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みずほ情報総研レポートとは
みずほ情報総研株式会社コンサルティンググループ
に所属するコンサルタントが、企業経営分野・公共
政策分野・社会科学分野・環境分野・情報通信分野
・工学分野等のトピックスを専門的見地から採り上
げ、論述したレポート集です。
※「みずほ情報総研レポート」はweb上でも閲覧することができます。
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技術動向レポート
オフィス環境でのウェアラブル端末活用の試み ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 2
経営・IT コンサルティング部
武井
マネジャー
康浩
放射線治療の技術と展望 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・10
情報通信研究部
コンサルタント
佐野
碧
人工知能の応用へ向けた筋道を探る ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・16
サイエンスソリューション部
稲垣
シニアマネジャー
祐一郎
社会動向レポート
欧州バイオサイド(殺生物剤)製品規制の概要と動向 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・23
環境エネルギー第1部
コンサルタント
貴志
孝洋
日本の約束草案:2030年目標の概要と課題 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・36
環境エネルギー第2部
リサーチアナリスト
中村
悠一郎
オープンデータのビジネス活用の現状と課題について ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・48
経営・IT コンサルティング部
コンサルタント
豊田
健志
社会福祉法人におけるガバナンス強化とは ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・54
社会政策コンサルティング部
マネジャー
宇都
隆一
途上国におけるユニバーサル・ヘルス・カバレッジ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・60
— 現状と課題 —
社会政策コンサルティング部
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リサーチアナリスト
安達
光
2015/12/16 12:12
vol.10
2015
技術動向レポート
オフィス環境でのウェアラブル端末活用の試み
経営・IT コンサルティング部
武井
マネジャー
康浩
(1)
ウェアラブル端末
の活用方法を検討するため、複数名の被験者の協力を得てウェアラブル
端末を装着し最大約14時間/日の心拍数データを収集した。オフィスで働く人の行動や身体状
態を「可視化」する本試行を通じて、ウェアラブル端末を用いて長時間に及ぶ人のデータが取得
できること、データに基づき人の状態の分析や推測が可能であることが確かめられた。
そこで本稿では、上記のような背景を踏ま
1. 背景・目的
え、オフィスで働く人の行動や身体状態を可視
昨今、政府や民間企業おいて「働き方改革」
化するツールとして、ウェアラブル端末が有効
が注目されている。オフィスでの業務効率化や
であるか(必要なデータが取得可能か、データ
従業員の健康維持・管理が従来にも増して重視
に基づき人の行動や身体状態を大まかにでも分
され、オフィスで働く人の行動や身体状態の把
類できるか等)を確認するために、実際に長時
握に関心が集まっている。そのため、行動や身
間にわたり端末を装着し、行動や身体状態等を
体状態等を手間なしにデータとして蓄積でき、
計測する実験を行った。
分析できるツールがあれば、オフィスでの働き
方をこれまで以上に効率的かつ効果的に改善で
きると期待される。
2. 実験の概要
オフィスでの人の行動や身体状態の把握に
こうした期待もあって、近年では人の行動や
[1,2,3,4,5]
関する各種の先行的取組み
を参考にし、
身体状態を把握できる新しい技術が登場してい
本実験では例えば疲労やストレス等の身体状
る。2014年は「ウェアラブル端末元年」と言わ
態の把握・分析に関係の深い「心拍数」 に注
れたように、国内外を問わず多くのメーカー等
目した。そのためのウェアラブル端末として、
でウェアラブル端末の開発・販売が始まった。
1秒に1回の頻度で継続的に心拍数を自動計測
そ の 一 例 と し て、 リ ス ト バ ン ド 型「NIKE+
可能な「MIO ALPHA」 を使用した。
(3)
(4)
FUELBAND SE」
、腕時計型「GALAXY Gear」
、
実験は、2015年1月の5日間(以降、1月期と
メガネ型
「Google Glass」
、耳に装着する
「Bitbite」
、
記載)、同年3月の11日間(以降、3月期と記載)、
指輪型「Oura ring」
、ヘッドセッド型「Muse」な
同年7 〜 8月の10日間(以降、7月期と記載)
(2)
(5)
ど、様々な形態の端末が挙げられる 。2015年
の午前7時〜午後8時を計測期間とし、オフィ
に至ってもこの傾向は変わらず、新たなウェアラ
ス内外で働く人(被験者
ブル端末の開発・発表が続いているが、その具体
蓄積した。
的な活用用途の検討は未だ不十分な状況にある。
(6)
)の心拍数を取得・
なお、本実験に参加した被験者数は、1月期
2
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オフィス環境でのウェアラブル端末活用の試み 
は8名、3月期は19名、7月期は14名である。期
間中、被験者には、ウェアラブル端末を装着し、
普段通りの業務に従事してもらった(図表1)。
3. データの可視化、人の状態の分析・推測
(1)被験者の心拍数の概要
A が16.6と最も大きく、D が10.7と最も小さい。
このように、ウェアラブル端末を装着するこ
とで長時間に及ぶ人の心拍データの取得が可能
であること、その取得データから心拍に関わる
一般的な身体状態(平均心拍数、最大・最小心
拍数等)が可視化できることも確認できる。
ここでは、心拍数の計測期間が最も長い3月期
のデータを用いて、各被験者の平均心拍数、最
(7)
大心拍数、最小心拍数、心拍数の標準偏差 を
(2)心拍数の変動
実験の被験者は、調査研究及びコンサルティ
集計して計測データを概観する
(図表2)。なお、
ング業務の従事者であり、時期により業務量が
次 節で 述べるように、1月期、3月期、7月期の
大きく異なる。また被験者ごとに担当業務もま
3つの計測期間を比較するため、これらの期間
ちまちである。そのため、業務管理の観点から、
で比較・分析可能な6名の被験者 A 〜F を抽出し
誰が、何時、業務負荷が高いかを容易に把握す
て、取得データの可視化を行うこととした。
ることが難しい業務である。
被 験 者 A 〜 F ご と に3月 期 の 取 得 デ ー タ 全
上記のような背景もあり、被験者の心拍デー
体を集計し、平均心拍数を見てみると、A は
タから、作業負荷の高い状態とそうでない状態
77.3bpm、B は83.5bpm、C は91.4bpm、D は
が判別できれば、オフィスでの業務効率化や従
80.9bpm、E は88.6bpm、F は93.8bpm であり、
業員の健康維持・管理等に係る施策立案に役立
平均心拍数は70bpm 台後半から90bpm 台前半
てられると期待される。
となった。
同様に、被験者 A 〜 F ごとに最大心拍数、最
そこで上記に向けた第一歩として、取得データ
に基づき、被験者の状態の大まかな分類を試み
[8]
小心拍数を集計すると、最大心拍数で最も大き
る。心拍数は一般的に時々刻々と変化するが 、
な心拍数を記録したのは A であり204bpm であ
本実験で使用したウェアラブル端末でもこの変
る。最小心拍数で最も小さな心拍数を記録した
動を計測できる。本節ではこの心拍数の変動に
のは E と F であり37bpm である。さらに、被験
着目し、データの可視化結果を紹介する。なお、
者 A 〜 F ごとの心拍数の標準偏差を集計すると、
ここでは前節の取得データに基づいて、被験者
図表1
実験で使用したウェアラブル端末とその装着の様子
3
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2015
以下では、この「心拍数の変動値」と「変動 n
ごとに3つの計測期間の比較・分析を行う。
まず本実験では、ある時刻 t i に計測した心拍
の割合」に着目して、実験を通じて取得・蓄積
数 α iと、その1秒前(時刻 t i-1= t i−1)に計測し
した被験者の心拍数データを可視化する。
まず、被験者 A を例として取り上げ、1月期、
た心拍数 α i -1との差分( a i -1−a i)を「心拍数の
変動値」と定めた(図表3)。なお、ウェアラブ
3月期、7月期のそれぞれについて、各期間中
ル端末による心拍数の計測値 a i は自然数で取
の取得データ全体から変動 n の割合を算出した
得されることから、心拍数の変動値( a i -1−a i)
結果を図表4に示す。なお、図中には n =0, 1, 2,
は整数値となる。また、ある一定の期間 T にお
3以上、として変動 n の割合を表示している。
被験者 B 〜 F についても同様の可視化を行っ
ける計測回数を N +1とした場合、N +1回の計
測に対して、心拍数の変動値 d(i
=1, 2, … N)
i
たところ、どの被験者においても図表4のグラ
が 算 出 で き る。 こ こ で、 心 拍 数 の 変 動 値 が
フで示されるのと同じ傾向を示した。つまり、
± n(n =0, 1, 2, … )となる計測の回数を集計し、
割合の大きさは、変動0の割合が最も大きく、
N に対する割合を求める。この割合のことを
続いて変動1の割合、変動2の割合、変動3以上
の割合の順となった。
「変動 n の割合」と呼ぶこととする。
図表2
被験者 A ~ F の平均心拍数、最大・最小心拍数、心拍数の標準偏差(3月期)
(心拍数)
最大
最小
平均
250
204
200
197
197
158
150
100
50
91.4
83.5
77.3
50
38
190
144
88.6
80.9
41
93.8
37
40
37
0
A
B
C
D
E
F
10.7
11.0
(心拍数の標準偏差)
20.0
16.6
15.0
12.6
10.8
10.0
12.8
5.0
0.0
A
B
C
D
E
F
図表3 「心拍数の変動値」と「変動 n の割合」の概要
心拍数
(bpm)
αi
時刻tiにおける「心拍数の変動値」
di
αi-1
1秒
t0
・・・
ti-1
「変動nの割合」 =
ti
・・・
tN
計測期間 Tにおける計測回数の内、
心拍数の変動値が±nとなる個数
計測期間 Tにおける計測回数 ― 1
時刻(秒)
計測期間 T
4
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オフィス環境でのウェアラブル端末活用の試み 
タの場合は A1、被験者 A の3月期のデータの場
ここで、上記の変動 n の割合のうち「変動0
合は A3のように表記している。
の割合」と「変動1の割合」に着目する。具体的
この結果を見ると、被験者 A 〜 F の1月期、
には、被験者別かつ実験期間別に、「変動0の
割合」を x 軸の値、
「変動1の割合」を y 軸の値
3月期、7月期の心拍数の変化の様子は、2つの
として、データをプロットする(図表5)。例え
状態として分けて考えることができる。つま
ば、被験者 A の1月期は、
「変動0の割合」(x 軸)
り、図中で「変動0の割合」
(x 軸)が0.6 〜0.7、
「変
は0.65、
「変動1の割合」
(y 軸)は0.16となるた
動1の割合」(y 軸)が0.15 〜 0.22の領域にある
め、図表5の右下のような A1の点がプロットで
A1, B1, B3, D1, D3, E1, E3が1つ目の状態(以
きる。なお、図中では、被験者 A の1月期のデー
降、状態1と呼ぶ)である。また、
「変動0の割合」
図表4
被験者 A の「変動 n の割合」(1月期、3月期、7月期)
変動0の割合
変動1の割合
変動2の割合
変動3以上の割合
100.0%
75.0%
変
動
n
の
割
合
変動小
変動大
変動小
変動大
変動小
変動大
65.0%
54.7%
53.9%
50.0%
33.8%
25.0%
16.2% 12.9%
33.8%
7.1%
5.9%
7.1% 5.3%
4.4%
0.0%
1月期
図表5
3月期
7月期
被験者別・期間別の「変動0の割合」と「変動1の割合」の関係
A
0.4
F1
C3
0.35
F3
C
A7
D
E
F
A3
F7
E7
0.3
変
動
1
の
割
合
B
状態2
B7
D7
C7
C1
0.25
状態1
E3
0.2
B3
E1
0.15
B1
A1
D3
D1
0.1
0.45
0.5
0.55
0.6
0.65
0.7
0.75
変動0の割合
5
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(x 軸)が0.5 〜 0.58、
「変動1の割合」(y 軸)が
た結果が図表6である。被験者 A の1月期の2時
0.32 〜 0.37の領域にある A3, A7, B7, C1, C3,
間ごとの「変動 n の割合」は、時間帯ごとに多
C7, D7, E7, F1, F3, F7がもう1つの状態(以降、
少ばらつきはあるものの、その割合の大きさ
状態2と呼ぶ)である。
は、変動0の割合が最も大きく、続いて変動1
の割合、変動2の割合、変動3以上の割合の順
図中の状態1と状態2を比較すると、状態1は
となる。
「変動0の割合」
(x 軸)が0.6 〜 0.7となり状態2
上 記 と 同 様 に、 被 験 者 A の3月 期 と7月 期、
よりも大きく、逆に「変動1の割合」
(y 軸)は0.15
〜 0.22となり状態2よりも小さい。このことか
また被験者 B 〜 F の1月期、3月期、7月期につ
ら、状態1の被験者 A の1月期(A1)、被験者 B
いても可視化を行った。どの被験者またどの計
の1月期と3月期(B1, B3)、被験者 D の1月期と
測期間においても、時間帯ごとに多少ばらつ
3月期(D1, D3)、被験者 E の1月期と3月期(E1,
きはあるものの、2時間ごとの「変動 n の割合」
E3)は、他被験者また同じ被験者でも他期間と
は、変動0の割合が最も大きく、続いて変動
比べて、心拍数の変化が相対的に少ない状態で
1の割合、変動2の割合、変動3以上の割合の順
あったと考えられる。
となった。
ここで、上記の結果を踏まえつつ、各被験者
(3)平均心拍数と心拍数の変動との関係
について1月期、3月期、7月期の期間別に、2時
上記の2つの状態(状態1と状態2)に着目し、
間ごとの「平均心拍数」と「変動0の割合」
、「変
各状態の特徴を明らかにするために、もう一歩
動1の割合」、
「変動2の割合」の相関に着目した。
詳細なデータの可視化を行う。前節では被験者
前節で述べた状態別(状態1、状態2)に相関係
A 〜 F ごとに、1月期、3月期、7月期の各計測
数をグラフ表示した結果が図表7ある。
期間全体を対象にして「変動 n の割合」を算出
図表7上図の状態1の結果を見ると、2時間ご
した。本節では、被験者 A 〜 F ごとに、1月期、
との「平均心拍数」と「変動1の割合」
、「変動2
3月期、7月期の計測期間を2時間ごとに分割し、
の割合」の相関係数は、それぞれ0.4以上、−
2時間ごとの「変動 n の割合」を算出する。
0.5以下となり、相関が見られた。2時間ごとの
例 え ば、 被 験 者 A の1月 期 の 計 測 デ ー タ を
「平均心拍数」と「変動0の割合」の相関係数は、
2時間ごとに分割し、
「変動 n の割合」を算出し
図表6
A1, B1, B3, D3で−0.5以下、D1, E1, E3では
被験者 A の2時間ごとの「変動 n の割合」(1月期)
変動0の割合
変動1の割合
変動2の割合
変動3以上の割合
100.0%
75.0%
変
動
n
の
割
合
50.0%
25.0%
0.0%
6
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オフィス環境でのウェアラブル端末活用の試み 
に共通する状態として、状態1は被験者が疲労
−0.25 〜 0.1となった。
やストレス等がない状態だったのではないかと
つまり、平均心拍数が高い時間帯では、小さ
推測される。
い変動(変動値が1)が増加し、平均心拍数が低
一方、状態2では、2時間ごとの「平均心拍数」
い時間帯には、大きな変動(変動値が2)が増加
することを示している。そして、状態1にある
と「変動 n の割合」の相関に共通の特徴は見出
A1, B1, B3, D1, D3, E1, E3ではほぼ共通する
せなかった。被験者ごとに置かれている状況が
特徴である。
異なることを踏まえると、被験者ごとに心拍数
それに対して図表7下図は、状態2に該当す
に影響を及ぼす個別の要因(例えば、各担当業
る、2時間ごとの「平均心拍数」と「変動0の割
務の負荷の影響、風邪等の健康状態、歩行等の
合」
、
「変動1の割合」
、
「変動2の割合」の相関係
行動変化の影響等)があったのではないかと推
数である。この結果を見ると分かる通り、状態
測される。
以上のことから、本実験で取得したデータに
1で見られたような共通の傾向は見出せない。
上記の結果を踏まえると、「被験者別・期間別
基づき、被験者の状態の大まかな分類が可能で
の『変動0の割合』と『変動1の割合』の関係」
(図
あることが確認できる。ただし、状態1及び状
表5)に基づき分類した被験者の状態(状態1、
態2である被験者の実際の状態は推測の域に留
状態2)は、明らかにその特徴が異なる。状態1
まっている。今後、更なる実験により検証して
に相当する A1, B1, B3, D1, D3, E1, E3は、異
いく余地が残されている。
なる業務を担当する複数の被験者、異なる実験
4. 今後の課題とまとめ
期間にもかかわらず、2時間ごとの「平均心拍
数」と「変動 n の割合」の相関の観点で共通の
本実験では、オフィスで働く人の行動や身体
傾向が見られる。このことから、複数の被験者
状態等をデータで取得するツールとして、ウェ
図表7
2時間ごとの「平均心拍数」と「変動 n の割合」の相関
状態1
1.00
変動0の割合との相関
変動1の割合との相関
変動2の割合との相関
*
0.75
*
*
*
*
*
*
0.50
相 0.25
関 0.00
係
数 -0.25
A1
B1
-0.50
B3
D1
D3
E1
E3
*
-0.75
*
*
*
-1.00
*
*
*
*
*
*
*
* 5%水準で有意差
状態2
変動0の割合との相関
1.00
相 0.75
関 0.50
係 0.25
数
変動1の割合との相関
変動2の割合との相関
*
*
* *
*
*
*
0.00
A3
-0.25
-0.50
-0.75
*
A7
B7
*
C1
C3
C7
D7
*
*
E7
F1
F3
F7
*
*
-1.00
* 5%水準で有意差
7
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2015
アラブル端末の活用を試行した。複数名の被験
ることは確かである。今後、明らかになってい
者にウェアラブル端末を装着してもらい、最大
る課題を解消する試みが進み、ウェアラブル端
約14時間/日の心拍数データを収集できるな
末がオフィスで働く人の行動や状態を可視化
ど、長時間に及ぶ人のデータの取得が可能であ
し、働き方を従来以上に効率的かつ効果的に改
ることが確かめられた。
善するツールとなることが期待される。
一方、本実験を通じて現状のウェアラブル端
末の課題も明らかとなった。実験後の被験者の
意見として、「普段身に付けない形態の端末の
場合、慣れないため継続的に利用しにくい」、
「毎日装着するものであるため、毎回装着ごと
に操作が必要になると装着したくなくなる」、
「見栄えの良くない端末デザインの場合、身に
付ける気にならない。恥ずかしい」、「端末管理
に手間がかかる」、「こまめな充電が大変」等、
様々な意見があった。このような意見を踏まえ
ると、用途に応じた使いやすさ、格好よさ、必
要最低限の操作・充電、環境への溶け込み等の
観点で、ウェアラブル端末のデザインの検討が
今後の課題である。
また、データの可視化・分析の観点からは、
「心拍数の変動値」及び「変動 n の割合」に着目
することで、特定の状態にある被験者(状態1)
では心拍数の変動に共通のパターンが見出せる
など、オフィスで働く人の状態を大まかに分類
できる可能性が示唆された。
ただし、上記の心拍数に関する分析結果は、
取得データのみに基づく、被験者の状態の分類
に留まっている。本稿で分類した被験者の状態
に対して、実際の状況(被験者の心理面や行動
等の実態)と比較検証することが今後の課題と
なる。
ウェアラブル端末の活用には、上述のとお
り、端末自体の課題、データの可視化にかかわ
る課題等、今後解決するべき課題がまだ多く残
されている。しかし、ウェアラブル端末により
オフィスで働く人のデータを取得・蓄積でき、
その状態を分析・推測できる状況が整いつつあ
注
ウェアラブル端末は身体の特定の部位に装着でき
る情報端末の総称である。本稿では高性能センサ
を搭載し、装着者のデータを取得・蓄積可能なも
のを指すこととする。
(2) みずほ情報総研コラム「ウェアラブル端末に求
め ら れ る「 カ タ チ 」」(2015年8月18日 )を 参 照。
「Bitbite」、「Oura ring」、「Muse」な ど は、2015
年7月9日〜 10日に米国 San Francisco で開催され
た Wearable Technologies Conference 2015 USA
においても取り上げられていた注目の端末。
(3) 心拍数とは、一定の時間内に心臓が拍動する回数
と定義される指標。通常は1分間の拍動の数(bpm:
beats per minute)を指す。この心拍数を用いて、
疲労やストレスを測る指標が算出できると知られ
ている。
(4) 「MIO ALPHA」は、MIO 社製の手首に着けられる
連続心拍モニター。同端末は腕に光を照射する仕
組みとなっており、その反射光は、皮下の血液の
律動的な流れと吸収特性によって周期的に変動す
る。この光学的な変化を端末が計測することで心
拍数を算出する。なお、この計測法を光電脈波法
という[6, 7]。
(5) 計測期間は、1月期は1月19日
(月)〜 1月23日(金)の
