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特 集
米国における麻酔看護師と麻酔アシスタントについて
エモリー大学医学部麻酔科
田中健一、小川 覚
PROFILE ────────────────────────────────
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田中 健一 エモリー大学医学部麻酔科 准教授
Kenichi Tanaka
1992年:慶應義塾大学医学部卒業
1992∼1994年:慶應義塾大学医学部麻酔科 レジデント
1994∼1995年:ベスイスラエル病院(ニューヨーク)インターン
1995∼1998年:ピッツバーグ大学医学部麻酔科 レジデント
1998∼2000年:エモリー大学医学部麻酔科心臓麻酔 フェロー
2000∼2006年:エモリー大学医学部麻酔科 助教授
2004∼2006年:エモリー大学臨床研究修士号取得
2006∼現在:エモリー大学医学部麻酔科 准教授
メッセージ:大学病院では、朝 7時過ぎから麻酔が始まり、夕方まで忙しいので、ストレスが
溜まります。欧米各地に講義などで出かけて、旅先でのんびり食事したり、写真
を撮ったりするのがいいですね。アメリカ国内では、旅行した際に地元の寿司店
で変わった巻寿司を食べるのが面白いです(たとえば、エモリー大学の近くで
は、エモロールなど)。日本の文化はいろいろな国で形を変えながらも、浸透し
ています。日本からも医学・医療の優れたものをどんどん世界に発信してもらい
たいと思っています。
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序言
米国は今、オバマ政権による医療改革の真っ只中にある。国民皆保険を目指すこ
の改革法案が、経済悪化、高齢化医療、不法滞在移民などの多くの問題を抱える米
国医療をどのように変化させるのか、先行きは不透明である。現在の日本が直面し
ているような医師不足の問題が起きた場合、米国の麻酔科、外科、産婦人科等は、
どのように対処するのであろうか? 手術麻酔、集中治療、呼吸器管理、産科麻酔、
ペイン管理など幅広い領域をカバーする麻酔科医の不足は、深刻な医療問題になり
得るのか? これらの問いは、日本の医師にとっても身近に感じるものであろう。
筆者らは現在、米国ジョージア州アトランタのエモリー大学にて、心臓外科麻酔
の臨床・研究業務に関わっている。この稿では、日本でも導入が検討されている
「チーム医療」という観点から1)、米国麻酔科における認定資格を持った医療従事
者である麻酔看護師(certified registered nurse anesthetist:CRNA)と麻酔アシス
タント(anesthesia assistant:AA)について紹介する。麻酔科業務を中心とした米
国医療の現状を考察し、日本の医療システムとの違いを考察したい。
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麻酔看護師(CRNA)
膨大な件数の手術件数をこなし、さらに手術室以外の医療業務にも携わる麻酔科
において、医師不足は非常におこりやすい。僻地診療、戦場など、麻酔専門医のい
として最初
ない地域も数多くある2)。麻酔業務の一端を担うphysician extender(PE)
に登場した(1956年)のが、CRNAである。手術室における麻酔業務を行うための
CRNA資格は、看護師学士号(ナースライセンス)取得後、所定の麻酔士プログラム
( 2 〜 3 年)を卒業し、麻酔看護師認定機関Council on Certification of Nurse Anesthetists(CCNA)に管轄されるCRNA資格試験に合格すれば取得できる。2009年の
時点で、米国内に109の研修プログラムがあり、毎年約2,000名の新人が卒業する。
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CRNAの業務は、外科・麻酔科医の管理下で麻酔チャートを記録することではな
い。彼らの医療行為は、全身麻酔・局所麻酔を含めて、医師から独立して行うこと
が認められており、医療保険代請求も可能である。多くのCRNAは、麻酔看護師資
格取得以前に集中治療部などでの業務経験を持っており、十分な医学知識に基づい
て術前診察、麻酔、輸血などを行う。経食道心エコー・ペイン治療手技など、特殊
な技能を必要とする医療行為は原則的に認められていない。実際のCRNA業務形態
は様々であり、独立して病院または歯科・外科医と契約するCRNAグループもあれ
ば、麻酔科に雇用されるCRNAもいる。ナースライセンスは、各州のナーシング
ボード
(医師免許管轄のメディカルボードとは別)
が管轄しており、米国のほとんど
の州で就労可能である。米国には44,000名以上のCRNA(うち41%は男性)がおり、
American Asscoiation of Nurse Anesthetists( AANA)を母団体とする。AANAは、
CRNAの職業団体として政府機関との折衝を行い、免許更新のために必要な生涯教
育(continuing medical education:CME)の機会を提供する。
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麻酔アシスタント(AA)
CRNAとは全く異なる医療資格で、麻酔科医の監督下に麻酔業務を行うのが、
AAである。エモリー大学(アトランタ)とケースウェスタンリザーブ大学(クリーブ
ランド)からは、それぞれ1971年および1973年よりAAプログラム卒業生を輩出し
ており、近年さらに、ミズーリ大学(カンザスシティ)、サウス大学(サバンナ)、ノ
バ・サウスイースタン大学(フォートローダーデール)などの研修プログラムが開校
している。
AAプログラムの学生の多くは理科系 4 年制大学卒の20代の若者であるが、30〜
