牧場で暮らす日々の楽しさ-環境に溶け込んで

酪農ジャーナル
2008 年 11 月号より転載
牧場で暮らす日々の楽しさ-環境に溶け込んで
メゾン・ド・キミコ 館長 松本泰平
斉藤牧場との出合い
酪農の魅力を語る前に、私は牛については何も分かりませんし、牛の世話の苦労
なども分かりません。ここ旭川の斎藤牧場に住む前は、札幌でサラリーマンをしてい
ました。今回、牧場主の斎藤晶さんに酪農の魅力を書かないかと言われたと報告す
ると「感じたことを書いてごらん」と言われ、本橋を書いています。
現在、私が住んでいる場所は、斎藤牧場の放牧地の中です。2、3日に一度は、
牛が「メゾン・ド・キミコ」の建物の周りの草を食べに来ます。2年前に私の母である松
本キミ子が牧場に美術館を建てるというので、何か手伝えることがないかと聞くと、美
術館の管理人はどうかと言われ、それまでの自分の人生では思ってもみなかった「牧
場で暮らす」という生活が始まりました。牧場で暮らしながら、来訪者に牧場の案内や
説明、松本キミ子考案の「キミ子方式」の説明をしたりしています。そして、週末になる
と絵画教室を開いています。
牛との出合い
斎藤牧場の第一印象は、まず木が多いということでしょう。牧場の中で暮らすとい
う最初のイメージは、木がなく草原が広がっていて、その中に建物がぽつんとあると
思っていました。ところが、山の中で大きな岩や木が多く、牧場も広大で、野球場なら
2、3個分に当たり、牧場の端から山の頂上まで歩いて 30 分はかかります。牧場にあ
る建物もうちだけではなく、山小屋や教会、化学物質過敏症患者のためのモデルハ
ウスなど立派な建物もあります。その建物の中でも山の少し高い位置にあるのが、私
が暮らす「メゾン・ド・キミコ」です。
牧場での生活を始めたのは 2006 年 10 月の終わりからでした。牧場の木々は紅葉
も終わりに近づき、牧場でも冬支度が進んでいる時でした。それから早いもので2年
の月日が流れました。
牛との最初の出合いは、できたばかりの家の周りを少し整理している時でした。遠
くの方から牛の鳴き声とともに、数頭の牛が見えたかと思うと、次々と牛が姿を見せ、
集団で自分の方へ向かってきました。慌てて建物の陰に隠れたのをよく覚えています。
見ると、牛は立派な角を生やし、筋肉の筋がよく見えるほどの立派な体格です。それ
が 10 数頭も群れで向かって来たものですから、もし襲われたらけがどころでは済まな
いと思いました。ところが、牛は私のことを気にも止めず、黙々と草を食べながらのん
びりと歩いているではありませんか。
今では立派な体格の牛にも慣れたので、牛が来るたびに逃げ回ることはありませ
んが、牧場見学に来た人たちの中で牛を怖がる人の気持ちはよく分かります。
牛たちが私の建物の周りの草を食べてくれるおかげで、建物の周りは草刈りをし
なくても手入れされた芝生のようにきれいに刈り込まれています。
牧場の人とのつながり
牧場で暮らしているのは、私のほかに酪農の勉強をしている研修生たち、牧場内
で喫茶店を営んでいる夫婦、そして斎藤晶さん、晶さんの息子の昌教さん(主に牛舎
作業担当)と拓美さん(主に経営担当)です。わが家には毎日のように晶さんや拓美さ
ん、研修生がちょっとした空き時間にお茶を飲みにやって来ます。晶さんは山の自然
や環境の話を、拓美さんは牧場経営の話をしてくれます。それから、研修生とは一緒
に絵を描いたり、雑談をします。
牧場見学の人たちに「山の中での一人暮らしは寂しくないか]とよく聞かれますが、
街に住んでいた時よりはるかににぎやかに暮らしていると言い切れます。また、困っ
た時にはまるで自分のことのように、みんなが助けてくれます。例えば先日、牧場の
近くで車を路肩に落としたのですが、その時、拓美さんがトラクタで駆け付け、にこに
こしながら軽々と車を引き出してくれました。晶さんや拓美さんは、山菜やキノコ、牛
乳や畑の野菜などを持ってきてくれます。私も甘えてばかりではいけないと、何かある
たびに自分のできる範囲で牧場の手伝いをします。私は搾乳や牛舎仕事はできない
ので、牧場の研修生が休んでいる間に牛を追ったり、牛乳配達の仕事をしたり、牛乳
のチラシを作るなどをしています。牧場の住人は少ないですが、この牧場での生活で
人とのつながりを強く感じます。自分のできる範囲で協力し合いながら生活していると
自分の存在意義を感じ、とても有意義で楽しく、快適に暮らしています。
斉藤晶さんの言葉
酪農の魅力については、晶さんの言葉を借りるのが一番かと思います。私に対し
ても常にたくさんの言葉を投げ掛けてくれ、その一言一句がとても良い教訓になるの
ですが、その中でも私が良い言葉だと思うものをまとめたいと思います。
「自然の循環の中に溶け込めるのが酪農。自然の循環や牛の生態をうまくとらえれば、
それほど難しいことはない。ただ、牛ができないことを少し手伝えばよいだけ。日本は
雨が多く、草木が成長しやすい。これほど恵まれた環境はほかにはない。難しいこと
を考えず、牛を山に放せばよい。そうすれば、牛が雑草を食べ、食べた分の草は自ら
堆肥として山に返し、山の生態系を壊さずに自然環境を守り、維持している。これから
の酪農は環境づくりでなくてはいけない。その副産物として牛の乳が出るだけ。やぶ
だらけの山が草地に変われば、人が暮らせるようになる。あまり無理をしなくても、自
然環境と牛、そして人との共存がうまくできるようになる」
以上が晶さんの言葉です。晶さんは、戦後の開拓団の一員として半世紀以上過ご
し、とても苦労されたと思いますが、牧場を見ると信念を貫き、現在の斎藤牧場を作り
上げたのだと感じます。
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酪農とは無縁の見ず知らずの私を受け入れてくれた晶さんには、とても感謝して
います。私を歓迎してくれ、とても親切に接してくれています。私は酪農についての知
識はありませんが、この牧場の人は、動物の世話をする中で自然に環境と共存する
方法を知っているような気がします。その共存がうまくできたら、これ以上良い暮らし
はないかもしれません。
私もあまり無理せず、自分のできることから少しずつ行い、自然の移り変わりを感
じながら、ここでゆっくりと生きていきたいと思います。そして、多くの方に斎藤牧場と
「メゾン・ド・キミコ]へ来ていろいろなことを感じていただきたいです。