ライン河クルーズとスイス・アルプスの旅をして(スイス・アルプス編)

ライン河クルーズとスイス・アルプスの旅をして(スイス・アルプス編)
スイス旅行の初日はドイツのブライザッハから始まった。6 月 24 日朝 8 時過ぎにクルーズ船SSアント
ワネット号に別れをつげて、バスはスイス・バーゼル市のバーゼル国際空港に向かう人とバーゼル中
央駅に行く人を 30 人ばかりを乗せてライン河に沿って出発した。ブライザッハとバーゼル間は約 60k
mぐらいで朝の通勤時間であったが道路の混雑もなく先に空港に寄ってから、10 時前にはスイス国
鉄バーゼル中央駅に到着した。
ここからは船に代って鉄道を利用するので私たちはスイス鉄道のスイス・パス 8 日間とユングフラ
ウ・パス 6 日間を用意した。この二種類の鉄道パスを利用することでスイスの国鉄とユングフラウ鉄道
の路線のみならず、スイスの主要都市の市電・バスやインターラーケン・グリンデンワルト周辺の登山
鉄道・ロープーウェイと路線バスは勿論、湖の観光船にも使用できたのでこれをフルに活用して、グリ
ンデンワルト滞在中の一週間は天気が良ければユングフラウ山塊の周辺をトレッキングして廻ろうと思
い、天候の悪い日はインターラーケンやベルンそれにピールなど都市の観光地やブリエンツ湖の遊覧
船、さらにスイス時計とスイスチーズのメッカであるジュラ地方のラ・ショウド=フォンやベルレーなどに
出かけたい所は多くあったが現実にはなかなか々難しいところもあった。
6 月 24 日(日 スイス旅行第一日(クルーズ船第八日目と同じ日)
クルーズ船アントワネット号に別れてバスでバーゼルのスイス国鉄中央駅に到着した。この時、船の
乗客は十数人いたが各自が「スイス特急の旅」などに別れていった。
まず、バーゼル駅の切符売り場の窓口でスイス・パスのヴァリデーション(利用開始手続き)を行う。
その後はインターラーケン行のICの時間表を見て乗車ホームへ行くが、少し時間があったので駅構
内を散策する。
ヨーロッパの各国同じであるが駅に改札口がなく駅のすべての場所に自由に行けるのが便利である。
ただ駅のトイレは有料のところが多いのは困りものである。バーゼル市はスイスの北の玄関に当たりライ
ン河の港をはじめ、町の西側には国際空港(ユーロ空港)があり、鉄道の駅はライン河の東側にドイツ
国鉄が併用するバーゼル BF 駅と西側にはバーゼル SBB 駅がありスイス国鉄とフランス国鉄が併用し
ている。この他にスイスの代表的な工業都市であり、特に化学工業では有名で日本の薬品会社も進
出している。
さて、駅構内の売店で昼食を購入してプラットホームに下り列車に乗り込んだ。スイスではほとんど
の列車が自由席でそれほど混雑することはない。ゆったり座って昼食のハンバーガーを食べた。
列車はインターラーケン行で途中オルテン、ベルン、を経由して、列車運行時間は約二時間でイン
ターラーケン・オスト駅(567m)に到着した。ここまではスイスらしい嶮しい山の風景は見られなかった
が、トウーン湖とプリエンツ湖に挟まれた町インターラーケンの南側にスイス・アルプスの一部が顔をの
ぞかせていた。
ここまで来るとプラットホームを移動する乗客のほとんどが観光客か登山をする人たちである。いよ
いよ来たなという感じでユングフラウ鉄道のグリンデルワルト行に乗車した。列車は長い編成で途中ツ
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バイリッチネン駅で前半はラウターブルネン行きで、後半
がグリンデルワルト行になる。乗車時間は 35 分で目的
地であるグリンデンワルト駅(1034m)に到着した。
グリンデンワルトには 1997 年と 1999 年の二度来たこ
とがあるが、思い出深いところである。この駅の建物や構
内は当時と変わりがないが、利用する登山者や観光客
は多くなり、アジアの人が圧倒的に増えている。中でも中
国の人、インドの人、アラブの人たちが目立っていた。
グリンデンワルトの宿舎は駅から歩いて 10 分ぐらいの山の手にあるホテル・ベラリーのオーナーであ
