12 日目 11 月 26 日(水) 涼しいルアンパバーンから暑いシェムリアップ(カンボジア)へ 昨日と同じサンドイッチの出店が並ぶ場所で、またラオ式サンドイッチで朝食。何度食べても美味し い。きょうは涼しいルアンパバーンからアンコールワットのあるシェムリアップ(カンボジア)へ。 ソンティウで約 15 分、ルアンパバーン空港は国際空港であるが、誘導路も無く秋田空港より小さな 感じ。 ルアンパバーン空港 シェムリアップに向かうプロペラ機 約 2 時間の飛行でシェムリアップ空港に到着。タラップを降りた途端これまでとは違う蒸し暑さを感じ る。カンボジア入国にはVISAが必要なため、ここで初体験のアライバルVISAを申請(US30 ドルと 写真添付) 窓口に係官が 5 人ほど並び左の人に申請、流れ作業で右側の人から名前を呼ばれて VISA取得完了。 カンボジアは US ドルが通用するので、空港両替所にて 1 万円をドルに両替。77.18 ドルに化ける。 予約していた G/H のトウクトウクが迎えに来ており、それに乗って約20分で到着しチェックイン無事 完了。 一息ついた後、中心街にあるオールドマーケットに出かけて夕食並びにおみやげ品をまとめ買い。 ここのオールドマーケットで夕食。 シェムリアップ空港は増築中 ナイトマーケットのライトアップ 宿泊する G/H は中心部から少し離れているが、国道6号線沿いにあり、この旅初のバスタブもあっ て、快適だ。ここを拠点に明日はアンコールワットへ出掛けることになる。 ナイトマーケット G/H グリーンパークヴィレッジ 13 日目 11 月 27 日(木) 同僚の友人とご対面、そしてアンコールワットへ 同僚が2009年にシェムリアップを訪問した時に知り合ったというカンボジア人の Rthyが、今朝 G/H の玄関前で待っていた。当時は他の G/H で働いており、観光案内も兼務しながら大学進学を目指し ていたそうだ。やがて大学に入って苦学していることを知り、学費を援助していたのだ。私は飲み会 で同席したときにその話を聞き、協力を申し出たのが縁となり今回の旅に繋がった次第。卒業証書 を持参して見せてくれ、もう不要になった年次ごとの学生証を記念にと言って渡してくれた。 おこづかい程度の援助だったが、これほど感謝されると自分の子供の事の様に愛おしく、嬉しくなっ た。二人にとってはアンコールワットはもう行かなくてもいいのだろうが、初めての私に同行してくれ ることになり、トウクトウクをチャーターして、定番コースを一緒に回ってくれた。1日では回りきれない とのことで、私は 40US ドルの3日間パスを、同僚は 20US ドルの1日パスを購入。Rthiyは現地人だ から無料とのこと。 定番コース 1)アンコール・ワット 2)アンコール・トム 3)タ・プローム 4)バンテアイ・クディ、スラ・スラン 5)タ・ケウ レストランの道路前はスラ・スランという池 アンコールワットだけなら半日でもいいかもしれないが、他の遺跡も巡る場合はペース配分が大事。 暑いので体調と相談しながら巡る必要がある。 定番コースを巡って 15:00 過ぎに G/H へ戻った。明日の遺跡巡りのため、またトウクトウクの予約を する。 夕方から Rthiy も一緒に3人で市内中心部へ。宮廷舞踊として知られるアプサラダンスショーで有名 なクーレンⅡへ出掛けた。入場料は食事付(ビュッフェスタイル)で一人 15US ドル。(酒など飲み物は別料 金)ゆったりした優雅な踊りを観て、ふと本日巡った遺跡のレリーフを思い出した。容姿が重なるの である。ポルポト政権時代、このクメール文化を伝承する踊り子も多数虐殺され、一時は風前の灯 だったと知り20年前を思い出した。そういえば秋田出身の明石さんが国連から派遣されて解決に 導いたんだ。 きょう巡ったほとんどの遺跡が修復中で、そこで働いている人が多数いた。雇用の場にもなっている ようだ。高い入場料がこういう場で使われていると思えば納得しないといけないだろう。 日本でも上智大学など、遺跡の保存や修復に貢献している組織が複数あるようだ。 アプサラダンスショー 遺跡のレリーフ(上及び左)を見ると衣装が アプサラダンスとそっくり 14 日目 11 月 28 日(金) 連日30度越えの遺跡見学、二日目 朝食後きょうは一人で遺跡見学に出発。