40代の生徒も珍しくない。後者の場合、既に医療の現場で経験を積んだ呼吸療法
士、心肺装置管理士
(perfusionist)
、獣医、救急士、薬剤師、外科医師アシスタント、
他国の医師などが挙げられる。AAプログラム入学基準は、通常の医学部入学と重
なるところが多く、医学校入学試験(Medical College Admission Test:MCAT)の
点数も考慮される。したがって、AAとして研修を積み、働いて貯金した後に、4 年
制の医学部を目指す者もいる。所定のAA資格は、修士課程のAAプログラムを卒
業し、麻酔アシスタント国家認定機関(National Commission for Certification of
Anesthesiologist Assistants:NCCAA)に管轄されるAA資格の国家試験に合格すれ
ば取得できる。AA資格保持者の医療行為は、医師と同じく各州のメディカルボード
の承認が必要である。州によってはAA資格を認可していないことがある(Fig.1、
現在18州においてAAは麻酔業務が可能)。法的に独立した医療業務を行うことの
できるCRNAとは異なり、AAの業務は麻酔科医の監督下であることが前提である。
Fig.1. AAの麻酔業務が認可されている州(2010年3月現在)
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特 集
麻酔方法、輸液・輸血、その他の診断・治療の決定は麻酔科医自身が行う。さらに
硬膜外・脊髄くも膜下麻酔、経食道心エコーなどの手技もAAでなく、医師が行う。
AA教育をはじめ、呼吸療法士、循環管理士、救命救急士など15のアライドヘル
ス(日本では一般にコメディカル)教育プログラムは、認定機関であるCommission on
Accreditation of Allied Health Education Programs( CAAHEP)により監査・認定
されている。AAの会員組織としては、American Academy of Anesthesiologists
Assistantsがあり、卒後教育プログラムの編成、米国麻酔学会(American Society
of Anesthesiologists:ASA)との連携などの役割を果たしている3)。
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医師以外の麻酔従事者は
必要か?
多数の外科症例を管理するためには、麻酔科医のみの雇用ではコスト面でも病院
への負担は非常に大きい。米国でも医療改革によって、病院経営は厳しいコスト削
減を強いられており、医師スタッフの採用を抑え、手術麻酔をCRNAやAAと効率
よく業務分担することが求められている。CRNAやAAの存在は、医療全体に対す
る経済効果
(医師との給与差)
だけでなく、麻酔科医数の減少に際して、麻酔業務に
柔軟性を持たせる意味がある。日本における人口に対する麻酔科医の数は、スイス
や米国と比べても非常に少ない(Table 1)。麻酔研修応募者が突然減少した時に、十
分な麻酔従事者を確保できない深刻な状況が日本で起こっている。米国でも近年に
はクリントン政権下の「家庭医療」推進政策に伴い、1990年代半ばに麻酔科レジデ
ンシーへの応募者が激減したため、2000年初頭に麻酔科医不足が起きた(Fig.2)4)。
米国のように多くの外国人医師を受け入れる国や、スイスのようにドイツ人医師が
移住する国とは異なり、日本は言語の問題もあり、医療に関しての外国人受け入れ
は、介護などの分野に限られている。
Table 1. 日本・スイス・米国の麻酔スタッフの構成(概数)
日本
スイス
米国
麻酔専門医
6,800人
1,000人
50,000人
CRNA
−
−
44,000人
AA
−
−
1,000人
総人口
1.27億人
0.07億人
3.06億人
5.3×10
1.3×10
3.1×10
麻酔士:総人口比
−5
−4
−4
(人)
1500
1000
■ All
■ CA1
■ PG1
500
0
90 91 92 93 94 95 96 97 98 99 00 01 02 03 04 05 06(年)
Fig.2. 米国における、麻酔科レジデンシーに入った医学部卒業者数の年次推移
PG1=インターン開始前の入局者、CA1=インターン後の入局者、All=トータル数
(文献4より引用)
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A net
Vol.14 No.3 2010
米国において麻酔専門医となるためには、医学部卒業後、卒後医学教育認定機関
(Accreditation Council for Graduate Medical Education:ACGME)に認可された麻
酔科医師トレーニングプログラム(インターンを含め 4 年)を終了し、専門医試験
(Board Examination)
の合格が必須である。さらに専門化された分野の麻酔フェロ
ーシップ
(通常 1 年)
として、集中治療、ペインマネージメント、小児麻酔、心臓血
管麻酔が、ACGMEに認可されている。各々のプログラムではACGMEに認可され
た定員の枠内で、研修医・フェローを採用しトレーニングする。これらの制度は、
大都市に研修医が集中するような不均衡をなくし、さらに研修レベル
(症例経験等)
を一定以上に保つために重要な役割を持つ。CRNA/AAを採用して麻酔業務に柔軟
性を持たせることは、研修医トレーニングにも大きく影響する。例えば、エモリー
大学病院で心臓胸部麻酔を担当できるCRNA/AAは全 8 名おり、麻酔レジデントと
同様、麻酔指導医の監督下に患者の末梢静脈ライン、動脈ライン、肺動脈カテーテ
ル(超音波ガイド下)などの手技を行うことが許可されている。臨床麻酔レジデン
ト・フェローの数に合わせて、このうち 2 〜 3 名が当日の症例に割り当てられるが、
