英語科教育法Ⅰ、 英語科教育法Ⅱ

2. 学生授業課題レポート (英語科教育法Ⅰ、 英語科教育法Ⅱ)
オーラル ・ メソッドは役に立つ指導法か?
―その指導法の考え方と指導の実際から―
豊福 良子
1. はじめに
現在、 グローバル化社会において、 世界共通語とされている英語への関心が急激に高まっている。 しかし、 日本人は未だ他
国の人々と比べ英語運用能力が劣っていることは一般にも知られている事実である。 しかも、 同じアジアの国であり、 隣国でもあ
る中国や韓国の学生と日本の学生とを比較すると、 その英語運用能力、 また外国人とのコミュニケーションをとる能力において、
かなり劣っていることを認めざるを得ないだろう。 これは、 これまでの日本が実践的な英語教育を十分に行ってこなかったことの裏
付けではないかと考える。 現に、 文部科学省は、 平成元年に改定された中学校学習指導要領外国語編の目標で、 「外国語を
理解し、 外国語で表現する基礎的な能力を養い、 外国語で積極的にコミュニケーションを図ろうとする態度を育てるとともに、 言
語や文化に対する関心を深め、 国際理解の基礎を培う。」 (文部省, 1989) としている。 これを、 昭和五十二年に改定された学
習指導要領外国語編の目標である、「外国語を理解し,外国語で表現する基礎的な能力を養うとともに,言語に対する関心を深め,
外国の人々の生活やものの見方などについて基礎的な理解を得させる。」 (文部省, 1977) と比べると、 昭和五十二年からの十
年間において、 日本の英語教育の在り方が大きくシフトしたことがよくわかる。 つまり、 昭和五十二年版においては 「外国語で表
現する基礎的な能力を養う」 にとどまっていたところが、 平成元年になると、 「積極的にコミュニケーションを図ろうとする態度」 の
育成も視野に入れられており、 英語を理解するだけではなく、 実践的な英語を身に着けることがこれからの日本の学生に求めら
れていることが明確に示されているように思う。 また、これが「アウトプット重視」の教授法を取り入れるきっかけになったともいえよう。
ここで論じるオーラル ・ メソッドは、 その 「アウトプット重視」 の教授法の要素を多く取り入れている。
2. オーラル ・ メソッド (The Oral Method) の基本理念
オーラル ・ メソッドの指導法の効果について論じる前に、 オーラル ・ メソッドとは、 どのようなものであるかを確認したい。 現代英
語教授法総覧によると、 オーラル ・ メソッドとは文法 ・ 訳読式教授法などの伝統的な方法に対する反動により Palmer が発案した
革新的な教授法の一つである。 Palmer は、 “Language is elementary speaking” の考えにのっとり、 口頭練習を重視した指導法
を提唱した。 また、 オーラル ・ メソッドは幼児が母語を習得するようにさせる点では Natural Method に通じるものがあり、 母語の
使用をなるべく避けようとする点では Direct Method に通じるものがある。 しかし、 提唱者である Palmer は、 母語の使用を一部は
認め、 翻訳の役割やその必要性も主張しているため、 母語を全否定しているのではないことは押さえておかなければならない点
であると考える。 さらに、 オーラル ・ メソッドで取り扱われる教材は、 文法形式によって左右されるべきではなく、 内容の充実した
テキストを使用し、 語や構文の意味は自然な文脈や具体的な物を用いることとされている。 これらはすべて、 「言語は元来話し言
葉である」 という考えに基づいており、 それまで主流であった文法訳読式教授法などに比べ、 より実践的な英語運用能力を伸ば
すことに効果的であると言える。
3. 期待できる効果
ここで、 オーラル ・ メソッドによって得られる期待できる効果をいくつか挙げたい。 まず、 基本的に母語の使用は避けるべきであ
ると考えられているため、 教師は全て英語で行われることが原則になる。 そのため、 生徒は英語の環境に身を置くことになり、 自
然と 「聞く力」 が養成される。 「英語科は体育科や音楽科と同じように 「実技教科」 と共通する側面が多いと言える。」 (三浦&深澤,
2012, p.101) と言われるように、 英語の授業は 「英語の世界」 に身を置き、 母語の世界から英語の世界へと気持ちを切り替え
ることで、より生徒の集中力も上がるのではないか、と思う。 特に中学生にとっては気持ちの切り替えは他の教科とのけじめを付け、
区切りを付けることは学ぶことへの動機付けになると考える。 また、 これは副産物であるような気もするが、 教師の話す力が伸び
ることも事実だといえる。 さらに、 内容のあるテキストを使用しその内容を母語を使わずに理解していくため、 実物提示型の説明と
なり見た目にも分かりやすいため、 入門期の生徒の英語学習に対する動機付けが高まるとも言われている。 また、 ある場面を設
定した会話文をテキストとして使用した際に感じられた 「不自然な会話」 を使わずに授業を展開していくことも、 生徒がより自然な
