学位・業績 (PDF ファイル 0.37MB)

○藤 田 修 平
Master of Fine Arts(Cinema○学位
Televison)
○教育研究業績
事項
年月
教育上の
能力に関 教育方法の実践例
する事項
デジタルの時代においては、プロと
アマチュアを隔てた壁が低くなった
ことがあり、学生に壁を意識させる
ようなことをせずに、職業的な制作
者に負けないことを伝え、勇気づけ
ながら制作を支援した。その結果、
毎年、1本から2本の本格的な映
H17~現在 画(卒業制作)が一般大学のキャン
パスから誕生し、(学生やアマチュ
ア向けのコンテストではなく)歴史
のある優れた映画祭に学生が招
待されることになった。また、学生
ボランティアとして、「ゆふいん文
化・記録映画祭」などに参加しても
らった。
映画祭への出品と参加
演習型授業の実施
高校生向けのワークショップ
概要
H15.9~
H27.3
慶應義塾大学と京都造形芸術大
学において、一方通行で座学だけ
を強いる講義を避ける試みをすべ
ての授業で行ってきた。大教室で
の授業においてもミニ講義の後、
班ごとに分けて、チームワークに
よって課題に取り組んでもらい、そ
れを発表するという形にしてきた。
その時に時間を有効に使うために
ウェブを活用した。
H24.8
慶應義塾大学環境情報学部にお
いてAO入試の選抜試験を兼ねた
高校生向けのワークショップを担当
した。「リュミエールXメリエス」と題
して、1分間の映像をカメラ内編集
(順撮り)で班ごとに制作してもらっ
たが、高校生には興味を持って取
り組んでもらい、活気あるワーク
ショップとなった。また、選抜という
意味では有効な方法であった。
写真と映像を同時に扱った授業 H22.4~
の展開
H25.3
慶應義塾大学環境情報学部「デザ
イン戦略(映像)」において写真と
映像を一緒に扱う授業を行った。
動画が撮れる一眼レフの登場を踏
まえて、映像制作を映画史だけで
なく、写真史やコンテンポラリー
アートにおいて捉えることを目的と
した。
メディアセンター案内ビデオの
制作
メディアセンターの利用案内ビデオ
を学生に制作の機会を与えること、
学生の能力を学外に伝えることを
目的として、学内で制作し、学生の
選抜と内容の監修を担当した。新
しいバージョンについてはYoutube
にアップロードされている。
http://www.sfc.lib.keio.ac.jp/about
/promo.html 平成23年に参加した
学生の名前については映像の中だ
けでなく、大学のウェブ上にも記載
してもらい、就職活動などで役立て
てもらうことを意図した。(映像だけ
であれば、新しい映像に置きかえ
るとクレジットが残らず、彼らの努
力が消えてしまうため。)
H19・H23
デジタル機器とソフトウェアを用
H15.4~
いた演習とフィールドワークの
H25.3
活用
身近にあるデジタルカメラやビデオ
カメラ、ICレコーダーといったデジタ
ル機器を用いてフィールドワークを
行い、そこで経験し、考えたことを
映像、画像、テクスト、ウェブを通し
て表現し、発表してもらう授業を
行った。
事項
学生が主導する社会から学ぶ
活動
上映活動
年月
概要
H15.4~
H25.3
慶應義塾大学環境情報学部のゼミ
(研究会)では社会見学やゲストス
ピーカーの招聘を行ったが、学生
に案を出してもらい、連絡からスケ
ジュール調整、アテンド、懇親会に
至るまで学生主導で行ってもらっ
た。〔実施した内容:NHK見学、撮
影・録音講義(NHK制作技術セン
ター 河内博司氏/内村和嗣氏)、
鎌仲ひとみ監督、四宮鉄男監督、
大友啓史監督、映画館ジャック&ベ
ティ訪問〕
H17~H25
公開できる水準に到達した卒業制
作については、大学が研究成果を
一般公開する機会を利用し、都内
の会場で上映会を行ってきた。そこ
では作品に登場する人たちや関係
者を招き、質疑応答を行い、議論
する場を作るとともに、学生の両親
が訪れることも多く、完成を祝う場
としてきた。また上映にむけてちら
しやポスターを作り、上映会の様子
はウェブで報告してきた。・慶應義
