。その理由のひとつはおそら 国戦略を緻密に考察し、本国の観光政策へ く中国のツーリズムの発展は経済の急成長 の活用においては柔軟で謙虚な姿勢を持っ と同様に急激なもので、アウトバンド観光 ているが、観光、特に国際観光が持つべき にも多様な消費集団が一気に押し込まれる 「社会文化的効果」、即ち「国際理解・国際 結果、多様な需要が混在し、中国観光客に 協調・国際協力」 「平和創出」などへの言及 きわめて曖昧な性格を付しているところに が少ないところを見れば、必ずしもそれら 求められよう。 を重要視しているとはいえない。 しかし、中国のアウトバンド観光が日本 政治学者が指摘しているように、日中間 の観光立国戦略の実現に多分に影響を及ぼ の懸案「問題をより深刻化させる要因とし す要素の一つになっている以上、デスティ ては、日中間で基本的な知識が共有されて ネーション・チョイスを決定させる上で最 おらず、両国における常識が異なっている も重要な要素として考えられているデステ ことが挙げられる」。16 国家の枠組みに入る ィネーション・イメージについて改めて考 と、日ごろ平和主義者と自認する人からも え、その形成と変化のプロセスを究明する 自分の本来の感情と矛盾した憎しみと憎悪 必要があると思われる。ここ数年の傾向を が噴出す。相手国への渡航に対する抵抗も 見ると、中国人訪日客の増減は、あたかも 増幅する。しかし、市民同士のふれあいが 両国の友好関係の如何と表裏一体の関係に 国家間の溝を埋めるのに役立つし、小さな あり、それを反映するバロメータのように 積み重ねが状況を動かす大きな力になるこ 見えるが、果たしてその構成が日増しに複 とが否定できない。その意味からいうと、 雑化し、多様化する中国人観光客のすべて 市民を主体とする観光こそ、人的交流を促 が日本に対して同様なディスティネーショ 進し、基本知識の共有や、互いに持つ否定 ン・イメージを抱いていると断言できるだ 的なイメージを修正できる、きわめて有効 ろうか。もしそうでなければ、観光に携わ な手段であることを改めて認識すべきであ る研究者や業界人は果たしてどのような対 る。 2013 年 1 月 24 日、日本観光庁井手憲文 応を今後とっていくべきだろうか。 尖閣諸島問題をめぐって日中両国政府の 長官は北京で中国国家旅遊局邵琪偉局長と 対立が高まる中で、来日中国観光者数の下 16高原明生「尖閣問題をパンドラ箱にしま げ幅に縮小傾向を見せているものの、依然 いなおす」、 『世界』2012 年 12 月号 84 尖閣諸島の国有化後の初の会談を行ったと。 日中関係が冷え込む中、観光が両国の友好 関係に果たす役割の重要性を確認し、相互 交流を拡大する必要性で意見が一致したが、 その際、井出氏が引用したのは、まさに前 述のスローガン「観光は平和へのパスポー ト」である。それに対して、邵局長は「民 間外交」である観光交流を促進する必要が あると答えたそうである。が、この会談を 取り上げる中国側のメディアがほとんどな かったため、中国の民衆にそのすばらしい 一言がついに伝えられていなかった。 この状況からも、日中間の観光を、相互 の需要と供給のバランスを取れる、いわゆ るウィンウィンという理想的な構図に導く ためにはなお長い道のりが待ち受けている だろう。 両国間の関係を正常な軌道に戻すのが急 務ではあるが、日中両国の観光産業の今後 の発展を考察する際、北東アジア、あるい は「東アジア共同体」など、 「両国間」の限 界を越える、より高次的視点も必要であろ う。なぜならば、この地域にある国々は文 化的にも歴史的にも深いつながりを持って おり、互いに相似性もあれば、観光客を飽 きさせない「差異」もあるからである。視 野を拡大してみれば、 「西洋」に対置する「オ リエンタル」という付加価値を作り出し、 さらにそれを生かすことができれば、ひと つの「共通の伝統」を持つ市場として捉え、 それを繁栄させることも決して夢ではない。 このような地域的な市場が形成されれば 観光産業における国家間の補完関係がより 安定的なものとなり、地域内の住民の連帯 感が生まれ、お互いの交流もさらに活発に なることが期待できるであろう。 85 イタリアにおける観光社会学の展開 A. Savelli 著“Socioogia del turismo”よ り抄訳 神戸夙川学院大学観光文化学部准教授 高根沢均 【目次】 部門とならんで、イタリア経済を支える重要なセクシ 1.はじめに ョンである。ローマやフィレンツェ、ヴェネツィア、 2.抄訳 ミラノといった長い歴史と豊かな文化を誇る都市や、 〔第 19 章 観光に対する社会学的考察の始まり〕 トスカーナやウンブリアの田園景観と小さな町々、そ 〔第 20 章 観光と地域共同体〕 して美しい海岸線と島々は、昔から国内外の無数の観 〔第 21 章 新たな研究の展開〕 光客をひきつけてきた。また、ワインや生ハム、ピザ 〔参考文献〕 やパスタなど、独自の食文化とその生産地もまた、新 たな観光対象として注目されている。それらは多くの 場合、生活する人々と不可分の「リビング・ヘリテー 1.はじめに ジ」であり、それゆえに「観る」側と「歓待する側」 本稿は、Asterio Savelli 教授による“Sociologia del という関係に加えて「観られる側」としての自分自身 Turismo” (Hoepli, 2012)の抄訳である。原著者は、 の観光資源化も避けがたい現実であろう。こうした状 農村社会学を原点として 1970 年代から観光社会学の 況を鑑みれば、国民のほとんどが観光現象と社会的に 研究に着手し、イタリアにおける観光社会学の発展に 不可分の関係にあるといっても過言ではない。 尽力してきた。現在、ボローニャ大学地域環境社会学 今回取り上げた章では、こうしたイタリアという固 部に所属しつつ地中海観光社会学学会の代表を務めて 有の社会文化的・地域的・経済的なコンテクストに対 おり、地中海圏の観光社会学研究のネットワーク構築 応したイタリアの観光社会学の研究が挙げられ、その を進めている。豊富な経験と幅広い視点に基づいて書 視点と論点が整理されている。残念ながら、観光大国 かれた本書は、観光の歴史および形態、そして社会的 であるにもかかわらず、イタリアにおける観光社会学 な現象としての観光についての分析をまとめた良書で の研究成果および動向が日本で紹介されることはほと あり、世界的な観光研究の流れを理解する上でも有意 んどなかったといってよい。また、社会そのものの観 義な文献である。 光化の進行は、決してイタリア特有の現象ではなく、 日本でも現在進行しつつある現象である。これらの点 今回は、同書から特にイタリアにおける観光社会学 で、本抄訳が日本の観光社会学にとっても一つの参考 の展開を整理した 3 つの章を取り上げた。 になるのではないかと考え、取り上げた次第である。 世界有数の観光大国であるイタリアにとって、観光 産業は、フィアットに代表される自動車産業部門、お 2. 抄訳 よびミラノ・コレクションに代表されるファッション 86 り、さらに、複数の集団がそれぞれ瞬間的につながり 第 19 章 観光に対する社会学的考察の始まり 合うという図式において個々人が自主的に行動するこ とによってのみ、その回復が達成されうる、という点 19.1 観光と社会学の出会い を強調した(Giudicini 1973) 。 歴史的にみて影響を受けやすく受動的ともいえる観 観光社会学は、 1960 年代末には従前の特殊な伝統性 光経済に支えられてきた国、イタリアでは、人々の習 は消え去り、農村社会学の研究においても注目される 慣としての歓待と事業としての歓待が急速に普及し、 ようになった。田園領域とその社会的な環境において あらゆる地方で経済的、社会的、地域的な様相を根本 生じた変化は、 Corrado Barberis や Claudio Stroppa、 的に変化させている。 この点について、 研究者たちは、 Franco Martinelli、Giampaolo Catelli といった研究 観光の生成やその動機、および観光を生み出す社会の 者たちの注意を観光にひきつけた。観光は、農村内に 枠組みにおける観光自体の意義よりも、むしろ歓待の おいて農業活動から人々を解放するその力によって、 様相や地域および地域共同体へのインパクトの類型に 田園世界を救済するためのチャンスと考えられた。観 ついて特に注目してきた。その結果、観光についての 光と農業の発展性は統計的に予想しうるという確信は、 考察に着手した社会学者の関心は、地方経済や雇用状 観光投資の規模と類型をコントロールする地域住民の 況、企業家の特性、経済グループ同士の関係、資源の 能力に研究者の関心を集中させることとなった。とり 活用、都市化、環境と文化の変容といったテーマに集 わけ、地域の企業家による人民資本主義に信託された 中することとなった。イタリアの観光においては、供 「内発的発展」 、 および広大な土地に対し大資本によっ 給と無関係に自律的に主張し拡大する需要に対して て計画された「貴族的植民地化」 、そして最後に市民ら “開かれた”地域共同体や家族、または小さな企業に の小資本の流入によって特徴づけられる「民主的植民 よって供給が行われる。つまり、供給が需要に適応す 地化」に還元できるモデルをとりあげ、それぞれ分析 るほどには、 需要は供給に反応しているわけではない。 および比較が行われている(Barberis 1979: 13-79) 。 経済学者と地理学者によって行われた学術的議論 一方、観光部門への投資計画を目的として、消費活 (Angelo Mariotti1、Umberto Toschi2)では、起源や 動の構成要素とその効果に関する分析が行われた。こ 動機、傾向においてかなりあいまいな各主体を再定義 こでは、観光に特化した活動(交通やホテル、レスト すべきである、という意見がしばしば見受けられる。 ラン)への恩恵を生み出すだけでなく、さまざまな性 そこで、 行動の決断と変更に際してさまざまな主体 (観 質を持つ地域の一連の活動すべてを活用するような、 光客、ホスト、オーガナイザー、地域住民)を突き動 購入者によって統合される複合的なサービスの購入が、 かす個人的および集団的な動機について、系統的に分 観光消費として注目された。さらに消費行動は、自由 析を提示し発展させることができるように、観光に対 な活動と娯楽を労働の上位に置くことによって、社会 する社会学的なアプローチが要求されるようになった。 的な行動のより重要な部分を構成し、社会価値の階層 観光現象の社会的な側面は、はじめに Paolo Guidicini をひっくり返す傾向がある。その結果、あらかじめ人 によって論考が行われた。彼は、 (個々人の交通手段に 為的に整えられた型どおりのイメージを生み出す傾向 よる移動や生活圏における)家族的なプライベートの と、個々人の個性の発展とおよび社会参加の機会とし 活動という限定的形態を強調する傾向と、巨大な観光 ての観光という概念の間に、緊張関係が見出されるの 組織の提示する旅と集団的な滞在形態における没個性 である。 (Stroppa 1976:21-38) 。 化の進行という傾向とのあいだの分極化を検証した。 また Martinelli は、観光動態の分析について、労働 彼は、社会的な相互作用を仲介する形態が不足してお 者の年間休暇の組織化と拡大、 および交通手段の発達、 87 特に個人の自動車所有の普及と並行して考察している。 また、フィードバックのプロセスに関する考察におい この視点において、彼は、Roberto Staughton Lind て、観光客の流入する目的地において生産された社会 と Hellen Merrel Lind がアメリカ合衆国インディア 的な効果が、フィードバックを通じて観光客の需要の ナ州マンシーの市民について1890年から1925年にか モデルを変化させることで、需要に対して遡及効果を けて明らかにした変化を参考に、イタリアにおける自 もたらすことを示した。自己実現の機会の提供という 由時間と遠出および旅行に関する共同体の一連の調査 点では、観光に引き継がれた“補償的”機能(労働に と研究の結果を再検討した(Martinelli 1976: 79-104) 。 割り当てられた苦労の補償、すなわち都市には不足し マス・ツーリズムは、労働を純粋に機械的な行為へ ているもの)が確認される。それは、レクリエーショ と還元する労働の合理化の結果と考えられる。労働の ンや休息といった伝統的な代替機能、およびエリート 時間と自由な時間という二つの時間に労働者の生活が 階級への帰属の強調から本質的な社会の平等の証拠へ 分割されたことによって、この後者の時間はまさに労 の移動が大衆規模で記録されるという象徴的な機能に、 働からの心理的逃避と化すこととなった。労働そのも 新たに加えられる観光の機能といえるだろう(Dalla のからの自己逃避という状態の認識の欠如は、私生活 Chiesa 1980: 11-17) 。とはいえこの基準の図式は、先 からの自己逃避の発生を促すことになる。すなわち、 進産業社会における図式である。そのなかでは、依然 家庭的な領域はもはや「個」の表現を開放するという として明快な労働生産によって生産組織が維持してい 任務を遂行せず、もっぱら生産能力の再生という任務 る社会階層の分節を越えて、社会システムの一体感を を遂行しているにすぎない。結果として私的空間から 表す機能が観光に割り当てられているのだ。 も逃避するということは、領域的な視点から見れば、 数年後、フォード方式の特徴をもつ生産体制の状況 都市から自由な時間の“巣箱”を目指す脱出と解釈で について再び言及したのは、Marcello Lelli である。 きよう。しかし一方で、それらは都市社会と同じネガ 労働実践における反復性と単調性は、工場の内外にお ティヴな要素を再生産する危険がある。70 年代には、 いて労働者の活動の停滞をもたらすため、その労働の 自由な時間の最後のフロンティアは農業の世界に理想 主体にも反映されることになる。この反復性と単調性 化されていたが、一方で都市民からは“未開な空間” が、自由時間や消費および観光といった活動の論理に として、また都市生活と取り換える価値のないものと 再吸収され、あるいは一時的な機能上の違反にすぎな してみなされていた。その結果、地域の文化的基層に いと軽視され、または過去の名残のように未だに生活 根を持たない、都市文化から引き抜かれた複製モデル の中で維持されることによって、工場は、事実上適切 の建物が田舎に定着していくことになった。地方のあ なものとみなされる。Lelli は、こうした状況において らゆる部分でその特徴と固有の価値が放棄されれば、 “生活の時間は工場に比べて従属的な位置にあり、工 不可避的に農業観光は終焉へ向かい、また単なる“人 場の既製品に対する需要へと人々の欲求が変質するは 間的に生活できる地域”が創り出されることになるだ ずだ”と断言する(Lelli 1989: 90) 。しかし、根本的 ろう(Catelli 1976: 183-193) 。 な変化が生産過程の内部で確認された時点で(80 年 観光に対する社会学特有のアプローチのための基準 代) 、 また社会的生活環境においてこの生産過程とその について、Ferdinando Dalla Chiesa によって体系的 他の活動の調和がとれた時点で、この状態は急速に変 な図式が 1980 年に提示された。彼は、需要と供給が 化するよう運命づけられていると彼は考えた。新技術 出会う社会の条件と、地域の社会組織の観光による発 の到来によって、主体のコミュニケーション能力は本 展が雇用と人口動態および都市化という要素に引き起 質的な価値を手に入れ、 “自らを新しい中心とする個人 こす変化の分析に対して、特別な関心を向けている。 の創造力の再現”を目の当たりにする(Lelli 1989: 92) 。 88 機械的な労働が優位を占める社会において、文化は直 それぞれ一致する主体の類型(伝統指向型、内部指向 接的に利益を生むものとなり、 文化の消費が普及する。 型、 他人指向型) とのあいだで比較検討を行った David すなわち、現実の生産を基盤として需要が刺激される Riesman、地域住民と観光客の出会いおよびオーセン よりも、むしろ需要を基盤として生産企業が稼働し始 ティシティという象徴的な概念を基盤として、地域の めるのである(Lelli 1989: 92-93) 。 観 光 的 組 織 化 に つ い て の 解 釈 を 行 っ た Dean さらに後になって、観光社会学のある重要な全体像 MacCannell、経験の組織化の段階と自分の所属する が Gerardo Ragone によって提示された。彼は観光現 社会から多かれ少なかれ疎外されている状況に基づき 象の生成と歴史的な動態を振り返ったのち、観光と社 観光客の類型化を行った Eric Cohen である。観光に 会階層のあいだの関係と、観光地が経時的にこうむる 対するさまざまなアプローチは、この現象の複雑さの 変化、および観光供給の組織化に注意を向けた。観光 認識と潜在力の多重性を強調する。とりわけ、しっか 消費は、観光を実践する人々の社会的な位置を表象す りと確立された“逃避”としての観光という概念と並 る機会として認識され、社会階層のあいだで展開され んで、ポストモダン文化の生成という要求に応えるよ る競争へと陥る。そしてその表象の内実は、より経済 うに、 “追求”という新しい観光の登場が、研究者の増 的余力のある特権的な階層によって定義されることに 大する関心をひきつけている(Perrotta 1985) 。 なる。すなわち、大多数は、エリート階級の選ぶスタ Nicolò Costa は、1985 年と 1989 年に、地域と観光 イルにできるだけ近づきたいという渇望を成長させ、 の関係に関する分析を発展させ、観光経験とその構成 一方でエリート階級は、明確な個性を主張する新しい 要素の特徴を同定するために、海外の研究者を幅広く 選択を導入しようという動機をそこから引き出すので 参照し、特にアングロサクソン人の研究を多く取り上 ある。Ragone は、この区別を示す要素の根底に、ホ げた。既に挙げた Cohen と MacCannell に加えて、 ストコミュニティと観光客のあいだの従属関係の成立 観光客の心理学的描写を行った Plog や、観光客につ を認めている。そこには、今日でも異なる社会階層の いて流布しているイメージについての研究を行った あいだの格差が示されているのである。つまり、サー Ph. Peace、新しい事柄および・または変化に対する動 ビスを受けることは、観光客の関心あるいは喜びの中 機に従ってマーケットの区分を行った Snepenger、 心であり、 “特徴的な場所、伝統料理、そしてホンモノ “近代の巡礼”として観光客をさまざまな手法で解釈 の食材とは、主人と召使という旧時代の関係の記憶を した Moore、Turner&Turner、Graburn、Jafari らの 呼び起こすにふさわしい、従属的で卑屈な文化の象徴 研究が考察に取り上げられている。また Costa は、経 的な再構築を引き起こす特殊な手法の構成要素に他な 験を生成するさまざまな瞬間に関する研究の概念的な らない” (Ragone 1998: 678-680) 。 手法と経験を提供しながら、観光における時空間のサ イクルに特別な関心を向けている。すなわち、事前の 19.2 国際的な研究の系統への言及 期待、旅の半ば、目的地周辺での行動、帰りの旅、そ 1980 年代中頃から、さまざまな著作家が、イタリア して回想という一連のサイクルである。 における観光社会学を構築しようという孤立した行動 1989 年に Asterio Savelli は、歴史的比較の手法の を細々と始めるようになった。また観光現象に対して ために、Hans Joaquim Knebel と Marc Boyer、そし 論理的で経験主義的な研究がより成熟していた海外の てこの後者を通じて J. Dumazedie の研究についても 研究動向に、自分たちの注意をむけるようになった。 幅広い言及を行った。それは、つまり根本的に観光行 Rosalba Perrotta は、以下の研究者に言及して研究の 動とそれを生成する社会の構造とのあいだの関連性を 傾向を明確にした。 すなわち、 さまざまな時代背景と、 浮かび上がらせるためであり、また“先進産業”社会 89 の十分な肯定および“ポスト産業”社会の始まりに至 性の過剰供給は、差異の有り様(言い換えれば主観的 るまでのさまざまな発展段階における行動と、その意 なアイデンティティ)を豊富にするための機会の増加 義に関する明確な含意を明らかにするためである。マ となりうる。しかしこの場合、 “無価値である”という ス・ツーリズムの経験の限界を超えるための進路が 相違は、社会的な階層に還元されないのである(Piazzi Burgelin とさらに MacCannell および Cohen によっ 1988: 28-37) 。 てふたたび示される一方で、Boorstin と Enzesberger および Morin の考察によってマス・ツーリズムの危機 第 20 章.観光と地域共同体 要因に光があてられた(Savelli 1989 23-262) 。また 20.1 観光と地域住民共同体の関係 この分野における研究は、観光が、経験の差異化と新 奇性を求めるがゆえに、行動の均質化に対する社会的 我々は、マス・ツーリズムがイタリアの社会学の観 圧力を軽減することを発見した。すなわち、増大する 光分野に対する応用の出発点であったとみなしてきた。 社会的な複雑さから引き出され、また提供された機会 それは、特に田園および小さな都市共同体で弱体化し での多様な行動選択を通じて表現される、主観的な自 た社会構造にマス・ツーリズムの及ぼす影響の可能性 己主張とアイデンティティへの新たな渇望を指摘した について、強い懸念が生じたからである。しかしなが のである。自分に適した観光経験の機会に対する選択 ら、マス・ツーリズムとして定義される社会的なファ 的なアプローチを刺激し、可能とするがゆえに、観光 クターについては、Francesco Alberoni(1982)の小 情報は、その地域的なネットワークを通じて、人々の 論を除いて、意義深い論理的考察は行われていない。 関心をひきつける直接的な力を行使するようになるの 労働の分化によって幅広く特徴づけられた社会におい である(Savelli 1989: 301-349) 。 て、他者のようにふるまうことは、共同体のための労 行動の差異化に価値を与える力学を理解するうえで、 働や苦労を奨励し肯定する状態といえる。それは、他 重要な理論的言及が Giuliano Piazzi から提示されて 者のようにふるまうことが雑踏や渋滞と同じ状況を味 いる。 彼は、 この動態について以下のように説明した。 わうことを意味するときであっても、また同様であろ 1980 年代において、 “多様な方向性をもつ娯楽の瞬間 う。社会的な幸福という神話に関していえば、ヴァカ として、もしくは社会的ステータスの目印としてのみ ンスは、日常生活そのものから明確に区別され分離さ 想起される観光の環境から、そしてステレオタイプ的 れた空間および時間における他者と混交のなかで、あ なヴァカンス概念から、こうした行動の差異化の評価 る種の“集団催眠”または“集団模倣”において実現 が生じたのである。拡大しながら自律的に自己形成に される傾向がある。出会い、交流、相互コミュニケー 至る主観的傾向にとっての意義という型枠にしたがっ ションの瞬間、感情といったヴァカンスが刺激するこ て、ヴァカンスと観光環境は、いまや発明され、構築 れらのものは、ある隔離された環境にとどまり続け、 され、また解体され再構築されている”という。した またそのなかで完全に自己完結するはずであろう がって Piazzi にとって、すべては社会的な差異化とい (Alberoni 1982) 。 う形態において生じた変化の産物としてみなしうるの 社会学の文献をひも解くと、観光の特徴的な両義性 だ。すなわち、実際のところ、それは“階層的な差異 についての認識が散見される。それは、 “同じ対象(地 化の残存形態と比較すると、機能的な差異化という進 元民の生活環境や、観光客によって発見され経験され 歩的な解放性と清浄さ”を備えている(Piazzi 1988: る地域など)の相違点についての相互理解を通じたア 23) 。彼は、この変化を Niklas Luhmann の理論的な イデンティティの肯定”と、 “同じ対象についての異な 貢献に基づいて解釈している。すなわち、新たな可能 る解釈の提示を通じたアイデンティティの否定”を同 90 時に行うということである(Palumbo 1992: 361) 。こ きず、むしろ、脆弱な単一経済構造を生み出し、外部 の両義性は、観光客が自分の楽しむ真正性に対して対 への新たな依存性が生じるという危険を前提として、 価を支払い、地元民がそのアイデンティティの構成要 “そのほかの開発行為と同時に活発化することによっ 素を売り渡すという交流の商品化によって、そして地 てのみ効果的に機能する可能性”である、といえよう 元民に対する観光客の文化的優位性が示唆されること (上掲書: 7-10) 。 によって、重大な意味を持つようになる(同上) 。この 現代社会における行動のグローバル化の過程の考察 図式において、 “アイデンティティ”という観点に基づ を通じて、さまざまな研究者たちが、観光報告にみら く観光に対する関心は、ますます増加していく。その れる情報と、活性化と利益を引き出すためのイノベー 流れは、 “一つの領域に根差した資源と価値を基盤とす ションの重要性を強調している。Enzo Noicifola によ る観光の提案”という利点をもつ特別な観光地域の特 ると、開かれた多元的社会は、意味に関する特殊な論 権を、徐々にはく奪していく傾向にあるように思われ 理を構築し解釈することによって、主体に対してさま る。さらに、伝統の提供を志向する私的企業家の行動 ざまに異なる帰属意識を同時に管理する必要を求めて と、観光商品の計画と促進に取り組む準備の乏しい公 いる。 観光客の需要は明らかに捉えどころがないため、 共事業との間には、あまり効果的な協力関係がみられ その行動における総体的な秩序という明快な原理の探 ない、という問題が浮かび上がってくる(Palumbo 求の試みは無意味なものとなる。一方で、行動の主観 1988: 232, 239) 。 性は、均質的なマス・ツーリズムに代わって、すべて Emanuele Sgroi は、観光産業が、環境や自然資源、 が潜在的に同時に存在する多様な観光への変換をもた 景観、 地域および社会の有形無形の文化を変化させる、 らす。そして、データ通信と観光の出会いは、旅行パ と強調する。 “公共財”の扱いにあたっては、地域共同 ックの販売方法だけでなく、その概念および構成の方 体との緊密な相互関係を構築するべきである。 “観光産 法までも変化させている。ユーザー側にとって、特定 業の企業家は、自分一人でその業績を悪くすることが の情報を入手し、独立したプロセスでそれを確認し、 あるが、地域共同体と協力するだけでよくすることも その他の異なる機会と比較し、一つの目的地を選びだ できる” (Sgroi 1988: 139) 。またたとえその行動と関 すことができるということは、いままで存在しなかっ 係する空間がグローバルな特徴を持っているとしても、 た地球的規模での競争を生み出している(Nocifora, 観光はローカルな現象であり続ける。 “なぜなら観光は、 1997, 2008b) 。 イコン(象徴)の唯一にして特別な門番であり、 (一時 したがって、すべての場所は観光客のまなざしの潜 的とはいえ)ある場所・空間の入り口として生命を得 在的対象であり、地方同士が地球的な規模での競争関 るからだ” 。 観光客の側から見れば、 “あらゆる場所で、 係におかれている。選択肢およびさまざまな経験の可 家に帰ってから自信満々に報告するために、その場所 能性を無限に提供し得るほどにまで複雑に観光地域が に関する個人的なイコン(象徴)を、探求し、発見し、 絡み合う図式のなかで、それぞれの地域は特色を強調 ひょっとすると創り上げることまでが、観光という新 し、そのイメージを発信しようと努力している。観光 しい文化によって要求されているのである” (Sgroi 空間は、辺鄙な地域や内陸の資源も巻き込み、新しい 2001: 7) 。観光客の探求は非常に多様で、自然科学者 海岸観光地域を形成しながら、歴史都市や山岳地帯、 や芸術家、文化人類学、食文化などから得られる刺激 海水浴場などの特定の環境を越えて拡大している とメッセージに従って展開され、それゆえに複合的な (Savelli 2008a, 2008b, 2009a) 。 地域の実態にひきつけられるのである。その結果、観 また、常に多数の個人がその領域を移動し、かつグ 光とは、それだけで“開発の空隙”を満たすことはで ローバルな規模のコミュニケーションにそれら個人が 91 組み込まれているような地域において、共同体に対す 資源を認識し、協力してより大きな観光市場へそれら る観光の影響を把握したいという欲求から、観光に対 を投下することであろう(Manella 2008) 。 してある特殊な関心が生じている。この観点から、 イタリアの場合、特定の観光商品の設定とプロモー enzo Guberti と Gabriele Pollini による調査は、旅行 ションのための公共団体と私的企業家を包括する地域 業者がその地域や地域共同体、および観光客とどのよ 的な結合のプロセスは、新たな法律(第 135 号、2001 うな関係にあるのかを検証した。その結果、旅行業者 年)を生み出すこととなった。この法律によって創設 の出発地がさまざまであり、また彼らの接触する人々 された Sistemi Turistici Locali(地方観光機構)とは、 が次々に変化するという事実は、対象地域に対する彼 “文化財や環境および農業生産物や地域の伝統工芸を らの愛着に関して大きな影響を与えない、ということ 含む観光資源の統合的な提示によって、または個人ま を確認した(Gubert e Pollini 2002: 307) 。むしろ地 たは協会の運営する観光企業が広く存在することによ 域に対する旅行業者の帰属感覚の投影は、各々が同じ って特徴づけられる、均質的または統合的な背景”に 地域にいる他の旅行業者と保持している関係性と、ま 基づいて成立するものである。この結果、近年、この た政治的・体制的な構造において検討されるような、 制度による機構の設立と、その機能を支援するための 企業家世界と地域共同体とのあいだの協力関係の形態 専門的な能力、そして領域的な相互作用をもつ組織の において把握されうる。確認されたのは、こうした関 構築を目指して、さまざまな調査や考察、提案が行わ 係の弱さが、近視眼的な戦略的ビジョンと短期間の投 れるようになった。Nicolò Costa と Paolo Corvo は、 資という結果をもたらした、ということである。Ezio 特にこの方向で研究を進めており、観光機構と地方共 Marra がカラブリアで実施した調査は、地域の異なる 同体の間の関係を深め、観光供給における領域的かつ エリアによって、公的な活動と私的な活動のあいだの 社会的な協力の新しい形態について、効果的な計画と 協力関係の水準に顕著な相違がみられることを浮き彫 運営を可能とする専門的な人材および “効果的な実践” りにした。公的団体と私的業者のあいだで優れた協力 のあり方について検討している(Costa 2005 e 2008, 関係の事例が指摘される一方で、地方行政レベルが同 Corvo 2007) 。 じ(例えば市と市)であれ上下であれ(例えば州と県) 一方、観光と地域共同体の関係は、異文化同士の関 であれ、戦略的な協力関係が常に不足しているように 係、ひいてはグローバル文化とローカル文化の関係に 感じられるものもあり、いくつかの事例では、まさに おいて、 交流と融合という問題を直接的に引き起こす。 争いのような状態のものもあった。その一方で、行政 Ulderico Bernardi は、閉鎖的な自民族中心主義のネ 単位を越えた協力関係を目指す新たなプロジェクトの ガティヴな影響を示すことで、動的なシステムとして 要望が、幾人もの市長から表明されている(Catalano, の文化を強調した。それは、文化的適応と外来文化の Fiorelli e Marra 2008: 105-107) 。エミリア=ロマーニ 移入のプロセスを通じて定義されるシステムであり、 ャ州で実施された類似の調査は、地域行政単位のあい その点で観光は、ローカル文化の有形・無形の側面を だの協力・協定関係の発展を通じて、沿岸地域からそ 交流させる運び手として考えられる。彼は、あらゆる の後背地およびアペニン山地へむけて、“豹の斑紋の 社会が自らの多文化性という事実を見出しつつある一 よう”ではあるが、観光領域が拡大していく傾向を明 方で、文化的な複合性に価値を見出すことに未だに苦 らかにした。観光のグローバル化という過程において 労している様相を明らかにした(Bernardi 1997: 小さな地方単位がその居場所と競争力を見出し得ると 52-58 e 212-220) 。この認識の作用について、彼はイ しても、その成功条件は、より広い「地域」の一部と タリア各地の文化人類学を扱う博物館について幅広い なることであり、その多様性のなかに見出し得る観光 調査を行い、海外の事例と比較しつつ、そうした環境 92 2008: 166) 。 における“複合的文化の促進”の形態について研究を 行った(Bernrdi 1991) 。 また異文化観光は、Claudio Baraldi と Monica 20.2 観光の地域的な範囲 Teodorani の研究の主要なテーマとなっている。彼ら 地域共同体とその社会構造のバランスに対する観光 は、観光客の出発地の社会と構造的に異なる特徴を示 の影響に関する分析は、観光による発展が、伝統文化 す目的地の社会において、異文化観光が活発に行われ と工業化のプロセスとのあいだの根深い論争によって ていると考える。 しかしながら、 二つの社会の交流は、 地域的な背景に既に特徴づけられている場合、特殊な 出発地の社会が階層よりもむしろ個人の能力に基づい 緊張を帯びることになる。さまざまな矛盾の一例は、 て差異化を図る傾向にある場合、および訪問者と受容 サルディーニャ、特に内部のガッルーラにおいてみら 者という二項対立(我々-彼ら)が消失することで相互 れる。1980 年に、観光による文化の損失とサルディー 関係の規範における多元性がその社会の単一イメージ ニャ的な実態の崩壊について、最初の社会文化人類学 を打ち消しているような場合にのみ、実現する。すな 的な調査が報告された。著者の Baschisio Bandiu に わち個人同士の差異は、このように社会的な帰属より よると、エメラルド海岸の体系化は、現地の土着的な も優位に置かれ、我々-彼らの二項対立から“私”と“も 実態と旅行者のアイデンティティを同時に破壊するよ う一人の私”の間へと移動していくのである(Beraldi うに創り上げられた、ある種の記号論的な虚構の世界 e Teodorani 1998: 9-15) 。 であるという。 また Laura Gemini は、観光と主観的傾向の間の関 同じような文脈で、Marcello Lelli は、工業化の定 係をさらに強調している。彼女にとって、 “もし一人一 着の過程と同様に、観光も、農業に生活基盤を置く伝 人にとって「個人」としての確立のプロセスの一部と 統社会の規範を道具のように利用することで、資本家 なるならば、 旅とは良識的な経験としてみなされうる” 。 側からの物質的・人的な資源の占有のプロセスを完成 観 光 経 験 は 、“ 天 命 と し て の 消 費 consumo するものだ、と断言している。観光活動の不安定な労 vocazionale”という考え方へと導かれる。言い換えれ 働需要は、観光客相手の手工業職人と化した伝統的な ば、主体が観光客としての天性を発揮することで自己 家庭のなかに確実な反応を見出している。それらはま 実現的な投資を行い、それを達成することであろう。 さに観光客の自由時間を満たすための労働時間である。 したがって、誰もが“自分自身の可能性と創造性によ それは同時に、このような正式な労働の購入交渉が行 って、 旅の中に意味を生み出す機会を創り出している” われない関係性の領域が、互いに結合を維持すること (Gemini 2006: 271) 。こうした行動の変化は、まさ であろう。エメラルド海岸のオルビアとアルゲーロで に近代の“表現主義”という理念から、大量生産方式 は、移民や第三次産業とそれに結びついた第二次産業 の経済における自由な時間と労働時間の間の新しい関 (建築業)に従事する幅広い労働者層、行動の新しい 係性から引き出された“効率性”という理念への移行 様式、そして新たな身体文化に至るまで、ヒエラルキ として把握される。前者が「現実の忠実かつ正確な表 ーと特殊化による新しいバランスの徴候が他の場所よ 現」を創り上げることをめざし、 “事物や場所、人々、 りもさまざまな領域でより顕著にみられる。工業化の 文化の真正性”の探求をもたらしたとすれば(Gemini プロセスによって始まった古い行動様式の危機は、こ 2008: 99) 、後者は経験主義的な特徴を示し、 “誰もが こでは十分に補償され社会的に受容された“変革によ 自らを驚嘆させる能力と、かつ自身にとって真正で有 る再創建”となっている(Lelli 1983:49-52) 。エメ 意義なものを理解する能力をもつ”とする構築主義的 ラルド海岸の事例は、 “観光による生活”というモデル かつ主観的なアプローチと結びついている(Gemini に基盤を置く日常生活を地域住民のあいだに導入する 93 計画としてみることができよう。この状況は、そのな る。観光は、歓待に関わる共同体全体を巻きこみ、地 かで階級間の対立が解消され、集合的なアイデンティ 域住民の文化的・社会的アイデンティティを関心の焦 ティ確立のプロセスが展開するような、ある分離され 点におくことを要求する。Antonio Fadda は、 “住民 た背景として提示されることから、観光客および地域 たちにその時代に与えられた形態のなかで社会的生活 住民の双方を巻き込むにふさわしい“観念的領域”と を営むことに尊厳を見出す”ような“アイデンティテ して研究される、広範囲の文化的現象として注目され ィ・ツーリズム”を提唱した。すなわち、観光は地域 る(Paolinelli 1983: 165-195) 。 共同体にとって経済的または文化的活動の機会であり、 またポスト産業社会においても、サルディーニャは 人々が“日常生活そのものまでも価値づけようとする 観光客と地元住民のあいだの関係に関わる変容の典型 刺激”を観光に見出す傾向があるため、人々は自分自 的な側面を示している。エメラルド海岸協議会の行使 身をしっかりと管理する必要があるのだ(Fadda する権威にもかかわらず、サルディーニャの観光発展 2001: 9-13) 。田舎の生活を支配する価値観や時間の流 は主要企業の異なる形態を生み出した。すなわち、家 れ、生活リズムと同様に、とりわけ伝統的な生業や工 族経営の生産機構に強固な基盤を置く企業である。観 芸品によって表現される美しさこそが、信頼のおける 光は、農牧業を営む小地主から新たな活気を徐々に奪 本当の美しさであろう。内陸部の人々の文化的特色が い取ることを承認するような、社会文化的な仲介の独 長いあいだ発展を妨げる障害のように捉えられていた 自のプロセスに命を与えたといえる。地方化が進む地 としても、いまでは懐古趣味としてではなくむしろ一 域では、 “鉄文化の支配の終焉”を決定づける産業社 味違ったより良い生活の質を探求するための前提とし 会からポスト産業社会への社会文化的変遷において、 て理解されつつある(Fadda 2002: 9-15) 。過去の再発 観光活動は、もっとも重要な要素となる。オルビア市 見と伝統的知識の復興は、観光に関連する活動の発展 は、観光と社会の新しい関係のシンボルとみることも と地域アイデンティティの再認識にむけて地域の資源 できるだろう。すなわち、 “オルビアにおける観光の歴 と活力を巻き込むうえで、必用不可欠なアプローチで 史は、サルディーニャ自体が田園風景や地域住民そし あることは明らかである。Camillo Tidore と Marcella て歴史が織りなすグローバル資源となるとき、自律的 Solinas は、そうしたプロセスの一例としてサルディ な発展が生まれることを証左するものである。したが ーニャ北部のアングローナに言及し、地方行政と経営 って観光は、工業化(特に石油化学)の進展によって 者たちが地域文化と環境資源に基盤を置く観光振興に 創り出されたサルディーニャを超越するうえで恐ろし 専念している構図を示した(Tidore and Solinas 2002: いまでの貢献を与える可能性があり、また一方で本当 180-181) 。 のサルディーニャの代わりに創り出されたサルディー 観光は、社会文化と地域そのものに等しく変化を及 ニャに注目をもたらすことで「病を重くする」ことも ぼす。Antonietta Mazzette によると、大衆は常に一 ありうるのだ” (Lelli 1983: 3-7) 。 方向でまとまらない多種多様な需要を示す。 すなわち、 20 世紀の終わりに向けて、サルディーニャでは、数 “休暇に海や海岸線を選ぶ人は、都市のモニュメント 年前まで想像すらできかったような地域にまで観光客 や博物館も訪問したいし、一方で村々を訪れその伝統 が押し寄せるようになった。それは、ほとんど未開発 的生活を知り、さらにはその地方独自の料理を満喫し の特徴的な環境を持つ沿岸地域であり、また沿岸地域 たいと思っているのだ” 。沿岸地域や都市を離れると、 とは異なる魅力の上にそのイメージを構築しようとし 再評価され“見せるために設定された”ものだとして ている内陸地域であり、さらには(特に)海と山を結 も、新たな資源として地方文化を捉えることで、内陸 び付けようとする試みも始まっていることが注目され 部におおける需要と供給は拡大していく。このように 94 地方文化は、自覚を持った明快な政治的戦略の図式の 連帯の様々な形態に至るまで)さまざまな生活の実情 なかで、高度な専門的能力によって支援を受けつつ、 に光をあてることとなった。それらの証言は、観光の 効果的に組織されたネットワークを通じて開かれた巨 なかで確認される新たな“人生の方便”を発展させる 大な流通へと引き込まれているのである(Mazzette 要素として、住民と利用者のあいだの関係の形態に言 2002: 11-20) 。 及している。いうなれば、むしろ社会的関係性の産物 サルディーニャを背景とするこのような発展に関す ともいうべきサービス提供のシステムのなかでは、こ る研究と同様の流れは、マス・ツーリズムの中心地と の“押しつけられた”関係性を通じて、家族および地 して一般に知られる地域、すなわちロマーニャ地方の 域共同体が客を包み込んでいるのだ、ということを述 沿岸部において行われてきた。ここでも社会学的な考 べているのである(Gori 1992: 101-107) 。 察と調査の着手は遅く、この地方の初期の観光活動の ロマーニャ・モデルとして知られる時間的な区分は、 不明瞭さに関する研究から始まった。観光はこの地域 Emilio Benini と Asterio Savelli(1986)によって提 のまさに主たる原動力とはいえ、観光マーケットの前 示された。第一段階は、第一次産業と第三次産業のあ 線においては今や受動的な姿勢に定着してしまってい いだの幅広い雇用の流動性によって特徴づけられる。 る。地域の小規模経営者たちとの競争がホテル観光部 50 年代を通じて観光活動の拡大の主たるモデルを構 門の収入の障害となり、初期の観光パイオニアたちの 成する小規模のホテル経営が主導的役割を演じた。こ 経験がいまや時代遅れとなったときに、一方でパイオ のモデルが提供した利点は、企業と家族の相互支援に ニアの時代は、文化的なレベルで再発見され、関心と ある。すなわち、フルタイムで働いて企業を助けるの 崇拝の対象となったのである。Vincenzo Buccino が家族であり、同時に、この地域では、経済単位であ (1966)は、いまやイタリアの“経済的奇跡”と語ら り自律的な労働組織団体として家族を守るのが企業で れるロマーニャ地方の沿岸地域の驚嘆すべき最初の発 ある。 展期について記述する中で、地域観光の発展の“パイ 次の段階では、企業家の介入の規模が急速に変化し オニア”たちの人物像に関する社会人類学的な様相を ていく。すなわち、地域経済の伝統的な部門であった 概説している。さらに後になって、その他の危機的な 家族経営が積み上げる可能性を超える投資を行う中規 側面(経済、エネルギー、および環境)が露見したあ 模のホテルが、この段階のモデルの中心となる。この とで、Gualtiero Gori(1992)の研究は、二つの世界 経済単位においては、もはや経営者としての家族の側 大戦のあいだの初期パイオニアたちの様相について関 から組織全体をコントロールし滞在者に応対すること 心を向けている。その時期に、いわゆる郊外居住区 は不可能となり、それゆえ、いわゆる“マネージャー” (borgata)であるリミニ市の沿岸集落は、公共の海 と呼べるだけの管理を行うレベルには到達し得なくな 水浴場やタラソテラピーおよび富裕層向けホテルの設 るという点が重要である。