5日間、3月期は3月11日
(水)〜13日
(金)、3月16日
(月)
〜 20日
(金)、3月23日
(月)〜 25日
(水)の11日間、7月
期は7月27日
(月)
〜 7月31日
(金)、8月3日
(月)
〜 7日
(金)
の10日間。
(6) 本実験の被験者は、調査研究及びコンサルティン
グ業務の従事者である。オフィスでのデスクワー
クに加え、社外での打合せや会議への出席等、オ
フィス内外で活動している。
(7) 標準偏差とは、データの散らばり具合
(ばらつき)
を表す指標のひとつ。
(1)
参考文献
1. 安田雪、鳥山正博「電子メールログからの企業内
コミュニケーション構造の抽出」組織科学40(3)
、
(2007年)
2 日立製作所中央研究所「IT s eye」ラボラトリー・
レポート
(2012年)
3 朝日新聞記事「教職員の疲労度、一般の2倍 計測
技術使い立証」
(2014年5月30日)
4 矢野和男「データの見えざる手 : ウエアラブルセン
8
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オフィス環境でのウェアラブル端末活用の試み 
サが明かす人間・組織・社会の法則」
(2014年)
ベン・ウェイバー(著)、千葉敏生(翻訳)
「職場の
人間科学 : ビッグデータで考える「理想の働き方」
」
(2014年)
6 今井文吾、塩澤成弘、牧川方昭「光電脈波計測に
おける加速度センサを用いた体動アーチファクト
の除去」生体医工学 44(1)(2006年)
7 関根正樹「運動時にも計測可能なウェアラブル脈
波計」けいはんな学研都市ヘルスケア研究シーズ
8 吉岡利忠、小林康孝、後藤勝正ほか「心拍の動揺
から見た精神的作業負荷の様相」疲労と休養の科
学16(1)27-38(2001年)
5
9
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vol.10
2015
技術動向レポート
放射線治療の技術と展望
情報通信研究部
コンサルタント
佐野
碧
近年、がんの治療方法として放射線治療を選択する患者数が増加している。放射線治療は、治
療効果と QOL(Quality Of Life)を両立できる治療方法として注目されている。最新の放射線治
療技術について紹介し、今後の技術発展について展望する。
けることも可能であり、がんの種類によっては
はじめに
外科治療と同程度の実績をあげている。それぞ
がんは1981年より日本人の死因の第一位で
れ適応可能な臓器や進行度が異なるため、患者
ある。2013年の年間死亡者数約127万人のう
に応じた組みあわせで治療を行うのが一般的で
ち、がんで死亡した人は約36万人であり、日
ある。
本人の3割近くががんで亡くなっている。
近年、放射線治療への注目と期待が高まって
がん罹患率と死亡率の年次推移(図表1)をみ
いる。高齢がん患者の増加により手術が困難な
(1)
は1985年以降増加傾
症例が増えたことに加え、生存率だけでなく治
向にある。これは、検査技術の向上や検診の受
療後の QOL(Quality Of Life)が重視されるよ
診率の向上によって、がんが早期に発見され
うになってきたためである。政府が策定するが
るようになったためであると考えられる。一方
ん対策推進基本計画によれば、重点的に取り組
ると、年齢調整罹患率
(1)
むべき課題として「放射線治療、化学療法、手
であり、がん治療技術の進歩がうかがえる。
術療法の更なる充実とこれらを専門的に行う医
で、年齢調整死亡率
は1995年以降減少傾向
がんの治療法には大きく分けて、手術療法、
療従事者の育成」が挙げられており、複数の治
化学療法、放射線治療の3つがある。手術療法
療方法の組み合わせによる「集学的治療の質の
は、進行しているがんでも切除可能であれば根
向上」を図るとされている。従来の外科偏重と
治が見込める一方、臓器や体の機能が失われる
も言われた我が国の治療体制が見直され、放射
可能性がある。化学療法は、転移したがんにも
線治療の重要度が高まっている。
適用可能であるが、全身に副作用が起こる可能
性があり、治療期間が長期にわたる場合もある。
1. 放射線治療の現状
放射線治療は外科治療と比べて体への負担が少
放射線治療には、大きく分けて外部照射と小
なく、臓器の機能や形態を温存することが可能
線源治療の2種類がある。外部照射とは、患者
であるため、体力的な理由などにより手術を受
の体外から放射線を照射する治療方法であり、
けることが困難な患者であっても適用可能であ
X 線、陽子線、重粒子線などを用いる。小線源
る。また、治療時間が短いため通院で治療を受
治療とは、体内から放射線を照射することに
10
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放射線治療の技術と展望 
図表1
年齢調整罹患率と死亡率の推移(全年齢)
(資料)がん登録・統計[がん情報サービス]
「年次推移」より転載
よって治療を行う方法であり、カプセルに入っ
た放射性物質をがん組織に直接埋め込む方法が
2. 放射線治療の最新技術
一般的である。これらの治療のうち、X 線を用
安全で効果の高い放射線治療を行うために
いた外部照射が最も多く行われており、放射線
は、がん組織にのみ高い線量を与え、周りの正
治療を行っているほとんどの施設で実施されて
常組織に与える線量を低く抑える高度な照射技
いる。
術が必要である。本稿では、近年普及が進んで
図表2に示すように放射線治療を実施する施
いる高度放射線治療技術について紹介する。
設数は全国で約780あり、人口に対する割合は
放射線治療が最も普及していると言われる米国
と同等の水準である。その中でも、粒子線治
療の実施施設は全国に13あり、世界の粒子線
(1)IMRT(Intensity Modulated Radiation
Therapy)
X線を用いた外部照射による治療では、“し
治療(陽子線治療、重粒子線治療などの総称)
ぼり”によって X 線をがん組織の形に整形する
施設の2割以上を占めている。しかし、図表3
ことで、正常組織への線量を抑えることがで
に示すように放射線治療を受けた患者の割合
きる。図表4に示すように、患者に照射された
は低く、欧米では約50 ~ 60% であるのに対し
X 線は体表近くで最も高い線量を与え、体の深
て、日本では30% に満たない。この原因として、
部へ進むにつれエネルギーを失っていく。した
放射線治療に関わる専門医や、医学物理士と呼
がって、1方向の照射ではがん組織よりも、そ
ばれる放射線物理の専門家の不足が指摘されて
の手前の正常組織に高い線量が与えられてし
1
おり 、更なる普及への課題となっている。
まう。そのため、方向を変えて複数回照射す
ることで、がん組織にのみ高い線量を与える。
11
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人口に対する放射線治療施設数の日米比較
図表3 がん患者のうち放射線治療を受けた患者の割合
放射線治療を受けた患者の割合
図表2
2015
100%
80%
60%
40%
66%
29%
60%
56%
20%
0%
米国
ドイツ
英国
日本
(資料)日本放射線腫瘍学会「放射線腫瘍医になろう」
より筆者改変
(資料)インナービジョン2011年3月号「放射線治療最
前 線 」、Particle Therapy Co-Operative Group
「Particle therapy facilities in operation」、唐澤
久美子「がん放射線治療と医学物理が果たす役
割」、JASTRO 全国放射線治療施設2010年より
筆者作成
この様に、
“しぼり”によって整形した X 線を
設であったが、2010年には136施設に増加した。
2008年に公的保険適用となったこともあり、放射
線治療の主要な方法となっていくと予想される。
(2)IGRT(Image Guided Radiation Therapy)
複数方向から照射する方法を3D-CRT(Three-
IMRT などの技術によって高度な照射が可能
Dimensional Conformal Radiation Therapy;
になったが、その効果を発揮するためには高精
3次元原体照射)と呼び、従来から多くの施設
度に患者のセットアップ
で実施されてきた。
(2)
を行う必要がある。
外部照射放射線治療を行う場合、従来は患者
図表5左に示 すように3D-CRT では、 がん 組
の皮膚に描いたマーカーを用いて位置合わせを
織の形 状が複 雑な場合に周囲の正常組 織への
行っていた。皮膚マーカーを用いたセットアッ
線量を低く抑えることが困難である。これは、各
プでは、レーザー等によって照射装置と体表面
方向からがん 組 織 全体に一様な強度のX 線を
の位置を合わせることが可能だが、内臓の位置
照射するためである。これに対して右のIMRT
にずれが生じる可能性がある。そのため、ずれ
(Intensity Modulated Radiation Therapy;強
を考慮して放射線の照射領域を広く設定する必
度変調放射線治療)は、各方向の照射野の中で
要があり、正常組織への線量が増大してしまう
X 線の強度を変化させることで、正常組織への線
という問題があった。
量を抑える治療方法である。照射範囲中の強度
IGRT(Image Guided Radiation Therapy;
変化は、X 線を照射しながら“しぼり”を動的に
画像誘導放射線治療)は、患者をセットアップ
変化させX 線を遮る時間を位置毎に変えることで
した後、その場で X 線画像や CT 画像を撮影し
実現される。IMRTは3D-CRTと比較して放 射
て計画時とのずれを計測し、セットアップ位置
線障害の発生が抑えられるという報告があり、重
を自動的に修正する技術である。セットアップ
要臓器に隣接したがん組織の治療に効果を発揮
精度が高まることによって照射領域を最小限に
する。
設定でき、IMRT などの効果を引き出すことが
IMRT の実施施設は2001年時点で全国で 7 施
可能である。
12
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放射線治療の技術と展望
(3)粒子線治療
照射を行うことで、線量の集中性をより高める
近年、粒子線治療の適用症例数が増加してい
ことができる。この様な特徴から、重要臓器に
る。図表6に示すように粒子線は X 線と異なり、
隣接するようながん組織に対しても適用が可能
患者体内のある深度で最大のエネルギーを与
であり、より高い治療効果が期待される。
え、その奥には線量を与えない。最大の線量を
粒子線治療を行うためには、高エネルギーの
与える深度は粒子線のエネルギーによって決ま
粒子を取り出すための加速器や、粒子線の照射
るため、適切にエネルギーを調整することで、
口となる回転ガントリーなど、大掛かりで高価
がん組織にのみ高い線量を与え、X 線よりも正
な施設が必要となるため、粒子線治療の導入は
常組織へ与える線量を少なく抑えることが可能
非常に障壁が高い。また、公的医療保険適用外
である。さらに、X 線と同様に複数の方向から
のため1回の治療費の自己負担額が300万円程
図表4
外部照射 X 線治療における患者体内の線量イメージ
(資料)秋山 浩(日立製作所)高エネルギー加速器セミナー OHO テキスト「加速器医療応用2 陽子ビーム 陽子線治療」より
筆者改変
図表5
従来法(3D-CRT)と強度変調放射線治療(IMRT)の比較
(資料)京都大学医学部付属病院 放射線治療科「強度変調放射線治療(IMRT)」より転載
13
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図表6
2015
各種放射線における深度対相対線量特性
(資料)秋山 浩(日立製作所)高エネルギー加速器セミナー OHO テキスト「加速器医療応用2 陽子ビーム 陽子線治療」より
転載
度と非常に高額である。一方で、粒子線治療を
能な患者数の増加につながる。また、従来と同
対象とした民間医療保険が様々な保険会社から
程度の時間をかけて高精度な計算を行えば、よ
販売されており、年間数千円程度の特約を付加
り良い照射方法を選択でき、治療成績の向上
することで自己負担額が全額給付されるものも
に寄与する可能性がある。この最適解の探索
ある。また、陽子線治療と重粒子線治療は、限
計算を高速化すべく、アルゴリズムの改良や
(3)
局性固形がん
(4)
に対する治療が先進医療
と
して実施されており、公的医療保険適用の検討
も行われている。
3. 更なる高度化に向けた展望
GPGPU を用いた高速化手法などが研究されて
おり、弊社でも取り組んでいる課題である。
また、治療の可視化についても研究が行われ
ている。放射線治療は、事前に撮影した CT 画
像をもとに治療の計画を立て、患者をセット
IMRT や粒子線治療では放射線の照射方法に
アップし放射線を照射するが、目に見えない放
様々な要素があり、照射方向、照射範囲、照射
射線が計画通りに照射されたかどうかを確認す
量などの組み合わせは膨大な数となる。人の手
る方法はなく、治療の経過をもって正しく照射
で最適なものを選択することは不可能であるた
されたとするしかない。現在では、線量計測機
め、ソフトウェアを用いてがん組織に与える線
器を治療装置に設置し、照射位置や強度などが
量と、その周囲の臓器が許容できる線量を条件
設定通りであることを定期的に確かめることで
として最適な組み合わせを選び出す。組み合わ
精度の検証を行っている。この問題を解決すべ
せの探索には膨大な計算が必要であり、症例に
く、粒子線治療において粒子線の体内への照射
よっては計算に数十分かかることもある。ソフ
によって発生する2次的な放射線を検出するこ
トウェアが改良され、処理が数秒で完了するよ
とによって照射位置を可視化し、照射位置のず
うになれば、作業効率が大幅に向上し、治療可
れや、がん組織の変化などを検出する研究が行
14
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放射線治療の技術と展望 
2,3
われている 。これらの技術が実用化されれば、
照射精度の向上に加え、がん組織の縮小の様子
に応じて、複数回行われる照射の途中で計画を
修正することが可能になり、更なる治療成績の
向上が期待される。
放射線治療の技術に関しては先駆的な研究開
発が盛んに行われており日夜進歩を続けてい
る。今後は、照射方法の高度化や他の治療方法
と組み合わせた集学的治療などの研究が進んで
いくと予想される。
注
(1)
(2)
(3)
(4)
1985年の人口における年齢構成を用いて、他の年
次の罹患率、死亡率を調整したもの。高齢者の増
加による影響を受けずに数値を比較するために用
いられる。
患者を計画した治療姿勢で寝台に寝かせること。
固定具や専用の枕を使用する場合もある。
狭い範囲に限られた固形のがん。粒子線治療が対
象とする固形のがんには、肺がん、肝臓がん、前
立腺がんなどがある。
先進的な医療技術のうち保険診療との併用を認め
られたもの。医療技術ごとに設定された施設基準
に該当する医療機関が届け出により実施する。将
来的な保険導入のための評価を行う目的もある。
参考文献
1 山田 章吾 ,“放射線管理面からみたわが国の医学物
理士の課題”,
https://www.jstage.jst.go.jp/article/tits/18/12/
18_12_77/_pdf
2 Nishio, Teiji, et al. "Dose-volume delivery guided
proton therapy using beam on-line PET system."
Medical physics 33.11(2006): 4190-4197.
3 Yamaya, Taiga, et al.“A proposal of an open
PET geometry.”Physics in medicine and biology
53.3(2008): 757.
15
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vol.10
2015
技術動向レポート
人工知能の応用へ向けた筋道を探る
サイエンスソリューション部
シニアマネジャー
稲垣
祐一郎
人工知能に対する研究開発が活発化し、音声認識や画像認識をはじめとしていくつかの実用化
事例も散見される様になっている。しかし、現状で実用化されている範囲は、人工知能の最終的
な形態(=人間と同程度以上の知能)のうちの一部分である。本論では、人工知能の現状におい
て何が達成されていて何が未達成なのか、未達成の部分を実現するためにクリアすべき課題は何
かについて整理するとともに、今後それらの課題が解決され実用化されていく筋道について、試
論を提出する。
4
なった 。
はじめに
「人工知能」という単語から普通イメージさ
人工知能の研究開発に対する投資が世界的に
れるのは、「2001年宇宙の旅」における HAL、
加速している。Google、Microsoft、Facebook
「ターミネーター」におけるスカイネットの様
などの IT 企業はもとより、トヨタ自動車の米
な人間の知能に匹敵もしくは凌駕する様な知能
1
国での研究センターの設立 など、大きな注目
であるかもしれない。このような人間レベルの
を集めている。日本政府による「日本再興戦略」
汎用的な人工知能は「汎用人工知能(Artificial
においても、IoT、ビッグデータと並び人工知
General Intelligence、AGI)」 と呼ばれるが、
能による今後の産業構造の変革に対応していく
当然のことながら現在そのレベルに達している
2
としている 。
5
訳ではない。では、現状の人工知能のレベルは
この様な人工知能の盛り上がりは、技術的な
(1)
どの程度で、ビジネス的な応用はどの程度考え
の分野で深層学習
られるのか? AGI に至るまでにどのような技
(deep learning)と呼ばれる大きなブレークス
術的ハードルがあるのか?それらのハードルを
面においては、機械学習
3
ルーがあったことに起因している 。深層学習
越えるとどの様なビジネスが生じるか?これら
は、従来からも技術的には存在したニューラル
の疑問に答えるヒントを提示したいというのが
ネットワークと呼ばれる手法の一種であるが、
本論の目的である。
従来よりも格段に複雑な構造を学習可能とした
もちろんこの様な未来予測の試みは相当程
ことにより、高度に抽象化した概念を表現でき
度の不確実性を伴わざるを得ないが、実現し
る様になった。これにより、音声認識、画像処
たい技術的目標として AGI を設定し、その目
理、機械翻訳などの機械学習の応用分野の様々
標を実現するために解決すべき課題をリスト
なベンチマークの記録を次々に塗り替え、人工
アップし、主要な課題の解決がどの様な手順、
知能実現のための中核的な技術と目される様に
時間でなされるかを分析することにより、現在
16
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人工知能の応用へ向けた筋道を探る 
から目標までの見通しに関する仮説を得るこ
習させることが出来るようになった。また、後
とができる。
述する様に、多段の構造だけではなく、ループ
以下1節では、深層学習により何が可能に
を含む様な構造においても効率的な学習が可能
なったのかに関する簡単な説明と、今後何が
となった。ネットワークの構造と、ある構造上
可能となっていくのかについてまとめる。2節
でどのような種類の情報処理が実現可能かにつ
において、AGI の実現のために要求される機
いては相互に密接に関係しているため、様々な
能のリストアップを行い、取り扱うデータの種
構造のネットワークで学習が可能になったこと
類を評価軸としたマップ上で各々の機能を整
は、様々な種類の情報処理が可能になったこと
理する。3節では、上記マップ上の各象限が技
を意味する。
術のどの様な発展段階にあるかについてイノ
従って、現在の人工知能研究では、様々なネッ
ベーション理論における概念を援用しながら
トワーク構造が提案され、その上で所望の情報
整理するとともに、それぞれの課題が解決した
処理が実現されるかを試すことのできる状況と
段階でどの様なビジネスシーンで実用化可能
なっている。以下の議論の見通しを良くするた
となるか、その対応表を整理する。最後に4節
め、ここでネットワークの構造(及びその上で
では、その他の主要な技術的課題などについて
可能となる情報処理)に関して類型化を試みた
述べる。
い。類型化のための一つ目の軸は、浅い構造(層
が少ない)か深い構造(層が多い)かの軸であり、
1. 深層学習の現状
従来のニューラルネットワークと深層学習を区
深層学習とは、ニューラルネットワークと呼
別する軸である。もう一つの分類軸は、ネット
ばれる、脳を模擬した機械学習の手法の一つで
ワークの構造に、ループを含むか含まないかと
ある。脳による情報処理は、神経細胞が互いに
いう軸である。ループを含むネットワークでは、
接続し、電気刺激をやり取りすることで行われ
データ処理の流れが一方向に進むだけではな
ている。ニューラルネットワークはこの神経細
く、一度処理されたデータが元の入力に戻され、
胞の機能をモデル化した演算ユニットをネット
時間的に後から来るデータと合わさって再び情
ワーク状に接続したものである。深層学習が可
報処理に供されるということを意味しており、
能となる前のニューラルネットワークは、通常
時系列データや文章など時間的順序を含むデー
ネットワーク構成が入力層、隠れ層、出力層の
タを取り扱うこととなる。この様なループを含
3層で構成されるという単純なものであった。
むネットワーク構造は、再帰的な処理を可能に
学習とは、外部世界のモデルを内部の表現に変
するという意味で Recurrent Neural Network
換することと言えるが、3層の構成しか使えな
(RNN)と呼ばれている。
いということは、入力→1回の変換→出力とい
以上の2軸でネットワーク構造を整理すると
う構成しか使えないということを意味する。こ
下表の様になる。非 RNN で、層の浅い(3層)
れに対し、深層学習では、この層を多数積み
のネットワークは従来のニューラルネットワー
(2)
重ねても学習が可能になった
。これにより、
クである(表の左上)。非 RNN で層が深いもの
入力→変換→変換→ ... →出力という多段の変
が、静的なデータを取り扱う深層学習である(表
換を積み重ね、特徴抽出、カテゴリー分け、抽
の右上)。RNN で、層が浅く比較的単純な構造
象化などの機能を個々の変換として分散して学
を持つものは(表の左下)、時系列データから、
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図表1
2015
ネットワークの構造の類型と、可能となる情報処理、代表的適用分野
(資料)各種資料に基づきみずほ情報総研作成。