塾大学SFC研究所オープンリサー
チフォーラム(平成25年11月23日
東京ミッドタウン)上映作品『チョコ
レートケーキと法隆寺』(向井啓
太)・慶應義塾大学XD展(平成25
年2月23日 Catalyst BA 二子玉川
ライズ・オフィス8階)上映作品『見
習い漁師コモモの物語』(新部貴
弘)・慶應義塾大学SFC研究所
オープンリサーチフォーラム(平成
24年11月23日 東京ミッドタウン)
上映作品『まどをひらいて~こころ
の目できくラジオ~』(上平 晃代・
西牟田和子)『見習い漁師コモモの
物語』(新部貴弘)・慶應義塾大学
SFC研究所オープンリサーチフォー
ラム(平成23年11月23日 東京ミッド
タウン)上映作品『はる駒座の旅芝
居』(三輪祥子・中村周祐)・慶應義
塾大学SFC研究所オープンリサー
チフォーラム(平成22年11月23日
六本木ヒルズ)『14.0〜もうひとつの
バスケットボール』(桑野美南・須藤
亜沙実)『トウシューズを脱ぎ捨て
て』(山口佳奈・山野井優)・慶應義
塾大学XD展(平成22年3月14日〜
16日 AXISギャラリー)上映作品
『僕の誕生石はエメラルド』(平本哲
也)『14.0〜もうひとつのバスケット
ボール』(桑野美南・須藤亜沙実)
・慶應義塾大学SFC研究所オープ
ンリサーチフォーラム(平成21年11
月24日 六本木ヒルズ)上映作品
『彼らのサーカス』(高尾ひとみ・大
久保光将・成沢敬人) ・慶應義塾
大学SFC研究所オープンリサーチ
フォーラム(平成20年11月22日 六
本木ヒルズ)上映作品『僕らの出
会った彼ら』(植木琢磨・野村謙太
郎・藤原悠佑)・慶應義塾大学SFC
研究所オープンリサーチフォーラム
(平成19年11月23日 六本木ヒル
ズ)『新相撲』(斎数美香・山本諭
子)『団旗の下に』(大須賀泰之・根
来知宏) ・藤田修平研究室卒業制
作展(平成18年3月26日 neoneo
坐)『天草の静かな旅』(森内貞雄)
『還暦野球』(金森誠・山本大輔)・
慶應義塾大学SFC研究所オープン
リサーチフォーラム (平成17年11月
23日 六本木ヒルズ)『還暦野球』
(金森誠・山本大輔)
事項
年月
作成した教科書,教材
実務の経
験を有す
る者につ その他
いての特
記事項
概要
Three-Act Structureに基づく映 H18.4~
画企画とシナリオ制作の授業 H25.3
慶應義塾大学環境情報学部「ムー
ビングイメージデザイン」において、
シド・フィールドが米国の映画学校
で始め、大きな影響を与えた
Three-Act Structureに基づく劇映
画の企画とシナリオ制作の授業を
行った。この手法で画期的であった
点は第1幕の役割がCentral
Questionの設定にあると考える点
にある。第1幕の終わりがどこか、
Central Questionが何かに注目し
ながら典型的なハリウッド映画のス
トーリーテリングを分析した後で、
「主人公」「強く欲すること(Want)」
「障害」「主人公の変化」「テーマ」を
1文でリストにして発表してもらい、
それをThree-Act Structureに展開
してもらった。その時に第1幕にお
いてCentral Questionをどのように
設定したのかを明確にすることを
徹底した。最終課題としては
Inciting Incident(15分)までのシナ
リオとしたが、経験や想像力を反映
する細部は全く不十分であったとし
ても、多くの学生が典型的なハリ
ウッド映画のシナリオの骨組みを
理解し、それを作ることができた。
撮影とノンリニア編集、モーショ
H17~H26
ングラフィックス基礎マニュアル
ビデオカメラの操作やクロマキー合
成、ノンリニア編集、モーショングラ
フィックス(Apple Motion)において、
(単なる操作方法や手順ではない)
基礎的な知識に関する部分はプリ
ントを作成して、講義やゼミで使用
してきた。
ドキュメンタリーのインタビュー
撮影の手法
H17~H26
インタビューの撮影方法や質問の
方法に関する注意事項をまとめた
プリント集(チェックリスト)を配布し
てきた。
科研費基盤研究C(Research
