第59号

第59号
2014年7月1日
全学キャリアサポート委員会
就職活動-アカデミックポジションへの就職-
理学部
鈴木淳史
自分の知っている就職活動の話を書く事にする。いわゆるアカデミックポジションへ
の就職、というやつである。ほとんどの方には興味のないことであろうが、書ける事
といったらこれしかないのでしょうがない。でもあまり生々しい話は書きにくい。そ
こで当たり障りのない昔の人々の就職活動の話を書く事にする。
ヨハネス・ケプラー(1571-1630)は、惑星の運動に関する「ケプラーの三法則」で物
理・天文学に名を残す巨人の一人である。チュービンゲン大学を卒業し彼は、オース
トリアのグラーツで数学を教え始めるが、聴講生はみるみるうちにゼロになった。ヨ
ーロッパの大学では「私講師」といって、聴講生の数だけ、報酬が得られる職があっ
た。(形式的な職名として Privat Dozent はドイツの大学に残っている。)おそらく
ケプラーの身分もその類いであったのだろう。給料を得るため修辞学の講義などもし
たようである。そこで、就職活動もあって打ち込んだのが、占星術であり、暦の作成
であった。その甲斐あり、天文観測の巨人ティコ・ブライエの助手として、その観測
データの解析をすることとなった。しかしながら二人の人間関係は良好、というわけ
ではなかったようである。職場の人間関係は今も昔も大変である。
招かれてから2
年ほどたって、ティコがなくなり、その後任として、運良くケプラーは神聖ローマ帝
国数学官に任命された。感謝の念もこめて、彼は当時の皇帝ルドルフ2世にささげる
暦を作成し始めた。しかしながら皇帝はすぐに亡くなり、個人的には母親が魔女裁判
にかけられ、社会的には30年戦争が勃発した。この混乱の中、求職活動の放浪のは
て、ケプラーは行き倒れになりその生涯を終えた。
フリードリッヒ・ガウス(1777-1855)は少年期より数学の才能を示し、「正17角形
の作図法」を19歳の若さで発見した事はよく知られている。(正17角形が書ける
からといってビックリ人間大集合的にすごいわけではないが。) 数の性質を調べる
数論とよばれる分野に特に打ち込み「数論は数学の女王である」といったのも有名な
話である。その彼をして得られた就職先は、数学教授でなくゲッチンゲン天文台であ
る。もちろん就職を期に数学をやめたわけではないが、天文台での観測などの職務に
関係して、彼はさらに広い分野に多大な貢献をすることになったのである。文系、理
系を問わず一度はきいたことがあるであろう「正規分布」(偏差値とかがでてくるや
つですね。)や「最小二乗法」はそのうちの代表例である。 人間、どのような進路
に進んだにしてもそこで自分の興味のあることを見つけそれに打ち込む事が重要であ
る、という一例であろう。
参考文献
「ヨハネス・ケプラー」 アーサー・ケストナー(小尾、木村訳)ちくま学芸文庫
「数学をつくったひとびと」E.T. ベル(田中、銀林訳)早川書房