る中嶋正晃さんから紹介されたウイークリ・マンションであるシャーレ・バリザンに一週間滞在する。この
日は駅まで中嶋さんが車で迎えに来てくれた。中嶋さんとは初めてお会いしたが気さくな方で、この旅
行の半年も前からメールを中心に色々な情報をいただき、親戚のバリサンを紹介してもらった。
シャーレ・バリサンはホテル・ベラリーより 200mほど下った所にあり、シャーレ・バリサンの一階のテ
ラスに出るとすぐ南には名峰アイガー北壁(3970m)が目の前に聳え立ってている、その姿は凛々しく
偉大なものに感じた。その東にはシュレチホーン(4078m)とウエダーホーン(3701m)と続いている。
西側は南の険しい山容と対照的に緩やかな傾斜で集落や牧場や冬季のスキー場が開けている。北
側は 2000m級の山並みが続き、東側は西側に比べれば少し傾斜があるが集落と牧草地や牧場が
広がっている。グリンデンワルトは典型的な盆地にあり農牧業の集落である。今でもホテルから駅に行
く道路を歩いていると牧草地で刈り取った乾いた牧草を大きな束にして、トラックの荷台に積み込み家
に持ち帰る車によく出会う。
さて、今回宿泊するシ ャーレ・バルサンはこの地域
でよく見かける山小屋風の三階建のでっかい建物で
その一階にある二寝室とリビング・ダイニングの部分を
使用した。
少し落ち着いたときに中嶋さんがスイス人の奥さん
を連れだって来てくれ、宿泊についての使用上の注
意やいろんなアドバイスをしてくれた。私たちも日本か
ら持ってきた薩摩焼酎(中嶋さんは鹿児島出身)やお
土産を渡しお礼を言った。
その後夕食の食材を駅前のスーパーマーケット・コープへ買い出しに出かけ準備に取り掛かる、夕
食には二階に宿泊していた K さんが急きょ参加することになり最初から賑やかなことになる。テラスで
食事をしながらアイガー北壁が夕日に染まり色を変えながら移りゆく姿はすばらしい感動であった。
6 月 25 日(月) スイス旅行第二日
朝起きてテラスに出るとアイガー北壁がいない、西側の牧場や民家は見えている、山の上部だけ
が雲がかかり見えなくなっていた。天気は下り坂で雨も降りそうな様子のため、ユングフラウ ヨッホに
行く予定を変更してスイスの首都ベルンの町にへ行くことに決定する。
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バリサンを出発するころは雨は降っていなかったので駅まで 1.5kmの道を下る。これからこの道は
何回か上下することになるが、真直ぐで結構な傾斜を持っているので、上りは少々嫌になるが山に来
ればこんなものやという慣れで何とか克服した。
グリンデンワルト駅はこの朝に到着した観光客で相変わらず混雑している。私たちはインターラーケ
ン行の電車に乗り出かけるが客は少なくのんびりした雰囲気で快適であった。インターラーケン オスト
駅はスイス国鉄と私鉄のユングフラウ鉄道の共同の駅舎になっているので乗り換えなどは便利である。
すぐにバーゼル行の I C乗場のホームへ移動するベルンまでは約 60kmで時間は 50 分ほどの距
離である。雑談をしているうちに間もなく列車はベルン中央駅に到着した。
ベルンはスイスの首都でありながら人口はわずか 12
万 2000 人で一地方の小都市のような状況です。しかし
この都市は 13 世紀には周囲の封建諸侯から独立して自
由都市になり、ベルンの市民の力で独立を保ち続けてき
誇りがある。また、この都市の地形がこの町を守りやすく
なっている。ベルン中央駅を出て、市街を少し歩くとこの
町が高台になっており、町の周囲をアレー河が U 字型の
深い谷で町の周囲を取り囲んでいるのが良くわかる。
さて、ベルン駅から観光に出るとき、私たちと中村さんたちの町を散策する目的や年齢による体力
差もあり、集合場所と時間を決めて駅で別れて行動した。私たちは駅の近くの公園や教会を見学して
アレー河の峡谷眺める展望台にやって来たが、雨がかなりきつく降り始め雨宿りをしている間に疲れて