動的なパターンを抽出することを可能にする。
ら成人までの発達段階に対応した認知機能に対
具体的には、システムの挙動から異常のパター
する要求レベルがまとめられている。CogPrime
ンを検出する場合などに使用可能である。最後
の中で言及されている認知機能の中で主要なも
に、RNN で層が深いものは(表の右下)、時系
のとして、知覚、記憶、言語、推論、計画、自
列データから抽出された概念が更に相互作用を
己認識などがある。このうち静的な知覚につい
する様な場合であり、自然言語処理などが代表
ては、前節の整理で言えば【非 RNN ×深い】
的な適用分野となる。
に対応する部分であり、静止画像処理の場合な
2. AGI 実現に必要な機能と深層学習の
対応
ど既に深層学習が人間と同等の認識率を達成し
前節で、深層学習によって可能となったアー
と思われる。
キテクチャと情報処理の類型化を行った。これ
ているため、大きな技術的課題は残っていない
その他の認知機能、すなわち記憶、自然言語、
は技術的側面から深層学習の適用先を整理した
推論、計画、自己認識等は、全て RNN による
ものである。本節では、逆に技術に対して要求
時間的順序を持ったデータに対する再帰的な処
されることという側面から、人間レベルの認知
理で無ければ実現しない機能である。記憶は、
にはどの様な機能が必要とされるのかについて
過去に得られた情報を格納し、必要に応じて情
簡単に整理する。
報を取り出す機能であり、時間を前提として成
人間の知能にどの様な機能が含まれ、個々の
立する機能である。自然言語は、一次元的な表
機能がどの様な関係性を持っているかという問
現が時間軸上に展開されるものであり、またい
題に関しては、子供の認知発達の過程などを参
くつかの概念が相互作用を行って文意が展開す
考にしつつモデルを構成して研究する立場があ
るものであるから、【RNN ×深い】に属する構
る。そのモデルのことを認知アーキテクチャと
造を必要とする。推論、計画なども自然言語と
(3)
言い
、多くの種類のものが提案されている。
6
例えば、その一つ CogPrime では、乳幼児か
同様である。自己認識も、再帰的な構造をもっ
て初めて実現可能なものである。
18
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人工知能の応用へ向けた筋道を探る 
この様に、AGI を実現するための認知機能
は、浅いか深いかはともかくとして、そのほと
んどが、RNN を必要とするものであることが
理解される。
年以降あるいは決して実現しないという専門家
(5)
も少なからず居ることが分かる
4. 人工知能の実現時期—技術の発展段階
からの整理—
ここでは、さらに今後の人工知能の発展の筋
3. 人工知能の実現時期 — 専門家による
予測—
道に関するイメージを明確化するために、イノ
それでは、RNN の構造とその上での情報処
ベーションの理論 における技術の発展段階の
理の原理が解明され、AGI が実現するのはいつ
類型を援用して整理し、1節でのシーズ側の類
頃になるのか、という問いが当然生じる。AGI
型の整理(図表1)と結びつけたい。
9
の実現時期に関する最も有名な予測は、レイ・
技術開発の初期には、目標を解決する手法
カーツワイルによる2045年に人工知能のレベ
として優勢な(ドミナントな)技術が定まらず、
ルが人間を越える技術的特異点(シンギュラリ
様々な可能性が試される段階がある(ドミナン
7
ティ)が到来するという予測であろう 。カーツ
トデザイン探索段階)。例えば、自動車の動力
ワイルの予測は現在あまりに有名であり、ここ
に関して、当初は蒸気、電気、ガソリンが競合
では立ち入らない。
していた。一度ドミナントな技術が決まれば、
他に、AGI の国際会議で専門家にアンケー
8
トを取った結果がある(図表2)。このアンケー
(4)
その基本的な骨格の中でどのようなモジュール
となる技術を開発すれば良いかが決まっていく
、小学校3年生
(モジュラー化進行段階)。最後に、モジュール
レベル、ノーベル賞級の研究が可能な程度の知
化された個々の要素技術の性能が高度化する段
能、人間を超越した知能の4段階に分けて、そ
階がある(多くの場合性能指標は S 字の曲線と
の実現時期の予想を専門家に聞いているもので
なるため、以下では S-Curve 段階と呼ぶ)。
トでは、チューリングテスト
ある。2020年代までに実現すると予想してい
これらの段階に図表1の深層学習の類型をあ
る専門家も3分の1から半分程度居る中、2100
てはめると、
【非 RNN ×深い】の部分では、既
図表2
専門家アンケートによる AGI 実現時期予想
8
(資料)資料 に基づきみずほ情報総研作成。
19
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2015
に S-Curve 段階に入っていると言えよう。実際、
静的な画像処理に関しては、既に S-Curve のほ
ろう。
こ れ ら が 実 用 化 に 至 る 時 期 に 関 し て は、
ぼ上限に達している(図表4)
。
【RNN ×浅い】
S-Curve 段階である【非 RNN ×深い】は直近
に関しては、再帰的な構造であることは決まっ
で可能、モジュラー化進行段階である【RNN ×
ているものの、その詳細については様々なモデ
浅い】がその次、最後に【RNN ×深い】とな
ルが提案されている状況であり、モジュラー化
ると予想される。
進行段階に相当する。最後に、
【RNN ×深い】
の部分は、その深さによってどの様な原理を持
5. 今 後 の展 望
つ情報処理が可能となるのかという問題に関し
深層学習の各類型に関し、それぞれの実現時
て、まだ未知の部分が多く残されており、ドミ
期を正確に予測することは当然困難であるが、
ナントデザイン探索段階に相当すると言えるだ
図表5には、類型のそれぞれの凡その実用化時
図表3
技術の発展段階
9
(資料)資料 に基づきみずほ情報総研作成。
図表4
2次元画像のクラス分け問題に対する正答率の S-Curve
10
(資料)ImageNet 資料 に基づきみずほ情報総研作成。
20
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人工知能の応用へ向けた筋道を探る 
図表5
深層学習の発展段階と実用化例
(資料)各種資料に基づきみずほ情報総研作成。
期と、その段階で可能となる応用の例を示した。
ものもあり、3桁程度の開きがある。これをそ
筆者の個人的な見解としては、世界の最先端を
のまま素直にモデル化するのでは、工学的な観
走っている研究者は【RNN ×深い】の領域に
点からは演算に時間がかかりすぎ(あるいは必
手を付け始めており、大量の研究者が参入して
要な計算機が巨大になりすぎ)、実用的でなく
いる状況を考えると、そう長くはかからないの
なる可能性がある。【RNN ×深い】の領域にお
ではないかと考えている。
いて、この問題をどの様にクリアするのかは自
本論では、ネットワークの構造と、その上で
明では無いだろう。
可能となる情報処理の類型の観点から、それぞ
本論で述べた様に、人工知能の次の発展の
れの実現時期の大まかな予測を行った。もちろ
キ ー の 一 つ と な る の は RNN と、 そ のネット
ん本論で触れた以外にも、人工知能の実現のた
ワーク構造上で実現される情報処理機構のエッ
(6)
。実用化の観
センスを解明し実現することである。日本の中
点から一つだけ挙げるとすれば、最終的な人工
で本分野の研究と具体的・実用的なニーズへの
知能が、現在の計算機の演算速度で到達可能な
適用がうまく噛み合って発展していくことを望
範囲であるのかという問題がある。人間の個々
みたい。
めには様々な課題が存在する
の神経細胞の興奮はミリ秒程度の時間で起こっ
ている現象であるが、脳の複数の部位が関わる
機能様では、1秒を越える時間領域で活動する
注
(1)
機械学習とは、入力データに潜む構造を抽出し有用
な出力と結びつけるデータ分析手法のことを指す。
21
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(2)
(3)
(4)
(5)
(6)
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最近では、画像処理を行うネットワークとして20
層以上のものも用いられる様になっている。
人間の認知の研究としてのほか、事故時の人の振
る舞いの研究などにも応用される。
隔離した人間の判定者と AI の間でチャットを行
い、AI が人間であると判定者に信じ込ませられる
かどうかをテストするもの。
このアンケートが行われたのは2011年で深層学習
が広く脚光を浴びる前に行われたため、現在アン
ケートを行えばもう少し早まるかもしれない。
フレーム問題、シンボルグラウンディング問題な
どがある。文献3参照。
参考文献
1. http://newsroom.toyota.co.jp/en/detail/9233129
2. http://www.kantei.go.jp/jp/singi/keizaisaisei/
3. 「人工知能は人間を越えるか ディープラーニング
の先にあるもの」松尾豊著、株式会社KADOKAWA
(2015)
.
4. 「ディープラーニングがビッグデータ分析の進化を
引き起こす」
(http://www.mizuho-ir.co.jp/publication/column/
2013/1119.html)
5. http://www.sig-agi.org
6. http://wiki.opencog.org/w/CogPrime_Overview
7. 「ポスト・ヒューマン誕生―コンピュータが人類の
知性を超えるとき」レイ・カーツワイル(著)
、井
上健、小野木明恵、野中香方子、福田実(共訳)
、
日本放送出版協会(2007).
8. "How long until human-level AI? Results from
an expert assessment", Baum, S.D., Gopertzel, B.
and Goertzel, T.G., Technological Forecasting &
Social Change, 78, 185-195(2011).
9. Christensen, C.M., "The evolution of innovation",
in R. Dorf(ed.),
Technology Management handbook, CRC Press
(2000)
.
10. Russakovsky, O. et al., "ImageNet Large Scale
Visual Recognition
Challenge", arXiv:1409.0575v3(2015).
22
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欧州バイオサイド(殺生物剤)製品規制の概要と動向 
社会動向レポート
欧州バイオサイド(殺生物剤)製品規制の概要と動向
環境エネルギー第1部
コンサルタント
貴志
孝洋
2013年9月、欧州においてこれまで施行されていたバイオサイド製品指令に替わり、バイオ
サイド製品規制の施行が開始された。規制対象が拡大するなど、影響力が大きい一方で構成が複
雑であり理解が難しい。本稿ではバイオサイド製品規制の概要及び特徴について述べる。
はじめに
欧州では2007年に化学物質の登録・評価・
認可に関する規制(REACH 規則)が施行され
が生じており、その動向が注目されている。
本稿では、BPR の概要を述べるとともに「処
理された成形品」を取り巻く状況などについて
最新情報を整理する。
た後、2009年には、分類・ラベル・包装に関
なお、バイオサイド製品とは、活性物質(有
す る 規 則(CLP 規 則 )が 施 行 さ れ た。 さ ら に
害生物に対して作用、または反する作用を有す
2013年 に は バ イ オ サ イ ド 製 品 指 令(Biocidal
る物質または微生物)の働きによって、害虫や
Product Directive, BPD)が 廃 止 さ れ、 新 た
細菌などの有害生物(人間やその活動もしくは
に バ イ オ サ イ ド 製 品 規 則(Biocidal Product
人間が利用、生産する製品などによって望まし
Regulation, BPR)が2013年に施行されるなど、
くない存在など)から人体、材料、成形品を保
化学物質対策制度が近年急速に整備されてい
護するために使われる製品を指し、活性物質ま
る。これは、2002年に開催された持続可能な
たは活性物質をひとつ以上含む調剤などの形で
開発に関する世界首脳会議において合意され
提供される。
た「予防的取組方法に留意しつつ、透明性のあ
る科学的根拠に基づくリスク評価手順と科学
1. バイオサイド製品規制の制定経緯
的根拠に基づくリスク管理手順を用いて、化
バイオサイドに対する規制は、米国で1972年
学物質が、人の健康と環境にもたらす著しい
に施行された連邦殺虫剤・殺菌剤・殺鼠剤法
悪影響を最小化する方法で使用、生産される
(Federal Insecticide, Fungicide, and Rodenticide
ことを2020年までに達成する」との国際目標
Act, FIFRA)をきっかけに先進国を中心に広が
(WSSD2020年目標)が掲げられたことを受け
り、その流れを受けて、欧州では1998年にバ
たアクションのひとつである。
特に BPR は、構成が複雑であり、かつ「
(バ
イオサイド製品で)処理された成形品(treated
イオサイドの統一管理を目的として BPD(98 / 8 /
EC)が制定され、バイオサイドの分野におい
ても農薬と同様な審査制度を導入した。
article)」が新たに規制対象となるなど、BPD
既存の活性物質については BPD において再
では対象外であった業界まで影響が広がる懸念
審査規則が制定され、既存活性物質の再審査
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が行われて来たが、遅々として進まないでいる
と述べており、バイオサイド製品の上市のため
間に、中国から輸入されたソファーなどに含ま
には、バイオサイド製品の類型ごとに承認され
れていたフマル酸ジメチル(DMF)により、多
た活性物質を用いる必要がある。
数の健康被害がイギリス、フランス、ポーラン
ド、フィンランド、スウェーデンで確認されて
いることなどを受けて、2009年3月17日に欧州
委員会は、COMMISION DECISION を公表し、
2. バイオサイド製品規制の概要
(1)関係省庁及び関連組織
BPR は前述のとおり、ECHA が所管してい
DMF が革製品(ソファー、靴等)に防腐剤とし
る。また、各加盟国から任命された委員(各
て使用されていたことで多数の皮膚障害が発生
国1名 )か ら 構 成 さ れ る バ イ オ サ イ ド 製 品 委
していることを指摘した。さらにイギリスでは
員 会(Biocidal Products Committee, BPC)が、
1,000万ユーロを超える訴訟に発展した。その
ECHA に設置されており、欧州化学物質生態
後も靴、乗馬用ヘルメット等、被害が止まらず、
毒性および毒性センター(European Center for
規制を強化せざるを得ない状況となった。
Ecotoxicology and Toxicology of Chemicals,
そこで、事故を踏まえ、図表1の目的で BPD
ECETOC)、 欧 州 化 学 工 業 連 盟(European
を強化し、BPR(
(EU)528 / 2012)が BPD に置
Chemical Industrial Council, CEFIC)などの
き換わるものとして、2012年に欧州委員会に
業界団体を含めた会合が定期的に開催されてい
て採択され、これまで BPD を所管していた EU
る。BPC は、図表2に示す ECHA の意見作成に
環境総局及びバイオサイドの管理を進めていた
対して責任を負っている。
欧州委員会協同研究センター(Joint Research
Centre, JRC)から、REACH、CLP の推進で実
(2)バイオサイドの定義
績がある欧州化学品庁(ECHA)に所管が移され
BPR におけるバイオサイド製品は、図表3の
ることになり、ウェブサイト情報のシフトも行
とおり定義されており、その適用範囲は BPD
われた。ECHA は40数名の人員と手数料収入を
よりも拡大されており、新たにバイオサイド機
基に、再審査期間も2024年まで大幅延長して体
能を主とする「処理された成形品」などが対象
制を整えた。欧州委員会環境総局ピエール氏は、
となった。具体的な対象範囲は図表4のとおり
化学工業日報のインタビュー(2013年11月14
である。
日「EU バイオサイド製品規制(BPR)発効」
)に
対し、BPR の原則は、
「承認なくして上市なし」
図表1
●
●
●
●
BPR の目的
EUのバイオサイド市場の機能の改善
人の健康及び環境の高水準の保護を確保
プロセスの簡略化及び効率化
動物試験の削減(強制的なデータ共有/
費用分担、試験へのより柔軟かつ賢明な取
り組みの奨励)
* BPR 第1条「目的及び主題」は文末(1)参照
(資料)ECHA ホームページ「Understanding BPR」よ
り抜粋
(3)バイオサイド製品の製品類型
BPR 附属書 V において、22に分類されたバ
イオサイド製品の類型が掲載されており、バイ
オサイド製品の上市のためには製品類型ごとに
承認された活性物質を用いる必要がある。その
ため、活性物質そのものが承認されていても、
バイオサイド製品の製品類型との組み合わせが
一致していない場合、上市は出来ない。具体的
な製品類型を図表5に示す。
24
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欧州バイオサイド(殺生物剤)製品規制の概要と動向 
(4)バイオサイド製品の上市
バイオサイド製品の上市は、BPR17条「バイ
BPRと同様、2段階の認証手続き(活性物質の承
認とバイオサイド製品認可)を採用しており、各
オサイド製品の市場における利用及び使用」
(文
段階でリスク評価を実施しているが、BPRでは、
末(5)参照)に基づき厳しく規制が課されており、
活性物質の承認やバイオサイド製品認可にあたっ
ECHAのWebサイトにも、BPR は、
「人、動物、
て、図表6に示すような活性物質の除外要件など
財産あるいは物品を有害な生物から守るために
を導入するなどして、簡素化が図られている。
使 用され るバイオサイド 製 品の上市(place on
the market)と使用に関する規制である」として
①活性物質の承認
おり、バイオサイド製品の上市には、活性物質
前述のとおり、BPR は、バイオサイド製品
の承認(Approval)及びバイオサイド製品の認可
の上市のため、活性物質の承認と、承認された
(Authorisation)が必要である。また、処理され
活性物質を用いたバイオサイド製品の認可とい
た成形品についても、活性物質が承認された製
う2段階の認証システムを採用しており、各段
品類型及び使用方法で用いられ、かつ承認にあ
階でリスク評価を実施している。リスク評価は
たり指定された条件及び制限を満たさない限り上
申請者が実施し、加盟国の所管当局がリスク評
市は禁止されている。
価結果について審査を行う。ECHA は、リス
バイオサイド製品の認可には、BPDにおいても
図表2
ク評価は行わず、ドシエ(技術書類一式、登録
BPC が責任を負う ECHA の意見作成事項
●
●
●
●
●
活性物質の承認及び承認の更新の申請
活性物質の承認の再審査
第28条既定の条件(文末(2)参照)を満たす活性物質の付属書 I への収載の申請及び収載の再審査
代替の候補となる活性物質の特定
バイオサイド製品の欧州連合認可及びその更新、取消、修正の申請(ただし、管理上の変更申請
を除く)
● 相互承認に関する科学的、技術的内容
● 技術的手引きまたは人の健康/環境リスクに関する、本規則の運用から生じる疑問
(資料)BPR 第75条「バイオサイド製品専門委員会」1項より抜粋
図表3
バイオサイド製品の定義(ECHA ホームページ「Understanding BPR」より抜粋)
①
物理的・機械的以外の効力で有害な有機体を無力化する、もしくは被害を発生させないように
コントロールする目的で、使用者に提供する形態において、1つもしくはそれ以上の活性物質を
構成、含有、生成する物質、または混合
② 物理的・機械的以外の効力で有害な有機体を無力化する、もしくは被害を発生させないように
コントロールする目的で、そのものとしては①に属さない物質・混合物から生み出された物質
もしくは混合物(その場で(in-situ)で生成する活性物質、バイオサイド製品を指す)
③ 処理された成形品(treated article)
:処理された成形品とはひとつもしくはそれ以上のバイオ
サイド製品を処理するかもしくは意図的に組み入れた物質・混合物もしくは成形品(BPRにて追
加された定義)
*BPR 第3条「定義」1項(a)
(バイオサイド製品)は、文末
(3)
参照
(資料)ECHAホームページ「Understanding BPR」より抜粋
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や評価に必要な物質情報などが記載された文書
代替候補物質(代替物質で置き換えられるべき
やデータなど)に関するバイオサイド委員会の
活性物質を指す)である場合、ECHA が承認の
議論をコーディネートすることで認証システム
意見を作成する前に公開協議を行う。
に参加している。なお、申請された活性物質が、
図表4
承認された活性物質は、BPR 第9条「活性物
BPD 及び BPR の適用範囲の比較
*非 承認の活性物質(DMF)に処理され、EU 内に輸入された家具(ソファー)によって引き起こされた健康被害の事故を反
映している。
(資料)JETOC「欧州バイオサイド規則の概要」より一部みずほ情報総研加筆
図表5
バイオサイド製品の製品類型
(資料)ECHA「Overview of new Biocidal Product Regulation – Impacts on biocides & biocide-treated articles imported
into the EU」より抜粋
26
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欧州バイオサイド(殺生物剤)製品規制の概要と動向 
図表6
除外要件
図表8
活性物質の認証期間と更新
●
CMR(発がん性、変異原性、生殖毒性に分
類される)1Aまたは1Bの物質
● 内分泌かく乱物質
● PBT(難分解性、生体蓄積性、毒性)または
vP vB(極めて難分解性で高い生体蓄積