Project Number:15K02204)
H27.4~
「観客の上映運動としての『地域の
映画祭』の起源とその変遷」
(平成27年から平成30年度まで。
総予算4,597,000円)
発行又は発表の年月
年度
発行所、発表雑誌等又は発表学会
概要
等の名称
○著書・研究論文
著書、学術論文等の名称
著書
『国境を超える現代ヨーロッパ
映画250〜移民・辺境・マイノ 共著
リティ〜』
H27.10
河出書房新社
野崎歓、渋谷哲也、夏目深雪、金子遊
編著。現代のヨーロッパ映画が移民と
マイノリティーをどう表象し、何を問題と
しているのか、について幅広い批評家
と研究者が論じた。本人担当部分は第
2章「境界線を探る監督たち」のうち「ケ
ン・ローチ」(pp.68-71)と「映画に見るア
イルランド」(pp.80-81)である。前者で
はサッチャー政権から続く新自由主義
と闘い続けたケン・ローチが21世紀に
入り、作風を変えたことを取り上げ、そ
れが何を意味するのかを考察しつつ、
労働者と移民の連帯の可能性につい
て論じた。後者ではアイルランドの映画
が90年代に入り、IRAの凄惨な歴史を
エンターテイメントの題材として扱い、
グローバル・マーケットに登場したが、
英国と米国という英語圏の大国の影響
下で自らの〈国民映画〉を生み出すこと
は困難であったことを説明した。A5版、
総頁数325頁。
著書、学術論文等の名称
『X-Design』
『映画学叢書 映画のなかの
社会/社会のなかの映画』
学術論文
「親子映画運動と戦争の記
憶」
「地域の映画祭」の起源とそ
の変遷をめぐって
発行又は発表の年月
共著
共著
単著
単著
年度
H25.3
H23.1
H28.3
H25.3
発行所、発表雑誌等又は発表学会
概要
等の名称
慶應義塾大学出版会
山中俊治・脇田玲・田中浩也編著。本
人担当部分は、第4章「自伝的ドキュメ
ンタリーと絵画における『自己』と国民」
(pp.75-105)。デジタル化によって世界
中に拡がり、主流というべき制作手法
となった自伝的ドキュメンタリーについ
て、映画研究者の間では文学、特に
エッセイとの類似性を手がかりにして、
分析が行われてきた。しかし、国民の
表象という観点から見れば、文学よりも
印象派の絵画との間に共通性があるこ
と、そしてその背後に民主主義の理念
があることを台湾のドキュメンタリー映
画『生命』(呉乙峰)と日本の植民地時
代の画家、陳澄波の絵画を通して論じ
た。A5版、総頁数258頁。
ミネルヴァ書房
加藤幹郎監修、杉野健太郎編著。本
人担当部分は、第3章「ポール・ストラ
ンドの写真と映画-抽象化とリアリズ
ムをめぐって」(pp.49-98)。ストレート写
真は、一枚の写真だけでは制作の意
図を明確にできず、それゆえその誕生
から複数枚を必要とし、後にそれらを
「構成」することで写真集を作り上げ
た。その時、個々の写真が持つリアリ
ズムをどう扱い、全体性を獲得するの
かという問題に直面したが、それはド
キュメンタリー映画が直面した問題でも
あった。それを写真と映画の両方に取
り組んだストランドに着目し、彼の作品
を通して分析した論考。A5版、総頁数
318頁。
日本映画学会第11回全国大会プ
ロシーディングス(pp.72-86)
1966年に埼玉県大宮市で始まった子
供向けの映画上映会は、70年代にな
ると教員と母親たちが中心となって映
画を選び、上映し、さらには企画・製作
に関わろうという自主上映・製作運動
(「親子映画運動」)に発展した。親子
映画とは何か。公立の小学校が中⼼
的な役割を果たした地域の〈興業〉であ
り、各地に地域の女性が参加した「親と
子のよい映画をみる会」を生み出し、地
域密着の配給組織として誕生した映画
センターの理念を実現させたのであ
る。本稿では残された文献を通して親
子映画の活動の一端を明らかにしなが
ら、それが労働組合と共にあった自主
製作・自主上映運動から地域の自主
上映運動への大きな転換であり、労働
組合の男性労働者に代わって、(新し
い価値観を持った)専業主婦が役割を
果たした運動だったと論じた。
日本映画学会第10回全国大会プ