英語を学ぶことに効果を期待できるだろう。 ほかにも、 文法形式にとらわれずより自然な形で構文を教授していくことで、 類推によ
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る作文をさせるため、より実践的で型にとらわれない英語の構文が教授できるという効果も期待できるといわれている。 さらに、オー
ラル ・ メソッドでは耳による観察と口ならしが重要視されているため、 日本人の多くが抱いている 「発音」 に対する苦手意識を払
拭するために効果的であるといえると思う。 つまり、 先述しているように、 オーラル ・ メソッドの教授法にのっとると現在の日本が必
要としている 「コミュニケーション能力」 を伸ばせる 「アウトプット」 重視型の効果的な授業を展開できることが期待されているの
である。
4. デメリット ・ 批判
しかしながら、 この教授法においては批判も多く見られる。 内容を母語を使用せずに説明することは、 一見すると効果的である
ように見えるが、 生徒の理解が正確でない場合があってもそれを教師が見つけられないことがあるかも知れないことが懸念されて
いる。 実物や絵や実演をして内容を説明する際に、 各生徒によってとらえ方が異なることがあるのは当然のことである。 ある生徒
が全く異なるような解釈、 理解をしていたとしても、 その場ですぐに教師は見つけられないだろう。 これはオーラル ・ メソッドにも、
Direct Method にも共通するデメリットであるとも言える。 また、 読み書きの指導が足りないことも指摘されている。 現在、 我が国で
は小学校五、 六年生次に 「読み」 「書き」 を取り入れない教授法により、 英語教育を行っているが、 日本経済新聞によると、 実
際に生徒から 「もっと英語の読み書きをしたかった」 という意見が寄せられたようである。 (日本経済新聞, 2015) これによっても
証明されているように、 「聞く」 ことと 「話す」 ことのみを重視した教授法では言語習得において十分であるとは言えないのだろう。
むしろ、これが生徒の英語に対する苦手意識を早めてしまっているかも知れないこともこの記事で明らかになった。 また、オーラル・
メソッドでは聞くことと声を発することが重視されているため、 パタン ・ プラクティスやリピートによる練習が多く用いられるが、 それ
では生徒が主体的に創造的な発話をする機会が減ることも懸念されている。 つまり、 オーラル ・ メソッドをうまく利用し効果的な結
果を得るためには教師の力量が大いにためされると言えるだろう。 教師がオーラル ・ メソッドについて理解を深め、 うまくサポート
すればこれらのデメリットもいくらかは回避できるのではないかと考える。
5.Oral Introduction について
オーラル ・ メソッドの特徴的な教授法の一つに、 Oral Introduction という技法がある。 これは、 テキストの内容をかみくだいて、
なるべくやさしい英語に言い直し生徒に話しかけることで、 テキストの内容を生徒に事前に伝えるという方法である。 ここで生徒に
はテキストを見ずに、「聞く力」 を育むことを期待するのである。 ただ何もせずに聞いていることだけでは効果は期待できないため、
たいてい教師の Oral Introduction のあとに生徒に Test Question を行い、 意識させて聞かせるようにする。 これによって期待され
る効果は、 先述した 「聞く力」 を育むこと、 それからテキストの内容を事前に易しい英語で伝えることによって生徒がテキストの内
容をスムーズに理解できるようになることである。 しかしこれにも批判が寄せられている。 その批判の一つは、 生徒が聞いているだ
けになるため、 教師ばかりが発言し生徒が自発的に発言する場面が限定されてしまうことである。 もう一つは、 Oral Introduction
の後に行われる Test Question は内容の理解度をはかるというよりは記憶力を試すものが多いことも批判の対象になっている。 ま
た、 日本の中学校でこれを行うには時間がかかりすぎることから効率が悪く、 取り入れられることがあまりない。
6.Oral Interaction について
そこで、 Oral Introduction の短所を克服すべく用いられるようになったのが Oral Interaction である。 これは、 テキストの内容を
テキストを読み進める前に生徒に沢山質問をし、 コミュニケーションを図りながら確認していくという方法である。 これによって 「聞
く力」 と 「発言する力」 の両方を育成することが可能になる。 さらに生徒が受身的な姿勢になってしまうことを防ぐことが可能になる。
しかし、 これは先述した Oral Introduction よりも時間がかかってしまい、 効率の面からしても日本の中学校で使われることはかなり
難しいと思う。 つまり、 Oral Introduction も Oral Interaction も実際に日本での英語教育の中では取り入れられにくいのが現状で
あるといえよう。
7. 指導の実際、 模擬授業を行って理解したこと、 感じたこと