同僚は Rthiy と二人で西バライでゆっくり過ごすとのこと。 最初に 40Km ほど離れた郊外の遺跡バンテアイ・スレイへ向かい、最後にプノン・バケンの高台から夕陽 を見ようという目論見だ。 本日のコース 1)バンテアイ・スレイ 2)プノン・クーレン 3)プレ・ループ 4)イーストメボン 5)タ・ソム 6)ニャック・ポアン 7)プレア・カン 8)プノン・バケン バンテアイ・スレイはトウクトウクで所要 1 時間以上、北東の方向へ。郊外に出ると田園地帯が広がり、 ときどき民家が目に入って来る。民家の隣接では水牛が寝ていたり、沼地では子供たちが水浴びを したり。この風景が心を癒してくれて、何とも言えない。 田園地帯の民家 バンテアイ・スレイの配置案内図 バンテアイ・スレイの寺院 バンテアイ・スレイの配置案内図 倒れかかった寺院の石塀 プノン・クーレンもバンテアイ・スレイと同じ方向の郊外にある。 到着後、そこから約 1.5Km のトレッキングエリアがあり、ちょっとした登山と思えばよい。 途中、日本語で話している現地ガイドに会う。日本からの若い女性二人旅のガイドをしていた。 女性客によると、休暇を取り 5 日間の予定で旅行中とのこと。 日本語はどこで習得したかガイドに聞いたら、シェムリアップ市内に日本語学校があり、そこで 3 年 間学んだとの事。英語以外に他の言語も習得すると給料が大幅アップするらしい。 どこの国でもスキルアップが必要なことは同じだ。 自然環境保護の看板 目的地までの中間点、残り距離表示 ニャック・ポアンは雨季と乾季では様相が随分異なるらしいが、今回は乾季の初期のためかまだ水 が残っており、長野県の穂高や槍ヶ岳の登山ベースになる上高地明神池の雰囲気を思い出した。 逆に雨季では奥の寺院まで行けない時もあるようだ。 ニャック・ポアン プノン・バケンと夕陽を見る人 タ・ソム プノン・バケンの夕陽 高台にあるプノン・バケンで夕陽を見てから G/H に戻ったのが 18:30。 トレッキングもあったので、きょうは結構歩いたが、暑さに負けないで無事終わったのが何より。 15 日目 11 月 29 日(土) 戦争博物館とカルチャーヴィレッジ 遺跡巡りの 3 日間パスはもう一日残っているが、昨日で主だった所は巡ったので本日は休養に充て る。午前中に戦争博物館とカンボジア文化村(Culture Village)を訪問。 博物館のロケット弾や地雷 G/H 近くの市場(豚肉) 文化村(カンボジアの疑似結婚式) G/H 近くの市場(チキン丸焼き) 戦争博物館とカンボジア文化村(Culture Village)を見学後、帰途 G/H 近くの市場へ立ち寄ってみ た。ゲンゴロウにような昆虫の佃煮や蚕の幼虫などもある。以前イナゴの佃煮や蜂の子ごはんを食 べた経験がある私、同僚が写真を撮るから食べてみたら? と言うが、海外で下痢でもしたら困ると 心配が先に立って決断できなかった。 そして、午後は夕方まで休養にあてて G/H で昼寝。 シェムリアップも今日が最後の夜になるので、Rithiyを呼んで夕食をとることになった。 彼に、安くて美味い店を尋ねたら G/H 近くに市場があり、その向い側のスープ屋に案内してくれた。 これまで何回か食べたスープと同じだと思っていたら、チュナン・ダイという鍋料理だった。 日本の鍋料理と同じような味付けで、本当に美味しかった。 午前中に文化村で見たカンボジアの疑似結婚式の話をしたら、Rithiy 曰く「近所の人が集まり二日 間ぶっ通しで宴会をする」との事。昔は、日本の田舎の結婚式も似ていたかも。 屋台で食べている近くで子供が 3 人で缶蹴りをして遊んでいた。私も子供の頃似たような遊びをした のでその話をしたら、彼が子供の頃は、沼で水牛と一緒に水浴びをして遊んだものだと言っていた。 支払いを済ませ席を立つと同時に、待っていたかのように缶蹴りの子供たちは我々の残した鍋に集 まってきた。スープしか残っていないけど・・・ 現在のカンボジアは60年前の日本と似ているかも? でも、フリーWiFiやスマホ環境などは、日本より進んでいるので単純比較はできないな・・・ 16 日目 11 月 30 日(日) メコンエクスプレスバスで首都プノンペンへ。そしてドミトリー初体験 シェムリアップから首都プノンペンへはメコンエクスプレスバスで所要6∼7時間。