同性愛の受容と抵抗

同性愛の受容と抵抗
受容の動きと拒否の反応
この小論文では第 10 章「ジェンダー」から、性的マイノリティー層、特に同性愛につい
て考えていきたい。授業で紹介されたように同性結婚の合法化が世界各国で進んだり、
「府
中青年の家」裁判で原告の動くゲイとレズビアンの会が勝訴したりするなど、公的に同性
愛を認める動きが起こりつつある。その一方で、根強い反対意見が後を絶たない。アメリ
カの結婚防衛法の条文に対する違憲判決に対して反対派から厳しい非難の声が挙がったこ
とはその典型といえるだろう1。同性愛を受容する動きが見られると、その反対意見もただ
ちに鋭く発せられるのである。日本では行政、政府による同性愛差別、迫害の大きな事件
は話題になっておらず、大規模なデモなどの活動に発展することはあまりないが、日常的
なレベルで差別的発言がなされることはあり、インターネット上で同性愛受容に対して感
情的に強く非難する声があがることがある。
同性愛を認める動きが起きると、なぜ非常に強い反発の声が挙がるのか。憲法改正や経
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朝 日 新 聞 2 0 13 年 6 月 28 日
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済政策の転換などの我々の生活に直結するところでの変化に強い動揺が現れるのはもっと
もだが、同性愛はあくまで個人の性的指向の問題である。自分の生活に必ずしも直接関わ
るわけではないようなこと、すなわち身の回りに同性愛者がいることとその恋愛・性愛を
認めることになぜ強く反対するのか。欧米諸国では宗教の戒律が同性愛を禁じているが、
日本で同性愛に対する拒否感のもとになっているものは何なのか。授業では文明開化に伴
う近代的価値観の流入によって日本でも同性愛がタブーとなったと説明していたが、日本
で異性愛前提の価値観が形作られた背景や、同性愛者排除の構造を見ていくことで、同性
愛が拒絶される理由についてより詳細に考えていきたい。
近代国家を基礎づける異性愛主義とその崩壊への危機感
同性愛に対するいくらか感情的な反対意見として「同性愛は生殖に反する行為であるか
らおかしい、昔から子孫繁栄のために行われてきた異性間の愛こそが正しい」というよう
なものが考えられる。子孫を生むために性行為は行われるべきであり、それに反した行為
を行う同性愛は近代になって増加した不自然な行為である、という見解である。しかし、
前近代の「男色」という言葉に代表されるように同性間での性愛、恋愛は近代になって生
まれたものではない2。少なくとも日本においては、同性愛は近代になって異性愛が絶対視
されるようになる中で「発見」され、異常とラベリングされたものと考えたほうが良いだ
ろう。
ではどのように同性愛を異常とする異性愛前提の価値観は形成されたのか。比留間(2003)3
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比留間
同書
由 紀 子 , 2 0 0 3 . 近 代 日 本 に お け る 女 性 同 性 愛 の「 発 見 」.
2
解 放 社 会 学 研 究 , 1 7 , 9 -3 2 .
は女学生の「同性愛」が問題とされるようになった 1910 年代の言説を分析してその過程を
描き出そうとしている。1910 年前半において沸き起こった婦人問題により男性中心社会の
危機を迎えていたことを背景に、近代国家を支えるための女性像/国民像/家族像を正当化
するイデオロギー、倫理が儒教的価値観を包摂して誕生し、それらの異性愛を前提とする
価値観が次第に普及し、同性愛を問題視するようになった。1910 年代ではまだ学生の異性
愛につながるものとして同性愛が非難されていたにすぎないが、1920 年代に入ると同性愛
に関する言説、研究が増加し、いつしか異性愛とは異なる同性愛が「病的」な「異常」で
あると認識されるようになったとされる。日本における異性愛前提、同性愛をタブーとす
る価値観は、西欧的価値観の流入というより、西欧的近代国家の形成に必要なイデオロギー
が日本的価値観を含んで形成される中で、同性愛を異常とする価値観も形成され、人々の
価値観に根付いていったというべきかもしれない。
近代国家に必要な女性像(良妻賢母: 比留間, 20031)の形成は、同時に近代国家に支えられ
る男性像を形成することになる。女性は家庭を守り、男性が働いて家族を養う、家族が暮
らしていけるのは父が金を稼ぐおかげだから父、ひいては男が「覇権」を握るべきだ――
そのような家族の在り方が理想とされ、次第に女らしさ/男らしさという言葉でセクシュア
リティの在り方を規定するようになる。風間(2003)4は特に男性に強くみられる男性同性愛
者への嫌悪について、
「男という種」が生来持つとされる「覇権」が崩れてしまうことへの
恐れからそのような嫌悪感が発生する可能性を示唆している。すなわち、同性愛を異性愛
の図式に当てはめることで、それまで「覇権的」であった男という立場に上下がつくこと
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風 間 孝 , 2 0 0 3 . 生 ‐ 権 力 と 死:エ イ ズ の 時 代 に お け る 男 性 同 性 愛 者 の 表 象 を め ぐ っ て . 解
放 社 会 学 研 究 , 1 7 , 3 3 -5 8 .
