社団法人日本青年会議所地域の先生づくり運動推進委員会 サマー

社団法人日本青年会議所地域の先生づくり運動推進委員会
サマーコンファレンス2000 地域の先生づくり・PTCA運動フォーラム
「みんなでなろう地域の先生"教育から共育へ"」
日時:2000年7月23日 9:30~10:15
場所:横浜みなとみらい
パシフィコ横浜
301号室
講師:寺脇 研氏(文部省 大臣官房政策課 課長)
協力:構想日本
演題:
「なぜ教育改革なのか」~たのもしい子どもたちを育てるには~
【講演内容】
ただいまご紹介に預かりました寺脇でございます。
今までもサマコンにお呼び頂いておりますが、このような広い場所での講演は初めてで
ございます。
私は JC の皆様とは、かれこれ7年ぐらいのお付き合いをさせていただいております。
地域の先生活動を取り上げていただいたということで、私としては感無量なものがあり
ます。私としては内心 JC としてそういうことを取り上げてくれないだろうかなと思って、
少しずつ情報提供はさせていただいたきました。JC の内側からこのような運動をやってい
ただけたらいいなとは思っていましたが、このように盛大な事業になるとは思いもしなか
ったわけです。
私が JC の皆様と最初のお付き合いをさせていただいたのが、平成4年です。
今日も話題に出ると思いますが、2002年いわゆる2年後から土曜、日曜に子供たち
が家庭や地域で過ごすようになるわけです。
平成4年に月1回だけ第2土曜日を休みにしようと、9月12日初めて第2土曜日を休
みにしました。
当時はたった1日土曜日を休みにするにも大騒ぎでございました。子供たちが学校なし
で過ごせるのだろうか、いや大人たちがそういう状況を受け入れられるだろうか、と。
スムーズに受け入れていただくために、PTA はもちろん JC の皆様にも趣旨をご理解いた
1
だいたわけです。そういうふうに申しますと文部省と JC は馴れ合いのように聞こえるかも
しれませんが、最も厳しいウオッチャーが JC という団体と認識しております。
教育改革国民会議がただいま議論の真っ最中です。26日に今まで分科会にわかれて議
論していたことが国民の皆様の前で報告されます。
私も文部省で担当を仰せつかっている関係上必ず参加しているわけですが、そこで文部
省にもっとも厳しいことを言われているのが JC の上島会頭であります。
私も個人的には賛成するところもあるのですが、文部省の人間の立場としては考えさせ
られるところがあります。教育に関係する人は、文部省の人であろうが、または反文部省
の人であろうが教育にもっと金をかけたらどうかと言われます。お金をかければいろいろ
なことができますよ。しかし、金をかけたからといって教育が良くなるという証拠がない。
だから、そんなに金はかけられない。上島会頭が教育国民会議で30人学級の実現と言わ
れましたが、文部省としては30人学級というような粗雑な言い方は合わない。もっと何
にどれだけ必要なのか、まあ先生の数を増やしてくれと言われるのはわかりますが、単純
に35人だ、30人だ、というような乱暴な議論が成立しないのはあたりまえのことです。
もっときめの細かい成熟した民主主義議論が必要になってくるのです。30人だ、35人
だというのは、昔のみんなが参加しない時の民主主義であって、文部省もその辺は脱した
と思います。例えば、英語を教えるのに英語の先生が必要です、総合的学習があるので人
手が必要ですというように人ばかりなのです。普通、民間企業だとそういうふうにしてい
ろいろ大変だと生産性を高めることを考えて、人を増やすことを先に考える企業は少ない
でしょう。今いる人で生産性を高めるということを考えるでしょう。この30人、35人
という御主張は生産性を高めるということを無視して、人数を増やせばなんとかなるだろ
う、これは、COST のことを考えないという要求も問題ですけれど、我々、行政も反省しな
ければいけないところです。金をかければなんでもできるのです。金をかけないで何かを
するために行政の人間がいるわけであります。よりよいサービスを提供していくことを心
掛けていこうと思っています。予算があまりないということになれば、いろいろと知恵を
絞って考えるものです。いろいろな問題がでてくるのです。今、盛んに総合的学習と言わ
れていますが、我々の年代から言うと昔に戻り屋外活動をするということになるわけです。
例えば、授業中に雪が降ってきたら、先生が外に連れ出して遊んだり、秋の紅葉の時期な
んかは教室で理科の勉強をしていてもしかたないということで山に行ったり、近所の商店
街に行って探検してきたり、企業訪問をしたり、一人の先生が50人の生徒をみていたわ
けです。それに予算は一銭もかかってないのです。
今一学級平均30人ちょっとぐらいです。それぞれの県によって一学級の人数に10人