きて雨が小降りの間に駅に帰ることにした。後は駅の近くのデパートなどに入いって過した。駅の周辺
はたいへん大勢の人出で賑ていた。中村さんらはベルンがユネスコの世界文化遺産に登録されてい
る重要なゴシック様式の 100mにも達する大尖塔をもつベルン大聖堂や 12 世紀につくられたツイット
グロッグと呼ばれる時計塔など見るべきところはかっちりと押さえて帰ってきたのはさすが若さと行動力
だと感心した。
その後は天気も良くないので、インターラーケンに急行列車に乗り引き上げて、この駅前にあるスー
パーマーケットで夕食の食材や必要な品を調達する。後は登山電車のユングフラウ鉄道を通勤電車
のように利用してグリンデンワルトに帰ってきた。一日中町を歩き続けると万歩計の歩数は軽く一万歩
を超えていた、あとは夕食を食べてゆっくりと休んだ。
6 月 26 日(火) スイス旅行第三日
天気はまだ回復せずアイガーの姿はない。今日も山行は中止にしてインターラーケンに出かける。
インターラーケンの町は谷に沿ってできた細長いトウーン湖とプリエンツ湖の間にある土地にできた町
でスイスの二大山岳観光地マッターホルンにツエルマットに対するユングフラウにインターラーケンと
対比される観光の拠点になっている。
今日は駅の構内をいつもと反対方向へ出ると、すぐ傍にあるブリエンツ湖畔に出る多くの人がいる
ので見ると、湖上遊覧船が入港するところであった、天気は曇りで山は見えないが周囲の景色は十分
に鑑賞できるのでブリエンツの町まで乗船する。乗客数もかなり多く満席に近く、周囲の山々の緑と静
かな湖の景色を 1 時間 10 分程の航海を楽しんだ。ブリエンツの町は今までに二度ほど来たことがあ
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るがプリエンツ湖の道路に沿った細長い町で、いつも
バスツアーのトイレ休憩の短い時間滞在した場所であ
った。土産物の店では鳩時計や木彫りの人形など木
工製品が多くあった。
船から上陸後、町の食堂で昼食をとり、その後商店
街を散策した。ここは多くのバスツアー客が出入りする
ので免税店があり何時もは活気があった。私たちも孫
の大学入学祝いの土産を購入した。その後、ブリエン
ツからインターラーケンへは 20kmぐらいあるのを列車
に乗って 20 分ほどで帰ってきた。インターラーケンオストからウエストへは 2kmほど市街地が続き、商
店やホテルなどが多くあるので出かけることにするが天気もぐずつき、少々疲れ気味で途中でオストに
引き返した。またもや、駅前にあるスーパーマーケットで食材などを購入してグリンデンワルトに帰って
きた。
グリンデンワルトの中心街はここへきて以来あまり見ていなかったのでので、少し歩いてみたが、以
前に来たときに比べて商店が多くなり、以前に宿泊したホテルアイガーも新しく建て替えられていた。
いま泊まっているシャルレ=バリサンの周辺でも新しいホテルやマンションの建設工事の現場がいくつ
もある。ベラリーの中嶋さんも最近は新しいホテルやマンションの建築が多くなったことが町の問題に
なってると話されていた。観光客は増加しているが、この町を通過していく人々が多いのではないかと
思った。何はともあれ身体はくたくたに疲れたので早くバリサンに急行したい。
6 月 27 日(水)
スイス旅行第四日
朝起きて窓を開くとアイガーが雲の合間から見えている。天気が回復しているので、今日はユングフ
ラウ・ ヨッホ行に決める。朝食が終わるころにはアイガーの全貌が現れてきた。久しぶりに見るとやは
り素晴らしい山容である。
いつも出かける時は半袖のシャツであるが、今日は 3000mを超えるところに行くので防寒衣を用意
して出かける。グリンデンワルト駅では悪天候のため二日間待たされた人々で混雑していたが、少人
数の強みで素早くクライネシ ャーデック行の列車に早々と乗り込み出発した。電車はぐんぐん高度を
上げて振り返るとグリンデンワルトの町やその周辺の集落や牧場が朝日を受けて輝くパノラマのように