ロシーディングス(pp.28-35)
「観客の運動の歴史としての地域の映
画祭」の後半にあたる論考。1970年代
半ばに日本各地に相次いで誕生した
「地域の映画祭」(湯布院、おおさか、く
まもと)は東宝争議から続いた自主上
映運動からの離脱として捉えられるこ
とを指摘し、その背景には消費社会の
進展やテレビと雑誌を中心としたメディ
ア環境の変化があったことについて考
察した。その一方で、同時期に誕生し
たサンダンスやロッテルダムと比較す
ると政治的には反動的というべき側面
があり、国際的な映画祭に発展できな
かった一つの要因として論じた。
著書、学術論文等の名称
学会関
連・授業
関連
発行又は発表の年月
発行所、発表雑誌等又は発表学会
概要
等の名称
「観客の運動の歴史としての
地域の映画祭-湯布院映画祭 単著
を中心に-」(上)
H24.4
日本映画学会会報第34号(pp.3141)
湯布院映画祭の企画・運営してきたの
は大分市の「大分良い映画を見る会」
であり、その前身は「『小林多喜二』を
見る会」であった。こうした歴史的な事
実によって、湯布院映画祭を戦後の東
宝争議のなかで誕生した映画サークル
運動との連続性の上で捉えることが可
能となる。1970年代半ばに誕生した地
方の映画祭を戦後の自主上映運動の
歴史の中に位置づけながら、そこで起
こった変化を捉えようとした論考。
書評
単著
H27.11
日本映像学会『映像学』
(95)(pp.42-45)
港千尋監修、金子遊・東志保編『クリ
ス・マルケル-遊動と闘争のシネアスト』
の書評。
「地域の映画祭」の起源とそ
の変遷をめぐって」
口頭発表
H26.12
第10回日本映画学会全国大会(大 学術論文「『地域の映画祭』の起源とそ
阪大学)
の変遷をめぐって」の口頭発表。
H26.5
京都大学総合人間学部/人間・環
境学研究科
「動態映画文化論」/「文化社会論演
習」における映画学講演(特別講義)
H25.12
第9回日本映画学会全国大会(京
都大学)
グローバリゼーションによって、かつて
研究の対象とした「辺境」が失われた
時、文化人類学はその対象や方法論
に対する再検証が求められた。では、
文化人類学と密接に結びついてきた民
族誌映画においては、いかなる変化が
生じたのか、また現在、行われている
試みとは何か。山形国際ドキュメンタ
リー映画祭やゆふいん文化・記録映画
祭で作品を発表した二人の若い研究
者=制作者を招いて、ドキュメンタリー
映画の領域との横断を含めて討論を
行った。
H27.12
日本の大学ではドキュメンタリーは情
報伝達を目的とするジャンルとしてテレ
ビ局出身の教員によって担われてき
ドキュメンタリーカルチャー・マガジ
た。映画としてのドキュメンタリー教育
ン『neoneo』第6号、pp.70-71、
を行う場合、その違いを学生に理解し
neoneo編集室
てもらう必要があり、そのために「私」を
作品に反映させる企画から始めると効
果的であると論じた。
H27.5
1960年代にドキュメンタリーがダイレク
ト・シネマの手法で音楽を扱い始めた
時、それは社会を変革する政治勢力を
支援することを意味した。しかし、サッ
チャ ー政権が誕生した1970年代の終
わりになると、音楽のメッセージに対し
て懐疑的になり、その政治性に追随し
ドキュメンタリーカルチャー・マガジ
ないドキュメンタリー映画が登場する。
ン『neoneo』第5号、pp.21-23、
それがベルリン国際映画祭で受賞した
neoneo編集室
『ルード・ボーイ』であり、新自由主義的
な政策を背景にして、消費社会に若者
の音楽が取り込まれていくことを暗示し
た作品として解釈した。この映画をダイ
レクトシネマの流れで捉えることで、音
楽とドキュメンタリーをめぐる歴史に新
しい視点を付け加えた。
H26.12
「ドキュメンタリー」と「民族誌映画」の間
には共通性だけでなく、無視できない
違いがある。それは物語性の構築であ
り、フラハティが『極北のナヌーク』以
ドキュメンタリーカルチャー・マガジ
降、民族誌映画的なアプローチから離
ン『neoneo』第4号、pp.91-92、
れたことを指摘した。その上でテレビ・ド