2
ぐらいの差があるけれども学力の差はそんなにあるわけではないのです。全国、そんなに
違わないのです。要するに、学級の人数を減らせば単純にいい教育ができるというわけで
はないのです。つまり、学級の人数を減らすということはお金をかけるということでお金
をかければいいといことではないのです。実は、私は大学で官僚制の弊害を勉強しました。
その一つに予算を与えれば与えるほど無駄に使う。少なければ努力して考える。また、官
僚の場合つぶれることもなく、自分で金を集めるわけでもない。以前は普通科その次に商
業科、工業科、農業科と高校を成績順に選ぶ形になってしまっている、と JC の人と話す機
会がありました。日本を支えてきた農業や工業が高校ではあまり良い印象でないことでい
いのか。そこで業者テストをやめました。それによって偏差値で判断することがないよう
にしました。本当に、子供が「なにが好きなのか、なにが作りたいのか」企業研修をして
自分がどのようなことがしたいのかが、少しでもわかっていただけたら、それだけでいい
のです。しかし、宣伝にはお金がかかります。でも、知恵を絞ればいいのです。例えば、
平成5年に JC のブースの一部をお借りして、全国の農業、工業、商業高校に作品を送って
もらい、全国から来る JC の人に見てもらいました。これも立派な宣伝で予算もかかってい
ないのです。予算がなかったからこういう知恵が生まれたわけです。静岡の水産学校の生
徒はうなぎ焼く技術を持っています。文部省の庭でうなぎを焼くと記者にいうとたくさん
来るので他の学校の作品も置いておいて記者に撮ってもらうという知恵をだす。もっと子
どもたちの近くにいる先生は知恵が出ると思うのです。こんなにいろいろな環境がいいの
に勉強しない子がふえている。
私たちが反省しなければいけないのは、お金をかけることだけに熱心になってしまって、
子どもたちに学ぶ心や生きる心というものを教えるのを忘れてしまったということなので
す。なんでもお金で解決してきたのです。今高校を卒業して進学するのは7割です。簡単
に大学や専門学校に入り、学ばない学生が増えています。日本で一番勉強しないのは大学
生です。学力低下問題が問題であるというが問題ではないです、学ばないことの方が問題
なのです。例えば、東大の学生には国からたくさんの金がでているがちっとも勉強しない。
一方、板前の見習いの人なんかは少しの時間を惜しんで本屋に行って立ち読みをしてでも
学ぼうとしている。この違い。ここに私達が失ってきたものがあるのではないか。つまり、
お金をかけて条件整備をすることばかり一生懸命にやってきて、その中身、心、生きてい
く心を育てなかった結果がここに出てきているのではないだろうかと思うのです。
なんでもお金をかけないですると、努力をして一生懸命するものです。総合的学習も予
算をかけずにすると、すばらしいものになるでしょう。先生方さえ気持ちを入れ替えてく
れればお金はかからないのです。また、学校側も地域にお願いしなければいけないでしょ
う。お金をかけないでするということを考えないで教育改革をすると、これまでの繰り返
しになります。学校にこれまでの倍の予算がでてもよくなるとは考えられないと思います。
3
今学校の先生はただで教えているように思われがちですが、とんでもないです。小学生一
人あたりだいたい85万円かかっています。つまり、それだけの税金がかかっているので
す。親以外の人が75パーセントを払っている、納税しているのです。これもまた JC が掲
げている PTCA 運動です。皆さんが納税しているお金によって運営しているわけですから。
今回の教育改革は学校の先生、公務員の意識改革も必要になってくると思います。先生だ
けでできないことは、地域の人たちにお願いすればいいと思います。先生にできることは
しれているとおもいます。そのことに気付くことが今度の教育改革の意味なのであって、
奇麗事ばかりいっているから勉強しない学生が増えるのです。
今回の改革は子供に自己責任というものを考えさせる。自分の意志、個性で選んだもの
に対して責任をとるということを学んでもらう。決して甘やかしているのではないのです。
また、本当に勉強したい人だけが高校、大学に行けるような制度にしたいとおもっていま
す。私たちの理想としてはすべての人が学びたいと思って学校に行って、一人の中退者も
出さないようにしたいと思っています。
最後に、学級崩壊と言われていますが、終結したと言っていいと思います。これの直し
方はわかっています。子どもたちに自己責任を段階をふんで学ばせなければいけないとい
うことです。だから、不安にならずにこれを直して、過ごしやすい学校を地域の方と作っ
ていただきたい、ということで私の講演を終わらせていただきます。ご清聴ありがとうご
ざいました。
以上
4