性)の物質
(資料)BPR 第5条「除外クライテリア」1項より抜粋
図表7
活性物質の承認フロー
(資料)BPR 第4条「承認のための条件」及び第10条「代
替物の検討を要する活性物質」より抜粋
c.代替物の検討を要する活性物質
活性物質が BPR 第10条「代替の候補である
活性物質」(図表11)に示されるような毒性等
を有する場合、公開協議となり、第三者が利用
可能な代替候補の情報等を ECHA に提出する
ことで、意見の作成時に考慮され、当該活性物
(資料)JETOC「欧州バイオサイド規則の概要」より一
部みずほ情報総研加筆
質の承認及び更新は7年以内、当該活性物質を
含むバイオサイド製品の認可及び更新は5年以
内などの一定の条件のもと承認される。
質の承認」で規定されている「Union List」へ
掲載され、図表8のとおり、活性物質の種類ご
とに承認期間や更新が定められている。活性物
質の分類は図表9のとおり。
②バイオサイド製品の認可
BPR では、バイオサイド製品認可にあたっ
ても明確な基準(図表12)を導入するなどして、
簡素化・効率化が図られている。これは、ヒト
a.通常承認された活性物質
健康及び環境に低懸念またはより優れた水準
図表8のとおり、通常承認された活性物質の
の製品の市場での取引を促進することを目的
場合、先ずは10年を超えない期間が承認され、
としている。基準を満たす場合、簡素化され
承認の更新は、承認が適用される全ての製品類
た認可手続きに従い認可を申請する(BPR 第27
型に対して15年間とされている。
条)。しかし、基準を満たさない場合、所定の
手続きに従い国の認可(BPR 第29-31条)、相互
b.除外要件に該当し、特定の条件(BPR 第5条
2項)を満たした活性物質
BPR では、除外要件を満たす活性物質は承
認されないが、BPR 第5条「除外クライテリア」
2項(図表10)に示されるような特定の条件を満
認証(BPR 第32-34条)、欧州連合認可(BPR 第
41-46条)を申請する。図表13に各認可の概要
を、図表14にバイオサイド製品の認可までの
流れをそれぞれ示す。
欧州委員会では、バイオサイド製品の認可の
たす場合、承認される可能性がある。ただし、
簡素化・効率化により、EU 域内市場の重要な
承認期間は5年を超えない最初の期間のみ承認
進展や、10年で約27億ユーロの経費削減など
され、更新はできない。
に繋がると指摘している。
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図表9
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活性物質の分類
(資料)(EU)No528/2012をもとにみずほ情報総研作成
事業者に、CLP 規則と同じく、ラベルに「低リ
(5)バイオサイド製品の表示
スク」
、
「無害」
、
「環境に優しい」等の文字を記
BPR 第69条「バイオサイド製品の分類、包
載してリスクや当該バイオサイド製品の効力に
装及び表示」では、バイオサイド製品の認可を
関して間違った解釈を防ぐことを課している。
取得した事業者は、上市にあたり、危険な混
さらに、CLP 規則と同じく、BPR 第69条で
合物の分類、包装、表示に関する理事会指令
は、特に飲食品と誤解を与える可能性がある
(Dangerous Preparations Directive(1999 / 45 /
バイオサイド製品については、誤解の可能性を
EC), DPD)及び適用可能であれば CLP 規則に
最小化するような包装を施すよう求めている。
基づき、分類・包装・ラベル貼り付けを行うこ
ラベルに記載される項目は図表15のとおり。
とを義務付けている。
CLP 規則に基づいた分類・表示に加えて、BPR
加えて、バイオサイド製品の認可を取得した
図表10 除外要件を満たす活性物質の承認のための条件
●
●
曝露がごくわずか
人もしくは動物の健康または環境に対
する深刻な危険を管理するために不可
欠な物質
● 承認しないことで、社会に過度の悪影
響をもたらすことになる物質
(資料)BPR 第5条「除外クライテリア」2項より抜粋
独自の項目の表示が求められている。
3. バイオサイド製品規則の Focal Point
これまで、BPR の概要について述べてきた
が、本項では、BPR の大きな特徴である、以
下の4つに着目し、その詳細を述べる。
(1)対象の拡大(「処理された成形品」が新た
に対象となる等)
(2)ナノマテリアルの明記
28
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欧州バイオサイド(殺生物剤)製品規制の概要と動向 
図表11
代替候補物質の定義
● 少なくとも 1 つ以上の除外要件(CMR、PBT、vPvB、内分泌かく乱作用)に該当するが、第 5 条 2
項に従って承認される可能性がある。
● 呼吸器感作性物質として分類されるクライテリア(判定条件)を満たす。
● 一日許容摂取量(ADI)、許容作業者曝露量(AOEL)等の毒性学的な許容量 / 参照量が、同じ製
品類型及び使用シナリオにおける他の承認された活性物質と比較して許容量が著しく低い。
● PBT クライテリアのうち 2 つを満たす。
● 非常に厳しいリスク管理の下であっても、使用パターン及び使用量によっては重大な懸念が残
る恐れがある。(例:地下水への高い潜在的リスク)
● 不活性異性体や不純物を多く含んでいる。
(資料)BPR 第10条「代替物の検討を要する活性物質」より抜粋
(3)バイオサイド製品の認可の簡素化
イオサイド製品だけではなく、抗菌や防腐など
(4)データの共有
の目的で、活性物質で処理された成形品も管
特に、「処理された成形品」については、前
理の対象とするなど、BPD よりも対象が拡大
述のとおり、BPD では対象外であった業界ま
している。BPR 第3条では、処理された成形品
で影響が広がる懸念が生じており、動向が注目
(treated article)を、「1つ以上のバイオサイド
されている。
製品で処理するかもしくは意図的に組み込まれ
た物質・混合物もしくは成形品」と定義し、ま
(1)対象の拡大
BPR では、BPD で管理の対象としていたバ
た BPR 第17条(文末(5)参照)において、成形
品を処理するバイオサイド製品中の活性物質が
承認され、かつ指定された条件を満たしていな
図表12 簡素化された認可手続きで申請可能な基準
い限り、上市されてはならないとしている。
英国安全衛生庁(Health and safety executive,
●
●
附属書 I に記載されている
(文末(4)参照)
バイオサイド製品に懸念物質またはナノ
マテリアルを含まない
● 十分に効果的である
● PPE(個人用保護具)
の着用が不要
(資料)BPR 第25条「簡素化された認可手続きに対する
適格性」より抜粋
図表13
HSE)は、
「Treated Article と は 何 か 」 と い う
質問に対し、ホームページ上で図表16のよう
に回答しており、Type 1と Type 2の成形品が
「Treated article」と見なされ、BPR 第58条「処
理された成形品の上市」に記載されている要
認可の種類とその概要
(資料)JETOC「欧州バイオサイド規則の概要」より一部みずほ情報総研加筆
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求事項を満たさなければならないとしている。
これに対し、欧州委員会は処理された成形品
Type 3の成形品は主要な機能が抗菌機能であ
に関する FAQ において、処理された成形品の
り、バイオサイド製品と見なされて従来通り当
判定ツリーを公表した(図表17)。
局の認可が必要としている。
図表14
さらに、処理された成形品についてもラベル
バイオサイド製品の認可フロー
(資料)
(EU)No528 / 2012をもとにみずほ情報総研作成
図表15
BPR と CLP の表示要求項目
*BPD から新たに追加された項目
(資料)中小企業基盤整備機構 J-Net21「Q.359 改正バイオサイド規制で要求される表示とCLP 規則とはどのような関係があるの
でしょうか?」より抜粋
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欧州バイオサイド(殺生物剤)製品規制の概要と動向 
表示は要求されており、成形品の殺生物特性に
(2)ナノマテリアルの明記
関して請求が行われている場合や、物質承認の
BPD では、ナノマテリアルについての明示的
条件にそのように要求されている場合では、ラ
な記載はなかったが、BPR 第3条においてナノ
ベル表示が必要となる。
マテリアルについて図表19のように定義されて
ここで、ラベルにおいて記載(国の公用語で
提供すること)が求められている項目は、図表
18のとおり。これは、CLP 規則に基づかない。
いる。
また、ナノマテリアルの取り扱いについては、
BPR第4条「承認のための条件」において、
「明示
的に言及される場合を除き、活性物質の承認はナ
図表16 「処理された成形品とは何か?」に対する HSE の回答
上記(BPR第 3 条を指す)定義の他に、HSEの独自の視点という注釈は入っているが、「Treated
article」に該当するか否かについて下記事例を使って紹介する。
●
Type 1:バイオサイド製品で処理された部材を使用した成形品(例:防腐剤を塗布した木材を使
用したベンチ)
● Type 2:バイオサイド製品で処理され、その主要な機能がバイオサイドではない成形品(例:抗
菌靴下)
● Type 3:バイオサイド製品で処理され、その主要な機能がバイオサイドである成形品(例:抗菌
機能付布巾)
(資料)英国 HSE「Placing treated articles on the UK market」より抜粋
図表17
処理された成形品の判定フロー
(資料)ECHA(CA-Sept13-Doc.5.1.e)よりみずほ情報総研作成
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ノマテリアルをカバーしない」と記載されている。
さらに、BPR 第25条「単純化された認可手
(3)バイオサイド製品の認可の簡素化
前 述 し た が、BPR で は、 図 表14の と お り、
続きに対する適格性」において、簡易認可手続
BPR 附属書 I に記載されているなどの条件(図
きにおける適格性として、「(c)そのバイオサ
表12)が満たされている場合に、図表20に示す
イド製品は、いかなるナノマテリアルをも含ま
ような簡素化された認可手続きに基づきバイオ
ない」ことを簡易な認可手続きにより承認され
サイド製品の上市が認められる。ここでは、そ
る殺生物製品の条件の1つとして挙げている。
の詳細について述べる。
そのため、BPR においては、ナノマテリア
ルを含んだ活性物質及びバイオサイド製品は原
手続きにおける具体的な作業内容は図表21
のとおり。
則認可されない。しかし一方で、認可を与える
条件として BPR 第19条「認可付与のための条
(4)データの共有
件」1項において、
「
( f )当該製品中にナノマテ
BPR では、提出されたデータを強制的に共
リアルが使用されている場合、ヒトと動物への
有し、代替試験法や既存のデータを使うことを
健康および環境へのリスクがそれぞれ既に評価
推奨することによって動物試験をさらに削減
されている」を条件として挙げている。
させることも意図している。そこで ECHA は、
バイオサイド製品の登録サイト R4BP 3を立ち
上げ、申請者に当該サイトを通じた活性物質の
申請書の提出等を求めている。既存活性物質の
図表18 ラベル記載項目
●
●
●
●
処理された成形品が殺生物剤を包含し
ているという記述
処理された成形品の殺生物特性
すべての活性物質及びナノマテリアル
の名称
人または環境を保護するために必要な
場合は使用説明
(資料)BPR 第58条「処理された成形品の上市」3項よ
り抜粋
図表19
すべての毒性及び生態毒性研究に関する脊椎動
物への試験からのデータ及び代替供給者に関す
るデータを共有化の対象とし、活性物質の動物
試験及び供給者の独占状態を最小限に抑える役
割を担っている。申請者は、動物実験を実施す
る前に、ECHA に問い合わせを行い、BPR に
基づいて同様の試験及び研究が既に実施・提出
状況を確認する必要がある。
ナノマテリアルの定義
● 「ナノマテリアル」とは、微粒子を含む天然あるいは人工の活性物質あるいは不活性物質で、非束縛状
態、凝集体あるいは塊として存在し、粒子個数濃度から見て粒径(1か所以上の最大外径)範囲が
1-100nmに入る割合が50%を超えるものをいう。
● 粒径が1nm未満のフラーレン、グラフェンフレークおよび単層カーボンナノチューブはナノマテリアルとみ
なすべきである。
● ナノマテリアルの定義付けの目的で「粒子」、
「塊」および「凝集体」は以下のように定義される。
ここでいう「粒子」とは、限定された物理的境界を有する物質の微小な塊を意味する。
ここでいう「塊」とは、弱い束縛状態にある粒子の集合あるいは凝集体であって結果として個体部
分の表面積の総和にほぼ等しい表面積を有するモノを意味する。
ここでいう「凝集体」とは、強い接合を有する粒子あるいは融合状態にある粒子を意味する。
(資料)BPR 第3条「定義」1項 (z)より抜粋
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欧州バイオサイド(殺生物剤)製品規制の概要と動向 
図表20 バイオサイド製品の認可フロー(簡素化された手続き)
R4BP 3により、IUCLID 5ドシエを用いた
ECHA または各国担当部署にデータを提出す
ることが可能となった。そのため、申請者は、
活性物質及びバイオサイド製品に関する物性値
などの化学的データは、IUCLID 5に基づいた
収集、構成、保管が求められる。
4. バイオサイド製品規制のいま
(1)承認済み活性物質(2015年6月末現在)
(資料)BPR 第26条「申請手続」及び第27条「簡素化さ
れた認可手続きに従い認可されたバイオサイド
製品の市場における利用」よりみずほ情報総研
作成
BPR において承認された活性物質は、86物
質であるが、一部の物質で複数の製品類型が登
録されている。また、現在170物質が審査中で
ある。
R4BP 3は、申請書の授受以外に、取扱説明
書やテンプレートの提供、申請者と ECHA と
(2)処理された成形品
加盟国の所轄官庁と欧州委員会の間でのデータ
「処理された成形品」の概念による影響等に
と情報の交換や決定内容の公開などに使用さ
ついて、欧州の業界団体などに BPR の影響等
れ、公衆に対し広く情報を提供する。中小企業
に関するヒアリングを実施したところ、図表
のコスト負担が課題となっているが、特に申請
22のような課題等が挙げられており、BPR の
の過程におけるドシエの提出やデータの収集が
複雑な法体系に、事業者が対応に追われている
特にコストプレッシャーになっているため、中
状況にある。
小企業に対しては、手続きに伴う費用減額のメ
リットもある。
図表21
簡素化された手続きにおける作業内容
(資料)BPR 第26条「申請手続」及び第27条「簡素化された認可手続きに従い認可されたバイオサイド製品の市場における利用」
よりみずほ情報総研作成
33
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vol.10
2015
5. バイオサイド製品規則の今後
6. おわりに
既存活性物質を用いたバイオサイド製品の欧
2013年に BPD から置き換わる形で BPR が施
州連合認可は、製品類型に応じて認証開始時期
行され、バイオサイド製品の市場機能改善、人
が異なる(図表23)
。現在、該当するバイオサ
や環境の保護、認可の簡素化・効率化などによ
イド製品を生産する事業者は現在対応に追われ
る経費削減が期待されている一方で、BPR の
ている。
複雑さや「処理された成形品」などの新たな概
また、2015年3月に欧州委員会は、加盟国間
での BPR の施行について各国で大きな隔たり
念の導入などによる特に中小企業への負担増加
の可能性などが懸念されている。
があることを踏まえ、「バイオサイド製品」及
現在も、欧州委員会などで議論がされている
び「処理された成形品」に対する規制について
一方で、特に既存活性物質を用いたバイオサイ
見直すことを公表しており、今後の動向が注目
ド製品の連合認可の開始時期が迫るなど、迅速
される。
な事業者の対応が求められており、その動向は
目が離せない。
図表22 「処理された成形品」に関する課題等
●
欧州委員会で、BPRの導入により大幅な経費削減が試算されているが、
「処理された成形品」という概
念が導入されたことにより、BPDでは対象にならなかった事業者への影響が懸念され、さらに事業者へ
の負担が大きくなると考えられる。現在、バイオサイド製品委員会(BPC)において事業者への影響や
負担の大きさなどについて議論が行われている。
● そもそも「処理された成形品」の定義はまだ固まっておらず、さらに定義について十分に議論する場が
あまりないことも問題である。
● 日本においては、自動車業界や電子・電機業界への影響が大きく、対応に追われている。
(例えば、車
の抗菌ハンドルも「処理された成形品」に該当する。)
● 「処理された成形品」の定義の幅が広い。例えば、当初、モノマーに防腐目的のバイオサイドが含まれ
ていた場合、そのモノマーを用いてポリマーを合成し、そのバイオサイドが完全に無くなっているもの
の、ポリマーは「処理された成形品」として扱うとされていた。
(現在は、
「やり過ぎではないか」の事業
者などからの意見を踏まえ、対象外とされている。)また、オゾンを利用した家庭用の除菌・消臭を目
的とした製品も、空気中の酸素を用いてオゾンを発生させている(活性物質を用いていない)ものの、
その製品は「処理された成形品」に該当する。
(資料)欧州の業界団体等へのヒアリング結果よりみずほ情報総研作成
図表23
欧州連合認可のスケジュール
(資料)ECHA「Overview of new Biocidal Product Regulation – Impacts on biocides & biocide-treated articles imported
into the EU」より抜粋
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欧州バイオサイド(殺生物剤)製品規制の概要と動向 
注
BPR 第1条「目的及び主題」(抜粋)
1.この規則の目的は、人及び健康並びに環境の
両方の高水準の保護を確実にしつつ、バイオ
サイド製品の市場における利用及び使用につ
いての規則の調和化をとおして域内市場の機
能を改善することにある。この規則の規定は、
人の健康、動物の健康及び環境を保護する目
的である予防原則に裏打ちされている。特別
な注意が必要な脆弱なグループの保護に払わ
れなければならない。
(2) BPR 第28条
(抜粋)
(a)規則(EC)No 1272 / 2008に従う次の分類クライ
テリアを満たす
―爆発性/高引火性
―有機過酸化物
―急性毒性カテゴリー 1、2、3
―腐食性カテゴリー 1A、1B、1C
―急性毒性カテゴリー 1、2、3
―呼吸器感作性物質
―皮膚感作性物質
―生殖細胞変異原性カテゴリー 1、2
―発がん性カテゴリー 1、2
―ヒト生殖毒性カテゴリー 1、2または授乳を
介した影響
―単回または反復曝露による特定標的臓器毒
性物質
―水生生物毒性急性カテゴリー 1
(b)第10条(1)(図表11参照)に定められた全ての
代替クライテリアを満たす、または
(c)神経毒性または免疫毒性特を持つ
(3) BPR 第3条「定義」1項
(a)バイオサイド製品とは
―使用者に提供される形態において、単なる
物理的又は機械的作用以外のあらゆる手段
により、あらゆる有害生物に対して、破壊
する、阻止する、無害化する、その活動を
防ぐ、さもなければ制御効果を及ぼす意図
を持って、1つ以上の活性物質からなる、
含む又は生成するあらゆる物質又は混合物
を意味する。
―単なる物理的又は機械的作用以外のあらゆ
る手段により、あらゆる有害生物に対して、
破壊する、阻止する、無害化する、その活
動を防ぐ、さもなければ制御効果を及ぼす
意図を持って使用される、それ自体第1イ
ンデントに該当しない物質又は混合物から
生成されるあらゆる物質又は混合物を意味
する。
バイオサイド機能を主とする処理された成
形品は、バイオサイド製品とみなされるも
のとする。
(4) BPR 附属書 I は、BPD の附属書 IA に相当するリ
(1)
(5)
ストを指している。
BPR 第17条「バイオサイド製品の市場における利
用及び使用」
(抜粋)
◦ バイオサイド製品は、この規則に従って認可
されない限り、市場において利用/使用され
てはならない。
◦ 認可への申請者は、認可保有予定者/その代
理人である。国の認可への申請は、その加盟
国の所管当局に提出。連合認可への申請は庁
(ECHA)に提出。
◦ 認可期間は10年を最大とする。
参考文献
1. 欧州委員会「REGULATION(EU)No 528 / 2012
OF THE EUROPEAN PARLIAMENT AND OF
THE COUNCIL」
http://eur-lex.europa.eu/legal-content/EN/TXT/
PDF/?uri=CELEX:02012R0528-20140425&from=EN
2. 欧州委員会(2014)Frequently asked questions on
treated articles(CA-Sept13-Doc.5.1.e)
3. ECHA「Understanding BPR」
http://echa.europa.eu/regulations/biocidalproducts-regulation/understanding-bpr
4. ECHA「The Biocidal Products Committee」
http://echa.europa.eu/about-us/who-we-are/
biocidal-products-committee
5. ECHA「Overview of new Biocidal Product
Regulation – Impacts on biocides & biocidetreated articles imported into the EU」
http://www.chemical-net.info/pdf/20140124_
seminar3_eng.pdf
6. 英国安全衛生庁「Placing treated articles on the
UK market」
http://www.hse.gov.uk/biocides/treated-articles.