こうして中規模企業の階層 置など、当初から行政庁によって特権的な支援を受け が、衰弱した状態で 70 年代の観光マーケットの危機 た発展のモデルとは対照的な発展を遂げ、活況を呈し に直面することになった(Benini & Savelli 1986: ていた。Gori の研究は、彼らの日常生活の辺縁領域を 46-53) 。この危機に対応する第一の戦略は、建物やサ 特徴づけ、後の数十年にわたってロマーニャ地方が享 ービスおよび設備のより高いレベルでの合理化を目指 受する“観光モデル”の定義づけるような“内部の動 した企業の再建に向けられた。それらは未だに観光活 的な緊張感”を探求し分析するために、伝記的な手法 動の水準の維持と企業の生き残りに注力していた協会 を活用した。そこで得られた証言は、 (食習慣から出会 や同業組合のイニシアティヴによって支持された。第 った時の振舞い方に至るまで、または社会的空間から 二の戦略は、ホスピタリティ産業部門からの多くの経 95 営者の脱出先、いいかえれば、しばしば短期間の投機 マパーク、レクリエーション公園など)と置き換える 的行為のために専門性と社会的な関係性という遺産を ことに基盤を置く沿岸観光地域内で完結する対策であ 浪費するような、単なる不動産レベルへの退行をもた る。もう一つは、地域の背景にある資源(伝統、年中 らした。観光“不動産”は、このように地域経済の拡 行事、祭礼、市場、歴史の回想、ワインや郷土料理) 大にとって“新しい開拓地”のようになった。地域に を巻き込むことで、地域資源の幅を拡大する対策であ 蓄積された金融資産はそれら観光不動産に振り向けら る。20 世紀末に向けて、社会学的調査が実施された。 れ、老朽化したホテル組織はそれに注目し、インフラ その一つの側面は、ロマーニャ地方の沿岸地域を訪れ に対抗するための適切な避難所としての投機先を探し る観光客を刺激する動機の分析で、これは彼らの区分 ていた外部の投機筋が介入することとなった。その結 の特徴と条件を把握することを目的としている 果、観光不動産は、標準化されたサービス組織(スー (Savelli 2001) 。もう一つの側面は、マス・ツーリズ パーマーケット)を取り囲むように組織化された一連 ムという固定化されたモデルへの逃避から、地域の特 の別荘地区を形成することで地域資源へと変貌した。 殊性や地域資源、および海が提供する運動および交流 しかし、 それらはシーズン中に使用されるものであり、 の機会に対して徐々に価値を見出している新しい観光 社会組織と記号的精緻化の継続的な形態との関連性を 活動の概念に対して意識を開くようになる幅広い可能 持たない(Benini & Savelli 1986: 46-57) 。土地所有 性のなかで、マーケットの質的・量的な変化に応える による不労所得の優先は、潜水経済(脱税による経済 ために経営者によって提案された主要な戦略を同定す 活動)へ逃避するよりもより優れた企業経営のために ることである(Savelli 2008c, 2008d, 2009a) 。 資源を活用する傾向をもつ観光関連企業経営者の撤退 Emilio Cocco と Everardo Minardi は、地域を構成 が、非常に深刻になっていることを意味する。とりわ する空間のイメージ形成の過程を切口として、アドリ け公共活動は、優良企業とそうでない企業のあいだの ア海沿岸地域の問題に直接取り組んでいる(Cocco & 差異をなくそうとする過保護主義の政策に限定されて Minardi 2008: 10-11) 。社会経済的に異なる体系に面 いる。すなわち不動産収入を優先し経営収入をなおざ する国境海岸地域であるアドリア海域は、活発に人の りにしてしまうような、数的にはより多く、より疲弊 行きかう空間となりつつあり、アドリア海を横断する した企業家たちから提案された戦略を支持しているの 共通した制度的モデルの適応を要求しているように思 だ(Lombardini 1989: 69-72) 。 われ、またそれは今や目前となっている(上掲書: 80 年代には、さまざまなネガティヴな要素が集中し 19-23) 。アドリア海地域のユーロ圏化構想は、観光活 て発生し、需要の量的な危機が記録された。まず海の 動から生じる圧力、すなわち、アドリア海の様々な地 富栄養化に代表される環境汚染が議論され、そこに景 域にある観光企業の膨大な供給活動の統括を可能にす 気変動による経済的な要素が加わった。特にポスト産 る条件の整備や、混合する船会社の発展及び人の移動 業社会へ移行しつつあった社会変化のなかで形成され のために港湾システムの統合に向けた準備といった点 た観光行動の意味の変化は大きな影響を与えた。その も考慮するべきだろう(上掲書: 251-252) 。 結果、 観光業者の方向性の危機、 不確かな戦略の採用、 20.3 都市観光の再発見 そして新規活動の根本的な鈍化および観光マーケット での割合の衰退が生じた。さらに 90 年代には、環境 先進産業社会における大都市は、通勤活動にとって 的および社会文化的な挑戦に対する二つの異なる反応 機能的な巨大なインフラ設備によって特徴づけられて が見られた。すなわち、一つは、状態の悪化した自然 きた。それはまた、ヴァカンスと呼ばれる、週単位ま を人工的に作り出された環境(プール、水族館、テー たは季節単位で発生する都市外への脱出を大きく促進 96 してきたともいえる。しかし今や都市経済のポスト産 る”とき、都市は、この情報という新しい経済図式の 業社会的な状況は、同時にその都市自体が観光の目的 なかでまさにその機能を発揮する。そしてこの意味に 地として再発見されることを認め、かつ必要としてい おける都市のイメージは、今日では住民が観光客の需 る。Guido Martinotti が証明しているように、都市の 要と変わらない要求を都市そのものに向けているとい 内部では、旧来の住民および産業社会時代の通勤者で う事実によって強化されている(Amendola 1999: 成り立っていたころと比べて、新しい人々が隣り合い 71-78) 。 重なり合って生活している。そこでは、都市消費者、 イタリアでは、 都市のイメージの危機および変容は、 言い換えれば “都市使用者” の世界が展開されている。 ミラノとトリノおよびジェノヴァという“工業三角地 消費し、サービスを加速し、都市が提供する刺激を享 帯”と呼ばれた地域が繁栄の頂点にあった時に、特殊 受し、精緻化され発信される膨大で複雑なメッセージ な激しい様相において生じた。ミラノは、大きな活力 を求めて、さまざまな肩書の人々が都市の中を行き交 を生み出した未来主義によって国際的なレベルにまで っているのである。またさらに、物質的、文化的また 投影されたイメージを環状に入れると、かなりの長期 は美的な観点での純粋な消費機能においても、より複 間にわたって新しい段階に到達する道程を創り上げる 雑な使用の様相が展開されている。それはポスト産業 ことができたといえる。このイメージは、この都市に 社会時代の特性を示すものであり、都市の会社員の特 関する映画作品リストによってすでに適応されており、 性そのものといえるだろう。そこでは、労働と社会的 今ではファッション、コンベンション&ビジネス・ツ 交流、文化的な刺激、学術的な探求、美的な創造およ ーリズム、 および見本市活動によって利用されている。 び消費とが、それぞれ解くことができないほどに絡み “ミラノは、観光という観点からみれば強い魅力を持 合い、名人芸のような流通を生み出しているように思 つ都市である。なぜなら、これらの集合的な文化遺産 われる。その過程で大都市は益々成長し、いまやいわ を活用しているからである” (Martinotti 2004: 75-83) 。 ゆる“第二世代”へと突入しつつあるのだ(Martinotti もしミラノにおいて大量生産方式の産物からポスト産 1993: 137-152) 。 業社会的な活気あふれる観光の中心地へ至る道が、都 こ の よ う に 現 在 の 我 々 は 、 Giandomenico 市イメージの継続性とその支えを活用できた結果だと Amendola が呼ぶところの都市の“新ルネサンス”に すれば、都市生活の展望の変化がより最近になって始 立ち会っているといえる。そこでは、科学および合理 まり、かつより精神的ダメージの大きかったトリノと 性という名のもとで展開された半世紀を超える近代運 ジェノヴァでは、そうしたイメージの活用が生じなか 動が達成した、均質化と機能化という試みに対する反 ったのだ、といえる。Maria Cristina Martinengo と 動が示されているのである。 “近代運動のために均質化 Luca Savoja による研究によれば、トリノのイメージ という努力が行われたとすれば、ポストモダン社会の は現在も変遷中だという。 すなわち、 そのイメージは、 ためには差異化が求められた。かつての基準が合理性 自動車製造業との結びつきをそれほど緊密に暗示する だとすれば現在の基準はアイデンティティであり、か ものではなく、一方でそのほかの明瞭なものを暗示す つてが普遍主義だとすれば現在は自己中心主義であり、 るほどの変容は未だ見られないという。 都市としては、 かつてが仕事中心だとすれば現在は娯楽中心だ” 歴史的かつ文化的な遺産を提供しているが、もし“高 (Amendola 1997: 27-42) 。とりわけ都市は、今日で 尚な”文化の愛好家でもなければ、それについて知識 は“ツーリスト感覚を促進する力を持つ”場所である。 を得て訪問して楽しむことは容易ではない。 この年は、 “より大きな価値が、消費可能な情報を大量に生産す “観光客の大部分が求める特徴や特殊性が隠されてい ることができるような場所や物および経験に含まれ るがゆえに”いまだに非常に真正さを保っているよう 97 に思われる(Martinengo & Savoja 2003: 197-206; お 認めなかった一連の都市経済的損失について考察して よび Martinengo et al. 2001 も参照のこと) 。 いる。 “観光の再生”は未だに不確かであり、この都市 さらに、ジェノヴァのような古い港湾都市は、経済 の特定の要素、とりわけこの国全土に知られる芸術お の再構築を経験し、今や衰退しつつある産業都市の典 よび文化の観光の増加に関しては、あまり結びついて 型例に代わる発展モデルの再定義を提示している。新 いないように思われる(Volpe 2004: 109-166) 。 しい港湾労働組織は、雇用が減少した一方で、新しく イタリアにおける都市観光に関する調査と考察につ より広い空間の活用を求めるようになった。 すなわち、 いての参照は、視覚社会学の手法を用いてこのテーマ 伝統的な商業港は文字通り移転され、古いドックは空 に取り組んでいる Nicolò Leotta の最近の研究を取り のままにされ、その古い倉庫群は修復されて自由時間 上げて終わることにする。彼は、イタリア全土で確認 に使われる場所、例えば“水族館や科学博物館、自由 された三つの“旅行ルート”に関心を向けている。一 時間用の建物やレストラン、ホテル、ショッピングセ つは Tour d’Italie によって設定された“Bel Paese(美 ンターなど”に置き換えられた。Chito Guala は、ジ しい村々) ” 、もう一つは 50 年代と 60 年代の映画作品 ェノヴァとトリノの両方で、大きなイベント(特にジ リストによる“dolce Roma(甘いローマ) ” 、最後はト ェノヴァでは 2004 年の“ヨーロッパ文化首都” 、トリ リノからリミニの間に広がる都市によって構成される ノでは 2006 年の“冬季オリンピック” )が起爆剤とな “megalopoli padana(パダーナ平原の大都市群) ”で って始まった変容プロセスと、都市の観光プロモーシ ある。ロマンティックな様相と集合的な様相に沿って ョン政策の図式におけるその効果について研究を行っ 観光的な視点を関連付けることによって、彼は、これ た。 “巨大イベント”とその効果に関する分析手法は、 らのあいだで国民性を背景として提示された旅行ルー “決定を下すべき大衆の批判能力は、年月と歴史によ トと、 “都市の中の都市” 、いわゆるニューヨークの提 って創り上げられた社会と文化のバランスと都市構造 示する旅行ルートとの比較を行っている(Leotta を捻じ曲げることなく、人々の表情、そしてそのゲニ 2005: 25-34) 。 ウス・ロキを維持している背景のなかで、本当に素晴 第 21 章 新たな研究の展開 らしいイベントを開催することができるのだ”という 希望をかき立てようとしているようだ(Guala 2004: 129-145; Guala 2007: 103-181) 。 21.1 観光発展の持続性 巨大なイベントは、ナポリのような長期にわたる観 さまざまなイタリア人研究者は、観光の持続性とい 光の衰退(1966-1993 年)を経験した都市の復活にも うテーマについて特に高い敏感に反応している。 貢献した。1994 年にナポリで行われた G7 サミットと Francesco Pardi は、供給政策がどのように“侵入し、 国連会議は、組織的なスタイルの刷新を呼び込み、そ 地域と芸術を破壊する計画的な機会”として構築され れによって新しいサイクルの始まりという熱狂的な解 るかということを強調した。彼は、自然を搾取し得る 釈がわき出てきたのである。Angelo Volpe によると、 資源とみなす考え方や、自由時間を逃避の機会とみな “芸術と文化の都市ナポリ”というスローガンは、 “歴 す傾向があるとして、観光が過去の産業社会のような 史と芸術の遺産とアイデンティティという遺産に対す 精神構造の延長線にあると考えたのだ。したがって る州都の二重の投資”を要約している。強い象徴的特 Pardi は、さまざまな驚きによる気晴らしや非日常性 徴をもつ都市部が、かつての観光対象の中心だった自 といった、日常生活からの離脱として想起される観光 然的要素に初めて対抗することとなったのだ。しかし の概念が放棄され、 “労働時間と自由時間、 社会と自然、 著者は、マス・ツーリズム的な形態の追求をまったく 日常と非日常のようにすべてが分割されてしまうよう 98 な分節の連続という基準ではなく、継続性という基準 るダメージを部分的に補償する試みという、曖昧さに に沿って、我々の人生における経験のほとんどを延長 満ちたある種の妥協策にしか見えないが、そのほかの するための機会を見出しうる自立的な領域であり、 ものにとっては、終わりのない成長という展望に基づ 個々人によって異なる本当の社会システム”として観 いた成長モデルに対する根本的な批判であり、 また “生 光が構成されていく、と予測している(Pardi 1992: 活の質や強制、節約、平等、さらには当然ながら環境 128-129) 。 保護といった観点に焦点を当てた代替モデルの提示と して、この概念を解釈している” (Pieroni &Romita 近年では、環境価値の高い地域を先頭に、地域の持 2003: 11-14) 。 続的発展を支援し得る活動として、観光に対する注目 が高まっている。特に保護地区というコンテクストに Anna Rosa Montani は、観光目的地の“地域イメ おいては、その設立にしばしば付随する経済的・社会 ージ”を始めとする、観光によるさまざまな社会的イ 的な発展の約束を維持し、地域共同体の期待に応える ンパクトの類型について考察している。このマーケテ ことが問題となる。このテーマについては、Rita ィングによって創出される地域イメージとは、非現実 Cannas と Micaela Solinas が、20 個のイタリアの国 的な手法で地域を表象し得るものであり、 地域住民は、 立公園において実施された実験的試みを手始めに幅広 観光客に対して彼らが探し求める想像上の現実を提供 く取り組んでいる(Rita Cannas & Micaela Solinas する誘惑に駆られることになるだろう。やがて、それ 2005) 。彼らの調査は、国立公園とその保護の概念に らは“傷つきやすい人々の搾取”という形態をとり、 おける進行中の変化を明らかにした。その変化は、自 たとえば、それらの一部はとりわけ低俗な売春やいわ 然環境保護論者が活用し得る戦略的手段の一つに観光 ゆるセックスツーリズムとなる。観光客と地域住民の を取り込ませることとなった。またさらに、 “国立公園 関係にみられる一時的かつ非対等性という特徴がある が、意思決定プロセスへの地域共同体の参画を基盤と 種の植民地主義的なモデルを再提示するような場合、 する経済的・社会的な発展の新しい形態を採用する能 自分たちの領域のなかでも狭苦しい空間に常に押しこ 力を持っている、ということを提示したこれらの実験 められた辺縁の活動に地域住民が追いやられることに の大きな価値を明らかにした(Cannas & Solinas なるため、他者を思いやる能力が衰弱していく懸念が 2005: 7-20) 。 ある。最終的には、 “コストと利益の局地化”における Osvaldo Pieroni と Tullio Romita は、ある物理的な 不均衡は、観光客に限定された機会を享受することが 空間で使用可能な環境資源の質と類型を度外視して、 できないことと、彼らの利益にとってほとんど全く関 広大な人工的観光空間を“一から”計画し創り出そう 係のない発展のコストを支払わなければならないとう という行為がしばしばみられることを嘆いている。資 ことに対して、地域住民の不満感を引き起こしかねな 源は無限ではなく、またその多くの部分が再生産不可 い(Mondani 2005: 179-194) 。 能であるため、拡張政策のような論理は観光自体の自 また Luca Savoja によると、持続可能性は、自然の 滅行為へと帰結し、またその観光組織に関わる人々に 生態系の保持や生物多様性の保護、消費された資源の 深刻なダメージを与えることになる。たとえかつては 再生産(環境的持続可能性)を指向するだけのもので 観光によって生じた環境ダメージよりも観光振興を優 あるべきではないという。季節依存性や観光的モノカ 先していたとしても、新世紀初頭には“世論の大半は ルチャー、 観光客の出発地に対する経済利益の “返済” 、 その優先順位を逆転することの利益について認識”し 観光活動による伝統文化の衰退過程といったものから ており、持続可能な観光という概念は具体的な勝東宝 生じる問題の解決・補償を必要とする、経済的な持続 を見出しつつある。ある者にとっては、経済発展によ 可能性という観点がある。また、地域共同体内での生 99 活および慣習のモデルの混乱、生活コストの増大、観 あれ、適法化されたものであれ、違法のものであれ) 光目的のための現実の“偽造”といった問題は、社会 が、 景観に対して不快であるという認識を導き出した。 的な持続可能性として議論されるべきである。 最後に、 彼は、違法建築が景観の魅力を侵食しており、同時に 観光客の要求を満たす必要性という観点に帰結する、 住民にとっての危機の源泉の象徴となっていることを 観光の持続可能性が挙げられるだろう。ある観光客の 明らかにした。特に、彼は、自由放任主義でほとんど 消費を満足させる一方でまた別の観光消費者の存在を 管理をしていないにもかかわらず、さまざまな市街化 度外視することはできないという事実は、その地域の 調整計画と都市計画の達成を賞賛することで違法行為 観光許容量の最大値および最小値を見極める必要を突 の風潮を助長しているとして、地方行政の矛盾する行 き付ける。したがって、 “必要許容量”というものを考 動を批判している(Pieroni 2008: 73-101) 。 えることが重要になってくる。たとえば、観光に必要 経済的および社会的な生活にとってポジティヴな価 な分量を最小限にすれば生態学的には持続可能性が高 値に溢れ、しかし一方で環境に対してはネガティヴな まることになりうるが、一方でそれは同時に経済的、 影響を引き起こすような特殊な傾向をもつ観光は、い 社会的、および観光的な持続可能性を満たすことには わゆる“目立たない観光”とよばれ、カラブリアで ならないのである(Savoja 2005: 52-67) 。 Tullio Romita が研究を行った。これは自主管理され Fluvio Beato は、社会的な公平性を観光の持続可能 た潜在的な観光を意味し、住民のなかで私的に実践さ 性の概念の中核に据えている。彼によると、観光にお れているため、適切な統計基準が存在せず完全に実態 ける持続可能性とは社会的な排除に対抗する行為とし 不明の状態に置かれている。この地域のほとんどの地 てとらえられる。観光分野における権利の行使は疎外 区で公的に管理された観光をしのぐ規模で行われてい されており、例えばそれは特に観光産業で働く不正規 ることから、その優れた側面を評価するとともに、地 労働(とりわけ季節労働者)の雇用状況に顕著であろ 域に対するネガティヴな影響を制限するために、その う。そこでは労働契約の更新は行われず、ボーナスは 行為を可視化し管理可能な状態に導くべきである 払われず、雇用関係は不安定である(Beato 2008: (Romita 1999) 。そのために、彼は、地域住民と観光 17-29) 。 客のあいだの正しい関係ではなく、環境によって自律 しかし、社会学においてより広く研究が行われてい 的に定まるさまざまな主体の類型のあいだの関係に基 るテーマは、建築分野での違法行為と文化的な遺産の 盤を置いた、社会的相互関係に関する調査を優先的に 崩壊である。Enzo Nocifora によれば、これらは、自 進めている(Stigturismo3) 。主役は“自分で自分のこ 分たちの土地に対して常にかすかにしか感じられない とができる観光客”である。彼らは、自然発生的な観 地域住民のアイデンティティが、“人々の交流によっ 光空間の創造をもたらすことができ、またそうした空 て創り上げられた人為的アイデンティティ確認のプロ 間は、観光に関する文学が考え得るよりもずっと幅広 セス”によって凌駕されることで発生するという。衰 く普及しているのである(Romita 2008: 103-132) 。 退に対抗するためには、自然と文化を分割し対立する 競争的で持続的な観光に対する政策は、Carlo 両極として考えるべきではなく、むしろすべてがおよ Ruzza によれば、いずれにしてもある種のガヴァナン そ歴史的に構築された産物としての継続的な資源なの ス、いいかえれば、高い柔軟性と優れた協同組合の採 だ、と考えるべきである(Nocifora 2004; 7-47)。 用、社会的に異なる人々の参画、そして参加型で決定 Osvaldo Pieroni は、違法行為というテーマをさらに 権のある専門の機関を通じた理解関係の再構成を度外 掘り下げ、カラブリア州全土の海岸から 300m 以内に 視するべきではない(Ruzza 2008: 133-158) 。ガヴァ おかれた違法建築とその他のあらゆる人工物(合法で ナンスの概念については Enrico Ercole も提案してお 100 り、特に自然環境と田園地域、および中規模の都市に すなわち、彼らは、 “日常を超えるためだけにさまざま おける観光振興の戦略について言及している。こうし な目的を達成するのだ” 。しかし新奇さの追求は、両義 た地域は、それ自体では観光商品を構成しないが、自 的である。一方では、日々の生活にさまざまな異質な 然や景観、文化、歴史および芸術といったさまざまな もの、前例のないものや驚嘆すべきもの、素晴らしい 資源が、観光客に向けた一連のサービスのための“体 ものを求めており、一方では機械的な合理性を基盤と 系に組み込まれた”場合には、やはり観光商品へと変 して快適さや組織性、保証、計画性、能率的なサービ 貌する可能性がある。地域社会と観光産業のあいだの スといったものも求めずにはいられない(Morra やりとりが収斂されていくなかで、さまざまな資源が 1988: 17-21) 。 明確な“意味”を与えられ、 “観光商品”へと変容する 社会学は、サービスの生産が物の生産を追い越した のである(Ercole 2008: 172-174; および Ercole & ことで把握されるような、産業社会の時代がポスト産 Gilli 2004) 。 業社会の時代に移り変わった時の観光行動の社会的意 Margherita Ciacci は、人々を惹きつける力を観光 味に再び注目している。Giuli Liebman Parrinello に のあいだ持続させるうえでの、ある特定の背景におけ よると、ミクロ社会学のレベルと同様にマクロ社会学 る滞在者と訪問者の量的限界に言及し、観光の持続可 のレベルにおいても、それは本質的な質の向上である 能性の問題を繰り返し提示している。その仮説では、 という。技術者と科学者、知識人および情報の管理者 歓待およびその補足的な活動のための建物およびイン による新たな中核的存在と、プロシューマー(生産消 フラ設備の利用者数の増加は、その地域または関連す 費者)という新たな類型の登場、および女性が引き受 るエリアの人を惹きつける力に悪影響を及ぼすことで、 けた中心的な役割によって、階級の構造は変化してい 利用者数に対する反作用を引き起こすという。この問 る。いまや自由時間と文化および科学的探究は、主要 題は、カルチュラル・ツーリズムの目的地に関しては な経済要素となっている。また、社会的地位への追求 さらに重要な意味を持つ。カルチュラル・ツーリズム によって満足を得る前世代の消費モデルは、さまざま では、観光資源の価値はその資源に列をなす人々の数 な変化を管理する能力の獲得というモデルに取って代 の増加にしたがって減少していく。つまり、文化的な わられた。産業社会における同期化は、主体が各々の 経験は、適切に鑑賞するためにある程度の空間と静け 時間を自立的な手法で構築することを認めることで、 さを必要とするような作品の周囲の混雑や、急かされ 非同期化へと変化するのである。新しい物理的な構築 ること、旅の陳腐化、やむを得ない停止の連続といっ は、自尊心と自意識、および自己愛的な性格によって た、ネガティヴな効果をもろに受けてしまうのである 特徴づけられたこれらの背景から生じるのである (Ciacci 2000: 6, 99-100) 。 (Liebman Parrinello 1987: 216-217) 。 大衆のヴァカンスは、常に高い関心と綿密な分析の 21.2 ツーリズムの新しい意義にむけて 対象となってきた。いまやそれは、いわゆる“豊かな “観光的な人間とは、 近代文明の全く新しい産物だ” 。 暮らし”という図式における“到達点もしくは人生の Gianfranco Morra によれば、それは、新奇なものに 起伏の社会的な征服”としてはみなされてない。 対して敵対的であった宗教的社会から、新奇なものへ Franco Ferrarotti は、それらがむしろ主体を逃避に仕 の欲求に特徴づけられる世俗的社会への移行過程の産 向けるような、日常生活に蔓延する不健康な状態であ 物である。近代化された社会だけが“その本質におい る、としている(Ferrarotti 1999: 116-117) 。交流と て観光的かつ消費的な社会であるはずだった” 。 しかし、 旅の新しい様相は、一貫性に基盤を置く主体のアイデ 現代人はみな “定住地をもたない” かのようにみえる。 ンティティの危機を引き起こす。 アイデンティティは、 101 もはや一貫性をもたず、また厳格な意味で言えば一貫 間に生じる変化に関する旅の経験の“隙間性”という したものであるべきではない。すなわち、いまではア 側面を描き出すために提案された。とはいえ、経験の イデンティティは“変わりやすく、柔軟で、移りゆく 隙間的特性は、旅から主体の人生そのものへの移行が ものであり、豊かで、予測不可能で(・・・) 、あらゆ 生じるにしたがって拡張し、ポスト近代的な状態の隠 る形式論理的な制止を超えて、交差し、積み重ね、発 喩として表出する傾向がある(Gasparini 2000: 展する能力”である。主体は、 “不可分であるものを好 30-37) 。“旅の規範と様式に従って生活しているとい みのままに砕き分割することで、in-dividuum という う、移動中の主体として自らを知覚することで” 、 “定 概念自体を超越する”ことを可能とする、複合的な将 住する”主体はいまや移動し続けているのだ、と 来が現れるのを観ている(上掲書: 61-67) 。一貫性を Rosanna Bonadei は断言する。生活は、このように“同 欠き、記憶もない状態で、主体はもはや“戻る”こと 時性の感覚が優勢な相互接続というより悪化した背景 はできないだろう。移動しつづける犠牲者へと陥るこ において大まかに組織化された、隙間の流動的な連続 とで、無駄に展開し続けるのである。救済は、考え抜 のなかで” 変化しているのである。 カジュアルな衣装、 かれたプログラムや合理的な計画の結果としてではな リュックサック、旅のバックパック、クレジットカー く、謙虚な待機の姿勢または予期せぬ恩赦の贈り物ま ド、携帯電話、ノートパソコンといったものは、ノマ たは他者からの不可思議な貢献によってのみ得られる ドな人々および“流行の消費を儀式とすることで同定 のだろう。断片化した世界という危機から脱出する道 される一族”の可視的な記号である。しかしまたその を見出すためには、異文化の存在と共生を受容する必 中では、支配的な規範を逃れ、個々人の経験というミ 要がある。 “なぜならば、いかなる文化も自らを絶対的 クロな背景で生産された差異を表明することが、各人 に自立した存在とみなすことはできないし、今日では に許されているのである(Bonadei 2004: 143-158) 。 様々な文化のあいだにはいかなるヒエラルキーも持続 Roberto Lavarini によると、それらの間では、ミスと しえないと思われるからである” (上掲書: 158) 。 不都合は大きな意味を持ち、そこから利点を引き出す 旅の意味やその実現の様相、隙間性という特徴、そ ことができるということが重要になる。高速道路の料 して旅と観光のあいだの関係といったテーマにそって、 金所の渋滞、電車や飛行機の遅延とストライキ、港や 近年、さまざまな研究者が Franco Ferracotti の提示 空港での待機、悪天候または事故による不慮の事態と した疑問と当惑を追求してきた。 Myriam Ferrariは、 いったものは、技術と組織が危険だけでなくあらゆる 芸術の世界に人々をいざなう魅力と同じ魅力を観光の 驚きまでも抹殺しようとする傾向のある世界で、驚き ものと考えた。一方で、観光の場合は、 “遊びと自由に に満ちた空間を呼び戻し、即時対応力を刺激するにふ 関する美学的次元に没入する必要性を回避することが さわしい、発見や交流、美学的な楽しみの機会へと変 社会的に正当と認められている” 。 観光する存在になる 化する(Lavarini 2005: 228-230) 。旅を減速し、地域 ということは、 “尊大に”世界を経験する機会をもつと とそこに住む人々に関する発見に満ちた空間を呼び戻 いうことと一致する。それは、本質的には、 “有用性と す予測不能な事態は、目的地の場所およびそこへ到着 いう基準に従属しない、それゆえに知識と想像力に対 することから、そこへ至るまでの道程、あるいは移動 して開かれた存在であるという経験をすることができ および旅を完遂するための様相へと旅の重要性を移す る”状態である(Ferrari 2004: 143) 。 ことになる。とりわけゆったりと場所や人々を発見し 自由、探求、分割と喪失、全体性と浸透性、および ようという“スローな旅”という考え方が提示されて それらを補足する同様の要素は、Giovanni Gasparini いるが、それは我が家の近くであるか別な大陸である によって、厳格な規範的図式の主導権から脱出する瞬 かは問題ではないのだ(Lavarini 2008) 。 102 Marxiano Melotti は、特に考古学観光について研究 らすとしても、もう一方では、無視されずとも以前は を行い、時間的、空間的、文化的、および文化人類学 隅に追いやられていた背景と資源の役割の重要性を回 的(ネクロポリスや墓、ミイラなど)にみられるよう 復する機会を提供するのである(Benini 2008: 30) 。 な、 さまざまな断続性の形態によって生み出される “別 の” 世界へと主体を巻き込む力について言及している。 21.3 地中海観光に関する社会学のために これまで見てきたように、20 世紀の最後の数十年は、 しかし、その状態または考古学的遺物のオーセンティ シティに基盤を置いた経験は、 必ずしも必要ではない。 観光社会学の発展にとって大きな刺激を提供した時代 すなわち、それぞれの要素にそれほどの強い影響力を であった。さまざまな出来事が、生産と消費の継続的 与えるべきものとは、他者性という感覚である 発展という希望に対して、厳格な語調で、また国内お (Merotti 2007, 2008, 2011) 。 よび国際的なレベルで、厳しい批判を下すようになっ しかし、他者性という条件は、都市や辺縁、または たのはこの時代であり、また未来に関する期待感が変 “モール”を移動する主体自身にも当てはまりうる。 化し始めたのもこの時代である。観光にとっては本当 すなわち、ある特殊な個人の類型である“遊歩者 の危機的状況ではないとはいえ、この成長の減速とい Flâneur”であり、その人物像については Giampaolo う認識のうえに、観光を実践する人自体にとって、ま Nuvolati によって研究が行われている。19 世紀文学 た観光が決定する社会的な関係にとっての観光の意味 から採用されたこの言葉は、今日では、 “関連する人々 の変化という認識が積み重ねられていった。危機のサ や背景についてすでに十分に知っている場所を旅し探 インは、特に 50 年代から 70 年代にかけての高度成長 索する習慣をもつ人々を表現する”際に使用される。 のあとに、マス・ツーリズムの中心である海水浴ヴァ 遊歩者は、非常に非人間的な関係に満ちた、世界にお カンスにおいて明らかになった。 変化の進行は、 当初、 ける主体の喪失と、他方、日常的に通う場所への新し 成長のリズムの鈍化と、市場の国内成長を意味する内 い関係性に対して、一時的で不確かなやり方ではある 需と外需の異なる動きによって、量的な側面で示され が命を与えたいという欲求とを表明しているように思 た。しかし、幾つかの景気変動の要素を別として、観 われる。それは、おそらく“規則から解放された、即 光市場全体における海水浴ヴァカンスの市場自体の量 興性の産物であり、同時に物事の秩序を解釈したいと 的縮小とではなく、むしろ短期もしくは中期的な経済 いう欲求から導かれた、真正の放浪生活の最後の砦で 要因には帰することのできない変化と結びついている ある” (Nuvolati 2006: 7-9) 。 ようにみえる市場の変化が明らかになってきた。 このように提示される観光経験は、Emilio Benini ここで、観光行動の変化を、その社会的意味の変化 によれば、主体の外部よりも内部に向けられた、アイ と、新しい基準の図式に基づき解釈され同定されるこ デンティティ認定の瞬間として考察されるべきである。 とで社会的に刺激され条件づけられた、新たな動機の 生活する世界の多元化とその結果として生じる不確か 生成とに結び付けて考えることは避けられないように さは、主体にとって、ヴァカンスを実施する関係性の 思われる。こうして社会学者の役割が登場する。彼ら 体系を根本的に変化させる。変遷するアイデンティテ は、一連の国際的なレベルでの出会いと対立の後に、 ィを経験しようという意思は、 “未知なる源泉”から引 イタリアで生じている問題と地中海地域全体で調査さ き出される多様性に満ちた、もう一つの現実によって れた問題のあいだの類似を再認識した。それは、ヨー 提供される機会の中で居場所を探求し、見出すことだ ロッパ社会における日常生活と生産の構造において生 ろう。このように、 “行動と選択の増大する主観性は、 じた変化に本質的に起因するものである。すなわち、 たとえ一方では曖昧さと確固とした戦略の欠如をもた 先進産業社会からポスト産業社会への進行中の変化を 103 考慮することが重要な意味を持つ。また、個々の歴史 多様な特徴をもつ地中海的背景を活かした総合的な文 都市または個々の海水浴の盛んな地域において、地域 化ツーリズムなどである5。 レベルで確認される徴候を、国家的な視点での限界や この機会に形成された交流のネットワークは、 “観光 危機を離れて、地中海地域というレベルで非常に強く システムの新しい発想のための、地域におけるグルー 確認される傾向と結び付けて考えることも重要である。 プと仲介の構造”というテーマを掲げた第 2 回地中海 こうして、80 年代の終わりごろに地中海観光社会学学 学会(チェルヴィア、1991 年)において、さらに多く 会が誕生した4。この学会は、イタリアおよび地中海諸 の研究者と調査者の参加を促すこととなった。ポスト 国における観光動向の影響下にある都市や地域共同体 産業社会自体の到来が生活様式と自由時間の有り様を の発展を、 社会生活の進化というより総体的な流れと、 変化させ、さらに観光市場の利用者の新しい大きな欲 観光市場および文化、経済におけるグローバル化のプ 求を創造する、という仮説から離れ、今度は観光目的 ロセスの受容に対して、継続的に比較検証を行うこと 地の地域において生じた組織形態と社会関係に関する で研究をより深化していくことを目指している。 テーマが注目されたのである。とりわけ、地域住民の ボローニャで 1987 年の第1回地中海学会の結果と グループおよび小規模観光業者と、観光市場の利用者 して組織委員会のイニシアティヴにより誕生した。こ および大規模観光組織のあいだを仲介することができ の学会は、以来 20 年以上にわたる活動のなかで、地 るような、領域的な組織と観光企業の新しい形態に関 域共同体および地域社会においてさまざまな形態を通 心が集中することとなった6。 じて展開される地中海観光の発展過程で生じた問題に 第3回地中海学会は、 “環境と観光”というテーマを ついて、研究を進化するための報告と相互刺激の機会 掘り下げるべく、 1995 年にポストがるのエストリルで 及び場所となってきた。 開催された。この会議では、地位共同体に関するテー 学会のテーマの変遷は、第一に“地域共同体の活動 マから分析と議論の範囲を拡大し、とりわけ環境を単 の役割に対する観光と文化的交流:新しいサービスと に自然資源(土地、気候、植物、動物など)を育むも 新しい専門職” (ボローニャ、1987 年)に始まる。こ のとしてではなく、地域住民の集合的なアイデンティ のときに紹介された研究発表と報告は、サービスに関 ティと記憶を表現する記号の担い手としての文化的な わる少数の人々の役割を均質化する傾向を持つマス・ 遺産(芸術や記念碑、建築と同様に価値観、しきたり、 ツーリズムが主流であった長い年月を経たのち、地域 日常生活の習慣等を含む)をも醸成するものであると 共同体とその多様性、およびその交流に関する潜在的 いうことを念頭に置きつつ、人々の生活する環境と観 な力の役割が再び重要性を増していることを示した。 光インパクトによるネガティヴおよびポジティヴな影 また学会の成果は、特に地中海的な背景によって特権 響を対象とした7。 を与えられた観光の諸部門について、いくつかの将来 1999 年に、学会は“地中海観光における共同体の戦 像を描き出している。すなわち、海水浴ヴァカンスの 略 Strategie di Comunità nel turismo mediterraneo, スタイルの進化に向けた“プラン・ブルー”によって (a cura di P. Guidicini e A. savelli)”を出版した。この 開かれた展望や、伝統的な海水浴観光に対してより資 本には、重要な研究および学会によって提示された重 源的な豊かさをもつ後背地との競合、農業景観の複合 要なテーマを扱った研究の論文が所収され、それまで 性を提示するアグリツーリズモ、そして、常によく知 に行われた会議や学会を振り返る内容となっている。 られているがそれ故にその象徴的な重要性がなかなか 扱われているテーマは、地域共同体と観光、社会的関 認識されていない、地理的・民族的・歴史的・政治的 係性の構築における観光、文化的な遺産と記憶の両義 および経済的な序列における辺縁部としてのきわめて 性、新たな関係性の生成における自然と田園空間、そ 104 して差異化のプロセスである。 光空間の組織化とプランニングのモデル、経済的、社 2001 年には、学会はラヴェンナにおいて、 “観光に 会的および環境的な視点からみた観光の持続可能性、 おけるローカルとグローバル:結合の形態と交流のネ である。 ットワーク”というテーマで第4回地中海学会を開催 第 7 回学会は、 “リスクと変化の間の観光の移動性 した。ここでは、地域のあいだの差異(地理的、民族 都市と地中海的背景”というテーマに焦点をあてて、 的または文化的)が、観光動機の根本的な構成要素と 2011 年にサッサリおよびアルゲーロで開催された。議 して考察された。同時に、グローバルな観光市場を形 論は、地中海の都市にとって観光が提示する機会とリ 成しつつあり、また地域間の差異が支配的なモデルの スク、および社会と環境の持続可能性に関する問題を 伝播によって減少したり潜在化したり、さらにはまっ 出発点として、協力と発展の機会を獲得するべく形成 たく消え去ってしまうような危機にある社会において、 された社会的・領域的ネットワークの発展に集中した。 現在進行中の動態についても議論が行われた。それぞ とりわけ、観光空間に関する主観的な表象というテー れ特徴的な地域に存在する自然と文化の遺産を保全す マと、それに関連して地中海の海岸地域を結ぶ観光の ることと、地域アイデンティティを表象するそれらを 展望とが高い関心を集めた。 活用することは、非常に困難な課題であるが、同時に 地中海という規模を考えるようになって、観光社会 内外の利用者双方にとって非常に重要な課題でもある。 学は、ゆっくりと、しかし意義深い手法で、その方向 グローバルな規模での巨大なインフラネットワークに 性自体を変化させている。観光目的地の地域共同体お 効果的に入り込むために、地域が提供する特殊性の活 よび観光を実践する主体に対するマス・ツーリズムの 用を提案する実業家および地域の人々の結合過程に対 影響をきっかけとして研究が始まったため、観光社会 して、特別な関心が向けられた8。 学は、当初、巨大な組織によってもたらされた破壊の 2005 年には、テッサロニキにおいて、海岸線の向こ 過程に反対することで、個人と集団の自律性とアイデ う側 地域における社会組織と観光にみられる新しい ンティティを擁護する立場をとってきた。形成された 傾向“というテーマで第5回学会が開催された。ここ 様々な矛盾を告発し、地域文化の特性を守ってきたの では、海水浴観光に代わる観光形態の可能性が議論の である。さらに、動機に関する要素と観光経済の再構 中心となった。アグリツーリズモから環境ツーリズム 築を支えるための地域参加の形態に関する分析に取り まで、またスポーツ・ツーリズムからカルチュラル・ 組むことで、集合的な行動モデルの衰退に続く企業経 ツーリズムまで、幅広い形態が議論された。一方で、 営の長い不安定期にも発展し続けた。現在、観光社会 ヴァカンスの新しい概念のなかで、海洋資源と隣接す 学は、地域共同体の活動範囲と観光事業体系の拡大を る内陸地域の資源を結びつけることができるような、 支えるグローバル化という過程が提示するさまざまな 海岸線を横断する観光経路の顕在化が強調された9。 機会を把握しようと模索している。そして、新しいよ 第 6 回学会は、 “地中海地域の発展と結束の要素と り広い規模の地域を特定した。そのなかでは、海とい しての観光”というテーマで、スペインのグラナダに う領域が、異なる社会文化的体系のあいだの境界機能 おいて 2008 年に開催された。学会の議論は、幾つか を超えて地域を結ぶ機能を引き受け、新しい領域のイ の特別テーマに分かれて行われた。テーマは、マス・ メージを提示している。内陸部と沿岸地域および海洋 ツーリズムに生じた変化と生成中の新しい形態、観光 に存在する無数の資源ネットワークの結合は、グロー 製品の差異化とその質、観光活動の成長と関連して生 バル化の進行と観光における差異化によって特徴づけ じるリスク、観光現象における自由時間とスポーツ活 られる時代において、地中海世界にその特別な魅力を 動の新しい重要性、地域のイメージと文化の概念、観 回復することができるように思われる。 105 Cannas, R., Solinas, M. 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Sviluppi e limiti di un’economia posizionale, Milano, FrancoAngeli. 1 経済学的なアプローチにおいて、広範囲に及ぶ多様 な研究として、1923 年に始まる A, Mariotti の著作を 挙げるにとどめたい。 これは F. Demarinis らによって 再出版されている(Mariotti, A., 1975) 。 2 ツーリズムに関する地理学的なアプローチとして、 ボローニャ学派の活動、特に U. Toschi(1949 年、1952 年、1957 年)を挙げる必要がある。 