展開した。今日は絶好の登山日和になりそうである。
電車は 30 分ほどでクライネシャーデックに到着した。この駅はグリンデンワルト側からの電車とラウタ
ーブルネン側から上がってくる電車が出会うところで山上のターミナル駅になってる。このため観光客
と登山客が大変多くて混雑している。そしてこの駅からさらに 9km上部に上がるユングフラウ・ヨッホ
行の電車が出発するからいつも満席である。この電車はスイスが世界の観光立国として誇りとする凄
い路線を造り上げている。それは次の駅アイガーグレチャーから 7kmすべてを岩山を刳り貫いたトン
ネルの路線が高度 3454mのユングフラウ・ヨッホ駅まで続いている。更に、このユングフラウ登山鉄
道は 1912 年(大正元年)8 月 1 日に開通しており、この鉄道はオープンしてから今年で開通 100 周
年に当たりいろいろな記念行事を行っているが、今更ながら日本の大正年間にこれを完成させている
ことに驚かされる。
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電車は 9kmの路線を 50 分の時間をかけて上ってくる。ユングフラウヨッホ駅(3454m)は岩山のな
かをくり貫かれて造られている。この駅の中に待合室の大ホールやレストラン土産物店などがあり、更
に外の万年雪が積もっている氷河の上に出る通路もある。そして、さらに 100mも上部にある展望台
に通じるエレベータがあり、ここがスヒンクス展望台(3571m)でトップ=オブ=ヨーロッパと呼ばれてい
る。今度は快晴でユングフラウの頂上(4158m)がすぐそこに見えヨーロッパアルプスの素晴らしい景
観に触れて感激したが、これまで二度ここへ上ったがいずれも吹雪で視界 0 であった。多くの人はす
ぐそばにあるアレッチ氷河の散策などをして楽しんでいたが危険がつきもので、専門のガイドさんの案
内で出かけることが大切である。
展望台を降りて、氷河をくり貫いてつくられたところに、色々な氷の彫刻が飾られているアイスパレス
を見学しながら駅のホールへ帰ってきた。中村さんと別行動であったので合同し昼食をした後にクラ
イネシャーデックへ下った。クライネシャーデック駅はアイガー北壁がすぐ近くにある山の鞍部のような
ところに駅舎の大きな建物があり、その建物の周囲に三方面からくる電車のホームが配置されている
山のターミナルである。駅舎には各方面行の広い待合室やレストラン、売店などがある。駅舎から少し
離れて大きなホテルの建物が二棟建っている。ここから縦横に初心者向けから高度なアイガー北壁
の岩登りまで登山やハイキングコースが伸びている。
ふと思った!ことであるが夏のシーズンの登山・ハイキングより、このクライネシャーデックは冬のス
キーシーズンの時が最高の人出で賑うように思える。スキー場向きのスロープがグリンデンワルトまで
続いている。今と全く異なる冬の景色はちょっとこの場では想像できない。このあとは電車に乗りグリン
デンワルトに帰ってきたて町に出て夕食の食材などをコープで購入し上り坂の道を宿舎へ急いだ。
6 月 28 日(木)
スイス旅行第五日
今日も快晴であるのでミューレンに出かけよう!ミューレンは深い
U 字谷の断崖の上にある集落でいつも谷の下の町が見え、天空の
世界に居るユートピアのような所のようで一度行ってみたいところで
あった。グリンデンワルト駅からインターラーケン行の電車に乗りツ
バイリッチネン駅でラウターブルネン行に乗り換えて 4∼5 分で到着
する。
ユングフラウ山(4158m)は大きな山の塊でこの山を中心にその
周囲に 4000m以上の山々を従えて大きな山塊を造っている。この
山塊をベルナー・オーバーランドと呼んでいる。このベルナー・オー
バーランドの観光や登山の東の拠点がグリンデンワルトで、ここはア
イガーの北壁が町に迫っているが、町全体としてはゆるやかな斜面
に牧場や牧草地があり、多くの民家が点在して、どこかのんびりした
農牧業の雰囲気をもっているが、しかし、西の拠点のラウターブル