htm
7. 内閣府総合科学技術会議(2006)化学物質リスク総
合管理技術研究の現状
8. 製品評価技術基盤機構(2013)「平成24、25 年度
消費者製品含有化学物質のリスク評価および労働
現場における化学物質の管理に関わる法規制につ
いての調査」
9. JETOC(2014)欧州バイオサイド規則の概要
10. JETRO(2009)欧州の基準・認証制度の動向(2009
年1月/ 2月)
11. 化学工業日報(2013)2013年11月14日 EU バイオ
サイド製品規制(BPR)発効
http://www.kagakukogyonippo.com/headline/
2013/11/14-13586.html
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vol.10
2015
社会動向レポート
日本の約束草案:2030年目標の概要と課題
環境エネルギー第2部
リサーチアナリスト
中村
悠一郎
2015年7月17日、日本は2030年までの温室効果ガス排出削減目標とその対策・施策を定
めた約束草案を国連に提出した。本稿では約束草案の概要と課題を整理し、その達成に向けた幅
広い温暖化対策を進めていくうえで、温暖化防止に向けた国民の意識向上や行動実践が重要であ
ることを述べる。
はじめに
1.2030 年目標概説
京都議定書の定める第一約束期間(2008年~
(1)2030年目標 : 日本と主要国の比較
2012年)の終了から3年が経過し、世界は地球
日本の約束草案において、温室効果ガス排出
温暖化対策に向けて次なるステージへと歩みを
量を2030年度に2013年度比 - 26%(2005年度比
進めようとしている。2050年に世界全体で温
- 25.4%)とすることが明記された。これは技術
室効果ガス排出量を40% から70% 削減すると
的制約、コスト面の課題などを十分に考慮しつ
(1)
いう IPCC
の目標に向け、2020年以降の取組
つ、セクターごとの対策・施策や技術を積み上
みと将来の削減目標について、各国が約束草案
げた“実現可能”かつ、透明性、具体性の高い
を提出した。日本においても2015年7月17日に
目標であるとしている。
約束草案を提出し、地球温暖化に対する日本の
(2)
姿勢を世界に示した
。
2012年に閣議決定された第四次環境基本計
画における、2050年に温室効果ガス排出量を
東北地方太平洋沖地震とそれに伴う福島第一
80% 削減するという目標に対し、この2030年
原子力発電所における事故を経験し、世界でも
目標の水準を当てはめてみると図表1のように
特異な状況に置かれている日本において、今、
示すことができる。2013年度時点で日本の温
2030年に向けた約束草案は特に世界から注目
室効果ガス排出量は年間約14億 t-CO2 である
されるものである。本稿では約束草案の概要と
が、 そ れ を2030年 に は 約10億 t-CO2 に ま で、
課題を整理し、その達成に向けた幅広い温暖化
2050年には約3億 t-CO2 にまで削減するという
対策を進めていくうえで、温暖化防止に向けた
目標である。2030年以降の削減速度の加速が
国民の意識向上や行動実践が重要であることを
顕著であるが、約束草案ではこの経路から外れ
述べる。
ない目標を定めているとしている。なお、第四
次環境基本計画では削減の基準年が示されてい
ないが、図表1では2005年を基準年として描い
ている。
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日本の約束草案:2030 年目標の概要と課題 
図表2は日本、アメリカ、EU、中国、ロシア、
準 US$)と人口1人あたり温室効果ガス排出量
カナダそれぞれの約束草案における温室効果ガ
(t-CO2 /人)のそれぞれについて、目標の水準
ス排出量の削減率について、基準年ごとに示し
を比較して示す。どちらの指標からも、日本が
たものである。各年の排出量の違いに連動して
他国と比して決して遜色ない目標を定めている
削減率も変化するが、各国とも基本的には削減
ことがわかる。
率の大きな年を基準年としていることがわかる
ここまでで日本の約束草案の概観を確認し
(表中下線部)
。そのため、図表2のように各国
た。次節では目標の内訳と具体的な取組みにつ
の削減率を単純比較することは難しい。
いて確認する。
そ こ で、 図 表3、4で は 各 国 の 実 質 GDP あ
たり温室効果ガス排出量(kg - CO2 /2005年基
図表1
温室効果ガス総排出量の実績と2030年目標、2050年目標
100 万 t-CO 2
1600
1400
1200
-25.4%
1000
800
-80%
600
400
200
0
1990 1995 2000 2005 2010 2015 2020 2025 2030 2035 2040 2045 2050 年
■純排出量(LULUCF含む)
(資料)国立環境研究所(2015)より筆者作成
図表2
各国における基準年ごとの温室効果ガス排出量削減率の比較
1990年比
2005年比
2013年比
日本
-18%
-25.4%
-26%
アメリカ (注1)
-14 ~ -16%
-26 ~ -28%
-18 ~ -21%
EU
-40%
-35%
-24%
ロシア
-25 ~ -30%
-10%
/ (注3)
カナダ
-13%
-30%
-29%
中国 (注2)
-71 ~ -81%
-60 ~ -65%
/ (注3)
(注1) アメリカは2025年を目標年としている。
(注2) 中国はGDPあたりCO2排出量を目標指標としている。
(注3) 斜線部は現時点でデータが存在しないことを意味する。
(資料)国立環境研究所(2014)、World Bank(2015)、各国の「温室効果ガス排出インベントリ報告書(NIR)」
(2015)よ
り筆者作成
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図表3
2015
実質 GDP(将来推計値)あたり温室効果ガス排出量の目標
kg-CO2 /2005 US$
1.60
1.40
1.20
1.00
0.80
0.60
0.40
0.20
0.00
᪥ᮏ
EU
䜰䝯䝸䜹
(2025ᖺ)
୰ᅜ
䝻䝅䜰
䜹䝘䝎
┠ᶆ
(2030ᖺ)
(資料)OECD(2014)、IEA(2014)、World Bank(2015)、ESPAS(2013)、国立環境研究所(2014)より筆者作成。
図表4
人口(将来推計値)1人あたり温室効果ガス排出量の目標
t-CO2/人
20.0
18.0
16.0
14.0
12.0
10.0
8.0
6.0
4.0
2.0
0.0
᪥ᮏ
EU
䜰䝯䝸䜹
(2025ᖺ)
୰ᅜ
䝻䝅䜰
䜹䝘䝎
┠ᶆ
(2030ᖺ)
(資料)国立環境研究所(2014)、UN(2015)より筆者作成
(2)目標内訳と具体的な取組み
努力が特に要求される。このような厳しい目標が
図表5に日本国内の各部門におけるエネル
定められた主な理由は、民生部門において長期
ギー起源 CO2 排出量の現状と目標、そして現
的にエネルギー消費量が増加傾向にあり 、そ
状に対する目標の削減率を示す。本稿では、日
れに伴い CO2 排出量が増大しているからである。
(12)
本の温室効果ガス排出量の9割を占めるエネル
図表6に、図表5の目標を達成するために各
(11)
部門に求められる対策・施策を示す。ここに示
約束草案においては部門ごとに果たす役割が
される対策・施策は2030年時点での実現が予
大きく異なることがわかる。これまでの省エネへ
測されているものであり、これらすべての積み
の取組み状況を反映して、産業部門における削
上げにより電力、都市ガス、ガソリン等のエネ
減目標は必ずしも大きくなく、一方で業務その他
ルギー需要を2013年度比約9.7% 削減できると
部門、家庭部門といった民生部門における削減
試算された。これは、対策を行わなかったシナ
ギー起源 CO2 排出量の削減対策に着目する
。
38
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日本の約束草案:2030 年目標の概要と課題 
(13)
リオと比して約13% の削減に相当する
。
図表6に示される産業部門から運輸部門まで
の対策・施策を踏まえると、重要なキーワード
2. 原子力発電の利用と電力自由化
(1)2030年に実現を目指す電源構成
として、ICT(情報通信技術)によるエネルギー
図表7では2013年度の電源構成と2030年目
管理システム、建築物の省エネ化、次世代交通
標の電源構成について、発電電力量ベースで比
システム、国民運動を挙げることができる。
較する。約束草案では原子力の占めるシェア
図表6に示される各種の対策・施策のうち、
を約1.0% から約20% に、火力全体のそれを約
以下の章ではエネルギー転換部門における取
88% から約56% に、再生可能エネルギーのそ
組みに関係する原子力発電の利用と電力自由
れを約11% から約24% にしている。なお、前
化、民生部門における取組みである国民運動の
章ではエネルギー需要が2013年度から2030年
推進に着目し、それぞれの観点から2030年目
度にかけて約9.7% 削減されることを述べたが、
標の論点を整理する。
エネルギー需要に占める電力の割合が増大す
図表5
部門別エネルギー起源 CO2排出量の現状と目標、現状に対する削減率
部門
2013年 (2005年度)
(100万t-CO2)
2030年度の排出量目安
(100万t-CO2)
対2013年度削減率
(対2005年度)
産業部門
429 (457)
401
-6.5% (-12.3%)
業務その他部門
279 (239)
168
-39.8% (-29.7%)
家庭部門
201 (180)
122
-39.3% (-32.2%)
運輸部門
225 (240)
163
-27.6% (-32.1%)
エネルギー転換部門
101 (104)
73
-27.7% (-29.8%)
(資料)地球温暖化対策推進本部(2015)より筆者作成
図表6
目標達成のために各部門に求められる対策・施策 ( 抜粋 )
部門
対策・施策
産業部門
低炭素社会実行計画の推進、工場のエネルギーマネジメントの徹底、
産業HP (加温・乾燥) の導入、高性能ボイラの導入など、35項目
業務その他部門
建築物の省エネ化、高効率照明の導入、BEMSの活用、
国民運動の推進など、16項目
家庭部門
住宅の省エネ化・断熱改修、高効率照明の導入、HEMSの活用、
国民運動の推進など、9項目
運輸部門
燃費改善、次世代自動車普及、ITS (高度道路交通システム) の推進、
モーダルシフト、カーシェアリングなど、項目多数
エネルギー転換部門
分野横断的施策
その他
再生可能エネルギーの最大限の導入促進、原子力発電の活用、
火力発電の高効率化
J-クレジット制度 (CO2排出削減・吸収量認証制度)
吸収源活動、JCM及びその他の国際貢献
(資料)地球温暖化対策推進本部(2015)より筆者作成
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vol.10
図表7
2015
発電電力量構成の比較(2013年度 対 2030年度)
億 kWh
約10650億kWh
約9397億kWh
再エネ:約24%
再エネ:約11%
水力:約8.5%
太陽光:約7.0%
水力:約9.2%
石油火力:約3%
石油火力:約15%
LNG火力:約27%
LNG火力:約43%
火力:約56%
火力:約88%
石炭火力:約26%
石炭火力:約30%
原子力:約 20%
原子力:約20%
原子力:約1.0%
(資料)各種資料より筆者作成
ると考えられることから、発電電力量は2013
となる。図表8では原子力発電所の寿命を40年、
年度から2030年度にかけて約13% 増大すると
50年と想定するときに、各年に稼働が可能な設
推計された。
備容量の推移を示す。
このとき、電力の排出係数は2013年度の約
0.57kg / kWh か ら2030年 度 の 約0.37kg / kWh
(13)
寿命を現行の規制通りに40年とする場合、
2030年の設備容量は上述の3600万 kW に対し
。この排出係数の低
て約1500万 kW 不足し、標準的な原子炉およ
減に伴い、例えば家庭1世帯あたりの CO2 排出
そ15基分を建て替える必要がある。一方、建
量はおよそ1.0t - CO2 削減される。2013年度の
て替えを許容しない場合、既存の施設すべてに
1世帯当たり CO2 排出量は約5.4t-CO2 であるか
対して少なくとも10年の寿命延長が必要とさ
(3)
,
(14)
,
(15)
れる。すなわち、2030年目標の達成に向けて
このように、約束草案の実現における2030年
は原子力発電所の建て替えまたは寿命の延長ど
の電源構成の重要性がわかる。次節では、こ
ちらかが必ず要求される。今まさに原子力の再
の電源構成の実現における課題について、原
稼働が認められ始めたばかりで議論の不十分な
子力発電の利用と電力自由化に焦点を当て整
日本においては、厳格な新規制基準も相まって、
理する。
2030年目標の目指す規模の原子力の利用には
へと約35% 低減される
ら、これは約20% の削減に相当する
。
困難を伴うことが予想される。
(2)電源構成の実現における課題
① 2030年目標と原子力発電の利用
② 2030年目標と電力自由化
2030年目標に従えば、2030年に原子力が賄う
2016年以降、日本においても電力の小売市
発電量は約2200億 kWhとなる。設備利用率を
場全面自由化が施行される。これにより、一般
70%とすると、必要な設備容量は約3600万 kW
家庭でも自由に電力の購入先を選択できるよう
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日本の約束草案:2030 年目標の概要と課題 
図表8
稼働可能な原子力発電設備容量の推移(寿命40年 対 寿命50年)
5000
4000
3000
2000
1000
0
2010
2015
2020
2025
■寿命50年
2030
2035
2040
2045
2050
■寿命40年
(資料)電力会社 HP より筆者作成
になる。また、販売されている電力がどの電
表的な電源の発電単価を比較するとき、発電単
源に由来するか、電源構成に関して情報開示
価の小さな電源には原子力、石炭火力、LNG
(18)
が行われる方向で議論が進んでいる
。つま
火力が該当し、太陽光や風力といった再生可能
り、2016年以降、消費者は電源構成、電力価格、
エネルギーは相対的に高い水準にあることがわ
追加的サービス等、様々な指標に基づいて電力
かる。前節で述べた原子力の現状を踏まえると、
の購入先を選択できるようになる。さらに、そ
電力価格を何よりも重視する消費者の選好を満
の結果として消費者の選択が電力供給者の行動
たす電源には、石炭火力、LNG 火力といった
にも影響を及ぼすことになるだろう。以下では、
化石燃料を消費する火力発電が残る。すなわち、
みずほ情報総研が2015年に実施したアンケー
電力自由化市場のもとで国民の選好を電源構成
ト結果を用い、消費者の電力選択及びその影響
に反映すると、排出係数の大きな電源が優先的
について考察する。
に利用されることが予想できる。現時点で電力
図表9では、電力供給会社選択時に消費者が
市場に参入を表明している事業者の計画におい
何を重視するかについて抜粋した結果を示す。
ても、その多くは石炭火力や LNG 火力による
図表9によれば、再生可能エネルギーや環境
(20)
発電所であり
、上述の国民の選好を反映す
負荷の小さな電源による電力を重視する人、原
るような様相を呈している。特に、新規参入事
子力を利用しない電力を重視する人等、電力の
業者にとっては石炭火力が最も採算性の高い電
購入先を選択する際に電源構成を評価の指標と
源であるため、自由化のもとで CO2 排出量の
する消費者は一定程度存在することが示されて
大きい石炭火力の導入が進めば、2030年目標
いる。しかし、75% 以上の消費者は電力価格
の達成が困難になる事態も想定される。
を何よりも重視することが示されている。そこ
で、図表10では代表的な電源の発電単価(円 /
kWh)を比較する。
図表10から明らかな通り、日本における代
③ 国民の意識向上と行動実践の必要性
ここまでで、2030年目標が想定する電源構
成の実現における2つの課題:1)原子力の建て
41
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2015
替えまたは寿命の延長の必要性、2)電力自由
力や LNG 火力といった電源は選択されなくな
化による排出係数の大きな電源の導入拡大可能
り、排出係数の小さな電源が選択されるように
性について確認した。ここで後者の課題を解決
なる。これは供給側の行動のみで実現すること
するために必要なことの1つに、国民の意識向
ではなく、需要側たる国民の意識に変化が生じ
上と行動実践が挙げられる。電力購入先の第一
てこそ実現される。
の選択基準として、価格ではなく電源構成や環
このように、国民の意識が2030年目標と一
境負荷の小ささが位置付けられれば、石炭火
致する方向へと転換し行動が伴えば、電力自由
図表9
電力供給会社選択時に重視する観点
(資料)みずほ情報総研「電力自由化に向けての消費者の電力小売企業・サービス選択基準に関する意識調査」(2015)より
筆者作成
図表10
代表的な電源の発電単価比較(2014年モデルプラント)
円 /kWh
再生可能エネルギー
(注1)石油火力は設備利用率10%と30%の場合の平均値。
(注2)中小水力は建設費80万円/kWと100万円/kWの場合の平均値。
(資料)資源エネルギー庁「長期エネルギー需給見通し関連資料」(2015)より筆者作成
42
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日本の約束草案:2030 年目標の概要と課題 
化はむしろ2030年目標の実現を加速する起爆
具体的な取組み内容について、以下に例示する。
剤となりえる。国民の意識向上と行動実践によ
1)共通マークの使用
る影響は電源構成のみに限ったことではなく、
2)省エネ・低炭素型の「製品」、「サービス」、
省エネ・低炭素型の製品・サービスの選択を通
「行動」等の積極的な選択に資するデータ
じて企業の生産や省エネ行動にも広く影響を与
の整備・提供
えることである。そこで次章では、民生部門に
3)省エネ・エコ診断ツールの提供
おける取組みである国民運動について概説と展
4)賛同者の活動などを PR するホームページ
望を述べる。
3. 国民運動の概説と展望
(1)これまでの国民運動
これまでに政府が打ち出してきた国民運動に
は、例えば“チーム・マイナス6%”や“チャ
の作成
5)運動の成果発表・共有会の開催
6)連携キャンペーンの実施(6月~ 9月の夏季
の省エネキャンペーン、12月の温暖化防
止月間等)
7)定量的目標・評価指標の設定
レ ン ジ25キ ャ ン ペ ー ン ” が あ る。 そ れ ぞ れ
定量的な目標、評価指標を設定したうえ
2005年~ 2009年、2010年~ 2014年の5年間ず
で、産業構造審議会、中央環境審議会の
つ実施された取組みであり、これらの取組み
合同会合で進捗状況をフォローアップし、
を代表するものとして“Cool Biz”や“Warm
毎年度の PDCA サイクルを確立等
Biz”が挙げられる。日本リサーチセンター
上記の取組み内容のうち、多くのものはすで
(2006)
、地球温暖化対策推進本部(2014)の調
に過去の国民運動や例えば環境ラベルとして実
査結果に示されるように、
“Cool Biz”や“Warm
施されてきた。しかし、今回施行された“COOL
Biz”は国民全体の認知度を高めることに成功
CHOICE”がこれまでの取組みと異なる点は、
し、国民の意識・行動に働きかけることにつな
7)に示される定量的目標・評価指標の設定と
がった事例といえる(図表11、12)。
PDCA サイクルの確立を目指すことにある。こ
しかしながら、2005年度と2013年度の CO2
の取組みによって、“COOL CHOICE”は今ま
排出量の実績値を確認すると、図表13に示す
での国民運動以上に成果を実現する可能性があ
通り、産業部門等においては削減が実現できて
ると考えられる。
いるにも関わらず、家庭部門と業務部門におい
例えば、地球温暖化対策推進本部「京都議定
ては大幅な増大が生じており、これまで以上に
書目標達成計画の進捗状況」(2014)では、実
国民運動が重要であることが示唆される。
際に“Cool Biz”や“Warm Biz”によって削
減されたと見込まれる CO2 排出量を事後的に
(2)国民運動:「“COOL CHOICE”未来のた
めに今、選ぼう。」
ではあるが推計しており、2012年度には両方
合計で約391万 t-CO2 の削減が行われたと見て
こ の よ う な 状 況 で、 国 民 運 動:「“C O O L
いる。ところが、この事実を広く国民に知らし
C H O I CE ”未来のために今、選ぼう。
」が2015
めるためのプラットフォームや、この結果を次
年7月にスタートした。これは省エネ・低炭素
なる行動へリアルタイムにフィードバックする
化を推進する様々な技術、知恵、取組みを日々
仕組みは、必ずしも整備されていたとはいいが
の生活で選択することを呼びかける運動である。
たい。
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図表11 “Cool Biz”の認知状況
▱䛳䛶䛔䜛
"Cool�Biz"
ㄆ▱≧ἣ
88.6
6.6 4.8
⪺䛔䛯䛣䛸䛿䛒䜛
▱䜙䛺䛔
↓ᅇ⟅
0%
10%
20%
30%
40%
50%
60%
70%
80%
90%
100%
(資料)日本リサーチセンター「「クールビズ」に関する全国世論調査」(2006)より筆者作成
図表12 “Cool Biz”と“Warm Biz”の実施率の推移
実施率
100.0%
90.0%
80.0%
70.0%
60.0%
50.0%
Cool�Biz
40.0%
Warm Biz
Warm�Biz
30.0%
20.0%
10.0%
0.0%
2005
2006
2007
2008
2009
2010
2011
2012
年
(資料)地球温暖化対策推進本部「京都議定書目標達成計画の進捗状況」(2014)より筆者作成
図表13
部門別 CO2 排出量の比較 (2005年度 対 2013年度 )
部門
産業部門
業務その他部門
家庭部門
運輸部門
エネルギー転換部門
2005年度
(100万t-CO2 )
457
239
180
240
104
2013年度
(100万t-CO2 )
429
279
201
225
101
増減量
(100万t-CO2 )
-28
+40
+21
-15
-3
増減率
-6.1%
+17%
+12%
-6.3%
-2.9%
(資料)国立環境研究所(2014)より筆者作成
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日本の約束草案:2030 年目標の概要と課題 
しかし、裏を返せば、仮に自分自身の行動が
CO2 排出量の削減として成果に結びついている
減を実現できる。その期待こそが、今、国民運
動が必要とされる理由である。
ことをリアルタイムに実感できれば、国民の意
識・行動に改革を起こすことができるかもしれ
(3)
“COOL CHOICE”に求められること
ない。上述の例であれば、2012年度の総排出
5000万世帯を超える全世帯に対して変革を
量約14億 t - CO2 のうち、約0.3% に相当する分
もたらすことは決して容易ではなく、これまで
が Cool Biz、Warm Biz のみで削減されたこと
も様々な国民運動や対策・施策が実施されてき
になる。確かに必ずしも大きな削減量とはいえ
た。しかし、上述のような国民の意識・行動
ないが、それでも日々の服装をほんの少し変化
改革を引き起こし、かつ、約束草案の掲げる
させるという、たったそれだけでも日本全体の
2030年目標を確実に達成するためには、これ
排出量に対して影響を与えることができるので
までの国民運動に加えて新たな取組みが必要に
ある。それならば、さらに大胆な取組みをすれ
なると考える。具体的には以下の取組みが挙げ
ば、さらに大きな削減が実現できるのではない
られる。
か。この認識と期待が国民全体に広まれば、国
・国民運動の成果を客観的かつ科学的に定点観
民の意識・行動はより大きな加速度を持って変
測する体制を整え、それを継続的に国民へと
革していく可能性がある。
公表すること。
そしてその結果として国民の意識・行動に変
・特に成果の大きな省エネ取組みを明らかに
化が生まれ、日々の製品・サービスや行動の選
し、同時に、成果の小さな省エネ取組みをも
択において国民が省エネ・低炭素型の選択を行
明らかにすること。
うようになることが肝要である。第3章で述べ
・上記の結果から、国民がどう意識と行動を変
た電源構成に即せば、電力価格が高くても排出
えていくべきか分析し提言すること。
係数の小さな電源を選択するようになること、
国民の意識・行動に改革をもたらすキーと
これが国民運動に求められる成果である。省エ
なりうるこれらの体制を、“COOL CHOICE”
ネ・低炭素型へと変化した国民の選好は電力自
が掲げる 7)の対策・施策では実現することが
由化を介して電源構成に反映され、エネルギー
可 能 で あ る。“COOL CHOICE” が2030年 に
転換部門における電力の排出係数の低減に貢献
向けた中期的な取組みになるからこそ、この
する。この排出係数の低減は、各部門における
評価・フィードバックの体制はより一層の効
電力消費に伴う CO2 排出を削減する効果を有
果を持つものになる。“COOL CHOICE”の具
する。つまり、国民の意識・行動の改革は、自
体的な取組み内容はまだ構築されていないが、
らだけでなく他の部門における CO2 排出の削
2030年に向けてこれまでより一歩先に進むた
減をも実現しうるのである。また、国民の意識
めにも、具体的な中身について直ちに形作る必
として CO2 排出量や環境負荷の大きな企業の
要がある。そうして初めて、国民運動は始まる
製品・サービスを選択しなくなれば、産業部門
のである。
や業務部門における省エネ・低炭素化をも後押
しすることにつながる。
このような、自らを含む、他の部門における
取組みとの相乗効果を持って CO2 排出量の削
4. まとめ
本稿では、日本の約束草案について2030年
目標とその実現に向けた取組み内容を概説し、
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エネルギー転換部門における排出係数の低減
ついては未だ検討段階にあるが、2030年目標
と、民生部門における国民運動について課題を
の達成に向けて、これまでとは異なる対策・施
整理した。日本の掲げる2030年目標は他国と
策について直ちに構築する必要があるだろう。
比しても決して遜色なく、各部門の取組みを積
み上げることで実現される根拠のある目標であ
る。部門別にみると、業務その他部門、家庭部
門といった民生部門における削減努力が特に要
求される。
第2章では、2030年目標を下支えする電源構
成について、原子力の利用と電力自由化それぞ
れにおける課題を整理した。原子力の利用にお
いては、既存施設の建て替えまたは寿命の延長
が必要であること、電力自由化においては、国
民の選好により排出係数の大きな電源が過剰
に利用される可能性が高いことが、2030年目
標の実現におけるそれぞれの課題として挙げ
られる。
第3章では、過去の国民運動の成果、
“COOL
CHOICE”がこれまでの国民運動と異なる点、
そして今後の国民運動に求められる取組みに
ついて確認した。これまでにも国民運動は精力
的に実施されてきたが、約束草案の掲げる厳し
い2030年目標の実現のためには、よりいっそ
うの国民運動の展開が必要であることを確認
した。
国民運動を成功させ、2030年目標を達成す
るためには、国民運動の成果を国民に分かりや
すく公表し、様々な取組みの持つ効果や貢献量
の大小、効率性についても正しく示すこと、そ
して今後の国民運動の在り方を分析し提言する
ことが必要と考えられる。この仕組みが機能
し、国民の意識・行動に改革を起こすことがで
きれば、それは他の各部門との相乗効果を持っ
て2030年目標の実現を後押しする。
約束草案の提示する新たな国民運動“COOL
CHOICE”には、この評価・フィードバック
体制を確立しうる土壌がある。具体的な内容に
注
International Panel on Climate Change: 気候変
動に関する政府間パネル。地球温暖化に関する科
学的な研究の収集と整理を目的とする国連の機関。
(2) 地球温暖化対策推進本部 , 2015. 日本の約束草案 .
https://www.kantei.go.jp/jp/singi/ondanka/
kaisai/dai30/yakusoku_souan.pdf
(3) 国立環境研究所 , 2015. 日本国温室効果ガスインベ
ントリ報告書 .