3 訳注:おそらく 「烙印」 を意味するStigmaとTourism を連結した造語か。 4 学会の拠点は、ボローニャ大学社会学部の都市地域 問題研究所(Centro Studi sui Problemi della Città e del Territorio-Ce.P.Ci.T)に置かれている。 5 梗概集は Guidicini e Savelli, 1988b。 110 (研究ノート) 観光と哲学 ―問題群整理と課題抽出― 神戸夙川学院大学観光文化学部准教授 原 一樹 必要な作業の第一は、まずは更に網羅的に「モ 【目次】 0 はじめに ビリティ」概念に関する先行研究を消化吸収する 1 観光研究と哲学諸理論 ことだが、その際に D’Andrea(2006)の提出す 2 観光現象の文脈における根本諸概念 る「ネオノマド」概念の評価を行うこと、 「ネット 3 結論に代えて ワーク資本」や「社会関係資本」概念とモビリテ ィ概念との関係性を見通すことも必要である。他 方、改めてドゥルーズ&ガタリが(P.ヴィリリオ 0 はじめに らの議論を踏まえつつ展開した「移動」や「速度」 観光研究に哲学はいかに寄与しうるか、また、 に関する言説を再検討し、彼らの政治的問題関心 逆に観光研究は哲学にいかに寄与しうるか、この であった「マイナー生成」や「監視社会」という 課題を探究することが筆者の中長期的目標の一つ 主題と観光研究(モビリティ研究)の文脈とを接 である。言い換えれば、観光研究と哲学研究との 合する作業も遂行されるべきであろう。 狭間から、新たな研究領域を開拓することを目指 す。然るに現在のところ、筆者にとって拓くべき 1.2 フーコー理論と「観光の眼差し」論 領野は未だ霧に覆われ、朧気に問題の気配が感じ この問題系については、J.アーリ本人の著作以 られる状況に留まっている。本稿は第一歩として、 関連先行研究の読解から浮上する諸課題を整理し、 問題の位置する方向や問題の大きさを少しでも見 外にも多くの論文が執筆・蓄積されてきており、 Robinson& Picard(2009)4、Chris Ryan(2010) 5、Hollinshead(1999)6、Cheong& 通せるようにする準備作業を行う。 Miller(2000)7、 などを参照した。 大きな問題としてはそもそもアーリ以降の「眼 1 観光研究と哲学諸理論 差し」論はどのような意味でフーコー理論を継 1.1 ドゥルーズ&ガタリによる「ノマド論」 と「モビリティ」研究 Urry(2007)1や D’Andrea(2006)2:、大橋(2010) 3を参照し「モビリティ」概念を巡る議論状況につ 承・応用していると言えるのか、また、フーコー 理論のその他の概念や着想はいかに観光研究の文 脈に応用できるのか、という問いが立てられうる だろう。或いは「生権力」・「生政治」といった観 いて瞥見したが、これら諸文献の中で様々な論点 点と観光現象は繋がりうるのかと問うてみる必要 が挙げられている。注目すべき論点や問題として もある。 は、ドゥルーズ&ガタリ哲学に由来すると思しき 具体的作業としては再度、アーリによるフーコ 「定住者主義」と「ノマド主義」という二項対立 ー活用の実態を検討し直すと同時に、フーコー自 的着想、 「モビリティ概念」の含む諸相、文化と「モ 身の言説による裏付け作業が必要である。また同 ビリティ」の繋がりの問題( 「旅する文化」という 時に視野を広げ、例えば戦後フランス思想の潮流 問題系)、モビリティ能力と社会的不平等の問題 における「眼差し」概念の意味を歴史的に再検討 (移動を強いられる人々・自由に移動する人々・ すること8、「観光における権力関係論」全般の問 移動できない人々) 、 「移動のフェティシズム」 (ア 題系を整理検討する作業も必要となるだろう。 ーリ)等が挙げられるだろう。 111 1.3 現象学や解釈学の活用 問題だとも表現できよう。) Pernecky& Jamal(2010) 9によれば、他分野への 具体的作業としてはまず、 「ポストモダニズム」 現象学・解釈学の応用に比べ、観光研究への応用 関連の基礎的諸概念が提出された諸言説を当時の は立ち遅れている段階であると言う。但し、観光 文脈に遡行しつつ再検討し14、現在の観光文脈(ポ 現象が独特の「観光経験」を伴うものであること、 ストツーリスト論、フィルムツーリズム経験)の 観光対象の「解釈や記述」を不可欠の要素として 中でそれらがどう位置づけられるか、どのような 含むことを鑑みるだけでも、観光研究の文脈への 概念としてどのような意味で使用することが有効 現象学・解釈学の応用可能性は十分に見込みがあ かを検討することが必要である。この際、真正性 る方向性と見積もられるべきである。具体的には という概念をどれほど観光研究の文脈で重視する 古典的論文の一つである Cohen(1979)10を端緒と かという問題が別にあるが、 「世俗化された消費社 しつつ、現時点で蓄積されている先行研究を踏ま 会における聖性≒真正性の探究」という観点や、 えた上で11、観光経験の現象学的記述や、遺産・ 「実存的真正性」という概念との関係性において、 観光地を巡る解釈・解釈者といった問題系の探究 議論を展開することになるだろう。 へと進む必要があるだろう。 1.5 1.4 モダニティ/ポストモダン論の文脈 観光研究の「批判的転回」 国内・国外の幾つかの研究を瞥見するに、観光 学研究の「批判的転回(Critical turn) 」がしばし それ自身様々な理解が錯綜している「モダニテ ィ」や「ポストモダン」・ 「ポストモダニズム」と ば要請されてきている。例えば大橋(2010)は、 いう概念や時代把握と観光研究とは、更にそこに 観光における「より良い安全」・「より高い持続可 「ハイパーリアリティ」・ 「シミュラークル」・「ス 能性」・「より良い平等性」を検討するには実証主 ペクタクル」等の哲学思想系の議論で使用されて 義では不十分で、批判主義的研究が必要だとする。 きた概念や、 「ポストツーリスト」 ・ 「フィルムツー また、McLaren&Jaramillo (2012)は総論的に「ツ リズム」などの観光に関する新たな観点や形態が ーリズムをグローバル資本主義の最底辺の者の立 絡みあうことで、複雑な問題系を形成している。12 場から再考する」ことや「サバルタンやプロレタ まず大きな問題としては、一つの社会状況認識 リアートとの連帯の必要性」を主張している15。 としてしばしば提出される、 「ツーリストと非ツー 更に、著名な観光学者 Tribe は「職業教育として リスト、ツーリズム行動と日常行動との区別の溶 の観光教育をより広いリベラルなイデオロギー領 解」という着想や、 「労働に代わり余暇が各個人の 域へと拡張する」ことを提案しているとされる16。 アイデンティティ形成の主軸となる」という認識 このような潮流の発生は、観光研究や観光教育の の根拠や効果を再検討する必要があるだろう。同 そもそもの目的に関する反省が生じてきていると 時にそれは資本主義体制の大きな変化(フォーデ も言え、哲学研究者としても大変興味深い。 ィズムからポストフォーディズムへ)と対応する 具体的作業課題としてはまず、いわゆる「倫理 (観光行動もそこに含まれる)個人生活の変化に 的ツーリズム」を巡る議論も念頭に置きつつ、 「観 目配りした上で、いかに時代の特徴を押さえるか 光への自由」や「観光における平等・不平等」と という問題を再検討することにもなるだろう。 いった観点からの先行研究を再検討する必要があ (様々に提出される「○○社会」という社会把握13 る。この際注意すべきは、いかなる意味で「哲学・ が収斂する地点があるのか、或いはそれらの様々 倫理学理論」が個別具体的案件に介入し貢献でき な社会把握をいかに調停・調整するべきかという ているかを見定めることだろう。個別具体的状況 112 における「平等・不平等」や「善き振る舞い」に れらの問題系については、訓詁学・注釈学に陥る 関する問題に対し、いわば「天下り的」に哲学・ 必要は無いとしても、観光経験の本質を理解する 倫理学理論を適用するのは適切ではないはずであ 為に有用な限りにおいて、マッカネルが参照した る(寧ろ不可能ですらあるのではないか) 。そこで ソシュールの記号論や、或いはパースの記号論へ そもそも哲学・倫理学理論が個別の問題状況にい も適切に遡行しつつ、理解を深める必要があるだ かなる形でコミットできるのかを先行研究をサー ろう。或いは同様の作業は、アーリの「眼差し論」 ベイしつつ考える必要があるだろう。また、 「グロ や「モビリティ論」についても進められねばなら ーバルツーリズム」という大局的見地から主張さ ないはずである。 れる「サバルタンやプロレタリアートとの連帯」 Rickly-Boyd(2012)は、 「真正性とオーラ」と という論点については、まずは日本社会内におけ いう概念に焦点を合わせ、観光研究と哲学者・批 る「サバルタン」や「プロレタリア―ト」とは誰 評家ベンヤミンの言説との接続を試みている18。 なのか、どこにいるのかを問うという根本的作業 ベンヤミンの言説を丁寧に時系列にも目配りしつ から始める必要もあるのではないか。更に「観光 つ理解し、それを「都市・風景・人々のオーラ」 教育が持つイデオロギー性の批判」については、 というベンヤミン自身が明瞭に展開し尽くしたと 「職業教育としての観光教育が持つイデオロギー は言い難いテーマと突き合わせ、観光研究とベン 性とは何か」という問いを立てた上で、産業上の ヤミン研究の双方にとって興味深い議論を展開し 必要性からも国外・国内において増加しつつある ている。このように、観光研究が逆に個別の哲学 観光教育研究機関において「リベラル」であると 者や思想家の理論の更なる洗練にも貢献できるこ はどういうことか、具体的カリキュラムをどう構 とを示す事例が陸続と登場するならば、観光研究 想するべきかという、極めて実践的な問いをも探 と哲学研究との出会いは、更に幸福なものとなる 究する必要があるだろう。 だろう。 この観点から見た場合には、特にフランス現代 1.6 その他の西欧哲学者・思想家の理論 哲学思想という領域に限っても、「幸福な出会い」 およそ哲学者や思想家が人間存在に深く関わる が演出できそうな主題は少なくない。例えば J.デ あらゆる事象について根本的な議論を展開する存 リダなどの現象学が提出する「歓待」概念、R.バ 在である限りにおいて、これまで観光研究の文脈 ルトの「神話作用」 (日本という文脈に拘るならば に適用・応用されてこなかった哲学者や思想家の 「表徴の帝国」も忘れられない) 、P.リクールらに 諸理論の更なる活用も構想される必要があるだろ 代表される「物語」や「記憶」を巡る言説などは、 う。各哲学者や思想家のどの概念や着想をうまく 観光研究との接続に大いに期待が持てる主題群で 観光研究に活用するかは今後具体的・個別的に探 はないだろうか。かつて哲学者ドゥルーズが言っ っていく必要があるが、ここで幾つか方向性を示 たように「哲学者を別の舞台で踊らせること」が、 唆しておきたい。 後に生まれた者の務めであるならば、一歩ずつで 観光学の古典であるマッカネルの『ザ・ツーリ もこの歩みを進めねばなるまい。 スト』が多くの西欧哲学・社会学の議論を参照し 2 つつ組み立てられている点は周知であるが、今な 観光現象の文脈における根本諸概念 おマッカネルの根本的アイデアの一つである「マ 本節では少し視点を変え、人間に関する根本的 ーカー」や「ツーリスト・サイト」については、 諸概念が観光現象の文脈においていかなる形で問 その理解や意義を巡って議論の応酬がある17。こ 題とされうるかについて、課題を抽出してみよう。 113 2.1 自己・アイデンティティ・主体性 することが必要である。この手順を踏むことで、 自己・アイデンティティ・主体性といった事柄 観光地創造におけるツーリストの主体的関与の増 については観光研究の文脈でも様々に語られてい 大や、旅行ブログの隆盛などの新たな現象につい る。「旅行を通じた同一性形成」の指摘、「余暇が ても、事実の表層的理解を越えた本質的な理解へ アイデンティティ形成にとって重要となった社 の到達が期待されるはずである。 (実際には、歴史 会」の指摘、「関与理論」(休日の営みがその人間 的・大局的・概念的議論の探究と、同時進行で為 の人生の関心事の追求となっている事態を指摘す される個別具体的事象の調査研究が出会う地点で、 る説)の提案などが挙げられるだろう19。他方、 本質的議論が生産されるに至るという順序となる 観光という文脈を離れても、様々な形で「自己」 だろう。) や「アイデンティティ」を捉えようとする言説や 2.2 主張は数多存在している。現代のネットワーク社 会において個人のアイデンティティが「複数的で 他者 観光には他者性を構築し商品化する働きがある。 脱中心的なもの」となったという議論や、人間の 或る特定の集団の文化がその集団特有のものとし アイデンティティは所与ではなく「仕事」となっ て固定され、時には或る集団の「後進性」こそが、 たという議論(バウマン)などがあろう。 観光資源となってしまう事態もある 20 。或いは これらの錯綜する議論状況の中で、事柄の本質 様々な観光メディア(パンフレットや写真・映画 を見通す為には、歴史的・大局的・個別具体的視 等)は特定の集団や場所に関するイメージを形成 点を組み合わせつつアプローチする必要があるか し、我々を「他者イメージの消費」へと誘う21。 と思われる。 この事実が確かにあるとして、我々はどのような まず必要なのは、そもそも「旅行を通じて同一 態度を取るべきだろうか。或いは、どのような問 性が形成される」とはどういう事態かという問い 題を切実なものとして立てるべきだろうか。 の探究である。これについては歴史的に長いスパ 必要な作業として、オリエンタリズムやポスト ンを取り、巡礼者や思想家・科学者・作家・芸術 植民地主義に関する批判理論を消化吸収し、 「他者 家などの旅の記録や紀行文を読解検討しつつ、 「旅 表象を産み出す権力関係」に関する理論的理解を 行を通じた自己形成」という現象の内実が示す事 深めると同時に、日本という歴史的社会的文脈に 柄を充実させていくのが魅力的作業ではないかと おいて、これらの理論を活用した批判を展開する 考えられる。 ことが当然挙げられるだろう。 次に大局的かつ概念的議論として、 「現代社会に 但し他方で、何故そもそも「他者性の構築と商 おけるアイデンティティ形成」の問題全般に取り 品化」が批判されねばならないか(特に一見した 組む必要があるだろう。そもそもアイデンティテ ところ全関与者に不満足が無い場合が問題ともな ィ形成にとって「物語ること」や「他者」の存在 ろう)という問題については、一義的解答や原理 がどのような意味を持つのかといった原理的問い 原則が明らかであるようには思えない。言い換え に加え、メディア環境や労働・余暇環境の変化が れば、他者性は誰の為に、何の為に守られねばな 人間のアイデンティティ形成にいかなる変化を及 らないのだろうか。 「他者性の構築と商品化」の批 ぼしてきたか・及ぼしているかを経験的諸科学の 判の根拠はどこにあるのか。 「<非日常の日常化> 知見を参考にしつつ押さえる必要がある。 のループの中にある産業化された観光」から観光 これらの歴史的・大局的・概念的議論の上で、 の「非日常性・他者性」を守るための運動として、 昨今の観光現象の文脈を視野に入れた議論を展開 須藤(2008)はエコツーリズムやバックパッカー 114 ツーリズム、ホームステイ民間団体等の運動を挙 性」に関する認識や、ルフェーブルによる「3 つ げている22。確かにこれは実践的視点からは説得 の空間」生産の認識を組み合わせることで、現代 力を持つ回答であろう。しかしやはり、どの他者 資本主義社会の空間性を理解する大きな枠組みが 性を、誰が、何の為に、どのようにして守らなけ 与えられ、更に神田(2001)はストリブラス&ホ ればならないのかという原理的な問いに対する概 ワイトやセルトーの議論へと参照しつつ、 「観光空 念的レベルでの回答ではない。凡そこの「哲学的、 間」を「合理的支配を行いつつオルタナティブの あまりに哲学的な」問いが不毛性を孕むものでは 可能性を開く矛盾の空間」と位置づける26。そこ ないかとの懸念もあるが、個別具体的事例の検討 には「他者との出会いによる想像/創造の可能性」 においても、 「批判の根拠」の問いには拘り続ける があると言う。 以 上 の 認 識 に 加 え 考 慮 す べ き は 、 Mansson 必要があるのではないだろうか23。 ここまでの議論とは対極的に、観光が他者との (2011)が言うように、近年のメディアの進歩に 同一性や親密性、共同性を創り出す装置としても より観光者(ツーリスト)自身がメディア生産物 機能する側面を忘れてはならない。例えば の生産者となりつつあり、観光空間・観光地の生 Hom-Cary(2004)は目的地において「差異の感 産において強い影響力を持ち始めているという点 情」が「同一性」感情へ変わる、社会的親密さの である27。メディアの進歩により、観光空間を生 瞬間を「ツーリストの瞬間」と称しており、社会 産し消費する主体間の力関係が変化しつつある。 学者バウマンも「ホストとゲストがそれぞれの文 地理学の空間認識やメディアの進歩を受けて、 化的境界を超える可能性」を示唆している24。旅 では、何が考えられるべきであろうか。 や観光が「水平的・平等的」な集団形成に寄与す まずは、「矛盾の空間」としての「観光の空間」 る点はこれまでも指摘されてきたが、旅や観光が が開く「オルタナティブの可能性」についてだが、 「自己と他者」との関係性に対し与える積極的に それが何を原因として、どのような形で、どのよ 評価される点についても、具体的事例を踏まえつ うな意味で生み出されるのかが問われねばなるま つ概念的にもその内実と可能性を検討していく必 い。 「身体的実践」や「他者との出会い」が何故「オ 要があるだろう。 ルタナティブ」を開くのか、生み出されると言わ れる「差異」とはどのようなものか、そもそもこ 2.3 空間性 こで言われている「オルタナティブ」や「抵抗」 空間性、とりわけ観光が関与する空間について とはどのような意味を持つものなのか、これらの 原理的レベルで思考するには、地理学がここ数十 問いへの答えが必要である。リアル空間とヴァー 年で積み上げてきた成果や、メディアの進歩がリ チャル空間の相違や 2 つの空間の交錯も視野に入 アル空間・ヴァーチャル空間に対し与えつつある れつつ、これらの問いはメディアの進歩という現 変容を歴史的・理論的・経験的に踏まえた上で、 状をも踏まえつつ、考えられる必要があろう。 そこに(筆者が長きにわたり個別研究対象として 加えて、ドゥルーズ&ガタリ哲学との関連から きた故でもあるが)ドゥルーズ&ガタリ哲学の空 見ると、ドゥルーズ&ガタリの空間論(領土論) 間論を突き合わせてみて、何か新たな知見や可能 は観光空間を「より良き空間」にする為のヒント 性が見出されるかを試してみることが可能である。 や知見、指針を与えうるか、と問うことが可能で 特に地理学における空間認識の変遷については、 ある。聊かジャーゴンを使うならば、 「観光空間と 神田(2001)が非常に参考になる25。世界的に著 戦争機械=生成変化」、「観光空間と領土化・脱領 名な地理学者ハーヴェイによる「資本主義の空間 土化・再領土化」という主題の探究が必要である。 115 2.4 Ryan(2010)は、ターナーの古典的な「リミナリテ 政治性 観光の政治性の問題は、上述の「観光研究の批 ィ」論が、ツーリズムに結び付けられる「幻想の 判的転回」や「他者性の構築と商品化」といった 分析」に活用されると言う。特に想像力に焦点を 主題とも深く関係しているものである。 絞った興味深い論考としては Salazar(2012)が まずは前提となる作業として、観光地開発にお あるが29、その中でツーリズムは「イメージ生産 ける政治的対立の重要な事例と、そこで発生した 産業」と称され、 「イメージや言説の形を取った想 政治闘争の経緯・帰結を広く学び、同時に「倫理 像的なもの」がいかに「ツーリズム回路」の中を 的ツーリズム」を巡る擁護論・反対論の現状を知 流通するかに関する分析の少なさが指摘される。 ることが必要であろう。 また、 「ツーリズムにおける想像性」は「同一性形 上記作業と同時に考えるべきは、観光地開発に 成・場所創造・文化の絶えざる発明の過程におけ 関する政治的対立に関し、哲学研究者或いは観光 る本質的契機」であり、「新たなイメージや言説」 研究者としていかなる形で介入することがそもそ の創造についてツーリズム研究者・教育者が大き も 可 能 な の か と い う 問 題 だ ろ う 。 な責任を持つことが指摘されると同時に、 「ツーリ Jamal&Menzel(2010)が言うように、 「ツーリズム ズム的想像性」の議論は研究者と実務家との間に における良い行動」として「資源保存、ゲストに 建設的議論を開くことに貢献するとも言われる。 とっての良い経験、関連するコスト・ベネフィッ 「想像力・観光・哲学」を繋ぐ作業としては、 トの適正な配分、被雇用者の責任ある取扱い、地 まずは「想像力」に関する様々な哲学者の言説の 域の文化的遺産への注意」といった明確な指針が 論点をまとめつつ、観光現象(或いは消費の現場) 既に存在し28、更に利害関係者の間で合意が形成 における「想像力」の在り方や働き方を考察して されうる(或いは合意形成への可能性が開かれて みる作業が必要であろう。或いは精神分析の文脈 いる)ならば、実践的に解決可能な問題に殊に理 で語られる我々を構成する「幻想」という主題と、 論研究者の出る幕は無いのではないかとの疑念も 観光文脈で言われる「幻想」がどう繋がりうるか 湧く。勿論「理論的知を備えた実践者」としての を検討する作業も可能である。 参画が可能であり、現実にも多くの参画が為され より原理的な問いとしては、 「不可視のものとし ているはずだが、常に研究者自身は自らの参画が ての想像的なもの」がいかに「具体的な形象」へ 周囲に及ぼしてしまう意味や効果、自分の意識 と具現化されるかという問い、両者の形成する円 的・無意識的な価値判断に自省的であらざるをえ 環の作動形態への問いが立てられうるだろう。こ ないとは言えるだろう。 の問いは Salazar(2012)の言う具現化形態の流 通に関する経験的分析という作業と補完し合うも 2.5 想像力 のとなるはずである。 想像力という主題は、多くの論者の論考の中に また、政治的・批判的な問いとしては、想像力 様々な角度から登場するものである。大橋(2010) が持つ政治的な力、想像力を封じ込める様々な装 の適切な整理紹介の中には観光地イメージの形成 置やそれへの抵抗戦略、或いは想像力の自発的放 のされ方やそれと観光客満足との関係性を扱う経 棄(?)といった方向からの問いを、観光文脈に 験的諸理論が示されているし、須藤(2008)が例 即して立てうるのではないだろうか。 「想像的なも 示する議論によれば、ディズニーランドは「人々 の」はツーリズムがその中で作動する最大の概念 の想像力が閉じ込められる」・ 「マクドナルド化さ 的枠組み(「メタナラティブ」)だという理解もあ れ た 観 光 施 設 」 の典 型 だ と 言わ れ る 。 或 いは るように、想像力に関する問いは観光研究のあら 116 2.7 ゆる場面に関係する問いだとも言えるだろう。 物語 旅や観光と「物語」との関係性は、昨今、日本 2.6 身体性 語圏の観光研究で取り上げられることの多い「コ 観光を単に経済的な商品の生産・流通・消費シ ンテンツツーリズム」という「地域の物語資源を ステムとして見るのではなく、多くの人間による 活用した観光形態」に関する文脈で考察される場 意味や文脈理解、身体的実践を巻き込んだ複雑な 合や、観光者が旅行経験を物語ることの意味を考 意味論的プロセスでもあると見る時、観光におけ 察する論考で取り上げられる場合が多い。Gretzel る身体的実践やパフォーマンスを軸に据えた研究 他(2011)によれば、旅行経験を物語ることはツ が前景に現れてくると言えるのかもしれない。 ーリストが自らの経験を組織化し、それに意味を Crouch(2004) 30は、哲学者メルロ・ポンティらに 付与できるようになるという意味で、強力な「反 由来する、身体的実践を重視する「非表象理論」 省ツール」であると位置づけられ、個人や社会の を理論的背景として挙げつつ観光や観光研究にお アイデンティティ形成において重要な役割を果た ける身体的実践やパフォーマンスの重要性を指摘 すものとされる33。 「旅行を物語ること」は特にグ している。曰く、観光者は単なる観光商品の消費 ランドツアー以降盛んになり、写真や絵葉書など 者ではなく、身体を用いた各種の動き(写真撮影・ のビジュアルメディアがそこで果たした大きな役 ダンス等)により「ツーリズムを実践する」者で 割にも注目する必要があると言われるが、特に近 あり、そのパフォーマンスは表現的・制作的・間 年のネット環境の進歩に伴う「トラベルブログ」 主観的なものだと捉えられる必要がある。また、 の隆盛などを鑑みるに、まさに現代的状況におい この身体的実践により、観光者自身のアイデンテ て「旅行経験を物語ること」が個人や社会に対し ィティ形成や「生成」 (自己の深い再配置)が生じ 与える意味は何かを検討することは興味深い主題 たり、観光目的地やイベント、ホスト・ゲスト関 であると言えるだろう。 係の意味や機能も書き換えられたりするとされる。 まず概念的レベルで再考されるべきは、そもそ 哲学研究者としてはまず、上述の観点に基づく も「物語ること」と「アイデンティティ形成」と 研究が現象学やドゥルーズ哲学に影響を受けてい の関係はどのようなものかという問題、また、先 ることを再確認し31、具体的にどのような論脈で の身体性の話とも繋がるが、そこに身体的実践は 哲学理論が活用されてきたかを再検討する作業か どう関わるかという問題であろう。これについて ら始めねばなるまい。また、 「身体性」を議論する は「物語」の持つ存在論的機能に関する哲学的言 文脈が上述の「自己」や「観光空間」という主題 説を渉猟し上手く活用する必要がある。加えて、 とも強く関連してくる点にも注目する必要がある。 観光経験に関する物語の特殊性や特徴はどこにあ 観光における身体的実践が各人のアイデンティテ るかという問題も浮上するし、それが「社会のア ィの再形成や自己変革にいかに寄与するかという イデンティティ」形成するとはいかなることか、 問題や、 「観光空間」における「オルタナティブ」 に関する議論も突き詰めて考える必要があろう。 や「抵抗」と称される事柄とどう関係するかとい 2.8 う問題について、先行研究理解を深めつつ、自ら 文化 の手で個別具体的な事例の収集と検討をも行い、 文化概念については、特に文化観光の持つ政治 概念的・理論的にその内実を詰めていく作業が必 性を巡る問題系が興味深い。国家観光戦略の下、 要だろう32。 特定の文化が特定の国家に繋ぎ止められてしまう 問題や、 「国民文化」の商品化の問題、文化の所有 117 権の問題などの存在が指摘されている。また、 「旅 れはキリスト教巡礼者が聖地の何かを持ち帰った する文化」と「場所に根差した文化」の双方に依 行動と類比的なものだと言う。いつでもどこでも 拠する「観光という現場」の矛盾した状況が指摘 写真を撮影し流通させる手段を持った現代人にと される場合もある34。何を以て政治的問題とみな って、 「真正性の持ち帰り」という現象や行為が持 すかという問いは措くとして、いわゆるポピュラ つ意味を再検討することは興味深い主題だろう。 ーカルチャーが観光対象となる現象の意味や、ポ Buchmann 他(2010)はフィルムツーリズムに ピュラーカルチャーが生み出す新たな「観光の眼 おける真正性の問題を集団性(ツアー)と関係づ 差し」を分析する必要性を指摘する論考もある35。 けつつ考察しているが、映画ロケ地を訪問する観 これらの問題系に関し何らかの形でコミットす 光者にとっては、訪問する場所それ自体のみなら るには、まずは各論点や主張の背景となる個別具 ず、ツアーという集団的創造活動や観光者自身の 体的状況を知ることが前提となるが、 「政治として 実践が「真正的経験」を構築する重要な一部を為 の文化観光」批判においてはやはり批判する際の すとされ、 「現実と神話との融合」が観光者にとっ 「切実な根拠」をどこに置くか(誰が何の為に、 て最も満足を与える経験の契機となると言う。こ 何故批判するのか)を常に自省する必要があると れらの論点については、特に日本の文脈で最近活 は言えるだろう。同時に、文化に関する本質主義 発に議論される「アニメ聖地巡礼」と言われる現 的発想とそれへの反論に関する議論状況を踏まえ 象と突き合わせつつ、単独行動と集団行動におけ ることも必要であるし、 「グローバル化とローカル る真正性経験の相違や、真正性経験の反復の問題、 化が出会う矛盾状況としての観光の現場」という 実写作品とアニメ作品との違いで生じる真正性経 理解の内実理解も、理論と経験的対象の両面から 験の質の相違などの問題が、興味深いものとして 深める必要がある。また、ポピュラーカルチャー 挙げられるだろう37。 に関してはその政治的意味のみならず、実存的真 2.10 正性やオーラといった概念との関係も検討せねば 研究者のポジション Ali(2012)や神田(2001)の論考の中には、 なるまい。 研究者のポジョションや再帰性に関する論点が含 2.9 真正性 まれている。例えば、固定的文脈での立場表明で 数十年来、観光研究の中心に位置してきた概念 はなく、流動的に自己を見定めていくポジション の一つである「真正性」の問題に真剣に取り組む として「旅する理論家」 (クリフォードやサイード) には、まずはマッカネル(及びそれ以前のゴッフ という着想が挙げられたり、調査での情報提供者 マンやブーアスティン)の古典的理論や「3 つの との出会いにおける感情や、この感情が研究者の 真正性」の議論、及び最近登場しつつある現象学 人生に与える影響そのものが研究過程の中で解明 系の哲学理論と真正性との繋がりを指摘する諸議 されねばならないと言われたりする38。 論をまずは正確に踏まえる必要がある36。これが 自分自身をどのように理論の中に描きこむかと 進むべき本筋だとして、先行文献サーベイから浮 いう問題は古来より哲学者が抱いてきた問いであ 上する、真正性を巡るその他の興味深い問題を幾 るとも言え、この問題はとても興味深い。また、 つか挙げておこう。 理論の背景にどのような感情が働いているか、各 Robinson&Picard(2009)によると、写真は「場 種感情がどのような場面で理論形成に影響を与え 所の力」を移動させる力を持ち、 「観光写真」は何 ているかについて問うことも、哲学研究の文脈と らかの形で真正性を持ち帰る手段だとされる。こ 観光研究の文脈の両方に跨って探究可能な問いだ 118 と言えるだろう。哲学者ドゥルーズによれば、我々 は哲学者の抽象的で難解な言葉の底に響く、哲学 者の「叫び」を聴き取らねばならないのだから。 3.結論に代えて 本稿では「観光」と「哲学」の狭間で理論生産 活動を展開するための準備作業として、 「観光研究 と哲学諸理論」・ 「観光現象の文脈における根本諸 概念」の二つの観点から提起される諸問題を、先 行研究を参照しつつ整理してきた。本稿で取り上 げたそれぞれの問題について深く掘り下げていく ことが次なる課題である。 Urry, Polity,2007) A theory of Post-Identitarian Mobility in the Global Age”(Anthony D’Andrea, in Mobilities,Vol.1,No.1,2006,p95-119) 3大橋(2010) 『観光の思想と理論』(大橋昭一・文 眞堂・2010) 4Robinson&Picard(2009): “Moments,Magic and Memories:Photographing Tourists, Tourist Photographs and Making Worlds” (in“ The Framed World”, Ashgate Pub Co ,p1-37) 5Ryan(2010) “Ways of conceptualising the tourist experience: a review of literature” (Chris Ryan, in “Tourist Experience: Contemporary Perspectives”,ed. Richard Sharpley&Philip Stone, Routledge,2010,p9-20) 6“Surveillance of the worlds of tourism: Foucault and the eye-of-power”(Keith Hollinshead,in “Tourism Management” ,20,1999,p7-23) 7“Power and Tourism: A Foucauldian Observation”(So-Min Cheong&MarcL.Miller,in“Annals of Tourism Research”,27(2),2000,p371-390) 8この点については註 4 に示した書籍“The Framed World” 第 14 章が参考となるはずである。 9“(Hermeneutic)Phenomenology in Tourism studies”(Tomas Pernecky&TazimJamal,in “Annals of Tourism Research”,37(4),2010,p1055-1075) 10“A phenomenology of tourist experience”,Sociology,13(2),p179-201 11例えば Andriotis(2009): “Sacred site experience. A phenomenological Study”,in “Annals of Tourism Research”,36(1),p64-84、 Pernecky(2010):“The being of tourism”,in “The 1“Mobilities”(John 2“Neo-Nomadism: 119 Journal of Tourism and Peace Research” (1),p1-22、 Pons(2003):“Being-on-holiday: tourist dwelling,bodies and place.”in “Tourist Studies”,3(1),p47-66 など。 12特にこの問題系の現状把握については、スミス &ロビンソン(2009) :『文化観光論〈上巻〉―理 論と事例研究』 (阿曽村邦昭&阿曽村智子訳、古今 書院・) 、「観光と再帰的モダニティ-観光社会学 の試み」(須藤廣・日本観光研究学会第 17 回全国 大会論文集・2002) 、須藤(2008) 「観光と再魔術 化する世界」 (『観光化する社会―観光社会学の理 論と応用』須藤廣・ナカニシヤ出版・2008・第 1 章)、Buchmann 他(2010) : “Experiencing Film Tourism : Authenticity &Fellowship”(in“Annals of Tourism Research”, 37(1),p229-248)などを 参考にした。 13例えば「スペクタクル社会」 (ドゥボール)、 「リ スク社会」(ベック)、 「個人化社会」(バウマン) など 14例えばエーコのハイパーリアリティ論やボード リヤールの消費社会論・シミュラークル論、ハー ヴェイの『ポストモダニティの条件』、ドゥボール の『スペクタクルの社会』の再検討が必要だろう。 15“Dialectical thinking and critical pedagogy-towards a critical tourism studies”,Peter Mclaren&Nathalia E.Jaramillo,in“The Critical turn in Tourism Studies”, Ed. Irena Ateljevic&Nigel Morgan&Annette Pritchard, Routledge,2012,p7-40 16“Epistemology,Ontology and Tourism”,Maureen Ayikoru, in“Philosophical issues in Tourism”,e d.John Tribe , Channel view publications, 2009,p62-79 17“Tourist sights as semiotic signs: A Critical Commentary”,Raymond Lau, in “Annals of Tourism Research”,38(2011),p711-713、 “Tourism sites as semiotic signs:A Critique, Knudsen&Rickly-Boyd, in “Annals of Tourism Research”,39(2012),p1252-1254 を参照のこと。 18 “Authenticity&Aura:A Benjaminian Approach to Tourism”(Jullian M.Rickly-Boyd, in“Annals of Tourism Research”,39(1),2012,p269-289) 19“Ways of conceptualising the tourist experience: a review of literature” (Chris Ryan, in “Tourist Experience: Contemporary Perspectives”,ed. Richard Sharpley&Philip Stone, Routledge,2010,p9-20)など参照 20スミス&ロビンソン(2009)第 1 章・6 章参照 21“Experiencing Film Tourism : Authenticity &Fellowship”(Anne Buchmann&Kevin Moore&David Fisher, in“Annals of Tourism Research”, 37(1),2010,p229-248) 22「観光と再魔術化する世界」 ( 『観光化する社会 ―観光社会学の理論と応用』須藤廣・ナカニシヤ 出版・2008・第 1 章) 23「感情労働」や「商業化されたホスピタリティ」 批判の文脈においても、 「批判の根拠」の問題が付 きまとうように思われる。 24Hom-Cary(2004),“The Tourist Moment”,in “Annals of Tourism Research”,31(1),p61-77、 その他に“Tourism and the Other”,in “Understanding Tourism: A Critical Introduction”,Hannam&Knox, Sage Publications Ltd ,2010,p106-123、 “Encountering the Other”,in“Tourist Cultures:identity,place and the traveler” ed.Stephen Wearing& Deborah Stevenson& Tamara Young, Sage Publications Ltd ,2009,p53-71 を参照のこと。 25神田(2001) : 「観光、空間、文化―観光研究の 空間/文化的転回に向けて」 (神田孝治・橋爪紳也 &田中貴子編『ツーリズムの文化研究』所収・京 都精華大学創造研究所)p27-70 26『境界侵犯境界侵犯―その詩学と政治学』 (スト リブラス&ホワイト・ありな書房・1995) 、『日常 的実践のポイエティーク』 (セルトー・国文社・ 1987) 27“Mediatized Tourism”, Maria Mansson, in “Annals of Tourism Research”,38(4),2011,p1634-1652 28“Good Actions in Tourism”,Jamal&Menzel, in“Philosophical issues in Tourism”,ed.John Tribe, Channel view publications, 2009,p227-243 29Salazar(2012)“Tourism Imaginaries: A Conceptual Approach”,in“Annals of Tourism Research”,39(2),p863-882 30Crouch(2004)“Tourist Practices and Performances”, in “A Companion to Tourism”,ed. Alan A. Lew, C. Michael Hall, Allan M. Williams, Wiley-Blackwell,2004,p85-95 31Crouch(2004)が参照する或る文献の執筆陣には 狭義のドゥルーズ哲学研究者が多く名を連ねてい る。 ( “Becomings:Explorations in Time,Memory and Futures”,E.Grosz ed.,Cornell University 120 Press,1999) 32現代的社会現象としての観光を探究する流れと は少しずれるが、歴史的関心に多少重心を置くな らば、哲学者・思想家・文学者・芸術家などの創 造活動・思索活動に対し身体的移動を伴う旅・観 光といった事柄がいかに影響を及ぼしたかという 点を、幾人かの事例を対象としつつ検討する作業 も興味深い。 (関連する研究として『旅するニーチ ェ リゾートの哲学』 〔岡村民夫・白水社・2004〕 などが挙げられよう。 ) 33Gretzel ほか(2011) “Narrating travel experiences: the role of new media”,Gretzel&Fesenmaier&Lee&Tussyadiab, in“Tourist Experience: Contemporary Perspectives”,ed. Richard Sharpley&Philip Stone, Routledge,2010,p171-182 34スミス&ロビンソン(2009)第 1 章・第 6 章、 神田(2001)、“Whose culture?”( in “Tourism in Global Society: Place, Culture, Consumption”,Kevin Meethan, Palgrave Macmillan,2001,p114-137)を参照 35「文化観光におけるポピュラーカルチャーに関 する考察」(権赫燐・日本観光研究学会第 23 回学 術論文集・2008) 36そもそも「人にはバックスペース(事物の生産 過程)を見たいという欲望がある」という認識に、 ゴッフマンがいかに到達したのかという問題や、 マッカネルによる「革命」(「演出」による観光資 源の美的改善)という表現の意義や価値をどれほ どのものと見積もるべきかという問題など、古典 理論の再検討には興味深い問題が含まれる。 37更に、いわゆる「文学散歩」の類の実践をこれ らの問題系との関連でどう位置づけるかという問 題もある。 38Ali(2012):“Researcher reflexivity in tourismstudies research-Dynamical dances with emotions” (in“The Critical turn in Tourism Studies”,Ed. Irena Ateljevic&Nigel Morgan&Annette Pritchard, Routledge,p13-26 現実主義の現実性 現代における勢力均衡の有効性について 観光文化学部教授 澤山明宏 2.外交が機能する前提 【目次】 歴史において外交が重要となったのは、中国で 1.はじめに は周王朝の統一が乱れる時期と見られ、その後の 2.外交が機能する前提 諸国間の交渉が決裂した果てに春秋戦国時代に突 3.衝突回避の条件 入し、最終的に秦の一国支配が樹立される。この 4.秩序のヒエラルヒー パターンは日本の戦国時代にも見られ、武力行使 5.キッシンジャー・モデル と合従連衡の駆け引きが重要になる時期を終える 6.共有価値に代わるもの と徳川幕府による統一支配体制が確立する。同様 7.現代における有効性 の例はヨーロッパでは三十年戦争による荒廃の後 8.おわりに にウエストファリア体制が出来上がり、そこから 外交が重要になったとされる。このような時代が 流血を辞さぬナポレオンによって突き崩され、ナ ポレオンが倒れた後のウイーン体制において再び 1.はじめに 各国の利害が武力行使ではなく外交交渉によって 国際社会は秩序の面でギャングの社会に共通す 調整される時期が第一次大戦まで続く。 るという見方があるi。古典的な例としてホッブス このようなパターンを意識すると、旧体制から の見解が想起されるが、歴史を見れば無法者によ 新体制への移行期の戦乱期には軍事戦略が、体制 る弱肉強食の論理、無秩序がまかり通る場合があ (=秩序)が確立した後から次の戦乱までの間に りながら、そうでない場合もある。 は外交戦略が、各々重要になると括れるかと思う。 現代の国際社会は、冷戦時代とは異なって大規 クラウゼヴィッツが「戦争は政治の延長」と位置 模戦争への憂慮から比較的解放されている。