neoneo編集室
キュメンタリーに取り組んだ市岡康子
氏の作品と比較し、彼女が民族誌映画
としての手法を捨てず、二つのあいだ
に留まったことを論じた。
H26.12
長い放映期間を誇った『素晴らしい世
界旅行』の中心的なディレクターであっ
ドキュメンタリーカルチャー・マガジ
た市岡康子氏にインタビューを行い、テ
ン『neoneo』第4号、pp.93-98、
レビというメディアを通した民族誌的な
neoneo編集室
試みについて、ご自身の体験を伺っ
た。
Documentary Filmmaking and
特別講義
Culture in the Digital Age
シンポジウム「文化人類学と
映画の現在」(田沼幸子、森
田良成、藤田修平)
批評・解
説記事
年度
企画、司会、パネリスト
「映画としてのドキュメンタリー
制作の授業-私から始めるこ
と」
ザ・クラッシュ『ルード・ボーイ』
単著
とパンク・ロック
ドキュメンタリーと民族誌映画
のあいだにーフラハティと市 単著
岡康子
日本のテレビのなかの民族誌
的試み−市岡康子インタ
共著
ビュー
年度
発行所、発表雑誌等又は発表学会
概要
等の名称
H26.12
長期間、現地に滞在し、偏見を持たず
に観察し、撮影対象と信頼関係を築
き、撮影の過程を撮影対象と共有しな
がら制作するという方法論は(ドキュメ
ンタリーの第一作というべき)フラハティ
ドキュメンタリーカルチャー・マガジ
の『極北のナヌーク』において示されて
ン『neoneo』第4号、pp.105-106、
いたとして、ドキュメンタリー映画や民
neoneo編集室
族誌映画において重要視されてきた。
しかし、そこには様々な「神話」が存在
すること、その神話の背後にあった西
洋と非西洋との非対称の力関係につ
いて論じた。
H26.12
映像作家であり、若手の文化人類学者
である森田良成、川瀬慈、伊藤悟氏と
の鼎談。大阪にある民族博物館では、
これまで数多くの民族誌映画が作られ
ドキュメンタリーカルチャー・マガジ
てきた。そこで活動する3人の作り手を
ン『neoneo』第4号、pp.107-117、
招いて、フラハティが抱えてきた問題と
neoneo編集室
は何か、それらをいかに現在の作品が
乗り越えてきたのか、それに失敗して
きたのかについて、それぞれの立場か
ら議論を行った。
H26.9
台湾国際ドキュメンタリー映画祭はこれ
まで隔年に行われてきたが、同じく隔
年開催の山形国際ドキュメンタリー映
画祭と交互に行われる形となり、台湾
ドキュメンタリー・カルチャーウェブ と山形の実行委員会だけでなく、観客
neoneo 〔ネット記事 URL は
の間でも交流があり、関係が深い。そ
http://webneo.org/archives/2530 の台湾国際ドキュメンタリー映画祭の
3〕
プログラムディレクターに若手の論客と
して知られる林木材氏が就任し、注目
を集めた。その彼にこれまでドキュメン
タリー映画との関わりや映画祭が目指
す方向性について伺った。
私生活を芸術にすることにつ
いて―生誕100年トーベ・ヤン 単著
ソンの映画3部作によせて
H26.6
ムーミンの原作者として知られるトー
ベ・ヤンソンと彼女の恋人であるトゥー
リッキ・ピエティラのプライベートフィル
ムを用いて、カネルヴァ・セーデルスト
ロムとリーッカ・タンネルが3本のドキュ
メンタリー映画を制作し、来日した。東
京で上映され、多くのムーミンファンを
集め、DVDも発売され話題となったこと
もあり、これらの映画の批評を行った。
結論としては3本の映画はヤンソンとピ
エティラの同性愛の関係を公にするこ
ドキュメンタリー・カルチャーウェブ
とを回避しており、物語も批評性を得ら
neoneo 〔ネット記事 URL は
れておらず、優れた作品性に至ってい
http://webneo.org/archives/2168
ないとした。ただし、電気も水道もな
1〕
い、誰も訪れることのない小さな孤島に
二人で生活した時の映像にはたとえよ
うのない美しさがあり、エイズを発症し
た映画監督ディレク・ジャーマンが荒れ
た浜辺で一人で庭を造り始めたときの