数社競合があるよ うだ。 前日に G/H に依頼するとチケットを手配してくれる。G/H からバスターミナルまでピックアップ付きで 13US ドル。ターミナルに着いて広告看板を見たら、「バスは日本の空港などで使用されたシャトル バスなどを使用している」と書いてある。我々乗車のバスは AM8:30 発の日野製の中古観光バスで、 ほぼ定刻に出発。出発してまもなく車内サービスのミネラルウオーターとパンが配られた。 最初の2時間ほどは高速道路並みのスピードで国道6号線を南下、快適であったが、徐々に道路 状況が悪化し、やがて未舗装になってしまった。土埃りが舞い、国道が酷道になってしまった。 こうしてまだまだ発展途上にあることを実感する。 メコンエクスプレスの広告看板 (日本の空港で使用されたと下に記載あり) 土埃の国道6号線 カンボジアの首都プノンペンは、今晩一泊するだけ。つまり、宿泊中継点に過ぎないことになる。 翌朝は、またバスでベトナムのホーチミン(旧サイゴン)を目指す事になる。 きょうの宿は二段ベッドが3組の6人相部屋で、これをドミトリーと言うそうだ。きょうは客4人のようだ。 同僚から事前に「ドミトリーを体験してみるか?」と聞かれたので「OK」と了解した次第。 彼が曰く、「一般的にバックパッカーはこのような部屋を利用して安価な長期旅行をする」と。 トイレとシャワーは共用になるが、バッゲージを入れるロッカーは頑丈な南京錠がついた鉄製ケー ジだ。 若い頃は、山小屋にシュラフで御刺身のように雑魚寝をしたので、ドミトリーも苦にはならなかったが、 そういう経験がないと、親父世代には抵抗があるかもしれない。 プノンペン手前の田園風景 プノンペンのドミトリー付のG/H 17 日目 12 月 1 日(月) バスで最後の訪問国ベトナムへ入国 昨日に続き、きょうもトイレ付のメコンエクスプレスバスで国境越えとなる。 朝 7:00 にバスターミナルを出発、料金は 14US ドル。きょうもミネラルウオーターとパンが配られた。 プノンペンを出てから2時間ほどでメコン川を渡らなければならないが、ここには橋がまだ無いので、 バスに乗ったままフェリーで渡ることになる。フェリーが出るまでの間、物乞いの子供がバスの窓を たたき食べ物の催促。大きな窓は閉め切りだから、上部の小窓から施しをやるのは簡単だが、首を 横に振った。現在日本の援助で橋を建造中(2015 年完成予定)で、これが完成すれば渡し船も無く なるのだろう。 プノンペンのバスターミナルで 物乞いの子供 日本の援助で建造中の橋 ベトナム入国のイミグレーション 【出国・入国手続】 まずはカンボジア出国手続き 1)朝バスが出てから、ほどなくパスポートを集められる。2時間ほどでイミグレ手前のレストランに到 着。 2)そのレストランで休憩している間に、バススタッフが代行で出国手続きをしてくれる。 3)レストランを出ると、既に出国スタンプが押されたパスポートを受取りカウンターを通過するだけ。 4)荷物はバスに積んだままで、左右の指紋の採取をされる。これでカンボジア出国手続き完了。 次にベトナム入国手続 1)再びバスに乗り込む際、またパスポートを集められる。 2)今度は検査(レントゲンと麻薬犬)のため荷物を降ろす必要があるが、運搬は全てやってくれる。 3)イミグレを通過した荷物は、また積み込んでくれる。 4)ここでもスタッフがまとめて入国手続をしてくれて、既にスタンプが押されたパスポートを受け取る だけ。 5)あとはカウンターを通過時にセキュリティチェックを受けるだけ。 という手順で我々は出入国カードを書く必要がなく、手続き完了。バスも乗換え無しで、同じバスだ。 15:00 時にホーチミンのゲストハウス街に到着。 本日の G/H は、好評判の「4BOYs」。所在場所は小路を入ったところで判りにくかった。、部屋はオ シャレで清潔だが、4階まで上がるのはキツイ。(G/H の場合エレベータが無いのは普通のこと) 明日は一人でメコンデルタ日帰りツアーに行くため、近くのデ・タム通りでバスツアー会社を探す。 通りにはツアー会社が何社もあり、価格もいろいろ。日本語ツアーもあるが 35∼55US ドルと高い。 結局、シン・ツーリストの 17US ドル(昼食込)の日帰りツアーに申し込み。英語ガイドのツアーだ。 