オーラル ・ メソッドを理解したう上で、 当教授法は実際に役立つ指導法であるのかどうかについて考察したいと思う。 「英語科教
育法Ⅰ」 の授業中に行った模擬授業であるため、 対象は中学二年生と想定し実際は大学三回生を前にして行った。 テキストの
内容は地球温暖化についてであった。 それでは時系列に沿って授業の始めから分析したいと思う。 まずは新出単語の確認から
行った。 単語の意味は実際に絵や実物で示すことになっていたため、 日本語での訳は一切与えず、 主に絵を黒板に描き説明を
加えた。 ここでも時間をたくさん取られたことが大きなマイナスポイントになると感じた。 また、 実際に中学生を前にこの方法で単
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語の説明を行うと、 ほぼ確実に数名の生徒に意味の誤解が生じると感じた。 次に、 Oral Interaction を取り入れて、 地球温暖化
についての質問をいくつか生徒にしてみるが、 教師が求めている答えとは違うものが返ってきたり、 黙ってしまったりして授業が進
まなくなってしまった。 これでは効率が非常に悪く、 テキストの内容に入れないと感じたため、 結局 Oral Introduction のように一
方的に話しかける形となってしまった。 やはり、 日本の中学校で実際にこのどちらを実践するのも難しいのではないかと思うと同時
に、 教師の負担がとても大きいことも感じた。 毎回の授業で Oral Interaction の準備をするとなると、 それ以外の教材研究がおろ
そかになってしまうのではないかという懸念も生じた。 その後、 生徒にテキストの音読をさせた。 オーラル ・ メソッドは発声すること
も大切であるとされているため、 音読を六回繰り返した。 これは、 生徒に日本語とは異なる、 英語独特のリズムやイントネーション
に慣れてもらうための口慣らしとしては効果的であると私は考える。 結果、 全体を通して感じたことは、 時間が本当に足りないとい
うことであった。 できるだけ母語を避けることにより、 言葉数が自然と増えてしまうためのことだと思う。 また、 生徒に発言をしても
らおうと促すため、 生徒の考える間の時間がとられることも事実である。 答えを考えている生徒をせかすことは、 その生徒にとって
良い影響は及ぼさないことは明らかであるので、 それもできずに時間が過ぎてしまい、 大切な部分がうまく授業の中に取り入れら
れなかった。 これが、 日本の学校でオーラル ・ メソッドが取り入れられにくい最大の理由であるように感じた。
8. まとめ
オーラル ・ メソッドは、 それを担当する教師によってその効果に大きな差がでる教授法であるというのが私の見解である。 私は、
外国語を習得する際にはその環境に身を置くことが最も近道であると考えるため、 すべて英語で授業をすることも単語に訳を付
けずに実物等で示すことも、 自然に外国語を習得するには必要なことであると思う。 しかし、 それは日本の学校教育で行うには、
効率の面、 教師の力量の不均等の面からも難しいと考えられる。 特に、 Oral Introduction と Oral Interaction においては、 日本
人教師が行うには負担が大きすぎるように感じた。 しかし、 すでにオーラル ・ メソッドの教授法の一部は日本でも取り入れられて
いるのではないかと思う。 たとえば、 テキストの使用方法は日本の高等学校でもすでに取り入れられている方法であり、 本文を何
度も音読して口慣らしをすることも中学校において多く取り入れられているため、 オーラル ・ メソッドの一部は効果的であると思わ
れる。 また、 この教授法の提唱者である Palmer は、 どこまでも母語も時には必要であることを主張し続けた。 私はこれが 1970 年
代に開発された Bilingual Method に何らかの影響を与えている気がしてならない。 Bilingual Method とは、 文法訳読式の短所で
ある英語のインプットの少なさから生じるコミュニケーション能力の不十分さと、 直接教授法の短所である理解が不十分に終わって
しまうことを解消するために打ち出されたとされている (奥野, 2007, p.134)。 また、 バイリンガル法のメリットは、 母語を援用す
ることによって不安を軽減しながら外国語の理解へと導き、 そのうえで対象援護を何度も音読することによって暗唱につなげた結
果、 母語と目標言語との溝を埋められるという面である (奥野, 2007, p.138)。 とされており、 音読の面を見ても、 かなりオーラル・
メソッドと共通する点があるように思われる。 このバイリンガル法であれば、 私が感じたオーラル ・ メソッドの効率の悪さも解消され
るように感じる。 このように、 オーラル ・ メソッドは今後、 きっと良いところを取り入れられつつ、 変化しながら発展を遂げるだろうと
感じた。
参考文献
奥野九. (2007). 日本の言語政策と英語教育 : 「英語が使える日本人」 は育成されるのか?. 東京 : 三友社出版
『日本経済新聞』. 2015 年 7 月 4 日. 朝刊. 生徒の 8 割読み書き希望.