この 付けたのは、まさしくナポレオン戦争の直後であ ような秩序が持続される条件とそこに成り立ち得 り、クラウゼヴィッツの「戦争論」はもっぱら軍 る戦略の基本を見極めておくことは、現代国際社 事戦略に集中する。 会の政治現象を理解する上できわめて大きな意義 外交戦略と軍事戦略が独立で相容れないもので があると考える。 あるわけではない。外交の背後には軍事が横たわ この意義を念頭に置きながら、本稿では、国際 り、軍事の背後にも外交が控えている。戦時にも 関係論で理想主義と対置され語り尽くされた観の 外交は続けられ、平時にも軍事は無関係ではない。 ある現実主義を安定的な国際秩序が成立する基本 しかし、軍事力の行使に要する時間が短くなる、 となり得るかどうか今一度検討することにより、 すなわち機動力が高まり、その一方で軍事力によ 現代の国際情勢、戦略一般のあり方を考える糸口 る打撃力が高まるにつれて戦略もまた変質する。 を探ってみたい。 戦力と戦意を隠匿する時間をかける駆け引きは効 121 を奏さなくなる。仮に一国対一国の交渉では、軍 戦争による消耗と惨禍の認識である。戦争を仕 事力が強い方が相対的に弱い方を戦闘の有無に関 掛ける方はそのコストを計算しなければならず、 わらず即座に屈服させることになる。しかし、こ 武力攻撃を受ける方もまたこれによるダメージを のようなシンプルな状況は歴史では皆無ではなく 測れねばならない。双方がこのような測定をでき とも稀有である。 た場合、打算の上で外交交渉が可能になる。 もし一国対一国の関係に、ノックアウト的な結 歴史上、大規模な戦争の後は長期間の政治外交 果に収束しない、秩序の名に値するものがあると の時代が続くと見られるが、これが戦意・戦力を すれば、そこには固有の前提条件が存在していな 完全に喪失していない者の反撃を準備させる場合 ければならない。二国以外に利害関係を有する国 もある。第一次大戦後のドイツがその一例である。 が複数あることも状況に影響するが、強国Aが弱 核兵器の登場によって武力行使への制限が極ま 小国Bに味方して強国Cから守る場合もあれば、 る。冷戦時代に起きたベトナム戦争で米国は戦争 強国Aと強国Cが結託して相対的弱小国Bを支配 目的(北ベトナムの南進阻止)とソビエト連邦と することもあり得る。関係する国(以後「プレイ の全面対決(核戦争)の回避という二重の制約を ヤー」と呼ぶ)の数だけが状況を決めるわけでは 受けていた。 ない。プレイヤーの数は状況を複雑にしても秩序 しかしながら、このようなコストと効果すなわ を形成することを保証しない。にもかかわらずそ ち「脅威の認識」のみで安定的な秩序が現実化す こに外交が機能するための条件があるとすればど るとはかぎらない。戦争コストの過小見積りはソ のようなものになるか。 ビエトやアメリカをアフガニスタンに駆り立てて まず安易な武力行使を抑制する条件が必要であ いる。すなわち大国と小国の間では大国が戦禍を る。一見逆説的かもしれないが、武力の強度と同 小さいと見積もれば侵攻は起きることになる。ま 時にコストの認識がプレイヤーの間で共有されて た、強弱の関係は常に揺らぐものである。強者/ いなければならない。威嚇をし合う一方で、実際 弱者が弱者/強者に変貌することは珍しくない。 に武力を発動した場合の双方のダメージとコスト このような関係の変化が強者となった者に強気に が計算できることによって武力行使は抑制できる。 出ることを促してしまい、武力紛争を現出するこ 次に、政治以外の分野での利害関係があればこれ ともあれば、自他の強弱についての誤算が紛争を も秩序を形成する要因になる。さらに、このよう 引き起こすこともある。武力対立を抑止するには な打算を超えて、守ろうとする共通の価値があれ さらに別の条件が必要である。 ば秩序形成は一層可能になる。 別の条件に行く前に、ここでいう「脅威」の認 以上を次のような形でまとめてみたい。 識が成り立つための不可欠の条件に言及しておか ①武力行使による効果とコストの認識 ねばならない。それは「最強の一者の不在」つま ②利害関係の交錯 り全体を支配できるスーパーパワーがいないこと ③価値の共有 が脅威と破局への恐怖が共有されるための条件で 次章でこれら三つの条件についてさらに検討し ある。スーパーパワーが存在すれば、他の者のオ てみる。 プションは従属か、破滅を覚悟した抵抗しかない。 (2)利害関係の交錯 3.衝突回避の条件 政治関係以外の利害関係がプレイヤー間に共有 (1)武力行使による効果とコストの認識 される場合、安易な武力行使や恫喝は損失を招く 122 ことになる。典型的な分野は経済的・商業的な利 避する基盤が整う。 害関係である。米国が中国を軍事攻撃するとした この典型は宗教であるが、ヨーロッパにおいて ら中国が大量に持つ米国債のデフォルトを宣言し はキリスト教文化に基づく価値観が各国間で共有 なければならず、中国にとっても米国債を大量に されていたために、冷戦後のEUの統合拡大は円 抱えたままの全面対決は好ましいことではない。 滑に進んだと言える。また、自由市場経済のメリ すなわち利害関係は双方が互いの急所を握り合う ットへの評価がソ連圏から脱け出た東欧諸国に共 形になることによって紛争のエスカレーションを 有されることによって、EUは東欧を包括する共 抑止することを期待できる。この意味で利害関係 同体へと発展できた。 は片方に偏在するのではなく交錯する必要がある。 逆に共有できる価値観が乏しい場合はコミュニ しかし、経済関係が緊密であることが戦争抑止 ケーションが困難になり、相互理解に支障が来た に直結するとはかぎらない。第一次大戦直前のヨ されることになる。冷戦は共産主義と資本主義と ーロッパ諸国は今でいうグローバル化の最中にあ いう相容れぬイデオロギーが対立する期間は収束 って相互に経済関係を深めていた。ただし、利害 する兆しも見えなかった。さらに遡れば、第一次 関係が多様になるほど、これを切り札にして戦略 大戦の敗戦国ドイツの戦勝国への怨恨が国家社会 のオプションを広げることが可能になる。特定の 主義という当時のヨーロッパの価値観からかけ離 分野で相手の譲歩を迫ることができれば武力の示 れた体制を成立せしめ、戦乱が繰り返された。同 威や行使が必要ではなくなる。相手に軍事的なダ じ宗教でも宗派対立を抱えるとかえって激しい対 メージを与えられても別の形で相手に非軍事的な 立の要因になってしまう。 ダメージを与えられる格好になる。これが抑止力 「脅威」 「利害」に加えて、共通の価値観は「理 として機能すれば軍事力ではなくいわゆるソフト 念」という括り方ができるだろう。 「脅威」 「利害」 パワーとなり得る。しかし、何でもがソフトパワ 「理念」という下から上への序列が国際社会での ーになるわけではなく、ソフトパワーと呼べるほ 秩序を形成していると要約できる。この序列は上 どの威力を持つためには確たる利害関係の交錯が 位になるほど秩序を形成し維持する力を増すわけ なければならない。第二次大戦中のスイスは戦争 であるが、同時に上位になるほど脆弱で崩れてい 当事国の間に位置しながら侵攻を受けなかったが、 く可能性も含んでいる。すなわち共有できる価値 観光資源がソフトパワーになったわけではなく、 観、理念は共有者同士のコミュニケーション、結 敵対国が外交交渉をできる場として中立機能を維 束を促す半面、共有できない者を排除する対立要 持し、それをドイツなども承認していたからであ 因にもなるii。 る。 すでに述べた「脅威」に比べて「損得」の認識 4.秩序のヒエラルヒー の共有は「脅威」よりも上位のレベルに位置する、 つまり「脅威」の認識を踏まえた上に成り立って 国際秩序を形成する要素のヒエラルヒーとして 武力衝突の回避を促すものである。しかし、これ のピラミッドをイメージするなら、国際秩序は最 らに加えてまだ一つ上位のものがある。 底辺に武力衝突の「脅威」を置き、その上に主と して経済を中心とする「利害」が乗り、最上位に 共有する「価値」を置くことになるiii。したがって、 (3)価値の共有 二国以上の間に共有できる価値観がある場合、 「脅威」 「利害」の認識以上に有効に武力衝突を回 国際秩序が崩壊する時は、最上位にある共有価値 の形骸化、低落から始まり、次に利害関係の悪化 123 に至り、最後に武力による脅し合いが秩序の最後 ③関係国への配慮 の基盤となって残るというプロセスをたどる。 これらを次章でキッシンジャーのケースをもと 国際連盟という国際秩序が形骸化し、関税切り に確かめておきたい。 上げ、自国通貨の引き下げという経済の利害対立、 ブロックの形成という過程を経て、武力衝突の危 5.キッシンジャー・モデル 機に至ったのが第二次大戦の例である。現在の国 際秩序はこの反省から、軍事秩序を踏まえて、経 20世紀後半の冷戦期に、米国のヘンリー・キ 済秩序を維持可能なものにするためにIMF、W ッシンジャー(1923~)は米国大統領の補佐 TOなどの機構によって強化し、この上に国際連 官として、特にベトナム戦争の収束にむけて現実 合が成り立っている。したがって、国連が拒否権 主義的外交を展開し勢力均衡を打ちたてようとし を有する国の思惑によって十分に機能できないこ たが、まずその背景の思考に目を向け、その上で とが顕著になれば、経済的利害が秩序の基本にな ベトナムからの撤退に先立つ中国への接近に向け ってくる。 ての行動をたどることにしたいiv。 それでは、国際秩序のピラミッドは形成されて は崩れ、崩れては再構築されていくパターンを繰 (1)背景となる悲観 り返すものなのだろうか。これについてはさらに 1968年、ホワイトハウスの補佐官に就任し 歴史や現実の機構を研究し改善する努力が継続し たキッシンジャーの懸案の一つはベトナム戦争で ているはずであり、安易な結論は控えたい。ただ あったが、これを処理する前提としての彼の当時 し、このピラミッドのイメージから見えるものは の米国の現状に関するビジョンはきわめて悲観的 単なる悲観、楽観ではなく、本稿のテーマである、 なものであった。 国際関係論における「現実主義」を「理想主義」 と対比する上でのスペクトルである。 「1960年代の後半、アメリカは自己懐疑と 共有できる価値観を重視しこの方向を指向しな 自己嫌悪の時期を通過していた。その引き金 がら外交を推し進めるべきとするのが理想主義と はベトナム戦争だった。二代の前政権によっ すれば、現実主義は最悪の場合の武力衝突の脅威 て徐々に入り込み、1969年までに早期解 を前提にした外交政策に向かうものと定義できる。 決の見込みもないまま31,000人を超え 本稿は現実主義を検討するものであるが、現実主 るアメリカ人の死者を出した。それは圧倒的 義が経済的利害や共有する価値観を否定しないも な国民と議会の承認を得て始まったにもかか のの、それらの秩序維持機能が不全に陥った場合 わらず、戦争についての国民の懐疑を招き、 を想定している意味で悲観的である。そして武力 やがて反対運動を増大させた。あまりに多く 行使の可能性とその惨禍を前提にするかぎり、現 の人々にとって、侵略を防ぐための戦争がア 実主義者は先制攻撃の優位を確保しながらそれを メリカの根本的な悪の象徴になってしまった。 実行しないことを念頭に置き、敵対者の先制攻撃 アメリカはいかなる犠牲を払いいかなる重荷 を抑止する方策に集中することになる。それは勢 を背負ってでも自由の存続と成功を確約する 力均衡の実現と維持を目指すものであるが、次の という大胆な宣言は、暗殺、都市での暴動、 ような行動として具体化することになる。 醜悪なデモを引き起こすことになってしまっ ①現状の理解 た。間違いなく、60年代は我々の無邪気な ②コミュニケーション 時代の終わりを意味した。残された選択は、 124 ここから学ぶか、それとも到来した現実に抵 大統領を通じて中国政府に対し、国交改善の意 抗しながら消耗していくか、であった」v 向を伝える。これに中国が応じてくる。 このような有効なコミュニケーション・チャ この文章を含む回想録をキッシンジャーが著し ンネルに加えて、米国とパキスタン、パキスタン たのは1979年、彼がホワイトハウスから身を と中国の間に極秘のメッセージを伝達できるだけ 退いた二年後のことであり、幾分かの修辞上の誇 の相互信頼があったことの重要性を強調しすぎる 張を認めるにしても、ソビエト連邦は厳然と存在 ことはない。しかし、後にも述べるが、三国が緊 する中でこのような悲観の表明は微妙なことであ 密な信頼関係にあったということよりも、それぞ った。しかし、このような悲観なくして現実主義 れの政府が内部の深刻な対立を抱えておらず、即 は成り立たない。この記述は当時の米国の状況と 座に一貫した意思を表明できる立場にあり、同時 キッシンジャー自身の見解、少なくとも心情をか にメッセージを当該政府の統一的な意思に基づく なり的確に表していると見たい。そこに「理念」 ものとみなせたことを意味している。 も「利害」も問題解決や和平交渉の手段として成 事実、キッシンジャーは主席の毛沢東と総理(首 り立つ状況にないことへの諦観がうかがえるので 相)の周恩来の意思が一致していることの判断に ある。 神経を使っている。当時の中国には林彪副主席、 毛沢東夫人を中心とする派閥などの後の政変を引 (2)行動 き起こす分子が潜んでいたのであるが、文化大革 ベトナム戦争収束に向けたキッシンジャーは中 命の混乱後の1970年前後ではまだ顕在化する 国との関係改善に傾注する。回想録に記すプロセ には至っていなかった。中国内部の微妙な勢力関 スは次の三つに分けられる。 係を当時の誰もが読みきれなかったかもしれない が、毛沢東と周恩来の揺らがぬ関係を、キッシン 1)現状の理解 ジャーは直感ではなく中国からのメッセージの周 中国との間の4000マイルにわたる国境線 到な解釈を通じて読みきっていた。 に沿ってソビエト連邦が40師団の軍を配備し ている事実は、両国が通商関係を結ぼうとも変 3)関係国への配慮 えられることではない、とキッシンジャーは中 米国が中国に接近すれば当然にしてソビエト連 ソの対立関係が長期的に解消しないと判定して 邦は警戒を強める。中国への急激な接近はソビエ いた。この事実判断に基づいて、米中ソの安定 ト連邦に奇襲として受け止められる危険もあった。 的な均衡を作り出し、ベトナムからの撤兵後の ニクソン大統領は1969年にルーマニアのチ ソ連の一方的な優位をけん制する戦略を固めて ャウシェスク大統領に向けて、米国が中ソ両国と いる。 の友好関係を望んでいることを表明していた。ル ーマニアがモスクワにこれを伝える可能性はあり 2)コミュニケーション 得なくはないとのキッシンジャーの判断である。 60年代後半、米国はワルシャワで定期的に さらに1971年にいよいよ中国との交渉が具体 中国との大使級の接触を維持していたが、ここ 化する目処が立った時点で、ソビエトに対し、米 でのメッセージ交換は円滑に進まない。そこで 国が中国との通商を始める意向を伝えることによ 着目したのが当時のパキスタンと中国の親密な って、ソビエト側の衝撃を和らげようと努めてい 関係であった。パキスタンのヤヒヤー・カーン る。 125 キッシンジャー自身の要約的な言葉がある。 ②脅威の優先 「三国間の外交を有効にしようとすれば、自然 先述の国際秩序を形成する要因のヒエラル な誘導とプレイヤーの性向に従わなければな ヒーに関して言えば、 「価値の共有」を不可 らない。一方を他方に対抗して利用しようと 能と理解し、「(経済的)相互利益」は決定 するような印象を与えてはならない。さもな 的な役を果たせないとみなし、最悪の事態 いと報復や脅しに抵抗できなくなる。中国と に至った場合の悲惨への恐怖を思考の根底 ソビエト連邦の敵対は米国の目的に役立つも に置く。これは①の立場から出てくる姿勢 のであるが、それは米国が中ソ間以上に中ソ である。この観点からすれば、平和を志向 との緊密な関係を維持すればという条件がつ するものであっても理念、理想を掲げて相 く。そうすれば中ソ関係は事の流れで決まっ 手に共有を求める場合は、現実主義ではな ていく」vi く理想主義である。 キッシンジャーの目指した均衡は、中国にソビ ③均衡の重視 エトと戦わせるという軍事同盟ではない。仮にそ キッシンジャーが目指したのは米中が連携 ういう同盟を形成しようものなら、ソビエトもど し、有事の際には中国とソビエト連邦を戦 こかとの同盟を拡大するか、あるいは米中関係を わせるという同盟関係ではない。いわば均 突き崩すための報復に出るかもしれず、中国がソ 等の関係を樹立することによって、ベトナ ビエトとの対抗と友好という二つの切り札を持っ ムからの撤退後のアジアの空白をソビエト て米国を揺さぶってくる危険が生じることになる。 だけが優位に幅を利かせないための、物理 的ではないほとんど心理的なくさびの打ち 以上のプロセスを経て、1971年7月にキッ 込みであった。①および②との関連を明示 シンジャーは訪中し、米中間の国交改善を実現し するために「心理的」と表現したが、実際 ていった。 に現実主義は相手の心理(欲するもの、欲 しないもの)の確実な解釈を前提にしなけ (3)総括 れば成り立たない。しかし、次章で述べる キッシンジャーが米中ソとの外交で示した事例 ように自分の都合や欲望だけが心理ではな をもとに現実主義を総括すれば次のようになるだ い。 ろう。 6.共有価値に代わるもの ①絶対的優位の放棄 プレイヤーが武力衝突に至れば相互に消耗 前章での検討で現実主義の一般的な形を一応総 し不利であるとの情勢認識である。これは 括できたと思う。しかし、現実主義は、価値の共 絶対的優位者も不在で、絶対的有意の確保 有、すなわち相互の共感などを一切排除し、冷徹 も不可能という諦観である。後にソビエト に相互の欲するものと欲さないものを天秤にかけ 連邦解体後、一時的に唯一の超大国となり、 ながら相互が妥協できる均衡を作り出すものでは イラクなどに対して強気に傾いた米国は明 ない。特定の価値観を共有できないとすれば、た らかに現実主義ではない。 しかに相互の損得が重要になるが、それだけで交 126 渉はできない。何よりも相互間でコミュニケーシ ないゴールを目指しているという共通理解がなけ ョンが成り立つことが必要である。その前提とし れば交渉はできないままである。米中接近が米国 て不可欠なものは、プレイヤーの「統一的意思」 のベトナムからの撤退の準備の一環であれば、ソ と「現実主義的思考」の二つである。 ビエトにとっては退路を認めても目先の損はない。 米中ソ関係を離れて、一般に問題となるのは、 (1)統一的意思 プレイヤー間でこのような現実主義を共有できな 1971年、中国の卓球選手団が米国の選手団 い場合である。一方が極度の理想や理念に執着す と親密な交流を行ない自国への招待まで行なう。 る場合は、現実主義的な行動に出たとしても一蹴 キッシンジャーはこれを周恩来のメッセージと受 されるか隙を利用されるに終わる。第二次大戦直 け止め、細部に至って中国政府の統一的な意思が 前の国家社会主義を狂信するドイツのチェコ・ス 徹底し表明されつつあることを確信する。これに ロバキア接収に対しての英国の容認はドイツの野 応じて米国も卓球選手団が中国の選手団を招いた 心を制止する策とはならなかった。勝敗の見通し りする。いわゆるピンポン外交を経てキッシンジ のつかぬまま対米戦に突入した日本もまた現実主 ャーの訪中が実現するvii。 義ではなく理想と理念に縛られていた。 ここから言えることは国際社会における有効な コミュニケーションの前提としての統一的な意思 現実主義は得てして理想主義との対置で語られ の不可欠性である。 やすく理解しやすいものであるが、そこにも一定 米中共に相互に発信するメッセージが個人的な の価値観ではないにしても、思考が共有されてい あるいは気まぐれな見解ではなく、最終的に政府 なければならない。これが現実主義の有効性を問 の公的なものとみなせる意思と理解している。こ う上で欠かせぬ視点ではないかと考える。 れはソビエト連邦についても共通していたことで ある。一国政府は統一の意思を持つとの了解であ 7.現代における有効性 る。 現実主義的な戦略が有効性を発揮するためには、 (2)現実主義的思考 前章で結論したようにプレイヤーが統一的な意思 コミュニケーションが始まったとしても、例え を有し、現実主義的な思考を共有していなければ ば米中の間での相互の意図が正確に理解でき、か ならない。これはプレイヤーの「対称的関係」と つ賛同できるものでなければならない。すなわち 要約できるだろう。プレイヤーの対照的な関係を 米国一国あるいはキッシンジャー個人が現実主義 前提にして現実主義的なアプローチは成功の可能 の立場を貫いても、中国がこれを理解し同じ思考 性を高めることになる。1970年代前半までは を共有しなければコミュニケーションは継続しな この対象性が存続していたと言えるが、これは常 い。ソビエト連邦もまた米中の意図を現実主義的 にあるものではない。では、現代に現実主義はど に理解しなければ、キッシンジャーが目指した均 こまで有効なのか。 衡はきわめて不安定なものになってしまう。 現実主義的思考においてはたしかに共有できる (1)歴史 価値観を前提にしない。共産主義と資本主義はあ 19世紀のヨーロッパではプレイヤー(ドイツ、 いあわぬ関係である。しかしながら、プレイヤー フランス、英国、ロシア、オーストリアなど)の が求めるものが相互を著しい有利にも不利にもし 間で相互のコミュニケーションが成り立ち、縦横 127 に同盟関係や中立関係を張りめぐらしたドイツが よって不安定になっている。現代の国際秩序は、 優位に立った。そのドイツをリードしたビスマル 形成維持するための要素ヒエラルヒーのうち「相 クの現実主義外交が注目されるが、彼が達成した 互利益」と「脅威」の絡まる次元に安定の根拠を 均衡は維持のためには武力発動もあり得るという 見出そうとしていることになる。 想定に立っていると見られる。その結果、20世 紀になって均衡の崩壊を怖れたプレイヤーが大戦 (3)具体的な流れ に向かってしまう。このことから勢力均衡論=現 勢力均衡を達成しようとする意図を現代の国際 実主義は早晩均衡を守れなくなって破綻するとの 社会では断念されてしまったのか。流れを追えば 批判も出てくる。第一次大戦終結前後の米国のウ そうではないことが見えてくる。 ィルソン大統領は理想主義を掲げて国際連盟の樹 立に動いていた。しかし、第一次大戦後の平和は、 ・米中関係 敗戦後の現実を呪い無視したドイツの狂信的な暴 米国はかつてのソビエト連邦に対するがごとく 走によって崩れ去ってしまう。 中国包囲網を作ろうとしている。中国と国境を接 冷戦時代は現実主義的な思考が究極的に実際の するインド、ベトナム、ミャンマーが米国側につ 政策に生かされる成り行きとなった。戦争は大規 いた一方、孤立したパキスタンは中国にインド洋 模相互破壊への道という認識が共有されていたの の港湾を提供している。そもそも米中対立は、東 である。 シナ海の影響力に関わる中国からの線引き提案へ の米国の反対に始まっていることを考えれば、勢 (2)現在 力均衡の試みが双方で進みつつあることになる。 現在の国際社会での対立は大まかには、台頭し 米中の対立が地図上に留まり続けるとすれば、双 た中国と周辺国の摩擦、イスラム・テロなどが問 方は時間をかけて現実主義的な妥協に向かう可能 題になっている。そこに北朝鮮のように挑発的な 性がある。 行為をする国がいる。 資本主義経済を取り入れた中国はかつてないほ ・イスラム・テロ どに国家としての意思統一の有無が問われる状況 米国はイラクに続きアフガニスタンからの撤兵 にある。また、イスラムのテロリストは狂信的な も始めている。それでもイスラム過激派のテロ行 価値観を捨てるよりも自爆を選んでいるが、アル 為は継続しているが、米国の撤兵が終わればテロ カイーダが一枚岩的な組織かどうかはわからない。 リストの矛先は地元の現政権に向かうことになる 北朝鮮の核実験の意図と背景についても諸説ある、 だろう。米国はムスリム同士の紛争を内紛に置き 現代にあっては、現実主義が成功する条件とし 換えて干渉を避けつつあるように見える。長期に てのプレイヤーの統一的意思が揺らぎ、大小のプ わたって統一的な意思と組織を持つ国家の成立を レイヤーが混じって対称性が乏しい状態になって 見極めた上で、交渉を試みる戦略があるとすれば いる。それでは理想主義的な対応こそが有効かと 現実的ではないだろうか。 問えば、まったくそうはならない。理念によって 統合を達成したはずのEUもまた激しく揺らいで ・北朝鮮 いる。非対称的な関係のプレイヤー間ではいかな 北朝鮮はアジアで最もファナティックな行動を る理想を掲げようとも、一方が他方に圧しつける 示しながら統一的な意思が読みきれない国である。 ものとしか映らず、経済的利害関係は経済原理に しかし、求めているものは自滅よりも経済的な支 128 援であると見れば、核実験もまた独自のメッセー 戦略一般が現実主義的な思考で成り立つとすれ ジであろう。中国が味方もしないかわりに手も出 ば、現実主義の本質的な問題は、戦略および戦略 さない状況を読みきり、最終的に米国から体制存 的思考一般に及ぶ問題を含んでいることになる。 続を勝ち取るための意図であるとすれば交渉の余 今後の課題として留めておきたい。 地を残している。現に中国は六ヶ国協議による解 決を提案し米国の出馬を促している。しかし、北 Thomas C. Schelling ‘The Strategy of Conflict’ Chapter 1 (Harvard 1980) ii 例えば、I. Wallerstein ’European Universalism: the Rhetoric of Power, (New Press, 2006)は、人権、平等といった理想や価値 概念もヨーロッパ的規範を非ヨーロッパ世界に 押し付け意に沿わせるための道具と化した場合 の両刃性を説いている。 iii 例えば、細谷雄一「国際秩序」 (中央公論新社 2012)は、国際秩序の原理を、均衡・協調・ 共同体の三つに分類するが、従来、脅迫、交換、 統合という分類もある。本稿ではこれらに対す る表現を変えてあえてヒエラルヒーを想定し た。 iv 本章では Henry Kissinger ‘White House Years’(1979)の Simon & Schuster Paperback 版をテキストとした。 v 前掲書 p.56 vi 前掲書 p.712 vii 前掲書 p.708-718 viii 脚注ⅱ参照。 i 朝鮮が国家として統一的な意志を堅持しているか は予断を許さない。 以上の状況から、具体的な有効な解決策が見出 せないにもかかわらず、結果的に現在のプレイヤ ーはかなり現実主義的な思考で動いていると見ら れる。理想主義的な動きを示しているのはイスラ ム過激派であるが、彼らとて背後に経済支援を行 なう統一的な意思を持つ主体を抱えているはずで あり、交渉が不可能なわけではない。 8.おわりに 以上で現実主義の有効性を考えてみたが、現在 の国際情勢の中で、現実主義が見え隠れする一方、 これに代われるだけの有効な理想主義的行動は見 えない状況である。 このような結論に至った本稿は、最終的に現実 主義、勢力均衡を肯定するものとして読まれるか もしれないが、それは現実主義の本源的な限界を 言及するに至っていないからであろう。 現実主義を実行する上ではプレイヤー同士が統 一的な意思主体でなければならない。しかし、こ のような前提自体がきわめてヨーロッパ的なもの である。すなわち本稿で示唆したように理念的さ らには理想的なものであるという逆説が成り立つ のかもしれない。一定の理念で国家あるいは人間 を一括りに捉える点で現実主義は現実把握の上で 理想主義的な面を免れ得ない本質的な弱点を抱え ていることになる。この弱点は現実主義にかぎら ず理想主義もまた抱えているものと言えるだろう viii。 129 東日本大震災 被災企業の現状 水産加工業を中心としたヒアリングレポート 神戸夙川学院大学 観光文化学部 准教授 疋田浩一 が寸断され救援が遅れたことが 2 次被害につなが 1.はじめに 2011 年 3 月 11 日 14 時 46 分,宮城県沖 130 ㎞ り被害を拡大した. の海底で M9.0 という観測史上最大の地震が発生 これまで,医療・土木建設の支援が進められて した.宮城県を中心とする東北地方沿岸各地では きたが,未だ震災がれきの処理や沈下した地盤の 震度 6~7 の揺れが観測され,それに引き続いて波 かさ上げとそれに続く都市計画の途上であり,多 高 10m 以上の津波が発生し,岩手県,宮城県,福 くの被災住民はプレハブの仮設住宅に住み,仮設 島県にわたる太平洋沿岸部に壊滅的な被害をもた 事務所や仮設店舗で計行を再開しようとしている. らした.さらに福島県では東京電力福島第一原子 生活を建て直し正常な経済活動を取り戻すにはま 力発電所 1~3 号機が全電源喪失からメルトダウン だ多くの時間がかかることが予想される. 2012 年 8 月から 13 年 3 月にかけて,特に被害 に陥り,大量の放射性物質が排出された. 警察庁発表による人的被害は死者 15,882 名・行 の大きかった宮城県石巻市から気仙沼市の被災地 方不明者 2,668 名の計 18,550 名,建物被害は全壊 を訪れ,震災後復興を目指して活動している企業 128,801 戸・半壊 269,661 戸・非住宅 59,155 戸と 様方に直接ヒアリングを行い,現状の復興活動の なっている(表 1).直接的な被害も甚大であった 問題点を調査した. が,道路・電気・水道・通信等各種ライフライン 表 1 東日本大震災における人的・建物被害状況 県 人的被害(人) 死者 行方不明 建物被害(戸) 負傷 合計 全壊 半壊 一部破損 青森県 3 1 111 115 308 701 1,006 1,402 岩手県 4,673 1,151 213 6,037 18,369 6,547 13,556 5,396 宮城県 9,536 1,302 4,144 14,982 85,259 152,875 224,050 28,930 福島県 1,606 211 182 1,999 21,141 72,714 166,015 1,117 茨城県 24 1 711 736 2,623 24,178 183,617 19,613 千葉県 21 2 256 279 801 10,088 53,039 660 その他 19 0 525 544 300 2,558 97,288 2,037 15,882 2,668 6,142 24,692 128,801 269,661 738,571 59,155 合計 ※警察庁発表資料(2013/3/11 時点)1 1 非住家 警察庁, "平成 23 年東北地方太平洋沖地震の被害状況と警察措置", 2013 年 3 月 11 日 130 2.統計にみる被災企業の現状 半数を超えたのは,岩手県の宮古市,大船渡市 被災企業の現状について,入手できる統計デー (80.9%) ,陸前高田市(99.8%) ,釜石市,大槌町 (98.0%),山田町(88.4%),田野畑村,野田村(90.8%), タをもとに概観してみる. 総務省統計局は Web サイトの「東日本大震災関 洋野町,宮城県の石巻市(86.7%),塩竈市,気仙沼 連情報」ページ2に震災関連情報をまとめている. 市(79.9%),多賀城市,東松島市(89.2%),亘理町, 『浸水範囲概況にかかる事業所数・従業者数(平 山元町(79.3%),松島町,七ヶ浜町(89.4%),女川 成 21 年経済センサス-基礎調査調査区別集計によ 町(99.2%),南三陸町(98.3%),福島県の広野町, る) 』より県別の集計結果を表 2-1 に示す.青森・ 楢葉町,新地町(85.9%),表中にはないが茨城県の 岩手・宮城・福島・茨城・千葉で事業所は 53,303 北茨城市,大洗町(77.1%),千葉県の九十九里町 箇所,従業員数にして 489,161 人が浸水被害を受 (87.3%),白子町である.浸水被害を受けた事業所 けた.被害を受けた事業所数の内訳は宮城県が 数全体に占める割合でみると,宮城県石巻市が 47%で突出して多く,岩手県が 18.7%,茨城県 14.8%で最多,次いで気仙沼市 6.9%,福島県いわ 11.9%,福島県 11.3%と続く.市町村単位でもと き市 5.8%,宮城県塩竈市 4.7%,岩手県大船渡市 もとあった事業所のうちどれだけ浸水被害を受け 4.1%,宮古市 3.8%と続く. たかという割合を見ると,対象 6 県全体では 30% 以上から,規模からみると震源に近かった宮城 であるが,岩手県では 65%,宮城県では 46.3%と 県気仙沼~石巻~塩竈地域の被害が大きく,中で なっており,これらの地区で中心的であった産業 も岩手県陸前高田市,大槌町,宮城県女川町,南 が甚大な被害を受けたことが分かる. 三陸町などいくつかの町は数字の上でも完全に壊 さらに詳しい市町村別のデータを表 2-2 に示 滅したことが分かる. す.これによると浸水被害を受けた割合がおよそ 2総務省統計局, 東日本大震災関連情 報,http://www.stat.go.jp/info/shinsai/index.htm 表 2-1 浸水範囲概況にかかる全事業所数・従業者数(県別) 県 浸水範囲概況にかかる 当該市区町村の事業所数 浸水範囲概況の割合(%) 事業所数及び従業者数(a) 及び従業者数(総数)(b) (a)÷(b)×100 事業所数 (%) 従業者数 (%) 事業所数 従業者数 事業所数 従業者数 02 青森県 2,290 4.3% 35,791 7.3% 16,870 168,959 13.6% 21.2% 03 岩手県 9,992 18.7% 70,361 14.4% 15,400 109,852 64.9% 64.1% 04 宮城県 25,129 47.1% 223,299 45.6% 54,219 522,005 46.3% 42.8% 07 福島県 6,047 11.3% 62,163 12.7% 25,458 240,738 23.8% 25.8% 08 茨城県 6,358 11.9% 72,434 14.8% 43,906 503,486 14.5% 14.4% 12 千葉県 3,487 6.5% 25,113 5.1% 17,225 131,954 20.2% 19.0% 合計 53,303 173,078 1,676,994 30.8% 29.2% 489,161 ※総務省統計局資料3 総務省統計局,浸水範囲概況にかかる全事業所数・従業者数(平成 21 経済センサス‐基礎調査調査区 別集計結果による),平成 23 年 6 月 15 日 131 3 表 2-2 浸水範囲概況にかかる全事業所数・従業者数(岩手県,宮城県,福島県の市町村別) 地域 県 03 岩 手 県 04 宮 城 県 07 福 島 県 202 203 207 210 211 461 482 483 484 485 503 507 102 103 104 202 203 205 207 209 211 214 361 362 401 404 406 581 606 204 209 212 541 542 543 545 546 547 561 市区町村 宮古市 大船渡市 久慈市 陸前高田市 釜石市 大槌町 山田町 岩泉町 田野畑村 普代村 野田村 洋野町 合 計 宮城野区 若林区 太白区 石巻市 塩竈市 気仙沼市 名取市 多賀城市 岩沼市 東松島市 亘理町 山元町 松島町 七ヶ浜町 利府町 女川町 南三陸町 合 計 いわき市 相馬市 南相馬市 広野町 楢葉町 富岡町 大熊町 双葉町 浪江町 新地町 合 計 浸水範囲概況にかかる 事業所数及び従業者数(a) 当該市区町村の事業所数 及び従業者数(総数)(b) 浸水範囲概況の割合(%) (a)÷(b)×100 事業所数 2,013 2,211 640 1,280 1,382 777 804 85 113 73 198 416 9,992 1,780 830 516 7,865 2,481 3,672 846 1,413 628 1,513 577 455 451 532 32 651 887 25,129 3,109 678 682 212 252 257 217 73 250 317 6,047 事業所数 3,081 2,734 2,196 1,283 2,396 793 909 652 175 184 218 779 15,400 9,161 7,242 6,218 9,072 3,285 4,593 2,799 2,521 2,017 1,697 1,160 574 689 595 1,038 656 902 54,219 15,815 1,983 3,652 289 372 915 582 345 1,136 369 25,458 事業所数 65.3% 80.9% 29.1% 99.8% 57.7% 98.0% 88.4% 13.0% 64.6% 39.7% 90.8% 53.4% 64.9% 19.4% 11.5% 8.3% 86.7% 75.5% 79.9% 30.2% 56.0% 31.1% 89.2% 49.7% 79.3% 65.5% 89.4% 3.1% 99.2% 98.3% 46.3% 19.7% 34.2% 18.7% 73.4% 67.7% 28.1% 37.3% 21.2% 22.0% 85.9% 23.8% 従業者数 14,568 15,436 6,420 7,688 10,270 5,277 4,974 581 638 455 1,249 2,805 70,361 22,085 7,009 5,552 62,679 18,596 27,736 10,156 18,806 9,907 11,635 5,972 3,816 4,012 3,137 224 5,721 6,256 223,299 29,344 6,178 7,394 1,837 3,479 2,693 5,483 747 2,387 2,621 62,163 ※総務省統計局資料 3 132 従業者数 23,265 19,580 16,638 7,740 18,679 5,316 5,916 4,410 1,213 904 1,390 4,801 109,852 119,359 74,982 58,555 71,512 23,259 33,628 31,395 25,323 22,284 13,227 10,419 4,733 5,665 3,352 12,226 5,737 6,349 522,005 153,635 17,743 30,629 2,925 4,421 8,308 9,004 2,721 8,323 3,029 240,738 従業者数 62.6% 78.8% 38.6% 99.3% 55.0% 99.3% 84.1% 13.2% 52.6% 50.3% 89.9% 58.4% 64.1% 18.5% 9.3% 9.5% 87.6% 80.0% 82.5% 32.3% 74.3% 44.5% 88.0% 57.3% 80.6% 70.8% 93.6% 1.8% 99.7% 98.5% 42.8% 19.1% 34.8% 24.1% 62.8% 78.7% 32.4% 60.9% 27.5% 28.7% 86.5% 25.8% 統計局データとしては他に『平成 21 年経済セン 計ではそれぞれ 6.4%減,3.6%減であったのに対 サス−基礎調査』4, 『平成 24 年経済センサス−活動 し,東北地方では事業所数が 9.4%減,従業員数は 調査』5がある.「事業所・企業統計調査」 ,「サー 6.7%減であった.それぞれ全国計に比べ 47%, ビス業基本調査」, 「商業統計調査」 ,「工業統計調 86%多い. 査」,「特定サービス産業実態調査」を統合した全 浸水被害を受けた県内で,被害を受けた市町村 事業諸を対象としたセンサスデータである.個票 とそれ以外の市町村での事業所の増減を表 3-2 にアクセスすることは難しいが,統計局 Web サイ に示す.岩手県では浸水範囲内で 24.5%減,浸水 トから市町村別の事業所数・従業員数が得られる. 範囲外で 4.6%減,宮城県では浸水範囲内で 18.6% ここから,平成 21 年から平成 23 年にかけての事 減,浸水範囲外で 3.7%減であった.浸水被害を受 業所数と従業員数の増減が得られ,復興の進み具 けた地区では未だ復旧・復興が遅れているのに対 合を推測することができる. して,浸水範囲外ではむしろ全国平均より減少率 地方別に集計した結果を表 3-1 に示す.全国的 が低くなっている.これより,こうした周辺地域 な不況の影響で東北を除くどの地方でも事業所数 が,被災者の方々が移り住みそこで新たに事業を は 5.0~6.8%減,従業員数は 2.3%~4.5%減,全国 再開したり,復興事業の拠点として事業所が建設 されたりといったバックアップ機能を果たすこと 21 年経済センサス‐基礎調 査,平成 23 年 6 月 3 日 5総務省統計局,平成 24 年経済センサス‐活動調 査,平成 24 年 1 月 29 日 4総務省統計局,平成 になっているという状況が推測される. 表 3-1 震災前後の事業所数と従業員数の増減(地方別) 事業所数(民営) 地方 21 年 従業者数 24 年 増減数 (%) 21 年 24 年 (人) (人) 増減数 (%) 1 北海道 257,684 243,713 ▲13,971 -5.4% 2,285,139 2,182,117 ▲103,022 -4.5% 2 東北 466,793 423,086 ▲43,707 -9.4% 3,940,382 3,677,523 ▲262,859 -6.7% 3 関東 1,918,421 1,798,127 ▲120,294 -6.3% 20,339,985 19,690,885 ▲649,100 -3.2% 4 中部 1,140,165 1,069,349 ▲70,816 -6.2% 10,431,260 10,088,788 ▲342,472 -3.3% 5 近畿 1,123,375 1,047,452 ▲75,923 -6.8% 10,379,297 9,914,887 ▲464,410 -4.5% 6 中国 375,200 353,927 ▲21,273 -5.7% 3,335,317 3,231,197 ▲104,120 -3.1% 7 四国 210,522 197,057 ▲13,465 -6.4% 1,658,428 1,604,589 ▲53,839 -3.2% 8 九州 707,062 671,512 ▲35,550 -5.0% 6,072,321 5,934,096 ▲138,225 -2.3% 全国計 6,199,222 5,804,223 ▲394,999 -6.4% 58,442,129 56,324,082 ▲2,118,047 -3.6% ※総務省経済センサスデータより作成 4,5 133 表 3-2 震災前後の事業所数と従業員数の増減(県別,浸水範囲内/外) 事業所数(民営) 都道府県 21 年 従業者数 24 年 増減数 青森県 岩手県 宮城県 福島県 茨城県 千葉県 21 年 24 年 (%) (人) (人) 増減数 (%) 浸水範囲内 16,939 15,660 ▲1,279 -7.6% 151,447 143,805 ▲7,642 -5.0% 浸水範囲外 50,725 46,187 ▲4,538 -8.9% 387,846 363,767 ▲24,079 -6.2% 浸水範囲内 14,889 11,241 ▲3,648 -24.5% 96,767 79,314 ▲17,453 -18.0% 浸水範囲外 51,120 48,743 ▲2,377 -4.6% 449,472 433,383 ▲16,089 -3.6% 浸水範囲内 54,682 44,511 ▲10,171 -18.6% 478,970 422,352 ▲56,618 -11.8% 浸水範囲外 56,661 54,541 ▲2,120 -3.7% 553,267 542,524 ▲10,743 -1.9% 浸水範囲内 25,357 19,777 ▲5,580 -22.0% 223,127 173,909 ▲49,218 -22.1% 浸水範囲外 76,046 70,305 ▲5,741 -7.5% 649,792 613,558 ▲36,234 -5.6% 浸水範囲内 44,510 41,551 ▲2,959 -6.6% 471,489 455,914 ▲15,575 -3.3% 浸水範囲外 87,484 81,911 ▲5,573 -6.4% 807,341 773,242 ▲34,099 -4.2% 浸水範囲内 16,997 15,957 ▲1,040 -6.1% 118,232 112,705 ▲5,527 -4.7% 浸水範囲外 196,778 185,935 ▲10,843 -5.5% 2,000,654 1,940,768 ▲59,886 -3.0% ※総務省経済センサスデータより作成 4,5 浸水被害を受けた市町村別の増減を表 3-3 に 減少率は低く抑えられている.浸水しなかった地 示す.これは,平成 24 年経済センサスから,浸水 区への移転や浸水地区での復旧が比較的進んだ地 被害にあった市町村を抽出したものである.20% 区といえる.首都圏に近い茨城県・千葉県で復旧 以上減少しているのは,岩手県の大船渡市 作業が早く進んでいるのに対し,岩手県・宮城県 (-21.9%),陸前高田市(-46.6%),釜石市(-25.3%), の復興が著しく遅れていることが見て取れる. さらに表 4 では「事業所数減少率-従業員数減 大槌町(-72.5%),山田町(-60.0%),宮城県の石巻市 (-35.4%),気仙沼市(-40.0%),東松島市(-34.2%), 少率」を計算した.