サウルの時代からダビデの時代へ

サウルの時代からダビデの時代へ
旧約単篇
サムエル記下の福音
サウルの時代からダビデの時代へ
サムエル下 3:12-19(2 章-4 章)
サウルの将軍アブネルとダビデとの政治的交渉で、和睦の条件にサウル王
の娘をダビデが取り戻す所です。アブネルの方はすでに天下の趨勢はダビデ
にありと見通しておりますし、ダビデの方では元主君の娘を取り戻すことが
政治的にも全イスラエルの信任を得るのに有利と見ています。ミカルは元々
ダビデに心を寄せていたのですが、ダビデが荒野に去ってからは父の命令で
ダビデと別れさせられて、ライシの子パルテに嫁がされています。考えてみ
るとこのミカルという女性は、悲劇の人でした。初めダビデに嫁いだ時も、
本当は父がダビデを殺そうとして道具に使われたのですね。
「ペリシテ人 100
人を殺して来たら娘をやる」という約束でダビデが調子に乗って死ぬだろう
と思いきや、その倍の 200 人を殺して帰ってきた。父はダビデの人望と実績
が憎いものですから、ダビデを追い出すとすぐに娘を家来のパルテにくれて
やった。もう婿ではない訳です。
そのミカルが今度は正統の王位の箔付か名誉のために、再びダビデの許へ
和睦の条件として帰されるのですね。ダビデの王としての面目と意地か、男
ダビデの愛情と未練か、そこのところはよく分かりません。映画 King David
ではミカルの方は運命に服するだけで、もうすっかり冷え切っているように
描かれていました。
私は何年か前の NHK の大河ドラマ「女太閤記」を思い出しますが、泉ピン
子さんでしたか……家康の所へ無理に行かされるのは……。そういえばこの
無力な夫パルテエルの姿が“せんだみつお”さんダブって哀れに見えます。
権力闘争の陰の犠牲者たちです。
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犠牲者といえば「女太閤記」式に見るなら、他にも何人かの女性の姿が物
語に絡んでいます。アブネルの手にかかって死ぬ若武者アサヘルの母ゼルヤ。
この人はサウルの妹です。それにサウルの側女でサウルの王子を二人生んで
いたのに、王の亡き後は権力者アブネル将軍のものになるリズパがいます。
運命にもてあそばれるような女性ですが、サウルの子の母となったおかげで、
最後は息子たちの処刑を見ねばなりません。サウル王への怨念がいつまでも
生き続けていたのです。それにダビデの妻になる 6 人の女性が出てきます。
ヘブロンの王宮で夫々男の子を生むのですが、マアカの生んだ子はアヒノア
ムの生んだ子を殺しますし、ハギテの生んだ子は後にバテシバの子に殺され
ます。僕にもし橋田壽賀子さんの才能が有れば「女ダビデ伝」の台本でも書
きたいところです。
さて前回はギルボア山でサウル王が討死するところまで読んだわけですが、
いよいよサムエル記下の 2 章からは、ダビデの時代が始まります。
2:1.この後、ダビデは主に問うて言った、「わたしはユダの一つの町に上
るべきでしょうか」。主は彼に言われた、「上りなさい」。ダビデは言った、
「どこへ上るべきでしょうか」。主は言われた、「ヘブロンへ」。 2.そこで
ダビデはその所へ上った。彼のふたりの妻、エズレルの女アヒノアムと、カ
ルメルびとナバルの妻であったアビガイルも上った。3.ダビデはまた自分と
共にいた人々を、皆その家族と共に連れて上った。そして彼らはヘブロンの
町々に住んだ。 4.時にユダの人々がきて、その所でダビデに油を注ぎ、ユダ
の家の王とした。
かつて預言者サムエルからひそかに油を注がれて召されていたダビデは、
いよいよユダの部族から公に王として宣言されます。前回学んだ通り、サウ
ルが退くか死ぬかしない限り、ダビデは王を名乗らなかったのですが、これ
は一つには神が確かに道を開いて下さらない限り、自分では強行しないで主
に服していくという彼の信仰、一つには彼の迷いや尻込みもあったのでしょ