18 日目 12 月 2 日(火) バスでメコンデルタツアーへ AM6:30 シン・ツーリスト前に集合し点呼。そして AM7:00 バスが出発、満席だ。私は最後尾席。 ガイドはベトナム語と英語で説明を始める。あまり理解できないが何とかなるだろう。日本人は私だ け。パンフレットによると Cai Be 川∼Vinh Long フルーツ市場方面に向かうツアーだ。 1時間以上走ったところでボートに乗換える。水面を浮草(蓮の葉に似ている)が次から次と流れてく る。魚の種類の多さも世界有数とのこと。水上マーケット、米菓子・ココナツキャンデイ工場、ハチ蜜、 ヘビ酒、ヘビ皮ベルト、パパイヤなどの農園を見学後、運河畔のレストランで昼食を取り民族音楽で おもてなし。 シン・ツーリストでチケット購入 水上マーケット(水面には浮草多い) フルーツ農園 観光ボート 米からつくるライスペーパー フルーツ市場 昼食後、また船に乗り、Vinh Long フルーツ市場に向かう。13:30 市場に到着 船を降りるとガイドから説明があり、ここで日帰りツアー組と一泊ツアー組が分かれるのだと言う。 日帰り組は 14:15 分に迎えの赤いバス(NO3300Red Bus)が来るまで自由時間と言い残し、ガイド も行ってしまった。40分ほどの待ち時間の間に、フルーツ市場を見たり、ガーデンレストランで一服。 バスで戻る途中から激しい雨が降り出した。シン・ツーリストに着くころには止んでいたが、今回の旅 で初めてのスコールだった。17:20 分、シン・ツーリストに無事戻る。 19 日目 12 月 3 日(水) ホーチミン(旧サイゴン)最終日。市内を見学 昨日は同僚が市内を巡ったので、その情報も参考にしながら本日は私が市内見学をする。 ホーチミンという呼称より、サイゴンの方が私にはシックリくる。 ベトナム戦争で「サイゴン陥落」というニュース映像は、今でも脳裏に焼き付いている。 きょうは当時の大統領府と戦争博物館は必見だ。戦争博物館にはピューリツア賞を受けた沢田教 一の写真もあるはずだ。(沢田教一は青森出身) 1)中央郵便局(フランス統治時代の建物) 2)サイゴン教会(聖母マリア教会) 3)統一会堂(旧大統領府) 4)戦争博物館 5)ベンタイン市場でおみやげ購入 中央郵便局のアーチ形天井 (入場料) 無料 無料 30,000VND(167 円) 15,000VND( 84 円) 旧大統領府 旧大統領府の内部 月夜のサイゴンスカイデッキ (ホーチミン最高層ビル) 沢田教一のピューリッツアー受賞写真 20 日目 3 日の 23:55 分発の飛行機で、ベトナムにさよなら 12 月 4 日(木)に帰国 名残惜しいが東南アジアの旅も最終日。 チェックアウト後もバッゲージを預かってもらっていた G/H で、3日の夕方同僚と落ち合い、近くのレ ストランで夕食。ビールを飲みながら、それぞれ本日の行動や感想を報告。 毎日、汗をかくので G/H でシャワーだけ借りることにしていたが、話が弾み G/H に戻った時には空 港行きの予約をしていたタクシーが既に待っていた。 結局、シャワーは使用しないまま空港へ。到着後、空港のトイレで汗を拭いたり着替えたり。 天気予報によれば韓国も日本も寒波が襲っているらしい。 明日は、身体がヒートショック試験に晒されることになるので、中高齢者には辛いだろうな。 紙面が空くので戦争博物館の写真を掲載する。 戦争博物館 戦争博物館(ヘリから覗く銃口) ベトナム戦争当時に掘られた総距離 200Km にも及ぶ地下トンネルにも行ってみたかった が、その時間が取れなかった。残念。 23:55(現地時間) ホーチミン空港出発 6:50(現地時間) 韓国 仁川空港着 10:35(現地時間) 韓国 仁川空港発 12:40(現地時間) 秋田空港着 時差は 2 時間 【今回の旅の感想】 時間の流れがゆったりで、心地よい旅であった。 効率を重視する国では、何事にも時間が性急に進む。 そういえば永井陽之助の著書にあったっけ。 「最近の日本の政治・経済は確かに停滞しているが、その焦燥感は近代人の堪え性のなさによって 増幅されている。前近代社会では時間はゆっくり経過し、忍耐強く執念深い」 含蓄のある時間論だ。 20日間の旅 完
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