この差が大きいほど,事業所 山 元 町 (-28.6%) , 女 川 町 (-68.1%) , 南 三 陸 町 の減少に比べ従業員数が減少していないこと,つ (-69.0%) , 福 島 県 の南 相 馬 市 (-29.4%) , 広 野 町 まり被害を免れた事業所と短期間に復旧を果たし (-51.3%)であった.これらは,原発事故の影響が た事業所が被災した従業員の雇用を確保しようと 大きかったと考えられる南相馬市を除き,浸水率 努めたということが推測される.岩手県陸前高田 も高かった地区であり,復旧・復興作業の遅れの 市,山田町,宮城県東松島市,女川町,南三陸町, 影響が強く影響しているものと考えられる. 福島県広野町が挙げられる.逆に宮城県松島町で 表 4 に,浸水率の高かった市町村について,浸 は従業員の減少率が事業所の減少率を上回ってお 水率と減少率を対比した結果をまとめた.岩手県 り,インフラの復旧とは別の労働環境の悪化,お 宮古市,野田村,宮城県塩竈市,多賀城市,亘理 そらく中心的産業である観光業の縮退が予想され 町,松島町,七里ヶ浜,福島県新地町,茨城県, る. 千葉県の各地区では,先にあげた地区と比較して 134 表 3-3 震災前後の事業所数と従業員数の増減(浸水被害市町村別)4,5 事業所数(民営) 市町村 21 年 従業者数(注 1) 24 年 (%) 21 年 (人) 増減数 (%) 66,009 3,104 2,654 2,104 1,231 2,343 770 869 595 156 165 193 705 59,984 2,645 2,073 1,928 657 1,751 212 348 534 130 152 159 652 ▲6,025 ▲459 ▲581 ▲176 ▲574 ▲592 ▲558 ▲521 ▲61 ▲26 ▲13 ▲34 ▲53 -9.1% -14.8% -21.9% -8.4% -46.6% -25.3% -72.5% -60.0% -10.3% -16.7% -7.9% -17.6% -7.5% 546,239 20,863 17,326 14,473 6,910 16,723 4,797 5,188 3,752 1,008 745 1,101 3,881 512,697 19,490 13,559 13,920 4,714 13,563 1,630 2,661 3,418 984 724 947 3,704 ▲33,542 ▲1,373 ▲3,767 ▲553 ▲2,196 ▲3,160 ▲3,167 ▲2,527 ▲334 ▲24 ▲21 ▲154 ▲177 -6.1% -6.6% -21.7% -3.8% -31.8% -18.9% -66.0% -48.7% -8.9% -2.4% -2.8% -14.0% -4.6% 111,343 9,678 7,449 6,358 99,052 9,050 6,811 6,181 ▲12,291 ▲628 ▲638 ▲177 -11.0% -6.5% -8.6% -2.8% 1,032,237 110,674 70,937 54,008 964,876 107,936 68,265 53,903 ▲67,361 ▲2,738 ▲2,672 ▲105 -6.5% -2.5% -3.8% -0.2% 9,016 3,271 4,458 2,874 2,509 1,978 1,662 1,128 553 668 578 1,017 5,826 2,746 2,674 2,494 2,048 1,771 1,094 930 395 592 463 970 ▲3,190 ▲525 ▲1,784 ▲380 ▲461 ▲207 ▲568 ▲198 ▲158 ▲76 ▲115 ▲47 -35.4% -16.1% -40.0% -13.2% -18.4% -10.5% -34.2% -17.6% -28.6% -11.4% -19.9% -4.6% 65,659 21,010 30,491 28,673 21,935 20,605 10,955 9,553 4,274 5,154 2,909 11,360 48,273 18,673 18,386 26,363 18,648 18,731 8,590 8,712 3,080 4,175 2,588 10,846 ▲17,386 ▲2,337 ▲12,105 ▲2,310 ▲3,287 ▲1,874 ▲2,365 ▲841 ▲1,194 ▲979 ▲321 ▲514 -26.5% -11.1% -39.7% -8.1% -15.0% -9.1% -21.6% -8.8% -27.9% -19.0% -11.0% -4.5% 615 870 196 270 ▲419 ▲600 -68.1% -69.0% 5,182 5,591 2,602 2,581 ▲2,580 ▲3,010 -49.8% -53.8% 101,403 15,986 1,915 3,594 277 3,238 347 90,082 14,995 1,826 2,538 135 0 283 ▲11,321 ▲991 ▲89 ▲1,056 ▲142 ▲64 -11.2% -6.2% -4.6% -29.4% -51.3% -18.4% 872,919 143,057 16,306 27,957 2,771 30,311 2,725 787,467 135,043 14,634 19,922 1,872 0 2,438 ▲85,452 ▲8,014 ▲1,672 ▲8,035 ▲899 ▲287 -9.8% -5.6% -10.3% -28.7% -32.4% -10.5% 増減数 岩手県 宮古市 大船渡市 久慈市 陸前高田市 釜石市 上閉伊郡大槌町 下閉伊郡山田町 下閉伊郡岩泉町 下閉伊郡田野畑村 下閉伊郡普代村 九戸郡野田村 九戸郡洋野町 宮城県 仙台市宮城野区 仙台市若林区 仙台市太白区 石巻市 塩竈市 気仙沼市 名取市 多賀城市 岩沼市 東松島市 亘理郡亘理町 亘理郡山元町 宮城郡松島町 宮城郡七ヶ浜町 宮城郡利府町 牡鹿郡女川町 本吉郡南三陸町 福島県 いわき市 相馬市 南相馬市(注2) 双葉郡広野町 双葉郡その他(注 2) 相馬郡新地町 24 年 (人) 注1: 「従業者数」は必要な事項の数値が得られた事業所を対象として集計した. 注2:24 年センサスの調査実施日である平成 24 年2月 1 日時点において,市町村の一部が警戒区域又は計画的避難区域 に該当し,当該区域は調査の対象外であった町村. ※総務省平成 24 年経済センサス,附表3~5より作成 5 135 表 4 浸水被害の大きかった市町村における事業所・従業員数の増減 地区 浸水率 事業所 減少率 従業員数 事業所(a) 従業員(b) (a)-(b) 青森 六ヶ所村 81.3% 89.2% -4.1% -1.8% -2.3% 岩手 宮古市 65.3% 62.6% -14.8% -6.6% -8.2% 大船渡市 80.9% 78.8% -21.9% -21.7% -0.1% 陸前高田市 99.8% 99.3% -46.6% -31.8% -14.8% 釜石市 57.7% 55.0% -25.3% -18.9% -6.4% 大槌町 98.0% 99.3% -72.5% -66.0% -6.4% 山田町 88.4% 84.1% -60.0% -48.7% -11.2% 野田村 90.8% 89.9% -17.6% -14.0% -3.6% 石巻市 86.7% 87.6% -35.4% -26.5% -8.9% 塩竈市 75.5% 80.0% -16.1% -11.1% -4.9% 気仙沼市 79.9% 82.5% -40.0% -39.7% -0.3% 多賀城市 56.0% 74.3% -18.4% -15.0% -3.4% 東松島市 89.2% 88.0% -34.2% -21.6% -12.6% 亘理郡亘理町 49.7% 57.3% -17.6% -8.8% -8.7% 山元町 79.3% 80.6% -28.6% -27.9% -0.6% 宮城郡松島町 65.5% 70.8% -11.4% -19.0% 7.6% 七ヶ浜町 89.4% 93.6% -19.9% -11.0% -8.9% 女川町 99.2% 99.7% -68.1% -49.8% -18.3% 南三陸町 98.3% 98.5% -69.0% -53.8% -15.1% 南相馬市 18.7% 24.1% -29.4% -28.7% -0.6% 広野町 73.4% 62.8% -51.3% -32.4% -18.8% 新地町 85.9% 86.5% -18.4% -10.5% -7.9% 北茨城市 49.8% 38.6% -8.5% -1.0% -7.5% 大洗町 77.1% 85.3% -8.4% -6.7% -1.7% 九十九里町 87.3% 82.7% -3.3% -5.9% 2.6% 白子町 60.7% 55.2% -4.5% -1.8% -2.7% 宮城 福島 茨城 千葉 ※表2~3より作成 3.ヒアリング調査の方法 ケート調査は数多く行われているため,担当者の 浸水被害を受けた地区の水産加工業者を中心に, 負担が大きくなってしまう.復旧・復興に向けて 震災前後の生産量・出荷先・原材料調達・仕入れ 寸暇を惜しんで尽力されている中で,できうるか 先・従業員数の変化についてヒアリング調査を行 ぎり時間的負担を軽減するため,このような直接 う.調査の方法は各事業所に電話・メールで連絡 のヒアリング調査を行うこととした. を取ってアポイントメントを取り,現地に出向い これまで多くの調査が土地・建物・在庫等スト て直接聞き取りを行った.商工会議所・市役所な ック部分の直接被害額についてのものであるのに どに協力を依頼してアンケート票を配るという方 対し,生産活動にともなうフローの部分の詳細な 法が数を集めるという視点からは効率が良さそう データが得られれば,震災前後でのサプライチェ だが,廃業を決めた企業や,津波・浸水で以前の ーンの変化を推計することができるはずである. 各種経理書類が失われてしまっている事業者も多 これを産業連関分析に応用することで,東北地方 く,震災の記憶が強く残る被災者の方々には感情 全体への直接・間接の経済的影響を分析すること 的にも受け入れがたいことが多いことが考えられ が可能になると期待される. る.また総務省の工業統計をはじめこの類のアン 136 4.ヒアリング調査の結果 ●社会的状況 今回の調査では,浸水被害を受けた事業所数の もともと三陸の沿岸部は水産業+農業とその加 特に多かった宮城県石巻市~女川町~気仙沼市を 工業が中心であったが,漁獲資源の減少,デフレ 対象地域に選び,調査対象となった業種は,水産 不況の影響もあり,全体に右肩下がりだった.シ 加工業者が 18 件,漁協・冷凍倉庫等卸売業者が 4 ャッター通り商店街は震災前からシャッター通り 件,その他食料品製造業者が 4 件,製材業者 1 件, だったし,再開発しようとどうにもならないだろ 造船・修理業者が 1 件(その他商店等多数)であ う.今はボランティアや観光客で一時的ににぎわ った.その結果を項目ごとに以下にまとめる. ってはいるものの,あてにはならない. その一方で,仙台はじめ津波被害のなかった周 ●震災の様子 辺の景気は上向きになっている.東北全体では人 住民については,津波の対策は「逃げる」が最 口が減っているものの,被災地から人々が移り住 重要だ.地震の後,実家の様子を見に戻ったり, み局所的に人口が増加した.手広く展開している 津波が来るとは考えず避難をしなかった人が多く, 大手スーパーでは,被災地の店舗は操業停止にな すぐに逃げていれば助かった命は多かったはずだ. ったものの,被災を免れた店舗ではむしろ売り上 雄勝のような入り江の地区では明治・昭和・チリ げが増加.トータルでは売り上げ増になっている 津波等で以前にも被害を受けていたため警戒して はずだ. いたが,石巻では平地まで津波がくるとは考えて 再建の方針は自治体・首長によってかなりばら いなかった.残念だが,明らかに油断があった. つきがある.岩手は「できるだけやらないでほし 今回の経験をきちんと伝えて生かさなければなら い」程度だが,宮城は制限が厳しい.街の規模も ない. 重要で,東松島が官民一体でうまくいっていると 建物・在庫に関しては,たまたま 2~3 階部分に いうのは規模が小さいからだろう.石巻くらい大 機械や在庫が置かれていて一部とはいえ浸水を免 きいとまとまらないし,いつまでたっても足の引 れた事業所では,その後の復旧活動や販売の継続 っ張り合いをしている.もともと独立心が強く, にこれらが非常に役立った.本社や支社が別の地 連携して事業を進めることが苦手な地域でもあっ 方にあるようなケースでは代替生産も可能であっ た. たし,手厚い支援を受けられ復旧に有利であった. 復興はとにかくスピードがカギだ.初動で一ヶ また,こうした企業では再開の決定も非常に早い. 月遅れると,結果的に 3 ヶ月から半年遅れること いずれにせよインフラが復旧するまでは仮の操業 になる.にもかかわらず,2 年経っても行政の手 もできないので,在庫か代替生産しか方法がない。 続きが震災前と同じで,1 ヶ月かかるものは今で 今回は電気の復旧に2ヶ月(仙台でも1ヶ月)か も1ヶ月かかる.申請が通らないことで止まって かったが,事業の継続には最初の1ヶ月をどうし しまっていることがたくさんある.マンパワー不 のぐかが鍵となる.生産設備を分散できない中小 足ということはあるにしても,もっと簡略化して 企業の場合は他の地方の業者と協同関係を築くこ スピードアップしなければならない. とが重要だろう. 今回の震災で気付いたことは,①食,②エネル ●業界の現状 ギー,③人との繋がり・・の大切さを改めて認識 ○漁業(漁協) できたことだった. 漁業は魚を捕るだけではない,漁業(農水省) +加工(経産省)+輸送(運輸省)+品質管理(厚 137 生省)から成る総合産業である.そのなかで魚市 小さくなっているからだ.まずは地域内需の拡大 場は,現地の加工業者・小売店に魚を販売するこ が重要だろう. とが主要な業務の消費地市場の役割を果たしてい る.あがった魚は買受人組合が購入し,生出荷(6 ○水産加工 割)+加工(4割)へまわす.魚は一番いいもの 震災後,工場再建を待つ企業にとっては地盤沈 が生食刺身,次が切り身加工品,次がすり身,最 下した沿岸部のかさ上げ工事の遅れがネックとな 後がフィッシュミール(肥料・飼料)となる.平 っており,補助金等を利用し再開できたとしても, 均的な価格は 100~150 円/kg.水産加工業関連の 原料調達,販路開拓,労働力確保の問題がある. 雇用は石巻で 4 割,気仙沼で 7 割を占めていた. 港湾設備の復旧が遅れていること,水温の影響, 三陸沿岸,特に石巻は世界三大漁場の一つとい 放射能問題などで漁獲量がなかなか回復していな われ,一年中収穫がある.漁獲量は震災前で全国 い.放射能の影響は深刻で福島寄りの漁場が規制 3 位.最盛期の漁獲高は 350 億円ほどだったが, されてしまっているうえ,風評被害も大きい. 原 200海里規制以降減少し続け,10~15 万 t,200 料調達ができれば生産を増やすことができるが, 種,200 億円(加工後 500 億円)に減っていた. よい魚がなかなか手に入らない.たこなど顕著で, これは 2 歳未満のサバでもとってしまうというよ 多いときは 1 日10トンあったのが今では 1 トン. うな穫れるだけ穫ろうという方針,つまり早い者 他の港から仕入れようにも量がない.地元三陸産 勝ちのいわゆる「オリンピック方式」の影響が大 の新鮮な食材を地元で加工した純三陸産を強みと きく,必然的に養殖が中心となり輸入も増える. してきた企業にとってはそこが生命線であり,ど 資源管理,大規模集中化,エサの研究など,漁業 んな魚でもいいというわけにはいかない.それを における「緑の革命」が必要だろう.石巻で輸入 変えてしまったら,輸入どころか別の産地のもの が増えているのに対して,気仙沼では今でも前浜 でも優位性を失い,会社存続の意義も失ってしま (近海)中心である.若いうちは遠洋漁業に出て う.そこだけは何があっても譲れないと語る事業 稼ぎ,年を取ったら小さい船を買って近海の漁業 主の方は多い. 表 5 に,ヒアリングの結果を集計した水産加工 に従事するのが,漁師のスタイルだった. 震災後, 石巻では漁獲量が 5~7 万 t まで減少し, 業における震災前後での製品出荷先・原材料調達 全国12位.冷凍・冷蔵設備が壊滅.鮮魚は氷詰 元の変化を示す.原材料の調達は県外にシフトし, めして出荷するので製氷設備もなければ仕事にな 出荷先は若干地元へシフトしているようだ.風評 らない.大船渡・宮古は比較的無事だった.その 被害の影響で,県外・輸出が伸びていないことが 次が気仙沼.石巻では内源さんのみで,氷は仙台 推測される結果となった. から持って来ている.気仙沼全体での復旧度合い は工場が 6 割,製造能力で見ると 2 割ほど.土地 ○製材 のかさ上げが進んでいないことが足かせになって 震災後,国内売上のトータルは微増だが,取引 先が少々変わった.関東は 1 件あたりは減ったが いる. 小売店もなんとか再開しているが,漁獲量が減 件数が増えた.関西は危ない危ないと危機感をあ った分入荷が難しくなり,販売も苦しくなってい おっている感じ.東北全体では元通りに戻って来 る.昔からのお得意さんも来てくれるが,同じお ている.今一番困っていることは,人が集まらな 客さんでも買う量が減っている.ご家族が犠牲に いこと.募集をかけて集まらないなんてことは今 なったり,市外に引っ越してしまい世帯の規模が までなかった. 138 表 5 水産加工業における震災前後での製品出荷先・原材料調達元の変化 品目 出荷先 原材料 震災前 県内 震災後 県外 輸出 県内 県外 輸出 水産食料品 28% 68% 3% 31% 68% 1% 漁業 41% 37% 22% 35% 46% 19% 水産食料品 50% 50% 0% 12% 88% 0% その他の食料品 48% 52% 0% 56% 44% 0% 飲料 100% 0% 0% 100% 0% 0% 紙加工品 100% 0% 0% 100% 0% 0% 無機化学工業製品 100% 0% 0% 100% 0% 0% 合成樹脂・化学繊維 100% 0% 0% 100% 0% 0% 0% 100% 0% 0% 100% 0% その他の金属製品 ○造船 かったりかさ上げを待っていたりで遅れていくと, 素材等の調達については,素材・機械の生産地 当初の予算額で完成することはまず不可能で,そ が主に被災地外だったので問題はなかった.自動 の分自己負担額が膨らんでしまう. 車産業の不況で鋼材の入手もさほど苦労しなかっ 中小企業の視点からすると,現場も見ずに道路 た.大変だったのは加工設備と電力等インフラで, ばかりに投入され,あまり企業の支えになってい 復旧するのに時間がかかった.電力は,操業再開 ないという印象を受けている.土建業者は,ゆっ 後9ヶ月間自家発電していた. くり片付けて,ゆっくり建設して,できるかぎり 長く太く稼ぎ続けたいと考えているようだ.かさ ●補助金について 上げが終わらなければ水産加工業者の工場再建が 補助金が出ることで多くの企業が再開できたが, 始まらないが,そこがゆっくりなので何もはじめ 全てが見通しを持って堅実に活動している企業ば られない.ボランティアが片付けをしていて「俺 かりではない.震災前から業績がふるわず廃業し たちの仕事をとるな!」と,追い払われたことも ようかと思っていたところに,お金がもらえるな あると聞いたことがある.実際まだできることは らと無理をして再開する企業もある.中小企業復 たくさんあるはずだが,南三陸を除く多くの街で 興交付金等の補助金に,支給可否の審査基準がな ボランティアセンターが「役割を終えた」として いことが問題だろう.申請はシンプルでなければ 閉鎖していっている. 困るが,審査はある程度きちんとしないと,税金 企業にとって「販売先の確保等運転資金+基盤整 が無駄に注入されることになってしまうし,新し 備」が復興への最大の課題だが,前者に補助金は いビジネスの創出につながらない.震災で業界の 使いにくい.規制すべきではないものもあるはず 寿命が縮まったのではないかとさえ思えてくる. だ.必要不可欠な運転資金を供給して企業を支え 国からの補助金は事業計画の 3/4 で 1/4 は自己 ることが必要なのではないか,うまく事業を再建 負担(平成 24 年度は 7/8) .完成確認後に補助が できず回収できない部分も出てくるだろうが,そ 出るため一時的には銀行・信金などから自力で調 れを覚悟してでもやってほしい,という声もある. 達しなければならない.震災後,建設費用も資材 ある事業主は「このままでは今後 3 年で工場だけ も急速に値上がりしているため,審査に時間がか 再建してもうまく行かずに倒産する企業がたくさ 139 んでてくるだろう.震災後5年が鍵だ.」と語る. うとその後の販路の再開は非常に困難になる.震 先に述べた税金の無駄な注入という話と相反する 災後数ヶ月以内に供給再開できればなんとか食い ようだが,設備再建だけ補助をして運転資金の支 込む余地もあるが,かさ上げ待ちなどで 1~2 年も 援を十分に行わず倒産させてしまっては,最初の 過ぎてしまうと完全に「棚」が他の業者に占めら 設備投資を無駄にしてしまう.無秩序に補助金を れ,忘れられてしまう.補助金で工場設備を再建 投入するのは正常な経済活動を歪めてしまうので, できたとしても,販路が回復しなければ稼働率は 事情に明るい地元の銀行や信金が公正に審査を行 上がらない.グループ企業や取引先の特別な支援 い,資金の貸し付けをしやすくなるような環境整 があればまだしも,中小企業が単独で大口の取引 備が必要だろう. 先を取り戻すことは困難だ.しばらくは原価割れ してでも「棚」を確保しようとしても,長くは続 ●労働力問題について かない. 震災後 2 年が経過し,労働力不足の問題が深刻 販売店側としても,震災の影響で突然空いてし になって来ている.工場等が復旧する前はそもそ まった「棚」を埋めるために他の業者に無理を言 も仕事が無かったのだが,そうした一時解雇の間 って商品をまわしてもらっていたという状況だっ に,若い世代は仕事を求めて他の街へ移住し,子 たため,急場を助けてもらったという義理がある. 供の学校を含め移住先に落ち着いてしまうと再開 このため被災企業が生産再開したからといってす 後もなかなか戻ってこない.こうした働き盛りの ぐに「棚」を譲ることはできない.うまく乗り切 世代の人口流出が進んでいる. ったケースとして,企業側が操業再開まで販売店 補助金の影響もある.がんばって従業員の雇用 等顧客に向けて状況を逐一細かく報告し,販売店 を継続した場合は何も補助は無いが,一旦解雇し 側も「○月に再開するので,申し訳ないがそれま て再雇用すると「新規採用」扱いとなって補助金 で」という条件で棚の空きを一時的に埋めてもら が出る.このため,一時解雇がしやすい状況があ っておき再開後の「棚」を失わずにすんだという る.多くの若い世代が流出したが,そのまま残っ 事例がある.こうした細かい配慮を継続できない ていても臨時雇いで大した仕事もせずに日給1万 と,「棚」を確保しておくことは難しかった. 2千円程もらっているので,普通に募集をかけて 大手スーパーの進出で販売ルートも変化した. も人が集まらない.実際,気仙沼市街地の街角に 震災後,小売業全体は売上増となったが,小規模 は「運転中の携帯・スマートフォン使用禁止」と 店舗は半減し集中化が進んできた.大手スーパー いうプラカードを持って朝から晩まで立っている は出店料が高く,価格競争も激しい.利益を確保 だけの臨時職員があふれている.こうした就労支 するには流通まで自前で確保しなければならない. 援が結局,賃金水準を上昇させて企業を圧迫する これまで生産者は「三陸産」というこだわりを ことになってしまっている. 持って製品を製造販売して来たが,取引先と消費 企業の再建の仕方に問題がある場合もある.再 者にはそこまでこだわりは無く,別の産地でも構 建にあたって補助金が出るならと最新の機械を入 わないしもっと言えば別の食品でも構わない,と れて無人化を進めてしまうと,雇用の創出効果も いうことが今回の震災で図らずも明らかになった. 弱くなる. 今のところは,工事関係者やボランティア・観光 客で被災地の飲食業はにぎわっているが, 「震災復 ●販路問題について 興」というのは正常な競争とはいえない状況で, 数ヶ月とはいえ,供給ストップを起こしてしま いつまでも続くものではない.生産業界全体のパ 140 イが減少して行く中で, 「復興」の名の下に今代替 になってください」といっているようなものだ. している業界が打撃を受けてつぶれていくことに それでも「三陸産」のブランド力では到底太刀打 なってはいけないし,業界全体としても得になら ちできない.検査を徹底することで随分理解され ない.新しいマーケットを開拓しなければならな るようになり,宮城県内ではある程度受け入れら いが, 「奪い取る」ものではなく,新しい概念でつ れるが,県外では非常に神経質になっている. 「安 くり出していかねばならない. 心安全」を掲げる大手スーパーは少しでも不安が 石巻の得意分野は大量生産・大量販売だったが, あれば扱わない.バイヤーからすら信用してもら 水産加工の利益率は 11%から 8%へ下がっていて, えず,風評被害を後押しされている感じだ.ただ 構造的な変革が求められている.地域内で連携し, でさえ困難な販路の確保が,さらに困難になって 衛生管理を徹底して国際競争に必要な条件整備を しまっている.影響が大きすぎて被害の全貌もよ 行い,BtoB から BtoC への転換を図る.その際, くわからない. 小規模・多品種に対応できる中小企業の役割は重 福島第一原発では未だ事態の終息が見えず,汚 要だろう.個別販売に活路を求める企業が増加す 水を含む放射性廃棄物の処分に見通しが立ってい れば,漁協を通さず直接販売を行うようになり, ない.これが破たんし海洋に放出・投棄されるよ 質の向上が求められるようになる.つまり,ここ うな事態になれば,これまでの復興に向けたあら でしか穫れない/作れないオリジナルな新商品の ゆる努力は水泡に帰してしまうだろう. 開発が必要になってくる.高齢化・家庭の小規模 化で量販店の戦略・形態も変化して来ており,例 ●防潮堤について えば節電の影響から調理時間の短いもの(Fast 「公共事業」の仕上げとして 10m 超の防潮堤が Fish)がよく売れるようになってきている.規模を 27 年度中に建設される予定になっている.ダムを 縮小し,商品を変化させ(加工度を高めて付加価 作ろうとすると反対が大きいが,同じような事業 値をつける) ,直売店・自社 HP やネット・TV 通 でも「被災地に防潮堤」といえばだれも反対でき 販等を駆使して丁寧に販売してゆくなかで,それ ない.今でも海岸近くに住んでいる人も多いので ぞれの企業がブランド化し,ネットワークを形成 堤防がいらないとはいいにくいが,避難経路の確 してさらにブランド化を目指してゆく.新たな取 保が優先だろう. り組みとして,水産・農産の生産者(1 次)が連 海が見えなくなると,津波も見えなくなるので, 携し,加工度を高めた「総菜」を生産(2 次)し, どうしても非難は遅れるだろう.陸前高田で避難 都市部に独自の販売ルート(3 次)を構えるとい が遅れたのは,松原で津波が見にくかったことも う,6次産業化が議論されている. 要因の一つだ.漁業者・水産加工業者等,港に関 わる仕事をしている人々にとってはデメリットが ●風評被害について 多すぎる.トンネルを作ることは認められていな 放射能の風評被害は深刻で,茨城~宮城はおろ いので,行き来するにはいちいち堤防の上に上ら か,岩手まで広がっている.放射線については現 なければならないが,雪が降ったらそもそも上が 場でチェックをしており,現在は 50Bq が基準に れない.堤防のすぐ内側は津波の緩衝地帯として なっている.ヨーロッパ等外国では 300~800Bq 公園にすることになっているが,工場が港から離 程度であるにも関わらず,政府基準が 500Bq⇒ れれば効率は落ちるし,一番生産性が高い地区を 100Bq(実質的には 50Bq)に引き下げられ,水産業 非生産的な利用の仕方をしてどう復興につながる を圧迫している. 「犠牲になった人は,もっと犠牲 というのか.海と決別して生きていくことはでき 141 ない. 今回の調査では十分なサンプル数が得られなかっ ヨーロッパ等世界ではもっと農業・漁業の一次 たが,今後より効率的な調査を行いフローの部分 産業が大事にされており,港は,朝は漁業者,昼 に関する 1 次データの収集を続ける.サプライチ は観光客,夜は夜景スポットとして利用されてい ェーンの変化に関する分析を進めることで,販路 る.水産資源の生産地・貨物の中継地点だけでは の問題に関して有効な対策を探り,被災企業の再 ない,港という場所の役割を見直し,デザインし 建に向けて助力となれるよう努力したい. なおすことはできないのだろうか. 新たな産業分野の開拓という点でもう一点触れ 5.まとめと今後の課題 ておく.現在の被災地で期待が大きい分野の一つ 復興は住宅と事業所とインフラが整って終わり が,観光である.例えば気仙沼市は震災前から漁 ではなく,雇用を生む産業が健全に活動できるよ 業と観光を産業の柱としてきた街である.震災後, うにならなければならない.しかし,補助金で解 市の観光課・観光協会が主導して,被災体験をも 決しづらい風評被害や人口流出等による販路や労 つ語り部ガイドが震災の跡地を案内するツアーを 働力の確保という部分に大きな問題を抱えている. 企画している.ただし, 「観光」と呼ぶと遊びのイ 実際に被災地を訪れてみると,何一つ問題が解 メージが強いため,震災の経験を伝え学ぶための 決していないことが実感として理解できる.よう 「スタディーツアー」と呼んでいる.石巻の大川 やく全半壊した建物が撤去され,震災がれきの山 小学校や門脇小学校,南三陸の防災庁舎跡,気仙 も徐々に小さくなってきたが,住宅・工場跡には 沼の旧市街と共徳丸,陸前高田の奇跡の一本松, 更地が広がり,街づくりはこれからだ.住民だけ 釜石の防災センターなど,震災津波被害のすさま でなく各種事業所も丸 2 年間にわたって仮住まい じさを伝える震災遺構はまだ数多く残っている. を続けてきたことになる.この間,特需に沸く土 これらを残すか撤去するかについては地元住民を 木建設業とは対照的に,生産業者はひたすら耐え, 二分する議論が未だ続いている状況である.クリ もがき続けてきた.委託生産等で事業は継続でき アすべき課題は多いが,もしいくつかの遺構を保 たとしても代替製品と風評被害で顧客は離れ,従 存することができれば,これまで協力的とは言え 業員であった住民は被災地外へ移り住み,補助金 なかった三陸の街が連携してそれらをつなぎ,津 で再建しても自己資金分の莫大な借金が残る.元 波の恐ろしさを伝えるためのスタディーツアーと の販路を取り戻そうとしても,再建までの間商品 いう新たな事業を創出することができるだろう. を供給していた同業他社の「棚」を取ってしまう 南海トラフ沖地震をはじめ将来に備えるための教 ことになる.新たな商品,新たな顧客,新たな販 育としても,今回被災した三陸地方の産業として 路,或いは新たな業種へ転換を図らなければなら も,検討する価値があると考えられる. ない.こうした新しい取り組みに対して,我々が 協力できる余地はまだたくさん残されているはず 最後に,今回の調査を支援いただいた慶應義塾 だ. 大学商学部新保一成教授とゼミ生の皆様,復興に 調査を進めてみると,電話・メールでの連絡だ 向けてご多忙中にもかかわらずヒアリングにご協 けではなかなかアポイントメントを取り付けると 力いただいた被災地の企業の皆様方に,心より御 ころまで至らず,知人の紹介を辿っていくしかな 礼申し上げます. かった.このため調査件数を稼ぐことが難しかっ たが,その分深く聞き取りを行うことができた. 以上 142 ケチュア語の現状 ―地域差、変容、教育 神戸夙川学院大学観光文化学部准教授 蝦名大助 触の仕方も異なる。結果としてもたらされる変容 も異なる可能性がある。接触によるケチュア語の 【目次】 1.はじめに 2.ケチュア語の地域差 3.社会の変化と接触によるケチュア語の変容 4.教育と言語保持 5.おわりに 変容を扱う際にはこの点にも注意しなければなら ない。 さらに、社会的状況の一つとして、教育にも注 目する必要がある。これまで学校教育は先住民言 語の保持にはあまり役立ってこなかった。しかし 最近、ペルーやボリビアでは先住民言語教育の推 進が唱えられ、国家的に制度が整えられようとし 1.はじめに ている。ところが、教育制度の構築には、上で述 南米アンデス地域では、近年の社会の変化に伴 べたようなケチュア語内の方言差への対応など い、先住民人口の中でスペイン語とのバイリンガ 様々な問題がある。教育によって話者数の減少に ルの割合が増えている。同時に、先住民語の話者 歯止めをかけることができるのか、ケチュア語の 数そのものが減少している。またスペイン語との 変容に教育がどのように影響する可能性があるか、 接触機会の増大に伴い、先住民語の文法体系に対 についても考察したい。 するスペイン語の影響が増している。本稿では、 先住民言語の1つであるケチュア語が支配言語で 2.ケチュア語の地域差 あるスペイン語との関係からみて現在どのような スペイン語の影響について考察する前に、本節 状況にあるのか、地域による違いや社会的な背景、 教育との関係も視野に入れながら述べる。 スペイン語とケチュア語は新大陸にスペイン人 でケチュア語の地域差について述べておく。 ケチュア語は、ペルー、ボリビア、エクアドル のアンデス地域を中心に、北はコロンビアの一部、 がやってきてから約 500 年間接触状態にあり、そ 南はアルゼンチンの一部にまで分布している。話 のことはスペイン語とケチュア語双方に影響を与 者数は研究者によって挙げる数字に多少の差はあ えてきた1。ケチュア語に対する影響は比較的近年 るが、5~600 万人程度と推計される2。一般にケ まで軽微であり、語彙の借用や音韻体系への影響 チュア「語」と呼ばれるが、1960 年代以降に広く にとどまっていたと考えられる。しかし近年は形 記述的研究が行なわれるようになったことにより、 態や統語面への影響も見られる。 内部的な差異が大きい、ということが分かってき ケチュア語はアンデス地域の広い範囲に分布し た。そのため現在では、同系の言語群からなるケ ており、内部の言語差が大きい。地域によって接 2 多くの研究者は、これよりやや大きな数字を 挙げる。例えば Adelaar (2004: 168)は 800 万人と 1 スペイン語に対するケチュア語の影響につい いう数字を挙げている。しかし近年の話者数減少 ての研究については、Adelaar (2004: 589-602) から、筆者には 5~600 万人という数字が実情に にまとめられている。 近いと思われる。 143 チュア「語族」 (Quechuan language family)と (1) miku-na さ れ る こ と が 一 般 的 で あ る ( 細 川 1988 、 eat-NMLZ muna-ni (EQ) want-1 Mannheim 1991、Adelaar 2004 など) 。 (Muysken 1981 p.56) 内部を大きく2つのグループに分けることで、 多くの研究者は一致している。すなわちペルー中 (2) miku-y-ta 央部で話される グループ( Torero の分類では eat-NMLZ-ACC muna-ni (CQ) want-1 Quechua I、Parker の分類では Quechua B)と、 それ以外の地域で話されるグループ(Quechua II (1)(2)はどちらも「食べたい」という意味を表す。 もしくは Quechua A)である。2つのグループで エクアドル・ケチュア語とクスコ・ケチュア語と は相互に通じないほど差異が大きい。 では、i) 異なる名詞化接尾辞が用いられている点、 従来、研究者の関心はそれぞれの変種(variety) ii) クスコ・ケチュア語では名詞化動詞に対格接尾 がどのように歴史的に分岐してきたかということ 辞が付くが、エクアドル・ケチュア語では付かな が中心であった。しかし、地域によっては基層言 い点、が異なっている。一般にケチュア語では、 語(substratum)の影響もみられる。例えば、後 主語以外の動詞補語が格接尾辞をとらないことは 述するエクアドル・ケチュア語の場合、ケチュア ない。したがって、エクアドル・ケチュア語のこ 語が広まる以前にこの地域では別の先住民語が話 の構文は、エクアドル・ケチュア語独自の革新だ されており、ケチュア語化する際に、基層となっ と考えられる6。 た先住民語の影響があったと考えられている3。ア このように、同じケチュア語でも地域によって マゾン地域で話されるケチュア語にも同様のこと 統語的(あるいは形態的)に異なる面があること が言える。また、ケチュア語全般について、アイ から、スペイン語との接触による変容の結果も異 マラ語との長期にわたる接触があったとされてい なるものになる可能性があることに注意する必要 るが、特に南部ではアイマラ語の影響が大きいと がある7。 考えられている。 話者数にも地域により差がある。最も多いのが ケチュア語間の差異の大部分は語彙面や音韻面 クスコ・ケチュア語である。クスコ・ケチュア語 に見られ、文法的な差異は小さいと考えられてい を中心として、隣接するアヤクチョ(Ayacucho)・ た。しかし実際には無視できない差異がある。以 ケチュア語、ボリビア・ケチュア語など、ペルー 下に、同じ II グループに属するエクアドル・ケチ 南部からボリビアにかけての地域で話されるケチ ュア語(EQ)とクスコ・ケチュア語(Cusco 4 ュア語は、スペイン語の影響が無視できなくなっ Quechua, CQ)の例を挙げる5。 ているものの、いまだ一定の活力を保っていると いってよい。これに対し、ペルー中部ではケチュ ア諸語の話者数が急激に減少してきており、活力 さらに Muysken (2009) は、長期にわたって 文法の単純化が起こったと考えている。 4 Cuzco とも表記されるが、現在公式の表記は Cusco となっているため、これに従う。なお、z が古い s 音を表しているとみて、あえて Cuzco と いう表記にこだわる研究者も見られる。 5 I グループと II グループとでは、II グループ のほうが内部の言語的な差異が小さいと考えられ ている。 が失われつつあるようである。Sanchez (2003) が 3 6 その他、所有構文などにも違いがある (Adelaar 2004: 594) 。 7 Muysken (2009: 85) は、”EQ … has undergone littule structural influence from Spanish.” と述べている。(1)(2)に見られるクス コ・ケチュア語とエクアドル・ケチュア語の文法 的な違いがスペイン語の影響によるものとは考え にくい。 144 指摘するような劇的な変化は(3節で取り上げる)、 それまでアンデス先住民人口の多くは、アシエン このような状況で起こっていると考えられる。 ダ(hacienda)に縛り付けられていた。アシエン ダには領主(hacendado)がおり、先住民は、半 3.社会の変化と接触によるケチュア語 の変容 ば奴隷のような状態におかれていた。教育へのア スペイン語によるケチュア語への影響を扱っ ため、現在 60 代以上のケチュア語話者には、スペ た研究は、ケチュア語を含む先住民語がスペイン イン語との接触機会がほとんどなかった者が多く 語に与えた影響を扱った研究に比して少ない。ス いると考えられる。そのため、モノリンガル話者 ペイン人がアメリカ大陸にやってきた当初、スペ も多く見られる。 クセスも認められないことがあったという。その イン人の数は先住民に比べて非常に少なかった。 この農地改革をきっかけに、ペルーでは 1970 そのため、先住民がスペイン語化していく際に、 年代以降、都市への人口流入が起こった。また、 基層言語となった先住民語の影響があったと考え アシエンダから解放されたことから、教育へのア られる。これに対し、先住民語への影響としては、 クセスも徐々に増えたと思われる。 1980 年代になり、ペルーはテロの時代に入る。 かつては軽度な接触による借用と、それに伴う音 韻の一部に対する影響のみを考えればよかったと アヤクチョ県ではテロリストに従わない先住民の 思われる。すなわち、多くの地域では近年まで目 虐殺も起こった。そのため、一部の地域ではこの 立った影響が見られなかったと考えられる。しか 時代に都市部に移住した者も多いと考えられる。 し近年では、二言語併用状態の急速な広がりとと しかし、70 年代から 80 年代にかけての状況だ もに、先住民語への影響が無視できなくなってい けでは現在起こっている言語接触のすべてを説明 る。 することはできない。先住民の中には農村部にと 本節ではまず 3.1.で、スペイン語の影響が無視 どまったものも多く、また、領主から解放されて できなくなっている先住民社会の変化について述 もなお、教育を受けない者もいたからである。現 べる。次に 3.2.で、クスコ・ケチュア語にどのよ 在でも、30 代以上の女性には、教育をあまり受け うな変化が起こっているかを見る。最後に 3.3.で、 ておらず、スペイン語を話せない者も見られる。 他地域の事例として Muysken (1981, 1997) と 現在見られるような接触機会の増大には、90 年 Sanchez (2003) を取り上げ、これらの研究が指摘 代以降に行なわれたインフラの整備が大きく影響 する変容とクスコ・ケチュア語に見られる変容と しているように思われる。すなわち、道路が整備 の違いについて考察する。あわせて、社会的な状 されたことにより、農村部から都市部へのアクセ 況の違いについても述べる。 スが容易になったこと。その結果、都市部の住民 との接触機会が増え、また、先住民の子弟が中等 3.1. 社会の変化 教育を受ける機会が増えたこと。都市部に定住し 近年、先住民コミュニティにおいてスペイン語 た先住民が、農村部に一時的に戻る際にスペイン の存在感がますます増してきている。ここではこ 語を持ち込むようになったこと。電力網が整備さ のような状況を引き起こす社会の変化について、 れたことによりラジオ放送を聴く機会が生まれ、 ペルーにおける状況を述べる。 その点でもスペイン語との接触機会が増えたこと、 ペルーにおいて先住民人口とスペイン語との などが挙げられる。 接触機会が増えたのは、1970 年ごろに大土地所有 しかし一方、Adelaar (2004: 258)によれば、ペ 制が廃止されたことがきっかけだと考えられる。 ルー中部では、南部よりも早くから先住民人口の 145 スペイン語化が進んでおり、いくつかの変種は消 (5) Sp.: guardia [gwardja] > 滅の危機にあるという。同じ国内でなぜこのよう Q: wardiya [wardija]「ガードマン」 な違いが見られるのか、要因の一つとして、元々 の話者数の違いが挙げられるだろう。すなわち、 クスコ・ケチュア語など南部ケチュア語は元々話 (4)ではスペイン語の [b] がそのまま [b] で、 者数が多かったが、中部ではそうではなかったと (5)では [d] がそのまま [d] で借用されている。 考えられる。また、別の要因としてクスコ・ケチ これらはスペイン語を話さない話者にも観察され ュア語の特殊性が挙げられる。クスコはインカ帝 る、比較的古い変容である。なお、(4)では [e] は 国の首都であり、そこで話されるケチュア語は、 /i/[i] として借用されている。また(5)では [gwar] 「最も正統である」として喧伝されてきた。クス は語頭の g が脱落して /war/ として、[dja] は コ・ケチュア語が話される地域でも、先住民の多 /diya/ という二音節と解釈されて借用されている。 くが、自分たちの子弟にはスペイン語を話してほ これらはいずれも、ケチュア語の音韻体系に沿っ しいと考えており、必ずしも言語の継承を望んで た形での借用である。以上、モノリンガル話者に いない。しかし、都市部を中心に、ケチュア語を も見られる点と、他の面ではケチュア語の音韻体 守らなければならない、と考える人々がいること 系が保たれている点から、(4)や(5)はケチュア語に も事実である。ケチュア語はスペイン語に対して 定着した借用語であると見られる。よって、新し prestige が低いが、同じケチュア語内では、クス い音素として/b/ /d/ /g/ を認める8。 コ・ケチュア語は相対的に prestige が高いのかも 他にケチュア語にはない子音として、f 音がある。 スペイン語の f 音は古くは /ph/ で借用されてい しれない。 たが、現在では f で借用されることが多いように 3.2. クスコ・ケチュア語における変容 見受けられる。しかし新しい音素として f 音を認 3.2.1. 音韻 めるべきかどうかは、データが少ないため明確な 3.2.1.1. 子音:有声閉鎖音 ことは言えない。 スペイン語からケチュア語には、家畜名など 様々な借用語が入っているが、初期の段階では、 3.2.1.2. 