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う。また「王である」と宣言するのは、ペリシテ人に「いつでも攻めて来い」
とチャレンジするようなものです。この時、遂にそれだけの思い切りがつい
たし、主の意志も信じられた。
しかし 8 節の所を見ると、主家サウルの生き残りもなおマハナイムにあっ
て、隠然たる勢力を誇っているのです。サウルの軍の長アブネルが不思議と
生き残って、4 人の王子のうちのたった一人の生存者イシボセテを立ててお
ります。イシボセテは「恥の人」で、多分後世のあだ名でしょうが(本名は
エシバアル)その名の通り軍師アブネルの専横を抑えきれない名ばかりの人
形になって行きます。
この二つの段落に挟まれた 4~7 節までの所には、ダビデの方もイスラエル
統一への静かなプロパガンダを着実に始めております。前回の最後にサウル
の亡骸を釘づけにされた城壁から外して鄭重に葬ったというヤベシ・ギレア
デの住民にダビデはまずメッセージを送って、「私もサウル王を敬愛してお
る。さあ、私の所へ来てくれるか……」というゼスチュアを示しますが、…
2:4 ……人々がダビデに告げて、「サウルを葬ったのはヤベシ・ギレアデ
の人々である」と言ったので、 5.ダビデは使者をヤベシ・ギレアデの人々に
つかわして彼らに言った、「あなたがたは、主君サウルにこの忠誠をあらわ
して彼を葬った。どうぞ主があなたがたを祝福されるように。 6.どうぞ主が
いまあなたがたに、いつくしみと真実を示されるように。あなたがたが、こ
の事をしたので、わたしもまたあなたがたに好意を示すであろう。 7.今あな
たがたは手を強くし、雄々しくあれ。あなたがたの主君サウルは死に、ユダ
の家がわたしに油を注いで、彼らの王としたからである」。
でもまだまだ、ダビデにつくべきかアブネル将軍とイシボセテ王子にまだ
望みを置くか、決心のつかない人たちが大多数だったのでしょう。3 章の 1
節は「サウルの家とダビデの家との間の戦争は久しく続き、ダビデはますま
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す強くなり、サウルの家はますます弱くなった。」とありますが、この戦い
の中から、編者は二つの目立ったエピソードを取り上げます。
いずれも悲劇ですが、一つはヘルカテ・ハヅリムの戦い
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とい
うのは「刃の野」です。24 人の若者が相討ちで果てる悲惨な場面です。
2:12.ネルの子アブネル、およびサウルの子イシボセテの家来たちはマハナ
イムを出てギベオンへ行った。 13.ゼルヤの子ヨアブとダビデの家来たちも
出ていって、ギベオンの池のそばで彼らと出会い、一方は池のこちら側に、
一方は池のあちら側にすわった。 14.アブネルはヨアブに言った、「さあ、
若者たちを立たせて、われわれの前で勝負をさせよう」。ヨアブは言った、
「彼らを立たせよう」。 15.こうしてサウルの子イシボセテとベニヤミンび
ととのために十二人、およびダビデの家来たち十二人を数えて出した。彼ら
は立って進み、16.おのおの相手の頭を捕え、つるぎを相手のわき腹に刺し、
こうして彼らは共に倒れた。それゆえ、その所はヘルカテ・ハヅリムと呼ば
れた。それはギベオンにある。 17.その日、戦いはひじょうに激しく、アブ
ネルとイスラエルの人々はダビデの家来たちの前に敗れた。
これと似た場面は古代の浮彫などに残っておりますが、こういう形で一番
優れた若者たち少数に戦わせて勝敗を決めたという説と、そうではなく長び
く対陣の退屈しのぎに祭りかショーのように殺し合いを見たという説があり
ます。これだけでも充分悲惨ですが、更に深い恨みの尾を引くのは、次に出
るゼルヤの子アサヘルの戦死です。私の想像ではアサヘルは平敦盛のような
若武者だったのだろうかと思います。アブネルのイメージは熊谷直実と言い
たいが、私には三国志の張飛将軍のイメージです。
2:18.その所にゼルヤの三人の子、ヨアブ、アビシャイ、およびアサヘルが