写真集に匹敵するものであるとした。
美しい映像を優れた作品にするできな
かったこと、つまりジャーマンとの違い
とは私生活と芸術は切り離した点にあ
り、(文学上においても)それはヤンソ
ンの限界であったと論じた。
生誕100年 トーベ・ヤンソン
の映画3部作/ムーミンから
共著
フィンランドの映画事情まで―
リーッカ・タンネル監督
H26.6
ドキュメンタリー・カルチャーウェブ
萩野亮氏と共同で来日したリーッカ・タ
neoneo 〔ネット記事 URL は
ンネル監督に対して行ったインタビュー
http://webneo.org/archives/2056
記事。通訳は森下圭子氏。
2〕
H25.10
ドキュメンタリー・カルチャーウェブ
neoneo 〔ネット記事 URL は
http://webneo.org/archives/1142
9〕
著書、学術論文等の名称
発行又は発表の年月
ロバート・フラハティの神話の
単著
解体をめぐって
フラハティから現代まで
共著
新生・台湾国際ドキュメンタ
リー映画祭林木材氏(プログ
単著
ラム・ディレクター)インタ
ビュー
特集山形国際ドキュメンタリー
映画祭2013「マルケルの歴
単著
史、それはメディアの歴史」
山形国際ドキュメンタリー映画祭マル
ケル特集コーディネーターである小野
聖子氏に対して行ったインタビュー記
事。
著書、学術論文等の名称
発行又は発表の年月
レビュー『「メキシカン・スーツ
ケース」<ロバート・キャパ> 単著
とスペイン内戦の真実』
21世紀のクリス・マルケル―
写真展という新しい試み
クリス・マルケル写真展
単著
単著
ゆふいん文化・記録映画祭~
地方の映画祭の可能性を探 単著
る
映像作品 『湾生画家・立石鉄臣』
企画/製作/制作/監督/撮影/
編集(共同)
年度
発行所、発表雑誌等又は発表学会
概要
等の名称
H25.10
ロバート・キャパ、ゲルダ・タロー 、デイ
ヴィッド・シーモアがスペイン内戦で撮
影したフィルムを詰めた紙箱が2007年
にメキシコで発見された。なぜメキシコ
で2007年になって発見されたのかに触
れながら、この紙箱が辿った旅を扱っ
ドキュメンタリー・カルチャーウェブ
たドキュメンタリー映画が『メキシカン・
neoneo 〔ネット記事 URL は
スーツケース』であり、その批評を行っ
http://webneo.org/archives/1046
た。この映画が(観客が期待するよう
6〕
な)キャパに関する映画ではなく、キャ
パが脱出した後に紙箱を持ってフラン
スへ逃れ、メキシコに辿り着いた(人民
戦線側についた)スペイン人に関する
映画であり、スペインの国民映画であ
ることを指摘した。
H25.10
2012年に91歳で亡くなったクリス・マル
ケルは1950年代から死の直前まで精
力的に作品制作を続けた映画史上に
おける重要な作家であるが、自らの姿
を撮影されることを拒否するなど彼の
ドキュメンタリーカルチャー・マガジ
人生は謎めいており、彼の作品も難解
ン『neoneo』第3号、pp.80-83、
である。山形国際ドキュメンタリー映画
neoneo編集室
祭を始め、世界各地で回顧上映が行
われるなか、マルケルの映画について
彼の写真展(集)とアンドレ・バザンの
「エッセイ映画」という言葉を手がかり
にして彼の方法論を分析した。
H25.10
クリス・マルケルがニューヨークのピー
ター・ブラムギャラリーで行った写真展
ドキュメンタリーカルチャー・マガジ 『パッセンジャーズ』とオハイオ州立大
ン『neoneo』第3号、pp.78-79、
学ウェクスナー芸術センターで行った
neoneo編集室
写真展『見返す視線』の内容とそれを
もとに作成された写真集を紹介し、解
説を行った。
H25.8
ゆふいん文化・記録映画祭は夏の映
画祭と呼ばれる湯布院映画祭とは異
なって、映画人を称え、映画を鑑賞す
るのではなく、映画を扱う問題を話し合
う、あるいは話し合いにきっかけにして
ドキュメンタリー・カルチャーウェブ
いること、それによって地域の若者が
neoneo 〔ネット記事 URL は
参加し、活気ある〈場〉を生み出してい