三浦省吾&深澤清治 (Ed). 新しい学びを拓く英語科 : 授業の理論と実践. 京都 : ミネルヴァ書房
文部省. (1977). 中学校学習指導要領. 東京 : 大蔵省印刷局
文部省. (1989). 中学校学習指導要領. 東京 : 大蔵省印刷局
指導案と授業の進め方
〜教員にとっての指導案と指導案が授業にもたらすもの〜
芦谷愛
Ⅰ . はじめに
教職の授業を受けて一番驚いたのは指導案を作成したときである。 それまで授業はその学期ごとに進むページが決まっていて
それに基づいて先生が授業を行っていると思っていたからである。 だから初めて模擬授業のために指導案をつくった時は指導案
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の意味も分からず本事案の部分だけが大事だと思い指導案を作成したことを今でもよく覚えている。 しかしながら実際に英語の模
擬授業を行ったときに指導案の大切さを痛感した。 確かに指導案の作成にはとても時間がかかるし、 面倒なものではあるが指導
案がなければまともな授業を行うことは出来なかっただろう。 そもそも指導案というのは 「ある授業時間内に、 何を指導するか目
標を立て、 到達目標を達成するまでにどのような活動をどのような順序で指導するのかの指導手順を記した進行予定表」 (JACET
教育問題研究会 , 2005, p.175) である。 つまり授業を行う上では必要不可欠なものであると考えられ、 私のようなまだ教員になっ
ていない学生が授業を行うときでも、 また教員であっても授業に臨む際にはその人の形の指導案があるはずである。 今回は指導
案とはどういったものでどのように書くのか、 また指導案は教師にとってどのようなものなのかを考えていきたいと思う。
II. 授業と指導案
授業をするからには良いものにしたいと思うのは教師の共通の思いであろう。 では良い授業とはどのようなものなのだろうか。
三浦によると 「良い授業」 とは、 授業を通して生徒が何らかの理想的状態、 より高いレベルへと変化するという向上的変容を
生徒に保証すること (2009 , p.124) である。 この向上的変容を生み出す授業とはどんなものなのだろうか。 やはりそれは教
師の努力がもたらすものであると考えられる。 この努力とは具体的には教科そのものに対する知識の量や、 授業に対する準備
である。 そして授業に対する準備の根幹に位置するのが指導案だろう。 指導案を作成する理由としては 「教育が目標と計画
をもって生徒の変容を意図する営みであるから」 と 「教師が生徒に授業の準備をしてくることを期待するのと同じく、 生徒は教
師が十分な指導の準備をしてくることを望んでいるから」 (三浦 , 2009, p. 126) が挙げられる。 前者は良い授業が求める条件
であり、 後者は生徒の気持ちを代弁している言葉である。 生徒も教師の準備不足を感じ取り教師に対して不信感を抱く事につ
ながりかねない。 生徒指導として教師は生徒に対し 「あれをしなさい、 してはいけません」 と言わなければならないことがある
がそんな教師が授業の準備を怠れば、 生徒の不信感をあおり授業が成り立たなくなってしまうだろう。
また授業の準備には指導案作成以外にも資料や音声聞きの準備など様々なことが必要となってくる。 しかしそういったもの
の準備をするためには、 授業の展開を予想し、 必要なものをピックアップしていく必要がある。 そのためにも、 また限られた時
間を有効に活用し、 なおかつ生徒に良い授業を提供するためにはやはり指導案を書く事が必要不可欠である。
III. 指導案を書くにあたって もっと足す!
指導案には決まった形はないが、押さえるべきポイントと留意点が存在する。 三浦 (2009, p.126) によると指導案はまず 「単
元 (題材) に関する記述」 と 「本事案 (その日一日の授業計画)」 に分かれる。 単元に関する記述は 「タイトル」、「日時等」、
「単元名 (題材)」、 「単元設定の理由」、 「単元の指導目標」、 「単元の指導計画」 6つの項目を含む必要がある。 この中でも
重要となってくるのは 「単元設定の理由」、 「単元の指導目標」 である。
「単元設定の理由」 にはこの Lesson ではどのような内容の題材や、 言語材料 ・ 言語機能を扱っているのか、 このクラスの
生徒の実態はどうであるのか、 以上に基づいてどのような方針で指導していくのかの3点を記述することが求められる。 私はこ
の中でもクラスの生徒の実態がどうであるかを記述しておくことが重要であると考える。 授業で同じ教材 ・ 言葉を使っても生徒
の中で理解度の差が出ることは必至であるし、 英語という教科に対しての苦手さも違うであろう。 そういった生徒の状態を教師
がしっかりと把握しておくためにもこの項目は重要だと考える。
次に 「単元の指導目標」 であるが、これは 「コミュニケーションへの関心」、「表現の能力」、「理解の能力」、「言語・文化の知識・
理解」 といった4つの観点に加え、 これらの各々に聞くこと、 話すこと、 読むこと、 書くことの4技能を組み合わせて記述を行う。
この部分は英語の授業を行う際の基礎となる部分である。
また本事案においては、 「ねらい」、 「展開」 の順番に書いていく。 ねらいにはその時間を通して生徒に達成させたい目標
を書くが、 この部分も先ほどの 「単元の指導目標」 と並んで重要な部分である。 展開には学習の流れ ・ 時間配分、 指導方
法の記述、 評価の視点 ・ 指導上の留意点を書いておく。
以上のことが指導案を書く上での押さえておくべきポイントと留意点である。 また教師として初期の段階においては自らが作
成した指導案を使って他の人が授業をできるよう、 できるだけ詳しく書き記す必要がある。 よく運動部の部活では練習で出来な
いことは試合でも出来るはずがないから練習では試合と同じように臨めという言葉を耳にすることがある。 教職課程の学生や新
任の教員の指導案作成においても同じことが言えるのではないだろうか。