いたが、アサヘルは足の早いこと、野のかもしかのようであった。 19.アサ
ヘルはアブネルのあとを追っていったが、行くのに右にも左にも曲ることな
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く、アブネルのあとに走った。 20.アブネルは後をふりむいて言った、「あ
なたはアサヘルであったか」。アサヘルは答えた、「わたしです」。 21.ア
ブネルは彼に言った、「右か左に曲って、若者のひとりを捕え、そのよろい
を奪いなさい」。しかしアサヘルはアブネルを追うことをやめず、ほかに向
かおうともしなかった。 22.アブネルはふたたびアサヘルに言った、「わた
しを追うことをやめて、ほかに向かいなさい。あなたを地に撃ち倒すことな
ど、どうしてわたしにできようか。それをすれば、わたしは、どうしてあな
たの兄ヨアブに顔を合わせることができようか」。 23.それでもなお彼は、
ほかに向かうことを拒んだので、アブネルは、やりの石突きで彼の腹を突い
たので、やりはその背中に出た。彼はそこに倒れて、その場で死んだ。そし
てアサヘルが倒れて死んでいる場所に来る者は皆立ちとどまった。
講談の戦記物ならば、「読み切りの一席」というところです。結局 26 節を
見ますと、アブネルが山の上からヨアブに呼びかけて「悲惨な戦いは止めよ
う」ということで、ヨアブも兵をまとめて一時休戦になります。後で弟を殺
されたことを知ったヨアブは敵将アブネルを遂に許しません。3 章後半で遂
に血で血を洗う結末になります。
一方マハナイムのサウル家の方は、実権は軍師アブネルに譲ってイシボセ
テは名ばかりの傀儡王になって行くいきさつが 3 章 6 節以下で語られます。
3:6.サウルの家とダビデの家とが戦いを続けている間に、アブネルはサウ
ルの家で、強くなってきた。 7.さてサウルには、ひとりのそばめがあった。
その名をリヅパといい、アヤの娘であったが、イシボセテはアブネルに言っ
た、「あなたはなぜわたしの父のそばめのところにはいったのですか」。 8.
アブネルはイシボセテの言葉を聞き、非常に怒って言った、「わたしはユダ
の犬のかしらですか。わたしはきょう、あなたの父サウルの家と、その兄弟
と、その友人とに忠誠をあらわして、あなたをダビデの手に渡すことをしな
かったのに、あなたはきょう、女の事のあやまちを挙げてわたしを責められ
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る。 9.主がダビデに誓われたことを、わたしが彼のためになし遂げないなら
ば、神がアブネルをいくえにも罰しられるように。 10.すなわち王国をサウ
ルの家から移し、ダビデの位をダンからベエルシバに至るまで、イスラエル
とユダの上に立たせられるであろう」。 11.イシボセテはアブネルを恐れた
ので、ひと言も彼に答えることができなかった。
この後、先ほど読んでいただいたミカル返還の和睦の場面になるわけです
が、17 節ではアブネルは今までサウル家についてきたイスラエルの長老たち
を集めて、ダビデに合流するための、今でいうと根回しをします。特にベニ
ヤミン族の了解を得るのは元々サウル王の同族だからです。
3:19.アブネルはまたベニヤミンにも語った。そしてアブネルは、イスラエ
ルとベニヤミンの全家が良いと思うことをみな、ヘブロンでダビデに告げよ
うとして出発した。 20.アブネルが二十人を従えてヘブロンにいるダビデの
もとに行った時、ダビデはアブネルと彼に従っている従者たちのために酒宴
を設けた。 21.アブネルはダビデに言った、「わたしは立って行き、イスラ
エルをことごとく、わが主、王のもとに集めて、あなたと契約を結ばせ、あ
なたの望むものをことごとく治められるようにいたしましょう」。こうして
ダビデはアブネルを送り帰らせたので彼は安全に去って行った。
これを喜ばなかったのは、この時戦いに出ていたダビデの軍の長ヨアブで