彼らがライン確保などをしている間に、心臓麻酔フェローは早朝からの経食道心エ
コーなどの講義を受けることができる。CRNA/AAの勤務は、限定された時間内の
勤務(シフト制)であるが、早番(午前 7 時〜午後 3 時)、遅番(午前11時〜午後 7 時)
などフレキシブルに設定できるため、小さい子供を持つ女性にも働きやすい環境を
作ることができる。遅番で働くCRNA/AAがいれば、研修医が夕方の講義に出席し
やすくなり、連日の超過勤務も避けられる5)。
米国医療では、ほとんどの医療分野でPEが活躍している。外科・内科領域におい
ては、nurse practitionerとphysician assistant(PA)が、麻酔科のCRNAとAAに相
当する役目を果たしている6)。米国内には140以上のPA認定プログラムがある。ト
レーニング終了後、PA資格の国家試験に合格して、医療行為に従事できる。たと
えばエモリー大学病院の心臓外科では、5 名の心臓外科専門医の下に 4 名の専属
PAがおり、4 名のフェローとともに手術・病棟業務のサポートを行っている。手
術室では、PAは第 2 助手を担当し、冠動脈手術時の内視鏡下の静脈採取を行う。
さらに、集中治療室で術後患者を担当するPA(麻酔科所属)がシフト制で 8 名働い
ている。日中の病棟業務は、基本的にPAが対応するため、フェローは 1 日に 1 〜 2
例の手術に専念することができ、当直でない日は、担当手術が終了後に帰宅できる。
米国医療でのPEシステムは、医療人件費を抑え、且つレジデント・フェローの臨
床教育の質を維持するために必須なものである。
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おわりに
高齢化・少子化が現実となっている日本では、医師不足の声が高まり、医学部定
員増員プランが具体化している。しかしながら、医師の増員のみによって各科間お
よび首都圏・地方の人員の不均衡を是正できるとは考えにくい。一人の医師を作り
出すためには、多大な費用と専門医になるまでの通算十数年の期間を費やすことに
なる。米国では卒後教育のプログラム
(研修医を受け入れる病院各科)
の内容・定員
は、ACGMEにより審査・規定されているが、日本では各病院(各科)が定員数を独
自に設定して研修医・フェローを受け入れている。したがって、研修医の全体数が
増えても、人手の足りない麻酔科、外科、産科、救急科などを選択し、将来的に専
門医数が増えていくかどうか疑問が残る。過酷な日常業務は廃業、転科など、医師
不足の原因にもなっている。
卒後医師研修システムの充実と医療従事者の適正配分の 2 点は、日本の医療が改
善しなければならない重要な問題である。それらを改善する 1 つの方法として、PE
の導入による「チーム医療」は一考に値する。CRNAやAAは比較的短期間の麻酔
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特 集
研修を受け、麻酔科医と大差ない業務を行う集団であり、外科医療の質を低下させ
うる、と排他的に考えるよりも、PEを競合相手ではなく、助けあう仲間として選
択してもよいだろう。米国のPAやCRNA/AAのプログラムが確立されるまでには
数々の紆余曲折があり、同じ仕組みを短期間に日本で確立することは、医療の現場
にも合わないし、法律上にも無理がある。まずは医師以外の医療行為者の研修・免
許制度および卒後教育に関しての法律基盤を設定した上で、PEを必要とする症例
数の多い施設で、限定的な導入をすべきであろう。トレーニングの対象は、看護師
が中心となると思われるが、循環管理士、救命救急士など熱意・能力のあるコメ
ディカルがステップアップできる仕組みを作るのが理想的と考える。日本の風土に
合った「チーム医療」の導入は、麻酔科に限らず、日本の医療再生、優れた研修医
の育成、専門性の高い医療の供給につながる可能性を持っている。
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引用文献
1 )前原正明,渡辺 孝,西田 博,他:新しいチーム医療の推進と確立に向けて
(日本版NP/PA制度導入を)
.日本外科学会雑誌 111:44−53, 2010.
2 )Gravenstein JS, Steinhaus JE, Volpitto PP:Analysis of manpower in anesthesiology. Anesthesiology 33:350−357, 1970.
3 )Odom SH, Berry AJ:Assuring competency of Anesthesiologist Assistants:
Education Program Accreditation and Graduate Certification. ASA Newsletter 2003.(http://www.asahq.org/Newsletters/2003/03_03/berry.html)
4 )Grogono AW:Anesthesiology Recruitment.(http://www.grogono.com/nrmp/)
5 )Berry AJ, Hall JR:Work hours of residents in seven anesthesiology training
programs. Anesth Analg 76:96−101, 1993.
6 )Thourani V, Miller JI:Physicians assistants in cardiothoracic surgery:a 30−
year experience in a university center. Ann Thorac Surg 81:195−200, 2006.
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