ネンはグリンデンワルトと自然環境は全く異なり、電車がこの町に近づくと両側に 300∼500mの高さで
切り立った断崖が迫り深い谷底にできた町になっている。ここは氷河により削られてできた U 字谷の底
でこの谷はさらに奥に向かって 15km以上にわたって続いている。これは氷河地形のない日本では見
られない素晴らしい景色である。
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ラウターブルネンはここに出来たこじんまりとしたシャレタ町である。多くのツアー観光客はここで観
光バスを降り、これからユングフラウ行の登山電車に乗りトップ=オブ=ヨーロッパへ向かうのですが、
私達はここからグリュチアルプ行のロープーウェイに乗り約 500mほど昇る。ロープーウェイには USA の
団体の人々と一緒になるが、この人たちは陽気で賑やかロープーウェイが揺れると一斉に揺れに合わ
せて声を出すなど楽しい人たちである。
U 字谷の上部に上った。ここからミューレン行の電車でほぼ水平の路線を 8kmほど行くと町に到着
した。ミューレンの町は対岸に向かって立ち目を上に向けると満面に雪を頂いたユングフラウ(4168m)
をはじめメンヒ(4107m)とアイガー(3970m)の三山をはじめその左右に多くの山並みを従えている。
目を下に向けると、今、上ってきたばかりの景色、氷河によりできた U 字谷の断崖とその谷底の集落が
すぐ下に見えているこの景観は絶景であった。
ミューレン(1634m)の町は U 字谷の上部に出来たわずかな平地に多くの家が集まっている。ここ
から更に上部の山々に多くの登山道やハイキングコースがあり案内板が立っている。私たちはこれか
ら更に上部に行くロープーウェイを利用してシュルツホーン展望台(2971m)へ向かった。ミューレン
の村の中を通りロープーウェイ乗場に向かうが村の人に出会うことはあまりなかった。乗り場には観光
客が結構な数になり、はるか先のシュルツホーンのいただき目指して急な角度で出発した。運行時間
は 30 分を超えるほど長いが周囲の景色が抜群なので退屈はしなかった。途中の窓から見えるハイキ
ングコースには山歩きを楽しんでいるグループや家族が手を振っていた。
シ ュル ツホ ーン の展 望台は映 画「女 王陛 下の
007」の舞台になったと云われる 360°回転するレ
ストランがあり、なかなかモダンな建物である。私達
はテラス状に出ている展望台で 3000M近くの高い
ところからベルナー・オーバーランドの全景を堪能し
た。この後ミューレンに下りロープーウェイ駅近くのレ
ストランで昼食をとってから、さらにU字谷の底にある
ステッチベルグ駅(900M)へロープーウェイを乗り継
いで降りて行った。ミューレンから遠足できていた高
校生の団体が乗車してきたが、周囲を気にしながらも、なかなか活発で、やかましい集団であった。
U字谷の底は巾が 300∼400m位の平地でほゞ中央に巾 20∼30mほどのリーチュネン河が流れ
ている。その平地を囲むように両岸に高さが 300∼500mの断崖絶壁がそそり立ちその上は傾斜が
緩くなり、人が住むミューレンなどの集落ができる。その断崖には至る所に滝が流れ落ちていて、この
渓谷だけで 72 本の滝があると云われている。シュッテチベルグのロープーウェイ駅はミューレンやシュ
ルツホーンへの入り口になるので大きな駐車場がある。先の高校生らはバスに乗って出かけて行った
が、私たち 4 人はリーチュネン河に沿ってハイキングコースであり、このリーチュネン・プロムナードを歩
くことにした。この道はバス道とは反対の川の対岸にあるので車を気にせずにこの渓谷を鑑賞した。特
に 300m以上も落差のある滝が流れ落ちる情景は素晴らしい。この道を約 4kmほど歩くと有名なツリ
ュメンバッハの滝の入り口に到着した。この滝は落下の浸食で岩肌や氷河の末端が浸食されて滝が
岩肌の中に食い込み、表面ではなく岩壁内部の滝を鑑賞する、すごく変わった滝の見学である。受
付を通るとエレベータに乗り岩壁を 80mほど昇る、ここから岩の中の洞穴を流れ落ちるしぶきとその轟