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を連想し、
「男という種」によって維持されてきたジェンダー・ヒエラルキーの転覆につな
がるのではないかという危機感から、同性愛嫌悪が生まれるのではないかと指摘している。
男性にも「女性的」下位の立場があると認識することで、1910 年代以降脈々と受け継がれ
てきた「男性上位」の価値観が揺らいでしまうことの動揺として男性の同性愛嫌悪がみら
れるということである。
「異人」の顕在化への抵抗
上で述べてきたような嫌悪感、恐怖感から同性愛者のジェンダー・アイデンティティ(GI)
は公的領域から隔離され、私的領域に抑圧される。抑圧された同性愛者の GI はすべて、異
性愛者のジェンダー・アイデンティティのうち私的領域に隔離されている性愛部分と同一
視される。公的領域の論理に合わず抑圧されたものどうしが同一視されることで、同性愛
に対する嫌悪感、抵抗感はますます強くなってしまう。共同体の「影」を一身に背負った
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、
異人という名のスケープゴートを排除する供儀によって共同体の安定が得られるように、
同性愛者を私的領域に追いやることは公的領域の秩序を安定させ、またその安定を脅かす
ような事柄(同性愛者の社会進出)はどうしてもそれに対する抵抗感を喚起してしまう。
受容への戦い
以上みてきたように、近代国家の根底を支えるイデオロギーが壊されるかもしれない不
安や、そのイデオロギーを理想として築いてきた「自分像」、男らしさ/女らしさを揺るが
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赤 坂 憲 雄 , 1 9 9 1 . 排 除 の 現 象 学 , 筑 摩 書 房 , p p 4 7 -50 .
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される事態を想起させられることへの抵抗感、
「男という種」で維持されてきたジェンダー・
ヒエラルキーの転覆につながるかもしれないという恐怖が「同性愛者」という表象に結び
付けられている。同性愛を受け入れる動きに強く反発が起こるのは、それと結び付けられ
る、近代的な人間の生の在り方を揺さぶり、強い情動が喚起されることによるのだろう。
その結果同性愛者は「バルバロス的異人6」として異性愛者の共同体からは隔離される。
しかし同性愛者は生きる人間で、人間の織り成す社会から同性愛者と排除して「発展」
していくには限度があるのではないか。排除されてきた同性愛者が社会に受け入れられる
にはどうしても強いメッセージを、継続的に送り続けることが同性愛者及び彼らの支援者
に強いられてしまう。彼らの声をより響きやすくするには、異性愛者にとっての「他者た
ち=かれらとの関係の媒介者7」となるような同性愛者、LGBT、性的マイノリティー層の側
面(人格、能力、嗜好など)を正面から見据えて向き合うこと、またそれらを媒介にかれらの
姿を知るとともに自らの在り方を示し、自省を繰り返す、という根気のいる努力が必要に
なるのだろう。そのためには、同性愛の受容に対して想起される人間の生の在り方と、そ
れに伴う情動を深く見つめていかなければならない。
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赤 坂 憲 雄 , 1991.
同書
排 除 の 現 象 学 , 筑 摩 書 房 , p p . 1 79 .
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