(4) 国立環境研究所 , 2014. 附属書Ⅰ国の温室効果ガス
排出量と京都議定書達成状況(2014年提出版(第一
約束期間まとめ)
).
(5) World Bank, 2015. World Development Indicators.
(6) 各 国 の「 温 室 効 果 ガス 排 出インベントリ報 告 書
(NIR)」, 2015.
http://unfccc.int/national_reports/annex_i_ghg_
inventories/national_inventories_submissions/
items/8812.php
(7) OECD, 2 0 1 4 . Economic Outlook No 9 5 , Longterm baseline projections.
(8) IEA, 2014. Key World Energy Statistics.
(9) ESPAS, 2 0 1 3 . The Global Economy in 2 0 3 0 :
Trends and Strategies for Europe.
(10) UN, 2015. UN data.
(11) 約束草案においては次の7種類の気体 : 二酸化炭
素、メタン、一酸化二窒素、ハイドロフルオロカー
ボン類、パーフルオロカーボン類、六フッ化硫黄、
三フッ化窒素を削減の対象としている。このうち、
二酸化炭素は燃料や他者から供給された電気の仕
様に伴うエネルギー起源二酸化炭素と、化石燃料
の生産・製造、セメント等工業製品の製造等に伴
う非エネルギー起源二酸化炭素に区分され、前者
のみで日本の温室効果ガス排出量の90% 以上を占
める。
(12) 資源エネルギー庁 , 2015a. 平成26年度エネルギー
に関する年次報告 .
(13) 資源エネルギー庁 , 2015b. 長期エネルギー需給見
通し関連資料 .
http://www.enecho.meti.go.jp/committee/
council/basic_policy_subcommittee/mitoshi/pdf/
report_02.pdf
(14) 総務省 , 2015. 住民基本台帳 .
(15) 日本エネルギー経済研究所 , 2015. エネルギー・経
済統計要覧 .
(16) 電気事業連合会 , 2014. 2014年5月23日会見資料 .
http://www.fepc.or.jp/about_us/pr/pdf/kaiken_
s1_20140523.pdf
(1)
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日本の約束草案:2030 年目標の概要と課題 
資源エネルギー庁 , 2014. 平成25年度エネルギー
に関する年次報告 .
(18) 資源エネルギー庁 , 2015. 総合資源エネルギー調査
会 基本政策分科会 電力システム改革小委員会 第
13回資料 .
http://www.meti.go.jp/committee/sougouenergy/
kihonseisaku/denryoku_system/seido_sekkei_
wg/pdf/013_06_02.pdf
(19) みずほ情報総研 , 2015.「電力自由化に向けての消
費者の電力小売企業・サービス選択基準に関する
意識調査」調査レポート .
(20) Business Journal, 2015. 東京ガスの豹変 何を“企
んで”いるのか ?
http://biz-journal.jp/2015/06/post_10386.html
(最終閲覧日 : 2015年8月17日)
(21) 日本リサーチセンター , 2006.「クールビズ」に関
する全国世論調査(2006年).
http://www.nrc.co.jp/report/pdf/061026.pdf
(22) 地球温暖化対策推進本部 , 2014. 京都議定書目標達
成計画の進捗状況 .
https://www.kantei.go.jp/jp/singi/ondanka/
kaisai/dai28/siryou.pdf
(23) 環境省 , 2007. 平成19年度事業における課題につ
いて .
https://www.env.go.jp/earth/info/kokumin 1 9 /
pdf/02.pdf
(17)
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2015
社会動向レポート
オープンデータのビジネス活用の現状と課題について
経営・IT コンサルティング部
コンサルタント
豊田
健志
オープンデータは、政府の成長戦略「日本再興戦略」や IT 戦略「世界最先端 IT 国家創造宣言」
にも盛り込まれ、我が国経済の活性化に貢献することが期待されている。オープンデータの利活
用による経済活性化を実現するためには、経済成長の源泉たる企業によるオープンデータの整備・
利活用の積極的推進が不可欠である。本稿では、民間企業によるビジネス適用の視点からオープ
ンデータの現状と課題を考察する。企業活動等においてオープンデータ利活用を検討する際の一
助となれば幸いである。
はじめに
しており、オープンデータを利活用したアイデ
アソン等が盛んに実施されている。③はオープ
2013年に英国ロック・アーンで開催された
ンデータを利活用することで、新ビジネスの創
G8サミットにおいて「G8オープンデータ憲章」
出や企業活動の効率化、行政業務の効率化・高
が合意されるなど、世界中でオープンデータお
度化を実現することを目指すものである。
よびその利活用に注目が集まっている。我が国
我が国におけるこれまでの政策は、オープン
においても、2012年7月に「電子行政オープン
データ自体の整備が中心となっており、①や②
データ戦略」が IT 総合戦略本部により公表さ
の目的達成に向けた検討が進められてきた一方
れ、以降はオープンデータの推進が重要な政策
で、③の経済活性化・行政効率化は相対的に遅
課題とされている。
れている。今後の政策課題は、専ら経済活性化
この「電子行政オープンデータ戦略」は、我
を中心とした利活用であり、その鍵を握るのは
が国の方針を初めて定めたものであり、現在の
企業によるオープンデータの積極的な利活用で
オープンデータ政策の基礎にもなっている。同
あろう。一方で、オープンデータ推進に最も
戦略では、オープンデータを推進する意義・目
積極的な地方公共団体の一つである横浜市が
的として
2014年12月に市内の1,000事業所を対象に行っ
①(政府機関・行政機関の)透明性・信頼性向上
た認知度調査では、有効回答(516事業所)のう
② 国民参加・官民協働推進
ち72.7%
③ 経済活性化・行政効率化
知していないという結果であった。
(1)
もの企業がオープンデータを十分認
の3つが掲げられた。①は行政の透明性や国民
今後、オープンデータの利活用を更に進めて
等からの信頼性向上を目的としており、例えば
いくためには企業側の認知向上が不可欠であ
政府の予算計画/支出実績を公開する施策など
り、それには企業が興味・関心を有するための
が該当する。②は産民学官の対話促進を目的と
事業価値を明らかにする必要がある。そこで、
48
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オープンデータのビジネス活用の現状と課題について 
本稿ではオープンデータ先進国と言われ、か
(オープンデータを利活用してサービスを創出
つ、その事業活用が進む英国の取り組みを踏ま
する)、② Publisher(他者が利用できるように
えて、日本におけるビジネス利活用の現状と課
データを公開する)、③ Enabler(他者のオープ
題を考察する。
ンデータ利活用を支援する)という3つの役割
があり、これらを担う企業をオープンデータ企
1. オープンデータとは
業と称している。このように、オープンデータ
本論に入る前に、オープンデータの定義を
と企業の関わりは、単に公開されたデータを利
示したい。オープンデータとは、
「オープンさ
活用するだけに留まらず、データの公開や利活
(Openness)
」を備えたデータのことを指す。
英 Open Knowledge Foundation の定義による
と、データのオープンさとは、ライセンス、ア
クセス性、フォーマットによる制限がない、つ
まり、目的を問わず、誰でもどこででも自由に
利用し、共有できる性質を表している。
用の支援など幅広い。
2. オープンデータ企業の現状
(1)英国におけるオープンデータ企業の現状
英国は政府等のデータの公開や企業のオープ
ンデータ利活用に対して積極的に支援・投資を
また、オープンデータの範囲について、政府や
行っており、世界的に見てもオープンデータ
独立行政法人等の公的機関の保有する、いわゆ
の整備が進む先進国である。World Wide Web
る公共データを指すことも多いが、オープンな性
Foundation(WWW Foundation)に よ る 進 捗
質を有する公共データはオープンガバメントデー
度評価(Open Data Barometer)によると、英
タ
(Open Government Data)と呼 ば れ、 公 共
国の進捗度は世界第一位である。
データだけでなく商業用データ
(Open Business
ODI は、英国内のオープンデータ企業の動
Data)、 個人やNPO 等の団体が 有するデータ
向を取りまとめたレポートを公開しており、本
(Open Citizen Data)も包含する概念である。
また、英国のオープンデータ推進機関である
Open Data Institute(ODI)によると、① User
節では、その内容をもとに、オープンデータ企
業の現状を概観する。
オープンデータは2008年頃から注目された
ことから、英国におけるオープンデータ企業は
図表1
比較的設立が新しい企業が多くを占める傾向に
オープンデータの類型
ある一方で、15年以上前に設立されたオープ
઻
2SHQ
*RYHUQPHQW
'DWD
ਓ
2SHQ
%XVLQHVV
'DWD
ンデータ企業も約25% 存在する。また、約70%
の企業が従業員数10人以下である等、特にス
タートアップを中心に利活用が進んでいる。こ
れは、資金体力の乏しいスタートアップ企業が、
無償で情報資源(オープンデータ)を利用でき、
৾
2SHQ
6FLHQFH
'DWD
ড়
2SHQ
&LWL]HQ
'DWD
かつ、それを利活用する基盤が安価に提供され
ていることが要因と想定される。また、業種別
に見ると、情報通信業が約58% と過半数を占
めるものの、それ以外の幅広い分野での利活用
(資料)各種資料をもとにみずほ情報総研作成
が広がっていることが見て取れる。
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Copyright(C)2015 Mizuho Information & Research Institute Inc. All Rights Reserved
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英国ではオープンガバメントデータだけでな
向けの新規サービス・市場の創出や消費者向け
く、民間等によるオープンデータの整備が進ん
の新サービスを創出しようとするプロジェクト
「Open Bank Project」が稼働している。
でおり、登記情報などの法人データの公開をグ
ODI が調査したオープンデータ企業のうち、
ローバルに進めている世界最大の法人データ
ベースサービス Open Corporates 等の多様な
非政府系のデータを約50% の企業が利用して
非政府系のデータを利活用することができる環
いることからも、非政府系のデータが価値創出
境にある。また、最近は、経済インパクトや社
を先導する重要な要因となり得ることが示唆さ
会インパクトの創出を目的として、分野別のビ
れる。
ジネスデータの公開について検討が進められて
(2)日本におけるオープンデータ企業の現状
いる。例えば、金融機関(特に銀行)の有する
データをオープンにアクセスできるようにする
日本のオープンデータは、図表3に示すと
ことで、ベンチャーや IT 企業による金融機関
おり十分に進んでいるとは言えない。WWW
図表2
オープンデータ企業の役割とエコシステム
Open data
データパブリッシャー
データイネーブラ
オープンデータ保有者
役割:
日々の活動 や業務の一
環として収集されるデー
タの公開
政府
民間事
業者
オープンデータ活用支援
者
Open
data
データユーザー
Enrich
data/
service
役割:
他者がオープンデータを
活用する際のアドバイス、
コンサルティング、プラット
フォーム等の提供
オープンデータ活用サー
ビス提供者
エンドユーザー
Enrich
data/
service
役割:
オープンデータを活用した
サービスを開発提供
サービス受益者:
政府、企業、個人、等
役割:
サービスやデータを利用
する
Enrich data/ service
個人
民間事
業者
政府
個人
Open data
(資料)各種資料をもとにみずほ情報総研作成
図表3
オープンデータの進捗度
(進捗度)
100
80
53.6
60
40
20
0
ⱥ ⡿ 吐 听 吢 吁 吥 吂 吞 吁 吠 听 叿 吐 吘 吁 吘 㡑 ᪥ 叻
呀 呂 吡 呉 呎 叻 叺 吐 吱 呁 呎 叾 ᅜ ᮏ 吐
ᅜ ᅜ 叽 呀 吼
呀
叾 呉 呎 呉 叽 吗 吵 吐 君 呉 吟 叻
吐 吊
呎 吐 吏 吗 叾
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呂Reserved
Copyright(C)2015
Information
& Research Institute
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呀
吠
呉
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呉
叹
2SHQ'DWD%DURPHWHU 吠
(資料)World Wide Web Foundation「Open Data Barometer(2015)」
Copyright(C)2015 Mizuho Information & Research Institute Inc. All Rights Reserved
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50
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オープンデータのビジネス活用の現状と課題について 
Foundation による進捗度を要素分解して比較
なり、オープンデータを利活用したビジネス事
すると、政策的・技術的な整備は進みつつある
例を収集し、周知することでオープンデータの
ものの、利活用によるインパクトの創出が遅れ
利活用を促進している。
このように、民間企業等による利活用の機運が
ている。
日本においてもオープンデータを利活用した
高まる一方で、民間企業が保有するデータの公開
ビジネスを発掘し、経済活性化につなげようと
は発展途上である。現在、電力・ガス、交通機
する試みが行われている。様々な地域・主体が
関等の一部の公益企業が自社の保有するデータ
オープンデータを用いたアイデアソンやハッカ
の公開を進めているがそれ以外の企業等におけ
ソンを行い、また全国規模でのビジネスコンテ
る公開の検討は殆ど進んでいない。また、これら
ストも開催されている。他にも、政府が中心と
の公益企業のオープンデータには十分なオープン
図表4
英国オープンデータ企業の設立年(左)と業種(右)
(資料)Open Data Institute(2015) より作成
図表5
オープンデータの進捗状況に関する比較
૆૟૾ய
‫ق‬5HDGLQHVV ১৓嵣৆੘৓嵣ૼ୒৓嵣ੌ௶৓峔੦ೕତ૟峘૾ய
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取り組み
崌崶嵁嵤崟嵏嵛峕ৱ峃峵崯嵤崧ତ૟
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Copyright(C)2015 Mizuho Information & Research Institute Inc. All Rights Reserved
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vol.10
2015
(2)
性を有していないもの が含まれる。利用用途や
でなく、民間企業のデータパブリッシャーが国
利用者が限定されるものであり、この状態のデー
内で萌芽し、多種多様なオープンデータを利用
(3)
タはシェアードデータ と呼ばれる。
可能な環境を築くことで、産官学のオープン
データを複合したビジネス事例が創出されるで
3. 価値創出に繋がるひとつの仮説
あろう。
オープンデータがその価値を最も発揮する
民間企業がデータを公開するにはどのような
のは、業務の効率化であると言われている。
施策が有効であろうか。民間企業を問わず、デー
McKinsey の試算によると、オープンデータは
タの公開を進めるためには、現状把握(保有す
グローバルに見て3 ~ 5兆ドルのポテンシャル
るデータの棚卸し、現在公開しているデータの
を有しているが、その効果を紐解くと、節約効
状況の把握)、公開・共有可能性の検証(リス
果やコスト削減等の効果が中心となっている。
クや競争上の重要性の検証、経済・社会的イン
しかしながら、オープンデータに対する企業の
パクトの検証)が必要である。
関心を高め、企業自らがオープンデータを整備
他方で、昨今は IoT(Internet of Things)や
し、利活用を進めるためには、業務効率化等の
Industrie 4.0等に注目が集まり、これらの事業
削減効果だけでなく新規サービスや市場創出等
化を進めるための施策のひとつとして企業同士
のプラス方向の効果を生み出し、その価値を見
のデータ共有・流通環境の整備、つまりシェアー
える化することが重要である。
ドデータの推進が進められている
(4)
。シェアー
英国の例を見ても新規サービスや市場創出の
ドデータの推進は言い換えると、従来は公開・
プラス方向の価値を生み出すためには、企業
共有する価値を十分に見出だせずに社内に死蔵
等の保有するデータの公開(オープンビジネス
していたクローズドなデータについて、利用者
データの推進)など民間主体のデータ流通環境
の制限や利用目的の制限を緩和し、シェアード
の創出が、今後重要となる。政府が進めるオー
データの領域に多くのデータを位置づけること
プンガバメントデータの整備やその利活用だけ
である。このシェアードデータの推進において
図表6
クローズド/シェアード/オープンデータの位置づけ
Closed Data
Shared Data
Open Data
੼க峼ৄল峊峅峄
༒峍峐岮峵崯嵤崧
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ৈ
(資料)みずほ情報総研作成
Copyright(C)2015 Mizuho Information & Research Institute Inc. All Rights Reserved
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オープンデータのビジネス活用の現状と課題について 
も、上述した現状把握、公開・共有可能性の検
(5)
証が必要となる
。
全てのデータをシェアード/オープンにする
ことを求めているのではない。シェアードデー
タ推進の動きに合わせて、社内で死蔵していた
データの公開可能性を検証し、データの内容や
競争上の重要性等の観点からオープンにするか
どうかを検討すべきである。
http://opendefinition.org/od/index.html
Open Data Institute「Open data means
business: UK innovation across sectors and
regions. London, UK」(2015年)
http://theodi.org/open-data-means-business-ukinnovation-sectors-regions
3 オープン & ビッグデータ活用・地方創生推進機構
「オープンデータを活用したビジネス事例集(2015
年3月26日時点)
」
(2015年)
4 McKinsey「McKinsey Global Institute Open
data: Unlocking innovation and performance
with liquid information」
2
おわりに
今後、政府系以外のオープンデータの整備が
進むことで、新規サービスや市場創出のプラス
方向の価値が生み出されることが期待される。
データの価値も踏まえた上で「第三者に対して
利用制限なく公開できるデータについてはオー
プンデータ」、「利用範囲や利用者等を限定すべ
きデータはシェアードデータ」、「機微データや
重要資産となりうるデータについてはクローズ
ドデータ」を仕分けして取り扱うことで、デー
タ資産の価値を最大限発揮することができるの
ではないだろうか。
注
オ ー プ ン デ ー タ に つ い て「 あ ま り 知 ら な い
(32.8%)」、「ほとんど何も知らない(39.9%)」の
回答を合計した値
(2) データ利用に制約が存在するため厳密にはオープ
ンデータではないと指摘されている
(3) 完全なオープン性を有するデータは
「オープンデー
タ」、利用目的・用途や利用者に制限が課せられた
データは「シェアードデータ」、完全に非公開なデー
タは「クローズドデータ」と定義される。なお、
シェ
アードデータは「セミオープンデータ(準オープ
ンデータ)」、「セミクローズドデータ」と呼ばれる
こともある
(4) データエクスチェンジコンソーシアム「
「先端課題
に対応したベンチャー事業化支援等事業(データ
利活用促進支援事業)」について」
(2015)
(5) シェアードデータの場合は、価格や契約リスク等
についても検証する必要がある
(1)
参考文献
1 Open Knowledge Foundation「Open Definition
version 2.0」(2014年)
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vol.10
2015
社会動向レポート
社会福祉法人におけるガバナンス強化とは
社会政策コンサルティング部
マネジャー
宇都
隆一
「ガバナンス強化」--- 社会福祉法人が新たに突きつけられている経営課題である。社会福祉法
人に求められるガバナンスとは一体何か。いわゆる「統治・監視」とどのような違いがあるのか。
ガバナンスというキーワードを軸に、社会福祉法人の経営のあり方について考察した。
1. 社会福祉法人のガバナンス強化に関
する議論
(1)契機となった「特養の内部留保問題」
特別養護老人ホーム(以下、
「特養」)の内部
留保額を試算した社会保障審議会介護給付費分
祉法人に普通法人並みの課税をするべきなど、
財政面で手厚い保護を受ける社会福祉法人が
利益を必要以上に蓄積している姿に批判が集
まった。
資料は、社会福祉法人に以下のような経営改