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音を聞きながら照明のついた鑑賞用通路を下っていく、この滝は観光客に人気があり、この日も多く
の人々が見学に来ていた。
後、路線バスに乗りでラウターブルネンに帰ってすぐにインターラーケン行の電車で終点まで行き、
何時ものスーパーマーケットで夕食の食材を仕入れた。先日、宿舎の二階にいる K さんがグリンデン
ワルトで買い物するのならインターラーケンに行きなさいと教えてくれた。スーパーマーケットの規模や
品ぞろえが全く違う、k さんは市内にある二つのスーパーマーケットを見比べてから買うのが良いとまで
言ってくれたが、そこまではできなかった。
いろいろの品物を仕入れたのち通勤電車?に乗りグリンデンワルトの宿舎に向かった。この電車で
丁度、前の席に座った中国人の女子大生と話をはじめるとシンガポールの大学生でボーイフレンドと
スイス旅行中とのことで、シンガポールのことをはじめ、色々な話題で話したのは楽しかった。早いもの
でこの町でトレッキングなど行動できる日はあと一日のみとなってしまった、晴天が続き条件は良いの
でフィルストの方面に行くか、メーンリッヒか明日の状況で決めよう。ベラリーホテルの中嶋さん宅にも
伺いお別れの挨拶をして、最後の夕飯はベラリーでしようと思い、電話をしたら明日はあいにく食堂は
満席であるとのことで、挨拶だけにする。
普段の宿舎での日常生活は四人で賑やかに楽しく過ごしている。若いお嬢さんは食材などの重い
買い物袋を何時も持ってくれて、彼女は歩くのが早いので上り坂は追いつくのに一苦労するなど頼もし
かった!また、宿舎ではテラスの前が、家主さん宅の花畑と菜園になっている。時々奥さんが畑の手
入れをされている時に皆で会話をしていた。
6 月 29 日(金)
スイス旅行第六日
今日も良い天気になったメーンリッヒからウェンゲンに降りよう。それに中嶋さん宅へのご挨拶やチュ
ーリッヒへ移動の際に手荷物をライゼベック(手荷物別送便)を使うなら荷物の整理をしなければなら
ないなど、これから忙しくなりそうだ。何はともあれメーンリッヒに向けて出発はロープーウェイ乗場(942
m)がこの宿舎の真下にあるので、いつもの道と違う村の人々が日常使っている狭い道を次々探し降
りると、うまく乗場近くに到着した。このメーンリッヒのルートは観光のメーインルートとからは離れている
ので観光客はいない。ロープーウェイは四人乗りで 30 分以上かかる長いコースであるが、左手を見れ
ばユングフラウ三山がすぐそこに見えて、右手は 2000m級の山々が緑に覆われてスイスのアルプの
牧場が見えている。そしてゴンドラの下は牧草地や牧場に農家の家屋があちらこちらに建っている風
景が展開する。このロープーウェイの終点(2222m)は山の稜線になっている。ここに駅舎とレストラン
など数軒の建物がある。
この日はハイキング客が数人いるぐらいで少し寂しい状況であった。しかし、グリンデンワルト側はゆ
るやかな傾斜で牧草地や牧場や森のある穏やかな地形であるが、それに対し反対側の地形は急傾
斜で昨日のラウターブルネンの U 字谷に通じており、すごく荒々しい光景になっている。この地点から
ラウターブルーネン側のウエンゲンの町に行くロープーウェイが通じているので山頂で少し休憩してか
らこの町に下って行った。
ウエンゲン(1274m)についてはミューレン(1634m)の町と同様に魅力のある町の一つである。こ
れらの町の共通点は U 字谷の上部にあり、わずかではあるが平地がありこの部分に出来た町である。
どちらも共通点は天空の町であり、世の中の安住の地のように思えるところである。ここは冬のスキー
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シーズンには多くの人が宿泊するのだろうが、このシーズンの観光客はみな上へ上へとここを通過して