母音 借用語は完全にケチュア語の音韻体系に沿った形 クスコ・ケチュア語は、他の多くのケチュア語 と同様に、/i/ /a/ /u/ の 3 つの母音音素を持つ。こ で取り入れられていた。 れに対し、スペイン語は/i/ /e/ /a/ /o/ /u/ の 5 つの (3) Sp.: vaca [baka] > Q: waka [waka]「牛」 母音を持つ。(4)に見られるように、従来、スペイ ン語の母音 /e/ [e]は /i/で、/o/ [o] は /u/ で借用さ 一般にケチュア語には有声閉鎖音がないため、 れていた。すなわち、スペイン語の [i] と [e] が スペイン語の有声閉鎖音はケチュア語では別の音 合流して /i/ として、[u] と [o] が合流して /u/ 素に置き換えられて借用されていた。たとえば(3) として借用されていた。しかし近年では、そのま に見られるように、[b] は /w/ で借用されていた。 まの形で発話されることもしばしば観察される。 しかし現在では有声閉鎖音はそのまま借用される。 アイマラ語とケチュア語の話し手であり、言語学 (4) Sp.: valer [baler] > Q: bali- [bali] 「価値がある」 Weber (1989) も、ペルー中部で話される Huallaga Quechua において /b/ /d/ /g/ を認めて いる。 146 8 者でもある Teófilo Layme 氏は次のように述べて このような例は double plural と呼ばれ、アフリカ いる。 など他地域での言語接触でも観察されている11。 ただし、指摘しておきたいのは、スペイン語の 「昔は ventana [bentana](「窓」)のことを -s とケチュア語の -kuna が全く等価ではないか [wintana] と言っていたが、やがて [bintana] もしれない、ということである。すなわち、スペ と言うようになり、最近では [bentana] と言 イン語の -s は義務的であって、指示対象が複数の うようになった9。」 場合、必ず付加しなければならない。-s が付加さ れない場合、指示対象が単数(もしくは数えられ 多くのケチュア語話者において、[i] [e] の合流、 ない)であることが含意される。しかしケチュア [u] [o] の合流が見られなくなっているものの、混 語の場合、-kuna の付加は義務的ではなく、-kuna 同が完全になくなったとはいえない。同様に、ス が付いていない場合、指示対象が複数であるかど ペイン語の二重母音についても、そのままの形と うかは明らかではない。つまり -s と -kuna が全 単母音に置き換えられた形とが見られる。母音に く同じ意味を表しているとはいえない可能性があ 関しては、ケチュア語の音韻体系が完全に変化し る。 たとはいえない。 以上、音韻についてまとめると次のようになる。 3.2.3. 統語 i) かつては、スペイン語からの借用語は完全に 3.2.3.1. 前置詞 ケチュア語の音韻体系に沿った形で取り入れられ ていた。 ii) スペイン語の有声閉鎖音がそのまま取り入 スペイン語は動詞と補語との関係を主に前置 詞で表し、ケチュア語は格接尾辞で表す。ケチュ ア語には前置詞はない。前置詞の借用はほとんど れられるようになった。これはもはやケチュア語 観察されないが、唯一の例外として hasta「まで」 における新しい音素として認めざるをえない。 がある。 iii) 母音については、まだ完全に取り入れられ たとはいえない。 iv) 音節構造も変化したとはいえない。 3.2.2. 形態 興味深いことに、hasta は同じような意味を表 す格接尾辞を伴った名詞句に先行して現れる。 (7) hasta 名詞複数接尾辞 -s の借用が見られる。 till ukhu-maŋ inside-DAT 「中まで」 (6) wawa-s-kuna10 child-PL-PL 「子供たち」 (7)では前置詞 hasta と予格 -maŋ はどちらか一 方が現れていれば良さそうなものであるが、両者 が共に現れる例が観察される 12。(7)のような前置 そして興味深いことに、(6)のようにケチュア語 の複数接尾辞 -kuna を伴って現れることがある。 Ebina (2012)に対するコメント。 kunas という順序も可能かもしれない。しか しこの場合、s が複数接尾辞ではなく伝聞を表す clitic であるという解釈を排除できない。 詞句は、ケチュア語にはなかった新しい統語構造 である。 9 10 Winford (2004)などを参照。 hasta N-kama(-kama は「まで」を表す格 接尾辞)という組み合わせも観察される。 147 11 12 現在のところ、前置詞の借用は hasta 以外では る副詞化動詞(adverbialized verb)で現われてい 観察されていない。今後、どのような前置詞が借 る。(8)に見られるように、スペイン語の接続詞の 用されていくのか、あるいはされないのかが注目 借用は、単に接続詞という新しい文法範疇を導入 される。 するだけでなく、文法の他の部分にも影響を与え る可能性がある。Muysken (ibid.) の挙げる i と 3.2.3.2. 接続詞と従属節 piru は等位接続詞であり、従属節を導く接続詞で 中南米の多くの先住民語について、スペイン語 はない。つまり、クスコ・ケチュア語における からの接続詞の借用が報告されている。ケチュア sichus の借用のように、従属節構文にまで影響を 語については、Muysken (1997: 371) が、エクア 及ぼす借用は、他のケチュア語では報告されてい ドル・ケチュア語における i(スペイン語 y「と」) ない新しい変化だと考えられる。 と piru(スペイン語 pero「しかし」 )の借用を報 告している。しかし筆者の知る限り他のケチュア 3.3. 他地域の事例 語ではこれまでそのような報告はなかった。 3.3.1. Media Lengua クスコ・ケチュア語では条件を表す節を導く接 続詞 si「もし」の借用を観察できる。 ケチュア語に対するスペイン語の影響を扱っ た研究としてよく知られているものに、Muysken による Media Lengua の研究がある(Muysken (8) [sichus pay hamu-ŋqa], 1981, 1997) 。Media Lengua はエクアドルで話さ if s/he come-3.FUT れており、Muysken によれば、 「語彙がほぼスペ mikhuna-ta mikhu-chi-saq. イン語に由来するが、多くの点でケチュア語の意 food-ACC eat-CAUS-1.FUT 味構造・統語構造を保持している」13。次のよう 「もし彼(女)が来たら、 なものである。 私は食べ物を食べさせる。 」 (10) スペイン語の接続詞 si は、sichus という形で借 dimas-ta llubi-pi-ga, too.much-ACC rain(v.)-ADVLZ-TOP 用される。ここで注目しなければならないのは、 no i-sha-chu 従属節中の動詞が定動詞(finite verb)で現われ NEG go-1.FUT-NEG ていることである。本来ケチュア語では、従属節 「雨が降りすぎたら、私は行かない。」 中の動詞は(9)のように非定形(non-finite form) で現われなければならない。 すなわち、語幹はすべてスペイン語から来てい るが、接尾辞や統語構造はケチュア語のものであ (9) [pay s/he hamu-qti-ŋ], る。(10)では、dimas、llubi-、no、i- がそれぞれ come-ADVLZ-3 スペイン語の demás、llover、no、ir に由来する。 mikhuna-ta mikhu-chi-saq. 一方、接尾辞 -ta、-pi、-ga、-sha、-chu は本来の food-ACC eat-CAUS-1.FUT ケチュア語のものであり、統語構造もケチュア語 「もし彼(女)が来たら、 私は食べ物を食べさせる。 」 のそれである。また Muysken (1997) によれば、 13 “Basically, it is Q(uechua) with a lexicon almost completely derived from Sp, but which to (9)では従属節中の動詞は非定形動詞の 1 つであ a large extent preserves the semantic and syntactic structures of Q.” (Muysken 1981: 54) 148 エクアドル・ケチュア語は、指小辞の借用やいく つかの接続詞の借用などの点でスペイン語の影響 3.3.2. Sanchez (2003) を受けているが、文法に対する影響はあまり大き Sanchez (2003) は大規模な二言語併用の結 くないという14。Media Lengua についても、文法 果として起こっている変化について扱っている。 に関してはスペイン語の影響はあまり大きくない Sanchez (ibid.) は、ペルー中部で話されるウルク ようである。語彙面では多大な影響を受けていな マヨ(Ulcumayo)ケチュア語とラマス(Lamas) がら、文法面の影響は大きくないという点で、ク ケチュア語において、 “functional convergence” スコ・ケチュア語とは異なる変容が見られる。 が起こり、バイリンガル話者の話すケチュア語と Media Lengua はエクアドルのいくつかの地域 スペイン語が非常に似通ったものになってきてい で話されているとされているが15、同様の事例は ると指摘している。そして特に、語順と、対格接 エクアドル以外では報告されていない。このよう 尾辞 -ta の脱落を指摘している。以下にラマス・ な言語が生まれてきた背景には、特殊な社会的状 ケチュア語の例を挙げる。 況があるようである。すなわち、Media Lengua chay niñito apunta-yka-n 住民社会との中間に位置しているという16。その that point(v.)-PRG-3 ような共同体において、Media Lengua はグルー chay sapito. プのアイデンティティを示す役割を果たしている that が話される村は、都市の「白人」社会と近隣の先 ようである。このような「中間的な」位置付けの (11) child toad 「その子はそのヒキガエルを指差している」 共同体は、筆者が調査を行なっているクスコ・ケ チュア語地域では見られない。 「白人」社会でも先 (11) で は 、い わ ゆる 目 的 語に 相 当す る chay 住民社会でもない中間的な社会が存在し、またそ sapito が何も格接尾辞が付かない形で現われて のアイデンティティを表す独自の言語が発達した いるが、本来であれば対格接尾辞 -ta が付かなけ という点で、Media Lengua は特異な事例と言え れば非文法的である。筆者の知る限り、主節にお る。 いて対格接尾辞 -ta の脱落が許容されるのは、 Sanchez (ibid.) の指摘する例以外にない17。また “Only a few aspects of the grammar have been influenced by Spanish. Morphological and syntactic influence of Spanish on Quechua appears to have been rather slight” (Muysken 1997: 369) 15 “spoken in various parts of Ecuador” (Adelaar 2004: 602) 16 “The villages where Media Lengua is spoken are socially and geographically intermediate between the blanco world of the urban centers in the valleys and the neighboring Indian world of the mountain slopes... In the communities, Spanish is the language of contacts with the non-Indian world and of the school, Quechua is the language of tradition and of contacts with the Indian campesinos higher up the slopes, and Media Lengua is the language of daily life within the community.” (Muysken 1997: 374-375). 14 語順も、スペイン語と同じ SVO となっている18。 なお、例文中のイタリックはスペイン語の語形 を表しているが、指小辞 -ito を伴っている点、母 音 [o] が現れている点が注目される19。クスコ・ (1)で見た、エクアドル・ケチュア語における 対格接尾辞の「脱落」は、この構文に特有のもの であると思われる。一般にエクアドル・ケチュア 語では対格接尾辞の「脱落」は許容されないと思 われる。 18 ケチュア語は一般に SOV 言語であると考え られているが、実際には語順はかなり自由である。 従って、スペイン語の影響があることを明確に示 すためには、頻度を考慮に入れる必要がある。 19 クスコ・ケチュア語であれば、(11)の niñito は niñucha で現われるはずである(-cha はケチュ 149 17 ケチュア語では、スペイン語の指小辞 -ito は借用 language されていない。すでに指摘したように、Adelaar primarily to help the child adjust to the (2004: 258) によれば、ペルー中部ではいくつかの dominant ‘national’ culture and language, 変種が消滅の危機にあるという。Sanchez (2003) which are diffused through the schools. が挙げるウルクマヨ・ケチュア語とラマス・ケチ Often use of the Amerindian language will ュア語の例も、スペイン語化の途上にある例と考 be limited to a few subjects in the first three えられるかもしれない。 years or so. has an intermediate role, 以上、クスコ・ケチュア語の対照事例として、 エクアドルの Media Lengua とペルー中部の事例 筆者は、ペルー共和国クスコ県キスピカンチス を見た。クスコ・ケチュア語では語彙の借用はさ (Quispicanchis)郡で教育関係者に聞き取り調査 ほど多くないが、文法においていくつかスペイン を行なったが、ケチュア語が話される地域での学 語の影響が観察される。エクアドルの場合、Media 校教育におけるケチュア語の扱いは以下のような Lengua のベースとなるエクアドル・ケチュア語 ものである。すなわち、小学校に入学すると、最 で、やはりスペイン語の影響がいくらか見られる 初の 2~3 年ほどは主にケチュア語ですべての授 が、クスコ・ケチュア語に見られる複数接尾辞の 業が行なわれる。それが徐々にスペイン語主体へ 借用、前置詞の借用、および従属節構造の変化に と移行し、6 年生になるころにはすべての授業が ついては報告がない。一方 Media Lengua は、文 スペイン語で行なわれるようになるという。すな 法的にはエクアドル・ケチュア語とあまり違いが わち、ケチュア語保持のための教育は行なわれて ないようであるが、語彙がすべてスペイン語から いない。児童は家庭ではケチュア語を話すが、学 来ている特異な例を示している。最後に、ペルー 校ではスペイン語を使用することが多くなる。ま 中部でバイリンガルが話すウルクマヨ・ケチュア た、両親の多くは子供がスペイン語を話せるよう 語とラマス・ケチュア語は、文法・音韻・語彙面 になることを望んでおり、ケチュア語を話すこと すべてにおいてスペイン語の影響が強く見られる。 を望んでいない。 さらに、最近の教育改革により、3 歳から始ま 4.教育と言語保持 る幼稚園が半ば義務化された。これは、幼稚園へ ここではまず、ペルーにおいてスペイン語との 通っていなければ、小学校への入学が許可されな バイリンガルの増加を引き起こしている教育の状 いというものであるという。教育はケチュア語で 況について述べる。そして、ごく最近の教育改革 行なわれているが、必ずしもすべての教員がケチ が、ケチュア語保持に寄与する可能性について検 ュア語を話せるわけではない。さらに、幼稚園で 討する。 はアルファベットが導入されるが、母音 e、o な Adelaar (2004) では、先住民語に関する言語政 どケチュア語表記には用いられない文字もある。 策について、いくつかのパターンが述べられてい そのような文字の学習においては必然的にスペイ るが、ペルーの事例はここでいう “transitional ン語の語彙が利用されるため、児童は従来よりも model” に相当するといっていいだろう。Adelaar かなり早い段階でスペイン語に接することになる。 (2004: 606) は次のように述べる。 教材の問題もある。国が開発したケチュア語教 科書は、必ずしもそれぞれの地域方言に対応して In transitional models the non-dominant いないため、ほとんど利用されていないようであ る。筆者が視察したキスピカンチス郡の幼稚園で ア語の指小辞) 。 150 は、置かれていた教科書はクスコ・ケチュア語の 語教育のためにはある程度の標準語化も避けられ ものではなく、利用されていなかった。 ない。様々な地域変種ごとに教材を準備し教員を 一方で、非先住民系の児童に対しても、先住民 養成することは困難であるからである。仮に先住 語の教育が義務化されるという動きもあった。例 民語教育が一定の成果を収めるようになったとし えばクスコ市内では、小学校 3 年生以上のすべて ても、そのことがケチュア語にどのような影響を の児童に対し、ケチュア語教育が行なわれるよう 与えるかも注視しなければならないであろう。ま になった。ただし、授業が週あたり 1 回程度しか た、ペルーに比べ、ケチュア語の均質性が高いエ 行なわれていないことや、前述した教材不足、教 クアドルやボリビアのほうが、ケチュア語教育が 員不足などの問題もあり、学校教育がケチュア語 成功する可能性が高い。三国で先住民語教育がど 習得に寄与する、という状況には至っていない。 のように進んでいくのかも見ていく必要がある。 むしろ、ペルーの文化的な背景となるインカ族が 今後は、クスコ・ケチュア語の変容がどのよう 公用語として使用していたケチュア語を学ぶ、と に進むのか、継続してデータを収集し、観察して いう象徴的な意味しか持っていない。このように いきたいと考えている。また、本稿では扱うこと 単なる象徴的な取り組みにとどまるのか、先住民 が で き な か っ たが 、 ボ リビ ア の コ チャ バ ン バ 語保持に寄与するのか、ペルーの状況を、今後と (Cochabamba)の事例がクスコ・ケチュア語と も注視していく必要がある。 の対照事例として興味深い。コチャバンバ・ケチ ュア語は、クスコ・ケチュア語と同じ南部ケチュ 5.おわりに ア語であるため、言語的に似ている。しかし、 「ケ 本稿では、スペイン語との接触によりケチュア チュニョル(quechuñol)」と呼ばれるほど、スペ 語が現在どのような状態にあるのか、クスコ・ケ イン語の影響を受けている。また、言語教育にお チュア語を中心に述べた。また、社会的な背景に いても様々な取り組みが行なわれている。対照事 ついても扱った。 例を増やしながら、ケチュア語の変容について総 クスコ・ケチュア語では、社会の変化に伴いス 合的に考えていきたいと考えている。 ペイン語との接触機会が増大している。その結果、 スペイン語の影響は語彙や音韻にとどまらず、形 態や統語にも見られる。また、話者の多くが言語 の継承に積極的ではなく、安泰であるとは言えな い。しかしそれでも、クスコ・ケチュア語は依然 として一定の活力を保っており、今後急速に話者 数が減少したり、急激にケチュア語が変容するこ とはないと考えられる。これに対し、ペルー中部 ではケチュア語話者数の急減や言語体系の大幅な 変容が観察されており、ケチュア語が話されなく なってしまう可能性が危惧される。 ペルーでは先住民語教育が義務化されたが、現 実として、教育が先住民語保持に役立っていると は言えない。今後、教育が充実して言語保持に寄 与するようになるのかが注目される。一方で、言 151 略号一覧 Thomason (ed.) 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Cambridge University Press. Ebina, Daisuke (2012) Sobre el contacto ※本研究の調査は、科学研究費補助金若手研究 lingüístico de quechua sureño y castellano. (B)(課題番号 22720171「ケチュア語とスペイン “INTELECTUALES 語の言語接触―今まさに起こりつつある変化―」) JAPONESES REFLEXIONAN SOBRE BOLIVIA” La によって行なった。 Paz: CIDES-UMSA(口頭発表)2012/8/21. 細川弘明 (1988) 「ケチュア語族」亀井孝、河野 六郎、千野栄一(編著) 『言語学大辞典第1巻』 三省堂. pp. 1589-1608. Mannheim, Bruce (1991) The Language of the Inka since the European Invasion. University of Texas Press. Muysken, Pieter (1981) Halfway between Quechua and Spanish: The Case for Relexification. In Arnold Highfield and Albert Valdman (eds.) Historicity and Variation in Creole Studies. Ann Arbor: Karoma. pp. 54-78. Muysken, Pieter (1997) Media Lengua. in Sara 152 柿本人麻呂の漢文受容と独自な漢字表 現をめぐって ――『万葉集』第 2382 番歌をきっかけに 神戸夙川学院大学中国語非常勤講師、劉争 【目次】 1.はじめに 2.第 2382 番歌及びその関連歌 3.各句表現についての考察 4.「満行」と「正一人」から見る柿本人麻呂の漢文受容とその表現の独自性 5.結論 ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――― 1.はじめに 柿本朝臣人麻呂は万葉歌人の一人として、代々の歌人たちに歌聖として崇拝され、日本 の歌道に強い影響を及ぼした人物と言える。『万葉事典』1に評価されている通り、万葉集 における作歌や人麻呂歌集の採録状況からも万葉歌人が、人麻呂の歌を尊重し、人麻呂歌 集の分類様式を万葉集編纂の範とした事実を知ることができるし、平安以降にあっても、 古今集仮名序で紀貫之が人麻呂を「歌のひじり」として崇拝と称することから人麻呂の重 要性が明らかである。 また柿本人麻呂の修辞について『万葉事典』2ではこう評価する。 「類聚的に編纂されて いた古体歌においては、抒情の形として短歌形式が確立し、口誦の呪的称詞に由来する枕 詞や、口誦の発想様式であった序詞が、記載の修辞としてとらえ直され、一首の抒情を積 極的に担うようになる。また、中国文学の知識にもとづき、呪術的な自然観を脱した新し い発想による歌を作り、新しい歌の形式として旋頭歌を試みた。 」 万葉集における中国文学や仏教思想の受容などについてすでに多くの研究3に指摘され たのである。柿本人麻呂も七夕の歌を始め、中国の文化の影響を受けたとされている。彼 の作風について「その動機は多くは儀式的で、宗教的・政治的・社交的なものであったが、 その表現においては、一方では在来の口誦的な祭式詞章・民間歌謡の伝統やエネルギーを 153 継承しつつ、他方では『文選』をはじめとする中国文学が外来文化を柔軟に消化吸収して、 その場の享受者を魅了するに足る、清新で活力ある文芸としての抒情詩を確立した」。4 しかし、柿本人麻呂の独自性は決してすべてが中国文学、中国文化からの受容であると して理解してはならない。あくまでにヒントを与えたのに過ぎないと考えてよいであろう。 柿本人麻呂は独特な修飾語を駆使することで美しい風景を立体的に構築することも成功 していると考える。 「人麻呂の短歌は短歌形式のもつ内在律や表現力を多様に追及している」 5 。例えば有名な夕波千鳥、月船星林の歌、 266 番歌 淡海乃海 夕浪千鳥 汝鳴者 情毛思努尓 古所念(あふみのうみ ゆふなみちど り ながなけば こころもしのに いにしへおもほゆ) 1068 番歌 天海丹 雲之波立 月船 星之林丹 榜隠所見(あめのうみに くものなみたち つきのふね ほしのはやしに こぎかくるみゆ) うち、千鳥の例は躍動感があって、鳥の動きを想像することから、波となる水の立体的 な構図が作り上げたのである。また、星林の例は星を森のように例えて、船が森の中に入 っていけるような空間を作り上げたのである。266 番歌について、『日本古典文学大辞典』 は「初句と第二句とを体言でおさえ、名詞を重ねて情景を構築する漢語的造語法をとりつ つ、第三句でも休止し、七七の下句に懐古の感情を波打たせる。 」6とも指摘している。こ のような表現と表現の発想は柿本人麻呂の独自のものと見るべきである。 ほかにも多くの先行研究7では柿本人麻呂の「独自性」についての研究は多く行われてき たが、本論は今までの研究ではほとんど注目されなかった柿本人麻呂の独自性が凝縮して いる一首の小さな作品について考察を試みる。 彼の作品である、略体歌の第十一巻の第 2382 番歌は誠に平凡な一首に見えるこの歌から 見られる柿本人麻呂の独自性を見出す考察を本論とする。日本上代における中国文化の受 容に関する一例として漢字の選択とその独自性の関係を探るべく、『万葉集』第 2382 番歌 を一例として取り上げて論考する。 2.第 2382 番歌およびその関連歌 巻十一.第二三八二番歌 (うちひさす 打日刺 みやぢをひとは 宮道人 雖満行 吾念公 正一人 みちゆけど あがおもふきみは 歌の大意は「 (うちひさす)都大路を人は 溢れて通るが ただひとりのみ) ここから愛するお方は ただ一 8 人きり」 と理解できる。 この歌は第十一巻正述心緒部に位置する略体歌である。この歌は第三句までは序の形を取 っていて、 「わがおもふきみはただひとりのみ」というのは本意であろう。9 『万葉集古義』10(鹿持雅澄)では、この歌を第四巻485番歌、反歌486番歌、第 十三巻3248番歌、反歌3249番歌と「思い合わすべし」と把握している。 では、関連各歌も合わせて見てみよう。 まず、第 485 番歌について、万葉集では岡本天皇の御製一首併せて短歌としているが、先 154 行研究では「君」の表現は作者は皇極天皇ではないかと推測する。 485番歌:神代従。生継来者。人多。国爾波満而。味村乃。去来者行跡。吾恋流。君爾 之不有者。昼波。日乃久流留麻弖。夜者。夜之明流寸食。念乍。寐宿難爾登。阿可思通良久 茂。長此夜乎。 (かみよより あれつぎくれば ひとさはに きみにしあらねば ひるは くににはみちて けど あがこふる はみ おもいつつ おもねかてにと あかしつらくも あぢむらの ひのくるるまで よるは かよひはゆ よのあくるき ながきこのよを) 大意は人がいっぱい国土に満ち溢れてあじ鴨のように群がって往還してはいるが、わたし の嘆き恋い慕っているあの方ではないので、昼は暮れるまで、夜が明けるまで思いつつ眠れ ないと理解できる。 第 485 番歌の反歌として第 486 番歌がある。 486番歌:山羽爾 (やまのはに 味村 あぢむらさわき 去奈礼騰 吾者左夫思恵 君ニ四不在者 ゆくなれど われはさぶしゑ きみにしあらねば) 歌意は大体、あじの群鳥の騒ぎていく如く、国内道路を満さわぎて人は多く行くけど、一 人だに我が恋しく思う君にあらねば、なぐさむ意もなく、一筋にさぶさぶしく、さてもかな しく思う事哉なりの意味である。 3248番歌:式嶋之 君目ニ恋八将明 (しきしまの ほり 山跡之土丹 人多 満而雖有 藤浪乃 思纒 若草乃 思就西 長此夜乎 やまとのくにに ひとさはに みちてあれども ふぢなみの おもひもと わかくさの おもひつきにし きみがめに こひやあかさむ ながきこのよを) 歌意は大体、人が多く満ちているが他の人には目もとどまらず、心より思うのは君一人の 容儀であるという11。 3249番歌:式嶋乃 (しきしまの 山跡乃土丹 人二 有年念者 やまとのくにに 難可将嗟 ひとふたり ありとしおもはば なにかなげかむ) 大意は式嶋の国に我が思う人が二人あると思ったならば、どうしてこんなに嘆きませんぞと いうと理解できる。 要するにこの歌は世の中の「人多い」と私の中では「一人だけ」の存在の対比を通して一 筋の恋を表すものだと見てよかろう。また、各注釈書もこの点について特に異議がないよう である。 以上のように、関連歌を見てみると、いずれも「多い」と「一つ」の量的な対比を通して 「君」を思う強い気持ちを表現している歌である。しかし、同じ趣旨でも歌の作者も異なる し、 歌の背景も異なることからそれぞれの歌はそれぞれの表現を通してその趣旨を歌ってい 155 るのである。 3.各句表現についての考察 第一句「うちひさす」は枕詞であると、各注釈書12により確認できる。ここでは主な対 象として考証しないことにする。 そして、第二句の宮は「平城京」 「藤原京」かの問題もある。完訳13は「平城京」として いる。柿本人麻呂の生年推測――653年~709年(55歳~57歳) 『日本古典文学大 辞典』14、また柿本人麻呂歌集の二百首近い略体歌には天武九年(680年)以前に人麻 呂によって筆録された歌が多いことから見れば、「藤原京」だと思われる。当時の「宮道」 の状況に関しては、 『飛鳥藤原の都』15(岩波書店)という本が参考になる。 第 2382 番歌について、今までの研究で問題とされているのは第二句である。第二句「宮 道人」は第三句と関わるものであり、 『校本万葉集』16により、その訓読みが問題されてい るとわかる。それぞれ、 「宮道人」を「みやぢをひとは」 (古葉略類聚鈔)、 「みやぢのひとは」 (寛永版、諸本) 、 「みやぢにひとは」 (嘉暦伝承本)と読まれる説がある。各注釈書17は殆 ど「みやぢをひとは」と従うが、 『契沖全集』 18は「みやぢのひとは」としている。「を」 、 「の」 、 「に」の読み方によって歌全体の意味に関わるものであり、詳しく考えてみたい。第 二句と第三句は緊密な関連があるので、まず第三句の訓読みを確かめたい。 第三句「雖満行」は「みちゆけと」 (寛永版)、 「おほかれと」 (西本願寺本、京都帝国大学 本)と訓読される( 『校本万葉集』19)。この二つに読み方に関して、 「満」という漢字に対 する読みを調べたところ、 「おほ」というほかの例は『万葉集』では一つも見当たらなかっ た。 要するに「おほ」という読みは無理があると思う。むしろ、「満」を「みち」と訓んだほ うが妥当であろう。そして、 「満行」 (みちゆけと)という「満」と「行」の組み合わせ方も 『万葉集』では唯一の例となっていて、柿本人麻呂の独特な表現と思われる。 その独特な表現はどこから思いついたのであろう。中国の漢文例と併せて考えるべく、 漢文の用例と比較してみたいと思う。『全唐詩』20では「満」と「行」が綴っている例は 9 例しかない。 第一例 「吊白居易」 (李忱) 綴玉聯珠六十年,誰教冥路作詩仙。浮雲不系名居易,造化無為字楽天。 童子解吟長恨曲,胡児能唱琵琶篇。文章已満行人耳,一度思卿一愴然。 ここの「文章已満行人耳」は「文章はすでに通行人の耳にいっぱい入っている」と理解で 156 きる。 「文章」は名詞である。 「満」は動詞である。 「行人耳」は「道を歩く人たちの耳」の 意味でやはり名詞である。要するに、「名詞~動詞~名詞」のパターンである。 第二例 「流夜郎永華寺、寄尋陽群宮」(李白) 朝别凌煙楼,賢豪満行舟。 暝投永華寺,賓散予独醉。 愿結九江流,添成万行涙。 写意寄庐岳,何当来此地。 天命有所悬,安得苦愁思。 ここの「賢豪満行舟」は「紳士たちで船がいっぱいである」と理解できる。「賢豪」は名 詞で、 「満」は動詞で、 「行舟」は名詞である。第一例と同じパターンである。 第三例 「自代内贈」 (李白) 宝刀截流水,無有断绝時。妾意逐君行,缠绵亦如之。 別来門前草,秋巷春转碧。掃尽更還生,萋萋満行跡。 (続きを省略) ここの該当箇所は「萋萋满行迹」の一句に当たる。 「萋萋」は草が生い茂ている様子を指 すので、ここで「生い茂る草」と理解するべきである。要するに名詞である。「満」は「あ ふれる」の意味で動詞である。 「行跡」は「行ったり来たりする人たちの足跡」の意味でや はり名詞とするべきである。 第四例 「送李秀才入京」 (顧況) 五湖秋葉満行船,八月霊槎欲上天。 君向长安余适越,独登秦望望秦川。 該当箇所の「秋葉」は秋の落ち葉の意味で名詞である。秋の葉っぱが舟にいっぱい落ちて いる様子を描いている。 「満」はやはり動詞として使われる、 「あふれる」の意味である。 「行 舟」は「行く船」の意味で名詞である。上の三例と同じパターンである。 第五例 「立徳新居」 (孟郊) 157 (前略) 崎岖有懸歩,委曲饒荒尋。 遠樹足良木,疏巢無争禽。 素魄衔夕岸,緑水生暁潯。 空昿伊洛視,仿佛潇湘心。 何必尚遠異,忧労满行襟。 (続きを省略) この一首の該当箇所は「忧労满行襟」の一句である。「心配や苦労の涙や汗等はよく働い て動く衣服にあふれている」と理解である。ここの「行」は服の意味の「襟」の形容詞とし て使われている。従って、名詞~動詞~名詞のパターンである。 第六例 「送裴璋還蜀因亦懐帰」 (雍陶) 客在剣門外,新年音信稀。自為千里别,已送几人帰。 陌上月初落,馬前花正飛。離言殊未尽,春雨满行衣。 「春雨満行衣」は「春の雨は道を歩く人の服を濡らした」意味であり、「春の雨」は服にい っぱい落ちたと理解するべきである。やはり、名詞~動詞~名詞のパターンであろう。 第七例 「偶題二首」(杜牧) 労労千里身,襟袂满行塵。深夜懸双涙,短亭思遠人。 蒼江程未息,黑水夢何頻。明月軽桡去,唯慶釣赤鳞。 有恨秋来扱,無端別後知。夜闌終耿耿,明髪竟遅遅。 信己凭鸿去,帰唯与燕期。只因明月見,千里両相思。 ここでは「襟袂满行尘」の一句について、「襟袂」は名詞として理解しやすいであろう。 「行」はやはり「ほこり」の意味の「尘」の形容詞と読み取れるので、「服には旅のほこり でいっぱい」の意味である。要するに「満」は動詞である。 第八例 「贈陳望堯」(李咸用) 若説精通事芸長,詞人争及孝廉郎。秋蛍短焰難盈案,隣燭余光不満行。 鵠箭親疏雖異的,桂花高下一般香。明時公道還堪信,莫遣錐鋒久在囊。 158 該当箇所「隣燭余光不満行」の一句ですが、「隣の蝋燭の光は道を照らすのに十分ではな い」と理解できる。ここの「不」は「満」の否定であり、典型的な動詞の用例である。 第九例 「秋晩途次」 (任翻) 秋色満行路,此時心不閑。孤貧遊上国,少壮有衰顔。 衆鳥已帰樹,旅人犹過山。萧条遠林外,風急水潺潺。 最後の一例、 「秋色」は「行く道路」にあふれていると理解しやすいであろう。以上の 9 例は例外なく、すべて名詞~動詞~名詞のパターンである。この語順は中国語文法の語順に もふさわしい。以上は漢籍の例だが、次は万葉集での用例と比較してみよう。 万葉集では「満行」の例はほかにないが、「満来」の例(121番歌、617番歌、91 9番歌、3159番歌、3243番歌、4211番歌)はよく見られる。しかし、 「満」は 殆ど「海の塩が満ちてくる」という意で、 「~てくる」という複合動詞になる。要するに「来」 は「満」を修飾するものだ。だが、 「満行」の場合は「人が満ちていく」というふうに理解 しがたい。したがって、逆に「満」は「行」を修飾するものだと理解されるだろう。「満」 は「みちる、みたす、みちること」で、 「数が萬に至る」の意味を持っている。『左氏、閔、 元、萬盈数也、服注』 「数従一至萬為満。」という。この歌は「宮道人」の数の多さを強調し て、第五句の「正一人」と対照するもので、「満」はその「数の多さ」を形容する役割で使 われたのだと思われる。 ではここで第二句全体の問題に戻る。第二句「みやぢ( )ひとは」の( )は「を」、 「の」 、 「に」の問題については『万葉秀全注』 (稲岡)は「を」のほうが多数の人々の動き を印象する効果があると言っている。 まず、 「を」は『万葉集』462番歌「長き夜をねむ」、1881番歌「春日野を行きかへ り」のように、動作の成立するときや場所を表すのだ。 (『時代別国語大辞典』21(上代)) 。 「に」は872番歌「山の上に領巾を振りけむ」のように動作の起こる、あるいは状態の成 立する場所、時間を表す(A) 。また、436番歌「手に巻き持ちて」のように動作の帰着す る対象を表す役割(B)もある。第三句では「満」が「行」を修飾することとしたら、「行」 が主な動詞であって、第二句は「に」とすれば、動作のある状態、あるいは静止な動作状態 が行われる場所を表すのになる。 「を」のほうが「行」という動作の動きや人々の流れを表 すことができる。また、 「満」という漢字は「盈溢」 (『説文解字』という動きのある意味が あって、第二句も「を」としたほうが前後呼応になるのであろう。要するに満ち溢れるよう に歩くという情景を生き生きと描いているのだ。 159 第四句「吾念公」 、第五句「正一人」はこの歌の中心である。 「ワカヲモフキミハタタヒト リノミ」 」 (寛永版、細井本22) 、 「ワレカヲモフハキミタタヒトリ」 (温故堂本、細井本、京 都帝国大学本、嘉暦伝承本) 、 「ワレカオモフハキミタタヒトリ」 (西本願寺本)。主に「吾」 を「わか」と読むのか、 「われか」と読むのかの問題と、 「は」を「おもふ」の後につくのか、 それとも「きみ」の後につくのかの問題である。各注釈書23は調べたところ全部「あがお もうきみはただひとりのみ」としている。まず、 「われかおもうは」と「わがおもうきみは」、 「きみただひとり」という表現は万葉集では一つも例がない。それに対して、 「あがおもう」 の例は2793、2736、3277番歌など例が多く見られるため、各注釈書の従ってい る読みは妥当だと思う。 第五句「正一人」の漢字表現の問題として「ただ」の漢字について「唯」 「直」 「但」では なく、 「正」が選択された理由を論じてみたい。むしろ、これはこの歌を理解するには最大 の課題だと考える。 『万葉集』では「ただ」の漢字として「正」を使ったのはこの二三八二番歌だけである。 そのほかに「直」が一番多くみられて、 「但」と「唯」もある。 「ただ~のみ」と読まれるの は2078番歌「直一夜耳」 、2311番歌「直一目耳」、2751番歌「但一耳」、307 5番歌「直一目耳」がある。また、 「ただひとり」と読まれるのは3889番歌「但独」が ある。1885番歌「唯人者舊之 応宜」以外は「ただ」が意味的には全部限定を表すもの である。 「ただ~のみ」のほうが「ただ~」より更に限定を強調するのは理解しやすい。だ が、 「吾念公 正一人」は限定の意味だけではない。ほかの歌と異なるある気持を表すため に「正」が選択されたのである。人麻呂が「正」という漢字を通してどんな意味を表そうと したのだろうか。 まず、 「正」について『説文解字』24では「正、是也。古文正从一足足者亦止也。」と解 釈している。要するに、是という事と、一をもって止める、または足りるという意である。 また「直」について、 『廣雅』は「直、貞、正也。」としている。 『説文』では「直」は「正 見」の意味であるという。次は「貞」について『易・乾』25では「文言曰、貞固足以幹事。 」 何注曰: 「貞、信也。 」そして、 『張衡・思玄賦』 26「慕古人之貞節。注:衡曰、貞、誠也」 という。最後に「誠」については『説文解字』では「信也」という。要するに「貞」は「誠」 と「信」の意味と関わっているのが分かる。では、 「正」は「直」と「貞」どういう関係を 持つのだろうか。順番に見ていこう。 直、 『説文解字』27「正見也」という。「偏らない、曲がらない」という点では「正」と 相通している部分があるが、 「誠」の意味はない。『玉篇』28では「直、不屈也。」とある。 万葉集では2311、3075番歌のように「一目ぼれ」の意味で使われる場合が多い。ま さに「正見」という意味に当たるのだ。 正、 「止」 「足」の意味があって、要するにそれだけで十分、それでいいという意味が取れ 160 る。そう言ったところで、 「直」と異なる。また、正は「貞」の意味を含めているのではな いかと考える。即ち、 「誠」と「信」の意味を持っている。『論語・述而』29「正弟子不能 学也」はその例であると考える。 また、 「唯」に関しては、 『廣雅・釈詁』30は「唯、独也」という。限定の助詞として「一 人」の意味を表す場合が多い。 『易、同人』 「唯君子為能通天下之志」。 「唯」も「誠」の意味 が持たない。 「但」の場合、 『史記・劉敬伝』31「匈奴匿其壮士肥牛馬、但見老弱羸畜。」 『史記・扁鵲伝』32「但服湯ニ旬而復故。 」の例のように「それのみ」の意味である。要す るに限定だけではなく、量の少なさなど、話し手の想像或いは希望より少ない、弱い場合を 強調するものだ。当然、これも「誠」と関係ないのだ。 『全唐詩』33では「正一~」の例は3例ある。 第一例 「次北固山下」 (王湾) 客路青山外,行舟緑水前。潮平两岸闊,風正一帆懸。 海日生残夜,江春入旧年。郷書何処達,帰雁洛阳辺。 第二例 「到郡未泱日登西楼見楽天題詩因即事以寄」 (劉禹錫) 湖上收宿雨,城中无昼塵。楼依新柳貴,池帯乱苔青。 云水正一望,簿書来繞身。烟波洞庭路,愧彼扁舟人。 第三例 「題桃樹」 (杜甫) 小径昇堂旧不斜,五株桃樹亦从遮。高秋総喂貧人実, 来歳還舒満眼花。帘戸毎宜通乳燕,儿童莫信打慈鴉。 寡妻群盗非今日,天下車書正一家。 そして、具体的に『万葉集』の歌を見てみる。右に述べた通り、「ただ~のみ」は四つの 歌に出現された。 2078番 玉葛 不絶物可良 づら たえぬものから 2311番 皮為酢寸 佐宿者 年之度爾 二遍徃来 君爾 直一夜耳(たまか さぬらくは としのわたりに 穂庭開不出 恋乎吾為 玉蜻 161 ただひとよのみ) 直一目耳 視之人故爾(はだすす き ほにはさきでぬ こひをあがする たまかぎる ただひとめのみ みしひとゆゑに) 2751番 すさのいりえの 3075番 のしぬといふ 味乃住 渚沙乃入江之 荒礒松 我乎待児等波 間無想念者(あぢのすむ ありそまつ あをまつこらは ただひとりのみ) 如此為而曾 人之死云 藤波乃 直一目耳 見之人故爾(かくしてそ ひと ふぢなみの ただひとめのみ みしひとゆゑに) そして、 「但独」の例、 3889番 人魂乃 佐青有公之 をなるきみが 但独 相有之雨夜乃 ただひとり あへりしあまよの 葉非左思所念(ひとだまの さ ___しおもほゆ) 以上の歌の共通点を取り上げて言うと、まさにその想像、希望より少ない場合の「たった ひとつ」の存在の強調である。だが、第 2382 番歌は「正」という「誠」 「信」の意味を含ん だ漢字を通して、女性が恋人に対する気持を適切に表すことができたのだ。その気持は唯一 で、しかも、決して想像、希望より少ない存在ではない。それは一人だけで十分、一人だけ がその女性の全部、もうほかの誰と出会いたい気もしない感情ではないか。それがこの歌の 特徴として「正」が選択された理由だと考える。 4.「満行」と「正一人」から見る柿本人麻呂の独自性 以上の2382番歌の考察を通してこの歌の独自性としての「満」と「正」の例を見てみ よう。 漢字採用の独自性として二つのポイントが挙げられる。第三句の「満」と第五句の「正」 である。 漢字は「音」 、 「形」、 「意」という三つの要素があるとされるが、「音」とは発音のこと、 「形」とは漢字の書き方や形の外見を指す、最後に「意」というのは漢字が代表する意味、 中身のことである。日本語も中国語も漢字を使っている。要するに形は同じである。しかし 言語自体が異なることから当然同じ漢字でも発音が異なる。では、中身の意味のほうはどう だろう。 まず、 「満」について、漢籍では動詞として使われるが、第 2382 番歌では動詞の「行」の 前に置いて「行く、歩く」という動作の様子を表現する役割をする。要するにこのような使 い方は日本語の文法の語順と一致するが、同時代の日本の作歌にはほかに例がほとんどなく、 漢籍の用法とは異なるのである。 「満行」のような表現は柿本人麻呂の創作ではないかと考 えられる。 次に挙げられるのは「正」である。「正」その漢字自体はよく見られる漢字ではあるが、 「ただ」の漢字としてはあまり使われない。また「正一人」のような表現も万葉集ではほか 162 に用例は見られない。一方で漢籍では「正」 「一」 「~」のような表現はよく見られ普通の用 法である。 柿本人麻呂は漢籍の理解をもってこの一句を書き下ろしたのではないかと推測で きる。