http://webneo.org/archives/9798
ることについて論じた。そして、「ゆふい
〕
ん文化・記録映画祭」実行委員長であ
る清水聡二氏と事務局長の小林華弥
子氏にインタビューを行い、映画祭の
歴史と目指してきたことについて伺っ
た。
H28.5
立石鉄臣は1905年に植民地時代の台
湾で生まれ、岸田劉生と梅原龍三郎に
師事した後、生まれ故郷の台湾に戻
り、南国の風景を躍動感のある力強い
筆致と大胆な色彩を描いた。また雑誌
『民俗台湾』の編集にも加わり、台湾社
会の中に入り込んで台湾の民俗に関し
第11回台湾ドキュメンタリー映画祭
て版画やユーモアあふれる文章を発表
コンペティション・ノミネート(アジア・
した。しかし、立石は戦後、生活の基盤
ヴィジョン部門、台湾部門)、観客
を失って台湾から引き揚げてからは、
賞受賞
社会から取り残されたように、ほとんど
無名のままに人生を終える。彼の絵画
と家族の証言を通して、『湾生画家・立
石鉄臣』は忘れられた画家の人生に光
を当てた。本人担当部分は企画・製
作・制作・監督・撮影・編集(郭亮吟氏と
共同)。HD60分。
著書、学術論文等の名称
発行又は発表の年月
『チョコレートケーキと法隆寺』 制作統括/監修/構成
『桃と小桃とこもも丸』
『路上の跡形』
制作統括/監修/構成
撮影
メディア出 ラジオ番組「ムービーズ・ジャ
出演
演
ンクション」
ドキュメンタリー・カルチャーマ
編集
ガジン『neoneo』の編集
年度
発行所、発表雑誌等又は発表学会
概要
等の名称
H28.2
児童養護施設の子どもたちは18歳の
春を迎えると退所し、経済的に自立し
て一人で生きていかなければならな
第7回座・高円寺ドキュメンタリー い。5歳から12 歳まで施設で育った監
フェスティバル(コンペティション部 督は監督は、お互いに助け合って生き
門出品、奨励賞)、イメージフォーラ てきたかつての仲間を訪ねる。彼らは
ムフェスティバル(一般公募部門入 退所してからも家族の問題 に一人で
選)
向き合いながら、自立しようと懸命に生
きていた。個人的でありつつ、児童養
護施設をめぐる制度に対する鋭い批評
性を持った作品。
H25
H23.1
H26.8
H25.10~
H27.12
第16回ゆふいん文化・記録映画祭
松川賞、第6回福岡インディペンデ
ント映画祭ドキュメンタリー賞、第5
回座・高円寺ドキュメンタリー・フェ
スティバル(コンペティション部門)
夏になるとサーフィンや海水浴を行う人
で賑わう鎌倉の材木座海岸には漁業
で生計を立てる人たちがいる。この海
岸の近くで育った、桃子という名の女性
は高校を卒業すると、一人の漁師のも
とに弟子入りした。その漁師の名もま
た桃子といい、鎌倉で最初の漁師と
なった女性だった。小桃と呼ばれること
になった女性が先輩の女性漁師のもと
で修行し、一人前の漁師になるまでの
姿をカメラに収めた作品。本人担当部
分は制作統括・監修・構成(制作・監
督・撮影・編集は新部貴弘)。HD58分。
新宿ニコンサロン
異なる言語が飛び交い、様々な人々が
行き交う台湾の路上で人と共に生きる
犬にはどこかユーモアと悲しさを感じさ
せる。そうした台湾の日常の風景の中
にある犬と人間の写真を通して、街の
匂いやざわめきを伝えようとした写真
展。新宿ニコンサロンで開催。(平成23
年1月18日~1月24日)
長崎シティFM
安元哲男氏がパーソナリティを務める
番組へのゲスト出演し、彼が長崎市で
主催する地域の映画祭について意見
を交わした。長崎市で行われる浜んま
ち映画祭はゆふいん文化・記録映画祭
とは違って、商店街に古くからある長崎
セントラル劇場を会場として開催され、
映画ファンが映画館の存続を求めてこ
の劇場を支えること、映画館周辺の商
店街に賑わいを呼び込むことを目的と
して10回以上行われている。ただ、プロ
グラムが劇映画が中心であり、観客の
年齢が高いこと、映画の特集上映との
違いがはっきりしないことなどの問題点
とそれに対する解決案などについて話
し合った。
第3号(平成25年10月)第4号(平成26
年12月) 第5号(平成27年5月)第6号
(平成27年12月)