科会の資料が公表されてから 2 年が経過した。
善を求めることを結論としているが、ここに「ガ
資料では、特養 1 施設あたり約 3 . 1 億円、総額
バナンスの強化」というキーワードが取り上げ
で約 2 兆円規模に達する内部留保額が存在する
られている。内部留保問題に対する社会的議論
との試算を導いている。
の高まりを契機に、社会福祉法人のガバナンス
この結果は、いわゆる“特養の内部留保問題”
としてマスコミ各社などにとりあげられ、内部
強化のあり方に注目が集まることとなった(図
表1)。
留保の社会還元を求めたり、あるいは社会福
図表 1
社会福祉法人の経営改善の方向性について
○ 財務諸表等の積極的な公表、ガバナンスの強化
特養等を安定した経営状態とした上で、社会福祉法人が地域の福祉ニーズに応じた多様な取組を
進めていくことは、公益性の高い社会福祉法人に求められている役割。
経営能力やガバナンスの向上のためにも、財務諸表や今後の建替え等を含めた事業計画などをH
Pなどで積極的に公表し、社会福祉法人の財務状況や資金の使途について、透明性の向上・明確
化に努めるべき。
○ 社福軽減など社会・地域貢献の積極的な実施
税制優遇措置等を受けている社会福祉法人が低所得者の負担軽減などの社会貢献を行うことは、
社会福祉事業の実施を任務とする社会福祉法人本来の使命。
社会福祉法人は、社福軽減を積極的に実施して低所得者の介護保険サービスの利用促進を図るな
ど、社会貢献・地域貢献を積極的に行うべき。
(資料)第7回社会保障審議会介護給付費分科会介護事業経営調査委員会資料「特別養護老人ホームの内部留保について」
より作成
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社会福祉法人におけるガバナンス強化とは 
(2)企業経営にみる「ガバナンス強化」の新
たな潮流
設立された法人」と定義されている。社会福祉
事業を行う社会福祉法人は、
「公益性」と「非
「ガバナンス」という概念は、株式会社など
企業経営の分野で議論されることが多い。
営利性」という性格を併せ持った法人として、
株式会社と異なる特徴を有する。
その株式会社の世界では、近時、新たなガバ
なかでも顕著な差異は、「持分概念」の有無
ナンス論が展開されている。それが、2 0 1 5 年
に現れる。持分とは、株式会社でいうところの
6 月より施行された「コーポレートガバナンス・
「株式」をイメージするとわかりやすい。具体
コード」(以下、ガバナンス・コード)である。
的には、利益配当や会社解散時に残余財産の分
ガバナンス・コードは、金融庁と東京証券取
配を受ける権利のほか、議決権に代表される経
引所が策定した上場企業を対象とする企業統治
営に参画・是正する権利を表章したものである。
の指針で、大きく 5 つの基本原則で構成されて
こうした権利を有する主体が法人の所有者であ
いる。具体的には、① 株主の権利・平等性の
り、株式会社の場合には“株主”ということに
確保、② 株主以外のステークホルダーとの適
なる。
切な協働、③ 適切な情報開示と透明性の確保、
これに対して、社会福祉法人には持分概念が
(2)
④ 取締役会等の責務、⑤ ステークホルダーと
存在しない
の対話の促進、である。
を源泉とする利益配当はなく、事業解散時の残
興味深いのは、このガバナンス・コードが、
。持分が存在しないため、事業
余財産も原則国庫に帰属する。また、「株主」
政府の掲げる成長戦略の一環に位置づけられて
のような所有者概念も存在しないことから、い
いることである。ガバナンス強化というと、規
わゆる「所有と経営の分離」が図られず法人運
律重視の側面ばかりが強調され、ともすれば経
営に関する意思決定権限は、理事長をはじめと
営の足かせと受け止められていた点は否めな
する理事会に集中しているのが実態である。
い。これに対して、ガバナンス・コードは経営
こうした差異を踏まえると、前述のガバナン
の規律維持だけでなく、ステークホルダーから
ス・コードに代表される株式会社のガバナンス
の信頼確保を通じた経営基盤の強化、その結果
論は、社会福祉法人のガバナンス強化のあり方
として企業の持続的な成長を企図している点に
を考える上で、特段の示唆を含んでいないよう
目新しさがある。
に思われるかもしれない。しかし、社会福祉法
人は株主のような所有者こそ存在しないもの
(3)株式会社と比較した社会福祉法人の特徴
このように、株式会社におけるガバナンス論
は、新たな局面を迎えつつあるが、社会福祉
の、多様なステークホルダーとの関係のなかで
存立しているという点では、株式会社と変わる
ところはない。
法人はこうした議論をどのように受容してい
そうすると、ガバナンス・コードの基本原則
くべきであろうか。その点を考察するにあたっ
のうち、② 株主以外のステークホルダーとの
て、まず、社会福祉法人の基本的性格・仕組み
適切な協働、⑤ ステークホルダーとの対話の
を株式会社と比較して整理しておくことが有
促進といった考え方は、社会福祉法人の経営の
用である。
質的向上、ひいては社会福祉法人という制度そ
社会福祉法人は、社会福祉法第 2 2 条におい
(1)
て「社会福祉事業
を行うことを目的として
のものの、維持・発展を図っていく上で十分参
考になるものといえそうである。
55
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vol.10
図表 2
2015
経営戦略の策定状況と今後の予定
経営戦略の今後の策定予定
社会福祉法人における経営戦略の策定状況
(現在策定していない法人を対象)
策定している
(
予定あり
予定なし
)
(
(
)
)
時期は決めてい
策定していない
(
ないが予定あり
)
(
)
(資料)みずほ情報総研株式会社「平成 2 5 年度老人保健事業推進費等補助金老人保健健康増進等事業特別養護老人ホーム等
を経営する社会福祉法人のガバナンスの強化方策に関する調査研究事業報告書」(2 0 1 4 年 3 月)
2. 経営戦略の策定・開示を通じたステー
クホルダーとの対話促進
(1)対話促進機能としての経営戦略の策定
営資源(特に人材)を自法人が具備しているか
どうかも認識しておかなければならない。いく
ら地域社会の期待に応えるといっても、自法人
ガバナンス・コードでは、ステークホルダー
の職員の力量からみて対応困難なものであった
との対話促進の手段として「経営戦略の策定・
り、職員の想いとの間にあまりにギャップが
開示」の重要性をあげている。では、経営戦略
あっては持続的な取組みにはならない。その意
の策定・開示が、どのような形でステークホル
味で、職員というステークホルダーとの対話も
ダーとの対話促進として機能するのだろうか。
不可欠である。
経営戦略とは「自らの将来のありたい姿・目
こうして経営ビジョンとしての「将来のあり
標と現状とのギャップを埋めるために、法人が実
たい姿・目標」が定まると、次に現状との格差
(3)
を埋めていくための道筋である「経営戦略」を
この策定プロセスに、ステークホルダーとの対
策定することになる。ステークホルダーとの対
話機能をみてとることができる。
話はこの段階で一層の重要性を増してくる。
施すべき具体的な施策を掲げたもの」をいう
。
まず、「自らの将来のありたい姿・目標」。こ
なぜなら、どの戦略を採用するかによって、
れは「経営ビジョン」と一般的に称されるもの
ステークホルダーの利害得失関係は大きく異
であるが、経営ビジョンを策定する際、地域社
なってくるからである。全てのステークホル
会が社会福祉法人に何を期待しているのか、ま
ダーに対して常に高い満足を提供し続けられる
た、それを自法人が実現できるのかを検討しな
ような戦略が策定できればよいが、その意味で
ければならない。地域社会からの期待を把握す
戦略には絶対の解はないといってよい。必要な
るには、施設の利用者はもちろん、その家族、
のは、ステークホルダー間の優先順位を明確に
行政、連携先としての医療機関や他の介護施設
すること、優先順位で当面劣後するステークホ
等といった様々なステークホルダーとの十分な
ルダーに対しては中長期的に一定の満足を確保
コミュニケーション(対話)が欠かせない。
できるようなストーリーを提示すること、すな
さらにこうした地域社会の期待に応えうる経
わち合意形成をはかっていくことである。
56
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社会福祉法人におけるガバナンス強化とは 
図表 3
経営戦略の策定が進まない理由
(資料)みずほ情報総研株式会社「平成 2 5 年度老人保健事業推進費等補助金老人保健健康増進等事業特別養護老人ホーム等
を経営する社会福祉法人のガバナンスの強化方策に関する調査研究事業報告書」(2 0 1 4 年 3 月)
(2)ハードル高い非営利組織の戦略策定
これに対して、非営利組織では、こうしたわ
このように、社会福祉法人も今後経営戦略の
かりやすい共通の価値尺度による評価が難し
策定・開示等を通じてステークホルダーとの関
い。その組織目的は「地域貢献」など抽象度の
係性を強化していくことが必要である。しかし
高いものであり、そこに込められるステークホ
ながら、社会福祉法人のような非営利組織の戦
ルダーの想いも様々である。それゆえ、その実
略策定は容易なものではない。経営学の泰斗で
現の道筋である戦略の策定方法も難易度が高く
ある P.F. ドラッカーは、その著書「非営利組
なるのである。
織の経営」で、営利組織と比較した非営利組織
における戦略策定の難しさを指摘している。成
果目標、業績評価指標などの設定の難しさに加
えて、それを適切に運用しうるマネジメント能
(3)進まない社会福祉法人の戦略策定
では、社会福祉法人の経営戦略策定の実態は
どのようになっているのだろうか。
力(ここでいうマネジメントは、「戦略の策定
みずほ情報総研が平成 2 5 年度に実施した調
と実行およびその評価を担う組織全体としての
査「特別養護老人ホーム等を経営する社会福祉
管理運営」という意味である)もより高度なも
法人のガバナンスの強化方策に関する調査研究
(4)
のが必要であるためとしている
。営利組織
事業」では、全国の社会福祉法人を対象に、経
の代表格である株式会社と比較するとこの点が
営戦略の策定状況等に関するアンケート調査を
明らかになる。株式会社の場合、その組織目的
行った
(6)
。
はいうまでもなく「利益創出」である。従って、
経営戦略の策定プロセスはもちろん、ステーク
① 経営戦略を策定している社会福祉法人は半
ホルダーとの合意形成にあたっても、「利益」
数に満たない
という定量的価値尺度を共有した議論が可能で
これによると、経営戦略を策定している社会
ある。もちろん、株式会社の経営戦略にも数字
福祉法人は約 4 割と半数以下にとどまる一方、
で表現できない要素はあろうが、それであって
経営戦略を策定していない法人については、そ
も究極的には利益という数値に反映されるもの
の約 8 割が将来何らかの形で戦略を策定する予
(5)
でなければならない
。
定と回答している(図表 2)。
57
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2015
すなわち、社会福祉法人の多くが経営戦略策
れの中、特養をはじめとする高齢者向け施設は、
定の必要性を認識しつつも、実際に取組みに着
その数が圧倒的に不足している。ボリュームだ
手できているところはいまだ少数というのが実
けでなく、入所者のプライバシーを確保するた
態である。
めの個室化対応など、質的な向上も期待されて
いる。
② 経営戦略の策定が進まない理由
このように考えると、社会福祉法人への批判
また、アンケート調査では社会福祉法人の経
というのは、社会福祉法人がその使命や制度的
営戦略策定が進まない理由について、戦略策定
意義を終えたことに対するものではなく、むし
を担う専門人材の不足を指摘する声が多かった
ろ、高まる役割期待に対して、その持てる経営
(図表 3)
。たしかに、社会福祉法人は、株式会
資源を十分に活用できていないという「期待と
社などと比較して規模の小さい法人が多く、戦
現実とのギャップ」に起因するものといえるの
略策定を担う人材を育成することはもちろん、
ではないだろうか。
内部人材として配置しておくことが難しいとい
そうであるならば、社会福祉法人がその付託
に応えるためには、「ガバナンス」に込められ
う側面はある。
しかし、不足するのは、戦略を策定する専門
る意味についても、組織の規律確保といった必
人材だけではないと筆者は考えている。策定し
要最低限の水準では不十分である。一歩進んだ
た戦略に基づいて具体的に組織運営を推進する
積極的意義を見出していかなければならない。
トップマネジメントの資質、これが欠如してい
経営戦略の策定や開示はその意味で重要なので
ることも戦略策定が進まない要因の一つであろ
ある。
う。例えば、一橋大学大学院の楠木健教授は、
「最
(7)
も希少な経営資源は経営者」と語っている
。
これは営利、非営利問わず、当てはまる考え方
ではなかろうか。
3. 社会への期待にどのように対応するか
以上のように、社会福祉法人の戦略策定は難
易度が高く、またそれを担う人材が不足してい
るという実情もある。だからといって、社会福
祉法人がこの点において後手に回ってよいとい
う理由にはならない。
前述のように、社会福祉法人は制度そのもの
の意義が問われるような厳しい批判に晒されて
いる。しかし、社会福祉法人に向けられている
のは決して批判の声だけではない。批判と同じ
かそれ以上に社会福祉法人に対する役割期待は
一層の高まりを見せているのである。
例えば、「病院から施設へ」という政策の流
注
(1)社会福祉事業とは、未成年者、高齢者や障害者で
生活上の支援・介助を要とする人、経済的困窮者
などに対し、生活の質を維持・向上させるための
サービスを社会的に提供、あるいはそのための制
度や設備を整備する事業をいう。
(2)この点は残余財産の帰属先が国庫とする旨を規定
した社会福祉法第47条が根拠とされる。
(3)もっとも、経営戦略に公式化された定義があるわ
けではない。
「中長期目標と現状とのギャップを埋
めるための具体的筋道」という内容であれば、本
文で示された以外の表現方法も当然ありえる。
(4)具体的には、
「非営利組織は収支なるものがないか
らこそマネジメントが重要」
「成果は企業よりも非
営利組織において大きな意味を持つ。しかも成果
は企業よりも非営利組織においてこそ把握と測定
が難しい」とドラッカーはその著書(ダイヤモン
ド社「非営利組織の経営」2 0 0 7 年)で指摘してい
る。
(5)たとえば株式会社においても、人材は重要な経営
資源であるが資金や設備など他の経営資源と異な
り金額換算されず貸借対照表上にも計上されない。
しかしながら、人材も利益稼得の重要な生産手段
58
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社会福祉法人におけるガバナンス強化とは 
であり、その意味で、会社の経営数値に反映され
るものといえる。
(6)アンケート調査は、全国の特別養護老人ホームを
経営する社会福祉法人 1 , 0 0 0 法人を対象に実施、
2 6 7 法人から回答を得た。
(7)週刊東洋経済 2 0 1 5 年 9 月 1 2 日号のインタビュー
記事より
59
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社会動向レポート
途上国におけるユニバーサル・ヘルス・カバレッジ
— 現状と課題 —
社会政策コンサルティング部
リサーチアナリスト
安達
光
途上国における医療提供水準の問題がしばしば指摘される中、現在の国際潮流では「ユニ
バーサル・ヘルス・カバレッジ(UHC)
」への注目が高まっている。日本は UHC の模範国であ
り、政府は日本主導で UHC を推進するための取組みを進めている。本稿では、途上国における
UHC の現状と課題、その背景について概説するとともに、UHC の達成に向けた方向性につい
て考察する。
はじめに
−ユニバーサル・ヘルス・カバレッジ概説−
2013年9月、世界的な権威を持つ医学専門誌
現在 UHC は国内外から注目を集める概念と
なっている。
UHC は、「医療サービス(予防、健康増進、
「ランセット」に、G8の首脳が初めて論文を寄
治療、リハビリ、緩和ケア)を必要とする全て
稿した。「我が国の国際保健外交戦略―なぜ今
の人が、不当な経済的困難に陥ることなく、医
重要かー」と題された論文の著者は、日本の安
療サービスを受けられる状態」
と定義される
倍首相である。その中では、全国民が経済的困
その達成度は、「経済的リスクからの保護」「人
難なしに医療サービスを享受できる「ユニバー
口」「サービス」という3つの軸で判断される
サル・ヘルス・カバレッジ(以下 UHC)」とい
う概念を実現することの重要性が述べられて
いる。
(2)
。
(図表1)。
UHC の性質上、達成度合いを示す具体的な
単一の指標はない。しかし、複数の指標の比較
この異例の寄稿は、同年5月に外務省が発表
や定性面を勘案することにより、各国のおおよ
した「国際保健外交戦略」を受けたものである。
その達成段階を把握することは可能である。日
政府は「国際保健外交戦略」で、日本ブランド
本と世界銀行が行った共同研究
としての UHC の主流化を図るとともに、途上
対象となった11カ国を UHC の達成状態毎に区
国における UHC 達成へ貢献していくことを表
分しており(図表2)、未達成国の中でも UHC
明した。日本は、国民皆保険制度を中心とした
達成段階は多岐にわたる。たとえば医療保険制
医療システムにより、高いレベルで UHC を実
度が未整備の国もあれば、制度上は国民皆保険
現しており、UHC の「世界の模範」と称され
を達成していても、保険のカバー範囲や自己負
(1)
ている
。今年(2015年)9月に健康・医療戦
略推進本部が発表した「平和と健康のための基
本方針」の中でも「世界各国における UHC の
実現」が究極的な目標として掲げられており、
(3)
では、研究
担割合・医療サービスの質などに難があること
から UHC 達成とみなされない国も存在する。
日本が他国の UHC 達成を支援するにあたっ
ては、経済力、文化、地理的条件、医療保健の
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途上国におけるユニバーサル・ヘルス・カバレッジ — 現状と課題 —
諸制度、制度の発展過程などの違いを加味して、
とが肝要である。本稿では、複数の国を対象に
各国毎に適切な支援を見極める必要がある。そ
ケーススタディを実施することを通して、途上
のためには、各国の健康指標・医療提供状況や
国における現状の把握と UHC 達成に向けた方
医療保険制度について現状を適切に把握するこ
向性を議論する。
図表1 ユニバーサル・ヘルス・カバレッジ(UHC)イメージ図
(資料)前田, et al(2014)より引用
図表2
前田 et al(2014)研究対象国のグルーピング
(資料)前田, et al(2014)より引用
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1. ケーススタディ
の過半数を占めている。また、公的医療保険を
使用できる病院は圧倒的に公的病院が多い。い
本章では、途上国の実態と課題を明らかにす
ずれの国も公的病院のサービスの質(待ち時間
るため、UHC を目指している国を対象にケー
等)が問題となっており、高品質のサービスを
ススタディを行う。ケーススタディの対象国は、
求める富裕層は民間病院を受診するのが一般的
日本政府が「国際保健外交戦略」で重要視する
である。
としている ASEAN 諸国から、① 一定規模の人
口を有する ② 国民皆保険を目的とした制度が
存在する
という2点を満たす、タイ・インド
(1)タイ
①医療保険制度とその現状
ネシア・ベトナムの3カ国を選択した。タイは
タイは東南アジアの中でシンガポール、ブル
既に国民皆保険を達成しているが、インドネシ
ネイ・ダルサラーム、マレーシアに次ぐ経済力
アとベトナムは国民皆保険を目指している状態
を持ち、世界銀行による定義では「高中所得国」
にある。また、3カ国とも医療サービス面で何
に分類される。2002年に国民医療保障制度が
らかの問題を抱えており、完全な UHC の達成
成立したことで、今回のケーススタディ対象国
には至っていないと考えるのが一般的である。
の中では唯一国民皆保険を達成している。
図 表3は ケ ー ス ス タ デ ィ 対 象 国 を 含 め た
タイの医療保険制度の大きな特徴は、国民の
ASEAN 各国の経済状況や UHC 関連の指標等
8割以上について医療保障が税財源で賄われて
をまとめたものである。全般的に高所得国ほど
いることである。タイの医療保険は公務員を
健康指標の値は良好である。一方で、政府の総
対象とする「CSMBS」(全人口の8%)、民間
保健支出や GDP 比医療費などをみると、政府
被用者を対象とする「SSS」(全人口の16%)、
の医療・保健関連政策のスタンスは、その国の
それ以外(自営業者・農業従事者等)を対象と
経済水準とはあまり関係がないようである。
する「UC」(全人口の75%)からなる。このう
医療施設の整備状況に関しても概説する。民
ち CSMBS と UC は税方式で運営されており、
間病院が全体の約8割を占める日本の現状から
SSS のみ加入者が保険料を負担する。なお、
は想像しづらいが、3カ国とも公的病院が病院
SSS も保険料のみで運営されているのではな
図表3
日本・ASEAN 基本情報
(資料)WHO、世界銀行データより筆者作成。
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途上国におけるユニバーサル・ヘルス・カバレッジ — 現状と課題 —
く、政府により保険料の追加拠出がなされてい
れ る が、 保 険 料 方 式 の SSS と 税 方 式 の UC・
る。各制度により提供されるサービスの質や本
CSMBS の統合には大きな困難が伴うだろう。
人負担率は異なっており、その違いは図表4の
公的病院と民間病院の格差問題も残ってい
る。UC に加入している国民は基本的に公的病
ようにまとめられる。
OOP(総保健医療支出の自己負担)は11.2%
院を受診することになるが、公的病院のサービ
と非常に低く、経済的保護に関するユニバーサ
スは質的に劣り、長時間の待機時間を強いられ
ル・カバレッジはほぼ達成されていると考えら
ることも多い。民間病院は病床数・サービスの
れる。しかし、医療サービスの面では問題が
質ともに公的病院を上回り、待機時間も短い。
(4)
あり、世界銀行と日本の共同研究
では、各
国の UHC 達成段階を示す全4グループのうち、
「UHC 達成」ではなく、
「改善の余地がある」
そのため多くの富裕層は公的病院を忌避し、民
(5)
間医療保険
を使用して民間病院を受診する
状況にある。
グループに入っている(図表2)。
また、タイの医師数は人口1000人あたり0.39
(6)
人
②現在抱えている課題
タイの課題としては、まず皆保険制度の維持
、看護師数は人口1000人あたり2.08人で
(7)
ある。WHO による医療従事者数の最低ライン
(8)
には達しているが、医師数は世界平均(1.3人 )
が挙げられる。そのためには、今後増大が見込
