中東研究センター 情勢分析報告会(要旨) 2014 年 10 月 14 日 Ⅰ.「ガザ情勢とパレスチナの政治変動」 錦 田 愛 子 (東 京 外 国 語 大 学 アジア・アフリカ言 語 文 化 研 究 所 准 教 授 ) 本 報 告 で は 、 2014 年 の 夏 に ガ ザ 地 区 を め ぐ っ て 展 開 さ れ た 戦 争 に つ い て 、 そ の 特 徴と背景などについて解説した。7 月 8 日のイスラエル軍による空爆開始で始まった ガ ザ 戦 争 は 、 8 月 26 日 に 無 期 限 停 戦 が 合 意 ・ 実 行 さ れ る ま で 、 50 日 間 続 い た 。 こ れ はガザ地区をめぐるこれまでの戦闘の中でも、最長期間に及ぶものである。特に激し い 戦 闘 は 、 7 月 18 日 か ら 約 20 日 間 の 地 上 軍 侵 攻 の 期 間 に 起 き た 。 戦 争 を 通 じ て 、 イ ス ラ エ ル 側 で 出 た 死 者 は 71 名 、 パ レ ス チ ナ 側 は 2,116 名 に 上 り 、 双 方 に と っ て 最 多 の規模となった。 ガザ戦争について指摘される特徴としては、第一に、パレスチナ側からのロケット 弾 攻 撃 が 、 は じ め て 軍 事 的 に 有 意 な も の と し て 機 能 し た 点 が 挙 げ ら れ る 。 2012 年 の 「 防 御 の 柱 」 作 戦 で 実 戦 に 導 入 さ れ た M75 は 、 射 程 距 離 が 75km あ り 、 主 要 都 市 で あるエルサレムやテルアビブに達する。今回はこれを主力に用いたのに加えて、射程 距 離 が 160km に 及 ぶ M302 が 投 入 さ れ た こ と で 、 イ ス ラ エ ル の 主 要 国 際 空 港 で あ る ベングリオン空港の離発着にまで影響が出る事態となった。イスラエル政府はこれを 国家安全保障上の脅威と捉え、ガザ地区に対して陸海空からの集中攻撃を加えた。 第二に、これまでのガザ地区での他の戦闘と比較して、ガザ戦争ではイスラエル側 に相対的な戦闘時の人道的配慮がみられた点が指摘される。封鎖されて逃げ場のない ガザ地区内とはいえ、空爆開始の前に市民には直接、退避勧告が出された。外国メデ ィアの記者がガザ地区に入ることも制限されず、一定の取材の自由が認められた。他 方で市民の避難先の国連学校が攻撃の対象となるなどしたものの、戦争犯罪に対する 国際的批判は意識されていた様子がうかがわれる。 こうした戦争はなぜ始まったのか。直接の契機とされるのは、6 月に起きた入植地 に住むユダヤ人学生の誘拐事件である。捜索には、ヨルダン川西岸地区の全域にイス ラエル軍が展開されたが、最終的に 3 人の若者は遺体で発見された。報復として東エ ルサレムではパレスチナ人の青年が惨殺され、これへの反発で、各地で暴動が起きた。 イスラエル軍はガザ地区に対して空爆を加え、反撃のロケット弾攻撃が拡大した。ガ ザ戦争はその延長戦である。 しかしこうした表面的衝突の陰には、政治的背景が存在する。ガザ戦争において、 それは長期化したガザ地区への封鎖と、直前に発足した統一内閣だった。ファタハと ハマースの間で成立した内閣は、7 年間続いた二重政府状態に終止符をうつものだっ た。だがイスラエルはハマースの政権入りに反対し、捜索と戦闘によりその力を削ご うとしたと考えられる。実際にはハマースは善戦し、無期限停戦の成立までロケット 弾攻撃を継続することができた。これによりハマースは勝利宣言を出し、パレスチナ 人の間で急激に支持率を伸ばした。 -1- 中東研究センター 情勢分析報告会(要旨) 2014 年 10 月 14 日 戦後、イスラエルではネタニヤフ政権が求心力の回復という課題を抱えた。パレス チナではガザ地区の戦災復興が最優先課題だが、封鎖の解除や、統一内閣の運営も重 要な問題である。影響力を一時的に弱めたファタハとの連携が注目される。 -2-
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