IV. 授業内での指導案の役割
では指導案は授業内でどのような役割を果たすのか。 学習指導案は芝原が言うように 「学習指導案は教える側の労作で
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すが、 学側の生徒にとっては直接触れることもなく、 その存在にも気づかないもの」 (2015, P.4) である。 しかしながら指導案
は授業を支える根幹部分を担うものであり、 指導案がしっかりとしたものであればそれだけ授業が良いものとなる可能性が高ま
るのである。 もちろん指導案が出来ていても授業が上手く行かないことも多々有るだろうが、 それでも授業を進めるに当たって
指導案は必要である。 また指導案は 「一つ一つの活動のねらい、 指導手順、 そして教師と生徒それぞれが果たす役割を整
理し作成する」 (JACET 教育問題研究会 , 2001, p.199) ものであるから生徒にとって目に見えないものであっても体感するも
のである。 そして教員は作成した指導案に基づき授業を進行し、 生徒の活動を支えていくのである。
V. 英語科教師にとっての指導案
近年英語の授業の方法が変わりつつ有る。 文法訳読法に基づいた翻訳を中心とした授業からコミュニケーション活動を通し
て非明示的に生徒が知識を習得するコミュニカティブ ・ アプローチによる教授法が主流となっている。 ( 山本 , 2013, p.69) また
高校では英語の授業を英語で進めることが基本として求められている。 新しい授業の方針が決まり、 生徒にとっても混乱する
事が非常に多かっただろう。 しかしそれ以上に現場の教員にとってはとても負担が大きくなったことが予想され、 その負担はこ
れから先も続くと考えられる。
生徒の活動をより重視しながらの授業進行をしなければいけないため、 英語科教師にとっては他の教科の教員よりもより綿
密な指導案の作成が求められているだろう。
また英語の授業は初期のつまずきが後に響きやすい教科の一つである。 もちろん他の教科でも同じ事が言えるだろうが、 も
しも高校生になった生徒がアルファベットがよく読めなかったらどうするのか。 この問題は高校の授業が英語でされるようになる
前から存在する問題ではあるが、 今の方が似たような問題が深刻化している、 また深刻化することが予想される問題である。
英語をコミュニカティブ ・ アプローチで学んできた生徒が大学入試などのときに細かな理解が必要になったときどうするのか。
指導案を作成するだけでこうした問題が解決されるわけではないが、 こうした問題が起こる事を未然に防ぐ事が出来るよう、 英
語科教師の力量が問われている時代であり、 指導案作成は英語科教師の力になってくれるはずである。
VI. 指導案の教員への負担
これまでの章で指導案の役割の重要さについて述べてきたが、 指導案は英語や数学などのいわゆるテストに出る教科にだ
け必要なものではない。 こういった教師の専門科目の他に担任をした際は道徳や総合的な時間などの授業も担当することにな
り、 そのための指導案も必要となってくる。 しかしながら指導案の作成というのは時間や手間がかかるものである。 熟練した教
師の中には頭の中で指導案が完成しており、 改めて紙に書き起こす必要のないといった教員もいるだろうが、 道徳や総合的
時間の指導案作成には中々手が回らないことがあると思われる。 私はこのことの解決策の一つとして作られた指導案を使うとい
うことができると考える。 例えば千葉教育大学を運営基盤とする NPO 法人 「企業教育研究会」 では同研究会の事務局を通じ
て、 学校向けに授業の指導案の提供や教材の貸し出しなどを無料で行っている。 (産経ニュース , 2015) また静岡では 2011
年度から指導案をかねた道徳の教材が開発されている。 (YOMIURI ONLINE, 2012) もちろん教員が一から指導案を作成す
るのが最もよいと考えるが、 現実的に考えると教科以外に部活や保護者の対応など教員には様々な仕事がある。 そうした中で
指導案の負担を軽くし、 なおかつ指導案をきちんと作成したうえで授業に臨めるというのは教員にとっても生徒にとっても良い
事なのではないだろうか。
VII. 評価基準としての指導案
やはり学校と言う場所で授業を行うからには生徒の成績の評価をしなければならない。 文法訳読法が主とした指導法の時代
であれば、 テストの点数や課題の提出だけで評価をつけることも可能だっただろう。 しかし英語は授業内でよりいっそうのコミュ
ニケーション力をつけることが求められており、 必然的に授業内での生徒を評価することを重要視する必要がある。 そうしたとき
のためにも指導案は教師の授業計画だけでなく、 生徒の授業内での活動も記す必要があり、 なおかつある一定の評価基準を
設けておくべきである。
VIII. 最後に
指導案は教師を支え、 そして成長させるものとも言える。 指導案を書く事を重ねる上でいつか指導案をもっと簡略化して書
く日がくるのかもしれないが、 それでも指導案を作成していることに変わりはない。 また求められる英語の力が変わっていく今、
指導案の重要性は特に英語の授業では高まっている。 再度指導案の重要性を確認し、今後の授業に生かすことが必要である。
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またここまで指導案の重要性について述べてきたが、 教師にとっては指導案だけでなく日々授業力を養成し続けなければ
いけない。 特に英語の授業では教える教員自身も英語を母国語としていない人がほとんどである。 そのため教員も生徒と同じ
ように日々英語に対する力を養っていかなければ忘れていく一方である。 以前知り合った英語の先生に 「生徒を自分のレベル
まで引っ張っていくことが必要だ」 とおっしゃっている方がいて、 私自身そういう教員になりたいと感じたが、 この自分のレベル