す。面白いことですが、アブネルがイシボセテを無視したようにヨアブとア
ビシャイもダビデの意志を無視して暴走し作戦を開始します。弟アサヘルの
仇、恨みも恨みですが、やはり自分たちより一枚も二枚も上の軍師がダビデ
の陣営に移ってくるのが怖かったこともあったのかも知れません。
3:26.ヨアブはダビデの所から出てきて、使者をつかわし、アブネルを追わ
せたので、彼らはシラの井戸から彼を連れて帰った。しかしダビデはその事
を知らなかった。 27.アブネルがヘブロンに帰ってきたとき、ヨアブはひそ
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かに語ろうといって彼を門のうちに連れて行き、その所で彼の腹を刺して死
なせ、自分の兄弟アサヘルの血を報いた。 28.その後ダビデはこの事を聞い
て言った、「わたしとわたしの王国とは、ネルの子アブネルの血に関して、
主の前に永久に罪はない。 29.どうぞ、その罪がヨアブの頭と、その父の全
家に帰するように。またヨアブの家には流出を病む者、重い皮膚病人、つえ
にたよる者、つるぎに倒れる者、または食物の乏しい者が絶えないように」。
……
……31.ダビデはヨアブおよび自分と共にいるすべての民に言った、「あな
たがたは着物を裂き、荒布をまとい、アブネルの前に嘆きながら行きなさい」。
そしてダビデ王はその棺のあとに従った。……
……38.王はその家来たちに言った、「この日イスラエルで、ひとりの偉大
なる将軍が倒れたのをあなたがたは知らないのか。 39.わたしは油を注がれ
た王であるけれども、今日なお弱い。ゼルヤの子であるこれらの人々はわた
しの手におえない。どうぞ主が悪を行う者に、その悪にしたがって報いられ
るように」。
この時点ではダビデの威光もさほどでなかったのでしょうか、前に「野武
士の首領」と申しましたが、木下藤吉郎は未だ蜂須賀小六を押さえ切れない
状態でもあったわけです。家臣とはいえヨアブ将軍はかつての主サウルの甥
でもあります。この時のダビデ王の実力は最後の 8 行に鮮やかに出ています。
この後、遂にサウルの王子の生き残りイシボセテも殺害されて、イスラエ
ルの天下がダビデに帰する所―このレカブとバアナという人は王家の家臣
でしょうが、天下の趨勢を見てダビデ家に功績を売ろうとした。点数を稼い
で勲章でももらおうと思ったのでしょうが、その二人の刺客の末路です。
4:7.彼らが家に入ったとき、イシュ・ボシェテは寝室の寝床で寝ていたの
で、彼らは彼を突き殺して首をはね、その首を持って、一晩中、アラバへの
道を歩いた。 8.彼らはイシュ・ボシェテの首をヘブロンのダビデのもとに持
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って来て、王に言った。「ご覧ください。これは、あなたのいのちをねらっ
ていたあなたの敵、サウルの子イシュ・ボシェテの首です。【主】は、きょ
う、わが主、王のために、サウルとその子孫に復讐されたのです。」 9.する
と、ダビデは、ベエロテ人リモンの子レカブとその兄弟バアナに答えて言っ
た。「私のいのちをあらゆる苦難から救い出してくださった【主】は生きて
おられる。 10.かつて私に、『ご覧ください。サウルは死にました』と告げ
て、自分自身では、良い知らせをもたらしたつもりでいた者を、私は捕らえ
て、ツィケラグで殺した。それが、その良い知らせの報いであった。 11.ま
して、この悪者どもが、ひとりの正しい人を、その家の中の、しかも寝床の
上で殺したときはなおのこと、今、私は彼の血の責任をおまえたちに問い、
この地からおまえたちを除き去らないでおられようか。」 12.ダビデが命じ
たので、若者たちは彼らを殺し、手、足を切り離した。そして、ヘブロンの
池のほとりで木につるした。しかし、イシュ・ボシェテの首は、ヘブロンに
あるアブネルの墓に持って行き、そこに葬った。
5:1.イスラエルのすべての部族はヘブロンにいるダビデのもとにきて言っ