に及ばない。地域間の医師の偏在の問題も残っ
まれる医療費を抑制し、財政的に持続可能な制
ている。
度を構築する必要があろう。既に CSMBS にお
ける多額の支払が問題化しており、ジェネリッ
ク医薬品の積極的使用などの施策が講じられて
いる。
(2)インドネシア
①医療保険制度とその現状
インドネシアでは2014年に医療保険制度の
3つの保険制度の間で、受けられる診療や
再編が行われ、それまで大きく4つあった医療
サービスに隔たりがあることも大きな問題で
保険制度が、社会保障実施機関(BPJS)が運営
あ る。 不 平 等 を 解 消 す る た め に は CSMBS、
する JKN に一括化された。JKN では2019年の
SSS、UC を 統 合 す る の が 望 ま し い と 考 え ら
国民皆保険達成を目指しており、2015年5月現
図表4
タイ医療保険制度概要
※正確には、出産、児童手当、老齢手当などを包括した社会保障制度の中の「傷病等給付」が民間被用者向けの医療保険制度に該当する。
(資料)各種資料より筆者作成。
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在までに以前の公的医療保険制度の加入者を中
(9)
心として約1.5億人が加入済である 。
かつての医療保険制度は「ASKES(公務員
向け)」
「JAMSOSTEK:JPK(民間被用者向け)」
②現在抱えている課題
インドネシアは2019年の皆保険達成を目指
して新しい制度がスタートしたばかりである
が、現時点では様々な問題を抱えている。
「JAMKESMAS( 中 央 政 府 運 営・ 低 所 得 者 向
現 行 の 制 度 は 、貧 困 者 や A S K E S 、
け)
」
「JAMKESDA(地方政府運営・低所得者
JAMSOSTEK、JAMKESMAS と い っ た 既 存
向け)」に分かれ、保障内容もそれぞれ異なっ
の医療保険制度の加入者をそのまま加入させる
ていた。民間被用者向け保険では加入義務を免
形でスタートした。しかし、インドネシアでは
れる事業者が多かったことや、自営業者等のイ
労働者の半分以上がインフォーマルセクターで
(10)
向けの公的保険が存
就労しており、その大半はこれまで無保険で
在しないことなどから、医療保障を受けられな
あった。また、労働者保護が手厚く設定されて
い国民も多く存在した。
いることから、医療保険制度加入の義務がない
ンフォーマルセクター
JKN は、政府が保険料を全額負担する貧困
非正規雇用を企業が多用する傾向にあったこと
層向けの「PBI」と、その他の公務員・民間
や、代替医療給付による加入免除などにより、
被用者・自営業者などが加入する「Non-PBI」
フォーマルセクターでも未加入者が多かった。
の2つで構成される。両制度とも外来の保障内
国民皆保険の達成のためには、これらの未加入
容は同じであり、保険の対象となる病院では全
層に如何に新規登録を促せるかがカギとなる。
ての治療費・薬剤費が無料となる。一方、入院
しかし、インフォーマルセクターには収入が
に関しては格差がある。PBI 加入者が利用でき
不安定な労働者も少なくない。収入が不安定な
るのは最低ランクのサービスのみであり、また
状態での定額保険料負担はあまり現実的とはい
(11)
受けられ
えないだろう。BPJS は銀行の支店で保険料の
るサービスが異なる。なお、2013年以前に民
振込みを可能にするなど、個人での新規加入を
間医療保険に加入した国民も多いことから、公
促すため、手続きの円滑化に腐心しているよう
的保険でカバーされない費用(差額ベッド代な
である。
自営業者は保険料支払額によって
ど)を民間が補助する形の給付調整制度「COB
貧困層の保険料は国が拠出しており、財政面
(Coordination of Benefit)」も合わせて施行さ
の負担も懸念される。政府が全額拠出する貧困
層向け保険の保険料は以前の制度における保険
れている。
医療保険は BPJS のネットワークに参加して
料の3倍程度にあたる。この状態で全ての貧困
いる病院及び保健センターでのみ利用が可能で
層をカバーすると、現在の予算の10倍近い毎
あり、施行直前の2013年末時点で約2300の病
年約130 ~ 160億ドルの支出が必要になると試
院のうち1710施設が参加している。また、一
算されている
次診療を受ける Puskesmas(診療所)も9217施
保険料は、依然として十分な質の医療を提供す
(12)
設が参加済とされている
。
保険者から医療機関への支払は、一次医療を
(13)
。一方で、現在の政府負担の
(14)
るには低すぎるという指摘もある
。
病院数・医療従事者はともに不足しており、
行う Puskesmas では人頭払いが、二次医療以
満足な医療提供体制が整っていないことも大
上の病院では DRG(診断群別分類)を自国向け
きな問題である。年間6000 ~ 7000人の医師が
に改良した INA - CBG が採用されている。
新たに誕生しているが、現在の医師数は人口
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1000人あたり約0.2人、看護師数は人口1000人
(15)
あたり約1.38人であり
、WHO が示した最
自営業者などとともに任意加入対象者となって
いる。
保険者から医療機関への支払は「出来高払い」
低ラインに達していない。
国土が1万3000を越える島々で構成されると
と「人頭払い」の2種類があり、現在は全体の
いう地理的特性も手伝って、地域間の医療格差
約6割の病院で人頭払いが採用されている。主
も大きな問題である。西部では医師が余剰な一
に下位病院では人頭払いが、上位病院では出来
方、東部では50%の病院が医師不足の状況にあ
高払いが一般的なようである。
(16)
るとされる
。医療設備に関しても、ジャカ
ルタでは先進的な医療が受けられるが、それ以
②現在抱えている課題
外の地域では日常的に医療機器・医薬品の不足
ベトナムの医療システムが抱える最大の課題
が続くという格差がある。また、僻地や離島の
は、皆保険達成の困難さであろう。現状の加入
住民は病院や診療所から離れて暮らしており、
率は約7割であり、公務員・民間被用者や、政
容易には満足な医療を受けることができない。
府が保険料を全額負担している層(子供・貧困
そのため、僻地や離島の住民は医療保険に加入
層など)の加入率は極めて高い水準にある。し
する誘因が少ないと考えられる。
かし、政府による保険料負担が全額ではなく一
部に留まる準貧困層や、任意加入対象の自営業
(3)ベトナム
者などの加入率は芳しくない。
既存研究によると、任意加入対象者が保険に
①医療保険制度とその現状
ベトナムにおける公的医療保険は、2008年
加入しないのは「金銭面の問題」「医療保険は
に成立した医療保険法に基づき、ベトナム社
不要と考えている」などの理由によるものであ
会保険(VSS)が保険者となって運営されてい
る
る。現在国民皆保険の達成が目指されており、
の必要性に関する教育や多少の補助金配布等の
当面は2020年の医療保険加入率80%を目標と
施策では、任意加入者の保険加入は促されない。
している。なお、2015年5月現在での加入率は
このことから、UHC 達成のためには政府によ
(17)
71.4%である
(19)
。しかし、実証実験によれば、医療保険
る保険料の全額補助が必要になるという指摘も
。
ベトナムの医療保険制度は加入者の属性に
(20)
ある
。
よって細かく区分されているが、大きく分ける
また、上位病院の直接受診や、現状の医療保
と強制加入対象者と任意加入対象者の2つに分
険ではカバーされない医療行為が多いことなど
けられる。民間企業被用者や公務員などが強制
も重要である。OOP は約49%と、医療費の約
加入の対象者であり、給与の一定割合を保険料
半分は自己負担で支払われている。UHC を達
として負担する。強制加入の対象者には、貧
成するためには、医療保険の加入率向上ととも
(18)
困者や6歳以下の子供など
も含まれており、
これらの層の保険料は政府が全額負担する。準
に、医療保険の対象となる医療行為・医療施設
を拡大する必要がある。
貧困者や学生にも一定割合の保険料助成が与え
財政面の問題も大きい。2010年現在、医療
られる。なお、公的医療保険の対象は加入者(被
保険財源に占める中央政府・地方政府の割合は
用者)本人のみであり、被用者の被扶養者はカ
7割に達している。しかし、国民皆保険達成の
バーされていない。被扶養者は、農業従事者や
ためには、加入率が低い準貧困層の医療保険加
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入が必須であり、それに伴い保険料補助による
料を全額拠出することで、金銭的問題により未
財政負担はさらに重くなると考えられる。
加入だった層の加入によりカバー率の大幅拡大
政府負担を低減させる方策としては、診療報
が見込まれる。
酬の支払方法を工夫して医療費の節約に繋げる
試みが考えられる。政府はそのために人頭払い
(2)第2の軸:カバーされている医療サービス
を浸透させる方針を示しており、約6割の病院
UHC を達成するには、国民の誰もが高品質
が人頭払いに移行している。しかし、現在の診
のサービスを享受できなければならない。しか
療報酬の人頭払い制度には地域間格差や貧富に
し、ケーススタディの対象とした3カ国では、
(21)
よるサービス格差を促進する仕組みが内包
複数の面でサービスの質に格差が生じており、
されており、公平性の問題は残存している。
十分なサービスを受けられない国民が多く存在
2. 考察
本章では、前章で行った ASEAN の3カ国を
対象としたケーススタディの調査内容を、UHC
の「3つの軸」の観点から再考察する。
する。
まず挙げられる格差は地域間の格差である。
いずれの国でも、「医療施設の数」「医療の質」
「医療従事者数」「医薬品」などの面で都市部と
地方部の間に大きな格差が存在した。
次に挙げられる格差は公的病院と民間病院の
(1)第1の軸:カバーされている人口
ケーススタディの対象とした3カ国のうち、
格差である。公的医療機関は非常に混雑してお
(22)
り、著しくサービス品質が低下することがある
。
タイは国民皆保険を達成しているが、ベトナム
また、多くの国の公的病院では地区毎や病院毎
とインドネシアはともに約7割程度のカバー率
に割当てられた予算の範囲内で医療サービスが
である。
提供される。そのため、医薬品処方が限定され
ベトナムとインドネシアでは、未加入者の多
たり、リファラルシステムによる上位病院への
くを農業従事者・自営業者等を含むインフォー
紹介が忌避されるといった、制度設計に起因す
マルセクターが占める。両国では、実態把握が
るサービスの低品質化も問題となっている。一
困難なこれらの人口をどのように医療保険に取
方、民間病院では公的医療保険が使用できない
り込むかが皆保険達成の要となる。
ことが多く、民間保険か自費で支払を行う必要
途上国で加入率を増大させるためには、保険
がある。その代わりに、待ち時間の低減などの
料支払が困難な層の保険料を全額政府拠出にし
快適なサービスや、医療保険の対象外になって
てしまうことが効果的だと考えられる。例えば、
いる高額な医療サービスを受けることができる。
ベトナムでは保険料の一部が補助されるにもか
さらに、医療保険制度における加入者分類間
かわらず準貧困層の未加入率が高いことが問題
での格差も存在する。ケーススタディした国で
となっているが、この問題の背景には、そもそ
はいずれも加入者分類毎に保険料や保障範囲が
も一定以下の収入しかない層に定期的な定額保
異なっており、すべての国民が同様の医療サー
険料支払は困難であるという事実がある。また、
ビスを受けられる状況にはなっていない。
貧しい人々の居住地域には極めて質の低い病院
しかないことも多く、多少の補助金では医療保
険に入るインセンティブは小さい。政府が保険
(3)第3の軸:経済的リスクからの保護
経済的リスクからの保護を実現するには、医
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途上国におけるユニバーサル・ヘルス・カバレッジ — 現状と課題 —
療費の自己負担額が支払い可能な範囲に収まる
て、保険料の一部もしくは全額を政府負担で賄
保障がなければならない。同時に、限られた財
う場合、政府財政に大きな負荷がかかる。事実、
源でその目的を達するため、医療費や薬剤費を
税負担で医療保障を受ける国民が大半を占める
抑える試みも重要となる。
タイでは、政府支出に占める医療・保健関連
国民皆保険の途上にあるインドネシアやベト
支出の割合が ASEAN 内最高の17%に達する。
ナムでは、未だに OOP は40%台後半と高い水
UHC 導入途上国では政府が保険料を負担して
準にある。人口の約3 ~ 4割が無保険であるこ
貧困層をカバーする必要も大きく、政府の財政
とに加え、医療保険が適用される病院が全体の
への負荷は今後も大きくなると考えられる。
一部に留まること、公的病院・下位病院の質の
また、保険者から医療機関への診療報酬の支
低さが嫌われ患者が高負担の病院(上位病院、
払い方法は、医療の提供や財政に大きな影響を
民間病院)を受診していること、医薬品や医療
与える。人頭払いでは、地域毎に登録者数に単
サービスの価格をコントロールするメカニズム
価を乗じた額が予算として配分されるため、医
の欠如などが原因として考えられる。一方、国
療費が徒に増大するリスクは低い。ただし、医
民皆保険を達成しているタイでは原則として低
療機関は予算の範囲内で医療行為を行おうとす
額の定額負担か無償で医療サービスを受けられ
るため、特に地域レベルの医療機関において患
ることから、OOP は11.3%と先進国並の水準
者の医療アクセスが制限されるおそれがある。
にある。
一方、診療毎に支払が行われる出来高払いでは
経済的リスクからの保護を達成するために
患者の医療アクセスが阻害されることはない
は、貧困層を含む国民全員をカバーでき、病院
が、病院側が過剰な医療サービスを提供する誘
側の治療インセンティブを損なわない形で皆保
因を持つことに繋がるため、一般に医療費は増
険制度を構築するとともに、広範な範囲の病院
大すると考えられている。
で医療保険を適用可能とすることが肝要だと推
察できよう。
3. おわりに
最後に、途上国における UHC の達成を支援
こういった問題はケーススタディ対象国でも顕
在化していた。タイでは、外来診療での出来高
払いの採用やジェネリック医薬品の不使用傾向を
背景にCMBMS の支出額増大が問題化し、改
善のための取組みが行われている。ベトナムで
(23)
するための方向性として、制度の持続可能性・
は上位病院で出来高払いが採用されている
効率性と国民皆保険の達成方法の2点について
ほか、保険支出の半分以上を占める薬価を、制
検討し、本稿を総括する。
度側が管理する仕組みが存在しないといった問
題点がある。しかし、過剰な医療費削減により
(1)制度の持続可能性と効率性
医療機関の負担が増加すると、医療アクセスの
UHC は、
「UHC を達成した状態が持続する
悪化にも繋がりうる。事実、インドネシアでは上
こと」に意味がある概念である。持続性を担保
位病院で診断群別分類
(DRG)を改良したシステ
するためには、保険者から病院への支払構造や
ム
(INA-CBG)が採用されているが、償還価格の
医療費・薬価の水準等について、財政の負担を
低さを忌避した民間病院等が医療保険への参加
抑える施策を行う必要がある。
を渋る現象も起きている 。
保険料を支払うのが困難な貧困層等につい
(24)
持続可能な UHC を目指すためには、UHC
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の達成に影響を与えないように留意しつつ、医
保険料を支払う形での皆保険達成が困難であ
療費の削減と財源の確保に取り組むことが必要
る現状を踏まえると、既に徴収システムが存在
となる。これらを実現するための施策としては、
する税財源を重視した医療保障制度の設計が考
費用対効果の高い医薬品の優先使用や、タイの
慮されるべきではないだろうか。タイでは国民
ように所管省庁による医薬品等の価格引き下げ
の約8割は税財源の医療保障制度に加入してお
交渉といった供給側の管理政策と、一次医療(プ
り、保険料方式で皆保険を目指している国(ベ
ライマリ・ケア)の利用促進、効果の高いサー
トナム、インドネシア)でも、保険者収入のう
ビスの受診の誘因付け、地域ベースの公衆衛生
ち少なくない割合が政府による負担や補助金で
プログラムの整備といった需要側の管理政策が
占められている。単一の皆保険制度を策定する
(25)
あげられる
。
また、需要側の管理政策を行うにあたっては、
ケーススタディ対象国のような中所得国では、
ことで、加入者間で受給できるサービス格差も
生じず、公平性の確保にも繋がると考えられる。
日本主導で UHC を推進するという観点から
医療に関わるインフラが十分に整備できてい
は、保険料方式による皆保険制度を発展させて
ないという点に留意が必要である。ただ、1人
きた日本の知見は、税方式を採用した場合には
あたり GDP が相対的に低いベトナムの UHC
応用しづらいようにも思える。しかし、タイの
指標が相対的に良好な値を示していることから
例からも明らかなように、税財源を主財源とし
も推察できるように、保健医療の質はその国の
た皆保険は財政面に大きな負荷をかけ、医療費
経済水準だけで決まるわけではない。それぞれ
削減施策への要請が強くなる。包括医療費支払
の国に即した施策を実施することによる保健医
い制度(DPC)の策定・運用手順や薬価の決定
療システムの改善余地はあると考えられる。
手法などのような、日本がこれまで作り上げて
きた医療費削減に資する制度についての知見を
(2)UHC 達成に向けて−皆保険達成のための
税方式の検討−
国民皆保険の達成は UHC の主要な要素であ
る。皆保険を達成した国で必ず UHC が実現
共有するという形で支援を行うことも可能であ
ろう。
総括
されているわけではないが、皆保険の有無が
途上国におけるUHC 達成を目指すにあたって
UHC の状況を判断する指標として語られるこ
は、国毎に相異なる多様な要素が複雑に絡み合
とも多い。UHC の達成に向けて、国民皆保険
い、決して全ての国が同じ道を行くわけではない。
を途上国で実現するためには、人口の多くを占
一方で多くの国が共通して抱える課題も確かに存
める貧困層への支援及びインフォーマルセク
在しており、今後は共通課題に対する包括的な
ターの加入促進策が必須である。
対応策の検討と、個別の国毎における具体的な
日本のように戸籍制度等の整備が進んでいな
対応策の検討の両方が必要になるだろう。日本
い途上国では、インフォーマルセクターの労働
主導で UHC の推進を考えていくにあたっては、
者を把握し保険料を支払わせるのは困難であ
国際的な包括的対応策の検討に積極的に加わり
る。また、医療保険を強制保険として運用でき
ながら、既存の制度や状況を踏まえ、わが国の
ても、貧困層が保険料を負担することは難しく、
知見を有効に活かせる国に対して個別に具体的
政府による何らかの支援が必須となろう。
な対応策を提示することが重要だと考える。
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途上国におけるユニバーサル・ヘルス・カバレッジ — 現状と課題 —
注
世界銀行「キム世界銀行グループ総裁による基調
講演 保健政策閣僚級会合:ユニバーサル・ヘル
ス・カバレッジに向けて」(2013年)
(2) 前田明子、エドソンアロージョ、シェリルキャッシン、
ジョセフハリス、池上直己、マイケルライシュ『包括
的で持続的な発展のためのユニバーサル・ヘルス・
カバレッジ:11カ国研究の総括』、日本国際交流セン
ター(2014年)
(3) 同上
(4) 同上
(5) 全人口の10%以上が民間保険に加入しているとさ
れており、民間保険業界の成長率は年20%以上に
達する。
(6) 2010年時点
(7) 主要なプライマリ・ヘルス・ケアを実現するため
には、医師数と看護師数の合計が人口10000人あ
たり23人以上(=人口1000人あたり2.3人以上)で
あることが必要とされている。([WHO])
(8) 2009年時点
(9) 厚生労働省『海外における医療ニーズ等及び国内
企業の海外進出状況等調査及び分析業務 報告書』
(2015年)
(10)「インフォーマルセクター」とは公式に経済活動が
記録されない職業に従事している者を意味する用
語である。しかし、各種文献では農業従事者や自
営業者を含む使用例も存在する。また、経済活動
が記録される職種は国により異なると考えられる。
本稿では、農業従事者や自営業者等を含めた、所
謂被用者ではない労働者を指す概念として「イン
フォーマルセクター」という用語を使用する。
(11) 自営業者は3種類の定額保険料から任意の支払額
を選択する。
(12) 鈴木久子『インドネシアの公的医療保険制度改革
の動向』、損保ジャパン総研レポート(2014年)
(13) IRIN,“ Hopes and fears as Indonesia rolls out
universal healthcare”,(2014年1月14日)。
(14) 同上
(15) いずれも2012年時点。
(16) 厚生労働省『 海外における医療ニーズ等及び国内
企業の海外進出状況等調査及び分析業務 報告書』
(2015年)
(17) http://news.finance.yahoo.co.jp/detail/2015070600000136-scnf-world
(18) 他には少数民族、留学生、軍人、軍事恩給受給
者、軍人等の家族、社会的扶助受給者などの保険
料が政府により全額拠出される。(
[国際協力機構、
2012])
(19) Wagstaff A.
(2 0 1 4).“On the road to universal
health coverage:Lessons from a multi-country
study in East Asia. World Bank.
(20) 同上
(21)
(1)
(22)
(23)
(24)
(25)
World Bank(2014)によれば、人頭払いレートは
概して富裕層のほうが貧困層より高い。保険料は
各地域毎にプールされ、医療サービスは各地域に
割当てられた額の範囲で提供されるため、貧困層
の受信者が多い病院では医療サービスの質が低下
する傾向にある。また、裕福な州では、貧困層が
多い州よりも人頭割レートが高い傾向にある。貧
困層が多い州ではそもそも医療サービスの利用が
少なく、黒字州が赤字州を補填する仕組みが存在
していることから、貧困層が多い州の黒字で裕福
な州の赤字を埋め合わせるという現象が起こって
しまう。
国際協力機構『ベトナム国 社会保障分野情報収集・
確認調査ファイナル・レポート』
(2014年)
人頭払い制度では各病院に予算が割当てられ、使
わなかった予算の20%を病院の収入とすること
で、病院に医療費を削減する誘因を与える施策が
実施されている。
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2015年 12月25日 発行
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