が下がってしまえば元も子もなくなってしまう。 教員は常に生徒の目標として存在していることが必要でその努力を教員である
間は生涯続けていくことがより良い授業をつくるためのもう一つの方法である。
引用文献
産経ニュース . (2015, 7). 食育づくりサポート : マクドナルド、 小中高向け教材提供 . (2015, 7, 26) http://www.sankei.com/
life/news/150717/lif1507170012-n1.html
芝原寛泰, 佐藤美子 & 内山裕之 . (2015) 研究授業のための学習指導案のつくり方 . 東京 :
オーム社
山本忠行 , (2013, 8), 日本語直接教授法再考 : 創造的日本語教育をめざして , 通信教育部論集 , (16), pp69-8
JACET 教育問題研究会 . (2005). 新英語科教育の基礎と実践 : 授業力のさらなる向上を目指して . 東京 : 三修社
JACET 教育問題研究会 . (2001). 英語科教育の基礎と実践 : 新しい時代の英語教員をめざして . 東京 : 三修社
YOMIURI ONLINE (2012, 8). (6) 災害時の道徳を考える (2015, 7, 27). http://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/renai/20120824OYT8T00303.html
ヒューマニスティック • アプローチは役に立つ指導か
−その指導の考え方と指導の実際から−
大西 晴日
I. はじめに
教員は授業を作る際に、 様々なポイントを考慮する。 文部科学省は中学校 ・ 高等学校における英語の目標として以下のことを
挙げている。 「個別の教科等を横断した観点から、 児童生徒の思考力、 判断力、 表現力等をはぐくむため、 言語に対する関心
や理解を深め、 言語に関する能力を育成できるよう、 言語活動を充実することが必要である。」 (初等中等教育局国際教育課外
国語教育推進室, 2014) このことから分かるように、 言語能力を高めることはもちろん、 児童生徒の 『思考力、 判断力、 表現力』
までも伸ばすことが必要である。 そのためには、 児童生徒の関心を引くような授業づくりをしなければならない。 そこで、 役に立
つ教授法のひとつとして 『ヒューマニスティック ・ アプローチ』 があると考える。 本レポートでは、 ヒューマニスティック ・ アプロー
チを授業に取り入れることで、 ①生徒の思考力、 判断力、 表現力が身につくのか、 ②英語への関心は高まるのか、 の 2 点の問
いについて考えていく。
II. 概要
1. 歴史
ヒューマニスティック ・ アプローチは、 1970 年代初めに提唱されたものである。 この指導法は、 人間性心理学 (humanistic
psychology)、理想主義 (idealism)、実存主義 (existentialism) などといった心理療法などが基礎となっている。 ヒューマニスティッ
ク ・ アプローチの目的は 5 つあり、 「(1) 自己像の改善、 (2) 肯定的思考の発達、 (3) 内省と自己理解の増進、 (4) 生徒間
の親密な人間関係の構築、 (5) 相互の長所の発見」 である (縫部, 1995, pp.116-117)。
2. 基本理念
縫部 (1995, p.116) によると、 ヒューマニスティック ・ アプローチは 「認知面の到達である技能習得、 特に言語運用能力、
情意面の発達である自己内省 (self-reflection)、 自己表出 (self-disclosure)、 自尊感情 (self-esteem)、 相互作用面の発達で
ある親密な対人関係の形成を統合しようとするものである」 という。 この指導法の基礎には、 「教育は自己についての理解であり、
自己についての知識を通して教材の本当の理解が得られる」 という考えがある。
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3. 基礎理論
人間の基本的欲求には、 生理的欲求、 安全の欲求、 愛と所属の欲求、 承認の欲求自己実現の欲求の 4 つがある。 これらの
優先順位は、 上に書いたとおりになる。 これを教育に置き換えると、 生理的欲求は 「必要なものが揃っている状態」、 安全の欲
求は 「不安がない状態」、 愛と所属の欲求は 「教員や友達からの愛」、 承認の欲求は 「認めてもらっている状態」、 自己実現の
欲求は 「学びたいことを学べる状態」 となる。 これらは、 下から順番に積み重ねるようにして成り立っている。 したがって、 教育
においては、 教室の環境が整っていなければ、 上の 「自己実現」 へ積み重なることが難しくなる。
4. カリキュラム
カリキュラムの定義は、 「知る必要があり、 知りたい情報に基づく中心的主題を中核として編成される一組の学習経験」 とされ
ているという (縫部, 1995, p.119)。 このカリキュラムを作成するにあたって必要になってくるのが、 学習者のニーズ調査である。
その調査結果を分析した後には、 「①価値、 ②一般的教育目標、 ③特定の教育目標、 ④特定の学習目的、 ⑤学習の機会、 を
明確化しなければならない」 という (縫部, 1995, p.119) また、 カリキュラムを通して、 教師が求められる対応として、 あいづち
や提案といった促進的行動がある。 英語の学習が始まったばかりの中学一年生は、 手取り足取り教えるほうが効果的かもしれな
いが、 二年、 三年と学年が上がるにつれて教員は必要な時に手を差し伸べる程度へと、 対応も変化させる必要がある。 加えて、
教員は授業の計画を立てる際に、 「学習者が 1 時間の授業の中で一貫して 75% 位の時間を話したり、 書いたりしたりする」 ように
なるように考慮しなければならない (縫部, 1995, p.121)。 とは言っても、 授業ではバランスが大切なので、 75% 分きっちりと時