た、「われわれは、あなたの骨肉です。 2.先にサウルがわれわれの王であっ
た時にも、あなたはイスラエルを率いて出入りされました。そして主はあな
たに、『あなたはわたしの民イスラエルを牧するであろう。またあなたはイ
スラエルの君となるであろう』と言われました」。 3.このようにイスラエル
の長老たちが皆、ヘブロンにいる王のもとにきたので、ダビデ王はヘブロン
で主の前に彼らと契約を結んだ。そして彼らはダビデに油を注いでイスラエ
ルの王とした。 4.ダビデは王となったとき三十歳で、四十年の間、世を治め
た。 5.すなわちヘブロンで七年六か月ユダを治め、またエルサレムで三十三
年、全イスラエルとユダを治めた。
こうしてサウル王朝はイシボセテと共に滅亡します。それでもこの後、ま
だ生き残りがいるという人たちの執念で七人の子供を探し出し、ギベオン人
の思いを叶えて処刑させます。一人でもサウル家の血を引くものは残すな
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―という家来たちのお家安泰のための画策だったのでしょうが、ダビデ自
身は流血を自分では求めませんし、特に親友ヨナタンの息子と孫を探し出し
てまで大事にします。
ダビデを見てると、サウルに手を掛けなかったところと言い、サウル、ヨ
ナタンに礼をつくしたヤベシ・ギレアデの住民を賞揚するところと言い、イ
シボセテの殺害者をたちどころに処刑したり、親友の忘れ形見メピボセテは
絶対に守ると言ったりするあたり、心の優しさだけではなく、主なる神が事
をなさるまでは、自分の力で先走って先手を打たない、保全の策を考えない
という静かな信頼、主を待つ信仰がよく出ています。特にサムエル記上の後
半「主が油を注がれた王に手を掛けることはできない」と言って殺さないと
ころがありました……家来にもそう命じる。最終的にイスラエルの王座が自
分の所に落ちてくるまでは待ちに待つのです。
こんなことを考えるのはよくないかも知れませんが、これにはダビデの不
信と尻込みもあったのではないかと私は時々思います。サムエルから油注ぎ
を受けて、あれだけ主の言葉を聞いて、「王国はあなたの手にある」「主は
サウルをもう捨てた」―という主の言葉を受けているのになお信じられな
かった。その意味では実に消極的というか、最後の最後まで引っ込み思案だ
ったのではないか。彼はヨナのように、或いはギデオンのように、「主よ、
ご勘弁ください。それは私ではない。」と言って逃げ回ったのではないか。
かつてミズパで荷物の陰に隠れていたサウルとチョボチョボではなか―そ
ういう面もきっとあったのでしょう。
でも、そのダビデの優柔不断、確信の不足、自身の無さとはかかわりなし
に主の意志は着々と行われて、ダビデの引き伸ばし大作戦にも拘わらず、サ
ウルと一族は消えてイスラエルの重荷はダビデの上に落ちます。いやでもダ
ビデは召されるのです。
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私はこういうダビデが好きです。時々思うのですが、神は向こう見ずの積
極主義の人を召す時にはそれなりに召し、引っ込み思案の人をお用いになる
時は、それなりに気の済むまで引き伸ばしや尻込みをさせておいて、それで
もこれが主の意志だ! と思い知らせて、遂には確信を持たせてお用いになる
のです。外野は見ているとジレッタイですから、サウル王をもっと早く殺せ
とか、もっと積極的に自分を売り込めとか、こんな手を打っておけとか言う
のですが、ドッコイ逃げ回っても王は王になる。粘ってしがみついても、没
落する奴は没落する。有名になる奴は有名になる。大事業をする者は大事業
をする。する必要のない者はしない。神は優柔不断な人や引っ込み思案の人
も可愛がって、大事になさりながらご計画を進めて行かれるということを感
じます。果たしてこれは主観的過ぎるでしょうか?……
(1986/04/27)
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