これも彼の創作と考えられる。 いずれにしても、第 2382 番歌は極普通の一首とされてきたが、意外にも二つもの「創作」 が隠されている。 2382番歌は秘かに作者である柿本人麻呂の独自性を我々後世の人々に 見せている。 柿本人麻呂の創作であるが、 二か所の創作は同じパターンの創作ではないことに注目した い。 「満行」のほうは漢字の字そのものの形を使って、日本語の語順に合わせた使い方であ る。一方で「正一人」のほうは日本語の発音に合わせて日本語では全然使わないような漢字 選択をして漢語と同じように表現する使い方である。 ここで、和製漢語の形成にも関連する問題になるが、日本漢語はイコール字音語であり、 そのうち三つのジャンル分けとされている 34、それぞれ純漢語(中国由来の語)、変容漢語 (意味的、形態的に変化した語)、和製漢語(日本で作られた語)である。もしこの三つのジャ ンルに当て嵌めさせるのならば、 「満行」は和製漢語、「正一人」は純漢語と言えるだろう。 「満行」と「正一人」のいずれにしてもこれらは柿本人麻呂の漢字理解と表現意図によって 2382 番歌のために選び抜かれた漢字たちである。2382 番歌は柿本人麻呂のほかの代表作と 同じように彼の表現の独自性が窺われる一首であり、彼の思想と感性を理解するのに重要な ヒントを与えてくれる一首である。 5.結論 本稿は柿本人麻呂の作歌、 万葉集巻11に収録される第 2382 番歌について考察を試みた。 各句の考察比較に基づいて、 ほかの関連作歌及び万葉集全体では特徴的な漢字組み合わせ例 「満行」と漢字「正」の独自性を示した。 「満」と「行」の異例的な組み合わせについて、その表現手法はある程度、漢籍の影響を 受けたと考えられるが、日本式の言語習慣と結合した結果、独特のものとなったのである。 また「正」は「ただひとりのみ」の「ただ」の漢字に選択されたのは明らかに漢籍の影響 を受けたと思われる。 「正」という漢字の背後には「正」という符号が代表する文化や思想 が存在しているのであろう。 柿本人麻呂をはじめとする万葉歌人らの作品からは、漢字というツールを経由した日中双 方の交流が見られるのである。 古代の日本歌人らは中国と共通する漢字というツールに各自 の思想と文化に基づいた理解を付与したり、また漢字というツールを通して伝わってきた中 国文化を受容したりしていたのであろう。 本稿で提示した万葉集における柿本人麻呂の漢字用例のような独自性は現代の日本社会 および中国社会になっても漢字使用に尚深い影響を残している。 漢字はすで日中両国の共通 の言語記号となっている。そしてこの共通記号は過去と現在、そして未来へと日中それぞれ 163 の言語を使う人々の心と歴史を繋ぎ、ますます活躍し変容していくものであろう。 稲岡耕二『万葉事典』(学燈社 1994 年) 『万葉事典』同注1 3 契沖『万葉代匠記』 、小島憲之『上代文学と中国文学』(塙書房)、中西進『万葉集の比較 文学的研究』(桜楓社)、芳賀紀雄「万葉集比較文学事典」『万葉集事典』(学燈社 1994 年) 4 日本古典文学大辞典編集委員会 『日本古典文学大辞典』(岩波書店 1983 年) 5 同注 4 6 同注 4 7 稲岡耕二 『人麻呂の表現世界』(岩波書店 平成 3 年)、神野志隆光『柿本人麻呂研究』 (塙書房 平成 4 年)、品田悦一「人麻呂作品における主体の獲得」『国語と国文学』平成 3 年) 8 小島憲之、木下正俊、東野治之 『新編日本古典文学全集 万葉集』(小学館 1995) 9 斎藤茂吉 『万葉秀歌』(岩波書店 1968) 10 鹿持雅澄 『万葉集古義』(高知県文教協会 1982) 1 2 11 青木生子『新潮日本古典集成万葉集』(新潮社 1978)、土屋文明『万葉集私注』(筑摩書 房 1949)、高木市之助『古典文学大系万葉集』(岩波書店 1957)、稲岡耕二『万葉集全注』(有 斐閣 1998) 13 小島憲之、木下正俊、佐竹昭広『完訳日本の古典 万葉集』(小学館 1982) 14 日本古典文学大辞典編集委員会 『日本古典文学大辞典』(岩波書店 1983) 15 坪井清足『飛鳥藤原の都』(岩波書店 1985) 16 佐々木信綱等編『校本万葉集』(校本万葉集刊行会 1925) 17 斎藤茂吉 『万葉秀歌』(岩波書店 1968)、窪田空穂『万葉集評釈』(東京堂 1948)、 沢潟久孝『万葉秀注釈』 (中央公論社 1970)、稲岡耕二『万葉秀全注』 (有斐閣 1998)、土屋 文明『万葉集私注』(筑摩書房 1949)、高木市之助『古典文学大系万葉集』(岩波書店 1957)、 小島憲之『新編日本古典文学全集』(小学館 1994)、青木生子『新潮日本古典集成万葉集』 (新潮社 1978)、小島憲之、木下正俊、佐竹昭広『完訳日本の古典 万葉集』(小学館 1982) 武田祐吉『万葉集全注釈』 (角川書店 1957) 18 契沖『万葉代匠記巻二』(朝日新聞社) 19 『校本万葉集』同注 16 20 『全唐詩』(中華書局 1985) 21 『時代別国語大辞典』上代語辞書編修委員会編 (三省堂 1967) 22 『校本万葉集』同注 16 23 同注 17 24 [漢]許慎『説文解字』江蘇古籍出版社(2001) 25 宇野精一、平岡武夫『全釈漢文大系 易経』 集英社(1974) 26 [梁]蕭統編 [唐]李善注『文選』上海古籍出版社(1986) 27 同注 24 28 顧野王編選『原本玉篇残巻』 中華書局(1985) 29 孔子『論語』中華書局(2006) 30 [魏]張揖選、[隋]曹憲音『広雅』 台湾商務印書館(1966) 31 司馬遷『史記』中華書局(1982) 32 同注 31 33 彭定求選『全唐詩』中華書局 (1979) 34 陳力衛 『和製漢語の形成とその展開』日本大学博士(文学)論文 乙第 6270 号 12 164 プルードンはどのような意味で社会主義者か ーサン=シモン主義からの影響と二つのプルードン的理念ー 神戸夙川学院大学観光文化学部講師 伊多波 宗周 ルードン思想の外枠を確定すること。具体的には、サ 【目次】 ン=シモン晩年の『産業者の教理問答』 (1823-1824) 1.はじめに とプルードン最初の主著『所有とは何か』 (1840)の比 2. 「社会主義」の定義と歴史的経緯 較を中心に、初期プルードン思想が、どの程度サン=シ 3.サン=シモン的社会主義の概略 モン的社会主義の影響下にあったかを明らかにする 4. 『所有とは何か』に見られるサン=シモンの影響 (第3・4節) 。三番目に、アナーキズムが、社会主義 5. 『革命の理念』におけるアナーキズムの理念 の理念をどう継承しているかを考察すること。 『十九世 6.アナーキズムの理念の背景にある「進歩」概念 紀における革命の一般理念』 (1851)を主たるテクスト 7.連合主義の理念はいかに生み出されたか に考察する(第5・6節) 。最後に、連合主義が主張さ 8.結論 れた意義を明らかにすること。それが、アナーキズム とは別の仕方で社会主義の理念を継承する思想である 1.はじめに ことを確認し、プルードン思想の展開上、内的必然性 プルードン(PROUDHON, P.-J. 1809-1865)はど をもって導かれたことを明らかにする(第7節) 。 のような意味で社会主義者か1。サン=シモン、フーリ エと並び、フランス初期社会主義の代表と数えられて 2. 「社会主義」の定義と歴史的経緯 いるプルードンについて、改めてこのような問いを発 するのは、二つの理由による。一つには、社会思想史 プルードンが自身を社会主義者と規定することは稀 的な関心、すなわち、彼が同時代の社会思想の中で占 である4。とりわけ『経済的諸矛盾の体系』 (1846)で めた位置を測るため。もう一つには、哲学的な関心、 繰り返されるように、自らを既存の学派に位置づけず、 すなわち、彼の代名詞であるアナーキズムの思想と、 「政治経済学l’économie politiqueも社会主義も同等に 後期になって唱えられる連合主義 fédéralisme とは、 ど 誤っている」として自説を提示することこそ、彼の行 の程度まで連続性をもった議論であるのかを測るため 論の定型とも言えるだろう。しかし、やはりプルード である2。つまり、はっきりと定義された「社会主義」 ンは、根本的に社会主義者であったと考えられる5。と を基準に用いることで、他との区別、内的展開という ころで、そもそも社会主義とは何か。 デュルケームは、社会主義を二段の条件で定義してい 二つの観点からプルードン思想の解像度を上げようと る。第一段として、社会理論のうちでも、 「純粋に思弁 いうのが本稿の狙いである。 的で科学的な社会理論」と対置される理論、すなわち「改 行うべき作業は四つに大別できる。まず、 「社会主義」 をはっきりと定義すること。定義に関してはデュルケ 革réformesを提案する」 「実践的理論」であること。そ ームの『社会主義およびサン=シモン』 (19283)にほぼ れは、 「何よりもまず、経済のあり方l’état économique 依拠し、若干の補足的考察のみ加えてこの作業を終え について、変革transformationを要求する理論」である る(第2節) 。次に、他の社会主義思想との比較からプ (S46-47=28-29) 。けれど、その条件だけでは、一部の 165 自由主義経済学なども含まれる。それゆえ、どの方向へ 点、補足する。一つは、混同されがちな共産主義との の変革を目指すのかという、内容に関する第二段の条件 違いについて。もう一つは、歴史的経緯についてであ で定義しなければならない。その定義とは、 「現に拡散 る。 的なdiffuses経済的諸機能の一切、または、そのうちの 共産主義との違いについて、デュルケームはおよそ 若干のものを、社会の指導的で意識的な中枢部に結びつ 次のように整理している。経済的諸機能と公的機能の けることrattachementを要求するすべての学説」 「結合」に社会主義の本質があったのに対し、共産主 (S49=31)6というものである。この「結合(結びつけ 義は、正反対に、両者の「分離 séparation」を目指す ること) 」あるいは、 「組織化organiser」にこそ社会主義 (S62=47) 。社会主義が富の社会化を旨とするのに対 の本質がある7。通常、 「私的機能」とされ、社会の中で し、共産主義は、あらゆる富を有害と見なし、それを 組織化されていない経済的諸機能を、 「社会の指導的で 社会の外に置こうとする(S64=49) 。共産主義は、私 意識的な中枢部」 、すなわち、 「国家」に代表される「公 有財産を利己主義の源泉と見なし、その利己主義から 的機能」へと結合すべく変革を要求する学説、これが社 不道徳が生まれると捉えるが、それは経済的事実 fait 会主義である(S47=29) 。 économique に基づかず、抽象的道徳に留まっているの このように定義された社会主義は、 (新)自由主義者 である(S66=52) 。なお、デュルケームは共産主義を が批判する「集産主義 collectivism」 「計画主義」と重 平等主義的精神 esprit égalitaire で定義するのは不適 なり合うものではない8。後者が、基本的に中央集権的 当と考える。なぜなら、それは、富の社会的役割 rôle な統制に基づくものであるのに対し、社会主義一般の social を最小限にすべきという原則の、原因ではなく結 本質としての「結合」は、デュルケームが強調するよ 果と言えるからである(S97=89) 。共産主義は、経済 うに、経済活動の国家への「従属 subordination」を指 的機能を社会生活の周辺部に置こうとする禁欲主義 すものではないからだ(S49=31) 。 「結合」による定義 ascétisme である(S98=90) 。このような共産主義は、 を採用すると、むしろ国家の方を経済的諸機能に従属 プラトンの昔から、散発的に唱えられてきたものであ させるような「アナーキーへの傾向をもつ社会主義体 るが、社会主義は 19 世紀になって、社会の要求に応じ 系」 (S49=32)も包含されることになる。ハイエクは、 て新しく登場したものである(S59-61=43-45) 。とい 1944 年に、社会主義を名指し、それが集産主義の最重 うことは、次に歴史的経緯を見るべきだろう。 要の一種であるばかりか、自由志向の人々に「経済生 社会主義が生まれるにあたって、三つのことが必要 活の統制regimentation」 「計画経済planned economy」 だったとデュルケームは述べている。まず、商工業と を受け入れるべく説得した当のものであると非難して 国家が結びつけるのに相応しい同等の価値のものと見 いる9。しかし、その半世紀前に、社会主義の歴史的帰 なされること、その上、国家が、複雑かつ流動的な経 趨を知る由もなくデュルケームが定義した「社会主義」 済的領域に介入するのに十分なほど複雑な任務をなし には、統制・計画のニュアンスは入っていない。要す ていると見なされること、また、商工業が、自発的運 るに、私的なものとしか見なされていなかった商工業 動mouvement spontanéとして既に集中化を始めてい を組織化し、公的なものと結びつけるべく変革を要求 たこと、以上の三点である(S69-71=56-58) 。これら する思潮こそが十九世紀の社会主義なのだ。そして、 の条件を満たして社会主義が誕生するのは 1810 年代 先取りして言うならば、プルードンとはまさに、自由 、、、、、、、 主義者のハイエク以上に集産主義を非難する思想家で であるとデュルケームは述べる。フランス革命のもた あり、かつ、歴とした社会主義者だったのだ10。 ミスの理論をフランスに導入したセー等)と同時的に らした社会状態に対する反応として、政治経済学(ス 本稿の依拠する社会主義の定義は以上であるが、二 生まれたのだ(S99=91) 。両者はいずれも社会生活に 166 おける経済的機能を最重視するが、政治経済学はそれ サン=シモン自身の表現で言えば、 「支配的・封建的・ を政治の外部に置こうとし、社会主義は何度か見てき 軍事的な体制」から「管理的・産業的・平和的体制」 ているように、政治の中心と結びつけようとする へ、ということになろう(CI2927-2928=100) 。したが (S167=166) 。 って、それは「封建的な有閑階級の排除」と同時的に ここで注意すべきは、産業革命が進行し、大衆的貧 起こると言っていい。問題はその起こり方であるが、 困paupérismeが社会問題化する1830年代に先立って アンサールの言葉を用いれば、特に四つ目に挙げられ 11、社会主義が生まれているという点である。つまり、 ていた「哲学的革命」と有機的に連関して起こる。 1830年代終わりに著作を発表し始めるプルードンが初 めから新しい問題としての大衆的貧困を念頭に置いて 人類は、その素質上、社会をなして生きるよう運命 いたのに対し、サン=シモンはそうではなかった。その ような前提のもとで、サン=シモンの社会主義の概略を づけられた destinée。 、、、 人類は、まず支配的体制 régime gouvernemental の 確認し、プルードンがそこから何を継承したのかを見 もとに生きることとなった。 なければならない。 人類は、実証科学と産業を十分に進歩させた後、支 、、、 、、、 配的・軍事的体制から、管理的・産業的体制 régime 3.サン=シモン的社会主義の概略 administratif ou industriel へ移行するよう運命づ 前節で見たデュルケームによる社会主義の定義は、 けられた。 サン=シモンの「産業主義」にこそ当てはまるものとし 最後に、人類は、その素質上、軍事的体制から平和 て提示されている。 1810年代にはセイに傾倒するなど、 的体制に移行するにあたり、長く激しい危機に見舞 自由主義の立場に近かったサン=シモンは、1820 年代 われた。 (CI2918=83) に入り、自らの立場を自由主義と区別されたものとし て提示するようになる。 『産業体制論』 (1821-1822)の 実証的思考の進歩が十分になされた後に、支配的体 序文には、 「曖昧な自由主義的体制と区別される絶対的 制は産業的体制へ、産業に従事する者が、自ら立法し 相違を感じさせることにより、産業的体制の真の性格 (CI2896=44) 、その能力を活かして社会を管理する をこの上なくはっきりと明らかにするのが目的である」 (CI2897=46)体制へ移行するべく「運命づけられて と宣言されている12。このときから、経済的諸機能を公 いる」 。しかし、この移行は、自発性に任せておけば起 的機能と結びつけて組織化するというサン=シモン的 こるというものではない。それこそ、サン=シモンが自 社会主義が開始される。本稿で扱うのは、この時期以 由主義と袂を分かち、社会主義へと向かった理由だろ 降、特に『産業者の教理問答』 (1823-1824)における う。デュルケームは、古典派・自由主義経済学と社会 サン=シモンの立場である。 主義が同根であるという主張を繰り返した上、両者の ピエール・アンサールは、サン=シモンが四つの本質 違いを、先に見た経済的諸機能の位置づけ以外の側面 的主題を有機的に連関させていると指摘する。その四 からも規定する。すなわち、 「経済学者にとって、社会 つとは、産業の不可避的発展、封建的な有閑階級の排 はもう自発的な調和 harmonie spontanée をなしうる 除、国家の衰退、実証的思考の漸進的組織化すなわち のであり、前もって新しい基礎の上に社会を築く必要 「哲学的革命」である13。 産業の不可避的発展、 これは、 はないのに対し、サン=シモンの考えでは、すべての社 先のデュルケームの表現にしたがえば、産業の自発的 会的機能の自動的一致を可能にするのは、改革され 発展と言い換えることができる。国家の衰退というの réformée、再組織された réorganisée 社会においての は、正確には従来型の国家の衰退ということだろう。 みである」 (S183=184) 。つまり、すべてを自発性に任 167 せておけば産業的体制が実現するのではなく、社会の 利益の管理を産業者の手に移動させることができるの 新しい基礎を築く必要がある。 かが問われる。それに対する答の中に、発見し、整流 宮島喬がサン=シモンの社会思想史的意義について、 する主体の役割を知ることができる。 次のように述べていることは正しい。まず、19 世紀に 登場する社会学的思考の多くは、 「自由主義的社会観へ 産業者は、自分たちが国家の財政をもっともよく運 の対抗あるいはその克服」に基づいていて、 「社会とは 営できると感じているが、社会の平安を瞬時たりと 自然的に発展しうるもの、かつ自然的発展のままにゆ も乱すのを恐れ、この考えを打ち出しはしない。彼 だねられるべきものとしてではなく、組織され、指導 らは、この点についての世論が形成され、真に社会 され、その発展を方向付けられうべきものとして捉え 的な理論 doctrine vraiment sociale が彼らに対し、 られてきた」 。そして、その中でも、サン=シモンは、 「組 公事の舵取りをするよう要請するのを辛抱強く待っ 織者的、実践的な態度にもとづいて社会をかかる人為 ている。 (CI2880=17-18) による働きかけの対象として捉えた」のが早かった、 と14。社会を人為の働きかけの対象と見なすことには、 産業者よる管理的・平和的体制への移行は、産業者 もちろん、実証的な態度が付随している。サン=シモン のイニシアティブによって実現するのではない。なぜ の「働きかけ」は、社会のすべてを意志に基づいてプ なら、彼らは平和的であるということそれ自体をもっ ログラムする類いのものでは決してない。デュルケー て、イニシアティブをとろうとしないからだ。彼らは、 ムの指摘に戻ろう。 「問題は、新しい体制を一からすべ 「真に社会的な理論」に促されるのを待っている。つ て創出することではなく、観察によって生み出されつ まり、実証的な学の担い手こそが、自発性に基づく事 つあるものを発見することである」 (S137=134) 。 「自 実を発見し、その整流のために、産業者への要請をす 発的な社会の組織化」 (S137=134)を観察により事実 るべきだと捉えられているのだ。サン=シモンの構想す として発見し、 「ますます完全な存在に向かっているも る社会がテクノクラシー的であるという批判の源泉の のと、次第次第に存在するのをやめていくものとを識 一つと言える議論であるが、学者の基本的な役割は、 別する」 (S137=134)こと、 「自発的に構成されてきた あくまでも要請までであることには注意したい。そし 産業的秩序の本質的特性を観察し、それらを一般化す て、この発見・整流・現実化の問題は、プルードンの ること」 (S161=160)が必要である。 社会主義の中でも常に問題となり続けるものである。 先取りすれば、これこそがプルードンがサン=シモン だろう。自発性に任せて社会の組織化を単に待ち続け 4. 『所有とは何か』に見られるサン=シモンの 影響 ることでよしとするのでもなければ、新しい社会のす サン=シモンの社会主義のかなりの部分を継承して べてを意志に基づく人為的計画にしたがって鋳るので 書かれたのが、 『所有とは何か』であると言うことがで から継承する、社会主義の言わば最良の部分と言える きる。次節以降見るように、 『所有とは何か』に見るこ もない。自発性に基づく事実を発見し、その傾向にし 、、、、、 たがって社会がますます組織化されるよう整流するこ 、 と、これこそが 19 世紀に誕生する社会主義の思想史的 とのできるサン=シモン主義的傾向は、大部分、後の著 作で影を潜めるのだが、それでもプルードンは、一貫 してデュルケームの定義によるところの社会主義者だ 意義であろう。 ったと言える。プルードンが初期に示した社会像を確 ところで、発見し、整流するのは誰か。 『教理問答』 認することで、以後、何が変わり、何が変わらなかっ において、どうすれば暴力的手段を用いずに、貴族・ たのかを確認する指標とする。ここでは、以下、三点 軍人・法律家・不労所得者から、社会における金銭的 について、直接的な影響関係ではないにせよ、明らか 168 にサン=シモン主義的であると見なせる特徴を指摘す く、サン=シモン流の管理的・産業的な全体社会、自律 る。まず、構想される社会像が類似している点につい 的で自足した普遍的協同が想定されていることが判る て、次に、自発性の発見と整流というべきモティーフ だろう。 について、最後に、ひとたび構想された社会像を実現 次の論点である。現状と対照的なものとして措定さ するためのプロセスについて、である。 れた平等な「社会」の位置づけにおいても、サン=シモ まず、 『所有とは何か』で構想される社会像について。 ンの影響を見ることができる。それは、ある意志に基 結論部から見よう。 「自由な協同 association、 すなわち、 づいて理想としての位置を与えられているのではない。 生産手段における平等と交換における対等性を維持す そのことは、次の箇所において明瞭である。 ることに限定される自由は、唯一可能で、正しく、真 実の社会形態である」 (QP346=300) 。ここで「真実の 我々は、諸条件の平等が可能であるばかりでなく、 社会形態」として挙げられている「自由」は、アナー それだけが可能であること、人々がそれを不可能で キーの別名であるが15、 「協同」とも言い換えられてい あると非難する、見せかけの不可能性は、我々が、 る。サン=シモン主義を批判しつつ(QP219=146) 、 「条 常に所有[の体制]なり共有制 communauté18なり 件の平等と普遍的協同」 (QP204=128)というサン= という、それぞれが人間の本性に反する政治的形態 シモン主義者のスローガンを引用するように、この時 の内で着想するがゆえであることを理解するだろう。 期のプルードンが「協同」という言葉で念頭に置いて ついに我々は、我々が知らぬ間に、それが実現不可 いるものは、サン=シモンの構想した社会像に極めて近 能だと断言しているときでさえも、日々、その平等 いものである。 が実現していること、探しもしなければ、欲しもす プルードンに対するサン=シモンの影響は、枝葉にお ることなしに、それを確立しつつあること、その平 いてではなく、根幹においてこそ確認される。プルー 等と共に、平等において、平等によって、自然と真 ドン哲学の再重要概念の一つと目される16「集合的な力 理に応じた政治的秩序が現れるはずであることを認 force collective」 (QP217=14317)の概念が提示され、 めるだろう。 (QP243=174) それが資本家に搾取されていることが示された直後の 節で、 「社会 société はすべての労働者に平等に支払う」 ここで、プルードンは、諸条件の平等が、自発的に (QP221=148)と述べられている。現状、資本家が「集 実現しつつあることを明確に述べている。 「社会」は、 合的な力」を搾取しているのだから、ここで主語とな 理想として恣意的に掲げられたものではなく、自発的 っている「社会」は、現状の社会とは別様の、実現さ に実現しつつある平等という事実に基づいて措定され れるべき「社会」だと考えられる。現状と対照的なも ているのだ。しかし、全体社会が、自発的に平等なも のとして、平等な社会が措定されているのだ。これは、 のとして組織されていることに我々は気付いていない サン=シモンの構想を下敷きにしたものである。プルー し、実現不可能だと考えてしまっている。そこで、 「意 ドンは、たとえば次のような議論を展開する。 「私が欲 志の主権が、理性の主権の前に屈服し、ついに科学的 社会主義の内に消滅」 (QP339=291)することが必要 しているのは、各種の才能が必要と数的に比例してい になる。サン=シモンと同じく、実証科学の力によって、 る社会である」 (QP227=155) 。この考察は具体的で、 自発性を発見し19、整流することによって、恣意的な支 「靴屋なら 100 人」から始まり、 「哲学教授なら 3500 配的体制に終止符が打たれるべきと考えられているの 万人」まで、社会において職能の人間一人を扶持する だ。 のに必要な市民の人数が割り出されている 先に掲げた三つ目の論点、すなわち、社会像の実現 (QP232=162) 。この議論において、プルードン思想 のためのプロセスについても、既に半分述べたことに としてよく知られる、小規模な自主管理的協同ではな なる。なぜなら、科学による発見・整流というモティ 169 ーフを確認できたからだ。しかし、残り半分がある。 アナキーキズムの主張を完成に導いたと共に、その限 先に述べた通り、プルードンの時代は、産業革命の進 界を露呈させるという諸刃の剣であった。 展とともに、大衆的貧困が前面化した時代である。先 本節では、 『革命の理念』において全面展開されるア の「集合的な力」の概念も、そのような背景のもとに ナーキズムの主張が、いかなる意味で社会主義と呼び 考えだされたと言ってよいだろうが、資本家が集合的 うるのか、 『所有とは何か』と何が変わったのかを明ら な力を搾取する「所有」の体制に貧困の原因がある以 かにする。一言で、構想された社会像の実現のプロセ 上、それを全面的に廃棄しなければいけない、という スに然るべき内実が与えられたのであるが、プロセス ラディカルな洞察が『所有とは何か』におけるプルー の変化と共に、構想される社会像自体も変化している。 ドンの独自性として残る。自発性を発見・整流すると 具体的には、双務的契約による非アソシエーション的 はいえ、それを事実として捉えるための認識枠組みの 社会の実現としてアナーキーが提唱されるのだ。その 変革が必要になろう。プルードンは、そのような認識 理路は以下の通りである。 枠組みの根本的変化のことを「革命」と呼び、単なる まず、時代認識として、「[経済的]諸力の解体 「進歩」と区別している(QP148=59) 。そして、ヘー désorganisation」 (IG131=53)が問題視される。経済 ゲルに言及しつつ、 「所有」と「共有制」を同時に乗り 的諸力とは、 『革命の理念』において新たに使われるよ 越える綜合synthèseとしてアナーキーが措定されても うになった用語で、 「分業、競争、集合的な力、交換、 いるのだ(QP325=274) 。つまり、認識枠組みを根本 信用、所有など」 (IG128=49)が含まれる。それらが 的に変化させさえすれば、政治的秩序も変わるのだと 然るべき形で組織化されていないことが問題で、 「社会 いう見方である。この弁証法はこの時点で、ほとんど の秩序は、政治的形態か経済的形態かのどちらかしか 空虚なものと言わざるを得ない。そして、そこに内実 考えられない」 (IG128=49)以上、経済的諸力を組織 を与えていく過程が、その後のプルードン思想の展開 化し、もって、経済的形態の社会秩序を目指すべきで だと言えるだろう。 ある、これがプルードンの基本的立場である。すると、 政治的形態は選ばれていないのだから、政府は、経済 5. 『革命の理念』におけるアナーキズムの理念 的組織の内に解消されることになる。これが、アナー 以上のように、初期の社会構想の大部分は、大衆的 キズムの主張である。ここで、経済的諸力を組織化す 貧困が前面化する時代におけるサン=シモン主義と呼 ることが主張されている点で、やはり社会主義の主張 んでよいものだった。しかし、それはギュルヴィッチ と見なすことができるが、問題は、デュルケーム言う の指摘するように、理性主義の傾向が強く20、反権威主 ところの経済的諸機能を「結びつける」先の「中枢」 義的なアナーキズムの構想とうまくマッチしたものと があるのか、という点である。 は言えない。プルードンは、その後、 『人類における秩 ところで、この書では、アソシエーション批判が展 序の創造』や『諸矛盾の体系』で、社会構想の実現が 開されている。ルイ・ブランやピエール・ルルーを批 必然的であるということを論証しようとする。つまり、 判対象に、アソシエーションが経済的諸力の一つに入 自発性を誰が整流するのかということが問題にならな らないこと、それが労働者の自由への桎梏になること いレベルで、来るべき社会が実現するのだと論証しよ などを述べる(IG162=90) 。そして、自らの立場との うとする21。 「実在の社会」の疎外態としての「公認の 違いを次のように述べる。 「注目すべきは、結社を語る 社会」という、プルードン主義の要約として日本で広 空想家たち utopists sociétaires が誰一人として、集合 く受け入れられたモティーフも、この努力の過程で手 的な力を利用することを考えなかったことである。そ 帖に記された一案に過ぎない(C II272)22。そのメモ れは、アソシエーションが意志に基づく約束 のタイトルが「進歩」であることは、あまり知られて engagement volontaire であるのに対し、 集合的な力が いない。次節で、プルードンがアナーキズムの主張を 非人格的な作用 acte impersonnel であるからだ。そこ 強めるに際し、一貫して「進歩」概念に重きを置く傾 に接点の余地はあるかもしれないが、同一性はない」 向を強めたことを見るが、結論を言えば、この概念は、 (IG161=89) 。プルードンは、集合的な労働が為され 170 るところで意志を伴わずに生まれてくる「集合的な力」 この実践こそが、アナーキズムを実現に導くプロセス のような非人格的作用に「経済的な力」のあり方を見 であり、初期のように、認識枠組みの根本的変化とい ており、これは、意志に基づいてアソシエーションに う標語に留まらない、一定のリアリティを有する社会 加入することと対照させられている。そう、外延のは 主義の一形態がここで提示されたと言うことができる っきりしたアソシエーションに加わることは、政治的 だろう。この社会主義は、全体社会を想定せず、実践 形態の社会秩序を選ぶことに他ならず、必ずや自由の の進行とともに社会が拡大していくという点に最大の 桎梏になるのだ。 特徴がある。 とすると、デュルケーム言うところの「中枢」は、 で、プルードンは、アナーキズムの主張を首尾一貫し 6.アナーキズムの理念の背景にある「進歩」 概念 たものとして成り立たせており、もはやサン=シモンと 本稿はデュルケームによる社会主義の定義に依拠し は明瞭に区別される立場にいる。むしろ、普遍的協同 て論を進めてきた。だが、類似した定義はデュルケー (アソシエーション)は、ルイ・ブランの立場に近い ムに先立つこと更に半世紀、1842 年の時点で提出され として批判されよう。しかしながら、プルードンは社 ていた。 「社会主義は、産業の組織化の体制を社会の組 会主義であることをやめない。 「古典的な分配的正義 織化として求め実現しようとする知的かつ物質的な作 justice distributive か ら 、 交 換 的 正 義 justice 業の総括である。われわれがこの概念に含めるものは、 commutative へと突き抜けなければならない 」 もろもろの組織的理念が或る一定の意識的な根本思想 (IG186=120)と述べた後で、ルソーを根本から批判 に還元され、あるいはまた、ただこの根本思想そのも しつつ、次のように述べる。 のだけが熱心に求められたりしている現象のすべてで 文字通りの意味では存在しないことになる。この時点 ある」23。七月王政下にドイツからパリに留学していた 契約とは、二人あるいはそれ以上の個人が、ある範 、、 囲、ある一定の期間に、交換と呼ばれる産業的力能 ローレンツ・シュタインによる定義である。シュタイ puissance industrielle を互いの間で組織化すること に否定的か、そうでなければ、 「ぼんやりと頭に浮かん に同意する行為である。 […]契約は、本質的に双務 だ理念についての明確さも自覚も持たずに社会の秩序 的 synallagmatique である。契約が契約者に課す義 に反抗する」かであると述べ、新しい社会の建設に向 務は、相互の引き渡しに関する個人的な約束だけで かう社会主義と本質的に区別されるとする24。産業の組 ある。また、契約は一切の外的権威に従わず、契約 織化による新しい社会の建設という点で、この定義は、 だけが単独で当事者たちに共通の法を作り、その実 デュルケームのそれに似ている。しかし、注目すべき 施に関しては、当事者たちの主導権しか期待しない。 は、 「意識的な根本思想」に基づいて組織化がなされる (IG188=123) という捉え方である。 ンは続けて、共産主義が現存の社会の秩序に対して単 「意識的な根本思想」の内実は何か。それは一言で、 ここで語られているのは、契約がその都度、組織化 「完成した人格」ないし「完全な人間」の理念である25。 を促進していくという社会像である。外的な、上から 産業の組織化のためには、それを通じて目指されるべ の権威に従うのではなく、当事者間で契約に関する法 き人間像が措定されている必要があり、また、実際に を作り、当事者だけが主導権をもつという社会のイメ そのようなものを措定しているのがフランスの社会主 ージが提示されている。つまり、経済的諸力の組織化 義であるという評定である。この「人格性への還元」 が、同時に漸進的に拡大する社会の中枢を作り出して という評定は、以後しばしば社会主義の欠陥として挙 いくという運動がアナーキズムであり、その理念は、 げられることになる「政治」の欠如の指摘につながる26。 社会主義から逸脱していない。社会契約論のように、 社会主義において、 「国家はそれ自体ではいかなる使命 虚構的な契約を政治社会の基礎に置くのではなく、ア も持たず、むしろただ個人の通過点としてあるにすぎ ナーキズムは、実際の契約を経済社会の基礎に置く。 なくなるだろう」27。したがって、社会主義は、 「各個 171 人に絶対的な物質的自立を保証しようとするにもかか ていると考えてよいだろう。その理路は、アレントが わらず、国家形式にはまったく無関心で、自由の理念 指摘するほど単純なものではない33。少なくとも、二項 には少しも進もうとしない」という結果になる28。つま のアンチノミーによる進歩という論理と、一元論的な り、政治的な自由を射程に入れることができないのだ。 力が推進する進歩という論理という論理の二重性を指 デュルケームが、社会主義が必ずしも国家的中枢への 摘することができる34 。しかし、確かに、「反神論 経済的諸機能の従属に結びつくわけではないことを強 antithéisme」として知られる議論を、シュタインの社 調する必要があったのと反対に、シュタインは、国家 会主義批判の一種として、つまり集合的人間が「完成」 形式への無関心を強調し、共産主義と高次においては に向かう運動として捉えることは可能である。 同質であると主張する29。 以上を念頭に置くと、プルードンがアナーキズムの 知性的で自由である人間の第一の義務は、自らの精 主張をするに先立って、 「進歩」の概念を重視したこと 神・意識から神の観念を絶えず追い出すことである。 は重要である。 なぜなら、 仮に 「進歩」 を 「完成 perfection」 というのも、神が存在するとしたら、本質的に我々 と捉えることが可能だとするならば、アナーキズムの の本性に敵対する hostile ものであり、我々はいささ 主張もまた、シュタインが指摘した政治的な自由の欠 かもその権威に服さないからだ。我々は神に逆らっ 如という社会主義全般の問題を抱えることになりうる て、科学、福祉、社会に至る。進歩の一つ一つは、 からだ。 『所有とは何か』において、 「革命」の劣位に 我々が神性 Divinité を退ける勝利 victoire である。 置かれた「進歩」の概念は、 『秩序の創造』 、 『諸矛盾の (SCE I382) 体系』と時代を経るにつれて肯定的に捉えられるよう になり、ついに二月革命期に、 「革命」との立場を逆転 人間の本性は漸進的 progressive であり、永遠性を旨 させる30。さらに、 『革命の理念』と同年に執筆された とする神とは本性的に対立する(SCE I390) 。我々が 『進歩の哲学』 (出版は 1853)において、自らの思想 進歩を遂げるということは、神と人間の「根本的アン 家としてのオリジナリティーを「断固、徹底的に進歩 チノミー」 (SCE I389)において、神性を一歩一歩斥 を肯定すること」 (PP45)に置くに至ることからも判 けていることに等しい。それが、「神とは悪である」 る通り、1851 年頃までほぼ一貫して「進歩」概念はプ (SCE I384)という有名なアフォリズムの由来である。 ルードン思想の中で重要性を増し続けた。このことは、 佐藤茂行は、このアンチノミーの体系について、次の アナーキズムの主張を先鋭化させることと密接な関係 ような解釈をしている35。 「正義の肯定面は、 […]たえ 、 、、、、 ず悪によって否定されるにしても、悪が不完全さを意 をもっていると考えられる。なぜなら、ブランのよう な上からの組織化を拒否するプルードンが、経済的諸 的な作用だったからだ。 「進歩」概念の充塡なくして、 味するとすれば、この悪を否定する正義の肯定面は、 、、、 、、、 、 その一つ一つがより完全な秩序つまり完全な正義と至 、、 、、 高の自由を目ざす無限の進歩の指標を表わしていた」36。 アナーキズムはありえなかっただろう。 つまり、 「 『悪』が否定的契機となって展開している体 力の組織化にあたって依拠するのは、昂進する非人格 二月革命の直前、プルードンが『漸進的アソシエー 系」37が提示されていると佐藤は捉える38。否定的契機 ション L’association progressive』 、 『漸進的社会 La を経て、永遠性に到達することなく、無限に正義・平 société progressive』などと題し、理論的な著作を準備 等に基づく人間社会の秩序を完成させていく、言い換 していたことはよく知られている31。このことは、 「進 えれば、より完全な集合的人間に近づいていくという 歩 progrès」概念の重要性をプルードンが認識し続けて 論理として読解したと言えるだろう。これは、前節で いたことを示す一つの材料ではある。とはいえ、オプ 見た契約関係の増殖によるアナーキズムの実現という マンも指摘するように、 『諸矛盾の体系』の評判の悪さ 論理と同型である。所与のものとして社会全体がある ゆえ、主張を整理する必要性を痛感して構想したもの のではなく、個別の契約にしたがって非支配的な社会 で、そこに思想上の新たな展開はほとんど見られない32。 が完成に近づいていくというのがアナーキズムの理念 『諸矛盾の体系』に、 「進歩」をめぐる議論が出尽くし だった。 172 のをそれぞれ挙げる。前者の特徴は、 「権力の不分割」 すると、次のように言えるだろう。 『所有とは何か』 において、さしあたりサン=シモンから借り受けた「社 であり、君主制など「一人による全員の統治」と、共 会」概念に対し、進歩概念の充塡によって内実を与え 産主義のように「全員による全員の統治」が、後者の るに至った、と。しかし、その場合の「社会」は、社 特徴は「権力の分割」であり、 「各々による全員の統治」 会契約論の想定するような、明瞭な外延をもつような である民主制と、 「各々による各々の統治」であるアナ ものではない。プルードン自身、社会契約論が「確か ーキーおよび自己統治が分類させる(PF274-275= に財産と人格の保護と防御に関しては」説明すると述 335-336) 。このように統治の類型を示した後で、過去 べるように(IG191=126) 、それは虚構的設定の制限下 に「民主制もアナーキーも、それらの観念の完全無欠 で諸々の権利を正当化しようというものである39。もち ろん、その中心にあるのが政治的自由である。社会契 なものとしては、形成されたことがない」 (PF279=339) 約への参加者は、一般意志に服従しなければならない だけでなく、未来においても、それらが実現すること が、それは「自由であることを強制されるということ はないと述べる。 「これらは理想的な概念であり、抽象 を意味するにすぎない」40。アナーキズムは何も強制し 的な公式であって、現実の諸々の政府は、経験的に、 ない代わりに、政治的自由を認めることができない。 また直観によって、それらに従い構成されることにな プルードンは一旦このような結論を出した後、別の社 るのだが、それら自体が、現実の状態になるというこ 会主義の理念として、連合主義を提示するのだ。 とはない」 (PF287=345) 。 『所有とは何か』から『革命の理念』に至る前期プ 7.連合主義の理念はいかに生み出されたか ルードン思想と照らすと、大きく現実主義の方へと舵 前節の議論を踏まえるならば、 『連合の原理』 (1863) を切っているように見える。まず言えることは、アナ をはじめ、後期の著作において、政治的自由が重視さ ーキーが現実には実現しないと断言されている点であ れる理由は明白だろう。しかし、政治的自由の重視が、 る。この一点をもってしても、前期の社会構想と同一 連合主義という第二のプルードン的理念につながった 視はできない。問題は、 「認められる唯一の政体」とし 理由は、必ずしも明らかにされてこなかった。連合主 ての連合主義が、単なる現実主義的妥協の産物である 義とは、社会主義と政治的自由の両立の試みであるこ のか、それとも、アナーキズムとは異なる理念が提示 と、このことを示したい。結論から言えば、デュルケ されているものと見なせるのかという点である。本稿 ームの言う「社会の指導的で意識的な中枢部」を複数 の主張では、後者である。統治の分類に先立つ箇所に、 化することによって、経済的諸機能を従属させるほど 次のように書かれていることに注目しなければならな 強大な国家が出現することを避けつつ、政治的自由を い。 溶解させない試みこそ、プルードンが最終的に辿り着 いた連合主義の理念であると考えられる。本節では、 あらゆる社会、最も権威的な社会においてすら、あ まず、連合主義をアナーキズムと単純な同一視はでき る部分は必然的に自由の余地がある。同様に、あら ないということをテクストから確認し、連合主義の内 ゆる社会、最も自由な社会においてすら、ある部分 実を見た上で、それがやはり社会主義の名に相応しい は権威に留保されている。この条件は絶対であり、 ことを明らかにする。 『連合の原理』は、最終的に認められうる唯一の政 いかなる政治的策略でであっても、そこから逃れる 体が連合の体制であることを示すことを目標として書 ことはできない。多様性を統一 unité の中に解消し かれている(PF271=331) 。その立証の過程で、プルー ようと絶えず悟性が努力したとしても、この二つの ドンは、政治的秩序が権威と自由という二つの原理に 原理は常に向かい合い、常に対立したままである。 より成り立っていると述べ (PF271=332) 、 大別して 「権 政治上の動きは、両者の不可避の傾向 tendance 威の体制」に括れるものと「自由の体制」に括れるも inéluctable と、相互的反応 réaction mutuelle とに 173 由来する。 (PF272=333) 集権になることであろう。 (PF318-20=370-371) これは明らかなる二元論の主張である。媒介の有無 アナーキズムが所与の外延を前提としない契約の増 にかかわらず、結局は完成に向かう進歩という目的論 殖に立脚するものとするなら、連合主義は外延だけが 的なアナーキズムに対し、ここでは、本質的に単一性 確定され、その内部を地方、村、人間へと分割するこ へと還元できない二つの原理が、不可避的に対立し、 とに立脚したシステムである。