間を取るのは厳しいだろう。 したがって、教員は意識してスピーキングとライティングの時間を多めに設けることが大切になってくる。
5. 教授原則 ・ 指導法
ヒューマニスティック ・ アプローチの構成要素は、 「(1) 自己覚知 (self-awareness)、 (2) 自己表現 (student output as class
content for language practice)、 (3) 「今ここ」 の指導 (here and now teaching)、 (4) 他者との共有 (interpersonal sharing)
の 4 本柱である」 (縫部, 1995, p.122) この 4 つの点を踏まえて、 具体的な指導内容を見ていきたい。 まず 1 つ目は、 『自己
覚知』 に関する指導について見ていく。 ひとつの例として、 『現代英語教授法総覧』 では、 物への自己投射が挙げられている。
具体的な活動内容は、 以下になる。 ①イラスト、 またはぬいぐるみとシチュエーションを用意する、 ②そのイラスト、 またはぬいぐ
るみの気持ちになってどのような行動 ・ 発言をするかを考える。 この活動では、 「自分がどうするか」 ではなく、 物の立場になっ
て考えるということで、 学習者の 「自分について考えなければならない」 というストレスを軽減させながら、 自分自身の事を考える
のに有効である。 この活動を取り入れるなら、 中学 2 年生くらいまでが有効だと考えられる。 2 つ目は、 「自己表現」 に関する指
導について見ていく。 栁原 (2009) は自己表現の活動として、 「中学校の段階では、 自己紹介, 家族や友達の紹介, 一日の
生活について日記を書く」 といったものを挙げている。 近年は、 共働きの家庭が増えており、 親と子どもの会話が減ってきている。
そのため、自分を肯定してくれる身近の大人がいない。 その問題を軽減するためにも、自己表現活動は効果的であると考えられる。
3 つ目は、 「今ここの指導」 に関する指導について見ていく。 この指導では 「今ここで何を感じているか、 今何が見えるか、 何が
聞こえるか、 ここで何がしたいか、 を問う」 (縫部, 1995) ことが大切であるという。 この具体的な活動としては、 教科書の内容に
対して 「どう感じたか」 「何を考えたか」 「あなたならどうするか」 などを内容理解の際に取り入れる。 この活動では、 文法の間違
いを減らすことよりも、 自分の感じたことや考えたことを人に伝えることに重点が置かれる。 だから、 「文法を間違えたらどうしよう…」
というストレスが軽減されると考える。 その一方で、 自分の考えをその場で英文にするため、 教員は英語が苦手な生徒のフォロー
アップをする必要がある。 4 つ目は、 「他者との共有」 に関する指導について見ていく。 これは先に述べた、 「今ここの指導」 に
関する具体例に加えて、 発表者の話に 「耳を傾ける (傾聴)」 ことが大切になる。 これまで、 構成別に具体例を混ぜながらみて
きたが共通していることは 「自分の考えを人に伝える」 ということである。 これはヴィゴツキーの 「人が一人で学ぶには限界があり、
他者と協力することで学びの幅が広がるという」 最近接発達領域の考え方と似ているといえるだろう。
III. 利点と課題
ヒューマニスティック • アプローチの利点は 2 つあると考えられる。 ひとつは、 生徒へ英語の楽しさを教えることが可能になる。
例えば英単語で、 同じ意味でニュアンスの違うものや、 英単語の語源など、 背景知識を与えることで生徒に 「英語は面白い」 と
感じてもらえることが可能になる。 そういった授業を作るには、 教員自身が英語に関する背景知識を学んだり、 英文法を解説する
ときに、 生徒が 「なるほど」 と思える例文を使うなどの工夫が必要になる。 もうひとつは、 自己肯定感が育まれるということである。
自分の意見を人に伝え、 それを傾聴してくれる人がいるとういうことはそれだけで安心感を得られる。 その安心感が、 ヒューマニス
ティック ・ アプローチの目的の (1) 自己像の改善、 (2) 肯定的思考の発達、 (3) 内省と自己理解の増進の 3 つを育むことに
繋がると考えられる。
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ヒューマニスティック • アプローチの課題は、 『現代英語教授法総覧』 で 7 つの課題が挙げられている。 1 つ目は理論の欠如、
2 つ目は反主知主義、 3 つ目はナルシズム対社会対応、 4 つ目は治療対情意的成長、 5 つ目操作主義、 6 つ目は不適切、 7
つ目は十分な教師教育である。 1 つ目の理論の欠如は、 心理療法から生み出されたことにより体系的な理論がないことを意味し
ている。 2 つ目の反主知主義は、 感情的発達を重視しすぎて、 知的側面を軽視することを意味している。 3 つ目のナルシシズム
対社会的対応は、 自己に対する関心は強いが、 他者に対しては低い。 4 つ目の治療対情意的成長は、 外国語の授業は生徒
の心は治療する場ではないということを意味する。 5 つ目の操作主義は、 生徒は教師の指示に従うのに慣れているのでレディネ
ス (準備のできている状態) がないのに自己表出活動に参加させられるということ。 6 つ目の適不適は、 どの文化や国民さらに
個人にも適切とは限らないということ。 7 つ目の十分な教師教育は、 情意性には慎重な対応が必要なので、 きちんとした訓練を
受けた教師が指導しないと問題が生じる恐れがあるということである (縫部, 1995)。 これらの解決策として、 教員自身がどこまで
ヒューマニスティック • アプローチで授業を進めていくのかを、 授業に入る前に考える必要がある。
IV. 実践を通して
ヒューマニスティック • アプローチを使った模擬授業を 2015 年 11 月 2 日の 2 限目に実施した。 ターゲット文法が「have to」だっ