しまうので閑散としていた。私達もクライネシャーデック行の電車で出かけることにした。上り電車は 30
分足らずでクライネシャーデック駅に到着する、二日前よりは人は少なかったがそれでも盛況である。
駅のすぐ上にある登山作家である新田次郎さんの追悼の石碑があるので拝見し、ここの上に高山植
物が咲いていたので上がって行くと花のシーズンとしては真っ盛りであったが、今日はハイキングの
人々が多く各方面からクライネシャーデックに向かってやって来る。その為か人通りが多く植物の勢い
がなかった。
この後、駅の野外食堂で昼食をとりグリンデンワルトへ帰てきた。これから宿舎で今日中にこの駅に
手荷物をライゼベッグで出すため、自分の手荷物の整理を始めたが一週間ほったらかしにしていたの
で、整理収納は大変であったが何とかまとめた。この後、夕方にはホテル・ベラリーの中嶋さん宅へ挨
拶出かけ、明日の帰りの荷物は今からグリンデンワルト駅に出したいというと、すぐに中嶋さんが車を出
してくれた。ライゼゲベックより確実なフアストバッケージ(特急便サービス便)が良いとのことでそれに
する。荷物は先にチューリッヒに出発した。この後、今夜の夕食はグリンデンワルトの町のレストランでと
ることにする。
6 月 30 日(土)
スイス旅行第七日
天気はやや下り坂になるがいよいよグルンデンワルトを離れる日になった。シャーレ ・バリサンの奥
さんが見送りに出てきてくださり四人でお礼を言って別れた。大きな荷物がないので駅まで歩きながら、
この見慣れてきたグリンデンワルトの風景に別れを告げて、インターラーケン行の電車に乗り込んだ。
インターラーケン・オスト駅でルツェルン行の列車に乗車して、ブリエンツ湖岸を通り抜けてマイリン
ゲン駅に行く、ここからかなり嶮しい上り勾配でブリューニッヒ峠を越えて美しいザルネン湖を経由して
二時間ほどでルツェルンに到着した。ルツェルン中央駅に降りると地階の売店で昼の食べ物を仕入
れて食事をして、町へ出かけたが大変な人だかりでどうしたことかと思っていると、6 月 30 日はルツェ
ルンの夏祭りで、今夜は花火大会もあるので、町中が大混雑になっていた。広い道路には屋台と町の
広場ではコンサートや催し物が小さな舞台を組んで行われていた。
広い中央駅の構内を出ると、すぐそばにフィーアヴ
ァルトシュッテ湖岸があり、ここからロイス河が流れ出
ている、そしてすぐ近くにこの町を代表する木造の屋
根のついた独特な形をしたカペル橋が架かっている。
中央には八角形の見張り塔が立っている。これを見
てルツェルンに来たなと思った。橋を渡ると木造りで
屋根の梁の部分に絵を描いた額が取り付けられてい
る。橋にまつわる縁起が描かれているのかと思った。
この後旧市街地をまわったが、お祭りの行事が各
所で行われそれは賑やかなことであった。そして市街地を歩き少し山手にある「嘆きのライオン」の石
像のある公園に行った。ここには中国観光客の団体が何組か来ていた。これはライオンが矢に射られ
て、息絶え絶えになり横たわっている石像であるが、これは当時のスイスを象徴する作品で、フランス
革命中に王宮であるチュールリー宮殿のスイスの雇い兵が、革命軍に虐殺されたことを偲ぶものとさ
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れている。この当時スイスとしては外国の雇い兵になるしか国内では仕事がなかった。そして外国で
多くの命が何のために失われたのかが問われている。この後スイスは農牧業を興し酪農が盛んにな
った。工業ではこの国の状況に適応した精密機械の時計産業を興し、それに世界に先だって近代的
な観光産業を興していったことにつながっているようだ。
この町の賑いわいはこれからの花火大会まであるが、私達はルツェルンを夕刻に出発した、約 50
分程でチューリッヒ中央駅に到着した。まず、託送した手荷物を受け取りに別送荷物扱い所へ行くが
駅が大変広くて場所が分かりにくかったが何とか探し当てた。今夜の宿舎はホテルモンタナで中央駅
から 5 分ぐらいの近くにある。夕飯を仕入れてからホテルに向かう。場所も静かな所ですぐに場所もわ