それぞれの段階で、権 相互に作用反作用をしているという社会観が書かれて 威と自由の緊張関係から均衡へ向かう力学が働き、ど おり、これを無視することはできない。連合主義とは、 こかに権力の集中が起きないよう、社会のすべての段 後期になって新たに提示された理念なのだ。それは、 階で双務的契約が前提とされる。そして、重要なのは、 『教会における正義と革命における正義』 (1858)で示 分割が農業および工業の単位において行なわれるとい された「解消されないアンチノミー」 (JRE II155)に うことである。 「25 年にわたって練られた私のあらゆる おける均衡の政治的秩序への応用だと考えられる。次 経済的思想は、三語、すなわち農工連合に要約される。 のように指摘するかぎりにおいて、アンサールは正し 私のあらゆる政治的見解は、似たような定式、すなわ い。「経済的組織の中に創設された力学的な均衡 ち政治的連合あるいは非中央集権化に要約される」 l’équilibre dynamique が政治的組織の中にも見出され (PF361=410) 。つまり、社会のそれぞれの段階、すな なければならない。経済的相互性は、連合主義という わち、地方や村といった単位において、公的機能と経 用語のもとに政治の中に移されるのである。国民集団 済的諸機能が結びつき、一つのユニットを形成してい の連合という概念は、中央集権的一元主義に対し、社 る。これが、プルードンが提示したもう一つの社会主 会の多元的ヴィジョン vision pluraliste を対置するの 義の理念、権力の集中を徹底的に抑えた上で、しかも だ」41。政治的自由が成立するためには、基本的に、何 政治的自由が保障されているという連合主義の理念で らかの制限がなければならない。プルードンは、それ ある。 を権威との緊張関係という形で述べているのだ。 8.結論 さて、プルードンが自らの思想の到達点であると明 言する連合主義とはどのようなものか。プルードンは 以上から、次のことが確認された。 次のような条件を満たす政治的契約に基づいて形成さ まず、プルードンが、はじめサン=シモン主義からの 影響を強く受ける形で、全体社会(普遍的協同)を念 れる政体を連合 fédération と呼ぶとしている。 頭に置いた社会主義を構想しつつ、独自のアナーキズ 政治的契約が、 […]双務的、交換的な条件を満たす ムのアイデアの萌芽をも備えていたこと。特に、プル ためには、 […]次の二点が必要である。一つは、市 ードンが継承したものとして、社会構想を単に理想と 民が国家に捧げるのと同じだけ、国家から受け取る して掲げるのではなく、進行しつつある事実のもつ自 こと、もう一つは、特別な目的、すなわち契約を結 発性を整流する形で措定するモティーフである点を指 んだ当の目的、それにもとづいてこそ国家に保証を 摘したのは、本論の意義の一つである。 要求する目的に関するのでなければ、市民が彼の自 次に、前期プルードン思想の到達点というべき『革 由、主権、発議権を保つこと、である。 […]私は、 命の理念』において示されたアナーキズムも、社会主 連合の権限は、 […]決して村や地方の権威による権 義の理念を継承したものであること。この時点で、プ 限を越えてはならないと言いたいし、同じく、村や ルードンは全体社会を想定しておらず、サン=シモン的 地方の権限は、人間、市民の権利や特典を越えては ではなくなった。しかし、アナーキズムの理念も、経 ならないと言いたい。そうでなければ、村は共同体 済的諸力の組織化が、同時並行で当事者関係を拡大さ communauté になるだろうし、連合は君主制的中央 せていき、その中枢と結びついているという意味で、 174 社会主義の一理念であるということを示した。 そして、そのアナーキズムの理念が生み出されるに あたって、 「進歩」概念の内実が充填されたということ。 ここにおいて、 「進歩」概念のもつ危うさをも指摘し、 政治的自由をいかにして確保するのかという視点が、 プルードンを後期思想に誘った原因の一つであるとい う見立てを示した。 最後に、連合主義の理念は、アナーキズムとは異な る理念であるが、それもまた社会主義の一形態と呼ぶ ことができるということ。連合主義が、外延の確定さ れた社会像の中で、自由と権威の緊張関係に基づき、 経済的諸機能と公的機能とがユニットが形成され、い わば中枢をできうるかぎり多数化することで、権力の 集中が起きないようにする社会構想であることを示し た。 プルードンの著作については、基本的に Rivière 版の 全集を用い、以下の略号を使用する。ただし、Rivière 版に収められていないものについては、別版を用い、 特記する。邦訳があるものについては、 (QP339=291) のように、 “=”の後に邦訳でのページを記す。なお、 特に断りのない場合、強調は原著者によるものである。 QP: Qu’est-ce que la propriété?(邦訳: 『プルードン III』 所収、長谷川進・江口幹訳、三一書房、1971) CO: De la création de l’ordre dans l’humanité SCE: Système des contradictions économiques ou Philosophie de la misère 2vols. CR: Les confessions d’un révolutionnaire(邦訳: 『革 命家の告白』 、山本光久訳、作品社、2003) IG: Idée générale de la Révolution au XIXe Siècle(邦 訳: 『プルードン I』 、陸井四郎・本田烈訳、三一書房、 1971) 1 PP: Philosophie du progrès JRE: De la justice dans la Révolution rt dans l’Eglise, 4vols. PF: Du principe fédératif et de la nécessité de reconstituer le parti de la révolution(邦訳: 『プルー ドンⅢ』所収(部分訳) 、長谷川進・江口幹訳、三一書 房、1971) C: Carnets 4vols. M: Mélanges 3vols. (ed. Lacroix) また、以下の著作についても、略号を使用する。 S: Durkheim, É., Le socialisme, puf, 2011 (1928)(邦 訳: 『社会主義およびサン-シモン』 、森博訳、恒星社厚 175 生閣、1977) CI: Saint-Simon, H., Catéchisme des industriels, dans Œuvres complètes IV, puf, 2012 (邦訳: 『産業 者の教理問答』 、森博訳、岩波文庫、2001) 2 多くの研究者は、 アナーキズムと連合主義を自明のこ ととして一体視する。しかし、本稿第7節で見るよう に、そのような自明視はテクストに裏切られる。詳細 なテクスト読解の末にも、やはりアナーキズムと連合 主義を同一の理念と捉えた研究として、Haubtmann, P., Pierre-Joseph Proudhon, Sa vie et sa pensée 1849-1865, tome1, Desclée de Brouwer, 1988, 特に pp.215-221 がある。 3 出版年は 1928 年であるが、 1895-1896 年の講義のた めに書かれている。 4 ただし、二月革命以後しばらくの期間、 社会主義者と 名乗ることがあった。cf. CR (1849), M II1-50 (1849) 5 もちろん、同時に、スミスおよびフランスの政治経済 学者たちの影響を忘れてはならない(cf. CO299-300) 。 この点については、プルードンが自由主義経済学の議 論を当為的に読み替えたのだとする佐藤茂行の卓抜な 論考を参照のこと(佐藤茂行『プルードン研究』 、木鐸 社、1975、後編第1章) 。 6 引用部分全体が強調になっているが、 読みやすさを考 慮し強調点を省略した。 7 「社会主義は、本質的に組織化への傾向である」 (S52=35) 。 8 cf. Hayek, F.A., The road to serfdom, The University of Chicago Press, 2007(1944), chap.3(邦 訳: 『隷属への道』 、西山千明訳、春秋社、2011(1992)) 9 ibid., p84=p.38 10 それゆえにこそ、スターリン批判以降、プルードン 思想が再発見・再評価されたのである。しかし、後に 言及するように、1960 年代以降のプルードン研究にお ける「自発性 spontanéité」の称揚は、必ずしもプルー ドン思想を正確に読解した結果ではない。自発性をい かに整流するかというのがサン=シモン以降の社会主 義の課題である。 11 cf. 阪上孝『フランス社会主義』、新評論、1981、 序章。田中拓道『貧困と共和国』、人文書院、2006、 第1章、とりわけ第4節。 12 Saint-Simon, H., Œuvres complètes III, puf, 2012, p.2350(邦訳: 『サン=シモン著作集』第四巻、森博編 訳、恒星社厚生閣、1988, p.33)cf. 宮島喬「解説」 、サ ン=シモン『産業者の教理問答』 、森博訳、岩波文庫、 2001、p.347 13 Ansart, P., Saint-Simon, puf, 1969, p.38 14 宮島喬『デュルケム理論と現代』 、東京大学出版会、 1987, p.96 15 「自由とは、アナルシーである。なぜなら、それは 意志の統治を認めず、法の権威、すなわち必然性をし か認めないからである」 (QP343=295) 。 16 cf. Bouglé, C., La sociologie de Proudhon, Armand Colin, 1911, pp.73, 77 17 「集合的な力」の概念は、次のように説明される。 たとえば、 200 人が1日で成し遂げることを1人が 200 日で成し遂げられるとは考えられない。すると、200 人の一人一人に対して1日分の賃金を払うだけだと、 「労働者の協力と調和から生じる莫大な力」 (QP215=141)すなわち「集合的な力」に対する支払 いが行なわれていない。したがって、 「集合的な力」を 我がものにする資本家は十分に賃金を支払っていない、 というものである。 18 この書において、私的所有権に基づく所有の体制が 強者による弱者の搾取であるのと同じく、 communauté は弱者による強者の搾取であるという議 論が展開される (QP326=276) 。 このcommunautéは、 私的所有に対する共有の体制、すなわち共産主義を表 わしている。なお、所有の体制と共有の体制を同時に 乗り越えるものとしてアナーキーが挙げられる。 19 肯定的とも否定的とも捉えられる形ではあるが、こ の書の中で、プルードンは、法律は「学者による定式 化」によってこそ為されるのだと述べている。 (QP185=104) 。 20 Gurvitch, G., Proudhon, Sa vie, son œuvre avec un exposé de sa philosophie, p.u.f., 1965, p.22 21 『秩序の創造』において、サン=シモンの影響を受け たコントの三段階の法則が模倣されるが、一時的なも のである。プルードンは、アナーキズムの実現が必然 的であるということを論証するために、数々の努力を している。 22 自発性と人為性の関係の確定こそがサン=シモンか ら続く社会主義の課題であるとするならば、このモテ ィーフは、ほとんど問題の所在をしか表明していない。 23 ローレンツ・シュタイン『平等原理と社会主義』 、石 川三義/石塚正英/柴田隆行訳、法政大学出版局、1990, p.166 なお、シュタインはプルードンをも論考対象に しているが、出版年の都合上、 『所有とは何か』のみを 扱っている。 24 ibid. ただし、 結局は社会主義と共産主義が高次にお いて同質であると主張される。 25 ibid., p.167 26 そのような指摘の代表格は、シュミットおよびアレ ントによるものであろう。 27 ibid., p.174 28 ibid. 1848 年以前のドイツ同盟からの留学生であるシュ タインの関心が、フランス第三共和政下のデュルケー ムのそれと異なっているのは、時代状況からも説明可 能だろうが、本稿では概念的に議論する。 30 cf. 伊多波宗周 「プルードン思想の展開における二月 29 176 革命期の実践的思考の意義について」 、 『神戸夙川学院 大学観光文化学部紀要』3, 2012, pp.90-105 31 cf. Haubtmann, op.cit., p.573 32 ibid., pp.572-573 33 Arendt, H., On Revolution, Penguin Classics, 2006, pp.37-41(邦訳: 『革命について』 、志水速雄訳、 ちくま学芸文庫、1995, pp.65-70) 34 『体系』の結論部(SCE II388-413)は完全に前者 の論理で書かれている。しかし、特に前半部では、後 者の論理も頻発する。たとえば、 「労働という不可抗力」 (SCE I348)の議論は、一元論的な力が社会を根底か ら覆すという論理である。両者の関係を解明すること は重要だが、本論の範囲を超える。 35 この解釈の正当性についての判断は保留し、 先に「進 歩」概念の二重性を指摘したことで留める。ただ、佐 藤の読解が、この箇所についての可能な読解であるの は論を俟たない。したがって、シュタインの社会主義 批判を前期プルードンに向けることも可能なのは明白 だろう。 36 佐藤、前掲書、p.162 37 ibid., p.150 38 なお、佐藤は「悪」を「不完全さ」と読み替える際、 『諸矛盾の体系』ではなく、それに2〜3年先立つ手 帖の記述を論拠としており、テクスト読解上の問題を 孕んでいる(佐藤、前掲書、p.164 n.9) 。 39 プルードンはルソー的な一般意志による法律を、 「法 律的虚構」と呼んで初期から一貫して批判してきてい る。 その最たるものが、 所有権である (cf. QP245=176) 。 40 Rousseau, J.-J., Du contrat social, dans Œuvres complètes III, Gallimard, 1964, p.364(邦訳: 『社会契 約論』 、中山元訳、光文社古典新訳文庫、2008, p.48) 41 Ansart, P., Sociologie de Proudhon, puf, 1967, p.132(邦訳: 『プルードンの社会学』 、斉藤悦則訳、法 政大学出版局、1981, p.144) ※ 本研究はJSPS 科研費23820075 の助成を受けたも のです。 (研究ノート) ドゥルーズ=ガタリ資本主義論に関する覚書 ―先行研究整理と課題抽出 神戸夙川学院大学観光文化学部准教授 原 一樹 【目次】 1.DG による資本主義理解の諸論点 はじめに DG による資本主義理解の特徴を為し、再検討 1.DG による資本主義理解の諸論点 1-1.形式的包摂と実質的包摂 に値する論点としては、大よそ以下が挙げられる 1-2.極限の置き換え だろう。1)形式的包摂と実質的包摂、2)極限の 1-3.通貨の二元性 置き換え、3)通貨の二元性、4)本源的蓄積。以 1-4.本源的蓄積 下、DG の論脈と検討必要事項を整理する。 2.DG による資本主義への価値評価と提案 1-1.形式的包摂と実質的包摂 2-1.シニシズムの時代としての資本主義 DG によると、 「資本主義自体は、脱コード化し 2-2.脱領土化の運動の加速 た諸々の流れの上に構築された唯一の社会機械で 結論に代えて ある」。彼らは「売却される諸財産の流れ、流通す る貨幣の流れ、見えないところで準備される生産 はじめに と生産諸手段との流れ、脱領土化する労働者達の ドゥルーズ=ガタリ(以下 DG と表記)が『アン チ・オイディプス』を書いた時代から 40 年を経て、 流れ。資本主義が誕生するには、これら全ての脱 領土化する流れが遭遇、連接し相互に反応しあい、 大きく世界の経済構造や国家システムが変化した 更にこの遭遇、連接、反応が偶然にも同時に生じ 今、敢えて DG による資本主義理解を再検討するこ る必要があるだろう。 ・・世界史は偶然の歴史とし とを端緒とし、引いては現代における有効な資本 てしか存在しない」 (“L’anti-Œdipe” [以下 AO と表 主義批判の言説の可能性の検討にまで及ぶことを 記],p265)1と言う。 企図する者にとっては、重なり合う幾つかの課題 DG はこの考え方について E・バリバールによ を、恐らくは以下の順に一歩一歩解いていく必要 るマルクス研究を参照しており、我々としては第 があるはずである。1)DG 理論とマルクス及びマ 一の作業としてバリバールの理論のみならず、マ ルクスに影響を受けた哲学者・思想家・経済学者 ルクス自身の「形式的包摂・実質的包摂」の議論 の議論との関係性や、DG 理論の独自性の再検討・ へと遡行し、マルクスの着想の根拠や歴史的事実 再評価、2)マルクス思想・経済学そのものの現代 への参照を再確認・再検討する必要があるだろう2。 資本主義理解に関しての有効性と無効性、現代の 経済学・資本主義理解に関する諸理論との関係性、 先行研究に目を向けると、Read(2008)3はこう纏 めている。資本主義は、マルクスが「形式的包摂」 3)上記の課題の結果を踏まえた上での、現代にお と呼んだ「抽象的な主観的ポテンシャル」と「抽 ける資本主義批判の論点や根拠の再検討。本稿は 象的な富」との出会いにより始まり、この地点か 1)について、しかもその一部に関してのみ準備的 ら所与であった技術的社会的条件を変形し「具体 に遂行した調査研究の覚書に過ぎない。 177 化」していく。これが、マルクスが「実質的包摂」 「資本主義が全ての社会の外なる極限であるのは、 と呼ぶものである(「歴史は抽象から具体へと進 資本主義がそれ自身として外なる極限を持たない む」)。また資本主義は、知識を様々なヒエラルキ からではなく、ただ資本それ自身という内的な限 ーへ従属させていた様々なコードを解体し、知識 界のみを持つからである。資本主義はこの極限に を利益という公理にのみ従属させるようにするこ 達することはなく、それを常に置き換えつつ再生 とで、社会の持つ一般的知識を生産力へと変形さ 産する。」 (AO,p274) 「資本主義は、抽象的な富の せる。結果、 「知識・情報・専門教育は、最も単純 主観的本質(生産の為の生産)をたえず発展させる な労働者による労働が資本の一部であるのと同様 ことでしか進行できない。・・しかし他方同時に、 に、資本の一部となる(知識資本) 」とされる。 資本主義はそれが<資本の為の生産、存在する資 DG 理論に大きな影響を受けているハート&ネグ 本の拡大発展>を追求する特定の生産様式である リも、その著書の中で形式的包摂と実質的包摂の 限りで、それ固有の限定的な目的の枠内において 問題を度々論じている点にも注目せねばならない。 しか、進行できない。 」 (AO,p3097) Goodchild(1996) 8によれば、DG はマルクスが 著書『帝国』の中で「資本主義における社会の包 摂は世界市場の建設を以て完成される傾向にある」 「利潤率の傾向的低下」という形で記述した、資 と認識する彼らは、形式的包摂から実質的包摂へ 本主義の経済的限界の問題にも関心を示している の移行を認めつつも、その移行は「様々な活動的 が9、資本が自らの限界に直面し乗り越えられるこ な主体的力が行う諸実践を通じて説明されねばな とが明らかになって以降の時代に生きているとい らない」と述べているが、この言明の内実を更に う歴史的アドバンテージの下で思考している。 「投 明瞭に理解する必要があろう。4また、近著『コモ 資資本と交換資本との偽の等価性」により理論化 ンウェルス』においては「グローバル化する資本 される、資本が自らの内在的極限を置き換えてい 主義的世界においては、形式的包摂と実質的包摂 く傾向は、DG にとって資本主義社会の持つ本質 に向かう動きが同時に存在している」と述べ、こ 的特徴の一つとなると彼は言う10。この Goodchild れは近年、 「古臭い寄生的な資本主義的領有の形態」 の解釈は妥当なものだろうが聊か説明不足でもあ が再出現してきたことに対応すると言う。この論 ると言わざるをえない。更に議論の細部を詰める 点についても、彼らが参照を指示するハーヴェイ 為には、まずはマルクスの「利潤率の傾向的低下」 の「略奪による蓄積」という批判とも絡めつつ、 に関する諸議論を踏まえた上で、なぜ二種類の資 マルクスや DG 理論との関係を検討する必要があ 本の「偽の等価性」により、資本が内在的極限を ろう。5 置き換えることができるのかを問い直す必要があ るだろう。 1-2.極限の置き換え 資本主義の運動を継続させる為の装置としても Tynan(2009)によれば、マルクスは「資本の究 う一つ、DG が「反生産」と呼ぶ事象を再検討す 極的目的は自らをより大きな形で再生産すること」 る必要もある。彼らは言う。 「国家やその警察・軍 だと主張した。それは再生産が付加する自らに内 隊は反生産の巨大な試みを形成するが、それらは 在的な極限の場所を移動させる為であり、こう考 生産自体の只中で、生産を条件づけている。 ・・反 えることによってのみ、資本主義のグローバルな 生産装置は生産する機械の至るところに浸透し、 支配が説明されうると言う6。 この機械と密接に結びつき生産性を調整して、剰 DG も資本の運動についてはマルクスの考えを 余価値を現実化する。 ・・反生産装置の伝播が、資 継承している。彼らはこう言う。 本主義の全体系の特徴である。 ・・反生産の伝播の 178 みが、資本主義の至高の目標、即ち、過剰資源を ととなった12。この事実をどう理解し、批判する 吸収する反生産の働きによって、大きな全体の中 かが問題となる。 に欠如を生産し、たえず余剰の存在するところに 文献学的には、DG がマルクス通貨論に関して 欠如を導入することである。 」 (AO,p280) 参照するブリュンホッフと彼らの主張との影響関 Tynan(2009)によると、資本家は、労働者の 係や内容比較を行う必要があるが13、Read(2008) 窮乏化という形で、労働者の消費能力が絶えず資 によれば、賃労働者と資本家とを分ける深淵が、 本自身により損なわれていくという問題を抱えて 貨幣という同じ対象・象徴により消去させられる いるので、資本主義は消費を必ずしも含まない実 という事実を DG は批判している。貨幣は、皆が 現のモデルを産み出すこととなる。これが国家・ 等しくシステムに参与しているという幻想を与え 警察・軍隊等に代表される「反生産装置」であり、 るものであり、欲望を資本主義の中に留めおく条 実際のところ資本とは生産と反生産との統一とし 件として機能している。 (そこにおいては金持ちと て定義されうると言う11。この「反生産」のテー 貧乏人、搾取者と被搾取者との相違は純粋に量的 マについては、Tynan(2009)が言及する Rosa な差異として表現され、我々が誰しも豊かになり Luxemburg や Sweezy&Baran などの歴史的議論 うるという観点が拡散される。 )現代の資本主義に を踏まえつつ、DG による理解の意味と可能性を おいて欲望は直接的に資本の流れに投資されるの 検討する必要があろう。 であり、そのレベルにおいて我々は資本主義体制 下における主観性の生産を探究せねばならないと Read(2008)は言う。 1-3.通貨の二元性 DG は AO において通貨の二元性、銀行の二元 他方 Tynan(2009)は、DG が銀行の活動や金 性について以下のように述べている。 「資本主義シ 融操作、信用貨幣について重要性を与えるマルク ステムにおける銀行の二元性は、支払い手段の組 スの貨幣理論に固執する理由は、二種類の貨幣(支 織化と融資構造との間に、通貨管理と資本主義的 払と金融)との対立の中において差異が消去され 蓄積融資との間に、また交換通貨と信用通貨との 剰余価値が実現されると彼らが考えているからだ 間に存在するが、この二元性の重要性は指摘され と言う。また Tynan(2009)は、全てを流用し吸 てきた。銀行が融資と支払いの両者に参加し、両 収できる「無限の負債」を設立することが国家の 者の合流点に存在することは、この両者の間に多 機能で、それにより貨幣が一般的等価物として設 様 な 相 互 作 用 が 存在 す る こ とを 専 ら 示 し てい 定されると DG が考えている点や、自らの限界を る。 ・・システム全体と欲望の備給とを管理してい 生きられるものとして持つという資本主義社会の るのは、ある意味で銀行である。 」 (AO,p271-272) 特徴を貨幣が産み出す機能を果たしているという Read(2008)によると、DG は貨幣が「欲望の大 点を強調している。これらの Tynan(2009)の議 量な再組織化」を構成すると考える点でマルクス 論についてはその意味や内実が未だ不明瞭な部分 の思考を継承している。 (貨幣は欲望の普遍的対象 も多く、DG の議論のみならず、彼が参照する となる。 )マルクスが『資本論』で述べているよう Harvey らの議論を踏まえつつ再検討する必要が に、資本主義以前には貨幣は「支出」と「貯蓄」 あろう。 との矛盾の中にあったが、資本主義成立以後、 「蓄 具体的作業としては、以下が必要となる。1)マ 積する為に支出する」という形式が可能となり、 ルクスによる貨幣論(銀行論・金融論)の検討、2) 貨幣は「資本や投資手段」としての機能と「賃金 ブリュンホッフによる貨幣論の検討、3)経済学に や消費手段」としての機能の 2 つを同時に持つこ おける貨幣論(銀行論・金融論)との突合せ、4) 179 「貨幣の二元性」が持つ意味の批判的検討。 こう言う。 「周縁における流れの脱コード化は、< 脱連節>により行われる。この脱連節は、伝統的 1-4.本源的蓄積 分野の荒廃、外向的経済回路の発展、第三次産業 マルクスは『資本論』の中で「本源的蓄積」に の特別肥大、生産性や収入の極端な不平等を間違 ついてこう述べている。 「資本関係を創り出す過程 いなく実現する。 ・・資本主義は、次第に周縁まで は、労働者を労働諸条件の所有から分離する過程、 分裂症化していく。」 (AO,p275) 「極めて真実であ 即ち一方では社会の生活手段と生産手段を資本に、 るのは、本源的蓄積が資本主義の黎明期に一度生 他方では、直接生産者を賃金労働者に転化する過 じるのではなく、寧ろ永続し再生産されているこ 程以外のものではありえない。従って本源的蓄積 とである。資本主義は出自資本を広くもたらして は、生産者と生産手段との歴史的分離過程に他な いく。」(AO,p275) らない。それが<本源的>として現れるのは、資 Choat(2009) 14によると、DG がマルクスの「本 本と資本に対応する生産様式との前史をなすもの 源的蓄積論」の重要性を強調するのは、この論点 だからである。 」 ( 『資本論』第 24 章・第 1 節) 「ア においてこそマルクスが「経済を政治化する」か メリカの金銀産地の発見、原住民の掃滅と鉱山へ らである。我々は資本主義が「政治を経済へと還 の埋没、東インド会社の征服と略奪の開始、アフ 元するという政治性」を持つことを忘却してはな リカの商業的黒人狩猟場への転化・・このような らない。 「マルクスにとってと同様にドゥルーズと 牧歌的過程が本源的蓄積の主要契機である。」「労 ガタリにとっても、資本主義経済が脱政治化作用 働者と労働諸条件との分離過程を完成し、一方の を持つという認識は、資本主義経済が高度に政治 極では社会の生産手段と生活手段とを資本に転化 化されているという認識を同時に持つことで基礎 し、反対の極では民衆を賃金労働者に・・この近 づけられねばならない」と彼は言う。 (Choat[2009] 代史の作品に転化することは、かくも労多きこと p24-25)また、Goodchild(1996)は、DG が資本の だった。もし貨幣が・・<頬に自然の血痕をつけ 発展と投資の前提条件としてマルクスの「本源的 てこの世に生まれる>ものならば、資本は頭から 蓄積」論に依拠しており、今もなお植民地時代と 爪先まで、毛穴という毛穴から、血と脂とを滴ら 同じく途上国が先進国へと身を提供し続けている しつつ生まれるのである。 」 ( 『資本論』 ・第 24 章・ 点を指摘していると言う。(Goodchild[1996] 第 6 節) p119-120) この「本源的蓄積論」は、資本主義の発生に関 Choat 及び Goodchild の上記の認識は必要で適 わる問いに関係している。資本主義はどこから来 切なものであろうが、更に先に進まねばならない たのかという問いは即ち、資本主義的生産の前提 だろう。まず文献学的研究としては、DG が参照 条件としての労働力商品と資本との関係がいかに する従属理論の代表者アミンの著作と DG 自身の して発生したかについての解答を求めるものであ 言説との共通性や相違点を再検討する必要がある。 るが、古典派経済学が勤勉と節約により資本の発 加えて事柄そのものとしては「本源的蓄積が絶え 生を、怠惰と浪費により賃金労働者の発生を説明 ず再生産されている」という認識自体の妥当性と するのに対し、マルクスは上記のように資本主義 批判的意味を再考する必要があるだろう。ハーヴ 発生に関わる暴力的契機を強調する立場を取る。 ェイは本源的蓄積過程について、以下のように言 この「本源的蓄積論」については多くの研究の う。 「<略奪による蓄積>という言葉で私が意味し 積み重ねや諸論者による主張があり、逐一検討す ているのは、マルクスが本源的蓄積として扱った る必要がある。DG に関してのみ言えば、彼らは 蓄積過程の継続と拡充である。これには土地の商 180 品化や私有化、貧農人口の強制的追放、諸形態の すこと(剰余価値の収奪)に対して道徳的批判を 所有権(共有、集団領有、国有等)の排他的な私 しているようにも受け取れるのだが、そこに力点 的財産権への転換、共有地への権利削減、労働力 を置かない論調が散見される。 の商品化とオルタナティブな土着の生産消費形態 例えば Read(2008)は、「DG はシニシズムに関 の抑圧、 (自然資源を含む)資産の植民地主義的・ する道徳的定義や、道徳的批判のみを提示してい 新植民地主義的・帝国主義的領有のプロセス・・・ るのではない」と述べ、 「公理系がコードに置き換 が含まれる。こうしたプロセスを支援し促進する わった社会システム、社会機械の構造的な効果」 のに決定的役割を果たしているのが、暴力手段と が「シニシズムの時代」と呼ばれるとする。全て 法的正当性を独占している国家である。 」15現在も の生産様式はそれを維持し再生産する主体を生産 続くとされる本源的蓄積における国家の役割とは する必要があり、資本主義以前の社会はそれを信 何か、この点も探究する必要がある16。 念や欲望というコードを通して実現していた。こ れに対し資本主義は、専ら貨幣と労働の抽象化に 2.DG による資本主義への価値評価と提案 よって主体を作り出し維持するという17。個人は 本節では、DG が資本主義や資本主義社会をど この時、例えば封建主義時代のように別の個人に のようなものとして価値評価していたか、それに より支配されるのではなく、 「抽象による支配」を 対しいかなる実践的提案を提出していたかについ 受けることとなる。或る意味では、資本主義は主 て、先行研究理解を通じ論点と問題の所在を整理 観性と生産様式における一つの革命、古いコード しておきたい。 「シニシズムの時代としての資本主 の破綻と専制君主の死という解放として現れる革 義」という点と、 「脱領土化の運動の加速」という 命であり、DG の試みはこの解放の中に見出され 点を取り上げよう。 る新たな拘束を明らかにすることだと Read(2008)は言う。18他方、Choat(2009)の言い方 2-1.シニシズムの時代としての資本主義 を借りれば、資本主義は「信念無しに作動する」 DG は AO においてこう述べている。 「マルクス ものであり、公理系とは「観念や信念に依拠しな はしばしば、資本主義がそれ固有のシニシズムを い行動様式を押し付ける」ものである。資本主義 敢えて隠さない黄金時代が到来することをほのめ 社会において問題となるのは専ら普遍的基準とし かしていた。少なくとも最初は、資本主義は自分 ての貨幣のみであり、剰余価値と利潤の生産が最 の為すこと(剰余価値の収奪)を無視できはしな 重要となる。 かった。しかし、資本主義が<いや、誰も盗まれ 上記のような資本主義社会理解については、マ てはいない>と宣言するに至る時、このシニシズ ルクスや DG、それ以外の資本主義理論家の議論 ムは何と大きく成長したことか。 ・・一切のことは、 を参照しつつ理解を深める必要があろうが、資本 次の二種類の流れの間の不均衡に依拠している。 主義批判という観点からは何が問題とされるのだ 即ち市場資本の経済力の流れと、<購買力>の流 ろうか。 Read(2008)によると、P.Virno は「形式的包摂 れである。 ・・通貨と市場、これが資本主義の真の 警察である。 」 (AO,p284) から実質的包摂への移行」と「シニシズムの深化」 資本主義をシニシズムの時代と捉える彼らのこ とを関係づけている。形式的包摂における抽象が、 の理解をどのように理解すべきだろうか。幾つか 少なくとも平等原理を認める必要があるのに対し、 の先行研究を参照してみよう。 実質的包摂においては各個人のあらゆる実存・知 上述の引用文を見る限り、DG は資本主義の為 識・コミュニケーション能力・欲望が生産的とな 181 ると言う。この時シニシズムとは、世界のみなら 瞭に把握する必要があろう。彼らは「市場の運動 ず主観性や人間存在そのものが市場価値へと還元 =脱コード化・脱領土化の運動を更に遠くまで進 される地点のことであり、そこでは各人の人間と むこと」や「プロセスを加速すること」を提案し しての資本・競争能力を最大化させる闘争が、平 ている。これをどう理解すべきだろうか。 等への要求に取って代わるとされる。これは DG Read(2008)の表現を借りれば、そもそも資本主 の言う「社会的従属」と「機械的隷従」との相違 義は一方で新たな観念・必要性・経験・可能性を に対応する。19 創造すると同時に、他方で現存する富や所有の配 我々としては上記論点に関わる DG の言説の再 分を維持し再生産しようとする二つの側面を持つ。 検討を行うと同時に、 「主観性や人間存在そのもの 言い換えれば、伝統や規範意識等の無効化(=DG が市場価値へと還元される」という理解や、 「人間 が言うところの「脱領土化」)は、資本主義に栄養 としての資本・競争能力を最大化させる闘争が、 を与えると同時にそれを脅かす存在でもある。20 平等への要求に取って代わる」とされる理解の内 ここで注意すべきは、脱領土化の過程は再領土化 実や意義、加えて、それが資本主義社会への批判 の過程を伴うとする DG の認識であり、これは近 として提出される認識であるならば、その妥当性 代化が常に古い信念や政治形式・アルカイズムを や意義を検討する必要があるだろう。DG や DG リバイバルさせることを言うものでもあるが、そ に影響を受けた理論家が資本主義社会批判を提出 の一つの事例がファシズムという形の再領土化で しているとして、その妥当性や意義、批判の立脚 ある。上記引用文にも見られるように、DG は資 点は更に明瞭にされる必要があるだろう。 本主義社会の変革の可能性を再領土化の方向では なく、 「脱領土化の加速」に見出している。これは 2-2.脱領土化の運動の加速 「逃走線を描くこと」とも表現される方向性であ DG は AO においてこう述べている。 「いかなる り、Choat(2009)の表現では「資本主義の脱領土化 革命の道があるのか。 ・・それはアミンが第三世界 の傾向はどこか予期せぬ地点へ導くポテンシャル の国々に助言するように、世界市場から退きファ を与える」と言われる。21 シスト的<経済的解決>を奇妙な形で復活させる 続けて Choat(2010)の理解に従えば、資本主義 ことであるか。それとも逆方向に進むことか。即 の欠点を改善する為に産み出されてきた福祉国 ち、市場の運動、脱コード化の運動、脱領土化の 家・労働組合・銀行への抑制といった制度や施策 運動を更に遠くまで進むことであるか。というの は、資本主義に新たな公理を追加するのみに留ま も、恐らく高度にスキゾ的な流れの理論や実践の る。これに対し、 「資本主義による脱領土化を更に 視点から見れば、諸々の流れはまだ十分に脱領土 進展させること」は DG にとっての「革命」だと 化しておらず、脱コード化もしていない。ここで も言われる。22或いは DG の理論を「創造性の政 はプロセスから撤退することではなく、更に進む 治学」・「<中間にある>革命の理論」と表現する ことだ。ニーチェが言っていたように<プロセス Patton はと言えば、 「資本主義のスキゾ的傾向の を加速する>ことだ。 」 (AO,p285) 強化」が必要だと述べ、 「脱領土化した流れを連結 前節で示唆したように、我々には DG による資本 する主体-集団の創造」がそれを可能とするとみ 主義社会批判の立脚点を明瞭化する課題が残され なす。更に、「革命的行動プログラムについて、 ているわけだが、同時に我々は DG がどのような DG は マ ル ク ス 主 義 を 転 倒 さ せ る 」 と い う 方向に資本主義社会の可能性、或いは資本主義社 Goodchild(1996 )によると、 「革命的変容」は「集 会を批判する運動の可能性を見出していたかを明 団的労働経験の再構成により生じる新たな主観的 182 意識の創造」において生まれる。これは、多くの 4 『帝国 グローバル化の世界秩序とマルチチュ ードの可能性』(アントニオ・ネグリ/マイケル・ ハート、水嶋一憲ほか訳・以文社・2003),p331-333 5 『コモンウェルス <帝国>を超える革命論 (上・下)』 (アントニオ・ネグリ/マイケル・ハー ト、水嶋一憲監訳・NHK 出版・2012)p55-58 6 Aidan Tynan(2009) : “The Marx of Anti-Oedipus”( in Deleuze and Marx,Ed.Dhruv Jain,2009, Edinburgh Univ Pr) 7 DG によると、資本主義が「相対的極限」である のに対し、分裂症は「絶対的極限」である。 「資本 主義は・・相対的極限であり相対的切断である。 何故なら資本主義は諸コードの代わりに、極めて 厳格な一つの公理系を採用するからである。 ・・そ れは諸々の流れのエネルギーを、脱領土化された 社会体としての資本の身体の上に束縛されたまま にする。 ・・逆に分裂症は絶対的極限であり、それ は諸々の流れを脱社会化した器官なき身体の上で 自由に流通させる。 ・・分裂症は資本主義の外なる 極限、つまり資本主義の最も深い傾向の行き着く 終着点だが、資本主義はこの傾向を自らに禁じ・・ それを相対的・内在的な極限に代える。資本主義 は、一方の手で脱コード化する者を、他方の手で 公理系化する。」(AO,p292) 8 Goodchild(1996): “Deleuze and Guattari: An Introduction to the Politics of Desire”, Sage Publications,p120 9 「利潤率の傾向的低下」について DG はこう言 う。 「資本全体に対する剰余価値の傾向的低下とい う有名な問題が理解されうるものになるのは、資 本主義の内在野全体においてのみであり、コード の剰余価値が流れの剰余価値に変容するという条 件においてのみである。 」 (AO,p270-271) 10 Tynan(2009)によると、ハーヴェイが「実現 の構造的問題」と呼んだものは、AO に従えば、 いかに資本がその内在的極限を何か外部のものに 出会わせつつ、絶えず更なる移動に引き戻しうる かという問題と解釈される。Tynan(2009)は、 資本が極限を主体自身の中に心理的内在として編 みこむという主張を DG が為していると言うが、 このあたりの問題系の解釈についてはハーヴェイ の『資本の限界』 (“The Limits to Capital”,1982) を参照し理解を深める必要があろう。 11 Tynan(2009),p45-46 12 Jason Read(2008),p152 13『マルクス金融論』 (S・ド・ブリュノフ 他著・ 河合正修訳・日本経済評論社・1979)を参照する 必要がある。Read(2008)は、DG が貨幣を単なる 量ではなく、信用や金融や投資等の様々な関係を 横断する複雑な関係だとみなす点でブリュノフの マルクス主義がルサンチマンに由来すると考える Goodchild(1996 )にとって、 「革命的行動に関する ニーチェ的挑戦」だと理解されるものである。23 上記の先行者の議論を受け、我々としては DG の言う「逃走線」の内実を踏まえた上で24、Patton や Goodchild(1996)が提出する集団や主観的意識 について再検討する必要があると同時に、 Choat(2010)が挙げている DG 理論自体に関する 批判も合わせて再検討する必要があるだろう。例 えば DG に対しては、彼らが「欲望」を「脱歴史 的絶対」の位置に祭り上げるロマン主義を持って いるのではないかという批判や、彼らの「脱領土 化・再領土化」という概念があまりにも広範な現 象に対し適用される為、その内実や説明能力に限 界や過度の抽象性があるのではないかとの批判が ありうる。25DG における「存在論的抽象性という リスク」の問題は、哲学的理論がどこまで社会的 経済的政治的現象に対し有効な議論を組み立てう るかという、より一般的問題にも繋がる重要な問 題となるはずである。 結論に代えて 本稿では、ドゥルーズ=ガタリ資本主義論の本 格的再検討に入る予備段階として、検討が必要と なるだろう諸論点ごとに諸論者の見解を収集・整 理した。本稿で提示した諸論点のそれぞれについ て、更に掘り下げた議論を展開するのが次のステ ップとなろう。 “L’anti-Œdipe”,Gilles Deleuze&Felix Guattari,Les Éditions de minuit,1972) 2資本蓄積の時代については、 モーリス・ドッブ『資 本主義の発展』を参照する必要もある。 3 Jason Read(2008): “The Age of Cynicism: Deleuze and Guattari on the Production of Subjectivity in Capitalism”(in Deleuze and Politics,Ed.Ian Buchanan&Nicholas Thoburn,Edinburgh University Press,2008,p139-159 1 183 考えを踏襲しているが、ブリュノフが貨幣に関す る量的理論の批判に焦点を当てるのに対し、DG は貨幣の観念や、準原因としての貨幣・資本が主 観性に対し及ぼす影響に注目する点に相違がある と言う。 (p152-153) 14 Choat(2009): “Deleuze,Marx and the Politicisation of Philosophy” ( in Deleuze and Marx,Ed.Dhruv Jain,2009, Edinburgh Univ Pr) 15 『ネオリベラリズムとは何か』 (デヴィッド・ ハーヴェイ/本橋哲也訳・青土社・2007),p50 16 以下の事柄の検討が必要である。1)マルクス における「本源的蓄積論」の意味の検討、2)その 後の議論文脈(ローザ・ルクセンブルク等)の検 討、3)DG による「本源的蓄積」理解の独自性(ア ミンの従属理論との相違等) 、4)現代も「本源的 蓄積」が進展しているという議論(ハーヴェイ、 ボーグ)の内実とその妥当性の検討、5) 「本源的 蓄積」を「グローバリゼーション」と同一視する 理解(ボーグ)の妥当性の検討、6) 「本源的蓄積」 を進めている主体の検討(国家?) 17「全ての生産様式は一つの主観性様式と不可分 である」という考えについてはマルクスの『グル ントリッセ』 、資本主義的生産様式と特定のエート ス、社会的論理や主体性との繋がりを強調する議 論としては『共産党宣言』を参照する必要がある。 18 Read(2008),p147 19 Read(2008),p150-151 20 Read(2008),p155 21 Choat(2009),p17 22 Choat(2010),“Marx Through Post-Structuralism”,Continuum,p146 23 Goodchild(1996), p120-121 24 Read(2008)は、明示的にではないが、DG が資 本主義の逃走線として政治的なものよりも美学 的・科学的なものを提示しているのではないかと 述べている。これは後年、 「ノマド的思考」のモデ ルとして科学や美学を彼らが選択することと対応 していると言う。(p159) 25 Choat(2010),p153-154 184
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