たので、「must」 との違いを盛り込みながら、進めていった。 しかし、私自身が二つの違いをきちんと落とし込めていないこともあり、
解説が中途半端になってしまった。 このことから、 教員が面白いと思っても、 うまく説明ができなかったり、 生徒にとって複雑すぎ
る場合は、 あえて解説を深める必要はないと思われる。 したがって、 教員は授業を作る際に 「自分が面白い」 と思える授業では
なく、 「生徒が面白い」 と思える授業にすることが根底になければならない。 この模擬授業で工夫した点がひとつある。 それは生
徒が楽しんで学べるアクティビティを考えたことである。 そのアクティビティはターゲット文法の 「have to」 を習得するための英文
作成カルタだった。 イラストだけを机の上に並べ、 一人が読み札を読む。 読み手以外は、 それに呼応するイラストをとり、 イラス
トから考えられる文章を 「have to」 を用いて作成するといった内容だった。 このアクティビティは生徒役のみんなにも楽しんで取
り組んでもらえたようであった。 ただ、 生徒に自由な発想で英文を作ってもらいたいという意図があり、 英文に対して答えを用意し
ていなかったのが、 逆に戸惑ってしまったという意見があった。 加えて、 イラストから何パターンもシチュエーションを考えることが
できるものは、 取り札に入れないほうがよいという意見もあった。 また、 取り札の拡大版を用意しておき、 その取り札を見せて、 生
徒にどんな英文を作成したのかをみんなの前で発表させるというアドバイスももらった。
このことから、 分かったことがいくつかある。 ひとつは、 授業を作るときには、 生徒の混乱を防ぐためにも、 曖昧な要素 (今回
の場合は取り札) は極力排除すること。 ひとつは、 生徒の意見や考えをみんなの前で発表することをその都度取り入れることが
大切であるとこと。 これを取り入れることで、 生徒自身が自分の考えに自信を持つことができるようになる。 この方法はヒューマニス
ティック ・ アプローチの目的の 2 つ目にあった 「肯定的思考の発達」 に繋がると考えられる。 そしてもうひとつは、 グループ活動
を授業に取り入れると、 取り入れない時と比べて、 授業の雰囲気が明るくなったということ。 授業の全てをグループ活動にするとメ
リハリがなくなってしまう可能性があるので、 バランスをみてクラスメイトと取り組むタスクを与えることも大切だと分かった。 V. まとめ
ヒューマニスティック ・ アプローチは前述のとおり、 心理療法から生み出されたものなので、 文法訳読式などのように決まった教
え方がある訳ではない。 逆にいうと、 他の指導法と常に組み合わせることで本来の効果が発揮できると考える。 ここでの効果とい
うのは、 学習者の英語学習に対する学習意欲の増進や肯定的思考の発達などのことを指す。 本レポートではヒューマニスティッ
ク ・ アプローチの概要、 利点、 課題、 実践を通して、 と 4 つの項目から論じてきた。 冒頭で挙げた 2 つの問いについてそれぞ
れ答えていきたいと思う。 まずは 1 つ目の問いであった 「ヒューマニスティック ・ アプローチを授業に取り入れることで生徒の思考
力、 判断力、 表現力が身につくのか」 からみていく。 これの答えは、 身に付くといえる。 どのアクティビティをとっても、 ヒューマ
ニスティック ・ アプローチではじ 「自分がどう感じたか」 または 「自分ならどうするのか」 と言ったことを考えたり、 発表するプロセ
スが必要不可欠である。 そういった点からみて、 生徒の思考力、 判断力、 表現力が身につくと考えた。 次に 2 つ目の問いであっ
た 「英語への関心は高まるのか」 についてみていく。 この問いに対する答えは、 どちらともいえない。 教員が与える授業と生徒
のニーズが合えば、英語への関心は高まるだろう。 しかし、クラスには約 40 人の生徒がいる。 その 「ひとりひとりに合ったニーズ」
に授業を合わせるのは、 極めて困難であると考えられる。 したがって、 全ての生徒に英語への関心を持たせるのはほぼ無理だと
言える。
このレポート全体を通して気付いたことは、 ヒューマニスティック ・ アプローチを授業に取り入れる際はバランスが大切だということ
である。 縫部 (1995, p.125) が 『現代英語教授法総覧』 でも述べているように、 「外国語教師は、 人間と言語を扱う専門家に
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ならなければならない。」 したがって、 教員は授業を分かりやすく作ると同時に、 生徒が何を求めているのかを日々考えながら授
業を作っていくことが求められるだろう。
参考文献
縫部義憲 . (1995) . 「Humanistic Approach (人間中心の外国語教育)」 . 田崎清忠編 . 現代英語教授法総覧 . 東京 : 大
修館 pp.116 ‐ 125
初等中等教育局国際教育課外国語教育推進室 . (2014, 6) . 【資料 2 - 1】 中学校 ・ 高等学校における英語教育の在り
方に関する論点 . 文部科学省 . Retriever January 23, 2016 from http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chousa/
shotou/102/shiryo/attach/1349083.htm
栁原千波 . (2009, 3) . 生徒一人一人が自己表現に意欲的に取り組む英語学習 : コミュニケーション活動におけるワークシー
トの工夫を通して . 香川県教育センター . Retriever January 26, 2016 from
http://www.kec.kagawa-edu.jp/curriculum/houkoku/hiraku/h20/2008c004-001.pdf
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