かった。天気は下り坂でぱらぱらしていたがここまでくれば少々の悪天候でも心配はいらない。今日も
なかなかハードであったのでホテルでゆっくりしたくなった。明日は一日このチューリッヒで市内観光を
するのと、明日の帰りの飛行機搭乗のための荷物の整理をし直さなければならない。
7 月 1 日(日) スイス旅行第八日
朝からどんよりとして薄暗い、食堂で朝食をとっていると激しく雹が降り始めた。ビー玉くらいの雹が
激しい音を立てて降り、一時は道が白くなるぐらい降るので驚いた。気温も急に下がり半袖では少し寒
くなる。グリンデンワルトの中嶋さんが図らずも言っていたのは、“スイスは日が照っていたらビキニスタ
イルで、曇ったり、降ったりしたらヤッケがいる“云う意味がよくわかった。昨日まで町では半袖かノース
リーブの人が多かったのに、今日は長袖姿の人が多くなった。
取りあえずチューリッヒ中央駅に出かける、ここは大きなショップ街になっている、ただし、今日は日
曜日のため市内の商店街は店を閉じているのが多いので思案のしどころである。取りあえずこの町の
中心街であるバーンホッフ通りへ出かけるが大半の店は閉じている、天気もぐずついているし、その上
気温が低くなってきたので、町の散歩は取りやめて、まだスイスパスの期限が今日まで有効なので、
日曜でも店を開いている駅か空港へ行こうと決めた。特に明日に利用するチューリッヒ・クローテン空
港は下見も兼て出かけた。空港までは 15 分ぐらいで地階のプラットホームに到着する。取りあえずチ
ェックイン・カウンターへ行くコースを辿っていった。かなり上の階に行くのでエスカレーターを利用すれ
ば難しくはないことが分かった。その後はチューリッヒ中央駅に帰り、駅の構内には大きいショッピング
街があるので土産物の購入などで見て回った。あとはホテルに帰り、いよいよ最後の荷造りをおこなっ
たが、土産物が増えたためなかなか苦戦をする。
7 月 2 日(月) スイス旅行最終日
今日は忙しくなる、ホテルで朝食をとり早速空港に向かう鉄道のスイスパスは期限が過ぎたので自
動販売機で普通切符を購入するが、機械の使い方については通りがかりの通勤のサラリーマンの人
がわざわざ止まって丁寧に教えてくれた。さて、空港では下見をした効果でチェックイン・カウンターへ
行き搭乗手続きを済ませる。この後、アムステルダムのスキポール空港に向かい二週間ぶりにここへ
帰ってきた。この旅も最終コースになってきた、中村さんたちは成田空港であり、私達は関西空港な
ので出国審査の後、出発ゲートが異なるのでお別れをした。帰りの KLM 機は満席であったが順調に
飛行する。
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7 月 3 日(火)
この旅行すべての最終日
朝早くには KLM 機は日本海に入り松江から岡山を経て関西空港に到着した。入国審査を経て到
着ロビーに着いた。この旅行の終着点である。
最後にこの旅行でよかったことはこの旅行のすべてのことを終始この四人でやり終えたことだと思っ
ている。普段のツアーであれば添乗員さんがしてくれていたことを、自分で英語を話し、聴き、考えて
行動したこと、毎日の行動も自分たちが考えて実行してきたことではなかろうか。特にこの旅行中、四
人以外に日本人がいないという場面がほとんどであったので、そこで積極的に周囲の人に話しかける
ことが普通のことになっていたのは素晴らしいことだった。
この期間中に英語圏の人々の他にお世話になったスイスの人々やオランダ人、ドイツ人、イタリア
人、ポルトガル人、ルーマニア人、イスラエル人、シンガポール人など多くの国の人々と交流できたこ
とは嬉しいことであった。一日中外国語ばかりの中で過ごすのは大変であるが、それが 20 日間近くも
続けばそれが当りまえになってしまった。しかし、関西空港に到着した時は本当にようやくほっとした。
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